不安なき不自由な世界

「入社おめでとう。君たちも社会人になったことだし、ここらで生命保険に入っておくのがいいぞ。会社の推奨はこれだ」    とりあえず入った。   「確定拠出年金を始めないか? 毎月の給料からコツコツと積みあげて、将来の年金を増やせるんだ」    とりあえず入った。   「持株会に入らないか? 毎月の給料から少額の株を買って配当をもらうんだ。今なら、一口につき○○%の株プレゼントもあってお得だぞ」    とりあえず入った。    正直、何の目的で、将来どうなるのかよくわかっていない。  しかし、会社が大丈夫と言っているのなら、きっと大丈夫なのだろう。    上司の指示を聞くのが嫌だとフリーランスになった友達たちは、成長が楽しいと喜びながら、仕事がない貯蓄が不安だと嘆いている。  ぼくは、成長なんて感じないけど、仕事や貯蓄への不安もない。  多分会社が何とかしてくれる。   「酒、うま」    どっちが幸せなんだろうか、なんて考えるのも面倒になって、とりあえずお酒を飲んで寝た。

ミニストーリー

毎朝、鏡に向かって声をかける。 「がんばれよ」 「しっかりな」 「できるさ」 効果は、意外にもあらわれた。 その日、鏡の中の自分が、笑いながら言ってくる。 「お前もがんばれよ」 さて、 明日から、鏡の中の自分に、会社に行ってもらうとしよう。

大人の証明

「あっちゃん……それって……まさか!?」    とある小学校、体育前の教室中に、一人の男子の声が響く。  何事かと集まったその他の男子たちも同様に、驚きの声をあげる。  その視線の先では、あっちゃんと呼ばれた男子が、両手に腰を当てて、ドヤ顔をしている。    あっちゃんは、トランクスを履いていたのだ。   「ト、トランクスだと!?」   「マジかよ! 白ブリーフ卒業したのか!?」   「あ……あっちゃんが……大人に……」    白ブリーフを履く他の男子たちは、あっちゃんのトランクスを見つめながら。口々に感想を言う。  股間に集まる視線。  股間に集まる尊敬の眼差し。    あっちゃんはその日、教室のヒーローなった。          そして次の体育の時間。   「い、いずみくんもトランクスだ!?」   「うっちゃんもかよ!」   「え、えーすけ、お前まで……」   「おっくん……お前までそっち側に……」    トランクスが増えた。   「お前たちを、トランクス四天王に任命する!」   「「「「はっ!」」」」    トランクス四天王が誕生した。        その日以来、体育の時間が来るたびに、トランクスを履く男子は増えていった。  あっちゃんから一人始まったトランクス派は、次々勢力を増していき、あっという間に白ブリーフ派の数を逆転した。   「おい、お前まだ白ブリーフなのかよ」    そして、巨大な勢力は、時に差別を生み出す。  それは人類の歴史を紐解いても、当然の流れ、  少数派となった白ブリーフ派の男子たちは、時に嘲笑の対象となり、人目を忍んでこそこそと着替えるようになった。    だが、差別の手は緩まない。  カーテンに隠れて着替える男子から、差別の手が容赦なくカーテンを引きはがしにかかる。   「白ブリーフがいたぞおお!!」   「っせぇな! 白ブリーフの何が駄目なんだよ! 俺は気に入ってんだよ、白ブリーフ!」   「白ブリーフが怒ったぞー!」    白ブリーフ派は、ただ耐えた。  白ブリーフ派の男子も、もちろんトランクス派へと変わりたいのだ。  だが、そこには大きな壁がある。  国家の法律のごとき、大きな壁が。    家庭内ルールである。    家庭の絶対支配者である両親に懇願した結果。   「まだ履けるでしょ? もったいない」   「トランクスはまだ早い」   「よそはよそ、うちはうち」    絶対的支配者の一言によって、叩きつぶされたのだ。  こうなれば、たかが小学生に打つ手はない。  ただ支配と差別の下、慎ましく生きるしかないのだ。   「やーい」   「やめろよ!」    だが、トランクス派を作り上げたのがあっちゃんなら、その差別を止めたのもまた、あっちゃんだった。   「白ブリーフだからって悪く言うのは、俺が許さん! 色んな事情があるんだよ!」    教室はシンと静まり返った。   「……だよな」   「……うん」   「……ごめん」    そして、ちらほらと、謝罪が飛んだ。    あっちゃんは満足した顔で頷き、白ブリーフ派の方へと近寄る。  警戒する白ブリーフ派に、あっちゃんは優しく言った。   「トランクス……履きたいか?」   「え!?」    思いがけない言葉に、白ブリーフ派の男子たちは目を丸くする。  互いに顔を見合わせ。   「履き……たい……」    そう、絞り出した。   「そうか!」    あっちゃんは目を輝かせて立ち上がり、教室の男子たちに向かって叫ぶ。   「この中に、新品のトランクスが家にあるやつはいるか? あるなら一枚、こっそりと持ってきて、こいつらに渡してやって欲しい! こいつらだって、好きで白ブリーフを履いてるんじゃないんだ! 俺は、全員がトランクスを履ける自由があるべきだと思うんだ! 頼む! この通りだ!」    あっちゃんは頭を下げた。    その熱意に。  その夢に。   「おおおおおお!」   「俺持ってる! 次の体育の時に持ってくるぜ!」   「俺もだ!」    男子たちの心は一つになった。        そして、来るべき次の体育、の前の着替え時間。   「似合うじゃねえか」    すべての男子が、トランクスを履いた。  トランクスのみを身に着ける男子たちは、この日、男子から男になった。   「これで俺たちも、大人だああああ!」   「「「「おおおおお!!」」」」    教室中を走り回って、その功績を皆でたたえ合った。  教室を飛び出して、廊下で暴れ回った。  まるで、国を挙げて行う盛大なパレードのようだった。       「ぎゃああああああ」   「せんせー! 男子たちがー!!」   「変態ー!!」    パレードは続いた。  教師に止められるまでずっと。

夜空の星が

夜空の星が コンペイトウならと ちいさな手を たかあくかかげ けれど あまりの高さに あまりの遠さに まだまだちいさな その男の子は なんどもなんども 手をのばす そのちいさな男の子は 夜空を見上げる ずっとずっと 夜空を見上げる 夜空の星が コンペイトウなら いいのにと    ・  ・  ・ 夜空を見上げ続けた ちいさな男の子のかみのけも いつのまにやら白くなった ふしぎなことが起こったのは 夜明けまえのこと ぱらぱらぱらぱら ぽつぽつぽつぽつ とたとたとたとた ぽっぽっぽっぽっ (おやおや、どうしたことじゃい) おそとが はしゃいで ぱたっとやんだ 空があかるくなると お庭には 道路には 公園には あたり一面 コンペイトウが つもっている (これじゃ、これじゃ) おじいさんは 目を細め、おおきくおおきく、うなずいた

人間氷河期

「落としましたよ」    目の前を歩いていた人がハンカチを落としたので、拾って声をかけた。  その人は立ち止まって私を見て、無言でハンカチをとって、立ち去って言った。    別に感謝されたかったわけじゃない。  でも、一言お礼があってもいいんじゃないかと思ってしまった私は、心が狭いのだろうか。    コスパタイパを叫びながら人間の温かみを忘れた現代人を見ると、まるで心の氷河期の様だと思ってしまった。

エレベーターガール (掌編詩小説)

さぁ、乗って行きませんか いいえ、貴方を乗せましょう 行き先は任せてくださいね 行き先がわからないのは不安? 外でも眺めてはいかがですか こちらの階は貴方の置いてきたものの階 どうです?懐かしいでしょ? このエレベーターから出ないでください 貴方も取り残されますよ こちらの階は貴方がこれから出逢うものの階 どうです?目新しいでしょ? このエレベーターから出ないでください 焦らずとも、向こうからやって来ますから 私が何者かって? 貴方専属のエレベーターガールですよ。 また自分を見失ったら、声を掛けてくださいね いつでも、どの階でも、お連れ致しますから… こちらの階は貴方がこれから向かうべき階 どうです?何だか、せわしくないですか? このエレベーターから一歩、歩み出してください 焦らずとも、私たちはこのエレベーターの中で再会しますから (完)

