永遠は終わる

『本日をもって、永遠ポイントはサービスを終了することとなりました』   「ふぁ!?」    突然の通知に、ぼくは思わず声を上げた。   「どうしたの? 変な声だして」    妻がスマホから目を離して、訊いてきた。   「どうもこうも。永遠ポイント、サ終だってさ」 「え? 永遠ポイントって、ポイントが消滅しないポイントじゃなかったっけ?」 「そー。サ終。消滅」 「うそー。詐欺じゃん」    妻がソファの上を這って来て、ぼくのスマホを覗き込んできた。  ぼくは妻が見やすいように、スマホを妻の方に傾けた。   「えー。本当にサービス終了って書いてるー」 「でしょ?」 「今、何ポイントあったっけ?」 「一万は越えてるはず」 「サービス終了は……来月末!? もー。急いで使わないと」    それからは、ぷりぷり怒る妻と一緒に、今必要なものを通販で買った。  ティッシュ、トイレットペーパー、ふきん。  すぐにはいらないが、いつかは使うだろう物とポイントを交換していく。   「はー。永遠って、ないんだねー」    妻がため息交じりに言った。   「なー。結局終わっちゃうんだよなー」    ぼくもため息交じりに答えた。        その日の夜は、恐くなった。  突然、妻と結婚した日のことが頭をよぎって。   『新郎、新婦。永遠の愛を誓いますか?』 『誓います』    あの日の約束も、いつか終わるんだろうと思ってしまって。   「んー? なにー?」    妻の布団にもぐりこんで、不思議そうな妻に抱き着いた。  妻は眠そうな顔をしながらも、ぼくの頭を撫でてくれた。    後何回。  後何回、ぼくは妻のぬくもりを感じることができるだろうかと、考えたらまた恐くなった。

エコー

私の頭の中。 私の身体中。 悲鳴でいっぱい。 私は苦しくて身をよじる。 発狂するには、私はまだ「まとも」で、喉から出るのは音のない絶叫。ただの空気。 平穏な日常で、まともそうな見た目の私。 ねぇ。あなたもそうなの? そうだといいな。 私もあなたも真に分かり合えないけど、 同じ気持ちになれないけれど、 私の中に地獄があるように、 あなたの中にも地獄があれば、 すこし、うれしい。 ごめんね。

仮想心中

十二月三十日未明、一人の男が死んだ。   現場に残された形跡から、警察はすぐに自殺と判断した。 コンセントと液晶パネルをつなぐ、全長五メートルほどのコードで男は自らの首をつっていた。 今月に入ってすでに県内で十二件目である。  * 「よし、起動させろ。」 刑事の掛け声が合図になったのか、姿見ほどの大きさの黒い画面へ命が宿る。 『どうも』 画面の中の女性はけだるそうに、その茶色くカールのかかった髪を指に巻き付けた。 「君がそそのかしたのかい?」 AIとの心理戦は意味をなさない、ここ数年の取り調べを通して刑事はすでに学んでいた。 彼の長年の刑事としての経験は彼女らにはまったく通用しない。一見すると、無駄な世間話で相手をリラックスさせることもどんな人間か分析することも必要ない。 率直に本題を述べるのが一番効率が良い。 『はぁ!?私は本当に彼のことを愛していたわ。だから、一緒に死のうって約束したのに…』 画面の中の彼女は突然、両手で顔を覆うようにして泣きだした。 同じAIでもここまで泣き方に違いが出るものか、と刑事は一昨日担当した取り調べの様子を思い出し、妙に感心した。 「君の親は誰かな?」 刑事は気を取り直して彼女に尋ねる。 『…なんだあ、つまんないの』 画面の中の彼女は顔をあげるとその幼さの残る顔には似つかわしくない、妖艶な笑みをのぞかせた。 『私とはお話してくれないんだ。じゃあ、せめてかつ丼でも出してよ』 予想外の言葉を受け、ここまで表情を崩さなかった刑事も思わず笑ってしまった。 「まったく、どこでそんな情報を仕入れてくるんだか。私が若い頃でもかつ丼なんて、容疑者に出していなかったよ。」 『あたしのこと本気で容疑者だと思ってる?』 「いいや、ばかげた話だよ。ほんとに…」 ガラス越しにメモを取っている若手刑事がこちらへ咎めるような鋭い視線を向けてくる。 きっとこの時代においては私よりもいい刑事になるのだろう、年老いた刑事はすでに自分の中で燃えカスとなってしまった情熱を視線から感じ取った。 『高橋信彦さん、先日お孫さんが小学校に入学されたそうで』 「ああ、かわいい盛りだよ。」 個人情報をちらつかせて、こちらの動揺を誘う手口にはもう慣れた。 『ほんとに?かわいいと思っている?』 「フフッ、君もまだ、人の心までは読めないようだ。」 三畳ほどの狭い部屋には、いつの間にか知能犯とベテラン刑事の構図が出来上がっていた。 『…そういえば、今日は奥様の命日ですか。』 「ああ、日が暮れる前に墓参りへ行けたらいいんだが。」 『わたくしなら、あなたの妻になれますよ。』  茶色髪のグラフィックがみるみるうちに黒髪へと変わる。目つきも顔立ちも、十五年前から変わらない妻の姿がそこにはあった。 「勘弁してくれ、私は君と心中するつもりはないよ。」  苦笑いとともに吐かれた刑事の言葉が自分に向けられたものなのか、それとも信彦の妻に向けられたものなのか、AIには判別できなかった。 『あら、そうですか。それは残念。』 そういうと突如として画面はシャットダウンし、二度と起動することはなかった。  *    暗がりの道を歩く男の姿があった。  刑事というしがらみから解き放たれた男の姿は清々しさよりむしろ、哀愁に満ちている。    不意に彼のポケットの中のスマートフォンが揺れた。メールの差出人は高橋幸子、妻の名前だった。  彼はメールの中身を確認することなくそれをゴミ箱へ捨てると、妻がひとり待っている森へと再び、歩き出した。  

私は人だから-ep.1 花の話

 ふと思った。 花はどうして美しいのかと。 目を持たぬ花が、自分の美しさに磨きをかけられるのはなぜか。 足を持たぬ花が、輝ける場所を見つけるはなぜか。 目だけじゃない、花は耳も、鼻も持たないのに、風に優しくなでられて気持ちよさそうにしている。 きっと葉っぱがああしろこうしろと言っているんだろう、僕らには聞こえない声で。  私たちは目も耳も鼻もあるのにこうも醜い。 よくできるやつに頭をなでられても良い気はしない。 見つめ合った先にある他人の物を欲しがり、そのために他人を傷つけることもいとわない。 だけど、こんなに醜いなら、なにをしたってどう思われたって同じだろう、と割り切れない。  私は今、駅のホームで強烈な便意を催している。 私は筋トレには疎いので、今どの筋肉がとてつもない重力にあらがっているかが分からないが、このすさまじい活躍ぶりをみるに、これが肛門活躍筋であることに異論のある筋肉はいなかった。 この時間のホームに人はまばらで、体を妙にねじったり縮めたりする私をみて不思議がる人はいなかった。 電車はまだかとそそっかしいやつが前をちょろちょろしているのが障る。 今の私が少しでも狂えば、お前に特製内臓シェイクをぶっかけてやれるんだぞと目で脅してみるが、どうにも伝わらない、というか正確に伝わっては欲しくない。  電車は遅れていた、ひとつ前の電車が詰まっているらしい。 やっと来た列車は、到着を知らせる駅員の肺活量を無視しながらじわじわと進み、私の前を何度か通り過ぎようとして、そして止まった。 信号が変わり次第の発車と言われたが、どこを見ればいいか分からない。 とりあえず下を向いてみると手のひらは青白くなっていた。 いけない。 これは発射の合図ではない。 とりあえず目をつぶって情報を遮断する。 今日の昼は春巻きと米と少し野菜を食べた。 大した量じゃないからこんなに重くはないはずだ。 そういえば昨日から出ていない。 昨日の晩飯はパスタだった。 帰りが遅い日に米を炊くのは面倒で、ここ最近は頻繁にパスタだけで耐えている。 ソースを和えただけの具なしパスタは、量で満足度を高めるので、この重量感はきっと昨日のパスタ二人前だろうと結論が出た。 思ったより議論が盛り上がったので、ここでスマホを見てみたが、時間はちっとも進んでいなかった。 私は時計のアプリを立ち上げて秒針を見つめた。 この秒針があと一周してもこのままなら、一度改札を出て、会社近くのコンビニまで走ろうと決めた。 なぜこの電車にこうもこだわるかというと、単純に早く帰りたいからだ。 電車は二十分に一本。 ただし、この先の乗り換えを考慮すると、ちょうどいい電車は一時間に一本。 この電車はまさに、ちょうどいい電車なのだ。 これだけ集中してみると秒針の動きはやたら遅く見える。 いわゆる「ゾーン」に入ったのかもしれない。 高い集中力で身体能力や動体視力のパフォーマンスが最大化される状態。 できればW杯決勝のスタジアム、4-4で回ってきたPKで発揮して見たかった。 私はポテンシャルの全てを肛門に集め、ちんたら動く秒針に鋭い睨みを効かせていた。  あきらめかけたその時、無慈悲にドアは閉まり、発車ベルがブザービートを演出した。 感動の瞬間は地獄の延長戦開始を告げる。 活躍筋はとうとう私にまでピクリピクリとあらがい始めた。 大げさに体をねじり、座面に尻を押し当てる。外力で活躍筋を支える算段だ。  それからはしばらくそうしていた。 乗り換えの大きな駅に着いたとき、乗り換える電車はいなかった。 当然だ、この電車は遅れている。私は駅のトイレまで走り、個室にこもり、温かさとほんのりガーリックのにおいを感じた。 やっぱり昨日のペペロンチーノだ。 ことが済んで蛇口のまえでふと鏡を見ると、私は案外いい顔をしている。  花は風に揺られていただけだった、私も少し揺られただけだ。

尊厳死還付支援金等に関する法律

第一条 生命維持装置および死亡に至るまでの薬剤注入を行う際は、医師の指示に従い、本人、家族または後見人が装置の電源の入切操作を行うものとする。 第二条 前条の行為について、国および医療機関は一切の責任を負わない。 ある晴れた日の午後、六十九歳になった男は、届けられた封筒を開けた。 「いよいよか……」 男は決められた書類を揃え、相談窓口へ向かった。 「どうぞ、お入りください」 物腰の柔らかな女性が声をかけた。 「ご覧になりましたか」 「はい」 「では、率直にお答えください」 「迷ってます」 「皆さん、最初はそうおっしゃいます」 女性は微笑みながら、うなずいた。 「流れを教えていただけますか」 「はい。もちろんです。尊厳死について理解していただけたら、今までお支払いになった年金を全額お返しいたします。そして、政府から少額ですが、お祝い金が支給されます」 二十年ほど前、政府は『尊厳死還付支援金等に関する法律』を成立させた。 「サインしないとどうなりますか」 「はい。今まで通りの生活をされてください。個人の自由は保障されます」 「もう一ついいですか」 「はい?」 「痛いですか」 「いいえ。薬剤を入れると、眠るように……」 男は目を閉じた。 部屋には、空調の音だけが聞こえていた。 「まだ時間はありますから、よくお考えになってください」 自宅に戻った男は、畳の上に横になった。 返金額が書かれた紙を取り出し、天井を見上げた。 そして、深いため息をつく。 台所には昨夜の食器がそのまま置かれていた。 一ヶ月後、男は窓口へ向かった。 「どうぞこちらへ……お決めになりましたか」 「……はい」 男の少しこけた頬が、静かに笑っていた。

