記憶マーラータン

 店に入ると、アルミ色の入れ物がたくさん並んでいた。  入れ物の中には、プラスチックの札が入っている。   「こちらをお使いください」    店員から渡されたボウルを受け取り、俺はプラスチックの札を物色する。  同じ入れ物に入っている札には、すべて同じ言葉が書かれている。  ある入れ物には、年収。  ある入れ物には、健康。  つまりこれは、次の人生で得られる能力だ。    まずは、最低限必要だと思う物を入れていく。  健康は言うまでもない。  年収も欲しいし、住居も欲しい。  都会出身も欲しいし、恋人も欲しい。  とはいえ、全てを入れることはできない。    俺より先に札を入れていた客が、レジへと向かう。  そこでボウルと札の重さが測られ、レジに値段が表示される。   「三千八百四十一円ですね」 「……二千二百円しかありません」 「では、いくつかお戻しください」    俺は、無言で財布の中を確認する。  二千二十六円。  この現金は、生きている間の振る舞いとか、死んだ自分を悲しんでくれる人間の数とか、色々加味されて決まるらしい。  俺は、前の客が持っていたボウルの中をチラ見し、自分のボウルの中を見る。   「はあ。また、凡人の人生になりそうだなあ」    これ以上を入れることはできないと判断した俺は、そのままボウルをレジへと持っていく。  測定の結果、無事に二千二十六円以内に納まった。   「はい、二千円以上のお買い上げなので、こちらの札から好きなものを一枚サービスします」 「じゃあ、ポジティブな性格で」    支払いが終わる。  店員は、ボウルの中身を鍋の中に投入し、調理を始めた。  アレが、次の俺の人生というわけだ。    調理姿をボーっと見ていると、俺の意識は徐々に薄れ、鍋の中に吸い込まれていった。

友達をつくる

やばい、どうやら飲みすぎたようだ。 頭の中が霧がかかったようにぼんやりしていて記憶があやふやだった。 週末で大賑わいの赤ちょうちんの店内は、やたらと薄暗く、私と向かい合って酒を飲んでいる彼女以外は、なんだか人の形をしたうごめく影のように見えてきた。 「やっぱりポン酒はきくねー」などと、周りのやかましさをかき分けて彼女のケタケタ笑いが聞こえた。 「だいぶ飲んだねー。大丈夫?」 「ああ、ごめん気にしないで。あれ? ところであなたは誰だっけ?」 酔いのせいでやたらぐるぐるする視線をなんとか定めると、赤ら顔の若い女性が見えた。 「誰だっていいじゃん。寂しい者同士。今夜は飲み明かそうよー」 甘えるような声色だが、化粧っ気はなく、服も部屋着のようにだらしがないから色気を感じない。 だけど、やたら明るくて人懐っこい彼女と話していると、すべてがどうでもよくなっていった。 どうしてここで飲んでいるのか? 彼女が何者なのか? そして、ずっと心にある孤独感は一体どうすればいいのか? とかが気にならなくなっていく。 恐らく彼女とはたまたまここで出会って、二人で飲んでいるだろう。 そう思い込むことにした。 「そうだな。飲もう」 しばらくは他愛のない話をしていたが、やがて私は彼女に気を許して、つい心のなかを打ち明けた。 「じつは友達がいなくて寂しいんだ。孤独が辛いんだよ」 「そうなんだ。わかるよー! 私も孤独だよ」 彼女は軽い感じだが、わたしの肩に手を伸ばして優しく慰めてくれた。 その優しさに瞼の裏が湿っぽくなってきた。 礼を述べると彼女はある提案をしてきた。 「ならさー友達つくろうか」 彼女の言葉にそれができたら苦労しないと苦く思ったが、次に突然予想外のことを言い放った。 「簡単だよ。つくりかた教えてあげるから、今からうちに来なよ」 「えっ」 それがいいとうんうんうなずく彼女。 一気に様々な想像が頭に浮かぶ。彼女がどういうつもりかわからないが迷った挙句、この蠱惑的な誘いは断ろうとした。そう立ち上がった瞬間、さらに酔いがまわり、意識がもうろうとした。 気分が悪くて、情けないがまともに歩くことができなくなっていた。 「大変、ほら肩貸してあげる」 笑いながら流れるような動作で彼女は会計を済ませて、私を店から連れ出した。 男の体躯を物ともせず支えながら歩き始めた。 横丁を抜けて静かな夜道に差し掛かり、ちらりと彼女の横顔を間近で見る。 その整った顔つきに気がついて、くわえて髪のいい香りが鼻腔をくすぐり、胸の鼓動がどんどん早くなるのを感じた。 もしかして友達というよりも恋人ができたりして? そんな期待で頭のなかでいっぱいになっていくと誘いに乗ってもいいかと思うようになっていた。嬉しさのあまり慌てたのか道中で転んで手をすりむいてしまう。 「もう、なにやってんだよー」 ハプニングでお互いが笑顔になり、一気に心の距離が近づいた気がした。 そうして彼女の住むマンションへはすぐついてしまった。 「さあ、あがって」 「お邪魔します」 ウキウキしながら部屋に入ると、何の変哲もない、独り身のワンルームの部屋だった。 何か言おうとして、言葉が止まった。 部屋の中央に粘土のようなものが山盛りになっている。 「なに、これ」 思わず声がひくついてしまうが、彼女はわたしのリアクションなど気にせず「とても貴重な材料なんだよー」と得意げに答えてくれた。 人間一人分くらいあるだろうか薄気味悪い肌色の塊。おかげで部屋に余分なスペースはほとんどなかった。 わずかな空いている床にも何やら塗料の缶のようなものやそれを塗るための筆なんかで散らかっていた。 座る場所は? いやそうじゃないだろう! 混乱するわたしと対照的に彼女は愉快そうで、悪戯が上手くいった子供のようにご機嫌だった。 「今日は上手につくれたんだ」 「何をつくったの?」 「私もひとりで寂しくてさ。お酒飲む相手もいないし。やっぱり、君もひとりだけだと寂しいよね」 具体的な答えをくれない彼女だが、話を聞くにつれてだんだんと嫌な感じがしてきた。 頭が痛くなり、記憶がよみがえるような感覚に襲われる。 そして、気がつけば肌色の粘土に、何か懐かしさを覚えていることにぞっとした。 「君が私に性格似ているのもなんだか嬉しかったよ。寂しがりなところとかさ」 手を見ると擦りむいたところから赤い血はまったく見えず、かわりに固まった粘土のカスのようなものでざらついていた。 彼女は今日ずっと笑顔だった。 素敵だと思っていたそれは今や、口が裂けるかと思うほどに不気味なものになっていた。 それは孤独によってなのかわからないが、彼女でなくなり始めた彼女はとうとう私にこう言った。 「よかったね。君をつくっても、もうひとり分くらいあるから、友達をつくれるよ」

