「すごいわね。また百点よ」 返ってきたテスト用紙に、もう感動することはなくなった。 なにせ、テストは百点までしかない。 どれだけ速く解こうが、どれだけ丁寧な字で解こうが、百点なのだ。 「百点なので、今回のお小遣いは一万円でーす」 だから、もうお小遣いが上がることはない。 取れて当たり前の百点。 絶対にとれない百一点。 もはや今、勉強を頑張ろうなんてモチベーションはなくなった。 「うちの子、昔は神童って呼ばれてたんですよ」 子供の頃のことを、両親は今でも懐かしそうに話す。 百点満点だった神童は、点数上限のない世界に放り出された瞬間、ただの凡人へと成り下がった。 テレビに映る、輝かしい経歴の持ち主たちを見るたび思う。 彼らはどうやって、百一点をとってきたのか。 彼らはどうやって、百一点をとる方法を見つけたのか。 もはや、考えても意味のないことなのだが。 一度きりの人生で、百一点をとるタイミングを、とっくに見逃してしまったのだから。
また食べすぎた。 今度は焼き八つ橋だ。 頭ん中お猿さん。 満腹中枢が壊れる前に摂生しないと。 自己分析するとウンウン言って苦しむのが好きでやってるのかもしれない。 マゾだ。 いや、馬鹿だ。 マゾで馬鹿だ。 カラオケにいた痘痕のある女の子はタフそうだ。 意外と自己管理が出来ているのかもしれない。 小人症の男の人は自信がありそうだ。 自分が好きなのが羨ましい。 僕も自愛しないと。 珈琲を飲んで寝るという矛盾。 石油を飲んでいたブルース・リーにはなれない。 超人というのはどういう過程を通ったらなれるのだろう? キン肉マンは弱い。 僕は悪魔超人なのに弱い。 あるいはジェロニモかもしれない。 人間なのに悪魔超人を倒した奴。 テロリストの道を脱し超人ルートへ。 植物人間になって夢を見る夢を見る。 夢の集積回路。 アカシックレコード。 何かしら影響を与えている。 実験は続くが成果はいまいちだ。 なにもしない実験。 周りが勝手に動く。 意志が融和していく。 弱い生き物の会話兵器。 実はそれは強いのかもしれない。
ただ一瞬、風が吹いた。 その暖かな空気に流されるまま、君の髪は遠く靡く。 良い頼り、とは誰が言ったか。 花はいつか枯れて落ちてしまっても、花言葉は永遠に残り続ける。 「綺麗だね」 と君は言った。 色とりどりに咲き乱れるそのさなか、その色に溺れるように君は、目を閉じた。
生まれてこのかた良い眠り方を知らない。 上手い眠り方を知らないのだ。 2時間前に風呂に入りスマホを避けたりなどを試してみたが、 どうにも上手くいかない。 眠れないのだ。日が昇る。新聞配達の足音がする。どうやらまた夜が明けてしまったようだ。 朝の支度をする。窓を開け、珈琲を飲むために湯を沸かす。今日も一日が始まる
日曜日の早朝から起きているせいで、時計を見ては、まだこんな時間なのかと驚く。 明日、学校で歴史のテストがあるので、その予習を朝していた。 僕の癖でテストの予習は朝早く起きてする。色々試したがこのやり方が一番自分にあっている。17歳にして、朝早く公園で体操するお爺ちゃん達の気持ちが分かる気がしている。活動するなら朝が一番いい 勉強は一時間くらいで終わったので、一階に降りてみると、まだ母は帰っていなかった。 彼女の仕事は女優業で、言いにくいがアダルトな女優だ。若くから活躍していて、僕は母が体を削って稼いだお金で生活をしている。 他人がどう思うか知らないが、僕は母を尊敬している。 撮影が深夜になることも多く、時間が不規則なので朝帰りなどよくある事なのだ。昔からだそうだし、僕は小さい頃から一人で留守番している。一緒に留守番をする仲間もいたので淋しくはなかった。 留守番仲間兼、愛犬のココが既に起きていてご飯をくれと僕を急き立てる。 短い足を使い、ぴょんぴょんと跳ねて必死で僕の顔を見ながらワンワン言っている 彼女の言うことは大体分かる。 「ご飯をくれ」と「ママが帰ってきた」くらいしか言わない。 「一緒に留守番した仲じゃないか」とも言っているかもしれない ココにドッグフードを与え、ココ用の水を交換する。 昨晩作ったカレーが残っているので温めていると、ココが玄関に猛ダッシュで龍の様に走っていき、くるくると回りながら吠えている。 ガチャリと鍵の開く音がして母が顔を出す。「ただいま」 母はカレーを喜んで、おかわりまでして食べていた。彼女はお風呂に入った後そのまま寝室へ行ってしまった。きっと夜まで起きない。 ココは一仕事終えカーテンの下で寝ている。ビニールの音がすると跳ね起きて音の方を見るが、オヤツでないと分かると、また直ぐに寝てしまう。時計を見ると、まだ十時である。
中環沿いの道を歩いていると、巨大な支柱が何本か連なって聳え立っているのが見えた。聞けば近年に、モノレールが開通するらしい。僕は爬虫類が好きってわけでもないし、電車に興味があるわけでもない。ただ、その支柱の造形が、どことなくカメレオンの手に見えるのは、僕だけだろうか。
「もうやめよう。この関係」 金曜日の夜19:00町外れのラブホテルで渚が不倫相手に言った言葉だ 「えっ?」 「私もう帰るね。ご飯の支度しないといけないし」 「あ、えっと、今までありがとう」 「じゃあね」 ♤♡♧♢ 「ママ、おかわり」 息子の波平がカレーをお代わりする 「私がやる」 長女の舟が渚の代わりにカレーをよそってあげる 「ママはお仕事で疲れてるからあんまり甘えないで」 舟がお姉ちゃんらしく波平を叱っている。 渚は二人を見ながら、体に残る感触を思い出していた。 三年続いた不倫を不意にやめてしまった。これで良いに決まっているし、悔いも思い出もないけど、また平凡な主婦に戻ってしまった。それが当たり前なんだけど。 「ただいま」 渚の夫が帰ってきた。 「パパおかえり!」 波平が玄関にお迎えに行く 舟は夫のカレーを用意ししている 「あなた、おかえりなさい」 「ただいま。疲れてそうだな。後は俺がやるから、先に風呂入っちゃえよ」 「うん、ありがとう」 渚は食器を流しに置いて風呂へ向かう 「おっカレーか。美味そうだな」 「私がよそったのよ」 「ありがとう。舟」 「パパ、マイクラやろう」 「よし、今カレー食べちゃうからな」 渚の後ろで楽しそうな声がする 渚はシャワーを浴びながら三年の不倫を思い出していた。きっかけは思い出せないけど、彼と抱き合うのが当たり前になっていて、彼が求めるがままに自分を差し出していた気がする。 渚は体をよく洗った後湯船にゆっくり浸かった。 今日は金曜日の夜。きっと夫は私を抱く。あの人は優しいから、私を大切にしてくれる。彼のように乱暴にはしない。夫は優しい人だから。 渚は湯船に潜って丸くなる。口から出た泡が水面でブクブク弾けては消えていく。体に残る感触と共に。
公園の公衆トイレに入った。女子トイレの個室の壁に、注意書きが貼られている。『お母さんを流さないでください。』個室に入り、用を足していたら、隣の個室に誰かが入った。鍵を閉める音、便器の蓋を開ける音、ごそごそという音、それから、人間の声。「やめてくれ、助けてくれ……」それは男性の声だった。そしてその直後に、水を流す音が聞こえてきた。「助け……」男性の声は聞こえなくなった。おそらくお父さんを流したのだろうとわかった。それからしばらくしてから、再びその公衆トイレを訪れた。壁の注意書きは『お母さんを流さないでください。』のままだった。お父さんは流してもいいらしい。私は急いで家に帰った。
彼は私の永い生の中に現れた唯一のひとでした。 暗い夜道に突如空に昇った星でありました。あてどなく歩く道を、もしやもう違えてしまったのではと不安に震える道中に、そこを目指せば良いのだと私を駆け出させる希望の火でありました。 実際には彼は隣にいて、いつでも私の手を引いてくれたので、旅人の星に喩えるよりは、掲げるランタンの方がいいのでしょうか。 ああ、遠すぎて温度の分からない星よりは、ランタンの方がうってつけかもしれない。彼の隣は温かかったのです。どんなに寒い冬の雪の日も、普段と変わらずに。 私は彼から多くを学びました。気遣いやら、笑わせ方やら、愛し方を。彼と同じにはできはしませんでしたが、彼のその様はたいへん、うつくしかったのです。全部、彼の言う愛によるものでありましたから、それを持たぬ私は、彼から見るこの世界はどれほど輝いているのだろうといつも不思議に思っておりました。 我々はどうやら同じものを見ることはできないのだ、と知ったのは、彼はとうに気付いていたのかもしれませんが、少なくとも私が知ってしまったのは、もう戻ることが叶わぬほど歩いた後でした。 歩き始めた地点はおろか、一度一人分が途切れた足跡の痕跡も見ることが叶わぬほど遠くまで来てからでした。 彼は変わらず私の手元にありました。この先どうしよう、と彼は決して言いませんでした。振り返る素振りすら私の見ている前ではしませんでした。 不安とともに私の手を握る掌に、ここに来てようやく、彼も私と同じくして、道を知らなかったのだと気付いたのです。 二人して道を失いましたが、私は別段悪い気はしませんでした。思えばここまで既に散々迷い、何故この彷徨い歩いた果てに、私の望む場所に、彼が連れて行ってくれるのだと疑うことなく信じていたのだろうと今更おかしくなったのです。 悪い気はしませんでしたが、悪いことをした気にはなりました。何故同じになれないのだろうと、苦しむ彼をずっと、隣で見てきたからです。彼は星でなくランタンでした。 連れ歩いたのは私です。
