何かが

実線から破線になるように。 斜めの直線が、階段状の線になるように。 滑らかな時の移ろいは、いつしか0と1の刻みへと変貌した。 世の中はそれで全てが回っている。 何も不便さを感じることもなく、私達はいま現在を生きている。 そのはずだ。 ただ、そこには何かが抜け落ちている。それは決定的なまでに。 美しさと恐ろしさが同時に存在する世界。 何かが失われたこの世界で、私達は生きていく。

シチュエーション:雪が降った朝の公園

公園のベンチに 誰がつくったのかな ちいさな雪だるま でも、ひとりぼっちなんだね ちょこんと座る雪だるまの横に おんなじくらいの大きさの雪だるまと それよりちいさな雪だるまと 犬っぽいのと、ねこらしいのを つくって次々、並べていく つめたくなった手に はああああ あたたかい息を吹きかける あんまり変化はないけれど なんでだろうね、やってしまうよね、まったくさ ベンチの上は、来たときとちがい華やいだ 雪がとけないくらいのあたたかさは 雪だるまたちには心地いいみたい

コーン

 自販機があった。ジュースが売られていた。何か買おうと思った。財布を取り出した。しかし、金がなかった。どうにかならないか。自販機をよく見ると、小さな穴があった。そしてその横にペンチが吊るされていた。『この自販機の商品は歯でも買えます。』そう書かれていた。俺はさっそくペンチで歯を引っこ抜き、穴に入れ、コーンスープのボタンを押した。がこん、と音がして、コーンスープが出てきた。俺はさっそくそれを飲み始めた。歯が一本なくなったので、噛めないコーンがあった。

大嫌いな恋敵

 優しく大きな手が私の頭を撫でる。愛おしそうに私の名前を何度も呼んで、彼はいつも私の頬にキスをする。それなのに、彼が決まってラブレターを書くのは別の女の子。  彼の好きな子は、黒い色の髪を腰まで伸ばした、眼鏡をかけた物静かな子。私とは正反対の子。彼といる私を見掛ける度に、アーモンドみたいな目を細くして「かわいいね」って思ってもないことを言ってくる。そんな良い子なところが、きらい。 「ねえ、あなた私のことが嫌いなのね」  眼鏡のレンズの向こうで、彼女が寂しそうに目を伏せた。当たり前じゃない。私たちは恋敵なんだから、仲良くなれっこないの。 「でも、私はあなたのこと好きよ。可愛くって、聡明で、きっと彼が一番好きなのはあなたよ」  そんなことあるわけないじゃない。だって彼からラブレターを貰ってるのは、紛れもないあなただけなのに。 「私、きっと遊ばれてるのよ。彼みたいな人が私を選ぶわけないもの」  その言葉に、私は無性にいらいらした。そんなことあるわけないじゃない。いつも俯いてるから知らないんでしょう、彼のあなたを見つめる横顔がどれほど優しいものか知らない癖に。今まで私が呼ばれたことの無い声色で、名前を呼んでもらってる癖に。  彼女を睨みながら、私は持っていた手紙を差し出す。  おずおずと彼女は私の嘴から手紙を受け取った。 「……ねえ、この愛してるって言葉、私信じてもいいのかしら」  当然でしょう。まあ、信じないならそれでいいわよ。その時はまた私だけの彼になるんだもの。  みっともなく、ぐすぐす鼻をすすりながら返事を書く彼女を横目に、私はやれやれと思いながら窓の外を眺めた。待っててあげるからさっさと書いてよね、私は早く彼の元に帰りたいんだから。

ホッケの開きイクラ味

本日の夕飯のおかずは鮭の切り身とホッケの開き。 肉の日だってのになぁと思いつつも魚は好きだからモグモグ食べる。 しばらく食べていると妹がびっくりしたような顔をしていた。 なんだその顔。 「…ホッケの開きに醤油をかけたら、いくらの味がしたよ」 んなわけ無いだろ。百歩譲ってするとしたら鮭だろ生みの親なんだから。 そう言ったら「いいから食べてみてよ!集中して食べてね!」と言われた。 はいはい分かりましたよ。 言われた通りに醤油をかけて少し集中して食べた。 した。微かに存在した。嘘でしょ信じられない。 まだ疑っていた母に食べさせると小さく笑いながら「する」と。 そんな…赤の他人ならぬ赤の他魚からどうしてイクラの味が…? まさか…いくらの本当の親は…ホッケ!? 「んなわけないだろ」 そう言った妹はとっくに魚を食べ終わっていた。

初恋で命拾い

 深海を探索する潜水艦が難破した。ここから助かる手立てはない。仲間の乗組員たちはパニックになって口論をしたり、暴れたり、自室に閉じこもってしまった。どうせ死ぬならどこでも同じだろう、と俺は潜水服に着替え水底へと旅立った。辺りは真っ暗で、時折黒い影が周囲を横切る。深海魚たちが漂っているんだろう。足元の砂をライトで照らしながらゆっくり進む。どうせそんな遠いところまでは行けないが、狭苦しい潜水艦にいるよりはいい。  そうして暫く歩いていた時。目の前に、人型の大きな影が現れた。大昔人魚と間違えられたジュゴンか何かか、とライトを当てると、それは眩しそうに目を細めた美しい女の顔だった。  俺は思わず飛び上がり、水中の浮力によってゆっくりと尻餅をついた。俺が驚いた姿を見て、女は楽し気に口から水泡を出しながら笑った。よくよく見れば下半身には足の代わりに鯱や海豚のような大きな鰭がついていた。ゆらゆらと水中を蠢く長い髪は、ライトの光に照らされて輝いていた。  こりゃ、幻覚か? キレーな女だな。なんてくだらないことを考えていたら、ゆらりとその女の顔が近づいてくる。潜水服の硝子を水かきのある手でペタペタと触り、俺の顔を覗き込んでくる。なんだ? と思っていれば、がしりと手を掴まれて潜水艦の方へと軽やかに泳いでいく。  大破した潜水艦を見て、女は変な顔をしていた。そうして潜水艦の穴から中へと入りこみ、少ししてから複数の酸素ボンベを抱えてやってくる。そのうちの二本を俺に抱えさせると、俺の背を押して勢いよく上に向かって泳ぎだした。まるで俺を海面に返そうとするみたいに。おいおい、この速さじゃ内圧のせいで目玉が飛び出しちまうよと思ったのも杞憂で、時折水圧に慣らすようにじっと同じところに漂ったりするので、体調を悪くすることすらなかった。時折酸素ボンベを交換するお陰で、酸欠になることもなかった。  いつまでそうしていたか、水中が段々と明るくなったころ、生きて帰れるということに安心してしまったのか、俺はいつの間にか意識を手放していた。目を覚ますと、俺はどこかの島の浜辺に寝かされていた。地上では不自由な潜水服をなんとか脱ぎ捨てて、呆然と砂浜に座り込んだ。夢か、と思って頬をつねるも、小さな痛みが残るだけだった。水平線をぼうっと見つめていると、黒いなにかがゆっくりとこちらにやってくる。直感的に、あの人魚だと思った俺は水際まで駆け寄った。  水面から顔を出したのは、やっぱりあの人魚の女だった。 「なあ、ありがとうな。お陰で命拾いしたよ」  俺がそう話すと、女は目をぱちくりさせたあと俺に数度手招きをした。なんだろう、と近づけば、がしりと足を掴まれて浅瀬ですっころんだ。海水に尻が浸されて気持ちが悪い。驚いているところに、すかさず人魚の顔が近づいてきて唇に冷たく柔らかいものが触れた。しょっぱい――人魚の唇だった。 「……どういたしまして」  その口から人間の言葉が出てくるのを聞いて、俺は目を丸くした。喋れるの、人魚って。 「なんで、言葉……ってか、キス、」  女はくすくす笑いながら、地面に手をついて立ち上がった。彼女の足鰭が、有名な人魚の童話よろしくみるみるうちに人の足に形を変えていく。 「ふふふ、私あなたに恋をしちゃった。これからどうぞよろしくね」 「……あ、ああ」  状況を理解しきれない頭のまま、頷いた。深海からの一連が謎のまま片付けるには衝撃的すぎるが、それでも考えてたってしょうがないだろう。とにかくまずは辺りを歩いて状況整理をしよう、と俺は女とともに歩き始めた。その数分後、ここが俺の実家に近いワイキキビーチだと気づくと、この状況のあまりの必然的な運の良さに俺の頭は混乱の極みに達した。