N市の死因記録

1月1日 男性 餅を喉に詰まらせ窒息死 1月1日 男性 ヒートショックにより死 1月2日 女性 階段でつまづき 転落死 1月3日 男性 喧嘩で椅子で殴られ、脳挫傷を起こし、死。 1月4日 女性2名 男性2名 N廃病院に侵入。院内を探索後、遭遇。壁に頭を打ち付け、お互いの眼球を奪い合う形でえぐりだし。絶命。 1月5日 男性 痴情のもつれから知人の男性と口論になり。道路に突き飛ばされる。轢死。 1月7日 女性 ハイキング中に毒性を持つキノコを誤食。8時間後に病院にて死 1月9日 男性8名 女性3名 N駅西口にて、遭遇。互いの目を奪い合い。指を噛み千切る。失血死。 男性一名が生き残ったが、六時間後、病院から脱走し、N廃病院の手前で野犬が骨を咥えているのを発見。 1月10日 男性 登下校時に車に轢かれ、轢死。 1月11日 男性13名 女性22名 N高等学校の廊下にて、男子生徒7名が遭遇。数分後に教室にて突然男子生徒が窓を割り、破片で他生徒4名を攻撃。 同じ事を遭遇した生徒6名が数分後に他の教室で行ったため。甚大な被害が起きた。 1月15日 男性 夜道を歩いていたところ、遭遇。奇声を上げて走り去る。職員の捜索むなしく、発見されず。 (追記 2月4日。N廃病院のエアコンの中から折り畳まれて発見。) 1月18日 男性 N廃病院に潜入。 当記録を発見。それを書き写し、2日後にネットに小説という形で投稿。 その2時間後に火事がおき。焼死。 1月21日 女性 道路を通行中 突如野犬に襲われ、死亡 野犬は駆除済み (追記 女性はネット上で18日の男性の小説を閲覧していたことが発覚) 1月23日 男性 ネットで小説という形で投稿された当記録帳を閲覧。 2時間後に溺死。 1月24日 女性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。2時間後に失血死。 1月28日 男性3名 N廃病院にて当記録を閲覧。遭遇。 壮絶死。 1月29日 男性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。焼死。 1月30日 男性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。餓死。 1月31日 女性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。溺死。

どこにも書けないこと 【sideB】

※「どこにも書けないこと【sideA】」の別視点のお話です。 ──────  僕には、誰にも話せない秘密がある。  彼女──今、僕の隣で眠っている、この美しい女性。本当の彼女を知っているのは、この世界で僕だけだ。  出会いは十年以上前。取材で地方都市に三ヶ月滞在していた時のことだった。  単なる火遊びのつもりで、いつもの秘密クラブでメールをする。ホテルの部屋に来たのは、二十歳の彼女だった。  名前は偽名だと分かっていた。でも、その瞳に宿る影が、僕を捉えて離さなかった。  他の女たちとは違った。  表面的には笑顔を作り、プロとして振る舞っていたけれど、その奥に深い闇がある。逃げてきた者特有の、研ぎ澄まされた警戒心。そして、諦めと希望が入り混じった、危うい光。 ──僕は、その影に魅了された。  二ヶ月の間に、彼女を五回指名した。会話はほとんどしなかった。彼女もそれを望んでいるように見えた。ただ淡々と、仕事をこなす。  でも最後の夜、ふと漏らした一言が忘れられない。 「私、新しく生まれ変わるんです」  その言葉が、僕の中で何かを目覚めさせた。  彼女がクラブを辞めた後、僕は密かに彼女を追った。  職業上、難しくはなかった。新しい住所、働き始めた会社。整形手術を受けたことも知っている。鼻筋が少し高くなり、目元が変わった。でも、あの瞳に差す影は消えていなかった。  五年後、僕は「偶然」を装って彼女に近づいた。カフェで、友人の紹介という体で。  彼女は僕を覚えていなかった。当然だ。あの頃の僕とは、髪型も雰囲気も違う。そして彼女は、何十人、何百人もの男を相手にしてきたのだから。     ****  交際が始まって六年が経つ。  彼女は完璧に「普通の女性」を演じている。清楚で、優しくて、少し内気で。過去など存在しないかのように。  でも僕は知っている。僕の前で桜色に染まるその白い肌に、何人もの男の痕跡が刻まれていることを。その笑顔の裏に、決して消えない罪悪感があることを。  この優越感は、何にも代え難い。  同僚たちが彼女を「いい子だね」と褒める。彼女の友人たちが僕に「大切にしてあげてね」と言う。僕は微笑んで頷く。心の中で、秘密を抱きしめながら。 ──本当の彼女を知っているのは、僕だけ。  時々、彼女が告白しそうになる瞬間がある。言葉を選んでいる様子が手に取るように分かる。  「実は」と言いかけて、やめる。その度に、僕の中で何かが疼く。  教えてほしい。君の口から、あの過去を。  でも、僕は急かさない。花を手折ることはしない。ゆっくりと、彼女が自分から開くのを待つ。  それまでは、この甘美な秘密を独占する。  いつか彼女が告白したら、僕はどう反応するだろう。  驚いた顔をして「そんな過去があったんだ」と言うべきか。それとも「知っていた」と打ち明けるべきか。  どちらにしても、彼女の顔が歪むのを想像するだけで、胸が高鳴る。  それが残酷だと分かっている。でも、この毒から逃れられない。  彼女の寝顔を見る。穏やかで、無防備で。  きっと悪夢を見ているのだろう、時々小さく呻く。その度に、僕は彼女の髪を撫でる。 「大丈夫だよ」と囁く。 ──君の秘密は、僕が守るから。誰にも言わないから。だから、安心して。その日が来るまで。  窓の外で雨が降り始めた。彼女が小さく身じろぎする。僕は彼女を抱き寄せた。  この腕の中にいる女性を、本当に愛しているのだろうか。それとも、彼女の中の闇を愛しているだけなのか。  分からない。でも、どちらでもいい。  彼女は僕のものだ。過去も、現在も、未来も。彼女がどんな顔をして生きていても、その全てを知っているのは僕だけ。  この優越感こそが、僕の生きる理由。  この残酷で甘美な秘密こそが、僕を満たしてくれる。     ****  僕は今、彼女がモデルの小説を書いている。  彼女を抱いた時の描写、彼女の反応もすべて微に入り細を穿つ、ドキュメンタリーに近いフィクション。彼女が読めば自分のことだとすぐ気づくだろう。  だが、発表する気はない。いつか、僕が死んだ後に彼女が読めば、僕がすべてを知っていたとわかるはずだ。  これは彼女が自ら打ち明けなかった時の、あくまでも保険だ。  読んだ時の、彼女の反応が見られないのは些か残念だが。  どこにも書けないこと。でも、確かに存在すること。それを独占している快感に、今日も僕は溺れていく。

声で書く

 最近のパソコンは音声で文章が書けるらしい。  早速試してみたものの、なかなかどうして正確な文章を書いてくれた。  読点も自動的に打ってくれて、これはタイピングが難しい人間にとってもパソコンが使いやすくなると感じた。    しかし肝心の音声入力の開始にはキーボード操作が必要であり、全くキーボード操作ができない人にとってはそもそも始めることにハードルがありそうだと気づいた。  鍵かっこを書く時も、書いた文章を校正する時も、なかなか難しい。  使ってみなくては分からないこともあるものだ。   「ああ、疲れた」    仕事の手を止め、コンビニに向かう。  今まで気にも留めていなかった点字ブロックや車椅子のスペースがいやに目立ち、本当に役に立っているのだろうかと、ぼくの頭をふとよぎった。

