1発のギャグ

これは筆者の自伝である。小説だと思って投稿はしていない。 学校では面白いキャラで通していた。 ギャグをしたり。SNSの投稿には落ちをつけることを意識していたし。授業中にスッとぼけた答えを言ったりして笑いをとることもあった。 そんな動きが気に入らない人もいたようで、俺には多くの味方と敵がいた。 俺が教室で部活に行く準備をしていると、女子生徒が飛び込んできた。 あの子だ。 俺が密かに想いを募らせていたあの子だ。 俺の親友が学年中に囃し立てられながら想いを告げるはずのあの子だ。 俺は親友に悪くて、空気を壊せなくて、『俺も好きだ』とは、やつが告白する。と言い出すまでとうとう言えなかった。 結局俺は囃し立てに参加するだけだ。 その子は。俺の目の前でカーテンにくるまると、俺に『あ、○○じゃん。』と言った。 涙声だった。 俺はなぜ彼女が泣いているのかわからなかった。理由を訪ねると親友の名前が飛び出す。 『告白されたから、振ったんだ。友達でいようって、でも、もうしわけないなって、悲しくなっちゃって。』 後半はほとんど言葉にならなかった。 『○○、1発ギャグとかしてくれない?悲しくなっちゃうから、笑わせてほしい。』 俺に要求をしながら、俺に涙を見せないようにカーテンに向かって泣く彼女をみて、俺は決心した。 ここでギャグができなければ、なにがおもしろいキャラか。 俺は今この瞬間のために。生きていたのではないか。 人を袖にしておきながら、相手を思って泣くことができるこの少女のために。 俺は、ギャグを披露した。 目の前の少女のために。 当たりが弱いかと思ったギャグはもともとツボが浅いたちな彼女にはクリーンヒットだったようで、彼女はとてもよく笑ってくれた。 目頭には涙をためながら、それでもなお涙を飛ばそうとするように笑ってくれた。 こういう風に、なにをしても笑ってくれるところが好きなんだよな。と俺は思った。 ひとしきり笑ったあと『ありがとう。○○に頼んでよかった!』と彼女はいった。 一方俺はよかった。こちらこそありがとうね!と月並みな返事しか出来なかった。 彼女からすればなにがこちらこそなのか訳がわかるまい。 『うん!お互いね!あ、部活行かないと!』 彼女はあわただしくかけていった。 予測不能で、快活。そういうこところも好きだった。 あの時繰り出したギャグは、実をいうとYouTubeで芸人が披露していたギャグはだった。 ネタ集めの一貫として記憶していたのだ。 でも、あのギャグは俺の人生で未だに1番のギャグとして記憶に刻まれている。 彼女には未だに思いは告げられていない。 教室で頻繁に喋るわけでもない。 クラスが同じわけでもない。 でも、それでいいと思っている。 教室で見かけたら話しに行くし。 SNSでの会話は続いている。 それでいい。 俺は今日も彼女との距離を詰めるために自分を磨いている。

つぶやき屋さん

 昼、公園に男が一人、ポツンと立っていた。仕事の行き帰りに見かける男だ。いつも公園のベンチで寝そべっているはずだが、今日は立っている。  思わず近づいてみると、男の足元に砂を引っかき回して文字が書かれていた。 【あなたのそばで、いろいろなことをつぶやきます。1時間 1000円】  私は少し考えてから、男に千円札を一枚、渡した。今日は早帰りなので、ちょっと冒険をしてみようかと思った。 「今から、どこか寄り道をしようと思うのですが」 「承知」  男は一言つぶやき、ただ黙々と私の後をついてまわった。普段は避ける人通りの少ない道を通って、路地裏やトンネルを歩いてみた。  男は時々「あの塀の上でねこが寝ている」とか、「風鈴の音がする」とか、「このつぼみは、もうじき開くだろう」とか、つぶやいていた。そのたびに私は「本当だ」や「そうですね」などと、相づちをうった。  たまたま見かけた喫茶店に入り、私はミルクティー、男は紅茶フロートを注文した。飲み物が来るのを待ちわびながら、男は「屋根の木の組み方が面白い」とか、「机がすべすべしている」とか、「天井のすみに小洒落たランプが吊ってある」とか、「床の装飾が細かい」とか、自分の役目を最大限に果たすかのように、つぶやいていた。それを聞くたびに、私は男の声が自分好みであることを認識した。  やがて、飲みものが届いた。男は一口、茶を含んで「美味」とつぶやいた。 「ひとりごとが趣味なんですか?」  なにげなくたずねると、男は即座に「違うよ」とつぶやいた。 「ぼくは、誰もが気にも留めないような、ささいなことに気がついてしまうだけなんだ」  たとえば、あの壁、と男が指さした先には喫茶店の壁があった。白い漆喰で覆われている。薄暗い日差しが、やけにまぶしい。 「あの壁をよく見るとね、小さなキズやシミが見えるんだ」 「言われてみれば、そうですね」 「きみ、視力はどのくらい?」 「マイナス2・5くらい。だから、今はコンタクトを」 「そうか」  ふっと男は息をついた。少しの間、つぶやきが途切れた。 「きみには、知らなくていいものを見過ごせる力がある」  男の言葉に相づちをうとうか、迷った。もしや、ディスられているのだろうか。私の様子を察してか、男は首を横に振った。 「うらやましくて言っているんだ。この世には、見えないでもいいものがたくさんあるからね」  男は、つぶやきを続けた。  壁のシミ。川のにごり。廃れたガラス。服のしわ。糸のほつれ。ホコリまみれの段ボール。潰されて転がる空き缶。食いかけのタンポポ。親の頬にきざまれたほうれい線。  男曰く、「特にインターネットはすごい」と。「他人のグチも弱音も不安も、全部ばらまかれているから」だと。 「ぼくは、そういうものを見かけずにはいられない。どうしても気づいてしまうんだ。そんな毎日に、ただ疲れてしまった」  ふうっと、男は再び息を吐いた。先程よりも少しだけ深い呼吸だった。 「だから、ホームレスに?」  一応、私は声をひそめた。 「だとしたら、どうして、つぶやき屋を始めたんですか?」 「生きるには、金が必要なんだ」  それから得意なことで稼ぐのが一番、手っ取り早いんだ、とも男は言った。 「見たくなかったら、いつでもコンタクトを外せばいいのに」  私の言葉に、男は笑った。とても切実に。 「あいにく、ぼくの視力は1・2もあるんだ」  その後、きっかり一時間で男は退任した。今日はもう公園で寝るとかなんとか。  私はといえば、家に帰って即座にネットを開いた。投稿欄には、世界中の様々なつぶやきであふれている。やはり断然こっちの方がコスパはいい。それに、どう考えてもこの場所は、あの人が生きるうえでは最適な世界なのに。  スマホの画面をタップしながら、私はつぶやく。  「冒険しないのは、もったいない」と。

不安なき不自由な世界

「入社おめでとう。君たちも社会人になったことだし、ここらで生命保険に入っておくのがいいぞ。会社の推奨はこれだ」    とりあえず入った。   「確定拠出年金を始めないか? 毎月の給料からコツコツと積みあげて、将来の年金を増やせるんだ」    とりあえず入った。   「持株会に入らないか? 毎月の給料から少額の株を買って配当をもらうんだ。今なら、一口につき○○%の株プレゼントもあってお得だぞ」    とりあえず入った。    正直、何の目的で、将来どうなるのかよくわかっていない。  しかし、会社が大丈夫と言っているのなら、きっと大丈夫なのだろう。    上司の指示を聞くのが嫌だとフリーランスになった友達たちは、成長が楽しいと喜びながら、仕事がない貯蓄が不安だと嘆いている。  ぼくは、成長なんて感じないけど、仕事や貯蓄への不安もない。  多分会社が何とかしてくれる。   「酒、うま」    どっちが幸せなんだろうか、なんて考えるのも面倒になって、とりあえずお酒を飲んで寝た。

無料相談消費注意報

「無料ですので、是非一度お話しだけでも」    大学の敷地で声をかけられた。  就職が決まった学生相手に、保険とか投資とか、まあそんな話をしてくれるらしい。  正直、社会人って何だろう人生って何だろうと考え始めていたところだし、ちょっと話を聞いてみることにした。  無料だし。       「……ということなんですよ」 「あの、そろそろ」    昼休みが終わった。  次の授業は五分後だし、私は昼食を食べ損ねた。   「あら、失礼しました。では、続きは明日で」 「え?」    その後一週間。  密着取材でも受けてる気分で、私は話を聞かされる羽目になった。   「お人よしだね。約束なんてブッチしちゃえばいいのに」 「一週間前の私に言って欲しいわ。無料って高くつくね」    話を聞いてもそこまで得はなかった。  結婚がいつで、家を建てるのがいつで、だから保険がいるんだなんて話を聞いても、結婚も家も現実味がなさ過ぎてよくわからなかった。  年金がいくらだから不動産投資で老後収入源を、なんて言われても、三十歳すら想像できないから現実味がなさ過ぎた。  現実味がないと、話は入ってこない。    唯一学んだのは、無料相談は私の時間をガンガン食ってくる、金食い虫ならぬ時間食い虫というだけの話だ。

