最終関門プロポーズ

 どうして、女はプロポーズ待ちをするのか。  結婚したければ、自分からプロポーズをすればいいじゃないか。    そんなことを言われた。    わかってないな、男さん。  プロポーズ待ちとは、男への最終テストなのだ。    育児。  家事。  労働。  結婚とは、理想だけではない。  過酷な現実の連続だ。    男が女にプロポーズするとは、過酷な現実を受け入れ、責任を取ると言う男の覚悟に他ならない。  というか、プロポーズごときでひよる男なんて、結婚という現実を前にすればすぐに逃げ出すし折れる。    プロポーズ待ちとは、結婚生活を共にできる男だけを炙り出す儀式なのだ。  プロポーズ待ちを非難するやつらなど、むしろこっちが願い下げ。  結婚しなくて大正解なのだ。       「別れよ」    話は変わるが、彼氏と別れた。  十年付き合った彼氏だった。  職場の子といい感じになったとか。    はい、不合格。  プロポーズ待ちの関門、クリアならず。  なんてなさけない男だろう。    こいつは結婚しても、いざと言う時に逃げ出す無責任男。  職場の子も可哀想に。  私はこいつの正体を知って、別れられてラッキーだ。  結婚していたら、間違いなく不幸になってきた。  育児も家事も労働も押し付けられて、私は不幸になっていただろう。  はい、ラッキー。  さあ、さっさと出ていけよ不合格者さん。   「私の時間返してよ! 責任取ってよ!」    そのはずが、口だけが勝手に動いていた。    おかしいな。プロポーズもできない無責任男と別れられて、正しいはずなのに。    あれ。

STAR CAFE

「子どもたちの数? 数えたことないわ〜……。でも、たっくさんいるわ」 暗いカフェの角。僕は目の前のマダムと食事をしていた。マダムは真っ赤な口紅を施した艶やかな唇を弧の字に歪ませて、天を仰いだ。 僕は不満げに問う。 「子どもに興味ないのかい?」 マダムは心外だとでもいうように目を丸くし、口を窄める。僕よりも格段に年上なのに時々こうやって子供のような仕草をする。 「あるわよー。でもね? どこでも喧嘩ばっかりで手を焼いちゃう。一緒に育ててみる? なーんて」 「子どもが多いとそうなりますよね」 わかったフリをしてみるが、あいにく僕に子どもはいない。 ふと、目の前のマダムは目を伏せて、近くの地球に目をやる。 「本当に……。愛していても、人間は何かを渇望して喧嘩をやめないの。止めようとはしないわ。学ばないから」 マダムの表情には愛と同時に残虐さが混在していた。妖艶で危険を帯びている。 マダムが地球の上で指を回すと、くるくると可愛らしく地球が応える。 星が散りばめられた黒いカフェでは、いろいろな神が訪れる。 彼女は地球の女神。人間には何と呼ばれているのだろう。それとも存在すら忘れられているのだろうか。 「あなたは子どもは要らないのかしら? 人間たちは月にはウサギがいるとかカニがいるとか美しい少女がいるとか噂されているのよ」 思わず吹き出してしまう。 「ありえないね。僕は君と長老がいれば他は何も要らないさ」 「変わらないわね」 何度となく繰り返されている会話だ。 僕は何とは無しに指を回す。目線の先に浮かんでいる月にはクレーターが増えていく。 ウェイターが持ち込んできた星のパスタと星の液体を味わう。相変わらず甘酸っぱくて美味しい。 「それじゃあ、今日もよろしく」 「ああ、今日は三日月だよ」

タイムトラベル

「博士、本当に行くのですね。」 「ああ、先に行ってくるよ。」 「では、また100年後の未来で会うのを楽しみにしていますよ。」 そう言うと助手のワトソンはボタンを力強く押した。 宇宙船は大気圏を抜け、予想よりわずかに出力を高く保ったままついに宇宙へ飛び出す。 たった3年の旅だ、それを地球時間に換算すると100年が経過していることになる。 人間の寿命では通常体験できない未来を私は見ることができるのだ。 いずれ帰る未来の地球を想像し、ともに宇宙旅行をしているワトソンと酌み交わす酒を楽しみに私はつらく長い旅をひとり耐え抜いた。 懐かしの青い星をとらえると宇宙船はプログラムに従って3年、否100年前の約束の場所へ向かった。 無事に着地すると何やらスーツを着た男が宇宙船のもとにやってくる。 「お帰りなさいませ、こちらW株式会社のものです。データ照合をいたしますので少々お待ちを。」 「はあ、これはどういうことだ。おい君、ワトソンという男を見なかったかね。私の助手なんだが。」 「何冗談をおしゃいますか。ワトソン氏はわが社の創設者ですよ。」 そう言って笑った男の顔が突如として冷酷なものに豹変した。 「不法滞在者だ、連れていけ。」 スーツの男が虚構に向かってそうつぶやくとどこからともなく屈強な男たちが現れ、私の体を乱暴に宇宙船からひっぺがした。 「おい!いったい何をするつもりだ。」 「滞在費は宇宙での労働でもって支払ってもらいます。それでは、よい旅を。」 スーツ男の感情のこもらない笑顔はちょうど3年前、宇宙船の窓越しに見たワトソンのそれとよく似ていた。

展翅_03

電気屋というだけあって、広く細かなものが多くあるのがよく分かった。私は詳しくないが、後ろに着く彼はきっといろいろ詳しいのだろう赤い自販機に目を通す、財布を取り出す私に「付き合わせているので、俺に飲み物くらいおごらせてください」 まだ何を買うか見定めていないのにもかかわらず五百円玉を自販機に入れ込み、さぁ!という目線で私の選択を待つ。結果私はグレープとマスカットのフルーツティーを選んだサントリーの紅茶シリーズは好きだった。もっとも十年前くらいにはやった、透明なミルクティーは私は好きではなかった。なんだか何を飲んでるのかわかんなくなる感覚が気持ち悪かった。味はそのままなのにと驚かされたのを覚えている。ありがとうございます、とペットボトルをひねる私を今度は彼が横目に、私を誘導した。 足元を見れば、この店のどこにどんなものがあるか、のフロア表が貼ってあったりした。 彼はモバイルバッテリーのようなものを手に取り、凝視している、これではないということを何度か繰り返していた、正直興味もなかったので私はフルーツティーを嚥下して、ケータイをいじったりして暇を持て余した。とはいえ、十分もせず会計に向かった レジにいた店員はきっちりと身なりを整えた男性だった、目が合えばにこっと笑ってくれた、その顔が俳優の高杉真宙さんにそっくりだった。いつか見た映画で好きだった役を彼がやっていたので顔が頭に浮かんで出てきた、最も私は好きな俳優も女優もいない。嘘も意地もなくテレビの人間より、私の友人らのほうが顔も性格も整っていると思うのでそういう手の届きそうで届かない娯楽に好きなものを作るのはよしている、テレビやネットの世界は常に娯楽であるから面白い、それは皮肉的にもアイドルなどの炎上でそれを袋叩きにして国民が承認欲求を満たしてるときであってもだ。 この後は普通に帰れると期待していた私の瞳を眩ますように、彼は長話を始めた。 「こんなことを言っても倉渡さんなら大丈夫でしょうか、俺実は結構過去はやんちゃしていて、十七の時から渋谷で飲んでは女の子とっかえひっかえしてたような男なんです。」 「それは、まぁ、なんというか、若かったんですね、私の周りにはそんな男の子はいませんからそういうノリがあった、くらいに受け止めておきますが、それがどうしたんです?」 「えぇ、だから俺は経験人数が九十人前後です、さすがの倉渡さんも動揺が隠せませんか、俺確かにそうは見えないでしょうしね、けど、彼女は片手に収まるくらいですし、彼女がいたときは遊びも飲みも断るくらい誠実ではあったんです」 「そうなんですね」 「で、ルナちゃんのお母さんと結婚してから、女遊びもなかったし、女の子にときめくだなんてことなかったんです、ここ十年くらいかな、そこら辺に歩いてる姉ちゃん見ても胸がでかいとか、金髪だなとかその程度だったんです」 私の手を取り彼がさすりだす、私は声が出なかった。けど怖くはなかった。人目があったから、ここで私が声を出せば大丈夫だと過信していた。けど、気持ち悪かった 「はぁ、女性的な人に惹かれるのは男性ならばいくつになってもあり得ることなんでしょうね、私はそういった経験もなければ過去の恋が純情だった、とも言い切れないので何とも言えませんが」 「純情じゃない?」 「あぁ、いや大したことじゃないです、dvだったり浮気性だったり、なので私は恋人以前に異性にあまり信用を置かないようにしているんです、最もきっと私の最初の恋は女性でしたので今の言葉に信憑性などありませんが、」 「レズビアンというわけではなさそうですが、」 「えぇ、私は多分異性だろうと、同性だろうと、好きな人が好きです、でも女性を好きになったのはそれっきりですし、付き合うことはなかったです。ただ、相手はとてもきれいな目をした小学校の頃の女友達です。もし君が先に死んだら君の目をください、だなんて気持ちの悪いことを言っていたのを今でも覚えていますその時私は小学二年生だったそうですよ。母親に止められて自覚した、という感じです、昔から瞳に惹かれるのでしょうね、私は」 自語りが過ぎたと思ったころ、関心を彼は私に示して、自分を肯定してもらったような表情を浮かべていた。正直何を言い出すかと思えば、ルナの義父の昔話、もしやルナにも同じことを言っていないだろうな。と歯を食いしばる、もしそうだとしたら私は許さない、こういう状況に苛まれている私たちは、私の手元にある蝶そのもので、ゆっくりと相手の言葉に展翅され動けなくなっていくのが分かるからだ。それに加えて、何かを守ったりする正義感なども相手の手中に収まる。私の場合はルナも同じ目に合っていないかという危惧、そして私で満足するうちは、という自暴自棄だ。 「そうです、それです。それで俺は貴女に恋をしているんですよ、倉渡さん」

