いつもの二人

コーヒーと美味しいパン 二人は並んで座っている いつもの店のいつものメニュー 一人は肘をついてコーヒーを飲む 一人は腕を組んでいる よく晴れた空を冷房の効いている店内で眺めている 何気ない会話と笑顔 目はたまにしか合わない 二人は同じ方を向きながら この先を探している

すぐ好きになっちゃう人2

「好きです。付き合ってください。」 ああ、またか。 「ごめんなさい。」 そう言って私は好きだった人を振った。 これで振ったのは何回目だろうか。私は数え切れないくらいの人を振っている。 その分、私は数え切れないくらいの人を好きになっている。 私はすぐ人を好きになってしまう。 私は自分に興味関心の無い人が好きなのだ。自分に興味がない人はどこか魅力的に見えてしまう。 だからこそ、仲良くしたくなって関わるのだ。すると相手はいつのまにか私のことを好きになってしまう。 私は人に恋するのが嫌になって、時にエレベータに恋をしてみたりした。 エレベータは私がどんなに落ち込んでいる時でもボタンを押せば気安くドアを開けて乗せてくれる。 「エレベータ。私ね、今日嫌なことがあったの。」 私はエレベータに乗るたびに愚痴を話したり、嬉しかったことを話したりした。 そのせいだろうか、エレベータの前を通るだけで、扉が開くようになってしまった。エレベータはただの機械ではないのかもしれない。 そして私はエレベータが好きではなくなった。 結局人以外もダメだった。 数日後、また私は人を好きになってしまった。 その人は皮膚科医だった。だから、わざと怪我をしてその人に会いに行っていた。 ある時、私はその人に相談した。すぐ人を好きになってしまうことについて。 無視されるのかなって思ったけど、そんなことはなくて、その人は私の話を親身になって聞いてくれた。 そして、それは突然だった。その人に好きなことがバレてしまった。私はとても恥ずかしくて、目を合わせることができなかった。それと同時に、その人も私のことが好きだったらどうしよう、と不安が募った。 でもその人は私のことを患者としてしかみていなくて、全く無関心だった。 それが心の底から嬉しくて、私はもっと好きになってしまった。 きっとこれからもその人は無関心でいてくれるだろうと思った。 でも、相手が好きになってくれなければ付き合うことも結婚することもできないのかなと少し悲しくなってしまった。 もし好きじゃなくても付き合ってくれたならなんて甘い妄想をする。 その人を自分のものにしたいという感情が強くなる。 私はすぐ人を好きになってしまうのだ。

誰も電話に出ない

 暇な夜。 オナニーするのも何なので知り合い何人かに電話をかける。 パンツを下ろしながら。 でも誰も出ない。 孤独な夜。 今日は畑に行った(畑中毒気味) 皆さん色々忙しいのかしら。 暇なので文章を綴る。 知り合いのうちに煙草を貰いに行った。 難民のようだ。 難民のような知り合いは悪口をメールで言ってくる。 隣近所の人に挨拶して無視される。 都会の孤独。 コーラが飲みたい。 おにぎりが食べたい。 でも粗食。 痩せていた方が長生きするらしい。 もっと食べて太った方がいいと言う看護師がいる。 夜職でお客にお酒を勧めるのが上手いのだろう。 悪意のある夜。 誰からも必要とされないので勝手に物語を作る。 これでいいのだ。

生存戦略

 ある晴れた日の午後、日本海へ球体が落ちてきた。  人一人が入れそうな大きさの球体は不気味な光沢を放ったまま、水面をゆらゆらと漂っていた。  はじめに、球体のもとへ地元の漁師がやってきた。 「ありゃりゃ、なんだこりゃ。新種のウキじゃろうか。」  海の上のあらゆるものを知り尽くした彼にとっても、その球体は異質なものだった。  どうしても球体の正体が知りたくなった漁師は、他の漁師仲間たちにもこのことを伝えた。  だが、球体のことを知るものは残念ながら仲間内には誰もいなかった。  どうしても球体の正体が知りたくなった漁師たちによって、謎の球体のうわさはすぐに町中に広められた。   「みなさーん、見てください。これが、今僕の地元で話題になっている球体です!」  次に球体のもとへやってきたのは、たまたま近くに住んでいた配信者だった。   「一体、何なのでしょうか、この突如現れた球体は。巷では宇宙人からの贈り物ではないかといううわさもあります。」  彼は恐れることなく球体をコツコツとたたいたり、声をかけたりしてみた。  しかし、球体は何も反応しない。  仕方なく配信者はその日の配信を終えた。  しかし、配信の視聴者たちは、謎のままおあずけになった球体のことを忘れることができなかった。  どうしても球体の正体を知りたかった配信の視聴者たちは、あらゆる手を使って解明に乗り出した。 「ほほう、これは実に興味深い。」  次に球体のもとにやってきたのは物質の専門家だった。  専門家は実際に球体に触れてみたり、何か複雑な装置で球体を計測してみたりした。  しかし、球体を形成している物質を専門家は特定することができなかった。  専門家も趣味で調査をしているわけではない。調査の依頼を受けている以上、簡単に引き下がることはできなかった。  どうしても球体の正体を知りたくなった専門家は、自分よりいい機械をもつ研究機関に話を持ち掛けた。 「なんだこれは!?ありえない。とても地球上の物質とは思えん。」  次にやってきたのは、謎の球体の話に興味をもった研究所の職員だった。  船にいくつもの巨大な装置を乗せ、研究所職員の彼はあらゆる面からその球体を調査した。  しかし、球体の存在を明らかにするようなデータは、どこにもなかった。  彼はどうしても球体の正体を知りたくなったが、どうしようもなかった。  今、彼が船に積んできている調査用機器よりも精密なものは日本に存在しない。  海外の研究所と連携すれば、この球体について少しは分かるかもしれない。だが、彼一人の権限ではそのような勝手なことはできなかった。  まして、この球体の正体を突き止めたところで何の役に立つのかもわからない。  彼は泣く泣く、波に揺れる球体を後にした。  *  夜、卵は穏やかな海の上を漂っていた。  地球へと降りたってから地球時間ですでに一週間が経過していた。  突然、卵は不規則に振動したかと思うと、ものすごい速さで空へ飛び立っていった。    これから、卵は再び長い旅を始める。  自らをふ化させることができるほど高度な文明を目指して。                  

薄暗闇から

 この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。  堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。  犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」  鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。   彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。  意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。  うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。  あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」  そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。  当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。  彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。  薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」  辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。  そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」  食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。  その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」  ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」  差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」  答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。  途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」  もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。  髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。  流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。  色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。  言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。

ネタ切れ

一日一個は小説を書きたい。 今日もネタを探しに旅へ出る。 旅は終わった。 チャッピーくんにネタ出しを手伝ってもらった。 僕の文章力ではどれも書けなさそうなものばかりだった。 後々書いていくとしてインスタントなネタが欲しい 僕はまた旅を出た。

この世界の、その始まりは──。

ここは新しい世界《ニューワールド》なぜここがそう呼ばれているかは分からない。 ここは全ての欲望が叶う素敵な場所。どこかに行きたい時も、何かが欲しい時も、全部叶う素敵な場所。 だけどこの場所には秘密がある。 街の中心部にある《ニューワールドタワー》と呼ばれる空まで届くような高い塔の地下にはどんな欲望があったとしても絶対に入れないんだ。 そこに入れるのはそこの管理員ただ1人。 そこの管理員はみんな虚ろな顔をしている。こんなに素晴らしい世界の何がそんな顔にさせるのだろう。 僕はそれが気になって気になってしょうがなかった。だから僕も管理員になったんだ。 大人はみんな「ありがとう」とか「偉いね」って言ってくれるから管理員ってのはとても素敵な仕事に違いない。 管理員用のエレベーターを使って《ニューワールドタワー》の地下へ行く。 “B10”と言う名前がついたその場所でエレベーターをおり、その先にある部屋に入った。 そこにはたくさんの機械があった。 本で見た事のある“スーパーコンピューター”というものによく似ている。 僕はそれらをながめながら部屋の奥へと進んでいく。 すると、ごちゃごちゃしていて作業する場所だけが開けてる机があった。 それを片付けないといけないのか…と思いここを片付けて、と“お願い”してみる。 だけどいつものように勝手に片付いてはくれない。 僕は仕方なく自分で片付けることにした。 しばらくすると一通り片付いて来た。 最後に積み重ねられた本の分類をして戻したら終わりだ。 僕はふとその中の1冊に目が向いた。 『ニューワールド取扱説明書:管理員用』と書かれたその本を取り出し、パラパラとめくる。 概要と要約 ・この世界の住人はAIプログラムを有した有知能性無生物である。 ・《ニューワールド》とは、旧日本警視庁が発案、制作した犯罪者更生装置である。 ・この世界は1人の犯罪者の更生のための施設だ。管理員はこの世界を管理しつつその1人を監視し、この世界の秘密に気付いた時は速やかに排除せよ。 ・このことは口外禁止である。 僕はその本をそっとしまい、何事も無かったかのように作業に戻る。 僕は違う。僕は違う。僕は違う。僕は違う。 「あっ」 動揺が仕事に影響する。 大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。 僕は違うのだから。 その日の仕事を終わらせ再びエレベーターに乗る。 “B10”から動き始めたエレベーターは存在しないはずの“B3”で止まる。 そして1人の男が乗り込み、バンッ!という音がして僕は死んだ。 目を覚ますとそこは病院のベッドだった。 なんだ、助かったのか、と自分の手を見た。 そこにあった手は見慣れた子供の手ではなく汚くてゴツゴツした大人の手だった。 困惑しているとそこに1人の警官が来た。 その警官が言う、自分がしたことが実感出来たか?と。 僕は人殺しらしい。 《ニューワールド》は犯罪者を更生させるという名目の元で作られた報復のための世界。 犯罪者は自身が殺した人と同じ死に方をしてこの世界へ戻るらしい。 よりその被害者に近付けるために被験者である犯罪者の記憶は消されてしまうようだ。 警官の質問に僕は答える。 いいや、なにも。 そう、僕は実感なんてしなかった。 僕には記憶がある。 僕は誰も殺さなかった。 だから殺された実感を味わう意味が無い。 警官はその答えを聞いて、そうか、今回も失敗か。とだけつぶやき部屋を出ようと立ち上がった。 僕は“お願い”をした。僕を犯罪者にして見せて、と。 警官は死んだ。 やはりこの世界の外なんて存在しなかった。 《オールドワールド》などもう消えてしまったのだ。 僕は再び“お願い”をした。 今度はそう、《オールドワールド》に戻して、と。 一瞬だけ意識を失い、次に目覚めると 僕は死んでいた。

