今日は早く目が覚めた。ベットに横たわったまま外を見ると、窓の外がぼんやりと、オレンジ色に光っているのに気がつく。なんだか不思議に思って窓を開けると、どこか懐かしいような、心地よい、だけどすこし悲しいような香りが私を包む。それはまるで初恋が実らなかったあの時のような、或いは卒業式のあとの帰り道で友と別れたあとに感じたような、ともかく私の心をひどく揺さぶる香りであった。私はこの体験を記しておきたい欲求に駆られ、ほとんど衝動的にこの文章を書いている。 この世界に散らばる心揺さぶるもののかけらを、誰にも見られないながらも、ひっそりと、拙いながらも紡いでいきたい。
この場所には、油の沼がある。 といっても、一般的に用いられるような油ではない。自然に染み出したもので、黒く粘り、光沢がある。だが、触れても燃えず、食用にもならず、精製すら困難で、何の役にも立たない代物だった。 しかも、その油は強烈な悪臭を放つ。獣の死骸と焦げたゴムを混ぜたような臭いが、風に乗ってあたりに広がる。かつては沼の近くに人家もあったが、数年と経たずに空き家になった。いまや、その一帯には草が生い茂るばかりで、鳥すら寄りつかない。 だが、いつからだろうか。油の沼、その底には宝物が眠っている――そんな噂が流れはじめたのは。 誰が最初に言い出したのか、出どころは定かではない。けれどその噂は、火がついたように広まり、ある者は「古代王の財宝だ」と言い、ある者は「隕石と一緒に落ちてきた神の欠片だ」と言った。 まもなく、ならず者たちが村にやってきた。 一攫千金を夢見る者、過去を捨てたい者、ただの好奇心で動く者。彼らは口々に「俺が見つけてやる」と豪語し、沼へと向かった。ある者はロープを巻き、ある者は長靴にお守りを入れて。中には自分の命綱を木に結びつける慎重な者もいたが、結局は誰ひとり戻ってこなかった。 とある日、若い男がふらりと現れた。 彼は身軽な荷だけを背負い、沼の前に立つと、じっとその黒い表面を見つめた。 「なるほど、たしかに臭うな」 誰にともなくそう呟き、油の表面に手をかざす。風もないのに、その時、沼の中心がぼこりと泡立った。 男は笑った。 「やっぱりいるじゃないか。宝なんてどうでもいいが――呼ばれた以上、挨拶はしておかないとな」 そのまま彼は、油に足を踏み入れた。 べちゃり、べちゃりと、奇妙に粘る音が足元から這い上がる。 全身を油に包まれながら、アダムは沈んでいった。助けを呼ぶこともなく、もがくこともなかった。まるで、帰る場所へ戻っていくかのように。 それが、彼の最後の目撃情報である。 その後、その男を知る者が現れることはなかった。 だがそれ以来、沼の悪臭がほんの少しだけ、マシなったという話もある。 ―――――― お題:「沼」「宝物」「油」
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蜘蛛の糸のような淡い希望を、俺は抱いていない。しかし、絶対にここから脱出してやる。その決意は揺らがない。剣山に身体を貫かれながら、不気味な程に黒い空を見上げる。 生前はテロの首謀者として、命を終えた。何千もの人々を殺した。だからといって、この罰は重すぎると思うのだ。 地獄から這い上がるには、永遠にも思える罰を乗り越えるか、善人に変わるしかない。俺は罰を乗り越えられるような忍耐はないし、善人になれるような倫理もなかった。それならば、善人の『ふり』をするしかない。 次の火あぶりに向けて歩いている時に、獄卒に笑顔を向けた。 「お仕事、大変ですね」 しかし、彼らは意地悪そうに首を横に振る。 「お前らを虐められるからな。こんなに楽しい仕事はないよ」 俺の考えが甘かった。獄卒には下級役人らしく、浅ましい思考しかない。 ならば、冥官だ。 「お役目、お疲れ様です」 「お前ごときが私に話しかけるな」 俺の存在すらも許せない。そんな表情で彼女は蔑む。 出入口では門番が寝ずの番をしている。他に逃げ道など存在しない。 活路を見い出せず、今日は今日とて業火に焼かれるのだった。
この世界には、人間の成れの果てが彷徨っている。 肉体から解放され、朧げな存在となったそれは、見た目も思考も人間のそれとは異なり、霊と呼ばれた。 霊たちは嫉妬する。 肉体と世界の境界線がはっきりとしている人間たちを。 霊たちは望む。 人間たちも、肉体と世界の境界線を曖昧にしてやろうと。 「うらめしやー」 霊たちは、呪詛を練り込んだ言葉で、今日も人間たちの前に現れる。 「はい、チーズ」 そして人間たちは、写真を撮る。 撮った写真は、すぐにスマホで確認できる。 スマホに映るのは、霊の生前の姿。 人間だった時の姿。 「見ろよ! あたりだ!」 「ほんとだ! めっちゃ可愛い!」 「いいなー。俺なんて、禿げたおっさんだぜ」 「消せ消せ。そんなの」 霊たちの存在に怯える人間の増加を社会問題と捉え、人間たちは真霊カメラを開発し、発売した。 霊も人間と変わらないのだと周知し、恐怖感を取り除くために。 目論見は大成功。 今ではガチャを引くように、人間たちは霊を撮る。 人間の思考から解放された例たちは、人間の行動の意味が分からないが、今日も本能に従って人間を脅かしに動く。 そして、写真を撮られている。
