ある日の午後。 認知考古学の教授が、学生の前でマイクを握った。 「みなさん。人が道具を本来の目的以外に使い始めたのは、どの時代か分かりますか?」 「旧石器時代に、石を遊びに使ったのが最初だと思います」 「その通りです」 教授が、背後のスクリーンを指した。 「今日のテーマは、それを踏まえて『道具の目的外使用』について考えたいと思います」 学生は耳を傾け、ノートをとった。 「これを見てください」 黒い傘を取り出し、学生たちに向けた。 「この傘。駅のホームで中年の男性が持つと、どんな行動をとるでしょうか?」 「あっ、ゴルフのスイングをします」 教室に笑いが起こる。 「それから、女の子はバトン、男の子はチャンバラとかに使いますね」 「お年寄りが杖に使うのもそうですか?」 「はい。それも目的外使用です」 教授はうなずきながら、学生を見渡した。 「では、ここまでで何か質問はありますか?」 最前列の学生が手を上げた。 「ちょっと気になってたんですけど、額のガーゼ、どうされたんですか?」 教授は笑いながら、傘を開いた。 「昨日、妻が機嫌悪くてですね……」
そのつもりはないのだけど 目の前の男がやけに難しい顔をしてるから きっと、わたしもそんななのかもしれない わたしはウーロンハイで 向こうはレモンハイを注文した 切り出したのはわたしからで 男は、 「難しいことはよくわからない」 とだけ言った 「なんでもかんでも、難しいことはよくわからない、で逃げられると思ったら大間違いだよ」 わたしの言葉に男は絶句して グラスを一気にあおる まだ、ほとんどとけてなんてない氷は 身動きが苦しくて、その音もどこか重くきこえる 夏が終わったら、ふたりのことも終わりになる きっと、そうなる はやく夏が終わってくれと願っているのか いつまでも夏が続いてくれよとうそぶいているのか 難しいことは、わたしにはよくわからない
早朝の河原に響くサックスの悲しい音色りんご追分 夏休み前に転校していったアイツ元気でやってるのかな? ことさらに なりたいとかは ないけれど しいてあげれば 猫になりたい
「あの、なぜいつもあなたなんですか?」 「何がですか?」 「僕は、あの娘に介助をお願いしたい」 ベッドの上で、中年の男が笑った。 「僕、両手が不自由じゃないですか?」 「ここ、そういう店ではないですよ」 「横になってるだけです」 「それって、もうセクハラですよ」 「バリアフリーでお願いします」 薄暗い部屋に、デジタル時計が光る。 「まぁ、上に相談しておきます」 「僕からも話していいですか?」 「はい。ご自由に」 男は扉を閉めた。
鳩が泣いている ホーホーフーフーホーホーフーフー 部屋の中で目が覚める 閉めた雨戸の隙間が白い光で滲む あの水の中のようなクーラーの音が嫌いだ クーラーを切り、雨戸を開ける 青空と街 宇宙で少し冷やされた空気 重力 疲労感と床の上の埃 この世界を飛び回る電波は僕の体を通り過ぎる時、音として感じ取れる そう思えるほどの耳鳴りが鳴り止まずうるさい このうるさい中、妻が寝ている 息子が寝汗をかいている どこかの家の雨戸が開く まだ起きるには早い時間に
新落語 誰もが知っている 「コンコルドの話」 今宵は、コード このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている のびる 文字を変更 コード から コンコルド それからどうした 超音速旅客機 それはどうして 世界をつなぐ架け橋になった事実は隠せない そのあとどうした まだ書くこと あるだろ スピードアップ こんなのどうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
「あの、変わってもらえませんか?」 「何をですか?」 「僕は、あの娘に介助をお願いしたい」 ベッドの上で、中年の男が視線を上げた。 「ここ、同性介助ですが」 「僕、見てるだけです」 「それって、結構セクハラですよ」 「合理的配慮でお願いします」 薄暗い部屋に、デジタル時計が光る。 「まぁ、上に相談してみます」 「僕、不安定になるかも……」 「はい。お大事に」 男は扉を閉めた。
澄み渡るような初夏の空気が外から漂ってくる。ほとんど遮るものが無い田舎の夜空を見上げると、星たちが煌々と輝く紺色の屋根はどこまでも続いている。 その様子はさながら大きなプラネタリウムのようだ。 夏の匂いを感じ取って、土の中で時を待っていた若い虫たちが徐々に姿を表し始めたつい数日前、俺たちの敬愛する中崎先輩は、一大プロジェクトのリーダーを務める事になった。 チームの主導メンバーは俺を含めて4人。物静かだが心は熱い中崎先輩、俺、後輩組の気弱な川北とお調子者の江島だ。 あと30分で定時になるというところで先輩が言った。 「今日は仕事終わりに作戦会議だ。いつもの会議室を借りよう」 リーダーは流石に気合いが違う。 それもそのはず、プロジェクト本番は明日だ。元々プロジェクトを遂行するはずだった“選抜チーム”が問題を起こし、当時手の空いていた俺たちが直前になって代わりに抜擢されたのだ。 ここで成果を上げれば、暇を潰すのが主な仕事である俺たちの評価も逆転するだろう。 先輩は、ここで人生の流れを変えるとでも言わんばかりの勢いを顔に宿している。 「中崎さん、迷ったら俺に着いてきて下さいね!俺がみんなを引っ張って行きます」 江島は両腕を頭の後ろで組み、背伸びをしながら言った。 「うるせーよ、お前こそ足引っ張んなよ」 どっと4人に笑いが起こった。江島の軽口は今日も健在だ。 だがこいつの一言には、緊張を解いて和やかな気持ちを作ってくれる力がある。証拠に、先輩の肩に入りすぎていた力が程よく抜けたのを感じた。 こんな調子で俺たちは、プロジェクトを引き継いでから今日まで死に物狂いで準備してきた。 「各々データをまとめて準備しよう、本番まであと少ししかないからな」 俺がそう言うと、川北が不安そうな顔で本当に大丈夫でしょうか、と自分の手元を見て言った。 「僕らに与えられた時間は10日しか無かったんですよ?元々プロジェクトを担当していた選抜チームは、3ヶ月もかけて準備していたのに。引き継ぎしてる時点でもう倒れそうでしたよ」 川北のネガティブな発言を跳ね返す言葉が見当たらず、次第に空気が重くなるのを感じた。 そもそも俺たちは、全員あまり仕事ができるタイプではない。だからこそ今の忙しい時期に手が空い ていて、このデカいプロジェクトを引き受けることができたわけだが。 正直俺たちのチームにこの大きな仕事をこなせる自信のあるやつなんて一人もいなかった。 刑務所のようになった室内の沈黙を破って、真剣な表情で江島が呟いた。 