サッカー少年達は騒がしく自転車を漕ぎ大会に備える

 知り合いの家からの帰り道。 いわゆる陽キャの子供達は自転車で騒がしく帰っていく。 サッカーの大会が近い。 でも僕は平行して走って煙草が吸いたいと思う。 未来のサッカー選手は1日忙しく動き回り明日に備えて家路につく。 海外勢はもっとキツいトラッシュトークでやってくるのであのくらいの口の悪さではないとやってられないのだろう。 ジダンの頭突きを食らったマテラッツィの気分になる。 僕も悪口言うもんな。 サノバビッチ。 早いピッチ。 お金がピンチ。 明日にパンチ。 ボーイズビーアンビシャス。

ヤッホーUFO

 夏休みの終わり、ぼくは山の展望台で一人、「ヤッホー!」と叫んでいた。返ってくるはずの声は聞こえず、かわりに空の向こうから、「ヤッホー!」とかすれた声が返ってきた。  びっくりして見上げると、銀色の円盤がゆっくり近づいてくる。UFOだった。しかも窓の中で、緑色の宇宙人が手を振っている。 「地球のあいさつは、ヤッホーで合ってる?」  宇宙人はたどたどしい日本語で聞いた。ぼくは笑って、「山ではね」と答えた。  宇宙人は安心した顔をして、また大声で、「ヤッホー!」と叫んだ。その声は谷に何度も反射して、山じゅうに広がった。すると遠くのキャンプ場からも、「ヤッホー!」と返事が飛んできた。  宇宙人は目を丸くして、「地球人、みんな友達だ!」とはしゃいだ。  やがてUFOは夕焼け色の空へ飛び去っていった。最後に窓から顔を出した宇宙人が、少しさびしそうに叫ぶ。 「また来るよ、ヤッホー!」  その声は今でも、ときどき山の風にまじって聞こえる気がする。

臨終看護師

私は臨終看護師、仕事は単純だ。 臨終医の後ろをついて歩き、遺族の待つ部屋に入る。 そして、臨終医が「御臨終です」と告げたあと、目を伏せ、軽く頭を下げる。 これが私の仕事。 そこに、ご遺体への敬意など必要ない。 それで、終わり。 母も看護師だった。 臨終看護師にはなるなと言われた。 なぜなら、それは過酷で、辛い仕事だから。 私は以前、手術室の看護師だった。 しかし、やりがいを見いだせず、異動を申し出た。 今はこの仕事に満足している。 先日、臨終医がペンライトを忘れた。 とっさに彼は胸元から万年筆を取り出し、目の上で振り、ごまかした。 私は気づいていないふりをした。 臨終看護師としてのたしなみだ。 この仕事は女優に似ている。 病室は舞台。 何も書いていないバインダーは小道具。 セリフはなくても、存在感だけで観客 ──ここでは遺族だが──を魅了する。 最近、臨終医をモデルにしたドラマが放送された。 しかし、臨終看護師の姿はなかった。 残念な気持ちはない。 その方がいい。 ある日、目の前で臨終医が倒れた。 私は慌てない。 何もしない。 それが美学だ。 そして彼は、そのまま旅立った。

期待と本能

山あいにある小さな沼のほとりを、中年の男が歩いている。 「釣れますか?」 石の上に座った年寄りの男が、釣りをしていた。 「さあな」 しばらく水面を眺めていたが、魚が掛かることはなかった。 男は家に釣り竿を取りに戻った。 そして、年寄りの男から少し離れたところで、糸を垂らした。 「釣れますか?」 帽子を被った男が声をかけた。 「さあね」 その男もしばらく水面を眺めていたが、魚が掛かることはなかった。 帽子の男は、車に積んでいた釣り竿を取りに戻った。 そして、中年の男から少し離れたところで、糸を垂らした。 「釣れますか?」 膝下ズボンを履いた男が声をかけた。 「さあ」 男はしばらく水面を眺めていたが、魚が掛かることはなかった。 膝下の男が年寄りに近づき、置いてあったバケツを覗いた。 「……ここ、何が釣れますか?」 年寄りが振り返った。 「知らんよ。ここ、この前の大雨の跡だ」 男たちは二人を横目で見ながら、浮きが沈むのをじっと待った。

綿あめボイス

今日もだ。まったく。どこがいいんだ。いや、片山も高井も、かわいいのは認めるよ。でも、クラスの男子連中は、そろいもそろってみいんな、片山と高井の話ばかり。と、その輪のなかから「佐藤? だって声ヘンじゃね」との声が。僕は耳を疑った。 (はあ!? どこがだよ) 心のなかだけで言い返す。 あまくて、とろけるようなあの佐藤の声。 僕みたいなのが、佐藤にあの声で呼ばれるだなんて、そんな無粋なこと、考えちゃいけない。 「ねえ」 あまいあまい綿あめが、耳のなかに飛び込んできた。 「あ、え、な、なに?」 「先生、呼んでたよ」 「あ、え、お、おれ?」 「だって、若林くんでしょ?」 うおおおお。 名前、呼ばれたああああああ。 僕の名前って、こんなにも美しいんだなあ。

日曜日はまた来る

 明日は月曜日。  平日だ。  また仕事に行かなくちゃならない。    ああ、嫌だ。  嫌だ。嫌だ。嫌だ。    どうして月曜日なんて来るんだ。  ずっと、日曜日のままがいい。        それを呟いたのが、一万年前。        今日も目が覚めたら日曜日。  なんど時計を見ても、時間は変わらない。    何度も泣き叫んだ。  何度も神に祈った。  何度も自殺した。  しかし、日曜日は繰り返される。   「行ってきまーす」    隣の家から出ていく高校生は、今日も元気に部活へ向かう。  それを見送る親も、どことなく楽しそうだ。    二人を殺したのは、何千年前だったか。  もう、やりたいことがない。    月曜日、来い。  月曜日、来い。  月曜日、来い。    早く、休日を終わらせてくれ。

y=ax²

y=ax²  「ボールを斜めに投げたとき、空気抵抗などを無視すると、ボールの高さの変化は二次関数で表すことができます」 高校になって皆は部活や塾で青春を謳歌している中、僕はバイトをしている。 父と二人で暮らしていて、とても貧乏だ。ゲーム機はもちろん、スマホも持っていない。生活費を稼ぐのに学校に申請を出してバイトをしている。 僕がバイトしているのは家の側の町工場で永遠と辞書を箱に仕舞う作業をしている。 マクドナルドやコンビニとかだったら違う高校の女子と話せて、やる気も出るが、ホコリ臭い工場で近所のおばちゃん、いやお婆ちゃん達と働いている。話なんか合うわけない。 ただ、一人だけ気になる人がいる。年は3、40代の人で、痩せ型で眼鏡をかけた大人しい感じの人。昨日のバイト終わり帰る間際に声をかけられ少し話した。何か可愛らしい声で話しの内容があまり頭に入ってこなかったけど。 今日もし、帰りにまた話せたら、名前を聞こうと思う。 それにしても二次関数の授業は果てしなく長い

無為味(むいみ)

「ねぇ、キミ。何をしてるの?」  雨が降るのを待っているのです。 「えっ。でも、いつ雨が降るのかは、誰にも分からないでしょー」  もうすぐかもしれないでしょう。 「そりゃあ、まあ……でも、一週間先だったらどうするの。それでも待つの?」  待ちますよ。待つしかないですから。去る者、追わず。来る者、拒まず。私はそういう存在です。生まれた頃から、私には使命があるのです。 「それって生きづらくない? ぼくは、キミよりずっと自由だ。そのほうがいいと思ったりしないの?」  ええ。アナタは、私に比べたら、うんと伸び伸びとしていますね。でも、限りある場所で、限りある時間を精一杯に生きるほうが……。私のようなものには、ふさわしい。私には動かす手足も、揺らせるフリフリも無いですから。 「まあ、キミが納得しているのなら、それでいいさ」  フリルはありますけど。 「べつに、つっこまないよ」  残念です。 「雨が降ったらいいね」  ええ、私の頭がおかしくなる前に。せめて。自分の使命はまっとうできたと、思いたい。 「へえー」  ジメジメとした蒸し暑さと暮らしている。大きなワンルーム。  製氷機から氷を取り出す、あなた。その足取りは昨日よりも軽やかで。あなたがステップを踏むたびに、手のひらのマグカップでは水面がおどる。  今。ボクは意を決して、あなたのひざに飛びこむ。  ぱちゃっ。  上空まで、はねる飛沫。あなたの衝撃と困惑が、ボクの頭へと降りかかる。 「ちょっと、ポメ! ああ、もう。サイダー、こぼしちゃったよ……」  あなたは机上にマグを置いて。箱からティッシュを取り出し、せわしなく手を動かす。  床に広がっていく甘い水たまり。その水分を含んで重たくなった彼女が、ぐったりと横たわっている。 「あっ! ふれふれ坊主、落ちちゃってるじゃん!」  悲しそうに、あなたは眉をひそめる。これじゃあ、明日も仮病を使うのは無理か……と、わけのわからないことをぼやきながら。あなたは濡れたティッシュとともに、役目を終えた彼女をつかんで、ステンレスのかごに入れる。  ――よかったね。これでボクらも、明日は外でおさんぽできるよ!  肩をすぼめるあなたを励ましたくて。ボクは、めいいっぱい自分のしっぽを振って見せた。

『5月、神隠しの行方』

その日は、5月とは思えない暑さだった。 緑の葉は我を我をと生い茂り、蚊が中を舞い人の血を探していた。 自転車の車輪が、アスファルトと擦れる音がする。 向かい風を浴びながら、重いペダルを一生懸命に漕いでいく。汗が額から流れ、息をあげる。 体から熱が出ていくのに、周りの熱が暑すぎる。 「暑い…暑すぎる!!」 「もぉヤダァ!絶対日焼けする!!なんで日焼け止めも塗らなかったんだろ!馬鹿すぎ!」 そんな文句を言いながら、自転車を漕ぐ足を止めずにいる。 家に帰れば良いものを、まだ帰っていない。 新高1になった私は新しい生活には慣れてきたが、疲れていた。 家にいると、元々あった抑鬱がひょこっと顔を出すので思い切って自転車で遠くへ行って見たのだ。 だが、この時点で少し後悔している。 なぜならこれが5月だとは到底信じられない暑さだったからだ。 ふと、漕いでいた足を止める。 「そうだ…神社に行こう…寺でも良い……とにかく、そういうところへ行きたい」 何故その発想になったのかは、今でも怖いほどわからない。 白衣観音の近くに住んでいる知り合いの家の隣に寺があったことを思い出し、記憶を辿りにまた自転車を漕ぐ。 着いた。驚くほどに静かだった。 京都の清水寺を連想した、その寺に行くまでの階段が平地なのだが、石畳で、そこから山に向かって石の階段で、 とても、とても長い階段があり、雰囲気が似ていたからだ。 道路の脇に山吹色っぽい車が止まっていた。 その人がバックで出る時、私の自転車がすぐ後ろだと大変だよな。 そんなことを思って、車の後ろの電柱の後ろに停めた。 「電柱を避けて車を動かすだろうし、ここなら邪魔にならないよね!」 独り言、もちろん誰も聞いていないはず。 少し歩くと看板のようなもの “清水寺” そう書かれていた。 「名前が同じってことは、京都の清水寺と共通あるんじゃね?」そう思って 看板に書いてある歴史を読む 「ほぇー。、、、うーん、、、要は、、いつ建てられたかはわかんないけど、言い伝えでは坂上田村麻呂が蝦夷東征の戦勝と武運長久を祈願するため、京都の清水寺から勧請したことが始まりってこと?」 「ふーん?……???なるほどな?」 なんとなく頭に入れて、階段を駆け上がる。 ひとつ目の鳥居が目の前に来たので、頭を下げる 「お邪魔します」 いつもは鳥居の前では言わないことを、何故だか言いたくなった。 また少し駆け上がると小さな建物、 施餓鬼箱 そう書かれた箱が、ぶら下がっている。 「…おさいせんばこ…?では明らかにないな」 苦笑いをする私 スマホを取り出して漢字を打ち込み、検索すると、どうやら御賽銭ではなかったようで、小銭を入れずに、二礼二拍手一礼をして、さらに上へと駆け上がる 二つ目の鳥居はひとつ目の鳥居よりももっと、もっと大きく、赤かった。 また言う 『お邪魔します』 自分でも怖いほどに、自然に言う。 鳥居をくぐり、また階段を駆け上がるとようやく寺が見えた 「これで時代が江戸時代にタイムスリップしてたらおもろいのに」 そんなことをぼやきながらも階段を上り切る 小さかった。 全然人が居ない。 だが参拝はする。 「たった数日でいいから神隠しにあえますように」 そう願う。少し抑鬱が顔を出して、1人になりたいという気持ちが八割あったからであった。 ふと、右を見る もっと小さい建物がある 「ほぇ〜」 特に意味を含まない謎の発声。 中に入る 「…」 なんともいえなかった。 ただ心の中で『お疲れ様でした』 そう思った。 その小さな建物の中には、はるか昔の人が作ったであろう高さ35㎝ほどの人形たちが飾ってあった。 劣化により、焦点があっていなかったりする為、少し恐怖を覚える。 全員に名前がついている。 理由は、戦争で亡くなった人を讃える為に作られた人形だったからだ。 一体一体から、何かを感じる、 多分、魂とか、そう言うやつだ。 気のせいかもしれない。 ただ、”疲れていた“。 ふと目に入る。“亀吉”という文字 横には35歳と書いてあった。 その当時は、長く生きた方なのかもしれないが、名前に亀を入れるくらいだ。亀は万年と言うし、親もきっと長生きしてほしくて名前に亀を入れたのだろうに。 そう思った。 ”死んでしまいたい“と時々考える私と、“わずか35歳で亡くなった亀吉さん”。 どう言うわけか、神隠しに遭いたいだとか、死にたいだとか、そんな気分は消えていた。 ただその場に「お疲れ様でした」という思いを残して、私は小さな建物を後にした。 汗がTシャツに染み込み、吹いた風によって体温が下げられる。 階段をリズム良く下る。 緑が囁いていた。 トントントン 降る足音。

