その男は、数字の『7』を激しく憎んでいた。男の住んでいる小さなアパートの部屋には、あらゆる物から『7』の数字が消されていた。時計、温度計、カレンダー、本、リモコン、食べ物の賞味期限。住所にも部屋番号にも『7』は入っていなかった。街を歩いていて、『7』の数字を目にすると、男は、暴力的な行為が発露する前に、慌ててその場を立ち去るのが常だった。男が『7』を激しく憎んでいる理由は、誰にもわからなかった。人々は理由を知りたがったが、男は口を閉ざしていた。様々な噂が流れた。やがて男は孤立した。そんな男に、唯一の友人が残った。友人は理由を詮索しなかった。「まぁ、そういうのって誰にでも何かあるよな」男はその友人にだけ心を許していた。そんな友人がある日、交通事故で急死した。葬式が開かれることになった。男は友人の両親から連絡を受けた。その葬式に出るためには、男は7時に目覚めなければならなかった。
「あ、買い忘れた」 困ったときは、コンビニに向かう。 二度もスーパーまで車を出すのは面倒なので、ありがたい存在だ。 歯磨き粉もある。 下着もある。 パンもある。 スーパーより割高だが、時間を節約できると考えればトントンだ。 コンビニには、小学生たちが溜まって、雑誌を一冊買っていた。 一人が勝って、皆で回し読みをするのだろう。 ……その役目は、うちのものだった。 昔の子供たちは私の本屋で買ってたし、私の本屋で溜まっていたのに。 便利な便利なコンビニは、私から大切な客を吸い上げていった。 「六百四十八円になります」 とはいえ、バイトの子に怒るのも違う。 昔なじみのオーナーに怒るのも違う。 誰が悪いって言えば、時代が悪いとしか言いようがない。 「はい、ありがとうね」 商品の詰め込まれたレジ袋を受け取って、私はコンビニを出た。 そろそろ私の本屋も、閉店を考える頃だろう。 コンビニやインターネットと戦うには、私は年を取りすぎた。
自分がかわいくないと自覚したの中学生の時かな。 それまでは、祖父母からも両親からもかわいいって言って育てられた。 だからかわいくないことに気づかなかった。 テレビに映るアイドルやプリンセスに本当になれると思っていた。 今は、アイドルを見たら劣等感で病んでプリンセスを見ても同じ理由で病む。 おまけにプリンセスは性格の良さも兼ね備えている。 自分より醜いものを好いて、自分を引き立たせる。 なんでかわいくないって気づいたかって? 中学生というのは、美容に興味を持ち始める時である。 その時に、あっけなく気づいてしまった。 かわいい人と比べたら、違いは一目瞭然。 目も鼻も肌から骨格まで全て違う。 その違いに気づいてから、誰からの褒め言葉も全てお世辞にしか聞こえなくなっていた。 なんならただの哀れみにしか聞こえない。 下手な同情はどんな悪口よりも尖って、深くそして鋭く心に刺さった。 そこからだろうかな。私が自虐をしだしたのは。 自分で自分をかわいいって言ったら否定される。それが嫌だったら自分で否定すればいい。 そうすれば傷つけられることはない。 そうして私は今日も自虐をする。 傷つかないために。 でも時には辛くなってしまうんだな。 だけどキャラ的にも助けてっていえないし、どうすればいいのかわからないしね。 もういいかな。誰も慰めてくれないだろうし。 こんなことで悲しいなんて心まで弱いのかな。 「ねぇ、大丈夫?」 声がした。本当に綺麗な声だった。そちらを振り返った。 声以上に綺麗な顔をしていた。 「は、はい」 私は答えた。私は声まで汚いって思った。 「嘘つかないでよ、泣いてるじゃん」 「え?」 私は泣いていた。無意識に。 あーあ、ただでさえ小さな目がさらに小さくなってしまう。 彼女はハンカチを差し出してくれた。 そのハンカチは私とお揃いのものだったけど、なんだか私のより綺麗だった。 そのハンカチで涙を拭ったら視界がはっきりした。 ハンカチに視線を落としたら、ハンカチが汚れていた。まるで白い絵の具に黒を落としたみたい。 彼女の顔をよく見ると、アイドルをやっていると有名な北野みなだった。 「えっ、みなちゃん?」 「私のこと知ってるの?」 「う、うん。有名だよ」 「あのさ、はっきり言わせてもらうんだけど、私の名前、そんな軽々しく呼ばないでくれない?」 「え?」 「あんたみたいなブスに呼ばれて、私の名前汚れたんだけど。」 「えぇ」 「私とあんたじゃ、目も鼻も肌から骨格まで全て違うのよ。」 「わかってるよ」 私は小さな声でつぶやいた。 「え?なんて?まぁいいや。そのハンカチあげるから。」 そう言ってみなは去っていった。 このハンカチ二枚目だなって思った。 やっぱりアイドルは性格が悪いな。なるならプリンセスになろう。 どちらにもなれるわけないのにそう思った。 また、視界がぼやけていった。 今度は汚れたそれで汚れたそれを拭った。 白い絵の具が灰色から黒色へと変わっていった気がした。
真夜中になったが寝れないのでテントをでる 満天の星空を見上げ煙草に火をつける 隣のテントには熱い愛の抱擁が行われているのか時折押し殺した声が聞こえテントが少し揺れている この辺の調査は俺を含めて三人 俺以外の二人は若く、調査が始まって直ぐに仲良くなっていた いつもは一人で行動するのだが、若手をあてがわれた。つまりは同行して勉強させろということだ。 俺はまずそれを聞いた時点で嫌だった。 未知の惑星の調査で外に出て夜を迎えると、人間は子孫を残したがるように出来ているのだと思う こういうことは、よくあることで、二人さえ良ければそのままその惑星に移住しするやつも稀にいるらしい。 外に出れる時点で息はできるのだ 後は土と水があれば何とか生活できるのだろう。二人だけの星。ロマンチックだな。確かに。でもその子供達は不幸であろう。何もない星。誰もいない星。 隣のテントが静かになった 白い息を吐きながら しばらく恋をしていないなと思った
あれは、何年前のことだったでしょうか。 暦とは裏腹に、季節はずれの高温でした。 本来であれば、そこにあたり前にあるはずの雪はどこにもなくて。 アスファルトがひどく無機質に見え、風情のない北の街に、妙にさびしさを感じたものでした。 あまり期待をせず、ふらりと入った路地裏のお寿司屋さん。 たいへん美味しゅうございました。 特に、あの穴子。 見るからにふっくらとしていて、 「その柔らかいの、もうひとつ、よろしい?」 なんて、夢中で言ったのでした。 いまでも不意に思い出します。 いい思い出です。 確か、あの次の日、もう一度、行ってみたのでした。 ですが、あの路地裏を探しあてることはできなくて… あの路地裏、ほんとうにあったのでしょうか? あのお寿司屋さん、ほんとうにあったのでしょうか? それでも、あれは― いい思い出です。
やられた。 夕方の突然の豪雨。 駅までの道、小さな軒先で雨宿り。 ひとりじゃなく、もうひとり。 と言っても、連れではない。 沈黙を破ったのは彼女のほう。 と言っても、彼女が口を開いたのではない。 手にしている紙袋から漏れる甘いドーナツの香り。 ああ。いい匂いだ。 おそらく、この先の店のものか。 雨の日だけ、おかしな形のをつくるあの店の。 ・ まったく、まいっちゃった。 夕方の突然の豪雨。 駅までの道、小さな軒先で雨宿り。 ひとりじゃなくて、もうひとり。 でも、連れでもなんでもなくて。 沈黙を破ったのは男性のほう。 でも、男性が何かを話しかけてきたのではなくて。 手にしている紙袋から漏れる芳醇な豆の香り。 ふふん。いい香り。 きっと、この先のお店のものかな。 雨の日だけ豆を別口のにするあの店の。 ・ 激しい雨音が、ふたりの距離を密室のように囲い込む。 コーヒーの熱を指先に感じる男。 ドーナツの香りを鼻先で遊ばせている女。 雨が上がるまでのほんの十数分間。 名前も知らないふたりによる、何も起きない、ふたりだけの物語。
