笑う文化

男がテレビをつけた。 画面の中。 若い男がマイクを向けられている。 便利な人。 噛み合わない受け答え。 ワイプのタレントが笑う。 出ない方がいいと思えば、差別。 出たら、笑いの種。 本人が良ければ、許される。 男は静かにテレビを消した。

あばばばばば

あばのばば様のばば様は 省略されてあばばばばばと呼ばれてる もちろん本人には言わない 言ってもたぶん問題はない あばばばばばは、ひどく耳が遠いから きっと何もわからない 意思の疎通もままならない そういう意味では 赤ん坊と会話してるみたいなものだ あばばばばば、と

表現の自由

「あなた、何してんの?」 「……はい?」 人通りの多いアーケード。 爺さんが下半身を出して歩いている。 「ちょっと、交番まで来て」 両脇を抱えられ、椅子に座らせた。 「公然わいせつ罪だよ」 「何故でしょう?」 「そんなの、常識でしょ」 「男としての機能は、とっくに終わってます。肌の一部です」 巡査が呆れ顔で、書類に走り書きをした。 「それでもダメなの」 「表現の自由は保障されなければならない」 その時、腰の曲がった婆さんが、ゆっくりと交番に入ってきた。 巡査が爺さんを覗き込む。 「はい。逮捕ね」

そういうことに驚かない自分に驚いてしまった

久々だからと 肉ばかりに なってしまった 帳尻合わせみたいに 野菜をとって ドラキュラみたく トマトジュースを飲む 電車の扉が 閉まるまぎわ 読んでいた本の 栞を 落としてしまった 栞を たすけようとして けれど扉が 肩にあたる 肩のその痛み以上に 強く 大きく 情けない気持ちになる 人も ねこも ニャアニャア言ってるバンコク 食べたマンゴー とてもおいしかった 民族衣装 わたしには 難易度高め 着てみれば よかったなあ 後悔 後悔 かるい後悔 笑顔のしかたを わすれてしまったわたしに それを思い出させてくれたのは 買いもの帰り 道ばたで出会った 名前も知らない しろいねこだった

攻撃考

 何かイライラする。 煙草がキレテイルカラダ。 そもそものストレスの原因は自分にあるのだが吐き出す場所及び金がない。 包丁か火炎瓶を使いたい。 創作すればいいのだが。 愛を疑う。 しかし愛によって成り立っている生活。 慈愛を感じられないのは雄性のせいだろう。 強い奴に立ち向かえないオカマ逃げの弱キャラ使いは工夫をして立ち回る。 弱キャラ(自分) 強キャラ(敵対者) ここで1つ言いたいのは敵対者は強いのではなく強キャラを使っているということだ。 立場、立ち回り、技、手数、コンボの多さ。 カードゲームに例えるとフィールドの属性、相性など。 漫画で条件付けをして勝った気になる、というのを読んだことがある。 皆のためには勝たなくちゃいけないのだろう。 負け犬の歌。 強キャラの凱旋歌。 ノッていない。 強キャラの凱旋歌を歌ったことがあった。 何か解放感がなかった。 負け犬の歌は負け犬の歌なのだが評価はされる。 戦わないという攻撃。 矛盾。 マイケル・ジャクソンの領域展開。 何かオタク臭くなってきた。 昔オタクのお墨付きを貰った。 夜遅い。 オタク的に生活し商業主義に飲み込まれ過ぎないように(それも良し悪しだ)日々を考える。

祈りの届く場所

第 一 章 土 の 匂 い と 光 の 影 田舎の小さな町だった。真面目な子も、少し背伸びをして悪ぶっている子も、放課後になればみんな 一緒に自転車を漕ぎ、山側の公園を目指すような場所だった。 家にも学校にも、私には逃げ場がなかった。家庭の中に漂う殺伐とした気配と、絶え間ない緊張。外 へ出ても、小5の時に始まったいじめは日に日に陰湿さを増していった。無視や陰口から始まった悪意 は、上履きへの悪戯、教科書の糊付け、そして泥棒の冤罪へとエスカレートしていった。信用していたは ずの幼なじみに押さえつけられ、縄跳びで叩かれた時の冷たい衝撃と絶望感は、今でも肌が覚えてい る。 けれど、そんな暗闇の中で、いつも私の視界の隅にいたのが彼だった。 クラスで男女問わず人気があった彼は、小1からずっと隣の席や同じ班になり、写真をとればなぜかい つも隣に写っていた。小3の頃は髪を引っ張ってはニヤニヤしていたような不器用な奴で、班決めの時 には「しょーがねーなー」なんて不機嫌そうに言いながら、必ず私の隣に来てくれた。 ある朝、彼より早く登校した私の机の中に、荒らされた彼の道具箱の中身が数点入っていたことが あった。主犯の女子たちが仕組んだ罠だった。「好かれたくてわざとやったんじゃないの?」と周囲か ら冷たい声が飛ぶ中、学校に来た彼は、私の前に立ち塞がってクラス中に響く大きな声で言った。 「こいつがそんな事するわけないだろ。お前はそんな事はしない」 彼の一言は、集団の悪意に押し潰されそうになっていた私にとって、唯一の呼吸口だった。

いい未来に興味はない

とある子供は知っていた。 知っていたというより、思っていた。 「お前は勉強に努力しろ。  いい高校に入って、いい大学に入れば、  いい会社につける。そしていい収入がもらえる。」 そして結婚出来れば更によし。 そういう親からは、いつも仕事や互いの愚痴をこぼされる。 だから、 せっかくいい高校に入っても、 せっかくいい大学に入っても、 せっかくいい会社に入れても、 結局は愚痴を零すほど嫌な生活になるんじゃないか。 頑張った結果が、最悪なものになるなんて嫌だ。 それに、昔から頑張ってきた事すべて、 親は「結果が出てないなら努力じゃない」なんて言って 否定してきたじゃないか。 頑張る意味がないのに、 頑張ることが出来ないのに、 勉強に時間を割く理由はどこにもない。 親にどうこう言われ続けて、 何もかもが面倒くさくなってきて、 好きなものも、やりたかったことも、 全部出来ないからそれに興味がなくなって。 残ったのは、「生」と「死」の選択だけ。 嫌いな事はあるけど好きな事はない。 死にたいとはたまに思うけど、 生きたいと思ったことはない。 「生」と「死」を悩む私の耳に届くのは、 今日も「未来」の話ばかり。

helpme

{其処は暗闇} 『孤独』と言う闇に落とされた。 僕には何も見えない何も聞こえない。 誰か僕を此処から助けて…… 『悲しみ』と言う闇に落とされた。 僕は何も聞こえない誰か 僕を此処から引きずり出して…… お願いだから。 だけど、誰にも 僕の声は届いてないみたい…… 僕を此処から助け出して……

傘の行方

ある日の午後。 認知考古学の教授が、学生の前でマイクを握った。 「みなさん。人が道具を本来の目的以外に使い始めたのは、どの時代か分かりますか?」 「旧石器時代に、石を遊びに使ったのが最初だと思います」 「その通りです」 教授が、背後のスクリーンを指した。 「今日のテーマは、それを踏まえて『道具の目的外使用』について考えたいと思います」 学生は耳を傾け、ノートをとった。 「これを見てください」 黒い傘を取り出し、学生たちに向けた。 「この傘。駅のホームで中年の男性が持つと、どんな行動をとるでしょうか?」 「あっ、ゴルフのスイングをします」 教室に笑いが起こる。 「それから、女の子はバトン、男の子はチャンバラとかに使いますね」 「お年寄りが杖に使うのもそうですか?」 「はい。それも目的外使用です」 教授はうなずきながら、学生を見渡した。 「では、ここまでで何か質問はありますか?」 最前列の学生が手を上げた。 「ちょっと気になってたんですけど、額のガーゼ、どうされたんですか?」 教授は笑いながら、傘を開いた。 「昨日、妻が機嫌悪くてですね……」

