サカノウエノミコト

住宅街の細い道。 民家の脇には花とお菓子、ミニカーが置かれていた。 中年の女が膝をつき、手を合わせる。 近所の人たちは、その光景を横目で見ながら通りすぎた。 次の日も、また次の日も、人通りの多い時間を選んで祈った。 その様子を二階から夫が眺める。 「よしよし、順調だ」 夫は妻に言った。 「あのお喋りなおばさんに、『ここで車とぶつかった子はどうなった』と聞いてこい。それだけでいい」 やがて誰かが花台を置いた。 そこには花やお菓子、玩具が並んだ。 人は立ち止まり、手を合わせる。 夫はまた妻に言った。 「夜中に子供を見たって、おばさんに言ってこい」 幼い子供の噂は、すぐに広がった。 「何か怖いわね」 夫が笑った。 「最初に花と菓子とミニカーを置いたのは俺だ」 「何でそんなこと」 「今にわかる」 夜、夫婦は花台を片付け、代わりに小さな祠を置いた。 祠の中には河原で拾った石。白い紐を巻きつけた。 「それらしくなった。ここからが本番だ」 「いいか、人通りの多い時間に手を合わせろ。白い服だぞ」 「何を企んでるんだ」 「お前は知らなくていい。嘘が顔に出るから」 妻は祠に手を合わせた。 異様な雰囲気に、人々は目を奪われる。 「『子供は行くべき所に行かれました』と大声で叫べ。みんなに聞こえるようにな」 若い男が声を掛けた。 「その祠の石は何ですか」 「これは《サカノウエノミコト》様のご子息の枕です。我が坂上家が代々引き継いできた、由緒ある石です。ご存じでしょう」 「そう言えば、昔聞いたことあるような…」 その夜、夫は祠に賽銭箱を置いた。 翌日から祈る人は増え、金も集まった。 《サカノウエノミコト》様は子宝の神。 《サカノウエノミコト》様は金運の神。 あとは勝手に誰かが噂を作ってくれる。 夫婦は賽銭箱を覗いた。 「小銭が多いわね」 「そうだな…御札作るぞ」 御札は飛ぶように売れた。 商店主がお札を貼ると、参拝帰りの人が店に立ち寄った。 店主は「《サカノウエノミコト》様のおかげだ」と言いふらした。 夫婦は土地を買い、工場を建て、朝から晩まで働いた。 妻は夫を睨みつける。 「話が違うじゃないか」 「そうだな。賽銭箱で満足すべきだった」 夫は筆を取り、工場に御札を貼った。 《サカノウエノミコト》夫婦円満

微熱的な日常の延長

「ねえ、アイス買いに行かない?」 「最近、毎晩だね」 「ダメだった?」 「そうじゃなくってさ」  キミと並んで歩くコンビニまでの行き来が、僕にとっては憩いの時間。その沸き立つ気持ちが言わせたんだよ、キミは気がついてないみたいだけど。 「ねえ、何買うの?」 「んんん」  僕にはなんとなくわかる。さっさとカップのバニラアイスを手に取った僕をしり目に、キミはピノとチョコモナカで悩んで、溶けちゃうから僕はいったんバニラアイスをケースに戻して、でもキミはまだ悩んでて「まだあ」と僕が三回くらい言ってキミをせかして、ちょっぴりむきっとしたキミはやっとピノに決めて、僕は心のなかで「やっぱりそっちだねえ」って思うんだ、きっとそうだ。  お店に入るとキミは「今日はもう決めてあるんだあ」と言って右にピノ、左にチョコモナカを手にした。 「ふたつ食べんの?」 「いけるでしょ」 「おなか壊しても知らないよ」 「へーんだ」  僕はこのまえ買ったのとは別のバニラアイスにしてレジに向かう。それでもキミには「いつもとおんなじだね」と言われてしまうのだけど。  店を出るとキミはさっそくチョコモナカの袋を開けてかじりつく。 「カップのアイスじゃあこうはいかないよねえ」  楽しそうなキミの笑顔が、僕の心に涼やかな風を運ぶ。

忘却の街

雨が降ると、この街は少しずつ透明度を増していく。 昨日交わした約束も、誰かの名前も、雨粒と一緒にアスファルトに染み込んでいく。 私たちは傘もささずに歩く。 記憶が溶け出した水たまりを避けるようにして。 遠くで街灯が明滅し、この世界が少しずつ寿命を迎えていることを告げている。 失くすことを恐れる必要はない。最初から何も持っていなかったのだから。 濡れたコートの重みだけが、私がこの街に存在していた唯一の重力だ。

残夏(ざんか)

 もう6月だというのに、最高気温は20度に至るかどうか、その瀬戸際であった。  比較的に涼しい夏。今年の6月は、まるで春みたいな夏だ。 「暑くない6月は、夏ですか?」  通りすがりの他人に声をかけられるまで、私は6月に対する違和感を、みじんも抱いてはいなかった。 「まぁ……夏でしょ?」 「そうですか」  見知らぬカレは少々、残念そうに首をかしげる。 「夏ではない6月があってもいいと思ったんですけど。気温の問題ではないのですね」 「はい?」  私には、カレの言っている意味がよく分からない。だから、思わず「6月って、本当に夏ですか?」とわけの分からないことを聞き返してしまった。ちょっとした反骨精神が、私の胸にむくむくとわきあがっていた。 「では、あなた。夏じゃない6月なんて、想像できます?」  私は首を横に振った。だって、夏って暑いもの。6月は平均的に暑いでしょ。スイカが塩辛くて、甘くなる年頃でしょ。  じゃあ、先ほどの私の質問はいったい何だったのか……ということになってしまう。 「だから、夏じゃない6月を見てみたかったのです」  優しげに、カレはほほえむ。 「たとえば?」 「たとえば、春みたいな6月。秋みたいな6月」 「冬みたいな6月も?」 「そう」  ハツラツとした声。はにかむたびに、より一層カレの語り口は澄んでいく。 「冬みたいな6月は、雪が降るのかしら?」 「そうかもしれません」  なーんて、カレの声があまりにも落ち着いていたから、私は本当に信じてみたい気持ちになった。 「今、雪を降らせてみることはできる?」  突拍子もない質問だと思う。我ながら、無邪気な子どもの遊びじゃないんだから、とツッコミを入れたくなる。  でも、それはお門違いだったらしい。  ふいに、頬にあたったのは、白い粉だった。一瞬、本当に雪が降ったのかと思ったが、それは少し特別だった。まるで桜のような、白い花びら。まるで紅葉のような、白い木の葉。思い思いに降りしきるのは、ひんやりとした冷たさを持っていて――。  前を向いた。私は期待していた。カレと目が合うことを。  でも、そこにカレはいなかった。降っていたはずの雪も消えていた。いや、太陽が出ている。ゆだるように熱の上がっていく感覚。遠くのアスファルトから、陽炎が揺らめいている。  きっと、あっというまに溶けてしまったんだ。  なんでもないように、20度超えの初夏を迎え入れ、人々は行進していく。それぞれの日常を、今日も通りすぎるために。  おはよう、と心の中で呟いてみる。悪くない。夏みたいな6月も、夏みたいじゃない6月だって。  ――また来てよ。と言ってみたかった。  干からびたアスファルトの、足元にある水たまりを見ながら。私は一つ、息を吐いた。

南天の花が咲く季節(5.被害者の過去 )

「私はね、これでも昔は刑事でね」 「そうだったんだですか?凄いですね」 「そうだよ。警視庁の捜査一課」 「いえ、父は警察署の普通警察官でした」 「あら、でも凄いですね。おじいちゃんは事件の捜査とかしたんですか?」 「したよ!昔ね、殺人事件があったんだよ。うちの管轄で。首が切断されてるんだよぉ。あれは凄かった」 「あっ、それ知ってます。当時、ニュースになったやつですよね」 「すみません。では父をお願いします。また来週様子を見に来ます」 「あっはい!分かりました!…おじいちゃん娘さんが帰るって!またねって!」 「そうだよ!若い娘が沢山殺されたんだよ!」 先輩スタッフから声がかかる。 「杉本さん、ちょっとベッドの移動助けてもらえる?」 「あっ!はい!今行きます!…おじいちゃん、私、ちょっと行ってきますね」 「沢山、殺されたんだ…」 沢山の少女の遺体が発見されたんだ 十四歳〜二十歳までの若い娘達が眠るように殺されていた。私が発見したんだ。 遺体にはエンバーミングと言う防腐処置がしてあった、ただ遺体を調べてみると一般的に行われる処置よりも、遥かに長い時間防腐する施術が行われている事が分かった。 この施術は松永氏自身が行っており、施術する器具や薬品は倉庫の地下にあった。ただ、倉庫のあるあの土地には誰にも近づけてはいないようで、宅配や郵便の受け取り記録はない。 薬品の受け取りなどは自身の殺害現場の、あの自宅を利用していたようだった。 松永氏はいつエンバーミングの技術を身に着けたのか? それは5歳の時に彼を引き取った祖父の松永繁だ。 松永氏は寂しい幼少期を過ごしている 松永家は代々資産家なのだが、松永重政の両親はその資産で自分達の快楽と死を買った。彼等はマリファナに溺れ、母親は授乳をしながらもマリファナを吸っていたと言う。 父親は滅多に家には帰らず、たまに帰っては妻にマリファナを渡し、暫くして風のようにいなくなる。最後は自ら外したマンホールの中に落ちて死亡した。 母親は夫を無くし、マリファナを無くし、正気を無くした。病院へ送られ、幼い松永氏は祖父の下へ送られる どんな母であろうと子にとっては、世界にたった一人の母なのだ 松永氏の母親は当時は介護施設で寝たきりだったが警察の取り調べには応じてくれた。まだオムツの取れていない松永氏の首を笑いながら絞めていた事もあったと語る彼女は、若い頃は相当の美人だったのだろうと思われるが、ベッドで横たわる彼女は天日干しされた大根の様な身体で、自分の息子への懺悔の気持ちを話してくれた 松永氏は5歳で両親と離れた後、祖父の家、つまり後に自身の殺害現場となるあの家に引き取られ生活をすることになる 祖父の妻、松永氏の祖母は既に他界していて、祖父と孫の二人の生活が始まる。 祖父の松永繁は裏稼業を営んでいて、それが死者の貸出だ 祖父の松永繁は若い頃ロシアで死者の貸出を経験し、その防腐処置を学び自国に帰り、密かに防腐処置技術を高め、日本国内での営業を始める。 世界各地に観光客のフリをしながら、興味のありそうな主に暇を持て余す金持ち達を見つけ、話を持ちかけていく。顧客がある程度見つかると、自国に帰る。 丁寧に商いを行ってきた松永繁も年齢と共に引退を考えていたが、そこに思わぬ跡取りが見つかった 松永重政だ。 まだ5歳の少年が両親と離れ、死体の貸出業者の生活をしていたと思うと言葉が出ない。悲惨でしかない。 「たすけて!」 「だれか、たすけて!」 「ママー!ママー!!」 「おじいちゃ〜ん!ご飯ですよ!起きましょうか!」 さっきの若い女性スタッフが私の車椅子を押していく よく見る夢を見ていた気がする 誰も助けられなかった気持ちだけが手の中に残っている