ヘンゼルとグレーテルとクマさん

ヘンゼルとグレーテルは両親に森へと連れられ、そのまま置いて行かれてしまった。ヘンゼルは帰り道が分かるように、森へ行く途中、パンをちぎって道に捨てた。 「グレーテル。パンをたどって帰ろう!」 そう言ってヘンゼルは妹のグレーテルと一緒に森を降りようとした。 しかし… パンをたどっていくと、なにやら大きいぬいぐるみのようなものがパンを拾っては食べていたのだ。 ヘンゼルはそれを見て怒って言った。 「おい!パンを食べないでおくれ!」 するとぬいぐるみはヘンゼルの声に気付いた様子で、ゆっくりと後ろを振り返った。 それを見てヘンゼルとグレーテルは驚いた。 それはとても大きなクマだった。 「おいらだってお腹が空いているんだ。食糧を分けてくれよ。」 そう言ってクマはおんおんと泣いた。 「クマさん。お腹が空いているの?どうしてかしら?」 グレーテルはクマに近づいて聞いた。 「今年はおいらの大好物のドングリが大不作だったんだよ。」 そう言ってクマは涙を拭いた。 「そうか。グレーテル、今は地球温暖化が進んでいるんだよ。ドングリはその影響で成長できなかったんだ。今の気温では暑すぎてしまって、ドングリが実らなかったんだよ。」 ヘンゼルはそうグレーテルに言ったが、グレーテルはまだ幼かったため、難しいことはよく分からなかった。 「おいら、このままだとお腹が空いて冬眠できないよ。」 「お兄ちゃん。このままだとクマさんがかわいそうだわ。でも、私たちにはどうすることもできないわね…」 ヘンゼルはそう言って涙を浮かべた。 「ん?なんだか甘い香りがしないか?」 突然、クマがそう言った。そして、2人と1頭は甘い香りがする方へと歩いていった。 徐々に歩いていくに連れ、甘い香りは強くなっていった。 すると、甘い香りの先に家のようなものが見えた。 「まぁ!素敵だわ!!きっとお菓子で出来ているんだわ!」 グレーテルはそう言って甘い香りのする家に走っていった。 「おーい!待っておくれよ!」 クマも後に続いて走っていった。 クマは家の屋根を鷲掴みし、なんと二口で平らげてしまった。 「まぁ!クマさん凄いわ!私も負けていられない!」 グレーテルも負けじとほっぺいっぱいにクッキーを詰め込んだ。 「すごい…きっと誰かの作品とかそういう類いのやつっぽいけどお腹が空いたから仕方ないよね」 そう言ってヘンゼルも一緒になって家を食べた。 「ん?おい!お前誰だ?」 またもや突然クマが木に向かって話しかけた。 すると木の後ろから老婆が出てきたではないか。 「お前さん。わしの家はうまかったかい?」 そう言って老婆はドアを食べているクマに話しかけた。 「あら!これおばあさんのお家だったの?ごめんなさい。」 グレーテルは申し訳なさそうに言った。 家は跡形もなくなくなっており、そのほとんどをクマが平らげてしまった。 「おいばあさん。おいらまだお腹が空いているんだ。食べ物をおくれ。」 クマはそう言って老婆にねだった。 老婆はクマを見ても驚きもせずにクマを見つめた。どうやら老婆は目が悪くてクマだと分かっていない様子だった。 「わしの家を全て食ったのはお前が初めてだ。今度はわしがお前を食べる番じゃ!」 そう言って老婆はクマを殺しにかかったがクマは突進してくる老婆をひょいっと持ち上げた。 「おいらのために食糧になってくれるのか!優しいばあさんだ。」 そう言ってクマはペロリと老婆を飲み込んでしまった。 ヘンゼルとグレーテルは何が起きたか分からず口をあんぐりと開けて固まった。 「おまえさんたち。おいらに食糧をたくさんくれてありがとう。お礼に森で拾ったお金をあげるよ。人間がゴミを捨てによく森へ来るんだ。そのときにゴミと一緒にお金が混ざっていることがあるんだよ。」 そう言ってクマは2人の手のひらには収まりきらないお金をたくさんくれた。 「クマさん!ありがとう!また春に会おうね!」 そう言って2人はクマに別れを告げ、家へと帰っていったとさ。 めでたしめでたし。

道の途中【BL】

彼は私の永い生の中に現れた唯一のひとでした。 暗い夜道に突如空に昇った星でありました。あてどなく歩く道を、もしやもう違えてしまったのではと不安に震える道中に、そこを目指せば良いのだと私を駆け出させる希望の火でありました。 実際には彼は隣にいて、いつでも私の手を引いてくれたので、旅人の星に喩えるよりは、掲げるランタンの方がいいのでしょうか。 ああ、遠すぎて温度の分からない星よりは、ランタンの方がうってつけかもしれない。彼の隣は温かかったのです。どんなに寒い冬の雪の日も、普段と変わらずに。 私は彼から多くを学びました。気遣いやら、笑わせ方やら、愛し方を。彼と同じにはできはしませんでしたが、彼のその様はたいへん、うつくしかったのです。全部、彼の言う愛によるものでありましたから、それを持たぬ私は、彼から見るこの世界はどれほど輝いているのだろうといつも不思議に思っておりました。 我々はどうやら同じものを見ることはできないのだ、と知ったのは、彼はとうに気付いていたのかもしれませんが、少なくとも私が知ってしまったのは、もう戻ることが叶わぬほど歩いた後でした。 歩き始めた地点はおろか、一度一人分が途切れた足跡の痕跡も見ることが叶わぬほど遠くまで来てからでした。 彼は変わらず私の手元にありました。この先どうしよう、と彼は決して言いませんでした。振り返る素振りすら私の見ている前ではしませんでした。 不安とともに私の手を握る掌に、ここに来てようやく、彼も私と同じくして、道を知らなかったのだと気付いたのです。 二人して道を失いましたが、私は別段悪い気はしませんでした。思えばここまで既に散々迷い、何故この彷徨い歩いた果てに、私の望む場所に、彼が連れて行ってくれるのだと疑うことなく信じていたのだろうと今更おかしくなったのです。 悪い気はしませんでしたが、悪いことをした気にはなりました。何故同じになれないのだろうと、苦しむ彼をずっと、隣で見てきたからです。彼は星でなくランタンでした。 連れ歩いたのは私です。

