フリーバグ

「フリーハグいかがですか?」    コンビニに行った帰り道、一人の女性が立っていた。    フリーハグの存在は知っている。  なんか、ハグしてくれるらしい。   「いいですか?」 「もちろんです」    名前も知らない人との、数秒間だけのハグ。  少しの緊張と、少しの温かみを感じた。   「ありがとうございます」    ぼくはそのまま彼女と別れ、会社に戻った。  どことなく、心がぽかぽかと温かかった。             「先輩お帰りなさい! バグ、三件増えました!」 「フリイイイイイバグウウウウウウウ!!!!」    温かい心のまま、体のエンジンを全力でぶん回す。  俺たちの徹夜はこれからだ。

巡りし刻 (掌編詩小説)

ひらりはらり 京の都に蹲る結界 怪しがりし燈に、残像を残す 雲の仔たち シャレコウベを手綱に添えて ガシャドクロを引き合いに ぬらりはらり、ぬらりひょん のらりくらり 逃避の関 化粧をしとて 抗えぬその本性 染み込む劣化の玉砕 花を生けとし、明日を生けぬ者 (完)

天国チケット

妻が死んでから、部屋の音が変わった。  冷蔵庫の低い唸り、時計の秒針、夜になると遠くで鳴る救急車のサイレン。以前からあったはずの音が、彼女のいない部屋では大きく聞こえた。  遺品の整理は、なかなか進まなかった。彼女が少し席を外しているだけのようで、どうしても捨てる気になれない。  そんなある夜、寝室の引き出しの奥から、小さな封筒が見つかった。  表には、彼女の字でこう書いてあった。 「あなたへ。どうしても会いたくなったときに。」  中には、薄い金色の紙片が一枚入っていた。映画の半券みたいな質感で、表面には銀の箔で文字が浮いている。 天国チケット 使用可能時間:日没から日の出まで 効力:一晩、生きたまま天国への滞在を許可する 代償:使用者は死後、地獄へ送られる  冗談にしては、あまりにも彼女らしくなかった。  もう一枚、小さく折られた便箋が入っていた。 「これを見て私を思い出して。ただ使いたいなんて思うのはダメだよ。」  その手紙を、彼は何度も読み返した。  彼女なら、こういう悪趣味な冗談を言う人ではない。けれど、だからこそ、これは冗談ではないのかもしれなかった。  彼はチケットを封筒に戻し、引き出しの一番奥へしまった。  使うつもりはなかった。  だが、人は理屈だけで夜を越えられない。  使うのは裏切りだと思った。  使わないのも、裏切りのように思えた。  もし本当に天国があるなら。  もし彼女がそこで待っているなら。  もし、たった一晩だけでも、もう一度会えるのなら。  その夜、彼は封筒を取り出した。  時計の針が午後六時を回ったとき、チケットは指先で熱を帯びた。気づけば、部屋の輪郭がぼやけ、世界がゆっくり裏返るような感覚に包まれていた。  次に目を開けたとき、彼は見知らぬ丘の上に立っていた。  空は、夕焼けのまま止まっていた。  雲は桃色に染まり、風はぬるく、どこか花の匂いがした。遠くには街のようなものが見えた。白い屋根、金色の塔、静かな川。絵本の中みたいに美しい景色だった。  けれど、妙だった。  道の向こうから、白い服を着た老人が歩いてきた。 「すみません」と彼は駆け寄った。「人を探しているんです」  妻の名前を告げると、老人は穏やかに微笑んだ。 「ここは良い場所ですよ」 「…いや、そうじゃなくて。彼女を見ませんでしたか」 「皆、幸福です」  答えになっていなかった。  それから彼は、何人もの人に尋ねた。花畑にいた少女にも、川辺で本を読んでいた青年にも、広場でチェスをしていた男にも。  だが返ってくるのは、どれも似たような言葉ばかりだった。 「ここは安らぎの場所です」 「悲しむ必要はありません」 「探し物はいずれ見つかります」  なのに、誰も彼女のことは知らなかった。  彼は街を駆け回った。白い石畳の路地を、噴水のある広場を、教会に似た建物の中を、果ての見えない庭園を。夕焼けは一向に沈まず、空の色は変わらない。  妻の名を呼び続けるうちに、声がかすれた。  彼女がここにいると信じていた。  少なくとも、自分を一度は待っていてくれると思っていた。  それなのに、どこにもいない。  街の時計台が、どこかで一度だけ鐘を鳴らした。  夜明けが近いのだと、彼は直感した。  帰れば、また彼女のいない朝が来る。  彼女のいない人生に戻るくらいなら、いっそ。  気づけば彼は、元いた部屋の床に倒れ込んでいた。手の中のチケットは、灰のように崩れて消えた。  窓の外は、白み始めていた。  彼はしばらく天井を見つめ、それから、静かに目を閉じた。  次に目を開けたとき、天井はなかった。  代わりに、赤黒い空がどこまでも広がっていた。地面は乾いてひび割れ、遠くで火がくすぶっている。熱いはずなのに、妙に寒かった。  ここがどこなのか、考えるまでもなかった。 「やっと来てくれた」  声がして、彼は振り返った。  妻がいた。  生前とまったく同じ顔で、同じ笑い方で、けれどあの頃よりずっと晴れやかに、そこに立っていた。  彼は言葉を失った。 「…どうして」  ようやく絞り出した声に、彼女は少し首を傾げた。 「どうしてって?」 「どうして、君が…ここに」  彼女は、ああ、と納得したように笑った。 「私、天国にはいないよ」 「あなた、私を探したんでしょ?」  彼は何も言えなかった。 「ごめんね。でも、あなたなら絶対使ってくれると思ったから喜んで地獄に落ちたの」  そして、恋人に甘えるみたいな声音で囁いた。 「会いたかったんでしょう?」  彼はそのとき初めて、自分が天国ではなく、最初からずっと彼女の掌の上にいたのだと知った。  赤黒い空の下で、妻は幸せそうに彼の手を握りしめている。  もう二度と離れないように。  もう二度と、離れられないように。

強く儚い者たち

 若い警察官はパトロール中、タバコを吸っている高校生を見つける。若い警察官は腰の拳銃を手に取る。そして、弾倉を確かめる。弾倉の中には銃弾が入っていない。若い警察官は慌ててポケットを探る。ジャラジャラと音がする。小さな粒をいくつかつかみ取り、取り出す。広げた手の中には、銃弾と精神安定剤が混ざって載っている。若い警察官は、どちらがどちらかわからない。若い警察官はその結果、銃弾を口に入れ、精神安定剤を弾倉に詰めてしまう。口に広がる金属の味に、若い警察官はパニックになる。はっと気が付くと、タバコを吸っていた高校生はいなくなっている。若い警察官は拳銃に精神安定剤を詰めたことを忘れたまま、パトロールを再開する。

