身代わり

 最近になって、自分の身代わりを生成できるようになった。    どのようにしてできるようになったのかは正直なところ、あまり覚えていない。  ただ、嫌な出来事があったときに身代わりは決まって現れるのだ。    今日も仕事でミスをして上司にガミガミと文句を言われているとき、僕が抜け出したいと強く念じると身代わりは現れた。  「あとはよろしく」と身代わりに告げて、僕は会社のビルの隣にあるカフェへと向かう。  一度だけ振り返ってみたとき、身代わりはペコペコと上司へ頭を下げていた。  初めのうちは自分の身代わりが怒られているのも不愉快だったが、もうずいぶんと慣れてしまった。  軽快な足取りでビルのフロントを抜ける。誰も僕を気に留めることはない。    彼女を見つけたのは交差点に差し掛かった時だった。  毛先まで真っ白な髪からのぞく、少しとがった耳。あどけなさの残る顔立ち。 その手にはラージサイズのアイスコーヒーが握られている。  一目でわかった、同じ課の神谷さんだ。  その、アニメに出てきそうなほど整った顔立ちと誰よりも課にいる歴が長く、年齢不詳であることが相まって、裏ではエルフなどと呼ばれている。  僕は交差点の向かいから渡ってくる彼女の顔をまじまじとみつめた。  彼女は段々とこっちに近づいてくる。  いいや、きっと気のせいだ。  身代わりがある以上、僕のことは誰からも見えていないはずだ。  それでも、彼女はこちらへ歩を進めてくる。  彼女はついに、僕の目の前で立ち止まり、まっすぐ僕の目を見て言った。 「アンタねえ、この前も言ったけど、その身代わり癖やめた方がいいよ。ほんと、私みたいになっちゃうから」    抜け出そうとしたところで少女のように小さい手でガッと肩をつかまれる。 「今日は逃がさないよ。ほれ、戻りな。」    気が付くと目の前には、見慣れたフローリングと革靴があった。  頭上からは上司の声が絶え間なく降り注いでいる。  誰にもばれないよう、ちらっと部屋の隅を見るとそこには、虚ろな目で耳に受話器をあてるエルフの姿があった。                          

カッコウが導く沼のほとりで

 いま食べてんの人間のどの部分?茶化すように言ったらゲンコツをもらった。食べてるときに言うなと怒鳴られ、そんなら早いとこ食べてくれ、そしたら言ってもよかろうと気味悪く引き笑いをまじえて返したら今度は頬をひっぱたかれた。どうにも手の早い男でまいってしまうが自分の親だ、あきらめるしかない。  またひとり沼に落ちたと佐伯さんが来たとたん言った。「手伝ったほうがいいだろうかねえ」母が聞くと、 「いいや任せてしまったほうがいい」  佐伯さんは決めつけ、さっさと父と酒をやりはじめた。どうにもこの町の青年団は怠け者が多い。威勢だってたいしてよくない。法被姿が似合わなくてどの男の元にも嫁に行く気になんてなれない。臆病者たちの集まりは、でもここ数年、事故をひとつも起こしていない。死んだ者だってひとりも。  あくる日、人が落ちたという沼に行ってみた。映画などであれば足跡のいくつかがあるのだろうが、ぐるっとみてまわったけどどこにも落ちていない。死体は上がっていないと朝、母は言っていた。死んだと決めつけてることに腑に落ちず、でも生きてるとも思えない。死体が上がってこないのは水底の草が足を取ってるからだろう、確かめることができないけれど。姿はみえなくて、でもカッコウが自分の名を辺りに響かせ、それがやけに人の死の匂いを薄く和らげる。いくら鳴いたところで事実までは曲げられない。沼から戻っても、鳴いていたカッコウの声は、耳の奥にいつまでも残っていた。  沼のほとりで鳴いていたカッコウの声が今日はやけに大きい。開け閉めに手間取るようになった窓をそっと開けてみるとベランダの手摺にカッコウらしき鳥の姿があった。鳴く声の印象が強すぎて実際のシルエットよりいくぶんずんぐりにも思えるその姿に、みてはいけないものをみた気になって静かに窓を閉めた。カッコウが鳴いて、逃げていかなかったことに安堵した。  放課後はいつも騒々しい。 「プロット書かないとダメだよ」  ニヤつきながら言う文芸部の先輩はでも、プロットを書くことばかりに精を出す。いまだに完成させた原稿がなく、それはその先輩のこれから先の人生のようでもある。馬鹿にされた先輩はパソコンの画面に思いを打ち込む。  オマエらマメんじゃねえぞ  打ち間違えがやはりその先輩の歩んでいく将来にも思え滑稽で、そこから私たち後輩は「マメ先輩」と裏で呼ぶようになった。  ここ数日、雨が続いてる。沼には近づくなとホームルームはもちろん、授業で先生がかわるがわる言ってくる。近づきたくても沼に行くまでの道が水の下になってるはずで、そうまでして行くような用もなく、行くような場所でもない。 「死ぬって、どんなだろうね」 「え? 死にたいの?」 「そうじゃないけど…」 「興味?」 「あっ、そうそう、興味興味。たんなるね」 「ふうん」  この子は、この雨がやんだら学校に来ない気がする。理由は、これといってないけれど。  佐伯さんは今日も来て父と酒を飲んでいる。佐伯さんがこの家に来る理由を私は知ってる。父は佐伯さんとの会話に飽きたのかテレビで野球をみはじめた。それを合図にか、母が台所から居間に来て佐伯さんの相手をはじめる。佐伯さんが、佐伯さんの目が、ちょっとヘンだ。いけない目だ。いけない目で母をみてる。母は佐伯さんのその目をじっとみかえす。同じくらいにいけない目で。私は自分の部屋に行く。さっさと階段を上がっていく。汚染から身を逃がすようにすばやく、すり抜けて、あざやかに。すぐ自分の部屋、引っ込んじゃって、なんて言われない。むしろ早いとこ行ってくれないかって思われてる。あの目が、私に向いてこないことがせめてもの救いだ。  梅雨の寒さって嫌いだねえ。蒸し暑くってやんなっちゃう。表面上ひとまず取り繕ってクラスの子たちには合わせて言うけどそんな生ぬるいのじゃなくってもっと高尚な嫌悪。ほらね、やっぱりあの子、学校来なくなっちゃったでしょ。 「ああ、ちょうどよかった」  何がちょうどなのかこっちがわからずとも先生にはわかってるみたい。 「帰りにこれ、届けてやってくれんか」  何枚かのプリントをよこしてくる。なんで?心のなかで思う。なんで?私に頼むことへの疑問じゃない。なんで?あの子… まだ… 生きてるの?っていう疑問。 「頼むなあ」  のんきに言われる、背中で。先生と呼ばれてる生きものは、背中でものを言うのが上手い人たちの集まりだ。きっとそういう人がなっていく職業なんだ。  帰り、あの沼に行く。沼のほとりで辺りをみまわす。カバンを開けて先生からあずかったプリントを、みいんな沼に沈めていく。 「きちんと届けたからねえ」  沼からは、返事は聞かれない。姿はみえない。でもカッコウの声は、遠く響く―

善自認

「これは愛の鉄拳だ! 君の為なんだ!」    殴る。  蹴る。  ぶん投げる。    痣だらけになろうが、血だらけになろうが。  だってこれは、善行なのだから。   「私のような善人の指導を受けられるなんて、君は幸せだね。他の人なら、こうはいかない。君は理不尽な暴力を受けて終わりだ」    全身を痙攣させながら、吐しゃ物をまき散らしながら、私の教え子は微笑んだ。   「は……い」 「声が小さい!」 「はい!」    いい返事だ。  きっと、彼は直る。  性自認と自認年齢という病気は、きっと完治する。   「さあ! 君の性別を言いたまえ!」 「男……です」 「よし!」    社会をよくすること。  人を正しい方向に導くこと。    それが、善人として生まれた私の責務なのだ。

