薄暗闇から

 この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。  堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。  犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」  鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。   彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。  意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。  うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。  あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」  そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。  当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。  彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。  薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」  辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。  そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」  食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。  その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」  ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」  差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」  答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。  途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」  もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。  髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。  流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。  色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。  言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。

レプリカのダイヤ

母が死んだ。 そうなってから分かった。私は母に守られていたのだと。私の父は何かにつけて人に当たり散らかす最低人間だった。物心着く頃にはもう、それが当たり前で。私が感情のない人形として育つ理由には十分すぎた。 そんな時、菜乃波姉さんに出会った。母の姉の子供。私のいとこ、菜乃波姉さん。 菜乃波姉さんはアメリカ育ちで初めて出会ったのは私が7歳。姉さんが15歳の時だった。 彼女は父に啖呵を切って、私を家から連れ出してくれた。 「清佳、辛かったね」 菜乃波姉さんが抱きしめてくれた頃には、私の顔は仏頂面に固まり涙は枯れ、感情は凪のように静かでもう揺らがなかった。それでも、菜乃波姉さんは私の肩を掴んで自分と真正面から向かいあわせて言った。 「いい?清佳。今は辛いかもしれない。もうこのままでいいやって思うかもしれない。でも、忘れないで。あなたは必ず幸せになれる。あなたをまっすぐに見つめてくれる、唯一とも思える大切な人にきっと出会えるから。その人を探しなさい。それまでは私が守ってあげる。姉さんを信じて、清佳」 そうして姉さんは私の肩を掴む両手に力を込めてもう一度言った。 「あなたは幸せになれるから」 私はその唯一の人が菜乃波姉さんなのだと思っていた。いつも私を助けてくれるから。でも姉さんは、自分で探してごらんといった。自分の周りだけの、ちっぽけな世界に囚われるなと言った。それは私の生きる目的になった。彼女の言葉は私が人間らしく感情豊かに生きることができるように導いてくれた。 そして18歳の今、私は一人絶望して泣いている。 私の全てだった菜乃波姉さんはもう、どこにもいない。この世界の、どこにも。 母が、姉さんがいない。なのに父や私は生きているこの世界に一体何を望めばいい? このまま何もかも捨てて逃げ出してしまおうか。 そんな思いが全てを支配してフラフラと外に出る。 外は大雨でびしょ濡れになるけれど、その冷たさだけが今、私が感じることのできる唯一の感触に思えてとても心地よかった。 ふと、子供の泣き声がした気がした。 私の足が自然にその泣き声のする方向へ向かう。 雨降る、秋の夕暮れの、十字路の角で。 一人の少年がうずくまって泣いていた。 裾の破れた薄いTシャツ姿の痩せた少年で、体のそこらじゅうに怪我をしているのが見てとれた。 私は彼に近づいて声をかけた。 全ては無意識だった。 「ねえ、あなたも一人なの」 彼がこちらを向く。灰色がかった綺麗な瞳の色だった。 「ひとりじゃないよ。ママがいるよ」 「ふうん。ママのとこに戻らないの」 「…もどれないよ」 「…ふうん」 「じゃ、うちに来る?」 思わず、口に出していた。彼をこのまま一人にするのも、大人のとこへ連れていくのも、何か違う気がした。 そう、全ては無意識だったのだ。 「…うん」 彼は子供らしい笑顔ではないが安心したような、そんな表情で私を見た。 その時、ああ、と思う。 ずっと、私のことを支えてくれる人を探していた。 だけど、多分違う。 私は一方的に守ってもらう愛だけじゃなくて、与える愛も探していたんだ。 「あんた、名前は?」 「大也」 「だいや、ね。じゃあ帰ろう。一緒に。」 そう言って幼い少年に手を差し伸べる。 握ったその手は泣きたいほどに小さかったけれど、でも力強かった。 「おばさんのなまえは?」 「おばさんじゃない」 「えっと…」 「清佳よ」 大也がぎゅっと手を握った。 「きよかちゃん、ありがとう」 「むしろこれからが本番だけどね」 二人して歩きながら少し笑って答える。ああ、そうだこれは言わなくちゃ。 「ねえ、大也。今は辛いかもしれないけれど、いつか必ずあんたにとって唯一とも思える大切な人に出会えるから。その人を探しなさい。それまでは私が守ってあげる」 そうして彼の前にかがみ、目線を合わせて伝える。 「あなたは幸せになれるから」 ねえ、菜乃波姉さん。 ごめんなさい。 優しい言葉に、何も言えなかった。 抱きしめてくれた温かい腕に手を回せなかった。 だって、初めてだったから。どうすればいいか分からなかった。 でもね、今なら分かるよ。 だって、あなたが教えてくれた温かさを、幸せを、愛情を知っているから。 もう、初めてじゃないから。 あなたに返せなかった両手に抱えきれないほどの愛を、必要としている人に渡すよ。 私はもう十分、守ってもらったから。 そしてまたその愛が巡り巡って、あなたの元に届くように。 心からのありがとうを、伝えたい。 雨が上がり、夕陽がさす。 これでいい。 彼の頬に残る涙の跡も私の心に残る生傷も、全て夕陽が暖めてくれる。 彼の姿に、かつての自分自身を見た。 その幼い背中にこっそり声をかける。 「幸せになれるよ。私も、あなたも。」 私たちの明るい未来に、祝福を。

よわい みにくい すくわれない

「そ~やって人助けばっかりしてたって、いつまでもヒーロー扱いされるわけじゃねえから」  かつて友人だと思っていた人物は、それだけを言い残すと私から離れて行ってしまった。  それまでの私は、捨てられた犬猫を見ると餌を与えたり、困った様子の人を助けずにはいられない性格で、よく友人との集合時間に遅れることがあった。  友人は時間に厳しく、私が遅れることをあまり快く思ってはいなかったことも明白だったが、私としては友人と他人を天秤にかけて尚、見知らぬ人を助けてしまう海綿体のような頭だった。  ある日、友人が待ち合わせ場所に向かう最中、事故に遭った。  トラックとの酷い衝突事故で、病院に運び込まれた友人はなんとか命を保っているだかの危うい状態と伝えられ、それから一週間目を覚ますことはなかった。  ようやく面会できるまでに回復した友人の入院する病室に向かうと、そこにはカーテンにシルエットのみを映した友人の姿があった。 『……カーテン開けていい?』  意味もなく、そう聞いたことを覚えている。  ベッドに座り上半身を起こした彼からの返事は無かった。  漂白されたばかりのようなカーテンに手をかけ、その柔らかさを強引に押し退けた。  目にした友人は、見るに堪えない姿をしていた。  全身が包帯で縛り挙げられ、健康的だった肌は一切の露出がなかった。かつて生気に満ちていた瞳も、喪失感でいっぱいになっていた。 『出ていってくれ。そんな顔をするなら』  今生の別離を告げられたような気がした。  表情も読めない彼の、精一杯の表現だったのだろうと、今になって思う。  あの時、果たして私がどんな顔をしていたのかは一切わからないままだ。  けれど、ポツリと足元に纏わりつくような、嫌悪感だけは今でも生々しく思い出せる。  あれこそきっと、わたしが救うべき形だったという後悔と共に。

人間の尊厳

「俺は魚人間になってまで生きながらえたくはないんだ! 人間には自分がどう生きるか、どんな姿で生きるかを選ぶ権利がある。魚に堕してまで、鰓を生やしてまで生きながらえるのは人間に対する冒涜だ。そんなもの認められるか・・・。」 「あなたの言い分は幾分優生思想的です、おまけに極めて人間至上主義的だ。偏屈で、保守的な価値観です。時代についてこれていませんよ!」

アクアリウムの街で

 突然の雨は空鯨が大量に水を噴き上げたことが原因らしかった。天気予報で空鯨の群れが列島を横断するという話は聞いていたのに、いつも持ち歩いている折り畳み傘が今日は運悪く鞄に入っていなくて、自分の確認不足を嘆いた。そういえば、一昨日使ってから家で干しっぱなしだった。  仕方なく鞄を頭の上に乗せて歩く。学校指定のスクールバッグは、肩が痛くはなるけれど、防水性に優れている。とはいえ、雨を防げるほどの大きさはない。まだ家までは五分以上歩かなければならないのに、と憂鬱になっていると、不意に雨が止み、視界になにか短く細いものがふよふよと浮かんでいるのが入った。  見上げると、そこにはオオガサクラゲが、私を雨から守るように頭上で笠を広げていた。視界に入っていたのはこの子の触手だったようだ。 「傘の代わりになってくれるの?」  問いかけに返事はない。クラゲには口がない。聞くところによると脳もないらしいから、理解してもいないのかもしれない。意思疎通を諦めて歩き出すと、クラゲはふよふよと揺めきながら付いてきた。どうやら問いの答えはイエスのようだ。  そうして歩いているうちに、空鯨たちが去っていったようで、次第に雨は止んだ。クラゲはすっと動き出し、私の目の前に来て止まった。 「ありがとう。おかげでびしょ濡れにならずに済んだよ」  クラゲはふよふよと上下に浮かんでいる。その仕草はなんだか得意げにも見えた。  私は手を伸ばしてクラゲを撫でてやった。心なしか嬉しそうに、と思うのは都合のいい妄想かもしれないけれど、触手を絡めてきたので慌てて振り払う。びりびりとした感覚が腕を覆って、私は苦笑いした。帰ったらすぐに薬を塗らなければ。  去っていくクラゲを見送って、ふたたび帰路に着く。カラフルな魚たちが泳ぐ青空には、大きな虹が掛かっていた。

