Stepping Stone

 小さな製糖工場で、一人の中年女性が働いている。目の前のベルトコンベヤーを、角砂糖が流れていく。彼女はそれを見つめている。ふいに、彼女は作業服の中の太ももに違和感を覚える。くすぐったい。彼女は唇を噛む。そのくすぐったさは、太ももから、腹を通り過ぎ、胸、そして首筋を経て、耳元に到達する。彼女の耳元には、一匹のアリがいる。アリは彼女の耳元で触角をしきりに動かす。それは何かを囁いているように見える。彼女は小さくうなずく。アリはそれを確認すると、彼女の背中を伝って床に降り、どこかへ消える。彼女は周りを見回し、誰も見ていないことを確かめると、ベルトコンベヤーを流れる角砂糖を一つ手に取り、ポケットにそれを突っ込む。休憩時間、彼女はそっと工場の裏庭に出る。その隅にはアリの巣がある。彼女は先ほどの角砂糖を、そのアリの巣の傍に置く。そしてとぼとぼと立ち去る。そのうちにさっきのアリが来て、角砂糖を巣へと運び込むだろう。それは女王アリのためだ。彼女は仕事を終え、ホームセンターに立ち寄る。そして殺虫剤売り場で、しばらく殺虫剤を見つめてから、何も買わずに帰宅する。

再会の合図

引っ越してきたばかりで、まだカーテンすらかかっていない部屋 容赦なく差しこんでくる春の光に、思わず目を細めずにはいられない フローリングに積みあがった段ボールの山と、どこか冷たい空気 ここまで来ても新生活の実感は、特にわいてこない やらないとならないことは、いくらでもある わかっているのに、ぼんやり立ちつくしてしまう  トントントトン ふいに玄関から音がした 小気味いい、聞き覚えのあるそのリズム 思い至らないまま、さてさてとドアを開けると、そこには… 「オッス。久しぶりだね」 中学のときに同級生だったかつての女の子の姿 別人かと見違えてしまい、はっと固まる僕をよそに、彼女はあのころと同じように悪戯っぽく笑ってみせる 「春だし、再会にはいいよね」 変わらないその声が、空っぽで色もなかった部屋の空気に、いっきに色を吹きこんでいく 忘れていたはずの記憶が、止まっていたあのころの時間が、 鮮明な熱をもって、わっと動き出す 眩しすぎる春の光のなか、ようやく新しい季節のはじまりを知った

フリーバグ

「フリーハグいかがですか?」    コンビニに行った帰り道、一人の女性が立っていた。    フリーハグの存在は知っている。  なんか、ハグしてくれるらしい。   「いいですか?」 「もちろんです」    名前も知らない人との、数秒間だけのハグ。  少しの緊張と、少しの温かみを感じた。   「ありがとうございます」    ぼくはそのまま彼女と別れ、会社に戻った。  どことなく、心がぽかぽかと温かかった。             「先輩お帰りなさい! バグ、三件増えました!」 「フリイイイイイバグウウウウウウウ!!!!」    温かい心のまま、体のエンジンを全力でぶん回す。  俺たちの徹夜はこれからだ。

皆それぞれの特性を活かす

 外に出て活動する人(そもそもこういう文章をあまり読まない、自分で実地で勉強、消費、生産する)僕と相性が悪い類いの人。世の中を物理的に動かしている人々の類い。 内に籠って考える人(結構勤勉な人が多い気がする、少し生産性が弱い、哲学者、宗教家向きかも)僕は怠け者なので(やや無神論寄りだからだろうか?)これにも若干当てはまらない。 外向型、内向型とか色々世間では言われてるが皆痛いのは嫌だろう(痛い目に遭いたい変態も中にはいるだろうが、僕のペルソナはこれかしら?) 知とか最終的には空しいよ、とか言ってる人がいるので恋して長生きする人の方が理には適ってるとは思う(最近漢字が分からなくなってきた、文脈が読めないのは外国人が日本語を学び始めたからだろうか?脳と言うか心のリソースが他の能力に片寄ってる気がする、かなりオカルトだが。) オカルトついでに神秘学なども触れた方がいいのかもしれないが僕の脳のリソースはそこにあまり割けない気がする。 酒が飲めないのでノンアル流し込んで意味の分からない文章を書き連ねる。 さっき生産性が弱いと言ったが最近思考が湧いてこないのは僕のやるべきことが文章を書くことではないのかもしれない。 人間のやることが減っているとも言える。 本格的に思考が止まる。 知り合いがセックスと金と暴力だけの世界は空しいものだよ、と言っていた。 僕もその世界に片足を突っ込んでいないだろうか?とちょっと考える。 AV1日に10分くらい観てる。 暴力的な文章を書く。 生活保護でタバコ吸っている(これが一番よくない、と個人的に思う。) このくらいは許容範囲かな? 結局程度の差こそあれ自分も動物なんだと思う。 哲学でもなく事実を書き連ねるとやはり自分も突っ込みどころの多い生活を送っている。 賢い人はこの辺も自制してそして適度に開放してやっているんだと思う。 僕は馬鹿なので開放しっぱなしで死にかける。 情報戦弱い。 基本的にボーッとしていて寂しそうな人の話を聞いていればいい気がする。 要は金も暇も余っている人達の相手だ(人外の相手もしなきゃいけないかもしれない) でも本当の人外は殺しに来るので(僕も殺したことがある)人としてのサガだろうか? 基本的にこの文章がエンタメかはわからないがエンタメ性のあるものは人を引き寄せる。 僕はそれが苦手で(嫌いなのかは分からないが)引きこもることが多い。 どっかの映画監督みたいなこと言ってるが皆結局考える先は一緒な気がする。 お前の意見など聞いちゃいないよ、その案没ねって言われて捨てられる、それでいい。 堂々巡り。 そもそもAIに聞けばこの程度の文章はものの数秒で出来るだろう。 眠くなる💤効率が悪い。 何が効率的なのか分からない。 お酒のコーナーでジっとお酒を眺めていたおじさんはヒントを散りばめているかもしれない。 お酒飲んでワケわからない行動して留置場に入るのも手かもしれない。 異常行動。 安全に異常行動しようとしている異常者の人外は安全にことを運ぼうとしているため一言で言うとどうでもいい。 つまらないと言うファクターを与えると価値を植え付けることになるので何も与えたくない、与えない。 つまらない、と知り合いに言われるがそいつの言うことは悪口ばかり、評価出来ない。 堂々巡り。 眠い💤 眠い💤答えがでない。 そもそもテストではないのだ。 答えを出さなきゃいけない強迫観念は学校教育の賜物だろう。 何かをしなければいけない、これもまた強迫観念。 眠い💤答えがでない。 何かを書き連ねなければいけない気がしたが必要のないことかもしれない。 必要性の消失。 全てが空しい、と言ってしまえるほど弱ってもいない。 哲学的になれたかしら? 小学生のようなギャグを飛ばして寝る💤 うんこ。