Stepping Stone

 小さな製糖工場で、一人の中年女性が働いている。目の前のベルトコンベヤーを、角砂糖が流れていく。彼女はそれを見つめている。ふいに、彼女は作業服の中の太ももに違和感を覚える。くすぐったい。彼女は唇を噛む。そのくすぐったさは、太ももから、腹を通り過ぎ、胸、そして首筋を経て、耳元に到達する。彼女の耳元には、一匹のアリがいる。アリは彼女の耳元で触角をしきりに動かす。それは何かを囁いているように見える。彼女は小さくうなずく。アリはそれを確認すると、彼女の背中を伝って床に降り、どこかへ消える。彼女は周りを見回し、誰も見ていないことを確かめると、ベルトコンベヤーを流れる角砂糖を一つ手に取り、ポケットにそれを突っ込む。休憩時間、彼女はそっと工場の裏庭に出る。その隅にはアリの巣がある。彼女は先ほどの角砂糖を、そのアリの巣の傍に置く。そしてとぼとぼと立ち去る。そのうちにさっきのアリが来て、角砂糖を巣へと運び込むだろう。それは女王アリのためだ。彼女は仕事を終え、ホームセンターに立ち寄る。そして殺虫剤売り場で、しばらく殺虫剤を見つめてから、何も買わずに帰宅する。

Take On Me

 近所のさびれた神社に行った。絵馬が掛かっていた。たくさんの絵馬だった。『人を殺さないようにする。』と書かれていた。すべての絵馬に同じことが書かれていた。すべて同じ字で、同じ人の名前が添えられていた。それは近所のおばさんの名前だった。それを眺めていたら、とつぜん背後から、パトカーのサイレンの音が響いてきた。それはおばさんの家の方へ向かっていった。願いは叶わなかったのかもしれない。わくわくしながら神社を後にした。

命を食う

 道に並べられた、家畜たちが殺される写真。  写真の目の前では、一人の活動家が叫んでいる。   「貴方達がスーパーで買っているお肉は、こうした可愛い動物たちの死の上に成り立っています! 都合の悪いことに目を瞑り、可愛い動物たちを食べることに、胸が痛みませんか!」    残酷な写真に、道行く人は目を背け、親は子供の目を塞ぐ。    私は、たまたま買ってきた鴨を持っていたので、活動家の前に出た。   「痛まない」    活動家の前に、鴨を置いて、仕留め、食肉へと加工していく。    正直に言うと、痛みはする。  しかし、この世界は弱肉強食。  動物の世界も昆虫の世界も、天敵に食われながら回っている。    私が活動家を見ると、活動家は貧血で倒れていた。  写真なら平気だが、実物は無理だということだろうか。   「都合の悪いことに目を瞑らないでくださいよ」    私は美味しくできた鴨肉を一口食べて、鮮度を保つために残りもしまった。  ああ、今日の晩飯をこんなところで。

Stayin' Alive

 その夫婦は別々の寝室で眠っている。居間で顔を合わせるが会話はない。居間には棺桶が置かれている。その棺桶には、夫婦の幼い娘の遺体が納められている。それは防腐処理を施されている。カレンダーの偶数日の夜、夫がその死体を抱えて、自分の寝室に入る。翌朝、夫は居間の棺桶に死体を納める。カレンダーの奇数日の夜、妻がその死体を棺桶から取り出す。そしてまず消臭スプレーを死体の全身に振りかける。夫の臭いが付いてしまっているからだ。そしてその死体を抱えて、自分の寝室に入る。消臭スプレーをかけるシュッ、シュッ、という音を、夫はベッドの中でじっと聞いている。

九月一日は

親友であり幼馴染の華織が死んだ自殺だった。  原因は部活内での虐め。 九月一日二時丁度に飛び降りる華織を監視カメラが捉えていたそう。  華織の部屋に遺書が置いてあったらしい、その内の一つが私宛の手紙だった。 「命へ  何にも言えなくてごめん。  命のことだから何か出来ることがあったはずって、自分を責めるかもしれない。  でもそんなこと絶対にない。  命は何にも悪くない、命と話す時間は楽しかった。  命、今までありがとう、私の親友で幼馴染で、側にいてくれて、命といたこの十数年楽しくて、幸せだった。私の心の拠り所で本当にありがとう。  約束『おばあちゃんになっても一緒にいる』守れなくてごめん、命、大好きだよ、ありがとう。」  これを読んで華織が死んで初めて泣いた。  心のどこかで華織が死んだことを受け入れなかったのかもしれない。  それからバレーボール選手という夢を捨て、教師になった。  周りからは反対された。キャプテンになる予定もあるのに勿体無いと。  それでも教師になりたかった。  今年初めて担任を持つ、緊張しながらもドアを開け、教卓に立ち自己紹介をした。 「初めてまして1年4組の担任になった朝野命です。  趣味はバレー、女バレの顧問もしているので是非入部お願いします。嫌いなことは虐めです高校2年生の時、親友が自殺しました。」  「私は親友みたいに死んでしまう子を、私みたいに置いてかれてしまう子を、減らしたくて教師になりました。」  「どんなに些細なことでも良いです。  少しでも苦しい、辛い、そう思ったら周りの人達を頼ってください。  友達でも教師でも親でも誰かに相談して溜め込まないでください。  私はこのクラスが助け合えるクラスになって欲しいです。  長くなってしまいましたが私の自己紹介を終わります」  もうすぐ夏休みが終わり、二学期が始まる。 「命先生」  後ろから私が担任を務めているクラスの一瀬沙希が話かけてきた。 夏休みの間、バスケ部に一度も顔を出していなかったそう。 「一瀬さんどうしたの?」 「ちょっと相談したいことがあって」  話を聞けば部活で3年生を中心に嫌がらせを受けているらしい。  そういう子を減らしたいと思っていても、出来ることは本当に少ない、私にできる最善は、一瀬さんを死なせないこと。  今、私は何をするべき? 九月一日は一年で最も『子供の自殺』が多い日。  

スクールメイク

机の上に散らかるコスメたちを眺める。 ビューラーにアイプチ、コンシーラーに粘膜ライナー。 私が私でいるために必要なものたち。 世のかわいい人たちはきっとアイプチなんて持ってない。 アイシャドウとリップぐらいしか持ってない。私はかわいくないからわからないけどね。 毎朝五時に起きて、重い一重瞼を二重にする。逆まつげをあげてマスカラをして、ニキビ跡を隠して、粘膜と切開ラインを描く。最後にリップで血色を足す。 そしたらスクールメイクの完成だ。やっと人間の顔になる。 それから前髪と触角を巻いて、ケープで固めて、身だしなみを整える。 五時に起きたはずなのに時間が残ってない。朝ごはんを食べずに家を出る。 登校中たくさんの人を見る。 あの子足細いな。 あの子二重綺麗。 あの子鼻ちっちゃい。 あの子髪きれい。 それに比べて私は、私は、かわいくない。 ポケットから鏡を取り出して自分の顔を確認する。 家で見た時はバッチリだったのに、なんだかブス。 あ、ニキビできてる。 なんか顔でかいな。 毛穴目立つな。 まつ毛下がってきてる。 なんでこんなに私はかわいくないの? 友達と撮った写真も生徒手帳の写真もなんでかわいくないの? 生まれた時からかわいくないの? どうして私だけ? 涙が出てくる。 でも泣いちゃダメ。メイクが台無しになる。 私は泣くのを我慢して、マスクをつけた。 これでさっきよりはかわいく見える。