N

Nさんは夜中納屋で自殺してしまった。 首吊り自殺だった。それを弟のYはすごく悲しんだ。 Yはその事がショックで人生が狂い始めた。 それをみていた友人のHはYが狂い始める姿をみて辛かった。 しかしそれでもYの人生は続いていく。 それはシェイクスピアの書いたハムレットのような悲劇。 Yは小説好きでよくシェイクスピアの話をしていた。 しかし自分にこんな悲劇が襲いかかるとは思いもしなかっただろう。 Yはマクベスを引用して言う「綺麗は汚い、汚いは綺麗」。 HはYに聞く「お兄さんの死体は汚かったかい?」 Yは言う「畳の上に乗ったお兄さんの死体は綺麗だったよ」。 Hは言う「Y、この世で最も汚いものは何か分かるか」。 Yは「わからない」と言う。 Hは言う「それは生きている人間だ」。 Yは納得したようなしないような顔をする。 Yは言う「では俺達は死ぬことで綺麗になると言うのか。ふざけるなそんな綺麗事を!」 Yは憤る。 Hは言う「過去に生きた人間が歴史でやってきたことを思い出せ。ほぼ全ての人間が何かしらの悪行を行って生きているだろう?」 Yはまた怒って言う「俺はそんなことはない!全うに生きて全うに死ぬだけだ!」   その言葉に今度はHが黙る。 本当に正しい人間。 それがこの世にどれだけいるだろうか? 「綺麗は汚い、汚いは綺麗」。 どんな綺麗事を並べても最後は死体になり朽ちていく。 生きている事が汚いとするならば死体は綺麗だという救いぐらいあっていいじゃないか。

録記の活復

Taube 『地域に愛され45年 感謝感激の大セール』  学校の斜め向かいのスーパーの入り口にこう歌うチラシが貼られた。やがてそれがそのスーパー最後のセールであることが分かった。  リリュにはやってみたいことがあった。だから薄暗い廊下の端をベニヤ板で勝手に封鎖すると、窓の側に三脚に取り付けた一眼レフカメラを据え付けた。  空へとにょきにょき伸びていく東京スカイツリーの無数の写真を2分にまとめた動画。定点カメラで作り出されるタイムラプス映像は、手軽で美しいものに思えた。  手軽で美しい、素敵な響きだ。だからリリュは、スーパーが解体される様を撮影することにしたのだ。  スーパーの最後の日々を、生徒たちは今まで通り思い思いに過ごしていた。一夜漬けの夜食のお菓子を2つ買ったり、部活帰りにフードコーナーのたこ焼きを3パック食べたり、生徒たちにとっては45年という時間は、自分たちの過ごす6分の前では0に等しいものだった。  リリュにとっても、そのスーパーが特に思い入れがあるというわけではなかった。むしろ、一般的な生徒よりも使用頻度は低かったぐらいだ。リリュはただ、退屈をつぶすだけの学校の傍らで行われるイベントを活用しない手はない、と考えただけの省エネ人間だった。省エネついでに周りから評価されるならなおのことお得じゃない。  だが、すぐに問題が判明した。画が美しくなかった。リリュの見た建築系の動画は、たいてい美しい空の色が入り込んでいた。小物でも、中心となる被写体の周りは整然としており、何に注目すべきかはっきりわかる画作りが美しい。  だが、4階の廊下から見下ろされる平屋で屋上が駐車場になっているそのスーパーは、画角いっぱいにコンクリートの塊が鎮座し、あとは散らばった地面が写り込むばかりだった。  リリュは他にも校舎内の撮影スポットを探し回ったが、カメラを据え置けるという条件を満たす場所を発見出来なかった。  リリュは学校終わり、第二案の画角のアイデアを探すためにスーパーの周りをぐるぐると回り、人差し指と親指で作った四角形の中にスーパーを納め続けた。  だが最後には首を振った。解体工事が始まれば、こんな住宅地の中での作業、粉塵除けの幕で覆われるに決まっている。どんな画角を探しても、見えなくなることが確実だろう。  リリュは学校の敷地を仕切る塀に背を預けて、ポケットのスマホを取り出して一枚写真を撮った。その画角が、もっともマシに思えた。ほら、夕焼けの空も映り込む。画面を確認し、リリュは帰途に就いた。  それはスーパー最後の日の写真となった。  スーパーだった建物は、リリュの予想通り素早く幕に覆われていった。リリュは休み時間毎にベニヤ板をくぐり、律儀に斜め上の角度からのスーパーだったコンクリートの塊をカメラに収め始めた。だが、今のところそれが意外性のある連続体になることは期待出来なかった。  リリュは地面に立ち、濃い灰色の工事用防塵幕を睨め付けた。目で見れば、なんとなく中の構造物が見える気がした。だが、スマホの画面では目の前にあるのはただ直方体の箱だった。それでもリリュは諦めきれず、スマホの画面の中にその箱を納めた。  防塵幕に覆われても、しばらく建物は同じ形状を保ち続けた。しかし、ある日突如工事が始まり、スーパーだった場所はほんの一週間ほどの間に瞬く間に更地になっていた。  リリュはシャッターを切り続けた。つまらない画にげんなりしながら。  幽霊部員の突然の登場にも、部長は特に反応を示さなかった。リリュはイーゼルとキャンバスを組み立てると、机に撮影した写真が一覧で見えるようにクロムブックを開いた。  建物の解体は屋上、天井部分から始まった。端から順にコンクリートが破壊され、鉄骨の骨組みが明らかになっていくと屋内が露になっていった。広々とした容積のあった箱は徐々に削り取られていき、巨大な壁は内側に引き倒され、全ては塵へと帰っていった。  だがそれはただのつまらない画角から撮られたつまらない記録写真だった。  リリュはスマホで撮った画像も開いた。幕で覆われた、ただもっとましな画角のそれ。この画が欲しかったのだ。  リリュは木炭を取り上げた。 「いいじゃない」  絵が描きあがった時、部長が自分の定位置の席で独り言のように言った。でもそんなことは最早、大して気にならなかった。  崩壊した前景から、そこに至る構造がむき出しとなった中継、そして在りし日のスーパーの栄光を留める後衛まで、一枚の絵にリリュの見た全てが収束されていた。  そうしてようやく、リリュはイトーヨーカドーがなくなってほしくなかった自分に気づいた。 (お題:イトーヨーカドー)

3日物語

眼の前が真っ暗だ。 そういえばーーーーー 三日前のことだった 医者に「後3日で死ぬね君。」と言われ 幼馴染のーーーに…えっと誰だっけ そういえば僕の名前は…ーーーあれ? 恐怖に陥って走り出すと幼馴染のーーー が見えてきた。あ、倒れるそう思った瞬間 彼女がこっちに気づいた。 良かった。なんとか助かりそうd 彼女も引いてきた車が俺の体に突っ込んでくる ドンッ キキーッ 幸い運転手はすぐに病院に連れて行ってくれた “俺は”無事だった。 彼女は体の3分の2がないらしい 俺の体で助かるかな…と思ったその時に 2日経っている事に気づいた。 その瞬間に涙と彼女を助けたいという 気持ちがこみ上げてきた 病室に行くと彼女がこちらを見てきた。 もう体が適合することがわかっていたので もう覚悟はできてるよ。と言うと 彼女は泣いて、ありがとうとごめんね を言ってきた。しばらくすると寝てしまった 体の代償としてキスしてやった もちろんほっぺに 最後に最大のイジワルをしてやった 俺の人生悔いはない