良き朝

いつもの朝、いつものカチカチ時計の音、 いつものなにかどれもいつものものなのに 私の体は動かずベッドから出れずにずんっと 重い。石のように重たい。体は1mmと動かない。それでも時が止まっているわけではなくて カチカチと時は時は少しずつ進んでいる。 これはまずい、本当にまずいと思いながらも 相変わらず体は動かない。もう10分と20分 経っただろうか、やっと体が動いた。私は時計をふとみるともう家を出る予定の時間まで 15分もない。朝の変な現象のせいで完全に 私の予定は崩れてしまった。 バタバタと身じたくをする。顔を洗って 髪をセットしてと慌ただしく動く。もちろん いつもの朝と違って朝ごはんを食べる時間なんてない。もう何年も寝坊なんてしていない私は こんな日はもうごめんだと思いながら勢いよく ドアを開けた。家から駅までは歩いて 10分だがもうバタバタしていて心にゆとりがない私は少し走って駅まで向かった。いつも乗る電車には結局乗ることが出来ず一本後の快速に 乗ることになった。ドアが開くと目の前には数人の人が立っていた。普段私が乗る電車は満員電車だからなんだか電車の中にスキマがあるのが新鮮だったのだが新鮮がゆえにこの場合どこに立てばいいのか分からず少しとどまってしまった。 結局私は電車の中心部の席の前に立つことに した。数人のサラリーマンと数人の学年に 囲まれて私は電車に揺れることになった。 電車の窓から見える青空はすごくキレイな 青で絵具で塗ったのかと思うぐらいだ。 なんだか今日は気分がいい。今日一番最初の 出来事は凄く焦ったが空いている電車に 青々して空。なんだかゆとりのある日に感じて しまう。実際はいつもの時間に会社につかないのにどうも焦せる気持ちになれない。 私らしくないと思いながらももしかしたら何年も 就業時間の30分前に会社にいるというのは 割とすごいことなのではないかと思いはじめた。 そんなことを考えながらふと車内を見ると 見覚えのある顔が目に入った。昨年入社した 25歳の女性社員だった。彼女は私の7歳下の子で 一度は違う会社で辞めた後うちの会社に転職 果たしたそうで彼女が入社した当時数ヶ月間研修を担当したことがある。ただそれだけの関係だが 私はその数ヶ月の間に彼女に好きになってしまった。彼女が7歳下のまだ世間を知らない子だからか 顔が好みだからか私は一目見た時から彼女のことが好きでたまらなくなってしまった。 だが私は職場では新人に手を出すようなタイプではないし逆に真面目でちょっと気難しいタイプだと思われているから連絡先を聞くことも食事に 誘うこともできず研修時間が終わってしまったのだ。そんな彼女は今目と鼻の先にいる。もちろん研修を担当した先輩として声をかけることも できるが私にそんなことができるのか。 じっと彼女を見ながら考え込んでいるとぱっと 彼女がこちらをむいた。彼女は笑顔になって 私と彼女の間にいる乗客数人を潜り抜けて 私のものへ歩いてきた。私の心臓はバクバクしたままだったがぐっと顔を引き締めた。彼女は 軽いあいさつをした後研修のお礼を私に 伝えてきた。私はバクバクしたまま 「ええ、そう」「大変だったね」 「いつもがんばっているね」となんでもない 返しをいかにも重く意味のある言葉のように 返している。そんな言葉を彼女は素直に笑いながら受け取ってくれる それだけでどうしてこんなに幸せなんだろうか。 しかしそんな幸せな時間は長くは続かない、 なぜならこの電車は快速なのだから。 あと1駅で会社の最寄駅についてしまうのだ。 私の心臓は違う意味でドクバクしている。 彼女とは研修では一緒だったが今では部署も 違うからなかなか会うことも話すこともない、 だからもう今しかないのだ。しかし電車は到着 してしまう、耳に嫌なアナウンスの音が 入ってくる。「今度一緒にご飯でもどう」というだけなのになかなかその一言が出ない。電車が減速してどんどん窓の景色がゆっくりに なっていく。どうしようかなと考え込んでいると彼女が今まで聞いたことのない声で 「あの、今度食事にいきませんか」と私に声を かけた。明らかに張った声で言い切った後に なって彼女は下を向いて耳を赤くしている。 どう考えても私の返事待ちだがどうしてか声が 出ない。今朝のように石のようになにも できない。電車のドアが開いて人が降りていくが 彼女はどうしていいか分からずその場に固まっているそのうちドアが閉まってしまって2人とも唖然としてしまった。彼女は慌てついでに目元を うるませて「迷惑でしたかね」と言った そこで私はついに声を出すことができた。 「迷惑じゃない、行こう」これも重みのない言葉だったが彼女は笑顔で受け取ってくれた 何年も遅刻したことなかったが遅刻も悪くないと思えた朝だった。

若い頃に女遊びをしなかった人と若い頃に女遊びをして落ち着いた人

「貴方は、本当にいい夫だよね」 「どうした急に?」    妻が甘い言葉で囁いてきたので、俺はつい振り向いた。  アルコールが回っているのか、妻はとろんとした目をしている。   「幼馴染とね、久々に会ったの」 「うん」 「その幼馴染はね、女遊びをしたことがない真面目な男の人と結婚したの」 「うん」 「でもね、その男の人、出世してお金が稼げて、美容にも気を使うようになって、今更モテ期が来たらしいの」 「あー。浮気でもしたの?」 「そー。浮気されたくないから真面目な人を選んだのにって、幼馴染泣いててさ」    俺はスマートフォンを置いて、妻へと近づいた。  そして、ベッドで寝転ぶ妻の頭を、優しく撫でた。  妻は、一層表情をとろけさせて、猫のように俺の掌へ顔を擦り付けてくる。   「貴方は、若い時遊んでたじゃない?」 「遊んでたね」 「で、今は落ち着いたじゃない?」 「さすがに飽きたしね」 「やっぱ、浮気されたくないなら、そういう男を選ばなくちゃね。私の目は、間違ってなかったわ」 「そうだな。遊んでこなかった奴ほど、将来浮気をするもんだ」    妻が目を閉じたので、唇を重ねた。  妻は満足そうに微笑んだ後、そのまま眠ってしまった。  寝息を立てる妻に布団をかけ、電気を消して部屋を出た。   「遊び慣れてないやつの浮気なんて、すぐバレるもんさ」    俺はスマートフォンでフリマアプリを開き、出品者とのメッセージ画面を開いた。  そして、不倫相手から来ていたメッセージに返信をした。    こちとら、若い時から死ぬほど遊んで、死ぬ気で隠す方法を模索してきたんだ。  最近遊びを覚えたやつと違って、バレるへまなんてするわけがない。

本をつくりたい気持ちのあれこれを

 文芸創作をして、投稿サイトにアップして、それでいいと思っていました。少しばかりの「いいね」をいただき、ときどきコメントをいただき、それでいいと思っていました。「今度の文フリ出まあす」「ZINEフェス申し込んじゃいました」そういった言葉を目にすると、姿のみえない誰かから強迫じみたものを受けているような、わたしもつくらないといけないような、そのようなことがアタマのなかをめぐることはあります。挑戦といってしまうのもおかしな話ですが、そのような「本をつくりたいわたし」が、大きくなっていかないようにがんばっているところです。  本をつくるというのは、やはりその先に「売る」という行為があるように思います。それがすべてではないにしても、やはり、どうしても。文芸という性格上、スポーツとはちがって、行動や気持ちが内向きになるというのはあるかなと。寺山修司があのようにいったのも、わからないことではありません。  本をつくるために覚えないといけない知識や専門用語をなんとか自分のものにして、苦労の末に本ができて、もうひとふんばりと気持ちをいまいちど外に向けて、電車に乗って、会場に到着して。情熱でもってなんとかカバーして、つくった本と内向きな気持ちを運び込むことに成功したとして、けれど、まだ、それで終わりではないのです。どうにもこうにもお客さんに声をかけられない問題が立ちはだかります。そのことはよく目にします。わたしも同じようなことになると容易に想像できます。せっかくつくったのに、と落ち込む自分がきっとそこにいることでしょう。ですから、やはり「本をつくりたいわたし」は、小さくしておいたほうがいいのです。  引っ越しをしたいのです。具体的に行動を起こしているのではないのですが、思うことは多いです。どこに、というのは特別なく、いつまでに、というのもありません。ただ、してみたいなあと。正確には、いまいるところから別のところに移りたい、とそれだけのことなのです。いま住んでいる街の、いまいるところから近い場所でもいいのです。親きょうだいに知られず、ひっそりと暮らしていければ。  創作仲間がいっしょに暮らしていて、わたしが書いたものにひとりが絵をつけてくれ、さらにもうひとりが売り込みに出かけてくれて。それぞれの部屋に台所・トイレ・お風呂があるので、基本は自分の部屋のなかですごします。金曜の夜だけは、いっしょにごはんをたべます。そこで一週間の進捗状況を報告し合うのです。  ある夜、わたし以外のふたりがいうのです。本をつくってみたいなあ、と。わたしは戸惑います。きいてないふりをして、時間をかけてハンバーグを切りわけます。ゆっくり口に運びます。口を動かしていると、ひとりがこちらをみていうのです。「どう思います?」と。わたしは箸を置き、丁寧に時間をかけてふたりに話します。自分の思いを伝えていきます。ときに誤解があり、ときに反発があり、けれどふたりは、わたしの思いをきちんと受け取ってくれます。その上で提案してきます。本をつくるのもイベントへの参加もふたりでする、でも文章は書けない、そこは手伝ってほしい、と。そうして、ZINEサークル「雨.」は発足するのです。  都合がいい話です。そんな都合のいいことが、それも向こうのほうからやってくるわけないのです。ですから、やはり、本をつくることへの未練はあるのでしょうね。それだから引っ越しと結びつけ、そのことを考えてしまうのです。でも現実は……  ですので、ほんのときどき募集があったとき、寄稿をしてみたりします。寄稿をして、献本をいただいて。自分の名前が載っているカタチになったものを手にする。自分でもつくってみようとの気持ちが大きくなってしまうのだろうか、いくらかの心配もあったのですが、そのようなことにはならなくて、気持ちはなんとか小さく保つことができています。いただいた本を手にしても何も思うことがなかったわけではなく、自分なりに感慨に思う気持ちはあったわけですが、その感情は自分なりのものなので、人にはうまく伝わらないようです。情けないことに。  文芸創作についての気持ちには、いまもって変化はなく、これまでどおり基本的にはネット上に自分の書いたものを投稿して、それで終わりということになるのでしょうし、それでいいのだと思っています。そしてときどき、気持ちのガス抜きのように寄稿をするのでいいのだと。  いつか、つくりたくてしかたないなんて状況になってしまうかもしれません。できればそのときが来てしまわないように「本をつくりたいわたし」が大きくならないように、気持ちをやりくりしていこうと思っています。向こうのほうから創作仲間がやって来て「本つくるけど、どうします?」なんていってくれるようなことがこの先あるのなら、話は別なのかもしれませんが。

