する満足、される我慢。

郊外のアパート。 母親と、幼い二人の子どもが暮らしている。 「こんなこと言える立場じゃない……」 壁にもたれ掛かりながら、スマホの画面を覗いた。 そこに映る、満足げな顔の人たち。 母親は、迷った指でタップした。 数日後、荷物が届く。 「ママ、開けていい?」 「いいよ」 「お菓子あったよ」 箱の中には、食材と数年前に流行ったキャラクターのTシャツが入っている。 「月末まで……これで何とか」 子どもたちがお菓子を頬ばった。 母親はレトルトを手に取り、裏を見て苦笑う。 「……食品ロスには役立ってる」

忘却の街

雨が降ると、この街は少しずつ透明度を増していく。 昨日交わした約束も、誰かの名前も、雨粒と一緒にアスファルトに染み込んでいく。 私たちは傘もささずに歩く。 記憶が溶け出した水たまりを避けるようにして。 遠くで街灯が明滅し、この世界が少しずつ寿命を迎えていることを告げている。 失くすことを恐れる必要はない。最初から何も持っていなかったのだから。 濡れたコートの重みだけが、私がこの街に存在していた唯一の重力だ。

裏ドラフト

週末の午後。 都心の貸会議室に、スーツ姿の男たちが集まった。 「だいたい揃いましたかね」 司会の声に、それぞれが椅子を引いた。 「では、始めたいと思います」 「すみません」 最前列の男が手を上げた。 「この資料ですけど、指名方針は決定ですか?」 「はい。12球団すべてのオーナー様からは了承を得ています」 男が周りを見た。 すると、横にいた一人が話し出した。 「君は初めてか。今日はね、ドラフトの話じゃないのよ」 「えっ」 司会が割って入った。 「ドラフト会議のテレビ中継と、球団のイメージ戦略についてです」 会議室に小さな笑いが起こった。 「局側が、もう少しドラマチックにしたいと……」 「どういうことですか?」 「今年は、候補の生い立ちが平凡すぎて、2時間の枠が持たないらしいです」 「やっぱりか……」 資料をめくる音が続いた。 「たとえば、母親が朝から晩まで働いて……とかでしょ?」 「……そう言われてもねぇ」 ──ガチャン。 扉が開き、地方から戻ったスカウトの男が入ってきた。 「理想の子、いました」 額の汗を拭いながら、鞄からタブレットを出した。 「母親がパートを掛け持ちして、五人の子どもを育ててます。その長男ですね」 「いいじゃない。で、野球の実力はどう?」 「まぁ、何とかなるでしょう」 「局側には、この子で時間をつないでもらうとして」 すると、腕を組んで座っていた年配のスカウトが手を上げた。 「こういう子はいい。球団の顔になるし、スポンサーも喜ぶ」 「そうですね。来月の会議まで、もう少しスカウト頑張りますか」 皆がうなずくなか、司会者が正面の机に抽選箱を用意した。 「先ほどの長男の方を指名する球団はありますか?」 男たちが目配せをする。 すると、四球団が手を上げた。 「では、抽選に移ります」

境界線

鏡の中にいる私は、いつも私より少しだけ悲しそうな顔をしている。 指先でガラスをなぞると、冷たい感触が境界線を強調する。 あちら側には私の知らない世界が広がっていて、そこでは私は、私を演じる必要さえないのかもしれない。 夜が深まると、鏡の中の私と私の視線が合わさる瞬間がある。 そのとき、どちらが実体でどちらが虚像なのか、わからなくなる。 ただ、鏡の向こう側の世界の方が、ほんの少しだけ息がしやすい気がした。

シャボン玉

 深夜、溜息をつきたくなると私は1人シャボン玉を吹く。だって溜息は誰も幸せにしないから。夜風に揺られ、シャボン玉はひっそりとどこかに飛んでいく。昼間と違ってキラキラしていないそれは、ほんの少し重く見える。それは言えずにいる言葉たちの重さかもしれなかった。    風が冷たいからか直ぐに壊れてしまうのだけど、それでも一部は遠くまで飛んでいく。  隠した本音、作った表情、憐みというエゴ。傷つけるのが怖くて重ねた嘘。大切なものの為に、別の大切なものをごまかす癖がついて、私はついに身動きがとれなくなってしまった。けれどシャボン玉はそんな私の代わりに、ここじゃないどこか遠くに行ってくれる気がした。  深夜、人通りのない道で、誰も居ない部屋の窓を開けて、今日もひっそりと、シャボン玉を吹く。誰にも言えない本音を込めて、静かに、壊れないように、そっと吹いている。それが直ぐに壊れる事は知っていたけど、きっと溜息は誰も幸せにしないから。

世界の終わりに君と【sideB】2

 光が収束し、私は輸送船の回収室に立っていた。  肉体と感覚は正確に再構築され、温度も重力も計算された数値に従っている。だが、彼女の手の温度だけは、まだ皮膚の記憶として残っていた。データではない。説明のつかない残滓だった。  回収室には、同僚たちが次々と転送されてくる。転送のたびに中央の装置が淡い光を放ち、同行者の判定が始まる。  同行者を持たずに戻った者もいた。それについて誰も何も言わなかった。 「回収対象:不適合──破棄処理」  機械音声が響いた。適合と判定された生命体は、感情データが抽出され、保存される。不適合とされた生命体は、光の粒となって散る。記憶も残らない。  不適合の理由は一つではない。憎悪、狂信、他者を破壊することでしか自己を保てない衝動──そうした因子を内包したデータは、保存に値しないと判断される。感情そのものが危険な兵器になり得る場合、廃棄は避けられない。地球の終わりと同じく、静かで、あっけない。  同僚の一人は小さな子供を選択していた。あの丘にいた女の子だ。  我々はあの星の生命体とは繁殖できないため、実の親子ではない。だが同僚が《見捨ててはならない》と判断し、同行者として選んだ。私たちの基準にはない選択だった。判定装置が淡い光を放つ。 「回収対象:適合」  そうか、と私は思った。《見捨ててはならない》という感情もまた、保存に値すると判断されたのだ。  別の同僚が呟いた。「地球は本当に効率が悪い」  効率。その言葉が、妙に耳に引っかかった。  私たちは何千年もこの星を観察してきた。効率という基準で測れば、地球の生命体は確かに失格だ。与えられた猶予を使い切れず、同じ過ちを繰り返し、互いを傷つけることをやめなかった。廃棄の決定に、論理的な誤りはない。  だが、あの老人は最後まで空を見上げていた。  路地の奥では、誰かが賛美歌を歌っていた。  女の子は、父親代わりの同僚の手を握っていた。  彼女は、私の問いかけに笑って答えた。  それらを、効率という言葉で処理することが、私にはどうしてもできなかった。  私の番が来た。 「回収対象:適合。感情データ抽出開始」  光が走り、彼女の感情が流れ込む。  驚き。安堵。懐かしさ。少しの戸惑い。そして──あの丘で私の手を握り返したときの、静かな決意。  私は目を閉じた。  彼女の肉体も記憶も残らない。だがこの感情は確かに存在する。データとして保存されるのではなく、私の内部に刻まれていく感覚があった。それが何を意味するのか、説明する語彙を私は持っていない。  同僚が私を見て言った。 「珍しいな。お前が誰かを選ぶなんて」 「自分でも驚いている」 「今までと何が違った」 「分からない」  正直な答えだった。  なぜ彼女だったのか、今もうまく説明できない。観察記録を遡れば、出会いから別れまでのデータはある。だがそのどこにも、《選ぶ理由》として登録できる項目がなかった。強いて言えば、理由がないことが理由だったのかもしれない。 「地球は、やっぱり変な星だ」 「そうだな」  変な星だった。  愚かで、暴力的で、非効率で、何千年経っても同じところで躓いた。廃棄されたことに、論理的な異議はない。  それでも。  最後の日、あの星の者たちは泣くでも叫ぶでもなく、ただ誰かの隣にいた。  祈る者、歌う者、手を握る者。  意味を求める者と、意味を手放した者。その全員が、同じ空の下にいた。  私たちにはない何かが、あの光景にはあった。  それを言語化しようとするたびに、言葉が滑る。概念が追いつかない。何千年も観察してきた生命体に、最後の最後で課題をつきつけられた気がした。  輸送船が静かに動き始める。  次の任務はすでに割り当てられている。別の星系、別の生命体、別の観察記録。私は《監視人》として、また長い時間をかけてそこに根を下ろすだろう。  だが今回は、何かが違う気がした。  地球で得たものを、私はまだうまく処理できていない。データにも、分類にも、報告書にも収まらない何かが、胸の奥に残っている。彼女の手の温度と同じように、消えずにいる。  同僚の一人が窓の外を見ていた。惑星の残骸が遠ざかっていく。かつては水と緑に覆われていたが、今はもう光の中に消えつつあった。 「名残惜しいか」と私は聞いた。 「少しな」と同僚は答えた。「お前は?」 「ああ」  それだけ言った。それで十分だった。  私は胸の奥に残る微かな温度を確かめるように、彼女の感情データをそっと保存した。  いつか、パートナーを望むときのために。  いつか、また誰かの隣に座るときのために。

梅雨の日

梅雨入りのニュースを目にした。もうそれだけで身も心も重くなるような気持ちになった。でもどんよりしている暇もなく私は家を出た。 外はしとしとと雨が降っている。夏の暑さが長く続くこともうんざりだと考えながら歩いていると、ついこの前までただの木として認識していた木が、花をつけ、鮮やかに濡れていた。白いあじさいの花だった。 白色ながら雨露でいきいきと鮮やかに咲いているように感じられた。 昨日まで景色として目にも留めなかった自分を少し悔いた。 帰り道、朝の感動が忘れられず、いつもならば通ることのない階段と坂が多い道へ向かった。 日頃避けているだけあって、運動不足の身体に堪える。高台に着くと、膝が震え、息が上がり、心臓は普段考えられないような速さで脈打っていた。膝に手をつき、息を整え顔を上げると、もう雨は止んでしまっていた。 しかし、そこに浮かんでいたのは雫に濡れた色とりどりのあじさいと、雲の切れ間から覗いた星々だった。 私は傘をたたみ、ベンチに腰を下ろした。

