第一条 生命維持装置および死亡に至るまでの薬剤注入を行う際は、医師の指示に従い、本人、家族または後見人が装置の電源の入切操作を行うものとする。 第二条 前条の行為について、国および医療機関は一切の責任を負わない。 ある晴れた日の午後、六十九歳になった男は、届けられた封筒を開けた。 「いよいよか……」 男は決められた書類を揃え、相談窓口へ向かった。 「どうぞ、お入りください」 物腰の柔らかな女性が声をかけた。 「ご覧になりましたか」 「はい」 「では、率直にお答えください」 「迷ってます」 「皆さん、最初はそうおっしゃいます」 女性は微笑みながら、うなずいた。 「流れを教えていただけますか」 「はい。もちろんです。尊厳死について理解していただけたら、今までお支払いになった年金を全額お返しいたします。そして、政府から少額ですが、お祝い金が支給されます」 二十年ほど前、政府は『尊厳死還付支援金等に関する法律』を成立させた。 「サインしないとどうなりますか」 「はい。今まで通りの生活をされてください。個人の自由は保障されます」 「もう一ついいですか」 「はい?」 「痛いですか」 「いいえ。薬剤を入れると、眠るように……」 男は目を閉じた。 部屋には、空調の音だけが聞こえていた。 「まだ時間はありますから、よくお考えになってください」 自宅に戻った男は、畳の上に横になった。 返金額が書かれた紙を取り出し、天井を見上げた。 そして、深いため息をつく。 台所には昨夜の食器がそのまま置かれていた。 一ヶ月後、男は窓口へ向かった。 「どうぞこちらへ……お決めになりましたか」 「……はい」 男の少しこけた頬が、静かに笑っていた。
深夜ラジオが流れるなか チクチク チクチク 羊毛フェルト ペンギン クジラ ホッキョクグマ なかよく並ぶ にぎやかなテーブル 外では かえるが鳴いて さわがしい お部屋のなかは 私だけ キミがいなくて せつない夜ふかし
老いた男は、原稿を鞄に入れた。 そして、最後の一枚を書くためにホテルへ向かう。 「あなたって人は……」 玄関で見送る妻の目は、涙で潤んでいた。 今まで、たくさんの論文を書いた。 学生を前に、熱く語った日もあった。 そう、『生きるとは何か』。 「この論文が最後。私の集大成。生きた証」 ホテルの机に、原稿用紙と万年筆、小さな瓶を置いた。 男は椅子に座り、筆を走らせる。 最後の一行。 『生きることとは……』 静かに筆を置く。 窓の夜景を見ながら、錠剤を取り出した。 妻の顔が浮かぶ。 「今まで、苦労をかけた」 男は小さくうなずくと、掌の錠剤を口へ運んだ。 そして、寝室の扉を開けた。 ──カチャ。 「お客さん、早くしないと時間終わるわよ。 それとも、延長する?」
知り合いがシャワーを浴びると言っている。 弾道ミサイルが発射された日。 僕もシャワーを浴びる。 核のシャワー。 他文明が巨大ワームホールで時空間移動してきた際に地球の地表面海水面に時空間移動事故で現れたときに偶然核のシャワーがめった浴びになる。 しかし他文明は高度なので宇宙船の防護シールドによって核爆発は無効化される。 後は座標計算だけだ。 後は座標計算だけだ。 僕はぶつぶつ言いながらシャワーを浴び続ける。
僕には足がない。これは生まれつき。 だから、車椅子で生活していた。 僕は今病院のベッドで寝ている。車に轢かれたから。 三日前、車椅子の車輪が道の凹んだところに引っかかってしまった。信号が変わると同時に車が突っ込んできた。向こうは信号しか見ていなかったのだろう。 痛かった。 母さんは毎日見舞いにきてくれる。 「ごめんね。私がちゃんとした身体に産んであげられなかったから」 そういって謝る。 僕は何も返さない。 声が出ないから。事故で喉が壊れた。 もし、声が出るのなら 「そんなことないよ。」っていうのに。 「産んでくれてありがとう」って言いたいのに。 自分を責め続ける母親に何も伝えられない。 あぁ痛いな。 「別に足なんていらない。」っていうのは嘘で、ちょっとだけ自分の足で歩いてみたかったけど。 足がないことは悪いことだけじゃなかったよ。 同じ身体障害をもった友達に出会えた。 腕のない和樹くんは僕の親友だ。もし腕があったら彼には会うことはできなかっただろう。 車椅子ならではの景色も見れた。 普通の人よりの少し低い目線だから、地面をせっせと歩く虫、散歩中のリードが伸び切るほど先を急ぐ犬、雨の日葉っぱに乗ったまぁるい雫。みんなよりも近くで見れたよ。 毎日がワクワクだった。 ――あ。 ペンを持つ左手が震える。事故で失ったのは利き手の右手。 僕は長くはないだろう。みんなは大丈夫だっていうけど、僕にはわかる。だから、伝えときたい。声はでないから、こうやって。 字が汚いのは利き手じゃないから、それはばかにしないでよね。 ペンをギュッと握り直す。 大嫌いな勉強だけど、一生懸命に教えてくれるから頑張ろうって思ったよ。先生。 みんなと違うから行きたくなかった普通の学校。でもね、みんな優しくて足がない分サポートしてくれた。クラスメイトたち大好き。 いつも忙しいのに、休日は僕を担いで公園を走った父さん。僕本当に自分で走ってる気分だった。 父さんの背中はずうっとおっきくて憧れだったよ。もう一回乗ってみたかったな。 和樹、君はいつも陽気でふざけてたよね。僕の手術前なんかはいつもより大袈裟にふざけて、病院の先生に怒られてたっけ。とんでもないやつ(笑)おかげで全然怖くなかったよ。君は本当にいいやつだ。 そして母さん。これだけは知っててほしい。 僕がもし生まれてなかったらこんな世界知ることはできなかった。 ありがとう。僕を産んでくれて。 みんなありがとう。 僕はほんっとうに幸せだった。 ――あの子が死んだ。 お医者さんは大丈夫だって言ったのに、急に容態は悪化した。 みんなが走っているのを眺めてたときも、私を見つけると辛さを見せないくらいの笑顔を見せてくれた。誰よりも優しい子だった。 ……なのに 最後は片手を失い、声も出せなくなってしまった。 私がちゃんと産んであげられなかったから。ごめん……本当にごめんなさい。 彼の寝ていたベッドを見つめる。彼がそこにいたであろう跡はまだ残っている。 私のせいでこの子はこんなに辛かったのに、私は生きててもいいのだろうか。 ――それなら、いっそ。 「ん?」 何かがベッドの端に挟まっていた。……手紙。 封には、ひどく震えた文字で『みんな、そして母さんへ』と書いてあった。 私はそっと手紙を開く。 もう聞けないはずの声が、そこにあった。