格安プランに求めるもの

「とにかく安いスマホが欲しいんですよね」    お客様は、あっけからんと言った。  しかし、これは最も怖い言葉だ。   「お客様、普段はスマホを何に使われてます?」 「ほとんど使わないんだよねー」    私はボキボキと指を鳴らした。   「電話は?」 「するよ。電話だから当然だろ」 「メールは?」 「たまにするかな。息子が電話出てくれなくてさ」 「LINEは?」 「一応入れてるけど、ほとんど使わないんだよね」     かけ放題オプションとメールオプション必須っと。   「動画とかは」 「たまに見るかな。テレビの代わりにちょうどいいんだ」 「それは、ご自宅ですか?」 「家でも外でも」 「ご自宅に、ワイファイはついてますか?」 「息子もそんな英語言ってたな。そりゃなんだい?」    詰んだ。  今の時代に電話とメールを使って、ワイファイなしの動画メイン使用。  高くならないはずがない。    パソコンで過去のデータを見ると、案の定。  こんな使い方をしていては、安い機種だと動画が見れないとクレームが入るし、高いプランにしないと通信料が耐えられない。  しかし、本人はいたって真面目に、使ってないつもりなのだ。    私はいったんバックヤードに引っ込んで、申し訳なさそうな顔で戻ってくる。   「おーっと、お客様申し訳御座いません! お客様にぴったりの機種、ちょうど在庫を切らしておりまして!」 「なにい?」 「すべて、ナフサ不足が悪いのです!」 「そうか。ナフサなら仕方ないな」    よし。  納得してくれるお客様だった。  もうひと声。   「もしかしたら、近くの家電量販店ならあるかもしれません」 「家電量販店だな? わかった、言ってみる」    お客様は、そのまま店を出て行って、車で家電量販店へと向かっていった。   「おーい。さっきのお客様が来店予約をしようとしたら、予約が全部埋まって見えるようにしといてくれ」 「はーい」    家電量販店は、うちより安くスマホを売ろうとしている。  つまり、ライバルどころか商売敵だ。  これくらいの面倒ごとを引き受けてくれて、ようやく対等と言うものだろう。    私はバックヤードに引っ込んで、最新機種のスマホで動画を再生した。  あー、疲れた。

相変わらずの僕ら つづき

「え?どこで知り合ったんだよ?」と僕 「ズルいぞ。紹介しろ」とラルク 「詳しく教えな」とポリス 「俺さ、詩の投稿サイトに登録してるんだけど」 「【ポエムの花】だっけ」僕 「野菜の?」ポリス 「写真見せてよ」ラルク 「俺が詩を更新すると必ずコメントをくれる人がいるって言ったじゃんか」ドラゴン 「言ったけ?」ポリス 「かわいいの?」ラルク 「時雨さんだっけ?」ハッピー 「うん、会いたいって言われちゃってさ♡」満面の笑みのドラゴン 「女子高生かぁ。制服見ればどこの高校か分かんだけどな」ラルク 「本当に女子高生なのか?」ポリス    頭ツンツンの見た目とは裏腹に、ドラゴンの詩は美しい。小学生の時に谷川俊太郎の詩に感激し、それから詩にハマっていたドラゴンは着実に実力をつけ、今では、綺麗な花を見た時のようなさりげない感動に似た詩を書く。確かにファンがいてもおかしくは無い。 「ちなみに、あのかわいい子は桜高校だね」 ラルクが俺の後ろの席にいる女子高生を指さして言う。思わず指された指に反応して振り返ると、こちら向きに座っている女の子が見えた。 肩にかかるすこし明るい髪 肌は白くソバカスが微かにある お行儀よく座って微笑んでいる 僕は後ろの会話に耳をそばだてる。 「今度の日曜日の映画行かない?」 「うん、いいよ」 「ミヨは観たいのある?」 「えっと…コナンとか」 「あはは。好きだね!コナン。良いよコナン観よう」 「コナンって!」と心の中で呟いてしまう。と同時にコナンが好きなんだ、とあの人の好みを知れた喜びもある。 「あっポリスポリス」 ポリスが言う。自分のあだ名がポリスだからか、パトカーを見かけると誰に言うでもなく「ポリスポリス」と言う。パトカーのバックに表示されているPOLICEを読んでいるだけとも思える。  窓の外を見るとパトカーが何台も通り過ぎる。近くで事故でもあったのか?  気づけばドラゴンが話を続けていた。 「だから一緒にいて欲しいんだよな」 「俺はムリ。その日はキックの試合があるんだ」 「俺も友達のライブでギター頼まれてんだよな」 そこで三人が声を合わせる 「ハッピーしかいないな」 「あっごめん、全然聞いてなかった」 僕は聞いてなかった事を素直に謝る 「今度の日曜日空いてる?」 「内容によっては空いてないかも」 「じゃあ空いてんだな」 「内容を教えろよ」 「ドラゴンがね可愛い時雨ちゃんと会うのに一人じゃ心細いから一緒についてきてほしいんだって」ラルク 「可愛いとは決まってない。オッサンかもしれないしな」ポリス 「夢を壊すなよ」ラルク 「頼むよハッピー」ドラゴン 「時雨さんが来たら帰るぞ」僕 「うんうん、それでもいいから!」 店内はワムのラストクリスマスが流れている 「やっぱり、あの子かわいいな」ラルク 「彼女に言うぞ」ポリス 「殺されるぞ」ドラゴン 「殺すね」ラルクの彼女 ラルクの隣の席に座った女性がラルクの脛を蹴った。 「痛い!何でお前がいんだよ!」 「殺す」 「す、すみません」 「許されないな」ポリス 「だめだね」ドラゴン 「あのさ」僕 「お、お前のほうが可愛い」ラルク 「死ね」ラルクの彼女 「俺さ」僕 「死刑だな」ポリス 「良い人だった」ドラゴン 「俺さタイに引越すんだよ」 そこで一瞬時が止まったかのように皆が止まる。そしていっせいに 「何で!?」 と言う。 ■タイのマクドナルド 店内はクリスマスソングメドレーが流れている。 十二月のタイ王国首都バンコクのマクドナルド 「俺さ初プロポーズしたんだ」ドラゴン 「何回もあってもな」ラルク 「いつ」僕 「今朝、空港で」ドラゴン 店内に日本人女性が入ってくる。白詰草の花のようなその人は四人のいる席に気付くと手を振ってこちらに来た。 「こんにちは、はじめまして時雨です」 ちょこんとドラゴンの隣に座る時雨さんは昔会った時よりも大人びて、さらに 素敵な人になっていた。 「時雨さん綺麗だな」ラルク 「本当、綺麗ね」ラルクの妻 「何でお前がいるんだよ!」 「俺に確認の連絡が来てさ。本当にタイ出会うのかって。良かったら夫婦で来たらって呼んだんだ」僕 僕は今、父の下でホテルの経営をしている。今回は皆を僕の手がけたホテルに泊まってもらうのだ。 「あんた中学生の頃から信用ないから」ラルクの妻 「言えよー」ラルク 「後で言うつもりだったけど、俺も今度結婚するんだ。ミヨさんと」 「おっめでたいね。ハッピーはセットになったんだ」ポリス 「実は妊娠も」僕 「おまけ付きか」ポリス 「おめでとう」ドラゴン 「おめでとうございます」時雨 「まだ付き合ってたんだ」ラルク 「ハッピーは一途だもんね」ラルクの妻 「ポリスお前は?」ラルク バンコクのパトカーが通り過ぎる 「あっポリスポリス」

花火

アイツは来なかった 花火に行く約束してたのに 思い返してみると 確かにアイツは あんま乗り気じゃなかった でもさ…… 転校しちゃうなんて きいてない 何も言わないで行っちゃうとか なんだってんだよ そのことがあってから 花火のこと 嫌になってしまった

