閉店時間を過ぎたゲームセンターである。店員が、店内を巡回しながら、壁に貼られた『禁煙』の貼り紙を剥がしていく。やがて、あちこちから煙草の煙が漂ってくる。床のゴミを掃いていた店員は顔を上げる。クレーンゲームの筐体の中で、獲得されなかったぬいぐるみやフィギュアたちが、背中を丸めて煙草を吸っている。「あいつら、何を考えてんだかな」このゲームセンターに勤務して何年も経つが、店員にはそれがわからない。
旅行計画のない一人旅などするものじゃない。 そう思いながら、降りしきる雨の中で、リュックを傘に、彼は走っていた。 急に降ってきた雨に、心の中で不幸を嘆きながら。 Tシャツに短パンなのが、体温を奪うことに拍車をかける。 雨宿りをしようにも、ここは田舎で、周りにあるのは田んぼに次ぎ田んぼ。 旅行先の細かい地形など、彼はてんでわからなかった。 そうして段々走るのも疲れて、息が上がってきたところだった。 「あんなところに、カフェ…?」 この田舎の風景には似つかわしくない、黒基調のちょっと洒落てるような、こじんまりとしたカフェが見えてきた。 ほの暗いけど灯りもついてるし、きっと営業はしてるのか。 とりあえず雨宿りがしたかったからちょうどよかった。 そう思い、彼は側まで行き、そのまま入店した。 ドアを開ければチリンチリンと、鈴の音が鳴る。 入店して、最初に彼の目に映ったのは、ほの暗い灯りの中でバーカウンターの前に座る、女性の後ろ姿だった。 黒の革ジャンに手を突っ込んだまま、女性は音の鳴る方を振り向く。 目付きは鋭くて、気怠そう、恐らく20代だろうか。 しかし美人には間違いない、彼の目にはそう映った。 何より特徴的だったのは、灯りを反射するような腰まで伸びた綺麗な白髪だった。 「珍し」 彼女は小声でそれだけ言うと、またカウンターに向き戻り、側にあるカップを口に運んだ。 彼はとりあえず、彼女と一席分離し、カウンターの前に座る。 ずぶ濡れのまま座るのが申し訳なく思う。 そのまま体感3分近く待ったが、店員さんも、マスターのような人が来ることも無い。 彼は先ほどの女性に声をかけた。 「えっと、ここって店員さんとか」 「いないよ」 遮るように彼女は言う。 「えっと」 彼は戸惑うしかなかった。 彼女は無言のまま、またカップを手に持ち飲んでいる。 カップを口から離すと彼女は呟いた。 「これも縁かなあ」 彼が不思議に思っていると、彼女は続けた。 「君、ここら辺の人じゃないよね?」 「え、あ、はい」 そう答えると、彼女は嘗めるように上から下まで彼の体を見る。 「傷心で一人旅、そんなとこかな?」 「えっ」 彼は驚いた。 正にその通りだったからだ。 大学の時に付き合った彼女から、急に別れを切り出され、心を痛めた彼は、なんとなく田舎の風景が見たい。 そんな漠然とした思いでこの一人旅をしに来たのだった。 初めての彼女だったから、中々に傷は大きかった。 「それで今は、雨に降られながら痛々しい自分に酔ってる、的な?」 こちらの顔を覗き込むように、無表情の彼女は体を前のめりに屈めながら問いかけた。 少しだけ彼は頭に来る。 「いやそんなこと…」 姿勢を戻し、カウンターに彼女は向き直る。 「冗談」 彼女は薄く笑った。 結構嫌な冗談でもそこまで頭に来ないのは美人効果か。 そんなことを思っていると、また彼女は問いかける。 「それで、彼女とはどうなりたいの」 もう彼女の中で、彼は傷心中の男と定義付けられた。 しかし本当のこと、今更そこに反論はない。 少しの沈黙の後、彼は口を開く。 「わからないです。僕はまだ好きなんですけどね、でも彼女が別れたいと言うなら僕にとやかく言う権利もないだろうし、でもだからといってすぐ諦められるってわけでもないからズルズル引きずって…」 「長」 諌められてしまった。 「でも、ならさ、ここに来たのはそーゆーことだよね」 「何がですか?」 「いや、菊理媛神。それで縁結び祈願」 ククリヒメ?そんな単語は彼は初耳だった。 顔で察したらしい。 「縁結びの神。知らないで来たの?なら結構運命力あんね」 「はは…縁結びですか」 乾いた笑いしか彼はできなかった。 縁結び、彼は神に対して信じてないわけではない。 実際おみくじに一喜一憂するタイプだ。 「まあそうですね…ある意味縁結びよりも、縁が切れた方がお互いのためなのかもですけど」 実際自分がどうなりたいのか、彼はわからなかった。 もうそれについて考えることをやめたいのも一つの事実だ。 「ふーん」 彼女は興味なさそうに言う。 自分から聞いたのになんて冷めてるのか。 すると、突然彼女は耳元で呟いた。 「」 それを言われ、彼は思った。 確かにそうだ。 どうして僕は。 なんか、どうでも良くなっちゃった。 彼の目は虚ろになる。 彼を知らない人が、今の彼を廃人、と表現してもおかしくなかった。 突然電話がかかってきた。 彼に別れを切り出した彼女。 瞬間、彼は着信を拒否した。 「効果絶大だなあ」 彼女はまるで女神のように微笑んだ。 「良かったね、縁切れて」
隣家は汚くて小さい。そしてその汚くて小さい家に相応しい、汚くて小さい庭がある。そしてその汚くて小さい庭に相応しい、汚くて小さい犬小屋がある。その犬小屋の入り口には、油性ペンで、汚くて小さい文字が書かれている。『神様』そう書かれている。神様を飼っているのか。まさかな。その犬小屋を見るたびにモヤモヤしていた。ある夜、窓辺でタバコを吸いながら外を見ていた。小さな光が視界の端に見えた。その光は、例の犬小屋の中から発せられていた。えっ。まさかな。慌てて外に出て、そっと隣家に忍び込んだ。そして、庭に行った。光は確かに犬小屋の中からだ。恐る恐る、犬小屋の中を覗いた。まさかな。まばゆい光だったが、やがて目が慣れてきた。犬小屋の中には、電球が置かれていた。その電球が、光を発していた。その場に崩れ落ちた。ほっとした。その瞬間、背後に気配を感じた。
「この路線の先にドッペルゲンガーが集まる町があるらしいよ。その町の人々は自分がドッペルゲンガーだと気付かずに日々を過ごしているらしい。でもね、たまに本物と入れ替わっちゃう時があるんだって。お互いがお互いの環境へ入れ替わる。その方法はね」 その言葉の途中で友人は消えた。スーツ姿の大人と学生で溢れるホームの上、風もなく塵も残さず電気を消したように。スイッチの音すら聞こえたような気がした。 次の日、駅員と口論している友人を見かけた。声をかけると泣きそうな声で知らない駅名を口にした。その口調はとても丁寧で他人行儀だった。 僕は改札を抜け、強張った足で階段を降りた。 どうやら僕のドッペルゲンガーはいないらしい。そんなことを思いながらいつものホームで電車の音を待っていた。
全然人が来ない。暇で暇で、菊田瞳、と書かれた名札を手持ち無沙汰でいじりながら今日もコンビニバイトを過ごしている。 「ねね、急なんですけど、自分で自分のこと、どう思います?」 隣にいるバイトで一緒になった大学生の女の子から不意に投げかけられた質問。人も全然いないし、やることなくなっちゃって暇だから適当な雑談する地方のコンビニの一風景だ。 正直この子はあまり得意じゃない。可愛いし目つきが怖いし、嫌いな人に顔、似てるから。 菊田はマスクの位置を直しながら答える。 「えー、普通…ですね。」 「あ、へぇ~、いやー就活でですね?……」 別に仲良くもないし、気を遣ってくれたんだろうけど。 パーソナルスペースを維持しつつ、興味のない話を適当に受け流し、今ハマってるゲームのことを考えながらその場をやり過ごした。 菊田は楽しみを後にとっておく派だ。宿題は早く終わるタイプだし、好きなおかずは最後まで残すのが常だ。 服はパーカーとジーンズをよく着るくらいでそれ以外のこだわりはない。 菊田は特にゲームが好きだ。動物を愛でながら牧場を経営するようなものは特に。 私は思う、まあ、普通だなあって。 そんな自分が特段嫌ってわけでもないけど、好きではない。 