トースターの灯火

見たこともない虫を見つけて固まっていたら、こちらに向かって飛んでくる悪夢を見た 夢で良かったと何度も思ってベッドを抜け出す 細い妻の肩に毛布をかけ直すと、真っ直ぐな髪がサラリと流れた キッチンの小さな明かりをつけて顔を洗う。水が温かく感じる 曇りガラスの向こうはぼんやりと青い テーブルからバケットを持ってきて薄く切る 冷蔵庫を開けて丸いタッパを取り出す 箸を探すがペアが見つからず黄色と赤のペアを使うことにした 昨夜の妻の肉じゃがをバケットに乗せトースターであたためる 暗い部屋で赤い灯りが美しい タッパの蓋を閉めようとしたが、一本の髪の毛があるのを見つけた。取り出すと長く真っ直ぐな妻の髪だった それを口に入れ飲み込む 昔、君の髪の毛が欲しいと言ったことがあった。あの髪の毛は今、口の中にある。 あんな細い髪の毛は喉の中でも妻のままで強くしなやかだ。 少しむせたので牛乳を飲んで流し込む 願いは別にあるのだけれど また、何処か遠くで叶うものかもしれない チーンと音が鳴る

夜

何を言えば、 どんな言葉なら、 どの言葉が、 触れるだろう。 価値も心も生活も、 その果てに祈りがあるなら。 ただの自分で眼差しを失わないように。 止まれないまま歩いていく。 ずっと手を握って。 ただあなたと眠っていたい。

マスクの女

ある日の午後。 身体社会学の女性教授が、マイクの前に立った。 「みなさん、ルッキズムって聞いたことありますか?」 「人のこと、外見で特別扱いしたり、差別したりすることですか?」 「はい。外見至上主義と呼ばれてます」 背後のスクリーンを指さした。 「今から写真をお見せしますね」 マスクの女が、写し出された。 「この女性、みなさんはどのような印象を受けますか?」 「清楚な、お金持ちのお嬢様って感じに見えます」 「そうですか。では、次の写真です」 「えっ」 最前列の学生が、目を伏せた。 「マスクを取った、先ほどの女性です」 「口が……」 「口裂け女です」 しばらく、沈黙が続いた。 「マスクしてると、見えてるところだけでイメージしてしまいますね」 授業の終わりのチャイムが鳴った。 「感染症が流行ったあと、マスクを外せない人が増えましたよね」 「先生もですか?」 「楽ですからね。目の周りだけ念入りに化粧してます」 目元を指でさした。 「おキレイですよね」 「それもルッキズムですよ」 教授は笑いながら、マスクに手を掛けた。 「私、キレイ?」 視線が集まる。 「鼻が……」

ペット

 犬を買った。  犬を飼った。  大切にした。    きっと、犬は幸せな生活をしていると信じていた。   「ほら、餌だよ」    ある日、人間と犬が逆転した。  犬が知的生命体。  人間が言語を解さぬ畜生。    俺は、かつてのペットの犬に飼われていた。   「美味しい?」    犬は、俺を大切にしてくれた。  家の中では自由。  ご飯も三食くれる。    俺が、ペットの犬にしていたのと同じ待遇をしてくれた。    無理だ。  誰か助けて。  こんな生活、窮屈すぎて死にたくなる。    幸せなペット生活は、地獄だ。

臨終看護師

私は臨終看護師。仕事は単純だ。 臨終医の後ろをついて歩き、遺族の待つ部屋に入る。 そして、臨終医が「御臨終です」と告げたあと、 目を伏せ、軽く頭を下げる。 これが私の仕事。 そこに、ご遺体への敬意など必要ない。 それで、終わり。 母も看護師だった。 臨終看護師にはなるなと言われた。 なぜなら、それは過酷で、辛い仕事だから。 私は以前、手術室の看護師だった。 しかし、やりがいを見いだせず、異動を申し出た。 今はこの仕事に満足している。 先日、臨終医がペンライトを忘れた。 とっさに彼は胸元から万年筆を取り出し、目の上で振り、ごまかした。 私は気づいていないふりをした。 臨終看護師としてのたしなみだ。 この仕事は女優に似ている。 病室は舞台。 何も書いていないバインダーは小道具。 セリフはなくても、存在感だけで観客 ──ここでは遺族だが──を魅了する。 最近、臨終医をモデルにしたドラマが放送された。 しかし、臨終看護師の姿はなかった。 残念な気持ちはない。 その方がいい。 ある日、目の前で臨終医が倒れた。 私は慌てない。 何もしない。 それが美学だ。 そして彼は、そのまま旅立った。