それでも、

きれいな夕陽を見たからって無理に感傷的にならなくっていい あれくらいのことでココロは正しくなんてならないのだ 仕事、ちょっとだけ持ち帰ってしまった、たぶんやらないんだなあ 肉じゃがの残り汁でつくった八宝菜、おいしくできた 少しくらいは食べるほうに気持ちが向くのかな、向くといいけどね 一日一個と決めているアイス、今日はやめにしておく かわりに水ようかんと芋けんぴ、渋いわね私ってば あのころの夏合宿を思い起こさせる麦茶は牛乳で中和して 夏が来るのだなあ 身構えてしまうけど 夏が来るのだなあ 特に準備はしていないけど それでも、夏が来るのだなあ

死ぬ権利

ある政治家が緊急記者会見を開いた。 真剣な面持ちでマイクの前に立つと、集まった記者たちに一礼した。 「私は、国民の皆様の死ぬ権利を保証します」 政治家は動じず、淡々と語り始めた。 「我が国の医療費は年々増加しています。私は、医療費削減のため『尊厳死還付支援金等に関する法律の一部改正を認める法案』を国会に提出しました」 ざわつきの中、政治家は続けた。 「医学的に延命治療が不可能な患者様が尊厳死を選択した場合、延命を続けたときにかかる医療費の半分を還付金として支給します。 申請の妥当性は、AIのみで構成される第三者委員会が判断します。本人、家族、後見人等が尊厳死を理解し、同意することが前提です」 テレビの画面を見つめる女。 その隣には、長い間管につながれたまま眠り続ける夫がいる。声をかけても反応はない。そんな時間が一年を超えていた。 テレビの司会者が、評論家の女に質問した。 「あなたの立場から、今の社会の風潮をどう考えますか?」 「最初は倫理的にどうかなと思いました。でもね、家族の金銭的、精神的負担を考えるとね。国も医療費を減らしたいと思っている。時代の流れかしら」 法案は成立し、運用が開始された。 AIは、不正申請や悪質な養子縁組なども瞬時に判断した。 その実績を政府は大々的に報道し、制度の正当性をアピールした。 あの政治家が再び記者会見を開いた。 「政府は規制緩和の一環として、支援金の有効活用を目的とする民間企業の商品開発、および第三者委員会のAIの一部利用を許可します」 感嘆の声が会場に響いた。 支援金は国民の生活に変化をもたらした。 「故人からの最後の贈り物」として美化され、生活の一部となった。 夫婦の病室。 温かいタオルで夫の体を拭く妻。 医師やAIからは、すでに受理のサインをもらっていた。 署名をすれば終わる…。 妻が机の上を見つめた。 そこには、笑顔で寄り添う二人の写真が飾られていた。

作家は経験したことしか書けないから童貞は夜の描写ができない

「なんてことだ!」    天才恋愛作家として名を馳せた俺。  いよいよ童貞主人公とヒロインが結ばれ、ハッピーエンドの初夜を描こうとしたのだが……書けなかった。  いつもであれば指揮者のごとく滑らかに振るわれるゴッドフィンガーも、先程から石化でもしたかのように動かない。  おう、まい、ごっど。    俺の頭の中に、一つの言葉が浮かんでくる。   『作家は経験したことしか書けない』    という残酷な一文。    確かに俺は童貞だ。  認める。  だが、夜の描写は、エロ動画を何度も見て履修済み。  書けないはずがないのだ。    気分転換にコーヒーを飲んでみても、筋トレをしてみても、状況は変わらず。  文字数が一文字たりとも増えることはない。  頭をこねくり回し続けること一日。  俺はようやく原因がわかった。   「はっ! まさか、エロ動画にはどちらも初めての役者がでてこないから、俺は初夜が書けないのか!」    俺は絶望した。  あまりの絶望に、壁に向かって倒立をし、バランスを崩して床に倒れた。   「あーっはっはっは! まさかこんなところで、天才恋愛作家である俺が壁にぶつかるとは!」    もはや笑うしかなかった。  俺は床に大の字になって、狂ったように笑った。  口の中が空からになるまで笑いつくした後、俺は天才としてのプライドを護るために決めた。   「よし。恋人作って初夜を経験しよう」    完全に狂っていたが、今の俺にはこれ以上の案が出てこなかった。  そうと決まれば、俺は担当編集に電話をかけた。   「もしもし?」 「初夜を経験したいので、女の子紹介してください」 「……からかってるなら切りますよ? 私、こう見えて結構忙しいんですよ」 「本気です!」 「本気ならさらに切りたいです。そんなに経験したいなら、夜のお店にでも行ったらいいじゃないですか」 「何を言ってるんだお前は。夜の店だと、相手は初夜じゃないだろう」 「何を言ってるんだお前は」    担当編集に今までのことを説明すると、担当編集は渋々納得してくれたようで。  電話を切った後、近くで行われる街コンの情報をメールで送ってくれた。    担当編集の好意は無駄にはしない。  俺はさっそく一丁裏に着替え、街コンへ繰り出した。    そして撃沈した。   「うえっ……うえっ……うおおおおおおん!」 「はーい、よしよし。泣かないでください」    まさか、街コンがあんなに恐い場所だったとは。  話しかければ苦笑い、酷い時は無視。  天才恋愛作家の俺の心は、雑な宅配業者に運ばれたポッキーやプリッツ並にバキバキだった。  最近降られたバキバキ童貞もこんな気分だったのかと思えば、バキ童チャンネルを見てまた泣いた。   「大丈夫ですよ。恋人を作る手段は、街コンだけではありません。合コン、マッチングアプリ、出会いバー。好きな物を選んでください」 「ここまで来たら、なんでもやってやる!」    俺はがむしゃらに挑戦した。  そして全滅した。   「~~~~~~~~~~~~~」 「せめて声を出してください」    俺は三日間、執筆を止めて部屋に閉じこもった。  ご飯は全部マクドナルドのデリバリー。  時々すき家。  チーズ牛丼の美味しさが心に染みた。    三日三晩泣き叫び、いっそ清々しくなった心で机に向かう。  根を張ったように動かなかった手が、信じられないほどの速さで動き始めた。        その後、俺は完成した新作で、翌年のなんたら小説コンテストの大賞を受賞した。   「おめでとうございます、先生! いやまさか、もう体を重ねるだけってタイミングで、新ヒロインが登場するとは。こんなの誰も予想できませんよ。さすがは、天才恋愛作家」    俺はゴールドに輝くトロフィーを抱えながら、最高の笑顔で返事をした。   「まったく嬉しくない」    新作発売後のエゴサで見つけた一文は、未だに俺の心に残っている。   『この作者、絶対童貞w』

買い取り屋

公園のベンチに、白髪の女が座っている。 女はスマホを眺めながら、小さなため息をついた。 「どうした、そんな顔して」 顔見知りの男が声をかけた。 「あぁ、あんたか。いや、娘から連絡があってな」 「疎遠になってる娘か?」 「結婚して、子どもが生まれたんだ。顔見にこいって」 「おぉ、よかったじゃないか」 女の隣に、男が座った。 「金がないんだ。電車代と、孫になんか買って行かんと」 「それもそうだな」 「あんた、金貸してくれ」 「ダメだ。今日の軍資金がなくなる」 男は笑いながら指差した。 「そこの路地んとこに、店があるだろ。そこ、買い取り屋だから何か売って金にしろ」 「はぁ……売れるもんない」 「孫が生まれて嬉しい気持ちを売ればいい」 「そんなもん買ってくれるのか」 「半分だけならいいだろ」 女は、路地裏にある買い取り屋の扉を開けた。 「どうだった?」 「半分だけ買い取ってもらった」 女の頬が緩む。 「じゃあ、今から孫のとこ行くんだな」 「ん……今日じゃなくていいだろ。軍資金も入ったし、ちょっとだけ行くか」 「お前なぁ……」 自動ドアが開くと、賑やかな音楽が聞こえた。 女は軍資金を胸のポケットに入れ、いつもの台に座った。

日本人のマナーの裏

 日本人はマナーがいい。  SNSではそんな評価をしばしば目にするし、ぼく自身もそう思っている。    ただ、マナーがいいの裏には、一つだけ落とし穴がある。   「ご馳走様でした」    隣の席の人が、食事を終える。  少し後、ぼくも食事を終える。  セルフレジが一台しかなかったので、ぼくは隣の席の人の後ろに並ぶ。  隣の席の人は、慣れた手つきでセルフレジを操作し、キャッシュレス決済まで完了する。    セルフレジから、レシートが出てくる。  しかし、レシートが出て来たときには、隣の席の人はセルフレジに背を向けて、出口のドアに手をかけたところだった。  ぼくは、空いたセルフレジの前に立つ。  セルフレジには、『レシートをお取りください』のシールが目立つように貼ってある。   「……またか」    ぼくは、セルフレジから顔を出しているレシートを引っ張り出し、周囲にレシートを捨てるための箱がないことがわかると、やむを得ず自分のポケットにレシートを突っ込んだ。    セルフレジを操作しながら、日本人の裏を考える。    日本人は、マナーがいい。  マナーがいいから、暗黙のルール守る。  災害時という特殊な状況下においても、列を乱さないくらい、厳格に守る。  逆を言えば、一度決まった暗黙のルールを、正規のルールが追加発表されようが厳格に守る。   「有人レジの頃は、レシートを捨てるの、店員さんがやってたもんなあ」    未だに、セルフレジからレシートをとると言う追加ルールを守れない人たちばかりなことに嫌気がさして、誰に頼まれる訳でもなく尻ぬぐいをしている自分に嫌気がさして、会計後に出てきたレシートを引きちぎるようにとってしまった。

