「先生。私、生きてても仕方ないんです。何の役にも立たないんです」 生気の抜けた表情で、患者がそう呟いた。 私は、何枚かの書類を出して、患者の前に置いた。 患者は無言で書類を受け取って、内容に目を見開いた。 『いじめ加害者。現在は大手企業の課長。幸せ』 『八股浮気屑男。現在は結婚して二児のパパ。幸せ』 『殺人鬼。現在は出所して勤勉に労働中。幸せ』 「おかしいじゃないですか!」 患者は机に書類を叩きつけて叫んだ。 私は患者を見ながら、柔らかい笑みを作った。 「おかしいですね」 「なんで! こんな屑が幸せで! 私が不幸なんですか!」 「それは、この世界が男性に優位にできているからです!」 「最悪最悪最悪! じゃあ、私が役に立たないのも不幸なのも、全部男のせいってことじゃないですか!」 「はい。その通りです」 その後、患者の愚痴を一通り聞いて、診察は終わった。 患者は怒りを隠せないまま、診察室を出て行った。 私は一息ついて、処方箋を看護師に渡した。 さて、私のやったことは正しかったのだろうか。 患者はきっと、恨みを支えに今後も生き続ける。 もう死にたいと思うこともないだろうが、その生き方は健全なのか。 「難しいねえ、世の中は」 私は天井を見上げてしばしボーっとする。 が、ノックの音が聞こえたので、姿勢を正した。 「どうぞ」
「リョウタくん。明日は出勤?」 僕は彼が明日、出勤だと分かってて、そうゆう質問をする。 「出勤だよー。なんと5連勤。俺、完全なサラリーマンだよね?8時間勤務。週休2日」 僕らはカフェで働くただのバイトなのに、最近のリョウタくんはサラリーマン気取りをしている。それは単に夏休みだからシフトが増えただけの事だ。 「そろそろ社会保険にでも入る?」 僕も悪ふざけで答えるけど、リョウタくんは「学生は社保無理なんだよねー」と時々、現実的なことを言う。 お客さんがいなくなった店の中から、ふと通りの向こうを見ると、夜9時を過ぎたのに、向かいの花屋がライトを照らし、まだ営業中であった。 日々花 漢字で書かれた店名。店の読み方は「ひびか」 昼間は開いてなくて、夕方くらいになると、いつの間にか開いてるお店だった。 看板はランプが巻き付いているので、どことなくオシャレ感を醸し出し、花屋と言わなければ、夜営業のカフェとかBARにも見えなくもない。 白い壁の中央に、導くようにして半分開いたドア。そこからは無機質な灰色の塗装が見えていた。 僕がチラッとあの花屋を見たことに、リョウタくんは気づいたのか、「あの花屋の店員、男って知ってた? しかも、イケメン」と言う。 「え‥‥リョウタくん、あの店、行ったの?」 僕の心臓は音が大きくなった。 「いや、遠くから見ただけ。髪の毛はブリーチしたかのように金髪で、目はカラコンで、色白で、身長は178センチくらい?」 「K-POPスターかよ」 「そう、まさにそんな感じ!」 「ホントにイケメンだと思う?」 「マジだよ。超イケメン! 俺が女なら追いかけてるねー」 その言葉はリョウタくんの口からは聞きたくない言葉だった。 そして、そもそもこの会話は茶番だった。 なぜなら、僕はすでに、あの店の店員を見たことがあるからだ。 ふと、あの店に吸い寄せられて、中に入り、そして、その店員に言われた。 「向日葵はね、可愛い花じゃないよ。端正な花」 僕が陳列された花たちの中で、特に向日葵を見つめていたからだろうか。 「僕ならカッコイイと思う相手にあげるな」とも言った。 店の照明に照らされて、白いシャツを着た店員のお兄さんは、まるでK-POPスターのような華やかさを持ってて、これはちょっとズルくないか?とも思った。 「今日は、花は買わないです。見るだけですから‥‥」 「そう。待ってるよ」 僕は自分の心内を見抜かれてるようで少し居心地が悪かった。去り際にお兄さんに言われた。 「花で想いを伝える人もいるんだよ」 あれから、2週間経った。 冬になると、向日葵はあまり需要がなくて、出回らなくなるらしい。 そもそも、花で想いを伝えるなんて、僕には似合わない気もするし、花を買う勇気すら出ない。 あのお兄さんは、僕が渡したい相手すら見抜いていそうで怖い。 でも、買ったところで、どうするのだ。 買うなら、きっと今なのだろう。きっと。
コーヒーと美味しいパン 二人は並んで座っている いつもの店のいつものメニュー 一人は肘をついてコーヒーを飲む 一人は腕を組んでいる よく晴れた空を冷房の効いている店内で眺めている 何気ない会話と笑顔 目はたまにしか合わない 二人は同じ方を向きながら この先を探している
「優奈さん。駅前まででいいから。あとは気をつけて帰って」 芯一は言った。 芯一の目は曇り空のような弱い光の中でも、透き通る淡い色をしていた。 痩せた手の甲の皺は、それなりの月日を感じさせるけど、均一のとれた細い指は相変わらず綺麗だった。 2人が歩いていたら、まだ雨は降らないだろうと油断していただけに、かなり大胆に落ちてきた。 それなので、優奈はバッグの中に閉まっていた傘を取り出し、芯一に寄り添った。 そうやって2人はどのくらい歩いただろうか。 「きっともう梅雨入りだね」と言ったのは、芯一のほうであったが、その頃にはもう雨は弱まっていた。 「芯一さん、またお茶してくれる?」 優奈は前方をあまり見ずに芯一を見上げる。 芯一が握る傘の持ち手のすぐ下の添えるように彼女は手を置いている。 「えぇ、僕で良かったら、いつでもどうぞ」 「能も観に行ってくれる?」 「えぇ。ぜひ。あなたがイヤでなければ」 「芯一さんがガイドしてくれると分かりやすいから、一緒に観にいきたいの」 「それなら、今度は金春流(こんぱる)がいいかな。僕も優奈さん、隣に連れて歩くのは鼻が高いからね」 ふと見上げると雨は止んでいた。 「芯一さん、今なら濡れないよ」 「そうね。じゃあ、また今度ね」 優奈は柔らかく微笑んで、手を振った。 2人はやっと離れて、芯一は改札の中へと溶け込んだ。 振り向いて、向こうを見ると、日傘を差しながら歩く彼女の後ろ姿が見えた。 通りには紫陽花が並んでいた。 その紫陽花が少しずつ咲き始めていることに、初めて気づいた。
地下三階の会議室に、全閣僚が呼び出された。 「なんか元気ないですね」 総理の浮かない顔に、視線が集まった。 「実は、娘に子が生まれたんだよ」 「おめでとうございます。総理も、おじいちゃんですか」 会議室に拍手が響いた。 「いや……赤ん坊の顔を見てたら、心が洗われたというか」 「ん……?」 「ぼくたちさ、嘘ばっかりついてきたじゃない」 「まぁ、それは、噓も方便で国民もわかってることでしょ」 「だから、もう嘘つくのやめようと思ってね。君たち、この前の選挙公約、覚えてる?」 総理が財務大臣を指さした。 「税金を下げる、でしたっけ」 「できるの?」 「無理でしょうね」 閣僚たちが顔を見合わせた。 「急に正直になったら、世間が混乱しませんか」 「でも、孫の前では、カッコいいおじいちゃんでいたいのよ」 翌日、総理が緊急記者会見を開いた。 「えぇ……明日からの外国訪問、ちょっと旅行気分、入ってます」
枯れたピオニーを見ていた。 いつもなら、花びらは崩壊し、 すべて散ってくれるのに。 なぜ、これだけ、そのまま残ってるの? どうして、このまま静かに死んで行くの? 「湧いてるよ」 その一声で、私の視界は元の世界に戻った。 彼は読みかけの小説を手に持ち、私の代わりにコンロのガスを止めてくれた。 やかんは湯気とともに、怒りのようにフツフツとした音をまだ鳴らしていた。 「コーヒーはまだ準備してないの?」 私とは目を合わさずに、流れ作業で彼は動いていく。 「え‥えぇ、今日はコーヒーは用意してないの。紅茶ならあるわよ。ほら、この間、お土産でもらったって言ったでしょ?」 「お土産?」 彼が棚に目を向けて、紅茶缶の存在を見つける。缶のパッケージには商品名が英語で書かれている。 「あぁ、これね、香港土産ね‥‥」と呟く。 そして、テーブルの上に、読みかけの小説を見開きのまま置いた。 「まだ開封されてないね。俺が先に飲んでいいの?」 ようやく、私と目が合った。 「えぇ、いいのよ。お先にどうぞ。ミルクも冷蔵庫にあるわよ」 一瞬、周りから音が消えたような気がしたけど、それはあくまでも気のせい。 彼は缶の周りについている透明なテープを勢いよく剥がす。 「アンディ、元気なの?」 「‥‥元気よ」 「もう向こうに帰った?」 「いえ、まだ。明日、月曜日に帰るみたい」 「ふーん」 缶を開けると、中から出てきたのはティーバッグだった。 「あぁ、こーゆうタイプね。スプーンで茶葉を分けるのかと思ったよ」と彼は少し笑った。 静かにティーカップにお湯を注ぐ。 彼の頬近くを湯気が通り過ぎる。 その間から蜃気楼のように見えるピオニーの姿。 私の記憶にも蜃気楼のような場面が確かにあった。 香港の春。 アンディ。花束。 いつも満開の後はすぐに散った。
今、あの人は何をしているのだろうか 恋人と肌を寄せ合っているのだろうか 一人、風呂に入っているのだろうか 誰かと飲んでいるのだろうか 今から寝るまでに私の事など考えもしないこと そんな事は分かっている 私に気がないことは確認済みだ ただ、そんな事は分かっているけど 今日の私の事を思い出しても罪ではないと 私が未だに一人、思っていることは罪ではないと そう、私は思っている。事などあなたは知る由もなし。誰かの胸の中でねているのであろう