彼が紡いだひとすじの銀糸

教授の単調な声が、古びた大教室の空気を重く湿らせている。  再履修組の掃き溜めのようなこの講義において、熱心に板書を取る人間など一人もいない。窓の外の陽光だけがやけに明るく、埃を照らし出している。  右隣で、友人の佐藤が不意に肘を突きつけてきた。  無言でそちらを向くと、佐藤は顎をしゃくって、さらに右前の席を指した。 「おい、見ろよ」と、視線で合図を送っている。  指し示された先には、一人の男子学生が座っていた。講義中だというのに、彼は背中を丸めて豪快に腕を組み、深く俯いている。目を閉じ、首は不自然な角度で固定されていた。  ――寝ている。しかも、かなり深く。  しかし、この授業で生徒が寝ているのは何も不思議な光景ではない。現に今、講師は黒板に向かったまま、堂々と腕を組んで眠り込んでいるその学生を一度も振り返ることすらない。やる気のない教師と、それに応えるようにやる気のない学生たち。ここが掃き溜めであることを証明するような日常の風景だ。  僕が軽く肩をすくめて同意を示すと、佐藤は必死に肩を震わせ、今にも噴き出しそうな笑いを堪え始めた。  再びその学生へと視線を戻したとき、僕はその「異常」に気づいた。  その男の下唇が、異様に光っている。  それは単なるテカリではない。まるで、高級なガラス細工のような――不気味なほど鮮烈な反射を、午後の陽光の中で放っていた。 「……おい、あれ」  僕が小さく呟くと、佐藤がこらえきれずに咳払い一つで笑いを誤魔化す。  光は、ただ反射しているだけではなかった。  男の唇から、その粘り気のある光沢が、ゆっくりと……本当にスローモーションのように垂れ落ちようとしていた。それは一本の細い、しかし意思を持った銀色の糸のように、重力に従って机の端へと伸びていく。 「……切れねえな」  佐藤が震える声で囁く。僕らは肩を震わせ、笑いを堪えるのに必死だった。  あと四十分。この銀糸がどこまで伸びるのか。  その時、彼は不意に深く息を吸い込んだ。  ――あ、と思った瞬間だった。  銀糸はピーンと張り詰め、次の瞬間、音もなく彼の口元へと弾き戻された。彼は満足げに鼻を鳴らし、再び深い眠りにつく。  銀色の糸は、こうして跡形もなく彼の中へ回収された。  僕らは顔を見合わせ、また静かに教授の掠れた声へと戻った。この最高に退屈な時間の中で、一瞬だけ世界が少しだけ面白く見えた、それだけのことだ。

キッチンから君まで

コップの水を一口飲む、夜明けのキッチンで 君の腕を触るとひんやりと冷たい 毛布をかけ、ボタンも開けず背中から抱きしめる 私の体温が君に移っていく、口に触れた指を眠る君が口に寄せる 外で鳥が鳴いている、カーテンの隙間から明かりが漏れ入る 昨日開いたボタンを一つ一つ閉めていく 君から離れ、またキッチンに行く

虫がいない

 虫がいない。 公園に行って蜘蛛を取ってきて家に放しておこうかな。 僕は虫だ。 本の虫。 実際には集中力が弱っているのでミドリムシくらいの力しか出せない。 ヘラクレスオオカブトの豪傑達は海に山に大忙しだ。 ムシキング。 ムキムキング。 相変わらず何を言っているかわからない。 昆虫の王様は鳥に狙われながら殺虫スプレーをかけられ続ける。 酷いぞ。 泣けてくる。 頭のいい蟻はせっせと働き餌を巣に運ぶ。 キリギリスは税金が怖いが昼夜を問わず一生懸命遊ぶ。 蝶は畑で花粉を運ぶ。 カブトムシは戦いに明け暮れる。 スズメバチは蜜蜂と勢力圏を争う。 昆虫から学ぶことは多い。 セミになれなかったミドリムシの僕は水分を求めてウヨウヨ動く。 それを観察する変態によってビーカーの中でもがく。 スポイトを使うのは得意だ。 なんか実験器具が欲しくなってきたぞ。 化学元素記号を途中まで本で読んで頓挫している僕は理科の先生に拳骨を喰らいそうだ。 理系でなくてスミマセン。 ダンゴムシ集めて口の中に入れていた子供時代。 素養はあったのだろうか? 夜尿症がなかなか治らなかった。 虫を殺していたからだろうか? 生命との調和。 虫も殺さぬような顔でとはよく言ったものだ。 今日も顔にダニを纏い猫のノミに話しかけられ暮らす。 虫万歳。

取り扱い注意

「どうぞ、お入り下さい」 扉から顔だけ出した男が声を掛けた。 その声に、二十代後半の女が、緊張した面持ちで部屋に入った。 「失礼します」 「そちらにおかけ下さい」 長机を前に、二人の男が履歴書に目を通していた。 「前職は物流関係とありますが、どのようなことを」 「はい。通販サイトで、購入者様への配送業務でした」 「具体的には、どのような」 「はい。ご注文の品を箱に入れて、緩衝材も詰めて、待機しているトラックまで持って行く仕事です」 二人は、うなずきながらメモを取っている。 「では、弊社を希望した理由を教えていただけますか」 「はい。私事ですが、前の職場の同僚が、私の箱詰め作業を見て、何か感心したようで、御社を勧めてくれたというか…」 「なるほど。うちも箱詰め作業はありますが、結構大変ですよ」 「はい。頑張ります」 女は、笑顔で小さく頭を下げた。 「では後日、改めてご連絡しますので、それまでお待ちください」 女が部屋をあとにする。 「君、今の女性どう思う」 社長が人事の男に聞いた。 「そうですね。即戦力になりそうですね」 「君もそう思ったか。じゃあ、採用するかな」 ──ピコンピコン 女がメールを開いた。 「採用決定。 ご存知かと思いますが、弊社の制服は喪服です。ご用意お願いします」

不器用な男子の告白 いヴ実話シリーズ

いヴ→澪 昼休みのチャイムが鳴り終わったころ、教室にはまだ夕方の光が残っていた。 一年生のこはなは、机の上のプリントをそっとそろえている。 その横顔はいつもみたいに落ち着いていて、 ときどき見せる ニコッ が嘘みたいに静かだった。 廊下の影から、その様子を見ている男の子がいた。 サッカーが得意で、走るのは誰より速いのに、 今は足が床にくっついたみたいに動かない。 横には、ビビッて連れてきた女友達、澪。 手紙は澪が渡してくれるし、書いてくれた。 恋愛相談はほかの男子にするとうるさそうなので、澪にした。 「好きです」を入れるって決めたときから 心臓がずっとうるさい。 「……今日、渡すって決めたんだ。」 自分に言い聞かせるように、小さくつぶやいた。 給食当番のとき、こはなが手をつないできた瞬間。 あの小さな手の温度と、 見上げてくれたときの笑顔。 あれがずっと頭から離れなかった。 もっと仲良くなりたい その気持ちが、告白する勇気になった。 教室の中には、もうこはなしかいない。 同級生の「手伝おうか攻撃」もなく、 空気はやわらかくて静か。 ——今だ。 男の子は深呼吸して、ゆっくり歩き出した。 足音が近づくと、こはなが顔を上げる。 「あ。」 いつもの、あの優しい笑顔。 その笑顔にドキドキし、男の子は影に隠れた。 澪はポケットから手紙を取り出し、こはなに渡した。 「これ……読んでほしいんだ」 澪は明るい笑顔で、ちゃんと届いた。 こはなは驚いたように目を丸くして、 でもすぐにふわっと笑った。 「うん。あとで読むね」 その一言だけで、 男の子の胸の緊張が少しほどけた。 手紙は、こはなの小さな手の中に収まった。 その手を見て、 渡せてよかった そう思えた。 教室を出たあと、男の子は廊下で深呼吸した。 晴れの日特有の黄金色の光が差し込む。 返事はまだわからない。 でも、今日の自分はちゃんと勇気を出せた。 それだけで、胸の奥が少しあたたかかった。

総理、正直になる。

地下三階の会議室に、全閣僚が呼び出された。 「なんか元気ないですね」 総理の浮かない顔に、視線が集まった。 「実は、娘に子が生まれたんだよ」 「おめでとうございます。総理も、おじいちゃんですか」 会議室に拍手が響いた。 「いや……赤ん坊の顔を見てたら、心が洗われたというか」 「ん……?」 「ぼくたちさ、嘘ばっかりついてきたじゃない」 「まぁ、それは、噓も方便で国民もわかってることでしょ」 「だから、もう嘘つくのやめようと思ってね。君たち、この前の選挙公約、覚えてる?」 総理が財務大臣を指さした。 「税金を下げる、でしたっけ」 「できるの?」 「無理でしょうね」 閣僚たちが顔を見合わせた。 「急に正直になったら、世間が混乱しませんか」 「でも、孫の前では、カッコいいおじいちゃんでいたいのよ」 翌日、総理が緊急記者会見を開いた。 「えぇ……明日からの外国訪問、ちょっと旅行気分、入ってます」

