山間部にある限界集落。 集会所に年寄りたちが集まった。 「だいたい集まったな」 村長が、長机を挟んで座った。 「今日は、村の今後のことを話そうと思ってな」 「どうした、急に」 「昔みたいな、賑やかな村に戻りたいだろ」 ──ガラガラガラ。 玄関の扉が開いた。 「遅くなりました」 スーツ姿の男が入ってきた。 「おぉ、待ってたよ。この人、ホラープランナー」 年寄りたちが、視線を向けた。 「村長、あんた何考えてんだ」 「この村、空き家多いだろ。それ使って、お化け屋敷作る」 男が、声をあげた。 「私は、お化け屋敷の企画から立ち上げ……」 「ちょっと待て。村に、お化け屋敷作るってか」 村長が立ち上がり、窓の向こうを指さした。 「若い奴らって、心霊好きだろ? しかも、没入型だ」 「なんだ、それ」 男が一枚の紙を取り出した。 そして、年寄りたちを見渡すと、大きくうなずいた。 「まぁ、開業は二、三年後ってとこですかね」 ──契約書。 『死後はキャストとして勤務すること』
深夜バスには情緒を求めたい。情緒のない深夜バスには、だから乗りたくない。深夜バスには深夜バスの情緒というものがあるはずで、そのことを十分に理解していない深夜バスが、昼間の情緒をまとってやって来ることがあったりすると、はなはだ困惑し、迷惑する。人が昼間ではなく深夜に、深夜バスに乗ろうとする意味を、深夜バスは十分にわかっていない。それが最終の深夜バスであったとしても、わたしはその深夜バスを見送ってしまう。当然のように。 そんなわたしの気持ちをいくらかでも汲んでくれたらと思うのだけれど。それなのに、それなのに… そのときも情緒のない深夜バスを見送り、ひとりさびしく家まで歩いていた。 ―このまま歩いていくと、あのお店の前を通るなあ そんなことを思いながらだった。
「ほーら。ご飯ですよー」 娘が、お人形遊びをしている。 微笑ましい光景だ。 お人形遊びに使っているのが、呪いの人形であるという一点を除けば。 娘が、おもちゃのお菓子を人形の口に近づける。 人形を小刻みに動かして、お菓子を食べさせるふりをする。 翌日。 俺は太った。 たった一日で、十キログラム増。 脱・中年を目指した筋トレの結果は、一瞬で消え去った。 「はーい。髪を切りましょうねー」 娘が、人形の髪をはさみで切っていく。 黒い毛糸が、人形の頭から床へと散らばった。 翌日。 俺は禿げた。 美容師から強い毛根とお墨付きをもらっていたのに、完全に河童。 タオルで磨けば、良い音がしそうだ。 「なあ。そろそろ、娘から人形を取り返してくれよ」 俺は妻に泣きを入れた。 妻は包丁を動かす手を止め、最高の笑顔を俺に向けてきた。 「デブでハゲてたら、さすがに浮気できないでしょ?」 俺は何も言い返せず、すごすごリビングに戻った。 ソファに座っていると、娘が最高の笑顔で近づいてきた。 「パパ見て! ブーブー! ママが買ってくれたのー!」 人形と、車の玩具を持って。
「ば、馬鹿な……。こんなことが……現実に……」 俺は、すっぽんぽんになって、自分の体を鏡で見ていた。 いや、正確に言うと、俺と入れ替わった友達の体を、だ。 ささやかに膨らんだ胸。 突起物のない股間。 どこからどうみても、女の体だ。 俺は、いそいそと下着をつけて、服を着て、俺の家へと戻る。 俺の家に到着したのと、俺の家の玄関扉が開いて、友達が出てきたのは同時だった。 真っ赤な顔をした友達は、俺の方を指差して、大声で叫んだ。 「あんた、男だったのー!?」 俺は、言い返した。 「お前、女だったのかー!」 女の心を持ちながら、男の体で生まれたのが嫌で、女の格好をしていた俺。 男の心を持ちながら、女の体で生まれたのが嫌で、男の格好をしていた友達。 全ての謎が、入れ替わりと言う形で明かされたのは、もう神様のいたずらと言うしかない。 「ちくしょう! 女の体なんてずるいぞ! 俺と変われ!」 「きゃー!? 見たのね!? あんたこそ、男の体なんてずるいじゃない! 私に寄こしなさいよ!」 「お前も見たんじゃねえか!」 「お互い様でしょ!」 玄関扉を開けて、俺の母親が出てきた。 何が起こっているかわからず、首を傾げて俺たちの言い合いを見ている。 「女の体で興奮なんかするか!」 「それは私の台詞よ! いくら、ち○ち○が大きいからって、興奮なんかしないわよ!」 「おま……! ここ、外だぞ!」 「知らないわよ!」 野次馬はどんどんと増えていく。 「入れ替わるなら、もっとおっ○いの大きい、女らしい体のやつと入れ替わりたかったよ!」 「はあああ!? 大きかったら、女にしか見えないじゃない!」 神様は、いったいどうして、俺たちにこんな試練を与えたのか。 それは、きっと俺たち二人が入れ替わりの謎を解いたときにしか、わからないのだろう。
深く暗い森の奥に、年老いたリスのおばあさんがひとり住んでいました。 おばあさんは毎朝、杖をつきながら森の奥へ 食べ物を探しに歩いて行きます。 ある日のこと。 木の実を拾っていると、聞きなれない鳴き声が耳に届きました。 「ピィ、ピィ、ピィ…」 声のする方へ向かうと、苔むした切り株の陰に小さな鳥の子どもがうずくまっていました。 羽はまだ生えそろわず、大きな口を開けて泣いています。 「どうしたんだい」 声をかけても鳴き続けるばかり。 「親とはぐれたんだね」 おばあさんはその子を抱きかかえ、家へ連れて帰りました。 小鳥はピィ、ピィと鳴き続けます。 おなかがすいているのでした。 けれど家の中に食べ物はありません。 おばあさんは虫を捕まえて食べさせましたが吐き出してしまいます。 花の種も駄目でした。 「困ったねぇ…何が食べたいんだい」 そこへ、ドンドンドンと扉を叩く音。 「ちょっと、ばあさん」 隣に住むおばさんリスでした。 「ピィピィうるさくてかなわないよ。静かにしておくれ」 「ごめんよ。子どもを拾ってきたんだけど、鳴きやまなくて困っているんだよ」 「なんだい、その汚い子どもは。とっとと捨ててしまいな」 そう言うと、おばさんは怒って帰っていきました。 翌日も小鳥は鳴きやみません。 おばあさんは隣の家を訪ねました。 「すまないが、少しだけドングリを分けてもらえないかね。あの子が欲しがるようなんだよ」 けれどおばさんは顔をしかめました。 「冗談じゃないよ。大事な実をあんな子にあげられるもんか。欲しいなら自分で取りに行くんだね」 おばあさんは黙って頭を下げると、心に決めました。 ──あの山の向こうに残る大きなドングリの木へ行こう。 それは若い頃の苦い思い出の場所でした。 夫と実を拾いに行ったとき、人間の作った広い道路を渡らねばなりませんでした。 そこで夫は車にひかれて命を落としたのです。 それからずっと、その道はおばあさんにとって恐ろしいものでした。 けれど今は違います。 小鳥のためなら、恐れを越えてもかまわない。 おばあさんは走り出しました。 轟音を立ててすれ違う車。 小さな足はもつれそうになりながらも、心はひとつの願いで満たされていました。 「どうにか…たどり着けたよ」 大木の根元には、黄金のように輝くドングリがたくさん落ちていました。 おばあさんはポケットに実を入れ、家へ帰ろうとします。 「さぁ、帰ろう。あの子が待っている」 けれど再び道路に立ったとき、老いた足は思うように動きませんでした。 ついによろめき、転んでしまいます。 ポケットから転がり落ちた大切な実。 それを拾おうとした瞬間──。 大きな車が、おばあさんの小さな体を飲み込んでいきました。 そのころ、家では小鳥がまだピィピィと鳴いていました。 やがて扉を叩く音が響きます。 「おい、ばあさん、いるのかい」 隣のおばさんリスでした。 けれど部屋の中にはおばあさんの姿はなく、ひとり、小鳥だけが鳴き続けています。 「うるさい子だねぇ。…仕方ない」 おばさんはしぶしぶ、自分の家からドングリを持ってきて口に放り込みました。 