「ほーら。ご飯ですよー」 娘が、お人形遊びをしている。 微笑ましい光景だ。 お人形遊びに使っているのが、呪いの人形であるという一点を除けば。 娘が、おもちゃのお菓子を人形の口に近づける。 人形を小刻みに動かして、お菓子を食べさせるふりをする。 翌日。 俺は太った。 たった一日で、十キログラム増。 脱・中年を目指した筋トレの結果は、一瞬で消え去った。 「はーい。髪を切りましょうねー」 娘が、人形の髪をはさみで切っていく。 黒い毛糸が、人形の頭から床へと散らばった。 翌日。 俺は禿げた。 美容師から強い毛根とお墨付きをもらっていたのに、完全に河童。 タオルで磨けば、良い音がしそうだ。 「なあ。そろそろ、娘から人形を取り返してくれよ」 俺は妻に泣きを入れた。 妻は包丁を動かす手を止め、最高の笑顔を俺に向けてきた。 「デブでハゲてたら、さすがに浮気できないでしょ?」 俺は何も言い返せず、すごすごリビングに戻った。 ソファに座っていると、娘が最高の笑顔で近づいてきた。 「パパ見て! ブーブー! ママが買ってくれたのー!」 人形と、車の玩具を持って。
少し食べるほうに気持ちが向いてきたのは 真夏のピークが去った証拠 今年もなんとか エアコンを使わないで乗り切れそうだ 扇風機には、だいぶ負担をかけてしまった 風鈴だけでひと夏を越せるのが理想だけど それはちょっと無理な話か こういうとこが モテない原因なんだろうなあ 麦茶がおいしい そんなことも、流せてしまえる
「編集長、今月の応募作品、やたら多くないですか」 「そうだね。今回は賞金が出るからね」 「それにしても、この数は……どれくらいAIですかね」 「半分くらいは賞金稼ぎかな」 「昨日、審査してくれる作家先生から、断りのメールがきましたよ」 「大丈夫。ちゃんと考えてある」 編集長は頬を緩め、応募作品が入ったUSBメモリーをパソコンに挿した。 「審査には、私たちもAIを使うことにした。総評も書いてもらう」 「それじゃあ、AIの作品をAIが審査するってことですか」 「AI vs AIだ」 ──審査発表の日。 スマホを前に、女の指先が震える。 ごみ箱の周りには丸めた紙が散らかっていた。 「今回は自信ある」 祈るようにメールを開いた。 『最優秀賞おめでとうございます』 ─総評─ 「作品の中で語られる主人公の言葉、私には作れない新鮮さを感じました」
石畳に刻まれた円と紋様を、少年は指でなぞろうとして、はっと息を止めた。 「触れても、そこには何もないぞ。」 老魔法使いは、ただ静かに少年を見下ろしていた。 「これは魔法を描いた絵じゃない。標(しるべ)だ。」 少年は何度もこの図形を見てきた。だが、意味はわからなかった。魔法陣というものは、そういうものだと思っていた。 「師匠、魔法って、覚えられるものなんですか。」 「覚えるのは魔法じゃない。」 老魔法使いは杖の先で、円の中央をそっと叩いた。 「この世界には、もうひとつ奥がある。おれたちが立っているここは、その奥にある何かの、映し絵に過ぎない。」 少年は足元の石を見た。硬く、冷たく、間違いなく本物だった。映し絵には見えなかった。 「魔法使いは、その奥にある何かに触れる。ただし、直接じゃない。」 老魔法使いは円の外周を指した。 「この紋様が、触れ方を教えてくれる。魔法使いなら誰がやっても同じ結果になるように、先人達が編み出した道標だ。呪文は、その道標に従って声を添えているだけに過ぎない。」 「命令、してるんじゃないんですか。」 「命令できる者なんていないよ。」 老魔法使いは少し笑った。 「お願いしてるわけでもない。ただ、正しい場所を、正しい順番で、なぞっているだけだ。」 少年は息を吸って、手をかざした。 教わった通りに、頭の中で図形を追う。 外円。固定環。座標環。調律環。収束紋。 そして最後にひとつ、炎の形を思い浮かべる。 「第一環、固定。」 何も起きない。 「第二環、座標指定。」 空気が微かに震えた気がした。 「第三環――」 声が震えかけたが、少年はそれを飲み込んだ。 「調律。」 溝に沿って、青白い光が走った。 「師匠……!」 「まだだ。」 老魔法使いの声だけが、変わらず静かだった。 「最後まで、なぞれ。」 少年は目を閉じ、炎の形を思い浮かべながら最後の言葉を絞り出した。 「――収束。」 光が、円全体を包んだ。 薪も油も火打石もないその場所に、小さな炎がひとつ、灯った。 少年はしばらく、それを見つめたまま動けなかった。 熱が、頬に触れる。 本物だった。 「今、お前は何かを作ったわけじゃない。」 老魔法使いは、揺れる炎に目を細めた。 「この場所の『在り方』を、少しだけ書き換えただけだ。」 少年はうなずくことも忘れて、炎を見つめ続けた。 もうひとつの奥とは何かわからないままだったが、その一端に触れた感触だけが残っていた。
「誰か彼を止めないと……」 「それが、制裁だって言って聞く耳持たないんですよ」 「みんなが迷惑してるよね」 集まった代表たちが、深いため息をついた。 「この前も『我々は最強だ』って言ってたでしょ」 「そう、自分たちファーストってね」 「でも、一般人にケガさせるのはやりすぎ」 「黙ってるけど、君はどうなの? 仲間でしょ」 部屋の隅に、視線が集まった。 「すみません。一部が暴走してて。ぼくも、シャケくわえてた頃が懐かしいです」
