砲丸投げを会得したい。

もし、煙草の匂いをかき集めて塊に出来るのなら、まずは砲丸投げを会得したい。 世界大会で金メダルを獲れるまでは待てないけれど、「砲丸投げやってます」と言ったら全員が納得できるような身体を作りたい。 その身体を持ってして、凝固された煙草の匂いを、親の敵のごとく、親に投げたい。 正確に言うと、母親の敵のごとく、父親に投げたい。 実家ぐらしの頃、たまにこっそり入っていた。誰も使っていない部屋に。 誰も使っていないはずなのに、壁はやたら黄ばんで、臭かった。 ただ"そういう部屋"が家にあると友達に話したこともあったけれど、何で話したのかは、自分でも未だに分からない。 チカチカ、バチバチ。記憶の雷鳴。 ボトりと落ちる線香花火。 慣れない恐怖。永遠の祈り。 内へと籠る意識を、溜めて溜めて、溜めて溜めて溜めて溜めて、 解き放ちたい。遠くへ。 やっぱりまずは、砲丸投げを会得したい。 頭の良い人達が、匂いを塊に出来る何かを発明してくれるその日までに。 砲丸投げを会得したい。 不純な動機でごめんなさい。

監視カメラと警備員

「おはようございます!」    うちの会社の前には、堅物な警備員がいる。  とにかく愚直に規則を守るし、とにかく融通が利かない。   「来客ですね。企業名とお名前、後、どなたとのお約束か、ちょうだいしてもよろしいでしょうか?」 「その方たちは私のお客さんです。入れてもらって大丈夫です」 「いえ、規則なので。企業名とお名前、後、どなたとのお約束か、ちょうだいしてもよろしいでしょうか?」    今日も堅物の顔をして、会社の前に立っている。  俺は会社に入ろうと鞄を漁ると、社員証を忘れたことに気づく。   「社員証の提示をお願いします」    案の定、俺は警備員に止められる。   「すんません。ちょっと忘れちゃったみたいで」 「では、入管を許可できません」 「すぐに総務行って、臨時カード発行してもらうから」 「できません」 「この顔、見覚えありますよね? 毎日通ってるし、何度か話もしたことあるじゃないですか? ねえ?」 「できません」    思わず、眉がぴくぴくと動く。  まるで赤の他人でも見るような表情が、どうしようもなく苛立ちを覚えさせられた。   「くっそ!」    結局自宅へ戻り、社員証をもってUターン。  午前の会議には出席できず、上司からお説教を喰らった。  警備員がすんなり入れてくれれば、こんなことは起きなかったというのに。    社員証を忘れた俺が悪い。  それはわかる。  だが、ちょっとした融通も利かせられない警備員も悪くないだろうか。  人間誰しも、小さなミスはするものだ。   「……待てよ?」    だから、気づいた。  会社の前は、常に監視カメラで映されている。  つまり、監視カメラの内容を見れば、あの警備員の様子を見ることができるはずだ。  あいつも人間。  一つや二つ、ミスをしているに違いない。    悪戯心と復讐心が、むくむくと膨らんできた。    警備室に行き、顔も知りにお願いし、監視カメラの内容を見せてもらった。  理由はなんでもいい。  顧客が会社に来たけど俺がいないから引き返した、という言葉の真偽を確かめたいとでも言えば、すんなりと見せてもらえた。    監視カメラの録音映像をモニターに表示し、早戻しで過去に遡っていく。  逆再生される映像の中では、出勤中の社員たちが後ろ歩きで会社から離れて行き、警備員が直立不動でつったっていた。  俺は目を皿のようにして、警備員の一挙一動を監視する。    一人くらい、規則に違反しているが、会社の中に入れてしまったやつがいるはずだ。  それさえ見つければ、次にごちゃごちゃ言われた時、言い返す材料になる。    出勤ラッシュが終わり、早朝になる。  警備員は立っている。  日の出が終わり、深夜になる。  警備員は立っている。  月灯りが消えて、夕方になる。  警備員は立っている。  退勤ラッシュが終わり、昼になる。  警備員は立っている。   「……え?」    警備員は、ただの一度もその場を離れていなかった。  食事もしていないし、トイレにさえ言っていない。   「え?」    俺は思わず、現在の監視カメラの映像を見た。  会社の前に、警備員は立っていなかった。   「他人の行動を監視するなんて、規則違反ですよ?」    背後から、あの警備員の声がした。

