「千里さんってお酒飲むんっすか」 「え?お酒?飲むよ。めちゃくちゃ」 「めちゃくちゃ飲む女の人っているんすねぇ」 「いるわよ。ここに。それより早く終わらしちゃおう」 「はーい」 のんびりしている後輩の石川が作業を再開する 今は出庫を緊急停止してもらって、パレットに積まれた箱を一つ一つ開梱している。 周りには段ボールの積まれた出荷待ちのパレットがいくつもあり、トラックに載せていた所を中断してもらっている。何故か?トラブル発生の為です。まぁよくあることなんだけど。 詰替え用の洗剤が液漏れしている可能性がある商品が梱包されてパレットに積まれているはずなのだ。 製造ラインに洗剤が付着しているのを、うちの従業員が見つけたので、ラインを止めて、出庫を止めて、開梱検品している。迷惑もかかるし、生産進捗も遅れるけど、不良品を出荷するわけには行かない。メーカーとの信用問題に関わるから。 「千里さん、ありました!」 「あった?良かった」 「接着不良ですね。ヒーターを見たほうが良さそうです」 「オーケー。とりあえず、石川君はラインに戻ってメーカーのエンジニアさんに連絡してちょうだい。エンジニアさんがマシンを確認している間、洗剤が付着している所を綺麗に清掃しておいて。オーケーが出たら直ぐ生産開始でお願いします」 「はーい。分かりました」 「私は出庫の再開を物流の人に伝えてくるから。よろしく」 「あっ」 「え?何?」 「今日飲みに行きませんか」 「え?あぁ…よし行こう。たまには行こうか」 「ご馳走様でーす」 「まかせて」 千里はフォークリフトの方へ向かう ★★★ 「お疲れ様」 「お疲れ様です」 夜の9時、会社の近くの居酒屋で千里と石川が乾杯をしている トラブルから生産を再開し、生産は当直のメンバーに任せて、報告や記録、片付け等の処理を千里と石川で済ませた。諸々が終わったのが夜の8時で二人ともクタクタだったが、明日は二人とも休みで居酒屋に着いた頃には元気になっていた。 「千里さんお子さんの晩ごはん大丈夫なんですか?誘っといてアレですけど」 「うん大丈夫。もう高校生だからね。さっき電話したら焼きそばとラーメン食べたらしい」 「凄い。焼きそばとラーメンって…食べ盛りですね」 「あんな細いのにどこに入るんだか」 「千里さん再婚しないんすか」 「何、急に…まぁ、したい人がいたらするかもね」 「メガハイボール二つお持ちしました」 「アレ?2個も頼んだんですか?」 「そうよ。1つは石川の分」 「えっ…飲めるかな」 「飲めるよ」 「勝手に決めてるし」 二人の宴は12時を回った所でお開きになり石川が千里を歩いて家まで送っていく 「一人で帰れるって」 「そういう訳にはいかないっすよ」 「誰も心配しないから」 「しますします」 「しかし、めちゃくちゃ飲みますね」 「そうよ。石川も責任者になればこうなるよ」 「俺は責任者はいいや」 「何言ってんの。石川しかいないでしょ。私の後任」 「やめるんすか」 「やめてたまるか」 「はぁそうっすね」 「そうよ」 「あれ、この辺でしたっけ?」 「そう、あそこの家が私のお家」 「あの…千里さん」 「ん?」 「…」 「…」 「…」 「え…?」 ★★★ 帰ると息子たちは既に寝ていた 静かな夜に湯船に浸かりながらさっきの事を思い出していた
ごめんなさい。そしてたくさん〳〵ありがとう――。そう伝えられた時、私は何も答えることが出来なかった。机の奥に仕舞い込んだマフラーは、未だに包装紙に包まれたままである。 私は、果たしてあの人との時の間で何かを紡ぐことは出来ただろうか。或いは、その糸であの人を暖められていただろうか。 一度、真っ直ぐに過ごしてほしいと、飛車駒を象った菓子を渡されたことがある。二月の雨はまだ冬の冷を含んでいたが、その駒からは暖かな香りがした。口にした時の甘美さは贈り主の白い肌に似ていて、和らかさもやはり贈り主の胸の中を思い出させた。 同じように、私はあの人を包めたことがあっただろうか。この手で温もりを贈ることが出来たであろうか。そう思い返した時、文字通りに有り難いものに自らしてしまっていたように感じた。 気付いた時には、私の手は住所録を取り出していた。記されたナンバーの通りに指先が動く。出てくれるはずはない。しかし、あのありがとうという文字が段々と私をせき立てていた。それはかつての暖かな想いでなく、飛車駒としての誠であった。 今頃、きっとあの人の部屋でベルが鳴っている。ありがとう、ありがとうと何度も口ずさみながら、呼び出し音を聞いていた。
ある政治家が緊急記者会見を開いた。 真剣な面持ちでマイクの前に立つと、集まった記者たちに一礼した。 「私は、国民の皆様の死ぬ権利を保証します」 政治家は動じず、淡々と語り始めた。 「我が国の医療費は年々増加しています。私は、医療費削減のため『尊厳死還付支援金等に関する法律の一部改正を認める法案』を国会に提出しました」 ざわつきの中、政治家は続けた。 「医学的に延命治療が不可能な患者様が尊厳死を選択した場合、延命を続けたときにかかる医療費の半分を還付金として支給します。 申請の妥当性は、AIのみで構成される第三者委員会が判断します。本人、家族、後見人等が尊厳死を理解し、同意することが前提です」 テレビの画面を見つめる女。 その隣には、長い間管につながれたまま眠り続ける夫がいる。声をかけても反応はない。そんな時間が一年を超えていた。 テレビの司会者が、評論家の女に質問した。 「あなたの立場から、今の社会の風潮をどう考えますか?」 「最初は倫理的にどうかなと思いました。でもね、家族の金銭的、精神的負担を考えるとね。国も医療費を減らしたいと思っている。時代の流れかしら」 法案は成立し、運用が開始された。 AIは、不正申請や悪質な養子縁組なども瞬時に判断した。 その実績を政府は大々的に報道し、制度の正当性をアピールした。 あの政治家が再び記者会見を開いた。 「政府は規制緩和の一環として、支援金の有効活用を目的とする民間企業の商品開発、および第三者委員会のAIの一部利用を許可します」 感嘆の声が会場に響いた。 支援金は国民の生活に変化をもたらした。 「故人からの最後の贈り物」として美化され、生活の一部となった。 夫婦の病室。 温かいタオルで夫の体を拭く妻。 医師やAIからは、すでに受理のサインをもらっていた。 署名をすれば終わる…。 妻が机の上を見つめた。 そこには、笑顔で寄り添う二人の写真が飾られていた。
彼女は中華料理屋でもらったラーメンを持って走っている 僕はフカヒレスープを右手で持ち左手で蓋をしながら、彼女の後ろを走っている。小雨が降る深夜の渋谷を。 彼女は明るい人で、髪の毛も金髪で明るい。そして長い。小麦色の肌をしている、よく笑う人。 僕は財布を無くし、裸足で救いようがない、情けない男。 彼女と二人で中華料理屋で食事をしている。ポケットにはシワクチャの2千円札と小銭。服は濡れている。 会計の時に、中華料理の大将が食事代をタダにしてくれた。僕の姿が酷かったからか、僕らの恋を応援したくなったからなのか分からない。 ニコニコして、ラーメンとフカヒレスープをくれた。 僕らは大はしゃぎで、いや、彼女が大はしゃぎで、とても楽しそうに走り出した。ラーメンを持ったまま。 白い短いワンピースを雨に濡らして、深夜の道路を僕と二人で走った。 あんな恋は二度としないだろうし あんな夜は二度とないと思う
僕の祖父は、不思議な人だった。彼は”アイコノクラズム”というみょうちきりんな名前の神様を崇拝していた。 「アイコノクラズムってなんなの?」 僕がそう聞くと、祖父はいつも僕をこう叱りつけた。 「こら、その名前の意味を軽々しく聞くな」 そのせいか、僕の”アイコノクラズム”への興味は段々と膨らんで行った。しかし、祖父は、僕がインターネットや辞書でそれについて調べることを強く禁じた。 「アイコノクラズムってなんなんだ?」 僕がその意味についてぐるぐると頭を巡らせている間にも、祖父の"アイコノクラズム"への信仰心は日に日にひどくなっていき、終いには親戚中に"アイコノクラズム”様の教えを布教しようとするようになった。父をはじめとする親戚一同は、これに腹を立て、彼と縁を切ってしまった。もちろん僕も祖父とはそれっきりだ。それからというもの、孤独となってしまった祖父は次第に生きる気力を失い、今から半年前に孤独死した。僕は彼の葬式の夜に、こっそり"アイコノクラズム”について調べた。その意味は”偶像破壊”。今考えると、ある言葉を偶像として崇拝した結果、自分の人生を壊してしまった祖父にとって皮肉な言葉になってしまったなと思う。