500g。 地球側の実験室、その中央に置かれたアルミニウム合金の塊。メーガン・カーターは自分が誤ってつけてしまった爪先ほどの小さな擦り傷をじっと見つめていた。 たった500g。 それが、半年かけて準備した今日の実験のすべてだった。 「……本当に、月へ送るのはこれでいいんですか?」 若い技術者のイーサン・ミラーが言った。 メーガンは答えなかった。 正確には、誰も「送る」とは言っていない。 隣のモニターには、念のため無人となっている月側の実験室から送られてくる映像が映っていた。定点カメラが、何も置かれていない台座を映している。 「ロケットなら数日で運べますよね」 「そうね」 「……もし失敗したら、僕たちの半年間は文字通り『無』になりますね」 メーガンは答えなかった。 半年。 装置の最終調整が始まってから、メーガンたちはほとんど休まず調整を続けてきた。月側の実験室との2回の往復。ヒッグス結合の局所制御。量子ビーコンモジュールによる「標」の固定。情報パターンの解放、伝播、再結合。 理論は繋がっている。だが、誰も成功を保証できない。 「速さでも、送信する物体の問題でもない」 主任研究員のダニエル・ブルックスが言った。 「今日確かめるのは、あれが、あそこに『なる』かどうかだ」 メーガンはダニエルを見た。 また、その言葉だ。 送るのではない。 運ぶのでもない。 「あそこに、なる」 その意味を、メーガンは理屈では理解していた。 地上での短距離実験が繰り返し行われ、彼女も何度も立ち会って見てきた現象だ。 AIの人工合成音声によるカウントダウンが始まった。 「三」 AIの無機質な音声が、メーガンの鼓動を跳ね上げる。 「二」 まだ何も起きない。 メーガンは月側の台座を映すモニターを凝視した。手のひらにじっとりと嫌な汗がにじむ。 「一……」 ダニエルが言った。 「ブリンク・シフト開始」 金属塊が、瞬きの一瞬で消えさった。 揺らめきもない。 光もない。 ただ、そこにあった500gが、世界から抜き取られたように消えた。質量保存の法則さえも無視するかのように。 誰も声を上げなかった。 メーガンは月側のモニターを見つめた。 当然、まだ何もない。 地球と月の距離は約38万㎞。 光で1.3秒。往復で2.6秒。 メーガンは無意識に息を止めた。 1秒。 心臓が痛いほど高鳴る。 2秒。 まだ、何もない。 そして…… 2.6秒。 永遠のようにも、一瞬のようにも思えた空白の果てに、台座の上に「それ」が唐突に現れた。 誰も動かなかった。 定点カメラのライトを受け、金属の表面がわずかに輝いている。 地球側と同じ形。 あの小さな擦り傷までが、そこにあった。 「……同じものか」 メーガンの口から、言葉が漏れた。 イーサンが月側から送信されてきた数値を確認する。 「一致している」 「どのくらい?」 「測定限界まで。完全に」 拍手も歓声も起こらなかった。 メーガンは、自分の手が震えていることに気づいた。 たった1.3秒。 その間、金属塊はどこにもなかった。 少なくとも、この3次元の世界には。 メーガンは、理論通りであるその事実から目を逸らせなかった。 ロケットなら、数日かかる。 それでも、ロケットは物体を運ぶ。 今日、彼女たちが確かめたものは、それとは違う。 ここにあったものが、あそこに「なった」としか言いようがない。 その違いが、胸の奥に重く残った。 --- 翌朝、ニュースでは実験の成功が報じられた。 「わずか500gの金属片を月へ移動させるため、巨額の研究費が……」 怒りは湧かなかった。 今は、それでいい。 500gでは、世界は変わらない。 人間も、社会も、経済も変わらない。 だが、歴史を変える技術は、最初から歴史を変える姿をしているとは限らない。 その夜。 メーガンは一人、実験室に残った。 窓の外には月が浮かんでいる。 昨日までは、単に38万㎞先にある天体だった。 今は違う。 彼女にとっては、昨日まで無かった500gの金属塊が存在している。 次は火星。 その次は木星。 やがて土星へ。 そしていつか、光でさえ何年もかかる場所へ。 そこに転送拠点が築かれれば、人類はその距離を「移動」する必要さえなくなる。 メーガンは月を見つめた。 人類にとっては、小さな一歩。 あまりにも使い古されたそのフレーズが、今のメーガンの脳裏を占拠していた。 それでも…… 今夜の彼女には、それ以上にふさわしい言葉が見つからなかった。
「ぼくは見つけてもらえないのさ」 「ふふふ」 答えるかわりに きみは微笑んで 線香花火に火をつけた 最後までもたず 線香花火の灯りは 落ちてしまった 「やっぱり見つけてもらえそうにないかあ」 「ふふふ」
この夏も 負の風物詩が やってくる それが 負の風物詩の 義務感 わたしは 負の風物詩を がまんする それが わたしの 義務感 夏は なくても いいのだけど きてしまうのは 夏の 義務感
デパートの 駅弁大会に行っても 旅行気分には なれない デパートに 行った気に なるだけ 駅弁を買って 喫茶店で ナポリタンと クリームソーダ 駅弁は 夕ごはんに 今日は デパートに 行ったなあ 旅行では ないなあ
ビィとエル 手入れされた黒のウルフカット。襟足は少し跳ねて、右耳にはシルバーのリングピアス。ジト目で怠そうな横顔。午後の日差しが彼の顔を神々しくさせる。 「一組の王子様見た?まじやばい、今年の新入生げちヤバ!」 放課後、朱色のネクタイを緩ませた三人のギャル達が騒ぎながら一年生の教室棟へと駆けてくる。紺色のネクタイをした新入生の中に入る紅一点に皆道を開ける。 「ほら、見てみ!あれだよ、今年の一年!嵐山彗流」 「エルって読むの?」 「らしい……彗星が流れるでエルだって、めちゃオシャやん!」 「やばぁい、横顔バリメロい!」 「ほんで、その横もメロいんよ!名前が……なんやっけ」 「あれやん、銀河くんじゃなかったっけ?」 「そうそう!山城銀河くん!」 「ド金髪じゃん、うちらとオソロー」 「アンタとは見た目の輝き具合が違う」 「サイテー!てか、あの子も可愛い!誰?」 「どれ?」 「あの、眼鏡委員長みたいなやつ!」 「あれは……誰だろ?よくわかんない」 「あんた、そーゆー地味目が好きなの!?」 「そーじゃなくて!」 ドアの前でわちゃわちゃ騒いでいると背後から思いっきり木製のドアを殴られる。叩きつけられた音にギャルの肩が跳ねる。彼女らが振り返ると、ツンツンとウニのような金髪の髪に、吊り上がった目つきの悪い三白眼、耳には沢山のピアスに、趣味の悪いチェーンネックレスをした男が居た。 「……バリ不良やん」 思わず口を開いた子を慌ててもう一人のギャルが口を塞ぐ。男は口を開いて低い声を出した。 「そこ邪魔っす先輩」 騒ぎを聞きつけて、廊下の奥からやって来た教師が間に入る。まるで男がギャル達を虐めてるみたいな構図に、周りの生徒も息を飲む。 先生は一目で決めつけて男子生徒を掴んで生徒指導室へと連れていった。ギャル達は何も言えなかった。数秒後ハッとする。 「こ、これ不味くない?