プールにて。

 ジャン・ジャックロウは死んだ。しかし恋人アンヌはそれを知らない。  うだるような日曜日、ジャンは町はずれのプールで泳いでいた。安っぽい青色をしたプールは消毒液の臭いで満たされている。プールにはジャンの他に監視員だけ。寂れたプールに突如として赤い閃光が走る。ジャンはとっさに目を閉じたが間に合わず光を見てしまった。混乱したジャンは逃げるようにプールを去る。プールは小さく波だっていた。  町はずれのプールで赤い閃光を見てからというもの、ジャンは悪夢にうなされていた。嘘みたいに青いプールに、ぷかぷかと浮かぶ人々。彼らはご機嫌な赤子のように微笑んでいて、まるで天国に居るかのようだった。あまりにも異様な光景に気が遠くなる。ふと後ろを見ると、果てがないはずのプールにアンヌの影が見える。声を掛けようとして走りだすが、いつもそこで目が覚めてしまうのだ。  何度目かの悪夢の後、ついに夢は現実を浸食しはじめた。両親だったはずの2人がビニール製の空気人形に見える。彼らは人型ですらなく、丸みのあるシャチとイルカの形をしていた。食卓に並ぶ朝食。「おはよう」と何事もないように話しかけてくるシャチに、ジャンは悲鳴を上げた。イルカが「大丈夫?」と心配そうに近づいてくる。親し気に接してくる人形。まだ夢から覚めていないのか?ビニールのヒレが背中に触れた瞬間、ジャンは家を飛び出した。  しかし外にはもっと恐ろしい光景が広がっていた。ビニール人形が我が物顔で町を歩いている。正確にはぷかぷかと浮いていたが、そんなことはどうでもよかった。自分以外に人間はいないのか?いつも行くコンビニではイカがレジに並んでいた。近所のパン屋も、昔から通っている歯医者も、アンヌと行った公園にもビニール人形の群れが居た。群れはどれもプールで見かけそうな人形だった。  人形だらけの町を走っていると頭がおかしくなってくる。もう町中にアザラシが浮いていようが、クラゲがたむろっていようが気にならなくなってしまった。そんな事よりアンヌが心配だった。アンヌもこのおかしな町で怯えてはいないだろうか。もしアンヌまで人形になっていたらジャンはどうにかなってしまうだろう。やっとの思いで着いたアパート、しかしアンヌは不在だった。直ぐにメッセージを送る。「今どこ!?」少しして「町はずれのプールに居る」と返信が来る。町はずれのプール?嫌な予感がしたがジャンはプールへ走った。町はビニールの匂いに満たされている。もう息はしたくなかった。  町はずれのプールに着くとアンヌはピンク色のクジラになっていた。プールサイドで足を揺らすその体の背中に空気穴がある。その空気穴の栓に引っかけるように着けているネックレスは、ジャンが3年前の誕生日にあげたものだ。アンヌはジャンに気づいていないらしく、鼻歌を歌いながらプールに入ってゆく。軽そうな体がぷかぷか浮いていた。やっぱりまだ悪夢の中にいるんじゃないか、そう思い込もうとしたジャンの視界にまた赤い閃光が走った。  冷たい布の感触で目が覚める。どうやら救護室に運ばれたようだ。光を見たショックで気絶していたらしい。ふと横を見るととアンヌがいた。相変わらずアンヌはクジラで、目覚めたジャンをそっと抱きしめる。その肌はひんやりとしてビニール臭かった。顔に近づいた空気穴からは甘い空気が漏れている。「心配したのよ」とささやく声はアンヌそのものだ。思わずうっとりするような声。緊張が解けて、もうこれが悪夢でもまだ覚めなくてもいいかなと思った。  あれからどれくらい時間が経っただろうか。いつの間にか2人きりになったプールではアンヌが笑顔で浮いている。まだ覚めない夢にジャンはこれが夢なのか現実なのか分からなくなっていた。脇腹からシューシューと漏れ出す空気音にも嫌気がさしていた。「元気になったならジャンも泳ごうよ」と言うアンヌに「今行く!」と返事をした。浮いているアンヌに縋るように覆いかぶさると、ジャンは自分の脇腹にある蓋をキュッと掴みひねる。ゆっくりと空気が抜け、ジャンはついにプールの底に沈んでしまった。  よく晴れた日曜日、ジャンとアンヌは久しぶりに町はずれのプールに来ていた。最近のジャンは無口だ。どうにか元気にできないかと半ば無理矢理連れてきたが、ジャンの体は小さいままだ。その体にアンヌが空気を入れる。空気穴に口をつけるとジャンの体が揺れた。体内をアンヌの息で満たされる度にジャンは唸る。アンヌはジャンの声が好きだった。そっと包み込むように抱きしめてくれる、八本の腕だって魅力的だ。そろそろ、その腕にも空気が入り切るだろう。口を放すとシューと空気が漏れていく。これ以上漏れないように素早く栓をした。そっとジャンをプールに浮かべる。夏の日差しに照らされて、ジャンの体はピカピカと赤く輝いていた。

せいひつなよる

月明かりの下で うさぎが ひとつ ぴょんと跳ねる ペンギンが 「どこ行くの?」 うさぎを のぞき込む うさぎは ペンギンのことなんか 知らん顔で またひとつ ぴょんと跳ねる ペンギンは うさぎを じっと見つめる じっと見つめる じっと見つめる じっと見つめる しつこいくらいに じっと見つめる うさぎは やっぱり知らん顔で もうひとつ ぴょんと跳ねる うさぎは レタスがたくさん眠っている畑に 入っていく ペンギンが 「入ってもいいの?」 うさぎに 言葉をかける うさぎは ふり向きもせず ぴょんと跳ねる ペンギンは もう一度 「ちょっとさあ」 うさぎに向かって 言葉をかける うさぎは ふり向きもせず またひとつ ぴょんと跳ねる ペンギンは さらに 「ねえったらあ」 離れていくうさぎに 言葉を投げる うさぎは やっぱりふり向きもせず もうひとつ ぴょんと跳ねる しかたなく ペンギンは あとをついて レタス畑に すべり込む よさそうなレタスを見つけ うさぎは レタスをかじる しゃくしゃくと ここちよい音が 闇のなかにひびく うさぎは レタスをかじる うさぎは レタスをかじる うさぎは レタスをかじる ペンギンは うさぎを うっとり見つめる 夜空のお月さまが ふたりを やさしく見守っている しずかな畑に レタスをかじる音だけが いつまでも ひびきつづける ただ レタスをかじる音だけが

嫉妬の焚火

 子供の人生は不便だ。  体が小さいと馬鹿にされるし、おどおどしてると馬鹿にされる。    馬鹿には何をしてもいいって暗黙のルールがあるから、パシられるしイジられる。  友達の持つ可逆性は、だいたい私に向けられていた気がする。   「あんたって本当にトロいから」 「私がいないと駄目だから」    私は弱い。  私は弱い。  そんな刷り込み教育を受けていた。    私が壊れなかったのは、きっと焚火のおかげだ。    おばあちゃんのやってた、小さな趣味。  広い庭に焚き木を組んで、火をつける。  パチパチパチ。  炎が木を割る音を立てて、小さく小さく燃えていく。  いらない手紙に、いらないプリント、全部まとめて燃えていく。  時々、友達の悪口を書いた手紙も燃やした。    焚火が揺れる。  ゆらりゆらり。  焚火が燃える。  ぱちりぱちり。    静かに燃える炎を見ていると、心の中がすっきりとしてくるのだ。   「焚火はね、嫌なもの全部燃やしてくれるんだよ」    おばあちゃんが亡くなるまで、焚火は続いた。  両親が、庭に新しい家を建てたから、焚火できる場所が亡くなった。    大人になった私は、焚火の炎が自分の中で燃えていることを感じた。  理不尽も、後悔も、全部自分の中に溜まっていき、全部自分でどうにかしないといけないんだと気づいてしまった。    胃の中の物を盛大に吐き出して、嗚咽を漏らして泣いた後、私は覚悟を決めた。  この炎と共に生きていこう。    そして今。  私は、成功者として舞台に立っている。  大学を中退して、がむしゃらに企業とやらに挑んでみて、三社潰して四社目で成功。  抱えきれないほどの財と名声を手に入れた。    テレビに映るインタビュー。  笑顔の私の心の中で、焚火が燃える。  メラメラメラ。  ねえ、見てるかな、元友達。  あんたたちが馬鹿にしてたトロいやつは、今あんたたちよりすごい場所にいるよ。    テレビの向こうで悔しがっていればいいな、なんて意地の悪いことを考えながら、私は笑顔で成功者の秘訣を答えた。   「休日は、何をして過ごされているんですか?」 「毎日仕事をしているので、休日と言う休日はないのですが、まとまった時間が空けば庭で焚火をしています」

愛の在り方

好きの反対は嫌いって言うけどさ 本当の反対って、『無関心』なんだよ そして、愛することの第一歩は 『相手を信じること』 疑ってばかりじゃ、誰も愛せない、誰にも愛されない だからね、大切な人を信じる事を忘れないで 君を必要とする人が、必ず居るんだから その人の手を離さずに、未来を一緒に生きるんだ

天使と天使

クリニックの診察室。 男は困った顔で、ドクターに話し始めた。 「先生、時々、耳元で声が聞こえるんです」 「それはそれは……幻聴ですね。どんなふうに聞こえますか?」 「天使が二人、右と左で囁くんです」 ドクターはペンを止め、じっと男の顔を見た。 「天使と天使ですか。天使と悪魔じゃなくて?」 「はい。どちらも『自分が天使だ』と言い張ります」 ドクターは笑いをこらえ、咳払いをした。 「いや、失礼。珍しいケースですね。ふつうは善悪の対立があるものですが、両方が天使となると……判断が難しい」 「先生、僕はおかしいんでしょうか」 「おかしいというより、興味深い」 ドクターはカルテに走り書きをしながら、声のトーンを落とした。 「その二人の天使は、あなたに何を囁くんですか?」 「ポジティブな言葉を……『やればできる』って」 青年はうつむき、ため息をついた。 「ちょっと、うざいです」 「……わかりました。では、お薬を出しますから、様子を見ましょう」 「お大事に」 薬剤師から渡された紙袋には、耳栓が二つ入っていた。

