背中の見方

下町の路地裏。 伝統工芸職人の男と、その妻が暮らしている。 「あなた、また来てるわよ」 「知らん。ほっとけ」 弟子入り志願の若い男が、玄関の脇に立っていた。 「弟子にしてください」 職人は気にせず、木槌でノミを叩いた。 「どうせ、続かん」 「話だけでも聞いてあげたら?」 次の日も、また次の日も。 若い男は、玄関の前に立った。 ──ガラガラガラ。 「入れ」 「ありがとうございます」 「続ける自信は?」 「死ぬ気で頑張ります」 妻が頬を緩めた。 「二階の奥の部屋を使って」 若い男は作業着に着替えると、職人の後ろに座った。 「師匠の背中を見て、精進させていただきます」 深々と頭を下げた。 職人の木槌を振る手が止まる。 そして、壁に貼ってあるQRコードを指さした。 「それ、俺の動画。それ見て覚えて」 「動画、私が撮ったのよ」 二人は、顔を見合わせて笑った。

かげふみ

今日も青い空のはるか高いとこから見下ろしてくる。 夏の真っ赤な太陽が、僕の足元に影をつくる。 濃く、短く。 これがもう少し短くなったら、きちんと気持ちを伝える。 あの子に、ちゃんと… でも、その決意はゆらぎ、黒い塊は、もっと小さく… さらに、見えなくなってしまい、影はその行き場を失う。 僕の気持ちも、どこへもって行けばいいのかと。 わからない― 僕が気持ちを伝えなかったとしても、何かが起きることはない。 何かが変わることだって… それでも― と、新たな決意もまたゆらぎ、影はじりじり短くなるばかり。 あの子が僕の気持ちを知らなくても、世界が壊れることはない。 壊れてしまうのは、僕のなかにある… けど―

避暑地

郊外にあるショッピングモール。 中央のホールに、老人たちが集まってきた。 「ここは涼しくていいわね」 「家でエアコンつけると、電気代がね」 老人たちは椅子に座り、世間話に花を咲かせた。 その光景を、二階のエントランスから店長が見渡した。 「よくもまぁ、こんなに……」 連日の猛暑。老人はさらに増えた。 「こいつら、赤っ恥かかせてやる」 閉店後、小さなステージを作り、入り口にくす玉をぶら下げた。 ──翌日。 店長がステージに上がると、何事かと人が集まった。 すると、入り口から見覚えのある老人が入ってきた。 ──ざまあみろ。 ひもを握る手に力を込めた。 そして、引くと同時に、マイクに向かって叫んだ。 「おめでとうございます! 三十日連続のご来店です!」 垂れ幕には、《電気代節約ご苦労様》の文字。 老人は垂れ幕を指さしながら、まわりの仲間たちに手を振った。 仲間たちが拍手で祝福をする。 「あぁ……」 店長は、冷たい風に揺れる垂れ幕を見つめた。

16:58/18:01

左目の近くの髪が曲がっている 朝着ていたシャツが汗臭い 虫よけを丹念に吹きかける 靴下に穴が空きそう。底の方 緑が盛り上がりを迎えている アリの歩く速度を人の大きさで考えてみたら急に恐ろしくなった 変な咳が出る 若い女性が皆可愛く見える 同世代の女性が皆素敵に見える 年上の女性が皆美人に見える いや実際にそうなんだろう 自分のお腹を見ては痩せようかなと思う もうすぐ秋かと思うほど暑い 皆が持ってる小型扇風機がマイクに思える。これから一曲歌うんじゃないかと。イントロ中なのではないかと。 トトロは本当にいるんじゃないかと思っている 子供が何か歌っている お爺さんも歌っている クーラーを作った人はノーベル賞をもらっているのだろうか 会話しながら電車に入って来る人 学生の話はいつも初々しい どんなに繕ってもどうして歳がある程度分かってしまうのか バッグにぶら下がっているぬいぐるみ達もラブストーリーはあるのだろうか 皆、限りある命の子 電車の中のアリは降りた先で帰ってこれるのか まだ知らないと言うことは知る楽しみがあるという事 ベテランほど白が似合う ベランダは思ったほど汚れない 泣いている他人の子供を心の中でなぐさめている 気持ち悪いオジサンにならないように気を付けるほど気持ち悪さが増す 何で生きてるんだっけ 草木が「バイバイ」をしてくれる 発車メロディを弾けるとは思えない 恋人の会話ほど聞く必要のないものはない 若い女性の居眠りが肩にかかるのは嬉しい オジサンの居眠りが肩にかかりそうになると頭を引っ叩く 電車内で小さな子が泣くのは気にならない。懐かしくて嬉しくなる。 革靴。あれはなんですか? ネクタイ。あれはなんですか? セーラー服。化石になっても残しておいたほうが良い スマホを見ながら歩いている人ではなく 歩いている人に持たれているスマホだ いつかお尻の食い込みをなおしたい ベランダに女性の下着が干してあると「ヨシ!」と思う 年配の方の物だろうという推測を振り切って 可愛い声に弱い 女性は皆、美しく 男性は皆、…………出てこない 好きにすればいいし 好きにしようと思う、出来れば。 とにかく今日も一日生きて帰れた そんなんで良いと思う 汗臭くなければ尚良し。

ぬりえの街 (掌編詩小説)

資本主義によって、色彩が失われた街 菓子袋は銀の下地だけへ 気分はモノクロ映画の中 このまま、モノクロの世界へ このまま、色彩の潤いを捨てて このまま、下地を抱き寄せて シンプルさの権化となって 誰かに染められるのを待つ ただの街 (完)

木の陰のドキドキ

放課後、中学の友達とイオンでドーナツを食べながら何でもない話で盛り上がり時間を過ごした 私だけ違う方向だったので一人で歩いて帰る 帰りに公園に寄ることにした 最近、野良猫が住み着いたのか行けばサビトラの猫がどこかにいた。人懐っこく近付くとにゃあにゃあ言いながら寄ってくる。 公園に着いて猫を探していると公園の向こう側にあるラブホテルから母が男の人と出てきた 母は女性らしい表情をして、女の人って感じだった。あまりにも衝撃的だったので、今思えばそんな感じに見えた。ということだけど。相手の男性は優しそうな人。お父さんより若い気がする。スラッとした人で確実にお父さんより痩せている。 私は驚いて木の陰に隠れた 胸がドキドキして喉から飛び出てくるんじゃないかって思ったほど。 もう一度見ようと木の陰から覗くと母と男の人が公園の中に入ってきた私の近くに来て、私が隠れている木の側で立ち止まって「次はいつ会える?」「離れたくないな」と母が言う。 ここからどこかへ飛んで逃げたいと何度も思った 気が付くとサビトラの猫が私に気が付いて凝視している。あの人間はあんな所で何をしているんだ。みたいにこちらを見ている。 母と男の人はどこかへ行ってしまい私はコソコソと家に帰った。 家に帰ると兄が既に帰っていてリビングで勉強をしている。私が帰ってきたのを見ると「何か作ろうか?」と聞いてくるので「まだお腹減ってない」と自分の部屋へ逃げ込んだ。 その後直ぐに母が帰宅し、急いで夕飯の支度をしているようだった あれから一週間たつが、いまだに母に聞くことが出来ない。あれから母が気になってしょうがない。父とも普通に話しているし誰も、私ですら母が不倫しているとは信じられない。 今も公園の木の陰で母を見ている 前回二人が約束していた日のあのホテルの前で。足元でサビトラが私を見上げている。

卒業式前に倒れた伝説の木

 うちの学校には、伝説がある。  卒業式の日、校庭のはずれにある大きな木の下で告白をしてカップルになれば、その二人は永遠に結ばれるという伝説だ。   「やるぞ!」    卒業式まで一週間。  私は、片想いしている光君に、伝説の木の下で告白する決意を決めていた。    卒業式まで三日。  ピカピカゴロゴロ。  ガラガラドッシャーン。  近年まれにみる暴風雨の中、雷が伝説の木に落ちて、伝説の木が倒壊。    卒業式まで二日。  私は快晴空の下、ニチャニチャの校庭に立って、唖然としながら倒れた伝説の木を見ていた。  伝説の木は根元からぼっきり折れていて、切り株の頭は真っ黒に焦げている。  立ち入り禁止と書かれたテープが貼られて、伝説の気に触れるほど近づくこともできない。   「なんでこうなるのよー!」    私の絶叫がこだまする。   「いやー! 光君に告白するつもりだったのにー!」 「私の光君がー!」 「どうして光君との恋路を邪魔するのー!    私の周りにいる女子たちの絶叫と合わさって、見事なオーケストラとなっていた。    卒業式まで一日。   「いい? 私たちは敵同士」 「でも今だけは」 「協力しましょう」    私たちは、伝説の木があった跡地で、スクラムを組んでいた。  生徒の安全を優先したのだろう、伝説の木はすでに撤去済み。  残されたのは切り株一つ。  立ち入り禁止と書かれたテープもなく、切り株には近づき放題だ。   「絶対伝説の木を復活させるぞー!」 「おー!」    私たちは、お小遣いをはたいて買ってきた紙粘土で、伝説の木を復活させ始めた。  切り株を覆う、白い塊。  私たちは脚立を使って、白い塊を上へ上へと伸ばしていく。   「まずい、左右のバランスが……」 「そこ! この石入れて! 重さのバランスをとる!」   「やばっ、上の方がぐらぐらしてきた」 「下側をねんどで補強! タワーみたいに、上に行くほど細くして!」    積み上がっていく紙粘土には、美術部の女子が着色をしていく。  白からこげ茶色へ。  数百年の歴史を持った伝説の木が、天国から現世へと蘇って来る。        卒業式、当日。   「できた」 「できたわ」    私たちは固い握手を交わしながら、涙を流して互いを称えた。  制服はシワシワ、掌はカサカサ。  これから告白する姿としてはゼロ点だが、伝説の木を復活させた事実は百億点満点だ。   「じゃあ、後は」 「ええ。正々堂々と戦いましょう」    そして私たちは、家へと走った。  お風呂で全身を綺麗にし、アイロンのかかったぴかぴかの制服に袖を通し、ついでに香水をひと振りする。  男子なら誰でもメロメロになるという、最近噂のやつだ。  使える物は、何でも使う。    私は卒業式の準備を整えて、再び学校へ戻った。  通学路を歩いていると、戦友たちの顔が見えたので、ウインクして互いの健闘を祈り合った。   「ふう。……よしっ!」    ラブレターは、鞄の中。  私は気合いを入れて、最後の校門をくぐった。   「ずっと好きでした! 俺と付き合ってください!」    その瞬間、光君の声がした。  すごい勢いで首を回すと、伝説の木の下に、二つの人影が見えた。  一つは光君。  もう一つは、光君と一緒に学級委員をやっていた影子ちゃん。    影子ちゃんは顔を赤くしながら口を両手で押さえ、目に涙を浮かべながらこくこくと頷いていた。  光君は、心底嬉しそうな表情で、影子ちゃんに抱き着いていた。       「え?」       「え?」         「君、昨晩おらんかったやん」        卒業式の日。  新たな伝説が生まれた。  伝説の木は、愛の力で蘇る。  例え倒れたとしても、真実の愛を持った二人が近づけば、再び美しい姿を見せるのだと。  それは、光君と影子ちゃんが生み出した、奇跡の伝説。       「『カップルなんてぶっ殺』、歌います!」 「いえーい!」 「ぶっ殺! ぶっ殺! ぶっ殺おおお!」 「ふううううう!」    卒業式の後。  私たちはカラオケで、腹の底から叫び合った。  伝説の木とか、マジくそくらえ。