人生経験

 道を歩いていたら車にはねられた。上品な車だった。高級そうな上品な車だった。「乗っている人も上品だろう」そう思った時には地面に叩き付けられていた。横向きに倒れたので、目のすぐ下に血が溜まっていった。上品な車の運転席のドアが開いた。上品な中年女性が現れた。綺麗な人だった。俺は年上の女性がタイプなので、テンションが上がった。女性は屈みこみ、俺の顔を覗き込んで言った。「笑って」そして微笑んだ。「こういう時こそ笑うのよ」それは何か含蓄のありそうな言葉だった。女性はそれだけ言って立ち去り、車も走り去った。俺は薄れゆく意識の中で笑おうとした。この経験は、猛烈な痛みと死への恐怖の中で笑う経験は、きっと俺の人生に大きな影響を与えるだろうと思った。だが俺は死んでしまった。

塔に住むこども

 家の裏にある大きな塔には、人が住んでるらしい。僕がその塔の話をすると、大人たちは決まって顔を白くして「その話はやめなさい」と言った。だから、僕は大人の前でその話をすることはなくなった。  その塔の前に通りがかったとき、扉の前に小さなポストがあることに気づいた。手紙を書いたら返事が来るかな、なんて思って、その日家に帰るなり母に便箋のセットをねだった。最初に送った手紙の内容は、たしか本当にどうでもいいことで「さいきんあったかくなってきましたね。いえのまえにあるきいちごがおいしいです」とか、本当にそれくらいの内容を書いていた。律儀に封筒に住所を書いて、自分の手ずから塔の下のポストに投函した。それから数日たって、僕の家に返書が届いた。「まどからはながうつくしくさいているのがみえます。あなたのいちにちがすてきなものになりますように」って。相手の文字は拙いところもあって、僕はそれが直感的に同い年くらいの子のものだって感じた。それから僕は急いで家の前の花壇から花を摘んで、手紙に返事を書いて花を同封した。  それから僕と塔の子どもとの文通が始まった。その日の天気とか、お父さんの狩りについて行った話とか、友達に意地悪をしたらお母さんに叱られた話とか。塔の子は体が弱くて外に出られないみたいで、ずっと僕のことを羨ましがってた。僕は体がよくなったら一緒に遊ぼうって約束をとりつけて、来る日も来る日もその子に手紙を送った。  ある冬の日だった。いつもみたいに塔に手紙を届けに行った日、投函しようとするところでぼす、と雪に重いものが落ちる音がした。手紙を投函してから回りを見渡すと、何かきらきらしたものが雪の間に埋まっていた。赤い宝石みたいなものだった。周りにある高いものは塔だけで、中にいる人が落としたのかな、って顔を上げると、ちいさな子どもの手が窓から覗いてぶんぶん揺れていた。 「ねえ! これ、君の?」  僕が叫ぶと、その腕はぴたりと動きをとめて引っ込んでしまった。そして少ししてから、またなにかが落ちてくる。雪の上に落ちたそれは、重石がわりの白くて丸い硝子玉と、手紙だった。 「たのしいぶんつうのおれい。あなたのいちにちがすてきなものになりますように」  ラッキー、くらいにしか思わなかった僕は「ありがとねえ」って叫んで、走って家に帰った。ベッドの下の木製の宝箱に赤い宝石と硝子玉を隠して、それをずっと眺めていた。  その子との文通が終わったのは、いつだったろう。塔からの返信が途絶えてから数日後、国の女王様がギロチンにかけられるっていう話を聞いて、僕と家族は首都に来ていた。両親はしきりに「これでやっと平和になる」って呟いていて、少し怖かった。広場の熱狂はすごいもので、人々の歓びや怒りの声で埋め尽くされていた。刑場で、ふと一人の女の子が目についた。その女の子は薄暗い瞳をして、ぼうっと僕らのことを眺めて微笑んでいた。  処刑人がひとりひとりの最後の言葉を聞いて、僕たちに向かって叫ぶ。その女の子の番が来て、僕は耳を疑った。 「あなた方の一日が、素敵なものになりますように」  僕は眩暈がして、その瞬間を直視することができなかった。ただ、大きな刃が空を切る音が、耳の中に強く残った。  あれから、便箋と宝石が入った宝箱を、僕は開けられずにいる。

N市の死因記録

1月1日 男性 餅を喉に詰まらせ窒息死 1月1日 男性 ヒートショックにより死 1月2日 女性 階段でつまづき 転落死 1月3日 男性 喧嘩で椅子で殴られ、脳挫傷を起こし、死。 1月4日 女性2名 男性2名 N廃病院に侵入。院内を探索後、遭遇。壁に頭を打ち付け、お互いの眼球を奪い合う形でえぐりだし。絶命。 1月5日 男性 痴情のもつれから知人の男性と口論になり。道路に突き飛ばされる。轢死。 1月7日 女性 ハイキング中に毒性を持つキノコを誤食。8時間後に病院にて死 1月9日 男性8名 女性3名 N駅西口にて、遭遇。互いの目を奪い合い。指を噛み千切る。失血死。 男性一名が生き残ったが、六時間後、病院から脱走し、N廃病院の手前で野犬が骨を咥えているのを発見。 1月10日 男性 登下校時に車に轢かれ、轢死。 1月11日 男性13名 女性22名 N高等学校の廊下にて、男子生徒7名が遭遇。数分後に教室にて突然男子生徒が窓を割り、破片で他生徒4名を攻撃。 同じ事を遭遇した生徒6名が数分後に他の教室で行ったため。甚大な被害が起きた。 1月15日 男性 夜道を歩いていたところ、遭遇。奇声を上げて走り去る。職員の捜索むなしく、発見されず。 (追記 2月4日。N廃病院のエアコンの中から折り畳まれて発見。) 1月18日 男性 N廃病院に潜入。 当記録を発見。それを書き写し、2日後にネットに小説という形で投稿。 その2時間後に火事がおき。焼死。 1月21日 女性 道路を通行中 突如野犬に襲われ、死亡 野犬は駆除済み (追記 女性はネット上で18日の男性の小説を閲覧していたことが発覚) 1月23日 男性 ネットで小説という形で投稿された当記録帳を閲覧。 2時間後に溺死。 1月24日 女性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。2時間後に失血死。 1月28日 男性3名 N廃病院にて当記録を閲覧。遭遇。 壮絶死。 1月29日 男性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。焼死。 1月30日 男性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。餓死。 1月31日 女性 ネットに小説という形で投稿された当記録を閲覧。溺死。

