初見殺し

「あ、初めまして」   「初めましてー」    現代は、ネット社会。  自分の行動範囲にいない人間に、簡単に出会える時代。  自分の行動範囲にいない人間とは、得てして自分と違う価値観を持っていることが多く、会うこと自体に楽しささえ感じている。        だがまさか、初対面の人間を殺しにかかる人間がいるなんて思わなかった。  そんなことしても、メリットがないから。  恨みが積もっている訳でもない。  気に食わないことがあったわけでもない。  ただただ、初見の相手を殺しにかかる衝動が抑えられないらしい。    できれば、会う前に教えて欲しかった。

クリスマスに星が降る

彼氏)別れよ。 そう彼に言われた。 あまりの驚きに声が出ない。 彼氏)じゃあ 彼は私の元から離れていった。 「待ってよ」の声すら出なかった。 ・ ・ ・ 街はクリスマスでにぎわっている。 飾りのイルミネーションの光がスーッと 私の体を通り抜けていく。 「みじめ....」 なんてつぶやく。 私の手には紙袋が1つ。 彼にあげる予定だったネックレス。 「あげれなかったなぁ....」 ベンチに座って紙袋の中を覗いていた。 その時だった。 コツンッ 「痛っ....」 何かが頭に当たった。 足元を見ると飾りだろうか?星が落ちてた。 その星を拾おうとした時 誰かの手がかさなった。 「え....」 )あ、ごめんなさい! そこにいたのは、高身長の男性。 )これ俺のなんです! 「そーなんですね!」 そう言って星を彼に渡した。 )ありがとうございます!! 彼は仲間であろうところへ走ってった。 そんな彼の背中には.... 「蜂蜜大学....?」 "蜂蜜大学"と書いてあった。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2年後。 「ついにこの日が来た....!!!」 蜂蜜大学の門をくぐる日が!

輻輳な彼

「あっ!?ないっ!?」  叫声があがった.  泰然自若で音吐朗朗な彼が,蛮声を波のように響かせ,浮足立っている.独奏狂騒曲に,こちらが驚き桃の木山椒の木,である.  「どうしたの?」  「ケータイが!?ない!?」  それは確かに狂瀾怒濤な性格に変貌するのもわからなくはない.彼にしてみたら,震天動地,晴天の霹靂なのであろう.  故に,弾んだ心臓に優しくタップするように,悠揚迫らぬ態度で接してやらなければ.  「手に持ってるスマホでかけてみたら?」  「え?」  「え?」  しばしのサイレントモード.ふたりの間にしじまが続く.ばつが悪そうな顔をしながら全身をふるふるさせている.  「館内ではお静かにお願いします」  「「え?」」  二人そろってピンチイン.

死ぬほど美味しい毒

 ペロッと嘗めた毒は、死ぬほど美味しかった。    もう一嘗めしたかったが、嘗めると致死量に至り、死ぬ。  だが、嘗めたい。   「ぐぬぬ」    なぜ、良薬は口に苦しなのか。  なぜ、毒は美味しいのか。    地獄のような葛藤の果て、生きるために、ぼくは死ぬほど美味しい毒の入った瓶を割るため、瓶を掴んで振り上げ――。

天竺牡丹

 私にはおばあちゃんがいる.  身内ではない.週3日,放課後学習のボランティアで逢うおばあちゃん.教師一筋40年を務め上げ,麒麟も老いては駑馬に劣るというが,老醜を晒すこともなく,威風凛々とした姿に,密かな目標として思い馳せている.  しかし,老いには勝てない部分もあり,舌が回っていないように感じる.  「黒猫のヂェヂェ,かわいいねぇ」  空飛ぶ配送サービス映画を鑑賞したようだ.  「あと,あの子は優しいねぇ」  どの子だろうか.  「嫌いだって言いつつ,ちゃんとパイを受け取ってるじゃないか」  あぁ,あの娘か.国によっては星を見るパイと呼ばれているエキセントリックフード.嫌いな理由は味ではない,と私は思っている.  「これが,ツンドラってやつかい」  普段永久凍土だが,夏場は湿原になって植物が開花,結実する.なるほど,二面性か.  「ダリアセンセー!」  「チェ?」  子供たちに呼ばれて立ち上がる.  おばあちゃんは,今日も華麗で優雅である.

12/5

秋の黄昏前、山奥は黄色の葉で生い茂っていて、吹いてくる風は目の前にある門のない不思議な神社を神格化するようで、空は澱んでいて銀色だった。 私の目の前には、根元まで綺麗な金髪の人がいた。いや、ブロンドというべきだろうか。彼は黄色ばかりのおかしな森林に、赤の他人であっても気を許してしまう様な赤朽葉色のコートを羽織って歩いていた。 彼と私が神社に入ると、すぐ目前に偶像があった。形をとどめていなく、お化けが布を被ったような、しかし目だけはこちらをしっかり見据えていた。ようこそ、というように。何よりもそれは奇妙なポーズをしていて、今でもこちらへ走り出しそうな格好をしていた。 私はこれから私達がここで何をしようとしているのか、観光なのか、習慣的なものなのか、なぜだか何もわからなかった。ポケットの中で手を握りしめると、いつしかの紙屑が手にふれた。 私はその偶像にとても恐怖を覚えた。昔学生の時に暗い夜道を歩いていたら、背後からのストーカーに気づいた時のように背筋が凍る感じがした。 この偶像、よく見たら結構かわいいね こんなふうにずっといられたら楽だろうね、などといきなり話しかけられたので驚きながらもそうだね、なればいいじゃん、なれないよ、残酷なことにね なんて何気ない談笑をしたら、私は昔のストーカーなんてすっかり忘れていた。残酷なほどの話だろうか、と少しクスッと笑った。 彼は急に偶像と同じポーズをした。その瞬間、私の頭の中は走馬灯のように目まぐるしく回り、廻り、私は全てのことを思い出す。 まって、駄目 などという言葉も虚しかった。 私は彼を見れなかった。黄色の木の葉が巻き上がって、私の耳に劈くような魔物のような笑い声が響いた。 カーセブンの♪車買取♪あんしん宣言♪ 目を擦って流れるラジオに耳を澄ませる。 なーんだ。夢か。

思考実験

それはアンケートの体裁で行われた。 「あなたの目の前に、死を望む人間が居るとします」 質問と回答をまとめる担当は私だ。安物のボールペンを握り、紙を挟んだバインダーに視線をやりつつ、いかにも事務的に尋ねていく、といったスタンスで。 「その人は自分で『実行』してしまわないように拘束されています」 質問の場所はクリーム色のリノリウムの床と同色の壁紙に覆われた、殺風景で狭い部屋である。そこに簡素なパイプ椅子を二つ、私と回答者用の物だけを用意した。 「あなたは……どうしますか?」 問いかける声は努めて穏やかに、言葉は曖昧に、表情も動かさないように。 自分の置かれた現実が、極めて情報を削ぎ落とされた状況であるため、回答者は自身の思考に集中する。 しかしドア側に私が座り、回答者が部屋の奥側に座っている状況は息苦しいに違いない。 十数人に質問を行ってきたが、答えが返ってくるのはだいたい早い。 「僕ならしっかり話を聴いて、思いとどまるように説得します」 背もたれに、もたれもしないで背筋を伸ばした青年が答えた。いかにも真面目そうで正義感が強そうだが、模範解答はこれだろう、という妙な自信を感じる。王道から外れる事なく上手く世を渡っている印象を受けた。 「あたしなら、この手で手伝ってやるよ」 背もたれにこれでもかと身を預けて、半ばずり落ちてると言っても過言ではない姿勢で女性が答えた。不遜な態度を強調するかのように、大袈裟な動きで足を組みながら。 荒々しい口調と態度であるが、どこか表面的で本質を隠している、そんな印象を受けた。 「……」 この男性は珍しく、たっぷり五分は無言で考えた。椅子に深く腰かけているが、どこか落ち着かない様子だ。 眼球をギョロギョロ動かして、左上や右上、膝に置いた両手を見てみたり。 「一人は寂しいと思うんです」 こちらを見つめてやっと口を開いた。私は意味をつかみ損ねているが、ポーカーフェイスを貫き、相槌も打たない。続く言葉を待つ。 「一緒に死んであげるってありですか?」 真剣な表情だが、若干目つきが怪しい。 「参考になります。ご協力ありがとうございました」 肯定も否定もせず、礼だけ返す。 ただ、彼が退室する前に知り合いの心療内科を紹介しておいた。 「わたしは何をしても良いんですか?」 質問に質問が返ってきた。 妙齢の女性だ。化粧もこなれた様子で、服装やバッグなども派手さは無いが、彼女によく似合っている。それでも人混みで特別目立つ事は無く、『普通に』馴染んで流れていくだろう。 しかし、今までの経験から明らかな違和感を覚える。 微笑んでいる。柔和に。 「ええ。何でも結構ですよ」 頷くなど行動では示さず、言葉だけで肯定する。 「法も倫理も関係なく?」 念入りな質問だ。 「もちろんです。自由にお答えください」 思わず頷いてしまう。失態だ。 「なら……説得します」 ありふれた答えに聞こえただろう。彼女の、更に上がった口角を見なければ。 「ほう」 気を引き締め直して、ポーカーフェイス。でも相槌を打ってしまった。 「色々と使って、『これだけやっても人間は死なないんだ』って」 淡々とした声が部屋の空気を、柔らかく震わせた。ボールペンを取り落としそうになるのを、すんでのところでこらえる。 「それでもまだ死にたいですか? と」 彼女の瞳が暗くなった気がした。 耳にした事がある。人は喜びを感じると瞳孔が広がるのだ、と。 その逸話と『色々と』というぼかされた何かに、背筋が、ぞわっと戦慄に撫で上げられた。 女性がタイトスカートに包まれた脚をおもむろに、最小限の動きで組んだ。視線が意思から離れて、一瞬誘導されてしまった。これも失態だ。 バインダーで彼女の下半身への視線を、物理的に切った。そして咳払いを一つ。 「それでその人物が望んだら、どうしますか?」 自分の声がかすれている。一瞬で喉がカラカラになっていた。 彼女が、歯を見せて笑みを深くした。その口から吸われる空気の擦過音すら聞こえた気がした。 私は完全に主導権を握られている事に気づいた。試す側だったはずが、いつの間にか試されている。 「その時はちゃんと叶えて差し上げます」 彼女の呼吸で会話が進む。絞り出して飲み下す唾液が硬い。 「だって『心から』の望みを叶えて差し上げるのは、最高の親切じゃないですか」 これ以上の慈愛に満ちた笑顔を、私はいまだかつて見た経験が無い。 「ふふ。こんな答えでよろしかったかしら」 彼女の言葉に、私は呆然としていた事に気づく。 「は、はい。ありがとう、ございました」 あえて頭を下げて礼を言った。これ以上見ていてはダメだ、という正体不明の危機感から。 女性が席を立つ。頭を下げたままの私の脇をすり抜けて部屋を出ていく。 とんだ『本物』に出くわしてしまった。