ゆっくりしたいのに、腰を掛けるものが見つからない夜の野原に困惑を隠せませんの それならばと夜空の三日月にお尻をつけて、座ってみますの ふふふ ごめんあそばせ お月さまが、かすかにその色を赤くしてしまって 照れること、ありませんのに ああ、満足を食べたいの おなかいっぱい食べたいの 真夜中の匂いが、わたしにそう思わせるわ りんごは好きだけれど、皮をむくのがめんどうくさいの もももいいけれど、手に持っただけで茶色く色が変わってしまうあれが、どうにもかわいそうで見てられないのよ すいか? わたしには手におえそうにないわね そもそも、どうやって運べばいいのかしら、あんなに大きいもの それで、みかん、バナナ、マスカット 甘いいちごもいいわね さくらんぼは、食べる前にキスしてしまいそうになりますの あわせる飲みものは、何がいいかしら くだものたちをジュースになんて、無粋なことはしませんことよ それよりも、くだものたちを入れたカップに、透明な炭酸をそそいでみたいの 炭酸のはじける音が、夜のささやきのようでもありますわ ふふふ 今夜は、満足するまで、満足を食べつくしますわ 眠らないように、お月さまに向かって珈琲を所望してみるの 珈琲に映る星たちを、ミルクで白く隠してしまって お月さまが、妬いちゃわないように ふふふ 飲み干せば、満足が喉を通り、おなかの底へとおさまっていくのよ それでも、まだまだ、夜はこれからですわ ようやく熱のさめたお月さまに、お話を聞かせてあげますわ わたしとお月さまの、これからのこと、たくさんお話ししてあげますわ ふふふ
僕には足がない。これは生まれつき。 だから、車椅子で生活していた。 僕は今病院のベッドで寝ている。車に轢かれたから。 三日前、車椅子の車輪が道の凹んだところに引っかかってしまった。信号が変わると同時に車が突っ込んできた。向こうは信号しか見ていなかったのだろう。 痛かった。 母さんは毎日見舞いにきてくれる。 「ごめんね。私がちゃんとした身体に産んであげられなかったから」 そういって謝る。 僕は何も返さない。 声が出ないから。事故で喉が壊れた。 もし、声が出るのなら 「そんなことないよ。」っていうのに。 「産んでくれてありがとう」って言いたいのに。 自分を責め続ける母親に何も伝えられない。 あぁ痛いな。 「別に足なんていらない。」っていうのは嘘で、ちょっとだけ自分の足で歩いてみたかったけど。 足がないことは悪いことだけじゃなかったよ。 同じ身体障害をもった友達に出会えた。 腕のない和樹くんは僕の親友だ。もし腕があったら彼には会うことはできなかっただろう。 車椅子ならではの景色も見れた。 普通の人よりの少し低い目線だから、地面をせっせと歩く虫、散歩中のリードが伸び切るほど先を急ぐ犬、雨の日葉っぱに乗ったまぁるい雫。みんなよりも近くで見れたよ。 毎日がワクワクだった。 ――あ。 ペンを持つ左手が震える。事故で失ったのは利き手の右手。 僕は長くはないだろう。みんなは大丈夫だっていうけど、僕にはわかる。だから、伝えときたい。声はでないから、こうやって。 字が汚いのは利き手じゃないから、それはばかにしないでよね。 ペンをギュッと握り直す。 大嫌いな勉強だけど、一生懸命に教えてくれるから頑張ろうって思ったよ。先生。 みんなと違うから行きたくなかった普通の学校。でもね、みんな優しくて足がない分サポートしてくれた。クラスメイトたち大好き。 いつも忙しいのに、休日は僕を担いで公園を走った父さん。僕本当に自分で走ってる気分だった。 父さんの背中はずうっとおっきくて憧れだったよ。もう一回乗ってみたかったな。 和樹、君はいつも陽気でふざけてたよね。僕の手術前なんかはいつもより大袈裟にふざけて、病院の先生に怒られてたっけ。とんでもないやつ(笑)おかげで全然怖くなかったよ。君は本当にいいやつだ。 そして母さん。これだけは知っててほしい。 僕がもし生まれてなかったらこんな世界知ることはできなかった。 ありがとう。僕を産んでくれて。 みんなありがとう。 僕はほんっとうに幸せだった。 ――あの子が死んだ。 お医者さんは大丈夫だって言ったのに、急に容態は悪化した。 みんなが走っているのを眺めてたときも、私を見つけると辛さを見せないくらいの笑顔を見せてくれた。誰よりも優しい子だった。 ……なのに 最後は片手を失い、声も出せなくなってしまった。 私がちゃんと産んであげられなかったから。ごめん……本当にごめんなさい。 彼の寝ていたベッドを見つめる。彼がそこにいたであろう跡はまだ残っている。 私のせいでこの子はこんなに辛かったのに、私は生きててもいいのだろうか。 ――それなら、いっそ。 「ん?」 何かがベッドの端に挟まっていた。……手紙。 封には、ひどく震えた文字で『みんな、そして母さんへ』と書いてあった。 私はそっと手紙を開く。 もう聞けないはずの声が、そこにあった。
「今日から私たちが家族よ。よろしくね」 スーパーの潮騒がアンダースタンドする頃合い。 ガチムチマッチョのエリックは、嘆いていた。 彼はSelective androgen receptor modulatorsで強化されたスーパー人間の48歳だが、家族というものには耐性がなかったのだ。 加えて母となる女性・ホルモンは魅力的な女性であり、父となる男・モッツはイケメンで金持ち。最早敵なしのハイブリッドボルテッカー。 「お前はもう何も心配しなくていい。全部俺が金出してやるからな」 逆立った黎髪を優しくなでるモッツ。エリックは父性の浸食に抗えず視床下部を乱し感情を炸裂していく。 「父上ぇ……おいら……怖かッたヨぉ……ッ!!」 ホルモンも聖母マリアの如き壮麗さでエリックを慈しみ愛を唄う。 「安心してエリック。私たちはどこにも行かないわ」 抱きしめ合う寵愛のFESTIVAL。さんざめくリフレクション。 家族愛は今確定され充足理由律をオーバーライドする。最早彼らに宇宙論的証明はいらない。 「おうハニー。さぁ帰ろう。我らがMEIN ZUHAUSEへ!!」 「そうねハズバンド。それこそ家族愛よ」 エリックは二人に連れられ駐車場へ行くと、停めてあったフェラーリ・ローマの後席に乗せられる。プロサングエではない。 「狭いよママァ……」 産声をあげるベイビーのように想い繋ぐ声の糸。 「まだよエリック。私たちのマイホームはまだまだ遠くなの」 ホルモンが優しく諭す。 「そうだぞ。お前を愛するのはこれからの未来だ」 全てを開くハルモニアー。父と母の我が子への愛情を受けたエリックは、もう喋らない。 「ばぶぅ……」 進む時の世界。流れるヨーデルの音。母は歌い、父はアクセルで空間を盛り上げる。ときめく夜闇の咆哮は誰も止められない。 グレゴリオ聖歌は信号待ちを高貴なる祈りに変え、ブレーキ音を合図に落ち着くホーメイがバトンを受け取る。これはまさしく世界のファクター。全人が尊ぶべき神々の祝福。 「いだいぶぅ……」 「さぁ神へ感謝しましょう! 行くわよマイハニー!」 「そうだなジュリエット。我らの箱庭をスカビオサで満たそう!」 二人の愛宴は終わらない。重なり続け不可視の演者は踊り続ける。 だがそれも軈て終了する。 「……家についたぞエリック」 父の声が聞こえた。 まるで空から舞い降りたエンジェル。不安を払う、犇めきのSUNSHINE。 「……うィぅ」 エリックは今日から彼らの息子だ。
『久しぶり』 元彼からメッセージが届いた。 もう数年も連絡を取ってなかったというのに、どうしたんだろう。 だから、一応返信はしておいた。 『久しぶり。どうしたの?』 即既読がつくも、返信はなし。 いったいなんだったんだろうと思っていたら、アイコンが変わった。 元彼一人の自撮りから、赤ちゃんを抱っこして、結婚相手だろう女性と仲睦まじく映る写真に。 これは、あれか。 私を悔しがらせようとする、あれか。 私は自分の返信メッセージを取り消して、スクショをとった。 はい、家族最高みたいなアイコンにしながら、裏では元カノに連絡をとろうとする糞男の絵が完成。 結婚相手だろう女性が、顔見知りでよかった。 私はスクショを結婚相手だろう女性へ、もとい高校時代の女友達へ送った。 『は? なにこれ?』 『突然連絡来たの。私、不倫とかする気ないって言っといてくれない?』 『え? は? あんた、前付き合ってたよね?』 『うん』 『私に隠れて、元カノと連絡とるとか最悪! 死ね!』 嫉妬深い子だったからなあ。 私に連絡を取ったと知れたら、大変なことになりそう。 案の定、元彼から大量のメッセージが届いた。 『おい! なんで見せたんだよ!』 『不倫じゃないって言え!』 『連絡しろ! お前のせいで、うち今大変なんだぞ!』 着信履歴。 着信履歴。 着信履歴。 私、二度目のスクショ。 そして送信。 人を呪わば穴二つというやつだろう。 元彼の悪意は、元彼の元へと帰っていった。 めでたしめでたし。 私は元彼のアカウントをブロックしていなかったことを後悔しつつ、ちょっと涙ぐみながらブロックした。
陽光が人々を照らし営みの行く末を見守る。 夥しい人の往来は喧騒を奏で、日々生きることへの鎹を得る。 そして形成する仰臥の緑地は反復し、ざわめく光陰の永久を数えた。 それは即ち街の人生そのものなり。 「……俺、今日マイクに告白するんだ」 屈強な体躯を黄金色で彩るナイスガイ・ミッチェル。彼はカフェの向かい席にいる親友:ボンバーにただの事実を報告していた。周りの人々の日常風景が彼らの美しい恋模様を普遍なシンボルへと昇華する。 「良かったじゃねぇかミッチェル。俺はエリック派だが、お前の上腕二頭筋なら奴もいちころだろう」 コーヒーを一口すすり、仄かな苦みの空気を肌で楽しむ。彼は緊張していたのだ。親友が今から告白するという予測可能性が低いイベントに。平常心で彼の意気込みを聞いている精神状態ではない。 「早くあいつに伝えてぇ。俺の熱く燃え滾るハートビートを」 「分かるぜミッチェル。だが事はそう単純じゃねぇ。恋愛ってのはCから始めちゃいけねぇんだ」 ボンバーは震えすぎて最早バイブレーションと化している。テーブルを小刻みに揺らしながら演奏された振動音は、皆の注目を集めるには強すぎた。彼は既に変人というレッテルを張られている。 「そうなのか? 俺は最初からCでぶちかましたい気分なんだが」 「ダメだぜ相棒。Aからいくんだ。愛ってのは確かめあうもんなんだよ」 交差する友情のアンサンブル。そしてバックに見えるのは、彼らを祝福する魂のオーケストラ。荘厳な大地が共鳴し、碧虚が輾転反側を覆す如く法悦せしその真を射影する。 「きゃははまじめろんくせぇ。ウォーターハッピーじゃむじゃむじゃん」 壁際の席に座るギャルがハネムーンでランデブーのサクリファイスを求め呼応していた。手に持つスマートフォンには非線形的な水位変動を映し、騒然と流動す常夏の感応を増幅する。彼らもまた罪深き鎮魂歌に携わるデスティニーなのだ。 「……分かったぜボンバー。俺、結婚指輪買ってくる」 「違うッ! 違うぞミッチェル! 早すぎる!」 ミッチェルはチーターの如き素早さで、店内を後にした。 高まるリミット。司るRAINBOW。 パラドックスはリフレクションし、サステナブルなビートが歪み刻まれる。 「……ミッチェル。お前って奴は……かっこいいぜ……」 ボンバーは心から感心した。親友は、頭が狂っていても正直なのだ。彼の熱いユニバースエキセントリックハーモニーはバイアスを超えパラボリックecstasyなのだ。 ボンバーは席へ座る。 親友が魂を燃やしバーストしているリアリティに、つんざくノイズはご無用だった。 コーヒーをすする。そう、それだけいいのだ。 それが人生なのだ。 天井のシャンデリアが崩れ落ちる。硝子は粉砕し轟音が空間を侵食していく。 そう、それが人生なのだ。 全てを埋め尽くす水の集団が彼の肺を冒していく。 そう、これは人生だったのだ。