電車が駅に着いてドアが開く ドアの脇に入る人の列があり、 その間を降りる人がゾロゾロと出てくる。その最後尾に彼はいた。 スマホを片手に耳にはイヤホンをして目をスマホから離さずにスタスタと降りてくる。 駅の階段を登っている時、彼の周りの人々は彼にイラついている 彼はスマホを見ながらでも周りを見ているので問題がないと思っていた だが、よく周りから怒られる事が多い 一度はスーツを着たオジサンにスマホを叩き落とされた 彼を叱るときに決まって言うのが「前を見ろ」だ でも彼は「スマホ見ながらでも見えます」と答える。火に油とはこういう状況なのだろう。 彼は(怒りっぽい人がいるな)くらいにしか思わず少しも気に留めていない。 日に焼けたTシャツ、裾の破れたズボン、格好にアンマッチなカラフルなランニングシューズ。 産毛のような髭。痩せていてヒョロリと背が高い。 彼はカーナビの製造工場でアルバイトをしている。毎日同じ作業を同じように繰り返す為、辞めていく人も多いが、彼はその仕事が好きだった。 ある日、隣の作業者が大量の不良品を作ってしまいました、そのリカバリーに彼にも手伝ってもらうことになった 「佐々木さん、すみません。私のせいで」 「え?…あぁ…大丈夫です」 彼は黙々と作業を進める 二人の作業は、何とか定時内に収まった チャイムと同時にタイムカードを切る彼はスマホを見ながら駅に向かう 「佐々木さん」 振り向くとさっきの彼女がいる。 「今日はありがとうございました」 「あぁ…別に、大丈夫です」 彼女と彼は同じ電車に乗り同じ駅で降りた 「同じ駅だったんですね」 「え?…そっすね…」 「私は知ってましたけど」 「え?そうなの?」 「えぇ。朝の電車、割と同じです」 「へぇ…そうだったんだ」 「えぇ、そうでした」 「明日も同じ電車だったら声かけて良いですか?」 「え?…何で?」 「駄目でしたか…」 「いや、駄目とかじゃないけど…」 「良かったー。じゃあ、また明日。お疲れ様でした」 「お疲れ様でした」 彼は立去る彼女を眺めていた 髪の毛は肩より少し下 毛先はソフトクリームを逆さにした様にくるりとなっている 明るい色 肌は白く、赤色のカーディガンがよく似合っている 彼は前を見ていた 珍しくスマホから目を離して
郊外の安アパート。 中年の女が一人で暮らしていた。 「私……さえてるねぇ」 ニヤリと笑った。 『手を振る教』 教祖のまねごとを始めた。 思いを込めて手を振ると、大切な人にもう一度会える。 適当に考えた。 ──明日午後九時からライブ配信を行います。 あなたの大切な人に会えますように。 SNSでつぶやいた。 週に一度のライブ配信。 目的は投げ銭。 数人だった視聴者は、今では百人を超えた。 『十年ぶりに娘から電話がきた』 『偶然、昔の恋人に会えたよ』 喜びの投稿が並ぶ。 視聴者が千人を超えた。 女は投げ銭を増やそうと、必死に両手を振り続ける。 ──肩が痛い……。 治療費は、投げ銭の額をはるかに上回った。
「あなた、何してんの?」 「……はい?」 人通りの多いアーケード。 爺さんが下半身を出して歩いている。 「ちょっと、交番まで来て」 両脇を抱えられ、椅子に座らせた。 「公然わいせつ罪だよ」 「何故でしょう?」 「そんなの、常識でしょ」 「男としての機能は、とっくに終わってます。肌の一部です」 巡査が呆れ顔で、書類に走り書きをした。 「それでもダメなの」 「表現の自由は保障されなければならない」 その時、腰の曲がった婆さんが、ゆっくりと交番に入ってきた。 巡査が爺さんを覗き込む。 「はい。逮捕ね」
始発点と呼ぶにはあまりにも遅くて、終着点というにはあまりにも序盤で。 そんな、未だ道の途中に立っている私は静かに、その列車を待つ。どこへ向かうかもわからない、ダイヤグラムなんてない、そんな列車を。 まるで無限にも感じられるような時間を、ただ待つことに費やしていた。 世界を眺める中で私は、この世界の在り方を知った。 雲の隙間から差し込む光彩。乱反射する水面はたまの風に凪いで、遠く広がる。 朝焼けとも夕焼けとも呼べない、少し褪せた色彩を纏うその地平に、いつしか心を奪われてしまっていた。 「あの景色の中に、消えることができたのなら」 「いつかの世界に、還ることができたのなら」 思考を許して呟くのは、そんな言葉。何処へも行けない、何者にも成れない私の、ささやかな苦しみ。 吐き捨てることもできず、内に留めておくだけで、私は何も変わらないのに。 「そんならそれでいいじゃないか!」 傍で笑う君は鮮烈に、私の心に溝を残した。それを埋めようと必死だったのは、他でもない私で。 今は聞こえないそんな声に、どこか心を閉ざしていた。 「とりあえず生きて、あとはそれから」 「たったそれだけで十分だから!」 軽快に、そして鮮やかに、君は笑う。遺してくれたたったそれだけの言葉が、やけに五月蠅く頭で響く。 「……わかったよ」 仕方ないな、と口にする間もなく。 開いたその奥へ乗り込む。 今から向かうのは未来。決まり切っていない、私だけの未来。 ほんの少し閉じ籠っただけの心だけを頼りに私は、またこの時間を縫うように走り出した。 瞳の奥で、世界が弾けた。
