「千里さんってお酒飲むんっすか」 「え?お酒?飲むよ。めちゃくちゃ」 「めちゃくちゃ飲む女の人っているんすねぇ」 「いるわよ。ここに。それより早く終わらしちゃおう」 「はーい」 のんびりしている後輩の石川が作業を再開する 今は出庫を緊急停止してもらって、パレットに積まれた箱を一つ一つ開梱している。 周りには段ボールの積まれた出荷待ちのパレットがいくつもあり、トラックに載せていた所を中断してもらっている。何故か?トラブル発生の為です。まぁよくあることなんだけど。 詰替え用の洗剤が液漏れしている可能性がある商品が梱包されてパレットに積まれているはずなのだ。 製造ラインに洗剤が付着しているのを、うちの従業員が見つけたので、ラインを止めて、出庫を止めて、開梱検品している。迷惑もかかるし、生産進捗も遅れるけど、不良品を出荷するわけには行かない。メーカーとの信用問題に関わるから。 「千里さん、ありました!」 「あった?良かった」 「接着不良ですね。ヒーターを見たほうが良さそうです」 「オーケー。とりあえず、石川君はラインに戻ってメーカーのエンジニアさんに連絡してちょうだい。エンジニアさんがマシンを確認している間、洗剤が付着している所を綺麗に清掃しておいて。オーケーが出たら直ぐ生産開始でお願いします」 「はーい。分かりました」 「私は出庫の再開を物流の人に伝えてくるから。よろしく」 「あっ」 「え?何?」 「今日飲みに行きませんか」 「え?あぁ…よし行こう。たまには行こうか」 「ご馳走様でーす」 「まかせて」 千里はフォークリフトの方へ向かう ★★★ 「お疲れ様」 「お疲れ様です」 夜の9時、会社の近くの居酒屋で千里と石川が乾杯をしている トラブルから生産を再開し、生産は当直のメンバーに任せて、報告や記録、片付け等の処理を千里と石川で済ませた。諸々が終わったのが夜の8時で二人ともクタクタだったが、明日は二人とも休みで居酒屋に着いた頃には元気になっていた。 「千里さんお子さんの晩ごはん大丈夫なんですか?誘っといてアレですけど」 「うん大丈夫。もう高校生だからね。さっき電話したら焼きそばとラーメン食べたらしい」 「凄い。焼きそばとラーメンって…食べ盛りですね」 「あんな細いのにどこに入るんだか」 「千里さん再婚しないんすか」 「何、急に…まぁ、したい人がいたらするかもね」 「メガハイボール二つお持ちしました」 「アレ?2個も頼んだんですか?」 「そうよ。1つは石川の分」 「えっ…飲めるかな」 「飲めるよ」 「勝手に決めてるし」 二人の宴は12時を回った所でお開きになり石川が千里を歩いて家まで送っていく 「一人で帰れるって」 「そういう訳にはいかないっすよ」 「誰も心配しないから」 「しますします」 「しかし、めちゃくちゃ飲みますね」 「そうよ。石川も責任者になればこうなるよ」 「俺は責任者はいいや」 「何言ってんの。石川しかいないでしょ。私の後任」 「やめるんすか」 「やめてたまるか」 「はぁそうっすね」 「そうよ」 「あれ、この辺でしたっけ?」 「そう、あそこの家が私のお家」 「あの…千里さん」 「ん?」 「…」 「…」 「…」 「え…?」 ★★★ 帰ると息子たちは既に寝ていた 静かな夜に湯船に浸かりながらさっきの事を思い出していた
さまざまな動物たちが集まる私たちのコミュニティでは、不思議なことに「弱肉強食」は起こりません。皆、外へ狩りに出かけて腹を満たしてから集まるのが、このコミュニティのルールだからです。そのため、ここには暴力など存在しません。 ただ、お腹が満たされ、暇を持て余した彼ら、彼女らは、いつも「何か面白い話はないか」と探し回っているのでした。 ある日のこと、オオカミが声を大にして言いました。 「おい、これは俺が見つけたゴミだぞ! こんなに危険で汚くて、役に立たないものは他にないだろう!」 すると、周りにいた豚やハイエナがそれに賛同し、次々に声を上げました。 「おお! 世の中にはまだこんなゴミがあったのか!」 「ああ、これは間違いなくゴミだ! 他の者にも知らせなくては!」 しかし、離れた所で見ていたハトは首を傾げていました。 「なぜみんな、揃いも揃ってあんなに価値のなさそうなものに集まるのだろう……」 そこでハトは、自分がみつけた、とびきり綺麗な石をみんなに見せて言いました。 「みんな、この綺麗な赤色の石を見てごらんよ! こんなにも美しいんだ!」 しかし、ほとんどの動物たちはチラリとこちらを見ただけで、ちっとも興味を示しません。他の鳥やサルたちは近づいてきて「本当だね」と共感してくれましたが、あの「ゴミ」に集まっている動物たちに比べると、その数はほんのわずかでした。 すると、イヌがハトの近くへ歩み寄って言いました。 「僕や僕に近しい動物達には、赤とか緑とか、そういう色がよく見えないんだよ。どれも似たような色に見えてしまうんだ。君は綺麗な色って言うけれど、僕にはそれが綺麗なのか汚いのか、判別がつかないんだよね」 イヌは少し申し訳なさそうに、言葉を続けました。 「でもね、汚いものなら分かるんだ。汚いとか、危ないとか、嫌だなという感覚は、本能的に分かる。だからみんな、あのゴミの周りに集まって騒いでいるんじゃないかな」 私はその会話を聞いて、とても驚きました。 世界の見え方は、みんな同じだとばかり思っていたからです。自分にとっての『美しい』は、誰にとっても同じように『美しい』と見えているのだと信じ込んでいたのです。 でも、実際はそうではありませんでした。 見えている景色はみんな違う。けれど、「私はこれが美しいと思っている」という自分の気持ちなら、言葉にして伝え合えるはずです。 私は胸を高鳴らせて、みんなに向かって呼びかけました。 「ねぇ、みんな! それぞれの『美しい』を僕に教えてよ! 君たちが見ている世界を、僕にも聴かせておくれ!」
「まじ、ヤバみでエグみでまんじ」 道行く若者の言葉を聞いて、私はひどく悲しい気分になった。 日本語が、日本語でなくなっていくように感じて。 まじ、とはなんだ。 日本語には、『本当に』という言葉がある。 ヤバみ、とはなんだ。 日本語には、『危険そうだ』や『難しそうだ』という言葉がある。 エグみ、とはなんだ。 いや、本当になんなんだ。 形を変えていく、あるいは消滅していく美しい日本語が、私は恐くて仕方なかった。 「どう思う? ばあさんや」 「東京生まれのあんたがンなこと言ってんでねえ!」 恐怖をばあさんに共有しようと思ったら、まさかのお叱りが返ってきた。 意味も分からず、私は首をひねる。 「変なことを言ったか? 日本語を守ろうとしているだけなのだが」 「あんた、あたしゃが嫁いできたとき、なんといったか覚えとらんのかー!」 「……なんか言ったっけ?」 「『これから東京に住むんだから、方言も直そうな』とか言いやがったんじゃ!」 「言ったな。東京に住むんだから、標準語の方がいいと思って」 ばあさんの言葉の意味が分からずに固まっていると、ばあさんは鬼のような表情へと変わった。 鼻息を荒くして、しわくちゃの顔に、さらに深いしわを作った。 「何が標準語じゃ! 明治に入って整備されただけの、人工若者言語じゃねーか! うちの方言は都が京都の前から存在するわ!」 「いや……でも……標準……」 「黙れ! 江戸より前の人間から見れば、じいさんが標準語って呼んでる日本語も、十分に若者言葉じゃたわけ!」 言葉が詰まる。 今まで、自分の言葉が標準で普通と考えて、疑わなかった。 しかし、ばあさんの言う通り、味方によっては自分の言葉も若者言葉になるのかと気づかされた。 まじも、ヤバみも、エグみも。 二十年もすれば、標準語として使われているのかもしれないと思うと、なんだか自分が恥ずかしくなった。 「すまぬ、ばあさん。私が間違っていた」 「じいさん。分かればいいんじゃ」 「私もこれからは、積極的に新しい言葉を使っていくことにするよ。じじい、日本語を使いこなして、まじでエグいじじいになる!」 「いや、それはキモいからやめて」 ええええええええええええええええええええええええええ。
「あなたは、ワタシさんですか?」 「はい」 「ワタシというのは、漢字で私?」 「いえ、ひらがなで、わたしです」 「じゃあ、わたしさんね。はい、これでいい?」 お相手は、一人称欄に『わたし』と書かれた紙を、わたしに見せる。 「これでも、いいですよ」 「これでも?」 「はい。いや、べつにダメというわけではなくて。でも、べつに漢字で私だろうと、ひらがなでわたしだろうと、カタカナでワタシだろうと。正直、どっちでもよくて」 「じゃあ……どうします? このままひらがな表記にしますか?」 「わたしは、気に入りました」 「そう。本当に、わたしでいいの?」 「はい」 二人は対話を重ねつつ、紙に必要事項を記入していく。性別、出生地、家族構成における立ち位置、生理現象の回数、思考の癖、etc。 「それにしても不思議ですね」 「何がです?」 「いや、その、たかが一人称でしかないわたしが、この人自身に関わる重要な物事を決めてしまってもいいのかなって」 「それが当然のことでは? 〈あなた自身〉のことは、あなた自身で決めるものですから」 ほうける、わたし。 おどろく、お相手。 「あっ、失礼。勝手なことを……。ただ、一人称というのは、生まれる〈その人〉が本名以外で、自ら望んで口にする呼び名です。むしろ本名よりも呼ばれる回数は多いかもしれません。本名と一人称が同じ場合は、なおさら」 「はぁ」 「言ってしまえば、一人称は本名よりも名前。むしろ、第一の名前です」 「第一ですか?」 「ええ。二人称や三人称は、周囲の人々の存在によって、はじめて誕生します。本名もそうです。親や、それ以外の誰かに名づけられるまで、その人は名無しの人となるわけです」 一度、お相手は咳をする。コホン。 「しかし、一人称の場合は話が違う。本名よりも先に生まれる。特別です」 「特別……」 「はい。ですから、生まれる〈その人〉よりもずっと特別な、その人の一人称である『あなた』には、その人のいくつかの生理的かつ個人的な特性を与える、強い決定権があるわけです」 お相手が紙に記入した一人称欄を指差す。しかし、隣の名前欄は空白のままだ。 「でも、わたしがわたしの名前で呼ばれることはない。ですよね?」 「ええ、そうです。あなたは、あくまでも『わたし』さんですから。この空白は、これから生まれる人のためにあるのです」 「でも、わたしと、これから生まれるその人は同じ存在。……ですよね?」 「あなた、先ほどご自分でおっしゃりましたよね。自分は、たかが一人称でしかない、と」 「それは……。でも、よく考えてみたら、わたしと呼ばれるその人と、その人の一人称である『わたし』は、同一人物だって」 「少し違います」 バン。わたしは、机をたたく。 「いったい何が」 「今のあなたは、今の間しか存在しないからですよ」 「え?」 「これから生まれる〈この人〉を構成するものは、たくさんあります。性別さん、細胞さん、心臓さんや肺さん、嗜好さん、内気さん、暴力性さん、幸福度さん」 「……それで?」 「あなたは、これから生まれる人――すなわち、〈あなたが一人称を決定し、担当する人〉の構成要素である、その他大勢と結合することになる」 「けつごう?」 「はい。無数の構成要素が混ざりあうことで、はじめて生物の核が完成します。その核の3割をこれから生まれる人のDNAに流し込み、残りの7割をその人の魂とします。そうすることで、はじめてヒトは誕生することができる。これは他の生物も同じこと」 「わたしは、『わたし』でいられなくなる?」 「まさか。あなたは、これからも〈わたし〉と呼ばれる。それでいいじゃないですか」 わなわなと、わたしがふるえている。 目の前の相手は、事務的に再度、確認をとる。 「本当に、わたしでよかったですか?」
