傘の行方

ある日の午後。 認知考古学の教授が、学生の前でマイクを握った。 「みなさん。人が道具を本来の目的以外に使い始めたのは、どの時代か分かりますか?」 「旧石器時代に、石を遊びに使ったのが最初だと思います」 「その通りです」 教授が、背後のスクリーンを指した。 「今日のテーマは、それを踏まえて『道具の目的外使用』について考えたいと思います」 学生は耳を傾け、ノートをとった。 「これを見てください」 黒い傘を取り出し、学生たちに向けた。 「この傘。駅のホームで中年の男性が持つと、どんな行動をとるでしょうか?」 「あっ、ゴルフのスイングをします」 教室に笑いが起こる。 「それから、女の子はバトン、男の子はチャンバラとかに使いますね」 「お年寄りが杖に使うのもそうですか?」 「はい。それも目的外使用です」 教授はうなずきながら、学生を見渡した。 「では、ここまでで何か質問はありますか?」 最前列の学生が手を上げた。 「ちょっと気になってたんですけど、額のガーゼ、どうされたんですか?」 教授は笑いながら、傘を開いた。 「昨日、妻が機嫌悪くてですね……」

彼女の日記

以前の彼女は元気ハツラツで鳥が好きで、よく写真を撮る人だった。 しかし不慮の事故が、彼女の日常をすべて奪い去った。 体は動かず、ただ白い天井を見上げるだけの退屈な病室。それでも、不幸中の幸いか窓際のベッドだった。 彼女の隣にはいつも、遮るもののない青空が広がっている。以前の彼女が鳥を観察するために買った日記帳は、今では何も無い病室で今日あったことを書くためだけにある。 「今日はよく晴れてるなぁ。外にはたくさん鳥が飛んでいるし、とっても綺麗だな。…なるべく早く起きたいな」 文字は涙で小さくにじんでしまっている。 窓の外をどんなに美しい鳥が飛ぼうとも、病室のベッド生活の彼女にはもう二度と鳥を愛でることすら出来ない。 毎日自傷のようにペンを握り、文字を紡ぐ。 静寂の中、目の覚めない彼女に語りかける。 「……今日も、お前の代わりに書いておいたよ」 男はそっと、日記を閉じた。

全国平均 76%

ある日の午後。ようやく男が目を覚ました。 「結局、負けかよ…」 サッカーの国際試合を見るため、仕事を休んだ。 カーテンの隙間からは、濃い光が差し込んでいる。 照らされたテーブルの上には、妻からのメモが。 ──友達とランチに行ってくるね。夕方には帰ります。 昼ごはんはチンして食べてね。 ソファーに深く座り、テレビを点けた。 「今朝の試合の結果です」 アナウンサーが残念そうな顔で伝えている。 「試合には負けましたが、サポーターの行動が世界の方々から称賛されてます」 観客席で青いビニール袋を手に、ゴミを拾う人たち。 「素晴らしい光景ですね。では、また来週お会いしましょう」 男は画面を見ながら、鼻先で笑った。 エンディング。 右端には、 ──本日午後の存在価値 全国平均 76% 次の朝。 洗面所に置いてある体重計に乗った。 ──体重 72キロ 存在価値 95% 液晶パネルには、自分の存在価値が%で表示される。 ──生まれたばかりの赤ちゃんは存在価値100%らしい。 誰かが言ってたな。まぁ、どうでもいい。 「あなた、お弁当できたわよ」 妻は肩までの髪を耳にかけながら、片足をそっと乗せた。 ──体重 48キロ 存在価値 95% 「ねぇ…今晩、ちょっと話があるんだけど」 「なに?」 「仕事から帰ってからでいいわ」 夕食後、妻が話を切り出した。 「あのね。友達がパート募集してるから来ないって誘われたんだけど」 「どうしたいの」 「週に3日くらいだからね。お小遣い程度にはなるかな」 「いんじゃない。でも、無理しないでね」 「ありがと…」 妻はスマホを手に、友達へラインを送った。 窓の向こうが、薄暗くなる。 しばらくのあいだ、部屋には着信音だけが響いていた。 「先に行くね」 妻が弁当をバッグに入れ、もう一つをテーブルに置いた。 「あぁ、気をつけて…あのバッグ、初めて見たな」 男は体重計に乗った。 ──体重 72キロ 存在価値 90% ほんの少し、胸の奥がざわついた。 スーパーのビニール袋を手に、妻が帰ってきた。 「ごめん、遅くなった。今から晩ごはん作るね」 惣菜をパックから皿に移し替え、レンジに入れる。 「あのね、店長から正社員にならないかって言われた」 嬉しそうな横顔。 「そういえば、あなたの工場、外国人の従業員雇ったんでしょ。なんか大変だね」 男は洗面所に行き、体重計に乗った。 ──体重 72キロ 存在価値 70% しばらく、数字を見つめていた。 テレビでは、豪雨被害のニュースが流れていた。 「なぁ…ボランティアに行ってみようかな」 男の声に、妻が振り返る。 その顔は、口元だけが笑っていた。

ラスボス代理

「お前がラスボスだな!」    ダンジョンの最深部。  勇者は、魔物に剣を突きつけて叫んだ。   「いえ、ラスボス代理です」    魔物は答えた。    冒険者は剣を下ろして、首を傾げた。   「え? 代理?」 「代理です」 「本物のラスボスは?」 「休暇中です」 「じゃ、出直します」 「私を倒しても、ダンジョンをクリアしたことになりますよ。しかも、私はラスボスより弱い。出血大サービス」    冒険者の剣が揺れる。  ラスボスを倒して気持ちよくダンジョンをクリアしたい気持ちと、通常よりも低いコストでダンジョンをクリアしたい気持ちの狭間で、心が揺れ動く。   「そんな、卑怯なことは」 「卑怯じゃないですよ。こっちの都合なんで」 「……もしもお前を倒した後、ラスボスが戻ってきたらどうなる?」 「ダンジョンのクリアが確定した後なので、魔物の生存は不可。ラスボス、バカンスから帰ってきたら家を失ってて、ひっくり返るでしょうね。あっはっは」 「笑い事なの!?」    ラスボス代理の言いざまに、思わず冒険者の方がラスボスを心配してしまう。  しかし、相手は魔物。  そんな善意ごときで相手をしていい存在ではない。    ダンジョンが存在する限り、周辺の村々に被害が出るのは事実なのだから。    冒険者は揺れていた剣を握り直し、ラスボス代理に剣を突きつけ直した。   「俺は、お前を倒す!」 「おお、ようやく決意しましたか。では、尋常に、勝負!」    冒険者の剣とラスボス代理の爪が、ダンジョンの最深部で衝突した。    そして、剣が折れ、冒険者は一撃で敗北した。   「いや、弱いんかーい!」    ダンジョンの魔物たち全員から逃げ隠れする成功にして最深部に到達した冒険者は、敗北と共に入口へと強制転送となった。

小さい男

「ただいま」 「おかえり。遅かったね」 「帰りに献血してきた」 夕方、妻が買い物袋を抱えて戻った。 「一緒にドナー登録もしたよ」 「なに、それ」 「骨髄バンク。この前、言ったよ」 「あぁ、そうだったね」 夫が冊子を開いた。 「あなたも登録すれば」 「ん……」 「なに?」 「会社、休まなきゃでしょ」 「そうね」 「休む理由、何て言ったらいい」 妻はコーヒーを手に、椅子へ座った。 「正直に言えば」 「それってさ、いい人アピールしてない」 「じゃあ、体調不良で休めば」 「……バンクの人、会社に電話くれないかな」 「はい?」 「そしたら、さりげなくみんなに知れるでしょ」 呆れ顔の妻。 「そういえば、ママ。免許証の裏にドナーの丸も付けてたよね」 「人の役に立ちたいじゃない」 夫が免許証を取り出した。 「僕も丸しとこうかな」 「たまには、いいことしたら」 「ん……」 「今度はなに」 「手術台の上って、裸でしょ」 妻が天井を見上げた。 「なに言ってんの」 「下半身に布とか、掛けてくれるかな」 「聞いてみたら?」 夫の後ろ姿を眺めながら、呟いた。 「……器も小っちゃ」

存在しないときの生存戦略

 電球が切れた。  だから、カーテンを開けた。  月の光が部屋を照らし、床の表面を立体化させる。  これで、床を歩く時に物を踏んづける心配はない。   「いや、電球買おうよ」    パートナーが突っ込んできた。  廊下にもトイレにもお風呂にも灯りがあるのに、リビングにだけない生活には耐えられなかったらしい。  びっくり。    あるなら使う。  なければないなりに工夫する。  そうして生きてきた私にとって、ないから買うというのは、初めての発想だった。   「新しい」 「多分、ぼくの方が多数派だからね!?」    パートナーの言葉が真実ならば、私は少数派なのかもしれない。    冷蔵庫を開ける。  豆腐しかない。  今日の献立は冷ややっこ。   「いや買おうよ」    トイレに入る。  トイレットペーパーがない。  シャワーで代用。   「いや買おうよ」    クローゼットを開ける。  ハンカチがない。  ティッシュで代用。   「いや買おうよ」    改めてパートナーの行動を観察すると、ないものは買っていた。  なくなった、と言った翌日には買いそろえていた。    私はパートナーと向き合って、宣言した。   「私、なくなったら買う」    パートナーは目をぱちくりとした後、私の両手を力強く握ってくれた。   「その言葉を待っていた!」    どうやら正解だったらしい。  私は満面の笑みで、首を縦に振った。        一週間後。   「自宅にスペースがなくなったから、新しい自宅買ってきた」 「なんでそうなるの」    パートナーはずっこけた。    なくなったら買うって難しい。