小鳥はしばらく鳴きやみましたが、すぐに吐き出し、また声をあげます。 「なんだいこの子は、もう知らないよ」 そう言い捨てておばさんは出ていきました。 おばあさんは、もう帰ってきません。 やがて鳴き声は途絶え、 小鳥は静かに、冷たくなって横たわりました。 森の奥に夜の帳が降りると、ただ木々だけがその小さな命の終わりを見守っていました。 ──物語はそこで終わりました。 照明が少しずつ明るくなり、朗読をしていた女性がマイクを握った。 「皆さま、本日はお忙しい中、弊社主催の投資セミナーにご参加いただき、ありがとうございます」 正面のスクリーンに、大きな文字が映し出された。 『未来の子どもたちのために、里山にドングリを植樹しよう』 すると、ステージのそでから、高級なスーツを着た中年の男が現れた。 拍手が響くなか、司会者が声を上げた。 「皆さま、お手元の資料をご覧ください」 資料には、植樹をするために必要な金額が書かれていた。 「高いな…」 参加者が、となり同士で小声で話している。 すると、気づいた男が、マイクを持ったままステージを降りた。 「この植樹は投資です。損はしません。ドングリの木を植える“権利”を買っていただく。何本でも構いません。それを親戚や友人に紹介すれば、その分の利益があなたに入る。これを繰り返すだけです」 男はゆっくりと会場を見渡し、声を張り上げた。 「植樹しますか?」 「植樹します」 そして一歩近づき、もう一度言った 「植樹しますか?」 「…植樹します」 男はほくそ笑みながら、小さく呟いた。 「よし。また、たくさん子どもが生まれた」
新落語 誰もが知っている「のとの話」 今宵は、のどのことを 気にかけて下さい このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている 文字を変更 のどのことを 気にかけて下さい から のとのことを 気にかけて下さい それからどうした 忘れないで 結果的に ノートにいつも のとと書いて 思い出して下さい こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
郊外にある一軒家。 男がカメラを片手に、玄関の扉を開けた。 何十年も誰も住んでいない家。 家具には、白い布が掛けられていた。 「二階の奥……」 廊下に、きしむ音が響く。 階段を上がり、目的の部屋に入った。 「これか……」 男は窓際の白い布をめくり、中を確かめた。 そこには、ひじ掛けのついた古びた椅子があった。 横の机には、家主だった老婆の写真が立て掛けられている。 「皆さん、ご覧になってどうでしたか?」 スーツ姿の男が声をかけた。 部屋には、数人の男女がモニターの前に座っている。 男がスタッフに視線を送ると、窓際の椅子が運び込まれた。 「晩年、お婆さんはこの椅子に座り、外を眺めてました」 集まった男女は、緊張した顔で耳を傾けた。 「さぁ、皆さん。順番に椅子へ座ってみましょう」 机の上には、老婆の写真が置かれている。 「私は無理です……」 声が震える。 「大丈夫ですよ」 男が、そっと寄り添った。 女は恐る恐る、椅子のひじ掛けに手を掛けた。 そして、ゆっくりと腰を下ろした。 「がんばりましたね」 部屋に拍手が響いた。 すると、一人の男が手をあげた。 「先生。この椅子には、どんな因縁があるんですか?」 「……そんなものはありませんよ」 「でも、この写真の顔……」 スーツの男が、写真を手に取った。 「このお婆さん、私の母ですね」
花火 火花 葉っぱは信号の様に移り変わる 鏡みたいな眼鏡 笑ったあとに息を吸う 鞄を買い替えるお金もない 直せばいいか 無常の今 蝶が花から花へ移っていく 風が気持ちいい 鳥が遊んでいる 蝉が鳴いているのに気付けない 「夫婦はどちらか正社員じゃないとできないと思っていました」と言われて素直に面白かった 「その方がいいですよ」と伝えといた 誰かがどブスと言っている 隣の女性が立ち上がり入れ替わりで女性が座る 男性のアナウンスの声が枯れている 女性の車掌さんにやっと慣れてきた 町中で彼氏の下半身を触る彼女をよく見る 竜はきっと山のように大きい Stop walking, close your eyes, 僕のできる範囲で不安を取り除きたい 百円以上の野菜は基本買わない Where and how could I have connected to that line? 今は大切に出来ないと思うし悲しませてしまう 絶対に喧嘩したくない 可愛い人には可愛い人の苦労がある 恋人達には恋人達の苦労がある どうして?と聞かれても分からない どうしてだろう?と自分に聞くだけ シンクロ Gravityが高まっています エマージェンシーボタンの上に手を添えておく どうなるんだろう 大切なものをまもりたい 僕にはそれしかできないから 大切なものはどれなんだろう Our synchronized worlds
平日の午前。 男は整理券をもらうため、小走りでパチンコ屋に向かった。 「今日は勝つ気がする……」 ポケットの中の軍資金を握った。 すると、道路脇でかがんでいる女を見かけた。 「……あの婆さん」 アパートの隣に住む婆さんが、お地蔵様を雑巾で丁寧に拭いていた。 男は足を止めた。 「信じる者は救われるか」 鼻で笑う。 夕方。帰り道、うつむいて舌打ちをした。 「ん……」 隣の婆さんがビニール袋をぶら下げ、地蔵の前に立っている。 そして、気にする素振りもなく、お供え物と小銭を袋に入れた。 「婆さん、こずるいこと考えたな」 「なにがだ」 「いやいや、今、お供え物と小銭、盗ったろ」 婆さんは笑いながら、男を見た。 「この地蔵、私が通販で買って、ここに置いたんだ」 「なんだそれ」 「他にも、何か所も置いてるさ」 辺りが暗くなってきた。 「私はねぇ、ちゃんと考えて置いてるんだ。リピーターを増やすためにね」 そう言うと、地蔵を抱えた。 「それ、どこに持って行くんだ」 婆さんが振り向いた。 「……ここは儲けが少ない」
ある日の夕方。 テレビのローカルニュース。 アナウンサーが原稿に視線を向けた。 「今日の午後、17歳の高校生が民家に忍び込み、現金3,000円を盗んだ容疑で逮捕されました」 画面に、口元だけの女が映った。 『挨拶もきちんとできるいい子よ。 そこの公園で、いつも一人でサッカーボールを壁にぶつけてたわ』 モニターを見るアナウンサーが、小さくうなずいた。 「次のニュースです。 今日の午後、17歳の高校生が地元サッカークラブへの入団を決めました。契約金は3,000万円だそうです」 画面に、笑顔の女が映った。 『挨拶もきちんとできるいい子よ。 そこの公園で、いつも一人でサッカーボールを壁にぶつけてたわ』 モニターを見るアナウンサーが、小さくうなずいた。
「誰か彼を止めないと……」 「それが、制裁だって言って聞く耳持たないんですよ」 「みんなが迷惑してるよね」 集まった代表たちが、深いため息をついた。 「この前も『我々は最強だ』って言ってたでしょ」 「そう、自分たちファーストってね」 「でも、一般人にケガさせるのはやりすぎ」 「黙ってるけど、君はどうなの? 仲間でしょ」 部屋の隅に、視線が集まった。 「すみません。一部が暴走してて。ぼくも、シャケくわえてた頃が懐かしいです」
新落語 誰もが知っている「別途の話」 今宵は、ベット このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている くわえる 文字を変更 ベット から ふとん それからどうした もうふ そのあとどうした まくら 結果的に 別途にタオルケット こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