やばいやばい、何もされてないのに決めつけられてる」 「誤解ときに行こ!」 「謝りに行かなきゃ!」 ハッとしたギャル三人が動き出す前に扉の前にもう一人の男が現れる。 「ごめん、少し通して」 彼女達の隙間を通った黒のウルフカット。襟足は少し跳ねて、右耳にはシルバーのリングピアス。そう。 「「……嵐山彗流ぅううう」」 彼は通学カバンを二つ肩に下げて、廊下を走って行った。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「……ビィちゃん。怒られ終わった?」 生徒指導室から出ると目の前に居たのはエルだった。 「……なんでここにいんだよ」 「一緒に帰る約束してたじゃん?」 エルは俺の鞄を渡してくる。出されたら受け取る。人の身体はそうなってるみたいだ。 「……今日も一緒に帰ろうねビィちゃん」 受け取るのを承諾と都合よく理解したエルが後ろから抱き着いてくる。 「……好きにしろよ。ていうか、ビィちゃんってやめろ!俺には、姫美 星っつー名前があるんだよ!」 鬱陶しいと肘で押しながら言い返せば、頬を緩めて、より密着するエル。 「じゃあ、姫ちゃんって呼ぶ?」。 「ふざけんな」 踵落としをしようと振り上げるも、難なく躱される。代わりに床のタイルに勢いよく踵が地面に当たる。痛い。涙が出そう。ジンジンと痺れる踵に歯を食いしばる。なんで俺がこんな思いしなきゃいけねぇんだよ。 涙を奥歯で堪えて校門に向かった。その後をちょこちょこと着いてくるエル。 「そもそもなんで俺がビィちゃんなんだよ、俺の名前知ってるか?ひめみ ほしって言うんだよ」 振り返って威張れば、知ってるよときょとんとした顔をされてイライラが増す。いたずら好きな大型犬に弄ばれてる気分だ。 「美を司る星で、ヴィーナスでしょ?だから、ビィちゃん!俺の一番星」 にっかり笑うエルに俺はよく分からなかった。いつの間に俺が一番星なんかになってんだよ。俺と出会ったのなんか数ヶ月前が初めてだっつーの。 「……あっそ」 一言吐き捨てて沈みかけの太陽へ歩いた。
落ち葉 吸い殻 スカートから伸びる太もも かみくず 風 空 雲 はと リュックを背負ったスーツの男性 Tシャツの女性 マスクから出ている鼻 揺れる胸 汗 クーラーをつけたままの車 蝉 鉄の錆 曲げられた鉄筋 日差し 駅 電車 まだ言葉を集めることしか出来ない自分
あのお店、カレーパンとハムチーズパンおいしいよー、そんなようなことを友だちに言われ、言われた通りのものを買った。ついでにチョココロネとパックの珈琲牛乳も。ちょっと子どもっぽくて、でも絶対に期待を裏切らないチョイスができちゃう自分が、ちょっとだけ誇らしくなる。 後先考えずチョココロネに食らいつき、うにいいいとチョコをはみ出させ「もう、まったく」と私に世話を焼かせるのがアイツの得意技だった。 「チョココロネはね、こうやって食べようよ」 ひと口ちぎってチョコをつけ、アイツの口に放り込んでやった。異文化にでもふれたようにアイツの顔にブンメイカイカがやってきた。 過去となってしまった甘い思い出を珈琲牛乳で洗い流す。甘いね、珈琲牛乳。うん、そうだ、甘くていいんだな。だって甘い思い出なんだから。無理に苦さをさがさなくったって。だって甘いんだからさ。
男女が、ゆっくりと目を開けた。 「私たち、死んだのね」 二人の手は固く握られている。 「これでみんな、分かってくれたさ」 「そうね。私たちの愛は本物だったって」 見つめ合う二人。 「……なんか、人多くない?」 辺りを見回し、杖をついた女に声をかけた。 「すみません。ここは、どこですか」 「ここ、三途の川だ。並ぶんなら、向こうだ」 女は長い行列の最後尾を、杖でさした。 「あっ、スマホがない」 女がポケットを探る。 「洗面所の鏡のとこに置いてきた」 「もう、いいんじゃない」 「だめ。データ、消してないもん」 その時、遠くで声がした。 「ん…?お母さん。ちょっと待ってて。スマホ、取ってくる」 女は、声がする方へ走った。 「先生、すぐ来てください」 看護師が大きな声を上げた。 母親は娘の手を握り、泣いている。 「私のスマホ…」 男は河原の石に腰掛け、女の帰りを待った。 「兄ちゃん、どうした」 酔っぱらいが横に座る。 「僕も、帰りたいんですけど。どうしたら、いいですか」 「誰か、呼び掛けてくれる人、いねぇのか」 「はい」 「じゃあ、その彼女、待つしかねぇな」 酔っぱらいは笑いながら、男の肩を叩いた。 「その彼女、今度来る時は、婆さんだな」
雨水の流れは 虫たちにとって 大河の流れ 水たまりは 大きな湖か はたまた 海のようで テーブルに落ちた わたしの涙のしずくなんて 池みたいなものかしらね
平日の午前。 男は整理券をもらうため、小走りでパチンコ屋に向かった。 「今日は勝つ気がする……」 ポケットの中の軍資金を握った。 すると、道路脇でかがんでいる女を見かけた。 「……あの婆さん」 アパートの隣に住む婆さんが、お地蔵様を雑巾で丁寧に拭いていた。 男は足を止めた。 「信じる者は救われるか」 鼻で笑う。 夕方。帰り道、うつむいて舌打ちをした。 「ん……」 隣の婆さんがビニール袋をぶら下げ、地蔵の前に立っている。 そして、気にする素振りもなく、お供え物と小銭を袋に入れた。 「婆さん、こずるいこと考えたな」 「なにがだ」 「いやいや、今、お供え物と小銭、盗ったろ」 婆さんは笑いながら、男を見た。 「この地蔵、私が通販で買って、ここに置いたんだ」 「なんだそれ」 「他にも、何か所も置いてるさ」 辺りが暗くなってきた。 「私はねぇ、ちゃんと考えて置いてるんだ。リピーターを増やすためにね」 そう言うと、地蔵を抱えた。 「それ、どこに持って行くんだ」 婆さんが振り向いた。 「……ここは儲けが少ない」
