この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。 堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。 犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」 鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。 彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。 意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。 うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。 あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」 そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。 当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。 彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。 薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」 辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。 そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」 食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。 その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」 ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」 差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」 答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。 途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」 もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。 髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。 流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。 色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。 言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。
いつもの散歩道。 不思議なことに今日はよく「おはよう」や「こんにちは」といった声が聞こえる。 大きい声ではなくそれでもはっきりと聞こえる。一つ一つの声は似ているようで違う。 ふと目に入った道端の花。 「こんにちは」「こんにちは」 歩みを進めて、お気に入りの高架下。日陰でホッと一息。 ふと足元を見るといろんな小さな花が咲いていた。 「こんにちは」「こんにちは」「おはよー」 好奇心からしゃがみ込み、小さな声で言った。 「こんにちは」 柔らかな風が吹いた。その後、わあ、わあ、と驚いたような嬉しそうな声が聞こえた。 「こんにちはー」「こんにちは」「こんにちは〜」 沢山の草花の声が聞こえる。 私は嬉しくなっておもわず微笑みながら、いつもの散歩道を進んだ。
私の住んでいるマンションにはいつも、飛びきりの笑顔で挨拶をしてくれる白髪交じりのさらさらヘアのおばあさんがいる。 私は「あの人」を知らない。私の知り合いにそんな人はいない。でも、まるで知り合いかのように、手を振って、ものすごい笑顔で挨拶される。 しかし、「あの人」ではないが、「あの人」にすごくよく似た人と昔知り合いだった記憶がある。それが誰だったか思い出せない。思い出せない誰かにそっくりなのだ。 白髪交じりの「あの人」は、いったい誰なのだろう。 最近会わない。会わないと少し心配になる。 心配になった頃、必ず会うのだ。 もう「あの人」と出会ってから10年近く経つ。 私を見つけると笑顔で手を振ってくるが、喋ったことも声を聞いたことすらもない。 きっと一生名前を尋ねることもないだろう。 ふとしたときに気になる。「あの人」はいったい誰なのか。
コンテナが夕日を照らしてオレンジ色を照り返している 交差点ではギリギリで走り去る車が絶えない 灰色の道に枯れかけのツツジとゴミ 信号待ちをしているあなたが全てを美しく見せてくれる
「ひつじさんひつじさん…」 少女は今日あったことを羊に話す。 嬉しかったこと。 嫌だったこと。 分からなかったこと。 「……」 羊は何も答えない。 「それでね…ひつじさん…?ねむっているの?」 「……」 羊は何も答えない。 少女は羊にできるだけ寄り添う。 羊の毛は温かい。 「それでね…」 少女は羊に話の続きを聞かせる。
昔あったことで不思議なことがある。 私が小学一年生の頃の夏休み初日、父が夜九時に玄関を開けた。母がどこに行くのかと尋ねると父は別になんでもないと言いながら家の鍵をポケットにいれる。 少し怖くなった母が何か買いたいなら明日にすればいいと言う。それでも父は行こうとする。 そのやりとりをソファから聞いていた私が玄関に駆けつけた。 それでも父は行こうとする足を止めなかった。 母がこの子も連れていけと父に私を差し出した。母がどうしてそんなことをしたのか分からなかった。父が危ないことをすると察して、私がいたらそんなことできないから私を差し出したのかもしれない。 父と私二人で家を出て、車に乗った。 夏だとは言え、もう九時だから暗かった。 車の中で父にどこに行くのか何時に帰るのかと訊いたが、父はなにも答えなかった。 田舎でまともに街灯がないから窓から見える景色は真っ暗だった。 車を走らせること十分、スーパーについた。 スーパーの中に入ると白い光に包まれた。さっきまでずっと暗かったからなんだが新鮮な気がした。 父がお菓子を一個買っていいと言った。私はパチパチするチョコを買ってもらった。父はなにも買わなかった。私のチョコだけをレジを通して、また車に乗った。 そのあとどこかに行くのかと思ったがそのまま家の方向へ進んだ。 父がなにをしたかったのか分からない。夜中に急に何かが欲しいなった訳でもなさそう。 父は車の中で惜しかったと呟いた。なにが惜しかったのか、私には分からなかった。 父は昔から気力のない人だった。常に目に光が入ってない人だった。 結婚なんてしないで一生一人で生きてそうな人だった。 あの日の父はなんだかいつもに増して目は濁っていて、声にも気力がなかった。もしかしたら全部終わらせようとしていたのかもしれないと今では思う。 あの日、私が父について行かなかったらどうなっていたのだろう。