この世界の、その始まりは──。

ここは新しい世界《ニューワールド》なぜここがそう呼ばれているかは分からない。 ここは全ての欲望が叶う素敵な場所。どこかに行きたい時も、何かが欲しい時も、全部叶う素敵な場所。 だけどこの場所には秘密がある。 街の中心部にある《ニューワールドタワー》と呼ばれる空まで届くような高い塔の地下にはどんな欲望があったとしても絶対に入れないんだ。 そこに入れるのはそこの管理員ただ1人。 そこの管理員はみんな虚ろな顔をしている。こんなに素晴らしい世界の何がそんな顔にさせるのだろう。 僕はそれが気になって気になってしょうがなかった。だから僕も管理員になったんだ。 大人はみんな「ありがとう」とか「偉いね」って言ってくれるから管理員ってのはとても素敵な仕事に違いない。 管理員用のエレベーターを使って《ニューワールドタワー》の地下へ行く。 “B10”と言う名前がついたその場所でエレベーターをおり、その先にある部屋に入った。 そこにはたくさんの機械があった。 本で見た事のある“スーパーコンピューター”というものによく似ている。 僕はそれらをながめながら部屋の奥へと進んでいく。 すると、ごちゃごちゃしていて作業する場所だけが開けてる机があった。 それを片付けないといけないのか…と思いここを片付けて、と“お願い”してみる。 だけどいつものように勝手に片付いてはくれない。 僕は仕方なく自分で片付けることにした。 しばらくすると一通り片付いて来た。 最後に積み重ねられた本の分類をして戻したら終わりだ。 僕はふとその中の1冊に目が向いた。 『ニューワールド取扱説明書:管理員用』と書かれたその本を取り出し、パラパラとめくる。 概要と要約 ・この世界の住人はAIプログラムを有した有知能性無生物である。 ・《ニューワールド》とは、旧日本警視庁が発案、制作した犯罪者更生装置である。 ・この世界は1人の犯罪者の更生のための施設だ。管理員はこの世界を管理しつつその1人を監視し、この世界の秘密に気付いた時は速やかに排除せよ。 ・このことは口外禁止である。 僕はその本をそっとしまい、何事も無かったかのように作業に戻る。 僕は違う。僕は違う。僕は違う。僕は違う。 「あっ」 動揺が仕事に影響する。 大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。 僕は違うのだから。 その日の仕事を終わらせ再びエレベーターに乗る。 “B10”から動き始めたエレベーターは存在しないはずの“B3”で止まる。 そして1人の男が乗り込み、バンッ!という音がして僕は死んだ。 目を覚ますとそこは病院のベッドだった。 なんだ、助かったのか、と自分の手を見た。 そこにあった手は見慣れた子供の手ではなく汚くてゴツゴツした大人の手だった。 困惑しているとそこに1人の警官が来た。 その警官が言う、自分がしたことが実感出来たか?と。 僕は人殺しらしい。 《ニューワールド》は犯罪者を更生させるという名目の元で作られた報復のための世界。 犯罪者は自身が殺した人と同じ死に方をしてこの世界へ戻るらしい。 よりその被害者に近付けるために被験者である犯罪者の記憶は消されてしまうようだ。 警官の質問に僕は答える。 いいや、なにも。 そう、僕は実感なんてしなかった。 僕には記憶がある。 僕は誰も殺さなかった。 だから殺された実感を味わう意味が無い。 警官はその答えを聞いて、そうか、今回も失敗か。とだけつぶやき部屋を出ようと立ち上がった。 僕は“お願い”をした。僕を犯罪者にして見せて、と。 警官は死んだ。 やはりこの世界の外なんて存在しなかった。 《オールドワールド》などもう消えてしまったのだ。 僕は再び“お願い”をした。 今度はそう、《オールドワールド》に戻して、と。 一瞬だけ意識を失い、次に目覚めると 僕は死んでいた。

食べ物の恨み

 食べ物の恨みは恐ろしい。  人間は当然、お化けだって激怒する。    お化けが食べようと大切に保管していた人間が、いつの間にか自殺していたのだ。  人間は、生きているからこそ美味なのである。  死んだ人間は、腐った食材に等しい。    故に、お化けは激怒した。  自殺して、お化けとなった元人間に、激怒した。    自殺して現状から解放されようとした元人間の願いは叶った。  しかし、意識が無になるだろう目論見ははずれた。  まさか、死してなお、お化けの元にいるとは思わなかった。    ぎゃんぎゃんと叫ぶお化けを見て、元人間は考える。  どうすれば解放されるのだろう、と。  悩んで悩んで。    大きく口を開けた。    お化けは、人間を美味と呼んだ。  元人間は、自人間時代に自分の皮膚を舐めたことはあるが、美味とは思わなかった。  つまり、人間とお化けでは、味覚に差がある。  お化けとなった元人間。  味覚に差があるのなら、お化けにとってお化けの味はどれほどかと、単純な興味を持った。    ぱくり。    むしゃり。    がりごりがりごり。   「美味」    元人間は、お化けを食いつくした。  じたばたあがくお化けを、踊り食いした。    お化けを最後までのみ込んだ元人間。  得られたのは満足感。  もっと食べたいという満足感。    その日、お化けを食らうお化けが生まれた。

膨らんでいく

 人間たちは、小さな部屋へと閉じ込められた。  そして、目の前には小さな丸が一つ。    目の前の丸は、ゆっくりと膨らんでいった。   「ひいっ!?」   「わぁっ!?」    人々は、その光景に恐怖する。  元来、人間に膨らむなどと言う機能はない。  それゆえにだろうか。  人間たちが恐怖を感じるのは。   「早くしろ!」   「急げ!」    人間たちは大きくなっていく丸から逃げるように、扉をガチャガチャと開けようとする。  しかし、扉は沈黙したまま。    丸がどんどん大きくなって、人間たちの体を推し始める。  人間たちの体は丸と壁の間に挟まって、どんどん潰されていく。   「くそぉ……ここまで、か……」    人間たちが、覚悟する。        ばぁん。        大きな音を立てて、大きな丸こと風船が破裂した。  ゴムの割れる勢いは、大きな風と痛みを人間に叩きつけた。   「はい、脱出失敗でーす。お疲れ様でしたー」    アナウンスが、無情にも人間たちの敗北を告げた。   「ちくしょお! 次こそは!」

心を繋ぐ

 僕は女の子が苦手だ。  別に昔女の子たちから何かをされたとか、そういうのではなく、ただ単に偏見から生まれた苦手意識で女子から遠ざかっている。  自分でも分かっている。このままでは人として、男として終わってしまうということが。それでも苦手意識というのは消えない。何かが変わらない限りずっと。  今日はバレンタインデー。クラスの女子たちは三年の先輩や一年の後輩、先生に渡すために学校で禁止されているメイクやチョコやクッキーなどの菓子類の持ち込みをして相当浮かれている。  そんな浮かれた空気の中僕は机に突っ伏して寝たふりを決め込んでいる。  誰も僕に触れてくれるな。そんな雰囲気を醸し出しながら、内心今日行動しないと男として終わってしまうのではないかと焦っている。  そんな焦りが伝わったのかどうか、一人の女の子が僕の肩を叩いてこう言った。 「あの…あとでと、図書室に来てくれませんか?」  僕は焦りと緊張と嬉しさでどうにかなってしまいそうだった。  女子に触れられたこと、話しかけられたこと、呼び出されたことを理解した頃には沸騰した湯に脳みそを漬けたかのような感覚に陥り、当分の間目も当てられないような顔をしていたと思う。  そして、勝負の時間。  僕はトイレの鏡で身だしなみを整え、期待を膨らませながら図書室へと向かった。 「あ、ナガセ君」 「あ、あの。何の用ですかハセベさん」 「ナガセ君、私。ナガセ君のことが好き…なんです。一年の時から今までずっと……」  まさか、自分が? 内心の感想はそれだった。  これだけ可愛い子だ。さぞモテるだろう。 「え、あ、その…僕はえーっと…」  はいと言いたいが、断りたいと言いたいという煮え切らない気持ちが駆け巡る。 「ダメ…ですか?」  上目遣いで、萌え袖で、小さい手をぎゅっと握りしめて必死さがとても伝わってくる。断る理由なんてあるものかと言いたいところではあるが、もし嘘告白だったらと考えるだけで、気軽にはいとは言えない。  でも、そうだったとしても夢を見る権利はある。一秒だけでもこの人の彼氏になれるならと僕は……。 「いいよ、ありがとう」  ハセベさんの目から大粒の涙が溢れる。 「ありがどうございばず…ずっとっ、言いたかったんです…でも男の人がっ…苦手で…いえなぐでぇ…」  僕も緊張が解けたのか、ハセベさんにつられて泣きそうになる。 「ぼ、僕も女の人が苦手で…けどインキャだし釣り合わないと…思って…」 「そんあこお…ないえすよぉ…っ…っぁ」  ハセベさんの涙は止まることなく、滝のように溢れ出てくる。 「っ…ナガセ君……んっ」  僕の目の前に震えた手が差し出される。 「ん?」 「つぎたい……たぶん…っ、つないだら…なみだとまる」  差し出された小さな手。僕のものと比べたら二倍くらい小さくて細い。ぎゅっと握ってしまったら折れてしまいそうだ。それくらい僕とハセベさんの関係は細い。  だから。 「はい…」 「えへへ、やくそくしてるみたい」  ハセベさんがへにゃっと笑う。それが愛おしくて離したくないという気持ちが芽生える。  今は小指と小指を絡めることしか出来ないけど、次は手を繋いで、その次は……。 「うん、約束」

ここって?