今日は元カノが病院に入院していたのを偶然会ったので彼女が早く治るように文を綴ろうと思う。 生まれつきの特性だとか病弱だとか色々な物はあるが元気に笑ってご飯が食べられて暖かい屋根付きの布団で眠れればいいと願う。 僕は何故か人を治す事が得意なようだが特に医療知識が豊富な訳ではない。 神がいるのならそして医療の神様がいるのならそれに近しい力を僕は持っているということか(誇大妄想) ブラックジャックはいないがなんとなくその人のして欲しいことは分かる。 でも万能でもない。 少し痩せた元カノにもうちょっと言葉をかければ良かった。 優しい言葉は人を治し再生させる。 歌や絵もまた然り。 そんなこんなで元カノには元気でいてほしくてたまらない僕は雨の午後に言葉を紡ぐ。 雨が降っている勝手な僕だけの時間君は病室で雨音を聴き静かに過ごす僕が出来るのは文を綴ることだけだけどそのままの君できっと元気になって帰ってくることを願って雨の音が君の身体と心を癒す面白いことは言えないけど蝸牛にはいい季節ゆっくりじっくり進んでいく明日は午後から晴れ君が快方に向かうよう太陽も皆を迎える雨と雲と太陽のコラボレーション梅雨に君という大輪は咲き誇るそれはどんな場所でもねえそれって生きてるってことじゃないか。 なんだか雨音が柔かい。
今日はバレンタインデー。 恋人たちが愛を分かち合う神聖な祝祭。 片思いにとっては運命の日。 私も同じ恋する乙女だから、皆をつい応援しちゃう。 でも、そんな内気な自分はやめにする。 今年こそは勇気を振り絞って、今にも張り裂けそうな“愛”を彼に届けたいと思ったから。 笑った顔も、伏し目がちに黒板を見つめるその横顔も。 クラスのざわめきに少しだけ遅れて振り返るそのしぐさも。 全部があまりにも美しすぎて、それがいつか消えることなんて耐えられなかったのだ。 だから私は最大級の愛の証明として、“残す”ことに決めた。 ――誰にも壊されず、誰にも消されない場所に 私の部屋の壁は、ほとんど空いていなかった。 教室で居眠りしている彼も、駅前でスマートフォンを見下ろす彼も、誰かと肩を並べて歩く彼も、みんな同じ大きさで同じ距離に貼られている。 少し画質が荒いものもあるけれど、それが人生の甘美さ。 でも私は分かってる。愛は時代唯一の不変だと。 どれもとっても大切な瞬間だから、優劣はつけられなかった。 彼の全てがここにある。彼の生きた証は私が全て記憶する。 私が残しておかないといけない。 愛を知る私以外できないことなの。 「……今日中に完成させなきゃ」 私は椅子に座り、パソコンの画面を見つめる。 保存が完了するたびに小さな通知音が鳴る。 それを確認して、ファイル名を整えて、また次の写真を選ぶ。 これは単調な操作だけど、全てのクリックが彼そのもの。 ミスなく実行しなければならない。 そして当たり前だけど、ただまとめてアルバムを作るのじゃ足りない足りない足りない足りないそんなものは愛じゃない愛は形を変えて残ってこそ愛いつか消えるものなんてそんなものは糞以下の何物でもない真実の愛は世界と繋がる刻印となってこそ満たされる愛は脆くない強いものなの愛は命より愛おしいの。 私は保存形式を間違えないようにもう一度確認した。 慣れてることほどうっかりミスがあるものだ。 愛は時に牙をむく。噛まれちゃったら泣いちゃうかも。 でもきっと平気。愛はやがて超越されるものだから。 「……大丈夫だよ、もうすぐあなたは世界になるからね。心配しないで」 私は写真を選んで、文字列だけのリンクを作る。 世界中に分かれて置かれる場所。 どこにあるかは、私にも分からない。 誰か一人が拒んでも、もう無かったことにはできない場所。 次に小さなメッセージを入力する。 長い言葉はいらない。 一度書いたら、二度と上書きできないから。 送信ボタンを押すと、画面の表示が変わる。 履歴に戻っても、そこにはもう何もない。 これで大丈夫。 彼はちゃんと残る。 もう誰も彼の軌跡を邪魔できない。 私はすぐに彼のSNSのメッセージ画面を開いた。 長い説明は書かなかった。 愛は、 読むものじゃなくて、受け取るものだから。 === 私からの気持ちです。 ここからいつでも見られます。 https://cloudflare-ipfs.com/ipfs/QmXXXXXXXXXXXXXX === プレビュー画像が、自動で読み込まれた。 これが愛の“刻印” 「愛してる」 送信。 画面の表示が、少し遅れて変わる。 それからしばらく待つと―― 名前の横に、小さく「既読」の文字が浮かんだ。 それだけで十分だった。 理解されなくてもいい。怖がられてもいい。 でも、もう彼は世界に刻まれた。 誰にも消せない形で。 チョコレートよりもずっと甘くて、 ずっと永遠なハッシュを。 ちゃんとプレゼントできて、良かった。
「あ、臭」 「くっさ!」 電車に乗ってきた一人の人間を、他の乗客たちが一斉に指をさす。 その人間は心当たりがあるのだろう、電車に乗せていた右足を後ろに戻して、体の向きを反対方向に捻って、立ち去っていった。 ある日より、人間は『死の匂い』を感じ取れるようになってしまった。 動物の死骸から悪臭がするように、余命が少ない人間からも独特な匂いがするようになってしまった。 最期まで人間らしく生きるという人間の権利と、悪臭というスメハラから逃れたい人間の権利。 二つの権利がぶつかって、結局世界としては結論が出せず、現在に至る。 駅構内を、一人の人間が速足で歩く。 死の匂いは、絶えず移動し続けていれば分散されて、大した匂いにはならない。 少し眉を顰める程度だ。 「匂い消し。匂い消し」 トイレの個室に駆け込んで、鞄の中からスプレーを取り出し、全身にかける。 死の匂いが緩和され、小便器の前に立って個室に険しい目を向けていた人々が、一斉に視線を小便器へと戻した。 二度目。 その人間は、電車の中に入ることを許された。 誰からも非難の視線を向けられることもなく、加害者という立場からの脱出に成功した。 電車が進んでいく。 皆が行儀よく席に座り、まるでここには善人しかいませんと言う顔をして。 死の匂いが、死の予兆を知るための重要な機能だということにも目を瞑り。 「あ、臭」 「くっさ!」 乗客全員から死の匂いが溢れ出る。 電車内は阿鼻叫喚。 強い衝撃と共に、ガタンと大きな音を上げて、電車は線路を飛び出して空へと投げ出された。
路地を歩く一人の男がいた。 背は低く、髪はずっと切っていないのか不格好に伸び切っている。 そして、その顔には不気味な仮面が取り付けられていて表情が読み取れない。 道行く人はみな、すれ違うときに下を向き、彼とは目を合わせない。 仮面の男は足早に、ひとりの学生へ近づくとその肩を叩いた。 「な、なんですか。」 肩を叩かれた少年は、怪訝そうな顔で仮面の男を見た。 「そんなに警戒しなくてもいい。私は君に未来を売りに来たのさ。」 男は作り込まれた、高い声で言った。 逃げようとする少年の腕を仮面の男は力強く掴んだ。 「離せよ!」 少年の必死の抵抗も虚しく、仮面の男はその手を離さない。 「アキちゃんと付き合いたくないのかい?」 放たれた一言に少年の動きが固まった。 「……なんで、そのことを。」 「言っただろう。私は未来を売るんだ。どうだい、一度話を聞いてみないかい?」 少年が逡巡するのを仮面の男は見逃さなかった。 「今なら千円だ。たった千円で彼女と付き合わせてあげるよ。」 「そんなの、信じられるわけ無いだろ。」 少年は、離された腕をしばらく撫でていたが、もう仮面の男から逃げようとはしなかった。 「わかった、君がボクのことを信じないのも無理はない。後払いで構わないよ。 でも、もし告白が成功したら、またこの場所に来てほしい。」 迷う少年の目が仮面を上目遣いに見つめる。 「もし、告白が成功しても君がここに来なかったら……」 仮面の男はたっぷりと時間をあけた後、少年に背を向けて言った。 「……そのときは、契約決裂。どうなるかは、分かってるね?」 呆然と立ち尽くす少年をおいて、仮面の男は再び、路地を歩き出した。 * おそらく上手くいっただろう。 暑苦しい仮面は外して、誰にもバレないように帰路に着く。 少し可哀想だが仕方がない。 奪われた分は奪ってやらないと気がすまないのだ。 まあ、これで向こう十年は小遣いに困らない。 俺はタイムマシンに乗って、元の時代へと向かった。