「告白するなら雨の日がよくない?」 お昼休み、どこかから聞こえてきて私も常葉子もお弁当に向かう手が止まる。「だってさダメでも涙を隠せるでしょ」「ああ」「そっかあ」「考えたね」感想の言葉が飛ぶけれど、誰ひとりとして「断られる前提なんだね」現実をしっかり見つめさせてあげる女の子はいない。残念なことよね、お友だちに恵まれないってさ。悲劇のヒロインにひたりたい女の子のココロのうちは、うへっと胸やけを回避できない。まったくさ、ミニハンバーグが台無しじゃないさ。 「現実が見えてないってしあわせだよねえ」 常葉子はときどき、ほんとにときどき、口が悪くなる。いつもの笑顔のまま「しようのない愚民どもがねえ」とか「SNSって喫茶店の自由に書いてくださいノートみたいよねえ、それ以下だけどう」とか「デモ行為って政治へのアピールというより内的なストレス発散だよねえ」そんな言葉を聞いたことがあって私はそのたびココロがひりっとする。普段はおっとりで笑顔が絶えない常葉子だから、余計にそうなって心臓に悪い。やめなよ、とまでは言わないし思わない。むしろ事実だよなあと思う。実態や真実をそのまま何にも包まないでさらしてしまうのは子どものようだけど、私も常葉子も高校生で世間では半分大人くらいに思われてても、まだまだ中身は子ども。それだって事実だ。 変わりたくないんだ。人生変えなさいよ、学校で女の先生に言われ、家でおかあさんに言われ、街やテレビの広告で言われ、ドラマやら映画で俳優さんたちに言われ。変えることがいいことなんだと決めてかかられる。そうしないといけないんだよとそんなふうな顔を見せてくる。どうしてしないかなあ、理解できないよと嘆かれる。だからさ、私は変えたくないんだって。いまの生活維持したいの、生ぬるいこと言ってとか言うけど変えないのだってたいへんなの。人生に息が詰まってんじゃなくって同調圧力に息苦しいの。 「今日、常葉子のとこ行っていい? 本借りたい」 「いいよう」 常葉子がたまご焼きを丁寧に切り分ける。私はぎこちなくミニハンバーグを割っていく。常葉子がたまご焼きを口にもっていって、私がミニハンバーグに口をつけて。 「具なしパスタで検索かけてんのに具だくさんパスタ出てくんのなんでだろね、やめてほしい」 「きゃはは」 「ウケるはこのコ」 「女子高生がひとり晩ごはんの参考に具なしパスタ検索すんのやめてほしいよ」 さっきまで悲劇のヒロインを演じていた女の子たちはもう、具なしパスタにご執心。 たまご焼き、ミニハンバーグ、ごはん、ごはん、ほうれん草のごま和え、ミニトマト、レタス、ひじき、ごはん、ごはん。お弁当の味は、さっきより少しはマシに感じられた。 常葉子の、いくらかピンクが多めの部屋にそこだけは少し不釣り合いにたくさん並んでいる本たち。これは読んだなあ、次はこれかなあ、前来たときはこのあたり見なかった気がするけど。文庫本の上面を、指を切らないようにやさしく撫でながら思いをはせる。 「まだ読んでない作家さんの借りてきたいんだけどさ」 初めて読む作家さんの小説がおもしろいとうれしくなる。慣れ親しんだお気に入りの作家さんのお話がそうであるよりも。 「これどういう話?」 「世間を認めさせたいその仮面に隠れた、過去に自分を馬鹿にした者への復讐… かなあ」 「重そうだね。これは?」 「若くない女性が、それでもメールで告白してきた男の子にOKの返事を送信する… とか」 「短編?」 「そうだよう」 「んん。これは?」 「とびきり蒸し暑い日は、オーストラリアを思ってすごす… みたいなあ」 「なんでオーストラリア?」 「こっちが暑い時期、向こうでは白い雪が降ってるからあ、場所によるけどう」 「ふうん。これにしてみよっかな」 出してもらったクッキーとオレンジジュースとが、常葉子との楽しい会話に混ざり合い、時間は思っているよりもはやくすぎてしまう。 「ごめん。そろそろ」 「うん。あああ、雨降ってきてるう」 「うそ。傘、持ってないや」 「持っていきなよう」 「ありがと」 「ねえねえ、たいらちゃんさあ」 「ん」 「私さあ… たいらちゃんのこと好きだよう」 「…うん。知ってる」 「へへへ」 「どしたの?」 「想いを伝えてみたくなってさあ」 「急に?」 「へへへ。告白は雨の日がいいみたい、ってえ」 「ふうん… 失敗前提?」 「ちがうよう。成功前提」 「じゃあ、雨じゃなくていいんじゃん」 「へへへ」 「何を隠すの?」 「うれし涙かなあ」 常葉子はいつも突然だ。おっとりしてるくせに、いつもそうやって、私を驚かせてくる。 「えええ、たいらちゃん泣いてんのう?」 「ち、ちがうよ。雨降ってきたからさ」 やっぱり想いを伝えるんだったら、雨の日がいいみたい。
「もう少し普通になりなさい」 「どうしてそんなに変なの?」 色んな人に言われた同じような言葉が私の中で繰り返される。 普通、か。 普通とは何か、を具体的に説明してから言って欲しい。 私はいわゆる普通の家庭に生まれた。 父、母、姉が一人。一般的、そう普通。 両親が欠けているわけでもないし、大家族ってわけでもない。普通の家庭。 だけど私は普通ではないらしい。 普通が何かなんてその環境によって決まるのに。 女の子ばかりのところだったら前髪を気にするのが普通だし、芸能界では綺麗なのが普通だ。 普通なんて結局は環境で変化する曖昧なもの。 でも私はどこにいてもその曖昧なものになれなかった。なろうとしてみたこともある。 前髪を気にしてみたり、恋バナに参加してみたり、口元を隠して笑ってみたり。 だけど何か違う。本物にはなれてない感じ。 どんどんボロが出てきて最終的には普通じゃないのがバレてしまう。 みんな陰口を言うのが普通。でもわざわざ、一言注意したら終わることを長々と陰でぐちぐち言う意味がわからない。 みんなスカートを折るのが普通。でも校則を破ってまで、膝を見せたがる意味がわからない。 男好きは嫌われるのが普通。女の子なんて大抵男の子と恋愛をするのに意味がわからない。女の子は大抵、男好きでしょ? 普通になりなさい。って。 性格悪くなってでも、普通にならなきゃいけないの? どうしてそんなに変なの?って。 バカみたいに周りに合わせてる方が変でしょ? 普通になりたい。 そしたら陰口を言う罪悪感も普通への疑問も無くなるのかな。 普通になりたい。 普通だったらきっともう少し生きやすかった。
梅雨の晴れ間は白く。アスファルトのへこみに溜まった雨の置き土産は青く光る。ちらりさぐってみる。映った自分の顔が青く輝くわけではない。水たまりを覗くとき、映った青空は、僕を覗き見ることはないのだ。 過去の思い出を買い取ってくれるというその店での、ちょっぴり苦い経験。 ―その人との思い出をすべてなくすことになりますが、よろしいですか? あらためてそう言われ、決意がゆらいでしまった。 僕の困惑をよそに、その店の店主は店の奥に引っ込んだ。しばらくするといい香りが鼻を突いてきた。 ―これでも飲んで、ゆっくり考えてみてください 飲んでみて、懐かしさと、そして、少しの後悔と。あれは、あの子と一緒に飲んだ味だった。ひと口めは熱くて味がわからなくて、ふた口めは苦くて困惑してしまったんだった。 ―そんなこともあったな 中途半端にふらついていた決意は決定的なものになり、あの子との思い出は、いまも手つかずのまま僕のなかに住処を構える。 確かに、そんなこともあったな。 梅雨の晴れ間をあおぎ見る。僕が笑顔で空を見上げるとき、空もまた、こちらに笑いかける。
週末、親子三人でドライブに出かけた。 「お昼どうする?」 「そうねぇ……その先に魚食べれるとこあったよね」 父親は、海辺の特産市場に車を止めた。 「人、少ないね」 「昼過ぎだし、こんなもんでしょ」 店の前には、魚の加工品が並んでいる。 「珍しい魚、多いね」 「うん」 母親が、小さな瓶を手に取った。 「これ、何ですか?」 「知らんよ」 高齢の女が、顔を上げた。 「ここで作ってるんですか?」 「いいや」 「ママ、見て」 女の子が、水槽に近づいた。 「わぁ、すごい。これ、何て言う魚ですか?」 「バルディア沿岸のシロスジダラだ」 「外国の魚?」 「あぁ。船出すより、仕入れた方が安い」 「えっ……地元の魚は?」 女が、足元からバケツを取り出した。 「これだ」 中には、小さな魚が入っている。 「よく見とけ」 魚を水槽の中に放り込んだ。 すると、寄ってきた魚が、大きな口を開けた。 女が笑い、指をさす。 「こいつら結構うまいらしいぞ」
丸くて明るい月を観ていたら あの日の事を思い出した これは昔の記憶で、今でも明瞭に思い出すことの出来る、ある殺人事件の話である 五月の暑い夕方で、その日は早めにバイトを終えアパートに帰って来た 玄関を開けバッグを下ろすとアパートの外階段を慌ただしく降りてくる音がする。 女性の声で中国語か何かで会話をしていたが、切迫感のある声色に不安になって自分も玄関の外に出でた。降りてきた中国人の女性が電話をしながら何処かへ行く、直ぐに向こうから電話をしながら駆け寄るもう一人の中国人女性と合流していた。二人は、興奮しながら話をしている。二人とも携帯を耳に当てたまま。 そのうち一人が玄関先で立っている僕を見つけ「事件事件」と向こうを指さして教えてくれた。普段挨拶しかしないのに。 せっかく教えてもらったので、鍵もかけずに二人の後を追って「事件事件」に行ってみる事にした 夜と言ってもいい時間だったが空はまだ明るく「まだ明るいな」と思っていたらあっと言う間に月が光っていた 着いた場所はアパートから歩いて十分もしない所。ただ少し奥まった場所で住民以外は通ることのない袋小路だった 既に人だかりが出来ていて、その輪の中に自分も行ってみる事にした パトカーが何台も停まっていて、立ち入り禁止と書かれた黄色いテープの前に警察官が立っている 「こんなのニュースでしか見たことないよ」 と誰かが、もしくは自分が言っている 警察官がひどく苛立っていて、ただ事ではないのかもしれないと感じた記憶がある 規制線のその奥で水色のカッパみたいな物を着た人たちやスーツを着た人たちなどがいるのが見える 普通の街の普通の住宅街で殺人事件が起こったのだと理解し始めた 事件があった家は昔からある古い住宅で小さいが庭があり南天や柿の木が植わっている 玄関は横に引くタイプの田舎にありそうな昔の家屋で、その家の住民、松永重政(56)が殺害された この事件は松永氏が発見された時の様子が衝撃的だった為、連日ニュースになったのを覚えている 当時のニュースや新聞等から得た情報によると松永氏の遺体の頭部が切断され、その頭部は遺体の股間部分に顔を埋めるように置かれていた そして口の中には遺体の切断された陰部が押し込まれていた 松永氏の遺体を発見したのは近所の子供で、かくれんぼをしている時に、松永氏の庭に入り込み、窓から家の中で倒れている松永氏を見つけた。彼が言うには松永氏は普段家にはいなかったので、よくかくれんぼで庭に忍び込んでいたと言う。留守が多かった話は近所の人達も口を揃えて話していて、たまに見かけても挨拶一つしない人だったらしい。近所の人も高齢者ばかりで彼等も引きこもりがちな生活らしく、余計に松永氏とは関わりがなかったと言う。 この事件の闇の深さが出てくるのは、遺体を発見した日の2日後。殺された松永氏が所有する倉庫から若い女性の遺体が見つかり、世間の注目の的となった。遺体の数は全部で37体、国籍はバラバラで日本人も一人だけいた。10代から二十代の若い女性が若い肉体を保ったまま死んでいた。 事件現場の松永氏の家は連日人だかりが出来ていて、記者だったり野次馬だったり。警察官が見張っている頃は良かったが、事件が解決して、警察官がいなくなると、家は荒らされ悪戯書きや窓が割られ、そのまま放置されているのを、たまに通りがかるときに見かけた。 事件から何年も経っているが、今も家は残っていて草や木が生え放題で自然が家を飲み込んでいるような状態になっている。 松永氏を殺害した事件の犯人は事件発覚から1ヶ月もしないで見つかった 確か既に自殺をしていて残されたノコギリに付着した血痕が松永氏の物と一致した為犯人と決定したらしかった それよりも37体の少女の遺体の方が気になってしょうがなかった 「おい、そろそろ行くぞ」 「あっ、はい。他の人達は」 「来ないらしいな」 「待たなくて良いんすか?」 「時間切れだ」 ハイエースに乗って深夜の道路を走る 運転席の男性はさっき初めて会った 「あの、荷物を運ぶだけですよね?」 「そうだ」 「それだけで一万円もらえるんですよね」 「そうだ」 「何運ぶんですか?」 「いいから黙ってろよ。運転に集中出来ないだろ」 「はぁ」