偶然の偶然

お久しぶりですね。最後にあったのはいつだったでしょうか。確か、あれは珍しく雪の降ったクリスマスイブの前日。イブイブとでも言うのでしょか。 人で賑わう夜のデパートから出てきた貴方は通りを歩いていた私と偶然、本当に偶然に出会いましたね。あの時の彼氏さんはお元気ですか? えっ?あの日に別れを告げられたのですか?明日がクリスマスイブというのに? それはそれはショックでしたね。ひどい男もいるものですね えっ?理由は貴方の浮気がバレたから? 火遊びが過ぎてしまいましたか。恋も雪と一緒に溶けてしまったようですね 私ですか?私は人生で初めて彼氏が出来て、実は来月挙式を挙げるんです。 彼とは本当に本当に偶然出会って、ビビビとなりまして、私が一目惚れしてしまいました。この奥手な私が思い切ってアタックしてみたら、無事、お付き合いすることが出来まして、今に至ります。 そうです。初めての彼氏です。…まぁ実際、男友達はいましたよ。言うのもお恥ずかしいですが、その、体だけの関係の友達と言いましょうか。ただ、私達はお互いの体に飽きてしまって、そこで、私が知り合いの女性を、紹介してみたんです。そしたら彼はその女性と何度か夜を共にしたらしいですね。でも可哀想にその女性は付き合ってた彼氏と別れてしまったようで。誰かが本命の彼氏に告げ口でもしたんですかね。 え?彼氏の写真ですか?えぇありますよ。ほら見てくださいハンサムで優しいんですよ。まぁ付き合っていたからご存知でしょうけどね。

私が生きた証

 言葉を綴る。  思い浮かべた景色、音、味を咀嚼し、文字を吐き出す行動。  世間で創作と呼ばれる其れは、私にとって非生産的な行為だった。  思考の羅列。  自己の嘲笑。  自然の摂理。  どれもこれも、自分を正当化するための詭弁でしかない。  ただ一言、「___」と綴れば終わるのに。  それでも、その事実を認めたくない私は、決してその単語を遺さない。  だから私は今日も筆を取る。  現実に抗うために。    人が人たらしめるもの。それが思考だ。  思考は自由そのもので、何をしても怒られず、どこへでも行くことができる。  けれど、思考を浮かべるだけでは、気に入った世界に何度も辿り着けない。  だから私は文字を綴った。  世界を忘れないために。  それから私は幾重にも世界を作り文字を綴った。  そうして出来た世界を私は愛した。  ーーしかし、他人から見た其れは奇怪なモノだった。  ありもしないモノを綴ること。  世間ではその行為が異常であること。  其れを、わかっていなかった。  だから私は世界を秘匿した。  もしかしたら、私の世界を好きになる人もいたかもしれない。  けれど、そうなる前に私は世界を閉じはじめた。  他者に思考を侵されないようにするために。  そうして、創られた世界は閉鎖的になった。  かつて輝いていた世界には秩序がもたらされ、綺麗な形になってしまった。  本当はこんなこと望んでなかったのに。  日に日に綴られる文字は同じ形に収束する。  自由から縁遠い決められた配役に、私は吐き気を催した。  泡沫はやがて破裂する。  それを拒んでいるのは私自身。  なればこそ、私は世界を終わらせなくてはならない。  私が創った物語なのだから。  部屋を出て宙へ向かう準備をする。  いよいよ終幕だ。  その物語は、私の_を以て完結する。  願わくば誰かにこの世界が紡がれるように。  あるいは、誰からも忘れさられて消えられるように。  そうして、私は水面に身を投じた。  

貢献度

 クラスに天才が一人いました。  天才は、絵を書くのがとても上手でした。  天才の描いた絵は、いつもコンテストで日本一になりました。    天才には、二人の幼馴染がいました。  白い幼馴染と黒い幼馴染です。    白い幼馴染は言いました。   「この子はね、自由にさせとくのが、一番いいんだよ」    白い幼馴染は、天才とはほとんど話しません。  毎日の挨拶でしか話しません。  それが、天才の為だと言っています。   「この子はね、インスピレーションになるものをあげるのが、一番いんだよ」    黒い幼馴染は、天才にいつも話しかけます。  暇さえあれば話しかけます。  それが、天才の為だと言っています。    ある日、天才の作品がついに世界で注目されました。  白と黒。  モノクロで描かれた作品は、世界中の全ての色を凝縮したかの如く、鮮やかでした。    白い幼馴染は言いました。   「ほら、私が自由にさせたから、この子は過去最高の絵が描けた」    黒い幼馴染は言いました。   「ほら、私がたくさんアドバイスしたから、この子は過去最高の絵が描けた」    天才は、今日も絵を描いています。  今までと変わらずに。    白い幼馴染と黒い幼馴染は、今日も天才のために何かをしています。  今までと変わらずに。