職場王国

 久しぶりに出社した。  ずっと自宅からテレワークをしていたので、他の社員と肩を並べて仕事するのはいっそ新鮮だ。    しかし、仕事を始めて数十分。  すぐに違和感へとぶち当たった。   「ティッシュがない!」 「ゴミ箱がない!」 「冷蔵庫の中にコーヒーがない!」 「水道に浄水器がついてない!」 「メモできる紙がない!」    備品としてデジタルな機器はやまのようにあるが、アナログな道具が少なすぎた。    退勤後、私はすぐに行動を開始した。    職場の机の隣に、サイドテーブル設置。  サイドテーブルの一番上に、コーヒー二リットルとミネラルウォーター二リットルのペットボトルを設置。  隣にティッシュボックスを設置。  棚の中にペンとメモ帳を設置。  サイドテーブルの隣にゴミ箱を設置。    僅か一夜にして、自宅に近い環境を完成させた。  一夜城ならぬ、一夜机だ。    出社する社員たちは、私の机を見てぎょっとした。  きっと、「その手があったか」と驚いているのだろう。  真似していいよ。    業務時間が始まってしばらくすると、課長が私の机までやって来て、私の机を見て首を横に振った。   「これは、駄目だよ」 「え?」    かくして、私の一夜机は十分で崩壊した。  私の仕事の能率は半分にまで落ちた。

展翅_02

電車の揺れに身を委ねて目を閉じる、そのまま何駅か通り過ぎる、人はそこまで出入りした様子はなかった、それでも三駅目あたりの開閉で入ってきた人影が私の前で止まる、そこまで混んでいなかったし目を瞑っているとしても両隣の席が空いてるなどは気配で感じられる、悪意がある感じではないが、そわそわとしているような感じがした。 知り合いかとよぎったが、私の友人がこんな遠方に来るタイプだとも思わない このまま眠ったふりを貫いていたらきっと面倒事に巻き込まれなかっただろうが、私はなるべく自然に目を瞬かせながらゆっくり開いた。 「あ。やっぱり、倉渡さん、お久しぶりです」 元気のあるしゃがれ声が私を後悔させる。 目が合えば目尻にしわを作って笑う、丸っこい浅黄色と茶のメガネの淵から瞳孔の黒さを知る。 「お疲れ様です、そしてお久しぶりですルナのお義父さん」眠っていたのにじっと見てしまった悪かった、と彼は申し訳なさそうな顔をしていた、お気になさらず、と膝の上に抱えていた彼女が入っている紙袋に力をこめる。隣に座ってこなかっただけマシだと考えることにした。ただ、彼は車を持っているはずだったので電車にいるのはどうにも不自然だと思った。仕事もしていなく趣味は犬の世話とガジェット機器だった つり革をつかんでこちらをにこにことみている彼に問う 「そういえば、今日は何をしに?他意はないのですが、いつもは車で移動していると伺っていたので」 「あぁ、今日はねルナちゃんのお母さんが車を使いたいって言ってたのと外に出ているのは気分転換、俺たまにこうやってふらふらするだけの時間作るんですよ。」 「なるほど、お母さんはお仕事で?あの方いつも忙しそうで時々心配になりますが」 「そうそう、送り迎えの社用車が足りないとかなんとかで、私運転できるからってそれ乗って行っちゃった」 ルナの母は福祉職に就いていて、頼られることも多く精神的に辛い中であろうと、肉体的に傷つこうと休むほうが落ち着かない、とでも言いたげに頑張る、とても女性らしい人だ。それに対して心配の目を向ける私に彼は続ける 「最近はルナちゃんのお姉さんの結婚式が近いこともあって仕事は前より量が減りました、まぁ、家の中でウェルカムボード作ったりで忙しいことに変わりはありませんが」 「そうですか、ならよかったです、私次で降りますね」 「倉渡さんこの後のご予定は?」 「とくには、」 「それならご飯でも一緒に」 アナウンスが鳴り、立ち上がる私についてくる、 「先ほど食べてしまったんですよね、」 ドアが開き、ホームに足をかけ、手を振ろうと後ろを振り向くと、彼は私の横にいた。 ルナと私の家は反対方向なのでまず、彼が家に帰るにはあの電車に乗り続けていないとならなかった 「それなら、俺の暇つぶしに少し付き合ってください」 藤沢駅のホーム、雑踏の中私は少しだけため息をついて、ぱっと顔を上げて首を傾げどこに行きたいのか、を聞いた。電気屋にというのでそのままホームへ向かう。江ノ電乗り場などが目に付く。海や水族館なんかもいいなと思った、三月の上旬のこと。ぼうっと、一人で歩いてしまって、ルナの義父をつい追い越していた 「倉渡さんは足が速いんですね、いつもはルナちゃんに合わせてくれてるのがよくわかります、荷物を持ってあげたり、ルナちゃん恋人はいますが、どちらかといえば倉渡さんがルナちゃんの彼氏みたいですね。」 「御冗談を、確かに女友達は彼女だけと言っていいほどで信用も信頼もしていますが、それは決して恋慕ではないです」 「恋慕だなんて、倉渡さんは文学的ですね、月が綺麗ですねとか言ってきそうだ」 「さぁ、どうでしょうか」 はぐらかすように私は笑う、大きな建物が並んでいる、その駅の広間みたいなところで藍染のようなものを売っていたり、弾き語りをしていたりする、ギターの荒々しい中に、歌詞の切なさと弾き語りをしている男の夢なんかがちらついて見えたりする、紙袋の中の彼女は意思があったらこの状況をどう思うだろうか、ルナの義父と目線を合わせないまま目的地に向かう、すると 「倉渡さん!」と私の名前を強く呼ぶ、私はふと、彼のほうを振り向く。なにか粗相をしたか、と不安で上目遣いをしてみる。 彼はニタリ、と笑う 「やっとこっち向いてくれた、なんだか先ほどから顔色も悪そうですし休憩しますか?」あぁ、やられた。これは優しさではない。 私はそう思いながら「そうですね、電気屋の中に自販機が見えます、そこで水でも買います」 足早に電気屋へと入っていった。

悪人よいなくなれ

「私は神だ。お前の願いを一つ叶えてやろう」    奇跡が起きた。  私は躊躇うことなく、願いを口にした。   「悪人を全員消してください!」 「悪人とは、どんなやつのことかね?」 「私より悪いやつ、全員です!」 「その願い、かなえてしんぜよう」    その日、人類の三分の一が消えた。  私をいじめていた人間も、公共の場でマナーを守らないやつも、全員消えた。  いい気味だ。    私は、正しい人間しかいない世界を、大手を振って歩いた。        気が付けば、私は逮捕されていた。  私より悪いやつが全員いなくなったから、この世で一番悪いのは私と言うことだ。  ルールも、当然変わって来る。   「私は悪くない……」    悪は絶対的でなく相対的。  それに気づいたのは、私の身柄が拘束された後だった。   「囚人第一号、おめでとう」    厭味ったらしく言ってくる看守を見ながら、私はこんな奴よりも悪者だったのかと頭を抱えた。

メンタリスト

「メンタリストの仕事って、結局、相手の嘘を見抜くことなんですよね」  向かい側に座る香織が、カフェラテの泡をストローでいじりながら言った。 ベージュのブラウス。適度に整えられたネイル。そのすべてが「私はまともな側の人間です」と、無意識の主張を繰り返している。  その言葉が耳に届いた瞬間、僕の背骨のあたりを、正体不明の冷たい粘土が這い上がった。  僕が普段から駆使しているのは、視線の動き、微細な表情の揺らぎ、あるいは発話までのコンマ数秒のタイムラグを数値化し、最適解を導き出す「技術」だ。 けれど、彼女にその「技術」を名指しされた途端、僕という人間の組成が、根本から組み変わってしまうような錯覚に陥る。 「まあ、そう思われがちだよね」  僕は、鏡の前で数千回は繰り返したであろう、「自意識を適度に隠蔽した微笑み」を顔面に貼り付ける。  この時、口角は一ミリだけ左右非対称にするのがコツだ。 その方が、相手は「この人は自分にだけ、取り繕わない一面を見せてくれている」と勝手に誤認してくれるから。  けれど、今の僕は、自分の顔がどの程度の確信を持ってその表情を作っているのか、まるで見当がつかない。    嘘を見抜くことを生業にしている。そのレッテルを貼られた瞬間、僕の発するすべての言葉は、真実という回路を通ることを禁じられる。 「そのネイル、綺麗だね」という賞賛も、 「今日のコーヒーは美味しいね」という世間話も。 すべては相手をコントロールするための布石であり、計算された演出であると定義されてしまう。  もっと恐ろしいのは、僕自身もまた、自分の言葉を信じられなくなっていることだ。  今、僕が感じているこの「居心地の悪さ」は、彼女への好意から来る焦燥なのか? それとも、自分の手の内を透かされたことへの防衛本能なのか?  感情にまでタグ付けをし、因果関係を整理しようとするこの思考回路そのものが、すでに「素の自分」という領域を食い潰している。  僕の身体の境界線が、ドロドロと溶け出していく。  どこまでが僕で、どこからが「メンタリスト」という役割なのか。皮膚の下に詰まっているのは、血や肉ではなく、無数の、名前のない「嘘」の集合体だ。それは一つの生命体のように蠢き、お互いの尾を飲み込み合いながら、僕というキメラを形作っている。  信じようとしていたはずの、彼女とのこれまでの時間。  それすらも、後出しのジャンケンのように「嘘」という色に塗り替えられていく。 「嘘を仕事にする」という選択は、自分の喉元に、一生剥がれないお札を貼り付ける行為だったのだ。 『お前はもう、何者でもない』  呪いは、僕を内側から食い破ろうとしていた。 「……あ、ごめんなさい。仕事の話なんて、疲れちゃいますよね」  香織が、申し訳なさそうに視線を落とした。  その仕草に含まれる微かな罪悪感。それさえも、僕の脳内では『相手に優位性を与えるための心理的後退』というデータとして処理されてしまう。  救いようがない、と思った。 「いいよ、全然。むしろ、そう言ってもらえる方が楽かな。僕だって、二十四時間、誰かの本音を探ってるわけじゃないし」  嘘だ。  僕は今、この瞬間も、彼女がストローを噛む強さから、僕への興味の持続時間を算出しようとしている。  結局、僕は「本当の自分」なんていう、キラキラした若者が好みそうな幻想を、とっくの昔に切り捨てていたのだ。お札で封じ込めたのは素顔ではなく、素顔があるはずだという、身勝手な希望だったのかもしれない。  僕は、テーブルの上に置かれたスマートフォンに目をやった。画面に反射する自分の顔は、相変わらず、薄気味悪いほど完璧な「理解者」の表情をしていた。

