死にたいと思っていたら消えてしまいそう

 慣れというのは怖いもので、体に起こった異変も今や日常の一部になっていた。いつも胸の奥底にわだかまっていた、死にたいという気持ちに心を向けると、指の先から体全体が透き通っていく。そのまま玄関のドアを開くことなく通過して、誰もいない家に向かって一人つぶやいた。「ただいま」  僕が半分幽霊になったのは数か月前のことだ。なんとなく死のうと思い、ロープで首をくくろうとしたのだが、いざ実行しようとするも僕の手は半透明になっていて縄を掴めなかった。神様が手続きを間違えたのか、僕の体はふわふわとした希死念慮に反応し、ふわふわとした幽霊のような気体になってしまうのだった。  どんな形であれ子供のころに憧れた「特別な人間」になれたと思うと、久しぶりに心が躍った。だから調子に乗りすぎたのかもしれない。会社の飲み会に付き合わされた帰り、僕はいつものように死にたいと思い、その思いに反応した体は気体になって玄関ドアを通り抜けた。だが、いつもより何杯か多く飲んだビールが悪さをしたのか、気体と化した僕の体はドアを通り抜けている間もさらに薄まっていった。空気に、虚無に近いものになっていった。  怖かった。あれほど死にたがっていたのに、いざ自分が消滅していく感覚を味わうと、なんとしてでも生きなければならないと感じた。もはや気体になりたくもなかったが、僕の体は死にたいという意識に自動的に反応して気体になってしまう。出勤中は強い薬で不安感を抑えていても、生きたいと思えるきっかけもなかった。どうすれば生きていて良いと思えるのだろう。そんなことを考えていた僕の目は漫画雑誌のグラビアに留まった。  能力を手に入れた時から考えることを避けていた疑問があった。気体化する前の自分と、気体から元に戻った後の自分ははたして全く同じ人間と言えるのだろうか?洗面台の鏡を覗きこみ、普段全く気にかけていなかった自分の顔をじっくりと観察した。輪郭や、鼻の頭は以前からこんな形だっただろうか。年を取るにつれて自然に変化したのか、それとも実は能力を使った後、元に戻るたびに少しずつ誤差が生じているのだろうか。  確かめることは容易だった。気体化して、元に戻る姿を強くイメージする。その時、元の自分とは違う姿をイメージしていると、そのイメージを反映した姿になることができた。後から思えば恐ろしい実験をしていたのだけれど、それこそ死ぬ気でやっていたからためらいもなかった。僕は能力を利用して少しずつ姿かたちを変えていった。髪を伸ばしたり、肌をきれいにしたり、どんどんエスカレートしていった。それは慣れ親しんだ自分の肉体を段階的に捨て自分を抹消していくということに等しく、変わった形の自殺と言っても良かった。  今日の変化で最後だ。こののち、僕は僕ではない誰かになる。だからこの遺書もここで終わり。  これから始まるのは私の物語。

奴の名はG! 第7話

 Gの壮絶な過去の話を聞いても、Kの気持ちは変わらなかった。Gはキッチンで野菜スティックのセロリやニンジンを齧っている。その姿が昔、世話をしていた飼育小屋のウサギと重なって見えた。 「私、学校で飼育当番をしてたんだけど、ウサギも自分のフンを食べるの」 「ハエのミュータントもフンを食うんだけど、他の奴等の餌食になったから、すぐ消えた…」 「お腹が空いてたんだから、仕方ないよ…。ゴキブリ人間だからフンを食べても大丈夫なのかなぁ。お腹壊したりとかはしない?」 「ああ、どんな細菌も猛毒も俺にはほとんど効かねぇよ?」 「すごい!やっぱりゴキブリ人間はミュータントの中でも最強なんじゃない?」 「お前、本当に変わった女だな。日本人はみんなそう言う考え方なのか?」 「多分、私だけだと思う。私、日本でも頭がおかしいって言われて、いじめられてたから…」 「頭がおかしい…ってのは一理あるけど、いじめんのは良くねぇな?」 「日本はいじめによる自殺がとても多い国だからね…」 「それはニュースで見て知ってる。だから俺ずっと日本人は頭がおかしいって思ってたんだ」 「海外のニュースでも日本の出来事が流れるんだね?」 「Jに日本人は頭がおかしいって言ったらさ、和食とか日本の文化が好きなだけで、日本人は好きじゃないとか言うんだ」 「それは何となくわかるかも…。私も和食や日本の文化は嫌いじゃないけど、民族性が嫌いなの」 「俺は頭が悪いからさ、Jみたいに頭の良い奴の考えてる事は、よくわからない…」 「G君は頭が悪くなんかないよ?純粋で真っ直ぐなだけだから」 「Jからも同じ事を言われた…。KもJと考え方がそっくりなんだな?」  深夜一時を過ぎた頃、ほろ酔い加減のJがタクシーに乗って帰宅した。普段は一、二杯飲んだらすぐに帰るので、ここまで酔ったJを見るのは、Gも初めてだった。 「二時間以上、バーで粘って飲んでたらマスターに無理矢理帰された…。まだそこまで酔ってないのに!」 「今日は珍しく大量に酒を飲んだんだな…。お前らしくもない…。どうしたんだ…」  Kはキッチンで水をグラスに入れて持って来る。海外では水は酒よりも高い。 「口移しで飲ませてよ…。手が震えて自分では飲めない…」 「何をバカな事を言ってるんだ?Kが困ってるだろ!」 「Kの代わりに…Gが口移しすれば…良いだけだろ?」 「いい加減にしろ!俺は先に寝るぞ?酔っ払いの相手なんかしてらんねぇ」  Gは二階の寝室に上がってしまった。リビングのソファーで酔い潰れて横たわるJを介抱しつつ、Kは日本語で話しかけた。 「一体、何があったんですか?」 「Gにもやっと…愛してくれる女が出来たって喜んでたんだ…」 「その割には…荒れてるように見えますが…」 「僕の方が君より先にGの理解者になった…。僕の方が君より長い間Gと一緒にいた…」 「J先生の言いたい事は…私にも何となくわかります」 「どうして僕じゃないんだ?僕はこんなにGを愛してるのに!女に生まれて来たかったよ…」 「J先生はG君に…想いを伝えていますか?」 「いや、想いは伝えてない…。僕がゲイである事を…Gに知られるのが怖い…」 「G君なら…想いを伝えても…J先生を避けたりしないと思いますよ」 「今まで通りの関係でいられなくなるのが怖いんだ…。僕はGの傍にいられるだけで幸せだから」 「私、先生の事もG君と同じくらい感謝してるんです。先生の為に出来る事があったら言ってください…」 「僕の希望は前にも話した通りだよ?Gの事を幸せにしてやって欲しい…」 「それは…J先生の幸せには…ならないと思います…」 「Gを裏切るような真似はしないで欲しい…。僕の希望はただそれだけだよ?」 「先生は…G君一筋だから…一生、恋人を作らないつもりなんですか?」 「パパにも早く恋人を作れって言われてるよ。女の恋人をね?」 「J先生は普通にモテそうだけど…」 「Gの事をフッた女が、僕の方が好きだったと言い寄って来た事もあったんだ。Gを傷つけるような女に興味はない!って言ってフッてやったが…」 「そんな事があったんだ…。その女性にはJ先生がゲイだって事は、伝えてないですよね…」 「あんな女に僕の秘密を言えるわけがない!しかも僕にフラれた腹いせか、あの女がGに対して冷たい態度を取ったから、Gが安楽死させて欲しいと僕に頼んで来たんだ…」 「G君がそんな事を…!それでJ先生は…どうしたんですか?」 「Gの決意は固かったから、僕はGの意思を尊重して安楽死させる事にした…」  Jは絶望したように髪をくしゃくしゃと掻き毟った。 「あれ?でも…G君は今、生きてますよね…」 「ガス室に入れたが…死ななかったんだ。猛毒を注射しても死なない…」 「あっ、そう言う事か…!G君は不死身なんですよね」

令和マッチ売りの少女

 寒い寒い、雪の降る日。  ボロボロの布を傘代わりにして、頭に被る少女が通行人に声をかける。   「マッチいかがですか?」    通行人は、不思議そうな顔で返答した。   「マッチってなんですか?」

奴の名はG! 第6話

 Gは記憶の糸を辿りながら、ポツリポツリと話し始めた。 「俺たちは金持ちの道楽の為に生み出された。ダウンタウンに住んでるゴロツキを金で雇って色んな虫の遺伝子を注入しやがったんだ」 「そんな恐ろしい実験を誰が?」 「最初は新薬の治験だとか言われて、健康に問題はないとか言ってやがったが、なんかおかしいと思った時にはもう俺はゴキブリ人間にされてた…」 「元々、人間だったんだよね…」 「その後、デスマッチとか言い出して閉鎖されたコロシアムで戦わせられたんだけど、俺はゴキブリの能力を持ってたから、壁も天井も這い回れる。逃げて逃げて逃げまくった」 「確かに…その能力があれば逃げ回れそう…」 「ああ、最終的に生き残ったのは、俺と毒蜘蛛のジジイだけだった…」 「毒蜘蛛のミュータントも強そう…。毒蜘蛛はおじいちゃんだったんですか?」 「ジジイはコロシアムに粘着質の罠を張り巡らせた。俺たちの目には見えない細い透明の糸でな…。ジジイはほとんど動かずに罠にかかって身動きの取れなくなった奴を次々に捕食して行った…」 「G君は毒蜘蛛のおじいちゃんに捕まらなかったの?」 「ジジイはジッとしてるだけだから、逃げる必要もない。俺は隅っこで身を潜めてた…」 「それでデスマッチはどうなったんですか?」 「膠着状態が数日間も続いてある日、ジジイが死んだ。多分、餓死したんだろな…」 「えっ…!おじいちゃん、死んじゃったの?」 「そのデスマッチで俺が優勝したんだけど、逃げ回ってただけだったから、最弱のミュータントだと罵られて、金持ちどもから石を投げられたよ…」 「ううっ…酷い…。G君、可哀想…」 「デスマッチは映像に撮られて闇で売買されたんだ。ただの特撮映画だと言ってくる奴もいたが、実際に行われた殺戮だよ…」 「確かに…G君みたいに背中に翅が生えたミュータントなんて…映画の中にしか存在しないと思ってしまうよね…」 「それを観て俺を気に入って、雇いたいと言い出した金持ちがいた。それが…Jだよ?」 「それでG君はJ先生のボディーガードになったんだね?」 「最初はJのパパが反対してた。ゴキブリなんて不潔だから触るな!とね」 「お風呂に入ってるから清潔なのにね!」 「まあ、その後にJが誘拐されたんだけど、俺が助け出したらパパも喜んでた」 「どうやって…助け出したんですか?」  カチッと音がしたので、時計を見ると深夜零時を回っている。この時計は一時間置きに音が鳴る仕掛けがあるが、深夜は音が鳴らない。しかしカチッと言う音が鳴る。 「この話は長くなるから…。今夜はもう辞めとくよ?朝になっちまうから。お姫様は寝る時間だ」 「そのお話も気になるので、また続き聞かせてね」 「こんな話、聞いてて…楽しいか?」 「G君の話は聞いてて楽しいです!」 「そう言ってもらえると俺も楽しくなるよ?」  鼻の頭をポリポリ掻くような仕草をして、二階の寝室に上がろうとするGを見送りながら、Kはボソリとつぶやいた。 「ただ一つ、気になる点が…」 「ん?何が気になるんだ」  Gは階段を昇りかけて足を止める。 「デスマッチは、どれくらいの期間、続けられたの?」 「ああ、過酷なデスマッチだったから大体、二ヶ月間かな?食料も与えられず、最後の一人になるまで戦わせられたんだ」 「食料も与えずに、二ヶ月間も戦わせ続けるなんて過酷だわ…」 「最初はカマキリの奴が、他のミュータントを食いまくってたんだけど、だんだん餌がなくなって来て、カマキリも毒蜘蛛のジジイに食われた」 「カマキリも強そうなのに…毒蜘蛛のおじいちゃんに食べられちゃったんだ…」 「あんな悍ましい光景は、もう見たくない…」  Gの脳裏を過去の記憶が鮮明にフラッシュバックして身震いした。 「でもどうしてG君だけ餓死せずに二ヶ月間も生き残れたのかな?って不思議で…。お腹空いたりしなかったのかなって」 「もちろん腹ペコだったさ?ただそれを詳しく話すと…女にフラれてしまった事があるから…あまり話したくない…」 「私はどんな話をされても命の恩人であるG君を嫌いになる事はないと思うよ」 「いや、それでも必ず嫌いになる…。その女とも途中までは上手く行ってたんだ…」 「やっぱりG君、本当はモテるんだね?」 「全然、モテない…。すぐにフラれる…」 「例え逃げ回ってたのだとしても、それは立派な能力だから、やっぱりG君はカッコいい!って私は思ってるよ?」 「つまり…その…。フンを…食ってた…」  Gは弱々しくて消え入りそうな小声でボソボソッと喋ったので、異国の言葉にまだ慣れていないKは、上手く聞き取れなかった。 「何を食べたって?よく聞き取れなかったからもう一度…」 「だから!フンだよ…。排泄物を食ったんだ」  Gが少し大きめの声でハキハキと発音したので、今度はKもちゃんと聞き取れる。

