雨にも負ける、風にも負ける

 雨ニモマケズ  風ニモマケズ  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ    短い三行を朗読した後、私はカーテンを開けて外を見た。  雨がしとしとと降っている。  風がそよそよと拭いている。  七十五度くらい傾いた雨は、きっと私の頭上に置いた傘を避けて、私の足元をしっとり濡らしてくることだろう。  ブーツを履けば足首までは守れるが、膝から下は無防備だ。   「こんな日は、自宅で読書に限りますねえ」    私はカーテンを閉めて、机の上に置いている本を手に取った。  ページをめくりながら、晴れの日は晴れの日で、日焼けをしたくないとほざいていた自分を思い出す。    雨にも負ける。  風にも負ける。  雪にも夏の暑さにも負ける。  果たして、私は何なのだろうか。    ちょっと弱すぎないか自分、なんて思ったけど、自由自在に本を読める私は、頭の中が昔の人よりも強くなっただけだと言い訳して、本の世界に戻った。

白日戦隊!ホワイトレンジャー✟【伝説の月白の乱】

「カット!」 「お疲れ様でした。ここで月白さんオールアップです!お疲れ様でした!」 スタッフの皆から拍手を頂く 綺麗なブーケを受け取った後、私は話し始める 「この素晴らしい作品に参加できたことは、私の俳優人生の…残り僅かですが…確かな道標になりました。全てはスタッフの皆様のおかげです。どうもありがとうございました」 スタッフ一人一人に挨拶をしてからタクシーに乗る 家に着くまでの間、通り過ぎる夜の街並みに自分の中の役を捨てていく。 時間は夜の九時、道は空いている 「お客さん。仕事帰りですか?」 「ええ、まぁそうです」 五十歳半ばの運転手は、体が大きく運転席が窮屈そうだ。二月であるのに半袖を着ている。白い布のマスクが異様に小さい 「そのご年齢でこんな時間までお仕事なんてお元気ですね。俺も頑張らないとなぁ」 「いやいや、あちこちガタが来て大変だよ」 「そんなふうには見えないですよ」 無意識にドライバーの名札を見る 【黒穴 旦】くろあなだん…変わった名前だ 顔は丸く大きく髪が長いので、どんな目をしているのかがよく見えない タクシーのスピードが遅くなる 「お客さん。この先事故みたいで渋滞ですねぇ。参ったなぁ…他の道から行っても大丈夫ですか?ちょっとだけ遠回りなんですけど」 前方には赤色灯が点滅していて、事故対応でパトカーが来ているのがわかる 「いや、ここで良いです。ありがとう」 「すみませんです」 「お釣りはいらないから」 月白は一万円を払いタクシーを降りた タクシーの窓が空いて運転手がお礼を言う 「ありがとうございます。月白さん。いつも見てます。では」 月白は夜の街を歩きながらアスファルトを見ていた 昔は私も若かった こんなふうに街を歩くこともままならないくらい人気があった 通行人が顔を指し、サインを求められ握手を交わして十メートル歩くのに何分もかかった あの頃は良かった…とは思わない こんなしょぼくれた爺さんになってしまったが私は今やっと俳優という仕事を心から楽しめている 作品づくりとはチームで行う。 「俳優というのは一つのポジションでしかない。脚本、監督、カメラマン、音響、設備と沢山のポジションの中の一つだ。その事を忘れてはいけない」と、昔、世話になった先輩によく教わったものだ。今はあの先輩の言っている言葉が分かる 塾帰りの高校生達がスマホでゲームをしながら前を通り過ぎてゆく 年を取れば取るほど若者と仕事をすることが刺激になる 彼等は経験こそないが今の社会の申し子だ。現代を生きて証明している。彼らこそが「今」なのだ 縁あって若い子らと世界を救う事になったが、彼等は素直で、優しく、熱く、そして眩しい。彼らと共にホワイトレンジャーでいられるのは後、僅かかもしれないが精一杯役目を果たしたい。そう思う。 家に着いた ここはホワイトレンジャーの寮 緊急時に備えて、五人で寮生活をしている 玄関を開けてリビングへ進むと 「月白さんおかえり。お仕事お疲れ様でした」 メンバーが出迎えてくれる 部屋はパーティーの飾り付けがしてあり、一番大きな白い壁には金色のペンキで「月白さんオールアップお疲れ様でした!」と書いてあった 「みんな…」 「お疲れ様!月白さん」 「ありがとう。みんな。こんな飾りまでしてくれて」 「これ皆で飾り付けしたんだ。月白さん喜ぶかなって」 「いやーでも凄いっすね。月白さんまでになると、伝説級の役が来るんですね」 「いやいや、たまたまだよ」 「俺は月白さんじゃなきゃ出来ない役だと思いますよ。なんてったって、伝説の痴漢役ですもんね。ただの痴漢じゃないんですもんね」 「いや…まぁ…たまたまね…」 「私も本当にそう思います。役の稽古している月白さんは本当に本当に気持ち悪かったですから」 「あぁ…見てたの…なんか…ごめんね…」 「今後も伝説の痴漢役来るんじゃないですかね」 「もう、やらないと決めているんだ。うん。絶対。…絶対………何だこの話…ワシの扱い酷すぎじゃろ」 【次回、月白さんホワイトレンジャー脱退!!】 「ウソです。ウソ、ウソ。最高に面白い話でした!ワシにバッチリハマってました!さすがです!よっ!アデュー!良いぞ!アデュー!」 【次回、月白さんホワイトレンジャー脱退を回避!】 「ふぅ…伝説の月白の乱!終わり!!」