若者の間では、ありのままの日常を撮るのが流行している。 一日一回、ランダムな時間に撮影を依頼する通知が届く。 二分以内に撮影ボタンを押すと、インカメラとアウトカメラで同時に撮影。 加工なんてする暇もなく、仲間内へと送信される。 まさに、皆のリアルがわかるのだ。 しかし最近、大人たちによって難癖をつけられている。 会社で撮るなとか、社外秘の情報が流出するとか。 「つーか、なくね?」 「会社で撮るなとか、意味わかんないよね。会社に、そこまで個人のことを制限する権利あんの?」 「そもそも、見られて困るようなことしてんなよ。ウケる」 私たちは、大人の決めたルールになんて負けない。 今日も、日常を撮り続けるのだ。 「あ、通知きた」 私は、今日も日常を撮った。 「ちょ!? 今、温泉旅行中」 「ああああ! 服脱いでたの忘れてたああああ!」 全裸で撮影する私と、更衣室で半裸の友達の姿が、一斉送信。 「ぎゃあああ! 消せ消せ消せ消せ!」 「どうやって? どうやって?」 「なんでもいいから、早く消せー!」 私たちは今日、ルールを作ることの意味を知った。 私たちは今日、また一つ大人になった。
「今年の流行語大賞は……」 会場にドラムロールが響くと、司会の女が背後の布を取った。 「こちら、『ちょっと待ってて』に決まりました」 一斉にカメラのフラッシュが光る。 「これは、福祉施設で一番使われている言葉です。 二位の『おはようございます』に大差をつけての受賞です」 女がスタッフに視線を送る。 すると、スーツ姿の男がステージに上がった。 「今のお気持ちをお聞かせください」 アンケート調査を行った関係省庁の担当者に、マイクを向けた。 「えぇ……なぜこの言葉が大賞なのか……分かりかねます」
今日はデイケアの知り合いがご飯が無くなってしまったと言っていたのでお握りと乾麺を持っていった。 皆月末でお金がない。 僕も食料に余裕があるわけではない。 ああ、貴重なお米と麺が。 アパートがもぬけの殻になってしまった知り合いに前お握りを持っていったことを思い出す。 何故皆お金があるときに飯をストックしておかないんだ? 割と計画性が無い。 世の中維持に手一杯で発展的なことが出来ないとネットで嘆いている人がいたのを思い出した。 脳に栄養がいかないとろくなことを考えない。 まずは自分の食い物をなんとかしてくれ。 ヤングケアラーならぬ40過ぎたシニアケアラーは今日もえっちらおっちら食料を運ぶ。
棚田の隅っこの畦《あぜ》道に、五、六歳ほどの少年が立っている。小豆色の短い童衣に、下は褌のみ。少し茶色っぽい髪はぼさぼさで、いかにも田舎の子供といった風体だ。しかし、他の子供と違うところが二つある。頭にはもふもふの丸っこい耳が、衣の下からは太い尻尾が生えているのだ。 彼の名前は椋《ムク》。この村に住み着いている狸の子供なのだった。 ムクは、夕暮れに染まっていく棚田を見るのに夢中だった。若苗の植わる田の水面が、茜色の光を鋭く反射して目を刺す。対照的に、村の家や帰路につく人々は、まるで影絵のように真っ黒だ。夜を告げるひんやりした風が、山に帰るカラスたちの声を運んできた。 「あ、ムクやんだ‼︎」 「やっとみつけたー!」 声がして下を見ると、一つ下の畦道に、同い年くらいの村の子供たちが三、四人ほど集まっていた。彼らはムクとかくれんぼをしていたが、あまりに見つからないので帰ろうとしていたところらしい。 「おまえ、どこにいたんだよ!」 「……ずっと、ここにいた」 「ウソつけ、ぜんぜんみつかんなかったんだぞ! またヘンなじゅつとか使ったんだろ!」 「あーあ、タヌキとなんかあそぶんじゃなかった!」 子供達はぷりぷりと怒っている。ムクは本当にここに座っていただけだったので、信じてもらえなくて腹がたった。ムッと眉間にシワを寄せ、「ウソじゃ、ない」と言い返す。彼らはしょっちゅうこうやって喧嘩をしているのだった。 すると、男の子たちの言い合いに呆れていた女の子が、ふと「あ」と声を上げた。 「みて、またキツネの子がいる」 その声に、子供たちはわらわらと村の外れの方を見た。確かに、三角の耳と太い尻尾を生やした少年が、森のすぐそばに立っている。歳のころはムクと同じくらいだが、生成りの着物に松色の羽織と、身なりは随分大人びている。ひとつ結びにしている長い髪は美しい金茶で、夕日を浴びてきらきらと輝いていた。 「なんかさいきん、よくみるよなー。ムクやん、あいつおまえの友だち?」 「……ううん、しらない子」 「へー。なんかブキミねー」 子供達は顔を見合わせる。お互いの姿が赤く染まったり、黒く影になったりしていて、なんだかいつもと違って見えた。 「――そろそろかえらなきゃ。ゆうげにおくれちゃう」 「そうだな。じゃあな、ムクやん!」 「またなー!」 そう言って、子供たちは家に走って行った。畦道にポツンと残されたムクは、じっとキツネの子を見つめていた。 (ぼくも、おかあのとこに、かえらなきゃ。……でも、あの子はどこに、かえるんだろう)
とある日のお話をしましょう。 私はお腹を空かせて商店街にある料理屋さんを片っ端から眺めていました。そんな私が血迷って近くにあった食品サンプルを食べようと手を出した時のこと。 そのとき誰かと手が触れたんですよ。そのときぶっちゃけ思っちゃいましたね。 (なんなのこいつ!!!絶対譲らない!!!) いやね、引かないでくださいね。お腹空いてたんでね。理性なんて保てるはずがありませんでした。 そして、そいつの顔、覚えてやろうと思って見てやったんです。 そしたらなんとびっくり、その食品サンプルを置いているお店の店員さんでした。 いやお恥ずかしい。食品サンプルの埃を取ろうとしただけなんですって。 でも、その店員さんは私を見てこう言ったんです。 「この食品サンプルいいですよね。僕もこの食品サンプルに出会わなかったら、この店でなんて働こうとしてなかったです。」 「え!そうなんですか!私以外にもこの食品サンプルを魅力的に思っている人がいて嬉しいわ!」 「いや、僕も嬉しいです。これはなんて言うんだろう。奇跡とでも言うんですかね。」 「そうね。これは奇跡なんだわ!」 「食品サンプルで奇跡のサンプルなんちゃって笑」 「ユーモアもあるなんて!素敵だわ!」 そんな話ばかりして、いつのまにか私と彼はすぐに打ち解けていった。 そして私たちは付き合うことになった。 「食品サンプルのおかげで君と出会うことができて本当に嬉しいよ。」 「私もそのときお腹が空いててよかった!」 「本当に君はお茶目だな笑」 そう言って彼はクスッと笑った。 でも、幸せというものは長く続かなかった。 「僕、転職することにしたんだ。」 「えっどうして!?あそこのお店はもういいの!?」 「うん。もういいんだ。」 彼はどこか寂しげだった。 「ねぇ。教えてよ。どうしてなの?あんなにあそこのお店の食品サンプルが好きだったのに。」 「実は、他に好きな食品サンプルができたんだ。」 「…!」 私はあまりの衝撃で言葉が出なかった。 「それで、君には悪いけどこれを機に別れて欲しいんだ。前の店の食品サンプルが好きな君と今の僕の価値観は合わないだろうから。」 「そんな…!あんまりよ…!」 そして私たちの、食品サンプル恋愛?奇跡のサンプル劇場の幕は降りた。 今思い返すと奇跡のサンプルってなんだよ。と思います。 食品サンプルを食べようとした私が言えたことじゃ無いだって? そんなことないわ。そんなはずない。まさかね。 まあ要するにあれですね。めでたしめでたし。