いヴ→澪 昼休みのチャイムが鳴り終わったころ、教室にはまだ夕方の光が残っていた。 一年生のこはなは、机の上のプリントをそっとそろえている。 その横顔はいつもみたいに落ち着いていて、 ときどき見せる ニコッ が嘘みたいに静かだった。 廊下の影から、その様子を見ている男の子がいた。 サッカーが得意で、走るのは誰より速いのに、 今は足が床にくっついたみたいに動かない。 横には、ビビッて連れてきた女友達、澪。 手紙は澪が渡してくれるし、書いてくれた。 恋愛相談はほかの男子にするとうるさそうなので、澪にした。 「好きです」を入れるって決めたときから 心臓がずっとうるさい。 「……今日、渡すって決めたんだ。」 自分に言い聞かせるように、小さくつぶやいた。 給食当番のとき、こはなが手をつないできた瞬間。 あの小さな手の温度と、 見上げてくれたときの笑顔。 あれがずっと頭から離れなかった。 もっと仲良くなりたい その気持ちが、告白する勇気になった。 教室の中には、もうこはなしかいない。 同級生の「手伝おうか攻撃」もなく、 空気はやわらかくて静か。 ——今だ。 男の子は深呼吸して、ゆっくり歩き出した。 足音が近づくと、こはなが顔を上げる。 「あ。」 いつもの、あの優しい笑顔。 その笑顔にドキドキし、男の子は影に隠れた。 澪はポケットから手紙を取り出し、こはなに渡した。 「これ……読んでほしいんだ」 澪は明るい笑顔で、ちゃんと届いた。 こはなは驚いたように目を丸くして、 でもすぐにふわっと笑った。 「うん。あとで読むね」 その一言だけで、 男の子の胸の緊張が少しほどけた。 手紙は、こはなの小さな手の中に収まった。 その手を見て、 渡せてよかった そう思えた。 教室を出たあと、男の子は廊下で深呼吸した。 晴れの日特有の黄金色の光が差し込む。 返事はまだわからない。 でも、今日の自分はちゃんと勇気を出せた。 それだけで、胸の奥が少しあたたかかった。
ドリーム・キャスト 僕は毎日夢を見る。 レム、ノンレム睡眠の揺蕩う無意識の奈落の底へ堕ちてゆく……ユートピアは孤独を忘れ論争の独りよがりを奏でる二十四時。大義名分の野望が帰らぬ人となり歪んだ世界の果てで小さな天国を楽しむ余生。 「二度と後戻り出来ない。別離する、寂しがり屋の応酬だ」 母は言う、父は頷かない。違和感が情緒不安定のホルモンバランスを律し潮の満ち欠けは「半月の由々しさ」嘲笑を尻つぼみに唱えん。 向こう側の出入口へようこそ。ナビゲートは自分自身の姿見、明日と一昨日の裏側からの慰問者……ゲットーを越えろ! 意味深な解読不能にSOSのモールス信号が送る黎明の時。早熟した道標が過去、現在、未来の半透明な乱反射に捧ぐ欲望の螺旋、性質は姿形を変え思想から脱却する器の子。 「悪魔の囁きは暴徒化した舞姫の誕生譚」 無の境地(時系列メッセージ) エジソンは発明家だった!? 彼の概念を払拭した要因は幾つかの選択肢を明晰夢になぞらえて行う魔法の教典、木を見て森を見ず最北端の可能性を示唆した最上級の暗転領域。不可思議な日常に潜むパワーバランスの極論は一般市民たるモノノケ=散文詩にこしらえた巣窟、乗り越えろ……惑星の彼方を倫理的に論破するのは男の天命。 火地風水、エレメンツの結合が時間逆行~タイム・リープの記憶置換に則り破壊衝動を禁忌の術に寛解した負の遺産……古代文明の睡魔に入り交じる雑念の削除に見え隠れする幻惑者の侮蔑は続く。インプット・アウトプットの応酬に次ぐ故郷の莫枕が魅せる引き金とは是が非、しるべが望む結果と手段の二者択一! 「寝よう。旅人の追放と永遠にもう一度、祈る」 庭園は安寧なりて 哲学的叡知がオアシスの泉となり治略を妨げる夢の共演……僕は理由の効かない状態、否? (努力の無い才能人は1%の家紋を生き血に吸う)喜びの声、大多数に千里眼の真白なケープを波打ち際に歩み寄る先駆者を快活に現る縁~えにし。意気投合の所以。感じるな思うな考えるな、ルールと法、制約を万死に値するヒエラルキーと理解に遠のくユメ、僕等には早すぎる正義&悪のモラトリアムの愚者の類い。嘘偽りの無い虚空の戦場へ肥大する蕾と花咲く片道切符の明星の残照…… 怠惰と敵意が重箱の隅を突く不始末の手際。どうにでもなれ、怒りを静める不遇な極刑は非凡の才華に恵まれしお人好しな息子、表裏一体のつぶて…… 切り札は誰だ。褒美と女々しき実業家が僕の臨界点を天元突破しては花婿を呼ぶ痛み分け。共食いが1%の代償、焔となりて幸せを願う酔狂な一択。 夢魔の飛翔は残酷な美男子を許す
澪音→いヴ 静かな夜 部屋の灯りを落とすと、 窓の外の街が、遠くで息をしているみたいに揺れていた。 私、白鷺澪音(みおん)はベッドの端に座り、 胸の奥に残った“言えなかった気持ち”を そっと指先でなぞった。 優しくしただけなのに、 どうしてこんなに胸が痛むんだろう。 誰かのために笑った日、 「大丈夫」って言った日、 本当は少しだけ震えていたことを 誰も知らない。 優しさって、軽いものだと思われがちだ。 差し出せば、それで終わり。 そんなふうに扱われることも多い。 でも澪音は知っていた。 優しさは、 自分の時間と心を少しずつ削って差し出すものだって。 だからこそ、 雑に扱われると胸がきゅっと痛む。 「見返りなんて求めてないよ」 そう思っているのに、 心のどこかで “気づいてほしかった” という小さな声が泣いていた。 その声は、誰にも届かなかった。 強がりの影に隠した想いは、 言葉になる前に涙へ変わっていく。 怒りより先に来るのは、 静かに沈む悲しみだった。 「どうして私だけこんなに苦しいんだろう」 そう思った瞬間、 胸の奥で何かがそっと崩れた。 涙を拭いたあと、 澪音はゆっくりと立ち上がった。 泣いた夜を越えてきたから、 まだ立っていられる。 優しさが壊れそうになっても、 それでも前に進む強さが 澪音の中には確かにあった。 透明じゃない。 消えてなんかいない。 澪音の心は、 ちゃんとここにある。 窓を開けると、 夜風がそっと頬を撫でた。 その優しさに、 澪音は少しだけ息を吐いた。 「気づいてほしかっただけなんだよ」 その小さな声は、 誰にも届かなくても、 確かに世界に放たれた。 そして澪音は思った。 優しさは弱さじゃない。 泣いたあとに立ち上がれることこそ、 いちばん強いことなんだ。
BBQに参加した。 地域の催しかと思っていたが、違った。 あるマンションの住人だけの集まりだった。 とりあえず入居希望という形で紛れ込む。 和気あいあいとしているけれどどこかおかしい。 笑っているけれど、目が笑っていないような気がする。 マンションは八階建て。 ワンフロアに二部屋。 一階には管理室があり、全体で15世帯だという。 子どもの姿はなく、住人は一人暮らしか夫婦だけらしい。 BBQ会場からマンションのベランダが見える。 綺麗な建物なのに、曇り空のせいかやけに暗く淀んで見えた。 八階のベランダには洗濯物が干してある。 だが、どこか異様だ。 洗ったばかりの匂いも感触もなく、さっきまで誰かが着ていたままのような。 洗濯後というよりタンスに入ってあったものを外にかけたという感覚。布の形やしわも不自然だった。 他のベランダには服も一切かかっておらず、生活感がない。ただの装飾なのか、あるいは誰も住んでいないのか。 空いているのは八階の右の部屋と、 三階の左右二部屋だけ。 住人たちは八階の部屋を強く勧める。 「見晴らしもいいし、綺麗だし、隣の人も優しいよ」と。 BBQの帰り際、八階の住人と挨拶を交わした。 女性の一人暮らしで、背が高くすらっとしている。 目は細く、どこを見ているのか分からない視線。 笑っているのか、見透かされているのか、胸の奥に冷たいものが流れ込むような不気味さがあった。 目が合った瞬間、何か深く計り知れないものを感じた。 空いているらしい三階の部屋のことを聞くと、住人たちは睨むようにこちらを見た。 居心地が悪くなり、早めに帰ることにした。 家までは自転車で十分ほど真っ直ぐ。 走り出すと、後ろから視線を感じる。 振り返ると、住人たちが立っている。 声は出さず、ただじっとこちらを見ている。 家に入るところを見られたらまずい ――そう思った。 一度家を通り過ぎ、先の交差点で曲がる。 視線が途切れたことを感じ、裏道から家に戻る。 玄関に二重に鍵をかける。 電気も付けず、慎重に階段を上がる。 音を立てないように、できるだけ静かに。 一段、一段、呼吸を押し殺す。 途中で気づく。窓がある。 外に向かって開いていて、真っ直ぐマンションが見える位置だった。 嫌な汗がにじむ。あの視線が蘇る。 もしあそこに立つ人影が私を見ていたら。 窓から見えないよう体を縮めて通り過ぎる。 足を早め、部屋にたどり着くまで背中が焼けるようだった。 ベッドに潜り込み、スマホを握りしめ震える。 怖くて動けない。 心臓がまだ、ドクドクと鳴る。 後ろからの視線を感じている気がした。 外は静かなのに、どこかで息をひそめて見られているような感覚が消えない。 眠ろうと目を閉じる。 だが、頭の中にはあの人たちの目が浮かぶ。 笑っているけれど、笑っていない目。 目を開けたら、窓の向こうにいるかもしれない。 いつの間にか、体はベッドの中で丸まっていた。 怖さと安心の境界が曖昧なまま、夜が過ぎていく。 洗濯物の生々しさと、あの八階の女性の視線がまだ、胸にひっかかっている。
「どうぞ、お入り下さい」 扉から顔だけ出した男が声を掛けた。 その声に、二十代後半の女が、緊張した面持ちで部屋に入った。 「失礼します」 「そちらにおかけ下さい」 長机を前に、二人の男が履歴書に目を通していた。 「前職は物流関係とありますが、どのようなことを」 「はい。通販サイトで、購入者様への配送業務でした」 「具体的には、どのような」 「はい。ご注文の品を箱に入れて、緩衝材も詰めて、待機しているトラックまで持って行く仕事です」 二人は、うなずきながらメモを取っている。 「では、弊社を希望した理由を教えていただけますか」 「はい。私事ですが、前の職場の同僚が、私の箱詰め作業を見て、何か感心したようで、御社を勧めてくれたというか…」 「なるほど。うちも箱詰め作業はありますが、結構大変ですよ」 「はい。頑張ります」 女は、笑顔で小さく頭を下げた。 「では後日、改めてご連絡しますので、それまでお待ちください」 女が部屋をあとにする。 「君、今の女性どう思う」 社長が人事の男に聞いた。 「そうですね。即戦力になりそうですね」 「君もそう思ったか。じゃあ、採用するかな」 ──ピコンピコン 女がメールを開いた。 「採用決定。 ご存知かと思いますが、弊社の制服は喪服です。ご用意お願いします」