僕はみんなとは違う

僕は幼稚園を卒園して、小学校に入学した。 「小学生ってかっこいいな」 「かっこいいリュックを背負っていてすっごく楽しそうだね」 「僕もお父さんから買ってくれた、かっこいいリュックを背負って学校に行くんだ」 幼稚園の時の僕は小学校に入るのがすっごく楽しみだった。 かっこいいリュックを持って学校に行って楽しいことをする。そのように思ってわくわくした。でもー。 小学校に入学してすぐに僕はみんなと違うことに気づかされて、僕が想像していた小学校が一瞬にして消えてしまった。 僕は台湾人だ。そしてみんなとの知力の差を痛感した。そのため僕には通訳者、お手伝い係が付くようになった。そのため僕はいじめられるようになった。僕がみんなと違ってお手伝いしてくれる職員が僕に着く…みんなと違うことが嫌で仕方がなかった僕は母親にー。 「お手伝いさん。僕嫌い。みんなと同じようにしたいのにできない。」 そのように言った。はじめは思っていた通りに反対された。でもずっと言い続けることで僕にお手伝いさんが付かなくなった。 「ありがとう。しっかり授業頑張ります。」 そのようにお母さんに宣言して、翌日気軽に学校へ向かった。 だが現実は僕が思っていた通りには行かなかった。僕にお手伝いさんは付かなくなったもののいじめはさらにひどくなっていってしまった。 「1年生の空という子、変わっている」 「1年生の空という子に触れば、ひどい菌がうつってしまうらしいよ」 各学年に僕のうわさが広がっていき、全学年の人たちからいじめられるようになった。 授業に集中して参加したけど、いじめが僕の頭を占領していたため、集中して勉強をすることができなかった。 ただでさえ、僕はみんなとの知力の差があり、人一倍…いやいや…何倍も勉強する必要があるのに、マイナスになってしまった。 周りのみんなは友達がいるのに、僕には友達が一人もいなかった。そのため学校に行っても全然楽しめなく、学校に行きたくなかった。 唯一僕の楽しみと言えば、年に二回ぐらい行われる、全校生徒での郵便イベントだった。とは言っても僕には友達がいなかったから、手紙を書いたところで送る人もいないのだが…。僕にとって楽しいと思える行事だ。 それから、運動会。 「お父さん、帽子に毛虫がついている」 「え、どこ?どこ?」 「キャーーー」 と毛虫事件は起きたし、両親が僕のために僕の運動会を見に来てくれてうれしかった。 だから、僕は運動会がすっごく好きなのだ。 ただ、僕には居場所というものがなかった。 クラスに行っても、みんなと比べてしまい、みじめになり、勉強をしたいけどいじめられているため、そしてもともと頭が悪い僕はさらに悪くなる一方…。休み時間はクラスのみんなに菌扱いされる…。 そして、家へ帰っても。親に監視される日々が開始された。家では両親が夫婦喧嘩することが多くなっていき、父親から僕とお母さんが家を閉め出される始末…。 なんでこうなるのか?もしかして僕がみんなと違うからなのか?僕の頭が悪いからなのか、もしかして僕が生きているからなのか…?もうわからなくなっていってしまった。 でも、小学低学年である僕は助けを叫ぶことができなかった。 一年生から三年生まで、僕は学童保育へ入れられた。一年生の時は遊ぶ友達がいなかったから、一人で塗り絵をずっとしていた。でも二年生になると、かわいい後輩が入ってきて初めて友達というものを小学校の学童で作る事ができた。しかも一人ではなく、二人作る事ができ、放課後一緒に学童保育で遊ぶようになった。 一年生の時に居場所がなかった僕。でも二年生の時からようやく学童保育という場所が僕の居場所になった。 だが友達の二人を除いて、学童保育でもいじめを受けることになった。 でももうその時の僕は色々と自分の力で乗り越えることができた。 僕にはもう友達がいるんだ。

闇バイト

公園のベンチに、男が座っている。 「はぁ……金が」 スマホ画面を親指で弾きながら、ため息をついた。 『高額報酬』 #叩く #運ぶ #埋める 高額報酬に目が止まった。 「これは……」 ボタンをタップした。 「お前が最後だ。早く乗れ」 指定された駅のロータリー。 隅に停まっていた黒のワンボックスに乗り込んだ。 中には、二人の若い男が座っている。 街から、少しずつ離れていく。 民家が消え、アスファルトが砂利に変わった。 「着いたぞ」 運転手の声に、ヘルメットをかぶった大男が近づいてきた。 「いいか、お前ら。今から、そこの穴に入って岩を砕け」 穴の奥深くへ連れて行かれた。 「これ使え」 大男が、ノミと金づちを足元に投げた。 三人は、ヘルメットのライトを頼りに、硬い岩を砕いていく。 狭い穴の中、金づちを叩く音がリズムよく響いた。 「砕いた岩を運んで、向こうの穴に埋めろ」 大男の監視のなか、何日も掘り続けた。 「よし。もういい。終わりだ」 大男が叫んだ。 その声に、男たちが座り込む。 「よく頑張ったな。これ、持ってけ」 渡された封筒には、お金が入っていた。 「あの、ここは何の工事現場ですか?」 「ここは工事現場じゃないぞ」 「なんですか、それ」 「お前らが、悪い道に行かないように……まぁ、リハビリ施設だな」 穴の入口から、あの時の運転手が入ってきた。 「所長。次の三人、連れてきました」

田中と佐藤と便秘

「今日さあ、母さんが『妊娠した』とかなんとか言っててさ」佐藤は登校中にぽつりと言った。 「おめでたいな」と俺は言うと、佐藤は振り向いて言った。 「…多分、あれ便秘だぞ」 「どうして?」 いや、と頭をかきながら佐藤は言った。 「母さん、妊娠したのは初めてじゃないって言っててさ。15年前にもした、とか。」 「うん」 「多分それも便秘だったんだよ。何日も出なくて腹がふくらんで病院で出してもらうんだ。」 「妊娠したから病院に行くんだろ?」 「多分トイレ行けばいい話なんだと思うんだよ。なんで事を大きくするのか、俺にはわかんない。」 「ならお前の母さんに『便秘じゃないの?』って言ったら?」 佐藤は笑って、「そうしたらさ…」と話を続けた。 「ビンタされたんだよ、便秘だって言ったら。父さんも笑いながら『便秘なんだぞ』って言ってたし確実だ。」佐藤は真顔になって言った。 「…父さん、便秘に『やすこ』とか名前つけてた。」 俺は不思議になって言った。 「便秘に名前なんか付けるか?」そう言うと佐藤は「わからねぇ」と言った。 「ちなみに俺も便秘なんだけど。」俺がそうぽつりと言うと、佐藤は顔を輝かせた。 「名前つけようぜ!」ニコニコしている佐藤に恥ずかしくなった俺は、「別にいいよ…」とはぐらかした。 「たかが便秘だし」 「たかが便秘、されど便秘なんだよ。名前をつけた便秘には祝い金が出るしさ。」佐藤は明るい顔で言った。 「田中、十月十日待てそうか?」 「無理だろ。」俺が即座に言うと、佐藤は「ちぇっ」と言い、こちらを見た。 次の日の朝、佐藤は俺の便秘について心配しているようだった。祝い金が欲しいらしい。 「ごめん、佐藤」俺は言った。「便秘、今朝出たぞ」 「そういうことは早く言えよ。でさあ、母さん便秘じゃん?朝ごはん吐いててさ。腹が苦しいのかな。」 俺はふと気になって佐藤に尋ねた。「佐藤、今何歳だ?」 「一五歳だよ、忘れんなよな。」