少年は思っていました。 自分の彼女は、自分に相応しくないと。 彼女は気立てが良く、誰にでも優しい人でした。 とても自分では釣り合わないと。 (だから、別れ話をされたら何も言わずに受け入れよう。それが、彼女を幸せにする唯一の方法だ) 少女は思っていました。 自分の彼氏は、自分に相応しくないと。 彼氏は気立てが良く、誰にでも優しい人でした。 とても自分では釣り合わないと。 (だから、別れ話をされたら何も言わずに受け入れよう。それが、彼を幸せにする唯一の方法だ) 周囲の人々は思っていました。 あの二人はお似合いであると。 二人ともとても優しくて、いつも誰かを助けています。 あんな二人をベストカップルと言うのだろうと。 (私も、あんな恋人が欲しいなあ) 不似合な二人は、今日もお似合いのカップルとして、二人並んで歩いています。
おかあさんから傘、持っていきなさいと言われ、 「はあい」 と返事したのに持たずに学校に行った。 その日の帰り、灰色の空を見上げていると、お店のドアが無言で開いた。 (怒られる) 勝手にお店の前で雨宿りしていた。体を小さくし、出てきた女の人の言葉を待った。 「入りなさい」 ふるえてしまった。雨のせいばかりではないと思った。 私は、ただ… 「入りなさいな」 しかたなしに、なかに入った。肩が、自分でも驚くくらい下に落ちていた。 何を言われるのかと、ずっと下を向いていた。 その私の前に何かが出されたみたいだった。 「飲みなさい」 「あ、いえ、あの」 「飲みなさいな」 「コーヒー、飲めなくて」 女の人は静かに笑みを見せた。 その笑みのわけが、私にはわからなくて。でも… 女の人が置いたのはホットミルクだった。やけに甘いの。 飲みながら、私は何も言わず、女の人も、何も― ・ 「そろそろ休憩いいわよ」 「はあい」 いま、そのお店でアルバイトをしている。 休憩のとき飲むホットミルクは、あのときのまま、何も変わらない。 そして、飲むたび容易に雨が降る。 いつかの雨の日、お店の前で雨宿りしている小さな女の子がいた。 声をかけ、なかに入れてあげた。 あのときの私みたいに。 女の子の前にカップを差し出す。 カップのなかを見ずに、女の子は言う。 「コーヒー、まだ飲めません」 ふふ。やっぱり、あのときみたいだ。 女の子がホットミルクを飲む。やけに甘いホットミルク。 その姿を見ながら想像する。 大きくなったこの子が、このお店で働いている姿を。 きっと、この子もまた、雨の日に―
教室に集められた人々は、皆不労所得が欲しい人、 ハチマキを巻いて、気合は十分。 教壇に立つ先生はメガホンを使って、教室にいる人々に声をかけた。 「月三万円が、欲しいかー?」 「おー!」 「寝ながら、欲しいかー?」 「おー!」 「ならば、その方法を教えよう!」 「おおー!」 先生はメガホンを置き、黒板に大きく『3%』と書いた。 「この数字は、高配当な株を持っていれば、自動的に入って来るお金の割合だー!」 「おー!」 「今から私の言うとおりに株を買えば、確実に月三万円が手に入る!」 「おおー!」 会場の熱気は最高潮。 不労所得の夢を見て、全員の心が一つになる。 「まず、予算として千二百万円を用意するー!」 「無理でーす!」 教室に残ったのは、僅か数人。 高い年収を有して千二百万円を自力で溜めた人と、遺産や宝くじやお小遣いで何故か千二百万円を持っていた人。 先生の言うことを最後まで聞いた数人は、無事に月三万円の不労所得を手に入れた。
これは僕の言い訳です。酷い夢をいくつもみて目覚めた朝は雨が降っていました。防水スプレーを何重にもかけて、水たまりに気をつけて下を向いて歩いていたのに、自分の靴が跳ねさせた水で靴下まで濡れました。しかも、駅に着く前に忘れ物をしたことに気付き、走って取りに行ったせいで靴下はぐっしょり濡れてしまいました。 バイト先ではぼんやりとした頭とうまく回らない舌で、どうしようもない会話をしました。会話の内容を、お風呂から上がった今でも頭の中で繰り返しています。それと同時に、僕がみんなから煙たがられるシナリオも進行していきます。そのシナリオの中には、さっきまで僕が忘れていた今日の僕の余計な言動が原因のものもあります。 これは全て僕の言い訳です。誰に対しての言い訳でしょう。何に対しての言い訳でしょう。 とりあえず、僕の言い訳は以上です。 明日の朝は早いんです。おやすみなさい。
物を大切にできる人が、羨ましい。 古いおもちゃを手入れするのは面倒だし、かといって捨てるのも同じくらい面倒だ。何より、自分の中に居座る中途半端な「善意」が痛む。捨てたおもちゃに呪われるのも怖いから、どうしても気が引けてしまうのだ。 それに、あんなものをまだ持っているだとか、物を雑に扱う奴だなんて噂が立つのは、もっと困る。 そんな悪評が広まれば、いざという時に「新しいおもちゃ」が手に入らなくなってしまう。だから、おもちゃの存在も、その扱いも、誰にも言わず秘密にしている。 最近、あんなにかわいがっていたはずのおもちゃも、手入れが億劫になってきた。 正直に言えば、もう、つまらなくなってきたのだ。 ちょうど先月手に入れたものは、もっと手がかからず、それでいて壊れにくいらしい。前のおもちゃよりも、ずっと楽しめそうだ。 とはいえ、前のものだって、たまに遊ぶ分には悪くない。 錆びついて自然にゴミになるまでは、棚の隅にでも飾っておこうか。 そういえば最近、部屋にゴミが増えてきた。 ……「次」の置き場所も確保しなきゃいけないし、面倒だから一気に捨ててしまおう。
生き方がわからない 書類の意味がわからない 人の言っている事がわからない わからない事がわからない 理解がわからない 時間がわからない 感覚がわからない わからない、わからない、わからない 生きる事に執着する事がわからない 夜がわからない 昼がわからない 記憶がわからない 救いを求める事がわからない 他人理解がわからない 存在意義がわからない わからない、わからない、わからない そもそもわからない 無意識感がわからない 忙しさがわからない 布団の温かみがわからない 朝日がわからない どうでもいいがわからない 自立がわからない わからない、わからない、わからない (完)
物心なんて、つくはずのないころ。 私は、プレゼントをもらっていた。 これだけは、なくさないようにしないと。 とおくで、人の声が聞こえる。 口が、不自由になった。 とおくで聞こえる音。 「ピー、ピー、ピー」 機械音かな? あっ、プレゼントを、落としちゃった。 初めてののプレゼントだったのに。 生まれてから。 「ピー、ピー、ピー…」 音が鳴りやんだ。 さようなら。
夕飯後の食休みの時のこと。 スマホでアニメをぼーっと見ていると、居間の方から「ガン!」と音が聞こえた。 え、何事よ。向かうと母が脇腹を押さえて「うぐぅ」と呻いていた。 全く分からないどういうことだ。母が一人相撲でドアの取っ手にぶち当たったのか? 「え何、何があったん?」 とりあえず近くにいた妹に聞いてみる。 「……歳だよ」 妹はスンとした顔で明後日の方向を向きながら答えた。なに歳って!?何で歳で脇腹押さえて呻くのよ。 「いやどういうとこよ、教えてよ何があったの!」 「だから歳だって」 「いや分かんないし納得できないよ」 「もぉしつこいな!!何なんずっと聞いてきて!!」 妹がうんざりした様子で叫んだ。え私が悪いのこれ?事の顛末知りたいだけよ? 「いいじゃん教えてよ!気になるから聞いてんだよ!」 「何でそんなに気になるのさ!」 何でってそりゃ、決まってんでしょ。 「笑える内容だったら笑いたいじゃんよ!」 キッチンの方から母の「くだらないよアンタ!」という非難の声が聞こえてきた。 結局しつこく聞いた結果知ることが出来た内容は、妹に手刀で刺された母がその破壊力でドアの取っ手にぶち当たったというものだった。 なんてしょうもな。歳関係無いし。てか証人が問い詰められてキレるってミステリーあるあるじゃん。 世の中のミステリーの真相が全部これくらいしょうもなかったら何かしらの暴動が起きるんだろうな、と思った。