天国チケット

妻が死んでから、部屋の音が変わった。  冷蔵庫の低い唸り、時計の秒針、夜になると遠くで鳴る救急車のサイレン。以前からあったはずの音が、彼女のいない部屋では大きく聞こえた。  遺品の整理は、なかなか進まなかった。彼女が少し席を外しているだけのようで、どうしても捨てる気になれない。  そんなある夜、寝室の引き出しの奥から、小さな封筒が見つかった。  表には、彼女の字でこう書いてあった。 「あなたへ。どうしても会いたくなったときに。」  中には、薄い金色の紙片が一枚入っていた。映画の半券みたいな質感で、表面には銀の箔で文字が浮いている。 天国チケット 使用可能時間:日没から日の出まで 効力:一晩、生きたまま天国への滞在を許可する 代償:使用者は死後、地獄へ送られる  冗談にしては、あまりにも彼女らしくなかった。  もう一枚、小さく折られた便箋が入っていた。 「これを見て私を思い出して。ただ使いたいなんて思うのはダメだよ。」  その手紙を、彼は何度も読み返した。  彼女なら、こういう悪趣味な冗談を言う人ではない。けれど、だからこそ、これは冗談ではないのかもしれなかった。  彼はチケットを封筒に戻し、引き出しの一番奥へしまった。  使うつもりはなかった。  だが、人は理屈だけで夜を越えられない。  使うのは裏切りだと思った。  使わないのも、裏切りのように思えた。  もし本当に天国があるなら。  もし彼女がそこで待っているなら。  もし、たった一晩だけでも、もう一度会えるのなら。  その夜、彼は封筒を取り出した。  時計の針が午後六時を回ったとき、チケットは指先で熱を帯びた。気づけば、部屋の輪郭がぼやけ、世界がゆっくり裏返るような感覚に包まれていた。  次に目を開けたとき、彼は見知らぬ丘の上に立っていた。  空は、夕焼けのまま止まっていた。  雲は桃色に染まり、風はぬるく、どこか花の匂いがした。遠くには街のようなものが見えた。白い屋根、金色の塔、静かな川。絵本の中みたいに美しい景色だった。  けれど、妙だった。  道の向こうから、白い服を着た老人が歩いてきた。 「すみません」と彼は駆け寄った。「人を探しているんです」  妻の名前を告げると、老人は穏やかに微笑んだ。 「ここは良い場所ですよ」 「…いや、そうじゃなくて。彼女を見ませんでしたか」 「皆、幸福です」  答えになっていなかった。  それから彼は、何人もの人に尋ねた。花畑にいた少女にも、川辺で本を読んでいた青年にも、広場でチェスをしていた男にも。  だが返ってくるのは、どれも似たような言葉ばかりだった。 「ここは安らぎの場所です」 「悲しむ必要はありません」 「探し物はいずれ見つかります」  なのに、誰も彼女のことは知らなかった。  彼は街を駆け回った。白い石畳の路地を、噴水のある広場を、教会に似た建物の中を、果ての見えない庭園を。夕焼けは一向に沈まず、空の色は変わらない。  妻の名を呼び続けるうちに、声がかすれた。  彼女がここにいると信じていた。  少なくとも、自分を一度は待っていてくれると思っていた。  それなのに、どこにもいない。  街の時計台が、どこかで一度だけ鐘を鳴らした。  夜明けが近いのだと、彼は直感した。  帰れば、また彼女のいない朝が来る。  彼女のいない人生に戻るくらいなら、いっそ。  気づけば彼は、元いた部屋の床に倒れ込んでいた。手の中のチケットは、灰のように崩れて消えた。  窓の外は、白み始めていた。  彼はしばらく天井を見つめ、それから、静かに目を閉じた。  次に目を開けたとき、天井はなかった。  代わりに、赤黒い空がどこまでも広がっていた。地面は乾いてひび割れ、遠くで火がくすぶっている。熱いはずなのに、妙に寒かった。  ここがどこなのか、考えるまでもなかった。 「やっと来てくれた」  声がして、彼は振り返った。  妻がいた。  生前とまったく同じ顔で、同じ笑い方で、けれどあの頃よりずっと晴れやかに、そこに立っていた。  彼は言葉を失った。 「…どうして」  ようやく絞り出した声に、彼女は少し首を傾げた。 「どうしてって?」 「どうして、君が…ここに」  彼女は、ああ、と納得したように笑った。 「私、天国にはいないよ」 「あなた、私を探したんでしょ?」  彼は何も言えなかった。 「ごめんね。でも、あなたなら絶対使ってくれると思ったから喜んで地獄に落ちたの」  そして、恋人に甘えるみたいな声音で囁いた。 「会いたかったんでしょう?」  彼はそのとき初めて、自分が天国ではなく、最初からずっと彼女の掌の上にいたのだと知った。  赤黒い空の下で、妻は幸せそうに彼の手を握りしめている。  もう二度と離れないように。  もう二度と、離れられないように。

渚にまつわるエトセトラ

「もうやめよう。この関係」 金曜日の夜19:00町外れのラブホテルで渚が不倫相手に言った言葉だ 「えっ?」 「私もう帰るね。ご飯の支度しないといけないし」 「あ、えっと、今までありがとう」 「じゃあね」 ♤♡♧♢ 「ママ、おかわり」 息子の波平がカレーをお代わりする 「私がやる」 長女の舟が渚の代わりにカレーをよそってあげる 「ママはお仕事で疲れてるからあんまり甘えないで」 舟がお姉ちゃんらしく波平を叱っている。 渚は二人を見ながら、体に残る感触を思い出していた。 三年続いた不倫を不意にやめてしまった。これで良いに決まっているし、悔いも思い出もないけど、また平凡な主婦に戻ってしまった。それが当たり前なんだけど。 「ただいま」 渚の夫が帰ってきた。 「パパおかえり!」 波平が玄関にお迎えに行く 舟は夫のカレーを用意ししている 「あなた、おかえりなさい」 「ただいま。疲れてそうだな。後は俺がやるから、先に風呂入っちゃえよ」 「うん、ありがとう」 渚は食器を流しに置いて風呂へ向かう 「おっカレーか。美味そうだな」 「私がよそったのよ」 「ありがとう。舟」 「パパ、マイクラやろう」 「よし、今カレー食べちゃうからな」 渚の後ろで楽しそうな声がする 渚はシャワーを浴びながら三年の不倫を思い出していた。きっかけは思い出せないけど、彼と抱き合うのが当たり前になっていて、彼が求めるがままに自分を差し出していた気がする。 渚は体をよく洗った後湯船にゆっくり浸かった。 今日は金曜日の夜。きっと夫は私を抱く。あの人は優しいから、私を大切にしてくれる。彼のように乱暴にはしない。夫は優しい人だから。 渚は湯船に潜って丸くなる。口から出た泡が水面でブクブク弾けては消えていく。体に残る感触と共に。

百点止まり

「すごいわね。また百点よ」    返ってきたテスト用紙に、もう感動することはなくなった。  なにせ、テストは百点までしかない。  どれだけ速く解こうが、どれだけ丁寧な字で解こうが、百点なのだ。   「百点なので、今回のお小遣いは一万円でーす」    だから、もうお小遣いが上がることはない。  取れて当たり前の百点。  絶対にとれない百一点。    もはや今、勉強を頑張ろうなんてモチベーションはなくなった。       「うちの子、昔は神童って呼ばれてたんですよ」    子供の頃のことを、両親は今でも懐かしそうに話す。  百点満点だった神童は、点数上限のない世界に放り出された瞬間、ただの凡人へと成り下がった。    テレビに映る、輝かしい経歴の持ち主たちを見るたび思う。  彼らはどうやって、百一点をとってきたのか。  彼らはどうやって、百一点をとる方法を見つけたのか。    もはや、考えても意味のないことなのだが。    一度きりの人生で、百一点をとるタイミングを、とっくに見逃してしまったのだから。

踏みにじられた泥の薬

空は今日も、暴力的なまでに美しい慈悲の光に満ちていた。 天空都市から降り注ぐ「癒しの光(エリュシオン・レイ)」は、地上のあらゆる不浄を塗り潰し、人々に「飢え」も「渇き」も、そして「考えること」さえも忘れさせる柔らかな毒だ。 天使見習いの少女、リリエルは、純白の翼を羽ばたかせながら、下界の辺境にある薄暗い小屋を見下ろしていた。 小屋の中では、一人の人間の少女が泥にまみれ、震える手で土鍋を火にかけていた。 「……あと、少し。これさえ飲めば、お母さんは……」 少女――ミナの声は掠れ、瞳は乾燥しきっていた。 彼女の母親は、死の淵にいた。この世界において「病」とは、天使の配給する光が届きにくい辺境の民にのみ訪れる、稀少な絶望だった。 ミナは、この数日間、天使の光が届かない深い森の奥、毒虫が這い回り鋭い棘が刺さる断崖を、素手で登り続けていた。すべては、伝説に聞く薬草を手に入れるためだ。 彼女の指先は裂け、爪の間には黒い土が詰まり、膝は岩角に打たれて青紫に腫れ上がっている。 それでも彼女は、自らの足で歩き、自らの意志でその薬草を掴み取った。それは、この依存に満ちた世界で、人間が自力で運命を切り拓こうとした、あまりに尊い「抵抗」の証だった。 「お母さん、飲んで……お願い……」 ミナがスプーンですくい取った緑色の苦い液を、母親の青白い唇に運ぶ。 だが、母親は激しく咳き込み、薬を吐き出した。高熱に浮かされ、呼吸は浅い。薬草は特効薬ではない。 じわじわと身体の免疫を高め、苦痛を伴いながらゆっくりと治癒へ向かわせる、泥臭い命の営みだからだ。 「どうして……あんなに頑張ったのに。どうして治らないの!」 ミナはその場に崩れ落ちた。絶望という名の闇が彼女の心を支配した瞬間、部屋の湿った空気が一変した。 「――可哀想に。その手は、泥をいじるためにあるのではないのですよ」 鈴を転がすような、あまりに清浄な声。 天井から降りてきたのは、光を纏ったリリエルだった。彼女の翼からは、金色の粉塵がキラキラと舞い落ちる。 「て、天使様……?」 ミナの瞳に、盲目的なまでの待望が宿る。 「苦しいのでしょう? 悲しいのでしょう? あなたの流す涙は、この世界には相応しくありません。私たちが、すべての痛みを取り除いてあげましょう」 リリエルが優しく手をかざすと、手のひらから濃密な「癒しの光」が放たれた。それは母の体を包み込み、細胞の一つ一つに強烈な多幸感と強制的な活性化を流し込む。 さっきまで苦悶に歪んでいた母親の顔が、一瞬で弛緩した。呼吸は整い、肌には不自然なまでの赤みがさす。奇跡。人間には到底成し得ない、神の業。 「あ……ああ……!」 ミナの喉から、歓喜とも嗚咽ともつかない声が漏れた。 母親がゆっくりと目を開け、穏やかな微笑みを浮かべる。その瞬間、ミナの中で何かが音を立てて崩れ去った。 数日間、自分の命を削るようにして手に入れた、あの薬草。 爪を剥がし、血を流し、孤独と恐怖に震えながら持ち帰った、あの泥だらけの希望。 それらは、天使が指先一つで起こした「奇跡」を前にして、あまりに不潔で、不格好で、無意味なガラクタへと成り果てた。 ミナは、傍らに置いてあった薬草の束を、乱暴に掴んだ。 「こんなもの……こんなものがあるから、お母さんは苦しんだんだ!」 彼女はそれを地面に叩きつけた。そして、泥のついた裸足で、必死に踏みにじった。 自らの努力を、自らの歩みを、自らの意志の結晶を、汚れ物として。 「ごめんなさい、天使様! ありがとうございます、天使様!」 ミナは母親に抱きつき、その胸に顔を埋めて泣いた。その涙は、先ほどまでの絶望の涙ではない。思考を放棄し、すべてを委ねた「家畜」の安堵だった。 リリエルはその光景を、慈愛に満ちた表情で眺めていた。 (ああ、なんて美しい。人間を幸福にすることが私たち天使の役目。) リリエルは満足げに翼を広げ、ゆっくりと上昇を始めた。 足元で踏み潰された薬草からは、青臭い、命の匂いが漂っていた。だがそれは、濃厚な百合の香りのような「癒しの光」にかき消され、誰に省みられることもなく泥に溶けていった。 ミナはもう、崖の登り方も、薬草の名前も、二度と思い出すことはないだろう。 黄金の揺りかごは、今日も静かに、そして残酷に揺れている。