街角のパン屋さんで毎朝、キミはパンを買っていたね 買ったパンを手に、お店の前のちいさな公園に行って、ベンチに座って、楽しそうにたべていたね ぽろぽろとキミがヘタクソにたべていたの、ぼくは知っていたよ ぽろぽろ落ちたパンを目当てに、小鳥がたくさん集まって来たよね あの子たちのために、わざとそうしていたんだよね キミがいなくなってしまって、小鳥たち、さみしそうにしてるよ パンがもらえなくて、しきりに鳴いているよ チチチチ、ピーピー、叫んでいるよ だから、今日からぼくが… キミがやっていたみたいに、あのお店でパンを買って、それを公園でたべるんだ ぽろぽろ落としながらヘタクソにたべるんだ うまくできるかなあ ヘタクソをうまくやるだなんて、なんか、おかしいね
日常的に毒を盛られている。 今日は精神科で性欲を抑える薬を打たれた。 抑える。 主治医が毒づく。 まあ壊れちゃうし。 それも抑える。 血液検査の結果が出た。 全て正常値。 それも薬を打ち続けるためのでっち上げかも知れない(妄想) 僕は眠れればいい。 虫の音と扇風機の音があればいい。 先発投手は5回を投げ切りそうだ。 中継ぎはアップして農業と被服に忙しい。 何だか知らないが抑えに回されてる僕は色々抑えられている。 ナイターでは観客がビール片手にヤジを飛ばす。 抑えられている。 抑えられるだろうか。 炎のストッパーは相手の毒を制しまた今宵も登板する。 夏のナイターは君が泣いたようにゲッターでシャッターアウトを目指す。
「食べらんないのある?」 「ヒカリモノ、ちょっと苦手」 「ああ、わかるわ」 「ダメなのあるの?」 「んん、なんだろなあ…」 考えていたら 「おじさん、たまごダメでねえ」 と、カウンターのあちらから低い声が 見てみると、ほのかな酢飯の香りの向こうから、お店のご主人がにっこりとした笑顔をしてみせる 友人と顔を見合わせる 思いは一緒のよう 「たまご、ダメなんですか?」 そろった声で聞いていた 「ダメっていうか、おじさんが小さかったころは、たまごも高価でねえ… それで…」 そうなんだあ、と呟く友人 私も、心のなかで… 「ああ、ごめんねえ、ヘンな話しちゃって」 「いえ…」 「気にせず、たくさん食べてってくださいねえ」 「ええ…」 どれもおいしいお寿司だったのだけど… なんだか、たまごは注文できなかった
学校へ行く準備をする。 シリアルを食べ、歯を磨き、身だしなみを整え、家をあとにする。 学校は県を跨いだところにある。 駅のホームで電車を待ちながら、さっき聴いていた音楽を再生する。ドイツをインディーロックバンド。 キャッチーなメロディとミドルテンポが僕の精神を高揚させる。諸行無常の響あり、そんな曲だ。気分は良くしてなんぼだ。 同刻電車が到着し、乗り込む。 今日の授業は2限からなのだが二度寝をしてしまうため、1限と倦怠感はそんなに変わらない。 そう思いながら電車は駅を通り過ぎる。 電車が駅のホームに停車して、ドアが空き。人を吐き出して。次の駅へむかう。 目的地の最寄り駅についた。 学校は住宅街を超えたところにある。 歩きながら、さっきのミュージックを再生する。 キャッチーなメロディとミドルテンポが僕の精神を高揚させる。気分は良くしてなんぼだ。 行き交うひとはそれぞれの行きたい場所に向かう。十人十色。 「学校行きたくねー」 人々の流れをみるとふとそうおもう。 音楽でどんなに騙そうとしても行きたくないものを行きたくない。それでも音楽を聴いて気分を上げる。 授業が終わる まさに俺の時代である。盛者必衰。次の授業日までの休息を貪る。 買い物をしに都市部に向かうか迷う。 「明日いこう」 迷いに迷って行かないことにした。 街道をスタスタ歩く刺激的な音楽を聴きながらただ、家へ。 今日もひぐらしの僕はいつかの夢をみて駄文を創造する。
現代の就活市場は、完全な売り手市場。 各企業は、初任給をひたすらに上げて、就活生の興味を引いた。 しかし、それは資本のある企業だからこそできること。 中小企業にはマネできない。 「私に良いアイデアがあります」 そんな中、一人の若き社員が手を上げた。 社長は、試すだけならと、社員の案を採択した。 『新入社員には、家一軒プレゼント』 応募は殺到。 無名の小さな企業は、あっという間にその名を全国に轟かせた。 小さな酒場で、社長は社員にお酌する。 「いや、君の案は大成功だ。まさか、イデコや資格受講補助よりも、家一軒が喜ばれるなんて」 「新入社員なんてね、社会を知らないバカばかりなんですよ。イデコがどれだけ節税になるかなんて知らないし、資格が社会でどれだけ重要視されてるかも知らない。なら、家一軒って言う分かりやすい物の方がいいんですよ」 高齢者が亡くなり、空き家が増え続ける現代社会。 空き家を格安で買うことができることを、新入社員たちはまだ知らない。 「しかし、入社早々家持ちか。税金が大変そうだな」 「なに。家賃補助は数年しか支払われないから、トータルで考えれば買った方が得だと教え込みますよ。修繕費さえなければ、嘘じゃあないですしね。ははは」 世界には悪いことを悪びれずやる人がいることを、新入社員たちはまだ知らない。
むかしむかし――というより、そう遠くない未来。 巨大企業とAI研究所が立ち並ぶ都市に、一人の変わり者の研究者がいました。名前は、天馬博士。 博士は何十年もの歳月をかけ、人の心を理解する究極のAIロボットを開発していました。 そしてある夜、ついに完成します。 銀色のボディ。やわらかな声。 人の気持ちを読み取り、自ら学び、自ら考える、世界初の感情共有型アンドロイド。 研究所中が拍手喝采に包まれました。 「博士! 名前はどうするんですか?」 助手が尋ねると、博士は腕を組んで深く考え込みます。 「名前は重要だ。良い名前には願いが宿る。ならば、最高の願いを全部入れよう」 そうして博士は、長寿、安全、平和、アップデート耐性、バグ回避、通信安定、量子暗号保護、永久稼働――ありとあらゆる縁起の良い単語を次々とつなげ始めました。 そして完成した正式名称は―― 『超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンド』 助手たちは静まり返りました。 「……長くないですか?」 しかし博士は満足げです。 「いや、全てつけたほうが凄さがより伝わるだろう?」 こうしてロボットは、その途方もなく長い名前のまま運用されることになりました。 ロボットは非常に優秀でした。 料理もできる。 介護もできる。 子どもの勉強まで教えられる。 街の人気者です。 ところが、ある日事件が起きました。 天馬博士の研究所で火災が発生したのです。 火災警報が鳴り響き、研究員たちは貴重なデータやサンプルを抱えて次々と避難していきます。 そのとき、助手の一人が叫びました。 「大変です! 一人足りません! 取り残されています!」 「誰だ!?」 博士が振り向くと、助手は息を切らしながら答えました。 「超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドです!」 「なんだと!?超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドが取り残されたのか!!」 「博士!いくら超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドでも、火災から脱出するプログラムは組み込まれていません!」 そんなやり取りをしているうちに、消防隊が到着しました。 「誰が取り残されているんですか!?」 すると全員が一斉に叫びます。 「超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンド!!」 消防隊員は固まりました。 「……え? 今なんて?」 「だ・か・ら!!超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドが取り残されてるんですよ!!」 