蝶は羽ばたくか

小林美穂は一大決心をした。 今時、とも思ったが、ラブレターを書いた。 きっかけは校内掃除の折、ゴミ捨てを押し付けられてしまった時の事。 「小林! 大変だろ、手伝うよ」 小柄な美穂にはいささか大き過ぎるゴミ箱をどうにか抱えたその姿を見て、古澤亮が追いかけてきて手伝ってくれたのだ。 「ありがとう……古澤くん」 気恥ずかしくも嬉しくて、自然と笑顔になってお礼を言った。 「このくらいいいって」 返ってきたのは自分の倍以上眩しく感じられる、爽やかな笑顔だった。 校舎外へ運び出す途中、亮はここ、靴箱で履き替えていた。 「古澤、亮くん……」 そう。美穂が封筒を持って、貼り付けられた亮の名を呟いた、ここ。 「あれ? 美穂?」 黒縁の眼鏡を押し上げ、いよいよ手紙を亮の靴箱へ入れようか、という段になって、背後から声がかけられた。反射的に美穂は手紙を隠しながら振り向く。 「何してんの?」 声の主は杉原愛。規則を真面目に守る控えめな外見の美穂とは対照的な、きらびやかな女生徒。 嫌な相手に見つかった、というのが美穂の正直な気持ちだった。そんな内心を知ってか知らずか、愛が明るく染めた長い髪をなびかせて近づいてくる。 二人は中学時代からの友人だったが、高校に入ってからはほとんどと言って良いほど接点が無かった。言わずもがな、愛の変身ぶりが原因だ。 「んー……?」 愛がマスカラで整えられたまつげで縁取られた切れ長の目を細め、美穂をまじまじと見る。 「なに?」 すっかり下校する生徒の波が途切れた時間、空間に、美穂の抗議めいた声が響く。 「古澤亮」 リップでうっすら色づいた愛の唇が、美穂の想い人の名を呼んだ。びくっと美穂の肩が震えた。 「なるほど、なるほど」 愛が微笑む。意地悪げではないのに、美穂は逃げ出したい衝動に駆られる。 「亮くんか。良いよね、彼」 続いた愛の言葉に、美穂の頭にかっ、と熱が昇る。いとも簡単に亮の名を呼び、なおかつ『良い』だなんて、どういうつもりか、と。 愛は美穂が奥歯を強く噛みしめるのを見て、笑みを深くした。別に絡むつもりも、からかうつもりも無かったのに、中学時代から変わらない美穂の素直な反応が煽るような台詞を吐かせた。 「隠してるのは、ラブレター? 今時……」 「悪い?」 自分でも思っていた事を、他の人間に言葉にされると妙に腹が立つ。その苛立ちで美穂は愛の言葉を遮る。 「ごめんごめん。悪いとかじゃなくてさ」 想定より強い口調にたじろぎ、愛は笑みを引っ込めた。 「……わたしばっかり秘密を知ってるのは悪いから……」 愛は第二ボタンまで開いていたブラウスの襟元を、もう一つ開けて左側をめくった。 そこを見て、美穂は目を見開いた。 左鎖骨の下に、青色の蝶を象ったタトゥー。 派手な格好をしているのは知っていたが、ここまでとは。美穂は驚くばかり。 「お互い秘密ね」 それだけ言うと愛はボタンを一つ閉めて立ち去った。 「何なの。勝手に……」 言い様の無い、もやもやした感情が美穂の胸にわだかまった。結局ラブレターを靴箱に入れずに、彼女も下校した。 翌日放課後、愛は職員室に呼び出された。担任の坂本圭一の前に立たされる。 「杉原。お前、校則違反してるよな」 問いただされるも、正直心当たりがありすぎた。 でも、たぶん。 愛はにんまりと笑ってしまった。美穂が密告したのだ。どんな思いからか。真面目な性格からの義憤か。恋のライバルではと疑って、蹴落とそうとする私怨か。 「せんせー、ごめんなさい」 愛は棒読みで坂本に謝罪すると、ブラウスの襟元から手を突っ込んだ。坂本はぎょっとする。 「こんなのつけて来ちゃってました」 その目の前に指でつまんだ物を突きつけた。 蝶を象ったタトゥー……シール。 「お前なぁ……」 坂本は大きなため息をついた。 再び靴箱の並ぶ玄関で、愛は美穂を見つけた。 昨日より背を丸めたその背後から抱きつく。 「ひっ!」 美穂が身を固くする。 「裏切り者」 その反応が愉しくて、耳元で囁いてやった。 「そ、そんなつもりは……!」 罪悪感からか、振り向けずに美穂が言葉を詰まらせる。 「ふふ、いいよ。別に」 声色を甘く変えて、愛が囁く。 「あげる」 そして美穂の手に一枚のシールを、赤色の蝶のタトゥーシールを握らせる。 「共犯者になったら許してあげる」 美穂は手の中のシールで、己の間違いを知った。 「美穂も本当は規則なんて破りたかったんでしょ? 眼鏡のインナーカラーに派手な赤を選んじゃうくらいだもんね」 愛が続けながら、美穂の眼鏡のツルを指先で撫でた。 「……っ!」 否定の言葉は出せなかった。 「じゃ!」 愛は呆然とする美穂を置いて去る。 「共犯者……」 ごくり、と唾を飲み下し、美穂は左鎖骨の下辺りを無意識に撫でた。

奴の名はG! 第5話

 Kを事務所の中で待たせて、Jは事務所に特設した露天風呂の裏に回り込んだ。Gは背中を向けて念入りに体を洗っている。時々こうしてJはGの入浴を覗いていたのだが、Gは気づかないフリをしていた。体を洗い終わると温泉の中に入る。温泉の素で赤く濁らせてあるだけなので、実際に温泉が湧き出ているわけではない。温泉好きなJが日本の匠に頼んで作らせたものだった。Jは露天風呂の岩陰から近づくと、赤く濁った温泉の中を潜水してゆっくりと近づき、ザバッと顔を出した。 「もっと普通に入って来い…」 「驚かないんだね?」 「ミュータントの能力を侮るな。潜水して近づいても触覚で感知するからバレバレだ…」 「お湯の中に姿を隠していても敵意がないってGにはわかってたんだ?」 「ああ、殺気はわかりやすいからな…」 「ところでGに会いたいって言うお客さんが、事務所に来てるよ?」 「それもわかってる。足が不自由だから引きずって歩いてるな。この歩き方はどうやら老人のようだが…」  Gは触覚をピクピク動かしながら事務所の中の人物を目ではない何かで見ようとしている。透明のモヤモヤした人型がGの頭の中に浮かんで来た。 「Gもよく知ってる相手だよ?」 「ん?俺の知り合いの誰かだって…余計にわからん!」 「今日からこの事務所で雑用係をする事になったから家事は彼女に任せて、僕たちはゆっくり出来るよ?」 「そんな話、聞いてないぞ?雑用係でおばあちゃんを雇ったのか…」 「若い女の子だよ?Gの好みのタイプだと思うけどね」 「Jは俺の好みのタイプがわかるのか?」 「うん、大体ね」 「日本語で話していたようだが、日本人か?お前の日本好きは俺には全く理解できん…」 「僕が日本好きな理由は、日本刀は最も切れ味が鋭い優れた武器だし、和食は世界一健康に良い食べ物だからだよ」 「日本刀なんて重いだけで、すぐに錆び付いて切れなくなるじゃないか?和食は別に美味いと思わんが…」 「彼女は日本人だから和食が得意料理なんじゃないかな?Gもちゃんと残さず食べてよ」 「おばあちゃんの作った発酵した豆のスープや腐って糸引いた臭い豆とかを出されるのか?」 「だからおばあちゃんじゃないんだってば…。発酵した豆のスープじゃなくて日本語では味噌汁って言うんだよ。腐って糸引いた豆と言うのは納豆の事かな?僕は大好物だけどね。ナットウキナーゼは健康に良いから食べてみてよ!」 「ナットウは見るからにマズそうだから気が進まないな…。今まで家政婦を事務所で雇った事はなかったが、どうして急に?」 「家政婦を雇うとしても第一条件がGの事を理解してGに対して愛を持って接する事ができるかだったから、なかなか条件を満たす家政婦が見つからなくてね…」 「変なところにこだわるからな、Jは…」  Gが露天風呂から上がって来たので、KはJに言われた通り、バスローブを持って脱衣所に行く。恥ずかしくてKはGから目を逸らしながら、バスローブを手渡した。 「G君、バスローブ持って来たよ…」 「あっ、K…。いつの間に退院したんだ?足はもう治ったんだな!」  GはKがしっかり二本足で立っているのを確認する。ギャングに切断されかけた左足は少し不安定なようだ。 「まだ上手く歩けないけど…」 「無理せずに座ってろ!」  Gがバスローブを着てリビングに来ると、Kは深々とお辞儀をした。 「J先生に治療費を返す為に事務所の家政婦として雇ってもらう事になりました。よろしくお願いします」 「ジョナサン、説明しろ!どう言う事だ?Kは歩けるようにはならないってナースどもは言ってたのに…」 「驚いた?パパの手術は成功してたんだよ。あとは歩きたいと言うKの気持ちの問題だけだった」 「驚き過ぎて、何が何だかわからない…」 「Gが驚くところを初めて見たよ?何をしても驚かないから…」 「事務所の話し声は風呂からでも聞こえてた。でも日本語で話されたら、俺にはわからないからな…」 「フフフ、そう思って日本語で話していたんだよ」 「ズルいぞ?クソッ!俺も日本語がわかったら良いのに…」 「日本に興味がなかったGが日本に興味を持ってくれて僕は嬉しいよ?」  Jは気を利かせて事務所から出て近所のバーへ飲みに行った。GとKを二人きりにして話しやすくさせる為だ。Gは女の扱いが下手なので口籠もっている。Kが先に話題を切り出した。 「G君はゴキブリのミュータントって聞いたけど他にもミュータントはいるんですか?」 「ああ、たくさんいたけどほとんど死んだ…」 「どうして死んじゃったの?G君はめちゃくちゃ強いし、他のミュータントもみんな強かったんでしょ…」 「ぶっちゃけ俺は他のミュータントの中でも、一番弱いんじゃないかと思ってる…」 「えっ、G君はあんなに強いのに…どうしてそう思うの?」

朝の歌

どう考えたって眠い。朝,私はモゾモゾと身じろぎをする。朝5時、世間様は寝ている。  そう、本日土曜日だ。もーちょっと、今日は休んじゃおうかなあなんて考える。だってここ最近いいことはなかった。昨日だって夜中に帰ってきて、やっと、すごく疲れて15連勤を終えた。嘘、15連勤なんてしてない。  勝手に心配して、勝手に私が出勤してただけ。ブラック企業の戦士が過ぎるのだ私は。  薄桃色の布団の中で、自分の暖かさに包まれながらエアコンのリモコンを探す。最近寒い、電気代なんて関係ない。私は今日こそ…今日こそ…!  うん、無理だ。 私にはできない。電気代を浮かすくらいしか最近の楽しみがない。  そのまま布団の中に昨日の夜から突っ込んでおいた暖かい自分の服を取り出した。布団の中で着替える。そうすればあったかいってお婆ちゃんが昔教えてくれたのだ。我がお婆ちゃんの知恵をフル活用しながら私は頑張るのだ。 ださい。そう、家での私は死ぬ程ダサい。何故なら私はブラック起業の戦士。あのかわいいモフモフとした寝巻きを着れる日はいつ来るのだろう。  だっさい中学時代の赤い芋ジャージに、その辺で暖かそうだから買った私の中で1番可愛いモコモコ、の、靴下。上に半纏。おばあちゃんから頂いた誇り高い我が家伝統の半纏。  髪はぼさぼさ、いつ美容院行ったっけ?連勤とコンビニご飯とカップ麺。そう、最近ニキビもできた。マスクの下はニキビだらけだ。不摂生の代償はあまりにも大きい。 ださい、ダサ過ぎる。そう、私のベットの横には姿見がある。起き上がると寝起きでブスな、とんでもなく不細工な私が映るのだ。  本当にこれでいいの? 私はしょぼしょぼとした目で、窓を少しだけ開けた。寒い、圧倒的に寒い。 でも空気はとても澄んでる。綺麗な街である。 本日やっとお休み。そう、私は今何故か泣いてる。だってずっと我慢してきた。素敵な恋も、素敵な居場所も、ずっと諦めて一人で寂しく生きてきた。そういう強い女でありたかったのだ。  うん、無理! 私は窓を閉めた、テレビをつける、最強の面白動画をつけながらエアコンの暖房ももちろん入れた。帰ってくる時には暖かいし面白い動画は付いている。  半纏芋ジャージマスク女、ここに爆誕。こんな格好で出歩いたら恥ずかしいなんて思っていた私とはオサラバすると決めた。 自分の財布を引っ掴んでコンビニにゴーである。 そう、大好きなお婆ちゃん直伝の野菜の味噌汁を作るためである。確か米は二合くらいのが売っていた気がする。  本日の予定は朝、味噌汁作る。米を食べる、昼、買い物行く、美容室行く、夕飯の材料買う。これまたお婆ちゃん直伝の天丼を作るためだ。あのサクサクを目指すのだ。 自分の幸せを祈れるのは自分だけだ。  久しぶりにウキウキしている。どうやってあの大好きな大好きなハゲ親父に、辞表を叩きつけてやろうか!! わたしは今、ルンルンだ!

奴の名はG! 第4話

 二ヶ月が経って怪我が完治したので、Kは院内でリハビリを始めたが、左足に体重をかけるのが怖くてなかなか歩く事が出来ない。同じ病院の精神科で働いているJにもカウンセリングを受ける為に会いに行った。 「ギャングに貴重品を盗まれてしまって、親と連絡が取れなくてすみません…。私の治療費は全てJ先生が出してるんですよね…」 「二ヶ月も娘と連絡が取れないのに心配すらしない家族と言うのもどうかと思う。普通は捜索願を出すはずなのに日本人の行方不明者リストに君の名が載ってない…」 「放任主義と言うか、日本にいた頃から親に心配された事が一度もないんです…」 「なるほど…。君の親はどうやらネグレクトのようだね…」 「歩けるようになったらアルバイトしていつか治療費を先生に返したいと思ってます…」 「アルバイトで簡単に返せるような金額でもないんだけど…。もしよかったら、君に一つ頼みがあるんだ」 「頼みって何ですか?私に出来る事なら何でもやります!」 「Gと、仲良くしてやって欲しい…」 「えっ、そんな簡単な事で…良いんですか?と言うかG君は命の恩人なので、感謝しても仕切れません!」 「君のように感謝するどころか…、化け物って罵ってGに石を投げた女もいたんだよ…」 「なんでそんな酷い事するんだろ…。G君は優しくてめちゃくちゃ良い人なのに…」 「見た目が恐ろしいからだろうね…」 「見た目もそんなに恐ろしいと感じなかったです」 「Gはボディーガードになる前は元々、何でも屋をやってたんだ。僕も休日は何でも屋の仕事をしている。Gの助手として付き合ってたんだよ。Gから給料はもらってないからボランティアみたいなものだけどね?」 「何でも屋って…どんな事をするんですか?」 「色々だよ?行方不明の子猫を探したり、ギャングに誘拐された娘を助けるって依頼もあったな」 「私の父はG君を雇えるほどお金がないです」 「Gはね、例え化け物と罵られようと娘たちを救って来たんだよ。僕はそんなGの姿を傍で眺めてるのが好きなんだ…」 「あの…もしかして…J先生は…G君の事が…本気で好きなの?」 「フフフ、君にはわかってしまったか。僕はLGBTのゲイだから、女性を愛せないんだ…」 「でも先生の好きな人がG君なら、私はJ先生の恋敵になりませんか?どうして私にも優しくしてくれるんですか」 「Gの幸せが僕の幸せだからだよ?Gが君を大事に思うなら僕も君を大事にする…。当たり前の事だろう」 「でもそれじゃ…J先生自身は…幸せになれないのでは?」 「さっきも言っただろう?僕はGのそばで眺めてるのが幸せなんだ。それのどこがおかしいのかな?」 「J先生がそれで良いなら…私はG君と仲良くなりたいです…」 「Gは惚れっぽくてね…。過去に何人も女からフラれてショックを受けてる…」 「G君の良さがわからない人はG君に相応しくないです…」 「僕もそう思う。君とは気が合いそうだ。とりあえず足が治ったらGの事務所に住み込みで働いて欲しい」 「わかりました。頑張って歩けるように努力します!」  目標が出来たからか、今まで怖くて立てなかったKが歩けるようになり、退院する事が決まった。Gは院長命令で院内に入れず、一度も見舞いには来られなかったが、退院の日になるとタクシーが病院の玄関の前に呼ばれて、Gの事務所の前まで送ってくれた。運賃はJのポケットマネーで先払いしてあった。Gの事務所はJの別荘を改装していた。インターホンを押すとJがドアを開けた。この日、Jは休診日だったのでGの助手として事務所にいたようだ。日本語でKを出迎える。 「いらっしゃい。今日も何でも屋の仕事を片付けて来たんだ。Gは今、風呂に入ってるよ?」 「えっ、ゴキブリってお風呂に入るんですか?お風呂は嫌いだと思ってたから、意外…」 「ゴキブリと言ってもミュータントだから半分は人間だからね。前に女からフラれた時にお風呂に入らない男は嫌いだと言われたそうだよ」 「それでお風呂に入るようになったんですね。なんだかG君、可愛い!」 「僕も君と同じ意見だよ?Gの全てが僕は愛おしい…」 「ところで私が退院した事はG君に伝えたんですか?」 「実はまだ言ってない。サプライズでGを驚かせようと思ってね?」 「そうなんだ。G君と会うのは二ヶ月ぶりだから、なんだか緊張する…」 「休診日の週二回はギャングのアジトの周辺のパトロールをするから、それが終わる頃に君を送り届けるようにとタクシーの運転手にも指示を出して置いたんだ」 「それで退院がこの時間になってしまったんですね…」 「これからKにはこの事務所で雑用係をしてもらう。掃除や洗濯、その他の家事全般を任せるよ」 「家政婦のような仕事ですね?」 「Gの話し相手になると言うのが一番、重要な仕事だけど」 「それは仕事と言うか、楽しみの一つです!」