「先生。私、生きてても仕方ないんです。何の役にも立たないんです」 生気の抜けた表情で、患者がそう呟いた。 私は、何枚かの書類を出して、患者の前に置いた。 患者は無言で書類を受け取って、内容に目を見開いた。 『いじめ加害者。現在は大手企業の課長。幸せ』 『八股浮気屑男。現在は結婚して二児のパパ。幸せ』 『殺人鬼。現在は出所して勤勉に労働中。幸せ』 「おかしいじゃないですか!」 患者は机に書類を叩きつけて叫んだ。 私は患者を見ながら、柔らかい笑みを作った。 「おかしいですね」 「なんで! こんな屑が幸せで! 私が不幸なんですか!」 「それは、この世界が男性に優位にできているからです!」 「最悪最悪最悪! じゃあ、私が役に立たないのも不幸なのも、全部男のせいってことじゃないですか!」 「はい。その通りです」 その後、患者の愚痴を一通り聞いて、診察は終わった。 患者は怒りを隠せないまま、診察室を出て行った。 私は一息ついて、処方箋を看護師に渡した。 さて、私のやったことは正しかったのだろうか。 患者はきっと、恨みを支えに今後も生き続ける。 もう死にたいと思うこともないだろうが、その生き方は健全なのか。 「難しいねえ、世の中は」 私は天井を見上げてしばしボーっとする。 が、ノックの音が聞こえたので、姿勢を正した。 「どうぞ」
気がつくと、うつ伏せに伏していた。 顔を上げると、木々が多い茂った森。 空の淡い青色がかろうじて視認できる程度の密度。 (ここはどこだ……力が入らない……) 混乱に陥る力もなく、意識を手放した。 ── 「うわっ!!」 次に目を開けると、いきなり驚かれた。 金髪におさげの少女に。 「ここは?」 「私の家よ。倒れてたから村の人と協力して連れてきたの」 「ありがとう。ここはどこ、いやどの国だ?」 「ここはウルカナ」 ウルカナ、という言葉に聞き覚えはなかった。 ここは自分の知らない世界なのか? 「私はレベッカ。あなたは?」 「俺は……あれ?」 名前が思い出せない。 そう言えば自分が住んでいた世界がどんなだったかも分からない。 今日は休ませてもらい、翌日広場に向かった。 ウルカナの人々は想像より気のいい人たちであった。 「おっ、権兵衛、もう平気か?」 「権兵衛?」 「ああ、名無しの権兵衛ってな!」 同年代は気さくだった。 「お兄ちゃん外国人? なんか技出して!」 「こらこら、お兄さんを困らせないの」 子どもは純真無垢で、大人は配慮をしてくれる。 村長らしき人が食事にしようと言い出し、みなで集まりパンを頬張る。 少量だが、味わいがある。 「この村ではみんなの収穫物を分けあって生きているのよ」 「温かい村だな」 「みんな平等だからね」 「でも、収穫物を隠してる悪い奴もいるんじゃないか?」 「それはないわ、神様がいるから」 「神様?」 「えぇ、神様はずっと見てるもの。今も、ね」 レベッカが上を見てそう言い、自分は空を見る。 原始的な思考だが、太陽はこちらを見ているのかもしれない、と納得した。 温かい村での、平穏な日常。 だった。 「ウルカナの人々に告げる。こちらの規定に沿って貰いたい。さすれば安寧を約束する」 白いゴワゴワした服を着だ男達が10人ほどやってきた。 「邪神教……!」 「なんなんだ、それは?」 「自分たちの信仰する神を崇拝しろと攻めてくるの」 「邪神教徒ども、帰れ!」 「……まあいい、君たちにはこれを渡したい」 邪神教徒は何やら四角い本を取り出すも、村民の投げた石が手に当たり、落とす。 「出ていけ! さもなくば容赦しないぞ!」 「……」 彼らは反撃……することはなく、そのまま去っていった。 「次来たらただじゃおかねえからな!」 そう言い、村民は邪神教徒が落とした本に火をつけて焼き尽くした。 「どういうことだ? 何が目的だったんだ?」 「多分、経典を持ち込みたかったんだと思うけど」 ここで自分が抱いたのは懸念であった。 どこかを攻撃するには、何かしら言い分があった方が都合がいい。 そこで今回は失敗すると分かっていて経典を持ち込み、布教に失敗したからと侵攻する算段なのでは……? 「経典にはどんなことが書かれてるんだ?」 「私たちには読めないわ」 「そうか……」 仮に邪神教徒が布教を望んでいたとして、なぜ話し言葉は通じるのに書き言葉は通じないのか。 それを手渡そうとした真意は……? 次来たときは、対話するしかない。 無論、都合良く対話などできる相手ではないと思うが…… しかしその対話のチャンスはそれほど遠くないうちに来た。 また白いゴワゴワの服を着た男達がやってきたのだ。 自分は村長に頼み、話し合いに同伴させてもらうことになった。 が…… 「邪神教徒どもだ! ぶち殺せ!」 村民は興奮して農具を武器に邪神教徒に襲い掛かる。 「や、やめろ!」 邪神教徒が3人ほど倒されると、残りはそのまま逃げた。 倒れた邪神教徒は、特に頭と顔面に損傷を加えられた上で放棄された。 (彼らも無抵抗だったし流石に気の毒だ) 仕方なく、自分は一人で埋葬することに決めた。 その時だった。 「ぅ……ぁ……」 「息があるのか!?」 「……俺はあいつらを……解放しようと……」 「あいつら?」 「……理想の……地獄に閉じ込められる……彼らを……」 「何を言ってるんだ……?」 結局男は力尽きた。 しかし、その手には経典が握られている。 自分はそれを読み絶句した。 我が国は貴国の独裁体制による徹底的な統制に胸を痛めており、我々義勇兵は支配からの独立のための援助をするべく派遣された。 貴国の経済援助ならびに物資の支援も行う所存であり、手を取り合い国際社会の平和に協力してくれる事を願う。 ここまで読んで悟った、村民が言っていた神様とは、邪神教徒とは── 「おーい! どうしたの?」 レベッカの声が後ろから響いた。 自分は経典を懐に仕舞うと、笑顔を浮かべて振り返る。 この村を見捨てる算段を立てながら。
公園のベンチに、白髪の女が座っている。 女はスマホを眺めながら、小さなため息をついた。 「どうした、そんな顔して」 顔見知りの男が声をかけた。 「あぁ、あんたか。いや、娘から連絡があってな」 「疎遠になってる娘か?」 「結婚して、子どもが生まれたんだ。顔見にこいって」 「おぉ、よかったじゃないか」 女の隣に、男が座った。 「金がないんだ。電車代と、孫になんか買って行かんと」 「それもそうだな」 「あんた、金貸してくれ」 「ダメだ。今日の軍資金がなくなる」 男は笑いながら指差した。 「そこの路地んとこに、店があるだろ。そこ、買い取り屋だから何か売って金にしろ」 「はぁ……売れるもんない」 「孫が生まれて嬉しい気持ちを売ればいい」 「そんなもん買ってくれるのか」 「半分だけならいいだろ」 女は、路地裏にある買い取り屋の扉を開けた。 「どうだった?」 「半分だけ買い取ってもらった」 女の頬が緩む。 「じゃあ、今から孫のとこ行くんだな」 「ん……今日じゃなくていいだろ。軍資金も入ったし、ちょっとだけ行くか」 「お前なぁ……」 自動ドアが開くと、賑やかな音楽が聞こえた。 女は軍資金を胸のポケットに入れ、いつもの台に座った。
「別に、友達なんていらねえよ。人間最後に頼れるのは、自分だけなんだから」 俺の幼馴染とは、たまに連絡が取れなくなる。 何の前触れもなく、スマホを変えて、メッセージアプリのアカウントも買えて、家も引っ越す。 連絡したら、『このアカウントは使われておりません』とシステムメッセージが届いて、ようやく幼馴染がどこかへ行ったことに気づく。 幼馴染と次に連絡が取れるのは、偶然会った時。 実家の最寄り駅でたまたま顔を合わせた時か、旅行先でたまたま顔を合わせた時。 「おー。久しぶりー」 幼馴染は、昨日別れたばかりかのように、笑顔で俺に挨拶をしてくる。 「久しぶり」 俺も、そんな幼馴染の真似をして返事をする。 幼馴染と再会するたびに、嬉しさが込み上げる反面、心臓にチクリと何かが刺さる感覚がする。 突然連絡を絶つ我儘をやるくせに、こうも容易く友達に戻って来れることに嫉妬して。 偶然会った時、幼馴染は再び連絡先の交換を申し出て来る。 俺のスマホの中には、再び幼馴染の情報が登録される。 幼馴染と近況報告をしあって別れた後は、無意識にスマホを強く握りしめる。 ああ、戻って来たんだと安心する自分がいる。 ずるい。 ずるい。 ずるい。 ずるい。 こうも簡単に、誰かを友達にしてしまう幼馴染がずるい。 俺にはできない。 俺のスマホの中には、家族と幼馴染の情報しかないというのに。 昨日までの空っぽのスマホを思い出し、もう二度と幼馴染の情報が消えないように祈りながら、俺はスマホを抱きかかえた。 そんなことあるわけないと、気づいているのに。