薄暗闇から

 この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。  堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。  犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」  鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。   彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。  意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。  うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。  あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」  そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。  当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。  彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。  薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」  辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。  そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」  食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。  その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」  ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」  差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」  答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。  途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」  もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。  髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。  流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。  色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。  言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。

燕が民家の軒下にせっせと巣を作っていると、鳩がやって来てこう言った。「燕さん、そんな所に巣を作ったら、すぐに人間が来るよ」どこ吹く風で、巣作りを続ける燕に、鳩は尚も言った。「僕はやっと作った巣を人間に奪われたんだ」燕は鳩を見て言った。「そりゃあ、きみは鳩だもの」

腐りかけたリンゴが甘くなる

[「コンビニ行ってくるけど、なんか欲しいもんある?」    いつもそう。  私の彼氏たちは、私が冷めた瞬間に優しくなる。    何度も好きだと伝えて。  何度も体に触れて。  私はずっと、貴方の求めることに応えてきた。    それなのに、貴方は生返事。  家に新しい家具が一つ増えた、くらいの態度だ。  いや、だった。    私が、もう別れようかな、って思った次の日には、何故か態度を逆転させる。  ずっと欲しかった好きを口にしてくれる。  子供のように私に触れてくれる。  貴方が求める前に、私の心配も挟んでくる。    もっと早く欲しかった。    好きが冷めかけている貴方は、まるで腐ったリンゴ。  私が欲しかった甘い味を出してくれるけど、一口齧る度に不安になる。  お腹を壊さないかな。  食中毒で死なないかな。    私の歯型で削り落とした断面を見た後、私の視線は遠くのゴミ箱へと移る。  投げれば、きっと入る。

この先作り

先日いつもの定期検診がありました。 この定期検診は退院してから直ぐの頃は間隔が二週間に一度だったものが、現在では四ヶ月に一度と間隔が開きました。ただ前回の結果が思った程良くは無く、今回の検診で改善が見られないのであれば、一段階上がった処置をしないといけないと聞いていました。 こんな事を聞いてしまうと間隔の四ヶ月がとても複雑な気持ちになってしまうもの。総じてこの期間の私は気持ちが集中出来ていなかったと思います。 そして検診当日。結果は今迄に無いほど極めて良好な結果だと聞かされて一気に気持ちが楽になったのでした。再度食事の栄養バランスを見直したのが良かったのかも知れません。 色々な事を考えてみました。 退院当初はまた病院生活に戻らない事、それだけを願っておりました。頼みます…と身体の状況が良くなる事だけを願っていたのです。そこから検診の間隔が一ヶ月、三ヶ月と開いて来て若干の気の緩みというものが起こります。「もう大丈夫ではないか」内心そう思いながらも心配は残っている状態。そこにひとつ何か問題が起こると、簡単に気の緩みは硬化へと変わってしまう。結局精神はとても脆い状態なのです。 ここ迄は起こった事に対応してきました。 起こった事は瞬時に過去の出来事。その過去から自分の行動を起こしていたのです。起きた事もそんなプラスには捉えられないものが多く、先を明るく想像し辛くなってしまいます。口には出さずとも「どうせそんなもの」が基準となってしまう。自分が自分の身体の内面を分からないというのもあります。ですので起きた事がベースなってしまうのです。 私はこの【過去ベース】を変えないといけない、そう考えたのです。 身体のことは、間違った事だけしなければ後はどうしようもありません。ある意味、運任せで行くしかない。結局ココの部分を考えたところでどうにもならないと諦めのような踏ん切りが出来ました。 「そうか、この先を作れば良い!」 自分のこれからを半ば強引に作ってみることによって、生活の流れや日常意識も変えてみることは出来るんじゃないかと思いました。それに連れて身体はもう大丈夫という意識に持って行くことが狙い。【病は気から】を実践するのです。いつまでも何もしないで後で何かやれば良かった…というのは結構長く意識に纏わり付きますが、やってみてコレ失敗したな…は前向きなリカバリーが十分可能というのを私的に思うことですし、何故だか少し笑みが溢れてしまいます。 丁度と言って良いものか、、このところマイカーから変な異音がしていました。その音がする少し前から、次回の車検は金銭的覚悟が必要とする部品交換を予告されていましたし、異音はまた別の原因であるとのこと。この車のタイミングと私の踏ん切りがピタリと合ったように思ったのです。 そしてある日、車販売店に訪問。自分の希望する車への要望と金額面を提示し尚且つ長期のローンは組めるのかを問い合わせしました。私の場合この長期がミソな訳で、ローン期間が長ければ長い程、長く新しいこの先を作ったことになるのです。ローン審査はこんな私でも何とか通過。かわいい軽自動車を購入したのでした。 「これ誰の車?」 たまたま家に立ち寄った妹が恐る恐る聞いて来ました。 『俺の』と言った時の妹の顔が、めちゃくちゃ酸っぱい梅干しでも食べたんかと思えるくらい、コイツやりやがったな的な顔をしていました。妹は石橋を割れんばかりに叩きながら確認して前に進むタイプ。兄妹ながら私の思い付き踏ん切りタイプとはキレイに真逆なのです。 ほら、もう面白くなって来ました。 妹に迷惑を掛けるつもりは全くありませんが、そうならないようにと忠告の意味もあって妹はこのタイミングで登場したのかなと思います。細々としたトラブルとまでは行かなくても何か小問題は常に何でも起こるものです。この車についてだけではなく付随して事が起こり出したら、私は新しい章に突入しているのだと捉えます。そうやって経験し糧となり成長するのが自然だと思うのです。自分がこんな感じだからダメだと自分でストップを掛けてしまうと、新しい成長機会はやって来ないどころか、体も心もどんどん衰退するのではないかと思うんです。 何も無い、何も起こらない日々は楽しいですか?それが楽なんでしょうか? そんな日を望む時もあると思います。もしそんな時ならばゆっくり休めば良い。私の場合入院時期がそれにあたるのだと考えると、もうそろそろ気持ちを切り替えて新たに動き出しても良い筈です。具体的には病気を現在から過去にしたい。 自然と流れでそうなるのではなくて、自発的にそうする時期。 そしてこれが失敗だとしても、笑みが溢れるだけと思っています。

始まる前から終わるまで

金曜日の放課後が好きだった。 これから始まる休日に思いを馳せ、夜を堪能するあの時間が。 旅行は計画を立てるのが一番好きだった。 一度、旅が始まってしまうとどうしても終わることを考えてしまう。 楽しければ楽しいほど終わりを受け入れるのが辛くなる。 ならば最初から楽しくなければよいのだろうか。 否、人はみな楽しみなしでは生きられない。 たとへ何度も終わりの絶望に打ちひしがれたとしても次の楽しみに向かっていきたい。 本当の最後を迎えたときに後悔がないように。