「でもこれを成功させれば、俺らの人生は変わる」 全員の表情に一気に力が入る。 それをじっと眺めていた中崎先輩は一人一人に淡々と、しかし力強い口調で話し始めた。 「江島、お前妹さんが病気だったよな」 「そうっすね、でも仕事休んで療養させる余裕なんて無いんすよ」 「川北は恋人との結婚に踏み切れないでいるな」 「…はい、どうしても幸せにできる自信が持てなくて、決心できません」 先輩は俺の方を向いた。 「高田は仕事のことで親戚から疎まれている」 「一応エリートの家系なんで、気の向くまま就職して仕事ができない俺は、みんなに落ちこぼれ扱いされてます。いない方がマシだと」 とたんに視界がぼやけた。くそ。 もう泣かないと決めたじゃないか。 次に先輩は俯いて、自身の心に鞭を打つように力を込めて言った。 「…みんな知ってるだろうが、俺は先日妻が死んだ。妻も子供たちも俺の働く姿をかっこいいと言ってくれていた」 「悲しみは癒えないが、代わりにこのプロジェクトを任されたんだ」 先輩の手は震えている。大切なものを失って欠けた心を忙しさと達成感で埋めなければ、おかしくなってしまう事を理解しているのだ。 「これが成功すれば、全てが上手くいく。俺たちには成し遂げるべき理由がある」 そこまで聞いた俺たちの中に、弱音などもう微塵も残ってはいなかった。 決戦の日がやってきた。 俺たちは太陽が昇るより早く現場へ赴き、幾度となくシミュレーションを重ねた。 やがて開始時刻が近づくと、俺たち主導メンバー以外の外部プロジェクトチームも到着し、準備を始めた。 「今回のはとんでもない大きさだな」 「ああ、もしかしたら最大級かもしれない」 関係者たちのそんな話し声も次第に静まり、見晴らしの良い丘から進行状況を見ていた中崎リーダーが開始の合図を送った。 「始めよう」 俺たちはお目当ての虫に一斉に飛びつくと、自前の顎を使って小さく分解し運び始めた。 俺はみるみる内に解体されていくその大きなカブトムシと、共に戦う4人の仲間を眺めながら 「蟻としてこれ以上の幸せはない」 とこの一大プロジェクトの成功を確信した。
平日の午前。 男は整理券をもらうため、小走りでパチンコ屋に向かった。 「今日は勝つ気がする……」 ポケットの中の軍資金を握った。 すると、道路脇でかがんでいる女を見かけた。 「……あの婆さん」 アパートの隣に住む婆さんが、お地蔵様を雑巾で丁寧に拭いていた。 男は足を止めた。 「信じる者は救われるか」 鼻で笑う。 夕方。帰り道、うつむいて舌打ちをした。 「ん……」 隣の婆さんがビニール袋をぶら下げ、地蔵の前に立っている。 そして、気にする素振りもなく、お供え物と小銭を袋に入れた。 「婆さん、こずるいこと考えたな」 「なにがだ」 「いやいや、今、お供え物と小銭、盗ったろ」 婆さんは笑いながら、男を見た。 「この地蔵、私が通販で買って、ここに置いたんだ」 「なんだそれ」 「他にも、何か所も置いてるさ」 辺りが暗くなってきた。 「私はねぇ、ちゃんと考えて置いてるんだ。リピーターを増やすためにね」 そう言うと、地蔵を抱えた。 「それ、どこに持って行くんだ」 婆さんが振り向いた。 「……ここは儲けが少ない」
長い髭をさすりながら、老人は呟いた。 「…私たちは神に期待しすぎたのだ」 砂つぶのように敷き詰められた目の前の群衆に対して、ゆっくりと飲み込ませるように彼は言った。 「私たちはこれまで、戦争や貧富の格差、異常気象に占い事まで、ありとあらゆる“困難”を神に祈り、押し付けてきた」 たまたま目に入った大柄な男に、老人は問う。 「今から50年前。2100年の12月1日、この世界に何が起こった?」 男は答える。 「巨大隕石の衝突です。長老」 「…そうだ。我ら人類は自ら過ちを犯し、その度に神に祈る事を繰り返してきた。神は我々の愚かしさに絶望し、巨大な隕石を地球に落としたのだ。わずか0.001%と言われた超低確率にも関わらず、地球に直撃した隕石は津波や異常気象を引き起こし、今や人間の数は当時の5分の1以下になってしまった」 老人は朽ちたキャンピングカーの上で身を起こし、集まった僅かな人類の生き残りたちを見つめる。 皆衣服はボロボロで、まともな食料は長い事口にしていない。第三次世界大戦の真っ只中に起きた隕石の衝突事件は“神の怒り”と呼ばれ、世界中で罪深き人間を滅亡させる“神の意志”だと言われていた。 「…生きるすべは、無いのでしょうか」 恐る恐る1人の若者が尋ねた。 みんなそれだけを知りたくてここに集まっていた。 老人は答える。 「…あるとも。神に頼らない事だ。我々は親の手を離れ、自らの知恵と力で平和を実現して繁栄できると示すのだ」 群衆はざわざわとどよめき立った。 「そんな事が、できるのでしょうか」 彼らの荒んだ心には、平和などとうに抜け落ちてしまっていた。 「できるとも。戦争の影響で目を失ったある男が、旅の僧侶に手を握られた。その途端に奇跡が起こり再び目を開いたという事件を覚えているか?」 「2102年に起きた“アンパラの奇跡”ですね。 当時世界中で話題になった大事件だと伝わっております」 「さよう。神の助けとしか思えないほどの奇跡は往々にして起こるものだ」 呆気に取られている人々を意に介さず、老人は独り言のように喋り続ける。 「しかしそれを待ち望んではいけない。神は奇跡をひたむきな者の元にしか起こさないのだ」 「なぜそんな事がわかるのですか」 口を挟んだ若者に、今度ははっきりとした口調で答える。 「…私がその時の“目の見えない少年”だからだ」 「…これからは私たち人間が手を取り合って生きるのだ!」 老人は震える声で最後の力を振り絞る。 「それが私たちの平和と、神への許しに繋がるのだ!」 その言葉を最後に老人は息をひき取った。 残された人々はこれを“第2の奇跡”と呼び、老人の亡骸はまるでこの見捨てられた世界の“神”であるかのように手厚く埋葬された。 しばらく経った。 老人はまだ自分の意識が続いている事に驚いていた。 「私は、死んだのではなかったのか」 体はみるみるうちに若返り、眩い光の中に取り込まれて行く。 「…なるほど、ここはあの世か。やはり神は存在したのだな」 見渡す限りの真っ白な壁に、真っ白な床。 舞い上がった埃のように空中に浮かぶ老人は、地球に残された人類の行く末を想いながら、少しずつ遠くから聞こえてきた声に耳を傾ける。 「ねえママー。自由研究手伝ってよ」 「だめよ。宿題は自分の力でやらなきゃ」 「この前は手伝ってくれたじゃん。人類誕生の時とか、2102年のやつとか」 老人は知らない一家の団欒を見ていた。綺麗な目をした少年は、手に持っている黒い玉のような物の事で母親にごねているらしい。 