大人になっても、自分ってなんも変わんねえよな

「大人になっても、自分ってなんも変わんねえよな。知識と経験は増えたけど、心は子供の時と変わらないっつーか」   「わかるー」    自宅で酒を飲みながらバカ騒ぎする二人の会話を、クローゼットの隅っこでぬいぐるみが聞いていた。  子供の頃から持っていたという惰性、そして手のひらサイズでかさばらないという理由で、一人暮らしの時に持ち出した逸品だ  最初こそ一人暮らしさの寂しさを埋めるために飾っていたが、慣れた今では部屋に置く必要のないものに成り下がっていた。   (変わったよ。君は変わった)    ぬいぐるみは、文句も言わず、クローゼットの奥で座っている。   (君は野菜を食べれるようになった。君は絵を描くのをやめた。君は子供の頃の友達を捨てた)    ぬいぐるみは見ている。  男と酒を飲む、大学でできた友達を。    男のスマートフォンの中には、小学校時代の友達、中学校時代の友達、高校時代の友達、大学時代の友達と、連絡先がぎっしり詰まっている。  しかし、最近動くのは大学時代だけ。   (君はぼくを捨てたんだ。ぼくを可愛いって言ってくれた君は、もういないんだ。君は変わってしまったよ)    ぬいぐるみは知っている。  懐かしさとは、かつて自分が捨てたものだと。    一度、男がクローゼットを整理していた時にぬいぐるみを見つけ、「懐かしい」と零した瞬間、ぬいぐるみは男の中からいなくなっていたと自覚した。  記憶の片隅にもいなかったことに絶望した。   (君が自分を変わらないと思っているのは、変えたことを無意識に忘れているからだ。そうだろう?)    ぬいぐるみに口はない。  故に、感情を伝えることができない。  男はずっと、自分を変わっていないと言い続け、変わったことを自覚できない。   「じゃーな」   「おーう」    友達が帰った後、男はシャワーを浴びるために浴室へ向かう。    寝る前は湯船に浸からなきゃ気持ち悪いと言っていた男ももういない。   (神様。願わくば、ぼくのことも変えてくれ。変わっていくことに気づけてしまうぼくが、変わっていくことに気づけない人間の側にいるのは辛すぎる)    ぬいぐるみの希望は奇しくもかなった。  数か月後、断捨離に目覚めた男によって、ぬいぐるみは捨てられた。

増やして減らして

「禿げた!」    髪が薄くなってきたので、育毛薬を飲んだ。  すると髪が生えてきた。  ついでに体毛も生えてきた。   「もさもさになった!」    体毛が濃くなってきたので、脱毛をした。  すると体毛が減ってきた。  ついでに財布も薄くなった。   「金がない!」    財布が薄くなってきたので、バイトを始めた。  すると財布が厚くなってきた。  ついでに目の下にクマができた。   「ぶっさ!」    目の下にクマができたので、睡眠時間を増やした。  するとクマが薄くなってきた。  ついでに一日に使える時間が減った。   「時間が経つのが速い!」    時間が経つのが速くなってきたので、やりたいことを詰め込んだ。  すると時間をたっぷり使えるようになってきた。  ついでに常に疲れるようになった。   「体が辛い!」    一つを増やせば、一つが減る。  一つを得れば、一つを失う。  シーソーのようにぎっこんばったん。   「真ん中に座れば、少しは落ち着くのだろうか」    何も求めず。  何も手放さずに。    しかし世界のどこにも真ん中などない。  時間に至っては一方通行の姿しか見せてくれない。    未だ見つからぬゴールを眺めながら、今日も私は求め、手放す。

雪から空が降ってきた

「何見てるのー?」   「んー? 雪―」    天を覆う黒い雲から降ってくる、真っ白い雪を私は見つめていた。  雪は、妖精のようにふらふらと舞いながら、地面に向かって進んでいく。    一つの雪のかけらが、ちょうど私の目の前に現れる。  私の視線は、その雪のかけらへと吸い込まれる。  視界が真っ白に染まる。  真っ白な中を突き抜け、その奥にある世界が見えてくる。    雪のかけら一つ一つの中には、一つの巨大な銀河があるなんて常識だ。  そして、私の意識は、その銀河の中にある、一つの惑星に住む一つの生物に吸い込まれた。       「おぎゃあああ! おぎゃああ!」    私は生まれた。  地球と言う惑星に住む、人間と言う生物の赤ちゃんとして。  私はそのまま記憶を失い、およそ80年をその人間として過ごした。  寿命を迎えるまで。        そして、意識が戻ってくる。  真っ白に染まった視界は取り払われ、私の視界を奪っていた雪のかけらは私の元を離れ、地面に落ちていった。  そのままペチャッと潰れて、消えてなくなった。    私はしばし、先ほど体験した人生の余韻に浸る。  隣を見れば、友人もまたそうだった。   「不思議だよね」    思わず口が開く。  友人は、こちらへ振り替える。   「何が?」   「こんなに小さくてすぐに消えちゃう雪のかけらなのに、その中では数百億年以上の時が流れてるんだから」   「確かに。世界の神秘を感じるよね」    雪は降り続ける。  止むことはない。  雪のかけらは次々と振ってきた、次々と地面に落ちて、消えてなくなる。   「綺麗だなぁ」

あたし、尽くしてるんです

「好きです、付き合ってください!」  校舎裏に呼び出されたかと思ったら、愛の告白だった。誰しも、ああ、いや、経験がある人もいるだろう。少なくとも僕は何度目かの経験だ。 「ごめん、きみとは付き合えない」  ばっさりと切り捨てられるようになったのも、ここ最近の話だ。優しい言葉をかけて長引かせるよりも、さっさとその気がないことを教えてあげたほうがいいということを学んだ。 「好きな人がいるんだ。ごめん」  僕はそう言って、早々にその場を立ち去る。振った相手を慰める義理などないし、その資格はない。  相手を見たら後ろ髪を引かれるだろうから、僕はその子を見ずにその場を去った。校舎裏から、土間を抜けて、校門のほうへ向かう。  僕を待っていた人が、そこにいる。 「せんぱい、また振ったんですかぁ?」  僕が会いたかった人は、僕を揶揄うように言ってくる。僕はその言葉を無視して、彼女と二人で歩き出す。 「今回は結構可愛い子だったと思うんですけどぉ、せんぱい的には何がよくなかったんですかぁ?」  僕にはきみがいればいいよ。そう言えたら、どんなに楽だろうか。僕が好きなのはきみだけだと、伝えることができるのなら、僕がこの問いに苦しむことはない。  僕はほんの少しだけきみに近づいて、その指に触れた。きみはぴくりと反応して、すぐさま僕の指に細い指を絡めてきた。 「ふふ。あたしに遠慮したんでしょ?」 「してない」 「まぁせんぱいに彼女ができたらこんなこと許されませんからね。浮気ですよ、う・わ・き」  きみはそう言いながらも、嬉しそうに僕と手を繋いでいる。ああ、だから、僕はきみ以外を見ることができないのだと再認識する。  きみが悲しむ顔を見たくないから。きみ以外の女子なんて考えられないから。   僕は鬱屈した想いを晴らすように、きみの小さな手を握った。 「あたしがいれば満足ですか?」 「さあね。さあ、帰ろう」 「あっ、ごまかしましたね? そういうのよくないと思いまーす」  きみは僕の腕を抱いて、笑いながら言う。僕はきみの手を握ったまま、幸せそうなきみの姿を見ていた。  ああ、やっぱり、僕はきみが好きだ。 「あ、そうそう、新しいクレープ屋さんの話知ってます?」  そうやって僕を引っ張っていくきみのことを、僕は愛しく思ってしまう。いつまでもこの時間が続けばいいと思ってしまう。  僕が黙ったままきみを見ていたからか、きみは可愛い顔を僕に向けて、にこやかに笑った。 「せんぱい、あたしを待たせたお詫びに、奢ってくれません?」  僕はふっと笑って、きみに言い返した。 「嫌だよ。待っていてって言ったわけでもないだろ」 「ちょっと遅くなるって言われたら、待つのが当然でしょー? せんぱい、そういうのよくないですよ」  きみは僕を責めるように言った。どう足掻いてもクレープを奢る流れからは脱することができそうになかった。  まあ、いいか。きみと二人で過ごせるのなら、安い買い物だろう。 「じゃあせんぱいの奢りで。何食べよっかなー」 「決定なのかよ。きみはさ、ほんとに」 「なんです?」  可愛い瞳で僕を見上げてくる。僕がそれに弱いことを知っていて、あえてやっているのだ。きみの思惑通り、僕は何も言えなくなってしまう。 「なんでもないよ。行こう」 「はぁい。せんぱいが他の女に誑かされるのが悪いんですからね」 「えっ、僕が悪いの?」 「とーぜんです。あたしは慰めてほしいくらいですよ、こんなにせんぱいに尽くしてるのに」  尽くしているだろうか。振り回しているだけじゃないか?  僕はその疑問を胸に抱えたまま、きみと二人で駅前のクレープ屋に向かった。