子供時代からの呪い

 子供の頃、大人に向かって中指を立てた。  顔も隠さず動画を撮って、SNSに投稿した。  大人の作った社会に苦しめられている、ぼくたち子供の恨みを知れという気持ちを込めて。    大人たちは、そんなぼくを玩具にした。  動画はあっと言う間に拡散されて、切り抜かれ、ネットミームにされた。    事情を知った学校から親に連絡が入り、親からは烈火のごとく叱られた。  動画を削除し、SNSのアカウントを削除させられた。  それでもなお、ぼくの動画が消えることはなかった。    子供のぼくは、大人たちをさらに恨んだ。  学校も、親も。  顔も見えない大勢も。  皆、皆。    ぼくはまともな大人になるんだと、心に決めた。        しかし、人を呪えば穴二つとは、よく言ったものだ。  子供のぼくがかけた呪いは、ぼくが大人に近づくにつれて、ぼくにも牙を向けてきた。   「……君、この動画の子だよね?」    受験に失敗した。   「こんな騒ぎを起こす子は、ちょっと」    就職に失敗した。   「バカやったやつに再起の機会を与える。そういうのも、大人の仕事だと思ってるよ」    人情派を自称する親方に、お情けで拾われた。  それから始まるのは、スパルタもスパルタ。  時代錯誤の熱血指導で、体も心もボコボコにぶちのめされた。  何度も泣いて、何度も逃げて、何度も引きずり戻された。    中指を立てた自分が間違っていたと気づいたのは、とっくに大人になってからだ。   「社長のおかげで、真っ当な大人に慣れました!」 「そうかそうか! よっしゃ、今日はお祝いだ! 大人の祝い方を見せてやる!」    しかし、呪いは止まらない。  ぼくが大人になっても、世界は良くならない。  良くならない世界を見ている今の子供たちは、大人に対して侮蔑の視線を向ける。  当然、元子供で現大人の、ぼくにも。    視線が、言葉が、ぼくを刺す。  中指を立てた過去のぼくは、そんな子供たちの中で、聖書扱い。  ぼくの間違った行動を真似する子供たちが、次々と増えてきた。   「違う。そんなことをやっちゃいけない!」    ぼくの中の呪いが笑っていた。  また、呪える相手が増えると笑っていた。  ぼくの中で大きくなった呪いは分裂して、一番大きな呪いだけがぼくの中に残り、それ以外が遠くへと飛んでいった。   「ああ、ぼくのせいか。子供のぼくの……大人のぼくの……」    SNSで、子供が一人炎上していた。  ぼくの呪いのせいだとしか思えなくて、ぼくの中の呪いが、ぼくの感情を締め付けた。

人生ログ

「ご臨終です」    医者の言葉とともに、私の意識が鮮明に戻ってきた。  下を見れば、眠る私と、私に縋りつく家族たち。  いや、現状を考えれば、眠るという表現は適切でないのかもしれない。   「そうか。死んだのか、私は」    家族の側に向かおうとも、体を自由に動かせない。  私は棒立ちのまま、天へ天へと向かっていく。  私の体がどんどん小さくなっていき、私はそれを見下ろすことしかできなかった。   「まあ、いい人生だったんじゃないかな」    健康に気を使っていたわけではないが、平均寿命を超えての老衰。  大往生だ。  心残りは、最後の一・二年間、私は私の記憶が薄かったことだろうか。  思い出せなくなっていく言葉と経験に、これが老化かと感じたものだ。   「今までありがとう。さよならだ。もし来世があるなら、また家族になりたいものだね」    病院の天井を突き抜け、空へ。  私の住んでいた町を見下ろしながら、私の体が雲を突き抜けていく。  視界が真っ白に染まった後、急に私の体が動きを止めて、視界一面に文字が並んだ。   「ん? なんだ?」    よくよく見てみれば、そこには日時と時刻と出来事が並んでいた。  人生のログとでも呼べばいいのだろうか。  ログは、私が生まれた日から始まっており、徐々にスクロールされて私の人生を追っていった。   「はは、こんなこともあったなあ。そうそう、高校生の頃に初めて告白して、見ごとに振られたんだった。その肘は、一日中ベッドに籠って泣いたなあ。ああ、懐かしい。就職で初めて東京に行ったんだっけ。人が多くて、腰を抜かした記憶があるなあ」    思わず目が潤むが、涙は落ちてこなかった。  いや、既に目という器官さえ、消滅している印象を受けた。  鏡がないからわからないが。   「子供ができた時は嬉しかったなあ。餓鬼の頃から、くそ生意気なやつだった。そんなやつが、『結婚しようと思うんだ』なんて大人の顔していってきた時は、ソファーからずり落ちそうになったな」    人生が後半に進むにつれて、ログの流れる速さは増していく。  体感時間と連動をしているのかもしれない。   「そう、孫が生まれて、孫が受験に受かって、そのころから段々と頭がぼんやりとし始めて」    新幹線に乗った日を思い出すほど、ログが高速に流れていく。  既に目で追うことが難しくなっているが、必死に全て読もうと気合いを入れる。  しかし、まだ読めていないログも、情け容赦なく流れていく。    そして、最後の一行で、文字が止まった。   『八十三歳。家族に見守られながら死亡。幸せな人生が幕を下ろす』   「はは」    思わず笑いがこぼれた。  このログは、私の内心だろうか、それとも神様とやらの客観的な事実なのか。  なんにせよ、幸せな人生と最期に評価されたのは、嬉しい限りだ。    楽しいことも辛いこともあった人生。  その幕引きとしては、上々どころか最高だ。    ログの文字が薄くなり、消えていく。  司会が完全に白く染まる。    ああ、いい人生だった。    最後に出そうとした言葉は、声に乗ることはなかった。  ただ頭の中にだけ響き、私の意識に溶け込んでいった。

僕が見た死後

01. 宇宙と脳のレイヤー ​死ぬ瞬間というのは、拍子抜けするほど静かだった。 ​ドラマみたいな劇的な走馬灯もなければ、天使の迎えもない。ただ、まぶたを少し強く閉じて、次に開けただけだった。 ​視界に広がっていたのは、漆黒の闇……ではなく、無限に広がる神経網のような光の束だった。 どこかで読んだ記事を思い出す。宇宙の網状構造(コスミック・ウェブ)と、人間の脳の神経細胞ネットワークは驚くほど似ている、という説。いま僕がいる場所は、まさにその境界線だった。 ​ふと横を見ると、「それ」がいた。 三本の足が生えた、巨大な脳細胞のような形の何か。 言葉を交わしたわけじゃない。けれど、直感で理解した。——あぁ、こいつについて行かなきゃいけないんだな、と。 ​下を見ろと言われても、自分に脚も手もなかった。 肉体という重りが消えて、僕はただの「視点」あるいは「意識」として、三本足のガイドとともにその光のニューロン回路を滑るように進んでいった。 ​02. レンダリング ​空間の終わりに差し掛かったとき、ロード画面のようなものが始まった。 ​まず、空間にワイヤーフレームのような輪郭が現れ、質量を持った「物」が配置されていく。机、アスファルト、街灯、ビル。 次に、そこに「人」がひとり、またひとりと描画されていく。 まるでゲームのマップデータが読み込まれていくのを、特等席で眺めている気分だった。世界はこうやって作られていたのか。 ​「はい、お疲れ様」 ​声は聞こえなかったけれど、そんな合図とともに、僕の意識は新しく完成した世界へドカンと落とされた。 ​03. ズレ ​ハッと気づくと、自分の部屋にいた。 見慣れた天井、聞き慣れた街の雑音。生きている。元の日常に戻ってきたんだ。 ​……いや、何かが違った。 ​部屋の小物の配置、空気の重さ、窓の外を歩く人の服装。決定的な破綻はないのに、世界全体の「仕様」が微妙にバージョンアップ(あるいは変更)されているような、強烈なパラレルワールド感。 ​答え合わせをするために、机の上のスマホを手に取る。 画面をスワイプし、パスコードを入力しようとする。 ​「……あれ?」 ​指が止まる。 頭では正しい数字の配列を完璧に覚えている。キーボードの配置もさっきまでと同じだ。 なのに、指を動かそうとすると、まるで別の物理法則に邪魔されているみたいに上手く打てない。 ​僕が戻ってきたこの世界は、本当に「僕がいた場所」なのだろうか。