不思議と老人は、自分があの玉から出てきたのだとわかった。そしてしばらくするともう一度あそこに入るという事もわかる。 「ちゃんと説明書読まないからそうなっちゃうのよ?」 「あんな長いの読みたくないんだもん」 ガチャ。 壁だと思っていた空間に白いドアが現れて、開いた。その奥からとても優しそうな顔をした、これまた綺麗な瞳の男がやってきた。 「どれどれパパに見せてごらん。おお、初級の宇宙作成キットにしてはよく出来ているじゃないか。この…“地球”?この星なんて綺麗でいい感じだぞ」 「うーん、でもやっぱり面白くないや。僕今から外で遊んでくる!」 子供は早々に家から飛び出し、両親は優しい笑顔でその小さな背中を眺めていた。 「ふふ、あの子、きっと宿題の提出が終わったら見向きもしなくなるわね」 「まあ俺たちもそうだったからな。宿題や研究以外で“神”なんてやってるのは、よほど物好きな人だけだろう」 若い2人はふふと笑いながら、幸せそうにお互いを見つめる。 何もかもが明るく優しい世界でそのやりとりを見ていた老人は、昔のことなどどうでもよくなってしまった。
ドサ回り系女性バンドを乗せたバンは、西へ向かっている― 雨がフロントガラスを執拗に叩く。 車内は、湿った重い空気が滞留していた。 リーダーのベースさんは強くハンドルを握り、前を見やる。 助手席では、ドラムさんがポテチを食べる。 その後ろでは、ボーカルさんが外を見ながら歌を口ずさみ、 となりでは、ギターさんが誰にも聞こえないような声で、何かつぶやいた。 バンは、国境をこえた。 もう誰も、彼女たちを甘やかしてはくれない。 エンジンの音だけが、夏の空気をゆらしていた―
新落語 誰もが知っている 「リースの話」 今宵は、リース このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている 花飾り 文字を変更 リース から プリーズ それからどうした 作ったので お持ち帰り下さい そのあとどうした やっぱり かえして下さい それはどうして 借り物なんです つまり リース こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
ある日の午後。ようやく男が目を覚ました。 「結局、負けかよ…」 サッカーの国際試合を見るため、仕事を休んだ。 カーテンの隙間からは、濃い光が差し込んでいる。 照らされたテーブルの上には、妻からのメモ。 ──友達とランチに行ってくるね。夕方には帰ります。 昼ごはんはチンして食べてね。 ソファーに深く座り、テレビを点けた。 「今朝の試合の結果です」 アナウンサーが残念そうな顔で伝えている。 「試合には負けましたが、サポーターの行動が世界の方々から称賛されてます」 観客席で青いビニール袋を手に、ゴミを拾う人たち。 「素晴らしい光景ですね。では、また来週お会いしましょう」 男は画面を見ながら、鼻先で笑った。 エンディング。 右端には、 ──本日午後の存在価値 全国平均 76% 次の朝。 洗面所に置いてある体重計に乗った。 ──体重 72キロ 存在価値 95% 液晶パネルには、自分の存在価値が%で表示される。 ──生まれたばかりの赤ちゃんは存在価値100%らしい。 誰かが言ってたな。まぁ、どうでもいい。 「あなた、お弁当できたわよ」 妻は肩までの髪を耳にかけながら、片足をそっと乗せた。 ──体重 48キロ 存在価値 95% 「ねぇ…今晩、ちょっと話があるんだけど」 「なに?」 「帰ってからでいいわ」 夕食後、妻が話を切り出した。 「あのね。友達が、パート募集してるから来ないって誘われたんだけど」 「どうしたいの」 「週に3日くらいだからね。お小遣い程度にはなるかな」 「いんじゃない。でも、無理しないでね」 「ありがと…」 妻はスマホを手に、友達へラインを送った。 窓の向こうが、薄暗くなる。 しばらくのあいだ、部屋には着信音だけが響いていた。 「先に行くね」 妻が弁当をバッグに入れ、もう一つをテーブルに置いた。 「気をつけて…あのバッグ、初めて見た」 男は体重計に乗った。 ──体重 72キロ 存在価値 90% ほんの少し、胸の奥がざわついた。 スーパーのビニール袋を手に、妻が帰ってきた。 「ごめん、遅くなった。今からごはん作るね」 惣菜をパックから皿に移し替え、レンジに入れた。 「あのね、店長が正社員にならないかって」 嬉しそうな横顔。 「そういえば、あなたの工場、外国人の従業員雇ったんでしょ。なんか大変だね」 男は洗面所に行き、体重計に乗った。 ──体重 72キロ 存在価値 70% しばらく、数字を見つめていた。 テレビでは、豪雨被害のニュースが流れている。 「なぁ…ボランティアに行ってみようかな」 男の声に、妻が振り返る。 その顔は、口元だけが笑っていた。
新落語 誰もが知っている 「たえるの話」 今宵は、たえる このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている ほめる 文字を追加 たえる から たたえる そのあとどうした 柔道の試合に勝った それでいいのか えらいとなる ふつうだな こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
「私達が生きているこの第千八百階層よりも『下』には、間違いなく人類がいる」 恋人のミカは、配給の合成タンパク・ゼリーを匙でつつきながら、ひくく乾いた声でそう言った。 僕の住む高層住居棟――通称『タワー』は、いつ誰が建てたのかも知らない。ただ確かなのは、地上へ出ることなど数百年前に禁じられ、人々は窓のない縦長のコンクリート構造物のなかで、あてがわれた階層にへばりついて暮らしているということだけだ。 僕らの日常は、濃密な悪臭に満ちている。 なぜなら、タワーの中心を貫く直径五十メートルの巨大な穴――『ダクト』を通じて、上の階層で暮らす上級市民たちの家庭内廃棄物、排泄物、使い古されたデバイス、時には病死した肉体そのものが、絶え間なく降り注いでくるからだ。 「下なんかにいるはずがない」僕は窓代わりのモニターに映る人工の青空を見つめたまま答えた。「僕ら千八百階層の人間が、上の連中のゴミを分別し、リサイクル可能な素材だけを上へと送り返す。残った汚泥や有毒な化学カスを、あの暗闇へ落とす。僕らで『一番下』なんだ。あんなものを毎日頭から浴びて、生きていられる生物がいるわけない」 「いるわ」 ミカの目は、奇妙な熱を帯びていた。 「昨日、廃棄されたスマートウォッチを修理していたの。そうしたら、自動アップロードされた位置情報のログが残っていたわ。