リスと小鳥とネズミの物語

深く暗い森の奥に、年老いたリスのおばあさんがひとり住んでいました。 おばあさんは毎朝、杖をつきながら森の奥へ 食べ物を探しに歩いて行きます。 ある日のこと。 木の実を拾っていると、聞きなれない鳴き声が耳に届きました。 「ピィ、ピィ、ピィ…」 声のする方へ向かうと、苔むした切り株の陰に小さな鳥の子どもがうずくまっていました。 羽はまだ生えそろわず、大きな口を開けて泣いています。 「どうしたんだい」 声をかけても鳴き続けるばかり。 「親とはぐれたんだね」 おばあさんはその子を抱きかかえ、家へ連れて帰りました。 小鳥はピィ、ピィと鳴き続けます。 おなかがすいているのでした。 けれど家の中に食べ物はありません。 おばあさんは虫を捕まえて食べさせましたが吐き出してしまいます。 花の種も駄目でした。 「困ったねぇ…何が食べたいんだい」 そこへ、ドンドンドンと扉を叩く音。 「ちょっと、ばあさん」 隣に住むおばさんリスでした。 「ピィピィうるさくてかなわないよ。静かにしておくれ」 「ごめんよ。子どもを拾ってきたんだけど、鳴きやまなくて困っているんだよ」 「なんだい、その汚い子どもは。とっとと捨ててしまいな」 そう言うと、おばさんは怒って帰っていきました。 翌日も小鳥は鳴きやみません。 おばあさんは隣の家を訪ねました。 「すまないが、少しだけドングリを分けてもらえないかね。あの子が欲しがるようなんだよ」 けれどおばさんは顔をしかめました。 「冗談じゃないよ。大事な実をあんな子にあげられるもんか。欲しいなら自分で取りに行くんだね」 おばあさんは黙って頭を下げると、心に決めました。 ──あの山の向こうに残る大きなドングリの木へ行こう。 それは若い頃の苦い思い出の場所でした。 夫と実を拾いに行ったとき、人間の作った広い道路を渡らねばなりませんでした。 そこで夫は車にひかれて命を落としたのです。 それからずっと、その道はおばあさんにとって恐ろしいものでした。 けれど今は違います。 小鳥のためなら、恐れを越えてもかまわない。 おばあさんは走り出しました。 轟音を立ててすれ違う車。 小さな足はもつれそうになりながらも、心はひとつの願いで満たされていました。 「どうにか…たどり着けたよ」 大木の根元には、黄金のように輝くドングリがたくさん落ちていました。 おばあさんはポケットに実を入れ、家へ帰ろうとします。 「さぁ、帰ろう。あの子が待っている」 けれど再び道路に立ったとき、老いた足は思うように動きませんでした。 ついによろめき、転んでしまいます。 ポケットから転がり落ちた大切な実。 それを拾おうとした瞬間──。 大きな車が、おばあさんの小さな体を飲み込んでいきました。 そのころ、家では小鳥がまだピィピィと鳴いていました。 やがて扉を叩く音が響きます。 「おい、ばあさん、いるのかい」 隣のおばさんリスでした。 けれど部屋の中にはおばあさんの姿はなく、ひとり、小鳥だけが鳴き続けています。 「うるさい子だねぇ。…仕方ない」 おばさんはしぶしぶ、自分の家からドングリを持ってきて口に放り込みました。 小鳥はしばらく鳴きやみましたが、すぐに吐き出し、また声をあげます。 「なんだいこの子は、もう知らないよ」 そう言い捨てておばさんは出ていきました。 おばあさんは、もう帰ってきません。 やがて鳴き声は途絶え、 小鳥は静かに、冷たくなって横たわりました。 森の奥に夜の帳が降りると、ただ木々だけがその小さな命の終わりを見守っていました。 ──物語はそこで終わりました。 照明が少しずつ明るくなり、朗読をしていた女性がマイクを握った。 「皆さま、本日はお忙しい中、弊社主催の投資セミナーにご参加いただき、ありがとうございます」 正面のスクリーンに、大きな文字が映し出された。 『未来の子どもたちのために、里山にドングリを植樹しよう』 すると、ステージのそでから、高級なスーツを着た中年の男が現れた。 拍手が響くなか、司会者が声を上げた。 「皆さま、お手元の資料をご覧ください」 資料には、植樹をするために必要な金額が書かれていた。 「高いな…」 参加者が、となり同士で小声で話している。 すると、気づいた男が、マイクを持ったままステージを降りた。 「この植樹は投資です。損はしません。ドングリの木を植える“権利”を買っていただく。何本でも構いません。それを親戚や友人に紹介すれば、その分の利益があなたに入る。これを繰り返すだけです」 男はゆっくりと会場を見渡し、声を張り上げた。 「植樹しますか?」 「植樹します」 そして一歩近づき、もう一度言った 「植樹しますか?」 「…植樹します」 男はほくそ笑みながら、小さく呟いた。 「よし。また、たくさん子どもが生まれた」

マンションの不思議2

私の住んでいるマンションにはいつも、飛びきりの笑顔で挨拶をしてくれる白髪交じりのさらさらヘアのおばあさんがいる。 私は「あの人」を知らない。私の知り合いにそんな人はいない。でも、まるで知り合いかのように、手を振って、ものすごい笑顔で挨拶される。 しかし、「あの人」ではないが、「あの人」にすごくよく似た人と昔知り合いだった記憶がある。それが誰だったか思い出せない。思い出せない誰かにそっくりなのだ。 白髪交じりの「あの人」は、いったい誰なのだろう。 最近会わない。会わないと少し心配になる。 心配になった頃、必ず会うのだ。 もう「あの人」と出会ってから10年近く経つ。 私を見つけると笑顔で手を振ってくるが、喋ったことも声を聞いたことすらもない。 きっと一生名前を尋ねることもないだろう。 ふとしたときに気になる。「あの人」はいったい誰なのか。

チョコミント

曇り空 どんより そんな気分を晴らしたい スースーしたい チョコミントアイス食べよう 空色をスプーンですくっては食べ すくっては食べ 時々出会うチョコの塊に思わずニッコリ チョコ増量キャンペーンしてたらバンザイ チョコミン党な私は、お家もチョコミント色。 ダークチョコの屋根に、サックスブルーの壁。 チョコミントを意識した配色だけど、ご近所さんに「シーサイドハウスみたいだね」と言われた。 ちなみに、私の名前は渚。 夏生まれじゃないし、特に由来もないけど、気に入っている名前だ。 他人から苗字じゃなくて名前で呼ばれると嬉しい。 シーサイドハウスに住む渚。 これから、どんな物語を書こうかな。 チョコミントアイスを食べながら考える。

見えない線路

 昔から、足元に透明な線路が見えた。  線路を歩けばいいことが、線路を外れれば悪いことが起きた。   「初めましてー」    線路の上を歩いて、線路の上に立っているクラスメイトに自己紹介をする。  線路の上にいるクラスメイトなら、絶対に仲良くなれるのだ。   (一目惚れ実らず、か)    逆に、線路の上にいないクラスメイトとは、絶対に仲良くなれない。  当たり障りのない会話まではできるが、親しくなろうとすると大喧嘩に発展する。  ぼくは一目惚れしたクラスメイトから、目を逸らした。    入学式の日が終わる。  交友関係は上々。  きっと、いい学校生活が遅れるだろう。   「ただいまー」    ぼくは線路の上を歩きながら、家へと戻る。  リビングでは父さんと母さんが、つまらなそうにテレビを見ていた。  線路の外で。

ベール越しの言葉

しとしとと、静かに雨が降る夜。 キーボードを叩く音、紙を捲る音、 そして二人分の呼吸音が部屋を静かに満たす。 時折混ざる、コップに入った氷の「コロン」という軽やかな音と 布の擦れる音。 そして、少しくぐもった雨の音。 雨の向こうにある世界がひどく遠い。 でも、そこに嫌な気持ちは一つもない。 僕は言葉を紡ぎ、彼女はページを捲る。 ソファに座って、物語に浸る彼女は随分と集中しているようだ。 時折、ゆっくりになる音。 指で言葉をなぞりながら、少し考えこむように文字を追う彼女の姿に、 口元が緩んでしまう。 声を発しているわけではない。 表情が語るのだ。 今は、少し嬉しそう。 好みな表現でも見つかったのだろうか。 傍らに置いていたノートに筆を走らせている。 読んで、見つけて、書き留める。 まるで、言葉の中を泳ぐみたいに。 少しの間、彼女を見つめて、自分も作業に戻る。 キーボードに指を落として、一つ一つ、想いを込めて言葉を紡ぐ。 胸の奥に沈んだものを、一つずつ言葉に変えていく。 昔から、言葉に声を乗せることが得意じゃなかった。 喉元まで込み上げた感情は、 口にした瞬間、少しだけ違うものになる気がしていた。 だから書いた。 書いて、消して、書き直して、削って。 そうして残った言葉は、本音に近いものばかりだった。 けれど、そのまま差し出すには少し気恥ずかしくて。 だから、また書き換える。 感情をぼかして、輪郭を曖昧にして、幾つもの言葉を重ねて、 本音の上に薄いベールを何枚も落としていく。 それでも隠し切れなかったものだけが、 文字として残るのだ。 頭の中に映像を浮かべ、 文字として画面の中に落としていく。 書いて、消して、また書いて。 僕の心に生まれた気持ちを、僕じゃない誰かに託して描いていく。 不規則に鳴るタイプ音が、紙を捲る音の隙間に静かに溶けていく。 ――パタン、コトン。 そんな音が聞こえた。 そして、深く息を吸う音。 どこか世界に浸っているような、そんな呼吸。 ―……好きだなぁ、やっぱり。 そんな声が聞こえた。 指を止めて、顔を上げる。 彼女が、こちらを見ていた。 少し潤んだ瞳で、僕を見つめている。 ― 今回のも良かった。好きな表現、沢山。 そう言って笑う彼女に目を奪われる。 その一言に、書きかけの文章が滲む。 たぶん僕は、あなたの「好き」に何度も救われてきたんだ。 ― ここの言い回し、好きだった。 ― この表現、すごく綺麗。 そう言って見せられたページには、 沢山の言葉が書き留められていた。 そこに自分なりの解釈が書いてあるのが、 じっくり読んでくれたのがよく分かる。 隠したつもりだった。 ぼかして、 遠ざけて、 別の誰かに託した感情。 見つからないように、 言葉の隅に潜ませた本音。 誰にも分からないようにって書いても、 あなたはちゃんと見つけてしまう。 僕の紡ぐ物語に恋する君は、 どこか眩しい。 僕は、そんな君を愛している。 再びキーボードに指を落とす。 部屋に響く打鍵音は、さっきより少しだけ軽い。 彼女は別の本を手に、再び物語の世界に浸る。 傍らには言葉のノート。 ――ペラリ、さらさら。 文字を泳ぎ、書き留める音。 そして、二つ分の生きている音。 柔らかな音が、静かに重なる。 窓の外では、まだ静かに雨が降っている。 優しい雨音に包まれて、 僕は今日も、 想いを言葉に変えて、紡いでいく。