眠い(お風呂デートの夜)

 スーパー銭湯に彼女と行った。 皆疲れていて静かだった。 南無。

三面鏡の話

三面鏡はよくない。 何がよくないのかはわからないが、とにかくよくないのだ。 異界に繋がるだの、未来や過去が見えるだの なぜかそんな噂が絶えない。 現実でありながら鏡像でもある、あの曖昧さのせいなのだろう。 我が家には、祖母が残した鏡台がある。 観音開きの三面鏡を備えたそれは、長らく部屋の隅に追いやられていた。 だが、なぜか時おりひとりでに開いていることがある。 おかしいな、と閉じるたび、鏡の奥から視線を感じるのだ。 その視線は、一体、誰のものなのか。

今宵は満月には程遠く

バナナを食べてるからって、お月さままでバナナみたいなカタチにならなくってもいいのにさ いまの気持ちとしてはグレープフルーツ そう、グレープフルーツみたいなまんまるのお月さまをみてみたかったのに でも半分に切ってみると果肉はほんのり赤くってルビー色のグレープフルーツ そう、そんなお月さま スプーンですくった塊は、とるんと、でも音もなく口のなかにすべっていく わたしの弱い部分に痛みを与えてくれながらも、唇に、かすかな苦みを残す あの人がわたしにしたみたいに、飛び跳ねたい気持ちが、瞬時に暗い湖の底 珈琲のなかに映るお月さまがあんまりきれいすぎて、カップを空ける決心ができない 待っていればお月さまが傾いて、カップから消えてしまうのだろう それまで、飲むのはおあずけ

ボタン (掌編詩小説)

あと何日、ボタンを通す日がやってくるのだろう 待ちに待ってる訳じゃ無いけど 明日がまたやってくる訳で ほつれたボタンを針で結び直した前日 今日も靴を履いて、深呼吸をして、世界に挑む 今週はあと何日だろう 待ちに待った休日 締め付けられたボタンを緩めたくて ほつれた感情を抱き抱えたくて 今日は靴下を履いて、深呼吸をして、自分に挑む 来週はボタンを替えようかな 替えるなら何がいいだろう いや、どうでもいいや いつものボタンでいいや (完)

あのぶどう酒

なんのアニメだかは忘れてしまったけど 主人公がやけに美味しそうに飲んでいたぶどう酒 ぶどう酒とワインが同じものだと知り 大人になったらあれを飲むんだと意気込んでいた お酒が飲める年になり バイトの給料でワインを買った うへっとなった 想像してたぶどう酒とは まったく違っていた もっと、なんか、こう 魅惑な感じがして とろけるような感じもあって 男性的というよりは 女性的な感じで ちょっと甘い感じもあって そんな飲みものだと思ってたんだけど ぶどう酒は、ぶどう酒で ワインとは、ちがう気がした 僕が飲みたいのは あのぶどう酒で このワインじゃないと思った でも、どこをさがしてみても あのぶどう酒は手に入らない あのぶどう酒がいいのに

船長の流儀

「スタジオのみなさーん、私は今、船に乗って海の上に来ています」 カメラが、遠くの港町を映した。 「お父さん、ここはどんな魚が獲れますか?」 「そうだなぁ。網揚げた時のお楽しみだ」 日焼けした船長が、舵をとりながら振り返った。 「ここですか?」 「おぉ、網仕掛けてある」 ボタンを押すと、網が動き出した。 「いろんな魚がいますね」 「姉ちゃん、タコ獲れたぞ」 大きなタコが、網にかかっている。 「わぁ、凄い」 「食ってみるか」 「いいんですか?」 使い古されたまな板の上で、足を一本切った。 「まだ、動いてますね」 画面には、ぶつ切りにされた足と、船長の汚れた手が映っている。 「姉ちゃん、食え」 「お味はどうですか?」 スタジオから、声が掛かる。 女は目を閉じ、小さく息をのんだ。