初めてでよく分かっておらず、すいません。 ここは何をする場所なんでしょうか? 出来ればコメントなどで教えてもらえると光栄です。

読む

詩は 夏に 読むものではないなあ 汗を 流しながら読むんじゃあ 紙が 濡れてしまうじゃあないか 詩は 暑いときに 読むんじゃあなくって 寒いとき 公園で ひとり 涙を流しながら 読むものさ それだって 流れた涙で 紙が濡れてしまうことに ちがいはないんだけどねえ

今日は

私には性別が2つある。 正確に言うと、いつもは女で、たまに朝起きたら男になっている、といった具合だ。 学校には女の自分で在籍しているので、男だったら学校を休めてラッキーだ。 「やった!今日はツイてる!」

橙と藍

二人の間を通り抜ける風が、少しだけ不愉快で少しだけ愉快だ。 夕日に照らされた街は、モノクロに見える程退屈でつまらない。だけど胸に染みて、ちょろい自分に愛情が芽生えた。 「あ、UFOだ。」 視界に突如現れた物に驚き、足を止める。 「え?」 違う、これは彼女の腕だ。 「こういうの、驚かないタイプ?」 「うん。」 どちらかと言えば、隣にいる宇宙人の突発的な行動に驚かされる方が多い。そんな気がする。 それに、多分君にはUFOくらい見えてそうで、大したサプライズにはなり得ない。 「いつも、夜眠れなくなったらよく交信してるじゃん。」 フワッと吹く風に溶かされそうになりながら、わざとらしく顔を歪める。やっぱり、宇宙人っぽい。 「ヤダな。これバレたらまずいのに……。」 ああ、どうしよう、このままだとUFOに連れ去られてしまいそうだ。もう既に、取り込まれてしまったのかもしれない。 「夕方でよかったね、夜なら危なかったよ。」 いや、既に取り込まれてるなんて思うのは、少しキザっぽいからやめておく。 「あのさ、誰にも言わないでね。私実は……宇宙人なんだ。」 僕の隣には、今日も宇宙人が居たらしい。 早く、星空の下で儚げに夜空を見上げる君を見たい。 その横顔は、僕が知るどんなモノよりも不愉快で愉快だ。 もうすぐ、夜がやってくる。 僕はただの人間だって、君に教えるのはいつにしようかな。

洞窟

 気付いたら、洞窟の中にいた。  突然目の前が真っ暗になったあのとき、私はこの洞窟の中に来てしまったらしい。光は見えない、真っ暗闇の場所だ。右も左もわからず、どちらが前かもわからないまま、私は歩き出した。  不気味なほどに孤独な洞窟だった。人一人どころか虫一匹いない。ただ、ぴちゃ、ぽちゃん、と水の打つ音が遠く聞こえてくる。  歩いても歩いても、ずっと暗闇だった。 「痛っ」  濡れた岩場に足を取られて、私は思いっきり転んだ。暗くて血が出ているかどうかすらわからなかったけれど、膝がずきずきと痛む。  私の目には涙が滲んだ。どうして上手くできないの。止まらなくなった涙を拭うことなく、私は膝を抱えて蹲った。  そうしているうちに朝が来ていたらしい。微かな光が漏れ出している場所があるのに気付いて、私は立ち上がった。膝の痛むまま、私は走り出した。  走りながら、私の頭の中にいつものビジョンが流れ込んできた。去っていく背中。届かない手。いかないで、いかないでと私は叫ぶ。  まるでみんなが私を置いて、振り返ることなく行ってしまったような気がした。あの光を捕まえたら、追い付けるような気がした。  私はまた、声もからがら、いかないで、いかないでと叫んだ。もつれる足をどうにか動かして、体力なんか気にしないで、ただ走った。  光は遠かった。走っても走っても、ずっと遠くにいて、近付いている気すらしなかった。周りはずっと暗くて、だけどあの光だけは私の希望で、だから諦めたくなかった。  でもまた転んで擦り剥いて、膝も肘も掌もぼろぼろになった。全てに絶望しそうになった。もう私なんかには無理だって、思ってしまった。  走るのを辞めて立ち止まったとき、他の場所にも光が漏れ出しているのに気が付いた。  私は茫然としてしばらく動けなくなった後、なんだか可笑しくなって笑った。  なんだ、あんなに追いかけていた光は、唯一の希望ではなかった。ちゃんと私は選べるのだ。みんなとおんなじ光を追いかける必要なんて、どこにあるだろう?  私は側にあった光のもとに近付いて、光を遮っていた岩をそっと退けた。  眩い光に包まれて、私は目を覚ました。

ひろき 〜アイス編〜

ひろきはチョコアイスが食べたくなった。コンビニで、茶色いアイスの写真が印刷されている袋のアイスを買った。早速、かぶりつくと、あっという間に食べ尽くした。ひろきは言った。「やっぱりチョコはうまい」ひろきが捨てたアイスの袋には大きな字で、あずきバーと書かれていた。

支柱があればこそ

 世界の中心は自分だと思っていた。  可愛らしいユニコーンの背に乗って、キラキラとした照明と、調子のいい音楽の内側で回る。  そんな自分の未来は騎士だと思えるような子どものまま育った自分が、平和すぎる世界の中で優雅に立ち回ることなどできない。  現実は十二分に自分の心をへし折ってくれた。  誰かに頭を下げて、腰を折って、繰り返し重箱の隅をつつかれながら、棘のある彩度のない世界の住人として歩くだけ。  それが当たり前の大人の姿。  正しく作られたモノトーンの世界。  ――そうだと思っていた。  塗り直されたユニコーン。真っ白な翼の内側に昔の水色。ポップな音楽は今流行のアイドルソングのインストで、LEDに変わった照明は、非常に目に刺さる。  ――ああ、それでも。  世界の中心は、今でも自分なのだろうと思う。  白馬の上に家族がいるという現実だけが、自分の心を鮮やかに彩ってくれているのだから。

私はほっぺを世界一愛してると言っても過言では無い女だ

「ちょっと姉ちゃん!そんなに引っ張って私のほっぺがおばあちゃんみたく伸び伸びになっちゃったらどうするの!」 5分ほど頬を愛でていたら妹が文句を言ってきた。私はなんてことないというように返す。 「そん時は責任持って生涯かけて愛でるよ」 ゴミを見る目でキッショ!と言われたのは言うまでもない。

新築一軒家

「本当に、こちらでよろしいんですか?」   「ああ。頼む」    男が購入した土地は、災害によって壊滅した町の一角。  周囲には半壊した建物だらけで、商店街だっただろう通りは機能をしていない。  道を歩く人々は、まったくのゼロ。  かつては町全体が復興を目指していたが、復興費用の大きさと住民の高齢化から、未だに様子見が続いている場所である。   「本当の、本当にいいんですね? 安全面も、保証できませんよ?」   「ああ。構わない」    少しでも損失を回収しようと元家主の遺族が売り出した土地を、男は手にしたのだ。   「さあ、これから忙しくなるぞ」    まともな建築業者は、このエリアを仕事の範囲に含めていない。  住居を構えるためには、組織ではなくフリーランスで仕事をしている人間が必要だ。  男は片っ端からアポをとり、唯一承諾をした人間に建築を依頼した。   「危険手当はいただきますよ」   「ああ、構わない。万が一事故が起きた時も、相応の額を約束しよう」   「縁起でもないこと言わんでくださいよ」    作業は慎重に行われ、一年かけて男の家が完成した。  廃墟の中に建つ新築一軒家は、誰が見ても奇妙な光景だ。  家のない場所にぽつんと立つ古い一軒家の方が、まだ常識と言うカテゴリに近いだろう。    男は新築のベランダにテーブルを置き、一人優雅にティータイムを楽しんでいた。  ここには静寂しかない。  走り回る子供も、ぺちゃくちゃしゃべる老人もいない。  男は。見捨てられた土地で、欲しかった静寂を手に入れた。   『ああ、妬ましい』   『ああ、羨ましい』    そんな男の周りを、お化けたちが飛び回る。  災害によって命を失った人々。  未だ立て直されない我が家へ怒り、よそから来た男が先に新築を建てたことに怒っていた。   『呪ってやる』   『呪ってやる』    しかし、お化けの声は男に届かない。  霊感とは、才能だ。  お化けたちがどれだけ頑張ろうと、男はお化けを見る才能がなかった。   『お前が死んだら、覚えていろよ』    男は今日も、紅茶を啜る。  静寂しかない、最高の環境で。

花に例えるなら

大学の休み時間。無言の空間が続くと人間は他愛ない会話をしたくなるものらしい。 「お互いをさ、花に例えるとしたら何になるかね?」 自分でもなかなかにメルヘンだなと思う話題。振った相手である『あーさん』(名前の一文字目とアイロニーからきたあだ名)は少し考える顔をしてから小さく笑った。 「え、何。思いついた?どんなの?」 「…言わない」 「なんでよ教えてよ!!」 しつこく聞くと根負けしたあーさんは教えてくれた。 「…ホトケノザ」 ……ホトケノザ?それって、あれか? 「…一応聞くけど、春の七草の方?」 「ううん、道端に生えてる方」 要は雑草じゃないのよ。 「うん、はっきり言うと」 ホトケノザ、シソ科オドリコソウ属の植物、原生地は日本、東アジア、ヨーロッパ、道を歩いてたら何処ででも見つけられる草。私が知っている情報はこれくらいだが、だとしてもよ。 「そりゃあね、しぶとさが取り柄だしね?でもそれさ、花じゃないじゃん……?」 「あはは、確かに作者ちゃんにはしぶといし図太いってイメージもあるけどさ」 あるんじゃないのよ。 「いや花言葉に「調和」っていうのがあってさ、それがピッタリだと思って」 ホトケノザ私にピッタリじゃないのよ。 「そぉーお?いやぁ、あはは」 そう言って笑うと、あーさんもくすくす笑う。おいさては私をからかってるな。にしても知り合って数ヶ月なのに遠慮無くなってきたなこの人。 「あ、ちなみに私は?」 ニヤニヤしているとあーさんが聞いてくる。私は直ぐに思いついた。 「あれだね、んー…スズラン」 「え?私そんな可愛い花じゃなくない?」 「いや、スズランって根と花にすごい毒持っててさ、あーさん可愛いのにしれっと毒吐くじゃん」 「え、そーなん?あはは、私にピッタリ」 納得したように笑うあーさんを見て、毒舌な自覚はあったのかよと私も笑った。 気がつくと休み時間が終わっていた。

