【エレベーター】

これは当時、母がマンション清掃員で働いていた時の話 週6日の3時間勤務で、地元にあるエレベーター付き4階建て低層マンションを各号棟に、数人のグループで作業を行っていた。 限りある時間の中で各号棟の清掃を終えていき、4号棟まで母がいるグループは辿り着いた。 4号棟での母の最初の持ち場は4階エントランスからで、母は各号棟にある一つだけのエレベーターを使って目的の階まで上がっていった。 4階に辿り着き、降りたと同時に母はいつものように手早く丁寧に作業を進めていった。 その間、止まっているエレベーターは数秒後、扉は開いている状態から閉じていき、やがて1階へと降りていった。 母が何分かエントランスで作業していると、エレベーターの表示パネルに、上昇している表示がふと目に入った。 母は誰かが乗ってきたのだろうと気にせず作業をしていると、やがてエレベーターは4階に辿り着いた。 しかし、エレベーターは扉を開こうとしない 従来のエレベーターなら、点検されている以外は人の有無問わず扉は開くものだが、その日は点検日でもなく、ましてや無人だったのだ。 母は気になり、エレベーター内を覗こうと思ったが、以前に心霊番組で、同じ事例のが放映されていて、中を覗き込んだ人が化け物を見たことを思い出し、覗き込むのをやめた。 母はその場を離れ、近くの階段から1階まで降りていき、1階のエントランスで作業をしていた同僚に 「エレベーターで、4階のボタンを押した?」と聞くと 「押してないよ」と返ってきた。 母は背筋が寒くなるのを感じながら、恐る恐るエレベーターの方へ目をやると 表示パネルに4階へ停まったままのエレベーターがあった。

自殺³

 自殺の報道が流れれば、きっと心無い言葉が飛び交うだろう。例えば『死ぬ勇気があるなら生きれるだろ』とか『世界にはお前より不幸なやつがいるんだぞ』とか。誰がどのくらい不幸なんて関係なく、僕は不幸だというのに。  もしかしたら、ありふれた不幸だと断じられるかもしれない。そんなことで死のうとするなと、誰かが諭すかもしれない。それならそれでもいい。僕の心が人より弱かったということで構わない。  もう、決めたのだ。  これが最後に登る階段だと。これが最後に開ける扉だと。これが最後に感じる風だと。これが最後に見る景色だと。  そう、決めたのに──。  貯水タンクや空調設備、それと名前の分からない何らかの屋上機器。そういった室外機が並んだ屋上から見ゆるのは、美しい夕日のはずだった。何せあの太陽が沈むと同時に僕も飛び降りようと、少しロマンチックな最後を飾るつもりだったのだから。  だというのに、屋上の重たい扉の先に、想像していたような真っ赤な夕日は見えなかった。  先客がいたのだ。その男は僕の視界から太陽を隠すように、静かに佇んでいる。  屋上の扉を開ける重々しい音で、男はこちらに顔を向けた。  いかにも不健康そうな肌色に、目の下に大きな隈が張り付いている。どこかやつれた雰囲気をまとっていて、服装は乱れていた。そして何よりも、死んだ目をしている。  柵の外側に居るからとか関係なしに、ひと目で僕はその男が死ぬつもりなのだと悟った。男は僕を視界に入れた途端、なぜか顔を綻ばせる。 「貴方もですか?」 「ええ、貴方も?」  まるで、昼から呑みに居酒屋に行ったら知り合いがいたかのような、そんな雰囲気で言葉を交わす。場所だけを除けば、穏やかな時間ともいっていい。 「それで、貴方はどうして?」  僕は尋ねた。  男は茜色の空を見上げてから、観念したように肩を下げる。男の気持ちを代弁するならば、本当は言っちゃ駄目なんだけど、どうせこれから死ぬなら別にいいか、だろう。 「今朝の朝刊はご覧になりました?」 「いえ、見ていないですね。ニューヨーク・タイムズなら読んだんですけど」 「何故そんなもの読んでいるんですか……」  いや、やっぱ世界情勢を知るのは大切かと思って。  余談であるが、別に僕は英語が得意なわけではない。ニューヨーク・タイムズなんて洒落たものを読んでも、トラックからチンパンジーが逃げ出したことくらいしか分からなかった。 「それで、朝刊がどうしました?」 「ああ、とある会社の横領事件がでかでかと載っていましたよ」 「……話の流れ的に、貴方の会社ですか」 「そういうことです」  僕は大きく頷く。それは死ななきゃいけない、と。  嫌悪感は抱かない。この人にはこの人なりの、そうせざるを得なかった理由があるはずだから。 「そういう貴方はどうして?」  今度は男が尋ねてきた。僕は男のように迷うことはなく、率直に答える。 「恋人が死にました」  僕はついさっき、恋人をなくした。まだ現実味が湧かないと感じるくらいに、本当に、ついさっきの出来事だ。  病室で寝込んでいた彼女は死の間際、此方に瞳を向けて、四回だけ唇を動かした。すでに喉を震わすだけの力はなく、残念ながら声とはなりえなかったが、何かを伝えようとしたことは分かった。  それは『ごめんね』とか『Thanks』だったかもしれない。今となっては答えはわかり得ないけれど、彼女のことだから、意外と『腹ペコ』だったりしてな。  いつだって明るかった、そんな彼女が死んだんだ。恋をしたら世界が色づくなら、それを失えば世界はモノクロと化す。  ──愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。  こんな詩だって、世の中にはあるんだ。期待と不安が入り混じる春、僕の心の中は、限りなく空っぽだった。 「うん、それは死ななきゃいけない」  僕がしたように、男もまた大きく頷いて断じる。太陽は大きく傾いており、もうすぐに夜が来る。沈黙の中、僕らはじっと日暮れを待った。  ちょうど、そんな時。僕らの足が、あとほんのちょっとで屋上から離れるといった時だ。  屋上の扉が開く、重々しい音が耳に入った。振り向いてみると、ビジネススーツを身にまとった女性が立っている。  ああ、鏡を見れば、僕もこんな顔をしているのだろう。  貴方もですか、と僕は顔を綻ばせた。

大好きなあなたへ

最期に見れた顔は心底驚いた表情をしていた。 普段からクールで慌てたところなんて見たことがなかったからちょっと嬉しかった。なんて死ぬ前に思うことじゃないかもしれないけど。 昔から強がりでクールだったお姉ちゃん。 私が怖がりで泣く子だったからお母さんが「お姉ちゃんは手がかからなくていいわ。」なんてよく言っていた。 泣き虫を治そうとしても元々の性格のせいだろうか。これがなかなか難しかった。 その点お姉ちゃんは先生にどんなに怒られても泣かなかったし、大きな怪我をしても痛いなどと言わず表情を崩すこともなかった。 そんなお姉ちゃんは私の昔からの唯一無二の存在で、憧れだった。大好きだった。 それなりに成長しても私は相変わらず泣き虫で怖がりだった。 お姉ちゃんの腰に抱きついていつも泣いていた。 お姉ちゃんは優しいから困ったように笑いながら頭を撫でて慰めてくれた。 その手が大好きだった。 誰かの叫ぶ声がしてふと前を見る。 視線の先には右腕がなくなった姉がいた。 頭が真っ白になる。 叫び声が姉のものだったのか逃げ遅れた市民か、はたまた驚いた同僚の声か、なんてそんなものはどうでもよかった。 姉の元に駆け寄りながら考える。 やっぱりこんな仕事なんてやらなきゃよかった。もっと平穏な場所で、静かに暮らしたかった。市民の危機とか、世界滅亡を防ぐとか、正直どうでもいいんだ。 私はお姉ちゃんと2人で居られればそれでいいの。そうしてくれれば怖いものなんてないの。 私が怖いのはこれからお姉ちゃんがいなくなってしまうかもしれないということだけ。 ああ、なにしてんだろう。痛いことは嫌だよ。死ぬの、ものすごく怖い。 でも、でも、痛いにより、死ぬより、お姉ちゃんがいなくなっちゃうのがいやだ。 振り向くと驚きながらも、絶望したお姉ちゃんの顔が目に入る。 大丈夫!あなたよりちょっとだけはやく向こうにいってるだけだから! 最期に見せる顔は笑顔の方がいいよね。 さようなら、大好きなあなた! 「あとは頼んだよ。」

二年ぶりの電話

「久しぶりー」   「あ、久しぶりー」    電話の相手は、大学時代のサークルの同期だった。  実に二年ぶりの電話。    こういう場合、たいていが結婚報告と出席依頼か、宗教かマルチ商法への勧誘と相場が決まっている。  大学時代の姿を思い出すと、後者ではないと信じたいが、過去の経験上僅かに疑ってしまう自分もいた。  ぼくは次の一言を身構える。   「突然でごめんなんだけど、美味しいご飯屋さん知らない?」   「へ?」    そして、想定外の言葉で、緊張が一気に解ける。    なんでも、同期のもとに、かつての恩師が訪れるらしい。  しかし、同期は外食と言うものをしないため、恩師を迎えるご飯屋さんを見つけることができず、外食三昧だったぼくへと連絡をしたというものだった。   「ちょっと待ってね」    ぼくは気が緩んだまま、G○ogleMapを開く。  ぼくのGo○gleMapには、かつて行ったご飯屋さん、これから行きたいご飯屋さんが、これでもかとリストに積まれている。  ぼくは、【飲食店】のリストを押して、てきとうなご飯屋さんを見繕っていく。    思い出のご飯屋さんの名前をタップする。    閉業。    すると、そんな二文字が目に映る。   「あれ?」   「どうしたの?」   「閉業してる……」   「うわー」    コロナが終わればまた訪れたいと楽しみにしていたご飯屋さんの閉業。  ぼくの心に小さな痛みが走ったが、今は我慢だ。  気を取り直して、別のご飯屋さんをタップする。    閉業。   「二店目も閉業……」   「おお……」   「速報、三店目も閉業」   「草」    あまりの衝撃に、ぼくは渇いた笑いしか出てこなかった。    ご飯屋さんの選び方を、ローカルのチェーン店に切り替えたり、十人程度しか入れない小さな個人店に切り替えることで、ようやく閉業していないご飯屋さんを見つけた。  数件のご飯屋さんを、特徴と共に同期へと教える。   「ありがとうー」   「どういたしましてー」    その後は時間が余ったので、一時間ばかり電話を続けた。  仕事のこと。  プライベートのこと。  最近良かったこと。  最近悪かったこと。  その他もろもろ。  同期の周りも、二年前から大きく変わっていた。    会えなかった二年分の出来事を、お互いに話し合って、電話は終わった。   「二年、かぁ」    コロナが蔓延って約二年。  その時間の大きさに、ぼくは天井を見上げることしかできなかった。

タバコを吸う理由

 彼が持っていたタバコに火を点けると、その先端は赤色と灰色が交じりあって何とも言えない焦燥感を醸し出した。一口、また一口と、吸い続けていくうちに気分が悪くなっていく。「よくこんな物を好んで吸えるな。」と、思う。半分くらい吸い終えたところで、私はつにむせ返った。  見様見真似でタバコの灰を落とすと、パラパラと風に吹かれ、上手に灰皿へとは落ちていかなかった。何ともそれが、彼との思い出まで奪い去っていってるいるようで、とても切なく感じた。  ふと、彼が口癖のように言っていた言葉を思い出す。  「作家に必要な物は大きく分けて二つある。それが何が分かるかい?」  私は首を横に振った。  「一つはタバコさ。いつだってベストセラーの隣にはタバコが付き物なんだ。だから僕はタバコを辞めない。」  彼は子供のような言い訳を盾にタバコをふかして言った。私が「ベストセラーを生んでから言ってよ。」と、笑って茶化すと「今に見ていろよ。」と、得意げな顔で机に向かった。今思えば、私はその横顔に惹かれていたのかも知れない。  彼は作家だった。お世辞にも売れっ子というわけにはいかなかったが、本屋の隅に置かれているような、本好きの誰かが知るような、そんな作家だった。彼が初めて本を出版したときは、大喜びで買いに行ったのを覚えている。期待の新人作家なんて帯に書いてあるんだから笑ってしまう。今も彼の本は私の本棚で静かに佇んでいる。何度も読み返しているうちにボロボロになったその帯は、色褪せながらも、しっかりと本を抱きしめていた。  思い出に浸っているうちに耐えられなくなったのか、はたまたニコチンによる中毒のせいか、私は2本目のタバコに火を点けていた。  「それで、2つ目は何なのよ。」  彼はくるりと椅子を回転させ、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの顔でこう答えた。  「最愛の人さ。」  彼が真剣な顔でそんなことを言うから、私は思わず笑いだしてしまった。彼は空かさず「僕にとっては君だよ。」と、タバコに火を点けた。バカらしいって再度笑いなおすと、私は彼のタバコを取り上げ、一口吸ってはゲホゲホと咳き込んだ。そうやって2人して笑った。  2本目のタバコを吸い終えると、自然と涙が零れた。タバコの煙が目に染みたのか、悲しいからなのか、私には分からなかった。  まだ少し肌寒い夕方の気温に少し身震いして私は部屋に戻った。部屋に残る彼の痕跡は、私の心の隙間をより一層広げる。私は、その隙間を埋めるように彼が残していった作業机に向き合った。散らばった原稿用紙は、心の隙間を埋めるようには最適だった。  しばらくして電話がなった。彼の執筆した本がベストセラーを記録したと、受話器越しの男性は私に告げた。私は、これ以上本を書くつもりがないことを伝えると、足早に電話を切ろうとする。男性は、「最後に」と、付け足した後、インタビュー記事用にと、ベストセラーを生むコツを私に尋ねてきた。  「タバコと、最愛の人を亡くすことです。」  そう言い残すと、私は電話を切った。  再度、タバコに火を点ける。一口吸って、私は彼の仏壇にタバコを供えた。