先生との約束

 先生の家には、それはそれは立派な書庫があった。それらは伝記や参考書、文学書であったりさまざまなもので、部屋の天井まである高さの棚を埋め尽くしていた。先生はよく庭先の縁側で本を読んでいた。晴れの日も、雨の日も、雪の日にはわざわざ火鉢を持ってそこで読書をするのだ。何度も紙の字に目を滑らせ、周りの世界なんてひとつも視界に入れない、命を削るように本を読む先生が好きだった。書庫の扉には「ハイルベカラズ」と片仮名で書かれた紙が貼られていて、先生の家のお手伝いさんさえもそこには立ち入らせないのだと話していた。 「アナタなら入っていいですよ」 「ええ、なぜ、どうして急に?」 「アナタなら私の宝物を大切にしてくれると思ったからです」  私のなにが先生の心へ立ち入るのを許したのか分からないけれど、その日先生は書庫の合鍵を私にくれた。柔和な物腰のくせにどこか人を寄せ付けない先生が、と私はひとり得意になって、大して本を読めもしないのによくその書庫に入るようになった。自分の家から辞書を持ってきて、比較的読みやすそうな文字の大きい本を先生の横で読んでいた。それから先生の家でいくつ季節を越しただろう。ある日、突然先生が咳き込んで、私は何が何だか分からないまま先生の背中をしきりに摩った。少しして咳が収まると、先生は喉の奥をひゅうひゅう鳴らしながら「ありがとう」と私に礼を言った。先生が開いていた本のページには場違いなくらい鮮やかな赤色が滴っていて、私はどうにもそれが恐ろしく思えた。  ほどなくして先生は床に伏して、寝たきりになることが増えた。私は毎日先生の元に行って、先生が読んでいた本の続きを読み聞かせた。難しい漢字に、意味も知らない単語をたどたどしく読み上げると、先生の瞳にぼうっと安らかな光が宿るのだ。 「私が死んだら、この家は私の親戚に売られるでしょう」  そんなことは考えたくなかったけれど、私はぽつりと話し始めた先生の言葉を遮れずにいた。 「アナタにお願いがあります。私の死後、あの書庫を差し上げますから、どうか誰も立ち入らせないでください。あれの価値を知らない人に、中を易々と触られることが耐えられないのです」  あの書庫は、先生のすべてなんだとそのときに思った。きっと先生は自分の財産を、無知だと断じた他人に明け渡したくないのだ。それから数日経たないうちに先生はこの世を去った。懐いていただけの近所の子どもである私は、先生の葬式に参列することは許されなかった。私は先生の死に顔を拝むこともできない。自分のどうしようもない無力さを感じた私はその晩先生の家に忍び込み、書庫に火のつけたマッチを投げ込んだ。私に守る力はないが、それでも先生との約束を違えるのは許しがたかったからだ。  煌々と燃え上がる炎を見つめながら、私は書庫の合鍵を握りしめていた。

怖い話し

俺はホームレスだった。テントを持っていたので今晩テントを張る場所を探して歩いていた。初めての町、右も左もわからない。人気のない山の方へ、勘を頼りに進んだ。辺りはもう暗かった。けっこう田舎の方で、少し広い道路を外れればすぐに街灯なんて無くなる。ある住宅街の中を、川に沿ってずんずん進むと、気づいたら高速道路の側道をあるいていた。真っ暗な高架下をくぐり、暗い所を歩き慣れてる俺でさえ、チラチラ後ろを気にしながら歩く程、気持ちの悪い雰囲気が漂っていた。冬だったので虫も鳴かず、静寂の中、高速道路を走る車の音だけが鳴り響いては止み、鳴り響いては止みを繰り返す。「なんか変なとこ来ちゃったな、、、」なんて呟きながらもとりあえず進んだ。すると先の遠くの方でなにか白い光が見えて一瞬立ち止まった。光は動かない。きっと高速道路の街灯かなんかが何かに反射してるんだろうと判断してまた歩を進めた。その通りだった。俺は墓場に出たんだ。白い光は墓石に街灯が反射したものだった。「この墓場、なんだか気持ち悪いな、、」なんて思って通り過ぎようとした時だ。ある墓の前で俺は背中にゾワゾワっと冷や汗をかいた。その墓は誰かがよくお参りに来るのだろう、花も供え物も新しかった。なぜ冷や汗をかいたのかというと、見えはしないのだが、その墓の前に誰かが立っているような気配を感じたからだ。もちろん誰も立ってはいないのだが、俺の頭にはそこに人の形が浮かんでいた。俺に霊感なんてものはないと思う。でもね、いくら想像だとしても、顔まで浮かんでくることってあるだろうか。ハッキリはしないのだが、爺さんの顔だった。俺は持っているライトで墓石を照らした。別に読んではいないが、深く刻まれた誰かの名前がそこにあった。「まあ、俺もいつか死ぬからな、別に怖がることじゃないわ。幽霊がいるとしたら、俺だっていつかは幽霊になるんだから」、なんてことをあえて気丈に声に出して言った。これは俺が怖い時によくやる癖である。その時だった。大した迫力もなくて悪いが、その時の俺にとってはめちゃくちゃ怖いことが起きたんだ。俺は確かに見た。墓に供えてある立派な花な、ぴら、、、って、花びら一枚落ちたんだよ。俺が固まって、頭を整理しようと躍起になっているとまた一枚、ぴら、、、って、落ちたんだ。あ、これおるわ、、って確信した瞬間だった。こういう時、俺は叫んだり、走ったりするのは苦手だ。早歩きもダメ。本当はめちゃくちゃ怖いんだけど、さも平気なフリしてゆっくり歩き去る癖がある。その時もそうした。クルッと墓石に背を向けて、ゆっくり墓場を抜けた。頭の中にはさっきの爺さんの顔形がまだ浮かんでいる。そして、なんとなくだけど、背中についてきている気がした。早く灯りがあるところにでたいな、、なんて思っていると少しずつ足早になっていった。ようやく見つけた街灯の灯りのしたに、避難するかのように入りこんだ。その時にはもう、何かがついてきている感じも無かったのだが、その場所からさっきの墓場がまだ遠目に見えて、少し余裕もできたのでちらっとその墓場に目をやった。遠いし暗いしもちろん確実とは言えないが、俺は見た、さっき俺が立ってた墓石の前に、けっこう小柄な何かが立っているのを。しかもな、それ動いたんだよ。多分最初はこっちに背を向けてて、それからちらっとこっちを振り返るような動作に見えた。それを見た瞬間、俺はまた歩き出した。結局その日はテント泊はせず、街中まで出てネカフェに泊まったんだよね。小説とは言えないかもだが、これ実話です。