世界の終わりに君と【sideB】1

 この星に派遣されてから、ずいぶん時間が経った。それも今日で終わりを告げる。  地球に知的生命体が生まれた頃から、私は《監視人》としてこの惑星を見守ってきた。  観察対象に干渉してはならない──それが原則だったが、地球の生命体はあまりに不安定で、あまりに愚かで、そして時に驚くほど美しかった。  私は何度も彼らの社会に紛れ込み、彼らを観察していた。  廃棄案が出されたのは、この星の時間で三百年ほど前のことだった。  審議は長かった。この星の生命体には、何度も猶予が与えられていた。疫病、戦争、気候の崩壊──そのたびに彼らは傷つき、しかし立ち上がった。その回復力を評価する声もあった。  だが、彼らは学ばなかった。正確には、個体としては学ぶのに、集合体になると必ず同じ過ちを繰り返した。  知識を持ちながら破壊し、言葉を持ちながら分断し、愛を知りながら憎む。このままでは他の天体に影響を及ぼしかねない。  修正不可能──「上」が廃棄の決定を判じた時、反対もしなかった。  私たち監視人には、衝突の瞬間に上空の輸送船へ戻るための特異点が与えられている。あの丘だ。  ただ一人だけ、同行を許される。この星での生活の中で、私が《離れがたい》と判断した生命体。肉体も記憶も保持できないが、感情だけはデータベースに保存され、いつか私がパートナーを望むとき、その感情を基に再構築できる。  これまで地球で《恋人》と呼ばれる関係を何度も作ってきた。観察のためだ。  だが、感情を保持したいと思った相手は一人もいなかった。 ──二十年前、彼女と仲違いしたときも、そう思っていた。  あれは些細なすれ違いだった。人間の感情は複雑で、私はその複雑さを興味深く観察していたはずなのに、あのときだけは言語化できない何かが残った。  私は任務を優先し、彼女は日常へ戻り、時間は過ぎていった。  隕石落下の日、丘へ向かう道は静かだった。車も走らず、店も閉まっている。  老人が一人、泣きもせず怒りもせず、ただ、見上げていた。  路地の奥から賛美歌と呼ばれる歌声が聞こえた。何百年も前から変わらない旋律を、この期に及んで歌っている。  なぜ彼らは最後まで祈るのか。なぜ歌うのか。なぜ誰かの手を握るのか。  答えは知っていた。恐怖を和らげるためだ。意味を見出すためだ。  だがその答えが、今日に限って薄く感じる。もっと別の何かが、あの老人の横顔に、あの歌声に、含まれている気がした。  私には、それを言語化する語彙がなかった。  彼女のことを思ったのは、そのときだった。  スキャンすると、彼女はあの丘にいた。  私は理由を考えた。なぜ彼女なのか。なぜ今なのか。 ──答えは出なかった。ただ、行かなければならないと感じた。  丘に向かうと、同僚たちがすでに集まっていた。皆、最後の回収を待っている。  その中に、彼女がいた。  芝生に座り、空を見上げていた。二十年ぶりの姿は、私の記憶より少し大人びて、少し疲れて、けれど驚くほど美しかった。 「久しぶり」  声をかけた瞬間、胸の奥がわずかに震えた。  こんな感覚は初めてだった。  彼女は振り返り、私を見て、目を見開いた。  その表情を見ただけで、二十年という時間が一瞬で溶けていくのを感じた。 「どうしてここに?」  彼女が問う。 「君と一緒に見た景色の中で、一番美しいと思ったから」  それは、地球での私の本心だった。  観察対象としてではなく、一人の生命体として、彼女と過ごした時間は特別だった。  隕石は空を覆い、太陽がその脇から昇る。世界の終わりとは思えないほど美しい光景だった。  周囲では同僚たちが静かに待機している。彼らもまた、同行者を選んでいた。  私は彼女に手を差し出した。 「こんな時に言うことじゃないんだけど……僕、宇宙人なんだ」 「もし新しい人生を始められるなら、一緒に来る?」  その瞬間、私は自分が《監視人》であることを忘れそうになった。  答えを待つ間、胸の奥が締めつけられるようだった。  こんな感情は、データにも記録にも存在しない。 「今度は、くだらないことで喧嘩しても大丈夫?」 「もちろん」 「仲直りしないまま二十年も過ごしたりしない?」 「たぶん大丈夫」  彼女は笑った。  私は、その笑顔を保存したいと思った。データではなく、感情として。  光が強まり、世界が溶け始める。輸送船の回収が始まったのだ。  彼女は私の手を握り直した。 「じゃあ、考えてあげる」  返事は保留。  その言葉が、なぜか嬉しかった。  白い光が丘を包む。  私は彼女の横顔を見つめながら、初めて《選びたい》と思った。  この星で出会った、たった一人の生命体を。

名無しのビデオ

「あなたは、ワタシさんですか?」 「はい」 「ワタシというのは、漢字で私?」 「いえ、ひらがなで、わたしです」 「じゃあ、わたしさんね。はい、これでいい?」  お相手は、一人称欄に『わたし』と書かれた紙を、わたしに見せる。 「これでも、いいですよ」 「これでも?」 「はい。いや、べつにダメというわけではなくて。でも、べつに漢字で私だろうと、ひらがなでわたしだろうと、カタカナでワタシだろうと。正直、どっちでもよくて」 「じゃあ……どうします? このままひらがな表記にしますか?」 「わたしは、気に入りました」 「そう。本当に、わたしでいいの?」 「はい」  二人は対話を重ねつつ、紙に必要事項を記入していく。性別、出生地、家族構成における立ち位置、生理現象の回数、思考の癖、etc。 「それにしても不思議ですね」 「何がです?」 「いや、その、たかが一人称でしかないわたしが、この人自身に関わる重要な物事を決めてしまってもいいのかなって」 「それが当然のことでは? 〈あなた自身〉のことは、あなた自身で決めるものですから」  ほうける、わたし。  おどろく、お相手。 「あっ、失礼。勝手なことを……。ただ、一人称というのは、生まれる〈その人〉が本名以外で、自ら望んで口にする呼び名です。むしろ本名よりも呼ばれる回数は多いかもしれません。本名と一人称が同じ場合は、なおさら」 「はぁ」 「言ってしまえば、一人称は本名よりも名前。むしろ、第一の名前です」 「第一ですか?」 「ええ。二人称や三人称は、周囲の人々の存在によって、はじめて誕生します。本名もそうです。親や、それ以外の誰かに名づけられるまで、その人は名無しの人となるわけです」  一度、お相手は咳をする。コホン。 「しかし、一人称の場合は話が違う。本名よりも先に生まれる。特別です」 「特別……」 「はい。ですから、生まれる〈その人〉よりもずっと特別な、その人の一人称である『あなた』には、その人のいくつかの生理的かつ個人的な特性を与える、強い決定権があるわけです」  お相手が紙に記入した一人称欄を指差す。しかし、隣の名前欄は空白のままだ。 「でも、わたしがわたしの名前で呼ばれることはない。ですよね?」 「ええ、そうです。あなたは、あくまでも『わたし』さんですから。この空白は、これから生まれる人のためにあるのです」 「でも、わたしと、これから生まれるその人は同じ存在。……ですよね?」 「あなた、先ほどご自分でおっしゃりましたよね。自分は、たかが一人称でしかない、と」 「それは……。でも、よく考えてみたら、わたしと呼ばれるその人と、その人の一人称である『わたし』は、同一人物だって」 「少し違います」  バン。わたしは、机をたたく。 「いったい何が」 「今のあなたは、今の間しか存在しないからですよ」 「え?」 「これから生まれる〈この人〉を構成するものは、たくさんあります。性別さん、細胞さん、心臓さんや肺さん、嗜好さん、内気さん、暴力性さん、幸福度さん」 「……それで?」 「あなたは、これから生まれる人――すなわち、〈あなたが一人称を決定し、担当する人〉の構成要素である、その他大勢と結合することになる」 「けつごう?」 「はい。無数の構成要素が混ざりあうことで、はじめて生物の核が完成します。その核の3割をこれから生まれる人のDNAに流し込み、残りの7割をその人の魂とします。そうすることで、はじめてヒトは誕生することができる。これは他の生物も同じこと」 「わたしは、『わたし』でいられなくなる?」 「まさか。あなたは、これからも〈わたし〉と呼ばれる。それでいいじゃないですか」  わなわなと、わたしがふるえている。  目の前の相手は、事務的に再度、確認をとる。 「本当に、わたしでよかったですか?」

夢の刑務所

夢の刑務所 夢を覚えていない朝がある。 それは本当に、ただ忘れただけなのだろうか。 町のどこかに、夢の刑務所がある。そこでは今夜も、黒い封筒にハンコが押されている。 封筒には、受刑者の名前が書かれていた。 「今夜はこいつか」 所長が言うと、刑務官はにやりと笑った。 やがて廊下の奥から、手錠の音が近づいてきた。 連れてこられたのは、パリッとした背広姿の男だった。 「俺が何をしたって言うんだ!」 男は手錠を鳴らして叫んだ。 刑務官は分厚い帳簿をめくり、赤いハンコを押した。 「刑期、三年」 「三年だと? ふざけるな。俺は人を殺しても盗んでもいないぞ!」 「ここは地上の刑務所ではありませんよ」 所長は穏やかに言った。 「夢の刑務所でございます」 男はぽかんと口を開けた。 刑務官が、にやりと笑う。 「お前の夢はこれから三年間、この刑務所で刑期を全うする」 「夢が? 俺じゃなくてか?」 「そうだ。だが夢を失うのは、お前だ」 男はしばらく黙り、それから鼻で笑った。 「なんだ、そんなことか」 その瞬間、所長の目が少しだけ細くなった。 「夢とは、眠って見るものだけではありません」 男が言い返そうとした時、遠くで目覚まし時計が鳴り始めた。 男はあわてて鉄格子をつかんだ。 「待て! 俺はまだ納得してない!」 刑務官は手を振った。 「夢から覚めれば、このことも忘れるだろうがな」 「だったら刑にならないだろ!」 刑務官は肩を揺らした。 「ふっふふ」 男は自分の叫び声で目を覚ました。 朝だった。 男は何も覚えていなかった。パリッとした背広を着て、いつもの一日を過ごした。 その日から、男の夢は刑務所に入った。 朝になっても、男のもとへ戻ってこなくなった。 旅行の計画を立てても胸が弾まない。宝くじを買っても当たる気がしない。老後の暮らしも、出世も、誰かとの約束も、何も浮かばない。 けれど男は、それを少しも不思議に思わなかった。 三年が過ぎた夜、男は再び夢の刑務所に立っていた。 目の前には、あの刑務官がいた。 「刑期満了だ」 刑務官は帳簿に赤いハンコを押した。 「お前の夢は、今夜出所する」 男はあたりを見回した。 「なんだ。三年なんて、大したことなかったな」 刑務官は、じっと男を見た。 「そうか」 そして鉄格子を開けながら、低い声で言った。 「もう来るなよ」 男は笑った。 「二度と来るか、こんな所」 刑務官は肩を揺らした。 「ふっふふ。そう言って、三回戻ってきたやつがいてな」 「それがどうした」 「三回目の刑期を終えるころには、自分の名前も、母親の顔も、朝の意味も、何ひとつ思い出せなくなっていた」 男の笑いが止まった。 遠くで、目覚まし時計が鳴り始めた。 刑務官は手を振った。 「では、よい夢を」 翌朝、男は何も覚えていなかった。 ただ、なぜか少しだけすっきりしていた。 駅へ向かう途中、男は旅行会社のポスターの前で足を止めた。 青い海と、白い街並み。 久しぶりに、どこかへ行ってみたいと思った。 夢を覚えていない朝は、誰にでもある。 そしてたいていの人は、それを気にしない。 夢の刑務所では、今夜も新しい封筒にハンコが押される。 所長は帳簿を閉じ、こちらを見て、ふふ、と笑った。 「あなたは昨夜、夢を覚えていますか」 「覚えていないだけなら、よいのですがね」

水晶の部屋

眠れないのでしょう。 それなら、僕の夢のお話をしましょうか。 僕がまだお休みしていた頃…眠りたくないままぼんやりと座っていましたらいつの間にか真っ暗な…いえ、無数の青白く光を放つ水晶の欠片が浮かぶ紺色の空間にふわふわと浮かんでおりました。方向も分かりませんし、この空間がどこまで続いているのかもわかりませんでしたが、僕は下へ下へと潜るようにして水晶の間を縫っていきました。やがて辿り着いたのは小さな泉でした。そこには地面があり、真っ黒な一面に水晶の欠片がたくさん埋まっておりました。いつの間にかその空間は狭く閉ざされ、その真ん中に、白く濁った水面が時折ちらちらと光を反射する小さな泉だけがありました。近づいてよくよく見てみるとその水はたしかに透き通っており、なんとも不思議に思いました。僕はこの泉が気になって仕方がなくなり、それなら潜ってみようと、思い切って水の中へとするりと入ってみることにしました。するとやはり水の中も大変美しく透き通っており、泉を囲む岩肌や、そこに埋め込まれたように顔を出す様々な鉱物をよくよく見ることができました。不思議と息は苦しくなく、あれは水ではなかったのでしょうか…。 泉の岩の隙間に覗く色とりどりの鉱物のなかで僕の目を惹いたのが、白い鉱物のなかに小さく輝く真っ赤な"スピネル"のような結晶でした。僕はすっと手を伸ばし、その真っ赤なとても小さい石はいとも簡単に手に取ることができました。その真っ赤な様子を眺めていると、なんとも愛おしい気持ちになりました。この赤い結晶を手に持ったまま僕は泉から顔を出しますと、泉のふちに小さなコルク栓の瓶が置かれておりました。そこではじめてこの空間が「僕のための世界」だということに気がついたのでした。その小瓶の中に手に取った真っ赤な結晶を閉じ込め、僕はここを「水晶の部屋」と名付け、泉で見つけた石たちのコレクションをするための場所とすることにしました。 なんともおかしなお話でしょうが、僕にはなにひとつおかしなことはなくて、これが僕の見た夢であり、僕の夢の中にある居場所であり、僕にとっての「本当」なのです。 きっともう一度「水晶の部屋」へ行ける日が来ることでしょう。その時はまたここで、僕がすべてお話いたしましょう。 それでは、おやすみなさい。