対女勇者最強装置

 ついに、魔王の城へと辿り着いた。  空中に浮かぶ城に辿り着く手段は、目の前に存在する長い橋ただ一つ。    しかし気になるのは、橋の上に数字が浮かんでいることだ。   『0』    この数字には、何か意味がある気がする。  私だけでなく、剣士も魔法使いも僧侶も同じ考えのようだ。  数字をじっと見つめ、警戒を強めている。   「これ、何の数字だと思う?」 「橋の上に乗った人数を数える、とか?」 「そうだとしたら、何のために?」 「決まってる。三人以上が乗ったら崩れるとか、そんな小細工だろ。小賢しい」    不安はあるが、ここで足踏みするわけにもいかない。  今日を逃せば魔王の城は再びどこかへと飛んでいき、魔王城を探すところからやり直しだ。   「ま、乗ってみりゃわかるだろ!」    私が止める間もなく、剣士が橋へと乗った。  私は、万が一の時に剣士の体を引っ張れるように手を伸ばした。  しかし、橋は崩れなかった    代わりに、数字が変わった。   『八十二』   「こ、これは一体?」 「あ、これ、俺の体重だ」    剣士の言葉に、私たちはずっこけた。  橋の正体が、まさかの体重計。  魔王のセンスがわからない。   「どれどれ?」    魔法使いが乗った。   『百五十二』    七十キロか。  意外と重いな。   「どれどれ?」    僧侶が乗った。   『二百七』    五十五キロか。  意外と軽いな。    三人が橋に乗ったので、私も遅れまいと前に進……もうとして止まった。    待って。  今、これに乗ったら、私の体重が大公開されるのでは?   「どうした勇者? 早く来いよ」    剣士は能天気に言っているが、演技かもしれない。  乙女のトップシークレットを暴こうとする、狡猾な戦略なのかもしれない。    いや、待て。  大丈夫だ。  例え重くても、鎧を着ているからとごまかせるはず。   「しかし、すげーなこの橋。俺の鎧も剣も含まない、俺そのものの体重が出るんだ」    前言撤回。  ごまかせない。  やばい。    僧侶が、何かに気づいた目で私を見て、気まずそうに眼を逸らす。  おい、やめろ。  そんな目で、私を見るな。   「多分勇者様、自分の体重を知られたくないんだと……思います」    口に出すなああああ。  ああ、全員気づいてしまったじゃないか馬鹿僧侶。  魔法使いまで気まずそうな顔をし出したじゃないか馬鹿僧侶。    おい、馬鹿僧侶、なぜ気を使ってやったみたいな顔をして私を見るんだ。  神に祈りすぎて人間へのデリカシーを忘れたのか。    顔を赤くして立ちすくむ私に、剣士がゲラゲラと笑ってきた。   「大丈夫だって、勇者様。前の宿の風呂場で、『体重が○○!? 太ったー!』って叫んでたの、皆聞いてるから。今更勇者様の体重を知ったところで、何も」 「三人とも、そこに直れー!!」    私は駆け出した。  そう、ここは魔王城。  私以外が死んだとしても、魔王に殺されたのだと言い訳できる。  絶好の機会じゃないか。    ついでに魔王も殺せば、私の秘密は守られる。  あーっはっはっはっは。    橋の上の数字が変わった。             「ところで、貴方も見たよね? 覚悟してね?」

魔法の小瓶

五時間目の教室は、目に見えない睡眠薬が充満している。 さっきまで学食のA定食だった物体が、生徒たちの胃袋の中で無慈悲な消化液にまみれ、アイデンティティを剥奪されていく。 その「内臓の労働」が放つ熱気のせいで、教室の空気は誰かが吐き出したあとのぬるいスープみたいに濁りきっていた。 教壇から降ってくる教師の説教くさい声は、もはや意味を運ぶための記号ではない。それはただ、鼓膜をなでるだけの単調なBGMとして、僕たちを「まどろみ」という名の底なし沼へ引きずり込んでいく。 けれど、僕だけは違った。 「恋」なんていう、この教室の退屈なカースト構造とは無縁な場所にあるはずの劇薬が、僕の脳を不自然なまでにシャッキリと覚醒させていた。 隣の席に座る彼女に触れたいという、あまりに生々しい肉体的な欲求。 そして、その「聖域」に踏み込んで今の関係を台無しにすることへの、ヘドロのような自意識。 その二つが、僕の胸の中でずっと、終わりのないベイブレードバトルを繰り広げている。 彼女を網膜に焼き付けたいという渇望は、現実世界に映し出されるときには「数秒に一度、伏せ目がちに視線を盗む」という、ひどく卑屈でカッコ悪い挙動へと変換されている。 この、銀河系規模の激情と、カメムシみたいに矮小な行動のギャップ。 たぶん、窓の外を飛んでいる鳥から見れば、僕は透明な壁に閉じ込められたまま踊り狂っている、ただの痛いパントマイム役者に見えるんだろう。 黒板には、漱石の『普遍的趣味』という文字が、いかにも論理的なツラをして並んでいる。 僕は、自分の中のこの醜悪なまでに個人的な自意識を、なんとかして全人類に共通する「普遍」にまで無理やり格上げしたくて、祈るような気持ちでノートにペンを走らせた。 普段なら、いわゆる「味がある」と形容されるはずの僕の走り書きが、今日はただの崩れたジェンガのように見えた。 今日、このノートという名の祭壇に捧げられるべき「味」という一字は、パルテノン神殿の柱みたいな、完璧な黄金比を持ってなきゃいけないんだ。 一画書くたびに、その右上がりの傾斜に「妥協」という名の自分自身の汚点を見つけて、僕は消しゴムを召喚する。 紙の繊維を傷つけないように、でも、さっきまでのダメな自分を完全に殺害するために。 机の上に、死者の灰みたいな消し屑が散らばっていく。 僕は、そこにいないはずの大観衆に向かって、最高傑作の「味」をプレゼンしようとする、絶望的な一人芝居を繰り返していた。 ……笑えてくる。 僕のこの、魂を削るような消しゴムの往復運動に、気づく奴なんて一人もいない。 周りの連中は、自分の内臓が行っている消化という名の小宇宙に閉じこもっているか、さもなければ、ただの録画機能しかないレコーダーみたいに黒板を写しているだけだ。 そして、僕の「全宇宙」である彼女さえ、チョークが立てる乾いた音に集中していて、隣で必死に踊っている道化師の存在なんて、一ミリも知りはしてないだろう。 僕の情熱は、誰もいない劇場で、最高に贅沢な衣装を着て演じられる、世界一孤独で、世界一コスパの悪い喜劇だった。 いつの間にか、僕と彼女の間には、見えない壁がそびえ立っていた。 いや、違う。彼女が壁の向こうにいるんじゃない。 僕自身が、巨大なジャムの瓶の中に、逆さまに放り込まれているんだ。 ガラス越しに、決して届かない太陽としての彼女を眺めている、哀れな小人の捕虜。 それが僕だ。 密閉されたプラスチックの蓋の下で、僕の酸素は、恋の熱によってどんどん二酸化炭素に変わっていく。 息が、苦しい。 胸の奥が、冬の凍った池の表面みたいに、ミシミシと音を立てて割れそうになっている。 誰か、助けてくれ。 僕を救えるのは、神様なんかじゃない。 誰かがこの小瓶の蓋を奪い取って、せめて、あの家庭的な、薄っぺらくて頼りない「サランラップ」に張り替えてくれること。 そして、その透明な膜に、一本の爪楊枝で、残酷なくらいに優しい穴を開けてくれること。 それだけなんだ。 その穴から、彼女が髪を耳にかけるたびに生まれる、あの微かな春の風が入り込んでくる。 それだけが、この孤独なパントマイムを続ける道化師に許された、たった一つの生存許可証になるはずだった。 終演を告げるチャイムが、冷酷な金属音を響かせた。 誰にも見られなかった舞台の上で、僕は、完璧に書き直された「味」という文字の横で、酸素を求めてただ静かに、醜く喘いでいた。

はー今日も女の子と話せた

 幸せなんてそんなものかもしれない。 あの娘はおそらく僕のことをなんとも思ってないだろう。 脳内にいろんな脳内物質が出る。 恋をすると寿命が伸びるらしい。 ファインマンのように色恋に長けた物理学者もいる。 恋の物理法則。 君と僕との距離と心の質量が僕らに力学的な作用をもたらし量子の世界で変化が起きるとか自分でもよく分からないことを言って相手を混乱させることも出来るが失礼なのでやらない。 素直に君かわいいね、って言っとけばいいのかもしれない。 素直さが肝要。 君と僕との心の間にある作用点はどちらの重力波によってより強い作用をもたらすんだろうとか言って頭が悪いんですね、って言われて僕の心は重力の歪みを発生してしまうこともあるかもしれない。 素直に今日のお弁当可愛いね、って言っておけばいいのかもしれない。 恋のIQが足りない。 君と僕との心の駆け引きによって地球の時点速度が大きく変わって太陽が地平に沈むときの光のスペクトルが4原色以外のものに見えて素敵だね、って言ってお巡りさんこの人です、って言われそう。 素直に栄養のあるもの食べて早く病状が良くなるといいね、って言えばいいのかもしれない。 マッドフィジストは適応能力を欠き宇宙の法則を乱し今日も太陽に飲み込まれる。