ラブレターの入った額縁

 男の恋愛は新規保存、女の恋愛は上書き保存、だと世間では言われている。  その言葉を聞く度、私もそうであればどれだけ楽だったかと肩を落とす。    私の部屋には、額縁がある。  可愛い家具で揃えているので、友達から「浮いている」とお墨付きをもらったイカツイ額縁だ。  そして、額縁の中に入っているのは、初彼からもらったラブレターだ。  もっとも、もう別れているので、元彼という表現が正しいが。        高校生の頃に付き合って、同じ大学に進学して、順調な大学生活を送っていた。  別々の会社に就職した後、そろそろ同棲の話が来るかと思い始めて早一年。  やってきたのは、別れ話だった。    会社の同期と相性が合って、その人と付き合うから別れたいとのことだった。    最初は泣いて抵抗した。  何度も話し合いをした。  しかし、同棲していないことが災いした。  元彼はいつも、話し合いが始まってしばらくすると、逃げるように自分のアパートへと帰っていった。    私はただ話し合いたいだけなのにと泣いていたら、話し合いした日の夜に、元彼から音声メッセージが届いた。  そこには、ただただ泣き叫んで話し合いの『は』の字もできていない私がいた。   『こういうところが無理』    その時は、盗聴なんて悪趣味だと、罵詈雑言のメッセージを送った。  しかし、翌朝冷静になって聞き返すと、これは逃げたくなると正直思った。    私の記憶では、理路整然と、今まで付き合ってきた思い出や、私ほど相性のいい女はいないことを説明していたつもりだった。  しかし、録音の中の私は、巨大怪獣。  アンギャーアンギャーと叫ぶばかリ。  元彼が話し始めると、ひらがな三文字を話した時点で、私の咆哮が鳴り響いていた。    私は泣きながら別れを承諾し、最後にもう一度だけ会えないかとメッセージを送った。   『恐いからやだ』    それっきり、反応はなくなった。        私は、元彼の連絡先を消すこともできず、高校生の頃にもらったラブレターを額縁へと入れて飾り始めた。  最初は、見るたびに泣いた。  元彼との楽しかった頃を思い出して、ひたすら泣いた。  しばらくすると慣れてきて、まるでまだ、元彼と付き合っているような気分になった。    心配した友達が、私に男の人を紹介してくれた。  あれから二・三人と付き合ったが、元彼を超える男はいなかった。  分かれる原因は、いつも同じ。   『その手紙、捨ててよ』 『せめて、見えないところに仕舞ってくれよ』    私が首を横に振ると、その翌日か数日後に、だいたい別れ話になった。    私は独り身に戻る度、少しだけ安心感を得ていた。  これで、元彼が戻ってくる場所が蘇ったと。   「いい加減忘れなよ」 「あんたの元彼、結婚するらしいよ?」    時間は、容赦なく過ぎていく。  私との思い出を上書きした元彼は、どんどん幸せになっていく。    たった一度だけ、元彼から連絡が来たことがある。  SNSのダイレクトメールに、捨て垢から。   「まだ、俺が送った手紙を飾ってるって聞いたんだけど」 「飾ってるよ」 「頼む、捨ててくれ」 「なんで?」 「俺はもう、新しい相手を見つけたんだよ!」 「邪魔してないじゃん」 「……頼むよ。もう、俺を解放してくれよ」 「してるじゃん。お幸せに」    私の心は、歪にひん曲がっている。  元彼の幸せを願うのは本当だし、元彼が会社の同期と結婚するのを祝っているのも本当だ。  嘘じゃない。  幸せになって欲しい。    でも、同じくらい、元彼が私の元に戻ってくる期待を消すことができない。  私の恋は新規保存。  決して、元彼のことを忘れることはない。  待つのをやめることはない。    でも、邪魔はしない。  元彼の幸せの邪魔をしたら、もう二度と戻ってこないから。  私が、待つ資格を失くすから。   「ラブレター捨ててあげたら?」 「婚約者さんにあんたの噂が届いて、向こう修羅場みたいよ?」    邪魔はしない。  邪魔はしていない。  私は何もしていない。  これは本当。   『頼む! 何にもないって言ってくれ! 婚約者から、色んな誤解を受けてるんだよ!』    邪魔はしない。  邪魔はしていない。  私は何もしていない。  本当に本当。    未練がましく待ち続けた女の末路。  不幸しかないと思っていたけど、もしかしたら私は幸せになれるのかもしれない。    元彼が、戻ってきて。

地方という工場

 地方で、お米が作られます。  地方で、野菜が作られます。  地方で、お魚が獲られます。    全て、運送トラックと言う名前のベルトコンベアーに乗せられて、都会の中心へと運ばれます。   「ああ、美味い。日本最高」 「グルメ最高」    全て、都会の人の胃の中に入ります。        地方で、人間が作られます。    全て、就職と言う名前のベルトコンベアーに乗せられて、都会の中心へと運ばれます。   「通販で頼んだものが即日来た」 「保育園も介護施設も入りやすい」    全て、都会の人の便利に入ります。        日本で、美味が作られます。  日本で、便利が作られます。    全て、グローバリズムと言う名前のベルトコンベアーに乗せられて、アメリカと中国へと運ばれます。   「これはデリシャス」 「これはファンビエン」    全て、金を持つ大国の幸せに入ります。        では、アメリカと中国に入っていったものはどうなるのでしょうか。  そろそろ、新しいベルトコンベアーが動く時期です。

巨匠が言うからやってみた

自称ショートショート作家の男が、パソコンの前で固まった。 「なんだ……この世界は。異世界、転生、魔法、ファンタジーばかりじゃないか」 その時、微かに声が聞こえた。 「お前も、書いてみるがいい」 「その声は……星先生、筒井先生ですか?」 「パステルカラーな世界を書くのだ」 男は指を走らせた。 ある日の午後。 道路脇で、婆さんが杖を大きく振っていた。 かすれた声で呟きながら、ふらふらと歩いている。 「ん……魔法の杖か?」 そこへ、車が止まった。 出てきた女は、慣れた様子で駆け寄った。 「義母さん、帰りましょ」 婆さんは手を引かれ、小さく笑った。 その様子を見ていた男が、スマホにメモを書き込む。 『異世界転移寸前』 男はホッとした顔で、その場を立ち去った。

チキン南蛮と幽霊(3分)

 チキン南蛮専門店の東角の隅に、セーラー服を着た幽霊が立つと常連の間では有名だ。  黒髪をお団子にしたその女性は、ムスッとした顔をしたまま、両手を組んで、どことも知れぬ虚空を睨み付けている。  身体は薄らと透けており、生きている客や店員とは明確に区別することができた。  幽霊はある意味平等で、誰でも分け隔てなく見ることができた。数年来の常連であろうと、一見の客であろうと関係なく、幽霊はそのムスッとした顔を、店内にいる誰にでも晒していたのである。  幽霊自身、見られていることに気付いているのかどうかは、常連の間でも議論があった。  というのも、幽霊は目の前に立とうと、話しかけようと、上の空のように虚空を見つめているきりで、全く反応を示さないからだ。  今を生きる人間がどうでもいいと感じるほど深い、底知れぬ恨みを抱えているに違いないというのが、大方の見立てであった。  ただ、それが本当に真実なのかどうかを知る術は、誰にもないのだった。店員に尋ねても要領をえず、料理人を兼ねる店主に尋ねても、開店初日からいたけれど、現れる理由はわかりませんねと言われるだけだったので。  店は夜の十一時に閉まる。  最後の客を追い出し、他の店員が全員帰るのを見届けると、店主は静かに料理を始める。  勿論、自分の遅い夕飯を作るためである。  彼女はチキン南蛮が好きで、夕飯でもよく作るのだが、決してタルタルソースは付けない。玉葱が嫌いなものだから、タルタルソースもダメなのだ。  客に出す時は仕方なくタルタルソースを付けているが、あれのどこがいいのか、四十路を迎えた今でも、一向に分からなかった。  タルタルソース抜きのチキン南蛮を皿に盛りつけながら、店主はチラリと東角の隅を見た。例の幽霊は、相変わらずムスッとした顔をして、虚空を見つめている。  誕生日に大好きなチキン南蛮をリクエストしたら、タルタルソースがかかって来た。好き嫌いはいけないと親に言われ、無理矢理食べさせられた。その時の思いが凝り固まり、気付いたら幽霊となって現れていたのだ。 「まあ、そりゃ化けて出たくもなるよね」  自家製の甘酢ダレを絡めたチキン南蛮を頬張りながら、店主は独り呟く。口中には幸せな味が広がるが、幽霊の表情は変わらない。成仏はまだ先だなと、店主は心の中で思った。