亡き人を想う君へ

 俺と彼女の出会いは、親友の交際相手として紹介されたときのことだ。意志が強く、必要なときにしっかり意見できる、芯の通った人。それが彼女の印象で、容姿も内面も俺の好みのど真ん中だった。 「コイツに惚れんじゃねーぞ? 俺のだからな?」  冗談めかしてそう言う親友に、俺も軽口で返す。他人のものに手を出すほど飢えてはいないと。俺はもっと、大人しいのが好みだと、自分の心を偽って。  そのまま親友と彼女は順調に交際し、将来を約束するほどの仲になった。その間、俺は適当な相手とくっ付いたり離れたり……「いい加減、俺を見習っていい相手見つけろよ?」なんて、親友からはお説教される始末。「余計なお世話だバカ野郎」と言い返しながら、親友の恋人に惹かれ続けている自分に嫌気がさしていた。  そんな時だった。親友は飲酒運転の車にはねられて急逝したのだ。親友との子をその身に宿す彼女を残して――。  通夜、告別式に参列した彼女は気丈の振る舞っていた。でも、親友の両親には妊娠していることを言い出せない様子で……。 「私、一人で育てるから」  告別式の帰り道、彼女はそう打ち明けてくれた。親友の両親や親族たちの助けは借りないと。入籍前だったから、親友との子だと信用してもらえないかもしれないと。  なら、いっそ――。 「……だったら、俺の子にする?」  それは、馬鹿げた提案だ。なのに、気付けばそう口にしていた。彼女がその提案を呑むとは思えない。でも、ここで断られたほうが、不毛な想いを供養できる気がした。

君の手を握って

例えば、手を握って教会に行って讃美歌を一緒に聴いたとする あんまり理由がわからなくて、直ぐに出てきてしまいそうだ その後はたこ焼きでも食べに行こう 例えば、手を握って表参道を散歩したとする。「お茶でもしたいな」と思っても、落ち着けるお店が見つからなくて遠くまで歩いてしまいそうだよ そしたらホテルにでも入ればいい 例えば、手を握って車の中で秘密話しをしていても、直ぐにその口を塞ぐことになりそうだ カーナビに載っていない地図の裏側まで行けば誰にも見られない 例えば、手を握って共に生きたとする 指輪を交わし、生活をして、家族が増えて、沢山の喧嘩と数え切れないほどのセックスをしたとしても、別れの危機は来ると思う そしたら、君の手を握ったあの日から、始めて見ようと思っている 君は覚えていないだろうけど。

名前のない二人

定期演奏会2週間前。 「定演の次の日バイト?」 彼からLINEが送られてきていた。 彼とは別れて半年。 最近、遊びに誘ってくることが多い。 私は彼に少し考えて返信をする。 「定演終わった後遊ぼう。」 「いいよ。」 会話はそれだけだった。 定期演奏会が終わった。 同じ部室内にいるのに、コミュニティはちがう。 元彼からの誘いは、 「定演終わった後、遊ぼう」 ただそれだけ。 この後どうするんだろ。 そう考えていたところ、スマホが震えた。 すぐそばにいる彼からLINEが来ている。 「今から同級のメンツで飯食いに行ってくる。  ハルも飯食いに行っといて。21時に部室集合な」 私はステージの熱気がまだ冷めてなくて、 お腹なんて空いていなかった。 部室の前で空を眺めていた。 気がつけばとっくに21時すぎ。 そろそろ警備員が巡回してくる時間だ。 「やばい。学校を出ないと…」 スマホをチェックすると ちょうど彼からLINEがきた。 「学校の正門前ちょいすぎで車で拾うわ」 私は急いで荷物をまとめて正門に向かって歩いた。 「とりあえず風呂行くか。」 彼は、いつもみたいに軽く笑って言った。 「うん。汗かいたもんね。」 彼が続けた。 「家族湯でいい?一緒入ろ」 そう言って笑う顔は、付き合っていた頃と何も変わらなかった。 付き合ってもいない。 ましてや、別れた男女が家族湯って… 私は、もう、なにも考えないことにした。 考え出したら止まらない気がしたから。 家族湯の湯気の中で、二人は肩書きも何もないまま向かい合っていた。 恋人じゃない。 友達とも少し違う。 思わず聞いてしまった 「ねえ、私たちの関係性って何?  復縁したいの?」 彼は私を見つめて少し考えてから言った 「付き合うって何なんだろうな。」 その一言から、夜は長くなった。 「私はさ。」 ハルは湯船の縁に腕を乗せながら続けた 「アキのこと、異性としても好きだし、友達としても好きなんだよね。」 「うん。」 「だから、恋愛感情ありきの好きなの。」 彼は何も言わない。 ただ、静かに聞いている。 「だから付き合いたいって思っちゃう。」 少しだけ沈黙が流れた。 お湯が揺れる音だけが聞こえる。 彼は天井を見上げて呟いた。 「俺さ。」 「うん。」 「恋愛、分からんわ。」 その言葉は、優しくも残酷だった。 「好きって何なんかも分からんし、付き合うメリットも分からん。」 「メリット?」 「付き合ったらさ、お互いの負の感情まで背負わないといけないじゃん。」 彼は笑って言う。 「俺、自由に生きたいんだよね。」 「……そっか。」 ハルは否定しなかった。 否定したところで、それは彼の本音だから。 「でも私は。」 彼を見る。 「人生のパートナーになれたらいいなって思う。」 彼は困ったように笑う。 「それは、今の俺には分からん。」 夜は更けていく。 満喫のソファで横になりながら、二人は昔話をした。 付き合っていた頃のこと。 別れた日のこと。 そして今のこと。 「でもさ。」 彼が天井を見たまま言う。 「今みたいに遊ぶ関係でよくない?」 「誘いたいときに誘って。」 「…うん。」 「でも。」 彼は少しだけ真面目な声になる。 「気になる人ができたら、この関係は終わると思う。」 その言葉だけは、胸に刺さった。 「ハルが望んでるみたいに、ずっと一緒にはいられないと思う。」 ハルは何も返せなかった。 返したら泣いてしまいそうだったから。 朝。 ファミレスでモーニングを食べながら、昨日と同じようにくだらない話をする。 駅に着く。 「じゃ。」 彼が手を振る。 「また遊ぼ。」 「うん。」 電車のドアが閉まる。 その瞬間だけは、肩書きなんてどうでもよかった。 帰りの電車で、スマホを開く。 部活のグループ。 昨日まで一番安心できる場所だったはずなのに、誰かの言葉が頭から離れない。 「ハルのこと、嫌ってるらしいよ。」 胸がぎゅっと締めつけられる。 でも、その直後に思い出す。 昨日、何時間も自分の話を聞いてくれた人。 価値観は全然違う。 分かってくれるわけでもない。 それでも。 「信頼できる人なんだな。」 自然とそう思えた。 恋人じゃない。 友達とも少し違う。 名前のない関係。 未来は約束されていない。 それでも今は、このままで十分だった。 いつか二人が別々の道を歩く日が来るのかもしれない。 あるいは、何年も経ってからもう一度同じ場所に立つ日が来るのかもしれない。 その答えは、誰にも分からない。 「彼がこれからも私の人生のどこかにいてくれたらいい。」 そんな、名前のない祈りだった。

取り扱い注意

「どうぞ、お入り下さい」 扉から顔だけ出した男が声を掛けた。 その声に、二十代後半の女が、緊張した面持ちで部屋に入った。 「失礼します」 「そちらにおかけ下さい」 長机を前に、二人の男が履歴書に目を通していた。 「前職は物流関係とありますが、どのようなことを」 「はい。通販サイトで、購入者様への配送業務でした」 「具体的には、どのような」 「はい。ご注文の品を箱に入れて、緩衝材も詰めて、待機しているトラックまで持って行く仕事です」 二人は、うなずきながらメモを取っている。 「では、弊社を希望した理由を教えていただけますか」 「はい。私事ですが、前の職場の同僚が、私の箱詰め作業を見て、何か感心したようで、御社を勧めてくれたというか…」 「なるほど。うちも箱詰め作業はありますが、結構大変ですよ」 「はい。頑張ります」 女は、笑顔で小さく頭を下げた。 「では後日、改めてご連絡しますので、それまでお待ちください」 女が部屋をあとにする。 「君、今の女性どう思う」 社長が人事の男に聞いた。 「そうですね。即戦力になりそうですね」 「君もそう思ったか。じゃあ、採用するかな」 ──ピコンピコン 女がメールを開いた。 「採用決定。 ご存知かと思いますが、弊社の制服は喪服です。ご用意お願いします」

ログイン中

夜の22:00過ぎ。 桜はベッドに寝転びながらスマホを見ていた。 通知は来ていない。 でも、なんとなくDiscordを開く。 そこには見慣れた名前があった。 「オンライン」 「またゲームしてるじゃん。」 思わず緩む頬 別れたのはもうずいぶん前なのに、不思議と完全には切れなかった。チャットを送るわけでもない。通話をするわけでもない。 ただ、たまに同じゲームにいて、たまに一緒に遊ぶ。 それだけ… それだけなのに。 桜はスマホを胸の上に置いた。 「なんなんだろ…」 誰に聞くわけでもなく呟く。 好きなのか。未練なのか。ただの情なのか。 もう自分でもわからない。 その頃、画面の向こう。 雪もDiscordを開いていた。 桜の名前が表示されている。 「オンライン」 「いるな。」 小さく呟く。誘おうか…いや、やめようか… そんなことを考えている自分に苦笑した。 付き合ってる頃は、こんなことで悩まなかった。 「遊ぶ?」 その一言で済んでいた。でも今は違う。 関係に名前がない。 友達とも違う。恋人でもない。 元恋人。 その言葉が妙にしっくりこない。 数分後、桜のスマホが震えた。 チャットが送られていた。 「ゲームしない?」 送り主は雪だった。 思わず笑う。 「結局、くるんかい」 数秒だけ迷って、返事をした。 「おけ」 「おつ」 久しぶりの声。 でも不思議なくらい自然だった。 「おつおつ」 沈黙が流れる。 気まずいわけじゃない、ただ昔と違うだけ。 同じ声、同じ話し方。 でも少しだけ遠い。 ゲームをしながら2人は怒って、笑って、軽口を叩き合った。 気づけば2時間が過ぎていた。 昔と何も変わらないみたいだった。 でも、本当は変わっている。 お互い知っていた。 解散した後。 桜は天井を見上げた。 今日も答えは出なかった。 復縁したいのか、したくないのか。 このままなのか、わからない。 でも一つだけ、確かなことは フレンド欄にあの名前を見つけると、少しだけ1日がマシになる。 翌日。 フレンド欄にはまた 「オンライン」 終わった物語なのか、それともまだ続きがあるのか… 誰も知らないまま、今日も同じゲームにログインする。