高級なお寿司

「ああ!? 最初っからイクラ食べるなんて!?」   「え……駄目なんですか?」   「かぁー……!! これだから、なにもわかっちゃいねぇトーシロは」    寿司屋の大将は、額に手を当てて首を振る。   「いいか? 寿司ってのは、淡白な味のネタ食ってから、脂の強いネタを食うのが常識なんだよ。じゃなきゃ、舌がバカになって、ネタ本来の旨味を殺しちまうからな」    人間の味覚は繊細だ。  脂の強い料理を最初に食べると、口の中に脂が残り、味覚が鈍ってしまう。  特に、淡白な料理については、大きく影響を受ける。   「す、すいません。知らなかったので」   「あと寿司の向き! 食う時は、シャリを上、ネタを下にして、舌とネタが触れ合う面積を大きくする! そうすりゃあ、ネタの味を一層味わうことができるんだよ!」    男はいたたまれなくなって、残った寿司をササッと平らげて、逃げるように立ち去って行った。   「ったく、寿司の本質をなんにも分かってねえ奴だったんな」        店の外で、男――現代転生を果たした初代華屋与兵衛は、がっくりと肩を落とす。   「俺の発明したにぎり寿司……いつの間にか高級料理になってたんだな……」

消えてしまう前に。

 僕の仕事は、命の火が消えかかった幼馴染の姿をカメラに収めること。それが、彼女の両親が僕に託した仕事だった。 「もう、辞めていいんだよナツキ」 「……僕が好きでやってるだけだから、フユは気にしないで」  病気がフユの体を蝕む。誰も知らぬ病。病名をつけるならば、『スノーマン症候群』とでも言うのだろうか?ネーミングセンスがないのは自負しているが、症状を的確に表せていると思う。  少しずつ、でも着実に。フユの体は、消え始めている。まるで雪が解けるかのように、体に当たった光を僅かに拡散させながら。特に、夜は消えるのが早い。まるで、少年少女らの作った雪だるまが人知れず消え去ってしまうかのように、闇夜に解けていく。正直、不謹慎かもしれないが、月光を浴びているフユはすごく美しい。 「ナツキ。私、何となくわかるんだ」 「そっか。もうすぐ?」 「……うん。今日の夜なんじゃないかなぁ、って」  覚悟はしていた。最近は特に消え方が激しい。それでも僕は、フユを撮り続ける。消えてしまうギリギリまで。仕事云々だけでない。  フユは僕の、幼馴染だから。  いや、僕の、想い人だから。  十数年、思い続けてきた異性だから。 「ナツキ」 「ん?どうしたの?」 「……ナツキは、消えないでね」 「あぁ。最後まで、そばに居るよ」  つい1ヶ月ほど前、フユの両親は交通事故で亡くなった。降り積もった雪でスリップしたらしい。フユに症状が出始めたのもその頃だった。 「神様は残酷だね、フユ」 「え、なんで?」  だって、明日は心待ちにしていたフユの誕生日じゃないか、なんて言えなかった。 「いや、なんでもない」  これ以上、フユの悲しむ顔は見たくなくて。 「あはは、何それー」  フユが消える姿なんて、本当は見たくない。この世界から消えてしまうなんて、信じたくないから。 「もう、夜だ」 「フユ、こっち向いて」  暗くなった部屋にシャッター音が響く。もう、奥が透けて見えている。フユの言う通り、別れはすぐそこに迫っているのだろう。  伝えるなら、今、なのだろうか?  消えてしまう前に。後悔しないために。 「フユ」 「ナツキ、どうしたの?」 「ずっと、フユが好きだった」  白い頬に紅が指す。宝石のような瞳から涙が伝った。 「ひどいよ、ナツキ。せっかく、この世界を諦めたのに」 「……ごめん。どうしても、フユに伝えたくて」 「もっとずっと、ナツキと居たかった。私も、ナツキが好きだから」  あと、少し、一日でもいいから、共に居たかった。最後にフユを感じたくて、優しく、抱きしめた。 「生まれ変われたら、次もナツキと出会いたいな」 「何度だって、フユを見つけ出すよ」  窓から差し込む月光の下で、僕らは最初で最後の口付けをした。  僕の腕が作り出していた小さな輪が、突っかかりを失い、縮まった。  フユは、消えた。 「またね、フユ」   ◇◆◇◆◇  今日、高校生になる。  昔から、幼馴染であるナツキの名が呼ばれると俺も反応してしまう。俺の名前はアキラだ。ナツキとは1文字も被っていないというのに。今朝も、出席確認中にナツキが呼ばれた時、返事をしてしまったくらいだ。恥ずかしくて仕方がない。入学式の入場時もコケかけたりと、いいことが全くない。  気まずさゆえ、ホームルームが終わると直ぐに教室を出た。幸いどのクラスもまだホームルーム中のようで、廊下には誰も居ない。教室から遠く離れたところにあるロッカールームに向かうと、他クラスの女の子が居た。鍵を探しているのか、顔が見えない。初対面なのに、何か、引っかかる感じがした。  靴を履き替え、外に出ると桜が舞っていた。ロッカールームの方を振り返ると、先程の女の子が出てきたようだった。俺の存在に気づいたらしく、女の子は伏せていた顔を上げた。  何故だろう?名前も知らないのに、何処か懐かしい。何か、ピースのようなものがピッタリとハマったような、不思議な感覚。気がつけば、勝手に口が動いていた。 「……フユ?」  ぴくり、肩を震わした女の子。 「う、そ。ナツキ……?」  その声で、名前を呼ばれることをどれだけ待ち望んでいたか。 「そうだよ。今は、アキラって名前だけどね」  小さな顔を、白い手が覆う。 「私は、ハルカ。会いたかったよ、ナツキ」 「僕もだよ、フユ。今度こそ、消えないでね」 「もう勝手に消えたりしないから」  ナツキの名に反応していた理由。それは前世の名前だったから。  フユの名に違和感を感じた理由。それは前世の想い人の名だったから。  全て、思い出した。俺らがナツキとフユだった頃の事を。 「好きだ、ハルカ」 「私も、アキラが好き」  桜が舞う、高校の入学式の日。  俺は前世に失った想い人と、結ばれた。

陰陽師の苦悩

「高血圧気味ですね、明日から、塩分控えめの食事を心がけてください」   「え……」    私は、医者から絶望的な宣告を受けた。  塩分の高い料理が好きだという、好みの話はこの際置いておこう。  もっともっと、絶望的なことがるのだ。   「先生」   「はい」   「私、陰陽師やってるんですよ」   「はい」   「陰陽師って、体内に妖の妖気が入っても大丈夫なように、清めた塩を摂取する必要があるんですよ」   「控えてください」   「先生いいいいい!?」    なんてことだ、仕事ができない。  妖怪や妖といった概念が薄れた現代、コツコツと実績を積み重ねて手に入れてきた仕事が、一気に吹き飛んでしまう。  妖を払うことのできない陰陽師に、仕事なんて来るわけがない。   「先生! 何とかなりませんか!」   「無理ですね。控えてください」   「先生いいいいい!!」   「清めた砂糖じゃ駄目なんですか?」   「駄目なんです!!」    医者としばらく話し合うも、体のために一度塩分接種を控える以外の結論は出ず、私は肩を落として家に帰った。   「お帰りなさい?……もしかして、悪い病気でも見つかったの?」    私のあまりの落ち込み様に、妻が心配そうに声をかけてくる。   「いや、実は」    私は、しばらく陰陽師の仕事ができないと妻へ伝えた。  妻は一瞬目を丸くしたが、すぐにカラカラと笑った。   「なんだ、そんなことか」   「そ、そんなこととはなんだ! しばらく仕事ができなくなるんだぞ! 収入がなくなるし、今かかえている顧客だってリセットに」   「大丈夫だって」    妻は私の両肩を、ポンポンと叩く。   「仕事できないなら、しばらく私がパートでもして稼ぐから。近所のスーパー。最近パート募集してたし。仕事だって、皆あんただから妖払いの仕事を依頼してくれてたんだよ。しばらく休みになることに頭下げて、代わりの陰陽師紹介して、復帰してまた頭を下げれば、きっと戻って来てくれるさ」   「……そうかなぁ」   「そうだよ!」    妻の元気な態度に、私の心のモヤモヤが徐々に晴れていくのを感じた。  そうだな、今まで培った信頼はそう簡単になくならないし、人間はきっと優しい。  最近は妖ばかり見ていたから、人間と言うものを忘れていたのかもしれない。   「ま、人生なるようになるさ。最悪、陰陽師の仕事がなくなっても、何とでもなるよ」   「そうだな」   「あ、元陰陽師の占い師ってのも面白いかもね。日本は占い大国だし、陰陽師の肩書は強いよ、きっと!」    妻は、元気に笑いながら台所へと戻っていった。  この人が妻で良かったと感じながら、私はその背を見送った。       「……なんか今日の味噌汁、薄くない?」   「特製減塩味噌汁で御座います」   「もう少し塩を」   「駄目です!」

奴の名はG! 第3話

 ダウンタウンの片隅にあるオンボロ診療所へGに連れて来られた。患者は他に誰も来ておらず、無愛想な看護師が受付に座っている。Gはここの常連なので背中の翅を見ても驚きもしない。ほとんど待たされずに診察室に通される。やる気のなさそうな中年男が座っていた。 「ドクター、この娘は頭を強く打ったらしくて痛みを感じてないんだ…」 「これは!神経まで切られてる…。痛みを感じてないのは脳内麻薬のせいだ。頭には何も問題はない。もっと大きな病院に連れて行け?わしでは手に負えん」 「何とかしてくれよ?俺のこの姿を見たら…他の病院じゃ診てくれねぇんだ!」 「ジョナサンの働いてる病院に連れて行けば良いだろう?」 「あそこには近づくなって…ジョナサンのパパから言われてるんだ…」 「ボディーガードなのに職場に入るなって?おかしな事を言うものだ」 「俺はいつも病院の屋上から見張ってるよ。ジョナサンに何かあったら飛んで行くが、それ以外は立ち入るなって命令なんだ」 「なるほど…ジョナサンはもうじきここに来るんだろう?」 「ああ、俺がここにしか来れないのはジョナサンも知ってるからな」 「設備の整った病院じゃなきゃ神経を繋ぐなんて無理な話だ。こんな衛生環境の悪い場所で手術など出来やしない」 「あんた医者だろ!神経くらいちゃっちゃっちゃっと繋げよ?」 「無茶言うな!それがどれだけ難しい手術なのかを知りもせずに…」 「ジョナサンなら…手術出来るか?」 「ジョナサンは精神科医だろ?外科医じゃないから無理だ」 「でもこの応急処置はジョナサンがやったんだぜ」 「一応、全ての学科を受講するから、わしも内科だが、外科の知識は多少はある。だが手術となると不可能だ」  そうこうしてるとJが診療所に到着した。相変わらず待合室には誰も患者は来ていないが、診察室で言い争ってる会話は待合室にダダ漏れだった。 「G…あまり大きな声で僕の名前を叫ばないでよ」 「ああ、すまん。でもここのドクターは信頼出来るから、大丈夫だ」 「そうだね。でも他の患者の中に僕の正体を売る者がいるかもしれない。そうなれば休日にギャングのアジトの周辺パトロールに行く事も出来なくなるよ?」 「ううっ…本当はずっとあの森で張り込みをして、襲われてる女は全員助けたいのに…」 「毎秒どこかでレイプ事件は起きてるから、いくら君でも全員は救えないよ…」 「わかってる!でも一人でも多く救いたい…」 「せっかく救ってもGを化け物だと言って罵った女もいたのにね」 「Kは罵らなかった!俺の事を理解してくれる女だって…必ずいるはずだ」 「僕はGの理解者だ。Gの事を理解しない女たちを僕は許せない…。救う価値もないだろ?」 「Kの事は救いたい…。この怪我の治療、Jに何とか出来ないか?」 「パパの病院に連れて行って、パパに診てもらう」 「あのわからず屋で石頭のジョナサンのパパが診てくれるか?」 「僕が頼めば診てくれるさ?」  KはJの車で大きな病院に連れて来られた。Gは屋上のいつもの場所で寝転がって触覚をピクピクさせながら待っている。院長室でJは父親と口論していた。 「またギャングどものアジトの周りを彷徨いていたのか…。あんな危険な場所には二度と行くなと何度言えばわかる?この放蕩息子!Gはもうクビにする…」 「僕の意思で行ったんだ。Gに連れて行かれたわけじゃない…」 「お前の身に何かあってからじゃ遅い!ギャングに捕まっても身代金は出さんぞ?」 「ああ、誓約書にもサインしたよね?僕が捕まっても身代金は出さなくて良いって」 「息子が捕まったのに身代金を出さない父親だと言ってマスコミに叩かれるだろうが!」 「息子の命よりも自己保身しか考えてない父親だからパパの事が嫌いなんだ…」 「あんなゴキブリのミュータント、雇うんじゃなかった…」 「Gほど優しい性格の男は他にいないよ?心が純粋で…。本当に大切な相棒なんだ」  JがペットのGを溺愛しているのは、重々承知の上だったので、Jの父親は話題を変える事にした。 「話を戻すがケイと言う日本人の治療費は誰が出すんだ?」 「貴重品は全てギャングどもに持ち去られてしまったから、Kの身元を確認する事は出来なくてね。僕のポケットマネーで支払うよ?」 「難しい手術だからお前の月収が軽く飛ぶぞ?それでも手術を受けさせると言うのか。足くらい切り落とせば良いだろう」 「僕以外にGの事を、初めて理解してくれたKの事を見捨てるなんて出来ない…。Kを見捨てたりしたら、Gは僕の事を許さないだろう…」 「わかった。そこまで言うならば手術しよう」 「パパの腕が確かなのは知ってるから、必ず手術が成功する事を祈ってるよ?」  手術は何時間にも及んだが、全ての神経を繋ぎ合わせ、無事に成功して一ヶ月ほど安静にしていた。

