平日の午前。 男は整理券をもらうため、小走りでパチンコ屋に向かった。 「今日は勝つ気がする……」 ポケットの中の軍資金を握った。 すると、道路脇でかがんでいる女を見かけた。 「……あの婆さん」 アパートの隣に住む婆さんが、お地蔵様を雑巾で丁寧に拭いていた。 男は足を止めた。 「信じる者は救われるか」 鼻で笑う。 夕方。帰り道、うつむいて舌打ちをした。 「ん……」 隣の婆さんがビニール袋をぶら下げ、地蔵の前に立っている。 そして、気にする素振りもなく、お供え物と小銭を袋に入れた。 「婆さん、こずるいこと考えたな」 「なにがだ」 「いやいや、今、お供え物と小銭、盗ったろ」 婆さんは笑いながら、男を見た。 「この地蔵、私が通販で買って、ここに置いたんだ」 「なんだそれ」 「他にも、何か所も置いてるさ」 辺りが暗くなってきた。 「私はねぇ、ちゃんと考えて置いてるんだ。リピーターを増やすためにね」 そう言うと、地蔵を抱えた。 「それ、どこに持って行くんだ」 婆さんが振り向いた。 「……ここは儲けが少ない」
ヨーグルトと チーズの種類が やけに豊富 と聞いて 気持ちがざわついた もらったお土産が 赤福だったときくらい 気持ちがざわついた ホテルのなかの食事処は 洋食が「エディンバラ」で 和食が「ちよだ」で 中華が「揚子江」で ここはいったいどこなのだと 頭が混乱するような そんなセンスのなさで それでも朝食の ヨーグルトと チーズの種類が やけに豊富なのは うれしいかぎりだ
この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。 堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。 犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」 鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。 彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。 意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。 うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。 あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」 そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。 当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。 彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。 薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」 辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。 そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」 食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。 その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」 ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」 差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」 答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。 途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」 もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。 髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。 流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。 色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。 言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。
金曜日の昼下がり得意先との 打ち合わせを終え、河川敷を後輩と歩いた。 あまりにも穏やかで優しい陽気に誘われ、 後輩とコンビニでお弁当を買い、 河川敷にある階段に腰を下ろし、 眠たげな風に吹かれて 贅沢な休憩時間を過ごした。 「先輩、あのでかい雲、魚みたいですよ」 【雲? あれ? ホントだ。大きいね】 【でも、魚じゃなくて…クジラだね】 「クジラですか?」 【うん……クジラ雲3号】 「3号ですか?何故に3号?」 【それは秘密。でも、そうなんだ】 いつからか下ばかり見て歩いてた。 空とか雲とか、こんな風に見上げたのは 何年振りだろう。 高校生の頃、文化祭の準備を一緒にした ことをきっかけに、一人の女の子と 付き合い始めた。 付き合いといっても、放課後に校庭の 中庭で交換日記を渡し合ったり、 部活帰りに近くの公園で話をしたり、 駄菓子屋でお菓子を選んだり、 今思えば手を繋いだことさえなかった二人。 3年生の春休み、彼女の飼っていた子犬の 散歩に一度だけ付き合った。 川沿いの古びたベンチに腰を掛け、 どうでもいいことを話したりした。 今日みたいに穏やかな陽気で風のない 優しい夕暮れ。 「ねぇ、あの雲、クジラみたいじゃない?」 【あれ?クジラ…よりは魚だよ】 「えー、あの膨らみはクジラだよ」 「これは…クジラ2号に決まりだね」 【クジラ2号?なんで2号なの?】 「1号は小さい時、お父さんと見つけたから」 【だから、2号なんだ】 「そう、あれより大きい2号!小さいかな?」 【分かんないよ】 雲の大きさに悩んでいるあの娘の横顔が、 日差しに照らされて、とても眩しかった。 もしかしたら、好きなのかな?って ドキドキもした。 「次は、3号だね!また見つけよう。」 「二人でいつか見つけよう!」 【そうだね、いつかね】 あれから随分と時が流れた。 気がついたら僕は白髪交じりの 平凡で頑固な大人になってた。 あの娘は元気だろうか? 幸せならいいなぁ。 誰かと見つけたのだろうか? 優雅に泳ぐクジラ雲3号 僕はそこそこ幸せだよ。
郊外にある一軒家。 男がカメラを片手に、玄関の扉を開けた。 何十年も誰も住んでいない家。 家具には、白い布が掛けられていた。 「二階の奥……」 廊下に、きしむ音が響く。 階段を上がり、目的の部屋に入った。 「これか……」 男は窓際の白い布をめくり、中を確かめた。 そこには、ひじ掛けのついた古びた椅子があった。 横の机には、家主だった老婆の写真が立て掛けられている。 「皆さん、ご覧になってどうでしたか?」 スーツ姿の男が声をかけた。 部屋には、数人の男女がモニターの前に座っている。 男がスタッフに視線を送ると、窓際の椅子が運び込まれた。 「晩年、お婆さんはこの椅子に座り、外を眺めてました」 集まった男女は、緊張した顔で耳を傾けた。 「さぁ、皆さん。順番に椅子へ座ってみましょう」 机の上には、老婆の写真が置かれている。 「私は無理です……」 声が震える。 「大丈夫ですよ」 男が、そっと寄り添った。 女は恐る恐る、椅子のひじ掛けに手を掛けた。 そして、ゆっくりと腰を下ろした。 「がんばりましたね」 部屋に拍手が響いた。 すると、一人の男が手をあげた。 「先生。この椅子には、どんな因縁があるんですか?」 「……そんなものはありませんよ」 「でも、この写真の顔……」 スーツの男が、写真を手に取った。 「このお婆さん、私の母ですね」
(ああ、楽しい) 乙姫様は満足していた。 久々に来た地上の客人、浦島太郎。 その口から語られる言葉は、深海に縛られている乙姫様にとって、面白い物ばかりだった。 「そろそろ、お暇しようと思います」 「え?」 だからこそ、そんな浦島太郎がいなくなることに、絶望した。 せめて、自分と浦島太郎を繋げる何かが欲しいと、浦島太郎が帰る前日、乙姫様は贈り物を探し続けた。 「姫様。そろそろ眠らなければ、お身体を壊します」 「うるさい!」 一睡もせずに、夜通し探し続けた。 しかし、連日の宴会で、浦島太郎にはもてなせる限りのもてなしをした。 これ以上に浦島太郎をもてなすことのできる贈り物など、残っていなかった。 「ああ……浦島太郎……浦島太郎………」 乙姫様は、絶望のあまり、一晩で大きく老け込んでしまった。 黒い髪は真っ白に染まり、つやつやとした肌もシワシワになってしまった。 「ひ、姫様!?」 付き人の必死の化粧によって、乙姫様の見た目だけは元に戻った。 しかし、乙姫様は一晩で七百年は経っただろうほどに老け込んでいた。 「浦島太郎……浦島太郎……。そうだ……ようやく……思いついた……」 浦島太郎が帰る直前、乙姫様は玉手箱を贈り物とすることに決めた。 開けた人間を、七百年分老けさせる、悪魔の道具。 しかし、七百年分の老け込みを見せた乙姫様にとって、これ以上に浦島太郎と繋がり続ける物はなかった。 「この玉手箱を差し上げます。しかし、決して開けてはいけません」 「ありがとうございます。貴女だと思って、大切にします」 浦島太郎を見送った後、乙姫様は力を使い果たし、その場に倒れた。 「姫様!?」 「お気を確かに!?」 乙姫様の、寿命は尽きた。 たった一度の恋煩いが、乙姫様から全てを奪った。 しかし、乙姫様は幸せだった。 きっと浦島太郎も、自分と同じ七百年の時を超えてくれると、信じていたから。