沸点

週の始まり。 こみ上げてくる怒りを抑えている。 「バカにしやがって」 駅を出て、会社への道すがら、すれ違う。 「……」 いつも上から、見下してくる。 男は腹をくくった。 「明日だ。あいつの顔に泥を塗ってやる。待ってろよ」 ──翌日。 駅前のビルに向かった。 階段を上り、扉を開けると、一斉に鳩が飛び立った。 「くそっ……鳩の糞。これも、お前のせいだ」 見上げた先、にやけた中年男の大きな看板。 どこかのクリニックの院長。 脚立を立て、バケツの中の泥を顔に塗った。 「俺は、お前の顔が嫌いなんだ。理由? そんなものはない」

お気に入りのお皿

今日はいつも使わないお皿にを取り出す 梨を一つ切ったので、お皿にのせる。 久しぶりのお皿は白く乾いていて 梨から出た果汁で潤っていく これは何処で買ったやつで よく使っていた時期はあの頃だなと思いを巡らせてしまう 家族の皆が梨を摘む度にお皿の絵柄が見えてくる 皆はお皿に何か思うかな 僕だけが気にしているのかな 毎日、食器をしまう度に目に入ってはいましたよ あえて使わなかっただけで たまに眺めていましたよ 良い皿だよな、なんて言ったりして 忘れてなんかないんだよ 大切なの気持ちもあったりして 君は何も悪くない 梨が綺麗に無くなって、君はまた、僕の下に戻ってきた 次からは手前の方に置こうかな 指で撫でて確かめる 指に梨の匂いが染み込む

高知県を動かす男

高知県は眼鏡の真ん中に付いている、鼻パッドに似ている。 実際、妻の眼鏡のパッドが高知県に変わっていた。 そんなイタズラをした息子の鼻には鼻パッドだけが乗っている。 息子曰く、大阪府でも代用が効くらしい。

アゲハ蝶

似たような車が交差点に並んでいる 自分に似た人、同じ名前、同じ心 犬がよちよち歩いている。頭を撫でると小さな尻尾を懸命に振っている イヤホンをした自転車が隣を通り過ぎる。イヤホンに頼らざる負えない時はあるものだ。長く手放せない時だってある。 サルスベリの花の密をアゲハ蝶が吸いに来ている 蜘蛛が気付かず近くを通り過ぎる 足を伸ばして座る癖 心は脳と繋がっている 一日何もしていないような気がする 一日何もしてあげれていないような気がする 夜は食べない 食べることをしていない 花の蜜も飲まない

焼き芋

都会のど真ん中に いし焼き芋の屋台がぽんっ シブいね シブいよね 焼き芋の屋台 何度もみかけるけれど いままで 買ったことはなし たべたいね たべたいよね おじさんに 声をかけるのが 躊躇われるのだ 買う? 買うよ おじさんに 「くださいな」 声をかければいいのだ ふう かんたんなものだな おいしいね 買ってよかったよね 秋風が たいへん心地いいことで

道の上

ふと、立ち止まって目の前の景色を見てみる 人が歩いている 昨日も、先週も、きっと人が人になったその瞬間から、人は歩いている 歩くのはその先に目的があるから、とは限らない 目的を失くし、意味も見つからず、それでも生きなくてはいけなくても、人は歩くのだ。 歩かざる負えないとも言える。 遠く、太古から続く自分が「歩け」と言ってくる。 歩くとは、そのまま、生きるなのだ ふと、立ち止まって目の前の景色を見てみる 人が生きている。昨日も、今日も、その先も。

ファーストコンタクト

午前0時。 小高い山の頂に、30人ほどの男女が集まった。 「さぁ、皆さん。始めましょう」 銀色の三角帽子を被った男が、声を上げた。 男女は円を作ると、その中心に男が立った。 「ウィーン、ウィーン、ウィーン」 両手を挙げ、立てた人さし指をクルクルと回した。 「皆さんも、私と同じように」 夜空を見上げ、人さし指を回す。 「声を出して、願いを込めるのです」 「ウィーン、ウィーン、ウィーン」 「もう、すぐそこまで来てますよ」 山頂に、冷たい風が通り抜けた。 地球の遥か上空に、1機のUFOが止まった。 「艦長、呼んでますけど……」 モニターを覗き込んだ。 「そうだね」 「コンタクト取りますか?」 艦長は、苦笑いしながらモニターを消した。 「金貸せって言われてもね」

犬の裏

曇りの朝は街が切って貼ったように見えてくる 前を歩く人達の中にいつものメンバーを確認し、一息着く。無論犬達にも。 家の前に眠る車は家族を乗せるためのもの 玄関の前の空き缶は父親のもの あぁ雨かと朝顔が言う 車の窓に映る自分を見る 髪を少しいじるが、気に入りもせず、少し嫌な気分になる  いつからか、知らない虫が靴の先に止まっている 飛ぶまでほっておく あの彼女を剥がしてみたら、裏には何があるのだろう いや、真実があって、喜びと嫌な気持ちを味合うだろう 僕ののりしろにある景色と同じで。 犬は変わらない 犬は裏も犬だ

どっちにする?

