黒月ミカド


むしゃ。むしゃ。ガッ、ガツ。
ボリボリ。ゴリゴリ。
咀嚼する音が室内に響いている。
肉を喰いちぎる音。歯が骨にぶつかる鈍い音。
まったくうちの子は食いしん坊で困るわ。何でもかんでも貪り、平らげてしまう……。
──私は子供を失った。二度も失った。最初は五年前。四歳だった息子は交通事故で死んだ。私は息子を失った喪失感で精神を病んだ。
それでも旦那の献身的な支えによって生きる気力を取り戻し、二人目の子供を身籠った。
それが……二週間前に流産した。流産したことを旦那に伝えたが彼は何も言わなかった。うんざりしたようにため息をつき、ただ無言でビールを飲み続けていた。
その日から旦那の態度は冷たくなり、夫婦の会話は無くなった。
「どうして？」と最初は訳が分からなかったけど、うすうす他の女の気配を感じていた。私のことなどどうでもいいのだろう。その証拠に旦那は滅多に帰らなくなった。
そんな一人ぼっちになった私はある夜、駅前の繫華街を歩いていた。
ふと、看板が視界に入った。雑居ビルの壁面から鉄の棒が道路に向かって横に伸び、その棒に一枚の大きな看板が吊るされていた。
そこに達筆な文字で〝貴方の望むものがここに──骨董店〟と書いてあった。
建物は屋根が赤色、壁は黒色のこじんまりとした家。
私は導かれるように中へと入った。室内は裸電球だけで薄暗い。埃やカビ、薬品のような臭いが漂っている。商品棚には色んな骨董品が陳列されていたがどれも興味を惹かれなかった。だがその中で唯一、気になる品があった。それは怪しげな緑色の薬液で満たされたガラス瓶だった。中には真っ白な胎児が丸まって浮かんでいた。ぶくぶくと鼻から泡を出しているから生きていると思った。私はその胎児が愛おしくなり、自然と手が伸びて瓶を抱きかかえた。
気づいた時にはカウンターテーブルの前に来ていた。店主は不思議な女だった。女は三十代前半ぐらいに見えた。体型は細身だがそれなりに身長もありそうだった。
髪の色は暗い赤。長い髪に櫛を差して花魁風に束ねていた。
唇や耳にピアスが反射して光る。
端正な顔立ちに鼻筋がすっと通った美人だ。だが、アイシャドウと口紅がラメ入りの紫色であるためにけばけばしい印象が強かった。
蜘蛛の姿が刺繡された赤と黒を基調とした着物を羽織っている。裸に着物を無造作に羽織っているので胸元が露わになっているが本人は気にしていない様子だった。
女はこちらに気づいてノートパソコンを閉じ、愛想よく「いらっしゃい」と言った。
「これを下さい」と私はテーブルの上にガラス瓶を置き、ポケットから財布を取り出した。すると店主は「うちは人様と現金で取引しないよ」
「えっ、物々交換ってことですか？」
「まあ、それに近いね。あんたの大事なものを代償にうちの品を渡すってシステムさ」
「……でも、そんなに高価なものはありません」
「いや、もうもらったよ。だから帰んな」
「えっ？」
どういうことですかと思った時、私は胎児が入った瓶を抱えたまま空き地に立っていた。薬液の中を覗き込むと、胎児がニッコリ笑っているように見えた。
「可愛い赤ちゃん」
私は店のことで疑問に思うことはあったが、我が子を得たことで幸福感に包まれていた。
私は帰宅すると、瓶から赤ちゃんを取り出した。男の子だった。
赤ちゃんはゲホっと液体を吐き出した後、目を開けた。私を母親と認証したらしい。すぐにお乳をせがんできた。
それにしてもうちの子の成長速度は異常だ。初日はミルクや離乳食だったのに一か月後には五才児の体になっていた。
「ママ。お肉が食べたい」
肉を与えるのは良いのだがその量が多すぎた。
一食だけで十人分の肉を消費した。家計がとんでもないことになると思い、私はパートを始めたがそれでも息子の食欲は止まらない。
ある日、パートから帰ると冷蔵庫が空っぽになっていた。息子に訊いてみたところ「我慢できなくて全部食べちゃった」と無邪気に笑った。背筋がゾクッと寒くなって怖くなったが可愛い我が子を叱ることはできなかった。
それから一年が経った現在。息子は身長三メートルもある大男に成長した。肌は黒く変色し、頭には二本の角。裂けた口から牙をのぞかせている。ちなみにかつての旦那は息子が一時間前に捕食してしまった。旦那は私物を取りに来たついでに離婚届を持ってきたところだった。旦那は私と離婚について話し合っている最中、息子に背後から襲われて食い殺された。
そして……いま、わたしは息子に食べられている途中だ。
私の下半身はすでに食べられ、残りは上半身だけ。意識は朦朧としてきている。自分の肉が喰いちぎられる音は嫌なものだ。生きたまま息子に食べられるとはね。息子は鬼の子だった。息子を引き取るための代償は私の命だったのだ。
さあ、愛しい坊や。お母さんのお肉を美味しく食べてね……