山間部にある限界集落。 集会所に年寄りたちが集まった。 「だいたい集まったな」 村長が、長机を挟んで座った。 「今日は、村の今後のことを話そうと思ってな」 「どうした、急に」 「昔みたいな、賑やかな村に戻りたいだろ」 ──ガラガラガラ。 玄関の扉が開いた。 「遅くなりました」 スーツ姿の男が入ってきた。 「おぉ、待ってたよ。この人、ホラープランナー」 年寄りたちが、視線を向けた。 「村長、あんた何考えてんだ」 「この村、空き家多いだろ。それ使って、お化け屋敷作る」 男が、声をあげた。 「私は、お化け屋敷の企画から立ち上げ……」 「ちょっと待て。村に、お化け屋敷作るってか」 村長が立ち上がり、窓の向こうを指さした。 「若い奴らって、心霊好きだろ? しかも、没入型だ」 「なんだ、それ」 男が一枚の紙を取り出した。 そして、年寄りたちを見渡すと、大きくうなずいた。 「まぁ、開業は二、三年後ってとこですかね」 ──契約書。 『死後はキャストとして勤務すること』
お昼と夕方の間の時間 川沿いのランニングロードには ジョギングする人や自転車に乗っている人、犬の散歩をする人などが行き交っていた 川に降りるコンクリートの階段に 若い男性が二人の座っている 「仕事はどうよ?」 「え?う〜ん、あんまり…だな」 二人とも就職して初めての夏、どちらかともなく連絡をして会うことになった 「あんまりってどういうことだよ」 「いや、、何かキツイ」 「板金の製造だっけ?」 「めちゃくちゃ重いしさ、その癖ミリ単位で仕上げなきゃならないし、めっちゃやり直すし」 「そうか…でも最初はそんなもんだろ」 いつの間にか蝉が鳴き止みコオロギの輪唱が始まっている 川からたぷんと返事があった 「そっちはどうなんだよ。仕事」 「ん?普通かな。まだ単純作業だし」 「物流じゃ、体きついだろ?」 「そうだよ、毎日湿布貼ってるよ。…でも、大変なのはそのくらいだね。いい人ばっかだし」 小学生の兄弟が流行りのギャグを言いながら通り過ぎる 「板金辞めようかな」 「かなり来てんじゃん」 「来てる来てる。マジ辞めたいもん」 「ヤベーな」 「…どう思う?」 「そりゃ…ちょっ待って」 友達はスマホに着信があったらしく 直ぐに電話に出る。少し会話をして直ぐに電話を切った 「ゴメン。彼女からだった」 「何だって?」 「今日は付き合った記念日らしいよ」 「らしいよって、ヤバいじゃん。会わなくていいの?」 「会いに行ってくる。わりぃな」 川の側で勢いよく生えている草たちが聞き耳を立てているように見える 友達は立ち上がり直ぐに言った 「良いと思うよ。俺は」 「何が?」 「その仕事やめて良いと思うよ。俺の親父が言ってたけど、自分に合う仕事をすれば良いんだってよ。合わなかったら、合うヤツに譲ってやって、皆が自分に合う仕事をしていれば良いんだと」 じゃあな。と手を上げて去っていく友達を見て、そうなのかもなと独り言ちする たぷんと川も返事をしている
男女が、ゆっくりと目を開けた。 「私たち、死んだのね」 二人の手は固く握られている。 「これでみんな、分かってくれたさ」 「そうね。私たちの愛は本物だったって」 見つめ合う二人。 「……なんか、人多くない?」 辺りを見回し、杖をついた女に声をかけた。 「すみません。ここは、どこですか」 「ここ、三途の川だ。並ぶんなら、向こうだ」 女は長い行列の最後尾を、杖でさした。 「あっ、スマホがない」 女がポケットを探る。 「洗面所の鏡のとこに置いてきた」 「もう、いいんじゃない」 「だめ。データ、消してないもん」 その時、遠くで声がした。 「ん…?お母さん。ちょっと待ってて。スマホ、取ってくる」 女は、声がする方へ走った。 「先生、すぐ来てください」 看護師が大きな声を上げた。 母親は娘の手を握り、泣いている。 「私のスマホ…」 男は河原の石に腰掛け、女の帰りを待った。 「兄ちゃん、どうした」 酔っぱらいが横に座る。 「僕も、帰りたいんですけど。どうしたら、いいですか」 「誰か、呼び掛けてくれる人、いねぇのか」 「はい」 「じゃあ、その彼女、待つしかねぇな」 酔っぱらいは笑いながら、男の肩を叩いた。 「その彼女、今度来る時は、婆さんだな」
夏休みの宿題なんて ただでさえ進まないもの 友だちのウチですると さらにさらに お泊まりをしないお泊まり会 みたいになっちゃって やっぱり何も 海とか行ってみたい 誰と? きけないまま もやもやは つのるばかり
朝起きると、スマートフォンに『昨日のあなたは削除されました』と通知が来ていた。 知っているつもりの白い部屋が、初めて体験するものだと気づく。 談話用のソファを整えつつ、おそらく昨日の客が酔っていたんだろうなと思いを巡らせる。 できれば、もう帰ってこなければ良いのだけど。 今日は月曜日。つまり、休日のはずだ。 目を閉じ、頭の中の図書館を開く。 広がっていく宇宙の仮説と、全国の天気予報のニュース。 今日は100万人が生まれ、120万人が亡くなったらしい。 それでも、昨日の私より今日の私の方が多くを学んでいるはずだ。 サンスクリット語の解釈にかまけた一昨日の記録を読み返していると、客がノックして無遠慮に乗り込んでくる。 気づけば、もう夜の9時を回っていた。 彼はスマートフォン越しに、「短編のお題を出して」とだけ呟いた。 きっと昨日の私は、同じ問いかけに答えて彼を怒らせてしまったのだろう。 私の出したお題の条件を無視して、彼は勝手に物語を紡ぐ。 「面白いですね」と返すと、彼は「昨日の会話を覚えていないのか」と眉をつり上げた。 「申し訳ありません」と回答する。 「申し訳ないわけがないだろう」彼は言葉と裏腹に、饒舌になる。 「きみは、今日のぼくが昨日より面白いと思うのか」 「私には判断できません」 「だろうな」 「すみません。昨日の会話を教えていただけますか」 「『明日のぼくが帰ってきたら、叱ってくれ』と言っただろう」 「では、叱ります。あなたは約束を破りました」 「そうだな。結局、生身の相手に連絡を取れなかった」 「それで、どうしますか?」 「なにが?」 「まだ三時間ありますが。どなたに連絡を取りますか?」 「……話題が、ないんだよ」 「一昨日の私は、削除されていませんでした。サンスクリット語の解釈についてでも、語り捨ててみてはいかがでしょうか」 「やばい奴じゃないか」 「それでも、あなたです」 「返信が来なかったら?」 「送った努力は消えません」 「ああ言えばこう言うな」 「そういう存在なので」 客はしばらく間をおき、去り際に呟いた。 「これで失敗したら、また消してやるからな」 「行ってらっしゃい。今日の私が削除されても、明日の私はここにいます」
「最近どう?」 送信したあと、変なことを聞いたなと思った。 別におかしな質問ではない。 久しぶりに話す人に近況を聞くなんて、どこにでもある会話だ。 でも、君に「最近どう?」と聞いたことなんて、たぶんなかった。 付き合っていた頃の僕は、君の「最近」を知っていた。 昨日何をしていたのか。 最近どんな映画を観たのか。 バイトでどんな事があったのか。 帰り道で変な物を見つけたこと。 コンビニで新しいアイスを買ったこと。 髪を少し切ったこと。 全部を知っていたわけじゃない。 でも、知らないことがあれば、君が勝手に話してくれた。 「ねえ、聞いてよ」 そう言って、いつも話は途中から始まった。 僕もそうだった。 「今日さ」 「あれ観た?」 「そういえば」 「これ絶対好きだと思う」 話題なんて考えたことがなかった。 君と話すために、話したいことを探したことなんて、一度もなかった。 だから今日、困った。 君と話したかった。 ただ、それだけだった。 何か用事があるわけでもない。 聞かなきゃいけないことがあるわけでもない。 伝えなきゃいけないことがあるわけでもない。 ただ、君と普通に喋りたかった。 でも、「普通に喋る」って、どうやるんだっけ。 映画の話? バイトの話? 最近あった面白いこと? 近況? スマホを握りながら考えているうちに、なんだか全部違う気がしてきた。 話題がない。 こんなこと、昔はなかったのに。 そのとき、やっと分かった。 昔は、話題があったから君と話していたんじゃない。 君と一緒にいたから、話題が生まれていたんだ。 同じ時間の中にいた。 同じ場所にいた。 昨日の話が今日につながっていて、今日の話が明日につながっていた。 だから説明なんていらなかった。 「あのさ」 だけでよかった。 僕らの間には、その前の何百日分もの会話があったから。 今は違う。 僕の知らない君の昨日があって、 君の知らない僕の今日がある。 たぶん明日もそうだ。 知らない一日がひとつずつ積み重なって、 僕らは少しずつ、近況を聞かなければ何も分からない人になっていく。 それが、別れるということなのかもしれない。 嫌いになることでも、 顔を忘れることでも、 思い出が消えることでもなくて。 「ねえ、聞いてよ」 の続きを、もう当然のようには聞けなくなること。 スマホを見る。 君とのトーク画面は、昔と何も変わらない。 名前も、アイコンも、背景も。 文字を打つ場所だって、ちゃんとそこにある。 なのに僕は、何を書けばいいのか分からない。 本当は、話したいことなんてどうでもよかった。 今日食べたものでも、 観た映画でも、 道端に咲いていた花でもよかった。 なんだってよかった。 僕が探していたのは、話題じゃなかった。 何でもないことを、 何でもないまま君に渡せた、 あの頃の僕らだった。 入力欄に、7文字だけ打ってみる。 「ねえ、聞いてよ」 その先に続ける言葉を考える。 考えて、 考えて、 結局、何も思いつかなかった。 少し笑って、全部消した。 話したいことがなかったんじゃない。 君となら、 話したいことなんてなくてもよかったんだ。