冷たい冬

もうすぐ冬がくる。 寒いのは苦手だけれど、家族とこたつで暖まるのは嫌いじゃない。みんなで他愛もない話をして盛り上がるのが楽しい。 そろそろ雪が降りそうだ。 雪かきは大変。あんな小さな雪も積もればとても重い。塵も積もればなんとやら。 年が明けたらみんなで初詣に行って、美味しいおせち料理を食べて、買い物もたくさんして、年明けの特番を観て・・・・・・ 不意に涙がこぼれる。 失って初めてその大切さに気づくものがある。 今しか出来ないことがあると知った。 何気ない日々が幸せだと知った。 家族って本当に大切だと知った。 でも知らなかった。 失ってからでは遅いという事を。 僕は一人でおせち料理を頬張る。 一人で雪かきをする。 一人 一人で初詣に行く。 そして1人で泣くんだ。 空の上にいる家族を思って。 もうすぐ冬がくる。 寒くて凍え死ぬような冬が。

I昼下がりの面談

「おや、珍しく時間通りに来てくれたねぇ」 面談室の無骨な鉄扉を開けると、担任の先生の不気味な笑みで出迎えられた。 「流石の僕でも遅刻しませんよ。初めての個別面談ですし」 後ろ手で扉を閉めると、椅子と長机だけの殺風景な密室は完全に外界と遮断された。 昼休みの喧騒が、水に潜った時のようにくぐもって聞こえる。 進められるまま椅子にかけ、浅く腰掛ける。先生は、満足したようにゆっくり二つ頷いた。 「それで、話題はなんですか?僕の成績?あるいは生活態度?」 三教科(現代文以外だが)で基本8割以上の成績を収めている僕を褒めたいのか、掃除をサボったり遅刻したりが多い僕を叱り飛ばしたいのか。十中八九そのどちらかなので、先手を打って聞いておく。 「いや、残念ながらどちらも間違いだ」 ねっとりとした声の、否定。 間違えてしまった。僕が、どうして? 一瞬、いつかの「絶望感」がフラッシュバックする。 太ももに爪を立てて、なんとか意識を現実に留める。 何が可笑しいのか、先生の唇の端には笑みが浮かんでいた。 考えてみてくれたまえ、と眺められてもわかるはずなかろう。 次の言葉を待つが、先生は頬杖をついたままニヤニヤしているだけだ。 何も思いつかない。動悸。期待を裏切ってしまう。動悸。嫌だ、嫌だ。動悸。 居心地の悪い静寂。心臓ばかりがどくどく脈を打っている。 学ランを着込んでいても這い上がってくる寒さに、僕は左手をポケットに突っ込んだ。 常備している英単語帳の感触とカイロの温もりが、指の腹に帰ってくる。 先生が、口を開く。 「はーい、センキュー。シンキングタイムしゅーりょー」 授業とまったく同じノリ。答えられなかったと言う悔しさに、耳元に垂れた髪を引っ張った。 痛みと共に数本の髪が抜け落ちる。 「よし。まぁこればかりはわかるはずないよ」 予習すればわかる、とか言う話でもないもんな。という先生の言葉で、しかし気は休まらない。 期待を裏切った気がする。 「正解は……頼み事だ。ソラに勉強させてほしいんだ」 黄ばんだ壁に反響した妙な「正解」が、鼓膜を大きく震わせた。 ソラ───楠木空は、所謂「三軍」の人だ。休み時間は寝るかライトノベルのページを捲るか。 よほど授業中に指名されなければ、言葉を交わすこともなく、学校での1日を終えてしまうようなひとりぼっちの人。 まぁ、彼に勉強させたいと言う先生の気持ちはわからなくもない。 出席番号が前後(僕の苗字が栗松なのだ)の関係で彼の成績を見たことがあるが、まあ、言い方は悪いが酷いものだったから。 しかし。疑問が一つ、頭を擡げる。何故、先生はこれを僕に頼んだんだ? 僕と彼には、「クラスメイト」いう繋がり以外ほとんど接点がないというのに。僕の気持ちなどお見通しだ、と言うように先生は言う。 「出席番号順で席に座った時、前後だからだよ。それ以外で君を抜擢した理由は、特にない」 なるほど。成績やコミュニケーション力などの「能力」への期待の元での頼み事ではないのか。 嬉しいのか、寂しいのか、何かが足りないような感覚。よくわからない感情。 ドクン。心臓が大きく鳴った。 要件はこれで終わり、頼んだよ、という先生の台詞で面談は呆気なく終わった。 さて。これを達成すれば、先生に期待されるだろうか。 先生の笑顔に見送られて肌寒い面談室を去る間際、僕はそう思った。

あなたへ

 あなたへ    元気ですか。  わたしは元気です。    あなたと離れて、どれだけの時間が経ったでしょう。    あなたとわたしは、きっと二度と交わることはないのでしょう。  あなたとわたしは、きっとそういう運命なのでしょう。    あなたは、きっと後悔したことでしょう。  わたしは、きっと後悔したことでしょう。    しかし、現実は変わりません。    あなたは、わたしを恨んでいるのでしょうか。  わたしは、あなたを恨んでいるのでしょうか。    あなたの気持ちはわかりません。  わたしの気持ちはわかります。    ただ一つ、わたしはあなたの幸せを願っています。    二度と交わることがないとしても、わたしはあなたの幸せを祈っています。  嘘ではありません。    あなたの好きな花を、置いておきます。  さようなら。    煙が、わたしの目をくすぐった。

勝利する他人

「日本勝利ー!!」    家の中が沸き立つ。  町の中が沸き立つ。  インターネットの中では、「勝利」の二文字が踊り狂う。    喜びが喜びを呼んで、隣人にウイルスのように感染させ、日本が喜びに染まる。    が、ウイルスが出た時には常に、そのウイルスに対して強い免疫力を持つ人間も存在する。  喜びという現象を離れた場所から流れ、首をかしげる人々が。   「日本が勝ったから何なの?」   「それで景気が良くなるの?」   「つーか今日、平日だぜ?」    つまらない言葉は喜びの中に沈み、大多数の目には届かない。  独りよがりというにはあまりにも、一人の目にしか触れない。    つまらない言葉を吐いた一人は、ベッドの中で目を覚ます。  いつも通り起きる。  いつも通り顔を洗う。  いつも通り朝食をとる。  そしていつも通り、仕事へ向かう。    今日の雑談は、日本勝利一色だろうと駄目息をつく。    同調圧力を嫌悪する大多数も、この日ばかりは見当たらない。  嬉しいことや目出たいことは同調圧力があってもいいという、無言の意思を感じながら歩いた。  揺れる電車の中で、ニュースサイトとSNSの呟きを眺め、何があったのか、何がすごかったのか、皆が興奮する点はどこかを予習していく。  まるで、北海道に行ったことのない人間が、北海道の観光地の素晴らしさを語る練習をしているような気分だなと、その一人は自虐する。   「よー、勝ったな!」   「日本勝ちましたねー!」   「あのプレーがすごかったよな!」   「もー、ずっと起きてたから寝不足っすよー」    会社では、その一人にとって、案の定な会話が広がっていた。    今日だけは、寝不足が許される。  寝不足で、仕事のパフォーマンスが落ちても許される。  大きな他人の勝利は、小さな当事者の敗北を許させる。   「お前も見た?」   「見ました! すごかったっすよねー!」    予習した通りの言葉を返し、その一人の話は始まる。    その一人は考える。  目の前のやつらのうち、何人が自分と同じだろうか。  話を合わせるために予習した、偽り組だろうと。    だが、直ぐに思考を止める。  偽りだろうとなんだろうと、会話は現実として存在し、成立しているのだから。    真実と偽りによって、今日の日本は沸き立つだろう。  そしてニュースが、沸き立ちを真実だと報道するのだろう。    他人が勝利した日を。

思い通りに行く世界

隣の家で飼っているハムスターを預った。 1週間預ってほしいと言われたので、快く引き受けた。 だが、一向に迎えに来る気配はない。もう一ヶ月も経っているのに……。 ふと頭に浮かんだのは“飼い主をやめたい“そんなふうに飼い主は考えているのでしょうか。ある日、インターホンが鳴った。ドアを開けるとハムスターの飼い主が立っていた。 「ずっと預っていただいてすみませんでした。飼いたくなっちゃったりしました?いいですよ!」なんていうので、私は思っていることを全部行ってやりました。そうしたら、 「なんでわかっちゃったんですか!?そうなふうに思われないように頼んでみたのに……」 私は、あぁこの人は命を預かるということをよくわかっていないのじゃないかと思いました。 そのことも全部言ってやりました。 それも全部あっているというのです。自分でもわかっていたって。 私は、この時恐ろしい恐怖に襲われる日々が目の前に見えた。