最後のピリオド

僕の仕事は墓守、そして遺書の代筆人だ といってもただの代筆ではない 既に帰らぬ魂となった彼らの血から、その一欠片をペンに乗せて、彼らの未練を代筆するのだ そうして未練を浄化することで彼らの魂を安寧のものにする まるで聖職者のようじゃないか? そんなことはない 僕はただの大噓吐きなのだから 彼らの遺書を代筆する時、僕の手は僕から離れる 彼らの手によって遺書は書かれていく そんな彼らの言葉は大体が似通っている 「死にたくない」 それは濃密な生への執着だった そこには生きている者たちへの怨嗟の念が入っていることがほとんどだ もちろんそんなものを丸々遺族に見せるわけにはいかない だから僕は砂浜の中の一粒の宝石のような確率で混ざっている、綺麗なところだけを抜き出し、時には内容を少し変えて、遺族に渡している 遺族はそれで満足してくれるし、死者も未練を吐き出し終えて安らかに眠れる そして僕には魂亡き彼らの呪いのような言葉たちが海底の泥のように溜まっていく 辞めたいけど、これは僕だけしか出来ない事 だから仕方なく僕はこの仕事を続けている そんなある日のことだった 一人の女性が訪ねてきた 「遺書を書いてくれませんか?私の」 彼女はそう言った 生きている人間の遺書の代筆は、残念ながら請け負っていない けれど僕は彼女の依頼を引き受けることにした 彼女がもうすでに、この世の者では無かったからだ 肌は透明なほど白く、生気が欠片も無く、何より彼女には影が無かった 彼女は生者でも、死者でもなく、世界のスキマに存在しているようだ そんな彼女の遺書がどんなものになるのか、単純に興味が湧いたからだった 僕は彼女の指先に針をあてて、一滴の雫を貰い受けた インクに混ぜ、ペンを握るといつも通りに手は僕から離れた そこには静かに、淡々と、彼女の生きた証が記されていった 僕は驚きを隠すことが出来なかった 「死にたくない」 この一言が一切出てこない こんな遺書は初めて見る 遺書ではなく、彼女の物語そのものだ 彼女は遠い昔、天災に見舞われたこの土地で生贄にされた人物だった この土地はかつては閉鎖的で、誰も受け入れることがなかった そんな中彼女は赤ん坊のころにこの土地に捨てられ、見かねた一人の男が彼女を隠して育てたそうだ それから幾年か過ぎ、彼女がちょうど今の見た目の年齢になった頃 大災害が起きた 土地の者は大災害を収めるために生贄が必要だと声高に叫んでいた 男は彼女を連れて逃げようとしたが、途中で見つかってしまう 土地の者達は二人を糾弾した そして土地の長はこう命じたのだ 「男を助けたければ、生贄となれ」 そうして彼女は誰かを恨むことも、妬むこともせず、静かに運命として受け止め、その身を捧げたのだ なんという話だろうか 僕は気が付けば涙を流していた 遺書に、彼女の物語に雫が落ちては広がっていく 遺書には彼女から男への深い感謝と、暖かい献身が綴られていく こんな、清廉な人物、僕は見たことが無い 僕は憧れにも似た想いで彼女を見つめる 彼女は言う 「私はただ、誰かに覚えていてほしかったのかもしれない」 誰かをひたすらに想い、その身を捧げ、それでも気高い精神で、生き抜いた魂 その輝きは、そんな呟きだけが灰色にくすんでいた 最後のピリオドを打った時、くすんだ灰色は静かに消えていった 同時に彼女の姿がだんだんと薄くなっていく 「ありがとう。やっと、彼のところに…」 彼女の最後の言葉 僕は生まれて初めて、僕の代筆人としての力に感謝した 僕は生まれて初めて、本当の意味で魂の安寧に導くことが出来たのだ 気が付けば、いつもの部屋、ろうそくの明かりだけが揺れている、いつもの僕の部屋だった 僕は涙と共に、少しだけ笑顔を浮かべていたかもしれない 初めて、呪いの無い、美しい遺書を書くことが出来たのだから

デジタル化おばあちゃん

「見なあ、これ。最近流行りのデジタル化ってやつやで」    固定電話を使っていたおばあちゃんが、ついにスマートフォンを買った。  市外局番から電話が来て何事かと思ったが、おばあちゃんがただ自慢したかっただけの様だ。  しかし、電話なんて久々にした。   「甘いね、おばあちゃん。今の時代は電話じゃなくて、LINEの通話だよ」 「らいん? やたら胸と尻の大きい若者の体のことかい?」 「おばあちゃん、普段何のテレビ見てるの?」        翌日。  おばあちゃんがLINEの家族グループに入ってきた。   「見なあ、これ。最近流行りのデジタル化ってやつやで」    スマートフォンでの電話を覚えたばかりのおばあちゃんが、もうLINEまで始めた。  突然家族LINEに人が増えて何事かと思ったが、おばあちゃんがただ自慢したかっただけの様だ。  これから家族LINEの動く頻度が増えると思うと、ちょっと感慨深い。   「甘いね、おばあちゃん。今の時代はLINEじゃなくて、インスタのDMだよ」 「でぃーえむ? お祭りに行ってアンケートに答えたらたくさん来るようになる手紙のことかい?」 「そうなんだけど、そうじゃない!」        翌日。  おばあちゃんからインスタのフォロリクが来た。   「見なあ、これ。最近流行りのデジタル化ってやつやで」    LINEを始めたばかりのおばあちゃんが、もうインスタを始めた。  どこで私の匿名垢を知ったのか疑問は尽きないし、両親に把握されていたのかと思うと背筋が震えたが、とりあえずおばあちゃんの自慢に付き合うことにした。  これからおばあちゃんにインスタの投稿が見られると思うと、投稿内容に気を付けようと思った。   「おめでとう、おばあちゃん。もう私に教えられることはない。免許皆伝だ!」 「免許皆伝? 免許なら最近返納したよ」 「自動車免許じゃなくて!」        翌日。  目を覚ましたら、目の前におばあちゃんのホログラムが浮かんでいた。   「見なあ、これ。最近流行りのデジタル化ってやつやで」    インスタを始めたばかりのおばあちゃんが、もう……いや待ってナニコレ知らない。  ちょっと待って、ナニコレ。  知らない、ナニコレ。   「おばあちゃん、これ何? 私、知らない」 「これはな、最新のなんとかかんとかでな、なんとかって機械を置いとけば、自分の声とホログラムを送ることができるんや。知らんのかい?」 「知らない。見たことない。こんなの、どこに売ってたの?」 「山田さんとこの電気屋さん」 「まさかのご近所!?」    デジタル化が加速していく世の中。  私も置いてかれないようにしなければと強く思った。

危険な荷物の持ち込みは禁止です

 空港で、モバイルバッテリーの預け入れが禁止された。  爆発すると、危険だからと言うことらしい。    持ち物検査でアラームが鳴り響き、前の客が驚いていた。    事件や事故を受けて、規則はどんどん厳しくなっていく。  安全のためとはいえ、やむを得ない。    ぼくは持ち物検査をクリアしたので、優雅にゲートを通過した。        ビービービー。       『対象の人間の持ち込みを禁止します』    ぼくが驚いて後ずさりすると、一人の警備員がぼくの元へ、もう一人が原因を確かめるために操作画面の前へと移動した。   「あー、AIチェックだ。申し訳ありません。お客様の容姿が危険人物の確率が高いらしく、このままではご搭乗できません。あちらに理容師さんがいますので、髪と髭のカットをお願いします」 「……わかります」    空港で客に見守られながら髪を切るという斬新な体験を終え、ぼくは無事にゲートをくぐることに成功した。   「安全管理って、本当に大変だな」    ぼくはゲートを睨みつけた。  導入されて以降、一度も飛行機の中で犯罪を起こしていない優秀なゲートは、ぼくの視線など気にする様子もなく、次の客にもアラートを吐き出していた。

クラゲ水槽

 生きている間、水槽の中のクラゲを観察した。  クラゲはゆらゆら漂っているだけ。  ある日、寿命が尽きて死んでしまった。    クラゲを丁重に弔って、私は撮影していたクラゲのデータを、全てAIに読み込ませた。   「これで、クラゲを再現してくれ」    水槽の中に、ホログラムのクラゲが浮かんだ。  水は入ってないが、ホログラムの水があるので問題ない。  クラゲはゆらゆら漂っているだけ。  私が水槽を叩けば、生前と同じ反応をしてくれる。   「ああ、昔と同じだ」    クラゲが漂う。  私が生きている間ずっと。  私が死んでからもずっと。    私は寂しさを忘れて、のんびりクラゲを眺めた。

初めてはいつもの喫茶店で

 階段を上がるとそこは駅前。でも、駅に用はない。素通りしちゃう。駅を通りすぎたら迷わず交番の横を抜ける。迷っても人の流れに従って行けばいい。駅前の商店街を歩く。前を歩く人、横を歩く人につられてずんずん歩くなんて、したらいけない。気持ちまで急いてしまう。ゆったりと、ゆっくりと。優雅にとはいかなくても、楽しみながら、味わいながら。  中学のころよく行っていた本屋さん。いまは雑貨屋さんになってしまった。ちょっとわたしの趣味には合わないかな。洋食屋さんからは、美味しそうないいにおいがしている。入ったことはない。なかの様子がわからなくて、なんだか入りづらい。気にはなっている。なってはいるんだけどね。  前に来たときよりラーメン屋さんが増えたかな。角にあった立ち飲みのバール的な飲み屋さんも、ラーメン屋さんになっている。ケッコー入れかわっちゃってる。来るたんびに雰囲気が変わる、とまでは言わないけれど、前に来たときよりだいぶちがった印象。そのことに戸惑いとさびしさと、すこし、期待と。でも、わたしが惹かれそうな新しいお店は、なかったかなあ。  最初の踏み切りを渡る。踏み切りの手前にケーキ屋さんがあったはず。ここもなくなっていた。けっこうスキだったんだけどな。踏み切りのあっちとこっちでだいぶ違う景色。人が極端にすくなくなる。そのせいもあって静かだ。道も狭くなる。  その狭い路地をくねくね歩いていく。立ち木に隠れるみたいに恥ずかしがりやのかわいいお店がある。お姉ちゃんに連れてきてもらうまで気がつかなかった。この路地、昔からよく歩いてたんだけど。その最初のとき、ああ、このお店は、わたしのお気に入りになるんだなあ、と、まだメニューも見ないうちからそう感じた、そのわたしの直感はみごと当たり、いまだにわたしのなかの喫茶店部門で一番上の位置をキープしている。 ―いい雰囲気ですね ―でしょう  大学でひとつ下のタカナシくん。なんだか、わたしのことが気になるみたい。告白はされていない。されてはいないけど、なんかわかる。そんな感じがする。タカナシくんの気持ちはそうだとして、わたしは、どうなんだろう。 ―はじめてのお店って、なに頼んだらいいか… ―わたしは…  ちょっと、考えてしまった。いつもはメニューなんて見ずクリームソーダだけど、今日はどうしよう。クリームソーダ頼んだら、子どもっぽいと思われてしまうかな。幻滅されてしまうかな。別に、特別な関係を望んでいるのではないけれど、嫌われたいわけではない。なんというのかな、先輩としての威厳、みたいなもの。それに、はじめての、いや、まだ付き合ってないからデートではないかな。付き合ってなくても、デートでいいのかなあ。いや、だから、そもそもわたし、タカナシくんのこと… ―先輩、決まりましたか? ―え、あ、う、うん  選択が難しい。いや、そんなに難しく考えることもないんだけど。年下の男の子との喫茶店経験がないから、必要以上に考えてしまう。年上とだったらクリームソーダでもいいかなってと思う。子どもかよ、みたくイジッてくるのでもかまわない。スルーならそれでもいい。  喫茶店なんだから無難にコーヒー、とも思う。でも、あんまりスキじゃない。苦いのがちょっと。やっぱり子どもなんだなあ、わたしって。それで、わたしが飲めるもので、かつ、子どもっぽくないもの、なおかつ、無難な、ということで紅茶となった。 ―ぼくは、クリームソーダを ―かしこまりました  タカナシくんがクリームソーダを頼むとは思ってなかったから、クリームソーダと聞いたとき、グン、と目に力が入ってしまった。タカナシくんは、店員さんの方を向いてたから気づかれずにすんだけど。  店員さんが行ってから、タカナシくんは、軽く言い訳でもするみたいに話しはじめた。 ―子どものころから喫茶店に行ったらクリームソーダだったんですよ。なんか懐かしいなあと思って頼んじゃいました。なんか、子どもみたいですよね ―ううん、いんじゃないクリームソーダ、いいと思うよ    ◇  ◇  ◇ ―わたし、クリームソーダにするう  娘は、喫茶店に来るといつもクリームソーダだ。いったい誰に似たんだろう。 ―そういえば、初めてのデートのときもクリームソーダ頼んだなあ ―あのときは、まだわたしたち付き合ってもなかったでしょ ―え、そうだったかなあ ―ご注文お決まりでしょうか? ―ああ、えーとねえ  この喫茶店には、もう何度も来てるのだけど、これは初めてのこと。今日は、三人そろってクリームソーダを注文した。