駅までの帰り道

学校からの帰り道 会話も弾んで気が付けば、もうすぐ駅に着く もうすぐ駅に着いてしまう 今日は部活もなく、周りを見るが他に生徒もなぜかいない。広い下駄箱でたまたま一人。今日は一人で帰りますか。 靴を放り投げて足を入れていると靴ひもが緩んでいるのに気が付いた。 靴紐を結び直すが何度やっても縦蝶になる自分が嫌になる。 隣にスカートが見える見上げると同じクラスの女子が立っている 縦蝶を笑われて、一緒に笑って、一緒に歩いて校門を出る。 いつもは駅まで遠い道が、初めてガッツリ話して、弾んで、気が合う事が分かって。 マックでも行く? スタバでも行く? ベンチに座ってもう少し話そうよ。 頭の中ではたくさん聞いている 今は担任の先生の話をしている 駅に着いてしまう 「それじゃね。俺、電車だからさ」 「ドーナツでも食べない?」 「それ良いかも!」

いつも場所、いつもの時間

あまり洗い物が増えないように朝食を終えて、歯磨きをし、服を着替える 髪のセットはぎりぎりまで時間をかけて、いつもの時間に家を出る 鍵を閉めて、少し歩いて、また戻って、ゴミ袋を持ってまた鍵を閉めて出ていく。 代わり映えのない一日のはじまり 駅に向かう途中、猫達の喧嘩を見た コンビニの角を曲がり歩道橋を登りきった所で女性とすれ違う いつもの人 いつの頃からか、またあの人だなと気が付いて、気にし始めたら毎日、ここであの人と会っていた。 僕が歩道橋を、登り終わる頃、あの人が反対側から少しずつ見えてくる 長い髪を後ろに縛り黒いリュックを背負っている。 歩道橋の上で、車道の信号の辺りですれ違うあの人はいつも前を見つめている 僕は振り返って見たりするけど彼女は決して振り返らない 彼女と僕はそれだけの関係 唯一、共通点があるとするなら 黒いリュックにぶら下がっている赤い縫いぐるみが、僕の腕時計の色と同じ。それだけ。 歩道橋を降りて駅へ向かう 冷蔵庫にお茶を忘れたのを思い出す トイレの電気を消したか思い出せない ただ、はっきりしているのは、今日は、縫いぐるみがもう一つ増えていた。

雨の雫 (掌編詩小説)

いつの頃からか、雨の雫が鞄にシミを作り出していた その頃の雨は当に汚染されていた… 土の匂いがしたら雨 視界がくすんできたから雨 今日は晴れのち曇り 心にボソッと水溜りができる 濡れた空気がしたら雨 なんてたって雨 (完)

心霊現象の多い町

 この町は、日本屈指の心霊現象が起きる町として知られている。  道行く住人に話を聞けば、全員が心霊現象の経験者だと言うだろう。   「金縛りってあったことある? 本当に体が動かなくなるのよ!」 「手を振った白い影が、家にだんだん近づいて来てな」 「ほら見て、この写真。この部分に人の顔のような物が映ってるでしょ?」    なら、町から出ればいいじゃないかというと、彼らは突然真顔になる。  じっとこちらを見つめ、言葉を一つも発さなくなる。  まるで、何かの意思が働いているかのように。   「オッケー。合格」    俺は手を叩いて、訓練終了の合図をした。  すると住人たちは、表情を崩した。   「これからも、練習を欠かさない様に」    この町は、日本屈指の心霊現象が起きる町として知られている。  何故なら、住人全員がうちの従業員で、心霊現象の経験者として振舞う業務を請け負っているからだ。    心霊現象が起きる町は、社会の歯車たちによって回っている。

少し汚れた雪の結晶 (掌編詩小説)

-辺りは雪原- 雪の気なんて 無かったのに 積雪が足跡を置く 優しい結晶が 顕微鏡越しに映る -辺りは現実的- 気がつくと 枕の上だった 今までが夢だった この世界が私を起こした 季節外れの雪 季節外れの感性 -辺りは雪仕舞い- 布団を畳めば 枕のシワを直せば 夢の中の顕微鏡までも 今日はお終い 気づく頃には 少し汚れた 雪の結晶 (完)