とある子供は知っていた。 知っていたというより、思っていた。 「お前は勉強に努力しろ。 いい高校に入って、いい大学に入れば、 いい会社につける。そしていい収入がもらえる。」 そして結婚出来れば更によし。 そういう親からは、いつも仕事や互いの愚痴をこぼされる。 だから、 せっかくいい高校に入っても、 せっかくいい大学に入っても、 せっかくいい会社に入れても、 結局は愚痴を零すほど嫌な生活になるんじゃないか。 頑張った結果が、最悪なものになるなんて嫌だ。 それに、昔から頑張ってきた事すべて、 親は「結果が出てないなら努力じゃない」なんて言って 否定してきたじゃないか。 頑張る意味がないのに、 頑張ることが出来ないのに、 勉強に時間を割く理由はどこにもない。 親にどうこう言われ続けて、 何もかもが面倒くさくなってきて、 好きなものも、やりたかったことも、 全部出来ないからそれに興味がなくなって。 残ったのは、「生」と「死」の選択だけ。 嫌いな事はあるけど好きな事はない。 死にたいとはたまに思うけど、 生きたいと思ったことはない。 「生」と「死」を悩む私の耳に届くのは、 今日も「未来」の話ばかり。
郊外のアパート。 母親と、幼い二人の子どもが暮らしている。 「こんなこと言える立場じゃない……」 壁にもたれ掛かりながら、スマホの画面を覗いた。 そこに映る、満足げな顔の人たち。 母親は、迷った指でタップした。 数日後、荷物が届く。 「ママ、開けていい?」 「いいよ」 「お菓子あったよ」 箱の中には、食材と数年前に流行ったキャラクターのTシャツが入っている。 「月末まで……これで何とか」 子どもたちがお菓子を頬ばった。 母親はレトルトを手に取り、裏を見て苦笑う。 「……食品ロスには役立ってる」
入学して最初の自己紹介のとき「好きなラーメンの具はもやしです」と言ったことを発端に、あの女の子は中学の三年間【もやしちゃん】と呼ばれ続けた。 「最近、折りたたみ傘、たためるようになったんだあ」 いつだったか、胸を反らせるまではしなかったけど【もやしちゃん】は自慢げに言って、最後に「へへん」と付け加えた。 「たためなかったときはどうしてたの?」 「長いまま」 「折りたたみなのに?」 「折りたたみなのに」 「ふうん。いいけどねえ」 「あ、また。それそれ」 「なに?」 「そうやってすぐ納得するフリしてさ」 「え?」 【もやしちゃん】からのその言葉にハッとなった。でもきっと【もやしちゃん】以外の誰かだったら流していたと思う。 【もやしちゃん】はいま、何をしているのか私は知らない。でも私は【もやしちゃん】に伝えたい。 「最近、フリをしないで生きられるようになったんだあ」 胸を反らせることは、たぶんしないと思うけど、自慢げに言って、最後に「へへん」と付け加えてやるんだ。
「なんてことだ!」 天才恋愛作家として名を馳せた俺。 いよいよ童貞主人公とヒロインが結ばれ、ハッピーエンドの初夜を描こうとしたのだが……書けなかった。 いつもであれば指揮者のごとく滑らかに振るわれるゴッドフィンガーも、先程から石化でもしたかのように動かない。 おう、まい、ごっど。 俺の頭の中に、一つの言葉が浮かんでくる。 『作家は経験したことしか書けない』 という残酷な一文。 確かに俺は童貞だ。 認める。 だが、夜の描写は、エロ動画を何度も見て履修済み。 書けないはずがないのだ。 気分転換にコーヒーを飲んでみても、筋トレをしてみても、状況は変わらず。 文字数が一文字たりとも増えることはない。 頭をこねくり回し続けること一日。 俺はようやく原因がわかった。 「はっ! まさか、エロ動画にはどちらも初めての役者がでてこないから、俺は初夜が書けないのか!」 俺は絶望した。 あまりの絶望に、壁に向かって倒立をし、バランスを崩して床に倒れた。 「あーっはっはっは! まさかこんなところで、天才恋愛作家である俺が壁にぶつかるとは!」 もはや笑うしかなかった。 俺は床に大の字になって、狂ったように笑った。 口の中が空からになるまで笑いつくした後、俺は天才としてのプライドを護るために決めた。 「よし。恋人作って初夜を経験しよう」 完全に狂っていたが、今の俺にはこれ以上の案が出てこなかった。 そうと決まれば、俺は担当編集に電話をかけた。 「もしもし?」 「初夜を経験したいので、女の子紹介してください」 「……からかってるなら切りますよ? 私、こう見えて結構忙しいんですよ」 「本気です!」 「本気ならさらに切りたいです。そんなに経験したいなら、夜のお店にでも行ったらいいじゃないですか」 「何を言ってるんだお前は。夜の店だと、相手は初夜じゃないだろう」 「何を言ってるんだお前は」 担当編集に今までのことを説明すると、担当編集は渋々納得してくれたようで。 電話を切った後、近くで行われる街コンの情報をメールで送ってくれた。 担当編集の好意は無駄にはしない。 俺はさっそく一丁裏に着替え、街コンへ繰り出した。 そして撃沈した。 「うえっ……うえっ……うおおおおおおん!」 「はーい、よしよし。泣かないでください」 まさか、街コンがあんなに恐い場所だったとは。 話しかければ苦笑い、酷い時は無視。 天才恋愛作家の俺の心は、雑な宅配業者に運ばれたポッキーやプリッツ並にバキバキだった。 最近降られたバキバキ童貞もこんな気分だったのかと思えば、バキ童チャンネルを見てまた泣いた。 「大丈夫ですよ。恋人を作る手段は、街コンだけではありません。合コン、マッチングアプリ、出会いバー。好きな物を選んでください」 「ここまで来たら、なんでもやってやる!」 俺はがむしゃらに挑戦した。 そして全滅した。 「~~~~~~~~~~~~~」 「せめて声を出してください」 俺は三日間、執筆を止めて部屋に閉じこもった。 ご飯は全部マクドナルドのデリバリー。 時々すき家。 チーズ牛丼の美味しさが心に染みた。 三日三晩泣き叫び、いっそ清々しくなった心で机に向かう。 根を張ったように動かなかった手が、信じられないほどの速さで動き始めた。 その後、俺は完成した新作で、翌年のなんたら小説コンテストの大賞を受賞した。 「おめでとうございます、先生! いやまさか、もう体を重ねるだけってタイミングで、新ヒロインが登場するとは。こんなの誰も予想できませんよ。さすがは、天才恋愛作家」 俺はゴールドに輝くトロフィーを抱えながら、最高の笑顔で返事をした。 「まったく嬉しくない」 新作発売後のエゴサで見つけた一文は、未だに俺の心に残っている。 『この作者、絶対童貞w』