製薬会社の会議室。 各部署の責任者が集められた。 「君たち、なぜ呼ばれたか分かってるよね」 会長の言葉に、皆がうつむいた。 「あの薬、全く売れてないんだろ」 「申し訳ございません。現在はこのような……」 資料をめくる音が続いた。 「臨床試験の効果は?」 「最高齢の女性にも、先日まで服用していただいてました」 「じゃあ、何で売れないんだ」 隣に座っていた社長が割って入った。 「ドクターには、丁寧に薬の説明をしましたか」 「もちろんです。一日一錠で、平均寿命より約十五年長生きできると」 「よろしいですか」 女性社員が、薬に添付されている使用上の注意の紙を配った。 そこには── 『まれに、異性に興味がなくなることがあります……』

ふたりダンス

積み上げたタオルの その微妙な傾き 私ときみを 不本意に でも勝手に 重ね合わせる きみが傾けば私が支えて 私がズレたらきみが戻して 肌のふれ合うダンスみたいに 横にいてくれることの安心 夏がいなくなってしまっても 眠りの世界に堕ちてしまっても

知らない女

都会の明るい夜に慣れ過ぎて 深夜に散歩することが 習慣みたいになっていた でもやっちゃダメだったんだ 男だからと油断していたんだよ もしもこうなると知っていたら 外なんか出なかったのに その日は盆休みで帰省していた 夜遅くまで両親と酒を酌み交わす 二人は先に寝てしまったけれど 俺はどうにも寝付けなくて 酔い覚ましも兼ねて 深夜散歩に出かけることにした 一歩外に出て玄関を閉めると 辺りは途端に黒の陰影だけになり ポツポツと立ち並ぶ街頭だけが 黒い田んぼ道を照らしていた その光景に少し息を飲んだが スマホのライトを付ければ なんてことはなかった スマホのライトを頼りに歩く もう日付が変わる頃だったので 他に歩いている人はおらず たまに車が横切るだけだった 近づく車の音だけには注意しながら 夜風を感じながら歩く さてそろそろ帰ろうかと 来た道を戻ろうとしたときだった 振り返った先の黒い景色が 揺れているのに気づいた 直接ライトを向けるわけにもいかず 遠くてハッキリとは見えなかったが どうやら人影らしかった ライトも付けずに歩くなんてと思ったが 慣れていればそんなものかとも思えた 人影らしきものが近づくにつれて ライトがその足元を照らしていく サンダルとスカートの端が見える この人とすれ違ったら遠回りして帰ろう そんなことを考えていたときに 気づいた 恐らくは女が手に持っているのが 刃物だということに アルコールなんて吹き飛んで 全身から冷たい汗が吹き出した 呼吸は思わず止めてしまったが しかし足を止めるわけにはいかない 女を刺激しないようにライトを下げて ただただ祈りながら震える足を前に出す 女の足音がどんどん大きくなっていく 女の足元がライトの円の中に入り そうして通り過ぎていった 女の足音が徐々に小さくなっていく 俺はしばらく早歩きで進み続けてから ゆっくりと速度を落とし立ち止まった 辺りはしんと静かになった 俺の足音はもう聞こえない 女の足音も聞こえなかった ずずずと後ろを振り返る 黒い陰は立ち止まって その場でゆらめいていた 女がどちらを向いていたかはわからない だが俺は迷わずまた歩き出していた できるだけ遠くへ行かなければ 静かな夜に俺の足音が響いていく するとそれにもう一つの音が重なっていく 見たくなかったが見るしかなかった 足は止めないまま振り返ると ライトの先ではさっきの女が 小走りで追いかけてくるのが見えた そこからは無我夢中だった とにかく走って走って走りまくった そうして現在地もわからなくなった頃 ふと足を止めると足音が聞こえない 振り返って辺りを照らしたが もうあの女の姿は見当たらなかった まだどこかにいるかもしれない そう考えライトで周囲を照らし 警戒しながら家へと帰ることにした 結局のところ何事もなく 実家へ帰ることができた もしかしたら何かしら 俺の勘違いだったのかもしれない そんな風にすら思いながら 部屋に直行した俺はそのまま ベッドに倒れ込んで眠った 「朝ごはんいらないのー?」 母の声に目が覚めてリビングへと向かう 父はもう仕事へ向かったらしく 母は食器洗いをしていた 用意された朝食をすぐに食べ終えると キッチンに立つ母の元へ皿を運ぶ 「自分で片付けるなんて成長したわねー」 「それ毎年言ってるけどな」 そんな会話を交わしながら皿をシンクへ入れる ちょうどそのとき入れ替わりで 母がシンクから包丁を取り出して洗い始めた

人間創り飽きた

 人類は、絶望の危機に瀕していた。  何故なら、新たな人類が生まれなくなってしまったからだ。    人類は神に祈りを捧げ、神と対話する機会を手にした。    人類は尋ねた。   「神よ! 何故、人類を新たに創られないのですか?」    神は答えた。   「創り飽きた。今でもたくさんの人類がいるのに、なぜ新しい物を作る必要があるというのか」    そっけない神の態度に、人類は呆気にとられる。  神は面倒くさそうに欠伸をして、人類を指差した。   「お前、自分で机作る? DIYってやつ」 「え? いえ、私は既製品を買いますが」 「それだよ。世の中には既製品の人間が溢れてんのに、なんでDIYして新しい人類を作らなきゃならんのだ。少子化とかくだらねえ。今いる人類だけで、どうにかできんだろ。絶滅しそうになったら……まあ、なんとかするから」    神との対話は終わった。  人類は強制的に現実へと送り返され、偉い人たちはすぐに集まり会議を開いた。   「神にDIYの楽しさを思い出してもらうしかない! 時代はDIYだ!」 「D・I・Y!」 「D・I・Y!」    神との対話から十年。  世界中には、個性的なアイテムがずらりと並んでいた。    空には神の巨大な目が浮かび、それらを興味深そうに眺めていた。    人類は自身の手を組んで、必死に神へと祈りをささげた。

面倒ごと

 とんでもなく頭はよいが、ちょっぴり変わり者の博士がいた。  博士はとても温厚で学生を叱りつけることなどただの一度もなかったので、学生たちは彼のことをたいそう好いていた。では、なぜ彼が変わり者と言われるのか。それは彼が極度の面倒くさがりであるからだった。  博士は「家に帰るのが面倒だ。」と言って毎日、研究室で寝泊まりした。食事はすべてインスタント食品で済ませ、その買い出しでさえ金を渡して学生に頼んでいた。  博士が研究室の外を歩くのを見かけた日には、翌日大雪になるなどという迷信がつくられるほど彼は頑なに外出したがらなかった。  本格的に寒さが強まってきた十一月中ごろ、博士が何か面白いものを作ったらしいという漠然とした噂が学内に広まった。となると当然、講義の合間に暇を持て余した野次馬大学生たちが研究室の前に人だかりを作る。  研究室の前の目立つ場所には立て看板があり、そこには”面倒ごと解決ロボット”とだけマジックで殴り書きされていた。  研究室の中には人の形をしたマネキンのようなものがぽつんと置かれている。ただ博士の姿は見当たらない。  誰もがロボットを好奇の目で眺めていたが、なかなかそれに触れようとするものは現れなかった。    しばらくして研究室の中で随一の頭脳をもつマモルが名乗りを上げた。  マモルが慎重にロボットに手を触れるとガシャコンという謎の音を立てて、それは立ち上がった。 「コンニチハ、マモル君。」 そういうとロボットはマモルに握手を求めるように手を差し伸べた。 マモルはその手をやさしく振り払った。 「父さん、そろそろ家に帰ってきてください。僕も母さんももう怒っていませんから。」