道の途中【BL】

彼は私の永い生の中に現れた唯一のひとでした。 暗い夜道に突如空に昇った星でありました。あてどなく歩く道を、もしやもう違えてしまったのではと不安に震える道中に、そこを目指せば良いのだと私を駆け出させる希望の火でありました。 実際には彼は隣にいて、いつでも私の手を引いてくれたので、旅人の星に喩えるよりは、掲げるランタンの方がいいのでしょうか。 ああ、遠すぎて温度の分からない星よりは、ランタンの方がうってつけかもしれない。彼の隣は温かかったのです。どんなに寒い冬の雪の日も、普段と変わらずに。 私は彼から多くを学びました。気遣いやら、笑わせ方やら、愛し方を。彼と同じにはできはしませんでしたが、彼のその様はたいへん、うつくしかったのです。全部、彼の言う愛によるものでありましたから、それを持たぬ私は、彼から見るこの世界はどれほど輝いているのだろうといつも不思議に思っておりました。 我々はどうやら同じものを見ることはできないのだ、と知ったのは、彼はとうに気付いていたのかもしれませんが、少なくとも私が知ってしまったのは、もう戻ることが叶わぬほど歩いた後でした。 歩き始めた地点はおろか、一度一人分が途切れた足跡の痕跡も見ることが叶わぬほど遠くまで来てからでした。 彼は変わらず私の手元にありました。この先どうしよう、と彼は決して言いませんでした。振り返る素振りすら私の見ている前ではしませんでした。 不安とともに私の手を握る掌に、ここに来てようやく、彼も私と同じくして、道を知らなかったのだと気付いたのです。 二人して道を失いましたが、私は別段悪い気はしませんでした。思えばここまで既に散々迷い、何故この彷徨い歩いた果てに、私の望む場所に、彼が連れて行ってくれるのだと疑うことなく信じていたのだろうと今更おかしくなったのです。 悪い気はしませんでしたが、悪いことをした気にはなりました。何故同じになれないのだろうと、苦しむ彼をずっと、隣で見てきたからです。彼は星でなくランタンでした。 連れ歩いたのは私です。

ため息

 夜、道端に、段ボール箱が置かれていた。捨てネコでも入っていそうな雰囲気だった。俺は興味本位でその段ボール箱を覗いた。中には、拳銃が入っていた。そしてその拳銃にメモが添えられている。『馬鹿を殺すのに使ってください。』俺は拳銃を手に取り、自分のこめかみを撃ち抜いた。その場に崩れ落ちた俺の、薄れゆく意識の外で、誰かのため息が聞こえた。

人生経験

 道を歩いていたら車にはねられた。上品な車だった。高級そうな上品な車だった。「乗っている人も上品だろう」そう思った時には地面に叩き付けられていた。横向きに倒れたので、目のすぐ下に血が溜まっていった。上品な車の運転席のドアが開いた。上品な中年女性が現れた。綺麗な人だった。俺は年上の女性がタイプなので、テンションが上がった。女性は屈みこみ、俺の顔を覗き込んで言った。「笑って」そして微笑んだ。「こういう時こそ笑うのよ」それは何か含蓄のありそうな言葉だった。女性はそれだけ言って立ち去り、車も走り去った。俺は薄れゆく意識の中で笑おうとした。この経験は、猛烈な痛みと死への恐怖の中で笑う経験は、きっと俺の人生に大きな影響を与えるだろうと思った。だが俺は死んでしまった。

シチュエーション:雪が降った朝の公園

公園のベンチに 誰がつくったのかな ちいさな雪だるま でも、ひとりぼっちなんだね ちょこんと座る雪だるまの横に おんなじくらいの大きさの雪だるまと それよりちいさな雪だるまと 犬っぽいのと、ねこらしいのを つくって次々、並べていく つめたくなった手に はああああ あたたかい息を吹きかける あんまり変化はないけれど なんでだろうね、やってしまうよね、まったくさ ベンチの上は、来たときとちがい華やいだ 雪がとけないくらいのあたたかさは 雪だるまたちには心地いいみたい

雪の日にすれ違った二人

 ちらりちらりと雪が降っている。  私はテンションがあがった勢いで、外に出た。  髪に雪が引っ付くと、オシャレな宝石みたいでお姫様になった気がした。    機嫌よく歩いていると、向かいから女の子が歩いてきた。  女の子は傘をさしている。   (なんで、雪の日に傘をさしてるんだろう。雨でもないのに)    すれ違う瞬間、不思議そうにする女の子と目が合った。        ちらりちらりと雪が降っている。  私はテンションがさがり、さっさと家に帰ろうと歩みを速めた。  傘に雪が乗っかると、少しだけ傘が重くなってげんなりした。    機嫌悪く歩いていると、向かいから女の子が歩いてきた。  女の子は傘をさしていない。   (なんで、雪の日に傘をささないんだろう。髪べちゃべちゃになるのに)    すれ違う瞬間、不思議そうにする女の子と目が合った。

大嫌いな恋敵

 優しく大きな手が私の頭を撫でる。愛おしそうに私の名前を何度も呼んで、彼はいつも私の頬にキスをする。それなのに、彼が決まってラブレターを書くのは別の女の子。  彼の好きな子は、黒い色の髪を腰まで伸ばした、眼鏡をかけた物静かな子。私とは正反対の子。彼といる私を見掛ける度に、アーモンドみたいな目を細くして「かわいいね」って思ってもないことを言ってくる。そんな良い子なところが、きらい。 「ねえ、あなた私のことが嫌いなのね」  眼鏡のレンズの向こうで、彼女が寂しそうに目を伏せた。当たり前じゃない。私たちは恋敵なんだから、仲良くなれっこないの。 「でも、私はあなたのこと好きよ。可愛くって、聡明で、きっと彼が一番好きなのはあなたよ」  そんなことあるわけないじゃない。だって彼からラブレターを貰ってるのは、紛れもないあなただけなのに。 「私、きっと遊ばれてるのよ。彼みたいな人が私を選ぶわけないもの」  その言葉に、私は無性にいらいらした。そんなことあるわけないじゃない。いつも俯いてるから知らないんでしょう、彼のあなたを見つめる横顔がどれほど優しいものか知らない癖に。今まで私が呼ばれたことの無い声色で、名前を呼んでもらってる癖に。  彼女を睨みながら、私は持っていた手紙を差し出す。  おずおずと彼女は私の嘴から手紙を受け取った。 「……ねえ、この愛してるって言葉、私信じてもいいのかしら」  当然でしょう。まあ、信じないならそれでいいわよ。その時はまた私だけの彼になるんだもの。  みっともなく、ぐすぐす鼻をすすりながら返事を書く彼女を横目に、私はやれやれと思いながら窓の外を眺めた。待っててあげるからさっさと書いてよね、私は早く彼の元に帰りたいんだから。

あの子になりたい

なんて不公平な世の中なんだろう。 全てがうまくいかない私と全てがうまくいっているあの子。 同じ人間のはずなのにどうしてこんなに違うんだろう。 あの子はみんなに愛されている。 休み時間になれば、自動的に人が寄ってくる。 まるで磁石に砂鉄がくっついてるようだ。 頑張らないと友達ができない私とは大違い。 あの子は顔もかわいい。仕草も声も全部かわいい。 それが愛される一つの要因になっているんだろうな。いいな。 どこを見てもかわいくない私とは大違い。 あの子は強い。 どんな輪にも入っていける。 「なんの話ー?」で入っていける。 嫌われるのが怖くて何にもできない私とは大違い。 あの子はいつも笑顔なのに、私はいつも真顔。 あの子になりたい。あの子になりたい。 今から薬を飲んだらあの子に生まれ変わったりしないかな。なーんて、バカみたいなこと考える。 あの子のように優しく笑顔を作って眠ってみた。 ***** なんて不公平な世の中なんだろう。 全てがうまくいかない私と全てがうまくいっているあの子。 同じ人間のはずなのにどうしてこんなに違うんだろう。 あの子は自分から友達を作ってる。 自分で仲良くなる人を選べるのは楽しそう。 その場の流れで周りに寄ってきた人と適当に友達になる私とは大違い。 あの子は普通。そこに憧れる。 バカにしてるとかじゃない。本当に憧れてる。 顔だけで寄ってこられて、すぐに捨てられることがない。 すぐに捨てられる私とは大違い。 あの子は優しい。 優しすぎて、損することもあるんだろうけど、いいなって思う。 一人になるのがとにかく嫌で他の人の気持ちも考えずに輪にむりやり入っていく私とは大違い。 あの子はいつも心からの顔なのに私はいつも作っている顔。 あの子になりたい。あの子になりたい。 今から息を止めたらあの子に生まれ変わったりしないかな。なーんて、バカみたいなこと考える。 あの子のように心からの表情を作って眠ってみた。