【超短編小説】「休日の発見」

 休日、息子の命日、一人で動物園に行った。  死んだ息子がライオンが好きだったので、ライオンの檻に行った。  しかしライオンはいなかった。貼り紙があった。 《本日ライオンは体調不良によりお休みです》  ライオンが見られないとわかりがっかりしたので、俺は動物園を出て近くのパチンコ屋に入った。  すると客の中にライオンがいた。  虚ろな目でパチンコを打っている。  俺はさりげなくライオンの隣の台に座った。そして横目でチラチラとライオンの様子を観察していた。  ライオンはだいぶ負けていた。  ライオンは突然椅子から降りると、のしのしとパチンコ屋を出ていき、数十分後、戻ってきた。  たてがみがなくなっていた。どうやらたてがみを売って金を作ったらしい。  再び俺の隣の台に座ったライオンの目には、うっすら涙が溜まっていた。 「動物も泣くのか」  と俺は思った。

【超短編小説】「とり」

 夜の繁華街、前を歩いていたおじさんが、スーツのポケットからスマホを取り出した拍子に、何かがぽろっと地面に落ちた。  おじさんはそれに気づいていないようだった。  落ちた物に目をやると、それは一匹の小鳥だった。拾い上げると生温かかった。 「すいません」  おじさんに声をかける。 「何でしょう?」  おじさんが振り向く。 「これ、落としましたよ」  小鳥を差し出す。 「ああ、これはこれはどうも、ありがとうございます!」  おじさんはとても恐縮した様子だった。 「これをなくしたら大変なことになるところでした」  おじさんはそう言って深々と頭を下げた。  そしてポケットにその小鳥を突っ込み、そのまま一軒の焼き鳥屋に入っていった。

当たり前生活

「私たちは、人間らしい生活をしたいだけなんです! 生活保護の人間は、週に一回の映画も楽しめないって言うの?」    テレビの中で、おばちゃんが大げさに泣くふりをしていた。   「いや、金○ロードショーがあるじゃん」    私は、思わず突っ込んだ。    一回いくだけで、二時間分の時給が飛んでしまう富裕層の娯楽。  それが映画だ。  年に一回、ネタバレされたくない連載物だけは見ているが、それ以外は一年待てば地上波で放送する。  誰もが知っているライフハックだと思っていた。   「私って、人間らしい生活できてないのかな……」    振り込まれた今月分の給与を確認し、私は賞味期限の二日すぎた卵で、今日の昼食を作り始めた。

効率の囚人

 受験は人生においてかなり重要な分岐点だ。これまでの岐路は常に競争であったし、次に来る大学受験もまた激しい鍔迫り合いになっている。志望する大学は超一流とまでは言えずとも、現状の私が目指せる最大限であった。私の人生はたった一度しか無い。ならばこそ効率よく、一切の無駄なく生きたいと思った。そのためには最大限の努力が必要だった。  とはいえ、常に気を張り続けることができるほど私は超人や狂人であることはできないでいた。息抜きにリビングのソファで眺めていたショート動画と同じ音声が、隣に座る妹のスマートフォンからも流れている。同じアプリで見ているのだから、似たようなものがオススメに流れることは容易に想像できたけれど、なんとなしに気に食わなさがあった。  妹は私ほど努力というものをしないでいる。要領よく何事をもこなす面を持ち、四苦八苦する私と違ってゆとりある生活をしている。そんな妹と同じ動画を見る時間はどこか不快感を伴った。     アプリを閉じ、三階の自室に向かう。机に齧りつき、参考書を開いた。充分に休憩は取れたためもう一度集中しようとする脳みそに妙なノイズが走った。  こんなに必死になったところで、どうせ私は凡人だ。  自らの思考に呆気にとられる。今まで考えたこともなかったそれに、脳のリソースが絡め取られている。どうせくだらない思考なのだから放り投げてしまえば良い。それでも眼球は文字を追えず、指は数式を解けない。脳は自己認識に囚われていた。  私にとって、試験は最も簡単な目標だった。自分の上限値に設定されたそれを越えるために経過する日常は心地よく、行動の全てが集約する効率の良さが好きだった。  ふと、未来に思いを馳せてしまったのだ。  高校を過ごした私は、何を得たのだろう。さらなる知識。部活の経験。それらはあまりに雑多で感情ばかりが伴って、美しく見えるけれど最も大切な熱を与えてはくれなかった。  私の人生には、熱がなかった。  親から与えられたゴール。社会的に優秀なハードル。周囲からの評価を与えられ、優れていると持て囃されるためにあるようなものだけに数少ない熱を注ぎ、私にとって大切な、自分の重心が見当たらないまま成人を迎えてしまった。  私は優秀だ。学生としての私は、非常に優れている。しかし、私のもつ能力のすべては机の端で冷たく眠る板切れに劣っていた。板切れからすれば、私も妹も、そう大差ないものだろう。  途端に、参考書の赤がくすむ。筆跡はぼやけて文字をとらえにくくなる。思考はまとまらないまま、熱のない私の将来像にシャッターを下ろしていた。  効率があれば、それが一番良い。  唯一燃やせるものがあるとするのなら、きっと私にとっての効率こそがそれなのだ。  最高率で人生を良くしてくれるものは何なのか。  …………  椅子を立ち、窓を開ける。空には夕暮れが迫っていて、青とも赤とも言えない不完全さがある。誰もが目を向けないような輝き方をしていた。下を覗けば相当な高さがあって、コンクリートが醜く照り返している。  生き甲斐も生きる価値も生きる意味もない世界で、逃避と死は救いである。大学を終えた私に残るのは、きっと燃え残る灰のような余生だ。  大変効率の良い自由落下に一瞬の痛みを覚えて、私は生を終える。

【超短編小説】「包囲」

 何となく眠れない夜、それでも眠ろうとして布団の中でじっと目を閉じていると、アパートの右隣の部屋から、パチンパチン、と音が聞こえてきた。  爪を切っているらしい。  夜に爪を切るのって良くないんじゃなかったっけ。  そんなことを思っていたら、今度は左隣の部屋から、パチンパチン、と音が聞こえてきた。  夜に爪を切るのって。  すると下の部屋から爪を切る音が聞こえてきた。  夜に爪を。  すると窓の外から爪を切る音が聞こえてきた。  夜に。  街中から爪を切る音が聞こえてきた。  俺は布団から出て急いで爪切りを探した。夜に爪を切るとどうなるのか、すでに思い出せなくなっていた。

閉口

これは、私だけが開けられる秘密の箱だ。 入れたいものはおおよそ検討がついている。 例えば…… ぐちゃぐちゃになったノート、傷だらけの人形、血の付いたハサミ。 そして、この制御できないほど膨れ上がった混沌とした感情さえも——。 入るだろうか? いや、入れるのだ。 たくさん詰めすぎて蓋が閉まらなくなっても心配は要らない。 蓋の上にのしかかって「閉まれ」と命令すれば、箱はギシギシと音を立てながら何かを哀願するように大人しく口を閉じる。 私が許すまで決して開くことの出来ないその口を撫でる。 頬が緊張しながら上がっていく。 この箱は、私に従順だ。

【超短編小説】「変な夢」

 夕暮れの公園で、白衣を着た男が少年たちを見つめている。  少年たちは赤ん坊の姿をした人形をサッカーボールのように蹴っている。  男は腕時計を見る。 「そろそろいいよ」  男は少年たちに声をかける。  少年たちは赤ん坊人形を拾い上げ、男に駆け寄りそれを手渡す。  赤ん坊人形はボコボコにへこみ、泥まみれになっている。 「ありがとう、お駄賃だよ」  男は少年たちに金を手渡す。そして赤ん坊人形を抱きながら去っていく。  少年たちの中の一人が、こっそりその後を尾けていく。  男は産婦人科医院の中に入っていった。しかし、そのままいつまでも出てこなかった。  結局何もわからず、彼はもやもやしたまま帰宅する。  やがて彼はその出来事を忘れる。  それから二十年後、成長した彼は、その医院に入院している妻から、 「入院してから変な夢ばかり見る」  と打ち明けられる。 「変な夢って?」 「あなたが赤ん坊を蹴る夢」

性活保護

 「お客様。異性、同性に相手してもらってる?寂しくない?」 ここ性活保護課では国が異性、同性に相手にしてもらえない冴えない性的弱者たちにあの手この手で異性、同性や異性、同性の代わりになる性サービスをあてがう部署である。 何故こんな課が出来たかというと民間で異性、同性の人に相手にされず強姦や殺人が増えてしまったからという至極単純な国家政策なのだが。 しかし性活保護であてがわれた異性、同性と付き合う保護政策を受けながら普通に別の異性、同性と付き合う輩が増えるという性活保護不正受給が多発してしまいこの政策も息詰まる。 ああ人のエロ、異性、同性に対する欲求はとめどない。悲しい事である。