勇者の名

「アルバート、お前ならできるよ!! 俺が保証してやらあ!!」  気軽に保証する親友。彼は疑いなんて微塵も持とうとしなかった。  森に入ると言ってきかないエドを一人には出来ずに、一緒に森に入った。そして僕らはスライム一匹に逃げ帰る事になった。  僕らは大人に叱られまくったけど、エドは言った。 「スライムをアルバートがやっつけたんだ! まるで勇者様みたいだったんだぜ!」  我が事のように嬉しそうに自慢するエド。追い払っただけと必死に説明を付け加えたけど、エドの自慢は止まらない。僕は心底恥ずかしかった。 「アルバート、てめえ生意気なんだよ!」  三つ年上のガキ大将は、村の子供を手下にして、とにかく素行が悪かった。逆らった相手の家の畑を荒らすなんて仕返しもする。  彼が正論を吐きがちな僕の事を気に入らないのは当然だろう。喧嘩が嫌いな僕は我慢してやり過ごそうとしていたんだ。 「何が生意気なんだよ! お前こそ皆に迷惑かけんなよ!」  食ってかかったエドに驚き、引き摺って帰った。でもこの選択がいけなかった。その日からエドは、ガキ大将達に虐められるようになってしまった。  僕のせいでエドが辛い思いをしているのだ。エドは僕に怒っているかも。僕をもう嫌いになっているかも……。そんな不安に駆られた。  ボロボロで道に蹲るエドの姿に駆け寄った僕。 「エド! 大丈夫か!?」 「アルバート……俺、悔しいよ。あんな奴らに馬鹿にされて小突かれて、でも反撃も出来ないんだ。怖くて体が竦むんだ。どうして俺は弱いんだろう……」  責められて、恨み言を言われるんじゃないかと思っていた。そんな僕自身が恥ずかしくて悔しかった。  畑が荒らされたら森で狩りをすればいい。親友がこんな風に傷つけられて、黙っているなんて間違っている!!  僕は怒っていた。相手にも自分にも。怒りのままにガキ大将に一騎討ちを挑み、僕は勝った。と言うか相手にしつこく食い下がり、あっちが嫌になって逃げ出したんだ。  でもエドはやっぱり自慢気に村中に吹聴した。  城から迎えがやって来た。僕を勇者と呼びながら。  ――エドに知られたらどうしよう。  僕は咄嗟に思った。エドの夢が勇者になる事だと村中が知っていた。なのに実際に迎えが来たのが僕だなんて、エドは傷つくんじゃないか、今度こそ嫌われるんじゃないかと。 「すげえじゃん! さすがアルバート、俺の親友だぜ!」  なのにエドは、本当に嬉しそうにはしゃいだんだ。そして言った。 「アルバート、お前ならできるよ!! 俺が保証してやらあ!!」  エドは一緒に戦うと言ってくれた。勇者と言っても、まだ数いる候補に過ぎない僕だ。功績を上げてパトロンがつくまで、誰かを雇う事も難しい。  そんな中でエドは無償で付いて来てくれた。それどころか生来器用な彼は、アイテム生成で魔物の素材から防具や道具を生み出し、お金にも困らない旅が出来た。  弱いうちには、エドの幻術に何度救われたかも分からないほどだ。  戦いはどんどん厳しくなっている。正直、エドにはついていくのが難しい。でも今までパーティを支えて来たのはエドなんだ。勇者に憧れていた事も知っている僕は、何とかエドを連れて行きたかった。  でも後から入ってきた有能なパーティメンバー達は、平気でエドをお荷物扱いしだした。大喧嘩になりかけたのを、諌めたのはエドだった。 「これから旅に必要なメンバーと、簡単に喧嘩すんなよ。お前は勇者だろ?」  これから。  もう、エドは分かっていたんだ。エドは去った。最も苦しい時を支えてもらっていたくせに、僕は止められなかった。  村で道具屋を始めたエドは、何くれとなく良くしてくれた。儲けなんかないだろうと言う程に安くしてくれた。 「いいって事よ。俺とおまえは親友じゃねえか!」  そう言って笑うエドに、僕は甘えてばかりだ。  闇夜に村は燃えていた。  しかしこれは幻術だと知っていた。エドから知らされていたから。  仲間達と音のする方へと直走った。  ――間に合ってくれ!!!  森を飛び出した僕の目に飛び込んできたのは、僕の愛するカタリナが剣に差し貫かれた姿だった。 「……ははっバーカ」  姿はゆらりと揺らめいて、エドに変わった。  魔王を討ち取り、凱旋した僕達。街は歓呼に包まれ、僕を讃える声が響き渡った。 「エドワード! 勇者エドワード!!」  エド、聞こえるかい? 皆が君を讃えてるよ。あれから僕はエドワードと名乗ってるんだ。  こんなの違うって? そう言わないでくれよ。君だっていつも僕の事を自慢気に話していただろう? あれ恥ずかしかったんだぜ? だからささやかな意趣返しさ。  それに僕にとっての本物の勇者の名前だからね。

陳腐な言葉の羅列

言葉が、出てこなかった。 物書きとして認められてきているのに。 ネットで繋がった方々と小説を書くという企画にも絡ませて貰っているのに。 焦れば焦るほど思い浮かんだ展開はぐちゃぐちゃ乱れ、絞り出した言葉で紡ぎ出した文章は誰にも愛されぬ駄文となるばかりだ。 書き続けなければ、私は誰からも忘れられて仕舞う。 「こちら側」ですら、ただのお荷物になって仕舞う。 どうしよう、どうしよう、どうしよう――― 物書きとしての記憶が全て泡となって消えて仕舞えば楽になれるのに。 全てをゼロに戻せたなら。 確かに存在する過去は、タイムスリップでもしない限りは変えれない。 物書きとしての意地を、物語への愛をぶつけて。 なんとか言葉を紡ぎ切る。 毎日投稿をすると、相互様と約束したから。 逃げてばかりの癖に妙なところ義理堅い私は、矢張り生きにくい。 * 刹那瞬いた銀の閃光は、ヒトの腹と共に夜闇をも切り裂く。 真っ赤に咲き乱れる血の花を恍惚とした表情で鑑賞する「怪物」は、ヒトの命が何処へ消えて仕舞うのか知る為に、今日も無邪気に誰かを屠る――― 一時間かけて打ったそんな短い文章を、デリートキーを長押しして抹消した。 疲れた目を瞬きながら覗いた時計は、二十三時を指し示している。 小説と向き合ったきりで、今日は何も出来なかった。 思い通りの結果も出ないまま、執筆に対するモチベーションは下がるばかりだ。 書かなくちゃ、いけないのに。 あれ、私がいなくたって誰も困らないのに、何故書かなくちゃならないんだ………? 腕が重い、瞼が重い。 液晶に、穢らしい涙が零れ落ちた。

約束の果たし方

流れる無数の星を眺めて、少女はキラキラと目を輝かせた。ただ純粋に、この景色を楽しんでいるようだった。 「これが、流星群?」 キレイに手入れされた黒髪に、星の粒が落ちてくる。夜の景色を纏った少女の瞳は星空よりも美しかった。 「私こんなの初めて見た……!」 「僕も初めて見たよ。二十年に一度しか流れないんだって」 「じゃあ次見れるのは、私たちが三十歳になる頃かな?」 少女がニコニコと笑う。無邪気な笑顔の中に未来への不安があるなんて、僕以外は誰も知らない、かもしれない。 「そうだね、もう大人になってるね」 「また一緒に見ようね」 「うん」 少女を傷つけないように、返事をした。嘘がバレないように、悲しみが漏れ出さないように、そっと感情を夜に隠した。 明日、僕はこの街を出る。そしてもう、二度と戻れない。 だから、未来のことなんて約束したくなかった。 それでもせめて今だけは、この時間を楽しめますように。僕は少女の横顔を見て願う。 「ごめんね」 ふと、か細い声で少女に呟かれた。 「私、聞いちゃった。あなたが引っ越すって」 「えっ……」 「手術、するんでしょ?」 驚いた。心臓をギュッと握りつぶされたみたいだ。ドクドクと脈を打つ。 「うん」 正直に答えた。 「私も、今度手術の予定があるの」 「そうだったんだ」 「お互いに成功したらさ、また流星群見れるよ」 少女はニッコリと笑った。未来に悲観的になってはいけない。明日何が起こるかわからない。約束が守れなかったとしても、せめて希望を抱いていよう。病室のベッドの上で、僕たちは手を握り合った。 *** 少女は母親の声で目が覚めた。心臓移植の手術が無事に終わったのだ。 「あ…」 ああよかったと、か細い声を聞いて涙を流し、母親が笑顔で抱きしめてくれる。しかし、少女の心の中は安堵感よりも絶望感の方が大きかった。 ポロポロと、勝手に涙が溢れてくる。夢の中で、彼が最期のお別れを言いに来たのだ。 『君の心臓となって、僕は生き続けるよ』

拝啓、憧れの大怪盗様

彼はコンクリートにバトンを落とした。驚きで立ち止まり、混乱で冷静な判断ができなくなった。そのせいで仲間に亀裂を生んだ。こんな結末を望んでなんて、いないのに。 「もう、走らないんだな」 男が彼に最後の声をかける。神風と呼ばれた青年が、たった一度のバトンミスと感情に飲まれてしまったせいで、これまで生きていた世界を捨てた。その日からずっと、男は彼の姿を見守ってきた。新たな世界へと飛び込んでいく今日まで。 「今までありがとうございました」 彼は深々とお辞儀をして、手渡されたスニーカーを大事に受け取る。これまで何度も苦楽を共にしてきた相棒。でももうこの先出番などない。捨ててもよかったはずだが、彼は相棒をリュックに仕舞い込んだ。 「履かないのか」 「こっちを履いていくので」 男は寂しそうに、しかしほっとした顔で頷いた。それでいいんだ、と。彼の決断を後押しするかのように。 空は青かった。あの日と同じ、清々しいほどの青空だった。 迎えにきてくれた彼女の運転する車に乗り込み、自宅に向けて走り出す。この道も、この先二度と見ることはないだろう。 「ねえ、ケーキでも食べない?」 「食べないよ、そんな気分じゃないから」 「もう、気にしなくていいんじゃないの?」 車がケーキ屋の駐車場に停まる。「買ってくるから待ってて」という彼女を見送って、助手席でボーッと店の壁を眺めていた。 俺には、甘くて美味しいケーキなんて似合わない。 中学一年のときに陸上部に入って、俺は好記録を叩き出し続け、そのうち神風と呼ばれるようになった。それから大学二年になるあの日まで、一日も休むことなく自分の足と向き合ってきた。大人になって仲間たちと出会い、ますます走るのが楽しくなった。そんな楽しみが突如失われたあの日から、俺の人生は止まったままだ。 「ごめんみんな……」 リュックのファスナーを開け、仕舞い込んだスニーカーを眺めると、ポロポロ涙が出てきた。 「俺、待ってたんだぜ」 「えっ?!」 スニーカーが喋り出して驚く。 「ばあか、靴がしゃべるわけねえだろ」 顔を上げると、いつのまにか後部座席に仲間たちが座っていた。 「まだ俺たち夢の途中だろ」 「でも、俺」 「人間なんだ、ミスくらいあって当然だろ!」 「それともお前、ロボットかなんかなわけ?」 ははは、と笑う仲間たち。思わず笑みが溢れた。 「せっかく出所したんだ。記念に一緒に走ろうぜ、お前がいないと俺たち楽しくねえんだよ」 「ルパンみてぇな大怪盗になるって、俺たちの夢。まだ終わってないよな?」 当たり前だろ。やっぱり俺、走れない毎日なんて楽しくねえや。 俺はスニーカーを履き、仲間から目出し帽を受け取る。そのままケーキ屋に強盗に入り、驚く彼女を尻目にレジから金を奪って、相棒と仲間と共にまた走り出した。 「今度は落とすなよ!」 仲間の一人が俺に拳銃を投げ渡した。 なあルパン、聞いてくれよ。 拳銃というバトンを、今度は落とさずキャッチできたんだ。追いかけてくる警官の足を目掛けて一発。次元にはまだまだ及ばないが、そのうちお前らを超えてみせるよ。

テスト勉強

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」 「聞いたことある! 何だっけそれ……今度のテスト範囲だよねぇ?」 「丸々出すから、ウチのクラスは丸暗記させられた。有名だからってさ」 「意味も答えさせられるかなぁ!? 覚えてないや……」 「時が過ぎることは、旅みたいなもん……みたいな意味だった気がする。ダメだ。私も丸暗記しないと」 「松尾芭蕉って、色々なとこに遊びに行った人でしょ? いいな〜私も旅行行きたい」 「遊びに行ったかは知らないけど……」 「だって、俳句を詠むのが好きだから、俳句を詠む人になったんじゃないの?」 「分かんない。でも気になるから調べてみるか」 「ポチっとな」 「松尾芭蕉って、すごい人なんだね。俳諧の価値を上げた人なんだって」 「俳諧ってなに?」 「俳句を皆で遊ぶ競技らしいよ」 「遊んでるじゃん。私の言った通りだ〜」 「『不易流行』がモットーなんだって」 「ふえきりゅうこう? 何それ?」 「流行を追いかけることは、変わらない本質的な感動と共存できるよ……的な意味かな? 難しい!」 「そーなんだ。凄い芸術家が言うことは、よく分からないな〜」 「あ、でも芭蕉さん、二人の弟子の喧嘩の仲裁をしようとして、心労が祟って病気で亡くなってるわ」 「何それ!! 勿体ない!! 弟子なんてほっとけば良かったのに!! 優しすぎるよ!」 「弟子がいっぱいいたみたいだし。周りに仲裁してくれって頼まれて仕事がら断れなかったのかもしれないし、分かんないよね」 「凄い想像力! 私には地位のある人の気持ちなんて分からないな〜」 「あ、ヤバい……ついつい楽しくて調べすぎちゃった……テスト勉強しないと」 「わー! 私もテスト勉強しないと! 時間がないのにーー!!」 「こうゆうのって、調べ出すと止まらないよね」

髪型

 久々の美容室で、私は思い切って新しい髪型に挑戦する。  ロングヘア―をバッサリと切り落としてショートヘアーに。  髪の色も、初の金髪に挑戦だ。   「あ、髪型変えた? 似合う―!」    私の挑戦は、好評だった。        久々の病院で、私は思い切って新しい顔に挑戦する。  目頭を切開して一重から二重に。  鼻も三ミリ高くした。   「あ、顔変えた? 似合う―!」    私の挑戦は、好評だった。        だが、私がどれだけ見た目を変えようと、私が私であることは変わらないらしい。  数年前とは似ても似つかない自分を見ながら、私は溜息を零す。   「どこかに私を変えられる場所はないのだろうか」

眠れないから書く

 なんか、どうもすみません。お騒がせしております。お手数おかけしまして、本当に本当に、すみません。同業者だから分かります。夜間の頭部外傷が非常に面倒くさいのは。  お風呂上がりに普通に髪を乾かすためにドライヤーをかけていただけなんですよ。そしたら、目の前が暗くなって、座ろうとは思ったんですよ?  でも多分それができなくて、気が付いたら、なんか、頭にタオル巻いて車に乗せられてて、なんだこの状況は?頭がカピカピして、ぬるぬるして気持ち悪い。  多分、洗面台に頭からダイブして、床に転がったんです。目は見えなくなってたし、耳鳴りで音もよく聞こえなくて。覚えてるのは、冷や汗と動悸が不快過ぎた事だけ。  週末、土曜日の20時台。20台女性、意識消失による頭部外傷。不整脈の既往あり。  あーー、面倒だ。分かるよ。  だから、すみません。本当。    ほんと、すみません。  切れていたのは額、1cm位。剃毛が要る位置じゃなくてよかった……、そんな手間までかけられませんから。  冷や汗でステリー固定できなくてすみません。血圧80台、割と普通で、絶好調なので、気にしないで下さい。  あー、出たよ整形外科お得意のステープラー。出来れば糸で縫って欲しいけどわがままは言えません。お好きな方法で、お願いします。    麻酔?別に要らないよ?2、3針位なら、無麻酔でも大丈夫。いや、しっかり麻酔までしてもらって、すみません。痛くないです。大丈夫です。  念のため頭部CT?心電図もとるの?    割と、慎重なタイプなお医者さんですね。技師さんにも申し訳ない。すみません。  え?車椅子で移動?歩けます。歩きますから。すみません。    なんなんだ、私。    3こう、こうって漢字でどう書くんだっけ?あ、鉤か。額をホチキス留めされた。なんか血まみれの私。なんか、笑えてきちゃう。  何やってるんだろ?    今夜だけで一体、何人に多大な迷惑と手間を掛けさせたんだろう?    でも生きてる。働かない頭で、生きてる。心身ともに、調子は最悪だけど、生きてる。

