乾燥の季節になった。 唇を保湿するため、お勧めされていた保湿剤を買った。 大きくてコスパも良い。 しかし、大きいと持ち運べない。 なので、小さな保湿剤を買った。 大きな保湿剤は指に出して唇に塗るタイプだった。 それに対して、小さな保湿剤はチューブ型で、そのまま塗れた。 今までは、家にいるときは大きな保湿剤、外にいるときは小さな保湿剤と分けて使っていたが、使ってみれば小さな保湿剤が使いやすい。 いつの間にか、家でも小さな保湿剤を使っていた。 さてそうなると、扱いに困るのは大きな保湿剤だ。 机の上にドカンと置かれ、邪魔で仕方がない。 コスパのよかった大容量が、今では大きな面積を必要とする邪魔者に見える。 捨てればいい。 そんなことはわかっている。 しかし、ここで捨てたらもったいないと考えてしまう自分がいる。 いつか使うかもしれない。 でも、もっと便利な小さい保湿剤があるから使わないかもしれない。 「うーん。うーん」 もったいないと悩み続けて一時間。 ぼくは、自分の時間をどんどん捨てていたことに気づいた。 ああ。もったいない。 この一時間画れば、バイトでもして千円稼げたのに。 大きな保湿剤を捨ててもお釣りが来たのに。 ああ、もったいない。
行きたくない。 生きたくない。 それなのに、逝きたくない。 そう声を震わす僕が居る。 帰りたい。 還りたい。 心安らぐ場所へ。 どれだけ歩いても辿り着くことはできない、此処ではない何処か。 其処には何が在るのだろう。
「一度きりの人生だから、楽しく生きてるんだ!」 男は、にこにこしながら語ってくれた。 ここも同じだ。 現代日本と同じ。 意識高い系はどこにでもいる者だ。 さて、異世界転生した俺は、異世界で二度目の人生頑張りますか。
昔々あるところに クソジジイとクソババアがいました。 クソジジイは山を燃やしに松明をもって、 クソババアは子供を流しに川へ、 そこへちゃぷん、ちゃぷん、と大きな吉備団子が流れてきました。 クソババアはそれを食べようと大きな口を開けました。 そこへキジがやってきて吉備団子を持っていってしまいました。 キジは吉備団子をクソババアとクソジジイのいる山を越えて海で虐められていた亀に上げました。 すると亀はムキムキマッチョのプロレスラーみたいになっていじめっ子を追い返しました。 亀は言いました。 「ありがとうキジ!お前を龍宮城へ…」 ふと思いました。 (そういやこいつ海で息できねぇし意味ないな) 亀は代わりに鬼ヶ島への招待状をあげました。 キジは「よし!明日いこう!」と言いました。 山への帰り道キジはひときは光る竹を見つけました。それでキジは… 「金!?(かね)」といい高速で竹をつつきました。 すると中から出てきたのは、かぐや姫… ではなく金太郎でした。キジは金太郎に鬼ヶ島招待券をあげました。 すると金太郎は… 「ありがとうクソキジ!たぬきとうさぎと行って来るよ!」 おわり 登場人物 桃太郎…おじいさん・おばあさん・キジ 浦島太郎…亀 竹取物語…かぐや姫 金太郎…金太郎 カチカチ山…たぬき・うさぎ
みなさんは 「人生」 という言葉を どういう意味 だと思いますか? 私は 「1人1人、 みんな違う それぞれの 生き方で 過ごす日々」 のことだと 思います。 私は、 ほんとうは 人生という言葉は 幸せに過ごす日々 が正解だと思います。 だけれど、 この世の中には 楽しい日々 幸せな日々 つらい日々 悲しい日々 寂しい日々 人それぞれ 日々の気持ちは それぞれです。 1人1人、 それぞれ違う 日々を過ごすことも 大切ですが、 私は この世の中で 暮らす すべての人、 人だけではなく すべての生き物たちが 幸せで楽しい日々に なるといいなと思います。 私はそう思いますが 「喜怒哀楽」 の言葉のように 喜んだり 怒ったり 寂しかったり 楽しんだり そういうことも大切です。 「喜怒哀楽」 の言葉も 大切なので 私は 「喜怒哀楽」 の日々を過ごして 自分が 「喜怒哀楽」 の日々を過ごせているんだなと思うと 幸せな日々だと思いませんか? みんなそれぞれの 人生を 過ごしながら 幸せな日々だと 感じることも 大切ですね。 皆さんが思う 「人生」も 教えてくださいね。 ※Ayanaの「人生って・・・・・・?」を参考にして書きました。Ayanaさん、ありがとうございます!
「俺、リサイクルされて来ようと思うんだ」 唐傘おばけは、献血にでも行くような口調でそう言った。 傘に一つ置かれた目は、嬉しそうに細まっている。 「いや死ぬぞ」 ぼくは冷静に突っ込んだ。 「え? リサイクルだよ?」 「うん。リサイクルだね」 「ちょっと体が変わるだけだよ」 「ちょっとじゃないんだよなぁ」 しかし、ぼくのツッコミもむなしく、翌日に唐傘おばけはリサイクル場へ向かった。 「ぎゃああああああああ!?」 リサイクル工場に絶叫が響いた。 こうして唐傘おばけは、リサイクルされた。 骨である竹は竹炭化され、土壌改良剤、消臭剤、水質改善剤など、様々な製品となって地球上にばら撒かれた。 「お化けだぞおおおおお」 「いやあああああ!?」 つまり、陸にも海にも大気にも、唐傘おばけはひそむことに成功したのだ。 ニュースを漬ければ、話題はいつでも唐傘おばけ。 いつでもどこにでもいるおばけは、最大の恐怖の象徴となった。 「ぼくも、リサイクルされようかなぁ」 ポストに投函されていたチラシを見ながら、ぼくは羨ましさで溜息をついた。
セツくんは、写真が趣味。それも、市の公民館で個展できちゃうくらい、センスがすごい。そんなセツくんと初めての公園デート。少し歩いては立ち止まって、ひらひら落ちる紅葉を撮ったり、そんな落ち葉で遊ぶ子たちを撮ったり、色々な写真を夢中で撮る姿は、バレー部であんなきっついスパイク打つ人とは到底思えなかったり。 「あ、ねぇセツくん!どんぐり発見!」 枯れ葉に紛れていたどんぐりを見つけたことが、ちょっと嬉しくて私はすぐにしゃがんでセツくんに振り向く。 ―パシャッ 「へ?」 今、撮った?セツくん、私のこと撮った?え、うそ。 「やだ、後で消してね?」 「消さない。なんで?」 「消してよ、私絶対締まりのない変な顔してた」 「可愛かったから、押したんだよ」 「うそ、可愛くなんかない」 「ほんと、可愛かったよ」 「あう……」 何この王子様スマイル。敵うわけないよ。でも、さっきの私のぶす顔がセツくんのアルバムに入ったらそんなの黒歴史決定すぎる。どうにかせねば! 「ちょっとだけ、貸して」 「ふふ、消したいのバレバレだよ。だーめ」 「お願い、セツくん」 「上目遣い可愛いけど、だめ」 「なんで」 「可愛いから」 「もう!また振出しに戻る!」 「その顔も撮るの我慢してるんだから、一枚くらい許して?ね?」 「んなぁ!」 私は慌てて顔を隠して、セツくんの斜め後ろをキープする。 「油断も隙も無い!」 「まだ、撮ってないよ」 「まだって、なに!」 「ふふ、意地悪してごめんね」 「じゃあ……!」 「うん、消さない」 「えっ……」 固まる私を置いて、セツくんはまた公園を撮り始めた。背中に諦めてねって書いてるように見えるのは、きっと私だけじゃないはず。なんで消してくれないの!油断しきったゆるみ顔が可愛いわけないよ!ただでさえも、私可愛くな……ちゅっ。……ちゅ? 「瑠々のそんな顔は見たくないかな」 「どんな顔してた?」 「私なんて可愛くないって顔」 「分かったなら、消して」 「うーん、そんなに頑なにならないで」 「やだ、私が写真に写るの苦手なの知ってくれてるくせに」 「……じゃあ、瑠々からキスして。そしたら消すよ」 「やっと分かってくれた……って、え?」 ニコニコと微笑むセツくんが、何か爆弾発言しませんでした? 「だからね、瑠々からキスして?」 「え、ここで?」 「公園の深い所まで来てるし誰もいないよ」 「そ、そうじゃなくて……いや、それも十分に問題だったんだけど」 「早くしないと、暗くなるよ」 「え、え、えと……」 何でこうなるんだろう。私、写真一枚だけ消してってお願いしてるだけなのに。 「瑠々のお願い聞くから、瑠々もお願い聞いてくれるよね?」 「うぅー、納得出来ないぃ……」 「じゃあ、帰ろ」 「待って待って待ってセツくん!」 「ふふ、してくれるんだ。嬉しいな」 覚悟を決めてセツくんの両肩に手を添えて引き留めたけど、ここで大問題が発生している。セツくんのキス待ち顔が、尊すぎる!どどどどうしよう、すき。え、今から、このご尊顔に、私が、キスするの? 「ごーっ、よーん」 「えええカウント?!しかも、五秒?!」 「さーん」 「あああううう」 もう、知らない!女も度胸だ! ―ちゅっ 一瞬しか唇に触れなかったのに、すごい熱く感じる。顔はもっと熱いんだけど。肩に添えてた手も震えてる。ゆっくり目を開けるセツくんも芸術点高すぎる。うわあ、わあ、目が合う! 「ありがと。すき、可愛い瑠々」 「っ……」 だから!セツくん!尊いってば! 「ほら、写真消した。もう、暗くなりそうだし、帰ろうか」 「へっ、あ、そ、そうだね、うん。うん」 「あ、ちょっと待って」 カメラを触って、今日撮った写真をチェックしていたセツくんが急に私の肩を抱いた。いきなり向けられたカメラのレンズに、反射的にピースサインを作る。セツくんの髪がサラッと揺れていい香りもして幸せ。 ―パシャッ 「ま、また撮った!」 「だって、折角デートしてるのに勿体ないよ」 ほら、と言ってセツくんが撮った画像を見せてくれた。何か、すごい幸せそうな私と優しく微笑んでるセツくん見たら怒る気も毒気も消えた。 「あれ、これは残していいの?」 「消してって、またお願いしたら消しちゃうの?」 「ううん、これは絶対に嫌かな」 「じゃあ、いいんじゃない?」 うわ、しまった。最後ちょっとツンデレっぽかったかな。引かれた? 「好きだよ、瑠々」 「な、なんで急にそんな話になるの!」 「言いたくなっただけ。ふふ、ほら、帰ろ」 「うん……すき、セツくん」 小声になったけど聞こえなかった、かな。 「僕の瑠々は、世界で一番可愛いな」 「ちょちょっと!それ恥ずかしいから!」 「ふふっ」
「このちょこ、おっきいおいしい!」 三歳になったばかりの娘がチョコレートを口いっぱいに頬張りながら、そう言い放った。「とても美味しい」と言いたかったらしい。 彼女はしばしば、「とても」のことを「おっきい」、「少し」のことを「ちっさい」と表現する。英語で少しは「ア リトル」なのであながち間違いではないのかもしれない。 「とてもおいしい」より「おっきいおいしい」の方が彼女のチョコレートの味に対する感動の表現としてしっくりくる気もしてきた。 「がんばったときにひとつだけ、もらえるものだよ」 六歳の息子は「ご褒美」ってどういう意味かと聞かれてこう答えた。 「ひとつだけ」という表現に彼のご褒美を大切に思う気持ちが表れている、気がする。そのように謙虚に言われると、ついたくさんご褒美をあげたくなってしまうのは、甘やかし過ぎだろうか。 「みずにいれるととけちゃう。あとやぶってもいいほんのこと」 こちらも六歳男児、新聞って何か知ってるか聞かれた時の返答である。我が家では新聞を取っていないので、知っているのか疑問に思った夫が聞いてみた。 確かに水には弱い紙でできており、他の本と違って破っても怒られない。むしろ積極的に破かれて掃除や工作に使われたりする。 着眼点が一般論ではなく自分の経験から来ているため、ユニークな表現になっている。 私は親バカなので、我が子らは言葉の天才だと思っている。一般的な表現を習得してしまった大人よりも、心を揺さぶる素敵な表現を繰り出してくる。六歳の息子に至っては、実は発達検査で言語理解の分野が平均的な同年齢の子に比べて低い点数となっていた。 日本語的に正しい表現よりも、彼らの心からの言葉に言語の情緒のようなものを感じるのは、やはり私の親バカが過ぎるのだろうか。
ただ、相槌を打ってもらう。それだけで良い。何も感想を言わないでくれていい。でも、リアクションは欲しい。 わからない。わからないんだよね、でも多分こうなんだろうな。説明してる相手は、聞いてくれてる友達じゃない。@わたし だ。全て、ただの自己満だ。 頭の中で考えて、もやもやして、ごちゃごちゃして、いらいらして、それを整理しないまま、ただこうかな、ああかな、なんか違うなぁって思いながら、やっぱなしを繰り返しながらべらべらべらべらしゃべって、しゃべってしゃべってしゃべって、しゃべって、ああこうかもなってなる。そうなのかもしれないなって、しっくりくるものにたどり着く。 たどり着いてから知る。わからなかったんじゃなくて、見て見ぬ振りをしてただけだってこと。 気づきたくなかった。しっくりこないままでよかった。見えないままでよかった。届かなくてよかった。触れたくなかった。触れられたくなかった。 なのに、知りたい。もがいてしまう。あがきたくなる。手を、必死に伸ばしてしまう。 自分の気持ちに知らんぷりして、しゃべる。眉間にシワができるのに気づく。不意に泣きそうになる。でも、しゃべる。止めない。止まりたくない。 相槌を打ってくれていた顔が、驚いて、少し歪んで、同情の色を浮かべていく。「かわいそう」な顔になるのが見える。見えない。見えない。見たくない。 喉が詰まる。声を絞り出す。でも、言いたくない。 それでも、言わなくちゃいけない。 思いっきり息を吸っても、小雨程度の声量にしかならない。 「…………好きになっちゃったんだ、なぁ」 ねえ、 わたし、全然、かわいそうなんかじゃないから。
ねぇ? どうなの? ってきいたら、 べつに。 って言う。 ねぇ? ほんとなの? ってきいたら、 べつに。 って言う。 ねぇ? あのウワサ。 ってきいたら それが? っていう 背中を向けて立ち去ったあなたは まるで煙みたいに いなくなった。 ねぇ? どこにいったの?