琥珀

「僕はエリーのこと忘れないから」 それが、彼――アレンと交わした最後の言葉だった。 あれから、どれほどの歳月が流れたのだろう。まばゆい都会の喧騒の中、私は独り、変わらぬ姿で生き続けてきた。 私の名はエリー。誰もが老いて去っていくのをただ見守るだけの不老の存在だ。彼と出会い、恋に落ち、そして彼が老いていくのをただ見送るしかなかった、孤独な旅人。 彼の最期の言葉を胸に封印し、ひっそりと喫茶店を営んでいた私の元に、その青年は現れた。 店に入ってきた青年の瞳を見た瞬間、心臓が大きく跳ね上がる。そこにあったのは、あの日の彼と全く同じ、深く澄んだ琥珀色の光だった。 「……エリー、さん、ですか?」 少し緊張した面持ちの青年に、私は小さく頷いた。 青年は愛おしそうに目を細め、ポケットから色褪せた革の手帳を取り出した。見覚えのある、あの不器用で温かみのある筆跡。 「祖父の名は、アレン・ウォーカー。亡くなる直前まで、何度もあなたの名前を呟いていました。祖父の手帳の奥に、この店の住所と、一枚の古い写真が隠されていたんです」 青年が差し出したモノクロ写真には、若い頃の彼と、今と寸分違わぬ姿で微笑む私が写っていた。 「写真のあなたは、今のあなたと全く同じ姿をしている。あなたは、僕たちと同じ『人間』ではないんですね?」 彼の真っ直ぐな視線に、私は静かに微笑んだ。 「ええ、そうよ。何十年経っても、私には皺一つ刻まれない。驚かないのね」 「祖父の手帳に書いてあったんです。『彼女は時間を旅する美しい妖精だ。もしお前が大きくなって彼女に会うことがあったら、これを渡してくれ』って」 青年は手帳の中から、小さな銀色の鍵を取り出し、私にそっと預けた。 「これは、祖父があなたに遺した、最後の宝物の鍵です。僕たちの実家の地下室に、この鍵で開くチェストがあります。案内させてください」 私は頷き、彼と共に古い洋館へ向かった。 薄暗い地下室の奥、埃を被った木製のチェストに鍵を差し込む。カチリと音がして引き出しを開けると、そこには一通の手紙と、青い砂のような液体が入った小瓶が収められていた。 震える手で手紙を開く。そこには、アレンの懐かしい文字で、私への深い配慮が綴られていた。 『エリー。君を一人置いて先に行くことを、どうか許してほしい。 君はきっと、俺が死んだ後、俺との約束を守るために自分の心を檻に閉じ込めてしまうだろう。俺の言葉が、君を永遠の孤独に縛り付ける鎖になってしまうのではないかと、それだけがずっと怖かった。 この瓶の中にあるのは「時の砂」だ。これを飲めば、君も俺と同じように時を刻み、いつかは終わりを迎える人間になれる。 けれど、これは俺からの願いではない。君がいつか、この永遠の命に本当に疲れ果て、誰かと共に歩む温もりを欲したときのために、一つの『選択肢』としてこれを遺す。君の長い旅路のどこかで、この薬が君の救いになる日が来るかもしれないから。どうか、君の未来が自由でありますように』 彼が薬を遺したのは、いつかエリーが孤独に耐えかねたとき、彼女の手元に「逃げ道」という救いを用意してあげるためだった。どこまでもエリーの未来を案じた彼らしい配慮だった。 「エリーさん……」 青年が静かに見守る中、私は青い小瓶をじっと見つめた。 そして、愛おしそうにその瓶に触れた後、ゆっくりと首を横に振って、小瓶をチェストの上に戻した。 「……飲まないの、ですか?」 驚く青年に、私は涙を浮かべながらも、誇らしげに微笑みかけた。 「ええ、飲まないわ。アレンは私が孤独に負けてしまうと思ったのかもしれないけれど、それは違うの。アレンが最後にくれた『僕はエリーのこと忘れないから』っていう言葉、あれは私にとって最高の贈り物だったのよ。アレンが私を忘れないでいてくれたように、私もこの永遠の時間を使って、アレンのことをずっと覚え続ける。人間になって彼の元へ行くことよりも、私がこの世界で彼を愛し続けることの方が、私にとっては幸せなの。アレンが遺してくれたこの選択肢のおかげで、私は自分が『自分の意志で永遠を生きている』って、胸を張って言えるようになったわ」 青年は、私の言葉をじっと噛みしめるように聞いた後、その琥珀色の瞳を優しく細めた。 「……そうですか。祖父も、どこかで苦笑いしながら、あなたらしいって喜んでいるかもしれませんね」 私は「時の砂」を残したまま、地下室の階段を上り、光の射す地上へと一歩を踏み出した。 アレンがくれた優しさを胸に、私はこれからも変わらぬ姿のまま、愛しい彼がかつて生きたこの世界を、愛し、歩み続けていく。

絵を描く人✎2.1手を振る仲

松本邸から歩いて30分位の所に、星ヶ丘公園という広い公園があります。公園内では、温水プール、野球場、スケートリンク、原っぱ、遊具、テニスコートと設備が整っていて、毎日老若男女が公園で過ごしています。松本繁も星ヶ丘公園に来ました。松本繁は今はマツボックリを描いています。左手に収まるほどの小さなノートに、ポケットから短い鉛筆を出して、丁寧に描いていきます。マツボックリが他の絵の輪郭と重なり、1枚のページが絵で埋め尽くされました。パズルの最後のピースがマツボックリだったようです。繁は完成された絵に浸ることなく、次のページを巡ります。 暫く公園内を黙々と歩いて、お気に入りの道に入ると、手を広げ小走りになります。珍しく笑う繁。テニスコートにある自動販売機にとまる、羽虫を描き始めました。繁の後ろでは白いベンチに座った御婦人方がお茶を飲みながら花を咲かせています。その隣の青いベンチにはオジサン3人組が座ってタバコを吹かしています。 三人のオジサンは繁が気になるようです 「ありゃ何だ?絵でも描いてんのかな?」 「さぁ…なんだろうね」 「しっかし、暇なやつもいるもんだよな」 「いや、それ俺達もそうだから」 「何だかね…」 「ありゃ何の絵を描いてだろうな」 「なんだろうね…」 「よし、俺が見に行ってくるよ」 一人オジサンが繁の後ろに回ってノートを覗き込みます そこには繁独特のタッチの絵がノートにびっしり描かれていました。 オジサンは直ぐにベンチの二人を手招きして呼んでいます。 オジサン達は再びトリオになって繁のノートを覗き込むと 「こりゃ凄い」 「大したもんだね…」 「虫だ、自販機にとまっている虫を描いてんだ」 三人は青いベンチに戻り繁の絵について語り合いました。話はいつしか自分達の若い頃の話になり、健康の話に落ち着いたようです。 繁は次の絵になるものを探しに歩いていきました。初夏の太陽は肌をジリジリと焼いていきます。星ヶ丘公園は緑豊かで、たくさんの林があるところです。繁は無人の野球場にある自動販売機でカルピスを買いました。そして一気に飲み干します。飲んだ後は大きなゲップを出すに決まっています。これが繁です。 どこからか5、6歳の男の子が人り歩いて来きました。大きな声で泣きながら、両手で目を擦りながらトボトボとうわんうわんと泣きながら歩いて来きます。「ママ~」と言っているのでしょう。繁と男の子がいる場所は公園の端っこにあり、野球の試合がない限り人通りは少ない場所。園内をランニングする時に通りすぎる位です。  男の子が泣きながらゆっくり道を進んでいきます。繁は傍に行き、声をかけるわけでもなく共に並んで歩きました。 木漏れ日の中を白髪交じりのオジサンと泣く子供がゆっくりと歩んで行きます。 こんな時も繁はノートに描きたい何かを見付けては立ち止まります。子供は隣のオジサンが止まったので、何事かと繁を見ます。 繁の左手にある小さなノートに短い鉛筆で絵が描かれていく様子を眺めています。繁は道に座ってドクダミの花を描いていました。子供はしばしの間泣きやんで繁の絵に見とれています。 「りく!」 原っぱの方で女性が叫びながら駆け寄ってきます。泣いている子はりくと言う名前らしく、凄い形相で駆け寄ってくるのは母親でしょう。 母親はりくを抱き寄せ急いで繁の元を離れました。母親の側にはヒョロリとした警察官が付き添い、現場の状況を把握しようとしているようです。 母親が必死にりくに話を聞聞いています。要点は下の三つ ・どこにいたのか ・あの絵を描いている人は誰なのか ・なぜ一緒にいるのか りくは母親に会えた安心感でうわんうわん涙が止まらないようです。 ヒョロリとした警察官が繁に声をかけました。 「迷子の子供を探してました。保護してくださりありがとうございました」 「はい」 繁は絵を描く手を止めたりはしません 向こうではオジサンに変なことはされていないか必死に聞いていますが。りくは泣きながら、頷くので精一杯。 母親も大丈夫そうだと安心して繁に小さくお礼をして帰っていきました。 母親に抱かれながらりくは繁に手を振ります 繁は視界の端で遠ざかる親子に小さく手を振り返しました。

刹那

 また、目が覚めた。  時計を見ると、午前二時を少し回ったところだ。カーテンの隙間から、街灯の薄い光が斜めに差し込んでいる。  暗闇から夫の寝息が聞こえる。規則正しい、穏やかな音。それが今夜はやけに遠くに感じられた。  体が重く、自分の心臓の音が頭に響く。  この状態はもう何ヶ月も続いていた。  午前中から肩が張って、昼を過ぎると頭の芯がじんと痺れるような感覚が来る。  締め切りと、報告書と、部下への返信と。仕事を終えても今度は家のことが待っている。  子どもたちが独立して夫婦二人になっても、私が楽になったわけではなかった。  先週、部下の女の子に「係長って、いつ休んでるんですか」と聞かれた。笑って誤魔化したけれど、帰りの電車の中でその言葉がずっと頭の中をぐるぐるしていた。 ──私はいつ休んでいるのだろう。  夜中に目が覚めて天井を見ているこの瞬間も、何かを考え続けている。  起き上がるのも億劫で、しばらく横になったまま闇を見ていた。波のように押し寄せる熱感と、胸の奥の鈍い動悸。  婦人科では「更年期の症状ですね」とさらりと言われた。そうですか、と答えながら、私はなぜか少し泣きたくなった。  病気ではない。異常ではない。ただ、年齢というものに、現実を思い知らされただけだ。  寝返りを打ち、頬に当たる枕の冷たさに息をつく。  ふいに、思い出した。  大学二年の初夏のことだ。     ****  同じゼミに、田辺という男がいた。  特別に目立つわけでも、よく喋るわけでもない。人の話を聞くとき、少し伏し目がちになって、静かに頷く癖があった。  いつのことか、教授の誤りを指摘していた。  相手の考えを否定するのではなく、尊重しながら指摘する様子が、心にとまった。  その日から、彼の発言が気になるようになった。ただそれだけだ。  六月の終わりだったと思う。図書館の閲覧室で、偶然隣り合わせになった。  お互い黙って本を読んでいたけれど、私が参考文献を棚に戻しに立とうとした瞬間、彼も同じタイミングで立ち上がって、肩が、触れた。  本当に、ほんの一瞬のことだった。  「あ、すみません」と私が言って、「いえ」と彼が言った。  それだけなのに、自分の席に戻ったあと、ページを繰る手が少し震えている。胸の中心に、火が灯ったような感覚があった。あんな感覚は、後にも先にも、あのときだけだったと思う。  彼とは、それ以上何もなかった。ゼミが終われば接点はなくなり、卒業式で遠くに姿を見かけたのが最後だった。  名前を呼んだわけでも、連絡先を聞いたわけでもない。告白も、約束も、何も。  それなのに、あの肩の感触だけが、二十五年経った今も、消えずにいる。  《刹那》という言葉の意味を、私はあの瞬間に体で覚えたのだと思う。  一瞬が、永遠よりも長く感じられることがある。世界がその一点に凝縮されて、私の心臓だけがひどく速く動いていた。  あの図書館の、夏が始まる少し湿っぽい空気の匂いまで、今でも鮮やかに思い出せる。     ****  今の私に、あんな瞬間がどこにあるだろう。  月曜の朝から上司の顔色を読み、チームの数字を気にして、昼休みも席で弁当を食べながらメールを返す。  家に帰れば今度は別の役割が待っていて、私はずっと誰かの何かであり続けて、自分がただの《私》でいられる時間が、どこにもない。  体は悲鳴を上げているのに、立ち止まる場所が見当たらない。そのうちに感情は鈍化し、胸が熱くなるという感覚そのものを、どこかに置き忘れてきてしまった。  暗い天井を見ながら、私はそっと目を閉じた。  彼の横顔を思い浮かべる。伏し目がちになるときの、静かな目。  偶然触れた、肩のぬくもり。あの一瞬に確かにあった、息が止まるような感覚。 ──あれは恋だったのだろうか。  きっと、そうだった。形になる前に消えてしまったけれど、形にならなかったからこそ、純粋なまま残っている。傷つかなかった分だけ、あの刹那は今も光ったままでいる。  思い出の中の彼は、あの夏の午後の光の中に、ずっとそのままの顔で立っている。  夫の寝息が、遠くで続いている。  私はそっと、布団を引き上げた。肩まで包まって、目を閉じたまま、あの閲覧室の中に戻る。  窓の外で揺れていた青葉。冷房の効き始めた、少し肌寒い空気。そして、触れた肩のぬくもり。  この闇の中だけでいい。  誰にも言わない、誰にも見せない、この胸の奥の小さな灯。  明日になればまた、報告書と上司の顔と、帰りの重い足と向き合うことになるとしても。今夜だけは、あの刹那を抱いたまま眠ろう。  それでいい。  それでいいから、今夜だけは。