三十歳になっても結婚してなかったら

「お互い、三十歳になっても結婚してなかったら、結婚しよう」   「そうだな。結婚しよう」    それから十年。   「久しぶり。元気してた?」   「うん。あ、結婚した。そっちは?」    私は失恋した。       「ちぇりおおおおおお!」   「何の叫びよ」    どことなく気まずい雰囲気が流れたので早々に彼とは解散し、急遽友人を呼び出して酒に溺れた。   「いや、待つでしょ。三十歳になっても結婚してなかったら、なんて三十歳で結婚しようって実質プロポーズでしょ。なんで結婚してんのよ!?」   「いやプロポーズじゃないでしょ」   「私は彼が魔法使いになってても受け入れるつもりだったのに!」   「あんた、女魔法使いだもんね」   「だまらっしゃい! 生お代わり!」    私は力の限り、二杯敗目のビールを注ぎ込む。  友人は、そんな私を生暖かい目で見守る。    友人には、ずっと言われていた。  三十歳の約束があろうが、一回くらい彼氏を作っておけと。  私は三十歳の約束があるからと拒み続けたが、今思えば友人は彼が恋人を作ったことを知っていて、私にそれとなく伝えようとしていたのかもしれない。  彼の現状を知らないほうがロマンチックだという脳内お花畑モード全開だった私に。    何敗ビールを飲んでも、私の脳は覚醒しきったまま。  涙をこらえた目で、私はだらりと机に上半身を押し付けた。   「服、汚れるよ?」   「どうでもいいー」   「おーけー、言い方変えるわ。私が恥ずかしいからやめて?」   「ヤメマス」    彼との思い出が蘇る。  たまたまボランティアで知り合って、想像以上に話があった。  しかし互いに異性としての魅力が感じられず、代わりに人間として魅力を感じてきた。    告白するには恋が足りず、だから曖昧な言葉で十年後に逃げたのだ。    もっとも、私は離れることで恋心が増し、彼は離れることで友愛が増してしまったのだろう。    グラスに映った自分の格好は、おおよそ恋人に会うためのそれではなかったのも、私を友愛以上に見ることのできなかった原因なのかもしれない。  真実はわからないし、聞く勇気もない。  いや、もう一度会う勇気もない。    結婚式の時期も場所も、知らずじまいだ。   「ま、元気だしな。ここ奢ってくれたら、合コンでも開いてやるから」   「ううー、ありがとうー。全額は厳しいから、会計の半分だけ出すよー」   「おいふざけんな。ただの割り勘じゃねえか」   「あいむのっとまねー」    気付けばグラスの中から泡が消える。  残ったのは金色の液体だけ。    なんて味気ない人生なんだろう。  そんな感想が口の中に注ぎ込まれた。

変頭痛

私には変な頭痛がある。 普通の人は気候の変化やストレス等から頭痛に繋がることが多いらしい。 しかし私の頭痛の原因は違う。 鼻毛である。 鼻毛が私の視界に入った瞬間に頭が痛くなる。 別に物理的に目に入って痛くなる訳ではない。 視界に入るだけで痛くなるのだ。 今までで一番厄介だったのは、結婚式である。 父とヴァージンロードを歩き新郎の元に行き、会場は感動に包まれている。 そんな中私は神父の鼻だけを見ていた。 右鼻から3本も出ているのだ。なんてアンバランスな。 この日ほど、私の目の良さを後悔したことはない。 そして右鼻毛神父が誓いの問いかけを言行う。 「汝、病める時も健やかなる時も、常にこの者を愛し、守り、慈しみ、支え合うことを誓いますか」 神父、あんたは鼻毛を守り、慈しみ、健やかじゃない状況を作ってんだよ。 誓いの言葉中だが、神父の鼻毛が出ているままだと私の頭痛が治らない。 なんとか表情で神父に伝えようとしたが、神父は不思議そうな顔して、逆に、「早く問いかけに答えろよ」と言わんばかりの嫌な顔を一瞬こちらに向けた。 しょうがない。私が頭痛を我慢するしかないと思い、 「誓います。」 と言った。 神父は満足げな顔をして微笑んだ。そしてなんと右鼻の鼻毛が4本になっていた。 私は思わず駆け出し、その場から離れた。 あの神父は危ない。 無限に私の頭痛を誘発してくる。 あとで旦那とか家族とか色々な人が追いかけてきたけど、チラッと後ろを見ると先頭を走っていたのはあの神父だった。 なんで足速いんだよと思いながら、必死で駆け抜けた。 私はいつの間にか気を失っていた。 目を覚ますとたくさんの人に囲まれていた。 なんで突然逃げ出したの!と怒る人や、心配したんだよという優しい人、そして、ただじっと見つめてくる旦那がいた。 よかった。もう神父はいない。 「ごめんね。神父の鼻毛に耐えられなかったの。」 すると旦那は言った。 「そんなことだと思ったよ。さ、仕切り直そう。」 そして違う方に神父を頼み、進行してもらい事なきを得た。 と、言うように鼻毛はたまに困難を連れてくる。 しかしこの私の特性とは付き合っていくしかないようだ。 そして今日も祈るのだ。 どうか視界に鼻毛が入ってきませんように。

世界で一番美しい人を映す鏡

「鏡よ鏡よ、鏡さん。世界で一番美しいのは、だあれ?」    私の問いかけに、鏡は光り、答えた。   「はい。フィリピンに住んでいる。アンブレラさんです」    鏡に映ったのは、褐色の肌を持つ美しい女性だった。  なるほど、これでは勝ち目がない。  私が溜息を零すと、鏡が光った。   「あ、今化粧を終えたので、順位が変わりました、一番美しいのは、韓国に住むオッスさんです」    化粧で順位が変わるとは、実に興味深かった。  でも、言われてみれば納得した。  化粧は、女を化けさせるのだ。    また、鏡が光った。   「あ!? くしゃみして化粧が崩れた! これはいけませんねー。一位は、フィリピンのアンブレラさんに……違う! カナダのアンビリーバボさんだ!」    鏡がまた光った。   「あああ! パジャマ脱いだ! これは神ボディ! 一位はポルトガルのカルバさんに代わ……ひょおおお!? 百年に一度の神笑顔キタコレ! やっぱ韓国のウッシーさんが一位!」    その後も、秒針が鳴るごとに一位が変わり続けた。  一度上がった名前が出てくることもあれば、新しい名前が出てくることもある。  起床後、化粧終わり、撮影中、エトセトラ。  時差がある地球では、いつだろうと人々の顔や表情が変化し、その都度順位が更新されていく。    少なくとも分かることは、私の名前は一度も呼ばれないということだ。  普段行く美容院の三倍はする美容院でカットをお願いしたというのに。   「はー、諦めた諦めた」    私が乗らない順位に興味はない。  変動する順位に興味はない。   「やっぱ、堅実に行きますか。目指せ長者番付」    私は財布の中から小銭を取り出し、貯金箱の中に入れた。

小隕石は平和を崩

 地球に小隕石が迫っていることが報道された。専門部会の推測では、小隕石は日本、東京に落下すると考えられた。  予測では、明日の夜、小隕石が落下する。落下地点である東京には致命的なダメージが予想されていた。今から回避する方法もなく、小隕石が偶然向きを変えることを祈るしかなかった。  そこで、日本は隠し持っていた高性能ミサイルを使って、小隕石の軌道をずらす計画を実施した。ミサイルを小隕石に当てて、海に落下するように軌道を変えようというのだ。  ミサイルが発射される。ミサイルは小隕石に着弾し、爆発する。軌道を変えるだけだったはずなのに、小隕石は打ち砕かれ、いくつもの破片に分かれてしまった。大気圏で燃え尽きるかどうかは、誰にも予想できなかった。  小隕石の破片が大気圏に突入すると、地上からは赤い尾を引いた星のように見えた。流れ星のようにも思えたからか、人々はそれを流星群だと誤解した。最後の夜に流星群だなんて、ロマンチックだと話題になった。  誰も、本当に小隕石が東京に落下するなど信じていなかったのだ。流星群が見えて願い事をしたり、写真を撮ってSNSに投稿したり、普段と同じ光景が繰り広げられていた。ミサイルを射出する計画があったことさえ知らない人もいた。  日本とはそんな国だ。平和で、平和すぎるくらいだ。小隕石は日本の平和を崩すこともなく、大気圏で燃え尽きた。