写真を見たとき、吸い込まれたような気がした後、自分がホームの真ん中で立ち尽くしていることが分かった。 目の前には、電車の後ろ姿があった。途端にめまいがして、倒れそうになった。それでも、倒れられずに、進み続けた。後ろを向くことはできなかったし、後に退くこともできなかった。 ただ、もう取り返しのつかなくなった気がして悔やみながら走り始めた。電車は一向にホームから立ち去ろうとはしなかった。なぜだったのだろうか?電車の発進音だけがホームに響き渡っていた。 走らなくてはならなかったのだ。既に手遅れだと分かっていたとしても。いや、自分でも分かっていたのだろう?このまま走り続けても何の償いにもならなかったし、それが何かを生むわけでもなかった。ただの自己満足だった。自分でも分かっていたのだけれど、他に走り続けなければならない理由があった気がする。この考えもただの気休めにしかならないのだろうか。 もう何分走り続けていたのだろうか。今までいくつのベンチを通過してきたのだろうか。気づいてしまった。電車に追いつくことも、またホームの端を見ることさえも、叶わないのだろうか。さっきから電車との距離は全く縮まっていないような気がした。それどころか、どんどん遠ざかっているような気さえした。どれくらい進んでいたのだろうか。もう1度倒れることを試みた。 しかし、倒れることはできなかった。神は一瞬の休息も許してはくれなかったようだ。この環境に慣れ始めているのか発車音が小さくなっている気がしていた。遠のく意識に、はっきりと否が応でも生の証拠を突きつけてくる鼓動の音、悲鳴を上げ続けていても永遠に走れる気さえしてくる足。今思うと全てが異常だった。 なぜ…走っているのだろうか…?倒れそうになる自分を支えているのは走り続ければなにかがあるという根拠のない自信だけなのだ。倒れて楽になれない今、そこに救いを求めてしまう。そんな自分を憎みながらひたすらに走り続けた。でも、 追いつけないと悟ったとき、電車は去っていった。 僕は今もここに立ちっぱなしである。
「貴方、浮気してるでしょ!」 唐突に、妻が怒鳴り込んできた。 「ほえ?」 まったく心当たりのないぼくは、肺の奥から変な空気が出た。 ポカンとした表情を浮かべるぼくに、妻はずんずん近づいてきて、スマホを顔面に近づけた。 「これよこれ!」 スマホに移った写真には、ぼくによく似た後姿の男性と、その男性に腕を絡める女性の姿が映っていた。 「これ、ぼくじゃないよ」 ぼくは努めて冷静に言った。 実際、写真の背景は、まったくぼくが知らない場所だ。 最近は、家と会社の往復のみ。 友達と会ってもない。 「とぼけないでよ!」 妻が、ぼくからスマホを奪おうとする。 ぼくは、咄嗟にスマホを妻から遠ざける。 そんな行動が、妻に疑いを強めてしまった。 「見せられないってことは、やっぱり浮気してるってことでしょ!」 「いや、違う!」 「じゃあ見せてよ!」 「無理だ!」 しばしの押し問答が続き、ぼくのスマホは妻にひったくられた。 取り返そうとしたぼくの体田妻に突き飛ばされ、その場にしりもちをついた。 妻がスマホを操作し、会話アプリを開く。 そして、手が止まる。 「なによ、これ」 「あ……」 バレてしまった。 バレたくなかった。 アプリに登録された友達の数は一人。 妻のみだった。 ぼくには友達がいなかった。 「け、消したんでしょ!」 「違うって!」 「どうせ、一時的に友達を消す方法とか調べて、対処したんでしょ!」 「やめろおおお!?」 妻がブラウザを開き、検索履歴を見る。 再び妻は固まった。 『友達 作り方』 『大人 友達 作り方』 『連絡先 交換方法』 妻は無言でスマホをぼくに返し、立ち去った。 「なんか、ごめん」 「……いいよ」 妻は、何を思ったのだろう。 幼馴染から片思いしていて、久々に会ったことで結婚できた男が、真のぼっちだと知って。 ぼくは現実から目を背けるために、瞑想を試みた。
継続は力なり。 子供の頃に知ったその言葉は、私の胸に強く響いた。 以降、座右の銘はと訊かれたら、「継続は力なり」と胸を張って答えていた。 この言葉が間違いだと気付いたのは、大人になってからだった。 「こことここ、やり直し。前にも言ったよな?」 「はい。すいません」 私は頭を下げながら、レビューを終えた資料を受け取る。 私が受け取ると同時に、上司はため息をつき、頭をポリポリと掻く。 「お前さ、この仕事何年目だっけ?」 「えっと、十年になります」 「ってことは、もう三十だろ? 一番のってる時期のはずなんだが……はあ」 「すいません」 「……いいから。さっき言ったとこ直して、また持って来て」 「……はい」 私はすごすごと自分の席に戻り、手を動かす。 私に与えられる仕事は、入社以来ずっと変わっていない。 それでも未だ、間違える。 三十代は、会社の戦力と言われている。 二十代は、現場で技術を学ぶ期間。 四十代は、経験から現場を管理する期間。 中間に位置する三十代は、技術を学び終え、現場の第一線で最も働き成果を出す時期なのだ。 事実、私と同じタイミングで入社した同期たちは、第一線で活躍している。 毎日出張で全国を飛び回っている者もいれば、朝から晩まで机に齧りついて複数の会社と仕事のやりとりをし続けている者もいる。 定時後、「仕事終わったし飲みに行こうぜ」なんて言い合っていたのは遥か昔。 いつからだろう。 誘っても、仕事が残っているからと断られるようになったのは。 いつからだろう。 劣等感から、同期たちを誘うことができなくなったのは。 「お疲れ様です」 忙しそうに仕事を続ける上司たちの後ろを通り、仕事がなくなった私は定時に会社を出る。 「十年……か」 星の明かりの下を歩きながら、昼に自分が口にした言葉を反芻する。 十年間仕事を継続した結果が、これだ。 上司からも、部下からも、誰からも期待されていない私自身。 継続は力なり。 私の心に巣くう言葉が、私の全てを否定してくる。 「騙しやがって」 私は私を守るため、言葉の全てを否定する。 渦巻いた怒りは、言葉を教えてくれた過去の教師にまで及んだ。 「酒でも買って帰るか」 怒りを収める方法は、自堕落しかなかった。 コンビニに寄り、いつも通りの晩酌セットを買い、いつも通りの道を歩いて家に向かう。 十年間変わらぬ、安いアパートだ。 駅から離れ、昔ながらの住宅街にあるせいか、電車の音が聞こえない代わりに子供の声がよく響く。 「そっちいったぞー!」 「どこ蹴ってんだよー!」 公園では、子供たちがいつも通りサッカーで遊んでいた。 毎日毎日同じことを、よく飽きもせずにできるものだと苦笑いが出てきた。 同時に、手に持ったレジ袋が音をたて、お前だって毎日同じことをやってるじゃないかと嘲笑ってきた。 レジ袋の中には、いつもと同じ酒とつまみ。 ふと、私の足が止まる。 公園で走り回る子供たちの姿が、昔の私の姿と重なった。 意味もなく、毎日サッカーで遊んでいた私と。 最初はボールにさえ当たらなかったキックが、何度も何度も練習してようやく当たるようになった喜び。 どこへ飛んでいくかわからなかったボールが、何度も何度も練習してようやくまっすぐ飛ぶようになった喜び。 地元のサッカークラブでスタメンに選ばれなくとも、練習の成果を披露できないかとわくわくしながら補欠で出番を待っていた喜び。 継続は力なり。 その言葉を謳歌した自分が、過去にいた。 「何が違う」 サッカーと仕事。 遊びと仕事。 継続が力になったものとなっていないもの。 「ああ、楽しかったのか」 答えは、意外にもあっさり見つかった。 サッカーをしている過去の私が教えてくれた。 答えが分かれば、後はずるずると今が理解できて来た。 今の仕事は楽しくない。 継続しても意味がない。 「仕事、辞めるか」 そう思えば、ずっと会社にしがみついていた自分がなんだか滑稽に思えてきた。 喉の奥から笑いが込み上げる。 家に帰ったら、求人サイトを見てみよう。 ほんの少しだが、今の会社に入って、身についたこともある。 そのスキルが使えて、私が楽しめそうな仕事を探すとしよう。 仕事探し。 これから始まるのは、そんなつまらない作業のはずだ。 だが、何故だろう。 どうしようもなく、わくわくしてくる私がいた。 ああ、この感覚だ。 継続は力なり。 私は大切な座右の銘を心の中で抱え込み、言葉に恥じぬよう強く生きたいと願った。
「久しぶりー」 「久しぶり! 元気だった?」 「うん、それなりに」 「大変でしょ、接客業だと」 「そうだね。でもほら、感染してるかどうか、目に見えてわかりやすいからさ」 「確かに」 言いながらダウンジャケットを脱いだ美也子の、半袖から覗く左肘上部を見て涼花が眉をひそめる。 「あなた、その左腕……」 「え? やだ……!」 美也子が確認し、小さく悲鳴を上げた。 美也子からは死角となった左腕の一部から、微かに肌色が抜けていたのだ。慌ててジャケットを着直し、涼花から距離を取る。 「すぐ病院に電話して診てもらって? 私も念のため行くから」 「わかった。ごめん気づかず会っちゃって」 「マスクも除菌もしてるから大丈夫だよ。重症化気をつけて」 「うん。診断出たらまた連絡する」 「お願い。じゃあね」 美也子と別れてから、涼花は自宅近くの病院へ連絡を入れた。 * * * 古びた雑居ビルの一画、重厚な木製ドアに小さな看板が掛けられている。 ~不思議な事件を解決します~ 吉貝探偵社 室内では、若い女性と不惑前後の男性が会話をしていた。 「なんなんでしょうね、モノクロームウイルスって」 「なんなんでしょうねって……どういう質問?」 「なぜ生み出されて、なぜこんなに蔓延したのか、という意味です」 「知らないよそんなの」 「えぇー? ここは【不思議な事件を解決する探偵社】じゃないんですか?」 「そうだけど、世界規模で起こってることを解決できるわけないじゃない」 「ご近所限定ですか」 「そうですよ。原因追及できる範囲で、ですよ。広告にもそうあるでしょう」 「ありますけどぉ」 助手はあからさまに不機嫌そうに頬を膨らませる。 「キミは僕になにを期待しているんだ」 「マスクを外しても大丈夫な世の中」 「無茶言うな、管轄外だ」 「ちえー」 「インフルエンザなんかと一緒で、予防を徹底すれば簡単には罹らないんだから。ほら、暇なら調度品の消毒して」 「はぁい」 探偵に言われ、助手は渋々ダスターを手にした。 半年ほど前に異国で発生した新型ウイルスは、瞬く間に全世界に蔓延した。 モノクロームウイルス――その名の通り、罹患すると身体の一部、あるいは全部が白黒化してしまう感染症だ。症状が治れば元の色に戻るが、後遺症として一部の色が欠損したままだったり、重症・長期化すると色が抜け続け身体が透明になってしまう。 国内では透明化した人はいないという発表がされているが、果たして……。 * * * 美也子からかかってきた電話を、涼花が自室で取る。 『もしもし』 「お疲れ。どうだった?」 『やっぱモノルスだった。ごめん、全然気づかなかった。そっちは?』 「いまのとこ大丈夫だけど、すぐに検出されないらしいからわかんないなぁ」 『そっか……』 「気にしないでいいよ。