ひろき 〜コーラ編〜

ひろきはコーラが飲みたくなった。百円玉がうまく入らず自販機の下に転がった。次は慎重に百円玉を入れてボタンを押した。だが出てきたのは、ひやしあめだった。百円玉を入れて今度は間違いなくコーラを押した。ようやく飲めると口を開けた瞬間、落としてしまい、コーラはどくどくと地面に流れ出した。

夕日の当番

 今日は学校で夕日の当番なので、皆が帰った後も学校に残っていなければならない。  職員室に行き、先生に耐火手袋を借りる。これ、手が変なにおいになるから嫌なんだよな。  教室に戻った。  皆帰ったと思っていたら、女子が一人、残っていた。 「帰んないの」  僕は訊いた。 「あんたが夕日沈めるとこ見たいから」  女子は言った。 「何だよそれ。別にいいけど」  僕は言った。けど、突然の出来事に内心ドキドキしていた。  時間になった。校内放送が流れた。僕は校庭に出て、手袋をはめ、夕日を沈め始めた。 「まだ沈めんなよ」  校庭で遊んでいた誰かが言ったけど、聞こえない。  女子が見ている。  夕日に触れた手も熱かったけど、頬の方がもっと熱かった。

クソガキども

 真夜中の大病院の遺体安置室の扉が、突然内側から開く。  遺体安置室の中から、両手が光っている子どもたちが、げらげら笑いながら駆け出してくる。 「こらあっ」  遺体安置室の管理人の老人が出てくる。 「またいたずらしおって」  両手が光っている子どもたちが遠くからあかんべえをする。  老人がため息をつき遺体安置室に戻ると、先ほどの子どもたちのいたずらによって生き返らされた中年男が、ぼんやりと突っ立っている。 「すみません、ここどこですか」  中年男は老人に尋ねる。 「うるさいああもう答えるのもめんどくさいわ」  老人は懐からピストルを取り出し、中年男のこめかみを撃ち抜く。中年男は再び死体になる。  老人はその死体を担ぎ、台の上に苦労して載せる。 「まったくあのクソガキども」  老人はぶつぶつ言いながら、ピストルの弾の残数を確認する。

仕返し

「やられたらやり返す」という考えは良く無い。 そこは分かっているつもりも、私も人の端くれ。 一応の感情は持っており、仕返しとまでは行かなくても 何とかならないか、そんな事を考えてしまう。 仕返しは憎悪を生み出し、仕返しを繰り返す。 それがあってはいけない。 何があっても無視するくらいで丁度良い。 憎悪は元に帰っていくからだ。 ただ私の言っているのは、そんな重い話ではなく、 何かこの仕返しが笑いと共に出来ないか、そんな事を考えてみたのである。 一定の考えの後、ある事に辿り着いた。 □  □  □ 仕返しの標的はお二人。 どちらにも言える事は大人気なく、精神が子供から成長なくここ迄来てしまったのだろう。 誰の何の見本にも手本ならない見た目だけ大人なのである。 本日の標的はその一人であるH氏に定められた。 H氏は同じ職でありながら、仕事らしい事はせずに、一日の大半を寝ている時もあると聞いている。 これは私としてもこの施設としても、または社会全体としてもこの醜態を見逃す事は出来ない。 故にロケットランチャーをお見舞いする事にした。 だらけ切っているのだろう。 ロッカーの鍵もせず帰宅している。 私のロケットランチャーは既に充電満タンとなっていた。 そう、最近の食改善で腸の動きが活発なのだ。 H氏のロッカーを開ける。 私のお尻を開けたロッカーにめり込むように向けると、 充電満タンのロケットランチャーは発射されたのだ。 『ファイヤー』 ぷおぉぉぉぉぉぉぉぉおおん すぐさまロッカーの扉は閉められた。 折角閉じ込めた怨念の毒ガスが漏れてしまうからだ。 ここに、一件目の仕事が完了したのである。 早くも二件目の仕事が舞い込んで来た。 ある職員の意見を聞かせて頂くと、そのG氏は何とも身勝手な言い分を語っているのだ。 私もこの人から嫌がらせとも取れる事を受けており、職員に同調するわけでは無いが、身勝手極まりない発言が許せない気持ちになっていた。 ある早朝。 この施設に出勤しているのは、私一人。 職員の方々が出勤する前に清掃するのが、私の仕事だからだ。 事務所に入ると、当然次の標的のG氏の席もあり、席を見るだけで先日お聞きした身勝手さが増幅して来るのだった。 私のロケットランチャーに聞いてみる。 大丈夫だそうだ。 いつでも出せる準備があるとのこと。 しかし、出力が百%なのかと聞かれたら、 そうではないと言う。 だめだ。 そんな事ではあの職員の方の怨みや、私の今迄の遺恨、 社会全体の悪影響に対して報いるレベルでは無いではないか。 常に千%の発射でないといけないのだ。 我々はそういう立場に居るという事を忘れてはいけない。 私は清掃をしながら充電を待ってみた。 するとロケットランチャーから、満充電のアラームが鳴ったのだ。 『いける、これはいけるぞ』 ほとばしる勢いを感じるのだった。 流石に職員のロッカーを開ける事は出来ない。 見るとG氏の椅子には、痔対策として特別な座布団が施されていたのだ。 真ん中が穴が空いた物ではなく、見たこともない形状をしている。 『な、何と生意気な』 的は決まった。この座布団だ。 再度ロケットランチャーに聞いてみる。 『どうだ?』 「充電千%です」 私はG氏の椅子に着座した。 そして私の肛門が漏れなくこの座布団に触れている位置にセットしたのである。 『ファイヤー』 ぶおおおおおおおおん 「隊長、もう一回発射出来ます」 『よし、行くぞファイヤー』 ぶおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉん 放たれた私のロケットランチャーからの怨念の毒ガスは閉じ込める事は出来なかったにしても、怨念はこの特別座布団のスポンジに染み渡ったのは間違いない。 ここに二件目の仕事が完了したのであった。 □  □  □ 納得がいかない事や、不条理なこと、やはり色々あると思うんです。 私らのこんな小さな施設でもありますから、世の中の大きな会社ともなると、 もっと色々あると想像します。 やられたらやり返す。 負けてたまるか、弱気になるな、と取れる前向きな発言に思えても、 そうドラマのようには行かず、結局は泥試合のように収拾がつかなくなります。 嫌がらせをやっている時点で、相手がそれを分かる精神に無いのですから、 相手がいつか分かる、改善するなどは望めるはずもありません。 期待するとつけ上がります。 まともに相手するなどという無駄をするよりも、 こんなふざけた事や、相手を往なす方法を取る方が賢明です。 通常な私の感情の相手には到底出来ない。 私はそれで良いと思っています。