九月一日は

親友であり幼馴染の華織が死んだ自殺だった。  原因は部活内での虐め。 九月一日二時丁度に飛び降りる華織を監視カメラが捉えていたそう。  華織の部屋に遺書が置いてあったらしい、その内の一つが私宛の手紙だった。 「命へ  何にも言えなくてごめん。  命のことだから何か出来ることがあったはずって、自分を責めるかもしれない。  でもそんなこと絶対にない。  命は何にも悪くない、命と話す時間は楽しかった。  命、今までありがとう、私の親友で幼馴染で、側にいてくれて、命といたこの十数年楽しくて、幸せだった。私の心の拠り所で本当にありがとう。  約束『おばあちゃんになっても一緒にいる』守れなくてごめん、命、大好きだよ、ありがとう。」  これを読んで華織が死んで初めて泣いた。  心のどこかで華織が死んだことを受け入れなかったのかもしれない。  それからバレーボール選手という夢を捨て、教師になった。  周りからは反対された。キャプテンになる予定もあるのに勿体無いと。  それでも教師になりたかった。  今年初めて担任を持つ、緊張しながらもドアを開け、教卓に立ち自己紹介をした。 「初めてまして1年4組の担任になった朝野命です。  趣味はバレー、女バレの顧問もしているので是非入部お願いします。嫌いなことは虐めです高校2年生の時、親友が自殺しました。」  「私は親友みたいに死んでしまう子を、私みたいに置いてかれてしまう子を、減らしたくて教師になりました。」  「どんなに些細なことでも良いです。  少しでも苦しい、辛い、そう思ったら周りの人達を頼ってください。  友達でも教師でも親でも誰かに相談して溜め込まないでください。  私はこのクラスが助け合えるクラスになって欲しいです。  長くなってしまいましたが私の自己紹介を終わります」  もうすぐ夏休みが終わり、二学期が始まる。 「命先生」  後ろから私が担任を務めているクラスの一瀬沙希が話かけてきた。 夏休みの間、バスケ部に一度も顔を出していなかったそう。 「一瀬さんどうしたの?」 「ちょっと相談したいことがあって」  話を聞けば部活で3年生を中心に嫌がらせを受けているらしい。  そういう子を減らしたいと思っていても、出来ることは本当に少ない、私にできる最善は、一瀬さんを死なせないこと。  今、私は何をするべき? 九月一日は一年で最も『子供の自殺』が多い日。  

聖弦の降る午後

その村に、影は存在しなかった。 頭上の太陽が狂おしい光を撒き散らしているが、地上に黒いシルエットはどこにもない。 村の広場は、空から降り注ぐ蜘蛛の糸よりも細い光の筋 「聖弦(エーテル・コード)」が大気そのものを発光させ、目に痛いほどの白一色に染まっていた。 広場には、何百人という村人が整然と膝をついていた。彼らのうなじには、天から垂れ下がった光の糸が確実に肉の奥深くへと突き刺さっている。 「……あぁ、今日も、なんて心地よいのだ」 一人の男が夢遊病者のような手つきで空を仰いだ。 男の瞳には意志の光「ハイライト」がなく、代わりに糸の発光周期と同期して瞳孔が明滅している。 彼の右腕は農作業のたたりで赤黒く腫れ上がり、本来なら激痛でのたうち回るはずの状態だった。しかし、男は自分の腕が腐りかけていることに気づかない。 糸を通じて流れ込む「安らぎ」が、肉体の発する警報をすべて書き換えていたからだ。 十歳の少女リナは、集会所の軒先で母親の隣に座っていた。 リナの接続時間は一日のうち数時間と厳格に定められている。 子供のうちから長時間接続すれば、脳が多幸感に耐えきれず焼き切れてしまうためだ。 まずは数時間から始め、徐々に「糸の味」を覚えさせ、成人する頃には二十四時間、糸なしでは生きられない身体へと作り替える。それが「天使」による慈悲深い育成計画だった。 「お母さん、首のうしろ、痒くないの?」 リナが問うと、母親は歯車が回るような不自然な動作で首を傾けた。 「痒み……? ああ、そんな言葉もあったわね。でもリナ、天使様が私たちの『余計な感覚』をすべて吸い取ってくださるの。代わりに、純粋な幸福を流し込んでくださるのよ」 母親の首筋からは拒絶反応の黄色い液が滲んでいたが、その表情は宗教画の聖母のように穏やかだった。 リナは自分の膝の擦り傷を見つめた。昨日の痛みがまだズキズキと残っている。空を見上げれば、白い翼を広げた「見習い天使」たちが舞い、指先を振るたびに新しい糸が生き物のように降りてくる。 「チリッ……」 隣で粘り気のある音がした。老人のうなじに二本目の糸が追加されたのだ。 老人は一瞬、落雷に打たれたように白目を剥いて震えたが、数秒後にはその口角が耳の付け根まで届きそうなほど不自然に吊り上がった。 「あ……あぁ……っ! 素晴らしい……! ありがとうございます!」 天空の神殿では、実体を持たない記録係の天使たちが、淡々とクリスタルの盤面を操作していた。 「第402区画、平均接続時間12時間に到達。依存指数は安定」 「……多幸感の濃度を0.02%上昇させなさい。まだ彼らには、明日の収穫作業を終えてもらわねばなりません」 彼らにとって、聖弦は家畜を繋ぎ止める手綱であり、エネルギーを吸い上げるストローでもあった。 夕暮れ時、「巡回終了」を告げる鐘が響くと、村中の人々から一斉に光の糸が引き抜かれた。「プツン」という無数の音が広場に満ちる。 その瞬間、母親の微笑は消え、支えを失った肉体は泥のように地面に崩れ落ちた。広場は沈黙に包まれた。 だが、その静寂はすぐに地獄のような叫びへと変わった。 「痛い……っ!」 隣で老人が地面に這いつくばり、自分の腕を掻きむしる。糸が切れた瞬間、麻痺していた全ての苦痛が一気に押し寄せたのだ。 人々は自由を喜ぶどころか、再び「接続」を願い、狂ったように空へ手を伸ばした。それは自ら鎖を求める、家畜たちの悲鳴だった。 夜が来た。天使のいない、糸のない暗闇。 リナは、意識を失ったように眠る母親の傍らで、膝の傷を抱えて震えていた。糸が繋がっていない今だけは、彼女は家畜ではなく、一人の「痛みを知る人間」だった。 「……あいたたた」 リナは小さく呟き、傷口をなぞった。その痛みは鋭く不快だが、自分がまだ「壊れていない」ことを証明する、唯一の確かな感触だった。明日になれば、またあの温かい糸が降りてくる。 リナは祈らなかった。ただ、自分の小さな傷の痛みを、消えないようにと強く、強く握りしめた。

Hello

 いつも通院している心療内科を訪れたら、待合室に、電信柱がいた。近所の路地に立っている電信柱だ。「どうしたのですか」「酔っ払いにおしっこをかけられたのです」確かこの電信柱は、いつも近所のイヌたちにおしっこをかけられているはずだが。電信柱はひどくふさぎ込んでいる。電信柱の心理はよくわからない。考えても仕方ないので、俺は目を閉じて、書きかけの遺書の内容を推敲することにした。

Shangri-La

 砂浜に、巨大な喪服が流れ着いた。クジラ用の喪服だ。クジラが喪服を脱いだらしい。喪が明けたのだ。漁師たちは久しぶりに船を出す準備を始めた。

一つ分の呼吸する漂流物

親しい人がいる。会話したり一緒に何処かへ行ったり、近しいことで悩んだりする。 まるで共に人生を歩んでいるように。私も貴方も同じ生き物のように。 けれどそんな理想から何度も目を覚まさせられる。 「結婚しました」の一文におめでとうと心からの祝福を友人に述べた。偽りはない。 私は私。貴方は貴方。 その事が今はとてもさみしい。 私の人生には私しか立っていない。そのことは重々分かっているつもりだけれど、ふとした時に骨身に冷たく染み渡る。 私はあわあわして部屋の中をぐるぐる歩いて落ち着かせる。なんとか落ち着いてふたたび果てのない海に浮かんでいる。 今は何も考えずに。

