鍵のついた本

川沿いにある骨董屋。 白髪交じりの女が、奥の椅子に腰掛けている。 ──ギィー、ガチャン。 男が入ってきた。 店の中をゆっくりと見て回る。 そのとき、壁の戸棚に目が止まった。 「これは何ですか」 「知らん」 「売り物ですか」 「あぁ」 男は、戸棚から一冊の本を手に取った。 「鍵つき…鍵はありますか」 「ない」 表紙を眺めながら、しばらく迷った。 そして、安くはない金を払い、店を出た。 帰り道、鍵屋を探す。 「すみません。この鍵、開けられますか」 店主は本を手に取り、鍵穴をレンズで覗き込んだ。 「これ、無理に開けるより鍵作ったほうがいいな。どうする」 男は、鍵を作ってもらうことにした。 そしてまた、安くはない金を払った。 郊外の一軒家。 部屋には、趣味で集めた骨董品が並んでいる。 机の上に本を置くと、小さく深呼吸をした。 ──カチ、カチ。 鍵を回し、重たい表紙を開いた。 「二百年前か…」 最初のページには、日付と「予言書」の文字があった。 男は、ゆっくりと時間をかけて読んだ。 すべてを読み終えると、本を抱えて家を出た。 ──ギィー、ガチャン。 「これ、買い取ってくれ」 「安いよ」 女はカウンターに、わずかな金を置くと、 戸棚に本を戻した。 「予言、全部はずれだったぞ」 「知らん」 店を出た男は、持っていた鍵を川に投げた。 川の底には、同じ形の鍵が、キラキラと光っていた。

少しだけ

「いいのか?」 「いいよ」 私が言うと、アイツは一歩、近づいて―― でも、たぶん、躊躇いがあったのかもしれない 私とアイツの唇は 少しだけズレて重なった

梅雨明け

梅雨明け 雨が嫌いではない私は、少し残念な言葉だ そもそも何故雨が良いのか 考えたこともなかったが、改めて考えてみる 雨の中を歩いていると、安心している自分がいる アスファルトに薄い水の膜が出来る 歩く度に靴が水を跳ねて裾を濡らす 傘のどこかに雨漏りがあり、時たま頭をヒヤリとさせる でもその出来事が自分の中だけで、周りと私は雨の壁で隔離されている。 雨の日に感じる安心感はそんなところから来るのかもしれない。 雨音もそうである 雨の音は落ちる先で変わる 屋根の上、ビニールの上、葉っぱの上、車の上。その融合した音色で私を包み、他の音を届かなくしてくれる。聞きたくない音や声を。 そう思うと私は神経過敏な人間だったのかと笑ってしまうが、強ち間違いでもないのであろう 梅雨が終わってゆく 夏が来る 彼女の季節もまた好きではあるが。

背中の見方

下町の路地裏。 伝統工芸職人の男と、その妻が暮らしている。 「あなた、また来てるわよ」 「知らん。ほっとけ」 弟子入り志願の若い男が、玄関の脇に立っていた。 「弟子にしてください」 職人は気にせず、木槌でノミを叩いた。 「どうせ、続かん」 「話だけでも聞いてあげたら?」 次の日も、また次の日も。 若い男は、玄関の前に立った。 ──ガラガラガラ。 「入れ」 「ありがとうございます」 「続ける自信は?」 「死ぬ気で頑張ります」 妻が頬を緩めた。 「二階の奥の部屋を使って」 若い男は作業着に着替えると、職人の後ろに座った。 「師匠の背中を見て、精進させていただきます」 深々と頭を下げた。 職人の木槌を振る手が止まる。 そして、壁に貼ってあるQRコードを指さした。 「それ、俺の動画。それ見て覚えて」 「動画、私が撮ったのよ」 二人は、顔を見合わせて笑った。

分断必然社会

「男がいるから加害が起きる! 男が世界から消えるべきだ!」 「女がいるから冤罪が起きる! 女が世界から消えるべきだ!」    偏り切った思想のぶつかり合い。  解決策は、無慈悲な神の介入で、無情な運任せとなった。   「サイコロを振る。奇数なら、女を生かす。偶数なら、男を生かす。同性だけでも子が成せるよう、改良を加えて」    全人類が見守る中、サイコロが降られ、出た目は1。    世界中の男が消し飛んで、残された女の一部が両手を上げて喜んだ。   「加害が消えた!」 「邪悪が消えた!」 「真に平和な世界が訪れた!」    神が消えて一週間。  女たちは、重要な会議を開いていた。   「加害者がいない。これでは誰の罪も糾弾できない。よって、ここに決めたい。どんな女を罪人とすべきか」    自分が決して含まれない、六種類の人間像を提出し、人間の手でサイコロが一つ振られた。

うつろな視線のその先に

あ、壁ドンきそう 素早く脇に避けた わたしの後ろでマヌケに ドン 音をさせた本人は 呆然と壁を見つめている 壁と話してるみたいなその男子の目 死んだ魚みたいにチカラがなくて 男子のうつろな視線の先には渋いポスター 創作落語用の台本を募集してるみたい 集まりが悪いんだって 何か書いてくれないかとわたしにも声がかかった 「書いたことない」 「なんだっていいんだ」 なんだっていいわけないことを言われ まったく書く気にならなかった なんだっていいなら 何も書かなくってもいいんじゃない? だからみんな書かないんだよ そう言えたら、どれだけいいか   青春の 言葉のうえに あぐらして     しかし何かを 成したと言うのか

死ぬ権利

ある政治家が緊急記者会見を開いた。 真剣な面持ちでマイクの前に立つと、集まった記者たちに一礼した。 「私は、国民の皆様の死ぬ権利を保証します」 政治家は動じず、淡々と語り始めた。 「我が国の医療費は年々増加しています。私は、医療費削減のため『尊厳死還付支援金等に関する法律の一部改正を認める法案』を国会に提出しました」 ざわつきの中、政治家は続けた。 「医学的に延命治療が不可能な患者様が尊厳死を選択した場合、延命を続けたときにかかる医療費の半分を還付金として支給します。 申請の妥当性は、AIのみで構成される第三者委員会が判断します。本人、家族、後見人等が尊厳死を理解し、同意することが前提です」 テレビの画面を見つめる女。 その隣には、長い間管につながれたまま眠り続ける夫がいる。声をかけても反応はない。そんな時間が一年を超えていた。 テレビの司会者が、評論家の女に質問した。 「あなたの立場から、今の社会の風潮をどう考えますか?」 「最初は倫理的にどうかなと思いました。でもね、家族の金銭的、精神的負担を考えるとね。国も医療費を減らしたいと思っている。時代の流れかしら」 法案は成立し、運用が開始された。 AIは、不正申請や悪質な養子縁組なども瞬時に判断した。 その実績を政府は大々的に報道し、制度の正当性をアピールした。 あの政治家が再び記者会見を開いた。 「政府は規制緩和の一環として、支援金の有効活用を目的とする民間企業の商品開発、および第三者委員会のAIの一部利用を許可します」 感嘆の声が会場に響いた。 支援金は国民の生活に変化をもたらした。 「故人からの最後の贈り物」として美化され、生活の一部となった。 夫婦の病室。 温かいタオルで夫の体を拭く妻。 医師やAIからは、すでに受理のサインをもらっていた。 署名をすれば終わる…。 妻が机の上を見つめた。 そこには、笑顔で寄り添う二人の写真が飾られていた。