「むかついた相手って、殺せたらいいのに。」 私は、意外と人にむかつきやすかった。 あるとき、空き教室にそいつを呼び出し、ナイフで襲った。 両手には手袋、口にはマスク。完璧。 グサッと鈍い音がなった。 急所を刺したみたい。いい気味。 そいつが苦しんでる間、死体と血をどうしようか考えた。 でも、相手は生きてた。 相手は、防弾チョッキのようなものを着ていた。 演技をしてたみたい。 私を、刺した。 私は、何の対策もしていなかった。 相手は、私が死ぬ前、「あんたが予告してたじゃんw」… してない。 地獄で、思い出した。 ....私は、二重人格だった。
主人公の名前はユグナー、男、町で傭兵をやっている、ヒューマン、幼い頃両親とこの町にやってきたが青年になる頃に不慮の事故により両親と死別、以来王国の治安を守るための傭兵をしている。 能力はヒューマンの特性である汎用的な格闘術、剣術、体術、それに加えて王国特有の半魔神族、獣人族、妖精族の使う黒魔術、能力強化術、白魔術etc…等1通りの訓練で一線級の戦士。
私が作品を書くにあたって 『自分が読みたく無いのに、他人に読んでもらおうとするのは横暴な考えである』 ということを、常に気にしている (完)
夢を見た。1羽の鳥が羽ばたく夢。その鳥は勇敢で高貴だった。高く高く青空をとびかけていった。彼は人工のもの、ルールなど露しらず空高く飛んでいったそんな夢を見た 時計を確認。思ったよりよく寝たようだ、起きる 朝ごはんはハムエッグとブレッド 早々に食べ終え予定を確認する 3限に授業。 めんどくさいなぁと思いつつパジャマから私服に着替える 大学に到着友人に挨拶をする いつも通りの日常
そのハリネズミは、ある日、寺に現れた。そのハリネズミは、口に毛抜きをくわえていた。そのハリネズミは、和尚をじっと見つめた。和尚はすべてを悟った。和尚は本堂にハリネズミを招き入れ、仏像の前に座らせると、その針を毛抜きで一本一本抜いていった。ハリネズミはじっと仏像を見つめていた。一方和尚は針を抜きながら、自分の頭に髪の毛がふさふさに生えていた頃のことをぼんやり思い出していた。
ユグーノア王国。 半魔神、獣人、妖精族、ヒューマンが住む。 ベラトール大陸と言う大陸にある。 王国を守る天使神界の神。 他大陸からやってくる魔神族。 王国の民を守るために天使神界から降臨してくる神。
夜、お母さんと、ベランダで、夜空を眺めていた。するとお母さんがふいに、「あらっ」と言った。「けがをしているわ」そう言ってお母さんは、自分の部屋に引っ込んだ。そして、すぐにまたベランダに戻ってきた。お母さんは救急箱を持っていた。「誰がけがをしているの?」僕がそう尋ねると、お母さんは「宇宙よ」と答えた。「その救急箱には何が入っているの?」僕がそう尋ねると、お母さんは救急箱の蓋を開けた。救急箱から光が放たれた。目を細めて見ると、救急箱の中には星が詰まっていた。「ちょっと行ってくるわね」そう言ってお母さんはふわりと宙に浮かび、ベランダから夜空へ飛んでいった。僕は眠かったので眠ることにした。翌朝、いつものように台所に行くと、お母さんがいつものように朝食を作っていた。「おはよう」「おはよう」菜箸を握るお母さんの指に、絆創膏が巻かれていた。
ユグーノア王国。 この辺境の国には半魔人、獣人、妖精族、ヒューマン等がそれぞれの特性を活かして共存している。 ユグーノア王国のあるベラトール大陸には古来より神の住む天使神界というものの存在がまことしやかに囁かれている。 曰くこの共存の地を脅かす他の大陸の魔神族が度々この地を襲うときに天使神界の神がユグーノア王国の民を守るために現れると言うものだ。
玄関で先生にあいさつをして、友人と教室へ向かう。 「そういや、隣のクラスの和田くん、はるのこと気になってるんだって」 「えっ!まじ?」 「まじ」 「私ってモテるな〜」 「うざー。てか和田くんのこと好きな女子がいるんだってよ」 「三角関係だね、荒れそー。誰?」 「隣のクラスの木崎さん」 「え、あのいじめっ子で有名な?」 「そう。だからはる気をつけなよ」 「まぁ、なんとかなるでしょ。」 「いざとなったら私、逃げるからね」 「いや守れよー」 教室に到着した。 自分の席に向かう。なんだか視線を感じるような気がする。 自分の席について、視線の理由がわかった。 私の机に黒マッキーで悪口が書かれている。 しね、あほ、ぶりっ子、男好き、書いてある言葉を心の中で読み上げる。 古典的ないじめだな。こんなの現実であるんだ。 書いてある内容的に木崎さんだよな。伏線回収早いな。 「はる、大丈夫?」 友人が問いかけてくる。 「これって、多分木崎さんだよね」 「確信ではないけど、可能性は高いね。」 「ちょっと私問い詰めてくる」 「あぶないよ」 「まあ、なんとかなるよ」 「えー、私は逃げるよ?」 「え、かなし」 「うそうそ、ついてくよ」 「ありがと」 そう言って、教室の後ろで友達と汚い笑い声を発する木崎さんに方へ歩いた。 みんなの視線で釘付けだった。まるで私はアイドルだった。 「木崎さん」 「なに?」 木崎さんは蛇みたいに鋭い目で睨みつけてきた。 「これさ、木崎さんだよね?」 「うん、そうだけど?なに?」 「なんでこんなことするの?私に男取られた嫉妬?」 「は?うざ」 木崎さんはそう言って殴りかかってきた。 女の子同士でこんな喧嘩になるとか思わなくてうまく反撃できなかった。 そうして私は、見事にやられてしまった。 「よわっ」 そう言って木崎さんは去ってしまった。 やっぱり女の子って苦手かもな。 そう思い、立ち上がる。友人が心配して駆け寄ってくる。 「大丈夫?」 「まあ、なんとかなるよ」 「そっか」 こんな状況でも、駆け寄ってくるのは友人一人だ。 「みんなももうちょい心配したらどうなのかな?」 友人が言う。 「私はみんなに嫌われているからさ」 「そんなことないよ」 「ぶりっ子だからさ。」 「まあ、そんなところあるかも?」 「否定しろよ」 そう言って少し笑った。 昔からぶりっ子って言われてきた。 背が低くて、声が高かったからかな。 男の子から好かれても、女の子からは嫌われていた。 あるとき、陰口を言われてメソメソ泣いていたら母から言われた。 「たいていのことはなんとかなるのよ」 「嘘つき」 「ほんとよ」 母のその言葉に私は救われた。 いじめに関しては、もうなれてたことだから私の心はあまり傷つかなかった。 そのあと和田くんが木崎さんを殴るのは、また別の話。
なぜだ。なぜ、ぼくは、まっすぐ歩けてしまうのだろう。なぜ、ぼくは皆と同じように横歩きができないのだろう。 ぼくが住む国は、誰もが横歩きを得意とする。でも、まれにぼくみたいな横歩きのできない変人が産まれる。正面に向かって歩いたり、後ろ向きに歩いたり、斜めに歩いたりする。そんな性質を持つぼくらは、皆から時に「障害者」や「精神病患者」と呼ばれることがある。 正常な彼らから見れば、ぼくらは確かに異常者なのだろう。 「ぼくも横歩きができるようになりたい」 すでに口癖となったセリフをつぶやく。 すると、唯一の友が「どうして、そう思うの?」と、これまたお決まりのセリフを返してきた。 「もうこれ以上、のけものにされたくないから」 嘘じゃない。まるはだかの言葉。 正常な側である友は「そりゃそうだよね」と笑って、ぼくを見つめる。 「じゃあさ、こうするのはどうだろう」 まるで、お得意の手品を披露するかのように。ぼくに向かって、友は告げる。 世界の常識を変えてしまえばいい。 「は?」 これが、ぼくの率直な感想。自分のどうしようもない性質について真剣に悩んでいる友に向かって、「じゃあ、世界の常識を変えればいい」なんて、よくもふざけたことを。もし仮にそんなことができるとしても、きっと小説みたいなフィクションの世界だけなんじゃないか。 「ごめんごめん。でも、オレは心からそう思っているんだ。世界の常識が変わったら……例えば、正面に向かって歩けることが常識になるとしたら、きみは皆からのけものにされなくなるだろうよ」 そうあっさりと友人が言ってのけるので、ぼくは何も言えなくなった。 もし皆がまっすぐに歩いていく。それが当たり前の世界になったら。ぼくは想像した。それって、なんだか夢のようだ。 「やってみようかな」 思わず、口にしていた。なにげない好奇心。 