U Can't Touch This

 ペットショップの隅のケージの中に、毛布が敷かれていて、その上に、一枚の紙幣が横たわっている。高額の紙幣だ。もちろんそれはペットとして売られている。みすぼらしい母子がペットショップに入店してくる。そしてこの紙幣を見つける。母子は顔を見合わせてうなずく。母子はこの紙幣を買っていく。ついでにケージも買っていく。家に帰り、母子は紙幣のために環境を整える。ケージに毛布を敷き、水を用意する。餌はペットショップの店員もよくわからないらしいので、とりあえず冷や飯に味噌汁をかけたものを用意した。母子は毛布の上に、慎重に紙幣を載せる。紙幣はじっと動かない。母子は顔を見合わせて、その夜は布団に入る。翌朝、ケージを見る。紙幣の様子は昨夜と変わっていない。水も減っていない。母子は顔を見合わせて、紙幣をケージから出す。そしてその紙幣を持って牛丼屋に行き、牛丼を食って、代金をその紙幣で支払う。

シチュエーション:コンビニ

暦が進んでいく さみしい夜が短くなったことに安堵している つい一ヶ月ほど前は 気を抜くと雪が寒さとともに気持ちを深く閉じ込めたり といったこともあったけれど もうそこまでのことにはならないはず 四月は苦手だ、とキミが言って 僕が理由を聞かないからキミは言わなくて あたたかくなったよろこびと花粉症の疲れと 新たな出会いへの期待と 期待どおりにならないもどかしさと ―コロッケ買ってあげるからさ、そんなこと言わないで 僕が言うとキミはもうすっかり上機嫌で ―アイスもたべたいな なんて、そんなことを ―まだ、はやいんじゃない ―先取りだよ 春の淡い光が、アイスを見つめるキミの後ろ姿に眩しい 振り返ったキミは、幼い子どものようで 僕は笑いをこらえながら見つめるしかなくなる

翼の折れたエンジェル

 パチスロ店に行った。適当な台を見つけ、打ち始めると、隣の台に人間ではないものが座っていることに気づいた。それは一匹のカタツムリだった。イライラしている。負けているようだった。俺は内心であざ笑いながら、自分のパチスロを打っていた。しばらく経った頃、カタツムリが椅子から降りて、店を出ていった。あきらめたらしい。俺は椅子に付着した粘液を見つめていた。三十分後、店に一匹のナメクジが入ってきた。そいつはよく見ると、さっきのカタツムリだった。殻がなかった。殻がなくなった代わりに、そいつは紙幣を口にくわえていた。殻を売って金を作ったらしい。ナメクジになったそのカタツムリは、同じ台の前に座った。そして、打ち始めた。だが、やっぱり負けているようだった。俺は内心でほくそ笑みながら、店を後にした。そして、近くのコンビニで塩を買った。俺はその日、勝ったのだ。

サービスは、10円分のノスタルジー

 沈みゆく夕日に照らされて、影が長く伸びている。おもむろに手を上げてみると、なぜだか動きがゆっくりに見えた。隣を歩く友人が、不可解そうにこちらを向く。何をしているのか、と問われるが、大きな影を動かしたかった、などという理由は理解されないだろう。昨日の自分自身に言ったとしても、何を言っているんだと嘲笑されるに決まっている。  久しぶりに友人と約束をして、尽きない会話を楽しんで、笑いすぎて疲れたからと散歩をして。他愛のない時間が、数年前までは日常だった光景が、これほどかけがえのない時間に、帰りたくない時間になっているだなんて、昨日の私には想像ができないだろう。  数ヶ月に一度、短いメッセージのやりとりをするだけの関係になっていた友人が、会おうと言ってくれたのが三週間前。  そこから数日おきに連絡を取り合い、ついに今日がやってきた。柄にもなく緊張していた私は、目覚ましが鳴る前に目を覚まし、いつもよりも念入りによそ行きの準備を整えて、予定の何本か前の電車に乗り、待ち合わせの時間より三十分も早く到着してしまった。  見慣れない構内を、案内表示を頼りに移動して、普段は乗車しない短い編成の電車に乗り換えた。ボタンを押して開閉するドアは新鮮で、まばらに座る人々の会話のイントネーションも聞き心地が良い。暖房の効いた車内と、線路から伝わる規則的な振動は、早起きした体と頭には大敵で、いつの間にか眠りこけてしまった。  駅に着き、列車内で循環していた空気を入れ替えようと深呼吸をすると、冷え冷えとした上質な空気が肺に流れ込んできて、まだ寝ぼけていた頭を冴えさせる。さっきまで住んでいた場所と同じ青が繋がっているはずなのに、単なる駅前の景色でさえもくっきりと見える気がして、排気ガスと電子機器に囲まれてぼやけていた視界に気がついた。  時間つぶしでも、と周辺を歩いてみると、見たことのあるチェーン店と、見たことのない個人経営のカフェが立ち並んでいて、日常と非日常の狭間に来たことが実感された。少し迷いながらも待ち合わせ場所まで戻ってきた私を迎えてくれたのは、過去の記憶と少しも変わらない友人の声だった。  この地に引っ越してきてから三年が経つ友人は、この地の有名店に案内してくれた。ここに来てからは勉強ばかりだからあまり知らないのだけれど、などと前置きをしながら、知人にリサーチをしたから間違いないと思う、と自信を持って話した友人は、やはり私の知っている性だった。  夕暮れが訪れるのはあまりにも早く、明日が講義であるということを嫌でも思い出させた。昼間とは色を変えた太陽を正面に見ながら、あと少しだけ、とお願いをすると、同じことを言おうと思っていた、と笑顔を咲かせた。    この近くにとっておきのお店がある、と連れてきてくれたのは、どこにでもあるようなラーメン屋。家の近所にもあるよ、と笑ってみせると、他とはちょっと違うサービスがある、なんて言うので、半信半疑のまま店内に入った。どんな店であろうと結局構わず、思い出話に腹を抱えながら、魚介ベースのあっさりとしたラーメンを啜り、普段だったら追加しない餃子までシェアして、温まった体で店をあとにした。  ちょっと違うサービスとは何だったのか、会計を済ませた友人に聞くと、手のひらを出して、と笑って言う。頭に疑問符を浮かべながらも大人しく右手を出すと、一つ十円のチョコレートが乗った。小さな小さなその駄菓子を見て、懐かしい思い出が一気に蘇る。  小学生時代、塾に行く前の僅かな時間に、親には内緒で寄り道をして、子ども好きの老人が営んでいる店で十円のチョコレートを一つずつ買った夕焼け空。夏休み期間中、早起きをして公園へ行き、鬼ごっこやかくれんぼで遊んではすぐに腹を鳴らして、すっかり顔なじみとなった老人に十円を渡した青空。放課後、友人の家へ遊びに行って、すっかり時間を忘れて日が落ち、少し焦りながら、しかし夜の特別感を味わいながら、まだ明かりがついていた老人の店で十円だけを握りしめて、迷う素振りを見せつつも、やはりいつものチョコレートを買った星空。  六年前、高校入学と同時に疎遠になり、それぞれの人間関係を築き、二人一緒でなくても日々を生きることができると気がついた。  それでも、幼き日の十年弱、毎日共に過ごしていた絆は、あまりにも強固で、時が簡単にほどけるものではなかった。  今日一日、たった数時間、時を同じくしただけで、あの頃と同じ二人になれた。また、何年後かに再会しても、きっと今日の続きができるのだろう。  これがサービスだよ、と友人は笑う。焼肉店のガムではあるまいし、と私も笑う。駅のネオンが、二つの横顔を明るく照らしていた。 (お題:ラーメン屋、チョコレート、遊ぶ)

桜の花蜜が大好きな一羽の雀がいた。他の雀と同様に花ごと食い千切っては、根本から蜜を吸っていたが、もっと長く花蜜を味わえる方法はないものかと考えた。ある時、花びらを一枚咥えてみると、甘い桜の香りが口一杯に広がった。以来、桜の花びらを咥えた雀が、あちらこちらで目撃されるようになった。

命を食う

 道に並べられた、家畜たちが殺される写真。  写真の目の前では、一人の活動家が叫んでいる。   「貴方達がスーパーで買っているお肉は、こうした可愛い動物たちの死の上に成り立っています! 都合の悪いことに目を瞑り、可愛い動物たちを食べることに、胸が痛みませんか!」    残酷な写真に、道行く人は目を背け、親は子供の目を塞ぐ。    私は、たまたま買ってきた鴨を持っていたので、活動家の前に出た。   「痛まない」    活動家の前に、鴨を置いて、仕留め、食肉へと加工していく。    正直に言うと、痛みはする。  しかし、この世界は弱肉強食。  動物の世界も昆虫の世界も、天敵に食われながら回っている。    私が活動家を見ると、活動家は貧血で倒れていた。  写真なら平気だが、実物は無理だということだろうか。   「都合の悪いことに目を瞑らないでくださいよ」    私は美味しくできた鴨肉を一口食べて、鮮度を保つために残りもしまった。  ああ、今日の晩飯をこんなところで。