【超短編小説】「合ってた」

 公園のベンチに座ってスマホで動画を観始めた時、頭上から一本の指が降ってきて、勝手に高評価ボタンを押してしまった。  顔を上げると、パラパラと指が降ってきた。天気予報の通りだ。  慌ててスマホをポケットに入れ、傘を差す。丈夫な素材で出来ている、指用の傘だ。昔は普通のビニール傘を差していたが、爪が鋭い指が垂直に降ってきた時などに、傘を突き破ってしまうので、指用の丈夫な傘に替えたのだ。  ぼとっ。  ぼととっ。  傘に指が当たる音が聞こえてくる。地面に落ちた指を見ると、ぴくぴくと震えていた。どうやら突き指をしたらしい。  丈夫な傘は本当に丈夫なんだなあ。感心しながら、軒下を探す。  あった。  カフェの軒下に入り、傘を畳み、スマホを取り出す。  さっき勝手に高評価ボタンを押された動画を観る。面白い。高評価で合ってた。

カルいのがいいことにして

重すぎん? 二月十四日。 返事もらえるのが 三月十四日。 みたいな風習 重すぎん? もっと 軽めに もっと 軽やかに 好きがいっぱいあっても いいと思う。 って、きみには言っておくよ。 だから 生チョコレートじゃなくて チョコレートケーキでもなくて チョコチップクッキーでもなくて だから、 ウエハースくらいでいいでしょ? だから、 三月は、わたあめでいい。 それでもまだ迷ってるなら、 ポッキー、一本だけでもいいよ?

SNS異世界転生

 友達のアカウントが消えた。  何も告げられることなく、突然消えた。    減ったフォロワー数をぼーっと眺めていたが、しかし呼び戻す方法も思いつかないので、忘れようと頑張った。    数日後、新たなアカウントにフォローされた。  よくよく見てみると、消えた友達のアカウントだった。   「垢作り直しました。把握お願いします」    アイコンの雰囲気も名前もがらりと変えて、友達は再びぼくの前に現れた。    フォロワーの属性も変わる。  発言の内容も変わる。  時々かつての友人を思わせる発言もするが、すぐに発言が取り消されていた。   「これが、異世界転生ってやつなのかな」    ぼくと友人は徐々に話すことがなくなった。  元の世界を生きるぼくと転籍先の世界を生きる友人。  そうなることは必然だったのかもしれない。

日の目を見ない期間

職場で雉の鳴き声が聞こえました。 ちょうど立春に入った月曜日 前日より少し暖かく、いつもの西寄りの風もあまり吹いていない昼間のこと。 少し遠めのところで鳴いたようで、周りが少し音がする状況になっていれば 間違いなく聞き逃していたと思います。 カレンダーというものが存在するからか 季節が日毎少しずつ来る感じを思いますが 実際は季節が寄って離れるを繰り返し ある日ゴロンと入れ替わります。 先日の雉が鳴いた日は、本当に初期の寄って日。 まだまだ完全に春が寄りついた訳ではありません。 立春という期間に入ったところで この日から春だと思った事は一度もなく それは一般的に春らしい存在がまるで見当たらない 何も無い状況だから。 どうしてこの時期に立春なのでしょう。 もっと冬らしげな言葉にしても良いように思え 季節のど真ん中だということは無いにしても 冬そのものが深まっている時期であることからも そんな事を思います。 暫く続く極寒の期間に私なりの憶測が生まれました。 それはいち早く春になって欲しいとする 先走った人の強い希望を暦に乗せたからではないでしょうか。 もうそろそろ春になってほしい 出来れば一日だけ、ほんの少し兆しだけでも 春が感じれたら幸せなんだという 人が勝手に流れを早送りして春の入り口を作ってみせた、 立春はそんな春への切望と待ち切れ無さ、そんなことではないかなと思います。 今と比べて題材が無い世の中では 季節自体が、かなりの思考容量を取っていたはずです。 人だけでなく、地上全ての生物が季節に乗り、ようやくながら生存出来た。 それに逆らう事は出来ません。 季節のなかでも最大限に過酷な季節が冬 願う気持ちが強くなるのも分かります。 冬であるのに春を付けられてしまった期間。 春の陽射しは限りなく無に近く、風は強く冷たく雪混じり。 生物全体から現在よりも早く次の季節を望まれてしまう期間。 太陽からも遠ざかれ、生物から過ぎるを望まれる 正に陽の目を見ない期間なのです。 二月下旬頃になると山間の職場で見る機会が増えて来る生物がミミズです。 いろんな説があり、地表に落ちた雨の音が天敵のモグラが近づいたと思い ミミズが土から這い出すと言われます。 しかし土から這い出したミミズは他の外敵から狙われたり 外気の乾燥に耐えられずそこで終わります。 アカガエルが冬眠から外に出だすのも似た時期の場合があります。 一般的にはミミズもアカガエルもこの時期に出てくるのは早いのですが 毎年必ず早めの行動してしまう個体が登場します。 そして毎年それを見越したような鳥類が混ざっての食物連鎖が起きるのです。 人はどうかと言えば、毎年この時期にその格好は少し早いの人が街に登場します。 しかしそれは今年の春トレンドだったりして、見た人にも何かの印象が残る。 そして後の小春日和に思い切って春服を着るという人が多く登場してしまうようです。 立春はそんな先陣を切る意味もあるのではないでしょうか。 言うと叶う、言うが勝ちのような、 言ってやってみて変える、きっかけ作りのようなこと。 どんな世界でも先陣を切った後に続く者が現れると知っていて強引に先陣を切った。 それは単なる目立ちたがりではなく、必要な先駆者。 何も無いところからの出だしです、だから立春には春らしさがまだ無いのでしょう。 思うのは、おそらくこの陽の目を見ない期間を やっと来た!と心待ちだった何かがいるのでは。 その者からすれば、一体何をサインと捉えるのでしょう。 そんな事を考えてみたくなりました。 もしかしたら、 風や気温や雪、大気中の自然的な何かであるのなら 私には捉えづらいサインかも知れません。 あの鳴いた雉がそう? もしもあれがサインかも知れないと勝手な想像が膨らみます。 実際に気付くものにはコソッと分かるレベルなのではないかと思うのです。 それはまだ季節は冬だから、 準備段階の春は冬の立場を考えているのではないか、 そう考えてしまうくらい控えめな春の主張を思いました。 パワーは確実に春の方が上、なのに冬を立ててしまう春。 季節の中で違う季節を一番侵食しないのが春。 そこまでする春に腹が立つという意味の立春なのかとも思いました。 考えた末に出た結論は 多分冬が無いと春が来ないと分かっているからでしょう。 いろんな立場の休息、補給、成長、その蓄える期間を経て 春が来ると分かっているのだと思いました。 この期間には様々な葛藤が交錯します。 そして季節の深みが増して行く中で 私は生かされている感をあらためて思うのです。

【超短編小説】「夕日」

 夕暮れの公園で、子どもたちが紙飛行機を飛ばして遊んでいる。  ベンチに腰かけている中年男が、それをじっと眺めている。  一人の少年が、その視線に気づく。  少年は男に声をかける。 「おじさんも一緒に遊ぶかい」  男は少し驚きながら、小さくうなずく。 「紙持ってるかい」  少年が言う。  男は大きくうなずき、ポケットから封筒を取り出す。その封筒には《遺書》と書かれている。 「紙飛行機作ったらこっちおいでよ」  少年が言う。  男は何度もうなずき、封筒から一枚の便せんを取り出し、それで紙飛行機を折り始める。  男の目に涙が溜まっていき、それが夕日にきらめいている。

いいことがありそうな日

今日、貴方に会った。久しぶりに見た貴方は 私の顔を見て優しい顔で微笑んで頭を撫でた。 交わした言葉はないけれどそんなものいらないくらい 懐かしくて愛おしい匂いに包まれた。 ああ、私幸せだ。 朝、目覚めると隣には誰もいなくて ダブルベットがとても大きく感じて寂しくなった。 貴方と別れてもう5年が経つのに 忘れられないから夢の中で会いにきてくれたのね。 そう都合のいい解釈をして今日も仕事へ向かう。 ちょっぴり今日はいいことがありそうだ。