医者と言う肩書は、医師国家試験を合格しなければ名乗れない。 弁護士と言う肩書は、司法試験を合格しなければ名乗れない。 故に、肩書を名乗ることは、世間から大きな信用を得ることと同義だ。 「信用が欲しいな」 俺も、そんな肩書が欲しかった。 口にするだけで、周囲から尊敬を集められるような肩書が。 残念ながら、俺には才能がなかったようで、なんの肩書も手に入らなかったが。 「ならば、この私が肩書を授けてしんぜよう」 愚痴を零したら、調子に乗った友達が調子に乗った相談をしてきた。 ちょっと面白そうだったので、友達を見守ることにした。 友達は目をギュッとつぶりながら、難しそうな表情で頭を捻る。 そして、カッと目を見開いたかと思うと、俺を指差して一言叫んだ。 「影の英雄!」 「……カゲノエイユウ?」 「そう。世間からは知られていないが、実は世間を救っている英雄だ」 「俺、何もしてないけど」 「実は、生きているだけで、世界の因果律とか空間律とかを調整する役割を持っていて、存在するだけで世界の役に立っているんだ」 「なんだそりゃ」 突拍子もない肩書に、思わず呆れかえってしまった。 だが、何故だか悪くないとも感じた。 絶対に人前で口にしたくはないが、自分で自分に価値を見出す方法としては、案外よかったのかもしれない。 「じゃ、お前は真実の発見者な」 「シンジツノハッケンシャ?」 「世間からは知られていない俺を見つけたんだから、発見者だろ」 「あははは」 俺の提案に、友達は笑い転げた。 腹を抱えながら、涙を流しながら笑った。 「ダサいからいいわ」 「おい。お前の提案と、どこが違うんだよ?」
ベッドの下から出てきた怒った顔の男の子。名前は「カウル」。まだ七歳で、両親は蒸発。六歳の時にこの孤児院にやって来たらしい。カウルのベッドが一番新しいベッドで、ここに私を寝かしたのだそう。当のカウルはそれをとても嫌がったらしいが、インダの説得で渋々引き受けたのだと。 ただ、あの感じ、まだ納得はしていない風だった。あとで謝っておこう、私からも。 「インダ」はカウルをベッドの下から引きずり出したり、私を見て「生き返った」と喚いたりしていたあの女の子。臆病なのに好奇心旺盛という二面性があると、彼女は言っていた。確かに、寝ている私の顔を覗き込んでいた割には起きた私を前に近寄って来なかった。 インダは数年前、まだ彼女がここの孤児院に来る前から居た女の子らしく、この孤児院では最年長。十二歳ほどだと言っていたが、「多分」とか「恐らく」とか付け加えられていたから、曖昧な情報なのだと思う。 と、ここまでの情報をペラペラと話してくれた彼女自身の名前は「ミーリュア」というらしい。カウルは彼女のことをママと呼び、インダは先生と呼ぶ。本人は好きなように呼んでくれたらいいと微笑んでいたが、私も先生と呼ぼうかなと思う。名前で呼んでもいいと思ったが、発音が難しくてやめた。 もともと、先生は畑仕事で生計を立てる農家だったらしいが、収入が安定しないことや結婚のことを考えてここに来たらしい。孤児院の院長とは知り合いだったようで、すぐに働き出せたのだそう。 「あ、話、長かったかな」 先生は眠そうな顔をしていた私を見て、少し慌てて取り繕う。ただ、私は難しい話を聞くと目を細める癖があるだけで、眠くはない。そもそも寝起きだというのに、眠いわけがない。と思いながら、欠伸は出た。 「いえ、大丈夫です」 「そう言えば、あなたの名前がまだだったわね」 「ユキ」 「ユキね、よろしく」 先生の微笑はとても優しい。夜のようにすべてを包んでくれているようだ。ただ、同じくして、何かを隠しているようにも見える。気のせいだろうか。 「気分はどう?」 「優れています」 「なら、孤児院を案内しましょうか? 今日はカウルとインダ以外いないけど、それでも良ければ」 「他のみんなはどこに行ったのですか?」 「うちの子を引き取りたいというご家庭があって、そこに見学。もしそこでご家庭側と子供たち側の価値観や意見が合えば、晴れて孤児院を卒業するのよ」 養子縁組か。私とは無関係な世界だと、ついこの前まで思っていたことが、私の前に座る先生の口から前触れもなく降ってかかるのだ。私は布団を眺めるしかなかった。 「立てる?」 「え? あ、孤児院の案内でしたね」 「そうよ? 手を貸しましょうか?」 「いえ、大丈夫です。一人で立てます」 私は先生の差し出した手を無視してベッドから降り、ベッドの布団を丁寧に畳み、シーツの皺もできる限り伸ばした。これでカウルも少しは黙るだろう。先生はそんな私を見て笑顔で頷いていた。 この部屋は寝室でベッドがたくさんある。見える限りは八つ。ということは、少なくとも子どもは八人いるのだろうか。 「ここは寝室ね。子供たちと先生二人が寝る場所。今日からあなたもここで寝ることになるから、その時はけちなカウルのところじゃなくて、私のところにいらっしゃい」 「どうして初めから先生のところに私を寝かさなかったんですか? そうすれば、カウルもああはならなかったんじゃ」 「子ども同士の交流も大事だと思ったのよ。それに、カウルのが一番いいベッドだって、子供たちも言うから、具合の悪いユキになら譲ってくれるかなって、そう思ったのよね」 少なくとも私の弟は自分のものを誰かに貸そうだなんて発送はない。幼い子であればあるほど、共有するという概念はない。私はそんなことを考えながら、「ふーん」と空気を吐いた。 こんな私ももうここに肺から馴染み始めている。 「部屋を出てすぐにあるこの扉がお手洗い。電気はここね。夜は暗いから、場所忘れないようにね」 先生は廊下に取ってつけたような色の違う扉を開けて、子どもの背に合わせて位置を下げた電気のスイッチを指さす。私は難なく届いた。 お手洗いには洋式のトイレが一つと手洗い場があるだけだった。あまりにも簡素だが、孤児院だということを思い出して口には出さなかった。 「奥の部屋は院長の部屋だから入っちゃダメ。何か用がある時は必ずノックをして、入室の許可が出てから入ること」 私は無言で頷く。 「で、ここが階段。廊下の電気はここにあるから、電気をつけてから階段は下りるように。一度電気をつけずに下りた子がいて、大きな怪我で孤児院では見切れずに入院になった子がいるの。本当に危険だから、電気だけはつけるのよ?」 廊下の端からとぐろを巻いて下る螺旋階段。確かにこれを転げ落ちれば、入院だ。 私は電気をつけた。
二月十四日。義孝は父の部屋にいた。 足を組んで貧乏ゆすりをしながら電話機を見ている。電話の発信ボタンを押そうとしてやめる。しばらくしてスマホを取り出し、YouTubeを開いて動画を見る。 窓から光が差し込む。 「結局のところやらない後悔よりやる後悔のほうが……」 YouTubeの声が聞こえる。 動画が終わり、義孝は再び電話機を見た。そして綾香に電話をかける。 「はい、もしもし」 「なかたにさんいらっしゃいますか?」 「はい、中谷ですけど……」 「あっ、綾香さんはいますか?」 「はい」 少し離れたところから声が聞こえる。 「綾香ー、電話」 「どちら様ですか?」 「義孝です」 「……はい」 義孝は足を組んで頭をかき上げる。そのままの姿勢で言った。 「あのさ、結構前から好きだったんだよね。……付き合ってほしいなと思って」 「考えさせてください」 「うん。わかった」 電話は終わった。 九月二十四日。 義孝は部屋のカレンダーを見ていた。ため息をつく。 すると通知音が鳴り、ケータイを見る。 「綾香です」というメッセージが届いている。 続けて「今電話できる?」というメッセージ。 義孝は返信する。 「うん! できるよ」 すると義孝のケータイに綾香から電話がかかってきた。 「もしもし」 「告白の返事なんだけどさ、友達のままがいいです」 「うん、そっか。わかった」 「ごめんね」 「ぜんぜん」 「じゃあ、切るね」 「うんじゃあね」 「ばいばい」 電話が切れる。 義孝はベッドに身を投げ出した。 教室の外には雪が降っている。 「はい、今から隣の席の人とグループワークをやってもらいます」 先生が言った。 義孝は教科書を忘れたことに気づき、視線が泳ぐ。 「教科書見してくれない?」 「いいよ」 グループワークが早めに終わった。 「あのさ、もう気まずくない?」 「義孝君は?」 「ん? ああ、もう気まずくないかな」 「じゃあ、私も」 無言の時間が続く。 「はい、じゃあグループワークを終わってください」 先生の声が響いた。 その日の夜。 窓は透明なガラスで、外は暗い。 義孝は椅子に座っていた。肘を立てて拳で頭を支えている。目はうつろだった。 ケータイの充電が少ないのを確認し、父親の部屋に行く。そこにある充電器を持ってきて、YouTubeを見る。 「失敗しても問題ないんですよね。失敗しない人より失敗する人のほうが大人になって振り返った時に充実してたと感じやすいし、将来成功する確率が高いってことがわかっているんですよ」 YouTubeの声が流れる。 翌日。 義孝はベッドから起きてリビングに向かった。 窓はすりガラスで光が差している。 「おはよ」 おばあちゃんが声をかける。 「おはよ!」 玄関を開け、学校に向かった。
今日も私の時間がやって来た… 誰にも邪魔されない、私だけの居場所 創作に没頭するのも 鑑賞に没頭するのも 心理診断をするのも ネガティブな気持ちに堕ちていくのも その全てを夜は抱きしめてくれる でも、夜は何も助けない ただ、『夜更かし』という居場所を推し量ってくれる 『【夜更かし】はいけない事』 そんな定説は空の錠剤に詰め込んで 水と共に体内の排泄管に流し込んだ 私みたいな【夜に活きる人】が100万ドルと呼ばれるほどの夜景を生み出している。皮肉にも 100万ドルの夜更かし 不健康と言われても誰にも邪魔されない 私だけの居場所 100万ドルの精神安定剤が きっと貴方の眼に【美しい夜景】として見えるでしょう… (完)
明日は月曜日。 平日だ。 また仕事に行かなくちゃならない。 ああ、嫌だ。 嫌だ。嫌だ。嫌だ。 どうして月曜日なんて来るんだ。 ずっと、日曜日のままがいい。 それを呟いたのが、一万年前。 今日も目が覚めたら日曜日。 なんど時計を見ても、時間は変わらない。 何度も泣き叫んだ。 何度も神に祈った。 何度も自殺した。 しかし、日曜日は繰り返される。 「行ってきまーす」 隣の家から出ていく高校生は、今日も元気に部活へ向かう。 それを見送る親も、どことなく楽しそうだ。 二人を殺したのは、何千年前だったか。 もう、やりたいことがない。 月曜日、来い。 月曜日、来い。 月曜日、来い。 早く、休日を終わらせてくれ。