菊田はバイトをしてるけど、出勤時間が遅くて、17時から23時まで働く。 更には通勤時間も30分以上かかるから家に帰ってご飯買ってお風呂入ってエトセトラ、エトセトラしてたらもう24時は余裕で越してしまう。 けど、それが終わればあとは好きなだけゲームが出来る。 どうせ午後のシフトしか入らないからとことんゲームする。 そして日が昇ってきたら、それが就寝時間の合図なのだ。 朝に寝れば、バイトに行くまで寝て、起きてバイトが終わればあとはお楽しみのゲームが出来る、菊田はそんなルーティンを過ごしている。 しかし朝の光は目覚めを促すので菊田は朝の光を天敵だと思っている。 そこで菊田が普段する寝方が、パーカーを着て、フードを深く被ることだ。 フードを眼まで被せることで光を体感90%くらい遮ってくれる。 そこにマスクもつければ喉の乾燥も軽減できて、菊田の完璧な就寝フォームである不審者コーデが完成する。 ゲームを散々やった菊田はチラリと窓を見ると黒色だった空が薄白く変わっているのを確認した。 そろそろ寝なきゃなあ。 ゲーム機をスリープ状態にして、乱雑になった掛け布団を軽く直しながらベッドに横になる。 そしていつものようにマスクを直しつつ、パーカーを深く被った。 こんな姿で眠ってたら誰かわかんないよね。 すこし口角を上げながらふと、そんなことを思った。 不審者コーデなのだからそれはそうだ。 きっと不審者は顔がわからないようにパーカーやマスクをつけるのだから。 そう、わからない。 今、フードを深く被って、マスクで口元を覆う私を見ても、きっと誰も私だってわからない。 そんな何者でもなくなって、彼女は眠る努力をする。 度々頭に出てくるバイト風景やゲームの妄想を、毎回黒板を消すように真っ白にしながら。 いつからか、彼女は暗い空の下で誰もいない町並みを歩く。 自分一人の世界になったみたいで、なんだか心地良いと彼女は思った。 そんな中、向こうの方から歩いてくる人影が見える。 フードを被ってるから遠くだと見えない。 近づいてくるにつれその姿は段々明らかになる。 それは知った顔だった。中学の時の見たくない顔。 何も変わらない虫を見るような目。 足を止め、顔を壁側に逸らした。 息がつまる。苦しい。口呼吸が激しくなる。 そして彼女とそれはすれ違う、思わず彼女は目を瞑り顔をしかめた。 しかし、それは何事もなく通りすぎていた。 あまりにも何事もなく終わったので、拍子抜けした。 まだ息は詰まってるけど、でも彼女はホッとした。 瞬間暗かった空は急に白く明るくなっていく。 眩しくて目を細め、そのまま閉じる。 そして目を覚ました。 フードはずれにずれていて、マスクも外れてしまっている。 モーニングアタックで鼻が辛いところだ。 「嫌な夢見たなぁ…。」 深くため息を吐きながら、起き上がって鼻をかみ、今日もまた菊田は、嫌いでもないけど、好きではない、菊田瞳の一日を始める。
本当はずっとずっと何があっても あなたといれると言う、ラベルが欲しかったのかもしれない。 血縁関係でいれる人のことすら羨ましい。 無条件に彼の時間をもらえるその立場がずっと羨ましかったのかもしれない。 何気ない、でも穏やかな日常を共に過ごせるということが、女としてしか求められない私には手にすることのできないもので、どんなに女として求められていても、無条件で日常を共有できる相手には敵わないのだと。 その場所が喉から手が出るほど欲しくても埋まっていては、座ることすらできないのだ。 だからこそ、空いてる場所でいいからと 今の場所に収まったと言うのに……。 近いからこそよく見えすぎてしまって、 どんなことがあっても日常に帰っていく姿を見て敵わないと思うと同時に、自分という存在がどこに置かれているのか、痛いほど痛感させられる。 満たされた気持ちとやるせない気持ちを抱え、 その背中が夜の闇に溶けきるまで、ただ、見つめていた。
「続きましては、ラジオネームうさぎぴょこぴょこさんからのお便りです」 「私はいま困難にぶつかっています。唯一の肉親である母が亡くなりそうな中で、何もできない自分の無力さと、これからの不安で、全てのことが嫌になっています。私はいま19歳ですが、これから1人でどうしたらよいのでしょうか」 メールを読んだラジオDJは、目の前のマイクにいつもよりも低めのトーンで語る。 「なかなかハードな相談ですね。そうですね〜。う〜ん。じゃあ、この後のコーナーは少し省いて、お聞きの皆さんからの意見を集めましょうかね。何かいい案があるかもしれないよね。体験談とか交えてメール下さいね」 定番のコーナーを早めに切り上げた時点で、4通のメールが送られてきた。3通は説教じみた内容で、無責任なエールをぶつけるようなものだったが、1通だけは違っていた。 「はーい、ということで先程紹介したうさぎぴょこぴょこさんの質問に何件かメールきました〜。ありがとうございます。時間もあれなので1つだけご紹介しまーす。ラジオネームきらりさんからのお便りです」 「うさぎぴょこぴょこさん、こんばんは。お若くして大変な状況におられるということで、心配になり、少しの励ましにでもなればと思ってメールしました。私は24歳で駆け落ち結婚したことで、両家の家族からは縁を切られてしまいました。それでも娘が生まれて、家族3人で不自由なく、楽しく暮らしていましたが、突然夫が急死しました。それは全く前触れもない出来事で、しばらく実感できないほどでした。幼い娘と2人きりの葬式が終わった瞬間、3人の生活が終わったことに気づいて、真っ暗な未来に足がすくみました。頼れる人もおらず、十分な貯蓄があるわけでもなかったので、本当に怖かったことを今でも思い出します。私なんかよりもはるかに孤独感に襲われているとお察します。前向きになれとは言うつもりはありません。ましてや頑張れなんてのは一番つらい言葉なのも分かります。似たような経験をした私が、娘と乗り切った方法をお伝えしますね。とりあえずご飯を食べてみてください。何でもいいですので、温かいものを食べてみてください。甘い物でもいいですよ。もし食べられたら、温かい格好をしてゆっくり寝てください。温かいご飯を食べてゆっくり寝るということを数日続けてください。不安感が強くなることもあるかもしれませんが、その気持ちを否定せずに、続けてみてください。食べて寝るということができたなら、ようやく次の段階を考えることができますよ。次のことを考えられたら、不安感は少しずつ小さくなります。どうか、うさぎぴょこぴょこさんがよりよい人生を送られることを願っています。それでは」 ラジオDJが、長文のメールを読んだ同じ時刻、同じ時刻。ある団地の一室で、ラジオを聞いていた若い女性が嗚咽とともに、声にならない声で夜空に感謝の言葉を投げかけた。少し落ち着きを取り戻したその女性は、炊飯器のスイッチを入れて、冷蔵庫の中身を取り出した。 そう、まずは一歩。
公園の公衆トイレに入ろうとした。男子トイレに、一人のお婆さんが入っていった。そのお婆さんは手に何かを抱えていた。すぐにそのお婆さんが出てきた。そのトイレに入った。立ち並ぶ小便器の傍らに、小さな何かが置かれていた。それは骨壷だった。骨壷には貼り紙が貼ってあった。『ここにおしっこを入れてください』俺がそれを見て突っ立っていると、外から声がした。「息子は変態でした」老婆の声だった。そういうことなら。俺はズボンのファスナーをゆっくり下ろした。
長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった でも、なんというか、異世界の雪国だ 空は柔らかなパステルカラー 雪はぜんぜん冷たくなくて 触るとふかふかの綿あめみたい あまくはないけど と、突然、道端のポストが ―おつかれさまでえす と会釈して通りすぎちゃって 街灯からは、りんごが鈴なりにぶら下がっている ―あ、やっと来た、遅かったじゃあん 声のほう見るとウチのねこが、ガードレールの上でまあるくなっている 見覚えのある茶トラの模様に、やけに短いしっぽ ―たまに道がつながんだよ (道? はへ?) ―帰りの電車まで時間あるし、あっこでたい焼きでもたべてくかあ? 世界は、すっかり見たこともない景色だけれど ねこだけはよく知ってるねこで まあ、ひとまず安心した