宇陀の残り香

宇陀の残り香 奈良、大宇陀。本郷の「又兵衛桜」が春の狂騒を終えようとする頃、夫婦は宇陀川のほとりを静かに歩いていた。 「もう、すっかり散ってしまったわね」 妻の夏美が、足元の草に紛れた薄桃色の欠片を見つけて呟く。かつての城下町の面影を残す古い街並みは、夕暮れ時の淡い光に包まれ、どこか現実離れした静寂を湛えていた。 ふと、二人は川べりで足を止めた。目の前を流れる川面に、無数の花びらが浮かんでいる。それはただ流されているのではない。上流から絶え間なく押し寄せる春の終わりの断片が、幾重にも重なり合い、まるで**「花の筏」**となって水面を覆い尽くしていた。 「見て、あそこ。流れに逆らっているみたい」 夫の修一が指さした先では、小さな渦に巻き込まれた花びらたちが、一瞬だけ川上へ向かって遡るように舞い戻っていた。物理的な摂理に反して、散った命が再び春の盛りへと帰ろうとする、あがきのような一瞬。 「本当ね。まるで時間が戻っていくみたい」 夏美は目を細め、水面を滑る桃色の影を追った。二人は言葉を失い、ただその景色を見つめた。流れる水は冷たく、けれど浮かぶ花びらはどこまでも温かい色を保っている。若かった頃の自分たちも、こうして時の流れに抗おうとしたことがあっただろうか。 風が吹き抜け、さらなる花吹雪が川面に降り注ぐ。夫婦はどちらからともなく手を繋ぎ、再び歩き出した。過ぎ去る季節を惜しみながらも、流れていく美しさを静かに受け入れながら。川面を埋め尽くす桃色の帯は、黄昏の闇に溶け込むまで、優雅に、そして力強く宇陀の町を彩り続けていた。

薄暗闇から

 この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。  堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。  犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」  鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。   彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。  意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。  うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。  あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」  そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。  当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。  彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。  薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」  辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。  そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」  食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。  その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」  ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」  差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」  答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。  途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」  もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。  髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。  流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。  色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。  言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。

星空と私

暗転に光る小さな欠片。 それを見た私は 「ああ、私はあの星たち全てを理解することはできないんだろうな」 そう呟く。 「星はあんなに光っていて、私たちに場所を教えてくれると言うのに.....」 ため息をついた私は、またどこかへと駆け出した。

五体満足症候群

『ああ、俺は健常者でよかった』 『足が不自由とか無理。自由に旅行もできねえじゃん』 『目が見えないとか無理。どうやって歩くんだよ』    SNSに流れる悪意の塊。  それを眺める子供たち。   「せんせー。どうしてこの人たちは、こんな酷いことを言うの?」    子供たちの教室には、障碍者と呼ばれる子もいます。  だからこそ、不思議に思って尋ねました。  先生は子供の頭を撫でながら、丁寧に説明をしました。   「それはね、この人たちは、健常者であること以外に自慢できることがないからです」 「自慢?」 「そう。佐藤君は、勉強ができるのが自慢。鈴木さんは、絵を描くのが上手いのが自慢。皆、自慢できることがる、素敵な私の生徒たちです」 「えへへ」 「でも、この人たちには、それがないのです。自分のすごいところを、一つも見つけることのできなかった人たちなんです」 「へー。なんか可哀想」    子供たちがなおもスマホのスクロールを続け、多数の悪意を鑑賞していたので、先生は滑らかな動きでスマホを取り上げます。  悪意の過剰摂取は、子供たちにとって毒になるからです。   「さあ、休憩時間は終わりですよ。皆さんはこんな大人にならないように、しっかり勉強して、しっかり運動して、自慢できることを増やしていきましょう」 「はーい!」    先生は、他人の悪意を踏み台に、子供たちを動かします。  それもまた、先生の悪意。

へんかいへんかい

 夢の中にいると、しばしば記憶がおぼつかなくなる。  あ、そろそろ目覚めるんだ。と、寝ぼけまなこをごしごしとこすりながらも、いったい何から目覚めようとしているのか、この時の私はよく分かっていない。  目を開ける。ベッドの上。刹那、はたと現実に引き戻される。  スマホが光った。午前6時12分……。今日は休日なのに。なんとも早い。あと三時間は寝たっていいけど、そうはならないほど社畜体質が身体に染みこんでしまっているのだろうか。  イヤな感じだ。  腕を伸ばした反動で、上体を起こす。目をごしごしとこすって。目を開けた。ベッドの上。 「ア?」  なんだ、さっきのもすべて夢だったのか。にしては、やけにディティールの濃い……。  スマホをさわる。午前6時37分……。もしや、私は二度寝をしたのでは? 先ほど社畜体質気味だと嘆いたばかりだが、まだ二度寝ができるくらいの余裕はあるらしい。ちょっと元気が出てきた。  喜んで、上体を起こす。それでも眠い瞳を、ごしごしとこすって。  洗面台へ行く。顔を洗う。目をごしごしと洗う。  キッチンに立つ。目玉焼きをつくる。それをガツガツ。  ごちそうさまの後は、歯みがきをする。ごしごしとこすってやる。また虫歯ができると厄介だ。  天気予報を確認しようと、リモコンに手を伸ばす。スイッチを押す。ふいに雨の音。ザーザーと鳴る。  画面には、知らない誰か。私に背を向けている。髪の長い、女?   ゆっくりと彼女がこちらを見る。刹那、雲隠れしていた記憶がだんだんと顔を出していく。  ーーなんで、現実にも出てくるんだよ。  おかしい、おかしいだろ……。思いきり頭を振ってみる。でも、彼女は変わらず私を見ている。  あ、あ、と頭を振る。とにかく振る。もう顔なんて見たくないんだもの。繊細なんだ、私。繊細なんだもの。  頭から彼女を消してやりたい。でも、画面にはまだ彼女がいる。目をつぶる。手でごしごしとこする。両手で、ごしごし。強く、ごしごし。ごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごし。  やっと、目を開く。ベッドの上。刹那、はたと現実に引き戻される。  私は、何から目覚めようとしていたんだっけ?  時計が光る。午前9時55分。おっ、今日はよく眠れた。これぞ休日って感じだ。  ちょっと愉快に上体を起こす。小躍りしながら洗面台に向かう。その間、頭の中に浮かんでいた疑問符を、よくも分からないまま、丁寧に処理した。

旅〜橋の上で〜

「キャロルってさぁ、ずっとお爺ちゃんなの?」 先頭に、お爺ちゃん狸のキャロル その後ろにオオカミの子供ルイ その背中に少年のij が乗っていました 「若い頃の事など覚えとらん」 彼等は海の上を歩いています 海面のすぐ上に架かる橋を渡っています 古く硬い木で出来ていて、広く長い立派な橋です。 海は波がなく透き通っていて海底が覗けます。 欄干にいるカモメが海面を見つめています。 「やぁ、キャロル。久しぶりじゃないか」 「やぁ黒羽」 「急いだほうがいい、時期に嵐になる。」 「分かっておる」 キャロルの後ろを歩くルイがききます 「黒羽さん、キャロルの若い頃を知ってますか?」 「やぁこんにちは。オオカミくん。キャロルは俺の子供の頃からお爺ちゃんだ」 「やっぱり!」 ルイとij は笑いました。 黒羽さんも笑いました。 キャロルは鼻を鳴らしただけで「先を急ぐぞ」と黒羽さんに別れを告げました 〜旅の記録、海の橋にて〜

春の正体

体育館から聞こえるイルカの鳴き声みたいなバスケットシューズの音が、夕方の赤い空に高く響く キュッ、キュキュッ 床を鋭く噛むその音は、練習が終わったあとの、どこか所在ない空気によく馴染んでいる 新学期がはじまってしまえば、僕たちは最高学年になってしまう そして、そこにはクラス替えも… 「離れても忘れんなよ」 窓の外の燃えるような夕焼けが、さびしさを募らせ、僕にそう言わせたのかもしれない コートの端に座り込み、シューズの紐を結び直していたアイツが、顔を上げずに返してくる 「てか、大げさすぎ」 言ってアイツが立ち上がったときに短く響いたシューズのキュッという声が、 ぶっきらぼうな言葉とともに、僕の心臓を刺してくる 窓から差し込む強い光が、アイツの背中を長く引き伸ばす 桜が散ってしまう前の、あのはかない不安 いくら手を伸ばしてみても、指のあいだをすり抜けていくアイツと、そして季節の香り この胸のざわつきが、きっと春の正体なんだ