初めての二人

駅の改札の外で待つ 初めてきた駅なのであちこち見てしまう 11:00迄、後5分。何とか間に合った いつもより少しお洒落をした。普段履かないスカートも着ている 胸がドキドキして飛び出てきそうだ 「ナオミさんですか?」 目の前には清潔感のある若い男性が立っていた。とても若い男性が。 二十代後半くらいで、少し長めの髪にスラッとしているが引き締まった腕。服の上からでも胸板が隆起しているのが分かる。顔は二枚目とは言えないが悪くはない。 「はい。ナオミです」 「良かった。俺は【ロマンスナイト】のタケルです。よろしくお願いします。俺で大丈夫ですか?」 「は、はい。よろしくお願いします」 「ナオミさんは、どこかご指定のホテルはありますか?」 「い、いえ。この辺はよく知らなくて」 「でしたら俺がご案内します」 タケルという男はスマホで近隣のホテルの情報を検索している。髪をかき上げている。首の横に聖母のタトゥーがある。 駅構内を歩く人々が気になって仕方がない。知っている人がいないように遠くの駅を選んだが、いないとは断定できない 「三時間の休憩で五千円ですが大丈夫ですか?」 「はい、大丈夫です」 タケルは「行きましょうか」と微笑む 彼はホテルの場所を分かっているのか迷いなく進む「直ぐそこです」 私も横に並んで歩く。前をあまり見れず俯いてしまう。 「手を握りましょうか」 彼は私の右手を優しく触れる。男性と手を握るなんて何年ぶりなんだろ。しかも自分の息子でもおかしくない歳の若い男性の手に触れるなんて初めてだ。 相変わらず心臓が飛び出そうだ 「いやぁ~、緊張するなぁ」 爽やかな笑顔で彼が言う 「そうなの?そんな風に見えないけど」 「いや、実は俺、今日が初めてなんですよ」 「え?」 「いや、一応、面接して、社長の前で実際にやってみて合格はもらったんですけど」 「初めての客が私ってこと」 「そうです」 「私もこういうお店を利用するのは今日が初めてなの」 「マジっすか。初めて同士ですね」 彼が爽やかに笑う 私も笑っている 「あっここです」 目の前には【エデン】という名のラブホテルがあった タケルくんが私の方を向く 「入る前に確認しないといけなくて、えっと、90分のスタンダードコースで良いんですよね?」 「はい」 「分かりました。ちょっと電話かけますね」 彼はこれからホテルに入る事をお店に連絡している。胸がドキドキしている。 部屋の明かりは暗くしてもらおう。 初めての人が彼で良かったと思っている。 次を利用するか分からないけど、今は少しワクワクしている。 彼がスマホをポケットにしまい「では」と私の左手を強く握る

背中の見方

下町の路地裏。 伝統工芸職人の男と、その妻が暮らしている。 「あなた、また来てるわよ」 「知らん。ほっとけ」 弟子入り志願の若い男が、玄関の脇に立っていた。 「弟子にしてください」 職人は気にせず、木槌でノミを叩いた。 「どうせ、続かん」 「話だけでも聞いてあげたら?」 次の日も、また次の日も。 若い男は、玄関の前に立った。 ──ガラガラガラ。 「入れ」 「ありがとうございます」 「続ける自信は?」 「死ぬ気で頑張ります」 妻が頬を緩めた。 「二階の奥の部屋を使って」 若い男は作業着に着替えると、職人の後ろに座った。 「師匠の背中を見て、精進させていただきます」 深々と頭を下げた。 職人の木槌を振る手が止まる。 そして、壁に貼ってあるQRコードを指さした。 「それ、俺の動画。それ見て覚えて」 「動画、私が撮ったのよ」 二人は、顔を見合わせて笑った。

複数の共通点

付き合って半年はじめての彼女で接し方が分からず、今まで気を使ってきたからか初めての喧嘩をしました。喧嘩の理由は本当しょうもない、ご飯どこで食べるかという…。 …いやよく今まで喧嘩しなかったな。というかもっと重いことで喧嘩するかと、(女の人と距離近すぎ)とか、(本当に私の事好き?)とかそういうものかと、いやなんで僕に非がある方ばかり考えてしまうんだ。 とりあえず今はデート中に喧嘩をしたので彼女と真反対の方向に歩いているだけなのですが… 「あの…」 彼女に似た声がして、自分に話しかけられた気がして後ろを振り向くと… 「鍵落としましたよ。」 彼女に声が似すぎたただの子供だった。 「あ、ありがとうございます」 なんて優しい子供なんだ。今の世界どこでも治安は悪いところは悪い。見て見ぬふりする人や盗んでく人も…また悪い方に考えてしまった。ぺこりと1度頭を下げてまた歩き始める。一瞬期待したのは彼女が謝りに来たかと思って…。 下ばかりを向いているから暗い事ばかり考えてしまうのだろうかと思い、頭を上げてみる。目の前には書店があった。いつも本や文房具を買いに来る時に来る場所。今では電子書籍があるから少しづつ本屋が無くなっているがここは無くならずにいてくれている。ここの街では一番大きい本屋だから。そういえば彼女とはお互い本好きがきっかけで仲良くなり始めて付き合うことになったんだ。どんな時でも彼女のことを考える。どのようにすれば謝って一緒にご飯を食べに行けるのかとか。そう考えながら書店へ足を踏み入れた。 彼女の本の好みは無限のようなもの、漫画でいえば少女漫画、ラブコメ、少年漫画、バトル漫画。小説でも同じような感じで、強いて本が好きだけど受け入れられなのは勉強の…これは僕も苦手。参考書などの本が苦手なのではなくお互い勉強が苦手なだけ。2冊程度買おうかな。 『ありがとうございましたー。』 やってしまった。2冊程度と思って選んでいたら15冊て…財布の中そんな入れてないから空なんですけど。頭の中で後悔しているけど自分の部屋に本が増えてその本で物語が読めるのならば安い方…来月バイトのシフト増やそう。早速店長に連絡… 『いいよー』 ちょうどシフトを作っていた時のようで直ぐに連絡が来てすぐにシフト表が届いた。うちは半月ごとに送るタイプなんだけど、あれ、休み2日しかなくね。思い切り入れたからか15日中2日しか休みがないことに気づいた。ヤバいて過労死しちゃうよ。とか言ってたらサラリーマンとかに失礼よな。いやでも2日しか休みがないって…自分が言ったことに後悔しつつも感謝のラインを送る。そしてスマホをポケットにしまい、近くのベンチに座る。そうしたら同じベンチに誰かが座ってきた。3人ほど座れるベンチだから別の人が来てもおかしくはない。チラッと見えた紙袋には僕がさっき行った書店の名前が…彼女やん。 「ごめん、ね。」 「あ、僕もごめん…なさい。」 お互い謝罪をできて一気にスッキリしたのか1人分空いて座っていた真ん中に彼女は移動してきた。「ほんと、ご飯の話でこんな喧嘩するとか…」 彼女は笑いながら喧嘩の後悔、反省を僕に話してきた。 「あの…本当にご…」 「いや!もう謝ったから、軽いことだし何回もごめんは言わないで」 明るい性格の彼女は僕を照らしてくれるかのように綺麗で輝いていて共通点があることに気づく前から君のことが気になっていて…。 「その本どうしたの?」 「本屋見つけたから寄っちゃって、そしたらこんなに」 「見てみて」 彼女は自分の持っていた僕と同じ紙袋を目の前に出してきた。中身を見ると… 「…買いすぎでしょ!何冊?」 「いうて30冊くらいだよー」 僕の倍…。そうか、ジャンル問わないなら色んな本買うんだ。 「来月バイト三昧です!」 ここまで一緒とか…奇跡というのか運命といえるのか。今はいいだろう。 後から聞いた話では、彼女は真反対に歩いてすぐ戻ってきたようで…。元々僕がベンチに座った時から気づいていたようで…。落ち込んでいる僕を見て近づいてきてくれたんだとか。