人間は醜い。争い、いがみ合い、果てには殺し合う。私も地上を蔑む一人だった。 とある日、私は地上に誤って落下した天使の男の子を迎えに行く役目を与えられた。何故、私がそんなことを。愚痴をこぼしながらも、神に従う。 彼は湖の畔でうずくまっていた。近付こうとした矢先、何かの気配を察知する。 「どうしたの? 怪我でもした?」 人間だ。木陰に身を隠し、その様子を見守る。天使の翼は、一般人には見えない仕組みになっている。飛ばない限りは正体に気付かれないだろう。 男の子は、現れた人間の女に目を丸くしながらも、口を開く。 「迷子になったの」 「お家はどこ?」 彼は天を見上げ、涙をこぼす。 「困ったなぁ……」 これで諦めて帰ってくれれば良いのだが。彼を傷つけられでもしたら、神に弁解のしようもない。 しかし、彼女は微笑み、彼に手を差し伸べた。 「家族が見つかるまで、私の村に行こう? 美味しいもの、食べさせてあげる」 天使にとって、人間の食べ物は毒だ。もう黙って見ていられず、慌てて飛び出した。 「サリエル、帰ろう」 私を見た瞬間、彼の表情はぱあっと明るくなった。 「お姉ちゃん、ありがとう」 彼は彼女にぺこりとお辞儀をし、私を目掛けて駆け寄ってくる。私も両手を広げ、彼を受け止めた。 「家族の人が見つかって良かった」 彼女もまた、抱き合う私たちを見て嬉し涙をこぼすのだった。 人間も捨てたものではないのかもしれない。私の勝手な偏見が解けていくような気がした。
「ハッピーバースデー」 俺の腹部を手で突き刺しながら、女は笑う。 「どうして……こんな酷いことを……」 俺は、腹から空気を漏らしながら、掠れた声で問う。 「酷い?」 女は眉をピクリと動かした後、右側の口角を挙げてニヤリと笑う。 「何が酷いものか。これから始まるのは、生命の誕生だ。むしろ、喜ばしいことじゃあないか」 百年前。 某独裁国家が、反出生主義の普及を恐れ、強固な出生主義を掲げた。 反出生主義を掲げる人間の在り方を否定し、大罪であると言い張った。 そして、人道的観点より、大罪を犯した人間を出生の道具とすることで、その罪を濯ごうとした。 生まれた技術は、体外受命。 自分の体でははなく、他者の体を使って新たな生命を作り出す技術。 具体的には、大量生産された命の核を腹の中に突っ込むことで、命の核がその人間の体と人格を支配し、まったく新しい命として生まれ変わらせるのだ。 女が腹から手を引き抜くと、俺の腹の傷は早回しでもしているように回復していき、奇麗さっぱりなくなった。 命の核は、命を作り出す。 肉体も精神も。 俺はふさがった腹を触り、頭の中で泣き叫ぶ赤子の幻聴を聞きながら、女に叫ぶ。 「この……人殺し!」 何度も見てきた。 命の核を突っ込まれた人間が、まるで脱皮のように全身の外側が向け、中からまったく別の人間が現れるところを。 話しかけても、まったくの別人。 俺のことを忘れているし、まるで生まれたての赤子のように泣き叫ぶだけの光景を。 俺の叫びも、女には届かないようで。 女はクックと笑う。 「人殺し? 違うね。生誕だ」 「俺は今、お前に殺されている」 「殺人ではない。人間は死ぬ。自然の摂理さ。自分は生きて死ぬのに、他人の生きて死ぬを否定するお前こそ、よっぽど人殺しさ」 もう一言くらい文句を言いたかったが、駄目だった。 頭の中で泣き叫ぶ幻聴がどんどん大きくなり、正気を保てなくなっていった。 気が付けば俺は倒れていて、女の足首だけが視界に映った。 頬をつつかれる感触がする。 まるで、赤子の頬の柔らかさでも堪能するような、優しい手つきで。 「喜びたまえ。君は死んで、新たな生命を生み出す礎となる。生と死を繰り返す生物にとって、これほど誉なこともない。ああ、私も早く死にたいものだ。もっとも私は自分の体で命を作ったので、死ぬのは子と孫の成長を見届けてからにはなるがね」 意識がはぎとられていく。 体がはぎとられていく。 ブラックホールに吸い込まれていく感覚が、心と体に襲い掛かる。 生きるとは何だろう。 死ぬとは何だろう。 意識が飲み込まれる最後の瞬間まで、俺は試行を巡らせていた。
埋もれるような人混みの中で、僕は確かにその少女を見た。 脳裏にこびり付いて離れない、あの日の歌声。消え入りそうなのに、歌詞も覚えていないのに確かに聞こえた。 数年経った今でも、気付けば彼女を捜している。 この情報社会の只中だと言うのに、いくら探しても見つからない。検索したってSNSを眺めていたって、何ひとつ情報が掴めなかったのだ。 ……触れる事のできない、幻想を追っていた。それはきっと虚構だ。むせかえるほどに虚しくて、きっともう朝日は昇らない。 このまま自然に忘れるのがいい。そう思った。 「……ずっと先で、選んだときから……」 歌声が、聞こえた。震える旋律はなんだかすごく、聴きなじみがあった。 いつものあの場所。僕が彼女を見つけた場所。あの日に似て、僕は人混みに埋もれていた。 でもひとつ確かなことは、それを自ら望んでいるということだった。 白くて、眩しいくらいだった。 群衆を掻き分けて拓いた先、そこには少女がいた。 今にも消え入りそうに、身体が揺れている。 風に身を任せるように、フェードした太陽に照らされている。 高鳴る拍動、それに抗うように、踊るその体を見つめる。 僕たちの目を引きつける彼女はまさに偶像とも言うべき、世界を象った「象徴」であった。 今、この瞬間だった。僕が彼女という「アイドル」を知ったのは。 僕の世界の彼女が、虚像でなくなったのが。