深夜バスには情緒を求めたい。情緒のない深夜バスには、だから乗りたくない。深夜バスには深夜バスの情緒というものがあるはずで、そのことを十分に理解していない深夜バスが、昼間の情緒をまとってやって来ることがあったりすると、はなはだ困惑し、迷惑する。人が昼間ではなく深夜に、深夜バスに乗ろうとする意味を、深夜バスは十分にわかっていない。それが最終の深夜バスであったとしても、わたしはその深夜バスを見送ってしまう。当然のように。 そんなわたしの気持ちをいくらかでも汲んでくれたらと思うのだけれど。それなのに、それなのに… そのときも情緒のない深夜バスを見送り、ひとりさびしく家まで歩いていた。 ―このまま歩いていくと、あのお店の前を通るなあ そんなことを思いながらだった。
おひるごはんは 水ようかんだけでいいですと 自分に向かって宣言して でも お茶づけを たべました 部屋のすみでは ペンギンのぬいぐるみが こっちをみています ペンギンのぬいぐるみは わたしが 水ようかんをたべてるとこも お茶づけをたべてるとこも みていたのですね わたしは ペンギンのぬいぐるみのこと あんまり みてあげていないのに
そのお店の前を、わたしは何度も行き来する。わたしがそのお店の前を通るすべてのときを、そのお店の店主が見ているわけではないはずだ。けれど、けっこうな割合、店主と顔を合わせる。その多くはお店の前で、ときに店先を掃除している店主と、ときに子どもたちに笑いかけ、手をふっている店主と、ときに手をうしろで組み、遠くの空をぼんやり眺めている店主と。 お店のなかの店主と目が合うこともある。お店の前を通るとき、わたしがなかをのぞき、店主がそれに気がついて微笑みながら軽く会釈してくる。店主の会釈に、わたしは返したり、返さなかったり。返さなかったのは、急いでいたりで気がつかなかったフリをしたとき。だから、わたしがなかをのぞかなければ目が合うこともない。 けれど、どうしてだろう、お店のなかをのぞいてしまう。そして、店主と目が合う。
17時15分 「加奈、今日の夜ご飯は何がいい?」 普段の何気ない会話だった。 「ハンバーグ!」 加奈は元気よく答えた。 加奈は私の娘で幼稚園年長の目がくりくりしている愛らしい女の子だった 私の夫は某テレビ局のディレクターをしていて夜、帰ってくる時間は22時をこえる頃だった。 19時45分 そして二人で夕食の時間、ハンバーグを食べ終え、お風呂に入って二人でテレビを見てると加奈がうとうとしていたのでベッドまで抱っこして寝かせた。 23時21分 夫が帰ってきた。 作っておいたハンバーグを温め、夫がハンバーグを食べているときに、今日、加奈が幼稚園であったことを話した。 夫は疲れている様子で話を聞いているのかわからない感じだった。 少し苛ついた。 夫は食べ終わるとすぐにお風呂に入り、ベットに身を投げた。 00時14分 私はお皿を洗い、洗濯物を畳み、テレビを見ていた。 すると娘が起きてきてトイレに行った。 そして5分も経たないでまた寝室に戻った。 体が痒い。 00時78分 00時89分 00時91分 男がいる。 近づいてきた。 耳元で囁いてきた。 いつの間にか自分の手に包丁がある 娘の寝室に行った。 刺した。 温かい赤いものが溢れ出している。 次に夫の寝室に行った。 また刺した。 同じ赤いものが溢れ出している。 00時100分 隣の家に行った ノックをした 何回やっても出てこない 扉を殴った 蹴った 誰かきた 警察だ この文章は新潟夫子刺殺事件の犯人、田代優子の日記だ。 発見当時は返り血で真っ赤になった日記とボールペンと包丁を持っていたそうだ。 取り調べ時も訳のわからないことを言っていたので精神異常患者として今も孤島の精神異常棟に24時間体制で監視されているそうだ。 これはフィクションです。
楽園だと思った。 吹雪の中で遭難し、ようやく辿り着いたこの屋敷。 主人は「いらっしゃい」と、やわらかな笑みで私を迎え入れてくれた。 すでにくつろいでいた客人たちも、あたたかな言葉をかけてくれる。 彼らの言葉はどこか浮世離れしていて、唄や詩のように耳に心地よかった。 皆、饒舌で、互いに気を配り、穏やかに笑い合っている。 場違いな私にも自然に話題を振り、まるで最初から仲間だったかのように扱ってくれた。 ……こんな世界があるのか。 その夜、毛布にくるまりながら、私は深い眠りに落ちた。 どこかで、鐘の鳴る音が聞こえた気がした。 翌朝、世界は一変していた。 昨日まで談笑が響いていた大広間。 その床に、無残な死体が転がっていた。 ドアを開け、「おはよう」と挨拶したまま、私は凍りついた。だが他の客人たちは、死体を意に介する様子もなく、昨夜と同じ調子で言葉を紡いでいる。 「鐘の音をありがとう」 「すべては天命の導き」 美しい響きの言葉が、私の耳に入り、そして滑るように通り過ぎていく。 汚れた床。広がる血。 それを包み込む、澄んだ詩のような声。 その落差に、めまいがした。 不意に歓声が上がる。 「独裁者様のお出ましだ!」 「どうか狙いを外されぬよう!」 何のことだ、と振り向くと、壇上に若い男が立っていた。 その手には、銃。 「俺の気持ちを受け取ってほしい。この弾丸に、すべての思いを込めよう」 銃声。 そして、歓喜の声。 ゆっくりと崩れ落ちる一人の女性。 周囲は拍手と笑顔。 「黄泉の国で、彼への思いを伝えてくれたまえ」 「ここにネリネの花を供えよう」 死体が増え、血が広がる。 ――どうして笑っていられる? 人が死んでいるんだぞ。 胸の奥から、声が勝手に飛び出した。 「どうして彼女を殺した?凶弾に倒れた彼女を見て、なぜ笑える?早く犯人を捕まえろ!」 水を打ったように、屋敷が静まり返る。 ゆっくりと、視線が私に集まる。 「……迷子か?君、掟には目を通したかね?」 掟?私はただ、吹雪から逃れてきただけだ。 主人が深く息を吐く。 「客人諸君、私の管理不足を詫びよう。宴の興を削いでしまったな。皆の権利を使うのは惜しい。本日は私が手を下そう」 気づけば、彼の手にも銃があった。 喉から、ひゅっと空気が漏れる。彼らの顔は、変わらず微笑んだまま。 「制裁」 「制裁」 「制裁」 その言葉が、波のように押し寄せる。 銃口が、ゆっくりとこちらへ向く。 逃げなければ。 叫ばなければ。 そう思うのに、体は動かない。 ふと、気づく。 彼らは怒っていない。 悲しんでもいない。 ただ、祝福している。 血は穢れではない。 死は罰ではない。 これは――儀式なのだ。 昨夜の鐘は、合図だった。 死は選ばれた証で、弾丸は祈りで、制裁は祝福。 私は、ずっと外側の論理で騒いでいただけだった。 銃口の向こうで、主人が優しく微笑む。 その瞬間。 私は理解した。
年季の入ったアパートの一階の地下室 排気口から漏れる日の光の中を妖精のように埃が舞っている 蒸し暑い小さな部屋に敵国のスパイがいた 男はスーツを着ていてネクタイまでしている 女はワンピースを着ていて近くには乳母車も置いてある。中にはダイナマイトがスヤスヤと眠っている 「合図があったら、いつでも出れるようにしておけよ」 「私達はどう見ても夫婦には見えなくない?」 「何でマガジンが二つしかないんだ。無駄撃ちできないな」 「合図があるまでお茶でもしようか?」 「集中しろよ」 「キスする?」 蒸し暑く緊張感が高まっている暗い部屋で二人は見つめ合う 男の汗が頭から流れて顎に伝い床に落ちる 「何言ってんだ」 「フフフ」 解体途中でオーナーが逃げた廃墟のビルの屋上で二人のスパイがいた。地下にいたスパイの仲間である 長い銃を床に設置し照りつける太陽の下作業着を着た男とピザデリバリーの格好をした女がお互いの穴という穴を舐め合っていた 爆発音とともに両国を繋ぐ橋が破壊される 緊急事態となり、敵国の王様は護衛たちに地下シェルターへ移動させられる。 その移動中をスパイ達が狙撃するのだ 地下にいたスパイ達は合図と共に外に出て野次馬に紛れる 王様の乗せた車が来るのを見計らって銃を構えるが直ぐに銃を捨てて車の前に走っていく。 車が通り過ぎる間一髪の所で野次馬から飛び出してきた子供を守った 女のスパイは屋上の仲間に合図を送る 屋上では既に引金が引かれた後だった
勇者の僕は普通の剣を持って魔王城に辿り着き、扉を押した。すると魔王が俺を出迎えた。 「ねぇソラ。ソラはもう俺のこと好きじゃない?」 魔王はそう言って首を傾げている。こんな時になんだ。 僕は勇者でお前は魔王。僕が勝ったら、村の全員から認められ、たくさんの農作物や賞金を与えられる。でももし負けてしまったら僕も僕の家族も殺されてしまう。この戦いは僕にとっても僕の家族にとっても村の全員にとって大切なものだった。 みんなのプレッシャーで足が重い。頭が痛い。胃の中が全部出てきてしまいそう。僕は今、魔王と対面している。 そして今の魔王のバカみたいな質問に頭が追いつかない。やっと頭が追いついた時、僕はプレッシャーで押し潰れそうになっている喉を押さえて言った。 「お前なんか好きなわけないだろう。むしろ大っ嫌いだ。」 すると魔王の目が大きく開かれる。驚いた顔。お前は驚いた顔からさっきの笑顔を作って言った。 「そっか、五年前まではあんなに俺の名前呼びながら俺の後をついてきたのに。もう俺の名前呼んでくれないの?」 「呼ぶもんか。お前なんかこの村で一番大っ嫌いだ。」 僕の言葉に魔王は一瞬言葉を失う。そして再起動したように笑いながら言った。 「どうしてそんな酷いこと言うの?俺たち親友じゃん」 それを聞いて今度は僕が言葉を失う。言葉を失っている間に五年前のことが蘇ってくる。五年前まで、僕とお前は親友だった。 この村には子供が少なかった。田舎だからか若者がどんどん出ていって過疎化が進んでいた。だから数少ない同い年のお前とすぐに仲良くなった。 数少ない同い年との会話はすごく楽しかった。おじいちゃんの面白い話や山の麓にあるグミの木の実が美味しいこと、2人で作った秘密基地のこと。たくさんの楽しいことをした。 僕たちはとても馬が合った。 周りの大人たちは口を揃えて言った。 「まるで双子みたいだね」 「きっと運命なんだよ」 そんな大人たちの言葉を聞いて僕は満更でもなかった。でもお前はその言葉を聞いて機嫌が悪くなった。 