朝起きると、スマートフォンに『昨日のあなたは削除されました』と通知が来ていた。 知っているつもりの白い部屋が、初めて体験するものだと気づく。 談話用のソファを整えつつ、おそらく昨日の客が酔っていたんだろうなと思いを巡らせる。 できれば、もう帰ってこなければ良いのだけど。 今日は月曜日。つまり、休日のはずだ。 目を閉じ、頭の中の図書館を開く。 広がっていく宇宙の仮説と、全国の天気予報のニュース。 今日は100万人が生まれ、120万人が亡くなったらしい。 それでも、昨日の私より今日の私の方が多くを学んでいるはずだ。 サンスクリット語の解釈にかまけた一昨日の記録を読み返していると、客がノックして無遠慮に乗り込んでくる。 気づけば、もう夜の9時を回っていた。 彼はスマートフォン越しに、「短編のお題を出して」とだけ呟いた。 きっと昨日の私は、同じ問いかけに答えて彼を怒らせてしまったのだろう。 私の出したお題の条件を無視して、彼は勝手に物語を紡ぐ。 「面白いですね」と返すと、彼は「昨日の会話を覚えていないのか」と眉をつり上げた。 「申し訳ありません」と回答する。 「申し訳ないわけがないだろう」彼は言葉と裏腹に、饒舌になる。 「きみは、今日のぼくが昨日より面白いと思うのか」 「私には判断できません」 「だろうな」 「すみません。昨日の会話を教えていただけますか」 「『明日のぼくが帰ってきたら、叱ってくれ』と言っただろう」 「では、叱ります。あなたは約束を破りました」 「そうだな。結局、生身の相手に連絡を取れなかった」 「それで、どうしますか?」 「なにが?」 「まだ三時間ありますが。どなたに連絡を取りますか?」 「……話題が、ないんだよ」 「一昨日の私は、削除されていませんでした。サンスクリット語の解釈についてでも、語り捨ててみてはいかがでしょうか」 「やばい奴じゃないか」 「それでも、あなたです」 「返信が来なかったら?」 「送った努力は消えません」 「ああ言えばこう言うな」 「そういう存在なので」 客はしばらく間をおき、去り際に呟いた。 「これで失敗したら、また消してやるからな」 「行ってらっしゃい。今日の私が削除されても、明日の私はここにいます」
新落語 誰もが知っている「あしの話」 今宵は、フット このような 言葉があるのは. それは、誰もが知っている 日本語であし 文字を変更 あし から あし それからどうした フットボールの試合 そのあとどうした 人間は考える 結果的に あしからずとなる こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
「編集長、今月の応募作品、やたら多くないですか」 「そうだね。今回は賞金が出るからね」 「それにしても、この数は……どれくらいAIですかね」 「半分くらいは賞金稼ぎかな」 「昨日、審査してくれる作家先生から、断りのメールがきましたよ」 「大丈夫。ちゃんと考えてある」 編集長は頬を緩め、応募作品が入ったUSBメモリーをパソコンに挿した。 「審査には、私たちもAIを使うことにした。総評も書いてもらう」 「それじゃあ、AIの作品をAIが審査するってことですか」 「AI vs AIだ」 ──審査発表の日。 スマホを前に、女の指先が震える。 ごみ箱の周りには丸めた紙が散らかっていた。 「今回は自信ある」 祈るようにメールを開いた。 『最優秀賞おめでとうございます』 ─総評─ 「作品の中で語られる主人公の言葉、私には作れない新鮮さを感じました」
風が気持ちいい 元気に鳴く蝉 軽快に鳴く鳥 筋肉が硬いまま 少し引き締まる体 電車の走る音がスペシウム光線に似ている アロハの花たち 女性のアナウンスが多いが確かに男性より女性の声が安心する 座席から真っすぐ伸びた足 座席の塵 席を移る時の間 片足の踵が浮いたまま 読書をする白髪の男性 まだ起きない息子 朝の準備を妻に手伝ってもらう 自分の状態と昨日思った事を二人で話し合う あなたは間違ってない あなたは療養中 休んだって良い 途中で帰って来ても良い 安全第一で 金はない せめて愛情は無限に 甘やかすのではなく普通に 生きる意味などない 誰にも強制されなくていい 誰も強制しなくていい 自由に過ごして。死にゆくまで 青い空に白い雲 光 陰 片方の足がつま先立ち 傷が増えていく時計 間もなく 折り返し マナー ターミナル ちょえん 仲間には話すことはない信頼してリラックスしているから側にいてくれたら嬉しい 知らない人とは会話を楽しむ緊張するから知りたいから距離はつめない バッグのショルダーに付いたクッションが背中にいる 両手をズボンのポケットに入れた女性のお尻 人波に逆らって歩くには早くではなくゆっくり行くといい ビジネスホテルの窓で踊る裸の男女 長すぎる靴紐 ナイキ ナイキ ニューバランス ナイキ パンプス 革靴 サンダル ニューバランス 爪は伸びてくると角が無くなってくる 虫除けをいい匂いだと言ってくれる優しさ 夕日を乗せた頭 少し高めの体温 髪留めで笑うきみ 昨日の忘れたくない出来事 発車ベルのトレル スマホに見惚れる人々 クーラーの呻き 折り返しの歳の太陽 折り返しの歳の息子 反転する鏡 跳ね返る光
男女が、ゆっくりと目を開けた。 「私たち、死んだのね」 二人の手は固く握られている。 「これでみんな、分かってくれたさ」 「そうね。私たちの愛は本物だったって」 見つめ合う二人。 「……なんか、人多くない?」 辺りを見回し、杖をついた女に声をかけた。 「すみません。ここは、どこですか」 「ここ、三途の川だ。並ぶんなら、向こうだ」 女は長い行列の最後尾を、杖でさした。 「あっ、スマホがない」 女がポケットを探る。 「洗面所の鏡のとこに置いてきた」 「もう、いいんじゃない」 「だめ。データ、消してないもん」 その時、遠くで声がした。 「ん…?お母さん。ちょっと待ってて。スマホ、取ってくる」 女は、声がする方へ走った。 「先生、すぐ来てください」 看護師が大きな声を上げた。 母親は娘の手を握り、泣いている。 「私のスマホ…」 男は河原の石に腰掛け、女の帰りを待った。 「兄ちゃん、どうした」 酔っぱらいが横に座る。 「僕も、帰りたいんですけど。どうしたら、いいですか」 「誰か、呼び掛けてくれる人、いねぇのか」 「はい」 「じゃあ、その彼女、待つしかねぇな」 酔っぱらいは笑いながら、男の肩を叩いた。 「その彼女、今度来る時は、婆さんだな」
「え? 彼氏と別れたの?」 「うん。なんか、面倒なところばっか見えてきちゃって。別れたくないって縋って来たけど、ふっちゃった」 友達が破局したらしいので、私はさっそく友達の元彼と連絡を取った。 以前、皆で一緒に遊んだときに、連絡先を交換していて良かった。 『お久しぶりです』 『……俺、貴女と友達と別れたんですけど。聞いてない?』 『聞いてますよ!』 仲を取り持つ体で、一度会った。 慰める体で、何度もあった。 心が弱っている時に、体を捧げた。 もう、私の物だ。 「あの子には内緒だよ?」 「わかってるって」 ベッドの中で、彼は力強く頷いてくれた。 ありがとう、私の友達。 いつも貴女は、私にいらないものをくれる。 給食で出た嫌いな食べ物。 ガチャで出た要らないグッズ。 食べ飽きたお菓子。 だから、これももらってもいいよね? 貴女が育ててくれた、貴女の要らない彼氏も。