夢物語が現実になるとしたら……挑戦する価値はあるかもしれない。 あれから長い月日が経った。約40年間、国の政経リーダーを務めた後、ぼくは国のトップの地位にのぼりつめた。 やっと、やっとだ。横歩きが常態化したこの国を支配し、根本から仕組みを変える権力を、ぼくは手に入れた。 当初はありえないと思った。でも、がむしゃらに努力をすれば、誰であろうと世界の常識さえもくつがえせる。それを今この瞬間、ついに証明できるのだ。 ――我々の国の常識とは、まっすぐに歩くことである。 前述の文を第0条として、国の憲法に追記すること――。 この素晴らしき提案を国会は認めなかった。だから、ぼくは仕方なく圧倒的な権力を行使し、提案を可決させた。 国の憲法に新たな第0条が加わった翌日。国で反乱が起こった。横歩きしかできない国民たちが不満をていし、国会堂に押しかけたのである。それは反乱というより、むしろ革命であった。 今も武装蜂起した民衆が、国会堂の広場でたむろしている。 「なぜだ。なぜ、こうなった」 総監室の窓辺で立ち尽くすぼくに、長年ぼくの専属秘書を務める彼は言った。 「ごめんごめん。でもさ、憲法に一つ条文を加えたところで、人々は横歩きを止めなければ、まっすぐ歩けるようになるわけでもない。世界の常識を変えようだなんて、それこそ本当の異常者がすることだろうよ」 異常な側になったはずの彼は、さも当然そうに、ぼくの隣に来て笑うから。ぼくは思い直した。 ――それでも、きみのそばを離れられない、と。 総監室の、最後の関門が蹴破られる音。
夜七時、サービスエリアは賑っている。 日没後の暗闇に、煌々と電灯が点いた建物が浮かび上がる。多くの屋台はすでに店を閉じて、電灯の下に仄暗く静まりかえっていた。 車を降りた途端、冷気に取り囲まれる。体は寒さを感じるが、疲れて熱を帯びた頭にはその冷たさが快い。後ろの席に放っておいた明るい色の外套を羽織り、緑色に塗られた歩道を注意深く歩いて、横断歩道を渡った。 二重になった自動ドアが、複数の客をそっと招き入れる。そのセンサーは機械的ではなく、まるでどこかで誰かが様子を見ているかのように滑らかに動く。 外側と内側のドアの間には二平方メートルほどの空間があり、左右の壁には新メニューや高速道路株式会社からのお知らせなどが貼り出され、小さな看板も出ていた。それらは自動ドアと同じように慎ましやかな温かみを醸していた。 内側のドアを一歩入ると、入って左側がレストラン、右側が土産物屋になっている。扉などはなくて、どちらも簡単に行き来できる。夕食をとったり、土産物屋をひやかしたりする人々の喧騒と人いきれで、さっきまでの寒さが嘘のようだ。 レストランと通路の間にちょっとしたカウンターがあり、昼間はそこがコーヒーショップになっているようだった。この時間はそこもひっそりとして「御用の方はキッチンへお声がけください」と丸ゴシック体で小さく書かれたメモスタンドがあった。 キッチンは正面から左側(外側)へ向かって「軽食」「麺類」「ご飯もの」と窓口が分かれている。「軽食」の表示の前へ行ってみたが、中には誰もいない。 夕食時だ、いそがしいのだろう、と思い、こちらは急ぐ理由もなかったので、暫しぼうっと佇んでいた。と、右後ろから 「いま伺いますから、お待ちください。」 と感じのいい声がして、二〇代後半だろうか、颯爽とした青年が現れた。このキッチンに勤める店員の一人であろうその青年は、前髪をコック帽にぜんぶ入れて、コックコートを気持ちよく着こなしている。どこからキッチンへ入ったのだろう、気が付いたときには、彼は目の前にいて注文を取ってくれた。 気が付けば朝から何も食べておらず、空腹を感じないではなかったが、今日は緊張のしどおしであったので、しっかりとした食事をとる元気もなかった。いつもなら餃子丼セットを頼むのに。それでホットスナックの並んだガラスケースからコロッケを選び、カフェラテを注文する。 彼はまた感じよく、手袋を嵌めてコロッケを包み紙に入れ、客側のカウンターからは一段低くなった、キッチン側のカウンターへ丁寧に置いた。それからそっと手袋を裏返して外し、これも丁寧にそこへ置き、レジのキイを叩いて 「七五〇円になります。」 と言った。わたしは釣り銭のないように小銭を数えてカルトンへ置く。 彼はさらに感じよく、私が財布を仕舞ったことを確認してからまずコロッケを、次いで美しいデザインの空の紙コップを手渡してくれる。さっき通り過ぎたコーヒーショップのカウンターに設えられたコーヒーマシンを振り返りながら、 「あのコーヒーマシンで?」 と尋ねると、彼は頷きながら、待てよ、という顔をして 「洗浄中ですね、見に行くので少しお待ちください。」 と親切に言ってくれる。だが私の後ろにはすでに客が並んでいる。 「対応なさってからで大丈夫ですよ。」 「ありがとうございます。」 という簡単なやりとりの後、コーヒーマシンの前でまたもぼうっと佇んでいると、程なくその自動洗浄は終わった。まだ客の対応をしている青年の方を振り返ると、彼はこちらをぱっと見て手で「OK」のかたちをつくり目顔で「どうでしょう」と尋ねる。コロッケと紙コップで両手の塞がった私も目顔で「だいじょうぶ」と頷く。 これだけのことだが、私は快く圧倒されていた。便宜上「青年」とか「彼」と馴れ馴れしく呼んではみたものの、その人は厨房のスペシャリストである。このサービスエリアに勤める人々は老若男女、誰でもこのように気持ちのよい接客をしてくれるが……それでも、自分より二〇近くも年下の若者が、仕事とはいえ、少しの注文しかしない、くたびれた中年に対して、爽やかな親切を示してくれたことがうれしかった。 熱々のコロッケを頬張り、食べ終わって包み紙を捨てると、誰にともなく一礼して建物を出た。 手の中には温かいカフェラテがある。冷えた車内へ戻り、帰り道で聞く音楽を探しながら、大事に飲んだ。機械的な味ではなかった。 エンジンをかけてウィンカーを点け、前後左右を確認してから右方向へゆっくりとハンドルを切り、また停止する。何かのスポーツのクラブチームが遠征した帰りらしく、大勢が目の前を渡っていく。渡る人が途切れるのを待ち、徐行した。サービスエリアの出口で、エンジンの回転速度を上げる。リラックスした頭と体で、安全運転をしよう。
僕は電車に乗ってスタジオに向う 一時間半かけて秋葉原の駅に着いて、そこから歩いて十五分 予約してあるスタジオに着く バンドのみんなは既に受付を済ませスタジオに入っていた。今日はFスタジオだ。 重い二枚の扉を開けて中に入る 「お疲れ」 「お疲れっす」Drs.金木犀 「朝顔さん、お疲れ様です」Vo.桜 「…」Gt.山茶花 一ヶ月ぶりのスタジオ 皆の機嫌や思っていることなどが気になってしまうが、ベースの準備に集中して気にしてないことにする シールドをアンプに挿す、次にプリアンプとチューナーを繋げて最後にベースにシールドを挿す 先ずはチューニングから行う 僕のLTDの5弦ベースは中古品のせいか、癖が強く、太い弦から慎重に合わせていがないと細い弦が切れたりする 本当に世話が焼けるベースだが、見た目はビジュアル系で美しい 「そう言えばGt.山茶花。もう一つのバンドこの間ライブでしたよね、どうでした?」 ドラムのDrs.金木犀が興味もなさそうに聞く Drs.金木犀の妻のVo.桜が空気を読んでかフォローを入れる 「鹿鳴館でライブだなんて凄いですね」 Gt.山茶花はエフェクターが散らばる足元をいじりながらこちらを見ずに、「あぁ盛り上がったよ…」と言っただけで、機材と格闘し続けている 僕はまだ何も言わず、神経質なベースのチューニングを整えている ジャーーーーーーーン!!!! ギターが二台のアンプから音を出す マーシャルとジャズマスターに繋がれたギターはGt.山茶花とぴったりくっついている。 Gt.山茶花はESPで彼もビジュアル系のギターだ いつものように埃まみれなのが気になる。磨けば良いのにと思うが山茶花Gt.はそんな性格でもない 社会人バンドを組んで二年がたつ バンド名は「はなのなまえ」 僕はこのバンドに最後に加入した もともと ドラムのDrs.