死ぬ権利

ある政治家が緊急記者会見を開いた。 真剣な面持ちでマイクの前に立つと、集まった記者たちに一礼した。 「私は、国民の皆様の死ぬ権利を保証します」 政治家は動じず、淡々と語り始めた。 「我が国の医療費は年々増加しています。私は、医療費削減のため『尊厳死還付支援金等に関する法律の一部改正を認める法案』を国会に提出しました」 ざわつきの中、政治家は続けた。 「医学的に延命治療が不可能な患者様が尊厳死を選択した場合、延命を続けたときにかかる医療費の半分を還付金として支給します。 申請の妥当性は、AIのみで構成される第三者委員会が判断します。本人、家族、後見人等が尊厳死を理解し、同意することが前提です」 テレビの画面を見つめる女。 その隣には、長い間管につながれたまま眠り続ける夫がいる。声をかけても反応はない。そんな時間が一年を超えていた。 テレビの司会者が、評論家の女に質問した。 「あなたの立場から、今の社会の風潮をどう考えますか?」 「最初は倫理的にどうかなと思いました。でもね、家族の金銭的、精神的負担を考えるとね。国も医療費を減らしたいと思っている。時代の流れかしら」 法案は成立し、運用が開始された。 AIは、不正申請や悪質な養子縁組なども瞬時に判断した。 その実績を政府は大々的に報道し、制度の正当性をアピールした。 あの政治家が再び記者会見を開いた。 「政府は規制緩和の一環として、支援金の有効活用を目的とする民間企業の商品開発、および第三者委員会のAIの一部利用を許可します」 感嘆の声が会場に響いた。 支援金は国民の生活に変化をもたらした。 「故人からの最後の贈り物」として美化され、生活の一部となった。 夫婦の病室。 温かいタオルで夫の体を拭く妻。 医師やAIからは、すでに受理のサインをもらっていた。 署名をすれば終わる…。 妻が机の上を見つめた。 そこには、笑顔で寄り添う二人の写真が飾られていた。

星を継ぐ森

 その森には、夜になると木々の間を星が歩くと言われていた。  旅人は誰も信じなかった。  けれど村人だけは知っている。  あれは空から落ちた星ではない。  森そのものが、星を育てているのだと。  十六歳の少女エリナは、その森の番人だった。  番人と言っても、剣を振るうわけでも魔法を使うわけでもない。  朝になれば泉へ水を汲み、古い石碑を磨き、木々へ歌を歌う。  ただ、それだけ。  それだけで森は何百年も息をしてきた。  祖母はいつも言っていた。 「森は言葉じゃなく、心を覚えるんだよ」  その意味を、エリナはまだ理解できなかった。  ある雨上がりの夕暮れ、一人の青年が森へ迷い込んできた。  銀色の外套は泥で汚れ、右腕には深い傷。 「……少しだけ、休ませてくれないか」  彼はそう言って倒れた。  エリナは青年を小屋へ運び、薬草を煎じ、傷口を洗った。  三日後、青年は目を覚ました。 「助けてくれてありがとう。僕はレオン」  それ以上、自分のことは語らなかった。  だが夜になると、彼は必ず森を見つめていた。  まるで何かを探しているように。  ある晩、エリナは尋ねた。 「あなた、何を見ているの?」  レオンは少しだけ笑う。 「星を」 「今日は曇ってるよ?」 「空じゃない。」  彼が指差した先には、小さな青い光が木々の間を漂っていた。  一つ。  二つ。  三つ。  まるで蛍のように。  けれど光は枝へ触れるたび、小さな星の形になって瞬く。 「これが……」 「森が育てている星」  エリナは初めて祖母の言葉を思い出した。  レオンは静かに目を閉じた。 「本当にあったんだ」 「知っていたの?」 「昔話だけ」  それから二人は毎晩、森を歩いた。  風の音。  葉のざわめき。  泉へ映る星。  何も特別なことは起きない。  それでも、不思議と心は満たされていった。  ある日、森の奥で一本の巨木が枯れ始めた。  番人なら誰もが知る。  あの木が倒れれば、森は星を生まなくなる。  エリナは祈った。  歌った。  泉の水を運んだ。  だが木は日に日に色を失っていく。  レオンは言った。 「たぶん、この森は悲しんでいる」 「森が?」 「心を覚えるなら、悲しみも覚える」  その夜、エリナは石碑へ手を置いた。 「教えて」  返事はない。  けれど涙が石へ落ちた瞬間、小さな文字が浮かび上がった。  ――星は願いでは育たない。  ――誰かを想う心で育つ。  エリナはようやく理解した。  自分は森を守ろうとしていた。  でも森と生きようとはしていなかった。  翌朝、彼女は村人たちを呼んだ。  子どもも老人も、旅人も。  皆で枯れた木の周りへ集まり、それぞれ大切な人の話をした。  亡くなった母。  遠くへ旅立った友。  生まれたばかりの子。  誰もが誰かを想っていた。  夕暮れ。  枯れ枝の先に、小さな光が灯る。  一つ。  また一つ。  やがて無数の星が枝いっぱいに咲いた。  森中が青白い光で満ちる。  風が吹く。  葉が歌う。  星たちは空へ昇り、本物の夜空へ帰っていった。  その光景を見ながら、レオンは微笑んだ。 「やっと見つけた」 「何を?」 「帰る場所」  その言葉とともに、彼の身体は淡い光へ変わり始めた。  エリナは目を見開く。 「待って!」 「僕はね」  彼は優しく笑う。 「何百年も前、この森で生まれた最初の星なんだ」  光は風へ溶け、夜空へ昇る。  最後に一粒だけ、エリナの掌へ小さな星が残った。  温かかった。  人の手のように。  それから何十年経っても、森は星を育て続けた。  新しい番人が歌を歌い、子どもたちは夜の散歩を楽しむ。  そして森へ迷い込んだ旅人には、決まってこう語られる。 「夜になったら、静かに耳を澄ませてごらん」 「この森では、誰かを大切に思った心だけが、星になるから」  その夜もまた、一つの星が木々の間を歩いていた。  それは空へ還るためではなく、誰かの心へ、そっと灯りを届けるためだった。

急速死亡

「あ、また死んでる」    通行人が突然倒れた。  近づいて脈を測ってみると、すでに動いていない。  ぼくは救急車を呼んだ。    最近、この病気が多い。  急速死亡病。  略して急死病。  何の前触れもなく死んでしまう、恐ろしい病気だ。    原因は解明されていない。  健康だろうが不健康だろうが死ぬ。  若かろうが高齢だろうが死ぬ。  生きれているぼくからすれば、恐ろしくて仕方ない。    でも。   「羨ましいなあ」    たまに、そう思ってしまう。    救急車が到着して、通行人が救急隊員に運ばれていく。  きっと楽しいことがあったのだろう、安らかな死に顔で。    死ぬのが恐いぼくは、自分の死を実感することなく死ねる急死病を、恐れると同時に焦がれてしまう。  急死病になれば、死ぬ恐怖から解放さ

円周率

知識は人を立ちどまらせるのに一役、買っている 青い色の紫陽花は、土が…… モンシロチョウは春というより初夏だね、春はモンキチョウかな あの雲のカタチからすると明日の天気は…… それで私はいま、どこに向かってるんだっけ ふっと誰かが通った気がして振り返る え、人なんていた? はらりと地面に落ちた葉っぱは、見つかったいたずらの罰を受け風に流れていく そこが目的だったのか思い出せず、でも入ったお店で、流れている曲が変わる あ、この曲 イントロの一小節目でわかった自分を誇らしく思う この前、ネットできいたっけ、あのグループの新曲 確信があるのに歌い出してくれるまでその確信が決まってくれない ほらね、やっぱり 今日したかったことをきっちりできたのか不明なままに時間はすぎる それでも懸案は、ひとつ潰せた、それでいいんじゃない 夏の前に減らせた懸案は、でも夏になる前にまた増えていく 尽きることはないのかな、尽きることはないのだな

あと二人

私は常に何かに足を引っ張られている。 勉強では英語に足を引っ張られ、顔面では目に足を引っ張られている。 英語さえなかったら私は学年一位だったのに、目さえ良かったら私はかわいかったのに。 そんなどうにもならない希望を見つめながら生活を送っている テストの順位が発表される日、とても憂鬱だ。 きっと一位は顔がかわいくて、何にも足を引っ張られてない棚田さん。 きっと二位は国語は少しだけ不得意だけど、英語と理科が得意な葉野くん。 そして私は高くて三位。周りはみんな褒めてくれるけれど、自分ではなんとも言えない気持ち。 別に順位は低くない。むしろ高い方。そんなのわかっている。 私がこの順位でがっかりしたら、きっと周りから嫌われる。だから私は喜ぶふりをする。 「天才だからね」とちょっと自慢したふりをする。 本当は天才なんかじゃないのに。地頭は悪いほうだ。 授業でしたことを家で復習するとびっくりするぐらい何も覚えてない。毎日書かないと、英語の曜日の綴りを忘れてしまう。 だから毎日書くし、復習予習は当たり前。それでも三位。 わかる。わかってる。高い方だってわかってる。落ち込んだらいけないって。喜ばないといけないってわかってる。 家に帰って母親にテストを見せる。 英語が足引っ張ってるね。英語もっと高かったら、順位もっと高かったね、って。 さっきみんな褒めてくれる、といったが母は例外だ。 私が一位だった理科も数学も無視して、悪い英語のことばかり言ってくる。まるで他の教科は上位になるのが当たり前みたいに。 普通に考えたらすごい方なのに、普通に考えたら褒められることなのに、褒められない。 きっと四位の人も五位の人も褒められているんだろうな。私は三位なのに褒められない。  私が三位で喜んだらいけないのは、母がいるから。 母がいなかったらきっと三位でも大喜びする。でも母がそんなこと言うから、三位で喜べない。 私の上にあと二人もいる。それは異常なこと。 だからそんな異常事態を起こした私は悪い人、犯罪者、クズ、アホ、バカ、嫌われ者。 「ごめんなさい」とはにかむ。表情だけでも笑わないと涙が出てきちゃうから。 放課後の教室、訳あって後輩と話していた。 この時が人生で一番楽しかったりする。彼氏といるよりも、父さんといるときよりも。 後輩は私を慕ってくれている。敬語で純粋に目をキラキラさせて。私の学力も知らないで。 後輩に言った。「私、こう見えて学年三位なんだよ」って。 後輩は驚いた。疑ってもきた。 今までされなかった反応に斬新さを感じた。 ちょっと褒めてくれた。どんな人に褒められるよりも嬉しかった。 私はこの子のためにこれからも頑張る。そう決心した。