写真が上手い女と下手な男

「旅行、行ってきたんだっけ?」   「うん、北海道! 楽しかったー!」    嫁は、楽しそうにスマホで撮った写真を見せてくる。  どれもこれも楽しそうな表情で、モデルの撮影ではないかと思うほどにポーズを決めている。  はい可愛い。        後日、友人と飲む機会があったので、俺は率直な疑問を口にする。   「なんで女って、写真撮るの上手いの?」   「突然どうした」   「いや、俺が友達と撮る写真と嫁が友達と撮る写真、なんか嫁のはキラキラ輝いてる感じがしてさ」    思えば俺の写真はだいたいピースしてるだけだし、学生の頃の写真は変顔だ。  一方で、嫁の写真は両頬に手を当ててみたり、美味しそうなプレート料理を持って差し出してみたり、映えるポーズの写真が多かった。    友人は俺の馬鹿みたいな質問にも真剣に悩んでくれた。   「単純に写真を撮られた回数の差じゃね?」   「くわしく」   「つまり……あ、ビールお代わりください」    空っぽのジョッキが下げられ、ビールが並々入った新しいジョッキがテーブルに置かれる。   「女はさ、どんだけ不細工に生まれようが、子供の頃は周囲から可愛い可愛いって言われるし、パシャパシャ写真を撮られるわけよ」   「今、世界中の女を敵に回さなかった?」   「後から男も乏しめるからセーフ」   「んー? なら……セーフ……なのか?」   「実際、岡山が生んだ奇跡の不細工ってユーチューバーも、可愛い可愛いって言われ続けて育って、中一まで自分が不細工だって気づかなかったらしい」   「今、世界中の女を敵に回さなかった?」    友人はスマホを取り出して、件のユーチューバーの動画を見せてきた。  なるほど。   「で、子供のころから可愛い可愛いって言われて写真撮られ続けたら、そりゃあ自分が一番可愛く見えるポーズの一つや二つ覚えるさ。九九だって繰り返し読めば、いつか暗記してすらすらと口から出てくるようになるしな」   「なるほど?」   「対して男は、撮られない。可愛い可愛いなんて言われないし、写真パシャパシャ撮られない」   「ふむふむ」   「我が家のアルバムの七割は姉ちゃんだ」   「おっふ……」   「残り二割はペットのポチだ」    「おっふっふ……」    圧倒的格差社会。  友人はビールを一気に飲み干した。  やけ酒、駄目絶対。   「で、写真を撮られ慣れてない男はカメラ向けられてもどうすればいいか分からず、無難にピースをするか、餓鬼の悪乗り気分で変顔をする。つーか、それしかできねえ」   「ふむふむ。いや待てよ。たまに、インスタ映えするポーズ撮ってる男もい」   「ナルシスト」   「え?」   「それは自分の容姿に自信があるナルシスト」   「なんだろう。なんかそういうデータあるんですか?」   「友達のポートレート撮影してる人が言ってた。男でポートレート望むやつはやいていナルシストで細かいことにうるさいから、紹介でしかとりたくないって」   「それってあなたの感想ですよね?」   「……帰る!」   「すまん、悪ふざけが過ぎた」    反省している。  立ち上がった友人を、俺は何とかなだめて座らせる。   「そういう悪ふざけが好きだから、お前は写真撮るとき変顔しかできねえんだよ」    今日は俺が奢った。

奴の名はG! 第2話

 Gと呼ばれた活色の肌の男より遅れて到着した、金髪ロン毛をポニーテールに結った白い肌の若い男が現れた。腰にはなぜか日本刀を携えている。 「身代金なら僕が払うので、その日本人の娘を解放してもらえませんか?」 「金を払うって言うんなら話は別だ。それでいくら出す?」 「今、僕が持ってるのはこれだけです…」  金髪ロン毛の男が紙幣を三枚手渡した。日本円にすると三千円ほどだが、海外は物価が日本より安いのでこれは貧困層の一月分の給料に相当する。 「ふざけんな!たったこれっぽっちの端金じゃこの女は売れねぇな」 「力尽くで返してもらうしかなさそうだな?」  Gは背中にマチェットを振り下ろされたが、背中に刺さってもビクともせず、ニヤリと笑ってパンチを繰り出した。誘拐犯の男は地面に倒れた。蜘蛛の子を散らすように仲間たちは去って行く。 「偶然通りかかったんじゃなくて、日課のパトロールで来たのに、Gは嘘が下手だね?」 「この森はギャングどもが女をレイプして殺しまくってるから、重点的にパトロールしとかないとな」 「Gはフェミニストで本当に優しいなぁ」  日本人の少女はポカンと口を開けたまま、その一部始終を見ていた。喉の奥からやっとの事で声を絞り出す。 「あ、あの…。助けてくれて…本当にありがとうございます!」  日本人の少女の足首はパックリと割れて、骨が見えており、血がドクドクと溢れ出していたが、不思議と痛みは感じていなかった。それどころか幸せな気分で、目の前にいる触覚のようなアホ毛の立ってる男が、なぜか神々しく見える。 「足を怪我してるから、病院に連れて行かないと」 「車だと時間がかかる。俺が一っ飛びして病院に連れて行くから応急処置だけ頼む、ジョナサン」 「僕の名前は不用意に口にしないでよ…。ギャングどもに身元を割られると困る…。大病院の跡取りって事がね…」 「ああ、そうだったな。でも今ここにいるのはこの娘だけだ。俺の触覚は敏感だから近くに人がいればすぐわかる」  アホ毛だと思っていた触覚を、Gはピクピクと動かしている。 「ねぇ、そこの君。僕の事はJって呼んでくれる?えっと、君の名は…」  Jは流暢な日本語で話しかけて来たので、少女は日本語で答える事にした。 「私の名前は、蛍(けい)です。日本語でホタルって意味の漢字を書きます」 「ケイ?じゃあ、君の事はKって呼ぶ事にするよ。発音はそのままだね!ホタルだなんて可愛い名前の由来だなぁ」  Jは医学部を出ている為、手早く傷の手当を終わらせた。KはGにお姫様抱っこされる。Jが車に乗り込むまではGも同行した。まだあのギャングたちが近くに潜んでいるかもしれないからだ。 「Gはね、パパが雇った僕のボディーガードなんだよ」 「確かに…G君めちゃくちゃ強いから、ボディーガードに打って付けですね!」 「うん、僕もGが一番お気に入りのボディーガードなんだ」 「車に乗ったら俺がいなくても大丈夫か?J」 「速度が出るまでは空で見守っててよ?」 「なんかあったら、すぐ連絡しろ?」 「Gは素早いし、すぐに飛んで来てくれるから頼もしいよ」  Gは一旦、Kを優しく地面に降ろすとダボダボのシャツを脱ぎ捨てた。背中には硬い鎧のようなものが張り付いている。マチェットが背中に刺さっても平気だったのはその為だろう。鎧の中央がパカッと扇状に割れて半透明で薄茶色の翅が現れた。Jは治療費として先程の紙幣を三枚Gに手渡す。Gはポケットにそれを突っ込むとKを抱き上げて空高く舞い上がった。 「すごい!G君はまるで…天使みたい…」 「は?俺のこの姿を見て、天使だなんて言った女はお前が初めてだ…」 「ギャングから助けてくれた時はG君が神様に見えたよ…」 「どうやら襲われた時に頭を強く打ったみたいだな?早く病院に連れて行こう」  Gは照れ臭そうにしているが、満更ではなさそうだ。Kはうっとりした表情でGを見つめている。痛みや恐怖を感じるどころか、ただ幸せに包まれていた。 「その表情…もしや!ギャングにヤバい薬でも打たれたのか?」 「ヤバい薬は打たれてないと思うけど…」 「その足…痛みで泣き喚いてもおかしくないくらいの大怪我だぞ?そんな笑顔でいられるなんてあり得ない!」 「でもなぜか全然、痛くないんです。G君がもし神様なら魔法で痛みを消してくれたのかな?って…」 「悪いが…俺は、神でも天使でもない。どっちかっつーと悪魔や化け物に近いな…。俺の背中の翅を見たら一発でわかるだろ?俺が化け物だって事が…」 「背中の翅は…カブトムシの翅みたいだけど…悪魔ならコウモリみたいな翅じゃない?」 「ククク…ハハハ!俺がカブトムシだって?こいつは傑作だ…」 「なぜ笑うんです?」  Gは触覚をピクピク動かしながら、こう言った。 「教えてやるよ。俺の正体は…ゴキブリさ?」

奴の名はG! 第1話

 空港から異国の地に降り立った、黒髪黒眼黄色い肌の少女が、スマホ片手にキョロキョロしている。 「スマホのマップだとシェアハウスのある地区まで徒歩で三時間以上もかかる…」  送迎ありだと聞いていたのに、直前になって送迎なんかないとか言い出すから困る。これだから格安旅行の代理店は信用出来ない。娘の身の安全より、値段の安さで代理店を選んだ父を恨んだ。 「タクシーだと高くつく。歩くしかないか…」  先の見えない長い長い道を少女はひたすら歩き続けていると、クラクションを鳴らしながら一台のオープンカーが横に停まった。現地の言葉で見知らぬ男に話しかけられるが、来る前に言葉を勉強して来たので日常会話なら可能だ。 「ヘイ!彼女。一人でどうしたんだい?」 「送迎の車が空港まで来なくてシェアハウスまで歩いて行くところです」 「それなら俺の車に乗ってけよ?送ってやるからさ!」 「本当ですか?ありがとうございます!」  陽気な印象の異国の男は、車のドアを開けて招き入れたので、疑う事なく少女は乗り込む。 「お前、日本人か?」 「あっ、わかりますか?」 「日本人は金持ちが多いから気を付けた方が良いぞ?こんなところを一人で歩いてたらギャングに襲われて親に身代金を要求されるだろう」 「日本人ですが私の家は貧乏です…」 「親が身代金を払わなきゃ、お前はレイプされて殺されて終わりだ」 「そ、それは恐ろしいですね…」 「お前、さっきスマホを持っていたな。それで親に電話をかけられるだろう?親にかけてくれ…」 「このスマホは日本で家族にかけるのは無料ですが、海外からかけると有料になります。父親に怒られるので電話はかけたくありません…」 「いいからかけろ!身代金の相談をしなきゃならねぇからな?」 「えっ!それは一体、どう言う意味ですか?」 「まだわかってねぇのか?お前は誘拐されたんだよ…。俺はギャングさ」 「あの…もし父が身代金を払わないと言ったらどうなるんでしょうか?」 「さっきも言っただろ?レイプして殺して終わり」  事の重大さに気付いたが、車は猛スピードで走行しているのでオープンカーの上から飛び降りたとしても大怪我をする。しかしこのままではレイプされて殺されてしまう。 「お願いします…。私の家は本当に貧乏で父は身代金を払えるほどお金がありません…」 「じゃあ、仲間たちとたっぷり可愛がってやるから楽しみにしとけよ?」 「ううっ…それも嫌なんだけど…もうどうしようもないの?」  車で森の中に連れて来られる。手足のない女性の遺体がいくつも転がっていた。周りの木には女性の下着が吊り下げられており、それを見て恐怖で言葉を失った。ガタガタと震えが止まらない。 「良い眺めだろう?レイプした女からの戦利品をツリーに飾ってあるんだ」 「どうして…手足を切り落としたんですか?」 「逃げられないように、レイプする前に切り落とした」 「別に女性を殺さなくても…」 「レイプしてる間に出血多量で死んじまう…。生きてたとしても殺すがな!」  森の奥から仲間と思われる異国の男たちがワラワラと出て来る。男たちはマチェットを手に持っていた。日本人の少女は声も出ないほど恐怖ですくみ上がっていた。車から無理矢理手首を引っ張って降ろされる。 「黒髪黒眼黄色い肌…。この女は日本人か。家族に連絡は取れそうか?」  一番厳ついリーダーのような男が、誘拐犯の男に尋ねた。 「日本人のようだから誘拐したが、親は金がないから身代金を払えないと言ってる」 「じゃあ、やるか?」 「こいつまだガキのようだが…」 「日本人は発育が遅いから、これでも十八歳ってとこじゃないか?」  異国の男たちは何やら相談をしている。日本人の少女は男たちが目を離した隙に、全速力で走って逃げた。しかし逃げ切れずに取り押さえられる。 「足は先に切り落とさなきゃならんな…」 「やめて…殺さないで!お願い…助けて」  日本人の少女は咄嗟に日本語で叫んでいた。 「日本語で何か言ってんなぁ。うるせぇから黙ってろ。おい!マチェットを寄越せ」  切れ味の悪いマチェットが左の足首に振り落とされる。鋭い激痛が走った。日本人の少女は日本語で叫び声を上げる。 「痛いッ!痛いッ!痛いッ!嫌ァーーーッ!」  再び振り上げられたマチェットを持つ手首を褐色の手が掴んで止めた。 「ちょっと待ちな?その娘をこっちに渡してもらおうか…」  誘拐犯の手首を掴んだのは黒髪黒眼で褐色の肌をしており、触覚のような長いアホ毛が二本立った男だった。 「あ?お前はG。また女を横取りする気か!」 「ちょうど近くを通りかかったら、日本語が聞こえたんで、俺の相棒が心配しててね?」 「あのジャパニーズフリークの白人の男か?白人の癖に日本が大好きってイカれてやがるぜ」