ある政治家が緊急記者会見を開いた。 真剣な面持ちでマイクの前に立つと、集まった記者たちに一礼した。 「私は、国民の皆様の死ぬ権利を保証します」 政治家は動じず、淡々と語り始めた。 「我が国の医療費は年々増加しています。私は、医療費削減のため『尊厳死還付支援金等に関する法律の一部改正を認める法案』を国会に提出しました」 ざわつきの中、政治家は続けた。 「医学的に延命治療が不可能な患者様が尊厳死を選択した場合、延命を続けたときにかかる医療費の半分を還付金として支給します。 申請の妥当性は、AIのみで構成される第三者委員会が判断します。本人、家族、後見人等が尊厳死を理解し、同意することが前提です」 テレビの画面を見つめる女。 その隣には、長い間管につながれたまま眠り続ける夫がいる。声をかけても反応はない。そんな時間が一年を超えていた。 テレビの司会者が、評論家の女に質問した。 「あなたの立場から、今の社会の風潮をどう考えますか?」 「最初は倫理的にどうかなと思いました。でもね、家族の金銭的、精神的負担を考えるとね。国も医療費を減らしたいと思っている。時代の流れかしら」 法案は成立し、運用が開始された。 AIは、不正申請や悪質な養子縁組なども瞬時に判断した。 その実績を政府は大々的に報道し、制度の正当性をアピールした。 あの政治家が再び記者会見を開いた。 「政府は規制緩和の一環として、支援金の有効活用を目的とする民間企業の商品開発、および第三者委員会のAIの一部利用を許可します」 感嘆の声が会場に響いた。 支援金は国民の生活に変化をもたらした。 「故人からの最後の贈り物」として美化され、生活の一部となった。 夫婦の病室。 温かいタオルで夫の体を拭く妻。 医師やAIからは、すでに受理のサインをもらっていた。 署名をすれば終わる…。 妻が机の上を見つめた。 そこには、笑顔で寄り添う二人の写真が飾られていた。
例えば、手を握って教会に行って讃美歌を一緒に聴いたとする あんまり理由がわからなくて、直ぐに出てきてしまいそうだ その後はたこ焼きでも食べに行こう 例えば、手を握って表参道を散歩したとする。「お茶でもしたいな」と思っても、落ち着けるお店が見つからなくて遠くまで歩いてしまいそうだよ そしたらホテルにでも入ればいい 例えば、手を握って車の中で秘密話しをしていても、直ぐにその口を塞ぐことになりそうだ カーナビに載っていない地図の裏側まで行けば誰にも見られない 例えば、手を握って共に生きたとする 指輪を交わし、生活をして、家族が増えて、沢山の喧嘩と数え切れないほどのセックスをしたとしても、別れの危機は来ると思う そしたら、君の手を握ったあの日から、始めて見ようと思っている 君は覚えていないだろうけど。
僕の祖父は、不思議な人だった。彼は”アイコノクラズム”というみょうちきりんな名前の神様を崇拝していた。 「アイコノクラズムってなんなの?」 僕がそう聞くと、祖父はいつも僕をこう叱りつけた。 「こら、その名前の意味を軽々しく聞くな」 そのせいか、僕の”アイコノクラズム”への興味は段々と膨らんで行った。しかし、祖父は、僕がインターネットや辞書でそれについて調べることを強く禁じた。 「アイコノクラズムってなんなんだ?」 僕がその意味についてぐるぐると頭を巡らせている間にも、祖父の"アイコノクラズム"への信仰心は日に日にひどくなっていき、終いには親戚中に"アイコノクラズム”様の教えを布教しようとするようになった。父をはじめとする親戚一同は、これに腹を立て、彼と縁を切ってしまった。もちろん僕も祖父とはそれっきりだ。それからというもの、孤独となってしまった祖父は次第に生きる気力を失い、今から半年前に孤独死した。僕は彼の葬式の夜に、こっそり"アイコノクラズム”について調べた。その意味は”偶像破壊”。今考えると、ある言葉を偶像として崇拝した結果、自分の人生を壊してしまった祖父にとって皮肉な言葉になってしまったなと思う。
「雨ってさ、好きじゃないけど、梅雨の時期のああいう雰囲気って、なんかいいんだよねえ」 言ったアイツの言葉に、そういう感性的なとこでの一致って「愛してる」って言葉よりも強いモノ感じるなあって発見があった。 「紫陽花の葉にかたつむりがいると余計にそれっぽいけど最近、見ないなあ、かたつむり」アイツは言って「かえるなら見たかな」私が言って「ああ俺も見たなあ」アイツが言った。 アイツは真っ青の紫陽花が好きで、私はちょっとだけ紫が入ったのが好きだった。あるときアイツは、紫がちょっと残った紫陽花を見て「最近これくらいの色のやつ好きになってきた」と言った、うれしそうに。え、なんでさ。私は心のなかで抗議した。そのとき私は、真っ青の紫陽花を好きになりかけていたところだった。 人の気持ちは変わるものなのだなあ。別に、だからって、紫陽花の色に絡めるつもりはぜんぜんなくってね、酸性? アルカリ性? ううん、そんなことに関係なく、変わっていくんだなって、ただなんとなく思っただけのことでね。
「もう少し普通になりなさい」 「どうしてそんなに変なの?」 色んな人に言われた同じような言葉が私の中で繰り返される。 普通、か。 普通とは何か、を具体的に説明してから言って欲しい。 私はいわゆる普通の家庭に生まれた。 父、母、姉が一人。一般的、そう普通。 両親が欠けているわけでもないし、大家族ってわけでもない。普通の家庭。 だけど私は普通ではないらしい。 普通が何かなんてその環境によって決まるのに。 女の子ばかりのところだったら前髪を気にするのが普通だし、芸能界では綺麗なのが普通だ。 普通なんて結局は環境で変化する曖昧なもの。 でも私はどこにいてもその曖昧なものになれなかった。なろうとしてみたこともある。 前髪を気にしてみたり、恋バナに参加してみたり、口元を隠して笑ってみたり。 だけど何か違う。本物にはなれてない感じ。 どんどんボロが出てきて最終的には普通じゃないのがバレてしまう。 みんな陰口を言うのが普通。でもわざわざ、一言注意したら終わることを長々と陰でぐちぐち言う意味がわからない。 みんなスカートを折るのが普通。でも校則を破ってまで、膝を見せたがる意味がわからない。 男好きは嫌われるのが普通。女の子なんて大抵男の子と恋愛をするのに意味がわからない。女の子は大抵、男好きでしょ? 普通になりなさい。って。 性格悪くなってでも、普通にならなきゃいけないの? どうしてそんなに変なの?って。 バカみたいに周りに合わせてる方が変でしょ? 普通になりたい。 そしたら陰口を言う罪悪感も普通への疑問も無くなるのかな。 普通になりたい。 普通だったらきっともう少し生きやすかった。
週末の午後。 都心の貸会議室に、スーツ姿の男たちが集まった。 「だいたい揃いましたかね」 司会の声に、それぞれが椅子を引いた。 「では、始めたいと思います」 「すみません」 最前列の男が手を上げた。 「この資料ですけど、指名方針は決定ですか?」 「はい。12球団すべてのオーナー様からは了承を得ています」 男が周りを見た。 すると、横にいた一人が話し出した。 「君は初めてか。今日はね、ドラフトの話じゃないのよ」 「えっ」 司会が割って入った。 「ドラフト会議のテレビ中継と、球団のイメージ戦略についてです」 会議室に小さな笑いが起こった。 「局側が、もう少しドラマチックにしたいと……」 「どういうことですか?」 「今年は、候補の生い立ちが平凡すぎて、2時間の枠が持たないらしいです」 「やっぱりか……」 資料をめくる音が続いた。 「たとえば、母親が朝から晩まで働いて……とかでしょ?」 「……そう言われてもねぇ」 ──ガチャン。 扉が開き、地方から戻ったスカウトの男が入ってきた。 「理想の子、いました」 額の汗を拭いながら、鞄からタブレットを出した。 「母親がパートを掛け持ちして、五人の子どもを育ててます。その長男ですね」 「いいじゃない。で、野球の実力はどう?」 「まぁ、何とかなるでしょう」 「局側には、この子で時間をつないでもらうとして」 すると、腕を組んで座っていた年配のスカウトが手を上げた。 「こういう子はいい。球団の顔になるし、スポンサーも喜ぶ」 「そうですね。来月の会議まで、もう少しスカウト頑張りますか」 皆がうなずくなか、司会者が正面の机に抽選箱を用意した。 「先ほどの長男の方を指名する球団はありますか?」 男たちが目配せをする。 すると、四球団が手を上げた。 「では、抽選に移ります」
よる、かえりみちはねこをさがそう。 猛獣、幽霊、不審者。魑魅魍魎に畏れおののきすぎて、味方であるはずの警官にすらびっくりする始末。 そんなあなたに、ただ一つ。猫を探してほしい。 どこから彼らが現れてきてくれるのか。ルンルンで帰れること間違いなし。まさに夜の案内人。 敵はビニール袋。