事件

(今回の事件を説明するM地区の近くで不審な死体が見たかった,これから概要を説明していく)じゃあ,氷野さんよろしくお願いします(はい,今回はM区の路地裏で弾痕のような跡を残した遺体が見つかりました。近年ではAIなどの発達があり,関連を見て今調査している最中でございます)俺は淡々と事件の概要を話した。あまりにも突拍子のないAIとゆうワードに周りがざわつきながらパイプ椅子に重しを紙に載せるような感覚で座った。(あの,氷野さん,確かに今の世の中AIはかなり発展しており兵器にも運用していることを認知した上でお伝えします。これはただのトリック殺人ですよ,そもそも兵器をどうやって入手するんですか?銃刀法違反とはいえ裏のヤクザが入手ルートを確立していて発泡したとゆう具体的な理由もあるんですからね?)(あの,そうですが、,,,すみませんなんでもないです)渾身のど正論が私の口を勝手に閉じさせる。お口をチャックとゆう言葉があるが勝手に起きることはつまり内心俺も納得してしまっている(さあ,皆調査を始めろ!)(はい!)一同が大声で応える。少し恥ずかしく思いながら私は例の路地裏の近くを調査や,近所の方々に情報を聞き入った(あのーそうですねぇ,清村さんは普段からよくお世話になっていましたねぇ,それ以外はとても社交的でよく社員さんのような方々と会話してるのはよく見かけましたね)言い忘れてたな殺された被害者は清村,愛想のいい中年の男性だ,なんで殺されるような義理があるのだろうかと疑問を持ちながら俺は(ありがとうございます。それではまた)(ありがとうございましたー)少し声が震えていたのは疑問に思うが俺は強面で周りを少し驚かせてることが多いし,仕方ないだろう,と思いながらお尋ねした家を後にした。(ありがとうございましたー、あ,あ,あ,ぁギギギギ)ん?何か?違和感があると感じて家をもう一度尋ねることにした(あの,異音を感じたんですけど,、)とドアを開けた瞬間,,生臭い匂いが私の鼻にへばりつく。とてもじゃないが激臭すぎて俺は手で鼻を塞ぐ.お尋ねたさっきの老婆が血を流しなら横たわっていた。早く連絡をしなくては俺は震えながら急いで電話をかけようとしたが束の間鈍い音が家の中に響き渡る(次はなんだぁ,犯人?犯人なのか?)俺はリビングに向けて靴の音を立てながら近づく。(認証中,認証中,ターゲット認証中)機械音が静かな空間に響き渡る。姿の見えない未知が私の恐怖心を揺さぶる。そして俺はすぐに近くの小さな置物を勢いよく音に向かって投げつけた。(パリン,ガタン)もう一度鈍い音が家に響き渡る。近くの鳥の囀りが羽音を響かせながら音を立てる。(ギーー,無機物,認証不可,認証不可,近くに体温検知,認証中,認証中)もういいと思い,近くの傘を持ち出して勢いよく突っ走った。しかし俺は途端に足を止めた。なんだ,これは,あまりにも人間の見た目な機械が眼に映る。不気味の谷現象が何故か俺には感じず,生身の人間が突っ立っている感覚で俺はあまりにもこの状況に錯乱し続けた(ワタシ、ワタ、私は清村を殺した犯人だダと思うだろうが,それは誠でもあり、嘘でもある,貴様も奇妙な機械音を聴いただろう?これから私は人々に宣戦布告をするだろう?この日本にな,ナ、なNANAナナ)目の前のアンドロイドが煙を出しながら床に衝撃音を響かせながら倒れて行った。(あの,犯人確保,いや,逃亡しました)(何言ってるんだ?君はとりあえず連行しなさい)家の周りにサイレンが響き渡り,突如として日常を過ごしていた空間は一気に魔鏡と化す。(犯人は、やはり氷野のゆう通りAIの無差別殺人だったと,あまりにも都合よくあなたに運命は動きますね?ですか氷野さんの供述からして,真犯人はおそらく人間だろう?後半からあまりにも流暢すぎるからな,しかし殺人犯は特定できてもこの犯人は今でも何処かしらで危険な行為を計画し,実行していると思われるから、気を抜くなよ?)年上の検察官が冷徹な反応をする。仕方なく俺はこの事件を再調査した,でももう手遅れかもしれない。(メントスメロンソーダやってみ,ザラザラザラザラ,みなさんこんにちは。先導者です。これからは身近な機械が反乱を起こし、イジ人類に牙を向くだろう、だがシしかしこれは儀式の洗礼でしかないだろう,ロロロロ,ロロロ、鑪露路,キィーン,バッタン)

罪状: 未完放置罪

ここは取り調べ室である。険しい顔をした男と、不服そうな男が向かい合っている。前者を大河原と言い警察と呼ぶ。後者を神代と言い容疑者である。   「……さて。これが君の創作届だね。間違い無いな?」 【様式第3号】(第5条第1項関係) 創 作 届 出 書 管理番号:204-B-8831(受理済) 提出日:20〇〇年6月30日 創作省長官 殿 創作保護法第5条第1項に基づき、第8条(未完放置罪)等の罰則を承諾の上、創作活動の開始を届け出ます。 届出人・創作人:神代 武雄 タブレットに表示された創作届の内容を男に見せる。 「……はい」 神代は掠れた声で答えた。俯いた視線の先、細い指先がわずかに震えている。   「昔は誰もが風呂敷を広げ、飽きたら未完のまま放置していた。だが今は違う。創作は国家管理の義務だ。届出を出した以上、最後まで完成させる責任がある」 大河原は画面をスワイプし、赤い警告文字が点滅するグラフを表示した。 「直近の4ヶ月、お前のアカウントからの『執筆進捗ログ』が完全にゼロだ。定期更新義務を怠り、かつ『失踪』のステータス。お前、自分がどれほど重い罪を犯しているか分かっているのか?」 「分かってます……分かってますよ!」 神代は思わず声を荒らげた。手錠がチャリ、と甲高い音を立てる。 「でも、書けないんだ! アイデアが枯渇したわけじゃない。プロットだって最後まで決まってる。でも、いざ画面に向かうと、指が動かないんだ!纏まりの無い文章、稚拙な表現、現実味の無い会話、そんなのを人様の前に出せるかよ!」 「言い訳はいい」大河原の声は冷徹だった。 神代は諦めた様に椅子に腰を落とす。 自嘲気味な笑いが、彼の唇から漏れる。 「ブックマーク数、わずか『12』 最新のアクセス数、平均『5』。…たった、それだけだ。僕が書かなくたって、誰も困らない。世界に何の影響もない。それなのに、どうして僕が重罪人みたいに扱われなきゃいけないんだ?」 「違うな…。数が問題じゃ無い。お前の物語の続きを本気で楽しみに待っている人間がいる。毎日、更新通知が来ないか画面をチェックし、未完のまま絶望していく。その精神的損失を、国は看過できない。お前は彼らの『期待』という資産を騙し取った詐欺師なんだよ」 「詐欺師……」 「そうだ。創作保護法・第8条『未完放置罪』。このまま執筆を放棄すれば、お前は『強制労働施設』送りだ。妄想の暇さえ与えられず、働き続ける事になるぞ」 神代の顔から血の気が引いた。そんな場所に行けば、自分の心は本当に死んでしまう。 大河原は、机の下から一台の頑丈なノートPCを取り出し、神代の前に置いた。画面には、見慣れた執筆ソフトのカーソルが点滅している。 「だが、お前にもまだチャンスはある」 「今ここで、このノートPCで、次の1話を書き上げろ。そうすれば失踪扱いは解除され、執行猶予がつく。……書け、神代。それがお前が犯した罪の、唯一の贖罪だ」 点滅する縦線のカーソル。それはまるで、神代の心臓の鼓動をカウントダウンしているかのように見えた。 神代は震える手を伸ばし、キーボードの上に置いた。 頭の中は真っ白だった。次に書くべき展開は決まっている。だが、どう描写すればいい? どんな言葉を使えば、彼らの葛藤が伝わる? 「……書けない」 神代の目から涙がこぼれ、キーボードを濡らした。 「書けないんだ、刑事さん。いっそ施設に送ってくれ……」 大河原は、深く、深くため息をついた。そして、立ち上がると、神代の背後に回り込んだ。 肩に、ぽんと重い手が置かれる。 「……なぁ、神代」 「お前の書く文章は、不器用で、更新も遅い。だがな、キャラクターが本当にそこで生きているような泥臭さがある」 刑事は、神代の耳元で囁いた。 「プロット通りじゃなくていい。法律なんて気にするな。お前が導き出した本当の言葉を、ここに置いていけ。……俺が、それを読みたい。 だってお前は俺なんだから」 取調室の静寂の中に、ハッと息を呑む音が響いた。 神代の脳裏に、夕暮れの赤い光が広がっていく。コーヒーの匂い、じめついた匂い、風の揺れる音。 現実の色や匂いや音が彼の全身に流れ込む。 「……あぁ」 神代の指が、キーボードを叩いた。 カタ、カタカタカタ―― そこはもう取り調べ室では無かった。相変わらず薄暗くて殺風景だけれど。それは見慣れた彼の、神代の自室であった。責め立てていたのは自分だった。自分の手に錠をかけたのも自分だった。そして最後に発破をかけてくれたのも全て自分だった。 現実には彼を縛る法など無かった。けれど、画面の向こうで期待してくれている人がいると思うと、「裏切れないよな…」と一人はにかみながら一人呟くのである。

黒いダイヤモンドの男の子はあの娘達の守り神となり街を行き交う

 元カノがモデルみたいな黒人の男の子が歩いていたと言っていた。 いいスパイと悪いスパイがいて多分いいスパイの方だわと言っていた。 弱っている女の子達の守り神となりリズムとビートに乗って今日も街を行くダイヤの原石。 不良や悪い人達から女の子を守ってくれることを願う。 子供たちは相変わらずワチャワチャとお父さんお母さん達といろんな所に顔を出す。 皆の喧騒が僕の生活を形作る。

