金運スピリチュアル

 世界には、価値のない物がある。  しかし、情報というラベルは、物に価値を付与することができる。   「希少なパワーストーン『ナンニモツカエヘン石』。この石を身に着けていれば、金運向上間違いなし」    昨今のスピリチュアルブームで、元々金運向上を担っていた鉱石は品切れに。  代わりに目を付けられたのが、誰もパワーストーン化していないナンニモツカエヘン石だった。   「買います!」 「買います!」    安く買える金運向上効果に、スピ活中の人々は飛びついた。  お世辞にも綺麗と呼べない濁った灰色の石も、自称パワーストーンの王様の手にかかれば、大きな利益を発生させた。    パワーストーンの王様は左団扇。  優雅に豪邸で美酒を飲んだ。        それから数十年後。  ナンニモツカエヘン石は、レアメタルとしての新たな価値を見出された。  世界中の研究機関は、世界に散らばったナンニモツカエヘン石を高額で買い取ると発表した。    数十年前、ナンニモツカエヘン石を買った人々は、大盛り上がり。  紙幣一枚で買った石ころが、何百倍何千倍となって返ってきたのだから。   「金運向上!」 「パワーストーン最高!」    人々はナンニモツカエヘン石を売り払い、大金を手にした。  そして、手にした大金すべてを突っ込んで、次のパワーストーンを買いあさった。

少し悪い子になる

 いい子でいた結果追い詰められ貧乏になる。 謝らなくていいことで謝れと言われ居場所を失う。 明らかに相手がファウルをしているのに審判はそれを取らない。 なのでスポーツが嫌いになる。 何の話だろう? トラッシュトークは文章で出来るが僕は相手をオーバーキルしてしまう癖があるので(わかっている子供は逃げたりする)質が悪いのはわかっている。 おまえは言った謝れ だけどてめえはくたばれ 顔に糞塗りたくれ いい加減にしやがれ 韻を踏むと少しだけやり返せたような気分になる。 プロレスを覚えるべきかも知れない。 フツーに考えてヤベー奴が一杯いる。 権力をかさに着て暴虐を尽くす。 僕に力が無いのは僕が力を持つとろくなことをしないのがわかっているのでまあそれはいい。 まあ同じ穴のムジナなんだろう。 実際問題嫌な奴がいて勝てそうな相手だったら飛行機のチケットそいつに取らせてアフリカのサバンナ連れてって一対一で殴り合いしてはったおして倒れてるのを肉食動物に食わせて証拠隠滅を図るくらいのことは考える。 勝てなさそうな相手だったらどうするだろうか? 証拠が残っちゃうからな。 思い付かない。 暴力的なことを考えると心が荒む。 うーん毒を盛る前に盛られてしまった。 花を買っていない。 本来的に鍬で打壊しとかするタイプの人間なんだろう。 外部的な破壊は何も生まないと言う。 内側から自分を狂わし壊す。 壊れていた時期は善きにせよ悪しきにせよ(これが僕の悪い癖だ)世の中が動いていた。 関わると周りの人間が壊れる。 やはり犯罪者の素養がある。 単独犯なので(あるいは都合がいいと金にしている人や面白半分で動いている人はいるかもしれない)結構やられる。 そういえば煙草を吸っている高校生に煙草貰ったことあったな。 いいオッサンがみっともない(ホームレスのオッサンみたいだ) 周りに太っている人を見ない。 猫は土俵に上がれないらしい。 力士から疎まれているのかも知れない。 まとまりの無い文章だ。 僕に武器を持たすと似た奴(まあようは人外)を駆除するので武器を持たされない。 1番武器を持たせちゃいけない人間かもしれない。 世間では核の議論がされている。 僕が個人的に戦術核を持ったら嫌いな奴の性器に照準を合わせてこれが欲しかったんだろオラァってブチ込むのでこんな奴には持たせないだろう。 今夜あたりパンツに穴が空きそうだ。 まあようは義憤なんて嘘なのだ皆私憤なのだ。 悪い奴か。 まあ大体のことは役に立たないですしって主治医に言ったら嫌そうな顔をされた(もっと嫌がれそして生命力を無くせそれを俺が喰って生き延びるから)まあようはあなたのやってることは無駄なんですよって言いたい。 人を元気にさせることも出来るが気に入らない奴の生命力を奪うことも出来る(まあ散々奪 われたんだから奪ってもいいだろう) まだ悪い子成分が足りないかな? まあようは勝手にやってくれ俺はお前ら(俺を利用してはめようとする奴)が嫌いだからと言うことだ。 面白そうな案件なら乗る(何様) しかし実際には何もしていない。 人造人間は動物を守る。 犬は番をはる。 カラオケで讃美歌でも歌おうかな? アシッドな曲は中毒になる。 僕のやってることも多分無茶で無駄。 暗い文章だ。 宇宙人達は死んだ人間を使ったり隠れた霊能力者は善悪の彼岸で金を作ったり忙しい。 全ては未来の不思議装置の開発のツールの為だろう(えらい妄想だ) 悪人正機か。 何もしていないことが1番最悪かもしれない。 魔法で隕石をぶつけたい(局所的に) 巻き込まれる方はたまったものではないだろうがならばもっと悪いことをして善悪問わず科学力を発展させて系外惑星に避難してザマーみろ俺は生き延びたって高笑いしてよかったアイツラいなくなったって地球を再生させるからそれでいい(えらい妄想だ皆こういうことを考えてるのか?) 秀吉は半島に攻め入ったが大陸の制覇の足掛かりだったらしいので同じつてを宇宙で踏む連中は歴史に学んでいないそもそも侵略はうまく行かないと歴史が証明している。 少し状況は変わるが宇宙人は善と悪の両概念で(それ以外?)動くので列島は相変わらずわちゃわちゃしている。 明日あたり刺されるかもしれない(刺すならお尻にしてね) ぶるぶる震えて寝る。

普通になりたい

「もう少し普通になりなさい」 「どうしてそんなに変なの?」 色んな人に言われた同じような言葉が私の中で繰り返される。 普通、か。 普通とは何か、を具体的に説明してから言って欲しい。 私はいわゆる普通の家庭に生まれた。 父、母、姉が一人。一般的、そう普通。 両親が欠けているわけでもないし、大家族ってわけでもない。普通の家庭。 だけど私は普通ではないらしい。 普通が何かなんてその環境によって決まるのに。 女の子ばかりのところだったら前髪を気にするのが普通だし、芸能界では綺麗なのが普通だ。 普通なんて結局は環境で変化する曖昧なもの。 でも私はどこにいてもその曖昧なものになれなかった。なろうとしてみたこともある。 前髪を気にしてみたり、恋バナに参加してみたり、口元を隠して笑ってみたり。 だけど何か違う。本物にはなれてない感じ。 どんどんボロが出てきて最終的には普通じゃないのがバレてしまう。 みんな陰口を言うのが普通。でもわざわざ、一言注意したら終わることを長々と陰でぐちぐち言う意味がわからない。 みんなスカートを折るのが普通。でも校則を破ってまで、膝を見せたがる意味がわからない。 男好きは嫌われるのが普通。女の子なんて大抵男の子と恋愛をするのに意味がわからない。女の子は大抵、男好きでしょ? 普通になりなさい。って。 性格悪くなってでも、普通にならなきゃいけないの? どうしてそんなに変なの?って。 バカみたいに周りに合わせてる方が変でしょ? 普通になりたい。 そしたら陰口を言う罪悪感も普通への疑問も無くなるのかな。 普通になりたい。 普通だったらきっともう少し生きやすかった。

取り憑かれた男

町に熊が出るようになった頃、男は鮭の値札ばかり見るようになった。 国産の秋鮭は高かった。切り身は薄くなり、値札だけが厚かましくなっていた。売り場には輸入サーモンが並んでいたが、男にはそれがどうにも許せなかった。 鮭とは、川を上るものだ。 傷だらけになって、故郷へ戻るものだ。 白いトレーの上で、脂だけを光らせているものではない。 その頃、町では熊の出没が問題になっていた。 柿の木が折られ、納屋が荒らされ、夕方になると子どもたちは集団で帰るようになった。役場には苦情の電話が鳴り、猟友会には依頼と非難が同じ日に届いた。 掲示板には、毎日いくつもの意見が書き込まれた。 〈人命を守れ〉 〈熊を悪者にするな〉 〈自然との共生を考えろ〉 〈子どもが襲われてからでは遅い〉 誰もが正しかった。 だから、誰も引かなかった。 男はそれを読んでいた。 はじめは退屈しのぎだった。誰かの怒りにうなずき、誰かの正義を笑い、また別の誰かの言葉に腹を立てた。 そのうち、男はふと思った。 熊が川に来なければ、鮭はもっと上りやすくなるのではないか。 鮭が増えれば、値段も少しは下がるのではないか。 笑われても仕方のない考えだった。男も、自分でそう思った。 けれど、その考えは、なかなか頭から離れなかった。 男はゆっくりと文字を打った。 〈熊の川辺への接近を制限すべきシャケ〉 投稿してから、男は自分の指先を見た。 なぜ最後にそんな言葉を打ったのか、自分でも分からなかった。 だが、反応はあった。 〈たしかに川沿いの対策は必要〉 〈感情論より具体策だ〉 〈水辺の管理は盲点だった〉 男は画面を見つめた。 自分の言葉が、人の考えに入り込んでいる。 それが分かった。 次の日、男はさらに丁寧に書いた。 〈これは熊を憎む意見ではないシャケ。人と熊の接点を減らすため、水辺の管理を強化すべきシャケ〉 また反応があった。 反論もあった。 賛同もあった。 怒る者もいた。 男は笑わなかった。 笑うと、この力が軽くなる気がした。 やがて、男の投稿は村長の目に留まった。 村長は議会で、静かに資料をめくった。 「熊が鮭を取りに川へ下りてくる。その川辺には、釣り人がいます。散歩をする高齢者がいます。通学路として橋を渡る子どもたちがいます」 議場は静まり返っていた。 「つまり、これは熊の問題であると同時に、人の命の問題です。鮭を取りに来る熊は、いずれ人と出会う。出会えば、事故になる」 村長は一度、言葉を切った。 「私たちは、熊を憎んでいるのではありません。人と熊を出会わせないために、川辺の管理を強化するのです」 何人かの議員がうなずいた。 反対する者もいた。けれど、村長の言葉は強かった。それは怒りではなく、備えとして語られていた。 男は、その中継を部屋で見ていた。 自分の書いた言葉から、「シャケ」だけがきれいに取り除かれている。 ふざけた語尾を失った自分の言葉が、議場の真ん中で、まじめな顔をして座っていた。 数日後、川沿いの藪を刈り、熊の通り道を制限する条例案が可決された。 男は画面の前で、しばらく動かなかった。 それから、天井を向いて、小さく息を吐いた。 「気持ちイイ〜」 その声は、部屋の中でやけに明るかった。 冷凍庫には、買いだめした鮭の切り身が残っていた。けれど男はもう、鮭の値段など見ていなかった。 男は震える指で、掲示板を開いた。 村では、今度は鹿の食害について議論が始まっていた。 山菜が食われた。 畑が荒らされた。 車とぶつかりそうになった。 まだ誰も、うまく怒りをまとめられていなかった。 男はゆっくりと文字を打った。 〈鹿をこのまま放置すれば、村の暮らしは守れないドングリ〉 投稿ボタンに指を置いたまま、男は少し笑った。 「また気持ち良くなれるかなぁ」