箱を捨てられないお化け

「すまん、クローゼット開けて、帽子とってくれね?」    手が離せない彼氏に代わり、私はクローゼットを開ける。  目に入ってきたのは、空箱の山。  靴の箱。  ゲームの箱。  空気清浄機の箱。  箱箱箱。  箱に押しつぶされて窮屈そうにしている衣類ゾーンから、私は帽子をとる。    彼氏は箱を捨てられないお化けだと、私は確信した。  噂では聞いていたが、実在するとは。  それも身近に。  結婚し、同じ家に住むことになれば、部屋の中が瞬く間に箱で埋まる未来を想像してしまった。  いや、今はクローゼットの中だけで収まっているから、結婚後もクローゼットが使えなくなるだけで済むだろうか。  それならまだいいが。        後日、親友に会う機会があったので、私は意見を求めた。   「箱を捨てられないお化けかー」   「そう。どう思う?」   「まあ、家の中、箱だらけになりそうだよね」   「ダヨネー」    親友の言葉は概ね想像通りで、私の不安は膨らむ。  そして、一つの疑問が浮かぶ。   「そもそも、なんで箱を捨てられないお化けなんて生まれるんだろ?」   「ん?」   「箱って、箱じゃん。何の役にも立たないし、かさばるだけじゃん」   「そんなことないよ。小学校の自由工作で使ったりしなかった?」    私の頭は、小学生にタイムスリップした。  夏休みの最終週、自由工作をやっていない私が「箱が欲しい」と言ったら、母は形を聞いて、それっぽい箱に入ったお菓子を買ってきたことを思い出す。   「あれか!」   「あれよ! 小学生の頃って、ぞうきんとか、トイレットペーパーとか、そんなのがいるのって物を用意しなきゃならないから、彼氏くんのお母さんは念のために色々とって置いたんじゃないかなぁ。で、それを見て育った彼氏くんも、箱を捨てられないお化けになっちゃったとか」   「納得ー」    子供の頃の家庭環境は、性格に大きく影響する。  彼氏の行動が理解できた私は、彼氏を非難する感情は消えた。  が、不安は消えない。  今、彼氏が住んでいる場所は、1Kアパートの一室だ。  彼氏の実家が広いのかどうかは知らないが、狭い関東のアパートで同じことをされてはたまらない。   「あー、でも箱を捨てられないお化けの実家が広いってことはー」   「ことは?」   「実家、めちゃくちゃお金持ちなのかもね」    つまり彼氏に入る遺産もめちゃくちゃあって、結婚すると将来の老後が安泰。  結婚式の費用も、もしかしたらたんまり。  ゲホッ。ゴホッ。  いやいやいやいや、何を考えているのか。  お金は大事だ。  でも、彼氏とのことはお金で見てるわけじゃないから、そういうのは。  いやでも、お金は大事だ。  んぐぐぐぐ。   「もしくは、田舎特有の先祖代々のだだっ広い土地を持ってるのか」    つまり彼氏は何の使い道もない先祖代々のだだっ広い土地を相続し、固定資産税で老後の資金がガリガリと。  ゲホッ。ゴホッ。  いやいやいやいや、何を考えているのか。  お金は大事だ。  でも、彼氏とのことはお金で見てるわけじゃないから、そういうのは。  いやでも、お金は大事だ。  んぐぐぐぐ。   「ま、ゆっくり考えなよ」    不安を取り除こうとした親友とのお茶会は、さらに不安が積まれた結果に終わった。  お払いにでも行こうかな。

立ち食い蕎麦のお隣さん

 男は毎日、通勤のため電車に乗る。  都内の会社に勤めるが、家賃が高いという理由で都外にアパートなんて借りてしまい、毎日長時間電車に揺られる日々だ。  できるだけ睡眠時間を確保するためには、朝食なんて作っている余裕はない。  乗り換え駅で電車を待つ間、駅に併設されている立ち食い蕎麦屋でササッと済ませるのが日課だ。   「かけ蕎麦一つ!」   「はいよ!」    男は卵もわかめも載せない、最もリーズナブルなかけそばをササッと平らげる。  男と同じ立場の人間も実はいるようで、時に見知った顔と遭遇する。  だが、話しかけたりはしない。  無言で食って、すぐに出る。  それが立ち食い蕎麦のマナーだ。   「かけ蕎麦一つ!」   「はいよ!」    ある日、男が頼んだ後に。   「かけ蕎麦一つお願いします」   「はいよ!」    女が頼んだ。    男は、立ち食い蕎麦に女なんて珍しいなと、興味本位にちらりと見る。  スーツを着込んで、髪を整え、いかにも仕事ができそうなオーラを漂わせていた。  男はすぐに目を背け、今朝がた剃り損ねた無精ひげを撫でる。  女と顔を向け合って話すことはないが、なんだか急に恥ずかしくなって、蕎麦をかき込んでから逃げるように店を出た。    翌日も、女はいた。  ちょうど、男が頼んだ後に、女も頼む。  たまたま、電車の時間が同じなのだろうと、男は気にも留めなかった。    立ち食い蕎麦の常連は、時々入れ替わる。  転勤で、使う駅が変わる人。  ダイヤの改正で、使う時間が変わる人。  結婚で、弁当派になる人。  男は立ち食い蕎麦屋の主として、何年も移り変わる光景を眺めていた。    次の日も、次の次の日も、男の後に女が頼んだ。  何年も通った男にとっても、ここまで被るのは珍しいと、ある種の運命を感じていた。  が、話しかけることはない。  男の感じた運命は、立ち食い蕎麦屋で一緒に蕎麦を食うという麵のように細い運命で、少女漫画のように甘酸っぱい運命ではない。    かけ蕎麦で繋がる縁。  男は、もしも別の場所で会えたら、例えばカフェでお茶でもしてる時、たまたまばったり出くわしたら、この縁は膨らむのかなとも考えた。  結局は運任せだ。        ある日、男は出張して客先へと向かう。  入り口が二階にあって、エスカレーターに上らなきゃ辿り着けないなんて豪華なビルだな、なんて考えながらエスカレーターで昇っていく。  幅は一人分。  右側を歩いて前の人を抜かす、なんてこともできないので、ボーっと周囲を見渡す。  綺麗なビルの群れ。  磨き上げられた通路。  そして、向かい側から流れる下りのエスカレーター。    ちょうどエスカレーターの真ん中で、男は女とすれ違った。  上りの男。  下りの女。  男と女は互いに気づいたようで、少しだけ目を丸くした。  が、エスカレーターは当然止まることなく、数秒後に男と女は別れた。    つまりはそういう縁なのだろうと、男は笑いをかみ殺した。  もちろん出張先の会社で女と会う、なんてこともなく、女がどこの誰なのか男は知らずじまい。  見かけるだけで、話すことのない縁。  それも一つの縁だろうと、男はいっそ清々しくさえあった。        今日も男は、立ち食い蕎麦屋に行く。   「かけ蕎麦一つ!」   「はいよ!」    男が頼んだ後に、女も頼む。   「かけ蕎麦一つお願いします」   「はいよ!」    男と女が、あの日のことを話すことはない。  無言で食って、すぐに出る。  それが立ち食い蕎麦のマナーだ。

ピーマン嫌いのヴィーガン

  俺たちが生まれる随分前、栄養源として動物が殺され食される時代があったらしい。牛、豚、鶏という動物は経済動物呼ばわりされて、育てられた後は肉として殺され一生を終える。動物の乳も絞って飲んでいたとも言うのだから気持ちが悪い。なぜ人は動物を食べたいと思ったのだろうか?動物を食べなくても豆を食べれば済む話なのに。そうぼんやり考えていると妻が夕食を持ってきた。味噌汁にサラダ、そして大豆ミンチのハンバーグに白米。大好きな献立。妻の作るハンバーグを除いては。 恐る恐る楕円形のハンバーグを二つに割ってみる。すると白い大豆のミンチの間に細かく刻まれた緑の野菜がここに居るぞとばかりに主張している。これだ。俺はこのピーマンが嫌いなんだ。 「なんでピーマンいっつも入れるんだよ?」 「嫌?私この苦味が好きなんだけど」 「俺がピーマン嫌いだって何度も言ってるだろ」 「あらそう?でもビタミンCも豊富でヘルシーなんだよ」 きたきた。ヘルシーアピールでもしとけば許されるやつ。私は間違ってないって言い方が気に食わなかった。  妻の料理は週に数回は必ずピーマンを入れてくる。あの憎たらしい緑。パプリカも嫌いだった。赤や黄色で他の野菜ですよとカモフラージュしようと俺の目は騙せない。妻は俺の嫌いを克服させようとしているつもりらしいが、どう努力しても無理だということに気がついた。嫌いなものは嫌いでしかない。そう伝えたところで妻は理解してくれなかった。あなたの健康のためなのよと言って。  なんとしてでも憎きピーマンを阻止すべく俺はネットで「ピーマン 嫌い」と検索をかけた。ヒット数は多く、その中にとあるコミュニティを見つけた。グリーンシェパードと書かれている。 『私たちは動物食から解放され、ヴィーガンという地球にやさしい人類へと進化しました。しかしピーマンというものはヴィーガン食としてふさわしくない食材だと気がつきました。切った中身はほぼ空洞でパラつく種、そして調理しても変わらない苦味は他の食材にはない苦痛をもたらします。それらを食べる事、それはピーマンへの残酷にして野蛮な行為なのです。だから我々グリーンシェパードは真のヴィーガンとしてピーマンを野菜として認めない活動を行っています。』 この言葉に衝撃を受けた私は迷うことなくコミュニティに参加した。コミュニティのメンバーとはすぐに打ち解けた。ピーマンレスのデモには欠かさず参加し、イベントの屋台としてピーマンレスフードを推奨したり、ピーマンがいかに不必要かを食べてくれた人に伝えた。このグリーンシェパードの活動が国に認められて、食材として除外されるまでに至った。それからスーパーにピーマンが品出しされることはなくなり、俺は真の平穏を獲得することができたのだった。 数十年後――――――――――――  先生が言ってたけど僕らは今ネオヴィーガンと言われている進化した人類なんだそうだ。昔のヴィーガンはピーマンという苦痛な食材を食べていたおかしな時代があったらしい。苦い食べ物を焼いたり煮込んだりしてたのだから気持ちが悪い。なんで人はピーマン食べたいなんて思ったんだろう。そんな物食べなくても今ではサプリが豊富だし、それを飲めば済む話なのに。  今日の給食はナポリタン、ナポリタンの具はパスタに玉ねぎに、ケチャップソースだ。昔は動物の肉を使ったり、ピーマンが入っていたらしい。考えただけでもゾッとする。至ってシンプルな食事が一番、僕は大好物だった。みんなでいただきますと言った後、隣のクラスメイトがボソッと嫌そうにつぶやいた。 「なんでいっつも玉ねぎが入ってるのかなぁ?」

劇中劇中劇中劇

――むかしむかし、あるところに王様がいました。その王は民から愛され、そして王も民を愛していました。そんな時、王族に使える魔法使いが恐ろしい予言をしました。    『いずれ、恐ろしい災いがこの国に降りかかる』    そして、その日は今日なのだろう。王は砂漠で騎馬に鞭を打ちながらその日の事を思い出していた。幼い頃、先代王である父と共に聞いた恐ろしい予言を。何も手を打たなければ、滅びの道に進んでしまうと。王は出来る限りの備えをした。飢饉が訪れることに備え、備蓄を作り始め、流行り病に備え、優秀な人材を医療が発展している他国に派遣した。そして、武力をもって侵略せんとする敵に対抗するため、皇太子である私自身も己を始めとした騎士団を徹底的に鍛えなおした。    だが、敵の方が我々よりも数枚も上手だった。  既に、仲間は捕らえられ、この身一人が、命からがら逃げる事しか出来なかった。砂漠の中、独り生還を果たした皇太子がそこにいた。 ――悔しい  民から全てを奪ったあの男を、皇太子として、民を導くものとして、決して許す事などできない。手綱を握る手に力がこもり、掌から血が滲む。自分の不甲斐なさに嫌気がさす。 「――っ」  だが、その頬には、一滴の涙が輝いて――   「カットカット!」  その言葉に、セットの上にいる馬も皇太子も、砂埃でさえ動きを止める。そして同時に理解する、コレはヤバいと。 「お前その演技ふざけてんのか!?」 「す、すいません!」  メガホンを片手に持ちながら、偉そうに座るサングラスの男は皇太子にそう怒鳴った。非常に怒りっぽい性格をしている彼の名は、B。日本どころか、世界にその名を轟かす敏腕監督である。 「今回のお前の役は、民や国を全て奪われた復讐に燃える王子だろうが! 何安易な涙を見せているんだよ!」 「し、しかし! ト書きには"一度来た道を振り返り、涙を流す"との指示が!」 「なもん後から編集で追加するに決まってんだろうが! お前の涙は安っぽいだよ!」  皇太子役にあてがわれた俳優は、所謂アイドル枠、大人の事情という奴だ。世の中の評価も高くなく、現場を見たその人から見ても、お世辞にも上手い演技とは言うことが出来ない。しかし、それでも持ち前の明るさと人柄の良さで、今まで共演者やスタッフとの距離を詰めてきていたのだ。それが、撮影に入った途端に浴びせられる罵倒。そしてそれらは理不尽とも言える内容だった。  彼の心がポキリと、折れた音が、顔を見せた。この涙は、この映画の序盤の見せ場で、そのために必死に練習を重ねてきた。それなのに、それなのに……  彼の目から、涙を零すことを咎める者は誰も居な―― 「おい! ちょっとお前こっちに顔を見せてみろ!」 「――っ」   その場の重たい雰囲気を破ったのは、ほかならぬこの空気を生み出したBだった。監督としての言葉に、無意識のうちに視線を向ける。 「お前ぇ、良い表情できんじゃねえか…… 撮影班! もっかい撮るぞ!」 普段アイドルとして見繕ったその仮面なんて面白くもなんともない、Bはそう考えていた。だが、その仮面を外した本来の表情を見て、その考えは一変した。 ――こいつ、面白いぞ、と。 「……え?」 その言葉に、空気が一気に弛緩する。そして当の本人が、その急激な変化に付いてこれていなかった。 「おいメイク班! ぼさっとすんじゃねえ! 化粧直してこい!」 「了解です」  そういって何人かのスタッフが化粧道具を持ってこちらに駆け寄る。そして慣れた手つきで涙で崩れた部分を補修し始めた。 「大丈夫です、B監督は確かに口も愛想も悪いけれど、貴方をこの現場に呼んだ。認められているんですから」  メイクさんのその言葉に、彼は皇太子としての自信を取り戻しつつあった。   「ふぅーん…… あの表情はそういう……」  今日見てきた映画の監督に密着したドキュメンタリー番組を見ていた私は、あの迫真に迫った演技の訳に納得した。アイドル俳優を使うなんて、遂に大人の事情に屈したのかとB監督のファンである私は予告を見た時から絶望していたのだが、蓋を開けてみれば素晴らしい演技だったことには間違いなかった。    だが、SNSの評価は全く違っていた。 「いや、私のPちゃんを泣かせないでほしいんだけど」 「マジで信じらんない」 「ほんっと最低、Bってジジイ許さない」  溢れかえるのはアイドル俳優であるPのファンによるB監督叩きだった。   「本当、レイヤー1つ通すだけでも、真実って変わるもんだね」  復讐に燃える王子様、それを撮る映画監督、それを写すドキュメンタリー番組。ただ、一つ言えることがあるとするならば。 「一番上のレイヤーにいた私が、一番良く見ている、ってことかな」