コンビニの店内に防犯カメラが設置されている。店員がスイーツコーナーにシュークリームを運んでくる。すると防犯カメラはひとりでに動き、そのシュークリームをじっと見つめ始める。そして、シュークリームが売り切れるまで、ずっとシュークリームを見つめ続けている。シュークリームが売り切れると、防犯カメラははっとしたように再びひとりでに動き、店内全体を見守る位置に首を戻す。だからこのコンビニの店員たちは、シュークリームが売り切れるまでは、注意深く店内を見回っている。なぜそこまでするのか、店員たち自身にもよくわかっていない。たぶんそれは、ペットに対する愛に近いのかもしれない。
これは仮定の話ですが 僕の中に5歳のまま止まってしまっている「ボク」がいる。 そのボクと手を繋ぎ、5歳のボクを引っ張ってくれた人がもう一人の僕である。 彼等は二人で一つ。離れることはない。 大人になった僕は、社会に出て仕事をし、経験を重ね、真新しいことが少なくなり、ある程度気楽に毎日を過ごせるようになっている。毎日が経験済みのことであふれているので、慌てないでいられるのだ。 ただ。ただたまに、手を繋いでいる5歳のままのボクが、泣いてしまってきかないときがある。 彼は極限に苦しく、極限に怖がり、猛烈に死にたがっている なぜ、そうなってしまったのか。 正確には分からないが、幼少期にその5歳くらいの時に何かがあったのだろう。思いつくのは、若い親からの怒号、暴力など。 若い頃に親になった両親は、自分達の親からのプレッシャー、若くしてマイホーム購入、その直後の上司との確執、そして転職。そんなことが立て続けに起こっていた。 社会に出ている人ならばこれがいかに大変なのか分かるであろう。 若い人は、社会での経験が少なく、故に情報が少ないため、一つ一つの出来事に全力で対応してしまう。 人生なんか、結構どうにでもなるものだが、経験が少ないので分かるはずもない。不安と緊張の毎日でいっぱいいっぱいだったのであろう。そこに子育てが加わる。それはそれは想像を絶する大変さだ。 皆さんは他人と一緒に暮らしたことはあるだろうか。 大人になって恋人ができると同棲をしたりする。 結婚すれば一緒に暮らす時間は長くなる。 他人と暮らす。それは共に生活をするのだ。共に。 相手の性格、習慣、趣味などを理解し、その元で生活をする。 つまり、自分の常識が変わる。 自分の常識を変えることが、どれだけ大変なことなのか。でもこれをしない限り、共に生活は出来ない。我慢ではない。自分の常識を変えるのだ。つまり、相手の全てを受け入れるのだ。 この受け入れ期間が落ち着くまで多くの時間を費やす。そして無事受け入れが出来れば二人の生活が続いていく。 そこに、もう一人もう二人と子供が加わる。 二人がお互いを受け入れる事に懸命になっている時に子供は産まれる。 お分かりだろうか、大混乱。カオス状態である。 ここで話は戻るが、そんな状況であれば、若い親は怒鳴ったり、思わず手を出したりしてしまうだろう。 だけら私は親を恨んではいない。 ただ親に、あの環境に、ボクはどうして良いか分からず、立ち止まったままなのであろう。 でも、人は生きていれば成長していく。だからもう一人自分を作ってここまで来たのだ。二人は一つ。 僕とボクは二人で一つ。
夜中、眠れなくて、テレビをつけた。バラエティ番組が流れていた。たぶんそれはバラエティ番組だった。画面いっぱいに派手な色のテロップが表示されている。『挑戦失敗!』そしてそのテロップの向こうで、神様が笑いながら頭を抱えていた。神様の手にはハンマーが握られていて、目の前には地球が浮かんでいた。どうやら神様は地球をハンマーで壊すチャレンジに挑んで、何かの事情で、それができなかったらしい。俺は窓を開けた。神様の笑い声が夜空から聞こえてきた。とにもかくにも、まだしばらく地球の生き物たちは生きられるらしい。
いつも通院している心療内科を訪れたら、待合室に、電信柱がいた。近所の路地に立っている電信柱だ。「どうしたのですか」「酔っ払いにおしっこをかけられたのです」確かこの電信柱は、いつも近所のイヌたちにおしっこをかけられているはずだが。電信柱はひどくふさぎ込んでいる。電信柱の心理はよくわからない。考えても仕方ないので、俺は目を閉じて、書きかけの遺書の内容を推敲することにした。
好きな食べ物を聞かれても、なにも答えることができない。 食事は作業。 栄養を満たすことが重要で、味は添え物でしかない。 「何が飲みたい? 何でも買ってあげるよ?」 「ジュースかい?」 「コーラかい?」 選択肢を与えられても、何も答えることができない。 両親は、随分つまらない目でぼくを見たことだろう。 「なら、空腹薬を飲んでみない?」 保健室の先生が、そんなことを言ってきた。 「空腹薬?」 「この薬を飲めば、お腹がペコペコになるの。お腹がペコペコの時は、何を食べても美味しいわよ」 そんな馬鹿なと思ったが、物は試しと飲んでみた。 しばらくすると、お腹の中が空っぽになったような感覚になって、お腹がぐーっと鳴った。 「食べたい! 何か食べたい!」 ぼくは学校を飛び出して、近くのコンビニに飛び込んだ。 パンを買って口に入れると、今まで感じたことのない幸せな感じがした。 「美味しい! 美味しい美味しい!」 お小遣いをはたいて、お菓子も買った。 両親は驚いた眼でぼくを見たが、ぼくが食に興味を持ったことが嬉しかったのだろう、次から次へとお小遣いをくれた。 ぼくは色んなものを食べた。 甘い物も、辛い物も、 熱い物も、冷たい物も。 苦いと言われた物も、美味しく食べた。 「……足りない」 想像外だったのは、どれだけ食べてもお腹いっぱいにならない事だった。 空腹薬は、いつでも空腹にする薬。 どれだけ美味しい物を食べても、本当の意味で満足することができなくなっていた。 「先生! お腹がいっぱいになりたい!」 ぼくが保健室に駆け込むと、先生は別の薬を持って待っていた。 「はい、こっちが満腹薬。これを飲めば、空腹薬の効果が切れるわ」 「……ずっと、満腹になったりしない?」 「しないわよ」 ぼくは満腹薬を飲み込んで、ようやく元に戻った。 翌日から、ぼくは食事を楽しめるようになった。 たくさんの味を楽しんだことで、世の中にはこんなにたくさんの味があるんだと学んだから。 栄養をとることはもちろん大事だけど、どうせ同じ栄養を取るのなら、楽しくとった方が良い。 「先生! ぼく、料理人になることにした」 この経験があったから、ぼくは夢を一つ持つことができた。
空は今日も、暴力的なまでに美しい慈悲の光に満ちていた。 天空都市から降り注ぐ「癒しの光(エリュシオン・レイ)」は、地上のあらゆる不浄を塗り潰し、人々に「飢え」も「渇き」も、そして「考えること」さえも忘れさせる柔らかな毒だ。 天使見習いの少女、リリエルは、純白の翼を羽ばたかせながら、下界の辺境にある薄暗い小屋を見下ろしていた。 小屋の中では、一人の人間の少女が泥にまみれ、震える手で土鍋を火にかけていた。 「……あと、少し。これさえ飲めば、お母さんは……」 少女――ミナの声は掠れ、瞳は乾燥しきっていた。 彼女の母親は、死の淵にいた。この世界において「病」とは、天使の配給する光が届きにくい辺境の民にのみ訪れる、稀少な絶望だった。 ミナは、この数日間、天使の光が届かない深い森の奥、毒虫が這い回り鋭い棘が刺さる断崖を、素手で登り続けていた。すべては、伝説に聞く薬草を手に入れるためだ。 彼女の指先は裂け、爪の間には黒い土が詰まり、膝は岩角に打たれて青紫に腫れ上がっている。 それでも彼女は、自らの足で歩き、自らの意志でその薬草を掴み取った。それは、この依存に満ちた世界で、人間が自力で運命を切り拓こうとした、あまりに尊い「抵抗」の証だった。 「お母さん、飲んで……お願い……」 ミナがスプーンですくい取った緑色の苦い液を、母親の青白い唇に運ぶ。 