初恋で命拾い

 深海を探索する潜水艦が難破した。ここから助かる手立てはない。仲間の乗組員たちはパニックになって口論をしたり、暴れたり、自室に閉じこもってしまった。どうせ死ぬならどこでも同じだろう、と俺は潜水服に着替え水底へと旅立った。辺りは真っ暗で、時折黒い影が周囲を横切る。深海魚たちが漂っているんだろう。足元の砂をライトで照らしながらゆっくり進む。どうせそんな遠いところまでは行けないが、狭苦しい潜水艦にいるよりはいい。  そうして暫く歩いていた時。目の前に、人型の大きな影が現れた。大昔人魚と間違えられたジュゴンか何かか、とライトを当てると、それは眩しそうに目を細めた美しい女の顔だった。  俺は思わず飛び上がり、水中の浮力によってゆっくりと尻餅をついた。俺が驚いた姿を見て、女は楽し気に口から水泡を出しながら笑った。よくよく見れば下半身には足の代わりに鯱や海豚のような大きな鰭がついていた。ゆらゆらと水中を蠢く長い髪は、ライトの光に照らされて輝いていた。  こりゃ、幻覚か? キレーな女だな。なんてくだらないことを考えていたら、ゆらりとその女の顔が近づいてくる。潜水服の硝子を水かきのある手でペタペタと触り、俺の顔を覗き込んでくる。なんだ? と思っていれば、がしりと手を掴まれて潜水艦の方へと軽やかに泳いでいく。  大破した潜水艦を見て、女は変な顔をしていた。そうして潜水艦の穴から中へと入りこみ、少ししてから複数の酸素ボンベを抱えてやってくる。そのうちの二本を俺に抱えさせると、俺の背を押して勢いよく上に向かって泳ぎだした。まるで俺を海面に返そうとするみたいに。おいおい、この速さじゃ内圧のせいで目玉が飛び出しちまうよと思ったのも杞憂で、時折水圧に慣らすようにじっと同じところに漂ったりするので、体調を悪くすることすらなかった。時折酸素ボンベを交換するお陰で、酸欠になることもなかった。  いつまでそうしていたか、水中が段々と明るくなったころ、生きて帰れるということに安心してしまったのか、俺はいつの間にか意識を手放していた。目を覚ますと、俺はどこかの島の浜辺に寝かされていた。地上では不自由な潜水服をなんとか脱ぎ捨てて、呆然と砂浜に座り込んだ。夢か、と思って頬をつねるも、小さな痛みが残るだけだった。水平線をぼうっと見つめていると、黒いなにかがゆっくりとこちらにやってくる。直感的に、あの人魚だと思った俺は水際まで駆け寄った。  水面から顔を出したのは、やっぱりあの人魚の女だった。 「なあ、ありがとうな。お陰で命拾いしたよ」  俺がそう話すと、女は目をぱちくりさせたあと俺に数度手招きをした。なんだろう、と近づけば、がしりと足を掴まれて浅瀬ですっころんだ。海水に尻が浸されて気持ちが悪い。驚いているところに、すかさず人魚の顔が近づいてきて唇に冷たく柔らかいものが触れた。しょっぱい――人魚の唇だった。 「……どういたしまして」  その口から人間の言葉が出てくるのを聞いて、俺は目を丸くした。喋れるの、人魚って。 「なんで、言葉……ってか、キス、」  女はくすくす笑いながら、地面に手をついて立ち上がった。彼女の足鰭が、有名な人魚の童話よろしくみるみるうちに人の足に形を変えていく。 「ふふふ、私あなたに恋をしちゃった。これからどうぞよろしくね」 「……あ、ああ」  状況を理解しきれない頭のまま、頷いた。深海からの一連が謎のまま片付けるには衝撃的すぎるが、それでも考えてたってしょうがないだろう。とにかくまずは辺りを歩いて状況整理をしよう、と俺は女とともに歩き始めた。その数分後、ここが俺の実家に近いワイキキビーチだと気づくと、この状況のあまりの必然的な運の良さに俺の頭は混乱の極みに達した。

お天気痛

たまにお守りが欲しいなって思う 何もかも上手く行っているときに。 こちらから望んだ幸せではないのだけれど 何だか皆が優しくて皆が声をかけてくれて そんな時に不安になる 僕は何も出来ないから 僕は何も持ってないから たまにお守りが欲しいなって思う 曇り時々雨の一日 夕方には空の向こうに青空が見えていた 夕飯を食べていると左目の奥が痛くなった。いつもの頭痛で痛むとこ。 妻が薬を飲むか聞いてくる 僕は何も言わず左目を押さえて何も言わない。考えている。寝る前に飲むか今飲むか。 「もう飲んじゃおうかな」と答えると 妻がお酒を出してくれた 夕飯が出来たので2階から1階に降りる前 2人きりで部屋で 一度だけ 少しの間 ぎゅっと そんな時間があった 1階に降りる階段で妻の後ろを見ながら お守りが欲しいなと呟くと後ろを振り向いた妻が 「たまに言うね。それ」と笑った

塔に住むこども

 家の裏にある大きな塔には、人が住んでるらしい。僕がその塔の話をすると、大人たちは決まって顔を白くして「その話はやめなさい」と言った。だから、僕は大人の前でその話をすることはなくなった。  その塔の前に通りがかったとき、扉の前に小さなポストがあることに気づいた。手紙を書いたら返事が来るかな、なんて思って、その日家に帰るなり母に便箋のセットをねだった。最初に送った手紙の内容は、たしか本当にどうでもいいことで「さいきんあったかくなってきましたね。いえのまえにあるきいちごがおいしいです」とか、本当にそれくらいの内容を書いていた。律儀に封筒に住所を書いて、自分の手ずから塔の下のポストに投函した。それから数日たって、僕の家に返書が届いた。「まどからはながうつくしくさいているのがみえます。あなたのいちにちがすてきなものになりますように」って。相手の文字は拙いところもあって、僕はそれが直感的に同い年くらいの子のものだって感じた。それから僕は急いで家の前の花壇から花を摘んで、手紙に返事を書いて花を同封した。  それから僕と塔の子どもとの文通が始まった。その日の天気とか、お父さんの狩りについて行った話とか、友達に意地悪をしたらお母さんに叱られた話とか。塔の子は体が弱くて外に出られないみたいで、ずっと僕のことを羨ましがってた。僕は体がよくなったら一緒に遊ぼうって約束をとりつけて、来る日も来る日もその子に手紙を送った。  ある冬の日だった。いつもみたいに塔に手紙を届けに行った日、投函しようとするところでぼす、と雪に重いものが落ちる音がした。手紙を投函してから回りを見渡すと、何かきらきらしたものが雪の間に埋まっていた。赤い宝石みたいなものだった。周りにある高いものは塔だけで、中にいる人が落としたのかな、って顔を上げると、ちいさな子どもの手が窓から覗いてぶんぶん揺れていた。 「ねえ! これ、君の?」  僕が叫ぶと、その腕はぴたりと動きをとめて引っ込んでしまった。そして少ししてから、またなにかが落ちてくる。雪の上に落ちたそれは、重石がわりの白くて丸い硝子玉と、手紙だった。 「たのしいぶんつうのおれい。あなたのいちにちがすてきなものになりますように」  ラッキー、くらいにしか思わなかった僕は「ありがとねえ」って叫んで、走って家に帰った。ベッドの下の木製の宝箱に赤い宝石と硝子玉を隠して、それをずっと眺めていた。  その子との文通が終わったのは、いつだったろう。塔からの返信が途絶えてから数日後、国の女王様がギロチンにかけられるっていう話を聞いて、僕と家族は首都に来ていた。両親はしきりに「これでやっと平和になる」って呟いていて、少し怖かった。広場の熱狂はすごいもので、人々の歓びや怒りの声で埋め尽くされていた。刑場で、ふと一人の女の子が目についた。その女の子は薄暗い瞳をして、ぼうっと僕らのことを眺めて微笑んでいた。  処刑人がひとりひとりの最後の言葉を聞いて、僕たちに向かって叫ぶ。その女の子の番が来て、僕は耳を疑った。 「あなた方の一日が、素敵なものになりますように」  僕は眩暈がして、その瞬間を直視することができなかった。ただ、大きな刃が空を切る音が、耳の中に強く残った。  あれから、便箋と宝石が入った宝箱を、僕は開けられずにいる。

ビジョン (掌編詩小説)