14日間の恋文

商店街の外れにある小さな古本屋。 最近の古本屋では破棄されるような書籍が乱雑に積み上がっていて、初見の人は近づかない店だけれど、私はこの古本屋が好きだ。 埃被った本に埋もれるように、その本はあった。「恋文」と書かれた真っ白な本。いや、どうみてもノートにしか見えないたった10数ページの古びたそれに何故か私は惹かれて中身を見ずに購入した。 家に帰って、私は本を開いた。 「どこかの貴方へ…?」 それは、小説というより手紙のような始まりだった。直筆だからなのもあるだろう。 「どこかの貴方へ、この本を開いてくださり、感謝致します。私は小説家を目指している男です。今は1943年、第二次世界大戦の真っ只中です。貴方がこの本を読む頃、世界はどうなっているのでしょう。教えてください。」 頭の中にその男性の姿が映り、声が再生された。まるで長い年月を跨いで会話をしているような感覚だ。だから私も1人部屋で呟く。 「今は令和です。戦争もなく平和ですよ。」 「…小説を書くつもりでしたが、少々私のお話に付き合っていただけないでしょうか。1日1ページ、そうですね15日間だけ。」 「良いですよ。」 こうして私は毎晩、彼に付き合うことにした。 「今日は雲ひとつない晴天でした。親戚からおはぎを頂いたので食べました。とても甘く美味しかったです。貴方はいかがお過ごしでしょうか。」 「おはぎ食べたのですね。美味しそうです。…そうですね、今日は1日中雨が降っていてジメジメしていました。夕食はチーズタッカルビというものを食べました。」 「こんなことを言えば私は殺されるかもしませんが、戦争というものは我が国にとって過ちではないかと思うのです。なぜ人の命を奪うことで勝敗が決まるのでしょう。…そう考える私はおかしいのでしょう。」 「いいえ、貴方の考えは正しいですよ。」 「紫陽花が咲いてました。四季折々の花を見ることができる日本が私は好きです。」 「奇遇ですね、私も紫陽花を見ました。紫に水色、ピンク…たくさんの色があり素敵でした。インスタグラムでは綺麗な写真が投稿されています。」 「そちらは、今も日本なのでしょうか。今日、日本はいずれアメリカに支配されるという噂を聞きました。敗戦でしょうか?日本語はもう存在しないのでしょうか。」 「大丈夫ですよ、今も日本です。確かに日本は敗戦しましたが、貴方が思っている以上に自由に過ごすことができていますよ。」 「未来はどうなっているのでしょう、できれば私も貴方の生きている世界を体験してみたい。なぜ人には寿命があるのでしょう。」 「寿命がなければ、貴方と会うことができたのかもしれないですね。」 * …今日で14日目だ。この2週間で彼のことを沢山知り、身近に感じるようになった。明日で終わり。 寂しさを感じながらページをめくった私は、 感情より先に涙で目の前がぼやけた。 「赤紙が来てしまいました。どうやら油断していたようです。」  「嘘でしょ…。」 「いつかは来ると思っていました。これは喜ぶべきなのでしょうか。貴方はどう思いますか?」 力強く書かれた問い。 私に聞かなくても、もう答えは出ているのに。 「喜べるわけがないです。」 「お国のため。いつかこの言葉は滅びるのでしょうか。」 「無くなります、国のために命を犠牲にする人などいません。」 私が何を言っても彼には伝わらない。なのに、過去の人間に対して涙が止まらなかった。 「立派な小説家になりたかったものです。」 彼の本音は止まらない。 「争いほど醜いものはありません。」 もしも私が戦時中に生きていたら、私は彼に何かを伝えることができたのだろうか。 「最後の1ページ捲っていただけませんか、もう少しお付き合いください。」 ゆっくりと、最後のページをめくった。 「最後まで読んで頂きありがとうございました。これは、自宅の本棚の奥にしまうことにします。小説ともいえないこの本が有名にはならずとも、誰かの目に触れることはあるでしょうか、手に取ってくれる方がいるでしょうか。それとも、空爆によって燃えてしまうのでしょうか。この先に明るい未来が用意されているでしょうか。 才能のない私の文を最後まで読んでくれた貴方と巡り合いたかった。貴方に直接会えたらどれほど良かったのでしょう。話すことができれば、どれほど幸せだったのでしょう。 この短い日々を、私は"14日間の恋文"と名付けることにします。」 「1日足りないじゃない。お願い、行かないでください…。」そんな言葉は伝わるはずもなく、彼の言葉は終わった。   顔も知りません、名前も知りません、    それでも貴方を愛してます。

失われた声

(自分なんて、才能がないんだ) 僕はそんなことを考えながら枯山水を眺めていた。 ここは枯山水の名所だ。 閑暇を持て余した僕は、ただ庭を眺めるために県外まで足を伸ばしていた。 (小説家なんて目指すんじゃなかった) 「そんなことはなかろう」 声がした方を見てみると枯山水の渦巻きの中心に老人が立っている。 枯葉ひとつない庭に佇む老人の光景は余りにも異様だった。 (そんなところに立ったらダメじゃないか!) 「今お主は『そんなところに立ってはダメ』と考えておるな」 そこで老人が僕の思考を見透かしていることに気がつく。 「安心したまえ。ワシはこの通り、浮いておる」 老人が着ていたローブの裾を手で捲ると骨のように細いその足は確かに僅かに宙に浮いていて、美しい砂の海を汚してはいなかった。 (人間じゃないな) 「ワシは人間じゃ。しかしお主にしか姿は見えとらん」 呆気にとられる。 「ワシが何者かはどうでも良いことじゃ。それよりも都合が良いじゃろ? お主は『声が出ない』んじゃから」 老人は僕の立場まで見透かしているようだった。 老人の言う通り、僕は声が出なくなった。理由は分からないままだ。 小説自体を書くことに支障はない。僕の担当編集者には事情を筆談で伝えた。 僕の連載が終了したのは「別の」理由だ。 「理由を知りたいか?」 (……理由) 「お主が『声が出なくなった理由』じゃ」 (声が出なくなったことより、スランプの理由が知りたいんだけどな) 「まぁ待ちなさい。物事には順序ということがある」 また老人に思考を見透かされてしまう。老人には頭の中の声の大小は関係ないらしい。 「『ITと呼ばれた子』という本を読んだことはあるか? これは実在の本じゃ。メタいことを言うが」 (メタい? 老人は何を言っているのだろう) 「『あらすじ』だけ説明すると、母親の虐待を受けていた男の子が『IT』(それ)と呼ばれるようになる生々しい虐待の話じゃ」 「名作じゃぞ? お主も小説家の端くれなら読んでみるといい」 老人に現代文学を勧められて僕は老人の中に「人らしさ」を初めて見たような気持ちになった。 「お主にも似たようなことが起きとる。いわゆる『心身一如』というやつじゃな」 (しんしん……いつにょ?) 「要は、体と心は繋がっておるぞという仏教の言葉じゃ」 「お主は己のストレスを自覚した方が良いの」 老人は、ほっほっほと声を立てて笑ったが、もやもやするばかりで腹を立てるべきところか分からなかった。 「さて、それではスランプの話をするかの。お主は自分が才能がないと思い込んでおるようじゃが、そうではないぞ」 (思い込んでいる……? 僕の最近の作品は評価されないし、売り上げは落ちてる。アイデアだって他の人と比べたら貧困だ) 「お主は『売れること』=『才能』と思っておるようじゃな」 (売れる作品は優れているんだ。その通りじゃないか) 老人は柔和な表情をした。 「売れるものは現代社会に疲れた者が目を引くものじゃ。何かしらの『欲求』を満たすものと言ってもいい。『暴力表現』『性的描写』『現実の逃避』『共感』」 「生きるためには稼がなくてはならんな。ワシはそれが悪いことだとは言っとらん。ワシが言いたいのはひとつ。『他者と比べる必要がない』ということじゃ」 「他人の閲覧数は『これ』に比例する。他人の評価の数は『これ』に比例する。他人の批判の数も『これ』に比例する。金もそうじゃ」 (……) 僕は黙った。それが思いついたら苦労はしない。 それを思いつくのが才能じゃないか。 老人は、ふぅ、と息を軽く吐くと続けた。 「わかっている、と言いたげじゃな。しかし、お主は自分の作品で『それ』をしておらんな。何故か分かるか?」 「お主は『他者を模倣したくない』『自分の価値観を曲げないまま人に認められたい』と思っておるからじゃ。それはお主が自覚していない【才能】なんじゃ」 (……才能だって? 何を言っているんだこのジジイは) 「お主は自己価値を自分で認めているんじゃ。他者とは違う能力があると。無意識下でな。それは本当のことで、素晴らしいことなんじゃ。お主はそのままで、他者に合わせなくとも良い。皆違う感情、一見ドロドロした感情も持っていて良い。人間は似た考えはあっても、全くの同一はおらん。優劣じゃなく、皆違う才能があるの。気がつく者は少ないがの」 僕は言葉が出なかった。頭の中ですら。 老人の価値観は突飛すぎたのだ。 「ワシの言いたいことは、それだけじゃ。ご自愛なされよ。お主が自尊心を取り戻せば、声は何れ戻るから安心せい」 老人は目の前で、ぱっと残像も残さず消えた。 この非現実な出来事は、きっと僕の妄想なんだ。 僕の頭の中で起こった出来事に周りは気がつく筈もない。 僕は枯山水の渦巻きの中心に飛び込もうか悩み始めていた。

世界で一番売れている本

 都会の雑踏が、過去の音になる瞬間が好きだ。  自分が作ったものなのに、案外悪くない。ぼくは自分のことも、ぼくが昔作った土人形の子どもたちのことも、今ではもう、あんまり好きじゃないけど、美しいものからは目を背けられないものだ。  ぼくの気まぐれで生み出された生命を、誰に生み出されたかも分からないぼくが見つめている。ぼくは親を憎んでいないけれど、子どもたちは割とぼくを憎む。憎むのも憎まれるのもふつうのことなのに、彼らはぼくを憎む時、決まって誇らしげだ。  結局よくある街になってしまったけど、ここはいい街だ。人の欲望と理性がごちゃごちゃしている。そういう所は、大抵楽しい街になるものだ。溢れかえる子どもたちを見ていると、色々なことに気付くことができるし、どれもおかしくてたまらない。  窮屈そうな服を着たあの子は、生きるためにはあの服が必要と自分に言い聞かせているようだったけど、そもそも服なんて無くても、君たちは生きていけるのに。そのために知恵を少し分けてあげたのに、おかしなことに使っちゃって。へんなの。  もうぼくがいなくても、この街は大丈夫だろうし、他の街もそうみたい。なんだかんだ言っても、きちんと作りすぎたせいで退屈なのは否定できない。家を空けて、たまに遊びに来るけど、やっぱりものづくりほどは楽しくない。健康に良いだけ。  もう何も目新しいものは無くて、楽しいと思うこともあまり無いけど、身体を動かすと気持ちがいいから、たまに散歩に来る。未来のことはよく分からないけれど、最近子どもたちは、過去を残すのが上手になったようだから、自分用の狭い本屋が買える商売は、これからも続きそうなことを思えば、ちょっと楽しみだ。こんーぽたーじゅも美味しいし。あれはどうして無限に出てくるのだろうか。子どもの考えることは分からない。  ぼくは激しい味覚音痴で、自分用の食べ物を作ることも諦めた。だからこの世には食べ物というものが存在しないんだけど、なぜか皆、美味しいものを食べているらしい。ぼくは、自分が生み出した子どもを自分で食べるような残酷なことはできない。  ぼくの手を離れたこの街の集まりは、そのうち子どもたちの手をも離れるだろう。もしかすると、手を離すのは子どもたちの方かもしれない。その時に命を落とす子どもたちが、ぼくの予想より多くないことを祈る。  ぼくが誰かを救えるとしたら、それはぼくだけだ。  そろそろ来るよ。1番手間のかかる暴れん坊が起こす、大きなうねりが。

さよならノヴェッラ AKA…Monologue!

 時計の針が一周したら次の日になる。なのに時計の針は一周前と変わらない。  平均律は一周すればオクターブ上がる。なのに根音の名は変わらない。  同じことを繰り返すことに慣れることに慣れている。つもりでいる。  隠す必要性を知りながらも隠せない自分を責めながらもさらけ出す自分を責める。 『Mr.logicoholic』  そう呼んでもらっても差し支えない。 「耐ヱ難キヲ耐ヱ」た先に見たバブルは、「盛者必哀の理をあらは」した。 『Cigarette & Alcoholic』  この文章を書くにあたり読み手のため僅かながらでもヒントを残そうと足掻いた私は押し寄せる【言葉の津波】に伝えたいホントウを失い、麻痺した理性ですらも残せない。  訴えたい『コト』を言葉に変換する為には理性を麻痺させる必要があり、その為にはアルコールが必要であり、それ故に【言葉の津波】が発生し、私は文章を書く度にそれを昇華できない実力と無知を叩き付けられウンザリする。 『読み手のアナタにとって理解不能なこの文章を読み切ってくれたアナタに有り難うと言いたい。しかし客観をほとんど廃したこの文章を真に理解できるのは私しか居ない。それを晒す私を馬鹿だと思う』  全ては独白故に。

恐怖の館の殺人鬼

「きゃあぁぁぁぁぁっ!!!」 「うわあぁぁぁぁっ!!」 「い、いやあぁっ!! 来ないでえぇ!!」  階下から複数の入り乱れる悲鳴が聞こえ、暗闇の中をドタバタと激しく逃げ惑う足音がする。  ここは〈恐怖の館〉──。  そう呼ばれている。    安易に足を踏み入れた者は、暗闇の中、想像を絶する恐怖に慄き、悲鳴をあげ、泣き叫ぶ。  最後の扉まで辿り着かなければ、館からは出ることが叶わない。そういう決まりだ。  ふいに静寂が訪れる。  誰もいなくなったのか。  そんなわけはない。そのことは自分が一番わかっている。  耳を澄ませていると、カツン、カツン……と、誰かが階段を上がってくる足音がした。  足音は慎重に、一歩一歩こちらへと近づいてきている。  そして、ぴたりと止まる。  この部屋の前だ。  俺が隠れている、部屋の前だ。  心臓がどくどくと早鐘を打つ。  うまくやれるだろうか。もし失敗したら──。  いいや、やらなければ、と自分を奮い立たせる。  手にした斧をぎゅっと握り直す。  カチャリと、ドアノブに手をかける音がする。そして、  ギイィィ──。  軋む音がした。ドアが開かれたのだ。  戸口から室内を覗き込むような視線を感じる。  わずかな息遣いさえも、聞こえてしまいそうだった。  カツン……。  部屋の中へ入ってきた。  ぶるっと身震いする。  こちらまで、あと三歩、二歩、一歩──。  その瞬間、俺は覚悟を決める。  躊躇せずに、両手で握った斧を勢いよく振り下ろす。 「ぎゃああぁぁぁぁぁぁっ!! た、助けてぇぇ!!!」  耳をつんざくような叫び声がしたかと思うと、相手は一目散に部屋の外へと逃げ出す。  その後ろ姿を見ながら、俺は汗で滑りそうな斧を床から離し、息をつく。 「おお、いい脅しっぷりですねー」  背後から、からかうような声がした。  振り返ると、部屋の奥にある分厚いカーテンを手で押しのけて、こちらに顔を覗かせている男が見えた。  その男に向かって、俺は声をかける。 「あ、お疲れ様です。交代の時間ですか?」  ここは〈恐怖の館〉と呼ばれる、洋館を舞台にした、いわゆるおばけ屋敷だ。  俺は来客を脅すエキストラ役として、先週から試用期間で雇われている。  母親が外国人である俺は、ほりが深い顔立ちをしている。他のエキストラも似たようなもので、外国人か、もしくは顔が濃い人間しかおらず、平坦な日本人顔よりも脅し役としては適しているらしい。  いくつかある配役の中で、俺は斧を振り回す、殺人鬼の役だ。  殺人鬼らしく、顔や服にはべっとりとした血糊がついている。    俺はついさっき豪快に振り回していたにせ物の斧を交代する男に渡すと、今日の仕事を終えるべく、分厚いカーテンの奥にある薄暗い控え室に入る。  べたつく服を脱ぎ、壁にかかる鏡の前に立つと、タオルで顔を拭う。  鏡に映る自分の顔を見つめる。  無意識にすっと目が細まる。  いまはまだ試用期間だ。  殺人鬼役は日々上達しているが、不適合と判断されないようにしなければ。  そう、あいつが来るまでは──。  気を抜かず、完璧にしておかなければならない。  すでに本物の斧は手に入れてある。  あとはその日までに持ち込むだけ。  俺が本当に手をかけることになる、あいつが来るその日までに──。            *最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