祈りの届く場所

第 一 章 土 の 匂 い と 光 の 影 田舎の小さな町だった。真面目な子も、少し背伸びをして悪ぶっている子も、放課後になればみんな 一緒に自転車を漕ぎ、山側の公園を目指すような場所だった。 家にも学校にも、私には逃げ場がなかった。家庭の中に漂う殺伐とした気配と、絶え間ない緊張。外 へ出ても、小5の時に始まったいじめは日に日に陰湿さを増していった。無視や陰口から始まった悪意 は、上履きへの悪戯、教科書の糊付け、そして泥棒の冤罪へとエスカレートしていった。信用していたは ずの幼なじみに押さえつけられ、縄跳びで叩かれた時の冷たい衝撃と絶望感は、今でも肌が覚えてい る。 けれど、そんな暗闇の中で、いつも私の視界の隅にいたのが彼だった。 クラスで男女問わず人気があった彼は、小1からずっと隣の席や同じ班になり、写真をとればなぜかい つも隣に写っていた。小3の頃は髪を引っ張ってはニヤニヤしていたような不器用な奴で、班決めの時 には「しょーがねーなー」なんて不機嫌そうに言いながら、必ず私の隣に来てくれた。 ある朝、彼より早く登校した私の机の中に、荒らされた彼の道具箱の中身が数点入っていたことが あった。主犯の女子たちが仕組んだ罠だった。「好かれたくてわざとやったんじゃないの?」と周囲か ら冷たい声が飛ぶ中、学校に来た彼は、私の前に立ち塞がってクラス中に響く大きな声で言った。 「こいつがそんな事するわけないだろ。お前はそんな事はしない」 彼の一言は、集団の悪意に押し潰されそうになっていた私にとって、唯一の呼吸口だった。

ところてん、お好きですか?

 ところで、とよく言う男で、その頻繁に変化する話題に耐えかね、私はところてんを想像した。ところてんに黒みつをかけて食べるのが好きだ。それに飽き足らずバニラアイスやフルーツをのせて食べたりもする。土台がところてんのパフェみたいにして、ヘルシーなところてんをカロリー満点にして食べるのだ。  実家の近所の、いまはラーメン屋さんになっているその場所は、以前、甘味処があった。小学校のときの同級生がそのお店の子で一度、お店に行ったことがあった。特別親しい間柄だったわけではなかったけど、記憶にはある。肌の白い男の子で、黙っていると女の子みたいだった。活発さはなく、およそ平均的な小学生の活動量には到底、及ばないように見えた。代わりに本はよく読んでいた。本に顔を向けていないときは窓の外を見つめていた。遠くにある世界の、そのまたずっとずっと向こうを見てるようなそんな目が、私はとても好きだった。  本に挟む栞のことでその男の子とちょっとだけ話をしたことがあった。 ―ああ、またその栞なの?  私はちょっとがっかりして言った。 ―その本には合わない栞だよ。内容も、イメージも、色合いも  本は好きなくせに、本に挟む栞には無頓着なのかなあ、この男の子を見る目が変わるかもなあ、そう思ってしまう自分が怖かった。そう思っても思わなくても、怖くても怖くなくても、私のがっかりが小さくなることはないし、栞がふさわしいものに変わってるなんてなかった。 「ところで昨日、てんぷらを食べましてね、暑いときのてんぷらというのはいいものですねえ。あらためて…… あの、大丈夫ですか?」  私の目の前で小刻みに手を振るその男が、私の思考を引き戻す。強引で、無粋で、聞きわけのない。 「てんぷらは、やはりつゆで食べるのがいいんだなあと、ええ。あの香りがいいんでしょうねえ。よし食べるぞと気持ちがかき立てられるようで」 「え、ええ……」 ―その本には合わない栞だよ。内容も、イメージも、色合いも  あの男の子は、なんと言って私に言葉を返したのだったか、いまではもう覚えていない。いつも決まって本に挟んでいたあの栞も。どんな大きさで、どんな色で、どんな形か、少しも、覚えていない。 「ところで……」  不意打ちのような私の言葉に男はカラダを固くする。その見えない縛りが解かれるより先に私は言葉を続ける。 「ところてん、お好きですか?」 「と、ところてん…… ですか」 「ええ」 「ああ、このお店、ところてんあるのかな。聞いてみましょう」  そういうことじゃないんだよな、そういうことじゃ。あの男の子が、私とこの男の仲を引き裂いた。

浦島氏

朝起きたらお爺さんになっていた 部屋の姿見を見て愕然としてしまった。 お爺さんが黒髮のカツラを被っているように見える 僕は取り敢えず外に出ることにした。何だか部屋の中にいるのが嫌で、逃げるように外に出た。 街はいつもと変わらず何でもない普通の街だ 車の窓ガラスに自分が映る度に驚き、お店の窓ガラスに自分が映る度に驚いていた。 ただ、発見があった この姿になると色んな事に諦めがつく カワイイ女の子を見た時、付き合えたりするのかな。とか 格好良く思われるかな。とか ジムに行って筋肉つけようかな。とか 仕事で頑張って偉くなろうかな。とか これは、周りからどう見られるかどうかを、お爺さんになったので、気にしても仕方がないな。と思えるということなのだと思う。 この事がこんなに楽だとは思わなかった。今まで僕はこんなにも生きづらく過ごしていたと思うと不憫でならない 疲れたので公園のベンチに座る 年のせいか疲れが取れるのに時間がかかるが、その間景色を眺めたり、小鳥たちを観察したりと、そんな時間に幸せを感じる。 こんな事だったんだな 僕が欲しかった幸せはこんな事だったのかと涙を流している 暖かな陽気にウトウトして、そのまま寝てしまった。 鳥の声囀りが僕の耳に届く 意識を取り戻すと硬いフローリングの上でうつ伏せになっていた。 首には千切れたロープが巻き付いている

彩の呼吸(いろのいき) 後段

 数ヶ月後。新潟の空は、低い雲に覆い尽くされた。消雪パイプから噴き出す水が、アスファルトを錆色に染める。降り積もる前の雪は、泥混じりのシャーベット。視界のどこを切り取っても、あの夏の暴力的な白光が嘘のような、徹底したモノクロームの世界だ。 「やっぱり、冬は灰色だな」  駅へ向かう道。浅井は首元をマフラーに埋めて呟いた。かつてなら、呪詛のような重みがこもっていたはずの言葉。けど今は、隣を歩く陽葵に少しだけ顔を向け、穏やかにそう言った。 「そうだね。でも、悪い色じゃないでしょ?」  陽葵が立ち止まり、空を仰ぐ。巻いているマフラーは、あの夏、やすらぎ堤で見つけた濃緑によく似た色をしていた。白一色の世界の中で、その緑だけが、生命のしるしのように鮮やかに浮き上がっている。 「まあね。この灰色があるから、来年の夏がまた眩しく見えるんだろ」 「正解」  陽葵は満足そうに微笑むと寒さに赤くなった手で、浅井のコートの袖を、あの日のように少しだけ掴んだ。 「楽しみだね。長岡の花火、一番いい場所で、夏にしか出会えない無二の色、さがそうね」 「うん。約束だ」  空から落ちてきた雪のかけらが、陽葵の頬の珊瑚色の上で溶けて消える。冷たい風が吹き抜け、肺の奥まで冬が染み込んでくる。けど、隣から伝わる微かな熱と、胸の奥にある色彩の記憶があれば、この長いモノクロームの季節さえ、深く、静かに呼吸していける気がした。  世界はまだ、こんなにも呼吸(いき)をしている。

可愛さの代償

可愛いって、言ってくれるのは嬉しいよ でも、貴方は本当の私を知らないでしょ? 知ってるよ、顔に書いてある どうせ、綺麗な顔しか、見てないんだよね 私、そんなに綺麗な人間じゃないんだよ? ねえ、聞いてよ …私、いつ、誰に頼ればいいのかな? そんな風に、私を助けてくれる人なんて この世界にいるの? ねぇ、助けてよ