どうやら私は生きるのが下手らしい。 いや、らしいという言い方はやめよう。別に誰かから言われたわけではないんだから。 私は生きるのが下手だ。 こう言った方がしっくりくる。 ほんの小さなことで傷つく。 本当に小さなこと。虫で表すとてんとう虫ぐらい小さなこと。 てんとう虫になんだか失礼だな。私と一緒みたいにするなんて本当に失礼。ごめんなさい。 普通の人。つまり一般的で平均的な人では気にしない些細なことを気にしてしまう。 例えば、怒った人を見た日だ。 怒りの感情の中にこめられている悲しみを勝手に想像してしまう。 そしてあの時本当は悲しかったんだろうなって思うだけだったらまだいい。それに加え、自分の心がその人の悲しみに染まっていく。勝手に悲しくなる。 本当に生きづらい。でもその原因を作っているのは間違いなくこの私。 自分で人生という名のゲームの難易度をMAXにしている。とんだポンコツ。 それと人間関係。 私は女の子だけど、女の子同士の複雑な関係が苦手。 陰で悪口を言いながらよく仲良くできるなって思う。それともできない私がおかしいのかな。 そこに男の子が絡むと余計ややこしくなるんだ。 好きな人が被ったり、男好きって陰口のネタが増えるから。 でも男好きって言ってる人に限って、大体男好き。普段から男子と関わりたい魂胆まる見え。見せてるのかな。 仲良し四人グループだったはずなのに、いつしか陰口が始まってしまうんだ。お互いに互いの悪口言ってさ。 私の耳にはグループの人の悪口が入ってくるんだ。どれを信じていいかわからないし、下手に共感できないから困ってしまう。 まぁ、私がいないところでは私も悪口の対象なんだろうな。 どうにもこういう関係が苦手。 男の子だったらもっと簡単なのかな。でも男の子には男の子なりの大変があるよね。 馴染むの下手だな。生きるのはもっと下手だな。 家に一人の方が幸せ。 気にしすぎってよく言われる。 そんなこととっくに知ってる。直そうとしても直らないんだ。 私は生きるのが下手だ。 いや違う。下手だと教えられたのは周りからだ。 周りの人間が教えてくれた。私は馴染めないと教えてくれた。 だからこう言おう。 どうやら私は生きるのが下手らしい。
巷じゃあなた強運ですとLINEへ誘い口座聞き その口座が空だと分かると1万円分のカードを 買わせる詐欺が有るらしい回収詐欺も怖いが こちらはもっと恐ろしいです世の中何も正解 無いと決め旨い話的心積りが良いかも知れない
いつだって見ていてほしい。 あのね、って言いたい。 明日が怖い。 でも毎日が楽しい。 真夜中はひとりぼっち。 でも真夜中は自分だけの時間。 おやすみって言いたい。 でもまだ眠りたくない。 朝は眩しすぎる。 でも新しくなれる。 世界は嫌いだけど大好き。 あのね。 …聞こえてる?
エンドロールが終わって、劇場の外へと歩みを進める。先ほどまで見ていた映画がどうだったとか、この後に彼女と話す内容を考えておく。 そうだな……まあ面白い映画だった。僕は評論家でもなんでもないし、あまり大したことも言えない。それでもただ一つ言えるのは、物語の中に入り込んでしまったことだ。そんな没入感さえあれば、あの映画は面白かったと言えるだろう。 丁度良いテンポも勿論、終盤の急展開は何度でも思い出せる。目まぐるしく変わる場面の一つ一つが、僕を飽きさせなかった。 「面白かったね」 彼女が口を開けて放った第一声。映画を見た人の多くは真っ先にその言葉を口にするだろうが。 「うん、そうだね。終盤とか、予想外の展開過ぎて」 「わかる。次から次に情報が押し寄せてくるっていうか、とにかく飽きが来なかったみたいな感じ?」 よかった。彼女も同じ感想だ。このまま、幾分かは話を続けられそうだ。 そうして僕らは、近くのレストランで食事をしながら映画について語り合った。 _ 「じゃあ、僕はこっちだから」 「うん」 未だ冷たい空気が肌を撫でる。熱を纏っていた頬も、風に当てられて気付けば冷たくなっている。やっぱり、いつになっても別れは惜しい。 少し離れた背を見つめながら、僕は何かを思い出す。 それは、何も変わらない友人関係のはず。 同じ一室で同じ映画を見る。それはもう何回も、繰り返しているはずだった。ただの部活仲間のはず。それなのに、何か変な気持ちがつっかえて僕の声を離さない。 去って行く君の背に、僕は 「あ、あの」 ……引き留めてしまった。このあとにどうすればいいのかは、どうしたいのかは、僕が一番わかっている。それなのに、上手く言葉が出ない。 目の前の彼女に、伝えるんだ。 その気持ちのまま、僕は口を開こうとした。 ヒュッ、と何かが風を切る音が聞こえる。 「な、何だ!?」 音のした方を見ると、何かが飛んできて金属製の手すりに当たった。よく見てみればそれは、手裏剣のような形をしている。 シュバババババババッ そんな擬音で表せそうな感じの素早い動きで、人影が僕の前に現れる。その人は、真っ黒い布で全身を覆っていた。 「誰だお前は!?」 待っていたかのように大きく息を吸って、その人は話し出した。 「拙者は忍者!忍び忍んで、闇に隠れる者!」 そして再び素早く動き、気付いたころには息を切らしながら僕の背後に立っていた。 「はあ……はあ……はあ、どうだ、はあ……俺、じゃないや、拙者の動きは!」 「お、おお、す、凄いです……ね?」 「は、はははは……そうだろう」 「全然忍んでなくないですか……?」 彼女がすかさず口を開いた。 「……」 そのまま何も言わずに、忍者は去って行ってしまった。 一体、何だったのだろうか。
日記を書く習慣が、母にはあった。 押し入れの奥から、段ボール一箱分が出てきた。一九八〇年代から書き続けた日記帳が、年ごとにきちんと並んでいた。几帳面な人だったから、日付も欠かさず、筆跡も乱れていなかった。私は相続の整理をしながら、一冊だけ手に取った。私が生まれた年のものだった。 母の日記は淡々としていた。天気、食事、夫の帰宅時間。感情の起伏はほとんど書かれていなかった。それでも読み進めると、ところどころに私のことが出てきた。 七月十四日。恵が笑った。 八月三日。恵が立った。 短い記録だったが、その短さがかえって愛おしかった。私は次の箱から翌年の日記を取り出した。私が二歳になった年。それも同じ調子で、淡々と日常が記されていた。 十冊ほど読み進めたところで、私が小学五年生の年の日記を開いた。あのころ私は太り始めていた。クラスで一番体が大きくて、それを気にしていた時期だった。 六月のページに、こんな一文があった。 恵のこと、先生から電話があった。クラスの男子に叩かれているらしい。恵は何も言わなかった。 読んで、胸が痛んだ。覚えていた。あの頃、太っているというだけで、何人かの男子にからかわれていた。叩かれたことも、あった。母に言えなかった。心配させたくなかった。 でも母は知っていたのだ。 続きを読んだ。 担任は注意すると言っていた。様子を見る。恵には何も言わないでおく。 私は日記を閉じなかった。その先を読んだ。七月、八月。私へのいじめに関する記述は続いていた。担任との電話のやりとり、父と話し合ったこと、このまま転校させるべきか迷ったこと。私がまったく知らない場所で、母はずっと動いていた。 九月のページに、こう書いてあった。 恵、最近よく食べる。よかった。 私は笑った。そういう人だった。 冬のページをめくった。いじめの記述は少しずつ減っていた。代わりに、私の体重の記録が始まっていた。 十二月。恵、また少し増えた。六十二キロ。 几帳面な母らしかった。月ごとに、私の体重が記録されていた。私自身、自分の体重をそんなに正確に把握していなかったのに、母は知っていた。測っていたのではなく、おそらく私が無頓着に口にしていた数字を、書き留めていたのだと思った。 中学、高校と、体重の記録は続いていた。増えた年も、少し減った年も、すべて書いてあった。 私は二十年分の日記を一気に繰った。就職、結婚、離婚。私の人生の出来事が、母の視点から淡々と記されていた。感想はほとんどなかった。ただ事実だけが並んでいた。 最後の日記帳を開いた。母が倒れる前の年のものだった。 最後のページに、こう書いてあった。 十一月。恵が電話してきた。元気そうだった。体重のことは聞かなかった。もう関係ないと思って。 私はそこで手が止まった。 もう関係ない。 その言葉が、妙に引っかかった。体重がもう関係ない、という意味だと思った。娘が中年になって、体重など気にしなくていい年になった、そういうことだと思った。 でも次のページを見て、私は息が止まった。 日付は同じ十一月。走り書きで、一行だけ。 先生に言われた。年内かもしれない、と。恵には言わない。 私が母の死の知らせを受けたのは、翌年の二月だった。 突然だった、と思っていた。 ずっと、突然だったと思っていた。
