バスが来るまでのラブストーリー〜思い出〜

「夜分遅くにすみません。こちら長瀬峰夫さんのお電話でしょうか?」 「はい。長瀬です。桜井さんですよね。こんばんは」 「すみませんこんな時間に。遅いのでお電話かけようか迷ったんですけど、連絡しちゃいました」 「いやぁ、嬉しいです。正直嬉しい」 「そう言ってもらって良かった」 酔っているせいか口が軽くなってしまう。 地べたに座りながら月を眺めていると夜風に冷やされたアスファルトで尻が冷え、程よく酔いが冷めていく。 「あの、長瀬さん。今度、お会い出来ませんか」 桜井さんからなかなか電話が来ないので自棄酒をしてしたが、早合点だったな。 「はい、こちらからもよろしくお願いします」 ビニールの中の缶ビールは暫く飲まなくて良さそうだ。 🌸 ▼待ち合わせ時間三十分前。下北沢駅にて 七十を過ぎて、誰かとデートする日が来るとは思わなかった。 いざとなると、何を着ていったらよいか分からず、この間のバスツアーに着ていった物と同じ服で来てしまったが問題はないだろう。 雨が降りそうな空が私の気持ちと共鳴しているようだ。この間の電話は年甲斐もなく舞い上がってしまったが、こんな爺と一緒に過ごして楽しいわけがない。きっと今日のデートが終われば、金輪際電話はかかってこないだろう。 駅に電車が着くと、改札から人が溢れてくる。休日の昼間、下北沢駅は混雑している。昔は汚い下宿や飯屋があるくらいだったが、暫く来ない間に、知らない街になってしまった。 妻が生きていた頃はデートなんてしなかった。バブル絶頂期で100時間、200時間の残業など当たり前にあったし仕事が終われば仲間と飲み歩いていた。たまの休日に家にいると、息子が知らないオジサンでも見るように妻の陰から離れなかった。 妻に癌が見つかっても暫くは家に帰らず仕事場で寝泊まりしていたと思う。 職場に病院から電話がかかってきて、事の深刻さに初めて気が付いた。既に手遅れだったが。 頭を緑色に染めた若い男の肩が私にぶつかる。振り向きもせず街に消えていく。 私もきっとあんな風に生きていた。妻には悪いことをした。 結婚前に一度だけケーキを食べに行った。デートと言えばそれだけだ。私は知らなかったが、妻は息子によくその話をしていたらしい、とても楽しそうに。 適当に頼んだガトーショコラ ほろ苦い記憶が老いた脳で焼き焦げていく。 私は誰かを幸せにしたことはあるのだろうか。 「峰夫さん」 待ち合わせの桜井美幸が隣にいる 「すみません。お待たせしました」 「いや、私も今来たところですよ」

食べても食べても

食べても食べても太らないのは四六時中、何かしらを考えて頭を働かせ続けてるから、というのは私の推測で、実際のところどうなのかは知らないし確かめることもしない。 何かしら考えているのはその通りなのだけど、つまらないことばかりで、だから考えなくてもよかったりすること。 けど、考えてしまう。 ―印鑑かなんかありますか あのときの「なんか」って、なんだろう? なんのことを指して言ったんだろう、あの宅配の人。一瞬、思考が固まってしまったあの言葉。結局、ボールペンを借りて名前を書いたけど、それが「なんか」なのかしら。それとも印鑑でも名前を書くのでもない何か別のことがあったりするのかしら。私の知らないうちにその「なんか」が世間に認められていたりするのかしら。わからない、わからない。 そうそう、わからないと言えば家電量販店の人ってなんだってあんなにおしゃべりなんだろう。テンションにしてもおかしな感じだし。仕事に就いてるからいいものの、そうでなかったら変人とか言われててもおかしくないタイプ。 そう言えば前に商品について質問したら「なんだお前そんなことも知らないのか」ってくらいの勢いで返されたことあったわ。もちろん横柄な態度でね。まちがってお客さんに声かけちゃったのかと思ったけどちゃんと店員だった。あれ、なんだったんだろう。あえて苦情は言ってないけど。あえてね、あえて。あの調子なら私が言わなくったっていつか誰かしらからコテンパンな目にあわされることになるんだろうし。ああいうのって不思議ねえ。ほんと不思議。 そうそう、不思議と言えば食べても食べても太らないの。やっぱり四六時中、何かしらの思考が頭にのぼって絶え間なく働かせてるからかしら。実際のところどうなのかは知らないし確かめることもしないけど。

ぼったくりひっかかり教育

「この三年間、必死に勉強をしろ! いい大学に入れば、いい就職ができて、幸せになれる!」    子供たちは、必死に勉強した。  大学受験と言う高い壁を乗り越えるために。   「企業分析はしっかりしろ! 面接対策もな! いい就職ができれば、人生バラ色だ!」    子供たちは、必死に勉強した。  採用試験と言う高い壁を乗り越えるために。    そして晴れて大人になって、社会人デビューを果たした。  地元を離れ上京し、都会を楽しんでいたところで声をかけられる。   「君、君。アイドルに興味ない? ぼく、こういうものなんだけど」    入り口にそびえ立つ高い壁を乗り越え続けた元子供たちは、向こうからやってくるという低い壁を前に、目を輝かせる。  ずっとずっと言われてきた。  入り口にある壁を乗り越えれば、幸せになれると。   「なりたいです!」    だから、降って沸いてきた低い壁を飛び越えることを喜んだ。        電話が一本かかる。   「もしもし」 「あ、大学長ですか? 今年も大学入試に高い壁を設定してくださって、ありがとうございました。おかげで、アイドルの卵が豊作です」 「ほっほっほ。良いってことよ。それで、わかってるね?」 「もちろんです。写真を送りますので、お好きな子を選んでください」    電話が一本かかる。   「もしもし」 「あ、社長ですか? 今年も就職試験に高い壁を設定してくださって、ありがとうございました。おかげで、アイドルの卵が豊作です」 「くっくっく。良いってことよ。それで、わかってるね?」 「もちろんです。写真を送りますので、お好きな子を選んでください」    高い壁があるのは何のためか。  社会に出たばかりの子供たちはわからない。  高い壁は入口にしかなく、それを超えれば幸せになれると教育された現代人にはわからない。    理由を知るは、壁を作る者どもばかり。

無諷(むふう)

「わたし、風を撮りたいの」  と、あなたは言った。  でもね、風って目に見えないでしょ。吹いたら風の訪れを感じられるけど、それだけ。落ち葉が舞ったり、服がなびいたり、その一瞬一瞬だけ風の居場所が分かる。でも、次はどこへ行くのかと思っているうちに、風の気配はあっというまに消えてしまう。  あなたが残念そうに眉を寄せる。その様子が愛おしくて。  私は「しょうがないでしょう」と。風は目に見えないし、さわれやしないし、話せもしないのだから、と。共感めいた言葉を吐きながら、あなたが嘆くさまをじっと見つめていた。  でも、すぐに気をとりなおしたようで、あなたは「しょうがないか、しょうがないよね」とわらう。 「まぁ、いいか。今は吹かれるだけ。この目に映せないのなら、せめて。ぶつかってくる風を、ただ感じていたい」  あなたの首で、ぶらさがったカメラが揺れる。鈍色のレンズが私を捉えている。  カサカサと葉のこすれる、空。枝のすき間から感じる冷気は、そよそよとあなたの裾をなびかせる。 「このまま、私の服に当たってさ、風が色づいてくれたらいいのにねー!」  と、さけぶあなた。無邪気にわらうあなた。いたいけな、あなた。  葉の衣擦れがそっと鼓膜を刺激して、おのずと自分の耳がささくれ立っていく。手を添えてみて、ひきつった頬。なんて、ひどい顔。あなたの笑みには似ても似つかないけれど。それでも無理やり口をつり上げてわらってみる。  このまま目にしなくて済めばいいよ。  と、みじめな私を風がさらって。あなたの耳にすら届かないまま、ささくれだけがジンジン痛む。