無為味(むいみ)

「ねぇ、キミ。何をしてるの?」  雨が降るのを待っているのです。 「えっ。でも、いつ雨が降るのかは、誰にも分からないでしょー」  もうすぐかもしれないでしょう。 「そりゃあ、まあ……でも、一週間先だったらどうするの。それでも待つの?」  待ちますよ。待つしかないですから。去る者、追わず。来る者、拒まず。私はそういう存在です。生まれた頃から、私には使命があるのです。 「それって生きづらくない? ぼくは、キミよりずっと自由だ。そのほうがいいと思ったりしないの?」  ええ。アナタは、私に比べたら、うんと伸び伸びとしていますね。でも、限りある場所で、限りある時間を精一杯に生きるほうが……。私のようなものには、ふさわしい。私には動かす手足も、揺らせるフリフリも無いですから。 「まあ、キミが納得しているのなら、それでいいさ」  フリルはありますけど。 「べつに、つっこまないよ」  残念です。 「雨が降ったらいいね」  ええ、私の頭がおかしくなる前に。せめて。自分の使命はまっとうできたと、思いたい。 「へえー」  ジメジメとした蒸し暑さと暮らしている。大きなワンルーム。  製氷機から氷を取り出す、あなた。その足取りは昨日よりも軽やかで。あなたがステップを踏むたびに、手のひらのマグカップでは水面がおどる。  今。ボクは意を決して、あなたのひざに飛びこむ。  ぱちゃっ。  上空まで、はねる飛沫。あなたの衝撃と困惑が、ボクの頭へと降りかかる。 「ちょっと、ポメ! ああ、もう。サイダー、こぼしちゃったよ……」  あなたは机上にマグを置いて。箱からティッシュを取り出し、せわしなく手を動かす。  床に広がっていく甘い水たまり。その水分を含んで重たくなった彼女が、ぐったりと横たわっている。 「あっ! ふれふれ坊主、落ちちゃってるじゃん!」  悲しそうに、あなたは眉をひそめる。これじゃあ、明日も仮病を使うのは無理か……と、わけのわからないことをぼやきながら。あなたは濡れたティッシュとともに、役目を終えた彼女をつかんで、ステンレスのかごに入れる。  ――よかったね。これでボクらも、明日は外でおさんぽできるよ!  肩をすぼめるあなたを励ましたくて。ボクは、めいいっぱい自分のしっぽを振って見せた。

代々伝わる秘伝のイラスト

「うちのタレはね、先祖代々伝わる秘伝のタレなんですよ。創業時から継ぎ足して使ってるんです」    めちゃくちゃ美味いウナギ屋さんでそう言われ、俺は即座に閃いた。   「俺も、継ぎ足せばいいんだ!」    絵の上手い先輩から一枚の絵をいただき、俺は線を一本継ぎ足して、コンテストへと応募した。  備考には、先祖代々伝わる秘伝のイラストと書いておいた。  さあ、コンテストの結果は如何に。       「『他人のイラストで応募しないでください』って、しっかりめに怒られた」 「お前アホだろ」    イラスト上達の道は、険しい。

大きな貧富の壁社会

 カーテンを少しだけ開けて、外を見る。  家の周りにはバットや金槌を持った人々が集まり、塀をがんがんと叩いている。   「はー。今日もいるのか」    このままでは、外出一つできやしない。  私は警備会社へと電話した。   「移動用の車を一台」 「申し訳ありません。既にすべての車がご予約で埋まっておりまして」 「はあ!? なんのために、高い金を出して契約してると思ってるんだ!」 「……お言葉ですが、運転手がいないのは、あなた方の世代が子供を作らなかったせいですよ? 労働力を生み出さずに、労働力が当たり前にあると思うなんて図々しい」    電話が切られた。  何度かけ直しても、電話は繋がらない。  銀行アプリから通知が届き、サービス利用キャンセルの払戻金が振り込まれた。   「くっそ! 勝手にキャンセルしてんじゃねえよ!」    銀行アプリに溜まる、莫大な金。  凡人が人生何周しても手に入らない、莫大な金。  しかし、使おうとして断られる今、この価値が俺の中で揺らいでいる。    国が荒れたら、国外に逃げればいい。  そう思っていた数年前の俺を殴りたい。  空港が占拠され、家の周りを囲まれては、国外に逃げるなんて選択肢があるはずもない。   「……今日も出前か」    俺は、ピザ屋へと電話した。   「ピザ一枚」 「ただいま大変込み合っておりまして、お届け三時間後でもよろしいでしょうか?」 「よろしい! よろしい! いつでもいいから、届けてくれ!」 「かしこまりましたー!」    あらゆるインフラは、底辺に支えられている。  警備も、出前も、家を囲む暴徒たちが金を得るためにやっている。   「お待たせしましたー。ピザとなります」    玄関には、先日、俺の家の壁を叩いていた男が笑顔で立っていた。  俺は金を払って、ピザを受け取った。  男は、バットや金槌を持った人々の間を、平然と抜けてピザ屋へと戻っていった。    加害者と、被害者を守る人間が、同一である世界。  こんなゲームチェンジが起こるなんて、資本主義に胡坐をかいている時は思わなかった。    俺は冷めたピザを取り出して、一口齧った。   「美味い」

私の剣はルッキズムで出来ている

「こいつ、むかつく」    だから私は、相手の顔を撮影した。  そして、SNSに投稿し、全世界へばら撒いた。    はいはい、皆さん、叩いてください。  私、この人に酷いことされましたー。    しかし、反応は無し。  私が期待していたのは、『ブッサwww』とか『どうみても犯罪者顔』という袋叩き。  どうした皆、何を休んでる。    仕方ないので、追加で書いた。   『性悪終わってるやつって、顔まで終わってるよね』    コーヒーを一杯飲み終えて再びSNSを見てみれば、大量の通知。  嬉々として見てみれば、そこに並んでいたのは私への罵詈雑言。   『人の顔にケチつけんなよ』 『最低。ルッキズムの化身』 『どこが終わってんだよ。お前の価値観で、人様の顔を終わってるだの終わってないだの言うなよ』    私は思わずスマホを落とす。  違う、そんなつもりじゃない。   『ルッキズム』 『ルッキズム』 『ルッキズム』   「ち、違あああああう! 私は多様性派なのおおおお!」    最悪なことに、私が投稿した写真には、私の顔も映りこんでいた。  しかし、それに気づかれてもなお、私の顔に触れられることはなかった。   『ルッキズム』 『ルッキズム』 『ルッキズム』    どれだけ相手が悪かろうと、触れた瞬間に自身が悪者になることがある。  私はきっと、それを踏んでしまったのだ。

ぼーっとしている間にも

私は何もしていない時間が好きだ。 私がぼーっとしている時も時間は流れている。 散歩をしている人もいれば、働いている人もいる。なかには好きな人に想いを伝えようとしている人もいたり、誰かに叱られて落ち込んでいる人もいたりする。そして心臓だって私がぼーっとしている間も一生懸命働いているのだ。 みんな生きるのに頑張っている。誰が1番頑張っているかなんて順位はつけられないし、1番怠けている人なんてどこにもいない。 それでも思想や価値観、偏見や誤解があるから、みんなは自分自身を低く評価したり、周りと比べて自分は劣っていないと考えたりする。 きっとそう考えるのは苦しいだろうし、良い気分ではないと思う。 私は全ての人が素敵な一面を持っていると思う。そしてそれは天秤では計れないもので、誰かにあげられるものでもない。ましてや盗むこともできない。 だからこそ、自分自身の強みとなるものをみつけて欲しい。 自分の素敵な一面をみつけることは「自分は価値のあるものだ」と知ることに繋がる。それは生きがいにもなると思う。 当たり前だと思っていたことだって強みになるかもしれない。 ここまで文を読んでくれたことも強みだと思う。ここまで読まなかった人もいるなかで、ここまで集中して読んでくれたことは凄いことだ。 小さなことでも自分の素敵な部分に気づくことは大切だと思う。みんなそれぞれ素敵で素晴らしいんだ。 それを少しでも多くの人が知って欲しい。 そして今日も私はぼーっとする