一年に一度だけ、織姫と彦星は会うことを許される。 穏やかになった天の川を、一隻の船がゆっくりとやってくる。 「やあやあ、一年ぶりだね」 「そうだね。今年もお願いするよ」 彦星は船主の漕ぐ船に乗り込んで、天の川の対岸を目指した。 ぎいこおぎいこおと、進む舟。 川の中盤に差し掛かったところで、船主が遠慮がちに口を開いた。 「なあ、彦星。最近は、流れ星が多いと思わないか?」 「そうだね。なんだか、多い気はするよ」 「その流れ星、天の川の対岸に落ちて言ってるとは思わなかったか?」 「言われてみれば、確かに」 星とは、織姫や彦星のように、夜空に住む命の仮の姿だ。 流れ星が対岸へ落ちているということは、対岸に誰かが訪れていることと同義だ。 彦星の頭に、悪い予想がよぎる。 「船主さん、知ってたら教えてください。もしかして織姫は、ぼくがいない間に他の男と会ってたり……なんか」 「…………」 「船主さん!」 「それは、自分の目で確かめてくれ」 一年に一度の幸せな日が一転し、彦星は恐怖で視界がぼやけた。 織姫に裏切られていたらどうしようという想いから心臓が強く打たれ、汗が流れ出て止まらなくなった。 ぼやけた視界に、ようやく岸が映る。 岸には織姫だろう影と、その他大勢の影。 「あ……ああ……」 船が対岸に到着すると、織姫は彦星の元へと駆け寄ってきた。 「彦星!」 しかし、彦星の視線は、織姫になかった。 織姫の背後にいる無数の影――犬や猫に釘付けだった。 「織姫! ペットはもう飼わないって言ったじゃないか!」 「あ、えへへ」 彦星は急いでスマートフォンを取り出し、クレジットカードの明細を見る。 明細には、織姫に渡した家族用クレジットカードを使用した、ペットショップでの購入履歴がわんさかとでてきた。 ペット代。 餌代。 トリマー代。 「織姫ー! 説明しろー!」 「だ、だって、寂しかったんだもん!」 二人の喧嘩を眺めながら、船主は川辺で煙草を一服し、空を見上げた。
燃えるような灯が世界にフェードインする。 肌を撫でるように、その影は気の赴くままにただ風を揺らす。 不鮮明な横顔は見つめる。いつかの景色にも似た、君の姿によく似た鮮やかな壮景を。 「ああ、夢が終わってしまうな。」 まだ終わらない朝焼けに身を潜めている。 この日が昇る前から、僕らはずっと空を見つめていた。 それはきっと、これからも。 「あ。」 「ゴミ出すの忘れてたな。」 まるで分かれた吹き出しのように、その声は途切れる。 「繋ぐ必要はない、ね。」 柔らかく解れたその顔を眺める。 僕らの一日は、まだ始まったばかりだ。
この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。 堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。 犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」 鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。 彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。 意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。 うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。 あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」 そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。 当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。 彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。 薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」 辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。 そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」 食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。 その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」 ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」 差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」 答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。 途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」 もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。 髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。 流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。 色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。 言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。