独白

   二階の窓を開けると、冷気を纏った風に吹かれた。家の中は暖房で暖まっていたので薄着だったからか、余計に寒さが身に染みた。窓は結露し、見下ろした車の屋根には霜が降りている。  最近は雪が積もり、辺り一面が真っ白く染められる景色を見ることが少なくなった。  まぁ、そんなこと、どうでもいいんだけど。    ふと街路樹が立ち並ぶ道路に視線を寄越す。車のランプが淡く輝き、通行人の吐いた息が太陽光に反射して、くっきりと写し出される。  冬は嫌いだ。人々の寒さが吐いた二酸化炭素に混じって、外に出ていくから、たちまち息が白く変色するのだろう。もしも、その空気を俺が吸えば、たちまち肺が凍えて呼吸困難になり、変温動物が冬眠するかのように死んでしまう。そんな妄想に、いつからか囚われるようになっていた。  まぁ、そんなことは、ありえないわけで。ただ人々がどれくらいのため息を町中に残していくのかが目に見えて分かると、どうしようもなく虚しさや侘しさを感じてしまう。  こんなことが起きたのも、季節が冬だからか?  いいや、多分、そんなことは関係ないのだろうけど。幾分か冬のせいにしておけば、心が軽くなるから。そう思い込んでおこう、今だけは。  寒いからか、頭が冷えるのは速い。  だからこそ、時間が経てば、自然と全身に悪寒が走っていく。  ぎこちなく振り返ると、彼女が頭を垂れて眠っている。あまりにも白い肌に、寒さで青なる唇を誤魔化すための紅のルージュが一際、目立っていた。  冬にならずとも、こうなることは必然だったのかもしれない。  彼女の頬に触れるが、熱の一つも感じ取れやしない。  どうして、こうなった?    どうして……こうなった。  嗚呼、これだから、冬は嫌いなんだよ。

稼ぐ天才と使う天才

 あるところに、二人の夫婦が住んでいました。  仮に、AさんとBさんとします。    Aさんは、とても仕事のできる人でした。  毎日毎日朝から晩まで働いて、たくさんのお金を稼ぎました。  Aさんにとって、働くことが人生でした。  Aさんは、自分がお金を使うことはありませんでした。    Bさんは、とてもお金を使える人でした。  毎日毎日欲しい物が生まれ、たくさんのお金を使いました。  Bさんにとって、買うことが人生でした。  Bさんは、自分がお金を稼ぐことはありませんでした。    ある日、共通の友達がAさんに聞きました。   「あなたは、自分の稼いだお金をBさんに全部使われていますが、嫌じゃないのですか?」    Aさんは答えました。   「私は欲しい物がなくて、お金を使うのが苦手なのです。私の代わりにお金を使ってくれるBさんには、むしろ感謝しています」    ある日、共通の友達がBさんに聞きました。   「あなたは、Aさんの稼いだお金を全部使って、罪悪感はないのですか?」    Bさんは答えました。   「私は欲しい物ばかりで、お金が全く足りないのです。私の代わりにお金を稼いでくれるAさんには、罪悪感でなく感謝しています」    共通の友達は、複雑です。  共通の友達が稼ぐのは、自分のためです。  自分で稼いで、自分のために使います。  だから、人のために稼ぐAさんも、人の稼いだ金を使うBさんも、理解できませんでした。  しかし、AさんとBさんは幸せそうです。    記念日には二人でお祝いして、時々旅行もしています。    対して、共通の友達は一人です。  一人であることに困ったことはないですが、時々寂しくもなります。    そして気づきました。  AさんとBさんの生き方は、自分と違う、誰かと生きる生き方だと。  二人で一人の生き方だと。  結婚している人々は、金に限らず、喜怒哀楽を共有します。  互いができることをやり、互いができないことをやってもらいます。  得意と苦手をパズルピースのようにはめ込んで、一つの生活を作っています。   「そうか、これは嫉妬なのかもしれない」    共通の友達の心は、複雑です。  二人の生き方を納得できません。  しかし、二人の生き方を理解できました。    私は一人で生きるのが楽しい。  稼ぐことも、使うことも、自分でできる。  しかし例えば、誰かと生きるなら、自分は何を渡せるのだろう。  共通の友達はそんなことを考えながら、元の生活に戻っていきました。

食べかけのみかん

「あれ、みかんの食べかけ。雪の?」  リビングの隣の部屋、畳の上で寝っ転がっていると、 突然友人がそう聞いた。 「え? 私知らないよ」 「でもあたしだって置いてないよ」  全く身に覚えは無い。 みかんは好きだ。だからこそ忘れる訳はないと思った。  だがしかし、リビングに向かうとそこには確かに みかんの食べかけが残されていた。 「うっそぉ、私ちゃんと食べたつもりだったのに」  面白半分、そう言った。 友人も「何それぇ」と同じように笑っていた。  しかし少し気になった。 そのみかんの食べかけは、私が座っていた場所にはない。 少しだけ、仏壇の方に寄っていた。 「雪食べないの?」  笑い終えた友人が、私を見てそう聞いた。 何故か、そのみかんを食べる気にはなれなかった。  好きか嫌いかと聞かれたら大好きと答える程好きなみかん。 不思議な気持ちだった。 「あぁ、いいよ、あげる」 「えっ、いいの?」  少しだけ嬉しげにそう聞き返す友人。 うん、それだけ言い、みかんを取って仏壇の側に行った。  みかんが好きなのは、きっと家族全員だったと思う。 冬はみんなでこたつに入りみかんを剥く。 私の名前の由来は冬から連想されたものだ。  昔こそはありきたりで嫌だった名前だが、 今となっては愛おしいと思うぐらいの名前になった。 『ありがとう』  耳元でそう言われた気がした。

優しいの違い

 現代は、宅配社会だ。  自分で店舗に行かなくとも、スマホをちょっと操作すれば、欲しい物が家に届く。  服も、日用品も、食料でさえ届く。  なんて良い時代だろう。    もちろん、留守にしている時もあるが、都会には宅配ボックスという便利なものがある。  留守の時に届いた荷物は宅配ボックス預けられ、帰宅後に悠々と受け取ることができる。   「これなら、田舎にいても問題ないんじゃないか?」    生活の大半を宅配に頼り始めた頃、ぼくは昔からの憧れであった田舎暮らしを始めた。  マンションなんて見当たらず、川の流れる音と鳥の囀る音が聞こえる田舎へ。  物流は、日本全国を網羅している。  田舎にいても、都会と同じ物が手に入り、家賃は都会よりも安い。  悩む理由はなかった。    電車移動から車移動にはなったが、運転は嫌いじゃない。  むしろ、都会のように車だらけの道路でなく、空いている道路を運転できるのだ。  快適だ。    ただ、ぼくにはどうしても受け入れられないものがあった。  田舎には、宅配ボックスがなかった。   「はい、これ。代わりに受け取っといたよ」   「あ……はは……。どうも……」    代わりに、田舎には隣人が代わりに受け取るという文化があった。  最初は驚き、勝手に他人の荷物を受け取ることができるシステムに恐怖した。  クレームの一つでも入れてやろうかと、本気で悩んだ。   「お隣さんは優しい人だから、困ったことがあれば何でも言うといいよ」    が、ぼくがクレームを入れようとした内容は、田舎の世界では善行だった。  カルチャーショック。  きっとぼくがクレームを入れることは、海外旅行に行って、海外の文化に苦言を呈するようなものだろう。  どころか、クレーム先が首を傾げ、何故駄目なのかを説明する未来が容易に想像できた。  面倒だ。    クレームを入れた後、田舎ネットワークでぼくの行動が広まると、せっかく買った家に住み続けることが難しくなるかもしれない。    ぼくは、諦めた。  ここは外国なのだと、諦めた。   「はい、これ。代わりに受け取っといたよ」   「ありがとうございます!」    受け入れていこう。  優しいの定義は、人によって違うのだ。  優しいの定義は、場所によって違うのだ。  ぼくは、自分の中の優しさを、ゆっくりアップデートしていく。

酔いどれヒーロー

 我ながら、つまらない人生を送ってきたと思う。  体が小さいだけでいじめられる小学生時代。  過去いじめられていただけでいじめられる中学生時代。  すべてをリセットしたくて、少し遠い高校へと進学すれば、いじめっ子が偶然同じ高校。  俺の暗黒期は終わらなかった。    体と心が限界を迎え、俺は引きこもった。  二十歳を過ぎてからは酒に溺れ、毎日飲んで寝る生活。  この時は待っていたのは、ヒーロー物のアニメ。  現実で俺の前に現れなかったヒーローを、俺はフィクションの世界に求めていたのかも知れない。    毎日毎日の、自堕落な日々。  親に無理やり病院へ連れていかれたことで、人生は変わった。    同じ病院で何度も顔を合わせた女と、仲良くなった。  境遇も似ていて、話も合って、俺はこの人と出会うために今まで生きてきたのだと感じた。    酒を止め、仕事を探した。  正社員ではなく、有期雇用の派遣社員だったが、初の就職。  親はとても喜んでくれて、回らない寿司に連れて行ってくれた。  もちろん彼女も喜んでくれた。   「まだまだ収入も低いけど、これから死ぬ気で努力して、家族を支えられるようになる。約束する。だから、俺と結婚してください!」   「一人で支えるなんて言わないで。私も、貴方を支えたい。私も、貴方と結婚したい!」    俺は、彼女と結婚した。  こんな屑みたいな俺でも、幸せになれるんだと嬉しかった。  人生を変えようと、本気で思った。   「あれー? ××じゃーん!!」    が、神様は、人生を変えることを許してくれないらしい。  彼女と二人で歩いていたところを、昔、俺をいじめたやつらに見つかった。  何故だ。   「へー、可愛いじゃーん。彼女?」   「嫁? うっそ、まじで?」   「こんな奴のどこがいいんだよ! 一緒に来いよ、本当にいい男ってのを教えてやるからさ!」   「や、離して!」    助けなきゃ。    助けなきゃ。  助けなきゃ。  助けなきゃ。    俺の足は、彼女がいる方向とは逆方向に動いていた、  いつの間にか、逃げていた。    去っていく俺を、彼女はどんな顔で見ていたのだろうか。  見えた気がするが、クレヨンでぐしゃぐしゃに塗りつぶされた様に、彼女の顔が思い出せない。  思い出せない。   「はあ……はあ……」    人間は、変わることができない。  できないんだ。    絶望の中、俺は、俺であることを諦めた。    目に入った酒屋に万札を置いて、酒を一本とった。  そして一気に飲み干した。  俺は、酒に強くない。    チャラリーン。    頭の中で音楽が鳴る。  ヒーローの登場だ。  BGMは、誰もが元気になるアップテンポな曲。  なんだか楽しくなってきた。  今行くぞ。    俺は元来た道を、彼女のいるだろう場所へと走った。  頼む、まだいてくれ。    路地から、うめき声が聞こえる。  なんと、悪党が彼女の服を剥がし取ろうとしているではないか。  許せぬ。  悪は、絶対成敗だ。    俺は、足元に置いてあった愛刀を手に取った。   「くらえ! 聖剣ミスティルテインの力、その身で受けよ!」    赤く飛び散るナニカ。  赤く染まる世界。    倒れ、動かぬ悪。  彼女はいない。  きっと、無事に悪から逃げられたのだろう。   「見よ! ヒーローは、絶対に負けないのだ!」    聖剣を掲げ、俺は高らかに宣言する。  勝利宣言は、ヒーローの使命だ。    ファンファンファン。    けたたましい音が近づいてくる。  ああ、きっとエンディングが始まったのだ。    ヒーローが悪を倒せばエンディング。    俺は、ヒーローになったのだ。