Walk This Way

 赤い空の下を歩いて、近所のラーメン屋に行った。店はシャッターが閉まっていた。あれっ、今日定休日だったっけ。シャッターには貼り紙が貼られていた。『一時休業のお知らせ』そう書かれている。『地球が滅亡しなかったら営業再開します。』そうか、ああ、そうだった。赤い空を見上げる。ラーメンの口になってしまっていた。家に帰ってインスタント麺を取り出した。

やさしさに包まれたなら

 夏の朝だった。爽やかに晴れた青空の真ん中に、小さな雲が一つ、ぽつんと浮かんでいた。「あの雲がなければ、『雲一つない快晴』なのに」そう思っていたら、その雲に向かって、何か白い生き物が、空中を歩いて近づいていった。それは一匹のイヌだった。「あっ」そしてよく見ると、その子は、去年死んだ我が家の飼いイヌだった。その子は雲に近づくと、雲を口にくわえて、私をちらりと見て、また空中をとことこと歩き去っていった。相変わらず気が利く子だ。私は病室のベッドの上で、いつまでも、雲一つなくなった青空を眺めていた。

真夏の果実

 冷蔵庫を開けたら、奥に置かれているベッドの中で、ニンジンとタマネギが抱き合っていた。そういえば、今朝、お母さんが今夜はカレーにすると言っていた。ニンジンとタマネギを使うのだろう。それがわかっているから、彼らは最後の情事を楽しんでいるのだ。そっと冷蔵庫の扉を閉めた。

あの日にかえりたい

 お母さんが仕事に出かけた。私は今日も学校を仮病で休んだ。「ご飯作ってあるからあっためて食べなさい」お母さんはそう言って出ていった。何度かうとうとした後、やっと目が覚めた。台所に行くと、炊飯器の『保温』ランプが点っており、テーブルにはウィンナーと卵焼きが載った皿にラップがかけられていた。コンロには鍋が置かれていた。鍋の蓋を開ける。味噌汁が入っていた。傍らのお玉でかき混ぜる。人間の指が出てきた。今日の具も指か。飽きたな。そのうちの一本に、ごつい指輪がはめられていることに気づいた。下品な指だなぁ。指輪を外し、ポケットに入れる。これを売れば多少のお小遣いにはなるだろう。ご飯を食べたら、街へ出て、指輪を売ろう。仕方ないが、指輪のせいで出かける理由が出来てしまった。ご飯を茶碗によそい、味噌汁を椀に注ぐ。「いただきます」ウィンナーをかじる直前、そのウィンナーが、指ではないことを無意識のうちに確かめていた。

見つめていたい

 夫の遺体を警察が持っていった後、庭の木の枝に揺れる首吊り縄を、幼い娘といっしょにぼんやり見ていた。ふいに娘がつぶやいた。「ドーナツ食べたい」どうやら首吊り縄の輪っかを見ていて、ドーナツを連想したらしい。私は娘の頭を撫でて、ドーナツ屋に出かけた。風が吹いて、涙で濡れた頬が冷たかった。

泣き虫迷子

 しくしく、べそべそと泣く子が居る。  見た感じは、ずいぶん幼い子。3つとか、4つとか? なのに、ただの迷子とは感じられない。だけど、ただの迷子のように、服の裾を握りしめてただひたすらに、しくしくべそべそと泣いている。  どうしろと、いうのだろうか。  回答を求めるその対象さえ判らずに立ち尽くしていたら、その子が喋った。 「おうちにかえりたい…」  やはり迷子。ただの、かどうかは、さておいて。 「おうちの場所は解るの?」 「わたしのおうちは、あのひとの居るところ」 「じゃあその人は何処に居るの?」 「………」  黙る。服の裾を握る手に、さらに力を込めて。 「解らないのであれば、捜せないね」  服の裾が、さらにギュウッと握られた。  しくしくべそべそが、ぶわっと溢れ、堪え切れない涙になった。  言葉もなく唇を噛み締め、堪え切れない涙に頬を蹂躙される、その子。その子はきっと、見た目に相応しくなく幼くなどなく、けれど、見た目に相応しく、幼いのだろう。 「解らないのであれば、捜せない。  ならば、まずは解るようになればいい。そうしたら、捜せるのでしょう?」  なにをいっているのかわからない。  そんな顔をして、その子は動きを止める。ちなみにあれほど頬を濡らし目を腫らした涙も、止まっている。 「解らなければ、解るように努めればいい。何かしら解れば、何かしらの道は開ける。  努めても解らないならば、さらに努めればいい。解らないままなのか、いつかの果てに解るときがくるのか、」  あるいは。 「あるいは、そのまま捜し求め続け、そのまま泣き続けるのもまた、一興」  そっとその子の様子を窺うと、その子はもはや、しくしくべそべそとは泣いておらず、滂沱の如くな泣き方もしていない。  ただ静かに粛々と、涙が再び頬を濡らしていた。 「わからない。あのひとが居るところ。  わからない。どうすればそこにかえれるのか」 「でも、わかる。  わたしはおうちにかえりたい。  わたしのおうちはあのひとの居るところ。    わたしはあのひとのところにかえりたい。  だからわたしは、あのひとのところに、かえる」  その子は服の裾をギュッときつく握りながら、静かに粛々と頬を濡らし続けている。  見た感じはずいぶん幼い子。かえるべき場所が解らず途方に暮れて泣き濡れる迷子。  だけど大丈夫。ただの迷子じゃない。大丈夫。 「かえりたい場所が解っているなら、そのための道が、何かしら開けているのでしょう。ならばきっと、そこにかえりつくこともできるのでしょう。  だからもう、迷子なんかじゃ、ないね?」  その子は服の裾をギュッと握りしめたまま、頬を濡らす涙を止めないまま、けれど、確かにコクリと頷いた。 「…では、さようなら。行ってらっしゃい」  そしてどうしろというのかなど解らないから。ただ、見送りの言葉を送った。  密やかに、その子の道行きの果ての涙が、もっとずっと暖かいものであれと、願いながら。

お客様気分

 子供は、大人のお客様。  権利を半分親が抱える代わりに、多少の我儘が許される。  だって、お客様だから。    消費者は、会社のお客様。  お金を払う代わりに、多少の我儘が許される。  だって、お客様だから。    社員は、会社のお客様ではない。  お金をもらう代わりに、会社の我儘を聞かなければならない。  だって、お客様じゃないから。   「社会人になったら、理不尽なことが増えた」 「ねー。もう少し、私たちの気持ち聞いてくれてもいいのにね」    初めての、お客様以外の立場。  しかし、売り手市場と呼ばれて入った新入社員たちは、自分がお客様でないことに気付かない。  義務教育で、教わっていないから。