金木犀と、Drs.金木犀の妻でボーカルのVo.桜がバンドを始めたのがキッカケで 直ぐにギターのGt.山茶花が加入した その後はベースが入っては辞めてを繰り返し、なかなか安定しなかったらしい。 そこに僕が加入しこのメンバーで二年がたつ 「焦ったー!また音でなくなちゃったかと思ったよ!おーBa.朝顔、お疲れー!よし!やろうぜ!」 いつもの元気で熱血でどこか抜けてるGt.山茶花に戻ってホッとする 少し変わっているがGt.山茶花はプロ級の腕をもつ本物のギターリストだ 僕もセッティングが終わりいつでも演奏できる状態だ 4人の姿がスタジオの鏡に映る 二十代のような若々しさは無いけれど 僕らはこのスタジオで音とリズムを溶かし合って融合する 「じゃあ、この間作ったBa.朝顔の曲やろうぜ!」 直ぐにDrs.金木犀がカウントを取る 僕は自分の体がコードを覚えていることを頼りに弾き始める 毎日、朝から晩まで仕事ずくめでベースを練習出来る時間なんか土曜日の深夜くらいしかなくて、早朝はPCで月曜日の仕事を少し進めて、家族が起き出す前に朝食を準備したりて。 日曜日は一週間で唯一家族と過ごせる大切な時間なのに寝不足でフラフラになって過ごしていたりして… そんな事が頭を駆け抜けていく 皆の音が重なり、溶け合っていく Vo.桜の声がスピーカーから聞こえる 【春風ドライバー】 もしも明日、死んでしまうとしたら 僕は君を道連れにするだろうか 何にもない僕の心は 君をがっかりさせてしまう それでも君が僕の隣で 笑って車に乗ってくれたら、くれたら 春風にのって、どこまでも ひこうき雲追越して、どこまでも 北極星めざして、どこまでも、どこまでも 君とならば、どこまでも
処刑場に行った。友人に会いに行ったのだ。友人はこの間斬首刑に処され、その生首がさらされていたのだ。友人の生首に色々な話をし、そのうち日が暮れてきたので、家に帰った。「またね」と手を振ると、友人も手を振った。帰り道、友人は生首なのだから手を振れるわけがないことに、ふと気づいた。
この世界は、見る人によって千差万別なんだよ だから、同情も理解もできない見え方っていうのもあるんだよ それは誰も否定できないし、しちゃいけない その人の不可侵領域に土足で入り込むようなものなんだから でも、受け入れなきゃいけない事は無いと思うんだ 自分に合わないんだったら、離れたら良いんだと思うよ (完)
極悪。 その言葉が自分にはしっくり来る。 別にヤクザに所属しているわけではない。 戦争の武器商人な訳でもない。 ただの一般人、ただの人間。 だが極悪だ。 いや、悪という概念すら覆しているかもしれない。 害悪、諸悪、必要悪。 どのカテゴリーにも属しているようで属していない。 形容するなら極悪。 何かを極めているわけでもないのに。 関連する事象全てに作用して何かを起こしてしまう。 なにもしていないのに。 誰かが言う。 「お前迷惑だよ。」 極悪で迷惑。 実に不名誉な称号。 今日も暇潰しで人に迷惑をかける。
「うわ、レア物!買い!」 ポチッとな。 「そういえばまたあれ買わないと」 ポチッとな。 「服は安くかわいいのがいいよね〜」 ポチッとな。 ポチッとな。 「チケット取らなきゃ!」 ポチッとな。 「遠征になっちゃったから宿取らないと〜」 ポチッとな。 「グッズ欲しい!」 ポチッとな。 ポチッとな。 ポチッとな。 「わ!今回のガチャ、推しが出るのか…課金しよ」 ポチッとな。 「そろそろグッズ飾る棚欲しいなぁ」 ポチッとな。 「配信見たい!チケット買おう」 ポチッとな。 「これ通販にしか売ってないやつ〜」 ポチッとな。 ポチッとな。 ポチッと、 ポチッと、 ポチッと… 「次回のカード代がやばい…ポチりすぎた」 ご利用は計画的にね!
かけていたアラーム、予備のアラーム、予備の予備のアラーム、準備完了用のアラーム、出発用のアラーム、到着用のアラーム。 一つ解除する度に一つ心が軽くなる。 起床時間の心配、失敗への心配、失敗への備えの失敗への心配、事前準備の心配、家を出ることへの心配、誰かに会うことへの心配。 一つなくなる度に一つ心が軽くなる。 何もなくなって空っぽになった心は風船みたいにふわふわと浮かび上がって、関節が軋むほど重かった足取りは、吊られた人形の様に空を踏む。 小さな爪で内側から引っ掻かれて、傷だらけに白く濁って、内側に何がいるのか分からなくなったガラス細工の心は、少しだけ伸縮のゆとりがあるゴム製に変わる。 ヘリウムどころか水素を湛えた様な私の心持ちは、ぐんと宙に浮いて、ささくれだった木製の天井に当たって割れた。 堪らない嘔吐感に必死に回した足を滑らせながら化粧室へ駆け込む。中蓋を上げて陶製の便器のひんやりとした感触を手に感じながら、私の世界の中で一番不浄な水面に映った自分の顔を見つめる。嘔吐感は残っているのに、あの喉を焼きながら上がってくる半個体の感触はない。 どうしようもなく惨めになって、壁に縋り付くように眠った。割れたガラスの心から、何か爪を持つ生き物が出て行った気がした。
休日出勤の帰り、まだあかるいうちに、小さなスーパーに寄る。高層ビルの一階に入っているその店は、客同士がすれ違うのも難しいほど狭い。入って左手にレジが三台L字型に並び、右手には袋詰めカウンターが二台縦に並んでいる。 入口に積まれた籠を一つ取り、袋詰めカウンターの右側からゆっくりと通路を進む。 最初は乳製品、今週は足りているからパス。隣にある、いちばん安い珈琲ゼリーをひとつ籠に入れる。冷蔵された果物、きょうはマンゴスチンだ。初夏に買ったドラゴンフルーツは大当たりだった。先週買ったランブータンは外れ。少し迷って、ここも通り過ぎる。 鹿児島県産のピーマンと、高知県産の新生姜を一袋ずつ入れる。陳列棚が左に折れる。この店は鮮魚もおいしいが、今週は節約しているので買えない。さらに陳列棚を曲がり、群馬県産の蒟蒻を一枚入れる。調味料や乾物のコーナーは素通りし、冷蔵の二玉入りのうどんを一つ入れる。いつもは買う菓子パンも今日は買わない。最後に季節の果物のコーナーがある。無花果が並んでいた。これはこの時期にしか楽しめないので、籠に入れる。 会計を済ませて外に出ると、湿気と熱気に包まれる。鞄と袋を抱えて五分ほど歩く。通りには誰もいなかった。少し背伸びして借りた都心の部屋は、西向きのワンルームにキッチンが付いている。ドアを開け、買ってきたものをアルコールティシューで簡単に拭き、冷蔵庫に仕舞った。うどんは冷凍する。冷凍うどんを買うよりも、冷蔵のうどんを買って冷凍するほうが安上がりなのだ。 シャワーを浴びて、その間に洗濯機を回す。髪にドライヤーを掛け、洗濯物を風呂場に干して、七畳半の部屋で寛ぐ。リモンチェッロの瓶から小さなグラスに中身を注ぎ、少しの水道水で割って飲む。常温で十分おいしい。 西日の部屋は嫌われがちだが、わたしは好きだった。ちびちびとグラスを傾けながら、ビルの隙間に沈んでゆく夕日を眺める。熱い夏でも、日の名残りは惜しい。 すっかり日が沈んでしまうと、根っこが生えてしまいそうなお尻を漸く持ち上げ、カーテンを閉めて灯りを点けた。それからキッチンに立った。 電気調理器でお湯を沸かしている間に、まな板を水で濡らし、カウンターに寝かせる。冷蔵庫から、トマトをひとつ取り出し、ひと口大に切る。卵を汁椀に割り、粉末の出汁を入れて溶く。換気扇を回し、ガスコンロでフライパンを温め、オリーブオイルを煙が出るまで熱した。そこに卵とトマトを入れると、じゅっという美味しそうな音がする。適当に菜箸で混ぜ、火を止めて余熱で温める。頂きものの三陸産の生わかめをひと株、少し水に浸し、それから塩を洗い流す。世の中には生わかめを贈ってくれる人もいるのだ。これもひと口大に切って、沸いたお湯に入れ、さっきと同じ粉末だしを入れる。再沸騰したら火を弱めて味噌を溶き、火を止める。卵を溶いた汁椀を軽く洗い、そこに出来上がった味噌汁を入れる。 空いた電気調理器に、研いだ米を入れる。適当に水加減をして、わずかな時間、吸水させる。