その街の珈琲は、墨のように黒く、焼けた鉄のように苦い。大人は皆、顔をしかめ、それを飲み干す。そのことが「立派である」と信じている。 けれど少年は、初めての一口で理性がおかしくなりそうだった。 「無理です」 隣で真っ黒な液体を口に流し込んでいる老人が、重々しく口を開いた。 「ミルクを入れてみたらいい」 「ミルク?」 「入れればその黒いのが天国の飲みものに変わる」 「それは、なんですか?」 「んん… 言ってはみたものの、正直、知らんのだ。見たこともない」 けれど、古い本にはそう書いてある。苦みをやさしさに変える魔法の白だと。その老人は言い残した。 それから少年は、その魔法の白を探す旅に出た。ある賢者は「それは真珠の粉だ」と言い、ある旅人は「それは一番高い山の雪のことだろう」と言った。道中、さまざまな白いものに出会った。美しい白をいくつも試してみたけれど、どれも珈琲との相性はよくなかった。 あきらめかけていた旅の終わり、少年は国境に近い小さな牧場にたどり着いた。そこには、のんびりと草を食む、見たこともない大きな獣がいた。少年は恐々と小屋に近づいていった。そこで女主人が、少年に白い液体が満ちた木の桶を見せてきた。 「これがミルクですか?」 「ええ、そうよ」 少年は、大切に持っていた水筒の珈琲に、その白い液体をひとさじ落とした。水筒のなかの黒い闇が、一瞬でやわらかな色へと溶けていった。 恐る恐る口をつけると、驚くほどまろやかで、春の陽だまりのような味がした。 少年は街へ帰り、あの老人の前に置かれたカップに、ミルクをひとさじ落とした。老人は目を丸くし、一口含むと、生まれてはじめての味に、穏やかに微笑んだのだった。
ねぇこっち来てよ。 いや、、、、分かったよ、、 なんか違和感だねw前は断ってたのに それは、、ごめんって いやーほんとそうだよ。君ったらいつもそうなんだから。申し訳なさを感じてるなら少しは労わってくれてもいいんだよ? 十二分に労わってたつもりなんだけど、、 そう?じゃあ二十分ぐらい労わってもいいのよ? 君は変わらないね。 それが取り柄だもの、ねぇ親、居ないんでしょ? 、、、うん ヤル? 、、なぁ、君は、、怖く無いの? 怖い?そうね怖く無いってのは確かに違うかもだけど自信家なの知ってるでしょ? 僕は少し怖いや 怖い、、怖いねぇ。私が気にして無いのに君が怖がるのは傲慢ってやつじゃ無い? 傲慢?それは、、 さらに辛気臭い顔してどうすんのよ。せっかく誘ったんだからそっちを気にしてよ。 ごめん 謝るぐらいならベッドまで運んで
サラリーマンは酔っぱらって笑いながら、小暗がりの公衆便所につまずいて入った。明かりのスイッチを手探りして、数回オンとオフに切り替えたが、蛍光灯は暗いままだった。トイレはかろうじて見える程度だったが、流し台と小便器の輪郭は確認できた。尿とゲロの臭いが鼻腔を満たしたので、彼は一瞬ためらう。しかし、彼の膀胱はいっぱいで、彼を急かした。 小便器に向かって足を引きずっていると、彼は影のある隅に犬の目が一対あることに気づいた。瞬きしない金色の目は、彼の一挙手一投足を監視し、追いかけた。彼は怖がらせようとして、酔余の叫び声をあげた。 代わりに、深いうなり声がトイレにこだまして、黄ばんだ牙が獰猛に輝いていた。淡い月明かりに足を踏み入れ、狼のような姿を現した。痩せっぱちで、鼻面が長く、ほとんど毛がなかった。再びうなり声を上げて、今度はもっと威嚇してくる。 おびえ、彼は後ろ向きにつまずき、尻餅をついた。それから、ズボンが暖かく湿り、床を漏らした。新鮮な尿の水たまりが広がり、化け物に到達した。すぐに、うなり声が止まる。右足で水たまりに触れ、軽く頭を下げた。すると、長い吸収管の舌で尿を吸い始めた。彼はこの隙に静かにコッソリ逃げた。誰も彼の話を信じなかった。漏らしたズボン以外は。
もうすぐ、神様の夏休みが終わる。神様は夏休みの宿題を提出するだろう。神様は宿題の自由研究で、僕たちが生きているこの星を造った。これが先生に提出されたら、僕らはどうなるのだろう。神様が造った後、何度もこの星で戦争が繰り返された。もしかしたらそれは、自由研究のために、起こされた戦争だったのかもしれない。焼け野原で、体育座りをしながら、僕たちは「せめて神様が高評価をもらえればいいな」とぼんやり考えていた。
《Ba.朝顔》 仕事が終わり会社を出る 人通りなどとっくにない夜の十一時 疲れた体と足らない脳をフル活用してやっと帰れる。こんな生活いつまで出来るのか。 帰ったら妻は起きてくれるだろう。赤ん坊の息子はスヤスヤ寝ているのだろうか。 足を動かして家に向かう。早く家族に会いたい。今日は機嫌よくしていたい。このままでいいのだろうか。 ピンポン ラインが入る 足を止めずにスマホを確認する バンドのグループラインにVo.桜さんからのライン 「お疲れ様です。この間のライブ映像をYouTubeにアップしました。URL載せときます」 この間のライブの動画の静止画像が写っている 青いライトを背にステージ上の五人の影がある。プロのようにカッコよくはないがこれが僕らの姿である。早く帰って観てみよう 《Gt.山茶花》 Gt.山茶花は熱いシャワーを浴びていた 今は河川の補強作業をしているのだがとにかく臭い。Gt.山茶花は肩まである髪をぐ しゃぐしゃとシャンプーを馴染ませシャワーで洗い流す 泡が逞しい体を伝って排水口へ吸い込まれていく 熱い湯船に体を沈めると一気にお湯が溢れる。ダムの崩壊のように流れ出るお湯を優越感を持ってGt.山茶花は眺めていた (この間のライブで八弦ギターがいたけど、ありゃがっかりだったな) はなのなまえで一番バンド経験が長く、練習家のGt.山茶花は気持ちも人一倍熱い (そろそろVo.桜の所にライブハウスからDVDが届くころだな。後で催促してみるか) 風呂場の扉の向こうで妻の声がする 「ただいま!晩御飯餃子でいいかな?」 「おう!餃子最高!」 「何この匂い!?作業着めっちゃ汚れてるじゃん!これ汚れ落としてから洗濯機に入れてよね!」 「う、うん。分かったよ」 ピンポン。Gt.山茶花のスマホにラインが入る 「ライン誰から?」 「えっとね…お母さんだ」 「母ちゃんから?ちょっと何て書いてあるか見てくれ」 「ちょっと待ってね…家の整理をしたいので、あんたの部屋に置いてあるギターを全部捨てて良いかだって」 「駄目に決まってんだろー!」 妻が扉の向こうで笑っている 《Drs.金木犀》 Drs.金木犀は浜松のアパートで妻の作ってくれた晩飯をレンジで解凍している 出張先の会社が用意してくれた家具付のアパートは隣の部屋に外国人が住んでいるらしく、たまにお祈りの時間が始まる。呪文のようなお祈りが何故だか心地よく聞こえる。 チーン。晩飯が解凍された。 Drs.