【うつ病】

とても美しい女性が、隣町から自分のアパートの横に引っ越してきた。 噂によると、うつ病を患っているらしい。 せっかく近くに住んでいるのだからと、挨拶に伺った。 「こんにちは!」 「あら、こんにちは。今日はいい天気ですね!」 とても快活で朗らかな女性だ。 隣町で8年間務めて、ここへ来たらしい。 眩しい笑顔、品のある佇まいとユーモア。 彼女の引っ越しを手伝い、仲良くなった。 僕は彼女が好きになった。 好きな人が出来た事を友人に相談した。 「お前、うつ病の人と居ると命がいくつあっても足りないぞ。やめておけ。」 誰に聞いても、決まって同じ答えが返ってきた。 分かっているさ。 でもかまうものか、僕は彼女が好きなんだ。 季節は夏で、花火大会がいくつか開催されていた。 僕は意を決し、河川敷で行われる花火大会へ、彼女を誘った。 「ありがとうございます!花火の余韻と香りが好きなの。楽しみにしていますね。」 やった! 花火が終わったら、僕は彼女に気持ちを伝えるぞ。 そして、その日はやってきた。 僕と彼女ははぐれないよう、自然と手をつなぎ、色とりどりの打ち上げ花火を眺めた。 彼女はうっとりとしており、感極まって鼻が小刻みに震えていた。 「ねぇ、今日は私の手をずっと繋いでいてね。私を抑えてほしいの。」 彼女は頬を赤らめて僕に言った。 これはもう、僕の事を確実に好きなんじゃないかな。 花火が終わり、帰路についた。 二人きりになっても、ずっと手を握り歩いていた。 男として、告白はしなければ。 僕は彼女の手を放し、正面から向き合った。 距離にして2メートルといったところだ。 「どうか、僕と付き合ってください。」 僕は頭を下げた。 彼女は言った。 「そんな事されたら…、私、もう自分の気持ちに勝てないわ。」 よしよしよし! 僕はまだ顔を上げなかったが、彼女に気持ちが通じたのは確実だ。 僕は、彼女が手を取ってくれるのを待った。 チラッ…彼女が胸側に右手を当てたのが分かった。 その時だった。 ドンッ!!!!!!!!!! 鈍い破裂音が響いた。 ん、まだ打ち上げ花火が残っていたのかな…? そう思った瞬間、意思とは反して、僕は前のめりに膝をついて倒れた。 自分の胸から液体が噴出していた。血だ…。 彼女を見ると、手には黒いシャープな塊を持っていた。 - 銃だった。 「どうして…?」 僕は苦しみに悶えながら、声を絞り出した。 彼女は恍惚とした表情で、僕に応えた。 「あなたが悪いの、火薬の匂いのある場所に連れ出すから。」 「あなたが悪いの、私の両手を自由にするから。」 「あなたが悪いの、死刑囚みたいに無防備な姿勢を取るから。」 彼女はキャハハハと、狂ったように笑い出した。 「あーあ、今度はどれくらいお務めしなきゃいけないのかしら…まだ聞ける?もしもーし。」 彼女はクルクルと指でそれを回転させている。 薄れゆく意識の中で僕は思った。 ああ、やっぱり【撃つ病】の人とお付き合いするのは無理だったんだなぁ…。

精神が病むので書きたくないので空白に他人が勝手に描いた絵を楽しむ(下衆)

ここに何か描いてくれ↓ よし、僕は今日を乗り越えた(自己解決のような自己満足)。

ネタ切れなのでNTRものを書いてみた。

週末の午後、広場に小さなステージが用意された。 「みなさん、お待たせしました。只今より開演いたします」 大勢の観客の前で、男が両手を広げた。 その声を合図に、脇で待機していた女が、一組の夫婦を連れてきた。 「やめろ。手を離せ」 男は暴れる夫の首をつかむと、着ていた服を剥ぎ取った。 「おぉ…」 会場が沸いた。 すると今度は、妻に手を伸ばした。 「やめてくれ。私の大切な妻に触らないで…」 夫は涙を浮かべ、見上げた。 男は観客を見渡すと、腕をつかみ引き寄せた。 観客から拍手が起こる。 足をバタつかせて暴れる妻。 そして、夫を見つめながら、大声で叫んだ。 「メェ〜」

ハロウィンのふたご

 十月三十一日。  太陽と月が入れ替わり、暗くなった街に、灯りがつきます。  街には、様々な仮装をした子ども達が、楽しそうに家々を訪問します。    今年も、ハロウィンの日がやってきました。  子どもたちがはしゃいでいる賑やかな街に、可愛い二人の女の子がいました。  一人は、モノクルを右目に掛けています。  もう一人は、おばけかぼちゃを頭に飾っています。    二人は手を繋いで、華やかな街並みを歩きます。 「今年はどんなお菓子を貰えるかな?」 「今年はどんないたずらをしようかな?」  二人は楽しそうにそう言いました。  そして、かぼちゃのランタンを飾った家の扉を叩きました。 「トリックオアトリート!」  ドアを開けたのは、ふくよかな女の人でした。 「ハッピーハロウィン!お菓子をどうぞ」  二人は嬉しそうにお菓子を貰いました。    ハロウィンを楽しむ二人の女の子。  他の子のようにお菓子をもらい、他の子とは違ういたずらをする、そっくりな女の子。  ある子どもは言いました。 「二人は誰の友達?」  別の子は言いました。 「二人はどこの子?」  沢山の、仮装をした子どもたち。  その誰もが、二人を知りません。  不思議な、不思議なふたごの女の子。  ハロウィンを楽しむ女の子。  でも本当は。  お菓子もいたずらも、二人はどうでもいいのです。  二人が本当に欲しいのは……。    夜も更けて、もうすぐ十二時になります。  子どもたちはお菓子をたくさん持って、家に帰ります。  みんなは口々に言います。 「十二時までに帰らないと、とっても大変なことになるよ」 「大変ってどんなこと?」 「それがわからないから大変なんだ」  子どもたちは急げ、急げと、家を目指します。  街の時計塔が、十二時の鐘を鳴らします。  よい子はみんな、家に帰りました。  でも。  妖精の仮装をした女の子が一人、街を歩いています。  彼女は、こんなに楽しいお祭りの時間を、もっと、もっと、続けたかったのです。    そうして一人、街を彷徨ううちに、時計の針は十二時を過ぎてしまいました。  その子の前に現れたのは、二人の少女。 「わるい子、見つけた」 「さあ、連れていこう」  女の子は逃げ出しますが、二人は決して逃がしません。  あっという間に捕まった、可哀想な女の子。 「おうちにかえして!」  そう泣いても、二人は意地悪そうに笑います。 「わるい子はおうちに帰れないの」 「わるい子はお日さまとさよならだよ」  ふたごは手に大鎌を持ちました。  そして、一歩ずつ近づくと……。    朝になり、女の子のお父さんとお母さんは、彼女を捜します。  でも、どうしても、女の子は見つかりません。  お父さんとお母さんは、涙を流しました。  二人の少女は、墓場でお菓子を食べています。  墓場には、かぼちゃのランタンが沢山ありました。 「この魂、あんまり明るくないね」   「仕方がないよ、小さい子だったもの」  二人はチョコレートをぱくりと口に入れました。 「来年は、どんなお菓子を貰えるかな?」 「来年は、どんないたずらをしようかな?」  二人はにやりと笑って言いました。 「「来年は、どんなわるい子の魂を、回収できるかな?」」  ハロウィンの夜は、ふたごの死神にご注意を。  