ポリオネイロノソス

夢は死後の世界である、と案内人は言った。ここは死後の世界であるというので、私はそれを夢なのだと、そう認識した。信号を待っている歩道で、案内人は前に止まっている。 「既往歴はありますか」案内人は言う。 「アムネシアがありました、突発的な。散々なドライブだったのですよ」 歩く道に人はおらず、退廃的で、閑散としていて、セピア調の病にかかったように、くすんでいる。そのように軽く焦げた手紙が私の手元にはあった。それは私の頭にずっと残り続けていた、一通の手紙である。私は夢か現実かを見続けていたし。この手紙のせいで。 「それは、あなたの思考の枠組みが判断する。あなたはあなたの病のことを、その手紙のように思っているわけですね」そうなのですね、と小声で言った。私の視点は焦げついた隅にかかり、離れないのだ。 「手紙を開けたことはありません。手紙の内容を想像したことも。宛先や、差出人、いつから持っていたか…はわかります。えぇ、なぜ焼けてしまっているのかも含め、たいてい分からないのが、私はとても怖い。知ることも怖い。ただ知るべき時が来ると漠然と待ち続けて、ここまできてしまった」 「知ることもできないでしょう。一生。あなたにしか知ることができないと言うのに、そのあなたがためらえば、差出人はどう思うでしょうか」「どうも思わないでしょう。差出人は返答のない限り、私は当然に手紙を読んだと思いたい。そのうち、手紙を出したことも忘れ、この手紙は……」 意味がない、とも言えなかった。忘れられない約束は、果たす目的だけ重視して、中身を忘れてしまった、それが私の執念だった。なぜ旅が好きになったか、なぜゆっくりと道を歩く様になったか、全ての中心には差出人がいた。しかしそれすらももう、きっと知り得ないことなのだろうと思う。価値がないと信じ込もうとして、この手紙はいっそう私をすくっている。 私たちは狭い喫茶店に入る。案内人はカウンターの奥に座り、私を待っていたかのように振る舞った。 「夢に全て意味があるとは言いません。現実の全てに意味があるとも思っていないでしょう?数多の夢に、数多の現実に、私たちはそれらのうち一つだけを、現実として受け入れる。メニューから選ぶように。どれにしますか?」 「ええ、いつものでお願いします」 「そう、それこそが」そう言うと、案内人はマシンにいくつかの豆を入れ、しばし待つ。 ただ、時々いつものではない気分になることもあるだろう、その理由はさまざまある。喧嘩をした、昇進をした、知り合いと一緒に来た、天気が悪かった。私にとっては、常にこの手紙が私の判断を揺らし続けている。自分にとって毒であっても、選んでしまっていたのかもしれない。周りを見れば、喫茶店にはブラーのかかった人間が数人いて、店内の装飾ははっきりとしている。ここの店主とは趣味が合った。旅行癖と、溜め込み癖というか、それ故の詰め込み様に私は惹かれたのだ。正直なところ、そう言った道もあったのだろう。しかし、その時にあったのは常に”いつもの”であった。目の前には私の顔の映るコーヒーがある。その顔は憔悴している様で、笑顔にも見える、曖昧な、もやのかかった顔であった。 失った記憶や、可能性なんてものは、いつだって私を困らせた。どうしても想像してしまうし、その想像というのも、ハリボテで、実態を捉えてなどいない。だから苦しくなる。ただ、その想像というのが、どうしようもなく甘かったのだ。私はたくさんの夢を見た、そして現実の選択を改め続けた。その夢は、この手紙が、アムネシアが、あの事故が、そうさせたのだ。想像は非所有を価値にしてしまう。 コーヒーを飲むと、目の覚める気持ちと、頭から水銀を被せられた様な重い気持ちに乖離する。私はいつだってこれが嫌いだった。“いつもの”とするには、あまりにも苦くて、私には強い。 案内人はこちらを見て、空っぽのカップを引き取る。 「あなたはその手紙を読んだことがあります。私はそれを見ていましたから。しかし、あなたは手紙を信じられず、炙って、真意を見ようとしたのです。残ったのは欠落でした」 私は静かにこの言葉を受け入れ、静かに立ち上がる。記憶はそこまで覚えていられない。アムネシアは私にそれを示したのだ。空のカップと共に。去る私の背を静かに見送っていた。 夢は私だけの死後の世界である。過ぎ去ったもの、これから過ぎ去るものの中で、私は選択しなければならない。記憶と共に生きていく様に、私はこの手紙と生きていかなければならない。毎日一度、私は手紙と向き合わなければならない。しかし、手紙のなんたるかは、終ぞ分からない。私はゆっくりと目を覚ます。

雨の音に

料理をしててふと思う、結婚できない理由 自分が満足すればそれでいい、その程度の料理しか私はしない 誰かに食べてもらうことを少しも想定していない 私の料理には、他人がいないのだ 気にしなくていいんじゃない 考えすぎだよ そういった言葉を真に受けてきた 気にしなくていいというから気にしなかった 考えすぎだというから考えなくていいと思った 少しは気にしていたほうがよかったのかも ちょっとくらいは考えたほうがよかったのかも まだ、雨は降っている 不規則な雨の音にリズムが狂わされる 思考が混乱するのでないならいいのかも ああ、そうか、違うんだなあ こんな思考なんて、狂わされて、壊されたほうがいいんだなあ もう、間に合わないのかもしれないけれど

話してあげられるほどはないけれど

気がつくとゆめのなかにいる。寝ながら泣いていたりする。朝方、ちょっと起きて、そこからまた寝てしまって。ずいぶん寝ていたように思って、でも起きてみたら昼くらい。気持ちとしては、もっとたくさん寝ていたように思っていたのに。 どうやら、ちゃんとは寝られていなかったみたい。 ちょっとよくない感じ? 何か心配ごと? 先週のこと? 自分ではどうすることもできないことへの割り切りができない。 期待してたわけだけど― 自分でも思っていた以上にそのことを重くとらえていたみたいだ。それに見合っていない状況に、思っていた以上の落ち込みを見せてしまっている。そのことを、きちんと受け入れないといけないとの思い、そして、これからのこと。あきらめきれない思いもそこに合わさって、おかしな具合にまぜこぜに。ヘンな感じ。いろんな意味で、イヤだイヤだ。だから、ずっとヘンな感じ。 それでも、こまめに水分補給ができている。それも、いつもより多めに。ややもすると、たぷんとするおなかが叫ぶくらい。カラダのなかに湖がまるごと沈んでいるみたい。心なしか窮屈で、それでいて誇らしい。 気持ちが向かなかったのを無理やりなんとかそっちのほうに向けていって、どうにかこうにか買いものに出ていけた。よかった、これでまた一週間、生きていける。 かとり線香のぐるぐるをキミに見せてあげる。だからなんなんだ、といった顔をされる。そのくせ、かとり線香からつううとのびるケムリには興味津々。 そういえば… キミに話してあげられるほどの話題は持ちあわせていないんだった。 平和なんだよね。 なら、それで… いいんだろうなあ。

涙雨①

 俺には、雨の日になると決まって思い出す、忘れられない恋がある。 それは、幼い幼い小学生の頃の記憶。 図書委員で図書館に通っていたあの頃、僕は本棚の陰でいつも本を読む女の子を見つける。 来る日も来る日も、また出会う。 今日はいない…。今日は、いる! 近くに行ってみるけど、気づかないきみ。 「みーつけたっ!」 目が合った。綺麗な天の川色の瞳に吸い込まれそうになる。もっと見たいと思い、「僕は、4年1組の萩野翔太。こっちにおいでよ!」とはしゃいで、手を引いて僕は彼女を太陽のもとに引っ張り出した。 眩しそうな彼女に、「やっぱり綺麗!」と呟いてしまった。 これが彼女、相川美月との出会いだった。 僕は、図書館で隠れていた美月を見つけた日から、惹かれかけていたのだと思う。 僕とは違う世界で生きる、美しかった彼女に。 美月とは、毎日のように遊ぶようになり、親友以上の関係で、幾つもの秘密を語り合った。 ・美月の家は、芸能人の家系であること。 ・美月はお嬢様で、家族みんなから大切にされていること。 ・美月はいじめられたことで、精神的に参ってしまい、学校で過ごしにくくて、僕の助けが必要なこと。 ・美月は僕の隣だけが、唯一生きやすいこと。 ・僕には歳の離れた兄がいて、仲良くなりたいけど、なかなか近づけないこと。 ・図書委員だけど、読者が好きではないこと。 ・美月と一緒にいる時間が何よりも大切なこと。 あの日までは、 「例え想いを告げられなかったとしても、ずっと一緒にいられる」 そう信じて疑わなかった。 「私ね、婚約者ができて、恋愛が禁止になったんだ。身勝手だよね…。私も付き合ってみたかった。」 最初、何が言われているのかよく理解ができなかった。恋愛禁止、婚約者だなんて僕は微塵も想像もしていなかった。でも、これだけは分かった。 美月を誰にも渡したくない。 「じゃあさ、僕はどうかな?」 悪魔の囁き。これが全ての悲劇の始まりだった。 僕たちは、密かに付き合い始めて、手を繋いだり、遊んだり日々の流れは、あっという間で、嬉しくて嬉しくて、生きた心地がしなかった。 美月が12歳になったある日、美月は家から逃げ出した。誕生日会で婚約者が発表されることを拒んだためだ。そして彼女は、僕の元にやってきた。 「お願い!一緒に逃げて。」 どこに行けば良いのか分からない。 だけど、迷う暇もなく、バックにお年玉と貯金箱の中身、携帯、お菓子と飲み物など少しの食料を詰め込んで家を出た。 ただただ、僕は彼女のか細い手を引いて、歩き続けた。 お昼時から、落ちかけている夕陽が見える頃までずっと。 疲れて僕たちは、大きな川のほとりまで来ていた。 隣の隣の街だったかもしれない。 どこから情報を得たのか、すぐに追ってはやって来た。 「お嬢様ー!やっと見つけました。よくぞご無事で。さぁ!一緒に帰りましょう。」 「いやっ!絶対に帰らないわ。そしたら、私とあの子を結婚させるつもりなんでしょう?」 「そんな。お嬢様、まずは戻ってからお話致しましょう。大旦那様に大奥様、旦那様と奥様、ご兄弟方、婚約者様も大変心配していらっしゃいます。さぁ!戻りましょう。」 「絶対嘘よ!誰も、私の話を聴いてくれたことは、一度だってなかったじゃない!私の意思は、お父様たちの意思なの。私の生きられる場所は、翔太くんの隣、ここなのに…」と彼女は僕の袖をギュッと掴み、涙した。 黙っていた僕は、自然と彼女と追手の間に入り、微動だにしなかった。 「絶対に美月を1人にさせない。どんな時も味方で、そばにいるって約束したから。」 「静かに。これは、相川家の問題なんだ。部外者のきみでは、関与できない話なんだよ。」と男は、俺を諭すようにしゃがんで両肩に手を置いた。 彼女から一瞬目を逸らしたのも束の間、美月は他の追手に追い詰められ、必死の逆方向、川に向かって走り出した。 「美月!だめだっ!その先は…」と咄嗟に彼女を庇おうと川に身を乗り出すも、もうそこから先は手遅れだった。 サイレンの音が鳴り響き、時が止まった。俺は自分が生きているのか死んでいるのか分からなかった。涙は止まることなく、底尽きるまで流れ続けた。なぜか、声だけは一切出せなかった。 世界が静止してしまったかのようだった。

壁一枚挟んだ同棲

 ベッドに寝っ転がっていると、焼き魚のいい匂いがしてきた。   「お、今日は魚か」    ぼくはベッドから起き上がって、キッチンと言う名の廊下へと向かう。  そして、棚から魚介豚骨味のカップラーメンを取り出して、お湯を注ぐ。  三分経つのを待ってから、蓋を開ける。    隣の部屋からもお皿を運ぶカチャカチャと言う音がしてきたので、きっとお隣さんもそろそろ夕食なのだろう。  ぼくは割り箸を割って、麵が多少伸びるのも厭わず、食事の合図を待った。    パンッ。    と、手をったく音が聞こえた。  ぼくも、優しく手を合わせた。   「いただきます」    ズルズルズル。  麺を一気に頬張っていく。  何度も食べた魚介豚骨味ではあるが、お隣さんお部屋から漂ってくる、香しい焼き魚の香りがあれば、いつもよりも美味しく感じられた。   「ご馳走様でした」    ぼくはカップラーメンの容器をゴミ箱に捨て、再びベッドに戻り、その上に座る。    お隣さんは食べるのが遅い。  ぼくが食べ終わったニ十分後くらいに食べ終わり、皿洗いだろう水道の音を響かせる。  食事が終わったらお風呂の準備をするのがいつものルーティーンなので、お風呂にお湯を入れる音が聞こえたら、ぼくも浴槽の蛇口をひねる。  音が消えたら、ぼくもぼくも浴槽の蛇口を逆にひねる。   「さ、お風呂に入りますか」    さすがに着替え中の衣擦れの音は聞こえないので、一緒に服を脱げないのは残念だが、一緒にお風呂に入っていることはわかる。  シャワーの音、鼻歌の音、全部がぼくの耳に届く。   「ああ、気持ちいい」    しかし、普通の声は聞こえないのに、お風呂場の鼻歌だけ聞こえると言うのは、あまりにもお風呂場の防音機能を信じすぎている気もする。  逆側の部屋の人にも聞こえているだろうし、早めに教えてあげた方がいいのかもしれない。    お風呂が終わったら、寝るまで約二時間。  君は何をしているのだろうか。  読書だろうか、編み物だろうか。    何日か外から窓を眺めて、君はだいたい午後十一時に寝るとわかった。  ぼくも午後十一時に明かりを消し、布団へと潜り込む。  ほんとはもう少し夜更かししていたいが、同棲している以上、生活リズムを合わせるのは当然だ。   「じゃあ、お休み」    ぼくは、壁に貼っているお隣さんの写真の一枚に、優しくキスをして目を閉じた。    最初に引っ越してきた時は、なんて酷いアパートだと思った。  せっかく最上階を選んだのに、両隣の部屋から音は聞こえるわ、料理の匂いが部屋まで入って来るわ、散々だった。  でも、お隣さんを知ってからは、全てが逆転した。    このアパートは、ぼくとお隣さんが互いを知り、近づいていくための場所だったのだと。   「いつか、迎えに行くからね」    残る二人の壁は、このアパートの壁一枚だけ。    ぼくにとっては、小さな小さな障害だ。

