7

 その男は、数字の『7』を激しく憎んでいた。男の住んでいる小さなアパートの部屋には、あらゆる物から『7』の数字が消されていた。時計、温度計、カレンダー、本、リモコン、食べ物の賞味期限。住所にも部屋番号にも『7』は入っていなかった。街を歩いていて、『7』の数字を目にすると、男は、暴力的な行為が発露する前に、慌ててその場を立ち去るのが常だった。男が『7』を激しく憎んでいる理由は、誰にもわからなかった。人々は理由を知りたがったが、男は口を閉ざしていた。様々な噂が流れた。やがて男は孤立した。そんな男に、唯一の友人が残った。友人は理由を詮索しなかった。「まぁ、そういうのって誰にでも何かあるよな」男はその友人にだけ心を許していた。そんな友人がある日、交通事故で急死した。葬式が開かれることになった。男は友人の両親から連絡を受けた。その葬式に出るためには、男は7時に目覚めなければならなかった。

考えすぎんなよ

ああ、そろそろくるな。 「あんまり考えすぎんなよ」 ああ、やっぱり― 「願い」が種だとしたら「おまじない」はその種に水をやり、芽吹かせるための儀式。 こうなりたい、という強い願いだけでは、不安や迷いに押しつぶされてしまう。 そこにおまじないを加え、願いは「ただの思考」から「具体的な行動」へと昇華していく。 ―あんまり考えすぎんなよ いつもそう。この人はいつもそうだ。 お腹痛いと言った子どもに、おかあさんがぽんぽんさすってあげるみたいに言うんだ。この人は。 「先輩のこと、好きなんですよ」 「うん。なんかそんな気がしてた」 「知ってたんですか?」 「知ってたっていうか、わかっちゃった」 「わかってて、なんですね。なんにも」 「だってお前、何も言ってこなかったじゃないか」 「まあ、そうなんですけど」 「言われても、期待には応えられなかったけどな」 「そんな、さらっと」 「もう大学生になるんだ。大切なことほどさらっと言うくらい、嗜みとして身につけとかないとな」 「勝手だなあ」 「そうだな。勝手だな」 ああ、きっとくるな。 「あんまり考えすぎんなよ」 また、そうやって、この人は… この人にお腹をさすってもらえたら。 なんて、ちょっと考えてしまった。 私が甘えれば、この人は… なんて、しないけど。きっと、お互いに。

救ってくれないアイドル

自分がかわいくないと自覚したの中学生の時かな。 それまでは、祖父母からも両親からもかわいいって言って育てられた。 だからかわいくないことに気づかなかった。 テレビに映るアイドルやプリンセスに本当になれると思っていた。 今は、アイドルを見たら劣等感で病んでプリンセスを見ても同じ理由で病む。 おまけにプリンセスは性格の良さも兼ね備えている。 自分より醜いものを好いて、自分を引き立たせる。 なんでかわいくないって気づいたかって? 中学生というのは、美容に興味を持ち始める時である。 その時に、あっけなく気づいてしまった。 かわいい人と比べたら、違いは一目瞭然。 目も鼻も肌から骨格まで全て違う。 その違いに気づいてから、誰からの褒め言葉も全てお世辞にしか聞こえなくなっていた。 なんならただの哀れみにしか聞こえない。 下手な同情はどんな悪口よりも尖って、深くそして鋭く心に刺さった。 そこからだろうかな。私が自虐をしだしたのは。 自分で自分をかわいいって言ったら否定される。それが嫌だったら自分で否定すればいい。 そうすれば傷つけられることはない。 そうして私は今日も自虐をする。 傷つかないために。 でも時には辛くなってしまうんだな。 だけどキャラ的にも助けてっていえないし、どうすればいいのかわからないしね。 もういいかな。誰も慰めてくれないだろうし。 こんなことで悲しいなんて心まで弱いのかな。 「ねぇ、大丈夫?」 声がした。本当に綺麗な声だった。そちらを振り返った。 声以上に綺麗な顔をしていた。 「は、はい」 私は答えた。私は声まで汚いって思った。 「嘘つかないでよ、泣いてるじゃん」 「え?」 私は泣いていた。無意識に。 あーあ、ただでさえ小さな目がさらに小さくなってしまう。 彼女はハンカチを差し出してくれた。 そのハンカチは私とお揃いのものだったけど、なんだか私のより綺麗だった。 そのハンカチで涙を拭ったら視界がはっきりした。 ハンカチに視線を落としたら、ハンカチが汚れていた。まるで白い絵の具に黒を落としたみたい。 彼女の顔をよく見ると、アイドルをやっていると有名な北野みなだった。 「えっ、みなちゃん?」 「私のこと知ってるの?」 「う、うん。有名だよ」 「あのさ、はっきり言わせてもらうんだけど、私の名前、そんな軽々しく呼ばないでくれない?」 「え?」 「あんたみたいなブスに呼ばれて、私の名前汚れたんだけど。」 「えぇ」 「私とあんたじゃ、目も鼻も肌から骨格まで全て違うのよ。」 「わかってるよ」 私は小さな声でつぶやいた。 「え?なんて?まぁいいや。そのハンカチあげるから。」 そう言ってみなは去っていった。 このハンカチ二枚目だなって思った。 やっぱりアイドルは性格が悪いな。なるならプリンセスになろう。 どちらにもなれるわけないのにそう思った。 また、視界がぼやけていった。 今度は汚れたそれで汚れたそれを拭った。 白い絵の具が灰色から黒色へと変わっていった気がした。