グロ描写アリ

「僕を人に堕としたくせに…」 貴方を見つめる ぽっかりと空いた穴が 端正な顔に2つ空いた空洞が そこから地獄が滲み出している 「貴方は神になると言うんですか?」 そうやって… 一欠片の感情すら読めない少女は言った 「ダメですよ…」 少女が貴方にぐっ…と顔を近づける あと少し近づけば口付けてしまうのではないかと思うほど近くで少女は顔を止めた、 あと少し…けれどその少しの距離がとても遠い… 「ねえ…ダーリン…ねえ?貴方の両の手のひらの爪をはいで腕を丸ごとミンチにして両の足を潰して…目を抉って、顔の皮をはいで、そのたった一つのこった美しさすらもあなたから奪えば…貴方は僕のものになってくれますか?」 少女は狂気に包まれたままそう言った。 貴方は頷かない… 頷けない… 恐怖で体が動かなかった… 何も返事を返さない貴方に 少女はため息を着くと、 その端正な顔を貴方から離してがちゃがちゃと 器具をかき回し始めた 「貴方の足…健は切れてますけどまだ治りはするんですよ。」 がちゃがちゃと器具をかき回しながら少女は話し始める。 「今貴方が答えてくれたら、ちゃんとくっつけてくれる技術者を紹介しますよ?」 そう言って、少女はこちらを振り返る。 少女の顔には、貼り付けたような笑みが浮かんでいる。 貼り付けた…と直感的に思うが、彼女の笑みは完璧だ、計算され尽くされているとすら思う。 そんな的はずれなことを考えていると、 ゆびをつぶされた いたい いたいいたい いたい!いたい!!いたい!いたい!いたい!! 潰されたところの感覚がないのに燃えているみたいに熱い! 潰された指の付近が耐え難い痛みを訴えている 息が上がって喉から胃液がせり上がってくる 目からは涙が溢れ、全身から脂汗が流れ出る 少女はケラケラと笑って貴方の指を潰したハンマーを愛おしそうに撫でた。 ゆっくりと…少女がこちらを見る。 少女のバラのように赤い綺麗な瞳が貴方を射抜く 少女と貴方は、しばらく見つめ合う。 不意にあなたの視界が赤く歪む、理解が追いつく前に、少女の声が降ってくる。 「ああ…貴方も私と同じ中身をしていたんですね!!もっと早くに知りたかった!もっと早くに見たかった!!あなたの頭を開いて脳髄を撫で付けて脳を脳幹ごと丁寧に丁寧に引き出して…ホルマリンに漬けて飾っておきたい…あなたを片時も忘れないように、ずっと傍に置いておきたい…貴方の腕に抱かれて眠った時のように、今度は私が貴方を抱いて眠ってあげます。心配しないで、寝相が悪くて潰すなんてこと絶対にしませんから!!」 少女の興奮した物言いで理解した。 あたまをかちわられたのだ もう痛みすらどこか遠い… 自分を先生と慕ってくれたあの可愛い弟子は 一体どこへ行ってしまったのだろうか… 思考の途切れる寸前… 少女の満面の笑みが目に入った。 作り物じゃない……本当に純粋な…笑顔… 「ああ!これでやっと!ずっと一緒にいましょうね!大好きです。愛してます。せんせ♡」

惑星外生命体

 その日、人類は地球を棄てた。  幾度にも渡った戦争で、地球という星は疲弊し、生物が住める環境ではなくなってしまった。生き延びたごくわずかな人間たちは、宇宙船に乗って宇宙へと逃げた。  まだ見ぬ新しい惑星を探して、自分たちが住める惑星を探して、宇宙船は宇宙を漂う。そんな生活も、もう数年が経過していた。  国籍も家柄も関係なく、全員が対等の世界がそこにあったはずだった。しかし、人間たちはヒエラルキーを築き、いつのまにかボスを頂点とする身分制度が確立していた。 「ボス、新しい惑星が見えました」 「調査しろ。今度こそ、俺たちが住める場所だといいが」  新しい惑星は、青く、見た目には地球とそっくりだった。宇宙船から探査する限りでは、地球とほとんど同じような重力で、大気成分も変わらないようだった。  今度こそ、住めるかもしれない。ボスは惑星への着陸を命じた。宇宙船は新しい惑星へと向かっていく。  そこへ、緊急を知らせるアラームが鳴った。ミサイルが宇宙船に向かってきているというのだ。武装など持ち合わせていない宇宙船は、ミサイルへの対抗手段を持たなかった。   宇宙船はミサイルの攻撃を受けて、宇宙の藻屑となった。 「未確認飛行物体、撃墜を確認」 「よし。可能であれば回収しろ」 「了解」 「いったい何だったんだろうな、あのUFO」 「さあ。しかし、攻撃してくる様子もありませんでしたが」 「こちらが先手を打ったまでだ。UFOの存在は秘匿しろ、いいな」 「了解。彗星ということで報道させます」  ほとんどの民は、それが惑星外生命体の乗る宇宙船だったと知らないまま、日々を過ごしている。

恋愛トランプ

「あなたはジョーカーです。」 産まれた瞬間にそう告げられた。 それはどういう意味なんだろうと思いながら生きてきた。 しかし大人になって分かってきた。 私は1人ということだ。 ある時友達に聞いてみたのだ。 「産まれた瞬間になんか言われた?」 「言われたよ。私はハートのエースみたい。」 「それってどういうことなの?」 「知らないの?私が将来結婚する相手はクローバーのエース君か、スペードのエース君ということよ。」 「ああ、そういう感じね。」 「あなたはなんだったの?」 「忘れた。」 私はジョーカーだから、相手はいない。 ということは生涯独身? それはそれで自由でいいかもしれないけど、1人だけ浮いた存在になるなんて嫌だな。 そう思って過ごしていたが、相手なんて現れない。なぜなら私はひとりだけジョーカーなんだから。 そしてひとり、またひとりと結婚していった。 遂に私以外、結婚してしまった。 なんで私がジョーカーだったのだろう。 私も普通の幸せが欲しかったな。 そう思って私は隣町に逃げた。 ひとり、青年が道端に座り込んでいた。 その悲しい佇まいを見て思わず声をかけた。 「どうしたの?」 スッと顔を上げると意外にも精悍な顔つきであった。 悲しい表情で言っていた。 「僕、ひとりぼっちなんです。」 「もしかしてこの町も結婚相手が決まってるとか?」 青年は驚いた様子だった。 「そうなんです!もしかしてあなたも?」 「ええ。私はジョーカー。」 青年はそれを聞いた途端飛びつき、抱きついてきた。 その出会いがあり、私たちは結婚した。しかしおそらく私たちが子供を産むとしたらジョーカーの枠組みとして扱われてしまうのだろう。どこかに行かなければ結婚できないのだろうか。 葛藤はあったが1人でいることは考えられなかった。 そして、結婚した瞬間に、産まれた時に聞こえてきた声と同じ声が天から降り注いできた。 「あなたたちはジョーカーでありながらも諦めずに動き、見事に結婚にたどり着きました。ルールが変わります。これからはエース、ダイヤ、スペード、クローバー、誰と結婚しても構いません。それではごきげんよう。」 こうして自由恋愛の時代が始まった。

ざわめき

朝は、やけに寒かった、みたい 昼ごろ、布団から出てみる カーテンの外は、明るく それ以上に、ざわついていた 風が強い 春の嵐には、はやいんじゃない 言葉のかわりに 空気の荒いうねりが 返ってくる 風が強い 迷惑な 外に出る用事はない 寒くても、風が強くっても どうでもいいけれど 風が強い 迷惑な まったく迷惑な 外の騒ぎに気持ちが乱されるも からだの中に、なんだろう 浮かれたナニモノかが かすかに、姿をあらわしたような 風が強い けど なにもしない なにもしない なにもしない ただただ 反動をまつ 外のざわつきが落ち着いてくる ミルクティーを用意する 春にお似合いの本を 手にとってみる