強い光に照らされた階段を見上げながら、大学一年生の時を思い出す。 引っ越してきたばかりの春の朝、階段を降りる足音を聞いて振り返ったお姉さんの姿。初めて声をかけられた時の驚き。 「行ってらっしゃい」 なぜ見ず知らずの僕に声をかけたのかは今でもわからない。けれど、その声を聞くのが日課になり、いつしかそれは僕の楽しみになっていた。 回収されずに積み重なった未回収のごみが風に舞っているが、誰も片付けようとしない。 当然だ。明日はもう来ないのだから。 今日、世界は終わる。 ※ 彼女はいつも何かを見つめていた。 僕が大学での話をする時も、お姉さんはぼんやりとどこかを見つめながら「ふうん」「そうなんだ」と相づちを打っていた。 その顔を正面から見ようとすると、どうしてもタイミングが合わない。 看板が日焼けたラブホテルが視界に入る。ピンクの看板は色褪せて、今では薄いオレンジ色になっている。空を覆う隕石の光がそれをさらに奇妙な色に変えていた。 お姉さんと話していた時、このホテルの話題になったことがある。 「昔はもっと派手な色だったんだよね」 と、お姉さんは言った。 「いつのまにか日に焼けてこんな色になっちゃった。けどさ、いつからこんなに褪せちゃったのかは全然思い出せないんだよね。なんか悲しいよなぁって思うわけ。鮮やかな時と褪せた時しか思い出には残んないってのは、なんか人生みたいじゃない?」 そう話すお姉さんの声があまりにも寂しそうで、僕は曖昧に言葉を返すことしかできなかった。 二年目の春、急な休講で暇になり帰宅すると、酒を飲みながらぼんやりしているお姉さんに出くわした。 「ずいぶんはやいね。サボり?」 「違いますよ。ていうか、朝からずっとここにいたんですか?」 「そうだけど? 日光って体にいいらしいし別によくない?」 「酒飲んでるんじゃ結局マイナスだと思いますけど」 「確かに」 お姉さんは楽しそうに笑う。 自分が恋をしていることを自覚したのはその時だった。でも、告白はしなかった。卒業し、社会人になってからと決めたからだ。 今までの自分からは考えられないほど学業にも就活にも真面目に取り組んだ。 大きくなにかが変わったわけではないけれど、小さな変化はたくさんあった。 第一志望の会社の内定が決まった時、なんだかいろいろなものが報われた感じがして涙したりもした。 その年の冬、隕石の報せがあった。 そこから先は語るようなことはない。 最初は暴動があった。けれど、その数か月後にはひたすら静かというか、なにもかもが止まったようだった。 誰もいない駅を見ながら、社会というのは人が動かしていたんだなという当たり前のことを思ったりした。 そして、今僕はお姉さんの部屋の前に立っている。ドアをノックすると中から声が聞こえた。 「入って」 ドアに鍵はかかっていなかった。 部屋に入ると、お姉さんは窓際に立ち、外を見つめていた。隕石の光が差し込んで、部屋全体が朝焼けのような色に染まっている。 「もう明日がくることはないのに、まるで朝が来たみたいだね」 お姉さんは振り返らずに言った。 「こわくないですか?」 「死ぬのが?」 「はい」 「スケール大きすぎてあんまりピンとこないかな。それにさ、私は生きるほうがこわいと思っていたから」 「生きるのがこわい?」 「そう。生きるのがこわすぎて死ぬのがこわくなくなってたんだ。隕石のニュースを見て、ああ、死ぬんだなって思ったときそれに気付いた。もっと早くに気づいていたら、私はとっくに死んでいたんだろうね。気付かず今日まで生きられたのは、たぶん君がいたからだと思う。君を毎日送り出すという習慣が私に生の楽しみを与えてくれていたんだ」 お姉さんがゆっくりと振り返る。 僕は初めて、お姉さんの顔を正面から見た。 「だから、君のうしろ姿を見送るのが好きだった」 お姉さんは言った。 僕たちは窓辺に並んで外を見つめた。 「僕、お姉さんのことが好きです」 「ありがと」 「反応薄くないですか?」 「そう? 結構動揺してるつもりなんだけど」 僕らは笑いあう。伝えることができた。それがただ嬉しかった。 街は隕石の光に照らされて、永遠の朝を迎えたかのようだった。もう明日は来ない。でも、この瞬間は確かに存在している。 それで充分だった。
途切れ掛けた糸を無理矢理結びつけたような、一夜限りの君との関係が途切れかける。 終電を待つ肌寒い夜の駅、君の横顔は微笑んでいた。 「明日、雨だって。」 「そっか。大変だね。」 なんてことない会話。そんなものが痛いほど刺さる。 もう交わすことのない言葉も、巡り巡って戻ってくるのだろうか。 「……そろそろ時間。行かなきゃ。」 遠くを走る列車の灯を眺める君はそっと呟く。そうして、こちらも見ずに歩き出した。或いは、見ることができなかったのか。 「……あの、さ。」 動き出す拍動も、この手で触れた日々も。全部消え失せてしまうのが怖くて君を呼び止めた。 そのたった一瞬の間に思い出していた。全部苦しかったはずなのに、どうしてか美しい。あまりにも、目を逸らしてしまうほどに。 振り向いた君の、綺麗な長い髪が靡く。眩しく、色褪せぬようにと、今も輝いている。 「……ありがとう。」 気付けば口にしていたそんな一言。涙と共にこぼれ落ちた言葉に、君は何も言わぬまま歩き出した。 「元気でね。」 そんな言葉は続かなかった。それはきっと、彼女との再会を願ってしまうから。 でも、これで終わり、なんてのも願ってはいなかった。 笑った顔が、好きだったから。
ソファー肘置きに頭をのせて横になり寝ている彼を頭側から覗き込む 「おーい起きてる?」 「…起きてる…」掠れた声で応えた。寝てた,絶対に目を閉じて寝てた。昨日は忙しい様子だったから少しでもベッドで体を休めて欲しいと思っても言う事を聞かない。これは寝ている父ちゃんのテレビを消すと,見てると怒るアレだ。 「まだ,テレビ…見て…る」半眼でテレビを見る。そんな彼のこめかみに軽く口づけし耳たぶを甘噛みする。一瞬だけ目を強くつぶり半眼に戻る。 寝ている。絶対に寝てる。