旅人の行方

 美しい草原の中にまっすぐに伸びる道路を一台のバイクが駆け抜けていく。この道路が向かう先にあるのは、灯台があるだけの小さな岬。走っていくにつれて少しずつ香ってくる磯の香りが、より気持ちを高揚させる。  そんな綺麗な景色の中でバイクにまたがっている女性、美希の心の中はもやもやと曇っていた。  悩みがとどまることなく成長して、頭の中を支配していく。何をしても心が晴れず、気持ちは憂鬱になるばかりだ。  部屋の中でぐるぐると迷っているだけだからダメなのだ。外に出て、新しい風に吹かれてみよう。  そう思って趣味のツーリングに出てみたが、新しい風を感じても何も事態は好転しなかった。  草原の中を走り続けて、10分程で岬に着いた。バイクを駐車場の端に止める。どうやら先客がいるようで、駐車場には美希もの以外のバイクが一台止まっていた。  柵に囲まれた遊歩道を歩き、灯台がある岬の先端へとたどり着く。そこには、晴天の青空と海の青が溶け合い、まさに絶景と呼べる景色が広がっていた。 「あ、こんにちはー」  海を見ていた美希は、背後からの声に振り向く。そこにいたのは、ライダースジャケットには少し不釣り合いの幼い顔をした女性が立っていた。彼女が、この岬に来ていた先客のようだ。 「こんにちは」 「お姉さんもツーリングですか? ここに来るまでの道、気持ちいいですよね。悩みなんて吹き飛んじゃいそう!」  悩み。その単語が出てきて、美希の頭が再び陰る。 「ん? 何かありました?」 「え、いや、なんでも……」 「隠してもわかっちゃいますよ~。こう見えても、教師なんでいろんな表情を常に見てきてますからね」  本当は、あまり人に話したくないことなのだが、これは逃げられそうにない。美希は、深呼吸して話し出す。 「実は、会社をクビになりそうで……」 「ふむふむ。なりそうってことは、まだなっていないんですね?」 「そうです。でも、時間の問題ですよ。いずれ、正式にクビが決定して、また無職です」 「また無職ということは、今までにも似た経験を?」  美希は言葉を使わずに、黙ってうなずいた。  美希は、公立の大学も出て、しっかり新卒で社会人生活をスタートさせた。しかし待っていたのは、他人より自分が劣っていると見せつけられる日々の始まりだった。何をしても自分より上手くやる他人がいる。やがてクビを遠回しに示唆されるようになった。自分にこの仕事はあっていないのだと思い、転職して今の会社に入って、自分なりに頑張っても、それでもダメだった。  自分にできることなどない。自分はどうやっても誰かの劣化版なのだ。  私は。  いったい私は。  いったいこの人生は。  なんなんだ? 「うーん、私にはそう言った経験がないので、これが答えになっているか分かりませんが――」  女性は、海を指さして、 「どんな道でも、何処かにつながっている……ってところですかね?」 「どんな道でも……?」 「はい! 今の貴方の道は、険しい山で先が見えないでしょう。でも、走り続けていればきっと絶景が待っているはずです。ほら、山道を登ったらいい景色があるって相場が決まっているじゃないですか」 「でも、その先にまた山があったら? その先が荒れ果てた海にしかつながってなかったとしたら? 道がどうやっても超えられない場所につながっていたら?」 「山があったら、また昇るだけです。一度、険しい山を経験しています。案外気楽に登れるかもしれませんよ? そして、荒れ果てた海のような超えられない場所につながっていたら――」  女性は、満面の笑みで答える。 「別の道に逸れてみるのもありじゃないかと、私は思います」 「別の、道……」 「もしその別の道がだめなら、また別の道。道なんていくつもあるんです。荒れ果てた海や山につながる道だけではないはず。行けると思ったらチャレンジして、やばいと思ったら逃げる。そんなことを繰り返しても――いずれは、絶景につながっていますよ」  逃げて、逃げて、逃げる。  そんなことを繰り返したら、他人にどう思われるだろう?  きっと、いい顔はされないはずだ。  でも、道はいくつもあるのだ。そんな逃げまくった自分を受け入れてくれる場所を探していけばいい。 「ありがとうございます。なんだか、気分が晴れました」  美希は、女性に深く頭を下げた。 「では、そのお礼として、一緒に写真を撮ってもらえます? 今日に記念に!」 「その写真、あとで私にくださいね?」  この道の先のことは、誰にも分からない。  でも、きっと大丈夫。  そう信じる美希は、女性とともに晴天のような眩しい笑顔を浮かべた。

井の中の蛙は幸せに茹で上がる

 俺は、自分で言うのもなんだがエリートの部類だ。  二十代にして年収は一千万円を超え、給与に見合うだけの成果を仕事で上げてきた。  中高の頃の同級生たちは、俺を羨望の目で見つめている。  碌にインフラも整ってない田舎で生れ育ち、いつか東京でビッグになってやると血眼で努力し、夢は叶ったのだ。    地元へ帰省する間は、俺は完全な地元のヒーローだ。   「その時計……まさか」   「ああ、ロレックスだ」   「すげええ! 本物初めて見た!」   「東京の電車に乗ったらごろごろいるぜ」   「さすが東京。やべぇ」    田舎者が美化する東京を、俺が現実として表現する。  褒められ、憧れられ、俺の承認欲求は満たされていく。  二十代の平均年収は、およそ三百五十万円。  地方ともなれば、さらに下がる。  約三倍の年収を誇る俺には、誰も叶わない。        地元では。        会社に戻ると俺は、ただの凡人になり下がる。  平凡な会社員から見れば年収一千万は雲の上の存在だろうが、俺の会社の同期たちからすればそうではない。  年収一千万は、手が届き得る世界でしかない。  俺よりもさらに稼ぐたちが華々しく動き回る中で、たかだか年収一千万円の俺はモブAとして走り回る。   「あれ、どうなった?」   「えっと、すみません。どれでしたっけ?」   「……もういい」    給与に見合うだけの成果を仕事で上げてきた。  それは間違いない。  が、俺のいる会社は、年収一千万円など達成して当たり前。  それ以上の成果をあげられる人間が優秀であり、褒められる。  俺は、届かなかった。        フェイスブックを見れば、中高の頃の同級生たちが、結婚しただの、子供が二人目生まれただのと、近況報告をしている。  あの程度の年収で、よく結婚や育児をする決断ができるな、などと一人悪態をついてしまう。  わかっている。  これはただの嫉妬だと。    あいつらより優秀で社会的地位のある俺が、なぜあいつらの幸せにも手が届かないのかという、ただの嫉妬だ。    あいつらは無知だ。  おそらく、平均年収がいくらか、なんて知らないのだろう。  学生時代にバイトで月十万円の年収百二十万円稼いでいた頃と比べ、就職して年収三百万円、つまり倍の年収になったことを馬鹿みたいに喜んでいる。  志がない。  レベルが低い。    が、幸せそうだ。    井の中の蛙大海を知らず。  東京という大海に出れば、あいつらも自分たちがいかに小さな世界にいて、小さすぎる結果に喜んでいたのだろうかと、落ち込むことだろう。  だが、あいつらは一生の井の中で終えようとしている。  大海を知らないまま人生を終えようとしている。    幸せなまま、人生を終えようとしている。    ワインセラーからワインを引っ張り出して、景気づけに一杯飲む。    円安は進む。  日本はますます不景気になる。  何も知らないあいつらは、気が付けば日本という国に殺される。  ゆでガエル理論。  井の中の蛙がつかる水の温度を徐々に上げていくと、蛙は水温の上昇に気づくことがなく、最後には死んでしまうと言う者。  地方は滅ぶ。  田舎は滅ぶ。  人口減少と貧乏という病気にかかって、あいつらは緩やかに死ぬ。  茹でられたことに気づく間もなく。    果たして、気づかぬまま死ぬあいつらと、死んでいくあいつらをタワーマンションから見下ろす俺の、どちらが幸せになるのだろうか。    足元を見た俺の目に、薄い水が映る。  俺は、いったいどこへ立っているのだろうか。

届かない声

君が耳を塞いでからだいぶ経った 最初は君に声を届けようとしていたけど それももう疲れてしまったよ 君からいつか返事が来ると思って 毎日送ってたメッセージ 君の家に行く機会も いつからか減っていって もうあの席に君がいないのが当たり前になって それでも他の友人と笑い合うのが当たり前になって 君のいない世界が、日常になってしまった 時折思い出す そしてふと気づく 僕は白状者なんじゃないか、って 君のことを思わない日が増えた それでも悲しく思わない日が増えた たぶんきっと、もう君のことをそこまで心配していない きっと君は、殻の中でのんびり暮らしてるはずだ 僕にできる手は尽くした それでもどうにもならないんだから、しょうがないじゃないか 諦めにも近い 違う、これはきっと妥協だ 頑張ったけど報われなかった そんなことなんて、これから人生いくらでもある ごめんなさい 僕にできることは、もう何もないんだ

適所

 無限に食べられる男の子。  一番最初に世の中にその存在が知られたとき、その男の子はそんな肩書で囃し立てられていた筈だ。 驚異の消化器官と、栄養の有無、そして有機物に拘らずとも、有害物質でさえ食べてエネルギーに変換できてしまう特異体質。バケモノ、人々はその男児をそう嘲った。    最初はただの親馬鹿によるパフォーマンスなんじゃないのかと、誹謗の声が大きかった。母親が早くして父と死別し、生活に余裕があるとはお世辞にも言える身なりや容貌をしていたのだから、ある意味では仕方なかったのかもしれない。しかし風向きが変わったのは、あるインタビューに涙ながらに出演したからだ。   『あの子はなんでも食べちゃうんです…… それが手だろうと……』    そういってカメラに向かって包帯で巻かれた右腕を見せた。――その腕の先に、手首は無かった。  その映像をみた敏い国民は疑われた。もしかしたらこの子は、別の星の生命体なんじゃないか。新たな人類の進化の形なのではないか。子供同士の戯言がいつしか井戸端での憶測になり、いつしかそれは恐怖へと変貌した。    恐怖に染められた群衆は、まともではなかった。連日のように、家に押しかけバケモノを殺せと喚く。家の中に人影が見えたら、誰であろうと物を投げつける。反応をしめしたら最後、彼らが飽きるまで、永遠とも思える時間を暴言に晒される。救いだったのは、その中傷の対象は、例の子供で母には憐みの目線を向けてくれたことと、子供がその幼さ故に、その言葉の意味を理解していなかったことか。    だが、そんな地獄は長くは続かなかった。謎の組織が、その家にやってきたのだ。 「動くな」  ご飯を上げようと、バケモノにご飯を食べさせてあげた時、扉を蹴破った黒いサングラスのスーツを着た正体不明の男が、静かに告げた。 「ちょっと! いきなりなんですか!?」  その言葉に、男の口端がニヤリと歪む。サングラスの奥の瞳は、何かを欲しそうな物を見つけた時の顔をしていた。 「二人とも、より良い場所へ連れて行ってやる。きっとお前の望みも叶うぞ」  全てを見透かしているように、欲しい物はなんでもやる、そう言わんばかりに男が言い放つ。母は左程悩まず、首を縦へと振った。  そこから、近所どころか日本中で轟いていた悪評は芸能人と人気歌手の不倫という世間を賑わす事件がすぐに起きたこともあり、あっという間に立ち消えた。  そして、数年が経ったとき、とある研究所からひっそりと論文が発表された。  『特定新生児による、細胞含有物質の消化酵素と遺伝について』  その専門性と難読性の所以か、メディアはどころか、同業者にさえ伝わらなかったこの論文が、日本を大きく変えた。  気になる事があるとすれば、著者の名はいつぞやテレビでインタビューを受けた母親の名前が記されていたことか。   「これに着替えてください」  サングラスの男はすっかり慣れた手つきで運転するハンドルから手を放し、母親へと白衣を無造作に投げ渡す。受け取る女性も、特に意に介さず、まるで普段から来ているかのように袖を通す。数年前まで、この女性が理科の基礎すらしらないなど、誰の想像にもつかないだろう。 「それで、今日の実験内容は?」 「いつものですよ、飛来した有害物質の食除だそうです」 「偶には別の物を与えてあげてよ。同じ物を食べ続けたら飽きるでしょう?」  男を問いただす女性は、いかにも子供を気遣う良妻そのものだ。しかし、本性を知っている物からすれば、それは不気味に映るだろう。男も、ここまでになるとは想定外だった。  ガラスで仕切られた三重の扉が開き、助手たちがこちらの存在に気付き、頭を下げる。 「教授、准教授、お疲れ様です」 「子供の調子はどう? お腹壊してたりしてない?」 「……今日も健康を維持しています、問題ありません」 「そ、なら貴方たちは別命があるまで帰っていいわ。あと私達がやっておきます」  テキパキと指示をだし、気付けば部屋には二人きりとなっていた。 「しかし、君もほとほと異常者だな」 「心外ね、立派な母親になるがこの研究の上でのモットーなんだけど?」  女は手元のパネルを弄り、今日の検食メニューを確認する。一通り見て満足したのだろう、頷きながらボタンを押す。 「よく言う、自分の息子を被験体にして、今更健康が口からでてくるその図太さは見習いたいもんだ」 「あら、私は"世間に注目されたい"それだけが行動原理よ。だから、息子を使って誰かに見てもらえるなら、全力でそうするだけよ」  ガラスを隔てた向こう側で、バケモノが一心不乱に与えられた食べ物を口に押し込む。   「ン、腹イッパイ」 「ほら、あの子も幸せみたいじゃない」  一目で義手とわかる銀色の手を男に見せながら、女は笑った。

夜歩き

歩く。ただひたすらに歩く。 足の裏は既にぶよぶよとしていて、体重をかけるたびに痛む。コートのポッケに両手を突っ込み、マフラーに体温を託す。 体の芯が冷えても歩くことだけはやめない。 いくら国道といえども夜の田舎は交通量も人影も少ない。 あたりに街灯以外の明かりはなく、田畑の横を通り過ぎてゆく車のヘッドライトは暗闇の中の私をスポットライトのように打ち抜いては走り去っていく。 最近、なにをしても心がむかむかした。 いきなり叫びたくなる衝動、理由もなく泣き出しそうになる瞬間。 そして、そういったことがどんどんと増えてきた。 みんなと同じ時間、空間を共有する苦しみ。変わってゆく友人たちへの哀愁。変われない自分に対する焦燥。未知の将来への不安。 そんな思春期の負の感情は私の中で煮詰まっていた。 一度授業をサボって保健室で昼寝をしていたついでに保健室の先生に相談してみた。 「思春期にはよくあることよ」 知っている返答だった。 みんなが苦しんでいるという。 そんなことはどうでもいい。 苦しいのは自分だ。 他の人間なんか知ったものか。 私を救ってほしい。 その思考にたどり着いた時、あまりに自己中心的で幼稚な自分に吐き気がした。 こうして、黒い感情は煮詰められ心をガン細胞のように食い荒らしていった。 そんなとき、ふと思いついたのがただ歩くことだった。 限界まで歩いて、歩いて、動けなくなったらタクシーを呼んで帰る。 歩くことに理由はない。そして、楽しみもない。自分でもなにをしているかわからない。 でもそうして健康的に訳もなく自分の体を痛めつけるのは気持ちがよかった。 ここまで歩いたぞという達成感、終わった後の虚無感。疲れ切ってアスファルトに身を投げる時の救いようのない自分に放たれる快楽の栄養は間違いなく自分を殺し、自分を生かした。 この日も限界が来る。 8時間は歩いただろうか。 夕方、友達の家に泊まりにいくと言って出てきた家はもう霞すら掴めない。 地面に五体を投げ出す。 マリオネットの糸が切れたように一瞬で全身を脱力する。受け身も取らず、死人のように仰向けに突然倒れる。 12月のアスファルトは厚いコート越しに背中を刺した。全身に耐えられないほどの快楽と痛みが走る。衝撃で一瞬息ができなかった。 息を落ち着かせるために目を閉じて呼吸に意識を傾ける。 死に瀕している時にこそ生を実感する。 心から生きているという感覚がした。 ある程度息が落ち着いて目を開くと、そこには宇宙が広がっていた。 一等星から六等星まで、すべての星が輝いている。 都会で見る星空とは全く違う、スパッタリングで無造作に塗りつぶした銀河がそこにはあった。 首筋から寒さ故ではない鳥肌が伝う。 冬の澄んだ空気はその美しさを真っ直ぐ表現している。 今の堕落した私には暴力的すぎる、絶対の美しさがそこにはあった。 思わず「ほぅ」という息混じりの声が漏れ、肺が広がっていく感覚がした。 15分ほどその景色を堪能した私は帰りのタクシーを呼んだ。 タクシーのとろけるような暖房の暖かさが私を安心させる。 目を閉じると、先の光景がありありと目に浮かんで見えた。壮大で果てしなく広い宇宙の片隅を知った。 自分の抱えている問題は思ったよりもちっぽけだ、そんな綺麗事が今だけはすんなりと受け入れられた。 のんびりと流れるラジオは午前3時の時報を知らせている。 いつのまにか流れていく景色は知っているものに変わっていた。 眠そうな目をしている運転手に家までの細かい道のりを聞かれる回数が増えていく。 いきなり窓からの景色が止まったかと思うと、そこはもう家の前だった。 深夜料金込みの安くはないタクシー代を払い、白のシートから腰を上げる。 お礼を言い、タクシーから出ようとすると自分の顔がちらっとバックミラーに映った。 鏡の中の私は最近の自分よりも少しだけいい顔をしていた。