手を振る教団

郊外の安アパート。 中年の女が一人で暮らしていた。 「私……さえてるねぇ」 ニヤリと笑った。 『手を振る教』 教祖のまねごとを始めた。 思いを込めて手を振ると、大切な人にもう一度会える。 適当に考えた。 ──明日午後九時からライブ配信を行います。 あなたの大切な人に会えますように。 SNSでつぶやいた。 週に一度のライブ配信。 目的は投げ銭。 数人だった視聴者は、今では百人を超えた。 『十年ぶりに娘から電話がきた』 『偶然、昔の恋人に会えたよ』 喜びの投稿が並ぶ。 視聴者が千人を超えた。 女は投げ銭を増やそうと、必死に両手を振り続ける。 ──肩が痛い……。 治療費は、投げ銭の額をはるかに上回った。

総理、ハラハラする。

地下三階の会議室に、全閣僚が呼び出された。 「大変なことになりましたね」 「これはまずいよ」 重い扉が開き、総理と防衛大臣が入ってきた。 「ちょっと緊急事態でね」 正面のスクリーンに映像が流れる。 その前で、防衛大臣がマイクを握った。 「あの国が不穏な動きをしています」 会議室に緊張が走った。 「何をたくらんでる?」 「おそらく、ミサイルを……」 「うちの防衛システムは大丈夫だよね?」 「はい。着弾することはないと思いますが……こればかりは」 閣僚たちが頭を抱えた。 ──その時。 『ミサイルが発射されました』 緊急アナウンスが流れる。 「とうとう一線を越えたか……」 総理が防衛大臣に視線を送った。 「反撃しなさい」 「はい」 窓際に置かれた椅子に、総理が体を預けた。 「私の判断は……」 涙が落ちた。 「ちょっと、あなた」 妻が声を掛けた。 「また妄想してたでしょ」 「国会も終わったし、ちょっとハラハラしたくて」 「で……私、また死んだの?」

視線

あの山の向こうに巨大な怪獣が住んでいる 時折、山頂に手をかけて山並みから、ひょっこり顔を出して悪い子はいないかと探していると信じていた 山に霧が出ている時は、霧の影から怪獣が見えないか心配だった 大人になった今でも、ふと視線を感じると時がある 巨大な目が私を見ていないか恐る恐る山を見る

自信薬

白を基調とした、落ち着いた雰囲気の診察室の中で二人の男が向き合っていた。 「今日はどういった、症状で?」 医師であろう男が、患者に尋ねた。 「ええと、これから一時間後に大事な会議があるのです。もちろん、ちゃんと準備はしたのですが、どうも不安で居ても立っても居られない。どうか助けていただけませんか。」 患者の男の顔は蒼白く弱った様子をしており、腕もわずかに震えていた。 「ちょうどいい。貴方にぴったりの薬がありますよ。」 医者は満面の笑みで患者に言った。 「ほ、本当ですか?」 「ええ、本当ですとも。これですよ。」 医者はゆったりと立ち上がると、棚から茶色の小瓶を取り出し、患者の目の前にかざした。 「このカプセルを飲めば、貴方も自分に自身を持てますよ。」 「どういうことです?具体的にはどんな効果がある薬なんですか。」 患者は不安げに、しかし、わずかな希望を宿した目で医者を見つめた。 「そのままですよ。この薬の効果は、飲んだらぴったり一時間、自信満々な状態になるんです。」 医師はゆっくりと、うなづきながら言った。 「そんな素晴らしい薬があるのですか。しかし、有名になっていないということは、それなりの副作用もあるのでしょう?」 「いえ、今のところ副作用は確認されていません。実をいうとこの薬、私が開発したもので、まだ実用化はされていないんですよ。」 「はあ、そうなんですか。」 患者は、訝しむふりをしていたが、心の中ではすでに薬を使いたくて仕方がなかった。 「大丈夫ですよ。すでに何人も使って、効果を確かめていますから。」 医師が患者へ薬を手渡した、その時だった。 診察室の扉が勢いよく開け放たれた。 扉の前には、顔を真っ赤に染め、怒りに震える男が立っていた。 「おい!お前のせいだ。お前があんな薬を飲ませるから……。上司を殴るなんて、俺の意思じゃないのに。」 男は手前のイスに座る患者には目もくれず、医師に詰め寄っていった。 「まあまあ、落ち着いてください。」 医師は自らの目の前に迫る男ではなく、自分の腕時計を見ながら言った。 「おい!こっちを見ろ。」 男のこぶしがあと少しで医師にとどくというところで、フッ、と男の力が抜けた。 すると、突然、さっきまで怒り狂っていた男がすすり泣きを始めた。 「大丈夫、ほら、これを飲んで。」 医師は男に小瓶とペットボトルの水を渡して言った。 男は無造作に瓶の中から数粒を出すと、勢いよくそれを体内に流し込んだ。 「ありがとうございました。では、新しい仕事を探してきますよ。」 男は、何事もなかったかのように立ち上がると、満面の笑顔を貼り付けて、診察室を去っていった。 「い、一体なんですか、今のは。」 一連の流れを見ていた患者は、何とか声を振り絞って、医師に尋ねた。 「彼はまあ、特別うまくいかなかっただけです。普通、ああはなりませんから、安心してください。」 医師は頭を掻き、気まずそうに言った。 「ふざけるな。そんな危険な薬飲んでたまるか。」 男は怒りのこもった眼で医師を見た。 「あ、ああ……。ほんとにその通りですよね。ごめんなさい。こんな最悪な薬を作ってしまって。」 患者だった男は、会議資料の入ったカバンを持つと、医師の言葉を背に診察室を去った。

買い取り屋

公園のベンチに、白髪の女が座っている。 女はスマホを眺めながら、小さなため息をついた。 「どうした、そんな顔して」 顔見知りの男が声をかけた。 「あぁ、あんたか。いや、娘から連絡があってな」 「疎遠になってる娘か?」 「結婚して、子どもが生まれたんだ。顔見にこいって」 「おぉ、よかったじゃないか」 女の隣に、男が座った。 「金がないんだ。電車代と、孫になんか買って行かんと」 「それもそうだな」 「あんた、金貸してくれ」 「ダメだ。今日の軍資金がなくなる」 男は笑いながら指差した。 「そこの路地んとこに、店があるだろ。そこ、買い取り屋だから何か売って金にしろ」 「はぁ……売れるもんない」 「孫が生まれて嬉しい気持ちを売ればいい」 「そんなもん買ってくれるのか」 「半分だけならいいだろ」 女は、路地裏にある買い取り屋の扉を開けた。 「どうだった?」 「半分だけ買い取ってもらった」 女の頬が緩む。 「じゃあ、今から孫のとこ行くんだな」 「ん……今日じゃなくていいだろ。軍資金も入ったし、ちょっとだけ行くか」 「お前なぁ……」 自動ドアが開くと、賑やかな音楽が聞こえた。 女は軍資金を胸のポケットに入れ、いつもの台に座った。

金の息子と銀の息子

 息子がすっころんで、湖に落ちた。  慌てて湖を覗き込むと、湖の中から女神様が現れた。  女神様の左右には、金色の息子と銀色の息子が立っている。    女神様は、優しげな声色で私に言った。   「貴女が落としたのは、こちらの金の息子ですか? それとも、銀の息子ですか?」    考える余地のない質問だ。   「私が落としたのは、普通の息子です」 「貴女は正直な方ですね。ご褒美に、金と銀、両方の息子を差し上げましょう」 「は?」    そう言うが早いか、女神は湖の中に潜り、金の息子と銀の息子が私に抱き着いてきた。   「お母さん! ぼく、前より頭がよくなったみたい」    金の息子が言った。   「お母さん! ぼく、前より運動ができるようになったみたい」    銀の息子が言った。    この温もり、この話し方。  間違いなく、どちらも私の息子だと直感した。  体の色は違うが。    私の息子は、出来がいい方ではない。  テストじゃあ平均点もとれないし、体育の日は休みたいと駄々をこねる始末。  もしも、金の息子と銀の息子を私の息子として育てれば、育児が今より楽になるかもしれない。    だから、まず私は、金の息子に言った。   「貴方が前より頭が良くなったというのなら、私が本物じゃない息子を返されて、喜ぶと思う?」 「思わない!」    次に私は、銀の息子に言った。   「貴方が前より運動できるようになったというのなら、本物の息子を女神様から撮り返すこともできるわよね?」 「できる!」    金の息子と銀の息子は顔を見合わせた後、二人仲良く湖の中へと飛び込んでいった。   「あ! ちょ! なにしてるのあんたたち! 止めなさい!」    湖の奥底から女神様の悲鳴が聞こえた後、湖から私の息子が顔を出した。  私は、すぐに息子を引っ張り上げて、がっしりと抱きかかえた。   「お母さん…‥ぼく……」 「本当に、無事でよかった」    しばらく二人で抱きしめ合っていると、湖の中から金の息子と銀の息子が顔を覗かせた。  悲しそうな瞳で、私を見ている。   「お母さん」 「お母さん」 「ごめんね。私は、貴方たちのお母さんじゃないの。貴方たちがどれだけ優秀でも、私の息子はこの子だけだから」    私は、あえて突き放すように言った。  金の息子と銀の息子はさっきよりも悲しそうな表情をして、私の心がずきんと痛んだ。  私は息子から離れて、湖の前でしゃがんだ。  金の息子と銀の息子が近寄って来たので、その頭を優しく撫でてやる。    そしてふと、いいあアイデアが浮かんだ。   「私はお母さんになれないけど、貴方たちには立派なお母さんがいるじゃない。湖の中に」    金の息子と銀の息子は顔を見合わせた後、ぱっと表情を明るくして、湖へと潜っていった。   「お母さん!」 「お母さん!」 「何よあんたたち! なんで私があんたたちのお母さんなのよ! いやー! 結婚もしてないのに二人の子持ちになるなんていやー! 結婚が遠のくわー!」    湖の中からは、嬉しそうな二人の息子の声と、女神様の悲鳴が聞こえてきた。    せいぜい苦労してもらおうか。  気軽に子供を創って、まったく。  子供を作るということは、相応の覚悟と責任感の上でやるものよ。   「帰ろうか」 「うん!」    私は本物の息子と手を繋いで、湖を後にした。

公安が来るかも

 スマホのアプリでZ省に火をつける云々の音楽を作って個人的に流していた。 窓を開けていたので誰かに垂れ込まれたら警察が動くかもしれない。 嗚呼、僕の平穏な生活が。 表現の自由はどこまで許されるのか、ということになってくる。 刑務所ではギターを弾かせて貰えるだろうか? ショーシャンクの空に、という映画を観たことがある。 刑務所はお腹いっぱいご飯が食べられるだろうか? 思想犯として小林多喜二のように拷問死させられるだろうか? 僕は今日もぶるぶる震える。