透明な譲り手 いヴ実話シリーズ

さらら→いヴ 教室の空気は、いつも少しだけざわついている。 掃除場所を決める時間になると、そのざわつきは決まって濁る。 「トイレ掃除、誰か必要なんだけど」 誰かが言う。 誰も目を合わせない。 気まずい沈黙で空気が重くなる。 その沈黙を破る役は、いつも月詠さららだった。 「……私でいいよ。やるよ」 声は落ち着いていた。 本当は一年生の手伝いがしたかった。 でも、そう言えば場が丸く収まる。 そう思って、今日もまた“平気なふり”を選んだ。 「助かるー」 軽い声が返ってくる。 ありがとうの一言もない。 その瞬間、胸の奥に小さな穴が開く。 さららは気づいていた。 自分が“本当にやりたい”と言ったことなんて、ほとんどない。 いつも、誰かのために形を変えてきた。 そのたびに、心のどこかが削れていくのを感じていた。 今の心の大きさは普通じゃない。 放課後、誰もいない廊下を歩きながら、さららはふと立ち止まった。 窓の外は寂しく降る雨で、校庭が湖化している。 その景色を見ても、心は少しも動かなかった。 「なんで、こんなに疲れてるんだろう」 声に出すと、胸の奥がじんと痛んだ。 虚しさは、もう隠しきれないほど膨らんでいた。 そのとき、ふと気づく。 自分はずっと“誰かのための役”を演じてきた。 本音を言えば嫌われるかもしれない。 空気を乱すかもしれない。 そう思って、何度も飲み込んできた。 でも その役を演じ続けてきたのは、誰のためだったのだろう。 さららは窓に映る自分を見つめた。 そこにいたのは、優しいけれど、少し疲れた顔の少女だった。 「……もう少しだけ、自分のこと大事にしてもいいよね」 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。 ただ、自分の心にそっと置いた、小さな本音。 雨の中、さららの傘を濡らす。 その傘は、今日だけは少しだけ明るく見えた。

知ってよ

僕には足がない。これは生まれつき。 だから、車椅子で生活していた。 僕は今病院のベッドで寝ている。車に轢かれたから。 三日前、車椅子の車輪が道の凹んだところに引っかかってしまった。信号が変わると同時に車が突っ込んできた。向こうは信号しか見ていなかったのだろう。 痛かった。   母さんは毎日見舞いにきてくれる。 「ごめんね。私がちゃんとした身体に産んであげられなかったから」 そういって謝る。 僕は何も返さない。 声が出ないから。事故で喉が壊れた。  もし、声が出るのなら 「そんなことないよ。」っていうのに。 「産んでくれてありがとう」って言いたいのに。 自分を責め続ける母親に何も伝えられない。 あぁ痛いな。 「別に足なんていらない。」っていうのは嘘で、ちょっとだけ自分の足で歩いてみたかったけど。 足がないことは悪いことだけじゃなかったよ。   同じ身体障害をもった友達に出会えた。 腕のない和樹くんは僕の親友だ。もし腕があったら彼には会うことはできなかっただろう。   車椅子ならではの景色も見れた。 普通の人よりの少し低い目線だから、地面をせっせと歩く虫、散歩中のリードが伸び切るほど先を急ぐ犬、雨の日葉っぱに乗ったまぁるい雫。みんなよりも近くで見れたよ。 毎日がワクワクだった。      ――あ。  ペンを持つ左手が震える。事故で失ったのは利き手の右手。 僕は長くはないだろう。みんなは大丈夫だっていうけど、僕にはわかる。だから、伝えときたい。声はでないから、こうやって。 字が汚いのは利き手じゃないから、それはばかにしないでよね。 ペンをギュッと握り直す。   大嫌いな勉強だけど、一生懸命に教えてくれるから頑張ろうって思ったよ。先生。 みんなと違うから行きたくなかった普通の学校。でもね、みんな優しくて足がない分サポートしてくれた。クラスメイトたち大好き。 いつも忙しいのに、休日は僕を担いで公園を走った父さん。僕本当に自分で走ってる気分だった。 父さんの背中はずうっとおっきくて憧れだったよ。もう一回乗ってみたかったな。 和樹、君はいつも陽気でふざけてたよね。僕の手術前なんかはいつもより大袈裟にふざけて、病院の先生に怒られてたっけ。とんでもないやつ(笑)おかげで全然怖くなかったよ。君は本当にいいやつだ。  そして母さん。これだけは知っててほしい。 僕がもし生まれてなかったらこんな世界知ることはできなかった。 ありがとう。僕を産んでくれて。 みんなありがとう。 僕はほんっとうに幸せだった。   ――あの子が死んだ。  お医者さんは大丈夫だって言ったのに、急に容態は悪化した。  みんなが走っているのを眺めてたときも、私を見つけると辛さを見せないくらいの笑顔を見せてくれた。誰よりも優しい子だった。  ……なのに  最後は片手を失い、声も出せなくなってしまった。  私がちゃんと産んであげられなかったから。ごめん……本当にごめんなさい。  彼の寝ていたベッドを見つめる。彼がそこにいたであろう跡はまだ残っている。  私のせいでこの子はこんなに辛かったのに、私は生きててもいいのだろうか。  ――それなら、いっそ。 「ん?」  何かがベッドの端に挟まっていた。……手紙。  封には、ひどく震えた文字で『みんな、そして母さんへ』と書いてあった。    私はそっと手紙を開く。 もう聞けないはずの声が、そこにあった。

私の本音 いヴ実話シリーズ

澪音→いヴ 静かな夜 部屋の灯りを落とすと、 窓の外の街が、遠くで息をしているみたいに揺れていた。 私、白鷺澪音(みおん)はベッドの端に座り、 胸の奥に残った“言えなかった気持ち”を そっと指先でなぞった。 優しくしただけなのに、 どうしてこんなに胸が痛むんだろう。 誰かのために笑った日、 「大丈夫」って言った日、 本当は少しだけ震えていたことを 誰も知らない。 優しさって、軽いものだと思われがちだ。 差し出せば、それで終わり。 そんなふうに扱われることも多い。 でも澪音は知っていた。 優しさは、 自分の時間と心を少しずつ削って差し出すものだって。 だからこそ、 雑に扱われると胸がきゅっと痛む。 「見返りなんて求めてないよ」 そう思っているのに、 心のどこかで “気づいてほしかった” という小さな声が泣いていた。 その声は、誰にも届かなかった。 強がりの影に隠した想いは、 言葉になる前に涙へ変わっていく。 怒りより先に来るのは、 静かに沈む悲しみだった。 「どうして私だけこんなに苦しいんだろう」 そう思った瞬間、 胸の奥で何かがそっと崩れた。 涙を拭いたあと、 澪音はゆっくりと立ち上がった。 泣いた夜を越えてきたから、 まだ立っていられる。 優しさが壊れそうになっても、 それでも前に進む強さが 澪音の中には確かにあった。 透明じゃない。 消えてなんかいない。 澪音の心は、 ちゃんとここにある。 窓を開けると、 夜風がそっと頬を撫でた。 その優しさに、 澪音は少しだけ息を吐いた。 「気づいてほしかっただけなんだよ」 その小さな声は、 誰にも届かなくても、 確かに世界に放たれた。 そして澪音は思った。 優しさは弱さじゃない。 泣いたあとに立ち上がれることこそ、 いちばん強いことなんだ。

こんな機能が欲しかった

郊外の家電量販店。 若い夫婦がテレビを買いにきた。 「たくさんあって、迷うわね」 並べられたテレビの前で、店員が二人に声を掛けた。 「よかったら、手に取ってください」 リモコンを妻に渡した。 「どれもいっしょね……なに? このボタン」 チャンネルの横に、ニヤケ顔の絵文字のボタンがついている。 「これ、何ですか?」 「あぁ、それは副音声ですね」 店員が説明を始めた。 「それを聞くと、ちょっとだけ安心しますかね」 「どういうこと?」 「どうぞ、お試しになってください」 妻はリモコンをテレビに向けた。 緑豊かな、この国の原風景が映った。 ボタンを押す。 『車がないと、ここでは生活ができない』 「……年取ったら大変ね」 チャンネルを変える。 シャッター商店街、町おこしドキュメント。 『ポツンと、おしゃれなカフェが』 「……常連が居座って入りづらいのよね」 料理番組、アップルパイを作っている。 『去年の台風で、リンゴはほとんど木から落ちました』 「……そんな年もあるよ」 「どうですか?」 口角が上がり、ニヤケ顔の夫婦。 「これ、買います」 「ありがとうございます。最近は、こちらが一番売れております」