価値のない世界

 最近、トークンの存在が話題になっている。  トークンとは、既存のブロックチェーンの上に作られた暗号資産であり、言ってしまえば暗号資産界のМVNOみたいなものだ。    トークンには、形がない。  見ることもできなければ、触れることもできない。  金額も乱高下するのに、お金の振りをしているのが立ちが悪い。   「なんで皆、こんなの買うんだろうかね」    お金の本質は、信用だ。  なぜ人が、円通貨を買うのか。  円を発行している、日本を信用しているからだ。  なぜ人が、交通系ICカードにチャージするのか。  交通系ICカードを発行している、交通会社を信用しているからだ。  なぜ人が、ローカルスーパーのPayにチャージするのか。  Payを発行しているローカルスーパーを信用しているからだ。    ただの紙切れ、ただの電子データは、信用によって価値を増す。  ならば、作ったばかりのトークンに、いったいどんな信用があったというのだろうか。  ぼくは、なぜ買うと苦言を呈するのは、そこに理由がある。   「まあ、俺も同じか」    とはいえ、何を信用するかは、人それぞれだ。  誰と友達になるか、誰と結婚するか、それも結局信用だ。  この人となら一緒にいてもいいという信用が、その人との縁を繋ぎ、自分にとっての価値となる。    例え誰に嫌われていようとも、自分が好きで、信用しているのならそれでいい。   「コンビニ行ってくるけど、何かいる?」 「コーヒー」    妻が買い物に出かけた。  コンビニアプリのクーポンが切れそうだからと。    コンビニアプリのクーポンも、所詮はただの電子データ。  一歩コンビニの外に出れば、一円の価値も持たない。    しかし、世の中はそんなものなのだろう。  価値のない物に無理やり価値を作り出して、価値に囲まれた自分も価値あるものだと思い込み、生きていくしかないのだ。 

コーヒーのせいじゃない

星がたくさんある夜空は、いまよりきっと明るくて、それはそれでいいんだろうな。 でも、暗い夜がないのも困りもの。 ひとり、お布団のなかで泣いちゃうとかできなくなる。 マーくんのつくる料理はおいしくて、つい食べすぎてしまう。 優良物件男子の、それが唯一の欠点。 コーヒーをいれてくれているマーくんをぼんやり眺め、 「キスしたいなあ」 と無意識につぶやいてハッとなる。 すぐ、 「ちがくて… あ、ううん、ちがうの」 付け足したのだけど、マーくんは笑顔を見せていた。 その笑顔の意味はなんだろう? 私にはわからなくて、下を向くしかなかった。 その日の別れ際、玄関の重い扉を開ける直前、マーくんが顔を近づけてきて、 「しなくていいの?」 と耳元でささやいた。 ドキン 心臓の音が、静かな夜に響いてしまいそうだった。 私は勇気いっぱいに顔を上げ、 「もう、ズルいなあ」 消え入るような声でそう言うしかなくなる。 軽くふれた唇は、苦いコーヒーさえも甘く変えてしまうような熱い余韻。 夜は暗くていい。 暗いからこそ、赤くなったホホも、乱れた前髪も、全部、隠しておけるから。 「続きは、また明日ね」 そう言ってマーくんは、もう一度、あの自信に満ちた笑顔を見せる。 今夜は、きっと眠れない。 それは、コーヒーのせいばかりでは、ないのだと―

青春色

「そこの君。今、青春だなあって言ったかい? 何を見て? これを見て?」    それは、胸に穴が開きそうなほどにぼくをじっと見て、くんくんと匂いを嗅いできた。   「でも君からは、青春の色が見えない。青春を、見ていない側の人間だ」    それだけで、ぼくの全てを見透かされた気がした。  いや、そいつの自信に満ち溢れた目を見る限り、本当に見透かされたのだろう。  どういう理由か知らないが。    ぼくの、灰色の青春を。   「一つ質問だ。青春を知らない君が、なぜ青春を見分けられるんだい」    頭の中で感情が大爆発して、火山灰が降り注ぐ。  一面が灰色に染まり、視界が霞んで何も見えなくなる。   「なぜだい? 聞かせてくれよ」    残された耳だけが、聞きたくもないことを永遠と聞かせてくれた。   「聞かせてくれよ」    言い訳しようと開いた口に、火山灰が流れ込んできた。

魔法の言葉

大丈夫 君は、大丈夫 きっと、大丈夫 なんとかなる、大丈夫。 そんな魔法の言葉。 呟いてごらん。 ほら 大丈夫。

愛の力をくらえ

愛とはすごいものだ。 あれほど軽々しく「好き」や「愛してる」を振りまいていた友人が、今では一人の人にだけそれを向けている。仲睦まじそうで何よりである。 ただし、あの言葉たちは無くなったわけではない。 横断歩道で信号を待つ。隣の人はスマホに夢中だ。指の動きが荒い。誰かに何かを送り続けている。 ああ、これか、と思う。これが、芽吹いたもの。 信号はまだ赤い。でも、別に関係ない。 一歩踏み出す。 予想通り、その人は進みだした。 音。 「もしもし!事故です!」 通話を終えて、少しだけ息を吐く。 これで、ひとつ減った。 全く。 大事な親友に害を成すなんて。 愛とは、本当に恐ろしい。

17:18/17:27

青い夕焼け 滲んだ太陽 カーテンの隙間 揺れるポニーテール 車椅子を押す人と押される人 いつか使うと思って残してあるあれこれ ガードレールに置かれたハンカチ 誰かの笑い声 片想いのあの人の声 疲れていると老けて見える 荒い自転車のギアチェンジ オレンジに空が染まる

星空と私

暗転に光る小さな欠片。 それを見た私は 「ああ、私はあの星たち全てを理解することはできないんだろうな」 そう呟く。 「星はあんなに光っていて、私たちに場所を教えてくれると言うのに.....」 ため息をついた私は、またどこかへと駆け出した。