白日戦隊!ホワイトレンジャー✟【人の心の乱】

「なぁ人間が欲しくてほしくてたまらない物って知ってるか?」 ホワイトレンジャーの前に怪人がいる。怪人はホワイトレンジャーたちと出会い頭に質問をしてきた。 「人間が欲しくてほしくてたまらないものだよお」 「なぞなぞか!後にしてくれ!」 とリーダーのホワイト 「ひひひひ」 怪人は笑う 「心じゃろ」 喜寿で年長の月白が答えた 「そうだ。心だ。我々も人の心から出来ている。そしてお前らも」 「正解した時は、『ピンポン!』とか言ってくれ!分かりづらい!」 とリーダーのホワイト 「なぁ、この世界に必要ないものは何か知っているか?」 「またなぞなぞか!後にしてほしい!今はお前を倒したいんだ!!」 とリーダーのホワイト 「それは、人ですね」 冷静沈着が持ち味のスノーが言う 「あぁそうだ。人間がいなければこの世界は平和そのものだ」 「さっきも言ったように!正解した時は、『ピンポン!』と言ってくれ!」 「なぁ、人を消しちまおうぜ。俺たちで人間を消しちまおう」 都会のビル群の真ん中で怪人とホワイトレンジャーは対峙している。 人間達が石になってしまったと連絡があった 怪人が人間達を石にした 「休みたい」「老けたくない」等の思いから産まれた怪人は人間の願いを叶えていく。人間の望まないカタチで。 「人を消してどうする!何を言っているんだ!」 とリーダーのホワイト 「あぁ分かった。お前はバカだな。バカで出来ている」 「私がバカだとかバカじゃないとかどうでもいい!我々はお前を倒す!」 「俺を倒してどうする?また人間達は怪人を作り出すぞ」 「人間達は心の中で戦っている。我々も戦わずにはいられない!」 ホワイトの音速の拳が怪人を打ち砕く! 怪人を倒した後、しばらくホワイトはその場を動かなかった 「分かったようなことを…言うな…分かったようなことを…!」    ✟ 「次のニュースです。 東京都黒田区黒羽の派遣型風俗店の事務所で冷蔵庫から乳児の遺体が見つかった事件で、警視庁捜査1課は某日、死体損壊と死体遺棄容疑で、母親で同店従業員の容疑者(22)=住所不定=を逮捕した。容疑を認め、『隠さなければと思った。そばに置いておきたくて冷凍庫に入れた』などと供述している」 ラジオから流れるニュースにホワイトは目を閉じる 彼は今、人間の姿で世間に紛れている 「お客さん、仕事帰りですか?」 タクシーの運転手がきく。 「飲んだ帰りです」 時間は夜の十一時、ホワイトは適当に嘘をつく。 「この辺は飲み屋多いですもんね。風俗店も多いけど」 「運転手さんは風俗行くんだ?」 何となく運転手の名前を確認する 【黒穴 旦】くろあなだん…変わった名前だ 顔は丸く大きく髪が長いので、どんな目をしているのかがよく見えない 「いやいや、そんな元気もお金もないですね。ハハハ」 「運転手さんは風俗の人を乗せたりするの?」 「いや〜あると思いますよ。風俗で働いてるのか聞いたことないけどね、分かるね何となくだけど」 「へぇどんな感じなの?」 「いや〜それぞれですよ。暗い感じの娘もいれば、明るそうな感じの娘もいるし…ただ、なんていうのかな、人に疲れている感じはするかな。他人を信用しない感じ。何となくだけどハハハ」 ホワイトは今日の怪人の言葉を思い出していた。

怪獣があらわれる街✕男なら親指を立てろ

雨太郎というオジサンがいる 歳は45を過ぎ、髪に櫛も解かさず、口の周りを無精ひげに好きにさせている。 いつも服は薄汚れていて煙草と酒が好きな男 そんな彼は紛れもなく、ウルトラマンである。 雨太郎は甥っ子の風太くんの授業参観に来ていた。甥っ子の風太に「雨太郎叔父ちゃんに来てほしいな」と言われたので嫌とは言えない。 風太くんは昔から雨太郎と馬が合った。 たまに会うと昔からの親友のように過ごす。小さかった風太くんの指定席は雨太郎の膝の上だった。 その雨太郎叔父ちゃんがウルトラマンだと知ってからは、余計に尊敬をしている。   ✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕ ぐら…ぐらぐらぐら… 地面を突き上げるほどの揺れが学校を襲う。地震か、怪獣か。 キャーキャー騒ぎ怯える児童達 「みんなー!防災頭巾を被って!机の下に隠れましょー!」指示を出す先生は冷静に行動している 行き場がない児童の親たちは戸惑っている。 雨太郎は窓の外を見ていた。怪獣の姿を探している。 青空にサイレンが鳴り響く。 「避難命令!避難命令!〇〇町、上空に巨大生物があらわれました!直ちに避難せよ!繰り返す!直ちに避難せよ!」 放送を聞いて教室にパニックが巻き起こる。児童達は一斉に机から飛び出して、自分の親の元へ駆け寄った。 親達は学校の地下シェルターへ走っていく。先生達は廊下に出て走らないように大声で声かけをしている。 近年、巨大生物の襲来が多発し、日本政府は、学校や病院に地下シェルター設置を義務付けた。昨今の防災訓練は地下シェルターで行うのが主流である。 教室では親の来ていない児童は、皆不安そうにしていて、泣きべそをかいている子や、ウロウロとしている子が何人かいた。風太は雨太郎とアイコンタクトをとると、風太はその子たちを風太の母の元に集めた。 「えらいぞ、風太。よし、ちょっくら行ってくるわ」 「お兄ちゃん…」 雨太郎の妹で風太の母である晴子は心配そうな顔で雨太郎を見る 「風太、母ちゃんと皆を頼むな」 風太は親指を立てる 雨太郎はニコリと笑う 雨太郎が教室を出て、流れに逆らうように進んで行き、やがて、人混みで見えなくなった。 ドンと大地が鳴り、一斉に悲鳴が聞こえる。強い衝撃で皆が床に倒れたのだ。 不安と緊張で学校はパニック寸前だ。地面に近づくシャボン玉の様に、破裂するまで後わずか。 そこに誰かが言った言葉で、シャボン玉は割れずに風に乗り空へと舞い上がった 「ウルトラマンだ」 窓の外には皆の希望であるウルトラマンが立っていた。 ウルトラマンは怪獣の元へ飛び立って行った。ウルトラマンが飛び立つとき空へ向けて親指を立てていた。