先ほど買ってきたピーマンをひとつと新生姜の小さな一かけを洗い、どちらも千切りにする。千切りをしている間、まな板にはトントンという小気味よい音が響き、頭のなかは驚くほど静かになる。 また同じ粉末だしを米に振りかけ、上にピーマンと針生姜を載せ、さらにターメリックをたっぷりと入れる。一箇所に入れてしまっても、米が炊ける間に広がるから心配は要らない。思い出してレーズンを散らす。電気調理器のタイマーを十五分と二十分の間にセットして、炊き上がるのを待つ。 リモンチェッロを飲み干したグラスに、今度はペルノーを入れる。また水道水で割ると、薄緑色の液体が白く濁って美しい。 適当な音楽をかける。ゆっくりぺルノーを飲む。ぺルノーの程よい苦みと甘みはとりとめもなく何かを考えるのにうってつけだ。この暮らしをいつまで続けられるだろう。どうかな、分からない。先のことは考えても仕方ない。いつも思いがけない展開が待っているのだから。 ターメリックライスが炊き上がる。 適当なさらにそれをよそう。トマトと卵の炒め物もよそって、黒胡椒を振る。それらをすっかり冷めてしまった味噌汁といっしょに一人分の竹製のお盆に載せて部屋に運ぶ。キッチンと部屋を隔てる扉をゆっくり閉める。 さあ、食事だ。 ピーマンと新生姜のいい香りがする。何はなくとも、わたしにはこのターメリックライスがある。それだけで、今は十分だ。
7月2日 彼女とスタバ。彼女は期間限定のストロベリー&ユースベリーティーを、僕はエスプレッソを頼んだ。窓側の席に座る彼女は今日も美しい。2人の間に静かな時間が流れる。言語なんて僕達に必要ない。だって心が繋がっているのだから。 7月15日 彼女と映画館に来た。彼女が話題の恋愛映画を見ると言うのでそれに付き合う。クライマックスで涙を流す彼女は、やはり美しい。映画なんて目に入らなかった。よほど気に入ったのか見終わった後は大はしゃぎで感想を話してくれた。僕は黙って何度も頷いた。 彼女の右隣に変な男が座っていて、映画館から出た後も付いてきていた。要注意だ。 7月22日 今日は彼女と水族館。一面水槽になっている天井を見つめる彼女。子供向けのペンギンショーに夢中になる彼女。目が釘付けになってしまう。正直水族館なんてどうでもいい、彼女とならどこだっていい。僕はどこまででも付いていく。 今日もこの前の男が彼女の隣に張り付いている。恐らく、いや確実にストーカーだ。僕が彼女を守らなくては。
牛丼屋に行った。 ワイファイを拾った。 「GyudonーWiFi? ラッキー、ここフリーワイファイ飛んでるんだ」 通信費も馬鹿にならない。 節約のために、速攻繋いだ。 そして牛丼を食べた退店後。 「え? フリーワイファイの提供なし?」 繋いだワイファイは、牛丼屋のものでないことを知った。 牛丼屋で、Gyudonをアピールするフリーワイファイを偶然拾うことがあるだろうか。 いいや、ない。 ならば目的は、公式のフリーワイファイ勘違いして繋いだぼくみたいな馬鹿から、パスワードや個人情報を抜き取る以外はないだろう。 なんてことだ。 「ぎゃああああああああああああ」 牛丼屋の近くで、悲鳴が上がった。 ぼくのパスワードは、誰にも推測できない代わりに、知れば死神に憑りつかれる曰く付きだ。 盗んだせいで、見てしまったのだろう。 ぼくの背後にいる死神が振り向いて、にったりと笑っていた。
「殺してしまえ。」 そう言い放ったのはキュウビ様だった。 「聞こえなかったのか。こいつを殺せ。」 『なぜ、急に殺さなければならないのですか。今日までは友達として仲良く遊んでいたではありませんか。』 「そもそも、おかしかったのだ。我等は大人には見えないはずなのに、こいつには見えている。それで十分か。」 確かにそうだ。大抵の人間は12、3歳にもなれば見えなくなるが、彼はその歳を優に超えている。だが、本当に殺すまでのことなのだろうか? 「納得いかないようだな。では一つ教えてやろう。大人の人間の肉は美味いぞ。ただ、子供の肉は柔らかくて食えたものではないがな。」 『人間を…食べる……?』 「そうだ。人肉食は上が厳しいがな、こいつが人間でないとなれば話は別だ。大人なのに我等が見えているなら、人間でないと言い張れるからな。」 〘ちょっと待て、俺を食べるのか…?そんな、いきなり…〙 「聞こえていたか、情が湧かないうちに殺すぞ」 少し遅れて地面に血が広がる。キュウビ様が思いっきり腕を噛みちぎっていた。 「不味い。子供の肉の味がする。」 『えっ…?』 「お前も食ってみろ。」 言われた通りにそれを口に運ぶ。確かに水っぽくて美味しくない。頑張れば食べられなくはないけど、そこまでして食べたいとも思えない。 『まあ…美味しくはないですね……』 「あんな人間に気を遣う必要はない。」 「チッ…こういうのは2回目だが…非常に困る。結局こういうやつは味でしか子供かどうかを判断できないのだ。だからわざわざこんな所にまできて我等なんぞと話したがる。結局、人間なんてこんなのばっかりなのかもしれんな。」 そう言うと、キュウビ様は深く溜め息を吐いた。
不細工な小型犬が美人な大型犬に恋をする。 何でか知らないが結ばれて生まれてきた仔犬は小型犬の丈夫な不細工な小型犬ばかり。 賑やかになる。 ワチャワチャする。 近所の人達はあそこ何時もうるさいわね~と噂する。 仔犬たちが大人になってやはり美人の大型犬や美男の大型犬と何故か結ばれる。 しかし驚くことに産まれてくる仔犬は美男美女の中型犬や大型犬。 お婆さん犬になった美人の大型犬は家で静かに暮らす。 何かを見通す目で。 孫犬の中で唯一不細工で小型犬として産まれてきた仔犬は何時も皆から仲間はずれにされている。 しかし美人の大型犬のお婆さんはその仔犬を一番可愛がる。 お婆さん犬が亡くなる前に子供の犬たちや孫犬たちは何処かに引き取られていく。 新しい土地へ。 新しい生活へ。 家に最後まで残ったのは不細工な孫犬とお婆さん犬だけ。 お婆さん犬は言う。 「あなたがお爺さんに似ていて一番美しくて優しいのよ。最後まで一緒にいてくれてありがとうね。」
男は踵を引き摺りながら、夜の町を歩いていた。駅を出た時は足早に歩いている人が何人もいたが、今ではすっかりいなくなっている。明かりはついているが音のない迷路のような住宅街をのろのろと歩く男は、音もなく掠ってくる冷たい風を避けるようにダウンのポケットに両手を入れた。 男は漫画家を目指していた。芸術学部のある大学に進学し、その後上京してアルバイトをしながら三年が過ぎていた。その間、何の成果も上げる事なく、ただただ七年という時間を通過していた。漫画家を諦めたわけではない。描き続けてはいるが、それだけの日々。投稿する頻度も、ペンを持つ時間も減り、言い訳の種類と回数だけが増えていった。 今日も昼からのアルバイトを終えた道で考える事は、バイト中での自分の言動を振り返り反省すること、夕飯のこと。あと、明日のバイトのこと。 住んでいるアパート近くの公園を横切った時、ふと高校生の頃の自分を思い出した。 大学受験に向けて画塾に通いながら、漫画を描いて東京まで持ち込みに行っていた。出張編集部があると知れば、その日を締め切りにして明け方まで原稿用紙に向かっていた。 部屋の電気をつけ、ゆっくりと現に戻った。キッチンに置かれた二人掛けのダイニングテーブルには開けたままのノートと芯を出したままのボールペン、付箋だらけの本やメモ帳が散らかっている。ついさっきまで、そこに誰かが座っていたかのように。 窓を閉め切ったベランダからわざとらしい大きなため息が聞こえたような気がした。 そんなことも明日の朝にはきっと忘れて、足を引き摺りながらバイトに向かうのだろう。 こんなダラダラとした中身のない日記にもならない独り言を誰が読むでしょう。紙とインクの無駄遣い。こんなものを許してはいけない。いけないって、分かってはいるんです。
明け方の始発に、一匹のウサギが乗っていた。空を見上げると月があって、その月にはウサギがいなかった。このウサギは月のウサギらしい。仕事を終えて帰るところなのだろう。ウサギはスマホをいじっていた。そのスマホにはニンジンの画像が表示されていた。月のウサギでも、ウサギはウサギだな、と思った。