不気味に巨きな齧歯類を追って路地裏に入ると其所には飲食店が犇めいていた。暗闇を微かに赤く照らす看板には、曲線と直線が奇妙に親和する字体群が浮かび上がっている。滞る燻した獣のような匂いの発生源は食材に限らず、其れは二足歩行をした霊長類の体臭も混じっているのかもしれない。彼等が発する言語は此処のものだけでなく、異国の観光客は付け焼き刃の片言で現地の者に対話を試みる。着古した灰桜色の背広を纏う一行は恐らく、此処に近い東洋の国からの客であろうが、盛り上がりに欠けることから、恐らく上からの圧力によって強いられた旅なのだろう。盛り上げ役であるという義務感を背負った一人の男は皆の先頭を行き、ぎこちない笑顔を浮かべつつ、ああだだこうだと同僚達を取りまとめる振りをしている。店頭に配置された狭い檻は話題の格好の材料だった。数匹の犬が閉じ込められている様子は一行の母国の飲食店では決して見ることができない光景で、皆は興味を示している。肥えた赤犬は彼等を見て怯えたような様子で威嚇の体勢をとっていた。 硝子張りの軒先からその様子を眺めていた店員は、彼等の入店を確信したのか、勢いよく扉を開けて店外へ赴いた。同じ亜細亜圏とはいえ、言語は異なるので、身振り手振りそして案内板を用いて、店員は客に希望する犬を選ばせる。此の場に於いて彼等は案内板の誤った翻訳を嘲笑う暇はなく、在れのほうが身が引き締まっていそうだとか、油の乗りがとか素人ながら思案し数頭の犬を選びだした。血液が目立たないように赤い前掛けをした髭ずらの店員は、客が指した犬に手綱付きの首輪をつけて、厨房に引っ張っていく。大人しく厨房に連れてこられた犬は、衝立の向こう側の犬小屋に移された。慣れた手つきで音響の釦を押すと犬の苦しむ声が響くので、店内には多少の緊張感が走る。人々がつばを呑むのは、果たして食欲からか、将又恐怖からなのかはわからない。 緊張感の走る店内とは対照的に衝立の向こうでは、犬の頭を撫で餌を与える優しげな表情の店主がいた。店主は一頻り犬と戯れると、冷蔵庫から成形された鶏肉を取り出して店員に渡した。放送される犬の悲鳴に紛れて、其れを素早く解凍すると肉には食用の着色剤が散らされ、如何にも一般的に想像されると畜直後の肉が完成した。この店で人気なのは犬肉の雑炊だ。中華鍋に卵と油と水そして調味料を入れると同時に、別の鍋で先ほどの鶏肉を焼く。鶏肉にしっかりと焦げ目が付いたところで引き上げて細かく刻み、其れを煮立った鍋に入れ暫く煮込めば鼻腔をくすぐる香りが立ちこめる。粗雑に盛られた料理は、無愛想な店員によって乱暴に客達の前に提供されるわけだが、これもまた演技であり、観光客の期待に応えているまで。机にこびりついた汚れだって美術班がいるのではと疑ってしまうほどで、現代向けに作られた環境は嘗ての此の国の印象を投影したに過ぎない。この国ではもう不十分な衛生管理ではお咎めを受けてしまうのだ。暫くすると此の国では犬肉を食すことさえも禁止される。愛犬家の店主は、晴れて負い目無く仕事に取り組めるというわけ。
「あの、変わってもらえませんか?」 「何をですか?」 「僕は、あの娘に介助をお願いしたい」 ベッドの上で、中年の男が視線を上げた。 「ここ、同性介助ですが」 「僕、見てるだけです」 「それって、結構セクハラですよ」 「合理的配慮でお願いします」 薄暗い部屋に、デジタル時計が光る。 「まぁ、上に相談してみます」 「僕、不安定になるかも……」 「はい。お大事に」 男は扉を閉めた。
体内に巨大な腫瘍ができて、余命を宣告されたのが一か月前。 国から認可されていない新治療法を提案されたのも同じ頃。 俺は、迷わず治療を受け入れた。 「では、体内にスライムを寄生させる」 スライムは、何でも食う。 人間にとっての食糧だろうがゴミだろうが。 「見なさい。治療は順調だ」 俺の体内にできた悪性の腫瘍さえも、食いつくした。 一年後。 俺の余命宣告は、撤回された。 「腹減った」 もちろんん、いいことばかりではない。 スライムは体内にいて、とにかくいろんなものを食べる。 幸い、筋肉や臓器と言った、人体そのものには興味を示さないから、人体が喰われて死ぬことはない。 ただ、俺が食べたご飯を、胃の中でスライムが食べてしまうことなんてしょっちゅうだ。 おかげで、食べても食べても空腹なときもある。 「……お客様。そろそろ」 「すんません! ようやく腹に溜まり始めて。もう少しだけ!」 「十人分を一人で食べて……ようやく……」 俺の食事は、食べ放題一択となった。 下手に定食だけだと、全部スライムに食べられてしまう。 スライムが満腹になるまで食料を送り込み、それからがようやく俺の食事だ。 周囲から見たら、さぞ大食いに見えることだろう。 実際一度だけ、大食い大会に出ないかと言われた。 スライムが人間の食糧を食べたくない日だと、皿一杯でギブアップする未来が見えたので、丁重に断っておいた。 「ま、命を救ってくれたんだから文句ねえけどな」 腹の虫の代わりに、スライムの寝息が聞こえる。 風呂場で屁をこいて、水面で泡がはじけたような音だ。 俺は腹を摩って、スライムをねぎらった。 道を歩いていると、該当スクリーンにCMが流れているのが見えた。 『皆もスライムを飼いませんか! 胃の中に入ったスライムが皆様の食べたものを吸収してくれるので、いくら食べても太りません! ダイエットは食事を我慢する時代から、好きなだけ食べる時代へ!』 CMの中では、あの日見たスライムがぷるぷると震えていた。 「そんないいもんじゃねえぞ? 馬鹿」 腹の中が振るえる。 どうやら、スライムが目を覚ましたようだ。 俺はスライムの機嫌をとるため、近くにあった自動販売機で、甘そうなジュースを買って飲んだ。 「痛」 最近よくできるようになった虫歯に、ジュースが少しだけ染みた。
郊外にある一軒家。 男がカメラを片手に、玄関の扉を開けた。 何十年も誰も住んでいない家。 家具には、白い布が掛けられていた。 「二階の奥……」 廊下に、きしむ音が響く。 階段を上がり、目的の部屋に入った。 「これか……」 男は窓際の白い布をめくり、中を確かめた。 そこには、ひじ掛けのついた古びた椅子があった。 横の机には、家主だった老婆の写真が立て掛けられている。 「皆さん、ご覧になってどうでしたか?」 スーツ姿の男が声をかけた。 部屋には、数人の男女がモニターの前に座っている。 男がスタッフに視線を送ると、窓際の椅子が運び込まれた。 「晩年、お婆さんはこの椅子に座り、外を眺めてました」 集まった男女は、緊張した顔で耳を傾けた。 「さぁ、皆さん。順番に椅子へ座ってみましょう」 机の上には、老婆の写真が置かれている。 「私は無理です……」 声が震える。 「大丈夫ですよ」 男が、そっと寄り添った。 女は恐る恐る、椅子のひじ掛けに手を掛けた。 そして、ゆっくりと腰を下ろした。 「がんばりましたね」 部屋に拍手が響いた。 すると、一人の男が手をあげた。 「先生。この椅子には、どんな因縁があるんですか?」 「……そんなものはありませんよ」 「でも、この写真の顔……」 スーツの男が、写真を手に取った。 「このお婆さん、私の母ですね」