ネタ切れなので恋愛ものを書いてみた。

ある日の午後。 若い男女が手を繋いで歩いていた。 「見て見て。あそこ」 「……なに?」 高齢の男女が手を繋いで歩いている。 「なんか、可愛いよね」 「僕たちも、あんな風になりたいね」 二人が、見つめ合った。 「見て。あの人たち」 「……どこ?」 中年の男女が手を繋いで歩いている。 「なんか、気持ち悪い」 「生々しいな」

その場の癖 (掌編詩小説)

つい買ってしまうものがある ねぇ…これは無駄使い? 断捨離候補に挙がるって思ってる? …その場の癖ってなんでしょうね 考えるうちに分からなくなってくる 終わりのない事をいつまでも考える私の癖 大体、その場って何処なんでしょうか 癖というけれど、習慣と違うのでしょうか ……… ………(完)

知らない女

都会の明るい夜に慣れ過ぎて 深夜に散歩することが 習慣みたいになっていた でもやっちゃダメだったんだ 男だからと油断していたんだよ もしもこうなると知っていたら 外なんか出なかったのに その日は盆休みで帰省していた 夜遅くまで両親と酒を酌み交わす 二人は先に寝てしまったけれど 俺はどうにも寝付けなくて 酔い覚ましも兼ねて 深夜散歩に出かけることにした 一歩外に出て玄関を閉めると 辺りは途端に黒の陰影だけになり ポツポツと立ち並ぶ街頭だけが 黒い田んぼ道を照らしていた その光景に少し息を飲んだが スマホのライトを付ければ なんてことはなかった スマホのライトを頼りに歩く もう日付が変わる頃だったので 他に歩いている人はおらず たまに車が横切るだけだった 近づく車の音だけには注意しながら 夜風を感じながら歩く さてそろそろ帰ろうかと 来た道を戻ろうとしたときだった 振り返った先の黒い景色が 揺れているのに気づいた 直接ライトを向けるわけにもいかず 遠くてハッキリとは見えなかったが どうやら人影らしかった ライトも付けずに歩くなんてと思ったが 慣れていればそんなものかとも思えた 人影らしきものが近づくにつれて ライトがその足元を照らしていく サンダルとスカートの端が見える この人とすれ違ったら遠回りして帰ろう そんなことを考えていたときに 気づいた 恐らくは女が手に持っているのが 刃物だということに アルコールなんて吹き飛んで 全身から冷たい汗が吹き出した 呼吸は思わず止めてしまったが しかし足を止めるわけにはいかない 女を刺激しないようにライトを下げて ただただ祈りながら震える足を前に出す 女の足音がどんどん大きくなっていく 女の足元がライトの円の中に入り そうして通り過ぎていった 女の足音が徐々に小さくなっていく 俺はしばらく早歩きで進み続けてから ゆっくりと速度を落とし立ち止まった 辺りはしんと静かになった 俺の足音はもう聞こえない 女の足音も聞こえなかった ずずずと後ろを振り返る 黒い陰は立ち止まって その場でゆらめいていた 女がどちらを向いていたかはわからない だが俺は迷わずまた歩き出していた できるだけ遠くへ行かなければ 静かな夜に俺の足音が響いていく するとそれにもう一つの音が重なっていく 見たくなかったが見るしかなかった 足は止めないまま振り返ると ライトの先ではさっきの女が 小走りで追いかけてくるのが見えた そこからは無我夢中だった とにかく走って走って走りまくった そうして現在地もわからなくなった頃 ふと足を止めると足音が聞こえない 振り返って辺りを照らしたが もうあの女の姿は見当たらなかった まだどこかにいるかもしれない そう考えライトで周囲を照らし 警戒しながら家へと帰ることにした 結局のところ何事もなく 実家へ帰ることができた もしかしたら何かしら 俺の勘違いだったのかもしれない そんな風にすら思いながら 部屋に直行した俺はそのまま ベッドに倒れ込んで眠った 「朝ごはんいらないのー?」 母の声に目が覚めてリビングへと向かう 父はもう仕事へ向かったらしく 母は食器洗いをしていた 用意された朝食をすぐに食べ終えると キッチンに立つ母の元へ皿を運ぶ 「自分で片付けるなんて成長したわねー」 「それ毎年言ってるけどな」 そんな会話を交わしながら皿をシンクへ入れる ちょうどそのとき入れ替わりで 母がシンクから包丁を取り出して洗い始めた