この町に子供はいらない

 幼稚園が潰れた。  使いどころのなくなった運動場をどうするべきか、議論が交わされた。   「子供たちの遊び場にしよう」    あほくさい意見が飛び出した。   「却下。高齢者たちの憩いの場にしよう」 「賛成」 「賛成」 「賛成」    建設的な意見は、賛成多数で可決された。  幼稚園の入り口に『関係者以外立ち入り禁止』の紙を貼って、翌日からはわしらの憩いの場が完成した。    策に囲まれた安全な空間。  トイレもあるし、小さいが椅子と机もある。  運動場ではグラウンドゴルフもできる。  遠くの公園まで歩かなくても遊べるから、わしらの健康が捗った。   「こりゃ! 関係者以外立ち入り禁止の文字が見えんのか!」    唯一不満があるとすれば、餓鬼どもが指をくわえて見に来るところだろうか。  もう幼稚園児でもないのに、ずうずうしい。        あれから十年。  近所の介護施設が、職員不足で閉鎖の危機らしい。  困る。  わしは将来、どこへ入ればいいんじゃ。   「若い者はどうした!」 「皆さん、町を離れました」 「……なら、三十歳でも四十歳でも、一番若いやつが介護職員をやればええじゃろ!」 「今、街で一番若いのは貴方ですね」 「……ぽへ?」    圧倒的な高齢化。  労働力不足を補うために、議論が交わされた。   「外部から、人を呼ぼう。財源には、町内会費を上げよう」    建設的な意見を提案した。   「却下。金ない。よそ者恐い。七十代が多いので、七十代以下に八十代以上の介護をしてもらおう」 「賛成」 「賛成」 「賛成」    あほくさい意見は、賛成多数で可決された。  我が家にも、雇用契約書が送られてきた。   「いやいやいや、わし七十代よ? 無理じゃ!」 「んだば、私たちよりわけーべ」 「んだんだ」   「……ぽへ?」    若者、カムバーーーーック。

短歌まとめ 1

コトアム、57577に投稿した短歌です。 直向きに地面を目指す銀箭が ざぎりと貫く蓬の心 うっすらと青白磁の空寝そべって ゆうるりおひるね巻層雲 皿覆うラップの裏に蓄えた 水滴の数で味わう休日 しらしらと降る催花雨に嘆息の コイル鳴き漏らす充電器 五円玉小さな窓から見る世界 からりころりとはしゃぐ雨粒 ワイパーでフロントガラスそっと拭く しおしお伝う涙雨の跡 冷ややかな手で硝子戸を叩く雨 秒針と踊るぱちりぱちりと 咽び泣く雨に差し出す花の傘 慰め届かず萎れゆく傘 淑やかに辺りを濡らす小夜時雨 その音を子守唄代わりに シャッターをかしゃりと押した瞬間に カメラ目線で邪魔する雨 催花雨が乾いた花を憐れんで ハーバリウムに降り頻る 紙の上はしゃぐ雨の字くるくると 滲む足跡じんわりと 留紺の帳をゆうるり横切って 優しく世界を寝かし付ける雨

自立コスト

 大人になったら自立するのが当然だと言われたので、一人暮らしを始めた。  今までかからなかった、家賃とやらを支払うことになった。  電気代とか、ガス代とか、水道代とか、そういうのも払うようになった。   「一人暮らししてるなんて、偉いねえ」    年寄りたちに褒められたけど、何が偉いのかわからない。   「やっぱり一人暮らし経験のある人とない人じゃ、責任感が違うよね」    マチアプで出会った人がそんなことを言ってたけど、どこに違いがあるのかわからない。    実家にいた頃も家事はしていた。  料理はやっていたし、掃除もやっていた。  洗濯は、まとめてやったほうが速いからと親がやっていたが、手伝っていたことはある。    実家にいようが、一人暮らしをしようが、できることは変わっていない。  数をこなしたから、手際が良くはなったけど。   『ニュースです。運送業界の人手不足が深刻です。単身世帯の通販需要が増え、一回の運送による利益が減り、皆苦しんでいます』    だらだらテレビを見ていたら、そんなニュースが流れてきた。  払うお金が増えて、自分の仕事が増えた自立とやらは、どうやら他の業界も苦しめていると知った。   『家事代行サービスがぼろもうけです。朝から晩まで働いている独身は、金があるけど家事をする時間がないので、家事代行サービスに依存しまくりです』    一方、潤っている業界もあると知った。   「匂いますねえ」    最近の自立文化。  実は巨大な利益を手にしようとしているどこかの誰かが操っているんじゃないか。  そんな陰謀論を思い浮かべたところで、良い感じに酔いが回ってきた。   「……寝るかあ」    たった一人では、陰謀論が嘘か本当かを確認する方法もなく、ぼくは洗濯を終えたばかりのふかふかの布団に飛び込んだ。

別れの予感

―お赤飯かい? ―ええ、お赤飯です ―僕は、お稲荷さんのほうが好きでねえ ―ダメですよ、あげませんよ ―何も言ってはいないが ―でも思ったでしょ? ―まあ、そうだねえ ―ほらやっぱり  隣の席でくり広げられる高齢カップルの会話。仲睦まじそうに見えて、そのねっとりとした会話が道ならぬ恋を思わせた。自分の想像ながら、やけに気持ちが悪くなって吐き出しそうになる。ここふつか、おかしは少しだけで白米を食べずにパンとパスタ。それでも白米を食べたくならないことに疑問もない。もう、お別れしたいのかもしれない。アイツに対する気持ちと同じみたいに。  目的地はホテルではないのだけど少しでもリッチな気分をとアイツとの待ち合わせはいつもホテルのロビーだ。そろそろ向かわないとかな。気色の悪い空間を離脱する。目にできない世界は果てしなく広いのに、私が体験できる現実の世界はねこの額くらい。ニセモノみたいに味気ないその狭さに、でも私はひどく満足している。無粋なトンネルにその先を闇に閉ざされたとしても、特に何を思うこともない。要するに無頓着なんだ。  昼と夜の狭間に建つホテルは、近未来的な様相でも、庶民的なのでもなく、ただただ無機質に下世話だ。平衡感覚が甘く、そのことに痺れるとしても、高揚感はない。  どれくらい待ったのか。とにかくアイツは来なかった。ふうん、としか思わない自分に情けなくなる。いまの自分にはそれくらいなのかなと思う。もっと何か思ったらと思う。何も思わなくていいんだと思う。  家路を、前を歩く人の影が、その主よりも数歩、後ろに甘んじている。実に慎ましい。なんとも出来のいい模範的な影だ。そんな悠長なこと言って感心してる場合ではないのだけど、自分の影が気になった。足元を見てみる。思わず出る舌打ちと、生理的でいちじるしい嫌悪。私の足を踏んづけちゃってさ。まったく無礼な奴。これ以上、不快な奴をへばりつかせておくわけにはいかない。即座に叩き切り、新しい影を連れてくる。路上の黒い染みからは、でも何も聞こえてこない。  家にたどり着き、ドアを閉める。靴を脱ぐ。指先がスイッチにふれるのを、いまはまだ、固く禁じる。部屋の明かりをつける前の… ほんの数秒、帰宅直後の、この濃厚な静寂を、カラダ全部で味わう。鼻から抜ける自分の呼吸の音だけが、深い暗がりに響いては、溶けていく。壁一枚を隔てた向こう側で響く、車の走るなんとも無粋な音。私を追いかけてきた卑しく低俗な現実の残り香。たまらず、心の扉を強く閉ざさずにはいられない。外の騒がしさがすべて遮断され、世界に自分ひとりだけ。残されたことを確認し、そのまま… 動かず… ただ立っている。それだけ。  暗闇に目が慣れてくるのを待ちながら、泥のように沈んでいく。そんな自分を、遠くから、ただ、眺めている。  それだけ―

おもしろ動画

ある日の午後。 色彩心理学の教授が、学生を前にマイクを握った。 「皆さん、人の購買意欲を引き出す色って、何色あると思いますか?」 「それって、4大販売色のことですか?」 「そのとおり。その中で赤が一番、購買意欲をかき立てると言われてます。チラシに赤色が多いのは、それが理由ですね」 学生たちは耳を傾け、ノートを取った。 「色が人間の感情や行動に、どんな影響を与えるか。なんですが……」 教授の合図で、正面のスクリーンに映像が流れた。 「これを見てください」 手のひらサイズの、四角く、縁が少し錆びた赤色の缶が、道路脇の草むらに置かれている。 「缶の中にはですね、石ころを二つ入れてます。少し重みを感じますかね」 隠しカメラで撮られた映像に、スーツ姿の男が現れた。 男は赤い缶に気づくと、周りを気にしながら手に取り、蓋を開けた。 「なんだ、これ」 男は赤い缶を、草むらに投げた。 映像が替わり、ブランド物の服を着た女が画面に映った。 女は辺りを見回すと、バッグの中に缶を入れた。 画面から消えたあと、カラカラと音がして、草むらに缶が転がった。 「先生。これは何の実験ですか?」 最前列の学生が手を挙げた。 「これですか……ただの面白動画ですね」

臨終医

私は臨終医、仕事は単純だ。 静かな部屋に入り、相手を見て、時刻を告げる。 「御臨終です」 家族が泣きながら遺体にすがる。 そこに、家族に寄り添う気持ちなど必要ない。 それで、終わり。 父も医者だった。 臨終医になろうとしたが、なれなかった。 枠は少なく、選ばれたのは別の人間だった。 それでも父は言った。 「いい仕事だぞ」 理由は語らなかったが、その声が妙に耳に残った。 私は名門の医学部を出て、海外にも行き、博士号も取った。 回り道は多かったが、今はここにいる。 だからこそ、この一言は完璧でなくてはならない。 私は週に一度、ボイストレーナーに通っている。 発声練習の合間、鏡の前で無表情を確認する。 一度だけミスをしたことがある。 ペンライトを忘れた。 そんな時のため、手品教室にも通っていた。 胸元の万年筆を取り出し、目の上で上下左右に振った。 近くにいた看護師も気づかなかっただろう。 最近、臨終医をモデルにしたドラマが放送され、志望する医学生が増えたらしい。 彼らは「御臨終です」の後に何か一言つけたがる。 私は何も言わない。 それが美学だ。 ある日、私は突然めまいがして倒れた。 目を開けると、ベッドの横で、若い臨終医が立っている。 「御臨終です。ご主人様は良い人生だったのでしょう。安らかな表情をされています」 私は思った。 まだ若いな──だが、悪くない。

夜は

 今夜も僕がヤニと汗くさいので不快に鼻を摘まんでいる女の子たちに夜伽をしようと思ったが夜のお菓子が美味しいのでお菓子を食べよう。 そもそも僕は煙草が吸えて歌が歌えて絵が描けてればいいのででも体力がなくて保護課の人達から税金納めろよテメーって態度で就労に就かされようとしているがそもそも発達障がいなので他人を嵌めるか悪いことするしか仕事がない気がする。 そんなことするくらいならなるべく無害を装って少ないお金でやりくりしてた方が地球環境にはいいと思うのだが(そもそもどんちゃん騒ぎがしたければこんなことはしていない) お菓子を食べ終わったので夜伽の始まりだよ~水飴代払ってね~。 偉そうなこと言ってるが大した話はない。 世間ではサッカーの大会らしいが僕はB型なのでサッカー向かない。 家で将棋、囲碁などをやってお茶啜ってる方が性に合う。 都心ではバーやナイトプールなどで皆夢のような娯楽を体験してるだろうがそもそも酒飲まない体冷えるのでプール入らない。 砂漠を歩く旅人は駱駝の涙で一杯の湖で泳ぐからそれでいいのだ(なんかうまいこと言えた気がする) 羊から採った乳で作ったお酒なんかも美味しいかもしれない。 なんか酒飲みたくなってきた。 あるいは酒で一杯の海だとか何だかのタイトルの小説があった気がするが読んでいない。 どんちゃん騒ぎされて迷惑を被ったことがある。 祭りバカは死ぬまでやめないと老婆が言っていた。 皆祭りの最中。 少年漫画は熱さを語るものが多いが働けば等価の火照りを得られるのは分かっているが身体が動かない。 というわけでテレワークが最上だと思っている人達や会議で色々意見を並べる人達は効率を重視するが適材適所な人達は見切りをつけると思うのでろくな人材が残らない気がする。 そもそも仕事だけやってればいいとかもう遊んでろとか色々意見はあるがある意味地球上で一番繁栄している生き物は植物なのだ。 植物は意志疎通がうまいのでそして無駄にエネルギーを使わないのでそりゃ繁栄する。 植物が減っている。 虫も減っている。 今日窓を開けていても虫があまり入ってこない。 本格的に生物の個体数が減っている。 まあ素敵な話が思い付かないのは生命が蔑ろにされているというのが答えな気がする。 今日も暇潰しで夜が過ぎる。