庭で南天の白い花が咲いているのを見ると、斜向かいの松永さん家で起きた事件を思い出す あの頃はまだ腕も痛くなく、作りたいものを作っていたが、今は包丁を握ることも、ペットボトルの蓋を開けるにも激痛が走る。 そう言えば、取材の記者さんがしょっちゅう来ていた。初夏も過ぎて酷く暑い夏だったから、素麺なんかを茹でて食べてもらった記憶がある。 まだ若い女性だったけど元気にしているだろうか 熱心に話を聞いてくれていた。 「斎藤さんは松永重政さんとは交流はあったんですか?」 「これ、麦茶。飲んでね」 「ありがとうございます」 「えっとね、松永さんは滅多に見ませんでしたね。ほとんど家にいなかったんじゃないかしら」 「何故そう思われるのですか?」 「何故?…そうね、夜とか家に明かりがついてないし、私はね、毎朝、玄関先を箒で掃いてるんだけど、そうすると近所の人はゴミを出しに外に出てくるのね。この辺は勤めに出てる様な若い人は居ないから、ゴミ出しのない日は誰とも会わないこともあるのだけど、それで松永さんは朝に会うことは一度もなかったわ」 「そうなるとここには松永さんの家だけあって本人は違う所で住んでいたと言うことですよね」 「そうよね…あっでも、たまーに見かけるのよ。たまーに」 「では、たまーに、ここに帰ってくる訳ですね」 「そうなのかもね」 「そのたまーに見たときはどんな様子でしたか?」 「何かを車に運んでて、忙しそうにしてたんだけど」 「どんな物を運んでたんですか?」 「なんか…重そうな段ボールだったけど、それを何個も車に乗せてたわ」 「どんな車ですか?あといつ見たんですか?」 「あれはね…早朝で、私は山に登るのが好きなんだけど、同級生と皆で駅で集まってね行くのよ。その日は富士山に登る予定だったから始発の電車に間に合うように家を出たの、そしたら黒い大きな車あるじゃない?後ろが荷物を沢山入れられるやつ」 「ハイエースとかかもしれませんね」 「それかもしれないわ。私は松永さんを久しぶりに見たから驚いちゃって、咄嗟に挨拶したんだけどね。挨拶して直ぐにしなきゃ良かったなって思って、でも会ったら挨拶するわよね普通」 「えぇご近所ですしね。どんな様子でしたか?」 「何だか忙しそうにしていたわね。松永さんって体が大きいけど、そんな人でも重そうに段ボールの箱を玄関から車に運んでたわね」 「お一人で?」 「一人で。私は挨拶直ぐに駅に向かったけどその時運転席には誰もいなかったわ。あの人も遂に結婚しないで亡くなっちゃったわね。私もしてないけど。フフフ」 「えぇ独身だったようですね。松永さんは子供の頃からここに住んでいるのですか?」 「いや、私が二十歳を過ぎた頃に越してきたのよ。その時は松永さんは5才位だったけど、私も勤めに出てたし会うことは少なかったけど可愛い子だったわよ。目がクリクリして。ハーフなのかしらね」 「松永さんのご両親はどんな方でしたか?」 「越してきたのは松永さんだけなのよ。なんか…噂だとご両親は亡くなられてるみたいで。あそこには松永さんの父方の祖父ににあたる松永繁さんて方がいたんだけど、その方もあまり近所付き合いをしない人でね」 スマホの着信音がなる 「失礼します」 「どうぞ。素麺食べるかしら」 「いえいえ、結構です。お構いなく。…もしもし、え?…はい、はい、少女の死体?はい…分かりました直ぐに戻ります」 記者の若い女性はノートを急いでまとめ鞄にしまう。 「素麺もうすぐ出来ますから食べていって」 「いや…でも私行かないと」 「こんだけ暑いとね、食べないと体が持たないわよ。もうゆで上がったから」 「あぁ…ではお言葉に甘えて」 「どうぞ。お腹に子供がいるんでしょ?だったら子供のためにも食べないとだわよ。私は産んだことないけど。フフフ」 「分かりますか?」 「えぇ、私、助産婦だったのよ。フフフ」 「そうですか…では、いただきます」 「このミョウガは庭の畑で採れたのよ」 「お母さん、これおいしい」 「良かったわ」
雨粒とともに、さまざまな音までもいっしょに降ってきてるような雨だ おふとんのなかで ふはああ ペンギンがあくびをする 何も予定がないと朝、起きなくなってしまう それでペンギンは予定をつくってみた かわいいペンギンの女の子と、手をつないで歩いてみたいなあ ペンギンの男の子と手をつないで歩いてみたい そんな思いをいだいているかわいいペンギンの女の子をさがしてみた あじさいのかげ、ももいろの長ぐつをはいたペンギンの女の子が見える ―いっしょに歩きませんか? ペンギンがツバサをさしだすと、女の子はうれしそうにその手をにぎりかえした ふたりが手をつなぐと、雨の音はリズムをきざみ 水たまりからは無数の音がはねた ―こうしてると、雨もいいもんだね ―ふふ、そうね ふたりが楽しそうに歩くたび、つめたい雨は、しずかな音楽へとかわっていく
世界には、価値のない物がある。 しかし、情報というラベルは、物に価値を付与することができる。 「希少なパワーストーン『ナンニモツカエヘン石』。この石を身に着けていれば、金運向上間違いなし」 昨今のスピリチュアルブームで、元々金運向上を担っていた鉱石は品切れに。 代わりに目を付けられたのが、誰もパワーストーン化していないナンニモツカエヘン石だった。 「買います!」 「買います!」 安く買える金運向上効果に、スピ活中の人々は飛びついた。 お世辞にも綺麗と呼べない濁った灰色の石も、自称パワーストーンの王様の手にかかれば、大きな利益を発生させた。 パワーストーンの王様は左団扇。 優雅に豪邸で美酒を飲んだ。 それから数十年後。 ナンニモツカエヘン石は、レアメタルとしての新たな価値を見出された。 世界中の研究機関は、世界に散らばったナンニモツカエヘン石を高額で買い取ると発表した。 数十年前、ナンニモツカエヘン石を買った人々は、大盛り上がり。 紙幣一枚で買った石ころが、何百倍何千倍となって返ってきたのだから。 「金運向上!」 「パワーストーン最高!」 人々はナンニモツカエヘン石を売り払い、大金を手にした。 そして、手にした大金すべてを突っ込んで、次のパワーストーンを買いあさった。
勢い込んで踏み出した足先がイスの足にぶつかり機先を制せられた。なんだかヤな感じ。これからちょっと先の行く末であるかのよう。 開けていたのを忘れていた窓から、風が気持ちいい。そう思う私をよそに、風はカーテンをやさしく舞い上げる。華麗に舞い踊ったカーテンはぴしゃりコーヒーの入ったマグカップを倒してしまった。あらあら、まったくねえ。でも、そのとおりになるものね。あわてない自分を、誇らしくとまでではないけれど、ちょっとだけ、やるじゃん、みたいにほめてあげる。 部屋の香りがいくらかコーヒーで充たされ、ふき取るより先に割れてないかマグを心配する。黄色い、かわいい、ねこのイラストがある、アイツにもらった、お気に入りにしていたマグカップ。いっそ、割れてくれてたらよかったのかもね。結局、男のことは、男のことでしか解決できないのだ、悲しいことに。 私のブーケトス、誰も受け取ってくれなくて地面に落っこちた。あああああ、グスン…… やれやれ、気持ちがこもってないなあ、やり直し。心のなかで思い、けれど自分のそのココロの内をまったく理解できていない私は、気持ちのこもっていないままに、同じトーンの演技をリピートしているように日々の生活を流しているばかり。 少し顔をのぞかせた気持ちを、しっかり捕捉できたのか、さてさて自分でもわからない。ひとまず本は開いてみた。読めるのかは、最初で決まる。ひとつの文章にすらりと入っていければ、きっと、おそらくは…… 結局、積み重ねなんだよ、男も、生活も、人生も。わかってるんだけどね、忘れていたよね。わかってるんだけどね。
「入ってみないと、どういうふうに部活を辞めていいかわからない」 「付き合ってみないと、どういうふうにその相手と別れていいかもわからないわ」 梅雨の入り口。教室の空気は重く湿り、ふたりの声は湿ったカーテンに吸い込まれて響かない。 「不用意に相手のなかに飛び込んで、体の隅々、どこにホクロがあって」 「それが大きいのか、小さいのか、黒っぽいのか、そうでもないのか」 「すっかり知ってしまうのは、実に怖いことだよ」 「覚悟もないなら尚更よね」 「無断で相手の思考を覗き込んでしまうなんて」 「そんなの、ちょっと…」 ふたりは、まだ出会ってもいない誰かの輪郭を、夕闇のなかで執拗になぞり続けている。 「寒いと外に出るのが億劫になる」 「暑くてもそうよ」 「でも、一度、出てしまえば」 「歩き出せたなら」 「あっちに行ってみよう」 「こっちも見てみたい」 「気持ちは、はずんでいくはずなんだけど…」 「でも、滑稽な話よね」 ふと一方が、自嘲気味に息をついた。 彼らが必死に磨き上げている別れの作法も、ホクロへの恐怖も、実際に誰かの肌に触れた瞬間、全部、ガラクタの山になってしまう。その人物が実在するというたったひとつの事実に、ふたりの積み上げた時間は、一秒たりとも耐えられない。 窓の外では、ついに雨が降り出した。本降りの雨は、アスファルトの熱を容赦なく奪い、景色を灰色に塗り潰していく。 「あっちに行って?」 「こっちも見てみたい?」 「そう思っていた…」 「はずだったのよね?」 「けど…」 「外に出れば、言葉は全部、雨に流されて役立たずになる」 「だから僕たちは、ここから動けないんだ」 「そうやって正解を抱えたまま」 「落ちていくんだろ」 「ふふ」 飽き飽きしているはずの出口のない部屋で、ふたりはまた、まだ見ぬ誰かとの、終わり方の続きを話しはじめる。 外は、激しい雨になった。ふたりの正解を塗りつぶしていく。無慈悲なくらいに。 扉を開ける勇気も、妄想を捨てる覚悟もないまま、ふたりの声は湿った空気のなかに深く、沈んで―
「ミウタク、お前も合コン来ないか?」 「無敵の話術で盛り上げてくれよ!」 「……わるいな」 ミウタク、と呼ばれた男は立ち去ってしまう。 「ミウタク! やっぱ悪かったかな……」 「あんないい奴他にいないのにな……」 ミウタクこと三浦拓哉は頭脳明晰、運動神経抜群、性格も良く、あらゆる能力も高い完璧人間だった。 そう、ルックスを除いて。 「くそっ、何が国立大主席だ! 運動部のヒーローだ! そんなものより、俺は……! 普通の顔に産まれたかった……!」 拓哉は鏡の前で己の醜悪な顔を見て、歯噛みし、スマートフォンを取り出す。 人気者の拓哉はフォロワーも100000人いるが、アイコンはイラストを採用している。 仮に彼の素顔をアイコンにしたら瞬く間にフォロワーは減るだろう、などと考えた。 ふと、マッチングアプリの広告が目に入る。 マッチングしたその日にデート出来るアプリはコイカツ! 消そうとした時に拓哉に悪魔的発想が浮かぶ。 拓哉は独自のAIで非実在の人物の写真や映像を生み出す事が出来た。 これでもし、容姿端麗…… 超イケメンの男を作って登録すれば? 拓也はAIを使い、完璧な超イケメンを作った。 「プロフィールはこうかな……」 〇電脳空間 「私、こういうもので、真剣にお付き合いをしたいと考えています」 「良かったら今晩飲みに行きませんか?」 早速、大量にメッセージが届く。 これだけ女性が群がってくるなど生まれて初めてのことだ。 おそらく現実世界では今後もないだろう。 拓哉は手放すのは惜しいと思ったが、決して悪用しようとは考えなかった。 「ミウタク、頼んだ奴出来たか? あれがないと俺の右腕に封じられたインフェルノが……!」 「出来てるよ。 AIのグラビア」 「おっマジサンキュー! MMS!(ミウタク・マジ・仕事できる!) 「ミウタクは将来AIに関する仕事したいんだろ? 良いよなあ、ビジョンがあって。俺は結婚したいとかかなあ」 (結婚? 俺には到底出来ないというのに……) 拓哉は憂さを晴らすかのようにマッチングアプリを開く。 「タクヤさん、お返事待ってます!」 「都内住みでしたら今晩会いませんか?」 拓哉はその膨大なメッセージ一つ一つに真摯に対応した。 「すぐ人に会おうとするのは危険だよ。よくお互いを知り合ってから会うようにしたほうがいい」 「返事、遅れてごめんね。 会うことは出来ないけど、相談なら乗るよ」 その返事は数百に至った。 