アイコノクラズム

僕の祖父は、不思議な人だった。彼は”アイコノクラズム”というみょうちきりんな名前の神様を崇拝していた。 「アイコノクラズムってなんなの?」 僕がそう聞くと、祖父はいつも僕をこう叱りつけた。 「こら、その名前の意味を軽々しく聞くな」 そのせいか、僕の”アイコノクラズム”への興味は段々と膨らんで行った。しかし、祖父は、僕がインターネットや辞書でそれについて調べることを強く禁じた。 「アイコノクラズムってなんなんだ?」 僕がその意味についてぐるぐると頭を巡らせている間にも、祖父の"アイコノクラズム"への信仰心は日に日にひどくなっていき、終いには親戚中に"アイコノクラズム”様の教えを布教しようとするようになった。父をはじめとする親戚一同は、これに腹を立て、彼と縁を切ってしまった。もちろん僕も祖父とはそれっきりだ。それからというもの、孤独となってしまった祖父は次第に生きる気力を失い、今から半年前に孤独死した。僕は彼の葬式の夜に、こっそり"アイコノクラズム”について調べた。その意味は”偶像破壊”。今考えると、ある言葉を偶像として崇拝した結果、自分の人生を壊してしまった祖父にとって皮肉な言葉になってしまったなと思う。

早く来るかな

吐き出したいけど何を吐き出したらいいのやら そもそも私が思考を停止できなくて考えすぎちゃうことに原因があるのかも 結局、チカラないと泣き寝入りだあ 思考停止させちゃってる声の大きい奴はつえーよなあ 思考停止させてる奴に、思考フル回転で向かっていっても何も生まれないし意味をなさない こっちも思考停止させないとならない不便 気持ちが外に向かっていかないなあ 思考を停止できないってこういうときやっかいだ 食べるほうに気持ちがいけばきっかけになるかもだけど、そういう気にもならないし いま読んでる本、読み終わったころ夏が来るかな 早く読み終わったら、夏も早く来るかな

取り扱い注意

「どうぞ、お入り下さい」 扉から顔だけ出した男が声を掛けた。 その声に、二十代後半の女が、緊張した面持ちで部屋に入った。 「失礼します」 「そちらにおかけ下さい」 長机を前に、二人の男が履歴書に目を通していた。 「前職は物流関係とありますが、どのようなことを」 「はい。通販サイトで、購入者様への配送業務でした」 「具体的には、どのような」 「はい。ご注文の品を箱に入れて、緩衝材も詰めて、待機しているトラックまで持って行く仕事です」 二人は、うなずきながらメモを取っている。 「では、弊社を希望した理由を教えていただけますか」 「はい。私事ですが、前の職場の同僚が、私の箱詰め作業を見て、何か感心したようで、御社を勧めてくれたというか…」 「なるほど。うちも箱詰め作業はありますが、結構大変ですよ」 「はい。頑張ります」 女は、笑顔で小さく頭を下げた。 「では後日、改めてご連絡しますので、それまでお待ちください」 女が部屋をあとにする。 「君、今の女性どう思う」 社長が人事の男に聞いた。 「そうですね。即戦力になりそうですね」 「君もそう思ったか。じゃあ、採用するかな」 ──ピコンピコン 女がメールを開いた。 「採用決定。 ご存知かと思いますが、弊社の制服は喪服です。ご用意お願いします」

南天の花が咲く季節(3.記者の記憶)

昼過ぎに生姜の紅茶を入れる 少し風邪気味のようなので蜂蜜を垂らす 紅茶を飲みながら壁に飾ってある写真を目にする あの天使の羽根のような娘が今年で二十歳になり、私と同じ記者になるなんて思いもしなかった。私の記者時代は短く、入社して一年で娘を授かり、記者には戻らず、そのまま専業主婦になった。だから私の記者時代の思い出は、あの事件が全てと言っても過言ではない。 松永重政(56)の切断された遺体が近所の子供に発見された事件だ。 「すみません。今、戻りました」 「悪いな。とりあえず会議室で話そう」 私が殺害現場の周辺に取材をしていたら、上司から「この事件、跳ねそうだ。すぐ戻って来てくれ」と言われ急いで会社に戻ってきた。 会議室に行くと先輩が既にいて、ノートPCで作業をしていた。 上司、先輩、私が席に着くと、先輩が警視庁で取材してきた内容を話し出す 「…殺された松永氏は、自宅以外に山奥に屋敷を所有していて、その敷地内に倉庫があるらしい。今朝方、警察がその倉庫を見に行くと沢山の遺体が発見されたんだ。全員少女ばかりで、一見眠っているかのようだだと言ってました…」 「それは松永氏が殺して保管していたってことだよな」 「おそらく…」 衝撃的過ぎて息も出来ない。 上司は私達に指示を出して、会社に帰って来て30分も経たないまま、私は山奥の松永氏の倉庫へ向かう。 妊娠して三ヶ月。全く母親になる準備も無いままこの事件の取材をしていた気がする。寝る時間も食べる時間もろくに作れずボロボロな状態で過ごしていた。本当に無事に産まれてくれて神様と娘に感謝しかない。 実際、私が見た山奥の倉庫は、何でもない一軒家のようで、敷地内の倉庫もベニヤが日に焼けた小汚い小屋に見えたが、それは外壁に古いベニヤを貼っているだけで、中身は真新しい空調の効いた倉庫だった その倉庫の中にベッドを敷き詰め、服を着た少女達の遺体を保管したいたのだ 私の娘も、彼女達と同じ位の歳だ もし、娘が被害にあっていたと思うと、恐ろしく身の毛がよだつ。 彼女達の年齢は、14歳〜20歳で海外の人が多く日本人は一人だけいた。彼女の名前は浜野姫南15歳。結果的に彼女が松永氏の最後の被害者となった。 日本の警察が調べた松永氏の情報は、その後世界を駆け巡り、海外の警察と連携を組む大掛かりな事件へと発展した。 松永氏は海外の客から依頼を受けて、ターゲットとになる少女を日本に送る。松永氏は日本に来たタイミングで少女を殺害しエンバーミングを施して保管する。そして依頼者が日本にいる間、死体の彼女達を提供していた。 松永氏の顧客は世界各国にいて、軒並み表では成人君主の様な権力者だったが、松永氏のニュースで真実が明るみとなり彼等は墜落していった。 ただ日本人女性の浜野姫南さんだけ、依頼も提供も記録がなかったという。 そして、彼女の父親、浜野勝(45)は、松永重政を殺す殺人犯となる。 ラインの着信音が鳴る 「会社にお母さんの事を知っている人がいた」 今さっき思い出していた先輩に違いない 「『娘をよろしくお願いします』と言っておいて」 「『あいよ』だって」 …何だか仲が良さそうだ。あの子の事だから、会社のオジサンたちを上手く使いそうで怖い。

夜の帰り方

よる、かえりみちはねこをさがそう。 猛獣、幽霊、不審者。魑魅魍魎に畏れおののきすぎて、味方であるはずの警官にすらびっくりする始末。 そんなあなたに、ただ一つ。猫を探してほしい。 どこから彼らが現れてきてくれるのか。ルンルンで帰れること間違いなし。まさに夜の案内人。 敵はビニール袋。

お狐さまと暮らす特に何も起こらない日常:08

【すぐできるように準備しとこっかあと言われ僕は靴下を履いたあの日】  昼間にふれたサボテンのちいさなトゲが、抜けていないみたいにかすかな痛みとして胸にある。気にしなければ、たぶん大丈夫なくらい。でも、ちょっとでも気にしてしまえば、みるみる積もっていって我慢ができなくなっていく。痛いのだか、かゆいのだか、わからないようなその感覚に振りまわされるのが嫌で、僕は自分のカラダごと放り出したくなってしまう。 ―どれ、見せてみろ  お狐さまがのぞき込んでくる。いくらお狐さまでもこればっかりは。僕は背中を向けてしまう。 「ごめんね」 ―何がかな? 「だって… 契り…」 ―気にするな。また来年がある  満月はいつの間にか、すぎてしまっていた。   ・  引っ越し先をさがすのは、思っていたより楽しかった。一般的な意味での楽しいではない。あっちの物件を見て、今度はこっちの物件と、忙しく動きまわることで、一時的にでもトゲから目を背けることができるから。そういった点において。   ・  いくつ目の物件だったか覚えていない。その物件はすんなりと真っすぐ伸ばすだけの土地が確保できなかったようで階段がやけに曲がりくねっていた。意図的になのかどうなのか、複雑に曲げられた階段をその通りに沿って登っていき、やけに青い夏の空と、白いもくもくとした雲を見たのを最後に、僕の意識は… 途絶えて… しまった―

ありがとう

 ごめんなさい。そしてたくさん〳〵ありがとう――。そう伝えられた時、私は何も答えることが出来なかった。机の奥に仕舞い込んだマフラーは、未だに包装紙に包まれたままである。  私は、果たしてあの人との時の間で何かを紡ぐことは出来ただろうか。或いは、その糸であの人を暖められていただろうか。  一度、真っ直ぐに過ごしてほしいと、飛車駒を象った菓子を渡されたことがある。二月の雨はまだ冬の冷を含んでいたが、その駒からは暖かな香りがした。口にした時の甘美さは贈り主の白い肌に似ていて、和らかさもやはり贈り主の胸の中を思い出させた。  同じように、私はあの人を包めたことがあっただろうか。この手で温もりを贈ることが出来たであろうか。そう思い返した時、文字通りに有り難いものに自らしてしまっていたように感じた。  気付いた時には、私の手は住所録を取り出していた。記されたナンバーの通りに指先が動く。出てくれるはずはない。しかし、あのありがとうという文字が段々と私をせき立てていた。それはかつての暖かな想いでなく、飛車駒としての誠であった。  今頃、きっとあの人の部屋でベルが鳴っている。ありがとう、ありがとうと何度も口ずさみながら、呼び出し音を聞いていた。

引きずり込む文章

「もっと文章が上手くなりたい!」    幼馴染のオカルト研究会部長兼二か月前に突然性格が変貌した幼馴染のAさんに相談した。  Aさんは、少し考えた後、部室から一冊の本を持って来て、ぼくに貸してくれた。   「ここに書かれている通りのことをやればいいよ」    ぼくは家に帰って、さっそく本を開いた。  本の一行目には、こう書かれていた。   『手書き派の方は四ページから。スマホ・パソコン派の方は百四ページから』   「パソコン派です!」    ぼくは百四ページを開いた。  百四ページの一行目には、こう書かれていた。   『引きずり込む文章を書きたい人は百六ページから』    ぼくは迷わずず百六ページ目を開いた。   『引きずり込む文章の例は百八ページから』    ぼくは迷わずず百八ページ目を開いた。    その瞬間、ぼくの体が本の中へと引きずり込まれた。  漫画でよく見るような、突然体が開いた本に近づいて行き、本に触れた瞬間にこことは違うどこかの世界へ瞬間移動したような感じ。   「ここ、どこ?」    上下左右が霧のようなモヤに包まれている場所で、無色透明の床だろう場所に立って、ぼくは辺りを見渡した。  そして、見知った顔を見つける。   「あ、Aさん」 「なんだあああ! 君も、飲み込まれちったのかああい?」    よかった、いつものAさんだ。   「君もってことは、Aさんも?」 「いや。私は悪魔召喚の儀式に成功したら、その代償に体を奪われた」 「あのAさんは悪魔だったんですね」 「しかし代わりに、悪魔は自分の視界や聴覚を共有してん~~~くれているのさ! だから、君の他にも、悪魔が次々と人を地獄に引きずり込んでいくのを見ていてね。いやあ、たっのしい!」    話を聞いていると、全ての元凶がAさんだということが判明した。  そのせいで、ぼくは地獄に来てしまったというわけだ。    ぼくは喜ぶAさんを見て、溜息を零す。    人を引きずり込む文章を……物理的じゃなくて、心を掴むという意味での文章を書けなくなったことは、素直に残念だ。  でも、目の前で喜んでいるAさんを見ていると、なんだか嬉しい気分になってきた。  だってぼくは、Aさんのことが好きなんだから。    このまま一生、いや永遠に地獄で一緒に入れるんだと思うと、悪くない。   「ところで、Aさんは悪魔を召喚して何を願ったんですか?」 「んんん~~~~? 世界中の人間が、私を好きになるように、だよ」    ……あれ?