while

#include <stdio.h> void repeat_program() { printf("データの解析が完了しました。\n"); }  あれ?  ふと抱いた、強烈な違和感。  何これ。なんだかよく分からないけど、変な感じがする。  ボクは、自分の身体をくまなくさわった。しかし、特に怪しいところは見つからなかった。周りの景色もボクの認識も、いつもと何も変わらない。  ……気のせいか。ひとまず、そういうことにして。ボクは見慣れた通学路を、仕方なく歩いた。\n  数年後、とある変わり者の知り合いがとんでもない試作品を開発した。それはタイムリープ装置。装置というより、魔法の道具みたいなもの。  それこそ魔法瓶の中に入った液体をのむだけ。なにやらプログラミングをいじくっていたら、いつの間にか、こんなものが出来上がっていたらしい。 「ちょっとだけ蝶の鱗粉とか混ぜたんだよ」  知人Aは、なんでもなさそうに言ってのける。なぜパソコンの画面上で行われていたはずのプログラムから、怪しげな化学薬品を作れるのか。ボクには全く理解できない。  変人。いや、鬼才なのだ。しかし、そのことを知人Aは自覚していない。あくまでも鬼ではなく、人の枠をはみ出さないよう生きている。 「本当にタイムリープなんて、できるのか」 「多分ね」 「多分ってなんだよ」 「論理的には可能なはずだ。そうなるように調整してあるからね」  ふと、Aは思いついたように顔を上げた。 「あっ。きみ、小学生の頃、通学途中でなにやら強烈な違和感に襲われたらしいじゃない」 「その話か」 「試してみる?」  目の前で魔法瓶が左右に揺すぶられる。まるで振り子のように。「保証はできないけど」 「やるよ」  ボクは即答した。 「それを飲めばいいのか」 「本当にやるの?」  間髪入れず、Aはたずねた。  ボクは無視して、魔法瓶の棚に指を向ける。 「時間の指定はできるのか」 「一応ね。今から10年前、5年前、1年前の瓶がある。それらを組み合わせて飲めば、時間調整はどうとでもなる」 「効果は?」 「無限だよ」  思わず、目を見開く。本当かよ。 「本当だよ、そこがネックなんだ」  首を掻きながら、Aは瓶をいくつか手に取った。それらの中身をガラス棒で混ぜ合わせる。 「自分の精神を過去に飛ばす。いわば、一時的に過去の自分の精神と同化する状態になるんだ。そして、また戻ってきたい時は、その同化状態を解除する必要がある」  液体がくるくると混ざっていく。 「つまり?」  くるくる、くるくる。 「帰りたくなった時に『帰りたい』と念じるんだ。それだけでいい」  ガラス棒の動きがピタリ、止まった。  Aは、こちらに調合された魔法瓶を手渡す。 「本当にやる?」  もう一度、Aはたずねる。 「自分が言ってきたくせに」  だから、鬼になれないんだ。だから、人のままなんだ。だから、何も。 「変わらないかもよ」 「それでもいい」  何も起こらないなら、それでも。  だって、気になっていたから。ずっと。あの時から、ずっと。  仕方ない。気になるものは気になるのだから。  ボクは瓶をかたむけて。仕方なく。飲んだ。\n int main() { int init = 10 + 5 + 3; while (1) { repeat_program(); printf("今から %d 年前のデータを確認します。\n", init); printf("【init(%d年前)の設定に戻る】\n", init); printf("-------------------\n\n"); getchar(); } } 今から 18 年前のデータを確認します。 【init(18年前)の設定に戻る】

治外校則権

 校則。  どの学校にもある、生徒が守らなければいけないルール。    うちの学校には、変なルールがある。  それは、教室の後ろに置いてあるフラフープに入っている時のみ、校則を無視してもいいというルールだ。  今も、ほら。  学級委員の神崎さんが、パンツが見えそうなほどスカートを短くしている。    フラフープの大きさは、生徒一人分。  頑張れば二人分。    フラフープに入る理由は、色々だ。  神崎さんみたいに、制服を着崩したくなったとか。  食いしん坊の木見さんみたいに、お菓子を食べたくなったとか。  お調子者の久慈くんみたいに、変な踊りをしたくなったとか。    フラフープの中でやったことは、当然皆に見られている。  でも、フラフープの中でやったことは、皆なかったことにしなければならない。    見てみぬふり。  知らぬ存ぜぬ。   「あー、すっきりした」    神崎さんがスカートの丈を戻して、フラフープの外に出た。  自分の席に戻ると、先生が次の問題の解答者に、神崎さんを指名した。  神崎さんは席から立ち上がって、すらすらと正解を口にした。   「正解。さすが神崎さんだ。皆も、神崎さんを見習うように」 「はーい」    照れくさそうにする神崎さん。  ぼくは、そんな神崎さんを見ながら立ち上がり、フラフープの中に入る。   「可愛いー! 好きだー! 神崎さーん!」    神崎さんの肩が、一瞬上下する。  決してこっちは向いてくれない。  神崎さんの彼氏の欅くんは、ふるふると肩を震わせている。   「あー、すっきりした」    ぼくはせいせいした気持ちで、フラフープの外に出た。    フラフープの中でやったことは、皆なかったことにしなければならない。    だから、神崎さんも欅くんも、ぼくに対する態度を変えることはない。  変えられない。        好きだよ、神崎さん。  ずっとずっと、叫び続けるよ。    嫌いだよ、欅くん。  ずっとずっと、叫び続けるよ。    チャイムが鳴る。  授業が終わる。  ぼくは教科書を机に仕舞い、何食わぬ顔で欅くんのところへ向かった。

君とまた宇宙で

「お父さん! 明日もまた来ようね!」 息子からそう言われた時、私はつい苦笑いを返してしまいました。 息子はまだ5歳。地球を出発した時はぐっすり眠っていて、起きたらいつの間にかこの場所にいたため、どこか近場の遊園地にでも来ている気分なのでしょう。しかし、ここは地球から遠く離れた宇宙なのです。 とはいえ、若い頃に想像していたよりはずっと早く、たった7〜8時間で私たちは宇宙へと運ばれました。宇宙空間に向け、莫大なエネルギーを推進力に変換する最新の宇宙船のおかげで、遠い海外へ行くよりもずっと短い時間で目的地へ着いてしまうのです。 私たちが訪れたのは火星のテーマパーク。そこには、地球の遊園地とは比べ物にならないほど魅惑的で面白いアトラクションがたくさんありました。 そして帰り際、冒頭の息子の一言があったのです。 「ははっ、明日は無理かもしれないけど、近いうちにまた来ようね!」 私は苦し紛れにそう返すしかありませんでした。 というのも、宇宙旅行の費用は海外旅行の比ではありません。庶民の貯金では到底手が届かない、天文学的な金額なのです。今回は「初回限定で大幅な割引が適用される」という政府の特別政策を利用して、ようやく叶った旅でした。次回からはそうはいきません。 父親としての見栄を張って約束してしまった手前、心苦しいのは山々ですが、宇宙旅行が一般化して安くなる頃には、私にはもう行く体力が残っていないでしょう。 それでも心の中では、目の前のこの小さな君がすっかり大人になった頃、もう一度肩を並べて同じ景色を見たいと強く願っていました。 二日間全力で遊び、すっかり疲れ切った体を帰りの宇宙船のシートに沈めます。 静かに動き出した船内で、息子がふと言いました。 「お母さんは、どこにいるの?」 私は一瞬、思考が止まりました。そんな私の戸惑いなど気にも留めず、息子はじっと私の目を見つめて続けます。 「お母さん、お星さまになったんでしょう?」 ――そうでした。私は幼い彼に「お母さんはお星さまになったんだよ」と教えていたのです。もともと体が弱かった妻は、この子を産んですぐに亡くなりました。どうすることもできない運命でした。 「お母さん、どのお星様になったの?」 気づけば、目から滲んだ涙が頬を伝っていました。 「うん……どこだろうね。こんなにたくさんのお星様の中から探すのは、とっても大変だね……」 泣いているのがバレない様にまるで子供の様に笑顔で強がってみせます。 「あ、あれお母さんだ! お父さん、あれがお母さんだよ! 見つけたよ!」 息子の小さな指先が示す先にあったのは、決して一番強く輝く星ではありませんでした。しかしそれは、宇宙の暗闇の中で、一番優しくあたたかい光を放つ星でした。それを見た瞬間、私は本当に妻の姿を見たような気がしたのです。 死者の魂が星に生まれ変わることなどないと、一体誰が断言できるでしょうか。真実を誤魔化すために息子の前に立てた嘘の壁は、世界の在り方を示す鏡だったのかも知れません。 息子は写真越しでしか妻を見たことがないはずはのに、私よりも妻の本当の姿を見抜いているように感じました。 「ああ……間違いない。間違いなく、お母さんだ。君のお母さんだよ」 ついに涙を隠しきれなくなった私を見て、息子は「お父さん、変なの」とでも言いたげな不思議そうな顔をしていました。しかし数十分後には、安心したのか私の胸の中で再びすうすうと寝息を立て始めました。 もう一度、君に会いに来よう。 それまで、あの場所で待っていてくれるだろうか。いや、きっと大丈夫だ。星の寿命は人間よりずっとずっと長いのだから。この子はこれからぐんぐん成長し、あたたかな君の光はますます輝きを増していくに違いない。二人の成長と輝きを見守ることができる私は、なんて幸せ者なのだろう。 静かに眠る息子のやわらかな髪を撫でながら、私の心はまるで無重力のように、ふわりと軽く浮き上がっていくのを感じていました。無造作に跳ね上がった毛先とあの星を一直線に繋いで独り呟くのです。 君とまた宇宙で。