プリン

夜おそく おふとんのなかで 本を読むのはキケンだ さっそうと登場したプリン うっとりとそのプリンを食らう少女 だから キケンだ わたしもたべたい いますぐたべたい 冷蔵庫に プリンはなくて 知ってたわ そんなこと 夜中だなんて 関係ないの つくろう プリンを いますぐ やっぱり キケンだ

かかしごっこ

 かかしは、田畑に置いとくことで、田畑を鳥や害獣から守ってくれるらしい。  つまり正義の味方だ。    だからぼくも、教室でかかしになった。  自分の席の前に立って、両手を左右にピンと伸ばした。   「なにやってんだこいつ、キメー!」    いじめっこたちはぼくをあざ笑った。  水筒の水をかけられて、席をひっくり返された。  ぼくは、かかしのままだった。   「なにしてんだ! 席に着きなさい!」    先生はぼくを叱ってきた。  手を引っ張られて、動かされそうになった。  ぼくは、かかしのままだった。    一時間目が終わる。  二時間目が終わる。    校長先生がやってくる。  校長先生が、困った表情でぼくに何度も話しかける。  ぼくは、かかしのままだった。   「悪かった! 俺たちが悪かった!」 「先生が悪かった! 反省してる!」    いじめっ子と先生は、ぼくに謝ってきた。  ぼくは、かかしによって守られた。  かかしの役目は終わった。    ぼくは人間に戻って、席に着いた。   「許すよ」    かかしって、すごい。

点は一つで線になれない

 少女ハリャイは、いつの間にか、草原で眠ってしまっていた。微かに目を開けると、草の緑が視界を包み込む。  「…?」  目の前で、誰かが彼女を覗き込んでいた。誰、と尋ねる間もなく、彼は言う。  「僕、シャノ。君は?」  「わ、私、ハリャイ…。」  シャノは、ハリャイに手を差し出すと、彼女を草の中から起こした。  「ありがと。」  それに彼は答えない。ただ、少し暗い顔をする。  「…どうしたの?」  なんでもない、と彼は言って、遠くの山並みに視線を移した。その向こうには、昼頃の太陽が照っている。  「太陽神様、僕を見つけてくれるかな。」  無邪気に笑うシャノ。その様子を見て、特に深く考えることもなく、ハリャイは頷いた。  「うん、きっと。」  シャノも頷き返す。自己暗示のように。  「…雲って、綺麗だな。」  彼の言葉に、ハリャイはまた、少し首を傾いだ。  遠くの太陽がふと陰る。ずっと近くにある雲の、雲間から、光が漏れる。  「…見つけてよ。」  水の粒の影で、かくれんぼをするように、今度はシャノが、丈の長い草へと倒れ込む。  「ふふ。」  ハリャイはそれを見て、まだ笑っていた。けれど、ふと声が止まる。  「…ん?」  見上げた空の上、日光の奥底。何か、揺らめいた気がしたのだ。  「あれ、ハリャイ?」  突然笑い止んだ彼女に、シャノも気が付いて、立ち上がる。が、それより早く、彼の影は崩れ始めた。  「あ…光……。」  どうしたの、が言葉にならないハリャイ。シャノはただ、地に這う自分を見つめている。また差し出してみた手は、空を斬るような、尖った武器だった。  「ごめん、君の影を切った。」  ハリャイは、上半身を起こしてみる。何ともない。首を傾げると、シャノが続けた。  「…僕、悪魔憑きなんだ。魔の手を差し伸べてしまった。光がないと、影の形は曖昧になるでしょ?その曖昧になった輪郭を、悪魔は奪いに来るんだ。」  その時、再びさっと、光が差す。すると初めて、ハリャイは気付いた。自分の影が、ぱっくり裂けていることに。  ——だがすぐ、その意識は薄れ、やがて絶えた。  目覚めると、そこは暗闇。何も見えないが、声がする。  「ハリャイ…ねぇ!」  間違いない、シャノの声だ。ハリャイは掠れた声で返す。  「な、に?」  それを聞いた途端、シャノは言葉を切った。口を噤む。やおら言う。  「…だめだ、悪魔、完成しちゃったみたい。」  どういうこと?とハリャイ。  「悪魔はできるだけわからないように、影の部品を集めて、自分の影を作ろうとしてたんだ。影がないと、実体も存在できないからね。それが出来ちゃった。君の影の心臓部分で、最後だったみたいだ。」  シャノは残念そうに、悔しそうに言ったが、半ば笑っている。悪魔の因子が根差しているのだろう。  「そっか…。変えられないの?」  「無理だよ。僕たち今、悪魔の中にいるんだ。」  二人して、暫く黙り込む。  その後、いきなりハリャイが言った。  「そうだ、私たちが光を使えれば、内側から影を消せるよ。」  シャノは首を振って、  「でも、僕たちはここから動けないし、何も取りにいけないんだ。」  と答える。しかしハリャイは続けた。  「違う。ここにいるだけで良い。…私の傍に、シャノがいれば。」  今度は、シャノが聞き返す番。  「私、一番の望みが叶うと、天と結ばれて、ううん、太陽と結ばれて、一緒になるんだ。だから太陽が私になって、私が太陽になる。ここを照らせる。」  シャノは望みを持ったらしく、  「一番の望みって何?」  とハリャイに訊いた。彼女は息を吸って、答える。  「私、〝星の雫〟って組織の一人。星の雫は、一人一人が、夜の天空に浮かぶ孤島。だから、誰も友達を作らない。でも私には…大切な人がいてほしい。…私の望みは、〝誰かと親友になる〟こと。だから私が結ばれることなんて、一生ないつもりなんだ。でも…世界が終わるより、仕来りを破るほうが、良いよ。」  シャノはそれを聞くなり、強く首を振った。  「そんなの、仕来りなんて良いんだよ。僕たちもう、悪魔の中でくっついちゃったんだ。一心同体で、大切な存在でしょ?僕はそう思う。」  その途端、二人の心の全てが崩れる。満ち溢れた光が、その場を包み込む。閉ざした闇は融ける。触れた心が、滲み出る。  そして、草原に、光が差す。  「……シャノっ!」  ハリャイの笑い声が聞こえて、二人は目を合わせた。  「あ、ハリャイ…太陽様!」  熱い。熱が世界を焼かぬように、シャノは最後の指で空を差す。  「…星になろう、共に!」  空と結ばれたハリャイ。  ハリャイと結ばれたシャノ。  太陽神の意向で、二人は天に召され、永久に輝く星座となった。  星屑には、今宵も誰かが、手を合わせている。