梅雨のあとさき

「入ってみないと、どういうふうに部活を辞めていいかわからない」 「付き合ってみないと、どういうふうにその相手と別れていいかもわからないわ」 梅雨の入り口。教室の空気は重く湿り、ふたりの声は湿ったカーテンに吸い込まれて響かない。 「不用意に相手のなかに飛び込んで、体の隅々、どこにホクロがあって」 「それが大きいのか、小さいのか、黒っぽいのか、そうでもないのか」 「すっかり知ってしまうのは、実に怖いことだよ」 「覚悟もないなら尚更よね」 「無断で相手の思考を覗き込んでしまうなんて」 「そんなの、ちょっと…」 ふたりは、まだ出会ってもいない誰かの輪郭を、夕闇のなかで執拗になぞり続けている。 「寒いと外に出るのが億劫になる」 「暑くてもそうよ」 「でも、一度、出てしまえば」 「歩き出せたなら」 「あっちに行ってみよう」 「こっちも見てみたい」 「気持ちは、はずんでいくはずなんだけど…」 「でも、滑稽な話よね」 ふと一方が、自嘲気味に息をついた。 彼らが必死に磨き上げている別れの作法も、ホクロへの恐怖も、実際に誰かの肌に触れた瞬間、全部、ガラクタの山になってしまう。その人物が実在するというたったひとつの事実に、ふたりの積み上げた時間は、一秒たりとも耐えられない。 窓の外では、ついに雨が降り出した。本降りの雨は、アスファルトの熱を容赦なく奪い、景色を灰色に塗り潰していく。 「あっちに行って?」 「こっちも見てみたい?」 「そう思っていた…」 「はずだったのよね?」 「けど…」 「外に出れば、言葉は全部、雨に流されて役立たずになる」 「だから僕たちは、ここから動けないんだ」 「そうやって正解を抱えたまま」 「落ちていくんだろ」 「ふふ」 飽き飽きしているはずの出口のない部屋で、ふたりはまた、まだ見ぬ誰かとの、終わり方の続きを話しはじめる。 外は、激しい雨になった。ふたりの正解を塗りつぶしていく。無慈悲なくらいに。 扉を開ける勇気も、妄想を捨てる覚悟もないまま、ふたりの声は湿った空気のなかに深く、沈んで―

夜は明けるから #4

先生はまず、流し台に置かれた使用済みの皿やカトラリーを洗うためにエプロンを巻いた。テーブルに散乱しているコップや空のボトルもインダと二人で流し台に運んだ。 蛇口から流れる水の音は新鮮で、食器同士の重なる音符はそのまま音楽になるように感じられた。私はしばらく先生の手元から溢れる泡を見ていた。綿みたい。 「インダ。カウルも連れてきてくれる? 晩ご飯にしましょう」 そう言って、先生はインダをカウルの元へ行かせた。私もインダについて行っていいか聞くと、「もちろん、協力してあげて」と微笑。私はこの笑みを胡散臭いとまで思うようになっていた。理由は何となくで、決定打はないのだが。 インダは先生にカウルを呼ぶように言われ、迷わずに外に向かった。インダについて恐る恐る出てみると、そこには見慣れないほど広大な敷地があった。緑の芝がどこまでも続く、広大という言葉で収めていいものか、私は他の言葉を探した。 インダは少し見渡すと、孤児院の傍で寝転がるカウルを見つけた。カウルはボールを抱き締めていた。 「カウル! こんなところで寝たら風邪引くって」 「んんう」 唸り声をあげて寝返りを打つ。もうすぐ日暮れになろうかという青空。夜は暗いから電気をつけるように、という先生の忠告がよぎる。 「ほら、ボールも片付けて! もう晩ご飯だから」 「んん、うるさいな!」 カウルは持っていたボールをインダに向かって、ぶんと投げつけた。ところが、そのボールを軽々と取ってしまうインダ。これが最年長。 「知らないからね」 インダはそう言い残すと、ボールを持ったまま私の方に向き直って「行こ」と手を差し出す。従うべきか、私はすぐにその答えに達した。 何もない外。このボールは子どもたちの心臓だったのだろう。私はインダに手を引かれ、孤児院に戻った。 孤児院の中に入る前に見えたカウルの顔は、どこか寂しそうな顔をしていた。まるで、誰かを待っているかのような、掠れた目だった。 食堂に着くと、先生はトーストと目玉焼き、ベーコンなど、まるで朝ご飯のような晩ご飯を用意していた。食器はさっき片したものを濯いで使ったかのような色をしている。 正直、これを見て食欲は湧かなかった。 「カウルは?」 先生の間の抜けた声に、インダの「知らない」が刺さり、先生はすぐに何かあったのだろうと察した。 「じゃあ、先食べてて。探してくるから」 「外にいるよ」 「ありがとう、インダ」 そう言うと、先生はすぐに孤児院の外に向かった。 インダはテーブルの上のお皿を眺め、台所にあるバスケットからオレンジを一つ盗んだ。 「いいの、それ?」 「大丈夫大丈夫。半分ずつ食べよ」 インダはテーブルを前に椅子に腰掛け、隣に座るよう指示した。名のない古びた椅子ではなく、隣の椅子をだ。私はすぐにその椅子に座った。 誰かの代わり。私は直感的に嫌な気持ちになった。 「こっち、ユキのね」 「ありがとう」 インダは私に多い方を分けてくれた。 「いただきます」 「あ、いただきます」 インダは私につられて、思い出したかのように手を合わせた。フォークを落としそうになったインダは苦笑いをしながら、目玉焼きを頬張った。 それからしばらくすると、カウルを連れた先生が帰ってきた。体感としてはかなり長かった。恐らく、先生がカウルを言葉で説得させていたのだろう。カウルに外傷はないし、泣きべそを書いている様子もない。 先生が暴力を振るうような人には見えないが、警戒はするべきだ。今回はなかった、というだけかもしれない。 カウルは食卓につくと、皿に盛られた食事を見て、「またトースト?」と文句。 「今日はユキも合わせて四人しかいないの。シチューとかいろんな食材を使うのはみんながいる時にしましょう? 今日我慢して?」 「え、帰って来ないんですか?」 私は先生の発言に引っかかって、すぐにベーコンを飲み込んだ。 「ええ。今日は。明日帰ってくるはずよ」 「そうなんですね」 先生はトーストに齧り付いた。焦げ目の付いたトーストは悲鳴をあげているようにも見える。私はインダにもらったオレンジの三日月を一つ口に放り込んだ。甘酸っぱい。 「絶対、帰って来ない。誰も」 カウルは注目を浴びながら、トーストに目玉焼きとベーコンを乗せて、大きな口で大きな一口。 「どういうこと?」と私が問いかけると、先生が口を開いた。 「今回のご家庭はすごくお金持ちみたいで、お話があったときも、子どもをたくさん引き取りたいと言っておられたんです。それを聞いているから、不安なんでしょう」 「アルバートがそうだった。一回見学だって行って出てったやつは帰って来ない。だから、明日は院長だけが帰ってくる。レイは帰って来ない」 冷えた目の理由はそれか。 【つづく】

言語破壊

「まじ、ヤバみでエグみでまんじ」    道行く若者の言葉を聞いて、私はひどく悲しい気分になった。  日本語が、日本語でなくなっていくように感じて。    まじ、とはなんだ。  日本語には、『本当に』という言葉がある。  ヤバみ、とはなんだ。  日本語には、『危険そうだ』や『難しそうだ』という言葉がある。  エグみ、とはなんだ。  いや、本当になんなんだ。    形を変えていく、あるいは消滅していく美しい日本語が、私は恐くて仕方なかった。   「どう思う? ばあさんや」 「東京生まれのあんたがンなこと言ってんでねえ!」    恐怖をばあさんに共有しようと思ったら、まさかのお叱りが返ってきた。  意味も分からず、私は首をひねる。   「変なことを言ったか? 日本語を守ろうとしているだけなのだが」 「あんた、あたしゃが嫁いできたとき、なんといったか覚えとらんのかー!」 「……なんか言ったっけ?」 「『これから東京に住むんだから、方言も直そうな』とか言いやがったんじゃ!」 「言ったな。東京に住むんだから、標準語の方がいいと思って」    ばあさんの言葉の意味が分からずに固まっていると、ばあさんは鬼のような表情へと変わった。  鼻息を荒くして、しわくちゃの顔に、さらに深いしわを作った。   「何が標準語じゃ! 明治に入って整備されただけの、人工若者言語じゃねーか! うちの方言は都が京都の前から存在するわ!」 「いや……でも……標準……」 「黙れ! 江戸より前の人間から見れば、じいさんが標準語って呼んでる日本語も、十分に若者言葉じゃたわけ!」    言葉が詰まる。  今まで、自分の言葉が標準で普通と考えて、疑わなかった。  しかし、ばあさんの言う通り、味方によっては自分の言葉も若者言葉になるのかと気づかされた。  まじも、ヤバみも、エグみも。  二十年もすれば、標準語として使われているのかもしれないと思うと、なんだか自分が恥ずかしくなった。   「すまぬ、ばあさん。私が間違っていた」 「じいさん。分かればいいんじゃ」 「私もこれからは、積極的に新しい言葉を使っていくことにするよ。じじい、日本語を使いこなして、まじでエグいじじいになる!」 「いや、それはキモいからやめて」    ええええええええええええええええええええええええええ。

小分けにされた世界の寓話

さまざまな動物たちが集まる私たちのコミュニティでは、不思議なことに「弱肉強食」は起こりません。皆、外へ狩りに出かけて腹を満たしてから集まるのが、このコミュニティのルールだからです。そのため、ここには暴力など存在しません。 ただ、お腹が満たされ、暇を持て余した彼ら、彼女らは、いつも「何か面白い話はないか」と探し回っているのでした。 ある日のこと、オオカミが声を大にして言いました。 「おい、これは俺が見つけたゴミだぞ! こんなに危険で汚くて、役に立たないものは他にないだろう!」 すると、周りにいた豚やハイエナがそれに賛同し、次々に声を上げました。 「おお! 世の中にはまだこんなゴミがあったのか!」 「ああ、これは間違いなくゴミだ! 他の者にも知らせなくては!」 しかし、離れた所で見ていたハトは首を傾げていました。 「なぜみんな、揃いも揃ってあんなに価値のなさそうなものに集まるのだろう……」 そこでハトは、自分がみつけた、とびきり綺麗な石をみんなに見せて言いました。 「みんな、この綺麗な赤色の石を見てごらんよ! こんなにも美しいんだ!」 しかし、ほとんどの動物たちはチラリとこちらを見ただけで、ちっとも興味を示しません。他の鳥やサルたちは近づいてきて「本当だね」と共感してくれましたが、あの「ゴミ」に集まっている動物たちに比べると、その数はほんのわずかでした。 すると、イヌがハトの近くへ歩み寄って言いました。 「僕や僕に近しい動物達には、赤とか緑とか、そういう色がよく見えないんだよ。どれも似たような色に見えてしまうんだ。君は綺麗な色って言うけれど、僕にはそれが綺麗なのか汚いのか、判別がつかないんだよね」 イヌは少し申し訳なさそうに、言葉を続けました。 「でもね、汚いものなら分かるんだ。汚いとか、危ないとか、嫌だなという感覚は、本能的に分かる。だからみんな、あのゴミの周りに集まって騒いでいるんじゃないかな」 私はその会話を聞いて、とても驚きました。 世界の見え方は、みんな同じだとばかり思っていたからです。自分にとっての『美しい』は、誰にとっても同じように『美しい』と見えているのだと信じ込んでいたのです。 でも、実際はそうではありませんでした。 見えている景色はみんな違う。けれど、「私はこれが美しいと思っている」という自分の気持ちなら、言葉にして伝え合えるはずです。 私は胸を高鳴らせて、みんなに向かって呼びかけました。 「ねぇ、みんな! それぞれの『美しい』を僕に教えてよ! 君たちが見ている世界を、僕にも聴かせておくれ!」