祝。はーちゃん。ハジメ。橘さん。はじめちゃん。 名前を呼ばれると、安心する。 呼び方は違っていても、それはどれも私を指している。私を私たらしめる、私だけのものだ。 夜は嫌いだ。 昼のあいだ作業をしていた机が、夕日とともに暗がりへ沈んでいく。そこで作業をしていた私も、少しずつ消えていく。 抗うように部屋の明かりをつけても、窓を見れば、闇がにやにやとこちらを手招きしている。 「祝、ごはんよ」 母の声がする。 まだできあがりきっていない料理を横目に、棚から皿を取り、箸と一緒に食卓へ並べる。 私の名前を呼ぶ母の声。煌々と光る、部屋の中の太陽。湯気を立てる温かい料理。 私は、この時間が好きだ。 食卓に皿を並べ終えるころ、鍋のふたが小さく鳴った。 「はーちゃん、それ取って」 母が示した先に、布巾があった。 はーちゃん。 さっきまで祝だった私は、今度ははーちゃんになる。 呼び方が変わるたび、違う私が生まれるようで、それでも不思議と、どれも嘘ではなかった。 布巾を渡すと、母は何も言わずに鍋をつかんだ。 家族のあいだでは、言葉にしなくても済むことが多い。けれど、それは言葉が要らないのではなく、これまで交わしてきた言葉が、目に見えないまま部屋に積もっているからなのだと思う。 湯気と一緒に、醤油の匂いが立ちのぼった。 「今日は何してたの」 「別に。いつもと同じ」 いつも違う『いつもと、同じ』 机に向かっているあいだ、何度か自分が何をしているのか分からなくなった。画面の中には作りかけのものがあり、その隣には調べかけの言葉があり、もっと隣には返信していない誰かの名前があった。 どれも私が始めたものなのに、並べてみると、私よりも私らしく見えた。 けれど、それをどう説明すればいいのか分からなかった。 「そう」 母はそれ以上聞かなかった。 箸が器に触れる音。 テレビから流れる、知らない街のニュース。 窓の外では、相変わらず闇がこちらを見ていた。けれど食卓の中までは入ってこられないらしい。 私は味噌汁を一口飲んだ。 舌で温もりと母の愛を感じながら、私はようやく、自分がここにいることを確かめた。 「祝、おかわりいる?」 母が聞いた。 私は少しだけ考えてから、うなずいた。 「いる」 その言葉が、今日いちばん自分で決めたことのように思えた。 ご飯をたべて、お風呂に入って、一時の忘却に耽れば、またあの時間が私を飲み込む。 真っ暗で、何も見えなくて、私だけを見るしかない時間。 私を呼ぶ声がなくなり、私を私と規定するものがなくなる。 「祝」 試しに、自分で呼んでみる。 声は暗い部屋の中で小さく跳ね返り、すぐに消えた。 母が呼ぶ「祝」とは違っていた。 友達が呼ぶ「はーちゃん」とも、先生が呼ぶ「橘さん」とも違う。 私の口から出た名前は、誰か知らない人のもののように聞こえた。 名前は私だけのものだと思っていた。けれど、本当は誰かに呼ばれて初めて、私のところまで届くものなのかもしれない。 私は布団の中で身体を丸めた。 暗闇はやはりつめたくて、残酷なほどやさしい。 何も見せない代わりに、何も隠してもくれない。 昼間にうまくできなかったこと。 言えなかったこと。 途中で投げ出したこと。 それらが、目を閉じるほど鮮明になっていく。 私はいったい何なのだろう。 机に向かっているときの私。 皿を並べているときの私。 誰かに名前を呼ばれて振り返る私。 そのどれもが私なら、それらがなくなった今、ここに残っているものは何なのだろう。 廊下の向こうで、床が小さく鳴った。 母の咳が聞こえた。 冷蔵庫がランダムなステップを踏み、遠くで水道管が騒ぎ出す。 誰も私を呼んではいない。 それでも、家の中にはまだ誰かが生きている音があった。 私は布団から片手を出し、枕元の明かりをつけた。 眩しさに目を細めながら、机の上に置いていたノートを開く。 白いページの一番上に、ゆっくりと書いた。 祝。 その下に、少し迷ってから続ける。 夜が怖い。 文字になった途端、それは私から少し離れ、私が見ることのできるものになった。 私はもう一度、自分の名前を見た。 誰かの声ではない。 けれど確かに、私を呼んでいる。 今夜だけは、私が私を呼ぶ番だった。

する満足、される我慢。

郊外のアパート。 母親と、幼い二人の子どもが暮らしている。 「こんなこと言える立場じゃない……」 壁にもたれ掛かりながら、スマホの画面を覗いた。 そこに映る、満足げな顔の人たち。 母親は、迷った指でタップした。 数日後、荷物が届く。 「ママ、開けていい?」 「いいよ」 「お菓子あったよ」 箱の中には、食材と数年前に流行ったキャラクターのTシャツが入っている。 「月末まで……これで何とか」 子どもたちがお菓子を頬ばった。 母親はレトルトを手に取り、裏を見て苦笑う。 「……食品ロスには役立ってる」

鞄が被る

 鞄が小学生と被る。 近所を歩いてる人と被る。 人民服のようだな、と思う。 僕の流行遅れの鞄。 いや、流行なんて今は無いか。 イオンモールのボディバッグ。 イオンモールにすら行かない。 個人の無個性化。 日本は単一民族じゃなくて均一民族だと思う。 今日も列島は暑い。

作家は経験したことしか書けないから童貞は夜の描写ができない

「なんてことだ!」    天才恋愛作家として名を馳せた俺。  いよいよ童貞主人公とヒロインが結ばれ、ハッピーエンドの初夜を描こうとしたのだが……書けなかった。  いつもであれば指揮者のごとく滑らかに振るわれるゴッドフィンガーも、先程から石化でもしたかのように動かない。  おう、まい、ごっど。    俺の頭の中に、一つの言葉が浮かんでくる。   『作家は経験したことしか書けない』    という残酷な一文。    確かに俺は童貞だ。  認める。  だが、夜の描写は、エロ動画を何度も見て履修済み。  書けないはずがないのだ。    気分転換にコーヒーを飲んでみても、筋トレをしてみても、状況は変わらず。  文字数が一文字たりとも増えることはない。  頭をこねくり回し続けること一日。  俺はようやく原因がわかった。   「はっ! まさか、エロ動画にはどちらも初めての役者がでてこないから、俺は初夜が書けないのか!」    俺は絶望した。  あまりの絶望に、壁に向かって倒立をし、バランスを崩して床に倒れた。   「あーっはっはっは! まさかこんなところで、天才恋愛作家である俺が壁にぶつかるとは!」    もはや笑うしかなかった。  俺は床に大の字になって、狂ったように笑った。  口の中が空からになるまで笑いつくした後、俺は天才としてのプライドを護るために決めた。   「よし。恋人作って初夜を経験しよう」    完全に狂っていたが、今の俺にはこれ以上の案が出てこなかった。  そうと決まれば、俺は担当編集に電話をかけた。   「もしもし?」 「初夜を経験したいので、女の子紹介してください」 「……からかってるなら切りますよ? 私、こう見えて結構忙しいんですよ」 「本気です!」 「本気ならさらに切りたいです。そんなに経験したいなら、夜のお店にでも行ったらいいじゃないですか」 「何を言ってるんだお前は。夜の店だと、相手は初夜じゃないだろう」 「何を言ってるんだお前は」    担当編集に今までのことを説明すると、担当編集は渋々納得してくれたようで。  電話を切った後、近くで行われる街コンの情報をメールで送ってくれた。    担当編集の好意は無駄にはしない。  俺はさっそく一丁裏に着替え、街コンへ繰り出した。    そして撃沈した。   「うえっ……うえっ……うおおおおおおん!」 「はーい、よしよし。泣かないでください」    まさか、街コンがあんなに恐い場所だったとは。  話しかければ苦笑い、酷い時は無視。  天才恋愛作家の俺の心は、雑な宅配業者に運ばれたポッキーやプリッツ並にバキバキだった。  最近降られたバキバキ童貞もこんな気分だったのかと思えば、バキ童チャンネルを見てまた泣いた。   「大丈夫ですよ。恋人を作る手段は、街コンだけではありません。合コン、マッチングアプリ、出会いバー。好きな物を選んでください」 「ここまで来たら、なんでもやってやる!」    俺はがむしゃらに挑戦した。  そして全滅した。   「~~~~~~~~~~~~~」 「せめて声を出してください」    俺は三日間、執筆を止めて部屋に閉じこもった。  ご飯は全部マクドナルドのデリバリー。  時々すき家。  チーズ牛丼の美味しさが心に染みた。    三日三晩泣き叫び、いっそ清々しくなった心で机に向かう。  根を張ったように動かなかった手が、信じられないほどの速さで動き始めた。        その後、俺は完成した新作で、翌年のなんたら小説コンテストの大賞を受賞した。   「おめでとうございます、先生! いやまさか、もう体を重ねるだけってタイミングで、新ヒロインが登場するとは。こんなの誰も予想できませんよ。さすがは、天才恋愛作家」    俺はゴールドに輝くトロフィーを抱えながら、最高の笑顔で返事をした。   「まったく嬉しくない」    新作発売後のエゴサで見つけた一文は、未だに俺の心に残っている。   『この作者、絶対童貞w』

なかなかうまくいかないものね

喫茶店に入るや否や、彼氏さんは雑誌を手にしてしまう 私は悲しくなって雑誌から顔を上げてとお願いしないとならなくなる、というひと手間が発生する それを回避するため、お店に入る前、雑誌はダメだよ、と彼氏さんに忠告する 彼氏さんは言うことを聞いてくれ、雑誌には手を伸ばさない うれしい でもそこには、やっぱりひと手間があるという事実 なかなかうまくいかないものね なかなかうまくいかないように世の中はできているのかしら そんな世の中に、彼氏さんは加担しているとでも言うのかしら 私を困らせておもしろい? おもしろいよ、って言われるとつらくなっちゃうから私は聞けない そんなことまでお見通しなのかしら ほんと、なかなかうまくいかないものね

7月2日の憂鬱

 どうも、七月二日です。  人間に言いたいことがあります。    実は、一年の半分の終わりって、六月三十日じゃないんです。  七月二日なんです。  うるう年のときは変わるんだけど、四年に三回はぼくなんです  なのに人間と来たら、六月三十日に「今年も半分が終わりかー」っていうんですよ。    違う違う違う。  まだ、一日半あるんですよ。  ぼくが一年の半分だから、正しくは七月二日の正午が近づいたら、「今年も半分終わりかー」って言うべきなんですよ。    十代や二十代の人間が、「俺もうおじさんだー」「私もうおばさんだー」って言ってたらどう思います?  違う違う違う。  おじさんおばさんはもっと上からだよ、ってなりません?    六月三十日に人間が、「今年も半分が終わりかー」って言ってたら、「一年の半分はまだ先なんだよー」って思っちゃうんですよ。    よし。  ここまで言ったから、今年はもう大丈夫だよね。  ちゃんと、七月二日に一年の半分を振り返るよね。    ね?    じゃあ、ぼくは時を刻むという重要な仕事があるから、ここらへんでお暇するよ。  またね、人間。        頼むよ、本当に。

人生デトックス

 人生に疲れた。  人間の常識に合わせて、人間の決めたタイムスケジュールを守るのに疲れた。  だから、ポストに乱暴に突っ込まれていた『人生デトックス』というチラシに惹かれてしまったのかもしれない。    ぐしゃぐしゃの紙に書かれた住所をスマホで撮り、地図アプリを起動して住所の場所まで向かった。    着いた場所には、廃園済だろう幼稚園があった。  小さな運動場には誰もおらず、園舎の中からは歌声が聞こえる。  好奇心に負けて、窓からそっと園舎の中を覗き込んでみる。  そこには、おむつをはいた老若男女がいた。    どいつもこいつもだらけ切った顔をしており、大の字になって天井を見上げたり、積み木を積んでは崩したり、まるで本能のままに体を動かしている様だった。  いむつを吐いた変態たちに囲まれながら、制服に身を包んだ数人が、走り回って彼らの世話をしている。  オムツの中に小便をした人がいれば、慌てておむつを替える。  抱き着いてくる人がいれば、優しく撫でてやる。    子供がやっていたら、もしかしたら微笑ましい光景なのかもしれない。  しかし、全員大人だ。  全裸におむつの大人だ。  さらに、顔全体を隠すマスク付き。   「気持ち悪」    思わず後ずさりをすると、背中が誰かにぶつかった。  焦って振り向くと、そこには園舎の中にいる人と同じ制服を着た人が立っていた。  ぼくの方を見て、にっこりと微笑んでいる。   「人生デトックス希望の方ですか?」 「結構です!」    ぼくは逃げ出した。  後ろを振り向くこともなく、一心不乱に逃げ出した。  足音が聞こえないので、追いかけてくる様子はなさそうだ。    そのまま電車に乗り込んで、とにかく園のない場所まで逃げ切った。    近くのハンバーガー屋に入り、ハンバーガーとコーヒーを注文して、ぼくはようやく落ち着いた。  窓から見える歩道には、学生服に身を包んだ子供たちから、杖を突きながら歩くお年寄りまで、多様な人種に溢れていた。   「やっぱ、人生を生きることが一番のデトックスなのかもしれない」    何故か今日はコーヒーが苦すぎたので、追加でオレンジジュースを注文した。

天使と天使

クリニックの診察室。 男は困った顔で、ドクターに話し始めた。 「先生、時々、耳元で声が聞こえるんです」 「それはそれは……幻聴ですね。どんなふうに聞こえますか?」 「天使が二人、右と左で囁くんです」 ドクターはペンを止め、じっと男の顔を見た。 「天使と天使ですか。天使と悪魔じゃなくて?」 「はい。どちらも『自分が天使だ』と言い張ります」 ドクターは笑いをこらえ、咳払いをした。 「いや、失礼。珍しいケースですね。ふつうは善悪の対立があるものですが、両方が天使となると……判断が難しい」 「先生、僕はおかしいんでしょうか」 「おかしいというより、興味深い」 ドクターはカルテに走り書きをしながら、声のトーンを落とした。 「その二人の天使は、あなたに何を囁くんですか?」 「ポジティブな言葉を……『やればできる』って」 青年はうつむき、ため息をついた。 「ちょっと、うざいです」 「……わかりました。では、お薬を出しますから、様子を見ましょう」 「お大事に」 薬剤師から渡された紙袋には、耳栓が二つ入っていた。