検査薬は会社から支給されてるし、給与補償も出るしさ」 定期的にビデオ通話してお互いの安全を確認しようと約束し、通話を終えた。一人暮らし仲間はこういうとき頼りになる。 (にしても、本当に迷惑だわ、モノルス。人と気軽に会えない時代がやってくるなんて思ってもみなかった。ワクチン打ってるとはいえ完全じゃないし……) 「はぁ……」 マスクをせずに自由に人と会える日が来るのは、いつになるだろう。 涼花は憂鬱そうにうなだれた。 * * * 昼間の助手の言葉を思い出しながら、探偵はブランデーをちびちび飲みつつニュースを見ている。どこもかしこもモノルスの話題で持ち切りだ。 (透明人間になるための薬かなんかが誤って外部に漏れただけだろうと思ってたんだけどねぇ) 頭の中でブツクサ言うが、それが真実かどうかなんて立証できる訳がない。 どこからか送られてきた封書。その中に入っていた書類に視線を落とした。 「生物兵器……ねぇ」 とある要人を社会的に滅するために、某国が【monochrome-virus】を開発する、というようなことが書かれた計画書が、机の上に無造作に置かれている。どこの国の言語か、なんて詮索する気もない。映画かなんかじゃあるまいし、国を相手に戦うなんて命知らずの一般人はいない。 (書類が本物かどうかを立証する証拠もないし、あったところで一介の探偵風情にできることなんぞないのだよ) 探偵はホタルイカの干物を炙ったライターで、同じように書類を炙った。 任務完了のお礼に、と依頼人が持参したお菓子の空き缶の中で紙が燃えて、黒焦げになる。 (そういえばこの缶、助手が領収書整理するのに使いやすそうとか言ってたっけ) 缶の底に焦げ跡がついてしまったが、許してもらえるだろうか。 「怒られそうだな」 ぽつりとつぶやいて、口の端をあげた。
私には一つの日課がある。それは帰りにみかんのソースがかかったチキンを食べながら帰ることだ。絶妙な甘さと酸っぱさのクセになるソースと、塩こしょうの下味がついたチキンが合わさると、甘いと酸っぱいとしょっぱいの三つが合わさった究極の食べ物が生まれるのだ。これを晩御飯の前に一人で食べる、この背徳感がたまらない。値段は二百七十円と少々お高いが、それすらも背徳感をさらに増幅させている。 これを食べると会社でのストレスが吹っ飛ぶ。別に会社が嫌いなわけではないし、人間関係もうまくいっている。でも私は、人に縛られることが嫌いなので、たまに会社にいる時間が 苦痛になるのだ。 今日は六時くらいに会社を出た。別に特別早いというわけでもないし、遅いというわけでもない。私のおなかはペコペコだ。早く帰ってご飯を食べたい。熱々の白いご飯を口の中に頬張る想像をしながらバスに乗り込んだ。バスの中ではネットショッピングで洋服を探しているけど、時折出てくるクリスマスチキンの広告で食欲がさらにそそられる。私はスマホを見るのをやめて、本を読むことにした。 ・・・この悪役のキャラがたまらない! おっと、どうやら最寄りのバス停についたようだ。そして近くのファストフード店には、今日も多くの行列ができている。正直言えば並びたくはないが、お目当ての品はこの中にしかない。意を決して並び始めた。 それから十分ほどが経って、私の前にいる人は二人だけになった。私はスマホを見るのをやめて、店内の様子を見渡してみた。この店はファストフード店ながらも壁が全部ピンクでできていた。天井には一つの大きな太陽が描かれていて、床には白黒の市松模様が描かれていた。なんていうか、何度見ても受け止めきれないデザインなのだ。決して貶しているわけではないけれど、こんなデザインを描くことも、選ぶことも私にはできない。 一人分進んで、私の前にいる人は一人だけになった。その前の人はポテトだけを買って帰っていったけど、この人は長い。私はどうせ暇なのでこの人を観察してみた。 まず、私なんかでは比べ物にならないほどに横に長かった。頭は触ったら気持ち良さそうなベリーショートで、髪は黒い。おそらく男の人だろう。今、パンケーキを頼んだ。きっと小さい子供がいるのだろう。私は二歳の娘と六歳の息子がいると予想した。根拠はない。あと、すごく人が良さそう。 そして、私の番が回ってきた。ああ、ようやく私の番だ。長かったが、待った甲斐があったというものだ。 「みか…みかんチ…」 (ああ…なにをやっているんだ…) 「ゆっくりでいいですよ」 (はずかしい…) 「みかんチキンをお持ち帰りでひとつ…」 「八百十一番でお待ちください」 なんとか注文できた。受け取りの列にはさっきの二人が並んでいる。 「八百九番のお客様ー」 私の二つ前にいた女の人が呼ばれた。 「八百十一番のお客様ー」 私も呼ばれた。私は前に並んでいた男の人を抜かしてチキンを受け取った。正直罪悪感があったけど、そんなことはすぐに忘れた。 私は天にも昇る気持ちでその一口を頬張った。最初の一口にはソースがかかっていなかったが、チキンだけでも絶品だ。頬がとろけそうになる。あとからソースを舐める。口の中にまだ残っていたチキンとソースが絡み合ってまるで高級なスイーツでも食べているかのような感触がする。 口の中が絶頂を迎えたとき、二口目を頬張ろうとする。白い息を出しながらチキンを今かいまかと待ち構えている口。チキンの味を噛み締めて、次の幸せが約束された次の瞬間…、 チキンが落ちた。 いや、宙を舞っているだけだ。そう信じながら私は呆然としたまま、自由落下をするチキンを眺めていた。街灯の光がソースに反射して美しく輝くチキン。そんなチキンは私の眼の前を通過したとき、途端に加速して、落ちた。チキンを拾う気にはなれなかった。 なんて残酷なのだろうか。なんの罪もない一人の女性から楽しみを奪ってなにが楽しいのか。ぶつける相手のいない怒りを一人、抱えて歩いた。 白いため息をつきながら歩く夜道はさっきと違ってえらく孤独で寂しかった。明かりは自動販売機と街灯だけ。さっきまで無敵だった私は肩の力が抜けて、徘徊するゾンビのようになっていた。そこから先の記憶は十分ほど飛んでいる。 家の扉を叩き、鍵で開ける。 私は玄関で倒れこみ、荷物を置いてから晩ごはんを作ることにした。やる気がなかったので簡単に済ませることにした。棚に置いてあるロールパンを二つ取って、トースターにかける。それができたら取り出して、たまたま冷蔵庫にあったりんごジャムをつける。 りんごの甘さは疲れた私を癒してくれた。 でも、ロールパンの焦げの苦みはそうではなかった。
「…大丈夫?」 「うん、お姉ちゃん…だけど、泣いちゃ駄目だよ。あいつの思うツボだから」 お姉ちゃんは力無く頷いた…まん丸く大きい目のお姉ちゃんは笑うと愛くるしい垂れ目になり、特に彼氏といる時は絶品だ…ところが、そのお姉ちゃんを見つけた変態がいて、その変態はまず彼氏に近付いた。 彼氏がよく通う洒落たバーがたまたま従業員を募集していたので、バーテンダーの心得があった変態は採用され、お客の彼氏と打ち解け始めると、言葉巧みにお姉ちゃんのことを聞き出した。 お姉ちゃんは会社からの帰り道、変態にさらわれ、この暗いバーの地下室に閉じ込められたのだ…私も一緒に。 お姉ちゃんと買い物に行く予定だったので、お姉ちゃんの通う道を知っていた私は迎えに向かうと、変態がお姉ちゃんを軽バンに乗せようとしていて、走って近付いた私もお姉ちゃん同様、スタンガンによって気を失った。 だが、私は気絶する寸前、反射的に携帯から彼氏に電話を掛けていた。 私がお姉ちゃんともども車に押し込められた時に彼氏は電話に出て、変態はお姉ちゃんと私に気を取られていたため、彼氏が何度も電話越しに声を発していたことに気付かなかったようで、機転が利く彼氏は私に何かあったのだと思い、それからはつながったままの携帯の向こうから黙ってこちらの動きに注視していた。 ちなみに私の携帯は胸ポケットに入っていたが、変態はお姉ちゃんの体ばかり眺めていたので、私には注意を払わず、また、誘拐現場は周りに人家の無い場所だったので、好都合だったようだ。 変態は用意周到にお姉ちゃんをさらう計画を立てたので私の出現は想定外だったらしいが、セーラー服を着ていた高校生の私には興味を示さず、もっと年上の女性が好みのようだった。 また、変態はバーに私たちが連れて行かれたと彼氏が察したことに気付かなかった。 実はバー近くの道路脇で、いつも外人がギターを弾きながら歌っていたのを彼氏は知っていたので、携帯から聴こえて来た特徴のある外人の声でピンと来たようだった。 さて、私たちはバーに連れ込まれたのだが、ロープで体を巻かれたお姉ちゃんと私は目を覚まし、叫ぼうとしたが、口には猿ぐつわをされていた。 変態は、店長は最近体調が優れず、店を休んでいることや、数人のホステスには店長が治るまでは店を閉めると言ってあり、店長も了解していると自分から話した。 それから、私が何故変態と言っているのかだが、美人の涙でうまいカクテルを作るために誘拐したと知ったからだった…だから、変態はお姉ちゃんの体には興味は無く、目を見つめていたのだと分かった。 綺麗な目からは綺麗な涙が出るはずだ…変態は変態らしい持論を展開していたが、やがて、お姉ちゃんに、さぁ、泣け!と言って来た。 しかし、ここで泣いたら、涙を搾り取られ、殺されるかも知れない…。 すると、ガタンと音がした…変態は焦って音の方を振り返ると、油断して鍵を掛けていなかったドアを開けて、彼氏が駆け込んで来た。 大丈夫か?…彼氏はそう叫んで、無謀にも変態に飛びかかった…そして、すぐスタンガンのいけにえになり、倒れた。 変態は、1人で来るなんて、いい度胸だと言って、彼氏の体もロープで巻き、しかも柱に縛り付けた…男だから用心したのだろう。 変態は再びお姉ちゃんの方を向き、泣け!とわめき散らしたが、お姉ちゃんも泣いたら殺されると思ったのか、何とかこらえていた。 変態は今日は諦めたのか、綺麗で無くなるから顔や体に傷は付けないが、泣くまで帰さないぞと言って、出て行った…ご丁寧に変なところで律儀なのか、私や彼氏にも暴力を振るわなかった。 やがて彼氏は目を覚まし、お姉ちゃんと私に一部始終を話した訳だが、変態は一緒にしていてはまずいと思ったのか、その後、彼氏を別室に移した。 そして、お姉ちゃんが泣かずに数日経ち、猿ぐつわは解かれたが、疲労困憊していたため私とともに叫べないお姉ちゃんが力無く言ったのが、冒頭の言葉だ。 …しかし、泣かないお姉ちゃんに変態は非情にも最後の切り札を見せつけた…それは切断した彼氏の首だった。 お姉ちゃんはとうとう泣いた…力強く泣きわめいた後、彼氏を亡くした憎しみによる火事場の馬鹿力でロープをほどき、変態に突入し、押し倒した。 お姉ちゃんは私のロープを解き、そして… 「おい、変態!起きろ、こら!泣け!」 お姉ちゃんの罵声に圧倒され、変態が泣き出した直後、お姉ちゃんは変態が持っていたナイフを奪い、変態の目玉をえぐり出すと、泣き笑いながら足で踏みつぶした…私はゾッとしながらも、もらい泣きした。 そしてお姉ちゃんは愛おしそうに、彼氏の目もくり出して、食べてしまった…お姉ちゃんの頭がおかしくなったのも頷けた。 今、お姉ちゃんは精神病院にいるが、涙は一滴もこぼしていない…私はそんなお姉ちゃんを見て、人知れず泣いた。