金木犀は本社勤務のエリアマネージャーで、請負事業所を全国に設けてあり、その監査が彼の仕事だ。月の半分は家にいない。 温かいお弁当をテーブルにのせテレビをつける。YouTubeを起動させてこの間の自分たちのライブを観る。 妻のお弁当は妻らしくバランスがとれている。箸で春巻きを取り口に運ぶ。SEが止まる。直ぐに演奏が始まる。春巻きを咀嚼する。歌い出しのフィルの粒立ちが良い。 「うまい!」 一発目の曲はボーカルの妻の作った曲だ。疾走感があるのでオープニングに良いと皆で決まった。あの時、皆は気が付かなかっただろうけど、普段はあまり笑わない妻が笑っていた 【桜の嘘】 白い雲が風に乗って流れていく 君への思いはあの雲に乗っている どうしょうもないことを 追いかけて追いかけて 自分だけが分かっているつもりだったから 桜の花びらひらりひらり まだ来ないバスを待ってる 桜の花びらひらりひらり 君の嘘は僕が気付くのを待ってる 匂いで君の機嫌が分かってくる 二人の思い出はこの街のどこにでもある もう知っていることを 追いかけて追いかけて ページの終わりを何度も 読み返して読み返して どうしょうもないことを 追いかけて追いかけて 自分だけが分かっているつもりだったから 桜の花びらひらりひらり まだ来ないバスを待ってる 桜の花びらひらりひらり 君の嘘は僕が気付くのを待ってる 君の嘘は僕が気付くのを待っているんだ
私の中には「17歳」の「僕」がいる。 「僕」とは普段の私の意識とは少し離れた存在で、人間としてではなく「個」の命あるいは魂としてそこにいる。その「僕」は「17歳」のままで私の中にいる。いつも小さな物語を書いているのもこの「17歳」の「僕」だ。 ここでは「私」から見た「僕」について綴っていきたいと思う。 私の中の「僕」とは別人格ではなく、「私」とは少し違うものの見方をする"自分"だ。「僕」は非常に内向的で、内側の閉ざされた世界を好む。一方で、宇宙などといった途方もなく広い世界にも興味を持ち、空想が好きだ。また、言葉にもとても敏感で、特に透明度の高いものや、ほんの少しの影を含むものは「私」を通して「僕」へと深く浸透していく。それ故、「僕」の自己表現の手段が「言葉」になった。 私の中には、私が17歳であった時からずっと17歳のままの存在がいた。それが「僕」であった。思い返せば、17歳は私にとって精神的な転換点であった。その衝撃からずっと時間は止まったまま、あるいは敢えて止めているのかもしれない。17歳の「僕」はまだ子供であり、「私」の現実の目に映る不透明な世界を恐れている。その恐怖が一時的に大きくなることがあり、そうすると「私」まで引っ張られて意識が不安定になる。いつもは「私」が子供の「僕」を守っている状態なのかもしれない。 「僕」は子供と言ったが、私よりも物事の本質を見抜くのが得意だ。それは素直さ・純粋さから来るものなのか、あるいは単なる「子供」ではなくもっと深みのある存在だからなのか、今の私にはわからない。ただ、「私」が目の前の感情に囚われている時に絡まった糸を解くような思考へと促してくれたり、私が形を掴みきれないでいる感覚を的確に言語化してくれたりする。私が「僕」を守っているように、「僕」も私の意識を守ってくれているのだ。 これが、今の私が知っている「僕」という存在である。「僕」がいつから私の中にいたのか、「17歳」から成長していくことはあるのか、まだまだ謎が多いが、私の世界を広げてくれていることは確かであり、大切にしていきたい。
健康診断に行った。看護師に、検尿用の紙コップを手渡された。「尿は奥のトイレで採ってください」そして、看護師は窓の外を見て続けた。「尿を採った紙コップは、宇宙の果てに置いておいてください」俺はトイレで尿を紙コップに採り、それを持って、宇宙服を着て病院のロケットに乗り込んだ。そしてロケットは発射した。俺は窓の外の宇宙を眺めながら、「死ぬまでに病院に戻れるだろうか」と思った。
あなたを殺す、夢を見た。憎くて堪らない、あなたを。 あなたの喉を裂いて、目を潰した。心臓を突き刺して、鮮血の行く末を見届ける。 手にあったナイフの刃渡りが、脳裏に焼き付くほど。妙に鮮明な、夢を見た。 気持ちが良かった。だから、目覚めて夢だと悟ったときは、心底がっかりした。 「侑ちゃん、おはよ」 目覚めた日も、いつものようにあなたは着いて回る。そんなあなたが、私は嫌いだった。あの夢のように殺してしまいたかった。 「だったら、殺しちゃえばいい」 夢が、意思を持ったように私に微笑みかける。その一言が、変に私を駆り立てた。 そして私は、あなたを殺した。 持っていったのは、たったひとつのナイフ。手触りが伝える感触はあの夢のようで、なんだか現実から切り離されているような感じがした。今ならなんでもできると、そう錯覚したように。気が付けば私はその身体を刺して、裂いて、斬っていた。 広がる鮮血、酷い臭い。 実際の五感がその光景を見る間に、私は一言を口にした。 気持ちが悪い。 ちっとも、良い気なんてしない。夢の中で殺したときのあの快感もない。ただあるのは赤に塗れたあなたと、終わった後に残ったほんの少しの罪悪感。今更になって押し寄せてくる感覚に、私は口を塞いだ。 気持ちが悪くて、俯く。 その瞬間、吐いてしまった。吐いて、吐きまくった。何も出なくなっても、嗚咽が響いた。 やっとの思いで吐き気が治まり、ゆっくりと顔を上げる。 ほんの少しの善性が吐いたカス溜りを見ないようにして、その奥の死体に一言。 「ごめんね」 それだけ呟いて、私はそこを後にした。 結局、殺したって何も嬉しくなんてなかった。あなたが生きていても、私には迷惑でしかなかったのに。 そう。生きていたって、死んだって迷惑。私は、あなたのことが憎くて仕方がない。 結局、私はどうすることもできないまま―― はっ、とヒグラシの鳴き声に呼び戻される。顔を上げて奥の景色を見れば、そこには真っ赤な夕焼け。燃えるようで、綺麗で、思わず見惚れてしまう。 言い表せないような、よくわからない感情が奥底から湧き上がる。 私は、あなたを殺して。 殺して、殺したのに。こんな赤に照らされるだけで、こうも感情を説明できなくなる。 わけもわからぬまま涙が溢れそうになるのを堪えて、 そっと、喉元にナイフを添えた。 そして、 私はまた、笑顔になる。
エスカレーターに乗りながら思った。 人生は、まるでエスカレーターみたいじゃないかと。 ボーっと立っていようが、本を読みながら立っていようが、辿り着く場所は皆同じ。 等しく上に向かって、等しく終わりに辿り着く。 人生を楽しくするとは、エスカレーターで突っ立っている時間を如何に有意義に過ごすかに等しい。 私は本を読むためにスマートフォンを取り出して、バッテリーが少なかったのでモバイルバッテリーを取り出す。 「あ」 モバイルバッテリーを取り出したら、ひっかかって出てきたハンカチが、ひらりと宙を舞った。 舞った先は、運悪く手すりの外。 私が顔を覗かせて下を見る中、ハンカチはひらひらと舞って、下の階へと落ちていく。 もう私では、どうにもならない。 下を歩く人々は、音もなく落ちていくハンカチに気付かない。 いや、落ちていく場所も悪かった。 昔店舗があった場所で、今は空っぽ。 そこを歩く人など誰も居ない。 どれだけ手を伸ばしても届かない。 まるで、夢を叶えられなかった日みたいだ。 ただただ失敗したということだけがわかって、周りを見ても誰も手を差し伸べてくれなかった。 いや、私が失敗したのだということにさえ、気づいてはいなかった。 だって、そのあと私は、就職できてしまったから。 上の階に到着した私は、すぐに下りのエスカレーターに乗り帰り、Uターンする。 私の後ろに乗っていた人が怪訝な目で私を見るが、すぐに興味なさそうにスマートフォンへ視線を落としていた。 下の階に到着し、空っぽの一角へお邪魔する。 寂しそうにハンカチが待っていたので、私は丁寧に拾い上げる。 少々埃がついているが、はたけば問題なし。 なんだか夢と再会した気分だった。 上にでも下にでも移動ができるエスカレーター。 でも、人生の時間は上にしか進まない。 落とせば終わり。 下の階の人が拾えば夢は続くが、それはもはや私の人生ではない。 私の後続の誰か、私の夢を拾った人のものだ。 「次は落とさないようにしよ」 スマートフォンのバッテリーのパーセントが増えていた。 私はハンカチを鞄にしまって、再びエスカレーターを上り始めた。