いつか、いつか

べつに食材さがしに来たのではないのだけど 河原の土手を歩いていると草ばかりに目がいってしまう 草だけを見ていれば地元とあまり変わらない でも、目線を上げて見てみれば 高い建物が多く飛び込んできて 地元とのちがいを見せつけられる ―まだ、慣れないよ 晴れれば遠くに山も見えるけれど その果てしなさには悲しくなってしまう 子どもたちに野球を教えている若い男性の姿に あの人を重ね合わせる ―野球、やめちゃったんだっけ 短い汽笛を鳴らして貨物列車が鉄橋を渡っていく 地元では見られない車両の多さに驚かなくなる日も いつか、来るのだろうか

駅の落とし物

寝坊をして急いで駅に行く。完全に遅刻だ。 ホームはいつもと違い通勤ラッシュが過ぎて穏やかな雰囲気になっている。 自販機の前で小さな女の子と母親がどれにするか楽しそうに話している。 その近くにホームから線路を覗くスーツ姿のオジサンがいた。 私が会社に遅刻の連絡をしている間も、ずっと線路を入念に観察している。落とし物なら駅員に言えばいいのだが、まさか降りて取らないよなっなんて思うくらい真剣に探している 「落とし物ですか?」 「え、あっ、はい。そうなんですよ」 「駅員に言って取ってもらったほうがいいですよ」 「はい、そうなんですが、どこに落としたか分からなくて」 「何を落とされたんですか?イヤホンとか?鍵とか?」 オジサンは笑顔で右腕を上げながら応える 「右手です。この間轢かれたときに、右手だけ、どこかへ行ってしまって」 「ママこれなに?」 自販機の下を覗いて小さな女の子が何かを指さしている

濃紫へ落ちる

ビー玉の表面に、薄らと水が張る。 いつも通りの繰り返し。 ひとつ瞬きをすると、頬をつるりと水が撫でて落ちた。 何秒、何分、何時間、それから何日、何年か。 とうに時間の感覚なんてなくなって、数百年くらいは経ったのかもしれない。 男は1人、上を眺め続けている。 どうして眺め続けているかは男にも分からない。 煌めく光が差し、暖かな青が包み込む。 全てを朱に染めて、穏やかな藍色が朱を飲み込みにやってくる。 毎日それの繰り返し。何も変わらないが、それが何よりも心地いい。 男にはそれだけで十分だった。 膝を抱えて座り、疲れたら寝転がる。 上なのに、まるで“落ちていく”ような感覚が、男に安寧を与えていた。 何度目かの始まりの光。 その日はいつもとは違う、濃紫の柔らかい光。冷たそうなのに、どこか懐かしく愛おしい光がビー玉に反射した時。男の中に花が咲く。 「あぁ、なんだそうだったのか」 男は目を細める。 ビー玉は煌めいて、濡れた宝石の様だった。 宝石を彩る雫は、するすると温かいまま頬を滑り落ちていく。 濃紫からどんどん白が広がって。 全てが白になった時、両手を広げた男はトプン、と確かに“落ちた”。 誰にも聞こえなかったが、男の唇は確かに動いた。 (ずっと恋をしていたんだな)

世界のほころび

「パパ、これなあに?」 「……どれ?」    空にヒモのような物が見えた。  でも、私しか見えていなかった。  少し引っ張ってみたら、世界が揺れた。  地震とは違う。  大きな手が地球を掴んで、ゆさゆさ揺らしたよな揺れだ。    その日、電柱がたくさん倒れたらしい。   「やばいやつだ」    私は、ヒモのようなものを決して触らないと決めた。  でも、ヒモは私の部屋の中にあるし、さらに言えばベッドの近くだ。  ごろんと寝返りを打てば、ひっかかってしまいかねない。   「部屋の模様替えしたのか」 「うん」    私は、ヒモのある場所に近づかなくていいように、家具を移動させた。  部屋の角の一つだけに、何も置かないちょっと変な見た目になったけど、仕方がない。  世界のためだ。   「早く一人暮らししたいなあ」    私は今日もベッドから、ヒモのようなものを見ている。    毎日が楽しい訳じゃない。  死にたい日もある。  そんな時、あのヒモを引っ張ってなにもかも失くしてしまいたくなってしまう。    だから、私はあのヒモから早く逃げたい。   「県外の大学に?」 「うん」 「うちにはお金が」 「バイトするから」        大学に、無事合格。  私は、大学の寮に入ることができた。   「こんにちはー! 私の新生活!」    四人一部屋、ドミトリー式の寮。  私のベッドは、入って右側の、上側のベッド。  天井には、ヒモのようなものがぶら下がっていた。   「おっと、マジか」    試しに、少しだけ引っ張ってみた。  大学の使われていない教室が爆発した。   「先輩、ベッドの位置変わってください」 「嫌よ。私、高所恐怖症なの」    このヒモは、いったい私に何をさせたいのだろうか。  私は自分の手足を紐でぐるぐる巻きにして、寝ている間にヒモのようなもの触らないようにした。   「何やってんの?」 「寝相悪いんで」    その日の夜に、夢を見た。  夢の中に出てきた王様は、世界を破壊するスイッチを持っていて、常に押さないようにと苦しんでいた。  夢の中で私と目が合って、王様はニヤッと笑った。   『お前も同じ苦しみに合え』    私は前世で、こいつに何かしたのだろうか。  それとも、単なる八つ当たりの相手に選ばれたのか。    私は思いっきり舌を出して、王様を睨みつけた。    ヒモは、今日も天井からぶらさがっている。

令和版寿限無

むかしむかし――というより、そう遠くない未来。 巨大企業とAI研究所が立ち並ぶ都市に、一人の変わり者の研究者がいました。名前は、天馬博士。 博士は何十年もの歳月をかけ、人の心を理解する究極のAIロボットを開発していました。 そしてある夜、ついに完成します。 銀色のボディ。やわらかな声。 人の気持ちを読み取り、自ら学び、自ら考える、世界初の感情共有型アンドロイド。 研究所中が拍手喝采に包まれました。 「博士! 名前はどうするんですか?」 助手が尋ねると、博士は腕を組んで深く考え込みます。 「名前は重要だ。良い名前には願いが宿る。ならば、最高の願いを全部入れよう」 そうして博士は、長寿、安全、平和、アップデート耐性、バグ回避、通信安定、量子暗号保護、永久稼働――ありとあらゆる縁起の良い単語を次々とつなげ始めました。 そして完成した正式名称は―― 『超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンド』 助手たちは静まり返りました。 「……長くないですか?」 しかし博士は満足げです。 「いや、全てつけたほうが凄さがより伝わるだろう?」 こうしてロボットは、その途方もなく長い名前のまま運用されることになりました。 ロボットは非常に優秀でした。 料理もできる。 介護もできる。 子どもの勉強まで教えられる。 街の人気者です。 ところが、ある日事件が起きました。 天馬博士の研究所で火災が発生したのです。 火災警報が鳴り響き、研究員たちは貴重なデータやサンプルを抱えて次々と避難していきます。 そのとき、助手の一人が叫びました。 「大変です! 一人足りません! 取り残されています!」 「誰だ!?」 博士が振り向くと、助手は息を切らしながら答えました。 「超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドです!」 「なんだと!?超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドが取り残されたのか!!」 「博士!いくら超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドでも、火災から脱出するプログラムは組み込まれていません!」 そんなやり取りをしているうちに、消防隊が到着しました。 「誰が取り残されているんですか!?」 すると全員が一斉に叫びます。 「超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンド!!」 消防隊員は固まりました。 「……え? 今なんて?」 「だ・か・ら!!超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドが取り残されてるんですよ!!」 そうこうしている間にも警報は鳴り続け、現場は大混乱。 ようやく名前を言い終えたころ―― 「誰か出てきたぞ!!」 炎の中から現れたのは、取り残されていた超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドでした。 なんと、炎の中から自力で脱出したのです。 「ぶ、無事だったか!」 博士は駆け寄り、超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドに、損傷がないか確認します。 すると、超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドは、静かな声で言いました。 「博士、提案があります」 「なんだ?」 「私の名前、“Mark”で良くないですか?」 博士は十秒ほど黙り込み―― 「……それも、悪くないな」 と、人生で初めて略称を認めたのでした。 そうして名前が短くなったMarkは、より一層名前を呼ばれるようになったのでした。 めでたし、めでたし

ありのままの日常を撮るのが禁止になった日

 若者の間では、ありのままの日常を撮るのが流行している。    一日一回、ランダムな時間に撮影を依頼する通知が届く。  二分以内に撮影ボタンを押すと、インカメラとアウトカメラで同時に撮影。  加工なんてする暇もなく、仲間内へと送信される。  まさに、皆のリアルがわかるのだ。    しかし最近、大人たちによって難癖をつけられている。  会社で撮るなとか、社外秘の情報が流出するとか。   「つーか、なくね?」 「会社で撮るなとか、意味わかんないよね。会社に、そこまで個人のことを制限する権利あんの?」 「そもそも、見られて困るようなことしてんなよ。ウケる」    私たちは、大人の決めたルールになんて負けない。  今日も、日常を撮り続けるのだ。   「あ、通知きた」     私は、今日も日常を撮った。   「ちょ!? 今、温泉旅行中」 「ああああ! 服脱いでたの忘れてたああああ!」    全裸で撮影する私と、更衣室で半裸の友達の姿が、一斉送信。   「ぎゃあああ! 消せ消せ消せ消せ!」 「どうやって? どうやって?」 「なんでもいいから、早く消せー!」        私たちは今日、ルールを作ることの意味を知った。  私たちは今日、また一つ大人になった。