幼馴染のわたしときみは、幼い時からいつも一緒でお外で駆け回って、毎日のように遊んでいた。 思い出すだけで、今でも胸が締め付けられて泣きそうになる… あの時に戻りたいと、もう数えられないほど思った。 きみが元気いっぱいわたしにニコニコしてくれる姿、 プレーンのパンみたいに真っ白な肌と色素の薄い麦茶色の髪、 お外に出て、おひさまを浴びる姿。 ーーすべてが愛おしくて大好きだった。 放課後、駅まで走って2分前ギリギリに改札を通り抜ける。 家に着くやいなや、わたしはポストを開ける。 今日も入ってるきみからの手紙。 月、おかえり!! 今日の学校はどうだった??僕は今日体調が良くて、お昼から学校に行かれたよ。今日も話したい!!それに、月の話も早く聞きたいな。 スクより 朝送られた「おはよう!」と可愛いクロネコのスタンプを思い出した。 「体調良かったんだ!そっかあ…!良かった…!!」と思わず きみが元気でいてくれて、幸せを感じられてるだけで嬉しくて涙が出そうになった。 わたしの幼馴染、スクくんは小学校に上がる頃、病気になった。発熱が続き、昼間は熱が出つつ比較的下がるが夜になると上がってしまう病気。 小さい子がなるらしい。 スクくんは入院してから、通常の発症よりも治るまでに時間を要した。 回復したものの、病弱気味になってしまったスクくんは、学校に来れなくて会えない日が増えた。 しかし、わたしは高熱でうなされてる中、月と呼ぶ彼を知ってしまった。 何もできないかもしれないけど。 それでも一緒にいるようになった。 わたしは部屋の窓を開けて、彼の部屋の窓をノックした。 「おかえり、月!」と彼は綺麗な顔を綻ばせて、わたしを迎え入れる。 「ただいま、スクくん。」 「今日、ほんと良かった!手紙とLINEスタンプ、嬉しかった。」 「心配してくれてありがとう!今日はお昼から授業受けて、楽しかったよ〜!これ、月ちゃんに。」 そう言って彼はわたしに、アーモンドチョコの箱を渡した。 「わたしの好きなお菓子、買ってくれたの?嬉しい!」 「えへへ!毎日頑張ってる月に、僕からのプレゼント!いつも、そばにいてくれてありがとね。」 お外に出られる時が少なめのスクくんが、わたしのために買って来てくれたもの。 それだけで、胸がいっぱいになった。 「大好き。」言葉が一瞬で流れ出して、わたしはどうしようもなく愛おしいきみに、抱きついた。 「僕も、月が大好きだよ。」 背中をポンポンしてくれるスクくん。 じっと、離れられなかった。 曇り空に少し肌寒い梅雨… 今日は、静かなスクくんの部屋。 夕方になっても、ポストには手紙が届いていない。 〜〜〜♪♪♪ 「月ちゃん?急にごめんね。朝からスクの体調が悪くて、熱でうなされちゃってるんだけど、来てもらえないかしら?」 「うぅ、、月。。」うなされる彼の顔。 冷えピタを貼ったり、おでこの汗を拭う。 手を握って、「代われるなら代わらせてよ、神様。」とただただ願った。 ある温かい春の日。 「ポストを見て。」と朝起きてLINEに気づく。 スクくんだ。 バタバタと階段を駆け降りて、真っ先に玄関で手紙を取り出す。 開けると、そこには、 月へ、おはよう! 僕は今日も元気だよ。春は、温かくて良く眠れるし、そのせいか最近は調子が良いんだ。あの公園に来てほしいな。 スクより わたしは身だしなみを整えて、公園に走った。 「スクくん!手紙見たよ。」 「月ちゃん!」と微笑んで、ベンチから立ち上がる彼。 あの日みたいに、陽だまりに包まれる。 「ここ、懐かしい公園!」 「うん、具合悪くしてからあまり来れなくなったけど。月ちゃんは、いつもそばにいてくれて。病気で怖い夢を見た日も。もう病気はやだって泣いた時も。いつも僕を照らしてくれる月みたいに、一等星だった。」 「わたしこそ!スクくんはわたしにとっての生きがい、生きる意味、なんだよ。」 スゥッと息を吐いて彼は言う。 「月、ずっとずっと昔から大好きだよ。いつも生きる希望をくれる月が、何よりも大切で一等特別だよ。こんな僕だけど、これからもずっとそばにいさせてくれませんか?」 涙が溢れて、言葉に詰まったわたしに、彼はあたふたしはじめる。 「っっ。わたしも、ずっと大好きでした。ずっとそばで生きていきたい。」 わたしたちは抱きしめあって、抱えてきたすべての想いと共に溶けて、流れてしまいそうだった… ーーあれから、わたしたちはハタチになる4月に入籍した。 今日は、わたしとスクくんの結婚記念日。 ーートトトト… 「おかえり、月!」、「まぁま、おかぁえりぃ!」、「りぃ〜!」と駆け寄ってくる足音。 栄養士になった料理上手な旦那様と、可愛い双子ちゃん。 愛しい宝物を、わたしはぎゅっと抱きしめた。
コーラとカエル あるカエルのお話です あるところに、ペルというカエルがいました ペルは白い小さなカエルです ペルはコーラが飲みたいカエルです 家にいる時も(ペルには家族はいませんでした)コーラが飲みたいなと呟きながらテレビを観たり いつかコーラを飲めるときが来るかなと思いながら洗濯をしたり(ちなみに黄色いズボンがペルのお気に入りです)毎日を過ごしていました そんなある日 ペルは喫茶店でコーラの雑誌を読んでいました 正面から見るとゆで卵が雑誌を読んでいるみたいです 雑誌にはペルの白い色がベタベタ付いています コーヒーはとっくに空になり二度目の読み終わりが来てしまいました。 ペルはそろそろ帰ろうかなと雑誌を閉じました すると喫茶店の鳩のマスターがペルのテーブルにコーラを置きました コーラは透明のグラスに入っていて、中では氷達の間を縫って小さなブクブクがスルスルと上っています ペルはコーラから顔を上げマスターをみると「飲みたいのかなと思って」そうポソリと言ってカウンターの奥へと引き返して行きました コップを置いた手を(羽を)、そのままどうぞの形で遠ざかって行きました ペルはコーラを前に座り直しました コップには触らず ストローに口をつけてそれを飲みました ゴクゴク飲みました 最後までゴクゴク飲みました ペルはコーラを飲んだのです ペルはコーラを飲んだカエルになりました ペルの白い体にコーラの染みがつきました その後、ペルは泣きました たくさんたくさん泣きました ペルは何で泣いているのか誰か教えてほしいと思いました 喫茶店の鳩のマスターが温かいおしぼりをペルのテーブルに持ってきてくれました ペルの背中を撫でながらホロホロと喉を鳴らしました
もうこんな時間…黄昏た視界が広がった 仕事終わりと共に何処か哀愁を感じさせる いつの間にか、ここまで歩いていた あっという間の歩道橋 折り返し地点にて、片手に収まった鞄と溢れ出た疲労感 立ち止まって、下を走る自動車たちを見た 私が歩き止まっても、この世界は動き続けていく 今日も黄昏時が終わる前に帰宅するとしよう (完)
ここは新しい世界《ニューワールド》なぜここがそう呼ばれているかは分からない。 ここは全ての欲望が叶う素敵な場所。どこかに行きたい時も、何かが欲しい時も、全部叶う素敵な場所。 だけどこの場所には秘密がある。 街の中心部にある《ニューワールドタワー》と呼ばれる空まで届くような高い塔の地下にはどんな欲望があったとしても絶対に入れないんだ。 そこに入れるのはそこの管理員ただ1人。 そこの管理員はみんな虚ろな顔をしている。こんなに素晴らしい世界の何がそんな顔にさせるのだろう。 僕はそれが気になって気になってしょうがなかった。だから僕も管理員になったんだ。 大人はみんな「ありがとう」とか「偉いね」って言ってくれるから管理員ってのはとても素敵な仕事に違いない。 管理員用のエレベーターを使って《ニューワールドタワー》の地下へ行く。 “B10”と言う名前がついたその場所でエレベーターをおり、その先にある部屋に入った。 そこにはたくさんの機械があった。 本で見た事のある“スーパーコンピューター”というものによく似ている。 僕はそれらをながめながら部屋の奥へと進んでいく。 すると、ごちゃごちゃしていて作業する場所だけが開けてる机があった。 それを片付けないといけないのか…と思いここを片付けて、と“お願い”してみる。 だけどいつものように勝手に片付いてはくれない。 僕は仕方なく自分で片付けることにした。 しばらくすると一通り片付いて来た。 最後に積み重ねられた本の分類をして戻したら終わりだ。 僕はふとその中の1冊に目が向いた。 『ニューワールド取扱説明書:管理員用』と書かれたその本を取り出し、パラパラとめくる。 概要と要約 ・この世界の住人はAIプログラムを有した有知能性無生物である。 ・《ニューワールド》とは、旧日本警視庁が発案、制作した犯罪者更生装置である。 ・この世界は1人の犯罪者の更生のための施設だ。管理員はこの世界を管理しつつその1人を監視し、この世界の秘密に気付いた時は速やかに排除せよ。 ・このことは口外禁止である。 僕はその本をそっとしまい、何事も無かったかのように作業に戻る。 僕は違う。僕は違う。僕は違う。僕は違う。 「あっ」 動揺が仕事に影響する。 大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。 僕は違うのだから。 その日の仕事を終わらせ再びエレベーターに乗る。 “B10”から動き始めたエレベーターは存在しないはずの“B3”で止まる。 そして1人の男が乗り込み、バンッ!という音がして僕は死んだ。 目を覚ますとそこは病院のベッドだった。 なんだ、助かったのか、と自分の手を見た。 そこにあった手は見慣れた子供の手ではなく汚くてゴツゴツした大人の手だった。 困惑しているとそこに1人の警官が来た。 その警官が言う、自分がしたことが実感出来たか?と。 僕は人殺しらしい。 《ニューワールド》は犯罪者を更生させるという名目の元で作られた報復のための世界。 犯罪者は自身が殺した人と同じ死に方をしてこの世界へ戻るらしい。 よりその被害者に近付けるために被験者である犯罪者の記憶は消されてしまうようだ。 警官の質問に僕は答える。 いいや、なにも。 そう、僕は実感なんてしなかった。 僕には記憶がある。 僕は誰も殺さなかった。 だから殺された実感を味わう意味が無い。 警官はその答えを聞いて、そうか、今回も失敗か。とだけつぶやき部屋を出ようと立ち上がった。 僕は“お願い”をした。僕を犯罪者にして見せて、と。 警官は死んだ。 やはりこの世界の外なんて存在しなかった。 《オールドワールド》などもう消えてしまったのだ。 僕は再び“お願い”をした。 今度はそう、《オールドワールド》に戻して、と。 一瞬だけ意識を失い、次に目覚めると 僕は死んでいた。