7

 その男は、数字の『7』を激しく憎んでいた。男の住んでいる小さなアパートの部屋には、あらゆる物から『7』の数字が消されていた。時計、温度計、カレンダー、本、リモコン、食べ物の賞味期限。住所にも部屋番号にも『7』は入っていなかった。街を歩いていて、『7』の数字を目にすると、男は、暴力的な行為が発露する前に、慌ててその場を立ち去るのが常だった。男が『7』を激しく憎んでいる理由は、誰にもわからなかった。人々は理由を知りたがったが、男は口を閉ざしていた。様々な噂が流れた。やがて男は孤立した。そんな男に、唯一の友人が残った。友人は理由を詮索しなかった。「まぁ、そういうのって誰にでも何かあるよな」男はその友人にだけ心を許していた。そんな友人がある日、交通事故で急死した。葬式が開かれることになった。男は友人の両親から連絡を受けた。その葬式に出るためには、男は7時に目覚めなければならなかった。

人生に休載イラストはない

 ウェブ漫画の作り出した功績は、休載イラストの概念だろう。  毎週毎週、機械のように原稿を出し続ける。  そんな過労の負担を減らし、連載の休暇期間を設けることができるようになった。    ぼくは、好きな漫画の休載イラストが掲載されていることを確認し、アプリを閉じた。   「はー、仕事」    そして、鞄を手に取った。    漫画に休載イラストがあっても、ぼくの人生に休載イラストはない。  月曜日から金曜日は、ひたすら労働労働。  土曜日と日曜日の休日ですら、家事だの付き合いだので連載継続だ。   「週末、温泉でも行くかなあ」    せめて、ほのぼの日常パートを挟まなければ体が持たない。  満員電車に伸びる長い列に立ちながら、手早く近くの日帰り温泉宿を検索した。

次の桜の庭

雨上がり。あなたの網膜を焼く、空一面に広がる青は、ポスターカラーで塗りつぶしたかのように鮮明だ。花弁が満ちて、視界を覆わんとする重みに、支える枝が折れてしまうかのようだ。 踏み出した足元、古いが手入れの行き届いた革靴に紅色が混ざる様を眺めたあなたは、不意に顔を上げる。 今年も、いちばん彩り豊かな季節がきた。 我が校の入口に立て掛けた看板の縁を覆う紙製の装飾は使い回しだろうか、僅かに数が足りなかったようで、縁がはみ出している。 飽きるほどあなたが書いた我が校の名前、次はいつになるやら知れない。そこかしこで声がする。いつもより高い声色は、閉園間際の遊園地に響くそれに似ている。別れを惜しむ声、引き留める声。相槌を打つあなたに、悪い気はしない。 あなたの水たまりに反射する、嬉しいような、悲しいような表情が、知ってる終わりと、知らない始まりを想起させる。 強く吹いた風が背中を押す。摺りガラスの未来が期待か落胆かはわからない。わからないが、ひとつわかることがある。 次の桜の庭が呼んでいる。

素晴らしき人生 バンザイ

 少年の頃、私は挑戦しませんでした。学校が終わったらすぐ帰りいつも部屋にいて何かゲームだとかアニメだとか現実の世界から逃げ続けました。  部活も万年補欠。レギュラーを目指そうなんて思いませんでした。受験も迷わず推薦を選び楽な方向を目指し続けました。  大学を中退しました。  理由はコロナで……だとか、精神病で……だとか適当にいえば何とかなるんですけど本音を漏らすと、単位を取る行為から逃げたからです。  バイトには中退した事を言いませんでした。  カラオケバイト。 「最近よく働くね。大学大丈夫?」  もう大学生ではないので……。4年続けました。  将来なんて考えず、ただ覚えた仕事をこなせば良いこの環境は、私にとってどれほど幸せだったでしょうか。    周りが年下になり、バイトを辞めましたが働く気が起きず、芸人を目指しました。  小さい頃からテレビに出てる芸人さんは、キラキラ光って見えたのでこんな楽しそうな世界は、今よりマシかなと軽い気持ちで修羅な道の入り口の扉の門を叩きました。  本音を言うと夢を追ってるという理由で私は現実から逃げました。  しかし、芸人というのは勝負の世界。面白いで勝たない限り上にはあがれない。キラキラしてたあの世界には、面白いという切符を手に入れなきゃいけないのです。  私は二年ほどもがきましたが、最近は毎月のバトルライブもサボっています。  私は子どもとは呼ばれない年齢になった。  子どもだからしょうがないね……と過ちを簡単に許される年齢ではなくなった。  25歳。逃げるしか覚えれなかった私はもう生きるのダメかもしれません。    私は今日も逃げて、怒られたら嘘をつき、何かに怯えながら生きていくしかないのです。  

バイト、風邪を引く

 風邪をひいた。バイトは休めなかった。  シフト表を見た。今日、出勤するバイトは2人しかいない。私と最近入ったばかりの新人。私が休んだらバイトに迷惑をかける。  私は重い身体をやっとの思いで起き上がらせて、自転車に乗る。私の身体にまとった熱で溶けていくように冷たい風が肌に当たる。  38度はあるだろうか。外は冬でも私の身体の中は猛暑である。この暑さに耐えられなくなった私の身体の奥に住んでいた汗が逃げるように外に出ていく。  私の身体はこんなに熱いのに寒く感じた。 「あぁ……あの新人ね。飛んだよ」  居酒屋のバイトは常に真面目に働いてる人が損する形になっている。  数少ない真面目に働く人達で基本的に居酒屋は成り立っている。全然入らない人やすぐ休む人、無言でいなくなる人。不真面目に働く人の分まで真面目に働く人が辛い思いをして店を運営していくのだ。  フラフラな身体で私は厨房に入る。社員は自分のことで精一杯で私の事は見ていない。 「あぁ……。私も不真面目に生きれたらなぁ……」  周りを気にせず空気を読まず、自分の好きなことだけをして生活出来たらどれほど楽だろうか……。そんな事を考える。