日記 

今日も、いつもと変わらない、だらけて中身のないパイみたいな一日が、とっくに始まっている。 時刻はもうすぐ15時。 青い春を売っても、やって来るのは、底の底に沈んだような人間ばかり。 一人、二人、三人――どうしようもない、しょうもない会話すら成立しない相手ばかり。 このまま、稼ぎもなく今日が終わるのだろうか。 また社会から吐き出されるのだろうか。 頭の中で、恐怖が反響する。 自分のようで、自分ではない声が囁く。 「また逃げるのか。酒?タバコ?薬?  そうやって逃げ続けていたら、いつか本当に捨てられるよ」 そう言われても、それしか逃げ道がない。 そんな自分に、嫌悪が走る。悪循環だ。 病院の助け舟も遠のいて、 手っ取り早い快楽に手を伸ばして、堕ちていく。 今日は何に逃げるんだろう。 明日はどうするんだろう。 無一文で終わるのだろうか。 社会のゴミ溜めみたいな自分に、 日に日に、憎しみが積もっていく。 いっそ、オーバードーズでもして気を紛らわせるか。 酒を飲んで、頭の中をHBの鉛筆で塗りつぶして、 今日の自分を葬ってしまおうか。 そうやって毎日、自分を殺しても、 また自分が脅してくる。 「結局、逃げるんだね。どうしようもないね」 誰も見向きもしない。 まるで、路地裏に捨てられたみたいだ。 この地獄から、逃げ出せる日は来るのだろうか。

夢のような恋。(last)

あれから1年が経った。 私が送った最後のメッセージには既読すらついていなく返信も来ない。 もう2026年の4月。私は高校2年生になり、初めて彼と会った時の彼と同じ学年になった。 誕生月の4月、おめでとうという連絡を心のどこかで待っている。 彼は無事大学に受かったのだろうか。 受かっていたとしたらどんな大学生になっているのだろう。 これからどんな大人になってどんな人生を生きていくんだろう。 あの時私がメッセージを送らなかったら彼の歩む人生に私も一緒に居られたのだろうかと思うと後悔はしなくもない。 この先どんな恋愛をしてもどんなに幸せになっても彼のことを忘れることはできないだろう。 何をしているのかも、どこにいるのかもわからない。 時々長く鮮明な夢だったのではないかと考える。 でも彼は確実に存在していて今日を生きてる。 広く沢山の人で溢れかえっている東京でもしまた貴方に逢うことができたなら私達は運命だったのかもしれない。 これからの君の人生が幸せなものでありますように。 幸せな時をありがとう! 私は今幸せです!

怪獣があらわれる街✕男なら親指を立てろ

雨太郎というオジサンがいる 歳は45を過ぎ、髪に櫛も解かさず、口の周りを無精ひげに好きにさせている。 いつも服は薄汚れていて煙草と酒が好きな男 そんな彼は紛れもなく、ウルトラマンである。 雨太郎は甥っ子の風太くんの授業参観に来ていた。甥っ子の風太に「雨太郎叔父ちゃんに来てほしいな」と言われたので嫌とは言えない。 風太くんは昔から雨太郎と馬が合った。 たまに会うと昔からの親友のように過ごす。小さかった風太くんの指定席は雨太郎の膝の上だった。 その雨太郎叔父ちゃんがウルトラマンだと知ってからは、余計に尊敬をしている。   ✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕ ぐら…ぐらぐらぐら… 地面を突き上げるほどの揺れが学校を襲う。地震か、怪獣か。 キャーキャー騒ぎ怯える児童達 「みんなー!防災頭巾を被って!机の下に隠れましょー!」指示を出す先生は冷静に行動している 行き場がない児童の親たちは戸惑っている。 雨太郎は窓の外を見ていた。怪獣の姿を探している。 青空にサイレンが鳴り響く。 「避難命令!避難命令!〇〇町、上空に巨大生物があらわれました!直ちに避難せよ!繰り返す!直ちに避難せよ!」 放送を聞いて教室にパニックが巻き起こる。児童達は一斉に机から飛び出して、自分の親の元へ駆け寄った。 親達は学校の地下シェルターへ走っていく。先生達は廊下に出て走らないように大声で声かけをしている。 近年、巨大生物の襲来が多発し、日本政府は、学校や病院に地下シェルター設置を義務付けた。昨今の防災訓練は地下シェルターで行うのが主流である。 教室では親の来ていない児童は、皆不安そうにしていて、泣きべそをかいている子や、ウロウロとしている子が何人かいた。風太は雨太郎とアイコンタクトをとると、風太はその子たちを風太の母の元に集めた。 「えらいぞ、風太。よし、ちょっくら行ってくるわ」 「お兄ちゃん…」 雨太郎の妹で風太の母である晴子は心配そうな顔で雨太郎を見る 「風太、母ちゃんと皆を頼むな」 風太は親指を立てる 雨太郎はニコリと笑う 雨太郎が教室を出て、流れに逆らうように進んで行き、やがて、人混みで見えなくなった。 ドンと大地が鳴り、一斉に悲鳴が聞こえる。強い衝撃で皆が床に倒れたのだ。 不安と緊張で学校はパニック寸前だ。地面に近づくシャボン玉の様に、破裂するまで後わずか。 そこに誰かが言った言葉で、シャボン玉は割れずに風に乗り空へと舞い上がった 「ウルトラマンだ」 窓の外には皆の希望であるウルトラマンが立っていた。 ウルトラマンは怪獣の元へ飛び立って行った。ウルトラマンが飛び立つとき空へ向けて親指を立てていた。

夢のような恋。(4)

その通知を見た瞬間鼓動がドッと速くなった。 心臓が口から出そうなくらい。言葉が出なかった。 飛び起きて急いで階段を降りてお弁当を作っていたお母さんに飛びかかる。 「彼から返信きた!」 よかったねとハグをしてくれた。 親友にも「まって、やばい、返信きた」 とめちゃくちゃな文を送った。 早い鼓動を落ち着かせながら彼にもメッセージを送った。 「連絡待ってた、元気だった?」 「あさはっや、げんきだよ」 「元気ならよかった、ずっと気になってた」 「高校やめたよ、いまはめっちゃ勉強してる」 「まだ私と関わる気ある?」 「あるよ」 彼は高校3年生になっていた。 久々に言葉を交わして彼の返信の仕方も声も思い出も全てを鮮明に思い出した。 急にいなくなった理由は分からなかったがその時の私にはそんなことどうでもよかった、とにかく切れた縁をもう一度繋ぎ合わせられたことが何よりも嬉しかった。 そこからまた髪色を赤色に戻した私は彼に色落ちしてしまう前に会おうと送った。 「たしかに、それははやく会わないと」 と言う返信に心が躍る。 「そうでしょ、だからはやく会お来週会える?」 「あえるとおもう」 「ほんとに!なら来週会おう!」 「あまって、むりだ、また来週なら」 「わかった!また来週ね」 私が送ったこのメッセージからしばらく返信はなくちょうど1週間経った。 「今週会えそう、?」 「だいぶきびしいかも」 喜びは一瞬で1週間2週間おきにしか返信が来ず、言葉も昔より冷たかった。 私が好きだった彼とはまるで別人みたいだった。 返信が遅かった彼に連絡を速く多くしてほしいとわがままを言ってしまったけど彼は二つ返事でわかったと約束してくれた。 けど返信は遅いまま。 会いたい、話したいという気持ちとこれ以上受験勉強の邪魔はできないという気持ちが混沌する。 受験勉強で忙しい中連絡を多くしてほしいとわがままを言ってしまった自分に嫌気がさした。 邪魔をしちゃいけないと心から思った。 そして私達は運命の相手なんかじゃないことにも気づいた。 気づいていたけどその事実から目を背けていた。 時間が経ちようやくその時現実と向き合う覚悟を決めた。 「勉強邪魔したくないし受験終わるまでは会うのやめよう。無理に連絡もさせないししないから受験終わって私のことまだ好きだったら連絡してきてね。 LINE残しておくから!頑張ってね!」 と最後にファイトの可愛いスタンプを付けて送信ボタンを押した。 これがその時の私にできる最大限の、最後の愛の伝え方だった。

夢のような恋。(3)

12月になると彼の制服が冬仕様になり私も春から通う高校の制服採寸をする時期になった。 大学は慶應に行くと決めていた彼は塾で忙しく10月のデートから一度も会っていなかったが久々に会おうとイルミネーションに行く約束をした。 お互い学校終わりの制服で六本木のイルミネーションを見に行った。ある程度見たあとやることがなくなり適当に話しながら歩いてると彼が「恵比寿のイルミネーションも行こう」と案内してくれた。 初めて行く恵比寿ガーデンプレイスは眩しいほどキラキラしていて胸が高鳴ったけど1番嬉しかったのは彼が六本木だけじゃなくて恵比寿も行こうと連れてきてくれたこと。 少なくとも私ともう少し一緒に居たいと思ってくれていたのかもしれない。 大好きな彼と当たり前のようにずっと一緒に居られると思ってた12月、連絡が取れなくなった。 そこから何度かメッセージを送ったが返信どころか既読すらつかなかった。 何週間か経ち内容は忘れてしまったがこれで最後だと思い送ったメッセージには既読だけがついた。 終わってしまったと確信した。こんなあっけなく終わってしまうんだと。 連絡先を消したら少しは忘れられると思いトーク履歴を削除しブロックした。 けど彼の写真と彼の声が入った動画は消せなかった。 なかなか立ち直れない私に親友はもう忘れて次に行こうと慰めの言葉をくれた。 そして年が明けて2025年新しい風が吹いた。 私は赤髪から綺麗なブロンドになっていた。金髪を彼に見せれていたらいつもみたいに似合ってるってなんでも似合うよって言ってくれていたと思う。 親友のおかげでなんとかそれなりに楽しく4ヶ月過ごし中学校も卒業して高校生になった。 彼への想いはその頃には完全に吹っ切れてはいないがある程度思い出になりつつあった。 制服に合うように少し大人っぽく髪色を落ち着かせようとミルクティーっぽくした。意図してなかったけどあの時の彼にどこか似た髪色になった。 4月は私の誕生月でもあり誕生日の2日後が高校の初登校日だった。 誕生日を迎え16歳になった私は2日後の初登校日を楽しみに前日はしっかり準備をして眠りについた。 4月16日 高校初登校日。 登校日初日はメイクも髪もいつも通り完璧にしたいと5時30分にかけていたアラームが鳴った。 眠い目を開け朝一番でスマホをチェックする。 ありえない通知が来ていた。眠気が一気に覚め重かった体が反射的に起き上がる。 「誕生日かれんだーはいってたからおもいだしたおめでとう」