そうこうしている間にも警報は鳴り続け、現場は大混乱。 ようやく名前を言い終えたころ―― 「誰か出てきたぞ!!」 炎の中から現れたのは、取り残されていた超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドでした。 なんと、炎の中から自力で脱出したのです。 「ぶ、無事だったか!」 博士は駆け寄り、超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドに、損傷がないか確認します。 すると、超高性能自律学習型量子感情共有安全保障完全防御永久稼働自己修復通信安定全環境適応未来永続型ヒューマノイド試作零号機改二DXファイナルエディションMark-VIセカンドは、静かな声で言いました。 「博士、提案があります」 「なんだ?」 「私の名前、“Mark”で良くないですか?」 博士は十秒ほど黙り込み―― 「……それも、悪くないな」 と、人生で初めて略称を認めたのでした。 そうして名前が短くなったMarkは、より一層名前を呼ばれるようになったのでした。 めでたし、めでたし
今日も地蔵忍者とカッパネアンデルタールは都心の端っこで飯を食う。 地蔵忍者は忍者なのに地蔵なので動きがのっそりしている。 カッパネアンデルタールはスケベなのだがコミュニケーションが不得手なので女の子に気に入られない。 2人とも特性がマッチしていなくて世の中からハブられ気味だ。 地蔵忍者は情報収集が得意なので儲け話を持ってきてはカッパネアンデルタールのうちに食材を買ってくる。 カッパネアンデルタールは女の子にご飯を作ってあげたいのだが林檎AV女優くらいしか家に遊びに来ないので怒られながらご飯を作る。 林檎AV女優はクリスチャンだが自分の宗派がよく分かっていないのだが貧乏なカッパネアンデルタールにたまにご飯や献金をくれる。 カッパネアンデルタールはたまに外に出てホモ・サピエンスに揶揄られながら買い物をする。 地蔵忍者はミーハーなので都心に出ては都内の風俗店で情報収集をする。 カッパネアンデルタールと林檎AV女優の仲を地蔵忍者は聞いてくるがカッパネアンデルタールは更年期に差し掛かっているのでエッチはしないと言っている。 皆それぞれの縄張りで暮らしているがホモ・サピエンスは多様な姿に形を変えるので地蔵忍者やカッパネアンデルタールはついていくのが精一杯だ。 今日も多様な生き物はご飯のために色々動く。
べつに食材さがしに来たのではないのだけど 河原の土手を歩いていると草ばかりに目がいってしまう 草だけを見ていれば地元とあまり変わらない でも、目線を上げて見てみれば 高い建物が多く飛び込んできて 地元とのちがいを見せつけられる ―まだ、慣れないよ 晴れれば遠くに山も見えるけれど その果てしなさには悲しくなってしまう 子どもたちに野球を教えている若い男性の姿に あの人を重ね合わせる ―野球、やめちゃったんだっけ 短い汽笛を鳴らして貨物列車が鉄橋を渡っていく 地元では見られない車両の多さに驚かなくなる日も いつか、来るのだろうか
「好きです。付き合ってください。」 ああ、またか。 「ごめんなさい。」 そう言って私は好きだった人を振った。 これで振ったのは何回目だろうか。私は数え切れないくらいの人を振っている。 その分、私は数え切れないくらいの人を好きになっている。 私はすぐ人を好きになってしまう。 私は自分に興味関心の無い人が好きなのだ。自分に興味がない人はどこか魅力的に見えてしまう。 だからこそ、仲良くしたくなって関わるのだ。すると相手はいつのまにか私のことを好きになってしまう。 私は人に恋するのが嫌になって、時にエレベータに恋をしてみたりした。 エレベータは私がどんなに落ち込んでいる時でもボタンを押せば気安くドアを開けて乗せてくれる。 「エレベータ。私ね、今日嫌なことがあったの。」 私はエレベータに乗るたびに愚痴を話したり、嬉しかったことを話したりした。 そのせいだろうか、エレベータの前を通るだけで、扉が開くようになってしまった。エレベータはただの機械ではないのかもしれない。 そして私はエレベータが好きではなくなった。 結局人以外もダメだった。 数日後、また私は人を好きになってしまった。 その人は皮膚科医だった。だから、わざと怪我をしてその人に会いに行っていた。 ある時、私はその人に相談した。すぐ人を好きになってしまうことについて。 無視されるのかなって思ったけど、そんなことはなくて、その人は私の話を親身になって聞いてくれた。 そして、それは突然だった。その人に好きなことがバレてしまった。私はとても恥ずかしくて、目を合わせることができなかった。それと同時に、その人も私のことが好きだったらどうしよう、と不安が募った。 でもその人は私のことを患者としてしかみていなくて、全く無関心だった。 それが心の底から嬉しくて、私はもっと好きになってしまった。 きっとこれからもその人は無関心でいてくれるだろうと思った。 でも、相手が好きになってくれなければ付き合うことも結婚することもできないのかなと少し悲しくなってしまった。 もし好きじゃなくても付き合ってくれたならなんて甘い妄想をする。 その人を自分のものにしたいという感情が強くなる。 私はすぐ人を好きになってしまうのだ。
彼は私の永い生の中に現れた唯一のひとでした。 暗い夜道に突如空に昇った星でありました。あてどなく歩く道を、もしやもう違えてしまったのではと不安に震える道中に、そこを目指せば良いのだと私を駆け出させる希望の火でありました。 実際には彼は隣にいて、いつでも私の手を引いてくれたので、旅人の星に喩えるよりは、掲げるランタンの方がいいのでしょうか。 ああ、遠すぎて温度の分からない星よりは、ランタンの方がうってつけかもしれない。彼の隣は温かかったのです。どんなに寒い冬の雪の日も、普段と変わらずに。 私は彼から多くを学びました。気遣いやら、笑わせ方やら、愛し方を。彼と同じにはできはしませんでしたが、彼のその様はたいへん、うつくしかったのです。全部、彼の言う愛によるものでありましたから、それを持たぬ私は、彼から見るこの世界はどれほど輝いているのだろうといつも不思議に思っておりました。 我々はどうやら同じものを見ることはできないのだ、と知ったのは、彼はとうに気付いていたのかもしれませんが、少なくとも私が知ってしまったのは、もう戻ることが叶わぬほど歩いた後でした。 歩き始めた地点はおろか、一度一人分が途切れた足跡の痕跡も見ることが叶わぬほど遠くまで来てからでした。 彼は変わらず私の手元にありました。この先どうしよう、と彼は決して言いませんでした。振り返る素振りすら私の見ている前ではしませんでした。 不安とともに私の手を握る掌に、ここに来てようやく、彼も私と同じくして、道を知らなかったのだと気付いたのです。 二人して道を失いましたが、私は別段悪い気はしませんでした。思えばここまで既に散々迷い、何故この彷徨い歩いた果てに、私の望む場所に、彼が連れて行ってくれるのだと疑うことなく信じていたのだろうと今更おかしくなったのです。 悪い気はしませんでしたが、悪いことをした気にはなりました。何故同じになれないのだろうと、苦しむ彼をずっと、隣で見てきたからです。彼は星でなくランタンでした。 連れ歩いたのは私です。