僕らよりもさらに二千階層も下の、暗闇の底で……デバイスが『使用中』のシグナルを送り続けていたのよ」 彼女はダクトの金網の縁へ歩き出し、底知れぬ黒い穴を見下ろした。 ヒュオオオオ……と、生ぬるい風の音が垂直の闇から吹き上げてくる。 「私たち、毎日上からの悪意とゴミを黙って耐え忍んでいるでしょう? いつか報われる、これが社会の規則だからって」 ミカの唇が歪んだ。 「でもね、違うの。上から落とされた屈辱を、さらに下へと突き落とすことでしか、私たちは心の平衡を保てないように設計されているのよ。問題は……あの底の底にいる『奴ら』が、それをどこへ捨てるかってこと」 「やめろ、ミカ!」 僕が引き止めようとした瞬間、彼女はダクトのフェンスを乗り越えた。 投身自殺ではない。彼女の手には、上の階層から破棄され、不法に組み直した光学望遠スコープが握られていた。彼女は自身の体を命綱で縛りつけ、闇の底へとスコープのレンズを向けたのだ。 「見るのよ……私たちがあの穴の底に、毎日何万トンも押し付けてきた『悪臭』の行方を……!」 数秒の沈黙があった。 周囲では、上層から投げ捨てられた汚染水の滝が、ごうごうと黒い壁面を伝い落ちていく。 やがて、ミカの体がピクッと痙攣した。 「……あ」 彼女の声から、一切の感情が消えた。 「ミカ? どうした? 何が見える!?」 「……ないの」 「何がないんだ!」 「底なんて、ないわ。……いいえ、あるのよ。鏡のように、きれいな天井が」 彼女が何を言っているのか、僕の頭では理解できなかった。 「下へ落ちていったゴミや、排泄物や、腐った肉……そんなものはどこにも積もっていなかった。下にはね……私たちと同じような人間が、無数に這いつくばっているわ。彼らは、落ちてきた私たちのゴミと肉を、粘土みたいにこねて、大きな『パイプ』を作っているのよ」 ミカは振り返った。 彼女の目は、すでに人間のそれではなくなっていた。恐怖のあまり、眼球が毛細血管で赤く染まり、口元からだらだらと唾液が垂れている。 「そのパイプはね……ぐるりと上に曲がっているの。タワーの底は、はるか上空の『最上階』と繋がっていたのよ。彼らは、私たちが捨てた最悪の汚物のすべてを、巨大なポンプで最上階の『神々』の食卓とベッドルームへと送り込んでいたわ。そして最上階の奴らは……それを美味しそうに食べて、笑って、排泄して、また下へと落としてる……!」 「そんな馬鹿なこと――」 「私たちは、ただの大きな腸のなかにいるだけよ。誰もどこにも行けない。ただ、上から来て下へ行くだけの、腐った脂の輪っか……」 ミカは命綱の金具を外した。 僕が手を伸ばすより早く、彼女の体は、黒い湿った穴の底へと吸い込まれるように消えた。 悲鳴はなかった。ただ、数秒あとに、はるか上空――最上階のダクトの上方から、ズシリ、と何か重い肉塊がパイプに詰まるような、鈍い音が響いただけだった。
新落語 誰もが知っている 「けんじゃの話」 今宵は、けんじゃ このような言葉があるのは それは、誰もが知っている 賢い人 文字を変更 けんじゃ から いけん それからどうした 意見をいわれた そのあとどうした いばると いけんじゃとなる こんなのどうでしょう 書けるもんなら書いてくれ
ドサ回り系女性バンドを乗せたバンは走る― 湿った窓ガラスに額を押しあて、ボーカルさんが不意にハミングをはじめる。 届かない高音をなぞるような、かつての武器だった歌声。 どうだった、とでもいうように運転席のベースさんを見やる。 けれど、きつくハンドルを握ったベースさんは、 雨に曇るフロントガラスを、無言で睨んだままだ。 希望の象徴だった歌声は、いまはただ車内の沈黙を塗り潰すための逃避にすぎない。 バックミラー越しに、ハンドルを握るベースさんの横顔を盗み見る。 ボーカルさんに気がつかない様子のベースさんは、余裕なくハンドルを強くつかむのみ。 何かを声高に、ボーカルさんが叫び、誰もそれには応じてくれない。 そして、どれほど声を重ねても、その視線は虚空を彷徨い、誰とも交わることはない。 助手席のドラムさんは、あきれ半分に窓の外に視線を移し、耳にイヤホンをねじ込む。 寝たふりを決めこんでしまえば、いつものドラムさんのできあがり。 ギターさんもまた、いつものように、誰にも聞こえないような声で何かをつぶやく。 不協和音 それも、彼女たちの音だ―
この世界では、人によって天気が違う。 そんな世界に生きる雨女はいつも寂しげで、陰鬱とした雰囲気を漂わせていた。自分の内側には揺るぎない心を持っている部分もある。だけどそれもよくいえばで、本当はもう自分の世界を諦めているような人だった。 彼女は名の通り、いつも雨の世界をいきている。 対照的に、晴れ男はいつも落ち着いていて。ギラギラ照りつけるような明るさではなく、穏やかな暖かさを持った人だ。 夏のような陽射しではなく、春のような彼はもちろん晴れの世界をいきていた。 突然、二人は出会った。 晴れ男は、雨女のくすみきった瞳に。 雨女は、ただあたたかな彼に引き寄せられるように。お互い優しく惹かれあっていった。 ある日、手を繋いでみた。 すると、晴れ男は産まれて初めての雨を知った。 感傷的な痛みが胸をジクジク蝕むが、晴れ男は少し嬉しくもあった。雨雲の上にうっすら見える太陽も、顔を出そうとはしない。 「君、太陽を見た事があるの?」 「夜、月を見た事なら。」 悲しげに俯く雨女の顔は、いつも通り微笑んでいた。 感情に左右されることが多い天気。だから、安定した晴れ男とは対照的に、雨女は太陽を一度も見た事がない人生。 唯一晴れた日は、とある日の夜だけだった。 「明日も、ここで会えないかな?僕が君に…」 「ごめんなさい。明日は母の一周忌なの。」 「そうか、それなら。」 「貴方も来ればいいよ。」 雨女が静かに笑うと、太陽の影が少し濃くなった。 次の日。母の一周忌には、全ての人の空が曇った。 ただ1人。雨女の空だけは、酷く美しい青さが彼女の空を塗りつぶしていた。 雨女が徐に晴れ男の手を取る。 すると、ギラついた太陽が、晴れ男にそっと微笑んだ。
男がテレビをつけた。 画面の中。 若い男がマイクを向けられている。 便利な人。 噛み合わない受け答え。 ワイプのタレントが笑う。 出ない方がいいと思えば、差別。 出たら、笑いの種。 本人が良ければ、許される。 男は静かにテレビを消した。