僕だけの特権

「ずっと君のこと――」  彼女のこの瞬間を見れるのは僕だけの特権だから。  ♦︎ ♦︎ ♦︎  一週間前、僕は教室の前でソワソワしていた。教室の中には仲の良い友達と一緒にいる彼女。彼女を囲むように友達がいる。どうしよう……。声をかけたいけれど……。彼女にメッセージを送ってみると彼女が驚いたように僕の方をチラッと向いた。友達と何か話している。話し終わったのか友達は彼女の周りから離れた。彼女は立ち上がり、僕の方へ一直線に歩いてきた。 「なぁに、たーくん」  ドアを開けるのと同時に彼女が言う。 「来週の花火大会、里奈と一緒に行きたいな……って」 「もちろんだよっ」  そのまま彼女は飛びついてきて、僕の首に腕を回してきた。僕も彼女の背中に手を添える。その手を徐々にずらして腰のほうまで持っていくと服の上から彼女の細い身体を味わえた。 「だめだよ、こんなとこじゃ……」  彼女が僕の耳元で言う。少し吐息の混じった声。肩に顔を埋める。……服にメイクがつくだろ……と思うが黙っていた。髪を撫でるといつもの匂いがした。 「あとで……ね」  彼女はそのまま僕から離れた。顔が真っ赤だ。自分でもわかっているのか、パタパタと手で顔を仰いでいる。 「じゃあ、この講義終わったあと迎えにくるから」 「……ん」  彼女はまた教室に戻っていった。すぐに彼女をさっきの友達が囲む。ニヤニヤしているから今頃は僕の話でもしているのだろう。僕は足音を立てないようにそっと離れた。  ♦︎ ♦︎ ♦︎  そして今に至る。僕の隣には彼女がいる。おそらく今日のために買ったであろう浴衣を着て花火をじっと見ている。彼女とは付き合って二年が経つが、初々しすぎていまだに付き合いたてのカップルのようだと周りからよく言われる。仕方がない。彼女は僕になかなか心を開かなかった。ずっと警戒をしているような。最近になって彼女の方からいちゃついてくるまでになったのだ。  高校生の時に見つけた、誰もいないところで花火を見ることのできる場所。そこに彼女を案内して二人でくっつきながら花火を見る。彼女は僕の肩に頭を乗せている。風が吹くたびにフワッと彼女の匂いとバラの香りがする。今日は香水もつけて来たみたいだ。 「ねぇ、たーくん」 「ん?」 「一緒に花火見れて嬉しいな」 「突然どうしたんだよ」  彼女の方を見ると、顔に照らされた花火の影に光るものが見えた。 「ううん、何でもない」  可愛い彼女の笑顔も、少し赤い顔も、嬉しそうな顔も、悲しい顔も、全て僕のものにしたい、と思った。……いつもそうだ。自分のものにしたくなる。僕にだけ見せる顔を見たいと思ってしまう。  そう思った瞬間、僕の体は動いていた。  彼女を押し倒す。  彼女の両手首を片手でおさえた。  彼女は驚きつつも恥ずかしそうに顔を横に向けた。 「……ここで……?」  彼女の言葉には答えず、僕は胸元から携帯用ナイフを取り出した。  そのまま彼女の胸元めがけて突き刺した。刃が入っていく感触。……何度目だろうか。ここに来るのも。ここで殺すのも。この日に殺すのも。けれど、そんな思いも彼女の顔を見て全て飛んでしまった。  痛くて歪んでいる顔。僕の一番見たかった顔。 「ずっと君のこと――」  彼女のこの瞬間を見れるのは僕だけの特権だから。  僕は巾着からスマホを取り出して電話をかけた。自分にだけ見せる顔を見るために。 「あ、夏実? 今どこにいるの? 花火大会? 奇遇だね。俺も今いるんだよ。会わない?」

観測気球

 胸に研修と書かれたプレートを付けた二人が,銷魂しきった目を虚空に彷徨わせていた.  会議室の一角.テーブルの上には万万千千のダンボール箱とその中に不遑枚挙な用紙が詰められていた. 「…この量を…二人で…?」 「明日の朝までには終わるだろ」 「いやなんで徹夜前提で話してるのよ!?」  上司にでも頼まれたのであろう,資料綴り作業.衆寡不敵.こういう時こそ人海戦術で成し遂げればいいものを. 「じゃぁ,このホチキスを使って」 「ちょっと待ってよ」 「何?」 「ホッチキスでしょ?」 「ぇ?」 「ホッチキスでしょ?」 「どっちでもいいよそんなの.とりあえ…」 「どっちでもいい!?そういう態度,よくないと思うな!よくないよ!ぅん!」 「分かった,分かったから.じゃぁ,このホチキッスを」 「ホッチキス!何!?ホチキッ…す?は、ハレンチよ///」 「ナニイッテンダオマエ」  顔を紅潮させている相方に冷たくツッコむ. 「そもそもステープル機能を使っていれば,こんなことしなくて済むのに…」 「まぁ確かに,こんなことで残業するなんて烏滸の沙汰だよね」  そう言いながらホ,もとい,ステープラーを相方に渡す. 「じゃぁ,ちゃっちゃとやっちゃいますか」 「やっちゃいましょう」  ガッチャン…カッシャン…カッチャン…  軽快で単調でリズミカルな音が弾む.  無駄話もせず,海底撈月にならないよう,効率よく動く.  カッチャン…カチカチ… 「ぁ、芯がなくなった.補充補充」 「私のもそろそろ」  ガッチャン…バチバチッ!! 「いったぁぁぁっ!?」  本来ステープラーからは出てこないエレクトリックな音が響いた. 「な,何これ!?」 「芯がなくなったら静電気が流れて教えてくれる機能をつけた試作品だけど」 「…………は?」 「芯がなくなったら静電気が流れて教えてくれる機能をつけた試作品だけど」 「さっき聞いたわ!?どういうことなのか説明してよ!?」 「新商品のモニタリング?」 「そんなの聞いてない!」 「言ってないもん」 「なっ!?」  実益と実害,遊興と真摯,敲氷求火に考えないと屠竜之技である.

愛と狂気のミックスジュース

 好きな人と、ニ十四時間一緒にいたいと思うことは異常だろうか。  寝る時もお風呂の時もトイレの時も、指一本とて離れたくないと思うことは異常だろうか。  君だって、好きなぬいぐるみを肌身離さず持ってるじゃないか。   「ねえ、答えてよ?」    お風呂場の中で、苦しそうにもがく彼氏の妹。    ――お兄ちゃんに付きまとわないでください!    なんて、二人の愛を引き裂こうとしたから、ちょっと痛い目を見てもらった。  たとえ愛する彼氏の愛する妹だって、許せないこともある。  妹なんて、所詮は肉親への愛情だ。  血の繋がりが、脳に錯覚を指せているに過ぎない。  しかし、彼女への愛情は、本物の愛情だ。  まったく違う場所で、まったく違う生活をしてきた赤の他人が、見初め合い、一緒になる、ゼロから作り上げる本物の愛情だ。  肉親への愛情など、彼女への愛情の前には小さすぎる。   「答えろ答えろ答えろ」    彼氏の妹の顔を、浴槽に張った水に叩きつける。沈める。    ザバン。  バシャン。  ザバン。  バシャン。  何度も何度も。   「答える気になった?」   「う……うぅ……」   「私って、そんなに変なの?」   「……貴女は……異常よ」    ザバン。  バシャン。  ザバン。  バシャン。   「私は変じゃない!!」    血飛沫のように舞う水飛沫。  もしもこいつが彼氏の妹じゃなければ、本物の血飛沫だったのに。  彼氏を奪う人間は許さない。    ただの高校の同級生も。  バイト先の先輩も。  夜の店の嬢も。  彼氏の心にちょっかいをかけてくるやつなんて、みんなみんないらない。  彼氏の中には、私だけがいればいい。    気を失った彼氏の妹を、水から引っ張り出して、浴室から引きずり出す。    痛い痛いと喚くが、私の心の方が痛い。  部屋に戻れば、鎖に繋がれた彼氏が妹の姿を見て青ざめる。  優しいでしょ。  ちゃんと、生きてるよ。  彼氏がガムテープごしにウーウーとうなるので、ちゃんと耳を澄ませた。    ――ありがとう。    ――ありがとう。    ――ありがとう。    ――妹を生かしてくれてありがとう。    だってさ。  えへへ、褒められちゃった。  私の彼氏は、世界一やさしい。  で、そんな彼氏に選ばれた私も、世界一やさしいの。    えへ。    おっと、世界一が二人もいちゃ、おかしいかな。  ううん、全然おかしくない。  だって、私と彼氏は、一つだから。  私は彼氏だし、彼氏は私だ。  相思相愛って、そういうことだもんね。    私は、妹を机の脚に縛り付け、彼氏に近づき、その服をゆっくりと剥いていく。  ああ、綺麗な体だ。  最近筋肉が落ちてきているけど、それでも美しい。  今日の晩御飯は、鶏むね肉にしようかな。    私の冷たい手が彼氏の胸に触れると、ジンと熱が伝わってくる。  彼氏の鼓動が伝わってくる。    ドクン。  ドクン。  ドクン。    彼氏の胸に、私の胸を押し付ける。    ドクン。  ドクン。  ドクン。    鼓動が同期する。   「ふふ、嬉しいなあ。私と貴方、今、おんなじ気持ちなんだろうね」    私は今日も、彼氏と一つになる。