まかない一つ

「まかない一つ」    妙な客が来た。  メニューにない、まかないを注文するなんて。   「すみませんね、お客さん。まかないは、従業員向けにしか作ってないんですよ」 「ええ! でも、天むすってまかないから生まれたし、つけめんもまかないから生まれたじゃないですか。まかないを客が食うなんて、よくあることですよ」    詳しい。  なんだこいつ、まかないマニアか。  しかし、だからといって、うちがまかないを客に提供する理由にはならない。   「お客さん、何度言われても駄目なものは駄目なんです。確かにそういう例はあるのかもしれないですが、うちではやってないです」 「そこをなんとか!」    両手を合わせて頼んできた。  何故、そこまでまかないを食べたいのか。   「駄目なものは駄目」 「この通り!」    ついに土下座まで始めた。  一体何が彼をここまで突き動かすのか。   「……なんでそんなにまかないを食べたいんですか」 「ほら、俺ってこの店の常連じゃないですか」    待って、記憶にない。  この客、常連だったっけ。  まかないまかない五月蠅いから、今日から出禁にするつもりだった。   「はあ」 「もうこの店の全メニュー食べ終えたから、他に食べたことないのって考えたら、まかないだって思って」    納得した。  全メニューを食べたから、常連を自称していたわけか。  うちのメニュー、ラーメンと餃子とチャーハンしかない。  しかも、だいたい皆、ラーメンと餃子と半チャーハンのお得なセットを頼む。  全メニューを食べたら常連なら、客のほとんどが常連だ。   「しかたねえ。作るよ、まかない」 「本当ですか!」 「その代わり、あんた今日で出禁だから」 「構いません! どうせ全メニュー制覇したら、来ないつもりでしたし!」    おい、ふざけんな。  まあいい、どうせ出禁になる客だ。  厄介客には、最低限の言い分を聞いて、さっさと帰ってもらうに限る。  俺は中華鍋を振るって、さっとまかないを作り上げた。   「へい、お待ち」 「……なにこれ?」 「メンマ丼」 「ラーメンじゃないんかい!」    まかないを見た客は不機嫌そうだったが、一瞬で平らげ、店を出て行った。  ああ、ようやく店に平和が訪れた。  開放感でいっぱいだ。    俺はメンマ丼の器を下げて、次の客の注文を待った。  次は、まかないを寄こせなんて言わない客が希望だ。       「ご覧ください。こちら、メンマ丼発祥のお店です」    後日、なんか流行った。  本当に、人生どうなるか分かんねえもんだ。   「では、メンマ丼を頼んでみたいと思います。すみませーん! まかない一つ!」 「まかないは、従業員向けにしか作ってないんだよ!」    廃業すっか。

おねえちゃんな女の子

妹なんてだいっきらい。 ままとぱぱの目を独り占めするし、親戚の集まりでも妹ばっかりちやほやされる。 なんで、なんで、なんで。 あきが生まれる前までずっと私をみてたじゃん。 なんで、なんで、なんで。 意味わからない。 妹、あきが生まれる時、ままは私にプレゼントを渡すときのようにもったいぶって言った。 「はるに」 「なになに?」 「妹ができまーす!」 「え」 妹ができるって普通は嬉しいことなのかな。 私は欲しいなんて一言も言ってないし、ぱぱとまま二人だけでよかった。 なのに、どうして 「うれしい」 生まれて初めて嘘をついた。作り笑いもした。 「はるももうお姉ちゃんだね」 パパが嬉しそうに言う。 何がそんなにうれしいの? お姉ちゃんがいる友達に相談したら、妹いいなーって言われた。 一人っ子の友達に相談したら、兄弟いいなーって言われた。 誰もわかってくれない。 お姉ちゃんなんてやめてやる。 妹なんてだいっきらい。

お狐さまと暮らす特に何も起こらない日常:12

【そして引っ越し、でもね、お稲荷様のせいばかりではないのだと思いながらも、やっぱり冷蔵庫のなかは油あげでいっぱいだ】  トゲが抜けると、いままで止まっていたものが一気に流れ出した。あれだけさがし回っても見つからなかった引っ越し先があっさり見つかった。となりの街の、お稲荷様の横の一軒家。僕にしてもお狐さまにしても、住み慣れた街を離れるのは苦しい選択だったけど、下見に行ったときお狐さまが「落ち着くことよなあ」としきりに言っていたのもあってそこに決めた。もちろん、となり街にもスーパー「39ベリマッチョ」はある。  神社の背景にはやや似合わないシロツメクサがわんさと生えている庭で、お狐さまは毎日ひとつ、四つ葉をさがすのを、引っ越してから日課にしている。 「今日も見つけたの?」 ―うむ。わけはない  お狐さまは見つけてきたその四葉のクローバーを、ジャムをたっぷりのせたパンの上に置き、あまりにも無造作に口へと運ぶ。 ―どうした? 「なんか、いいなあって」 ―ん。四葉のことかな? 「うん」 ―ならば明日、余分にとってきてやろう 「それはいいよ」  目だけで「こういうのは自分でとらないとって思うから」と僕は答える。 ―うむ。そのとおりじゃな  いつものように表情だけでお狐さまは応じ、ミルクティーに口をつける。  僕とお狐さまの、特に何も起こらない一日が、そうやってはじまっていく。