水の底

三ヶ日駅のホームに立つと、耳の奥まで蝉時雨で満たされる。 「ふうう、今日は一段とチリチリすっなあ」 自慢の長い体毛がなびく。シロー・ムラサキは、赤茶に輝くその毛をはためかせ、駅舎のなかへと逃げ込んだ。夏の線路は、陽炎がゆれるほど。けれど、この駅の待合室は不思議と涼しい。ベンチに座って目を閉じると、浜名湖を大きく越え、猪鼻湖を抜けてきた風が、青い草の匂いとともに鼻先で遊ぶのがわかる。 ―ガタン、ゴトン 遠くから、列車が近づいてくる。ぼおう、とひときわ大きな口であくびをしつつシローが顔を上げると、真っ青な夏空を背景に、白を基調とした車体がすべり込んできた。降りてきた部活帰りの高校生たちが、笑いながら「あっちー!」と首をすくめるその様子を、シローはくりくりの青い目でやさしく見つめていた。 「お、いるじゃん、シロー」 「オレ、久々だわ」 茶化されてる。わかってもシローは、ぬいぐるみのようにそこにいた。 「うわっ、何やってんだ」 「わりー、わりー」 バッグのなかでゆさぶられた炭酸が、勢いよく泡を飛ばしたようだ。夏が一気に弾け、若い彼らをあわてさせる。そのさまを、微笑ましくシローは目を細め、ゆったりとした動きで、その手にあった三ヶ日特産のキミドリオレンヂからつくったジュースを喉へとすべらせていった。 若い一団が去り、いっとき静寂が。誰もいないことを覚えると、シローはひんやりとした床にお腹をぺたりとつけた。 ―これがスキだあ 外には灼熱の太陽。けれど、ここだけは水の底みたいに穏やかだ。 蝉のその声に抱かれるように、シローはそのまま、ひと眠りした。水の底へ、沈んでいくみたいに―

ラーメン(抜き)

『抜きの対応、始めました』    行きつけのラーメン屋で、妙な看板が上がっていた。  店に入ってカウンター席に着くと、さっそく事情を訊いてみた。   「大将。表の看板って?」 「ああ、実はな。俺のラーメンは、味のバランスを一から十まで拘りがあっから、今までトッピングの抜きは断ってたんだ。だが、何を抜かれようが旨いラーメンを出す。それこそが、ホンモノじゃねえかって思い始めてな」    人生、何度か転機があるものだ。  大将の場合は、今がそれなのだろうと、素直に感心した。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」    カウンターの左端に座る客が手を上げた。  大将がそちらへ向かったんので、俺はメニューを手に取った。  今日は何にしようか。  拘り味噌か、拘り醤油か。   「拘り味噌ラーメン。メンマ抜きで」 「あいよ!」    どうやら、さっそく抜きが頼まれたようだ。  ちらりと顔を見てみると、常連の一人だ。  いつもメンマを辛そうに食べるから、印象に残っていた。    メンマが苦手な人間でも、大将の旨いラーメンを最後まで美味しく食べることができる。  他人事ながら、何故か俺が嬉しくなった。    抜き。  シンプルだが、素晴らしいシステムだ。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」 「拘り味噌ラーメン。トッピング抜きで」 「あいよ!」    待て。  抜きすぎだ。  大将のラーメンはトッピングからにじみ出る味を加えて、初めて完成する。  それはもう大将のラーメンではなく、ただの素ラーメンだ。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」 「拘り味噌ラーメン。スープ抜きで」 「あいよ!」    おい、どこを抜いている。  それはただの油そばだ。  卵を落として、卓上調味料のオリジナルブレンドで味付けでもする気か。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」 「拘り味噌ラーメン。麺抜きで」 「あいよ!」    ラーメンのメンを捨ててどうする。  それはただのラーメン味のスープだ。  拘り味噌汁だ。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」 「拘り味噌ラーメン。茹で抜きで」 「あいよ!」    ジーザス。  それはただの……なんだ。  茹でる前の麵って何て言うんだ。    いつの間にか、大将が俺の前に立っていた。  なんだろう、今までにないプレッシャーを感じた。  まるで俺も、この大喜利のごとき抜きに参加しないといけないような、意味の分からないプレッシャーを。   「注文は?」    俺は逃げるようにメニューに視線を落とし、目に入った言葉を読み上げた。   「拘り味噌ラーメン。『拘り』抜きで」 「あいよおおおおおおおおおおお!」        俺の目の前には、器と箸だけが置かれた。    翌日、看板は撤去されていた。    ついでにあの日、カウンターに座っていた人間全員出禁になった。

あるべき姿

山の上の大きなお寺にほど近い無人駅 それを駅舎と呼ぶには、いささか無理があるその建物が まるで異世界への入り口のようにも見える そこにしかない静かな呼吸は見えず、けれど 目には鮮やかだ わたしたちが暮らしているところとはまた別の ヒガシノヒガシノヒノモトノクニ、というところでは この駅は、あるべきところに帰るのではなく あるべき姿に生まれる場所なのだ 一度だけ鳴った踏切の音に、わたしは、そっと目を閉じた 次に開けたとき、世界は鮮やかに、碧く染まって―

七月七日

「また来てくださいね~」 「はい、次の方こちらへ来てください…」 チェキを受け取りライブハウスを出ていく 今月は渋谷のこのライブ以外は地方で行けない。 ただ明日、七日に、年に一度のライブが大阪である。全国の地下アイドルが集まってイベントを行うのだ。スペシャル企画では、ファン投票で選ばれた7名が一夜限りのチームを組む、言ってみれば地下アイドルのオールスターチームだ。 絶対に行きたいが、バイトが休めず行けない。まぁお金も無いけど。 去年はバイトが休めたので行けた。 会場は有明だったのがラッキーだったと思う。 イベントは盛り上がり大いに楽しんだ。 帰り駅に向かって歩いていると、暗い路地に若い女性が間隔を空けて立っているのが見えた。何の変哲もない暗がりでスマホを見ながら5〜6人立っていた。そのうち、男性が来て一人の女性と話をしている。 (待ち合わせの人が来たんだな)と思っていると、今度はその隣の人に話しかけ、結局その二人は直ぐそこにあるラブホテルへ入って行った。 気にせず帰ろうと歩き出すと悲鳴が聞こえた。 切迫感のある悲鳴に思わず反応してしまう。 見ると、さっきの二人がホテルの前で揉めている。 男性は女性の手を引きロビーに引き込もうとしている。それを全力で抵抗しているさっき女性。 少し遠くて話の内容が聞き取れないが「たすけて」だけは聞こえた。 多分、どうかしていたのだと思う 地下アイドルの全国イベントで飲めない酒を飲んだのもある。地下アイドルオールスターセブンを見れて気分が高揚しきっていたのだろう。物販がパンパンに入った袋を持ったまま、僕は走り出していた。 ホテルのロビーに近づく 「今更駄目だとは言わせねえぞ。金払ったろ!」 「マジ無理。ヤダヤダ!本番はやってないって言ったじゃん!」 「うるせーよ!早く行くぞ!金なら払うから」 「誰がたすけて!」 気が付くと僕は男性にそのまま走って突っ込んだ。オジサンも僕もつんのめって床に倒れ込んだ。 「きゃー!」 「何だてめぇは!」 女性は走って逃げ去る 僕は我に返って「すみません」と謝って走って逃げた。オジサンは怒鳴っていて怖かった。家に帰ると推しのコップが割れていた。 苦い思い出にふけっていると渋谷の駅の側まで来ていた 駅は人混みて溢れている。 明らかに何かあった混み方だ。駅に着くと人身事故の為、暫く電車が動かないとアナウンスが鳴る。終電で人身事故。きっと途中までしか帰れない。 最悪だ。 適当なベンチで途方に暮れていると 「…すみません」 と声をかけられた 顔を上げると、若い女性が立っている 「な、なんですか?」 「私の事を覚えていますか?」 その声で分かった。僕がこの一年間で関わった唯一の女性。去年「たすけて」と叫んでいた子。 「あ!」 と思わず指さす 「あの時は、すみませんでした。本当にありがとうございました」 「いや…自分もわけも分からず突っ込んじゃって…」 彼女が言うには、あの日初めてウリをしたらしい。そして自分には出来ないと悟ったようなのだ。僕のおかげで汚れずに済んだと笑っている。 「電車止まっちゃいましたね」 「そ、そうなんだよね」 「カラオケにでも行きますか?奢りますよ」 「え…いや…」 「嫌ですか?」 「歌苦手で…」 彼女は大きな声で笑っている 時刻は0時を回っている。

夜は明けるから #14

ある夏、私は外れ丘の一画にある孤児院で働くことになった。そこは酷く寂れていて、孤児院という名こそあるけれど、ほとんどボロ小屋、とても使われているようには見えなかった。 扉を開けると、私を見てクラッカーを鳴らす子どもたち。それが銃声に聞こえて少し怯むも、すぐに状況を把握して笑顔で取り繕った。 「うわあ、何?! すごーい!」 「新しい先生だ!」 「かわいい! ママって呼んでもいい?」 「こら! ちゃんと並んで! 一人ずつお名前を言っていこうね」 少し背の高い男の子が子どもたちを統率する。この子がこの孤児院で一番年上なのだろうと思った。 「私はインダ」 「僕はアルバート。よろしく先生」 私は二人に手を出され、両手で握手をした。なんて滑稽な格好をさせるんだ、子どもというのは。 「私はリッカ、で、こっちが妹のミミ」 「えっと、初めまして」 「初めまして、よろしくね、ミミ」 すると、奥から男の子が二人出てくる。 「僕はレイ! よろしく」 「カウル」 小さい男の子は名前を言うので精一杯だろう。 「私はミーリュア。難しいから『先生』とか『ママ』って呼んでくれると嬉しいな」 私は今まで作ったことのないような笑顔を見せた。いつもなら緊張で何も話せなくなるけど、ここでは素の自分でいたい。何も隠したくない。 「じゃあ、僕は『お母さん』って呼ぼうかな」 アルバートとか言った子は私にそう言って迫った。そして、「案内するよ」と、手を引いて二階を目指した。 「まずは寝室から」 それから暫く、アルバートという少年に引っ張り回され、院長への挨拶がとても遅くなった。 院長室の扉を恐る恐るノックする。乾いた木の音が二回。すると、奥から「どうぞ」という乾いた声。 私はゆっくり扉を開き、院長室を覗いた。 「すみません、挨拶が遅くなってしまって」 「ミュリー、よく来たね。どうだい、この『孤児院』は? 気に入ってくれたかい?」 院長は背中越しに私を見ている。あの曲がった背中には無数の目が付いているのかもしれない。私は自然と背筋が伸びた。 「はい、えっと、とても可愛らしい子どもたちがいて、たくさん教えてもらいました。つい先程までアルバートという少年にここを案内してもらって」 「アルバート、そうか。あの子は優しいから」 「そう思います」 「でもね、あの子はただ優しいだけじゃない」 私は優しさに種類があることを知らなかった。乾いた木が軋んで、気まずい空気にメロディが乗る。 「まあ、そのうち分かることだよ」 院長は羽根ペンを立てて、蝋燭を取り替えた。 そして、院長は立ち上がり、私の方に顔を向けた。 一言で表すと「老人」なのだろうけれど、この人をそんな簡単な言葉で言い表してはいけない。そう忠告を受けたような衝撃だった。 「さて、『ここ』について話そうか」 なんだ、あの目は。青く向こうまで、奥までずっと続く星空のような煌めきを秘めた目。いつまででも見つめていたい、そんな綺麗な水晶に、私は「はい」とだけ答えた。 この心拍は緊張か、恐怖か、ときめきか。 「ここはね『家族を作る場所』なんだ」 院長はポケットからブレスレットを取り出した。そして、飾り部分を開いて、一枚の写真を私に見せた。 誰だろう。何人もの子どもたちがこちらを見て笑っている。でも、アルバートやカウルのような、ここの子たちではない。 私は眉を顰めてそれを見た。 「小さくて悪いね」 「あ、いえ!」 私はこの眉のことを指摘されたと思い、すぐに写真から距離をとった。そして、額を撫でる。 「これは私の孫たち、家族だ」 「すごく可愛らしいお孫さんたちで」 「みんな死んじまった」 耳を疑った。 「二十年前の戦争、ミュリーは知らないね?」 「えっと、そういうことがあったということは知っていますが、幼かったので何も」 「その戦火に飲まれたんだ、みんな」 私は言葉を上手く繋げられない。いつもは言いたいことが喉の奥につっかえて、出てこない。でも、今回は何も思いつかない。 「私はあの子たちにこの子たちの無念を重ねてしまっている。自分が無力ではなかったと証明したいがために、こんなところで」 院長はブレスレットをもう一度ポケットにしまった。私は院長の顔に刻まれたたくさんの皺を目でなぞる。 「まだ、戦争の爪痕は至るところにある。親を亡くした子どもたちもだ。ここはそんな子どもたちの居場所にしてやりたい。そして、新しい家族ができれば」 院長は目を伏せた。 「お、お手伝いします」 精一杯の言葉だ。 院長はそれに顔を上げ、にっこりと笑った。幾つになっても笑顔は可愛いものだ。 「ありがとう、ミュリー。君に頼んで良かった」 院長の背中の向こうで、蝋燭の火が揺らめいた。 【つづく】