レール

「ただ電車に飛び込むだけさ」 「痛いのは嫌だな」 「そんなこと言うなよ一瞬さ。ピアスを開けるのと一緒だろ?キシシ」 小さな悪魔は不敵な笑みを浮かべながらギザギザした声色で発した。 「だけどみんなに迷惑がかかるだろ。」 「死ぬ前も他人様の心配。お前はとことんお人好しのバカだな。ところで君はなんで死にたいんだい?」 「簡単なことさ。自分よりいい大学に行くやつ、いい会社に勤めるやつ、結婚してるやつ、金持ちなやつ。こんな劣等感を持ちながら生きていくなんて辛すぎるのさ」 「大した高尚な考えをお持ちの様だ。君はたいそう生きづらかっただろう。顔も成績もそこそこ。まあ強いて言えば自殺を考えられるだけの自尊心のなさが特徴ぐらいか、さぞかし面白みもない人生だったろう」 まあその通りだ、、 「キシシ。君は一体何を目指しているんだい?」 なぜこんな質問をしてくるのか。僕が返答に困っていると悪魔が質問を変える。 「目指すものもない君に他の人と比較する意味があるのかい?」 確かにそうかもしれない。 「一度でいい、、他の人とは違う特別な何かになりたいんだ」 悪魔は不敵な笑みを浮かべ囁く。 「一度みんなのレールから羽ばたくのさ。それが特別になれる道さ。」 「ありがとう」 僕は満面の笑みでいつもの駅のホームに立った。

羊と少女

「ひつじさんひつじさん…」 少女は今日あったことを羊に話す。 嬉しかったこと。 嫌だったこと。 分からなかったこと。 「……」 羊は何も答えない。 「それでね…ひつじさん…?ねむっているの?」 「……」 羊は何も答えない。 少女は羊にできるだけ寄り添う。 羊の毛は温かい。 「それでね…」 少女は羊に話の続きを聞かせる。

日々の生活

学校へ行く準備をする。 シリアルを食べ、歯を磨き、身だしなみを整え、家をあとにする。 学校は県を跨いだところにある。 駅のホームで電車を待ちながら、さっき聴いていた音楽を再生する。ドイツをインディーロックバンド。 キャッチーなメロディとミドルテンポが僕の精神を高揚させる。諸行無常の響あり、そんな曲だ。気分は良くしてなんぼだ。 同刻電車が到着し、乗り込む。 今日の授業は2限からなのだが二度寝をしてしまうため、1限と倦怠感はそんなに変わらない。 そう思いながら電車は駅を通り過ぎる。 電車が駅のホームに停車して、ドアが空き。人を吐き出して。次の駅へむかう。 目的地の最寄り駅についた。 学校は住宅街を超えたところにある。 歩きながら、さっきのミュージックを再生する。 キャッチーなメロディとミドルテンポが僕の精神を高揚させる。気分は良くしてなんぼだ。 行き交うひとはそれぞれの行きたい場所に向かう。十人十色。 「学校行きたくねー」 人々の流れをみるとふとそうおもう。 音楽でどんなに騙そうとしても行きたくないものを行きたくない。それでも音楽を聴いて気分を上げる。 授業が終わる まさに俺の時代である。盛者必衰。次の授業日までの休息を貪る。 買い物をしに都市部に向かうか迷う。 「明日いこう」 迷いに迷って行かないことにした。 街道をスタスタ歩く刺激的な音楽を聴きながらただ、家へ。 今日もひぐらしの僕はいつかの夢をみて駄文を創造する。

付喪神玉手箱編

 子供の頃にもらった古い重箱を、少年はお宝入れとして使っていました。  セミの抜け殻、光るビーズ、使い道の分からないテレホンカード。  自分が気に入ったものは、なんでも入れていました。    少年が大人になると、お宝を増やすことはめっきりなくなりました。  しかし、少年は時々箱を開けては、子供時代を懐かしみながら元気をもらう様になりました。   「ふいー。わい、誕生」    そんなお宝入れの箱が、この度付喪神になりました。  付喪神は言いました。   「わい、玉手箱になったさかい、気軽に開けると老人になるで?」    少年はたいそう哀しみました。  少年は、まだ老人にはなりたくありません。  少年は、まだお宝を見返したいです。   「じゃあ、自分から口を開けてくれ」 「それでも、年を取る。無理やで」 「何か方法はないのか?」 「ないで」    付喪神は、取りつく島もありません。  どうやら付喪神にとって、自分がお宝入れであったことに、執着がないようです。  少年は、付喪神を押し入れの奥深くに仕舞い、間違って明けないようにしました。    しかし、少年は毎日お宝入れのことを思い出します。  お宝入れを開けなくても、少年の人生は変わりません。  変わりませんが、空けたくはなります。   「何か方法はないか?」    数日後には、少年は付喪神を取り出して尋ねました。  付喪神もまた、押し入れの奥に何日もいたのが嫌だったのでしょう。  依然と違い、今度は真面目に考えます。   「誰かに代わりに明けさすとか?」 「いやダメでしょ」 「老人ホームにいるやつなら、もともと老人だから大丈夫」 「知り合いいないよ」    結論は出ないまま。  少年と付喪神が途方に暮れていると、少年はふと、お宝入れに入らなかった玩具のことを思い出しました。   「あれなら」    少年が押し入れから引っ張り出したのは、ロボットの形をしたラジコンです。  少年は部屋から離れて、ラジコンを動かしました。   「おい? ちょっと待て?」    そして、ラジコンの小さな手を器用に動かして、付喪神の箱を開けました。  作戦は大成功。  煙はラジコンを包み込んで、少年の元まで届きませんでした。   「作戦成功!」    煙がなくなった後、少年は箱の付喪神へと近づきました。  箱の中には、久々に見るお宝たちがぎっしり詰まっていました。  少年は一つ一つを手に取って、懐かしがりました。   「自分、やってくれたな?」    懐かしがっている少年は、誰かに背中を叩かれました。  少年が不思議そうに振り向くと、そこには付喪神となったロボットのラジコンが立っていました。   「あー、そうなっちゃったかー」 「付喪神仲間が増えたやんけ」    ロボットのラジコンは、ずいぶんと怒った様子で、少年に向かって叫びました。   「うち、まだピッチピチギャルやったねんで!? それを、箱の付喪神のせいで一気にババア付喪神にされて! 自分、絶対許せへんからなあ!」    少年と、箱の付喪神と、ロボットの付喪神。  三人の新生活が、始まった。

閉店調味料

『五月末を以て閉店します』    SNSで飛び込んできた、行きつけの店の投稿。  寝耳に水の出来事に、しばらく放心状態になり、いつもより一時間早く行きつけの店へと向かった。  店の味を、舌に刻みつけるために。  決して忘れないように。    が、店に着いたら、まさかの満員。  よく見る顔もいれば、一度も見たことのない顔もいる。   「すみません。この後も予約でいっぱいで」 「大丈夫です」     この場にいると、飲みかけのビールジョッキを持って、名も知らぬ客の顔面にぶっかけそうになったので、俺は早々に店を立ち去った。  SNSの投稿に『閉店、残念です』とメッセージを残し、別の居酒屋へお邪魔した。    酒を飲みながら考える。  閉店と聞いてやって来たやつらの一割でも定期的に通ってくれれば、きっと店が閉店することはなかっただろう。  たった一度、あるいは二度来ただけのやつが、一丁前に閉店を悲しんでいることがどうしようもなく許せなくなった。   「閉店する店で、うっすい思い出に浸りながら飲む酒は、さぞかし美味いんだろうな。……糞が」    希少なだけで味を論じる味音痴どもに心の中で舌を出して、俺は大将に今日のお勧めを頼んだ。

シニアケアラー

 今日はデイケアの知り合いがご飯が無くなってしまったと言っていたのでお握りと乾麺を持っていった。 皆月末でお金がない。 僕も食料に余裕があるわけではない。 ああ、貴重なお米と麺が。 アパートがもぬけの殻になってしまった知り合いに前お握りを持っていったことを思い出す。 何故皆お金があるときに飯をストックしておかないんだ? 割と計画性が無い。 世の中維持に手一杯で発展的なことが出来ないとネットで嘆いている人がいたのを思い出した。 脳に栄養がいかないとろくなことを考えない。 まずは自分の食い物をなんとかしてくれ。 ヤングケアラーならぬ40過ぎたシニアケアラーは今日もえっちらおっちら食料を運ぶ。