はざまにいます

 大通りから一本外れた昼でも日の当たらない細道で、男は面倒そうに自販機に小銭を入れていた。白く濁ったプラスチックの中に並ぶ商品はどれも見慣れないパッケージ。男は他の自販機より安いという理由だけでそれを選んだ。  赤色の缶ジュースのボタンを強く押すと、ガコガコと騒々しい音を立てた。取り出し口に手を伸ばし頭を屈めた時、それは目に入った。取り出し口の上にあるプラスチックで囲われた広告スペースの中に見慣れない紙があるのだ。チラシの裏にマジックで書かれた文字が縦に並んでいる。 「探しています」  大きく書かれた文字に続き、女性らしき名前や年齢、背格好など詳細に書かれている。行間や段落はバラバラで、文字も読めるがお世辞にも綺麗とは言えない。  男はたまたま目に入った「探しています」の文字だけを認め、冷たくない缶ジュースを手にとり、顔を歪めて隣のゴミ箱に投げ捨てた。  歩き出した男には缶ジュースの立てた鈍い音も、女性が絞り出した「はざまにいます」という低くしゃがれた声も耳に入っていなかった。

大人代表

「大人を代表して、現代の子供たちに謝罪をする!」    よくわからないインフルエンサーが、よくわからない謝罪をしていた。  俺はこいつに代表をやってくれと頼んだ覚えもないのに、何を勝手に代表面しているのだろうか。    仕方ないので、黒魔術をかけた。  大人代表で子供に謝罪をしたのなら、大人代表として子供たちの恨みを受けてもらおう。  一人で。   『なんで叩くの? なんで叩くの?』 『なんで怒るの? なんで怒るの?』  『なんで生んだの? なんで生んだの?』    翌日、よくわからないインフルエンサーは原因不明の病で倒れたらしい。  よわっちい。    代表になる覚悟もない自称代表なんて、こんなものか。

苦笑い

 田舎にある大きな家に空き巣に入った。誰もいないと思って部屋を物色していたら、隅の部屋で老人が寝ていた。しかし、息をしていない。死んでいるのかと思い近づく。すると、老人の枕元に電池が置かれていることに気づいた。布団をめくる。老人の胸に電池ボックスがついている。俺は電池ボックスの蓋を開けて、電池を入れた。そして、何も盗まずに部屋を後にした。部屋を出る時、かすかな「ありがとう……」という声が聞こえた。その日の夕方、その家の近くに行くと、パトカーが何台も停まっていた。俺は清々しい苦笑いを浮かべた。

差別なき採用

「では、選考結果は後日メールにてお送りいたします」    私がオンラインミーティングを終えると、部かが近づいてきた。  余程私に疲れが見えたのだろう、部下は私にお茶を差し出してきた。   「お茶くみは、部下の仕事じゃないんじゃなかったっけ?」 「何年前の話ですか。忘れてください」    入社早々、「多様性の時代だから部下にお茶くみさせるのが当たり前とか思わないでください」なんて頼んでもないのに宣言していたのが懐かしい。  思わず、同僚たちと吹き出したものだ。  部下は私の手元にある履歴書を持って、眉を顰める。    名前なし。  性別なし。  年齢なし。  住所なし。  わかることと言えば、ITの資格をいくつか持っていることくらいだ。   「外国人だったんですか?」 「多分」 「多分って」 「国籍なんて聞いちゃ駄目なんだよ。差別になるから。ま、日本語は上手く喋れてなかったけど」 「ええ……」 「ついでだ。それ、シュレッダーにかけといて」    私は早速メールを作る。  と言っても、事前に用意された文章を送るだけだが。  選考をしたという建前を守るために、メールの発信は数時間後。  自動送信での対応だ。   「日本語が下手だから採用しないってのも、差別に当たるのかねえ」    昔の癖で、左胸に手を伸ばす。  胸ポケットに煙草の箱が入っていないことを思い出し、その場で煙草を一服する振りをした。

飲み込み悪魔とする (掌編詩小説)

原神は信仰神に飲み込まれ悪魔へ 精霊は論理に飲み込まれ悪魔へ 豊穣神も蠅の王へ 信仰神は科学に飲み込まれ悪魔へ UMAは真相に飲み込まれ悪魔へ 精神世界を産めば、物質世界がこちらを覗く 勝者の歴史、勝者の宗教 宗教戦争の余波、神への愚弄へ 実態の曖昧な者、語らぬ者 (完)

人間更生マシン

 少子高齢化時代において、人間とは資源である。  故に、犯罪を犯した人間であっても、再利用することが不可欠である。   「判決。被告人を、更生刑に処す」    とはいえ、刑の執行を終えた人間に対し、人権の保障も必要である。  過去に犯罪を犯したという理由で、以降の人生全てを制限することもまた、国ぐるみの犯罪と言えるだろう。    そんな矛盾を解決するために、更生刑は作られた。    更生刑は、金属で作られた床と壁から成る、無機質な部屋の中で行われる。  部屋の中央に設置された機械に人間の体をぶちこんで、スイッチを押せば終わり。   「ああああああああああああああ」    脳に電気を流し込み、人格を変える。  記憶も買える。  全身に熱を流し込み、外見を変える。    人間という資源を、別人として再利用する。       「あのー、すみません。私は誰で、ここはどこなんでしょう?」 「ここは警察署です。貴方は道端で倒れていたのですが、記憶がないのですか?」 「……はい。名前を、私が誰かも、思い出せないのです」    再利用された人間に求められることは一つ。  別人として、かつての才能を世間のために行使し、稼いで納税をすることである。

アピールポイント

 海鮮料理屋に行った。生け簀があった。タコがいた。そのタコはたすきをかけていた。そのたすきには『私はイカの味がします!』と書かれていた。私はそのタコを注文した。食べた。タコの味がした。満腹になって店を出た時、わが国ではそろそろ選挙が始まることに気づいた。

コンビニは大切なものを奪っていきました

「あ、買い忘れた」    困ったときは、コンビニに向かう。  二度もスーパーまで車を出すのは面倒なので、ありがたい存在だ。    歯磨き粉もある。  下着もある。  パンもある。  スーパーより割高だが、時間を節約できると考えればトントンだ。    コンビニには、小学生たちが溜まって、雑誌を一冊買っていた。  一人が勝って、皆で回し読みをするのだろう。    ……その役目は、うちのものだった。  昔の子供たちは私の本屋で買ってたし、私の本屋で溜まっていたのに。    便利な便利なコンビニは、私から大切な客を吸い上げていった。   「六百四十八円になります」    とはいえ、バイトの子に怒るのも違う。  昔なじみのオーナーに怒るのも違う。  誰が悪いって言えば、時代が悪いとしか言いようがない。   「はい、ありがとうね」    商品の詰め込まれたレジ袋を受け取って、私はコンビニを出た。    そろそろ私の本屋も、閉店を考える頃だろう。  コンビニやインターネットと戦うには、私は年を取りすぎた。