「ミウタク、見たか? イケメンに完全論破された女!」 「なんだ、それ」 「ほら、このスクショ」 「!」 カナ「私ならあなたを養うことが出来ます。働くなんて愚民のすることですよ。だから低俗な女なんかより私と付き合いませんか?」 タクヤ「申し訳ないが僕は社会に貢献したいと思ってる。養うべきは貴女の心の豊かさじゃないかな」 それは昨日の拓哉とある女性とのやり取りだった。 「くぅ、こいつ言ってることまでイケメンだぜ!」 「この女性がキレてやりとりを晒したらバズって、皆このイケメンに同調してるんだ」 「俺だったら喜んでヒモになるんだけどなぁ」 「は、はは……」 拓哉はSNSでも話題になったこともあり、拓哉目当てでマッチングアプリに登録する者まで現れた。 しかし当初から会話していた女性からこんなメッセージが届く。 「タクヤさん、ごめんなさい、私、借金が出来てしまってもうお会い出来ません」 「借金!? そんな、どうして?」 「タクヤさんとやりとりするのに何十万円も使っちゃったから。 タクヤさん、願わくばお会いしたかった……」 運営は拓哉を利用しようし、課金すればするほど人気ユーザー、つまり拓哉にメッセージを送れるようにした。 拓哉は怒りに震える。 自身に対して、だ。 自分のくだらない思い付きが人を傷つけてしまった。 即座に拓哉はプロフィールを変更した。 「これが素顔です。お騒がせしてすみませんでした」 それはネット上でたちまちニュースになり、話題になった。 信じ切れない声も多く、運営のやり方に疑問を呈した拓哉がわざと醜男を演じたのでは、との意見もあった。 しかし女性を誑かした事実を責める声が強かった。 拓哉もこれ以上会員である意味は無いと思い、退会するためにログインする。 あれほどいたマッチングアプリのフォロワーは1人を残していなくなっていた。 残りの1人も放置しているだけだろうが、退会しようとしたときにメッセージが届く。 「私はどんなタクヤさんも好きです、だって私のこと本気で心配してくれましたから」 「……ありがとう」 図らずもマッチングアプリの騒動は未来の伴侶との出会いをもたらした。
階段を下ったところには団欒のスペースがあった。ソファがコの字に三つ並べられ、真ん中には木製のテーブルが一つ置かれてある。 そこのソファにインダは座っていて、編み物をしていた。ぬいぐるみのような形のものを器用な針使いでこしらえている。真剣な眼差しだった。 私がそれを覗き込むと、「興味あるの?」と私の方を見ずに言い放つ。 インダは編み物をしていると、もしくは人と目を合わさなければ話し合えるタイプなのだろうか。 「曾おばあちゃんがよく編んでた」 「ふーん」 先生は後ろから黙って私とインダの様子を見ている。 「インダは編み物、どれくらいやってるの?」 私がソファの横に座ると、インダは編み物の手を止めて私の顔を見た。驚いた様子で、眼は真ん丸に見開かれている。私はギョッとした。 「なんで名前を?」 「え、先生に聞いたから」 インダは先生を見上げると、少し膨れた顔で「自分で言おうと思ってたのに」と拗ねた。先生は両手を合わせて謝っていたが、音を立てながら毛糸を交わらせるインダの目にはそれは映っていなかった。 私は質問の続きを投げかける。 「ぬいぐるみを編んでるってことは、マフラーとか編んだことある?」 「マフラーは基本。あんなのは簡単」 「すごいね。私はまだコーヒーコースターくらいしか」 「編んだことはあるんだ」 「曾おばあちゃんが教えてくれたから」 「私は独学」 ここが孤児院だということを思い出して、私は言葉に詰まる。何とも言えない空気だ。 インダはそんな私の困惑を察したのか、「先生にはちょっと教えてもらったけど」と付け加えた。そして、私の方を一瞥して、私が苦笑いしているのを確認すると、安堵したのかまたペラペラと話し始めた。その手は正確に毛糸を束ねていく。 「私、将来は服屋さんになりたいんだ。寒い思いをしている人に温かい服を分けてあげたい。だから、コートみたいな大きいのを編めるように、毎日頑張ってる。先生も応援してくれてる」 「すごい夢だね」 「そっちは?」 「ユキでいいよ」 私が名前を教えると、一度顔を上げ、目を合わせてから、再び編み物に戻る。好奇心旺盛なインダが時折顔を出すのが、非常に愛らしい。私は気付いたら笑っていた。 「私は『星見の日渡り』の」 と言いかけて言葉が詰まる。思い出そうとすると、向こうから壁が迫ってきて、まるで前に進めない。夕焼けみたいな風景は思い浮かぶのに、まるで星が見えない。何か焼けるような匂い。私の心に陰るこれは一体何なのだろう。 「何、『星見の日渡り』って?」 インダは針の手を止めて、私のこわばった顔を見た。ハッとして、私はすぐに柔和な顔を作った。 「えっと、それはね、私の住んでた地域にあったイベントの一つで、毎年決められた日に五分だけ町の灯りを全部消して日を跨ぐの」 「あ、それ知ってる」 インダは先生の顔を見て、続きを話してもいいのかと伺っているようだった。しかし、先生は首を傾げ、最終的には小さく首を横に振った。 インダは毛糸と針をテーブルに置くと、近くの籠から綿を取り出す。真っ白い綿の繊維一つ一つが今の私には見える。細かな繊維が毛糸が織り成す壁の間を埋めていく。 「それ、私の方では『外れ丘の火隠し』って呼ばれてる」 「火隠し?」 先生は顔を手で覆った。 インダ曰く、「外れ丘の火隠し」とは奇妙な現象とされていたらしい。一年のある時期に五分間だけ、遠くに見える丘の町灯りがすべて消えるのだ。インダの地域ではその瞬間を見てしまうと、自分の視界からも灯りが消えてしまう、と言い伝えられているのだとか。 インダは「嘘だと思ってたけど」と笑った。 「もし、見てしまったら?」 「知らない」 ぬいぐるみの綿が漏れないよう、最後の仕上げをするインダ。出来上がったのは熊、のような何かのぬいぐるみ。まだ試作品といったようなところ。 「これ、あげる」 「え、いいの?」 「リッカにあげる予定だったけど、いないから」 リッカ、見学に行った子の名前だろうか。 すると、傍で見ていた先生が「じゃあ、次の部屋に行こうか! インダも手伝ってくれない?」と声をかけた。 「あ、施設案内の途中でしたね」 「そんなのやってたの? いいよ、私も案内してあげる」 インダは毛糸と針を籠に入れると、それを近くの棚の上から二列目に背伸びをして入れた。わざわざこうして片すのは、他の子が針を触らないようにするためだろう。最年長らしい配慮だと感心する。 団欒スペースの奥には椅子が八つとテーブルが備えられており、さらにその奥には流し台や食料棚が見える。果物やパンは剥き出しで置かれ、まだ洗われていない食器類が散らかっている。 「先生、まだ洗ってなかったの? 虫湧くよ?」 「えっと、ここが台所と食堂」 「無視した」 インダは目を細めて先生を睨んだ。 【つづく】
今日も私の時間がやって来た… 誰にも邪魔されない、私だけの居場所 創作に没頭するのも 鑑賞に没頭するのも 心理診断をするのも ネガティブな気持ちに堕ちていくのも その全てを夜は抱きしめてくれる でも、夜は何も助けない ただ、『夜更かし』という居場所を推し量ってくれる 『【夜更かし】はいけない事』 そんな定説は空の錠剤に詰め込んで 水と共に体内の排泄管に流し込んだ 私みたいな【夜に活きる人】が100万ドルと呼ばれるほどの夜景を生み出している。皮肉にも 100万ドルの夜更かし 不健康と言われても誰にも邪魔されない 私だけの居場所 100万ドルの精神安定剤が きっと貴方の眼に【美しい夜景】として見えるでしょう… (完)
ごめんなさい。そしてたくさん〳〵ありがとう――。そう伝えられた時、私は何も答えることが出来なかった。机の奥に仕舞い込んだマフラーは、未だに包装紙に包まれたままである。 私は、果たしてあの人との時の間で何かを紡ぐことは出来ただろうか。或いは、その糸であの人を暖められていただろうか。 一度、真っ直ぐに過ごしてほしいと、飛車駒を象った菓子を渡されたことがある。二月の雨はまだ冬の冷を含んでいたが、その駒からは暖かな香りがした。口にした時の甘美さは贈り主の白い肌に似ていて、和らかさもやはり贈り主の胸の中を思い出させた。 同じように、私はあの人を包めたことがあっただろうか。この手で温もりを贈ることが出来たであろうか。そう思い返した時、文字通りに有り難いものに自らしてしまっていたように感じた。 気付いた時には、私の手は住所録を取り出していた。記されたナンバーの通りに指先が動く。出てくれるはずはない。しかし、あのありがとうという文字が段々と私をせき立てていた。それはかつての暖かな想いでなく、飛車駒としての誠であった。 今頃、きっとあの人の部屋でベルが鳴っている。ありがとう、ありがとうと何度も口ずさみながら、呼び出し音を聞いていた。
気がつくと、うつ伏せに伏していた。 顔を上げると、木々が多い茂った森。 空の淡い青色がかろうじて視認できる程度の密度。 (ここはどこだ……力が入らない……) 混乱に陥る力もなく、意識を手放した。 ── 「うわっ!!」 次に目を開けると、いきなり驚かれた。 金髪におさげの少女に。 「ここは?」 「私の家よ。倒れてたから村の人と協力して連れてきたの」 「ありがとう。ここはどこ、いやどの国だ?」 「ここはウルカナ」 ウルカナ、という言葉に聞き覚えはなかった。 ここは自分の知らない世界なのか? 「私はレベッカ。あなたは?」 「俺は……あれ?」 名前が思い出せない。 そう言えば自分が住んでいた世界がどんなだったかも分からない。 今日は休ませてもらい、翌日広場に向かった。 ウルカナの人々は想像より気のいい人たちであった。 「おっ、権兵衛、もう平気か?」 「権兵衛?」 「ああ、名無しの権兵衛ってな!」 同年代は気さくだった。 「お兄ちゃん外国人? なんか技出して!」 「こらこら、お兄さんを困らせないの」 子どもは純真無垢で、大人は配慮をしてくれる。 村長らしき人が食事にしようと言い出し、みなで集まりパンを頬張る。 少量だが、味わいがある。 「この村ではみんなの収穫物を分けあって生きているのよ」 「温かい村だな」 「みんな平等だからね」 「でも、収穫物を隠してる悪い奴もいるんじゃないか?」 「それはないわ、神様がいるから」 「神様?」 「えぇ、神様はずっと見てるもの。今も、ね」 レベッカが上を見てそう言い、自分は空を見る。 原始的な思考だが、太陽はこちらを見ているのかもしれない、と納得した。 温かい村での、平穏な日常。 だった。 「ウルカナの人々に告げる。こちらの規定に沿って貰いたい。さすれば安寧を約束する」 白いゴワゴワした服を着だ男達が10人ほどやってきた。 「邪神教……!」 「なんなんだ、それは?」 「自分たちの信仰する神を崇拝しろと攻めてくるの」 「邪神教徒ども、帰れ!」 「……まあいい、君たちにはこれを渡したい」 邪神教徒は何やら四角い本を取り出すも、村民の投げた石が手に当たり、落とす。 