回送 (掌編詩小説)

誰も居ない だから成立する 回送というものは 誰も乗せない でも、もしかしたら 観えないだけで 見えないナニカを 乗せてるのかも 回送というものは (完)

口の温度

ロブロを薄く切って トースターで少し焼いて バターと胡瓜を乗せて食べる 指の傷は自分の爪で引っ掻いてしまった 久しぶりに絆創膏を貼って痛くなくなる事に感動する 梨とキュウイフルーツを合わせて食べる 二人の相性が合っているのか合っていないのか分からないけど、ただただ美味し ロブロに少し乗せてみよう 梨とキュウイを一つずつ ロブロに、二人が染み込んでいく 絆創膏にも染み込んでいる ベタつく指を君の口に近づける

矛盾 (掌編詩小説)

『自分は不幸だ』なんて言わないでください 不幸じゃなきゃ、主人公にはなれないんですか 人から信頼されないんですか 人から頼りにされないんですか 『自分は幸せだ』って言って どうして白い眼で見られないといけないんですか (完)

天秤の震え (掌編詩小説)

人だかりを見つけた なんだか気になって、野次馬として参加した 生きる事が、絶対的な正義では無い そう叫ぶかのように 他人が飛び降り自殺を図ろうとしていた 誰も、彼の心配よりも正直なところ この後、本当に飛び降りるのかどうかに注目していた 彼を取り巻くこの世界の環境は 何事も無いかのように秒針が進んでいる 野次馬は、らしくもただ去っていく 私も彼への注意を終わらせて 自分の世界へ戻っていった 2〜3日あとの話である ローカルテレビのニュースで数分だけ取り上げられた 彼はフラッと堕ちて死んだようだ 誰も、彼が死んだ理由を聞かなかった ただ、彼が死んだ事実を受け止めた 彼の親族・及び近しかった者たちはどちらだろうか… いつの間にか消毒された落下地点が ブルーシートから解放される (完)

飲みかけの缶ジュース (掌編詩小説)

誰かの缶ジュース 飲みかけの缶ジュース 公園のベンチに置いてあった 『最後まで飲みなよ』って思った 誰にも聞かれていないことを願う独り言 この缶を自らの手でゴミ箱に運ぶ気はない なのに、この後のことが気になる 何かの拍子で、ベンチからこぼれ落ちたらどうだろう 偶然通りかかった蟻が、ジュースに含まれる糖分を自分の巣に持ち帰るのだろうか そんな事を想像しながら 『プシュッ』っと缶をあけて、ブランコから飲みかけの缶ジュースを見つめる… (完)

沸々と (掌編詩小説)

沸々と沸点に近づく 刻々と時間を刻んで 沸々と麺が温まる 蓋の上に乗せた箸が蒸れていく 真面目にタイマーの示す時間に気を取られる 食欲と共に待ちぼうけ タイマーのゼロ表示が、ふた開けの合図 その中は無駄のない一品 手頃な調理・手頃な価格が望みどころ (完)

受話器を握りしめたかった (掌編詩小説)

電話ボックスに入って 思想を着替えたい 真新しいテレホンカードを使って 慣れない通話を願う どこの誰に理解されるのか 分からないけれど この想いを誰かに肯定されたかった この思想を誰かに受け止められたかった 新しい思想も古い思想も 同じクローゼットに片づけていたい (完)

野乃と「のの」

近くの小学校で、運動会をやっているみたい 音楽やアナウンスの声が、風に流されて聞こえてくる ときおり声援のようなものも 今日は「のの」がなんだかそわそわしている感じ 空を見てみると、きれいな青 久しぶりに空を見たかなあ 下ばかり見ていたわけでもないけれど、見上げるまではしていなかった 「のの」は、外を見てばかり 「外、行ってみる?」 ふん、と興味なさそう そんな顔しなくてもいいと思うけど 外を見るのと、外に行きたいは、どうやら結びつかないみたい やさしい風がカーテンをゆらす その風にのって、わあっと、ひときわ大きな歓声が上がる 弾かれたみたいに「のの」が玄関に向かってかけ出す 「興味なかったんじゃないの」 まったく、あきれてしまう でも、こういう気まぐれも、それはそれで楽しかったりする