胸の中で

今、あの人は何をしているのだろうか 恋人と肌を寄せ合っているのだろうか 一人、風呂に入っているのだろうか 誰かと飲んでいるのだろうか 今から寝るまでに私の事など考えもしないこと そんな事は分かっている 私に気がないことは確認済みだ ただ、そんな事は分かっているけど 今日の私の事を思い出しても罪ではないと 私が未だに一人、思っていることは罪ではないと そう、私は思っている。事などあなたは知る由もなし。誰かの胸の中でねているのであろう

久しぶりメッセージ返信方法

『久しぶり』    元彼からメッセージが届いた。  もう数年も連絡を取ってなかったというのに、どうしたんだろう。  だから、一応返信はしておいた。   『久しぶり。どうしたの?』    即既読がつくも、返信はなし。  いったいなんだったんだろうと思っていたら、アイコンが変わった。    元彼一人の自撮りから、赤ちゃんを抱っこして、結婚相手だろう女性と仲睦まじく映る写真に。    これは、あれか。  私を悔しがらせようとする、あれか。  私は自分の返信メッセージを取り消して、スクショをとった。  はい、家族最高みたいなアイコンにしながら、裏では元カノに連絡をとろうとする糞男の絵が完成。    結婚相手だろう女性が、顔見知りでよかった。    私はスクショを結婚相手だろう女性へ、もとい高校時代の女友達へ送った。   『は? なにこれ?』 『突然連絡来たの。私、不倫とかする気ないって言っといてくれない?』 『え? は? あんた、前付き合ってたよね?』 『うん』 『私に隠れて、元カノと連絡とるとか最悪! 死ね!』    嫉妬深い子だったからなあ。  私に連絡を取ったと知れたら、大変なことになりそう。    案の定、元彼から大量のメッセージが届いた。   『おい! なんで見せたんだよ!』 『不倫じゃないって言え!』 『連絡しろ! お前のせいで、うち今大変なんだぞ!』    着信履歴。  着信履歴。  着信履歴。    私、二度目のスクショ。  そして送信。    人を呪わば穴二つというやつだろう。  元彼の悪意は、元彼の元へと帰っていった。  めでたしめでたし。    私は元彼のアカウントをブロックしていなかったことを後悔しつつ、ちょっと涙ぐみながらブロックした。

東京生まれのTさん

「旅行へ行こう!」 「行こう行こう!」    盛り上がる友達。   「すまぬ。某は、ここを出られぬ故」    断る某。   「Tっていっつもそうだよな」 「東京の人は、東京に来いって言うばかりで、自分からはいかないよな」    呆れた顔で去っていく友達。    某は、窓から外を見た。  東京の街はいつものように、黒い邪気によって囲まれていた。  東京生まれ東京育ち純潔の都民にしか見えぬ、東京の正体だ。   「許せ、友たちよ。某、邪気の外に出ると死んでしまうのだ」    東京の汚い空気を吸って育った人間は、綺麗な空気を吸うことができない。  肺が、東京の外の人間とは異なる進化をしてしまったのだ。    某だって、外の世界を見てみたい。   「破ァーッ!」    手に力を込めて、邪気に向かって波動を放つ。  しかし、邪気に一瞬穴が開いただけ。  すぐ塞がって元通り。        数日後、友達からメッセージが届いた。   『富山の海鮮美味すぎ』    某は、精一杯の強がりを込めて返信した。   『東京でも食べれるよ』

雨は嫌いじゃない

雨は嫌いじゃない できれば傘なんてささずに街を歩きたい 雨に濡れて、いつでも潤っていたい でも、ヘンなやつ、と思われたくないから 恰好だけでもと、しかたなく傘をさす 雨は嫌いじゃない でも梅雨の季節は好きになれない もういいかげんいいんじゃないの そう思うことはすくなくない 梅雨でうれしいのは、水やりをサボれること… 雨がやんだ すばやく「あめ」と一緒に散歩に出かける ときどき道で、はじめましての人に声をかけられる ―「あめ」です、よろしくお願いします そう言うと、相手はすこし戸惑った表情をする ―あ、「あめ」は、この子のことです 横でちょこんと座るちいさい「あめ」を手で示すと 相手の表情がゆるみ、納得してくれる 「あめ」と名前をつけたのは、出会ったその日、雨が降っていたから そこまでは、もう言っていない めんどうだから

お狐さまと暮らす特に何も起こらない日常:04

【晴れときどきくもり、つごうにより回想 その二】  一緒に暮らす前までは、週末、お狐さまが僕の部屋に来て、泊まっていったり泊まっていかなかったり。あるいは、歩いて十五分くらいのとこにあるお狐さまのねぐらのあたりまで僕が送っていったり、僕の部屋の玄関でその日のサヨナラをしたり、とそういった具合だった。何度目かの僕の引っ越しのタイミングに合わせお狐さまと一緒に暮らすことにした。まだ契りは結んでいない。ゆくゆくはそういうことになるのかもしれない。  何度、引っ越ししても過去の生活とあまり変わらないのは小さな街のなかだけで移動してるから。僕もお狐さまもこの街の生まれではないのに生まれ育った土地よりいまいるこの街が好きなのだ。本当にうまい具合に毎度、近場に空いた部屋が出てきてくれて、するするすると引っ越しまでをあわただしくすごす。  お狐さまは性格そのままにさっぱりした荷物で、その量は僕のそれよりも少なく、心配になってしまうくらいだった。 ―必要であれば、そのとき買えばいいんじゃ  言ってお狐さまはさっさと自分の荷物を運び入れ、あっけなく自身の引っ越しを終わらせたのだった。   ・  仕事終わり、何はなくとも疲れたカラダをスーパーへ運んでいく。  お狐さまとの生活がはじまった場所は、いままで「駅の向こう」と呼んでいたあたりで、そこがそのときから「駅のこっち側」になった。こっち側には赤と黄色が眩しいスーパー「39ベリマッチョ」があって、その店が近くなったことは僕たちを大いによろこばせた。  スーパー「39ベリマッチョ」は他のスーパー同様、惣菜が豊富だ。なかでも人気なのは「けつねコロッケ」。言ってしまうと人気の理由はそのネーミングによるもので、いたって普通、油あげに包まれたきつねコロッケだ。「いっこ98円」の横にきつねの絵。どことなくお狐さまを思わせるそのかわいいイラストにつられ、いつも買ってしまう。  買いものかごのなかは、大量の油あげと、そして「けつねコロッケ」。そりゃあ、言われてしまうよなあ。まったくあずかり知らぬところで僕はスーパー「39ベリマッチョ」の店員たちから「油あげの人」と裏で呼ばれているらしいことを知った。悪いことをしているのではないのだし、特売で数量制限があるときはそれを守ってかごに入れている。買って、一度スーパーを出て、また店に入って油あげを買い足すなんてこともしたことはない。でも、毎回毎回、油あげと「けつねコロッケ」ばかりでは、そうなってしまうのも致し方ないことなのか。けど、致し方ないとは言っても気にはなってしまう。スーパーの制服を着てる人がみいんな僕のことを指さして笑ってる気がしてしまう。買いものかごに油あげを入れる瞬間を見られてる気がしてしまう。「けつねコロッケ」をかごに入れた背後で、クスっと笑い声が聞こえたような気がした。振り返っても、誰もいなかった。知らなかったときには、そんなこと少しも感じなかったというのに。 「僕、あのスーパーで「油あげの人」って呼ばれてるらしいんだ」  夕ごはんのとき、お狐さまに言ったのは、苦情というのでも、嘆きというのでもなく、単なる報告としてだった。お狐さまは、 ―で、あろうな  と、あっさり言っただけで、油あげに向かって箸を持った手を伸ばしていく。お狐さまの大好物の、油あげをフライパンで少し焼いて、適当な大きさに切って、皿にのせたらその上に小松菜とニンニクチップのしょう油漬けをかけていったもの。しょうゆ漬けは僕も好きで、なんにでも合うから冷蔵庫に常備している。僕は気分で厚あげにするときもあるけど、お狐さまは一筋に油あげばかりだ。  確かにそうなんだ。僕があのスーパーで「油あげの人」と呼ばれていてもいなくても、やっぱり僕はこれからもあのスーパーに行って大量に油あげを買うし「けつねコロッケ」だって買う。それでも少しくらい期待してしまう。お狐さまが、 ―すまぬな。苦労をかける  とか言ってくれるのを。  いつも通りの会話の少ない食事が終わり、僕が食器を片そうとすると、 ―今日のとこは、わしが  と言ってお狐さまが率先して食器を運びはじめた。 「でも、今日は僕の番だよ」 ―まあ、いいではないか  こうなると引かないのを知っているから、僕はあっさり引き下がることにした。言葉のかわりなのかなと、お狐さまの照れ屋な一面を、僕は知ることになった。