溢れ出すビジョン 砂嵐でかき消して 雑音のビジョン 耳栓でかき消して 香害のビジョン 息を止めて 毒薬のビジョン 口先でさえ近づけないで 〇〇のビジョン 衝動を抑えつけて (完)

先生との約束

 先生の家には、それはそれは立派な書庫があった。それらは伝記や参考書、文学書であったりさまざまなもので、部屋の天井まである高さの棚を埋め尽くしていた。先生はよく庭先の縁側で本を読んでいた。晴れの日も、雨の日も、雪の日にはわざわざ火鉢を持ってそこで読書をするのだ。何度も紙の字に目を滑らせ、周りの世界なんてひとつも視界に入れない、命を削るように本を読む先生が好きだった。書庫の扉には「ハイルベカラズ」と片仮名で書かれた紙が貼られていて、先生の家のお手伝いさんさえもそこには立ち入らせないのだと話していた。 「アナタなら入っていいですよ」 「ええ、なぜ、どうして急に?」 「アナタなら私の宝物を大切にしてくれると思ったからです」  私のなにが先生の心へ立ち入るのを許したのか分からないけれど、その日先生は書庫の合鍵を私にくれた。柔和な物腰のくせにどこか人を寄せ付けない先生が、と私はひとり得意になって、大して本を読めもしないのによくその書庫に入るようになった。自分の家から辞書を持ってきて、比較的読みやすそうな文字の大きい本を先生の横で読んでいた。それから先生の家でいくつ季節を越しただろう。ある日、突然先生が咳き込んで、私は何が何だか分からないまま先生の背中をしきりに摩った。少しして咳が収まると、先生は喉の奥をひゅうひゅう鳴らしながら「ありがとう」と私に礼を言った。先生が開いていた本のページには場違いなくらい鮮やかな赤色が滴っていて、私はどうにもそれが恐ろしく思えた。  ほどなくして先生は床に伏して、寝たきりになることが増えた。私は毎日先生の元に行って、先生が読んでいた本の続きを読み聞かせた。難しい漢字に、意味も知らない単語をたどたどしく読み上げると、先生の瞳にぼうっと安らかな光が宿るのだ。 「私が死んだら、この家は私の親戚に売られるでしょう」  そんなことは考えたくなかったけれど、私はぽつりと話し始めた先生の言葉を遮れずにいた。 「アナタにお願いがあります。私の死後、あの書庫を差し上げますから、どうか誰も立ち入らせないでください。あれの価値を知らない人に、中を易々と触られることが耐えられないのです」  あの書庫は、先生のすべてなんだとそのときに思った。きっと先生は自分の財産を、無知だと断じた他人に明け渡したくないのだ。それから数日経たないうちに先生はこの世を去った。懐いていただけの近所の子どもである私は、先生の葬式に参列することは許されなかった。私は先生の死に顔を拝むこともできない。自分のどうしようもない無力さを感じた私はその晩先生の家に忍び込み、書庫に火のつけたマッチを投げ込んだ。私に守る力はないが、それでも先生との約束を違えるのは許しがたかったからだ。  煌々と燃え上がる炎を見つめながら、私は書庫の合鍵を握りしめていた。

貴方が死んだら

「貴方に選択肢を与えましょう」   「もしも貴方が死んだら、貴方は自我を失くして生まれ変わりたいですか?」   「それとも自我を持ったまま、永遠にあの世で生きたいですか?」   「自我を失くして生まれ変わった場合、貴方は貴方でなくなります。嬉しいも悲しいも亡くなって、死にたくないという恐怖さえなくなって、貴方という存在は完全な無となります」   「自我を持ったままあの世で生きた場合、貴方は永遠に貴方のままです。ただし、貴方の会いたい人が生まれ変わった場合、貴方は会いたい人に会うことができません。会いたい人は、あの世に来ないからです」   「どうしますか?」    何度目かの問いかけ。  目の前の人間は、「生まれ変わります」とはっきり答えた。    私は、その人間の意見を尊重し、自我を消し去って生まれ変わらせた。  これをやるのも、何度目か。    幸せになってね、私の子供。  何度、別の人間の子供になろうとも、貴方は私の大切な子供。  私のことを覚えていなくとも、貴方は私の大切な子供。    例え二度と貴方の自我と会えなくとも、私は永遠にあの世で貴方を待って、貴方の新しい人生の話を聞き続けます。    それが、私の選んだ最期だから。    誰も居なくなった場所で、私は一人眠りについた。

料理長は国家転覆を企てる

 私の料理をいつもほめてくださっていた国王様。下町の視察に来た国王様に、知らずのうちに料理を振舞ったところ腕を認められ城の料理長として雇われた。あれから私は世界中の料理や食材を勉強し、いついかなる時も国王様の舌を悦ばせるためだけに腕を振るってきた。私は貴方様のためだけに――。  国賓を招いた晩餐会で、国王は真っ黒な血を吐き出して絶命した。床には夥しい量の黒々とした液体が散っていて、人々の絶叫が轟いていた。付き合いの長い国王の主治医は内臓を侵す毒が盛られたのでしょうと話をしていた。 「恐らく王弟殿下の仕業でしょう。国王様のご子息が若いのを逆手にとって、代理人として実権を握ろうと……」  そんなことはどうだってよかった。私には、私を認めてくださった国王様が亡くなったという事実しか残らなかった。 「王弟殿下はあなたを毒殺の犯人に仕立て上げようとしています。あなたはここでむざむざ死ぬべきではない。お逃げください」  城の騎士団長がそう言って、まだぼんやりしたままの私を貿易船に押し込んだ。積み荷と一緒になって運ばれるのは、存外悪くない心地だった。私は船の中で国王様と出会ってからの日々を浚っていた。あの方は度胸はないが、寛容でお優しい人だった。城下を直接見て回り、人々の飢えを満たすために私と城下に配給に行ったこともあったか。騎士団長の子どももそこで救われて、彼と縁ができた。あの方の優しさが、国のすべてを繋いでいた。  船のデッキから、今はもう随分遠くなった母国を眺める。今頃私の家に王弟の兵士たちが立ち入っているのだろう。あの男は私から国王様を、家を、地位を、資産を奪った。ふつふつと、憎悪を孕んだ怒りが腹から湧いて出てきた。 ――このツケは、王弟の命で払わせる。幸い、奴は私を私たらしめる、唯一無二の価値を奪い損ねた。 「そういえばお兄さん、アンタこんな辺鄙な国に何をしに行くんだ?」  荷運びをしていた男が私にそう聞いた。 「そうだな、手始めに――」  私のこの知識と腕さえあれば、何度だって上り詰められる。まずは地方の料理屋で下働きをし、自分の店を持って国に取り入ろう。私の技術はきっと国に登用されるに足る。どうせ国王の代理になった王弟は、各国に厚かましい面をぶら下げて挨拶にまわるのだろう。そうして国に招かれたあの王弟に料理を振舞う機会さえ訪れれば……。 「国の胃袋を掴みに行くんだよ」  たった一言答えた私に、乗組員の男は首を傾げるのみだった。

薄明

忙しい。常に何かに追われている。 仕事に、実家の雪かき、年老いた母の世話。 妻は子供を連れて出ていった。 何年前のことになるだろう、もう覚えていない。 何でこんな生活に。何でこんな環境に。 いつからか歯車が、大事な部品が欠けたようだ。 あぁ、考え事にふけっている場合じゃない。 さあ、仕事だ仕事。私は社会の歯車だ。

群色の珊瑚礁 (掌編詩小説)

群色に還って、淡い珊瑚礁 集まってこの地に還りなさい 亡骸をこの地に還元して 魂を次の写せ身に還元して 魂が離れてもなお 無駄にはならなかった 小魚の住処となって 地盤を固める碇となって ただ揺らいでいる (完)

何かが

実線から破線になるように。 斜めの直線が、階段状の線になるように。 滑らかな時の移ろいは、いつしか0と1の刻みへと変貌した。 世の中はそれで全てが回っている。 何も不便さを感じることもなく、私達はいま現在を生きている。 そのはずだ。 ただ、そこには何かが抜け落ちている。それは決定的なまでに。 美しさと恐ろしさが同時に存在する世界。 何かが失われたこの世界で、私達は生きていく。

並木道

 背の高い木がどこまでも並んでいる。私は初めて並木道というものを見た気がした。膝の下辺りまである石垣には苔がびっちりと塗られ、でこぼことして足首を痛めそうな石畳にも伸びていた。  道の端と真ん中に残った雪を踏む。ぎゅっぎゅっ、ぱきっと鳴る足音を聞きながら、自分の足が地についている実感を得ることができた。  夕暮れには早いはずなのに、木々に日を遮られ、あたりは夜明けのよう。前の道では聞こえていた小鳥のような鳴き声も風の音も、この道ではまだ眠っている。  一人、道を戻ろうとした。それまで一緒に歩いていた人がいるはずなのに、初めからそんな人物はいなかったように消えてしまった。帰り道も分からない。同じような道が、幾つも分かれてはその先に道が続いている。そしてまた十字路が現れる。  初めて孤独と静寂に恐怖を感じた。ずっと後ろから、いるはずのない人の影が歩いている。私を追いかけるわけでもなく、ただただそこに立っている。その影は振り返ると消えてしまう。  鳥が木から飛びたつ音にさえ過剰に驚き、腰がひける。  遠くで電車が線路を走る音が聞こえる。いや、あれは風の音だったのかもしれない。その音の方へと歩いていけば、この並木道から抜けることはできるのだろうか。  抜けられなくても良いと、囁く声は聞こえないふりをして。