ラーメンサマーガールin渋谷ナイト

彼女は中華料理屋でもらったラーメンを持って走っている 僕はフカヒレスープを右手で持ち左手で蓋をしながら、彼女の後ろを走っている。小雨が降る深夜の渋谷を。 彼女は明るい人で、髪の毛も金髪で明るい。そして長い。小麦色の肌をしている、よく笑う人。 僕は財布を無くし、裸足で救いようがない、情けない男。 彼女と二人で中華料理屋で食事をしている。ポケットにはシワクチャの2千円札と小銭。服は濡れている。 会計の時に、中華料理の大将が食事代をタダにしてくれた。僕の姿が酷かったからか、僕らの恋を応援したくなったからなのか分からない。 ニコニコして、ラーメンとフカヒレスープをくれた。 僕らは大はしゃぎで、いや、彼女が大はしゃぎで、とても楽しそうに走り出した。ラーメンを持ったまま。 白い短いワンピースを雨に濡らして、深夜の道路を僕と二人で走った。 あんな恋は二度としないだろうし あんな夜は二度とないと思う

名無しのビデオ

「あなたは、ワタシさんですか?」 「はい」 「ワタシというのは、漢字で私?」 「いえ、ひらがなで、わたしです」 「じゃあ、わたしさんね。はい、これでいい?」  お相手は、一人称欄に『わたし』と書かれた紙を、わたしに見せる。 「これでも、いいですよ」 「これでも?」 「はい。いや、べつにダメというわけではなくて。でも、べつに漢字で私だろうと、ひらがなでわたしだろうと、カタカナでワタシだろうと。正直、どっちでもよくて」 「じゃあ……どうします? このままひらがな表記にしますか?」 「わたしは、気に入りました」 「そう。本当に、わたしでいいの?」 「はい」  二人は対話を重ねつつ、紙に必要事項を記入していく。性別、出生地、家族構成における立ち位置、生理現象の回数、思考の癖、etc。 「それにしても不思議ですね」 「何がです?」 「いや、その、たかが一人称でしかないわたしが、この人自身に関わる重要な物事を決めてしまってもいいのかなって」 「それが当然のことでは? 〈あなた自身〉のことは、あなた自身で決めるものですから」  ほうける、わたし。  おどろく、お相手。 「あっ、失礼。勝手なことを……。ただ、一人称というのは、生まれる〈その人〉が本名以外で、自ら望んで口にする呼び名です。むしろ本名よりも呼ばれる回数は多いかもしれません。本名と一人称が同じ場合は、なおさら」 「はぁ」 「言ってしまえば、一人称は本名よりも名前。むしろ、第一の名前です」 「第一ですか?」 「ええ。二人称や三人称は、周囲の人々の存在によって、はじめて誕生します。本名もそうです。親や、それ以外の誰かに名づけられるまで、その人は名無しの人となるわけです」  一度、お相手は咳をする。コホン。 「しかし、一人称の場合は話が違う。本名よりも先に生まれる。特別です」 「特別……」 「はい。ですから、生まれる〈その人〉よりもずっと特別な、その人の一人称である『あなた』には、その人のいくつかの生理的かつ個人的な特性を与える、強い決定権があるわけです」  お相手が紙に記入した一人称欄を指差す。しかし、隣の名前欄は空白のままだ。 「でも、わたしがわたしの名前で呼ばれることはない。ですよね?」 「ええ、そうです。あなたは、あくまでも『わたし』さんですから。この空白は、これから生まれる人のためにあるのです」 「でも、わたしと、これから生まれるその人は同じ存在。……ですよね?」 「あなた、先ほどご自分でおっしゃりましたよね。自分は、たかが一人称でしかない、と」 「それは……。でも、よく考えてみたら、わたしと呼ばれるその人と、その人の一人称である『わたし』は、同一人物だって」 「少し違います」  バン。わたしは、机をたたく。 「いったい何が」 「今のあなたは、今の間しか存在しないからですよ」 「え?」 「これから生まれる〈この人〉を構成するものは、たくさんあります。性別さん、細胞さん、心臓さんや肺さん、嗜好さん、内気さん、暴力性さん、幸福度さん」 「……それで?」 「あなたは、これから生まれる人――すなわち、〈あなたが一人称を決定し、担当する人〉の構成要素である、その他大勢と結合することになる」 「けつごう?」 「はい。無数の構成要素が混ざりあうことで、はじめて生物の核が完成します。その核の3割をこれから生まれる人のDNAに流し込み、残りの7割をその人の魂とします。そうすることで、はじめてヒトは誕生することができる。これは他の生物も同じこと」 「わたしは、『わたし』でいられなくなる?」 「まさか。あなたは、これからも〈わたし〉と呼ばれる。それでいいじゃないですか」  わなわなと、わたしがふるえている。  目の前の相手は、事務的に再度、確認をとる。 「本当に、わたしでよかったですか?」

千里の道も一歩かな★湯船に浸かって

「千里さんってお酒飲むんっすか」 「え?お酒?飲むよ。めちゃくちゃ」 「めちゃくちゃ飲む女の人っているんすねぇ」 「いるわよ。ここに。それより早く終わらしちゃおう」 「はーい」 のんびりしている後輩の石川が作業を再開する 今は出庫を緊急停止してもらって、パレットに積まれた箱を一つ一つ開梱している。 周りには段ボールの積まれた出荷待ちのパレットがいくつもあり、トラックに載せていた所を中断してもらっている。何故か?トラブル発生の為です。まぁよくあることなんだけど。 詰替え用の洗剤が液漏れしている可能性がある商品が梱包されてパレットに積まれているはずなのだ。 製造ラインに洗剤が付着しているのを、うちの従業員が見つけたので、ラインを止めて、出庫を止めて、開梱検品している。迷惑もかかるし、生産進捗も遅れるけど、不良品を出荷するわけには行かない。メーカーとの信用問題に関わるから。 「千里さん、ありました!」 「あった?良かった」 「接着不良ですね。ヒーターを見たほうが良さそうです」 「オーケー。とりあえず、石川君はラインに戻ってメーカーのエンジニアさんに連絡してちょうだい。エンジニアさんがマシンを確認している間、洗剤が付着している所を綺麗に清掃しておいて。オーケーが出たら直ぐ生産開始でお願いします」 「はーい。分かりました」 「私は出庫の再開を物流の人に伝えてくるから。よろしく」 「あっ」 「え?何?」 「今日飲みに行きませんか」 「え?あぁ…よし行こう。たまには行こうか」 「ご馳走様でーす」 「まかせて」 千里はフォークリフトの方へ向かう ★★★ 「お疲れ様」 「お疲れ様です」 夜の9時、会社の近くの居酒屋で千里と石川が乾杯をしている トラブルから生産を再開し、生産は当直のメンバーに任せて、報告や記録、片付け等の処理を千里と石川で済ませた。諸々が終わったのが夜の8時で二人ともクタクタだったが、明日は二人とも休みで居酒屋に着いた頃には元気になっていた。 「千里さんお子さんの晩ごはん大丈夫なんですか?誘っといてアレですけど」 「うん大丈夫。もう高校生だからね。さっき電話したら焼きそばとラーメン食べたらしい」 「凄い。焼きそばとラーメンって…食べ盛りですね」 「あんな細いのにどこに入るんだか」 「千里さん再婚しないんすか」 「何、急に…まぁ、したい人がいたらするかもね」 「メガハイボール二つお持ちしました」 「アレ?2個も頼んだんですか?」 「そうよ。1つは石川の分」 「えっ…飲めるかな」 「飲めるよ」 「勝手に決めてるし」 二人の宴は12時を回った所でお開きになり石川が千里を歩いて家まで送っていく 「一人で帰れるって」 「そういう訳にはいかないっすよ」 「誰も心配しないから」 「しますします」 「しかし、めちゃくちゃ飲みますね」 「そうよ。石川も責任者になればこうなるよ」 「俺は責任者はいいや」 「何言ってんの。石川しかいないでしょ。私の後任」 「やめるんすか」 「やめてたまるか」 「はぁそうっすね」 「そうよ」 「あれ、この辺でしたっけ?」 「そう、あそこの家が私のお家」 「あの…千里さん」 「ん?」 「…」 「…」 「…」 「え…?」 ★★★ 帰ると息子たちは既に寝ていた 静かな夜に湯船に浸かりながらさっきの事を思い出していた

君の手を握って

例えば、手を握って教会に行って讃美歌を一緒に聴いたとする あんまり理由がわからなくて、直ぐに出てきてしまいそうだ その後はたこ焼きでも食べに行こう 例えば、手を握って表参道を散歩したとする。「お茶でもしたいな」と思っても、落ち着けるお店が見つからなくて遠くまで歩いてしまいそうだよ そしたらホテルにでも入ればいい 例えば、手を握って車の中で秘密話しをしていても、直ぐにその口を塞ぐことになりそうだ カーナビに載っていない地図の裏側まで行けば誰にも見られない 例えば、手を握って共に生きたとする 指輪を交わし、生活をして、家族が増えて、沢山の喧嘩と数え切れないほどのセックスをしたとしても、別れの危機は来ると思う そしたら、君の手を握ったあの日から、始めて見ようと思っている 君は覚えていないだろうけど。

かたつむりは見かけない

「雨ってさ、好きじゃないけど、梅雨の時期のああいう雰囲気って、なんかいいんだよねえ」  言ったアイツの言葉に、そういう感性的なとこでの一致って「愛してる」って言葉よりも強いモノ感じるなあって発見があった。 「紫陽花の葉にかたつむりがいると余計にそれっぽいけど最近、見ないなあ、かたつむり」アイツは言って「かえるなら見たかな」私が言って「ああ俺も見たなあ」アイツが言った。  アイツは真っ青の紫陽花が好きで、私はちょっとだけ紫が入ったのが好きだった。あるときアイツは、紫がちょっと残った紫陽花を見て「最近これくらいの色のやつ好きになってきた」と言った、うれしそうに。え、なんでさ。私は心のなかで抗議した。そのとき私は、真っ青の紫陽花を好きになりかけていたところだった。  人の気持ちは変わるものなのだなあ。別に、だからって、紫陽花の色に絡めるつもりはぜんぜんなくってね、酸性? アルカリ性? ううん、そんなことに関係なく、変わっていくんだなって、ただなんとなく思っただけのことでね。