梅雨の日

梅雨入りのニュースを目にした。もうそれだけで身も心も重くなるような気持ちになった。でもどんよりしている暇もなく私は家を出た。 外はしとしとと雨が降っている。夏の暑さが長く続くこともうんざりだと考えながら歩いていると、ついこの前までただの木として認識していた木が、花をつけ、鮮やかに濡れていた。白いあじさいの花だった。 白色ながら雨露でいきいきと鮮やかに咲いているように感じられた。 昨日まで景色として目にも留めなかった自分を少し悔いた。 帰り道、朝の感動が忘れられず、いつもならば通ることのない階段と坂が多い道へ向かった。 日頃避けているだけあって、運動不足の身体に堪える。高台に着くと、膝が震え、息が上がり、心臓は普段考えられないような速さで脈打っていた。膝に手をつき、息を整え顔を上げると、もう雨は止んでしまっていた。 しかし、そこに浮かんでいたのは雫に濡れた色とりどりのあじさいと、雲の切れ間から覗いた星々だった。 私は傘をたたみ、ベンチに腰を下ろした。

暇だから電話したら怒られた

 暇だから電話番号交換している知り合いに電話したら怒られた。 なんか大先生が何かを中国で取ったのは初だとか何だとか言って僕を説き伏せていた。 それは僕の生活には直接は関係ないと言ったら(これから関係してくるかも知れない)海外の人にあなたは生活保護で馬鹿にされるよ、と言われた。 病気で働けない人を保護する制度なのに。 まあ煙草を吸っているが(それは反省材料) まあ要は自分の宗教に入らない穀潰しはいらない、という事を遠回しに言われたような気がする。 すごく怒っていた。 何か承認欲求を求めるように。 私はタクシーの運転手をやっていてあなたと同じ病気だけど働いていると言っていた。 親父が死んだことも知っていた(話したっけ?) 何か話していて冗談がなかった(余裕と遊びがないとも言える) 何か書いてて気が滅入ってきた。 僕の病気は治らないとも言っていた(中国は精神病患者が多いらしい何か関連があるのか?と勘ぐってしまう) 悪口を言いたいが宗教戦争になっても困るので詩を送ろう。 ちょっと面白くない詩かもしれない。 病んでる国に認められて病んでる人に病気治らないと言って自分も病んでて...思い付かない。 ようは病気なのだ(僕も向こうも) そっとしておこう。 いい詩が思い付くように今夜も寝よう。

駅の落とし物

寝坊をして急いで駅に行く。完全に遅刻だ。 ホームはいつもと違い通勤ラッシュが過ぎて穏やかな雰囲気になっている。 自販機の前で小さな女の子と母親がどれにするか楽しそうに話している。 その近くにホームから線路を覗くスーツ姿のオジサンがいた。 私が会社に遅刻の連絡をしている間も、ずっと線路を入念に観察している。落とし物なら駅員に言えばいいのだが、まさか降りて取らないよなっなんて思うくらい真剣に探している 「落とし物ですか?」 「え、あっ、はい。そうなんですよ」 「駅員に言って取ってもらったほうがいいですよ」 「はい、そうなんですが、どこに落としたか分からなくて」 「何を落とされたんですか?イヤホンとか?鍵とか?」 オジサンは笑顔で右腕を上げながら応える 「右手です。この間轢かれたときに、右手だけ、どこかへ行ってしまって」 「ママこれなに?」 自販機の下を覗いて小さな女の子が何かを指さしている

ひたすら静かにさみしい夜が

 お昼ごはんを食べたあとに降り出してきた雨は、辺りが暗くなっても降り続いている。途中、降ったりやんだりだったのかな。それは、おぼえていない。いつもこれくらいの時間に聞こえてくる犬の遠吠えは、あったとしても雨に消されてしまうかな。今日のところは小屋のなかで、おとなしくしてるんだろうな。  雨が降ったから本を読んであげているのに今日の雨は、わたしとリズムが合ってなくてなかなか読み進んでいけない。読んでほしくないのかしら。少しばかり雨脚が強くなって、それが雨からの返答だと気がつくのにいくらか時間をかけてしまった。たどたどしく、ときにはつっかえながらも読み進めていくその歩みはゆっくりで、けれど雨はうれしそうだ。 「ごめんね。ちょっと休憩させてね」  台所でミルクたっぷりのあったかいコーヒーを淹れて戻ると、雨はやんでいた。ひと息ついたからか、それともコーヒーの効果によるものか、はたまた……  すらすら読めるようになって、でも、そこにはちょっとくらいの物足りなさも。 「今日は、雨といっしょに読みたかったのよ」  わたしのつぶやきに応じてくれる雨は、待っていても降ってこない。夜が、ひたすら静かにさみしい。

キャリアコンサルティング

「なぁ、俺たち、なに作ってんの?」 「さあね」 路地裏にある町工場。金属を削る音が響いている。 「コンニチハ」 カタコトの外国人が、小さな鉄の扉の前に立っていた。 「いらっしゃい。待ってましたよ」 社長は握手を交わすと、奥の事務所に案内した。 従業員の男たちは、ガラス越しに二人を見つめた。 「なんだろうな、こんなボロ工場に」 「珍しいな、外人とか」 蒸し暑い工場。背中にシャツが貼り付いた。 「もしかして、俺らが作ってんの、機密部品とかか?」 「それはねえだろ」 「いや、わかんないぞ」 二人は図面を広げて話し込んでいる。 「やっぱ、なんかの重要な部品だ」 「俺らの技術、スゲーな」 男たちは嬉しそうに、機械を回した。 ──夕方。 「社長、この部品、何に使うんすか?」 「お前たちは、知らない方がいい」 薄笑いを浮かべながら、社長は事務所に入った。 そこに、作業着姿の嫁が声を掛けた。 「あんた、昼に来てた外国人、誰だい?」 「あれか?……ただのエキストラだ」 「なんだ、それ」 「あいつらの背中を押してやったんだよ」 嫁が呆れ顔で夫を見た。 「あんたねぇ……背中押したら、こんなボロ工場、みんな辞めるぞ」

散りゆく恋に傘をさして

南天の花が散り始めている 細く、貼り絵のような枝は、通りに立つ謙虚な地蔵を思わせる 枝の先に水飛沫のような白い花 蜂がよく吸っていた、あの花が散って行く 傘をさして梅雨を過ごす。 あの花を思ってみては。

もやもやの種

コロッケのおいしい惣菜屋さんがあって 流れでそのとなりのお店で野菜を買って 荷物が多くなりそうなときは 本屋とか雑貨屋とか、先に見てまわって 段取りをつけるのも、できるようになってきた 雰囲気のよさそうなカフェを見つけて ミステリイを多めに置いている古本屋さんを見つけて からあげと麻婆豆腐がおいしいごはん屋さんを見つけて でもまだ、友だちを見つけられていない 見つけるものでもないんだろうけど まじめにちゃんと講義に出ていると よく声をかけられる といっても、そのほとんどは ―ノート、コピー取らせてくんない うん… いいけど… かまわないんだけど その都度、何かを吸い取られている感じもあって やけに、もやもやする うまくやってるなあ 会社で働くようになっても、ああいう人たちは 要領よくやっていくんだろうなあ 日々、もやもやして、もやもやと、もやもやと もやもやの種はつきない