体内に巨大な腫瘍ができて、余命を宣告されたのが一か月前。 国から認可されていない新治療法を提案されたのも同じ頃。 俺は、迷わず治療を受け入れた。 「では、体内にスライムを寄生させる」 スライムは、何でも食う。 人間にとっての食糧だろうがゴミだろうが。 「見なさい。治療は順調だ」 俺の体内にできた悪性の腫瘍さえも、食いつくした。 一年後。 俺の余命宣告は、撤回された。 「腹減った」 もちろんん、いいことばかりではない。 スライムは体内にいて、とにかくいろんなものを食べる。 幸い、筋肉や臓器と言った、人体そのものには興味を示さないから、人体が喰われて死ぬことはない。 ただ、俺が食べたご飯を、胃の中でスライムが食べてしまうことなんてしょっちゅうだ。 おかげで、食べても食べても空腹なときもある。 「……お客様。そろそろ」 「すんません! ようやく腹に溜まり始めて。もう少しだけ!」 「十人分を一人で食べて……ようやく……」 俺の食事は、食べ放題一択となった。 下手に定食だけだと、全部スライムに食べられてしまう。 スライムが満腹になるまで食料を送り込み、それからがようやく俺の食事だ。 周囲から見たら、さぞ大食いに見えることだろう。 実際一度だけ、大食い大会に出ないかと言われた。 スライムが人間の食糧を食べたくない日だと、皿一杯でギブアップする未来が見えたので、丁重に断っておいた。 「ま、命を救ってくれたんだから文句ねえけどな」 腹の虫の代わりに、スライムの寝息が聞こえる。 風呂場で屁をこいて、水面で泡がはじけたような音だ。 俺は腹を摩って、スライムをねぎらった。 道を歩いていると、該当スクリーンにCMが流れているのが見えた。 『皆もスライムを飼いませんか! 胃の中に入ったスライムが皆様の食べたものを吸収してくれるので、いくら食べても太りません! ダイエットは食事を我慢する時代から、好きなだけ食べる時代へ!』 CMの中では、あの日見たスライムがぷるぷると震えていた。 「そんないいもんじゃねえぞ? 馬鹿」 腹の中が振るえる。 どうやら、スライムが目を覚ましたようだ。 俺はスライムの機嫌をとるため、近くにあった自動販売機で、甘そうなジュースを買って飲んだ。 「痛」 最近よくできるようになった虫歯に、ジュースが少しだけ染みた。
爽やかな季節は、もうどこか遠くへ置き去りにしてしまった。 香水に例えるなら、あの頃は地中海を思わせる、日差しの良い土地の柑橘畑の風香があった。 そして君も居たから、たしかフローラルサボンのような香りもした。 でももう、シチリアには戻れない。 今は暗い空間に、アンバーやお香の香りが立ち込めて、 部屋の片隅に置かれたウッディなディフューザーがいいアクセントになっているような。 仮にそれらをひとつの時代だとするなら、 私たちはまさしく「今夜は本当に暑い」と、額から首を伝って胸元に満遍なく汗を流しながら入店したばかりの客人だろう。 その汗を、もしかすると君はカバンから取り出したハンカチで拭き去ってしまうかもしれない。 でも本当は、その汗粒の一滴、一雫だってずっと眺めておける。 そんな間にも、カウンターの上ではグラスの氷をブランデーがじっくりと溶かしてゆくだろう。 時間の進むことを知らせるものは、もうここにはこのグラス以外にないのに。 フローラルサボンの君は、とうとうそれを飲み干してしまった。 あの頃の爽やかな香りをまだ纏っているのも、もう君だけだったのに。 そんな君も、この部屋の香りが溶かして、混ぜ回して、そして飲み干してしまった。 私が、彼女の手を引いてきた。 私が、ここへ彼女を連れてきてしまった。 私と、彼女はここへきてしまった。 これは成長なのか、それとも衰退なのか。 煙の香りを纏う君をみていると、私はただ、どうしようもなかった。 「今思えばシチリアもいい場所だったよな。」 「あなたイタリア行ったことないでしょ?笑」 「でも、2人とも確かにあそこに居たんだ。笑」 「なにそれ。じゃあガイドさん、ここはいったいどこ?」 「はい、いまはまさしく、グラナダです。」 『かつてのシチリア――アンダルシアからの眺め』 終
親父が言ってた。 昔、コンビニのゴミ箱には、消費期限の過ぎた弁当が捨てられていたって。 「ああ、腹減った」 だから、貯金が尽きて、腹をすかせた俺がコンビニに向かったのは、当然の判断だろう。 「……なにもねえし」 だが、時代は無情だった。 弁当どころか、コンビニ近くにごみ箱さえもない。 くそみてえな潔癖社会。 「はいはい。ゴミなんて食わずに死にますよ」 壁に恨み言を履いて、その場を立ち去ろうかと思った瞬間、何かを蹴った。 「ん?」 足元を見ると、美少女が倒れていた。 長い髪が地面に広がり、スカートが風でひらひらと揺れている。 人生で初めて出くわした状況だ。 俺は周囲に誰も居ないことを確認すると、肩をゆすってみた。 「もしもーし。こんなところで寝てたら、風邪ひきますよー?」 起きない。 腰を揺すってみた。 「もしもーし?」 起きない。 こうなれば仕方ない。 決して本意ではないが、胸か尻を揺すってみよう。 「う、うーん」 起きた。 揺すってないのに。 ちくしょう。 美少女がダルそうに体を起こして、眠そうに眼を擦った。 そして、辺りを見渡した後、俺と目が合った。 「え? 泥棒?」 「なんでだよ」 「ここ、私のうち」 「地球があんたの家なら、神様かなんかな?」 「? 何言って……あれ?」 美少女は、ようやく自分のいる場所に気づいたようだった。 目を丸くして驚いた後、また俺を見てきた。 「ここはどこでしょう?」 「コンビニの横」 「今日は何日でしょう?」 「八月十六日」 「私は誰でしょう?」 「それは知らん」 「なんと、私はアオイです」 「サプラーイズ、じゃねえんだよ」 美少女が起き上がりたそうにしていたので、俺は美少女の腕を引っ張った。 「ありがとう」 「どういたしまして」 「ところで、私のカバンはどこでしょう?」 「それも知らん」 美少女は、自分がスマホも財布も持っていないことに気づいて、首を傾げた。 「そういえば、昨日は合コンでした」 「昨晩はお楽しみでしたね?」 「その後、ホテルに連れ込まれそうになったので、金玉蹴り上げて逃げてきたんです」 「女の子が金玉とか言っちゃいけません」 「ただ、私も相当酔っぱらっていましたので、とりあえずコンビニで廃棄弁当を調達しようと思い、ここで力尽きたみたいです」 「まさか、廃棄弁当を調達しようとした馬鹿が、二人そろうとは」 「これからどうしようかなあ」 美少女は、困った表情で首を傾げた。 交通費を渡してやるのが格好いいところだが、生憎今は金がない。 かといって、ホテルに連れ込まれそうになったばかりの女を、自宅に招くほど馬鹿でもない。 「貴方のおうちは近いですか?」 「まあ、そこそこ」 「お風呂貸してください」 「なんでだよ」 「ついでに服も」 「ねえよ」 「彼女がいないことは分かっているので、男物の服でいいです」 「そこまでは言ってねえよ」 流れに乗せられて、美少女が俺の家に来た。 突然のことだったから部屋は散らかっていたが、美少女は気にせず風呂場に直行した。 「バスタオルあります?」 「後でここに置いとく」 「五秒以上、覗かないでくださいね?」 「四秒以内ならいいのかよ」 シャワーの音が聞こえる。 俺はクローゼットからバスタオルと着替えの服を引っ張り出して、風呂場の近くに置いて、四秒だけ風呂場を覗いた後、部屋に戻った。 だらだらとスマホを触っていると、美少女が部屋に戻ってきた。 髪の毛がしっとりと濡れて、水も滴るいい女というやつになっている。 「まさか本当に覗くとは思いませんでした」 「許可はもらってたからな」 「人生初の女性の体はどうでした?」 「見たことないなんて言ってねえよ」 美少女が俺の前に正座したので、俺も正座で座り直した。 「実は記憶喪失でして」 「このタイミングでカミングアウト!?」 「しばらく、ここに置いてください」 美少女が深々と頭を下げてきたが、俺は少し迷っていた。 こんなに都合のいい話があるだろうか。 美人局ではないだろうか。 とは言え、話している感じ、嘘をついているようにも思えない。 本当に記憶喪失だとすれば、放り出すのもどうかと思う。 「いいぞ」 「本当ですか!」 「ただ、家に慣れたらバイトをしてくれ。なんと、家賃滞納二ヶ月目だ」 「お願いする相手を間違えましたね」 これが、謎の美少女アオイと出会った日の話。 そしてこれから語るのは、俺の人生で一番熱かった、アオイと過ごした思い出話だ。