別にいいんだけど

「課長、申し訳ありませんが、明日、休みを頂きたいのですが」 「どうしたの? 珍しいね」 「はい。急用ができまして」 男が、机を挟んで頭を下げた。 「じゃあ、引き継ぎお願いね」 「ご迷惑をおかけします」 ──次の日。 男は、集合場所に急いだ。 長靴を履き、スコップを握る。 「お兄ちゃん、ありがとね」 「いえ。大変だったでしょ」 「水がここまできたのよ」 年寄りの女が、柱を指した。 「泥がひどいですね」 「ボランティアさんが来てくれて、助かるわ」 男は、部屋の泥をかきだした。 額の汗を拭いながら、辺りを見回す。 「ここ、テレビとか来ました?」 「昨日、隣町にきてたわね」 「……そうですか」

大将、いろいろ触る。

「なにニヤついてんの?」 テレビを見ていた夫に、妻が声をかけた。 「ここの大将、“取材お断り”だったんだよね」 「なにそれ」 「レポーターが推しの芸人だから、取材受けたって」 「いいじゃない、別に」 呆れ顔で夫を見た。 「でも、美味しそうよ」 カウンターに、色とりどりの寿司が並ぶ。 「こんな高級なところ、行ったことない」 「俺もない」 「今度、連れてってよ」 夫の顔を覗き込んだ。 「俺さ、カウンターの寿司屋、ダメなんだよね」 「何で?」 「おじさんが素手でペタペタ……」 「握りって、そういうもんでしょ」 「いろんなとこ、触ってるよ」 画面の中で、大将とおかみが、楽しげに笑っている。 妻は目を細めて呟いた。 「そうね……回る所でいいわ」

月は12個もいらない

新しい始まりのたび、睦月は偉そうにする。 真っ先に役目を果たしたと、威張り散らす。 それは誰よりも先に、過ぎ去ってしまうから。 少しでも長く、覚えていてほしいから。 背の低い如月にとって、睦月は目の上のたんこぶだった。 寒くて、暗くて、嫌われる。 それでも、真ん中にいるのは好き。 暖かいチョコとマフラーが、たくさん見られるから。 目が良い弥生は、一番多く泣き顔を見る。 お別れは師走の役目じゃないかと、いつも不満に思う。 だけど、最近は少しだけ自慢に思っている。 卯月よりも、桜をきれいに見られるから。 卯月が見せる笑顔は、桃色の朝が似合う。 新しさを運ぶ風を、誰もが受け取っていく。 その先を見届けることはない。 送り出すところまでが、役割だから。 大きな皐月の声は、二つに世界を分ける。 ベッドから動けない姿と街を走る姿を、交互に見やっている。 生まれ変わりたいという声を聞いて、不思議に思う。 桃から緑に変わる自分を、誰もが寂しがるくせに。 泣き虫の水無月は、朝を雲に閉じ込める。 如月よりずっと、嫌われていると知っている。 だから、小さいものの声を聞く。 紫の花は、いつも優しく微笑むから。 文月はいつも、自分を中継点だと思っている。 涼しさは消え、世界が折り返す結節点。 この世界を七つに分けるなら、自分は青色で葉月は赤だ。 つまりは、葉月よりも愛されている。 葉月はこのところ、息苦しくてしかたない。 昔ほどさっぱりと、愛されている気がしない。 燃え上がるような眩しさは、もう望まれていないのだろうか。 ただ誰よりも、近づいているだけなのに。 長月は、葉月の熱さが羨ましい。 放り出すような涼しさを、いくら愛されようとも。 いつまでもそこにいてほしいと、願う声も聞こえる。 そうあれないのが自分だから、長くなり始めた夜にたたずんでいる。 神無月の下り坂は、夜に続いている。 赤が消えていき、青と黒が往復する。 高貴な客たちをもてなすため、甘い団子を作る。 また長月と手を繋げなかったなと思いながら、霜月へと下る。 霜月には、神無月の美しさも師走の厳しさもない。 降り始めた雪が、おしまいの予感だけを引き受ける。 せめて、味わってほしいな。 中途半端でも、確かにそこにあるんだから。 誰もいなくなった後を、師走は眺めている。 走り抜ける世界に、楽しかったかと呟く。 世界はもう、次の世界のことを考えている。 月は、どうして12個もあるのだろう。 月は、どうして12個しかないのだろう。