もう誰も居なくなった 紫のリボンが散乱した城内 大きなパーティーがあったようで 大小の開けられたプレゼント箱 それに、寄り添う紫のリボン 古びたのはこの城か、この時代なのか 紫のリボンに巻き包まれた若い女 それは、肖像画として描かれた 散乱したリボンは、同じ色のリボン どれだけ時間が経ったのか判らない 埃の被った発色の良い紫のリボンが現代と古城を繋ぐ いつしか紫のリボンは… この世界に留まり続けさせる 若い女への呪いのような願いに感じた (完)
「どうぞ、お入り下さい」 扉から顔だけ出した男が声を掛けた。 その声に、二十代後半の女が、緊張した面持ちで部屋に入った。 「失礼します」 「そちらにおかけ下さい」 長机を前に、二人の男が履歴書に目を通していた。 「前職は物流関係とありますが、どのようなことを」 「はい。通販サイトで、購入者様への配送業務でした」 「具体的には、どのような」 「はい。ご注文の品を箱に入れて、緩衝材も詰めて、待機しているトラックまで持って行く仕事です」 二人は、うなずきながらメモを取っている。 「では、弊社を希望した理由を教えていただけますか」 「はい。私事ですが、前の職場の同僚が、私の箱詰め作業を見て、何か感心したようで、御社を勧めてくれたというか…」 「なるほど。うちも箱詰め作業はありますが、結構大変ですよ」 「はい。頑張ります」 女は、笑顔で小さく頭を下げた。 「では後日、改めてご連絡しますので、それまでお待ちください」 女が部屋をあとにする。 「君、今の女性どう思う」 社長が人事の男に聞いた。 「そうですね。即戦力になりそうですね」 「君もそう思ったか。じゃあ、採用するかな」 ──ピコンピコン 女がメールを開いた。 「採用決定。 ご存知かと思いますが、弊社の制服は喪服です。ご用意お願いします」
今日は不眠症気味なので夜近所をブラブラ散歩していた。 世間では不良外国人が起こす問題などが騒がれているが僕は割と話せそうな外国人には話しかけるので(むしろ日本人にいびられているような感じだそれは僕が気持ち悪いからだろうが何か書いててヘコんできた)中国人の知り合いとか欲しいな~とか思いながらテクテク散歩していた。 何か中国語っぽい言葉を話しているカップルがいたので間を取ってこんばんは、と話しかけたら向こうも話に乗ってきてくれた。 僕が統合失調症で生活保護を取っていると言ったら私達中国人よりもあなた達日本人の方が仕事を見つけるのは凄い簡単ですよ、と言われた(日本語がたどたどしいので就ける仕事も限られているのかも知れない) 中国の人に宗教の話はタブーなのかな?と思いながらあなた達は何かの宗教に入っていますか?と聞くと(えらいセンシティブな問題だ下手したら殴られるぞ)私達はクリスチャンですと中国の人は言った。近くのお寺が怖いとも言っていた。宗派の違いでかしら? クリスチャンなら僕も教会に行っているので取っ掛かりがあるぞと思い通っている教会の場所を教えて貰った。今度行ってみよう。 ついでに翻訳アプリなんかも教えて貰ってインストールした。 所々翻訳アプリで冗談を言うと中国のカップルの彼女さんは笑っていた(ユーモアは世界共通なのだな、と思う) 割とシャイなんです、と言うと中国の人は割と豪快です、と言われ肩を組んで友達と言われた。(ちょっと照れるが嬉しい) 何か中国の人の知り合い欲しいな~と思っていて思わぬ所でコミュニケーションできたのでやはりこれはキリストの力だろうか(結構少ない中国人のクリスチャンに会えたのも僥倖だ) 望むものは手に入る、とははて誰の言葉だったか?とカップルと別れてから思う。 また外国人に頑張って話しかけようと思えた夜だった。
「ミウタク、お前も合コン来ないか?」 「無敵の話術で盛り上げてくれよ!」 「……わるいな」 ミウタク、と呼ばれた男は立ち去ってしまう。 「ミウタク! やっぱ悪かったかな……」 「あんないい奴他にいないのにな……」 ミウタクこと三浦拓哉は頭脳明晰、運動神経抜群、性格も良く、あらゆる能力も高い完璧人間だった。 そう、ルックスを除いて。 「くそっ、何が国立大主席だ! 運動部のヒーローだ! そんなものより、俺は……! 普通の顔に産まれたかった……!」 拓哉は鏡の前で己の醜悪な顔を見て、歯噛みし、スマートフォンを取り出す。 人気者の拓哉はフォロワーも100000人いるが、アイコンはイラストを採用している。 仮に彼の素顔をアイコンにしたら瞬く間にフォロワーは減るだろう、などと考えた。 ふと、マッチングアプリの広告が目に入る。 マッチングしたその日にデート出来るアプリはコイカツ! 消そうとした時に拓哉に悪魔的発想が浮かぶ。 拓哉は独自のAIで非実在の人物の写真や映像を生み出す事が出来た。 これでもし、容姿端麗…… 超イケメンの男を作って登録すれば? 拓也はAIを使い、完璧な超イケメンを作った。 「プロフィールはこうかな……」 〇電脳空間 「私、こういうもので、真剣にお付き合いをしたいと考えています」 「良かったら今晩飲みに行きませんか?」 早速、大量にメッセージが届く。 これだけ女性が群がってくるなど生まれて初めてのことだ。 おそらく現実世界では今後もないだろう。 拓哉は手放すのは惜しいと思ったが、決して悪用しようとは考えなかった。 「ミウタク、頼んだ奴出来たか? あれがないと俺の右腕に封じられたインフェルノが……!」 「出来てるよ。 AIのグラビア」 「おっマジサンキュー! MMS!(ミウタク・マジ・仕事できる!) 「ミウタクは将来AIに関する仕事したいんだろ? 良いよなあ、ビジョンがあって。俺は結婚したいとかかなあ」 (結婚? 俺には到底出来ないというのに……) 拓哉は憂さを晴らすかのようにマッチングアプリを開く。 「タクヤさん、お返事待ってます!」 「都内住みでしたら今晩会いませんか?」 拓哉はその膨大なメッセージ一つ一つに真摯に対応した。 「すぐ人に会おうとするのは危険だよ。よくお互いを知り合ってから会うようにしたほうがいい」 「返事、遅れてごめんね。 会うことは出来ないけど、相談なら乗るよ」 その返事は数百に至った。 「ミウタク、見たか? イケメンに完全論破された女!」 「なんだ、それ」 「ほら、このスクショ」 「!」 カナ「私ならあなたを養うことが出来ます。働くなんて愚民のすることですよ。だから低俗な女なんかより私と付き合いませんか?」 タクヤ「申し訳ないが僕は社会に貢献したいと思ってる。養うべきは貴女の心の豊かさじゃないかな」 それは昨日の拓哉とある女性とのやり取りだった。 「くぅ、こいつ言ってることまでイケメンだぜ!」 「この女性がキレてやりとりを晒したらバズって、皆このイケメンに同調してるんだ」 「俺だったら喜んでヒモになるんだけどなぁ」 「は、はは……」 拓哉はSNSでも話題になったこともあり、拓哉目当てでマッチングアプリに登録する者まで現れた。 しかし当初から会話していた女性からこんなメッセージが届く。 「タクヤさん、ごめんなさい、私、借金が出来てしまってもうお会い出来ません」 「借金!? そんな、どうして?」 「タクヤさんとやりとりするのに何十万円も使っちゃったから。 タクヤさん、願わくばお会いしたかった……」 運営は拓哉を利用しようし、課金すればするほど人気ユーザー、つまり拓哉にメッセージを送れるようにした。 拓哉は怒りに震える。 自身に対して、だ。 自分のくだらない思い付きが人を傷つけてしまった。 即座に拓哉はプロフィールを変更した。 「これが素顔です。お騒がせしてすみませんでした」 それはネット上でたちまちニュースになり、話題になった。 信じ切れない声も多く、運営のやり方に疑問を呈した拓哉がわざと醜男を演じたのでは、との意見もあった。 しかし女性を誑かした事実を責める声が強かった。 拓哉もこれ以上会員である意味は無いと思い、退会するためにログインする。 あれほどいたマッチングアプリのフォロワーは1人を残していなくなっていた。 残りの1人も放置しているだけだろうが、退会しようとしたときにメッセージが届く。 「私はどんなタクヤさんも好きです、だって私のこと本気で心配してくれましたから」 「……ありがとう」 図らずもマッチングアプリの騒動は未来の伴侶との出会いをもたらした。
「慣れればなんとかなりますね」 「そうだな」 「でも、この蒸し暑いのはねぇ」 地べたに座った男たち。地獄の片隅で、灰色の空を見上げた。 すると、空から一本のロープが下りてきた。 「なんだ?」 「ロープですね」 「またこの季節か」 新入りの男が立ち上がって叫んだ。 「これ、あれだ。小説であったやつ」 「そうだよ。上の偉い人が糸垂らすやつね」 「じゃあ、これ昇れば天国行けるんだ」 「誰か行く人は?」 「いやぁ、この前落ちてケガしたし……」 新入りの男に視線が集まった。 「行きませんよ」 「なんで? 体力あるだろ」 「僕、高いところ苦手ですもん」 生臭い地獄に、沈黙が続いた。 「じゃあ、俺が行くか」 老人がロープに手を掛けた。 「やりますか?」 「おぉ。でも、みんな、いっぺんに来るなよ」 老人が、少しずつ、ゆっくりと昇っていく。 下から男たちの太い声が響いた。 「感動をありがとよ」 「あっちの雲んとこ、テント来てるってよ」 二人の女がイベント広場に向かった。 「多いね」 「みんな楽しみにしてたからね」 テントのまわりには、たくさんの人たちが並んでいた。 「皆さん、ご覧になるときは押さないように。落ちたら危険です」 拡声器を持った男が、頭を下げる。 「わぁ、すごい。おじいちゃんよ」 雲の隙間からロープが下ろされ、大勢が覗き込んだ。 「もう少しよ。がんばれ」 顔をゆがめながら、両手に力を入れる。 ──その時。 「あぁ、落ちちゃった」 「でも、おじいちゃん、よくやったわ」 拍手が起こる。 「あっ、次、来たよ」 「がんばって。勇気と感動、ありがとう」