どこにも書けないこと 【sideA】

 私には、誰にも話せない秘密がある。  三十二歳の誕生日を迎えた夜、昔のことを思い出した。十八歳で家を飛び出し、誰も知らない街で一人になった。あの頃の私は、今の私からは想像もつかないほど追い詰められていた。  体を売った。二年間。生きるため、食べるため、眠る場所を確保するため。──生まれ変わるため。  父の暴力から逃げた夜、私は持てるだけの荷物を詰め、夜行バスに乗った。母は何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。あの人も、父に怯えていたから。  見知らぬ地方都市で降り、ネットカフェで夜を明かした。所持金は三万円。  住む場所もない。頼れる人もいない。ハローワークに行っても、住所不定では仕事が見つからなかった。  最初は住み込みのスナックで働いた。でも、月十万円では生きていけなかった。そんなとき、スナックの子が教えてくれた。「もっと稼げる仕事がある」と。  店が終わった後、店外デートと称して客と一夜を共にする。売上の一部を店に渡す。  罪悪感はあった。でも、父のもとに戻るよりはましだと思った。  少ししてスナックを辞め、とある秘密クラブに登録した。  男性側に身分証の提出を求める会員制で、「一時の恋人」を提供するサイト。ある程度の安全は保障されていた。  二年間、必死に貯金した。昼は清掃業、夜は──  誰にも本名を明かさず、誰とも深く関わらず。ただ、上京するための資金を貯めることだけを考えた。  二十一歳の春、私は東京行きの新幹線に乗った。貯めた五百万円を握りしめて。顔を変え、新しい名前で、新しい人生を始めるために。  今の私は、小さな編集プロダクションで働いている。優しい彼氏もいる。週末は友人とカフェに行き、SNSにはおしゃれなランチの写真を載せる。  でも、時々、胸が苦しくなる。  彼が「実家に挨拶に行こう」と言うとき。友人が「お父さんとは仲いい?」と聞いてくるとき。  私の中の真っ黒な秘密──逃げてきた過去と、あの二年間が、胸を締めつける。  この前、彼が言った。 「君の家族に会いたい」  会えるわけがない。父は今もあの家にいる。母もいる。彼らの中で私は死んだことになっているかもしれない。  夜中に目が覚め、あの頃の記憶が蘇る。  知らない男たちの顔。ホテルの天井。数えた紙幣の感触。  カウンセリングに行こうかと思ったこともある。でも、どこから話せばいいのか分からなかった。  家族のこと? それとも、あの二年間のこと?  最近、ふと思う。私は間違っていたのだろうか、と。  生き延びるために選んだ道。誰も責められない。でも、自分では自分を許せない。  でも、あの選択があったから今の私がいる。東京で、自分の足で立っている私がいる。  いつか、誰かに話せる日が来るだろうか。彼に、すべてを打ち明けられる日が。  分からない。でも、少なくとも自分だけは、あの頃の私を見捨てないでいたい。  必死に生きようとしていた、十八歳の私を。  これまでのことを、匿名のSNSに書く。名前も顔も知らない誰かに向けて。  これは告白であり、懺悔であり、私自身を許すための儀式だ。  どうしてあの夜、帰らなかったのか  後悔は何度もした、それでも  逃げ場のない現実に押しつぶされ  戻れない一線を越えた  体より先に、心が冷えて  汚れたと決めたのは他人の目で  泣く資格さえないと思い込み  生き延びることだけを選んだ  この事実は  到底誰にも知られてはいけないこと  書き終えた今、胸の奥が少しだけ軽くなった気がする。  消えはしない。なかったことにもならない。でも、抱えたままでも、生きていける。  誰かに許されなくてもいい。  せめて私は、私を見捨てない。  窓の外で雨が降り始めた。部屋の明かりを消し、ベッドに横になる。  明日も、私は普通の顔をして生きていく。この秘密を抱えたまま。  でも、それでいい。今は、それでいいと思える。  どこにも書けないこと。匿名でしか吐き出せないこと。でも、確かに存在すること。  それを抱えて生きていくのが、私の人生なのだから。

現代シンデレラ

「なんて哀れな娘なんだい。哀れすぎて見ちゃあいられないよ」    魔女が杖を振ると、シンデレラの姿が変わっていきました。  三日に一回の銭湯通いできしんだ髪の毛は、トゥルントゥルンのキューティクルに。  うっすらと漂っていた体臭は、フローラルの香りに。  古着で揃えた染み付きシャツとよれよれのスカートは、ファッション雑誌さながらのシャツとスカートに。  オーエスのサポートが終わった型落ちスマホは、最新機種に。   「さあ、これで準備は整った。マッチングアプリを始めて、デートに行きなさい。婚活パーティに申し込んで、出会いを探しなさい」    シンデレラは自分の姿を見て、その変わりように驚きました。  そして、部屋に散らばった財布や化粧品を見た後、魔女を睨みつけました。   「ここまで変えてくれるんなら、財布にもっと沢山お金を入れてください。化粧品も高級ラインの物に変えてください。こんなんじゃ全然足りません」    感謝の言葉の一つでももらえるかと思っていた魔女は、シンデレラの放った言葉に耳を疑い、そのまま家を出ていきました。   「あ、こら! 逃げるな! ちゃんと最後まで面倒見ろ!」    シンデレラは魔女を追いかけましたが、箒に乗って空を飛んだ魔女には追いつけません。  魔女はシンデレラの家を離れ、空から日本の街を眺めます。    多様性。  平等。  権利。  綺麗ごとを吐くだけで努力を惜しむ人々が、そこにはたくさんいました。   「これが、あの美しい国の末路か」    魔女はそのまま、どこへともなく飛び立っていきました。  跳んでいる間に落ちた水は、雨か涙か。

47都道府県

「ニュース速報です。今日未明突如として東京に巨大なドーナツが、、!!」 見慣れないテレビの内容が流れてきて俺はすっっごく嬉しくてたまらなかった。特別にお前には教えてやるぜ!なぜならな、そのドーナツを作ったのは俺なんだ!!俺はこの世界で初めてドーナツを食べた時恋に落ちたんだよ!その時の幸福は忘れられないゼ!だから俺は作ることにしたんだ。行動力の塊でスバラシイだろ!!あぁ、、なんて惚れ惚れする形だ、、、。、、、そうだ!東京だけなんて違う!えぇっとなんだっけ、ああ!そうだ!47都道府県全部につくろう!きっと俺の仲間たちも絶対喜んでくれるゼ!!よし、そうと決まれば準備だ!! 「ニュース速報です。今日未明突如として東京に巨大なドーナツ型の穴が現れました。この影響で死傷者数子供含め1000人以上。現在では被害の全貌を掴めないとのことです。今もなお警察と政府の調査が続いています。」

萌木色 (掌編詩小説)

萌木色を観せて なんだか暖かく想う 包み込むような 飲み込むような 萌木色を手に乗せて 力加減がわからなくなる程の尊さ 耳に風走っていく心地良さ 視界に溶け込む存在感に、美しさを想う 萌木色 春の芽が咲く時 人恋しくなる時 抱き寄せて 包み合う (完)

ガソリンの味

元日の午前一時。 世間が除夜の鐘の余韻に浸り、暖かい部屋の中で微睡んでいる頃、僕はアスファルトの上にいた。 自転車の荷台には、普段の三倍はあろうかという「紙の爆弾」が積まれている。本紙に挟み込まれた分厚い別刷りと、色鮮やかな折込広告。それらは新年の華やかさを象徴していたが、配達する僕にとっては、ただただ指先から体温を奪い去る冷酷な重りだった。 中学に入ってから、僕の「正月」は形を変えた。 居間の炬燵でお屠蘇を囲む風景は、親の離婚で消えた。僕にできるのは、この五時間の重労働を完遂し、自分に必要なものを手に入れることだけだ。 「寒いな……」 独り言さえ白く凍りつく。 自販機の赤いランプが視界に入るが、そのボタンを押す選択肢は僕にはない。百円も積み上げていけば欲しかったものが買える。十軒分の新聞を配る苦労を、たかだか一缶のコーヒーに換えるわけにはいかなかった。 二時間が経過し、二往復目の途中、僕はお宮の前を通りかかった。新年を迎えたからお参りをしようと思った。街灯も届かない暗がりのなか、使い古された一升瓶とお猪口が置かれているのが見えた。無造作に、まるでそこに置いてあるのが当然であるかのように。 本来なら、未成年の僕が手を出していいものではない。法律という「前輪」が脳内で警笛を鳴らす。だが、五時間を戦い抜かなければならない僕の身体という「後輪」が、それ以上に激しく叫んでいた。 「今日くらいは、いいだろう」 かつて家族で飲んだお屠蘇の、あの「美味しくないけれど温かかった」記憶が不意に蘇る。 両親が離婚して以来、一度も口にしていなかったアルコール。 もしかしたら、今の僕なら、これを美味しく感じられるのではないか。 この理不尽な寒さと静寂を、一瞬でも忘れさせてくれるのではないか。 かじかんで感覚のない指で、お猪口を掴んだ。 注がれた液体を流し込むと、喉を焼くような熱さが真っ直ぐに胃へ落ちた。 美味いか、不味いかさえ分からない。ただ、心臓の鼓動が早まり、指先の毛細血管に再び自分の血が巡り始めるのが分かった。それは「嗜好品」などではなく、泥沼の戦場で見つけた一滴のガソリンだった。 「……よし」 僕は空になったお猪口を丁寧に元へ戻すと、再び重いペダルを踏み込んだ。 神様からの施しは、僕にあと二時間を戦うための、確かな熱をくれた。 そしてもし、あの日の僕と同じように、凍える手で新聞を配る少年を見かけたら。 僕はお宮の酒を教える代わりに、自販機で一番熱い飲み物を買い、少年のためにそのボタンを押すだろう。 あの夜、僕が喉に流し込んだあの熱さを、今度は誰にも隠さなくていい「まっとうな優しさ」として手渡すために。