夏のはじまり

 付き合う前は僕の影のように後ろに従うばかりだった女の子は、告白を受け入れるとまるで下男か何かのように僕を扱うようになった。立場の逆転などと生やさしいものではない、世が世なら革命と呼ばれてる。ギロチンが、まだその役割をまっとうしていた時代のこと。幸いにも僕は、怒り狂った大衆の前で首を落とされることなくすんでいる。深夜でも連絡が入ればクルマで迎えに行き、疲れて帰ってきても彼女の愚痴を朝方近くまで聞かされる。それくらいでおさまっているのは、だからまさに幸運だ。私のこと好きならそれくらい容易いことよね、お姫さまには苦労をさせられる。  土曜の夜?もう日曜日になったか。土曜何した?なくなった?なんか不思議…… でもないか、遅く起きて、なんか食べて、なんか本読んで、パソコンいじって、スマホいじって、なんかいじって、食べて、まだ届いてないか宅配ってスマホで確認して配達中で、なんか食べるかってみそ汁なかったからつくって、ついでにつくり置きしてひとつだけだけど、食べて、やっと届いて、何度かトイレには行って…… ちゃんと土曜をすごしてた。ああ、水もあげたな、ベランダの鉢植え。  前に付き合っていた女の子の誕生日が日曜だと困るものだ。平日なら忙しい仕事にかまけて気づかなかったフリもできる。しかし日曜は。思い出して、でも何をするでもない。電話でもしてみるか、どういう理由で?何を話す?いや、なんとなく気になってさ、いったい何を気になった?カレンダー見てさ、誕生日だなって、きっとほかの男に祝ってもらってるさ。最近どうしてる?ヨリ戻したいのかって勘ぐられるぞ、何より女々しい。ああ今日、あのコの誕生日かあ、思って何もしない。それが僕にできる唯一のこと。  披露宴の受付を頼まれていた。華やかな宴などからは遠ざかって久しかったが、招待客の衣装もきらびやかになったものだ。女性はもちろん、男性も。蝶ネクタイをつけた人物が数名いることには驚いてしまった。悪目立ちかおめでたくなのか赤いスーツに白のネクタイの男性がいてその狙い通りやけに目立っていた。芸人か?思う僕の横で、やはり受付の女性から「どこかの大泥棒みたいね」そんな声が聞こえてきて、でもそれは僕に向かってのものではなかった。  しかし、昔の知り合いに会うというのは気苦労が絶えない。やあ久しぶりじゃないか、覚えてるか?ああいうときは忘れてしまってても、もちろんさ覚えてるよ、話を合わせるものなんだろうな、本来は。すまん、覚えてなくて、正直に言って相手をさみしい顔にさせてしまった。せっかくの式だというのに、出席してくれた招待客だというのに。  受付を終え自分の名前の書かれた札が置かれた席に着く。すまん、あそこの席のさ、ああそうそう、彼さ、なんて名前だっけ? インドネシア研究会の澤田だろ、ぶっきらぼうな声で教えてもらうがそれでもピンと来ない。 「お前のとこもそろそろじゃないのか」  忠告か、茶化してるのか、あの女の子と結婚なんてなったらそれこそ…… 結婚式でうんざりするなんてヘンに勘違いされそうで、でも僕は、しっかりとうんざりした。  六月の花嫁は雨に濡れて、でもちゃんとうれしそうだった。雨は朝から降り続いていたけど花嫁が濡れていたのは雨のせいじゃない。泣いていただけだ、きっと。  しかし澤田…… 家に帰ってからも思い出せない。いただろうか。当時、何か話したんだろうか。思い出せない、思い出せそうにもない。たいした仲ではなかったということか。その判断で、おそらく間違いはないんだろう。僕の人生において澤田某はその程度の存在なんだ。そう思うと、途端に気持ちはすっきりした。  日曜日はちょっとつまんない。お気に入りのスマホでみれるいくつかの小説、軒並み更新がない。  夜、呼び出される。例によって、とその前につけてもいいくらいだ。着信があって僕が「もしもし」と言わないうち、 「いま赤坂。30分で来て」  ひとつも言葉を出せないまま通話は切れた、これだって例によって、だ。30分か、まるでピザ屋だ。財布とスマホとクルマのキーだけを手にし部屋を出る。慣れたもんだな、そう思う自分を情けなく思う。  赤坂の手前あたりで降ってきた雨は、しだいに強くなった。インターバルにしていたワイパーを一段ひねって海を目指す。  芝浦の倉庫街。雨の夜は悪いことをしてみたくなるもんだ、その行為を雨が覆い隠してくれるから。トランプのカード飛ばしのようにスマホを放る。きちんとバランスをとれなくてすぐ海に落ち、その音が雨音にまざり合う。夜の闇が、雨に濡れてさびしい。もう会うことはないだろうあの女の子を思い浮かべ、あのころの気持ちはなくなってしまったよ、届くことのない短い別れの告白は雨に消えた。夏がはじまるというのに、雨は冷たい。

雨色音色

 職がない。無職という状態である。  バイト先上司のおやつの饅頭を数回ちょろまかしただけだったのに……。  収入減を失った私には、築四〇年を超える貧弱ボロアパートから脱出することが出来なくなった。  最近は雨の日に室内で水音が聞こえてきて来る気がして、雨水に屋根が打ち勝っていられるのもあとわずかかもしれない。 「引っ越したいわ~……わっ! 冷たっ!」  狭苦しい部屋の中でどうにか寝転んでいると、額に何かが当たって弾けた。  とうとう天井から雨漏りが始まったらしい。 「やっば……コップコップ!」  慌てて起き上がり流しに向かおうとした時、私の耳が妙な音を拾った。  ポチャン。コツコツ。カンコンカン。  雨音らしき音は最初の『ポチャン』だけだ。そのあとの音は、ある程度硬さを持ったものを叩いているように聴こえる。 「まさかもしやポルターガイスト、とか?」  そういえば、このボロ屋の家賃は五千円である。人が何人か死んでいる事故物件と言われてもあまり不思議はない。  それならば、心霊現象を映像に収めてテレビ局に送れば、金になるのではなかろうか。  迷っている暇はない。これはやるしかないだろう。 「スマホは……充電残ってる! セーフ! 待ってろ心霊現象投稿者礼!」  音のする玄関へと、充電残り僅かのスマホを携え慎重に向かう。  下手にこちらが存在感をアピールするより、ビビっている風を演出した方が向こうもノッてくれる可能性はあるはずだ。  大した長さもない廊下をゆっくり、音に耳を傾けながら進む。玄関扉の辺りで奏でられているようだ。  玄関扉を視界に収めても、何ら異常は感じ取れなかった。細い水滴がスニーカーの隣で跳ねているばかりである。  それでも音は止む気配がない。 「幽霊どこだー? 金のなる幽れ……」  スニーカーの影になっている辺り、虫のような小さな影が動いている。  なんだろうか。  床に四つん這いになり、顔を近付けてみた。  何かいる。 「ん……? 人間……?」 「え……何これ……?」  そこにいたのは、蟻よりは大きい程度の、都市伝説に出てくる『小さいおじさん』のような生命体。タキシードをびしっと着込み、つるっとした頭に数本の毛をたなびく、推定おじさんが三体。  それぞれの前には、空き缶、半分に割られた卵の殻、水の溜まったペットボトルのキャップが置いてある。  ポチャンはペットボトルキャップ、コツコツは卵の殻、カンコンカンは空き缶によって奏でられていたようだ。  じっと見つめていると、卵の殻硬めの綿棒のらしきもので叩いていたおじさんが話しかけてきた。 「えー……家主の方、ですか?」 「あー、まぁ?」 「お邪魔しております。我々雨漏り音楽隊です。こちらのお宅が雨漏りしそうだったので、急いで駆け付けたました」 「呼んでないけど」 「まぁまぁ。演奏聴かれましたね?」 「さっきのポチャパチャコンカンいってたやつのこと?」 「聴かれたからには鑑賞料をいただきませんと」 「……ん?」  ペットるキャップの水面を両手でパチャパチャしているおじさんも、空き缶を銀色のクリップでコンカン叩いているおじさんも、気が付けば私に視線をむけていた。  何なんだこの空気は。払える金なんかないし、そもそも私は家主のはずだ。 「いやいや、勝手に人の家でそんなことしといて金取るっておかしくない? むしろ私家主だし、場所代払ってよ」 「それは無理ですね。我々はお金持ってないですので」 「こうやって余所の家でもたかってるんじゃないの?」 「我々は宵越しの銭は持たない主義なので」  人のことは言えないが、こいつらなかなかに浪費家っぽい。ちょっと同類の匂いがして複雑な気分。 「さ、払ってください」 「いやだから嫌だって! 私だって宵越しどころか昼間用の銭さえないのに」 「何とまぁ……まだ若そうなのに……」  おじさん達は、かわいそうなものを遠慮なく私に向けてくる。不法侵入して勝手に演奏聴かせてきたくせに……。  三体の人外は私に背を向け、こそこそと何かを話し合い始めた。マネージャーとか、悪くないかもしれないとか、何やら水音に紛れながら漏れ聞こえてくる。 「家主の方。お名前は? ワタシは吾郎、空き缶の彼は源治、卵の彼はとん平といいます」 「やたら名前渋いな。清音」 「キヨネ……清十郎でいいですかね」 「何で改名ついでに性転換させられてるわけ?」  ペットボトルキャップの吾郎は、私の顔を嬉しそうに見上げてきた。 「いや、あのですね。実は丁度マネージャーを引き入れようと思ってまして……いかがですか? 家主達から巻き上げ……もらった鑑賞料で、雨上がりには打ち上げをするまでがセットですが」 「ぜひよろしく」  私は人間の清音から、雨上がり音楽隊のマネージャー清十郎になった。

梅雨は人が死にやすい

 えらい暗いタイトルだ。 でも実際に一年のうちで1番人が死ぬのは梅雨らしい。 ハァハァ煙草の吸いすぎで調子悪い。 ちょっと弱る。 あと何回かこんなことを繰り返し僕もアパートで孤独死するのかもしれない。 諸行無常。 南無。 南無阿弥陀仏という言葉は阿弥陀様を信じその救いに身を委ねます、という意味らしい。 南無阿弥陀仏。 梅雨に仏様は雨を凌ぐ屋根を用意してくださる、おおありがたや。 救いを求める人達。 南無。 仏像。 梅雨に犬は仏を拝む。

念を籠める

「このパワーストーンに念を込めました。貴方は、もう安全です」    霊能力者からもらったパワーストーンをもらったはいいものの、その人は何の念を込めたか言わなかった。  いや、そもそも念とは何か、私はよく知らない。   「すみませーん」    だから私は、研究所へ向かって、パワーストーンを解析してもらった。  パワーストーンを透明な箱の中に入れると、箱の周りをライトのような機械がぐるぐると回っていた。  研究所の人曰く、特殊な周波数の光を当てることで、念を可視化する機会らしい。  私にはよくわからない。   「さ、こちらのディスプレイで、念が見えますよ」    ディスプレイに映ったのは、何人もの霊威能力者っぽい人が、裸踊りをしている様。  透けているので、人間ではなさそうだ。  外から、黒い火の玉みたいなものが近づいて来ているが、すかさず裸踊りしてるやつがやってきて、火の玉を追っ払っていた。   「この炎みたいなものが邪念ですね。霊能力者の念は、確かに貴方を邪念から守っています」    研究所の人は機械を止め、私にパワーストーンを返してきた。   「大切にしてくださいね」    私は研究所を後にし、帰宅しながら手に持ったパワーストーンを眺める。  確かに効果はあるのだろう。  しかし、裸踊りをしている霊能力者が頭をちらついて、無性に投げ捨てたい感情にかられた。   「えんがちょ!」    とは言え、安全には変えられない。  私は渋々パワーストーンを腕につけることにした。  まるで鳥の糞を踏んずけたような悪寒が、全身に走った。