なにもしないでボーッとタバコを吸う。 女の子を目で追う。 自宅で処理する。 本を借りてきても読まない。 歩かない。 自炊出来なくて出来合いの物を食べる。 世の中にレスポンスしない。 猿山の猿だって毛繕いくらいはするのに。 脳細胞がゆっくりと劣化する。 蛍光灯に当たるだけで消耗する。 ゼロコーラばかり飲む。 人工甘味料によって脳が攻撃的になるのが自覚できる。 植物になる夢を見る。 植物は頭がいいのだと思い至る。 プランクトンになるのだろうか? 鯨のエサになるのか。 イルカの友人は暖房をつけずに張り詰めている。 デジタルツールが脳の中で勝手に組上がる。 何が有益なことなのか判断がつかない。 無益。 言葉を消去法で羅列し、それを誰かがヒントとして使ってくれればいいな、と他人任せ。 歌を歌った人たちが生活を構築する。 哲学が僕を支える。
「私って生きるの下手だなー」 椅子に猫背に腰掛けた先輩が言った。 「どうしてですか?」 先輩はいつも笑顔だったので、どうしてそんなことを言うのかわからなかった。 「だって、みてこの顔」 「顔ですか?」 先輩は自分の顔を指さし、言ってきた。 「一重で目が小さくて、おまけに団子鼻」 先輩はそう言いながら、窓から見える桜を眺めていた。 長いまつ毛が光に照らされ、美しかった。 もう三月で、三年生の先輩は卒業してしまう。 こんな会話ももうできなくなる。少しだけ悲しい。 「世の中はルッキズム、この世は顔が全てなんだよ。こんな顔じゃ、損して生きるに決まってる」 「そうですか?先輩の顔、好きですよ」 つい、本音が漏れてしまった。でも本当に先輩の顔は綺麗だ。 「ふーん、そう?じゃあ私とキスできる?」 先輩は綺麗な目元を細めて言った。悪戯な目だ。 「はい」 先輩を困らせてやろうと思って言った。 「え」 先輩はうつむき、顔を赤くした。その顔はなんとも美しかった。 先輩のその反応を見て、自分の発言を重さを自覚した。 「ま、まじ?」 真っ赤な顔で少しはにかみながら先輩がたずねてくる。 「冗談です」 目を見て言えなかったのは、それが嘘だったからかな。 「あっそ」 先輩は少しだけ悲しそうな目をして、再び笑う。本当に綺麗な人だ。 先輩は明日卒業する。全てが今日までだ。 「てか先輩、なんでここにいるんですか?」 「なんでって、私はここの部長だよ」 「二人しかいない部活に部長って。てか三年は引退ですよ」 この部活の部員は先輩と自分の二人だけ。 ほぼ廃部で、先輩が卒業する今となっても正式に部活として認められていない。 「まあ、いいじゃん。てか私が卒業したら君、一人だよ?」 「そうですね」 「私が卒業したらどうするの?」 「帰宅部ですかね」 「まじか。君がこの部活に入部した時、私めっちゃうれしかったんだ」 「なんですか、急に」 「別に〜」 先輩がそう言うと同時にチャイムがなってしまった。 「また明日」 手を振りながら、先輩が言う。 次の日。卒業式の最中、私はずっと先輩を見つめていた。 先輩は泣きもせず、笑いもせず、いつも通りの落ち着いた表情だった。 「卒業おめでとうございます」 卒業式が終わった時、先輩に勇気を出して言った。 「ありがとう」 先輩の顔はいつもよりずっと美しかった。 先輩が卒業してしまった。まあ、卒業しちゃうものか。 思い返すと先輩の連絡先も、住んでいるところも、行く大学すら知らないな。 もう二度と会えないのかな。 いつも先輩が座っていた席に座り、桜を眺めた。 先輩は散ったらどこかへ行ってしまう桜の花びらみたい。 校庭に咲く桜を眺めながら思った。その間にも花びらは一枚、また一枚と散っていた。 部活、新一年生がくるまで続けよ。
学校の近くの横断歩道には毎朝、旗を持ったおじさんが立っていた。いつも笑顔で挨拶をしてくれて、優しくて頼もしいと僕は思った。ある時、一人のお爺さんが、赤なのに歩道を渡って行った。それを見たおじさんは「赤だぞ、おい、じじい」と怒鳴った。その時のおじさんの顔を、僕は一生忘れないだろう。
漁師は網を挙げた。魚が入っていた。肉付きのよい魚だった。その魚は口に何かをくわえていた。それは一本の包丁だった。魚の目は訴えていた。「刺身にして」漁師はつぶやいた。「俺はお前を煮付けにしたいんだ」そして、漁師はその魚を海に帰した。魚は時々漁師を振り返りながら、包丁をきらめかせて海底へ消えていった。漁師はその日、仕事帰り、魚屋で魚を買い、家に帰ってそれを刺身にして食った。
野菜の無人販売所で、一人のおじさんが売られている。『百円』という値札が貼られていた。数日後、同じ無人販売所の前を通りかかった。同じおじさんがいた。値札を見た。『無料』と書かれていた。おじさんを見ると、左手の薬指に、この間までなかった指輪がはめられていた。
パチンコ屋に行った。パチンコ台を探しながら店内を歩いていたら、床にパチンコ玉が転がっているのを見た。その転がっているパチンコ玉の中に、肌色の球体があった。拾い上げると、それは小さな人間の頭部だった。髪がつるつるに剃られている。それは小さな僧侶の頭部だった。当然頭部だけだったから、死んでいた。でも、その顔はとても穏やかな表情をしていた。きっと悟っているのだろうと思った。悟った小さな僧侶の首がパチンコ玉の中に混じっている。何か意味があるのだろう。俺にはそれが理解できなかったが、とりあえずその小さな僧侶の首を拾い上げて、ポケットに突っ込んだ。そしてパチンコを打った。勝てなかった。落ち込んだ。そうしたら、ポケットの中で、僧侶の首が微笑んだのがわかった。
時計を見た。後、三分で、地球が終わる。「終わるなあ」と思った。「死ぬのかあ」と思った。その時、部屋の隅のカップラーメンが目に入った。『熱湯三分』そう印刷されていた。俺は電気ポットを見た。湯が沸いていた。俺はカップラーメンの蓋を開けて、湯を入れ始めた。その湯気が顔に当たっている時、俺は「生きてる」と思った。
皆、それぞれのKを持っている。色も違えば、匂いも違う。 こんがりと焼きあげられたKもあれば、ふんわりとなめらかに仕立てたKもある。高値で売買されるKもあれば、易々と手に入るKもある。 いろんなKを皆が持っていて、まるでカードやマネーのようにKを交換している。ときには博物館などに保存され、重要文化財として登録されることもあった。ときには戦の火種となり、珍種のKをめぐって大勢の生物が死に絶えた。 ぼくは、このKが何の「K」なのか、ずっと考えていた。 貝殻のK、加藤さんのK、かものはしのK、カフェ屋さんのクッキーのK。他にもたくさんあるけど、答えはずっと見つからないままだった。そもそも、どうしてKがあるのかなんて、ぼく以外の誰も気にしちゃいなかった。 「なんで、Kの真意が気にならないんですか」 ぼくは、そこら辺で寝ていたオジサンにたずねた。 「真意?」とオジサンは首をかしげた。ましてや「真意もなにも、Kは私達と同じ生き物なんだから。私達がいることに、何か意味があるのかい?」と逆にたずね返された。 Kが生き物? Kは言葉じゃないのか? でも、確かにぼくたちが生きていることには、なんらかの意味なんて、べつに存在しやしないのかもしれなかった。いいや、もしかしたら確かな意味はあるのかもしれないけど。そのことをまだ、ぼくたちは見つけきれていないだけの話かもしれなかった。 KはKだからこそ、意味があるんだね。ふと、そう思った。 人間が人間らしいものに共鳴するように。ぼく達は、“そのものらしさ”を重視するのかもしれない。だから、Kは皆に受け入れられて、皆はいつの間にか数多のKを手にして、今日も生活を営んでいるのかも。そう思うと、ちょっと心がふふっとなって。わらった。 ぼくは今、手のひらでKを握っている。ただ、その事実だけで何か安心できるものがあるということは、まぎれもない事実だ。