我が愛しの殺人鬼

 帰宅して玄関を開けると、彼が見知らぬ男を殺したところだった。 「千加……俺、やっちまった」  ああ、やっぱり。  いずれこうなると思ってたんだ。  前から、気になっていた。  彼は普段はとても優しいけれど、一度頭に血が上ると、衝動的な行動に出ることがちょくちょくあった。 「急にベランダから、部屋に入ってきて……誰だって言ったら、お前こそ誰だ、千加はどこだなんて言うから」  部屋はだいぶ荒れていた。取っ組み合った末に相手を押し倒したら、後頭部にテーブルの角がぶつかったらしかった。 「千加の部屋だと知って侵入してきたんだって考えたら、つい、カッとなっちまって……」  そうだ。  彼は、私のことになると、特に沸点が下がるのだ。  私が道ですれ違いざまにぶつかってよろめいたら、相手に殴り掛かりそうになって、必死で止めたこともあったっけ。 「ごめん。ごめんな、千加。ずっとキレやすいところ直せって言われていたのに。こんなことになっちまって……」 「惇也」  膝をついて打ち震える彼に、私は声をかける。 「いいの、惇也」  私のため。  彼が罪を犯したのは、結果的にそうしてしまったのは、私に危険が迫ると思ってのことだ。 「ごめんね。ありがとう」  私は、放心しかけている惇也に寄り添い、その身体を強く、抱きしめた。  ★  これは、夢じゃないのか。  留守番を頼まれた千加の部屋に、突然男が侵入してきたのも。  その怪しい男ともみ合いになり、自分が手にかけてしまったのも。  いくら不法侵入だったとはいえ、取り返しのつかないことをしてしまった俺を、千加が受け入れてくれたのも。  全部が全部、突然のこと過ぎて、整理がつかない。  ……目の前で今、千加が手際よく、証拠隠滅に励んでいることも。 「あっ、惇也は座ってていいよ。ごめんね、疲れちゃったでしょ、ゆっくり休んでてね」  千加はひとしきり俺のことを抱きしめた後、すたすたとウォークインクローゼットを開け、その奥の一見何もない壁を、ぎい、と開けた。  その隠しスペースには、ナイフ、ノコギリ、ピストルと銃弾、何かの薬品、その他もろもろのありとあらゆる凶器が、ゴロゴロと詰めこまれていた。 「このままだと大きすぎるから、まずは適度な大きさにバラして、それから●●したあとに●●して、あっ、その際●●しておくとね、臭いも抑えられるからさ。これが素人には真似できないポイントなんだなっ」  まるで料理の手ほどきをしているみたいに、千加は淀みもためらいもなく喋りながら、常人では腰が引ける作業を、てきぱきと進めていく。 「千加、お前……」 「うん、実はさ、私の職業今まで言ってなかったけど、殺し屋なんだよね」  殺し屋。  うん、初耳だな。 「私、人殺すの好きだし、それでお金もらえるなんて天職だなーって思ってたんだけど」  そんな、『花が好きだから花屋になった』みたいなノリで言われても。 「最近、うっかり仕事を楽しみすぎて、つい、必要以上に殺しすぎちゃってさ。頭に血が上っちゃうと、ダメなんだよねー」  そうか、ある意味似た者同士だったんだな俺たち。 「だからたぶん、組織から警告するために来たんだと思う、この人」  ほら、ここに黒い蝶のタトゥーがあるでしょと、千加はひょいと切り離した左腕を持ち上げて、手首を指さしてみせる。ああ、うん、そうなんだ。へえー。 「よかった。惇也にずっと隠してたから、罪悪感があったの。……本当のことを話したら、嫌われちゃうんじゃないか、って、さ」  少し言葉を詰まらせながら、千加は、寂し気に目を伏せてみせる。  あー、ごめん、ちょっと俺まだ混乱してて、その感傷についていけてないんだけど。 「だから、嬉しいんだ。惇也が、秘密を共有できる人になったから。こっちの世界に足を踏み入れてくれたから」  ああ、そうだね、俺も人殺しの仲間入りだもんね。  踏み入れようとして踏み入れたんじゃないんだけどね。 「それに、私のことを想って殺ってくれたなんて。……改めて、惚れ直しちゃったよ?」  手に真っ赤に染まったノコギリを持って言うセリフじゃないよ、とは、とても言えない。 「たぶん追手が来ると思うから、手早く処理を終えて、身を隠さないとね。大丈夫、惇也はまだ初心者だから、私が尾行のまき方、気配の消し方、暗殺の手管、いろいろ一から仕込んであげるからね」  ……これは、夢じゃないのか。  鼻歌を歌いつつ張り切って証拠隠滅に精を出す恋人の姿を見ながら、俺は、急に目の前に広がりつつあるアクション&バイオレンスな未来と、千加が初めからこういう展開になることを見越して俺に留守番を頼んだ可能性について、ぼんやりと思いを巡らせるのだった。

 私は壜に、水色のゼリーを入れた。いっぱいになるまで。そして、その中に青い飴玉を入れた。ほろろ、ほろろ。甘い匂いと共に、可愛らしい音が聞こえてくるよう。  そして、壜に白い飴玉を入れる。青い飴玉と衝突しないように、そっと入れた。また、絶えずに赤い飴玉を入れた。二つの星に衝突しないように。  これで、完成。私は壜の蓋を閉めて、壜を窓際にそっと置いた。今は深夜の底であり、静かな夜であった。  私はカーテンを開いた。そこには、たくさんの星たちが出迎えてくれていた。すぐさま窓を開け、壜を持ち上げる。そして、星たちと壜を重ね合わせる。  そうすると、小さな宇宙が広がった。大きな銀河と小さな銀河が目を合わせて、微笑んでいるようで、私も微笑んだ。とても甘い宇宙。  壜の飴玉たちも甘く綺麗であった。見るだけなら、美しい。見るだけなら。

花狩り

僕の妹、アイカは持病を患っていた。 病名:花黄削命症(かおうさくめいしょう) アイカは、花に触れることができない。 ◇ 持病の影響で、アイカはいつも家に引きこもっていた。もちろん、外に連れ出してやることはできない。外中に漂う微量な花粉でさえ、アイカにとっては猛毒となってしまう。 そんなアイカは、自室でずっと絵を描いていた。 使い古したクレヨンで、花の絵を沢山描いていた。持病があるにも関わらず、アイカは花が好きだった。その事実が、僕には皮肉なことにしか思えなかった。 花が好きなのに、決して触れることはできない。 皮肉としか、言いようがなかった。 ◇ アイカが死んだ。 自室で倒れていたのを、両親が見つけたそうだ。 原因は詳しくは分かっていない。 おそらく、洗濯物などに付着した花粉が、アイカを殺したのではないか。 少なくとも、僕はそう考えていた。 葬式が執り行われたが、僕や両親はずっと放心状態だった。妹が死んだという事実を、受け入れることが出来なかった。受け入れたくなかった。 アイカは花を愛していたのに。 花はアイカを殺すのか。 ふざけるな。 覚悟はもう、決まっていた。 ◇ 春がやってきた。 今年も嫌いな季節がやってきた。 実に多くの花が咲き誇っている。 これほど憎たらしいことはない。 僕は、「花狩り」を始めた。 桜の木を切り倒した。 睡蓮の花を切り刻んだ。 チューリップを引きちぎった。 ハルジオンを踏み荒らした。 ヒヤシンスを握り潰した。 これだけやっても、まだ花が咲いている。 アイカを殺した花たちは、僕がすべて狩り尽くす。 そう、誓った。

僕のシャーペン

僕は新しいシャーペンを買った。 「新しいシャーペン、楽しみだなぁー」  家に帰ったあとカバンを放り投げ、自分の部屋に向かった。 引き出しからコピー用紙を取り出し、早速そのシャーペンで文字を書いてみた。 その文字を消そうと消しゴムを紙に擦りつけた。 「あれ?」 なぜかその文字が消えなかった。 僕が買ってきたものはシャーペンではなく、ボールペンだったのだ。 僕は再び文房具屋に行き、再びシャーペンを買ってきた。 「今度こそシャーペンだよな?」 僕は小さな声でつぶやき、芯を出そうと先っぽを押し込んだ。 ビリッ! その時、親指の先から手首にかけて激痛が走った。 僕は驚きと痛みで声を上げる。 「痛っ!」 僕が買ってきたのはシャーペンではなく、電流が流れるビリビリペンだった。 「ちぇっ」 僕は舌打ちをして文房具屋に向かった。 今度こそシャーペンを買ってきた。 紙に文字を書こうとシャーペンの先を紙に当てた 「あれ?書けない」 そのシャーペンには芯が入っていなかった。 「もうふざけんなよー」 僕は何度も文房具屋に行ってると変に思われるので、また今度買うことにした。

「み」   「み」    世界から、言葉が消えた。  あらゆる発音は一文字へと、同じ音へと圧縮された。   「み」   「み」    これは呪いだ。  他者とうまく会話できなかった人間たちの、恨みの果て。  口下手と言う一点で人生を不幸にした人間たちの、恨みの果て。    地獄で、恨みの結晶は笑う。   「み」   「み」    自分たちと同じ気持ちを味わえばいいと、笑う。   「み」   「み」    そんな恨みとは裏腹に、今日も世界は正しく回っている。   「み」   「み」    その一言で、回っている。  表情、手の動き、体の動き。  ただそれだけで、音などなくとも、人間たちはコミュニケーションを成立させた。   「判決を下す。世界に呪いをかけた愚か者たちの処遇は、己の呪いで作り上げた『み』しか話せぬ世界への転生である」    恨みの結晶は、己が作った呪いの世界に組み込まれ、再び絶望を味わった。