ハッピーバレンタイン

 冷蔵庫の扉には、掲示板のように過去の自分からの伝言が貼られている。どれも同じ形をした長方形の方眼紙に、同じような形の細い字が並んでいる。寝起きで視点の定まらない目を細めながら、今日の自分への紙を探していると一枚だけ見覚えのない紙があった。  罫線のひかれたノートの端を小さく手で折ってちぎったような紙に「チョコレートあるよ」と罫線を無視した歪んだ文字で書かれていた。その文字に見覚えはあった。しかし、誰の文字かは全く思い出せない。  その紙を貼ったまま、冷蔵庫を開けるとチルドケースの上の段に透明の袋でまとめられたチョコレートが目に入った。一粒一粒が赤や青、緑色の紙で包装されている。それは自分が学生時代に好きだったメーカーのチョコレートだ。冷蔵庫の冷気を浴びながら、口の中はなめらかなチョコレートの味を思い出す。  冷蔵庫を閉じ、玄関の鍵を見た。チェーンもかかっている。  もう一度、冷蔵庫に貼られた文字を見る。  差出人の分からないチョコレートを捨てる気にはなれなかった。

『輪郭を確かめる』

何気ない毎日を、ただ繰り返しているだけの生活だった。 ご飯を食べて、学校に行き、筋トレをして、寝て起きる。休日にはアルバイトに出る。それだけの生活を、俺は疑いもせず続けていた。 退屈だったわけじゃない。ただ、心がどこにも向いていなかった。 世間は平成ブームだなんだと騒いでいる。過去をなぞることで安心し、今を生きているつもりになっているだけじゃないのか。そう考える自分自身も、結局は同じ場所に立ち尽くしていた。 だから俺は、何かを変えようと思った。変われば、きっと答えが見つかる気がした。でもその“何か”が、自分にとって一番大事なものかどうかは、まだわからなかった。 次の日から、俺は少しずつ動き始めた。劇的な決意なんてなかった。ただ、このまま同じ場所に立ち続けるのが、少し怖くなっただけだ。 朝、いつもより早く起きて走ってみた。息が切れて、足が重くなって、それでも少しだけ気分は晴れた。――これかもしれない、と思ったのはそのときだけだった。 次は読書だった。自己啓発書、小説、成功者のインタビュー。「自分を信じろ」「やりたいことをやれ」。ページを閉じるころには、なぜか自分だけが置いていかれた気分になった。 アルバイト先では、新しい仕事に手を挙げた。慣れない業務と人間関係。無理に笑って、無理に頑張って、家に帰ると疲労だけが残った。 走っても、読んでも、挑戦しても、胸の奥の空白は埋まらなかった。選択肢が増えるほど、自分がどこに向かっているのか見えなくなっていった。 「恋愛すればいいんじゃない?」 そう言われることもあった。恋をすれば変われる。誰かを好きになれば、世界が違って見える。俺は曖昧に笑うしかなかった。 人を好きになるという感覚が、よくわからなかった。嫌いじゃない。大切にしたい気持ちもある。それでも、胸が熱くなることはなかった。 人を好きになれない自分は、どこか欠けている気がしていた。本気で好きになったことがないだけだと言われるたび、少し安心して、同時に置き去りにされた気分になった。 無理に恋をしようとしたこともある。でも探している時点で、それはもう違う気がした。 一度、立ち止まることにした。何かを足す前に、今の自分を見直そうと思った。 俺は筋トレをする。誰に褒められなくても、回数が増えただけで満足できる。絵を描く。線を引いている時間が落ち着く。音楽を聴く。イヤホンの内側で感情が完結する。本を読む。言葉にならない部分を拾い集める。 気づけば、俺の好きなものはすべて、一人で成立していた。 それは寂しいことなんだろうか。前の俺なら、そう思っていたかもしれない。でも今は、一人で完結できる時間があるからこそ、外に振り回されずにいられるのだと感じている。 今の俺は、まだ何者でもない。何が一番大切なのかも、はっきりとはわからない。 それでも、何気ない毎日をただ消費しているわけじゃない。一人で完結する時間の中で、自分の輪郭を確かめながら、確かに生きている。 答えが見つかる日が来るのかはわからない。それでも俺は、この生活を続けていく。迷いながらでも、立ち止まりながらでも、自分の足で。

店主の秘密

 そのタコ焼き屋の店主の親爺には、カミさんの他に、愛人がいた。正確には、それは愛人ではなく、愛タコだった。何匹も愛タコがいた。この親爺はタコたらしだった。とにかくタコにモテた。水族館に、海鮮料理屋の生け簀に、そしてもちろんあらゆる海に、愛タコがいた。そしてこの親爺の恐ろしいのは、そうして囲った愛タコたちを、次々と殺して、店のタコ焼きの具にしてしまうことだ。殺タコはあらゆる場所で行われた。ある愛タコは、親爺に三本目の脚を愛撫されながら、包丁で刺し殺された。ある愛タコは、ドライブで訪れた明け方の海で、絞め殺された。ある愛タコは、耳元で愛の言葉をささやかれながら、沸騰している熱湯にぶち込まれた。そうして死んだ親爺の愛タコたちは、切り刻まれ、タコ焼きの具に姿を変えていった。親爺はそのことに快感を感じていた。異常者だったのだ。親爺のカミさんは、愛タコの存在を知らなかった。ただの平凡な、多少仕事熱心なタコ焼き屋の店主だと思っていた。しかし、そんなカミさんも、夫に関して、一点だけ、不審な点があることに気づいていた。この親爺は、いつもポケットに一枚の写真を忍ばせていた。そして時々それを取り出して眺め、ため息をついているのだった。カミさんが以前、そっと写真を覗き見ると、そこには、一匹のイカが写っていた。

無能川

「この川の水は海賊に奪われたんだよ」  夏の日差しが照りつく橋の上で、友人は涼しい声で言った。 「日本に海賊なんていた?」  肩にかけたイーゼルとキャンバスを地面に置き、橋の下を見る。大きな川幅に不釣り合いなほど流れる水は浅く細い。もともと水が流れていたであろう両端には青い草が生えている。 「二つの川が合流すると、どうなると思う?」  友人は自分の質問がなかったかのように訊いてきた。それにはもう慣れている。 「合流した先の水量や勢いが強くなるんじゃないの」  軽くなった肩をもみながら、友人を見る。友人は橋の下をじっと見つめている。 「そう、浸食力が上がる。同時に浸食力の弱かった方の川は、水を奪われるんだよ」  友人は視線を少し上げ、川の先を眺める。 「浸食力の弱い川は、合流したときに浸食力の強い川に水の流れが引き込まれるんだ。引き込んだ川は水量が増して浸食力はより強くなる」  頭の中で川を作ってみたが、うまく想像ができない。友人の頭の中では、川がうまく流れているのだろう。 「川同士が水を奪い合うことを河川争奪っていうんだ。英語では川の海賊行為、日本でも斬首って呼ばれてる」  斬首と言う具体的で強い言葉に顔を歪めながら「だから海賊なんだ」と納得する。 「水を奪われた川は干上がるか、少しの水しか流れなくなる。完全に干上がった場所を風隙、川幅に対して不釣り合いな水量の川は無能川、不適合河川って呼ばれる」 「斬首だったり無能だったり、ひどい言われようだね」  口を歪めるように笑うと、友人は考え込んだ顔つきで「時間も川みたいなものだから」と低い声で、独り言のように口ごもった。  あれから年月が流れ、あの川は風隙となった。  橋の上から、水が流れていた場所を見る。夏に生えていた草は枯れ、粉っぽい土とひび割れた地面が枯草の間からのぞかせている。 「時間も川みたいなものだから」  友人と離れてからの自分の時間はどうだろうか。常に役に立たない思考と力をくれない欲求に流され引き込まれ続け、あるはずの時間を十分に使うことが出来ていない。あの頃は友人に引き込まれ合流し、時間のすべてを夢に懸けていた。しかし友人が遠くへ行った途端、斬首されたように水は減り無能になってしまった。  それでもまだ風隙にはなっていない。無能でも不適合でも、まだ水は流れている。  もう海賊には奪わせない。