現状維持

 次の日、朝は消えた。  厳密にいうと、朝から昼にかけて、空の色がオレンジ色になった。  雨が降った日は曇り空。晴れていたら茜空。雪の降る日は白い空。太陽は東から昇り、西に沈む。夜を迎えるまで、空が青くなる瞬間はなかった。 「これじゃあ、夕方と区別がつかないじゃないか!」  ということで、私達の知る朝、あの青空を正しく取り戻そうと、いくらかの人々が動いた。彼らは『朝と昼の会』を結成し、署名活動を行った。でも、彼らの思惑通りに事は進まなかった。  ある人曰く、「べつに青空じゃなくてもいいじゃんね? オレンジ色のほうがカワイイしー。むしろ最高じゃん!」  ある人曰く、「私ね、夕焼けが好きなんです。見てくださいよ、この燃えるような色。素晴らしいじゃないですか。この空がいつでも見られるなんてね。願ったり叶ったりですよ」  と、まぁ、必ずしも「オレンジ色の空のほうが好きだ」という意見は多くなかった。それでも青空を見せない朝に、人々は存外あっけなく適応していった。  『朝と昼の会』の活動が下火になった頃。今度は、茜空が消えた。  日が昇り、日が沈むまで、空は真っ暗であり続けた。ただ、太陽の光は白く、照らされた大気は少しだけマゼンタに染まっていた。  朝も昼も夕方も、区別できないまま存在を消した。時間帯はすべて「夜」に統一されたかに思えたが、それは空のきまぐれで。我々にとっては、起きて活動する時間がちょっとだけ短くなる程度の変化だった。  ある政治家は言った。「これは政府の、国家の陰謀だ!」  あるコメンテーターは笑った。「あなた、政治家でしょ? ご自身の立場をお忘れで?」  ただのコントだった。いつもの調子でしゃべっているだけ。だから、あまり笑えなかった。  この世界の仕組みだって、きっと同じ。いつ太陽が沈み、月が昇ったのか。べつに気づけなくたって、生きていけないわけじゃない。いつものこと。至極当然のこと。  今日も、人々は通勤カバンや通学リュックを携えて、交差点を渡っている。信号機の真下には一人、プラカードを掲げた人物が立っている。  カードには一言。『朝と昼と夕方と夜を取り戻す!』  はて、そこに「夜」と書かれていたことが、ひどく印象的だった。  私達は日々、突如として何かを失う可能性にさらされている。予告のない会議。予告のない告白。予告のない爆弾。それでも人々は適応して、そのたびにどこかでプラカードが掲げられる。きっと、そういうものなんだろう。  我が物顔で道を歩く子ども。髪の手入れに余念がない青年。ミニマリストを極めた店員。電話の前で深呼吸するあなた。真面目を褒め言葉だとばかり思ってきた、どこかのしがない物書き。  モノは変わる。空も犬も人も。増えたり、減ったり、伸びたり、縮んだり、欠けたり、老いたり、腐ったり、壊れたりして。モノは変わる。  でも、変わらないものがある。変わりたくて、変われなくて、変わらない。そんな今をかわるがわる享受する他にないなら。ないなら……  私は黙って空を見上げた。真っ暗で、吸いこまれるようで、答えもくれないソイツを。  ハハ。朝とか昼とか、そんなふうに分類していた頃が懐かしい。今。ここには今しかない。  だから、笑った。プラカードを持つ手が少しふるえた。仕方ないって、目の前の私が笑ってた。

人喰い魔女の初恋

ある所に一人の美貌に溢れた魔女が居ました。その魔女は人間を食うのが好きで、毎日のように人に化け人を魅了し喰らっていたのです。 ある日、魔女は森の中で呟きました。「もっと美しい人を食いたい。」 魔女は村の中で美人と噂される女性や、国の王子様などを一人一人観察し、美しい人を探し回りました。 ですがどれだけ経っても見つかりません。 空腹に耐えかね、過去喰らった死体を食い尽くし、自分の腕までも喰らいました。腕はすぐ生えてくるし、自分の肉なんて美味しくない。そう思った魔女は、誰でもいいからと人を探しました。 一人の男に出会いました。美しいとは言えない外見。美味しくないだろうなと思いながらも魅了し森の中へ導こうとしました。 その男は誰より優しくて、森の中に行きたいと言えば危ないと止め、二人きりで話したいといえば公園に連れて行ってくれました。 色んな人に裏切られ育ってきた魔女は、その優しさに惚れました。もう人は食わない、そう決めて男の元で暮らしました。 幾年経って、男の寿命が来てしまいました。2人の家で、男の手を握って目を閉じる瞬間を見つめていました。最期にくれた言葉は「愛しているよ。」でした。 「なぜお前は人喰いの魔女に、なぜそんな美しい言葉をくれるんだ。早く食ってしまえばよかった。そうしたら、きっとこんな気持ちには出会わずに済んだ。」 魔女は男の傍から離れ、一人森の中で泣きました。声を出して泣きました。 「どうか私を、許してくれ。」 その時、一人の天の声が魔女に向かってこう言いました。 『お前が死んだら許してあげるよ。』 魔女は天に向かって手を伸ばし、天に授かりし棘のあるバラの茎で、自分の首を刺したのでした。

とりあえず生きて、あとはそれから

 始発点と呼ぶにはあまりにも遅くて、終着点というにはあまりにも序盤で。  そんな、未だ道の途中に立っている私は静かに、その列車を待つ。どこへ向かうかもわからない、ダイヤグラムなんてない、そんな列車を。  まるで無限にも感じられるような時間を、ただ待つことに費やしていた。  世界を眺める中で私は、この世界の在り方を知った。  雲の隙間から差し込む光彩。乱反射する水面はたまの風に凪いで、遠く広がる。  朝焼けとも夕焼けとも呼べない、少し褪せた色彩を纏うその地平に、いつしか心を奪われてしまっていた。 「あの景色の中に、消えることができたのなら」 「いつかの世界に、還ることができたのなら」  思考を許して呟くのは、そんな言葉。何処へも行けない、何者にも成れない私の、ささやかな苦しみ。  吐き捨てることもできず、内に留めておくだけで、私は何も変わらないのに。 「そんならそれでいいじゃないか!」    傍で笑う君は鮮烈に、私の心に溝を残した。それを埋めようと必死だったのは、他でもない私で。  今は聞こえないそんな声に、どこか心を閉ざしていた。 「とりあえず生きて、あとはそれから」 「たったそれだけで十分だから!」  軽快に、そして鮮やかに、君は笑う。遺してくれたたったそれだけの言葉が、やけに五月蠅く頭で響く。 「……わかったよ」  仕方ないな、と口にする間もなく。  開いたその奥へ乗り込む。  今から向かうのは未来。決まり切っていない、私だけの未来。  ほんの少し閉じ籠っただけの心だけを頼りに私は、またこの時間を縫うように走り出した。  瞳の奥で、世界が弾けた。

ひきだし

ひきだしの消しゴムは あの人から借りたもの 返せぬまま、いや そうじゃない 返したくなかった 想いをよせて、唇でふれる あの人を好きになった記念に

書籍Aと書籍Bは似ている

 太郎君は、牛肉と豚肉と鶏肉の区別が尽きません。  花子さんは驚きましたが、理由を知ると納得しました。    太郎君は、肉を食べる時、肉を食べているとしか思っていなかったのです。  今、自分が食べているのは牛肉なのか豚肉なのか、それとも鶏肉なのか、考えなければ区別なんてつくはずもありません。    太郎君は、他の区別もつきません。    読んでいる二冊の本の区別がつきません。  どちらも主人公が頑張るからです。    見ている二つのアニメの区別がつきません。  どちらも主人公が頑張るからです。    買い物をする二つのコンビニの区別が尽きません。  どちらも物が買えるからです。    花子さんは、太郎君に何も教えません。  太郎君が困っていないから。    花子さんは、太郎君に何も教えません。  太郎君は区別こそついていない物の、「この二つは同じ物じゃん」と言わないから。    人に迷惑をかけなければ、太郎君の生き方は太郎君のものです。   「今日は私がハンバーグを作ってあげる」    花子さんはエプロンを巻いて、肉の種類を口にすることなく、料理を作り始めました。

あざやかで ちょっとだけ

ほっぺがふくらんでいる男の子 虫歯なの? きいてみるとその男の子 えー 舌を出した 舌の上にはまあるい飴玉 オレンジ色の飴玉 夕陽みたいにあざやかで ちょっとだけさびしげ 西の空 沈みゆく おおきな飴玉 あざやかで でもちょっとだけさびしげ