額の感触

 耳元を通り過ぎる軽い音は、彼の放った発砲音と混じって聞こえた。チャリンと薬莢が落ちる。自分は振り返って、背後の壁を見た。ひび割れたコンクリートは想像していたよりも迫力はない。けれど、確かに目の前で起こった光景を思い出すと、ぐわんと視界が揺れ、血液が異様に流れるさまが脳裏に霞む。  暗い。暗いのは嫌いだ。彼の陰に紛れた顔つきは見覚えのないものだった。今際の際で点滅する蛍光灯の明かりが、彼の背後から伸びていた。  これは、昨夜見た映画で見た記憶がある。夢だろうか。体は停止ボタンが押されているかのように、静止し、動かない。けれど彼の頭はしゃがみこんだ自分を見下げるように動いた。両の足が大きく動き、右手にそれを構えたままに大股で歩み寄ってくる。  ぴたりと、額に当てられた。プラスチックの玩具に触れる感覚とそう変わりない。先ほどの衝撃がなければ、それは正しい感覚だったのだろう。芯から冷えるような、体の末端が痺れるような訴えを感じる。自分の肺が収縮と膨張を激しく繰り返す響きだけが、鼓膜を揺らしていた。  彼の口がパクパクと動いている。声が聞こえなければ、それは酷く間抜けだ。声の代わりなのか、耳鳴りがした。頭蓋にひびが入り、脳みそが揺らされているような甲高い鳴き声。  耳鳴り、呼吸音、拍動する心臓。次いで――  眼を開ける。これも現実ではない。確かな違和感と今しがたの大きな音に右手を額に持っていった。何もない。指先に感じるのは湧き出る皮脂のぬめりだけだった。  頭を回して、周囲を確認する。やけにリアルな夢だ。暗鈍とした汚れたような夕焼けと、その光を鈍く反射する背の高い草がどこまでも広がる大地にいた。自分はその真ん中に立っているだけだ。  ここはどこだ。夢ではないのか。次いで、どうやったら目を覚ませるだろうと疑問に思った。先ほどは銃で頭を打たれた。それでも目覚めなかったわけだが、夢と言うのは大抵大きな衝撃があれば目覚めるものだろう。一先ず、衝撃を受けそうなものを探すために、辺りを探索することにした。  緑の草をかき分けて進むも、全身に当たる葉の感触がくすぐったく気持ち悪いだけで、景色は変わらない。ふと空を見上げる。相変わらずの暗く汚れた赤があった。本来だったら日が落ち切るほどに、時間はたったはずだ。  景色の変わらない草原をただ歩き回る夢。不思議な感覚だった。現実ではないと完全に理解しているはずなのに、拭いきれない既視感がずっとちらつく。あれは田舎の親戚の家に行ったときだろうか。でもあれは、草原とまではいかない、ちょっとした草の生えている空間だった。海までの道のりにある、草たち。人が通ってできた土の道をわざとよけて、こうしてこそばゆい葉の中で家族を呼んで。  疲労を知らない体で長い間歩いた。この体は飽きる、諦める、という言葉も知らないようだった。夢と理解しているのに、まったく何もかも思い通りにはいかない。  やがて遠くの方で声がした。初めての変化だ。何を言っているのか定かではないが、男性が叫んでいる。早足で声のする方に向かう。目の前をかき分ける手のひらは草の湿った感触と、雨の降った後のような濃い自然の匂いがした。  声にだんだんと近づいてきた。期待を胸に抱きながら、両手で草をかき分ける。その間からぬっと何かが出てきて、動かし続けてきた足を止めた。  手だ。そして銃を握っている。  不気味で奇怪なこの状況に、自分は何をするのが正解だろう。わからない。頭がうまく働かない。その手は皺にまみれていた。眼前に突きつけられる銃口は震えることもなく、依然としてそこにある。体は見えない。草の間からただ手が伸びて、心のざわつきと、全身に当たる草の不快感に支配されていた。  人差し指が動いて、引き金に添えられる。また酷い耳鳴りだ。でも今度はその音を長く聞くこ――  眼を開ける。これは現実か? 現実だ。胸に手を当てる。心臓がはち切れそうなほどに、強く手のひらを叩いていた。  変な夢を見た。銃で撃たれて、草原を歩き回って、また銃に撃たれた。  真っ暗だが、薄く見える物の輪郭は見知った場所であった。腹にだけ掛けられた布団を引き上げて、枕に顔を押し付ける。大きく息を吸うと、安心した。  鮮明に覚えていないが、確かに打たれた額は意識すればするほどに違和感が強まる。左手で撫でても、ぬめった皮脂と覚えのない吹き出物を見つけただけだった。  今度は大きく息を吐く。そうすると少し、安心した。 お題メーカーから『深夜に夢見た弾痕』

世界の終末と最後の恋

「ねえ、もし明日世界が終わるとしたら、どうしたい?」  三年前、今より少し幼い彼女が訊いたその質問を僕は憶えていた。 「どうかなあ。結局いつも通り終わる気がする。漫画読んでゲームして、普通に過ごすんじゃないかな」 「ええっ、味気ないなぁ」  地球最後の日なのに、なんて君はぶつぶつ言っていたっけ。 「そういう君はどうなの」  興味本意で訊いただけだったけれど、彼女は意味深に小さく笑った。 「内緒。本当に世界が終わる日まで」 「あの時話したこと、覚えてる?」 「世界が終わる日の話? 憶えてるよ。  ――本当にこの日が来ちゃうなんて。SFみたいだね」  あれから三年、地球は唐突に終わりの日を迎えた。街が少しずつ灰になって、人は一人また一人消えていく。それは彼女の言うようにまるで物語のようで現実味が無くて、でも確かに世界は刻々と崩れていく。  思い返したあの日の言葉が引っかかって、僕は彼女に問いかけた。 「あの日君が内緒にした事は結局、なんだったの」  ああ、あれね。彼女は少しだけ間を置いて、 「叶っちゃったよ」  と言った。  なんだか訳が分からなくて僕は、どういうこと、と問う。  彼女は少し俯いた。横顔の頬が、紅く染まっている。それから彼女は囁くような小さな声で言った。 「その日だけは、……その日だけでも、あなたの隣に居たいってことだよ」  照れながら俯いた顔を上げて、困ったように笑う彼女は本当に綺麗で、眩しくてとても直視出来なくて。僕は壊れてしまわぬように、その華奢な肩をそっと抱き寄せた。彼女は少しだけ肩を震わせたけれど、ゆっくりと抱き返してくれた。  終末の世界は緩やかに崩れていく。 「永遠なんて願わないけど、もう少しだけ、終わらないって信じてたんだ。ああ、世界の終わりが噓なら、どんなにか良かっただろうね」 「……そうだね」  本当に今日、僕らの世界は終わってしまうなんて、まだ信じられないけれど。  もう少しだけ長く、大切な君の側に居たかった。でもそれはもう、叶わない。  僕を抱き締める彼女の手が少しだけ力んでいる。決して離さぬように僕も、細い肩を包むように抱いた。  もう、この街も崩れ落ちてしまう。  大好きだよと、彼女が囁く。苦しげな涙声。その頭をそっと撫でて、愛してる、と僕は呟くように言う。  そのまま二人は街に溶けていった。

誕生日おめでとう、俺

「誕生日おめでとう、俺!」    お化けは喜ぶ。  自分一人しかいない部屋で、自分一人でクラッカーを鳴らす。  軽快な音と共に、お化けの誕生会は始まる。   「さてさてまずはケーキを頂いちゃいましょうかね!」    ケーキのろうそくに火をともす。  お化けは長生き。  数百本を刺すには、ケーキ一つでは大きさが足りない。  床一面に広がったろうそくに、お化けは火をともしていく。  うっかりカーテンに触れて、火が部屋全体に燃え広がるも、お化けは不死。  多少のことは気にしない。   「じゃあ、消しまーす」    全てのろうそくに火をつけたお化けは、火を消すためにふうっと息を吐く。  ろうそくの火はすべて消える。  窓が吹き飛ぶ。  ろうそくから離れた火が、町中に落ちていく。  お化けの家の外は大火災。   「何回目かの誕生日、おめでとう俺! 昨日もした気がするけど、関係ない! 誕生日おめでとう、俺!」    お化けは騒ぐ。  どんちゃん騒ぐ。  人々が、町全体が燃え盛る悪夢から避難している横で、お化けは今日も騒ぐ。        翌日。  お化けの家は、奇麗さっぱり消え去った。  同じ時間、空き地にいつの間にか家が建っていた。    その家には、ケーキとろうそくを運ぶ何者かが入っていったとかなんとか。

そのとき初めてことの重大さに気づくのかもしれない

ミニトマトを食べる ひとつぶ、口に放りこんで 口のなかで ミニトマトをつぶす 人は、どうやって ミニトマトを 食べているんだろう そんなこと 人それぞれ どうでもいいこと そうじゃないか? まあ、そうなんだけどさ 好きなように食べるのでいいじゃあないか 好きなように歌うのでいいじゃあないか 好きなように読むのでいいじゃあないか 好きなように生きていくのでいいじゃあないか ミニトマトをどう食べようと 好きなように食べるのでいいじゃあないか そうさ、人生は、だから、ミニトマトだ

食べ物と感情の研究

今思えば小中高の学生時代、食に関しての問題が多かった。 ベストワンと感情の発生について。 小学時代  「ぽち(筆者)は顔も体も丸いからあだ名はカボチャね」と言われ続けた6年最後の冬、言い続けてた女子がゴミ箱に尻から落ちて抜けなくなった。ざまぁみろと思う感情が発生。 中学時代  「ぽち、あんた揚げパン嫌いだよね」と勝手に給食の主食を盗られそうになり、相手の手を叩く。「嫌いだから貰ってあげようと思っただけなのに~酷い~」と夕方から無視が始まったので一週間放置。 一週間放置後、「何でしゃべってくれないの~??」と話しかけて来た。「別に。用事無いから」と返答し友達関係終了 某有名人より早い“別に”+無視返し習得 高校時代   (私は通学生)寮住まいから「あんたたちは家のご飯を毎日食べれてうらやましい。私たちなんて寮のご飯なのよ!悪いと思うならそのおかず渡しなさいよ!」との理不尽攻撃。 自分の飯食った後に言うんじゃないよ!あげても私の昼飯無いじゃないか!と言う言葉を飲み込み弁当箱持って走り去る。 そこからクラスでハブられる 興味の無い人への干渉をしないというスキル獲得。 人間は、相手次第で腐る事を学んだ