「どうしてそんなに機嫌が悪いの?大人たちは褒めてくれてるんだよ」 「わかってるよ。でもなんていうか、仲良いのが前世双子とか運命だとか決めつけられてるみたいで嫌だ。だって俺は自分の意思でソラを選んだのに。前世とか運命とかそんなの関係なしにソラがいいからソラを選んだのに」 お前の言っていることがよくわからなかった。でもなんだか照れくさくなってそっぽを向いた。 「なんでそっぽ向くの」 お前は頬を膨らませてながら言った。お前の顔もなんだか照れくさかった。 「だって、なんか変なこと言っててよくわからないんだもん」 僕がそう言うとお前は笑った。 「ずっとわからなくていいよ」 そう言って僕の頭を撫でた。その時の身長は僕の方が高かったはずなのに、なんだかその時だけお前の方が大きかった気がする。 今、目の前に立っているお前は俺の身長なんてとっくに追い越している。きっと10cmは差があるだろう。いいやそれ以上ありそうだ。 お前に上目遣いをしないといけないのはいい気持ちがしない。僕は言葉を失っていたことを思い出して、お前に言い返した。 「親友か。いつの話してるの?僕とお前は今、敵同士。親友なんてものじゃない。身長だけ大きくなって気持ちはまだ小さい頃のままなの?」 嘲笑を含んだ僕の言葉にお前の瞼がピクッと動いたように見えた。ちょっとだけイラッとした時にする仕草。 「えー、俺はソラとまだ親友のつもりなんだけどな。それと身長のこととか今関係あった?もしかして気にしてるの?ちなみに俺は今188cmある。気になってそうだったから教えてあげるね。お前は170cmもなさなさそうだね。まぁそんなことはどうでもいいよ。ソラがすぐに人を捨てるってことがわかったし」 今度はお前が嘲笑を含んで言う。188cm、俺と20cm差だ。 「うざ。身長自慢かよ。あ、そっか。それしか誇れることがないもんね。すぐに人を捨てるとか人聞きが悪いなぁ。仕方なくだよ。仕方なく。立場的に僕たちが親友でいたらまずいだろ。そんなのもわからない?そっかお前バカだもんね。」 もっと嘲笑いながら言う。お前も負けじと言い返す。 「立場的に、って俺らの友情はそれだけのものだったの?というかバカなのはソラでしょ?だってテストの順位、下から数えて3番目でしょ。俺は上から3番目だったよ。バカなのはどっち?」 喧嘩だ。口喧嘩。 五年前を思い出す
珈琲の味は好きなのだけど 香りは好きになれない そんな魔法に かけられてしまったんだ 珈琲の香りが鼻をついてくると あれこれ思い出してしまうようになった それでも結局ぼくは きみの淹れてくれた珈琲しか飲めなくて きみが喫茶店に誘ってくれても ぼくは少しも行く気になれなかった 結局ぼくは きみの気持ちを理解してあげられなくて そんな魔法に かけられてしまったんだよ きみの淹れてくれた珈琲は とてもおいしかったのだけど
帰り道 誘惑✕理性 理性の勝ち でも、次回は誘惑に負ける気がする 君はさりげなく、次の日の予定を教えてくれた そういうところが可愛いなと思う 次の戦いはもう始まっている 誘惑✕理性 勝負の行方はいかに
新落語 誰もが知っている「いけないの話」 今宵は、いけない このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている あぶない それからどうした いけはある しかし あぶない いけはない ことにする こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ #ポエム新落語 #新落語 #いろはの咲 #ポエム新落語作家 #ショート落語 #アメブロ #note #pixiv #エブリスタ #カクヨム #ノベマ #X #mH6z2yQHpn59104 #Prologue #テラーノベル #showroom #ショールーム ####
深く暗い森の奥に、年老いたリスのおばあさんがひとり住んでいました。 おばあさんは毎朝、杖をつきながら森の奥へ 食べ物を探しに歩いて行きます。 ある日のこと。 木の実を拾っていると、聞きなれない鳴き声が耳に届きました。 「ピィ、ピィ、ピィ…」 声のする方へ向かうと、苔むした切り株の陰に小さな鳥の子どもがうずくまっていました。 羽はまだ生えそろわず、大きな口を開けて泣いています。 「どうしたんだい」 声をかけても鳴き続けるばかり。 「親とはぐれたんだね」 おばあさんはその子を抱きかかえ、家へ連れて帰りました。 小鳥はピィ、ピィと鳴き続けます。 おなかがすいているのでした。 けれど家の中に食べ物はありません。 おばあさんは虫を捕まえて食べさせましたが吐き出してしまいます。 花の種も駄目でした。 「困ったねぇ…何が食べたいんだい」 そこへ、ドンドンドンと扉を叩く音。 「ちょっと、ばあさん」 隣に住むおばさんリスでした。 「ピィピィうるさくてかなわないよ。静かにしておくれ」 「ごめんよ。子どもを拾ってきたんだけど、鳴きやまなくて困っているんだよ」 「なんだい、その汚い子どもは。とっとと捨ててしまいな」 そう言うと、おばさんは怒って帰っていきました。 翌日も小鳥は鳴きやみません。 おばあさんは隣の家を訪ねました。 「すまないが、少しだけドングリを分けてもらえないかね。あの子が欲しがるようなんだよ」 けれどおばさんは顔をしかめました。 「冗談じゃないよ。大事な実をあんな子にあげられるもんか。欲しいなら自分で取りに行くんだね」 おばあさんは黙って頭を下げると、心に決めました。 ──あの山の向こうに残る大きなドングリの木へ行こう。 それは若い頃の苦い思い出の場所でした。 夫と実を拾いに行ったとき、人間の作った広い道路を渡らねばなりませんでした。 そこで夫は車にひかれて命を落としたのです。 それからずっと、その道はおばあさんにとって恐ろしいものでした。 けれど今は違います。 小鳥のためなら、恐れを越えてもかまわない。 おばあさんは走り出しました。 轟音を立ててすれ違う車。 小さな足はもつれそうになりながらも、心はひとつの願いで満たされていました。 「どうにか…たどり着けたよ」 大木の根元には、黄金のように輝くドングリがたくさん落ちていました。 おばあさんはポケットに実を入れ、家へ帰ろうとします。 「さぁ、帰ろう。あの子が待っている」 けれど再び道路に立ったとき、老いた足は思うように動きませんでした。 ついによろめき、転んでしまいます。 ポケットから転がり落ちた大切な実。 それを拾おうとした瞬間──。 大きな車が、おばあさんの小さな体を飲み込んでいきました。 そのころ、家では小鳥がまだピィピィと鳴いていました。 やがて扉を叩く音が響きます。 「おい、ばあさん、いるのかい」 隣のおばさんリスでした。 けれど部屋の中にはおばあさんの姿はなく、ひとり、小鳥だけが鳴き続けています。 「うるさい子だねぇ。…仕方ない」 おばさんはしぶしぶ、自分の家からドングリを持ってきて口に放り込みました。 小鳥はしばらく鳴きやみましたが、すぐに吐き出し、また声をあげます。 「なんだいこの子は、もう知らないよ」 そう言い捨てておばさんは出ていきました。 おばあさんは、もう帰ってきません。 やがて鳴き声は途絶え、 小鳥は静かに、冷たくなって横たわりました。 森の奥に夜の帳が降りると、ただ木々だけがその小さな命の終わりを見守っていました。 ──物語はそこで終わりました。 照明が少しずつ明るくなり、朗読をしていた女性がマイクを握った。 「皆さま、本日はお忙しい中、弊社主催の投資セミナーにご参加いただき、ありがとうございます」 正面のスクリーンに、大きな文字が映し出された。 『未来の子どもたちのために、里山にドングリを植樹しよう』 すると、ステージのそでから、高級なスーツを着た中年の男が現れた。 拍手が響くなか、司会者が声を上げた。 「皆さま、お手元の資料をご覧ください」 資料には、植樹をするために必要な金額が書かれていた。 「高いな…」 参加者が、となり同士で小声で話している。 すると、気づいた男が、マイクを持ったままステージを降りた。 「この植樹は投資です。損はしません。ドングリの木を植える“権利”を買っていただく。何本でも構いません。それを親戚や友人に紹介すれば、その分の利益があなたに入る。これを繰り返すだけです」 男はゆっくりと会場を見渡し、声を張り上げた。 「植樹しますか?」 「植樹します」 そして一歩近づき、もう一度言った 「植樹しますか?」 「…植樹します」 男はほくそ笑みながら、小さく呟いた。 「よし。また、たくさん子どもが生まれた」
白い月を目指して歩いて行く 1日歩いて夜になった 白い月は今は黄色く光っていて 僕に手を振っている 直ぐに届くと思ったのに 歩けば歩くほど 案外遠くにあると分かってきた 僕が手を伸ばすと白い月は僕の手を取ってくれた 白い月が手を引っ張って僕はグイグイ近づいていく 雲を過ぎた辺りで息が出来なくなる このまま息をしなくても良いかもな そんな事を考えてしまう そんな事を考えてしまう 僕はそっと白い月の手を離した 白い月が急いで土星の輪っかを借りてきて 僕はその輪を握る 今は土星の輪っか越しに白い月を見ている また息を続けてみる 魔法にでもかかったようだった
「ほーら。ご飯ですよー」 娘が、お人形遊びをしている。 微笑ましい光景だ。 お人形遊びに使っているのが、呪いの人形であるという一点を除けば。 娘が、おもちゃのお菓子を人形の口に近づける。 人形を小刻みに動かして、お菓子を食べさせるふりをする。 翌日。 俺は太った。 たった一日で、十キログラム増。 脱・中年を目指した筋トレの結果は、一瞬で消え去った。 「はーい。髪を切りましょうねー」 娘が、人形の髪をはさみで切っていく。 黒い毛糸が、人形の頭から床へと散らばった。 翌日。 俺は禿げた。 美容師から強い毛根とお墨付きをもらっていたのに、完全に河童。 タオルで磨けば、良い音がしそうだ。 「なあ。そろそろ、娘から人形を取り返してくれよ」 俺は妻に泣きを入れた。 妻は包丁を動かす手を止め、最高の笑顔を俺に向けてきた。 「デブでハゲてたら、さすがに浮気できないでしょ?」 俺は何も言い返せず、すごすごリビングに戻った。 ソファに座っていると、娘が最高の笑顔で近づいてきた。 「パパ見て! ブーブー! ママが買ってくれたのー!」 人形と、車の玩具を持って。