夜は明けるから #7

それから暫く、先生の献身的な看病が続いた。その間、先生と院長以外はみんな下の階のソファに座っていた。お昼ご飯は冷めてしまいそうだが、誰一人として文句を言わず、静かに待っていた。 それにしても、真ん中に私が座っているというのが少々気まずい。 すると、インダが声をあげた。 「どこから来たんだろう」 「藪の中だし、隣町かな」とレイ。 「歩いてきたの?」 インダが呆れて聞き返すと、今度はミミがソファの端から大きな声で言う。 「でも、私たちも歩いて帰ってきたよ?」 すると、リッカも被せて「歩けない距離ではないと思う」と腕を組んだ。そして、続ける。 「理由が分からない」 「孤児だから?」 私が問いかけると、カウルは即座に否定した。 「そんなわけないよ」 「でも、あの服装は」と反論するも、「向こうではよくある」とカウルは冷たい目で言った。 私は黙り込み、その後は話の輪に入るのをやめた。暫く静観することにする。ミミも同じようにソファの端で丸く座っていた。 「顔立ちはこの辺りの感じの子だった」 「確かに。レイとも似てた気がする」 「やめてよ、リッカ」 レイは同じ扱いをされるのを過剰に嫌がった。自分を孤児だと認めたくないのだろうか。私はテーブルにあるお水を口に含んだ。 「別に他意はないよ。同じ町の出身かもー、って思っただけ。気分を害したなら、ごめん」 レイは「いいよ、気にしてない」と言いつつ、頬を膨らませていた。 「じゃあ、あの子はレイのベッドね」 「おい、なんでだよ!」 レイはインダに怒鳴りかかった。それをリッカが制止すると、カウルが「僕だって我慢したんだから」と横槍を入れる。 「あれはお前のベッドが一番新しかったからだろ。その理論ならもう一回カウルのベッドだろ!」 「なんで、やだよ!」 レイとカウルは激しく言い合い、火花を散らした。それを遠くから見るミミと私は目を見合わせて呆然とした顔でいる。 「でも、レイが見つけたんだから、レイが世話しなよ。いっつも虫とか動物を見つけたミミにそういうんだから」 「いや、それとこれとは話が別だって」 レイは無差別に憤慨しているが、手は出さない。大人の対応をしているところを見ると、ここの孤児院は徹底した教育もあるのだろう。躾というやつか。 私は階段の方を見上げた。 静かな二階。 「院長に聞いてみたら?」 全員の視線が私に向く。鋭い目と優しい目が視界に入った。 「ここの絶対権力は院長でしょ? 違うの?」 私はインダに向かって問いかけるが、インダは無言を貫いた。どうして隠すような素振りを? と思っていると、カウルが「院長に聞くなら、リッカに頼まないと」とリッカに視線を誘導する。 「いやだ、そういうのは受けない」 話は振り出しに戻る。 そこへ、先生がバケツを持ってやってきた。 「あの子は大丈夫ですか?」 「ただの栄養失調だと思う。碌なものを食べてないんじゃないかな」 「果物なら搾って流し込めるかも」 「どうだろう、果物で栄養が足りるかどうか」 リッカと先生はあれこれ考え始める。インダはそれを頬杖をついて見ている。静聴の眼差しは本心を穿っているだろうか。 「シチューなら得意じゃん、ママ」 カウルが口を挟むと、「それはカウルが食べたいだけでしょ?」と少し微笑んだ。先生はどっちが本当の顔なのだろう。タンポポみたいだと思った。 栄養が足りていない時、私は過去に「点滴」という治療を受けたことがある。弟に何不自由なく食べてもらおうと自分の食事を我慢していたら、倒れてしまったのだそう。弟はまさかそんな理由で倒れたとは知らず、「間抜けだな」と笑っていた。 私はカウルの嬉しそうな表情を見て、そんなことを思い出していた。 「とにかく、みんなお昼ご飯待っててくれたんでしょ? お昼にしましょう」 先生は私たちをテーブルに導き、一人一人座らせた。もちろん、私はインダの隣、アルバートの席。 リッカはその席に座る私を睨むように見た。細い狐目の奥には怒りが垣間見えた。 不味い昼食になりそうだ。 ミミとレイは昼食を見て、正直に冷めていることを口にしたが、インダやカウルは先生を前に何も言わずにただ「美味しそう」といろんな角度から眺めた。 「それじゃあ、手を合わせて」と言いかけた先生の音頭を遮って声がする。リッカだ。 「院長に昼食持ってってくる」 リッカは席を立つと、自分の昼食を抱えて階段を登って行った。一段ずつわざとのように踏み鳴らす感じに、私は父の面影を見た。 不機嫌になると言葉ではなく、音で示そうとする。それが母の癪に触り、また喧嘩になる。ほとんどが水掛け論だったのを覚えている。子どもながら、ああはならないでおこうと思った。 「変なやつ」 レイが呟く。それをインダが注意する。 私は階段を見つめた。 「仕切り直して、いただきます!」 【つづく】

話してあげられるほどはないけれど

気がつくとゆめのなかにいる。寝ながら泣いていたりする。朝方、ちょっと起きて、そこからまた寝てしまって。ずいぶん寝ていたように思って、でも起きてみたら昼くらい。気持ちとしては、もっとたくさん寝ていたように思っていたのに。 どうやら、ちゃんとは寝られていなかったみたい。 ちょっとよくない感じ? 何か心配ごと? 先週のこと? 自分ではどうすることもできないことへの割り切りができない。 期待してたわけだけど― 自分でも思っていた以上にそのことを重くとらえていたみたいだ。それに見合っていない状況に、思っていた以上の落ち込みを見せてしまっている。そのことを、きちんと受け入れないといけないとの思い、そして、これからのこと。あきらめきれない思いもそこに合わさって、おかしな具合にまぜこぜに。ヘンな感じ。いろんな意味で、イヤだイヤだ。だから、ずっとヘンな感じ。 それでも、こまめに水分補給ができている。それも、いつもより多めに。ややもすると、たぷんとするおなかが叫ぶくらい。カラダのなかに湖がまるごと沈んでいるみたい。心なしか窮屈で、それでいて誇らしい。 気持ちが向かなかったのを無理やりなんとかそっちのほうに向けていって、どうにかこうにか買いものに出ていけた。よかった、これでまた一週間、生きていける。 かとり線香のぐるぐるをキミに見せてあげる。だからなんなんだ、といった顔をされる。そのくせ、かとり線香からつううとのびるケムリには興味津々。 そういえば… キミに話してあげられるほどの話題は持ちあわせていないんだった。 平和なんだよね。 なら、それで… いいんだろうなあ。

真理

「この世は顔です。異論は認めません。 顔採用というものは本当にあるみたいですし、顔がかわいかったら鏡を見るだけで気分が上がって全てうまくいくでしょう。 美人も辛いと言いますが、少なくともブスよりは辛くないでしょう。 だってブスに整形したくはないでしょう? 努力は必ず報われるわけがありません。 努力が全て報われるのならば、この世に自殺はあんなにありません。 報われなかった努力はしてないのと一緒です。 だって何の結果も残せなかったのなら、努力した意味がありません。 努力がめられるのは、認められるのはせいぜい学生までです。 女ウケが悪くても男ウケがいい女は生きるのが上手いです。 男と仲良くなれるコミュ力があれば女と仲良くなれるコミュ力も最低限持っているからです。 それと要領がいいです。」 「何言ってるん、るか」 「この世界の真実」 「しぬ」 「しぬな」 「生きる」 「いーやん、でも実際全部これだよな」 「たしかし、反論できんわ」 「やっぱ、るかって天才!」 「私の方が天才」 「それはないわ」 「ありすぎる」 隣の席から女子中学生の会話が聞こえてくる。 この世の真実か、一理あるな。なーんて、賢くもないけど考える。 本当にこれが真実だったら相当生きづらいな。 僕はコーヒーを飲み干して席を立った。

好きが何かも分からないけど

君がとても好きだけど どうしてこんなに好きなのか分からない 僕は昔、君だったんじゃないかと思うくらい、体中の細胞が君に引き寄せられている 好きが何かも分からないけど 幸せが君なのは分かる 君は僕をどう思う?

動画ばっかり観て3年経った

 ハアハア脳が劣化する。 僕が1日にAV5~6時間観てるって噂になってる。 そんなにエロばっかりでも無いです。 花を最近買っていない。 植物の生殖器を部屋に飾る。 何かそういうと偏執的に聞こえる。 全て性に繋がるような社会構造。 スケベなのはいいが(それも良し悪しだ) 世の中をイタズラする変質者であるので世の中はしっちゃかめっちゃかになる(妄想) 知り合いに女の子にイタズラしちゃ駄目だよ、と諭される。 絵や文章で妄想してイタズラしようと思うが体力がないぞ。 官能小説書きたい。 春画描きたい。 変質者の梅雨は色々な意味でねっとりジットリしている。

自信薬

白を基調とした、落ち着いた雰囲気の診察室の中で二人の男が向き合っていた。 「今日はどういった、症状で?」 医師であろう男が、患者に尋ねた。 「ええと、これから一時間後に大事な会議があるのです。もちろん、ちゃんと準備はしたのですが、どうも不安で居ても立っても居られない。どうか助けていただけませんか。」 患者の男の顔は蒼白く弱った様子をしており、腕もわずかに震えていた。 「ちょうどいい。貴方にぴったりの薬がありますよ。」 医者は満面の笑みで患者に言った。 「ほ、本当ですか?」 「ええ、本当ですとも。これですよ。」 医者はゆったりと立ち上がると、棚から茶色の小瓶を取り出し、患者の目の前にかざした。 「このカプセルを飲めば、貴方も自分に自身を持てますよ。」 「どういうことです?具体的にはどんな効果がある薬なんですか。」 患者は不安げに、しかし、わずかな希望を宿した目で医者を見つめた。 「そのままですよ。この薬の効果は、飲んだらぴったり一時間、自信満々な状態になるんです。」 医師はゆっくりと、うなづきながら言った。 「そんな素晴らしい薬があるのですか。しかし、有名になっていないということは、それなりの副作用もあるのでしょう?」 「いえ、今のところ副作用は確認されていません。実をいうとこの薬、私が開発したもので、まだ実用化はされていないんですよ。」 「はあ、そうなんですか。」 患者は、訝しむふりをしていたが、心の中ではすでに薬を使いたくて仕方がなかった。 「大丈夫ですよ。すでに何人も使って、効果を確かめていますから。」 医師が患者へ薬を手渡した、その時だった。 診察室の扉が勢いよく開け放たれた。 扉の前には、顔を真っ赤に染め、怒りに震える男が立っていた。 「おい!お前のせいだ。お前があんな薬を飲ませるから……。上司を殴るなんて、俺の意思じゃないのに。」 男は手前のイスに座る患者には目もくれず、医師に詰め寄っていった。 「まあまあ、落ち着いてください。」 医師は自らの目の前に迫る男ではなく、自分の腕時計を見ながら言った。 「おい!こっちを見ろ。」 男のこぶしがあと少しで医師にとどくというところで、フッ、と男の力が抜けた。 すると、突然、さっきまで怒り狂っていた男がすすり泣きを始めた。 「大丈夫、ほら、これを飲んで。」 医師は男に小瓶とペットボトルの水を渡して言った。 男は無造作に瓶の中から数粒を出すと、勢いよくそれを体内に流し込んだ。 「ありがとうございました。では、新しい仕事を探してきますよ。」 男は、何事もなかったかのように立ち上がると、満面の笑顔を貼り付けて、診察室を去っていった。 「い、一体なんですか、今のは。」 一連の流れを見ていた患者は、何とか声を振り絞って、医師に尋ねた。 「彼はまあ、特別うまくいかなかっただけです。普通、ああはなりませんから、安心してください。」 医師は頭を掻き、気まずそうに言った。 「ふざけるな。そんな危険な薬飲んでたまるか。」 患者は怒りのこもった眼で医師を見た。 「あ、ああ……。ほんとにその通りですよね。ごめんなさい。こんな最悪な薬を作ってしまって。」 患者だった男は、会議資料の入ったカバンを持つと、医師の言葉を背に診察室を去った。