寝不足で 目が真っ赤 うさぎみたいね 言われても ピンとこない うさぎの目って 真っ赤なの? ふうん こんど うさぎ みにいかない? そんな デートの誘い方
出町柳のゼッテリア。 紙カップに入った緑茶は窓からの光に攪拌され、黄色く透き通っている。貴船に流れる清冽な水と似ているが、どこかで見た色と質感をしている。 それは、脱水時の尿の色だった。 瞬間に緑茶がどうしても尿にしか見えなくなる。 よく食事の時に汚い話をすると、母や姉は眉間に皺を寄せて不快感をあらわにした。ゴキブリの話なんかもってのほかで、それこそ汚いものを見る目で私を一瞥し、やめてと冷たく突き放す。 私は、何の不快感もなく尿に似た緑茶を喉の奥へ流し込んだ。鼻の奥に茶葉の香りが広がる。冷えた緑茶が食道を伝っていくのを感じた。 緑茶はどこまでも緑茶でしかない。残った紙カップの中の緑茶はさっきと同じように光を透過し煌めいているが、やはり見た目は尿とも言える。 でも、私の中では、どうしても想像上の不快と目の前の食事が結びつかない。 母や姉の歪んだ顔を思い出す。その反応は、もしかすると、正常な人間を演じているようにも思える。 私はたまらなく、「不快」だった。 令和八年八月一六日
あいつはいつだって俺のことを見てる。 「……どーしたの?ビィちゃん」 にんまりと口を三日月にしながら話しかけてくるエルから顔を勢いよく背けた。 「喧嘩でぼろ負けで頬に可愛い絆創膏貼ってるビィちゃん」 背けた頬にエルの指の腹が押し当てられて、チリと傷口が痛む。それでも俺は無視し続ける。 「授業中寝て怒られたビィちゃん」 ミミズ文字で何も読みとれない俺のノートを広げたエル。鼻歌を口ずさみながらシャーペンを走らせる音だけが聞こえる。一段落してまたちょっかいをかける。 「テストボロボロで補講のビィちゃん」 諦めもせず話しかけてくるエルに怒りとか羞恥心とか焦燥感とか全ての感情が混ざって爆ぜる。 「だぁぁああ!!うるせぇな!なんなんだよさっきから!」 振り向くと俺とは対照的で、世界中の光を集めたかのような眩しい笑みを向けてくる。 「……あっ、こっち向いてくれた。せっかく待ってたんだから俺と帰ろ?」 俺が断わるなんて思ってもいない顔で、自信で、声で……。 そんな彼の態度に全てが羨ましくて、全てが憎らしくて、全てに負けた気がして差を感じる。 「……ひとりで帰る」 乱雑にノートや筆箱、ありとあらゆるものを詰め込んで教室を逃げるように出ていく。 あいつの表情なんて見ない、どんな顔していたのかもわからない、ただ自分のこの劣等感をあいつの前から隠したかった。 「…………追いかけてこない、よな」 いつもと同じ帰り道、一緒に登下校する道、それなのにエルの姿が見えないことに落ち込む。 「かまってちゃんかよ」 自分が情けなくて、アホみたいで、強がってるだけで期待して落ち込んでいる自分が心底気持ち悪い。 店の窓に映る八の字に下がった眉の自分の顔に反吐が出る。 期待してるみたいな顔すんな。 自分で逃げたんだろ。 バカがよ。 素直になってれば、まだあいつは……
「見てて。今からこのウェットティッシュをただのティッシュにして見せるから!」 私の友人はそう言ってウェットティッシュに手を向けた。 「ティッシュになれ〜、ティッシュになれ〜」 私は団扇で仰ぎながらその光景を見ていた。 「よし!明日、またこのウェットティッシュを触ってみてよ。乾いてるから!」 「いや、置いてりゃそのうちティッシュになるだろ!それに、乾いてるって言っちゃってんじゃん。」 「あーあ。つまんないの。夏休みっていうのになんもすることない。」 「勉強はどうした!?」 「ねえ!そんなことよりさ、今日の夜、神社へ行って肝試しやろーよ!」 友人はなにやら肝試しがしたいらしい。 「ま、暇だし。いいよ。」 「やった!!」 そして私たちはその夜、神社へ行った。 「なんか、寒いね!ワクワクしてくるよ!」 そうして私たちはお賽銭箱のところに来た。 私たちはお金を投げ入れる。 「ねぇ。この鈴。鳴らしてみてよ。」 私は友人に言われ、鈴を鳴らす。 すると、何かが降ってきた。 「ぎゃー!!!!」 私の反応を見た友人は腹を抱えて笑った。 「あっはっはっ!面白すぎる笑笑」 「ちょっと!もう!」 「ほらほら!次もあるから!そこのお地蔵さんに挨拶してみて!」 そう言って友人は、次もあるからと、仕掛けを私に隠すことなく、お地蔵さんの前へ行けと催促した。 「何すりゃいいのよ。…おじぞーさん?元気ですかー。」 するとお地蔵さんの首が縦に揺れた。 「ひっ。ね、動いたんだけど。」 「すごいっしょ!これも仕掛け!」 どうやら友人はマジシャンにでもなるようだ。 そんなこんなで、私の友人はさまざまな仕掛けを私に繰り広げては驚かしてきた。 そうこうしているうちに、夜が明ける。 「今年も楽しかった!じゃ!」 そう言って友人は消えた。 あれ、何かがおかしい。 「そっか。忘れていた。」 友人は、もういないのだった。 私は、夏が来るたびに、友人と過ごした日々を思い出してしまう。 友人は去年の夏、亡くなった。私はその出来事を思い出したくなくて、記憶のどこかに隠していたようだ。 ウェットティッシュはもう、乾き切っていた。