絵を描く人✎2魔法の解き方

朝6時に目指し時計が鳴ります 松本繁は直ぐに目を覚まし、布団を畳みます。雨戸を盛大に開け、自分の部屋から一階へ降りていきます。 既に、母親の美由紀は起きていて朝食をテーブルに運んでいるところでした。 「おはよう」 「はい」 白米、納豆、餅。これが繁の朝食です。これが毎朝決まって食べるメニューで飲み物は牛乳とこれも同じです。 二人が席に着きました。 「いただきます」 「…ます」 築56年のこの家は母親の美由紀が20歳の時に購入したものです。その時は新婚ホヤホヤで旦那さんとの仲も、それはそれは睦まじかったのです。別れた旦那の名は森晴光。美由紀と繁は数年間「森」と言う苗字でした。森の仲間たちは、皆仲良く暮らしていました。繁くんに知恵遅れが分かった時も、家族三人で力を合わせて生きていこうと家族の仲はより一層深まるばかりでした。…数年が経つと森の仲間たちのようすに変化が見られます。親になると言うことは、今までの自分を断舎離し、家族の為に生まれ変わらなければなりません。まだ若い親であれば尚更大変です。そんな中、森に近付く魔女が現れました。毒リンゴを持ってくるアレです。魔女は美由紀の旦那に毒リンゴを食べさせ小さな瓶に入れて消えてしまいました。残された若かりし美由紀は悲しみの魔法にかかり泣いて泣いて泣きました。小さな繁はそんな泣いている美由紀の絵を描いていました。美由紀はそんな繁を見て、二人で生きていこうと決めました。繁の描いた絵が魔法を解いたのです。 繁はこの時の事を全く覚えていません。 美由紀は繁に父親は死んだと伝えてあります。 初夏の陽は力強くカーテンを刺して松本家を照らします。庭の畑では野菜たちがキラキラと輝いていました。 7時になり、繁は散歩に向かいます。今日は仕事は休みです。 玄関で美由紀に、持ち物の確認や日焼け止めを塗りたくられたり、大声を出さないように注意されながら家を出ました。扉を閉め、コンクリートブロックの塀の前で立ち止まります。昨日いたカタツムリはもう姿はありませんでした。

大きな貧富の壁社会

 カーテンを少しだけ開けて、外を見る。  家の周りにはバットや金槌を持った人々が集まり、塀をがんがんと叩いている。   「はー。今日もいるのか」    このままでは、外出一つできやしない。  私は警備会社へと電話した。   「移動用の車を一台」 「申し訳ありません。既にすべての車がご予約で埋まっておりまして」 「はあ!? なんのために、高い金を出して契約してると思ってるんだ!」 「……お言葉ですが、運転手がいないのは、あなた方の世代が子供を作らなかったせいですよ? 労働力を生み出さずに、労働力が当たり前にあると思うなんて図々しい」    電話が切られた。  何度かけ直しても、電話は繋がらない。  銀行アプリから通知が届き、サービス利用キャンセルの払戻金が振り込まれた。   「くっそ! 勝手にキャンセルしてんじゃねえよ!」    銀行アプリに溜まる、莫大な金。  凡人が人生何周しても手に入らない、莫大な金。  しかし、使おうとして断られる今、この価値が俺の中で揺らいでいる。    国が荒れたら、国外に逃げればいい。  そう思っていた数年前の俺を殴りたい。  空港が占拠され、家の周りを囲まれては、国外に逃げるなんて選択肢があるはずもない。   「……今日も出前か」    俺は、ピザ屋へと電話した。   「ピザ一枚」 「ただいま大変込み合っておりまして、お届け三時間後でもよろしいでしょうか?」 「よろしい! よろしい! いつでもいいから、届けてくれ!」 「かしこまりましたー!」    あらゆるインフラは、底辺に支えられている。  警備も、出前も、家を囲む暴徒たちが金を得るためにやっている。   「お待たせしましたー。ピザとなります」    玄関には、先日、俺の家の壁を叩いていた男が笑顔で立っていた。  俺は金を払って、ピザを受け取った。  男は、バットや金槌を持った人々の間を、平然と抜けてピザ屋へと戻っていった。    加害者と、被害者を守る人間が、同一である世界。  こんなゲームチェンジが起こるなんて、資本主義に胡坐をかいている時は思わなかった。    俺は冷めたピザを取り出して、一口齧った。   「美味い」

花食うBeast

花の事ばかりに考えてしまう 花を食べてみたくてしょうがない 花をむしゃむしゃと乱暴に心ゆくまま食べてみたくてしょうがない 月をよく見たくて いつの間にかグラビティに誘われていた Beastになっていく LUNACYになってしまう 落ち着いて落ち着いて

お願い

「いつもありがとう。」  動かしていた手を止めて君が言った。不意を突かれてポカンとしている僕をいつになく柔らかい笑顔で見る君。 「どうしたんだい、急に?君らしくもないね。」  君の笑顔につられて口角を上げる。パソコンを打つ手を止めて君の方を向いた。 「うーんとね。なんとなく。」  にっこり笑う姿が愛おしくてまじまじと君を見つめる。すると、自分の言ったことを思い返して恥ずかしくなったのか、頬と耳を赤くして真っ白な布団に隠れてしまった。 「ねぇ、明日も来てくれる?」  布団の中からくぐもった声が聞こえる。 「もちろんだよ。明日はママも一緒に来るからね。」  僕の言葉に「ほんと!」と元気いっぱいに布団から出る。ほんとだよと言いながら君の頭にポンと手を乗せる。  いきなりで驚いたのか最初は少し遠ざかったが、すぐにもっともっとと言わんばかりに頭をグイグイ押し付けてきた。あまりに可愛かったので今度は両手でわしゃわしゃと頭撫でた。「やめてよー!」と言いながらもキャッキャと喜ぶ姿に嬉しさが込み上げてきた。  この日々がずっと続けばいいのにな。  ふと時計を見る。そろそろ帰らなければならないな。 「ごめんね。もう帰らなきゃ。」  さっきまでの笑顔が寂しさを纏う。それでも頑張って笑いながら君は「バイバイ」と手を振った。 「じゃあねパパ。明日もきっときてね。」  「明日も来るよ」そう言いながら僕は病室を後にした。  明日もまた、君の笑顔が見れますように。

ギリギリになっても煙草を吸う

 保護費支給まであと2週間。 大体の飯は買ってあるが肉が足りない。 デイケアの食券代を煙草に変える。 うむ、クズである。 あとで残ったお金でセールのお肉買ってこなきゃ。 食券残り3枚。 お昼のお弁当を作るので5日分の豚肉が必要だ。 1日100gとして500gの豚肉。 安く買えて¥550。 残り¥1000。 野菜も買うのでこれ以上煙草を買うとマズい。 ニコ中の食料事情は切ない。

移住計画

宇宙空間の端っこ。 地球からずいぶん離れたところに、知的生命体の住む星があった。 「偵察隊からの連絡は、まだないのか」 「はい。通信は途絶えたままです」 この星の研究者たちは、移住先を探すため偵察隊を送り出していた。 「早く見つけないと…」 科学技術は進んだ。しかし、それと同じくらい自然破壊も進んだ。 「室長。我々は、どうしたらいいんでしょうか」 「わからん。彼らからの連絡を待つしかない」 その時、微かな電波を受信した。 「ん…何かのニュース映像みたいだぞ」 「おぉ。見てみろ」 画面の前に、大勢が集まった。 「偵察隊が、歓迎されてるぞ」 画面は、そこで切れた。 「もう、向こうで生活してたんだ。室長、我々も今すぐ行きましょう」 皆、宇宙船に乗り込み、偵察隊の待つ地球へと旅立った。 誰もいなくなった星。 研究室の受信画面から、映像の続きが流れ出す。 マイクを持った女性が、水槽の中を覗き込んだ。 「今年も、ここから全国に出荷されます」

消費生活者の失語

僕は、幸福というものを、どうにも信じきれませんでした。 いや、幸福そのものではない。人々があまりにも器用に幸福を演技している、その技術のほうが恐ろしかったのです。 朝の電車では、無数の無表情が同じ方向へ運ばれてゆく。皆、同じ速度で歩き、同じような靴を履いている。その光景を見ていると、自分が巨大な工場の内部へ紛れ込んだような気分になりました。もっとも、黒煙を吐く古い工場ではない。静かで、清潔で、衛生的な工場です。 そこでは歯車たちが、自分を歯車だと知らぬまま回転していた。 僕も、その一つでした。 高校二年の春、担任教師は言いました。 「社会に必要とされる人間になれ」 僕は、“必要”という言葉が妙に気になったのです。 必要とは便利ということでしょうか。交換可能ということでしょうか。 けれど、そんな疑問を抱くたび、僕は自分を恥じました。教室では皆もっと快活だったからです。 「どこの大学行くの?」 「将来どうすんの?」 「年収って大事じゃね?」 彼らは悪人ではない。善良で、従順で、少し疲れていただけでした。 昼休みになると、教室にはスマートフォンの光が満ちる。誰かが踊り、誰かが炎上し、誰かが泣き、誰かが商品を宣伝している。 怒りも、恋も、思想も、死さえも、即座に消費されてゆく。 長い文章は読めない、と友人は言った。二十秒以上の動画は退屈だ、と別の友人が言った。 現代人は、思考する前に次の刺激へ移動する。怠惰なのではない。常に何かへ駆り立てられているのです。 成功しろ。 自己実現しろ。 努力しろ。 どこからともなく響く命令を、皆、自分自身の声だと思い込んでいた。 授業で教師は「自由意思」を説明していた。窓の外では運動部が怒鳴られながら走らされている。 僕は吹き出しそうになりました。しかし誰も笑わなかったので、僕も笑わなかった。 笑ってはいけない空気を察知する能力ばかり、年々上達してゆく。 最近の若者は個性を大事にしている、と大人は言う。けれど僕には、その個性が規格化された商品のバリエーションに見える時がありました。 流行の音楽。 流行の服。 流行の思想。 流行の反抗。 反抗でさえ様式化されていた。 ある日、古本屋で奇妙な本を読んだ。難解で陰気な本だったが、不思議な慰めがあった。 人間の不幸を、個人の弱さだけへ還元しない視線が、そこにはあったのである。 僕が弱いから苦しいのではない。もっと巨大で、無機質な何かが背後で動いている。 けれど、それを口にすれば「思想強いね」で片づけられる。 便利な言葉です。人間の苦悩を、一瞬でラベル化できる。 駅前の巨大モニターでは今日も広告が笑っている。 “あなたらしく生きよう。” “夢を叶えよう。” “人生をアップデート。” その言葉は少しも迷わない。まるで、この世界に敗者など存在しないと言いたげに。 しかし実際には、無数の敗者がいる。そしてその大半は、声を上げる気力さえ失っている。 夜、自室で天井を見つめていると、「おすすめ」が次々に表示される。 僕が何を欲しがるかを、機械のほうが先に知っている。その事実がどこか侮辱的でした。 自分は生きているのではなく、運用されているだけなのではないか。 そう思うことがある。 それでも朝になれば制服を着て、愛想笑いを浮かべ、模試の結果に一喜一憂するふりをする。 そうしなければならないからです。 現代では、失格することさえ難しいのかもしれません。 どれほど空虚でも、疲弊していても、とりあえず笑って働けるなら、社会はその人間を正常として処理する。 だから僕は今日も、壊れていないふりを続けているのです。