君と出会ったベンチの端の温度を、避ける当てもないほどの快晴の光を知った。 朝露に煌めく君のその横顔の、褪せることのない血色を覚えていた。 ああ、夕立に差す赤い夕陽の根を眺めていた。 青に乱反射する果てしない空を眺めていた。 むせ返るほど暑い空気の中で、流れるような緑に熱を絆されていた。 飴色を照らし出す並木道で君は笑った。 少し肌寒い、そんな中で夜空の花を見上げた。 雨上がり空を映す水たまりを覗き込んでいた。 果ての知らない世界がどこかにあるんじゃないかって、そんな夢を視ていた。 白が覆う世界でバス停の君は笑った。 賑わうあの世界で君は輝いていて、 山道を登る、君の背中を追いかけた。 桜の花が散るたびに、そのひとつひとつが 何も知らないうちに僕の掌に落ちて 「綺麗だね」って微笑むその横顔が未だそこに在って、 二人で分け合った季節の正体を思い出していた。 僕は、痛感して。この空を静観して。 いつも、いつまでも続くわけじゃないって、思い出していて、 それでも傍にいたいって、思わせるのは、 君がまた、そんな顔で泣くから。 快晴が、夕景に溶けていく。 その先が僕らをどう証明しようとしたって。 いつまでも色褪せないような、そんな結末を。 君と紡ごうとしていたから。 「嬉しかった」なんて、 「ありがとう」なんて、 まるで終わる少し前みたいな。 そんな言葉を吐かないでいて。 まだ君はここにいるから。 もう少しだけ、傍に居られるから。 君がいなくなる、そのときまで。 こうして僕の思い出話を。 聞いていてほしい。 そんな言葉に、力無い君は静かに笑った。
寝坊をして急いで駅に行く。完全に遅刻だ。 ホームはいつもと違い通勤ラッシュが過ぎて穏やかな雰囲気になっている。 自販機の前で小さな女の子と母親がどれにするか楽しそうに話している。 その近くにホームから線路を覗くスーツ姿のオジサンがいた。 私が会社に遅刻の連絡をしている間も、ずっと線路を入念に観察している。落とし物なら駅員に言えばいいのだが、まさか降りて取らないよなっなんて思うくらい真剣に探している 「落とし物ですか?」 「え、あっ、はい。そうなんですよ」 「駅員に言って取ってもらったほうがいいですよ」 「はい、そうなんですが、どこに落としたか分からなくて」 「何を落とされたんですか?イヤホンとか?鍵とか?」 オジサンは笑顔で右腕を上げながら応える 「右手です。この間轢かれたときに、右手だけ、どこかへ行ってしまって」 「ママこれなに?」 自販機の下を覗いて小さな女の子が何かを指さしている
「まじ、ヤバみでエグみでまんじ」 道行く若者の言葉を聞いて、私はひどく悲しい気分になった。 日本語が、日本語でなくなっていくように感じて。 まじ、とはなんだ。 日本語には、『本当に』という言葉がある。 ヤバみ、とはなんだ。 日本語には、『危険そうだ』や『難しそうだ』という言葉がある。 エグみ、とはなんだ。 いや、本当になんなんだ。 形を変えていく、あるいは消滅していく美しい日本語が、私は恐くて仕方なかった。 「どう思う? ばあさんや」 「東京生まれのあんたがンなこと言ってんでねえ!」 恐怖をばあさんに共有しようと思ったら、まさかのお叱りが返ってきた。 意味も分からず、私は首をひねる。 「変なことを言ったか? 日本語を守ろうとしているだけなのだが」 「あんた、あたしゃが嫁いできたとき、なんといったか覚えとらんのかー!」 「……なんか言ったっけ?」 「『これから東京に住むんだから、方言も直そうな』とか言いやがったんじゃ!」 「言ったな。東京に住むんだから、標準語の方がいいと思って」 ばあさんの言葉の意味が分からずに固まっていると、ばあさんは鬼のような表情へと変わった。 鼻息を荒くして、しわくちゃの顔に、さらに深いしわを作った。 「何が標準語じゃ! 明治に入って整備されただけの、人工若者言語じゃねーか! うちの方言は都が京都の前から存在するわ!」 「いや……でも……標準……」 「黙れ! 江戸より前の人間から見れば、じいさんが標準語って呼んでる日本語も、十分に若者言葉じゃたわけ!」 言葉が詰まる。 今まで、自分の言葉が標準で普通と考えて、疑わなかった。 しかし、ばあさんの言う通り、味方によっては自分の言葉も若者言葉になるのかと気づかされた。 まじも、ヤバみも、エグみも。 二十年もすれば、標準語として使われているのかもしれないと思うと、なんだか自分が恥ずかしくなった。 「すまぬ、ばあさん。私が間違っていた」 「じいさん。分かればいいんじゃ」 「私もこれからは、積極的に新しい言葉を使っていくことにするよ。じじい、日本語を使いこなして、まじでエグいじじいになる!」 「いや、それはキモいからやめて」 ええええええええええええええええええええええええええ。
郊外の家電量販店。 若い夫婦がテレビを買いにきた。 「たくさんあって、迷うわね」 並べられたテレビの前で、店員が二人に声を掛けた。 「よかったら、手に取ってください」 リモコンを妻に渡した。 「どれもいっしょね……なに? このボタン」 チャンネルの横に、ニヤケ顔の絵文字のボタンがついている。 「これ、何ですか?」 「あぁ、それは副音声ですね」 店員が説明を始めた。 「それを聞くと、ちょっとだけ安心しますかね」 「どういうこと?」 「どうぞ、お試しになってください」 妻はリモコンをテレビに向けた。 緑豊かな、この国の原風景が映った。 ボタンを押す。 『車がないと、ここでは生活ができない』 「……年取ったら大変ね」 チャンネルを変える。 シャッター商店街、町おこしドキュメント。 『ポツンと、おしゃれなカフェが』 「……常連が居座って入りづらいのよね」 料理番組、アップルパイを作っている。 『去年の台風で、リンゴはほとんど木から落ちました』 「……そんな年もあるよ」 「どうですか?」 口角が上がり、ニヤケ顔の夫婦。 「これ、買います」 「ありがとうございます。最近は、こちらが一番売れております」
「ねぇ、どうして世界は真っ暗なの?」 花夢さんは長い睫毛に縁取られた 透明な宝石じみたエメラルド色の瞳で 僕に尋ねてきた。花夢さんは17歳の女子高生。 僕と同じクラスで隣の席の女の子だ。 「雪夜くん」そう呼びかけてくる花夢さんの 上目遣いの眼差しが可愛くて ドキドキする胸を落ち着かせながら "冬島雪夜"こと、雪夜くんの僕は 花夢さんの問いかけに少し考えて、 花夢さんの視線を見つめ返しながら 世界が真っ暗……宇宙のことかな?と思い 「なんで宇宙は真っ暗なのかGeminiにでも聞けばいいんじゃないかな?僕はわかんないよ」と 少し頬を染めながら素っ気なく答えプイッと 顔を背けた。 美しく透明なネイルが塗られて キラキラと硝子みたいに艶めく爪先の繊細な柔らかな手が、僕の頬へと伸ばされて少し躊躇うように指先の人差し指でぷにと押すように触れた 「可愛い雪夜くん」 ここは学校で、僕と花夢さんは教室で、 朝一番に学校に来てるから まだ二人以外誰もいない。 ほっぺをぷにと押されたまま 僕は少し背の低い花夢さんが 僕を上目遣いで見て微笑んでるのを見て 眉間に皺を寄せて軽く睨んだ。 そして、そっと花夢さんの細くて美しい 真っ白な指先を手で握るとほっぺを押す指を どかした。心の中で、「もう!」と 女の子みたいに僕はぼやいて、ご機嫌に にこにこしてる花夢さんに落ち着いた声音で 少し呆れた風に言う。 「やめろ、頬押すの」 僕の言葉に花夢さんは瞳を大きく見開いて その大きな美しい宝石みたいな透明な エメラルド色の瞳に僕を映すと 少し悲しそうな色に眼差しを曇らせた。 花夢さんは僕から拒絶されると いつもへこむ。だから僕は断りづらい。 嫌いじゃないから悲しい顔されると すこし心が痛む。 傷つけたかな…… 花夢さんの表情に僕はそう動揺した。 辺りを見回して 教室にまだ誰もいないのを確認すると 隣の席に座っている僕に、花夢さんは 近寄って大胆に僕に跨るように 乗って座ってきた。 あたたかな生の艶やかな肌の 太ももが僕の腰を挟んで密着する。 柔らかな花夢さんのお尻の感触が 僕の脚の上にすごい存在感でのしかかってる。 「雪夜くん……わたしのこと嫌い?」 花夢さんはそう僕に顔を近寄せて 耳元に囁いて耳たぶを甘噛みして 僕の腰を両脚で挟んで 下着を履いてる秘所を 僕の身体の中心へと押し付け擦り付けた。 「………………」 僕は無表情で思考停止して 花夢さんが両腕を僕の肩に巻き付けて 耳たぶを優しく甘噛みした後 今度は僕の顔へと視線を戻して そして、ゆっくりと顔を近寄せて 僕の唇へと ピンクに薄く染まった潤んだ唇を そっと優しく押し当てて キスしてきた。 「ん………んぅ…」 花夢さんの髪から肌から 甘い香りがする リップクリームの香りかな? 甘くて優しい良い香りがふわりと 僕の鼻腔を優しくかすめた。 花夢さんを突き飛ばしたりできなくて 僕は両手を僕の腰に跨って 制服を着た大きな柔らかい胸を押し付けて 僕の唇を味わっている花夢さんの背中に回して 抱き締めてしまった…… これじゃあ受け入れてるのと同じだ。 でも一体どうしろと…… (若干混乱している) 花夢さんは僕の腰の間の中心が熱くなって 隆起したのがわかるとさらに 跨っている腰を密着させて擦り付けた。 僕の腰は花夢さんの愛撫に痙攣して反応した。 僕は堪らず震えた唇で 花夢さんがキスをやめたあとに囁いてしまう。 「花夢さん……僕のこと好きなの?」 花夢さんは僕の両手を掴んで 自分の制服の白シャツの弾けそうな胸へと 導くと僕の手をその両胸に当てて握らせた。 「雪夜くん……大好き……揉んで」 僕と花夢さん以外いない朝の教室で 二人の吐く息が、呼吸音がやたら大きく聞こえる 僕は花夢さんの胸の頂が膨らんでる感触を指先で撫でて確認してなるべく痛くないようにゆっくり力を込めて両方の胸の肉を揉んだ。 花夢さんはあえかな可愛らしい小さな 嬌声をあげて喜んだ。 花夢さん胸を揉むと嬉しいんだ。 脳内でそんなことを考えながら 僕は隆起した欲望がドクドクと 脈打って出口を探して 渦巻いているのを感じていた。 花夢さんは僕に胸を揉まれて 幸せそうに僕の上で身体を揺らしたあと そっと密着させていた腰を離して ゆっくりと立ち上がって妖艶に微笑んだ。 僕の制服のズボンの下の下着は 少し濡れてしまった。 「雪夜くん私たち、もう両想いだよね!」 「続きは明日の土曜日にお家デートでしよ!」 僕は白目になりそうな気持ちで頷いた。 「花夢さん……僕、死にそう」 「わたしとするまで果てちゃダメだよ〜」 「雪夜くんのうぶなとこ可愛くて大好き」 「明日まで我慢しててね!自分でしちゃダメだよ」美少女の花夢さんの猛攻で僕は陥落した。今日から二人は彼氏彼女だ。