おててえほん:はしるウリボーくん

 ウリボーくんは、今日も走っていました。ずっと、まっすぐまっすぐ、前だけを見て走っていました。  「おーい。ウリボーくん!」  どこからから、ウリボーくんを呼ぶ声が聞こえます。  「なーにー?」  それでもウリボーくんは、走るのをやめません。  「おーい。まってよう」  ウリボーくんを呼ぶ声は、すこし遠くなりました。  「はあい。ここにいるよーう」  いいお返事です。でも、ウリボーくんは、どんどこ、どんどこ、走っていってしまうのです。  「ま……よ……」  たぶん、「まってよう」と言っているのだと思います。しかし、ウリボーくんは走っています。ずんずこ、ずんずこ、走っていきます。  「はあい。ここだよう!」    ウリボーくんの大きな声が、後ろから聞こえてきました。  これにはサルくん、びっくり。  「ウリボーくんだ!」  「ぼくが、おむかえに行きたかったんだよ」  ウリボーくん、実は、ぐるーっと一周して、サルくんのところまでやってきたのです。  「サルくん、ぼくの上に乗って!」  「ありがとう!」  ウリボーくんは、山の方向を目指しました。  ずんずこ、ずんずこ、どんどこ、どんどこ、まっすぐ、まっすぐ、振り返ることも無く進んでいきましたとさ。                 おしまい。

街づくり

「ここ、マンションにするなら、近くに交番置いた方がいいぞ」 「おー了解ー」 民家を消して交番を置く。 「この辺は商業施設がいいよな」 「ああ、便利だし、見栄えもいいし、いいんじゃない?」 畑を消して大型ショッピングモールを置く。 学校、郵便局、市役所、遊園地に博物館。 理想の街を作るために、どんどん作り変えていく。 「よっしゃ。大体こんなもんかな」 「ああ、良いんじゃないか? 綺麗にまとまってるし」 「そんな! 私らは先祖代々ここに住んでいたんです! それなのに、住居立ち退きに畑を潰すなんて……」 住民の嘆きを役人は意にも介さない。 「明日までにここから立ち退け! ここにはマンションを建設すると決まったんだ!」 ここは理想の街になる。 誰かが地図に想い描いた街に。

シェアハウス四方山話 #28 芸術の秋

「よし、こんな感じかな」  私芥川愛花は、自分の部屋で一人呟いた。  今日は、大学の午後の講義が軒並み休講になるという珍しい出来事が起きた。  なので、私は家で漫画のネームに打ち込むことにしたのだ。  先日書いたネームを漫画の先生である、宮沢梓先生に見せたところ、様々なアドバイスをもらうことができた。  それを受けて、今日はネームの手直しを行っていて、今、作業が完了したわけだ。  これでもう一度梓先生にネームを見てもらおう。   と、その時部屋のドアがコンコンとノックされる。 「はーい、どうぞー」 「お邪魔しまーす」  部屋に入って来たのは、高校時代からの友人で同じシェアハウスの住人、藤原ひばりだった。  彼女は外出していたはずだが、いつの間にか帰って来ていたらしい。 「どうしたの、ひばり?」 「いや、帰りにコンビニ寄ってきたんだけどさ。愛花が好きなお菓子売ってたから、買ってきたんだよ」  手渡されたのは、この時期になると発売されるチョコレートのお菓子の限定フレーバーだった。  私は、このお菓子が大好きで、よく大人買いして冷蔵庫を圧迫させていた。 「そういや、そのお菓子なんかキャンペーンやってるみたいだぞ?」 「へー、どれどれ……」  箱の表面を見ると、そこには大きく『芸術の秋! 美術館のペアチケットが当たる!』と書かれていた。 「にしても、美術館か。どうせなら海外旅行とか景品にしたほうが、盛り上がるとあたしは思うがね」 「安価で大人数の人に当たるようにしたかったんじゃない?」  実際に『百名様に当たる!』と明記されているように、当たる数を多くして、応募者数を増やしたかったのだろう。  なんて考えていると、ひばりが口を開く。 「なぁ、愛花。なんで芸術の秋って言うか知ってるか?」 「いえ、知らないわ。なんで?」 「いや、あたしも知らん」  ……知らないんかい。  でも、なぜ芸術の秋なんて言うのかは疑問がある。  う~ん、考えられるとすれば……? 「あれじゃないかしら。秋って寒くなってくるでしょう? だから寒くても室内で楽しめるような創作活動だったり、芸術鑑賞だったりがいいってことなんじゃない?」  秋というのは、冬に向かって寒くなっていく季節でもある。  そんな中でも外で活動する人もいるが、暖かい室内が恋しい人もいる。  暖かさを求める人が、室内でも退屈にしないように絵を描いたりしたのが、芸術の秋の始まりなのかもしれない。 「それはありそうな話だな」  うんうんと頷くひばりは、ひと呼吸置くと、 「ま、結局のところ、始めやすいから、ってことなんだろうな」  と、結論付けた。 「……始めやすいから?」 「そうだよ。だって、別に夏の暑さが嫌で室内にこもる人だっているわけだろ? 春だって、花粉が嫌で室内がいい人がいるだろうし」  確かにどんな季節にも室内がいい人は、一定数いるのかも。  室内でも楽しめるものは、どんな季節でも求められるというわけか。  でも。 「芸術の夏とか言う言葉は聞いたことはないわよ?」 「夏はやっぱり代わりになる物が強いからじゃないか?部屋キャンプとか室内プ-ルとかもあるし、食べ物以外も楽しめるだろうし」  夏の風物詩と呼ばれる食べ物も遊びも、ある程度は室内でも楽しめるわけか。 「で、秋だよ。秋ならではってなると、栗とか松茸になるわけだよ」 「食べ物に関して言えばそうね」 「なかなか手が出ないだろ? 値段的にも」  松茸なんて高級品は、なかなか手軽に楽しめるものはではない。 「お月見なんかもあるけどさ、一日だけだし、いつでも楽しめるわけじゃない」 「ええ、そうね」 「そこで、年中楽しめるはずの芸術が頭角を現すわけだよ」  どういうことだろう? 「他の季節は、色々と室内イベントがあるけど、秋はパッとするものがない。と、なると芸術が注目されるんだよ。気軽に始めやすいだろ?」  まぁ、見るだけならすぐにでも始められる趣味ではある。 「となると、芸術を始めやすい環境が整っているって言えるだろ? つまり、きっかけができやすいわけだ」 「だから、芸術の秋って言われるようになった?」 「あくまでも、あたしの予想だけどな」  ひばりの言うことは、的を得ている……のだろうか?  でも、何かにハマるきっかけなど些細なことなのかもしれない。  その些細なことで、一生楽しめる何かを見つけられるかもしれない。  些細なことというのは、案外馬鹿にできないかも。 「そういや、愛花。どうせそのお菓子大量に買うんだから、キャンペーンに応募してみたらどうだ? なんか副賞で加湿空気清浄機当たるらしいし」 「……どっちかっていうと、こっちがメインの景品じゃないの、これ」  後日、我が家はこの加湿空気清浄機をお迎えすることになるのだが、それはまた別のお話。

疲れたときに読む小説

(どうしたんだろう?)  私は、あなたの顔色が優れないことに気がついた。 (がんばりすぎて、疲れちゃったのかな?)  私は、あなたを心配している。  それでも、私の姿が見えないあなたを、どうやって癒したら良いのかな。 「う〜ん……」  ちょっとだけ、考えこんでみた。 (あ、そうだ)  あなたに『ことのは』の力を使ってみよう。  文章を見るのは、目が疲れてしまうかもしれないから、  身の周りで、ゆったりできる場所を見つけたら、  そこでリラックスして、ゆっくり読み進めてみてね。 (温かいものを飲むと、身体がぽかぽかして、くつろげるかもしれない……)  私は、そう思った。 「なにか飲めそうだったら、取りにいってきたらいいよ」  私は、加湿器にお気に入りのアロマオイルを一滴垂らすと、スイッチを入れた。 ぽこぽこぽこ……ふしゅ〜〜  お部屋に、ローズマリーのほのかな香りがただよう。 「いい香り〜……力が抜けてきたかも……」  私は、いつものように、ひとりごとを言った。 「あなたは、お気に入りの香りはあるかな? 好きな香りを、いっぱい楽しんでね」  私は、さっき入れておいたホットミルクに、蜂蜜を垂らした。  スプーンで混ぜると、蜂蜜の黄色が白いミルクと溶け合って、クリーム色になっていく――  できた。よし、飲もうっと。 『ふぅふぅ……ごっくん』 「おいしい……ぽかぽかする……」 だんだん、眠たくなってくる。 でも、もうちょっと、あなたと起きていたいかも。 「どう? 疲れは少しでも、とれそうかな」  私は、あなたの顔を、覗き込んでみた。  ……まだ、変化は少ないみたい。  もし、もやもやしていることが、あるんだったら  どこでもいいから、文章に書き出してみたらいいかも。  あなたの頭の中が整理されて、きっとスッキリすると思うよ。  あ、もちろん、出来るときでいいから! 『ふぅふぅ……ずずぅ』  私は、またホットミルク(蜂蜜入り)を飲んだ。 あ、ひとつ気になることがあるんだ。 あなたは、何が好き?  私は、ラベンダーのバスソルトの入ったお風呂で、  ゆったり半身浴をするのが好き。  気持ちいいの。  それでね、お風呂上がりには、あずき枕を温めて、  首とか、目の周りに当てるんだよ。  ぽかぽかして、しあわせ。  え? 「あずき枕」って、なんだって?  ふふん。私は手作りしたんだよ。  気になったら、検索けんさくぅ〜。  変な宣伝じゃ、ないからね?(笑) そろそろ、眠たくなってきちゃったな。 もう、限界かも……  どう? もし、あなたが眠る時間だったら、  お布団に入って、目を瞑ってみる?  私は、あなたがぐっすり眠れるように、  この小説に、おまじないをかけておくね。  大袈裟なものじゃなくって、ただのお祈りだよ。  効くかは、半信半疑かも(笑)  ま、いいから、いいから。縁起かつぎだよ。 「おやすみなさい。今日は、読んでくれて、ありがとう」  私は、あなたのしあわせを願って、夜空に手を合わせた。 ☆

勇者

 俺は逃げた。子供も、老人も、……好きな女も、皆、皆置いて、悲鳴を上げて逃げ出した。 『おれ、おおきくなったらユウシャさまになるんだ!』  子供の頃の俺の口癖だった。勇敢で、強くて、格好良くて、優しい勇者になりたかった。  しかし、現実には俺は弱虫だった。  スライムにすら立ち向かえず、三つ年上のガキ大将の手下にボコボコにされ、おっちょこちょいで間抜けで失敗ばかりの落ちこぼれだった。  そんな俺をいつも助けてくれたのは同い年の親友だった。子供だけで入ってはいけないと言われた森に見栄だけで入って、スライムに襲われた俺を身を挺して庇ってくれた。木の棒と火打ち石でスライムを撃退してくれた。ガキ大将の手下に虐められている俺を見兼ねて、ガキ大将と一騎討ちして打ち勝った。いつも失敗して、笑われて落ち込む俺を励まし続けてくれた。  村で一番可愛いカタリナも、あいつの事が大好きで、あいつもカタリナが大好きだった。当然だよな。  だから、勇者にと、あいつに城から迎えがやってきて、俺は納得したんだ。  あいつの役に立ちたくて、俺は必死に頑張った。でも魔法にも才能がなくて、幻術とアイテム調合で何とかついて行こうとした。  しかし、俺にはすぐについて行けなくなった。  「あー! もう辞めた辞めた!  勇者パーティに入ればモテると思ったけどよお、キツイばっかりで全然楽しくもねえや!」  俺の捨て台詞にパーティ仲間は白い目を向けたが、あいつは小さく「ごめんな……」と言った。  俺がパーティにいる限り、あいつは俺を庇い続ける。そして俺にはこれ以上の伸び代はない。いつか庇いきれずに、共倒れになるだろう。  あいつと別れて一人帰途につく俺は、人目を憚らずに泣いた。  勇者になりたかった。  その小さな夢は、やがて目の前にいる優しい勇者を支える事に変化した。でも、それすら叶わなかった。  村に帰った俺は道具屋を始めた。移動魔法を覚えた勇者パーティは度々顔を出してくれるようになり、俺はタダ同然の価格でアイテムを渡した。難しい調合にも挑戦した。足りない材料を求めて短い旅をするようにもなった。  魔法の才能はないけど、幻術ならちょっとしたものなんだ。実際に影響はないが、誤魔化したり隠したり、また幻を打ち破ったり罠を看破するのが得意な幻術。これが危険な洞窟や、恐ろしい魔物と戦わずに突破するのに最適の技だった。  こういう支え方もあるんだ。  俺の道を見つけた。例え勇者になれなくとも、例え共に戦えずとも、こうやって力になる事ができるんだ。  自分にもできる事がある。俺は嬉しかった。とても嬉しかったんだ。  闇夜に赤々と村が燃えていた。  魔王軍が間近に迫り、人々は慌てふためいた。 「カタリナ!」 「エド!」  カタリナは足の悪いお袋さんを抱えて真っ青な顔をしていた。 「カタリナ、よく聞くんだ。魔王軍の狙いはお前だ。村長と神父様に言って、逃げずに村の教会の地下に全員避難するんだ。あそこなら大丈夫だ。  俺は幻術で教会を見えなくする。アルバートにも連絡する。あいつの事だ。小一時間もありゃあ到着するさ!」 「わ……分かったわ。でも、エドが説明しないの?」 「俺は奴らをちょいとからかってやるのさ」  俺はカタリナにウィンクした。「危ないわ」と叫ぶカタリナを尻目に、俺はすぐさま取り掛かった。  まず、幻声で村中に教会に集まれと告げた。村人が教会に入るのを確認してから、教会を幻影で隠した。そして実際よりも火事が酷く見えるように幻炎で火事を包んだ。  勇者アルバートにメッセージを託した幻鳥を飛ばす。どうか、どうか守ってくれと祈りながら。  そして幻装・カタリナを施した。俺の姿がカタリナそっくりになる。もちろん、姿だけでなく、声も。  更に、俺のとっておきの幻術、群像を展開した。俺の周りに村人のような大勢の人の姿、息遣い、衣擦れが起こる。  俺の目算では間に合うか、間に合わないか、微妙だ。もしもこの幻術が破られたら、村はお終いだ。  魔王軍の尖兵の気配がした。  俺は叫んだ。俺が悲鳴を上げると、群像もさまざまな声で悲鳴を上げる。俺が走ると群像も走る。俺は群像を伴って、村の外へと走り出した。  魔王軍は俺を追ってきた。激しく燃え盛る村にはもう何もないと信じさせる事が出来たようだ。  ちらりと後悔の念が過ぎった。せめて一言、カタリナに想いを――  ……いや、いいんだ。これで。  俺は逃げた。子供も、老人も、……好きな女も、皆、皆置いて、悲鳴を上げて逃げ出した。  俺は勇者になれなかった。俺にできるのは、闇夜の森をただ逃げるだけだ。皆の無事を、この先の明るい未来を、そんな未来をくれる勇者を、ただただ信じて。

ゲーム脳の人生録

※この小説はゲーマーしか伝わりません。 人生はロールプレイングゲームだ。 そう思って生きるようになって、私はとてもラクだ。 肉体はアバター。私は主人公。 初期ステータス【愛情】【寂しがり屋】【気分屋】 履歴書・職務経歴書は現在のパラメータの簡易表記。 隠しパラメータは表示しきれてないから、 実はあんまり気にしてない。 資格や昇進以外でも私の場合は「実績」が解除する。 百均が大好きな私。 「ダ○ソーマスター」「セ○アマスター」「キャ○ドゥマスター」の称号を得て、 「百均を極めし者」の実績を解除した。 ……と思ってる。知らんけど。 病気にかかれば自分は毒状態だと思い、 毒解除魔法がないと治らないんだと納得できる。 「今回の毒、長げぇっすわ草」 と言ってやりすごす。 仕事のタスクは、ザコ敵。 大変な上司は、中ボス。 大変な客は、大ボス。 倒せば経験値が貰える。 ちょっと強くなる。ほんとにちょっと。 (難易度、高めに設定されてるな) 「プロゲーマーではないので、つまずくよね♡」 の心持ち。 (あれ? 報酬少なくない? まあその分経験値貰ったから、いっか☆) 「アバター壊れたけどな!!」 病院行こう。ポ○モンセンターに。 因みに、イジメてくる人は、勇者の成れの果てだ。 同士よ……可哀想にゾンビ化している。 大変な目に逢ったのだろう。 早く聖職者に会わせてあげないと。 人生で仲良くなった人達は全員パーティ仲間だ。 時期限定のNPC。 (あれ? この町までしか無理なのか……仕方ないな。新しい仲間を探すか) 「今までありがとう。達者で暮らせよ」 さようなら、あの人。 こんにちは、この人。 日用品も娯楽品も、全部アイテムだ。 日用品は、HP回復 娯楽品は、MP回復 買ったときには脳内で効果音がなる。 使ったときは、ぽよんとした音。 なくしたときは、どろんとした音。 「重課金アイテムが欲しいなぁ」 が口癖。 人生の大きな出来事は、全部イベントとクエスト。 良い悪い関係なく、 意図せずに遭遇したらイベント。 自ら進んでいったらクエスト。 受験イベントはツライけど、経験値とスキル習得 病気イベントはツライけど、アバター回復目的。 就活クエストはツライけど、経験値ごっそり。 仕事クエストはツライけど、経験値と報酬とスキル習得。 結婚や出産はイベントなのか、クエストなのか。 ……知らないな? 個人的にはイベントもクエストもバランス良く欲しい。 私の場合なら、 小説クエストは楽しい。MPが回復してる。 頼まれた仕事はイベントだが、やろうと決めれば、 それはクエストだ。 人生って楽しい鬼畜ゲーム。 まるで、ダ○ソとかブ○ボみたいで私は好きだけど。 好みが分かれるゲームなんだよね。 一周目は、いけるとこまでやってみたい。 次に転生するときは、どんなゲームだろう。 「引き継ぎ」とか「強くてニューゲーム」は、あるかな??