子供の頃に見た開かずの間

 ぼくの家には、開かずの間と呼ばれる部屋がある。  その部屋には、お父さんもお母さんも入らない。  でも、その部屋の鍵は、お父さんがずっと持っている。   「この部屋何があるの?」 「別に何もないよ。危ないから入っちゃ駄目だぞ」    ぼくが訊いても、お父さんは教えてくれない。  だから、ぼくは思うんだ。  この部屋の中には、お宝がたくさんあるんだって。    本で読んだ。  黄金の塊とか。  世界に一つしかない絵とか。  昔のことが書かれた石板とか。   「ずるい! ぼくも見たい!」 「本当に、何もないんだって」 「じゃあ、ぼくが大人になったら見せてくれる?」 「大人になったら、いいけど」    約束だ。  ぼくは、小指を差し出して、お父さんの小指をぎゅっと握った。   「嘘ついたら、針千本飲ませるからね!」 「わかったわかった」 「本気だからね!」 「わかったわかった」       「で、今日が成人式だから、中見せてやる」 「待って。スーツ汚れるから着替えてくる」    そんな子供の頃の約束を、親父は律儀に覚えていたらしい。  過去の記憶から、当時のワクワクが蘇ってはきたが、正直昔ほどじゃない。  こんな一般家庭に、黄金も絵画も石板もあるわけがない。   「開けるぞ?」    開かずの間が開かれる。  もわっとした煙と埃でできた煙が飛び出してきて、ぼくは思わずむせた。   「おい、大丈夫か?」 「大丈夫……ゲホッ」    親父が電気をつけると、開かずの間の全体が見えた。  ところどころカビが生えた壁に、踏んだら穴が開きそうな床。  親父が先に入ると、床がギギギと悲鳴をあげていた。   「ここはな、ひいばあちゃんの部屋だったんだ」 「へー」    もう、親父が子供の俺を部屋に入れない理由は分かった。  物置代わりになっているのだろう、荷物はてきとうに積まれているし、床は穴が開きそうで危ないし。    ぼくも部屋に入ると、やはり床がきしんだ。  顔も見たことがないひいばあちゃんに対し、感傷に浸れるはずもなく。  きょろきょろと見渡して、古い家具がたくさんあることだけがわかって、ぼくは部屋の外に出た。   「面白かったか?」 「いや、全然」    心の中で、昔のぼくがふくれっ面をしているのを感じた。  ぼくはその頭を、よしよしと撫でる。   「なんか、大人になったんだなって感じた」    鍵を閉めていた親父が振り返り、ぼくを見ながら首を傾げた。

行くのがだるい

「面倒くさいわ」 「そこをなんとか! 魔女様がいないと、ハロウィンが盛り上がらないんです!」    俺は今、土下座をしている。  魔女の住む城で、お手本通りの綺麗な土下座を。  そんな俺を、魔女たちは不愉快そうに見下ろしている。    紫色のとんがり帽子を被った一人の魔女が、俺の方へと近づいてきて、俺の後頭部を容赦なく振んずけた。   「理由一。交通費が高い。昔は全額出してくれてたのに、今は私たちも三割負担。なにこれ?」 「申し訳ありません! うちも予算が減らされまして!」 「理由二。ナンパがうざい。可愛いとか、ご飯行こうとか。人間が対等に見てくる不快感、貴方にわかって?」 「参加者全体に周知させていただきます! 警備員も配置して、そのような不届き物から魔女様がたをお守りさせていただきます!」 「理由三。『魔法見せて』じゃないのよ! 魔女の魔法は、神聖な儀式! 一発芸みたいにポンポン出せる訳じゃないの!」 「決して魔女様がたに『魔法を見せて』と言わないように周知させていただきますので! なにとぞ! なにとぞ!」    後頭部に加わっていた力が弱くなる。  魔女の足が離れたので、俺は頭を上げた。    魔女たちは、相変わらず鬱陶しそうな目で、俺を見ている。  俺は再び、額を床へとこすりつけた。   「なにとぞ! なにとぞ!」    視線だけを前に向けると、さっきまで俺を踏みつけていた魔女の背中が見えた。  魔女は椅子の置かれた場所まで戻っていき、足を組んで座った。   「お化けなら、他にもいるでしょう? ミイラ男とか、狼男とか」 「すでにお声掛けしております!」 「なら、十分じゃない」 「いえ! 是非魔女様にと!」 「ああ、女が足りないの? なら、口裂け女や人魚でもいいじゃない」 「いえ、是非魔女様にと! 人間は、魔女様を特別なお化けだと思っておりますので!」    顔を上げると、魔女たちの口角がぴくりと上がったのが見えた。  魔女は、プライドが高い。  自分たちを特別扱いしてくる者に対しては、相応の対応をしてくれる。   「言葉だけじゃあねえ」 「お食事に、七面鳥を用意させていただきます!」 「アルジェリアソースは?」 「ご用意します!」    魔女たちは集まって、ひそひそ話を始めていた。  ちらちらとこちらに視線が向けられるが、俺はひたすらに頭を下げるだけだ。   「三人送る。これ以上は無理」 「十分で御座います!」 「後、衣装代はそっち持ちね。ハロウィンパーティーの衣装、高いのよ」 「既にご用意済です」 「……待って? なんで用意されてるの? 誰が行くのか、まだ伝えてないわよね」 「コロボックルたちが全員分作ってくれました」 「執念が恐いわ。はあ。もういいわ。決まったでしょ? 帰りなさあい」 「はい! 失礼します!」    俺は立ち上がり、腰を九十度曲げた礼をした。  そして、魔女の城を後にする。   「よしよし、今年も魔女を呼ぶことができたから、次のボーナスは安泰だな」    口笛を吹く。  カラカラに乾いた夜道に、一筋の音が響いた。

夜伽(あるいは胃粘液の枯渇)

 胃粘液が足りない。 思ったより早く寿命が来そうだ。 死について考える。 世の中とかリンクしてるのにソッポを向いてるから太陽系の中心から外れて夢を見ない。 内宇宙にほっぽり出されて虚無の思考になるのが何よりの恐怖だ。 あるいはゼットンに喧嘩を売り1兆℃の火球をくらい巨大恒星を欠けさせてしまう。 どこに行っても迷惑をかける。 あるいは宇宙パトロールや時空パトロールにも警戒されていて(テロリスト対策)ひどく動きづらい。 指先が震える。 冬は寒いかも知れない(千日奉公する前に力尽きそう)。 こんな簡単な事も出来ねーのかよ、と言われて自信を無くしそう。 はたかれて反省する犬。 知り合いがイケオジになっていたので少し元気を貰って寝る。 脳が震えるので明日も続くのだろう。

喫茶店の珈琲

自宅の側の商店街に、行きつけの喫茶店がある、ロン毛の彼 彼は奥の席に座って、マスターに珈琲を一杯頼み、着ていたジャンバーを椅子に掛ける いつもの店のいつもの景色 昼前の商店街は通る人も少ない 店内は、彼以外には男性が一人。先ほどから小さなノートに何かを描いている カウンターに座るその客を、マスターは教え子を見るの様な眼差しで見ている 頼んだ珈琲が届くと彼は一口飲み フーと息を吐く 迷子の子のような表情で佇み、頭を掻く 彼の中に詰まっている 想いが出口を探している 今、自分が何を思っているのか 今、自分はどうしたいのか その想いを彼は自分で、知らない内に塞き止めている 珈琲が、想いの隙間に流れていく 彼が落とした、目線の先に 一つ一つ想いを置いていく 一つ一つゆっくりと 一つ一つ迷いながら カウンターの客は、まだ何かを描いている マスターが眼鏡を上げて何かを見ている ロン毛の彼は「それしかない」と呟いている

秋の夜長に読む本は

 冒険の季節は、すぎてしまいましたね。秋の夜長に読む本は、恋愛もの? ミステリー? お月さまといっしょに読むのですか? それとも、雨の音をききながら?  秋風は、わたしには冷たすぎます。さみしさを内包するその風は、わたしの目から雫を落とさせることはするけれど、ほほがゆるむほどの楽しいお話をきかせてくれることはありません。  この季節、思い出すのは、あの人のことです。あの人は、まだ早いのではないかと思うくらいの時期にも、赤々と暖炉に火を入れます。その前で、いすに腰かけ、手をこすり合わせるのです。ひざの上には古くなった本。それは決まっていることです。  あの人のするほとんどのことには好意を感じているのに、読むのに疲れたときなど、鼻にかかったメガネを額にのせるそのことだけが、どうにもわたしの気持ちに波を立たせるのです。頭や髪についたほこりや汚れ。目にはわからないような呼び込んではいけない類の、つまりは霊的なそれら。はたまた、悲しみや苦しみや手放してしまいたいような感情のすべてが、メガネのレンズにこびりついてしまうようで嫌なのです。レンズについたそれらは、メガネをかけ直したとき、するりとレンズから転がり落ちます。鼻や口から体内に入り込んでしまうかもしれません。あの人にもしものことがあったらと、わたしの心は、ゆれてしまうのでしょう。  今日は、たくさん本を読みましたね。それだけ夜が、長くなったということなのですね。まだそこまでの寒さではありません。でもきっとあの人は、火をおこしていることでしょう。本を読むのに疲れた目を休めるため、メガネを鼻から離すこともあるでしょう。願うのは、メガネのその行き先が、額の上でないことを……

Wednesday✕今日の匂い

雨の上がった濡れた朝に、コンビニの袋をぶら下げて、交差点に佇む人 キャップの彼は空を見上げている。 さっきまで雨を降らせていた空の向こうに、雲の端を見つけたから 街は、都会の匂いがしている 煙草の吸い殻が、いくつか落ちている排水口の入口 スプレーの上から、シールが貼られている白いポール まだ、動きそうもない、雲の裾 彼は白いイヤホンをして、階段を登っていく 今日を背にして、昨日に歩いていく コンビニの袋をぶら下げて