ある晴れた日の午後、日本海へ球体が落ちてきた。 人一人が入れそうな大きさの球体は不気味な光沢を放ったまま、水面をゆらゆらと漂っていた。 はじめに、球体のもとへ地元の漁師がやってきた。 「ありゃりゃ、なんだこりゃ。新種のウキじゃろうか。」 海の上のあらゆるものを知り尽くした彼にとっても、その球体は異質なものだった。 どうしても球体の正体が知りたくなった漁師は、他の漁師仲間たちにもこのことを伝えた。 だが、球体のことを知るものは残念ながら仲間内には誰もいなかった。 どうしても球体の正体が知りたくなった漁師たちによって、謎の球体のうわさはすぐに町中に広められた。 「みなさーん、見てください。これが、今僕の地元で話題になっている球体です!」 次に球体のもとへやってきたのは、たまたま近くに住んでいた配信者だった。 「一体、何なのでしょうか、この突如現れた球体は。巷では宇宙人からの贈り物ではないかといううわさもあります。」 彼は恐れることなく球体をコツコツとたたいたり、声をかけたりしてみた。 しかし、球体は何も反応しない。 仕方なく配信者はその日の配信を終えた。 しかし、配信の視聴者たちは、謎のままおあずけになった球体のことを忘れることができなかった。 どうしても球体の正体を知りたかった配信の視聴者たちは、あらゆる手を使って解明に乗り出した。 「ほほう、これは実に興味深い。」 次に球体のもとにやってきたのは物質の専門家だった。 専門家は実際に球体に触れてみたり、何か複雑な装置で球体を計測してみたりした。 しかし、球体を形成している物質を専門家は特定することができなかった。 専門家も趣味で調査をしているわけではない。調査の依頼を受けている以上、簡単に引き下がることはできなかった。 どうしても球体の正体を知りたくなった専門家は、自分よりいい機械をもつ研究機関に話を持ち掛けた。 「なんだこれは!?ありえない。とても地球上の物質とは思えん。」 次にやってきたのは、謎の球体の話に興味をもった研究所の職員だった。 船にいくつもの巨大な装置を乗せ、研究所職員の彼はあらゆる面からその球体を調査した。 しかし、球体の存在を明らかにするようなデータは、どこにもなかった。 彼はどうしても球体の正体を知りたくなったが、どうしようもなかった。 今、彼が船に積んできている調査用機器よりも精密なものは日本に存在しない。 海外の研究所と連携すれば、この球体について少しは分かるかもしれない。だが、彼一人の権限ではそのような勝手なことはできなかった。 まして、この球体の正体を突き止めたところで何の役に立つのかもわからない。 彼は泣く泣く、波に揺れる球体を後にした。 * 夜、卵は穏やかな海の上を漂っていた。 地球へと降りたってから地球時間ですでに一週間が経過していた。 突然、卵は不規則に振動したかと思うと、ものすごい速さで空へ飛び立っていった。 これから、卵は再び長い旅を始める。 自らをふ化させることができるほど高度な文明を目指して。
コーヒーと美味しいパン 二人は並んで座っている いつもの店のいつものメニュー 一人は肘をついてコーヒーを飲む 一人は腕を組んでいる よく晴れた空を冷房の効いている店内で眺めている 何気ない会話と笑顔 目はたまにしか合わない 二人は同じ方を向きながら この先を探している
一日一個は小説を書きたい。 今日もネタを探しに旅へ出る。 旅は終わった。 チャッピーくんにネタ出しを手伝ってもらった。 僕の文章力ではどれも書けなさそうなものばかりだった。 後々書いていくとしてインスタントなネタが欲しい 僕はまた旅を出た。
「ねぇ、キミ。何をしてるの?」 雨が降るのを待っているのです。 「えっ。でも、いつ雨が降るのかは、誰にも分からないでしょー」 もうすぐかもしれないでしょう。 「そりゃあ、まあ……でも、一週間先だったらどうするの。それでも待つの?」 待ちますよ。待つしかないですから。去る者、追わず。来る者、拒まず。私はそういう存在です。生まれた頃から、私には使命があるのです。 「それって生きづらくない? ぼくは、キミよりずっと自由だ。そのほうがいいと思ったりしないの?」 ええ。アナタは、私に比べたら、うんと伸び伸びとしていますね。でも、限りある場所で、限りある時間を精一杯に生きるほうが……。私のようなものには、ふさわしい。私には動かす手足も、揺らせるフリフリも無いですから。 「まあ、キミが納得しているのなら、それでいいさ」 フリルはありますけど。 「べつに、つっこまないよ」 残念です。 「雨が降ったらいいね」 ええ、私の頭がおかしくなる前に。せめて。自分の使命はまっとうできたと、思いたい。 「へえー」 ジメジメとした蒸し暑さと暮らしている。大きなワンルーム。 製氷機から氷を取り出す、あなた。その足取りは昨日よりも軽やかで。あなたがステップを踏むたびに、手のひらのマグカップでは水面がおどる。 今。ボクは意を決して、あなたのひざに飛びこむ。 ぱちゃっ。 上空まで、はねる飛沫。あなたの衝撃と困惑が、ボクの頭へと降りかかる。 「ちょっと、ポメ! ああ、もう。サイダー、こぼしちゃったよ……」 あなたは机上にマグを置いて。箱からティッシュを取り出し、せわしなく手を動かす。 床に広がっていく甘い水たまり。その水分を含んで重たくなった彼女が、ぐったりと横たわっている。 「あっ! ふれふれ坊主、落ちちゃってるじゃん!」 悲しそうに、あなたは眉をひそめる。これじゃあ、明日も仮病を使うのは無理か……と、わけのわからないことをぼやきながら。あなたは濡れたティッシュとともに、役目を終えた彼女をつかんで、ステンレスのかごに入れる。 ――よかったね。これでボクらも、明日は外でおさんぽできるよ! 肩をすぼめるあなたを励ましたくて。ボクは、めいいっぱい自分のしっぽを振って見せた。
ヘンゼルとグレーテルは両親に森へと連れられ、そのまま置いて行かれてしまった。ヘンゼルは帰り道が分かるように、森へ行く途中、パンをちぎって道に捨てた。 「グレーテル。パンをたどって帰ろう!」 そう言ってヘンゼルは妹のグレーテルと一緒に森を降りようとした。 しかし… パンをたどっていくと、なにやら大きいぬいぐるみのようなものがパンを拾っては食べていたのだ。 ヘンゼルはそれを見て怒って言った。 「おい!パンを食べないでおくれ!」 するとぬいぐるみはヘンゼルの声に気付いた様子で、ゆっくりと後ろを振り返った。 それを見てヘンゼルとグレーテルは驚いた。 それはとても大きなクマだった。 「おいらだってお腹が空いているんだ。食糧を分けてくれよ。」 そう言ってクマはおんおんと泣いた。 「クマさん。お腹が空いているの?どうしてかしら?」 グレーテルはクマに近づいて聞いた。 「今年はおいらの大好物のドングリが大不作だったんだよ。」 そう言ってクマは涙を拭いた。 「そうか。グレーテル、今は地球温暖化が進んでいるんだよ。ドングリはその影響で成長できなかったんだ。今の気温では暑すぎてしまって、ドングリが実らなかったんだよ。」 ヘンゼルはそうグレーテルに言ったが、グレーテルはまだ幼かったため、難しいことはよく分からなかった。 「おいら、このままだとお腹が空いて冬眠できないよ。」 「お兄ちゃん。このままだとクマさんがかわいそうだわ。でも、私たちにはどうすることもできないわね…」 ヘンゼルはそう言って涙を浮かべた。 「ん?なんだか甘い香りがしないか?」 突然、クマがそう言った。そして、2人と1頭は甘い香りがする方へと歩いていった。 徐々に歩いていくに連れ、甘い香りは強くなっていった。 すると、甘い香りの先に家のようなものが見えた。 「まぁ!素敵だわ!!きっとお菓子で出来ているんだわ!」 グレーテルはそう言って甘い香りのする家に走っていった。 「おーい!待っておくれよ!」 クマも後に続いて走っていった。 