『伊勢海老がうめぇ!』 写真が届いた。 『いいね』 スタンプを返しておいた。 若い頃なら、きっと羨ましがっていただろう。 でも今は、高い飯よりもっと食べたいものがある。 「パパー。ママー。できたー。スクランブルエッグー」 「すごーい。見せてー!」 我が子の作る飯は、どんな高い飯よりも素晴らしく感じる。 自分が、高さに価値を感じなくなったのはいつからだろう。 決して、お金に対する欲望から解放された自分の方が、伊勢海老に感動している友達より上だという気もない。 お金に執着をしてバリバリと働いていた頃の自分も、記憶の中で輝いているから。 「いただきます」 「はい、召し上がれ!」 ただ、お金がなくても幸せを感じられるという、新しい幸せの形を知ったことは、きっと自分の成長ではある。
翌日、冷たい風があたって起きた。眠い目をこすりながら、外を見た。まだ雨が降っているが、落ち着いてきた。雨漏りを防いでいたコップも、雨水で万端になり、溢れていた。俺の足元まで水が来ていた。俺は床に落ちていたタオルで、足元の水だけ拭いた。飯を食べようと、キッチンに立つ。でも、食料などない。昨日から食べていないせいか、たちくらみがしてきた。俺はリビングに戻って座った。相変わらず、冷たい床だが、俺にはこの場所が一番落ち着く。外では、学生が、登校していた。「もうこんな時間か、、、。」俺はつぶやいた。俺なんか高校なんて行ったこと無い。小学校までしか。そんな事を考えながら、俺はスマホを見た。相変わらず、ライン友達はいないし、何も楽しくない。SNSでは、楽しそうに踊ったり、遊んだり、食べたり。俺は見ているだけで腹がたった。ただ見ているだけで。こっちの事情なんか分かっちゃいない。ただ、自分の人生が楽しければいい。そう感じているのだろう。俺はスマホの電源を切った。唯一のストレス解消といえば、スマホのメモ欄に、思ったことを全部書き出すことだ。でも、書き出していることは大体同じ。メール履歴を見直すと、「うるせえ」しか書いていないことに気づいた。こんな人生でいいのか。でも、変えられるわけがない。腕を首の後ろで組み、胡座をかいた。ぼんやり外を見つめている。やることなんてない。 「気分転換に散歩行くか。」 服を着替え、髪と目を隠すために、キャップを深く被った。玄関を開け、商店街へ向かった。 髪と目を隠しているせいか、今日は何も言われない。でも、そんな静かな時間が、俺にとっては逆に腹がたった。親子で笑いながら話している声。カップルで歩いている足音。年寄りを支えている大人。そんな贅沢な「仲間」が居ることが、イラッと来た。赤い目でジロジロ見ながら、俺は早歩きで商店街を抜ける。角を曲がった時、誰かとぶつかった。 これが、あいつとの出会いだった。
かくれんぼ中に姫南が松永氏に殺害される所を目撃。 それを父親に報告 父親が殺しに行く所も確認 満月が綺麗な夜だ 姫南天越しに観る月は、また格別である 南天は地下茎を伸ばして生殖する領域を拡大していく植物だ。 庭の端に植えていたのが、放置してしまって庭全体に広がってしまう事がよくある。 あの家の庭も姫南天が広がっていた 子供の頃、私の両親は常に家にいる人で当時は神経衰弱などと呼ばれ、統合失調症やいわゆる鬱等のような言葉はなかった。ただ私の両親は共にそれだった。 車が山を登ってくる音がする 暫くしてベッドライトが玄関を照らして停まった 荷物が届いたのだ 小学校から家に帰ると、生臭い匂いとカビの匂いが充満している 雨戸を開けて光を入れると父と母が横たわっているのが見える 目は開いていて、たまに水を飲むか、トイレに行くかして、その辺で力尽き横たわっている。そんな毎日だ 私はランドセルを置くと玄関を飛び出し夜中まで外で過ごしていた。 まだ、下校したばかりの時は近所の友達も多くキャッチボールやかくれんぼ等をして、家の中の事から逃げていた。子供の頃の私にはそれが精一杯だった。 玄関を開けると、いつもの運び屋がいた。相変わらず熊のように大きい。奥にいるヒョロリとした男はバイトで雇ったんだろう。二人で運ぶには多少重い気もするが、それはこちらの気にするところではない。 玄関の中に荷物を入れ終わると報酬を受け取り直ぐに山を降りて行った 気がつけば雨が降っていた さっきまでいた月は雲に隠れ姿を消した 姫南天は変わらずそこにいた。 あの日、近所の友達とかくれんぼをしていてあの家に忍び込んだ。縁側に座ってそのまま誰にも見つけられず、夜まで過ごしていた。その家は留守が多く、その時も人がいる気配はなかった。 車が家の前に止まる音がして、騒がしくドアが開いた。 私は急いで南天の陰に隠れる 縁側のある部屋の明かりがついて、カーテンの隙間からあの親父、松永重政が浜野姫南を襲っている所を目撃する。 猛烈に抵抗する少女と無表情な獣が彼女の全てを奪っていく。花が枯れてしまい傍らには泣きじゃくる松永重政が座り込んでいた。 あの時も雨が月を隠していた 数日後、松永宅の側で浜野姫南を探す人物に出会う。浜野勝。彼女の父親だ。 私は一部始終を彼に話した。特に何も考えず、聞かれたので丁寧に伝えただけだった。あの時の浜野勝の顔は忘れられない。 人は人で無くなる時がある 後日、松永氏の死体を見つけた時、自分は人を殺してしまったのだと思った 怖くなって走り出した 「お母さん!お母さん!」と叫びながら。 台所で横になっている母親に人が死んでいた。僕が殺してしまったと言うと 「人はいずれ死ぬのよ。どうせなら私を殺して欲しかった」と小さな声で、切なる願いのように呟いた。光のない目で私を見て。