この恋だけは諦めきれないんだ。

 今日もいつもの君だった。今日もいつもの僕だった。会話も表情も仕草も、普段と変わらない一日。それが愛おしいと、それが何より大切だと誤魔化し続けてどれくらい経っただろう。一歩踏み出そうとすることがこんなに怖いことだとは思わなかった。  初めて出会った時は、ただの他人に過ぎなかった。偶然同じ大学に通って、同じ授業を受けているだけの人。だけど、運命の日は突然訪れた。学校ではおなじみのグループワークの時間。人とのコミュニケーションに消極的な僕にとって、こういう時間は何より億劫だった。早く終わらないかなんて後ろ向きなことばかり考えていたその時、「よろしくね」と後ろから声をかけられた。何の変哲もない普通の挨拶。そのはずなのに、振り返った途端に僕の心は奪われてしまった。栗色の長い髪、切れ長で凛とした目、くっきりとした鼻立ち……見たこともないような美人が、にこやかに微笑んでいた。それからというもの、君という存在が僕の意識から離れることは一度もない。授業で会う度に、食堂で会う度に、距離感が縮まっているのを実感しながら眠りにつく日々だ。その姿が網膜に焼き付いてすらいる。  そんな君が、近々誰かと付き合う。サークルで知り合ったどこの馬の骨とも知らない男。何の冗談だ。そんなぽっと出の男のものになるくらいなら、付き合いの長い僕の方がいい。あの日以来直接会話をしたことはないし、入ってくる情報も全部盗み聞きだけど、自分なりに一途に誠実に想ってきたつもりだ。この気持ちは本物だ。だからもう少しだけ待っていてくれ。

幼き日の

12月4日 家の近くの川も 今日は 落ち着いているなり 急に寒くなった 誰かの傷を さらに 痛めるかのように

健忘症

 幼馴染が俺の事だけを毎日忘れてしまうという奇病に罹った。今までの記憶も知識も何も失われていないのに、一度眠ると俺の事だけを忘れてしまうらしい。  今日も幼馴染が扉を開けて研究室に入ってきた。 「誰だ。お前は」  毎日、俺を見て幼馴染は同じことを質問する。 「あなたの恋人ですよ」  俺が答えると、体をまっすぐに伸ばして固まって動かなくなってしまった。面白い。 「冗談ですよ」  と、俺が言うと顔を真っ赤にして怒る。  次の日、また幼馴染が扉を開けて研究室に入ってくる。 「誰だ。お前は」 「生き別れた、あなたの弟です。会いたかった姉さん!」  俺が言うと。涙を流しながら幼馴染が感動して抱き着いてきた。あまりにも流されやすすぎて、心配になる。頭大丈夫だろうか。この人は。  頭は良いのに悪いのだ。昔から。  俺は今日も研究室で幼馴染を待つ。今日も、幼馴染と出会うために。

恋愛学振

 実験室の扉がするりと開く。金木犀の香る外気とは違い、季節の色のない、人工的な風が吹き込んでくる。  でも、先輩の声を聞くと、いつも春のような気持ちになる。名前を呼ばれただけで私の体温は少し上がり、胸がとくんと動いた。  手に持っていたガラス器具をその場に置くと、半開状態のガラス窓を引っ張って閉める。さも熱心に実験をしていたように真面目な表情を作ると、先輩に向きなおる。  フードのついた白いスウェットに身を包んだ先輩は、へらりと笑って頭をかいた。 「ダメだった」  先輩はため息をついて目を伏せる。長いまつげが色白の顔に影を落としている。  先輩と出会ったのは一年前だ。  私の通う大学は国内有数の国立大なので、全国各地から学生が集まってくる。先輩もその一人で、地元の大学を卒業した後、修士課程からこの大学にやってきた。当時学部四年生だった私は、先輩と同じタイミングで研究室に配属されたため、「俺はM1だけど研究室一年目なんだ」と話しかけられたことを今でもよく覚えている。  先輩は優秀だった。教員たちも皆、一目置いていたように思う。  豊富な知識に満足することなく常に勉強し続け、教員や他の学生との議論も理路整然としたものだった。そして何よりも昼夜休日を問わず実験する、熱意と体力を兼ねそろえていた。分野にもよるが、実験系は実験量がものを言う世界だ。ほとんどの実験が無駄になる。でも実験しなければ結果は出ない。  そんな先輩のことだから、当然D進、すなわち博士課程に進学するものだと思っていた。実際、他の修士二年の先輩たちが就職活動に勤しんでいても、先輩は動く気配を見せなかった。だから、六月になって急に面接を受け始めたときは驚いた。それと同時に、私はひどく悲しかった。 「DC1が取れなかったら就職しようと思う」  博士課程の学生に向け、国から生活費と研究費が与えられる制度がある。ただ、希望者全員というわけではなく、これまでの実績や研究の展望などを書いた申請書をもとに審査される。 「でも、仮に通らなくてもD進することはできますよね、そりゃ通るに越したことはないですけど」  私の身勝手な反抗に、先輩は悲しそうに笑った。学部でも修士でも奨学金を借りていたため、これ以上は増やしたくないのだという。 「奨学金なんて、借金のお洒落な言い方にすぎないからね」  吐き捨てるように言った先輩の姿が目に焼き付いて離れない。 「D進するの?」 「いいえ」 「もったいない、ドクター行けばいいのに」  冗談なのか、本気なのかはわからなかった。いや、悔しさややり切れなさを隠したかっただけかもしれない。  じきに十月になる。私は他の同期と同様、就職活動をするつもりだった。企業説明会はおろか、すでに本選考の受付が始まっているところもある。  これまでどのようなことに最も力を入れて取り組みましたか?  エントリーシートのそんな質問に対し、なんと答えればよいのだろう。研究以外何も浮かばなかった。でも、研究だけはどうしても書きたくなかった。 「実験も頑張っているし、現時点でそれだけ成果があれば十分すぎるくらいだよ」  この人は何もわかっていない。  夜遅くまで実験をするのは、あなたの姿を一秒でも長く見ていたいからだ。  研究について意見交換をするのは、あなたと話したいからだ。  論文を書いたのは、あなたに認めてもらいたかったからだ。  先輩の実験を手伝ったのは、あなたの隣に自分の名前を載せたかったからだ。先輩に成果を上げてもらい、来年も研究室に残ってほしかったからだ。  そこに、科学の深淵を覗きたい、という探求心などかけらも存在しない。あるのは、不純な動機だけだ。 「でも、まあ、これで良かったのかもしれないな」  先輩は「彼女がいるんだ」と照れたように静かに笑った。  全身の血の巡りが止まったようだった。右手で左手をつかむと、氷のように冷たかった。  先輩は手を伸ばせば届くほどの距離にいる。でも、届かない。 「学生のままじゃ待たせることになるし」  息の仕方をようやく思い出し、肺の空気を押し出すように口を開く。 「……彼女さんの親御さんも、その方が安心でしょうね」 「俺、彼女の親からよく思われてないからなあ。プータローだって」  諦めたように笑う先輩に、私はどう返せば良いのだろう。一緒に笑い飛ばしてほしいのだろうか。それとも寄り添って同情してほしいのだろうか。  初めからわかっていた。私はあくまでも研究室の後輩でしかないのだと。  だから、すべてこれで良かったのだ。 「先輩」  私は唇の端を持ち上げた。律儀で優しくてどうしようもなく馬鹿な先輩は、私を見て首を傾げる。  だからどうか、私の方は向かないで。愚かで惨めな私の方を向かないで。 「ご内定、おめでとうございます」

流星ラブレター

 今日も、織姫様は機を織ります。  毎日毎日、カタンコトンと機を織ります。  織姫様の織った衣は神々にも好評で、織っても織っても仕事は終わりません。  織姫様の手は、常に痛んでいます。  それでも織姫様は、機を織り続けます。    手下の女は尋ねました。   「織姫様。どうして織姫様は、毎日機を織るのですか?」    織姫様は答えました。   「毎日機を織れば、七夕の日が晴れるからです」    今日も、織り姫様は天の川の畔へ向かいます。  毎日毎日、手紙を中に入れた瓶を川に流します。  瓶は、キラキラと輝きながら、川の水に流れてどこかへ行きます。  織姫様は、常に川に瓶を流します。  晴れの日も曇りの日も雨の日も、瓶を流し続けます。    手下の女は尋ねました。   「織姫様。どうして織姫様は、毎日瓶を流すのですか?」    織姫様は答えました。   「毎日瓶を流せば、一つはあの人の元に届くからです」    手下の女は、織姫様に軽々に質問ができません。  なので、自分と同じ手下の女に、同じ質問をしました。  その女は、織姫様に仕えた時間が最も長く、織姫様のことを誰よりも知っていて、誰にも内緒よと言いながら話してくれました。        織姫様には、罪があります。  昔々、彦星と呼ばれる少年と恋仲になって、織姫様は機を織るのを止めました。  織姫様の織った衣を待つ神々よりも、愛する人を選んでしまったのです。  そして、神々の怒りを買いました。    彦星は地上へと落とされて、天に住まう織姫様から引き離されました。    しかし、神々も悪ではありません。  毎日機を織り、神々のために衣を織るという仕事を続けるならば、一年に一回、七夕の日に彦星と会わせてくれると約束しました。  その日から、織姫様は毎日毎日機を織りました。  ただ、彦星との再会を願って。    一年後、織姫様と彦星は天の川の畔で再会し、愛の言葉を交わしました。  夜の間の、たった半日。  当然、愛の言葉は伝えきれませんでした。  機を織っている間にも、彦星への愛の言葉は止まりません。    だから織姫様は、手紙を書くことにしました。  愛の言葉を手紙に綴り、瓶にいれて、天の川へ流しました。    天の川の先には、天があります。  天に放り出された瓶は、キラキラと輝く流れ星となって、地上に降りました。    さらに一年後、織姫様と彦星は天の川の畔で再会しました。  彦星は、織姫様の愛の言葉をきちんと受け取っていました。  彦星の一年分の愛は彦星の持つ手紙に綴られ、織姫様と彦星は、一年分の愛の言葉を交わしました。    織姫様は、彦星への手紙を書くことを続けました。  天の川で会う日に、一年分の愛の言葉を交換できるように。  毎日の幸せを交換できるように。        地上から見上げた夜空には、今日も星が流れます。  それは、織姫様から彦星に向けたラブレター。  織姫様の、会いたいという願いを込めたラブレター。    人々は、今日も流れ星を見つけると、祈りを捧げます。    祈りと祈りが合わさって、流れ星は一層キラキラと輝き、夜空を彩るのです。