薄暗闇から

 この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。  堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。  犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」  鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。   彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。  意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。  うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。  あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」  そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。  当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。  彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。  薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」  辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。  そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」  食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。  その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」  ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」  差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」  答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。  途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」  もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。  髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。  流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。  色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。  言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。

悪無き好奇心の用法、用量

ドラマが大好きなわたくしkira改め汝侠任は 未だ器ですだから暇今日も家で孤独のグルメ 鑑賞好きあの番組勿論食いしん坊なわたくし 美味しそうな食べ物が沢山出るから当然腹が 減る五郎さん良いな羨ましいと思いながらも 毎回観た食べ物の口に為り蕎麦の時は近所の コンビニへ行き格安蕎麦茹で代用食にすると 不思議な物で其れだけで満足する手頃な舌の わたくしは今迄殆どが代用貧乏だから洋服も 某ブランド風なデザインシルエット等参考に して代用品を用いて満足気分演出してました そう一見高そうな古着ばかり収集全部当時は 御宝でしたネットの激安寄りも誰かの中古品 有る種の本物だったけど今は全部要りません 所詮代用品だから多分其れゴースト的な方は 理解出来かも知れない有る意味逆ゴーストな 立場皆主演の裏には必ず素晴らしい脇役達が いる様が某有名人の作品は全てゴースト的な 世界の伝説SEX、ドラッグに明け暮れたあの 某甲虫捩ったバンドの暇人的な名曲の作者は 彼じゃ無い全部がゴーストの真実が恐ろしい 人間は貧乏から成り上がると初心と言う名の 基本を何時の間に忘れ私利私欲ばかりを貪る 悪魔寄り恐ろしい化け者に変幻して公の場は 如何にも作詞作曲の神が降りて云々と最も的 御託を並べ己を着飾り全て愛や希望云々神は キリストイエス云々と気軽に神を模倣する奴 多分全部嘘その裏に必ずゴーストと言う名の 本物が存在するだろうわたくしは三次元時代 ドラッグ中毒者の人間に出会い薬物を覚えた 人間の生活、思考パターン聞き如何に薬物と 言う物の恐ろしさを学び覚醒剤が人間に与え 持たらす地獄を知り大麻、覚醒剤の元が全部 自然界の草花と言う恐怖芥子大麻草全て神が 人間、動物、虫と共に創造した宝物達と言う 隠された正真正銘な真実を眼の前にして当時 私は当然大麻や覚醒剤の名前を聞いてビビり 捲り目の前のご馳走牛ステーキの味冴え全く 感じ無かったけど彼は付き合った女性達から 覚醒剤勧められ好奇心と言う武器を間違えた 物に遣い初めは天国帰りは地獄を繰り返して 刑務所送りに為り再生を目指すけど人間達の 悪い癖公の場は如何にも反省してます的顔を 模倣して監視の裏で更に薬物の売買迄覚えて 仕舞う有り様出所した瞬間彼は薬物購入した その当時の彼の思考の全部が薬物事ばかりで 他は何も考えられ無かったと肩を落して反省 する彼を眺め段々怖さは消え有る事想い出す 未だ中坊時代あの頃当時アンパンと呼ばれた シンナードラッグ本物は純トロエンですけど 未だ中坊には買えず皆セメダインを吸引して 代用する愚業学び当時の私は何も考え知らず 好奇心のみで一度だけセメダインを吸引した 口の中に広がる嫌な苦味に思わず鈍引きその 後頭の中にキンキン及びカンカンと言う音が 聞こえ頭痛がしたので即捨て周りを見舞わし 驚愕した女子が下着下げ正々堂々とオシッコ 例え森の中とは言え目の前でしながらも爆笑 する様を目撃した瞬間狂う事の意味知り私は 1人彼女達に何も言わずその場から逃げ帰り 好奇心と言う物の用法を間違える事の怖さを 学んだ記憶巡りしてましたけど話の内容その 物が薬物の副作用及び依存状態の核心に迫り 私の有る種悪い癖知らぬが地獄と言う防衛的 本能を擽り激しく揺さ震る真逆な好奇心とは 本当の薬物怖さを知り熟知して万が一に備え 日本社会の裏側に潜み蔓延る嘘偽りの根本が 知りたい願望と言う名の好奇心が更に目覚め 彼は薬物中毒依存性の怖さを長々淡々と語り 人間が一度でも薬物に手を出して仕舞ったら 度の様な状態や例え何年経とう供頭の中から 薬物が消える事は無いと言い今は薬物患者に 寄り添う仕事してるが油断すると又大麻とか 軽めのドラッグならば大丈夫かも知れないと 思考してる自分自身が怖いと悲しげに語った 薬物止めて20年経った今も本音は薬物遣り 一瞬の至福を堪能したいと薬物SEXが与える 極楽往生な快感を物語る彼の瞳を見た瞬間に 疑念が湧き生まれ焦点合わずな浮遊感溢れた 瞳に再度恐怖が蘇り彼は多分大麻使用者だと 気付きその後の弱いエレクなSEXが彼の嘘を 暴露したから2度と彼の誘いに乗らず高額な お客様だったが放置した記憶この例から考え 人間が一度でも薬物に手を染めその後用法を 薬物情事に遣いベッドを排泄物だらけにする 様な者に愛と希望が描ける訳が無いでしょう その為優れた神の遣いゴーストが存在する訳 だから日本の勇者達は裏にも絶対優れた神の ゴーストが存在するかも知れない

いただきマフィア

 天使の缶詰を買った。蓋を開けたら、肉のような物が詰まっていた。成分表を見た。天使の肉らしい。「これを食べたら天国に行けそうだ」と一瞬思ったが、よく考えたらそれは変な話だ。どうしてそんなことを思ったのか自分でもよくわからない。だが、缶詰にされたこの天使の魂は、おそらく天国に行っただろう。そんな気がする。

movingman

 シャボン玉を吹いて遊ぶのが好きな幼い娘のために、シャボン玉用の生命保険のパンフレットを取り寄せた。娘と一緒にそれを読み始めた。すると、この世界は、シャボン玉にとって危険な要素でたくさん、たくさん溢れていることに気づかされた。私は「ふうん」と思っただけだったが、娘には、そのことがショックだったらしい。娘は「もうシャボン玉を吹かない」と言い出した。それもいいだろう。窓を開けた。風が吹いていた。シャボン玉ならどこまでも飛んでいけそうな、そんな風だった。

真昼に見た夢

 夜中、テレビをつけた。料理番組が流れていた。知らない料理研究家が言った。「ここでお肉を切っておきます」アシスタントが笑顔で銀色よトレーを取り出した。そこには、首吊り縄が載っていた。「これ、首吊り縄だよな」そう思っていたら、画面にテロップが表示された。『肉』そう表示されていた。『肉』というからには『肉』なんだろう。ああいう肉もあるのかもしれない。料理研究家は、その首吊り縄を、細かく切り刻み、ミンチにした。そしてそれはハンバーグになった。首吊り縄の原型を留めていないことに、残念なような、ほっとしたような、よくわからない気持ちになった。ただ確かなのは、それを見て腹が減ったということだった。

神と人

「あー、もしかして私が不幸だとか思ってます?」 表情の薄い少女が、気怠げに声を上げた。 「えーっと、まぁ…そうかも?」 困り顔の青年が、そう声に応えた。 元気な風がかけっこを始めると、木の葉達もつられて喋り合う。 「はぁ…これだから人間は」 青々とした香りが、辺りを取り巻いている。 忘れられた一角で、呆れる音がしていた。 「…まぁ、私達が創ったのですが」 「ははは…どうもどうも」 薄茶のキャスケットが特徴的で、白のシアーケープブラウスに身を包み、黒いスカートは腰がリボン結びに止められて、チャーミングなサンダルを決めている彼女は、どうやら神らしい。 美しく艶やかな白髪は確かに説得力を持たせているものの、全くそうとは思えない程、完全に人の世を謳歌している。 「私、そんなに不幸そうに見えますか?」 ジトリと僕を見つめる瞳が痛く刺さる。しかし、これはどう見ても… 「えっと、だってこの社ボロボロだし…」 長らく人の手が加わっていないであろうその社は、色褪せ中の素肌が露見していて、所々ツタが張っている。崩れ落ちてはいないものの、明らかに使える状態では無い。 「神主さんとか、参拝者さんとか居ないですよね、ここ」 言い切り目線を戻すと、目の前の少女は酷く不服そうな顔をしていた。 「それで、不幸そうだと思ったんですか?」 相変わらず気怠げで、しかしより圧の乗った言葉に気圧されつつ、正直に答える。 「ええと、はい…」 「はぁぁぁ…」 彼女は長い溜め息をつくと、僅かな間の後に口を開いた。 「私達、崇めろだなんて一回も言ってないんですけど」 「え?」 衝撃的な一言だった。 驚きに口が塞がらないままの僕を置いて、彼女は続ける。 「そもそもですよ。神を信じろだとか、救ってくれるだとか、そういうのって人間の勝手な作り話なんですよ。そう言って私達神を担ぎあげて、如何にもそれらしい事を言って稼ぐ下劣な人間の仕業です。私達も馬鹿なことをされて腹が立ったので何度か人を使って燃やしたりもしましたが…駄目ですね。無駄にタフなんですよそういう人達とか文化って」 今までに無いほど高揚した声で彼女は語る。慣れない声の張りに疲れたのか、少し息を切らしていた。 「ふぅ…ですから、そもそも祈りとか信仰とか無くても私達全く困りませんし。それに、言っておきますけど人に養われる必要なんて無いですからね」 一通り言い終わると、彼女はまた軋む木に腰をかけ、ゆったりと寛ぐ。一方の僕は、なにか衝撃的な話を聞いた気もするが、それより気になったことがあった。 「…なら、どうしてこの社に居るんですか?」 その質問に、彼女は少したじろいだように見えた。 「それは…神にだって特別はあるんです。そもそも貴方にとってボロボロって、それは人間の尺度でしょう。私達には関係ないんですよ」 少し機嫌を損ねたのか、さっさと行けと言わんばかりに手を振っている。でも、どうしても言葉にしたいことがあった。 「そうですね。僕、初め貴方を見て神様らしい格好じゃ無いなって思ったんです。でも、良く考えればそんなの、僕達の感覚ですよね。知らず知らずのうちに勝手なイメージで解釈している。なんだか、気付かされました。ありがとうございます!」 彼女はゆっくりと手を下ろすと、こちらを見る。改めて見ると、その瞳はどこまでも深く美しくて、少し心臓が驚いてしまう。 「…まぁ、神も一人は少し寂しいです。─さぁ早く行ってください」 少年は少し胸が暖かくなるのを感じていた。しかしそれの正体を知らぬまま、ただ笑顔を浮かべる。 「では、また来ます」