ボクは猫である。名前はタロ。 佐倉家の人々と暮らしている。 猫の一日は大半を寝て過ごす。 例にもれずボクも眠るのが大好きである。 お気に入りの場所はこたつの中とご主人様の膝の上。今日もあぐらをかいた膝の上で丸くなって夢心地。 「ピンポーン」 ……どうやら来客のようだ。 「こんにちはー。タロ君いる?」 これは近所に住む少年が来たな。 しばらく騒がしくなる予感にヒゲのあたりがピリピリとする。 「タロ!今日もそんなところで丸くなって寝てるのかー。ほんとにまるで〇〇みたい」 ちょっと最後の方は何と言っているのか聞き取れなかったが、人間の言葉を概ね理解しているだけでボクはかなり賢い方だと思う。 「コウくん、ごめんなさいね。まだタロは眠いみたいなの」 ママさんが謝っている。別に誰も謝るようなことはしていないじゃないか。 「ううん、今日はこれ届けに来ただけだから。じゃあタロ、また明日も来るからね」 そう言ってボクの頭をワシャワシャと乱雑になでて、少年は帰っていった。 ふぅ、とボクは人心地つく。人間の子供は予想できない動きをする上に乱暴だからなかなか好きになれない。 少年が置いて行ったノートに目をやると、表紙には人間の文字で何事か書いてあった。 なぜかそのノートに見覚えがある気がしたが、それが何なのかボクには解らない。 色々と考えていたら疲れて眠くなってきた。 このお気に入りの場所でもう一眠りすることにしよう。 *** 「ええ、そうなんです。相変わらず1日中丸まって眠ってばかりで。はい、まだしばらくは家から出るのは無理かと……」 妻が電話口で話しているのが聞こえてきた。 相手はおそらく学校の先生だろう。 「診断書は頂いてきましたので、明日そちらに持っていきます。いえ、よろしくお願いします」 息子の誠太郎が発症してからすでに二週間が経とうとしていた。 誠太郎が罹ったのは適応障害の一種で、極度のストレスがかかったことにより現実から逃避した結果、自分のことを猫だと思いこんでしまうという病である。 「突発性猫シンドローム」と呼ばれているこの病は、若者を中心に広がりを見せている。 「誠太郎、孝介くんが授業のノート持ってきてくれたわよ」 「にゃーん」 まだ新しい病のため特効薬は開発されておらず、抗不安薬などでストレスを和らげながら様子を見るしかない。 膝の上で丸くなってウトウトしている息子を見下ろしてため息をつく。 できたら俺だって仕事のことなんてすっかり忘れ、猫になって一日寝ていたい。 だが、この病の中年層の発症は極めて稀であるため、俺の願いは叶いそうにない。 とりあえず休みの日くらいこの大きな猫と一緒にダラダラして過ごそうと、俺は近くにおいてあった読みかけの文庫本に手を伸ばした。
今日は……。 遅めに起きて朝ごはん食べて、野菜果物オラクルカードのメッセージを少し考えた。 昼ににくにくしいものを食べて鼻水期を乗り越え、本を作りたいなぁと思いつつしまうまプリントを検索して、少し寝て自分の日記を動画にしたいけど朗読は誰がするんだと考え込んで、晩ご飯を作って今また悩んでいる。 けれど何かが進んだような気はしなくて、ああ今日も終わりかと頭の中に文章を思い描くだけ。 ぬか漬けのきゅうり、めっちゃいい感じに漬かってた。やっぴー!
十二月よ、まだ来るな。 なぜならぼくには、彼女がいないからだ。 クリスマス前の、皆がそわそわとする時期。 ぼくは嫉妬で狂いそうになる。 頼む。 ぼくに彼女ができるまで十二月よ、来るな。 その願いが叶い、日めくりカレンダーを破った時、十一月三十一日が現れた。 奇跡が、起きたのだ。 よし。 ぼくは必ず、彼女を作って、十二月を迎えるんだ。 十一月七百五日。 日めくりカレンダーよ、もういい。 もう、十二月にしてくれ。 彼女、できる気がしないんだ。 クリスマスも、お正月も、夏休みも、何もない日々を過ごすなんてもう嫌なんだよ。
ある夏に差し掛かるころの夕方。雨が上がったあとの空は真っ赤に燃えてどこまでも続く赤レンガのようでした。塾終わりの私は、アスファルトの水たまりを心地よく走って帰っていました。住宅地が広がる小高い丘の麓に差し掛かったところ、なにやら水道管の工事をしている様子で、ヘルメットをかぶった交通誘導の女性がひとり、立っていました。大人の退勤時間には少し早いので、車通りも人通りもほとんどなく、交通誘導さんは帰路につく子供たちに挨拶をしているだけのようでした。そんな光景をなんとなしに見ていたところ、工事現場のすぐ脇にある公園、その中にある小さな林の茂み中から、緑の顔が出てきました。シュミラクラ現象というやつかな、と思いましたが目を凝らしてみると、頭にお皿、黄色いくちばし、ぼてっとした体にキョトンとした表情。初めて見た私ですがこれが"河童"なのだろうと直感しました。河童は私に見られていることに気が付いていない様子で、茂みからひょっこり出てきては、そぅっと道の反対側へ歩いて行きました。あちら側には用水路がありますので、そちらに向かっているのかなあと思いました。しかし、このままでは交通誘導さんにばったり見つかりそうです。他人事ではありますが、妖怪の秘匿性に危機を感じた私です。当の河童は私に見られていることにも気づいていないわけなので、私としてもどうすることも出来ません。心配や好奇心の混じったドキドキした気持ちで見ている私をよそに、なんと河童は、平気に交通誘導さんの視界に入っていきました。交通誘導さんはと見てみると、子供たちに接するのと変わらず優しい笑顔を浮かべています。河童は、交通誘導さんに軽く会釈すると、するりと脇を抜けていきました。交通誘導さんも優しい笑顔で河童に会釈を返します。 怪異が、あまりにも日常的風景に溶け込んでいたため、私は"カッパにつままれた"ような気分になりました。あの交通誘導さんは車や歩行者だけでなく、妖怪の安全な通行も担っているのでしょうか。 どのくらいその場で立っていたかわかりません。家に帰った私は、写真を撮ればよかったとか、後をつければよかったとか、交通誘導さんに話しかければよかったかなとか、色々と後悔しました。後にその場に戻っても、ただただいつもの風景があるのみでした。あの交通誘導さんいったい何者だったのだろうかと考えるのですが、私はどうもあれはタヌキだったのではではないかと、そう思います。根拠はないのですが何故だかそう思います。河童に会釈をした時のあの柔らかい笑顔は私のタヌキのイメージにぴたりとんです。
「コノミに会いたいよ、ぜひ来て」 ゴールドに埋め尽くされた大きなドアを開ける。私は同窓会に来ていた。私の唯一の友達のナオに会えると知ったからだ。 高校卒業と同時に上京したナオ。大学卒業と同時に上京した私。会えそうで会えない距離を、同窓会が埋めていく気がした。上京した同級生だけの同窓会。私はただナオに会うためだけに参加を決めた。 高校を卒業して十年。皆もう立派な大人だった。だらしなく着ていることが正義だった制服は、誰とも被らないカラースーツに変わっている。容姿が違うだけで、高校の時より華やかだった。 「コノミ!」 聞き覚えのある声だった。私が唯一心を許していた、人気者のナオの声だ。彼女は周りの友達と会話を自然に終わらせて、私のもとに走ってきてくれた。 「元気だった?就職こっちだって聞いてさ」 誰よりも目立つ露出の多い服。高価かどうか私には判断出来ない小さなバッグ。もうすぐ折れてしまいそうなヒールの靴。会えて嬉しいよ、と、彼女はいつもの高い声で話す。 私はこの声が好きだ。 甲高くて、機嫌が悪かったらそこそこむかつく声だけど、今日の私の機嫌はすこぶる良い。だから彼女の声のオペラを聴いている時のように、優しい心で対応出来る。 青木ナオ。高校一年のクラスが一緒で、出席番号が近く、入学時にすぐに話しかけてくれた。自分から人と関わることが苦手な私は、彼女の「消しゴム一緒だね」の一言に大分助けられた。クラスが離れても、就職・進学と進路が分かれても、私達は友達でいると誓った。 あの日から、もう十年も経っていた。 「聞いたことある。その名前。コノミが作った玩具が、今お店に並んでるの?」 「企画部には入ったばっかりだから、今は上司のサポートとか、会議の議事録とかでいっぱいいっぱい」 「そっか。コノミ昔から玩具好きだったよね」 私には妹と弟がいる。二人を泣き止ませたくて、玩具を自分で作ったり、考えたりしていた。気付けばそれを「楽しい」と感じるようになって、「好きなことを仕事にする」を叶えることが出来ていた。 「ナオは古着が好きで、古着のバイヤーになったって」 高校を卒業したナオの進路は、「上京する」という情報のみだった。「服飾の専門を卒業して、アパレルメーカーに就職、独立するために古着屋に転職した」という全て人伝いの情報を駆使して彼女に伝えた。 「うん。今は世界中飛び回ってる」 彼女の口角が小刻みに上がった。高校の時から彼女は格好良い。好きな物を貫くその姿勢はいつも羨ましかった。また後でね、と彼女はいなくなった。彼女の人気は、高校を卒業しても変わらないみたいだ。 「安藤さん?」 振り返ると、高校一年で同じクラスだった一木君がいた。 「久しぶり」 「……久しぶり」 彼も何も変わらなかった。私が好きだった、あの頃の彼だ。お酒に弱いのか、彼の顔は赤く、特に耳は真っ赤だった。 「あっ」 彼の視線の先には私がいて、私の後ろにはナオがいた。ああ、彼はナオを見ているんだ。 「ナオと話してきたら?」 「え?」 青木ナオ。 彼女は私が一木君を好きなのを知っていて、彼と付き合った。けどそんなのずっと前。今彼の顔を見なければ忘れていた。 「なんで青木さんと話すの?俺は安藤さんと話したいんだけど」 元恋人というのはそんなに気まずいものなのか。高校の時に恋人がいることに、こんな影響があるとは知らなかった。 「元彼でも、ナオは気にせず話せるタイプだと思うけどな」 彼が首を傾げる。あまり納得していないのだろうか。 「元彼って誰の事?青木さんの元彼がこの中にいるの?」 ホテルの大広間。たくさんの食事と、人間と、声と、音楽。混沌としてたその中にいたはずなのに、彼の言葉が私の耳を深く塞いだ。 「……高校の時は、安藤さんが好きだったんだ。青木さんにもよく相談してた。でも青木さんが、安藤さんは俺のこと嫌いだって言ってて。だから告白もしなかった」 視界が歪んで、目の前の一木君がゆらゆらと揺れていた。おかしい、何かがおかしい。 上京した時、スクランブル交差点が怖くて仕方が無かった。皆違う方向を歩いていて、それでもぶつかることは無くて。いつもその動きや速さやうごめく人間の数で私は圧倒され、一度も綺麗に渡れたことがない。 そんな光景が、今私の頭の中にある。スクランブル交差点と化した。様々な綺麗な記憶も、嫌な思い出も、全てが自分の居場所を失って走り回っている。どこに向かおうか、誰もそれを知らない。 「コノミ?」 振り返った先にはナオがいた。さっき見た彼女とおんなじ服装、おんなじ髪型。 そして甲高い声。 彼女の声が、体中に響き渡った。今の私は、彼女の声が嫌いだ。