彩の呼吸(いろのいき) 中段

 数日が過ぎた午後、美術室の窓際でスケッチをする陽葵の隣に、浅井は腰を下ろした。エアコンの微かなうなり。紙をなでる鉛筆の音。 「これ、一個目。どうかな」  浅井が差し出したスマホの画面には、信濃川の土手に広がる、むせるような濃緑。 「わあ、いい深み。春の若草色とは違う、ちょっと重たい緑だね」 「だよね。やすらぎ堤のあたりは、草の匂いがすごくてさ。萬代橋の御影石の白と、この緑がわちゃわちゃしてるみたいで夏って感じがしたんだ」 「ふふ、合格。浅井くん、意外と感度いいんだね」 「意外は余計だなあ」  陽葵が微笑む。陽葵の持つ鉛筆が、紙の上で短く転がる。鉛筆の音が止まった美術室はやけに静かで、けど、浅井の心臓が少しだけリズムを乱した。暑さのせいだ、と自分に言い聞かせる。そのときから浅井の瞳は、見過ごしていた色彩を鮮明に捉えはじめた。 「今日は何を見つけたの?」  陽葵がスケッチブックから顔を上げずに聞いた。 「西堀通りに揺れる柳の薄柳色」 「渋いね。大人の色」 「あと、これ。昨日の夕飯に出てきた十全茄子。浅漬けになっても、この紺青がすごくキレイでさ。食べるのがもったいなかったよ」 「あ、わかる。あの色は、新潟の夏にしか会えない宝石だよね」  会話が色を重ねるごとに弾んでいく。かつては肺を焼くばかりだった熱い空気が、色を語るときだけは、不思議と喉を清々しく通る。色を意識するだけで、呼吸が深くなるような気がした。 「今日はこれ。寺泊の海に沈む夕日が角田山を影にして作る茜色」  陽葵がようやく顔を上げた。窓からの強烈な西日に射抜かれた瞳が、琥珀色に透き通っている。あまりの透明感に、浅井は呼吸を忘れるほどだった。 「いいな、それ。私も一緒に見たかったかも」  不意の一言に、浅井の心臓がうっすら跳ねた。 「ん、じゃあ、次は誘うよ。長岡の花火のときとか」 「本当? 約束だよ」  さらりと返され、浅井は顔が熱くなるのを隠すように視線をそらした。壁に並ぶキャンバスや絵具の色彩が、今はどれも、捉えようのないほど鮮やかに揺れている。  八月の終わりの夕暮れ。浅井は陽葵を学校の屋上に誘った。目の前には、見渡す限りの越後平野。収穫を待つ稲穂が西日に照らされ、世界をシャンパンゴールドに染め上げている。風が吹くたび、黄金色の海が大きく呼吸するように揺れた。 「これ、最後のひとつ。どうだ」 「すごい。黄金色の海だね」 「冬は消雪パイプの錆色と雪の白に覆われる場所だけど、今は新潟で一番、光り輝く場所だと思う」 「うん。この色、浅井くんに教えてもらうまで、こんなに特別だって気づかなかった」  陽葵が手すりによりかかり、浅井をじっと見上げた。ぬるい風が吹き抜け、細い髪が小さく躍る。夕日のせいか、別の理由によるものか、陽葵の頬は淡い珊瑚色に染まっていた。浅井は、その色を胸の奥まで吸い込もうとして、一度、深く呼吸した。 「浅井くん、色さがし楽しかった?」 「ああ、うん。自分でも驚いてる。新潟って、こんなにカラフルだったんだな」 「それは浅井くんがちゃんと世界を見ようとしたからだよ」 「世界っていうか、陽葵が教えてくれたからだよ」  思わず口をついて出た言葉に、自分でも心臓が止まるかと思った。 「私ね、浅井くんがさがしてくる色、どれも優しくて大好きだった」 「それって、色だけの話?」 「さあ、どうでしょう」  陽葵はクスクス笑って、浅井の制服の袖を少しだけ掴んだ。 「来年の夏も、再来年の夏も。一緒にさがしてくれるなら、教えてあげる」  新潟の夏は短い。けど、この圧倒的な色彩の記憶と、袖を引く指先の微かな熱があれば、どんなに長いモノクロームの冬だって、乗り越えられる気がした。 「約束。絶対、来年も一緒にさがそう」 「うん。約束だよ」  黄金色の海の上を、赤とんぼが横切っていく。二人の影は、長く、ゆっくりと重なり合っていた。

女諜報員

私は、女諜報員。 任務は、この国の男性と結婚し、日常をノートに記録すること。 《指令1 一日の出来事を記録せよ。我が国との違いを把握せよ》 夜になると机に向かい、黙々と書いた。 数か月後、新聞のチラシに紛れて、メモが入っていた。 《指令2 買い物を記録せよ。我が国との経済の違いを把握せよ》 買い物から帰ると、レシートを広げ、商品名と値段をノートに写した。 私は結婚し、やがて子どもが生まれた。 届いた花束には、メッセージカードが添えられていた。 《指令3 子どもの成長を記録せよ。我が国の子どもたちの参考になるだろう》 私は、家族の日常をブログにアップした。 すると、編集者の目にとまった。 日記はエッセイに。 買い物記録は、主婦目線の経済書に。 育児記録は、若い母親向けのハウツー本に。 私の記録は本になり、評判が広がっていた。 玄関のチャイムが鳴る。 ポストには、メモが。 《指令4 今までの記録を全て本国に送れ》 私は、電子書籍のURLを書いた紙を封筒に入れた。

彩の呼吸(いろのいき) 前段

 新潟の夏は、光が飽和する。  自転車のペダルを漕ぐ足が重い。今しかない高校二年の夏を、けれど浅井は、アスファルトに揺れる憎らしげな幻影を、視線で強く射貫いた。部活帰りの午後二時。肺に吸い込む空気は熱く、吐き出す息さえ白光に焼かれそう。冬のあの重苦しい鉛色の空を、すべて塗りつぶそうとするような、暴力的なまでの白。 「新潟の夏って、眩しすぎるよな。冬はあんなに灰色なのにさ」  熱気が澱む駅前の駐輪場。浅井がぼやくと、隣の陽葵(ひまり)が小さく笑った。 「そうかな。むしろ、夏にしか出会えない無二の色がたくさんあると思うけどな」  美術部の陽葵は、美術館のロゴ入りトートを涼しげに肩にかけ、浅井の不機嫌な横顔を覗き込む。 「無二の? たとえば?」 「それは内緒」  陽葵は答えるかわりに、ヤスダヨーグルトの青いボトルを自分の頬に当てる。ボトルの表面に浮き出た水滴が白い肌に伝って落ちた。 「浅井くん、新潟の本当の色、自分でさがしてみたら。見つけたら教えてよ」 「いいけど。見つけたら何かご褒美ある?」  軽口のつもりだった。けど、陽葵はいたずらっぽく微笑んだ。 「あたり前でしょ。ちゃあんと用意してあるからさ」  その日から、浅井の「色さがし」がはじまった。陽葵の言葉に胸の鼓動がいくらか速まったのを、浅井はまだ、自覚していなかった。

廊下を走ってはいけません

 生徒同士がぶつかって怪我をした。  原因は、廊下を走っていたこと。    私は緊急学級委員会を開いて、クラスのみんなに問いかけた。   「廊下を走ってはいけません! 校則を守りましょう!」 「はーい」 「ほーい」 「うんち」    全会一致。  皆、校則を守る気はあるらしい。   「なので、廊下を走った人には罰を受けてもらおうと思います!」 「えー」 「ほーい」 「うんち」    しかし、破った時に条件を付けると、途端にしりすぼみになる。  守る気があるのなら、破った時のことなんて考えなくていいだろうに。   「具体的には、給食のデザートを抜きにします」 「えー」 「やだー」 「うんこ」    結局、誰も本気で校則を守ろうなんて思ってないんだ。  口先だけでいいことを言って、頭の中では舌を出している。   「はーい、そろそろ朝のホームルームも終わり。校則について考える、いい時間になったわね」    肝心の先生も、結果なんて求めてない。  皆で考えた、その過程が重要らしい。    本当、馬鹿らしい。  私の提起した問題が放置され、チャイムと共に授業が始まる。  つまんない。  なんて、つまんないんだろう。       「なにやってんの!?」    翌日、坊主頭にして通学したら、先生が血相変えて飛んできた。  別に、校則違反じゃないのに。  野球してる男子は坊主なのに。   「一時間目は自習! ちょっとこっち来なさい!」    私は校則を守らないやつらの視線に晒されながら、職員室へと連れていかれた、

死化ショウ

とある女の手元には一ミリの狂いもなかった。損なわれた遺体に生前の面影を蘇らせる、凄腕の死化粧師。それが彼女の誇りだった。 しかし、その夜運ばれてきたのは、不慮の事故で急逝した恋人の男だった。 絶望をプロの矜持でねじ伏せ、女はあえていつものトーンで話しかけた。 「あーあ、また無茶しちゃって、次の休みは海に行く約束だったでしょ。傷だらけじゃ困るよ」 ブラシを動かし、彼の擦り傷を消していく。いつも通りの会話、けれど返事はない。触れた肌の冷たさが、彼がもう生きていない現実を突きつけてくる。 「ねえ、起きてよ……」 チークを乗せる頃には、指先がはっきりと震え始めていた。言葉の語尾がかすれ、涙で視界が歪む。最後は、唇に血色を灯す口紅だった。 「これ、塗ったら、終わりだから」 震える手で筆を握り、唇に触れた瞬間、 彼の「死」の重みが指に伝わった。 張り詰めた糸が切れた。 完璧だった彼女の手元が、無残に狂う。 頭の整理が追いつかない。 滑った紅筆は彼の口元から白い頬へと鮮烈な一本の赤い線を引いた。それは彼の傷痕のようであり、二人の幸せな日常を真っ二つに切り裂いた決定的な境界線だった。

議員予備校

「模試どうだった?」 「なんか、難しかったね」 昼休み。学食を食べながら、男女が向かい合った。 「問3はサービス問題だよね」 男は鞄から問題用紙を出した。 『問3 裏通りにある料亭。ある企業の社長が紙袋を差し出した。中には現金が入っている』 「この答え、《怒》と《哀》?」 「いや、《喜》と《怒》よ」 「そっか……」 議員予備校。多くの議員が、この学校を卒業している。 「じゃあ、問7は」 『問7 外国人が二人、我が国の地図を広げている。二人は酒を交わしながら、国境を指でなぞった』 「これは、さすがに《怒》でしょ」 「残念。《楽》ですって」 「嘘でしょ」 「今の外務大臣、正解だったらしい」 「引っかけ問題じゃん」 男は、黙って問題用紙を閉じた。

無理やりの部活の思い出

少しもない、いい思い出なんて。部活をやってたことすらまるごと記憶から欠落させていたのは、体というか、脳というのか、彼らが無意識にそうしてくれてたのかもしれない。 無理やり思い出してみたらひどい部活人生だったんだな、と改めて思うことになった。小学校のときは若めの臨時コーチに殴られ、中学ではちょっとだけボクシングをやっていたという先生に殴られ、高校では先輩と先生に殴られた。辞めるにしても殴られるんなら我慢して続けるかってなったのかもしれない。そんな後ろ向きの考えでよく続けたもんだなあ、えらい、えらい。 よく我慢したね。よくがんばったね。もう何もしなくていいからね。 おやすみ。