ふうせん

 今日も今日とて、風船を割らずに過ごせたぞ。ぱんぱんに膨らみいつ割れてもおかしくない状態にもなったけど、割れることはなかった。本当によかった。  黄金色の陽光が差し込む中で、風船がしゅるしゅると萎んでいく。  明日も割らずにいられるかな。この風船もそろそろ限界かな。割れちゃったらどうしよう。  仲の良かったカズオくんは先日に風船を割ってしまった。カズオくんはわあわあ泣き出して、先生を困らしていた。そのうちに親が迎えにきて早退しちゃった。それからというもの僕はカズオくんを見ていない。  カズオくんどこに行っちゃったんだろう。  もし僕の風船が割れちゃったら、僕もカズオくんのようにどこかに行かないといけないのかなあ。  そうしたら楽しいこともできなくなるのかなあ。  悲しいよ。  僕は俯く。足元から伸びる影が下半身は長く上半身は短くなっていて、不気味だ。その横を風船の影がゆらゆら動く。  明日も割らずになんとか過ごさないと!  僕は汗を拭って、家へ駆け出した。

失恋した私が君に思うこと

ある朝、教室のドアを開けて 中へ入るとなんだか全体的に ザワザワしていた。 なんだろうと思いながらも 自分の席に座る。 すると親友の慈(めぐ)が 私の席にきて、 「あのさ、言いづらいんだけど 宙(そら)が好きだった甲斐(かい) いるじゃん?甲斐が、 一つ年上の先輩と付き合ったらしい…」 衝撃の事実だった。 ずっと一途で好きだったのに、 努力もしたのに。 いっぱい話して、遊んで、 でかけて。連絡先まで交換したのに。 もう、世の中はどうなってるんだ! 私の好きな人に、好きな人がいたなんて。 でも私は慈にこういった 「でも、わかってた。恋なんて そんなもんじゃん? しかも私の恋が実るわけ無いし。」 って言ったけど、そんなこと思ってない。 でも、そう思うしか、自分を救う 方法が見つからないよ。 まいったなあー。 甲斐じゃなきゃ駄目なのに。 私の恋は、届かない片思いで終わった。 でも、私が今甲斐に思うことは、 私の幸せは、好きな人が幸せでいること。 だから、幸せになってほしい。 フッっと笑って教室を出た。

な、だれ?

 目の前にストーブが現れた。温もりを求めて、手をかざしてみる。すると、手の平だけではなく体全体を熱気が包み込む。そう、これが俺が求めていた暖かさだったと、昔を思い出す。  今よりもずっと幼かったころ、自分はかなりの悪ガキだった。タイチョーと慕っていた友人と一緒に、養鶏場で卵を盗んだり、畑から野菜を盗んだり、お湯をこっそりと盗んだりしてきた。そう、生きるためには仕方が無かった。悪いことだとは分かっていたけれども、ストーブを買うためには仕方が無かった。だから、今目の前にあるストーブが世界で一番重要な温もりだった。しかし、どこからから地面が崩れる音が聞こえる。轟音が響き、何かが落ちてくる。なんだ、今温まってるのに―― 「危な――」  誰か、女性の声が聞こえた気がする。だが、自分が食らった衝撃で、冷たく柔らかい地面に激突する。   「あ、あぁ…… 暖かいなぁ……」 「おい! S! しっかりしろ!」  誰かに体を揺さぶられ、己の名を誰かに呼ばれる。いつの間にか、目の前のストーブは消えていた。   「俺のストーブ、ストーブは……」 「おいしっかりしろ! 死ぬぞ!」  幻覚のストーブに手を伸ばそうとするも、死、その言葉に自分の意識は明瞭になっていく。気が付けば自分は、数歩先も見えない吹雪の中にいた。 「あぁ…… なんでこんなところに……」  何故自分がこんなところにいるのか、こんな猛吹雪に今自分がいる理由も、全くわからず、ただ困惑するしかなかった。 「そんなバカな事言っている場合じゃないでしょう! 今の隊長は貴女なんですから!」  隊長、たいちょう、タイチョー……   「――っそうだ! 今、俺は!」  そうだ、今自分達の隊は、猛吹雪で道を見失い、遭難しているということを思い出した。だが、同時に彼の言葉に猛烈な違和感が湧き上がる。   「"隊長は貴方"? お前は何を言ってるんだ、俺らにはタイチョーが付いているだろ!?」  何をふざけたことを言っているんだ。この雪山登山を計画したのも、今まで隊を引っ張て来てくれたのも、全てタイチョーのお陰だった。なのに、何故、彼の頭の中からその存在が消えているんだ。 「貴女こそ何を言っているんですか!? この隊は、元々二人でしょう!?」 「……なにを」  悪夢としか思えない。この隊は、元々五人だ。そして自分の目の前にいるのは、Jで、この隊の最年少メンバーだった筈だ。なのにJはこの隊は二人だという。慌てて周囲を確認しても、足跡は既に豪雪で掻き消え、互いに結んだ命綱も、SとJの間にしか存在しなかった。そうだ――   「タイチョーは今行方不明で、現在捜索するかの議論をさっきまでMやAとしていただろ!? Jは覚えてないのか!?」  だがSの記憶で確実に記憶出来ているのはそこまでだった。思い出せる人数と、参加した人数が全く合ってない。きっと自分もJと同じように、記憶が混濁してしまっているのだろう。Jは全く納得がいってないのが、防寒具を着こみ、殆ど表情が見えないゴーグル越しでもわかる。   「ひとまず、どこか休める場所を探すぞ」  一旦休憩し互いの認識のずれを確認する。まずはそこからだった。 「――まさかこんなにあっさり見つかるとは……」  Jの言葉通り、呆れるほどあっけなく、セーフハウスを見つける事が出来た。しかも、薪や着火剤を始めとして、寝袋や食料、着替えの服すら用意されている。あらたな備品を見つけるたびに、何かに巻き込まれているんじゃないか、罠なんじゃないかと勘繰ってしまう。だが、今は疲労も貯まり、一刻も早く身を休めたかった。Cは汗で濡れた服を着替えようと、服の裾に手をかけた。 「ちょ!? 何やってるんですか!?」  しかし、それに待ったをかけたのはJだ。何故か顔を赤らめ、視線を明後日の方向に向けている。 「何って…… そりゃ着替えだけど文句あんのか?」 「ちょっとは恥じらいを持ってください!」  ますます意味がわからない、山でプライバシーなんて存在しない、今更Jは何を恥ずかしがっているのか全く理解できなかった。 「C隊長は女性なんですから! 嫁入り前でしょ!」  その発言にCは思わず吹き出す。何を言っているんだ、俺が女……   ――しかし、そこで何かが繋がる。    『危ない!』  確か、幻覚を見ていた時、女性の声を聴いた。そして、彼女は、俺を何かから守ってくれた。そして、飲み込まれた。    一度疑惑の目を持つと全てが疑わしく見える。見てみればJも変だ。こいつの体に盛り上がった筋肉は無かった、細かいことは豪快に笑い飛ばす奴だった。それはAと、Mの特徴――  その時、聞き覚えのある轟音が響く。窓を除けば、木々が薙ぎ倒され、頂上から土が混じった雪がセーフハウスへと押し寄せてる。  「雪崩だ」

義理の兄弟

私には義理の兄弟がいて 同い年の春樹。誕生日が私のほうが 遅いから、春樹がお兄ちゃん。 そして2つ年下の冬樹。 中学2年生だけど、私からしたら すっごく可愛い。 二人共優しくて、互いを 思いやる気持ちがある。 素敵だと思わない? 春樹以外の男子なんて幼稚。 高1になってまでそんな幼稚で いいのかってくらい。 団結力はあるけど、それいがいは まるで駄目。 まぁ、幼稚って言ったけど ひねくれてるっていうのもあるね。 そんなこんなで学校をのりこえてる。 家では楽しいことがいっぱいだけど。 義理の兄弟を持つって案外楽しい。 義理の兄弟いるよってかた、 いたらコメントで教えてね。 注意:この不二には義理の兄弟は いません。この物語の主人公が 勝手に読者様に語りかけているだけです。 それでは、また次の物語で〜

同級生の失礼な奴・ヤバい奴 日光東照宮辺

この前、日光東照宮へ行ったときの話です。 入浴が終わって自由時間の時、 私達女子部屋に数人の仲のいい男子が 部屋に入ってきました。 そしたらその男子たちが 「さっき風呂入った時、露天風呂あったろ? そこの壁に穴があったんだよ。」 「そうそう。穴があって、おもしろ感情で 覗いたら・・・」 「「「○○のケツがあったんだよ💦」」」 って言ってました。 その時私達は、うちらと同じ タイミングじゃなくて 良かったーって思いました。 次の日、二日目の早朝。 私達の部屋にまた仲のいい 男子がやってきました。 私はまだ寝ていたので 気づきませんでしたが 男子が、 「…い。お…い。おい、おい!おーきーろー」 不二「あぁあ?なんだぁ…って なんでいんだよ! 今気持ちよく寝てたのに 起こすんじゃねえよ!ったくもう」 と言ったらそこにいた男子は、 「ブハハッハッハ。なんか、お前 寝てた時ババァみたいな 顔だったぜブッハハ」 「それなそれな!髪の毛が 横に広がってた」 といって、私をババァ呼ばわり。 そんなことなければ普通なのに。 こんな言い合いをしていても いつもでも仲良くしたいと思ってます。 ここまで見てくれてありがとうございます。 見苦しいお話ですが、 温かい目で見守ってください。 それでは次の物語で。

ミッドナイト・ランデブー

 彼女との出逢いは、夏まっ盛りの暑い日だった。    昼下がりの陽炎立つ街角で彼女を一眼見た瞬間に俺は恋に落ちた。そばに寄り添い、愛を囁く俺を、ゾクッとするほど色っぽい目で眺め、しかし無言で立ち去ろうとした彼女。追いすがる俺。 「デートするには暑すぎるわ」振り向きもしないで、そっけない言葉だけが生温い風に溶けてゆく。しかしそこには楽しんでいるような響きが感じられる。どうやら拒絶された訳ではないらしい。 「それなら二人で涼しい場所に行こう」 「涼しい場所って?」 「二人だけになれる涼しくて静かな所さ」  立ち止まったきみが振り返り、目を細めて俺を睨む。俺は息を飲んでその神秘的な瞳に見惚れてしまう。 「誰にでもそんな誘い方をするの?」 「誰にでもって訳じゃない」 「悪いけどこれから予定があるの」 「いつならいいかな。きみに合わせるよ」  返事は保留のまま、きみが前を向いて優雅な足取りで歩き出した。しかし暑い。へたり込んでしまいそうなほど暑い。確かに彼女の言うとおりデートには向いていないようだ。 「夜なら・・いいわ」 「夜?」 「今夜は先約があるけど。そうね。明後日の夜なら」 「構わない。明後日の真夜中に会おう」  そして蠱惑的な微笑みを残し、きみは俺の前からいなくなった。  約束の日も、朝からギラギラした太陽が照りつける暑い日だった。さしたる用がないなら何もこんな炎天下に出て行く必要はない。だから俺は冷房が効いた部屋で、きみのことを考えながらくつろぎ、微睡んで、灼熱の太陽が西に傾くまでじっとしていた。今夜のデートのために体力は温存しておかなければならない。  眠りから目覚めると約束の時刻が迫っていた。俺は寝ていたソファーからそっと立ち上がり、音もなく部屋を横切って玄関のドアを静かに開けて外に出る。  しっとり纏わりつくような夜気に包まれ、烟ったような街灯の下を足早に通り過ぎる。慌てる必要はない。そう分かっていても、迅る心は抑えきれず、心臓は早鐘を打ち、足は自分のものではないように浮わついていた。  今夜は満月だ。雲の切れ間から銀色の月が覗いて俺を見下ろしている。公園の噴水の前が待ち合わせ場所だ。そこに佇む黒い影を認めて俺の心臓がビクッと跳ねた。近づく俺から逃げるように黒い影がしなやかな動作で走り出した。その後を追いかける俺。  速い。やるじゃないか。  煉瓦敷の通路のカーブできみが滑り、追いついた俺はその背中を抱きしめ組み敷いた。爛々と光る緑色の瞳が俺を見上げている。そして・・・。 「しゃああっ」 「にぎゃああ!」  前足の鋭い爪が空を切る。危なかった。間一髪。鼻先をばら裂きにされるところだった。 「ぎゃうううう。にゃぎゃああ」(あら残念。避けられちゃった)  漆黒のきみが立ち上がり伸びをした。ピンと張ったセクシーなヒゲ。可愛らしく尖った耳。しなやかな尻尾が揺れている。その背中に月の光が降り注いで艶やかに光っている。ああ何てきみはいい雌猫《おんな》なんだ。 「うううにゃごうう。ううニャアああ」(逃さないよ。きみは俺のものさ) 「にゃニャアああ。うにゃにゃにゃニャアああ」(あなたにわたしが捕まえられるかしら)  再び走り出す前に、きみは俺を誘うように振り返り、ウインクした。 「ニャアああいうああアア」 「にぎゃニャウ!」