夢のような恋(2)

いざとなると恥ずかしくなる私は結局焦るように連絡先を交換して後で連絡しますと親友を連れてプールに入った。 閉園時間を迎え更衣室で私服に着替えたら今日の余韻を親友と共有しながら帰りのケーブルカーに乗り込む。 暑いけどすっかり日が落ちた時間のケーブルカーは心地よかった。 その後また電車を乗り継ぎ親友にまたねと手を振り見慣れた景色まで電車に揺られている時、あの人のことを思い出して連絡を入れた。 「さっき話しかけてくれてありがとうございます」 「顔可愛すぎて話しかけるしかなかった」 お互い一目惚れし合えてることに苦しくなるほど嬉しくなった。 そこから沢山のことを話した。 彼は高校2年生で住んでいるのは東京、通ってる学校は私と真逆で偏差値が70超えの都内にある大学附属高校、筋トレが大好きでお父さんは弁護士をしていてお母さんは専業主婦で仲のいいお姉ちゃんがいるらしい。 なんだか全てがキラキラしていて王子様みたいだった。 彼は大人っぽいけどやっぱりまだ子供らしくて少しいじり口調で話してくる時もあったけど優しいいじりで私のことをたくさん褒めてくれた。 それから1週間後2人で映画を見にいくことになって渋谷に集合した。 黒いシャツにデニムというシンプルなコーデだけどモデルのような彼が着ると不思議と映える。 映画を見たあと世間話をしながら駅に向かう。 別れる時は寂しかったけど帰ったらまた話そうねとお互い違う電車に乗り込んだ。 「イノシシに襲われないように気をつけて帰ってね!」 「田舎だけどイノシシは出ないわ!でも気にかけてくれてありがとう」 と少しふざけて言われた言葉にも嬉しくなった。 その時私はすでに彼に惚れていた。 映画デートから2週間後の9月8日。 「すきだからつきあって」とLINEが来た。 今までで1番幸せな瞬間だった。 私はもちろん二つ返事でokし、その日は幸せに包まれながら眠りについた。 そこからは彼氏彼女としてたわいのない話をしたり彼の学校の文化祭に行ったりスタバデートにも行った。無くしてしまったリファのブラシも一緒に買いに行った。 虹が出てると写真を送ってくれた日、髪を赤く染めた私をこれでもかと褒めちぎってくれた日、苦手だったレモン味の炭酸水も彼の影響ですきになった日。最高な日々を過ごしてあっという間に12月になった。

夢のような恋でした。(1)

中学3年生の夏。 真夏とは言えないがまだまだ暑い9月の夕方、周りより少し大人びていた私は同じように周りより少し大人びている小学生からの親友とナイトプールに行った。 焼けたくないし写真映えもしたいし、という理由の裏には少し運命の出会いを期待した自分がいたかもしれない。 東京の外れということもあり電車を乗り継ぎ地味に遠い道のりを経てようやく目的地の最寄り駅に着き嫌なモワモワした暑さのケーブルカーに乗り込む。 とにかく暑い。 更衣室で水着に着替えてメイクを整えなかなか栓が開かなかったピンクの浮き輪にやっと空気を入れられて足早にプールサイドへ向かう。 体を冷たい水に沈めた瞬間ここまでの道のりの暑さが一気に解放された。 流行りの曲が流れライトアップされたプールで撮った写真はいつもより念入りに仕上げたメイクと髪で合わさって思った通り映えた。 プールを少し楽しんだ後、ちょっと休憩しようと買ったロングポテトをプールサイドで食べていた時1人の男が近づいてきて親友に話しかける。 俗に言うナンパだ。 親友はその男がタイプだったらしく連絡先を交換して男が去った後もきゃっきゃっしていた。 その後も何組かにナンパされたが全て軽くあしらった。 閉園が近くなり記憶では20分前くらいだったと思う。 せっかくだからと最後に流れるプールへ移動したとき 親友が友達と泳いでいる連絡先交換した男を見つけた。 また話したいから一緒に泳ごうと提案してきた親友の言葉に首を縦に振りプールへ入ろうとしたとき2人組の男が話しかけてきた。 スマホの充電も少なく閉園時間も迫っていたため早く泳ぎたいからと軽くあしらおうとして顔をそっぽに向けると片方の男が私に向かってタイプですと声をかけた。その日私が単体でナンパされるのは初めてだったせいか少しびっくりして反射的に顔を上げた瞬間、これまでにないくらい鼓動が早くなるのを感じた。 すらっと高く少し焼けた肌に濡れた明るい髪、いたずらそうな顔の奥には恥ずかしさが見えた。 その人に一瞬で一目惚れした。

ブラック回し

 一日十五時間労働。  休憩なし。  地獄のような労働だった。  何度も音をを上げたが、上司にこの程度でと一蹴された。  くそ上司め。   「明日から、下請けに仕事出すことにした」    それが、なんということでしょう。  コーヒーを飲んで新聞に目を通している間に、お仕事が終わるようになった。  お仕事最高。    ミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲んでいると、社内の電話が鳴った。   「もしもし?」 『ちょっと、この量シャレにならないっすよ。勘弁してくださいよ』    下請けからだった。   「こっちはお金払ってんですよ。できなかったら、違約金貰いますからね?」 『そ、そんなあ』    電話を切る。  まったく、この程度で音を上げるなんて。    席を立ち、二杯目のコーヒーを淹れに向かう。  さて、仕事仕事。

ミラージュ (掌編詩小説)

不確かな街路をガス灯に沿って歩く ガスに酸化された外壁を思い出させる 何だっけな。もう、どうでも良いや 私はガスに包まれたこの街が好きだ ガスが霧みたいになって、灯りがぼやけるのが特に好き でも私たちの身体には毒みたい 淫らに着飾ったこの街の風景が、ただ私を見つめる 腐敗した配管はどこへ行ったのだろう レンガの溝を『あみだくじ』に見立てて、今日も徘徊する 地下鉄には、物乞い達がチラホラ 地上にはもう、彼らを抱擁する者は居ない 物好きが玩具として遊ぶだけ 自業自得の輪廻を外れた運命でさえも、彼らの肩を濡らす この街の霧がかったガスは彼らによる この世界への呪いなのかもしれない でも、そんな事はどうでも良い 私は私の人生を歩むだけ 雨が降ったのなら、傘を差すだけ 私はただの物好きな徘徊人 目的地は特に無い。それが私にとっての自由という物への啓示でもあった 地下鉄のホームはいつも、本来の成分と組み換えた笑気ガスが充満している 笑う事でしか生を実感できなくなった者たちの歓喜した声が、地下を反響で征服する そんなガスはいつしか、街を飲み込むほど溢れかえった 脱法ガスを なぜ、彼らは吸引するのか なぜ、誰も止めないのか なぜ、街としての機能が停止しないのか 何度か疑問に思ったが、どうでも良くなっていた 私はガスに包まれたこの街が好きだ ガスが霧みたいになって、灯りがぼやけるのが特に好き 『この街の霧がかったガスは彼らによる この世界への呪いなのかもしれない』 だけど、そんな事は知らない ガスが集まって雨となり、私の肩に降って来ても傘を差せば良い この霧状のガスは私を包み込んでくれる 私の心を包み隠してくれる 学校で教わった綺麗事(道徳)をあやふやにしてくれる この霧状のガスは、無闇に他人と関わらせないようにしてくれる 私はただ徘徊して、今日も心の中に都市を刻み込んでいく (完)

巡りし刻 (掌編詩小説)

ひらりはらり 京の都に蹲る結界 怪しがりし燈に、残像を残す 雲の仔たち シャレコウベを手綱に添えて ガシャドクロを引き合いに ぬらりはらり、ぬらりひょん のらりくらり 逃避の関 化粧をしとて 抗えぬその本性 染み込む劣化の玉砕 花を生けとし、明日を生けぬ者 (完)

強く儚い者たち

 若い警察官はパトロール中、タバコを吸っている高校生を見つける。若い警察官は腰の拳銃を手に取る。そして、弾倉を確かめる。弾倉の中には銃弾が入っていない。若い警察官は慌ててポケットを探る。ジャラジャラと音がする。小さな粒をいくつかつかみ取り、取り出す。広げた手の中には、銃弾と精神安定剤が混ざって載っている。若い警察官は、どちらがどちらかわからない。若い警察官はその結果、銃弾を口に入れ、精神安定剤を弾倉に詰めてしまう。口に広がる金属の味に、若い警察官はパニックになる。はっと気が付くと、タバコを吸っていた高校生はいなくなっている。若い警察官は拳銃に精神安定剤を詰めたことを忘れたまま、パトロールを再開する。