Drive on

 雨上がりの煙った匂いがアスファルトから立ちのぼり、外灯の白い光がそこに虹色の輪を投げている。  サーキットの勾配の頂上に二台分のヘッドライトが現れ、カーブに合わせて同じタイミングで空を切った。それらはそのまま緩やかな下りを、ぴったりと並んで滑っていく。  強化カーボン製のボンネットは、等間隔で置かれた外灯の下に潜り込むたびに鈍い光を放ち、一台のエンジンはヴォンッとエレキベースのように唸り、もう一台はシュアッと気を吐いた。  カーブに差し掛かると一台がわずかに先行して壁を上り、もう一台は半拍遅れるかどうかといった速さでそれを追う。ストレートに入るとまた二台は並んだ。  そんなふうに追いかけっこをしながら、五、六周すると、どちらともなくスピードを落とし、コントロールラインに並ぶ。 「きょうはわたしの負けね。」 「きょうも、の間違いじゃない。」 譲二がからかうと、 「言うわね。」 真実は笑いながら片方の眉を上げてみせる。バタフライを泳ぐときの腕よろしくドアが持ち上がり、二人はコックピットから出る。彼女は屈んでグローブボックスからスヌースの缶を取り出し唇の裏に挟むと、缶の蓋を閉めて彼に放り投げた。二人は夜気を楽しむ。  少しの休憩のあと、彼らはもう一度走り出す。今度は地面から車を浮かせて走るのだ。  二台はそれぞれにスイッチを入れ、いずれの車体も地面から一メートルほど浮く。  片方がパッシングして合図を出すと、両者は車のお尻を僅かに持ち上げて後退し、反動をつかって前進しながら上昇する。  「自由」を感じられる瞬間のひとつだ。空飛ぶクルマはかつて、垂直に上昇してから水平移動をするものだったというけれど、今は斜めに飛ぶことができる。もし斜めに飛べなかったら、これほどのびのびした気持ちにはなれなかっただろう。  十分な高さを保てるようになると、譲二は車の天井に設えられた三〇センチ四方ほどの窓を開ける。冷たい外気が吸い込まれ、また出ていった。真実も同じように小さな窓を開けて外気を浴びる。二人は束の間、大空を舞う鳥の気分を味わおうとしてみる。だが、鳥はもっと軽々と、同時に息を切らして飛ぶのだろう。クルマは鳥のように軽くはなれないし、鳥も車ほど滑らかに走ることはできない。二人はクルマが風を切って進む重厚感を思いきり味わっていた。  二台はそのまま、サーキットの隣にある大きな公園の上空をゆっくりと旋回する。そこは広大な敷地を誇り、芝生と森と人工のアスレチックとで構成されている。その緑は今がいちばん美しい季節だが、真夜中のいま、森は黒々と息づき、なまめかしく揺れている。   彼らは上昇したり下降したりしながら、その景色を存分に楽しみ、シフトレバーを操作して重力を感じながら公園の駐車場に降りる。 「また、明日ね。」 「おう。」 それ以上の言葉を交わさず、二人はそれぞれのシングルシートに身を沈めて帰路に就く。 ※「嗅ぎたばこ」を「スヌース」と、「一人乗りのクルマ」を「シングルシート」と表現したのは Google Gemini の提案に拠ります。

状況

 路上に看板が立っている。『ワンちゃんのフンの始末は飼い主が責任を持って行ってください。』そこへ、一匹のイヌを連れたご婦人が現れる。イヌは看板の前で立ち止まり、踏ん張り始める。ご婦人は何もせず、ぼんやりと看板を見つめている。やがて、イヌのお尻から、一人の小さなおじさんが出てくる。おじさんはフンで出来ている。おじさんはイヌとご婦人に頭を下げ、どこかへ走り去っていく。ご婦人とイヌはそれを見送り、散歩を再開する。ご婦人はイヌを動物病院に連れていくべきかどうか迷っている。現在の状況は、異常だが、面倒くさくないからだ。