星が落ちた夏

 いよいよ、世界が滅びる日がやってきた。人々は口々にそう言って“皮肉”った。巨大隕石が地球に衝突して世界が滅亡するとの発表が、世界をひっくり返してから1ヶ月。まさか隕石の大きさを見誤っていて、実は滅亡なんてしません、なんて……本当に、誰が予測できただろう。 「大気圏にぶつかったら、燃えながら落ちてくるんやと」  シオは長い前髪を払い、無数の星が浮かぶ空を見上げてそう言った。ユズはその横で、蚊取り線香を腰に吊りながら、「それって危なくないんかな」と呟いた。  二人を含めた村の人たちは、集会所の前に集まっていた。世界が助かると分かった途端、誰かが「せっかくやけん集まろう」と言い出したのだ。みんなで綺麗な流れ星を見るぞーといったテンションで、祭のようにがやがやと騒がしい。自治会長の奥さんなんかは、世界存続のお祝いとかで、茹で落花生を振る舞っている。  村の中学生のユズとシオは、集会所の壁を背にあぐらをかいて、手にいっぱいの落花生をぽりぽり食べていた。リーンリーンと涼しげな虫の音がしたかと思うと、草がざわりと唸って、夜風が二人の前を通り抜けてゆく。そのちょっと青臭い匂いを嗅ぎながら、ユズはうっすらとしか見えないシオに話しかけた。 「今日は世界中、こんくらい平和やとええな。もう全員に地球存続の知らせは届いたかしら」 「まだまだやろと思うな。でも、人間はしぶといけん、きっとすぐに元の世界に戻るで」  暗闇から聞こえるシオの声は、声変わり中でかすれているが、低くて落ち着いている。ユズは少し安心してクスッと笑った。 「うーん、それはそれで。シオはどう? 元に戻りたい?」 「そうやな。俺は……今のままでも構わんかな。ユズと仲良んなれたし」 「ふふ、私ら相性最高やもんな。あの水汲みの時とか、タイミングバッチリやったで」 「あれはひどかったなぁ」  ケラケラ笑うユズに、シオも思わず吹き出す。一週間前、井戸から水を汲んでいた時、シオが誤ってユズにバケツの水をぶっかけてしまった事があった。あの日は一日中、思い出しては笑い転げたものだった。 「ねぇ、もしまだ水道が復旧せんかったらさ——」  ユズがそう言いかけた、その時だった。ちか、と空の彼方で何かが光った。村の人たちは、一斉に空を見上げた。  その瞬間、雷の何倍も激しい閃光が、夜空を引き裂いた。ユズは確かに、晴れ渡った青空を見た。胸がすくような、爽やかな晴天。山は鮮やかな緑を取り戻し、まるで燃え上がっているようだった。  隕石が光を放ったのは、ほんの一瞬だった。村はすぐに夜闇に包まれる。ゴロゴロゴロ、と雷鳴のような轟音が響き、人々は身を寄せ合った。 「シオ……!」  ユズはシオのTシャツの袖を引っ張って縮こまった。シオはくらんだ目であたりを見渡しながら、震えた息を吐く。地響きのような音は次第に弱くなり、やがて止まった。 「——終わった……?」  村の誰かが呟いた。しん、と一瞬耳が痛くなるような静寂が訪れる。途端に、村人たちはどっとため息や歓声をあげた。誰一人欠けてもいないし、怪我もしていない。みんな無事に、明日も生きられるのだ。 「ねぇシオ、私ら生きとるで!」 「ほんまやなぁ。あー、よかった」  シオは安堵の表情を浮かべて、袖をつかむ手をそっと包むように握った。ユズはパッと目を輝かせて、くすくす嬉しげに笑い出した。

まなざしの贈り物

雪が舞う静かな朝。木村彩花(40歳)は、ベッドで眠る母・美津子(70歳)の枕元にそっと歩み寄った。脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺が残り、要介護2となった母を支える日々。彩花は最近、介護の負担からつい慌てて母の身体を動かしてしまい、美津子が強張った表情を見せることに胸を痛めていた。 「これじゃいけない。もっと母さんの尊厳を大切にする方法はないかな……」 彩花が以前本で読んだ、フランス生まれのケア技法**「ユマニチュード」**のことを思い出す。――「見る」「話す」「触れる」「立つ」。人間らしさを取り戻すための4つの柱。今日はこれを試してみようと、彩花は心に決めた。 まず実践したのは**「出会いの準備」だった。 彩花はカーテンを開けっぱなしにせず、ドアを軽くノックしてから、ゆっくりと部屋に入る。「母さん、おはよう」。そして、ベッドの横にしゃがみ込み、美津子と同じ目の高さ(水平)**になり、正面からしっかりと見つめた。 「見る」ことは「あなたを大切に思っている」というメッセージになる。美津子は驚いたような顔のあと、穏やかな笑みを浮かべた。 次に、**「ケアの合意(声と触れる)」**のステップだ。 いきなり車椅子へ移そうと抱き起こすのではなく、美津子の手をとる。ギュッと掴むのではなく、手のひらを広げ、広い面積で優しく包み込むように触れた。 「母さん、今日も寒いね。一緒にリビングへ行こうか。温かいお粥が待ってるよ」 低めで穏やかな声をかけながら、知覚を優しく連動させる。美津子はうんと頷き、表情がフッと緩んだ。 そして、4つ目の柱である**「立つ」**。 人間らしさを保つための直立姿勢の時間だ。彩花は美津子の体をゆっくりと支え、ベッドから車椅子へと移す際、ほんのわずかな時間でもしっかりと両足に体重を感じさせながら立位の姿勢を保った。 「よいしょ、っと……。母さん、足腰しっかりしてきたね」 「本当かい? まだまだおぼつかないけどねえ」と美津子は照れくさそうに笑う。 リビングの食卓につき、朝食を終えたあと、美津子は彩花の手をそっと握りしめた。 「彩花、今朝はなんだか……すごく大切に扱われている気がしたよ。なんだか、昔の自分に戻ったみたいだね。『急がば回れ』って言うけれど、あんたがゆっくり丁寧に向き合ってくれると、私の心まで温かくなるよ」 彩花的にも、慌ただしく作業をこなしていた時とは違い、母としっかり心が通い合ったような深い充実感があった。 「ふふ、母さん、今日もいいことわざが出たね。情けは人のためならず、ってね」 ケアの締めくくりである**「感情の固定」と「再会の約束」**を交わす。 「今日も一緒に朝を迎えられて楽しかったよ」「また午後も、ゆっくり散歩に行こうね」 介護という終わりなき日常の中で、ユマニチュードという「まなざし」の魔法は、ただの介助の時間を、かけがええない親子の対話の時間に変えてくれた。窓の外では雪が静かに降っているが、二人の間には、何よりも温かな絆の光が満ちていた。

避暑地

郊外にあるショッピングモール。 中央のホールに、老人たちが集まってきた。 「ここは涼しくていいわね」 「家でエアコンつけると、電気代がね」 老人たちは椅子に座り、世間話に花を咲かせた。 その光景を、二階のエントランスから店長が見渡した。 「よくもまぁ、こんなに……」 連日の猛暑。老人はさらに増えた。 「こいつら、赤っ恥かかせてやる」 閉店後、小さなステージを作り、入り口にくす玉をぶら下げた。 ──翌日。 店長がステージに上がると、何事かと人が集まった。 すると、入り口から見覚えのある老人が入ってきた。 ──ざまあみろ。 ひもを握る手に力を込めた。 そして、引くと同時に、マイクに向かって叫んだ。 「おめでとうございます! 三十日連続のご来店です!」 垂れ幕には、《電気代節約ご苦労様》の文字。 老人は垂れ幕を指さしながら、まわりの仲間たちに手を振った。 仲間たちが拍手で祝福をする。 「あぁ……」 店長は、冷たい風に揺れる垂れ幕を見つめた。

スープの冷めない距離

台所に立つ彩花(40歳)の背中に、リビングから不規則な足音が響く。脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺が残る母・木村美津子(70歳)が、歩行器を頼りにゆっくりと近づいてきた。要介護2の母を支える毎日は、まさに「悩みの綱渡り」だ。 「母さん、危ないよ。急がば回れ、でしょ」 彩花が慌てて振り返ると、美津子は悪びれもせずにふっと笑った。 「慌ててないよ。あんたの顔が早く見たかったからさ。『待てば海路の日和あり』ってね」 「いつの間にそんな洒落たことわざ覚えたのよ」 乾いた空気が漂いがちな介護の現場に、美津子の飄々とした言葉がすっと風を通す。しかし、笑い声の裏で、彩花の心は常にすり減っていた。夜中の排泄介助で睡眠不足が続き、この日も朝食の準備をしながら、目の奥がツンと熱くなるのをこらえていた。 (いつまで、この生活が続くんだろう……) そんな娘の心の重さを、美津子は長年の母親の勘で察知していたのだろう。食卓に座った美津子は、震える右手でスプーンを懸命に握りしめ、ポロポロと食べこぼしながらも言った。 「彩花、すまないねえ。私のお陰で、あんたの自由がどんどん削られていく」 その言葉に、彩花の手がぴたりと止まった。隠していたはずの弱音を見透かされたようで、胸が締め付けられる。 「そんなこと……思ってないよ」 「嘘はおよし。目は口ほどに物を言う、だよ。……いっそ、施設に入った方が、あんたは楽なんじゃないかい?」 美津子の瞳に、寂しさと、我が子を縛り付けているという罪悪感が揺れていた。親が子に遠慮し、子が親に気を遣う。介護という名の不可視の壁が、いつしか二人の間に「スープの冷めない距離」ならぬ、「近すぎて火傷しそうな距離」を生んでいた。 重苦しい沈黙が落ちたその時、美津子は急に真顔になり、こう呟いた。 「情けは人のためならず、って言うだろ?」 「……どういう意味?」 「あんたが私にくれる優しさはね、巡り巡って、いつかあんた自身の心を温めるんだよ。だから、そんなに自分を責めて、曇った顔をするんじゃない。笑う門には福来たる、だ」 美津子の言葉は、胸の奥ににつかえていたものを一気に溶かした。彩花はこみ上げる涙を隠せず、しかし満面の笑みで母の手をそっと包み込んだ。母親の手は小さく、けれど驚くほど温かかった。 「……そうだね。母さんの言う通りだわ」 窓の外では、冷たい冬の風が吹き抜けているが、小さなリビングの中には、何にも代えがたい穏やかな温もりが満ちていた。完璧じゃなくていい。毎日が「一日一笑」であれば、それだけで十分に、私たちはうまくやれている——。親子の影が重なるリビングに、今日も温かな湯気がふわりと立ち上った。