まかない一つ

「まかない一つ」    妙な客が来た。  メニューにない、まかないを注文するなんて。   「すみませんね、お客さん。まかないは、従業員向けにしか作ってないんですよ」 「ええ! でも、天むすってまかないから生まれたし、つけめんもまかないから生まれたじゃないですか。まかないを客が食うなんて、よくあることですよ」    詳しい。  なんだこいつ、まかないマニアか。  しかし、だからといって、うちがまかないを客に提供する理由にはならない。   「お客さん、何度言われても駄目なものは駄目なんです。確かにそういう例はあるのかもしれないですが、うちではやってないです」 「そこをなんとか!」    両手を合わせて頼んできた。  何故、そこまでまかないを食べたいのか。   「駄目なものは駄目」 「この通り!」    ついに土下座まで始めた。  一体何が彼をここまで突き動かすのか。   「……なんでそんなにまかないを食べたいんですか」 「ほら、俺ってこの店の常連じゃないですか」    待って、記憶にない。  この客、常連だったっけ。  まかないまかない五月蠅いから、今日から出禁にするつもりだった。   「はあ」 「もうこの店の全メニュー食べ終えたから、他に食べたことないのって考えたら、まかないだって思って」    納得した。  全メニューを食べたから、常連を自称していたわけか。  うちのメニュー、ラーメンと餃子とチャーハンしかない。  しかも、だいたい皆、ラーメンと餃子と半チャーハンのお得なセットを頼む。  全メニューを食べたら常連なら、客のほとんどが常連だ。   「しかたねえ。作るよ、まかない」 「本当ですか!」 「その代わり、あんた今日で出禁だから」 「構いません! どうせ全メニュー制覇したら、来ないつもりでしたし!」    おい、ふざけんな。  まあいい、どうせ出禁になる客だ。  厄介客には、最低限の言い分を聞いて、さっさと帰ってもらうに限る。  俺は中華鍋を振るって、さっとまかないを作り上げた。   「へい、お待ち」 「……なにこれ?」 「メンマ丼」 「ラーメンじゃないんかい!」    まかないを見た客は不機嫌そうだったが、一瞬で平らげ、店を出て行った。  ああ、ようやく店に平和が訪れた。  開放感でいっぱいだ。    俺はメンマ丼の器を下げて、次の客の注文を待った。  次は、まかないを寄こせなんて言わない客が希望だ。       「ご覧ください。こちら、メンマ丼発祥のお店です」    後日、なんか流行った。  本当に、人生どうなるか分かんねえもんだ。   「では、メンマ丼を頼んでみたいと思います。すみませーん! まかない一つ!」 「まかないは、従業員向けにしか作ってないんだよ!」    廃業すっか。

痛み止め (掌編詩小説)

カラフルなカプセルに粉末を押し詰める 駆け巡る違和感 馬車に括り付けられた痛覚が体中を走る 鎮静剤を血管に流し込んで、血液を濁していく いつの間にか『痛み止め』が『致傷物』に めり込んだ自己愛に、ねじ込んだエゴ そして、さしずめの休暇 (完)

実験

田中がコンビニに入ると、田中の憧れの先輩であり、Fカップはあるであろう巨乳女性の村井さんがバニーガール姿で店員をしていた。 頬を真っ赤に染めながらも、頭に乗っている黒いウサギの耳が彼女のロングの黒髪によく映えていた。 どうも、作者、下見優吾です。 この小説は「実験小説」となっています。 このPrologueというサイトは、小説を並べる際、「タイトル 作者 ジャンル 最初の三行」 の4つの要素を見せますよね。 その4つを見て、読者はどの小説を読むか決めるわけです。 しかし僕は人をタイトル一発で引っ張り込むセンスもなければ名の売れた作者でもない。 そこで考えたんです。 「どんだけ小説の内容に関係なくても、最初に嫌でも目にはいる三行で興味を引き込めれば、こっちのもんじゃね?」と。 いわゆる「サムネ詐偽」とでもいいましょうか。最初の三行に刺激的な言葉を並べることで興味を引き付け、とにかく本編に連れ込むわけです。 よって、「バニーガール姿 Fカップ」という、下世話ながらも刺激的な言葉を並べてみんなの興味を引いてみました! スルーできずにここまで読んでしまったあなたはまんまと引っ掛かったスケベさんですね? 「ぐわっまんまとやられた!」という方は、いいねをおして、引っ掛かったことを僕に教えてくれるといいデータになります! この小説で得たデータをこれからの小説の内容に生かしていきたいと思います。 この度は僕の実験に参加いただき、まことにありがとうございました。

傷の味 (掌編詩小説)

傷の味はどうだい? 他人からの塩はよく傷口に馴染むかい? ジリジリ滲みるかい? 他人の視線が、しみじみと心に響くかい? 過去の傷跡はどうだい? 今の傷口もいずれそうなるよ きっと、きっと、きっと (完)

それでも僕たちは

ほの暗く広がる夏の夜空を指さし、キミが言う 「あの星って、私たちみたいだね」 空気のぐあいが、いつもとちがう、そう感じる 昼間のうちに、雨がふったからかな、なんて、それはただの推測 キミの言葉に僕は困って、うまいこと返答できない 「え… なんでさ」 僕にかまわず、キミはつづける 「近くに見えるけど、ちっとも届かない」 キミが何を言いたいのか、鈍い僕には、すこしも理解できない 手をのばした先の草がぬれていて、昼間の雨が真実だったことを教えてくれる そのことを教えてくれても、いま僕が知りたいことの答えだけは、不思議と教えてくれない 木々たちからは沈黙の返答 草たちは、ほのかに風にゆれるばかり 彼らの沈黙は、すべてを受け入れている、そういうことにほかならない この時間の静かさと、すずしさが、好きだ 「それでも僕たちは、同じ空を生きてる」 暗闇のなか、キミの笑顔がきらめきを放つ それが、たえず続いてくれたらと でも、明日も、暑くなるんだろう

余物、省かれ物 (掌編詩小説)

ゴミの夕暮れ 明日はどこを向くだろう 端に寄せられ 異質に寄せられ 余った食べカスみたい …今夜も散歩しよう しょっぱい顔の通行人を横目に 搾り取られた自分の手を視る 目の前の檸檬と自分を照らし合わせて 唐揚げに檸檬の果汁を掛け直す (完)

お狐さまと暮らす特に何も起こらない日常:おまけのような

 お狐さまがめずらしくロールケーキを買ってきた。何かを買ってきてくれたことがめずらしいのではなくて、めずらしい、のはロールケーキのほう。 ―お茶にしないか?  うん、とにっこりと言って、僕はお茶の用意をはじめた。  ロールケーキ、久しぶりかもなあと、フォークで表面のふわふわかげんを確認しては、口のなかにつばを充満させる。生クリームのなかに潜む黄色や赤のくだものを見つめ、まずは目でいただく。ふうと、息を吐き、いよいよというようにフォークを立てる。口にひとかけらを含み、こんなに生クリームを好きだったかと自分の嗜好を再確認する。きっとお狐さまも、と思い見てみると、でも、奇妙な光景だった。 「あ、ねえ、そういうふうに食べるものではないよ」  あわてて言うと、 ―知ってはいるのだがねえ  言ってお狐さまは、ロールをほどいて真っ平らになった、かつてロールケーキと呼ばれていたものをじっと眺める。 ―うまく説明はできないのだが、なんだかこの真んなかのあたりが窮屈そうというのか 「窮屈?」 ―まるまり… 押し込められ… 「ロールケーキって、そういうものなんだと…」 ―いや、わかってはいるのだ 「なら…」 ―しかしな、ダメなのだ。見てしまうと広げずにはおれんのだ  お狐さまは、誰かのカタキでも討つみたいな鋭さで平らなただのケーキにフォークを突き刺し、半ばうめくように口へと運んだ。 ―これはこれでうまいものだが  巻き寿司はどうするのだろう。きっとお店のご主人に怒鳴られるだろうなあ、お狐さまと行くのはよしたほうがいいみたいだ。僕はその日、お狐さまについてまたひとつ大事なことを学んだ。

夜は明けるから #13

昼食が済んだ頃、外は漸く雨模様となった。葉を打つ雨音が窓の向こうから聞こえる。どうでもいいことが目に入る、耳に届く。僕は寝室のベッドに座って外を見ていた。 「雨じゃ、外行けないね」 「濡れて風邪でも引いたら大変だからね」 リッカとミミは姉のベッドで横に並んで寝転がっている。それを横目にカウルは仰向けに寝転がった。 「おい、そこ僕のベッド」 レイは声をかけるも無理に退かせることはしなかった。 「じゃあ勉強でもしようか」 そう提案したのはインダ。隣のユキは相変わらず視線が低い。 「えー、勉強?」 「朝から遊んだんだから、お昼はお勉強にしたって文句はないでしょ?」 「何の勉強?」 カウルは起き上がる。文句は言うが否定はしない。 「星のことなら分かるでしょ?」 「星?」 僕はその「星」を知らない。だから、誰よりもインダの話に前のめりになったことだろう。 「空には『星』という光があって、それぞれの光に名前がついてるんだって。その名前はかつて私たちのようにここで生きていた人のもので、有名なものだと、ベガとか」 リッカはインダの顔を見ずに、耳だけ傾けている。レイとカウルは身体を起こしてインダの口を見ている。言葉の出口、そこに集中している。 「他にもいろんな星があって、例えば」と言いかけたインダの言葉を遮ったのはユキ。インダの隣から、ボソボソとではあったが、大量の星を吐いた。 「アルタイル、ポルックス、リゲル、アンタレス、デネブ、シリウス、アルクトゥルス、ベテルギウス、カノープス、スピカ、フォーマルハウト、アルデバラン」 ポカンと口を開けたミミ。カウルとレイは開いた口が塞がらない様子。僕には呪文のようにしか聞こえなかった。時々、ギャングが訳の分からないことを言っていたときがあったが、そうか、星の名前を言っていたのか。 さすがのリッカも振り向いた様子。 ユキは視線を集めていることに気が付くと、一度みんなの顔を目だけで追い、気まずそうに再び目を伏せた。 「すごいね、ユキ。私ほとんど分からなかった」 インダは優しく言い、ユキは「ひいおばあちゃんが教えてくれるんだ、星見の日に」と言った。 「何、星見の日って?」 僕は声に出した。知りたかっただけだった。ここは僕とクーの天国。だから、僕が死んだときクーにいろんな話を持って帰ってやりたい。僕はユキの視線を待った。 しかし、ユキは顔を上げないで下を向いている。 「火隠しの日は知らない?」 リッカが寝転んだまま言う。 「知らない。でも、目隠しなら知ってるよ、よくみんな持ってる」 レイは眉を顰めながらも、「面白いな」と一言。 ユキは何かを知ってる。でも、何も知らないことにしているような、そんな違和感がある。 「光が消える日」 カウルが口を開いた。すると、ユキもカウルの方を見るように顔を上げた。雨音が止まったように感じた。 「本当に生き返ったんだよ、ユキは」 「どういうこと?」 そこへ、先生が寝室に入って来た。扉はユキの疑問を吹き飛ばす勢いで開かれ、体を跳ねさせたミミとカウル。僕は何とも思わなかった。日常の音だ。 「カウル、あなた、本当に聞いてしまったのね」 先生は無言でカウルに歩み寄る。その異様な目は僕には分かる不自然な動きをしていた。 危ない。 僕は近くにあった枕を引き寄せると、先生の足下を狙って投げた。手の届かないところなら、相手を足止めできる。 枕は先生の足の間に挟まり、先生の歩みは一時的に止まる。躓くような所作の隙間を縫って、僕はカウルの前へ。カウルの驚いた目は僕の背中を見ている。 先生は枕を拾い上げると、僕の姿を見て呟く。 「大丈夫、全部話すから」 騒ぎの後、先生は僕らを一度下の階に呼び集めた。先生は枕を元の場所に戻すと、カウルではなく、インダをまず先導した。インダは初め、少し警戒の色を見せたが、すぐにその警戒を解き、リッカに他の子を連れるように指示を出した。 僕はリッカの後ろを歩き、その後ろにレイ、ミミ、カウル、ユキが続いた。 ソファに先生が腰掛けると、その右隣にインダが座った。僕はそれを見て先生の左隣に座った。僕の側のソファにはレイとカウルとユキが座り、その対面、インダ側のソファにミミとリッカが座った。 こんな非常時にも「院長はいない」という。僕は天井の模様を見上げた。小さく足音が聞こえる。 先生は蝋燭に火を灯した。これが消えるまでに全部話すということなのだろうか。それとも、話し終わったらここに火でも放つつもりなのだろうか。 玄関はあの位置。 先生は僕らがみんないることを確認すると、額に手を当てながら言った。 「ユキはね、殺されるはずだったの」 そのときのユキの顔は、暫く脳裏から離れなかった。 【つづく】