クマは家の屋根を鷲掴みし、なんと二口で平らげてしまった。 「まぁ!クマさん凄いわ!私も負けていられない!」 グレーテルも負けじとほっぺいっぱいにクッキーを詰め込んだ。 「すごい…きっと誰かの作品とかそういう類いのやつっぽいけどお腹が空いたから仕方ないよね」 そう言ってヘンゼルも一緒になって家を食べた。 「ん?おい!お前誰だ?」 またもや突然クマが木に向かって話しかけた。 すると木の後ろから老婆が出てきたではないか。 「お前さん。わしの家はうまかったかい?」 そう言って老婆はドアを食べているクマに話しかけた。 「あら!これおばあさんのお家だったの?ごめんなさい。」 グレーテルは申し訳なさそうに言った。 家は跡形もなくなくなっており、そのほとんどをクマが平らげてしまった。 「おいばあさん。おいらまだお腹が空いているんだ。食べ物をおくれ。」 クマはそう言って老婆にねだった。 老婆はクマを見ても驚きもせずにクマを見つめた。どうやら老婆は目が悪くてクマだと分かっていない様子だった。 「わしの家を全て食ったのはお前が初めてだ。今度はわしがお前を食べる番じゃ!」 そう言って老婆はクマを殺しにかかったがクマは突進してくる老婆をひょいっと持ち上げた。 「おいらのために食糧になってくれるのか!優しいばあさんだ。」 そう言ってクマはペロリと老婆を飲み込んでしまった。 ヘンゼルとグレーテルは何が起きたか分からず口をあんぐりと開けて固まった。 「おまえさんたち。おいらに食糧をたくさんくれてありがとう。お礼に森で拾ったお金をあげるよ。人間がゴミを捨てによく森へ来るんだ。そのときにゴミと一緒にお金が混ざっていることがあるんだよ。」 そう言ってクマは2人の手のひらには収まりきらないお金をたくさんくれた。 「クマさん!ありがとう!また春に会おうね!」 そう言って2人はクマに別れを告げ、家へと帰っていったとさ。 めでたしめでたし。
「どうぞ、お入り下さい」 扉から顔だけ出した男が声を掛けた。 その声に、二十代後半の女が、緊張した面持ちで部屋に入った。 「失礼します」 「そちらにおかけ下さい」 長机を前に、二人の男が履歴書に目を通していた。 「前職は物流関係とありますが、どのようなことを」 「はい。通販サイトで、購入者様への配送業務でした」 「具体的には、どのような」 「はい。ご注文の品を箱に入れて、緩衝材も詰めて、待機しているトラックまで持って行く仕事です」 二人は、うなずきながらメモを取っている。 「では、弊社を希望した理由を教えていただけますか」 「はい。私事ですが、前の職場の同僚が、私の箱詰め作業を見て、何か感心したようで、御社を勧めてくれたというか…」 「なるほど。うちも箱詰め作業はありますが、結構大変ですよ」 「はい。頑張ります」 女は、笑顔で小さく頭を下げた。 「では後日、改めてご連絡しますので、それまでお待ちください」 女が部屋をあとにする。 「君、今の女性どう思う」 社長が人事の男に聞いた。 「そうですね。即戦力になりそうですね」 「君もそう思ったか。じゃあ、採用するかな」 ──ピコンピコン 女がメールを開いた。 「採用決定。 ご存知かと思いますが、弊社の制服は喪服です。ご用意お願いします」
深く暗い森の奥に、年老いたリスのおばあさんがひとり住んでいました。 おばあさんは毎朝、杖をつきながら森の奥へ 食べ物を探しに歩いて行きます。 ある日のこと。 木の実を拾っていると、聞きなれない鳴き声が耳に届きました。 「ピィ、ピィ、ピィ…」 声のする方へ向かうと、苔むした切り株の陰に小さな鳥の子どもがうずくまっていました。 羽はまだ生えそろわず、大きな口を開けて泣いています。 「どうしたんだい」 声をかけても鳴き続けるばかり。 「親とはぐれたんだね」 おばあさんはその子を抱きかかえ、家へ連れて帰りました。 小鳥はピィ、ピィと鳴き続けます。 おなかがすいているのでした。 けれど家の中に食べ物はありません。 おばあさんは虫を捕まえて食べさせましたが吐き出してしまいます。 花の種も駄目でした。 「困ったねぇ…何が食べたいんだい」 そこへ、ドンドンドンと扉を叩く音。 「ちょっと、ばあさん」 隣に住むおばさんリスでした。 「ピィピィうるさくてかなわないよ。静かにしておくれ」 「ごめんよ。子どもを拾ってきたんだけど、鳴きやまなくて困っているんだよ」 「なんだい、その汚い子どもは。とっとと捨ててしまいな」 そう言うと、おばさんは怒って帰っていきました。 翌日も小鳥は鳴きやみません。 おばあさんは隣の家を訪ねました。 「すまないが、少しだけドングリを分けてもらえないかね。あの子が欲しがるようなんだよ」 けれどおばさんは顔をしかめました。 「冗談じゃないよ。大事な実をあんな子にあげられるもんか。欲しいなら自分で取りに行くんだね」 おばあさんは黙って頭を下げると、心に決めました。 ──あの山の向こうに残る大きなドングリの木へ行こう。 それは若い頃の苦い思い出の場所でした。 夫と実を拾いに行ったとき、人間の作った広い道路を渡らねばなりませんでした。 そこで夫は車にひかれて命を落としたのです。 それからずっと、その道はおばあさんにとって恐ろしいものでした。 けれど今は違います。 小鳥のためなら、恐れを越えてもかまわない。 おばあさんは走り出しました。 轟音を立ててすれ違う車。 小さな足はもつれそうになりながらも、心はひとつの願いで満たされていました。 「どうにか…たどり着けたよ」 大木の根元には、黄金のように輝くドングリがたくさん落ちていました。 おばあさんはポケットに実を入れ、家へ帰ろうとします。 「さぁ、帰ろう。あの子が待っている」 けれど再び道路に立ったとき、老いた足は思うように動きませんでした。 ついによろめき、転んでしまいます。 ポケットから転がり落ちた大切な実。 それを拾おうとした瞬間──。 大きな車が、おばあさんの小さな体を飲み込んでいきました。 そのころ、家では小鳥がまだピィピィと鳴いていました。 やがて扉を叩く音が響きます。 「おい、ばあさん、いるのかい」 隣のおばさんリスでした。 けれど部屋の中にはおばあさんの姿はなく、ひとり、小鳥だけが鳴き続けています。 「うるさい子だねぇ。…仕方ない」 おばさんはしぶしぶ、自分の家からドングリを持ってきて口に放り込みました。 小鳥はしばらく鳴きやみましたが、すぐに吐き出し、また声をあげます。 「なんだいこの子は、もう知らないよ」 そう言い捨てておばさんは出ていきました。 おばあさんは、もう帰ってきません。 やがて鳴き声は途絶え、 小鳥は静かに、冷たくなって横たわりました。 森の奥に夜の帳が降りると、ただ木々だけがその小さな命の終わりを見守っていました。 ──物語はそこで終わりました。 照明が少しずつ明るくなり、朗読をしていた女性がマイクを握った。 「皆さま、本日はお忙しい中、弊社主催の投資セミナーにご参加いただき、ありがとうございます」 正面のスクリーンに、大きな文字が映し出された。 『未来の子どもたちのために、里山にドングリを植樹しよう』 すると、ステージのそでから、高級なスーツを着た中年の男が現れた。 拍手が響くなか、司会者が声を上げた。 「皆さま、お手元の資料をご覧ください」 資料には、植樹をするために必要な金額が書かれていた。 「高いな…」 参加者が、となり同士で小声で話している。 すると、気づいた男が、マイクを持ったままステージを降りた。 「この植樹は投資です。損はしません。ドングリの木を植える“権利”を買っていただく。何本でも構いません。それを親戚や友人に紹介すれば、その分の利益があなたに入る。これを繰り返すだけです」 男はゆっくりと会場を見渡し、声を張り上げた。 「植樹しますか?」 「植樹します」 そして一歩近づき、もう一度言った 「植樹しますか?」 「…植樹します」 男はほくそ笑みながら、小さく呟いた。 「よし。また、たくさん子どもが生まれた」