天国味のスープ

「死ぬ前に、行きたい場所があるんじゃが」    入院していたじーちゃんが、初めて我儘を言った。  ほとんど目も口も開けなくなってた頃だから、父ちゃん母ちゃんも、看護師さんも驚いていてた。   「えっと、どちらへ?」 「黄泉の店」    じーちゃんが行きたがったのは、けったいな名前の店だった。  あまりに名前が変過ぎて、この辺の人ならだれでも知っている。  小学生になれば、黄泉の店に行ったら魂を抜かれるんだ、なんて噂を一度は聞く。  そして真に受けた数人が、店に近づき、年齢不詳のじいさんに追い出される。  そこまでがワンセットだ。   「わかりました。いいですよ。ただし、お父様かお母様、どちらかがついて行ってくださいね。店の前までで結構です」    お医者さんは、あっさりとオーケーを出した。  聞けば、黄泉の店へ行きたがる高齢の患者は多いらしい。   「俺もついて行っていい?」    父ちゃんが来るまでじーちゃんを連れて行くことになったので、俺も連れて行ってもらうことにした。  今になって、小学生の頃に黄泉の店へ行けれなかった後悔が襲ってきたからだ。        店に着く。  木造の建物は今にも倒壊しそうなほど傾いていたが、黄色いペンキを塗られて、遠くから見れば今風の家に見えた。  玄関扉の上には『黄泉の店』と書かれた看板がついており、文字が一部かすれている。  蜘蛛の巣もはっていたので、触りたくはない。   「あんがとよ。あんがとよ」    じーちゃんは父ちゃんにお礼を言ってから、店へ向かっていった。  父ちゃんは車の中で待つみたいだ。   「じーちゃん、俺も入っていい?」 「おー。こいこい」    俺は車を飛び出して、じーちゃんのところへ行った。  父ちゃんは渋っていたが、じーちゃんが「任せなさい」と言うので、諦めてくれた。    俺とじーちゃんは、扉を開けて中に入る。  中には、木製の長机と椅子が置かれており、その一つに新聞を開いたじいさんが座っていた。   「いらっしゃい」    じいさんが新聞を畳み、立ち上がる。  その顔は、シワだらけで、目が開いているかどうかもわからないほどたるみ切っている。  しかし、だからこそ、年齢がわからない。  八十は越えていそうだ。    じーちゃんと俺が椅子に座ると、長机の上にお冷が二杯置かれた。  そして、長方形のおひつにがじーちゃんの前に置かれた。  おひつの中には、二つのスープ用スプーンが立てかけられており、スプーンの中には白いスープと黒いスープがそれぞれ入っていた。   「白が天国味。右が地獄味」    じいさんは、何やら物騒なことを口にした。  じーちゃんは、白いスープを手に取ってすすり、その後に黒いスープを取ってすすった。  しばらくもごもごと口を動かしていたが、はーっと息を吐いた後、やはりもごもごとした口調で言った。   「地獄かな」    食べ終えたじーちゃんの食器を、年齢不詳のじいさんが片付け始める。   「お、俺の分は!?」    俺は、思わず叫んだ。   「あんだ坊主。そんなにわけえのに、もう知りてえのか?」    年齢不詳のじいさんは、いぶかしげに俺を見た。  正直、何を言ってるのか意味は分からない。   「知りたい!」    でも、俺は食い気味に答えた。   「ちと待ちな」    じいさんはおひつをもって店の裏に引っ込み、新しいおひつを持って戻ってきた。  もちろん、白いスープと黒いスープ付きだ。  俺はさっそく、白いスープをすすった。  確か、天国味と呼ばれていたものだ。   「うっま!」    白いスープは、今まで食べたものが安っぽく見えるほど、上品で心に染みる味がした。  なんと例えていいのかわからない。  だけど、天にも昇る心地と言えばこのことなのだろうと、はっきりわかった。  俺はその勢いで、黒いスープもすすった。   「……?」    黒いスープは、味がしなかった。  真水なんてレベルじゃない。  完全な無味。  本当に口にしたのか疑うレベルだった。  でも、スプーンが空っぽになったので、きっと飲み込んだのだろう。   「どっちだ?」    じいさんの言葉に俺が首を傾げると、じいさんは小さく笑った。   「やっぱ、早かったな。じじいになったら、また来な」    俺とじーちゃんは店を出て、父ちゃんの車に戻った。  車が走る中、俺はずっとじいさんの言葉を考えていた。  どっちだ、と。    じいちゃんは、助手席で眠りこけていた。  そういえば、じいちゃんはスープを飲んだ後、「地獄かな」と答えていた。  あのスープが死んだ後、天国と地獄で食べられるもので、どちらに行きたいか尋ねるものだとしたら。    地獄を選んだじーちゃんを、俺はじっと見た。

父の思いと娘の気持ち(藤咲さん)

最悪だ。後を付けられている気がする 念の為コンビニに入ろう 店内を何気なく歩きながら、後をつけてきた人を探す まず、小学生くらいの男の子二人と母親がレジ前に立っている 長い茶髪の男性が立ち読みをしている。彼なのか? お菓子コーナーで黒いキャップを被った細身の男性が立っていた。商品を探しているとかではなく、黒いリュックを肩にかけてただ立っている。 私が通り過ぎる瞬間黒いキャップがこちらを向き、一瞬目が合う。きっとあの人だ。 ヤバい。怖い。どうしよう。 アパートはオートロックで安全だが、あの人に場所を知られたくない。 色々迷った挙句バイト先の店長に電話した。 店長には「コンビニに来てほしいんですけど」とだけ伝えると「うん。すぐ行くね」と言ってくれて、本当に直ぐに来てくれた。パン屋の横に停めてある黄色い車に乗って。 店長は小麦粉だらけのエプロンをつけたまま来てくれて「待たせてゴメンね」と笑ってくれる 気が付くと黒いキャップの男性はいなくなっていた。 黄色い車に乗って、店長に運転してもらって、私のアパートまで送ってもらっている。 「藤咲さんは大学の勉強は大丈夫ですか?」 「はい。何とかついて行けてます」 「それは良いですね。素晴らしい」 黒いアスファルトがキラキラとヘッドライトを跳ね返している 「店長すみません。急に呼んでしまって」 「全然大丈夫だよ。夕飯買えたし」 店長はコンビニでお弁当を二つも買ってニコニコしている。最近は、このお弁当にはまってると言っていた 「何か誰かに付けられている気がして。私の気のせいかもしれないんですけど…」 「大丈夫。藤咲さんが家に入ったらワンギリしてよ。それまで車で待っているからさ」 「分かりました。本当にすみません」 「いいのいいの。藤咲さんが悪いわけじゃないし」 「ありがとうございます」 道を歩く男性が皆怖く見える 「僕も娘がいてさ」 「そうなんですね」 「今は別々に暮らしているんだけど。バツイチだから。へへへ」 「そうなんですね。知りませんでした」 「娘はもう社会人だけど、高校生の時とか同じような事が会って暫く塾の送り迎えをしていたよ。あっこの辺だよね」 「あっそうです。そこの小さな公園の隣です」 店長にお礼を言って車を降りる 「これ食べてみて。美味しいから」 とお弁当を一つもらった。 ニコニコ笑っている。店長は美味しが似合う人だなと思う。 約束通り部屋に入って玄関の鍵とチェーンを閉める。 店長にワンギリするとファンファンとクラクションがなって車のエンジン音が遠くに消えた コンビニのビニールを覗き込むとお弁当の他にバイト先のパンも入っている お父さんがいたら、あんな感じなのかなと思ってみる

バナナ食べたい

 月末で余計なものが買えない。 バナナ食べたい。 梅干しはある。 バナナ食べたい。 煙草もある。 バナナ食べたい。 知り合いに聞いたら近くでバナナ栽培しているところがあるらしい。 僕は外国人窃盗犯の思考になる。 奪い、食べる。 いかんいかんと思う。 台湾の知り合いがいればバナナ貰えるのに、と思う。 自分のバナナも萎びている。 夜が更ける。