お狐さまと暮らす特に何も起こらない日常:09

【けれどスイッチをさがす】  どうにも会社の人たちとうまくコミュニケーションをとれない。犬をイッヌと言い、ねこをぬこと言い、自分のことをわいと言う。そんな面妖じみた言葉を巧みにくり出してくる人たちと、戸惑いなく、どう関係を積み重ねていけばいいのだろう。誰にも相談できないまま、いたずらに時計の針だけが進んでいく。それでいいのだと許しているのは、ほかでもない僕自身だ。  エスカレーターの片側はあけるらしいと知った。あけないといけないらしいと知った。そのときは確か右側にいて、僕はゆっくり歩いて登っていた。そのときは、と言ったけれど、たいがい僕は歩いて登っている。駅のホームまでの長い道のりの途中くらい、僕は立ち止まった。前の人が止まっていたから。その先の人も、その先の人も。だから僕もしかたなく止まっていた。けれど止まってほしくない人というのがいて、僕のすぐ後ろにそういう人がいた。声だけの判断では女の人だった。年のころはわからない。その女の人の声は「歩いて進みなさいよ。止まるんなら反対側によりなさい」とやけに荒く言ってきた。どうしていいのかわからずにいると、同じことをまた聞かされることになった。しかたないので「前に人が止まってますから」と半分、振り向いて言うとそれはあっさり消えた。結局、僕はそこに止まったまま上まで運ばれた。振り向くのがなぜか怖く、僕はホームの端っこまで一心に歩いた。なんと言えばよかったのだろう。何が正解だったのだろう。あれから、エスカレーターは避けるようになった。   ・  約束を破られてしまうには、まず人と約束をしないといけない。僕はそもそも人と約束すらしようとしない。約束を破られることはもちろんないけれど、約束をきっちり守ろうとする人も、守ってもらうことの事実も、そこには何もない。   ・  仕事ができる人が必ずしも上司としての適性があるとは限らない、と誰もが理解していない現実。   ・  男から女に対してだけがセクハラじゃない、女から男へのセクハラだって存在するし、なんならたくさんある、でもそれを声高に言うと「男のくせに」とセクハラ発言をお見舞いされてしまう現実。   ・  油あげとけつねコロッケをたくさん買うとヘンな目で見られるというあたり前のような現実。   ・  自分の顔は自分の目では直接、見ることはできない。何か道具を使って映してみるか、あるいは他人に伝えてもらうか。映ったものが、誰かが伝えてくれたものが、真実とは限らない。信じるか、信じないか。自分にゆだねられることの恐怖。   ・  弱っていたり、運気が悪かったりのときというのは、得てして自分にとってよくないものを呼び込んでしまいがち。ひそかに、それはお狐さまにも内緒にしていることだけど、陰ながら応援しているアイドルグループから卒業するメンバーが発表された。それはしかたないことで、でも慣れてくれないのも毎回のこと。   ・  お狐さまに出会ってから書いていた日記らしきものは、文字の数が減っていき、文章の長さが短くなっていく。「植物に水をあげた、よかった」「仕事の帰り、買いものに行けた、よかった」。それすらも書けなくなっていき、真っ白のページが続くようになった。

壁一枚挟んだ同棲

 ベッドに寝っ転がっていると、焼き魚のいい匂いがしてきた。   「お、今日は魚か」    ぼくはベッドから起き上がって、キッチンと言う名の廊下へと向かう。  そして、棚から魚介豚骨味のカップラーメンを取り出して、お湯を注ぐ。  三分経つのを待ってから、蓋を開ける。    隣の部屋からもお皿を運ぶカチャカチャと言う音がしてきたので、きっとお隣さんもそろそろ夕食なのだろう。  ぼくは割り箸を割って、麵が多少伸びるのも厭わず、食事の合図を待った。    パンッ。    と、手をったく音が聞こえた。  ぼくも、優しく手を合わせた。   「いただきます」    ズルズルズル。  麺を一気に頬張っていく。  何度も食べた魚介豚骨味ではあるが、お隣さんお部屋から漂ってくる、香しい焼き魚の香りがあれば、いつもよりも美味しく感じられた。   「ご馳走様でした」    ぼくはカップラーメンの容器をゴミ箱に捨て、再びベッドに戻り、その上に座る。    お隣さんは食べるのが遅い。  ぼくが食べ終わったニ十分後くらいに食べ終わり、皿洗いだろう水道の音を響かせる。  食事が終わったらお風呂の準備をするのがいつものルーティーンなので、お風呂にお湯を入れる音が聞こえたら、ぼくも浴槽の蛇口をひねる。  音が消えたら、ぼくもぼくも浴槽の蛇口を逆にひねる。   「さ、お風呂に入りますか」    さすがに着替え中の衣擦れの音は聞こえないので、一緒に服を脱げないのは残念だが、一緒にお風呂に入っていることはわかる。  シャワーの音、鼻歌の音、全部がぼくの耳に届く。   「ああ、気持ちいい」    しかし、普通の声は聞こえないのに、お風呂場の鼻歌だけ聞こえると言うのは、あまりにもお風呂場の防音機能を信じすぎている気もする。  逆側の部屋の人にも聞こえているだろうし、早めに教えてあげた方がいいのかもしれない。    お風呂が終わったら、寝るまで約二時間。  君は何をしているのだろうか。  読書だろうか、編み物だろうか。    何日か外から窓を眺めて、君はだいたい午後十一時に寝るとわかった。  ぼくも午後十一時に明かりを消し、布団へと潜り込む。  ほんとはもう少し夜更かししていたいが、同棲している以上、生活リズムを合わせるのは当然だ。   「じゃあ、お休み」    ぼくは、壁に貼っているお隣さんの写真の一枚に、優しくキスをして目を閉じた。    最初に引っ越してきた時は、なんて酷いアパートだと思った。  せっかく最上階を選んだのに、両隣の部屋から音は聞こえるわ、料理の匂いが部屋まで入って来るわ、散々だった。  でも、お隣さんを知ってからは、全てが逆転した。    このアパートは、ぼくとお隣さんが互いを知り、近づいていくための場所だったのだと。   「いつか、迎えに行くからね」    残る二人の壁は、このアパートの壁一枚だけ。    ぼくにとっては、小さな小さな障害だ。

洗濯物

 洗濯物が乾かない。 今日は久し振りに薄曇りなので外に洗濯物を干す。 3日間同じ服を着ていた。 生活が乱れているわけではなく単に洗濯物を毎日していると乾かないからだ。 臭わなければ誰も気にしない。 今年は平年通りくらいの長さの梅雨になりそうだ。 あと20日ほど洗濯物が乾かない日々が続く。 部屋の湿度が80%を越えている。 エアコンを換えてから湿度が下がらなくなってしまった。 扇風機が壊れてしまったので部屋干しの時に風を当てるものがない。 扇風機買わなきゃ。 夏は暑くて嫌になるが洗濯物が乾きやすいのでそこだけは助かる。 もう少し梅雨でそこから本格的な夏が始まる。 なんだか湿気のせいなのか書く文章も普通で湿っぽい。 めんつゆ飲みすぎて血圧上がらないようにしないと。 Men梅雨To You。

夢の刑務所

夢の刑務所 夢を覚えていない朝がある。 それは本当に、ただ忘れただけなのだろうか。 町のどこかに、夢の刑務所がある。そこでは今夜も、黒い封筒にハンコが押されている。 封筒には、受刑者の名前が書かれていた。 「今夜はこいつか」 所長が言うと、刑務官はにやりと笑った。 やがて廊下の奥から、手錠の音が近づいてきた。 連れてこられたのは、パリッとした背広姿の男だった。 「俺が何をしたって言うんだ!」 男は手錠を鳴らして叫んだ。 刑務官は分厚い帳簿をめくり、赤いハンコを押した。 「刑期、三年」 「三年だと? ふざけるな。俺は人を殺しても盗んでもいないぞ!」 「ここは地上の刑務所ではありませんよ」 所長は穏やかに言った。 「夢の刑務所でございます」 男はぽかんと口を開けた。 刑務官が、にやりと笑う。 「お前の夢はこれから三年間、この刑務所で刑期を全うする」 「夢が? 俺じゃなくてか?」 「そうだ。だが夢を失うのは、お前だ」 男はしばらく黙り、それから鼻で笑った。 「なんだ、そんなことか」 その瞬間、所長の目が少しだけ細くなった。 「夢とは、眠って見るものだけではありません」 男が言い返そうとした時、遠くで目覚まし時計が鳴り始めた。 男はあわてて鉄格子をつかんだ。 「待て! 俺はまだ納得してない!」 刑務官は手を振った。 「夢から覚めれば、このことも忘れるだろうがな」 「だったら刑にならないだろ!」 刑務官は肩を揺らした。 「ふっふふ」 男は自分の叫び声で目を覚ました。 朝だった。 男は何も覚えていなかった。パリッとした背広を着て、いつもの一日を過ごした。 その日から、男の夢は刑務所に入った。 朝になっても、男のもとへ戻ってこなくなった。 旅行の計画を立てても胸が弾まない。宝くじを買っても当たる気がしない。老後の暮らしも、出世も、誰かとの約束も、何も浮かばない。 けれど男は、それを少しも不思議に思わなかった。 三年が過ぎた夜、男は再び夢の刑務所に立っていた。 目の前には、あの刑務官がいた。 「刑期満了だ」 刑務官は帳簿に赤いハンコを押した。 「お前の夢は、今夜出所する」 男はあたりを見回した。 「なんだ。三年なんて、大したことなかったな」 刑務官は、じっと男を見た。 「そうか」 そして鉄格子を開けながら、低い声で言った。 「もう来るなよ」 男は笑った。 「二度と来るか、こんな所」 刑務官は肩を揺らした。 「ふっふふ。そう言って、三回戻ってきたやつがいてな」 「それがどうした」 「三回目の刑期を終えるころには、自分の名前も、母親の顔も、朝の意味も、何ひとつ思い出せなくなっていた」 男の笑いが止まった。 遠くで、目覚まし時計が鳴り始めた。 刑務官は手を振った。 「では、よい夢を」 翌朝、男は何も覚えていなかった。 ただ、なぜか少しだけすっきりしていた。 駅へ向かう途中、男は旅行会社のポスターの前で足を止めた。 青い海と、白い街並み。 久しぶりに、どこかへ行ってみたいと思った。 夢を覚えていない朝は、誰にでもある。 そしてたいていの人は、それを気にしない。 夢の刑務所では、今夜も新しい封筒にハンコが押される。 所長は帳簿を閉じ、こちらを見て、ふふ、と笑った。 「あなたは昨夜、夢を覚えていますか」 「覚えていないだけなら、よいのですがね」