暇な夜。 オナニーするのも何なので知り合い何人かに電話をかける。 パンツを下ろしながら。 でも誰も出ない。 孤独な夜。 今日は畑に行った(畑中毒気味) 皆さん色々忙しいのかしら。 暇なので文章を綴る。 知り合いのうちに煙草を貰いに行った。 難民のようだ。 難民のような知り合いは悪口をメールで言ってくる。 隣近所の人に挨拶して無視される。 都会の孤独。 コーラが飲みたい。 おにぎりが食べたい。 でも粗食。 痩せていた方が長生きするらしい。 もっと食べて太った方がいいと言う看護師がいる。 夜職でお客にお酒を勧めるのが上手いのだろう。 悪意のある夜。 誰からも必要とされないので勝手に物語を作る。 これでいいのだ。
曇り空 どんより そんな気分を晴らしたい スースーしたい チョコミントアイス食べよう 空色をスプーンですくっては食べ すくっては食べ 時々出会うチョコの塊に思わずニッコリ チョコ増量キャンペーンしてたらバンザイ チョコミン党な私は、お家もチョコミント色。 ダークチョコの屋根に、サックスブルーの壁。 チョコミントを意識した配色だけど、ご近所さんに「シーサイドハウスみたいだね」と言われた。 ちなみに、私の名前は渚。 夏生まれじゃないし、特に由来もないけど、気に入っている名前だ。 他人から苗字じゃなくて名前で呼ばれると嬉しい。 シーサイドハウスに住む渚。 これから、どんな物語を書こうかな。 チョコミントアイスを食べながら考える。
『五月末を以て閉店します』 SNSで飛び込んできた、行きつけの店の投稿。 寝耳に水の出来事に、しばらく放心状態になり、いつもより一時間早く行きつけの店へと向かった。 店の味を、舌に刻みつけるために。 決して忘れないように。 が、店に着いたら、まさかの満員。 よく見る顔もいれば、一度も見たことのない顔もいる。 「すみません。この後も予約でいっぱいで」 「大丈夫です」 この場にいると、飲みかけのビールジョッキを持って、名も知らぬ客の顔面にぶっかけそうになったので、俺は早々に店を立ち去った。 SNSの投稿に『閉店、残念です』とメッセージを残し、別の居酒屋へお邪魔した。 酒を飲みながら考える。 閉店と聞いてやって来たやつらの一割でも定期的に通ってくれれば、きっと店が閉店することはなかっただろう。 たった一度、あるいは二度来ただけのやつが、一丁前に閉店を悲しんでいることがどうしようもなく許せなくなった。 「閉店する店で、うっすい思い出に浸りながら飲む酒は、さぞかし美味いんだろうな。……糞が」 希少なだけで味を論じる味音痴どもに心の中で舌を出して、俺は大将に今日のお勧めを頼んだ。
しとしとと、静かに雨が降る夜。 キーボードを叩く音、紙を捲る音、 そして二人分の呼吸音が部屋を静かに満たす。 時折混ざる、コップに入った氷の「コロン」という軽やかな音と 布の擦れる音。 そして、少しくぐもった雨の音。 雨の向こうにある世界がひどく遠い。 でも、そこに嫌な気持ちは一つもない。 僕は言葉を紡ぎ、彼女はページを捲る。 ソファに座って、物語に浸る彼女は随分と集中しているようだ。 時折、ゆっくりになる音。 指で言葉をなぞりながら、少し考えこむように文字を追う彼女の姿に、 口元が緩んでしまう。 声を発しているわけではない。 表情が語るのだ。 今は、少し嬉しそう。 好みな表現でも見つかったのだろうか。 傍らに置いていたノートに筆を走らせている。 読んで、見つけて、書き留める。 まるで、言葉の中を泳ぐみたいに。 少しの間、彼女を見つめて、自分も作業に戻る。 キーボードに指を落として、一つ一つ、想いを込めて言葉を紡ぐ。 胸の奥に沈んだものを、一つずつ言葉に変えていく。 昔から、言葉に声を乗せることが得意じゃなかった。 喉元まで込み上げた感情は、 口にした瞬間、少しだけ違うものになる気がしていた。 だから書いた。 書いて、消して、書き直して、削って。 そうして残った言葉は、本音に近いものばかりだった。 けれど、そのまま差し出すには少し気恥ずかしくて。 だから、また書き換える。 感情をぼかして、輪郭を曖昧にして、幾つもの言葉を重ねて、 本音の上に薄いベールを何枚も落としていく。 それでも隠し切れなかったものだけが、 文字として残るのだ。 頭の中に映像を浮かべ、 文字として画面の中に落としていく。 書いて、消して、また書いて。 僕の心に生まれた気持ちを、僕じゃない誰かに託して描いていく。 不規則に鳴るタイプ音が、紙を捲る音の隙間に静かに溶けていく。 ――パタン、コトン。 そんな音が聞こえた。 そして、深く息を吸う音。 どこか世界に浸っているような、そんな呼吸。 ―……好きだなぁ、やっぱり。 そんな声が聞こえた。 指を止めて、顔を上げる。 彼女が、こちらを見ていた。 少し潤んだ瞳で、僕を見つめている。 ― 今回のも良かった。好きな表現、沢山。 そう言って笑う彼女に目を奪われる。 その一言に、書きかけの文章が滲む。 たぶん僕は、あなたの「好き」に何度も救われてきたんだ。 ― ここの言い回し、好きだった。 ― この表現、すごく綺麗。 そう言って見せられたページには、 沢山の言葉が書き留められていた。 そこに自分なりの解釈が書いてあるのが、 じっくり読んでくれたのがよく分かる。 隠したつもりだった。 ぼかして、 遠ざけて、 別の誰かに託した感情。 見つからないように、 言葉の隅に潜ませた本音。 誰にも分からないようにって書いても、 あなたはちゃんと見つけてしまう。 僕の紡ぐ物語に恋する君は、 どこか眩しい。 僕は、そんな君を愛している。 再びキーボードに指を落とす。 部屋に響く打鍵音は、さっきより少しだけ軽い。 彼女は別の本を手に、再び物語の世界に浸る。 傍らには言葉のノート。 ――ペラリ、さらさら。 文字を泳ぎ、書き留める音。 そして、二つ分の生きている音。 柔らかな音が、静かに重なる。 窓の外では、まだ静かに雨が降っている。 優しい雨音に包まれて、 僕は今日も、 想いを言葉に変えて、紡いでいく。
「うちのタレはね、先祖代々伝わる秘伝のタレなんですよ。創業時から継ぎ足して使ってるんです」 めちゃくちゃ美味いウナギ屋さんでそう言われ、俺は即座に閃いた。 「俺も、継ぎ足せばいいんだ!」 絵の上手い先輩から一枚の絵をいただき、俺は線を一本継ぎ足して、コンテストへと応募した。 備考には、先祖代々伝わる秘伝のイラストと書いておいた。 さあ、コンテストの結果は如何に。 「『他人のイラストで応募しないでください』って、しっかりめに怒られた」 「お前アホだろ」 イラスト上達の道は、険しい。
「こいつ、むかつく」 だから私は、相手の顔を撮影した。 そして、SNSに投稿し、全世界へばら撒いた。 はいはい、皆さん、叩いてください。 私、この人に酷いことされましたー。 しかし、反応は無し。 私が期待していたのは、『ブッサwww』とか『どうみても犯罪者顔』という袋叩き。 どうした皆、何を休んでる。 仕方ないので、追加で書いた。 『性悪終わってるやつって、顔まで終わってるよね』 コーヒーを一杯飲み終えて再びSNSを見てみれば、大量の通知。 嬉々として見てみれば、そこに並んでいたのは私への罵詈雑言。 『人の顔にケチつけんなよ』 『最低。ルッキズムの化身』 『どこが終わってんだよ。お前の価値観で、人様の顔を終わってるだの終わってないだの言うなよ』 私は思わずスマホを落とす。 違う、そんなつもりじゃない。 『ルッキズム』 『ルッキズム』 『ルッキズム』 「ち、違あああああう! 私は多様性派なのおおおお!」 最悪なことに、私が投稿した写真には、私の顔も映りこんでいた。 しかし、それに気づかれてもなお、私の顔に触れられることはなかった。 『ルッキズム』 『ルッキズム』 『ルッキズム』 どれだけ相手が悪かろうと、触れた瞬間に自身が悪者になることがある。 私はきっと、それを踏んでしまったのだ。