僕の秘密

​「……ねえ、それ、なに?」 ​ふとした瞬間に捲れ上がった袖の隙間。彼女の鋭い視線が、僕の腕の『痕』を完璧に捉えていた。日が照りつけるなか、頬を汗が滑り、下着が肌に張り付くのを感じた。 ​「あ、違う。これは……」 僕は必死だった。 「自分でつけたんだよね。」 ​だがそれはあまりにも嘘くさく、無論、彼女は僕が浮気をしたと確信した。 だが実際は全くの冤罪である。実は昨日湯船に浸かり、二の腕にぎゅうっと唇を押し当てて、薄い皮膚を吸い上げた。それが、本当に僕の楽しみなのだ。 しかし彼女は信じなかったが当然である。 ​「嘘つき……」 ​か細く肩を震わせ、ポロポロと涙を流し始める彼女。焦りで頭が真っ白になり、涙で瞳を濡らす彼女の顔を見た。 ​(あ……泣いてる顔もめちゃくちゃ……) 「可愛い。」 漏れ出てしまっていた。 ​「……え?」 ​ 時間が止まったかのように思われる。彼女は一瞬呆然とし、怒りとも悲しみとも言えない顔を浮かべ、トイレへ向かった。その背はまるで生後間もなくして、よちよち歩きをする赤子を見ているようだった。

複数の共通点

付き合って半年はじめての彼女で接し方が分からず、今まで気を使ってきたからか初めての喧嘩をしました。喧嘩の理由は本当しょうもない、ご飯どこで食べるかという…。 …いやよく今まで喧嘩しなかったな。というかもっと重いことで喧嘩するかと、(女の人と距離近すぎ)とか、(本当に私の事好き?)とかそういうものかと、いやなんで僕に非がある方ばかり考えてしまうんだ。 とりあえず今はデート中に喧嘩をしたので彼女と真反対の方向に歩いているだけなのですが… 「あの…」 彼女に似た声がして、自分に話しかけられた気がして後ろを振り向くと… 「鍵落としましたよ。」 彼女に声が似すぎたただの子供だった。 「あ、ありがとうございます」 なんて優しい子供なんだ。今の世界どこでも治安は悪いところは悪い。見て見ぬふりする人や盗んでく人も…また悪い方に考えてしまった。ぺこりと1度頭を下げてまた歩き始める。一瞬期待したのは彼女が謝りに来たかと思って…。 下ばかりを向いているから暗い事ばかり考えてしまうのだろうかと思い、頭を上げてみる。目の前には書店があった。いつも本や文房具を買いに来る時に来る場所。今では電子書籍があるから少しづつ本屋が無くなっているがここは無くならずにいてくれている。ここの街では一番大きい本屋だから。そういえば彼女とはお互い本好きがきっかけで仲良くなり始めて付き合うことになったんだ。どんな時でも彼女のことを考える。どのようにすれば謝って一緒にご飯を食べに行けるのかとか。そう考えながら書店へ足を踏み入れた。 彼女の本の好みは無限のようなもの、漫画でいえば少女漫画、ラブコメ、少年漫画、バトル漫画。小説でも同じような感じで、強いて本が好きだけど受け入れられなのは勉強の…これは僕も苦手。参考書などの本が苦手なのではなくお互い勉強が苦手なだけ。2冊程度買おうかな。 『ありがとうございましたー。』 やってしまった。2冊程度と思って選んでいたら15冊て…財布の中そんな入れてないから空なんですけど。頭の中で後悔しているけど自分の部屋に本が増えてその本で物語が読めるのならば安い方…来月バイトのシフト増やそう。早速店長に連絡… 『いいよー』 ちょうどシフトを作っていた時のようで直ぐに連絡が来てすぐにシフト表が届いた。うちは半月ごとに送るタイプなんだけど、あれ、休み2日しかなくね。思い切り入れたからか15日中2日しか休みがないことに気づいた。ヤバいて過労死しちゃうよ。とか言ってたらサラリーマンとかに失礼よな。いやでも2日しか休みがないって…自分が言ったことに後悔しつつも感謝のラインを送る。そしてスマホをポケットにしまい、近くのベンチに座る。そうしたら同じベンチに誰かが座ってきた。3人ほど座れるベンチだから別の人が来てもおかしくはない。チラッと見えた紙袋には僕がさっき行った書店の名前が…彼女やん。 「ごめん、ね。」 「あ、僕もごめん…なさい。」 お互い謝罪をできて一気にスッキリしたのか1人分空いて座っていた真ん中に彼女は移動してきた。「ほんと、ご飯の話でこんな喧嘩するとか…」 彼女は笑いながら喧嘩の後悔、反省を僕に話してきた。 「あの…本当にご…」 「いや!もう謝ったから、軽いことだし何回もごめんは言わないで」 明るい性格の彼女は僕を照らしてくれるかのように綺麗で輝いていて共通点があることに気づく前から君のことが気になっていて…。 「その本どうしたの?」 「本屋見つけたから寄っちゃって、そしたらこんなに」 「見てみて」 彼女は自分の持っていた僕と同じ紙袋を目の前に出してきた。中身を見ると… 「…買いすぎでしょ!何冊?」 「いうて30冊くらいだよー」 僕の倍…。そうか、ジャンル問わないなら色んな本買うんだ。 「来月バイト三昧です!」 ここまで一緒とか…奇跡というのか運命といえるのか。今はいいだろう。 後から聞いた話では、彼女は真反対に歩いてすぐ戻ってきたようで…。元々僕がベンチに座った時から気づいていたようで…。落ち込んでいる僕を見て近づいてきてくれたんだとか。

誕生日

何故誕生日を祝うのだろうか。残りの寿命が減っていくことを明確にしていく。死へのカウントダウンと言うか、死への階段を一段のぼっている感覚だ。 到底理解できない。何がおめでたいのか。おぞましい。 故に大好きなのである。生きていると実感することができて最高なのである。だから今年も去年より1本多い蝋燭の灯を消す。

ですらぶ

 背中を激しい痛みが襲った。  私はどうやら、刺されたらしい。  医療の知識なんて全くないが、これは死ぬなあと直感で分かった。    誰に殺されたのかわからないまま死ぬのは悔しいので、倒れながら犯人の顔を見た。    強い男の顔だった。  心臓が高鳴った。  死ぬ間際、こともあろうに私は私を殺した相手と、恋に落ちたのだ。    このまま死ぬなんて嫌だ。   「恨むなよ」    犯人が呟いた。  恨むよ。  あまりにも短い初恋を押し付けてきたんだから。    私の体が地面に衝突する。  背中が痛すぎて、痛覚が麻痺しているのか、地面にぶつかったところは痛くなかった。  私は、壁にぶつかったボールが跳ね返るイメージを描いて、体を地面からぐんと戻した。  まるでメトロノーム。    起き上がった私を前に、周囲で上がっていた悲鳴がピタリと止まり、私の目の前にいる犯人は引き攣った表情をしていた。  格好いい。   「えいっ!」    私は、犯人が無防備にナイフを持っているのを見つけたので、その手首を掴んで犯人にナイフを突き立てた。   「え?」    多分、心臓にジャストヒット。  犯人の胸から血が噴き出し、私は血のシャワーを浴びながら再び地面へ倒れた。  今度は、起き上がる体力もない。   「ぎ、ぎゃあああ! 血がああああ! 死ぬううう! 救急車あああ!」    犯人の叫び声が聞こえた後、倒れる音が聞こえた。   「痛い痛い痛い痛い! 死にたくない! 誰かぁ! 助け……て……」    私は手を伸ばし、怯える犯人の体に優しく触れる。  私の初恋、現世で叶うことはなさそうだけど、あの世では叶いそうだ。  同時に死んだ人は同じ場所に行くんだって、死んだおばあちゃんが言ってたし。   「恨まないよ」    私は、最後の力を振り絞って声をかけた。   「人……殺……し……」    意識が途切れる瞬間、犯人の微かな声が聞こえた。    またね。

ビジネスモデル

平日の午前。 男は整理券をもらうため、小走りでパチンコ屋に向かった。 「今日は勝つ気がする……」 ポケットの中の軍資金を握った。 すると、道路脇でかがんでいる女を見かけた。 「……あの婆さん」 アパートの隣に住む婆さんが、お地蔵様を雑巾で丁寧に拭いていた。 男は足を止めた。 「信じる者は救われるか」 鼻で笑う。 夕方。帰り道、うつむいて舌打ちをした。 「ん……」 隣の婆さんがビニール袋をぶら下げ、地蔵の前に立っている。 そして、気にする素振りもなく、お供え物と小銭を袋に入れた。 「婆さん、こずるいこと考えたな」 「なにがだ」 「いやいや、今、お供え物と小銭、盗ったろ」 婆さんは笑いながら、男を見た。 「この地蔵、私が通販で買って、ここに置いたんだ」 「なんだそれ」 「他にも、何か所も置いてるさ」 辺りが暗くなってきた。 「私はねぇ、ちゃんと考えて置いてるんだ。リピーターを増やすためにね」 そう言うと、地蔵を抱えた。 「それ、どこに持って行くんだ」 婆さんが振り向いた。 「……ここは儲けが少ない」

表現の自由

「あなた、何してんの?」 「……はい?」 人通りの多いアーケード。 爺さんが下半身を出して歩いている。 「ちょっと、交番まで来て」 両脇を抱えられ、椅子に座らせた。 「公然わいせつ罪だよ」 「何故でしょう?」 「そんなの、常識でしょ」 「男としての機能は、とっくに終わってます。肌の一部です」 巡査が呆れ顔で、書類に走り書きをした。 「それでもダメなの」 「表現の自由は保障されなければならない」 その時、腰の曲がった婆さんが、ゆっくりと交番に入ってきた。 巡査が爺さんを覗き込む。 「はい。逮捕ね」

停車場所 (掌編詩小説)

誰もいないバス停 ベンチが寂しそうに立っている ペンキの剥がれた身体には風情が染み出ていた 掠れた時刻表、放り投げられたタバコの吸いカス… どれも役立たず。だけどここに居る 立ち止まっても見向きもされない遺産 誰からも景色でしか無かった (完)