異物混入

 体操服を突っ込んできた手提げ袋の底から出てきたのはチェックのスカートだった。キヨは0コンマ数秒の早業で、手提げにギュギュッと不穏な布を押し込んだ。手の中で圧縮されたスカートと同じ程、キヨの心臓も縮みあがるのと同時に、休み時間の更衣室の喧騒が突然止んだ。  妹の物が荷物に紛れ込むことは、キヨ家ではよくある話だった。小学生の時は筆箱の中にゴムの髪留めが入っていたし、中学生の時は包みを解いたお弁当箱がそっくり可愛らしいウサギの柄だった。姉妹兄弟が多いと、誰のものがどこにあるか把握するのに全員で家をひっくり返す羽目になる。  だが残念なことに、キヨはそれを笑って流せる性格には育たなかった。雀ほどのちっぽけな心臓を抱えて、見当たらない自分のものをうろうろと探し周り、見知らぬ荷物の混入にすぐに動転した。  授業の始まりを告げるベルの音にキヨはまた飛び跳ねた。無用な逡巡の結果、休み時間の喧騒はどこかに連れ去られていた。丸い壁掛け時計の秒針が小刻みに震えながら刻一刻と進んでいた。体育の授業はとっくに始まった頃だろう。  それでもまだキヨはグズグズしていた。誰かにスカートを持っていることがばれたら高校生活が終わると、キヨには思えた。こんな小太りのこんなニキビだらけのこんな寝ぐせ頭の人に笑顔すら返せない奴だから。お前のような奴に気を留める者など誰一人いないのだ、という大人たちの言葉を理解はしながら、それでもなお腑に落ちず、キヨはそこに立ちすくんでいた。  と、廊下を大股に歩きながら雑談する、見回り教員たちの足音が聞こえてきた。教員が更衣室の中まで入って来るのかわからなかったが、足音を忍ばせながら壁とロッカーの隙間まで進むと、腹を引っ込ませながら隙間に身をよじって隠れた。壁を揺らすほどのとんでもない心臓の音を聞きながら、別に堂々としていればよかったんじゃないかという気持ちが芽生えてきたが、まだスカートが入った袋を掴んだままだった。  このままじゃただの現行犯だ。  運よく教師は中までは入ってこなかった。足音が遠ざかると、キヨはそっと隙間から這い出て、首だけ廊下に突き出した。更衣室に荷物を置きっぱなしにするのは、あまりに危険に思えた。授業中の廊下は、教室で演説する教師たちの声がボソボソと響いていた。  教室は五つ先、遠すぎるというほどではなく、近いとも思えない距離だ。各教室の廊下側の窓はほとんどがすりガラスだが、一部廊下の様子が見える透明なガラスがはめられている。教壇に立つ教師の視線をうまくかわしながら、忘れ物をしただけの生徒に見えるように廊下をちょこちょこと進んでいく。要するに、一番怪しく見える動きで。  ようよう電気の消えた自教室まで着くと、そっと扉を開けて中央辺りの自分の机まで小走りに近づき、手提げからスカートを取り出す。更衣室に置きっぱなしにするよりは、まだ自分のリュックの中にしまっておいた方が、誰かに暴かれる可能性は低いだろう。 「どうしたの、それ」  振り返ると、後ろの方の席から、同じクラスのエイコウが立ち上がるところだった。  気が付くとキヨは教室の外に走り出していた。さっき来た道を引き返す。今度の方が、忘れ物をした生徒らしい動きだったに違いない。更衣室の前で右に曲がり、トイレに駆け込んだ。  エイコウは確かにそういうやつだ。たまに授業を中抜けして、担任に叱られている。クラスの中では浮きがちだという点ではキヨとどっこいどっこいだが、住んでいる世界が違い過ぎて関わったことはない。いつもどこか遠くを見つめている視点を、キヨは疎ましく思っていた。それが、なんで今日に限ってここにいるんだ。  息を切らし、手を壁に押しあててトイレの個室の前に立つ。心臓が痛いほどうねる。 「逃げなくてもよくね?」  ヘラヘラとエイコウが後ろから追いかけてきていた。振り返ってキヨは、なんとも言いようなく何か安心できるモノを探すと、手に持ったままのスカートしかなかった。 「貸してよ」  エイコウは返事も待たず、キヨの手からスカートを取り上げるとしげしげと蛍光灯に透かした。そして、洗面台の鏡の方に向き直ると、スカートを腰に当てた。キヨは震えながら、その光景を眺めるしかなかった。  どこかゾッとした気持ちだった。その気持ちが何によるものなのか、キヨにはわからなかったが。  エイコウの表情に特に変化はなかった。鏡をじっと見つめるエイコウの手から、やがてスカートが力なく床に落ちた。 「お前はなんなんだよ」  エイコウはそう呟くと、キヨのことを一瞥もせずそこから立ち去った。キヨは音を立てないようにゆっくりと腰をかがめ、冷え切った布切れを胸の辺りに抱きすくめた。 (お題:スカート)

夏休みの宿題“ことわざを試してみよう”

中学3年生、今日は夏休み最終日。 一番厄介な宿題が残っている。 それは、“ことわざを試してみよう”である。 夏の自由研究とかは今まであったが、何故か趣向を変えたのか分からないが、聞いたことない宿題である。 自分が気になることわざを試してみて、実際にどうだったかを感想文としてまとめて提出するのだ。 夏休み最終日、現在朝5時。 さて、よく分からないが散歩に出てみよう。 素早く着替えて玄関から勢いよく飛び出すと、雨。 雨かー。 テンション上がらないな。 どうせ何も起こんないんだろうなと思いつつ、傘を片手に歩き始めた。 近所の自販機で眠気覚ましに、暖かい微糖の珈琲を購入した。 お釣りを取ろうとするとキラリと光る何かが自販機の下に見えた。 お、500円ぽいと思って拾ったがそればどこの国の金貨かわからないものであった。 ついてないなー。とりあえず銀行に届けよう。 交番に行かずに銀行に行けば日本のお金に変えてもらえると思ったからだ。 銀行に行き、係の人に硬貨を渡すと3つの選択肢が書かれた紙を渡された。 ①交番に行く ②10,000円に換金する ③未知の世界へ行く んー、また立ちはだかるんだね。良心を刺激される。②は魅力的。③もどんな世界か気になる。けれどいい子として育てられてきた僕は①を選ばずにはいられなかった。 係の人はにっこりして「お気をつけて。」と言った。 渋々交番へ行き、硬貨をお巡りさんに渡した。 するとお巡りさんは突然大声で「そ、それはー!」と叫び出した。 そして、号泣して「ありがとうございます。ありがとうございます。」と繰り返した。 「どうしたんですか?これは何ですか?」 「これは親の形見です。私は雲の中にある世界から来た雲人間です。」 ? ちょっとよく分からないが、 「そうなんですね。そんな世界あるのなら、見てみたいです。」 「そうですか。あなたは親の形見を見つけてくれた恩人だ。案内するよ。」 そして交番の裏口を出ると、そこは白一面の世界が広がっていた。 ここが、雲の中にある世界…。 不思議と僕自身も浮いているような心地がした。 そして目の前には虹があった。 「こんな至近距離で見る虹、初めてです。」 「そうだろう。僕もこの世界に生まれてよかったなと思える一番の要素だよ。」 そして、虹の中に入るといつの間にか交番の中にいた。 「ここで見たことは内緒にしてね。」 お巡りさんは健やかに笑った。 夏休み最終日、“早起きは三文の徳”を試してみたが、三文以上の経験が出来たと思う。 さて、今日起きたことをまとめて明日には宿題として提出出来そうだ。 そして最後の一文を書き終えた瞬間、僕が書いてきた文字が全て雲になって消えていった。

力加減は練習中

 座敷の襖を開けた途端、フウカとセンはあっと声を上げた。床の間や壁に飾っていたあらゆるものが、まるで嵐の後のように乱雑に床に散らばっていたのだ。フウカは責めるようにセンの羽織を引っ張った。 「兄ちゃん、夕べの強風の時、雨戸開けっぱなしにしてたの⁉︎」 「なわけねーだろ! なんか怪異でもいるんじゃねえの」  センはそう言って、腰に携えた刀の柄を握った。こう見えても、彼は祓い屋の長男。険しい顔をして、摺り足で座敷に足を踏み入れた。フウカはどうすればいいのかわからなかったが、兄と離れるのも心細いので、そろりと後について入った。  その瞬間、座敷の四方の角から、水が噴き出すような速さで髪が伸びてきた! 「危ねぇ‼︎」  センに突き飛ばされ、フウカは廊下に尻餅をついた。驚いて目を上げると、襖が勢いよく閉まった。慌てて立ち上がり開けようとするが、開かないどころか、戸の隙間から髪の毛が蛇の舌のようにニョロニョロ出てくる。フウカは小さく悲鳴をあげた。  すると、襖の少し下の方がピカッと鋭く光った。どうやら襖が破れていて、中が見えるらしい。フウカは髪の毛に触れないよう気をつけながら、そっと座敷を覗いた。  中にいるセンは無事なようだった。刀を抜いて構えている。何か低く呟きながら柄を握り込むと、刀身の周りに白い火花が飛び散った。雷を纏っているのだ。  すると、耳障りな甲高い笑いが響いた。現れた怪異は、長い髪を操るミイラだった。骨と皮だけで、眼窩に目はなく闇を湛えている。唇もなく、剥き出しになった黄ばんだ歯がひどく気持ち悪かった。 「何あれ! 兄ちゃん退治できそう?」 「当たりめーじゃん! お前はちょっと離れてろ!」  センがそう怒鳴ったので、フウカは襖の穴からそっと後ずさった。次の瞬間、襖が勢いよく吹っ飛んだ。同時に座敷に|霹靂《はたた》神でも落ちたかのような、凄まじい閃光と轟音が、一気にフウカに襲いかかった。フウカは耐え切れず廊下に倒れ込んだ。 「おーい、大丈夫か?」  眩んだ目を瞬かせ、フウカは声の方に顔を向けた。白んだ視界に映る、長い髪の少年の影。髪留めが切れてしまったらしく、羽織紐あたりまで濡羽色の髪を下ろしているセンの姿だった。襟や裾は乱れ、着物もところどころ破けているが、当の本人は八重歯を見せて得意げに笑った。 「すげーだろ、一瞬で祓ったぜ。そろそろ兄を尊敬する気持ちになったか?」 「全然。やりすぎだよ」 「そんなことねえだろ。悪い奴は懲らしめてなんぼだ」 「違うよ。このぶっ壊した座敷、母さんにどうやって説明すんのって言ってんの」 「…あー……」  ちょうどその時、勝手口から「ただいまー」と声が聞こえてきた。センは頭を抱え、情けない声でうめいた。