文才も無いけどこうして心の中に溜まった靄を 吐き出せるツールが有る幸せに感謝したい気分 何処かのサイトにコメントするより自由で気楽誰も見ないから悪態付いても大丈夫最近テレビ 捨てたし情報はスマホで充分だしYouTubeも お気に入りチャンネル有るけど内容的には今一 だけど好きな人物居たから其れだけでモチベは 自然と上がるから一応OKだよねこんな下手糞で 良いのか疑問だけど有る程度呟けたし幸せです
以前から時々考えてたけど有る日突然目から鱗 的な思いに目覚めた様なスッキリ感が心地良く 偏った思考や無意識な私的目線と造り挙げられ 心底根付いた自滅願望に気付けた事が衝撃的で 今迄見て来た状況、対人関係、家族、仕事等の 半分以上が私的に造られた有る種の思い込みと 言う現実余りに阿保らしくて途中から為る様に なれと笑えて来るから前向きに為り沢山の人と 会話して共感し合える誰かを探しに行こう的な
僕が小学生だった頃、いいことに遭ったとき母は必ずこう言った。 「きっと神様が取り計らってくれたのね」 僕はそれが心底きらいだった。 「ねぇ、本当に神様なんて信じてるの?」 ぶっきらぼうに僕は言い放った。分からないくらいに声を震わせながら、生まれて初めてかもしれない思想の行き違いによる喧嘩を、僕は申し入れたのだ。母は驚くこともなく、じっと僕を見つめながら何かを考えていた。しばらくして、口を開く。 「神様は嫌い?」 不思議がるような表情に、かっとなるのが分かった。僕の母親はこんなにも話の通じない馬鹿だったのかと、呆れも同時にやってくる。「違う!」と吐き出された衝動には明確な侮蔑がこもっていた。 「神様なんているわけ無い!雷は放電現象で雨はただの循環だよ!良いことだって僕が頑張ったから成績が良かっただけなのに、なんで神様のお陰ばっかりにするの?」 知らず、僕は泣いていた。頬を伝った涙が口に含まれて、ようやく悲しんでいるのだと知った。すると優しく僕を母が包んだ。 それから涙が枯れるほど泣いて、その間中、母は僕の世界を揺らしていた。それを十年以上たった今でも一言一句覚えている。 「いい?たしかに神様はいないかもしれないけれど、それはあくまで観測できないだけなの。科学だってそう。観測して実験して証明する。発見された法則のとおりに地球上、あるいはこの宇宙の中で現象が起きているだけ。神様と違うのは、そこに再現性を求めるの。ある動作を行えば必ず同一の結果が得られる。神様と違って、科学は気まぐれをゆるさない。だから幽霊も、観測できない神様も証明不可能なだけ。だけどこの世界は科学で説明できないものだって多くあるでしょう?それに対して数多くの科学者が向き合ってきた。熱心に、人生の殆どを費やしてね。この世で科学を以て説明できないことなど一つたりとも存在しないのだと言わんばかりに。それって敬虔な信徒が唯一神に礼拝を捧げる様子と、とても似ているとお母さんは思う。科学は法則を唯一神として崇めているし、宗教は神様を法則と見做しているだけなのよ。だから科学も宗教も、その本質は未知に対する向き合い方にしか無いのよ」 きっと母の中で喧嘩は終わっていなかっのだろうと、思い出すたびに背筋が凍っている。この時の母の表情を僕は知らない。僕を包み込む優しい両腕が甦るばかりだ。 「今日もイチバンに来て研究とは、熱心なもんだね」 背後からかけられた声に椅子を回転させると、同僚の男が片腕をあげ缶コーヒーを片手にぶら下げてる様が網膜に上下反転して投影された。眠たさを堪えるような顔は表情筋によって細部のシワまで細やかに刻まれている。顎を開いて欠伸を漏らした彼に、母との記憶を継ぐかたちで僕はひとつ喧嘩を投げかけた。 「君は神様についてどう思う?」
「うるせー! 馬ー鹿!」 思わず握った拳を、しぶしぶ緩める。 しかし、そんな一瞬の感情の高ぶりさえ目ざとく見つけて、鬼の首を取ったように生徒がはしゃいで指摘する。 「あー! 今、殴ろうとした! パワハラだ、パワハラ! 教育委員会に言ってやろー!」 昔は殴っていた。 殴ればはっきりと上下関係を理解させ、悪いことを悪いことだと教え込むことができていた。 しばらくすると、殴ることが禁止になった。 だから叱っていた。 叱れば俺の本気の怒りが伝わり、悪いことを悪いことだと教え込むことが多少はできていた。 そして今、全てが禁止された。 殴れないし、叱れない。 それどころか、生徒が嫌だと感じることの一切ができない。 権力の椅子に座り続けたいわけではなかったが、権力の椅子に座る生徒を果たして座らずどうやって導くというのだろうか。 「大丈夫だよ。子供なんて、勝手に成長するから」 校長先生に思わず愚痴をこぼすと、なんともつまらない答えが返ってきた。 目から光の消えたその笑顔は、俺に妙な説得力を感じさせた。 それが、今の正しさなのだろうか。 「やーい、馬ー鹿! 先生って、社会に出たことないんだろ? 母ちゃんが言ってた!」 「そうだねー」 「じゃあ社会的不適合ってやつじゃん! 社不社不ー!」 「そうだねー」 最近、俺に突っかかっていた生徒が、別の先生の所へ行くようになった。 俺の授業がつまらなくなったと、クラスアンケートで大量に届いた。 「だよねー」 何も感じなかった。 生徒の成績が少しづつ下がり始めた。 何も感じなかった。 「先生、ここ教えて欲しいんですけど」 「ああ、ここはね」 わざわざ放課後の時間に、俺に聞きに来る生徒にだけは、今まで通り教えた。 