日本の漫画には黒髪が少ない

「ありがとう。ええっと、磯部くん?」 「福田です」    また、名前を間違えた。  でも仕方ない。  人の区別なんてつかないんだから。   「不和、ちょっといいか」 「なんでしょう、風見鶏先生」 「……阿久津な。不和、お前は成績もいいし学級委員としてしっかりやってくれているとも思う。でも、もう少し周りに興味を持ってもいいと、先生思うな」    私はたびたび、人の区別がつかないことを、治した方が良いと指摘される。  でも、私からすれば区別なんてつかないほうが普通なのだ。   「先生、日本人は黒髪だらけなのに、日本の漫画に出てくるキャラクターの髪色が、何故カラフルなんだと思いますか?」 「なんだ、その質問。そっちのほうが可愛いからじゃないか?」 「それもあるかもしれませんが、私は人間が、本質的に顔の区別がつかないからだと思っています」 「区別が?」 「皆が黒髪なら、キャラの見分けなんてできない。だから髪色を変えて、無理やり見分けさせている」 「そうか? そうなのか?」    先生が考え込んだので、私は会釈をしてその場を立ち去った。  先生が私の想像を信じようが信じまいが、どちらでもいいからだ。    人間は何も変わらない。  皆目が二つあって、手足が二本ずつある。  いっそ違う柄の羽根でも生えててくれればと、何度思っただろうか。    いや、私が気に食わないのはそこじゃない。  皆、私と一緒のはずなのだ。  たまたま仲の良い人間の顔を覚えているだけで、その他大勢の顔を覚えていないのを無視しているにすぎない。    だから、仲の良い人間がいない私を、顔を覚えていない無関心野郎だと非難してくるのだ。    皆同じことを考えるから、私はますます他人の区別がつかなくなっていく。

あの子になりたい

なんて不公平な世の中なんだろう。 全てがうまくいかない私と全てがうまくいっているあの子。 同じ人間のはずなのにどうしてこんなに違うんだろう。 あの子はみんなに愛されている。 休み時間になれば、自動的に人が寄ってくる。 まるで磁石に砂鉄がくっついてるようだ。 頑張らないと友達ができない私とは大違い。 あの子は顔もかわいい。仕草も声も全部かわいい。 それが愛される一つの要因になっているんだろうな。いいな。 どこを見てもかわいくない私とは大違い。 あの子は強い。 どんな輪にも入っていける。 「なんの話ー?」で入っていける。 嫌われるのが怖くて何にもできない私とは大違い。 あの子はいつも笑顔なのに、私はいつも真顔。 あの子になりたい。あの子になりたい。 今から薬を飲んだらあの子に生まれ変わったりしないかな。なーんて、バカみたいなこと考える。 あの子のように優しく笑顔を作って眠ってみた。 ***** なんて不公平な世の中なんだろう。 全てがうまくいかない私と全てがうまくいっているあの子。 同じ人間のはずなのにどうしてこんなに違うんだろう。 あの子は自分から友達を作ってる。 自分で仲良くなる人を選べるのは楽しそう。 その場の流れで周りに寄ってきた人と適当に友達になる私とは大違い。 あの子は普通。そこに憧れる。 バカにしてるとかじゃない。本当に憧れてる。 顔だけで寄ってこられて、すぐに捨てられることがない。 すぐに捨てられる私とは大違い。 あの子は優しい。 優しすぎて、損することもあるんだろうけど、いいなって思う。 一人になるのがとにかく嫌で他の人の気持ちも考えずに輪にむりやり入っていく私とは大違い。 あの子はいつも心からの顔なのに私はいつも作っている顔。 あの子になりたい。あの子になりたい。 今から息を止めたらあの子に生まれ変わったりしないかな。なーんて、バカみたいなこと考える。 あの子のように心からの表情を作って眠ってみた。

イタリアの恋人

窓の外を見ながら、 「ねえ、何にするの?」 言ってはみたけれど、言葉の先に友人の姿はなかった。 「んー。ああ、あそこに書いてあるカフェ・コレットって、あれ、なんだろうねえ」 「あ、ごめんなさい。さっきまで友人が」 「うん、そのようだね」 「あ、ちなみに、エスプレッソにお酒が少し入ってるものです」 見ず知らずの男性とこんなにスマートに話をしてるなんて、自分でも驚いている。 「お酒?」 「ええ、グラッパとか、ブランデーのこともあるみたいですけど」 「ああ、カフェ・コレット?」 「ええ、カフェ・コレット」 「うん、知ってる」 「え」 私の驚きを見た男性の、にやりとした顔が、でも、少しも嫌味がなく、好感がもてるとさえ言ってもいい。 「カフェ・コレット。イタリアでは、昼間から飲まれたりするよねえ」 「ああ、ええ。そう… みたいですね」 「そう、みたい?」 「ええ。そうみたいです」 男性が窓の外を見て、つられて私も見た。視線を戻したとき、男性はすでに私を見ていた。 「行ったことないかな、イタリア」 「あ、ええ、まだ」 「そう。じゃあ、いつにしようか?」 「え?」 「イタリア」 「ごっめーん、電話してたー」 友人が帰ってきて、男性との会話はそこまでになった。 あと少しでイタリアに行く約束をしていたところだったのに。 遠く私の視線の先に、男性の背中が、やけに眩しい。

月三万円が、欲しいかー!

 教室に集められた人々は、皆不労所得が欲しい人、  ハチマキを巻いて、気合は十分。  教壇に立つ先生はメガホンを使って、教室にいる人々に声をかけた。   「月三万円が、欲しいかー?」 「おー!」 「寝ながら、欲しいかー?」 「おー!」 「ならば、その方法を教えよう!」 「おおー!」    先生はメガホンを置き、黒板に大きく『3%』と書いた。   「この数字は、高配当な株を持っていれば、自動的に入って来るお金の割合だー!」 「おー!」 「今から私の言うとおりに株を買えば、確実に月三万円が手に入る!」 「おおー!」    会場の熱気は最高潮。  不労所得の夢を見て、全員の心が一つになる。   「まず、予算として千二百万円を用意するー!」 「無理でーす!」        教室に残ったのは、僅か数人。  高い年収を有して千二百万円を自力で溜めた人と、遺産や宝くじやお小遣いで何故か千二百万円を持っていた人。    先生の言うことを最後まで聞いた数人は、無事に月三万円の不労所得を手に入れた。

怖い話し

俺はホームレスだった。テントを持っていたので今晩テントを張る場所を探して歩いていた。初めての町、右も左もわからない。人気のない山の方へ、勘を頼りに進んだ。辺りはもう暗かった。けっこう田舎の方で、少し広い道路を外れればすぐに街灯なんて無くなる。ある住宅街の中を、川に沿ってずんずん進むと、気づいたら高速道路の側道をあるいていた。真っ暗な高架下をくぐり、暗い所を歩き慣れてる俺でさえ、チラチラ後ろを気にしながら歩く程、気持ちの悪い雰囲気が漂っていた。冬だったので虫も鳴かず、静寂の中、高速道路を走る車の音だけが鳴り響いては止み、鳴り響いては止みを繰り返す。「なんか変なとこ来ちゃったな、、、」なんて呟きながらもとりあえず進んだ。すると先の遠くの方でなにか白い光が見えて一瞬立ち止まった。光は動かない。きっと高速道路の街灯かなんかが何かに反射してるんだろうと判断してまた歩を進めた。その通りだった。俺は墓場に出たんだ。白い光は墓石に街灯が反射したものだった。「この墓場、なんだか気持ち悪いな、、」なんて思って通り過ぎようとした時だ。ある墓の前で俺は背中にゾワゾワっと冷や汗をかいた。その墓は誰かがよくお参りに来るのだろう、花も供え物も新しかった。なぜ冷や汗をかいたのかというと、見えはしないのだが、その墓の前に誰かが立っているような気配を感じたからだ。もちろん誰も立ってはいないのだが、俺の頭にはそこに人の形が浮かんでいた。俺に霊感なんてものはないと思う。でもね、いくら想像だとしても、顔まで浮かんでくることってあるだろうか。ハッキリはしないのだが、爺さんの顔だった。俺は持っているライトで墓石を照らした。別に読んではいないが、深く刻まれた誰かの名前がそこにあった。「まあ、俺もいつか死ぬからな、別に怖がることじゃないわ。幽霊がいるとしたら、俺だっていつかは幽霊になるんだから」、なんてことをあえて気丈に声に出して言った。これは俺が怖い時によくやる癖である。その時だった。大した迫力もなくて悪いが、その時の俺にとってはめちゃくちゃ怖いことが起きたんだ。俺は確かに見た。墓に供えてある立派な花な、ぴら、、、って、花びら一枚落ちたんだよ。俺が固まって、頭を整理しようと躍起になっているとまた一枚、ぴら、、、って、落ちたんだ。あ、これおるわ、、って確信した瞬間だった。こういう時、俺は叫んだり、走ったりするのは苦手だ。早歩きもダメ。本当はめちゃくちゃ怖いんだけど、さも平気なフリしてゆっくり歩き去る癖がある。その時もそうした。クルッと墓石に背を向けて、ゆっくり墓場を抜けた。頭の中にはさっきの爺さんの顔形がまだ浮かんでいる。そして、なんとなくだけど、背中についてきている気がした。早く灯りがあるところにでたいな、、なんて思っていると少しずつ足早になっていった。ようやく見つけた街灯の灯りのしたに、避難するかのように入りこんだ。その時にはもう、何かがついてきている感じも無かったのだが、その場所からさっきの墓場がまだ遠目に見えて、少し余裕もできたのでちらっとその墓場に目をやった。遠いし暗いしもちろん確実とは言えないが、俺は見た、さっき俺が立ってた墓石の前に、けっこう小柄な何かが立っているのを。しかもな、それ動いたんだよ。多分最初はこっちに背を向けてて、それからちらっとこっちを振り返るような動作に見えた。それを見た瞬間、俺はまた歩き出した。結局その日はテント泊はせず、街中まで出てネカフェに泊まったんだよね。小説とは言えないかもだが、これ実話です。