「出ていけ! さもなくば容赦しないぞ!」 「……」 彼らは反撃……することはなく、そのまま去っていった。 「次来たらただじゃおかねえからな!」 そう言い、村民は邪神教徒が落とした本に火をつけて焼き尽くした。 「どういうことだ? 何が目的だったんだ?」 「多分、経典を持ち込みたかったんだと思うけど」 ここで自分が抱いたのは懸念であった。 どこかを攻撃するには、何かしら言い分があった方が都合がいい。 そこで今回は失敗すると分かっていて経典を持ち込み、布教に失敗したからと侵攻する算段なのでは……? 「経典にはどんなことが書かれてるんだ?」 「私たちには読めないわ」 「そうか……」 仮に邪神教徒が布教を望んでいたとして、なぜ話し言葉は通じるのに書き言葉は通じないのか。 それを手渡そうとした真意は……? 次来たときは、対話するしかない。 無論、都合良く対話などできる相手ではないと思うが…… しかしその対話のチャンスはそれほど遠くないうちに来た。 また白いゴワゴワの服を着た男達がやってきたのだ。 自分は村長に頼み、話し合いに同伴させてもらうことになった。 が…… 「邪神教徒どもだ! ぶち殺せ!」 村民は興奮して農具を武器に邪神教徒に襲い掛かる。 「や、やめろ!」 邪神教徒が3人ほど倒されると、残りはそのまま逃げた。 倒れた邪神教徒は、特に頭と顔面に損傷を加えられた上で放棄された。 (彼らも無抵抗だったし流石に気の毒だ) 仕方なく、自分は一人で埋葬することに決めた。 その時だった。 「ぅ……ぁ……」 「息があるのか!?」 「……俺はあいつらを……解放しようと……」 「あいつら?」 「……理想の……地獄に閉じ込められる……彼らを……」 「何を言ってるんだ……?」 結局男は力尽きた。 しかし、その手には経典が握られている。 自分はそれを読み絶句した。 我が国は貴国の独裁体制による徹底的な統制に胸を痛めており、我々義勇兵は支配からの独立のための援助をするべく派遣された。 貴国の経済援助ならびに物資の支援も行う所存であり、手を取り合い国際社会の平和に協力してくれる事を願う。 ここまで読んで悟った、村民が言っていた神様とは、邪神教徒とは── 「おーい! どうしたの?」 レベッカの声が後ろから響いた。 自分は経典を懐に仕舞うと、笑顔を浮かべて振り返る。 この村を見捨てる算段を立てながら。
彼女は中華料理屋でもらったラーメンを持って走っている 僕はフカヒレスープを右手で持ち左手で蓋をしながら、彼女の後ろを走っている。小雨が降る深夜の渋谷を。 彼女は明るい人で、髪の毛も金髪で明るい。そして長い。小麦色の肌をしている、よく笑う人。 僕は財布を無くし、裸足で救いようがない、情けない男。 彼女と二人で中華料理屋で食事をしている。ポケットにはシワクチャの2千円札と小銭。服は濡れている。 会計の時に、中華料理の大将が食事代をタダにしてくれた。僕の姿が酷かったからか、僕らの恋を応援したくなったからなのか分からない。 ニコニコして、ラーメンとフカヒレスープをくれた。 僕らは大はしゃぎで、いや、彼女が大はしゃぎで、とても楽しそうに走り出した。ラーメンを持ったまま。 白い短いワンピースを雨に濡らして、深夜の道路を僕と二人で走った。 あんな恋は二度としないだろうし あんな夜は二度とないと思う
「別に、友達なんていらねえよ。人間最後に頼れるのは、自分だけなんだから」 俺の幼馴染とは、たまに連絡が取れなくなる。 何の前触れもなく、スマホを変えて、メッセージアプリのアカウントも買えて、家も引っ越す。 連絡したら、『このアカウントは使われておりません』とシステムメッセージが届いて、ようやく幼馴染がどこかへ行ったことに気づく。 幼馴染と次に連絡が取れるのは、偶然会った時。 実家の最寄り駅でたまたま顔を合わせた時か、旅行先でたまたま顔を合わせた時。 「おー。久しぶりー」 幼馴染は、昨日別れたばかりかのように、笑顔で俺に挨拶をしてくる。 「久しぶり」 俺も、そんな幼馴染の真似をして返事をする。 幼馴染と再会するたびに、嬉しさが込み上げる反面、心臓にチクリと何かが刺さる感覚がする。 突然連絡を絶つ我儘をやるくせに、こうも容易く友達に戻って来れることに嫉妬して。 偶然会った時、幼馴染は再び連絡先の交換を申し出て来る。 俺のスマホの中には、再び幼馴染の情報が登録される。 幼馴染と近況報告をしあって別れた後は、無意識にスマホを強く握りしめる。 ああ、戻って来たんだと安心する自分がいる。 ずるい。 ずるい。 ずるい。 ずるい。 こうも簡単に、誰かを友達にしてしまう幼馴染がずるい。 俺にはできない。 俺のスマホの中には、家族と幼馴染の情報しかないというのに。 昨日までの空っぽのスマホを思い出し、もう二度と幼馴染の情報が消えないように祈りながら、俺はスマホを抱きかかえた。 そんなことあるわけないと、気づいているのに。
「告白するなら雨の日がよくない?」 お昼休み、どこかから聞こえてきて私も常葉子もお弁当に向かう手が止まる。「だってさダメでも涙を隠せるでしょ」「ああ」「そっかあ」「考えたね」感想の言葉が飛ぶけれど、誰ひとりとして「断られる前提なんだね」現実をしっかり見つめさせてあげる女の子はいない。残念なことよね、お友だちに恵まれないってさ。悲劇のヒロインにひたりたい女の子のココロのうちは、うへっと胸やけを回避できない。まったくさ、ミニハンバーグが台無しじゃないさ。 「現実が見えてないってしあわせだよねえ」 常葉子はときどき、ほんとにときどき、口が悪くなる。いつもの笑顔のまま「しようのない愚民どもがねえ」とか「SNSって喫茶店の自由に書いてくださいノートみたいよねえ、それ以下だけどう」とか「デモ行為って政治へのアピールというより内的なストレス発散だよねえ」そんな言葉を聞いたことがあって私はそのたびココロがひりっとする。普段はおっとりで笑顔が絶えない常葉子だから、余計にそうなって心臓に悪い。やめなよ、とまでは言わないし思わない。むしろ事実だよなあと思う。実態や真実をそのまま何にも包まないでさらしてしまうのは子どものようだけど、私も常葉子も高校生で世間では半分大人くらいに思われてても、まだまだ中身は子ども。それだって事実だ。 変わりたくないんだ。人生変えなさいよ、学校で女の先生に言われ、家でおかあさんに言われ、街やテレビの広告で言われ、ドラマやら映画で俳優さんたちに言われ。変えることがいいことなんだと決めてかかられる。そうしないといけないんだよとそんなふうな顔を見せてくる。どうしてしないかなあ、理解できないよと嘆かれる。だからさ、私は変えたくないんだって。いまの生活維持したいの、生ぬるいこと言ってとか言うけど変えないのだってたいへんなの。人生に息が詰まってんじゃなくって同調圧力に息苦しいの。 「今日、常葉子のとこ行っていい? 本借りたい」 「いいよう」 常葉子がたまご焼きを丁寧に切り分ける。私はぎこちなくミニハンバーグを割っていく。常葉子がたまご焼きを口にもっていって、私がミニハンバーグに口をつけて。 「具なしパスタで検索かけてんのに具だくさんパスタ出てくんのなんでだろね、やめてほしい」 「きゃはは」 「ウケるはこのコ」 「女子高生がひとり晩ごはんの参考に具なしパスタ検索すんのやめてほしいよ」 さっきまで悲劇のヒロインを演じていた女の子たちはもう、具なしパスタにご執心。 たまご焼き、ミニハンバーグ、ごはん、ごはん、ほうれん草のごま和え、ミニトマト、レタス、ひじき、ごはん、ごはん。お弁当の味は、さっきより少しはマシに感じられた。 常葉子の、いくらかピンクが多めの部屋にそこだけは少し不釣り合いにたくさん並んでいる本たち。これは読んだなあ、次はこれかなあ、前来たときはこのあたり見なかった気がするけど。文庫本の上面を、指を切らないようにやさしく撫でながら思いをはせる。 「まだ読んでない作家さんの借りてきたいんだけどさ」 初めて読む作家さんの小説がおもしろいとうれしくなる。慣れ親しんだお気に入りの作家さんのお話がそうであるよりも。 「これどういう話?」 「世間を認めさせたいその仮面に隠れた、過去に自分を馬鹿にした者への復讐… かなあ」 「重そうだね。これは?」 「若くない女性が、それでもメールで告白してきた男の子にOKの返事を送信する… とか」 「短編?」 「そうだよう」 「んん。これは?」 「とびきり蒸し暑い日は、オーストラリアを思ってすごす… みたいなあ」 「なんでオーストラリア?」 「こっちが暑い時期、向こうでは白い雪が降ってるからあ、場所によるけどう」 「ふうん。これにしてみよっかな」 出してもらったクッキーとオレンジジュースとが、常葉子との楽しい会話に混ざり合い、時間は思っているよりもはやくすぎてしまう。 「ごめん。そろそろ」 「うん。あああ、雨降ってきてるう」 「うそ。傘、持ってないや」 「持っていきなよう」 「ありがと」 「ねえねえ、たいらちゃんさあ」 「ん」 「私さあ… たいらちゃんのこと好きだよう」 「…うん。知ってる」 「へへへ」 「どしたの?」 「想いを伝えてみたくなってさあ」 「急に?」 「へへへ。告白は雨の日がいいみたい、ってえ」 「ふうん… 失敗前提?」 「ちがうよう。成功前提」 「じゃあ、雨じゃなくていいんじゃん」 「へへへ」 「何を隠すの?」 「うれし涙かなあ」 常葉子はいつも突然だ。おっとりしてるくせに、いつもそうやって、私を驚かせてくる。 「えええ、たいらちゃん泣いてんのう?」 「ち、ちがうよ。雨降ってきたからさ」 やっぱり想いを伝えるんだったら、雨の日がいいみたい。
週末、親子三人でドライブに出かけた。 「お昼どうする?」 「そうねぇ……その先に魚食べれるとこあったよね」 父親は、海辺の特産市場に車を止めた。 「人、少ないね」 「昼過ぎだし、こんなもんでしょ」 店の前には、魚の加工品が並んでいる。 「珍しい魚、多いね」 「うん」 母親が、小さな瓶を手に取った。 「これ、何ですか?」 「知らんよ」 高齢の女が、顔を上げた。 「ここで作ってるんですか?」 「いいや」 「ママ、見て」 女の子が、水槽に近づいた。 「わぁ、すごい。これ、何て言う魚ですか?」 「バルディア沿岸のシロスジダラだ」 「外国の魚?」 「あぁ。船出すより、仕入れた方が安い」 「えっ……地元の魚は?」 女が、足元からバケツを取り出した。 「これだ」 中には、小さな魚が入っている。 「よく見とけ」 魚を水槽の中に放り込んだ。 すると、寄ってきた魚が、大きな口を開けた。 女が笑い、指をさす。 「こいつら結構うまいらしいぞ」