優しいひと

 佐々木くんは、職場でいちばんやさしい人だった。  総務部に異動してきた三年前から、私はそう思っていた。エレベーターでは必ずドアを押さえる。会議室の椅子を引いて待っている。誰かが重い荷物を持っていれば、黙って半分持つ。そういう人だった。  体型のことを言う人もいた。社内でいちばん太っている、と。確かに、スーツのボタンはいつも窮屈そうで、夏場は額に汗が光っていた。でも私には関係なかった。佐々木くんは佐々木くんだった。  ある金曜の夕方、私は残業で一人になった。書類を整理していると、給湯室から物音がした。 「あ、三浦さん、まだいたんですか」  佐々木くんだった。マグカップを二つ持っていた。 「コーヒー、飲みますか。どうせ残業でしょう」  私は断れなかった。断る理由もなかった。  二人でカウンターに並んで、コーヒーを飲んだ。外はもう暗くて、オフィスの窓に私たちの姿が映っていた。佐々木くんはぽつぽつと話した。地元の話、学生時代の話、昔は料理が好きだったという話。私もぽつぽつと返した。気づけば一時間が経っていた。  帰り際、佐々木くんが言った。 「三浦さんって、話しやすいですね」  それだけだった。でも電車の中で、その言葉を三回繰り返した。  それから少しずつ、距離が縮まった。週に一度、帰り道が同じ方向だとわかってからは、一緒に駅まで歩くようになった。佐々木くんはいつも私の歩幅に合わせた。急かさなかった。それが、じわじわと効いた。  好きになっていた。自分でも気づかないふりをしていたけれど、四月の終わりに桜の散る道を並んで歩いたとき、もう隠せないと思った。  五月の連休明け、職場の雰囲気が少し変わった。  営業部の中村さんが、やたら給湯室に来るようになった。中村さんは背が高くて、愛嬌があって、場を明るくする人だった。佐々木くんと話すとき、よく腕に触れた。佐々木くんは困った顔をしなかった。  私は気にしないようにした。気にしても仕方がないと思った。  六月のある朝、私より早く出社した佐々木くんが、私の机に付箋を貼っていた。 おはようございます。昨日のプレゼン、よかったです。  笑ってしまった。自分ではあまり上手くプレゼンできた気がしていなかったのに、佐々木くんは褒めてくれた。  その日の昼休み、私は給湯室の前で足が止まった。ドアが少し開いていた。中から、声がした。 「ねえ、佐々木くんってさ、三浦さんのこと好きなの?」  中村さんの声だった。  少し間があった。 「……どうして」 「だってすごいじゃん、毎朝付箋とか、一緒に帰るとか」  また間があった。私は動けなかった。廊下に立ったまま、息を殺した。 「好きとか、そういうんじゃないですよ」  佐々木くんの声は、穏やかだった。いつもと同じ、あの穏やかな声だった。 「ただ、なんか、放っておけなくて」  中村さんが笑った。「やさしいね」と言った。  私はそっと、来た道を戻った。自席に座って、パソコンを開いた。画面には何も映っていなかった。  放っておけない。  その言葉が、頭の中で何度も反響した。やさしさと、憐れみの、どこに線があるのか。私にはわからなかった。佐々木くんが私に向ける笑顔が、今日から少し違って見えそうで、それが怖かった。  昼休みが終わって、佐々木くんが戻ってきた。 「三浦さん、お昼食べました?」 「食べました」と私は言った。  佐々木くんは微笑んで、自分の席に座った。  私はその背中を見ながら、この胸のざわつきに名前をつけることを、しばらくやめようと思った。やさしくされることと、愛されることは、たぶん違う。でも今日だけは、まだ、知らないふりをしていたかった。

創作家は旅をする

 創作家は、なんでもできる。  空想の世界でファンタジーの街を歩ける。  魔法を使って奇跡も起こせる。  人間だけでなく、エルフやゴブリンとも友達になれる。    最も世界を旅している職業と言っていいだろう。   「あ、もう昼か」    執筆に疲れたので、腰を上げる。  しゃっとカーテンを開くと、外は快晴。  知らなかった。   「腹減った。カップラーメンあったかな」    棚を開くも、備蓄なし。  ぼくは渋々、外に行く準備を始めた。    創作家は世界を旅している。  しかし、歩き回るのは空想の世界。  現実の世界を歩くには、体というものが重すぎる。

桜の花びら

「私って生きるの下手だなー」 椅子に猫背に腰掛けた先輩が言った。 「どうしてですか?」 先輩はいつも笑顔だったので、どうしてそんなことを言うのかわからなかった。 「だって、みてこの顔」 「顔ですか?」 先輩は自分の顔を指さし、言ってきた。 「一重で目が小さくて、おまけに団子鼻」 先輩はそう言いながら、窓から見える桜を眺めていた。 長いまつ毛が光に照らされ、美しかった。 もう三月で、三年生の先輩は卒業してしまう。  こんな会話ももうできなくなる。少しだけ悲しい。 「世の中はルッキズム、この世は顔が全てなんだよ。こんな顔じゃ、損して生きるに決まってる」 「そうですか?先輩の顔、好きですよ」 つい、本音が漏れてしまった。でも本当に先輩の顔は綺麗だ。 「ふーん、そう?じゃあ私とキスできる?」 先輩は綺麗な目元を細めて言った。悪戯な目だ。 「はい」 先輩を困らせてやろうと思って言った。 「え」 先輩はうつむき、顔を赤くした。その顔はなんとも美しかった。 先輩のその反応を見て、自分の発言を重さを自覚した。 「ま、まじ?」 真っ赤な顔で少しはにかみながら先輩がたずねてくる。 「冗談です」 目を見て言えなかったのは、それが嘘だったからかな。 「あっそ」 先輩は少しだけ悲しそうな目をして、再び笑う。本当に綺麗な人だ。 先輩は明日卒業する。全てが今日までだ。 「てか先輩、なんでここにいるんですか?」 「なんでって、私はここの部長だよ」 「二人しかいない部活に部長って。てか三年は引退ですよ」 この部活の部員は先輩と自分の二人だけ。 ほぼ廃部で、先輩が卒業する今となっても正式に部活として認められていない。 「まあ、いいじゃん。てか私が卒業したら君、一人だよ?」 「そうですね」 「私が卒業したらどうするの?」 「帰宅部ですかね」 「まじか。君がこの部活に入部した時、私めっちゃうれしかったんだ」 「なんですか、急に」 「別に〜」 先輩がそう言うと同時にチャイムがなってしまった。 「また明日」 手を振りながら、先輩が言う。 次の日。卒業式の最中、私はずっと先輩を見つめていた。 先輩は泣きもせず、笑いもせず、いつも通りの落ち着いた表情だった。 「卒業おめでとうございます」 卒業式が終わった時、先輩に勇気を出して言った。 「ありがとう」 先輩の顔はいつもよりずっと美しかった。 先輩が卒業してしまった。まあ、卒業しちゃうものか。 思い返すと先輩の連絡先も、住んでいるところも、行く大学すら知らないな。 もう二度と会えないのかな。 いつも先輩が座っていた席に座り、桜を眺めた。 先輩は散ったらどこかへ行ってしまう桜の花びらみたい。 校庭に咲く桜を眺めながら思った。その間にも花びらは一枚、また一枚と散っていた。 部活、新一年生がくるまで続けよ。

火曜可燃

どこかでエンジンのかかる音を雷と勘違いした 軒先から手を伸ばして、やはり今日はやめようかと思った 走り出す音で、今のうちにと思う 雨が強くなってきてしまった

救済措置

 駅にゴミ箱が設置されている。『燃えるゴミ』『ビン・缶』『ペットボトル』『夢』ある冬の日、終電が去った後のその駅で、一人のおじさんが、『夢』のゴミ箱に、ロケットの模型を捨てた。そのことに誰も気付かなかった。神様さえも。