チョコ泥棒

 「何もバレンタイン前にチョコ万引きして捕まることもないだろう?何がしたいんだあんた?」 「・・・チョコもらえない人間の気持ちというか、バレンタイン前にモテない人間のささやかなテロ行為くらい見逃してくれてもいいじゃないか・・・。」 「発想の転換をしろよ、もらえないなら昨今は逆チョコとかあるだろう?欲するならまず与えよとはどこの宗教の言葉だったか・・・はて?」 「残念ながら俺はそんな殊勝な言葉信じちゃいないんだよ。嫌われ続け、奪われ続ける人生だったもんでね。」 「じゃあチョコが欲しいならそこのスーパーで賞味期限切れになってるチョコの在庫の山持って行っていいよ、ほら留置場でたらふく食え。」 「ああ~人生で一度もバレンタインでチョコもらったことない~明日は俺はマスコミの餌食~。」 「こんなちゃちな盗みでニュースになるかよ。ほら廃棄チョコ持ってっていいから警察が来るまで食って待ってろ。」 「チョコって薬物や賄賂の隠語として使われることもあるんだよな~ああ~俺に金があればな~賄賂渡して無罪放免~。」 「念のため聞いとくが薬物なんてやってないよな?まあもっと意味の分からない奴なんてごまんといるが。」 「どうも!警察です!ああこの人ですか!まあ~なんでチョコなんか盗んだの~?まあ常習犯じゃなければ軽い懲役で済むから。さあ行くよ。」 「俺はチョコテロリスト~アンチクライスト~♪」

繰返す不条理と理不尽

選挙間際世の中が荒れる私は淡々と理不尽な 事だけ動く世界で誰かを癒し宣伝したり全部 無償で行う日々否宣伝したよねお礼は無いの ステッカーも良いけど地獄の沙汰も金次第で 一応エネルギーと言霊で客寄せパンダ状態な 訳だし利益は分配するのが当然でしょう旨い 汁は吸い義理人忘れちゃ駄目に決まってるし 身勝手な人間は自分冴え幸せならば人はどう 為ろうが御構い無しの愚かで悲しい生物私は 其れが現代の人間の思考だと危惧する万が一 大地震や何らかの攻撃受けたら多分真っ先に 死ぬのは義理人を知らない者達だろう誰かを 思い遣り助ける行為こそ緊急時誰かと一緒に 行動する事は単独行動依り救助される確率も 高く1人じゃ見えない後ろ危険冴えも一つの 目依り二つの目的に合力も発揮そうで助けを 呼ぶ時は1人はその場に待機もう1人は声や 行動で救助を知らせ人を連れて来る事冴えも 可能な訳だけど普段から義理人が無く自分の 事しか愛せず他人を利用して粗末に扱う者は 普段の行いが祟り緊急時冴え誰も救助へ来ず 寂しく1人野垂れ死んで行く自業自得と言う 素敵な言霊かも知れない皆死ぬ事は怖いので 緊急時助かる為普通から他人に親切義理人を 忘れ無い正しき行いはこれからの日本で唯一 生き残る羅針盤かも知れない

期日前投稿

 明日が締め切りな気がする。 今日中に小説の投稿をする。 実際にはプロではないので締め切りなどない。 実に楽な立場。 AIにこの言葉を聞いてみる。 実に勤勉さを感じる責任感のある言葉ですね、と言われる。 責任の所在。 命に対する責任。 少し哲学的になる。 哲学が哲学を呼び言葉が煙草を呼び込む。 煙草辞めたい。 書き連ねる。 今日は決戦の日。 そして明日も日々は続く。

届かぬ声

ねね。 どうした? いつも通りの会話。これがずっと続けばいいのにな。 私は高校三年生。好きな幼馴染の男子がいる。最初は友達だった。 なんでかな、私は好きになってしまった。 窓を眺めそんなことを思い泣いていた。 ー恋するとこんなにも毎日楽しいんだと思ったよ。でもあんたはこっちを見てはくれない。 あんたの好きなタイプと自分は全く違う。 大学いったら一週間で彼女つくってやる。 なんて言われたあと、自転車に乗って家に向かう君の姿を追いかけて泣いてたんだよ? そんなの知らないでしょ。 あー絶対脈なしじゃん、なんてお風呂の中で声を殺して泣いてた。 好きにならなきゃよかったよ。ほんと。 きめた!告白はしない。この思いはしまっとくの! なんて友達に笑顔で言う私は涙目だったかもしれない。 辛いな。あんたの笑顔を見るたび、これをずっと見ていたいと思ってしまったから。 まだ、そばにいたいと思ってしまったの。あんたのせいだよ。 幸せにね。悲しくて泣くなよー!私の分まで笑って生きて!約束だよー!笑ー 涙でにじんでいるこの文字たちがなぜか懐かしく感じたが、俺はもうこいつはここにはいないということを実感できなかった。 最近、あいつが学校に来ていなかった理由を母から聞かされた時は、 「嘘だろ?最近まであんな元気で笑ってたのに…」っと聞き返したが、返答はなかった。 これは俺あての唯一の彼女の形見だった。 「なんで気づかなかったんだろ。お見舞いぐらい、さ。いくよ。」 学校であいつのことについて先生から話があった。 あいつは女子から好かれていたから、葬式では泣きじゃくる女子たちをたくさん見た。 彼女がいたら 「泣かないで笑ってばいばいしよ?」 なんて言うか。なんて思ってる俺は涙が出ない。なんでかな。 「お前がなんだかんだ一番仲良かったよな?悲しくねーの?」 なんて言われた。悲しくないわけないじゃんか。 それから何となくで一か月がすぎた。 あれから元気がでない。 母に促されあいつのお墓参りにいった。 あいつのお墓は坂を上ったところにあるらしい。そこは車ではいけないと言われ、車から降り、黙々と坂道を歩いていた。 下ばかり見ていて気付かなかったが、眩しくて顔を上げると脳裏に焼き付いていたあいつが夕焼けのように笑う映像が目の前に流れた。 「ここ来たことある。」 あ、 「あいつがここの坂で走ってこけたんだ。なんもなかったのにだぜ?」 なんて母に言う俺は夕陽に照らされ、いちだんと明るい笑顔で泣いていた。 「また笑い合おう?またあの笑顔を見せてよ。」 お前の墓の前で話してる俺の横にはもう誰もいなかった。慰めてくれる人も。 もう会えないと実感した。 俺は神に願った。 「あいつにまた会わせてください。いつも通りの会話をいつまでもさせて、」 お前との約束を守れず、あいつの好意に答えるよう俺は泣き崩れた。

適当なことばかり言うおじさん

 「あっちで紙芝居屋さんがやってるよ。」 行ってみる。 いない。 「空を見上げればタイムマシーンが飛んでいるよ。」 見当たらない。 「おっぱいを触らせてくれるおねーさんが街に来ているよ。」 それもいない。 最近そういうことを言う人を見ない。 最近詐欺犯罪が増えているらしい。 ああ、仕方なく仕事をしているのか。