「ああ……。ううう……」 夜道を歩く、高齢が一匹。 なにをされるかわからぬ恐怖から、親たちは子を家へ匿う。 「毎日毎日、誰よ」 「ほら、あの一軒家の」 「家族は何をしてるの?」 「あの人、独り身らしいわ」 親たちにとって最大の不幸は、高齢が何もしないことだ。 警察を呼んだこともあるが、些か認知能力が低下しつつも、保護対象とならない程度には意思疎通ができてしまった。 故に野放し。 無害であるが、いつ有害に変わってもおかしくない高齢は、自分の足で歩けるまま。 「誰か何とかしてよ。このままじゃ、安心して外を歩かせられないじゃない」 「どうしようもないって。出て行けなんて言ったら、こっちが悪者よ」 自己責任。 自己責任。 刷り込まれた価値観は、低下した認知能力の中で、高齢を動かす。 誰も自分を救ってくれないならば、どれだけ狂おうとも、自活と言う本能だけを捨てきれない。 「ああ……。ううう……」 公園のブランコに座る。 子たちは親によって公園から引きずり出され。子たちは恨めしそうに高齢を睨みつける。 自分たちの遊び場が使えなくなる元凶に。 「ああ……。ううう……」 「ああ……。ううう……」 日本史上初の未婚肯定社会。 副産物たるゾンビの扱い方を、未だ誰も知らぬ。
【ココロのトゲの抜き取り方】 昨日できなかったことが、でも今日は、できている。よかった、とひと息つけることのよろこびを僕は知っている。 ・ ―魚を食べて、骨がひっかかったとき、どうする? 「どうって… 抜くとか、飲み込んじゃうとか」 ―取り除くということだな 「まあ、そうだよねえ」 ―心のトゲも、そういうことじゃな そんな当たり前のことを、でも僕は、あらためて学んだ。 ・ いくぶん強めの風が吹いて、ひゃああ、と叫んで庭の草たちがその身をそらせる。もっていかれないように、引っこ抜かれないように、根という名の足をふんばる。がんばれよ、がんばってくれよ、言うことしかできない。風がゆるみ、草たちのカラダがもとに戻ろうとする。ひゃひゃひゃああ。今度の叫びは、なんだかやけに楽しそう。よくがんばったねえ。 ・ ―しあわせとは、そういうことなのかもしれん。少なくとも我々には 「今日は、いつもよりしゃべるね」 ―うむ 「しあわせだから?」 ―で、あろうな
と言いたい。 いいから俺の身内にすり寄って俺に接近するセコい真似しないで発展場に行って相手見つけてこい。 今時同性愛で差別されることなんてねえよ。 凝り固まってるお前の狭い世界観 お前がやってるのは遠回しな強姦 引っかけられてこい小便 そんで朝にはスッキリ昇天 などとふと暇な夜に思った。 病気には気をつけてね(うわやはり俺は優しいそして甘い)
ドンッ 「あっ、すみません。」 「いえ、こちらこそ。」 ぶつかったはずみに外れたグラスを拾い、しっかりとかけなおしてから私は顔をあげた。 ぶつかった相手の顔が心配そうにこちらをのぞき込んでいた。 くっきりとした目鼻立ち。 髪は明るい金色に染まり、両耳には丸いピアスが光る。 私とは何もかも、正反対の女性。 『……適合度、20パーセント。価値観の違いから、トラブルになる危険性アリ。関わることはあまりオススメしません。』 グラスが骨伝導で冷酷に告げてくる。 そんなことわかってる。 でも、どこかで期待している自分もいた。 そのことにまた、腹が立つ。 「じゃあ……、これで。」 私は目をそらして、さっとその場を離れた。 彼女もきっと、数秒後には踵を返して、眩い夜の街に消えた。
「俺は世界から拒絶されている」 いつもそんな事を思っている。・・・。いや。事実か。 16歳の俺は、途方に暮れてた。 ――「近寄るな。」 そんな声が、脳内に響く。誰が言ったのか、はっきりは覚えていない。でも、身近な人だったことは覚えてる。そんな事を考え、夜の町中を歩いていた。商店街のうるさい雰囲気が嫌で、俺は裏路地に入った。表の明るい雰囲気とは真逆で、冷たい風しか通らない。そしていつも通り、ガラの悪い連中が道を塞いだ。 「んあ?何だその髪色は?バカにしてんのかよ!」 と、いつも通りの反応。聞き飽きたけど、心の何処かでは、自分の見た目に悔しさがある。 俺は喧嘩も上手くないし、いつもやられる側。いつも走って、走って、走って。その繰り返しだ。 本当はやり返したい。でも、できない。 俺は反対方向へ走った。街灯のある、賑やかで、親子が笑顔で歩いて、喧嘩なんて一切ない、表へ。 俺は不良から逃げるため、人混みに紛れた。でも、表でも変わらない。 「なんだあいつ?」 「ファッションかしら?」 そんな声が絶えない。俺はまた走った。走って、走って、走って、走って、走った。 そして、自分の家に戻った。ボロボロのアパート。家賃も少ないし、俺にはこんなところがお似合いだ。 鍵を開けて入った我が家は、外の路地裏と大差ない冷気に満ちていた。エアコンもストーブもない。冷蔵庫のように冷え切ったフローリングに、そのまま腰を下ろす。 部屋着に着替える。飯を作る。寝る。その繰り返し。 冷蔵庫を開けた。食材が残り少ない。高校生でも、こんな見た目だから、アルバイトなんて、採用してくれない。金も底をつきた。ふと外を見ると、雷雨になっていた。このボロ屋は、雨漏り仕放題。色んなところから雨漏りがして、床に水たまりができる。なんとかコップで、水浸しになるのは防いだ。 でも、次から次へと問題が来る。風が入っている。俺の家には、最低限の布団しかないから、寒くて風邪を引く。風邪を引いても、金がないから、薬は買えない。防ぐものなんてなにもない。唯一、部屋の角だけ当たらないところがあったから、そこで座りながら、小さくうずくまって寝た。