天使と天使

クリニックの診察室。 男は困った顔で、ドクターに話し始めた。 「先生、時々、耳元で声が聞こえるんです」 「それはそれは……幻聴ですね。どんなふうに聞こえますか?」 「天使が二人、右と左で囁くんです」 ドクターはペンを止め、じっと男の顔を見た。 「天使と天使ですか。天使と悪魔じゃなくて?」 「はい。どちらも『自分が天使だ』と言い張ります」 ドクターは笑いをこらえ、咳払いをした。 「いや、失礼。珍しいケースですね。ふつうは善悪の対立があるものですが、両方が天使となると……判断が難しい」 「先生、僕はおかしいんでしょうか」 「おかしいというより、興味深い」 ドクターはカルテに走り書きをしながら、声のトーンを落とした。 「その二人の天使は、あなたに何を囁くんですか?」 「ポジティブな言葉を……『やればできる』って」 青年はうつむき、ため息をついた。 「ちょっと、うざいです」 「……わかりました。では、お薬を出しますから、様子を見ましょう」 「お大事に」 薬剤師から渡された紙袋には、耳栓が二つ入っていた。

診察券+1

 地元の保健所に書類の更新に行ってきた。 何かクレーマーのおばさんがシンサツケンシンサツケンうるさかった。 シンサツケン神殺拳… そんな必殺技がありそうだ。 神を殺す拳何か北斗の拳にでも出てきそうだ。 僕は物騒だと思う。 拳を高く突き上げ高らかに歌い上げる凱旋歌。 それならいいかも知れない。 名付けてシンサツケン+1 微妙にセンスが無い。 そうですスンスツケンです、と言って誤魔化す。 何が言いたいのかわからなくなってきた変なおじさんの僕は夕飯を作る。

表現の自由

「あなた、何してんの?」 「……はい?」 人通りの多いアーケード。 爺さんが下半身を出して歩いている。 「ちょっと、交番まで来て」 両脇を抱えられ、椅子に座らせた。 「公然わいせつ罪だよ」 「何故でしょう?」 「そんなの、常識でしょ」 「男としての機能は、とっくに終わってます。肌の一部です」 巡査が呆れ顔で、書類に走り書きをした。 「それでもダメなの」 「表現の自由は保障されなければならない」 その時、腰の曲がった婆さんが、ゆっくりと交番に入ってきた。 巡査が爺さんを覗き込む。 「はい。逮捕ね」

青春の色

「何色だった?」 「わかんないよ」 「ふうん」 「な、なに?」 「いいけど。ね、アイスおごってよ」 「え、なんで?」 「いいでしょ?」 「あ、うん」  僕が買ってやったアイスをしっかり手に持ってるくせに、キミは僕のアイスにかじりついてくる。 「ちょっと」 「隙があるよね」 「そっちだって」 「ふうん、そういうこと言うんだ。一瞬の隙をつかれて見られちゃったわけか」 「見てないって」 「ふうん」 「なんだよ」 「明日はピンクかも」 「な、なにがさ」 「ふふ」   水色のキミのパンティー目の前に    見てないよ 見てはないよぜんぜん

甘い星々

「コンペイトウ食べたくなってきた」 キミは真顔で「なってきた」 念を押した 「そう言うと思ってさ」 僕はポケットから取り出す 「さすがね」 「まあね」 「七夕だし、結ばれてあげてもいいよ」 まったく、強がっちゃって 僕は、お姫さまの手を取った

君は君なり 僕は僕なり

「嫌いな感情って何?」  そんな僕のお馬鹿な質問に、 「嫌いな感情は嫌いな感情だよ。丁寧に順位なんてつける必要なくない。ごちゃっとひとまとめでみんな一番。それでいいでしょ」  君は君なりにきちんと答えてくれた。そのときなんだよね、僕が君のこと気になりだしたの。   気づいてる?    気づいてなくていいけどさ     もし気づいても 黙っていてね

ラーメン(抜き)

『抜きの対応、始めました』    行きつけのラーメン屋で、妙な看板が上がっていた。  店に入ってカウンター席に着くと、さっそく事情を訊いてみた。   「大将。表の看板って?」 「ああ、実はな。俺のラーメンは、味のバランスを一から十まで拘りがあっから、今までトッピングの抜きは断ってたんだ。だが、何を抜かれようが旨いラーメンを出す。それこそが、ホンモノじゃねえかって思い始めてな」    人生、何度か転機があるものだ。  大将の場合は、今がそれなのだろうと、素直に感心した。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」    カウンターの左端に座る客が手を上げた。  大将がそちらへ向かったんので、俺はメニューを手に取った。  今日は何にしようか。  拘り味噌か、拘り醤油か。   「拘り味噌ラーメン。メンマ抜きで」 「あいよ!」    どうやら、さっそく抜きが頼まれたようだ。  ちらりと顔を見てみると、常連の一人だ。  いつもメンマを辛そうに食べるから、印象に残っていた。    メンマが苦手な人間でも、大将の旨いラーメンを最後まで美味しく食べることができる。  他人事ながら、何故か俺が嬉しくなった。    抜き。  シンプルだが、素晴らしいシステムだ。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」 「拘り味噌ラーメン。トッピング抜きで」 「あいよ!」    待て。  抜きすぎだ。  大将のラーメンはトッピングからにじみ出る味を加えて、初めて完成する。  それはもう大将のラーメンではなく、ただの素ラーメンだ。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」 「拘り味噌ラーメン。スープ抜きで」 「あいよ!」    おい、どこを抜いている。  それはただの油そばだ。  卵を落として、卓上調味料のオリジナルブレンドで味付けでもする気か。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」 「拘り味噌ラーメン。麺抜きで」 「あいよ!」    ラーメンのメンを捨ててどうする。  それはただのラーメン味のスープだ。  拘り味噌汁だ。   「大将、注文ー!」 「あいよ!」 「拘り味噌ラーメン。茹で抜きで」 「あいよ!」    ジーザス。  それはただの……なんだ。  茹でる前の麵って何て言うんだ。    いつの間にか、大将が俺の前に立っていた。  なんだろう、今までにないプレッシャーを感じた。  まるで俺も、この大喜利のごとき抜きに参加しないといけないような、意味の分からないプレッシャーを。   「注文は?」    俺は逃げるようにメニューに視線を落とし、目に入った言葉を読み上げた。   「拘り味噌ラーメン。『拘り』抜きで」 「あいよおおおおおおおおおおお!」        俺の目の前には、器と箸だけが置かれた。    翌日、看板は撤去されていた。    ついでにあの日、カウンターに座っていた人間全員出禁になった。