「魔物がどんどん増えてきている…民が危ないわ」 姫は憂鬱そうに頬杖をついて、考え込んでいた。まだ若いのに、王と同じぐらい国民のことを案じている。けれど、そのストレスで、姫は体調を崩しがちだった。 侍女は何とか姫の気を晴らそうと、わざと陽気に部屋の扉を開けて入ってきた。 「姫様ー! さっき、旅の手品師から、こんな献上品が!」 姫が振り返ると、侍女はぱっと手の平を広げた。小さな丸いケースが、きらりと光った。 「まあ、白粉だわ!」 「姫様、こちらはしっかり検閲を通っております。少し試してみませんか?」 侍女がきくと、姫は少しはにかんで頷いた。やっぱり、お年頃の女の子なのだ。侍女は嬉しくなって、早速蓋を開けた。 蓋の裏は、小さな鏡になっていた。侍女がサッと拭いて粉を落とすと、なかなかキレイに映る。姫の澄んだ藍色の瞳、侍女の少し日に焼けた顔、黒いマントの男… 「えっ⁉」 2人は悲鳴をあげて振り返った。もちろんそこには誰もいない。風を浴びてカーテンがひるがえるだけだ。 白粉の鏡に目を戻すと、もう男は映らなかった。姫はぽかんとしている侍女に問いかけた。 「さっきの男…身なりからして、手品師かしら」 「え、ええ。青白い肌に眼帯…間違いなく、あの男が白粉を献上してきた奴です」 姫は黙って頷いた。一瞬だったけれど、たしかに邪の気を感じた…。姫はそっと胸を抑え、長い睫毛を伏せてつぶやいた。 「本当に…たちの悪い手品だこと」
重苦しい空気が部屋を完全に支配した。 私は、いや、私たちは、もう現実を見なければならないのだ。 付き合って、10年。 入籍には至らなかった。 ぼんやりと誤魔かし誤魔かし、ふたりで一緒にいた。 でも、もう限界なんだ。 「……ねえ。はっきり言ってほしいの。 私達、結婚するの? しないの?」 「……! したいに決まってるだろう!?」 「……そうかな?」 視線を外してぼそっと呟いた言葉に、彼も苛立ったよう様に言葉を吐き捨てた。 「君こそどうなんだ? 今更籍を変えたくないなんて……」 まるで私のわがままみたいに、私が籍を変える事が当然の様な言い分に、私はカチンときた。 「ちょっと待ってよ。なんで私が籍に入ることが前提みたいに言うわけ? 貴方がうちの籍に入る方法だってあるじゃない!」 彼は眉を顰めた。 「……それは無理だって。分かるだろう?」 「じゃあ私だって無理だよ。分かるでしょ!?」 つい語気を強めて言ってしまう。 そしてまた、沈黙が落ちる。 時間が経つほど重く、暗く、悪くなっていく部屋の空気。 あれほど居心地が良かった、ふたりの部屋。 ――分かっている。 彼は自分を優先したいんだ。 もちろん、私も。 こんな身勝手な自分達では、もうこれ以上進めないんじゃないだろうか。 一緒に生きる意味が、果たしてあるんだろうか…… 「結婚は、したくないってこと?」 「だから、違うって」 「じゃ、私が恥掻けって事ね。 自分は恥掻きたくないから」 「だから、そこまで言ってないだろ」 「同じ事じゃん!!」 もう、止まらない。 「貴方の籍に入ったら、私の名前「三木みき」になるんだから!!」 どこのアイドルだよ!! 「だけど君の籍に俺が入ったら『牧マキ』になっちゃうじないか! 男の方がキツいって!」 「何言ってんよ! 20代後半の女が自己紹介で『ミキミキでーす♡ どうぞよろしくね♡』って痛すぎるから!!」 牧みき、三木マキ。 奇跡の出会いは高校の頃に遡った。 付き合いたてにはよく、『どっちがどっちの籍に入るの?』なんて笑い話にされてたっけ。 そして、それは遂に現実問題として降りかかってきたのだ。 「なあー! 頼むって! 三木みきって可愛いしさ、女の方が結婚したからって言い訳も立ちやすいだろ?」 「はあ!? 今だって銀行とか役所とか、私が代わって行ってるんだよ? これから子供とか出来ても、公の場でミキミキって呼ばれる回数絶対私の方が多いじゃん! あんた営業なんだから、マキマキなんてインパクトあって覚えてもらえるいい名前じゃん!!」 「いやいやいや、めっちゃ急いでるテレビスタッフみたいな名前はキツすぎるって!!」 ミキミキか、マキマキか。 このミキマキ戦争は止まるところを知らなかった……
ガリガリガリガリガリガリガリガリ。 放課後、きまって前の席から聞こえる音。 紙に勢いよく描き殴る様子を表現したわけではない。文字通り、ガリガリ、ガリガリいっている。 この歳になると滅多に聞かなくなる音。 鉛筆を削る音。 それもあれ、筆箱の端っこについてる小さいやつ。 「ねぇ、それいつ完成するの?」 無我夢中で“鉛筆の芯を限界まで尖らせるチャレンジ”をしている彼女に、僕は堪らず話しかけた。 「わっ!」 椅子ごと身体が跳ねたかと思えば、ゆらりと分厚いレンズ越しに睨まれ、思わず怯む。 「な、なに……」 「折れたらどうするの……!詰まったら取り出すの大変なの知ってる!?」 「ご、ごめんって。」 「折れた芯を取るために違う鉛筆突っ込んでさ、またその鉛筆も折れて結局手で取るの。指は真っ黒、引っ掻いたから爪はボロボロ。一度は経験あるでしょ?」 「だからごめんって……。」 彼女の第一印象は、至って普通な“真面目な人”。まぁ確かに、少し語気が強いような気がしないでもないが、何軍の男女でも分け隔てなくにこやかに接し、活発なわけでも、大人しくもなく、天才ってほどじゃないが勉強ができて、じゃあ運動音痴なのかと思ったら、泳げて投げれて走れたりもする。どこか不思議で掴みどころがない人。プライベートの想像がつかないタイプの人間、って言ったら少しはわかってもらえるだろうか。 そんな彼女の一番の謎が、 ガリガリガリガリガリガリガリガリ これ。 ガリッ……ガッ、 「あぁ〜!……折れたっっっ!!!」 「心が?」 「は?おもんな。」 この環境音を生み出す原因となっているもの。長方形の筆箱を重しに広げられた一冊のノート。 表紙には極太マッキーで「おもしろいマンガ」と描かれている。なんてハードルの上げ方をするんだ。 よくある自由帳でも、高校生の彼女が常日頃肌身離さず持ち歩いているとなると、ちょっと訳アリの匂いがしてくるわけで。 開いて左側、先に使う方のページ。フリーハンドで書かれたコマ、吹き出しと棒人間。それと最低限の小物が描かれている。下書き……所謂、プロット的なやつだろうか。わかんないけど。 打って変わって右側のページの情報量には言葉を失う。これを見て“らくがきちょう”と呼べる奴は居ないだろう。原稿、いや、単行本だ。描き込みの量もクオリティーも、よく見る少年誌のそれ。「これは某週刊少年誌に持ち込めばいいところまで行くぞ」と割と本気で言い続けていたら、「お前は私の担当編集か」と、呼び名が「編集さん」になった。某週刊少年誌の編集部だとしたら普通に嬉しいのがちょっと悔しい。 ギリッ……ギギギギギギギギ…… そしてこれは決して、僕が悔しさから歯軋りをする音ではない。もしそうだったら歯は無事ではないだろう。正解は、彼女が三十センチ定規を限界まで広げている音。 「ごめんね、うるさくして。」 「もう慣れたよ。」 「そ。……あー!この丸い関節部分?のせいで真っ直ぐ書けないのほんと腹立つ。」 「うわ、懐かしいその悩み。」 「まぁ折れても使えるのがいいところだよね!」 「本望ではないだろうけどね。」 そして僕は今日、核心に迫ろうとしていた。 「ま、いいんだけどさ。書ければなんでも。」 何故なら、昨日、確かに見てしまったから。伸びをした彼女の奥に置かれたノート。右下に小さく書かれた、 “★次回、最終回!先生の作品に乞うご期待!” の、文字を。 「ねぇ、」 声が少し震えていた、と思う。 「ん?」 彼女は振り返ろうとしない。僕の様子のおかしさを察してなのか、偶然なのかはわからない。 「なんで、漫画描いてるの?」 彼女の右手がピタッ、と止まった。口の中で何やら小さく言い淀み、観念したように振り返る。しかし、その目は決意に満ちていた。 「……頼まれたから。男の子に。」 「男の子……?」 「そう。病院の男の子。」 心臓がドクン、と跳ねる。全ての辻褄が合ってしまった。左側ページの拙い絵、幼い字、新品の小学校セットを使う彼女…… 「自分の代わりに学校で使ってあげてって。貰うのは悪いからノート半分ずつに漫画描いて読み合ってた。」 「じゃあ“最終回”って……」 “物語の幕が降りた”、ということ? 「あー、なんだ。知ってたのか。」 彼女は少し残念そうに笑う。 「ご、ごめん。」 「いいよ別に。急遽終わらせることになってさ。なんとか形にはもっていったけど。打ち切りってやつだね。」 「打ち切り……」 「だからあれもこれも、返さなきゃ。」 彼女は誤魔化すように前に向き直った。泣いていたのかはわからない。ただ、自分以上に声が震えていた。それだけはわかった。 「退院して、学校行けるってさ。」
これは今から百年ほど未来のお話… まず、この話はとある一人の女性によって始まった。 当時自身の容姿に自信のなかった彼女は、マッチングアプリに顔写真を載せずに登録した。そしてその代わりに自身の顔の説明をプロフィール欄に書いたのだ。 ネットで炎上…するかに思われたが彼女の行動を真似する女性達が続出。二十年ほどすると、反ルッキズムの人たちの支援も相まって世の中のマッチングサイトでは、顔写真を載せずに顔の説明だけを載せるという新しいスタイルが流行した。 時間が流れるにつれて世の女性たちの語彙は豊かになり、中には小説家を志望する者もいた。また、女性側が賢くなったことで、詐欺に引っかかったり悪い男性に騙されることも減った。 一方で女性を主体とする詐欺が急増。そして自らを守る術を持たない男性は、マッチングアプリの顔写真抜きを男女平等を名目として主張した。 こうして男女ともに顔写真のないマッチングの構造が完成した。そしてその考え方の根本にあったものは、 「生まれつきの要素で人を判断するのではなく、誰でも伸ばせる能力で判断するべきだ」 という考え方であった。この時点で小説家と呼ばれる人たちの多くは先生という存在になり、学校では週に十時間の国語の「個性を伸ばす」授業が行われた。 この国語の授業の約半分は作文の授業であり、優秀な生徒は廊下に掲示された。 こうして日本人の国語力は飛躍的に上昇、外国人とのやりとりすらも日常茶飯事になっていた。しかし一方で、国語ができてもコミニュケーション能力の低い若者が急増。 恋人や結婚相手などとの会話が続かない彼らにとって、結婚はうわべだけのもの、という認識が浸透したために、結婚という行事自体が形骸化してしまった。 そんな中、ある一人の女性が自身の顔紹介の欄に自分の顔のアスキーアートを書き入れたことが話題となった。彼女の行動はネットに晒されていくうちに尾ひれがつき、瞬く間に炎上した。その後、彼女は自殺したと考えられているが、真偽は不明である。 こんな事件が起こりながらも、小説家は社会的な地位を高めていった。小説家は人の気持ちを読み取る力があると判断され、日本では新たな賞が新設された。 その賞では毎年千人が優秀者として選別され、この賞があるかないかで就職にも関わってくる大事な賞だった。その時、確かに社会は小説を書ける人間を求めていた。 それから二十年ほど後、小説家になれず就職もできなかった者たちがネットに集った。彼らはこの社会を「ルッキズムと変わらない」と批判した。 それからネットの至るところで、このシステムの理不尽さに気づいた若者たちが非難を続けていたものの、その効果は大きなマスメディアを前にしては無力だった。日本人がその理不尽に気づくのにはまだまだ先のお話である。 これから先、さらに同じようなことが百回以上起こることは内緒にしておこうね。 |Byかみさま