キミは水上バス

かわいそうと言う人は  かわいそうと言うだけの人だ    かわいそうと言われた人は だから  ほんとうにかわいそう

たいへん美味しゅうございました

あれは、何年前のことだったでしょうか。 暦とは裏腹に、季節はずれの高温でした。 本来であれば、そこにあたり前にあるはずの雪はどこにもなくて。 アスファルトがひどく無機質に見え、風情のない北の街に、妙にさびしさを感じたものでした。 あまり期待をせず、ふらりと入った路地裏のお寿司屋さん。 たいへん美味しゅうございました。 特に、あの穴子。 見るからにふっくらとしていて、 「その柔らかいの、もうひとつ、よろしい?」 なんて、夢中で言ったのでした。 いまでも不意に思い出します。 いい思い出です。 確か、あの次の日、もう一度、行ってみたのでした。 ですが、あの路地裏を探しあてることはできなくて… あの路地裏、ほんとうにあったのでしょうか? あのお寿司屋さん、ほんとうにあったのでしょうか? それでも、あれは― いい思い出です。

ツーショット

私には『推し』がいる。 いつも舞台上で鮮やかな衣装をまとい凛としている姿を見ると惚れ惚れしてしまう。 どれだけ遠くから見ても、どれだけ周囲に他がいたとしても、彼だと一目で気づくことができる。 「彩花もそんなに好きならツーショット撮ってもらいなよ」 「わかってないな〜、私なんかと写ったら彼のビジュが台無しじゃん」 正直いうと、私はいつも積極的な美咲が羨ましい。初めて彼を見つけたのも彼女である。 彼に初めて出会ったのは、大学に入学して十月に開かれた文化祭の日だった。 その日はあいにくの天気で小雨が降っていたが、大学主催のミスターコンは広場で開催された。 司会者は 「水も滴るいい男たちが揃っています!」 などと上手いこと言った感を出していたが、出演者からしたらセットした髪の毛やらメイクやらが崩れて最悪でしかなかった。 そんなミスターコンは学年別で進行し、最後の四年生が登壇し始めている時だった。 「えっ、彩花!あれ、見て!」 「どの人?」 「ステージ脇ののところの」 「人なんかいないじゃん…あぁ〜」 「私ツーショット撮ってくる!」 ステージの直ぐ脇で、小雨が降る中でも彼は凛と立っていた。 その時の姿は深く落ち着きのある様子で、今ほどの魅了は感じられなかったが、その日から私と美咲は彼の推しになった。 今では鮮やかな衣装が端正な佇まいを一際立たせて魅力的になった一方で、私はまだ一枚もツーショットを撮れていなかった。 季節が移り変わり三月が近づくにつれて、私は彼が卒業してしまうかもしれないという焦りを感じ始めていた。 「ビジュアルが台無しなんて思わないよ。一緒に写真を撮ってくれるなら、誰だって嬉しいと思うけどな」 そんな美咲の言葉に後押しされ、彼にツーショットをお願いする決心がついた。 一緒に写真を撮ろうとスマホを出した、その瞬間だった。 「ポトッ」 あまりにも唐突だった。 あんなに誇らしげに佇んでいた彼が、重力に逆らわずに真下へと倒れた。 