標本

放課後の理科室で、さくらは、捕らえたアゲハチョウの羽を まるで服を脱がすような、残酷で、迷いのない手つきでもって 一枚ずつ根元から丁寧に別ちはじめた  ぷつっ その音が響くたび、僕の心臓は、暴力的に跳ねる 繊細な鱗粉を指で汚しながら、最後の一枚を引き抜いた瞬間 さくらの喉がちいさく鳴り、彼女の全身から力が抜けた ―ほう 潤んだ瞳、上気した頬 生命を物質に変容させた瞬間の、無垢な放出 その淫靡な横顔に、僕は息をのんだ そのとき、さくらの視線が、僕の制服の イビツにせり出した一点に、止まった さくらの、顔が、にたりと、ゆがんだ ―ふふ、チョウチョおんなじ顔しとうよ ほくそ笑んださくらが、僕の服の合わせ目に、指をかける ―あああ、いけないっちゃね 僕の理性が、さくらの悪戯に、音もなく、とけて、いった

傘をなくしました。多分心も。

 傘をなくしました。多分私は愚かなのです。何人も見てきたおんなじ手口で、傘をなくしました。  自分で選んだ、自分好みの傘でした。  憂鬱な雨の日にも少しだけ前を向けるような、大事な傘でした。  傘の青さは空に溶けるようで、雨に馴染むようで、それでいて風に負けぬ強固な骨をもっていて。  素敵な傘でした。    眠気に負けて、手放したのです。  電車の中。偶然座れた席。それも手すりのそばにある席。  電車にたどり着くまでに少しだけ濡れてしまった傘。かさ。ああ、かさ。  眠気と共に抱きしめれば、服ごと濡れてしまいそうでした。  かさ。  ああ。かさ。  そして私は。  かさ。  私の慢心を選んだのです。  何本もの、置き忘れられた姿を目にしました。わかっていました。大事なものは手放してはならないのだと。  握りしめて、大事だと叫んでいなければならないのだと。  でも、私は目先の眠気に負けました。それから、濡れるのが嫌だなという気持ちに負けました。少しばかりの目先の感情に流されて、私は大事なものを失いました。  悲しいことです。大事だったはずなのに。  お気に入りだったはずなのに。  こうしてかいているうちに、傷が癒えていくようで、もの悲しくて仕方ありません。  大事とはこの程度のことだったのかと。  大切とはこの程度のものだったのかと。  きっと、傘と共に心もなくしてしまったに違いないのです。  そうでなければどうして、私は次の傘とお財布の膨らみについてなんて、考えているのでしょう。

世界の終わりに君と

もしも明日、 世界が終わるとしたら何をしようか。 僕は、君と過ごしたいな。 前の日からお泊まりして、朝一緒に目を覚ます。 一緒にキッチンに立って、朝ごはんを作って、 リビングで二人、 今日は何をしようかって話しながら食べるんだ。 片付けも一緒。 僕が洗うから、君はどんどん拭いていってね。 お互いに準備が終わったら、 買い物にでも行こうか。 服や靴を見たり、 お揃いで何か見つけるのも良いね。 映画とかも見ちゃおうか。 今流行りの恋愛映画? ドキドキハラハラが止まらないアクション映画? 背筋がゾッとするようなホラー映画とかも たまにはどうかな? ホロリと泣けるような、 ファンタジー映画も良いね。 どんなジャンルも、君と見るなら楽しめそうだ。 その後は、ちょっとオシャレなレストランでディナーとかどう? 夜景が綺麗な所とか。きっと素敵だよね。 良い思い出になるだろうね。 お腹も心も満たした後は、 手を繋いで我が家に帰る。 今日は楽しかったねって話しながら。 二人で同じベッドに入って、少しお喋りしてさ。 月明かりに優しく包まれる夜に、 色々な事を語り合って、笑い合おうよ。 寝る前に、互いの頬にキスをして、 「おやすみなさい」って言い合って眠りにつく。 そうやって一日が終わって、世界も終わる。 幸せな気持ちに包まれて、永遠を生きる。 僕はこんな最後を迎えられたらって思うよ。 …急になんで、って? なんとなく。 想像の中でなら、 君と外の世界で、共に生きる時間を想像しても 許されると思ったから。 この白色とアルコールの微香に包まれた世界じゃなくて、鮮やかな色と優しい香りに満ちた世界を、二人で生きる、なんて想像を。 ねぇ。 君なら、どんな終わりを迎えたい?

自我を置く場所

 SNSに、日々の生活や政治への不満を書いていたら、『作家が自我を出すな!』と怒られた。    何度か繰り返し読んで、ようやく意味を理解した。   「なんで?」    最初に感じたのが、それだった。  SNSなんて、思ったことを思ったままに書く場所だ。  制限される理由がわからない。    思ったままに疑問を返信すると、相手もさらに返信をしてきた。  曰く、作家は歯車であるべきだ。  曰く、作家が自我を見せると、作家の作品を読んでいる時に作家の自我が浮かんでノイズになる。  曰く、この展開は作家の思想を広めるためではないかと疑ってしまう。    目から鱗が落ちて、しばらく画面を見つめていた。  そうか、そんなことを感じる人間がいるのかと衝撃を受けた。  私自身、作家の性格と作品は切り離して考えるため、まったく予想だにしなかった。  いや、よしんば自分が作家胃の自我に引きずられるとしたら、決して作家のSNSなど見に行かないだろう。  私の思考にない二つの感性を前に、私は何と返信すべきか悩み、『参考になりました』と礼を書き込んで終わった。    とはいえ、私に改善すべきことはない。  私にSNSを楽しまないという選択肢はないし、この怒る読者のためにしてあげられることは何もない。  今まで通りの発信を続け、怒る読者が私を見限ることを願うだけだ。  その方が、双方幸せになれるだろう。   「やれやれ」    暇つぶしに、タイムラインを眺めてみる。  フォローした人間以外の言葉が画面を覆いつくし、その中には様々な職業の人間の感情が表明されていた。    成果と給料が見合わぬと嘆く会社員。  理不尽なクレームに憤るコンビニ店員。  理不尽な要望に不満を漏らす教師。  自我自我自我。  自我だらけ。    やはり、SNSで自我を出すなというのは理不尽だと、奇しくも私は私の意見を肯定できた。    しかし、投稿を眺めていくうちに、ふと気づいた。  全ての投稿が、匿名によって行われていることに。  堂々と実名を出して自我を出せばいいのではないかと思ったが、昨今の機密情報漏洩ニュースを思い出せば、組織に所属する人間には本名と自我を紐づける権利が与えられていないのではないかと想像ができた。    作家は、立派な社会人の一人である。  一方で、出版社と言う組織とは、社員としての雇用とは異なる契約で繋がっている。  いわば、大衆の考える組織に属するとは一線を画する存在だ。    なにかが私の中で繋がった。  世の中の大半の人間が、契約によって自我を出さぬことを強いられ、それ故に強いられていない作家に対し、自我を出せることを羨ましく妬ましく思っているのではないかと。  そう考えれば、先の理不尽とも思えた返信に、ぎりぎり一定の理解が示された。  普通ではない存在と言うのは、いつだって疎まれてしまうものなのだから。    考えごとをし過ぎたせいか、腹の虫が鳴った。  私は最寄りのコンビニに向かい、パンと牛乳を買い込んだ。   「いらっしゃいませー」 「二点で○○円になりますー」 「ありがとうございましたー」    何度も聞いたコンビニ店員の声を聞き、私はふと気になった。  この店員の自我は、いったいどこにあるのだろう。  仮に、この店員が客にわかる形でSNSを発信しており、その中で『日本人なのにパンと牛乳とか、意味わからない。和食だろ普通』と書かれていたらどうだろう。  もしかしたら、この投稿は私に対する物かと疑い、私の買い物を精算している間も心の中で私を非難していたのではというノイズが入るかもしれない。    先の理不尽とも思えた返信に、さらに解像度が深まった。  コンビニへ出て、家に戻る。    青空に浮かぶ雲を眺めながら、であれば、果たして彼らの自我はどこへ置いているのだろうかと気になった。  空の果てか、家の押し入れの中か。  はたまた、居酒屋で酒と共に流し込んでいるのか。    私はやはりその疑問をSNSに書き込んで、自我をSNSの海へ漂わせた。