『この世界は悪意に満ちている』 過去の偉人はその言葉を石碑に書き記して土くれとなった。 人の歴史は愚かで残酷だ。 怒り、妬み、憎しみ。ありとあらゆる負の感情が人々を終末へと誘い争いが生じる。 言葉巧みに人を操り、己が利の為に他者を殺す。 そうして築かれたのが今の世の中だ。 勿論そうでない人もいる。 ある人は平和を願い、またある人は明日を信じ希望を胸に抱いた。 いつかこの世界に真の安寧が訪れることを信じて。 けれど、その願いが果たされることは決してない。 何故なら、そういった人たちから先にこの世を去るからだ。 人間は狡猾で残忍だ。 いくら他者を想っても、必ず憂いを覚えてしまう。 何故、思い通りにならないのか。 何故、私の邪魔となるのか。 そうした感情が積りに積もって諍いを生み、その果てで争いを引き起こす。 原初の人が嘘をついたその日から、人の魂には罪が刻まれたのだから。 アントロポセンという言葉がある。 ギリシャ語で"人"を意味する『アントロポ』と、"新しい"を意味する『セネ』を合わせた造語であり、日本語で『人新世』と書く。 その意味は"人類の時代"であり、20世紀以降の世界を現した言葉だ。 高度情報化した社会において、人は他人に依存することで生き続けている。 コミニティに所属して、穏便に過ごして、一生を終える。 大多数の人間がそう行動することで、日々の生活を守っている。 かつて矛が強かった時代からすれば、今の時代は目覚ましい変遷を遂げたかのように映るだろう。 けれど、人が人である以上、その安寧が一生続くことは無い。 地位、階級、認知度。 時代が移ろって言葉が変わっても、人間の本質は変わらない。 何十年も、何百年も、何千年も。 繰り返される歴史に終止符が打たれることは無い。 そう、人が生きている限りは永遠に。 だからこそ、この世界は終わりを迎えなくてはならない。 人は時代が進むにつれて、数多の技術を手に入れた。 バルブを回せば火を起こせ、スイッチを押せば明かりを灯し、蛇口を捻れば水が出る。 全てが文明の利器であり、人が生き続けてきた証だ。 それらの技術は人に繁栄と幸福を与えてきた一方で、世界を滅びの道へと誘った。 今、大気境界層は破壊され、地球の温度は上がり、南極の氷は溶け続けている。 そして最後には、大陸全土が水で覆われ、大地は完全に消滅することが予測されている。 こうなった元の原因は、人々の争いの結果だ。 破壊と再生によって紡がれてきた歴史の外側で、世界は破滅への一途を辿っていた。 星の寿命は数百万年あると偉人は言った。 新たな超新星が発生した時が、この世界の本当の終わりであると。 それは、星を主観とした場合の考え方であって、人を考慮したものではない。 だからこそ、人を考慮した寿命を考えるのならば、決してこの先は長くないと言える。 新天地を目指した火星への片道切符ですら、人を欺く道具に使われている現状で、どうして人が生きられると言えようか。 故に私はこう思う。 自死こそが世界に対する贖罪であり、己が辿るべき道であると。
夕食を買いにスーパーへ来て。 鮮魚コーナーで魚を見て、肉コーナーで肉を見る。 そして、肉コーナーに隣接していた言葉コーナーで、塩漬けされた『ごめんなさい』を目にした。 ぼくの目の前で、一本の手が伸びる。 「あらやだ、ごめんなさいがお得じゃなーい。丁度ほしかったのよねー。あらやだ、主人のへそくりくすねちゃったの、まだ謝れてなくて―。あらやだ」 積まれていた『ごめんなさい』の一番上をかっさらい、おばさんはレジへと向かう。 ぼくは、『ごめんなさい』を一つ手に取り、立ち止まる。 謝りたいこと。 一か月前、親友と喧嘩したこと。 互いの信念がぶつかり合っただけで、今考えればどちらも悪くない。 しかし、どちらも悪くないからこそ、挙げた拳を振り下ろせないで現在に至る。 塩漬けされた言葉を食べれば、言葉の後押しをしてくれる。 きっと、親友に謝ることができるだろう。 親友は、きっと許してくれるだろう。 全ては元通りだ。 しかし、こんな言葉でいいのだろうか。 ぼくが親友に伝えたい言葉は、塩漬けされたものなのだろうか。 拙くとも、言い訳がましい言葉が出てきたとしても、生の言葉がいいんじゃないだろうか。 レトルト食品より手作り料理がいい、なんてことは言わない。 ただ、手作り料理の方がいい瞬間と言うのは絶対にある。 ぼくは手に取った『ごめんなさい』を戻して、レジに向かう。 会計中、後ろ髪を引かれて言葉コーナーの方を見ると、親友らしき人影が悩んでいる姿が見えた。
男は湖の上、船に乗っている。船は小さな木製のボートで、男は仰向けに寝転び手を胸の前で組んでいた。湖は凪いでおり波一つなく、夜の闇の中で黒く深くその底は見えない。遠くの岸辺は森になっており、黄色と茶色の混じった樹の葉が秋の気配を感じさせる。空には一面に星が輝いているが月の姿は見えない。 一人の男がその絵画の前で足を止めて見入っていた。まだ歳は二十代くらいと若く、黒いキャップに赤のパーカーを着ている。 「どう思います、その絵」 「いいですね、湖と森の静けさがよく表現されています。こちらまで気持ちが落ち着くようだ」 「気に入っていただけたようで何よりです。その絵は私が描いたのですが、然るべき方にお譲りしたいと思っていました。ぜひもらっていただけないでしょうか」 声をかけてきた初老の男は茶色の蝶ネクタイを右手で弄りながら提案した。 「そんな、私で良ければぜひいただきたいのですが、あいにくあまり持ち合わせもありませんで」 「いいえ、お金はいりません。ただし寝室の一番目立つ場所に飾ってください」 若い男は喜んでその絵画を譲り受け、寝室のベッドからよく見える壁にかけた。 その夜、男は夢を見た。夢の中で自分は今日譲り受けた絵画と全く同じ風景の中にいた。そしてボートに仰向けに寝転び、祈るように手を胸の前で組んでいた。気持ちは落ち着いていて、周りの湖の水のように凪いでいた。 しばらく経つと、周りの湖の水がゴボゴボと音を立て始めた。同時に水底からゴーゴーと低い音が響いてきた。驚いて飛び起きるとボートを中心に渦が広がっていき、激しい水流とともに男とボートは湖の中に吸い込まれていってしまった。 翌朝、絵を譲り受けた若い男は忽然と姿を消し、それっきり戻ってくることはなかった。 *** その絵は結局、製作者のもとに戻ってくることになった。 「やれやれ、何度人の手に渡ってもお前は結局私のところに戻ってきてしまう」 初老の男は呆れたように自分の描いた絵画に向かって独り言ちた。その絵は今までに何度も人の手に渡ったのだが、毎回持ち主が行方不明になったり謎の死を遂げたりしたため、結局この男のもとに返されてしまうのだった。 「この絵、とても素敵ですね」 横から声をかけられて男が振り向くと、上品な身なりの若い女が立っていた。首のところに黒いファーの付いたケープを羽織り、赤いエナメルのバッグを腕にかけている。 「気に入っていただけましたか。この絵は私が描いたのですが、ぜひお譲りさせて頂けませんか」 男は右手で茶色のハットの傾きを正しながら、笑顔を浮かべて提案した。
ピピピ─ 「基準値を超えているね。酒気帯び運転だから。ちょっとこっちに来て」 空色の制服を着た交通機動隊の男は冷淡にそう告げる。 「待ってください!お酒なんて飲んでないですって!」 僕は窓越しに強く主張した。自分で言うのもなんだが、僕は杓子定規を地で行く人間だ。法定速度は標識通りに守るし、横断歩道で渡ろうとしている人がいればきちんと停止する。日暮前には前照灯を点け、車線変更の際の死角の確認も目視で行う。 もちろん、これは守るべき当然のルールだが形骸化しているのもまた事実だ。だが、僕はそうした交通ルールをしっかり遵守している超優良ドライバーであり、そうした自分に誇りを持っている。 そんな僕が飲酒運転などするはずがない! 「でも、機械では基準値を超えているから」 警察官は頑として譲らない。 「機械が故障していることもあるでしょう!」 「なら、予備があるからそっちで試してみるか?」 警察官は予備のアルコール検知機をすっと取り出す。 僕は差し出された機械に向かって迷いなく息を吐いた。 ピピピ─ 「はい。結果は同じだね」 「ちょっと待ってください!本当にお酒なんか飲んでないんです!」 警察官は少し考えてから言った。 「ああ、君知らないのか?この機械はお酒のアルコールだけを検知するわけじゃないんだよ」 僕には警察の言っている意味が理解できなかった。 「なあ、君は考えたことがあるかい?どうして煽り運転が日常的に繰り返されるのかを」 警察は僕の目をまっすぐ見て言う。その眼差しは夜の海のように吸い込まれそうだ。 「これだけ我々が取り締まりをしているのに煽り運転は一向に減らない。おかしいと思わないか。時には真面目そうな人までも煽り運転をする。それは事件になったり事故になっていないから世間には周知されていないだけであって、実際には驚くほど荒い運転をしている。君のような人間がね。なぜだと思う?」 「…わかりません」 「だろうね。理解していればそんな粗野な運転なぞしないだろうしな」 警察官は一拍おいて続ける。 「みんな自分に酔っているんだよ」 「は?」 僕は拍子抜けした声を上げた。想定していた答えとはあまりにも乖離していたからだ。 「運転はさまざまなスキルの総体だ。集中力に判断力、空間把握、ハンドル捌き、アクセルとブレーキの緻密な操作などなど。それらをまとめて『運転技術』と呼ぶんだ。運転というのは思ったより複雑なものなんだよ」 確かにその通りだ。だが、それと自己陶酔とにどんな関係があるというのだ。 「だが、僕たちはそれら『運転技術』を全て把握しているわけではない。それはちょうど山の上から街を見下ろすようなものだ。そこにあるのは確かに『街』だが、その『街』を作っている一軒一軒を僕らは知らない。だが、僕たちはそれを『街』と断言する」 「いったい何が言いたいんですか?」 迂遠な物言いに僕のイライラはピークに達していた。 「運転は複雑な技術の総体なのに、どうして「上手い」「下手」で割り切れるんだろうね。頭の良し悪しだって、いろんな分野があって「ここは得意」「ここは苦手」という区別があるのにさ。人間は愚かだから、複雑なことは過度に単純化しちまう。運転を上手いか下手かの二元論で考えてしまう。こんな実験があるらしい。人に「あなたは自分の運転が上手だと思いますか?」と質問する。その答え集計すると、なんと、半分以上の人間が「自分は運転が上手い」と答えるんだと。「イエスorノー」で聞いてるわけだから統計的に考えれば半々にならないとおかしいのにな」 警察官はかかかと笑った。 「ってなわけで、煽り運転が減らないのは、みんな「自己陶酔」に陥ってるってわけだ。この機械は自分に酔いしれた人間のアルコールを検知する。とんだ自惚れ野郎のな。あんただって、「自分は優良ドライバーだ」とか思っていたんだろ?そういうやつに限って、気付かぬうちに煽り運転をしているんだよ。もう少し謙虚になった方がいいぜ」 僕はあまりの出来事に面を食らっていた。 警察官の左手の指輪が光った。たぶん結婚指輪だろう。長いことはめているのか、それは少しくすんでいた。