四月のジェラート「桜とみたらし」

郊外にある住宅街 山の中に団地や家があるような自然豊かな場所に小さなジェラート屋さんがある どれも素材にこだわっていて、そのお店でジェラートを製造販売している 変わり種もあり、そこそこの人気店だ。 「ありがとう御座いました」 親指の爪に「ハンバーグ」と書いてある男性が桜とみたらしのジェラートを買っていった。 彼は店を出て駅の方へ歩いていく 夕方近くの土曜日、久しぶりに晴れた今日の住宅街は子供の楽しそうな声で溢れている 彼は買ったジェラートを透明の小さなスプーンで食べながら歩いていく スーパーの前に着くとそのまま店内へ入っていった 店内で挽き肉を探す 壁沿を歩く お肉コーナーは混雑している 手を伸ばし目当ての挽き肉を手に取る もう片方の手にはジェラートがある 挽き肉とジェラートを持ってレジへ行く ジェラートの残りを口に入れる 彼は今日、長く温めた恋を諦めたのだ 相手の女性は今日遠くの国へ旅立ってしまう 二人は恋の予感を感じつつお互い何もしなかった もしも告白をするなら別れる今日しかないが彼は動けなかった お互いを大切に思う気持ちだけが成長したが、結局、花は咲かなかった いつかご馳走するはずのハンバーグを作って食べる いつか一緒に食べるはずのジェラートはもう一人で食べてしまった 「桜とみたらしのジェラート」

へんかいへんかい

 夢の中にいると、しばしば記憶がおぼつかなくなる。  あ、そろそろ目覚めるんだ。と、寝ぼけまなこをごしごしとこすりながらも、いったい何から目覚めようとしているのか、この時の私はよく分かっていない。  目を開ける。ベッドの上。刹那、はたと現実に引き戻される。  スマホが光った。午前6時12分……。今日は休日なのに。なんとも早い。あと三時間は寝たっていいけど、そうはならないほど社畜体質が身体に染みこんでしまっているのだろうか。  イヤな感じだ。  腕を伸ばした反動で、上体を起こす。目をごしごしとこすって。目を開けた。ベッドの上。 「ア?」  なんだ、さっきのもすべて夢だったのか。にしては、やけにディティールの濃い……。  スマホをさわる。午前6時37分……。もしや、私は二度寝をしたのでは? 先ほど社畜体質気味だと嘆いたばかりだが、まだ二度寝ができるくらいの余裕はあるらしい。ちょっと元気が出てきた。  喜んで、上体を起こす。それでも眠い瞳を、ごしごしとこすって。  洗面台へ行く。顔を洗う。目をごしごしと洗う。  キッチンに立つ。目玉焼きをつくる。それをガツガツ。  ごちそうさまの後は、歯みがきをする。ごしごしとこすってやる。また虫歯ができると厄介だ。  天気予報を確認しようと、リモコンに手を伸ばす。スイッチを押す。ふいに雨の音。ザーザーと鳴る。  画面には、知らない誰か。私に背を向けている。髪の長い、女?   ゆっくりと彼女がこちらを見る。刹那、雲隠れしていた記憶がだんだんと顔を出していく。  ーーなんで、現実にも出てくるんだよ。  おかしい、おかしいだろ……。思いきり頭を振ってみる。でも、彼女は変わらず私を見ている。あ、あ、と頭を振る。とにかく振る。もう顔なんて見たくないんだもの。繊細なんだ、私。繊細なんだもの。  頭から彼女を消してやりたい。でも、画面にはまだ彼女がいる。目をつぶる。手でごしごしとこする。両手で、ごしごし。強く、ごしごし。ごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごしごし。  やっと、目を開く。ベッドの上。刹那、はたと現実に引き戻される。  私は、何から目覚めようとしていたんだっけ?  時計が光る。午前9時55分。おっ、今日はよく眠れた。これぞ休日って感じだ。  ちょっと愉快に上体を起こす。小躍りしながら洗面台に向かう。その間、頭の中に浮かんでいた疑問符を、よくも分からないまま、丁寧に処理した。

絵が好き歌が好き(でも出来なかったり誉められたり)

 絵が好きだが正直下手だ。 でも描く絵を見せると誉められたり感心されたりする。 鑑賞者によって評価なんてものはコロコロ変わるものだなと思う。 歌が好きだ。 カラオケに行くと下手なんだね、と言われたり結構上手いねと言われたり評価はまちまちだ。 あまり人の意見を当てにしなくていいのかもしれない。 嗚呼やる気がでない。 このまま朽ちていくのか。 アカシアの老木。 水の音が響き渡るとき世界は震える。 あの娘はきっと歌いたかったのだろう。 勇気を奪ったのは誰かは知らない。 きっとずっと奪われそうになっていたのだろう。 僕も同じ穴の狢。 嗚呼。 はー人生一度きり。 僕の契約事項には神のサインが入っているのだろうか。 死神の名前を持つあの人はどうやら僕をどうにかするつもりはないらしい。 一日ごとに死と生を繰り返す。 物質としての肉体の終わり。 死神の絵を描こうかしら。 死は終わり。 そして始まり。 どこかのアニメみたいなことを言ってる。 今日もどこかで太陽が言う。 「いいのよ。」

処刑

「君は、大切な人は居るかね」 密室に、淡々と響く声があった。 「あぁ、もういいだろ、さっさとしろ」 密室に、心底呆れた声があった。 「まぁ、そう焦るな」 拘束された大柄の男と、白髪混じりの髪を携えた、ロングコートの男。その内、白髪の男が懐に手を伸ばすと箱を取り出す。中から一本の棒を抜き取り、咥えた。 「死を、恐れているかね」 白い筋が、二人の間を真っ直ぐと上っている。 「いいや」 大柄な男は、いい加減にしろと言わんばかりの表情をしている。 「では、次だ」 部屋の中に、薄白のフィルターがかかり始めていた。 ─「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」「次だ」─ 立ち上る煙は、依然真っ直ぐと上っている。 「では、次だ」 「君は、大切な人は居るかね」 密室に、淡々と響く声があった。 「あぁ、もういいだろ、さっさとしろ」 密室に、心底呆れた声があった。 「まぁ、そう焦るな」 立ち上る煙が、はたと揺らいだ。 「まずは、これを見たまえ」 壁面の内一つが軽快な音駆動音を立てると、その中央部がひとつのモニターへと変化した。 「なんだ」 黒色の画面が光を発し、それは複雑な色をを絶え間無く操り続けていく。 「君は、この人を知っている。そうだな」 灰の塊が、崩れて落ちた。 −まさか…。 「では、執行を開始する」 淡々と、画面は変化を開始した。 「おい、やめろ」 「やめろやめろやめろやめろやめろ」 灰皿に、また一本が潰された。 「あ、あぁ…」 煙はもう、上っていない。 「刑は執行された」

セレネ

宇宙船は、地球の重力圏を抜けた瞬間に、音を失った。 警告灯も、振動も、すべてが遠のいていく。 計器は正常を示しているのに、胸の内側だけがざわついていた。 この星の束縛から、ようやく解き放たれた。 そう記録には残るだろう。 窓の外に、青い球体が小さく浮かぶ。 あれほど確かだった重さが、もう思い出せない。 手を伸ばす。 無重力の中で、その動作はやけにゆっくりで、どこまでも自由だった。 何にも引き留められない、初めての感覚。 やがて視界の奥に、光の塊が現れる。 星でも、装置でもない。 形を持たないのに、確かに「そこにある」と分かる何か。 触れられる距離まで、来てしまった。 私はためらいながら、さらに腕を伸ばす。 指先が、光に触れる。 その瞬間、理解した。 これは外にあるものではない。 ずっと内側にあったものだ。 記録装置は沈黙したまま、何も残さない。 ただ、帰還の軌道だけが自動で計算されていく。 伸ばして触れた神の御顔は—— 重力を取り戻したとき、その感覚を失った。