傘をなくしました。多分私は愚かなのです。何人も見てきたおんなじ手口で、傘をなくしました。 自分で選んだ、自分好みの傘でした。 憂鬱な雨の日にも少しだけ前を向けるような、大事な傘でした。 傘の青さは空に溶けるようで、雨に馴染むようで、それでいて風に負けぬ強固な骨をもっていて。 素敵な傘でした。 眠気に負けて、手放したのです。 電車の中。偶然座れた席。それも手すりのそばにある席。 電車にたどり着くまでに少しだけ濡れてしまった傘。かさ。ああ、かさ。 眠気と共に抱きしめれば、服ごと濡れてしまいそうでした。 かさ。 ああ。かさ。 そして私は。 かさ。 私の慢心を選んだのです。 何本もの、置き忘れられた姿を目にしました。わかっていました。大事なものは手放してはならないのだと。 握りしめて、大事だと叫んでいなければならないのだと。 でも、私は目先の眠気に負けました。それから、濡れるのが嫌だなという気持ちに負けました。少しばかりの目先の感情に流されて、私は大事なものを失いました。 悲しいことです。大事だったはずなのに。 お気に入りだったはずなのに。 こうしてかいているうちに、傷が癒えていくようで、もの悲しくて仕方ありません。 大事とはこの程度のことだったのかと。 大切とはこの程度のものだったのかと。 きっと、傘と共に心もなくしてしまったに違いないのです。 そうでなければどうして、私は次の傘とお財布の膨らみについてなんて、考えているのでしょう。
私、萌奈歌は、総務放送委員をしていて、今日は旗下げなどで帰るのが遅くなり、見上げるとさっきまで澄みきった青色だった空にも、少しくすんだ橙色が混ざった。 それを見て萌奈歌は今の私の心の中みたい、と無意識に感じた。 旗下げとかしている萌奈歌を、待ってくれない友達。 親友だと思っていたのに、裏切ったような親友。 今日萌奈歌はフレネミー大量発生デーだったなと思った。 そのおかげで、黒が混じった心がある。 萌奈歌は、下げ終えた旗をたたみながら、来週は誰か待っててくれるかな、と考えた。 来週待っててくれたら一緒帰りたいな。 旗を職員室に返しに行くと、萌奈歌の期待は胸で大きく弾んだ。 その頼もしい背中を、橙色のふわっとした光が優しく照らした。
いま食べてんの人間のどの部分?茶化すように言ったらゲンコツをもらった。食べてるときに言うなと怒鳴られ、そんなら早いとこ食べてくれ、そしたら言ってもよかろうと気味悪く引き笑いをまじえて返したら今度は頬をひっぱたかれた。どうにも手の早い男でまいってしまうが自分の親だ、あきらめるしかない。 またひとり沼に落ちたと佐伯さんが来たとたん言った。「手伝ったほうがいいだろうかねえ」母が聞くと、 「いいや任せてしまったほうがいい」 佐伯さんは決めつけ、さっさと父と酒をやりはじめた。どうにもこの町の青年団は怠け者が多い。威勢だってたいしてよくない。法被姿が似合わなくてどの男の元にも嫁に行く気になんてなれない。臆病者たちの集まりは、でもここ数年、事故をひとつも起こしていない。死んだ者だってひとりも。 あくる日、人が落ちたという沼に行ってみた。映画などであれば足跡のいくつかがあるのだろうが、ぐるっとみてまわったけどどこにも落ちていない。死体は上がっていないと朝、母は言っていた。死んだと決めつけてることに腑に落ちず、でも生きてるとも思えない。死体が上がってこないのは水底の草が足を取ってるからだろう、確かめることができないけれど。姿はみえなくて、でもカッコウが自分の名を辺りに響かせ、それがやけに人の死の匂いを薄く和らげる。いくら鳴いたところで事実までは曲げられない。沼から戻っても、鳴いていたカッコウの声は、耳の奥にいつまでも残っていた。 沼のほとりで鳴いていたカッコウの声が今日はやけに大きい。開け閉めに手間取るようになった窓をそっと開けてみるとベランダの手摺にカッコウらしき鳥の姿があった。鳴く声の印象が強すぎて実際のシルエットよりいくぶんずんぐりにも思えるその姿に、みてはいけないものをみた気になって静かに窓を閉めた。カッコウが鳴いて、逃げていかなかったことに安堵した。 放課後はいつも騒々しい。 「プロット書かないとダメだよ」 ニヤつきながら言う文芸部の先輩はでも、プロットを書くことばかりに精を出す。いまだに完成させた原稿がなく、それはその先輩のこれから先の人生のようでもある。馬鹿にされた先輩はパソコンの画面に思いを打ち込む。 オマエらマメんじゃねえぞ 打ち間違えがやはりその先輩の歩んでいく将来にも思え滑稽で、そこから私たち後輩は「マメ先輩」と裏で呼ぶようになった。 ここ数日、雨が続いてる。沼には近づくなとホームルームはもちろん、授業で先生がかわるがわる言ってくる。近づきたくても沼に行くまでの道が水の下になってるはずで、そうまでして行くような用もなく、行くような場所でもない。 「死ぬって、どんなだろうね」 「え? 死にたいの?」 「そうじゃないけど…」 「興味?」 「あっ、そうそう、興味興味。たんなるね」 「ふうん」 この子は、この雨がやんだら学校に来ない気がする。理由は、これといってないけれど。 佐伯さんは今日も来て父と酒を飲んでいる。佐伯さんがこの家に来る理由を私は知ってる。父は佐伯さんとの会話に飽きたのかテレビで野球をみはじめた。それを合図にか、母が台所から居間に来て佐伯さんの相手をはじめる。佐伯さんが、佐伯さんの目が、ちょっとヘンだ。いけない目だ。いけない目で母をみてる。母は佐伯さんのその目をじっとみかえす。同じくらいにいけない目で。私は自分の部屋に行く。さっさと階段を上がっていく。汚染から身を逃がすようにすばやく、すり抜けて、あざやかに。すぐ自分の部屋、引っ込んじゃって、なんて言われない。むしろ早いとこ行ってくれないかって思われてる。あの目が、私に向いてこないことがせめてもの救いだ。 梅雨の寒さって嫌いだねえ。蒸し暑くってやんなっちゃう。表面上ひとまず取り繕ってクラスの子たちには合わせて言うけどそんな生ぬるいのじゃなくってもっと高尚な嫌悪。ほらね、やっぱりあの子、学校来なくなっちゃったでしょ。 「ああ、ちょうどよかった」 何がちょうどなのかこっちがわからずとも先生にはわかってるみたい。 「帰りにこれ、届けてやってくれんか」 何枚かのプリントをよこしてくる。なんで?心のなかで思う。なんで?私に頼むことへの疑問じゃない。なんで?あの子… まだ… 生きてるの?っていう疑問。 「頼むなあ」 のんきに言われる、背中で。先生と呼ばれてる生きものは、背中でものを言うのが上手い人たちの集まりだ。きっとそういう人がなっていく職業なんだ。 帰り、あの沼に行く。沼のほとりで辺りをみまわす。カバンを開けて先生からあずかったプリントを、みいんな沼に沈めていく。 「きちんと届けたからねえ」 沼からは、返事は聞かれない。姿はみえない。でもカッコウの声は、遠く響く―
近所で、車の盗難があった。 その家は二台のレクサスを所有しており、どうやら持ち去られたのは、より高額なモデルの方らしい。 警察も保険会社も手が出せない、プロによる完璧な犯行――近所では、そんな畏怖を込めた噂がまことしやかに囁かれていた。 だが、持ち主である男の反応は少し違った。 被害後、男は予想以上の補償を受け取ったらしい。盗まれたものより格上の新車を一台買い足した。さらに、以前よりも遥かに頑丈な、最新鋭のシャッター付きガレージを新設したのだ。 奇妙なのは、あの日、自宅の監視カメラに何が映っていたかだ。 死角など存在しないはずの敷地内。しかし、犯人の姿も、車の影さえも、映像には一片のノイズすら刻まれていなかったという。 ――真実は、闇の中だ。 新しいガレージの中で、男は以前よりもずっと愉しそうに、新車を磨き上げている。 そこへ、隣に住む老夫婦が遠慮がちに声をかけた。 「盗難なんて、本当に物騒な世の中になりましたね」 「いやあ、参りましたよ。まさか、こんなに簡単にね。あはは」 男はさも他人事のように、軽薄な笑みを浮かべて返す。そして、老夫婦が背を向けた瞬間、男は自分にしか聞こえない音量で、小さく呟いた。 「本当に、こんなに簡単だとはね」 その歪んだ歓喜を刻む笑みを、新しく取り付けられた監視カメラのレンズだけが、無機質な瞳となって冷ややかに見下ろしていた。
「旅行へ行こう!」 「行こう行こう!」 盛り上がる友達。 「すまぬ。某は、ここを出られぬ故」 断る某。 「Tっていっつもそうだよな」 「東京の人は、東京に来いって言うばかりで、自分からはいかないよな」 呆れた顔で去っていく友達。 某は、窓から外を見た。 東京の街はいつものように、黒い邪気によって囲まれていた。 東京生まれ東京育ち純潔の都民にしか見えぬ、東京の正体だ。 「許せ、友たちよ。某、邪気の外に出ると死んでしまうのだ」 東京の汚い空気を吸って育った人間は、綺麗な空気を吸うことができない。 肺が、東京の外の人間とは異なる進化をしてしまったのだ。 某だって、外の世界を見てみたい。 「破ァーッ!」 手に力を込めて、邪気に向かって波動を放つ。 しかし、邪気に一瞬穴が開いただけ。 すぐ塞がって元通り。 数日後、友達からメッセージが届いた。 『富山の海鮮美味すぎ』 某は、精一杯の強がりを込めて返信した。 『東京でも食べれるよ』