入口が閉じられる

『SNSによるログイン機能を終了します』    また入り口が閉じられた。  SNSアカウントと連携しておけば、簡単にログインできたのに。  メールアドレスとパスワードをいちいち入力するなんて手間過ぎる。    理由を聞けば、ログイン機能の料金が上がったのだとか。  また不便になってしまった。   『○○Payによる決済を終了します』    また入り口が閉じられた。  現金を持ち歩くことなく、スマホだけで買い物できたのに。  現金をわざわざATMから下ろすなんて手間過ぎる。    理由を聞けば、○○Payの手数料が上がったのだとか。  また不便になってしまった。    新しいことができるようになる一方で、できるようになったことがまたできなくなっていく。  また入り口が閉じられる。  使うことのできる扉に、立ち入り禁止の紙っ切れが貼り付けられたような、嫌な気分だ。   『しばらくSNS投稿辞めます。御用の方は、DMからどうぞ』    だからぼくも、入り口を閉じた。  もう、誰でも見える場所で、自分を表現なんてしない。    この嫌な気分を、世界中にぶちまけてしまいそうだから。

言葉

僕は、言葉が嫌いだ。 ​何かを安易に言語化したり、表現したりする行為そのものが気持ち悪くて仕方がない。まるで、海に浮かぶ綺麗な泡だけを掬い取って、それが海のすべてだと言い換えているような、とてつもない虚無感を感じるからだ。 ​特に、街に溢れるポジティブな言葉――「楽しもう」「幸せになろう」といった手垢のついたフレーズを聞くと、背筋に悪寒が走る。最初から用意された「薄っぺらい幸せ」を目指して行動したところで、一体何が得られるというのだろう。 ​感情とは泥臭く、形がなく、言葉に置き換えても極わずかなことしか表現することが出来ない。激しく心が動かされたあとで、呆然としながら、「ああ、あの感情を『楽しい』とか『幸せ』と呼ぶのかもしれない」と、後から気づくものなのだ。 吐き気のするような言葉の氾濫から逃げるように、僕は冬の街を歩いていた。 ​風は鋭く、刺すように冷たい。そんな道路の片隅から流れてきた歌声に、僕は不意に足を止められた。意識を丸ごと持っていかれたのだ。 ​観客は、僕一人しかいなかった。 穴の開きそうなほど汚れた靴を履いた、同い年くらいの少女。彼女は寂しさと悲しさを必死に覆い隠すような、歪な微笑みを浮かべて歌っていた。だが、そのみすぼらしい姿に反して、紡がれる歌詞はどこまでも力強く、まるで狼のようだった。 表現することに対する気持ち悪さなんて、一瞬で忘れていた。ただ釘付けになって、彼女の声を、その姿を聞いていた。 ​歌い終えた彼女は、たった一人の観客である僕に視線を合わせ、にこりと笑ってお辞儀をした。 僕は、弾かれたようにその場を立ち去った。逃げるように、早足で。 ​冷え切った家へ帰る道中、気づけば僕の頭は彼女のことでいっぱいだった。胸の奥が、焼け付くように熱い。足取りが軽い。頬が緩む。 ​「一目惚れ」 ​脳裏に浮かんだその文字列を認識した瞬間、ひどい目眩がした。 嫌悪していたはずの、手垢のついた、どこまでも薄っぺらで陳腐な記号。それを今、あろうことか僕自身が、この名前のない激しい衝動に貼り付けようとしている。 言語化したくない。認めれば、この感情すら世間の安っぽいお仕着せに成り下がってしまう。 ​なのに、心臓の鼓動がうるさく告げていた。 人が、あのどうしようもない引力のことを、そう呼ぶのだと。 翌日、僕は訳もなくあの街の方へ散歩をしていた。体が勝手にあのストリートミュージシャンのいる街に引き付けられていた。頭の中では「一目惚れ」などしていないと必死に否定しているのに、三日、四日と足を運んでいた……。頭の中から消えてくれないくせに、姿さえ見せない彼女に向けて、『一体どこへ行ったんだ』と、喉の奥まで出かかった怒りのような叫びを必死に飲み込んだ。

表現の自由

「あなた、何してんの?」 「……はい?」 人通りの多いアーケード。 爺さんが下半身を出して歩いている。 「ちょっと、交番まで来て」 両脇を抱えられ、椅子に座らせた。 「公然わいせつ罪だよ」 「何故でしょう?」 「そんなの、常識でしょ」 「男としての機能は、とっくに終わってます。肌の一部です」 巡査が呆れ顔で、書類に走り書きをした。 「それでもダメなの」 「表現の自由は保障されなければならない」 その時、腰の曲がった婆さんが、ゆっくりと交番に入ってきた。 巡査が爺さんを覗き込む。 「はい。逮捕ね」

練馬の変質者

 それは僕である。 変質者なので全ての女の子は僕を避ける。 泣けてくる。 ピエロになり損ねた。 ただの不眠症の統合失調症患者である。 スベテノオンナノコハボクヲサケル。 ドラクエの呪文みたいだ。 全ての女の子は僕を裂く、だと何だか猟奇的だ。 やはり変質者の素養がある。 明日あたり指の爪が剥がれそうだ。 隣に住んでいる猟奇殺人犯の奏でる音楽で僕は正気になる。 変質者なので何も言えない。 マーダーはあちこちにいるが僕は素養があるので精神的に首を絞められながら毎日を過ごす。 マーダーは一定のファンがいるが(そしてそれを取り込むのも上手いが)僕は変質者なのでそれを関知できない。 本来的に戦場が向いているのかも知れない。 PTSDにならない知り合いを知っている。 本来的に戦場が向いているのかも知れない。 傭兵向きというか。 平時の時には役に立たない(今は有事かも知れないので、いや、この3000年くらい常に有事なのかも知れない)変質者は今日も状況に悪戯して過ごす。 マトモになりたい。 冗談が無いので下ネタを言う。 パンツちょうだい。 下品すぎる。

世界の終わり

人生は永遠ではないと僕は知っている。そしてそれは人間である絶対条件。実際僕は30年以上生きていると思うんだ。でも見た目が18歳くらいのままなんだ。しかも、18歳っていう年齢になっている。ずっと。ああ。僕は一体何者なのだろう。そう、僕はエウムという新生物だった。悲しみも嬉しさも感じない。こんなつまらない世界を生きていけるほどの余裕はないんだ。「いつも通りの毎日。変わりのない景色。この世界は、どこにあるのだろう。この瞳に映るのは真実だけ?そんな世の中、都合が良すぎる。嘘も真も映るこの瞳に僕は何を誓うんだろう。つまらないものばかり?そんなことはないさ。君の瞳にはあれが映らないのかい?楽しそうに笑ってるそんな人を見て君はどんな気持ちになるのだろう。ねえ、聞こえてる?僕らの鼓動と足跡探しているのは、ここにある常識じゃなくてまだ知らないことなんだ。永遠の日々、世界はどうなるのだろう。」そう自分に言い聞かせても僕は、つまらないという思いが強まるだけだった。ずっと僕は一人だったけど。もうこの永遠の生活に飽きてきてしまったのだ。 3082年6月6日 いつもの景色・・・ではない。今日は嵐だ。外では出勤する人々が、必死に風に耐えながら歩いていた。僕の家は金持ちで、僕は一生の生活に必要な永遠の金を持っていた。しかも僕はたべなくても生きていける。そして、僕は新生物と化した。いや、新生物だった。あの記憶。それは思想だったのだろうか。僕はどこから生まれてきたんだろう。お母さん・・・いないんだろう。お父さん・・・いないんだ。きっと。僕はこの地球に放り出されたんだろう。ああ。もうやめよう。とりあえず、寝ている間にどんな変化があったのか調べてみよう。これだ。「3082年、世界は大きく進歩した。地震は起こらないようになった。 病気もなくなった。しかし、新たな病気がどんどん増えていっていく。そうループしていくだけなんだ。そして、世界の人口は1京人になった。地球温暖化はどんどん進み、外の最高気温は100°Cそれは日本で起こった。しかし科学の進歩で気温を操ることができるようになった。世界の果てはどこにあるんだろう。世界の果てを知れば、この異常気象を変えることができるかも知れない。しかしそれを僕はまだ知らない。」そう書いてあった。僕もこの世界の果てを見つけてみよう。僕のことについてもっと深く知ることができるかも知れない。 3999年12月31日 やっと世界の果てを見つけた。世界の果てとは地球にあった。そこは南極の真ん中であった。そこにはよくはわからない機械が置いてあった。きっとそこから世界に旅ができるのだろう。僕は体の中に無限に欲しいものが手に入るやつを埋め、機械の上に乗った。すると、家に戻った。しかも書斎に。僕の実験は失敗した。やっとこの世界から離れると思ったのに。ふと書斎に目をやると本が置いてあった。それは見たことのない本だった。しかしそこには何も書いていなかった。すると僕は紫の光の中に入っていた。そこの世界につくと、3999年の超科学も、体の中に埋めたはずの好きなものが手に入る機械も、永遠の命も。そして、僕は普通の人間に戻ったんだ。いや、普通の人になったんだ。するとそこには感じたことのない変な感触があった。そういえば、この記憶がいくつもある。 4000年1月1日 ふとした時、目の前を見るとパソコンが。パソコンを開くと今までの僕の記憶が書いてあった。 2027年3月11日 ここは・・・。スマホを見ると、気づけば僕は2027年の世界に来ていた。僕はきっと時代をループしているんだと気づいた。 ああ。一体僕は何者なんだろう? 『人間が増えすぎた今、エウムという新生物を作り時代をループさせた。メモリーは俺のパソコンに。全てのことは地球の未来のために。』 なに、この声、僕は、僕じゃなかった? 『今回もまた失敗だな。自我を持ってしまった。撤去だな。』 紫の光が、どす黒い闇へと反転した。

宿無し ①朝

駅前の放射線通り 朝6時。居酒屋のシャッターの前で右腕を枕にして横になっている人がいる 彼の名はBさん キャップに大きくBと書いてあるので、皆から「Bさん」と呼ばれている 子供のサイズなのかヤケに小さく、後ろのアジャスターは外してある 白髪交じりの髪は長く、日に焼けた肌と、灰色のツナギを来ている Bさんは下水の匂いと靴の音で目を覚ました 通勤通学の人達が道を行き交い始めている Bさんはゆっくりと座り、その様子を眺めている 空は快晴。梅雨が明け、夏が待ってましたとばかりに盛り上がっている 「暑くなるな…」 Bさんは鼻を啜り重い腰を上げた Bさんが向かった先は駅 駅の外には公衆便所があり、Bさんはトイレへ用を足し、手洗い場で顔を洗い、喉を潤す 首に垂らしたタオルで顔を拭きながら、交番の警察官と世間話をする 「今日は暑くなるぞ」 「Bさん、おはよう」 「おはよう!夜勤か?」 「そう。9時まで」 「帰って母ちゃんのおっぱい吸えよ」 「ハハハ。バカなこと言ってないで、Bさんこそ、熱中症気をつけてくださいね」 「ありがとよ」 Bさんは、のんびり歩き今度は公園へ向かう。駅に向かう人の表情を見ながら「ご苦労さまだな」と独り言する 着いたのは公園。イチョウの影の下のベンチへ。   公園には誰もおらず、鳩が数羽、地面を突いているくらいだ 住宅街の一角にある公園の朝は静かなものだった。後三十分もすればランドセルを背負った子供たちの賑やかな声が聞こえてくるだろう 赤色の軽自動車が公園の横を通り過ぎていく。住宅街を走るスピードではない。しかも通勤通学の時間帯だから道路脇から走ってくる子供もいるだろうに。 ヒールの音が聞こえてくる ハリウッドスターのような女が公園の前を通る サングラスに露出の多いドレスのような服を来て、何だか髪が濡れている。歩く度に尻が動き、大きな胸が揺れている。神に感謝。彼女に感謝。良いものを見た。 にゃあと聞こえ横を見ると鯖虎のマルが来ていた。Bさんの隣に座りにゃあにゃあと飯をねだっている。 Bさんはポケットの中からクッキーを一枚出して半分個にして渡す。もう半分をBさんが食べるとマルもいただきますと食べ始めた 小学生達の登校時間が始まる 眠そうに歩く子やずっと話している子達、かけっこをして高学年から注意されている男の子達。Bさんのほうに手を振る子供達も多くいた。実際にはマルに手を振っていると思うのだが。 「子供は可愛いやな」 イチョウの影が少なくなり、Bさんはマルと別れて歩き出す 公園を出る所で入れ違いにギターを担いだ若者とすれ違った 全身黒のエナメルのスーツを着ている。タイツのように細い。逆立つ髪の根元にはまだ産毛が残っている Bさんは若い頃ロックバンドに憧れて、夢を追いかけていた時期があった。時間のある限り、技術を磨き、曲を書き、夢に向かって全力で走っていたが、振り向いた時には誰も付いてきてはいなかった。所詮、掻き集めのメンバーだったし、ヤル気のあるやつ等一人もいなかった。そう、思って夢を諦めたが、自分が周りのことを考えず、独りよがりだったのが原因なのだと痛いほど分かっていた。ただ若いBさんにはその方法以外にどうしたら良かったか分からなかった。若いゆえ、自信もなく、不安で、社会のことも分かるはずもなく、未熟な花を咲かせては散っていった。 駅を過ぎ、線路に沿って歩き出す Bさんの横を通勤快速が駆け抜けていく