怖い話し

俺はホームレスだった。テントを持っていたので今晩テントを張る場所を探して歩いていた。初めての町、右も左もわからない。人気のない山の方へ、勘を頼りに進んだ。辺りはもう暗かった。けっこう田舎の方で、少し広い道路を外れればすぐに街灯なんて無くなる。ある住宅街の中を、川に沿ってずんずん進むと、気づいたら高速道路の側道をあるいていた。真っ暗な高架下をくぐり、暗い所を歩き慣れてる俺でさえ、チラチラ後ろを気にしながら歩く程、気持ちの悪い雰囲気が漂っていた。冬だったので虫も鳴かず、静寂の中、高速道路を走る車の音だけが鳴り響いては止み、鳴り響いては止みを繰り返す。「なんか変なとこ来ちゃったな、、、」なんて呟きながらもとりあえず進んだ。すると先の遠くの方でなにか白い光が見えて一瞬立ち止まった。光は動かない。きっと高速道路の街灯かなんかが何かに反射してるんだろうと判断してまた歩を進めた。その通りだった。俺は墓場に出たんだ。白い光は墓石に街灯が反射したものだった。「この墓場、なんだか気持ち悪いな、、」なんて思って通り過ぎようとした時だ。ある墓の前で俺は背中にゾワゾワっと冷や汗をかいた。その墓は誰かがよくお参りに来るのだろう、花も供え物も新しかった。なぜ冷や汗をかいたのかというと、見えはしないのだが、その墓の前に誰かが立っているような気配を感じたからだ。もちろん誰も立ってはいないのだが、俺の頭にはそこに人の形が浮かんでいた。俺に霊感なんてものはないと思う。でもね、いくら想像だとしても、顔まで浮かんでくることってあるだろうか。ハッキリはしないのだが、爺さんの顔だった。俺は持っているライトで墓石を照らした。別に読んではいないが、深く刻まれた誰かの名前がそこにあった。「まあ、俺もいつか死ぬからな、別に怖がることじゃないわ。幽霊がいるとしたら、俺だっていつかは幽霊になるんだから」、なんてことをあえて気丈に声に出して言った。これは俺が怖い時によくやる癖である。その時だった。大した迫力もなくて悪いが、その時の俺にとってはめちゃくちゃ怖いことが起きたんだ。俺は確かに見た。墓に供えてある立派な花な、ぴら、、、って、花びら一枚落ちたんだよ。俺が固まって、頭を整理しようと躍起になっているとまた一枚、ぴら、、、って、落ちたんだ。あ、これおるわ、、って確信した瞬間だった。こういう時、俺は叫んだり、走ったりするのは苦手だ。早歩きもダメ。本当はめちゃくちゃ怖いんだけど、さも平気なフリしてゆっくり歩き去る癖がある。その時もそうした。クルッと墓石に背を向けて、ゆっくり墓場を抜けた。頭の中にはさっきの爺さんの顔形がまだ浮かんでいる。そして、なんとなくだけど、背中についてきている気がした。早く灯りがあるところにでたいな、、なんて思っていると少しずつ足早になっていった。ようやく見つけた街灯の灯りのしたに、避難するかのように入りこんだ。その時にはもう、何かがついてきている感じも無かったのだが、その場所からさっきの墓場がまだ遠目に見えて、少し余裕もできたのでちらっとその墓場に目をやった。遠いし暗いしもちろん確実とは言えないが、俺は見た、さっき俺が立ってた墓石の前に、けっこう小柄な何かが立っているのを。しかもな、それ動いたんだよ。多分最初はこっちに背を向けてて、それからちらっとこっちを振り返るような動作に見えた。それを見た瞬間、俺はまた歩き出した。結局その日はテント泊はせず、街中まで出てネカフェに泊まったんだよね。小説とは言えないかもだが、これ実話です。

エネルギー

 赤ん坊を胸に抱いた女性が、電車に乗ってきた。女性はスマホをいじっていた。女性は俺の隣に座った。女性はずっとスマホをいじっていた。やがて電車が走り出した。しばらくすると、赤ん坊がぐずり出した。女性はずっとスマホをいじっていた。そしてとうとう赤ん坊が泣き出した。女性はずっとスマホをいじっていた。赤ん坊は泣き続けていた。ふいに女性がつぶやいた。「あっ」ちらりと見ると、女性のスマホの画面に、充電切れを知らせる表示が出ていた。赤ん坊は泣き続けていた。女性はカバンの中から充電用のコードを取り出した。そして片一方の端子をスマホに、もう一方の端子を、赤ん坊の頭頂部に挿した。スマホに『充電中』という表示が出た。スマホの充電が進んでいくにつれ、赤ん坊はどんどん大人しくなっていった。女性は再びスマホをいじり始めた。もう赤ん坊は泣き止んでいた。やがて、女性はコードを抜いた。どうやら充電が終わったらしかった。赤ん坊は白目を剥いていた。女性はずっとスマホをいじっていた。ずっと。

ひとまずのミルクティ

昨日とはちがう寒さに 起き上がる力に躊躇いが強い 窓の外の白さに頭は目をつぶり それでいて心がざわつく カーテンをそっと 指先でなでるように すこしだけすべらせる 庭の枯れた草木の上 覆い隠すように広がる白しろシロ よろこんでいいのやら 心配したほうがいいのやら もう子どもではないのだなあ わたしがちいさかったころ 親がそうだったように 雪が降ったことを 素直によろこべない 素直によろこべないのは 感情の数がそれだけ増えたからか それとも ひとまず あたたかいミルクティをいれる あとのことは そのときの自分が決めること 狼狽えることがないのを けれど素直によろこべない

多重人格

ジキルは医者に言った。 『この私から多重人格を消し去ってくれ。主人格のみにしてほしいのだ。ハイドに変われば取り返しがつかないことになる。急いでくれ。』 医者は了解した。 施術終了後。ジキルは医者の首を絞め、死体を踏みつけ病院から走り去った。

コーン

 自販機があった。ジュースが売られていた。何か買おうと思った。財布を取り出した。しかし、金がなかった。どうにかならないか。自販機をよく見ると、小さな穴があった。そしてその横にペンチが吊るされていた。『この自販機の商品は歯でも買えます。』そう書かれていた。俺はさっそくペンチで歯を引っこ抜き、穴に入れ、コーンスープのボタンを押した。がこん、と音がして、コーンスープが出てきた。俺はさっそくそれを飲み始めた。歯が一本なくなったので、噛めないコーンがあった。

死刑囚A

 その死刑囚Aは、複数人を殺めた。  犯行理由はとても身勝手な理由だった。  「誰でもよかった。社会への復讐だ」    その犯行理由を証明するかのように、逮捕直後から弁護士や接見人に、生い立ちや自分のことについて、時間の限り話し続けた。  これに加えて、様々な分野の研究者によって、心理テストや精神鑑定が行われ、無責任なワイドショーでは、教育の在り方や社会構造にまで話が及んだ。  そんな世の中の様子を伝え聞いた本人は、自身こそが社会からの被害者と感じ、得意げですらあったという。自分が社会をにぎわせているので、世間が構ってくれていると勘違いしたのだ。  そして、自身の人生で最高潮に注目を浴びている中での、刑の確定。ようやく社会から認知された絶頂期に、すべての終了を宣告されたのだ。  それからというものの、再審請求を皮切りに、受刑者の待遇改善を求める訴訟の数々に、獄中結婚。本の出版や被害者への反省の弁。ありとあらゆる手段で命の灯を守ろうとした。  事件から、数年。新聞に小さく「執行」という文字が載った。  世間の人々は、事件で失われた命に対して冥福は祈れども、市井の人々はこの死刑囚への憐憫は一片たりとも持ち合わせなかった。  それもそのはず、実のところ、社会が研究しつくしたほどの大それた理由などは存在しなかったのだ。  つまるところ、大人が最悪の形で駄々をこねただけである。最初から最後まで、この死刑囚Aは、誰にも理解されず孤独だったのだ。  それに本人は気がついていただろうか。いや、気付いてはいないだろう。最期の言葉は「こんな自分と結婚してくれたあの人によろしく伝えてください」だった。  はた迷惑な話である。 ※実在の事件を元にしてはいません。あしからず。