いい未来に興味はない

とある子供は知っていた。 知っていたというより、思っていた。 「お前は勉強に努力しろ。  いい高校に入って、いい大学に入れば、  いい会社につける。そしていい収入がもらえる。」 そして結婚出来れば更によし。 そういう親からは、いつも仕事や互いの愚痴をこぼされる。 だから、 せっかくいい高校に入っても、 せっかくいい大学に入っても、 せっかくいい会社に入れても、 結局は愚痴を零すほど嫌な生活になるんじゃないか。 頑張った結果が、最悪なものになるなんて嫌だ。 それに、昔から頑張ってきた事すべて、 親は「結果が出てないなら努力じゃない」なんて言って 否定してきたじゃないか。 頑張る意味がないのに、 頑張ることが出来ないのに、 勉強に時間を割く理由はどこにもない。 親にどうこう言われ続けて、 何もかもが面倒くさくなってきて、 好きなものも、やりたかったことも、 全部出来ないからそれに興味がなくなって。 残ったのは、「生」と「死」の選択だけ。 嫌いな事はあるけど好きな事はない。 死にたいとはたまに思うけど、 生きたいと思ったことはない。 「生」と「死」を悩む私の耳に届くのは、 今日も「未来」の話ばかり。

暗転(パン屋ROND)

店の外は雨が降り出している 今朝の天気予報だと雨の予報はなかったはずだ 「夕立かな」 既に、空では竜が喉を鳴らしている スタンディングオベーションのような雨音が、ほてった街を冷やしていく 雨につられてお客が入って来た 中年の男性と女性。会話の感じからすると仕事帰りに雨に振られた様子 仲は非常に良いらしく二人の距離は近い 男性はニンジンとチーズのホカッチャ、女性は舞茸とフムスのサンド、二人ともアイスコーヒーのご注文をいただく 誰もいなかったカウンターに二人が並んで座る。雨の街を見ながら楽しそうに話している。バイトの藤咲くんがアイスコーヒーを二人に持っていく。 近くの大学でミスキャンパスのグランプリに選ばれた藤咲くんが近寄れば、どんな男性も必ず目を奪われる。 だが、カウンターの男性は藤咲くんを一瞥しただけだった。あの男性は手練れかもしれない。相変わらず二人は楽しそうに話している。微かに美味しと聞こえる。とても良いお客様だ。 店内が一瞬、光りに包まれ 車が電柱に衝突したような爆音がなる 悲鳴と同時に店内の明かりが全て消えた 外の雨の景色が、四角く切り取られて映っている。 カウンターの窓の四角の中に顔が重なった二人の影が一瞬見えた。気がした。 「失礼しました〜」 直ぐに明かりがつき、暗転が終わる お客とスタッフとが安心して、少しワクワクしている。カウンターのあの二人もそう見えた どこかで猫が鳴いている 店主はパンの耳を持って店の勝手口に向かう

格安プランに求めるもの

「とにかく安いスマホが欲しいんですよね」    お客様は、あっけからんと言った。  しかし、これは最も怖い言葉だ。   「お客様、普段はスマホを何に使われてます?」 「ほとんど使わないんだよねー」    私はボキボキと指を鳴らした。   「電話は?」 「するよ。電話だから当然だろ」 「メールは?」 「たまにするかな。息子が電話出てくれなくてさ」 「LINEは?」 「一応入れてるけど、ほとんど使わないんだよね」     かけ放題オプションとメールオプション必須っと。   「動画とかは」 「たまに見るかな。テレビの代わりにちょうどいいんだ」 「それは、ご自宅ですか?」 「家でも外でも」 「ご自宅に、ワイファイはついてますか?」 「息子もそんな英語言ってたな。そりゃなんだい?」    詰んだ。  今の時代に電話とメールを使って、ワイファイなしの動画メイン使用。  高くならないはずがない。    パソコンで過去のデータを見ると、案の定。  こんな使い方をしていては、安い機種だと動画が見れないとクレームが入るし、高いプランにしないと通信料が耐えられない。  しかし、本人はいたって真面目に、使ってないつもりなのだ。    私はいったんバックヤードに引っ込んで、申し訳なさそうな顔で戻ってくる。   「おーっと、お客様申し訳御座いません! お客様にぴったりの機種、ちょうど在庫を切らしておりまして!」 「なにい?」 「すべて、ナフサ不足が悪いのです!」 「そうか。ナフサなら仕方ないな」    よし。  納得してくれるお客様だった。  もうひと声。   「もしかしたら、近くの家電量販店ならあるかもしれません」 「家電量販店だな? わかった、言ってみる」    お客様は、そのまま店を出て行って、車で家電量販店へと向かっていった。   「おーい。さっきのお客様が来店予約をしようとしたら、予約が全部埋まって見えるようにしといてくれ」 「はーい」    家電量販店は、うちより安くスマホを売ろうとしている。  つまり、ライバルどころか商売敵だ。  これくらいの面倒ごとを引き受けてくれて、ようやく対等と言うものだろう。    私はバックヤードに引っ込んで、最新機種のスマホで動画を再生した。  あー、疲れた。

三人の男性とマル

パン屋の裏で店主にパンの耳をもらう 彼の名はマル。茶と黒が斑に入ったオス猫だ 「マルはパンの耳好きだな。かわいいな」 マルはこの親父は簡単にパンの耳をくれることを知っている。そして、マルを大好きなことも知っている マルは食べ終わると店主に挨拶もせずにパン屋を後にする 大きな通りに出ると、ビールを飲みながら歩く若い男性が気になったので後を追 う。 マルはエサをくれるタイプの人間を勘で分かる猫だ 若い男性は急に立ち止まったので急いで隠れるマル 男は空に向かって何かを叫んでいた マルは彼に近寄るのをやめて、家に帰ることにした 家に帰る途中、立寄った公園にベンチ座るお爺さんを見つける。マルはよく観察してどこかで会ったか思い出している マルはなぜかパンの耳を食べたくなっている

愛の在り方

好きの反対は嫌いって言うけどさ 本当の反対って、『無関心』なんだよ そして、愛することの第一歩は 『相手を信じること』 疑ってばかりじゃ、誰も愛せない、誰にも愛されない だからね、大切な人を信じる事を忘れないで 君を必要とする人が、必ず居るんだから その人の手を離さずに、未来を一緒に生きるんだ

ポジティブ雄

「男って、マジポジティブだよね(笑)」 「わかるー。『ネイルの色を変えたのって俺の気を引きたいからだよね?』って、お前の好きな色なんて知らねえっつーの(笑)」    また、雄の被害が出たらしい。  彼女たちの言う通り、結局雄は単細胞だ。  目の前のことを自分に都合よく解釈する能力が高く、時に自意識過剰と罵られる。    しかし、自意識過剰は悪なのか。  万物は、毒にも薬にもなり得るのだ。   「ねー。あいつ、全然告白してこないんだけど!」 「は? もう二人でデートしたんだよね?」 「したした! なんなら私から誘ったし。もー! なんでー?」 「それキツー。どんだけ鈍感なんだよー」    自意識過剰を悪とした結果、起こるのは揺り戻しだ。  何を言っても自意識過剰と扱われることに恐れた雄どもの、卑屈なまでの消極性に他ならない。  まるで草食獣のように。  ただ、そこにいるだけの何かとなり果てた。   「もういいや。私から告ろ」 「草。がんばれー!」    そして、草食獣しかない世界。  かつて草食獣と呼ばれた雌は、気づけば肉食獣へと進化する。       「女って、マジポジティブだよね(笑)」 「わかるー。『私からのデート断らないって、私のこと好きだからだよね?』って、んなわけあるか。普通に友達と遊んでるつもりだわ(笑)」    別のファミレスで、新種の草食獣の鳴き声が聞こえた。

笑う文化

男がテレビをつけた。 画面の中。 若い男がマイクを向けられている。 便利な人。 噛み合わない受け答え。 ワイプのタレントが笑う。 出ない方がいいと思えば、差別。 出たら、笑いの種。 本人が良ければ、許される。 男は静かにテレビを消した。

いまから

 僕は山崎を推した。元カノは関ヶ原を主張した。アニオタやドルオタがそうだ。歴オタだって一致点を見出せないことだってある。僕と元カノのように。 「夏休みの自由研究、一緒にやらない?」  その一言がきっかけで付き合いはじめた僕と元カノは、やはり夏休みの自由研究が原因で袂を分かつことになった。それを悔やんでもしかたがない。すぎたことは変えられない。歴史がそうであるように。  八月のお盆前、僕は、山崎駅に降りた。山崎の戦いの「あの隘路」を、一度、見てみたかった。  隘路はさわがしかった。蝉しぐれってこういうことを言うんだな、と圧倒されるより、感心してしまうくらいだった。ハンカチは乾く前に次々と汗を吸い、ペットボトルのお茶は減るのがはやかった。ただ道が細いだけでなく、どうにもならない行き止まりのような、逃げ場のなさのような。そうだ、あのときの光秀みたいに。  暑くて、息も激しく切れた。まるで、袋小路とケンカをしているみたいに。ひとことで言って、複雑だ。何も考えたくない。 「いてっ」  重い足が、進むのを拒んだ。まわりのことなんか気にせず、その場にへたり込んだ。青い空を仰ぎ、白い雲を見やる。ふいに、元カノの顔が浮かんだ。思い出した。言われたことを。 ―なんでも、複雑だな、のひと言で片付けちゃうの、よくないよ  手に、強く力が入った。あともう、残りいくらもないペットボトルのきしむその音が、僕を引き戻してくれた。  時代は、山崎で勝った秀吉から、関ヶ原で勝利を手にした家康へと移っていく。  元カノが言っている気がした。 ―歴史、ちゃんと勉強してんの?  と。  歴史は変えられない。でも、未来は変えられる。そのためには、いまを変えないと。  いまが、僕にとっての天王山であり、山崎なんだ。京都、大阪、ふたつの府を手にしている山崎駅。その姿のようにいくかはわからない。でも、やるだけやってみよう。山崎と関ヶ原、どっちも。  間に合うだろうか、関ヶ原に。  秀吉になりたいのか、それとも家康か。でも、いまのこの心境は、関ヶ原に遅参した秀忠か。  迷ってちゃダメだ。いまを変えないと。  スマホを取り出し、元カノに連絡を入れる。着信をとった元カノが言うより先に言葉でさえぎった。 「いまから行くから」  言って、僕は電車に飛び乗った―