毛根尽き果てるまで

ワタシがキラクに勝てるのは、この毛の黒さだけでした。 なんと言っても、胸毛がへそまで繋がっているのです。 背の高さも筋肉も、主の覚えも女性の受けも、キラクにはかなわないけれど。 ワタシは、つるぴかのキラクには手に入らないものを持っています。 「イガメ。いい加減毛を剃れ。見苦しい」 主は、ワタシの黒さを評価しませんでした。 しかし、ワタシの身を削れなどと、主の言葉にしても行き過ぎだと考えました。 しぶしぶ、少しだけ毛を剃ってみせたら、洗い場の水が流れなくなりました。 次の日になったら、ワタシの毛はすぐに生えてきました。 「また明日も剃れば良いですか」 「迷惑だ。少し考えろ」 考えろ? ならばあなたは、剃られたワタシの毛のことを考えてくれたというのですか。 ワタシは屋敷を追い出されてから、ずっと毛を評価する主を探していました。 それなのに世の中は、もじゃもじゃでもつるぴかでもどっちでもいい、というばかりでした。 ワタシの毛は、命です。 今はワタシを捨てた主も、小さい頃はこの毛を面白いと言ってくれました。 「イガメの毛、あったかーい」 それなのに、キラクが来てから、主の寵愛はあのつるぴかに移ってしまいました。 ふと、思い立ちました。 寒い冬の街なら、この暖かい毛が役に立つのではないか。 なにより、ワタシは主とキラクの情報を持っている。 もしも、取り立てていただけるなら、ワタシを裏切り見下した彼らのすべてを奪うため、いくらでも手引きをしてやろう。 寒い街へ向かいました。 寒い、寒い、街へ。 ✱✱✱ 「失礼。キラクという騎士はこちらにおるか」 「おれだが」 「あの妙な男、イガメとかいったか。あのような生き物、どうやって育てるのだ?」 「イガメ? あの迷惑者が、何かそちらに無礼をしたのか」 「いや。最初は人間らしく扱おうとしたが、貴様とその主に対する恨み言がやかましくてな。恩も身の程もわからないこれはもう、商品とするしかないだろうと。こちらでは、黒い羊と呼ばれている。質は悪いが、珍奇さから一部の好事家に奴の毛は評判だ。剃るたびに叫び声が煩いのが玉に瑕だが、それも見世物にはなる」 「……すまないが、返してもらえないか。あれでも元は、おれの先輩なのだ」 「近々みな飽きると思うので、返すのは構わない。あれは、それを望まないと思うがね」 「どういうことだ?」 「この暖かい城は、獣が暮らすには上品すぎる」

夜伽(あるいは彼女の生命力のために)

 夜。 彼女が死にたい、と言ってきた。 僕は物理的に死にそうなのだが(別にそれでもいいのだが、そして皆ふーんそうなんだ、ということになるのは目に見えている、まあいいや)。 世の中の法則。 僕はどうしても生き物を生かす方向に動いてしまう傾向があるので(まあ気に入らない奴はぶっ潰す傾向もあるが、結構危険だろうか?)。 まあようは悪魔なのである。 フヘヘ。 カッコつけても銃には敵わないので僕の銃口からはお花が飛び出す。 あるいは頭が吹っ飛ばされようが心臓が止まろうが僕の体からは植物の香りがする。 花を操る悪魔というのも結構厄介だ。 あるいはこんな奴はむしり取っておかなければと枯れ葉剤を撒かれたり放射能を食らわされたりするが僕は基本的に植物なので虫以外は敵ではない気がする。 何かの物語。 おまえ人間じゃねえ、と昔言われた(合っている)。 人を人たらしめるものはなんだという永久議題になるのだが(やたらスマホの調子が悪い僕の趣味まで邪魔されるような気がする、被害妄想)今日は二酸化炭素を吐いていたのでその罰かもしれない(人間サイドにいるんじゃねーよ人もどきが、と言われている気がする)。 あるいは同族殺し。 基本的に嫌な奴である。 つるんでいる人からも苛められる(教育的指導かな?そうだろう)オメーそうしねーと死ぬぞ、まあ死ぬのはテメーの勝手だけどな、と言われている気もする。 厳しい世の中だ(あるいは完璧に管理されれば楽かもしれないが)僕の回りの人は永久追放してあげようか?と脅してくる、これが結構キツイ。 あるいは外野でヤジ飛ばしてれば楽かもしれないが。 ファーストゴロを処理出来たときは自信がついたのだがサッカーでゴールを決めたときは皆に無視された。 僕の役目では無いのだろう。 あるいは僕は基本的にストライカーでは無い(確信) 背の低い電柱役かもしれない(そこにいると何かしそうで警戒されるという意味では)。 あるいは二重スパイ、システムの因子。 あるいはかすみ草になって歌舞伎町の薔薇たちの補佐をしていればいいのかも知れない(怖くて出来ないが)。 少女漫画に描かれている百合の花でもいいかもしれない(どっちなんだ) 体力が尽きてきたので夢で核燃料に腐葉土を混ぜる(テロの準備)。 彼女の生命力のために。

昔告白した娘にノーマネーでフィニッシュ

 すごくひどい男だ。 所謂やり捨てだ。 僕は馬役。 運転が下手だったので場末のキャバ嬢になる予定だった僕はそのアッシー君と一緒に自転車で新宿署に行きストーカー禁止法を施行してそのアッシー君を区外へ出して貰う。 馬のいなくなった女流騎手は新しい男を見つけるだろう。 まだギリギリ間に合う年齢だ。

夏の終わりに

「まだ暑いね」って、春に着ていたシャツの袖を捲る彼女との最後は、夏

ハロウィンの思い出のようなもの

 大きなかぼちゃの中身をくりぬいて、ナイフで目や鼻や口をつくっていく。不器用なわたしは、ジャックの顔かたちをうまく表現できず、あげく、自分の手にキズをつくってしまう。 「あらあら」  そばでみていた魔法使いでもあるわたしのおばあさんが、慣れた手つきでさっとキズができる前まで時間を戻してくれる。 「もう一度。ゆっくりね」  おばあさんは、いつもわたしにやさしい。それでいて、ちゃんときびしい。ある男性とお別れしたとき、そのことの前まで時間を戻してはくれなかった。きちんと受け止めなさい。そう教えてくれたのだろう。それでなければ、何度やっても同じことになってしまうと。  やり直しの末に、キズをつくることなくランタンは完成した。ゆっくりでも、慎重にやれば、できるものなのだな。そのことをわたしは知っている。あのとき心にできたキズだって、時間を戻さなくても、もと通りにすることができたのだし。

【プレゼント】

今日は僕の誕生日。  彼女はきっと僕にプレゼントを用意している。 前の彼女の誕生日、僕は彼女にシャネルのバッグをプレゼントした。 彼女は頬を赤らめ、「そんな…何をお返しすればよいのかしら。」と言った。 僕は優しく、「君に触れたものであれば、何でも嬉しいのさ。」なんて、カッコつけて言った。 きっと今日まで、彼女は僕に渡すプレゼントで悩んだに違いない。 何をもらっても嬉しいけれど、一番嬉しいのは、彼女自身が僕のプレゼントになってくれる事だ、なんてね。 …さてさて、その男は有頂天で待ち合わせ場所へ向かった。 きれいな夜景が見える場所だ。 彼女はすでにいた。 ゴージャスで見栄えのよい服、きれいなロングヘアーをなびかせていた。 男は彼女に駆け寄り、「今日も素敵だね。」と彼女を称えた。 彼女は、「ありがとう」と、万人が恋をするような笑顔で言った。 「あなたに素敵なプレゼントがあるの。受け取ってくれる?」 上目遣いでそう続けた。 男の心は踊り、もしかすると、彼女が自分のものに…そう夢見心地になった。 彼女は男の手に自らの手をゆっくりと重ね、一枚の何かを手渡した。 男は、それを見た。 銀紙、何かのフタの裏側だった。 「これは何だい?」、男は尋ねた。 「3個入りのヨーグルトのフタよ。」 「どうしてこれを?」 「君に触れたものであれば何でも嬉しいと言ったから。」 「どこに君が触れた要素があるんだい?」 女は、フフッと笑い、舌を見せた。 「裏側は、私が舐めとったのよ。」 よく見ると、舌にヨーグルトの白色がついている。 男はまじまじと裏側を見た。 「もちろんそれで終わりじゃないわ。あなたへの大切なメッセージがあるの。」 男は、それもそうかと安堵した。シャネルのバッグまで買ったのだ。 「表を見て。」 男がフタの表を見ると、乳房の大きい牛のイラストがあった。 小さな文字で、何かが書かれているようだった。 男は、愛の言葉が小さく書かれており、その後に本当のプレゼントが待っているのだと、思った。 男は文字を読んだ。 「モォー、モォー、限界なんですぅ…♪」 男が読み終わると、女はキャッキャと笑い、彼の腕を掴んだ。 「まさか、これで終わり?」 男は愕然として言った。 女は真剣な面持ちになり、彼の鼻に指を立て、なだめるように言った。 「あなたの限界はどこにあるのかしら。今のあなた、とっても素敵よ。」 男は、吐き出しかけた失望と怒りを、すすすっと飲み込み、必死で作った笑顔でこう言った。 「限界なんて、あるはずないじゃないか…。」 その後、大事にヨーグルトのフタの銀紙をしまい、彼女の店でドンペリを入れる事になった。