どこにも書けないこと 【sideB】

※「どこにも書けないこと【sideA】」の別視点のお話です。 ──────  僕には、誰にも話せない秘密がある。  彼女──今、僕の隣で眠っている、この美しい女性。本当の彼女を知っているのは、この世界で僕だけだ。  出会いは十年以上前。取材で地方都市に三ヶ月滞在していた時のことだった。  単なる火遊びのつもりで、いつもの秘密クラブでメールをする。ホテルの部屋に来たのは、二十歳の彼女だった。  名前は偽名だと分かっていた。でも、その瞳に宿る影が、僕を捉えて離さなかった。  他の女たちとは違った。  表面的には笑顔を作り、プロとして振る舞っていたけれど、その奥に深い闇がある。逃げてきた者特有の、研ぎ澄まされた警戒心。そして、諦めと希望が入り混じった、危うい光。 ──僕は、その影に魅了された。  二ヶ月の間に、彼女を五回指名した。会話はほとんどしなかった。彼女もそれを望んでいるように見えた。ただ淡々と、仕事をこなす。  でも最後の夜、ふと漏らした一言が忘れられない。 「私、新しく生まれ変わるんです」  その言葉が、僕の中で何かを目覚めさせた。  彼女がクラブを辞めた後、僕は密かに彼女を追った。  職業上、難しくはなかった。新しい住所、働き始めた会社。整形手術を受けたことも知っている。鼻筋が少し高くなり、目元が変わった。でも、あの瞳に差す影は消えていなかった。  五年後、僕は「偶然」を装って彼女に近づいた。カフェで、友人の紹介という体で。  彼女は僕を覚えていなかった。当然だ。あの頃の僕とは、髪型も雰囲気も違う。そして彼女は、何十人、何百人もの男を相手にしてきたのだから。     ****  交際が始まって六年が経つ。  彼女は完璧に「普通の女性」を演じている。清楚で、優しくて、少し内気で。過去など存在しないかのように。  でも僕は知っている。僕の前で桜色に染まるその白い肌に、何人もの男の痕跡が刻まれていることを。その笑顔の裏に、決して消えない罪悪感があることを。  この優越感は、何にも代え難い。  同僚たちが彼女を「いい子だね」と褒める。彼女の友人たちが僕に「大切にしてあげてね」と言う。僕は微笑んで頷く。心の中で、秘密を抱きしめながら。 ──本当の彼女を知っているのは、僕だけ。  時々、彼女が告白しそうになる瞬間がある。言葉を選んでいる様子が手に取るように分かる。  「実は」と言いかけて、やめる。その度に、僕の中で何かが疼く。  教えてほしい。君の口から、あの過去を。  でも、僕は急かさない。花を手折ることはしない。ゆっくりと、彼女が自分から開くのを待つ。  それまでは、この甘美な秘密を独占する。  いつか彼女が告白したら、僕はどう反応するだろう。  驚いた顔をして「そんな過去があったんだ」と言うべきか。それとも「知っていた」と打ち明けるべきか。  どちらにしても、彼女の顔が歪むのを想像するだけで、胸が高鳴る。  それが残酷だと分かっている。でも、この毒から逃れられない。  彼女の寝顔を見る。穏やかで、無防備で。  きっと悪夢を見ているのだろう、時々小さく呻く。その度に、僕は彼女の髪を撫でる。 「大丈夫だよ」と囁く。 ──君の秘密は、僕が守るから。誰にも言わないから。だから、安心して。その日が来るまで。  窓の外で雨が降り始めた。彼女が小さく身じろぎする。僕は彼女を抱き寄せた。  この腕の中にいる女性を、本当に愛しているのだろうか。それとも、彼女の中の闇を愛しているだけなのか。  分からない。でも、どちらでもいい。  彼女は僕のものだ。過去も、現在も、未来も。彼女がどんな顔をして生きていても、その全てを知っているのは僕だけ。  この優越感こそが、僕の生きる理由。  この残酷で甘美な秘密こそが、僕を満たしてくれる。     ****  僕は今、彼女がモデルの小説を書いている。  彼女を抱いた時の描写、彼女の反応もすべて微に入り細を穿つ、ドキュメンタリーに近いフィクション。彼女が読めば自分のことだとすぐ気づくだろう。  だが、発表する気はない。いつか、僕が死んだ後に彼女が読めば、僕がすべてを知っていたとわかるはずだ。  これは彼女が自ら打ち明けなかった時の、あくまでも保険だ。  読んだ時の、彼女の反応が見られないのは些か残念だが。  どこにも書けないこと。でも、確かに存在すること。それを独占している快感に、今日も僕は溺れていく。

仲直り

男は怒った 女が怒っていたから 男は泣いた 女が泣いていたから 男は寝た 女が寝ていたから 男は起きた 女が起きていたから 男は愛した 女が愛したから 男は笑った 女が笑っていたから 女は死んだ 男が死んだから 男は殺された 女が殺したから

雪は土の上で青空を見ていました 雲一つない空は広く果てしないです 広い空に光の塊の太陽がポツリと浮いています 温かく明るい太陽はいつだって昼間にいます 雪はいつの間にか眠ってしまいました

ポジティブエキス

「人間の感情は、ポジティブとネガティブが混じって負います。このエキスは、そのうちのポジティブだけを抽出したものです、これを飲めば、体内のポジティブ感情の割合が増えて、楽しい気分になれます」    仕事ので嫌なことが続いて心がやさぐれていたので、うっかり買ってしまった。  メロンジュースを水で希釈したような薄い緑の液体を、鼻をつまみながら飲み干す。  味は、薄い砂糖水。   「あれ?」    するとどうしたことだろう。  さっきまでの嫌な気分が吹き飛んだ。  今すぐ鼻歌を歌いそうな気分になり、思わずその場で跳びはねた。   「ご満足いただけたようですね」 「それはもう!」    ぼくは定価にチップを添えて、売人に渡した。  売人は、遠慮なく、それを受け取った。  気分が良くなって、多めに払う客が多いのだろう。    とってもハッピーな頭で、ぼくはもっとポジティブを飲みたいと思い、ふと気づいた。   「ポジティブだけ抽出したんですよね? 残りのネガティブはどうなったんですか?」    売人はニタッと不気味な笑顔を向けてきた。   「ネガティブになりたい方と、誰かをネガティブにしたい方に、需要がございます」 「なるほど!」    需要があるならちょうどいい。  ぼくはポジティブエキスを、追加で十本購入した。  嫌なことがあったら、これを飲もう。    はぴはぴはっぴー!

真夜中の入浴

白銀の闇に押し潰されYouTubeやTikTok動画 LINEの中に答えや救済を求め動画巡りの旅を してたら何時の間にか寝てたらしく懐かしい 無言の声が聞こえ現実逃避は辞めて妄想現実を 推奨私は否だから其れも現実逃避じゃ無いのと 言いその声は全然違う妄想現実にはもしも真逆 偶然は必然を連れ遣って来る妄想真実とは既に 隠された言霊の中には段々現実化しようとする 流れや動きが有る事お前は当に気付てた筈だと 言い私はそんな事もう既に気付いてるけど中々 現実化に為らず其れ以上の突然のライフライン 停止と言う理不尽が過ぎる嫌がらせに憤慨して 光は手に入れたけど料理と温泉は何故か提供に 時間が必要らしく動画逃避は魂の精神上に何が 問題なのと反発その声は其処じゃ無いお前には 愛に満ちた曝しと言う使命や告白者の心を癒し 再生の道へ導く光の作業が有り裏が表の場合は何が真実と言い私は否どうでも良いけど其処を 寝てる者を態々早朝4時に起こして迄言う事と 言いその声は当然其れが俺達精霊の仕事だから 私は眠い目を擦りながら頷き其処に利益は多少 有るよねじゃ無いと誰も貧乏な精霊達に癒しを 求め乞う者達は現れ無い綺麗事ばかりの世の中 じゃ嘘や隠蔽だけが悪目立ち本来の力や才能を 披露出来ず大金持ちや大財閥系な人間達ばかり 褒め称えられゴーストだけの音楽じゃ心底絶望 した者の心と魂の渇きは誰が癒し潤すのと反発 その声は大丈夫徐々に明らかな真実の扉が開く から心配無いと昔何処かで聞いた様なフレーズ 言い私は為らば何故公明党は創価学会じゃ無く キリスト教団だと告白しないの何故創価学会の 泥を諸に受けても黙って耐えるの可笑しいよね キリスト教の神は人を御造りに為った第一人者 だから人間達は神を敬い称えるのが当然でしょ なのに宗教と言う言葉の意味冴え知らず人間が 造ったオウム心理教や統一性教会と言う極悪な 神々を冒涜する様に嘘と偽りの教えを如何にも 真の教えと説き伏せ大量な金を寄付やお布施と 偽るから宗教と言う尊い文化のイメージが体裁 ばかりを気にする人間達に宗教=洗脳=犯罪と 誤認識されて仕舞い神々の文化が疎かに為った 要因だと反発その声はほらねだから妄想真実は 実に面白いと言い余裕の笑みを浮かべ声と共に 何処かへ消え私は否其れ某俳優のドラマの決め 台詞だし彼奴テレビ良く観てるなと感心して否 結局殆ど私だけに言わせ自分は直ぐいなく為る 否其れってズルく無い相も変わらず理不尽だし 真実が裏じゃ表は嘘否裏の裏も真実か何故表は 嘘だけなのだろうか否全部真実すれば良いよね