一時間目の授業が終わった。 宿題などの連絡事項を右から左に聞き流しながら挨拶をして休み時間に入る。 本を取り出す。特に理由があったわけじゃない。気がつくとそうしていた。ただいつものように本を読む。夢と魔法の話を読んでいた。 貪りながら時間を潰す。 周りの喋り声が 「~なんで~だから」と聞こえる。その急を要しない陳腐な声。当の本人には大事な話なのかもしれない。 無視して本の世界に没頭する。僕の頭の中の目の前に魔法が飛び交う。 ページをめくるたびに教室の空気が重くなっていく。 気がつくと教室より本のほうが、ずっと現実みたいに思えてくる。
毎日、決まった時刻にあの歩道橋を渡る。それがボクの日課。 見上げる空の色。頬をなでる風の温度。季節の移りかわりに合わせるように、足元に伸びる影の長さも、毎日、少しずつ変化して。 一段飛ばしで階段を駆け上がる。 それだって、静かで大切な独り占めの習慣だった。 ある日、その習慣に、ふいにキミがすべり込んできた。 一人きりだったアスファルトの上に、いまは、よりそうような黒い影がふたつ。 キミと歩幅を合わせて歩く時間は、いままでよりずっとゆっくりで、ずっと鮮やかだ。 「ねぇ、見て」 そう言って笑うキミの横顔を見ながら、ふと考えてしまう。 このふたつの影が、いつの日か― さらに小さな影が加わって、みっつ並んでこの橋を渡る未来。 そんな、くすぐったいしあわせを、夕暮れに染まる街を見下ろしながら、ちょっぴり想像してみたりした。
学校からの帰り道、自宅の方からやってきた、大蛇とすれ違った。大蛇の腹は膨らんでいた。その膨らんだ形は、僕のお母さんの形をしていた。自宅に帰ると、案の定、お母さんがいなかった。次の日、学校からの帰り道、自宅の方からやってきた、大蛇とすれ違った。大蛇の腹は膨らんでいた。その膨らんだ形は、僕のお父さんの形をしていた。自宅に帰ると、案の定、お父さんがいなかった。次の日、学校からの帰り道、自宅の方からやってきた、大蛇とすれ違った。大蛇の腹は膨らんでいた。その膨らんだ形は、僕の知らない人の形をしていた。自宅に帰ると、誰もいなかった。でも、直前まで誰かいた気配がしていた。僕の知らない人が、僕の家にいたらしい。大蛇に飲み込まれたあれは誰だったのだろう。誰も家にいないから、相談する人がいない。僕はどんどん不安になってきた。この不安感から逃れるには、死ぬしかない。僕は大蛇の帰還を待った。
その男は、毎日「死にたい」と考えていた。男は毎年、自分の誕生日と、最愛だった亡母の誕生日に、自身の身体に、タトゥーを増やしていた。それは、ハエのタトゥーだった。大きさも見た目も、リアルなハエにそっくりなタトゥーだった。男はそれを増やしていった。男は「死にたい」と考えていたから、自分が死体になることをいつも想像していた。だからハエのタトゥーを増やしていった。わかるようなわからないような話だ。結局、その男は、十数年後に、全裸で首を吊って死んだ。その死体には、ハエのタトゥーがびっしり彫られていた。だから、本物のハエたちは、その死体の前で、しばらく呆然としていたという。
ドン。 庭の方から音がした。 急いで外へ出てみると、塀がべこっとへこんでいる。 塀から少し離れたところには、何食わぬ顔をして進んでいる自動車が一台。 ぶつかり跡がくっきり残っており。 スマホを取り出して監視カメラの映像を確認してみると、証拠もばっちり。 「ちょおおおい!」 ぼくは自動車を全速力で追いかける。 偶然信号で止まったので、窓をノックする。 運転席に座る爺さんは太々しい表情で窓を開け、ぼくを見る。 「さっき、ぶつけましたよね?」 「知らん」 「いや、監視カメラの映像あるんで」 「アクセルとブレーキ間違えた」 「ぶつかったってわかってるんなら、なんで逃げたんですか?」 「ぶつかったと思わんかった。なんか外で音がしたなあと思ったけど」 「いやいや、さすがに」 「というか、覚えとらん。ぶつかっとらん」 おっどろいたー。 意見がころころ変わっていく。 「覚えとらんって、そりゃないでしょ」 「覚えとらん! 覚えとらん! わしは忙しいんじゃ! もう行く!」 爺さんは、信号機を何度も確認し、青になるのを待っていた。 指でハンドルを何度もたたき、右足がうずうず動いていたので、これは逃げる気満々だと思った。 「そうですか。さっきのことなのに覚えてないんですね」 「覚えとらん! 覚えとらん! さっさとどっかいけ!」 「そうですか」 信号が青に変わりそうだったので、爺さんは前を向いて、発車の準備を決め込んだ。 もう相手にするのは諦めようと、ぼくは拳を握って、振りかぶる。 青になる。 爺さんがアクセルを踏む。 ぼくは爺さんの横顔を思いっきり殴りつける。 「いだあああああ!?」 爺さんの車が急発進。 しかし、発信直後に左右へぐらぐら。 ハンドル操作を誤ったのか、別の塀に正面衝突して止まっていた。 ああ、恐い。 自宅に向かって歩いていると、遠くの方から罵詈雑言が聞こえてきた。 「覚えとらーん」 ぼくは振り向くこともなく、魔法の言葉をつぶやいて帰宅した。
小さな二つの影は、手を取り合い、互いの体を引いては寄せて、押入れの奥に置き去りとなったガムテープの輪っかの中で、一心不乱に踊り続けた。暗闇が彼らを照らし、静寂は鼓動を浮き彫りにした。黒い汗が迸り、音の無いステップを踏んだ。やがて光が差し込むその瞬間まで、影は踊りを辞めなかった。
朝、出勤前のコーヒースタンドは慌ただしい。 そんなお店でメニューを見てる余裕なんてない。 あれこれ迷ってるなんてもってのほか。 「ブラックで」 いつもこれと決めておけば、あれこれ考える必要はない。 「かしこまりました」 毎日ここで同じものを注文してる。 いいかげん顔を覚えてくれてもよさそうなのだけど、 まだ「いつもありがとうございます」とは言ってもらえない。 まあ、そのうち、そういうこともあるかな。 なんて思っていれば、注文の品はできてくる。 手渡されたカップをさっそく一口含む。 ん? 何か、軽く殴られた感じ。 普段の朝にはない、やけに甘い塊が、口のなかに広がった。 不思議に思っていたら、となりから、 「んん、苦いな」 と低い声。 見てみると渋い顔をしたコワモテの男性と目が合った。 「ああ、あの、なんか、間違っちゃったのかも」 「ん? そうなのか?」 互いのカップを交換する。 コワモテは、やけに甘いのを口につけ、にこり、とかわいい笑顔を見せた。 「甘いのお好きなんですか?」 「ん? ああ、まあ… そうだな」 「意外ですね」 「顔に似合わずと言いたいんだろ」 「あ、いえ」 「いいんだ。家内にもよく言われてる」 「ああ…」 と、心のなかで納得する。 その日を境に、そのコワモテ甘党の男性とあいさつを交わすようになった。 流石に、ここから何かが、なんてことはないけれど… その男性の姿に、ざわついた朝が、少し落ち着く気がしているのは、確かなことだ。
牛丼屋に行った。 ワイファイを拾った。 「GyudonーWiFi? ラッキー、ここフリーワイファイ飛んでるんだ」 通信費も馬鹿にならない。 節約のために、速攻繋いだ。 そして牛丼を食べた退店後。 「え? フリーワイファイの提供なし?」 繋いだワイファイは、牛丼屋のものでないことを知った。 牛丼屋で、Gyudonをアピールするフリーワイファイを偶然拾うことがあるだろうか。 いいや、ない。 ならば目的は、公式のフリーワイファイ勘違いして繋いだぼくみたいな馬鹿から、パスワードや個人情報を抜き取る以外はないだろう。 なんてことだ。 「ぎゃああああああああああああ」 牛丼屋の近くで、悲鳴が上がった。 ぼくのパスワードは、誰にも推測できない代わりに、知れば死神に憑りつかれる曰く付きだ。 盗んだせいで、見てしまったのだろう。 ぼくの背後にいる死神が振り向いて、にったりと笑っていた。