初冬

ずいぶん寒い日だった おまけに風も強かった 最後のメッセージには いつまでも既読がつかない 下ばかり見ていた よく人とぶつかった 小銭は落ちていない たばこの吸い殻が目障りだ 久しぶりに空を見上げたら あのときと同じ雲だった 静止しているのは わたしの時間か それとも 思考か 世界だけが やけにうるさい

Wednesday✕たまに来る彼

朝日が登る前の浜辺で加え煙草でギターを弾いている、たまに来る彼 ゆったりとしたメロディーが彼の世界を見せてくれる 擦れたジーンズに押し込まれた手紙は、いつも彼が持ち歩いているもの もう叶える必要のない約束を忘れない為 たまに来る彼はギターを止め、ハイネケンの瓶を手に取る 酔とシラフの間を彼は生き続けていく

不起症

 真夜中の零時。  それは、人々が眠り、妖怪たちが目覚める時刻。  江戸時代には、昼に人々が往来していた通りが妖怪たちで埋め尽くされていたという。   「そのはずだったのに!」    しかし現代、妖怪は姿を現さない。  否、現せない。  人間によって作られた灯りが、通りを夜通し輝かせ、妖怪が起きるには不向きな環境を作り出していた。   「よう、隣の一つ目小僧、田舎に引っ越したってよ」 「マジ? あいつ、生まれながらの江戸っ子だっただろ」 「田舎は虫が多くて嫌だけど、東京の光よりはマシだってさ」 「はー、せちがれえ」    深夜に目覚めた妖怪たちは、しかし外を歩くこともなく、カーテンで遮光された部屋の中でひっそりと過ごす。  口を開けば、現代社会の愚痴ばかり。   「俺たちも引っ越すか?」 「んだなあ。童のことを考えるとなあ」    小鬼と唐傘は、うんざりとした表情で窓を見た後、足ともで眠りこける座敷童に視線を移した。    座敷童は、今日も眠っている。  不眠症ならぬ不起症。  光が多すぎる現代社会で、目を覚ます時間が極端に減るという、妖怪たちの現代病だ。   「今日も置きそうにねえな」 「薬買ってくっか。起床薬」 「また、灯りの下を歩くのか」 「しゃーなし、しゃーなし」    小鬼と唐傘は、座敷童に布団をかけ直した後、部屋を出た、  唐傘は目を瞑り、傘を広げる。  小鬼は唐傘の足をもって、外を歩く。  周囲から見れば、雨も降っていない夜道で傘を差して歩く、不審な人影だ。   「唐傘、大丈夫か?」 「……暑い」    小鬼が心配そうに聞くと、唐傘から汗が一滴、落ちてきた。  唐傘は閉じた目を、時々歪ませている。   「急ぐか」    小鬼は小走りに通りを進んで、妖怪専用の薬局へと向かった。   「いらっしゃい」 「いつもの」    そして、薬局で起床薬を受け取ると、部屋へと急いだ。  唐傘から落ちてくる汗が増え、小鬼も走った疲労で汗を垂らす。   「ただいまー」    小鬼と唐傘が部屋に戻る。  当然、返事はない。  唐傘は傘を閉じ、疲れた顔で傘立てに頭を突っ込んだ。   「ちょっと休んでから行くわ」 「おう」    小鬼は扉の鍵を閉め、玄関を上がる。  そして、眠っている座敷童の元へ行くと、その口に起床薬を入れた。  起床薬は、座敷童の口の中で、コロコロと転がった後、座敷童の喉の奥へと入っていった。   「ううーん」    しばらくすると、座敷童は目を覚ました。   「おはよう?」 「もう二時だ。寝坊助め」 「あちゃー」    座敷童は時計を確認すると、照れ笑いしながら、自分の頭を小突いた。  小鬼は、そんな振る舞いがおかしかったのだろう、ぷっと噴き出して笑った。  しかしすぐに、真剣な表情で座敷童を見る。   「なあ、座敷童。隣の一つ目小僧、田舎へ引っ越したらしい」 「そうなんだ。彼の作る目玉焼き、大好きだったんだけどなあ」 「俺たちも、東京から離れないか?」    小鬼からの提案に、座敷童は困ったように笑った。  ほっぺたを掻きながら、謝るような視線で、小鬼を見た。   「二人は引っ越しなよ。ぼくは、ここに残る」 「馬鹿! それじゃずっと、お前の病気が治んねえ!」    小鬼は声を荒げながら、座敷童を指差した。  座敷童は、やはり困ったように笑っている。   「東京に住む座敷童の数は、年々減って行ってる。これ以上減ると、東京にする人間たちが不幸になっちゃうから」 「いいじゃねえか! その人間たちのせいで、お前は病気になってんだから!」 「うん。でも、ごめんね。ぼくの役割は、人間たちを幸せにすることだから」    小鬼は、しばらく座敷童の説得を続けた。  しかし、座敷童は、決して首を立てには降らなかった。  数十分の後、小鬼は両手を床について、項垂れた。   「あ、ごめん! でも、君たちは本当に、引っ越していいんだよ! ぼくのことなんて気にせずに」 「……お前ひとり、置いて行けるわけねえだろ。なげえ付き合いなんだから」    廊下から、足音がした。  唐傘が部屋の中に入って来て、二人の様子を見た後、すぐに状況を察したのだろう。  小鬼の横に立って、小鬼の頭を撫でた。   「交渉失敗か」 「知ってるだろ。こいつは頑固者だ」    小鬼と唐草が、座敷童を見る。  座敷童は照れくさそうに笑った後、突然目を細めた。  頭が左右に揺れて、足元がおぼつかなくなる。   「やべえ、時間だ」    眠って倒れる座敷童を、小鬼は咄嗟に抱きかかえる。  そして、床へと寝かせ、布団をかけた。   「ずいぶん、寝るの早くなっちまったな」 「態勢がついたんだろうな」    小鬼と唐傘は、哀しそうな表情で座敷童を見ていた。