だが、母親は激しく咳き込み、薬を吐き出した。高熱に浮かされ、呼吸は浅い。薬草は特効薬ではない。 じわじわと身体の免疫を高め、苦痛を伴いながらゆっくりと治癒へ向かわせる、泥臭い命の営みだからだ。 「どうして……あんなに頑張ったのに。どうして治らないの!」 ミナはその場に崩れ落ちた。絶望という名の闇が彼女の心を支配した瞬間、部屋の湿った空気が一変した。 「――可哀想に。その手は、泥をいじるためにあるのではないのですよ」 鈴を転がすような、あまりに清浄な声。 天井から降りてきたのは、光を纏ったリリエルだった。彼女の翼からは、金色の粉塵がキラキラと舞い落ちる。 「て、天使様……?」 ミナの瞳に、盲目的なまでの待望が宿る。 「苦しいのでしょう? 悲しいのでしょう? あなたの流す涙は、この世界には相応しくありません。私たちが、すべての痛みを取り除いてあげましょう」 リリエルが優しく手をかざすと、手のひらから濃密な「癒しの光」が放たれた。それは母の体を包み込み、細胞の一つ一つに強烈な多幸感と強制的な活性化を流し込む。 さっきまで苦悶に歪んでいた母親の顔が、一瞬で弛緩した。呼吸は整い、肌には不自然なまでの赤みがさす。奇跡。人間には到底成し得ない、神の業。 「あ……ああ……!」 ミナの喉から、歓喜とも嗚咽ともつかない声が漏れた。 母親がゆっくりと目を開け、穏やかな微笑みを浮かべる。その瞬間、ミナの中で何かが音を立てて崩れ去った。 数日間、自分の命を削るようにして手に入れた、あの薬草。 爪を剥がし、血を流し、孤独と恐怖に震えながら持ち帰った、あの泥だらけの希望。 それらは、天使が指先一つで起こした「奇跡」を前にして、あまりに不潔で、不格好で、無意味なガラクタへと成り果てた。 ミナは、傍らに置いてあった薬草の束を、乱暴に掴んだ。 「こんなもの……こんなものがあるから、お母さんは苦しんだんだ!」 彼女はそれを地面に叩きつけた。そして、泥のついた裸足で、必死に踏みにじった。 自らの努力を、自らの歩みを、自らの意志の結晶を、汚れ物として。 「ごめんなさい、天使様! ありがとうございます、天使様!」 ミナは母親に抱きつき、その胸に顔を埋めて泣いた。その涙は、先ほどまでの絶望の涙ではない。思考を放棄し、すべてを委ねた「家畜」の安堵だった。 リリエルはその光景を、慈愛に満ちた表情で眺めていた。 (ああ、なんて美しい。人間を幸福にすることが私たち天使の役目。) リリエルは満足げに翼を広げ、ゆっくりと上昇を始めた。 足元で踏み潰された薬草からは、青臭い、命の匂いが漂っていた。だがそれは、濃厚な百合の香りのような「癒しの光」にかき消され、誰に省みられることもなく泥に溶けていった。 ミナはもう、崖の登り方も、薬草の名前も、二度と思い出すことはないだろう。 黄金の揺りかごは、今日も静かに、そして残酷に揺れている。
私の気分…いや、機嫌は天気予報によって変わる。昨日のアナウンサーは今日の私の不機嫌を伝えてきた。いざ、空を見ると私の機嫌と同じように夜の闇に置いて行かれた月が見えてしまった。 あれ?今日のおとめ座何位だったっけ。念のため最後の砦を確認しておく。
この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。 堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。 犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」 鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。 彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。 意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。 うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。 あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」 そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。 当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。 彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。 薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」 辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。 そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」 食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。 その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」 ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」 差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」 答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。 途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」 もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。 髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。 流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。 色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。 言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。
早朝、夜勤の帰りに街を歩いていた。くたくたに疲れていた。開店前のラーメン屋があった。ガラス戸越しに、仕込みをしている店主がいた。店主は寸胴鍋にトングを突っ込んでいた。そして、その寸胴鍋の中から何かを取り出した。それは一本の首吊り縄だった。くたくただった。湯気が立っていた。ぽたぽたと汁が滴っていた。あのラーメン屋は首吊り縄で出汁を取っているのか。俺は唾を飲み込んだ。使用済みの首吊り縄だといいな。俺は店内を覗いた。壁に、『遺書』と書かれた封筒がずらりと貼られていた。視線を感じた。店主がこちらを見ていた。店主は俺と目が合うと、にやりと笑った。俺もにやりと笑った。今日の昼はここのラーメンを食おう。それから死のう。
夢の中にいると、しばしば記憶がおぼつかなくなる。 あ、そろそろ目覚めるんだ。と、寝ぼけまなこをごしごしとこすりながらも、いったい何から目覚めようとしているのか、この時の私はよく分かっていない。 目を開ける。ベッドの上。刹那、はたと現実に引き戻される。 スマホが光った。午前6時12分……。今日は休日なのに。なんとも早い。あと三時間は寝たっていいけど、そうはならないほど社畜体質が身体に染みこんでしまっているのだろうか。 イヤな感じだ。 腕を伸ばした反動で、上体を起こす。目をごしごしとこすって。目を開けた。ベッドの上。 「ア?」 なんだ、さっきのもすべて夢だったのか。にしては、やけにディティールの濃い……。 スマホをさわる。午前6時37分……。もしや、私は二度寝をしたのでは? 先ほど社畜体質気味だと嘆いたばかりだが、まだ二度寝ができるくらいの余裕はあるらしい。ちょっと元気が出てきた。 喜んで、上体を起こす。それでも眠い瞳を、ごしごしとこすって。 洗面台へ行く。顔を洗う。目をごしごしと洗う。 キッチンに立つ。目玉焼きをつくる。それをガツガツ。 ごちそうさまの後は、歯みがきをする。ごしごしとこすってやる。また虫歯ができると厄介だ。 天気予報を確認しようと、リモコンに手を伸ばす。スイッチを押す。ふいに雨の音。ザーザーと鳴る。 画面には、知らない誰か。私に背を向けている。髪の長い、女? ゆっくりと彼女がこちらを見る。刹那、雲隠れしていた記憶がだんだんと顔を出していく。 ーーなんで、現実にも出てくるんだよ。 おかしい、おかしいだろ……。思いきり頭を振ってみる。でも、彼女は変わらず私を見ている。あ、あ、と頭を振る。とにかく振る。もう顔なんて見たくないんだもの。繊細なんだ、私。繊細なんだもの。 頭から彼女を消してやりたい。でも、画面にはまだ彼女がいる。目をつぶる。手でごしごしとこする。両手で、ごしごし。強く、ごしごし。ごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごし。 やっと、目を開く。ベッドの上。刹那、はたと現実に引き戻される。 私は、何から目覚めようとしていたんだっけ? 時計が光る。午前9時55分。おっ、今日はよく眠れた。これぞ休日って感じだ。 ちょっと愉快に上体を起こす。小躍りしながら洗面台に向かう。その間、頭の中に浮かんでいた疑問符を、よくも分からないまま、丁寧に処理した。