境界線

「あいつはどうですか」 荒れ果て煙立つ大地に佇む、大柄の男。 若人の声を受け、顔に深く皺を刻んだ男が双眼鏡を覗き込んだ。 「…あいつは駄目だ。狩る側の目をしている」 若人は静かに頷くと、また男はそっと岩へと背中を預ける。手には刃渡り二十センチ程のナイフを持ち、丁寧で手慣れた手付きで布を滑らせていた。 「あいつはどうですか」 また、双眼鏡に人が写る。 「…よし、良いだろう」 大きな瓦礫の隙間に生まれた空間の中で、ガサゴソと音がする。それは、戦いに勝利した者達の静かな祝杯の場であり、確認の場であった。 「沢山物資が入ってラッキーでしたね」 にこやかに男が話すと、バックパックの中からひとつずつ物資を並べていく。 「あぁ…」 依然深い皺を刻んだまま、淡々と物資を確認する。 「これで全部ですね」 ずらりと並べられたそれらは、おおよそ男二人が一ヶ月は困らない量であった。それを静かに理解した歴戦の男は、声を上げる。 「暫くは身を隠すぞ」 数日間、何事も無く過ごせていた。故に、考える余地が生まれ始めていた。 「師匠、そういえばどうしてこの国はこんな状態なんですか」 至極単純な疑問である。だが、今まで若人はそれを考えもしなかった。あるいは、出来なかったか。 「お前の生まれる前、未曾有の大災害が起きた」 深い皺を携えた男は、ゆっくりと語り始める。 未曾有の大災害。それによって、大勢の人々が命を落としたと共に、国家や政府といった人々を取り纏めるそれらが実質的に消失した。生き残りの人々は、それぞれが独自に小さな個を形成し、放浪を始めた。だが、生産能力の大半を失ったこの島の中で生き残る方法は限られている。少なくとも、その中で生真面目な方法を選ぶ者は僅かな人々で、大半が選んだのは到底神に胸を張れるような方法ではない。 要するに、略奪であった。 「なるほど…」 固形燃料の燃える音が、静かに響いている。 「社会という境界線が、消失した」 それは人々を最低限繋ぎ止め、その上で人を人たらしめる。決して優秀では無いが、捨てられないものであった。 「でも、こんな誰も信用出来ない世界で、どうして人を求めるんでしょうか」 潤沢な物資は、実に呆気なく手に入った。何故ならば、待ち伏せの末に二人で挟みナイフを突き付ける。そんな油断も許されぬような不確定の段階で、相手は物資を手放したからだ。 「どうして奪うのかだとか、信じられないだとか、そんな考え方をしたこともありませんでした」 この世界には、社会以上の遥かな境界線が生まれている。 「だからこそ、だろう」 誰も信じられない。信じられないからこそ、その境界線を破壊できる誰かがより一層特別になる。 「…見つかった。火を消せ」 荷を整える中で、考える男が居た。 以前よりも遥かに関わることに積極的なこの国で、それにも関わらず以前よりも圧倒的に大きな壁がある。境界線の消失は、それよりも大きな境界線を生んでしまった。 「痕跡は消しました」 立ち並ぶ人工物に遮られないこの空は、圧倒的に大きく見える。しかし何故だか、昔よりもずっと窮屈に思う。 「よし、出発だ」

メモリ不足

コストパフォーマンスと原価。この関係性は現代社会において非常に重視される傾向にある。人はより安く、多くをモットーに商品を吟味するのが当たり前となりつつあるのだ。無論、人生において使える金額の容量は決まっている。故に、それは間違いではないだろう。だが、では何故そんな社会の中で、そのコストパフォーマンスを欠いた商品は消え去らないのだろうか。 − またこんな時間になってしまった。 時間帯はとうに夜の区分に突入し、街灯が自らの役目を生き生きと全うしている。その光に照らされた男の顔は青白く、どこか寂れたような印象を与える容貌である。 − 腹、減ったな。 決して素早い動きでは無いものの、その男の最大限を足に乗せ、歩みを進めていく。向かう先は、いつも決まっている。多くの窓から明かりが消える中、いつも夜闇を照らしてくれる小さな星。都市という銀河に住まう光。そう、コンビニだ。 自動ドアが道を開け、聞き慣れたファンファーレを耳にすると、赤の絨毯に導かれるかのように、毎日同じコーナーへと進んで行く。開放的な冷蔵システムは何よりも魅力的な展示台であり、宝石のように輝くポリプロピレンの梱包達に挨拶を交わすと、一つ一つに目を配る。 − 今日は、これだな。 短くも長いショーを楽しみ、決めた一つを手に取ると、手早く会計をする。五百いくらかの弁当を手に下げ、街灯の中へと進んで行く。歩む男の姿から、やけに彩が抜け落ちて見えるのは、街灯の明かりがそのように錯覚させるのだろうか。 オートロックのマンションの中を手早く駆け上がり、部屋番号を確認し、与えられた空間の中へと戻る。無造作に上着を投げ、腰を下ろす。部屋の中は整然としていた。片付いているというより、大して何も無いと言った方が正しいだろう。あるのは小さな机と、寝具、空のキッチン、電子レンジ、冷蔵庫。そんなところだろうか。 ネクタイを緩め、袋から弁当を取り出すと、ピッと音を立てて温める。それを待つ数分間、特に何をする訳でもなく携帯端末に目を落とし、また音を聞いてそれを取り出すと、割り箸を開封した。そうして、この男の今日はエンドロールを迎える。 − 本当に、つまらない味だな。 値段に見合った内容量でも、味でも、栄養でも無い。でも男は買っている。何を買っている。量でも、味でも、健康でも無い。ただ、手間を買っているのだ。食材を選定し、包丁を通し、熱を与える。そんな手間を買っている。原価なんてどうだっていい。男にとって最大のコストは、そこにかかる手間であった。そうして、少し得た手間分の時間を何に使う訳でも、使える訳でも無く。また、他の人々が必死に貯めている“コスト”は持て余し、何に使う訳でもなく働き続ける。 − 寝るか。 今日もどこかで、メモリが崩れる音がした。

「どうして泣いているの」 自分でも分からない。ただとめどなく溢れるこれが止められなくて、どうしようもないまま泣いている。 「分かんない…」 分からない。分からなくて、苦しい。 「そっか、じゃあ少し落ち着くまで、私が話すよ」 「きっと、貴方が思うより心の底では嫌だったのよ」 地味だとか、別にそんな事は知っている。人前に立つのだって苦手で、今まで避けて生きてきたから。でも… 「わざわざ言ってくるのは、気分良くないよね」 今更分かってることを言われたって、何とも思わないって思ってた。 「…ふぅ」 ベンチに寄り添う二人。一人は遠い空を見る。一人は滲んだ大地を見る。 「ね、涙って成分は殆ど血なのよ」 聞いた事がある。でも、どうして今それを… 「でも、そんな気はしないよね」 確かに、知ってはいてもあまり実感は湧かなかった。 「きっと、赤く無いからね」 私も、血液と聞いたら赤い色を考える。 「皆ね、自分の中のイメージで物を見たいから。だから血液は赤だって押し付けるのよ」 自分のイメージ… 「自分の地味ってイメージ通りに動かないから、貴方に八つ当たりしたのよ」 「ふふ、なんだか幼稚ですね」 笑みが溢れていた。 「そうね。そう考えたら、なんてことも無いことよね」 そうだ。本当になんてこともない、ただの八つ当たり。 「そうですね」 一人は少女を見る。一人は笑顔を浮かべる。 −今は空も、遠くないように思えた。

死者

顔や髪、服装に職業。全てが曖昧なそれらは、遥か天の元に造られた影のようであった。 関わる度、相手のカタチが鮮明に浮かぶ。曖昧な影は輪郭を持ち、更には色が表れるのだ。それはまるで、その存在が“生き返る”ような感覚を私にもたらす。つまるところ、自分にとって大概の人間は、死者なのだ。 冬も終わったと言うのに、私を撫ぜる風は酷く涼しい。私の前に設けられた岩がこんなにも冷たいのは、風に煽られた為であろうか。そんな思いを胸に抱え、私は手を合わせる。 −また君に会いたいと心の底から思うよ。 人は忘れる生き物であると言った話は多く耳にする機会がある。実際のところ、やはり人はその通りに多くの事柄を忘れているのは明白だ。例えば、死者のこともそうだろう。いつしかその声が脳から離れ、輪郭は曖昧に薄れていく…。 −私が君を生き返らせたのは、いつだったか。 物静かな場所で、死者の君と出会った。濃く、深い影だった。それは深海のような底知れなさを私に与え、そして愚かな一人の人間は、つい手を伸ばしてしまったのだ。 忘れてはならない記憶。忘れれば、君は死んでしまうだろう。全てが海の底へと沈み、影へと戻る。知らないということは、死ぬこと同じなのだ。忘れるということは、無知に戻るということなのだ。 私にとってまだ、君は生者だ。私は覚えている。君の姿も、色も、声だって。忘れるつもりも無い。会うことは出来なくとも、私にとって君は生き続けている。決して影になど戻さない。 固く合わされた手を解き、目の前の空を見つめる。 整えられた墓石が立ち並ぶこの空間は、生者の街。 「また来るよ」