眩しい西陽の差し込む音楽室で、私たち吹奏楽部二年は合わせ練習をしていた。といっても、同期は私含め三人。私がパーカッションで、親友のユカがクラリネット、ハルキがアルトサックスだ。これだけ少なくても、意外と合わせてみると楽しいものだ。 「やっぱハルキは上手いね〜」 ユカの言葉に、私も大きく頷く。ハルキは部内で一番演奏が正確で、一回吹けるようになったらほとんど間違えない。音が若干小さいのが玉に瑕だが、人数の少ないこの吹部では、なんだかんだ彼に頼り切りになることも多かった。 だが、ハルキは強張った表情で頷くだけだった。どれだけ褒められても、いつもこうなのだ。彼は本当におとなしい人で、同期としてもう二年目なのに、会話は最低限。いつも何かに怯えるように上目遣いで、笑っている姿を見ることがない。私は最近、彼の性格は家庭環境からきているのでは、と勝手に心配しているのだった。 ハルキの父親は、五十嵐シンゴという有名ピアニストだ。彼は演奏の上手さだけでなく、時々結婚事情なんかでテレビを騒がせている。なんでも、二人の奥さんと別れ、今は連れ子を含めた7人の子供を一人で育てているらしい。ハルキは見るからに繊細だし、賑やかな兄弟たちに押されてしまっているのではないかと思うのだ。 (まぁ、私が心配したってしょうがないんだけどね……) そう思っている私の横で、ユカがまたハルキに話しかけている。 「そういえば、お父さんのことテレビで見たよ。また離婚して、大変だね。もしなんかあったら――」 「ちょちょちょ、ユカ! 人ん家に踏み込みすぎでしょ!」 私は慌てて止めに入る。ユカは親切でこういうこと言うからヒヤヒヤするんだ。「ごめんね〜」とユカの代わりに謝る私に、ハルキはちょっと驚いたようだった。 「……いいよ、別に。弟たち……可愛いから」 「……あ、そうなんだ。それならいいんだけど……?」 私は戸惑いながらそう返した。正直、ハルキが喋ったことに一番驚いた。いかにも声変わり中の掠れ声だったけれど、落ち着いた優しい響きだ。こんなふうに喋る人なんだなぁ、と私は興味を惹かれた。 「っていうか、弟さん……なんだね。ハルキはお兄さんなんだ」 「あ、それウチも思った! なんか意外〜」 「そう……?」 ハルキは小さく首を傾げる。家庭内のことはなんとなくタブーだと思って触れていなかったけれど、どうやら少し考えすぎだったようだ。これからもっといろんなこと話せたらいいな、と思いながら、私は手の上でバチをくるんと回した。
「おいおい! プロの作家でもねえ奴が、偉そうなこと言ってんじゃねえよ!」 トイレの個室から、叫び声が聞こえた。 用を足し終えても、まだ聞こえる。 だれかと電話をしているのか。 しばらく小便器の前に立っていると、個室の扉が開かれて、怒り顔の男が外に出てきた。 男は片手で水道の蛇口をひねって、片手だけ手を濡らして、そのままトイレを出て行った。 その手に、スマートフォンはない。 電話の線は薄い。 「……なんだったんだろ」 好奇心に負けた俺は、個室の中をそっと覗く。 嗅ぎたくない残り香が鼻を殴りつけて来るも、我慢して中を見渡す。 綺麗な便器と綺麗な壁。 そして、便器に座った時に真正面に見える壁の真ん中に、小さな文字が並べられていた。 『小説はオワコン』 誰が書いたのかはわっぱり分からないし、何の意図をもって書いたのかはわからない。 世界に発信するには、あまりにも目立たないキャンバスだ。 「さっきの人、作家さんなのかな?」 こんな便所の落書きに、どうしてあそこまで怒れるのか。 その理由も自分にはわからず、すぐに便所の落書きから目をそらして、水道の蛇口をひねった。
【晴れときどきくもり、つごうにより回想 その五】 何日かすぎてからの、たぶんお昼すぎくらいだったと思う。 ―ほう。珍しいな お狐さまの言葉で顔を上げ、その視線を追いかける。 「ああ、お天気雨」 久しく出会っていなかった。少ない記憶のなかでは、小学校低学年以来じゃないかな。 ―別の言いかたを知っているかな? 「ああ… なんだっけかな。前に調べたけど…」 お狐さまの表情はなんとなく、さみしそうな感じにも見えた。 ―そんなことより 「うん」 その先に続く言葉を、きっと僕はわかっている。それでも聞くのには、だいぶ覚悟がいる。 ―来週、満月だが 「…うん」 ―準備はよいのか? 「…大丈夫、だよ」 ―うむ。万事抜かりなくな ようやく、僕たちの契りのときがやって来る。僕は大きくうなずいて、その返事とした。 ・ ―連休というのはカレンダーに赤い数字が続くってだけのことよ そんなふうにざっくりと教えてくれたのは、やはりその語尾から言って母親なのだろうとは思うのだけど、それは僕のたんなる思いすごしと記憶の改ざんで、父親が乱暴に言い放ったようにも感じられる。いずれにしてもふたりの親が満足に休みを取れず、また連休を忌み嫌うような仕事に就いていたと知ることになった、後々のことではあるけれど。 僕は、お狐さまがどんな仕事をしているのかを知らない。どんなことをして、どんなことをしていないのか、そのときどんな顔を見せてくれて、どんな顔を見せてくれないのか、まったく知らないし、わからない。気にならないのではなくて、知ることが怖いのかもしれない。それだけの覚悟を、僕はまだ手にしていない。そんな僕がお狐さまと契りを結ぶことが、果たしていいことなのか、考えてしまう。僕の少ない経験上、この手のことは考えたところで結論には到底、達することがない。それをわかっていて、でも僕は、やっぱり考えてしまう。 ―教えてはやれぬが、食べているものなら教えてやれんこともない 「うん。教えて」 ―教えるというか… そうだな、今度、食べに行ってみるか そのお店はマグロ専門のお店で、その名もズバリ「まぐろ屋」。そのまんますぎて潔い感じに、入る前からすでに好感触。 ―うむ。今日はアタリのようだな 「そうなの?」 ―うむ。しかしな… 「何か問題でもあるの?」 ―いや、なんでもない。入るとしよう 「…うん」 ふたりにしては少々、狭いかもというようなテーブル席が、僕にはかわいく思えた。座って、店員さんが来て、僕に「いらっしゃいませ」と言って、お狐さまには「いつもありがとうございます」と言って。そんなに来てるんだあ、と僕の知らないお狐さまを想像して、ちょっぴりさみしくなって。 「日替わりでよろしいですかね?」 ―うむ。ふたつな 「かしこまりました」 運ばれてきたお膳はとても豪華で、メインのほほ肉のからあげ、マグロの山かけ、里芋の煮もの、みそ田楽、ほうれんそうのおひたし、きゅうりの漬もの、そして、ごはん、みそ汁。小鉢の多さに胸が弾んだ。 ―このマグロのほほ肉のからあげが絶品でな やわらかく、ごはんがすすむ味だった。 「困っちゃうなあ。ごはんが足りないや」 ―そこなのだよ 「何が?」 ―おいしすぎてごはんが足りなくなってしまう。しかし、ごはんのおかわりは自由ではないときてる 「ああ…」 ―それがこの店の唯一の欠点らしい欠点のようなものだ 最後、お茶まですっかり飲み干し、僕たちはそのお店をあとにした。
「どうだい、綺麗だろう、ユキ」 曾祖母が星空を眺めながら、私に問いかける。私はその嗄れた声を脳裏に微かに刻みながら目を輝かせていた。弟は私の隣で寝転がって天上を見ている。到底、抱えきれない夜を身体全部で受け入れようと、両手両足を大きく広げて笑っている。いつもは町の明かりに掻き消されて息を殺している六等星たちも、今この時を楽しそうに煌めく。 「うん。とても、綺麗」 濃藍に砂を撒いたような、「綺麗」なんて短い言葉で言い表して良いものか、そんな今夜を私は噛み締めていた。 すると、家の中から母が飲み物を盆に乗せて現れた。その後ろから、缶ビールを両手に持った父も一緒に。二人とも目前の星々に一度目を奪われ、覚束ない足取りで私の傍まで歩いて、そして座り込んだ。両親も珍しく笑顔でいる。二人が揃って笑顔でいるなんて、信じられなかったけれど、今日が特別な日だったことを思い出して母から飲み物を受け取った。 「これが『星見の日渡り』だ、ユキ。よく見ておくんだ」 「お父さんがプロポーズをしてくれた特別な日なの」 「またその話かい? まったく、母さんは」 私を座って抱えている曾祖母は声高に笑った。私も弟も、つられて笑った。 この町は、毎年、五分だけ町のすべての灯りを消し、星に祈りを捧げるという特別な二日間がある。日を跨ぐこの五分間を私たちは「星見の日渡り」と呼んでいる。この五分間を恋人と共に過ごして愛を誓い合ったり、私たちのように家族と共に過ごして一族の安泰を祈ったり、好きなように、でも、大切に使っている。 「あと二分だよ、お姉ちゃん。ちゃんとお祈りした?」 弟は神様でも見たかのような、そんな興奮に身体を支配されていて、私の腕を両手で掴んでは大きく揺さぶった。曾祖母は「こらこら」と呆れたように返していたが、私はそれが嬉しかった。弟が「お姉ちゃん」なんて呼ぶことは滅多にないから、その響きだけでも笑顔が零れてしまう。 「大丈夫、ちゃんとお祈りしたよ? 秘密だけどね」 「えー、なんで! 僕の願い事、教えたら教えてくれる?」 「ううん、教えなーい」 そんな幸せがあの時、瞬く間に遠のいたのを今でも覚えている。弟の笑顔が、両親の温もりが、曾祖母の嗄れた独特な笑い声が、突然夕焼けのように染まったのだ。