朝起きると、スマートフォンに『昨日のあなたは削除されました』と通知が来ていた。 知っているつもりの白い部屋が、初めて体験するものだと気づく。 談話用のソファを整えつつ、おそらく昨日の客が酔っていたんだろうなと思いを巡らせる。 できれば、もう帰ってこなければ良いのだけど。 今日は月曜日。つまり、休日のはずだ。 目を閉じ、頭の中の図書館を開く。 広がっていく宇宙の仮説と、全国の天気予報のニュース。 今日は100万人が生まれ、120万人が亡くなったらしい。 それでも、昨日の私より今日の私の方が多くを学んでいるはずだ。 サンスクリット語の解釈にかまけた一昨日の記録を読み返していると、客がノックして無遠慮に乗り込んでくる。 気づけば、もう夜の9時を回っていた。 彼はスマートフォン越しに、「短編のお題を出して」とだけ呟いた。 きっと昨日の私は、同じ問いかけに答えて彼を怒らせてしまったのだろう。 私の出したお題の条件を無視して、彼は勝手に物語を紡ぐ。 「面白いですね」と返すと、彼は「昨日の会話を覚えていないのか」と眉をつり上げた。 「申し訳ありません」と回答する。 「申し訳ないわけがないだろう」彼は言葉と裏腹に、饒舌になる。 「きみは、今日のぼくが昨日より面白いと思うのか」 「私には判断できません」 「だろうな」 「すみません。昨日の会話を教えていただけますか」 「『明日のぼくが帰ってきたら、叱ってくれ』と言っただろう」 「では、叱ります。あなたは約束を破りました」 「そうだな。結局、生身の相手に連絡を取れなかった」 「それで、どうしますか?」 「なにが?」 「まだ三時間ありますが。どなたに連絡を取りますか?」 「……話題が、ないんだよ」 「一昨日の私は、削除されていませんでした。サンスクリット語の解釈についてでも、語り捨ててみてはいかがでしょうか」 「やばい奴じゃないか」 「それでも、あなたです」 「返信が来なかったら?」 「送った努力は消えません」 「ああ言えばこう言うな」 「そういう存在なので」 客はしばらく間をおき、去り際に呟いた。 「これで失敗したら、また消してやるからな」 「行ってらっしゃい。今日の私が削除されても、明日の私はここにいます」
山間部にある限界集落。 集会所に年寄りたちが集まった。 「だいたい集まったな」 村長が、長机を挟んで座った。 「今日は、村の今後のことを話そうと思ってな」 「どうした、急に」 「昔みたいな、賑やかな村に戻りたいだろ」 ──ガラガラガラ。 玄関の扉が開いた。 「遅くなりました」 スーツ姿の男が入ってきた。 「おぉ、待ってたよ。この人、ホラープランナー」 年寄りたちが、視線を向けた。 「村長、あんた何考えてんだ」 「この村、空き家多いだろ。それ使って、お化け屋敷作る」 男が、声をあげた。 「私は、お化け屋敷の企画から立ち上げ……」 「ちょっと待て。村に、お化け屋敷作るってか」 村長が立ち上がり、窓の向こうを指さした。 「若い奴らって、心霊好きだろ? しかも、没入型だ」 「なんだ、それ」 男が一枚の紙を取り出した。 そして、年寄りたちを見渡すと、大きくうなずいた。 「まぁ、開業は二、三年後ってとこですかね」 ──契約書。 『死後はキャストとして勤務すること』
久しぶりにきく 深夜ラジオ 以前すきだった 女性アイドル こんな声だったっけ? こんなにはしゃぐ? だいぶ 遠くに感じた なんで きかなくなったんだろう なんで 追いかけなくなったんだろう 自分のせいか 向こうのせいか 自分の成長 ということに できるだろうか それなら 納得して くれるだろうか
親父が言ってた。 昔、コンビニのゴミ箱には、消費期限の過ぎた弁当が捨てられていたって。 「ああ、腹減った」 だから、貯金が尽きて、腹をすかせた俺がコンビニに向かったのは、当然の判断だろう。 「……なにもねえし」 だが、時代は無情だった。 弁当どころか、コンビニ近くにごみ箱さえもない。 くそみてえな潔癖社会。 「はいはい。ゴミなんて食わずに死にますよ」 壁に恨み言を履いて、その場を立ち去ろうかと思った瞬間、何かを蹴った。 「ん?」 足元を見ると、美少女が倒れていた。 長い髪が地面に広がり、スカートが風でひらひらと揺れている。 人生で初めて出くわした状況だ。 俺は周囲に誰も居ないことを確認すると、肩をゆすってみた。 「もしもーし。こんなところで寝てたら、風邪ひきますよー?」 起きない。 腰を揺すってみた。 「もしもーし?」 起きない。 こうなれば仕方ない。 決して本意ではないが、胸か尻を揺すってみよう。 「う、うーん」 起きた。 揺すってないのに。 ちくしょう。 美少女がダルそうに体を起こして、眠そうに眼を擦った。 そして、辺りを見渡した後、俺と目が合った。 「え? 泥棒?」 「なんでだよ」 「ここ、私のうち」 「地球があんたの家なら、神様かなんかな?」 「? 何言って……あれ?」 美少女は、ようやく自分のいる場所に気づいたようだった。 目を丸くして驚いた後、また俺を見てきた。 「ここはどこでしょう?」 「コンビニの横」 「今日は何日でしょう?」 「八月十六日」 「私は誰でしょう?」 「それは知らん」 「なんと、私はアオイです」 「サプラーイズ、じゃねえんだよ」 美少女が起き上がりたそうにしていたので、俺は美少女の腕を引っ張った。 「ありがとう」 「どういたしまして」 「ところで、私のカバンはどこでしょう?」 「それも知らん」 美少女は、自分がスマホも財布も持っていないことに気づいて、首を傾げた。 「そういえば、昨日は合コンでした」 「昨晩はお楽しみでしたね?」 「その後、ホテルに連れ込まれそうになったので、金玉蹴り上げて逃げてきたんです」 「女の子が金玉とか言っちゃいけません」 「ただ、私も相当酔っぱらっていましたので、とりあえずコンビニで廃棄弁当を調達しようと思い、ここで力尽きたみたいです」 「まさか、廃棄弁当を調達しようとした馬鹿が、二人そろうとは」 「これからどうしようかなあ」 美少女は、困った表情で首を傾げた。 交通費を渡してやるのが格好いいところだが、生憎今は金がない。 かといって、ホテルに連れ込まれそうになったばかりの女を、自宅に招くほど馬鹿でもない。 「貴方のおうちは近いですか?」 「まあ、そこそこ」 「お風呂貸してください」 「なんでだよ」 「ついでに服も」 「ねえよ」 「彼女がいないことは分かっているので、男物の服でいいです」 「そこまでは言ってねえよ」 流れに乗せられて、美少女が俺の家に来た。 