「では、選考結果は後日メールにてお送りいたします」 私がオンラインミーティングを終えると、部かが近づいてきた。 余程私に疲れが見えたのだろう、部下は私にお茶を差し出してきた。 「お茶くみは、部下の仕事じゃないんじゃなかったっけ?」 「何年前の話ですか。忘れてください」 入社早々、「多様性の時代だから部下にお茶くみさせるのが当たり前とか思わないでください」なんて頼んでもないのに宣言していたのが懐かしい。 思わず、同僚たちと吹き出したものだ。 部下は私の手元にある履歴書を持って、眉を顰める。 名前なし。 性別なし。 年齢なし。 住所なし。 わかることと言えば、ITの資格をいくつか持っていることくらいだ。 「外国人だったんですか?」 「多分」 「多分って」 「国籍なんて聞いちゃ駄目なんだよ。差別になるから。ま、日本語は上手く喋れてなかったけど」 「ええ……」 「ついでだ。それ、シュレッダーにかけといて」 私は早速メールを作る。 と言っても、事前に用意された文章を送るだけだが。 選考をしたという建前を守るために、メールの発信は数時間後。 自動送信での対応だ。 「日本語が下手だから採用しないってのも、差別に当たるのかねえ」 昔の癖で、左胸に手を伸ばす。 胸ポケットに煙草の箱が入っていないことを思い出し、その場で煙草を一服する振りをした。
全く嫌な日だ。大嫌いな場所に行かなきゃいけないなんて。しかし、行かなければいけないのだ、薬をもらうために。 「ハァ……行きたくねぇ……」 私は昨日の夜からずっとため息がでていた。新しく買ったマイクの実験も兼ねていたが、どちらかというと吐き出したかったのだ。 電車の中で、昨日呟いた12分間のボイスメモを聞いていた。自分の声は好きではないのだけれど、なぜか落ち着くのだ。まるでそこに「嫌だよねぇ、ほんとだよねぇ、ヤレヤレだねぇ」って言ってる人がいて、それなぁって共感する。 しかし困ったことに、実家で呟く訳にはいかない。 「突然何してるの?頭おかしくなったの?」 そう言われるに決まってる。逆に、両親が同じ行為をやり出したらこちらも不安になる。 私は頭がおかしい。それは自覚している。 だからなんだというのだ。そういうお前は、おかしくないと人前で大声で言えるのか? 昔、言の葉の庭という小説で心に残っている一文がある。 「人はどこかちょっとずつおかしいんよ」 本当にそのとおりだと思う。 私はおかしいし、あなたもおかしい。 それは個性だと、私はただ静かに思う。
私は暗く、冷たい部屋にいた。最初は時々そこに入るだけだった。すぐ出るはずだった。だんだん時間が増えて、いつからかそこが私の居場所になった。本当に部屋だったのかもわからない。石質の地面は硬く、私の熱をどこにも伝えず奪うだけだった。光はどこからも入って来ず、この壁や床がどこまで続いているのかわからなかった。歩いて確かめに行く体力も気力もなかった。そこが私の居場所となってから、私は寝転んだまま動かなかった。どれくらいの時間動かずにいたかもわからない。 けれど、いつも退屈ではなかった。少し長く息ができた時、目を閉じて、地面から伝わる冷たさも切り離して、私は旅をした。どこにだっていつにだって行けた。満開の桜の下で桜餅を食べた後にスキー場でリフトを限界まで揺らした。温泉地に行って足湯だけ入る贅沢もした。 旅から帰ってきても、旅の思い出が私を楽しませた。 その日は浜辺でビーチサッカーをしてへとへとのデロデロになった。砂にめり込みながら「ずっとここにいたい〜」と言った。そしたら誰かが「いればいいじゃん」と言った。 その時からだった。帰ってもそこは浜辺だった。浜辺になっていた。 本当は、私はずっと浜辺にいた。私はどこにだっていた。あの暗くて寒くて体がガッチガチになる部屋は、ほんとうは浜辺で、晴れた日曜日の公園で、梅も桃も桜も満開だった。 私はどこにだって行けて何にだってなれた。ずっと、はじめから。
海で釣りをしていた。ラジオが釣れた。クジラの声を放送していた。この海からクジラがいなくなってしばらく経つ。海の中の皆も寂しいのだろう。
「入社おめでとう。君たちも社会人になったことだし、ここらで生命保険に入っておくのがいいぞ。会社の推奨はこれだ」 とりあえず入った。 「確定拠出年金を始めないか? 毎月の給料からコツコツと積みあげて、将来の年金を増やせるんだ」 とりあえず入った。 「持株会に入らないか? 毎月の給料から少額の株を買って配当をもらうんだ。今なら、一口につき○○%の株プレゼントもあってお得だぞ」 とりあえず入った。 正直、何の目的で、将来どうなるのかよくわかっていない。 しかし、会社が大丈夫と言っているのなら、きっと大丈夫なのだろう。 上司の指示を聞くのが嫌だとフリーランスになった友達たちは、成長が楽しいと喜びながら、仕事がない貯蓄が不安だと嘆いている。 ぼくは、成長なんて感じないけど、仕事や貯蓄への不安もない。 多分会社が何とかしてくれる。 「酒、うま」 どっちが幸せなんだろうか、なんて考えるのも面倒になって、とりあえずお酒を飲んで寝た。
そこは緑豊かで温暖な、美しい国だった。爽やかな初夏の風に乗って、燕がスイっと空を飛ぶ。その下には青葉を茂らせた森がどこまでも広がっていた。 チィ!チィ!と小鳥が鋭い鳴き声を上げた。のどかな森の中を、男たちが歩いてきたのだ。その数は、およそ200名。ほぼ全員が同じ海松《みる》色の軍衣を纏い、編み上げのブーツを履いている。手には手綱を握り、山のような荷物を載せた大亀を連れて、森の中をゆっくりと進んで行くのだった。 彼らはこの国の輜重《しちょう》兵、つまりは物資の運搬を行う兵士たちだ。横を歩く肩ほどまでもある大亀は、不知蔵《イサツ》という、ここらに生息している動物だ。大人しく力持ちで、馬の少ないこの国では、モノの輸送や農作業に使われることが多い。 輜重兵の一人、ジエンは、隊列の最後を歩きながら、ぼうっと故郷のことを考えていた。ここからさほど遠くない田舎村だが、帰れるのはいつになることやら。田植えの時期に働き盛りの男がみんないないのだから、家族はさぞ困っているだろうに…… 「ねぇ、兵隊さん」 声をかけられて振り向くと、従軍看護婦の娘が立っていた。この先の町までだけ、彼女らは輜重兵の末尾について歩いているのだ。 「どうした?」 「兵隊さんって、よくそんな黙々と歩き続けられるわよね。私、退屈しちゃった」 そう言う彼女の目はくりっとしていて、いかにもお転婆そうに輝いている。他の看護婦らは歩き疲れてへばっているというのに、随分と元気な娘だ。ジエンが感心している間に、娘はまた喋り出す。 「私、ロウォっていうの。看護学校を出たばかりの十八よ。なのにこんな西の果てまで連れてこられるなんて、もうびっくりだわ!」 「へぇ……」 「ねぇ、あなたは? 名前は何ていうの? 私よりちょっと年上かしら?」 「あー。俺はジエン。二十一だ」 「あら。三つ上ね!」 まるで面白い話でも聞いたかのように、ロウォはころころ笑う。ジエンは微笑み返しつつ、やかましい娘だなぁと内心呆れていた。 「ロウォ、だったか。街までまだ一里はある。喋ってるとバテるぞ」 「なんのこれしき。体力にだけは自信あるんだから」 「……」 「あ、もし黙って欲しかったら、そのイサツに乗せてちょうだいよ。そうしたら静かにしてるわ」 ロウォは目をきらんとさせてジエンを見上げた。ジエンの曳くイサツは輜重兵自身の食糧を積んでいるので、今は少し空きがあるのだ。ジエンはため息をつくと手早く荷物を分け、イサツの甲羅のてっぺんにロウォを座らせてやった。 「わぁ、思ったより高いのね! すごいすごい! お父さんに肩車されてるみたいだわ!」 「静かにするんじゃなかったのか。街に着いたら、そこから看護婦は列車だろう。そこで喋ったらいい」 「だって、あなたと喋れるのは今だけじゃない? まぁ、私よく『うるさくてかなわん』って言われるから、慣れてるけど。あなたも私がどうしても嫌だったら、降りろって言ってね」 「いや、好きだよ」 「え?」 ロウォは目をぱちくりさせて、ジエンを見た。ジエンはちら、と横目でロウォを見、堪えきれずにくすりと笑った。 「なんだ? 俺は荷物を載せるより、人を乗せる方が好きなんだ」 「……あっそう。からかったのね?」 「なんのことだ?」 ジエンは得意げに目を細め、前を向いてイサツを曳いた。ロウォはぷんとしてそっぽを向く。しかし、街からの風が頬を撫でた次の瞬間には、ロウォはまた次の話を始めるのだった。