刹那の焚き火

 今日もまた、焚き火は燃えて人々は踊る。  眠りこけた獣たちも、囀りを捧ぐ鳥たちも。  みな共にその身を洗い、大いなる彫像に各々の「術」を供える。  鳥たちは唄を、獣たちは食を、そして人々は言葉を。  今日もまた、月は輝きを跳ね返す。  その集落にはとある娘が住んでいた。  彼女の眼光は鋭く、手足の爪は研ぎ澄まされ鉤爪のように曲がっていた。故に彼女は「イーグル」と名付けられた。  イーグルを知る者ならば、その強い力を承知していることだろう。  しかし、彼女自身は自らの秘めたる可能性を知らなかった。否、知ってはいたがその可能性に蓋をしていたのかもしれない。  イーグルは獣たちと共に暮らしており、とある者を崇拝していた。  今となってはツタや花が呪縛のようにそれを縛っているが、それは紛れもなく大きな竜の彫像だった。  その目には欠けたアメジストが埋め込まれ、凛とした表情と空を覆う翼は森の中でも一際目立っていた。  だが、人々は言った。 「それは美しいものではない、醜く愚かな悪の化け物だ。伝承ではそう伝わっている」  周りの人々がいくらそう言い聞かせようとしても、イーグルはその竜を愛していた。  こんなにも美しいものが他にあるだろうか? 私たちはかつての伝承に縛られ、自由な思想を得られぬまま滅びてしまうのだろうか?  時は経ち冬になり、人々は自然の恵みを蓄え、住み処の中で細々と暮らすようになる。  一方イーグルは度々集落を抜け出し、竜のもとで暮らすようになっていた。  人々は彼女の身を案じる。 「吹雪が荒れる中で集落を抜け出すなど、どれほど命知らずなんだ」  それでもイーグルは彼らの話を聞かず、竜の元へ通い続けた。  少女は孤独だった。  竜も孤独だった。  ある晩のこと、イーグルはただならぬ気配を感じた。  獣? いや、違う。  蛮族? それも違う。  一体何が起きている?  イーグルは小屋の外に飛び出た。  しかし、自分以外に起床している者は居ないように思えた。  この神々しい空気に人々も飛び起きていると思ったのだが……。  イーグルは歩いた。  この気配、空気、感覚……本能が何かを示している。  とうとう、イーグルは足を止めた。  竜の彫像の目の前で。  しかし、彼女は目を瞠った。  竜が、動いている。  石造りの彫像が瞬きをし、歩き、尾を振っている。  イーグルは驚きを隠せぬまま、竜の近くに灯してあった焚き火に近寄った。  焚き火の近くには見たことも無い木の実が供えられており、竜はその木の実をイーグルに渡した。  頭を下げ、イーグルは木の実を口に含んだ。  それはとても甘美であると同時に、とても切ない、哀しい味がした。  この世との別れが来たのだろう……少女は悟った……美しく冷たいこの世との別れ。  焚き火がボウッと燃え上がり、イーグルは竜のほうをちらっと見た。  竜は頷いた。  焚き火から勢いよく、一羽の鷲が飛び出てきた。  その眼光は鋭く、鉤爪は研ぎ澄まされていた。  鷲はただ天へと昇り、やがて焚き火の炎に飲み込まれ、そして消えた。  竜はその様子を見つめ、やがて再び彫像となった。  何の変哲もない、ただそこにあるだけの石の塊に。  今日もまた、焚き火は燃えて人々は踊る。  眠りこけた獣たちも、囀りを捧ぐ鳥たちも。  みな共にその身を洗い、大いなる彫像に各々の「術」を供える。  鳥たちは唄を、獣たちは食を、そして人々は言葉を。  今日もまた、月は輝きを跳ね返す。

Em7、Em7/D、Em7/C

 一見、全く関連づいていないと思われる事が実はそうではない、という事がある。  例えばブランコに乗りながら、さっき見た花の事を考えている時。昔読んだ詩の意味が唐突に理解できたりする。  その詩を読んだ時、全く理解できないただの文字の羅列だと感じた。でも、本当に唐突にそれが意味を成し、美しい言葉の集合体であると知る。  多分、頭の中のどこか遠い所をぐるぐると経由して、答えに行き着くのだろう。全体を把握する最後のピースが見つかる感じだ。意味のない事など、何もないと身に染みる瞬間だ。  私は、あなたの言っている事の意味がずっと分からなかった。  あなたは、ずっと前から私にただ一つの事を伝えようとしていたのに。  なんとなく再生した音楽が全てを繋げた。その曲のコードが知りたくて何度も聴いていたら、違う所に繋がった。    巧妙に隠しているつもりで、見え透いていたきっかけ。大雨で停電した時、懐中電灯を持って来てくれた事。私より先に眠らない理由。私が割ってしまったグラスを、私に片付けさせなかった事。背の高いあなたが、私と目を合わせて話すためにするあの仕草。私の目の前で、自分で自分を傷付けた理由。初めて見た涙。震える手。優しくて不器用なあなたが、何よりも私に伝えたい事。    実際の所、それ程遠くを経由せずに答えは出ていた。私がそれを否定したかっただけだ。信じられなかっただけだ。  まだ、全てを理解したわけではない。でも、ようやく理解する端緒が掴めた。  信じる事、愛、回復する傷、多分そういう事。

寝空

……ぽたっ、ぴちゃん、ぴちょん……。  今日は雨が一日中降っている。雨の日は調子が悪い。 「今日は寝空(ねぞら)だなやぁ。」  おばあちゃんが言った。  寝空ってなに? 「こいな雨ばり降る日は田んぼさも、畑さもいげねぇべ。こいな日は寝るに、いい。こいな日は、寝空っつぅんだ。」  そんな会話をした事を思い出す。  ぴちゃんっ、         ぽちゃん……。  ぽたっ         ぽたっ       ぽちゃん…… ぽたっ          ぴちゃん……。  ベッドに寝転び、ただ雨音を聞く。隣の部屋から小さくピアノの音がする。  そのうちに、気がついたら眠っている。  今日は寝空だから、こんな風に過ごす。

強さに惹かれた 眩しさに目がくらんだ 立ち上がれないときもあった それでも俺はあなたについて行こうと思った 強くなりたい、と思った

除光液

私は自分の部屋に帰ってきた。 「ねぇ、私の除光液を見なかった?」 「知らない」 「あった。ごめんなさい」 私は除光液を視認すると、脱衣所に移動する。 洗面台のクレンジングオイルを掌に適量とり、 顔に塗りたくる。 役目を果たさない浴槽の縁に腰掛け、顔を洗う。 化粧を落とせば、本来の私。 手順通りに身体を洗い、髪を洗う。 取り付けた、きめの細かい雨が私を癒す。 身体を拭くと、髪をドライヤーで乾かす。 いつも、半分だけ。 足速に部屋に帰る。 化粧水を掌に、適量。 潤って。潤って。 私は、コットンに除光液を一滴垂らすと、爪に宛てがった。 光が消えていく。 自爪が本来の醜い姿を現す。 「おかえりなさい」 誰にも言われない台詞を爪に言った。 ネイルオイルを塗る。 潤って。潤って。 私以外、誰もいない部屋。 化粧品の山、ブランド物のバッグ、服、香水の数々。 この部屋は、私が作った世界。 電気を消して、カーテンを開けると 窓から明るい夜が降り注いだ。 テーブルの上、着火剤が注がれたグラスを手に取り、飲み干す。 痛みが喉を通過する。心の痛みにはまだ足りない。 着火するまで、また、おかわり。 注がれたグラスを手に取り、飲み干す。 カウントダウン。 注がれたグラスを手に取り。 「枕を、噛んで」 ちゃんと声が聞こえた。 眩んだ視界から枕を探し、噛み締める。 明るい夜が窓から身体に降り注ぐ。 痛みは私を聢と潤した。

美里の持論

「常識っていうのはね、綿菓子と同じなんだよ」  また美里の持論展開が始まった。  この子は酔い始めるといつもこんな調子で、最初は返す言葉が全然浮かばない私だったけど、 「そのこころは?」  今では催促とスルーを同時に切り出す魔法の言葉を手に入れたんだ。  グラスの淵を掴んだまま美里は人差し指を立てると、 「まずフワフワしてます!」  あざとい猫撫で声を挙げた。 「そして?」 「なぜフワフワしてるのでしょう?」  そりゃまあ密度がないからじゃないの、と返したセリフは隣から湧いた爆笑に掻き消されて、まるで他人が言ったように聞こえた。 「その通り。密度がないのです。常識には密度がないのです!」  それでも美里はちゃんと聞き取ったらしい。私がどんな言葉を返すのか、アルコールの力による全集中で逃すまいとしていたんだろう。超単一指向性マイクのような耳だ。 「遠くからは輪郭までくっきりと見える綿菓子も、近くで見るとスカスカなことに気づくのです。そしてちょっとでも握り込んでみると形が変わってしまいます。常識もそう。技術や若者による新しい価値観でいとも簡単に変化するのだ!」  お兄さんハイボールお願いします。ピシッと腕を伸ばす美里を見て、私は小学校の朝の健康観察を思い出していた。ハイゲンキデス! 「口に入れれば甘いけど食感という刺激はない、しかもその甘さを嫌う人は少なくない。常識なんて綿菓子と一緒だよ」  私は気づかなかったけれど、美里は小学生の頃から既に社会と自分とのズレを感じてたらしい。変わった子だなあと横目に見る私は、まだ『一期一会』の下敷きに書かれたポエムを真に受けていた。 「ミサの常識嫌いは変わらないねぇ」  そのショートヘアがいい証拠だ。 「あのね茜ちゃん、私が嫌いなのは常識じゃなくて常識を岩だと信じる人だよ。しかもその岩は普通の岩じゃなくて、注連縄に守られた御神体なんだって信じる人。不可侵にして真理。嫌んなっちゃうゼ」  追加のハイボールに美里は手を叩きながら迎え入れて「ウチを分かってくれるんはお前だけじゃあ〜」と大悟のマネを始めた。 「ねえねえ、私は?」 「ん?」 「私は美里のこと分かってないの?」 「大丈夫!茜ちゃんはハイボールだから!」 「……そのこころは?」 「氷のような冷たさ!」 「ほう」 「その価値観はウイスキーのように薄めても薄めても最後まで隠れない!」 「そんなに濃いつもりないけど」 「そこに加わる攻撃的な炭酸は誰もが無意識に顔をしかめる!」 「なんだって?」 「茜ちゃんはまさにハイボールなのです!」  美里の持論によって私はハイボールと決まった。 「つまり貴女はモテない女なのです!茜ちゃん!」  全く非常識なヤツだ。

だるまさんがころした

「……だーるまさーんが……こーろんだ」と、どこかで聞こえてくる。 『だるまさんがころんだ』 誰もがやった事のある遊び。私もやったことがある。 だけど、……それが、恐怖の遊びだなんて思いもしなかった。 「……うごいたら……まけだよ?おねーちゃん?」 (……え!) 私の目の前に現れてのは小さな女の子。 いつの間に…… 再び、女の子は私を後ろにし前を向く。 「だーるまさんが……こーろんだ」 女の子は、私を振り返る。 (ひぃ……) 再び、女の子は前を向く。 そして、またあの声て言う……歌うように。 「だーるまさんが……こーろんだ」 すると、ビューンと強い風がふいた。 グラ…… (あ、ああああああああぁぁぁ……) 「……フフフ。……おねーちゃん、負け」 その場に赤い海が広がる。 けして、「だるまさんがころんだ」の遊びをやっている時は動いてはいけない_____ 女の子は、また、新しい友達を探すため暗闇へと姿を消したのだった。 「だーるまさんがこーろした……フフフ」

残業

自分の仕事は全て終わったが、まだ仕事している振りをしている。 チャンスは奴がトイレに立つ瞬間! 緊張感漲る室内。 目配せする同僚達。 そんな中、一人伸びをしながらゆっくり立ち上がる姿。 奴だ……! 奴はゆっくりと出口を潜った。 今だ……!!! 再び室内に戻ると、一人を残して社員が消えていた。 「なあ、俺、別に定時で帰るなって言ってないんだけど」 「まあ、課長が残ってるのに、先に帰り辛いんじゃない?」 「で、上司に挨拶もせんで帰るのはオッケーなのか?」 同期は肩を竦めた。 「若いのなりの生活の知恵なんでしょ。 気にしたら負けだよ。 じゃ、お先ー」 まあ、時代は変わるものだ。 俺の入社時には若いのが率先して残業するものだったけど、今じゃ残業代削減のために役職持ちが残業する。 「あれ? 今も昔も、残業してんの俺じゃねえ……?」 今は課の成績が俺の成績だ。 やらざるを得ないわけで。 こんな状況も、いずれ変える時が来るんだろうが、それは俺の仕事じゃないんだろう。 「気にしたら負け、なあ……」 俺らの世代はずっとそんな感じだったな。 世の中っていうのは、きっと気にする連中が変えていくんだろう。 それがどんな結果をもたらしても、それが時代と言うものなんだろう。 俺は業務の続きに取り掛かった。

わたしの悩み事

ずっと楽しみにしていた日曜日、憂鬱な気持ちで家に帰った。僕の気持ちとは裏腹に、空は彼女たちを祝福するかのように晴れ渡っていた。予定よりも早く帰宅したが、だからといって何をすることも出来なかった。ただ、ぼうっとしてソファーにうずくまりどれだけの時が過ぎたのだろう。いつの間にかとっくに夜の帷が落ち、壁に目をやるとちょうど丸い時計の針が重なっている。時間なんてこのまま止まって動かなければいいのにとどんなに強く願っても時計の針は止まってはくれなくて、何もかもが僕を否定したように錯覚した。ポツポツと想いを募らせた日々を思い出して、その数だけ涙がこぼれ落ちてくる。彼女の笑顔が、好きという気持ちが僕に向けられることはないんだと思うと立ち上がることは困難で、彼女幸せにすることができるのは僕ではないんだと気づいた時から胸が抉り取られたかのような深い喪失感と痛みを覚えた。 それでも彼女が好き。悲しみの中にあってもそれだけは確かな真実で、報われないとわかっていても突き進む覚悟が芽生えた。次の日、まるで昨日の夜のことなどなかったかのような日常を送り、彼女とも笑顔で接することができた。今日の快晴の中で届く暖かな陽は、僕の背中を優しく押してくれる。今日踏み出した一歩を自分の歩幅で歩き続けた先の未来へ行こう。