ある日突然知らない男の子に「君って日本人?」と聞かれた。固まっていると男の子は走り去ってしまった。その日は男の子を探したが見つけることができなかった。諦めかけていたある日またあの男の子が姿を表した。私の顔を見るなりまた逃げようとしていたのでこっちから話しかけた。 「前言ってたことなに?」 「べつに。人違いだった」 男の人は無愛想だった。 「何年?名前は?」 「お前と一緒。いつきお前は?」 「私はえな。よろしく」 私はふと思ってしまった。1度聞いたことがあるような名前だった。 その日はそれで解散した それからいつきはお昼休み屋上に来てくれるようになった。 「いつもえなの弁当美味しそうだよな」 「いつも私が作ってるの!」 「へぇ卵焼きもーらい」 「あーもぉ」 なんだか懐かしい。 たまに一緒に歩いて帰るようになった。だけどそんな日は長続きしなかった。 いつきは学校に来なくなった。 嫌われたことしたかなと思い始めた日いつきはいつものように屋上に居た。 「超心配してたんだよ???」 「ごめんごめん。」 「話したいことあったんだ」 「なに?」 「昨日さ、夢見たの。」 「うん?」 「海が見えて人気のない公園。」 「……。」 「小さい頃の私と、一緒に笑ってる男の子がいた。その子の名前を呼んだ瞬間、全部思い出したの。」 「…いつ、」 いつきは笑っていた。でも私には泣いてるようにしか見えなかった。 「思い出してくれてありがと」 「でもなんで初めて会った時君日本人?って聞いたの?笑」 「約束したんだよ。えなが手術で日本帰るって。もしかしたら記憶なくしちゃうかもって言われたから次会った時はこの質問するねって、」 「うちら何してんだろうね笑」 「だよな。それで分かったらすごいよな」 「ほんとそうだよ。」 「えなが自分から思い出してきてくれて嬉しいよ俺」 「いつきはいつ日本戻ってきたの?」 「高校入った時かなー。」 「なるほどね、」 それから私たちはまたいろんな所へ行くようになった。 思い出したからこそ幸せでもあった。 そしてお互いが高校卒業後別々の街で就職をした。 休みの日はよくいつきとお出かけに行っていました。 そんなある日いつものように仕事を終え、バスを待つ間スマホを見るといつきの母からメッセージが来ていた。 何故か胸騒ぎがした。 「いつきが危ない」 病院の場所を聞いてすぐ向かったが 着いたころにはもう遅かった。 いつきは亡くなった… 「いつきあなたが思い出したこと嬉しがってたわ。いつき貴方のこと忘れたくなくて手術を受けなかった。」 「私のために、」 「いつきと出会ってくれてありがとうえなちゃん。高校入ってから中々学校に行ってくれなかったんだけどえなちゃんと話すようになってから元気に行くようになったのよ、」 「ごめんなさい。私のせいで、」 「ううん。あの子にとって貴方は大切だったのよ。自分のせいにしないで欲しい。」 「はい、ありがとうございます、」 「顔みて帰る?」 「はい、」 「ねぇ、いつき?」 「君って日本人?って、あの日の返事まだしてなかったね。」 私は冷たくなった手をそっと握った。 あの日と同じように小さく笑って 「うん。」 「私は日本人だよ」
「編集長、今月の応募作品、やたら多くないですか」 「そうだね。今回は賞金が出るからね」 「それにしても、この数は……どれくらいAIですかね」 「半分くらいは賞金稼ぎかな」 「昨日、審査してくれる作家先生から、断りのメールがきましたよ」 「大丈夫。ちゃんと考えてある」 編集長は頬を緩め、応募作品が入ったUSBメモリーをパソコンに挿した。 「審査には、私たちもAIを使うことにした。総評も書いてもらう」 「それじゃあ、AIの作品をAIが審査するってことですか」 「AI vs AIだ」 ──審査発表の日。 スマホを前に、女の指先が震える。 ごみ箱の周りには丸めた紙が散らかっていた。 「今回は自信ある」 祈るようにメールを開いた。 『最優秀賞おめでとうございます』 ─総評─ 「作品の中で語られる主人公の言葉、私には作れない新鮮さを感じました」
新落語 誰もが知っている「水戸黄門の話」 今宵は、水戸黄門 このような言葉があるのは それは、誰もが知っている お連れ様 文字を変更 助さんやあい それからどうした 御老公 そのあとどうした。 かくさんが見あたりません それでどうした そんなに角を立てて怒ることもない それでどうした どこに行ってた 助さんとの格差を感じ考え込んでいたとなる
新落語 誰もが知っている 「なんじゃの話」 今宵は、なんじゃ このような言葉があるのは それは、誰もが知っている 問いかける 文字を変更 なんじゃ から なんじや それからどうした なんじにとう そのあとどうした いまなんじですかとなる。
平和主義のナミが、平和を声高に叫ぶデモの奴らに絡まれた。相手はやけに好戦的だった。対話が大事と言うわりに話の通じない連中だった。みんな、みんなとの言葉とは裏腹に、そこにナミは入っていないようだった。彼らは、口々に、平和、平和と言うのだけれど、平和という概念を大切にしてるだけ。ほんとうの平和なんて大切にはしていない。 ナミがすべてを嫌になって、逃げるようにしてこの国を捨てる決心をするまで、さほど時間はかからなかった。未練は、とくにないようだ。 いまナミがどこにいるのか、それは言えない。言ったら、たくさんの人が来てしまうから。 端的に言って、平和なところだ。どこかの国の政治家みたいに口先だけではない平和がここにはある。それを平和と言うんだ。 「ここ、静かだね」 隣に座る男に、ナミがぼつりと言った。男はこの場所で、ナミが最初に出会った住人。古いラジオの修理をして、その日その日をすごしている。 男は手を止めずに、 「ここには余計な音がないからな」 短くそう言っただけだった。 かつてナミを囲んだデモの連中。耳をつんざくような拡声器の音。正義を盾にした鋭い罵声は、ここには届かない。あのとき、ナミの腕を掴んで「お前も叫べ」と迫ってきた奴らの熱せられすぎてむせてしまうほどの体温も、いまは遠い霧の向こうの出来事だ。 男の手元にあるラジオからは、ザーッという音だけ。ただの雑音も、けれど、野蛮な怒声に比べれば、心地よく聞こえることを、ナミはここで知った。 「あっちでは、みんな何かに怒ってないと生きていけないみたいだった」 ナミの言葉に、男は少しだけ顔を上げ、眩しそうに空を仰いだ。 「ここには怒る相手もいない。比べる相手もいない」 「それって、さびしいことなのかな?」 「さあな」 男は海を見つめる。何も浮かんでいない海を。何も浮かべる必要のない海。何かを監視し、監視されることも、そこには何もない。 「しかし、ここはよく眠れる」 男はそれだけ言うと、また手元の小さなネジを回しはじめた。特別な儀式も、高潔な理念も、ヘンなイデオロギーも、ここにはない。ただそれぞれが、自分の時間を静かに消化しているだけ。 ナミは男の作業をぼんやり眺めながら、自分も何か手伝えることはないかと、ゆっくり腰を上げた。 「そのネジ、回しすぎると潰れるよ」 ナミが言うと、男は 「詳しいな」 と小さく笑った。 ナミはただ首を振った。詳しいわけではない。ただ、力を入れすぎると何かが壊れてしまう。そのことを身をもって知っているだけにすぎない。 ナミは男の隣で、散らばった部品をひとつずつ分類するように並べはじめた。指先に触れる金属の冷たさが、いまのナミには何よりも心地いい。ここには、誰かを説得するための言葉も、自分を大きく見せるための嘘も、必要ない。 ここで暮らすというか、もう、すでに、暮らしているわけだけれど、帰らないといけない理由なんて、ナミには少しも見当たらないみたいだ。