BBQ

BBQをした。 都内の公園で。 テキパキと動くみんなを見て自分は何も出来ないんだと自覚する。 状況を認識するだけで精一杯。 症状かしら? 元々頭が悪いのは分かっていたが。 火の起こし方すら分からない。 何も出来ないなら何も出来ないなりにニコニコしたり場を盛り上げたりもしない。 症状かしら? 帰り際ゴミを持って帰った。 違う風景を見て思う。 まだ必要とされているのかしら? 家に帰ってタバコを吸う。 まだタバコを認識できている。 今日はそれでいいのかもしれない。

争いの果

今世界が戦火に覆われ様とする兆しの中で私は このフレーズ思い出した人間魚雷第2世界大戦 時はこの人間魚雷で敵地へ乗り込み命を戦火に 委ね散った者達本当に人間達がその様な勇敢で 尊い行動を興せたのだろう疑念が残る何故なら 今の人間達にその傾向は微塵も感じず特に日本 酷過ぎる未だ流行遅れの格差金持ちばかり徳を する構造は嘗ての穢多非人を示す逆ピラミッド 現象と言う懐かしいフレーズ想像する体短絡が 更に理不尽不条理と言う不の連鎖を連れて来る 正に負の構造だろう万が一日本が巻き混まれ的 戦へ身を投じる勇気有るのなら全て焼き尽くし 浄化される神の御慈悲かも知れない

月の裏側にもうひとつの日本

 NASAが月の裏側に行ったらしい。 昔かぐや姫を助けた日本。 月に帰ったかぐや姫はもうひとつの日本を月の裏側に作っていた。 かぐや姫「ここも侵略国に見つかってしまうのね…静かに暮らしていたかったのに」 家来「姫様、次は何処に避難しましょうか?」 かぐや姫「火星ももう探査機が来ているわね、木星辺りの衛星にしようかしら…」 家来「では引き続き日本を見守りつつ母星との連絡を取りながら木星の衛星に移動しましょう。」 かぐや姫「日本以外の国は駄目ね、資源ばかり狙って皆で解決する問題に気づいていない…悲しいわ…」 昔地球に不時着したときかぐや姫を助けた日本と迫害した海外。 かぐや姫「私がレイシストみたいことをしてるって世界の人は思うでしょうね…でも逃げないと奪われ殺されてしまうんですもの…」 家来「中国の探査船も来るみたいです。」 かぐや姫「早く日本の探査船が来てここにある宝箱の真の意味に気づいてくれないかしら…」 家来「日本で人気の海賊漫画にそのような伏線があるらしいですが…あいにく情報不足で…」 かぐや姫「宝物の本当の価値に気付けるのは日本人だけよ…他の人にとってはゴミみたいなものだわ…」 家来「NASAのグループの中にいる良心的な人達に賭けましょう…それしかない…」 宝物の中身。 それは平和を願う人達にしか見えない大切なもの。

野乃と「のの」

いつも通りのピンク色 とくに変化がなかった春 私にとっては という意味だけれど 変化がなかったことに 不満をいだいている人も いるかもしれない いや、多いのかも 私のまわりは、どうだろう 新たにやることが増えてしまったことへの不満 新しく来た上司についての不満 新人が一人も入ってこなかったことへの不満 言い出したら、きりはないけれど そろそろお昼の時間が終わろうかというのに 今日はまだ、ひと言も… 空には、うすく雲がはりつき、はっきりしてくれない 午後からは晴れてくるらしい 室内で作業をする私に そのことはあまり関係ない ひとりの休日出勤は 気楽で そして さびしくて 電話の鳴らない、人の声がすこしもない キーボードがカタカタと語るだけのさみしい空間で ひとり、作業をする 「のの」のことを想いながら

缶切り

うちの鉄工所に入社した時の森田は、二十歳とは思えない程の冷静沈着な男というのが俺の第一印象だった。ある時、森田にドラム缶の蓋を開けておくよう指示した。だが俺が戻って来ると、蓋はまだ閉じたままだった。「あの蓋、切れなくて」森田は小さな缶切りを握りしめた手で、額の汗をぬぐった。

あなたがいるから。

春、新学期、クラス替え。 朝八時、新クラスが張り出される。 あなたの名前が私とおなじところにあるかないか。 私の学年は五クラスある。おなじクラスになる可能性は低い。 クラス替えでわたしの一年が決まると言っても過言ではない。 あなたの名前は橋口、わたしの名前は葉崎。 おなじクラスなら出席番号順前後になれる。 自分の名前を見つけてその下にあなたの名前がなかったら違うクラスになる。 七時五七分 ドキドキしている。 七時五八分 息を呑む。 七時五九分 先生が新クラスの紙を持ってくる。 八時〇〇分 張り出された。 目を開けられない。 「俺一組!」 「おぉ、最高じゃん」 「あー、別れちゃったね」 たくさんの声が聞こえてくる。 勇気を出して目を開けた。 一組に私の名前はない。あなたの名前も。 二組にも私の名前はない。あなたのも。 三組にもない。あなたもない。 四組にあった。恐る恐る自分の名前の下を見る。橋口、あった! あった、あった、あった! きっとこの一年は楽しくなる。 あなたがいるから。

これから

「これからよろしくね」 入学式のあと、教室のとなりの席でキミが言った あのときは深く考えず、僕も「よろしくね」なんて言ったけど 教科書を忘れて見せてもらったり たまにはいっしょにお昼を食べたり 休みの日に何度か会って出かけて 何度か意見が合わなくてケンカになって 口をきくのも嫌になって… そんなこともあったけど それ以上に楽しい思い出もたくさんあった 進路のことも、働きはじめてからも いろいろ相談したり、されたりもした 僕は、たくさんたくさんキミのこと考えて キミは、たくさんたくさん僕のこと考えてくれて 僕たちいっしょに暮らしていくけど いままで以上に楽しい思い出つくっていこう 「これからもよろしくね」

令和置き配

 近頃、置き配が流行っている。  宅配便を対面で受け取るのではなく、玄関前に置いてもらう配達方法。    受け取る人間は、宅配業者と言う見知らぬ人と顔を合わせなくていいし、宅配便が届くだろう時間に家で待機する必要もない。  効率が良い。    配達する側は、インターフォンを押して待つ時間が削減されるし、なにより再配達の手間がなくなる。  効率が良い。    なかには、盗まれたら恐いなんて声もあるが、昔の日本では玄関前におすそ分けの野菜を置いておくなんて普通の事。  キツネやイノシシが盗んでいくかもしれないが、人間が盗むことはほとんどない。  安全安全。    そんな俺でも、最近見逃せない置き配がある。  子供だ。    午前七時に開いた小学校に、子供たちが投稿する。  学校の中には、設備の点検をする用務員がいるだけで、教師は一人もいない。  空っぽの学校で、両親の仕事の都合と言う理由で放置された子供たちは、まるで両親から学校への置き配だ。    昔の日本でも、カギっこはいた。  両親のいない家に一人で帰る、自宅への置き配キッズが。  しかし、それは自宅と言う自己責任があったからこそとも言える。    果たして学校への置き配キッズの責任は、どこに行くのだろうか。    両親か。  学校か。  役所か。    新聞を捲ったら、置き配キッズが一人、盗まれたというニュースが載っていた。  不謹慎ながら、この責任は誰がとるのか、楽しみにしている私がいる。    少なくとも、置き配キッズの両親はテレビの中で泣いていた。