『折り紙で、鶴を作ってみましょう。画面をタップしてね』 「はーい!」 息子がにこにこしながら、タブレットをタップしている。 タップする度、画面に映る紙が折られていき、鶴の形に近づいていく。 「それ、面白い?」 「うん!」 あまりに不気味だったので思わず声をかけたが、息子は何の違和感も感じてないのか元気な返事を返してきた。 「そう、なら、いいんだけど」 「うん!」 私は息子を見ながらソファに座り、サイドテーブルに置いてあった折り紙を手に取り、鶴を折った。 「時代だなあ」 折り紙は、ちゃんと折ったつもりがぐしゃぐしゃになって、角と角がぴったり一致するようになる過程が面白いというのに。 果たしてタップするだけのデジタル折り紙で、何が手に入るというのだろう。 私が折り鶴を完成させて掴んだ時、息子もデジタル折り紙を完成させたらしく、嬉々としてタブレットを見せに来た。
業務時間は、午前が八時半から十二時までの三時間半 午後が一時から五時半までの四時間半。 「今日、半休とります」 「りょー」 半休という制度を使えば、午前か午後、どちらか好きな方を休むことができる。 そして、休んでいる間も出社扱いとなり、給料が発生する。 午前と午後で業務時間の長さが違うのに、午前と午後で区切られているのも変な話だ。 「やっぱとるなら、午後だよなあ」 「なんか言いました?」 「独り言」 ついつい、倹約家の血が騒ぐ。 午後を休めば、午前を休むより一時間分得だ。 なんてことを考えてしまう午前のこと。
しばらく連絡のなかった兄の現状を知ったのは、警察からの電話だった。 人を殺したらしい。 何人も。 ぼくたちはただの家族から一変し、人殺しの家族になった。 「今のお気持ちは?」 「遺族の方に申し訳ないという気持ちはありますか?」 「実の家族が犯罪者になって、何か感じることは?」 連日、家に押し掛けるマスコミ。 マスコミの音と光は、殺人鬼の家がどこなのかを世間に教える、いい目印になってしまった。 マスコミが飽きた後、待っていたのは近所の人と他人からの攻撃だ。 「いつまでいるのかしら?」 「早く引っ越してくれればいいのに」 「やっぱり殺人鬼の家族だからかしらねえ」 両親は、日に日に衰弱していった。 父は目にクマを作って会社に向かい、生活費を持って帰って来る。 母は頬もごっそりコケてやつれ、夏だというのに炬燵に潜って眠っている。 ぼくは、学校に行って帰った。 冷たい視線が刺さって来る。 時には暴言が飛んでくる。 石を投げつけられて、額から血を流すこともあった。 「引っ越し先が決まった。来週の夜、この町を出よう」 父は、母とぼくに言った。 ずっと、引っ越しと転職を考えていたらしい。 「でも、この家がないと、あの子の帰ってくる場所が」 「……もう、住むことはできないよ」 母は最後まで抵抗していたが、父が押し通した。 既に母の通う病院も目星をつけたらしい。 「もう少し時間をくれない?」 ぼくは、引っ越しに賛成しつつ、時期をずらして欲しいと頼んだ。 「なにかあるのか?」 「殺人鬼の弟らしいから、殺人鬼の家族らしいことをやって来る。後、ずっと溜めてくれたお年玉、今全部もらえない?」 溜めに溜めた暴力の証拠を持って弁護士事務所に向かって、被害届というやつを出す手伝いをお願いした。 ぼくを殺人鬼の家族だと、犯罪者の家族と嘲笑った皆様。 おめでとうございます。 今日からあなたたちは、犯罪者の家族ではなく、犯罪者張本人です。 受理されたのは僅かだったけど、一瞬でも恐怖を与えることができたから、ぼくは満足だった。 新天地で、被害届を取り下げて欲しいという訴えが来たと、弁護士から聞いた。 当然断った。 だって、君たちも石を投げるのをやめなかったから。 電話を終えると、自然と涙が出てきた。 そんなぼくを、父が後ろから抱きしめてくれた。 この涙は、嬉し涙か、それとも悲し涙か。 殺人鬼の家族であるぼくには、人間の血なんて流れていないからわからない。
「筋トレが趣味なんだよね」 「かっこいい!」 「素敵!」 男Aが力こぶを作りながら言った。 評価は上々。 「食べるのが趣味なんだよね」 「痩せろ」 「デブが」 男Bが丸い腹をさすりながら言った。 評価は下々。 「趣味の副産物に評価が下されるこんな世の中じゃ……」 男Cがつまらない現実を憂いた。
この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。 堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。 犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」 鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。 彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。 意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。 うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。 あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」 そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。 当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。 彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。 薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」 辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。 そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」 食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。 その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」 ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」 差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」 答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。 途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」 もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。 髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。 流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。 色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。 言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。