ある家族

張り込み中の車内。 若い刑事が相棒の、老齢の刑事に退屈しのぎをお願いした。初めは気が進まない様子の老刑事も、「その熱意はよそで使え」と言うほどに諦めない若い刑事に根負けした。 「……ある家族の話をしよう」 監視対象の一室から目を離さずに、老刑事は口を開いた。その声色に混じる『苦さ』を、この若い刑事は感じ取れただろうか。 「一家は両親と長男、次男の四人家族。祖父母との同居は無し。近所付き合いも悪くなかった」 前置きとして情報を並べていく。 「子供二人は年齢差が八年と、比較的大きいが、それが逆に良い方に作用したんだろうな。長男は次男を猫可愛がりしてたそうだ」 老刑事は自らの顎をさする。じょり、と伸びた無精髭が、乾いた指先をこすった。 「両親は兄弟両方を大切にしていたが、やはり末の息子はとりわけ可愛いらしく、長男も混ざって次男を取り合いするくらいだったそうだ」 老刑事はそこで言葉を止めた。喉が乾いて、咳払いを一つ。聞き入っていた若い刑事が、すかさずペットボトル入りの飲み物を差し出す。黙って一口飲んだ老刑事だったが、顔をしかめた。 「なんだこのくそ甘いのは。コーヒーはねぇのか、コーヒーは」 「いや、コーヒーはトイレが近くなるって言われたので。それに先輩もそろそろ……」 突っ返された飲料をドリンクホルダーに立てながら、若い刑事が反論する。 「おい、若造。人のシモの絞まりの心配する前に、『社会の窓』を閉じな」 老刑事が年寄り扱いされた事に舌打ちして、お返しとばかりに相棒の股間を指差す。若い刑事は『社会の窓』という言葉にピンとこなかったが、指を差されて気づき、ジッパーを閉めた。これがジェネレーションギャップというやつか。 「どこまで話したっけな。……ああ、家族仲が良かったってとこか」 自らのこめかみを指先で、とんとん、と叩いてから話の軌道を戻す。 「長男が大学へ進学して、初めての夏休みに事は起こった。次男が行方不明になったんだ」 若い刑事が息を飲んだ。さきほどのふざけたやり取りとは明らかに違う、老刑事の低められた声と、語る出来事に。 「帰省していた長男も、両親も半狂乱で探したよ。我々も動いた。事件事故両面から、ってやつだ」 よく聞くだろ、と付け加え、顔をしかめつつも甘い飲み物で喉と舌を潤す。 「一週間後だ。見つかった。……遺体でな」 若い刑事はわずかに後悔した。暇潰しに聞くには重すぎる。 老刑事は相変わらず対象に目を向けながら、一本いいか、と断りを入れてから煙草に火をつけた。窓も開けて。ふぅ、と煙を窓の外に吐く。 「こう言っちゃなんだが、事故ならまだ、家族も諦めがついたと思う。だが……」 ちりり、と煙草が燃える。 若い刑事にも察しがついた。他殺。 「今度は犯人探しだ。俺はこの目で初めて見た。善良な市民の目が、憎しみに濁る、その瞬間を」 ごくり、と若い刑事が固くなった唾を飲み込む。 「再三の、我々に任せてくれという言葉にも彼らは耳を貸さなかった。まあ、気持ちは解る」 老刑事は煙草を持つ手を、窓の外に突き出して続ける。 「しかし遺族一家が急に姿をくらました。住居を引き払って。信じられるか? 犯人と一緒に遺族一家を探す羽目になったんだ」 小さく首を横に振って、自嘲めいた薄笑いを浮かべた。 「で、だ。一報が入る。捜査本部に、ある男の情報がたれこまれた、と」 老刑事が根本まで燃え尽きた煙草を灰皿に押し付けた。 「顔写真、年齢、住所、凶器など無数の証拠品。あとボイスレコーダーが送られても来た。一人の中年男の自供だ。悲鳴混じりの。次男を誘拐して殺した、という、な」 若い刑事はいよいよ強く後悔し始めた。だがもう引き返せない。 「当然遺族一家が疑われた。まあ、こっちはすぐに見つかったよ」 今度は断りを入れずに二本目に火をつけた。 「新しい住所に令状を持って踏み込んだ」 ここで初めて老刑事は若い刑事に視線をやった。 「そこで、見つけたんですか? その……死体を」 言いよどみながらも、若い刑事は尋ねた。今やすっかりこちらの喉がカラカラだった。 「ああ。見つけた」 老刑事はあっさり頷いた。 「一家は逮捕された。殺人で」 若い刑事の片眉が跳ねた。 「傷害致死ではなく?」 この二つは大きな違いがある。若い刑事は首をひねる。 「良いぞ。よく気づいた」 煙草をことさら強く吸い、長く煙を吐いた。 「そこで見つかったのが中年男の死体なら良かったんだ」 「え?」 意味が急に解らなくなって、若い刑事が反射的に聞き返す。 「男の死体は別の場所で見つかった。執拗な拷問を受けて」 くしゃり、と煙草が灰皿で潰れる。 「家で見つかったのは近所の奥方だった」 若い刑事の背筋に寒いものが走る。 「きっと『クセになった』のさ」

ようこそあたしのお花畑へ

まず、種を蒔きます こんな話を届けたいな、こんな話を綴りたいな、って そしたら成長するのを見届けます お水をあげて、その時が来るのをそっと待つ あらゆる言葉を当てはめて、一番いいのを選ぶの 中には成長するのが遅い子もいるけれど 必ずいつかは花開くから 大丈夫、焦らないで ほら、花が咲いたよ いろんな色のお花があるね かなしいのもある ほっとするのもある まっくらなのもある あったかいのもある そうやって色とりどりの花畑ができて たくさんの人の目に止まって ほら、いいね、って 言ってもらえた

電気ケトル

僕は今、幸せのド真ん中にいる。好きな人と付き合えて、さらには同棲までしている。これを幸せと感じられている毎日が幸せだ。 「かける〜起きて〜」 リビングから僕を呼ぶのが今の彼女、柔らかくて落ち着いたトーンで話す声は僕にとって最高級の癒しだ。 呼ばれた声の元に行くと、笑顔で上機嫌な彼女が朝ごはんの準備をしてくれている。 ハムエッグにサラダ、トーストとコーヒーが二人分テーブルの上に置かれた。 ありがとう。とお礼を言って抱きしめると席について一緒にご飯を食べる。 ご飯を食べている間は、他愛のない会話で時間が埋められていた。昨日のテレビの話とか、職場の上司がウザイ話とか、今度の日曜日にどこに行こうか。みたいな話ばかりだった。この話をする時間が朝の幸せだと感じられている。 二人はたくさんの話をして、ふとした時に彼女は別の話題を振る。 「そういえば、また電気ケトルのコンセント抜いてなかったよ」 「僕じゃないって」 「かけるくん、左利きでしょ? 持ち手が左に来るからすぐに分かるんだよ。いつも言ってるじゃん」 返す言葉のない僕を見て、ドヤ顔をする彼女。ごめんって言うと「今回だけは許してあげる」ってその場は収まる。ご飯の食べ終わった二人は一緒に食器を片付けた。何故かこの日は食器が擦れる金属音がやけに大きく聞こえたような気がした。 そのまま仕事に行ったその日の夜。家の明かりは消えていた。18時にはいつも家にいて、出かけるなんて聞いていなかったから少し不安になる。 「あおい〜? ただいま」 もしかすると朝のことをまだ怒っているのかもしれない、ちょっとした反発心でどこかに出かけたんだろう。特にやることもないから適当にテレビを付けて、仕方がないから自分でコーヒーを淹れる。テレビの明かりが付いているだけの部屋で電気ケトルのスイッチを入れてお湯が沸くのを待つ。 ピロン 待っている間にちょうど彼女からメールが届いた。遊びに行ってるけど帰りが遅くなるらしい、朝のことを怒っていないのに少し安心して、ゆっくり楽しんでおいで。と返信をする。急に遊びに行くことなんて滅多にないことだったから少し驚いたりもする。 電気ケトルのお湯が沸き、取っ手を掴もうとするとやけにスムーズに取れることに気がついた。朝にコーヒーを淹れたのは彼女であって僕じゃない。そんな違和感を感じながらお湯を注いでいると、部屋が綺麗になっている事に気がついた。きっと電気ケトルの周りも掃除したんだろうと納得する。 コーヒーを淹れ終わると電気ケトルをそのまま元に戻した。コンセントを抜くのも忘れて。 次の日の朝に彼女は帰ってきた。 「おかえり、遅かったね」 「ただいま! 久々に朝まで呑んだよ〜今日が土曜日で助かった〜今から朝ごはん作るから待っててね」 眠気のせいかお酒のせいか、フラフラになりながら彼女はキッチンに立つ。コーヒーを淹れる為に電気ケトルに水を貯めている彼女の姿を見てコンセントを抜かなかった事を瞬間的に思い出した。怒られるかな、って思っていたが今日は何も言われることはなかった。

君が好き。

僕は一人の女性に恋をした。それは今からちょうど2ヶ月の出来事。 2ヶ月前 2012年2月 その日は2月にしては暖かく過ごしやすい日だった。僕は生まれつき体が弱く風邪を入院をしていた。「ねぇ君、君だよ」「な、なに?」初めて話したきっかけは彼女だった。彼女の顔を見た時僕は雪の中に咲く一輪の花を思い浮かべた。 白くて細い手足、睫毛が長く整った顔立ち。今思えばその時から僕は彼女に惚れていたのかもしれない。「君、笹塚怜くんだよね?」「え、なんで名前…」彼女は笑って「あたしの名前は櫻井凛。同じ学校でもクラス違うから分からないか…」櫻井凛…その名前顔は分からなくてもどこかで聞いたことがあった。確か、1度図書委員会で同じになったことがある。僕は口を開いて「前期図書委員会副委員長の櫻井凛?」「あたり!」彼女は嬉しそうに答えた。「怜は写真好きなの?」僕がハッとした顔をすると「いつも写真の本読んでるからそうなのかなって思っただけ」と言った。「好きだよ。写真」と答えた。僕の趣味は写真を撮ることだが地味な趣味で中学時代にからかわれていたことがありあまり人に打ち明けられなかった。「あたしも写真撮ること好き!」と笑顔で言った彼女の顔は今でも頭の中で浮かんでくる。それからの日々僕と彼女はお互いに撮った写真を見せ合い僕のつまらなかった入院生活が楽しく思えた。色々な話をしている途中で彼女が病気のことを話してくれた。彼女の病気は天死病というものだった。その病気は死が近づくに連れて天使のような羽が生えるという病だ。その病を患っている患者は世界で100人くらいだと言う。そしてまだ治療法が見つかっていない致死の病だそうだ。僕はその病気が現実世界から離れすぎていてその時は理解することが出来なかった。 僕が明後日退院できると言われ彼女に告げた日彼女は一つだけお願い聞いて欲しいと言った。僕が頷くと「星を見たい」と言った。「いいよ。」僕はそう答えた。彼女の声ははとても弱かった。次の日の夜は天気が良かった。僕は彼女を屋上へ連れて行き看護師さんに見つからないように2人で星を見た。さすがに2月の夜はとても寒かった。彼女の検査が始まるまでには戻るという約束を2人で交わし検査の15分前には部屋へ戻った。そして僕はお別れをする前彼女から一通の手紙を受け取った。家へ帰り僕は手紙を開封し読んだ。 拝啓  笹塚怜 様 私があなたを初めて見たのは高校の入学式でした。初めて見た時私はあなたに一目惚れをしました。その後廊下で友達と図書委員会に入る話をしているのを聞き、私も図書委員会に入りました。あなたの性格は私が思っていた通り、優しい人でした。怜に天死病について話をしたよね。でも一つだけ黙っていたことがあります。天死病は羽に栄養が行ってしまい長くは生きられないということです。今私の羽は飛べそうなくらい大きくなっています。昨日の夜も隠すの必死でした。黙っててごめんね。怜と話したたくさんの話や一緒に星を見た事は私にとって一生に一度の大切な思い出です。本当にありがとう。 私はいつ死ぬか分かりません。でももうすぐ死んでしまうと思います。なので最後に言わせてください。 笹塚怜さん。私はあなたのことが好きでした。 短い間だったけど怜には感謝してもしきれない。本当にありがとう。辛いことがあったり、悲しいことがあったなら空を見上げて私を思い出してください。私は天国でも地獄に行ってもあなたを好きな気持ちは変わりません。 その日の夜。彼女は僕より先に逝ってしまった

真の救済

廃ビルの屋上に立ち、ぼうっと空を眺める。そっと背中を押す風が、僕の命を優しく断ち切らんとする。 ここなら誰にも見つからない。 そんな安心感を得て、ふわっと飛び立つ。 体は重力に逆らわず、瞬時に落下を始める。しかし、不思議と心は軽く、まさに天に昇っていくようだった。 なのに、それなのに、悪魔に僕の腕を掴まれた。 「良かった、間に合って!」 ······良かった? 何が? その悪魔は、僕を救ってお巡りさんから表彰状をもらった。 「よく救ってくれました。勇気ある行動に感謝します」 ······救った? 誰を? どうやって? 僕は救われてない。 あのまま死ぬのが、彼にとって唯一の救いだった。 救った気になって、僕を助けた気になって、満足しているにすぎない。 〜〜〜 地獄へ連れ戻された彼は、さらに苦しい日々を過ごす事になる。 誰か、彼を本当に救ってあげてはくれないだろうか。 彼はまた今夜、あの廃ビルに立った。

Boiled past a week

 僕は、パスタをゆでた。なんとなく、いやな日が続いたから、僕の好きなパスタを作った。  月曜日は、たらこパスタを食べた。濃厚な卵を感じて、フォークは止まらなくなる。プチプチとした触感も楽しく、延々と食べていられそうだ。  火曜日は、砂肝のパスタを食べた。シンプルな味付けにもパンチがあって、絶妙なしょっぱさが食欲をそそる。  水曜日は、毛蟹のクリームパスタを食べた。濃厚なクリームが麺とよく絡んで、全身を迸る満足感。幸せな気持ちが溢れ出るような味わいだった。  木曜日は、照り焼き風パスタを食べた。意外な組み合わせながら抜群の安定感。安全安心の美味しさ。  金曜日は、靴紐のパスタを作った。ぱさぱさで味気がなさそうだったけど、ソースにはよく絡んでくれた。すこし靴紐の色も落ちたけど、まだおいしく食べられそうだった。  土曜日は、ラズベリーのスイーツパスタを作った。甘い香りの裏に感じる甘酸っぱそうで独特な色。味見をしてみるとちょっぴり、鉄の味がする。  日曜日は、イカ墨のパスタを作った。パスタの茹で具合を間違えたのか、麺はぱさぱさで、とても食えたものじゃなかった。…それでも、これは僕に必要なことだから。  ゆっくりと、手記を閉じる。あきらかに筆跡の違う二つの日記。それは助けを乞うもの同士が書いたものに相違ないのだ。  僕はそんな今日を生きていって、また、大好きなパスタごと、茹でる時が来るのだろうか。

間違い密告

 これは密告である。  お前の息子は、会社の金を横領している。  このことを知っているのは私だけだ。  バラされたくなければ――  私はこの手紙を読んで、そっと封筒にしまった。慌てることもなく。至って冷静に。  それから、おもむろに席を立ち、受話器を上げる。  「もしもし?」  電話の相手は、手紙の主でもなく、息子でもなく、警察である。    正義感の強い母――そのように見えたのなら、お世辞であっても嬉しい。  正直に言おう。    私は今、笑いをこらえるので必死なのだ。  ここで笑い声なんかを警察に聞かせたら、かえって私が怪しまれるではないか。  「はい。うちの一人息子は、まだ三歳なんです」  キコキコ……  三輪車で庭をグルグルと回る息子を見つめながら、淡々と話す。    犯人の顔が見てみたい。無論、興味はないが。