病室のベッドの中。 遠くに、楕円形のような影がぼんやりと見えた。 弥日異に、それは近づいてきた。 弥日異に、それは形作られてきた。 楕円形は人型になり、人型は輪郭を見せてきた。 全身を包んだフードが揺れて、骸骨の面から覗く瞳は真っ黒け。 瞳の黒じゃない、何もない黒。 「ようやく、来てくれたんだ」 ぼくは、安心して視線を天井に戻した。 白いベッドに、白い天井。 おまけに、未来へ希望を持てず、何も考えられない空虚な心。 〆を黒が執行するなら、白くなりすぎたぼくにはぴったりだと思った。 影が近づく。 病院の敷地を踏む。 病院の入り口に近づく。 病室の窓ガラスに人型が映る。 病室の扉の前に立つ。 今、ぼくのベッドの横に立っている。 手には巨大な鎌。 三日月のような美しい鎌。 まるで掬い上げるようにして、喉を切り落とせそうだ。 終わる。 ぼくの人生が終わる。 手も足も動かせなくなった、不自由な人生が。 終わる。 「死ぬのは嫌だなあ」 生きたかったなあ。 「でも、生き続けるのも嫌だなあ」 翌日。 鎌はぴったりと、ぼくの首に当てられていた。 きっと今日、寝ている間に命が刈られる。 苦痛のない穏やかな死を贈呈される。 予約メールに予約投稿。 時間は丁度深夜ゼロ時。 死んだ瞬間に贈られる最後のメッセージ。 きっと、家族も友達も、ぼくが死期を知っていたという謎を抱えてくれるだろう。 永遠に正解の出ない謎を。 その謎の中にいるぼくを、どうか寿命の果てまで連れて行って欲しい。 夜が来る。 最期の夜。 起きてようか寝てようか。 散々迷ったが、結局寝ることにした。 起きていれば、影も執行しづらいだろう。 目を閉じる。 大嫌いな白が、全部黒くなっていく。 だから、動けなくなってからのぼくは、黒が好きだ。 「おやすみなさい」 ぼくにはもう刻まれない、未来という日々。 もう一かけらだけでも未来に置いておこうと、ぼくはめい一杯、息を吐いた。
夜中、目を覚ましたお婆さんは、布団にあの子がいないのを見て慌てて探しに起きる。 あの子は庭先でしゃがんでいた まだ十歳も満たない小さな男の子が、こんな月夜に外でしゃがんで泣いている。 あの優しい子の事だからお婆さんとお爺さんを起こさない様に、心配させないように、あんな小さな子が一人で泣いているのだ お婆さんは思い当たる節があった 昼間、あの子はお爺さんに聞いていたあの事だろう 「おじいちゃん。ぼくのお母さんとお父さんはどこにいるの?」 お爺さんは悩んだ挙句、あの子を確り抱きしめて愛情込めて伝えていた 「お前のお母さんとお父さんはお星様になったんだよ。いつも空からお前を見ているのさ」 お婆さんは男の子の側に行って優しく抱きしめました。よしよしと頭を撫でてあげて気が済むまで泣かせてあげました。 「泣いていいんだよ。桃太郎。悲しいときは、我慢しないで泣いていいんだからね」 夜空に瞬く星たちが桃太郎を見つめていました
その本は雨が似合う。表紙からして雨が降っている。男の人が傘を差している。灰色を基調としたちょっと暗っぽい感じのその絵は、でも本の内容としては少しも一致しない。そもそも話のなかで雨は一度も降らなくて、男の人は出てくるけれど傘は差さない。表紙の絵は物語に出てくる少女の心のうちで、話を読む私の心のうちでもある。心はぽつんとしている。ひとりで、さびしく、突っ立っている。音もないのにぽつん。 喉が渇いたのですいかを食べた。甘いすいかは好きになれず、中心の部分よりも皮に近いとこが好きだった。小学生のとき、よその子とすいかを食べるのには困ったものだった。どのあたりまで食べてよいのかと。さぐりながら食べる。こっそり目だけできょろきょろ見る。食べる速度を遅くして頃合いを測る。もどかしい。さっさと食べたい、さっさと食べてくれ。話なんかしてないでさ。男の子ほど食べるのが遅い、種で遊んだりして。肝心なとき役に立たない。私はいつもより浅く食べ、後悔することになる。もっと食べたかった。でもまわりの子たちはそこまで食べてないみたい。すいかは難しい食べものなのだな。みんなと一緒に食べるもんじゃない。でもあんな大きいのひとりじゃ無理だし。すいかで社会性を学ぶ夏。なんかつまらなそうだ。 母親はすいかを食卓に出すとき皮を切りはずしてくれた。発明だと思った。皿の上のひと口大よりはちょっと大きめに切られたすいかはフォークで刺すのに手ごろで、そのためにこそ存在があるのだとすら思わせた。食べやすい。おいしい。何よりひそかに悩む必要がない。集中できる。すいかのみずみずしさに、口からこぼれる果汁に、みるみるひいていくカラダじゅうの温度に。 雨はやんでいて、窓の外は明るくなっている。いくらかあの本の表紙も明るく見えた。すいかはひとりぼっちで食べるものではないのだな。口のなかに残ったすいかの種をふっと皿に吐き出す。カラン、ではなく、ぽつん、と音が聞こえた気がした。
アイスコーヒーと言いながらアイスが浮かんでいない。そのことが男には不満だった。これじゃあ、ただの冷たいコーヒーじゃないか、と。 この夏の最高気温を記録した日。冷房の効かない部屋で、刻々と頭も体も溶けていく。男は理性を失い、冷凍庫から氷を取り出すと、ボウルにぶちまけた。そして、その氷をスプーンやらフォークやらで粉々につぶしていく。つぶしていく。つぶしていく。つぶしていく。 細かくなった氷は、お世辞にもかき氷とは呼べないけれど、理性の飛んでいる男にそのことは関係ない。男はグラスに入ったただの冷たいコーヒーを手にすると、躊躇いなく氷に向かってぶちまけた。 男はスプーンを手に取り、その氷を喰らう。喰らう。喰らう。喰らう。 子どものころの記憶がよみがえる。男の母親がよくつくってくれた夏の氷菓。いや、あのときはコーヒーではなく、甘い甘い黒蜜がけの氷だったかもしれない。あいまいな記憶は、けれど、夏の暑さで鈍る頭では鮮明にできない。男はあきらめ、氷を喰らう。喰らう。喰らう。喰らう。 アイスが浮かんでいないことが不満と言いながら、やはりそこに、アイスは浮かんでいない。ただの冷たいコーヒーに変わりはない。理性を失った男は、そのことを思うこともない。 やがて、ギーンと頭を芯まで貫くような痛みが走る。男は咳き込み、頭を抱えてうずくまった。 ボウルのなかには、かろうじて残る茶色の液体と透明の粒たち。彼らが、ただ静かにゆれている。 窓際で回る扇風機の音だけが、暑すぎる夏を刻み続ける。