天国味のスープ

「死ぬ前に、行きたい場所があるんじゃが」    入院していたじーちゃんが、初めて我儘を言った。  ほとんど目も口も開けなくなってた頃だから、父ちゃん母ちゃんも、看護師さんも驚いていてた。   「えっと、どちらへ?」 「黄泉の店」    じーちゃんが行きたがったのは、けったいな名前の店だった。  あまりに名前が変過ぎて、この辺の人ならだれでも知っている。  小学生になれば、黄泉の店に行ったら魂を抜かれるんだ、なんて噂を一度は聞く。  そして真に受けた数人が、店に近づき、年齢不詳のじいさんに追い出される。  そこまでがワンセットだ。   「わかりました。いいですよ。ただし、お父様かお母様、どちらかがついて行ってくださいね。店の前までで結構です」    お医者さんは、あっさりとオーケーを出した。  聞けば、黄泉の店へ行きたがる高齢の患者は多いらしい。   「俺もついて行っていい?」    父ちゃんが来るまでじーちゃんを連れて行くことになったので、俺も連れて行ってもらうことにした。  今になって、小学生の頃に黄泉の店へ行けれなかった後悔が襲ってきたからだ。        店に着く。  木造の建物は今にも倒壊しそうなほど傾いていたが、黄色いペンキを塗られて、遠くから見れば今風の家に見えた。  玄関扉の上には『黄泉の店』と書かれた看板がついており、文字が一部かすれている。  蜘蛛の巣もはっていたので、触りたくはない。   「あんがとよ。あんがとよ」    じーちゃんは父ちゃんにお礼を言ってから、店へ向かっていった。  父ちゃんは車の中で待つみたいだ。   「じーちゃん、俺も入っていい?」 「おー。こいこい」    俺は車を飛び出して、じーちゃんのところへ行った。  父ちゃんは渋っていたが、じーちゃんが「任せなさい」と言うので、諦めてくれた。    俺とじーちゃんは、扉を開けて中に入る。  中には、木製の長机と椅子が置かれており、その一つに新聞を開いたじいさんが座っていた。   「いらっしゃい」    じいさんが新聞を畳み、立ち上がる。  その顔は、シワだらけで、目が開いているかどうかもわからないほどたるみ切っている。  しかし、だからこそ、年齢がわからない。  八十は越えていそうだ。    じーちゃんと俺が椅子に座ると、長机の上にお冷が二杯置かれた。  そして、長方形のおひつにがじーちゃんの前に置かれた。  おひつの中には、二つのスープ用スプーンが立てかけられており、スプーンの中には白いスープと黒いスープがそれぞれ入っていた。   「白が天国味。右が地獄味」    じいさんは、何やら物騒なことを口にした。  じーちゃんは、白いスープを手に取ってすすり、その後に黒いスープを取ってすすった。  しばらくもごもごと口を動かしていたが、はーっと息を吐いた後、やはりもごもごとした口調で言った。   「地獄かな」    食べ終えたじーちゃんの食器を、年齢不詳のじいさんが片付け始める。   「お、俺の分は!?」    俺は、思わず叫んだ。   「あんだ坊主。そんなにわけえのに、もう知りてえのか?」    年齢不詳のじいさんは、いぶかしげに俺を見た。  正直、何を言ってるのか意味は分からない。   「知りたい!」    でも、俺は食い気味に答えた。   「ちと待ちな」    じいさんはおひつをもって店の裏に引っ込み、新しいおひつを持って戻ってきた。  もちろん、白いスープと黒いスープ付きだ。  俺はさっそく、白いスープをすすった。  確か、天国味と呼ばれていたものだ。   「うっま!」    白いスープは、今まで食べたものが安っぽく見えるほど、上品で心に染みる味がした。  なんと例えていいのかわからない。  だけど、天にも昇る心地と言えばこのことなのだろうと、はっきりわかった。  俺はその勢いで、黒いスープもすすった。   「……?」    黒いスープは、味がしなかった。  真水なんてレベルじゃない。  完全な無味。  本当に口にしたのか疑うレベルだった。  でも、スプーンが空っぽになったので、きっと飲み込んだのだろう。   「どっちだ?」    じいさんの言葉に俺が首を傾げると、じいさんは小さく笑った。   「やっぱ、早かったな。じじいになったら、また来な」    俺とじーちゃんは店を出て、父ちゃんの車に戻った。  車が走る中、俺はずっとじいさんの言葉を考えていた。  どっちだ、と。    じいちゃんは、助手席で眠りこけていた。  そういえば、じいちゃんはスープを飲んだ後、「地獄かな」と答えていた。  あのスープが死んだ後、天国と地獄で食べられるもので、どちらに行きたいか尋ねるものだとしたら。    地獄を選んだじーちゃんを、俺はじっと見た。

宿無し ❹夜(完結)

宛もなく川沿いを歩き 夜風を浴びながら鼻歌を歌うBさん 大きな橋の近くに来ると、猫の声が聞こえてくる 橋の下へ降りていくと広い砂利の川原に子猫がにゃあにゃあと鳴いている 親とはぐれたのか、腹が減っているのか、さみしくて泣いているのか知らないが、Bさんは側に行って撫でてやる 「待ってろ」そう言ってポケットに手をやるとパンの耳を2本取り出し1本を子猫に渡す。ハムハムと食べる姿にBさんは笑い。もう1本も子猫に上げた。 街を照らす半月は、虹の輪に捕まっている 「どうして残りを全部あげちゃうの?僕はまだ食べたかったのに!」 「この子はまだ小さくて一人ぼっちだ。可哀想だろ。お前は俺もママもいるじゃんかよ」 「そんなの関係ないよ」 「いいか。困っている人や動物がいたら、さっきの猫ちゃんみたいな奴がいたら助けるんだ。そういうもんなんだ」 「なんでよ」 「そしたら、自分が困ったときに誰かが助けてくれるから、だから…」 「そんなの信じられないよ」 「信じるんだ。ビリーブ。お前の名前は信人だろ?それは【人を信じる】と書いてのぶひとと読むんだ。お前はビリーブなんだよ」 「そうなの…どういうこと?」 「はははは!まぁその内わかるさ。見ろこの帽子買ってやるよ。ここにBって書いてある。これはお前の帽子だ。ビリーブ。人を信じて、困っている人を助けるだ。良い名前だろ。ママと一緒にが考えたんだ」 「ふ~ん」 夏の急な雨で川が増水する 子猫が逃げ遅れて川に流されている 水面が橋の直ぐそこまで上がっている Bの帽子を被った子が子猫を走って追っていく様子が橋の防犯カメラに映っていた。 激しい雨の音がする パンの耳を加えた子猫は既にどこかに消えていた 増水した川の上をBの帽子が流れていく

好きな人がいない人と好きな人しかいない人

「私、好きな人いないんだよね」    少女が呟く。   「わかるー」 「それなー」    周囲は同調する。    恋愛が趣味に納まった現代。  恋愛に興味がないというのは、一つの常識になりつつある。   「俺、全員好きな人になっちゃんだよね」    だからこそ、ファミレスで隣の席に座る少年の言葉に驚いた。   「浮気物じゃん」 「全員って、年よりも? もしかして女も?」    少女は、思わず聞き耳を立てる。   「おう!」    少年は、力強く答えた。    その後、隣の席の会話は盛り上がらなくなり、少しすると解散した。  会計を終えて店を出ると、少年とそれ以外で別れていた。    少女は咄嗟に立ち上がり、速やかに会計を終えて、少年を追った。  気持ち悪いことをしている自覚はあったが、知りたいが優った。   「あの!」 「なんすか?」    少女の呼びかけに、少年は立ち止まる。  見たことのない少女の出現に、少年は驚きつつも、どこか品定めをしているような視線を少女に向けていた。  少女は息を整えて、少年の視線ごと受け取った。   「すみません。ファミレスの会話、聞こえちゃって」 「ああ、あれか」 「全員好きになるって、本当ですか?」 「本当」 「恋愛的にって意味ですか?」 「うん」    堂々と答える少年を、少女は驚き交じりの顔で見る。  好きな人がいない少女にとって、少年の言葉は不思議そのものだった。  同時に、浮気と不倫を肯定しない現代の倫理観が、少女に当然の質問を促した。   「それって、よくないことじゃないですか?」 「なんで?」 「だって、恋人ができたら、恋人以外のことも好きになるってことですよね?」 「そうなるね」 「それって、浮気じゃないですか」 「浮気?なんで?」    少年は首を傾げる。  少女も自分の言葉が伝わらないことに混乱し、首を傾げる。  少年はしばらく悩んだ後、納得したような表情で両手を叩いた、   「もしかして、恋人がいても、他に好きになった人と付き合うと思ってる?」 「違うんですか?」 「違うよ。『好きになる』と『恋人にする』は別物」 「……えっと」 「君は、好きになった人と全員付き合うの? 違うでしょ? 相手が学校の先生だったら? 相手がもう結婚してたら? 相手に恋人がいたら?」 「む、難しい……」    矢継ぎ早に繰り出される少年の言葉に、少女は思わず頭を抱える。  混乱する頭の中で、少しでも自分の意思を出しておいた方がいいかという義務感で、自身の感情を零す。   「私、誰も好きにならないから。好きとか恋人とか、よくわかんないんですよね」 「なんだ。俺と同じじゃん」 「ほえ?」    返ってきた想定外の言葉に、少女は思わず頭を上げる。  視線の先で、不思議そうな顔をした少年と目が合った。   「ゼロかヒャクってだけでしょう? 俺は全員好き。全員同じくらい好きだから、恋人にしたいくらい好きって感覚がわからない」 「は、はあ」 「逆に君は、全員好きじゃない。全員同じくらい好きじゃないから、恋人にしたいくらい好きって感覚がわかってない」 「そ、そうなの……かな?」    少女の思考がついていけなくなったので、少女はスマホを取り出して、記憶に残る少年の言葉を、断片的にでもメモをした。   「ま、大丈夫だよ」    話したいことが話せて満足したのか、少年はくるりと振り返り、少女に背を向けて歩き始めた。  太陽の光によって、少年の背は後光が指すように、神々しい様を見せつけていた。   「好きな人がいないって人も、恋人作って結婚してる。好きな人がいるとかいないとか、その程度のものなんだよ。一人との出会いで、すぐぶれる。お互い、自分をぶらしてくれる人と出会えるといいね」    少女は、もう少年を追わなかった。  少年の言葉をどこまで正しく呑み込めたのか、少女自身にも分らなかった。  ただ、最後の言葉。   「そんな人がいるなら、出会えるといいなあ」    それだけは、少女に強く印象づいた。