道の途中【BL】

彼は私の永い生の中に現れた唯一のひとでした。 暗い夜道に突如空に昇った星でありました。あてどなく歩く道を、もしやもう違えてしまったのではと不安に震える道中に、そこを目指せば良いのだと私を駆け出させる希望の火でありました。 実際には彼は隣にいて、いつでも私の手を引いてくれたので、旅人の星に喩えるよりは、掲げるランタンの方がいいのでしょうか。 ああ、遠すぎて温度の分からない星よりは、ランタンの方がうってつけかもしれない。彼の隣は温かかったのです。どんなに寒い冬の雪の日も、普段と変わらずに。 私は彼から多くを学びました。気遣いやら、笑わせ方やら、愛し方を。彼と同じにはできはしませんでしたが、彼のその様はたいへん、うつくしかったのです。全部、彼の言う愛によるものでありましたから、それを持たぬ私は、彼から見るこの世界はどれほど輝いているのだろうといつも不思議に思っておりました。 我々はどうやら同じものを見ることはできないのだ、と知ったのは、彼はとうに気付いていたのかもしれませんが、少なくとも私が知ってしまったのは、もう戻ることが叶わぬほど歩いた後でした。 歩き始めた地点はおろか、一度一人分が途切れた足跡の痕跡も見ることが叶わぬほど遠くまで来てからでした。 彼は変わらず私の手元にありました。この先どうしよう、と彼は決して言いませんでした。振り返る素振りすら私の見ている前ではしませんでした。 不安とともに私の手を握る掌に、ここに来てようやく、彼も私と同じくして、道を知らなかったのだと気付いたのです。 二人して道を失いましたが、私は別段悪い気はしませんでした。思えばここまで既に散々迷い、何故この彷徨い歩いた果てに、私の望む場所に、彼が連れて行ってくれるのだと疑うことなく信じていたのだろうと今更おかしくなったのです。 悪い気はしませんでしたが、悪いことをした気にはなりました。何故同じになれないのだろうと、苦しむ彼をずっと、隣で見てきたからです。彼は星でなくランタンでした。 連れ歩いたのは私です。

シチュエーション:コンビニ

暦が進んでいく さみしい夜が短くなったことに安堵している つい一ヶ月ほど前は 気を抜くと雪が寒さとともに気持ちを深く閉じ込めたり といったこともあったけれど もうそこまでのことにはならないはず 四月は苦手だ、とキミが言って 僕が理由を聞かないからキミは言わなくて あたたかくなったよろこびと花粉症の疲れと 新たな出会いへの期待と 期待どおりにならないもどかしさと ―コロッケ買ってあげるからさ、そんなこと言わないで 僕が言うとキミはもうすっかり上機嫌で ―アイスもたべたいな なんて、そんなことを ―まだ、はやいんじゃない ―先取りだよ 春の淡い光が、アイスを見つめるキミの後ろ姿に眩しい 振り返ったキミは、幼い子どものようで 僕は笑いをこらえながら見つめるしかなくなる

Hello

 いつも通院している心療内科を訪れたら、待合室に、電信柱がいた。近所の路地に立っている電信柱だ。「どうしたのですか」「酔っ払いにおしっこをかけられたのです」確かこの電信柱は、いつも近所のイヌたちにおしっこをかけられているはずだが。電信柱はひどくふさぎ込んでいる。電信柱の心理はよくわからない。考えても仕方ないので、俺は目を閉じて、書きかけの遺書の内容を推敲することにした。

三次元時代の足跡

今から思えば最低最悪な環境と次元だった日々 私の唯一の楽しみはテレビ番組とラジオでした 現実とは全然違う華やかな世界の主役達は全員 綺麗な衣装で愉し気に歌を唄う歌手達に見惚れ 時間が過ぎる迄テレビの前から離れず何時迄も 観てたあの頃現実逃避はラジオの番組土曜日の 27時のパノラマワイド土曜日の夜はロックンロ ールと言う今思えばダサいタイトの番組義姉と 義父に見付からない様に聴いてた時代私は早く 学校を卒業して家を出る事ばかり考えてたあの 時代の私は誤解してたこの家冴え出れば幸せに 為れると信じてた大嫌いだった学校と家を卒業 した時私の心は未だ何も知らず希望に満ち溢れ 直ぐに家から出れると信じて働いたしかし毎月 10万も家に入れろと強制されて仕舞い段々夢も 希望冴え薄れた時に釣りと言うバイトを覚えて 私の世界は有る種大人に為る前の第2段階得た 様に加速して行く人間として生きる為の悪知恵 付いた私は仕事以外殆どバイトに大忙しでした 最初の御客様は良い方で約8年間の間ご贔屓に してくれた良い思いも有る種味わえたかも知れ ない御客様は殆ど毎日車で迎えに来る様に通り 掛かり私を職場近く或いは駅迄送る親切な御客 だった頃私はもっと太客求めテレクラダイヤル Q2等を試しながらも徐々に大人の階段を昇る 楽しみが有った様な気がしたけど三次元の人生 そんな甘くは無かった事をこの後直ぐ思い知る 未々世間知らずな子供の私で有った第1幕完

猫と人間

あの大きな猫、洋子はもう長くはないのだそう、子どもの頃はその意味が分からなかったが、あの猫が煩く、巨大な物に潰れ、意思疎通が出来なくなるように、洋子もいつか居なくなるのだろうと、思い始めた。  洋子が居なくなるということは本人もよくこう言っていた。  「私はサビより早く死ぬからねぇ」  死ぬというものが何なのかは分からないが、きっと居なくなることなのだろうと、思っていた。  私は『なんびょう』というものになったらしい。  あの忌々しく、可笑しな匂いを纏った猫が言うにはあと数ヶ月も持たないのだそう、それを聞いた洋子はとても悲しそうにしていた。  そこから段々、餌を狩る気も失せ、食べ物もいらなくなった。  もうここ数日はずっと寝ている。そして洋子はいつも私の隣に居る。普段は私から離れるがもうそんな気力もない。  嗚呼、唐突に眠くなってきた。これが死ぬというもの何だろうか。洋子居なくなってしまう私を許して。