「待って……たよ」

夜の真夜中…… カラスがカーカーと、鳴いている。 夜なのに。 俺が見えている大きな城の前。 いや、前ではなく城の中。 暗い灯りを灯さない大きな城の中…… 誰かが何かを喰っている音。 俺は、気になって階段に足を1歩掛けた。 すると……背筋が一瞬にして寒くなった。 誰かに、「……いらっしゃい……」と言われたような感覚に落ちいた。 それが合図だったのか、俺は階段を進める。 ある所で足が止まる……。 血……。 血の匂いがする。 俺は、階段の上を見た。 「……?!」 そこに居たのは、男の血を浴びた女性が立っていたのだ。 「みーつけた。次のターゲット……フフフ」 女性は、俺を見るなり不気味に笑った。 ふと、俺が目にした真っ赤に染まった手。 それは、……所々、無くなっているのに気が付いた。 あるのは、中指だけ…… その意味は、分かるだろ? 〝死〟だ。 俺は、そこで意識が途切れて闇の中へと落ちていったのだった_____。 ※この物語は、実際に作者が経験した夢をそのまま物語にして書いたお話です。

ねぇ、

ねぇ、ちょっと聞いてよ。 授業中窓開けてたんだけど、すっごく強い風が吹いたの。 そしたらね、教授のバーコード頭が大乱れしちゃってさ! もうみんな俯いて口元抑えてて、私も必死に我慢したんだから! 見せてあげたかったなぁ。 笑いの我慢比べしたら、私が勝っちゃうかもね。 あぁ、面白かった。 じゃあまた明日ね、おやすみなさい。 ねぇ、この服どうかな? 久しぶりにワンピース着てみたの。 パンツスタイルが多いから新鮮でいいでしょう? 昔私服でスカート履いた時「どうしたの?」って言われたことがあって、恥ずかしくってさ。それから制服以外では履いたことなかったんだよね。 でも君が「スカートもいいね。可愛い。」って言ってくれたから、好きになれたよ。 ありがとう。 よし、今日も頑張ろう。行ってきます。 あのね、今日は少し嫌なことがあったの。 友達みんなが君のことを忘れろって言うんだ。 酷いでしょう? ねぇ、君はそんな酷いこと言わないよね? 忘れてくれなんて、言わないでね。 約束だよ。 おやすみなさい。 ごめんね、しばらく話せなくて。 最近気になる人が出来たんだ。 でも君のことを裏切るみたいで嫌なの。 ねぇ、私はどうしたらいい? ……そんなの聞かれても困るよね。 じゃあ、行ってきます。 長い間待たせてごめんなさい。 気になってた人とお付き合いすることになりました。 笑った顔が少し、君に似てるかも。 別に君に似てるから付き合ったわけじゃないよ? ……なんて、言い訳っぽいかな。 ここにずっといて欲しいけど、そろそろお別れしないといけないね。 写真の中の君はいつも同じはずなのに、毎日少しずつ表情が違って見えたんだ。ほんと不思議。 本物の君と、もっとずっと一緒に居たかったな。 君もそう思ってくれた? そうだったら嬉しい。 あのね、君のこと好きだったよ。 本当に、好きだったの。 ねぇ、 忘れないから、忘れないでね。

おおきなさかな

朝、家を出ると、空に魚が居座っていた。 それはとても大きな魚で、口先から尻尾までは軽くそこらのビルを越すくらいで、目玉は私の家を飲み込むほど大きかった。 鱗は一枚一枚がくっきりと見え、日の光に照らされてキラキラ輝いていた。 魚はこちらに気づき、私に言った。 「おや、どうしてあなたの様な人がこの世界にいるのですか?」 私は言った。 「あなたこそどうして私たちの世界にいるの?」 魚は黙った。 私は言った。 「あなたの後ろには綺麗な山が見えるの。今の季節は紅葉していてとても綺麗なのに、あなたがいるせいでちっとも見えないの。そこを退いてほしいのだけれど」 魚は黙ったままであった。 私も黙ったまま、ビル群の隙間に浮いている大きな魚を眺めながら、学校へ向かった。 クラスメイトはほんの少しも魚のことを口にしなかった。 私が話すことのないような人たちと、いつもと変わらず薄っぺらい話をしていた。 みんなはこの大きな魚のことが見えていないようであった。 私は一人だった。 だから私は、帰り道は魚を探しながら歩いた。 けれど、遠くに見えるビル群の隙間には、あの大きな魚の姿は見当たらなかった。 背景には赤とも黄とも言えないような、緑の混じった山たちが見えていた。 私は特に何も思わず、家へ向かった。 そして時間が経ち、やがて眠りについた。 私が目を覚ました時、目の前には小さな魚が泳いでいた。 そこは真っ白な空間だった。 小さな魚はあの大きな魚によく似ていたが、小さいといってもたぶん普通くらいの大きさであった。 私は黙ったままであった。 すると魚がゆっくりと話し始めた。 「この世界の人々は詰まらない。でも何が詰まらないのか分からない」 私は何か言い出したいのをぐっと堪えて、魚の話を聞いていた。 魚が言うことには、兎に角この世界の人々は詰まらないらしい。 私は魚の話を真剣には聞いていなかった。 だから時折無心になっては、先程魚が言ったことを思い出し、追いかけ拾い集められた、私に扮飾された魚の話を、少しずつスルメを齧るように、黙々と飲み込んでいた。 魚の話が終わってしまうと私は、私がずっと思っていたことを口にした。 「どうしてあなたはこの世界にいるの?どうしてあなたはあんなに大きいの?どうしてあなたは私にしか見えないの?」 魚はすぐに答えなかったが、暫くしてまたゆっくりと口を開いた。 「そんな一度に沢山言われると、分かるものも分かりません。あなたはあなたの中にある謎を知りたいのでしょうが、それは本当に解いてしまって良いものなのでしょうか。それらはあなたの内にしまっていた方がよっぽど良いものだと、私はそう思います」 私はそれを聞いて少しの間黙っていたが、訳がわからず聞き返した。 しかし魚は私がわかるようには答えなかった。 「私には分かりません。私がなぜこの世界にいるのかや、なぜあんなにも大きいのかは。しかし私は思いました。私は本当に大きいのでしょうか。例えば蟻があなた方がを見て、大きいと思わないことがあるでしょうか。それに同じく、私のことが見えているのは、果たして本当にあなただけなのでしょうか」 私は黙った。 魚もそれ以上は何も言わず、ただ宙を浮いているだけであった。 それから次第に意識は遠ざかり、目が覚めた時には何処かで鳥の囀りが聞こえてくる朗らかな朝だった。 私はいつもの様に家を出た。 あのビル群の隙間には、大きな魚の影はなかった。

地震

「地震だ!?」   「でかい!?」   「恐い恐い!!」    SNSが地震の話題一色に染まる。  自分の無事を伝えるため、友人の無事を確認するため、ただただ恐怖を振り払うため。  五分もすれば、幸いにも全員無事であると確認が取れ、SNS全体に安心の雰囲気が流れる。       「さ、仕事仕事」    ストーカーは、地震の影響範囲を見ながら、地震の話題を出した人間の住んでいる場所を調べ上げていく。

アネ・モネ

私には双子の妹がいる。 『なずな』という名前は彼女にぴったりだ。 ふわふわ肩に乗った綿毛みたいに柔らかな髪の毛。 小さめのぷるんとした唇、曇りのない目、長いまつ毛。お人形さんみたいな可愛らしい子。 私とは違う、守りたくなるような女の子。 透明感のある肌が、華奢な身体を一層儚げに見せる。 可愛くて可愛くて、本当に憎たらしい。 『本当に姉妹なの?』って聞かれるくらいに違う。 どうして私はあの子みたいになれないのだろう。 「お姉ちゃん、早くご飯食べないと遅れるよ!」 容姿に合ったその声を聞くだけで吐き気がする。 「待たなくていいから先に行って。」 隣を歩きたくない。惨めな思いをさせないで。 「お姉ちゃんと一緒に行きたいの!だから急いで急いで!」 あぁ、食パンを齧る時間すら奪われるのか。 前の彼氏を奪っておきながら、まだ…… 妹はトーストを手に持ったままの私を、ぐいぐいと引っ張って玄関まで連れて行く。 文句を言ってやりたいが、とびっきりの笑顔を向けられたから溜息一つで終わらせた。 「ねぇ、お姉ちゃん。授業終わったら一緒に帰ろ?」 「嫌よ。私今日デートだし。アンタも彼氏作れば?」 毎回人の彼氏を品定めするみたいに見てくるのが、本当に不快なのだ。 「え〜、つまんないの。」 つまんない、の一言で温度が下がったように感じて彼女の横顔を盗み見るが、いつもと変わらぬ笑顔であった。 ◇ お姉ちゃんは綺麗な人。 『桃寧(もね)』ってとっても素敵な名前。 綺麗なお姉ちゃんにぴったり。 お姉ちゃんは嫌がってるみたいだけど、艶のある綺麗な黒髪も、猫っぽい目も、少し薄めの唇も全部好き。 細くて白くて、手足が長い。美しい。 綺麗な人、純白が良く似合う。 心も身体も綺麗なお姉ちゃん。 私が守ってあげなければ。 綺麗で繊細で、本当に愛おしい。 私はお姉ちゃんと一緒にいられるだけでいい。 そのためなら何だってしてやる。 「海斗先輩!お姉ちゃん……桃寧見てませんかぁ?」 「あー、今日は委員会で遅くなるってさ。何か用事?伝えとこうか?」 「いいえ……あの、海斗先輩。私じゃダメですか?私の方が満足させてあげられますよ。心もカラダも。」 ねぇ、先輩。 がっかりさせないでね。 つまんないこと言わないでね。 うっかり殺しちゃいそうだから、お願い。 「本当に?嬉しいよ。正直、桃寧ってガード固くてさ。隙がなさすぎなんだよ。」 「そう……ですか。カワイソウな人。」 本当に、カワイソウ。 ◇ 「海斗に何したのよ。」 委員会で遅くなったあの日以来、彼氏は学校に来なくなった。もう一週間、何の音沙汰もない。 「何って、何が?怖いよお姉ちゃん。」 耳障りな声だ。女として負けたような気持ちになる。 「アンタねぇ、いい加減に……」 「あの人、私がちょっと誘惑したらコロッと乗り換えようとしたんだもん。ムカついたからお姉ちゃんの可愛いところ教えてあげたの。それでね一つ教える度に、彼の情報を一つ言っていくの。彼の家族構成、趣味、生年月日、血液型、身長、体重、性癖、彼自身の知らないとこにあるホクロ、彼の秘密……他にもたくさん。答え合わせしたら百点満点だったの。ねぇ、スゴいでしょ?褒めてくれる?」 何だ、これは。 目の前にいるのは本当に妹か? 「綺麗なお姉ちゃんを汚す人は、私が全部消してあげる。汚されないように守るから。」 後ろ手に隠していたらしい、一輪の花をそっと差し出してきた。 綺麗な赤いアネモネ。 「なずなもお花も全部あげるから、受け取ってくれる?」 妹は頬を染めて、今まで見た中で一番可愛らしく笑った。

ぎゅーっとして。

春。 くろいおえかきでいっぱいになったランドセルを降ろすと、君は泣きながらベッドの上の僕を抱きしめる。 おいで、僕のもふもふの胸で、君の悲しいことも全部忘れさせてあげるよ。 僕の温もりで君を包んだら、もう大丈夫。 ほら、ベッドでゆっくりおやすみ。 夏。 腕にジャムを垂らしながらも、君はセーラー服を脱ぎ捨てて机の上の僕を抱きしめる。 おいで、僕のもふもふの腕で、君の傷も全部全部隠してあげるよ。 僕の温もりで君を包んだら、もう大丈夫。 ほら、ベッドでゆっくりおやすみ。 秋。 雨に濡れて破けた手紙をそっとゴミ箱に投げると、君は棚の上の僕を抱きしめる。 おいで、僕のもふもふのお耳で、君の終わった恋も全部全部全部聞いてあげるよ。 僕の温もりで君を包んだら、もう大丈夫。 ほら、ベッドでゆっくりおやすみ。 冬。 君は、僕を抱きしめてくれなくなった。 でも良いんだ、君はとっても幸せそうな顔をしているから。 窓から見えるお家が変わってから、君は毎日笑うようになった。 僕はこれで良い、ちっともさみしくないよ。 大丈夫、明日もきっと良い日になるさ。 ずっと、ずっとここから見守ってるから。 ほら、ベッドでゆっくりおやすみ。 また春がやって来た。 溶け始めた雪みたいに白い天使になった君は、僕を泣きながら抱きしめる。 でも、その顔はとっても幸せそうでさ、見るだけで僕も幸せだよ。 色とりどりのブーケを抱えた君は、本当に天使みたいだ。 鐘が鳴ったら、幸せの合図。 君も、大人になったんだね。 今度は僕がおやすみする番だ。 君の泣き顔も、笑い声も、悔しそうな叫び声も、全部全部僕のもふもふなお腹の中にしまっておくよ。 小さな小さなおうちに入れられて、しばらくの間おやすみ。 どのくらいおやすみしてたのかな。 目が覚めると、楽しそうな声が外から聞こえた。 目が覚めきらないうちに、僕の腕を握った小さな手。 どう?僕の腕、もふもふでしょう。 僕は、長い間忘れていた温もりに包まれた。 ほら、君に良く似た小さな君とまた出会えたよ。 もっと、もっとずっとぎゅーっとして。

我が愛しの殺人鬼

 帰宅して玄関を開けると、彼が見知らぬ男を殺したところだった。 「千加……俺、やっちまった」  ああ、やっぱり。  いずれこうなると思ってたんだ。  前から、気になっていた。  彼は普段はとても優しいけれど、一度頭に血が上ると、衝動的な行動に出ることがちょくちょくあった。 「急にベランダから、部屋に入ってきて・・・誰だって言ったら、お前こそ誰だ、千加はどこだなんて言うから」  部屋はだいぶ荒れていた。取っ組み合った末に相手を押し倒したら、後頭部にテーブルの角がぶつかったらしかった。 「千加の部屋だと知って侵入してきたんだって考えたら、つい、カッとなっちまって……」  そうだ。  彼は、私のことになると、特に沸点が下がるのだ。  私が道ですれ違いざまにぶつかってよろめいたら、相手に殴り掛かりそうになって、必死で止めたこともあったっけ。 「ごめん。ごめんな、千加。ずっとキレやすいところ直せって言われていたのに。こんなことになっちまって……」 「惇也」  膝をついて打ち震える彼に、私は声をかける。 「いいの、惇也」  私のため。  彼が罪を犯したのは、結果的にそうしてしまったのは、私に危険が迫ると思ってのことだ。 「ごめんね。ありがとう」  私は、放心しかけている惇也に寄り添い、その身体を強く、抱きしめた。  ★  これは、夢じゃないのか。  留守番を頼まれた千加の部屋に、突然男が侵入してきたのも。  その怪しい男ともみ合いになり、自分が手にかけてしまったのも。  いくら不法侵入だったとはいえ、取り返しのつかないことをしてしまった俺を、千加が受け入れてくれたのも。  全部が全部、突然のこと過ぎて、整理がつかない。  ……目の前で今、千加が手際よく、証拠隠滅に励んでいることも。 「あっ、惇也は座ってていいよ。ごめんね、疲れちゃったでしょ、ゆっくり休んでてね」  千加はひとしきり俺のことを抱きしめた後、すたすたとウォークインクローゼットを開け、その奥の一見何もない壁を、ぎい、と開けた。  その隠しスペースには、ナイフ、ノコギリ、ピストルと銃弾、何かの薬品、その他もろもろのありとあらゆる凶器が、ゴロゴロと詰めこまれていた。 「このままだと大きすぎるから、まずは適度な大きさにバラして、それから●●したあとに●●して、あっ、その際●●しておくとね、臭いも抑えられるからさ。これが素人には真似できないポイントなんだなっ」  まるで料理の手ほどきをしているみたいに、千加は淀みもためらいもなく喋りながら、常人では腰が引ける作業を、てきぱきと進めていく。 「千加、お前……」 「うん、実はさ、私の職業今まで言ってなかったけど、殺し屋なんだよね」  殺し屋。  うん、初耳だな。 「私、人殺すの好きだし、それでお金もらえるなんて天職だなーって思ってたんだけど」  そんな、『花が好きだから花屋になった』みたいなノリで言われても。 「最近、うっかり仕事を楽しみすぎて、つい、必要以上に殺しすぎちゃってさ。頭に血が上っちゃうと、ダメなんだよねー」  そうか、ある意味似た者同士だったんだな俺たち。 「だからたぶん、組織から警告するために来たんだと思う、この人」  ほら、ここに黒い蝶のタトゥーがあるでしょと、千加はひょいと切り離した左腕を持ち上げて、手首を指さしてみせる。ああ、うん、そうなんだ。へえー。 「よかった。惇也にずっと隠してたから、罪悪感があったの。……本当のことを話したら、嫌われちゃうんじゃないか、って、さ」  少し言葉を詰まらせながら、千加は、寂し気に目を伏せてみせる。  あー、ごめん、ちょっと俺まだ混乱してて、その感傷についていけてないんだけど。 「だから、嬉しいんだ。惇也が、秘密を共有できる人になったから。こっちの世界に足を踏み入れてくれたから」  ああ、そうだね、俺も人殺しの仲間入りだもんね。  踏み入れようとして踏み入れたんじゃないんだけどね。 「それに、私のことを想って殺ってくれたなんて。……改めて、惚れ直しちゃったよ?」  手に真っ赤に染まったノコギリを持って言うセリフじゃないよ、とは、とても言えない。 「たぶん追手が来ると思うから、手早く処理を終えて、身を隠さないとね。大丈夫、惇也はまだ初心者だから、私が尾行のまき方、気配の消し方、暗殺の手管、いろいろ一から仕込んであげるからね」  ……これは、夢じゃないのか。  鼻歌を歌いつつ張り切って証拠隠滅に精を出す恋人の姿を見ながら、俺は、急に目の前に広がりつつあるアクション&バイオレンスな未来と、千加が初めからこういう展開になることを見越して俺に留守番を頼んだ可能性について、ぼんやりと思いを巡らせるのだった。