料理長は国家転覆を企てる

 私の料理をいつもほめてくださっていた国王様。下町の視察に来た国王様に、知らずのうちに料理を振舞ったところ腕を認められ城の料理長として雇われた。あれから私は世界中の料理や食材を勉強し、いついかなる時も国王様の舌を悦ばせるためだけに腕を振るってきた。私は貴方様のためだけに――。  国賓を招いた晩餐会で、国王は真っ黒な血を吐き出して絶命した。床には夥しい量の黒々とした液体が散っていて、人々の絶叫が轟いていた。付き合いの長い国王の主治医は内臓を侵す毒が盛られたのでしょうと話をしていた。 「恐らく王弟殿下の仕業でしょう。国王様のご子息が若いのを逆手にとって、代理人として実権を握ろうと……」  そんなことはどうだってよかった。私には、私を認めてくださった国王様が亡くなったという事実しか残らなかった。 「王弟殿下はあなたを毒殺の犯人に仕立て上げようとしています。あなたはここでむざむざ死ぬべきではない。お逃げください」  城の騎士団長がそう言って、まだぼんやりしたままの私を貿易船に押し込んだ。積み荷と一緒になって運ばれるのは、存外悪くない心地だった。私は船の中で国王様と出会ってからの日々を浚っていた。あの方は度胸はないが、寛容でお優しい人だった。城下を直接見て回り、人々の飢えを満たすために私と城下に配給に行ったこともあったか。騎士団長の子どももそこで救われて、彼と縁ができた。あの方の優しさが、国のすべてを繋いでいた。  船のデッキから、今はもう随分遠くなった母国を眺める。今頃私の家に王弟の兵士たちが立ち入っているのだろう。あの男は私から国王様を、家を、地位を、資産を奪った。ふつふつと、憎悪を孕んだ怒りが腹から湧いて出てきた。 ――このツケは、王弟の命で払わせる。幸い、奴は私を私たらしめる、唯一無二の価値を奪い損ねた。 「そういえばお兄さん、アンタこんな辺鄙な国に何をしに行くんだ?」  荷運びをしていた男が私にそう聞いた。 「そうだな、手始めに――」  私のこの知識と腕さえあれば、何度だって上り詰められる。まずは地方の料理屋で下働きをし、自分の店を持って国に取り入ろう。私の技術はきっと国に登用されるに足る。どうせ国王の代理になった王弟は、各国に厚かましい面をぶら下げて挨拶にまわるのだろう。そうして国に招かれたあの王弟に料理を振舞う機会さえ訪れれば……。 「国の胃袋を掴みに行くんだよ」  たった一言答えた私に、乗組員の男は首を傾げるのみだった。

商売人

 商店街の隅にさびれたラーメン屋がある。客はあまり入っていない。老夫婦が切り盛りしている。跡継ぎはいないはずだ。先は長くないだろう。ところがある日、そのラーメン屋に行列ができていた。何があったのだろう。近づいて店の様子を見る。入口に貼り紙があった。『精神安定剤トッピング無料』そう書かれていた。店の中を覗くと、白い錠剤がいくつも浮いたラーメンを、客全員が食べていた。老夫婦め、考えたな。この町は病んでいるからな。俺は行列の最後尾に並んだ。

群色の珊瑚礁 (掌編詩小説)

群色に還って、淡い珊瑚礁 集まってこの地に還りなさい 亡骸をこの地に還元して 魂を次の写せ身に還元して 魂が離れてもなお 無駄にはならなかった 小魚の住処となって 地盤を固める碇となって ただ揺らいでいる (完)

あの子になりたい

なんて不公平な世の中なんだろう。 全てがうまくいかない私と全てがうまくいっているあの子。 同じ人間のはずなのにどうしてこんなに違うんだろう。 あの子はみんなに愛されている。 休み時間になれば、自動的に人が寄ってくる。 まるで磁石に砂鉄がくっついてるようだ。 頑張らないと友達ができない私とは大違い。 あの子は顔もかわいい。仕草も声も全部かわいい。 それが愛される一つの要因になっているんだろうな。いいな。 どこを見てもかわいくない私とは大違い。 あの子は強い。 どんな輪にも入っていける。 「なんの話ー?」で入っていける。 嫌われるのが怖くて何にもできない私とは大違い。 あの子はいつも笑顔なのに、私はいつも真顔。 あの子になりたい。あの子になりたい。 今から薬を飲んだらあの子に生まれ変わったりしないかな。なーんて、バカみたいなこと考える。 あの子のように優しく笑顔を作って眠ってみた。 ***** なんて不公平な世の中なんだろう。 全てがうまくいかない私と全てがうまくいっているあの子。 同じ人間のはずなのにどうしてこんなに違うんだろう。 あの子は自分から友達を作ってる。 自分で仲良くなる人を選べるのは楽しそう。 その場の流れで周りに寄ってきた人と適当に友達になる私とは大違い。 あの子は普通。そこに憧れる。 バカにしてるとかじゃない。本当に憧れてる。 顔だけで寄ってこられて、すぐに捨てられることがない。 すぐに捨てられる私とは大違い。 あの子は優しい。 優しすぎて、損することもあるんだろうけど、いいなって思う。 一人になるのがとにかく嫌で他の人の気持ちも考えずに輪にむりやり入っていく私とは大違い。 あの子はいつも心からの顔なのに私はいつも作っている顔。 あの子になりたい。あの子になりたい。 今から息を止めたらあの子に生まれ変わったりしないかな。なーんて、バカみたいなこと考える。 あの子のように心からの表情を作って眠ってみた。

並木道

 背の高い木がどこまでも並んでいる。私は初めて並木道というものを見た気がした。膝の下辺りまである石垣には苔がびっちりと塗られ、でこぼことして足首を痛めそうな石畳にも伸びていた。  道の端と真ん中に残った雪を踏む。ぎゅっぎゅっ、ぱきっと鳴る足音を聞きながら、自分の足が地についている実感を得ることができた。  夕暮れには早いはずなのに、木々に日を遮られ、あたりは夜明けのよう。前の道では聞こえていた小鳥のような鳴き声も風の音も、この道ではまだ眠っている。  一人、道を戻ろうとした。それまで一緒に歩いていた人がいるはずなのに、初めからそんな人物はいなかったように消えてしまった。帰り道も分からない。同じような道が、幾つも分かれてはその先に道が続いている。そしてまた十字路が現れる。  初めて孤独と静寂に恐怖を感じた。ずっと後ろから、いるはずのない人の影が歩いている。私を追いかけるわけでもなく、ただただそこに立っている。その影は振り返ると消えてしまう。  鳥が木から飛びたつ音にさえ過剰に驚き、腰がひける。  遠くで電車が線路を走る音が聞こえる。いや、あれは風の音だったのかもしれない。その音の方へと歩いていけば、この並木道から抜けることはできるのだろうか。  抜けられなくても良いと、囁く声は聞こえないふりをして。