サービスは、10円分のノスタルジー

 沈みゆく夕日に照らされて、影が長く伸びている。おもむろに手を上げてみると、なぜだか動きがゆっくりに見えた。隣を歩く友人が、不可解そうにこちらを向く。何をしているのか、と問われるが、大きな影を動かしたかった、などという理由は理解されないだろう。昨日の自分自身に言ったとしても、何を言っているんだと嘲笑されるに決まっている。  久しぶりに友人と約束をして、尽きない会話を楽しんで、笑いすぎて疲れたからと散歩をして。他愛のない時間が、数年前までは日常だった光景が、これほどかけがえのない時間に、帰りたくない時間になっているだなんて、昨日の私には想像ができないだろう。  数ヶ月に一度、短いメッセージのやりとりをするだけの関係になっていた友人が、会おうと言ってくれたのが三週間前。  そこから数日おきに連絡を取り合い、ついに今日がやってきた。柄にもなく緊張していた私は、目覚ましが鳴る前に目を覚まし、いつもよりも念入りによそ行きの準備を整えて、予定の何本か前の電車に乗り、待ち合わせの時間より三十分も早く到着してしまった。  見慣れない構内を、案内表示を頼りに移動して、普段は乗車しない短い編成の電車に乗り換えた。ボタンを押して開閉するドアは新鮮で、まばらに座る人々の会話のイントネーションも聞き心地が良い。暖房の効いた車内と、線路から伝わる規則的な振動は、早起きした体と頭には大敵で、いつの間にか眠りこけてしまった。  駅に着き、列車内で循環していた空気を入れ替えようと深呼吸をすると、冷え冷えとした上質な空気が肺に流れ込んできて、まだ寝ぼけていた頭を冴えさせる。さっきまで住んでいた場所と同じ青が繋がっているはずなのに、単なる駅前の景色でさえもくっきりと見える気がして、排気ガスと電子機器に囲まれてぼやけていた視界に気がついた。  時間つぶしでも、と周辺を歩いてみると、見たことのあるチェーン店と、見たことのない個人経営のカフェが立ち並んでいて、日常と非日常の狭間に来たことが実感された。少し迷いながらも待ち合わせ場所まで戻ってきた私を迎えてくれたのは、過去の記憶と少しも変わらない友人の声だった。  この地に引っ越してきてから三年が経つ友人は、この地の有名店に案内してくれた。ここに来てからは勉強ばかりだからあまり知らないのだけれど、などと前置きをしながら、知人にリサーチをしたから間違いないと思う、と自信を持って話した友人は、やはり私の知っている性だった。  夕暮れが訪れるのはあまりにも早く、明日が講義であるということを嫌でも思い出させた。昼間とは色を変えた太陽を正面に見ながら、あと少しだけ、とお願いをすると、同じことを言おうと思っていた、と笑顔を咲かせた。    この近くにとっておきのお店がある、と連れてきてくれたのは、どこにでもあるようなラーメン屋。家の近所にもあるよ、と笑ってみせると、他とはちょっと違うサービスがある、なんて言うので、半信半疑のまま店内に入った。どんな店であろうと結局構わず、思い出話に腹を抱えながら、魚介ベースのあっさりとしたラーメンを啜り、普段だったら追加しない餃子までシェアして、温まった体で店をあとにした。  ちょっと違うサービスとは何だったのか、会計を済ませた友人に聞くと、手のひらを出して、と笑って言う。頭に疑問符を浮かべながらも大人しく右手を出すと、一つ十円のチョコレートが乗った。小さな小さなその駄菓子を見て、懐かしい思い出が一気に蘇る。  小学生時代、塾に行く前の僅かな時間に、親には内緒で寄り道をして、子ども好きの老人が営んでいる店で十円のチョコレートを一つずつ買った夕焼け空。夏休み期間中、早起きをして公園へ行き、鬼ごっこやかくれんぼで遊んではすぐに腹を鳴らして、すっかり顔なじみとなった老人に十円を渡した青空。放課後、友人の家へ遊びに行って、すっかり時間を忘れて日が落ち、少し焦りながら、しかし夜の特別感を味わいながら、まだ明かりがついていた老人の店で十円だけを握りしめて、迷う素振りを見せつつも、やはりいつものチョコレートを買った星空。  六年前、高校入学と同時に疎遠になり、それぞれの人間関係を築き、二人一緒でなくても日々を生きることができると気がついた。  それでも、幼き日の十年弱、毎日共に過ごしていた絆は、あまりにも強固で、時が簡単にほどけるものではなかった。  今日一日、たった数時間、時を同じくしただけで、あの頃と同じ二人になれた。また、何年後かに再会しても、きっと今日の続きができるのだろう。  これがサービスだよ、と友人は笑う。焼肉店のガムではあるまいし、と私も笑う。駅のネオンが、二つの横顔を明るく照らしていた。 (お題:ラーメン屋、チョコレート、遊ぶ)

五体満足症候群

『ああ、俺は健常者でよかった』 『足が不自由とか無理。自由に旅行もできねえじゃん』 『目が見えないとか無理。どうやって歩くんだよ』    SNSに流れる悪意の塊。  それを眺める子供たち。   「せんせー。どうしてこの人たちは、こんな酷いことを言うの?」    子供たちの教室には、障碍者と呼ばれる子もいます。  だからこそ、不思議に思って尋ねました。  先生は子供の頭を撫でながら、丁寧に説明をしました。   「それはね、この人たちは、健常者であること以外に自慢できることがないからです」 「自慢?」 「そう。佐藤君は、勉強ができるのが自慢。鈴木さんは、絵を描くのが上手いのが自慢。皆、自慢できることがる、素敵な私の生徒たちです」 「えへへ」 「でも、この人たちには、それがないのです。自分のすごいところを、一つも見つけることのできなかった人たちなんです」 「へー。なんか可哀想」    子供たちがなおもスマホのスクロールを続け、多数の悪意を鑑賞していたので、先生は滑らかな動きでスマホを取り上げます。  悪意の過剰摂取は、子供たちにとって毒になるからです。   「さあ、休憩時間は終わりですよ。皆さんはこんな大人にならないように、しっかり勉強して、しっかり運動して、自慢できることを増やしていきましょう」 「はーい!」    先生は、他人の悪意を踏み台に、子供たちを動かします。  それもまた、先生の悪意。

晒す

 世界には、晒しが溢れている。    気に食わない行動を、晒す。  政治家や会社員のちょっとしたズルを、晒す。  なんかやばそうだったので、晒す。    晒しは、人間の娯楽となって、加速した。   「その願い、叶えてしんぜよー」    そこへ神が現れた。  神は、人間以外から色を失くした。    木々や花にも、色はない。  建物にも、色はない。  当然、服にも色はない。    残されたのは、隠れることができないすっぽんぽんの人類。        何一つ隠すことのない世界で、ようやく晒しはなくなった。

ヤツらは勝手に

新人の指導役を断り続けているのは その新人が僕の手でどんどん汚れていくさまを見たくないから なんて、それはたんなる言い訳 はやい話、めんどうなんだ、正直なところ 会社が終わって家に帰るまでの道すがら あの新人にどう言葉をかけてやればいいかを考えるんじゃなく 今日、何たべるかなあ、とそのことで頭のなかを満たしたい それなのにスーパーのレジでは 研修中の札をつけた女の子にあたってしまい ついつい余計なことを思い出してしまう みんな、はやいとこ育ってくれよ いやいや、俺が言うまでのこともなく ヤツらは、育っていくんだよな、勝手に…

一つ分の呼吸する漂流物

親しい人がいる。会話したり一緒に何処かへ行ったり、近しいことで悩んだりする。 まるで共に人生を歩んでいるように。私も貴方も同じ生き物のように。 けれどそんな理想から何度も目を覚まさせられる。 「結婚しました」の一文におめでとうと心からの祝福を友人に述べた。偽りはない。 私は私。貴方は貴方。 その事が今はとてもさみしい。 私の人生には私しか立っていない。そのことは重々分かっているつもりだけれど、ふとした時に骨身に冷たく染み渡る。 私はあわあわして部屋の中をぐるぐる歩いて落ち着かせる。なんとか落ち着いてふたたび果てのない海に浮かんでいる。 今は何も考えずに。