◽️プチストーリー【おじいちゃんの誕生日】(作品No_02)

僕のスマートウォッチがもうじき明日を刻もうとしている 家に着く頃には、もう明日だ 最近、最終電車で帰ること多いなぁ 今日仕事行ったら、今日帰りたいよ 明日に帰るなんて、軽いタイムトラベルだよ ふぅ 彼はマンションへと帰る途中だった タッタッッタ 歩く自分の足音が聞こえる 足音にもう1つ音が重なった ブルブルブルルルルル うん!? なんかスマートウォッチの振動がいきなりし出た うん?なんか設定してたっけ?こんな時間に 暗い道で立ち止まり、 画面を見ると 『おじいちゃんの誕生日』 と表示されていた。僕の名前だ。 だけど、ちょっと待った!そりゃ仕事疲れしてるけど鏡を見ても流石におじいちゃんは切ない。 、、、あー、そっか。明日は僕の誕生日だったんだ。 それすらも頭から追い出されていた。 僕は家に辿り着く前の道で明日になり、誕生日を迎えたのか、、、周りには誰も見えない にしても、僕は自分の誕生日出るように設定してたかな???しかも、おじいちゃん、、、 、、、、帰ろ と歩き出そうとした矢先 ブルルルルルブルルルルル またスマートウォッチが振動し僕が歩くのを引き止めた え?自分の誕生日を2回通知設定?もしかして。どんだけ自分が好きなのよ。え? と、画面をみたら、なんだかさっきと違い文字が流れてる。 『おじいちゃん、言い忘れたことあった。若い時から無理したの良くなかったって言ってたよ。おじいちゃん大好き。お小遣い貯めて、お母さんに頼んでタイムメッセージを送ってもらいました。長生きしてね。お外で遊べたらいいな』 なんだこれ??女の子の声だ。聞いたことない声。でも、なんかほっておけない声。後半少し声が滲んでいたような。 ピー タイムメッセージは以上です。返信もお受けできるメニューを注文されてます。この後のブザー音の後に、スマートウォッチに話しかけて下さい。 僕の理解のスピードなんてお構いなしに、いきなりクイズ番組の回答席に座り、参加させられてる気分。え?まってまってまって ピーーーーーー 「え、えーと、こちら、おじいちゃんでないおじいちゃんです。誕生日祝ってくれてありがとう。祝ってもらったの何年振りだろう。僕の健康を心配してくれてありがとう。そーだな、女の子を安心させたいな、えーと、」 「とりあえず、明日仕事行ったら、明日帰るからね。そこから始めるね。」 ピーーーーーー (了)

卵 (掌編詩小説)

静かな世界 私だけの殻に包まれて 自我を持った幸せをこの手で噛み締める 脆くなった殻は地面によって侵される うるさい会話 私だけの壁に守られて 逆立った地毛、身を守る針にして 強くなった警戒心 相反する世間による時間の流れ 守る術を失った雛たち いつまでも卵にこだわり、囚われている私 いつまでも昼夜巡りの堂々巡り そして、誰も信じられずに殻が破れていく (完)

ヒートアイランド

 テレビをつけた。天気予報が流れていた。「明日は詩集が降ります」窓から空を見ると確かに詩集雲が出ていた。もしかしたら今夜辺りから降り始めるかもしれない。その夜、外から、バサバサ、という音が聞こえてきた。カーテンを開ける。空から何十冊もの詩集が降ってきていた。サンダルで外に出て、何冊か拾い上げ、家の中に戻る。パラパラとその詩集をめくる。ろくでもない詩ばかりだ。すべてゴミ箱に捨てた。バサバサ。外から聞こえてくる音が激しくなってくる。本格的に降り始めたようだ。ため息をつく。良い詩が載った詩集が降っていたのはもう何十年も前の話になってしまった。地球環境問題はいよいよ深刻になってきたようだ。

土台

今日は土用の丑の日、男は鰻を喰らいビールを飲む。 「鰻ってのは、タレが美味いんだよ。 食感が似た魚だったら鰻じゃなくても人は満足すんだよ。要するに大事なのは土台よりもどうプロモーションするかだ。」 酔いがまわり、男はいつもよりいくらか饒舌になっている。 女はそっぽを向いてハイボールの入ったグラスをつまらなそうにカラカラとまわす。 「何か気づかない?」  女はぼそりと呟く。 まいったな、ネイルだろうかいや口紅かもしれない。言われてみれば昨日よりやや明るい色になっている気がする。男はすでに酔いが冷めかかっているのを感じた。 「お前は土台がいいから少しの変化が気にならないほど美しいのさ。」 女はため息をつき、部屋を後にした。

幸せ

あぁー幸せだな.... こうやって布団の上に寝転ぶのはほんとうに気持ちがいい。 このまま溶けてしまいそう。 君が隣にいれば もっと幸せになれるのに 君はもう溶けてしまったよ。 あぁ、君は どこにいるの?

The Inner Light

 夜明けの時間だ。空から音が聞こえる。ホームレスたちが夜空を掃除している音だ。念入りにやっているみたいだ。天気予報のアプリを開く。今日は晴れるそうだ。きっときれいな青空になるだろう。やがてホームレスたちが空から降りてきた。彼らのリーダーが報告書を持って立ち去り、残りのメンバーは住処である公園へ帰っていった。彼らは手に掃除用具とバケツを持っていた。ボコボコのそのバケツには、汚い字で『星』と書き込まれていた。夜が明けて、その公園に行くと、公園の水道の周りが、キラキラと輝いていた。きっとあのバケツを洗ったのだろうとわかった。