軒下にクモの巣があった。そこには一匹のクモがいた。ある冬の朝、その巣を見ると、クモは死んでいた。クモの死骸の傍には、小さなチョウの死骸があった。見たことのないチョウだった。指でそっとつまんで、巣から取った。見た。翅に、文字が印刷されていた。『政府提供・救済用』もう一度クモを見た。救済とはどういう意味なのだろう。クモにとっての救済。冬。考えてもわからないので、箒でクモの巣を片付けた。
親友であり幼馴染の華織が死んだ自殺だった。 原因は部活内での虐め。 九月一日二時丁度に飛び降りる華織を監視カメラが捉えていたそう。 華織の部屋に遺書が置いてあったらしい、その内の一つが私宛の手紙だった。 「命へ 何にも言えなくてごめん。 命のことだから何か出来ることがあったはずって、自分を責めるかもしれない。 でもそんなこと絶対にない。 命は何にも悪くない、命と話す時間は楽しかった。 命、今までありがとう、私の親友で幼馴染で、側にいてくれて、命といたこの十数年楽しくて、幸せだった。私の心の拠り所で本当にありがとう。 約束『おばあちゃんになっても一緒にいる』守れなくてごめん、命、大好きだよ、ありがとう。」 これを読んで華織が死んで初めて泣いた。 心のどこかで華織が死んだことを受け入れなかったのかもしれない。 それからバレーボール選手という夢を捨て、教師になった。 周りからは反対された。キャプテンになる予定もあるのに勿体無いと。 それでも教師になりたかった。 今年初めて担任を持つ、緊張しながらもドアを開け、教卓に立ち自己紹介をした。 「初めてまして1年4組の担任になった朝野命です。 趣味はバレー、女バレの顧問もしているので是非入部お願いします。嫌いなことは虐めです高校2年生の時、親友が自殺しました。」 「私は親友みたいに死んでしまう子を、私みたいに置いてかれてしまう子を、減らしたくて教師になりました。」 「どんなに些細なことでも良いです。 少しでも苦しい、辛い、そう思ったら周りの人達を頼ってください。 友達でも教師でも親でも誰かに相談して溜め込まないでください。 私はこのクラスが助け合えるクラスになって欲しいです。 長くなってしまいましたが私の自己紹介を終わります」 もうすぐ夏休みが終わり、二学期が始まる。 「命先生」 後ろから私が担任を務めているクラスの一瀬沙希が話かけてきた。 夏休みの間、バスケ部に一度も顔を出していなかったそう。 「一瀬さんどうしたの?」 「ちょっと相談したいことがあって」 話を聞けば部活で3年生を中心に嫌がらせを受けているらしい。 そういう子を減らしたいと思っていても、出来ることは本当に少ない、私にできる最善は、一瀬さんを死なせないこと。 今、私は何をするべき? 九月一日は一年で最も『子供の自殺』が多い日。
夕方の寺である。一人の年老いた僧侶が、仏像の前で座している。彼はじっと目を閉じている。彼の禿頭の中心には、一つの小さな穴が開いている。彼の背後から足音が聞こえてくる。彼は目を閉じたまま座している。「お坊さん……」ふいに女性の声が響く。彼はゆっくりと振り向く。若い女性が立っている。女性は泣いている。「突然申し訳ございません……こちらのお寺は……」彼は立ち上がり、女性の前に座す。女性は涙を拭っていた手を、器の形にして、彼の前に差し出す。彼は深々と頭を下げる。すると、彼の頭部の穴の中から、一粒の錠剤が出てくる。それは精神安定剤である。「ありがとうございます……」女性は深々と頭を下げ、精神安定剤を大切にハンカチで包み、寺を立ち去る。彼は再び仏像の前に座す。そして目を閉じる。再び、背後から足音が近づいてくる。
とうとう始まってしまった。こんな爺が花見のバスツアーに乗っているだなんて滑稽だ。やっぱり来なきゃよかった。バスから見える風景は桜並木と菜の花畑の色合いが美しく、女性達が賑わっている。あいつが生きてた頃は花見など行かなかった。もし一緒に花見をしていたら幸せを感じてくれてたろうか。 🧒 「ジイジはバアバいないの?」 先日、息子達が遊びに来た時、 私のあぐらの上で孫がきいてきた。 「風太。バアバはいるって言ったじゃんか。先に天国に行っちゃったんだって言ったろ」 息子の洋一がたしなめる 無意識に仏壇の妻を見ると、私と違って若いままの妻は笑っている。 「ジイジも、もうすぐ天国行のバスに乗るからさ。ハハハハ」 「あらやだ、まだまだ元気でいて下さい」 洋一の奥さんの渚さんが言う 「ジイジは一人でバスに乗れる?」 「おう、ジイジは一人でバスに乗れるぞ。大人だからな」 「淋しくない?」 「え?」 「一緒に乗る友達がいるといいね」 「…そうだな」 友達と呼べる奴らは既にバスで空へ旅立ってしまった。バス停に私は一人残された。 息子の洋一は冷蔵庫からビールを持ってきて勝手に飲んでいる 「父さんさ。再婚でもしたら」 「なっ、何を言ってるんだ。七十過ぎで再婚なんか出来るわけないだろ」 「いや、今は普通だって。シニア向けの婚活バスツアーとかテレビで放送されてるのよく見るよ」 「バカバカしい。年寄り同士で結婚してどうすんだ」 「だって父さんずっと家にいるだけだろ。話し相手とかさ、何かあったときに側に誰かがいたら助かるだろ」 風太は渚さんと一緒トイレに行っている。トイレの方から私を呼ぶ風太の声が聞こえる。 「ジイジ!まだバス来てない?」 「まだ来てないぞー」 「バスツアー予約しとくよ。決まったら連絡するから」 「いやいや、参加しないぞ。私は」 「いいから、いいから」 「ジイジー!ウンチ出そー!」 「頑張れ!」 🚌 「僕はお花見好きなんですよ。このツアーは去年も来ましてね」 「あらそうなんですね。この時期は桜が綺麗ですよね」 「そうなんですよ。もうちょっと行った先に国立公園があって、そこで散策する感じです。去年もそうでしたから、小川も流れていて素敵な公園ですよ」 まだバスが着いていないのに会話しているヤツが後ろの席にいる。あんな男は駄目だ。バスガイドさんが散策が開始したらフリータイムだと言っていたのに。ただ実際は周りを見渡すと所々で会話を楽しんでいる人達ばかりだ。皆、私と同じ世代の人ばかりだからか、共通の話題があるのだろう。バスに乗る時の席は「お好きなところへお座りください」と言われたので隣が通路の一人掛けの席に座ったが、やはり失敗だったろうか。後ろの男みたいに、移動中に誰かと挨拶の一つくらいしとくべきだったのか。ただ、長い移動時間に見ず知らずの人が隣にいるのは落ち着かない。私が仲良くなれるとも思わない。思わずため息が出る。空からお前が見ていたら、きっと笑いながら応援してくれているだろう。 東京の結婚相談所が企画するシニア向けのお花見婚活ツアーの一行は、都内にある桜が綺麗で有名な国立公園に向かっている。途中、トイレ休憩でバスは道の駅に停車した。 「今から15分の休憩となります。お手洗いにいきたい方はこの休憩中にお願いしまーす」 結婚相談所のバスガイドの若い男性はボンヤリとした顔でツアー客に呼びかける。 道の駅はツアー客で賑わうこととなった。 トイレを済ませた私はハンカチを忘れた事に気が付く。前日に孫の風太と息子の嫁の渚さんが来てくれて、今日の準備をしてくれたというのに。 「お義父さん、洋一さんが無理やりツアーに申し込んだみたいですみません」 「いや、アイツなりに考えがあるんだろう。ああいう強引なところは死んだ妻にそっくりだ」 「明日は、ジイジに新しいバアバが出来るんでしょ?」 「いやいや、そんなことはないよ。少し桜を見に行くだけだ」 「お花見に着ていくお洋服はこちらにご用意しました。春らしくて動きやすいと思うんですけど、どうでしょうか」 「何から何までありがとう。よく出来た嫁さんをもらって洋一は幸せもんだな」 「ママジュースこぼした」 風太のブドウジュースが畳にこぼれている。 そうだ。あの時用意してくれたハンカチでこぼれたジュースを拭いんだった。私としたことが。自分が嫌になる。最近は忘れっぽくて困る。…やはり、新しいバアバが必要なのか… とにかく、ハンカチは必要だこの道の駅で売ってるだろう。 店内に入りハンカチを探す。