つかれた男

 夕暮れの近い並木道。その男は私の三歩前を歩いている。  男は砂の地面を擦るように歩きながら、何度も後ろを気にして振り返り、前を向くと後ろを向いていた時に誰かにぶつかっていなかったかと心配し、また後ろを振り返っていた。後ろには誰もいないのに。そんなに心配なら立ち止まって確認すれば良いものの、男の足はのろのろと進み続けていた。  男は誰よりも自分を信用していなかった。誰かにぶつかった感触がなくても、頭の中では誰かとぶつかっていた。感触がないのは自分が鈍感だからだと思い込んでいた。ビニール袋が落ちた音や、隣の部屋の足音ですら敏感に反応し、感情をかき乱されている男のどこが鈍感なのだろう。  男は上着のポケットにいれたホテルの鍵を何度も布の上から触って確認した。鍵を落としたかもしれないという不安が常に頭から離れていないようだ。  男は常に誰かに自分の話を聞かれているという妄想に囚われていた。家では隣人を気にして、外出先でも常に自分を知っている人間が、自分の話を聞いていると思い込んでいた。最近は、携帯から自分の声が自分を取り巻く環境全てに筒抜けになっていると信じ込んでいた。  今日はホテルに携帯を置いてきた。並木道には男しか歩いていない。男は歪めた口を固く閉ざし、視線は常に数歩先の地面を見つめ、ポケットの鍵に意識を向けている。木々の奥に光る反射した水面にも気付かない。  すり減った靴底はため息に似た音を地面から出す。鼻は浅く短い呼吸を繰り返す。視線は数歩先の地面。伸びた影は一人分。  私は再び男の中へと戻った。  視線を上げ、私は目を細めた。

エネルギー

 赤ん坊を胸に抱いた女性が、電車に乗ってきた。女性はスマホをいじっていた。女性は俺の隣に座った。女性はずっとスマホをいじっていた。やがて電車が走り出した。しばらくすると、赤ん坊がぐずり出した。女性はずっとスマホをいじっていた。そしてとうとう赤ん坊が泣き出した。女性はずっとスマホをいじっていた。赤ん坊は泣き続けていた。ふいに女性がつぶやいた。「あっ」ちらりと見ると、女性のスマホの画面に、充電切れを知らせる表示が出ていた。赤ん坊は泣き続けていた。女性はカバンの中から充電用のコードを取り出した。そして片一方の端子をスマホに、もう一方の端子を、赤ん坊の頭頂部に挿した。スマホに『充電中』という表示が出た。スマホの充電が進んでいくにつれ、赤ん坊はどんどん大人しくなっていった。女性は再びスマホをいじり始めた。もう赤ん坊は泣き止んでいた。やがて、女性はコードを抜いた。どうやら充電が終わったらしかった。赤ん坊は白目を剥いていた。女性はずっとスマホをいじっていた。ずっと。

シチュエーション:お布団のなか

寒い夜は、頭まですっぽり、おふとんをかぶっちゃう 吐息が、なかからあたためてくれる ときおり夜の寒さが窓をたたく ―顔を見せてくださいよ 静かに言ってくる それを無視して、じっと耐える ―きれいな星空さあ、どうだい、行かないかい?  ごめんよ、ごめんよ、いまは星を集めに行く気分じゃないんだ 頭のなかで言い訳を唱え続ける    ◇  ◇  ◇ 朝、起きてみると、いつもよりぼさぼさの髪と もっともっとぐちゃぐちゃのおふとん 手の甲をほほにあて、その冷たさに、目覚めを呼び込む

多重人格

ジキルは医者に言った。 『この私から多重人格を消し去ってくれ。主人格のみにしてほしいのだ。ハイドに変われば取り返しがつかないことになる。急いでくれ。』 医者は了解した。 施術終了後。ジキルは医者の首を絞め、死体を踏みつけ病院から走り去った。

雪の日にすれ違った二人

 ちらりちらりと雪が降っている。  私はテンションがあがった勢いで、外に出た。  髪に雪が引っ付くと、オシャレな宝石みたいでお姫様になった気がした。    機嫌よく歩いていると、向かいから女の子が歩いてきた。  女の子は傘をさしている。   (なんで、雪の日に傘をさしてるんだろう。雨でもないのに)    すれ違う瞬間、不思議そうにする女の子と目が合った。        ちらりちらりと雪が降っている。  私はテンションがさがり、さっさと家に帰ろうと歩みを速めた。  傘に雪が乗っかると、少しだけ傘が重くなってげんなりした。    機嫌悪く歩いていると、向かいから女の子が歩いてきた。  女の子は傘をさしていない。   (なんで、雪の日に傘をささないんだろう。髪べちゃべちゃになるのに)    すれ違う瞬間、不思議そうにする女の子と目が合った。

死刑囚A

 その死刑囚Aは、複数人を殺めた。  犯行理由はとても身勝手な理由だった。  「誰でもよかった。社会への復讐だ」    その犯行理由を証明するかのように、逮捕直後から弁護士や接見人に、生い立ちや自分のことについて、時間の限り話し続けた。  これに加えて、様々な分野の研究者によって、心理テストや精神鑑定が行われ、無責任なワイドショーでは、教育の在り方や社会構造にまで話が及んだ。  そんな世の中の様子を伝え聞いた本人は、自身こそが社会からの被害者と感じ、得意げですらあったという。自分が社会をにぎわせているので、世間が構ってくれていると勘違いしたのだ。  そして、自身の人生で最高潮に注目を浴びている中での、刑の確定。ようやく社会から認知された絶頂期に、すべての終了を宣告されたのだ。  それからというものの、再審請求を皮切りに、受刑者の待遇改善を求める訴訟の数々に、獄中結婚。本の出版や被害者への反省の弁。ありとあらゆる手段で命の灯を守ろうとした。  事件から、数年。新聞に小さく「執行」という文字が載った。  世間の人々は、事件で失われた命に対して冥福は祈れども、市井の人々はこの死刑囚への憐憫は一片たりとも持ち合わせなかった。  それもそのはず、実のところ、社会が研究しつくしたほどの大それた理由などは存在しなかったのだ。  つまるところ、大人が最悪の形で駄々をこねただけである。最初から最後まで、この死刑囚Aは、誰にも理解されず孤独だったのだ。  それに本人は気がついていただろうか。いや、気付いてはいないだろう。最期の言葉は「こんな自分と結婚してくれたあの人によろしく伝えてください」だった。  はた迷惑な話である。 ※実在の事件を元にしてはいません。あしからず。

三角形の手紙

自分の爪が汚い 白い筋が何行も走っていて汚れているように見える 手の平のシワも無数にあり谷間の底も白くなっている この手で綺麗な人と手を繋げない そんな機会はないけれど あっても手を差し出せない ついでにスマホも傷だらけだ 三角形の面積の求め方は (底辺✕高さ)÷2 一度三角形を四角形にして それから半分にすると三角形の面積が出る 僕の爪の汚さと、手の平のシワを掛け算して、半分にしたら僕のあの子への気持ちが分かるのかな 手紙を書いてみる。汚い手で鉛筆を握りしめて

仲直り

男は怒った 女が怒っていたから 男は泣いた 女が泣いていたから 男は寝た 女が寝ていたから 男は起きた 女が起きていたから 男は愛した 女が愛したから 男は笑った 女が笑っていたから 女は死んだ 男が死んだから 男は殺された 女が殺したから

静かな夜

||夜に空いた時間の穴に うっかり落ちてしまった 落ちた先の全く同じな別な場所 僕だけがいない所へ僕が落ちてきた|| 少し離れた通りを車が走る 部屋にいて音だけで分かるほど静かだ 喉が渇いた スマホを充電器から外して立ち上げる 新聞配達の音が聞こえる 一人がこんなに静かだとは思わなかった 明日は誰かに話しかけようかな それとも実家に電話するかな ドキュメントをかけてベッドに潜る 魚になって泳いでいくんだ 明るい方へ、落ちてきた方へ