私一人を残して。 ある病床で私は目を覚ました。目を覚ました時、顔も知らない女の子が私の顔を覗き込んでいた。バッチリと目が合うと、その女の子は叫びながら部屋を出て行った。「生き返った」なんて喚いているのが聞こえたが、何かの冗談だと思って自分の胸に手のひらを当てた。思った通り心臓はあった。少し不安に思ったこともあって、そこに心臓があることに安堵した。 落ち着いて座り込み、ふと周囲を見渡してみることにしたが、そこには白くシンプルな家具が陳列しているだけで、変わったものはなかった。私のいるベッドも真新しくて、洗剤の柔らかい匂いがする。 「あら、目が覚めたのね」 出口の方から柔和な笑顔で入室したのは私の母くらいの女性。エプロンをしているところを見ると、朝食の支度でもしていたのだろう。私は少し、会釈をした。布団を顔の近くまで引き寄せ、警戒モードに入る。と、その女性の足元に隠れてこちらを伺う先程の女の子が見えた。彼女も私と同じように警戒モードらしい。私を一瞬不安にさせた女の子だ。そう思った時に険しい表情になってしまったようで、女性が私に優しく声をかける。 「大丈夫、怖がらないで。ここは孤児院。これからあなたが暮らす場所よ」 「孤児院?」 「そう。あなたはあの場所で『一人で』眠っていたの。だから、保護したのよ」 女性は私に近寄りながら話し、ベッドの横にある丸椅子に腰かけた。看病をここに座ってしてくれていたのだろうか、懐かしい感じを覚えた。そして、優しく私の黒髪に手をかけ、ゆっくりと摩った。曾祖母の皺だらけの手を思い出す。 「弟は? お母さんたちは?」 私は見上げて問いかけると、明らかに口を噤んだ素振りをする彼女。それでも私の頭を撫でる手は止まらず、嫌な想像を掻き立てられる。 「死んだよ」 私のベッドの下からそう聞こえた。私は驚いて彼女のエプロンを握りしめるが、彼女は動揺せずにその声の主の名前を呼んだ。 「カウル。出てきなさい」 「嫌だ。ここは僕のベッドなのに、ママがいけないんだ」 「仕方ないでしょ。ベッドが足りないのだから」 暫くすると、女の子に足を引きずられ、背中を床に擦りながら腕組みをした男の子がベッドの下から現れた。ものすごい剣幕で私の方を睨んでいた。その面影は喧嘩をして家を出て行った弟に似ていた。男の子は頬を膨らませたまま、私とママを交互に睨んで、「綺麗にして返せよな」と捨てて部屋を出て行った。 【つづく】
夜のダンシング・スタジオ 貴方には見せない、もう一つの仮面 全ては貴方と優雅に踊るダンシング・ショーのために 鏡張りの壁と睨め合う私 蒸れたシャツを脱ぎ替え、夜の街の空気を浴びる つくづく思う。この街の人間は金平糖なのだと 何も知らない、知らされない金平糖たち どれだけ社会に転がされてきたことか 互いを傷つけるための棘しか育てない愚者たち そんな私たちの人影を縫うように歴史が生まれていく… そんな世界の中の こんな街の中の住人 今の想いをダンスでただ表現したかった 金平糖が熱で溶けるように 私の運命がダンス・ステージのスポットライトで溶けるように いつまでもアリを呼び続ける (完)
街の隅に置かれたSDカード いつの間にか始まったかくれんぼ 傘をさして君を見つける 夜に拾った君を月と共に調べていく 電子機械に読み取らせば 意味のわからない音楽に、歪んだ写真 なんだかワクワクする ノイズのかかったアングラ音楽 アングラの感性に痺れていく… 何を撮っても歪み続ける写真たち 撮影者がこの世界の異物かのように… 一体誰が、この寄せ集めを街の隅に隠したのか きっと解る頃には、街から寄せ集めは消えているでしょう… (完)
鏡越しの13の階段 滴る蛇口越しの渡り廊下 誰も居ない 誰も居てはならない 蓮華の道中 いつまでも視線を感じさせる黄金比 メトロノームに合わせてノック音 恥ずかしがり屋なあの子 不釣り合いな忌み子 噂好きの幻 いつまでも成仏の足手まとい 留年を夜が告げ、今夜を越える (完)
子供の頃は、ドロっとした心への侵食が精神を蝕むんだと思っていたけど 今は、サラッとした心への侵入が精神を蝕むんだと理解した 一度染み込んだ黒インクは強力な洗剤で洗わなきゃ色は落ちない 私はこの黒インクを心身の穢れとして 私は対抗し得る強力な洗剤を、創作として認識した (完)
種をまけ 銃弾が飛び交う中 種をまけ 大事な人の叫び声の中 種をまけ 生きる地獄に 種をまけ 涙と血と慟哭を糧に、いずれ花が咲くだろう 種をまけ 醜く冷たいその花はいずれ咲く 種をまけ 忘れてはいけない おぞましい花がいずれ咲く いずれ、きっと、争いの無い日のために 種を まけ
一緒に登校する理由は、家が隣通しだから。 一緒に下校する理由は、女一人の夜道は危険だから。 と、こいつの母さんに頼まれたから。 「昨日の動画見た?」 「見た。あそこのハンバーグ、食いたくなった」 会話は、友達の延長線上。 こいつは、教室で友達と話す話題を、ウケるか俺で試している感じがする。 仮にも高校生。 女子と二人並んで歩くことに、抵抗がない訳じゃあない。 もしも誰かが指差して揶揄って来たら、翌日から一歩前を歩く気はする。 今のところ、誰も揶揄ってこないから、横並びなだけだ。 自転車道を、自転車が通る。 友達がベルを鳴らしながら、「おう」と手を挙げて来たので、俺は左手を伸ばして「おう」と返す。 さっきすれ違った俺の友達とこいつは、友達じゃない。 だから、こいつは友達が気づくか気づかないくらいに小さく、頭を下げた。 「友達?」 「おう。今日は、朝練なかったのかもな」 「何部?」 「確か、テニス」 「ほんとだ。ラケット背負ってた」 会話は、定期的に途切れる。 歩いている間、ずっと話し続けるのもキモいので、これはこれでいい。 無言の時間が気まずく感じられるほど、浅い関係じゃないし。 自転車道を、自転車が通る。 車道側を歩く俺は、反射的に体を、半歩右に寄せてしまう。 その度、俺の右手がこいつの左手にあたるので、俺は再び反射的に左へ戻る。 手が触れることを、こいつは何も言ってこない。 たまに、こいつも反射的に右へ動くだけだ。 ふと、考えることがある。 俺は、こいつのことが好きなのか。 こいつは、俺のことが好きなのか。 毎日登下校を一緒にして、手の甲が触れても何も言わない。 男友達と女友達がそんなことをやってたら、俺なら「あいつら付き合ってんのかな?」と疑ってしまう。 ただ、その主人公が自分だと、どうにもそう思えない。 ただの思い込みだ、こいつにそんな気はない、ただの幼馴染だ。 いくらでも、否定する言葉が浮かんでくる。 気づかれないように、視線をこいつの手に落とす。 白くて、細い、小さな手。 もしも、この手を突然つないだなら、答え合わせができるだろう。 ただ、答え合わせの結果、間違いだったとわかれば、もう二度と二人並んで歩く日はこないかもしれない。 今に固執をしている訳じゃないし、別に並んで歩けなくても構わないが、二度とないのはなんか寂しい。 だから、俺は今日も答え合わせをできないでいた。 「うーん」 「どうしたの? 難しい顔してる」 「なんでもない」 「嘘だ」 自転車道を、自転車が通る。 俺は体を半歩右に寄せ、俺の右手をこいつの左手にあてた。
勢い込んで踏み出した足先がイスの足にぶつかり機先を制せられた。なんだかヤな感じ。これからちょっと先の行く末であるかのよう。 開けていたのを忘れていた窓から、風が気持ちいい。そう思う私をよそに、風はカーテンをやさしく舞い上げる。華麗に舞い踊ったカーテンはぴしゃりコーヒーの入ったマグカップを倒してしまった。あらあら、まったくねえ。でも、そのとおりになるものね。あわてない自分を、誇らしくとまでではないけれど、ちょっとだけ、やるじゃん、みたいにほめてあげる。 部屋の香りがいくらかコーヒーで充たされ、ふき取るより先に割れてないかマグを心配する。黄色い、かわいい、ねこのイラストがある、アイツにもらった、お気に入りにしていたマグカップ。いっそ、割れてくれてたらよかったのかもね。結局、男のことは、男のことでしか解決できないのだ、悲しいことに。 私のブーケトス、誰も受け取ってくれなくて地面に落っこちた。あああああ、グスン…… やれやれ、気持ちがこもってないなあ、やり直し。心のなかで思い、けれど自分のそのココロの内をまったく理解できていない私は、気持ちのこもっていないままに、同じトーンの演技をリピートしているように日々の生活を流しているばかり。 少し顔をのぞかせた気持ちを、しっかり捕捉できたのか、さてさて自分でもわからない。ひとまず本は開いてみた。読めるのかは、最初で決まる。ひとつの文章にすらりと入っていければ、きっと、おそらくは…… 結局、積み重ねなんだよ、男も、生活も、人生も。わかってるんだけどね、忘れていたよね。わかってるんだけどね。
胸の内を明かすことがてんでヘタクソだった。 それを口にする事は己の弱みを曝け出すことであって、私には到底できないことだった。 それでも吐き出したいと思わずにはいられなかった。 だから、文字を書いていた。 文字を書く時だけは、正直になれる。弱みも恥も欲望も、文字の中でだけは物語でいられる。いつだって私の頭にはそれが住み着いていた。 口からは欠片も言葉が出せないくせに、いつだって己の手の中では雄弁だ。 ただ、私の生みだす物語は、稚拙で退屈なものでしか無かった。 私には憧れがあった。 脳が焼かれ、心臓が締め付けられ、腹の底から叫び出したい衝動に駆られる。酷い興奮を伴った物語。幾度夜を越そうとも夢に見てしまうようなそれに、私は強く焦がれていた。 あの興奮を、私が生み出したいのだ。 私の手で生まれたもので、あの興奮を味わえるまで、私は死ねない。 頭の中に住み着く物語になりそびれたそれが、ずっと叫び続けている。 なりたい。私もあれになりたい。私もあれを書きたい。 書かずに死ねたものか。死ねない。死んではいけない。 生み出したい。 生み出さねば。 死にたくない。 生憎、私はそれを生み出せやしない。 幾らそう思おうと、この焦燥には抗えなかった。