廃工場稼働中

 その街には、夜だけ稼働する廃工場がある。  月光とともに、自分たちが死んだことに気づいていない亡者たちが蘇り、機械の前で必死に手を動かすのだ。   『あー』 『うあー』    スイッチを押す。  レバーを動かす。  亡者たちの行動は、まったく生前と変わらない。    そんな廃工場前にバスが止まり、どかどかと生者たちが降りて来る。  ガイドの女は、亡者たちのいる部屋の前まで生者たちを誘導し、窓から部屋の中を覗かせる。   「みなさーん。こちらが、大労働時代の人々の末路でーす。生きてる間も働きづめ。死んでからも働きづめ。恐ろしいですねー」 「やだ恐い」 「なんて恐ろしい」    亡者たちは働き続ける。  生者たちを気に留めることなく。    生者たちは観察する。  亡者たちを反面教師にと。   「働かずして生きることができる私たちは、とーっても幸せなんです。だから、私たちは、しっかり遊んで生きましょうねー!」    AIによって、人類が労働から解放された時代。  人類は、かつての労働さえも娯楽に組み込んで、生涯の青春を謳歌していた。

借金完済

 知り合いへの借金を完済した。 犬は渋谷で焼き鳥を貰い過ごすのも手かもしれない。 黒人のような別の知り合いは恩は返すと言っている。 とりあえず自活して欲しい(それは僕にも言える) 助けたり助けられたり。 相互扶助。 互助。 互角の戦いではないかもしれない(下手したら1:10位かも) 20倍界王拳は疲れるんだよな。 僕は下級戦士なので変身できない。 時飛ばしは出来るかもしれない。 あるいは火星に剣に乗って飛ぶ子供たちの敵役(鬼) 鬼なら鬼らしく見世物になっていればいいのかもしれない。 夜遅い。 もう少し体が丈夫で大きかったら屯田兵か防人にでもなって北に南に行き来するのだが。 とりあえずチョコとバナナを食べて明日の畑仕事に備える。 身体をシステムに順応させる。 筋肉注射は切った。 データ取った分厚労省の人員を機械にすげ替えて本当に必要な事をして欲しい。 人的補償。 知り合いから貰ったチキンの分身体の脂肪を燃やす。 脳が焼き切れても血が沸騰しても涙は流せる(生体である権利だ) もっと簡単にいうと身体を愛することだ。 そして愛して欲しい。 犬は無い物ねだりを夢に求め日々を暮らす。

海平さんのこと

 海平さんの淹れるコーヒーが好きだった。しっかり苦いけどスッキリした後味は海平さんに似ていた。    海平さんの焼くクッキーが好きだった。ちょっと厚めで甘さは控え目なところが海平さんらしかった。    海平さんの声が好きだった。決して大きい声じゃないのに、よく通るから離れていても聞こえた。    海平さんのまつ毛が好きだった。長くて、夏の晴れた日には、目の下に濃い影を落としていた。    海平さんの書く字が好きだった。細いのに輪郭の硬い字、紺色のインクを乾かしているその時間も好きだった。  海平さんの手が好きだった。少し日に焼けた肌とささくれのある指先が愛おしかった。  海平さんの背中が、目が、選ぶ服が、読んでいる本が、全部好きだった。    海平さんのものなら、海平さんのことなら、全部好きだった。海平さんが好きだった。  海平さんが結婚した。式の間ずっと泣いたり笑ったり忙しそうで、疲れも見えたけど、幸せなんだなと伝わってきた。海平さんの笑顔は相変わらず眩しくて、泣きそうになった。帰りに貰った花はドライフラワーにして部屋に飾っている。  最近自分でもコーヒーを淹れてみた。ただ苦いだけだった。苦くて黒いだけだった。海平さんの淹れるコーヒーが好きだった。

完全な人間

「お帰り。なんだ、また殺してきたのか」 「うん」    血塗れ息子は、満足そうに戦利品を眺めている。  小瓶に入れられたのは、目。  宝石のように美しい、黒い目だ。    息子は自分の部屋に戻ると、目のない顔に、小瓶から取り出した目を差し込んだ。  そして、その頬を愛おしそうに撫でる。   「美しい。俺の妻にぴったり。もう少し、もう少しでで完成する」    息子が撫でる体には、まだ手首から先がない。  美しい掌が見つけられていないらしい。  息子が撫でる体には、まだ臍がない。  美しい臍が見つけられていないらしい。  他にも多数、足りない部位が存在する。   「はあ。ほどほどにしてくれよ。君が捕まらない様に手を回すのは、私なんだから」 「もう少し、もう少しで終わるから」    息子は、完全な人間に成りたがっている。  完全な人間に成るために、完全な妻を欲している。  現実世界にいないから、多くの人間の部位をつぎはぎして、完全な妻を作ろうとしている。   「完全な人間の行き着く先としては、随分単純だな。いや、完全だからこそ、単純なものを好むのか?」    完全な人間であることを至上命題に動く私の人造人間は、今日も私に新しい発見をくれた。  そんな人造人間のためならば、殺人をもみ消す私の手間など、些細な問題だ。