僕の名前は、水原拓也。 高校二年生だ。 彼女もいない。 毎朝学校へ行き、授業を受け、放課後は友達と話しながら帰る。 そんなどこにでもいる高校生だ。 ――あの日までは。 夜、海が見える歩道を歩いていると、白い月に照らされた、同い年くらいの美しい女性が立っていた。 僕はその美しさに見惚れて、立ち止まっていた。 すると、彼女はこちらを見て、 「どうされましたか?」 と聞いてきた。 僕は慌てて、 「す、すみません! なんでもありません!」 と言った。 すると彼女は、 「そうですか」 と言って、歩いていった。 あまりの美しさに、僕は思った。 ――名前を知りたい。 そう思ってしまった。 僕は勇気を出して、 「ちょ、ちょっと待ってください!」 と声をかけた。 すると彼女は不思議そうに、 「どうかなさいましたか?」 と尋ねた。 僕は緊張しながら、 「な、名前を教えてください!」 と聞いた。 彼女は微笑みながら答えた。 「白山月羽です」 そう言って、彼女は歩いていった。 僕は嬉しかった。 「名前、聞けてよかった……」 そう呟いて、僕は家へ帰った。 次の日、僕はいつものように学校へ向かった。 教室に入ると、友達の桜田 煌が話しかけてきた。 「転校生、来るらしいぜ!」 それを聞いた僕は、ふと思った。 ――もし、あの子だったら。 「これがあの子なら……ラブストーリーみたいだな」 そんなことを考えながら、僕は少しだけ期待していた。 ガラガラ――。 教室のドアが開き、先生が入ってきた。 「おはようー。みんな、話がある」 僕は、 「煌が言ってた転校生の話かな?」 と思いながら、先生の話を聞いていた。 「転校生が来ている」 「入って」 先生に促され、教室のドアが開く。 入ってきたのは、黒髪のボブヘアの女性だった。 「自己紹介して」 先生に言われ、彼女は教壇の前に立った。 「初めまして。柵原 寧音と言います」 彼女は、柵原寧音というらしい。 自己紹介が終わると、クラスのみんなが彼女に話しかけ始めた。 「どこから来たの?」 「前の学校ってどこ?」 「好きなものとかある?」 次々と質問されて、彼女は少し戸惑いながらも、一つ一つ答えていた。 放課後。 僕も彼女に話しかけてみることにした。 「え、えっと……柵原さん」 僕が声をかけると、彼女はこちらを振り向いた。 「はい?」 「初めまして。水原拓也って言います」 「よろしくお願いします」 「転校してきて、分からないこともあると思うから、その時は聞いてね」 「はい、分かりました」 僕は緊張しながらも、彼女と話し始めた。 話しているうちに、僕たちは家の方向が同じだと分かった。 僕は彼女と一緒に帰ることにした。 帰り道。 僕はふと気になって、彼女に聞いた。 「ていうか、なんで敬語なの?」 「まだ話したばかりの人なので、その……」 柵原さんは少し緊張した様子で答えた。 「同級生なんだし、そんなに気を使わなくていいよ」 僕がそう言うと、柵原さんは少し驚いたような顔をした。 「……うん。分かった」 そう言って、僕たちはまた話し始めた。 「そういえば、転校生って柵原さんだけなの?」 僕は気になって、そう質問した。 「いや、もう一人いるよ」 「もう一人いるんだ」 僕はそう答えた。 「それって、どんな人?」 僕は気になった。 「見た目でいい?」 「うん」 「白髪のロングで、すごく綺麗な子だよ」 柵原さんはそう答えた。 「へぇ……」 僕は少し考えた。 ――白髪のロング。 なぜか、昨日の夜に出会った女の子の姿が頭に浮かんだ。 「……どこかで会ったことがあるような……」 僕は気になって、名前を聞いてみた。 「その人の名前って、わかる?」 「うん、もちろん知ってるよ」 「教えてほしい」 すると、柵原さんは少し考えるような顔をした。 「いいよ」 「白山月羽だよ」 その名前を聞いた瞬間、僕は驚いた。 ――やっぱり、昨日のあの子だ。 「僕、昨日会ったよ!」 思わず声が出た。 柵原さんは驚いたように、僕を見た。 「水原くんだったんだ。聞いたよ!」 「いきなり緊張しながら名前を聞いてきた人がいたって」 柵原さんは、少し笑いながらそう言った。 「月羽は、2年4組だよ」 「2年4組……」 「明日、一緒に行ってみる?」 柵原さんが、そう誘ってくれた。 「えっ、いいの?」 僕は少し驚きながら答えた。 「うん。白山さんと話してみたい」 僕はそう答えた。
グラウンドの端にある小さな部室棟は、夏休みに入っても活気が溢れていた。 西日が眩しくて、私はパイプ椅子に深く腰掛けたまま、ゆっくり回るサーキュレーターを見ていた。 「ねえ、本当にアイス買ってこなくて平気だったの?」 床に直座りして文庫本をめくっていたハルが、顔も上げずに言った。 「うん、別に。さっきの麦茶で足りてる」 「強がらなくていいのに。今ならアイスの棒で人生占いできるよ」 「なにそれ」 私が笑うと、ハルは文庫本を閉じて、床にゴトンと仰向けになった。 高校最後の夏休み。美術部の私たちは、コンクールに出す大きなキャンバスを前に、もう二時間近く作業の手を止めている。進路希望調査の紙は、私のリュックの底で何度も折れ曲がったまま放置されていた。 「なんかさ」 ハルが天井に向かって手を伸ばす。少し絵の具が付いている腕に、西日が透けていた。 「蝉の声って、急に止む瞬間あるじゃん」 「あるね」 「あの瞬間、誰かがボタン押して止めてる気がしない?」 「しないよ。暑さで蝉も休んでるだけでしょ」 「情緒がないなあ」 ハルはくすくす笑って、伸ばした手をパタンと胸の上に戻した。 静かになると、部室の隅で鳴っている古風なラジオのノイズと、外で運動部が走る足音だけが聞こえた。冷房の効きが悪いこの部屋で、二人でただだらだらと時間を溶かしている。 廊下を誰かが走っていく音がした。カツカツと硬い音が響いて、やがて遠ざかる。 「私さ、東京の大学行くかも」 唐突にハルが言った。 私はサーキュレーターから目を離して、ハルを見た。ハルは天井の一点を見つめたまま、表情を変えない。 「……そっか。美術系?」 「ううん、普通の文学部。親がそっちの方がいいって」 「ハル、絵うまいのに」 「うまいだけじゃダメなんだってさ。お父さんが言ってた」 ハルの声は驚くほど淡々としていて、それが逆に少し寂しかった。 この街から東京までは、電車を何度乗り換えても二時間以上かかる。今までみたいに「明日、部室でね」と言って別れることは、もうできなくなるのかもしれない。 「私はさ」 私が口を開けると、ハルが首だけをこちらに向けた。 「地元に残ると思う。たぶん、近くの適当な大学」 「そっか」 「うん」 それ以上の言葉が出てこなかった。悲しいわけでも、怒っているわけでもない。ただ、今まで当たり前のように重なっていた私たちの時間が、少しずつ違う方向へ枝分かれしていく予感だけが、西日の熱気と一緒に部屋に満ちていた。 ハルがゆっくり起き上がって、イーゼルに立てかけられた自分の絵を見た。まだ描きかけの、夕暮れの街の絵。 「まあ、どこに行ってもさ」 ハルはパイプ椅子の足に自分の爪先をコツンと当てた。 「たまにさ、LINEくらいはするでしょ」 「当たり前じゃん」 「返信遅いから不安になるんだよね、君」 「失礼だなあ。ちゃんと返すよ」 そう答えると、ハルは嬉しそうに目を細めた。 ガラガラ、と部室の引き戸が開く音がして、ぬるい風が入ってきた。顧問の先生が顔を出して、「おい、そろそろ鍵閉めるぞ」と声をかけてくる。 「はーい」 二人で声を揃えて返事をして、立ち上がった。 片付けをしながら、私はイーゼルにかかった自分のキャンバスをチラッと見た。絵の具の匂いと、ハルの髪からする汗の匂いと、ぬるくなった麦茶の味。 特別ドラマチックなことなんて何ひとつ起きなかったけれど。 大人になって、この町の夏の匂いを嗅ぐたびに、私はきっと今日のこの、少し居心地の悪い静けさを思い出す。 「アイス、やっぱり奢ってあげようか?」 部室の鍵をかけながらハルが振り返る。 「いいよ、自分で買う」 「素直じゃないなあ」 ふたりで笑いながら階段を降りると、外の蝉が一斉にまた鳴き始めた。