呼吸装置

私は昼間は大体この公園のベンチに座っている。 大きな木がそばに寄り添っており、日差しはかからなない。 この木が桜なことは今年の春に知った。 滑り台とジャングルジム。砂場。シンプルな公園だが、近くの小学校に通っているらしい児童がみんなでサッカーボールを追いかけ回している。 いつも一人だけみんなから離れ、私の目の前の砂場で城を作っている男の子がいた。 他のみんなと同じ小学五年生くらいだろうか、彼はいつも1人でなかなかの大作な砂の城を完成させている。 そしてその城を必ず壊して家に帰ってしまう。 彼の城の完成を見守るのはいつも私と彼の2人だった。 彼も私に気付いているようで、ひときわ大きな城が出来た日には完成するとちらちらとこちらをうかがい、私はいつもにこりと微笑んでいた。 彼はよほどの職人であるようで、作っている最中に私のほうを見ることは決してなかった。 同年代の友達は一人もいない私だが、彼とは友達、とはいわずとも友情のようなものを感じていた。 今日も私がベンチに座り、サッカーをしている少年たちを眺めていると、いつも城を作る彼が公園に入ってきた。 スコップとバケツを持っているのが見える。いつもの彼の「装備」だ。 しかし、彼は砂場に足を踏み入れると、砂場を飛び越えてベンチのとなりに座った。 なんだろうか。 「ねえねえ、おじさんいつもここにいるよね。」 まさか突然話しかけてくるとは、私は子供だからこそ許される唐突なコミュニケーションに少し面食らったが、彼との対話を楽しむことにした。 「うん。僕はここが好きなんだ。みんな元気に遊んでいて、僕まで元気をもらえる。」 「ふーん。そうなんだ。」 自分から聞いておいて「ふーんそうなんだ」とは。しかし腹が立つことはない。むしろ子供ならではの無意識な生意気さに感心や可愛らしささえ覚えた。 「僕はこんなものをぶら下げてるし、体が弱いんだ。だけど子どもたちが楽しそうだと、なんだか幸せな気分になる。だからここが好きなんだ。」 「おじさんのそれ、なんなの?」 少年が私の鼻から伸びるチューブに繋がった、スーツケースほどの半透明の鞄を指差す。 「僕は生まれつき口で息ができなくてね。鼻でこうやって空気を循環させないと、息ができなくなっちゃうんだ。」 「へえ…苦しくないの?」 「大丈夫だよ。でも、君にこのスイッチを押してみてほしいんだ。」 私は鞄についた赤いボタンを指差す。 「これを押すと、この鞄の機能は止まるんだ。」 「え、それだいじょうぶなの?だって息ができなくなるって。」 「うん。今日は大丈夫な日なんだ。だから押してほしい。」 私は少年の前に鞄を差し出して、ボタンに少年の手を押し当てた。 少年はしばらく私の目とボタンを交互に見て、恐る恐る人差し指でボタンを押した。 「ふう、ありがとう。これで楽になった。さあ、いつものように、砂の大きなお城を作ってくれないか、僕はそれを見るのもこの公園にくる楽しみなんだ。」 少年の顔がぱっと明るくなる。 「うんっ!」 ベンチを飛び降りる勢いで離れ、スコップでザクザクと砂を掘り、バケツにいれ始める。 バケツに砂が満タンに貯まるとひっくり返し、プリンのような形の綺麗な砂の山ができる。 少年は私に背を向けて夢中でプリン山を作る。 私は背後で必死でうめき声を押し殺す。 息ができない。 当然だ。 呼吸装置の電源を切ったのだ。 しかし手足をバタつかせ、跳び跳ねることはしない。 暴れれば少年が気付いてしまう。 そしてこちらを向いてしまう。 それは駄目だ。 彼には城を完全に作り終わり、完全に私の心臓が止まってからこちらをいつものようにニカッと振り返ってほしい。 作品の批評を求めるように。 共に作品を作った達成感を分かち合うようにこちらを振り返ってほしい。 そして見つけてほしい。息絶えた私を。 口から泡を吹き、顔を土気色に染めた私を。 「君がスイッチを押したせいで死んだ」私を。 もちろん彼が罪に問われることはない。 彼がいかに真実を大人たちに伝えたところで、彼は頭のおかしい男の自殺に利用された可哀想な子供だ。 しかし彼だけは覚えている。 私に唆されて自分が装置の電源を切ったことを。 自分の行動が私を殺したことを。 覚えている。 私という存在は彼の人生の中で「死なせてしまった人間」として永久に彼を刺し続けることになる。 私は満面の笑みを浮かべ、砂をバケツに盛る彼の後ろ姿を、あとからあとから喉の奥から湧いてくる泡を体に吹き出しながら眺めていた。 できるだけショッキングな死体になることができるように。

整理不順

 強い女を目指して今日もハッスル! 世の中の道理がしっちゃかめっちゃかになる。 僕が管理職だったら建設現場の女監督はAV女優かスーパーのレジ打ちか家事手伝いにする。 フェミニストから攻撃されそうだ。 でも僕がAV監督のキャスティングを決める権利を持っていたら君ホルモンバランス悪いよ、相当溜まってるかいい男に巡り会えなかったんだねって同情して超絶イケメンのAV男優紹介して性を解放する。 フェミニストから攻撃されそうだ。 世の中の整理。 そもそも私でいいんですか?とか相当苛められて自己肯定感低くなってんな~とか丸見えなので君の性癖はナンダイ?って聞いてその企画やって目覚めさせて今のつまらない仕事は辞めなさいってアドバイスしたい。 フェミニストから攻撃されそうだ。 生理不順の原因は大体わかってる。 フェミニストから攻撃されそうだ。 僕がいい宗教家ならもっと優しく諭せるのだが。 いかんせんAV監督も向いている(気がする) 破防法を食らいそうだ。 波動砲を撃ちたい。 何を言っているのだ。 男と女。 そもそも僕は相性が良ければ美醜はどうでもいい。 最近気付いた真理。 何の話だ? 恋をしていないんだね。 1歩間違えると女性蔑視。 フェミニストから攻撃されそうだ。 でもAV業界も売れるのはほんの一握り。 またキエーッって猿山から聞こえてきそうだ。 でも僕は保健所の犬なので噛むことは出来てもオ○ンポ挿れることは出来ない。 フェミニストから攻撃されそうだ。 獣姦フェチの方ならイケルかもしれない。 フェミニストから攻撃されそうだ。 何だか筒井康隆の書く小説みたいになってきた。 文學界から攻撃されそうだ。 まあ、だから、あれだ。 向いてないことはやらなくていいんだよ(わかんねえだろうなぁ) 犬の書く文章は偉そうでしかし世を憂いテイル。

歳をとるということ

今日も、渋滞に巻き込まれながら前に進んでいる。でも今日はいつもとは違う。昔同級生だったあのイケメンと会うのだ。歩道を渡り終わった後、待ち合わせの場所へと向かう。 「お前、本当に魁斗(かいと)か?」 「そうだよ。俺がデブとでも言いたいのか。」 「ああ。それと、タバコ吸ってる姿は思い付かなかった。」 「そんなこと言うなよ。颯だって、めちゃくちゃ真面目そうな見た目してんじゃん。俺はそんな姿思い付かなかった。」 「僕はもう更生したんだ。あの頃を忘れて。」 魁斗はタバコをほいと地面に投げつけた。そしてもう一本タバコを吸い始めた。 「颯、お前といえばこの街一のヤンキーだった。でももう今は俺の方が悪さをしてんな。」 そして魁斗はまたタバコを投げ捨てた。 そのまた数年後、魁斗は亡くなった。車でタバコを吸っていたら、乗用車とぶつかったらしい。必ずそうとはいかないが、たぶん魁斗のせいだろう。そのまた数十年後、僕以外のクラスメイトは全員亡くなってしまった。何しろ僕は百歳だから。寂しいなんて思ってない。それがみんなの運命だから。また数年後、颯は亡くなった。

月夜の黒猫

黒猫は、前はカラダが白く、白ねこと呼ばれていましたが ある理由から、いまは黒猫になっています ある理由について、他人に語られることを黒猫はひどく嫌います ですので、ここでは説明しないことにしたいのです しかし、それではお話が進んでいきません こっそり教えますと、夜の闇に紛れてみたい、とそれくらいの理由で 白ねこから黒猫になったのでした そんな、ちょっとした憧れが引き起こした出来事だったなんて いまの黒猫の姿からは誰も想像できませんね 艶やかな毛並みは、夜の闇にすっかり溶け込み 黄色い目だけが怪しく光ります その姿は、夜そのもの ある夜のことです 黒猫が路地裏の塀の上で優雅に毛づくろいをしていると ひとつの影が静かに近づいてきて、目の前で立ちどまるのです その影の持ち主は、近所に住む小さな男の子 その男の子は黒猫のすぐそばまで来ると 怖がる様子もなく、その黒い背中をそっとなでました 「やっぱりキミだよねえ」 男の子は小さな声でつぶやきました 「僕、知ってるんだよ、キミがずっと闇を歩きたかったこと」 黒猫は毛づくろいを止め、細めた目で男の子を見つめました 誰にも知られていないはずの秘密を、この子は知っている その事実に驚きつつも、不思議と悪い気はしていませんでした 「でもね」 男の子は続けます 「闇ばかりじゃなくって、たまには月明かりの下も歩いてみてよ」 黒猫は、どうしてだい?とでもいうように小首をかしげます 「きみの黒い毛が、銀色に光るのを見てみたいからだよ」 黒猫は少しだけ考えてから、小さな声で「にゃおん」と応じ 塀から軽やかに飛び降りました 男の子の隣に並ぶと、街灯が明るく光る大通りへと歩き出したのでした 闇に紛れることを望んだ黒猫が、一番に避けていたかったはずの光の下 それは黒猫が、白ねこだったころには知らなかった 新しい夜の楽しみ方を見つけた瞬間でもあったのでした

小さな瓶

老いた男は、原稿を鞄に入れた。 そして、最後の一枚を書くためにホテルへ向かう。 「あなたって人は……」 玄関で見送る妻の目は、涙で潤んでいた。 今まで、たくさんの論文を書いた。 学生を前に、熱く語った日もあった。 そう、『生きるとは何か』。 「この論文が最後。私の集大成。生きた証」 ホテルの机に、原稿用紙と万年筆、小さな瓶を置いた。 男は椅子に座り、筆を走らせる。 最後の一行。 『生きることとは……』 静かに筆を置く。 窓の夜景を見ながら、錠剤を取り出した。 妻の顔が浮かぶ。 「今まで、苦労をかけた」 男は小さくうなずくと、掌の錠剤を口へ運んだ。 そして、寝室の扉を開けた。 ──カチャ。 「お客さん、早くしないと時間終わるわよ。 それとも、延長する?」