ですらぶ

 背中を激しい痛みが襲った。  私はどうやら、刺されたらしい。  医療の知識なんて全くないが、これは死ぬなあと直感で分かった。    誰に殺されたのかわからないまま死ぬのは悔しいので、倒れながら犯人の顔を見た。    強い男の顔だった。  心臓が高鳴った。  死ぬ間際、こともあろうに私は私を殺した相手と、恋に落ちたのだ。    このまま死ぬなんて嫌だ。   「恨むなよ」    犯人が呟いた。  恨むよ。  あまりにも短い初恋を押し付けてきたんだから。    私の体が地面に衝突する。  背中が痛すぎて、痛覚が麻痺しているのか、地面にぶつかったところは痛くなかった。  私は、壁にぶつかったボールが跳ね返るイメージを描いて、体を地面からぐんと戻した。  まるでメトロノーム。    起き上がった私を前に、周囲で上がっていた悲鳴がピタリと止まり、私の目の前にいる犯人は引き攣った表情をしていた。  格好いい。   「えいっ!」    私は、犯人が無防備にナイフを持っているのを見つけたので、その手首を掴んで犯人にナイフを突き立てた。   「え?」    多分、心臓にジャストヒット。  犯人の胸から血が噴き出し、私は血のシャワーを浴びながら再び地面へ倒れた。  今度は、起き上がる体力もない。   「ぎ、ぎゃあああ! 血がああああ! 死ぬううう! 救急車あああ!」    犯人の叫び声が聞こえた後、倒れる音が聞こえた。   「痛い痛い痛い痛い! 死にたくない! 誰かぁ! 助け……て……」    私は手を伸ばし、怯える犯人の体に優しく触れる。  私の初恋、現世で叶うことはなさそうだけど、あの世では叶いそうだ。  同時に死んだ人は同じ場所に行くんだって、死んだおばあちゃんが言ってたし。   「恨まないよ」    私は、最後の力を振り絞って声をかけた。   「人……殺……し……」    意識が途切れる瞬間、犯人の微かな声が聞こえた。    またね。

避暑地

郊外にあるショッピングモール。 中央のホールに、老人たちが集まってきた。 「ここは涼しくていいわね」 「家でエアコンつけると、電気代がね」 老人たちは椅子に座り、世間話に花を咲かせた。 その光景を、二階のエントランスから店長が見渡した。 「よくもまぁ、こんなに……」 連日の猛暑。老人はさらに増えた。 「こいつら、赤っ恥かかせてやる」 閉店後、小さなステージを作り、入り口にくす玉をぶら下げた。 ──翌日。 店長がステージに上がると、何事かと人が集まった。 すると、入り口から見覚えのある老人が入ってきた。 ──ざまあみろ。 ひもを握る手に力を込めた。 そして、引くと同時に、マイクに向かって叫んだ。 「おめでとうございます! 三十日連続のご来店です!」 垂れ幕には、《電気代節約ご苦労様》の文字。 老人は垂れ幕を指さしながら、まわりの仲間たちに手を振った。 仲間たちが拍手で祝福をする。 「あぁ……」 店長は、冷たい風に揺れる垂れ幕を見つめた。

その癖

街のパン屋に入ってパンと珈琲を買う 広くはないイートインスペースで妻とお茶をしながら、カウンターで何でもない道路を眺める 散歩している犬がカワイイね。とか 犬を散歩している女性がカワイイね。とか 妻は、昔からそうだが、妻は、時折、ぐっと押し黙る時がある。 「どうしたの?」 「何か気に触ったかい?」 など質問しても「何でもない」と首を振るだけで答えようとしない 出会った時からなので気にしないで上げようとしている。 結婚してからも変わらないその癖が妻をミステリアスにしている。近いのに遠い。 「そう言えば、明日病院だから仕事は休みだよ。言ってたっけ?」 「うん、カレンダー見たよ」 「明日は休みだよね?」 「うん、お休み取った…」 「一緒に病院行く?行かないか」 「…行っても良いなら行きたいけど」 「そうなんだ。…つまんないけど大丈夫?」 「うん、本持ってくから」 「そうか…先生に新しい妻だって紹介しようかなぁ」 妻は声を出さずに下を向く それはどんな意味なのか分からないけど 悪くはないのであろうと自分に言い聞かす僕。 静かに妻の手を握る ぎゅっと妻も返してくる 妻が笑っている 僕も笑ってしまう

バナナ食べたい

 月末で余計なものが買えない。 バナナ食べたい。 梅干しはある。 バナナ食べたい。 煙草もある。 バナナ食べたい。 知り合いに聞いたら近くでバナナ栽培しているところがあるらしい。 僕は外国人窃盗犯の思考になる。 奪い、食べる。 いかんいかんと思う。 台湾の知り合いがいればバナナ貰えるのに、と思う。 自分のバナナも萎びている。 夜が更ける。

遊びはとうにおしまい

「お父さんはあなたを本当に大事に思ってるの。愛しているのよ。」 母からの言葉に私は何も思わなかった。 とりあえず、母を納得させるため、「うん」とだけ返事はした。 多感な時期は既に過ぎ去り、私は[父親]に対してある程度の区切りが付いた。 フィクションの世界の仲良し家族は現実ではない。あれはファンタジーである。 私にとって[父]とは血の繋がりのあるだけ。迷惑に思っている近所の人、というのがだいぶ近いと思う。近所と言っても同じ家だけど。 挨拶する程度の間柄。それくらいが私にとってマシな距離感。 [父]から私が「愛されている」と真に思ったことはない。 病気で寝込んでいる私に、ニヤニヤしながら「休めていいな〜」と言ったこと。 「止めて」と言っても、楽しそうに私を押しつぶしたこと。 好きなものを馬鹿にしたこと。 私の大事な人を馬鹿にしたこと。 そんな人が今更、私を「愛してる」? 何度目かの記憶さらい。残念ながら今更の母の言葉を納得するものは改めて無かった。 都合のいい時に父親のフリ・ごっこ をしている[父]しか知らない。都合が悪くなったら母に丸投げする、おもちゃの扱いの私。 [父]にとってだけの楽しい家族。 私からみた家族ごっこ。 それに付き合うには知り過ぎたし、失望し過ぎた。 子を愛している父ごっこは、もう一人でしてもらおう。

二千円の価値

 土用の丑の日だから、ウナギを食った。  一尾二千円。  牛丼がいったい何杯食えるのだろうか。   「……普通」    ゆっくりしっかり味わっても、俺の感動はそれだけだった。  ウナギが悪いわけじゃない。  ただ、相性が悪いだけだ。    さっさと平らげて、皿を洗って、スナック菓子の袋を開けた。  安売り百円。  片手で掴んで、バリバリ食べた。   「うめぇ! 幸せ!」    これが、あと二袋もある。  なんて幸せだ。  がめつくみっともなく、豚のように貪り食う。  高い物を食うことが美味いだなんて、誰が決めた。    資本主義の定義する幸せをぶっ壊してくれたウナギに感謝したと同時に、大きなげっぷが出た。