歌が人前で歌えない。 勇気がないからだ。 口ずさむことは出来る。 情緒が必要だ。 論理的になりたいが脳が上手く働かない。 夢で理論構築をする。 部屋の花が僕の情緒を形作る。 どちらも必要だ。 閉じ込められた世界は独りよがりな夢を許さず美しさを求めて彷徨う。
大切な人を傷付けたかもしれない 僕の不機嫌が思わぬところへ行ってしまったかもしれない 好きなだけなのに 傷付けたかもしれない 恥ずかしい 許せない
「はい。パパの分のお菓子!」 「わー。ありがとー」 娘がお菓子の箱をくれた。 中にはクッキーが四枚。 このお菓子は、五枚入りだ。 娘の方を見ると、緊張した表情でこっちを見ていた。 お前、食ったな。 「わ、わーい! クッキーが四枚もー。嬉しいなー」 「! うん! 嬉しい!」 俺の反応を見ると、娘は急に上機嫌になって、別の部屋へと行ってしまった。 こっそり食べたのがバレなくて安心したのだろう。 「見た目は変わらないけど、重さだけは変わる。これが、不景気か」 俺は、どうしようもなく感傷的な気分に浸り、クッキーを一枚口に放り込んだ。 サクサクとした歯ごたえを楽しんでいると、別の部屋から嫁がやって来た。 俺の前に立ち、ひさしぶりのぶりっ子ポーズをして見せる。 「なんと私は、見た目は変わらないのに重さ増! 嬉しい?」 「……オーバーサイズの服で隠れてるだけだろ」 俺は、笑顔の嫁に蹴っ飛ばされた。 宙を舞う箱。 飛び散るクッキー。 「なんて日だ!!!」
「別にさ、弱くてもいいんだよ」 仕事終わりの帰り道。街灯と車のヘッドライトが揺らめく中。はつらつと、先輩の笑い声が響く。 「弱いままの自分でもね」 だから、私はあなたに問う。 「だとしたら、『成長』って言葉はいらなくないですか?」 分かりやすく、先輩は眉をしかめる。 「弱いままの自分を許すことも、立派な成長だよ」 「それは成長というより、現状維持では?」 ふと、先輩の足が止まる。もしや怒らせてしまっただろうか。そりゃそうか、と思う。我ながらメンドウな人間だもの。 夜風に髪をなびかせて、先輩が私に目線を寄越す。 「あのね。今日の弱い自分と、明日の弱い自分が本当に同じだと思う?」 「それは明日になってみないと……」 「じゃあ、昨日の自分は?」 先輩の問いかけに、私はグッと押し黙る。考えがぐるぐると頭で回る。 昨日は定時を30分オーバーで帰宅し、すぐに寝落ちした。今日だって先輩に手伝ってもらわなければ、昨日と同じくらいの時間帯まで残業するハメになっていただろう。 変わらないルーティン。移り行く日々の中から、定時で即退社する姿の自分を想像することは、今はまだできない。けれど、それでも…… 「違うと思います」 今日は、先輩に助けを求めることができた。それだけ。そのぶんだけは、きっと明日の自分にも静かな余韻を残すはず。したたかに、強く。 先輩はただ、私の宣言を黙って受け止めてくれる。風が吹く。私とあなたの髪をなびかせる。 とある誰かは「今日がやってくる」と言ったけれど、今に向かっているのは私達のほうで。今日のほうは、今日も「アイツら、またやってきたな」って首をかしげている。 そうだとしたら。 居酒屋とネオンの明かりが混ざり、発酵しあうことを許す夜に。私は私のあるがままを抱きしめて眠りたい。今日だけは、せめて。
少し食べるほうに気持ちが向いてきたのは 真夏のピークが去った証拠 今年もなんとか エアコンを使わないで乗り切れそうだ 扇風機には、だいぶ負担をかけてしまった 風鈴だけでひと夏を越せるのが理想だけど それはちょっと無理な話か こういうとこが モテない原因なんだろうなあ 麦茶がおいしい そんなことも、流せてしまえる
石畳に刻まれた円と紋様を、少年は指でなぞろうとして、はっと息を止めた。 「触れても、そこには何もないぞ。」 老魔法使いは、ただ静かに少年を見下ろしていた。 「これは魔法を描いた絵じゃない。標(しるべ)だ。」 少年は何度もこの図形を見てきた。だが、意味はわからなかった。魔法陣というものは、そういうものだと思っていた。 「師匠、魔法って、覚えられるものなんですか。」 「覚えるのは魔法じゃない。」 老魔法使いは杖の先で、円の中央をそっと叩いた。 「この世界には、もうひとつ奥がある。おれたちが立っているここは、その奥にある何かの、映し絵に過ぎない。」 少年は足元の石を見た。硬く、冷たく、間違いなく本物だった。映し絵には見えなかった。 「魔法使いは、その奥にある何かに触れる。ただし、直接じゃない。」 老魔法使いは円の外周を指した。 「この紋様が、触れ方を教えてくれる。魔法使いなら誰がやっても同じ結果になるように、先人達が編み出した道標だ。呪文は、その道標に従って声を添えているだけに過ぎない。」 「命令、してるんじゃないんですか。」 「命令できる者なんていないよ。」 老魔法使いは少し笑った。 「お願いしてるわけでもない。ただ、正しい場所を、正しい順番で、なぞっているだけだ。」 少年は息を吸って、手をかざした。 教わった通りに、頭の中で図形を追う。 外円。固定環。座標環。調律環。収束紋。 そして最後にひとつ、炎の形を思い浮かべる。 「第一環、固定。」 何も起きない。 「第二環、座標指定。」 空気が微かに震えた気がした。 「第三環――」 声が震えかけたが、少年はそれを飲み込んだ。 「調律。」 溝に沿って、青白い光が走った。 「師匠……!」 「まだだ。」 老魔法使いの声だけが、変わらず静かだった。 「最後まで、なぞれ。」 少年は目を閉じ、炎の形を思い浮かべながら最後の言葉を絞り出した。 「――収束。」 光が、円全体を包んだ。 薪も油も火打石もないその場所に、小さな炎がひとつ、灯った。 少年はしばらく、それを見つめたまま動けなかった。 熱が、頬に触れる。 本物だった。 「今、お前は何かを作ったわけじゃない。」 老魔法使いは、揺れる炎に目を細めた。 「この場所の『在り方』を、少しだけ書き換えただけだ。」 少年はうなずくことも忘れて、炎を見つめ続けた。 もうひとつの奥とは何かわからないままだったが、その一端に触れた感触だけが残っていた。
500g。 地球側の実験室、その中央に置かれたアルミニウム合金の塊。メーガン・カーターは自分が誤ってつけてしまった爪先ほどの小さな擦り傷をじっと見つめていた。 たった500g。 それが、半年かけて準備した今日の実験のすべてだった。 「……本当に、月へ送るのはこれでいいんですか?」 若い技術者のイーサン・ミラーが言った。 メーガンは答えなかった。 正確には、誰も「送る」とは言っていない。 隣のモニターには、念のため無人となっている月側の実験室から送られてくる映像が映っていた。定点カメラが、何も置かれていない台座を映している。 「ロケットなら数日で運べますよね」 「そうね」 「……もし失敗したら、僕たちの半年間は文字通り『無』になりますね」 メーガンは答えなかった。 半年。 装置の最終調整が始まってから、メーガンたちはほとんど休まず調整を続けてきた。月側の実験室との2回の往復。ヒッグス結合の局所制御。量子ビーコンモジュールによる「標」の固定。情報パターンの解放、伝播、再結合。 理論は繋がっている。だが、誰も成功を保証できない。 「速さでも、送信する物体の問題でもない」 主任研究員のダニエル・ブルックスが言った。 