日記 

今日も、いつもと変わらない、だらけて中身のないパイみたいな一日が、とっくに始まっている。 時刻はもうすぐ15時。 青い春を売っても、やって来るのは、底の底に沈んだような人間ばかり。 一人、二人、三人――どうしようもない、しょうもない会話すら成立しない相手ばかり。 このまま、稼ぎもなく今日が終わるのだろうか。 また社会から吐き出されるのだろうか。 頭の中で、恐怖が反響する。 自分のようで、自分ではない声が囁く。 「また逃げるのか。酒?タバコ?薬?  そうやって逃げ続けていたら、いつか本当に捨てられるよ」 そう言われても、それしか逃げ道がない。 そんな自分に、嫌悪が走る。悪循環だ。 病院の助け舟も遠のいて、 手っ取り早い快楽に手を伸ばして、堕ちていく。 今日は何に逃げるんだろう。 明日はどうするんだろう。 無一文で終わるのだろうか。 社会のゴミ溜めみたいな自分に、 日に日に、憎しみが積もっていく。 いっそ、オーバードーズでもして気を紛らわせるか。 酒を飲んで、頭の中をHBの鉛筆で塗りつぶして、 今日の自分を葬ってしまおうか。 そうやって毎日、自分を殺しても、 また自分が脅してくる。 「結局、逃げるんだね。どうしようもないね」 誰も見向きもしない。 まるで、路地裏に捨てられたみたいだ。 この地獄から、逃げ出せる日は来るのだろうか。

愛の力をくらえ

愛とはすごいものだ。 あれほど軽々しく「好き」や「愛してる」を振りまいていた友人が、今では一人の人にだけそれを向けている。仲睦まじそうで何よりである。 ただし、あの言葉たちは無くなったわけではない。 横断歩道で信号を待つ。隣の人はスマホに夢中だ。指の動きが荒い。誰かに何かを送り続けている。 ああ、これか、と思う。これが、芽吹いたもの。 信号はまだ赤い。でも、別に関係ない。 一歩踏み出す。 予想通り、その人は進みだした。 音。 「もしもし!事故です!」 通話を終えて、少しだけ息を吐く。 これで、ひとつ減った。 全く。 大事な親友に害を成すなんて。 愛とは、本当に恐ろしい。

ないことの証明

先輩は一風変わった人だった。 伊達メガネをかけて、部室と呼ぶには窮屈な部屋でいつも一人本を読んでいた。 * A大学に進学が決まってから僕はオカルト研究会に入ろうと心に決めていた。 初めて特殊な趣味について語り合える仲間ができるという期待を胸にドキドキしながら部室の扉を開けたのを覚えている。 「おや、新入りかい?」 積み上げられた段ボールの奥から声がする。 ひょこっと顔を出したその声の主はまるで小動物のような女の人だった。 「はい、オカルト研究会に入りたいんですけど。」 うんうん、彼女は腕を組みながら大げさにうなずく。 「よかろう、ここに座りたまえ。」 錆びたパイプ椅子をすすめられ、僕はそこに腰掛けた。 「あの、他の部員の方は?」 「え、あたし1人だけど?」 * これは後で分かった話だが、一時ネット上で旋風を巻き起こしたA大学オカルト研究会は、部活中に起こった事故をきっかけに下火になり、徐々に部員数も減少していったそうだ。 僕がオカ研の好きな動画について語ると先輩は遠くを眺めて 「そんな頃もあったなあ」と呟いていた。 僕達は月に一度心霊スポットを巡り、その他の日は自由に部室を出入りした。 先輩はいつも部室に入り浸っており、まさか住んでいるのではないかと疑うほどだった。 そして何故か先輩は自分自身の情報について、下の名前が「アキ」だということしか教えてくれなかった。 連絡先も誕生日も何一つ知らなかった。 質問しようとすると 「謎が多い方が大人ってのは魅力的なんだぜ、ベイベー」 などというよくわからない事を言ってはぐらかされた。 それでも部室に行けば必ず先輩に会えるからさほど気にならなかった。 * 「この世に無いことの証明は難しいんだよ。知ってるかい?」 ある日、先輩は唐突に言った。 「どういうことですか?」 「実は、私はあまり霊というものを信じていなくてね。でも、だからといって、私の中で完全にいない、と言い切れるほどの自信はないんだ。」 先輩は何か大事なことを言うように一呼吸置いた、 「だから私はこの部活で霊に出会わなかったら。いないという事にしようと決めたんだ。」 同じく霊の存在を信じる仲間だと思っていただけに僕は少し寂しさを感じた。 そんな日々が続いて一年が過ぎた。 僕が彼女のことを好きになるには十分すぎる時間だった。 心霊スポットの帰りに僕は勇気を出して告白した。頭の中が真っ白だったので何と言ったかは覚えていない。 ただ先輩は 「きみの大切な時間を奪ってしまったようだね。ごめんね」 と言うと先へ歩いていってしまった その時の先輩は一度も見せたことのないとても悲しそうな顔をしていた。 * それから先輩は一度も部室にはやってこなかった。 他の学部の人にも片っ端から声をかけたが、「アキ」という女性のことを知っている人はいなかった。 無理矢理にでも連絡先を聞いておかなかったのを僕はひどく後悔した。 * 月日は流れ、僕は大学4年生になった。 オカ研のOBの人にもコンタクトをとってみたりしたが、先輩の情報はあれからなにひとつ増えていない。 これから就職して、もしかしたら別の好きな人ができて、結婚して、子供ができて、そうしたら段々と先輩のことも忘れていくのだろうか。 少なくともいまの僕は彼女の呪縛にとらわれている。 先輩、どうしてそんなに悲しそうな顔をするんですか。 最後に見た顔がそんなのだから先輩の笑顔がうまく思い出せないじゃないですか。 「この世にいないことの証明は難しいんだよ」 先輩のいたずらっぽい声が頭の中に響いた。

人間の必要性

万物の霊長と言われ生き物の頂点に立つ人間 山や森切り崩し道路と家を造り科学力の発展 ビル群に囲まれたコンクリートジャングルな 日本埋め立て地にレジャーランド盆地に立つ 高層マンション、スーパー、コンビニ、銀行 病院、郵便局、商業施設、飲食店、警察署は 大自然の怒り天変地異は一瞬で全て消え失せ 去る抗力従え一気遣って来るだろうその時に 初めて人は己の必要性を問うのかも知れない

額縁の契約-解説編- (掌編詩小説)

創作する人間にとって『ジャンル』というものは 心強くも、時に囚われの元凶となるものだ 創作とは楽しむものであり 創作論なんてものは二の次なのである 自分や世界に不満が無ければ創作は次第に止まるだろう… 怒りや嘆きの世界で『無題』を創り続けることが、本来の創作という物なのである だが、世間に出る頃には作家の『作品』というレッテルが貼られる この『レッテル』を今作と『額縁の契約』内で私は額縁と捉えた ジャンルとは、作家にとって自分の作品をそれぞれの系統に押し込む事であり 読者にとって、作品と効率よく出逢う合言葉なのである (完)

願い

鼠は台所を探検していた。ゴミや食べ物を拾っては巣に持ち帰っていたので、台所は宝の山だった。冷蔵庫の下の暗がりに、氷が一つ落ちていた。鼠が近づくと、氷は言った。「私ね、もう氷としては役に立てないの。こんな場所で溶けるなんて嫌よ。鼠さん、私をここから連れ出してちょうだい」鼠は頷いた。