甘くてまずい飴

「せんぱい、この飴すごくおいしくないので、食べませんか?」  学校からの帰り道、きみは飴を食べながらそんなことを言った。  おいしくないと言われて、喜んで食べる奴がどこにいるのだろうか。僕は顔をしかめた。 「いらないよ。おいしくないんだろう?」 「せんぱいはおいしいと思うかもしれません。ものは試しに、ね、どうです?」  きみは僕の腕を抱きながら、上目遣いで僕を見てくる。その可愛さに、つい心が動いてしまう。  まあ、多少まずいくらいだろう。実際に売られている物品なわけだし、吐くほどまずいものとは思えない。  僕は渋々頷き、きみに言った。 「わかったよ。食べるよ」 「お、乗り気ですね? じゃあちょっと屈んでください」 「え? なんで?」 「いいから。屈んでくれないと無理です」  きみが意図することがわからないまま、僕は屈んできみの顔と顔の高さを合わせる。  その瞬間、きみの顔が近づいてくる。  僕が何か言うよりも早く、それは済んでしまって。  僕の口の中に、何とも言えない味が広がる。 「ね、おいしくないでしょー?」  きみはほんの少しだけ頬を赤く染めながら、僕に訊く。僕は答えることもできずに、ぱくぱくと口を動かす。  まさか、飴玉を口移しされるなんて。 「さ、せんぱい、残りはちゃーんと味わってくださいね」  ふふ、ときみは笑い、僕の腕を抱いて引っ張っていく。  飴玉は僕の口の中で異様な存在感を放ちながら、少しずつ溶けていった。でも、僕が受けた衝撃は、いつまでも溶けてなくなることはなかった。

Re-collection

徐々に温度を取り戻す身体は感覚を呼び覚ます。 開かれる視界に、脳に飛び込んでくる雑音。 窓の奥から覗く桜色の花びら。 そんな中冴え切らない脳は、目の前の彼女を思い出すことができなかった。 「何も、覚えてないの?」 何が起きたか覚えてはいない。 気付けば病室で目を覚ましていた。 事故にでもあったのだろうこの体には、ずっとついて回る一人の女性がいた。 「まだ、思い出せないかな」 聞けば彼女は私の恋人らしい。 「ごめんなさい、何も、思い出せなくて・・・」 退院した後もずっと側にいた彼女に、流石に申し訳なくなってしまい言葉を漏らす。 だからといって私の事は諦めろ、なんてことも言えない。 「これ以上、落ち込む彼女を見ていたくはないな。」と、そう思いながらもどうすることもできなかった。 「ねえ、出かけよっか。」 二人、気まずい雰囲気を切り裂くように彼女が言う。 「どこに、ですか・・・?」 「前に二人で行った思い出の場所。きっと何か思い出せると思って。」 そして私は彼女に手を引かれるまま色々な場所を回った。 どうやら私は旅行好きだったようで、彼女を色々な場所へ連れまわしていたらしい。 青い日差しの照り付ける海と堤防、山奥の大きな赤い橋。 季節は廻り、雪に囲まれた真っ白な山道、寒さの中に温かさを感じる温泉地。 そのどれもが初めてではないと、身体が覚えているようだった。 なにか掴めそうで、それでも何も思い出せないまま、彼女と再び初めて出会って1年が過ぎようとしていた。 まだ彼女は諦めていなかった。 私と写ったいつかの写真を見せてくれたりしたが、その中の私はまるで別人のようだった。 もう、ダメなのかもしれない。 このまま何も思い出せずに彼女を傷つけてしまうくらいなら、いっそ。 ある日私は意を決して別れることを伝えようとした。 向き合ったその瞬間、私が口を開くよりも先に彼女に手を引かれた。 何も言わず、何も言わせずにただ歩く彼女に着いていく。 どれだけ、失いたくないのだろう。大切な人を。 連れてこられたのはとある高校。 「覚えてる?私たちが通ってた高校。私たちが、出会った場所。」 桜色の光に彩られる校門。 奥の真っ白い校舎。 肩を寄せ合って歩いている一人の少女が見えた気がした。 ああ、そうか。 あれは彼女だ。 何もなかった、色を失った世界がだんだんと彩られていく。 白くくすんだ黒板。 恥ずかしいほど青い空を仰ぐ屋上。 一緒に食べたお弁当。 握られた手。そこから伝わる感触、温度。 「あ・・・」 蘇る記憶と共に流れ落ちる涙。 これまで彼女と行った場所。 あの時とは違う、笑いあって歩く彼女の横顔。 これは他でもない、私の記憶だ。 止まらない涙、その刹那。 不意に思い出した最後の記憶。 真っ白な病室で、涙混じりに君が綴った言葉。 「私を忘れないで。」 約束、破っちゃったな。 「ごめんね、ごめんね。」 溢れ出す涙、ぼやける視界に。 もう君は、いなかった。 「もう、忘れないでね。」

涙雨

鳥が鳴いている、私は窓の外にふと目をやった。 なぜだろう、晴れているのにどこかスッキリとしない。 良い天気、晴れない心。この気持ちはきっと、遠くへ行ってしまったあの人の事を思っているからだろう。 「もう3年か…」そんな事を呟きながら残りのコーヒーを飲み干す。 いつにも増して苦く感じる。あの人の好きだったブラックコーヒー。 「そこから私はどう見える?」誰もいない部屋から問いかける。 返事はもちろんない。「何言ってんだろ…」 涙が頬を伝う、いつの間にか晴れていた空も泣いている。 鳥が鳴いている。私はまた窓の外へ目を向ける。 「◯◯◯」そっと呟く。 少し空が、笑った気がした。

【超短編小説】「涙と蝶」

 近所のリサイクルショップには《涙買取》ののぼりが立っている。  失恋した夜に、そのことを思い出したので、流れた涙を小瓶に集め、その店を訪れた。 「これはどんな涙ですか?」  店員に訊かれた。 「失恋の涙です」  私は答えた。 「そりゃあいいですね!」  店員はそう言って買取価格を電卓で示した。私はその値段で売ることにした。この金で酒でも買おう、と思った。  店員が金を用意している時に私は訊いた。 「この涙はどんな人が買っていくんですか?」  店員は答えた。 「蝶を飼っている人です」 「蝶ですか」 「人間の涙を餌にする蝶がいるんですよ」  店員は壁を指さした。そこには一匹の蝶の標本が飾られていた。  私はその蝶に見覚えがあった。  ああ、そうだ。  この蝶は、私が彼と初めて出会った夜の街を、品定めするように飛んでいた。

思考経済

貨幣の経済の世界に革命が起きた。 お金というものが無くなった。 クレジットなどのデータ上のものも全てだ。 そして代わりに、思考経済となった。 例えばパンを思考で買うということだ。 この革命により、思考量が多ければ多いほどぷくぷくとあたまは拡大していく。 逆に、何も考えずにいると風船が萎むように縮小していく。 何かを思考で購入した時、その分頭が小さくなるのだ。 私の彼氏はいつも考えている性格なので、頭がいつも大きくなっていって、羨ましくなる。 お金持ちならぬ、思考持ちだからだ。 私はというと、考えずに行動する派だったので、いつも小さな頭をしている。 毎日卵を買うので精一杯だ。 私のような行動派に対しては、計算ドリルが国から与えられた。それを一日5問解いていくことで最小限の縮小を防ぐことが出来る。 今までは、考えてなくても行動することで結果は付いてきたが、この革命によって変わってしまった。 今では行動しなくともただ家の中で考え続けているだけで、巨万の富(思考)が手に入る。 こんな世界でいいの? そして彼氏は毎日膨大な思考をしているので、常に頭の大きさ一位の巨万の思考人となった。 今では彼氏の頭は大気圏を突き抜けて、太陽が見えなくなってきた。ヘアスタイルとかもはや誰も見れないし構えない。 そしてついに地球と同じ規模になり、頭に重力が発生した。 私はこんな頭に重力が発生するような彼氏と付き合っていて幸せなんだろうか? というかそれは人間なのだろうか? 彼氏に思っていることを素直に伝えた。 すると突然彼氏の頭は私と同じくらいに萎み、少しの懐かしさと、やはりこの人が好きだという感覚があった。そしてその手には小さな箱があった。 そして彼氏は跪き、箱を開け 「結婚してください。」 と言った。 箱の中には指輪があり、指輪の内側は暗黒であった。 「ごめん、みんなが消えてなくなる前にプロポーズしたかったんだ。」 「どういうこと?」 「思考しすぎて、重力発生して、それでもまだ思考は加速して、とうとう超新星爆発みたいなものが起きてこのブラックホール指輪が誕生したんだ。」 「みんながその指輪に吸い込まれちゃうってこと?」 「そういうこと。けど、どうしようもできないんだ。」 「分かった。これでもう計算ドリルしなくて良くなるんだね。」 「そうだね。結婚してくれる?」 「もちろんです。」 そして婚約者は私の薬指に指輪をはめた。 2人の表情は柔らかく、心は温かで、永遠に感じられるひとときだった。