【カシオ様】

これは2011年頃の思い出。 私は、スペインの小都市にある大学へ、1年間の留学をしていた。 真面目に勉強して単位を取れば、国がお金を負担してくれる国費留学だった。 私の学習の傍らには、常に電子辞書があった。 不明な単語や表現、文化背景や歴史まで、それで素早く調べられた。 もう紙の辞書には戻れなかった。 ヨーロッパ建築の優雅な、小奇麗なスペインの小都市の生活に少しずつ馴染んでいった。 3か月ほどして、スペイン人のホセという素敵な彼ができた。 日焼けして、サッカー好きで髭の似合う、日本の漫画が好きなスペイン人だった。 私たちは、バーでお酒を飲んでお互いの文化について話し合った。 アンダルシア地方へ旅行にも行ったし、サッカー観戦もした。 スペインの夕焼けを見ながら、身を寄せ合った。 「日本人の女性は本当に思慮深くて素敵だ。礼儀正しく、チャーミングで、理知的で、儚げで…」 彼のお決まりの情熱的なフレーズと、新調したフレーズが混ざり合う。 分からない言葉があれば、電子辞書で調べた。 彼の情熱と試みに備えた。とても心地よかった。 分からない単語や表現が出る度に、私の視線は彼と電子辞書の画面を行き来する事になった。 滞在して11か月が過ぎ、大学の単位も無事に取れて、帰国の時期が近づいてきた。 「ホセ君と私は…」 今後について考えていると、彼から先に連絡があった。 約束の場所へいくと、ホセ君がいくぶん神妙な顔で待っていた。 「バーに行こうか。」 そう言って、ホセ君が私の頬に2度のキスをした。 おかしい。 スペインでは、男女の友人が会った時、男性が女性の右と左の頬に2回のキスをする。 別れ際には、女性が男性の頬に2回のキスをする。 でも、恋人同士だと、会った時も離れる時も、1回のキスになる。 ホセ君とバーに行き、お互いビールを飲みながら話し始めると、案の定、別れ話を切り出された。 「君は、バケーションでここにいる。」 彼は私と過ごした時間が、いかに素晴らしかったを話したが、結局はスペインと日本で離れ離れになる以上、一緒にはやっていけないという論法であり、別れる事で決着した。 仕方ないという気持ちはあったが、やはりショックだった。 バケーションと言われた事も、遊びの関係を強調されているようで嫌だった。 それでも、彼と過ごした思い出を考えると、その場から動けなくなった。 ホセ君が「さようなら」と言い、バーを去った後も、私はしばらく机に突っ伏して、傍から見れば酔っ払いの様相で、しばらく時間を過ごした。 「続きは帰ってから泣こう。」 そう奮い立ち、バーを出て、借りていたアパートまでの道のりを、ふらふらと30分ほど、放心しながら歩いた。 「ああ、ホセ、なんという事、ホセ」 声の出ないオペラ歌手のように、悲しみに暮れ、悲壮なスペイン語でブツブツと言いながら道を歩いた。 「………あれ?」 ふと、悲しみの中で気づいた。 自分のカバンが軽い。何か、重要な物がない。分かる。 カバンの中を見ると、電子辞書が入っていない事を確認した。 あのバーに忘れたのだ。 別れ話であれ、私は電子辞書を挟んでホセ君と会話をしていた。 「やばい、やばい、ヤバい!」 私は、奇声を発し、踵を返し、どう歩いたか覚えていない道を、とてつもない速さで走って戻った。 すさまじい焦り、アドレナリンが血管をめぐる。 「どうか盗まれずに無事でいて…!」 30分フラフラと歩いた道を、8分で駆け戻った。 あのバーだ! 熊のようにガッチリした店員がいた。汗にまみれ、息も絶え絶えに叫びかける。 「私の電子辞書、電子辞書、見ませんでしたか!?」 店員は、電子辞書自体が何か分からなかったが、思い出したようにカウンターの中を調べ、銀色のものを差し出した。 「これの事かい?さっきテーブル席で見つけたよ。」 そう言って、スペインの滞在で最もお世話になった、知識の宝庫とも言えるモノを、大きなてのひらに載せて返してくれた。 「ああ、ありがとう!ありがとう…!!」 私は、それが無事であり、再度巡り合えた事で、そのツールの有り難さに感激した。 そして、ホセ君の事は頭からすっぽ抜けて消えていた。 ホセ君は優しかった。終わりを見据えていたから。 文化や生活を教えてくれた。彼自身の不正確なフィルターを通して。 その点、電子辞書は、常に的確であり、正確さの点で誠実なのだ。 異文化であっても、異言語であっても、これ以上の安定感はなかった。 こちらが忘れなければ、別れられる事もない。 なんてありがたい存在…。 「ああ、カシオ様、カシオ様、これからも私にたくさんの知恵と知識を授けてください!」 …私は、強い女だ。

スカート

 性別に負い目を感じながら履くスカートだ。それはまるで世界の裏側に迷い込んだ感がある。裾は長く、下方に行くに従いふんわり広がっているほど良い。ネットショッピングで購入した無地でネイビーのマキシスカートは僕のお気に入りだった。(というよりこの一着しか持っていない)  正直オシャレはまだよく分からない。雑誌やスマホで調べて、カジュアルなコーデが今の自分に合っていて再現性もある気がした。オーバーサイズの白いロゴTシャツにナイロンの黒いブルゾンを合わせてみる。身長はあるが華奢な方なので顔さえ何とかすれば、いける。鏡の中の自分を見ては何度も確信した。いやほんとかよ。鏡の中の世界ほど巧妙な虚構はない。ブルゾンから覗くTシャツのロゴの一部が目に入った。左右反転したLIVE。  セミロングのかつらにマスク、厚底の白スニーカー。武装完了。息をついて立ち上がる。玄関扉のドアノブに手を掛けた時、胸が高鳴っていた。相反する不安も沈めていた底から舞い上がってくる。これから僕は何の変哲もない日常に溶け込まなければならなかった。意識的にそれを実行しなければならなかった。ひとまず近所の公園まで行く。ただの散歩である。扉を開け、敷居を跨いだとき、空気が痛いほど澄んでいた。剥き出しの世界が呼吸している。この姿で外に出るのは初めてだった。  平日の午前10時。忙しない朝も落ち着き、ご近所さんもほとんど見かけない時間帯である。誰にも会いませんように。深い海の底を歩いているようだった。太陽が青い布地を破いた穴のようだ。それにしても住宅地の立ち並ぶ一軒一軒、屋根や外壁に形や色の違いはあれど、皆一様に見えるのはなぜだろう。人ん家の中を覗いてみたい。この通りには小さな庭が前に突き出た家がある。真っ白で清潔な家だ。芝生もいつも刈り込まれている。その庭の奥から綺麗な毛並みのラブラドールレトリバーが駆けてくる。こいつはいつも庭の前を通る者を見逃さない。柵に身を乗り出しては、舌を出してこちらを見つめてくる。よし撫でてやろう。頭を垂れて目を細めてやがる。どうだ今日の僕は。やっぱ変?変態?ここの家の主人を僕は見たことがない。  というより、誰もいない。誰にもすれ違わない。平日の午前ってこんなものか?もしや僕以外の全ての人類が神隠しにあったんか?家庭菜園のトマトはこんなにつやつやしてるのに。街に出れば同じサボりと出くわすだろうか。  あれこれ思考を巡らせているうちに公園に着いてしまった。小さなちいさな開発公園です。端っこのベンチに座って、ここに至るまでの平凡な道中を思い、へぇぁ、と気の抜けた声が出た。何かが起こると思ってたのかしら。誰かとすれ違ったり、声をかけられたときのスリルを期待してたのかしら。いや違う、そんなんじゃない。まだ言葉には出来ないけれど。まあみんなアトランタにでも避難したのだろう。もういいから襲ってこいよゾンビ。ミラーワールドに迷い込んだ可能性もある。恐る恐るTシャツのロゴを覗き見る。上下反転してるだけの、LIVE。

手向け

 後悔ではなく事実だ。ハロウィンというものを通ってこなかった。そういう人生だった。仮装も、パーティも、オレンジ系の飾りつけのそれぞれにしても、わたしの前には登場してこなかった。あらわれてくれるな、わたしが仕向けていたともいえる。いずれにしても、でもそれは、たぶんに都合がよかった。誰もわたしの部屋のドアをたたく者はなく、だから、お菓子をあげることも、いたずらをされることもなかった。平穏に生きていられた。  タイムマシンである地点に戻って、あるいは、すごろくでふりだしにまで戻されて、もう一度、人生をやり直してみたい気持ちに、なることはすくない。またあれをやらないといけないのか、そういった心持ちになってしまうのだ。だから、寝て、起きて、お砂糖のように真っ白で、心根にしても欠けているところのない無垢な子どもの姿になっていたとして、それでもきっとわたしは、ハロウィンの上を歩いていかない気がする。  お菓子をねだられるのは嫌だ。自分ですべてたべてしまいたい。いたずらをされるのはもっと嫌だ。お菓子をたべながらいたずらっ子たちが去っていくのを待つしかなくなる。かぼちゃの中身をくりぬいてしまうのも、ドレスを着るのも、頭に飾りをつけるのも、みんなとワイワイさわぐのだって、きっと、わたしはしないのだ。ほっぺにドクロを描いている女の子を、うらやましい目でみる必要に迫られないのは、だから、幸福なことだ。  嫉妬かもしれない。いや、それはない。不遜だ。はなはだ不遜だ。ああいうふうに生きたいわけじゃない。ほかの世界のデキゴトだ。 「せいぜい別の世界でがんばってくれたまえ」  と、これは、自分への手向けの言葉だ。

Wednesday✕メガネの彼

駅のホームで、遠くの山を静かに見つめるメガネの彼 今、彼は何も考えていない 流れ行く暗い雲と、夜と太陽に青を奪われていく空を眺めながら、時間を潰している 感情は動かず。それが彼を落ち着かせている ホームで響く誰かの足音が8ビートに聞こえる 無意識でスティックを探してしまうメガネの彼 風が冬を乗せてきても、彼はソレを、ただ眺めている 柱のように立って、微動だにしない。 アナウンスが入り、電車がホームに入ってくる間近、列から出てきた子供が線路に近づく、楽しそうに、笑いながら。 彼は、メガネのフレームに遮られながら子供の気配を感じ、咄嗟に体が動く 同時に、母親が強く子の手を引き、危ないと叱っている 心が一瞬、時間で言えば点の所で激しく動いた。 電車が川のように流れてくる。 車内は時間が止まったままの人々が座っている メガネの彼はまた前を向き、ただ電車が止まるのを待っている。時間が止まったように