絶対的感謝

「ありがとうな、俺の宿題やってくれて」 友人のPが言った。 「全然、構わないよ」 僕が返した。 「ありがとね、日直代わってくれて」 クラスメイトのAが言った。 「大丈夫、慣れてるから」 僕は返した。 「ありがとう!体育倉庫に運んでくれて」 体育科の先生のSが言った。 「はい…またいつでも」 僕は言った。 「ありがとよ、掃除当番代わってくれて」 先輩のHが言う。 「はい」 僕。 「マジありがとー。おかげで助かったよ」 友人の彼女Iの言葉。 「うん」 ぼく。 「いつもありがとう。最高だよ」 大親友のR。 「……………」 ボク。 いつかの朝、僕が登校すると教室にはIを筆頭に大勢のクラスメイトが僕を見ていた。吐き気がする。 「ありがとう!!お前は最高のPASHIRIだよ!」

はだかの女王さま

「愚か者には見えない布、とな?」  煌びやかな謁見室に、麗しき女王の涼やかな声が響いた。繁栄を極めたこの大国の、うら若き麗しの女王は、水を纏ったかのような水色のサラサラ流れるようなサテンのドレスを身にまとい、真珠の髪飾りを気怠げな真昼の光に輝かせていた。まるで神話の如き美しさを持つ女王さまは着飾ることが大好きで、同じ服に二度袖を通すことはないと言われている。  事実、彼女は豪奢なドレスをぬいだらそのまま女官にくれてやっている。だから彼女の世話係になりたい女は数知れずだ。毎日の様に新たなドレスを発注する彼女に、ある日やって来た商人はなんとも不思議な話をした。 「ええ、左様ですございます。  賢く素晴らしい者のみが見ることができるのです。  しかしこの世で最も美しい布なのですよ!  ぜひ、女王様にお召しいただきたく、馳せ参じました」  そう言うと、男は下男につづらを開けさせた。 「こちらです! ご覧ください、この美しさ! この世に二つとない、恐ろしいほどの美しい布を!!」  商人は布を持ち上げ、興奮も露わに同意を求めた。  ――しかし、人々の目に映るのは、商人の手のみ。 (何も見えんぞ?  大体そんな布、あるわけがなかろう!)  忠臣である将軍は、その商人供を捕らえさせようとした。  しかし―― 「いやあ! 全く美しい布ですなあ!!  いやー素晴らしい!」  と、大臣が言った。  (え!? 見えてないのは私だけなのか……?)  しかし、次の言葉に全員が反応することとなった。 「いやー、この布で作ったドレスをお召しになった女王様はさぞかし麗しいことでしょうな!」  この服を女王陛下が着るのだ。  この愚か者には見えない布で作った服を。 「確かに、全く素晴らしいですな!!  美しさが更に際立つでしょう!!」 「誠に誠に!!」 「世界で一番美しい布です!!」  他の者達も口々に布を褒め称え始めた。  すると女王はにこやかに笑った。 「そうかそうか。  ならば下着も全て作らせようか」  一斉に熱のこもった賛成を表明する一同。  (愚かで良かった!!!  他の者には見えるのであれば、何も問題はないだろう。  私は愚かだから、一糸纏わぬ女王陛下の肢体が見えてしまうだけで……ぐふふふ)  ベタ褒めに女王陛下は気を良くしたのか、商人にドレスを注文した。 「特別な注文もあるでな、後から使いを向かわせよう」  機嫌良さげに、女王は商人を城に滞在させた。  そして、そのお披露目に、街中でパレードをすることを決定した。  将軍は一瞬、もしかしたら自分以外も布が見えない者がいるかもしれない、と不安に思った。  しかし、どうしても誘惑には勝てなかった。 (まあ、これだけの人数が見えるのだ。  そんなに心配はいらないだろう)  みんなが待ち望んだ日がやってきた。  女王陛下のドレスができたというのだ。  ドレスをお召しになった女王陛下を今か今かと待ち構えていた一同に、女王陛下のお成りが告げられる。  胸の高鳴りを必死で抑えつつ、頭を下げて女王が着席するのを待つ一同。 「面をあげよ」  の、声に勢いよく顔を上げた一同の目に、なぜかドレスを纏った女王陛下が映った。  (何……!? 愚かが治ってしまったのか!?  こんな時に限って……!!)  しかし、よく見れば商人が盆をささげ持っている。  大きな盆は、女王陛下に捧げ物をする時の盆だ。 「ドレスをお持ちいたしました。  いかがでしょうか? 素晴らしい傑作でしょう?」  商人の自信満々な声に、これから着るのかと心底安堵し、一同は口々に褒め称えた。 「いやー誠に素晴らしいですな!!」 「今から楽しみで楽しみで……」 「早く、お召しになられては」  口々に着用を催促する一同に、女王は告げた。 「そうかそうか。  皆も気に入ったか。  実はな、皆が非常に気に入ったようだったのでな、全員分の衣装を下着から作らせたのだ。  パレードにはそれを着て参加してもらおう。  商人、仕立て屋、お主らもじゃ」 「「「え!!!」」」  女王の言葉に驚愕を隠せない一同。  更に女王は言った。 「それから、私の分はなしじゃ。  愚か者に見えぬのであれば愚か者供に妾の体を晒すことになるのでな。  それに、妾にも女官達にも何も見えぬのじゃ。  妾達はどうやら愚か者らしい。  愚かでないお前達で堪能するが良いぞ」  真っ青になった商人も、将軍も、しかし今更嘘でした、という事も出来なかった…… 「こら、人参を避けないで、ちゃんと食べなさい!」 「いや、俺腹痛くなってきて……」 「何言ってるの!  嘘をつくと『愚か者にしか見えない服』を着せるわよ!?」  故事に習った、戒めの言葉である。

人類洗濯の選択

 かつて、唯一神たるヤハウェは、堕落した人間を創造したことを後悔し、大洪水によって全てを滅ぼした。  その際、救う価値があるだろうノアという少年だけを箱舟に残し、生かした。    時は流れ、現代。  大洪水の恐怖が、世界に再び訪れていた。  ノアの血を継ぐたった一人の少年が神の住まいに呼び出され、選択を与えられた。   「ノアの血を継ぐ者よ。選べ。人を、どうするか」    ノアの子孫は、目の前に置かれている、洗濯機を見た。   「すみませんヤハウェ様。ぼくには洗濯機にしか見えないのですが」   「人類を選択するのだから当たり前だろう」   「当たり前なんですかねえ!?」    それは、真っ白な縦型洗濯機。  洗濯機の上部には、いくつかのボタンがつけられている。    標準。  お急ぎ。  おしゃれ着。  室内干し。   「ヤハウェ様、いくつか質問してよろしいでしょうか」   「なんだ」   「この標準コースを押すと、どうなるのでしょうか?」   「前回と同じだ。天の水門からの雨と、とても深い泉の水を使って、百五十日間地上に洪水を起こす」   「はあ……。では、お急ぎコースの場合は?」   「虹の川の水と空に溜まる水の塊も使って、五十日間の洪水で終わらせることができる」   「なんのために!?」   「百五十日も見守る時間がない時のためだ。洗濯後、地上に海の割合が増えることにはなるが、まあ大丈夫だろう」    ノアの子孫は、困り顔をした。  洪水によって人間を滅ぼす恐怖を前に、ではない。  どのボタンを押せばいいのか、混乱してきたからだ。   「では、おしゃれ着コースというのは?」   「一部の美しい人間を箱舟に乗せて生かし、それ以外を流す」   「ちなみに、その場合ぼくはどうなりますか?」   「世の中には、知らぬ方が良いこともある」   「あー! これ、ぼく流れるやつだ!!」   「……」   「では、室内干しコースというのは?」   「洪水の後、太陽の力を強くして、地上から水をなくすのを早くするコースだ。無理やり蒸発させるから、地上に妙な臭いが残るのが難点だがな」   「うあああ……。これ、ぼくが選ぶのか……」    ノアの子孫は、頭を抱えた。  洪水によって人間を滅ぼす恐怖を前に、ではない。  どのボタンを押せばいいのか、混乱してきたからだ。   「いいや、決めた」    が、さすがはヤハウェに認められた少年の血を継ぐ者。  混乱を自制し、冷静に頭を回転させ、洗濯機の前に立つ。    そして、洗濯機の電源ケーブルを、コンセントから抜いた。   「ぼくは、今の世界が大好きです! もう少しだけ、様子を見てはもらえませんか!」    洪水を起こすべきとの考えに傾いていたヤハウェは、ノアの行動が自分の意思にそぐわなかったことに少し不満げではあるが、今回の判断をノアの子孫へと委ねると決めていた。  自分が自分に課した決定は、覆さない。   「よかろう」   「ありがとうございます、ヤハウェ様」   「だが、このまま人間が堕落を続ければ、私は今度こそ洪水を起こすだろう」   「承知しております」   「具体的には、今の洗濯機が壊れて、新型洗濯機が届いたとき、再びジャッジする」   「頼む! 配送業者遅れてくれ!!」   「今度は、ドラム式洗濯機にするつもりでな」   「乾さなくていいですもんね! それも洪水が起こるのですか?」   「洪水に加えて、地球が自転以外の方向へグルングルンと回り、空と地面の上下が定期的に入れ替わる。人は、空へ落ちることになるだろう」   「全身全霊をかけて、人間の堕落を食い止めさせていただきます!!」    こうして、人類は未だに生きることを許されている。