駅の改札をくぐった先で、あたふたとうごめく人影が見えた。 「どうかしたんですか?」 私がたずねると、その人は「改札機に入れたら切符が消えちゃって」と不満げにつぶやいた。 私は、駅構内をぐるっと見回してから、「どの駅から乗られましたか?」と再びたずねた。 その人は言う。「井阪駅です」 「井阪駅から来たんですね。ここは、久具見駅です」 その人は一語一語、噛みしめるように「くぐみえきですか」と発する。まるで日本語を覚えたての外国人のようなしゃべり方だ。 「あなた、一度、井阪駅で改札を通ってきたでしょう」 「はい。切符に穴があいて、びっくりして」 「それは大丈夫ですよ。でー、目的の駅についたら、また改札をくぐりますね。その時、切符は改札機の中に吸いこまれるんですよ」 「どうして、さっきみたいに出てこないんです?」 「それでいいんですよ」 私のきっぱりとした口調に、その人は目を見開く。しばし考えこむようにうつむいて、再度その人は顔をあげた。 「じゃあ、消えた切符はどこに行っちゃったの?」 一瞬、頭がぽかんとした。ぽかんと口を開けて、私はあっと言うまもなく、ぽかん星人になった。ぽかーん。 私には、その人のしゃべる日本語の意味は理解できた。しかし、その人が何を言いたいのかは、さっぱり分からなかった。 ぽかん星人から人間に戻った私は、すぐに「改札機の中」と答えようとした。だから、目前のその人が「あっ、シュレッダーだ!」と叫んだ時は、かなり拍子抜けした。 私の頭の中で、繰り返し音が鳴っていた。ぽかーん、ぽかーんと。それでも「なぜ?」と質問せずにはいられなかった。 「私には、改札機の中身なんて分かりませんけど」とたじろぎながらも、「だけど、ほら、ありえる話じゃないですか?」と語るその人の表情は、ことさら楽しげだ。 「私が想定したのは、ワープです。切符は改札機に入ると、ランダムにどこかのシュレッダーへ送りこまれる。そして、排出された時には木っ端みじんとなる。だから私達は、まさか紙くずの中に、こなごなの切符が混ざっているとは夢にも思わないわけです」 私は、とにかくまだ分からないけれど、「そうかもしれない」とは思った。 その人は続ける。 「私は何も知りません。改札機の中や、シュレッダーの中が、本当はどうなっているのかを。例えば、転送装置だったり、アンドロメダ銀河だったり、スーパカミオカンデだったりがあったとしても、不思議じゃない」 そうかもしれない。今度は、腑に落ちる感触があった。 まっとうな解釈ではないかもしれないが、そうであるなら……という期待を抱いた私の気持ちはダマしようがない。 もう。その人は正面を見据えていた。どこか目的地があるのだろう。だから、はるばる電車でここまでやってきた。当然といえば当然の話だ。 けれども、まだ私には今一つ――というのは先程、その人の言っていたスーパカミなんちゃらもだが、それ以上に――分からないことがあった。 「どうして」 そこで声が止まった。どう言葉にするべきか、そもそも私は何を言いたいのか。私にもよく分からないのだ。 「どうしてシュレッダーなんでしょう?」 やっとのことで疑問を声に出しきった瞬間、しばし私はあぜんとした。私の発した言葉は、私の知っている言葉ではない気がして……。でも、答えはすぐに分かった。 これは、ぽかん星人の言葉だ。 その人が、私を見ている。その顔に驚きはあったものの、迷いはなかった。 「切符も旅くらいしたいでしょ」 まるで吹き抜ける風のようだった。 今度こそ、その人は前を向いた。そして一度も、こちらを振り向かずに歩いていった。 ふと、手元にあるカード入れを見つめた。三ヶ月前に買った定期券が、そこにはぴったりと収まっている。期限はまだ先だった。私にはそれが嬉しいことなのか、むなしいことなのか、よく分からない。 きゅっとカード入れを握りなおして。私は、次にくぐる改札機を思い浮かべてみた。一息ついて。いい。今はまだ、それでいいと思った。 おのずから、足を動かす。改札機から自分が遠ざかるたび、どこからか吹く一抹の風を、私はじっと正面から受け止めていた。
ある政治家が緊急記者会見を開いた。 真剣な面持ちでマイクの前に立つと、集まった記者たちに一礼した。 「私は、国民の皆様の死ぬ権利を保証します」 政治家は動じず、淡々と語り始めた。 「我が国の医療費は年々増加しています。私は、医療費削減のため『尊厳死還付支援金等に関する法律の一部改正を認める法案』を国会に提出しました」 ざわつきの中、政治家は続けた。 「医学的に延命治療が不可能な患者様が尊厳死を選択した場合、延命を続けたときにかかる医療費の半分を還付金として支給します。 申請の妥当性は、AIのみで構成される第三者委員会が判断します。本人、家族、後見人等が尊厳死を理解し、同意することが前提です」 テレビの画面を見つめる女。 その隣には、長い間管につながれたまま眠り続ける夫がいる。声をかけても反応はない。そんな時間が一年を超えていた。 テレビの司会者が、評論家の女に質問した。 「あなたの立場から、今の社会の風潮をどう考えますか?」 「最初は倫理的にどうかなと思いました。でもね、家族の金銭的、精神的負担を考えるとね。国も医療費を減らしたいと思っている。時代の流れかしら」 法案は成立し、運用が開始された。 AIは、不正申請や悪質な養子縁組なども瞬時に判断した。 その実績を政府は大々的に報道し、制度の正当性をアピールした。 あの政治家が再び記者会見を開いた。 「政府は規制緩和の一環として、支援金の有効活用を目的とする民間企業の商品開発、および第三者委員会のAIの一部利用を許可します」 感嘆の声が会場に響いた。 支援金は国民の生活に変化をもたらした。 「故人からの最後の贈り物」として美化され、生活の一部となった。 夫婦の病室。 温かいタオルで夫の体を拭く妻。 医師やAIからは、すでに受理のサインをもらっていた。 署名をすれば終わる…。 妻が机の上を見つめた。 そこには、笑顔で寄り添う二人の写真が飾られていた。