久しぶりのにおい

キミの「おはよう」が少しずつ熱を帯びていく。短くもジメジメした梅雨の残骸を脱ぎ捨てる。履き替えた上履きの白が目に眩しい。賑やかさがそこここで弾む長い廊下を、向こうのほうから風が走ってくる。汗ばんだかすかな気配を連れて。 ―あ、夏の匂い 隣を歩くキミと、同時に足が止まる。 思い出すのは去年のこと。にわか雨が上がったあとのアスファルトの匂い。乾きかけた地面から立ち上がる、土とも、ホコリともつかない独特の気配。夏休みに聞く夕方の悲しいあのメロディ。その余韻は、曲が終わったあとも、いつまでも空気に残る。それがすっかりあたりと馴染むまで、しばらくじっと足を止めていたキミと僕。 「チャイムなっちゃうね。またあとでね」 「おう」 新しい季節の最初のチャイムに急かされる。でも、少しもあわてない。キミに向かってあげた腕の色は、一年前よりも明らかに黒くなっている。去年とは違う自分と、去年とは違うキミ。これからふたりで夏を迎えようとしている。 ―いつでもどうぞ この余裕を「成長」と呼びたい。

梅雨の日

梅雨入りのニュースを目にした。もうそれだけで身も心も重くなるような気持ちになった。でもどんよりしている暇もなく私は家を出た。 外はしとしとと雨が降っている。夏の暑さが長く続くこともうんざりだと考えながら歩いていると、ついこの前までただの木として認識していた木が、花をつけ、鮮やかに濡れていた。白いあじさいの花だった。 白色ながら雨露でいきいきと鮮やかに咲いているように感じられた。 昨日まで景色として目にも留めなかった自分を少し悔いた。 帰り道、朝の感動が忘れられず、いつもならば通ることのない階段と坂が多い道へ向かった。 日頃避けているだけあって、運動不足の身体に堪える。高台に着くと、膝が震え、息が上がり、心臓は普段考えられないような速さで脈打っていた。膝に手をつき、息を整え顔を上げると、もう雨は止んでしまっていた。 しかし、そこに浮かんでいたのは雫に濡れた色とりどりのあじさいと、雲の切れ間から覗いた星々だった。 私は傘をたたみ、ベンチに腰を下ろした。

金曜日薬

「また、月曜日が来てしまった」    月曜日はいつも憂鬱だ。  一日中仕事をしなければならない。  嫌いな上司と顔を合わせなければならない。  そんな日が。これから五日間も連続するのだから。   「ああ、無理」    だから俺は、ベッドの横に置いている机から、薬をとって飲み込む。  水なし一錠。  効果は、服用から三十分後。   「おおー! 今日一日頑張れば、休みだー!」    気分は金曜日。  今日を乗り越えれば終わる、そんな意気込みが沸いてきた。  無理やり体を動かし、身嗜みを整えて、鞄を持つ。   「行ってきます!」    俺は、勢いよく玄関の扉を開けた。

総理、ハラハラする。

地下三階の会議室に、全閣僚が呼び出された。 「大変なことになりましたね」 「これはまずいよ」 重い扉が開き、総理と防衛大臣が入ってきた。 「ちょっと緊急事態でね」 正面のスクリーンに映像が流れる。 その前で、防衛大臣がマイクを握った。 「あの国が不穏な動きをしています」 会議室に緊張が走った。 「何をたくらんでる?」 「おそらく、ミサイルを……」 「うちの防衛システムは大丈夫だよね?」 「はい。着弾することはないと思いますが……こればかりは」 閣僚たちが頭を抱えた。 ──その時。 『ミサイルが発射されました』 緊急アナウンスが流れる。 「とうとう一線を越えたか……」 総理が防衛大臣に視線を送った。 「反撃しなさい」 「はい」 窓際に置かれた椅子に、総理が体を預けた。 「私の判断は……」 涙が落ちた。 「ちょっと、あなた」 妻が声を掛けた。 「また妄想してたでしょ」 「国会も終わったし、ちょっとハラハラしたくて」 「で……私、また死んだの?」

世界の終わりに君と【sideB】2

 光が収束し、私は輸送船の回収室に立っていた。  肉体と感覚は正確に再構築され、温度も重力も計算された数値に従っている。だが、彼女の手の温度だけは、まだ皮膚の記憶として残っていた。データではない。説明のつかない残滓だった。  回収室には、同僚たちが次々と転送されてくる。転送のたびに中央の装置が淡い光を放ち、同行者の判定が始まる。  同行者を持たずに戻った者もいた。それについて誰も何も言わなかった。 「回収対象:不適合──破棄処理」  機械音声が響いた。適合と判定された生命体は、感情データが抽出され、保存される。不適合とされた生命体は、光の粒となって散る。記憶も残らない。  不適合の理由は一つではない。憎悪、狂信、他者を破壊することでしか自己を保てない衝動──そうした因子を内包したデータは、保存に値しないと判断される。感情そのものが危険な兵器になり得る場合、廃棄は避けられない。地球の終わりと同じく、静かで、あっけない。  同僚の一人は小さな子供を選択していた。あの丘にいた女の子だ。  我々はあの星の生命体とは繁殖できないため、実の親子ではない。だが同僚が《見捨ててはならない》と判断し、同行者として選んだ。私たちの基準にはない選択だった。判定装置が淡い光を放つ。 「回収対象:適合」  そうか、と私は思った。《見捨ててはならない》という感情もまた、保存に値すると判断されたのだ。  別の同僚が呟いた。「地球は本当に効率が悪い」  効率。その言葉が、妙に耳に引っかかった。  私たちは何千年もこの星を観察してきた。効率という基準で測れば、地球の生命体は確かに失格だ。与えられた猶予を使い切れず、同じ過ちを繰り返し、互いを傷つけることをやめなかった。廃棄の決定に、論理的な誤りはない。  だが、あの老人は最後まで空を見上げていた。  路地の奥では、誰かが賛美歌を歌っていた。  女の子は、父親代わりの同僚の手を握っていた。  彼女は、私の問いかけに笑って答えた。  それらを、効率という言葉で処理することが、私にはどうしてもできなかった。  私の番が来た。 「回収対象:適合。感情データ抽出開始」  光が走り、彼女の感情が流れ込む。  驚き。安堵。懐かしさ。少しの戸惑い。そして──あの丘で私の手を握り返したときの、静かな決意。  私は目を閉じた。  彼女の肉体も記憶も残らない。だがこの感情は確かに存在する。データとして保存されるのではなく、私の内部に刻まれていく感覚があった。それが何を意味するのか、説明する語彙を私は持っていない。  同僚が私を見て言った。 「珍しいな。お前が誰かを選ぶなんて」 「自分でも驚いている」 「今までと何が違った」 「分からない」  正直な答えだった。  なぜ彼女だったのか、今もうまく説明できない。観察記録を遡れば、出会いから別れまでのデータはある。だがそのどこにも、《選ぶ理由》として登録できる項目がなかった。強いて言えば、理由がないことが理由だったのかもしれない。 「地球は、やっぱり変な星だ」 「そうだな」  変な星だった。  愚かで、暴力的で、非効率で、何千年経っても同じところで躓いた。廃棄されたことに、論理的な異議はない。  それでも。  最後の日、あの星の者たちは泣くでも叫ぶでもなく、ただ誰かの隣にいた。  祈る者、歌う者、手を握る者。  意味を求める者と、意味を手放した者。その全員が、同じ空の下にいた。  私たちにはない何かが、あの光景にはあった。  それを言語化しようとするたびに、言葉が滑る。概念が追いつかない。何千年も観察してきた生命体に、最後の最後で課題をつきつけられた気がした。  輸送船が静かに動き始める。  次の任務はすでに割り当てられている。別の星系、別の生命体、別の観察記録。私は《監視人》として、また長い時間をかけてそこに根を下ろすだろう。  だが今回は、何かが違う気がした。  地球で得たものを、私はまだうまく処理できていない。データにも、分類にも、報告書にも収まらない何かが、胸の奥に残っている。彼女の手の温度と同じように、消えずにいる。  同僚の一人が窓の外を見ていた。惑星の残骸が遠ざかっていく。かつては水と緑に覆われていたが、今はもう光の中に消えつつあった。 「名残惜しいか」と私は聞いた。 「少しな」と同僚は答えた。「お前は?」 「ああ」  それだけ言った。それで十分だった。  私は胸の奥に残る微かな温度を確かめるように、彼女の感情データをそっと保存した。  いつか、パートナーを望むときのために。  いつか、また誰かの隣に座るときのために。

境界線

鏡の中にいる私は、いつも私より少しだけ悲しそうな顔をしている。 指先でガラスをなぞると、冷たい感触が境界線を強調する。 あちら側には私の知らない世界が広がっていて、そこでは私は、私を演じる必要さえないのかもしれない。 夜が深まると、鏡の中の私と私の視線が合わさる瞬間がある。 そのとき、どちらが実体でどちらが虚像なのか、わからなくなる。 ただ、鏡の向こう側の世界の方が、ほんの少しだけ息がしやすい気がした。