河童、土器を作る

 海に行けない河童は家で土器を作る。 川が水不足になった時に皿を潤すためだ。 ときどき山から出てきて村娘を木陰から見ている。 気になる村娘の家に採った魚や貝などを置いていったりする。 けなげだが村娘は誰が置いていったんだろうと不思議がる。 河童は作った土器を家の中に置いて昼寝している。 村の農民が作物を作る。 河童はキュウリが欲しい。 でも村人に姿を見られると怖がられるので夜こっそりと畑のキュウリを一本だけ採っていく。 村人も猿かなんかが採っていったんだろうとあまり気にしない。 旅の坊さんが村娘の家を訪ねる。 一晩宿を貸してほしいと。 坊さんは隠しているがこの坊さんは実は高名な僧なので村娘の親が夜坊さんに村娘を添い遂げさせようとする。 坊さんは村娘にお前さんを好いている奴が近くにいるよと話す。 家の陰に隠れて様子を見ていた河童は驚く。 坊さんは持っていた琵琶を取り出し読経のような浪曲を奏でる。 河童が人間の姿になる。 どうやら野暮用の人が来たようだ、娘さん相手してやりなさい、と坊さんは夜の山に散歩しに行く。 人間の若者の姿になった河童が娘さんの前に現れる。 娘さんは青年の姿になった河童と一夜をともに過ごし子を身ごもる。 旅の坊さんは一晩山で過ごした時に近くの廃寺で一生を一人で過ごした坊主のミイラを拝む。 「ほっほ。お前さんの魂は新しく生まれ変わるよ。世の中不思議なこともあるもんじゃな。」

540秒

 地下鉄の改札から218秒かけて階段を駆け上がった。地下の凄惨な状況と、うって変わって雲一つない快晴が拡がっている。男は足下で繰り広げられた惨事を思い返す。南改札からほど近くのゴミ箱から、火柱があがる。構内にいた人々が悲鳴を上げ立ち竦む。男は自分のほかに17人いたなと思い出す。男は数字に正確だった。火はすぐさま燃え移り、人々の行く手を阻んだが、男の前には道があった。そこから一気に階段を駆け上がった。階段からは男以外上がってこない。先ほどからけたたましい音が聞こえていたが、今度は幾人もの足音が聞こえる。スマホを見ると、操作してから540秒経っていた。視線を足下から元に戻して、思わず笑みがこぼれる。  迷える子羊たちが火のないところに立って煙に巻かれている。そんな心持ちで少女は煙のなかにいた。周りにいる自分の3周分は生きてきただろう人々のほうが、よっぽど子羊だなと思う。メーメー鳴いてどうしようもない。ラムなら焼けてもいい匂いなのにな、とそうはならない予感をもってげんなりする。火の手がまた強くなる。煙で匂いも分からないかと思い直す。煙の奥に人影が見える。爆発の瞬間に聞いたアラーム音はラッパの音なのかもしれないと思った。天使のお迎えかしら、子羊にはピッタリねと少女は大きな人影に抱えられながら、笑みをこぼす。  今のオレは世界に見捨てられた。そんな諦観を抱いて、青年は構内トイレ個室に閉じこもった。諦観は青年のなかにずっと沈殿していた。青年がとっておきのカスタマイズを施していたものだったスマホもさっきゴミ箱に捨てた。遠巻きに見た火柱、煙に巻かれる人々、異様な光景だった。パニックで叫ぶ声、逃げ場がないと喚く声、青年にとってはオレたちは捨てられたんだと思える十分な証拠だった。そんな喧騒を避けるように青年はトイレに隠れた。入口あたりが崩れたのか、大きな音を立てたあと、外の喧騒もやがて聞こえなくなった。青年にとって、世界はこの狭い個室だけだった。身体が熱くなる、もう火はそこまで来ているようだった。見捨てられたのはオレだけじゃない、そう青年は笑みをこぼした。  現場に居合わせた男性からの通報があり、通報から9分後に駆けつけた消防隊によって16人が救助されました。犯人は依然として不明、爆弾はタイマーをセットしたスマホに直結したものとみられています。崩落が激しい為、これ以上の捜索は断念される見通しです。 了

センチメンタルピリオド

 世界はどうしようもなくノイズで溢れている。  廊下に4つ並べられたパイプ椅子に座り、ノックの回数は何回だっけと自問自答する。  グループディスカッションで一緒だった4人だったけど、1人と2人と1人になっていた。  先ほど2回ノックして部屋に入った1人を 「トイレかよ」 「落ちたわな」 と2人がクスクスしている。  なるほど3回か、と思う自分がイヤになる。  陰口は聞きたくない。自分が言われていることを想像するから。  自分の番だ。3回ノックするけれど、2回目強く叩きすぎたかなと、ちょっと後悔。  入室して、扉を閉める。クスクスを想像してしまって、またまた後悔。  うちが第一志望ですか?  そんな質問の返答に数拍つっかえる。  面接官の困った顔でペンを動かす姿に、ああ今回もダメなんだなってわかってしまう。要らない経験値ばかり積んだ自分がやっぱりイヤになる。 「ご飯行こうよ」 さっきの2人が、声をかけてくるけれど、 次、あんまり時間ないんだ。 って返して4時間暇になる。  2時間カフェで粘ったけれど、まだ2時間。  公園で潰すあと2時間。マフラーで隠れてないその上の、特にピョンと飛び出た耳が寒い。  こういう時に耳っていうのは、風ばかりでなく、冷たいものを集めてくる。 『あの子空気読めないよね』 『仕事できねぇジジイがさー』  どれも自分に向けられてる気がして、気が滅入る。  寒いから気が滅入るんだ。精一杯の元気を振り絞り、ペラペラの防寒用イヤーマフを110円で買ってつけてみる。  音は全部通すけど、風は全部は通さない。  見上げると知ったような顔の1人と目が合う。 「何その耳当て、正直ダサいよ。そんなの見られたら内定とれないよ」  直接的な悪口に、いっそ気持ちが軽くなる。  あるいは、本当に心配してくれてるのかな、と可笑しくなる。 「そうかもね」  それだけ言って、そのまま立ち去る。スッと気持ちが浮いてくる。もう、冷たいものは集まらない。  寒いから気が滅入るんだ。  後ろで何か言っている。  世界はやっぱりどうしようもなくノイズで溢れているけれど 「高性能のヘッドフォンなんで世界の音も聞こえません」 了.

泣いてる君にオーロラを持って帰る方法を考えるサンデー

 オーロラが小さなブラックホールだということは、あまり知られていない。  大きさによって吸い込むものは変わる。ちょうど小瓶に入るくらいのオーロラは人間の感情を吸い込む性質を持っていた。  男はその管理局の職員だった。  小瓶に入ったオーロラは無数にあって中身が分からない。  男には娘がいた。妻を早くに失ったので、娘が唯一の家族だった。  男はオーロラを愛していた。入局当時から誰よりも働いていた。皆が嫌がる日曜日の宿直も進んで、引き受けた。妻を失っても一人娘を守る為に必死で働いた。  男が娘とふれあえる時間は、朝の僅かしかなかったが、最大限の愛情を注いだ。娘も男を愛していた。  ある時から、娘の顔がむくんでいることが増えた。眠る前に泣いていたのだと知ったのは、 「父さんは私なんてどうでもいいんだ」  と言う言葉が、娘の口をついた時だった。  娘はしばしば心無い言葉に晒されていた。母親もおらず、父親もほとんどいない。子供たちにとって十分なからかい材料だった。  それでも、オーロラの管理を放棄することはできなかった。  男は他に誰もいない日曜日にオーロラの入った瓶を持ち出した。帳簿を書き換えることは、恐ろしく簡単だった。男にとって最も美しく見える妻の感情が入った瓶だった。  かつて、妻は娘が産まれた頃に、この瓶を欲した。管理者には一度だけ感情を閉じ込める権利が与えられていたので、男は妻の願いを叶えた。男には子どもが産まれた歓びを閉じ込める意味が分からなかった。  男は瓶詰めを娘に渡した。 「このオーロラは空気に触れると周りの感情を吸い込んでしまう。決して逃すことはない。  逆に水に溶かすと感情が発露し、そしていずれ消えてしまう」  娘はオーロラにそんなことができるのかと訝んだが、瓶に入った極彩色にはそれを事実だと思わせる不思議な魔力があった。 「君が耐えられなく辛い時に、この瓶を開けなさい。辛さを感じることはなくなるから」  男は娘に優しく微笑んだ。  極彩色の御守りを手に入れた娘は、もう泣くことはなかった。規則よりも自分を優先してくれる愛情を感じたことで、何を言われても辛くなかったからだ。  娘はすっかり成長し、極彩色の御守りはついに一度も開けられることはなかった。男は娘の成長を見届けることができた歓びに満たされていた。  この気持ちに封をしたいとさえ思った。  男は今や不要になった極彩色の不正の証拠を処分するため、水に溶かした。  娘が産まれてから、いつも微笑んでいた妻を思い描きながら。  オーロラが溶け出した水は酷く冷たく、恐ろしいまでの青さを湛えていた。 了