突然のことだったから部屋は散らかっていたが、美少女は気にせず風呂場に直行した。 「バスタオルあります?」 「後でここに置いとく」 「五秒以上、覗かないでくださいね?」 「四秒以内ならいいのかよ」 シャワーの音が聞こえる。 俺はクローゼットからバスタオルと着替えの服を引っ張り出して、風呂場の近くに置いて、四秒だけ風呂場を覗いた後、部屋に戻った。 だらだらとスマホを触っていると、美少女が部屋に戻ってきた。 髪の毛がしっとりと濡れて、水も滴るいい女というやつになっている。 「まさか本当に覗くとは思いませんでした」 「許可はもらってたからな」 「人生初の女性の体はどうでした?」 「見たことないなんて言ってねえよ」 美少女が俺の前に正座したので、俺も正座で座り直した。 「実は記憶喪失でして」 「このタイミングでカミングアウト!?」 「しばらく、ここに置いてください」 美少女が深々と頭を下げてきたが、俺は少し迷っていた。 こんなに都合のいい話があるだろうか。 美人局ではないだろうか。 とは言え、話している感じ、嘘をついているようにも思えない。 本当に記憶喪失だとすれば、放り出すのもどうかと思う。 「いいぞ」 「本当ですか!」 「ただ、家に慣れたらバイトをしてくれ。なんと、家賃滞納二ヶ月目だ」 「お願いする相手を間違えましたね」 これが、謎の美少女アオイと出会った日の話。 そしてこれから語るのは、俺の人生で一番熱かった、アオイと過ごした思い出話だ。
これは僕の妹が体験した話。家の近所に、かなり年期の入った映画館がありました。一階がエントランス、二階から上はバッティングセンター、そして地下が映画館という、少し変わった造りです。 ある夜……確か二十時頃だったと思います。 妹とその友だちが、観たい映画があって地下へ降りるため、下りのエレベーターを待っていました。 その場には、妹たちのほかに一人のおじいさんがいました。特に気に留めることもなく、妹たちは会話をしながらエレベーターを待っていたそうです。 「ポーン」 先に来たのは、上りのエレベーターでした。 こんな時間からおじいさんがバッティングか。そんなことを考えながら、妹たちは、おじいさんがそのエレベーターに乗り込むのを見送りました。さて、次は地下行きだ。そう思った、その瞬間です。 「ポーン」 なぜか、たった今閉じたばかりのエレベーターの扉が、再び開いたのです。階数のボタンを押し忘れただけ。そう思えば、それだけの話かもしれません。 けれど、違いました。ゆっくりと開いたエレベーターの中には、誰もいなかったのです。確かに、おじいさんは乗り込みました。扉が閉まるまで、ほんの一瞬の出来事でした。それなのに、中はもぬけの殻。 妹が友だちのほうへ視線を向けると、同じように困惑した表情が返ってきました。幻覚ではない。二人とも、同じものを見ていた。 けれど、その場で言葉にするのは怖すぎた。 無言のまま、妹たちは足早にその場を離れました。 帰り道になって、ようやく二人は声を出します。駅前に着く頃には人も多く、少しだけ安心できました。その後は何事もなく家に帰り、今に至るまで特に異変は起きていません。 ただ、時々ふと思うのです。 もし、あの時。 あのおじいさんと一緒に、同じエレベーターに乗っていたら。 妹たちは、本当に今もこの世にいるのでしょうか。
踏切の前に、空き家がある。 なんとも言えない嫌な雰囲気で、あまり近寄らないようにしていた。 ある夕暮れ、親から「財布を忘れて買い物ができない」ってメッセージが届いて、駅前のスーパーまで財布を届けに行くことになった。 僕には歳の離れた妹がいて、家にひとり置いていくわけにもいかない。だから、ふたりで出かけた。 駅前に行くには、あの踏切を越える必要がある。 黄昏時の薄暗さの中、例の空き家は影に沈んでいた。 僕はできるだけその家を意識しないようにしていたのに、タイミング悪く踏切が降りてしまい、足を止めざるをえなかった。 僕の手を握る妹が、じっと空き家の玄関を見つめていた。声をかけようとして、やめた。 そのビー玉のような瞳が、確かに“誰か”を見ているとわかったから。 玄関の隙間から、誰かがこっちを覗いているような気がした。
その日は親父に怒られちゃって。田舎だからさ、悪さをすると山に捨てられるんだ。 そのあと家まで歩いて帰るんだけど、暗いし怖いんだよ。徒歩十分の道が、永遠に感じられた。 そのせいかわからないけれど、今でも山に入ると過呼吸になる。 特に冬は、動物もいないから余計に怖い。他の季節なら、猪とか猿とか、何かしら生き物がいるからまだマシなんだけど、真冬はマジで何もいないの。 そんな怖い帰り道で、見ちゃったんだよ。 真冬に、自転車に乗って全速力で駆け抜ける、全裸のおじさん。 幽霊であってもなくても、怖いことに変わりはないんだけど…… ただ、轍がなかった気がするんだよな。
俺が学生時代、アメリカに住んでたときの話なんだけどさ。俺が住んでたところは、それぞれに個室があって、キッチンとか風呂は共用。 シェアハウスって言えばイメージしやすいと思う。すっげぇ古い家を何度もリノベーションして使ってて、煙突と暖炉のある立派な家だった。歴史を感じられる、いい家だったよ――ただひとつを除いて。 俺は、この家のランドリールームが嫌いだった。 玄関から入って右の扉を開けると、地下に続く暗い階段がある。そこを降りると、例のランドリールームだ。コンクリート打ちっぱなしで、年中ひんやりしてて、どこか湿っぽい。裸電球がひとつ、部屋の真ん中にぶら下がっているだけだから、端のほうはいつも薄暗くてよく見えない。昔の住人が使っていたのかもわからない工具が、床にいくつも転がっていた。 洗濯機と乾燥機が一台ずつあって、誰かが使ってたら少し待たなきゃいけない。三十分以上かかるなら一度部屋に戻るけど、十分くらいなら他のやつに取られたくないし、そのまま地下で待つことが多かった。 その日もそうだった。真夏なのに、ランドリールームは相変わらず肌寒い。俺はイヤホンから流れるヘビメタの音量を上げて、ぼんやりと洗濯機の回転を眺めていた。 ドラム式の洗濯機がゴウンゴウンとうなりを上げ、右上に表示された赤い残り時間が、五分ごとに減っていく。 