距離

心無い言葉を言われ続けて すっかり人を信頼しなくなった いつも、人と少し距離を置いている そうしておけば、その人に心を傷つけられても 『予想通りだった』って、割り切れるから ああ、寂しいって気持ちも、感じなくなってしまった……

N市の死因記録

1月1日 男性 餅を喉に詰まらせ窒息死 1月1日 男性 ヒートショックにより死 1月2日 女性 階段でつまづき 転落死 1月3日 男性 喧嘩で椅子で殴られ、脳挫傷を起こし、死。 1月4日 女性2名 男性2名 N廃病院に侵入。院内を探索後、遭遇。壁に頭を打ち付け、お互いの眼球を奪い合う形でえぐりだし。絶命。 1月5日 男性 痴情のもつれから知人の男性と口論になり。道路に突き飛ばされる。轢死。 1月7日 女性 ハイキング中に毒性を持つキノコを誤食。8時間後に病院にて死 1月9日 男性8名 女性3名 N駅西口にて、遭遇。互いの目を奪い合い。指を噛み千切る。失血死。 男性一名が生き残ったが、六時間後、病院から脱走し、N廃病院の手前で野犬が骨を咥えているのを発見。 1月10日 男性 登下校時に車に轢かれ、轢死。 1月11日 男性13名 女性22名 N高等学校の廊下にて、男子生徒7名が遭遇。数分後に教室にて突然男子生徒が窓を割り、破片で他生徒4名を攻撃。 同じ事を遭遇した生徒6名が数分後に他の教室で行ったため。甚大な被害が起きた。 1月15日 男性 夜道を歩いていたところ、遭遇。奇声を上げて走り去る。職員の捜索むなしく、発見されず。 (追記 2月4日。N廃病院のエアコンの中から折り畳まれて発見。) 1月18日 男性 N廃病院に潜入。 当記録を発見。それを書き写し、2日後にネットに小説という形で投稿。 その2時間後に火事がおき。焼死。 1月21日 女性 道路を通行中 突如野犬に襲われ、死亡 野犬は駆除済み (追記 女性はネット上で18日の男性の小説を閲覧していたことが発覚) 1月23日 男性 ネットで小説という形で投稿された当記録帳を閲覧。 2時間後に溺死。 1月24日 女性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。2時間後に失血死。 1月28日 男性3名 N廃病院にて当記録を閲覧。遭遇。 壮絶死。 1月29日 男性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。焼死。 1月30日 男性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。餓死。 1月31日 女性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。溺死。

任務

 夏、青年は、なけなしの貯金をはたいて、政府機関から一匹のカをレンタルした。少年時代の、カに刺されて痒かった夏を思い出し、もう一度それを味わいたいと思ったのだ。青年はカに自らの血を吸わせた。吸われた痕が赤くなり、痒くなった。青年はそこをぼりぼり搔きながら、「ああ、これがやっぱり、本来の夏だ」と感じた。いつから、今のような時代になってしまったのだろう。青年は本当はカを叩き潰したかったが、そんなことをしたら刑務所に入れられてしまう。青年はカを、丁寧にガラス瓶に入れ、政府機関の研究所に返却しに行った。それから数年が過ぎた頃、青年は、反政府組織の一員となっていた。青年はアジトで、秘密裡に、蚊取り線香を大量生産する任務に就いていた。

空白体

あぁ、空虚で孤独です。 自分の存在も、空想上の実在しない登場人物のよう。 私は今本当に生きているのだろうか、夢幻ではないのか。 離人感が強いのか、体がもやもやしています。 ちゃんと形を保てているのかな。

理解

昔から私は、出逢いを仮定していた。偶然はない。前提を置き、そこから世界を組み上げる。それが正しい生き方だ。私はそうやって人生を築いてきた。 Aとは半年前に出会った。目はほとんど合わなかったが、言葉を一つ交わした。それで十分だった。 私は帰納的にAを理解した。理解できたし理解した。 頭の中でAを解剖し、感情の配置を確かめ、沈黙の意味を決めた。余白は私が埋めた。 Aには理屈が無かった。感情だけがある。だから私は、その感情を飲み込み、愛した。 理屈のないものは、理屈を持つ私が支配する。 ある日、Aが性格を孕んだ。 私の想定に含まれていない輪郭が、勝手に現れた。 その瞬間、私の帰納法は崩れる。 理解できないものは存在してはいけない。 怒りが湧いたのは自然なことだ。 憎しみも、性欲も同じだ。 理屈を乱したAの修正に感情が燃料になるのは当然だった。 劣情が火にかけられたのではない、火を入れたのは私だ。正しさのために。 私の人生は、正しさに寄りかかって成立している。正しさが揺らげば、何かが犠牲になる。 私はAに押し入った。 Aが私の理解から外れた時点で、AはAである意味を失っていた。 儚く、醜い愛撫。 表情はない。目的はそこでない。 私はAを支配するだけだ。 私は泣いていた。 感情は喉元を当に過ぎていた。 理屈が一時的に機能不全を起こしただけだ。 冷めた感情を、私は理屈で定義付ける。名前を与え、位置を決め、出来事にする。 正しさは消えたが、理屈は残った。十分だった。 気付けば、人生は粉々だった。 理屈は私になっていた。

境界破損

あの子は天才だ。才能の塊だ。 昔から何をやっても賞状やトロフィーを当たり前に享受する側で、私とは全く違う世界の住人。 ただ、今となっては彼女の無垢だった面影を知るものは家族だけになった。 まわりの嫉妬で固められた彼女の心は、才能はそのままに過去の傷で湿り乾かない。 そんな彼女を視て、醜い私はやっと同じ人間だと感じられた。

水瓶

水瓶 森の奥に水瓶が一つある。 手をかけ、僕は血の付いたナイフを洗っていた。水はすぐに赤黒く濁り、底が見えなくなる。指先が冷える。 不注意でナイフを落とした。 背後で、風を割る音がした。 巨大な金属が落下し、地面に突き刺さる。細長い先端だけが見え、全体は赤く、森から浮いていた。振り返り、しばらく見上げる。 今度は意図的に、水瓶へ小石を投げ入れる。 軽い音。直後、横に岩が落ちた。 僕は考える。 水瓶は拡大鏡だ。空間は水瓶の底と森の高所で繋がっていて、そして同質の物が拡大される。 最大の証拠を、消す必要があった。 僕は木を切り、即席の投石器を作った。狙いは正確だった。 証拠は空中で弧を描き、頂点で 気付くと水面を見ていた。見慣れた身体が浮かぶ。 寄ると呼吸はなく、顔はひどく落ち着いている。 私は思い出す。 私に殺意はない、しかし私は殺された。理由は分からない。劣等感、憎悪、同一であることの不快さ。どれもあり得る。 だがあれは私と同質で、私ではない様に作られていた。 それを私は掬う。 水瓶は空になった。森を出る。 私は私になった。

ホッケの開きイクラ味

本日の夕飯のおかずは鮭の切り身とホッケの開き。 肉の日だってのになぁと思いつつも魚は好きだからモグモグ食べる。 しばらく食べていると妹がびっくりしたような顔をしていた。 なんだその顔。 「…ホッケの開きに醤油をかけたら、いくらの味がしたよ」 んなわけ無いだろ。百歩譲ってするとしたら鮭だろ生みの親なんだから。 そう言ったら「いいから食べてみてよ!集中して食べてね!」と言われた。 はいはい分かりましたよ。 言われた通りに醤油をかけて少し集中して食べた。 した。微かに存在した。嘘でしょ信じられない。 まだ疑っていた母に食べさせると小さく笑いながら「する」と。 そんな…赤の他人ならぬ赤の他魚からどうしてイクラの味が…? まさか…いくらの本当の親は…ホッケ!? 「んなわけないだろ」 そう言った妹はとっくに魚を食べ終わっていた。