デジタル折り紙

『折り紙で、鶴を作ってみましょう。画面をタップしてね』 「はーい!」    息子がにこにこしながら、タブレットをタップしている。  タップする度、画面に映る紙が折られていき、鶴の形に近づいていく。   「それ、面白い?」 「うん!」    あまりに不気味だったので思わず声をかけたが、息子は何の違和感も感じてないのか元気な返事を返してきた。   「そう、なら、いいんだけど」 「うん!」    私は息子を見ながらソファに座り、サイドテーブルに置いてあった折り紙を手に取り、鶴を折った。   「時代だなあ」    折り紙は、ちゃんと折ったつもりがぐしゃぐしゃになって、角と角がぴったり一致するようになる過程が面白いというのに。  果たしてタップするだけのデジタル折り紙で、何が手に入るというのだろう。    私が折り鶴を完成させて掴んだ時、息子もデジタル折り紙を完成させたらしく、嬉々としてタブレットを見せに来た。

雨の日、その古びた喫茶店にて

その村の片隅に、いつからあるのか誰も知らない古びた喫茶店がありました。そのお店の店主さんは、珈琲豆と一緒に「懐かしい記憶の香り」を抽出するとも、珈琲には「もう二度と会えないはずの誰かの気配」が香っているとも噂されています。 ある雨の日のことです。時計職人の少女が、さびしそうにそのお店へ入っていきました。店主が差し出したのは、夜空のような色の珈琲です。 「これを飲みますと、二度と会えないはずの誰かと、たった一度だけですが…」 少女は、遠く離れた星の観測所へ行ってしまった親友を思い浮かべながら、その珈琲を飲みました。 気がつくとその少女は、村はずれの古い展望台のベンチに腰をかけていました。隣には、懐かしい微笑みを浮かべた親友の姿がありました。ふたりは、久しぶりの会話を楽しみました。 やがて親友の姿が、遠くの星の光のように薄くなってきたころです。その親友は、少女の手のひらに、見たこともないほど輝く「小さな星の欠片」をそっと乗せました。 ふっと意識が戻ると、少女はお店のイスに座っていました。少女の手のひらには、温かい感覚といっしょに、あの星の欠片が残っていました。ほんのりとした珈琲の香りが、少女をつつんでいました。

晩冬のメモ

 晩冬の夜である。公園に設置されている電話ボックスの中に、一体の雪だるまがいた。雪だるまはどこかに電話をかけていた。雪だるまの手には一枚のメモが握られていた。木の実でできた目の周りがうっすら濡れていた。翌朝、公園の管理人が、電話ボックスの床に、木の実とマフラーが落ちているのを見つけた。床には水たまりが出来ていた。電話機の横には一枚のメモが落ちていた。管理人はメモを見た。メモには『春ガ来ル』とだけ書かれていた。

何でもしていいなら何をする?

 「何でもしていいと言われたら何をする?」 「何もしなくても怒られないようになりたい」 「何故かこの世のルールは世の中にお返しをしなくてはいけないようになってるから」 本当はそんなのを取っ払って何もしなくてもいいようになりたい 「何かしなきゃ駄目だよ」 「そうなんだけどね」 諸行無常。

変身

 ホームレスのお爺さんが道を歩いている。彼は木の枝を拾う。そして、しばらくそれをもてあそびながら歩く。ふいに彼の目の前にコンビニが現れる。彼は木の枝を持ったままコンビニに入る。そして、木の枝をレジにいた店員に突きつけ、「金を出せ!」と叫ぶ。店員は黙って手を伸ばし、木の枝を真っ二つに折る。ホームレスのお爺さんはそれを見て、ゲラゲラ笑いながら、コンビニを出ていく。彼は歩き続ける。少し泣いている。

わかれ

昨日までの自分の体温が懐かしい。 その懐かしいの欠片をおふとんでくるみ、 冷たくならないようにしてやる。 夜は一緒に寝て。 朝だって、ともに目覚める。 約束した間柄のふたり、みたいに。 いつも、いつも― 風が小さな蕾をなで、その蕾をスズメがもてあそぶ スズメは、カラスに狙われていることには気がつかなくて― いつの間にか、青かった視界に色がつき、 人々や動物たちがうごめきはじめる、そして植物も。 ああ、そろそろ春かな。 おふとんのなかに声をかける。 懐かしいあの体温は、消えていた。 あたたかな日差しが、かわりに部屋のなかを走る。

出費

 天使のストライキが長引いている。だから家電量販店では、ロボット天使がよく売れている。毎日俺が勤める家電量販店に金持ちそうな客がやってきて、ロボット天使を買っていく。ロボット天使は高い。だがよく売れている。天国に行くような人の関係者だから、きっと金もあるのだろう。一方俺の周りは、死んだら地獄に落ちるような奴ばかりだ。家族も友人も俺も。だからロボット天使を買う必要はない。無駄な出費を抑えられて良い。そう思うことにしている。