世界の終わりに君と【sideB】1

 この星に派遣されてから、ずいぶん時間が経った。それも今日で終わりを告げる。  地球に知的生命体が生まれた頃から、私は《監視人》としてこの惑星を見守ってきた。  観察対象に干渉してはならない──それが原則だったが、地球の生命体はあまりに不安定で、あまりに愚かで、そして時に驚くほど美しかった。  私は何度も彼らの社会に紛れ込み、彼らを観察していた。  廃棄案が出されたのは、この星の時間で三百年ほど前のことだった。  審議は長かった。この星の生命体には、何度も猶予が与えられていた。疫病、戦争、気候の崩壊──そのたびに彼らは傷つき、しかし立ち上がった。その回復力を評価する声もあった。  だが、彼らは学ばなかった。正確には、個体としては学ぶのに、集合体になると必ず同じ過ちを繰り返した。  知識を持ちながら破壊し、言葉を持ちながら分断し、愛を知りながら憎む。このままでは他の天体に影響を及ぼしかねない。  修正不可能──「上」が廃棄の決定を判じた時、反対もしなかった。  私たち監視人には、衝突の瞬間に上空の輸送船へ戻るための特異点が与えられている。あの丘だ。  ただ一人だけ、同行を許される。この星での生活の中で、私が《離れがたい》と判断した生命体。肉体も記憶も保持できないが、感情だけはデータベースに保存され、いつか私がパートナーを望むとき、その感情を基に再構築できる。  これまで地球で《恋人》と呼ばれる関係を何度も作ってきた。観察のためだ。  だが、感情を保持したいと思った相手は一人もいなかった。 ──二十年前、彼女と仲違いしたときも、そう思っていた。  あれは些細なすれ違いだった。人間の感情は複雑で、私はその複雑さを興味深く観察していたはずなのに、あのときだけは言語化できない何かが残った。  私は任務を優先し、彼女は日常へ戻り、時間は過ぎていった。  隕石落下の日、丘へ向かう道は静かだった。車も走らず、店も閉まっている。  老人が一人、泣きもせず怒りもせず、ただ、見上げていた。  路地の奥から賛美歌と呼ばれる歌声が聞こえた。何百年も前から変わらない旋律を、この期に及んで歌っている。  なぜ彼らは最後まで祈るのか。なぜ歌うのか。なぜ誰かの手を握るのか。  答えは知っていた。恐怖を和らげるためだ。意味を見出すためだ。  だがその答えが、今日に限って薄く感じる。もっと別の何かが、あの老人の横顔に、あの歌声に、含まれている気がした。  私には、それを言語化する語彙がなかった。  彼女のことを思ったのは、そのときだった。  スキャンすると、彼女はあの丘にいた。  私は理由を考えた。なぜ彼女なのか。なぜ今なのか。 ──答えは出なかった。ただ、行かなければならないと感じた。  丘に向かうと、同僚たちがすでに集まっていた。皆、最後の回収を待っている。  その中に、彼女がいた。  芝生に座り、空を見上げていた。二十年ぶりの姿は、私の記憶より少し大人びて、少し疲れて、けれど驚くほど美しかった。 「久しぶり」  声をかけた瞬間、胸の奥がわずかに震えた。  こんな感覚は初めてだった。  彼女は振り返り、私を見て、目を見開いた。  その表情を見ただけで、二十年という時間が一瞬で溶けていくのを感じた。 「どうしてここに?」  彼女が問う。 「君と一緒に見た景色の中で、一番美しいと思ったから」  それは、地球での私の本心だった。  観察対象としてではなく、一人の生命体として、彼女と過ごした時間は特別だった。  隕石は空を覆い、太陽がその脇から昇る。世界の終わりとは思えないほど美しい光景だった。  周囲では同僚たちが静かに待機している。彼らもまた、同行者を選んでいた。  私は彼女に手を差し出した。 「こんな時に言うことじゃないんだけど……僕、宇宙人なんだ」 「もし新しい人生を始められるなら、一緒に来る?」  その瞬間、私は自分が《監視人》であることを忘れそうになった。  答えを待つ間、胸の奥が締めつけられるようだった。  こんな感情は、データにも記録にも存在しない。 「今度は、くだらないことで喧嘩しても大丈夫?」 「もちろん」 「仲直りしないまま二十年も過ごしたりしない?」 「たぶん大丈夫」  彼女は笑った。  私は、その笑顔を保存したいと思った。データではなく、感情として。  光が強まり、世界が溶け始める。輸送船の回収が始まったのだ。  彼女は私の手を握り直した。 「じゃあ、考えてあげる」  返事は保留。  その言葉が、なぜか嬉しかった。  白い光が丘を包む。  私は彼女の横顔を見つめながら、初めて《選びたい》と思った。  この星で出会った、たった一人の生命体を。

する満足、される我慢。

郊外のアパート。 母親と、幼い二人の子どもが暮らしている。 「こんなこと言える立場じゃない……」 壁にもたれ掛かりながら、スマホの画面を覗いた。 そこに映る、満足げな顔の人たち。 母親は、迷った指でタップした。 数日後、荷物が届く。 「ママ、開けていい?」 「いいよ」 「お菓子あったよ」 箱の中には、食材と数年前に流行ったキャラクターのTシャツが入っている。 「月末まで……これで何とか」 子どもたちがお菓子を頬ばった。 母親はレトルトを手に取り、裏を見て苦笑う。 「……食品ロスには役立ってる」

亡き人を想う君へ

 俺と彼女の出会いは、親友の交際相手として紹介されたときのことだ。意志が強く、必要なときにしっかり意見できる、芯の通った人。それが彼女の印象で、容姿も内面も俺の好みのど真ん中だった。 「コイツに惚れんじゃねーぞ? 俺のだからな?」  冗談めかしてそう言う親友に、俺も軽口で返す。他人のものに手を出すほど飢えてはいないと。俺はもっと、大人しいのが好みだと、自分の心を偽って。  そのまま親友と彼女は順調に交際し、将来を約束するほどの仲になった。その間、俺は適当な相手とくっ付いたり離れたり……「いい加減、俺を見習っていい相手見つけろよ?」なんて、親友からはお説教される始末。「余計なお世話だバカ野郎」と言い返しながら、親友の恋人に惹かれ続けている自分に嫌気がさしていた。  そんな時だった。親友は飲酒運転の車にはねられて急逝したのだ。親友との子をその身に宿す彼女を残して――。  通夜、告別式に参列した彼女は気丈の振る舞っていた。でも、親友の両親には妊娠していることを言い出せない様子で……。 「私、一人で育てるから」  告別式の帰り道、彼女はそう打ち明けてくれた。親友の両親や親族たちの助けは借りないと。入籍前だったから、親友との子だと信用してもらえないかもしれないと。  なら、いっそ――。 「……だったら、俺の子にする?」  それは、馬鹿げた提案だ。なのに、気付けばそう口にしていた。彼女がその提案を呑むとは思えない。でも、ここで断られたほうが、不毛な想いを供養できる気がした。

名前のない二人

定期演奏会2週間前。 「定演の次の日バイト?」 彼からLINEが送られてきていた。 彼とは別れて半年。 最近、遊びに誘ってくることが多い。 私は彼に少し考えて返信をする。 「定演終わった後遊ぼう。」 「いいよ。」 会話はそれだけだった。 定期演奏会が終わった。 同じ部室内にいるのに、コミュニティはちがう。 元彼からの誘いは、 「定演終わった後、遊ぼう」 ただそれだけ。 この後どうするんだろ。 そう考えていたところ、スマホが震えた。 すぐそばにいる彼からLINEが来ている。 「今から同級のメンツで飯食いに行ってくる。  ハルも飯食いに行っといて。21時に部室集合な」 私はステージの熱気がまだ冷めてなくて、 お腹なんて空いていなかった。 部室の前で空を眺めていた。 気がつけばとっくに21時すぎ。 そろそろ警備員が巡回してくる時間だ。 「やばい。学校を出ないと…」 スマホをチェックすると ちょうど彼からLINEがきた。 「学校の正門前ちょいすぎで車で拾うわ」 私は急いで荷物をまとめて正門に向かって歩いた。 「とりあえず風呂行くか。」 彼は、いつもみたいに軽く笑って言った。 「うん。汗かいたもんね。」 彼が続けた。 「家族湯でいい?一緒入ろ」 そう言って笑う顔は、付き合っていた頃と何も変わらなかった。 付き合ってもいない。 ましてや、別れた男女が家族湯って… 私は、もう、なにも考えないことにした。 考え出したら止まらない気がしたから。 家族湯の湯気の中で、二人は肩書きも何もないまま向かい合っていた。 恋人じゃない。 友達とも少し違う。 思わず聞いてしまった 「ねえ、私たちの関係性って何?  復縁したいの?」 彼は私を見つめて少し考えてから言った 「付き合うって何なんだろうな。」 その一言から、夜は長くなった。 「私はさ。」 ハルは湯船の縁に腕を乗せながら続けた 「アキのこと、異性としても好きだし、友達としても好きなんだよね。」 「うん。」 「だから、恋愛感情ありきの好きなの。」 彼は何も言わない。 ただ、静かに聞いている。 「だから付き合いたいって思っちゃう。」 少しだけ沈黙が流れた。 お湯が揺れる音だけが聞こえる。 彼は天井を見上げて呟いた。 「俺さ。」 「うん。」 「恋愛、分からんわ。」 その言葉は、優しくも残酷だった。 「好きって何なんかも分からんし、付き合うメリットも分からん。」 「メリット?」 「付き合ったらさ、お互いの負の感情まで背負わないといけないじゃん。」 彼は笑って言う。 「俺、自由に生きたいんだよね。」 「……そっか。」 ハルは否定しなかった。 否定したところで、それは彼の本音だから。 「でも私は。」 彼を見る。 「人生のパートナーになれたらいいなって思う。」 彼は困ったように笑う。 「それは、今の俺には分からん。」 夜は更けていく。 満喫のソファで横になりながら、二人は昔話をした。 付き合っていた頃のこと。 別れた日のこと。 そして今のこと。 「でもさ。」 彼が天井を見たまま言う。 「今みたいに遊ぶ関係でよくない?」 「誘いたいときに誘って。」 「…うん。」 「でも。」 彼は少しだけ真面目な声になる。 「気になる人ができたら、この関係は終わると思う。」 その言葉だけは、胸に刺さった。 「ハルが望んでるみたいに、ずっと一緒にはいられないと思う。」 ハルは何も返せなかった。 返したら泣いてしまいそうだったから。 朝。 ファミレスでモーニングを食べながら、昨日と同じようにくだらない話をする。 駅に着く。 「じゃ。」 彼が手を振る。 「また遊ぼ。」 「うん。」 電車のドアが閉まる。 その瞬間だけは、肩書きなんてどうでもよかった。 帰りの電車で、スマホを開く。 部活のグループ。 昨日まで一番安心できる場所だったはずなのに、誰かの言葉が頭から離れない。 「ハルのこと、嫌ってるらしいよ。」 胸がぎゅっと締めつけられる。 でも、その直後に思い出す。 昨日、何時間も自分の話を聞いてくれた人。 価値観は全然違う。 分かってくれるわけでもない。 それでも。 「信頼できる人なんだな。」 自然とそう思えた。 恋人じゃない。 友達とも少し違う。 名前のない関係。 未来は約束されていない。 それでも今は、このままで十分だった。 いつか二人が別々の道を歩く日が来るのかもしれない。 あるいは、何年も経ってからもう一度同じ場所に立つ日が来るのかもしれない。 その答えは、誰にも分からない。 「彼がこれからも私の人生のどこかにいてくれたらいい。」 そんな、名前のない祈りだった。

ログイン中

夜の22:00過ぎ。 桜はベッドに寝転びながらスマホを見ていた。 通知は来ていない。 でも、なんとなくDiscordを開く。 そこには見慣れた名前があった。 「オンライン」 「またゲームしてるじゃん。」 思わず緩む頬 別れたのはもうずいぶん前なのに、不思議と完全には切れなかった。チャットを送るわけでもない。通話をするわけでもない。 ただ、たまに同じゲームにいて、たまに一緒に遊ぶ。 それだけ… それだけなのに。 桜はスマホを胸の上に置いた。 「なんなんだろ…」 誰に聞くわけでもなく呟く。 好きなのか。未練なのか。ただの情なのか。 もう自分でもわからない。 その頃、画面の向こう。 雪もDiscordを開いていた。 桜の名前が表示されている。 「オンライン」 「いるな。」 小さく呟く。誘おうか…いや、やめようか… そんなことを考えている自分に苦笑した。 付き合ってる頃は、こんなことで悩まなかった。 「遊ぶ?」 その一言で済んでいた。でも今は違う。 関係に名前がない。 友達とも違う。恋人でもない。 元恋人。 その言葉が妙にしっくりこない。 数分後、桜のスマホが震えた。 チャットが送られていた。 「ゲームしない?」 送り主は雪だった。 思わず笑う。 「結局、くるんかい」 数秒だけ迷って、返事をした。 「おけ」 「おつ」 久しぶりの声。 でも不思議なくらい自然だった。 「おつおつ」 沈黙が流れる。 気まずいわけじゃない、ただ昔と違うだけ。 同じ声、同じ話し方。 でも少しだけ遠い。 ゲームをしながら2人は怒って、笑って、軽口を叩き合った。 気づけば2時間が過ぎていた。 昔と何も変わらないみたいだった。 でも、本当は変わっている。 お互い知っていた。 解散した後。 桜は天井を見上げた。 今日も答えは出なかった。 復縁したいのか、したくないのか。 このままなのか、わからない。 でも一つだけ、確かなことは フレンド欄にあの名前を見つけると、少しだけ1日がマシになる。 翌日。 フレンド欄にはまた 「オンライン」 終わった物語なのか、それともまだ続きがあるのか… 誰も知らないまま、今日も同じゲームにログインする。