悲劇についての一考察

 悲劇だって? 馬鹿を言うなよ、世の中で悲劇と言われている大抵のことは喜劇と相場が決まっているもんだ。  大事なプレゼンの日に資料を忘れて届けてもらい、おまけに胸にコーヒーを零し、オーダーメイドのシャツの代わりにお仕着せのシャツを買い、資料を届けてくれた同僚に頼み込んで上着とネクタイを借りて急場を凌ぐ。  どうしても欲しかったレアものを何度も検索しているうちに、フィッシングサイトに誘導されて詐欺に遭う。振り込んだお金は返ってこないし、レアものも手に入らない。  ある日特別な理由もなく太ってしまい、服は買い替えなきゃならないわ、汗はかくわ、周りの人に「太ったね。」という視線で見られるわ、電車で理不尽に肩身の狭い思いをしなければならないわ……。  こんなことの何やかやは、悲劇というよりも喜劇と呼んだほうが相応しいのさ。  ほんとうの悲劇は言葉にするのも憚られるほど傷ましいものだ。  か弱いものが傷つくこと。  子どもや動物がひどい扱いを受けたり、大人でも誰かの支配下に置かれて自由が利かなくなったり、まあ、そういうことだよ。  でもそれじゃあ、話すことがないものね。   ひとつ、これぞ悲劇と思うもので、あまり残酷でないのを話してみよう。  恵まれたビジネスマンがいたんだ。  まず育ちがいい。でもお金持ちのボンボンじゃない。  平凡な親に適度な放任主義で育てられ、まともな反抗期があり、大学へ進んでそれなりの卒論を書き、大手企業に就職する。  容姿端麗、一八〇センチメートルのすらりとした長身に誂えたスーツがよく似合う。  頭脳明晰、一を聞いて十を知り、上司からの期待には卒なく応える。後輩が悩んでいればさりげなく相談に乗ってやり、でも出過ぎた真似はしない。  会社の草野球にたまに参加して、打席で粘って最後にヒットを打つ。酒は嗜む程度、家では飲まず、煙草もギャンブルもやらない。  女性にももてるが恋愛にはあまり興味がない。親孝行もする。時には見合いだってする。もちろん相手の反応は良いが、まだ仕事に集中したいからと丁重にお断りする。  でも、それが続くのはせいぜい七、八年、長くて十年くらいのものだ。  後はだんだん薄汚れていく。  彼のせいじゃない。彼は恵まれているにせよ、それに胡坐をかかず努力を続けている。それでも、だんだん薄汚れていくんだ。  彼を見込んだ上司が、ある日無理を言ってくる。「次の会議で、お前の意見としてこの意見を通せ。」とか何とか。彼はそんな意見など持っていない。でも逆らう気概はない。  彼と少し付き合って振られた女性が別の男性と結婚して、彼をその結婚式に招待する。彼はそんな式には出たくもないが、スマートに断ることができず、気まずい思いをして出席する。  だんだん仕事も伸び悩むようになる。そんな矢先に同期の海外勤務が決まる。その同期は特段の成果も上げていないように見えるのに(彼にそう見えるだけで周囲の評価は高い)、いつの間にか至る所で誉められるようになる。彼は自分とその同期をつい比べてしまい焦る。  見合い相手は連絡をやめてくれなくて、興味のない話に延々つきあわされる。着信拒否してしまえば良いのだが、それほどの気力はない。  母親の海外旅行中に父親が入院する。入院日数は短いが、看護師に言われたとおりの支度をしていくと、父親は気に入らず、全部突き返してくる。洗濯物にティッシュが混じっているのに気づかず洗ってしまい、干す段になって途方に暮れる。  そう、彼が経験する一つひとつは喜劇なのに、全体としてみればこれは悲劇だ。うまく対処できていたはずのことも、だんだん対処が難しくなってくる。与えられる課題のハードルは上がるのに、スキルがついてこない。  どこでこうなってしまったのだろう? 考えてもわからない。理由なんてないからだよ。ただ、美しいものが薄汚れていくのさ。  ありふれた話だ。だから俺たちの周りには、喜劇と同じくらい、悲劇が溢れている。  もう少し考えてみよう。彼はさらに汚れていく。  疲れが溜まり、強い酒を飲むようになる。食器棚の下段にはウィスキーやスピリッツが並ぶようになり、冷蔵庫にはチェイサーとしてビールが常備されるようになる。  煙草に手を出す。周りで吸っている人はほとんどいないにもかかわらず、紙煙草を買ってコンビニの入り口で一服するのが習慣になる。  やがて睡眠導入剤を使うようになる。  向精神薬を飲むようになり、果ては医師の見解に従って抗精神薬も飲むようになる。  いつの間にか、女性たちは自分から遠のいている。なぜ、自分は彼女たちの期待に応えようとしなかったのだろう。上司の期待にはあれだけ応えてきたのに。応えてきた結果がこれか。  ここまでくれば、悲劇はまた喜劇になる。彼はピエロになれる。

Change The World

「ラーメンの中に地球が入っているぞ!」男の怒鳴り声がラーメン屋に響いた。見ると、カウンター席に一人のチンピラが座っていて、レンゲを掲げていた。そのレンゲの中に、地球が入っていた。「どうなってんだこの店は!」店主の老人がすっ飛んできて、チンピラに頭を何度も下げた。「お代は結構ですので……」「当然だ馬鹿野郎!」チンピラは荒々しく立ち上がり、店の壁を蹴って、そのまま出ていった。店主はラーメンの器や箸を片付けながらうなだれていた。そして店主は、ラーメンの中に入っていたという地球を忌々し気に掴み、ゴミ箱に叩き込んだ。地球が砕ける音がした。「帰る故郷がなくなっちゃったな」一部始終を見ていた、地球出身の俺は、ラーメンをすすりながら、そう思った。

思い出せない懐かしさ

「おとなになってもずっといっしょな!」 ぼくたちはよくそう言っていた。 みんなで色んなところに遊びに行っていた。 実さいに、何年もそれはつづいていた。 受験が終わって数カ月が経った頃、そこに"ぼくたち"はいなかった。 しばらくしてまた友達ができた。 「大学に行っても定期的に会おうな」 俺達は笑い合っていた。 皆で遠くまで遊びに行ったし、家に集まって勉強もした。 笑い合っていたうちの数人は言った。 「ここを目指そうと思うんだ。」 広げた資料にはここからは通えない大学名が書かれていた。 「離れても友達だろ?」 受験が終わり、時が経ち、あの頃笑い合っていた皆はどこに行ったのだろうか。 皆と会う口実も、機会も今はない。 声、顔はもう思い出せない。 だがあの時の懐かしさは残っている。 昔よく聞いていた曲をスマホで流しながら眠りについた。

The Choice Is Yours

 市役所に婚姻届を提出しに行った。「ではこちらへどうぞ」職員に案内されて狭いブースに入った。「左手を」そう言われたので左手を差し出した。職員は注射器を取り出した。そしてその針を、結婚指輪をはめた薬指に刺した。液体が注入される。左手の薬指がみるみる腫れていった。これではきっと結婚指輪を取り外すことはできないだろう。注射器をよく見ると、政府公認機関の名前が書かれていた。だから安心した。

偶然のタイミング

となりの部屋の女性とはよく顔を合わせる 週に2回くらいって、どうなんだろう 多いのか? 知らないけど それは決まって朝で、会社に行くとき ドアを開けるタイミングが同じになることがある 先に気がついたほうが  おはようございます と言い もう一方がそれに応じる 流れで駅まで一緒に歩き、別のホームに上がっていく   ・ となりの部屋の男性とはよく顔を合わせる 朝、玄関でじっとそのときを待って となりの男性がドアを開けるタイミングに合わせ 私もドアを開ける 先に気がついたようにふるまってみたり 気がつかなかったフリをしてみたり そんなことを、週2回くらい 偶然なんかじゃない 偶然に見せた必然 そう、ただのきっかけにすぎない そのことをとなりの部屋の男性は、まだ知らない、はずだ