かつて神童と呼ばれたあなたへ

 小学生の頃、ぼくは神童と呼ばれた。  勉強すれば学年一位。  体育すれば学年一位。  上級生を倒すこともある。  ぼくの人生は、輝いていた。    が、中学生になって、第二次性徴したせいなのか、ぼくは凡人に落ちた。  勉強は平均。  体育は平均。  かつて下にいた同級生たちは、今ではぼくの横にいる。    ぼくにはそれが許せなかった。    勉強だって頑張った。  体育だって頑張った。  それでも、上に立つ奴らには追い付けなかった。    そして思い出す。  小学生の頃、ぼくを敵視していたやつらを。  なんでこいつらは無駄な戦いを挑むんだと、当時は呆れかえったが、なるほどこんな感情が渦巻き続けるなら、敵視もする。  やつらにとって、挑むことが一種のストレス発散だったのだろう。    そしていま、ぼくはそのストレスに憑りつかれている。    ああ、苦しい。  ああ、悲しい。  誰か、助けてほしい。    が、ぼくに負けるやつらがずっとぼくに付きまとっていたように、ぼくもこのストレスに付きまとわれ続けるだろう未来は想像できた。  だって、この悩みはかつて神童と呼ばれた人間がかかる不治の病だろうから。    思えば、やつらもまた、幼稚園の頃に神童と呼ばれていたのかもしれない。

数は力

 アメリカが一強と呼ばれていた時代は、今は昔。  中国が五カ年計画を繰り返し、GDPが世界第二位に躍り出て、アメリカに接近しようなど誰が想像しただろうか。  現代は、アメリカと中国の二強と呼ばれている。   「数は力だ」    世界には、そんな言葉が流れた。  中国が、国を持って証明した事実だ。  後を追う様に、東南アジアやアフリカの国々も着実に人口を増やし、着実に成長を続けていた。  止まったのは、かつて先進国と呼ばれた国ばかり。   「子どもを作るのは自由だ!」    至極全うな権利の主張で、至極全うに人口を減らし、国力を落としていった。    が、世界の動きとは波のような物。  国力を失い、経済が停滞し、どんどん不便になっていったかつての先進国の国民たちは、何もできなくなってきた。  遊ぼうにも、国内の遊園地はすべて潰れた。  喫茶店でお茶でもしようかと店に入れば、コーヒー一杯二千円。  外食とはつまり、高級品なのだ。  貧しい貧しい、海外のリゾート地として生かされた国。    そんな国でできる娯楽は、人がいればできること。  ちょっとした散歩。  家でおしゃべり。  家で恋愛。    結果、かつての先進国に、たくさんの子供が生まれた。  人口を増え、再び経済が動きはじめた。    人が増える先進国。  人が増える発展途上国。  地球は、人工のピークを迎えた。        そして雲の上で、神様は首をかしげる。   「おっかしいのー。世界人口、百億人以上増えない様に設計したんじゃけど、ミスったのかのー? 地球、百億人超えたら耐えられるように創っておらんのじゃがなぁ……」

俺は何か気付かぬうちに悪い徳でも積んでしまったのだろうか 人はある日突然、予想外の言葉を聞くと思考が止まってしまうみたいだ 「瞬、お見舞いの果物ここに置いておくね!」 「ありがとう、晶」 「ううん、大丈夫」 「それよりステージ4の胃がんなんて早く治して元通りに戻ろう!」 「そうだね」 「じゃあ私そろそろ行かないと、またね!」 「また、」 彼女の晶からお見舞いの品を受け取り、晶が部屋を出た後、今までのことが頭をよぎってしまう 晶と付き合って3年、同棲を始めて2年の関係。 今まで喧嘩をしたこともなければ言い合いになったことすらなく友人達からも羨ましいがられていたし悪くはなかったと思う。 ただ一点を除いて 『瞬〜服着替えさせて〜』 『瞬、ご飯作って!』 『瞬、部屋汚いよ!!』 『ねぇ、瞬』 『瞬、瞬、瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬瞬』 目から一筋の涙が溢れ落ちてしまう 「今まで通り・・・か」 「俺、何してんだろ」 そう、彼女は俺が居ない何もできないのだ 睡眠も食事もましてや着替えさえも、 「やりたいこともなかったし、丁度いいのかもな」 そこから二週間後俺は死んだ 勿論、彼女は泣いて悲しんでいたが丁度良かったのかも知れない 彼女をこんな風にしてしまった俺にも責任はあるので、地獄からでも見守っていようと思う 彼女から俺という癌が摘出されて良かった

独身課税

 二○☓☓年二月。あまりにも突然の発表だった。 「速報!速報!」 新聞記者が紙面を配る。多くの人が何事かと視線を向けるも、紙面を受け取る人は少ない。なんの記事だろうと手元の端末を眺めながら人々は足早に目的地へと散開していく。 「南北独立後、初の北の国単独税法、可決」 配られる紙面の見出しに載った言葉はあまりのインパクトだった。街を歩く人たちは少しだけ驚きながらも、他人事だと言うようにその表情を戻して街を往来している。十年ほど前に突如大地が割れ、南北に国を分かつことになったこの島は、今もなお、国の垣根など些末なことだというように互いの国への往来が盛んに行われている。元々一つであり、友人家族や職場が南北に割かれたこの島国は復興時の首都問題で国を二分したが、国境など有ってないようなまま十年ほどが過ぎた。甚大な被害を受けたかつての首都を北の国の都とし、南の国では当時、臨時の首都とされた千年前の都を新たに国の中心に据えた。  国を分かつ前からこの島国は子供の出生率の低さが問題と言われてきた。財源を確保できずに増税をしては国債を抱え、物価は上がる一方。好況など、かれこれ四十年以上も前のことであり、現在の多くの労働世代は好景気を知らない。齢を重ねた国の政策を作る北の政治家たちだけが度々「私たちが若い頃は……」という過去の栄光を謳う。  子供を産み、育てられる金銭的余裕はなく、自身の面倒を見ることが精一杯。子供を産み育てることができるのは、比較的生活に余裕のある一部の富裕層という説すらある。  そんな中で出生率が、四十年ほど前の半分以下となったのだ。この四十年の歳月で人々には多様化が求められ、同性婚や結婚をしない自由も急速に広がった。政治家たちは結婚をしないから出生率が低くなるのだと、この法案を可決した。 「独身税、可決――北の国、独立後初めての単独税法」  強い反発を受けながらも、この法は強制可決された。一年後の運用開始に向けて、五ヶ月程前から多くの若者が【取り籍】をした。課税対象は成人以降であり、学生のみ免除特例がある。つまり、卒業と同時に課せられる。だからこそ、取り敢えず入籍が急増した。入籍率は統計取り始めて最多だという。  同時に【コエイコン】も増加した。恋愛を前提とした取り籍とは異なり、入籍はするが生活拠点や収入、相続などのすべてに関与しないという個人私生活守衛婚である。個衛婚のほとんとは別居が前提だ。 「個衛婚を選ぶ理由は?」  ある人は言う。 「結婚したくないんですよね」 「今はまだ、恋愛より仕事したいっす」 「趣味を謳歌したいので」  課税開始から数年、時々賛否を問われるインタビュー。そしてそんなおれもまた大差ない理由で個衛婚をした。相手とは一度だけ会ったものの、その後は連絡を取ることもなく互いに生活をして既に三年が経過した。この独身税は結婚推進課税と揶揄されるだけあって、恋愛している男女の入籍を促進したという。宴席関連の仕事をしてる友人はこの数年、多忙を極めていた。実際に出生率は倍増し、政策は成功したという。何なら個衛婚するつもりが取り籍となる人もいるらしい。 「で?付き合いたいん?」 「いや、それはない」 「即答かよ」  飲みの場でポロリと零す理由は友人の左薬指。目敏く見つけたそれに管を巻けば先の質問。冷静に否定したおれに恋愛願望はない。子供の頃憧れた好きなことを仕事にして、それに集中している今が幸せだ。そしてその幸せに恋愛も必要かと言われたら、なくても幸せだと胸を張って言える。 「ないけどさ」 「何」  結婚というものが多様化したのだといえば聞こえはいいが、恋愛はもっと違くなかったか。仕事で南の国へ行く機会の多いおれは元々同じ国の人とはいえ、元々の地域性か出張時に道端で修羅場に遭遇することがある。それを見かけるたびに恋愛は重く自由で斯くあるべしだとも思うのだ。ギイと椅子を後ろに斜めらせた。 「この国の結婚て息苦しくね?」 「そか?むしろフランクだろ?」 「恋愛ってさ、もっと自由で重いもんじゃねぇのかな」 「あー、北じゃバツイチ、バツニなんてのは当たり前だしな」  戸籍のキズなんてものは恥ずかしくもない。時代とともに移り変わる価値観の変化は存在する。月日が変える価値は多い。もう百年近く経つ他国との戦時中とは命の価値も変わった。それよりも遥か古くから手に職を持つだなんていう言葉通り、ひとつのスキルを磨く文化もあった。便利になったり、柔軟になったといえば聞こえはいいが、価値の喪失がこうも虚しく感じることがあるのだろうか。おれには分からなかった。 「たーしかに。そーかもな」  グラスに残されたビールを一気に煽ると、おれは追加の酒を頼んだ。口の中に広がるこの苦味はビールのせいだけではなさそうだ。

滝にうたれました

 南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)。  誰もが一度は聞いたことがあるのではないだろうか。    葬儀で。  法事で。  日本における死は、南無大師遍照金剛と共にある。    では、南無大師遍照金剛とはどういう意味なのか。    南無とは、帰依する。  つまり、誰かを全面的に頼ること。  尊敬すること。  つまりは「様」とつけるべき存在であると認識すること。    大師は、師匠。  あるいは先生。  尊敬すべき相手への敬称。    遍照金剛は、空海。  仏教の一種、真言宗の開祖、空海のこと。    つまりは、南無大師遍照金剛とは、空海様へすべてをゆだねますと言う意思表示。  真言宗における頂点にすべてをゆだねるとは、日本人が象徴たる天皇の言葉を信じ、素晴らしき配偶者の言葉を信じると同義であり、真言宗においては最上級と言える。    私は、目を閉じて滝の下まで歩き、殴りつけてくる滝の水に抵抗するように、叫ぶ。   「南無大師遍照金剛! 南無大師遍照金剛! 南無大師遍照金剛!」    滝にうたれ、空海に教えを乞う。  最上の知識に、知恵に、人格に、僅かにふれる。  その時間、僅か一分半。  しかし、人生で最も長い一分半。    滝から上がり、風呂上がりのように前髪をあげてみせる。    目で見た世界は、いつもより少しだけ輝いていた。