夜は明けるから #6

「お姉ちゃん! お姉ちゃん大変!」 突然、さっきまで外で遊んでいたリッカの妹が孤児院の扉を蹴破るような勢いで開けた。その音で私は我に返った。 二階から下を覗くリッカ。どうせ、碌でもないことだろうと気の抜けた生返事で「何?」と吐き捨てる。 「また死んでる!」 「え?」 すると、後ろからレイとカウルが人を抱えながら入ってくる。その人は泥だらけで、毛が長い。汚れて破れて布だとは思えない服を纏い、薄い呼吸をしている。 「生きてる」 レイはカウルと息を合わせながら、ソファまでその人を運ぼうとする。それを見た先生は「どうして」と困惑しながらも、すぐにレイやカウル、リッカの妹に指示し、自分は救急箱を取りに二階へ走った。 私もこうして運ばれてきたのだろうか。 そんな騒ぎを聞きつけたのは院長。 「どうしたんだい、何事だい、これは」 インダは先生とともに階段を駆け下り、リッカは院長に事情を説明し、院長室に戻るように言った。 コの字のソファの真ん中に寝かされた人。髪が長かったから女の子なのかと思ったが、よく見ると目や口元が男の子っぽい。体格、骨格もスッキリしていて、もはや栄養不足とまで見受けられる。腕なんかは筋が見えるほどに痩せている。 「ひどい」 妹はその少年を覗き込み、その口元に水を少し流し込む。応答はない。妹の目が緩む。 先生がレイとカウルに向かって確認のために事情を聴く。それにレイが答える。 「どこで倒れてた?」 「裏の薮の中。井戸に向かう道を少し外れたところで倒れてた。で、すぐミミを向かわせた」 この子、ミミというのか。ミミはリッカの腕の中で小さく丸まっている。 「どうして薮の中に?」 質問の意図は掴めなかったが、レイはそれにもきちんと答える。私はしっかり者という印象を受けた。 「カウルの蹴ったボールを追いかけて」 「私も見た」とミミ。先生はそれを聞いて、質問を続ける。 「どうして孤児院に?」 まるで、連れて来てはいけないかのような言い草。皆が口を噤む感じを見ると、これはもしかして。「普通の孤児院じゃない」のだろうか。頬の汗が流れるのを感じる。 「助けられる命だから」 レイは毅然と答えた。カウルもそれに頷き、「僕が提案した」と罪を共有するように言った。真剣な眼差しは先生の壁を押し戻す。 先生は孤児院にその男の子を入れ、ソファではなく、わざわざ二階まで運んだ。レイとカウルはそれを前線でサポートし、インダとミミはお昼ご飯作りに台所へ向かった。 リッカは院長室に消えた。院長がいれば、院長室には入れるんだ。 一人取り残された私は、とりあえずあの男の子の安否が気になって、二階へ向かった。 寝室を覗くと自分のベッドに男の子を寝かせるカウル。私が担ぎ込まれて静養していた時は、あんなに嫌がっていたカウルが。私は眉をひそめた。 レイは先生の横で男の子を見つめている。 先生の呼び掛けに男の子は一切答えない。眠っているにしては無防備だし、ここまでの干渉があれば起きそうなものだ。身体や身なりを見るにも、相当の偏りがある。 白いシーツには似つかわない。なぜ、私の方が綺麗にベッドを使っていたというのに、あれほど拒絶されなければならなかったのか。思い出すとムカムカしてきた。 「レイ、下から水を汲んで来てもらえる?」 「はい!」 「カウルは毛布を用意して」 「うん」 レイとカウルはそれぞれ散った。 「私も何か手伝えませんか」 「ユキは、替えの服を持ってきてくれる? お風呂場にインダのがあるから、それを」と、そこまで言って先生はあることに気付いた。私も頭の中で困っていた。 「あ、お風呂場って案内してないわね?」 「インダに聞いてみます」 「そうしてくれる?」 「はい」 私も寝室を後にした。 階段を滑るように下り、バケツいっぱいに水を汲んだレイとすれ違って、私は台所に向かった。そして、インダに事情を説明してお風呂場に到着。 お風呂場の棚にはそれぞれ分かりやすく名札が貼ってあり、一人三着ほどの服が畳まれておいてあった。 インダ、アルバート、リッカ、レイ、ミミ、カウル。 アルバートと書かれた棚にはみんなと同じような服はなく、私が当時来ていた服が丁寧に畳まれて置いてあった。 「私はアルバートくんの代わり、なのか」 見たところ、アルバートはインダの次に年齢が高いのだろう。実際はリッカと同じくらいだと思う。 私はインダの服を一枚拝借し、再び階段を駆け上がった。 寝室に戻ると、毛布を頭から被ったカウルとバケツの水に雑巾を浸すレイがいた。先生は男の子から服を引き剥がしている。 「あの、これ」 私は男の子の身体を見ないように腕で死角を作りながら、先生にインダの服を渡した。 先生は「ありがとう」とそれを受け取ると、レイが雑巾で身体を拭きあげたあとに、その服を着せた。 【つづく】

やっぱり金の無いときは鶏胸丼だろう

 知り合いに借金3万円。 来月は鶏肉を中心に食費を抑える決意をする。 ネットのレシピで鶏胸丼などが材料費が安く出来ると出ていた。 旨そうだ。 鶏肉は庶民の味方。 僕は政府の敵(あるいは犬) 玉ねぎ食いたい。 血液がサラサラニナル。 サラサラニナル。 さらにさらに成る。 何者かになれなかったが料理は楽しい。 坂本龍馬も実は大したことはしなかったらしい。 知り合いが遠くに引っ越す。 皆それぞれの道へ。 基本的に鳥頭。 苛められてもすぐ忘れる。 世の中に無視されているがそれは僕が無視していたからだろう。 少し拗ねるのをやめようかな。 役立たずでいなさい、とは誰にも教わらなかった。 やるよりやられる人になりなさいとは言われた。 恋は奪うもの愛は与えるものとも言っていた。 与え続けたあいつは死んだ。 やられて与えて死ぬ。 一見すると狂っているようにも見えるこの行動が一筋の光なのかもしれない。 鳥が僕に与えてくれるものを考えて感謝して食べる。 いただきます。

約束

 まるで空気に茹でられるかのような、湿った熱の中。蝉時雨を前に私は、ただ木陰の下で君を俟っていた。  少し遠くの青い水平線が、灼けるほどの日差しを反射する。乱反射した光が私の目の奥に届く間に、いつしか私は、起こるはずもないそんな奇跡を、待ち続けている。  握りしめたのは、君からの手紙。   『八月の一七の日。あの木の下で待っています』  最後に綴られた言葉は鮮やかに、まるで呪いのように私をこの季節に縛る。 「——私はここ以外では生きられないのに」  そんな言葉で錯覚させてしまうほど、私の心はあの夏に置いていってしまった。忌々しい、君を連れ去ったあの季節に。  瞬間、舞い上がった風に引かれるように、私は上を見上げる。歯の隙間から覗く光は静かに、私を睨んでいた。  未だ鳴り止まない蝉の声が劈く。私の耳に突き刺さる。  握りしめた手紙を強く握り潰して、出かかった言葉を噛み締めた。 「もう、出逢えないのに」  君が約束を破ることなんて、わかっていた。わかっているのに、それでも願ってしまう。  酷く苦しい、  あの日の記憶。

君とまた宇宙で

「お父さん! 明日もまた来ようね!」 息子からそう言われた時、私はつい苦笑いを返してしまいました。 息子はまだ5歳。地球を出発した時はぐっすり眠っていて、起きたらいつの間にかこの場所にいたため、どこか近場の遊園地にでも来ている気分なのでしょう。しかし、ここは地球から遠く離れた宇宙なのです。 とはいえ、若い頃に想像していたよりはずっと早く、たった7〜8時間で私たちは宇宙へと運ばれました。宇宙空間に向け、莫大なエネルギーを推進力に変換する最新の宇宙船のおかげで、遠い海外へ行くよりもずっと短い時間で目的地へ着いてしまうのです。 私たちが訪れたのは火星のテーマパーク。そこには、地球の遊園地とは比べ物にならないほど魅惑的で面白いアトラクションがたくさんありました。 そして帰り際、冒頭の息子の一言があったのです。 「ははっ、明日は無理かもしれないけど、近いうちにまた来ようね!」 私は苦し紛れにそう返すしかありませんでした。 というのも、宇宙旅行の費用は海外旅行の比ではありません。庶民の貯金では到底手が届かない、天文学的な金額なのです。今回は「初回限定で大幅な割引が適用される」という政府の特別政策を利用して、ようやく叶った旅でした。次回からはそうはいきません。 父親としての見栄を張って約束してしまった手前、心苦しいのは山々ですが、宇宙旅行が一般化して安くなる頃には、私にはもう行く体力が残っていないでしょう。 それでも心の中では、目の前のこの小さな君がすっかり大人になった頃、もう一度肩を並べて同じ景色を見たいと強く願っていました。 二日間全力で遊び、すっかり疲れ切った体を帰りの宇宙船のシートに沈めます。 静かに動き出した船内で、息子がふと言いました。 「お母さんは、どこにいるの?」 私は一瞬、思考が止まりました。そんな私の戸惑いなど気にも留めず、息子はじっと私の目を見つめて続けます。 「お母さん、お星さまになったんでしょう?」 ――そうでした。私は幼い彼に「お母さんはお星さまになったんだよ」と教えていたのです。もともと体が弱かった妻は、この子を産んですぐに亡くなりました。どうすることもできない運命でした。 「お母さん、どのお星様になったの?」 気づけば、目から滲んだ涙が頬を伝っていました。 「うん……どこだろうね。こんなにたくさんのお星様の中から探すのは、とっても大変だね……」 泣いているのがバレない様にまるで子供の様に笑顔で強がってみせます。 「あ、あれお母さんだ! お父さん、あれがお母さんだよ! 見つけたよ!」 息子の小さな指先が示す先にあったのは、決して一番強く輝く星ではありませんでした。しかしそれは、宇宙の暗闇の中で、一番優しくあたたかい光を放つ星でした。それを見た瞬間、私は本当に妻の姿を見たような気がしたのです。 死者の魂が星に生まれ変わることなどないと、一体誰が断言できるでしょうか。真実を誤魔化すために息子の前に立てた嘘の壁は、世界の在り方を示す鏡だったのかも知れません。 息子は写真越しでしか妻を見たことがないはずはのに、私よりも妻の本当の姿を見抜いているように感じました。 「ああ……間違いない。間違いなく、お母さんだ。君のお母さんだよ」 ついに涙を隠しきれなくなった私を見て、息子は「お父さん、変なの」とでも言いたげな不思議そうな顔をしていました。しかし数十分後には、安心したのか私の胸の中で再びすうすうと寝息を立て始めました。 もう一度、君に会いに来よう。 それまで、あの場所で待っていてくれるだろうか。いや、きっと大丈夫だ。星の寿命は人間よりずっとずっと長いのだから。この子はこれからぐんぐん成長し、あたたかな君の光はますます輝きを増していくに違いない。二人の成長と輝きを見守ることができる私は、なんて幸せ者なのだろう。 静かに眠る息子のやわらかな髪を撫でながら、私の心はまるで無重力のように、ふわりと軽く浮き上がっていくのを感じていました。無造作に跳ね上がった毛先とあの星を一直線に繋いで独り呟くのです。 君とまた宇宙で。

挑戦したからこその痛み

わたしは挑戦することが好き。 できなかったら得られなかったことを知れるから。 実は、思い込みが激しい。 だからこそ、挑戦をやめたくない。 挑戦しなければ、あーでもない、こーでもないってずっと悩んで考え込んでしまうから。 考えるよりも行動に起こすそうし続けてきた。 挑戦するということは、傷つくことと同義でもある。 時には、挑戦しなければ経験することのなかった大きな痛みも伴う。 例えば、海外のカリキュラムを選んだことで味わう、日本の高校生とは違う疎外感とか。 勉強に明け暮れて部活に入れず、逃した青春とか。 他のカリキュラムの子と所属クラスが同じで、話題が合いにくい辛さとか。 全日制から通信制に移る環境が変わる痛みとか。 後悔のが実は多いかも… それでも、挑戦したからわたしはわたしを知れた。 好きなことも、嫌いなことも、得意なことも下手くそなことも。 それでもいいやって思える精神とか、理想の生き方も、挑戦しなきゃ知り得なかった。 自分が自分であればそれでもいっか。 そうやって思える自分になった。 それでも、ほんとは挑戦するのがいつも怖い。 挑戦し続けることが生きてる価値になるのが怖い。 だから受容して生きたい 何でもそうだけど、できても、できなくてもわたしはわたし。 あなたはあなた。 みんな違ってみんな良いじゃん。 それはそれで、今日は穏やかに過ごせたなとか、きっといいことあるよね。 わたしはまだ、暗闇の中にいる。 光はまだ見えていない。 それでもずっと楽しく生きたい。 明るく笑って前向きに… 何が正解で何が間違いとか、外の視線は気にせずに… 主観で自分を縛らずに 生きたいように自然に、今日も生きてみたい