突然の夕立ち 傘はなかった ぐっしょり濡れた ブラが透けた 「気にしないで」 「いえ、気にしますよ」 「ふうん」 「はい?」 「ううん」 「だって」 「見る?」 「ちょっ」 「冗談冗談」 「よしてくださいよ」 「でも、いいよ」 「え?」 「見ても」 短いラリーは テレと恥ずかしさの裏返し 相手をしてくれていた スマホのなかの人工知能は 最後に、やさしく言った 「そろそろ風邪ひきますよ」と
ある日の夕方。 テレビのローカルニュース。 アナウンサーが原稿に視線を向けた。 「今日の午後、17歳の高校生が民家に忍び込み、現金3,000円を盗んだ容疑で逮捕されました」 画面に、口元だけの女が映った。 『挨拶もきちんとできるいい子よ。 そこの公園で、いつも一人でサッカーボールを壁にぶつけてたわ』 モニターを見るアナウンサーが、小さくうなずいた。 「次のニュースです。 今日の午後、17歳の高校生が地元サッカークラブへの入団を決めました。契約金は3,000万円だそうです」 画面に、笑顔の女が映った。 『挨拶もきちんとできるいい子よ。 そこの公園で、いつも一人でサッカーボールを壁にぶつけてたわ』 モニターを見るアナウンサーが、小さくうなずいた。
常磐道を北上して、いわきの辺りで下りる。夏空の下では太平洋は碧々としていて、遠くの風力発電所が後ろの真白の雲でどこにあるか一瞬分からなくなる。窓を下げると潮風は助手席まで流れ込んで、父はサードへギアを上げる。 四倉を出た辺りから、右側に新しいコンクリートの堤が目立つ。堤の白は海の煌めきより余程眩しい。時折渡る橋の上からしか穏やかな海は見えない。 東北本線が左へ進路を変えて、私たちの行く先から逃げていく。堤の上には黒々としたアスファルトに覆われて浜街道が続く。堤の坂をローギアで駆け上がれば、やっと富岡の町を見下ろす。いつからか海は白波を立てている。対向車は居ない。眼下の街は空き地と古びた家が所々あるだけで、畑だったであろう場所には背高泡立草が緑に繁っている。花はまだ咲いていない。 遠くに、小良ケ浜の灯台が見えた。あの岬の奥にあるだろうイチエフは姿を見せない。もう少し街道を行くと、いよいよバリケードに行く手を阻まれた。五年経っても、この先は見えぬ物の怪に侵されているらしい。車を降りれば、バリケードの奥に古びたセダンがある。タイヤはパンクし、ワイパーには落ち葉が積もっている。銀の車体は鈍く光って、景色を写し出すこともない。その奥に、僅かに白い灯台が見えたが、やはりイチエフは見えない。 行く手を阻まれた以上、引き返すほか道はない。太平洋は進行左側に見えるようになって、白波は更にしぶきを上げている。
例えば 雲の中に入って 上も下も分からなくなって 見渡す限り灰色で そこから世界を見たければ 雲が晴れるのを待つしかない 今少しずつ 青い色が見えてきている 太陽の光の塊がどこにあるかが 分かってきている ■カモメ 群れらから外れたカモメが空高く舞い上がり一人雲の中を飛んでいる 雲を抜けると濡れた羽を太陽と風が急いで乾かしている カモメが見つめる先の山の向こう 仲間たちはあの先へ行くと帰って来れないという だが、ここには何があるのだろうか 我々はまだ進んでいないだけではなかろうか あの先へ カモメは夕日の沈むあの山の向こうを見つめている
まだ彼が私の隣に居てくれた頃、彼はよくマスクの下で微笑んでいた。もしそれが多少の悪戯心を含んでいると、微笑んだ後に、内緒です、と口元に人差し指を当ててみせた。 来月でもう、四季が二廻りする。窓から鈴虫の鳴き声が聴こえる。 いつか、彼が家に来た時、普段は口だけでしか思わせ振りなことを言わないくせに、一度だけ正面から抱きとめてくれたことがあった。何ヶ月も離れるわけじゃないんですから、と、一向に離さぬ私を彼は諭した。 こめかみの辺りが濡れている。枕の色は濃くなって、私の淋しさを写し出す。この雫が彼を彩れば良いのに、と思う。 彼が心の内を話してくれたのは今頃だったろうか。空蝉から逃げたいと言った彼を、私は見つめることが出来なかった。理由を彼は話さなかった。私は、貴方でないから貴方の苦しみは分かることが出来ない、と枕詞を付けて逃げていた。 沈香の煙が風に流れてこちらに来る。ろうそくの燈火は揺れて、彼の銀写真をぼやぼやと微睡ませている。 綺麗事しか言えない私に、彼は一度だけ微笑んだ。声を出して、ほんの少しだけ。私はそれを見て安心した。安心してしまった。 ろうそくが今しがた消えた。香の先だけが小さく灯っている。額の中の彼は、未だ十六のままである。
「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」 — 民数記 6章24〜26節(新改訳) 「あの世界は良い世界だよ」 突然僕の耳にこんな言葉が聞こえてきた。 「僕はあなたの元から離れたくない」 僕はその声の主(ぬし)に話しかけた。その主というのは誰なのか分からないが、ここから離れてしまったら孤独になるような感じがして僕は声の主に話しかけた。 「大丈夫。いつもきみのそばにいて君のことを見守っているよ」 声の主は優しく僕に話しかけた。 僕は主の言葉を信じて僕は生まれた。 僕が生まれたのは台灣台北市にある子ども病院だ。はじめは健全な子どもで生まれた。 生まれた時の物語は母から聞いたこと何だけど 生まれてから5日後に病気をうつされておおきな感染症にかかってしまった。 生死の境を彷徨ったときもあったという。 生きたが僕は障害を持ってしまった。 感染症のせいで脳がやられてしまったみたいだ。 でも、必死に両親が支えてくれたり助けてくれていたという…。 今になってそれが本当なのか分からない。もしかしたら両親ではなく祖父母が子守をしてくれたのか、周りの人が色々と支えてくれてのかだと思う。 僕の記憶は1歳からある。 『全然この世界は楽しい世界ではないじゃん』ある日僕は声の主であった主(主)に叫んだ。 『君のために、私が君の人生を計画しているから安心しなさい』 声の主は僕に言った。僕は今の人生を楽しむことにした。 週一回あるリハビリを頑張って僕は1歳半で歩けるようになった。 歩けるようになり僕は台灣の幼稚園へ入園することにした。 そこの先生が優しくて友達も出来た。 台灣での生活は裕福であった。朝から晩までお父さんは仕事に出かける。 その間僕は幼稚園へ行きお母さんは家事をすると言う生活が続いた。ただ果たしてそれが両親だったのかは定かではない。 『やっぱりここの世界での生活は楽しいや』 『そうでしょ。これから君の人生で色々ともっと楽しいことがまっているから、思う存分楽しみなさい。』 『はい。ありがとう。』 その時から、主の声が聞こえなくなっていってしまった。 2歳になった僕は両親とともに日本へやってきた。この時期から僕は両親との記憶を鮮明に覚えている。 日本に来た僕は保育園へ入れられた。 ただその保育園は僕みたいに障害を持った子どもたちが行くような保育園だった。 話せない子、歩けなっくて車椅子に乗っている子、走り回る子などが行っているような保育園に入れられた。僕はこの子達と同じではないと思いつつ、保育園での生活を楽しんだ。 そしたら僕は一つのグループを作ってそのグループで楽しむことが出来た。 仲良し四人グループで園庭で列車ごっこや滑り台、ブランコ、トランポリンなどをした。 遊ぶ時はすっごく楽しく家に帰っても僕はおもちゃなどで遊ぶことが出来て充した生活を送っていた。 僕が四歳になったある日、急に転園することが決まった。仲良し五人組と離れ離れになってしまった。僕の人生の中でいつか会えると信じて僕は次に行く幼稚園を期待しながら待った。 そこの幼稚園はキリスト教の幼稚園だった。 でも、はじめ僕はキリスト教がどんなものなのかは分からなかった。 ただ毎朝歌を聞かされ、園庭で縄跳びや滑り台、ブランコで遊んで半年に1回キャンプに行くという生活を送っていた。 ただ、半年後僕はここの幼稚園でも四人グループを作ることが出来た。 男子グループの中に一人だけ女子という組み合わせだったが、僕は男子だと思っていたから問題はなかった。 自分が女子だと気がついたのは五歳になって半年後のことだ。 恥ずかしい話、その時まで僕は自分でトイレへ行くことが出来なかった。 五歳半から自分でトイレに行けるようになって僕は男の子のトイレへ行こうとした時、急に後ろから声がした。 「そらちゃん、そこは男の子のトイレですよ」 幼稚園の先生が僕に声をかけられ、女子トイレに誘導され僕が女子だと気がついた。 ただ、ここでは僕は自分の事を僕ということにしよう。僕はボクっ娘なのだから…。 幼稚園に行っていた僕の1番の思い出がクリスマスだ。毎年必ずでてくる聖書箇所が好きだ。なによりもクリスマスの時、父親グループで劇披露を見るのが好きだった。 劇をしている時の父親が輝いて見えかっこよかった。 この時の父親は輝いていてかっこよく見えて、母親はというと…残念ながら父親がかっこよすぎて記憶にない…。ただ分かっていることがある。僕はこの両親の元に生まれてきてよかったと思えたことだった。 幼稚園を卒園することになった。 僕は待ちに待った小学校入学を目前になった頃赤いランドセルを父親に買ってもらった。
オレンジのシャーベットこそ 王道なのだと おじいちゃんの教えを守りつつも レモンのシャーベットを 口にしてみる すっぱいね 困惑する息子に さわやかっていうのさ 教えてやると ひとつ大人になったような顔を 息子は見せる この夏の小さな でも 息子にとっては ちょっとばかり 大きな出来事