旅〜はじまりの夜〜

毛玉の森にある、ルビー村という所に一人の少年がいました彼の名はij。彼がこの物語の主人公です  皆既月食の夜。赤い月明かりの下、生まれ育った村を後にする旅人がいました。それは主人公のijと親友のルイ。ルイはオオカミです。まっしろな毛をした心優しいオオカミです。 ijとルイはこっそりと村を抜け出しました。ijにはどうしても、どうしても行きたい所があったのです。村の人達はijが旅に出ると言ったら、きっと行かせてはくれないでしょう。それは、これからijとルイが目指すところが天国だからです。 ijの家族について少し話します。 ijには両親がいません。 生まれて直ぐに天国へ行ってしまいました。今までずっと、村の人達がijの親の代わりになってくれました。村の人達はijにとって家族です。そして村の人達もijを本当のかけがえのない家族と思っています。ijはその事を知っているので幸せでした。 ただ、村の親子を見ていると、時折、強烈に両親に会いたくなるのでした。そして、今回の旅を思いたったのでした。そんなijの気持ちを分かってあげてはもらえないでしょうか。 彼は今晩、一人きりで旅立と決めていたのですが、親友のルイに見つかり、二人で旅立つことになりました 「なんかドキドキするね!旅に出るだなんて初めてだよ!ij!」 ijはニコニコ笑いながら頷きました。 皆既月食の夜。赤い月明かりの下、生まれ育った村を後にする旅人達は月の沈む方へ進んでいきました。 まだ少年のijと彼と同じ年のまっしろなオオカミのルイ。ルイは牛のように大きく逞しい体に白い毛をなびかせてノシノシ歩きます。 外套が冷たくなるくらいまで歩いてきた所で、キャロルに会いました。月を眺めていました。 「こんばんは、キャロル。ねえキャロルは天国がどこにあるか知ってる?」 古狸のキャロルは前を見たまま 「天国に行くなら連れて行ってやる。ワシもこれから行くところだ」 と答えてくれました。 こうして、彼等の旅ははじまりました

二日目の朝

 窓の外で電車の走る音がした。しかしすぐに、この近くに線路はないことを思い出した。  まだ温もりを残した硬いベッドとシーツの上。レースのカーテンから射し込む朝の白さに目を細めながらひんやりとした床に足をつけた。  寝ていた姿のまま、玄関を出て階段を降りて一階の集合ポストに向かう。他の住人はまだ寝ているのかすでに家を出たのか、階段にはスリッパの音だけが冷たく響く。  自室の番号がかかれたポストの中には一枚の葉書が入っていた。 「うまく逃げられましたか?」  葉書の中央に、小さく細い文字で書かれていた。裏を見ると自分の名前だけが書かれている。差出人の名前はない。  葉書を人差し指と親指で挟みひらひらと煽りながら階段をのぼる。  また、電車の走る音がした。今度はよりはっきり聞こえた。電車ではない、風の走る音が。

掴む

 手を伸ばすと、空を掴む。  当たり前である。  手を開いてもそこには何もいないし、少し遠くにあった空気がすぐ近くに来ただけ。不思議と、意味もなくなにかを欲して手を伸ばしてしまう。  今のもそれでしか無かったのに。 「あ、」思わず声が出た。なにかを掴んだ。恐る恐る手を開くとそこには蛾。 「うわ」  そんなふうに慄いてその手を少しだけ遠くに伸ばした。一命を取り留めたそれはモゾモゾと動いていて、今にも飛び立っていきそうだ。良かった、潰していなくて。  モゾモゾと動くそれを見つめる。翅に傷でもつけてしまっただろうか。悪い事をした。  なんて思っていれば、バタリと飛び立ってしまった。それをぼんやりと眺めていれば、いつか見失ってしまって、ただ空を見つめていた。  今日も掴めやしなかった。

親心

 お母さんに、「遠足のお弁当にタコさんウィンナーを入れて」と頼んだ。遠足当日、お昼ご飯の時間に、お弁当箱を開けた。お弁当の中に、ウィンナーが入っていた。そのウィンナーは、死んだお父さんの形をしていた。それで僕は、お父さんがタコだったことを知った。

自問自答のQ.E.D. (掌編詩小説)

つらつらと、ただ言葉が耳を通り抜ける ひらひらと、薄皮がめくれて きらきらと、生ごみで埋め尽くされて まじまじと、疑視していく ズキズキと、痛む道徳感 ギラギラと、照つく高揚感 段々と、理解していく現実 延々と、自問自答のQ.E.D. 久々と、我に返っても 続々と、自問自答のQ.E.D. (完)

くりかえし

何もしたくないからなにもしない。ただ横になって、空気がよどんで、光が薄くなって、時空が歪んだから、"いきたくない"が増えた。増えたから、もっとなにもしたくなくなった。あれ、今日はまだだったなあ、もう針が11と半分をさしているのに。3粒のみこんで いのち になろう。お布団はもうちょっとまっててね。

友情の敗北

「ね、佳織。このままコンビニ寄ってアイス買お!暑すぎて死ぬ!」 そう言いながら、さっき表彰式で貰った賞状を鞄に詰め込もうとする女の名前は桜。私の長年の親友だ。 コイツは文武両道•才色兼備。才能が服を着て歩いているようなもので、今鞄と格闘しながら詰め込んでいる賞状も、彼女がこの終業式までにもぎ取ってきた賞の数々を称えるものだ。 なんの賞とってたっけ。ポスターコンクール最優秀賞、弓道の大会は1位、小説のコンテストも初めてと言っていた割には奨励賞を貰っていたはず……後は覚えていない。式が退屈で寝ていた気がする。 あえて言おう、私はコイツが大嫌いだ。天才が大嫌いだ。 彼女はその才能を振りかざして、周囲の人間の脳を焼き切っていく。私もその熱にやられた一人である。 出会ってすぐの時は、ただ凄いなとしか思っていなかったし、邪な感情なんて微塵も湧かなかった。 でもその“才能”の矛先が私に向けられた時から、私は変わってしまった。 自分が磨いてきた努力の刃をへし折られるあの感覚。 自分が立っているはずだった表彰台の頂上。 私に向けられる彼女の笑顔が歓喜なのか、嘲笑なのかもわからなくなるほど、私の心は壊されてしまった。 「いいよ、桜の奢りね。」 「えぇ〜!?何それ!……もしかして私がいっぱい賞獲ったから嫉妬してる〜??」 「は、なわけないじゃん(笑)」 まったくの嘘である。 あれから数年間、私は彼女の才能に焼かれ続け、こうして彼女が賞を獲る度に嫉妬と憎悪で腸を煮えくり返している。 「そんなに欲しいなら賞状あげるよ!どうせ家でも邪魔になるだけだし。」 ああ、そうやって自分の功績を粗雑に扱う様も大嫌いだ。獲ったものは戻せやしないんだから、いっそひけらかして自慢してくれたほうがマシである。それに人が獲った功績を譲ってもらうなんて馬鹿な真似はしたくない。そんな事をしてまで他人から認めてもらって嬉しいはずがない。 「いらない、アンタの名前書いてあるし。」 「そうじゃん!いやー名前の欄あって残念だったねぇ。」 「だから欲しくないって。あ、赤信号になる。」 「あ〜……。待つのめんどいし渡っちゃお!」 「え!?ちょ、桜!!」 走り出した桜はもうすっかり横断歩道の真ん中まで渡りきっていて、信号が赤くなる頃には向こう側まで行ってしまった。 桜は文学しか能のない私とは違って足も速い。 その差を埋めることはできなかったし、埋めようとすら思わなかった。 またこうやって、彼女は、桜は、私をその才能で突き放す。 天才は孤独だ、なんて言うがそれは本人の無慈悲で屈託のない才能の暴力のせいだ。その才能を捨ててすらないくせにこちらのせいにされるのは心底腹が立つ。 私達の間を無数の車が過ぎていく。 その4車線は近いようで永遠に遠い。 ずっとずっと、埋まることのない、“差”。 気が付けば私は、向こう岸の彼女に背を向けて歩き出していた。 「あー……。」 帰り道の間ずっと、どこか死んだ顔をしていた友人。嫌な予感はしていた。 そう、予感通り。こちらへ背を向けて消えていく佳織と私は親友“だった”。 私、桜が友達を失うのはこれで7回目。 あれ、8回目だっけ……。まあいいか。 「ほんと、つまんないなぁ……。」 嫌なら着いて来なければいいのに。なぜ自ら死にに来るのだろう?あいつらの辞書に「孤独」の2文字は載っていないらしい。 凡人は群れたがり。