大きな休みがあるたびに、遊びに行く。いつも同じ3人。メールのグループ名は青春ポン酢隊。私たちは同じ部活の同じ学年と言うだけで繋がっている。 「今度の春休みの遊びなんだけど、慈眼寺公園はどうかな」 私は少し勇気を出してそのメールを送った。慈眼寺公園は、自然が豊かでいいところだ。春休みの今の時期はネモフィラの花畑や桜を見ることができる。それに、前にみそらちゃんが慈眼寺公園の辺りに祖父母の家があると言っていたからきっと賛成してくれるだろうという打算もあった。 「慈眼寺公園!いいねいいね。ネモフィラもあるし、考古博物館もあるよ!勾玉作り体験もあるよ。楽しいところだから行ってみようよ」 メールにはわざわざ勾玉の写真が添付されている。テンションが上がったかのように文字数が多い返事に、私もどこか心が浮き立った。もう1人の返事もないまま話は進んでいく。でも私には大丈夫だという確信があった。というのも、遊びに行く3人組唯一の男子であるふなっしーはみそらちゃんのことが好きで、他のふたりが賛成しているのだ。余程の事情がない限り、慈眼寺公園が嫌なんて言い出せないだろう。 「何時くらいに出る?」 「うーん、電車の時間にもよるかな。ふなっしーの意見も聞かないと」 即座に帰ってくる返信。みそらちゃんも遊びに行くのを楽しみにしていることが伝わってくる。それにしても、いつもはふなっしーすぐに返信が来るのに、昨日みくちゃんと話した履歴にもよっしーからの連絡は残っていない。だいたい一週間くらい前からふなっしーはライン上で行方不明になっていた。遊びに行く予定の日はもう明後日これはもしかしたら私とみそらちゃんの2人だけで遊びに行くことになるかもしれない。 「ふなっしー返信こないね。どうしたんだろ」 みそらちゃんはふなっしーと同じクラス。私だけ別れてしまったのだ。きっと同じクラスだったらなにか事情を聞いているだろう。 「あー、ふなっしーも忙しいらしいしね。最近演劇部の主役やるらしいよ」 私たちはみんな華道部。次に2回しかないほとんど活動していない緩い部活だ。ふなっしーは、華道部の他に演劇部とサイエンス部を兼部している。 「えー、そうなんだ。演劇部には最近入ったばっかりなんでしょ。すごいね」 どうやら同じクラスの友達に誘われたらしく。毎日忙しそうに部活に行っている。1番最近顔を合わせたのはクラスマッチの観戦をしているときで、どことなく疲れた顔をしていた。 「恋愛系の劇なんだってさ」 「ふーん、演劇部は男子が少ないからオーディション受かりやすいのかもね」 春休みが終わったらすぐに新入生部活動紹介がある。そこに向けて劇の練習を頑張っているんだろう。私がスマホを閉じて、二時間くらいが経過する。通知が届いた音が部屋に響いた。 「遅くなってすまん。部活だった」 ごめんなさいと、頭を下げる猫のスタンプ。どことなくふなっしーに似ている。 「全然大丈夫だよー。先に話進めててごめんね。慈眼寺公園でいいかな」 すぐにみそらちゃんから、慈眼寺公園までの電車の出発時刻が送られてきた。 「もちろん大丈夫」 グッドマークのスタンプ。みそらちゃんから来た電車の出発時刻は10時辺りと10時半辺りだったので適当に早い方がいいだろうと思って10時をすすめようと思った。お弁当も駅で買った方がいいかな。 「お昼ご飯の話なんだけど、駅で駅弁買ってから慈眼寺公園にいくのはどうかな。それだったら買う時間含めて9時半くらいに集まったらちょうどいいと思うな」 「いいかもー!明日楽しみだな」 わくわくと、楽しげなスタンプが並ぶ。明後日に思いを馳せて、先に準備を進めておくことにした。お花見だったら、レジャーシートがいるかな。食べ物はあっちで買えばいいから。机の上に乗ったノートと筆箱。そこに描き出された絵を見る。これも持っていこう。みそらちゃんも絵を描くのが好きだから一緒に書いたらきっと楽しい。
「言葉への執着は、コンプレックスに他ならない」 グラスは言った。 なみなみと注がれたワインが、グラスの一挙一動に波を立てる。 「例えば、ダイエット。本来は健康維持のための習慣を指す言葉だが、現在は痩せるの同義語として使われている。本気でダイエットをした人間からすれば、ダイエットと名乗りながら不健康に痩せていく人間など、不快でしかないだろう」 グラスは言った。 誰にも手に取られることなく、机の上で。 「では、なぜ彼らは本気でダイエットをできたのか。簡単だ。不健康な自分にコンプレックスがあったから。何を差し置いてでも、ダイエットをしたいと思えたからだ」 グラスは言った。 生まれてこのかた、重量が変わったことはない。 「あらゆる自己主張は、コンプレックスから生まれる。そして、生まれた自己主張は、他人にコンプレックスを与えて、新しい言葉の種となる」 地震が起きた。 グラスが落ちた。 粉々に割れた。 グラスはガラスになった。 ガラスは回収されて、窓となった、 その窓の近くでは、人々が良く手を滑らせて、グラスを割ってしまうらしい。
と言うことですけど、どうですか浜田さん。 「長いわ!ぎょーさん手紙書いて」 まぁまぁでも大変でしたね。エッグ卵さん。相手のご家族と仲良くなれたのはいいことですよね 「せやけど、やっぱり弁護士さんをつけて、言った言わないにならんようにね。売るにしても住むにしてもねぇ」 まぁそうですね。でも僕思うんですけど、せっかく仲良しになったんだから、三人で暮らしたらいいんじゃないかなって思いますね。だって、卵エッグさんは元々実家だし、相手のご家族はきっと母子家庭でお父さんがいない生活が長かったでしょうから、お父さんの家でね、お父さんの息子さんと一緒に暮してね、この際、家族として過ごすのがいいんじゃないでしょうかねぇ。 せっかく仲良しになったんですし。 「ええこと言うやないか」 ありがとうございます。 ここで一曲お送りいたします はなのなまえで「白い線の彼方」 ♪ 花を植えましょう お日様はいつもいるよ 水をあげすぎないで 詩を作るように愛を込めて 雨が降ると聞こえてくる 宛もなく歩く花はいずこへ 今もまだあなたを夢に見ます 思い出すたび忘れていくあなたの香り 私は歩く 白線の上を笑いながら どこまでも続く線の上を 私は歩いていく あなたと歩いた白線の上で 咲いているのは花、花、花 白い線が見えないくらい あなたの花が咲いている 私は歩く 白線は空高く延びている 地面は遥か彼方 風に煽られて落ちてしまいそうです あなたと歩いた白線の上で 咲いているのは花、花、花 私のなかに花の道がある 花の香りを嗅いでみたくて ふわりと下へ降りてみたいな 花を植えましょう お日様はいつもいるよ 水をあげすぎないで 詩を作るように愛を込めて 白い線の彼方まで ♪ えー今日は本当にありがとうございました。 スペシャルゲスト、浜田雅功さんでした。ありがとうございました。浜田さん、どうします、あれ言っときますか? 「えっ?…いや、もうええよ。どこ行っても言わされんねん。もう嫌やw」 分かりました。 それでは皆さんさようならー! 「じゃあねー!バァイバーイ!……結果発表ぉぉぉぉ!」 言ったw言ったw言ってくれた。