葬式に来た人

昨日まで元気にしてたじいちゃんが空へ帰った。 何の前触れもなくいなくなってしまった。 俺とそっくりな顔なのに、俺のこと最後には“飯作りのヘルパー”と勘違いしてたじいちゃん。大往生だったけど、ほんとに呆気なかった。お別れも言えなかった。 通夜になると、ばあちゃんが「みっちゃんが来てるから挨拶せんと…」と言い出した。 誰も来てないし誰のことかわからずに母さんに聞くと、驚いた顔をして「しっ!なんてこと言うの!そんな事言うもんじゃない!」と怖い顔で黙るように言ってきた。 その後、ばあちゃんは斎場に居たくないと言い出して帰る事になった。 母さんから「明日の葬式は、ばあちゃんの状態みて来るって言ったら連れてきて」と言われた。 俺も一緒に付いてってじいちゃん家で一晩過ごした。 ばあちゃんを布団に寝かせて何となく心配で隣に自分も寝転んだ。 冬も暮れの寒い時期で、布団に入っても吐く息は白く手足もひんやりしてなかなか寝付けなかった。 夜中にばあちゃんのすすり泣く声が聞こえて目が覚めた。 声をかけたけど「じいさん、じいさん」と言って泣きつづけてた。 俺はばあちゃんの背中をさする事しか出来なくて。夜がすごく永く永く感じた。 朝になり、県外から親戚が家の方へ挨拶に来た。ばあちゃんがこっちにいるって聞いて寄ってくれたと話した。 その人と話すばあちゃんは夜の事なんて無かったかの様にすっきりとした顔で、いつものばあちゃんに戻ってた。 葬式が始まるけど、どうするかばあちゃんに聞いたら「じいさんに会わんといけんから行くよ」と言うから準備して一緒に斎場へ向かった。 斎場で焼香をし、火葬場で骨を拾い。 ばあちゃんはいつもと変わらなかった。むしろシャキッとしているようにさえ見えた。 葬式が終わり、家に帰ってから母さんに“みっちゃん”について聞いた。 みっちゃんは戦争で空に帰ったじいちゃんの妹だったようだ。 ばあちゃんと2人でかわいがっていたのだという。 「とおちゃんを迎えに来てくれたんだろう」と母さんは言って口をつぐんだ。 それから半年後、ばあちゃんも空へ帰った。 口を開けば喧嘩してるかのような口調の2人だったが、仲が良かったんだろう。喧嘩するほどなんとやらだった。 ほぼぴったり半年後だった。じいちゃんが準備ができたから来いよとでも言ったかのような最後だった。 みっちゃんはばあちゃんの葬式へは来なかった。いや、見えてないだけでじいちゃんと迎えに来たのかもしれない。 何でか知らないが、じいちゃんの時に泣けなかった俺はばあちゃんの葬式でこれでもかってくらい泣いた。 いなくなって悲しいのもあったけど、3人がまた一緒になれた事への安堵なのだと思いたい。

5億年瞬き

実は、私たちは5億年ボタンを毎日、何回も押している。 そのボタンというのが瞬きである。 瞬きは目の渇きを潤すという役割があるが、ごく稀に5億年何もない場所に転移させられる。 5億年過ごした後の記憶は消えてしまうし、そもそも発生せずに人生を終える者が大半なので、この事実を知る人間はもういない。 『瞬き』を『ボタン』に変えて、まるで作り話のように世の中に発信して。

泡になって死んでしまいましたとさ。

 出来立ての餃子が湯気をたてている少しベタつくテーブルに頬杖をついて、餃子セットのサンマー麺を待っていると、幸助の明るすぎる声が頭に響く。 「サンマー麺まだかよ〜!もうオレお腹ぺこぺこなんだけど〜!!」 「待ちきれないなら餃子だけでも先に食えよ。」  体が弱っているので、どうせこんなに食べても吐いてしまうのだが、学習しないのか食事時はいつもこうなる。 「いや、お前、サンマー麺と餃子の相性の良さ舐めんなよ?最高の相方なんだよ!昔の俺とにいちゃんみたいに!!」  いつもの調子で話を始める幸助に黙らされていると、幸助は思い出したように目を見開いた。  「……あ、そーだ!捨ててこねーと!」 「は?」 唐突な発言に目を見張る。 「だから、忘れもんだよ!にいちゃんの!」 「話が見えん。」 幸助が円卓の真ん中を激しく叩く。 「あ、こら、お店の物なんだから大事に扱え。」 「いーから!早く行こうぜ!」  無視して餃子に手を伸ばすと、幸助が不機嫌そうに腕をつねり出したので、ため息をついた。  幸助の目的は唐突に決まり、それが決まればルートの変更ができない、非常に厄介だ。 「...分かったよ。」 「いやっっったぜ!!!」  こうして、餃子達に後ろ髪を引かれながら店を出たのだった。 :  自宅のアパートに戻り、兄の忘れ物であるダンボールを中古車の後部座席に乗せる。 「あっちぃ、クーラーつけるわ!!!やっぱ夏場は窓カバーつけねぇとダメだな!」 幸助はそう言って、長袖を捲りながら、あらゆるボタンをでたらめに押した。  エアコンが作動して、冷たい風が汗を乾かすのと同時に、吐きそうなほど甘いにおいが車内に充満する。  幸助の兄が家出した時に忘れ去られたこの年季の入った中古車には、独特な葉っぱの飾りだとか、目に痛い色の芳香剤なんかがいくつも置かれていて、乗るだけで気分が悪くなる。  「うぇ、...それで、どこに捨てるつもりなんだ。」 「海でいいだろ!海にぱーっと!」  エンジンをかけて発進するやいなや、後部座席に大きく陣取っている忘れ物入りのダンボールは、幸助の雑な運転のせいでガタガタと大暴れしている。 「大丈夫かそれ、不法投棄じゃないか?」 「遺骨って海にまいていいんじゃねぇの?」 「遺骨は骨を粉にしたやつを撒くんだ。仮にそうだったとしても、所構わず撒いていいわけじゃない。」  幸助は少々、世間知らずなところがある。それは両親が十三歳の時に出て行ってしまったことと、当時ハタチだった兄が手のつけられない不良であって、挙句にその年に幸助を置いて家出をしたことが主な要因だ。 「大丈夫だって!!大差ねぇから!」 「あるだろ…うぇっ…」 「あ、車ン中でやめろよ!?」  高速に乗ると速度が上がり、道路の激しい奪い合いによって揺れた車内で、あらゆる芳香剤がかき混ぜられる。  幸助の注意も虚しく、俺は安いにおいに吐き気をもよおし、三回ほど意識を飛ばした。 :  海に着く頃には夕方で、海岸はすっかり閑散としていて生ぬるい風が吹いていた。 「人目もねぇしちょうどいいや、まこうぜ!」 「だから不法投棄…」 幸助が抱えていたダンボールを砂浜に置き、笑いながら、ダンボールを開けた。  中には、透明なビニール包まれた、白い粉末が入っていた。 「おまえ…これ」  見覚えのあるそれは、いつか幸助が、俺と出会った日に吸い込んだ兄の置き土産だった。 「だから言ったろ?遺骨と大差ねぇって。いつものじゃなくて、にいちゃんが忘れてった、最後の一袋だけど。」  幸助はなんでもないことのように笑って、長袖を捲った注射痕だらけの腕をさすりながら、掠れた声で話を続けた。  「オレさぁ……とーちゃんとかーちゃんに捨てられてさ、にーちゃんにも見捨てられるくらいバカでさぁ。でもオレ…」  傷だらけの腕に、栄養不足で先の荒れた爪が引っかかり、さすっていた手は掻きむしるように変わる。 「おれさぁ、がんばったよなぁ。」  いつの間にか涙声に変わった声が、頭の中で響いた。 「…オレたち、頑張ったよなぁ。」  前よりもさらに傷だらけになってしまった腕が、砂浜に付いて、涙で濡れていく。 「こうすけ。」 俺の声は、まだ幸助に届いているだろうか。  子供のように泣きじゃくる喉から搾り出した声が、言葉になって幸助に聞こえているかどうかは分からない。  けれどその後、膝をついていた身体はゆっくり立ち上がって、涙の向こうには、オレンジと紺色が涙の中で混じるきれいな夕焼けが見えた。 「もう、ひとりぼっちになりたくないよ。」 ダンボールの中に手を伸ばして、薄いビニールに乾いた爪を立てた。ざぶざぶと海の中に入って、袋ごと抱えては、ぎゅうと体を縮めて海水に浸る。  耳鳴りの奥で聞こえる気泡のおとで、おれは、生まれた日のことを思い出した。

わかること

赤い飴と 青い飴と 黄色い飴と オレンジ色の飴と 緑色の飴。 どれがすき? これって占いなんだって あなたのことが すこしだけ わかるんだって。 知ってた?