梅雨の晴れ間は白く。アスファルトのへこみに溜まった雨の置き土産は青く光る。ちらりさぐってみる。映った自分の顔が青く輝くわけではない。水たまりを覗くとき、映った青空は、僕を覗き見ることはないのだ。 過去の思い出を買い取ってくれるというその店での、ちょっぴり苦い経験。 ―その人との思い出をすべてなくすことになりますが、よろしいですか? あらためてそう言われ、決意がゆらいでしまった。 僕の困惑をよそに、その店の店主は店の奥に引っ込んだ。しばらくするといい香りが鼻を突いてきた。 ―これでも飲んで、ゆっくり考えてみてください 飲んでみて、懐かしさと、そして、少しの後悔と。あれは、あの子と一緒に飲んだ味だった。ひと口めは熱くて味がわからなくて、ふた口めは苦くて困惑してしまったんだった。 ―そんなこともあったな 中途半端にふらついていた決意は決定的なものになり、あの子との思い出は、いまも手つかずのまま僕のなかに住処を構える。 確かに、そんなこともあったな。 梅雨の晴れ間をあおぎ見る。僕が笑顔で空を見上げるとき、空もまた、こちらに笑いかける。
種をまけ 銃弾が飛び交う中 種をまけ 大事な人の叫び声の中 種をまけ 生きる地獄に 種をまけ 涙と血と慟哭を糧に、いずれ花が咲くだろう 種をまけ 醜く冷たいその花はいずれ咲く 種をまけ 忘れてはいけない おぞましい花がいずれ咲く いずれ、きっと、争いの無い日のために 種を まけ
ベッドの下から出てきた怒った顔の男の子。名前は「カウル」。まだ七歳で、両親は蒸発。六歳の時にこの孤児院にやって来たらしい。カウルのベッドが一番新しいベッドで、ここに私を寝かしたのだそう。当のカウルはそれをとても嫌がったらしいが、インダの説得で渋々引き受けたのだと。 ただ、あの感じ、まだ納得はしていない風だった。あとで謝っておこう、私からも。 「インダ」はカウルをベッドの下から引きずり出したり、私を見て「生き返った」と喚いたりしていたあの女の子。臆病なのに好奇心旺盛という二面性があると、彼女は言っていた。確かに、寝ている私の顔を覗き込んでいた割には起きた私を前に近寄って来なかった。 インダは数年前、まだ彼女がここの孤児院に来る前から居た女の子らしく、この孤児院では最年長。十二歳ほどだと言っていたが、「多分」とか「恐らく」とか付け加えられていたから、曖昧な情報なのだと思う。 と、ここまでの情報をペラペラと話してくれた彼女自身の名前は「ミーリュア」というらしい。カウルは彼女のことをママと呼び、インダは先生と呼ぶ。本人は好きなように呼んでくれたらいいと微笑んでいたが、私も先生と呼ぼうかなと思う。名前で呼んでもいいと思ったが、発音が難しくてやめた。 もともと、先生は畑仕事で生計を立てる農家だったらしいが、収入が安定しないことや結婚のことを考えてここに来たらしい。孤児院の院長とは知り合いだったようで、すぐに働き出せたのだそう。 「あ、話、長かったかな」 先生は眠そうな顔をしていた私を見て、少し慌てて取り繕う。ただ、私は難しい話を聞くと目を細める癖があるだけで、眠くはない。そもそも寝起きだというのに、眠いわけがない。と思いながら、欠伸は出た。 「いえ、大丈夫です」 「そう言えば、あなたの名前がまだだったわね」 「ユキ」 「ユキね、よろしく」 先生の微笑はとても優しい。夜のようにすべてを包んでくれているようだ。ただ、同じくして、何かを隠しているようにも見える。気のせいだろうか。 「気分はどう?」 「優れています」 「なら、孤児院を案内しましょうか? 今日はカウルとインダ以外いないけど、それでも良ければ」 「他のみんなはどこに行ったのですか?」 「うちの子を引き取りたいというご家庭があって、そこに見学。もしそこでご家庭側と子供たち側の価値観や意見が合えば、晴れて孤児院を卒業するのよ」 養子縁組か。私とは無関係な世界だと、ついこの前まで思っていたことが、私の前に座る先生の口から前触れもなく降ってかかるのだ。私は布団を眺めるしかなかった。 「立てる?」 「え? あ、孤児院の案内でしたね」 「そうよ? 手を貸しましょうか?」 「いえ、大丈夫です。一人で立てます」 私は先生の差し出した手を無視してベッドから降り、ベッドの布団を丁寧に畳み、シーツの皺もできる限り伸ばした。これでカウルも少しは黙るだろう。先生はそんな私を見て笑顔で頷いていた。 この部屋は寝室でベッドがたくさんある。見える限りは八つ。ということは、少なくとも子どもは八人いるのだろうか。 「ここは寝室ね。子供たちと先生二人が寝る場所。今日からあなたもここで寝ることになるから、その時はけちなカウルのところじゃなくて、私のところにいらっしゃい」 「どうして初めから先生のところに私を寝かさなかったんですか? そうすれば、カウルもああはならなかったんじゃ」 「子ども同士の交流も大事だと思ったのよ。それに、カウルのが一番いいベッドだって、子供たちも言うから、具合の悪いユキになら譲ってくれるかなって、そう思ったのよね」 少なくとも私の弟は自分のものを誰かに貸そうだなんて発送はない。幼い子であればあるほど、共有するという概念はない。私はそんなことを考えながら、「ふーん」と空気を吐いた。 こんな私ももうここに肺から馴染み始めている。 「部屋を出てすぐにあるこの扉がお手洗い。電気はここね。夜は暗いから、場所忘れないようにね」 先生は廊下に取ってつけたような色の違う扉を開けて、子どもの背に合わせて位置を下げた電気のスイッチを指さす。私は難なく届いた。 お手洗いには洋式のトイレが一つと手洗い場があるだけだった。あまりにも簡素だが、孤児院だということを思い出して口には出さなかった。 「奥の部屋は院長の部屋だから入っちゃダメ。何か用がある時は必ずノックをして、入室の許可が出てから入ること」 私は無言で頷く。 「で、ここが階段。廊下の電気はここにあるから、電気をつけてから階段は下りるように。一度電気をつけずに下りた子がいて、大きな怪我で孤児院では見切れずに入院になった子がいるの。本当に危険だから、電気だけはつけるのよ?」 廊下の端からとぐろを巻いて下る螺旋階段。確かにこれを転げ落ちれば、入院だ。 【つづく】
丸くて明るい月を観ていたら あの日の事を思い出した これは昔の記憶で、今でも明瞭に思い出すことの出来る、ある殺人事件の話である 五月の暑い夕方で、その日は早めにバイトを終えアパートに帰って来た 玄関を開けバッグを下ろすとアパートの外階段を慌ただしく降りてくる音がする。 女性の声で中国語か何かで会話をしていたが、切迫感のある声色に不安になって自分も玄関の外に出でた。降りてきた中国人の女性が電話をしながら何処かへ行く、直ぐに向こうから電話をしながら駆け寄るもう一人の中国人女性と合流していた。二人は、興奮しながら話をしている。二人とも携帯を耳に当てたまま。 そのうち一人が玄関先で立っている僕を見つけ「事件事件」と向こうを指さして教えてくれた。普段挨拶しかしないのに。 せっかく教えてもらったので、鍵もかけずに二人の後を追って「事件事件」に行ってみる事にした 夜と言ってもいい時間だったが空はまだ明るく「まだ明るいな」と思っていたらあっと言う間に月が光っていた 着いた場所はアパートから歩いて十分もしない所。ただ少し奥まった場所で住民以外は通ることのない袋小路だった 既に人だかりが出来ていて、その輪の中に自分も行ってみる事にした パトカーが何台も停まっていて、立ち入り禁止と書かれた黄色いテープの前に警察官が立っている 「こんなのニュースでしか見たことないよ」 と誰かが、もしくは自分が言っている 警察官がひどく苛立っていて、ただ事ではないのかもしれないと感じた記憶がある 規制線のその奥で水色のカッパみたいな物を着た人たちやスーツを着た人たちなどがいるのが見える 普通の街の普通の住宅街で殺人事件が起こったのだと理解し始めた 事件があった家は昔からある古い住宅で小さいが庭があり南天や柿の木が植わっている 玄関は横に引くタイプの田舎にありそうな昔の家屋で、その家の住民、松永重政(56)が殺害された この事件は松永氏が発見された時の様子が衝撃的だった為、連日ニュースになったのを覚えている 当時のニュースや新聞等から得た情報によると松永氏の遺体の頭部が切断され、その頭部は遺体の股間部分に顔を埋めるように置かれていた そして口の中には遺体の切断された陰部が押し込まれていた 松永氏の遺体を発見したのは近所の子供で、かくれんぼをしている時に、松永氏の庭に入り込み、窓から家の中で倒れている松永氏を見つけた。彼が言うには松永氏は普段家にはいなかったので、よくかくれんぼで庭に忍び込んでいたと言う。留守が多かった話は近所の人達も口を揃えて話していて、たまに見かけても挨拶一つしない人だったらしい。近所の人も高齢者ばかりで彼等も引きこもりがちな生活らしく、余計に松永氏とは関わりがなかったと言う。 この事件の闇の深さが出てくるのは、遺体を発見した日の2日後。殺された松永氏が所有する倉庫から若い女性の遺体が見つかり、世間の注目の的となった。遺体の数は全部で37体、国籍はバラバラで日本人も一人だけいた。10代から二十代の若い女性が若い肉体を保ったまま死んでいた。 事件現場の松永氏の家は連日人だかりが出来ていて、記者だったり野次馬だったり。警察官が見張っている頃は良かったが、事件が解決して、警察官がいなくなると、家は荒らされ悪戯書きや窓が割られ、そのまま放置されているのを、たまに通りがかるときに見かけた。 事件から何年も経っているが、今も家は残っていて草や木が生え放題で自然が家を飲み込んでいるような状態になっている。 松永氏を殺害した事件の犯人は事件発覚から1ヶ月もしないで見つかった 確か既に自殺をしていて残されたノコギリに付着した血痕が松永氏の物と一致した為犯人と決定したらしかった それよりも37体の少女の遺体の方が気になってしょうがなかった 「おい、そろそろ行くぞ」 「あっ、はい。他の人達は」 「来ないらしいな」 「待たなくて良いんすか?」 「時間切れだ」 ハイエースに乗って深夜の道路を走る 運転席の男性はさっき初めて会った 「あの、荷物を運ぶだけですよね?」 「そうだ」 「それだけで一万円もらえるんですよね」 「そうだ」 「何運ぶんですか?」 「いいから黙ってろよ。運転に集中出来ないだろ」 「はぁ」