星を継ぐ森

 その森には、夜になると木々の間を星が歩くと言われていた。  旅人は誰も信じなかった。  けれど村人だけは知っている。  あれは空から落ちた星ではない。  森そのものが、星を育てているのだと。  十六歳の少女エリナは、その森の番人だった。  番人と言っても、剣を振るうわけでも魔法を使うわけでもない。  朝になれば泉へ水を汲み、古い石碑を磨き、木々へ歌を歌う。  ただ、それだけ。  それだけで森は何百年も息をしてきた。  祖母はいつも言っていた。 「森は言葉じゃなく、心を覚えるんだよ」  その意味を、エリナはまだ理解できなかった。  ある雨上がりの夕暮れ、一人の青年が森へ迷い込んできた。  銀色の外套は泥で汚れ、右腕には深い傷。 「……少しだけ、休ませてくれないか」  彼はそう言って倒れた。  エリナは青年を小屋へ運び、薬草を煎じ、傷口を洗った。  三日後、青年は目を覚ました。 「助けてくれてありがとう。僕はレオン」  それ以上、自分のことは語らなかった。  だが夜になると、彼は必ず森を見つめていた。  まるで何かを探しているように。  ある晩、エリナは尋ねた。 「あなた、何を見ているの?」  レオンは少しだけ笑う。 「星を」 「今日は曇ってるよ?」 「空じゃない。」  彼が指差した先には、小さな青い光が木々の間を漂っていた。  一つ。  二つ。  三つ。  まるで蛍のように。  けれど光は枝へ触れるたび、小さな星の形になって瞬く。 「これが……」 「森が育てている星」  エリナは初めて祖母の言葉を思い出した。  レオンは静かに目を閉じた。 「本当にあったんだ」 「知っていたの?」 「昔話だけ」  それから二人は毎晩、森を歩いた。  風の音。  葉のざわめき。  泉へ映る星。  何も特別なことは起きない。  それでも、不思議と心は満たされていった。  ある日、森の奥で一本の巨木が枯れ始めた。  番人なら誰もが知る。  あの木が倒れれば、森は星を生まなくなる。  エリナは祈った。  歌った。  泉の水を運んだ。  だが木は日に日に色を失っていく。  レオンは言った。 「たぶん、この森は悲しんでいる」 「森が?」 「心を覚えるなら、悲しみも覚える」  その夜、エリナは石碑へ手を置いた。 「教えて」  返事はない。  けれど涙が石へ落ちた瞬間、小さな文字が浮かび上がった。  ――星は願いでは育たない。  ――誰かを想う心で育つ。  エリナはようやく理解した。  自分は森を守ろうとしていた。  でも森と生きようとはしていなかった。  翌朝、彼女は村人たちを呼んだ。  子どもも老人も、旅人も。  皆で枯れた木の周りへ集まり、それぞれ大切な人の話をした。  亡くなった母。  遠くへ旅立った友。  生まれたばかりの子。  誰もが誰かを想っていた。  夕暮れ。  枯れ枝の先に、小さな光が灯る。  一つ。  また一つ。  やがて無数の星が枝いっぱいに咲いた。  森中が青白い光で満ちる。  風が吹く。  葉が歌う。  星たちは空へ昇り、本物の夜空へ帰っていった。  その光景を見ながら、レオンは微笑んだ。 「やっと見つけた」 「何を?」 「帰る場所」  その言葉とともに、彼の身体は淡い光へ変わり始めた。  エリナは目を見開く。 「待って!」 「僕はね」  彼は優しく笑う。 「何百年も前、この森で生まれた最初の星なんだ」  光は風へ溶け、夜空へ昇る。  最後に一粒だけ、エリナの掌へ小さな星が残った。  温かかった。  人の手のように。  それから何十年経っても、森は星を育て続けた。  新しい番人が歌を歌い、子どもたちは夜の散歩を楽しむ。  そして森へ迷い込んだ旅人には、決まってこう語られる。 「夜になったら、静かに耳を澄ませてごらん」 「この森では、誰かを大切に思った心だけが、星になるから」  その夜もまた、一つの星が木々の間を歩いていた。  それは空へ還るためではなく、誰かの心へ、そっと灯りを届けるためだった。

円周率

知識は人を立ちどまらせるのに一役、買っている 青い色の紫陽花は、土が…… モンシロチョウは春というより初夏だね、春はモンキチョウかな あの雲のカタチからすると明日の天気は…… それで私はいま、どこに向かってるんだっけ ふっと誰かが通った気がして振り返る え、人なんていた? はらりと地面に落ちた葉っぱは、見つかったいたずらの罰を受け風に流れていく そこが目的だったのか思い出せず、でも入ったお店で、流れている曲が変わる あ、この曲 イントロの一小節目でわかった自分を誇らしく思う この前、ネットできいたっけ、あのグループの新曲 確信があるのに歌い出してくれるまでその確信が決まってくれない ほらね、やっぱり 今日したかったことをきっちりできたのか不明なままに時間はすぎる それでも懸案は、ひとつ潰せた、それでいいんじゃない 夏の前に減らせた懸案は、でも夏になる前にまた増えていく 尽きることはないのかな、尽きることはないのだな

ポリオネイロノソス

夢は死後の世界である、と案内人は言った。ここは死後の世界であるというので、私はそれを夢なのだと、そう認識した。信号を待っている歩道で、案内人は前に止まっている。 「既往歴はありますか」案内人は言う。 「アムネシアがありました、突発的な。散々なドライブだったのですよ」 歩く道に人はおらず、退廃的で、閑散としていて、セピア調の病にかかったように、くすんでいる。そのように軽く焦げた手紙が私の手元にはあった。それは私の頭にずっと残り続けていた、一通の手紙である。私は夢か現実かを見続けていたし。この手紙のせいで。 「それは、あなたの思考の枠組みが判断する。あなたはあなたの病のことを、その手紙のように思っているわけですね」そうなのですね、と小声で言った。私の視点は焦げついた隅にかかり、離れないのだ。 「手紙を開けたことはありません。手紙の内容を想像したことも。宛先や、差出人、いつから持っていたか…はわかります。えぇ、なぜ焼けてしまっているのかも含め、たいてい分からないのが、私はとても怖い。知ることも怖い。ただ知るべき時が来ると漠然と待ち続けて、ここまできてしまった」 「知ることもできないでしょう。一生。あなたにしか知ることができないと言うのに、そのあなたがためらえば、差出人はどう思うでしょうか」「どうも思わないでしょう。差出人は返答のない限り、私は当然に手紙を読んだと思いたい。そのうち、手紙を出したことも忘れ、この手紙は……」 意味がない、とも言えなかった。忘れられない約束は、果たす目的だけ重視して、中身を忘れてしまった、それが私の執念だった。なぜ旅が好きになったか、なぜゆっくりと道を歩く様になったか、全ての中心には差出人がいた。しかしそれすらももう、きっと知り得ないことなのだろうと思う。価値がないと信じ込もうとして、この手紙はいっそう私をすくっている。 私たちは狭い喫茶店に入る。案内人はカウンターの奥に座り、私を待っていたかのように振る舞った。 「夢に全て意味があるとは言いません。現実の全てに意味があるとも思っていないでしょう?数多の夢に、数多の現実に、私たちはそれらのうち一つだけを、現実として受け入れる。メニューから選ぶように。どれにしますか?」 「ええ、いつものでお願いします」 「そう、それこそが」そう言うと、案内人はマシンにいくつかの豆を入れ、しばし待つ。 ただ、時々いつものではない気分になることもあるだろう、その理由はさまざまある。喧嘩をした、昇進をした、知り合いと一緒に来た、天気が悪かった。私にとっては、常にこの手紙が私の判断を揺らし続けている。自分にとって毒であっても、選んでしまっていたのかもしれない。周りを見れば、喫茶店にはブラーのかかった人間が数人いて、店内の装飾ははっきりとしている。ここの店主とは趣味が合った。旅行癖と、溜め込み癖というか、それ故の詰め込み様に私は惹かれたのだ。正直なところ、そう言った道もあったのだろう。しかし、その時にあったのは常に”いつもの”であった。目の前には私の顔の映るコーヒーがある。その顔は憔悴している様で、笑顔にも見える、曖昧な、もやのかかった顔であった。 失った記憶や、可能性なんてものは、いつだって私を困らせた。どうしても想像してしまうし、その想像というのも、ハリボテで、実態を捉えてなどいない。だから苦しくなる。ただ、その想像というのが、どうしようもなく甘かったのだ。私はたくさんの夢を見た、そして現実の選択を改め続けた。その夢は、この手紙が、アムネシアが、あの事故が、そうさせたのだ。想像は非所有を価値にしてしまう。 コーヒーを飲むと、目の覚める気持ちと、頭から水銀を被せられた様な重い気持ちに乖離する。私はいつだってこれが嫌いだった。“いつもの”とするには、あまりにも苦くて、私には強い。 案内人はこちらを見て、空っぽのカップを引き取る。 「あなたはその手紙を読んだことがあります。私はそれを見ていましたから。しかし、あなたは手紙を信じられず、炙って、真意を見ようとしたのです。残ったのは欠落でした」 私は静かにこの言葉を受け入れ、静かに立ち上がる。記憶はそこまで覚えていられない。アムネシアは私にそれを示したのだ。空のカップと共に。去る私の背を静かに見送っていた。 夢は私だけの死後の世界である。過ぎ去ったもの、これから過ぎ去るものの中で、私は選択しなければならない。記憶と共に生きていく様に、私はこの手紙と生きていかなければならない。毎日一度、私は手紙と向き合わなければならない。しかし、手紙のなんたるかは、終ぞ分からない。私はゆっくりと目を覚ます。