栄養

 夜空を見上げる。満月が出ている。月のウサギがよく見える。ウサギから無数の触手が伸びている。それで、周りの星を食っている。月は今夜、ますます輝くだろう。

何も無い奇跡

妄想現実一年間半四つの島の部屋には今日突然 小さな奇跡が起きた其れは自分が限界だったと 思ったワイヤー入り20kgマットレスを1人で 持ち上げれた事私は未だこんなに力持ちだった 一応注意書きに大人2~3人と記載有りですが ( ̄▽ ̄;)まぁ~偶々でしょうしかし世の中は 嘘と偽善のオンパレード確かに一般論は正しく 見えても実際はと言う情報の坩堝恐ろしいです エイワ闇金じゃ無いのに服装だけで色々言われ 気の毒過ぎる過去大変御世話に為った金融公社 だった契約条件は厳しかったかも知れないけど 其処に行けば絶対と安心の保証が有りましたね 従業員の片方も良い方ばかり思わず無駄な話が 大盛り上がる優しい環境で私は心地が良い記憶 まぁ~何が嘘か否かは実際にその場所へ行けば 分かる様にSNS、X、TikTok等デマカセばかり 蔓延ちゃう昨今情報は正しく学び正しい投稿を 願いたいものだじゃ無いと明日は我が身だから

灯台

 くしゃくしゃと、まばらな石ころたちが私の足の音を奏でる。痛いほどに大きなそれを踏みつける私の足は、まるで何処かを目指しているかのように歩き続けている。  何も考えずに飛び出してきてしまった。何も考えずに、歩き出してしまった。  何処かに行きたいわけではない。でも、あのまま留まることもしたくなかった。  結局自分g何をしたいかなんてわかりもせず、気付けば私は波の音のそばに立っていた。  ゆらゆらと揺れる、その波間に蒼を見る。その場に座り込んだ私は、ただ静かに、この波に揺られていたいと思っていた。  その景色の向こうに、思わず手を伸してしまった。  不意に、何かが遠くに見える。燦然と輝く空と水面の隙間に、白い塔が立っていた。  灯火。揺れる灯は、静かに私を照らす。岩礁に打ち付ける波の音だけが響いていた。  言い表せないような懐かしささえ感じる。今この目に映る景色に鍵を掛けたところで、私にはどうすることもできないのに。  どこか不安な私の心は、知らぬ間にその光に吸い込まれていた。 「あれ、見える?灯台」  微かに憶えている、いつかのこと。同じ時を過ごした、それでも、もういなくなってしまった君の音を探す。  花のように艶やかで、鮮やかで。そんな記憶が弾けた。 「あれは、何をしているの?」  光を指さす。私にとってそれは、海上の未知の世界だった。 「暗闇を照らして、船を導くんだ」  確か君は、そう言っていた。  微熱に汗ばむ手を翳した景色は、ずっと前に見ていたような青に染まっている。ただの一度も、君のことは忘れたくなかったのに。  体温を忘れる、匂いを忘れる。顔を忘れて、最後には声を忘れる。いつか聞いた、忘却の手順。  知らぬ間に踏んでいたとして、もうそれに気が付くことは出来ない。 「それでも」  声を手繰り寄せて掴んだ、君の目を見つめる。 「君が、私の光だから。優しく照らして、導いてくれる」  もう君はいない。それでも、いつでもそこに在る気がする。  輝くあの灯台のように。今も、その名前を呼んでいる。

何色

 病気で寝ている画家は、夕方、ふと目を覚ました。窓の外に夕日が輝いていた。病気の画家は、「あれを描きたい」と思った。画家は布団から這い出て、パレットを取り出して、小さな台所で洗った。そして、汚い部屋の中で、絵の具を探した。金はほとんど薬代に使っていたから、絵の具は残っていなかった。それでも画家はわずかな絵の具をやっと見つけて、それをパレットの上で練った。手が震えていた。咳が止まらなかった。それでも画家は、絵の具を練った。あの夕日の色を作りたいと思った。画家はだんだんと意識が薄れてきた。あっ。夕方ということは、薬を飲む時間だ。そう気づいた時には画家は倒れていた。そして、次に目覚めた時、夕日はとっくに沈んで、辺りは夜だった。一所懸命に練った絵の具は、暗闇に包まれて、何色かわからなかった。画家はパレットを床に放り出し、布団に潜った。そして、目を閉じた。その目は二度と開かれなかった。