お気に入りの喫茶店で買ったショートケーキ。仕事終わりの週末、ごほうびに食べようと冷蔵庫にしまっておいたショートケーキ…… 「やっほー」 そのケーキがしゃべった。 「は?」 「は、じゃなくて」 今、私は確かにケーキと対話した。私の知る日本語で、意志疎通を果たした。これは革命だ。ついに私の頭は、疲労でどうにかなってしまったらしい。 「おれ、クッキー」 「いや、ケーキだろ」 なぜだ。なぜケーキが自分のことをクッキーと呼ぶのだ。思わず、つっこんでしまったじゃないか。 「た、確かにケーキだけどさあ~。でも、クッキーって言葉の響き、かっこいいんだもん」 「あっそう」 「ちなみに、オレのこと炙って食ったらどうなるか、試してみてくれない?」 「無理。焦がす」 なんだコイツ。わけがわからない。ていうか、どうして私は、自分のことをクッキーと名乗るケーキと対話をせにゃならんのだ。 とにかくケーキ……いや、なんか人語を話せるものを喰らうのは忍びないから、プリンでも食べるか。 冷蔵庫から、昨夜ついつい深夜テンションで買ってしまったプリンを取り出す。ふたを開けると、カラメルの深い匂いが流れこんでくる。 「いい匂いだな」 またケーキがしゃべった。あっ、そっか。キミはクッキーなんだっけ? ……まぁ、別になんでもいいか。 ていうか、ケーキなのにプリンの匂いが分かるのか? 鼻どこ? あまりにも反応が自然だから、違和感があっさりスルーされちゃったよ。 せっかくだから、と。私は腹いせに、目の前のケーキに対して見せつけるよう、おいしくプリンをほうばる。いや、だから、私はさっきから何をしているんだ。 「おいしそうだな」 「うん? うん、おいしいよ。意外とカラメルが苦くて」 「苦いのに?」 「ときに苦いプリンも、それはそれでまた良いのさ」 「ふぅ~ん」 なんだ……ケーキがうらやましそうにこちらを見ているぞ。これは効いたか? 「ソイツも、本当はどう思ってるんだろう」 「えっ?」 「プリンはさ、自分のこと『プリン』って呼んで欲しいのかな」 しんみりとした口調で、ケーキはつぶやく。その様子があまりにも切実だったから、私は思わずスプーンをすくう指先を止めていた。 ふと、自分の名前について、想いをめぐらせてみた。 私は、自分の名前があまり好きではない。でも、親が一生懸命に考えて授けてくれた名前だと知っているから、私はその心意気を簡単には無下にできない。それでも。私はやっぱり、この名前が好きじゃない。 イヤなことが頭をめぐる。そのたびに、確かに私は、甘いものを食べて週末の幻想を乗り越えてきた。 「どうにかなるよ」 思わず、口が動いていた。 「納得いかないかもしれないけどさ。でも、やっぱり、最後はどうとでもなるんだから」 だからさ、クソだなって思いながらでいいから、付き合って。どうせ死んでも、私たちは呼ばれるんだよ、この名前で。 「クッキーって響き、確かにかっこいいね。でも、それでも、キミはやっぱりケーキなんだから。どうしようもなく」 そして、私はやっぱりケーキを食べたくて、キミを買ったのだから。 何かしら、つべこべ言ってくるかもしれないと思ったけど、ショートケーキは何もしゃべってくれない。いや、たんに私が聞き取れなくなってしまっただけで。まだ、コイツは確かに、語りかけてくれているのかも。 一度、スプーンを机に置く。それから、放置されていたフォークを手に取る。入刀せず、私は動かないショートケーキにフォークを差し出す。その甘く、まっさらな生地の向こうに、赤いイチゴが熟れていることを。私は予感している。 ――いただきます。 私の挨拶に、ケーキがそっと顔を上げた。そんな気がした。
「いいか? 管理職に必要なのは、仕事を任せることだ。自分で何もかもやってしまっては、部下の為にもならない」 上司からのありがたいアドバイスを心に刻んで、私は管理職としての使命を全うした。 手を動かすことを我慢して、ひたすら指示。 会社のためになると信じて、ひたすら指示。 結果、私は昇進した。 私の管理するチームの成長は著しく、皆めきめきと成果を出してくれた。 私の我慢は、間違いじゃなかったんだと確信した。 この技術は、プライベートにおいてもいかんなく発揮された。 「肉だけだと、彩が悪いよ」 「鶏肉だし、もう少し焼いた方がいいだろう」 「おーい、そろそろ配膳!」 妻が、フライパンをコンロに叩きつけた。 コンロを切り、私に近づいて来て、私の首根っこを掴んできた。 「口ばっか動かさないで、自分で手ぇ動かせや」 あれから、私は妻の奴隷。 仕事のチームは上手くいったのに、家庭のチームは崩壊寸前。 つくづく、管理職とは難しいものだ。
本日より、定旧日が施行された。 定期的な休日を求めるのが定休日であれば、定期的な古さを求めるのが定旧日だ。 最近の若い者は楽ばかりして、年寄りの苦労を知らぬ、年寄りを敬わぬという発想から生まれた。 「げっほ! ごっほ!」 電車の中が、煙で満たされる。 道行く人も、煙草をぷかぷかと吸って歩く。 禁煙の紙はあらゆる店から放たれて、国全体が喫煙場所。 「こんなんで仕事できるかよ」 「ああん?」 愚痴を零そうものなら、灰皿が飛んでくる。 机にぶつかった灰皿は、中に入った灰をぶちまけながら砕け割れた。 「掃除しとけよ!」 なんて理不尽な、なんて言葉を飲み込んで、若者は箒を手に持つ。 「俺たちの若い頃は、これが普通だったんだ」 定年間近の上司が、若者の方を叩きながら、便所へと向かう。 お客様は神様。 何をしても許される。 上司様は神様。 何をしても許される。 絶対的縦社会の顕現により、若者たちは疲弊をする。 「昔は、これが普通だった。お前たちは、恵まれてるんだよ」 新聞を読み終えて昼休み。 上司が弁当を食って、午後始まり。 「チェックお願いします」 「パードゥン?」 数日分の仕事の束を、若者は上司の机に叩きつけた。 目を丸くする上司に、若者は笑顔で答えた。 「仕事量はたいしたことないっすね。残業残業言ってるけど、煙草吸って駄弁ってたら、そりゃあ定時までに終わらねえっすよ」 一つ、定旧日の結果に想定外があったとすれば、若者が優秀過ぎたこと。 コスパタイパを正義とする絶対的効率化社会を生きた若者の能力は、優秀であることただ一点。 一時間で終わる仕事の量を増やしなさい、ただし残業時間が無くなるので手取りは減ります。 そんな損しかない契約を受け入れ続けた世代。 上司は判子を押す。 目を通して判子を押す。 腱鞘炎でも起こしそうなほど手が疲れた頃。 「追加です」 若者から、承認待ちのお代わりが届く。 「あばばばばばばばば」 「げっほ! ごっほ! 煙は慣れねえっすわ」 定旧日が、上司の仕事の遅さを露呈させた。 想定外は、各所で起きた。 「一家に一台のテレビなんて贅沢」 「ほーん」 テレビを見ぬ若者。 「昔は土曜日も学校があった」 「ほーん」 土日も塾まみれの若者。 「昔は」 「ほーん」 定旧日の効果がはじき出される。 果たして、年寄りを敬う効果はあったのか。 「結果が出ました。昭和って楽だったんだな、が大多数です」 「……人権派の議員がいたね。彼に、我々を糾弾させよう。代表の議員一人の首を差し出して、この結果はなかったことにしよう」 数か月後、定旧日の廃止が決定した。 国民に伝えられた結果は、『非人道的な政策を許さない』、只一点。