ピアノチューナー・オブ・ダークネス

 雨に濡れた森はいつもより暗く感じる。  見上げても、高く伸びた真っ黒な樹々に遮られ、空はわずかしか見えない。  窓から離れ、わたしはピアノの前に戻った。  椅子に浅く座り、背筋を伸ばす。そして練習を再開する。  曲のタイトルは『黒』という。  わたしのためにお父さまが作曲した作品の一つだ。  今宵にいらっしゃるご予定のお客様をもてなすため、わたしは漆黒のイブニングドレスを身に纏い『黒』と『赤』を演奏するよう、お父さまから言われていた。  そして演奏が終わったら、お客様をディナーに。  お父さまは優しい。  このグランドピアノの調律もお父さまがやってくれる。  生まれ育ったこのお屋敷から離れられないわたしをいつも気遣って護ってくれる。  夜になった。  森の向こうから、お客様がやって来た。  人数は三人。若い。  わたしたちのお屋敷にずかずかと侵入し、手に持った眩しいライトで周囲を照らしている。  照らしながら、廃墟が、心霊スポットがなどと言っている。  やがて彼らがわたしの部屋へ。  お父さまの合図で、わたしは彼らをもてなす為にピアノを弾き始める。 『黒』を弾いたら、お客様たちの顔が肌が黒くなり腐り出した。 『赤』を弾いたら、苦悶する彼らの目から口から鼻から真っ赤な血が噴き出した。  曲の最後の一音の響きが消えた頃、お客様たちはすっきり静かになっていた。 「さて我が子よ。ディナーの時間だよ」 「はい。お父さま」 ※タイトルはブラザーズクエイの「ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク」から拝借しました。

ある殺人犯の独白

 申し上げます。私は数多くの人命を奪いました。数なんて覚えちゃあいません。  世間じゃ、日帝大主席がなぜ大量殺人を?と賑わっているらしいですね。私からすればどの考察も間違っていますが(笑)  動機という動機はないのですが、まあ私の独白にお付き合いください。損はしませんよ。私みたいな人はそこかしこにいますから。  生まれてこの方、私は好奇心の強い人間であります。何でも知りたがる性格で、疑問に思うことがあれば周りの大人に訊きまくっていました。そんな態度に周囲の大人は面倒臭くなったのでしょう、適当にあしらうようになりました。当然でしょうね。  だから私は自発的に調べるようになりました。疑問への解答を追求しているときの高揚感。何かこう、宝物を探しているとでもいうかのような錯覚に陥ります。  物事を調べているとね、付随的に別の情報まで仕入れることができる訳ですよ。ネットが普及した今でこそ一問一答のように簡単に解を得られますが、昔はアナログでしたからね。そう考えると、今の子どもは不憫ですよ。  話がそれました。とにかく私は好奇心の強い子だったのです。  学校の勉強に対してもそうでした。疑問に思ったことは調べる。納得がいくまで理解する。そうやって勉強していたらいつの間にか勉強のできる生徒になっていて、気づいたら最高学府の日帝大に合格していたというだけの話ですよ。  頭なんてよくありません。私以上の秀才なんてこの世にゴロゴロいますよ。何処の大学出身かを気にしているような人は所詮凡人です。  ええ。日帝大主席がなぜ大量殺人をしたのかではなく、考えるべきは、大量殺人犯が偶々日帝大出身だったということだけです。  さて、あなたに訊きたいのですが、なぜ私たちは他人を殺してはいけないのでしょう?この疑問に私は適切な回答を持ち合わせておりません。  倫理的に問題があると答える人もいるでしょう。でもこれは一種のトートロジーすなわち同語反復です。この答えはある疑問に置き換えが可能です。それは、なぜ殺人は倫理的に認められていないのかという疑問です。  法律で禁止されているからというのも同じです。まあ、法的には殺人はダメと明記されているわけではないらしいのですが、百歩譲って法が「殺人をしてはいけません」と言っているとして、なぜ法律は殺人を禁じているのでしょう?  そう考えていくと、人を殺すことによって悲嘆に暮れる遺族が生み出されてしまうから良くないのでしょうか。私だって人の子ですから、親しい人が殺人犯の魔の手にかかれば悲しまずにはいられません。  同時にこれは、悲しむ人がいなければ殺人は認められるであろう、というのと同義です。  さて実践です。私は独り身や身寄りのない人を狙いました。しかし、最初から殺すなどという野暮なことはいたしません。身辺調査も兼ねて彼らと親しくなるためにまず接触を試みました。  みなさんとてもお優しかったです。素性を明かさない私を快く受け入れてくれて、自分の生活もままならないのに飲食を提供してくださいました。わずかばかりのものでしたが、そのお心遣いに私は大変深く痛み入りました。私もささやかながらお菓子なぞをお渡しいたしました。  そうやって私は彼らに近づき、対象者に悲しむ人がいないことが確実になったところで、ぶすりと包丁をその胸に突き立てました。殺すときは非常に心苦しかったです。  私が奪った人命は少なくないはずですが、それでも世間は取り立てて騒ぐことはしませんでした。やはり悲しむ人がいなければ殺人は問題ないということなのでしょうか。  そこで私は一般の家庭を狙いました。三人家族です。惨殺しました(方法は内緒です)。  世間は大きく騒ぎました。地方新聞にも取り上げられ、周囲の人は大きく悲しみました。後日私が逮捕されると、幸せな家庭を壊したと厳しく非難しました。この家族は家庭崩壊していたとも知らずに。  どうやら殺人のタブー視は、遺族の悲しみではなく、周囲の感情がミソであるようです。自分にとって不快なものはいけないことに違いない。それは別に責めるべきことではありませんが、この「自分」の絶対数が増えると、倫理というものが造られたり、法として罰則を設けようみたいになったりするようです。  こうやって私たちは集団からの逸脱者を排斥して「自分」と同調ばかりするコミュニティを作り上げました。  だから、大量殺人を犯した私を「日帝大のエリート」というラベリングをして集団から排斥し、私たちとは異なる人間であると暗に示す。原因をすり替える。  いいえ。私は秀才だから殺人を犯したのではない。  純粋な子どもの好奇心って、ときに恐ろしいですよね。  あなたも自覚しているでしょう?私と同じような人はたくさんいますよ。みんな普通の顔して生活しているじゃありませんか。

女子会をする女と男子会をしない男

「今日、出かけるんだっけ?」   「うん、女子会!」    嫁は、楽しそうに家を出ていった。  ポツンと取り残された俺も、暇だったので友人と飲むことにした。  もちろん男友達だ。        適当な居酒屋に入って、ビールを乾杯し、俺は率直な疑問を口にする。   「なんで女って、自分のこと女子って言うの?」   「突然どうした」   「いや、女子って、女の子って意味じゃん。子供って意味じゃん。もうアラサーの立派な大人が、なんで女子って言うのかなーって思って」    思えば実家の母が読んでた女性向け雑誌にも、『アラフィフ女子』なんて表現があった。  その場でコーヒーを噴出して、母から怒られた記憶がある。    友人は俺の馬鹿みたいな質問にも真剣に悩んでくれた。   「男は自分が子供である事実から目を背けたくて、女は自分が大人である事実から目を背けたいから、じゃない?」   「パードュン?」   「つまり……あ、ビールお代わりください」    空っぽのジョッキが下げられ、ビールが並々入った新しいジョッキがテーブルに置かれる。   「男は、子供なんだよ。結婚した旦那が、大きな子供って揶揄されるの聞いたことない」   「ある。嫁に言われた」   「でしょ? 女から見ると、男は精神的に幼いままでいて、男も薄々それに気づいてるんだよ」   「ふむふむ」   「同時に、社会的な地位や名誉を欲しがる性格もあるから、自分は社会を支える立派な大人である、子供っぽくなんてないと、精神的に幼いことを認められない。だから、無意識に男子っていう言葉を使うことを避けてるんじゃないかな」   「なるほど?」    友人曰く、男は大人になりたがっているから、子供の意味を持つ男子という言葉を避けているとのこと。  本当に、俺は無意識にそんなことをしてるのだろうかと考える。   「で、女はその逆。男から見ると、女は実年齢が上がるたび精神年齢も上がって、身体も精神も立派に大人やってんのよ」   「ふむふむ」   「だからこそ、青春時代を懐かしむ感じで、女子って言葉を使う。自分たちが大人だって気づいてるから、意図的に女子って言葉を使って一時的にでも大人であることを忘れて、子供のように楽しんでるんじゃないかな」   「なるほど?」    友人曰く、女は子供になりたがっているから、子供の意味を持つ女子という言葉を使っているとのこと。  本当に、嫁は無意識にそんなことをしてるのだろうかと考える。   「ま、ここまで全部ぼくの想像。妄想。あってるとは限らないよ」    友人は最後の最後、すべてを無責任にぶちまけて、唐揚げを食べ始めた。   「あ!? レモンかけやがったな!?」   「あ、ごめん。かけない派だったのか」    おまけに、レモン汁を無責任に唐揚げへぶちまけやがった。  絶許。       「俺、別に精神年齢幼くないと思うんだけどなぁ」   「ん?」    酒が回るとともに、喉の奥に引っかかっていた言葉がポロリと出てしまった。  この感情は、友人の言うとおり自分が子供っぽいことを認められない反発心からか、あるいは仕事で反論する時のような論理的な思考によるものか、酔った頭ではすぐにでてこなかった。   「二十代の女って、何歳くらいの男を恋愛対象にしがちだと思う?」    なんだその質問。   「同世代。二十代の男じゃねえの?」   「うん、正解。じゃあ、三十代は? 四十代は?」    なんだその質問。   「同じじゃねえの?」   「うん、正解。三十代の女は三十代の男を、四十代の女は四十代の男を……以下ループって傾向があるね」   「だろうな」   「じゃあ、その逆、二十代の男はどうだと思う?」    なんだその質問。   「二十代の女」   「うん、正解。じゃあ、三十代は? 四十代は?」    なんだその質問。   「同じじゃねえの?」   「うん、ハズレ。正解は、三十代の男は二十代の女を、四十代の男は二十代の女を……以下ループって傾向があるね」   「年齢考えるよおっさんども」   「ま、そういうことだよ。体が老けても、精神的に若いから実際に若い人とも対等にいられるだろう、なんて妄想しちゃうわけだよ。多分ぼくたちも、いずれ通る道だ。あるいは、もう通ってるのかもしれないけどね」    男が若い女を好むってのは知ってるが、さすがに友人の言葉は暴論だろう。  少なくとも俺は、同世代がいい。   「俺はきっと通らねえ道だ」    俺はビールを飲み干した。  友人は、にっこりと笑う。   「嫁さん、年上だっけ? 年下だっけ?」    なんだその質問。   「三つ下だけど」   「そうか。ぼくは二つ上だ」

贅沢で、無駄遣い

『目的地ニ、到着シマシタ』  AIがそう告げ、車内の扉を開ける。貧乏人が使うような安い機体だろうか、ガチャンと大きな音を立てて開いた。 「……はぁ、もっと金持ちになりてぇ」  そんな小さな劣等感を積み重ね、Cは今日もまた、そんなこと愚痴を吐くのだった。   「あぁ…… 自家用車を買って、自分で運転してみてぇなぁ……」 「自動運転車で十分、無駄遣いだな」  機体に同乗していた同僚のZは、Cの言葉を軽くいなした。 「あのさぁ、お前には浪漫は無いの?」 「お前こそ、今は2200年だぞ。大抵のことはAIに出来るんだから、任せたらいいじゃねえか」 ――彼の言っている事は、一般的で正しいとされている。    確かに今の世の中は便利だ。視力を外部の器具に頼らず目薬一つで解決するし、昔の死亡理由のトップだった癌だって今じゃ簡単に治療が済んでしまう。けれど、やはりどこかにしこりが残る、そんな気がしていた。     「はぁ……」 けれど、ため息を吐かずにはいられない。手に入らないものこそ最も価値があると昔の偉い人はいっていたようだけど、自分が求める物も、同じようだ。 「幸せが欲しいもんだ……」 「なもん、さっさと仕事すれば手に入るだろ」  そういって大雑把な性格のZは元気づける為、荒っぽくCの肩を叩く。その衝撃で、Cの体に埋め込まれているチップが反応し、脳内でセロトニンが分泌される。 「――そうだな、ありがとよ」  脳内に噴出されたホルモンによって、Cのささくれだった心もすっかりと凪いだ。 「よし! じゃあ今日も働くぞ!」  そのままスッキリとした気分で二人は仕事場へと歩き始めた。 「おい! CとZ! 遅刻10分前だぞ!?」  仕事場の玄関を潜り抜けた途端、頭上のスピーカーから理不尽な上司の怒鳴り声が聞こえてくる。 「……遅刻してないなら良くないか?」 「同意。所長も金遣い荒いし、メンテを怠ってんじゃねえか?」  二人は小声で不満を語り合う。この施設は老朽化が進んで、まともな収音機が存在しないことは周知の事実だ。だから多少の悪口を言っても気づかれることは無い。しかし、Cは所長を嫌いにはなれなかった。自分と同じように、彼も不満を持っているんだと考えたら、少し仲間意識が湧いてくるからだ。 「キビキビ動かんか! 今日は上役が視察にくるんだ! さっさと支度を済ませろ!」 「――そんなに怒鳴りながら部下に指示をしては、まともな人材に育てることは出来ませんよ、所長」    その時、二人の背後から、聞いたことのある声がした。   「第一、二人は遅刻すらしていないではないですか、感情をコントロールできないとは、何とも嘆かわしい……」  CとZは振り返る。――そこには、自分たちの会社の社長が立っていた。 「しゃ、社長!? 来訪時間にはまだ二時間ほどありますが!?」  スピーカーから漏れる上司の声は、明らかに動揺を隠しきれていなかった。もし従業員のこんな場面に遭遇してしまった時、経営者がとる行動は一つしかない。 「――U所長、君をこちらに呼び寄せるから衝撃に備えなさい」  そういって社長は懐から何かを取り出し、地面に向ける。 「ちょ、待って――」  するとスピーカーから聞こえた声が途絶え、自分たちの目の前にUが現れる。 「物体瞬間移動……」  非常に高価な代物としてしられる使い捨ての道具を、躊躇なく使い捨てた。それだけで、Cは社長とは隔絶された存在だとわかってしまう。そして、いつの間にか取り出した拳銃を、Uのこめかみに付きつける。 「厳罰だ。なに、生命複製機器の手入れを欠かしていなければ問題ない」 「ま、待って――」  発砲音が一発響き、Uが地面に倒れた。 「私の銃は高性能でね、死体から血液が出ないんだ」    何事もないように事を成した社長と裏腹に、Cは目の前で起きた光景に衝撃を覚えていた。隣にいたZも口を押え、ショックを受けている。そうだ、だってあんなに簡単に人が、死――   「君たちは初めてだったか。ならお詫びをしなくちゃな……」  そういって、社長は申し訳なさそうにしながら、懐から何かを取り出し、CとZに見せた。 「フフ……」 「ははっ、面白いな……」  CとZは目の前で起きた光景が、面白く映って仕方無かった。先ほど何故か零れそうだった涙は引っ込み、今は腹を抱えて笑いたい気分だ。 「"笑い薬"とはよく言ったものだ。なに、暫くそこで笑っていれば、気分も晴れるだろう」  遠くから声が聞こえる。    あぁ、確かに自分が抱いていた夢も、今起きたことも、全てが面白い。  はは、ははは。 「従業員の笑顔の為には身銭を切る。これは決して贅沢でも、無駄遣いとは言わせないよ」    誰かが呟いたような気がした。