ベッドに寝そべりながらクッキーとフィナンシェを買った。どっちも訳ありみたいで安かった。部屋に誰か来るでもない、プレゼントにってわけでもない、私にはちょうどいいのかな。 「この時期ってさ、あったかいのか冷たいのか迷うよなあ」 そう言ってアイツは、あったかいうどんと冷たいうどんを両方とも頼み、おいなりさんも二個食べた。その食欲に圧倒された私は、その夏、最初の冷やし中華をやっとの思いでおなかに詰め込んだ。 確かその日だった。アイツから別れを切り出されたのは。ふうん。どうやってその雰囲気に染めようかって頭では考えててもちゃんと食べるもの食べられちゃうんだね、すごいね。的外れに感心したのを覚えている。 あの夏から冷やし中華が食べられなくなったなんてことはなく、目の前に運ばれてくるたびアイツのこと思い出すことだってなく、なんだってこのタイミング? 今日は夏になった最初の日。それがなんだって言うんだ。夏なんて、毎年やって来るんだ。
クリニックの診察室。 男は困った顔で、ドクターに話し始めた。 「先生、時々、耳元で声が聞こえるんです」 「それはそれは……幻聴ですね。どんなふうに聞こえますか?」 「天使が二人、右と左で囁くんです」 ドクターはペンを止め、じっと男の顔を見た。 「天使と天使ですか。天使と悪魔じゃなくて?」 「はい。どちらも『自分が天使だ』と言い張ります」 ドクターは笑いをこらえ、咳払いをした。 「いや、失礼。珍しいケースですね。ふつうは善悪の対立があるものですが、両方が天使となると……判断が難しい」 「先生、僕はおかしいんでしょうか」 「おかしいというより、興味深い」 ドクターはカルテに走り書きをしながら、声のトーンを落とした。 「その二人の天使は、あなたに何を囁くんですか?」 「ポジティブな言葉を……『やればできる』って」 青年はうつむき、ため息をついた。 「ちょっと、うざいです」 「……わかりました。では、お薬を出しますから、様子を見ましょう」 「お大事に」 薬剤師から渡された紙袋には、耳栓が二つ入っていた。
模擬的な明かりが、絨毯を照らす 名前とばかりのシャンデリア 灯す西洋家具に埃が被る 蝋燭の灯りを模したガラス細工 使い古されたと言うべきか レトロと言うべきか 少し黄ばみを感じるその装飾 異国情緒溢れる店内の 商品かどうかも怪しく 店内に溶け込んだ 値札の付いた、電工シャンデリア (完)
暇だから別の小説サイトに官能小説の下書きを書く。 知り合いに呼ばれて喫茶店に行くと官能小説のモデルにしている女の子の名前を言っている人がいた(また先を越されたかもしれない) 偉い妄想だ。 僕みたいな奴が僕の小説のアイデアを盗んだだろう!とか激怒してアニメスタジオに火を放つのかもしれない。 全ては性本能の奴隷(何か書いてて空しい、いや、官能小説自体は書いてて楽しいが) 小説が出来上がったらモデルにしている女の子に許可を取ってウェブに上げよう。 世の中は不思議がいっぱい。 また電車に乗って隣に座った子持ちの人妻に肘をツンツンされて何だろうとドギマギしに行こうかな(あれは一体なんだったのだろう?ヤクザのハニートラップか何かか?) 世の中は色事でいっぱい。 おっぱいもいっぱい。 煙草が吸いたくなる。 ママのオッパイから離れられないんでちゅね~って思われてそうだ(実際にそれはそうだろう) 小説の許可がおりずに蔑まれた目で見られて(まあそりゃそうかもしれない)僕はまた自信を失くすかもしれない。 知り合いに自己肯定感が低いように見えるとも言われた。 自己肯定感の高めかたってどうやるんだろう? 犬の書き物は自己肯定感を高める一助を担いまた性産業の一翼を担う。
蓄積されたインクが、ばら撒き散って行った 染み込むインクに歯止めが効かない机と紙 このインクは当分、消えない 成り代わる様にティッシュで拭き吸わせていく ひんやりと感じる屍となったインク このインク…高かったんだけどなぁ… 万年筆の先端を分解して、水に浸けて乾かし 残りのインクを万年筆に吸わせた すると万年筆は、何事も無かったかのように飲み込んでいった (完)
寂しがらず、淡々と消えていく… 蛍の求愛が灯りを生み出すなら この豆電球は誰に求愛しているのだろうか しぶとく生きた蛍の感触が羽の風を感じさせる そして、しぶとく生きた電力が私の視界を開けさせた ありがちな比喩を用いて 寿命が幾分と無い豆電球を偲ぶ (完)
レインコートの裾の中 蒸れた皮膚が衣服と摩擦する この身を仕舞い込んだ雨に似合う相棒 横から吹く雨の雫 足元を濡らせば、滴る街灯を見る 綺麗とは言えない雨の品質 見えない雑菌たちの居る雨粒 空へ口を開けて待つ無垢な幼児たち いつの間にか 雨に濡れることを避けるようになった いつの間にか 物心が傘をさす さて、今日もレインコートを着て街に出よう (完)
生活を人質に取られようとも 自由に生きようとしたキリギリス ひっそりでもバイオリンを奏でる 冬の足跡がやって来る 深みのある積雪が足を呑み込む それでもバイオリンを奏でる 奏でる事でしか脳がない自信がよぎる 好きを生業にした定めなのか その時は、ほんの一瞬のように感じた 腹部を呑み込むほどの積雪 たとえ、この命が尽きようとも キリギリスはバイオリンを奏でた (完)