「えっ……?」 時が止まった気がした。 私の目の前で、彼は一瞬にしてその場所からいなくなった。 視線を落とすと、真っ白な雪が少し残る地面の上に、彼は真紅をまとって横たわっていた。 「そんな……嘘でしょ? どうして……」 絶望して立ち尽くす私に、美咲がそっと近づいてきた。彼女は悲しむ風でもなく、地面に横たわった『彼』を愛おしそうに見つめている。 「……彩花、そんなに落ち込まないで。彼はね、最後まで『彼らしく』卒業したんだよ」 「どういうこと?」 「彩花は『花』の枯れ方にそれぞれ表現が異なる言葉があるって知ってる?例えば、桜なら散る、牡丹なら崩れると言った感じで表現が異なるの」 そんな表現があるなんて私は知らなかった。たしかに、桜は散ると言うが牡丹が散るとは聞かない。 「なら、『椿』はなんて言うの?」 「花びらが散らずに、首ごと地面に落ちる様子から『落ちる』って表現するの。私は、そんな表現を大切にして枯れていく様子も残してあげたい」 私はもう一度、足元の彼を見た。 花壇という舞台上で華々しく落ちた彼を。 その姿は、バラバラになることなく、まるでまだ生きているかのように凛々しく見えた。 表現ひとつで物事の捉え方が変わる。そんな素敵な考え方を知り、私は彼との初めてのツーショットを撮った。

不似合いの二人

 少年は思っていました。  自分の彼女は、自分に相応しくないと。  彼女は気立てが良く、誰にでも優しい人でした。  とても自分では釣り合わないと。   (だから、別れ話をされたら何も言わずに受け入れよう。それが、彼女を幸せにする唯一の方法だ)    少女は思っていました。  自分の彼氏は、自分に相応しくないと。  彼氏は気立てが良く、誰にでも優しい人でした。  とても自分では釣り合わないと。   (だから、別れ話をされたら何も言わずに受け入れよう。それが、彼を幸せにする唯一の方法だ)    周囲の人々は思っていました。  あの二人はお似合いであると。  二人ともとても優しくて、いつも誰かを助けています。  あんな二人をベストカップルと言うのだろうと。   (私も、あんな恋人が欲しいなあ)    不似合な二人は、今日もお似合いのカップルとして、二人並んで歩いています。

コピー・イン・ザ・ライフ (掌編詩小説)

100均で玩具のお金セットを買って、家のコピー機で紙幣を印刷していく 小銭なんか要らない。紙幣なら何でも良い… えへへ…お金をコピーするのって、本当は捕まっちゃうんだよ えへへ…紙幣に描かれた人なんて、本当は誰でも良いんだよ えへへ…銀行員になったみたいに、枚数を数えていくよ 正気なんて、現金で買えるさ お金持ちになる夢の童心は、偽りの所有欲で帰るさ えへへ…紙いっぱいの偽造紙幣を、ハサミで切りましょうね えへへ…1日で大金持ちだぁ。働くのが馬鹿みたい えへへ…何を買おうかな。あっそうだ、クーポンと併用させよっと えへへ…えへへ… (完)

月三万円が、欲しいかー!