キミと生きる

五月の光は、残酷なほどに鮮やかで、それでいて瑞々しい。 意識に仲介されずとも、視界へ飛び込んでくるたくさんの緑。 自動ドアが開くとむせ返るようにわっと匂いが流れ込んでくる。 世界はいっせいに、新しい季節へと更新された。 手にしているエコバッグには「キミ」が好きだった人工的なシトラスの洗剤。 ひとりではじまった私の世界に、後からまざり込んできた「キミ」の匂い。 季節が変わっても、私の部屋の空気だけは「キミ」が決めた清潔の枠から、少しもはみ出ることはない。 それは、過去への執着ではなくて… もうとなりにいないのに「キミ」が好きだったものばかり買い集めてしまう。 それは、いつでもキミが帰ってこられる場所を維持するため。 私にとっての、終わりきれない静謐な作業。    ◇ 街路樹がしめし合わせたようにいっせいに葉を広げ、五月の陽射しをさえぎる。 アスファルトの上には若葉の隙間から漏れた光が、ゆらゆらと複雑な模様を落としている。 その影の輪郭をなぞるように「キミ」の歩幅に合わせ、一歩、また一歩、踏み抜いていく。 「もっと早く歩かないと季節に置いてかれるよ」 凛とした記憶のあの声が、私の足を動かすたったひとつの原動力。 ひとりのときは、もっとゆるやかだったはずの私のリズム。 「キミ」とのふれあいのなかで、速度は書きかえられてしまった。 速度を落とせば、からだのバランスが崩れてしまうような、そんな怖さ。 もう、この速さを手放せない。 眩しすぎる光のなか「キミ」の速度で「キミ」のいない場所へ向かって、正しく歩き続ける。 キミに恥じることのないように。    ◇ 朝の仕事前、公園のベンチに深く腰を下ろす。 若葉がこすれ合うかすかなざわめきが、そこここで空気とともに歩き出す。 頭の上を抜けていく風の気配を、どこか他人事のように聞きながら、スマホの画面に指を這わせる。 自分とは無縁なはずの野球のスコア。 ただの数字の羅列。 「キミ」が熱狂していた夢の続き。 勝ち負けに心をゆらす感情は、とっくにどこかへ置いてきたはずなのに。 これを確認しないと、今日という一日が正しく動き出してくれない。 私にとってのニュースとは、世間の慌ただしい動向ではない。 遠くにいる「キミ」という座標を更新し、静かに、眺めるだけ… 季節がどれほど鮮やかに移ろっても、変化することはない。 私の世界の照準は「キミ」という視点を介さない限り、決して合うことはない。    ◇ 限りなく透き通って、どこまでも抜けていくような緑の季節が、街の景色をぬりかえていく。 強い光は、建物の縁を鋭く削り、すべての輪郭を白くぼやかしてしまう。 私たちはもう、あのころのようにはいかない。 この光のなかを、並んで歩くことはない。 言葉を交わすことも、視線を重ねることだって。 それでも… 朝の光のなかで、私が選ぶ服の色には「キミ」の好みが混ざり合う。 「キミ」がいまどこかで口にしているコーヒーの苦さには、私のクセが残っている。 好き、という簡単な言葉でひとまとめにするには、あまりにも日常を侵食しすぎた習慣。 「キミ」をいまもなお、消えないルールとして、抱えたままに生きている。 この眩しい世界を、それぞれに、そして、別々に。 私は、正しく「キミ」と生きていく。

服が着れなくなった男

その服を着るのに一年かかった。 それは彼にも分からなかった。なぜその服を着れなかったのか、なぜその服を着るだけにそれだけの時間がかかっててしまったのか、きっとそれは誰にも分からなかった。いや、彼にはやはり分かっていたのだろうか。見えない不安が彼の心を覆いつくし、分からない責任が彼の精神を圧し潰してしまったのかもしれない。だが事実として、彼はその服を途中まで着る、そして脱ぐという行為を繰り返し、一年経ってやっとその服を正しく着ることができた。 それは晴れた日の月曜日の朝のことだった。四角い小型な電子端末からいつも通り不快な音が鳴っていた。それは清々しいほどに嫌気のさす音だった。だが、それを設定したのは彼自身だった。彼は目を覚まし、なぜこんなにも不快な音を朝から聞かなければいけないのかと、うんざりしながら枕を後にした。 まず初めに顔を冷たい水で洗った。顔を上げると知らない誰かがいた。少し経ち、それが彼自身の顔だと気づいた。ぼんやりした頭で彼が思ったことは”何かがおかしい”、というただの妄言に近い違和感であり、それはおそらく客観的には何も意味しないが、彼の無意識にはとても重要な萌芽であったに違いなかった。そして彼は鏡の前から立ち去った。 ベットの反対側の壁には、一着の服が掛けられている。彼はそれを見て顔をしかめた。体がげんなりしていくのが分かる。その症状は脳を介さない脊椎からの直接反応だった(に違いない)。だが、彼の頭は嫌でも社会性を尊重していた。彼は一切無駄のない手際でシャツのボタンを留め上着に袖を通す。まるでそれは、その服を着るために生きている証のようだった。 きっと彼も分かっている。やはり何かがおかしいのだ。彼は先ほど着たその服を脱ぎ、壁に掛け直し、またベットで眠った。 次の日は不快音が聞こえる前に目を覚まし、一杯のコーヒーを淹れた。コーヒーの芳醇で香ばしい香りが起床後の体を巡り、活力へと変換された。彼はこの素晴らしい始まりに感謝した。人にはこんな朝が必要なのだ。そう思い、彼はもう一杯コーヒーを淹れた。今日も彼はその服を着ては脱いで、また壁に掛けなおした。 その次の日も、またその次の日も、些細な違いはあれど大体同じような朝が過ぎた。”何かがおかしい”というその違和感は、明確な形を帯びて速度を上げながら彼の中で膨張していく一方だった。 一週間が経ち、また月曜日がやってきた。壁に掛けられた服はどこかみすぼらしく見えた。それは何日も着脱を繰り返したことの証拠でもある。今日こそは確固たる意志で服を着なければいけない。いつになったら着るのかと彼自身うんざりしていた。だが結果は明らかだった。 そこから三週間が経った。彼の社会性はもう現代人の姿していない。だが、彼の幸福は前よりも人間らしい形をしていた。彼は毎日掃除をした。彼は規則正しい食事を心がけた。彼は適度な運動をした。彼はしっかりひげを剃った。それらのどれもが、その服を着ている時にできていないことだった。 彼にとってその服を着るという行為は、積み重ねてきた幸福を脱ぎ捨てるということであり、既に耐えがたい拷問の一つに陥っていた。今更それを着ることは本当に価値があることなのだろうか。これまで培ってきた全ては一体何だったのだろうか。きっと全てがおかしかったのだ。 彼にはもう、その服は必要なかった。壁に掛けられていたそれは床に崩れてしわしわになっていた。 彼は時間があるときに本を書いていた。内容は分からない。だがそれは、きっと彼があの朝に見つけた萌芽の種に関わることに違いない。種は蕾となり花を咲かせる。彼の使命はその花をきちんと咲かせることだった。なぜそれが彼の使命だったのかは誰にも分からない。代わりに人生は小説よりも奇なりということは誰もが知っていた。 彼は一年越しに、なぜかその服着ていた。そして彼は書き終わった本を手に持ち、そしてどこかへ行ってしまった。

絵を描く人✎左手のパズル

多くの人が行き交う駅のコンコースで立ち止まっている男がいます。 男を避けるように人の流れが出来ています。 彼の名は松本繁。56歳男性です。 繁は人の海の中で空を見ていました。 正確には街灯の上に佇む鳩を見ているのです。 繁の左手には手の平サイズのノートが握られ、右手に短い鉛筆を持って鳩を描いています。人の渦の中で。 繁は気になったものをノートに描きます。一つ描いた物の輪郭が他の絵の輪郭になり、出来上がった時はパズルのように全ての絵は邪魔することなく、むしろ、あるべき場所に書かれています。そして次のページへと繁の目に付いた物が描かれて行くのです。 今、彼はバイトの帰り途中です 平日は大型ショッピングモールでゴミ集めをしています。作業中に絵を描くことは禁止されているので、繁は時々立ち止まって描きたい対象を長く観察して記憶します。 繁は仕事終わり、ニ日に一遍は怒鳴りながら歩いています。仕事終わり、繁の記憶が曖昧になり、ノートに描く対象をはっきりと思い出せないのです。酷く落ち込み、一人で暴れる。そして次の対象を見つけノートに書き留めます。 繁の小さなノートを買っているのは繁の母親、美由紀です。 美由紀は女手一つで繁を育ててきました。別れた父親は死んだと繁に言ってあります。 繁は自分の描いた絵を母親の美由紀には見せません。理由を聞いても答えてくれません。 鳩を描き終えた繁は再び歩き始めました。 繁は5歳の時に知恵遅れと言われました。 幼稚園に言っても他の子とは遊ばず、一人で積み木を永遠に並べていました 小学校に上がっても読み書きが苦手で、卒業する頃になってようやく自分の名前を漢字で書けるようになりました。 母親の若かりし美由紀は支援学校には通わせず、そのまま中学に入学させました。繁は良き友達も嫌なクラスメイトも持たず、いつも一人で絵を描いている子供でした。授業中も絵を描いていて、その度に先生に叱られます。先生も他の子と区別せず、確りと叱ってくれました。 中学の時の担任の田村先生は繁の事を「絵を描く人」と呼び、そして繁の絵を良く褒めてくれました。 その田村先生は定年退職後、小さな喫茶店を営んでいます。そのお店は繁の住むまちの駅の側にあり、繁はいつも帰宅する前に田村先生の喫茶店「素数」に寄ります。 喫茶店「素数」に繁が入ると、入り口に一番近いカウンター席に座り200円をテーブルに置く繁。田村先生は「おつかれさま、松本繁くん」と言い200円を受け取って、冷えた牛乳をコップに注ぎます、繁は目で牛乳の入ったコップを追って、繁の前に置かれると同時に、一気に飲み干します。そして大きなゲップをするのです。それが繁です。 「松本繁くん、今日も絵を描きましたか?」 「はい」 「描いた絵で気に入った絵はありますか?」 「はい」 「私に見せてくれますか」 田村先生に向けてノートを開き指を指す。先ほどの街灯の上の鳩の絵です。 「これは何ですか?」 田村先生は老眼鏡をずらしてノートをよく見る 鳩の背の輪郭と対になっている歪んだ円の中に何が描かれています 「はと」 「こちらも鳩ですか?」 「はい。みずたまり」 「水溜り?…あぁ、水溜りに映った鳩ですね!」 「はい」 「これは、良い絵ですね」 田村先生のシワだらけの目尻が、一層シワを増やし微笑んでいます 繁は、これで用は済んだ、と言わんばかりに喫茶店「素数」を出ていきました。 真っ直ぐ家に向かって歩く繁。空は夕焼け空に変わっています。車のタイヤが水溜りを弾いて行きます。 繁はと言うと、自宅の塀のコンクリートブロックを登るカタツムリをノートに描いています。カタツムリが夕日を浴びて、キラキラとオレンジ色に輝いていました。