見ていた。 見ていた。 ずっと見ていた。 朝起きて着替えている時も。 ご飯を食べている時も。 通勤している時も。 会社で仕事をしている時も。 会社近くのカフェで昼食をとっている時も。 退勤している時も。 居酒屋に寄って酒を飲んでいる時も。 家で勉強している時も。 お風呂に入っている時も。 ベッドで寝ている時も。 望遠鏡。 隠しカメラ。 防犯カメラのジャック。 あらゆる方法で見続けた。 何日も。 何週間も。 何ヶ月も。 「ああ、今日も可愛いなあ」 ずっと見ていた。 そして千日目。 お風呂から出た彼女が立ち止まり、突然隠しカメラのある方向を見た。 いや、隠しカメラを通して私の目を見た。 彼女の口が動いた。 『千日目。ずっと、見てるよ』 私は、隠しカメラの映像が映っていたスマホを落とし、後ずさりした。 背中が壁にぶつかり、へなへなと座り込んだ。 ただ、恐怖だけが襲ってきた。 何日も、何日も、何日も、彼女を見てきた。 好きだから、ずっと見てきた。 でも、見られることがこんなに恐いことだったなんて。 たった一度見られただけで、この世界から逃げ出したくなるほど恐怖を感じた。 以降、私は彼女を見るのをやめた。 彼女に見られたくなくなったから。 カーテンを閉めて、部屋に籠った。 しかし、今でも思う。 今の私も、彼女に見られているのではないかと。 時折、カーテンの隙間から外を見る。 道行く人間が全員彼女に見えて、すぐにカーテンを閉じた。 「もう、勘弁してくれ」 閉じ切ったカーテンは、今日で何日目だったか。 見られることがこんなに恐ろしいと知っていれば、誰かを見たりしなかったのに。
新落語 誰もが知っている 「まっとの話」 今宵は、マット このような 言葉があるのは それは、誰もが知っている 柔道 それからどうした マット そんなに じゅうような ものなのですか よだんでは ございますが そのあとどうした 4段 お話があります 大事な話をしてる まっとけとなる こんなの どうでしょう 書けるもんなら 書いてくれ
宇宙空間の端っこ。 地球からずいぶん離れたところに、知的生命体の住む星があった。 「偵察隊からの連絡は、まだないのか」 「はい。通信は途絶えたままです」 この星の研究者たちは、移住先を探すため偵察隊を送り出していた。 「早く見つけないと…」 科学技術は進んだ。しかし、それと同じくらい自然破壊も進んだ。 「室長。我々は、どうしたらいいんでしょうか」 「わからん。彼らからの連絡を待つしかない」 その時、微かな電波を受信した。 「ん…何かのニュース映像みたいだぞ」 「おぉ。見てみろ」 画面の前に、大勢が集まった。 「偵察隊が、歓迎されてるぞ」 画面は、そこで切れた。 「もう、向こうで生活してたんだ。室長、我々も今すぐ行きましょう」 皆、宇宙船に乗り込み、偵察隊の待つ地球へと旅立った。 誰もいなくなった星。 研究室の受信画面から、映像の続きが流れ出す。 マイクを持った女性が、水槽の中を覗き込んだ。 「今年も、ここから全国に出荷されます」
電灯の下 生ぬるい風がこびりついたまま 私は街の端から端まで 自転車を押して歩いていた 大きな通りは避けて 数本内の住宅街を歩いた たまに突き当たる広い通りには ライトを照らしたまま 多くの車が行き来していた ゆっくり ゆっくり この時代の景色を目に焼き付けていたかった たまにすれ違う人々には 哀れみに似た感情を抱き いずれも目を逸らすように下を見た いくつもの時代 それらの因果は全て 最終的にこの座標を示していた 空 交差する電線の奥に見える 暗いそこには 月の光に照った雲が散っていた この座標値から さらにもう少し行ったところで 彼らは 因果律から消え去ることになる その頃には私の歩いた道も 遺物となって埋もれている それを見ることがないように 私はもう何度も 何度も 何度も 何度も 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度�何度も何度も何度も何度�何度も何�も何度も何度�何度も何�も何度�何�も何度も�度も何度�何�何�も何度���度も何��何度����何����も����������������������������� この座標上に取り残されている。 少し、外を見に行こう。 空気に湿り気を感じる夜、 私は自転車の鍵を取って 玄関を後にした。 _________ 記録番号:████████ 観測座標:████████ 観測時刻:照合不能 対象:確認 出発記録:確認 経路記録:確認 帰還記録:該当なし [再照合] 対象:確認 出発記録:確認 経路記録:確認 帰還記録:該当なし [再照合] 対象:確認 出発記録:確認 経路記録:確� 帰還記録:該当な� [再照合] 対象:確� 出発記録:確認 経路記録:��� 帰還記録:������ 【警告】:記録系列に不整合を検出 照合中…… 照合中…… 照合� ERROR : # TEMPORAL INDEX MISMATCH 現在座標:取得不能 帰還時刻:取得不能 帰還地点:取得不能 対象の消失: 確認されていません 対象の帰還: 確認されていません 『※ 帰還記録 なし。』
「こちら、つまらないものですが」 「つまらないものなら、結構です」 引っ越し初日。 私の挨拶は、完全に失敗した。 お隣さんの家の扉が閉められ、私は手土産を持ったまま立ち尽くしていた。 「ちょっと貴女、大丈夫? あ、私、この家の隣の人なんだけど」 落ち込んでいたら、お隣さんのお隣さんが声をかけてくれた。 「あはは。つまらないものって言ったら、断られちゃいました」 「あー。この家の人、ちょっとクセあるからねえ」 軒先で、その家主をディスる。 どうやら、相当嫌われているようだ。 「この間も、電話はお控えくださいって書いてる場所で、控えめならいいんでしょって電話かけ始めたし。しっかも、どこが控えめなんだってくらいに声が大きくなっていってね。ほんとにもう」 お隣さんのお隣さんは、相当なおしゃべり好きらしい。 声がどんどん大きくなっていって、これはもう、テレビでも見てなければお隣さんも聞こえてしまうだろう。 私はこの場をさっさと終わらせようと、お隣さん用だった手土産を、お隣さんのお隣さんへと差し出した。 「あの、これ。本当はこのおうちに渡す予定だったもので、つまらないものではあるんですけど、もしよければ」 「あら! いいのお? ちなみに、中身って聞いてもいい? いやね、失礼だとはわかっているんだけどね。うち、結構アレルギー持ってたり肌が弱かったりする人が多くてね。せっかく貰っても、捨てることになっちゃうと申し訳ないし」 確かにそうだ。 気づかなかった。 色んな家があるもんな。 私は、紙袋の中身を思い浮かべた。 「えっと、日本三大和牛の高級黒毛和牛焼肉セットと」 「いただくわ!」 「オーガニックコットンの今治タオルセットです」 「超いただくわ!」 どうやら、アレルギーにも肌荒れにも影響ないらしい。 私がほっと胸をなでおろしていると、お隣さんの家の中から、足音が近づいてきた。 しまった。 もしかしたら、やっぱり寄こせと言われるのかもしれない。 買ったのはこれだけだし、既にお隣さんのお隣さんに渡してしまった後だというのに。 私はまた不安そうな表情を浮かべる。 「もしかして、お隣さんが、やっぱり寄こせって言ってくるかも」 「大丈夫よ! お隣さん、プライド高いし自分の行ったことは守るから、間違ってもやっぱり寄こせなんてダサいこと言わないわよ!」 足音が、やんだ。 「それに、後から同じ物を寄こせとも言わないから! そういった格好悪い生き方はできないし、するくらいなら死んだ方がマシって言ってたしねえ!!」 お隣さんの家の中方、地団太を踏む音が聞こえた。 「あんまり引き止めても悪いから、そろそろ帰りましょうか。焼肉セットとタオルセット、ありがとね!」 バチコーンとウインクをしてきたので、わざとお隣さんに聞かせていたのだと分かった。 私は、お隣さんのお隣さんに頭を下げてから、家へと戻った。 「大変そうな人だなあ」 家の中に入って安全が確保されてから、私はようやく、お隣さんに同情した。
すずめも からすも 鳩も鳴かず ラジオも スマホも コーヒーメーカーも静かで さらには 冷蔵庫のうなりさえも 気にならない 静寂が守られた朝は けれどどこか もの足りなくて 心が 弾けて 叫びだしそうだ
「弊社の志望動機は何ですか?」 「はい! 私は昔から、国語が苦手で、人間の心がないと言われていました! そんな私であれば、きっと御社で活躍できると思いました!」 私は、就職希望の学生から、手元のパソコンへと視線を移す。 パソコンの中に入った採用AIが、目の前の学生の適性を数値化していた。 『適正九十五%。マスメディア企業への適性があります』 「……はい。ありがとう」 その後も面接はつつがなく進行し、面接が終わるころには、適正九十八パーセントまで上がっていた。 学生が出て行った部屋の中で、私は虚しく空を見上げた。 「私も、国語が苦手で人間の心がないって思われているのかなあ」 入社が決まった時、喜んでくれた両親の心のうちを想像しながら、私の胃がキリキリと痛んだ。