どうも皆さんこんばんは メデューサ・メデュ子のお悩み相談室 どうぞ今夜も楽しんでお聴きください この番組は短編作品限定の小説投稿サイト『Prologue -プロローグ-』の提供でお送り致します どうも皆さん初めまして メデューサ・メデュ子の息子、ペガサスです。 突然すみません。 SNSの方では伝えてありましたが、母のメデューサ・メデュ子がですね、インフルエンザで本日お休みということで、急遽、私、息子のペガサスがピンチヒッターで参りました。 なにぶん不慣れなものでお聞き苦しい点も、多々あるかと思いますが、精一杯、魂を込めてお送りいたします!どうぞよろしくお願いします。 そして、今日はですね。超、超スペシャルゲストの方に来ていただいております!ダウンタウンの浜田さんでーす! 「どうもーw浜田でーす。なんや、全然喋れてるやないかw。始まる前の『浜田さん僕ムリです〜ぅ、助けてください〜ぃ』言うてたけど、全然出来てるよ…俺いらんちゃうか」 ちょっ、ちょっと待ってくださいよぉ。最後までお願いしますよぉ 「ニャハハハハハ。でも、自分あれやな、今日上手く行ったら、この番組もらえるんちゃうの?ペガサス・ぺー太のお悩み相談室言うて。ニャハハハハハ」 誰がぺー太ですか!ないですよ。無いです 「でもさぁ!そない言うても…」 お悩み相談に行きまーす! 「ニャハハハハハ。よし、行こ行こ」 えーと、ペンネーム…どこだ…えーと…【エッグ卵さん】ですね。お便りありがとうございます! メデュ子さんこんばんは 「こんばんは、エッグ卵さん。すいませんペガサスで」 「ぺー太ですんません」 ぺー太ちゃうわ! 「ニャハハハハハ。ほんでほんで」 えーと、私は五十歳の会社員です。 私は父親と実家に暮らしていました。 父親は末期の癌で、病院側は本人の希望を聞いていただき、自宅で看護をしていました。 今年の初めのこと、その日は珍しく父は意識がはっきりしており、私を近くに呼ぶと「お前に伝えておきたいことがある」と言いました。 言葉を出すのもやっとでしたが、時間をかけてゆっくりと父が言った内容は、私以外にもう一人子供がいること。それは四十歳になる女性だということ。その女性の母親、つまり愛人もまだ生きているということでした。そして、遺産はその愛人、娘、私で三等分してほしいとのことでした。 私の母は去年亡くなりましたが、父も母も八十歳で、息子の私から見たら順風満帆な人生だったと思っていましたが、父は最後に凄い秘密を残していました。 その父も先日、亡くなりました。愛人の方とその娘さんには父からもらった連絡先に電話をして、何とか死に目に間に合いましたが、その日から納骨まで、ずっとこの三人で進めて来ました。何とも気まずい時間でしたが、相手の家族も控えめで優しいかたたでしたので、喪主を務めた忙しい私をそっとサポートして頂きました。 その間にどちらかともなく、父の話をして、笑ったり、知らない一面を聞いて驚いたりと和やかに過ごしました。これは亡くなった父が空から見守っていたのかもしれません。 問題は遺産相続の話です。 生前、父には先代から受け継ぐ広い土地がいくつかありました。以前は売れない土地ばかりでしたが、モノレール建設と共に土地の価値が上がり、父はその土地を売って大きな財産を手に入れました。ただ蓋を開ければ、株や不動産に失敗して、多額の借金があることが分かり私たちは、遺産を全て使って借金返済を済ましました。 そして残ったのは庭の広い昔ながらの日本家屋の実家だけ 最後最後まで父に振り回されました。 僕はせめてこの家だけでも貰ってくださいと、相手の家族に言いましたが、彼女達は貰う資格はないと断ります。 どうしたら、私も相手の家族も丸く収まる事が出来るのでしょうか、どうぞアドバイスをよろしくお願いします。 ということですけど、すみません一旦ここでCMです。
校庭の桜が新しい季節をよろこんでいるようで けれど、ずっとは続いてくれない はやくも散りはじめた花びらが 校庭のすみっこに集まり、やけににぎやかしい 始業式の朝にキミがいない それは… わかっていた… 二日前、キミから来たメール 引っ越すことになった ただそれだけ それが最後になった― キミが座るはずだった席は すでに教室から追い出されていて そのことが教室の空白をいっそう広く感じさせる キミがいない教室には慣れそうにない 始業式の朝にキミがいないなんて 三年生の春が、キミなしではじまってしまうなんて
夢の中で何度、貴方の首を刈り取った事でしょう 今夜も私は斧を研ぐ いつでも首を切り落とせるように いつでも残忍に殺せるように アイツの居場所は分っている けど、今夜じゃ無い 高価な鶏を買い ニンゲンの頸椎に見立てて何羽刈り取ったことか… 殺しの正当性なんて、状況一つで裏返る 戦時中に敵国の人間を殺せば英雄の仲間入り いっその事、アイツが敵国出身なら良かったのに 義父を殺して満足? 『花嫁方の血筋を財源に立て直す』という父のアイデアが気に障った? 落ちこぼれ貴族のプライドが許さなかった? 恩を仇で返すなんて、低俗ね いつもの帰り道が、ただの道になった 父を殺され、屋敷を乗っ取られ 私は令嬢からただの娘へ けど、後ろ盾が無くなるという事は、満更に悪い事では無かった こうして復讐心に酔えるから 翌日の深夜。私は乗っ取られた実家に忍び込んだ もう語る事は無い アイツの首に向けて斧を振りかざす 首筋から皮膚を裂けさせ、肉と血管を斧に味わわせる しぶとい頸椎が赫い体液を被ってこちらを覗く 返事をするように睨みつけ 骨の間に目がけ、大振りで斧に噛み付かせる ボタっ…と鈍い音を立てて死んだ しみったれた高揚感だった しばらくして… 亡者を含め、屋敷にガソリンを撒き散らし業火の列挙を見届けた これで私は心も外見も、もぬけの殻になってしまった 私には何も残されていない そして、私は全てを捨てた 何処かで溺れるような執着を求めたくなった 私はこんな夜を終わらす為に、西へ歩み出した (完)
週末である日曜日。 終末予報は、午後三時を指していた。 その二時間前、コンビニの自動ドアはいつも通り開いて、いつもより少しだけ静かに閉まった。 「おはようございます」 金髪が目立つ後輩バイトの絹伊賀が言う。 「おはよう」 俺はレジの奥で、ホットスナックの棚を拭いていた。油の匂いはいつもより薄い。揚げ物を頼む客がもうあまり来てないからだ。 「本当に来るんですかね、終わり」 「来るって言ってるだろ。政府も、テレビも、ネットニュースも、全部同じこと言ってる」 「そうですか」 絹伊賀は制服に着替え、名札をつけ、レジに立つ。電源は入っている。画面にも異常は見られない。 しばらく何も起きない。誰も来ない。 「今日、廃棄どうするんです?」 「いつもなら本部から回収の連絡あるけど、今日は来てないな」 「じゃあ、自由に食べていいってことですか」 「まあ、そうなるな」 絹伊賀はバックヤードに行き、戻ってくるとおにぎりを二つ持っていた。ひとつを先輩に差し出す。 「鮭とツナ、どっちがいいですか」 「鮭」 二人はレジの内側で立ったまま食べる。店内BGMはなぜかいつもより音が小さい。 「家族には連絡したのか」 残り半分となったおにぎりを片手に俺が口を開く。 「はい。既読はつきました」 「返事は?」 「さぁ?シフト前にメッセ打って、速攻既読付いたの確認してから見てません。先輩は」 「してない」 「そうですか」 また、しばらく何も起きない。 ドアが開いて、客が一人入ってくる。スーツ姿の50代ほどである普通体型の男性。ネクタイが曲がっている。 「いらっしゃいませ」 絹伊賀が言う。 男性は何も言わず、カップ麺とペットボトルの水を持ってレジに来る。 「箸と袋いりますか」 うなずく。 「382円です」 会計は現金。釣り銭を渡す。 「ありがとうございました」 男性は外に出ていく。ドアが閉まる。 「普通ですね」 「普通だな」 「てか、あのカップ麺どうするんですかね。普通コンビニで買ったんならお湯入れて行きません?」 「家で食べるんだろ」 時計は一時を回っている。 「あと二時間ですね」 「だな」 「何かしたいこと、ありますか」 俺は少し考える。 「特にないな」 「私もです」 絹伊賀はレジの横に置いてあるチョコレートを取り、ひとつ開ける。 「それ、まだ売り物だぞ」 「もういいじゃないですか」 半分を俺に渡す。 「あ、シフト提出昨日までなの忘れてました。今更出しても遅いですかね」 「まぁ店長もまだ来てないし、良いんじゃね。しれっと置いとけよ」 「そうします」 また、時間が進む。 外は少し明るい。雲がない。 「静かですね」 「みんな家にいるんだろ」 「そうかもしれませんね」 二時半。 遠くで低い音がする。雷に似ているが、もっと長く続く。 「来てますかね」 「来てるな」 二人はレジから出て、店の外に立つ。駐車場には人も車も無い。 空の端に、小さな光が見える。 「思ったより小さいですね」 「遠いからな」 「なるほど」 光は少しずつ大きくなる。 「戻りますか」 「そうだな。引き継ぎ処理でもするか」 「最後までちゃんとするんですね。てか、誰が引き継ぐんすかこの後」 「習慣だからな」 店に戻る。レジの精算をする。数字は合っている。 「問題ないですね」 「まぁ今日は客少なかったし、間違えようが無いわな」 二時五十五分。 外からの音が大きくなる。店のガラスがわずかに震える。 「先輩」 「なんだ」 「お疲れさまでした」 「ああ、お疲れ」 二時五十九分。 BGMが途中で切れる。 三時。