「今日確かめるのは、あれが、あそこに『なる』かどうかだ」 メーガンはダニエルを見た。 また、その言葉だ。 送るのではない。 運ぶのでもない。 「あそこに、なる」 その意味を、メーガンは理屈では理解していた。 地上での短距離実験が繰り返し行われ、彼女も何度も立ち会って見てきた現象だ。 AIの人工合成音声によるカウントダウンが始まった。 「三」 AIの無機質な音声が、メーガンの鼓動を跳ね上げる。 「二」 まだ何も起きない。 メーガンは月側の台座を映すモニターを凝視した。手のひらにじっとりと嫌な汗がにじむ。 「一……」 ダニエルが言った。 「ブリンク・シフト開始」 金属塊が、瞬きの一瞬で消えさった。 揺らめきもない。 光もない。 ただ、そこにあった500gが、世界から抜き取られたように消えた。質量保存の法則さえも無視するかのように。 誰も声を上げなかった。 メーガンは月側のモニターを見つめた。 当然、まだ何もない。 地球と月の距離は約38万㎞。 光で1.3秒。往復で2.6秒。 メーガンは無意識に息を止めた。 1秒。 心臓が痛いほど高鳴る。 2秒。 まだ、何もない。 そして…… 2.6秒。 永遠のようにも、一瞬のようにも思えた空白の果てに、台座の上に「それ」が唐突に現れた。 誰も動かなかった。 定点カメラのライトを受け、金属の表面がわずかに輝いている。 地球側と同じ形。 あの小さな擦り傷までが、そこにあった。 「……同じものか」 メーガンの口から、言葉が漏れた。 イーサンが月側から送信されてきた数値を確認する。 「一致している」 「どのくらい?」 「測定限界まで。完全に」 拍手も歓声も起こらなかった。 メーガンは、自分の手が震えていることに気づいた。 たった1.3秒。 その間、金属塊はどこにもなかった。 少なくとも、この3次元の世界には。 メーガンは、理論通りであるその事実から目を逸らせなかった。 ロケットなら、数日かかる。 それでも、ロケットは物体を運ぶ。 今日、彼女たちが確かめたものは、それとは違う。 ここにあったものが、あそこに「なった」としか言いようがない。 その違いが、胸の奥に重く残った。 --- 翌朝、ニュースでは実験の成功が報じられた。 「わずか500gの金属片を月へ移動させるため、巨額の研究費が……」 怒りは湧かなかった。 今は、それでいい。 500gでは、世界は変わらない。 人間も、社会も、経済も変わらない。 だが、歴史を変える技術は、最初から歴史を変える姿をしているとは限らない。 その夜。 メーガンは一人、実験室に残った。 窓の外には月が浮かんでいる。 昨日までは、単に38万㎞先にある天体だった。 今は違う。 彼女にとっては、昨日まで無かった500gの金属塊が存在している。 次は火星。 その次は木星。 やがて土星へ。 そしていつか、光でさえ何年もかかる場所へ。 そこに転送拠点が築かれれば、人類はその距離を「移動」する必要さえなくなる。 メーガンは月を見つめた。 人類にとっては、小さな一歩。 あまりにも使い古されたそのフレーズが、今のメーガンの脳裏を占拠していた。 それでも…… 今夜の彼女には、それ以上にふさわしい言葉が見つからなかった。
この夏も 負の風物詩が やってくる それが 負の風物詩の 義務感 わたしは 負の風物詩を がまんする それが わたしの 義務感 夏は なくても いいのだけど きてしまうのは 夏の 義務感
ビィとエル 手入れされた黒のウルフカット。襟足は少し跳ねて、右耳にはシルバーのリングピアス。ジト目で怠そうな横顔。午後の日差しが彼の顔を神々しくさせる。 「一組の王子様見た?まじやばい、今年の新入生げちヤバ!」 放課後、朱色のネクタイを緩ませた三人のギャル達が騒ぎながら一年生の教室棟へと駆けてくる。紺色のネクタイをした新入生の中に入る紅一点に皆道を開ける。 「ほら、見てみ!あれだよ、今年の一年!嵐山彗流」 「エルって読むの?」 「らしい……彗星が流れるでエルだって、めちゃオシャやん!」 「やばぁい、横顔バリメロい!」 「ほんで、その横もメロいんよ!名前が……なんやっけ」 「あれやん、銀河くんじゃなかったっけ?」 「そうそう!山城銀河くん!」 「ド金髪じゃん、うちらとオソロー」 「アンタとは見た目の輝き具合が違う」 「サイテー!てか、あの子も可愛い!誰?」 「どれ?」 「あの、眼鏡委員長みたいなやつ!」 「あれは……誰だろ?よくわかんない」 「あんた、そーゆー地味目が好きなの!?」 「そーじゃなくて!」 ドアの前でわちゃわちゃ騒いでいると背後から思いっきり木製のドアを殴られる。叩きつけられた音にギャルの肩が跳ねる。彼女らが振り返ると、ツンツンとウニのような金髪の髪に、吊り上がった目つきの悪い三白眼、耳には沢山のピアスに、趣味の悪いチェーンネックレスをした男が居た。 「……バリ不良やん」 思わず口を開いた子を慌ててもう一人のギャルが口を塞ぐ。男は口を開いて低い声を出した。 「そこ邪魔っす先輩」 騒ぎを聞きつけて、廊下の奥からやって来た教師が間に入る。まるで男がギャル達を虐めてるみたいな構図に、周りの生徒も息を飲む。 先生は一目で決めつけて男子生徒を掴んで生徒指導室へと連れていった。ギャル達は何も言えなかった。数秒後ハッとする。 「こ、これ不味くない?やばいやばい、何もされてないのに決めつけられてる」 「誤解ときに行こ!」 「謝りに行かなきゃ!」 ハッとしたギャル三人が動き出す前に扉の前にもう一人の男が現れる。 「ごめん、少し通して」 彼女達の隙間を通った黒のウルフカット。襟足は少し跳ねて、右耳にはシルバーのリングピアス。そう。 「「……嵐山彗流ぅううう」」 彼は通学カバンを二つ肩に下げて、廊下を走って行った。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「……ビィちゃん。怒られ終わった?」 生徒指導室から出ると目の前に居たのはエルだった。 「……なんでここにいんだよ」 「一緒に帰る約束してたじゃん?」 エルは俺の鞄を渡してくる。出されたら受け取る。人の身体はそうなってるみたいだ。 「……今日も一緒に帰ろうねビィちゃん」 受け取るのを承諾と都合よく理解したエルが後ろから抱き着いてくる。 「……好きにしろよ。ていうか、ビィちゃんってやめろ!俺には、姫美 星っつー名前があるんだよ!」 鬱陶しいと肘で押しながら言い返せば、頬を緩めて、より密着するエル。 「じゃあ、姫ちゃんって呼ぶ?」。 「ふざけんな」 踵落としをしようと振り上げるも、難なく躱される。代わりに床のタイルに勢いよく踵が地面に当たる。痛い。涙が出そう。ジンジンと痺れる踵に歯を食いしばる。なんで俺がこんな思いしなきゃいけねぇんだよ。 涙を奥歯で堪えて校門に向かった。その後をちょこちょこと着いてくるエル。 「そもそもなんで俺がビィちゃんなんだよ、俺の名前知ってるか?ひめみ ほしって言うんだよ」 振り返って威張れば、知ってるよときょとんとした顔をされてイライラが増す。いたずら好きな大型犬に弄ばれてる気分だ。 「美を司る星で、ヴィーナスでしょ?だから、ビィちゃん!俺の一番星」 にっかり笑うエルに俺はよく分からなかった。いつの間に俺が一番星なんかになってんだよ。俺と出会ったのなんか数ヶ月前が初めてだっつーの。 「……あっそ」 一言吐き捨てて沈みかけの太陽へ歩いた。
あのお店、カレーパンとハムチーズパンおいしいよー、そんなようなことを友だちに言われ、言われた通りのものを買った。ついでにチョココロネとパックの珈琲牛乳も。ちょっと子どもっぽくて、でも絶対に期待を裏切らないチョイスができちゃう自分が、ちょっとだけ誇らしくなる。 後先考えずチョココロネに食らいつき、うにいいいとチョコをはみ出させ「もう、まったく」と私に世話を焼かせるのがアイツの得意技だった。 「チョココロネはね、こうやって食べようよ」 ひと口ちぎってチョコをつけ、アイツの口に放り込んでやった。異文化にでもふれたようにアイツの顔にブンメイカイカがやってきた。 過去となってしまった甘い思い出を珈琲牛乳で洗い流す。甘いね、珈琲牛乳。うん、そうだ、甘くていいんだな。だって甘い思い出なんだから。無理に苦さをさがさなくったって。だって甘いんだからさ。