花の季節に僕はドラマチックな事が起こらない

 ああ今日も淡々と日々が過ぎる。 桜も散ってしまった。 ドラマチックな出会いが起こらない。 ああ、嗚呼、ウァァ。 ウアアアア。 ウゥアアアア。 変な声を出すと少しドラマチックな感じが出るかと思ったけどそうでもない。 明日は花でも見に行こうかしら。 それとも知り合いに料理作ろうかしら。 1日寝てようかしら。 日々これ怠惰。 何かしないと。 文章を書き連ねる。 屁が出る。 明日はなに食べようかな? ちょっと断食しようかな? 感情が沸き上がって来ない。 きっと恋をしていないからだ。 恋に縛られている。 欲をかいたからだ。 欲を描こうかしら? 絵のタイトル「欲」 いいかもしれない。 欲を肯定し欲を無くしていく。 難しい日々は続く。 いや、難しく考えることはない。 世界に優しくしてあげればいいのだ。

頁のあいだ

なにもかも上手くいかない。 そんなとき、ふと本棚が目に入った。 学生時代、貪るように本を読んでいたはずなのに、いまではただのインテリアになっている。 並んだ背表紙をなぞる。 その途中で、手が止まった。 学生時代の彼女にもらった本だった。 手に取る。 ページを繰る。 そのあいだから、なにかがふわりと落ちた。 拾い上げる。 茶色くくすみ、しおれた、たんぽぽ。 ——そうか。 うまくいかないのは、今に始まったことじゃない。

仲間はずれ

放課後のファミレスは、いつもの席も、いつもの匂いも、変わらないはずだった。 ドリンクバーの氷が、カラン、と鳴る。 戻ってきたとき、二人の距離が少しだけ近かった。 君と、あなた。 グラスの縁よりも、もっと近いところで、唇が触れていた。 見間違いだと思うには、静かすぎた。 私はトレイを持ったまま立ち尽くして、ストローの袋を指でくしゃりと潰す。 音は、やけに大きく響いたのに、二人は気づかない。 「遅いじゃん」 何事もなかったみたいに、君が笑う。 あなたも、同じ顔で。 いつメン。 その言葉が、急にどこか遠くなる。 「私も混ぜて」とは、言えなかった。

千里の道も一歩かな【春雷】

茄子を切ってフライパンで焼く 皮の方から焼く。すると黒に皮に明るい光が差す。とても綺麗だ。 果肉を焼くと、焼いているのにシットリと水分をまとう、それも美しい。 春キャベツを少しと何かのキノコと鶏のササミを入れて炒める。炒める前は乾いていたのに、火が通ってくると皆が皆ツヤっとして輝いてくる。 朝日が台所を差す頃には、野菜炒めは出来ている。豪快にお米に乗せてお弁当を作る。 ★★★ 車の運転は嫌いじゃないけど慣れない道は苦手だ。私の好きな道を好きな道順で走って行く。 今日のBGMは米津玄師の「春雷」 仕事が始まる心を作っていく ウィンドウを下げて風を浴びる。 冷たい風がシャツの袖を伝って体に入ってくる。 今日も一日が始まる。 米津玄師【春雷】 現れたそれは春の真っ最中  えも言えぬまま輝いていた どんな言葉もどんな手振りも足りやしないみたいだ その日から僕の胸には嵐が  住み着いたまま離れないんだ 人の声を借りた蒼い眼の落雷だ 揺れながら踊るその髪の黒が  他のどれより嫋やかでした すっと消えそうな  真っ白い肌によく似合ってました あなたにはこの世界の彩りが どう見えるのか知りたくて今 頬に手を伸ばした  壊れそうでただ怖かった 全てはあなたの思い通り  悲しく散らばった思いも全て あなたがくれたプレゼント ゆらゆら吹かれて深い惑い  痛み 憂い 恋しい 言葉にするのも形にするのも  そのどれもが覚束なくって ただ眼を見つめた  するとあなたはふっと優しく笑ったんだ 嗄れた心もさざめく秘密も  気が付けば粉々になって 刹那の間に痛みに似た恋が体を走ったんだ 深い惑い痛み憂い繰り返し  いつの間にか春になった 甘い香り残し陰り恋焦がし  深く深く迷い込んだ 花びらが散ればあなたとおさらば  それなら僕と踊りませんか 宙を舞う花がどうもあなたみたいで参りました やがてまた巡りくる春の最中  そこは豊かなひだまりでした 身をやつしてやまない  あんな嵐はどこへやら まだまだ心は帰れない  その細い声でどうか騙しておくれ カラカラに枯れ果てるまで ふらふら揺れて甘い香り 残し 陰り 幻 聞きたい言葉も言いたい想いも  笑うくらい山ほどあって それでもあなたを前にすると  何にも出てはこないなんて 焦げ付く痛みも刺し込む痺れも  口をつぐんだ来いとわかって あなたの心に  橋をかける大事な雷雨だと知ったんだ どうかだましておくれ 「愛」と笑っておくれ いつか消える日まで  そのままでいて 言葉にするのも形にするのも  そのどれもが覚束なくって ただ眼を見つめた  するとあなたはふっと優しく笑ったんだ 嗄れた心もさざめく秘密も  気がつけば粉々になって 刹那の間に痛みに似た恋が体を走ったんだ

はー今日も女の子と話せた

 幸せなんてそんなものかもしれない。 あの娘はおそらく僕のことをなんとも思ってないだろう。 脳内にいろんな脳内物質が出る。 恋をすると寿命が伸びるらしい。 ファインマンのように色恋に長けた物理学者もいる。 恋の物理法則。 君と僕との距離と心の質量が僕らに力学的な作用をもたらし量子の世界で変化が起きるとか自分でもよく分からないことを言って相手を混乱させることも出来るが失礼なのでやらない。 素直に君かわいいね、って言っとけばいいのかもしれない。 素直さが肝要。 君と僕との心の間にある作用点はどちらの重力波によってより強い作用をもたらすんだろうとか言って頭が悪いんですね、って言われて僕の心は重力の歪みを発生してしまうこともあるかもしれない。 素直に今日のお弁当可愛いね、って言っておけばいいのかもしれない。 恋のIQが足りない。 君と僕との心の駆け引きによって地球の時点速度が大きく変わって太陽が地平に沈むときの光のスペクトルが4原色以外のものに見えて素敵だね、って言ってお巡りさんこの人です、って言われそう。 素直に栄養のあるもの食べて早く病状が良くなるといいね、って言えばいいのかもしれない。 マッドフィジストは適応能力を欠き宇宙の法則を乱し今日も太陽に飲み込まれる。