備え

「どうして傘を差しているんですか」 声が聞こえた。何やら質問をしているようだ。しかし、誰に対してだろうか。特に人は見当たらないが…。 ─ああ、もしかして私に聞いているのか。 「不思議なことを聞く子だ」 本当に、不思議なことを聞くものだ。私はただ、雨が降っているから傘を差しているだけで、何か特別なことなんて何も無いというのに。 「ただ、雨が降っているからだよ」 ざあざあと響く雨音が、次第に強まる。 「そう…ですか。でもここ、屋根の下ですよね」 雑音の沈黙が、辺りを支配していく。 音の雑踏に囲まれる中、淡々と時は過ぎる。 「そうだね。でもそれが、どうしたというのかな」 ただ、なんとなく外出をした。別にどこか行きたい場所があった訳じゃない。大体、こんな田舎には行く所もほとんど無い。気まぐれに外へ出ようと考えて、飛び出した。何も考えずに歩いていたら、雨に降られた。始めはぱらぱらと降っていただけだから、別に良いかと思ったけど、いつの間にか強くなってきて、急いで走った。方向なんて考えずに走っていたら、屋根が見えてきたからそこに入って雨宿りをした。 そうしたら、変な人が居た。 「えっと、屋根があったら傘は差さなくてもいいんじゃ…」 本当に変な人。だって意味が分からない。屋根があるのに傘を差しているんだから。 薄屋根の隙間を縫って滴る一滴が、ぽつりと声を漏らした。 「君は、屋根は絶対に守ってくれると信じているのかい」 目の前の少女はロクに何も持っている様子は無い。現に、ここに来る時点でそれなりに濡れていた。少なくとも髪が束になる程度には。 「それってどういう」 か弱い少女がこんなところに一人で、手ぶら。蜘蛛の巣にかかった蝶の様に、可憐な乙女も簡単に羽を落とされる。 「君はそのままだとそのうち足元を掬われるよ」 少女はふわりと宙を舞った。 「えっ、ちょっと、なにこれ」 霞む意識の中、私は自分を振り返った。 「夢…」 土砂降りの朝だった。 「学校、遅れるわよ」 母の声で目が覚めると、急いで支度をして玄関へ向かう。傘を手に取ろうと傘立てを見て、驚いた。 −あの傘… 摩訶不思議な邂逅が、夢現に塗れていく。 久しぶりに、人と会話をした。まさか私が見えるとは驚いたけれど、きっと導き手が必要だったのだろう。持たざる者は、持つ者に簡単に奪われてしまうから。 「上手く導けたらなら良いのだが」 傘に弾ける雨の音が、心地良く響き渡った。

甘湯

「好き」って、伝えるのが難しい。たった一言そう言ってしまえば、簡単に出来ることかもしれないけど、でも伝えてしまったら今までの関係が崩れてしまうかもしれない。今まで友達として思い出を作ってきて、それで断られたら耐えられるような気がしないのだ。そんな恐怖に晒されるくらいなら、いっそ今まで通り友達として傍に居たい。要は、ぬるま湯という夢に浸っていたい。 「はぁ…」 大きく溜息を着く乙女が一人、風に揺られていた。 「どうしたんだ、溜息なんてついて」 何も知らない青年が一人、少女を見つめていた。 彼は知らない。そうやって当たり前に見つめてくるその瞳が、乙女の心臓をいとも容易く昂らせてしまうことも。 「なんでもない」 なんでもない訳が無かった。整理して考えてもみれば、溜息の原因そのものがすぐ傍にあるのだから当然だ。 「そう、ならいいけどさ。なにかあったら相談してくれよ」 要はそういう所なのだが、彼は気が付かないだろう。 「うん」 放課後の曖昧な光が、少女を照らしていた。 「はぁー…」 朝だった。近頃、少女の眠りは些か不安定である。今日もまた、大して眠れなかったようで、しかし残酷にも現実は加減を知らず、眩しいほどの朝日が少女を出迎えていた。 「おはよー」 「おはよう」 また今日も変わらず挨拶を交わす。普段と何も変わりはなく、ただ友人と毎日を過ごすのみ。無論、少女はそれで良いと考えていた。しかし、であった。 「なんだか眠そうだな」 誰のせい、とは言えない。結局私自身の問題だし、彼のせいじゃ無い。 「ちょっと寝不足でさ」 嘘偽りは無いけど、下手に心配されても困る。まあそういう所が好きなんだけど、でも相談出来る訳無いし。本当、面倒になってきた。というか、面倒だな。いっそ伝えてしまおうか。 それがいいか。うん、そうしよう。 掛け時計がひとつ、カチリと針を進めていた。 「どうしたんだ、改まって話ってさ」 本当に呼び出してしまった。でももう、ここまで来たら後戻りはできない。 「えっとね。実はさ」 彼の真剣な顔が目に入る度、私の心臓が馬鹿みたいに早鐘を打つ。こんなの初めてのことで、顔を直視出来ない。 「私、私ね」 早く言え早く言え早く言え─ 「君が友達で良かったなって」 ああ、やってしまった。 「なんだよそれ。呼び出された時は何事かと思ったよ」 そうだよね、いきなり呼び出すなんて何かあるって思うよね。私の馬鹿野郎。 「でも、俺もそう思うよ。本当にね」 赤面の少女を見て、目を細める青年が居た。青年は少しばかり嘘つきであった。本当はの彼は、誰にでも優しい訳では無い。少なくとも彼自身はそう思っている。それに… 「じゃ、またね」 手を振って彼女を見送る。 「はぁ、少し期待したんだけどな」 曖昧な光が、青年を照らす。 早く伝えれば良い。それだけの事だ。けど、勇気が出ない。今日だって、期待してしまった。本当は自分から伝えればそれで良いのに。それで…。 俺は、どうしてもぬるま湯に浸っていたいんだ。

生命の樹

「噂には聞いていたが、傍から眺めると壮観だな」 「ええ、そうでしょうとも旅人様。こちらの大木は我々の村の自慢ですから」 「本当に素晴らしい樹だ。それに、なんだか身体の調子も良いな」 「ええ、なんと言ってもこちらは、生命の樹ですから」 雲をも突き抜けるその大木は、大空の中に伸び上がる広大な枝葉を携え、その巨大さ故に天空の樹や巨人族の樹、聖樹などと人々に呼ばれ、旅人の間では安全を願う幸運の樹として親しまれている。 しかし何故…。 「旅人の間では幸運の樹と呼ぶが、何故幸運なんだろうか」 それは、この樹木の生態に起因する。 「私は今年で百十六になります。私だけではありません。この村の住民は皆長寿なのです」 「それは驚いたな、全くそうは見えない」 「我々がこの土地に住まい続けるのもそれが理由です」 「というと」 「生命の樹、もとい幸運の樹はその名前のように、周囲に恩恵をもたらすのです」 「なるほど、それで身体の調子が良い訳だ」 「旅人様方がいらっしゃられた時、恩恵を受けられたのでしょう。それで、幸運の樹と」 「合点がいった。礼を言うぞ村長」 時折人の中に特別生命力に溢れる子が生まれるように、木もまたそれの例外では無かった。その木の持つ生命力はあまりにも大きく、成長すら上回った。余りある生命力は周囲を癒し、成長させる。そこに人が住み着き、守り、恩恵を受け、また手入れをし、それぞれが互いを守り合って生きている。偶然にもその生命力は生存戦略として成功を収めたのであった。 「もう行かれるのですか。でしたら旅人様、お気を付けてくださいませ」 「ああ、ではまた」 その日も、また新たな背中を見送った。長き時を生きる村の民は、互いに守り合って生きている。故に、互いは二つで一つであった。旅人は、村人ほど長生きはしないだろう。危険もまた多い。だが、沢山の景色を見る。いや、見ることが出来るのだ。いくら長い時を生きようとも、村人が眺められるのはこの大きな樹だけ。素晴らしく、残酷な生命の樹だ。 旅人か村人か、今日も風に葉が揺れる。 またひとひらが飛び立った。

処刑

「君は、大切な人は居るかね」 密室に、淡々と響く声があった。 「あぁ、もういいだろ、さっさとしろ」 密室に、心底呆れた声があった。 「まぁ、そう焦るな」 拘束された大柄の男と、白髪混じりの髪を携えた、ロングコートの男。その内、白髪の男が懐に手を伸ばすと箱を取り出す。中から一本の棒を抜き取り、咥えた。 「死を、恐れているかね」 白い筋が、二人の間を真っ直ぐと上っている。 「いいや」 大柄な男は、いい加減にしろと言わんばかりの表情をしている。 「では、次だ」 部屋の中に、薄白のフィルターがかかり始めていた。 ─「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」─ 立ち上る煙は、依然真っ直ぐと上っている。 「では、次だ」 「君は、大切な人は居るかね」 密室に、淡々と響く声があった。 「あぁ、もういいだろ、さっさとしろ」 密室に、心底呆れた声があった。 「まぁ、そう焦るな」 立ち上る煙が、はたと揺らいだ。 「まずは、これを見たまえ」 壁面の内一つが軽快な音駆動音を立てると、その中央部がひとつのモニターへと変化した。 「なんだ」 黒色の画面が光を発し、それは複雑な色をを絶え間無く操り続けていく。 「君は、この人を知っている。そうだな」 灰の塊が、崩れて落ちた。 −まさか…。 「では、執行を開始する」 淡々と、画面は変化を開始した。 「おい、やめろ」 「やめろやめろやめろやめろやめろ」 灰皿に、また一本が潰された。 「あ、あぁ…」 煙はもう、上っていない。 「刑は執行された」

刺激的な今日

「昨日は何したのー」 私は、昨日何したんだろう。朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、ご飯食べて、仕事して…。 ─ あれ、私何したんだろう。 そういえば、久しぶりに買い物をしたような。でも、それは一昨日だったような。いや、昨日だった気もする。 「何をそんなに悩むのよー」 そうだよね、ただ昨日のことを思い出すだけ。そんなのすぐにでも… 「全然思い出せなくて」 思い出せなかった。 「えー、もうボケちゃったの」 私、もうボケ始めてるのかな。いやいやいや、そんな訳無いでしょう。というか、忘れてしまっているというより、はっきりしないというか。どうしてだろう。前はこんなこと無かったのに。やっぱりボケているのか。 「もー、また難しい顔してるよ」 ああ、いけない。久しぶりに会えたのに、また一人で考え込んじゃった。でも、どうして思い出せないのかな。 「ごめん、でもなんでか分からなくて」 つい相談しちゃったけど、こんな時なのに相談に乗って貰うなんて、迷惑かな。 「もしかして、毎日同じようなことしてるんじゃない」 そういえば、毎日毎日代わり映えしないような。 「その顔、やっぱりそうなんだねー」 見抜かれちゃった。昔からそうだけど、なんでもお見通しだ。 「うん、でもどうして分かったの」 純粋な好奇心だけど、なんだか久しぶりにこんな感覚になった気がする。 「何となくだけど、でも思い出してる時はなんだかつまらなそうな顔してるからー」 久しぶりに会ったのに、つまらなそうな顔してたなんて、私最悪じゃない。どうしよう。 「人って、刺激が無いと色々忘れちゃうからー」 確かに、感情を揺さぶられるようなこと無かったかもしれない。 「そっか、でもどうしたら…」 「提案なんだけどー、私となにか始めようよー」 何かを始める…。なんだか面白そう。 「いいね、でも何をしたらいいんだろう」 何するかは全く決まってないのに、なんだかワクワクしちゃう。 「そうねー、なにかやりたいことあるー」 やりたいこと…やりたいこと…。私は何をしたいだろう。 「なんでもいいのよー」 何でも…。だったら、 「だったら…」 「いいねー、それ」 「こんな日もあったね」 「そうねー、でもプロローグにはピッタリだわー」 「それもそうだね」 「タイトルはどうするのー」 「そうだなぁ」 『刺激的な今日』とか。