ポジティブエキス

「人間の感情は、ポジティブとネガティブが混じって負います。このエキスは、そのうちのポジティブだけを抽出したものです、これを飲めば、体内のポジティブ感情の割合が増えて、楽しい気分になれます」    仕事ので嫌なことが続いて心がやさぐれていたので、うっかり買ってしまった。  メロンジュースを水で希釈したような薄い緑の液体を、鼻をつまみながら飲み干す。  味は、薄い砂糖水。   「あれ?」    するとどうしたことだろう。  さっきまでの嫌な気分が吹き飛んだ。  今すぐ鼻歌を歌いそうな気分になり、思わずその場で跳びはねた。   「ご満足いただけたようですね」 「それはもう!」    ぼくは定価にチップを添えて、売人に渡した。  売人は、遠慮なく、それを受け取った。  気分が良くなって、多めに払う客が多いのだろう。    とってもハッピーな頭で、ぼくはもっとポジティブを飲みたいと思い、ふと気づいた。   「ポジティブだけ抽出したんですよね? 残りのネガティブはどうなったんですか?」    売人はニタッと不気味な笑顔を向けてきた。   「ネガティブになりたい方と、誰かをネガティブにしたい方に、需要がございます」 「なるほど!」    需要があるならちょうどいい。  ぼくはポジティブエキスを、追加で十本購入した。  嫌なことがあったら、これを飲もう。    はぴはぴはっぴー!

ミニストーリー

靴ひもが右と左で長さがちがう。 その微妙なズレを、きっちりあわせる。 けれど、歩いているうち、また… 君との歩幅も、すこしずつ、すこしずつ。 そんなつもりは、ないんだけど。 そんなつもりは、ないからこそ。 その距離を埋められないまま、ボクは…

距離

心無い言葉を言われ続けて すっかり人を信頼しなくなった いつも、人と少し距離を置いている そうしておけば、その人に心を傷つけられても 『予想通りだった』って、割り切れるから ああ、寂しいって気持ちも、感じなくなってしまった……

青い夜

 その夜は青かった。  閉店後の喫茶店。電気の消えた店内を白い月の光が窓から照らしている。エプロンをテーブル席の木の椅子にかけ、カウンターに座り腕の中に顔を伏せた。  ラジオからは異国の歌が流れている。囁くような声でどこか懐かしい歌声は、冷たくかたまっていた身体をゆっくりと溶かしていく。浅い呼吸は少しずつ深くなり、夜の空気を頭の中に満たしていく。瞼を押し付けた乾いた目には、じんと熱が回り出す。  歌の言葉の意味は分からない。それでもそのメロディと歌声はどこまでも優しく、同じ空間で寄り添ってくれている。  寂しくはない。その声は、私を一人にはしなかった。  青い夜。寂しくはない。

任務

 夏、青年は、なけなしの貯金をはたいて、政府機関から一匹のカをレンタルした。少年時代の、カに刺されて痒かった夏を思い出し、もう一度それを味わいたいと思ったのだ。青年はカに自らの血を吸わせた。吸われた痕が赤くなり、痒くなった。青年はそこをぼりぼり搔きながら、「ああ、これがやっぱり、本来の夏だ」と感じた。いつから、今のような時代になってしまったのだろう。青年は本当はカを叩き潰したかったが、そんなことをしたら刑務所に入れられてしまう。青年はカを、丁寧にガラス瓶に入れ、政府機関の研究所に返却しに行った。それから数年が過ぎた頃、青年は、反政府組織の一員となっていた。青年はアジトで、秘密裡に、蚊取り線香を大量生産する任務に就いていた。

しっぽ

 道端に一匹のイヌが座っていた。イヌの傍らには段ボール箱が置かれていた。段ボール箱の中には、一本のしっぽが入っていた。イヌを見た。しっぽがなかった。これはどういうことだろう。そう思っていると、ふいに声がした。「あげるよ」その声は、イヌが発していた。「もしかしてこれは君のしっぽかい」「ああ」「誰かにあげてしまっていいのかい」「俺にはもう必要ないからな」僕はしっぽを撫でた。なめらかな感触だった。僕は尋ねた。「嬉しい時や悲しい時、これから君は、どうやって感情を表現するんだい」イヌは答えた。「言葉があるさ」「言葉なんて頼りないぜ」「俺はそうは思わないね」イヌはまっすぐ前を見つめていた。「これは俺がもらうよ」「ああ」僕はしっぽを拾い上げ、帰宅し、自分のお尻にボンドでそれをくっつけた。「何してるの」恋人に俺はそう尋ねられた。僕は答えた。「わん!」

理解

昔から私は、出逢いを仮定していた。偶然はない。前提を置き、そこから世界を組み上げる。それが正しい生き方だ。私はそうやって人生を築いてきた。 Aとは半年前に出会った。目はほとんど合わなかったが、言葉を一つ交わした。それで十分だった。 私は帰納的にAを理解した。理解できたし理解した。 頭の中でAを解剖し、感情の配置を確かめ、沈黙の意味を決めた。余白は私が埋めた。 Aには理屈が無かった。感情だけがある。だから私は、その感情を飲み込み、愛した。 理屈のないものは、理屈を持つ私が支配する。 ある日、Aが性格を孕んだ。 私の想定に含まれていない輪郭が、勝手に現れた。 その瞬間、私の帰納法は崩れる。 理解できないものは存在してはいけない。 怒りが湧いたのは自然なことだ。 憎しみも、性欲も同じだ。 理屈を乱したAの修正に感情が燃料になるのは当然だった。 劣情が火にかけられたのではない、火を入れたのは私だ。正しさのために。 私の人生は、正しさに寄りかかって成立している。正しさが揺らげば、何かが犠牲になる。 私はAに押し入った。 Aが私の理解から外れた時点で、AはAである意味を失っていた。 儚く、醜い愛撫。 表情はない。目的はそこでない。 私はAを支配するだけだ。 私は泣いていた。 感情は喉元を当に過ぎていた。 理屈が一時的に機能不全を起こしただけだ。 冷めた感情を、私は理屈で定義付ける。名前を与え、位置を決め、出来事にする。 正しさは消えたが、理屈は残った。十分だった。 気付けば、人生は粉々だった。 理屈は私になっていた。

不安なき不自由な世界

「入社おめでとう。君たちも社会人になったことだし、ここらで生命保険に入っておくのがいいぞ。会社の推奨はこれだ」    とりあえず入った。   「確定拠出年金を始めないか? 毎月の給料からコツコツと積みあげて、将来の年金を増やせるんだ」    とりあえず入った。   「持株会に入らないか? 毎月の給料から少額の株を買って配当をもらうんだ。今なら、一口につき○○%の株プレゼントもあってお得だぞ」    とりあえず入った。    正直、何の目的で、将来どうなるのかよくわかっていない。  しかし、会社が大丈夫と言っているのなら、きっと大丈夫なのだろう。    上司の指示を聞くのが嫌だとフリーランスになった友達たちは、成長が楽しいと喜びながら、仕事がない貯蓄が不安だと嘆いている。  ぼくは、成長なんて感じないけど、仕事や貯蓄への不安もない。  多分会社が何とかしてくれる。   「酒、うま」    どっちが幸せなんだろうか、なんて考えるのも面倒になって、とりあえずお酒を飲んで寝た。