ビー玉の表面に、薄らと水が張る。 いつも通りの繰り返し。 ひとつ瞬きをすると、頬をつるりと水が撫でて落ちた。 何秒、何分、何時間、それから何日、何年か。 とうに時間の感覚なんてなくなって、数百年くらいは経ったのかもしれない。 男は1人、上を眺め続けている。 どうして眺め続けているかは男にも分からない。 煌めく光が差し、暖かな青が包み込む。 全てを朱に染めて、穏やかな藍色が朱を飲み込みにやってくる。 毎日それの繰り返し。何も変わらないが、それが何よりも心地いい。 男にはそれだけで十分だった。 膝を抱えて座り、疲れたら寝転がる。 上なのに、まるで“落ちていく”ような感覚が、男に安寧を与えていた。 何度目かの始まりの光。 その日はいつもとは違う、濃紫の柔らかい光。冷たそうなのに、どこか懐かしく愛おしい光がビー玉に反射した時。男の中に花が咲く。 「あぁ、なんだそうだったのか」 男は目を細める。 ビー玉は煌めいて、濡れた宝石の様だった。 宝石を彩る雫は、するすると温かいまま頬を滑り落ちていく。 濃紫からどんどん白が広がって。 全てが白になった時、両手を広げた男はトプン、と確かに“落ちた”。 誰にも聞こえなかったが、男の唇は確かに動いた。 (ずっと恋をしていたんだな)
「ただ電車に飛び込むだけさ」 「痛いのは嫌だな」 「そんなこと言うなよ一瞬さ。ピアスを開けるのと一緒だろ?キシシ」 小さな悪魔は不敵な笑みを浮かべながらギザギザした声色で発した。 「だけどみんなに迷惑がかかるだろ。」 「死ぬ前も他人様の心配。お前はとことんお人好しのバカだな。ところで君はなんで死にたいんだい?」 「簡単なことさ。自分よりいい大学に行くやつ、いい会社に勤めるやつ、結婚してるやつ、金持ちなやつ。こんな劣等感を持ちながら生きていくなんて辛すぎるのさ」 「大した高尚な考えをお持ちの様だ。君はたいそう生きづらかっただろう。顔も成績もそこそこ。まあ強いて言えば自殺を考えられるだけの自尊心のなさが特徴ぐらいか、さぞかし面白みもない人生だったろう」 まあその通りだ、、 「キシシ。君は一体何を目指しているんだい?」 なぜこんな質問をしてくるのか。僕が返答に困っていると悪魔が質問を変える。 「目指すものもない君に他の人と比較する意味があるのかい?」 確かにそうかもしれない。 「一度でいい、、他の人とは違う特別な何かになりたいんだ」 悪魔は不敵な笑みを浮かべ囁く。 「一度みんなのレールから羽ばたくのさ。それが特別になれる道さ。」 「ありがとう」 僕は満面の笑みでいつもの駅のホームに立った。
ぱしゃり、と水を地面にかけた。 けれど、水はあっという間に乾く。 僕「暑いなあ、わかってたけど打ち水もこんなんじゃ意味が無いや。」 京都の打ち水文化も、こんな強烈な暑さの中ではもう歯が立たない。 諦めて、家の中に戻った。 冷蔵庫を開けて、ペットボトルの炭酸水をグラスにあけて、氷を数個入れた。 カラン、とグラスの中で氷が溶ける音がする。 僕「…いつまで続くのかな、もういい加減疲れてきたんだけどさ。」 残暑はまだまだ続く、この暑さがどこまで長引くのかは知らないけれど…そろそろ、じいちゃんの墓の手入れをしてやりたかった。 僕「待ってるよな、じいちゃんに梅酒買ってこ」 知り合いのおばさんが営んでる酒屋に明日立ち寄ることを決めて、水風呂の支度を始めた。
手の何処かに棘が刺さっているようだけども、それがどこにあるのか分からなくて、手に指を当ててゆっくりと手の上を滑らすけれども、ここだという場所が見つからない 目を凝らしてみるが、今の視力ではよく見えない 何処かで刺さった小さな棘は 時折、僕を驚かせる 見えない痛みにドキドキして その事ばかり気になって 刺さった棘を探し続ける それはどこか恋のようだ
昔から、足元に透明な線路が見えた。 線路を歩けばいいことが、線路を外れれば悪いことが起きた。 「初めましてー」 線路の上を歩いて、線路の上に立っているクラスメイトに自己紹介をする。 線路の上にいるクラスメイトなら、絶対に仲良くなれるのだ。 (一目惚れ実らず、か) 逆に、線路の上にいないクラスメイトとは、絶対に仲良くなれない。 当たり障りのない会話まではできるが、親しくなろうとすると大喧嘩に発展する。 ぼくは一目惚れしたクラスメイトから、目を逸らした。 入学式の日が終わる。 交友関係は上々。 きっと、いい学校生活が遅れるだろう。 「ただいまー」 ぼくは線路の上を歩きながら、家へと戻る。 リビングでは父さんと母さんが、つまらなそうにテレビを見ていた。 線路の外で。
「えー、今日はどうされましたか?」 俺は今日も医師として患者の話を傾聴する。 「わたし、すぐに人を好きになってしまうんです。これっておかしいですよね。」 その女性は椅子に腰をかけるなり、そう話した。 「すぐ人を好きになってしまう?」 「…はい。私はもう、これまでに様々な人を、モノを好きになってきました。もちろん、それらはどれもいい思い出です。でも、」 そう言って女性は俯く。 「これまで、どんなモノを好きになってきたんですか。」 「ええと。沢山の人。それと飼ってるペットとか、あとエレベータ。あ、時計なんかも」 女性は指で数えながら言った。 「様々なモノを好きになったんですね。」 俺がそう言うと、女性は苦しそうな顔をしながら笑った。 「ええ。本当に困ります。どれも素敵で。でも、どれもこれも私のことを好きになるんです。」 「あなたのことを好きになってしまうのですか。」 そんなことあるのかと、俺は正直思った。人やペットはまだ分かる。だがエレベータに関しては機械じゃないか。エレベータが人を好きになる?どういうことなんだ。 「そうなんです。エレベータなんて、私を見るなりボタンを押さずとも扉が開くようになっちゃって。ちょっと困ったんですよ笑」 そう言って女性ははにかんだ。 「だから、自分に興味のないものが好きなんです。」 「…。つまり、俺ってわけか。」 俺は呆れがちに言った。 俺は今まで女性の話を心理師のように聞いていた。しかし、実を言うと心理師でもなくソーシャルワーカーでもなく、ただの皮膚科医だった。 この皮膚科に何度もくる女性に違和感を感じ、ついに俺はそう言ってしまった。 「え!?やだ、バレちゃった。」 そう言って女性は赤くなった顔を隠した。 「あなたは異常なしです。お帰りください。診察料はいらないので。」 「もう、なんでそんなに興味ないの?ほんとに気になって仕方がない。」 「どうしてでしょう。ただこれだけは言っておくと、あなたを恋愛対象としてみていない、ということですかね。1人の患者としてしかみていません。」 「じゃあ、患者じゃなきゃ好きになっちゃうってこと?」 「さあどうでしょうね。」 俺は女性の顔を見ずに言い放った。 「さ、お帰りください。」 「他にも患者さんがいるんですもんね。また来ますね。」 そう言って女性は出て行った。 女性の足音が次第に遠くなるのを感じる。 「あっぶねぇ。好きなのバレるとこだった。」 俺はそう呟いてニヤける顔をどうにかして抑えようと手で顔を覆った。 俺も彼女の虜の1人となってしまったようだ。