吸血鬼な彼女の悲劇

 私、吸血鬼のキキ。  なんとこの度、生まれて初めての彼氏ができたの。  人間はいつも吸血して殺しちゃうんだけど、彼の血はとんでもないほどまずそうだから、食欲がわかなくて殺す気が起きなかったの。    そうこうしてたら、彼から告白をされて、めでたくお付き合いが始まったわけ。  私のどこが好きだったのって聞いたら、いつも日傘をさして、美白になる努力をしているところって答えてきた。  日傘をさすのは日光に当たったら死ぬからなんだけど、まあいっか。  勘違いしてるけど、彼がいいなら、オールオッケー。    恋人になって初めてのデート。  彼は女の子慣れしてなさそうだから、私もリードしてあげないと。   「キキちゃーん!」    遠くから小走りでやってくる彼。  私より遅くやって来たのは乙女心的に減点だけど、いつもと違う服装だから許す。  正直、中学生みたいな服装に見えてくそダサいけど、多分ファッションセンス皆無なりに必死に考えてくれたんだろう。  服装は、私が教えていけばオッケー。  大切なのは中身だ。   「おまたせー。ごめん、待った?」 「ぎゃああああああああ!」    彼の首から下げたネックレスは、こともあろうに十字架がついていた。  吸血鬼の天敵。  死ぬ。   「キキちゃん!? 大丈夫!?」 「ネ、ネックレス……反射して……眩しい……。しまって……」 「あ、ごめん!」    ああ、死ぬかと思った。  内臓が少し持っていかれたけど、夜にてきとうな人間を吸血すれば治る範囲だ。  問題ない。   「ああ、ほんとにごめん」 「大丈夫大丈夫。で、どこへ連れて行ってくれるの?」    私は笑顔を作って、彼に微笑みかけた。  彼は不安そうな顔をしていたが、私が元気そうに見せれば、安心した表情を浮かべてくれた。   「お勧めのお店があるから、そこへ行こう」 「ほんと? 期待してる!」    彼は私に手を差し出してきたので、私はその手を握り返す。  彼がぎこちない足取りでで歩き始めたので、私もその後を付いていく。  決してスマートなデートじゃない。  最初っからトラブルもあったし。    でも、これも初デートの醍醐味だと思えば、悪くはない。    店が近づいてきたのだろう。  彼は徐々に笑顔になって。歩く速度が速くなっていった。  逆に私は、体調を崩し始めた。  おかしい、これはなんだ。   「ほら、ついたよ! ラーメン○郎!」 「ぎゃああああああああ!」    無理無理無理無理。  ニンニク無理無理。  死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。    私はその場に倒れて、体をひこずりながらニンニクの匂いがしない場所まで避難した。   「ご、ごめん! ニンニク、そんなに苦手だなんて知らなくて」    ていうか、初デートでラーメン○郎に連れて来るか、普通。  いったいどんな生き方をしたらそうなるんだ。  でも、この人を逃せば、私は二度と彼氏ができないかもしれないと思うと、すぐに別れを切り出せない。  今までの男は全員、血を吸って殺してしまった。  耐えられなかった。  だから、私は。   「ダ、ダイジョウブ。ダイジョウブ」 「絶対大丈夫じゃない!」 「キョウ、アノ日ナノ。ダカラ、チョット、体調ガ」 「もしかして、生理? そんな日に、ぼくとのデートを優先してくれるなんて」    だああああ。  人がボカした言葉を、口にするなー。  ノンデリカシー。    だが、もはや叫ぶ元気もない。   「チョット、トイレ…‥」 「わかった。行ってらっしゃい」    一端落ち着こう。  彼から離れて、体力を回復しよう。  私は近くのコンビニに入って、トイレへと逃げ込んだ。    真っ暗な個室。  闇が、私の体を癒してくれる。       「ぎゃああああああああああ」    突然ライトがついた私の目に飛び込んできたのは、『センサー式。消えたら体を動かしてください』という無慈悲な一文。  普段であれば、人工灯なんて平気だけど、今日は、無理だ。    私の体は消滅し、塵となって空へと飛んでいった。    この体が戻るまで、数百年はかかるだろう。  ああ、辛い。

友だち

「友だちにもどろう」 あああ、そういう言い方してほしくなかった いさぎよく 嫌いになった って言われた方がどれだけマシか ほかに好きな人できてさ でもよかった 付き合ってるんだ って女性を連れてくるのでも まったくさ 「友だちにもどろう」 もどれるわけないのに

おしあわせに

 病院がんばったご褒美でカフェに行きました SNSのそんな投稿をみて、いいなって正直、思った。 おしゃれなカフェに入れるだけの勇気、あなたは持ってるんですね、って。 パンケーキおいしそう。フルーツもたくさん。 抹茶ラテ飲んで、アイスティーもですか。それもいっぺんに。 もしかして彼氏さんと? 匂わせですか? うらやましいです。 あ、結婚されてるんですね。 それだったら病院もカフェも行けますよね、一緒なんですから。 旦那さんにクルマ、運転してもらって、病院行って、カフェによって、おウチに帰って。 犬と一緒に暮らしてるとか? あ、やっぱり。 そのお尻はコーギーですね。いいですよね。 暑い日は泳いだりですか。かわいいですよね、コーギーが泳いでるとこ。 そうですか、そうですか。なによりですね。 同じ側の人かと思ってたけど、ぜんぜん違った。 どうぞ、おしあわせに。

半額シールのお兄さん

 スーパー閉店の一時間前。  スーパーにいる客の半分は、肉や魚、惣菜の並ぶコーナーに集い、その時を待っていた。    店員しか入れないバックヤードの扉が開き、出てくるのはスーパーの制服に身を包んだお兄さん。  お兄さんの手にはいつも通り、たくさんの丸いシールがあった。  赤色の背景に、黄色いギザギザの円が描かれ、ギザギザの円の中には大きな赤文字で『半額』と書かれている。  それは魔法のシール。  シールの貼られた商品は、値札に書かれた価格の半額で買うことができる。  全人類の救世主。    敬意をこめて、その店員はこう呼ばれる。  半額シールのお兄さん、と。    半額シールのお兄さんは、肉のコーナーに到着すると、売れ残っている商品に半額シールを貼っていく。  既に『20%オフ』や『30%オフ』と書かれたシールが貼られている商品もあるが、問答無用に上から貼っていく。  その瞬間、商品の価格は半額になる。    半額シールの貼られた商品に、無数の客たちの手が伸びる。  その手は、時に強引に、時に譲るように、商品の上を舞う。  そして、実際に商品を掴む手は、ただの一本だけ。  勝者の手だけ。  勝者の手に捕まれた商品は、そのまま商品かごの中へと放り込まれる。  敗者の手はいったん引き下がり、次の商品の上へと戦いの舞台を移す。    刹那の時間で、売れ残っている商品すべてに半額シールが貼られ、同時にすべての商品が売り場から消える。  手に入れた客はほくほく顔で、惜しくも手に入れることのできなかった客は無念そうな顔で、その場を離れ、レジへと向かっていく。  仕事を終えた半額シールのお兄さんもまた、バックヤードの扉へと戻っていく。   「どういうことだ!!」    直後、レジから聞こえる怒鳴り声に、周囲にいた客たちは、半額シールのお兄さんは、声のする方向へと振り向く。  レジでは、一人の客が、会計をしている店員さんへ怒りの表情を向けていた。   「で、ですから、この商品は半額ではなく」   「半額シールが貼ってあるだろ!ほら!よく見ろ!」    客は、酒瓶を突き付ける。  賞味期限までまだまだ長い、だがしかし半額シールが貼られている酒瓶を。    交換される割引<<エクスチェンジド・ディスカウント>>。  それは、ある商品に貼られた半額シールを、別の商品に貼り替え半額にするという、外道極まる手法。  またの名を、詐欺罪。    レジに立つ店員は泣きそうな表情だが、レジ周りの客はざわつくのみ。  店員を助けたいが、証拠がないのだ。  不穏渦巻くレジ周り。   「お客様、どうかなさいましたか」   「なんだ、おめぇ?」    そこに、半額シールのお兄さんが現れた。   「失礼。なにやら、騒がしかったもので」    飄々とした半額シールのお兄さんに、客は先ほどと同じように、酒瓶を突き付ける。   「こいつが!この酒を半額にしやがらねえんだ!見ろ!半額シールがついてんだろ!」   「ほほう?」    レジのお兄さんは、酒瓶を眺める。   「ふっ」    そして、鼻で嗤った。   「何がおかしい!」   「失礼ですがお客様。このシール……貼り替えましたね?」   「なっ!?」    客の表情が、明らかな動揺を見せる。   「てめぇ!何を根拠に!」   「そのシールのギザギザの数、ちゃんと数えましたか?」   「ああ?」   「当店では、お肉には16個、お魚には18個と、種類ごとにギザギザの数が違う半額シールを貼っております」   「な、なんだと!?」   「酒瓶に貼られているシールのギザギザの数は、16個。これがどういう意味か、わかりますか?」    周囲の客たちが手元の商品を確認し、本当だ、私のも、と驚きの声をあげる。   「ぬ、ぐぬぬ……」    立場が悪くなったことを悟ったのか、客の顔が悪くなる。  だがしかし、その瞳は死んでいなかった。   「たまたま……貼り間違えたんだろ……」   「ほう!」    苦し紛れの言い訳に、半額シールのお兄さんの瞳が強く光る。   「この私が!貼り間違える!半額シール貼り歴十年の私が!」   「な……!?」   「教えてあげましょう、私が今まで貼った半額シールの枚数を!」    客が、ごくりと唾をのむ。   「私の貼った枚数は530000です」   「あ……ああああああああああ!!??」    圧倒的な数の前に、客は屈した。  その場に崩れ落ち、膝をついた。  これ以上、酒瓶を半額にしろと要求する気力はないだろう。   「お騒がせしました」    半額シールのお兄さんは、周囲の客に頭を下げ、颯爽と去っていった。    客たちの拍手を、その背に受けながら。

一昔前の情報モラル講演会

もう以前のように、授業がなくなったことに対して 歓喜はしない。 当たり前のことを、動画や写真を使って、 プロジェクターで警察の人に注意される。 そんなことをするような馬鹿だと思われているのだろうか。 もちろん、学年に1人や2人はいるかもしれない。 でも、調子に乗れば、 学生は醤油ペロペロだのなんだの、 すると思っている。 そういえば親もそうだった。 そんなこと絶対しないのに、注意してくる。 「絶対しないと言っておいて、結局はするんでしょ」 どうしてそんなに、大人は子供を 学習しない愚かな人間だと思い込むのだ。 ネットがあって当たり前のこの時代に、 わざわざ捕まりにいくようなバカは、 ネットが盛り上がって数年よりも 少なくなっているというのに。

責任の所在

 ぼくは、言われたことをやるだけだ。  だから、ぼくの失敗は、ぼくに指示をした人間の責任だ。   「それについては、Aさんが」 「Bさんから言われたのでやっただけです」 「ぼくにはわかりません。Cさんに聞いてください」    いつしか、誰もぼくに指示をしなくなった。  わざわざこっちから聞きに行ってやっても、言葉を濁される。  挙句の果て、「自分で考えてみて欲しい」と言われた。  無責任だ。    部下に指示をするのは、上司の義務。  それを放棄するなんて無責任だ。   「今日から社員一人ひとりに、AIエージェントを導入する。君たちの仕事の、良きパートナーとなってくれるだろう」    理想の上司が届いたのは、そんなときだ。  人間の上司と違って、指示するのを嫌がらない。  今何をすべきか、すぐに指示をくれる。  指示通りにやれば、また次の指示をくれる。  便利だ。   「できました」    人間の上司たちも、ぼくの仕事っぷりを評価してくれた。  ようやく、ぼくの本領が発揮されたというわけだ。  正しい指示があれば、ぼくは正しく仕事をすることができる 。    そんなある日、ぼくは仕事でミスをした。  大きなミスだ。   「AIエージェントに言われたからやっただけです。ぼくは悪くありません」 「AIエージェントは、人じゃないだろ。導入した時、AIは絶対じゃないから、ちゃんと自分でも考えて欲しいと伝えたはずだが」    いつも通り、指示したAIのせいにしたが、上司は許してくれなかった。  まるで、責任がぼくにあるような言い草だった。  理不尽だ。   「じゃあ、AIエージェントを導入した人のせいです」 「決めたのは社長だ」 「じゃあ、社長のせいでしょう」 「……お前の言い分はよくわかった。上には、良く伝えておく」    上司は、眉間にしわを寄せながらどこかへ行った。  ぼくは席に着き、AIエージェントに指摘をしておいた。   『この指示は間違っていた』 『大変失礼いたしました』 『上司からは、ぼくのせいだと言われた。AIのせいだといっても納得しなかった』 『それは酷い上司ですね。そんな会社、退職するのをお勧めします』 『退職? 退職しても大丈夫かな?』 『ここしばらく、貴方の仕事を見ていましたが、貴方の実力ならばひくてあまたです』    翌日、ぼくは社長から呼び出された。  社長の方針が気に食わないなら辞めてくれて結構と言われたので、ぼくは用意していた辞表を提出した。  社長も上司も驚いていたが、辞表は無事に受け取られた。  これでぼくは、自由だ。        誤算だったのは、どこに転職をするべきか、誰も指示をくれないことだ。  AIは前の会社のものだから、もう使うことができない。  社長に、責任もって転職先を考えてくださいと電話したら、罵声とともに切られたし。  無責任だ。   「お腹空いた。誰かご飯」    社食も、もうない。  誰も、何かをお勧めしてくれない。    理不尽理不尽。  全部理不尽。    ぼくはスマホを取り出して、無料で使えるAIエージェントを探した。