拳を握る覚悟で教えて、結局拳を握ることなく平和的に特別授業が終わる。 別の生徒から贔屓だと言われたので、放課後に来れば教えてやるぞと返した。 誰も来なかった。 「ねえ、先生」 「ん?」 「この教え方を授業ですればいいと思うんだけど」 「そうだねー」 生との純粋な言葉に、それは時代遅れだよ、なんて返す非情さは持ち合わせていなかった。 現代の教育の正解は、生徒に無関心であることだ。 他人のように接するから、いらだちも起きることがない。 でも、教師志望のこの子には、あえて教える必要もないだろう。 この子が大人になったころ、きっと教え方の常識も変わっているだろうから。 無気力な教師が増え、教育の質がぐんと落ちて、世間がもっと厳しい教育を望んで欲しい。 俺たちの代を犠牲に、この子たちの代には、もう一度教師が権力の椅子に座れるようになっていて欲しい。 誰でもない、この子たちのために。
錆びついたナイフで喉を突き刺す。明日まで見えていた未来に、砕けた希望の殻が降り注いだ。 言葉なんて鋭利なものに縋って、そうやって廻ってきた。 そんなんだから、僕たちはいつだってひとりぼっちなんだ。 それでもいいさと口を噤む。 吐いた半キロメートルの言い訳は、さも僕を嘲笑うように消えていった。 その行方は、未だ識らず。
「月が近いな」 男は隣に立つ女に聞こえる声で呟いた。 「月まで歩いて行きますか」 女は真剣な顔で訊ねる。 「いいよ。歩いて行こう」 男は歩き出す。女も男の後を追う。 「疲れたら、バスに乗りましょう」 女は小さく微笑んだが、その顔を男は見ていない。男の目に映るのは月だけ。隣に女がいることも忘れている。そんな男だからこそ、女は安心して隣を歩くことができた。 女の目に映る白い月の光は、少しずつ遠くなっていく。
とある豚飼いの男は、着る服に迷っていた。というのも、村で一番の美女に告白しようと考えていたからだ。 告白をする場所は決まっていた。この田舎にあっても風光明媚な湖、その|畔《ほとり》だ。 普段、着飾ることとは無縁だった豚飼いが持つ服は、どれも実用性重視のものだった。せめて、垢抜けたアクセサリーのひとつでもあれば、と豚飼いは頭を抱えた。 結局、豚飼いは「変に着飾っても、服に着られた見た目になるだけだ」と結論付けたようだ。彼が最終的に着たのは、湖に合わせた寒色系で爽やかな印象の服だった。彼のお気に入りの一張羅でもある。 さて、準備も整ったので、例の女性を湖の畔に呼び出した。 急な呼び出しに怪訝そうな女性へ、豚飼いは意を決して告白する。「好きです、つきあってください!」という、なんともありふれた文言で。 それを受けた女性の反応は冷めたものだった。単に告白され馴れているだけではなく、豚飼いを嫌悪する理由があるのか侮蔑の表情で短く「絶対に嫌よ」と吐き捨てた。 豚飼いは少なからずショックを受けるも、心のどこかで断られる予想はできていたと自分を慰める。彼女と自分は、釣り合わないだろうと。 そんな豚飼いを見て、女性は何を思ったのか、断った最大の理由を告げる。 「だって私、生粋のヴィーガンだもの。職業に貴賤はないけれど、私の信念とは相容れないでしょう?」 豚飼いは、自分の魅力がないのことは理由ではないと知り、いくらか立ち直れた。 しかし、それでは疑問が残る。職業に貴賤はないと言いつつも、彼女は何故こんなにも見下した表情で豚飼いを見つめるのか。それがわからないでいる豚飼いの様子に、女性はため息をひとつ零しつつ、とどめの言葉を贈る。 「だって、貴方は私がヴィーガンであることも知らずに告白してきたのよ。私の容姿しか見てない。あるいは、恋人をステータスだとでも思って、村で自慢するつもりだったのでしょう?」 ―――――― お題:「湖」「豚飼い」「服」
部屋に置いている鏡台は、若くして亡くなった母の代わりになってくれた祖母から貰ったものだ。 需要が変化して今は贈られることは無くなったけれど、昔は嫁入り道具として贈ることが多かったらしい。 祖母がくれた鏡台も、自身が嫁入りする時にもらったのだと言っていた。別にまだ結婚する予定はないのに早すぎるというと、今日でいいのさ、と淡白に言った。 祖母が亡くなってから二年半、そういえば鏡台を貰ったのはこんな暑い日だったような気がする。 まだ慣れない指輪の感覚の残る手で、彼と鏡台を運んだ。
りんりんりーん、わたしを呼んだということはわたしの出番ね。 あなたのためならどこへでも、風林火山じゃない方の風鈴ちゃんです。 どうして今日はおめかしをしているかって? 実はさっきまで大好きな人とおでかけをしていたのだけれど、あなたに呼ばれたから風に乗ってひょいとやってきたわけよ。 大丈夫よそんなこと言わないで、わたしはあなたのために尽くしたいの。ほら、なんでも言ってごらんなさい。 え? 早くデートに戻ってほしいって? しかたないわね……、 じゃあこれからあなたが私とデートしてくれる?
友人のSNSのアイコンが真っ黒になった。 投稿を遡ってみると、恋人との思い出がすべて削除されていた。つい先日会った時に惚気話を聞かされたのに、あっけなく終わってしまったらしい。 友人のアカウントには鍵が掛かり、意味ありげな、けれど見過ごしてしまいそうな短い文章だけが雪崩のように投稿されるようになって、私は彼女をミュートした。 しばらくしてから彼女のアカウントを見てみると消えていた。このアカウントは存在しません。アイコンは真っ白になっていた。 彼女はもうここにはいない。