君の影武者の存在。

「ごめん、俺が好きなんだよね…?」 「しゅんくん……、どうしたの?」 私の恋人の瞬くんは私に俯きがちに異様に左下を気にし、私に顔を向けた。その顔は冷や汗を滲ませていた。 「ごめん、あかり。俺...は、富美 瞬じゃないんだ …」 「え、どういうこ…と」 私の目の前で突然、風が強く吹いた。 「香久山 あかりさん。俺は瞬さんじゃない。影のものです。だから俺にしっかり向いてくれませんか」 私は唐突の打ち明けに私はガクガクと震えた。そんなの嫌だ。しゅんくんは誰だったの……。

パラレルワールド

「パラレルワールドを観測することができる機械を発明しました」  教授が今日もアホなことを言っている。 「もしかしてそのヘッドギアですか?」 「その通り。これをかぶればあらゆる並行世界を覗き見る事ができるんだよ」  SF映画に出てきそうな大仰な被り物を持って目をキラキラさせている。本当にパラレルワールドを観測できるというなら世界的大発明である。  しかし、ただの戯言だと切り捨てられないのは教授が世界的な天才だからだ若干二十四歳にして常識を覆す様な理論や発明をいくつもしている。それの3倍ぐらいは失敗もしているのだが。 「二つあるって言う事は、俺と教授が被るんですか?」 「そうだね。世界旅行としゃれこもうじゃないか」 「副作用とかないですよね」 「……ふー」 「できもしない、口笛を吹こうとしないでください」  大きくため息を吐く。でも、結局俺は手伝うのだろう。惚れた弱みと言うヤツだ。諦めてヘッドギアを受け取って近くのソファに二人で寝転ぶ。ヘッドギアがゴツゴツして眠りにくい。 「どうして、こんな形なんですか?」 「カッコイイから」    身も蓋もない返事だった。 「どうして、パラレルワールドを観測しようと思ったんですか?」 「量子力学の中でミクロ粒子は粒子でありながら波動としても振舞うことは知っているよね」 「ええ。ミクロ粒子は観測するまでは実態の無い波動状態であり、観測すると収縮して粒子になるという話ですよね」 「ああ。それを量子力学の正統的解釈と呼ぶ。しかし、その理論に反対する意見もある。観測とは無関係に自然の事物が実在するという実在論だ」 「私が見ていなくても、月は確かにある。ですか」 「そう、アインシュタインはそう言って実在論を提唱していた」 「その話と、パラレルワールドの関係は?」 「突然だけど。私は君の事が好きらしい」  本当に突然の事に息が止まる。 「しかし、私には好きという気持ちがはっきりと理解できない。だからあらゆる世界の君と私を観測して、私が君を好きなのかを確認したい」  言葉を失う。コイツは何を言っているんだ。 「そして、観測してから初めて君が好きになるのか、観測しなくてももともと好きなのかを知りたいのだよ」  ドヤッと音が聞こえるぐらいの顔で親指を立てながら、教授が言った。 「では、いざ行かん。新たな世界へ!」  教授がいかにもなスイッチを手に持ってボタンを押す。俺はようやく呆けた状態から立ち直って言葉を口に出そうとする。 「それって結局、どちらにしても好……」  俺の言葉は結局途中で途切れて意識が持っていかれる。  本当にこの教授は人の話を聞かない。

俺様系

「ん」   「わあ、ありがとー!」    ぼくの友達は、女性に気が使える。  レディーファーストで有名な某国出身の友人がすごいのか、それとも日本がレディーファーストを理解しない文化出身のぼくがダメダメなのか。  ぼくは友人の姿を見るたびに、心の中で反省会を開いた。    そんな振る舞いもあってか、友人はモテた。  常に恋人を絶やすことなく、今の恋人と別れないかと行列ができるほどだ。   「ねえ、どうやったら女の人に優しくできるの?」  ある日、我ながら馬鹿馬鹿しい質問を友人にした。  動機は、レディーファーストを身に着けて、ぼくもモテたいというくだらないものだ。  笑われるかもしれない。  が、モテるモテないは、重要な問題だ。  ぼくにとっては。    友人はきょとんとした後、大口を開けて笑った。   「そんなこと気にしてたのか」   「ぼくは真剣だ」   「わかったわかった。確かに、日本人は女の扱いへったくそだよな。でも、特別なことはしてないぞ?」   「それでも!」    友人は、ためらいなく次の言葉を発した。   「女って、馬鹿で弱いじゃん?」   「ん?」   「そんな、馬鹿で弱い生物なんだから、俺が守ってやらねえと勝手に死ぬじゃん? そう思えば、自然と優しくできるじゃん?」   「あ、はい」    レディーファースト。  その言葉が、ぼくのなかでガラガラと音を立てて崩れた。  友人は、女性を完全に見下していた。  まるで、ペットのように、弱い生き物だと認識していた。  男女平等、という考えのぼくとは大違い。    友人は、颯爽と女性の胸の中へと帰っていった。  取り残されたぼくは、去っていく二人の尻を眺めた。   「……知ってるのかな?」    余計なお世話だろうが、友人の隣に立つ恋人を心配した。

目を伏せて何かを願うように 黒い服を纏った姿 誰かの稀泣が聞こえる なぜここにいる? 手には白い百合の花 今でも残るぬくもり 大事なことを忘れてる 大事なことを伝えてない 「 」 わからない、わからないよ ・・・・・ 目を伏せて何かを願うように 黒い服を纏った姿 誰かの稀泣が聞こえる なんでここにいるの? 差出す白い百合の花 酷く冷たくなった頬 大事なことを思い出して 大事なことを言わなきゃ 「ずっと」 息が詰まる 声が出ない 息を吐いて 声が零れる 伝え忘れたこと 遺してくれた温もりと共に 「私はあなたを愛しています」

ジョブコーチ

 「いらっしゃいませ~.何名様ですか~.ご案内いたします~」  天真爛漫な声とともに,先客が案内される.若いのに良く働くなぁと,感慨に浸る.  「い,いらっしゃいませ!」  私の番だ.操作中のPCを閉じる.  フレッシャーだろうか.活発発地で勤倹力行に励んでいるのが伝わる.  「い,いらっしゃいませ!」  二唱された.  「ド,ドリンクバーはいかがですか!」  「ぇ?」  「お,お一人身様ですね!」  「ん?」  「ご,ご案内します!」  緊張のし過ぎか.心を撃ち抜く言葉は聞き間違えだろう.  「こ,こちらがドリンクバーコーナーになります!」  一見の客に説明はありがたい.  「こ,こちらの席でよろしいですか!」  通りに面した陽当たりの良い席だ.作業を行う上で喜びが溢れる.  「ご.ご注文とドリンクバーがお決まりなりましたらベルでお呼びください!」  「ん?ぁ,はい?」  「ど,ドリンクバーはバーコーナーにあります!」  「ん?ん?」  いやにドリンクバーを薦めてくるが,私は頼ーマライし,飲ーマライ.

愛の証明

 どんなに愛しているかを話すことができるのは、少しも愛していないからである。  そう言ったのは誰だったのか。愛は言葉で語られるものではなくなってからもう随分長い。今では誰も愛の言葉の信憑性なんて信じていない。  愛とは行動にて示すものなのだ。今、目の前の椅子に彼が縛り付けられているのは愛を示すためだ。私の目の前にも彼を好きだという女性がいる。  その女性の手にはナイフが握られている。女性はそのナイフで彼の腕を切りつけている。 「私はあなたをこんなに愛しているんです。こんなにあなたを傷つけられるほどに!」  人は恐れている人間より愛している人間を容赦なく傷つけると言ったのは誰だったのだろう。  恐れている相手を傷つけることはできない。なぜなら、恐れている人間には心を開いていないから。愛している人間に残酷になれるのはその人に心を開いていて、自分の全てをさらけ出せるからだ。  今の常識では人を傷つけられるほど、その人を愛しているという事だと考えられている。  だから、同じ人を好きになったらその相手をどれだけ傷つけられるか、より多く傷つけられる人間のほうが相手を愛していると認められる。  彼もそれが分かっているから、女性が自分を何度も何度も切り付けていても微笑ましくそれを見ているのだ。  私の手にもナイフが握られている。目の前の女性と私は彼をどちらがより強く愛しているか。その証明をする為に、戦っているのだ。私にとっては彼を奪われないためにも負けられない戦いだった。  より多く傷つけられた方が助手さんをより深く愛している事になる。女性の切り付けた彼の右手は真っ赤に染まっている。白い肌が血で染まり真っ赤な花が咲いている  しかし、私が傷つけるはずの左手には傷一つ付いていない。女性は私をちらりと見てにやりと笑った。どう私の方が愛しているのよと目で語っていた。  ナイフを持って彼に近づく。そっとナイフを腕に当てる。じっとその綺麗な肌を見つめる。私はナイフを床に落として首を振った。からんと乾いた音が鳴る。 「私には君を傷つけることはできない」  女性が勝利を確信した笑みを浮かべる。ああ。彼を失う事になっても私には彼を傷つける事なんてできない。  しかし、彼は床に落ちたナイフを拾って、自分の左腕にナイフをあてがうとスッとナイフをスライドさせる。  深い一本の傷が腕に刻まれる。血が。じわりとにじみ出た後、大量に流れ落ちる。 「貴方は本当にどうしようもありませんね」  震える手で彼は私の頭を撫でた。  私は感動で震えていた。きっと彼ならそうしてくれるだろうと思っていた。  ああ。私は本当に彼を愛している。だって、その左手にある深い傷は私への愛情の証であるのだ。  私は、彼を傷つける事ができない。でも、彼を傷つけさせることはできる。  こんなに嬉しいことがあるだろうか。  この気持ちが愛じゃないならこの世界に愛はない。