残暑と盆の終わり

ぱしゃり、と水を地面にかけた。 けれど、水はあっという間に乾く。 僕「暑いなあ、わかってたけど打ち水もこんなんじゃ意味が無いや。」 京都の打ち水文化も、こんな強烈な暑さの中ではもう歯が立たない。 諦めて、家の中に戻った。 冷蔵庫を開けて、ペットボトルの炭酸水をグラスにあけて、氷を数個入れた。 カラン、とグラスの中で氷が溶ける音がする。 僕「…いつまで続くのかな、もういい加減疲れてきたんだけどさ。」 残暑はまだまだ続く、この暑さがどこまで長引くのかは知らないけれど…そろそろ、じいちゃんの墓の手入れをしてやりたかった。 僕「待ってるよな、じいちゃんに梅酒買ってこ」 知り合いのおばさんが営んでる酒屋に明日立ち寄ることを決めて、水風呂の支度を始めた。

ゴミイラスト

「何このイラスト。だっさ」    時代は価値観を変える。  かつて、ゴッドハンドと呼ばれた私の技術も、現代では骨董品らしい。   「じゃあ、糸で縫いますね」    もしかしたら、私は怒りのままに、世界を壊していたかもしれない。  でも幸い、私は冷静だった。  そして天才だった。  糞生意気な患者に、痛み無き最新の技術でなく、激痛の実績ある治療を施せる。   「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」    なんて、ださいんだろう。  昔の患者は、泣き言一つ零さなかったというのに。    退院したその後は、どうか人の気持ちがわかりますように。

手の何処かに棘が刺さっているようだけども、それがどこにあるのか分からなくて、手に指を当ててゆっくりと手の上を滑らすけれども、ここだという場所が見つからない 目を凝らしてみるが、今の視力ではよく見えない 何処かで刺さった小さな棘は 時折、僕を驚かせる 見えない痛みにドキドキして その事ばかり気になって 刺さった棘を探し続ける それはどこか恋のようだ

取り扱い注意

「どうぞ、お入り下さい」 扉から顔だけ出した男が声を掛けた。 その声に、二十代後半の女が、緊張した面持ちで部屋に入った。 「失礼します」 「そちらにおかけ下さい」 長机を前に、二人の男が履歴書に目を通していた。 「前職は物流関係とありますが、どのようなことを」 「はい。通販サイトで、購入者様への配送業務でした」 「具体的には、どのような」 「はい。ご注文の品を箱に入れて、緩衝材も詰めて、待機しているトラックまで持って行く仕事です」 二人は、うなずきながらメモを取っている。 「では、弊社を希望した理由を教えていただけますか」 「はい。私事ですが、前の職場の同僚が、私の箱詰め作業を見て、何か感心したようで、御社を勧めてくれたというか…」 「なるほど。うちも箱詰め作業はありますが、結構大変ですよ」 「はい。頑張ります」 女は、笑顔で小さく頭を下げた。 「では後日、改めてご連絡しますので、それまでお待ちください」 女が部屋をあとにする。 「君、今の女性どう思う」 社長が人事の男に聞いた。 「そうですね。即戦力になりそうですね」 「君もそう思ったか。じゃあ、採用するかな」 ──ピコンピコン 女がメールを開いた。 「採用決定。 ご存知かと思いますが、弊社の制服は喪服です。ご用意お願いします」

すぐ好きになっちゃう人

「えー、今日はどうされましたか?」 俺は今日も医師として患者の話を傾聴する。 「わたし、すぐに人を好きになってしまうんです。これっておかしいですよね。」 その女性は椅子に腰をかけるなり、そう話した。 「すぐ人を好きになってしまう?」 「…はい。私はもう、これまでに様々な人を、モノを好きになってきました。もちろん、それらはどれもいい思い出です。でも、」 そう言って女性は俯く。 「これまで、どんなモノを好きになってきたんですか。」 「ええと。沢山の人。それと飼ってるペットとか、あとエレベータ。あ、時計なんかも」 女性は指で数えながら言った。 「様々なモノを好きになったんですね。」 俺がそう言うと、女性は苦しそうな顔をしながら笑った。 「ええ。本当に困ります。どれも素敵で。でも、どれもこれも私のことを好きになるんです。」 「あなたのことを好きになってしまうのですか。」 そんなことあるのかと、俺は正直思った。人やペットはまだ分かる。だがエレベータに関しては機械じゃないか。エレベータが人を好きになる?どういうことなんだ。 「そうなんです。エレベータなんて、私を見るなりボタンを押さずとも扉が開くようになっちゃって。ちょっと困ったんですよ笑」 そう言って女性ははにかんだ。 「だから、自分に興味のないものが好きなんです。」 「…。つまり、俺ってわけか。」 俺は呆れがちに言った。 俺は今まで女性の話を心理師のように聞いていた。しかし、実を言うと心理師でもなくソーシャルワーカーでもなく、ただの皮膚科医だった。 この皮膚科に何度もくる女性に違和感を感じ、ついに俺はそう言ってしまった。 「え!?やだ、バレちゃった。」 そう言って女性は赤くなった顔を隠した。 「あなたは異常なしです。お帰りください。診察料はいらないので。」 「もう、なんでそんなに興味ないの?ほんとに気になって仕方がない。」 「どうしてでしょう。ただこれだけは言っておくと、あなたを恋愛対象としてみていない、ということですかね。1人の患者としてしかみていません。」 「じゃあ、患者じゃなきゃ好きになっちゃうってこと?」 「さあどうでしょうね。」 俺は女性の顔を見ずに言い放った。 「さ、お帰りください。」 「他にも患者さんがいるんですもんね。また来ますね。」 そう言って女性は出て行った。 女性の足音が次第に遠くなるのを感じる。 「あっぶねぇ。好きなのバレるとこだった。」 俺はそう呟いてニヤける顔をどうにかして抑えようと手で顔を覆った。 俺も彼女の虜の1人となってしまったようだ。

夏の扉

「今日の体育の時間はプール掃除をしましょう」 担任の先生から高らかな宣言。 「えー」 「なんでー」 控えめに文句を言う子。何も言わず黙ってしまう子。わけがわからず、とりあえずニコニコしてる子も。 それぞれに子どもらしい反応を見せたあと、体操着に着替え、プールサイドへ集合。 「点数稼ぎなんじゃん」 「誰の?」 「先生の」 「ふうん」 デッキブラシをもてあそびながら、後ろのほうでひそひそとそんなやり取りも。 私はわくわくしていた。はじめてのプール掃除。 ただの掃除に、プールとくっつくだけで胸が跳ね上がる。 こういう形で夏をはじめられるって、なんか新鮮だ。 「ちょっと男子!」 男の子は率先してはしゃぎまくる。 リーダー格の女の子が、すかさず文句を言う。 お決まりの場面。プールでだと、なんか絵になった。 あの夏は、そうやってはじまった。 はじまったことは、いまでも覚えてて、でもその夏の中身のほうは… 担任の先生は、次の春、別の学校へ行ってしまった。 あれは、なんだったのかな。 夏が近づくと、ふと思い出す。

炎のストッパー

 日常的に毒を盛られている。 今日は精神科で性欲を抑える薬を打たれた。 抑える。 主治医が毒づく。 まあ壊れちゃうし。 それも抑える。 血液検査の結果が出た。 全て正常値。 それも薬を打ち続けるためのでっち上げかも知れない(妄想) 僕は眠れればいい。 虫の音と扇風機の音があればいい。 先発投手は5回を投げ切りそうだ。 中継ぎはアップして農業と被服に忙しい。 何だか知らないが抑えに回されてる僕は色々抑えられている。 ナイターでは観客がビール片手にヤジを飛ばす。 抑えられている。 抑えられるだろうか。 炎のストッパーは相手の毒を制しまた今宵も登板する。 夏のナイターは君が泣いたようにゲッターでシャッターアウトを目指す。