裏ドラフト

週末の午後。 都心の貸会議室に、スーツ姿の男たちが集まった。 「だいたい揃いましたかね」 司会の声に、それぞれが椅子を引いた。 「では、始めたいと思います」 「すみません」 最前列の男が手を上げた。 「この資料ですけど、指名方針は決定ですか?」 「はい。12球団すべてのオーナー様からは了承を得ています」 男が周りを見た。 すると、横にいた一人が話し出した。 「君は初めてか。今日はね、ドラフトの話じゃないのよ」 「えっ」 司会が割って入った。 「ドラフト会議のテレビ中継と、球団のイメージ戦略についてです」 会議室に小さな笑いが起こった。 「局側が、もう少しドラマチックにしたいと……」 「どういうことですか?」 「今年は、候補の生い立ちが平凡すぎて、2時間の枠が持たないらしいです」 「やっぱりか……」 資料をめくる音が続いた。 「たとえば、母親が朝から晩まで働いて……とかでしょ?」 「……そう言われてもねぇ」 ──ガチャン。 扉が開き、地方から戻ったスカウトの男が入ってきた。 「理想の子、いました」 額の汗を拭いながら、鞄からタブレットを出した。 「母親がパートを掛け持ちして、五人の子どもを育ててます。その長男ですね」 「いいじゃない。で、野球の実力はどう?」 「まぁ、何とかなるでしょう」 「局側には、この子で時間をつないでもらうとして」 すると、腕を組んで座っていた年配のスカウトが手を上げた。 「こういう子はいい。球団の顔になるし、スポンサーも喜ぶ」 「そうですね。来月の会議まで、もう少しスカウト頑張りますか」 皆がうなずくなか、司会者が正面の机に抽選箱を用意した。 「先ほどの長男の方を指名する球団はありますか?」 男たちが目配せをする。 すると、四球団が手を上げた。 「では、抽選に移ります」

南天の花が咲く季節(2.近所の人の記憶)

庭で南天の白い花が咲いているのを見ると、斜向かいの松永さん家で起きた事件を思い出す あの頃はまだ腕も痛くなく、作りたいものを作っていたが、今は包丁を握ることも、ペットボトルの蓋を開けるにも激痛が走る。 そう言えば、取材の記者さんがしょっちゅう来ていた。初夏も過ぎて酷く暑い夏だったから、素麺なんかを茹でて食べてもらった記憶がある。 まだ若い女性だったけど元気にしているだろうか 熱心に話を聞いてくれていた。 「斎藤さんは松永重政さんとは交流はあったんですか?」 「これ、麦茶。飲んでね」 「ありがとうございます」 「えっとね、松永さんは滅多に見ませんでしたね。ほとんど家にいなかったんじゃないかしら」 「何故そう思われるのですか?」 「何故?…そうね、夜とか家に明かりがついてないし、私はね、毎朝、玄関先を箒で掃いてるんだけど、そうすると近所の人はゴミを出しに外に出てくるのね。この辺は勤めに出てる様な若い人は居ないから、ゴミ出しのない日は誰とも会わないこともあるのだけど、それで松永さんは朝に会うことは一度もなかったわ」 「そうなるとここには松永さんの家だけあって本人は違う所で住んでいたと言うことですよね」 「そうよね…あっでも、たまーに見かけるのよ。たまーに」 「では、たまーに、ここに帰ってくる訳ですね」 「そうなのかもね」 「そのたまーに見たときはどんな様子でしたか?」 「何かを車に運んでて、忙しそうにしてたんだけど」 「どんな物を運んでたんですか?」 「なんか…重そうな段ボールだったけど、それを何個も車に乗せてたわ」 「どんな車ですか?あといつ見たんですか?」 「あれはね…早朝で、私は山に登るのが好きなんだけど、同級生と皆で駅で集まってね行くのよ。その日は富士山に登る予定だったから始発の電車に間に合うように家を出たの、そしたら黒い大きな車あるじゃない?後ろが荷物を沢山入れられるやつ」 「ハイエースとかかもしれませんね」 「それかもしれないわ。私は松永さんを久しぶりに見たから驚いちゃって、咄嗟に挨拶したんだけどね。挨拶して直ぐにしなきゃ良かったなって思って、でも会ったら挨拶するわよね普通」 「えぇご近所ですしね。どんな様子でしたか?」 「何だか忙しそうにしていたわね。松永さんって体が大きいけど、そんな人でも重そうに段ボールの箱を玄関から車に運んでたわね」 「お一人で?」 「一人で。私は挨拶直ぐに駅に向かったけどその時運転席には誰もいなかったわ。あの人も遂に結婚しないで亡くなっちゃったわね。私もしてないけど。フフフ」 「えぇ独身だったようですね。松永さんは子供の頃からここに住んでいるのですか?」 「いや、私が二十歳を過ぎた頃に越してきたのよ。その時は松永さんは5才位だったけど、私も勤めに出てたし会うことは少なかったけど可愛い子だったわよ。目がクリクリして。ハーフなのかしらね」 「松永さんのご両親はどんな方でしたか?」 「越してきたのは松永さんだけなのよ。なんか…噂だとご両親は亡くなられてるみたいで。あそこには松永さんの父方の祖父ににあたる松永繁さんて方がいたんだけど、その方もあまり近所付き合いをしない人でね」 スマホの着信音がなる 「失礼します」 「どうぞ。素麺食べるかしら」 「いえいえ、結構です。お構いなく。…もしもし、え?…はい、はい、少女の死体?はい…分かりました直ぐに戻ります」 記者の若い女性はノートを急いでまとめ鞄にしまう。 「素麺もうすぐ出来ますから食べていって」 「いや…でも私行かないと」 「こんだけ暑いとね、食べないと体が持たないわよ。もうゆで上がったから」 「あぁ…ではお言葉に甘えて」 「どうぞ。お腹に子供がいるんでしょ?だったら子供のためにも食べないとだわよ。私は産んだことないけど。フフフ」 「分かりますか?」 「えぇ、私、助産婦だったのよ。フフフ」 「そうですか…では、いただきます」 「このミョウガは庭の畑で採れたのよ」 「お母さん、これおいしい」 「良かったわ」

夜は明けるから #3

階段を下ったところには団欒のスペースがあった。ソファがコの字に三つ並べられ、真ん中には木製のテーブルが一つ置かれてある。 そこのソファにインダは座っていて、編み物をしていた。ぬいぐるみのような形のものを器用な針使いでこしらえている。真剣な眼差しだった。 私がそれを覗き込むと、「興味あるの?」と私の方を見ずに言い放つ。 インダは編み物をしていると、もしくは人と目を合わさなければ話し合えるタイプなのだろうか。 「曾おばあちゃんがよく編んでた」 「ふーん」 先生は後ろから黙って私とインダの様子を見ている。 「インダは編み物、どれくらいやってるの?」 私がソファの横に座ると、インダは編み物の手を止めて私の顔を見た。驚いた様子で、眼は真ん丸に見開かれている。私はギョッとした。 「なんで名前を?」 「え、先生に聞いたから」 インダは先生を見上げると、少し膨れた顔で「自分で言おうと思ってたのに」と拗ねた。先生は両手を合わせて謝っていたが、音を立てながら毛糸を交わらせるインダの目にはそれは映っていなかった。 私は質問の続きを投げかける。 「ぬいぐるみを編んでるってことは、マフラーとか編んだことある?」 「マフラーは基本。あんなのは簡単」 「すごいね。私はまだコーヒーコースターくらいしか」 「編んだことはあるんだ」 「曾おばあちゃんが教えてくれたから」 「私は独学」 ここが孤児院だということを思い出して、私は言葉に詰まる。何とも言えない空気だ。 インダはそんな私の困惑を察したのか、「先生にはちょっと教えてもらったけど」と付け加えた。そして、私の方を一瞥して、私が苦笑いしているのを確認すると、安堵したのかまたペラペラと話し始めた。その手は正確に毛糸を束ねていく。 「私、将来は服屋さんになりたいんだ。寒い思いをしている人に温かい服を分けてあげたい。だから、コートみたいな大きいのを編めるように、毎日頑張ってる。先生も応援してくれてる」 「すごい夢だね」 「そっちは?」 「ユキでいいよ」 私が名前を教えると、一度顔を上げ、目を合わせてから、再び編み物に戻る。好奇心旺盛なインダが時折顔を出すのが、非常に愛らしい。私は気付いたら笑っていた。 「私は『星見の日渡り』の」 と言いかけて言葉が詰まる。思い出そうとすると、向こうから壁が迫ってきて、まるで前に進めない。夕焼けみたいな風景は思い浮かぶのに、まるで星が見えない。何か焼けるような匂い。私の心に陰るこれは一体何なのだろう。 「何、『星見の日渡り』って?」 インダは針の手を止めて、私のこわばった顔を見た。ハッとして、私はすぐに柔和な顔を作った。 「えっと、それはね、私の住んでた地域にあったイベントの一つで、毎年決められた日に五分だけ町の灯りを全部消して日を跨ぐの」 「あ、それ知ってる」 インダは先生の顔を見て、続きを話してもいいのかと伺っているようだった。しかし、先生は首を傾げ、最終的には小さく首を横に振った。 インダは毛糸と針をテーブルに置くと、近くの籠から綿を取り出す。真っ白い綿の繊維一つ一つが今の私には見える。細かな繊維が毛糸が織り成す壁の間を埋めていく。 「それ、私の方では『外れ丘の火隠し』って呼ばれてる」 「火隠し?」 先生は顔を手で覆った。 インダ曰く、「外れ丘の火隠し」とは奇妙な現象とされていたらしい。一年のある時期に五分間だけ、遠くに見える丘の町灯りがすべて消えるのだ。インダの地域ではその瞬間を見てしまうと、自分の視界からも灯りが消えてしまう、と言い伝えられているのだとか。 インダは「嘘だと思ってたけど」と笑った。 「もし、見てしまったら?」 「知らない」 ぬいぐるみの綿が漏れないよう、最後の仕上げをするインダ。出来上がったのは熊、のような何かのぬいぐるみ。まだ試作品といったようなところ。 「これ、あげる」 「え、いいの?」 「リッカにあげる予定だったけど、いないから」 リッカ、見学に行った子の名前だろうか。 すると、傍で見ていた先生が「じゃあ、次の部屋に行こうか! インダも手伝ってくれない?」と声をかけた。 「あ、施設案内の途中でしたね」 「そんなのやってたの? いいよ、私も案内してあげる」 インダは毛糸と針を籠に入れると、それを近くの棚の上から二列目に背伸びをして入れた。わざわざこうして片すのは、他の子が針を触らないようにするためだろう。最年長らしい配慮だと感心する。 団欒スペースの奥には椅子が八つとテーブルが備えられており、さらにその奥には流し台や食料棚が見える。果物やパンは剥き出しで置かれ、まだ洗われていない食器類が散らかっている。 「先生、まだ洗ってなかったの? 虫湧くよ?」 「えっと、ここが台所と食堂」 「無視した」 インダは目を細めて先生を睨んだ。 【つづく】