影友達

 何故だか、友達ができなかった。  変な顔、変な顔、と言われてからかわれた。    でも、ぼくは一人ぼっちじゃない。   「変な顔だなんて、酷いよね」    ぼくには、ぼくの影がついている。  顔がないからぼくの顔を気にしないし、ぼくが右手を上げたら左手を上げて来る、お茶目な奴だ。  唯一不満があるとしたら、じゃんけんの勝負がつかないこと。  どちらがケーキを食べるかのじゃんけんをしたとき、結局どっちが食べるか決着がつかなかった。   「君はいつ見てもペラペラだね。本当は、一緒にゲームとかしたいのに」    壁に映る影に向かって言うと、突然影の口が開いた。   「やる?」    驚いて腰を抜かしたけれど、それ以上に嬉しかった。  唯一の友達と、お話しできたことが。   「やる!」    ぼくが答えると、影はぺりぺりと壁から剥がれて、ぼくの前に立った。  そして、ゲームのコントローラーを持つと、急かすように言った。   「早くやろうよ」 「うん!」    影は、その人から毎日、ぼくとゲームをしてくれた。  影だからぼくと同じ動きをするので、相変わらず決着がつかなかったけど、楽しかった。    一週間たったある日、影がぼくに聞いてきた。   「他に友達は作らないの?」    ぼくはゲームの手を止めた。   「変な顔って言ってくるんだもん」 「それは、ぼくより変な顔なの?」 「さすがに、影みたいに真っ黒じゃないけど」    ぼくは思わず吹き出した。  影も吹き出していた。  二人でひとしきり笑った後、影が言った。   「じゃあ、大丈夫だよ」 「そうかなあ?」 「君に変な顔って言ってくる奴も、変な顔じゃない?」 「確かに! 鼻が団子みたいに丸いんだよね」 「変な顔仲間じゃん。きっと友達になれるよ」 「嫌だよ、そんな仲間」    次の日。  変な顔だって言われたので、変な顔って言い返した。  そいつはぽかんと口を開けた後、ぼくを殴ってきた。  ぼくは殴り返した。  足元にいる影の分と合わせて、二倍のパンチだ。    結局、先生を呼ばれて喧嘩は終わり。  そいつとは互いに謝って終わり。  クラスでたまに話す仲くらいにはなった。  喧嘩を見ていた何人かは、「お前すごいな」って話しかけてきてくれて、友達になった。   「ぼく、友達増えたよ」    ぼくは影に報告をした。  でも、影はもう、ぼくの前に立ってくれることはなかった。  代わりに、ぼくとまったく同じポーズで祝福してくれた。    最近のぼくは友達と遊んでいる。  たまに、影ともじゃんけんをしている。  決着は、一度もついたことはない。

渚にまつわるエトセトラSeventeen

学校からの帰り道、歩きたくなった 駅に向かう道からのそれた街道は人が少なく気が楽になる 前からムクムクした柴犬を連れたお爺さんが大きな声で歌っている 柴犬は私の顔をチラリと見る 街道沿いの桜は緑が増えすぐそこに夏がいるのを教えている ぼんやりと信号待ちをしていると向こうの通りを友達が彼氏を連れて歩いていた。ウチとは違う制服の男子  彼氏の方が私に気が付き指をさす 友達が振り向き「ナギリーン!」と手を振る 私も手を振って応える そのまま二人は街の中へ入り 私は街を出ていく ♤♡♧♢ 次の日も歩いて帰る 疲れるけどラッシュの電車に乗りたくなかった イチョウの木も芽吹いてきて、自己主張の強い銀杏の匂いが鼻を刺激する ぼんやりと信号待ちをしていると横から声をかけられた 「ナギリンさん、ですよね」 昨日歩いていた友達の彼氏だ 「あ、ねねの彼氏くん」 「いや、ねねは友達なんだ。俺達中学一緒で。ナギリンさんはねねと仲良しだよね」 近くで見ると結構背が高く少し見上げてしまう 「私、渚です」 「俺は洋一。よろしく」 笑うと目が細くなってお爺ちゃんみたいだなと思う 「渚さん、一緒に帰ってもいい?」 「何で?」 「えっ…と…話したいなって思って。やっぱ駄目かな」 既に青になっていた信号が点滅している 「じゃあ、お茶でもする?」 「するする!」 次の青信号を二人で待つ。後ろから元気な声がする 「あれ?何で二人一緒にいるの?」 「何でこのタイミングで来るかなー」 久しぶりに笑った。

 朝の電車に乗っていた。隣の座席に、若者が座っていた。若者はヘッドホンをつけていた。かすかにそのヘッドホンから音が聞こえてくる。音漏れだ。それは音楽ではなくて声だった。「……」耳を澄ます。「……あなたは正しい……あなたは正しい……あなたは正しい……」その声はそう言っていた。若者は目を閉じて、軽く首を動かしていた。「あなたは正しい……あなたは正しい……あなたは正しい……」それを聴いているうちにだんんだん「あなたは正しい…あなたは正しい……あなたは正しい……」自信が出てきた。電車が駅で停まった。若者に会釈をして電車を降りた。若者はにやりと笑った。駅を出て、会社に向かう。上司の顔を思い浮かべながら、鞄の中に包丁があるのをもう一度確かめた。

Cinnabar

戸棚に並べてある大量の瓶。そこにはあらゆる薬品や鉱物からできた顔料が雑多に置かれている。私はその中から「Cinnabar」と書かれたラベルの瓶を手に取り眺めた。目の覚めるような鮮やかな朱に吸い込まれるような感覚。ああ、もし私が――― 気づいたときには瓶の蓋を開けていた。その鮮やかな朱色に指を浸し……そっと掬い上げる。ああ、なんて理想的な美しさなのでしょう。私の最期はこれに飾られてほしいと心から願うほどに…細かい朱色の粒子がついた指先をそっと口元へ持っていく。そこで私の生存本能の電源が落ちた。この朱をこの美しい色を私の中へ取り込みたい……… カシャン…ガラスの散らばる音がしたような気がした。 と、一通り想像をしたところで私はそっと「Cinnabar」から視線を外し瓶を棚に戻した。

鳩のピピン

ピピンは世界中のどこにでもいる一羽の鳩に過ぎなかった。見た目だって、皆が近くの公園や駅で見かけるあの鳩さ。でもピピンが他の鳩と違っていたのは、音楽が好きだってこと。お気に入りの場所は、コンサートホールの屋根の上。演奏者たちは気付いていないが、ピピンも立派な聴衆のうちの一人なんだ。

流線 (掌編詩小説)

車窓越しの流線 トンネルを駆け巡る防音 わずかに揺れる座席に温かみを感じれば 曇り空の下、並ぶマンションたち 路線に振り回される私 数本の路線が密集した東の都 やがて流線へと姿を変える 車窓に打ち付けられた雨つゆ 空になびく雨つゆに、流線を感じて (完)

アンダルシアに憧れて

 近所の古い公園の隅に、タコ焼きの屋台があった。客がいるところを見たことがなかった。ある日興味本位で、その屋台でタコ焼きを買ってみた。小さなみすぼらしいタコ焼きだった。期待しないでかじってみた。タコではない食感がした。口から出すと、それは『タコ』という文字が書かれた小さな紙片だった。店主を見た。店主は「ごめんな」と言った。俺は愛想笑いを返した。店主は上着の袖をまくった。店主の腕には吸盤があった。

大迷惑

 野良イヌが歩いていた。俺はイヌが好きだ。ちゅっちゅと口を鳴らしたら、イヌが寄ってきた。人懐っこいイヌだ。頭を撫でる。おでこの、充電残量を示すランプが赤い。充電が少ないようだ。野良イヌ用の充電器の使い方を知らないのだろうか。動物なのに珍しい。そう思いながら、お尻の充電用接続部分を見る。差し込み部分に、何か挟まっていた。つまんで取り出すと、それは一粒のドッグフードだった。これのせいで、充電が出来なかったらしい。俺は苦笑いして、そいつを野良イヌの口に近づけた。野良イヌは少しにおいを嗅いだ後、そいつを食べた。それから美味しそうな声を漏らした。充電残量は相変わらず赤いままだった。