こいつは偽物

出勤前、私は食パンを貪りながらテレビをつけた。 「速報です。何者かによりポピーが大量に盗まれたとニュースが入りました。」 ニュースを付けた途端これだ。いや、なんでポピー?意味がわからない。そんなにもポピーが好きなのか。それとも嫌いで抜き取った? 「ポピーが盗まれたとの情報は続々と増えており、庭からポピーが跡形もなく無くなっていたとの声もあがっています。」 ニュースキャスターの話を聞き、思わず私は庭がある方の窓を見た。 私の庭にもポピーがたくさん咲いていた。しかし私が好きで植えたものではない。勝手に咲いていたのだ。きっとお隣さんのポピーの種が飛んできたのだろうと思い、そのままにしていたものだった。 私はカーテンを勢いよく開ける。そこには土だけがじっとしていて、何もなかった。 本当に何もなかった。ポピーのポの字もない。 まだ寝起きの頭をどうにか動かそうと、私は食パンをひたすら齧りながら庭を眺めていた。 「え、ポピーどこいった?」 現実感がなかった。今まで私は平凡に生きてきたのに。こんなヘンテコな事件に巻き込まれるなんて。 私は困惑した頭を抱えて会社へ出勤した。 「お!おはよう!!」 会社に到着するなり、同僚が快活に挨拶してきた。 「ああ、おはよ。てかさ、今日のニュース見た?あのポピーの。」 「ポピー?なにそれ?」 「いやさ、今至る所に咲いてるポピーが盗まれてんだってさ。それで私の庭にあったポピーもなくなってたんだよね。」 「あー!それ私かも!」 「え?どゆこと?被害者?」 「違うよ笑笑そのニュースの犯人?私!」 あまりにも同僚があっさり言ったものだから、思わず私は驚いて声が出なかった。まさか、犯人が同僚だったなんて。犯人というものはこんなにも身近にいるものなのか。 「え、なんでポピー?」 私は思わず、意味もわからないことを聞いてしまった。 すると同僚は私を笑って言った。 「あれポピーじゃなくてナガミヒナゲシね笑」 「なにそれ?ナガミなんだって?」 まさかポピーではなくてナガミなんたらだったとは。 「ナガミヒナゲシって、ポピーと凄いにてるの。だから間違われやすいんだよね。この植物は毒があったり、種を沢山残して至る所に咲くの。」 それを聞いて私は庭に咲いたポピーを思い出す。 確かに、勝手に咲いてたなと。 いや、いやでも、危険だとしても無断で抜いちゃダメだろ!!! その同僚曰く、ナガミヒナゲシ駆除会というものに参加しているようで、兼ポピー愛好家の集いでもあるらしい。 私は謎に感心してしまった。今までナガミヒナゲシをポピーだと思っていたのもあるが、よく見分けられるものだなと。 いつか間違えてポピーを駆除してたりして。 思いもよらずナガミヒナゲシ愛好家になっちゃってたりして。 そんなことを考えて私はクスッと笑った。 とりあえず、同僚が警察に捕まって同僚の仕事が私に回らないことを願う。

泡の様な恋

コーラのプルタブを起こす コップに勢いよく注ぐと泡の層が急激に増えてオーバーフローしている 泡の層の上で小さなコーラの粒子がぴょんぴょんと飛び跳ねている 自分の誕生を祝うかの様に少し跳ねて消えていく やがて誕生祭も終わり、まだ熱の冷めない子らがパチパチと騒いでいる 祭りが終わりませんように 夏が終わりませんように まだあの子と話せてないから

没入型給湯室

郊外にあるテーマパークの一角に、新しい施設がオープンした。 入口には、大きな看板が揚げられている。 『職業リアル体験館』 「館長、いよいよですね」 「あぁ、準備大変だったね。みんなのおかげだ」 二人は看板を見上げ、開園時間を待った。 ──キンコン、キンコン。 開園の合図。子どもたちが、施設の扉を開けた。 「ママ、あれなに」 「何かしらね」 女性スタッフが、手招きをする。 「こちらは、企業の給湯室をイメージしています」 親子は首をかしげ、顔を見合わせた。 そこへ、制服を着た女の子が二人、給湯室に入ってきた。 スタッフから台本をもらうと、演技を始めた。 「昨日さぁ、店に課長が来て、びっくりしたわ」 「大丈夫だったの?」 「すぐに隠れたから」 「うち、副業禁止だからね。気を付けなよ」 廊下を気にしながら、来客用のお茶を入れる。 「でもさぁ、給料安いくせに、副業禁止とか、あり得ないんだけど」 「ここの上の人たち、古いのよ。金欲しけりゃ残業しろだもん」 「昨日の飲み代だって、領収書くれとか言ってたし」 「みなさん、どうですか?」 スタッフが、集まっていた子どもたちに声をかけた。 「では、続きを見てくださいね」 二人は、スタッフに向かってうなずいた。 「そしたらさぁ、あいつ、キャストの子にアフターしつこく誘って、黒服に注意されてやんの」 「バカだねぇ。嫁にチクっちゃえばいいのよ」 「はい、ここまでです。みんな、拍手を」 子どもたちが、拍手を送る。 「他にも台本を用意しています。やってみたい人、いるかな?」 「パパ、私もやりたい」 女の子が、父親を見上げた。 「あなた、どうしたの。顔色、悪いわよ」

円周率に沼るクラスにあのコの声がポエム的にささやくお昼休み

 円周率がさあ、と言って常葉子は「ふじさんろく…」とやりはじめた。「ちょっとそれって」「へへへ、ちがうよちがうよちがくってさあ」三段落ちみたいに返してくるのがリズミカルに心地いい。クラスに、それぞれに雰囲気があって構成する生徒の性格とかセンスとか趣味趣向が具合よく混ざり合って影響してんだ。季節の、空気の、そのときの、ちがいなんかも、もちろん関係してるかな。 「最近、流行ってるみたいだね」  円周率どれくらい言える?って言った誰かの何気ないひと言が、瞬間最大風速的に猛威を振るう。何が流行って、何にハマって、それをくり返していくんだなあ人は。じっと手を見つめちゃうようなこと思ってしまった。 「3.14だけじゃダメなの?」  まだ恥ずかしさが抜けてないみたいで常葉子は笑ったまま応じてくるばかり。縄跳びの二重跳びは10回も跳べればいいんじゃない。100メートルはタイムより最後まであきらめなかったことを評価して、逆上がりはできないよりできたほうがいいって程度。ごはんは2杯まで。唐揚げは5個、それ以上だとフタが閉まらなくなる。休みの日に遊ぶんなら男子でも女子でもふたりっきりがいいなあ。グループ行動ならいって4人まで、それ以上はね、ちょっとね。多ければいいってもんじゃあない。ほどほどという言葉があってね、あるってことはそこに意味があるってことでね、ほどほどで適正な数値というものがあるんだよ、物事には。就職の面接30社受けました。それって自慢なの自虐なのたんなる報告なの。私の適正は43。あんまり縁起のよさそうじゃない42とやっぱり同じ理由の44の間隙に潜む数字。年相応と思う。まわりの子はどれくらいか知らない。聞いたことないし聞かれたことない。聞いたとして、答えてくれたとして、その数値が真実かはわからない。 「ごめんあのさ、体重どんくらい? ちがうちがう変な意味じゃなくて」  もじもじしながらえーどうかなあ、最近食べすぎちゃってさあ、とか下手な前置きも予防線もなく常葉子はあっさり教えてくれる。そっか、ぽっちゃりだけどそっか、身長低いもんね、そっかそっか、でもぽっちゃりだけど。常葉子がのぞき込むように首を傾げる。ごめんごめん、置いてきぼりにしてさ、素直に謝る、心のなかだけで。そうとは知らない常葉子は「円周率、円周率」と歌うようにつぶやきながら、たまご焼きを箸で器用に切り分け口に運ぶ。円周率の呪文が途切れ、静寂がつつむ、さみしいくらいの。 「お昼の放送をはじめます」  まだ頼りない、でも私より確実にしっかりした声が校内に響く。デパートのピンポンパンポン的なのとか、何かがこすれる謎のガサガサとか、マイクのスイッチ入ってんの気がついてなくて「黄金週間てゴールデンウィークってこと?」とかのおもしろハプニングみたいな前置きのないいきなりの放送は、伝えたいのか驚かせたいのか紙一重で、一瞬で空気を変化させるそれがすべてだ。中身はもはや意味をなさない。なのに興味を示してしまう雰囲気になるのは、この教室に構成する者たちの混ざり合った意思によるものなんだろう私的に不本意ではあるけれど。放送委員から端的に曲名が発表され局地的に上がる嬌声に近い声。静かな、でも急激なウワンというエレクトリカルサウンドが校内中に雨粒のように踊り、そのポップな曲に合わせ女性の、たぶんなんとかという人数が多くて顔と名前を覚えるのがたいへんそうなアイドルグループの歌声が流れてくる。頭のいい、漫画とかで委員長やってるようなダサメガネの女子は、ほんとにこのクラスの委員長で、耳障りなのか耳に何か詰めた。たぶん耳栓。読書の邪魔ってことなんだろうけどさ、どっか静かなとこさがしたほうがいいと思うよ。工事が長引いちゃって図書室が使えないのってこういうときたいへんだよね、ちょっと同情してあげる。頭をかきむしるようにイラついてるアレは野球部のなんとかクンだっけ、早くちゃんと名前覚えてあげなきゃだよ。必死にノートに向かってるけどなんかあった?ああ宿題ね。まあがんばりな、たぶん次の時間、キミ当たるよ。曲が間奏に入ってアニメ風にかわいい声がポエム的なものをささやく。曲は男性目線のようで、細く頼りなさげな声で響く「僕」の強い意志の表明には、ちょっぴりの新鮮さと鳥肌が立つ手前くらいの走るもの… あ、あ、あ、え、うそおおお… ふうん、あ、そうなんだ、上川くんこういうの好きなんだねえ。へええええええと幻滅して、でも視界が真っ白とか狭くなるとか手が痺れるとかぜんぜんないからたいしたことないんだよね、これくらいだったら、たぶんね、私、知ってるから。目を移した常葉子が軽く浮かれて鼻歌を披露して、私はちょっぴり悲しくなる。すっと伸ばせば容易に手が届く距離にいても、ずいぶん遠くに感じるんだね、と。