雨の日がいいみたい

「告白するなら雨の日がよくない?」  お昼休み、どこかから聞こえてきて私も常葉子もお弁当に向かう手が止まる。「だってさダメでも涙を隠せるでしょ」「ああ」「そっかあ」「考えたね」感想の言葉が飛ぶけれど、誰ひとりとして「断られる前提なんだね」現実をしっかり見つめさせてあげる女の子はいない。残念なことよね、お友だちに恵まれないってさ。悲劇のヒロインにひたりたい女の子のココロのうちは、うへっと胸やけを回避できない。まったくさ、ミニハンバーグが台無しじゃないさ。 「現実が見えてないってしあわせだよねえ」  常葉子はときどき、ほんとにときどき、口が悪くなる。いつもの笑顔のまま「しようのない愚民どもがねえ」とか「SNSって喫茶店の自由に書いてくださいノートみたいよねえ、それ以下だけどう」とか「デモ行為って政治へのアピールというより内的なストレス発散だよねえ」そんな言葉を聞いたことがあって私はそのたびココロがひりっとする。普段はおっとりで笑顔が絶えない常葉子だから、余計にそうなって心臓に悪い。やめなよ、とまでは言わないし思わない。むしろ事実だよなあと思う。実態や真実をそのまま何にも包まないでさらしてしまうのは子どものようだけど、私も常葉子も高校生で世間では半分大人くらいに思われてても、まだまだ中身は子ども。それだって事実だ。  変わりたくないんだ。人生変えなさいよ、学校で女の先生に言われ、家でおかあさんに言われ、街やテレビの広告で言われ、ドラマやら映画で俳優さんたちに言われ。変えることがいいことなんだと決めてかかられる。そうしないといけないんだよとそんなふうな顔を見せてくる。どうしてしないかなあ、理解できないよと嘆かれる。だからさ、私は変えたくないんだって。いまの生活維持したいの、生ぬるいこと言ってとか言うけど変えないのだってたいへんなの。人生に息が詰まってんじゃなくって同調圧力に息苦しいの。 「今日、常葉子のとこ行っていい? 本借りたい」 「いいよう」  常葉子がたまご焼きを丁寧に切り分ける。私はぎこちなくミニハンバーグを割っていく。常葉子がたまご焼きを口にもっていって、私がミニハンバーグに口をつけて。 「具なしパスタで検索かけてんのに具だくさんパスタ出てくんのなんでだろね、やめてほしい」 「きゃはは」 「ウケるはこのコ」 「女子高生がひとり晩ごはんの参考に具なしパスタ検索すんのやめてほしいよ」  さっきまで悲劇のヒロインを演じていた女の子たちはもう、具なしパスタにご執心。  たまご焼き、ミニハンバーグ、ごはん、ごはん、ほうれん草のごま和え、ミニトマト、レタス、ひじき、ごはん、ごはん。お弁当の味は、さっきより少しはマシに感じられた。  常葉子の、いくらかピンクが多めの部屋にそこだけは少し不釣り合いにたくさん並んでいる本たち。これは読んだなあ、次はこれかなあ、前来たときはこのあたり見なかった気がするけど。文庫本の上面を、指を切らないようにやさしく撫でながら思いをはせる。 「まだ読んでない作家さんの借りてきたいんだけどさ」  初めて読む作家さんの小説がおもしろいとうれしくなる。慣れ親しんだお気に入りの作家さんのお話がそうであるよりも。 「これどういう話?」 「世間を認めさせたいその仮面に隠れた、過去に自分を馬鹿にした者への復讐… かなあ」 「重そうだね。これは?」 「若くない女性が、それでもメールで告白してきた男の子にOKの返事を送信する… とか」 「短編?」 「そうだよう」 「んん。これは?」 「とびきり蒸し暑い日は、オーストラリアを思ってすごす… みたいなあ」 「なんでオーストラリア?」 「こっちが暑い時期、向こうでは白い雪が降ってるからあ、場所によるけどう」 「ふうん。これにしてみよっかな」  出してもらったクッキーとオレンジジュースとが、常葉子との楽しい会話に混ざり合い、時間は思っているよりもはやくすぎてしまう。 「ごめん。そろそろ」 「うん。あああ、雨降ってきてるう」 「うそ。傘、持ってないや」 「持っていきなよう」 「ありがと」 「ねえねえ、たいらちゃんさあ」 「ん」 「私さあ… たいらちゃんのこと好きだよう」 「…うん。知ってる」 「へへへ」 「どしたの?」 「想いを伝えてみたくなってさあ」 「急に?」 「へへへ。告白は雨の日がいいみたい、ってえ」 「ふうん… 失敗前提?」 「ちがうよう。成功前提」 「じゃあ、雨じゃなくていいんじゃん」 「へへへ」 「何を隠すの?」 「うれし涙かなあ」  常葉子はいつも突然だ。おっとりしてるくせに、いつもそうやって、私を驚かせてくる。 「えええ、たいらちゃん泣いてんのう?」 「ち、ちがうよ。雨降ってきたからさ」  やっぱり想いを伝えるんだったら、雨の日がいいみたい。

梅雨の晴れ間をあおぎ見て

 梅雨の晴れ間は白く。アスファルトのへこみに溜まった雨の置き土産は青く光る。ちらりさぐってみる。映った自分の顔が青く輝くわけではない。水たまりを覗くとき、映った青空は、僕を覗き見ることはないのだ。  過去の思い出を買い取ってくれるというその店での、ちょっぴり苦い経験。 ―その人との思い出をすべてなくすことになりますが、よろしいですか?  あらためてそう言われ、決意がゆらいでしまった。  僕の困惑をよそに、その店の店主は店の奥に引っ込んだ。しばらくするといい香りが鼻を突いてきた。 ―これでも飲んで、ゆっくり考えてみてください  飲んでみて、懐かしさと、そして、少しの後悔と。あれは、あの子と一緒に飲んだ味だった。ひと口めは熱くて味がわからなくて、ふた口めは苦くて困惑してしまったんだった。 ―そんなこともあったな  中途半端にふらついていた決意は決定的なものになり、あの子との思い出は、いまも手つかずのまま僕のなかに住処を構える。  確かに、そんなこともあったな。  梅雨の晴れ間をあおぎ見る。僕が笑顔で空を見上げるとき、空もまた、こちらに笑いかける。

南天の花が咲く季節(1.僕の記憶)

丸くて明るい月を観ていたら あの日の事を思い出した これは昔の記憶で、今でも明瞭に思い出すことの出来る、ある殺人事件の話である 五月の暑い夕方で、その日は早めにバイトを終えアパートに帰って来た 玄関を開けバッグを下ろすとアパートの外階段を慌ただしく降りてくる音がする。 女性の声で中国語か何かで会話をしていたが、切迫感のある声色に不安になって自分も玄関の外に出でた。降りてきた中国人の女性が電話をしながら何処かへ行く、直ぐに向こうから電話をしながら駆け寄るもう一人の中国人女性と合流していた。二人は、興奮しながら話をしている。二人とも携帯を耳に当てたまま。 そのうち一人が玄関先で立っている僕を見つけ「事件事件」と向こうを指さして教えてくれた。普段挨拶しかしないのに。 せっかく教えてもらったので、鍵もかけずに二人の後を追って「事件事件」に行ってみる事にした 夜と言ってもいい時間だったが空はまだ明るく「まだ明るいな」と思っていたらあっと言う間に月が光っていた 着いた場所はアパートから歩いて十分もしない所。ただ少し奥まった場所で住民以外は通ることのない袋小路だった 既に人だかりが出来ていて、その輪の中に自分も行ってみる事にした パトカーが何台も停まっていて、立ち入り禁止と書かれた黄色いテープの前に警察官が立っている 「こんなのニュースでしか見たことないよ」 と誰かが、もしくは自分が言っている 警察官がひどく苛立っていて、ただ事ではないのかもしれないと感じた記憶がある 規制線のその奥で水色のカッパみたいな物を着た人たちやスーツを着た人たちなどがいるのが見える 普通の街の普通の住宅街で殺人事件が起こったのだと理解し始めた 事件があった家は昔からある古い住宅で小さいが庭があり南天や柿の木が植わっている 玄関は横に引くタイプの田舎にありそうな昔の家屋で、その家の住民、松永重政(56)が殺害された この事件は松永氏が発見された時の様子が衝撃的だった為、連日ニュースになったのを覚えている 当時のニュースや新聞等から得た情報によると松永氏の遺体の頭部が切断され、その頭部は遺体の股間部分に顔を埋めるように置かれていた そして口の中には遺体の切断された陰部が押し込まれていた 松永氏の遺体を発見したのは近所の子供で、かくれんぼをしている時に、松永氏の庭に入り込み、窓から家の中で倒れている松永氏を見つけた。彼が言うには松永氏は普段家にはいなかったので、よくかくれんぼで庭に忍び込んでいたと言う。留守が多かった話は近所の人達も口を揃えて話していて、たまに見かけても挨拶一つしない人だったらしい。近所の人も高齢者ばかりで彼等も引きこもりがちな生活らしく、余計に松永氏とは関わりがなかったと言う。 この事件の闇の深さが出てくるのは、遺体を発見した日の2日後。殺された松永氏が所有する倉庫から若い女性の遺体が見つかり、世間の注目の的となった。遺体の数は全部で37体、国籍はバラバラで日本人も一人だけいた。10代から二十代の若い女性が若い肉体を保ったまま死んでいた。 事件現場の松永氏の家は連日人だかりが出来ていて、記者だったり野次馬だったり。警察官が見張っている頃は良かったが、事件が解決して、警察官がいなくなると、家は荒らされ悪戯書きや窓が割られ、そのまま放置されているのを、たまに通りがかるときに見かけた。 事件から何年も経っているが、今も家は残っていて草や木が生え放題で自然が家を飲み込んでいるような状態になっている。 松永氏を殺害した事件の犯人は事件発覚から1ヶ月もしないで見つかった 確か既に自殺をしていて残されたノコギリに付着した血痕が松永氏の物と一致した為犯人と決定したらしかった それよりも37体の少女の遺体の方が気になってしょうがなかった 「おい、そろそろ行くぞ」 「あっ、はい。他の人達は」 「来ないらしいな」 「待たなくて良いんすか?」 「時間切れだ」 ハイエースに乗って深夜の道路を走る 運転席の男性はさっき初めて会った 「あの、荷物を運ぶだけですよね?」 「そうだ」 「それだけで一万円もらえるんですよね」 「そうだ」 「何運ぶんですか?」 「いいから黙ってろよ。運転に集中出来ないだろ」 「はぁ」