幼馴染のわたしときみは、幼い時からいつも一緒でお外で駆け回って、毎日のように遊んでいた。 思い出すだけで、今でも胸が締め付けられて泣きそうになる… あの時に戻りたいと、もう数えられないほど思った。 きみが元気いっぱいわたしにニコニコしてくれる姿、 プレーンのパンみたいに真っ白な肌と色素の薄い麦茶色の髪、 お外に出て、おひさまを浴びる姿。 すべてが愛おしくて大好きだった。 放課後、駅まで走って2分前ギリギリに改札を通り抜ける。 家に着くやいなや、わたしはポストを開ける。 今日も入ってるきみからの手紙。 月、おかえり!! 今日の学校はどうだった??僕は今日体調が良くて、お昼から学校に行かれたよ。今日も話したい!!それに、月の話も早く聞きたいな。 スクより 朝送られた「おはよう!」と可愛いクロネコのスタンプを思い出した。 「体調良かったんだ!そっかあ…!良かった…!!」と思わず きみが元気でいてくれて、幸せを感じられてるだけで嬉しくて涙が出そうになった。 わたしの幼馴染、スクくんは小学校に上がる頃、病気になった。発熱が続き、昼間は熱が出つつ比較的下がるが夜になると上がってしまう病気。 小さい子がなるらしい。 スクくんは入院してから、通常の発症よりも治るまでに時間を要した。 回復したものの、病弱気味になってしまったスクくんは、学校に来れなくて会えない日が増えた。 しかし、わたしは高熱でうなされてる中、月と呼ぶ彼を知ってしまった。 何もできないかもしれないけど。 それでも一緒にいるようになった。 わたしは部屋の窓を開けて、彼の部屋の窓をノックした。 「おかえり、月!」と彼は綺麗な顔を綻ばせて、わたしを迎え入れる。 「ただいま、スクくん。」 「今日、ほんと良かった!手紙とLINEスタンプ、嬉しかった。」 「心配してくれてありがとう!今日はお昼から授業受けて、楽しかったよ〜!これ、月ちゃんに。」 そう言って彼はわたしに、アーモンドチョコの箱を渡した。 「わたしの好きなお菓子、買ってくれたの?嬉しい!」 「えへへ!毎日頑張ってる月に、僕からのプレゼント!いつも、そばにいてくれてありがとね。」 お外に出られる時が少なめのスクくんが、わたしのために買って来てくれたもの。 それだけで、胸がいっぱいになった。 「大好き。」言葉が一瞬で流れ出して、わたしはどうしようもなく愛おしいきみに、抱きついた。 「僕も、月が大好きだよ。」 背中をポンポンしてくれるスクくん。 じっと、離れられなかった。 曇り空に少し肌寒い梅雨… 今日は、静かなスクくんの部屋。 夕方になっても、ポストには手紙が届いていない。 〜〜〜♪♪♪ 「月ちゃん?急にごめんね。朝からスクの体調が悪くて、熱でうなされちゃってるんだけど、来てもらえないかしら?」 「うぅ、、月。。」うなされる彼の顔。 冷えピタを貼ったり、おでこの汗を拭う。 手を握って、「代われるなら代わらせてよ、神様。」とただただ願った。 ある温かい春の日。 「ポストを見て。」と朝起きてLINEに気づく。 スクくんだ。 バタバタと階段を駆け降りて、真っ先に玄関で手紙を取り出す。 開けると、そこには、 月へ、おはよう! 僕は今日も元気だよ。春は、温かくて良く眠れるし、そのせいか最近は調子が良いんだ。あの公園に来てほしいな。 スクより わたしは身だしなみを整えて、公園に走った。 「スクくん!手紙見たよ。」 「月ちゃん!」と微笑んで、ベンチから立ち上がる彼。 あの日みたいに、陽だまりに包まれる。 「ここ、懐かしい公園!」 「うん、具合悪くしてからあまり来れなくなったけど。月ちゃんは、いつもそばにいてくれて。病気で怖い夢を見た日も。もう病気はやだって泣いた時も。いつも僕を照らしてくれる月みたいに、一等星だった。」 「わたしこそ!スクくんはわたしにとっての生きがい、生きる意味、なんだよ。」 スゥッと息を吐いて彼は言う。 「月、ずっとずっと昔から大好きだよ。いつも生きる希望をくれる月が、何よりも大切で一等特別だよ。こんな僕だけど、これからもずっとそばにいさせてくれませんか?」 涙が溢れて、言葉に詰まったわたしに、彼はあたふたしはじめる。 「っっ。わたしも、ずっと大好きでした。ずっとそばで生きていきたい。」 わたしたちは抱きしめあって、抱えてきたすべての想いと共に溶けて、流れてしまいそうだった… ーーあれから、わたしたちはハタチになる4月に入籍した。 今日は、わたしとスクくんの結婚記念日。 ーートトトト… 「おかえり、月!」、「まぁま、おかぁえりぃ!」、「りぃ〜!」と駆け寄ってくる足音。 栄養士になった料理上手な旦那様と、可愛い双子ちゃん。 愛しい宝物を、わたしはぎゅっと抱きしめた。
「慣れればなんとかなりますね」 「そうだな」 「でも、この蒸し暑いのはねぇ」 地べたに座った男たち。地獄の片隅で、灰色の空を見上げた。 すると、空から一本のロープが下りてきた。 「なんだ?」 「ロープですね」 「またこの季節か」 新入りの男が立ち上がって叫んだ。 「これ、あれだ。小説であったやつ」 「そうだよ。上の偉い人が糸垂らすやつね」 「じゃあ、これ昇れば天国行けるんだ」 「誰か行く人は?」 「いやぁ、この前落ちてケガしたし……」 新入りの男に視線が集まった。 「行きませんよ」 「なんで? 体力あるだろ」 「僕、高いところ苦手ですもん」 生臭い地獄に、沈黙が続いた。 「じゃあ、俺が行くか」 老人がロープに手を掛けた。 「やりますか?」 「おぉ。でも、みんな、いっぺんに来るなよ」 老人が、少しずつ、ゆっくりと昇っていく。 下から男たちの太い声が響いた。 「感動をありがとよ」 「あっちの雲んとこ、テント来てるってよ」 二人の女がイベント広場に向かった。 「多いね」 「みんな楽しみにしてたからね」 テントのまわりには、たくさんの人たちが並んでいた。 「皆さん、ご覧になるときは押さないように。落ちたら危険です」 拡声器を持った男が、頭を下げる。 「わぁ、すごい。おじいちゃんよ」 雲の隙間からロープが下ろされ、大勢が覗き込んだ。 「もう少しよ。がんばれ」 顔をゆがめながら、両手に力を入れる。 ──その時。 「あぁ、落ちちゃった」 「でも、おじいちゃん、よくやったわ」 拍手が起こる。 「あっ、次、来たよ」 「がんばって。勇気と感動、ありがとう」
もうこんな時間…黄昏た視界が広がった 仕事終わりと共に何処か哀愁を感じさせる いつの間にか、ここまで歩いていた あっという間の歩道橋 折り返し地点にて、片手に収まった鞄と溢れ出た疲労感 立ち止まって、下を走る自動車たちを見た 私が歩き止まっても、この世界は動き続けていく 今日も黄昏時が終わる前に帰宅するとしよう (完)
「どうぞ、お入り下さい」 扉から顔だけ出した男が声を掛けた。 その声に、二十代後半の女が、緊張した面持ちで部屋に入った。 「失礼します」 「そちらにおかけ下さい」 長机を前に、二人の男が履歴書に目を通していた。 「前職は物流関係とありますが、どのようなことを」 「はい。通販サイトで、購入者様への配送業務でした」 「具体的には、どのような」 「はい。ご注文の品を箱に入れて、緩衝材も詰めて、待機しているトラックまで持って行く仕事です」 二人は、うなずきながらメモを取っている。 「では、弊社を希望した理由を教えていただけますか」 「はい。私事ですが、前の職場の同僚が、私の箱詰め作業を見て、何か感心したようで、御社を勧めてくれたというか…」 「なるほど。うちも箱詰め作業はありますが、結構大変ですよ」 「はい。頑張ります」 女は、笑顔で小さく頭を下げた。 「では後日、改めてご連絡しますので、それまでお待ちください」 女が部屋をあとにする。 「君、今の女性どう思う」 社長が人事の男に聞いた。 「そうですね。即戦力になりそうですね」 「君もそう思ったか。じゃあ、採用するかな」 ──ピコンピコン 女がメールを開いた。 「採用決定。 ご存知かと思いますが、弊社の制服は喪服です。ご用意お願いします」
もう誰も居なくなった 紫のリボンが散乱した城内 大きなパーティーがあったようで 大小の開けられたプレゼント箱 それに、寄り添う紫のリボン 古びたのはこの城か、この時代なのか 紫のリボンに巻き包まれた若い女 それは、肖像画として描かれた 散乱したリボンは、同じ色のリボン どれだけ時間が経ったのか判らない 埃の被った発色の良い紫のリボンが現代と古城を繋ぐ いつしか紫のリボンは… この世界に留まり続けさせる 若い女への呪いのような願いに感じた (完)
今日は不眠症気味なので夜近所をブラブラ散歩していた。 世間では不良外国人が起こす問題などが騒がれているが僕は割と話せそうな外国人には話しかけるので(むしろ日本人にいびられているような感じだそれは僕が気持ち悪いからだろうが何か書いててヘコんできた)中国人の知り合いとか欲しいな~とか思いながらテクテク散歩していた。 何か中国語っぽい言葉を話しているカップルがいたので間を取ってこんばんは、と話しかけたら向こうも話に乗ってきてくれた。 僕が統合失調症で生活保護を取っていると言ったら私達中国人よりもあなた達日本人の方が仕事を見つけるのは凄い簡単ですよ、と言われた(日本語がたどたどしいので就ける仕事も限られているのかも知れない) 中国の人に宗教の話はタブーなのかな?と思いながらあなた達は何かの宗教に入っていますか?と聞くと(えらいセンシティブな問題だ下手したら殴られるぞ)私達はクリスチャンですと中国の人は言った。近くのお寺が怖いとも言っていた。宗派の違いでかしら? クリスチャンなら僕も教会に行っているので取っ掛かりがあるぞと思い通っている教会の場所を教えて貰った。今度行ってみよう。 ついでに翻訳アプリなんかも教えて貰ってインストールした。 所々翻訳アプリで冗談を言うと中国のカップルの彼女さんは笑っていた(ユーモアは世界共通なのだな、と思う) 割とシャイなんです、と言うと中国の人は割と豪快です、と言われ肩を組んで友達と言われた。(ちょっと照れるが嬉しい) 何か中国の人の知り合い欲しいな~と思っていて思わぬ所でコミュニケーションできたのでやはりこれはキリストの力だろうか(結構少ない中国人のクリスチャンに会えたのも僥倖だ) 望むものは手に入る、とははて誰の言葉だったか?とカップルと別れてから思う。 また外国人に頑張って話しかけようと思えた夜だった。
眩しい西陽の差し込む音楽室で、私たち吹奏楽部二年は合わせ練習をしていた。といっても、同期は私含め三人。私がパーカッションで、親友のユカがクラリネット、ハルキがアルトサックスだ。これだけ少なくても、意外と合わせてみると楽しいものだ。 「やっぱハルキは上手いね〜」 ユカの言葉に、私も大きく頷く。ハルキは部内で一番演奏が正確で、一回吹けるようになったらほとんど間違えない。音が若干小さいのが玉に瑕だが、人数の少ないこの吹部では、なんだかんだ彼に頼り切りになることも多かった。 だが、ハルキは強張った表情で頷くだけだった。どれだけ褒められても、いつもこうなのだ。彼は本当におとなしい人で、同期としてもう二年目なのに、会話は最低限。いつも何かに怯えるように上目遣いで、笑っている姿を見ることがない。私は最近、彼の性格は家庭環境からきているのでは、と勝手に心配しているのだった。 ハルキの父親は、五十嵐シンゴという有名ピアニストだ。彼は演奏の上手さだけでなく、時々結婚事情なんかでテレビを騒がせている。なんでも、二人の奥さんと別れ、今は連れ子を含めた7人の子供を一人で育てているらしい。ハルキは見るからに繊細だし、賑やかな兄弟たちに押されてしまっているのではないかと思うのだ。 (まぁ、私が心配したってしょうがないんだけどね……) そう思っている私の横で、ユカがまたハルキに話しかけている。 「そういえば、お父さんのことテレビで見たよ。また離婚して、大変だね。もしなんかあったら――」 「ちょちょちょ、ユカ! 人ん家に踏み込みすぎでしょ!」 私は慌てて止めに入る。ユカは親切でこういうこと言うからヒヤヒヤするんだ。「ごめんね〜」とユカの代わりに謝る私に、ハルキはちょっと驚いたようだった。 「……いいよ、別に。弟たち……可愛いから」 「……あ、そうなんだ。それならいいんだけど……?」 私は戸惑いながらそう返した。正直、ハルキが喋ったことに一番驚いた。いかにも声変わり中の掠れ声だったけれど、落ち着いた優しい響きだ。こんなふうに喋る人なんだなぁ、と私は興味を惹かれた。 「っていうか、弟さん……なんだね。ハルキはお兄さんなんだ」 「あ、それウチも思った! なんか意外〜」 「そう……?」 ハルキは小さく首を傾げる。家庭内のことはなんとなくタブーだと思って触れていなかったけれど、どうやら少し考えすぎだったようだ。これからもっといろんなこと話せたらいいな、と思いながら、私は手の上でバチをくるんと回した。