水瓶

水瓶 森の奥に水瓶が一つある。 手をかけ、僕は血の付いたナイフを洗っていた。水はすぐに赤黒く濁り、底が見えなくなる。指先が冷える。 不注意でナイフを落とした。 背後で、風を割る音がした。 巨大な金属が落下し、地面に突き刺さる。細長い先端だけが見え、全体は赤く、森から浮いていた。振り返り、しばらく見上げる。 今度は意図的に、水瓶へ小石を投げ入れる。 軽い音。直後、横に岩が落ちた。 僕は考える。 水瓶は拡大鏡だ。空間は水瓶の底と森の高所で繋がっていて、そして同質の物が拡大される。 最大の証拠を、消す必要があった。 僕は木を切り、即席の投石器を作った。狙いは正確だった。 証拠は空中で弧を描き、頂点で 気付くと水面を見ていた。見慣れた身体が浮かぶ。 寄ると呼吸はなく、顔はひどく落ち着いている。 私は思い出す。 私に殺意はない、しかし私は殺された。理由は分からない。劣等感、憎悪、同一であることの不快さ。どれもあり得る。 だがあれは私と同質で、私ではない様に作られていた。 それを私は掬う。 水瓶は空になった。森を出る。 私は私になった。

御守りなくした

「御守りなくした」 「ええー? 勿体ない! 御守りって、結構高いんだからね! 神様が怒って、あんた今年は不幸になるわよ」    母から叱られた年。  子供のぼくは、明日死ぬんじゃないかと怯えながら過ごした。  毎日毎日、神様に心の中で謝っていた。       「御守りなくした」 「きっと、大きな悪いことの身代わりになってくれたんだよ。今度、神様にありがとうってお礼に行こうね」    彼女から怒られると思った日。  大人のぼくは、母と全く逆のことを言う人間に驚いた。   「そうか。そう言う考え方もあるのか」 「え? なーに?」    子供の頃に御守りを失くしたこと、そこに意味があるのなら、きっと彼女の優しさをぼくに教えてくれるためだろう。   「ううん、なんでもない。神様にお礼、行こうか」    神様、後日伺います。  ぼくを守ってくれたことへのお礼と、彼女とずっと幸せに過ごしたいと願いに。  お腹が空いたと冷蔵庫を漁る彼女を見ながら、ぼくは予定を確認した。

季節の戦い

夏は生命の大戦だ、植物は太陽を奪い合い、乾いた笑顔で咲き、湿ったように枯れる、見方によっては同じ、考え方によっては違った水々しさを持ち、自然を成立させる為に自分の運命を全うする。 私たちは咲いた花だけを摘み、それを美として飾る、私にはそれが生の葬式をしているようにも、死の誕生日を祝っている様にも見える。 動物もまた、色々な形で戦っている 短い命を繋ぐ者、長い命を守る者、これらも同じ大きさの命を賭けて戦っている事に変わりはない。 私は毎年この戦いに参加し、負けている、決して死んだ訳ではない、しかし負けている。 いつまでこの戦いに参加できるのか、勝てるは日が来るのだろうかと、そんな事を考えてる内に、雪は溶け、桜は散っている どうやら戦いは一年中続いてたようだった。

ひとまずのミルクティ

昨日とはちがう寒さに 起き上がる力に躊躇いが強い 窓の外の白さに頭は目をつぶり それでいて心がざわつく カーテンをそっと 指先でなでるように すこしだけすべらせる 庭の枯れた草木の上 覆い隠すように広がる白しろシロ よろこんでいいのやら 心配したほうがいいのやら もう子どもではないのだなあ わたしがちいさかったころ 親がそうだったように 雪が降ったことを 素直によろこべない 素直によろこべないのは 感情の数がそれだけ増えたからか それとも ひとまず あたたかいミルクティをいれる あとのことは そのときの自分が決めること 狼狽えることがないのを けれど素直によろこべない

永遠

永遠 王朝はいつまでも私たちを酷使する。王は民のもとに置かれるべきだ、そう主張した勇敢な馬鹿は死んだ。疑問は無かった。安全圏から冷笑した。今日も働こう。 手が止まった。レンガに皮膚が混じっている。あの馬鹿の刺青だ。だが奴隷の考えに価値はない。 夜。考えずにいられない。馬鹿は王の墓の一部になれた。僕は変えのきく奴隷。 永遠が欲しくなった。僕は腕をレンガに混ぜ込んだ。 疑問はなかった。絶望からだった。 火が上がり、反乱が起きた。王政は民主政に移行した。王の墓は僕の一部と共に観光名所となり、永遠は錆びた。錆びた永遠は僕と同じになった。永遠は僕になり、言葉、建物、権利、政治に至るまで腐り果てた。 働く最中、ふと耳を澄ませると彼らは静かに語る。 私たちは洞窟の陰であった。 ただ影を、私は見つめ続けた。 疑問は無かった。

ミニストーリー

会社で口を開くなんて、ほとんどしない。電話も避けて。コンビニでは、しかたなく、 「あたためますか?」 「お願い」 人と話すのは、めんどうだ。何を考えてるのかわからない。 その真意は? 表? 裏? 人と、話すなんて… 僕は、AIと話す日々に忙しい。

シチュエーション:文学フリマ

電話の向こうから聞こえてくる ―そんなこと言わないでください、お願いしますよ その言葉に私が応じる ―でも、いろいろ考えたんですよ、やってること文学ではないですからねえ、文芸フリマというんならねえ (ま、結局のところ、めんどうなんだ) ―おっしゃる気持ちもわかりますけど、そこまで考えてないですよ、いまの参加者たちは ―まあ、そうなんでしょうけど (どこに落ち着くんだ、この話) そんなことよりパスタが頭をよぎる 村上春樹の小説なら、ここでパスタでも茹ではじめるな、きっと あれこれ電話の向こうの声は言っていた しかし、半ば押しきるように、私は参加しないことにした それで だから わたしの気持ちは、もはや、パスタだ やれやれ 買いものに行かなくてはならなくなったじゃないか

憂鬱

 憂鬱だ。どうして、毎日はこんなにも変わり映えのしない、へんてこな日なんだ。家から出れない、出られない。それでいいと思っているのか、僕。何もできない、何もやる気が起きない、それでいいと思っているのか、自分。訴えかける、自分自身に。このままでいいのかと。せめて散歩しろと問いかける。外に出て朝日を浴びろと。  こんなにも自身に問いかける日々を送っているのは、いつからだっただろうか。まるで覚えていない。ただ、気づいたらこうなっていた。こう成り下がっていた。悲しい、悲しい。こんな毎日、こんな生産性のない毎日でいいのか。こんなやる気の起きない、惨めな自分でいいのかと思ってしまう。 ー何もできない、それでいいのか。 ーやる気が起きない、それでいいのか。 動けない自分にいくら問いかけてみても、何も起こらない、何も始まらない。泣きたくなる。けれど、涙はとっくに枯れてしまった。悲しみはどこかに置いてきてしまった。こんな僕でごめんなさい。悲しさに暮れていて命に申し訳ない。こんなの命が勿体ない。それでも生きている。今日を生きていく、それが僕の使命だから。