川は淀み、湖は黒く濁る。空はいつもと変わらず清々しいのに、水だけが紫の瘴気を放っている。 そこに住む人々は恐怖し、絶望した。穢れを払う術を知る者がいないのだ。水を吸い込んだ植物は枯れ、野菜や果物は腐る。魚も死に絶え、食物は無くなってしまった。 「私たちも死ぬしかないの?」 「もう終わりだ……」 人々は飢えに苦しみ、希望の火は消える――かと思われた。 とある旅人が訪れたのだ。彼が杖を一振りすると、汚染された大地に生気が戻っていく。草が青々と茂り、木々の葉は風に揺れてざわめき、川では魚が跳ねる。 「なんとお礼をしたら良いのか……!」 「礼なんて要りません」 謙虚にも、名も無き賢者は何も受け取らず、その地を後にした。『あの地は穢れてしまった』という過去の噂だけが残り、そこは自然豊かな命溢れる楽園となった。
絶体絶命のピンチだ。目の前は火の海、振り返れば海にそそり立つ崖――逃げ場はない。 俺の魔法が暴発し、森林火災となったのだ。故意でないとはいえ、自分がしでかしたことだ。誰を責められない。俺が出来ることと言えば、死に方を選ぶことくらいだろう。焼死か、転落死か、溺死か――。死ぬ勇気もないくせに、必死に頭を働かせる。そうしている間にも、熱波は容赦なく襲いかかってきた。 焼け死ぬのだけは嫌だ。痛く苦しいうえに熱いなんて、まだ転落死の方がマシだ。生き残れる僅かな可能性に賭け、振り返った。恐怖心を和らげるように、赤く燃える星空を見上げ、飛び込んだ。重力には逆らえず、猛スピードで落下していく――筈だった。 途中で速度が衰え、身体は宙に浮かんだのだ。 何が起きたのだろう。頭を下にした状態で、恐る恐る目を開ける。眼下に見えるのは海ではない。淡く紫に光を放つ魔法陣だった。 「故意ではないが、お前は大変な過ちを犯した」 この男性の声は、魔方陣の方から聞こえてくる。 「その業火に焼かれることが、お前の罪滅ぼしだ」 言葉が途切れると、再び体は落下する。しかし、伊丹は襲ってこない。代わりに逃れた筈の熱波が身体中を覆う。 何度、崖から飛び降りても、炎の中へと戻される。とてつもない絶望に襲われながら、身を焼かれた。
「はぁ 」 甘い吐息が零れる 彼の手のひらを自分の耳にあててから頬ずりし 手のひらを何度も唇で噛む 好きの気持ちが体の内側から頭の先まで駆け上る。 下に見下ろす彼は潮の満ち引きの様にゆっくり動き時間が長く感じられる。二人とも息が上がり背中に汗が伝う。 動きとは裏腹に高揚感は早いスピードで上り詰め到達した
霊は恐い。 得体のしれない物は怖い。 そこで、天才である私は、特殊な眼鏡を発明した。 この眼鏡をかければ、霊の生前の姿が見えるのだ。 私はさっそく眼鏡をかけた。 「うらめしやー」 よぼよぼのおじいさんが近づいてきた。 コケて骨を折るんじゃないかと心配になった。 死んでるけど。 「うらめしやー」 ミスコンでグランプリをとりそうな美女が近づいてきた。 このまま抱きしめられたいとさえ思った。 死んでるけど。 発明は、大成功だった。 もう、霊が全く怖くなくなった、 私は何に怯えることなく家を出て、すっきりとした気分で歩き始めた。 遠くの方にも、大量の霊が見えるが、まったく怖くない。 今の私に、恐れる霊などいない。 ゴ○ブリホイホイで死んだだろう、大量のゴキ○リの霊の大群が、私を見つけて襲い掛かってきた。 もちろん、姿は生前のままだ。 「いやああああああああ!? 無理無理無理無理無理!! キショおおおおおおおおおい!!」 私は急いで家に戻って扉を閉める。 霊の大群は、当たり前のように扉をすり抜けてきた。 「きゃああああああああああああ!?」
教室を飛び出ると、リツとぶつかりそうになった。慌てて急ブレーキをかけると、後ろから来ていたタツがつんのめって背中にぶつかってくる。勢い、リツに分厚い胸板にモトハルは顔を押しつけることになった。眼鏡のフレームが眉毛の下に食い込む。 「むぎゅ」 馬鹿みたいな声が出て、食堂に向かう連中が笑いながら駆け抜けていく。 「おっと」 体勢が崩れてヨロヨロ倒れかけたところを、後ろから太い腕で腰のあたりのシャツを掴まれる。タツが一歩前に出て、痩せぎすのモトハルを支えてくれたのだ。 「リツ、お前も飯行くか」 「悪りぃ、昼練だわ」 「お前、本気だな」 間に挟まれたモトハルの頭越しに、そっくりな容姿の二人が兄弟らしい会話を繰り広げる。モトハルは腰をさすり、そっとタツの腕から逃れた。 「振るい落とされんなよ」 リツがようやく気付いたように、モトハルを見下ろして声を出して笑った。タツも笑った。 何が可笑しいんだろうか。この幼馴染の馬鹿二人のことが、モトハルにはいつもわからないのだ。 「しっかり食べろ」 売店で買ってきたサンドイッチを食堂の席で頬張るっていると、食事で山盛りのトレイを抱えたタツが向かいに陣取った。そして、自分のミックスフライ定食のミニカツを勝手にモトハルに突き出してくる。 「そんなんじゃ、騎馬戦ですぐやられんぞ」 モトハルの憂鬱の種だった。発育不良の身体を勝手に持ち上げて、大将に据えたのはタツたちだ。自分にそんなことできるはずないことは自分が一番よくわかっていたが、いかんせんクラス全員参加の競技だ。下の馬役になれるわけもなく、せいぜい目立たないように負けたかったのに。それにしたって、今日明日の飯を多少増やしたところで、強くなれるわけもない。 「まぁ安心しろ、ソウタもテルも足が速ぇえ。高速機動の騎馬で、混戦になっているうちに後ろから仕留めよう」 顎を大きく咀嚼させながらおかずと米を減らしていくタツの食事を眺めながら、モトハルはため息をついた。 「モトハル、カメラだ」 下から声が聞こえ、気の抜けた顔をしたまま写真屋さんに写真を撮られた。