先日、坂口安吾氏原作の映画「不連続殺人事件」を観ました。 ネットにも書かれている通り、とにかく登場人物が多く、その人物たちは、ある資産家の家に招かれる設定となっています。 しかも、男女関係が入り組んでいるので、よく観ていないと、ややこしいかも知れません。 なるべく分かりやすく書きますと、 ・(資産家の)当主と亡き正妻との間の一人息子(以下、息子、詩人)とその妻 ・息子の元妻(女流作家) ・息子の妻の元恋人(画家) これだけでもややこしいし、男女関係が入り乱れているのが分かります。 ちなみに、息子と元妻の仲は特に悪く無いように見えましたが、息子の妻と元恋人との仲はかなり険悪で、これがまさに事件のキーポイントとなります。 他の人間関係もなかなかなものです。 ・当主と元妾(3人、それぞれA、B、Cと記載します) ・当主の後妻の一人娘(以下、後妻の娘) ・当主が女中に産ませた一人娘(以下、女中の娘) さらに入り組みます。 ・元妾Aとその夫(当主の家の料理人) ・元妾Bとその夫(当主の元秘書(現在は、弁護士)) ・元妾Cとその夫(作家。小説の方では、語り部のようです) ただ、この人たちはあまりドロドロしたものを感じさせません。 どうやら、当主は飽きた妾を使用人に与えていたらしいものの、Cは作家と駆け落ちしていますが、当主と作家とCが普通に集まって、話しているシーンが出て来ますので、わだかまりは無いように見えます。 まぁ、出て来る登場人物の中で少なくとも語り部たる作家、それからC、また、息子はまともに見えるので、作家とCを当主と険悪には描かないはずです。 さらに招かれたお客を含めた男女関係があります。 ・息子の元妻と、現在の夫(ただ2人の仲は冷え切っています) ・人気作家と、息子の元妻と、後妻の娘 ・(実際に関係を持っていたかは、映画でハッキリとは描かれていませんが)(息子とは別人の)詩人と、息子のいとこの女性 ・息子と、女中の娘(腹違いの兄妹なので、近親相姦になってしまいますが、肉体関係は無いようです) 他にも、威張り散らしているエロ医者(実は当主がどこぞで産ませた男子だと作品の途中で判明します)の存在も大きく、また、この医者に仕えている看護婦は当主と関係を持っており、さらに、劇中では描かれていなかったと記憶していますが、当主の屋敷にいる女中数名が当主の妾だったりと、男女関係はなかなか複雑です。 でも思ったより、おどろおどろしくは描かれていなかったです。 それで、観終わって、と言いますか、犯人暴露の後、あ、これ、アガサ・クリスティ原作の「ナイルに死す」(映画の邦題は「ナイル殺人事件」)と同じだなと思いました。 どちらとも、険悪に見えた元恋人同士が実はまだ仲が良いことが基本にあります。 「不連続〜」だと、別れたと見せかけた男女の女の方が当主の息子と金目当てに結婚して、まだ別れていない男と邪魔な人間などを次々と殺していきます。 「ナイル〜」では、逆に男の方が財産目当てに金持ちの令嬢と結婚し、まだ愛し合っている女から知恵を受けるなど、協力しながら、令嬢などを亡き者にします。 ネットを読むと、坂口安吾氏はクリスティのファンだったようで、頷けます。 まだまだ書き足りないですし、犯人をバラしてしまったので、観る気は失せるかも知れませんが、なかなかおもしろいと思います。
ずっとこの森で生活してきた。 生まれてから数十年 外の世界に出たことなど一度もない。 ずっと独りだった。 自分と「同じ」ものに出会いたかった。 私の周りには 毛の生えた獣と やわらかい草が生えているだけ。 面白みにかける日々だった。 少し前までは。 私は数年前、 「人間」という生き物に出会った。 彼らを見て一目で分かった 「ああ、私と同じだ」 彼らは「言葉」を使った。 自分の気持ちを表せるように。 私は彼らに興味を持った。 彼らはどこまでも純粋で無垢だった。 はずだった。 私は彼らと一緒に生活していくうちに、 愛や嘘や貪欲などの呪いに 縛られていることを知った。 それから人間を信じることが できなくなってしまった。 私も同類だと言うことに腹が立った。 嬉しい時は笑みをこぼし、 辛い時は涙する。 幸せな時は祈りを捧げ、 不幸な時は奪い合う。 自分の利益のためなら何でもする。 そんな人間を憎んだ。 こんな世界に生まれてきたくなかった。 ずっと静かな森で生活していきたかった。 面白みにかける? あの時の方が良かったではないか。 ......。 もう疲れた。 あの森に帰りたい。 あの森を戻したい。 私は人間と出会って全てを奪われた。 私の自由も 愛も ふるさとも。 私の故郷は、 もう 灰色の焼き野原だ
彼女が乳酸菌飲料の小さな容れ物を振っている。それを見ていた俺に気づいて、彼女が言った。 「中で“ウワー!”ってなってる」 うわーだけ高い声で何かにアテレコしてるみたい。 「“うわー”?」 「ビフィズス菌さん、もみくちゃ」 「あぁ、そういう?」 彼女はたまに突拍子もないことを言って、周囲を不思議な空気にする。 小さな容器を振り続ける彼女。 「大変だね、中」 「ね。でもよく振らないと下に溜まっちゃってるから」 「あー、沈澱しちゃうよね」 「どうせ飲むなら全員に活躍してほしいじゃん」 「確かに」 「飲む?」 「飲む」 俺の返答を受けて、彼女が冷蔵庫から小さい容れ物を1本投げて渡してくれた。 ぬるくならないうちに思いっきり振って、彼女と同タイミングで飲み干す。 「なんか……」 「ん?」 「ビフィズス菌が通ってると思うとムズムズする……」 彼女の妄想がうつったようで、喉から食道を通って胃に到達するまで、高い声でウワー! と言いながらビフィズス菌が移動しているさまが脳内に浮かんできた。 「うははっ。存在感じるほど大きい菌じゃないでしょ」 「そうだけど、あんなの聞いちゃったから」 「ごめんって。ただの妄想だから」 彼女は笑う。 そう、いつもの【妄想】なんだけど、今日のは何故かリアルに想像できてしまったもんだから、いつもより意識してしまった。 彼女は本当に、日常の中に“楽しい”を見つける天才だ。 「そんなこと言ったら、発酵食品食べられなくなるよ?」 ほら、言って彼女がスマホを見せてきた。そこには“ヨーグルトの他に、ぬか漬けや、キムチ・ザーサイなどの漬物、納豆・味噌・醤油などの発酵食品にもビフィズス菌は含まれているのです。”という解説が表示されていた。 「あー、ちょっと。意識しちゃうから」 僕の反応を見て、彼女が楽しそうにフフフと笑う。 ホントにもぅ……彼女は天才的に可愛いのだ。
火神様…この地を遥昔から護っていると云われながら、誰もそのお顔を目にしたことがないという。分かっているのは、銀を帯びた深い紅のお召し物をしていらっしゃること、それ以上が見えるほど近づけば、御方の激しい熱波によって体中がただれ、生きては帰れないということだけだ。 けれど、今年も無事、お供え物を聖山まで運べたのだから、怖いことを考えるのは止めよう。麓村の巫女のミナは思った。さぁ、火神様がお供え物に近づく前に、この山を出なくては。ミナは急いで空になった籠を背負うと、長い階段を降り始めた。 その時、身体が糸でクンッを引かれたような感覚があった。後ろだ。誰かがいる。とてつもなく嫌な予感がするのに、ミナは激しい好奇心を抑えられなかった。 ミナは振り返った。遠くとおく、木々の緑の間に、燃えるような紅の衣が見えた。 「熱っ!!」 鼻の頭がジリッと焼けて、ミナは飛び上がった。その途端、やっと危機感が戻ってきて、紅い衣が一歩踏み出さないうちに、大慌てで踵を返して階段を駆け下りた。心臓が耳元でバクバクいっている。激しい呼吸と踏んだ枝が折れる音だけが、聖なる山に響いていた。 鼻の頭にかさぶたが出来た頃、ミナは火神様のことを思い出していた。実は、鷹のように目が良い彼女には、見えていたのだ…火神様のお顔が。 御方は何百年と生きているのが嘘のように、若々しい青年のお姿をされていた。けれど、あの臙脂色のお目だけは、老人のような深い哀愁が漂っていた。 (火神様は人間がお好きなのかしら) ミナはそう感じた。どうやっても、人を焼き尽くしてやろう、という顔には見えないのだ。炎で人間を護るが、その熱で人間には逢えない、という哀しき矛盾を抱えた方だと思った。
手から注射針が引き抜かれ、看護師が素早くガーゼを当てる。 「はい、お疲れ様でした。これで、施術は終わりです」 「ありがとうございます」 男性は、お礼を言うと素早く立ち上がる。流れ作業のように身支度を済ませ、医師が待つ診察室まで移動する。 少しだけ待つと、医師がやってきた。 「これで何回目ですかね? あなたが、ここに来てこうしてお話しするのは」 「まだ5回目ですよ。そこまで多くないです」 「十分ですよ。体にマイクロチップが5つ入ってるってことですから」 ですね、と男性はまるで何が問題なのか分からないといった感じで答える。 時代が進み、誰しもが体にマイクロチップを埋め込むのが当たり前になってきた。 マイクロチップで、買い物をして、鍵のかかったドアを開けて、健康管理をする。 はじめは、抵抗のある人が多かった。だが、それも時が経つにつれ、少数派へと変わっていく。 時代が、アップデートされたのだ。 男性は、5回目となる体内に埋め込まれたマイクロチップに対する注意点を聞く。 「で、先生。次のお話なんですけど」 「もう次を決めているのかい?」 「次は、頭をやってみたいんです」 マイクロチップには、種類がある。 買い物など生活に必要な基本的機能が詰まったもの。 個人情報を一律に管理するセキュリティが厳重なもの。 そして、頭に埋め込む大きく記憶を管理するもの。 「あれですか……。あまりおすすめしませんよ? 手術代も高いですし」 「それでもですよ。自分の記憶を専用デバイスで見られるなんて、夢があるじゃないですか!」 医師は、渋い顔をしながらも、男性の思いを無碍にすることはできず、手術をすることになったのだった。 頭にマイクロチップを埋め込んでから1か月。 件の男性は、非常に満足していた。 専用デバイスで、忘れていた記憶を呼び出すことができるのは、かなり便利だった。 仕事で忘れていたアイデアを思い出したり、家を出る際にエアコンを切ったか確かめられる。 ――ああ、あの手術を受けてよかった! 男性は、心からそう思っていた。 さて、今日は金曜日。明日は、仕事が休みの日だ。 男性は、帰りにスーパーでお酒を買いに行く。これが、一週間の楽しみだった。 「あれ、おつまみなんかあったっけ?」 男性は、いつものように専用デバイスで記憶を呼び出そうとした。 だが。 『おめでとうございます! あなたは、アップデートされました!』 初めて見る文字列が、デバイスに表示される。 「……んん?」 最初は、デバイスのアップデートが入ったのかと思った。しかし、デバイスは全く動かなくなってしまった。 男性が困っていたら、ズキリと頭に痛みが走る。 そして、次の瞬間。 「っ!?」 流れてきたのは、見知らぬ誰かの記憶。頭の痛みと共に記憶がなだれ込み、自分の記憶は消えていく。 男性は、思わずデバイスを落としてしまう。 「大丈夫ですか?」 近くにいたスーパーの定員が、デバイスを拾い上げて、男性へと手渡す。 「ああ、だいジョウぶでスよ」 そして、デバイスに表示されていたのは。 『インストールが完了しました。我々管理AIの指令に従ってください。活躍を期待しています!』