かつてのドサ回り系女性バンドも、いまでは― ひとりは、バーの雇われ女店主。 ひとりは、子どもたちにまじって草野球。 ひとりは、主婦兼スーパーのレジ係。 そして、ひとりは… 十数年後の場末の酒場。月日は、彼女たちをたくましい大人へと変えていた。 「ちょっとリーダー、このお店、暇そっすねー」 「そういうとこ相変わらずよね。これでも食べて口ふさぎなさい」 「へへ、ポテチポテチ。いまでも毎日、食べてまーす」 どこか懐かしい響きをさせながらドラムさんがポテチを頬張り、ベースさんがその姿に微笑む。 「そっちは、また野球?」 とベースさん。 「そだよ。ダメなの?」 とボーカルさん。 「いいけどさ」 そのときだった。 扉のベルを響かせ、入ってきたのはギターさんだった。 ギターさんは、カウンターの上を叩くようにギターケースを置くと、 「お揃いですね。ちょうどよかった」 「どうしたの?」 ベースさんがそれに応じた。 「皆さんそろそろ、いまの生活にも飽きてきたころなんじゃないかと」 ギターさんを除く三人が、顔を見合わせる。 それを見つつ、ギターさんが続ける。 「もう一度、やっちゃいませんか。私たち」 その言葉にベースさんとボーカルさんは顔を見合わせ、ふふっと噴出した。 まるで今夜、その話をしようと思ってた、とでも言わんばかりに。 そのふたりを見て、ドラムさんも察しがついたよう。 「あーあ、まったく、しかたないっすねー」 喧嘩するほど仲がいい それはやはり、彼女たちの音だ―
ドサ回り系女性バンドを乗せたバンは走る― 「本当に、そうならいいけどねえ」 それまで、壊れたラジオのように何かを呟き続けていたギターさんが、ふいに明確な言葉を紡いだ。 視線は雨の粒を追いかけたまま、表情は暗がりに溶けて見えない。 「どういうことよ?」 助手席から、ドラムさんが鋭く返してくる。 「喧嘩するほど仲がいい… か…」 「違うの?」 「本当に、そうならいいけど…」 その一言は、呪いのように、あるいは、あまりにも純粋な祈りのように、車内のすべてを静止させた。 誰も否定できない、肯定もできない。 ただ、エンジンの音だけが、夜の底へと沈んでいく。 喧嘩するほど仲がいい その言葉が、雨音を切り裂く。 一瞬、四人のあいだに、奇妙な連帯感が芽生えたか。 ここから、また新しい音がはじまるのか。 再生の予感に、四人全員が、毒気を抜かれたようでもあった―
ドサ回り系女性バンドを乗せたバンは走る― 「ねえ、なんで無視するの」 ボーカルさんが、運転席のベースさんの背中に言葉を投げつけた。 「私の歌、もうきこえてないの?」 運転に激しく気を取られ、それどころではない様子のベースさん。 「それとも、最初からきく気なんてないのかな」 返事をする余裕すらないベースさんの沈黙が、追い打ちのように車内を凍りつかせる。 その硬直を切り裂くように、助手席のドラムさんが片方のイヤホンを外し、わざとらしく笑った。 「喧嘩ですか、喧嘩ですか。このバンドの名物みたいなね。おふたりによる喧嘩ですか」 ドラムさんのあおりに、ボーカルさんは気持ちを削がれ、しらけムードとなった。 「しないんですか喧嘩。まあ、なんと言いますか、喧嘩するほど仲がいいってね。ほんとマジウケるー」 言うだけ言うとドラムさんは、袋の底に残ったポテチの欠片を、わざとらしく音を立ててかみ砕いた。 ヘラヘラと軽い、けれど温度のない空気が、密閉された空間を逆なでする。 これもやはり、彼女たちの音だ―
「僕と一緒に堕ちてくれる?」 そう言って来たお前は、大層幸せそうに見えた。 「まぁた追いかけて来たよ〜……」 隙あらば家から抜け出すこいつを追いかけるのは、もう何度目だろう。 「今度はなんだ? 散歩か?」 「ん〜 さんぽさんぽ」 やはり、彼女は幸せそうだ。 ふらふらと腕を揺らしながら、行く当てもなくのんびりと歩く彼女の横を追いかける。 隣に立ってみたって、この世界が彼女の目にはどう映っているのかなんて想像もできない。 お前は本当に幸せなのか? こいつの生い立ちを詳しく知っているわけではなくて、ただ偶然あの場に居合わせた。それだけ。だというのに、もう一度目が覚めた時悲しげに笑う彼女が、真緒がそこにいて。また今度ね、なんて言って来たその時から、俺は彼女に囚われ続けている。 俺は、お前の幸せになれているだろうか。お前をこの世に引き留めることはできているだろうか。お前の熱を受けて、どうしてか流されてしまった俺でもお前を幸せにしてもいいのか? 「奏兎」 綺羅びやかに光る星空を背負って、真緒はこちらへ向き直る。 「心配しなくてもさ、大丈夫だよ、僕は。ちゃんとお前の所に帰るから」 「だからそんな顔するなって。ちゃんと幸せだよ、僕は」 奏兎もそうでしょ? 彼女は俺の耳元に口をよせ、そう言った。 そのまま彼女の指が俺の頬を包みこんで、そうして、そのまま。 幸せの味がする。
ドサ回り系女性バンドを乗せたバンは走る― ハンドルを、リーダーであるベースさんが握る。 しかし、バンのコントロールはできても、このバンドは、そううまくはいかない。 ワイパーが刻む単調なリズムだけが、 何もかもをひとりで背負い込むベースさんの正気を繋ぎ止めている。 重すぎる機材と、それ以上に重い四人の沈黙を乗せて、夜の国道をひた走る。 自分がハンドルを手放せば、この砂上の城のような関係は、一瞬で瓦解する。 そんなことは、十分に理解している。 もともとの責任感がそうさせているのか、リーダーという肩書がそうさせているのか。 ベースさんにも、それはわからない。 もはやベースさんには、誰の声も背景のノイズにしか聞こえていない。 指先に力を込め、濁った水飛沫の向こう側にある出口のない明日だけを睨みつける。 それだって、このバンドの姿だ―