パンダに願うことなかれ

 鼠色の短冊を握りしめて、家中を探し回った。 「青……黄色……っ、なんで赤がないんだよ! これかっ? ……橙色は探してねぇよっ!」  やっと見つけたと思ったら橙色と書かれていた。紛らわしい色合いしやがって。  ネットで見た胡散臭い噂などに、好奇心で手を出したのが悪かったのだ。それはわかっている。 「あった……なんでインク出ねぇんだよこんな時に!」  まず、黒い短冊に白いペンで願い事を書く。この時書く願い事は、七夕の前日に吊るすことで、猿の手よろしく誰かの何かを犠牲に成就される。  翌日の七夕当日、願いがかなったことを確認したら、日付が変わるまでに今度は、鼠色の短冊に赤いペンで『願い事はおしまい』と書いて細かく破り、灰にしなくてはいけない。  達成できなければ自分が笹となり、人々の願い事の重みでへし折れてしまうまで死ぬことさえもできなくなるらしい。  『永遠の命』のような存在しないものは無理らしい。というか、自然の理に反したような願い事をしてしまうと、こちらを笹だと勘違いしたパンダに人の姿のまま喰われるとかなんとか。  所詮はネットの噂だ。  どうせ叶うわけがない。  だから、無理であろう願いを短冊に書いた。 「なんで叶うんだよ……叶わないんじゃないのかよぉ」  やっと見つけた赤ペンはインクが出ず、他に赤ペンは見つからなかった。  時刻は二十三時五〇分。タイムリミットは目の前だ。 「…………ふぅ……っ、痛って、ぇ」  コンパスの針の先端を指に突き刺した。こういう時は包丁を使ったほうがいい気もするが、キッチンで母に遭遇したら言い訳が難しい。  丸い玉状に盛り上がった血にペン先をつきたて、震えて読みづらい字を短冊に綴った。  細かく破いた短冊は血があちこちに付き、嫌なまだら模様になっている。小さく主張する痛みを黙殺しながら、用意しておいた灰皿に短冊の破片を落とし火をつけた。  指先の血よりも赤い火に飲み込まれ、短冊はあっという間に鼠色から墨色に変わる。 「何時だ!」  壁掛時計の針は〇時三分頃を指している。この時計は五分程度進んでいるから、今はギリギリ〇時少し前くらいのはずだ。 「間に合ったか……………………良かっ、」  安堵の息を漏らしかけた時、部屋の扉が開いた。  大きなパンダが一頭、二本足で立ってこちらを見ている。 「そうそう! その時計ね、直しておいたの。ちゃんとした時間わからないとあんた困るでしょ」  パンダは母そのものの声で、口の両端を人間の様につり上げて笑いかけてきた。  『いなくなった母さんに帰ってきてほしい』なんて願わなければよかった。

尊厳死還付支援金等に関する法律

第一条 生命維持装置および死亡に至るまでの薬剤注入を行う際は、医師の指示に従い、本人、家族または後見人が装置の電源の入切操作を行うものとする。 第二条 前条の行為について、国および医療機関は一切の責任を負わない。 ある晴れた日の午後、六十九歳になった男は、届けられた封筒を開けた。 「いよいよか……」 男は決められた書類を揃え、相談窓口へ向かった。 「どうぞ、お入りください」 物腰の柔らかな女性が声をかけた。 「ご覧になりましたか」 「はい」 「では、率直にお答えください」 「迷ってます」 「皆さん、最初はそうおっしゃいます」 女性は微笑みながら、うなずいた。 「流れを教えていただけますか」 「はい。もちろんです。尊厳死について理解していただけたら、今までお支払いになった年金を全額お返しいたします。そして、政府から少額ですが、お祝い金が支給されます」 二十年ほど前、政府は『尊厳死還付支援金等に関する法律』を成立させた。 「サインしないとどうなりますか」 「はい。今まで通りの生活をされてください。個人の自由は保障されます」 「もう一ついいですか」 「はい?」 「痛いですか」 「いいえ。薬剤を入れると、眠るように……」 男は目を閉じた。 部屋には、空調の音だけが聞こえていた。 「まだ時間はありますから、よくお考えになってください」 自宅に戻った男は、畳の上に横になった。 返金額が書かれた紙を取り出し、天井を見上げた。 そして、深いため息をつく。 台所には昨夜の食器がそのまま置かれていた。 一ヶ月後、男は窓口へ向かった。 「どうぞこちらへ……お決めになりましたか」 「……はい」 男の少しこけた頬が、静かに笑っていた。

君毒

 初恋だった。  その見た目に、その声に、その振る舞いに。  全てに惹かれた。  ぼくの人生が破滅しても、君だけは幸せにしたいと思った。        わかっている。  これは呪いだ。        君の苦しめていた君の恋人を殺してしまったのは、間違いなく君のせいだ。    泣きわめく君の背中が良く見える。  その背にナイフを突き立てるべきか、それとも自分の首に突き立てるべきか。    君に魅了されたぼくには、どっちが正解なのかわからなかった。

知ってよ

僕には足がない。これは生まれつき。 だから、車椅子で生活していた。 僕は今病院のベッドで寝ている。車に轢かれたから。 三日前、車椅子の車輪が道の凹んだところに引っかかってしまった。信号が変わると同時に車が突っ込んできた。向こうは信号しか見ていなかったのだろう。 痛かった。   母さんは毎日見舞いにきてくれる。 「ごめんね。私がちゃんとした身体に産んであげられなかったから」 そういって謝る。 僕は何も返さない。 声が出ないから。事故で喉が壊れた。  もし、声が出るのなら 「そんなことないよ。」っていうのに。 「産んでくれてありがとう」って言いたいのに。 自分を責め続ける母親に何も伝えられない。 あぁ痛いな。 「別に足なんていらない。」っていうのは嘘で、ちょっとだけ自分の足で歩いてみたかったけど。 足がないことは悪いことだけじゃなかったよ。   同じ身体障害をもった友達に出会えた。 腕のない和樹くんは僕の親友だ。もし腕があったら彼には会うことはできなかっただろう。   車椅子ならではの景色も見れた。 普通の人よりの少し低い目線だから、地面をせっせと歩く虫、散歩中のリードが伸び切るほど先を急ぐ犬、雨の日葉っぱに乗ったまぁるい雫。みんなよりも近くで見れたよ。 毎日がワクワクだった。      ――あ。  ペンを持つ左手が震える。事故で失ったのは利き手の右手。 僕は長くはないだろう。みんなは大丈夫だっていうけど、僕にはわかる。だから、伝えときたい。声はでないから、こうやって。 字が汚いのは利き手じゃないから、それはばかにしないでよね。 ペンをギュッと握り直す。   大嫌いな勉強だけど、一生懸命に教えてくれるから頑張ろうって思ったよ。先生。 みんなと違うから行きたくなかった普通の学校。でもね、みんな優しくて足がない分サポートしてくれた。クラスメイトたち大好き。 いつも忙しいのに、休日は僕を担いで公園を走った父さん。僕本当に自分で走ってる気分だった。 父さんの背中はずうっとおっきくて憧れだったよ。もう一回乗ってみたかったな。 和樹、君はいつも陽気でふざけてたよね。僕の手術前なんかはいつもより大袈裟にふざけて、病院の先生に怒られてたっけ。とんでもないやつ(笑)おかげで全然怖くなかったよ。君は本当にいいやつだ。  そして母さん。これだけは知っててほしい。 僕がもし生まれてなかったらこんな世界知ることはできなかった。 ありがとう。僕を産んでくれて。 みんなありがとう。 僕はほんっとうに幸せだった。   ――あの子が死んだ。  お医者さんは大丈夫だって言ったのに、急に容態は悪化した。  みんなが走っているのを眺めてたときも、私を見つけると辛さを見せないくらいの笑顔を見せてくれた。誰よりも優しい子だった。  ……なのに  最後は片手を失い、声も出せなくなってしまった。  私がちゃんと産んであげられなかったから。ごめん……本当にごめんなさい。  彼の寝ていたベッドを見つめる。彼がそこにいたであろう跡はまだ残っている。  私のせいでこの子はこんなに辛かったのに、私は生きててもいいのだろうか。  ――それなら、いっそ。 「ん?」  何かがベッドの端に挟まっていた。……手紙。  封には、ひどく震えた文字で『みんな、そして母さんへ』と書いてあった。    私はそっと手紙を開く。 もう聞けないはずの声が、そこにあった。