舞台裏

 夕方の喫茶店。かすかな光のもれるカーテンの端から、外を覗いた。二車線の車道を挟んだ向こう側に若い男女が何か思いつめた様子で話し込んでいる。 「もうすぐ入ってくるよ」  膝立ちしていたソファーから降り、カウンターに腰かけている男に言う。男は立ち上がり、汚れ一つない黒いエプロンを着ながら店の照明を少し入れる。 「大学生くらいの男女だよ。恋人同士っていう雰囲気もないけれど、距離は近づいてる感じ」  青年は無邪気に話しながら、カップの置かれたカウンターにつく。カウンターに入った男は「君の憶測は大体外れるからなあ」と悪戯っぽく笑う。 「この前も、カップルだって言ってた二人組はいとこ同士だったでしょ」 「いとこは難しいよ。それよりさ、今回こそはミステリアスな雰囲気でいたいんだ。何かを知っているような、隠しているような、そんな感じ」 「まあ、やってみればいいんじゃない」  男はエプロンの紐を結びなおしながら、扉の方を気にする。外からは若い男女の声が近づいてくる。男と青年は目を合わせ、それぞれの役に入り込む。男はカップを拭き、青年は思案顔を作ってみる。  ドアにとりつけてある鈴が音をたてて、店内の静かさを破る。

女諜報員

私は、女諜報員。 任務は、この国の男性と結婚し、日常をノートに記録すること。 《指令1 一日の出来事を記録せよ。我が国との違いを把握せよ》 夜になると机に向かい、黙々と書いた。 数か月後、新聞のチラシに紛れて、メモが入っていた。 《指令2 買い物を記録せよ。我が国との経済の違いを把握せよ》 買い物から帰ると、レシートを広げ、商品名と値段をノートに写した。 私は結婚し、やがて子どもが生まれた。 届いた花束には、メッセージカードが添えられていた。 《指令3 子どもの成長を記録せよ。我が国の子どもたちの参考になるだろう》 私は、家族の日常をブログにアップした。 すると、編集者の目にとまった。 日記はエッセイに。 買い物記録は、主婦目線の経済書に。 育児記録は、若い母親向けのハウツー本に。 私の記録は本になり、評判が広がっていた。 玄関のチャイムが鳴る。 ポストには、メモが。 《指令4 今までの記録を全て本国に送れ》 私は、電子書籍のURLを書いた紙を封筒に入れた。

星が落ちた夏

 いよいよ、世界が滅びる日がやってきた。人々は口々にそう言って“皮肉”った。巨大隕石が地球に衝突して世界が滅亡するとの発表が、世界をひっくり返してから1ヶ月。まさか隕石の大きさを見誤っていて、実は滅亡なんてしません、なんて……本当に、誰が予測できただろう。 「大気圏にぶつかったら、燃えながら落ちてくるんやと」  シオは長い前髪を払い、無数の星が浮かぶ空を見上げてそう言った。ユズはその横で、蚊取り線香を腰に吊りながら、「それって危なくないんかな」と呟いた。  二人を含めた村の人たちは、集会所の前に集まっていた。世界が助かると分かった途端、誰かが「せっかくやけん集まろう」と言い出したのだ。みんなで綺麗な流れ星を見るぞーといったテンションで、祭のようにがやがやと騒がしい。自治会長の奥さんなんかは、世界存続のお祝いとかで、茹で落花生を振る舞っている。  村の中学生のユズとシオは、集会所の壁を背にあぐらをかいて、手にいっぱいの落花生をぽりぽり食べていた。リーンリーンと涼しげな虫の音がしたかと思うと、草がざわりと唸って、夜風が二人の前を通り抜けてゆく。そのちょっと青臭い匂いを嗅ぎながら、ユズはうっすらとしか見えないシオに話しかけた。 「今日は世界中、こんくらい平和やとええな。もう全員に地球存続の知らせは届いたかしら」 「まだまだやろと思うな。でも、人間はしぶといけん、きっとすぐに元の世界に戻るで」  暗闇から聞こえるシオの声は、声変わり中でかすれているが、低くて落ち着いている。ユズは少し安心してクスッと笑った。 「うーん、それはそれで。シオはどう? 元に戻りたい?」 「そうやな。俺は……今のままでも構わんかな。ユズと仲良んなれたし」 「ふふ、私ら相性最高やもんな。あの水汲みの時とか、タイミングバッチリやったで」 「あれはひどかったなぁ」  ケラケラ笑うユズに、シオも思わず吹き出す。一週間前、井戸から水を汲んでいた時、シオが誤ってユズにバケツの水をぶっかけてしまった事があった。あの日は一日中、思い出しては笑い転げたものだった。 「ねぇ、もしまだ水道が復旧せんかったらさ——」  ユズがそう言いかけた、その時だった。ちか、と空の彼方で何かが光った。村の人たちは、一斉に空を見上げた。  その瞬間、雷の何倍も激しい閃光が、夜空を引き裂いた。ユズは確かに、晴れ渡った青空を見た。胸がすくような、爽やかな晴天。山は鮮やかな緑を取り戻し、まるで燃え上がっているようだった。  隕石が光を放ったのは、ほんの一瞬だった。村はすぐに夜闇に包まれる。ゴロゴロゴロ、と雷鳴のような轟音が響き、人々は身を寄せ合った。 「シオ……!」  ユズはシオのTシャツの袖を引っ張って縮こまった。シオはくらんだ目であたりを見渡しながら、震えた息を吐く。地響きのような音は次第に弱くなり、やがて止まった。 「——終わった……?」  村の誰かが呟いた。しん、と一瞬耳が痛くなるような静寂が訪れる。途端に、村人たちはどっとため息や歓声をあげた。誰一人欠けてもいないし、怪我もしていない。みんな無事に、明日も生きられるのだ。 「ねぇシオ、私ら生きとるで!」 「ほんまやなぁ。あー、よかった」  シオは安堵の表情を浮かべて、袖をつかむ手をそっと包むように握った。ユズはパッと目を輝かせて、くすくす嬉しげに笑い出した。

見守り隊

ここは自然保護区 私はここで、絶滅危惧種のある一匹の動物の見守り隊をしている その動物は、朝は大体決まった時間にメインストリートを通り過ぎて行く よし、今日も生きているようだ 昼間は、森で見かけることが多い 森の中を彷徨いながら、たまにブツブツ鳴いている 何かを求めているのか、時々私の方に近づいてこようとする時もある 可愛い ヨシヨシって撫でたいな いやいや、私の仕事は見守ることだ 下手に接触したら、繊細なこの動物はストレスで弱ってしまう ごめんね あいにく君の好きな甘いものも、楽しい話も持ち合わせていないんだ 巣に帰って、ママに貰うといいよ 何も持っていないし、何もしてあげられることはない 私はただの見守り隊

みんな同じじゃない

あの人は、ただヤリたかっただけ 薄々気付いてたけど、気付いてないふりしてた 付き合って一ヶ月、そういう雰囲気になった時、ゴム付けようとしてくれなかった 私は十九歳、学生、就活中で、あの人は二十四歳、学生、まだ就活してなくて 万が一、デキちゃったら困る 「ヤダ」って拒否したら、そこから一気にお別れモード 「他人に嫌なことされたら、ヤダって言いなよ」って、いつも言ってくれてたのに 初めては、あの人とじゃなくてよかった あの人もそう 友達からでもいいって告られたけど、お断りした 歳が一回り違うと、話も価値観も合わない 私の何に惹かれたんだろう あとから知ったけど、ロリコンアニメキャラのフィギュアを集めていたらしい そっか、そういうことね この人は、違うはず 紳士的で、草食系って感じだもん そんな期待は二回目のデートで打ち砕かれた 昼前に待ち合わせして、ランチして、店を出てすぐ、ホテル行こうって誘われた まだ、そういう気持ちになれない でも、大人になったら、これが普通なのかな 生理中だったから、それを言い訳にして断ったら、 「今度は行こうね」って耳元で囁かれて、心臓が止まった 「うん」って返事だけはした ヤリたいだけ 結局、みんな同じじゃない 最近、感じ良くなって親切にしてくれるあの人も 急に挨拶を返してくれるようになったあの人も そうなのかな 男の人と目を合わせるのが怖い あなたも、そうだよね わかってるって 胸の大きい人が好みって言ってたけど、私は見てのとおりペッタンコだよ 胸もなければ、中身もない薄っぺらい女なの 私と一緒にいても楽しくないと思うよ 明日から急に素っ気ない態度取られても、私は大丈夫 見た目で好かれて、中身でフラれるのには慣れてるから ねぇ なんで、まだ私のそばにいるの? え? みんな同じじゃない、僕は違う? そんなこと言われたら泣いちゃうよ