雨水の流れは 虫たちにとって 大河の流れ 水たまりは 大きな湖か はたまた 海のようで テーブルに落ちた わたしの涙のしずくなんて 池みたいなものかしらね
不気味に巨きな齧歯類を追って路地裏に入ると其所には飲食店が犇めいていた。暗闇を微かに赤く照らす看板には、曲線と直線が奇妙に親和する字体群が浮かび上がっている。滞る燻した獣のような匂いの発生源は食材に限らず、其れは二足歩行をした霊長類の体臭も混じっているのかもしれない。彼等が発する言語は此処のものだけでなく、異国の観光客は付け焼き刃の片言で現地の者に対話を試みる。着古した灰桜色の背広を纏う一行は恐らく、此処に近い東洋の国からの客であろうが、盛り上がりに欠けることから、恐らく上からの圧力によって強いられた旅なのだろう。盛り上げ役であるという義務感を背負った一人の男は皆の先頭を行き、ぎこちない笑顔を浮かべつつ、ああだだこうだと同僚達を取りまとめる振りをしている。店頭に配置された狭い檻は話題の格好の材料だった。数匹の犬が閉じ込められている様子は一行の母国の飲食店では決して見ることができない光景で、皆は興味を示している。肥えた赤犬は彼等を見て怯えたような様子で威嚇の体勢をとっていた。 硝子張りの軒先からその様子を眺めていた店員は、彼等の入店を確信したのか、勢いよく扉を開けて店外へ赴いた。同じ亜細亜圏とはいえ、言語は異なるので、身振り手振りそして案内板を用いて、店員は客に希望する犬を選ばせる。此の場に於いて彼等は案内板の誤った翻訳を嘲笑う暇はなく、在れのほうが身が引き締まっていそうだとか、油の乗りがとか素人ながら思案し数頭の犬を選びだした。血液が目立たないように赤い前掛けをした髭ずらの店員は、客が指した犬に手綱付きの首輪をつけて、厨房に引っ張っていく。大人しく厨房に連れてこられた犬は、衝立の向こう側の犬小屋に移された。慣れた手つきで音響の釦を押すと犬の苦しむ声が響くので、店内には多少の緊張感が走る。人々がつばを呑むのは、果たして食欲からか、将又恐怖からなのかはわからない。 緊張感の走る店内とは対照的に衝立の向こうでは、犬の頭を撫で餌を与える優しげな表情の店主がいた。店主は一頻り犬と戯れると、冷蔵庫から成形された鶏肉を取り出して店員に渡した。放送される犬の悲鳴に紛れて、其れを素早く解凍すると肉には食用の着色剤が散らされ、如何にも一般的に想像されると畜直後の肉が完成した。この店で人気なのは犬肉の雑炊だ。中華鍋に卵と油と水そして調味料を入れると同時に、別の鍋で先ほどの鶏肉を焼く。鶏肉にしっかりと焦げ目が付いたところで引き上げて細かく刻み、其れを煮立った鍋に入れ暫く煮込めば鼻腔をくすぐる香りが立ちこめる。粗雑に盛られた料理は、無愛想な店員によって乱暴に客達の前に提供されるわけだが、これもまた演技であり、観光客の期待に応えているまで。机にこびりついた汚れだって美術班がいるのではと疑ってしまうほどで、現代向けに作られた環境は嘗ての此の国の印象を投影したに過ぎない。この国ではもう不十分な衛生管理ではお咎めを受けてしまうのだ。暫くすると此の国では犬肉を食すことさえも禁止される。愛犬家の店主は、晴れて負い目無く仕事に取り組めるというわけ。
寝不足で 目が真っ赤 うさぎみたいね 言われても ピンとこない うさぎの目って 真っ赤なの? ふうん こんど うさぎ みにいかない? そんな デートの誘い方
あいつはいつだって俺のことを見てる。 「……どーしたの?ビィちゃん」 にんまりと口を三日月にしながら話しかけてくるエルから顔を勢いよく背けた。 「喧嘩でぼろ負けで頬に可愛い絆創膏貼ってるビィちゃん」 背けた頬にエルの指の腹が押し当てられて、チリと傷口が痛む。それでも俺は無視し続ける。 「授業中寝て怒られたビィちゃん」 ミミズ文字で何も読みとれない俺のノートを広げたエル。鼻歌を口ずさみながらシャーペンを走らせる音だけが聞こえる。一段落してまたちょっかいをかける。 「テストボロボロで補講のビィちゃん」 諦めもせず話しかけてくるエルに怒りとか羞恥心とか焦燥感とか全ての感情が混ざって爆ぜる。 「だぁぁああ!!うるせぇな!なんなんだよさっきから!」 振り向くと俺とは対照的で、世界中の光を集めたかのような眩しい笑みを向けてくる。 「……あっ、こっち向いてくれた。せっかく待ってたんだから俺と帰ろ?」 俺が断わるなんて思ってもいない顔で、自信で、声で……。 そんな彼の態度に全てが羨ましくて、全てが憎らしくて、全てに負けた気がして差を感じる。 「……ひとりで帰る」 乱雑にノートや筆箱、ありとあらゆるものを詰め込んで教室を逃げるように出ていく。 あいつの表情なんて見ない、どんな顔していたのかもわからない、ただ自分のこの劣等感をあいつの前から隠したかった。 「…………追いかけてこない、よな」 いつもと同じ帰り道、一緒に登下校する道、それなのにエルの姿が見えないことに落ち込む。 「かまってちゃんかよ」 自分が情けなくて、アホみたいで、強がってるだけで期待して落ち込んでいる自分が心底気持ち悪い。 店の窓に映る八の字に下がった眉の自分の顔に反吐が出る。 期待してるみたいな顔すんな。 自分で逃げたんだろ。 バカがよ。 素直になってれば、まだあいつは……
久しぶりにきく 深夜ラジオ 以前すきだった 女性アイドル こんな声だったっけ? こんなにはしゃぐ? だいぶ 遠くに感じた なんで きかなくなったんだろう なんで 追いかけなくなったんだろう 自分のせいか 向こうのせいか 自分の成長 ということに できるだろうか それなら 納得して くれるだろうか
これは僕の妹が体験した話。家の近所に、かなり年期の入った映画館がありました。一階がエントランス、二階から上はバッティングセンター、そして地下が映画館という、少し変わった造りです。 ある夜……確か二十時頃だったと思います。 妹とその友だちが、観たい映画があって地下へ降りるため、下りのエレベーターを待っていました。 その場には、妹たちのほかに一人のおじいさんがいました。特に気に留めることもなく、妹たちは会話をしながらエレベーターを待っていたそうです。 「ポーン」 先に来たのは、上りのエレベーターでした。 こんな時間からおじいさんがバッティングか。そんなことを考えながら、妹たちは、おじいさんがそのエレベーターに乗り込むのを見送りました。さて、次は地下行きだ。そう思った、その瞬間です。 「ポーン」 なぜか、たった今閉じたばかりのエレベーターの扉が、再び開いたのです。階数のボタンを押し忘れただけ。そう思えば、それだけの話かもしれません。 けれど、違いました。ゆっくりと開いたエレベーターの中には、誰もいなかったのです。確かに、おじいさんは乗り込みました。扉が閉まるまで、ほんの一瞬の出来事でした。それなのに、中はもぬけの殻。 妹が友だちのほうへ視線を向けると、同じように困惑した表情が返ってきました。幻覚ではない。二人とも、同じものを見ていた。 けれど、その場で言葉にするのは怖すぎた。 無言のまま、妹たちは足早にその場を離れました。 帰り道になって、ようやく二人は声を出します。駅前に着く頃には人も多く、少しだけ安心できました。その後は何事もなく家に帰り、今に至るまで特に異変は起きていません。 ただ、時々ふと思うのです。 もし、あの時。 あのおじいさんと一緒に、同じエレベーターに乗っていたら。 妹たちは、本当に今もこの世にいるのでしょうか。