違世界

 気がつくと、うつ伏せに伏していた。  顔を上げると、木々が多い茂った森。  空の淡い青色がかろうじて視認できる程度の密度。 (ここはどこだ……力が入らない……)  混乱に陥る力もなく、意識を手放した。  ── 「うわっ!!」  次に目を開けると、いきなり驚かれた。  金髪におさげの少女に。 「ここは?」 「私の家よ。倒れてたから村の人と協力して連れてきたの」 「ありがとう。ここはどこ、いやどの国だ?」 「ここはウルカナ」  ウルカナ、という言葉に聞き覚えはなかった。  ここは自分の知らない世界なのか?   「私はレベッカ。あなたは?」 「俺は……あれ?」  名前が思い出せない。  そう言えば自分が住んでいた世界がどんなだったかも分からない。  今日は休ませてもらい、翌日広場に向かった。  ウルカナの人々は想像より気のいい人たちであった。 「おっ、権兵衛、もう平気か?」 「権兵衛?」 「ああ、名無しの権兵衛ってな!」  同年代は気さくだった。 「お兄ちゃん外国人? なんか技出して!」 「こらこら、お兄さんを困らせないの」  子どもは純真無垢で、大人は配慮をしてくれる。  村長らしき人が食事にしようと言い出し、みなで集まりパンを頬張る。  少量だが、味わいがある。 「この村ではみんなの収穫物を分けあって生きているのよ」 「温かい村だな」 「みんな平等だからね」 「でも、収穫物を隠してる悪い奴もいるんじゃないか?」 「それはないわ、神様がいるから」 「神様?」 「えぇ、神様はずっと見てるもの。今も、ね」  レベッカが上を見てそう言い、自分は空を見る。  原始的な思考だが、太陽はこちらを見ているのかもしれない、と納得した。  温かい村での、平穏な日常。  だった。 「ウルカナの人々に告げる。こちらの規定に沿って貰いたい。さすれば安寧を約束する」  白いゴワゴワした服を着だ男達が10人ほどやってきた。 「邪神教……!」 「なんなんだ、それは?」 「自分たちの信仰する神を崇拝しろと攻めてくるの」 「邪神教徒ども、帰れ!」 「……まあいい、君たちにはこれを渡したい」  邪神教徒は何やら四角い本を取り出すも、村民の投げた石が手に当たり、落とす。 「出ていけ! さもなくば容赦しないぞ!」 「……」  彼らは反撃……することはなく、そのまま去っていった。 「次来たらただじゃおかねえからな!」  そう言い、村民は邪神教徒が落とした本に火をつけて焼き尽くした。 「どういうことだ? 何が目的だったんだ?」 「多分、経典を持ち込みたかったんだと思うけど」  ここで自分が抱いたのは懸念であった。  どこかを攻撃するには、何かしら言い分があった方が都合がいい。  そこで今回は失敗すると分かっていて経典を持ち込み、布教に失敗したからと侵攻する算段なのでは……? 「経典にはどんなことが書かれてるんだ?」 「私たちには読めないわ」 「そうか……」  仮に邪神教徒が布教を望んでいたとして、なぜ話し言葉は通じるのに書き言葉は通じないのか。  それを手渡そうとした真意は……?  次来たときは、対話するしかない。  無論、都合良く対話などできる相手ではないと思うが……  しかしその対話のチャンスはそれほど遠くないうちに来た。  また白いゴワゴワの服を着た男達がやってきたのだ。  自分は村長に頼み、話し合いに同伴させてもらうことになった。  が…… 「邪神教徒どもだ! ぶち殺せ!」  村民は興奮して農具を武器に邪神教徒に襲い掛かる。 「や、やめろ!」  邪神教徒が3人ほど倒されると、残りはそのまま逃げた。  倒れた邪神教徒は、特に頭と顔面に損傷を加えられた上で放棄された。 (彼らも無抵抗だったし流石に気の毒だ)  仕方なく、自分は一人で埋葬することに決めた。  その時だった。 「ぅ……ぁ……」 「息があるのか!?」 「……俺はあいつらを……解放しようと……」 「あいつら?」 「……理想の……地獄に閉じ込められる……彼らを……」 「何を言ってるんだ……?」  結局男は力尽きた。  しかし、その手には経典が握られている。  自分はそれを読み絶句した。  我が国は貴国の独裁体制による徹底的な統制に胸を痛めており、我々義勇兵は支配からの独立のための援助をするべく派遣された。  貴国の経済援助ならびに物資の支援も行う所存であり、手を取り合い国際社会の平和に協力してくれる事を願う。  ここまで読んで悟った、村民が言っていた神様とは、邪神教徒とは── 「おーい! どうしたの?」  レベッカの声が後ろから響いた。  自分は経典を懐に仕舞うと、笑顔を浮かべて振り返る。  この村を見捨てる算段を立てながら。

友達デトックス

「別に、友達なんていらねえよ。人間最後に頼れるのは、自分だけなんだから」    俺の幼馴染とは、たまに連絡が取れなくなる。  何の前触れもなく、スマホを変えて、メッセージアプリのアカウントも買えて、家も引っ越す。  連絡したら、『このアカウントは使われておりません』とシステムメッセージが届いて、ようやく幼馴染がどこかへ行ったことに気づく。    幼馴染と次に連絡が取れるのは、偶然会った時。  実家の最寄り駅でたまたま顔を合わせた時か、旅行先でたまたま顔を合わせた時。   「おー。久しぶりー」    幼馴染は、昨日別れたばかりかのように、笑顔で俺に挨拶をしてくる。   「久しぶり」    俺も、そんな幼馴染の真似をして返事をする。    幼馴染と再会するたびに、嬉しさが込み上げる反面、心臓にチクリと何かが刺さる感覚がする。  突然連絡を絶つ我儘をやるくせに、こうも容易く友達に戻って来れることに嫉妬して。    偶然会った時、幼馴染は再び連絡先の交換を申し出て来る。  俺のスマホの中には、再び幼馴染の情報が登録される。  幼馴染と近況報告をしあって別れた後は、無意識にスマホを強く握りしめる。  ああ、戻って来たんだと安心する自分がいる。    ずるい。    ずるい。  ずるい。  ずるい。    こうも簡単に、誰かを友達にしてしまう幼馴染がずるい。  俺にはできない。  俺のスマホの中には、家族と幼馴染の情報しかないというのに。    昨日までの空っぽのスマホを思い出し、もう二度と幼馴染の情報が消えないように祈りながら、俺はスマホを抱きかかえた。  そんなことあるわけないと、気づいているのに。

夜は明けるから #2

ベッドの下から出てきた怒った顔の男の子。名前は「カウル」。まだ七歳で、両親は蒸発。六歳の時にこの孤児院にやって来たらしい。カウルのベッドが一番新しいベッドで、ここに私を寝かしたのだそう。当のカウルはそれをとても嫌がったらしいが、インダの説得で渋々引き受けたのだと。 ただ、あの感じ、まだ納得はしていない風だった。あとで謝っておこう、私からも。 「インダ」はカウルをベッドの下から引きずり出したり、私を見て「生き返った」と喚いたりしていたあの女の子。臆病なのに好奇心旺盛という二面性があると、彼女は言っていた。確かに、寝ている私の顔を覗き込んでいた割には起きた私を前に近寄って来なかった。 インダは数年前、まだ彼女がここの孤児院に来る前から居た女の子らしく、この孤児院では最年長。十二歳ほどだと言っていたが、「多分」とか「恐らく」とか付け加えられていたから、曖昧な情報なのだと思う。 と、ここまでの情報をペラペラと話してくれた彼女自身の名前は「ミーリュア」というらしい。カウルは彼女のことをママと呼び、インダは先生と呼ぶ。本人は好きなように呼んでくれたらいいと微笑んでいたが、私も先生と呼ぼうかなと思う。名前で呼んでもいいと思ったが、発音が難しくてやめた。 もともと、先生は畑仕事で生計を立てる農家だったらしいが、収入が安定しないことや結婚のことを考えてここに来たらしい。孤児院の院長とは知り合いだったようで、すぐに働き出せたのだそう。 「あ、話、長かったかな」 先生は眠そうな顔をしていた私を見て、少し慌てて取り繕う。ただ、私は難しい話を聞くと目を細める癖があるだけで、眠くはない。そもそも寝起きだというのに、眠いわけがない。と思いながら、欠伸は出た。 「いえ、大丈夫です」 「そう言えば、あなたの名前がまだだったわね」 「ユキ」 「ユキね、よろしく」 先生の微笑はとても優しい。夜のようにすべてを包んでくれているようだ。ただ、同じくして、何かを隠しているようにも見える。気のせいだろうか。 「気分はどう?」 「優れています」 「なら、孤児院を案内しましょうか? 今日はカウルとインダ以外いないけど、それでも良ければ」 「他のみんなはどこに行ったのですか?」 「うちの子を引き取りたいというご家庭があって、そこに見学。もしそこでご家庭側と子供たち側の価値観や意見が合えば、晴れて孤児院を卒業するのよ」 養子縁組か。私とは無関係な世界だと、ついこの前まで思っていたことが、私の前に座る先生の口から前触れもなく降ってかかるのだ。私は布団を眺めるしかなかった。 「立てる?」 「え? あ、孤児院の案内でしたね」 「そうよ? 手を貸しましょうか?」 「いえ、大丈夫です。一人で立てます」 私は先生の差し出した手を無視してベッドから降り、ベッドの布団を丁寧に畳み、シーツの皺もできる限り伸ばした。これでカウルも少しは黙るだろう。先生はそんな私を見て笑顔で頷いていた。 この部屋は寝室でベッドがたくさんある。見える限りは八つ。ということは、少なくとも子どもは八人いるのだろうか。 「ここは寝室ね。子供たちと先生二人が寝る場所。今日からあなたもここで寝ることになるから、その時はけちなカウルのところじゃなくて、私のところにいらっしゃい」 「どうして初めから先生のところに私を寝かさなかったんですか? そうすれば、カウルもああはならなかったんじゃ」 「子ども同士の交流も大事だと思ったのよ。それに、カウルのが一番いいベッドだって、子供たちも言うから、具合の悪いユキになら譲ってくれるかなって、そう思ったのよね」 少なくとも私の弟は自分のものを誰かに貸そうだなんて発送はない。幼い子であればあるほど、共有するという概念はない。私はそんなことを考えながら、「ふーん」と空気を吐いた。 こんな私ももうここに肺から馴染み始めている。 「部屋を出てすぐにあるこの扉がお手洗い。電気はここね。夜は暗いから、場所忘れないようにね」 先生は廊下に取ってつけたような色の違う扉を開けて、子どもの背に合わせて位置を下げた電気のスイッチを指さす。私は難なく届いた。 お手洗いには洋式のトイレが一つと手洗い場があるだけだった。あまりにも簡素だが、孤児院だということを思い出して口には出さなかった。 「奥の部屋は院長の部屋だから入っちゃダメ。何か用がある時は必ずノックをして、入室の許可が出てから入ること」 私は無言で頷く。 「で、ここが階段。廊下の電気はここにあるから、電気をつけてから階段は下りるように。一度電気をつけずに下りた子がいて、大きな怪我で孤児院では見切れずに入院になった子がいるの。本当に危険だから、電気だけはつけるのよ?」 廊下の端からとぐろを巻いて下る螺旋階段。確かにこれを転げ落ちれば、入院だ。 【つづく】

100万ドルの夜更かし (掌編詩小説)

今日も私の時間がやって来た… 誰にも邪魔されない、私だけの居場所 創作に没頭するのも 鑑賞に没頭するのも 心理診断をするのも ネガティブな気持ちに堕ちていくのも その全てを夜は抱きしめてくれる でも、夜は何も助けない ただ、『夜更かし』という居場所を推し量ってくれる 『【夜更かし】はいけない事』 そんな定説は空の錠剤に詰め込んで 水と共に体内の排泄管に流し込んだ 私みたいな【夜に活きる人】が100万ドルと呼ばれるほどの夜景を生み出している。皮肉にも 100万ドルの夜更かし 不健康と言われても誰にも邪魔されない 私だけの居場所 100万ドルの精神安定剤が きっと貴方の眼に【美しい夜景】として見えるでしょう… (完)