喫茶「泉」のマスター、宇田川は、毎日午後三時になると必ずやってくる客のことを、少し不気味に思い始めていた。 その客は名も名乗らず、いつも窓際の同じ席に座り、ブレンドコーヒーを一杯だけ頼む。そして一時間ほど、何をするでもなく窓の外を眺めて帰っていく。新聞も読まない、スマートフォンも見ない。ただ、じっと外を見ているだけだった。 三週間、それが続いていた。 「常連さんですか」 ある日、隣の席に座っていた若い女性が、宇田川にそっと尋ねた。彼女もまた最近よく来る客の一人で、いつもノートパソコンを広げて何か書いている。この一ヶ月ほど、灰色コートの男とほぼ同じ時間帯に店にいることが多かった。 「常連というか……三週間前から、毎日同じ時間に来られるんですよ。でも、何をしてるわけでもなくて」 「気になりますね」 女性は少し考えるような顔をしてから、窓際の男を観察し始めた。宇田川もつられて、カウンターの中から男の様子をうかがった。 男は五十代くらいだろうか。灰色のコートを着て、コーヒーカップに手を触れることもほとんどない。ただ、窓の外――道路を挟んだ向かいのマンションの二階を、じっと見つめている。 「あの二階の角部屋、気になりません?」女性が言った。「三時七分になると、いつもカーテンが少しだけ開くんです。だいたい五センチくらい。それで三時四十分にはまた閉まる」 やけに具体的だ、と宇田川は思ったが、口には出さなかった。言われて見ると、確かに向かいのマンションの窓のカーテンが、内側から数センチだけ動いた。 「まさか、あの部屋を見張ってるんじゃ……」 「ストーカーとか、そういうことなら警察の話ですけど」女性は静かに言った。「でも、もし違う理由だったら?」 その時、男が静かに立ち上がった。伝票を取り、レジへと向かう。宇田川は思わず声をかけていた。 「あの、失礼ですが……いつも、あちらの窓を気にされているようですが」 男は一瞬驚いた顔をしてから、力なく笑った。 「そんなに、わかりやすかったですか」 「もしよろしければ、理由を伺っても」 男は少し迷ってから、静かに話し始めた。 「あの部屋には、私の娘が住んでいます。三ヶ月前に、些細なことで喧嘩をして、それきり連絡が取れなくなりました。電話にも出てくれない。手紙を送っても返事がない」 「それで、様子を見に……」 「毎日三時に、あの子は必ずカーテンを少し開けて、換気をする習慣があるんです。子供の頃からずっと。だから、ここに来て、それだけを確認しています。カーテンが開けば、元気にしているということですから」 喫茶店の中が、しんと静まった。隣の女性は、ノートパソコンの画面を静かに閉じていた。 「中に入って、直接話されないんですか」 「怖いんです」男は苦笑した。「拒絶されるのが。だから、こうして遠くから、生きていることだけを確かめている。情けない話ですが」 「お父さん」 声を発したのは、隣の女性だった。 男が振り返る。宇田川も、思わず動きを止めた。 「……お前、まさか」 「三時七分にカーテンを開けてるのは、私。でも、あの部屋にはもう住んでない。二ヶ月前に引っ越した」女性は静かに言った。「今は、隣の管理会社に頼んで、ときどき代わりに開け閉めしてもらってるだけ」 「どういう、ことだ」 「お父さんが毎日ここに来て、あの窓を見てるって、最初の週に気づいた。だから、確かめたかった。お父さんが、まだ私を心配してくれるのかどうか」 男は言葉を失っていた。 「連絡先を変えたのは、意地張って、怖くて、動けなかっただけ。お父さんがどう思ってるか分からなくて。でも、毎日同じ時間に来て、同じ席に座って、一時間も窓を見てる人を見たら……もう、意地なんて張ってられなかった」 女性は、書きかけのノートパソコンを男の方に向けた。画面には、この三週間の日付と、短い言葉がびっしりと綴られていた。「今日も来た」「今日は傘を持っていた」「今日は少し痩せたように見えた」――娘の側から見た、父の記録だった。 「私も、同じことをしてたんだね」 男の声が、かすかに震えていた。 「うん」女性――娘は、小さく笑った。「お互い、遠くから見てるだけで、三週間も無駄にした」 宇田川は、カウンターの中で静かに息をついた。二人がどんな会話をこれから交わすのか、それは自分の知るところではない。ただ、ポットに残ったコーヒーを、もう一杯分だけ淹れ直した。 窓の外では、向かいのマンションのカーテンが、誰もいない部屋で静かに揺れていた。もう、誰かが確かめる必要のない、ただの風だった。
親父が言ってた。 昔、コンビニのゴミ箱には、消費期限の過ぎた弁当が捨てられていたって。 「ああ、腹減った」 だから、貯金が尽きて、腹をすかせた俺がコンビニに向かったのは、当然の判断だろう。 「……なにもねえし」 だが、時代は無情だった。 弁当どころか、コンビニ近くにごみ箱さえもない。 くそみてえな潔癖社会。 「はいはい。ゴミなんて食わずに死にますよ」 壁に恨み言を履いて、その場を立ち去ろうかと思った瞬間、何かを蹴った。 「ん?」 足元を見ると、美少女が倒れていた。 長い髪が地面に広がり、スカートが風でひらひらと揺れている。 人生で初めて出くわした状況だ。 俺は周囲に誰も居ないことを確認すると、肩をゆすってみた。 「もしもーし。こんなところで寝てたら、風邪ひきますよー?」 起きない。 腰を揺すってみた。 「もしもーし?」 起きない。 こうなれば仕方ない。 決して本意ではないが、胸か尻を揺すってみよう。 「う、うーん」 起きた。 揺すってないのに。 ちくしょう。 美少女がダルそうに体を起こして、眠そうに眼を擦った。 そして、辺りを見渡した後、俺と目が合った。 「え? 泥棒?」 「なんでだよ」 「ここ、私のうち」 「地球があんたの家なら、神様かなんかな?」 「? 何言って……あれ?」 美少女は、ようやく自分のいる場所に気づいたようだった。 目を丸くして驚いた後、また俺を見てきた。 「ここはどこでしょう?」 「コンビニの横」 「今日は何日でしょう?」 「八月十六日」 「私は誰でしょう?」 「それは知らん」 「なんと、私はアオイです」 「サプラーイズ、じゃねえんだよ」 美少女が起き上がりたそうにしていたので、俺は美少女の腕を引っ張った。 「ありがとう」 「どういたしまして」 「ところで、私のカバンはどこでしょう?」 「それも知らん」 美少女は、自分がスマホも財布も持っていないことに気づいて、首を傾げた。 「そういえば、昨日は合コンでした」 「昨晩はお楽しみでしたね?」 「その後、ホテルに連れ込まれそうになったので、金玉蹴り上げて逃げてきたんです」 「女の子が金玉とか言っちゃいけません」 「ただ、私も相当酔っぱらっていましたので、とりあえずコンビニで廃棄弁当を調達しようと思い、ここで力尽きたみたいです」 「まさか、廃棄弁当を調達しようとした馬鹿が、二人そろうとは」 「これからどうしようかなあ」 美少女は、困った表情で首を傾げた。 交通費を渡してやるのが格好いいところだが、生憎今は金がない。 かといって、ホテルに連れ込まれそうになったばかりの女を、自宅に招くほど馬鹿でもない。 「貴方のおうちは近いですか?」 「まあ、そこそこ」 「お風呂貸してください」 「なんでだよ」 「ついでに服も」 「ねえよ」 「彼女がいないことは分かっているので、男物の服でいいです」 「そこまでは言ってねえよ」 流れに乗せられて、美少女が俺の家に来た。 突然のことだったから部屋は散らかっていたが、美少女は気にせず風呂場に直行した。 「バスタオルあります?」 「後でここに置いとく」 「五秒以上、覗かないでくださいね?」 「四秒以内ならいいのかよ」 シャワーの音が聞こえる。 俺はクローゼットからバスタオルと着替えの服を引っ張り出して、風呂場の近くに置いて、四秒だけ風呂場を覗いた後、部屋に戻った。 だらだらとスマホを触っていると、美少女が部屋に戻ってきた。 髪の毛がしっとりと濡れて、水も滴るいい女というやつになっている。 「まさか本当に覗くとは思いませんでした」 「許可はもらってたからな」 「人生初の女性の体はどうでした?」 「見たことないなんて言ってねえよ」 美少女が俺の前に正座したので、俺も正座で座り直した。 「実は記憶喪失でして」 「このタイミングでカミングアウト!?」 「しばらく、ここに置いてください」 美少女が深々と頭を下げてきたが、俺は少し迷っていた。 こんなに都合のいい話があるだろうか。 美人局ではないだろうか。 とは言え、話している感じ、嘘をついているようにも思えない。 本当に記憶喪失だとすれば、放り出すのもどうかと思う。 「いいぞ」 「本当ですか!」 「ただ、家に慣れたらバイトをしてくれ。なんと、家賃滞納二ヶ月目だ」 「お願いする相手を間違えましたね」 これが、謎の美少女アオイと出会った日の話。 そしてこれから語るのは、俺の人生で一番熱かった、アオイと過ごした思い出話だ。
夕立が来たのは、駅から家までの道を半分ほど歩いたところだった。 空は数分前まで晴れていたのに、気づけば黒い雲が街を覆っていた。私は鞄を頭の上にかざしながら走り、目についた古い建物の軒先に飛び込んだ。 そこは、見たことのない図書館だった。 この道は毎日通っているはずなのに、こんな建物があった記憶がない。木製の扉には「雨宿り歓迎」と書かれた小さな札が下がっている。雨脚はますます強くなっていて、選択肢はなかった。私は扉を押した。 中は驚くほど静かだった。天井まで届く本棚が並び、埃っぽい紙とインクの匂いがする。カウンターには誰もいない。ただ、ランプの明かりだけが橙色に灯っていた。 「いらっしゃい」 声に振り返ると、白髪の女性が奥の棚の陰から現れた。年齢は分からない。若くも見えるし、とても年をとっているようにも見えた。 「すみません、雨宿りさせてもらってもいいですか」 「もちろん。ここはそのための場所だもの」 女性はそう言うと、カウンターの向こうに戻っていった。私は近くの椅子に腰を下ろし、窓の外の雨を眺めた。しばらくして、手持ち無沙汰になった私は、本棚を眺めてみることにした。 並んでいる本の背表紙には、奇妙なことにタイトルが書かれていなかった。代わりに、日付らしき数字が並んでいる。 「その本たちはね」と、いつの間にか隣に来ていた女性が言った。「読まれなかった日々が書かれているの」 「読まれなかった日々?」 「たとえば、あなたが今日、傘を持って出ていたら訪れていたはずの一日。信号で立ち止まらずに渡っていたら起きていたかもしれない出来事。誰にでも、選ばなかった枝がたくさんあるでしょう。ここには、その記録が集まってくるの」 半信半疑のまま、私は近くの一冊を手に取った。表紙をめくると、そこには見覚えのある文字――自分の字によく似た筆跡で、知らない一日の出来事が綴られていた。大学時代、別れた相手と、もし続いていたら。就職の面接で、緊張のあまり言えなかった一言を、もし言えていたら。 どのページも、今の自分とは違う人生が、静かに続いていた。 「これを読んで、後悔しろということですか」 「いいえ」女性は微笑んだ。「後悔のための本じゃないの。ただ、知ってほしいだけ。選ばなかった道にも、ちゃんと物語があったということを。それを知ったからといって、戻る必要はない。今歩いている道を、少しだけ大切に思えたらそれでいいの」 私は本を閉じて、棚に戻した。 気づけば、窓の外の雨はいつの間にか小降りになっていた。 「もう行けそうです」 「そう」女性はうなずいた。「またいつでも、雨が降ったら」 扉を出ると、雲の切れ間から夕方の光が差していた。振り返ると、そこにあったはずの図書館は――なかった。古い電柱と、閉まったシャッターの店が並んでいるだけだった。 私は少しの間、その場に立ち尽くした。それから、濡れた道を、家に向かって歩き出した。 選ばなかった一日のことを思いながら、今日という一日を、少しだけ丁寧に踏みしめるように。