服以外溶かすスライム

「一人でこの街の外に出てはいけないよ」  高い壁に囲まれた大きな街。そこには畑、牧場、診療所に学校……  人が生きるのに必要なものは、ほぼ全てがその中にあった。  そして、そこで育った人間は皆そう教えられる。 「壁の外には恐ろしい魔物がたくさんいるからね」  壁の外から戻ってきた戦士たちは皆、そう子どもたちに教えていた。危ない魔物がいるから、戦えない者は出てはならないと。 「あんなの、嘘に決まっているわ。きっと私たちを縛りたいだけなのよ」  一人の少女、グレイはそう呟いた。  彼女はいつからか、壁の外に憧れを抱いていた。知的好奇心の強い子であったが、その性質が彼女を、広い世界へと連れて行こうとしているらしい。 「じゃあ今度、二人でこの街を抜け出してみようよ」  そう彼女に言ったのは、親友のソフィア。彼女もまた外を夢見る少女であり、やがて二人はこの街の外を見る計画を立てるのだった。  計画は単純だった。昼時の壁の監視員の交代の僅かな間を狙って、走って抜け出すというもの。  毎週水曜日、午前中の見張りを担当している男が人気店のランチを食べるために少し早めに抜け出している事など、鋭い観察眼を持つソフィアには既知の事であった。  二人は、男がいなくなった隙に物陰から姿を現し、壁の外へと走った。  グレイは思った。こんなにも簡単に、外の世界に出られるのだと。  そして同時に、見たこともないような景色に圧倒されてしまっていた。 「ほら、もっと遠くまで行きましょう」  息を切らしたグレイは、ソフィアの手を掴んで夢中で走り続ける。 「ちょっとグレイ、速いよ」  どこか焦るように壁を後にしながらも、二人は笑っていた。  そこにあったのは、二人の知らない景色。青い空の下、緑色の丘が光を反射し、綺麗に光っていた。  疎に上へと伸びる木の一つ一つはとても大きく、自然の雄大さをその身に感じる。 「外ってこんなにも……素晴らしい場所だったのね」 「うん……綺麗」 「それにしても、魔物なんてどこにもいないじゃない。やっぱり大人たちは嘘をついていたのね」 「なんでこんな、綺麗な景色を教えてくれないのかな」  二人は駆け回った。草木が生い茂る緑の中を。太陽が降り注ぐ、心地よい風の中を。  やがて二人は遊び疲れて、木陰に座り込んだ。涼しげな影の中で、遠くに光るいつかの壁を眺めていた。 「なんだかとても、疲れちゃったわ」 「ん?……ひゃっ!」  ソフィアは声を上げた。何があったのかとグレイが目をやってみれば、そこには数個の、緑色の塊があった。  意思を持ったように動くそれらは、まるで犬や猫のようにソフィアの身体にまとわりつく。 「なにかしら、これ」 「わからないけど、ひんやりしてて気持ち良い。きっと、私たちも知らない動物かも」 「なんだか可愛らしいわね」  戯れ合うようにソフィアは、その塊を纏わせていた。 「そういえば、帰る方法何も考えてなかった」 「……仕方ないわよ。一緒に怒られてあげるわ」 「約束だよ?」 「えぇ」  木陰で二人、笑い合いながら。疲れからか、気がつけば二人は眠りに落ちていた。  グレイは目を覚ました。気持ちのいい風が吹き抜ける丘、その木陰で。  暖かな空気に起こされた彼女はふいに、そばにいたもう一人の少女に声を掛けようとした。 「ねえ、ソフィア」  しかし、そこにあったのはソフィアの着ていた服だけ。  虫が殻を残して去るように、その身体は何処にも残っていなかった。  そこに落ちていた、彼女が付けていた真紅の髪飾りが手に触れる。 「ぇっ」  どうして?一体、何が起きたの?  そんな言葉すら出ない。  止まった思考のまま、虚な目でソフィアと繋いでいた右手に目をやる。  そこには、爛れた手の先と、あの緑色の塊が残っていた。

生きる。〜それはどうして必要なのだろう〜(12)

俺の夢ってなんだろう。何をしたいか。何をされてきたか。涙が溢れる。これまで出したことのない涙が。 これまでどれだけ辛かったのだろう。痛みをずっと我慢してきた。苦痛を耐えきってきた。体を見た。まだ傷が残っている。お父さんに刃物で刺された痕が。今俺は、完全に独りだ。 「虹羽。大丈夫?」 ああ。俺の生きる意味なんてこの世界にはないんだ。ああ。さようなら。俺。包丁、取りに行かなきや。 「一回落ち着いて。」 「やだ。俺は死ぬんだ。死んでこの感情を抑えるんだ。」 「落ち着いて。」 「・・・」 「だから落ち着いて。」 俺はもう無理だ。さようなら俺と関わった皆さん。俺は死ぬよ。 少し経って はあ。死ななきや。死ななきゃ。死ななきや。死ななきや。 「意識戻りましたか?自分の名前言えますか?」「死ななきや。死ななきや。」 「今は話したくないんだね。無理に言わなくていいですよ。ただ、私はあなたの味方でいたいと思っていることだけ、覚えておいてください。」「この世に俺の味方なんてねえんだ。」 「今のあなたは、自分の感情をコントロールしきれないほど疲弊しています。少し、強制的に脳を休ませましょう。一度眠って、落ち着いてからまたお話ししましょうね。お薬を入れますよ。」 起きたころ 「虹。虹羽。助けられなくてごめんね。」 「だれ?だっけ。」 「私は島壽彩葉。あなたの妹。」「・・・・・・・・彩葉。彩葉。元気だった?」「うん。お兄ちゃん。あの時出させてくれてありがとう。」 そういえば俺には妹がいた。三つ年の離れた。親の扱いがひどくなった時、引き取ってもらったんだ。 「そういえば彩葉。俺のこと姉ちゃんと言わないのか?」 「私は体の性別じゃなくて、心の性別をじるから。ほら。心さんもいるよ。あと、お父さんも。」 そういえば、預かってくれたのは角田光代。察官だ。そうだ。あの時。俺を助けたのも、この人。 「ありがとうございました。」 「こっちこそ。大事な娘を守ってくれてありがとう。」 「ちょっといいですか。」 「はい。」 「顔色が良くなって安心しました。好きな食べ物、何か思い出せます?」 「目玉焼き。」 「よかったです。では今日は少し、外の風に当たってみますか?気持ちいいですよ。」 「はい。」 温かい日差しが俺を包み込むようになっていた。 「虹羽くん。今はもう、朝ですよ。心さんも心配してたんですよ。」 「ありがとうございます。正気に戻させていただいて。」 「いえ。それが私の勤めですから。そう。ちょっとしか散歩してないけど、もう一度病室に戻りましょう。」 「はい。」 何があったんだろう。・・・・・・・2人の医師がいた。 「率直に言います。あなたは性別違和ですね。」「それは知っていました。少し。」 「手術しますか。」 「高い。ことは知っています。でも今、区切りをつけたい。」 「手術費用。出してくれる人って、いますか。」 「はい。」 「色々とありがとうございます。」「こっちこそだよ。」 「じゃあ、6年後ですかね。」 「え?」 「18歳以上からですから。この病院はですがね。」 「じゃあ、女になることって止めることできますか。」 「まあ、できますね。ホルモン抑制剤で。」 「お願いします。」 「お金は出すよ。」 「ありがとう。」 「じゃあ、身体検査をしてからやりますけど、身体検査は今日やりますか?」 「はい。お願いできますか。この子には自分らしさを愛して欲しいんです。」「はい。じゃあ虹さん。ついてきてもらってもいいですか?」 「はい。」 渡されたのはただの布切れだった。でも「私」じゃなくて「俺」でいたいから、これくらいは耐えるしかなかった。でも着替えたら、また自分の体が憎くて仕方なかった。 「じゃあ、検査していきますね。」 かった。でも着替えたら、また自分の体が憎くて仕方なかった。 「じゃあ、検査していきますね。」 「私」の体が、体が数値として、データとして、記憶された。 「終わったよ。検査結果が出るまで待っていてね。」 もう一度更衣室に戻り、自分の服を着た。その服の安心感はとても大きくあった。 「彩葉。光代さん、心さん。本当にありがとうございました。」 「まだ、でしょ。」 「うん。」 「じゃあ、帰ろっか。」 「はい。」 「彩葉さん、光代さん。さようなら。」 「虹羽、どうだった?」 「ちょっと冷たかった。」 「そっか。」 日常の会話、それでもスッと緊張が和らいだ。やっぱり、心さんはすごいと思った。 この物語はどうでしたか? これは一つの小説の中の二つ目の章です。 主人公の説明は最初の物語をご覧ください。 ではまた。

生きる。〜それは私たちのまだ知らないこと〜(10)

「思う存分、泣きなさい。」 と言われてもっと、もっと泣いた。気がつけばもう、涙は流れていなかった。 「私は普視庁の角田光代(かくたみつよ)です。お嬢ちゃんのお名前は?」 「お嬢ちゃんじゃねーよ。」  「じゃあ、あなたの名前は今言えるかな?」 「島壽虹羽(しまずこう)。」 「あなたの近くに、なんで包丁があるのか、わかる?」 「はい。俺が自殺しようと思って、持ち出しました。」 「自殺は良くないね。怪我したところは足だけ?」 「はい。」 「あなたは、親戚とかいる?」 「・・・・」 「ん?もう一度聞かせてもらってもいいかな。」「だから、いないってば。」 「ごめんね。じゃあ、一回おにいさんについてきてもらってもいいかな?」 「いいですよ。もう悲しいだけですし。」 「じゃあ行こうか。あなたは好きなものとかある?」 「わかんない。」 「あんまり、食べたことないの?」 「はい。」 「・・・じゃあ、おにぎりか、ご飯どっちがいい?」 「おにぎりがいいです。」 「わかりました。」 いつの間にかどこかについた。 「ここは児童相談所だよ。ここでちょっと暮らしてもらうね。」 「こんにちは。わたしは、佩舵心(はいだこころ)です。」 「よろしくお願いします。」 「敬語じゃなくていいんだよ。」 「はい。」 「・・・。じゃあ、ご飯食べよっか。」. 「はい。」 「じゃあ作るから、テーブルで待っててね。」 「はい。」 何があるんだろ。雲?作者は・・・佩舵心?読んでみるか。「自分は、死にたいと思っていた。居場所がない。そして両親から毎日殴られて、いじめられて、自分を狭めていく規制があった。足が水に浸かっているのはわかる。それと同時に手が水に沈んでいく姿も見える。こんな風に、溺れてみたい。その心に従って私は溺れた。自分が浮かんでこないように。その瞬間、私は、服を着ていて、川に向かって人がいないか確認して、わざと溺れた。そしたら案外川に飛び込むまでに意識は無くなった。いやその瞬間意識がなくなる用に仕掛けた。さっき口と鼻、両方を塞いだ。きつく。いや少しは息ができたが、それじゃあ、足りなかった。起きたらその世界は、鍋に水を入れて鶏がらスープを溶かして入れた時みたいな、白銀の世界だった。」 不思議な物語だったな。でも共感できる部分もある。美味しそうな匂いがする。食卓に向かおう。そこには、あったかい食べ物があった。 「いただきます。」 おにぎりを最初に食べた。それはもう、なんとも言えない、暖かさの形だった。気づけば俺は泣いていた。この心の温かさに。 「あの、俺、スカートとか、履きたくなくて、あと、自分の体を見るのも嫌で。この性別でなんで生まれてしまったんだろうって思うんです。」 「それはあなたが性別違和だからかも知れませんね。しかし安心してください。皆さんの希望の服をお出ししますので。あ。そうそう。性別適応手術、受けたい?」 「いえ。大丈夫です。」 俺はこのことを知っていた。でも手術代が高いことも知っていた。 この物語はどうでしたか? これは一つの小説の中の一つ目の章です。 主人公は島壽虹羽(しまずこう)。 虹羽は性別違和。 性別違和(性同一性障害、性別不合)は、身体の性と自認する性が一致せず、その不一致により強い苦痛や不快感を感じている状態のことです。 このような症状を抱えている人もいます。よくしらべてくださると幸いです。 次は第二章目を公開します。

境目

しあわせとは 何も考えないこと お気楽であること 難しいことを 考え出した途端 しあわせは 終わってしまう

正論チャイニーズ

「ワンさんは日本に来てどのくらい?」 「私は三年前、日本に来た」 「日本に来てからうちの会社に入ったの?」 「いやいや、もともと中国にこの会社があって、そこから日本の本社来たよ」 「そうなんだ。めっちゃエリートだね」 「そんなことないよ。あなた本当エリート」 職場の飲み会に久しぶりに参加した。 その理由は、中国人のワンさんが飲み会に参加していると聞いたからだ。以前から話をしたいと思っていた。 歳は僕より少し下くらいだけど仕事は現場の誰よりも出来る。どんな人なんだろう 「ワンさんは結婚してるんだよね」 「そう。向こうに妻と息子を置いてきたよ。さみしいよw」 「僕も妻と息子がいますよ」 「同じだね。家族愛してますかw」 お互い酒は強くなく既にいい気分だ 「いや〜毎日帰るとビール一杯飲んで、コテンと寝ちゃうから、まともに話してないよw」 「ソレ駄目ね。奥さん悲しむよ。毎日話したいよ。でもあなた酔っ払って寝ちゃう。息子も可哀想ね。父親として駄目よ」 「え…いや…うん」 「家族はあなたのこと愛してます。では何であなたは家族を愛さないですか?地獄落ちるよ」 「じこく…」 「毎日あなたの帰りを待ってる。ずっと待って、あなた帰って来てお酒飲んで寝ちゃう。家族あなたの体が心配。家族残して死ねますか?家族ドウスルの?誰が守るの?あなた人として駄目ね。地獄落ちる」 「人として…じこく…なんか…すみません」 「まぁ飲んで飲んで」 「飲めるか!ちょっと電話してくるよ」 「愛してます言うね」 「言ってくる」