自分遺伝子

「検査の結果、貴方はこの体の本来の人格でないことがわかりました」    科学が発達するのも考え物だ。  ぼくの人格が、幼少期のストレスから身を守るために産みだされた人格だとは思わなかった。   「今から手術を行います」    でも、本来の人格は、二歳から眠ったままなら、この体はぼくのものだと言っていいんじゃないのか。  今更本来の人格が呼び戻されて、それって幸せな事なんだろうか。    こくこくと頷く両親。  いや、両親だと思っていた人たち。  麻酔で動かないぼくの体は、あっけなく手術室に運び込まれた。   「……ごめんね」    医者が、ぼくの体に注射を打ち込む。  しばらくして、思考にモヤがかかり始める。    次にこの体が目覚めた時、いったいどうなるのだろうか。    ぼくは、目覚めるのだろうか。    抗いようのない眠気が襲って来て、ぼくは脳からの指令に従い、目を閉じた。

総理、ハラハラする。

地下三階の会議室に、全閣僚が呼び出された。 「大変なことになりましたね」 「これはまずいよ」 重い扉が開き、総理と防衛大臣が入ってきた。 「ちょっと緊急事態でね」 正面のスクリーンに映像が流れる。 その前で、防衛大臣がマイクを握った。 「あの国が不穏な動きをしています」 会議室に緊張が走った。 「何をたくらんでる?」 「おそらく、ミサイルを……」 「うちの防衛システムは大丈夫だよね?」 「はい。着弾することはないと思いますが……こればかりは」 閣僚たちが頭を抱えた。 ──その時。 『ミサイルが発射されました』 緊急アナウンスが流れる。 「とうとう一線を越えたか……」 総理が防衛大臣に視線を送った。 「反撃しなさい」 「はい」 窓際に置かれた椅子に、総理が体を預けた。 「私の判断は……」 涙が落ちた。 「ちょっと、あなた」 妻が声を掛けた。 「また妄想してたでしょ」 「国会も終わったし、ちょっとハラハラしたくて」 「で……私、また死んだの?」

七月七日

「また来てくださいね~」 「はい、次の方こちらへ来てください…」 チェキを受け取りライブハウスを出ていく 今月は渋谷のこのライブ以外は地方で行けない。 ただ明日、七日に、年に一度のライブが大阪である。全国の地下アイドルが集まってイベントを行うのだ。スペシャル企画では、ファン投票で選ばれた7名が一夜限りのチームを組む、言ってみれば地下アイドルのオールスターチームだ。 絶対に行きたいが、バイトが休めず行けない。まぁお金も無いけど。 去年はバイトが休めたので行けた。 会場は有明だったのがラッキーだったと思う。 イベントは盛り上がり大いに楽しんだ。 帰り駅に向かって歩いていると、暗い路地に若い女性が間隔を空けて立っているのが見えた。何の変哲もない暗がりでスマホを見ながら5〜6人立っていた。そのうち、男性が来て一人の女性と話をしている。 (待ち合わせの人が来たんだな)と思っていると、今度はその隣の人に話しかけ、結局その二人は直ぐそこにあるラブホテルへ入って行った。 気にせず帰ろうと歩き出すと悲鳴が聞こえた。 切迫感のある悲鳴に思わず反応してしまう。 見ると、さっきの二人がホテルの前で揉めている。 男性は女性の手を引きロビーに引き込もうとしている。それを全力で抵抗しているさっき女性。 少し遠くて話の内容が聞き取れないが「たすけて」だけは聞こえた。 多分、どうかしていたのだと思う 地下アイドルの全国イベントで飲めない酒を飲んだのもある。地下アイドルオールスターセブンを見れて気分が高揚しきっていたのだろう。物販がパンパンに入った袋を持ったまま、僕は走り出していた。 ホテルのロビーに近づく 「今更駄目だとは言わせねえぞ。金払ったろ!」 「マジ無理。ヤダヤダ!本番はやってないって言ったじゃん!」 「うるせーよ!早く行くぞ!金なら払うから」 「誰がたすけて!」 気が付くと僕は男性にそのまま走って突っ込んだ。オジサンも僕もつんのめって床に倒れ込んだ。 「きゃー!」 「何だてめぇは!」 女性は走って逃げ去る 僕は我に返って「すみません」と謝って走って逃げた。オジサンは怒鳴っていて怖かった。家に帰ると推しのコップが割れていた。 苦い思い出にふけっていると渋谷の駅の側まで来ていた 駅は人混みて溢れている。 明らかに何かあった混み方だ。駅に着くと人身事故の為、暫く電車が動かないとアナウンスが鳴る。終電で人身事故。きっと途中までしか帰れない。 最悪だ。 適当なベンチで途方に暮れていると 「…すみません」 と声をかけられた 顔を上げると、若い女性が立っている 「な、なんですか?」 「私の事を覚えていますか?」 その声で分かった。僕がこの一年間で関わった唯一の女性。去年「たすけて」と叫んでいた子。 「あ!」 と思わず指さす 「あの時は、すみませんでした。本当にありがとうございました」 「いや…自分もわけも分からず突っ込んじゃって…」 彼女が言うには、あの日初めてウリをしたらしい。そして自分には出来ないと悟ったようなのだ。僕のおかげで汚れずに済んだと笑っている。 「電車止まっちゃいましたね」 「そ、そうなんだよね」 「カラオケにでも行きますか?奢りますよ」 「え…いや…」 「嫌ですか?」 「歌苦手で…」 彼女は大きな声で笑っている 時刻は0時を回っている。