キャバクラ嬢だろうか? 深夜働いている時間だろうに。 朝キャバクラ嬢だろうか? 世の中の流れがよく分からない。 キャバクラ行かない。 交わらない点。 花を用意したいが金がない。 せめて文章に書く。 君は魑魅魍魎の世界を生きているね。 気を付けるんだよ。 こちらも人外に追われているので余裕がない。 優しい言葉思い浮かばない。 心が疲弊している。 明るく振る舞えない。 高嶺の花子さん。 酒飲みたくならない。 馬鹿騒ぎ嫌い。 ピーナッツ揚げ食って寝る💤 君は成功して世の中を明るくして欲しい。 僕は文を書くことしか出来ないけど。
実のところ、特別、好きなわけではない。 咲き始めれば「ああ、咲き始めたな」と思い、数日後には「おやもう満開か」と呟き、花散らしの雨風に「なんとまぁ意地悪な」と呆れるくらい。 綺麗だと、満開の姿・花吹雪の風情は見事だと、そう思いはするけれど、その程度。 では、何故。 なのに、何故。 桜の花の咲き始める姿が気になるのだろう。 桜の花の満開の姿に惹きつけられるのだろう。 桜の花の散り散らす姿から目を反らせないのは、何故なのだろう。 「結局のところ、好きなんだろう? いやだって、明らかにそうじゃないか。というか、好きだから見る愛でるで、いいんじゃないか?」 「面白いんじゃない? 割と短い期間でいろんな姿見せてくるから。長い時間じゃないから、飽きる前に終わるしさ」 「んー、そうねぇ、でもどうでもよくないかしら。見て楽しいから、目を惹くから見るだけで、綺麗だとか見事だとか感じるのは、そのついでで。そこに理由は、まぁおまけでしょう」 今年も季節は訪れ、花は咲き、花は散る。 今年もわたしはその下に立ち、花を浴び、想い出に心を寄せる。 ああだからこそ。 ああこれこそが。 桜を嫌いになれない理由なのだろう、と。
天空都市から絶え間なく降り注ぐ「癒しの光(エリュシオン・レイ)」は、町中の空気を粘り気のある多幸感で満たしている。 今日は、4年に一度とされる大規模な『大感謝祭』の日だった。 広場では、数百人の人間たちが手を取り合い、円を描いて踊っている。彼らの瞳は一様に潤み、焦点はどこか遠く、得も言われぬ恍惚とした笑みを浮かべていた。 音楽など鳴っていない。ただ、全員が同じリズムで言葉にならない感謝の吐息を漏らし、地を鳴らしている。 十歳の少女・ルナもまた、その狂騒の中にいた。 彼女は一生懸命に、大人たちの真似をして祈りの手解きをなぞる。 「天使様、ありがとうございます。今日も光を、ありがとうございます……」 ルナには、夢があった。いつかこの美しい光の源である天空都市に招かれ、そこで天使たちのために世界一美しい花冠を編む職人になること。彼女のポケットには、小さな押し花が大切に仕舞われている。 「あら、可愛らしい子。あなたの祈りは、とても透き通っていますね」 不意に、背後から銀鈴を転がすような声がした。振り返ると、そこには純白の翼を休ませた女性の天使が立っていた。 「天使様……!」 ルナは目を輝かせ、跪いた。 「私、もっと頑張ります! いつかお空の上で、天使様たちのために花冠を編みたいんです。それが私の、たった一つの夢なんです!」 ルナの言葉は、熱を帯びていた。自分の指を動かし、誰かのために何かを成し遂げたいという「意志」の煌めき。しかし、天使は困ったように眉を下げ、慈愛に満ちた瞳でルナを見つめた。そこには、壊れやすい宝物を守ろうとするような、あまりに純粋な「母性」があった。 「……まあ。なんて健気な願いでしょう」 天使は足を曲げ、ルナの目線に合わせて優しく微笑みかけた。 「花冠を編もうとするその心は、とても尊いものです。でもね、あなたはまだ知らないの。何者かになろうと『努力』をすることは、いつか心が削れていく痛みを知ることでもあるのですよ」 天使の指先が、ルナの指をそっとなぞる。 「もし、一生懸命に編んだ花が枯れてしまったら? もし、あなたより上手に編む人が現れたら? その時、あなたのこの可愛いお顔は、悲しみで曇ってしまう。……私はね、あなたのそんな悲しい顔、一度だって見たくないの。あなたには、一分一秒、ずっと笑顔でいてほしいのです」 「天使……様……」 「頑張らなくていいのです。あなたが努力の末に手にする『喜び』は、今ここで私があげる『幸福』と何も変わりません。いいえ、私があげるものの方が、ずっと純粋で、永遠に続くのですよ」 天使の手が、ルナの額に触れた。瞬間、ルナの脳内に、濃密な「光」が直接流し込まれた。 「……っ」 視界が白く染まる。指先を動かして花を編もうとしたあの焦燥感、いつか認められたいと願ったあの渇望。それらが圧倒的な多幸感の濁流に飲み込まれ、急速に溶けていく。 「さあ、その手を休めて。花を編む『苦労』なんて、最初からなかったことにしましょう?」 花を編みたいと思っていた自分も、天空都市を目指していた自分も、今の全能感に比べれば、あまりに不器用で可哀想な子供の遊びに思えてきた。 「そう、ですね……私、悲しくなりたくない……」 ルナの瞳から、追求の光が消えた。彼女はふらふらと立ち上がり、大切に持っていた「押し花」を、道端に落とした。 「天使様……ありがとうございます。私、今、とっても幸せです。何もしなくても、こんなに……」 ルナは、踊り続ける大人たちの輪の中へと吸い込まれていった。彼女もまた、言葉にならない歓喜の声を漏らし、踊り始める。その顔には、天使が望んだ通りの、何一つ曇りのない「幸福」な笑顔が張り付いていた。 天使はそれを見届け、満足げに羽ばたいた。 「よかった。これでこの子は、一生、挫折を知らずに済む。なんて素晴らしい救済なのでしょう」 ルナがかつて夢見た花冠の幻影は、誰の足かもわからぬ無数のステップによって深く、深く、踏みつぶされていった。
初めての登校はあいにくの雨だった。 まあ、どうせこれからは雨の日も行かなければならないのだから練習だと思えばいい。 持ち合わせた合羽は少し小さく、下半身はあまり守ってくれそうにない。 真新しいグリーンの自転車にまたがり、長い長い坂道を登る。 道中には、傘をさして歩いている新入生らしき人がぽつぽつと歩いている。早く家を出過ぎたと思っていたが、心配性は私だけではないらしい。 この中にも友達になる人がいるのかもしれない。 期待と不安が入り混じったようなフワフワした気持ちを雨の匂いとともに心の中にしまい込む。 きっと何年経っても、雨の日にこの坂を登るたびこの時の気持ちを思い出すだろう、何故だかそんな気がした。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」 「それは、白雪姫です。」 鏡は何一つウソをついていなかった。 ウソをつかないことこそが彼のアイデンティティであり、存在意義でもあった。 鏡は自分の仕事を正確にこなしている、そのはずなのに鏡は自分に向き合う主人が怒っているように見えた。 一体、どうしたら主人は喜んでくれるのだろうか。 悩める鏡のもとへ一羽の小鳥が羽を休めにやってきた。 鏡は藁にもすがる思いで小鳥へ悩みを相談した。 小鳥は少し考えるそぶりをしてから答える、 「それはね、ウソをつけばいいんだよ。 この世で一番美しいのはご主人様ですって。」 「そんなことできっこない!! ウソをつくなんて、、」 「でも、そのウソは誰も傷つけない。優しいウソというやつだよ。 まあ、どうするかは君が決めなよ。」 そう言い残すと、小鳥は仲間の元へ飛んでいってしまった。 * 「鏡よ鏡、世界で1番美しいのは誰?」 「それは、それは...」 「何を言い淀んでいるのかしら?」 「白雪姫、だと世の人は言うかもしれません。 ですが、私は美を知り尽くして尚もそれを追 い求めるあなた様が1番美しいと思います。」 パリンッ、 「そっ、そんなこと言われても嬉しくないんだからねっ!」 主は頬を赤らめてその場を去ってしまった。 どうやらまた怒らせてしまったらしい。一体、どう答えるのが正解なのだろうか。 やはりウソをつくしか方法はないのだろうか。 鏡は欠けた自分の体の一部を眺めながら、再び悩むのだった。
「今日は何してたの?」 「種まきしたよ」 少女はステキなことを言いました 種まき なんて春っぽい響きでしょう 「どんな種をまいたの?」 「赤い花の種と、青い花の種と、あと緑の花の種をまいたの」 花の名前は教えてくれませんでした けれど、それだけで十分すぎました 赤い花は、春の終わりごろには咲くのかな 青い花は、きっと夏に咲くのでしょう 緑の花は、たぶん花ではなくって、野菜か何かのことを言ってるのかもしれません 「ちょっと疲れちゃった」 少女は言いました 「お話ししてくれてありがとう」 「いえいえ」 いくぶん大人びた少女の返答には、自然と顔がほころびます 「何か飲む?」 「あたたかいのがいいな」 「ちょっと待っててね」 「あ、流れ星」 少女は、お庭に向かって飛んでいきました 疲れてたんじゃないのかな いいけれど 夜の風がやさしく吹いて、少女を迎え入れました 子どもの言う「疲れた」なんて、大人が言うごあいさつ程度のようなもの ―はあ、今日はいろいろあって、疲れてしまったなあ 大人の言う「疲れた」は、口癖みたいなもの 相手にしなくていいけれど、少しは気にしてほしいときもあるのです キッチンからヤカンの声が聞こえてきました お湯が沸いたようです さて、何を飲もうかな 少女は、夜空を見上げています 「まだ寒いでしょ、なかに入ったら」 「はあい」 少女の声が、春の夜空に、すううと馴染んでいきました