公園のベンチに、白髪の女が座っている。 女はスマホを眺めながら、小さなため息をついた。 「どうした、そんな顔して」 顔見知りの男が声をかけた。 「あぁ、あんたか。いや、娘から連絡があってな」 「疎遠になってる娘か?」 「結婚して、子どもが生まれたんだ。顔見にこいって」 「おぉ、よかったじゃないか」 女の隣に、男が座った。 「金がないんだ。電車代と、孫になんか買って行かんと」 「それもそうだな」 「あんた、金貸してくれ」 「ダメだ。今日の軍資金がなくなる」 男は笑いながら指差した。 「そこの路地んとこに、店があるだろ。そこ、買い取り屋だから何か売って金にしろ」 「はぁ……売れるもんない」 「孫が生まれて嬉しい気持ちを売ればいい」 「そんなもん買ってくれるのか」 「半分だけならいいだろ」 女は、路地裏にある買い取り屋の扉を開けた。 「どうだった?」 「半分だけ買い取ってもらった」 女の頬が緩む。 「じゃあ、今から孫のとこ行くんだな」 「ん……今日じゃなくていいだろ。軍資金も入ったし、ちょっとだけ行くか」 「お前なぁ……」 自動ドアが開くと、賑やかな音楽が聞こえた。 女は軍資金を胸のポケットに入れ、いつもの台に座った。
最近になって、自分の身代わりを生成できるようになった。 どのようにしてできるようになったのかは正直なところ、あまり覚えていない。 ただ、嫌な出来事があったときに身代わりは決まって現れるのだ。 今日も仕事でミスをして上司にガミガミと文句を言われているとき、僕が抜け出したいと強く念じると身代わりは現れた。 「あとはよろしく」と身代わりに告げて、僕は会社のビルの隣にあるカフェへと向かう。 一度だけ振り返ってみたとき、身代わりはペコペコと上司へ頭を下げていた。 初めのうちは自分の身代わりが怒られているのも不愉快だったが、もうずいぶんと慣れてしまった。 軽快な足取りでビルのフロントを抜ける。誰も僕を気に留めることはない。 彼女を見つけたのは交差点に差し掛かった時だった。 毛先まで真っ白な髪からのぞく、少しとがった耳。あどけなさの残る顔立ち。 その手にはラージサイズのアイスコーヒーが握られている。 一目でわかった、同じ課の神谷さんだ。 その、アニメに出てきそうなほど整った顔立ちと誰よりも課にいる歴が長く、年齢不詳であることが相まって、裏ではエルフなどと呼ばれている。 僕は交差点の向かいから渡ってくる彼女の顔をまじまじとみつめた。 彼女は段々とこっちに近づいてくる。 いいや、きっと気のせいだ。 身代わりがある以上、僕のことは誰からも見えていないはずだ。 それでも、彼女はこちらへ歩を進めてくる。 彼女はついに、僕の目の前で立ち止まり、まっすぐ僕の目を見て言った。 「アンタねえ、この前も言ったけど、その身代わり癖やめた方がいいよ。ほんと、私みたいになっちゃうから」 抜け出そうとしたところで少女のように小さい手でガッと肩をつかまれる。 「今日は逃がさないよ。ほれ、戻りな。」 気が付くと目の前には、見慣れたフローリングと革靴があった。 頭上からは上司の声が絶え間なく降り注いでいる。 誰にもばれないよう、ちらっと部屋の隅を見るとそこには、虚ろな目で耳に受話器をあてるエルフの姿があった。
この道を歩くのが好き せまい道 自転車が来るとあぶなくて だから、あんまり通りたくない なんて子も でも、わたしは この道を歩くのが好き よろこびにあふれた桜並木も いいと思う けど、この道みたく ちんまり咲いてる桜も わたしは好き 梅雨のこの季節 あじさいが いい雰囲気 でも、傘さしてるとね すれちがいがね お天気の今日 この道を ふたりで歩く おんなじクラスのアイツと 肩を折るみたいにして歩く ただでさえせまい道 アイツとは歩きづらい わたしの右の肩が アイツの腕に ちょこちょこふれる ふれないように 意識するほど なんでかな ふれてしまう ヘンに、ドキドキしてしまう アイツは、どうなの? わたしだけ、なの? あじさいを見る余裕 今日はなかった でも、わたしは この道を歩くのが やっぱり好きだ
power gate パラレルワールドの並行世界は多重銀河の片隅で胎動を刻む、他意は無い。 神々のシンパシーで紡がれし物語の叙事詩がギアの歯車に油を差すその場しのぎ、人々は罪と罰を課す。五感と脳裏にフラッシュバックする過去の黒歴史が走馬灯に蘇るサブリミナル……詩人跳す。 地球が生まれて幾多の日々が過ぎゆく浪漫、森羅万象の輪廻転生は死生観を黄泉涅槃に司る悪戯の中で時を貪る? 天秤は「達観」、「矜持」、「煽動」のディレンマに苦悩する革命忌憚を魂の故郷に贖い礎を証明する……賽は投げられた、聖戦ージ・ハードーの大戦役は否応無しに再開しては母なる大地に咆哮を預言者のユグドラシルに冒された血族の王。 儀式 類人猿からの智慧は生命の雄々しき息吹きの進化に馳せる、新時代へのパス・コードは愚者足り得るのか、答えは慟哭の空へ還る寂寞と情景が知る、旅人の舟路は流離う世捨て人のエゴイズムを彷彿として大日本人の軌跡を絆に結ぶ。 君、死にたまふことなかれ。 希望の灯火を絶やさず開拓精神を覚醒されし自由民主主義国家の政治・経済へと羅針盤のコンパスの指針に白地図を汚す傲慢と偏見? ISMは普遍的な感情論に自我を餞に忘却された企業努力の賜物。最愛の謎は解かれた理想郷「再建のネバーランド」にプロパガンダのプラグを接続し大自然の恩恵を約束した千切れた聖書の歌、新約、旧約をアダムとイヴの申し子へと未来への警鐘へ紡ぐ真理。墓守りが泣く。 文明開化の鐘が高鳴る余命宣告は魔獣を悪夢の鉄檻から開放する! 演者、力む 株価上昇に伴う地球規模のノストラダムスの不平・不評が伝記を物々しき古来人の産物へとナスカの地上絵の様な閃きを欲す。 UMAは打診する、薄明の翼をはためかせては哀しみへと回廊を「怨恨」、「駆逐」、「布教」のキリストの子孫、祖先ごと武力介入にせしめる! 力の誇示と呪縛洗脳の日夜における予定調和を言霊に宿し文章を生成する我流の天上天下、来訪者に虎視眈々と享受したパンドラの匣=厄災を物語る謀略の宵風。 自信過剰に基づいた性の格率が沈まぬ二つの太陽、創世主と統制の在処は秘宝のパスルのピースに抱擁す断片達、四季が雄々しく追憶のアークを激昂すべからず色褪せぬ攻防を叫ぶ。バトンの襷が心ノ臓に交錯夢想を叶えし集う空の逆境へ旋律、奏で「不屈の魂と芸術は爆発、ニライカナイより」 多幸感、ドーパミンの過剰分泌→英雄が眠る契りをいとをかし! 「交信の黄昏に酔う、万事休す」 ビッグバンと勝利者達の現実ーREALーと重荷の鎖へ仮初め、平和は否応なしに牙城を崩落、東西南北老若男女の引導を渡す楽園の扉は堅し! 終焉の銀河がチェックメイトとピカレスク・ロマン&偉人先人と専売特許を手駒に出揃えるキング、クイーン、ジャックのしもべを召喚した夜闇に啄む黙示録。 狂犬、忠犬の疾走本能とは縄張りの群れをなす行水、冤罪の輪舞曲と商人が「富」、「名声」、「啓司」を掴む光の化身に変身しては自由自在に刮目する。 命懸けの戦い……ハッピー・エンドの現代科学は細胞、血液、DNAの素粒子に遺伝子を残す適者生存の宴。名誉挽回が覇皇の座椅子に栄光の日々を架け橋に描く自問自答との打開策、我ここにあり、不可能を可能にしたジャポニスムの独立宣言。不老不死の薬に遺書と社会の愚問を定義に信仰した最後の口付け、天使はこだまを育てる。 ピリオドとの特異点の空想
街灯が爛々と灯る街並み。 友人や家族、恋人と笑い合う声が響く夜。 けれど、僕の心は影に飲み込まれたように沈んでいく。 替えのきく歯車として、 社会の中で生きていくしかない自分に嫌気がさす。 この世の中に100%の恨みがある訳じゃない。 この世の理不尽だけでなく、己の無力さを恨んでいる。 今、ここに至るまでに何度もチャンスはあったはずだ。 自分が立つ足場を強固に固め、揺るがないものにする機会は何度もあった。 それを見逃してきたのは、紛れもない、 ー自分自身だ。 街は、いつだって朝を迎える。 日が沈めば、夜が訪れる。 そのサイクルは、何があろうと変わらない。 それは僕たちだって同じ。 朝日が登れば、目を覚ます。 太陽が明るく僕たちを照らす間は、学ぶ、働く。 月が昇れば、眠りにつく。 そんな時間の繰り返しが、人生というものだ。 街はまもなく眠りにつく。 僕も同じ。 帰ろうか、我が家へ。 考えに耽る前と変わらぬ足取りで。
教授の単調な声が、古びた大教室の空気を重く湿らせている。 再履修組の掃き溜めのようなこの講義において、熱心に板書を取る人間など一人もいない。窓の外の陽光だけがやけに明るく、埃を照らし出している。 右隣で、友人の佐藤が不意に肘を突きつけてきた。 無言でそちらを向くと、佐藤は顎をしゃくって、さらに右前の席を指した。 「おい、見ろよ」と、視線で合図を送っている。 指し示された先には、一人の男子学生が座っていた。講義中だというのに、彼は背中を丸めて豪快に腕を組み、深く俯いている。目を閉じ、首は不自然な角度で固定されていた。 ――寝ている。しかも、かなり深く。 しかし、この授業で生徒が寝ているのは何も不思議な光景ではない。現に今、講師は黒板に向かったまま、堂々と腕を組んで眠り込んでいるその学生を一度も振り返ることすらない。やる気のない教師と、それに応えるようにやる気のない学生たち。ここが掃き溜めであることを証明するような日常の風景だ。 僕が軽く肩をすくめて同意を示すと、佐藤は必死に肩を震わせ、今にも噴き出しそうな笑いを堪え始めた。 再びその学生へと視線を戻したとき、僕はその「異常」に気づいた。 その男の下唇が、異様に光っている。 それは単なるテカリではない。まるで、高級なガラス細工のような――不気味なほど鮮烈な反射を、午後の陽光の中で放っていた。 「……おい、あれ」 僕が小さく呟くと、佐藤がこらえきれずに咳払い一つで笑いを誤魔化す。 光は、ただ反射しているだけではなかった。 男の唇から、その粘り気のある光沢が、ゆっくりと……本当にスローモーションのように垂れ落ちようとしていた。それは一本の細い、しかし意思を持った銀色の糸のように、重力に従って机の端へと伸びていく。 「……切れねえな」 佐藤が震える声で囁く。僕らは肩を震わせ、笑いを堪えるのに必死だった。 あと四十分。この銀糸がどこまで伸びるのか。 その時、彼は不意に深く息を吸い込んだ。 ――あ、と思った瞬間だった。 銀糸はピーンと張り詰め、次の瞬間、音もなく彼の口元へと弾き戻された。彼は満足げに鼻を鳴らし、再び深い眠りにつく。 銀色の糸は、こうして跡形もなく彼の中へ回収された。 僕らは顔を見合わせ、また静かに教授の掠れた声へと戻った。この最高に退屈な時間の中で、一瞬だけ世界が少しだけ面白く見えた、それだけのことだ。