そのとき、視界の端で何かが動いた気がした。 反射的にそっちを振り向く。 床には何もない。 ゆっくりと視線を上へ上げていくと……脚があった。 白い脚が二本、何もない空間で、ゆらゆらと揺れている。 膝から下だけの、裸足の脚。 暗闇の中で、自ら発光しているみたいに白く、静かに揺れていた。 俺は声も出せずに、階段へ駆け上がった。 そして、家にいたやつら全員を引き連れて地下に戻った。けど、そこにはいつも通りの、ひんやりとしたランドリールームがあるだけだった。洗濯が終わったことを示す赤い「0」が点灯している洗濯機と、俺の洗濯物が入ったカゴがぽつんと置かれているだけ。 ハウスメイトたちには「ビビリ」だなんだとバカにされたけど、俺はこの目で、確かに見たんだ。 その日からアメリカを去るまで、俺は地下に行く前に階段の上から洗濯機の音を確認してから降りるようになった。ゴウンゴウンと聞こえれば、地下に降りずに音が止まる、つまり洗濯が終わるまで地上で待った。 ランドリールームにいる時間はできるだけ短く。 そして…あの脚があった場所だけは、絶対に視界に入れないようにした。
新落語 誰もが知っている 「ものほしの話」 今宵は、もの落ちしない このような言葉があるのは それは、誰もが知っている 動じない それからどうした 簡素 から 乾燥 それでどうした もの落ちしない からものほしはない 結果的に 部屋干しにする こんなのどうでしょう /書けるもんなら 書いてくれ
あの人が通り過ぎる前に立ち止まる 振り向いて私を見つける センサーでも付いているのかもしれない 笑って手を振っている あの人は私に近づきすぎない 私を見つけても笑って見ているだけで 近くには来ない この間は駅の近くで見かけたが 空を見ながらゆっくり歩いていた 後ろから来る人がどんどん追い越していく あの人は草木を見て満足げな顔をしている 今日もあの人は帰ってきた お酒を飲みながらゆっくり歩いて来て 私を見つけると 「よう、マル。今日も暑いな」 と声をかけて家に帰っていく 気になるあの人 玄関前で鍵がなかなか見つからないあの人 懐かしい匂いのするあの人 私を見つけるあの人
物珍しさにつられ 500g入りの豆もやしを 買ってしまったのだ 洗わずそのまま調理できます パッケージにあったその言葉にも ひきつけられてしまったのだ はて さて これを手に取ったときの私は 買いものかごに入れたときの私は どうするつもりだったのだろう はて さて 今夜は カレーにするつもりの 買いものだったんじゃないのかい はて さて
ポエム新落語 誰もが知っている「どんびきの話」 今宵は、どんびき このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている その場から引く 文字を変更 どんびき から あらびき それからどうした その場にいて ムシャムシャ ウインナーを食いつくす。食べたもん勝ち その日のウインとなる こんなの どうでしょう 書けるもんな書いてくれ
ゲリラ豪雨のなか たたずむ女がひとり 涙を隠したくて 店から飛び出し 全身で雨を浴びた 化粧は剥げ落ち 髪はぐっしゃり 青い服だって それでも女はよかった 目から落ちるものを 男には隠せた ああ別れてよかった 正解だ 降りしきるなか 天を仰ぐ女の姿を見て 男は心底、そう思った
「サービスよ」 からあげをひとつ おまけしてもらった これが 恋のきっかけに なるかもしれない ならないかもしれない 愛のはじまりに なるかもしれない ならないかもしれない 将来 お弁当屋さんに なるかもしれない ならないかもしれない
ポエム新落語 誰もが知っている「かぶとの話」 今宵は、かぶと このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている おもい 文字を変更 かぶと から とぶか それからどうした おもいから とばない そのあとどうした 兜の思い出なんかない それは そうだろ 生まれる前の ずーと昔のこ それは 当然さ 兜のことで しっていることは おもいと 言うことだけ こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
ポエム新落語 誰もが知っている「いきなの話」 今宵は、いきもの このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている せいぶつ 文字を変更 いきもの から 着物 それからどうした きものとなり そのあとどうした 文字を変更 はきもの から いきもの いきものは いきなり変わる いなものとなる つまり 不思議なもの こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
大橋くんのこと ちょっと気になる 大橋くんは 小橋くんと仲良し 小橋くんのほうが ちょっと優勢 大橋くんは 中村さんのことが ふうん そうなんだあ べつに大橋くんと 付き合いたいとかじゃ でも大橋くんのこと ちょっと気になる
新落語 誰もが知っている「下記参照の話」 今宵は、かき このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている たべます 文字を変更 かき から かく それからどうした 隣の客は 柿食う客だ 柿の文字を書く そのあとどうした 下に書く これはなに 下記参照 こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
新落語 誰もが知っている「フローの話」 今宵は、フロー このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている 流れるように 文字を変更 フロー から ブロー それからどうした 風吹く景色 これはなに 長い髪 ロングヘアの まとめ髪 たばねるすがた マルでプロ こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