ミノムシみたいな世界で生きているようで 不思議と小枝を集めて、自分を包んで 小枝の隙間から視える世界 実在しないものを感じ取って この世のものは痺れた感覚で思い出して 浮遊感のある指先 ただ幻をなぞれば 溢れる視界の感触 (完)
平成ポップな身のこなし 軽々と飛び越え 触れる風下を巻き上げて 昭和レトロな着飾り 当時に憧れる童子たち 通過した者の達観した視線 大正ロマンな自己主張 融合を肯定して 混沌に悩まされて 明治モダンな融合 差し支える常識 それでも掴み取る文化 (完)
現実は偶然にも・必然にも・貴方のパレス この世界は自身の主観からしか見ることができない だから、感性や認知にズレが生じる 因果の果てに倒されるドミノたちのように 必ずどこかで、認知のズレが起こる (完)
文明開花の最中、空を走る異国電車 見上げれば高架下 軒並み蕎麦屋が揃う 着物と海を渡ってきた背広が溶け合う この事をハイカラと言うのだから これもまた流行病 人力車を乗り捨てて 蒸気やら、モノレールが溶け合う この事をハイカラと言うのだから これもまた流行病 文明はいつも、流行病の顔をしてやって来る (完)
あたしな、大阪出身やねんけどな、言葉覚えるより先に引っ越してしもてな、だからほんまは標準語やねんけど、大阪出身言うと、関西弁聞かして、言われてな、そいでな、いまこうして話してんけど、これみいんなマネっこしてん。そやからなホントの人らが聞いたらな、うそこて言われるのまちがいなしやて思てんけどな 楓子は長々とそんなことを言った。 「標準語では話さないの?」 「大阪て言ってない人とは普通にしゃべりおる」 「でも、なんで僕とは」 「そやなあ、タネ明かししてんから別にいいんかあ」 なおも楓子はインチキ関西弁で話してくる。 「こっちの言葉で話してみてよ」 「でもな、これのほうがな、色っぽくなくなくないかなてなあ」 「え? 色っぽいって言ったの? 色っぽくないって言ったの? どっち?」 楓子は突然、駆け出して、でもまた戻ってきて僕に体当たりしてくる。「ドーン」とか言いながら。 「何すんのさ」 「へへへ」 「え、なに?」 「照れ隠し、的なな」 「照れ隠しって自分で言っちゃったら隠してないでしょ」 「へへへ」 「まったく、どうしちゃったのさ」 「あのなあ、珈琲飲まへん?」 「なに急に」 「珈琲出さなあかんねん」 「なんのことさ?」 「へへ、こっちのこと」 言って楓子は肩で僕を押してくる。 「ちょ、なに?」 「あんなあ、あたしなあ、あんたのこと好きやでえ」 言うと楓子は駆け出していった。でも今度は立ちどまることがない。ずっとずっと駆けていく。そんなに恥ずかしかったのか。僕は楓子を追いかける。つかまえたらきっと言うんだ。俺もお前のこと好きやでえ、って。
窓から差しこむ夕日があざやかに眩しくて、さっきから延々と聞いてもらっている私の「嫌なこと」が、ひどくちっぽけで、惨めなものに思えてきてしまう。 「それでさ、本当に信じられなくなってさ」 スマホの向こうの友人は、 ―はいはい、だねえ 子猫におやつでもあげているみたいな軽い調子で応えてくる。私の深刻な悩みなんて、その程度のものなのだ。なんとなくわかってはいる。でも、続けてしまう。 「なんか、どうにもならなくてね。やんなっちゃうよ」 ―そういうときはさ、あれよ、えーと、さ、ほら 「何よ?」 ―だから、ほら、クセのある、野菜の 「クセ? 野菜?」 ―あんま頻繁に買うもんじゃなくてさ 「わかんないよ」 ―ああ、駅名にもなっててさ 「駅名って」 ―そうめんのときにさあ 「…もしかして茗荷谷?」 ―そうそう、それ、茗荷谷 「茗荷谷がどうしたのよ?」 ―茗荷谷というか、みょうがのほう 「それで?」 ―食べてみたら? 「え?」 ―みょうが食べると忘れっぽくなるとか言うでしょ。食べて嫌なことみいんな忘れちゃいなさいよ あまりに強引な理屈に、毒気を抜かれ、鼻で笑うしかない。まったくヤレヤレな友人だ。その友人に話を聞いてもらってる私にしても十分アレだけど。 友人との通話を終え、アプリで地図を呼び出す。「茗荷谷」と打ちこんで… ふうん。思ったより遠くないんだねえ。 さっと支度をして外に出る。気持ちが沈んでいかないうちに、とっととやることやってしまおう。いままで一度も降り立った駅ではないけれど、スーパーくらいはあるだろう。 みょうがを求めてスーパーに。なんなら、せっかくだからとその買いものは茗荷谷で。 我ながらアホっぽい。まったく、ヤレヤレだ。 茗荷谷に向かう電車の車内で、みょうがのみそ汁にあう献立を、ちょっとばかり考える。さっきまでの沈んでいた気持ちがやんわり小さくなって、ほんの少しだけ楽しく思えていた。ほんの少しだけ、だけど。
この時期 物足りないと思うと かとり線香に火をつける 小鳥がちいいと鳴いて 自転車のベルが それに応える 青い視界のはしからはしに 伸びる飛行機雲が やけに心地いい きゅうりもなすも安かった トマトの赤い色は お店にはなかった そのお店で トマトの赤い色に 出会ったことはない アイスクリームにコーラ もしくは水ようかんに 濃いめの麦茶 白でも黒でも 炭酸は炭酸 格別に別格 ペットボトルを開ける瞬間の パキッと乾いた小さな音に 夏がわななく 指にかかる微かな抵抗が ふっと抜けるその一瞬の手応え もはや快感にも近い 炭酸のそれは格別に別格 そのヤミツキが喉が渇いたのでもないのに レジへと足を運ばせる 太陽は また明日ねと言い 舞台から降りる 月は 今宵もよろしくと言い 舞台のそでに 本は 何冊も 積んでおくもの レストレイドは 悪漢をつかまえて ポアロは推理をすすめていく 夏はとっくに来たけれど 風鈴の音はまだ 聞こえてこない 水無月を まだ口にしていないから 私のなかでは いまも水無月