五七五 1

1 咽び泣く雨に差し出す花の傘 2 慰めの声が届かず萎る花

穴の中

 少年は押し入れが大好きだった。  部屋にはベッドがあるけど、寝起きは押し入れの中で、 トイレやお風呂それに食事のときを除けば、一日のほとんどを押し入れの中で過ごしていた。もちろん学校なんて行ったりはしない。そんな無駄な時間を過ごすくらいなら、押し入れの中にいるほうが彼にとっては有意義な時間だった。  押し入れの中で、少年は何をするでもなくただボーっとしている。襖に閉ざされた空間は真っ暗だったけど、目が慣れてくると薄っすらと辺りの輪郭程度は把握できるようになる。じぶんを取り囲んでいる壁や天井との距離、それにじぶんの体の位置などなど。それでも長くそこで過ごしていると、だんだんじぶんが押し入れの一部のような感覚になってきて、そこにいるはずなのにじぶんという存在が消えていくのを感じる。  少年はその感覚が好きだった。怖いと思ったことは一度もないし、むしろその空間にいればいるほど外に出るほうが怖いと思うようになっていた。できることなら一生ここから出ないで済めばいいのにと思うくらい。すべてが遮断された世界で、じぶんという存在さえも感じないことが、彼には煩わしくなくて心地良かった。  そんなある日。いつものように押し入れの中で寝そべっていると、ふと空間の隅に小さな穴があることに少年は気がついた。ちょうどじぶんの左足の辺り、視界の左隅。身を起こし、微かに明るいその穴のほうに顔を近づけてみる。大きさは小指程度、その中から淡い光が漏れている。さらに顔を近づけて、片目を瞑って中を覗いてみると、光はふっと消えて、穴の存在自体が暗闇に紛れて見えなくなった。穴があった辺りを手で触ってみたが、 それらしきものは発見できなかった。  目の錯覚だったのかもしれない。少年はそう思ってまた寝そべった。この家がどれくらい古いかはわからないけど、目で見えるくらいの穴がもし開いていたら、それは問題だし、ましてや中から光が漏れるなんてありえるわけがない。そう思ってその日は穴のことを考えるのはやめにした。  しかし数日後、また足元が気になって見てみると、そこにはやっぱり穴があった。それもこのまえよりも大きくなっている。だいたい少年の拳と同じくらい。中を覗いてみると、その先に町が見えた。遠くってほどではないけど、目のまえという距離でもない辺りに。ちょうど夕暮れどきだったのか、穴からは夕焼けのような赤い光が漏れていたけど、それもすぐに暗闇に飲み込まれていって、穴はまた消えてなくなった。  この壁の向こう側に町がある。普通に考えればありえないことだったが、少年はじぶんの目で見たその光景を信じた。ありえないことでも、この向こう側には確かにぼくの知らない世界があって、ただ今はまだ覗くことしかできないんだと、少年は思った。  次の日から少年はその穴を探し続けた。もう押し入れから出ることはなく、一日中そこにいるようになった。穴は毎日ではないけど、少しずつ大きくなりながら彼のまえに姿を現した。穴が大きくなるたびに、その中の世界を彼は知ることができた。最初は違目に見る町だったのがその町全体、そしてそこに暮らす人々の生活まで。時間は限られていたけど、少年はだんだんとそこにいるしぶんの姿を想像できるようになるまでになっていた。  そしてついにその日は来た。最初に穴を見てから数ヶ月が経っていた。足元にふっと視線を向けるとそこには穴があった。目で見てわかるくらいの大きさになった穴が。体がすっと入るほどの大きさではないにせよ、頭くらいは入りそうだから、あとは上手いことやればあの中に入ることができるはず。そう思った少年は身を起こし、穴に身を寄せ、まずはそこに頭を突っ込み、それから身をよじらせながら穴の中に入っていった。痛みはあった。でも少し我慢すればできないことはなかった。穴の中からは町は見えないけど、強い光の中に包まれているのは気分が良かったし、その高揚感は奥へと進めば進むほど増していき、少年の体が穴の中に入りきると、押し入れの中は再び暗闇に閉ざされた。  そこにはもう穴なんてなかった。ただの閉ざされた空間があるだけで、少年の姿もなくなっていた。

小华宿光下

「おーい、|小华《シャオホア》! 夕飯できたぞ!」  |辉玄《フイシェン》は呼びかけながら母屋の廊下を歩いた。一纏めにした長い髪と、白い道袍の裾が優雅に揺れる。けれど、どこからも返事はなかった。この家にはこの北棟と西の物置しかないのだが、まさか物置の方にいるのだろうか。ガキはうろちょろするのが好きだなぁ、と肩をすくめて、辉玄は物置を覗きに行った。  果たして小华はそこにいた。山の端から最後の光を投げかける太陽に照らされて、木箱の上で眠っていた。短く切り揃えられた髪の一房が、痩せこけた頬にかかっている。彼は恐ろしい化け物から身を隠すかのように、小さな手足をギュッと縮めている。その姿は、辉玄は今朝も一度目にしていた。  辉玄は昨日から、集まりに顔を出すために街へ出ていた。安宿で目を覚ました辉玄は、約束の時間まで暇だったので、辺りをぶらつくことにした。そこで小华と出会ったのだ。  小华はとある荒れた家の|童工《めしつかい》だった。家長の男は辺りの目を憚ることもなく、革のベルトで小华を殴りつけていた。街の人々は素知らぬ顔で通り過ぎるばかりで、立ち止まる者さえいない。小华は地面にしがみつくように丸まって、泣きもせず声も上げず、ただ耐えていた。  辉玄は見かねて間に割って入り、男と殴り合いの大喧嘩(実際は辉玄が一方的に蹂躙していたが)をして小华を奪ってきたのだった。そして約束の集まりもそこそこに、小华を家まで連れ帰ったというわけだ。  こんな山奥に来てもなお、この子はあの男の悪夢を見て怯えているのか。辉玄は小华を驚かさないようにそっと近づくと、そばにしゃがみ込んだ。 「――辛かったな。でも、もう大丈夫だ。お前が一人前になるまで、私がしっかり育ててやるよ」  そうつぶやいて、優しく頬に触れた。ガサガサとした、それでも柔らかい子供の肌。その上を、一筋の涙が滑り落ちた。眠りながら泣いている小华は、さっきよりもどこか安心した表情を浮かべていた。

嘘偽りの王じゃ達の末路

全てが一瞬に露呈した時嘘偽りで着飾り搾取 した金貢ぎ建設した全ての砂上の楼閣は瞬間 消え失せ死と言う衣を纏い消滅する定め負う 人間達に神の御慈悲が有るのならば即死かも 知れませんその為にあなた方の御先祖達全員 神を恐れ崇め神の御姿の仏像や銅像、神社等 造り祈り拝んで来ましたなのにネット墓参り 荒み汚れた不浄な人間の怨霊が溢れる神社を パワースポットと呼び通うのでしょうね時に 無知な者は命取りに為ると教えた御先祖様の 正しい教え侮る者に来世は有るのでしょうか 全て神のみぞが知る尊い真実かも知れない完

画面の中

「やったぞ!ついに完成した。」 ボサボサの髪をした初老の男は、巨大な機会を前にしてひとり拳を握りしめた。 彼の計算では、あとは眼の前のこのマシンを起動すれば長年の夢である、四次元の世界に行けるはずだった。 はやる気持ちを抑え、男はスイッチを押す。 目も開けられないほどの閃光があたりに満ちた。 ここが四次元の世界なのだろうか、あたり一面が真っ白で一体どこが切れ目なのかも分からない。 男があたりを見渡すとはるか遠くに豆粒ほどのサイズの何かが見えた。 そして、突っ立っている男に向かってそれはグングンと距離を詰めてきた。あっという間に男の目の前にやってきたそれは完全に人間の見た目をしていた。 「すみません、あなたは一体何者なんですか。」 男は震える声でなんとか目の前の人物に話しかけた。 「私はこの世界の住人です。ようこそいらっしゃいました。皆があなたを歓迎していますよ。 なにせドラマの中から本当に飛び出していらっしゃたのですから。 言うなれば三・五次元俳優でしょうか...」

コーヒー飲みたいな

 時計の針は深夜二時を回っている。明日は大切なデート。もう寝ていなければならないのに、意識は、その気配を見せてくれない。むしろ、時間が経つほどに感覚は鋭くなっていき、心臓の音も、さわがしくなっていく。 (コーヒー飲みたいな) ふと、そんな思いになる。  香る湯気に包まれれば、少しは気持ちも落ち着いてくれるかもしれない。でも、カフェインで、朝まで一睡もできなくなるのだって目に見えている。  短い葛藤の末、布団から抜け出しキッチンへ。引き出しの奥にある、いつ買ったかもわからないコーヒー味のアメを見つけ口に放り込む。  瞬時に思う。ニセモノだな、と。その思いが、かえって本当のコーヒーへの恋しさを強くさせる。 (まったく)  あきらめ、明日のデートプランをおさらい。待ち合わせ場所、時間。そのあと向こうが気になってると言っていたカフェに行って、夕方には公園を散歩して、と。頭のなかで何度もシミュレーションを繰り返すうち、少しずつ緊張がほぐれていく。  ふと、口のなかで、ずいぶん小さくなったアメが歯にふれる。もてあそびながら、もう頃合いかなと、ガチッ、と歯で砕く。苦く、それでいて甘ったるい味が口のなかに広がり、それと同時に、張りつめていた糸がふっと切れ…  意識が、音もなく深い場所へと沈んでいった。