手品師と魔法

 人々の笑顔が金に変わる。そんな仕事に、俺自身誇りを持っていた。相手の生まれや年齢、言語にとらわれずに夢を見せることができる。それが俺の手品師という仕事だった。それが仕事にならなくなったのは、ある未知のエネルギーが発見されてからだった。世界はそれを魔力と言って、不可能を可能にする画期的なものだと言った。  便利なものに対する人間の嗅覚や執念というものは本当にすごいもので、魔力やそれを用いた魔法だとかっていうものはすぐに研究され一般社会に流通した。そのおかげで便利になると同時に、煽りを受けることにもなった。 「オジサン、それ魔法でしょ」 「ハハ……」  小さな子どもですらこれだ。マジックだとかって言葉が特別じゃなくなるのに、そう時間はかからなかった。地方のイベントや興行に呼ばれなくなり、収入が激減するまであっという間だった。路上ライブでも足を止めるやつは一人もいない。  そうしてコンビニバイトで食いつなぐ日々がやってきた。かつては拍手のシャワーを浴び会場中に埋め尽くされた笑顔を眺めていたというのに、今では白けた人間の顔を横目にレジ打ちをするのみだ。  代替品のいるアルバイトを続けていると、ふとこんなことが頭を過る。これ、いつか俺が世界に必要とされなくなるんじゃないか? って。衣料品店で買い物をした時、買い物籠をレジに置くだけで会計ができるシステムを見た。きっと数年後には全国のコンビニに普及してるだろう。数年後コンビニアルバイトの仕事まで失って、その時今まで人を笑わせることだけを仕事として扱ってた俺は社会に必要とされるか? そういった焦燥感に襲われる。俺が生きてる意味とか、あんのかって。  コンビニバイトをして、家に帰って、っていう無色透明な面白みのない日々。今日もバイトが終わって家に帰る道すがら、通りかかった公園がなんとなく目に入った。懐かしいな、昔は同級生と暗くなるまで入り浸ってたっけ。クラスで何となく流行った消しゴムを消すドッキリにハマって、それから図書館の手品の本を借りたんだっけ。中高の文化祭でも結構ウケたよなあ。  ぼけーっと公園を眺めてたら、偶々目の前で走ってた小さな女の子が転んだ。反射的に屈んで手を差し出してから気づいた。これ、もしかしたら事案になるんじゃないか。地面に座り込んだ半泣きの女の子と目が合って、ああ後戻りできない、しかし手を取られたら通報されるかもしれない、と逡巡して。そうだ、と思いつく。差し出していない方の手ですぐ脇の花壇から一輪の花をもぎ取り、マジックショーの要領で彼女の目の前に差し出してみせた。突然現れた花に目を瞬かせた女の子は、花を受け取りながら嬉しそうに笑った。 「おじさんすごい! えへへ、ありがとう」  その瞬間、なんとなく、胸の奥が満たされたような感覚になった。そういえば、この笑顔が見たくて俺はずっと手品をやってきたんだって思い出す。周りや社会に求められるかなんて関係ない。俺はただ目の前の人を笑わせるために、また手品をやろう。それで食っていけなくても、きっと俺の心は飢えないだろう。 「……いや、こっちこそありがとうな」  そう言って、通報されないうちにさっさとその場を去った。翌日、地元の新聞の不審者情報に昨日の俺のことが書いてあって、ちょっと頭を抱えた。

再会

 独り暮らしをしていた母が亡くなった。葬儀も終わり、家の片づけをしていたら、押入の中から一人の人間が出てきた。母が飼っていた人間らしい。その人間に「母が死んで寂しいか」と尋ねると、人間は首を縦に振った。「母は優しかったか」と尋ねると、人間は首を横に振った。我が家では飼えないので、人間を街に放った。人間はきょろきょろと周りを見回しながら、歩道橋に登っていき、車がびゅんびゅん走っている車道に、身を投げた。人間は車にはねられて死んだ。あの世で母と再会できるといいがなあ。

貴方が死んだら

「貴方に選択肢を与えましょう」   「もしも貴方が死んだら、貴方は自我を失くして生まれ変わりたいですか?」   「それとも自我を持ったまま、永遠にあの世で生きたいですか?」   「自我を失くして生まれ変わった場合、貴方は貴方でなくなります。嬉しいも悲しいも亡くなって、死にたくないという恐怖さえなくなって、貴方という存在は完全な無となります」   「自我を持ったままあの世で生きた場合、貴方は永遠に貴方のままです。ただし、貴方の会いたい人が生まれ変わった場合、貴方は会いたい人に会うことができません。会いたい人は、あの世に来ないからです」   「どうしますか?」    何度目かの問いかけ。  目の前の人間は、「生まれ変わります」とはっきり答えた。    私は、その人間の意見を尊重し、自我を消し去って生まれ変わらせた。  これをやるのも、何度目か。    幸せになってね、私の子供。  何度、別の人間の子供になろうとも、貴方は私の大切な子供。  私のことを覚えていなくとも、貴方は私の大切な子供。    例え二度と貴方の自我と会えなくとも、私は永遠にあの世で貴方を待って、貴方の新しい人生の話を聞き続けます。    それが、私の選んだ最期だから。    誰も居なくなった場所で、私は一人眠りについた。

薄明

忙しい。常に何かに追われている。 仕事に、実家の雪かき、年老いた母の世話。 妻は子供を連れて出ていった。 何年前のことになるだろう、もう覚えていない。 何でこんな生活に。何でこんな環境に。 いつからか歯車が、大事な部品が欠けたようだ。 あぁ、考え事にふけっている場合じゃない。 さあ、仕事だ仕事。私は社会の歯車だ。

善行

 野原の隅に、杭が刺さっていた。その杭は、尖った方が上を向いていた。ある夏の日、少年がそこを通りかかった。杭の先端に、一匹のトンボがとまっていた。少年は近づいた。そしてトンボの目の前で指をぐるぐる回した。トンボは目を回した。少年はトンボを捕まえた。こんな所に杭があるなんて知らなかった。トンボ捕りの穴場だ。少年は喜んだ。それから少年は、そこでたくさんトンボを捕まえた。杭が何のための杭なのかはわからなかったが、少年はあまり気にしなかった。ある秋の日、いつものように少年はその杭のところに行った。しかし、いつもとは様子が違う。杭に、生首が刺さっていた。年老いた男の生首だった。そしてその生首の頭頂部に、トンボがとまっていた。少年は迷った挙句、トンボを捕らずに立ち去った。トンボは捕まえたかったが、生首には触れたくなかった。こうしてこのトンボは、生首のおかげで命拾いをした。

ビジョン (掌編詩小説)

溢れ出すビジョン 砂嵐でかき消して 雑音のビジョン 耳栓でかき消して 香害のビジョン 息を止めて 毒薬のビジョン 口先でさえ近づけないで 〇〇のビジョン 衝動を抑えつけて (完)

境界破損

あの子は天才だ。才能の塊だ。 昔から何をやっても賞状やトロフィーを当たり前に享受する側で、私とは全く違う世界の住人。 ただ、今となっては彼女の無垢だった面影を知るものは家族だけになった。 まわりの嫉妬で固められた彼女の心は、才能はそのままに過去の傷で湿り乾かない。 そんな彼女を視て、醜い私はやっと同じ人間だと感じられた。

空白体

あぁ、空虚で孤独です。 自分の存在も、空想上の実在しない登場人物のよう。 私は今本当に生きているのだろうか、夢幻ではないのか。 離人感が強いのか、体がもやもやしています。 ちゃんと形を保てているのかな。