労働の対価

 東京の冬の夜は、空気が澄んでいる。澄んでいるせいで、かえって何もかもが生々しく感じられる。昼間の喧騒が嘘のように、ここ、都内の某公園にはほとんど人影がない。   残業明けの僕は、はやる気持ちを抑えながら公園を歩いていた。ネクタイをゆるめ、気持ちを落ち着けるために深く息を吐く。寒さのせいで、白い息が闇に溶けていく。凍える肉体とは裏腹に、体内の臓器はトクトクと速いリズムで音を立てていた。  公園のトイレが見えてきた。古びたコンクリートの壁、扉の表面には何かの落書きが残っている。電灯はちらつき、時折消えかかる。ドアの隙間からかすかに黄色い光が漏れているのが見えた。  そこに、女がいた。  黒いコートを羽織り、ブーツを履いた姿は公園には似つかわしくない。高級ブランドのバッグが、彼女の手から無造作にぶら下がっている。  「こんばんは。〇〇さん?」  女は微笑みながら語りかける。その仕草は、まるでいつもの常連客と会ったかのように馴染んでいた。僕は何も言わずに、彼女を見る。  歳は二十歳前後だろう。ショート丈のコートに包まれた体は華奢で、首には毛皮のついたマフラーが巻かれている。彼女の細い指が、バッグのストラップをゆっくりと撫でるのが見えた。  自分の格好を意識する。ボロボロのビジネスシューズに丈のあっていないスラックス、ユニクロのダウン。女と比べると、あまりにも貧相だった。  「遅れてごめん、残業が長引いちゃって。」  声が震える。寒さのせいだと自分に言い聞かせた。  「大丈夫だよ。」  彼女は、淡々としている。慣れた口調、慣れた仕草。こんな場所で、こんな時間に、こんな会話を交わすことが日常であるかのように。  「先に、もらってもいい?」  財布を取り出し、札を指先でつまむ。今日の残業代と同じくらいの額。僕の一日の労働の対価は、彼女にとっては一時間にも満たない価値なのかもしれない。  札を差し出すと、彼女は何のためらいもなく受け取った。僕は、指先に残った札の感触がやけに重く感じる。  「寒いね」  彼女はそう言って、小さく笑う。僕は答えない。ただ、コートのポケットに手を突っ込んで、震える指先を隠した。  トイレの入り口の向こうには、濁った蛍光灯の光が広がっている。彼女はゆっくりと僕を見つめる。  「じゃあ、始めようか。」  僕は小さくうなずいた。  彼女はゆっくりと、コートのボタンに指をかけた。

運がない男

俺は運がない いつからか分からないが、俺は運がないことに気付いた 出かけようとした矢先、玄関先で躓き 家のポストには鳥の糞が散り バスに乗ればタッチ決済が反応せず 目の前で喧嘩に遭遇したりもする まだまだある 俺はゲームが好きなのだが、推しが出るガチャは毎度と言っていいほど爆死 たまに確定が来たと思えば、被りキャラ 俺の友達は俺の推しを引き当てる羨ましさ その運を寄越せ…切実に 職場では気を付けていても、物は落ちるし 食べようとして開けたお菓子の袋も、無残に散る この前は豆腐を食べようとして、蓋は見事な蛇腹状の芸術作品ができたぐらい 他にもあるが割愛 と、まあこんな感じで小さな不運が毎日のように続いている 何か憑いてたりしてるのか? 俺が一体何をしたというんだ ふと、神社に寄ってみることにした 長い階段だ、嫌な予感がする と、十数段登った先で見事に足を捻り転げ落ちた 膝から血がドクドクと出てくる 幸い、頭は強く打たずすんだようだ なんだ……俺は神様にも嫌われているのか 痛い足を抑えながら、帰路についた

写真の女

 私は、父の遺品整理をするため、久しぶりに実家を訪れていた。  父が亡くなったのは半年前。ひとり暮らしだった母もすでに施設に入っており、実家は静まり返っていた。  父の書斎には、コレクションのカメラがたくさん置いてある。趣味で撮った写真もアルバムにぎっしり詰まっているが、私はあまり興味を持っていなかった。しかし、机の引き出しから一冊のアルバムを見つけたとき、何かが引っかかった。  それは、家族の写真が収められた昔のアルバムだ。子どもの頃の自分や、若い母の姿がそこにあり、入学式、運動会、ピアノのコンクールなど、父が撮影してくれた古い記憶が蘇る。 「懐かしいなあ」  だが、ふと妙なことに気づいた。 「これ……誰だ?」  それは見知らぬ人物で、どの写真にも写り込んでいる。長い黒髪をしたワンピースを着た女性だが、カメラのピントがあってないのか顔だけひどくボヤケていた。遠くの風景写真にも、家族旅行の写真にも、必ずその女が背景に紛れ込んでいる。こんな偶然があるだろうか──?  奇妙に思った私は、母に確認することにした。施設を訪ねると、母は写真を見て、急に硬直した表情に変わった。 「……この人ね。ずっといるのよ」 「ずっとって、何?」  母は少し怯えたように目を泳がせた。 「お父さんがカメラを新しくしてからね、写るようになったの。最初は気にしてなかったけど、どこに行っても写ってるのよ。不自然でしょ。それでそのうちお父さんも気味が悪くなって、そのカメラは捨てたわ」  私は母の言葉に寒気を感じた。取り敢えずアルバムを持ち帰り、さらに調べることにした。  夜中、写真を一枚一枚並べていくと、ある事実に気づいた。その女は日付とともに、こちらに近づいているのだ。  遠くの人ごみにいた女が、次第に大きく写るようになり、そして家の中の写真ではすぐ窓の外に。日付が新しい最後の写真は、実家の松の影で見切れていた。  母はカメラは捨てたと言ったが、それで無事解決したとは思えなかった。  女性は誰なのか。その正体はいったい──? 依然、謎は残ったままだ。  しかし、私にはそれを解明しようと踏み切る勇気もなかった。むしろ強烈な不安にとりつかれ、ずっと胸騒ぎが止まらない。  私は女の写真を、アルバムごと燃やそうと決意した。  翌朝、天気は薄曇りだった。  朝もやの中、庭に出た。一斗缶を用意し、薪を置いて灯油をかけた。マッチを擦り投げ込むと、薪は勢いよく燃え上がった。  アルバムを火にくべようとした瞬間、後ろから冷たい手が肩に触れた。振り返ると、そこには写真の女が立っていた。  私は息を飲んだ。 「あっ、いや。すまない、ごめん。許してくれ」  女はいきなり私の首に手を回してきた。 「く、苦しい……頼む、やめてくれ。わ、悪気はなかったんだ……」  きつく首を絞められ、抵抗出来なかった。  女は凄い形相で睨みつけて言った。 「だからあれほどノープランで書くなと言ったろ! ここまで読ませてオチがないってどういうことだ!」

公園の

家の近くに古い公園がある。  自分が子どもの頃からある公園で、遊具も少し錆びついていて人も少ないため昼間でも少しもの寂しい雰囲気の公園である。  混まないのは親同士のコミュニケーションが苦手な自分にとってありがたいのと、子どもは喜んで遊ぶためよく連れて行っていた。  その公園にはいつも同じゴミが捨ててあった。  置いてあるというべきか。  ゼリーやプリンの容器のような大きさのプラスチック製のカップで、中に水が溜まっている。近くに水道はない。  それだけなのだが、子どもがいじってしまうのが何となく嫌で、見つけると水をこぼして公園の隅へ置いていた。  その日も水の溜まったカップが置いてあった。  急に走り出した子どもの足にカップが当たって倒れ、靴に水がかかってしまった。  中の水が少し濁っていたこと、子の靴が濡れてしまったことに苛立ち、つい 「毎日毎日なんでゴミ置いてるんだよ、邪魔なんだよ」  と言い、倒れたそれを奥の茂みに投げ込んでしまった。  何となく、周囲の空気が変わったような感じがした。日が隠れてきたせいだろうか。  茂みの奥から、がさっと音が聞こえた気がして、靴を洗いたいこともありその日はすぐに散歩を切り上げてしまった。  次の日公園に行くと、またカップが置いてあった。  一つだけでなく、無数に。  赤や黒の濁った液体が溜まっていた。  それ以来、その公園には行っていない。