たんぽぽの群生に、一際背の高い、赤いヒナゲシの花が一輪、ゆらと風に揺れていた。「ヒナゲシや、そんな高い所であなた一人、寂しかろうに」たんぽぽが尋ねるとヒナゲシは言った。「みんなそれぞれ、ちょうど良い場所があるのよ。私には、ここがちょうど良いの」陽の光が、花びらを薄い橙色に染めた。
学校には、桜の樹があるべきだ。 僕が卒業したときから、あの木はずっとあった。 事務員としてここに戻ってきたとき、まだ桜があることにとても安心した。 先生も制服も変わっていたけれど、それでもあの桜だけは確かにあった。 だから、引き継ぎ事項の中にあったその一文は、耐えられなかった。 『予算が足りなくて間に合わなかったけれど、あの樹はもう腐っているので早めに業者と伐採の契約を結ぶこと』。 前の年にあった暴風雨。 あれで校内の林にあった樹が倒れ、フェンスをひん曲げる事故が起きた。 緊急で調査を回し、優先順位を付けて伐採したらしい。そのとき、桜の樹にキノコが巣食っていることがわかった。 今すぐに倒れはしないけど、このキノコが生えたらもう根はやられている。 次の台風が来たら、わからない、と。 「そうは言っても、さびしいよねぇ」 イタさんは、他人事のように呟く。 「なら、残すべきだと思いますか?」 「私は司書だから、口は出せないよ。きみの仕事でしょう?」 ひどい責任転嫁だ。気持ちはわかるけど。 「5月に向けて、学校案内のパンフレットを作るそうです」 「うん。生徒会の子たち、張り切ってたね」 「この学校のパンフレットの写真は、昔からあの桜をバックにしています」 「そうだねぇ」 「僕に、彼らの春を奪う権利はあるのでしょうか」 僕がこの学校にいる間は、あの桜に生きていてほしかった。 「んー、そんなこと言ってさ。きみ、責められたくないだけなんじゃないの?」 「……」 「桜の樹は、業者もやりたがらないんだよ。思いがこもりやすくて、切ると縁起が悪い。あんまり喜んでももらえないしね」 「確かに、そうですよね」 「うん。でも、仕事だからやってるんだ。きみの仕事は、なにかな」 「……僕の、仕事」 「生徒の青春を守ること。きみの前任は、そんなふうにかっこつけてたよ」 あの樹は、もう死んでいる。 大人だけは、それを知っている。 「きみは、誰のためにこの学校に戻ってきたの?」 狭い部屋で、静かにイタさんはページをめくった。
天空都市から絶え間なく降り注ぐ「癒しの光(エリュシオン・レイ)」は、地上の万物を平等に照らし、そこにあるはずの影さえも、強制的な輝きで塗り潰していく。 だが、その光が届かぬ場所がある。 切り立った岩壁に囲まれた、湿った谷底の集落。そこには、背中に「重石」を背負った者たちが這いつくばるようにして生きていた。 「天使病」――かつて人類が天使の家畜化に抗おうとした進化の成れの果て。背中の羽は硬く、岩のように重い。それは空を飛ぶためのものではなく、この地上に繋ぎ止めるための楔だった。 「……っ、ああ……!」 集落の一角、粗末な石造りの家で、少年・カインは激痛に身をよじっていた。 岩の隙間から、わずかに迷い込んできた一筋の「光」。それがカインの背中の羽に触れた瞬間、焼け付くような熱と、神経を逆撫でするような拒絶反応が彼を襲う。 「しっかりしろ、カイン! これを噛め!」 年長の男、ガルドが分厚い革をカインの口に突っ込む。カインはそれを一心不乱に噛み締め、痛みが去るのを待った。 天使の光は、普通の人間には「至上の多幸感」を与える。だが、天使病の者たちにとって、それは魂を汚染しようとする劇薬であり、耐え難い激痛そのものだった。 数分後、全身に冷や汗をかいたカインが、荒い息をつきながら身体を起こした。 「……また、あいつらの『慈悲』が漏れてきたのか」 カインは忌々しげに、空を仰いだ。雲の向こうには、優雅に浮かぶ天空都市が見える。そこには、光を浴びて「幸福」を強制されている人間たちが、人形のように暮らしているのだ。 「ああ。上の方じゃ、今日も『感謝の祭』らしいぜ。奴ら、自分たちが何を吸い上げられているかも知らずに、ヘラヘラと笑いながら踊ってやがる」 ガルドが、岩の壁に立てかけてあった重い鍬を手に取った。 彼らにとって、痛みこそが「生きている」証だった。 自分の足で歩き、自分の手で硬い土を耕し、自分の意志で飢えと戦う。 その苦労こそが、人間としての尊厳だと信じていた。だからこそ、指一本動かさずに天使から「幸福」を恵んでもらっている人間たちは、唾棄すべき存在だった。 「カイン、準備はいいか。今日は西の森まで、薬草の根を掘りに行くぞ」 「わかってる、ガルド。……あいつらの配給する『癒しの光』なしで、冬を越さなきゃいけないんだからな」 二人は重い羽を引きずるようにして、集落の外へと踏み出した。 道中、谷の入り口付近にある「管理境界線」の近くを通った。そこには、天使の保護を求める一般の人間たちが、うつろな瞳で空を見上げて座り込んでいた。 「ああ、天使様……光を……もっと光を……」 一人の老人が、カインたちの姿に気づき、怯えたように後ずさった。 「なっ……!光漏れ……! 来るな!穢れる……!」 老人の言葉に、カインは足を止めた。拳を握りしめ、羽が重く軋む。 「呪われているのは、どっちだ」 カインは低く、吐き捨てるように言った。 老人は理解できないといった様子で首を振り、再び空に向かって祈りを捧げ始めた。その姿は、餌を待つ雛鳥そのものだった。 「カイン行くぞ」 ガルドがカインの肩を叩く。 森へ入った二人は、硬い地面に爪を立て、薬草の根を掘り起こした。 手は泥で黒くなり、背中の羽は、一歩動くたびに身体を地面へと押し付け、体力を奪っていく。 だが、その疲れは、カインにとって心地よかった。 自分が動いたから、腹が減る。 自分が耐えたから、夜の寒さに価値が出る。 「いつか……」 カインは、掘り起こした泥だらけの根を見つめながら呟いた。 「いつか、この羽が本当に空を飛ぶための『翼』になる日が来るのかな?」 ガルドは、夕暮れ時の赤黒い空を見つめ、答えなかった。 ただ、その背中にある岩のような黒羽が、微かに震えていた。
『これは、貴方だけのスペシャルオファーです! 貴方は一週間の勝ち組人生体験に選ばれました!』 たどたどしい日本語で、そう言われた。 目の前には半透明の天使。 この世ならざる者の言葉に、少しだけ耳を貸してしまう。 「どうすれば、そのオファーを受けられますか?」 『はい。いま、承諾です。スペシャルオファー、適用されます』 家の前に高級車が止まり、俺はそのままでかい豪邸へと連れていかれた。 「お帰りなさいませ、若様」 そこから一週間は、夢のような時間だった。 一日中遊び続けて、食べたことのない高級料理を食べて、会いたい有名人全員に会えた。 朝も夜も、一秒たりとも暇な時間はなく、ただただ快楽に溺れ続けた。 一週間は、あっという間に流れた。 『延長は有料です。延長しますか?』 標準料金は年間三千万円だったので、辞退した。 元の家に戻ってから思うことは、虚無だ。 何度も有名人と撮った写真を見返しては、あの日のことを思い出す。 もう一度戻りたい。 しかし、彼らと連絡が取れることはなく、彼らはテレビの中から出てくることはなかった。 「体験なんてしなきゃよかったかなあ」 思わず後悔が襲う。 「俺、この人とマブでさあ」 「え! 嘘?」 「もしかしたら、会わせることもできちゃったりするかも」 今は、有名人と撮った写真を使って、ほそぼそと生きている。 プライベートな空間でのツーショットは、効果覿面だ。 架空の信用力が、俺に金と機会を与えてくれた。 年収は、ようやく一千万円に届く。 誰を不幸にしてでも、俺は延長の権利を買うんだ。
週末の夜。羽目を外したピエロたち 歩いては、自身のジャケットのボタンを引きちぎっていく 生暖かい世界の風を、緩くなった身体に触れさせる 独りきりのウィークエンダー 公衆電話に引きちぎったボタンを入れても、伝わるのはノイズだけ どこかの受話器に無効な信号が伝わるだけ 明日は休日。時間に浸る道化たち もう何にも縛られずに済む (完)