天使と天使

クリニックの診察室。 男は困った顔で、ドクターに話し始めた。 「先生、時々、耳元で声が聞こえるんです」 「それはそれは……幻聴ですね。どんなふうに聞こえますか?」 「天使が二人、右と左で囁くんです」 ドクターはペンを止め、じっと男の顔を見た。 「天使と天使ですか。天使と悪魔じゃなくて?」 「はい。どちらも『自分が天使だ』と言い張ります」 ドクターは笑いをこらえ、咳払いをした。 「いや、失礼。珍しいケースですね。ふつうは善悪の対立があるものですが、両方が天使となると……判断が難しい」 「先生、僕はおかしいんでしょうか」 「おかしいというより、興味深い」 ドクターはカルテに走り書きをしながら、声のトーンを落とした。 「その二人の天使は、あなたに何を囁くんですか?」 「ポジティブな言葉を……『やればできる』って」 青年はうつむき、ため息をついた。 「ちょっと、うざいです」 「……わかりました。では、お薬を出しますから、様子を見ましょう」 「お大事に」 薬剤師から渡された紙袋には、耳栓が二つ入っていた。

夏のきゅうり

トマトが なかった 売り切れていた きゅうりに してみた きゅうりも なかなか よいようだ 久しく 味噌を 口にしていない 味噌をおいしく たべるなら 夏のきゅうりがよい かみ砕いたときの あの音がよい トマトは 買ってこなかった 売り切れていたから トマトが たべたかった あの赤いのを そのまま口に してみたかった きゅうりも しかし よいようだ あのみどりを そのまま口にしてみる かみ砕いたときの あの音がよい トマトは 買ってこなかった 売り切れていたから トマトは またにするとしよう きゅうりも なかなか よいようだ あの音が 夏らしくてひじょうによい

HAR

青々と光る芝の上、一人のスター選手がピッチ中央にへたり込んだ。 激痛に顔をゆがめ、その黄金の右足を抑える姿はとても演技をしているようには見えない。 ボールを保持していた相手チームの選手はドリブルを止め、ボールを軽く蹴り上げたかと思うと、それを手でキャッチした。 ケガをした選手のチームメイトはそのフェアプレー精神に手をたたき、観客たちも盛大な拍手を送る。 主審は一連の出来事を確認すると、猛々しくホイッスルを吹いた。 判定はハンド、イエローカードも与えられた。 勿論、観客席からはブーイングの嵐。 選手たちも必死で主審に抗議するが、主審は顔色一つ変えない。 その目は一体、何を見据えているのか。 主審は何も言わず、ただ、HARの指示を出した。 * 「おーっと、ここでHARの指示が出されました。」 「まあ、妥当な判断でしょう。今回の主審AIには、ブーイング検知機能も搭載されていますから。」 「あっ、イエローカードが取り消されました。今回、ヒューマンアシスタントレフェリーとして人道的判断を担っているのは……」

職探し(タケル)

「人ってさ、結局自分の気持ちを分かってもらいたいんじゃないかな」 部屋でごろ寝をしていたタケルは、大きな独り言を言っていた。 タケルは二十七歳の男性で今は無職である。アパートの家賃を払わなくてはならないが、マックのバイトは首にタトゥーをした次の日に首になった。 することもないので、取り敢えず散歩に行くタケル 「晴れてんなぁ」 首の右側に入れた聖母マリア様が微笑んでいる。 赤茶色い髪がフサフサとマリア様の前を行ったり来たりしている マリア様は微笑んでいる コンビニに立寄って立ち読みをするタケル 「この世は可愛い女しかいねえのかよ」 怒りとも嘆きとも取れる独り言は店内の端まで聞こえている 女子高生達が棚の隙間からチラチラ見ている「変な人いるw」 缶ビールを飲みながら歩くタケル 「おい!今年のアサヒは気合い入ってんな」 前を歩いていたオジサンが呼ばれたと思って振り返っている 暫く猫が彼の後を追っている 暇を持て余しているタケル 「仕事よ!空から振ってこい!」 道端で両手を上げて願いを込める 通り過ぎるお婆さんが何か落ちてくるのかと空を見上げている 「これあげる」 タケルはお婆さんからチラシをもらう 「女性専用風俗のチラシなんかいらねーぞ。婆さん」 知らないお婆さんに平気で婆さんと言うタケル 「裏に男性スタッフ募集と書いてあるわよ」 「マジ!」 「頑張んなさい」 「サンキュー。受かったら、婆さん客で来なよ」 「生きてたらね」 「おう!待ってるぞ!」 タケルはスマホを取り出しお店に電話をかけている 髪をかき上げると、聖母マリア様が微笑んでいるのが見える。

ずっとさよなら

彼は都内にある古びたマンションに住んでいた。妻が一人と子供が二人いた。決して裕福とは言えないが幸せを感じていた。 彼がいつも遅くに仕事から帰ってきても妻は温かいご飯を作って待っていてくれた。 その日は結婚六周年記念日だった。彼は美味しいケーキを買って家へ向かった。 家の近くに来ると人がたくさんいた。 なんだろうと思った。ただそれだけだった。 マンションが見える道に差し掛かった瞬間、言葉を失った。 真っ赤な炎がぼうぼうとマンションから噴き出て救急車や消防車がたくさん停まっている。 頭より先に体が出た。野次馬を押し退けてすぐ最前列まで来た。 「妻と娘は大丈夫なんですか!」 そう叫んだ。しかし野次馬に押されて後ろに行ってしまった。 泣き崩れた。 とにかく泣いた。 もう何分、何時間泣いたことだろう。 野次馬もどんどん減ってきた。 しかし、炎はまだ燃え盛っている。 もう助からないことはわかっていた。 だけど、まだ炭と化したマンションを見ていた。 さよなら。 かなこ、あかり、めい

先生

昼休みの時間になると、静かな場所を求めてよく屋上に行く。 自分は、周りの生徒たちとあまり上手く馴染めないでいた。 だからと言ってそれで不便を感じたりしてないし、寂しいとも思わない。 代わり映えの無い日常、家を出て、学校に着いて、授業を受けて、昼ご飯を食べて、そのまま帰るだけの毎日。 ある日、いつもみたいに屋上で空を見ていた。 すると、一人分の足音が近付いてきた。 振り向いて、その足音の主を確かめる。 自分より頭一つ分くらい背の高い、メガネをかけた黒髪の先生が立っていた。 先生「また屋上で空を見てたの?」 『その方が落ち着くんです』 先生「空を見てると落ち着く、か。うん、そうだね。わかるよ、今日は天気もいいし」 『先生はどうしてここに?』 先生「ん?ああ、ちょっとね…」 先生の手にはタバコがあった。 『先生タバコ吸うんですね』 先生「まあね、たまにだよ。」 生徒の居る教室では吸わないけど、たまにタバコを吸っているらしかった。 風が、先生の前髪を微かに揺らす。 先生「…空はいつも同じだね、世界は目まぐるしく変わってくけど、この空は変わらず時間の移ろいを教えてくれる。」 遠くを眺めるような目で、先生は空を見てそう呟いた。 自分と先生の二人きりの屋上は、静かなものだ。 平和な日常、それを遮るものはない。 こうして、このまま大人になってくんだろう。 そこになんの感慨も感想もないけど、大人になったら、もうこの学校に居る人達とも疎遠になるんだろうか。 学校を離れたら、先生と話す機会もなくなる? それで困りはしないけれど、それが少し惜しい気がした。

君の不自由を愛している

障害をもつ君に「可哀想」と思った時点で、 上下関係を生み出し、見下してしまっている。 耳が聞こえないこと、目が見えないことを、 一概に「障害」と呼んで良いのだろうか。人々は「障害」だと決めつけるが、僕はそうは思わない。むしろ「才能」だと思う。 だけど、それは綺麗事らしい。 僕は、障害をもつ君の世界を見てみたい。だが、特別扱いをされて、善く思っていないかもしれない。普通に扱ってほしいのかもしれない。 だけど、君は点字ブロックの前で立ちすくみ『助けてほしい』と言う。 助ける上で、対等な関係など築けるのだろうか。僕にはもう考えようがないのである。 僕は、考えているふりをしていたけれど、心の奥底では、君に依存されるのが気持ち良かった。僕がいないと、君は何もできない。僕を必要とする君がとっても可愛く思えてしまった。僕は、君と居て良いのだろうか。 君はこの事を知っても 怒らず、「いつもありがとう」と言うだろう。 僕はつらくて、つらくて、たまらないのである。

熱波

きみの面影を目にしないまま夏休み突入 とたんの熱波襲来 きみの熱にも僕は犯されて 好きを続ける 続けていく

あばばばばば

あばのばば様のばば様は 省略されてあばばばばばと呼ばれてる もちろん本人には言わない 言ってもたぶん問題はない あばばばばばは、ひどく耳が遠いから きっと何もわからない 意思の疎通もままならない そういう意味では 赤ん坊と会話してるみたいなものだ あばばばばば、と