売れない薬

ある製薬会社の会議室に、各部署の責任者が集められた。 中央には会長が座り、周りには社長以下、役員たちが並んでいる。 「君たち、なぜ呼ばれたか分かってるよね」 会長の重たい言葉に、皆がうつむいた。 「去年発売した新薬、全く売れてないだろ。なぁ、どうなんだ」 営業部長に視線が集まった。 「申し訳ございません。現在はこのような……」 資料をめくる音が続いた。 「誰か、開発にどのくらいの時間と費用がかかったか説明して」 研究室の室長が立ち上がった。 「研究から発売まで約二十年。費用も通常よりは……」 「臨床試験の効果もあったんだろう」 「はい。この国の最高齢だった女性にも、先日まで服用していただいていました」 「じゃあ、何で売れないんだ」 すると、隣に座っていた社長が割って入った。 「ドクターには、丁寧に薬の説明をしたのか」 「もちろんです。一日一錠の服用で、平均寿命より約十五年長生きできると。ただ、ご家族の反応が良くなくて」 「よろしいですか」 会議室の隅に座っていた女性社員が、手をあげた。 「たぶん原因は、これかと……」 そう言うと、薬に添付されている使用上注意の紙を配った。 そこには── 『まれに、異性に興味が無くなることがあります。その場合は、直ちに医師にご相談を……』

影は、静かに息をする

スポットライトを浴びるあなたたちは、とても眩しかった。 同時に、共に光の下に立てないことが、とても苦しかった。 電灯が落とされた客席から眺める舞台は、美しい。 ある人生の一幕を演じる役者。 世界を形作るための舞台セット。 空間を想像するためのホリゾント。 観客を物語に引き込むための効果音やBGM。 そして、観客に「伝える」ために、演者を指導し、舞台を創造する演出家。 それらすべてが揃って、舞台は成り立つ。 演者だけでは、上演できない。 緞帳は上がらない。 舞台には立てなくても、 影から舞台を作るという役目は、私にとってとても誇らしいものだった。 それでも、時々思ってしまう。 小さな舞台で、彼らと同じように役を与えられるたびに。 ――君達には追いつけない。 ――隣で、演じるなんてできやしない。 って。 光に照らされることが怖かった。 他者の目に映るのが、怖かった。 自分とは違う誰かを演じる、ことが想像できなかった。 自分の演じるその人は、外から見れば間違いかもしれない。 何か違う、そう思われてしまうのではないかと思って、苦しかった。 だから、避けていた。 オーディションがあるたび、 審査される側ではなく、審査する側に立っていた。 それが、正解だと思った。 その役を演じている自分が想像できない私が出るより、 求められた以上の演技ができる彼らに任せた方が良いと、思っていた。 実際、正しかったと思う。 たくさんの議論を重ねて選んだ役者は、最高の演技を見せてくれた。 こちらの要望も、簡単にこなしてしまう。 そんな彼らが誇らしく、好きだった。 彼らの演技が、彼ら自身が、好きで、大好きで。 でも、嫌いだった。 私がどう頑張っても持てないものを持っていた。 舞台の上で全力で輝いて、たくさんの人の記憶に残っていた。 そんな彼らが羨ましかった。 でも、そう思う自分が、どこか濁って見えるのが嫌だった。 今でも、瞳を閉じればあの時の彼らの姿が瞼の裏側にいる。 あの時、客席後方から機材を触りながら見た、あの美しい世界が。 台本を決める時期も、役作りに勤しんだ時も、練習を重ねて役を見失いかけた時も、 幕が開いて物語が始まった時も、どれもこれも得難いもので、大切な宝物。 そう思うのに、上演が終わり、緞帳が下りれば少し淀んだ自分が顔を出す。 観客の目に映るのは、演者の姿。 陰で支えた者は映らない。 それがひどく寂しかった。 それでも、今思えば、どれだけ暗い気持ちを抱いていても、結局は好きだったんだ。 彼らが息を吹き込んだ物語が。 そして同時に、私自身が彼らが作った舞台に加われる何者かになりたかったんだと思う。 光を浴びるのを恐れる癖に、影で生きるだけでは物足りなかったのだ。 ずっと見ていたいと思った。彼らが描く物語を。 でも時々、目を逸らしたくなった。 見ていると、胸の奥がツキン、と痛みに声を上げるから。 誰の目にも触れない。 緞帳が上がれば、観客の視線は演者に奪われる。 私は影の中で音を操る。 役者の声に重なる波の音。 張り詰めた沈黙の中でも、時間は進むことを示す環境音。 暗転の中、そして物語の終わりを包む静かな旋律。 彼らの呼吸に合わせるように音を流し、 物語の鼓動を繋いでいく。 音を司る時間は、 光の中に立てず、拍手を浴びることもなかった私の、 ――私だけの舞台だった。 影は、静かに息をする。 誰の目にも触れない場所で。 緞帳が下りた、その後も。 ずっと。

トラックとループ

「そこの兄ちゃん!危ねえぞっっっ!!!!!」 「え?」 反射的にスマホから顔を上げ、右を向いた俺の視界にうつったのは猛スピードで鼻面を俺に押し付ける大型トラックだった。 距離はおよそ3m程だろうか。 反射的に右手を出すが、次の瞬間俺の右肩にトラックの鼻面が接触する。 俺の右腕は容易く押しつぶされてしまった。 体中を殴られるような衝撃とともに俺は空中にぶっ飛ばされた。 地面に体が打ち付けられたあとも衝撃は止まらない。ゴロゴロと体が回転する。 結局体感10回転ほどしたところで体が止まった。 肌の感覚がない。 腕も全く動かない。 ただ漠然と全身が鈍く痛かった。 視界が暗くなる 「そこの兄ちゃん!!!危ねえぞっ!!!!」 「え?」 スマホから顔を上げると大型のトラックが3mほどの距離に迫ってきていた。 俺は咄嗟に腕を出そうとして、やめた。 前回はここで腕がおじゃんになった。 俺は逆にトラックと向き合い。右側にダイブした。 トラックの軌道からはずれているか? 俺の左半身にトラックが激突する。 だめだ。飛距離と時間が圧倒的に足りない・・ 俺の体はゴロゴロと道路を回転し、10回転ほどで止まった。 痛い。痛い。 まただめか・・・ 8回目。失敗。 意識が暗くなる。 「そこの兄ちゃん!危ねえぞ!!!」 「え?」 スマホから顔を上げるとトラックが迫ってきていた。『死ぬとおじさんに声をかけられる瞬間まで戻ってくる。』いつも通りだ。 現在32回目。つまりこれまでに32回トラックに体を押しつぶされている。 死ぬほど痛い。というか死んでる。 地獄のような時間だ。しかしこれは特になんの悪行も働かずに生きてきた俺へのご褒美なのかもしれない。 体に衝撃が加わり、ぶっ飛ぶ。 地面で数回転し、止まる。 やはり痛みにはなれない。体をバラバラにするような衝撃が走り。痛みが意識を支配する。 しかし、すでに今回のループを捨てている俺は死を覚悟し、次に備えて思考を巡らせる。 そう、このループはご褒美だ。見ようによっては『死を回避するチャンス』を与えられているのだ。 あとはそれをモノにするだけだ。 視界が暗くなる。 87回目。 「おい兄ちゃん!!!危ねえぞっ!!!!!!!!」 これまで様々な方法を試してきたが、もう無理かもしれない。 なんでもやった。 すんでのところで横にかわすのは基本。 しゃがみ込んで衝撃を受ける面を骨が丈夫な背中にしたり。 ヤケになって手に持ったスマホをフロントガラスに投げつける手段まで試したが、結果は失敗だった。 もう。だめかもしれない。 そう考えると俺は急に自分が置かれた状況がおそろしくなった。 トラックが体にぶつかってきた。 体をバラバラにするような衝撃。 いや、実際体がバラバラになった回も何回かあった。 こんな激痛と衝撃に俺はあと何回なすすべなくぶつけられ続ければいいのだ? もしかして、永久に・・? 気が狂いそうだった。 しかし気が狂っても一度死ねば次の回で元通りだろう。 助けてくれ。俺を逃がしてくれ。だめならこのまま死なせてくれ。 俺は数回転して地面にぶつかる。 視界が暗くなる。次のループが始まる。 「兄ちゃん!危ねえぞっ!!!!!!!」 もはやおなじみとなったオヤジの声が聞こえる。しかしもうトラックから逃れるために足掻く気力は僕にはなかった。 休憩もなく、トラックに潰されては死んでの繰り返し。安らぐ時間といえばトラックにふっとばされてから事切れるまでの十数秒だけだ。 気が狂わないほうがどうかしてる。 俺は体中に力が入らなくて、地面に仰向けにぶっ倒れた。どうにでもなれ。 次の瞬間俺の鼻と額の5cm上をトラックの床が轟音とともに通過していった。 「・・・・・!!!!!」 起き上がる。 手も足も動く。 体の感覚もある。血も出てない。 生きている!!!!!!!! 「よ、よっしゃあああああああああ!!!!!!」 『ぶっ倒れると車高でギリギリ僕の体がトラックの下に入り込む』というのは流石にない発想だった。 極限の状況にさらされ続けた疲労が僕を救ったのだ。 視界は開けている。 オヤジがなにか叫んでいるが俺には何も聞こえなかった。 しかし、視界が徐々に暗くなっていることに気づく。 どういうことだ。僕は生きているじゃないか。 なんだっていうんだ!?おい!ふざけるな! 薄れゆく意識の中で、『ステージ1。クリア』 と聞こえた。 「おい兄ちゃん!!!危ねえぞ!!!」 「えっ?」 スマホから顔を上げると、道路のアスファルトを固める用のローラー車が僕に猛スピードで突っ込んできていた。