朝食

クルトンの船に乗って、僕は漂流していた。 クリーム色の空を、パセリの小鳥が鷹揚に翼を羽ばたかせている。 アサリの立派な船が口から蒸気を吹き出しながら、僕の船を靡かせる。 僕はふらつかないように、さくさくとした船べりにしがみついた。 空を、大きなスプーンの飛行船が飛んでいて、日が陰る。 海風が一段と強くなって、クラムチャウダーの海の波に掬われるようにして、僕の船はグングンと進んだ。 クルトンの船は、じわじわとスープを吸っている。 じゃがいも、玉ねぎ、ベーコン、にんじんなど、色とりどりの小島を縫うように抜けると、大きなしめじの島が目前に迫っていた。 大きな島に見惚れていると、ふと違和感を覚えた。 僕の船は、スープをかぶって冠水していた。 大きな海は、暖かかった。 僕の体は、ふやけてふわとろになったクルトンの船に沈み込み、そのままゆっくりと海の中に沈んでいく。 その海の暖かさに、僕の体も、クルトンと同じように溶けていく。 境目が薄れ、僕の体は、海と一つになった。 どこからか、トーストの焼けた匂いがした。

コーン

 自販機があった。ジュースが売られていた。何か買おうと思った。財布を取り出した。しかし、金がなかった。どうにかならないか。自販機をよく見ると、小さな穴があった。そしてその横にペンチが吊るされていた。『この自販機の商品は歯でも買えます。』そう書かれていた。俺はさっそくペンチで歯を引っこ抜き、穴に入れ、コーンスープのボタンを押した。がこん、と音がして、コーンスープが出てきた。俺はさっそくそれを飲み始めた。歯が一本なくなったので、噛めないコーンがあった。

雪の降る日のお買い物

鼻水が止まらないし、クシャミも止まらない。頭がぼーっとするし、これは風邪かもしれない。 僕の隣では息子がイビキをかいている。 昨日、雪の降る中、買い物へ出かけた 傘もささずに歩いて近くのセカンドストリートへ 仮面ライダーのコーナーを見つけ 小さくしゃがみながら、しばらく探したあと 一つを手に取り僕の所に近づく 「これが欲しい」「これ買って」とかは言わない パパが「買わないよ」と言えばすぐ諦めるつもりなのだろう。 お店を出る頃は雪が大きくなっていて、少し小走りで帰った 僕の右手を握りしめる手は、いつの間にか大きくなっている。片手には五十円のオモチャを握りしめている。

落とし壁

 落とし穴は、地面に落ちる。  落とし壁は、壁に落ちる。   「あれ?」    ドアを開けようと手を伸ばした少年は、そのまますり抜け、ドアの先に落ちてしまいました。  ドアを開けば自分の部屋があるはずなのに、すり抜けた先は牢屋のような暗くて冷たい場所でした。   「ここはどこ? 誰かいないの?」    少年は壁に向かって呼びかけましたが、返事が返ってくることはありません。  部屋の中に少年の声が反響するだけです。    少年は壁にもたれて、体育座りをしました。  誰かが外で扉を開けてくれれば、出られるんじゃないかと期待して。  しかし、いつまで待っても誰も来ません。  四方は壁に囲まれたままで、出口が作られる気配がありません。   「このままここで死んじゃうんだろうか」    少年は、寒さと暗さで弱気になりました。  自分は何か悪いことをしたんだろうかと、昔のことを思い出しました。   「弟は、こんな気持ちだったんだろうか」    少年はむかしむかし、弟を落とし穴に落としたことを思い出しました。  穴の中で泣き叫ぶ弟を、少年は指をさして笑いました。  その後、母親から拳骨をくらったので、少年は一層弟が嫌いになりました。   「弟をいじめた罰が当たったんだ」    少年は涙を零しながら、頭を床にこすりつけました。   「ごめんなさい! 意地悪してごめんなさい! 明日から、いいお兄ちゃんになります!」    少年は、何度も何度も謝りました。  百回を超えたあたりで、突然壁に穴が開いて、光が差し込んでいました。  光が部屋中を照らすと、殺風景だった部屋がいつのまにか、少年の部屋になりました。  入り口のドアの前には、宿題を抱えた弟が立っています。   「兄ちゃ。宿題教えて?」    少年は目を何度もこすり、頬っぺたをつねった後、弟に抱き着きました。   「ごめん! 俺、いいお兄ちゃんになるから!」    弟には、少年の行動が理解できませんでした。  自分は、何故抱きしめられているのだろうかと。  しかし、悪い気はしませんでした。   「兄ちゃ、宿題教えて」 「教える! なんでも教える!」    数日後、少年は考えます。  あれはいったい、どこだったのかと。  今でもドアを開ける時、またあそこに落ちてしまうんじゃないかと考えてはいましたが、少年が落ちることは二度とありませんでした。    少年が弟を大切にする限り、落とし穴に落としたりしない限り、少年が落ちることはありませんでした。

ミニストーリー

外がいつもより明るいのは雪の証拠。窓を開けるのが不安なのは成長の証。窓枠の硬質な冷たさに思わずカーテンの暖色に助けを求める。まだ足跡のない雪の上に、と、はやる気持ち。すべっちゃわないか少しのびくびく。ブレーキをかける心には、ちょっと不満を。

ひとまずのミルクティ

昨日とはちがう寒さに 起き上がる力に躊躇いが強い 窓の外の白さに頭は目をつぶり それでいて心がざわつく カーテンをそっと 指先でなでるように すこしだけすべらせる 庭の枯れた草木の上 覆い隠すように広がる白しろシロ よろこんでいいのやら 心配したほうがいいのやら もう子どもではないのだなあ わたしがちいさかったころ 親がそうだったように 雪が降ったことを 素直によろこべない 素直によろこべないのは 感情の数がそれだけ増えたからか それとも ひとまず あたたかいミルクティをいれる あとのことは そのときの自分が決めること 狼狽えることがないのを けれど素直によろこべない

流れ星

 流れ星が通ったとき、青年はそれに向かって大きく手を振った。流れ星が消えた空に目をやったまま、振った手をゆっくりと下ろし、冷たい金属管を握る。  青年はジャングルジムの上に腰掛け、夜の空を旅していた。 「流れ星は天界の門が開いた時に漏れる光なんだって」  友人から聞いた話を忘れてはいなかった。    同時刻。隣の町の男は点滅する赤い信号機の下で、流れ星に祈っていた。 「安らかな眠りと、良い夢を」  流れ星が消えた後も頭の中で繰り返すその言葉は、誰にも聞かれず、ただただ男の頭の中を流れていった。

すべてを見通す目

 視覚がかれを捉えることはない。かれが視覚を捉え給うのであり、かれは霊妙なお方、通暁されるお方なのだ。(コーラン家畜章103節) 神は物理的・感覚的に捉えられる存在ではない。 人間の体性能を超えたものに対する畏怖は忘れてはならないのかもしれない。

合理的に (掌編詩小説)

密かに作家になりたかった 漫画家から始まり、小説家、画家、そして作家という流れだ これらは全て、現実逃避の産物で自然な成り行きだった でも、作家だけでは生活は難しい 安定源が必要だ だから、したくも無い仕事をしようとしている 情けない話だ 残りの人生を投げ打ってでも、創作しようとは思えなかった 少ない睡眠時間を削って表現する事が、今できる精一杯の事だった 合理的に生きようとすると、自分の理想からかけ離れて行ってしまう それでも、夢が目標となった今、こうして文章を組み立てている (完)

診断書 (掌編詩小説)

何らかの障害を持っていても、症状が目に見える形で無いと認めてもらえない グレーゾーンの人間はあまり理解されない やる気が無いだの、甘えているだの、症状として見てもらえない 多様性の社会と謳うのなら、移民よりも先に『グレーゾーン』に目を向けるべきだと思う (完)

宿儺目

 少な目でお願いしまーす♪ あれは見えているな。 でも多分やりたいのは呪いでも相撲でもなく大奥だろう。 あとあれは少年漫画だ。 天使禁猟。 ヒロインになりたいのかな? お願いならトレードだろう。 宿儺、ガブリエル。 僕んち六畳、向こう天守閣。 誰の願いだろう? ああ、あとプログラムでゼネコンでビルはいっぱい建ってたからお城はいっぱいある。 そう思った瞬間六畳を奪いに来るのかな? ガラガラの大奥。 女達の園。 女の子たちはこんな世界はつまらないと一人で遊ぶ♪ 「何をしたらいいですか?」