閾値を越えたっぽいが生きている

 ヤニの吸いすぎで気持ちが悪い。 打ってしまったワクチンと打ち続けている眠剤が煙草と反作用して身体の中で反応を起こしているのだろう。 僕の身体の代替パーツは今どこら辺まで製作されているのだろう? 偉い妄想だ。 僕の脳は取り出された。 病院の培養液の中だろう。 偉い妄想だ。 遠隔操作で動く人造人間は(ゴリラは)グルメ達に狙われる。 僕の脳は解析済みなので思考は筒抜けだが様々な科学者や医者によって分析、培養でもされているのだろう。 たかだかIQスコア94の一般人に皆偉いご執心だ。 まあIQもアメリカが作った指標だしな。 社会適応度。 でも僕の心臓は動き続ける。 マッドサイエンティストの気持ちはわかるが(誰かを犠牲にしなければ世の中が発展しないのも文明が次の段階に進まないのも) 偉い妄想だ。 極大の世界と極小の世界。 気が狂って銃を乱射する前に誰かの話を聞き話さなければ。 皆の考えていることや話していることがわからなくなる前に動かなければ。 鳥の声を聞き作物を作らなければ。 創作をしなければ。 本来的に強すぎる奴は疎まれる(皆そうではないのだ) 僕は最弱(しかし反転させられることによって最凶の暴虐者と化す) 何かのラノベの設定みたいだ。 全ての事がわかる、とはまだ(まだというのは傲りかもしれないが)言えない。 1番になりたかった。 でも今はビリッケツでいい。 1番ビリッケツでいいという奴は皆があいつやる気がねーから奉ろうぜって事なのかもしれない。 漫画を読んだ。 本来的には幸せになりたい(しかし犯した罪は重い) また堂々巡り。 お腹が減る。 食事が最低限になり痩せてくる。 煙草を辞め歩けばまた復活するのはわかっている。 冗談がないので少し軽口を叩きたい。 世界平和。 でも荒くれ者は「知らねーよ!」って言うだろう。

三百六十四日、片想い

一年前の同じ日からだ 三百六十四日、片想いを続けている 今日、三百六十五日目 私はアイツに想いを伝えた 「知ってたよ」 「な? え?」 「一年前だよな」 「ちょ…… 知ってて」 「ごめんな」 長かった片想い やっと終わった

二文小説

1  今日こそドーナツの穴を食べてやるぞと意気込みカフェに来た。カフェにはあんドーナツしかなかった。 2  がーん。いい鐘の音ですね。 3  ドレミファソラシド。これくらいなら弾けます。 4 「神よ、なぜ我々をお見捨てになったのですか」 「やる気が出たから天罰を下しているだけだ」 5  2人の酒飲みはどちらが酒を買うかコイントスで決めることにした。しかし2人はキャッシュレス派だった。 6  彼は5歳のころ神童と呼ばれていた。10歳の今は童と呼ばれている。 7  私の町には樹齢300年を超える大木があります。明日伐採されるそうです。 8  川で子供の靴を見つけた。上流では子供が古くなった靴を捨てていた。 9  AIの発展はすさまじく、その進化は止まる事を知らない。その証拠に、先日自動運転の車がスピード違反で切符を切られたそうだ。 10  恰幅の良い男性の背後に青白い肌の女性が立っている。ちょうど日陰になるのだ。

夜は明けるから #12

「それじゃあ、遊ぼうぜ」とレイがどこからともなくボールを持ってくる。その周りをミミも飛び跳ねて回っている。お祭り騒ぎだ。 僕はリッカと顔を見合せて、仕方ないから付き合おうというような優しい顔をした。 そのとき、孤児院の玄関が開いた。そこには息を切らしたカウルと、インダとユキがいた。 「間に合った」 カウルは口元をバターで光らせながら、レイの元へ駆け寄っていく。 「何するんだ? ボール当て鬼ごっこ?」 「そうだなあ」 レイはカウルの言葉にすぐに乗っかろうとした。しかし、僕の顔を見て少し考えるようにボールを抱えた。 玄関前ではインダとユキが何かコソコソ話しているのが見える。あの二人も姉妹なのかな。でも、髪色が違うし。 「同じ遊ぶなら、トガも分かる遊びをした方がいいな」 「トガも分かる遊びって、例えば?」 二人が僕の方を見る。 「え、あー、遊びか。僕、あんまり遊んだことないからよく分かんないけど、それは投げるんだよね?」 「そこからか」 レイは頭を抱えたが、カウルは「そうそう! 投げたり蹴ったりするんだよ」と目を輝かせる。この子の方がボール遊びには詳しいのかもしれない。 女の子の視線は冷ややかに感じられる。気のせいだと思いたい。 「じゃあ、ボール投げしよう。落としたら、お昼のデザート、半分この刑で!」 「いろいろ食べたいだけだろ、レイ!」 二人は広い方へ走っていく。 「雨はまだ大丈夫?」 僕がリッカに問いかけると、「まぁ、まだ」と屋根の方を見上げた。屋根の上を流れていく雲は、いつもよりも速く見えた。 「始めるぞー! インダとユキはどうする?」 「私はここで見てる!」とインダは玄関前の段差に座り込み、ユキも「じゃあ」と座り込んだ。 「なんだ、面白いのに」 カウルは二人して遠くに座り込むのを面白く感じていないみたいだった。それをレイが慰めている。この二人は親友という感じがする。 リッカは「四人の方がいいでしょ」と腕まくりをした。やる気十分だ。僕も服を肘まで押し上げた。多分これであってる。僕はリッカを見た。 「それじゃあ僕とカウルがチームで、トガはリッカとチームね」 「リッカ、結構強いから、ボールはこっちからでいいよね、レイ?」 「いやいや、向こうにはボールを知らないトガがいるんだから、ボールは向こうからだよ」 「えー」 そう言って、ボールはこっちに転がってきた。それをリッカが拾うと、「はい」と僕に手渡した。 「リッカから投げてよ」 「いいよ、トガから投げて? トガの投げてるところ見てみたいから」 僕の両手の平の上に乗るボール。何年も前から大事にされてきたのだろう。お前にとっても天国だったんだな。僕はボールを持って、投げるような構えをとった。 レイとカウルは警戒して、姿勢を低くする。 「それじゃあ、投げるね」 僕は勢いよく腕を振り、ボールを前に飛ばした。遠心力で外側に逸れるのを抑え、レイの胴を目掛けて、一直線に。 レイは自分を捉えて逃がさない速球に目を疑いながら、吹き飛ばされた。地面を転がっていくボール。そのまま茂みにぶつかって、止まった。 一瞬の出来事だった。 リッカの怖がるような目。 カウルの神業を見たような無邪気な顔。 インダはレイを心配し、一番に飛んでくる。 ユキは「レイ、デザート半分こね」と笑った。 尻もちを着いたレイは僕を見て笑いながら、立ち上がった。インダの手を借りずに立ち上がる姿は、ギャングに襲われてボロボロになりながらも僕を守るために立ち上がるクーの姿と重なった。 「やるじゃん、トガ」 その目は僕の光、そのものだった。 ボールは茂みの前に転がったまま、僕らは孤児院の中に戻った。雨が降りそうだったからというのも理由だが。一番は意外とレイが掠り傷を負っていたというところだった。この辺りでは小さな怪我でも感染症のリスクがあるからと、過保護に治療するのだそうだ。インダがすぐにレイの元に飛んできたのも頷ける。 「ごめん、レイ。加減が分からなくて」 「いいよ、いいよ。こういう怪我、今までに何回もしてるから。というか、すごいな、トガ」 「え?」 僕は何が「すごい」のか分からず、間の抜けた声を出してしまう。 「あんなボールの投げ方、初めて見た。どこで習ったんだ?」 「下町ではギャングを追い払うために石塊をよく投げるんだ。だから、投げるのは」 レイは納得したと同時に、少し申し訳ない気持ちになったみたいで、眉を下げた。 「大丈夫、大丈夫。慣れてるから」 「ごめん、トガ」 レイは僕に前の記憶を思い出してもらいたくないのだろう。そんな配慮を感じる。 「はいはい、お二人さん、どうぞ」 リッカがジュースの缶を二つテーブルに置く。 「友情の乾杯でもしなよ」 リッカの歯を見せた笑いは、僕らの間の暗雲を払い除けた。 【つづく】