夏休み

夏休み 登校日が 待ち遠しい 学校に行くのが ではなくて 君に会えるのが 「背、伸びたんじゃない?」 言ってくれたらいいのに

のぞむところ

今日は、お気に入りの運動靴と足のすり合わせがいいぐあい ちょっと遠まわりしてみるかな その思いは、熱風が邪魔をする あっけなく気持ちはしぼんで、さっさと家に帰ってくる 麦茶に、ちょっとだけの砂糖と、牛乳と クッキーもひとつ、食べていいかな 返事がないのは「いいよ」のしるし 都合がいいのはオトナになった証 まったくさ、まったくね あああ、夏は夏のものしか食べなくなるんだよなあ 今夜は、あえての鍋料理、してみる? ふふん、のぞむところ 食べれるもんなら 自分とのたたかいは、きっと、汗にまみれて

野乃と「のの」

一日中、眠りほうけている 私のことではなくって「のの」のこと まあ私も、横になってることにちがいはないのだけど ついでに、ペンギンも横になっていて アザラシは、年がら年中、横になっている カモメは、空でぷかぷかしてる 「のの」は、ペンギンのことも、アザラシのことも 空でぷかぷかやってるカモメのことも そして、そばにいる私のことだって 気にせず眠りほうけている 自分には、なあんも関係ない と、そういうことみたい 私は、そんな「のの」を見て ペンギンやアザラシを見て 空でぷかぷかやってるカモメを見て 今日は、特別、何もしなかった 特別、なあんも起こらなかった でも、そんな彼らのことを見られて とてもしあわせな一日だった

相変わらずの僕ら

二十四歳、タイのマックにて タイのバンコクで集まった僕らは、挨拶もそこそこに、まずは昼メシを食おと言うことになり、僕は気軽に行けるマクドナルドを提案した。 モンスーンが過ぎて、スコールはあるものの、いくぶん過ごしやすい気候になってきた。 とはいえ暑く、蚊がよく飛んでいる。 繁華街にあるマクドナルドに入ると店内が涼しく安心した。 タイの流行歌が流れている 「タイにもマックあんだな」 「そりゃあるよ」 「タイの女子はかわいい人多いね♡」 「日本と変わんないと思うよ」 「ハッピーセットもあんだな」 「そう、ハッピーミールていうんだ」 「あいつなかなか強そうなだな」 「ムエタイの本場だからね。と言うか、全然変わってないな、皆」 「お前もな」と三人が声を合わせる。 俺は十年ぶりの再会に、一瞬で中学生の自分に戻ってしまう。 ■中二、駅前のマックにて 日曜日の昼間、皆でフォートナイトをしていたが、なかなかボスを倒せず、ビクロイも勝ち取れない僕らは中だるみを感じていた。業を煮やしたドラゴンが「マック行かね?」と言い、僕らは一つ返事で、マクドナルドに集まった。 来たのは駅前の店舗で、店内はほぼ満席状態。自動ドアが開くと暖気といっしょに会話の洪水をあびた。窓側の四人席が丁度空いていたので入れ替わりでそこに座る。 「店の中は暑いな」 龍二(りゅうじ)通称【ドラゴン】 ドラゴンがスカジャンを脱ぐ。派手な赤いスカジャンで背中にドラゴンがスパンコールで刺繍されている。 以前、どこで買ったのかと聞いたらお婆ちゃんのお古をもらったと言っていた。 ドラゴンはこの悪趣味のスカジャンがお気に入りで、学校に来てきたこともある。すぐに先生が二度と来てくんなと注意していた。  今日もありったけのジェルを使って雲丹のようなトゲトゲの頭をしている。  何でも桜が舞う季節にはトゲに花びらが刺さることがあるらしいので、もはや凶器である。  ドラゴンはいつものダブチだ。 「あの子かわいいな」 影(はいど)通称【ラルク】  ラルクは親が付けた悪趣味極まりないキラキラネームを気に入っていて、名前の由来でもあるラルク・アン・シエルを敬愛している。ラルクは毎日メイクをして学校に来る。そして毎日先生に顔を洗ってこいと言われている。今日のラルクはゾンビのように目の周りが黒い。  ラルクはいつも新商品を頼む。今日はチャイニーズバーガーなるものを食べている。「これ美味いよ。甘辛」 「お前は彼女がいるだろうが」 力(りき)通称【ポリス】 ポリスは小学生のときに、ひったくり犯を捕まえたことがあり、街の警察署で表彰されたことがある。それでポリス。ポリスは正義感が強く小さい頃からキックボクシングを習わされているので、一見スリムだが隆起した筋肉が服のしたにあるのがわかる。  ポリスはその日もキックボクシングのジムに行く所で自転車に乗って商店街を進んでいた。するとお婆さんが「どろぼうー!」と絶叫する声に反応し、ポリスのひったくり犯に自転車ごと突っ込んだのだ。  ポリスはお婆さんにお礼を言われて、商店街の人々には褒め称えられて、警察署では表彰されて、大ごとになってしまった。褒められすぎて恥ずかしくなったのか、このことを皆に言わないつもりだったが、次の日、学校で全校集会が開かれ、校長より丁寧な説明でポリスの活躍を披露され、改めて皆の前で表彰式が行われてしまった。  ポリスはビックマックを頬張っている。 「あ、スマホ忘れた」 幸太(こうた)通称【ハッピー】  僕のあだ名がハッピーのせいで、友達は僕にハッピーセットを買うように要求する。違う物を頼もうとすると、気でも狂ったのか?と非常識な人間のような扱いをしてくる。そのやりとりが面倒くさいので、僕はこいつらといる時はハッピーセットしか頼まない。だから部屋はハッピーセットのオモチャが山ほど飾ってある。 「俺さ」とドラゴン 「今度は餃子バーガーを食べてみよー」 「プロテインないかな」 「実はさ」とドラゴン 「やっぱり、あの子かわいくない?」 「彼女に言うぞ」 「今度さ」とドラゴン 「声かけてみようかな」 「あの子ってどの子?」 「女子高生と会うことになってさ」とドラゴン そこで一瞬時が止まったかのように皆が止まる。そしていっせいに 「何で!?」 と言う。

恋のコの字

「ゴメンね」 「俺もゴメン」 待ち合わせ場所に行くと もう既に彼女がいた スマホをイジりながら俯いている なんて可愛いのだろう 「お待たせ。早いね。まだ二十分も有るのに」 「ポケモンGOやってた」 「ポケモン?ポケモン良いよね!ピカチュウとか、カワイイし」 「行こう」 「え、あ、うん、行こう」 海外のヒーローの映画を観に行った あまり知らない話だけど、結構面白かった 彼女は楽しんでいるのか、つまらないのか、表情を見てもよく分からない 映画が終わり外に出た 日差しが眩しい 「お腹減った」 「そうだねー俺もお腹減ったわーめっちゃお腹減ったわー」 「マック食べたい」 「俺もだよーマックにしよう!」 僕らはイオンの中のマックに行った お昼時のフードコートで何とか席を見つける 「ここ空いてた!良かったー」 「ここ嫌だ」 「え…そうだよね。何か…あ…汚れてるしね」 「テイクアウトで外で食べよ」 「あ!そっか!そうしよ!」 僕らは、お持ち帰りを受け取りイオンの横にある公園のベンチで食べることにした 「マックうめー」 「………」 「え、映画面白かったね」 「………」 いつも大体こんな感じで 告白はされるけど 結果は期待外れ。……なのかな 「………」 「あのさ…」 いやいやいや、分かってるよ。俺だって 分かってるんだて。俺だって どうにかしたいけど。わかんねーもんよ! 「俺は!…………俺は!最高の恋をしたんだ!」 「え?」 「俺れは!最高の!恋をした!上手くはいかなかったけど!!俺は!!最高の恋をしたぞ!!!」 涙が溢れて止まらない 彼女の顔が滲んで見えないけど、彼女が涙を拭う仕草は分かった 夏の短い恋が終わった 何がいけなかったかも分からない どうすれば良かったかも分からない だけど僕は最高の彼女と両想いになったんだ 少しだけ少しだけの時間だけど 世界の誰よりも幸せだった 俺の恋は最高だった ベンチの前で二羽のハクセキレイが、ピョンピョン飛び跳ねている

影法師と乾杯

足元にいる影さん、聞こえてる? 今日も一日、僕に張り付きで疲れたでしょ この暑さだしよけいにたいへんだったね とくにアスファルトの上ではさ まあ、こっちもたいへんなんだけどね じゃあ、お疲れってことで乾杯でもしよっか