なんでもない日のチョコレイト ①

ある日の夕暮れ。林立するビルの誰も居なくなったオフィスでひとりの男がネクタイを緩めているところだ。あとひと山の書類に手をつけ始めた、さっきからチカチカとしているアイコン通知はそっちのけでいた。「ふっ」と短く息を吐き「これで何日めだよ、ったく」ぼやいても仕方ないのにわざわざ大きめの声で自身にはっぱをかけていた。 彼のスマホに連絡を入れていたのが妻の沙羅だ「雪弥、既読つかず…よしプランAで行こう」何やら笑顔を浮かべて花瓶を取り出しいそいそと玄関先でさっき買ったばかりの荷物から花束を持って鼻歌まじりにどこに飾ろうかと楽しそうにしていた。 雪弥は最後の書類に手をつけた。「あぁナシゴレン食いてぇ。」さっきからグーグー鳴る腹にイライラを増量されていた。雪弥の言うナシゴレンは旅先で出会ったナシゴレンのことを言う。日本のものより瑞々しくてスパイスが効いているのだ。減る腹と格闘しながら雪弥はやっと仕事を終えた。 沙羅はとうのむかしに花を飾りつけ、今は遅めの御飯支度に取り掛かっていた。テレビのニュースを流し見ながらスマホに目をやる「あぁ既読ついてるよ!急がないとあと1時間しかない」何やら慌てて小瓶を並べてブツブツ言い出した。 先程沙羅が見ていたニュースで取り上げていたがどうやら人身事故の影響で振替輸送で帰る事になった雪弥は「1時間もかかるのかよ」とさらにイライラを腹に仕舞い込み振替の電車にどかっと座る。雪弥は明日の会議の資料に目を通していた。「そうか」とスマホを取り出して連絡を試みたがトンネルに阻まれエラーばかり。30分ほど揺られ今度はバス乗り場へ急ぐ。さっきエラーだった連絡を各部署へ手短に送った。家まであと少しだ。「ん?」雪弥は降車駅に出来ている行列に目をやった。「たまにはいいだろう」と最後尾へ並ぶ。偶然降りた駅とはいえ連日の残業続きだ何か細い糸の違和感のようなものが雪弥をそうさせた。手元には立派な菓子折があった。 「もう少し…っと」と嬉しさに拍車がかかった沙羅は「この瓶とこれを合わして90度迄ね」鍋の前で温度計を見ているところだった。「少し香りが欲しいな、そうそう。」と先日友人の結婚式で貰ったアロマキャンドルに火をつけて「これでよしと、もうすぐかな。」時計を見る沙羅は先程と打って変わりなんだか浮かない顔をしていた。 いつもの曲がり角が見えてきた。金木犀の香りがぐんと鼻にささるので思わず手で鼻を覆う「空きっ腹にやめてくれぃ」足早になった雪弥はもう見えている自宅に安堵した。 沙羅は台所にいた。やはり浮かない顔のままでフライパンに火をかける。炒める音と匂いが換気扇の側を通った雪弥の足を止めた。「この匂い…。」雪弥は落ち着いて深呼吸をした。さっきまでのイライラはなんだったのだろうか匂いに胸ぐらを掴まれてしまった。そしてよぎった沙羅の事。毎日一緒にいてここ最近ろくに会話も交わしていない。青ざめる心を用心棒に玄関に手をかける。 ガチャリと扉を開けた途端いつもと違う玄関に気がついた。「おかえりなさい」と沙羅はいつも通りに迎える。「ごめん。」雪弥は沙羅を抱きしめようとしたが、出来なかった。嫌とかではなく、雪弥は沙羅の抱きしめ方が分からなくなっていたのだ。「何が?」沙羅の方も色々と問いかけたいが声のかけ方さえ見失っていた。右手で左肘を掴んで威圧感たっぷりだ。2人のすれ違い生活の重症度は暫く流れた沈黙が物語っていた。 「何が?」耐えかねた沙羅がもう一度雪弥に投げかける。すぅと息を深く吸い込んだ雪弥が「今日は何かあったの?ほら…花⁉︎そ、そうだほらこれ好きだったっけチョコなんだけど新しい店が出来てたんだ人気店らしくて並んでたんだ。」と手にしていた菓子折の手提げを沙羅に渡した。「変なの、別に今日は何でもない日」ずっと浮かない顔だった沙羅の口元が少し緩んで手提げの中を覗き込んでいた。 「アロマキャンドルか何かの匂い?良いじゃん。」雪弥は普段ならこんな風に言わない、だから沙羅はこの些細な違和感が訝しかったのだが「そうでしょ、覚えてる?こないだの…」途中で雪弥が遮る「タケルの結婚式のか!」とりあえず今は憂鬱を閉じ込めた沙羅が「ご名答!」と破顔一笑した。 「ねぇ、このチョコ食べたい」微笑んだ口元が続き様にそう呟く「いいかな?」思いがけずの笑顔に雪弥は「もちろんって言いたいんだけど…なぁ今日は本当に何でもないのか?さっきからいい匂いがするんだ、これってもしかして…」今度は沙羅が答えを遮る「そう、ナシゴレン。」手提げのチョコを見つめながら「また後でね。先にご飯にしよっか。手洗っておいでよ。」と台所に踵を返した。雪弥はハッとしたこんなに長い間一緒にいてくれた沙羅の事を何にも分かろうとしていなかった自分から逃げてしまっていた事に。 ①終わり 続きます またね

わたしは赤い風船

 わたしは赤い風船。  空を飛ぶのが夢。  さっき、ピエロさんから、キミの手に渡った。もしかして、キミがわたしの夢を叶えてくれるの?  キミの右手にはママの左手、左手にはわたしを繋ぐ細い紐。キミがスキップするから、カクンカクンと揺れる。キミが笑うから嬉しいな。ところで、いつになったら空を飛べますか?  おうちの前に着いた時だった。キミの手から、紐がしゅるんと抜けた。  ふわーっとわたしのカラダが浮いて、キミはどんどん小さくなっていく。  やったあ!  ついに夢が叶った。青空はこんなにも近い。でも、キミの泣き声が聞こえてきた。  あれれ、悲しい。キミが悲しむから、わたしも悲しいよ。  わたしは赤い風船。  緑色でも、黄色でもない、赤色の風船なのだ。だから、キミに選ばれた。何としてでも、キミの元にかえるからね。  「ママ、おうちの前にゴミがあるよ」  わたしは赤い風船。  ――でした。いえ、今でも風船なのです。ふっくらしていたカラダは、見る影もなく痩せてしまったけれど。  ママが、わたしをひょいっと持ち上げて、ビニール袋の中に入れた。  わたしは赤い風船。  もう空を飛べないのに、これからどこに行くんだろう。

起きてちょうだい

どうしてなの?なんでなの? 「あとは頼んだよ。」と言って彼女は動かなくなった。 ボロボロになりながらも私を悲しませまいと血塗れの顔で笑った。 痛くてたまらないだろうに、本当は死にたくないくせに。 昔からずっと一緒だったから知ってる。 本当はすごく怖がりで泣き虫なこと。 痛いことが嫌いで先生のところに行くのをすごく躊躇っていた。だけど死にたくないからと渋々行って毎回泣きながら帰っていたことも。 死に対する恐怖が大きいことも勿論知ってる。 成長しても任務に行くのをすごく嫌がって毎回毎回死にたくないと私の腰に巻きついてきて、ちょっとうざったいくらいだった。 なのに、なんで今そういうことするの。 右手が使えなくなった私の事なんて放って置けばよかったのに。 びぃびぃ泣きながら後ろで戦ってたあんたがなんで私の前にきたの。 なんで…なんで! 笑って私の前からいなくなったの。 戦場に立って笑うあんたを見るのこれが最初で最期だなんて嫌だよ。 もっともっと一緒にいたい。ずっとずっと隣にいてよ…! あんたがいない人生が考えられない! なんであとを頼んで私を置いて行ってしまったの。 託された方は簡単に死ねないのに…!! ねえだからはやく! 「起きてちょうだい」

青い春を乗せて

窓際の君は静かに眠る。 教科書とノートを机いっぱいに広げ、シャーペンを手に持ち、考え込むように肘をついて。 長いまつ毛が瞼とともに下がっている。きゅっと唇を閉じたまま、綺麗に眠っている。 体育終わりの六時間目。 机に突っ伏して寝る人、首が前後にゆらゆらと揺れる人、下を向いて寝る人。 色んな人がいるけれど、君は姿勢よく背筋を伸ばしていた。 開けた窓から晴れた午後の穏やかな風が舞い込み、頬を優しく撫でる。 和歌を読み上げる先生の声が子守唄になって、ゆっくり瞼が下がっていた。 しかし負けまいと必死にシャーペンを動かす。 こっちにおいでと誘う睡魔と、君の横顔が気になって内容は全く入ってこないけれど。 風に乗って時折香る、爽やかな香りに心拍数が上がって目が冴えてきた。 少しだけ開いた鞄から覗くオレンジ色の制汗剤。 自分が使っているものと一緒で、また心拍数が上がっていく。 体育終わりの教室は色んな制汗剤で溢れているけれど、君の香りだけはすぐに分かってしまう。 そんな自分が恥ずかしい。 先生の子守唄のような授業と、君の綺麗な横顔を眺める時間はもうすぐ終わる。 響くチャイムと、クラスメイトが一斉に起き出す音が混じり合う。 横目で盗み見た君もゆっくりと動き出す。 口元に手を当てて控えめに欠伸をひとつ。 こぼれ落ちそうな涙を、細い指先が掬う。 寝起きもこんなに綺麗なんだと、つい見とれてしまった。 パチリ、目が合って跳ねる心臓。 恥ずかしそうに笑う君。 「どうしよう、ノート真っ白だ。」 捲ったノートには上に日付だけが書かれている。 「僕ので良かったら写す?あんまり綺麗じゃないけど。」 ありがとう、と大事そうにノートを受け取ってくれた。 「あ、あのさ、そのオレンジの制汗剤いい匂いだよな!」 「ね!私もこれが一番好き。」 オレンジのイメージがなかった君だけど、そのチカチカと眩しい笑顔を見たらぴったりだった。 「友達に呼ばれてるから行ってくるね。」 席を立った君から、また香る。 「あのね、昔はブルーの方が好きだったの。でも最近オレンジにしたんだ……君がいつも使ってたから。」 石鹸の香りは、青春と恋を乗せて。

大人になれない君へ

 二十歳になって、成人式でみんなと再会した。  袴を着込んだ男友達。  振袖を着込んだ女友達。  小学校で、中学校で、高校で、一緒に馬鹿やってたやつらは皆、昔の面影を残しつつ、変わっていた。    ついに大人の仲間入りだ、なんて喜んで。  学校を卒業してからの出来事に花を咲かせて。  大人だとアピールするように酒を呑んで。    あの日、俺は大人の世界に足を踏み入れた。        はずだった。       「おい! 何回同じ間違いしてんだ!」   「普通に考えたらわかるでしょ?」   「責任感が感じられない。いつまでも学生気分でいられると困るんだけど」       「すいません!」    だが、大人が集まる会社という組織では、俺は大人として認められていなかった。  仕事のできない、ただの子供。  貼られたのは、そんなレッテルだった。    午後六時。  仕事のできない俺に仕事を任せる上司はおらず、俺は忙しそうな上司の後ろを通って一人退勤する。  上司たちもそれを理解しているので、俺の退勤を止めたりしない。  止めたところで、猫の手よりも役に立たないのだから。   「皆残業してんのに」    せめて苛立ちを消化しようと、愚痴をぶつけてくるだけだ。       「きっつ……」    帰路につき、電車に座って、ぼーっと車内を眺める。  電車の中には、大人から子供まで、幅広い年齢の男女が立っていて、スマホに視線を落としている。  ニュースを見ているのか、ゲームをしているのか。    俺は、三人の高校生だろう男女に目を止める。  ボリュームを落とし切れてない声で、今日あったことや、来週からのテストの話をしている。  思わず懐かしさがこみあげてくる。  そんな時代もあったなぁ、と。        ――いつまでも学生気分でいられると困るんだけど        同時に、上司の言葉を思い出す。    上司から見れば、あの高校生たちと俺は、同じ存在なのだろう。  会社という社会を知らない、真っ白な子供。    だが……。    俺は窓に映る自分を見る。  ほうれい線が出始めて、心なしか頬が痩せこけている俺がいた。  たとえ今、制服を着こんだとしても、学生に間違われることはないだろう。  どう見ても、同じ存在だとは思えない。    今の俺はきっと、大人から見れば子供で、子どもから見れば大人の、どこにも属していない存在なのだろう。    最寄り駅に着き、家まで歩く。    秋風が体に叩きつけられる。    一人暮らしの部屋につき、ネクタイと背広を脱いで、廊下に投げ捨てる。  そのまま冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出し、立ったまま飲み干す。  空き缶を冷蔵庫の上に置き、さらにもう一缶、缶ビールを取り出す。        これは儀式なのだ。  大人にしか飲むことが許されない、酒というものを使った儀式。    自分が大人であることを忘れるための儀式。  自分が大人であることを思い出させるための儀式。    俺の意識は、そのままアルコールに飲まれていく。    ご飯も。  歯磨きも。  お風呂も。    日常をすべて後回しにして、俺はベッドへ倒れ込んだ。

バトンリレー

 少年は走る。  次の走者へバトンを渡すため。  チームを優勝へと導くため。   「へい、パス!」   「あーい!」    少年は、次の走者へとバトンを渡す。    そして、そのままバトンを離さず、バトンを渡した相手と共に走り続けた。   「えええ!? なんで離さないんだよおおお!?」   「限界を……越えたいんだ!!」    一つのバトンを、二人で持って走る奇妙な光景。  それは観戦者の目に移り、競争を超えた共同として、涙を誘った。    それ以降、一つのバトンを二人で持って走るリレーは、学校の伝統となった。