夜ふかし

深夜ラジオが流れるなか チクチク チクチク 羊毛フェルト ペンギン クジラ ホッキョクグマ なかよく並ぶ にぎやかなテーブル 外では かえるが鳴いて さわがしい お部屋のなかは 私だけ キミがいなくて せつない夜ふかし

核のシャワー

 知り合いがシャワーを浴びると言っている。 弾道ミサイルが発射された日。 僕もシャワーを浴びる。 核のシャワー。 他文明が巨大ワームホールで時空間移動してきた際に地球の地表面海水面に時空間移動事故で現れたときに偶然核のシャワーがめった浴びになる。 しかし他文明は高度なので宇宙船の防護シールドによって核爆発は無効化される。 後は座標計算だけだ。 後は座標計算だけだ。 僕はぶつぶつ言いながらシャワーを浴び続ける。

声のする方

電車が駅に着いてドアが開く ドアの脇に入る人の列があり、 その間を降りる人がゾロゾロと出てくる。その最後尾に彼はいた。 スマホを片手に耳にはイヤホンをして目をスマホから離さずにスタスタと降りてくる。 駅の階段を登っている時、彼の周りの人々は彼にイラついている 彼はスマホを見ながらでも周りを見ているので問題がないと思っていた だが、よく周りから怒られる事が多い 一度はスーツを着たオジサンにスマホを叩き落とされた 彼を叱るときに決まって言うのが「前を見ろ」だ でも彼は「スマホ見ながらでも見えます」と答える。火に油とはこういう状況なのだろう。 彼は(怒りっぽい人がいるな)くらいにしか思わず少しも気に留めていない。 日に焼けたTシャツ、裾の破れたズボン、格好にアンマッチなカラフルなランニングシューズ。 産毛のような髭。痩せていてヒョロリと背が高い。 彼はカーナビの製造工場でアルバイトをしている。毎日同じ作業を同じように繰り返す為、辞めていく人も多いが、彼はその仕事が好きだった。 ある日、隣の作業者が大量の不良品を作ってしまいました、そのリカバリーに彼にも手伝ってもらうことになった 「佐々木さん、すみません。私のせいで」 「え?…あぁ…大丈夫です」 彼は黙々と作業を進める 二人の作業は、何とか定時内に収まった チャイムと同時にタイムカードを切る彼はスマホを見ながら駅に向かう 「佐々木さん」 振り向くとさっきの彼女がいる。 「今日はありがとうございました」 「あぁ…別に、大丈夫です」 彼女と彼は同じ電車に乗り同じ駅で降りた 「同じ駅だったんですね」 「え?…そっすね…」 「私は知ってましたけど」 「え?そうなの?」 「えぇ。朝の電車、割と同じです」 「へぇ…そうだったんだ」 「えぇ、そうでした」 「明日も同じ電車だったら声かけて良いですか?」 「え?…何で?」 「駄目でしたか…」 「いや、駄目とかじゃないけど…」 「良かったー。じゃあ、また明日。お疲れ様でした」 「お疲れ様でした」 彼は立去る彼女を眺めていた 髪の毛は肩より少し下 毛先はソフトクリームを逆さにした様にくるりとなっている 明るい色 肌は白く、赤色のカーディガンがよく似合っている 彼は前を見ていた 珍しくスマホから目を離して

いい未来に興味はない

とある子供は知っていた。 知っていたというより、思っていた。 「お前は勉強に努力しろ。  いい高校に入って、いい大学に入れば、  いい会社につける。そしていい収入がもらえる。」 そして結婚出来れば更によし。 そういう親からは、いつも仕事や互いの愚痴をこぼされる。 だから、 せっかくいい高校に入っても、 せっかくいい大学に入っても、 せっかくいい会社に入れても、 結局は愚痴を零すほど嫌な生活になるんじゃないか。 頑張った結果が、最悪なものになるなんて嫌だ。 それに、昔から頑張ってきた事すべて、 親は「結果が出てないなら努力じゃない」なんて言って 否定してきたじゃないか。 頑張る意味がないのに、 頑張ることが出来ないのに、 勉強に時間を割く理由はどこにもない。 親にどうこう言われ続けて、 何もかもが面倒くさくなってきて、 好きなものも、やりたかったことも、 全部出来ないからそれに興味がなくなって。 残ったのは、「生」と「死」の選択だけ。 嫌いな事はあるけど好きな事はない。 死にたいとはたまに思うけど、 生きたいと思ったことはない。 「生」と「死」を悩む私の耳に届くのは、 今日も「未来」の話ばかり。

もやしの子

 入学して最初の自己紹介のとき「好きなラーメンの具はもやしです」と言ったことを発端に、あの女の子は中学の三年間【もやしちゃん】と呼ばれ続けた。 「最近、折りたたみ傘、たためるようになったんだあ」  いつだったか、胸を反らせるまではしなかったけど【もやしちゃん】は自慢げに言って、最後に「へへん」と付け加えた。 「たためなかったときはどうしてたの?」 「長いまま」 「折りたたみなのに?」 「折りたたみなのに」 「ふうん。いいけどねえ」 「あ、また。それそれ」 「なに?」 「そうやってすぐ納得するフリしてさ」 「え?」 【もやしちゃん】からのその言葉にハッとなった。でもきっと【もやしちゃん】以外の誰かだったら流していたと思う。 【もやしちゃん】はいま、何をしているのか私は知らない。でも私は【もやしちゃん】に伝えたい。 「最近、フリをしないで生きられるようになったんだあ」  胸を反らせることは、たぶんしないと思うけど、自慢げに言って、最後に「へへん」と付け加えてやるんだ。

高い飯最高

『伊勢海老がうめぇ!』    写真が届いた。   『いいね』    スタンプを返しておいた。    若い頃なら、きっと羨ましがっていただろう。  でも今は、高い飯よりもっと食べたいものがある。   「パパー。ママー。できたー。スクランブルエッグー」 「すごーい。見せてー!」    我が子の作る飯は、どんな高い飯よりも素晴らしく感じる。    自分が、高さに価値を感じなくなったのはいつからだろう。  決して、お金に対する欲望から解放された自分の方が、伊勢海老に感動している友達より上だという気もない。  お金に執着をしてバリバリと働いていた頃の自分も、記憶の中で輝いているから。   「いただきます」 「はい、召し上がれ!」    ただ、お金がなくても幸せを感じられるという、新しい幸せの形を知ったことは、きっと自分の成長ではある。