虫がいない。 公園に行って蜘蛛を取ってきて家に放しておこうかな。 僕は虫だ。 本の虫。 実際には集中力が弱っているのでミドリムシくらいの力しか出せない。 ヘラクレスオオカブトの豪傑達は海に山に大忙しだ。 ムシキング。 ムキムキング。 相変わらず何を言っているかわからない。 昆虫の王様は鳥に狙われながら殺虫スプレーをかけられ続ける。 酷いぞ。 泣けてくる。 頭のいい蟻はせっせと働き餌を巣に運ぶ。 キリギリスは税金が怖いが昼夜を問わず一生懸命遊ぶ。 蝶は畑で花粉を運ぶ。 カブトムシは戦いに明け暮れる。 スズメバチは蜜蜂と勢力圏を争う。 昆虫から学ぶことは多い。 セミになれなかったミドリムシの僕は水分を求めてウヨウヨ動く。 それを観察する変態によってビーカーの中でもがく。 スポイトを使うのは得意だ。 なんか実験器具が欲しくなってきたぞ。 化学元素記号を途中まで本で読んで頓挫している僕は理科の先生に拳骨を喰らいそうだ。 理系でなくてスミマセン。 ダンゴムシ集めて口の中に入れていた子供時代。 素養はあったのだろうか? 夜尿症がなかなか治らなかった。 虫を殺していたからだろうか? 生命との調和。 虫も殺さぬような顔でとはよく言ったものだ。 今日も顔にダニを纏い猫のノミに話しかけられ暮らす。 虫万歳。
さらら→いヴ 教室の空気は、いつも少しだけざわついている。 掃除場所を決める時間になると、そのざわつきは決まって濁る。 「トイレ掃除、誰か必要なんだけど」 誰かが言う。 誰も目を合わせない。 気まずい沈黙で空気が重くなる。 その沈黙を破る役は、いつも月詠さららだった。 「……私でいいよ。やるよ」 声は落ち着いていた。 本当は一年生の手伝いがしたかった。 でも、そう言えば場が丸く収まる。 そう思って、今日もまた“平気なふり”を選んだ。 「助かるー」 軽い声が返ってくる。 ありがとうの一言もない。 その瞬間、胸の奥に小さな穴が開く。 さららは気づいていた。 自分が“本当にやりたい”と言ったことなんて、ほとんどない。 いつも、誰かのために形を変えてきた。 そのたびに、心のどこかが削れていくのを感じていた。 今の心の大きさは普通じゃない。 放課後、誰もいない廊下を歩きながら、さららはふと立ち止まった。 窓の外は寂しく降る雨で、校庭が湖化している。 その景色を見ても、心は少しも動かなかった。 「なんで、こんなに疲れてるんだろう」 声に出すと、胸の奥がじんと痛んだ。 虚しさは、もう隠しきれないほど膨らんでいた。 そのとき、ふと気づく。 自分はずっと“誰かのための役”を演じてきた。 本音を言えば嫌われるかもしれない。 空気を乱すかもしれない。 そう思って、何度も飲み込んできた。 でも その役を演じ続けてきたのは、誰のためだったのだろう。 さららは窓に映る自分を見つめた。 そこにいたのは、優しいけれど、少し疲れた顔の少女だった。 「……もう少しだけ、自分のこと大事にしてもいいよね」 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。 ただ、自分の心にそっと置いた、小さな本音。 雨の中、さららの傘を濡らす。 その傘は、今日だけは少しだけ明るく見えた。
【晴れときどきくもり、つごうにより回想 その二】 一緒に暮らす前までは、週末、お狐さまが僕の部屋に来て、泊まっていったり泊まっていかなかったり。あるいは、歩いて十五分くらいのとこにあるお狐さまのねぐらのあたりまで僕が送っていったり、僕の部屋の玄関でその日のサヨナラをしたり、とそういった具合だった。何度目かの僕の引っ越しのタイミングに合わせお狐さまと一緒に暮らすことにした。まだ契りは結んでいない。ゆくゆくはそういうことになるのかもしれない。 何度、引っ越ししても過去の生活とあまり変わらないのは小さな街のなかだけで移動してるから。僕もお狐さまもこの街の生まれではないのに生まれ育った土地よりいまいるこの街が好きなのだ。本当にうまい具合に毎度、近場に空いた部屋が出てきてくれて、するするすると引っ越しまでをあわただしくすごす。 お狐さまは性格そのままにさっぱりした荷物で、その量は僕のそれよりも少なく、心配になってしまうくらいだった。 ―必要であれば、そのとき買えばいいんじゃ 言ってお狐さまはさっさと自分の荷物を運び入れ、あっけなく自身の引っ越しを終わらせたのだった。 ・ 仕事終わり、何はなくとも疲れたカラダをスーパーへ運んでいく。 お狐さまとの生活がはじまった場所は、いままで「駅の向こう」と呼んでいたあたりで、そこがそのときから「駅のこっち側」になった。こっち側には赤と黄色が眩しいスーパー「39ベリマッチョ」があって、その店が近くなったことは僕たちを大いによろこばせた。 スーパー「39ベリマッチョ」は他のスーパー同様、惣菜が豊富だ。なかでも人気なのは「けつねコロッケ」。言ってしまうと人気の理由はそのネーミングによるもので、いたって普通、油あげに包まれたきつねコロッケだ。「いっこ98円」の横にきつねの絵。どことなくお狐さまを思わせるそのかわいいイラストにつられ、いつも買ってしまう。 買いものかごのなかは、大量の油あげと、そして「けつねコロッケ」。そりゃあ、言われてしまうよなあ。まったくあずかり知らぬところで僕はスーパー「39ベリマッチョ」の店員たちから「油あげの人」と裏で呼ばれているらしいことを知った。悪いことをしているのではないのだし、特売で数量制限があるときはそれを守ってかごに入れている。買って、一度スーパーを出て、また店に入って油あげを買い足すなんてこともしたことはない。でも、毎回毎回、油あげと「けつねコロッケ」ばかりでは、そうなってしまうのも致し方ないことなのか。けど、致し方ないとは言っても気にはなってしまう。スーパーの制服を着てる人がみいんな僕のことを指さして笑ってる気がしてしまう。買いものかごに油あげを入れる瞬間を見られてる気がしてしまう。「けつねコロッケ」をかごに入れた背後で、クスっと笑い声が聞こえたような気がした。振り返っても、誰もいなかった。知らなかったときには、そんなこと少しも感じなかったというのに。 「僕、あのスーパーで「油あげの人」って呼ばれてるらしいんだ」 夕ごはんのとき、お狐さまに言ったのは、苦情というのでも、嘆きというのでもなく、単なる報告としてだった。お狐さまは、 ―で、あろうな と、あっさり言っただけで、油あげに向かって箸を持った手を伸ばしていく。お狐さまの大好物の、油あげをフライパンで少し焼いて、適当な大きさに切って、皿にのせたらその上に小松菜とニンニクチップのしょう油漬けをかけていったもの。しょうゆ漬けは僕も好きで、なんにでも合うから冷蔵庫に常備している。僕は気分で厚あげにするときもあるけど、お狐さまは一筋に油あげばかりだ。 確かにそうなんだ。僕があのスーパーで「油あげの人」と呼ばれていてもいなくても、やっぱり僕はこれからもあのスーパーに行って大量に油あげを買うし「けつねコロッケ」だって買う。それでも少しくらい期待してしまう。お狐さまが、 ―すまぬな。苦労をかける とか言ってくれるのを。 いつも通りの会話の少ない食事が終わり、僕が食器を片そうとすると、 ―今日のとこは、わしが と言ってお狐さまが率先して食器を運びはじめた。 「でも、今日は僕の番だよ」 ―まあ、いいではないか こうなると引かないのを知っているから、僕はあっさり引き下がることにした。言葉のかわりなのかなと、お狐さまの照れ屋な一面を、僕は知ることになった。
暇だから電話番号交換している知り合いに電話したら怒られた。 なんか大先生が何かを中国で取ったのは初だとか何だとか言って僕を説き伏せていた。 それは僕の生活には直接は関係ないと言ったら(これから関係してくるかも知れない)海外の人にあなたは生活保護で馬鹿にされるよ、と言われた。 病気で働けない人を保護する制度なのに。 まあ煙草を吸っているが(それは反省材料) まあ要は自分の宗教に入らない穀潰しはいらない、という事を遠回しに言われたような気がする。 すごく怒っていた。 何か承認欲求を求めるように。 私はタクシーの運転手をやっていてあなたと同じ病気だけど働いていると言っていた。 親父が死んだことも知っていた(話したっけ?) 何か話していて冗談がなかった(余裕と遊びがないとも言える) 何か書いてて気が滅入ってきた。 僕の病気は治らないとも言っていた(中国は精神病患者が多いらしい何か関連があるのか?と勘ぐってしまう) 悪口を言いたいが宗教戦争になっても困るので詩を送ろう。 ちょっと面白くない詩かもしれない。 病んでる国に認められて病んでる人に病気治らないと言って自分も病んでて...思い付かない。 ようは病気なのだ(僕も向こうも) そっとしておこう。 いい詩が思い付くように今夜も寝よう。