妹がタコになった

妹がタコになった。 振り向いたら、なっていた。 私の腰ぐらいまでの大きさのそれは、触手をびちゃびちゃと振り回している。 慌てて両手で抱えて風呂場へ走る。 浴槽に入れて蛇口を開き、じゃぶじゃぶと水を入れる。妹は浴槽いっぱいに触手を広げ、水を引っ掻き回している。 人並みに重くて随分骨が折れた。漫画ではこういったものに変身する時、それ相当の大きさに縮むものでは無いのか。 床に座り込んでため息を吐きつつ考える。 さて、どうにか意思疎通が出来ないものか。 とりあえず自室に行き、紙とペンを用意して風呂場に戻る。 紙が濡れたら困るから触手のうちの1本をタオルで拭いて鉛筆を持たせる。 妹は器用に動かして文字を書いた。 『おなかすいた』 確かに時計は12時。お昼の時間だ。 「なに食べたい?」 『たこやき』 「却下」 おそらくだが見てていい気持ちはしない。というか自分の今の姿を分かって言っているのか。 私の物言いが癪に障ったのか、水をバシャンとこちらにかけてきた。長く続く反抗期には困ったものだ。 「共食いじゃん、マックのポテトとかにしてよ」 顔に付いた水を拭いながらそう言うと、触手でペチンと浴槽の縁を叩き、やれやれとでも言いたげに頭を振った。生意気な。それにタコのくせに人間くさい。あ、妹なんだから人間か、一応。 財布を取りに行こうと腰を浮かせる。そういえばやけに家が静かだ。母さんは出かけているのかな。 というか、 「あんた、タコになっても私の言葉分かるんだね」 「は?」 視界の左端に怪訝そうな妹の顔が見える。目線の先には天井。 そこで自分が休日の二度寝に洒落こんでいた事を思い出した。 「戻ったんか、人間に」 「何言ってんの?」 「母さんは?」 「買い物」 紙とペンを経由しない会話は楽でいいな。 身体を起こしながらカバンを探す。 「お腹すいてる?なんか食べ行こ」 「やった」 車のカギを握って玄関に向かう私の後ろを妹が歩いて着いてくる。当然のように水音は無い。 「なに食べたい」 「たこ焼き」 「よし来た」 今度は見てていい気持ちも悪い気持ちもしないと思えたから、カーナビに少し遠くのたこ焼き屋を設定した。

ドラマティック

今はとある女優が日本中に轟いている。名は黒田鈴音。しがない俳優志望の私ですらこの名を知らない人はいないと自信を持って言える大女優だ。世間では今売れてる大女優とゆう認識だが、業界の人々は黒田にとあるあだ名をつけた、化け猫と,,,理由は察っせるだろう。まあ,今の俳優業界はさておき私はいつも通り仕事終わりにドラマオーディションを受けた。毎回違うオーディションを受けてるとはいえ毎度面接時は汗がゲリラ豪雨の土砂降りのようにかく、この時だけは生きてるのか死んでるのかよくわからないが,結局現実は厳しいんだろうなーと半分以上諦めながら顔を淀ませながら面接室に入る。(柴夏目です!よろしくお願いします)序盤は高らかといつも通り本音を仮面に隠しながら挨拶をする。(それでは演技をお願いいたします。)私は3番手の順番とはいえやはり面接は1番目か,2番目にいたかったなーと内心羨ましながら他のオーディション者の演技を聞く,やっぱり倍率が高いだけあってみんな演技が抜群だ,正直絶望もしている、だが私は今度こそ抜擢されるぞ!とあえて勘違いしながら私はつらつらと自分なりに求められる演技を淡々とこなした、今度こそもうしがない人生からは終わりなんだと思いながらついに演技を終了させた。(それでは今回のオーディションを終了致します、一週間後の22日に結果が発表されますのでよろしくお願いいたします。みなさんお疲れ様でした!審査員の少し曇られせた声が私たちの気持ちを少し沈めながら私は(ありがとうございました!)と元気に放った。[一週間後] メールが来ていた,私は内心心をバクバクさせながらメールの文章をスマホに手を伸ばしながらスライドしていく。(柴夏目さん,結果は合格です。これからは〇〇事務所で台本配布、キャスト交流がありますのでよろしくお願いいたします。) 黒田鈴音演じる主人公柴夏目はしがない俳優志望の大学生!とあるオーディションをキッカケにまさかのドラマ出演!?主役とゆう立場で柴夏目はこれからどうなっていくのかーー ドラマ(アクターアクター毎週木曜夜10時半放送予定!)

D.H.Q ~記憶の欠片、虹の川~

…バッグから瓶を出して中の粉を空に撒くと立派な虹が出来ました 虹は近くで見ると川になっていて、虹の川には小舟に乗った船頭さんが待っています 僕等が近付くと船頭が手を振って応えてくれて、僕等がここに来ることを知っているかのようでした 虹の川はとても広くて大きな川でした。川にはちゃんと魚もいて、鴨や鷺もいます。 緩やかな流れの中をプカプカと舟は進んでいきます 僕は魔法使いから貰った鍵をポケットから取り出ししげしげと眺めていました 黒い金属が錆のようなザラザラに包まれていて知らない文字が刻印されています …

桜の雨

 卒業式の教室の窓に、桜の雨は降らない。  佐野昂平が中学生だったとき、そんな事を考えていた。  実際、あの頃は桜の雨は降るどころか桜の花自体咲いてはいなかった。自分の卒業式でさえ、冷たい風が吹くばかりで、桜が綺麗だなどと同級生を言葉を交わしながら別れた記憶はひとつもない。  あれは入学式か、そのあとくらいに咲くものだろう。そう思っていた。  だが、今は違う。温暖化の影響か、それともただ自分達がおかしかっただけか、卒業式の教室の窓には桜の雨が降る。  はらはらと小指の爪くらいの大きさの、薄紅の花びらが春風が吹く度に舞い、窓を叩きつけるのだ。音のない雨は生徒の歓声をあげるのに一役買うばかりで、誰もその光景が異様だとは感じない。  卒業生も、在校生も、かつて子供だった親や教員の誰一人さえ、それが当たり前で、いいことで、別れを惜しむにちょうどいいもの。その程度の事くらいに思っている。  自分のときには咲いてくれなかった桜の花は、爛漫と咲き乱れ、雨を降らし続けている。 「何がそんなに不満なんですか?」  小脇に花束を抱えて、卒業する女子生徒の一人が昂平に話しかけてきた。女子生徒は剣のあるつり目をこちらに向けて昂平が何か言うのを待っている。  別に不満などない。そう答えた。ある意味本当の事だった。不満らしい不満は特にない。  だがその返答は、女子生徒からしたら嘘に見えたらしい。 「嘘つかないでください。不満だって顔に書いてあります」  そういって彼女はさらに目をつりあげる。思わず苦笑がもれた。 「不満そうな顔に見えるのなら、それが俺の本来の顔だったんだよ」  そういって煙に撒いた。女子生徒がなんですかそれと言った。  何も不満を見透かされたからじゃない。むきになっている訳でもない。  桜の雨が降る教室に、過去の自分の醜い幼さ──つまりは桜が咲く笑顔の卒業式なんてなかった、と、残念に思いながらくすぶり続け、それがいつか見られたならと教員になった、執念深い自分の姿を、みられたくなかった。  ただ、それだけの事なのだから。