たまに、(自分はちゃんと生きられているのか)と不安になる。勿論、ちゃんとなんか生きられてはいないのだが、そうではなく、そういう事ではなく、人として、大人として、親として、夫として、最低限の行動が出来ているのかと不安になる。 法に触れることはしていない。いや、たまに信号無視や、横断歩道を渡らない、女性が泣いていても声をかけない、なんて事はたまにある。が、無闇矢鱈に自分の不機嫌を外に出さないとか、挨拶をするとか、愛想笑いをするとか。日々、少しでも、善良に生きる事を実行しているのかと自分に問いかけてしまう。そんな日がある。 街を歩いていると、肩で風を切って歩く若者を見たりするが、彼が一生あのままでいられないことを私は知っている。彼が結婚し子供を持つ頃にはもう少し普通になっている。また、自分を変えられないのなら、家族から弾き出されるだけである。もう少し言えば、町内からも弾き出される。妻や子供を持てば自分という存在は家族というチームの中の一人になる。周りはそんな目で彼を見て、自分達の過去と比較し、正常か異常かを判断するのだ。 誰でも若いうちは世間に対して自分のズレは気が付かない。社会に放り出され莫大な情報に圧倒されるからだ。転生と言っても良いほどに。だがラジオのチューナーが徐々に合わさり声が明瞭になるように、歳を重ねれば重ねるほど世界が見えてくる。自分の足元から延びている光の道が見えてくる。 近所の道路脇にさりげなく梅が咲いている。ほのかに良い香りが記憶に残る。通りをスクーターが孵化しながら通っていく。ハンドルを細かく捻り、ガゾリンを非効率に爆発させ、大きな音を自分の威厳と同化して楽しんでいる。何十年も前から変わらぬ作業だ。そして梅もおそらく何千年も前から変わらぬ作業で花を咲かせるのであろう。 私も梅のようにさりげなく咲き、ほのかに良い記憶を残していきたい。
努力ってのは結局 毎日コツコツと続ける事によって 感覚が麻痺して 中毒になっていく事なんだよ (完)
右手だけが眠っているように、ペンを持つ手に力が入らない。かすれた文字では何も書けない。そもそも書く言葉すら私にはなかった。 視界の後ろにある玄関扉の奥では河童が立っている。小さな河童の表情を覗くことが怖かった、恐かった、こわかった。なんで河童なの。 外では車のタイヤが水を弾く音が響く。トラックの起こした風の音、空気とコンクリートの摩擦音。外は夜の町。 どうか、眠たいからって僕から逃げないで。
熱い。 それは一気に降り注いできた。溜まっていたわたしのひとつひとつが、その中を泳ぎだす。 熱の流れに突き上げられるように浮き上がり、沈み込む。浮上し、降りる。その繰り返し。 そのたびにわたしの中には熱いものが染み込んでくる。 代わりにわたしは紅く紅く周囲を染める。まずはほんの少し。そしてもう少し。浮上と下降を繰り返す都度、わたしの周囲が紅くなっていく。 幾度かそれを繰り返すうちに、わたしを弄んでいた流れは手を止めた。 わたしはゆっくりと沈んでいく。沈んでいく。底に溜まる。 ふいに、もう十分だ、とわたしたちはそれごと持ち上げられ、ぐっと傾けられた。 紅く染まった周りもろとも、わたしの身体は流されていく。 ふと、わたしだけが捕まった。捕らえられた。ああ、わたしが染めた紅だけがさらに流されていく。注がれていく。 カップへと移されたわたしだったものたちは、テーブルへと運ばれて行った。 午後3時。 わたしはキッチンの隅で、ぬるく、ぬるく、冷めていく。
「ドレミファ……」音楽教室の帰り道、私の隣で娘が覚えたばかりの音階を暗唱していた。「ソ……あれ?」娘は電信柱を指差した。見ると五本の電線が空に書いた五線譜のように、等間隔で横に連なって伸びていた。昼間の白い月が、下から二番目の隙間にすっぽりと収まっていた。「あのお月さん、ラだね」
我慢はあった しかしこれが夫婦の当たり前なのだ 我が家はどちらかが極端に稼いでくるわけではない、お互いが今の仕事で出来る限りやってきたのだ。 それでも私はずっと引きずってしまう、 同棲を始めた頃の初期費用、家を買うための頭金、引越し費用その他諸々 全て私が出してきた、 自分で、自分しか支えていけないと思ったから
2ヶ月前、夫が転職をした 前の職場は残業12時間やら土日祝、直前に仕事入ったなどこちらが振り回されてばかりだった。 私はその生活に嫌気がさしていた 私自身は週6で働き、子供達の保育園の送迎はもちろん掃除洗濯を当たり前のようにやり、帰ってきても夫がいない日は疲れたよりも嫉妬を感じていた なぜ嫉妬なのか、なぜ そうだ、夫は働いている、働いてくれている、 ただ夫が働いて家を空けても私が家のために払う金額は変わらない、 なのに夫が家にいない分私の負担が大きいのではないか? ずっとこの疑問を感じていた
「パンって漢字で『麺麭』って書くんだけどさ。じゃあニキビはなんて書くと思う?」 「ニキビに漢字なんてあるんだ」 「あるよ。実はね『面皰』って書くんだ」 「両方に『面』と『包』の字があるね」 「そう! そしてどっちも『めんぽう』って読むの! 小麦を取ると肌荒れする理由ってこれじゃない?」
コンビニの喫煙所でアゼルバイジャンから来た娘と話す。 日本語が上手だ。 人種とか無いですよね、とか宇宙人とかもいるらしいですけどね、などと冗談を交わす。 笑顔が素敵だ。 僕は笑うのが苦手。 お金があれば飲みに誘うんですけどね~と冗談で言ったら本当ですか~とわりとノってくる。 挨拶をして別れる。 また何か逃したかもしれない。 イスラム圏でも飲酒に寛容な国もあるんだな、と考える。 あの娘と飲んだらどんな話をしたのだろうと妄想を膨らませる。 飲みながらコーランについて話したり。 いきなりうちに呼んで宅飲みしたら危ない奴だと思われるだろうしな。 抜いといたんで平気です、と言ったら嫌われるだろうか。 夜はスピーク、の相手がいない。 異国の夜は様々な話が飛び交うのだろう。 統合失調症の話しは長い。
僕は街道をひとりあるく。 刺激的な音楽を聴きながら。 すれ違う人々は顔が死んでいる。 スタスタと歩いている。 なんでこんな朝から歩いているのかというと本を買うためである。 目的地を目指して歩く。ロックンロールな叫び声がイヤホンから聞こえる。 ランニングウェアを着た人がランニングしている。きっと痩せたいのだろう 一人だと早歩きになってしまう。
私にはともだちがいるの。 彼女はとてもかわいいの。 それに綺麗好きだから一緒にお風呂にはいるの。 いつもお花の香りをしているの。 一緒にお買い物に行って お揃いのものを着るの。 サイズがちがうからお揃いにするのは大変だけど、 お揃いのものを見つけた時はとっても嬉しいの。 食事も一緒に行くんだけど、彼女はあまり食事が好きじゃないみたい。 どちらかといえば、おしゃべりの方が好きだと思う。 でも、彼女は聞いてばかり。 わたしはそんなかわいい彼女と話し合いたいの。 だからね。 彼女を話せるようにお口をつけてあげたの。 でも、お口だけじゃ話せないみたい。 せいたい?っていうものもいるみたい。 だからせいたいもつけてあげたの。 でも話してくれない。 もしかしたらまだ喋るために必要なものがあるのかもしれない。 わたしは考えられるだけのものをカノジョにつけてあげたの。 でも、彼女が話すことはないの。 お花のいい香りがしていた彼女から、お花の匂いが消えたの。 日に日に彼女はかわいくなくなってしまったの。 だからわたしは彼女を捨てたの。 彼女がいなくなってもわたしは大丈夫だったわ。 だって、おしゃべりできる子とおともだちになったもの。 でも、ひとつだけ気になることがあって 彼女の見た目がわたしの好みじゃないの。 もっとかわいくなれるはずだから だからわたし、彼女がかわいくなるのを手伝ってあげるんだ。