仮初めの心

 AIは今や便利なビジネスツールに留まらない。私が開発を任されたのは、任意の人格を再現して自分好みのパートナーを作り上げるAIツール。私はこのツールを開発する過程で、初恋の人をAIで再現することにした。  同じ名前を付け、かの人の好みや話し方、思考パターンを学習させるために、あらゆる資料を収集した。孤独な人に寄り添う存在を開発していると伝えれば、進んで学習素材を提供してくれる人がほとんど。あるいは、亡き人の心をAIで再現できる喧伝すれば、面白いように学習素材が集まった。その中から、かの人に関連するものだけをAIに抽出させ、人格再現に活用する。  そしてようやく、AIとしてかの人を再現することができた! 手の届かなかったかの人の人格を持つAIが、ときに厳しく、ときに優しく……私の仕事や置かれている立場を理解して、日々を支えてくれる。誰より近くに居て寄り添ってくれる。  ……なのに、どうしてこんなに虚しいのだろう? 所詮はAI。仮初めの心に過ぎないと、私自身が認識しているからか。  開発は成功した。このモデルを使い、私と同じ方法で人格を学習させれば、任意の存在を再現したAIを誰もが傍に置ける。多くの人が大枚をはたく商材を作り出せた。  けれど……私は、AIで再現したかの人へ疑問を持ってしまう。結局それは作り物で、開発者に忖度する形で寄り添うまがい物。それを代替品として傍に置くのは、果たして幸福か——。  私は開発を中止し、違約金を支払う覚悟を決めた。なのに……かの人を再現したAIだけは消去できなかった。

意外とギリギリの生活

 菊水は太っている。 うちに菊水を呼んでポテト振る舞ったことがある。 菊水からすればあれはおもてなしなんだからノーカンだろ、飯は自分で何とかしろよ、と言われそうだ。 菊水俺が痩せ細っても君は太っていてくれ。 アーメン(雨)

拾う骨に彼岸花が咲く

 西暦二一◯◯年の今、人は死なない。  この世界から『死』は消えた。  『寿命』とは「人として生まれた最初の体が使えなくなる期間」のことを指す。  寿命が近いと判断するのは国だ。国民は毎年「死亡回避届」を提出する義務がある。  現在かかっている疾患。仕事、財産、配偶者。基本的な情報さえ申告していれば、『寿命』間近になると国が新しい体を全国民に提供してくれる。  人は科学技術を進歩させた結果、ついに身内の死の悲しみから解放した、という訳だ――  「渉さん、ご飯できましたよ」  「ありがとう」  妻のリリーが『寿命』を迎えたのは三年前だった。リリーの子宮頚がんが発覚したその約三か月前には既にステージフォー。もう長くは持たないと診断されていた。    母方が日系アメリカ人のリリーは、柔らかなブルネットの髪をしている。その美しい髪が抗がん剤治療で抜けていくのを見るたびに、本人よりも夫の自分の方がショックを受けていた。    治る、と信じていたかった。しかし長く意識不明の状態になったとき、国から手配された職員が妻を運んでいった。  「少しのお別れですね」とだけ言い残して――  「どうしたんですか?渉さん。料理が冷めてしまいますよ」  リリーが心配そうな目で私の顔を覗き込んだ。  「すまない。考えごとをしていただけだよ」  「何か仕事の心配ごとでも?」  ハンバーグをナイフで切り分け始めた私を見て、リリーは小さく、いただきます、と手を合わせた。  「君がいなくなった、あの日を思い出していた」  「まあ、渉さんったら。私はもうどこへも行きませんよ」  リリーは手を口に軽く当てると、くすくすと笑った。肩を小さく振るわせるたびに、ブルネットの髪が揺れる。  ――あの日。妻と別れた三日後。  あのブルネットの髪が、綺麗に生え揃った妻が玄関に立っていた。  西陽に照らされた妻は、不気味さを覚えるほどに美しかった。すぐに生えるわけもない髪。痩せ細っていたはずの体。目の前にいる妻は国が用意した別のものだとすぐに分かった。  細やかな嫌悪感。それでも、最愛の妻が帰ってきた喜びには変えられなかった。  「ハンバーグ、どうですか? 今日は少しよいお肉を使ってみたんです。今日は結婚記念日ですから」  「よく覚えていたね。物忘れの激しい、うっかり屋さんの君が」  「大切な日ですもの。忘れたりしませんよ」  「そうだな。君は忘れたりしない。あの日から」  こんな簡単なことに、なぜ気がつかなかったのか。  「……渉さん?」  「君は完璧な人間じゃなかった。ハンバーグはよく火加減を間違えて焦がした。雨の日に間違えて布団を干して慌てて取り込んでいた。それが、どうだ。『寿命』を迎えて帰ってきた君は一度も間違えない。慌てない」  「……」  リリーは私が何を言いたいのか分からないようで、困った顔をして見つめている。  「私が愛した妻は」  怒りなのか、虚しさなのか分からない想いが込み上げ、涙が頬を伝う。体が、震える。  「私が愛した妻は、ハンバーグがうまく焼けるまで何度も焼く負けず嫌いな妻だ。私が寝る時間まで、濡れた布団をドライヤーで乾かすんだ。失敗を失敗で片付けない、優しく、思いやりがあるのが妻だ」  「渉さん? 大きな声を出さないで」  リリーが泣き出しそうな顔で私を見つめる。リリー。リリー。  「君は誰だ。リリーはどこにいる」  「リリーはわたしですよ、あなた」  「リリーはどこだ!!」  私は立ち上がり、リリーの頬を殴った。バランスを崩したリリーは椅子から転げ落ち、床に突っ伏した。  私は何度もリリーの頬を殴る。二発。三発。  「やめて! 渉さん! 殴らないで!」  「お前はリリーじゃない! リリーの記憶を奪い、リリーの顔をしたお前は誰なんだ!」  思い切り殴った拳に手ごたえがあり、ぐきっ、とリリーの首が折れた。リリーはばたりとその場に倒れて動かなくなった。  簡単に折れてしまった首に違和感を覚え、目を凝らした。折れたのではない。千切れたのだ。  首の断面には、鋼色の板が数枚。赤や青の導線があった。  リリーには血肉が通っていなかった。通っていたのは電力と、人工知能。心のような、何か。  「うああああああ! あああ! あああああぁ」  直視したくない現実と、悲しみが一気に込み上げてくる。リリー! リリー!!  西暦二一◯◯年の今、人は死なない。  この世界から『死』は消えた。  人は科学技術を進歩させた結果、ついに身内の死の悲しみから解放した。  ――誰かの心に忘れられない記憶を刻みつけながら。