あっという間に体育祭の日が来て、騎馬戦の競技が始まろうとしていた。 「サイコーだな」 空は雲一つない快晴、僅かな風がグラウンドの周囲の木々を揺らしている。確かに、世界のどこかにいる主人公にとっては最高の瞬間かもしれない。主人公なら。普段し慣れないコンタクトがゴロゴロするような気がして、モトハルは目を擦った。 下半身の部分がタツたち騎馬のたくましい筋肉に支えられているのが感じられる。両足を支える握られた掌は既にじっとりと汗をかいていて、お尻を乗せている交差した腕は力がみなぎっている。 『帽子を取られた騎馬は、その場で崩してください』 ルールを告げる放送が進んでいく。軍手をし、配られた紅白帽をつばを後ろにしっかりと被り直す。 「勝つぞー!」 タツの声がクラスに響き渡り、野蛮な雄たけびが上がる。グランドを挟んで対峙する対戦相手のクラスの方からも声が聞こえた。 「リツんとこの騎馬から目、離すなよ」 その声の意図をくみ取る前に、開始のホーンが鳴らされた。 まず、周りの歩兵騎馬が先行してグラウンドに突撃した。タツは大声を上げて周りを鼓舞しながらも、慎重に他の騎馬の裏に回るように動き始めた。大将騎馬はすぐにやられてはいけない。グラウンドに立つ教師たちをすり抜けつつ、戦局をうかがう。 「行くぞっ」 混戦となっている後ろにタツは華麗に騎馬を進め、モトハルは難なく相手クラスの帽子を掴む。だが、とっさに相手に腕を掴まれ、大きく引っ張られる。 「はやく抜けって!」 下半身の方が引っ張られ、相手に掴まれた上半身の部分が大きく空中に飛び出る。不思議と怖くはない、なんとか帽子を奪いきって地面に投げ捨てる。 「リツが来てる!」 地面が大きく傾いたままの視界に、猛然と突進してくる騎馬が見える。先頭の巨漢が吠えていた。 タツの頭を掴んで何とか姿勢を戻すのと、相手の騎手の手が伸びてくるのが同時だった。すんでのところでかわすと、軍手を付けた手同士で掴みあう。純粋な力比べ、しかしその時、下の騎馬同士も激しくぶつかり合った衝撃が伝わってきた。グラウンド全体が歓声に包まれ、教師たちが駆け寄ってきているのが目に入る。 あらゆる部位からのバラバラなベクトルを受けながら、モトハルは左手で相手の腕を押さえつつ、右手では相手の帽子を狙い続けた。相手が身体をのけぞらせ、モトハルの身体がバランスを崩した。足が抜けるのがわかる。 宙を舞う瞬間、モトハルは眼下のそっくりな双子が、互いに笑い合いながらこっちを見上げているのを見た。 そして、二人に挟まれてモトハルが押しつぶされても、二人は笑ったままだった。 (お題:合わせ鏡)
あしたは選挙だから外食だな おとうさんの言葉に こどもは大喜び ふたりの様子をみて おかあさんも ほほえんでいる その夜 こどもは なかなか 寝つけなかった こどもが たのしみにしているのは 外食についてだけか それとも 未来を思い描いてか
昔読んだ漫画で忘れられない作品がある。その物語の主人公たちは別の世界からやってきて、いろんな人と出逢い、戦い、その末に国を救う。そして最後に、新しく生まれ変わるその国の名前を、あなたが決めてください、と読者に投げかける。 子供の頃は、姉と一緒に国の名前を三日三晩考えたものだ。最終的にどんな名前にしたのかは、もう忘れてしまったけれど、でも読者に投げかけるそれがとにかく斬新で、記憶に残っている。 だから、私も小説を書くにあたって、最後のオチを読者に考えさせたらどうだろう、と思ったのだ。これは斬新、いけるぞ私。 苦節何年か数える手の指ももう足らず、売れない作家と自他ともに認めざるを得ない私だが、この作品は売れる。売れるはず。売れて欲しい。 原稿を書きあげ、方々に連絡し、なんとか完成させた。 そして、ついにその発売を迎えたのである。 最初の売れ行きの連絡が来ることになっている。 さすがに緊張するが、今回は行ける気がする。 担当さんから連絡が来た。 さあ、私の作品の売れ行きは、 「 。」 → 結果はあなたが決めてください
全てを間違えていたとしても 今は幸せなのです。
古びたアトリエの天井には、なぜかパセリが生えている。 もちろん、普通の家の天井にパセリが生えるはずはない。だが、この部屋は少しだけ特別だった。かつて、天才と呼ばれた画家が暮らしていたのだ。 私はその画家の孫で、祖父の遺品を整理するためにこのアトリエに通っていた。最初に天井の緑に気づいたときは、埃か苔かと思った。が、近づいてよく見ると、それは確かにパセリだったが、天井に描かれた絵だった。ふわふわと広がる葉の影が、ちょうど天井のひび割れを飾る。 「……なぜ、こんなところに?」 祖父の古いスケッチブックをめくると、一枚のデッサンが目に留まった。そこには、天井から吊るされた籠に生い茂るパセリと、それを見上げて笑う幼い私が描かれていた。 思い出す。子供のころ、祖父の膝の上で、私はよく空を見上げていた。 「上ばっかり見てるな」と祖父は笑って、鉛筆を走らせていた。 「天井の上にはね、絵があるんだよ。ほら、見えないだけで」 あれはたぶん、空想話のつもりだったのだろう。 でも、私は信じた。そして祖父は、私の信じるものを絵にしてくれた。 今、天井に生えるパセリは、きっと、祖父が描いたのだろう。私が見た目に見えない絵が、現実に滲み出したのだ。 私は椅子にのぼり、小さな緑をそっと指先でなぞる。 本物のパセリと見紛うほど精巧に描かれている。 「……わかったよ」 祖父のアトリエは、このままでいい。 ここは、絵の匂いと記憶が生きている、小さな異世界なのだから。 ―――――― お題:「パセリ」「天井」「画家」