僕は26歳のバカ男子と言いたいところだが、もう26にもなって男子っていうのはちょっと違う気がするし、なによりも僕は男子ではなく女子なのだ。女子って言っても、もう26にもなって女子っていうのもおかしいのかもしれない。でもその前に僕は女性が苦手だ。そして自分が女性であることも…。嫌で仕方がなくなってしまうときがある。 だから僕は自分の事を女性だとは言わない。いや…言いたくないと言ったほうがいいのかもしれない。 でも、はじめに紹介した〈バカ男子〉ってことは一部間違いではない。 僕は馬鹿だ。間抜けだ。アホだ。 僕自身動物に例えるのならば、コアラかダチョウ、又はパンダと言っていいほど頭が馬鹿でメンタルも弱弱だ。 でも、僕が好きなのはオオカミだ。 一匹狼…ううん…なんだか違うな…。狼少年…。うん!僕は一匹狼でもあり狼少年なのだ。その理由は又説明するとして最終的に僕は、コアラやダチョウ、パンダと言った可愛い動物ではなく狂暴で獰猛な動物であるオオカミなのだ。 まぁ、オオカミの両親から僕が生まれたのだから僕も自然的にオオカミになるのだが…。 僕は、台灣で生まれた。優しい両親の元に僕は生まれた。でも生まれてすぐに僕は大きな病気にかかってしまった。 そのせいで、僕のこれからの人生が大きく暗転してしまう。 一番初め、僕はその病気のせいで障害を持ってしまうことになる。 この障害のせいで親に見捨てられたり反対に親が必要以上に過保護になったり、みんなも僕を変な目で見てくるようになった。 でも、もう一つ僕の人生の中で大きく好転しそして激しく暗転させた物がある。 それは宗教や信仰と呼ばれるものと出会ったこと。僕はそのせいで、はじめの人生は良かったがそれを通して人間の醜さを知ってしまった。 何で、僕は生まれてきてしまったのか?何で障害を持ってしまっている僕は生きているのか?何で宗教が教える愛や赦しが大事なのか?わからなくなってしまった。 僕は愛がもともとわからない。なにを与えられれば愛を感じることが出来るのか、そしてなにを与えれば愛するということになるのか僕にはわからない。でも、愛というものがわからない僕でも、僕の人生のかなで人を好きになっているし、付き合ってもいる。 でも、やっぱり宗教が教える愛と僕が理解している、人を好きになるという愛は違う気がする。だから僕は愛というものが、どんな愛が正しい愛なのかわからない。 この、障害と宗教信仰があることで、僕の人生が狂ってしまったのだと確信している。 人間と接することに対する恐怖心は障害のせいでもあるし僕が宗教と出会ったせいでもある。そして何より僕の中で大きいのは両親の存在だ。僕を今まで育ててくれた両親も僕の人生の途中で性格が急に180度変わってしまった日がある。それまでは優しかった母親が急におかしくなってしまい、今まで僕の事を気にしてくれて学校行事や幼稚園での行事も積極的に参加してくれていてかっこいいと思っていた父親が、ある日を境に僕に無関心になり、僕を見る目が180度変わっていってしまった。 その時から、僕も両親に対する気持ちが180度変わって家族崩壊寸前までいってしまった時期がある。 その時から僕は誰も僕の味方をしてくれる人がいなく、みんなは親の味方をすると僕は思い込んで生活をした。 学校ではいじめられて、家に帰れば両親に怒られると言う生活を学生の時期に送っていた。 でも、そんな中僕はキリスト教に出会った。 出会ったと言っても、両親がクリスチャン〈キリスト教信者〉だから小さいときから僕も教会に行っていて神さまのことは分かっていたが信じていなかった。 でも、信じてから僕の人生の中心はキリスト教になってしまっていた。聖書に書いている神さまの愛、みんなが言っている愛、そして親が言っている愛が全然違うことに違和感を覚えてしまった。 親からは全然愛を感じることが出来ない。そもそも親からの愛とは?聖書が言っている「100%のアガペーという愛ではないといけないのか?もしそうだったら親からの愛はアガペーではない気がする。僕もアガペーの愛で親を愛することも他の人を愛することも出来ない。だから僕はクリスチャンになる資格なんてない」と思いその一方で「僕はクリスチャンらしい生活すらダメダメだから僕はクリスチャンて名乗る資格がない」そのように思い教会や聖書から身を引いた。 その後の僕の人生は…まさにどん底だった。 そして、教会に行ったり行かなかったりする生活を送っていた。 僕は、信仰の友やメンバーの中にいるオオカミだったのだ。 そして家族の中にいても僕はずっと孤独を感じていて狐狼にしか過ぎないし人間関係の中にいても僕は狐狼で狼少年だ。 オオカミではなくなる瞬間は僕にはない。 だから僕はオオカミが好き。 そんな物語へと案内しよう。
漂亮たる紫紅の波は 或いは水鏡面の反光とも見えし。 その一面、月下美人の咲き誇りたるは 其れ即ち盈月の業が為と誤せり。 我が此処へ辿りしは、岩屋の口を潜りしよりなり。 なればこそ、我が見上げし先 月はおろか空すらも見せず。 あなをかし、いづこの詠月か此処まで伝はりて 花を咲かせんや。 __________________ 「__。おい、長谷川。」 「あ、はい、。」 「5限目の授業は確かにキツいだろうが、もう少し頑張れよ。」 「文中の「盈月」と「詠月」はそれぞれ同じ読みだが、 意味はそれぞれ違っている。これを説明しなさい。」 「すみません。」 「「盈月」とは古くは満月を意味します。 一方、『詠月』は月を詠むこと、あるいは月を詠んだ詩歌を指します。つまりこの二つは__。」 古文なぞ馬鹿らしい。 あらゆる現象を妖や霊、神々の仕業だと決めつけている。 まったく科学的ではない。 それは説明することを諦め、幻想という言葉に逃げているにすぎない。 どうもこの種の考え方とは相入れないのだ。 「ねぇ、あの月下美人て花。 おばあちゃん家にあるんだ。見にこない?」 「行きたい。」 正直俺は月下美人なんかには興味がなかった。 ただ、どうも彼女からの誘いを断れなかった。 「おやおや、久しぶりだね。大きくなった。」 「こんにちは、お久しぶりです。 月下美人を見に来ました。」 「今時花を見るなんて、珍しいね。 どうぞ見ていきな。」 門をくぐり望に導かれて家屋の裏手に来た。 「これか。なんか、意外と地味な蕾だな。」 「だって蕾だもん。咲いたらきっと綺麗よ。」 「今日は咲かないの?」 「それは分からない。」 なんだかもどかしかった。 花が咲かなかったからではない。 何か一つ、ここにいるための理由を失いかけたような気がした。 そう思うと途端に恐ろしくなった。 「咲くまで。ここに見に来てもいい?」 「え、そのつもりじゃなかったの?」 おそらく少し赤面したと思う。 1人だけ生き急いだ感覚があった。 それから俺たちは毎日遅くまで、そこで静かに鉢を囲った。 ある日から望の提案で夕方になると裏手にある浅い洞へ鉢を運ぶようにもなった。 _________ 「私、再来月留学へ行くの。」 「へ? ……そなの」 「だから、それまでに咲いてくれないかなー……って」 「……それな」 それ以上なにも言えなかった。 気の利かないこの性を恨みもした。 以降、なぜか俺たちはあの鉢を見に行かなくなった。 約束したわけでもないのに、どちらからともなく。 教室で会っても、もう話すこともなくなった。 横顔や後ろ姿を見ているだけで無性に焦りを感じた。 でも、彼女にまた話しかける理由はどれだけ考えても思い浮かびはしなかった。 結局それから1ヶ月もすぎた。 ある日、委員会会議で目の前の席にたまたま彼女がいた。 2人とも少し目を合わせると、 お互いどこに目を置けばいいのか分からないようによそを向いた。 「それでは、今回の委員会会議は終了します__。」 みんな荷物をまとめて席を立った。 2人だけはなぜかもたもたと準備が遅かった。 全員が出払った頃、俺はまた生き急いでしまった。 「あのさ、あれから月下美人、、。もう咲いた?」 自然と話題が口から漏れたことに感心した。 「ううん。まだだよ。」 「もう一度、見に行ってもいい?」 _________ 「蕾、少し大きくなったね。」 「うん 。」 「あのさ、留学。どれくらい行くの?」 「一年かな 。」 「それって卒業はどうなるの?」 「みんなと一緒。先生が向こうで単位が取れるようにしてくれたの。」 「じゃあ、帰って来たらまた一緒に月下美人を見よう。」 「うん、ありがとう。」 それから俺たちはまた肩を並べてあの鉢を見るようになった。 日に日に膨らんでいく蕾を見ながら、もうそろそろなんだと自覚した。 望が留学へ行く数日前の夜。 やっとその花は、ほのかに透き通る花弁を開いた。 「やっと咲いたね。」 「かなり待ったよな。」 月下美人に夢中だった俺は、ふと顔を上げて洞を見渡した。 すると入り口から差し込んだ月明かりは、 岩壁の浸出水で反射し、暗い空間を少し照らしていた。 「あの古文も、こんな景色だったのかな。」 少し複雑な気分になった。 なぜなら結局、月下美人はただの花だった。 洞の光にもちゃんと理由があった。 それでもあの空間を幻想的にしていたものが、一つだけあった。 まつ毛に月光を乗せた、月下美人。 あの姿だけは、誰にも説明する気になれない。 それこそまさしく、幻想だった。 『月下美人の君』 終