「キュウ」 僕の足元から聞いたことのない不思議な音がした。それはどうやら靴の中から聞こえてきたようだ。 靴を脱ぐと、僕の履いていたねずみ色の靴下の親指の先っぽに小さな穴が空いていた。 「キュウキュウ」 音はその穴から聞こえていた。なんだこれ、鳴き声みたいだな。 いつもなら穴の空いた靴下なんてすぐに捨ててしまっていた。代わりの靴下なんていくらでも買えばいい。 ところがその「鳴き声」がなんだか可愛らしく聞こえてしまった僕は、その穴の空いた靴下をしばらく取っておくことにした。 「キュウ」 「しーっ!外では静かにしてろよ」 それから僕はどこへ行くにもその靴下を履いていった(もちろん毎晩手洗いしてドライヤーで乾かして清潔に履いていた)。 靴下は話しかけると返事もするし、なんとなく僕と意思疎通ができているような気がしていた。 「キュウキュウ」 「そうだよなー、今日の抜き打ちテストはひどかったよな。マジなんも書けんかったわ」 「キュー」 「なんだよ、慰めてくれてんの?」 「キュウ」 僕はその靴下にキュウ太と名前をつけて、学校から帰ってくるといろんなことを話した。 授業や友達の話から好きな子の話まで、キュウ太には不思議となんでも話せた。 *** ある日朝起きてキュウ太を履こうとすると、いつもの場所にキュウ太はいなかった。 「ショウちゃん、この靴下穴空いてたから縫っておいたわよ」 「えっ、バァちゃん……」 キュウ太の穴は黒い糸できれいに繕われ、なくなっていた。僕は急いでハサミの先で糸を切ってキュウ太から引き抜いた。 キュウ太の穴は元通りになったが、キュウ太はそれ以降、鳴き声を聞かせてくれることはなかった。 大人になった僕は、今も未練たらしく古びたねずみ色の靴下を大切にタンスの引き出しに仕舞っている。 短い間だったが、確かにキュウ太は僕の大切な友達であった。
24時間中23時間59分寝ていた、いわゆる多眠症だった僕は回復し、24時間中1分間眠った、いわゆる小眠症だった妻も今はすっかり治り、幸せ…になるはずだった。 僕たちは普通の生活に戻った訳だが、四六時中、喧嘩ばかりだ…話すことが多過ぎるのか、暇を持て余しているのか、理由は色々考えられる。 今は家庭内別居状態で、ほとんど口を効かなくなってしまった。 「おやすみ…」 「…」 今夜も彼女から返事は無い。 まさに、完全なすれ違い夫婦、夢破れた恋…赤ん坊をつくるなんて夢のまた夢だ。 僕はため息とあくびをしながら、彼女とは別の部屋に入って行き、眠りに落ちることになる。 あ、追記だが、彼女は心底僕を嫌っているので、彼女の独白は無いと思う。 それでは、いざ、安眠の世界へ!
「おはよう…」 「おはよう…」 「調子はどう?」 「特に問題無いよ…あ、君の夢を見た。ずっと君は笑ってるんだ。それでさ…」 「…うん」 「…ごめん、そろそろ寝なきゃ…またね」 「おやすみ…」 「おやすみ…」 彼が24時間中23時間59分寝ているようになってから、どのくらい経つだろう…。 いわゆる多眠症というもので、彼自身が寝たくて寝ている訳では無い。 ちなみに、私は24時間中23時間59分起きている人間で、1分間だけ眠る…それで十分だが、いわゆる小眠症というもので、いつからか自然とそうなった。 そんな事情からいつしか私たちはすれ違い夫婦なんて呼ばれることになったが、正確には間違っている。 何故なら、彼が起きる時間に私は必ず起きているから…もし時間がずれていたら、彼の貴重な1分間の起床時間の間、私が寝ている可能性だってある…不幸中の幸いだと、神様に感謝しなければならない。 しかし、今日の私は失敗を犯してしまった…彼が起きている間にキスをし忘れた…時すでに遅し、彼は熟睡していた。 まぁ、仕方ない、織姫と彦星は365日のわずか1日に会えるか会えないかの生活を送っている訳だから、24時間中1分間は必ず会える私たちはついている。 ん?私も眠くなってきた…ほんの少しの間だが、横になる…布団は必要無い。 ファー…私たちに赤ちゃんをつくる時が訪れるだろうか?…私はいつもの心配を胸にわずかな眠りに落ちた。 「おはよう…」 「おはよう…」 「私、あなたの夢を見たわ…夢の中で、あなたは私を抱き締めてるの…あ、いけない」 「ん?」 「あなたが起きている間にしないと…」 彼女は僕にキスをした…危うく僕も忘れるところだった。 それも束の間、眠くなってきた…おやすみ、と彼女に言うと、ニッコリと笑って、おやすみ、と答えてくれる…僕は何て幸せ者なんだ! さて眠ろう…今度はどんな夢を見るだろうか? そろそろ赤ん坊をつくる夢かな…。 僕は次に彼女に会う1分間を楽しみにしながら、眠りに落ちた。
机上でスマホが鳴って震えた。映画館の指定席券が彼から送られて来た通知だった。 明日の待ち合わせは映画館の中。一般席とは違う、隔離されたプレミアムルームの空間だ。 私たちが一緒にいるところは誰にも見られてはいけない。でもどうしても一緒に観たい映画があるって、彼が誘ってくれた。なるべく人目につかない、個室のある映画館を選んだって。 上映の1時間前からウェイティングルームの利用が可能らしく、少し早めに集まってデートすることにした。 先に到着して受付を済ませ、ウェイティングルームへ入る。 「おぉ……」 ちょっと豪華なカラオケルームみたい。 ソファに座って彼を待っていると、帽子を目深に被り、マスクで顔半分隠れてる【怪しい人】が左手を挙げながら入室してきた。「おぅ」 「ん。ご飯は?」 「これの前メシ食う仕事だったから大丈夫。そっちは?」 「来る前に食べてきた」 「じゃあいっか」 「うん」 マスクを外した顔を見たら、おそらく大多数の人が名前を言える彼は、とあるアイドルグループに属している。 「そんじゃまぁ、とりあえず……」 ウエルカムドリンクを注ぎ、彼の音頭で乾杯した。 「あなた弱いんだから、そのくらいにしときなさい」 シャンパングラスの半分ほど飲んだところで、彼に止められる。 「はぁい」 「追加オーダーもできるんだ。至れり尽くせりだね」 テーブル脇に置いてあったメニュー表を細目で見る彼。 「コンタクトは?」 「今日はいっかなって。映画みるときは眼鏡するし」 「疲れるよね、コンタクト」 「そうなのよ。必要ないときはつけたくない」 「わかる。あ、夜は? 仕事?」 「休み。午前中で全部終わった。明日は午後から」 「じゃあ夕飯一緒に食べれるかな?」 「うん。うち来なよ。久々に料理したい」 「え、嬉しい。食べたい。手伝う」 「子供じゃないんだからいいよ」 「邪魔か」 「うん」 「ねぇー」 「冗談でしょ?」 ふくれる私に笑いかける彼。そういうときばっかりアイドルの顔しやがって、と思うけど、可愛いから許す。 付き合って半年。デートできた回数は数えるほどだけど、もうすでに老夫婦っぽい私たちの出会いは、とある対談記事のインタビュー。私が書く小説を彼が好きだと言ってくれたのがキッカケだ。 「つーか、あなたも変装くらいしなさいよ」 「私あなたほど顔出てないし」 「コアな人は覚えてるもんよ?」 「そうか。気をつける」 「うん。というわけで、これ。あげる」 「え、ありがとう」 渡された袋を開封していたら、彼が説明してくれた。 「仕事で伏見稲荷行ったとき見つけてさ。好きかなと思って」 「なにこれ可愛い……!」 狐面が刺繍されたキャップをいそいそと被る。 「どう?」 「ふはっ。似合う似合う」 「笑ったじゃん」 「顔ふたつあんだもん」 「目立たない?」 「目立つ。狐に目が行く」 「……ならいいか」 「まぁご自由にどうぞ」 変装用に、というのはただの理由付けで、本当に気に入ると思って買ってきてくれたんだろうな。 会えていなかった間の報告をしつつ、解放された鑑賞室へ入る。そうして、彼が見たいと言っていたアクション映画を観た。 「あー、面白かった!」 「ね! あとで感想会しよう」 「うん」 「ここいいわ。またなんか観たいのあったら誘う」 「うん、ぜひ」 「どーする? 一緒帰る?」 「え、いいよ、大丈夫。写真撮られたら大変じゃん」 「そうなんだけど」 「家でお茶しようよ。なんか買ってく?」 「ワイン飲みたい気分」 「赤? 白?」 「どっちも」 「どっちも? じゃあワインは良さげなの探していくわ」 「うん。なんかツマミ作っとく」 「はーい、じゃああとで」 さっきもらった狐面のキャップを被って先に個室を出た。そのまま最寄り駅まで行って彼の家に向かう。といっても同じマンション内で部屋を借りてるから、単純に帰宅ルートなんだけど。 帰路途中にある小洒落たスーパーでワインをラベル買いしてたら、彼からメッセが届いた。 S{ごめん、チーズ買ってきて。〕 S{できればワインと同じ産地のやつ。〕 S{あとはお好みで。〕 はいはい。と心の中で返事しながらメッセを返信。 〔了解。}よ 〔一応ワイン、これ。}よ かごに入れたワインのラベルを撮影して、画像を送信した。 S{お、いいじゃん。〕 S{こっちもうすぐ着くから、直で来て。〕 タクシーでも使ったのか、あとから出た彼のほうが到着が早いようだ。 はーいと返事しながら手を挙げている猫のスタンプを送って、スマホをバッグに入れた。 ワインの原産地と同じ地名が書かれたラベルをチーズコーナーで探す。 そうして買い物を済ませてスーパーを出た。人通りもまばらな午後3時。 今日はまだまだ、これからだ。
妖怪とは、風の噂が噂を呼んで、土地土地の風土や家柄によっては楽しみの一つだったように推測する。 あずき洗い、ぬりかべ、一反木綿。名前は率直なものが多く、姿形もそのままに思う。 今日は母といつものスーパーへ買い物へ行った。りんごが食べたい、今日こそはりんごを買うと話していた私に母は。 「りんご食うっていう妖怪みたい」 だとさ! 居そう。かごに置いてあるりんごの山から取って貪り食う妖怪。しゃくしゃくと美味しそうに、背中を丸めて食らう妖怪。 「りんご食うに会ったらどうしたら……。食う? って聞かれるよねきっと」 「多分食べても食べなくても怒られそう……」 確かに。食べると言ったら俺のものだと言い、食べないと言ったらこんな美味いものを食べないなんてと怒られる。 私たちは悩んだ。りんご食うも、私たちも、幸せになる道はないのか。 「りんご……料理して一緒に食べようって言ったら、りんご食うと友達になれるかも」 それだと手を叩き、膝を打ち、スーパーのりんごは高かった。無念。 ガスは来週から再来週にかけて、新しいものになります。イェイイェイ。