季節の戦い

夏は生命の大戦だ、植物は太陽を奪い合い、乾いた笑顔で咲き、湿ったように枯れる、見方によっては同じ、考え方によっては違った水々しさを持ち、自然を成立させる為に自分の運命を全うする。 私たちは咲いた花だけを摘み、それを美として飾る、私にはそれが生の葬式をしているようにも、死の誕生日を祝っている様にも見える。 動物もまた、色々な形で戦っている 短い命を繋ぐ者、長い命を守る者、これらも同じ大きさの命を賭けて戦っている事に変わりはない。 私は毎年この戦いに参加し、負けている、決して死んだ訳ではない、しかし負けている。 いつまでこの戦いに参加できるのか、勝てるは日が来るのだろうかと、そんな事を考えてる内に、雪は溶け、桜は散っている どうやら戦いは一年中続いてたようだった。

使い道

 断頭台を買ったが、浮気した夫の首をはねた後、使い道がなかった。だから今は野菜を切るのに使っている。でも、すごく飛び散る。

永遠

永遠 王朝はいつまでも私たちを酷使する。王は民のもとに置かれるべきだ、そう主張した勇敢な馬鹿は死んだ。疑問は無かった。安全圏から冷笑した。今日も働こう。 手が止まった。レンガに皮膚が混じっている。あの馬鹿の刺青だ。だが奴隷の考えに価値はない。 夜。考えずにいられない。馬鹿は王の墓の一部になれた。僕は変えのきく奴隷。 永遠が欲しくなった。僕は腕をレンガに混ぜ込んだ。 疑問はなかった。絶望からだった。 火が上がり、反乱が起きた。王政は民主政に移行した。王の墓は僕の一部と共に観光名所となり、永遠は錆びた。錆びた永遠は僕と同じになった。永遠は僕になり、言葉、建物、権利、政治に至るまで腐り果てた。 働く最中、ふと耳を澄ませると彼らは静かに語る。 私たちは洞窟の陰であった。 ただ影を、私は見つめ続けた。 疑問は無かった。

ミニストーリー

会社で口を開くなんて、ほとんどしない。電話も避けて。コンビニでは、しかたなく、 「あたためますか?」 「お願い」 人と話すのは、めんどうだ。何を考えてるのかわからない。 その真意は? 表? 裏? 人と、話すなんて… 僕は、AIと話す日々に忙しい。

シチュエーション:文学フリマ

電話の向こうから聞こえてくる ―そんなこと言わないでください、お願いしますよ その言葉に私が応じる ―でも、いろいろ考えたんですよ、やってること文学ではないですからねえ、文芸フリマというんならねえ (ま、結局のところ、めんどうなんだ) ―おっしゃる気持ちもわかりますけど、そこまで考えてないですよ、いまの参加者たちは ―まあ、そうなんでしょうけど (どこに落ち着くんだ、この話) そんなことよりパスタが頭をよぎる 村上春樹の小説なら、ここでパスタでも茹ではじめるな、きっと あれこれ電話の向こうの声は言っていた しかし、半ば押しきるように、私は参加しないことにした それで だから わたしの気持ちは、もはや、パスタだ やれやれ 買いものに行かなくてはならなくなったじゃないか

憂鬱

 憂鬱だ。どうして、毎日はこんなにも変わり映えのしない、へんてこな日なんだ。家から出れない、出られない。それでいいと思っているのか、僕。何もできない、何もやる気が起きない、それでいいと思っているのか、自分。訴えかける、自分自身に。このままでいいのかと。せめて散歩しろと問いかける。外に出て朝日を浴びろと。  こんなにも自身に問いかける日々を送っているのは、いつからだっただろうか。まるで覚えていない。ただ、気づいたらこうなっていた。こう成り下がっていた。悲しい、悲しい。こんな毎日、こんな生産性のない毎日でいいのか。こんなやる気の起きない、惨めな自分でいいのかと思ってしまう。 ー何もできない、それでいいのか。 ーやる気が起きない、それでいいのか。 動けない自分にいくら問いかけてみても、何も起こらない、何も始まらない。泣きたくなる。けれど、涙はとっくに枯れてしまった。悲しみはどこかに置いてきてしまった。こんな僕でごめんなさい。悲しさに暮れていて命に申し訳ない。こんなの命が勿体ない。それでも生きている。今日を生きていく、それが僕の使命だから。

手品師と魔法

 人々の笑顔が金に変わる。そんな仕事に、俺自身誇りを持っていた。相手の生まれや年齢、言語にとらわれずに夢を見せることができる。それが俺の手品師という仕事だった。それが仕事にならなくなったのは、ある未知のエネルギーが発見されてからだった。世界はそれを魔力と言って、不可能を可能にする画期的なものだと言った。  便利なものに対する人間の嗅覚や執念というものは本当にすごいもので、魔力やそれを用いた魔法だとかっていうものはすぐに研究され一般社会に流通した。そのおかげで便利になると同時に、煽りを受けることにもなった。 「オジサン、それ魔法でしょ」 「ハハ……」  小さな子どもですらこれだ。マジックだとかって言葉が特別じゃなくなるのに、そう時間はかからなかった。地方のイベントや興行に呼ばれなくなり、収入が激減するまであっという間だった。路上ライブでも足を止めるやつは一人もいない。  そうしてコンビニバイトで食いつなぐ日々がやってきた。かつては拍手のシャワーを浴び会場中に埋め尽くされた笑顔を眺めていたというのに、今では白けた人間の顔を横目にレジ打ちをするのみだ。  代替品のいるアルバイトを続けていると、ふとこんなことが頭を過る。これ、いつか俺が世界に必要とされなくなるんじゃないか? って。衣料品店で買い物をした時、買い物籠をレジに置くだけで会計ができるシステムを見た。きっと数年後には全国のコンビニに普及してるだろう。数年後コンビニアルバイトの仕事まで失って、その時今まで人を笑わせることだけを仕事として扱ってた俺は社会に必要とされるか? そういった焦燥感に襲われる。俺が生きてる意味とか、あんのかって。  コンビニバイトをして、家に帰って、っていう無色透明な面白みのない日々。今日もバイトが終わって家に帰る道すがら、通りかかった公園がなんとなく目に入った。懐かしいな、昔は同級生と暗くなるまで入り浸ってたっけ。クラスで何となく流行った消しゴムを消すドッキリにハマって、それから図書館の手品の本を借りたんだっけ。中高の文化祭でも結構ウケたよなあ。  ぼけーっと公園を眺めてたら、偶々目の前で走ってた小さな女の子が転んだ。反射的に屈んで手を差し出してから気づいた。これ、もしかしたら事案になるんじゃないか。地面に座り込んだ半泣きの女の子と目が合って、ああ後戻りできない、しかし手を取られたら通報されるかもしれない、と逡巡して。そうだ、と思いつく。差し出していない方の手ですぐ脇の花壇から一輪の花をもぎ取り、マジックショーの要領で彼女の目の前に差し出してみせた。突然現れた花に目を瞬かせた女の子は、花を受け取りながら嬉しそうに笑った。 「おじさんすごい! えへへ、ありがとう」  その瞬間、なんとなく、胸の奥が満たされたような感覚になった。そういえば、この笑顔が見たくて俺はずっと手品をやってきたんだって思い出す。周りや社会に求められるかなんて関係ない。俺はただ目の前の人を笑わせるために、また手品をやろう。それで食っていけなくても、きっと俺の心は飢えないだろう。 「……いや、こっちこそありがとうな」  そう言って、通報されないうちにさっさとその場を去った。翌日、地元の新聞の不審者情報に昨日の俺のことが書いてあって、ちょっと頭を抱えた。

再会

 独り暮らしをしていた母が亡くなった。葬儀も終わり、家の片づけをしていたら、押入の中から一人の人間が出てきた。母が飼っていた人間らしい。その人間に「母が死んで寂しいか」と尋ねると、人間は首を縦に振った。「母は優しかったか」と尋ねると、人間は首を横に振った。我が家では飼えないので、人間を街に放った。人間はきょろきょろと周りを見回しながら、歩道橋に登っていき、車がびゅんびゅん走っている車道に、身を投げた。人間は車にはねられて死んだ。あの世で母と再会できるといいがなあ。

善行

 野原の隅に、杭が刺さっていた。その杭は、尖った方が上を向いていた。ある夏の日、少年がそこを通りかかった。杭の先端に、一匹のトンボがとまっていた。少年は近づいた。そしてトンボの目の前で指をぐるぐる回した。トンボは目を回した。少年はトンボを捕まえた。こんな所に杭があるなんて知らなかった。トンボ捕りの穴場だ。少年は喜んだ。それから少年は、そこでたくさんトンボを捕まえた。杭が何のための杭なのかはわからなかったが、少年はあまり気にしなかった。ある秋の日、いつものように少年はその杭のところに行った。しかし、いつもとは様子が違う。杭に、生首が刺さっていた。年老いた男の生首だった。そしてその生首の頭頂部に、トンボがとまっていた。少年は迷った挙句、トンボを捕らずに立ち去った。トンボは捕まえたかったが、生首には触れたくなかった。こうしてこのトンボは、生首のおかげで命拾いをした。