ずっときみの隣で

幼馴染のわたしときみは、幼い時からいつも一緒でお外で駆け回って、毎日のように遊んでいた。 思い出すだけで、今でも胸が締め付けられて泣きそうになる… あの時に戻りたいと、もう数えられないほど思った。 きみが元気いっぱいわたしにニコニコしてくれる姿、 プレーンのパンみたいに真っ白な肌と色素の薄い麦茶色の髪、 お外に出て、おひさまを浴びる姿。 すべてが愛おしくて大好きだった。  放課後、駅まで走って2分前ギリギリに改札を通り抜ける。 家に着くやいなや、わたしはポストを開ける。 今日も入ってるきみからの手紙。 月、おかえり!! 今日の学校はどうだった??僕は今日体調が良くて、お昼から学校に行かれたよ。今日も話したい!!それに、月の話も早く聞きたいな。 スクより 朝送られた「おはよう!」と可愛いクロネコのスタンプを思い出した。 「体調良かったんだ!そっかあ…!良かった…!!」と思わず きみが元気でいてくれて、幸せを感じられてるだけで嬉しくて涙が出そうになった。 わたしの幼馴染、スクくんは小学校に上がる頃、病気になった。発熱が続き、昼間は熱が出つつ比較的下がるが夜になると上がってしまう病気。 小さい子がなるらしい。 スクくんは入院してから、通常の発症よりも治るまでに時間を要した。 回復したものの、病弱気味になってしまったスクくんは、学校に来れなくて会えない日が増えた。 しかし、わたしは高熱でうなされてる中、月と呼ぶ彼を知ってしまった。 何もできないかもしれないけど。 それでも一緒にいるようになった。 わたしは部屋の窓を開けて、彼の部屋の窓をノックした。 「おかえり、月!」と彼は綺麗な顔を綻ばせて、わたしを迎え入れる。 「ただいま、スクくん。」 「今日、ほんと良かった!手紙とLINEスタンプ、嬉しかった。」 「心配してくれてありがとう!今日はお昼から授業受けて、楽しかったよ〜!これ、月ちゃんに。」 そう言って彼はわたしに、アーモンドチョコの箱を渡した。 「わたしの好きなお菓子、買ってくれたの?嬉しい!」 「えへへ!毎日頑張ってる月に、僕からのプレゼント!いつも、そばにいてくれてありがとね。」 お外に出られる時が少なめのスクくんが、わたしのために買って来てくれたもの。 それだけで、胸がいっぱいになった。 「大好き。」言葉が一瞬で流れ出して、わたしはどうしようもなく愛おしいきみに、抱きついた。 「僕も、月が大好きだよ。」 背中をポンポンしてくれるスクくん。 じっと、離れられなかった。 曇り空に少し肌寒い梅雨… 今日は、静かなスクくんの部屋。 夕方になっても、ポストには手紙が届いていない。 〜〜〜♪♪♪ 「月ちゃん?急にごめんね。朝からスクの体調が悪くて、熱でうなされちゃってるんだけど、来てもらえないかしら?」 「うぅ、、月。。」うなされる彼の顔。 冷えピタを貼ったり、おでこの汗を拭う。 手を握って、「代われるなら代わらせてよ、神様。」とただただ願った。 ある温かい春の日。 「ポストを見て。」と朝起きてLINEに気づく。 スクくんだ。 バタバタと階段を駆け降りて、真っ先に玄関で手紙を取り出す。 開けると、そこには、 月へ、おはよう! 僕は今日も元気だよ。春は、温かくて良く眠れるし、そのせいか最近は調子が良いんだ。あの公園に来てほしいな。 スクより わたしは身だしなみを整えて、公園に走った。 「スクくん!手紙見たよ。」 「月ちゃん!」と微笑んで、ベンチから立ち上がる彼。 あの日みたいに、陽だまりに包まれる。 「ここ、懐かしい公園!」 「うん、具合悪くしてからあまり来れなくなったけど。月ちゃんは、いつもそばにいてくれて。病気で怖い夢を見た日も。もう病気はやだって泣いた時も。いつも僕を照らしてくれる月みたいに、一等星だった。」 「わたしこそ!スクくんはわたしにとっての生きがい、生きる意味、なんだよ。」 スゥッと息を吐いて彼は言う。 「月、ずっとずっと昔から大好きだよ。いつも生きる希望をくれる月が、何よりも大切で一等特別だよ。こんな僕だけど、これからもずっとそばにいさせてくれませんか?」 涙が溢れて、言葉に詰まったわたしに、彼はあたふたしはじめる。 「っっ。わたしも、ずっと大好きでした。ずっとそばで生きていきたい。」 わたしたちは抱きしめあって、抱えてきたすべての想いと共に溶けて、流れてしまいそうだった… ーーあれから、わたしたちはハタチになる4月に入籍した。 今日は、わたしとスクくんの結婚記念日。 ーートトトト… 「おかえり、月!」、「まぁま、おかぁえりぃ!」、「りぃ〜!」と駆け寄ってくる足音。 栄養士になった料理上手な旦那様と、可愛い双子ちゃん。 愛しい宝物を、わたしはぎゅっと抱きしめた。

黄昏て歩道橋 (掌編詩小説)

もうこんな時間…黄昏た視界が広がった 仕事終わりと共に何処か哀愁を感じさせる いつの間にか、ここまで歩いていた あっという間の歩道橋 折り返し地点にて、片手に収まった鞄と溢れ出た疲労感 立ち止まって、下を走る自動車たちを見た 私が歩き止まっても、この世界は動き続けていく 今日も黄昏時が終わる前に帰宅するとしよう (完)

古城の姫 (掌編詩小説)

もう誰も居なくなった 紫のリボンが散乱した城内 大きなパーティーがあったようで 大小の開けられたプレゼント箱 それに、寄り添う紫のリボン 古びたのはこの城か、この時代なのか 紫のリボンに巻き包まれた若い女 それは、肖像画として描かれた 散乱したリボンは、同じ色のリボン どれだけ時間が経ったのか判らない 埃の被った発色の良い紫のリボンが現代と古城を繋ぐ いつしか紫のリボンは… この世界に留まり続けさせる 若い女への呪いのような願いに感じた (完)

深夜(望むものは手に入る)

 今日は不眠症気味なので夜近所をブラブラ散歩していた。 世間では不良外国人が起こす問題などが騒がれているが僕は割と話せそうな外国人には話しかけるので(むしろ日本人にいびられているような感じだそれは僕が気持ち悪いからだろうが何か書いててヘコんできた)中国人の知り合いとか欲しいな~とか思いながらテクテク散歩していた。 何か中国語っぽい言葉を話しているカップルがいたので間を取ってこんばんは、と話しかけたら向こうも話に乗ってきてくれた。 僕が統合失調症で生活保護を取っていると言ったら私達中国人よりもあなた達日本人の方が仕事を見つけるのは凄い簡単ですよ、と言われた(日本語がたどたどしいので就ける仕事も限られているのかも知れない) 中国の人に宗教の話はタブーなのかな?と思いながらあなた達は何かの宗教に入っていますか?と聞くと(えらいセンシティブな問題だ下手したら殴られるぞ)私達はクリスチャンですと中国の人は言った。近くのお寺が怖いとも言っていた。宗派の違いでかしら? クリスチャンなら僕も教会に行っているので取っ掛かりがあるぞと思い通っている教会の場所を教えて貰った。今度行ってみよう。 ついでに翻訳アプリなんかも教えて貰ってインストールした。 所々翻訳アプリで冗談を言うと中国のカップルの彼女さんは笑っていた(ユーモアは世界共通なのだな、と思う) 割とシャイなんです、と言うと中国の人は割と豪快です、と言われ肩を組んで友達と言われた。(ちょっと照れるが嬉しい) 何か中国の人の知り合い欲しいな~と思っていて思わぬ所でコミュニケーションできたのでやはりこれはキリストの力だろうか(結構少ない中国人のクリスチャンに会えたのも僥倖だ) 望むものは手に入る、とははて誰の言葉だったか?とカップルと別れてから思う。 また外国人に頑張って話しかけようと思えた夜だった。

トゥルーフェイス

「ミウタク、お前も合コン来ないか?」 「無敵の話術で盛り上げてくれよ!」 「……わるいな」  ミウタク、と呼ばれた男は立ち去ってしまう。 「ミウタク! やっぱ悪かったかな……」 「あんないい奴他にいないのにな……」  ミウタクこと三浦拓哉は頭脳明晰、運動神経抜群、性格も良く、あらゆる能力も高い完璧人間だった。  そう、ルックスを除いて。 「くそっ、何が国立大主席だ! 運動部のヒーローだ! そんなものより、俺は……! 普通の顔に産まれたかった……!」  拓哉は鏡の前で己の醜悪な顔を見て、歯噛みし、スマートフォンを取り出す。  人気者の拓哉はフォロワーも100000人いるが、アイコンはイラストを採用している。  仮に彼の素顔をアイコンにしたら瞬く間にフォロワーは減るだろう、などと考えた。  ふと、マッチングアプリの広告が目に入る。    マッチングしたその日にデート出来るアプリはコイカツ!  消そうとした時に拓哉に悪魔的発想が浮かぶ。  拓哉は独自のAIで非実在の人物の写真や映像を生み出す事が出来た。  これでもし、容姿端麗……  超イケメンの男を作って登録すれば?  拓也はAIを使い、完璧な超イケメンを作った。 「プロフィールはこうかな……」 〇電脳空間 「私、こういうもので、真剣にお付き合いをしたいと考えています」 「良かったら今晩飲みに行きませんか?」    早速、大量にメッセージが届く。  これだけ女性が群がってくるなど生まれて初めてのことだ。  おそらく現実世界では今後もないだろう。  拓哉は手放すのは惜しいと思ったが、決して悪用しようとは考えなかった。 「ミウタク、頼んだ奴出来たか? あれがないと俺の右腕に封じられたインフェルノが……!」 「出来てるよ。 AIのグラビア」 「おっマジサンキュー! MMS!(ミウタク・マジ・仕事できる!) 「ミウタクは将来AIに関する仕事したいんだろ? 良いよなあ、ビジョンがあって。俺は結婚したいとかかなあ」 (結婚? 俺には到底出来ないというのに……)  拓哉は憂さを晴らすかのようにマッチングアプリを開く。   「タクヤさん、お返事待ってます!」 「都内住みでしたら今晩会いませんか?」    拓哉はその膨大なメッセージ一つ一つに真摯に対応した。 「すぐ人に会おうとするのは危険だよ。よくお互いを知り合ってから会うようにしたほうがいい」 「返事、遅れてごめんね。 会うことは出来ないけど、相談なら乗るよ」    その返事は数百に至った。 「ミウタク、見たか? イケメンに完全論破された女!」 「なんだ、それ」 「ほら、このスクショ」 「!」 カナ「私ならあなたを養うことが出来ます。働くなんて愚民のすることですよ。だから低俗な女なんかより私と付き合いませんか?」 タクヤ「申し訳ないが僕は社会に貢献したいと思ってる。養うべきは貴女の心の豊かさじゃないかな」    それは昨日の拓哉とある女性とのやり取りだった。   「くぅ、こいつ言ってることまでイケメンだぜ!」 「この女性がキレてやりとりを晒したらバズって、皆このイケメンに同調してるんだ」 「俺だったら喜んでヒモになるんだけどなぁ」 「は、はは……」  拓哉はSNSでも話題になったこともあり、拓哉目当てでマッチングアプリに登録する者まで現れた。  しかし当初から会話していた女性からこんなメッセージが届く。 「タクヤさん、ごめんなさい、私、借金が出来てしまってもうお会い出来ません」 「借金!? そんな、どうして?」 「タクヤさんとやりとりするのに何十万円も使っちゃったから。 タクヤさん、願わくばお会いしたかった……」    運営は拓哉を利用しようし、課金すればするほど人気ユーザー、つまり拓哉にメッセージを送れるようにした。  拓哉は怒りに震える。  自身に対して、だ。  自分のくだらない思い付きが人を傷つけてしまった。  即座に拓哉はプロフィールを変更した。   「これが素顔です。お騒がせしてすみませんでした」  それはネット上でたちまちニュースになり、話題になった。  信じ切れない声も多く、運営のやり方に疑問を呈した拓哉がわざと醜男を演じたのでは、との意見もあった。  しかし女性を誑かした事実を責める声が強かった。  拓哉もこれ以上会員である意味は無いと思い、退会するためにログインする。  あれほどいたマッチングアプリのフォロワーは1人を残していなくなっていた。  残りの1人も放置しているだけだろうが、退会しようとしたときにメッセージが届く。 「私はどんなタクヤさんも好きです、だって私のこと本気で心配してくれましたから」 「……ありがとう」  図らずもマッチングアプリの騒動は未来の伴侶との出会いをもたらした。