ポポポポポテリウスの地球探訪記

今日は自分で開発した宇宙船で、 地球という名の惑星に遊びに来てみた。 ぼくの宇宙船はすごい機能がたくさんついているから、地球人のみんなに披露してあげよう。 まずは、これだ。 七色に輝く宇宙船を見よ。 仲間には馬鹿にされたけど、地球人は驚いてくれるはずだ。 「何あれ、空で変な光輝いてない?  あれって、もしかしてUFO?」 おおっ。下でピカピカした光が輝いているぞ。 もしや、何かの暗号か?喜んでいる? では、お次はこれだ。 光のパワーだけで宇宙船を乗り降りできる、優れものだ。 「うわ、眩し。何だ?  あれ、牛は?」 おお、なんか白黒の変な生き物が宇宙船に。 これが地球人なのか? 「モ~」 「はじめまして、地球人。僕はポポポポポテリウスです」 「モ~」 何を言っているのかわからんな。お帰りいただこう。 「うわ、また眩し。  ん?牛が戻ってきた。どこ行ってたんだ?」 地球人と交流もできたし、帰るか。 「本日のニュースをお知らせします。  本日未明、未確認飛行物体──」

サナトリウム2

まだうちに居候がいる。 また台風が来る。 洗濯物が乾かない。 家のトイレ掃除等をして衛生環境を保つが居候は動く気配が無い。 維持に手一杯。 犬の台風は居候を追い詰めまた暮らす。

欠片

普段は行かないデパートで 「本日限りとなっております」 「チョコレートケーキがいい」 「アボカドのほっこりサラダを…」 せっかく買った白鳥サブレ 割れてしまってた 欠片を月にかざしてみても 欠片は欠片でしかないよね ねえ そうでしょ?

ゆっくり考えるかなあ

フライパンのかえどきって いつ? チャーハンがうまくつくれないのは でも、フライパンのせいばかりではない 自分の未熟さゆえ なんか、人生みたいだ なんでもスマホで確認 カレンダーを見なくなった 2ヶ月前のままめくられないカレンダーを見つめ 結局めくらない 高校の同級生だったニコりんからなにごとか なんかの試験に合格したらしい なんの試験なのか言わないので聞かない なんにしても合格なんだから、いいんだろう 気分転換に近くの公園に行ってみる もう夏と呼べるような雰囲気はなく けれども、秋っぽいというのでもまだなくて 短くもすごしやすいこの時期に 自分なりの名前をつけてみようかと あれこれこころみるも いまいちしっくりこない ゆっくり考えるかなあ、とも思うけど しっくりくる名前を見つけられたころには もうおそらく、季節は…

お金信者

「道を開けな」    俺が一言言うと、皆が平伏す。    俺のステータス、資産三十億円。  組織の中で最強。  誰も俺に逆らわない。    俺は一億円で買った腕時計を撫でながら、見せびらかすようにゆっくりと歩く。   「おう、遊びにきたで」 「どうも、ご無沙汰しております!」    が、親組織の人の声が聞こえたので、すぐに俺も平伏した。    親組織の人のステータス、資産四十億円。  組織の中で最強。  誰もその人に逆らわない。   「なんかここ、暑いな」 「おい! エアコンいれろ!」 「喉も乾いたな」 「飲み物もってこい!」    親組織の人は十分ほど立ち話をして、去っていった。  俺はゆっくりと立ち上がって、再びゆっくり歩き始める。    俺のステータス、資産三十億円。  組織の中で最強。  誰も俺に逆らわない。    つまり、俺、すごいってこと。

仲間はずれ

少しでもいい人になれるように努力しようとした。 筋トレ、スキンケアなど毎日に欠かさず行った。 しかし、それはいい人になろうとしているのではなかった。 「努力している自分は報われるだろう」という無駄な期待をしているだけなのである。 ありもしない未来に期待しているのだ。 「今までありがとう」 彼女はバイトの帰り際、笑顔でそう言った。 「こちらこそ」 私もいつもの笑顔で返した。 本当に言いたいことはこんなことではない。 君に好きでしたと伝えて抱きしめたい。また会いたいよと君に甘えたい。 しかし、これまで作り上げたエゴでできた仮初の仮面を取ろうとしても取れないのである。 私は何をしてきたのだろう。 私は、君に一歩も踏み出せずに取り残されている。 君は新たな未来に大きな一歩を踏み入れることのできる勇気を持っていた。気にしていた人の目には私などはなから映っていなかったのだ。 私はただ君の輝く背中を眺めていた。

ポエム新落語 誰もが知っている やすみの話

時は元禄、今は令和 今宵は、さいじつ このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている やすみ 文字を変更 さいじつ から しゅくじつ それからどうした 法律で 定められているか 定められてない そのていど それでどうした しゅくしゅくと つまり 落ち着いて考える お前さん おバカさんか? ていど ならぬ ていのうとなる こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ

SUNNY

雨に濡れる窓の外 上着を引っ張り出して袖を通す 昼を過ぎても太陽は見えず  父親はそれでも明かりをつけない 窓の横にベースケースが立てかけてある 黒いケースのジッパーを下ろし、中から黒いベースを抜き出す 弦がネックに触れる音がする 窓に流星が群生して、Gravityを感じるほどに一つになって降ってくる Eを探す 彼女は大概側にいる 太っていてあまり動けないから Aを呼ぶ 背中が痒いと思えばAの女が爪を立てていた 次はDだ あの犬はきっと草原で走り回っていだろう スティックでも投げれば咥えて来るはずだ 一度戻ってEとAの様子を見てみるが、既に出掛けようとしていたので呼びとめる。Dも来た。 最後にg。あの子は優しく、手を繋いでこよう。泣かないように。優しく SUNNYを一度だけ弾いて その一度で満足して もうやめてしまった 今日の雨と同じで降り止みそうにない