思い出のペンダント

「向こうに着いたら、すぐ連絡する」 悠斗はそう言って笑った。春から、彼は海外の大学院へ行く。二人で何度も話し合って決めたことだった。遠距離でも大丈夫、と互いに言い聞かせるように。 「これ、持ってて」 遥が差し出したのは、楕円形のロケットだった。開くと、二人で撮った初めての写真が入っている。入学式の日、桜の下でぎこちなく並んだ一枚。 「帰ってきたら、またあの桜の下で会おう」 悠斗はペンダントを首にかけ、発車のベルに背を押されるように電車へ乗り込んだ。窓越しに、何度も手を振った。 最初の半年は、毎日のように連絡を取り合った。時差を計算しながら、夜中に画面越しで話した。けれど冬が来る頃には、返信の間隔が少しずつ空いていった。忙しいから。課題が終わらないから。遥は「大丈夫」と打ち続けた。 二度目の春、悠斗からメッセージが届いた。 〈ごめん。遥のこと、ちゃんと大切にできない気がする〉 画面を見つめたまま、遥は何も返せなかった。やがて一言だけ打った。 〈うん。わかった〉 それで終わりだった。 それから三年が過ぎた四月の夕方。遥はひとり、あの桜並木を歩いていた。通い慣れた道なのに、毎年この季節だけは足が重くなる。 ベンチに、見覚えのある背中があった。 振り返った悠斗の首元で、銀色のロケットが揺れた。 「……ずっと、外せなかったんだ」 遥は何か言おうとして、言葉が見つからなかった。ただ、胸の奥が静かに痛んだ。会いたかった。でも、もう戻れないこともわかっていた。三年という時間は、二人を別々の人間にしてしまっていた。 悠斗はロケットを外し、そっと遥の手に乗せた。 「返しに来た。やっと、ちゃんと言えるから。……ありがとう。好きだった」 「……私も」 風が吹いて、花びらが二人の間を横切った。 悠斗は小さく頷き、来た道を戻っていった。遥は振り向かなかった。手の中のロケットを開くと、あの日の二人が、まぶしそうに笑っていた。 その笑顔だけが、いつまでも春のままだった。

「二番出汁の夜」

閉店後の厨房には、昆布の匂いだけが残っていた。 陽子は四十二歳で、この小さな定食屋を父から継いで三年になる。父の味を再現しようと、毎朝同じ昆布、同じ鰹節、同じ火加減で一番出汁を引いた。けれど常連の誰も、「お父さんの味だ」とは言ってくれなかった。 その夜、陽子は引いたあとの出汁がらを捨てられず、鍋に水を足して弱火にかけた。二番出汁だ。一番のような華やかさはなく、少し地味で、どこかほっとする味がする。 ふと、棚の奥に古いノートを見つけた。父の字だった。 〈一番出汁は客のため。二番出汁は、自分のため〉 ページをめくると、毎晩のように二番出汁で作った味噌汁やおじやのレシピが書かれていた。余り物の野菜、半端な豆腐、冷えたご飯。店のメニューには一度も載らなかった、父だけの夜食だった。 陽子は残りご飯と卵で、おじやを作った。ひと口食べて、箸が止まる。 「……これだ」 派手ではないけれど、疲れた体にじんわり染みる。父が毎晩ひとりで食べていた味。そして、陽子が子どもの頃、熱を出した夜に作ってくれた味でもあった。 翌日、陽子は黒板に一行だけ書き足した。 〈本日の〆に、まかないおじやあります(数量限定)〉 その夜、いちばん年季の入った常連の源さんが、おじやをひと口すすって目を細めた。 「……ああ。大将の、夜の味だ」 陽子は何も言わず、小さく頷いた。 昆布の匂いが、いつもより少しだけやさしく感じられた。