「おいおい! プロの作家でもねえ奴が、偉そうなこと言ってんじゃねえよ!」 トイレの個室から、叫び声が聞こえた。 用を足し終えても、まだ聞こえる。 だれかと電話をしているのか。 しばらく小便器の前に立っていると、個室の扉が開かれて、怒り顔の男が外に出てきた。 男は片手で水道の蛇口をひねって、片手だけ手を濡らして、そのままトイレを出て行った。 その手に、スマートフォンはない。 電話の線は薄い。 「……なんだったんだろ」 好奇心に負けた俺は、個室の中をそっと覗く。 嗅ぎたくない残り香が鼻を殴りつけて来るも、我慢して中を見渡す。 綺麗な便器と綺麗な壁。 そして、便器に座った時に真正面に見える壁の真ん中に、小さな文字が並べられていた。 『小説はオワコン』 誰が書いたのかはわっぱり分からないし、何の意図をもって書いたのかはわからない。 世界に発信するには、あまりにも目立たないキャンバスだ。 「さっきの人、作家さんなのかな?」 こんな便所の落書きに、どうしてあそこまで怒れるのか。 その理由も自分にはわからず、すぐに便所の落書きから目をそらして、水道の蛇口をひねった。
【晴れときどきくもり、つごうにより回想 その五】 何日かすぎてからの、たぶんお昼すぎくらいだったと思う。 ―ほう。珍しいな お狐さまの言葉で顔を上げ、その視線を追いかける。 「ああ、お天気雨」 久しく出会っていなかった。少ない記憶のなかでは、小学校低学年以来じゃないかな。 ―別の言いかたを知っているかな? 「ああ… なんだっけかな。前に調べたけど…」 お狐さまの表情はなんとなく、さみしそうな感じにも見えた。 ―そんなことより 「うん」 その先に続く言葉を、きっと僕はわかっている。それでも聞くのには、だいぶ覚悟がいる。 ―来週、満月だが 「…うん」 ―準備はよいのか? 「…大丈夫、だよ」 ―うむ。万事抜かりなくな ようやく、僕たちの契りのときがやって来る。僕は大きくうなずいて、その返事とした。 ・ ―連休というのはカレンダーに赤い数字が続くってだけのことよ そんなふうにざっくりと教えてくれたのは、やはりその語尾から言って母親なのだろうとは思うのだけど、それは僕のたんなる思いすごしと記憶の改ざんで、父親が乱暴に言い放ったようにも感じられる。いずれにしてもふたりの親が満足に休みを取れず、また連休を忌み嫌うような仕事に就いていたと知ることになった、後々のことではあるけれど。 僕は、お狐さまがどんな仕事をしているのかを知らない。どんなことをして、どんなことをしていないのか、そのときどんな顔を見せてくれて、どんな顔を見せてくれないのか、まったく知らないし、わからない。気にならないのではなくて、知ることが怖いのかもしれない。それだけの覚悟を、僕はまだ手にしていない。そんな僕がお狐さまと契りを結ぶことが、果たしていいことなのか、考えてしまう。僕の少ない経験上、この手のことは考えたところで結論には到底、達することがない。それをわかっていて、でも僕は、やっぱり考えてしまう。 ―教えてはやれぬが、食べているものなら教えてやれんこともない 「うん。教えて」 ―教えるというか… そうだな、今度、食べに行ってみるか そのお店はマグロ専門のお店で、その名もズバリ「まぐろ屋」。そのまんますぎて潔い感じに、入る前からすでに好感触。 ―うむ。今日はアタリのようだな 「そうなの?」 ―うむ。しかしな… 「何か問題でもあるの?」 ―いや、なんでもない。入るとしよう 「…うん」 ふたりにしては少々、狭いかもというようなテーブル席が、僕にはかわいく思えた。座って、店員さんが来て、僕に「いらっしゃいませ」と言って、お狐さまには「いつもありがとうございます」と言って。そんなに来てるんだあ、と僕の知らないお狐さまを想像して、ちょっぴりさみしくなって。 「日替わりでよろしいですかね?」 ―うむ。ふたつな 「かしこまりました」 運ばれてきたお膳はとても豪華で、メインのほほ肉のからあげ、マグロの山かけ、里芋の煮もの、みそ田楽、ほうれんそうのおひたし、きゅうりの漬もの、そして、ごはん、みそ汁。小鉢の多さに胸が弾んだ。 ―このマグロのほほ肉のからあげが絶品でな やわらかく、ごはんがすすむ味だった。 「困っちゃうなあ。ごはんが足りないや」 ―そこなのだよ 「何が?」 ―おいしすぎてごはんが足りなくなってしまう。しかし、ごはんのおかわりは自由ではないときてる 「ああ…」 ―それがこの店の唯一の欠点らしい欠点のようなものだ 最後、お茶まですっかり飲み干し、僕たちはそのお店をあとにした。
「どうだい、綺麗だろう、ユキ」 曾祖母が星空を眺めながら、私に問いかける。私はその嗄れた声を脳裏に微かに刻みながら目を輝かせていた。弟は私の隣で寝転がって天上を見ている。到底、抱えきれない夜を身体全部で受け入れようと、両手両足を大きく広げて笑っている。いつもは町の明かりに掻き消されて息を殺している六等星たちも、今この時を楽しそうに煌めく。 「うん。とても、綺麗」 濃藍に砂を撒いたような、「綺麗」なんて短い言葉で言い表して良いものか、そんな今夜を私は噛み締めていた。 すると、家の中から母が飲み物を盆に乗せて現れた。その後ろから、缶ビールを両手に持った父も一緒に。二人とも目前の星々に一度目を奪われ、覚束ない足取りで私の傍まで歩いて、そして座り込んだ。両親も珍しく笑顔でいる。二人が揃って笑顔でいるなんて、信じられなかったけれど、今日が特別な日だったことを思い出して母から飲み物を受け取った。 「これが『星見の日渡り』だ、ユキ。よく見ておくんだ」 「お父さんがプロポーズをしてくれた特別な日なの」 「またその話かい? まったく、母さんは」 私を座って抱えている曾祖母は声高に笑った。私も弟も、つられて笑った。 この町は、毎年、五分だけ町のすべての灯りを消し、星に祈りを捧げるという特別な二日間がある。日を跨ぐこの五分間を私たちは「星見の日渡り」と呼んでいる。この五分間を恋人と共に過ごして愛を誓い合ったり、私たちのように家族と共に過ごして一族の安泰を祈ったり、好きなように、でも、大切に使っている。 「あと二分だよ、お姉ちゃん。ちゃんとお祈りした?」 弟は神様でも見たかのような、そんな興奮に身体を支配されていて、私の腕を両手で掴んでは大きく揺さぶった。曾祖母は「こらこら」と呆れたように返していたが、私はそれが嬉しかった。弟が「お姉ちゃん」なんて呼ぶことは滅多にないから、その響きだけでも笑顔が零れてしまう。 「大丈夫、ちゃんとお祈りしたよ? 秘密だけどね」 「えー、なんで! 僕の願い事、教えたら教えてくれる?」 「ううん、教えなーい」 そんな幸せがあの時、瞬く間に遠のいたのを今でも覚えている。弟の笑顔が、両親の温もりが、曾祖母の嗄れた独特な笑い声が、突然夕焼けのように染まったのだ。私一人を残して。 ある病床で私は目を覚ました。目を覚ました時、顔も知らない女の子が私の顔を覗き込んでいた。バッチリと目が合うと、その女の子は叫びながら部屋を出て行った。「生き返った」なんて喚いているのが聞こえたが、何かの冗談だと思って自分の胸に手のひらを当てた。思った通り心臓はあった。少し不安に思ったこともあって、そこに心臓があることに安堵した。 落ち着いて座り込み、ふと周囲を見渡してみることにしたが、そこには白くシンプルな家具が陳列しているだけで、変わったものはなかった。私のいるベッドも真新しくて、洗剤の柔らかい匂いがする。 「あら、目が覚めたのね」 出口の方から柔和な笑顔で入室したのは私の母くらいの女性。エプロンをしているところを見ると、朝食の支度でもしていたのだろう。私は少し、会釈をした。布団を顔の近くまで引き寄せ、警戒モードに入る。と、その女性の足元に隠れてこちらを伺う先程の女の子が見えた。彼女も私と同じように警戒モードらしい。私を一瞬不安にさせた女の子だ。そう思った時に険しい表情になってしまったようで、女性が私に優しく声をかける。 「大丈夫、怖がらないで。ここは孤児院。これからあなたが暮らす場所よ」 「孤児院?」 「そう。あなたはあの場所で『一人で』眠っていたの。だから、保護したのよ」 女性は私に近寄りながら話し、ベッドの横にある丸椅子に腰かけた。看病をここに座ってしてくれていたのだろうか、懐かしい感じを覚えた。そして、優しく私の黒髪に手をかけ、ゆっくりと摩った。曾祖母の皺だらけの手を思い出す。 「弟は? お母さんたちは?」 私は見上げて問いかけると、明らかに口を噤んだ素振りをする彼女。それでも私の頭を撫でる手は止まらず、嫌な想像を掻き立てられる。 「死んだよ」 私のベッドの下からそう聞こえた。私は驚いて彼女のエプロンを握りしめるが、彼女は動揺せずにその声の主の名前を呼んだ。 「カウル。出てきなさい」 「嫌だ。ここは僕のベッドなのに、ママがいけないんだ」 「仕方ないでしょ。ベッドが足りないのだから」 暫くすると、女の子に足を引きずられ、背中を床に擦りながら腕組みをした男の子がベッドの下から現れた。ものすごい剣幕で私の方を睨んでいた。その面影は喧嘩をして家を出て行った弟に似ていた。男の子は頬を膨らませたまま、私とママを交互に睨んで、「綺麗にして返せよな」と捨てて部屋を出て行った。 【つづく】
夜のダンシング・スタジオ 貴方には見せない、もう一つの仮面 全ては貴方と優雅に踊るダンシング・ショーのために 鏡張りの壁と睨め合う私 蒸れたシャツを脱ぎ替え、夜の街の空気を浴びる つくづく思う。この街の人間は金平糖なのだと 何も知らない、知らされない金平糖たち どれだけ社会に転がされてきたことか 互いを傷つけるための棘しか育てない愚者たち そんな私たちの人影を縫うように歴史が生まれていく… そんな世界の中の こんな街の中の住人 今の想いをダンスでただ表現したかった 金平糖が熱で溶けるように 私の運命がダンス・ステージのスポットライトで溶けるように いつまでもアリを呼び続ける (完)