Take On Me

 近所のさびれた神社に行った。絵馬が掛かっていた。たくさんの絵馬だった。『人を殺さないようにする。』と書かれていた。すべての絵馬に同じことが書かれていた。すべて同じ字で、同じ人の名前が添えられていた。それは近所のおばさんの名前だった。それを眺めていたら、とつぜん背後から、パトカーのサイレンの音が響いてきた。それはおばさんの家の方へ向かっていった。願いは叶わなかったのかもしれない。わくわくしながら神社を後にした。

Stayin' Alive

 その夫婦は別々の寝室で眠っている。居間で顔を合わせるが会話はない。居間には棺桶が置かれている。その棺桶には、夫婦の幼い娘の遺体が納められている。それは防腐処理を施されている。カレンダーの偶数日の夜、夫がその死体を抱えて、自分の寝室に入る。翌朝、夫は居間の棺桶に死体を納める。カレンダーの奇数日の夜、妻がその死体を棺桶から取り出す。そしてまず消臭スプレーを死体の全身に振りかける。夫の臭いが付いてしまっているからだ。そしてその死体を抱えて、自分の寝室に入る。消臭スプレーをかけるシュッ、シュッ、という音を、夫はベッドの中でじっと聞いている。

スクールメイク

机の上に散らかるコスメたちを眺める。 ビューラーにアイプチ、コンシーラーに粘膜ライナー。 私が私でいるために必要なものたち。 世のかわいい人たちはきっとアイプチなんて持ってない。 アイシャドウとリップぐらいしか持ってない。私はかわいくないからわからないけどね。 毎朝五時に起きて、重い一重瞼を二重にする。逆まつげをあげてマスカラをして、ニキビ跡を隠して、粘膜と切開ラインを描く。最後にリップで血色を足す。 そしたらスクールメイクの完成だ。やっと人間の顔になる。 それから前髪と触角を巻いて、ケープで固めて、身だしなみを整える。 五時に起きたはずなのに時間が残ってない。朝ごはんを食べずに家を出る。 登校中たくさんの人を見る。 あの子足細いな。 あの子二重綺麗。 あの子鼻ちっちゃい。 あの子髪きれい。 それに比べて私は、私は、かわいくない。 ポケットから鏡を取り出して自分の顔を確認する。 家で見た時はバッチリだったのに、なんだかブス。 あ、ニキビできてる。 なんか顔でかいな。 毛穴目立つな。 まつ毛下がってきてる。 なんでこんなに私はかわいくないの? 友達と撮った写真も生徒手帳の写真もなんでかわいくないの? 生まれた時からかわいくないの? どうして私だけ? 涙が出てくる。 でも泣いちゃダメ。メイクが台無しになる。 私は泣くのを我慢して、マスクをつけた。 これでさっきよりはかわいく見える。

燕が民家の軒下にせっせと巣を作っていると、鳩がやって来てこう言った。「燕さん、そんな所に巣を作ったら、すぐに人間が来るよ」どこ吹く風で、巣作りを続ける燕に、鳩は尚も言った。「僕はやっと作った巣を人間に奪われたんだ」燕は鳩を見て言った。「そりゃあ、きみは鳩だもの」

この先作り

先日いつもの定期検診がありました。 この定期検診は退院してから直ぐの頃は間隔が二週間に一度だったものが、現在では四ヶ月に一度と間隔が開きました。ただ前回の結果が思った程良くは無く、今回の検診で改善が見られないのであれば、一段階上がった処置をしないといけないと聞いていました。 こんな事を聞いてしまうと間隔の四ヶ月がとても複雑な気持ちになってしまうもの。総じてこの期間の私は気持ちが集中出来ていなかったと思います。 そして検診当日。結果は今迄に無いほど極めて良好な結果だと聞かされて一気に気持ちが楽になったのでした。再度食事の栄養バランスを見直したのが良かったのかも知れません。 色々な事を考えてみました。 退院当初はまた病院生活に戻らない事、それだけを願っておりました。頼みます…と身体の状況が良くなる事だけを願っていたのです。そこから検診の間隔が一ヶ月、三ヶ月と開いて来て若干の気の緩みというものが起こります。「もう大丈夫ではないか」内心そう思いながらも心配は残っている状態。そこにひとつ何か問題が起こると、簡単に気の緩みは硬化へと変わってしまう。結局精神はとても脆い状態なのです。 ここ迄は起こった事に対応してきました。 起こった事は瞬時に過去の出来事。その過去から自分の行動を起こしていたのです。起きた事もそんなプラスには捉えられないものが多く、先を明るく想像し辛くなってしまいます。口には出さずとも「どうせそんなもの」が基準となってしまう。自分が自分の身体の内面を分からないというのもあります。ですので起きた事がベースなってしまうのです。 私はこの【過去ベース】を変えないといけない、そう考えたのです。 身体のことは、間違った事だけしなければ後はどうしようもありません。ある意味、運任せで行くしかない。結局ココの部分を考えたところでどうにもならないと諦めのような踏ん切りが出来ました。 「そうか、この先を作れば良い!」 自分のこれからを半ば強引に作ってみることによって、生活の流れや日常意識も変えてみることは出来るんじゃないかと思いました。それに連れて身体はもう大丈夫という意識に持って行くことが狙い。【病は気から】を実践するのです。いつまでも何もしないで後で何かやれば良かった…というのは結構長く意識に纏わり付きますが、やってみてコレ失敗したな…は前向きなリカバリーが十分可能というのを私的に思うことですし、何故だか少し笑みが溢れてしまいます。 丁度と言って良いものか、、このところマイカーから変な異音がしていました。その音がする少し前から、次回の車検は金銭的覚悟が必要とする部品交換を予告されていましたし、異音はまた別の原因であるとのこと。この車のタイミングと私の踏ん切りがピタリと合ったように思ったのです。 そしてある日、車販売店に訪問。自分の希望する車への要望と金額面を提示し尚且つ長期のローンは組めるのかを問い合わせしました。私の場合この長期がミソな訳で、ローン期間が長ければ長い程、長く新しいこの先を作ったことになるのです。ローン審査はこんな私でも何とか通過。かわいい軽自動車を購入したのでした。 「これ誰の車?」 たまたま家に立ち寄った妹が恐る恐る聞いて来ました。 『俺の』と言った時の妹の顔が、めちゃくちゃ酸っぱい梅干しでも食べたんかと思えるくらい、コイツやりやがったな的な顔をしていました。妹は石橋を割れんばかりに叩きながら確認して前に進むタイプ。兄妹ながら私の思い付き踏ん切りタイプとはキレイに真逆なのです。 ほら、もう面白くなって来ました。 妹に迷惑を掛けるつもりは全くありませんが、そうならないようにと忠告の意味もあって妹はこのタイミングで登場したのかなと思います。細々としたトラブルとまでは行かなくても何か小問題は常に何でも起こるものです。この車についてだけではなく付随して事が起こり出したら、私は新しい章に突入しているのだと捉えます。そうやって経験し糧となり成長するのが自然だと思うのです。自分がこんな感じだからダメだと自分でストップを掛けてしまうと、新しい成長機会はやって来ないどころか、体も心もどんどん衰退するのではないかと思うんです。 何も無い、何も起こらない日々は楽しいですか?それが楽なんでしょうか? そんな日を望む時もあると思います。もしそんな時ならばゆっくり休めば良い。私の場合入院時期がそれにあたるのだと考えると、もうそろそろ気持ちを切り替えて新たに動き出しても良い筈です。具体的には病気を現在から過去にしたい。 自然と流れでそうなるのではなくて、自発的にそうする時期。 そしてこれが失敗だとしても、笑みが溢れるだけと思っています。

Walk This Way

 赤い空の下を歩いて、近所のラーメン屋に行った。店はシャッターが閉まっていた。あれっ、今日定休日だったっけ。シャッターには貼り紙が貼られていた。『一時休業のお知らせ』そう書かれている。『地球が滅亡しなかったら営業再開します。』そうか、ああ、そうだった。赤い空を見上げる。ラーメンの口になってしまっていた。家に帰ってインスタント麺を取り出した。

真夏の果実

 冷蔵庫を開けたら、奥に置かれているベッドの中で、ニンジンとタマネギが抱き合っていた。そういえば、今朝、お母さんが今夜はカレーにすると言っていた。ニンジンとタマネギを使うのだろう。それがわかっているから、彼らは最後の情事を楽しんでいるのだ。そっと冷蔵庫の扉を閉めた。

見つめていたい

 夫の遺体を警察が持っていった後、庭の木の枝に揺れる首吊り縄を、幼い娘といっしょにぼんやり見ていた。ふいに娘がつぶやいた。「ドーナツ食べたい」どうやら首吊り縄の輪っかを見ていて、ドーナツを連想したらしい。私は娘の頭を撫でて、ドーナツ屋に出かけた。風が吹いて、涙で濡れた頬が冷たかった。