 教室に集められた人々は、皆不労所得が欲しい人、  ハチマキを巻いて、気合は十分。  教壇に立つ先生はメガホンを使って、教室にいる人々に声をかけた。   「月三万円が、欲しいかー?」 「おー!」 「寝ながら、欲しいかー?」 「おー!」 「ならば、その方法を教えよう!」 「おおー!」    先生はメガホンを置き、黒板に大きく『3%』と書いた。   「この数字は、高配当な株を持っていれば、自動的に入って来るお金の割合だー!」 「おー!」 「今から私の言うとおりに株を買えば、確実に月三万円が手に入る!」 「おおー!」    会場の熱気は最高潮。  不労所得の夢を見て、全員の心が一つになる。   「まず、予算として千二百万円を用意するー!」 「無理でーす!」        教室に残ったのは、僅か数人。  高い年収を有して千二百万円を自力で溜めた人と、遺産や宝くじやお小遣いで何故か千二百万円を持っていた人。    先生の言うことを最後まで聞いた数人は、無事に月三万円の不労所得を手に入れた。

春のきたれど等身大

 十四の春が訪れた。思春期である。その他に、私には何もなかった。ただ思い悩む春である。  父と母がいる。仲は悪い。顔を突き合わせている時は静かに、一枚壁を隔てたならば、お互いのルールに従わないお互いを蔑んだ本音が顕になる。どうして離婚していないのかと、不思議に思ったことがあった。  母が言う。「子どものことは大切だから」母が好きだった。  父は無関心だった。そして意地悪であった。私たちを養うために仕事をして、何かあれば連絡するだけの親である。次第に父とは話さなくなって、終いにはこちらも無関心になった。ただそこにいることが疎ましいと、そんなふうに思ってしまうこともある。  さて、ひとつ問題がある。父は何かにつけ自分のルールを押しつけることが得意で、従わない者共をいたぶるのが好みに見える。好みでなくとも、沸点は低いようだった。そんな父のマイルールには「つけたものをすぐ消す」ことがある。例えば、先ほど私が上がったお風呂の給湯を点けっぱなしにしている、などである。  こういう時、父は点いたままの給湯を確認するやいなや、舌打ちをする。たったそれだけではあるのだが、私の心はたったそれだけで大いにささくれるのである。であるならば、湯上がりと共に給湯を消してしまえばいいのだが、それはそれで父のルールに従っている。つまり、母の嫌う行いかもしれないのである。母に嫌われたくはない。かと言って、父に従うというのも、いかんせん腹が立つ。ここで父に文句を言うのは簡単だが、その後に来るだろう父の癇癪を相手にするのは堪える。結論、私が黙って悩みを忘れてしまうことが最も現状を乱さないうえに効率的な選択なのであった。それがもはや、幾数年にもなっていたのであった。  改めて私は、たかが十四歳の子どもである。何を変えるでもなく、何を躱すことすら難しい。夢もなく未来も明らかではない。ただ、波浪のような現実に思い悩む時期の春が訪れた。

怪物

物を大切にできる人が、羨ましい。 古いおもちゃを手入れするのは面倒だし、かといって捨てるのも同じくらい面倒だ。何より、自分の中に居座る中途半端な「善意」が痛む。捨てたおもちゃに呪われるのも怖いから、どうしても気が引けてしまうのだ。 それに、あんなものをまだ持っているだとか、物を雑に扱う奴だなんて噂が立つのは、もっと困る。 そんな悪評が広まれば、いざという時に「新しいおもちゃ」が手に入らなくなってしまう。だから、おもちゃの存在も、その扱いも、誰にも言わず秘密にしている。 最近、あんなにかわいがっていたはずのおもちゃも、手入れが億劫になってきた。 正直に言えば、もう、つまらなくなってきたのだ。 ちょうど先月手に入れたものは、もっと手がかからず、それでいて壊れにくいらしい。前のおもちゃよりも、ずっと楽しめそうだ。 とはいえ、前のものだって、たまに遊ぶ分には悪くない。 錆びついて自然にゴミになるまでは、棚の隅にでも飾っておこうか。 そういえば最近、部屋にゴミが増えてきた。 ……「次」の置き場所も確保しなきゃいけないし、面倒だから一気に捨ててしまおう。

叶ってしまった

「ねえ、和華。やっぱり戻ろうよ」 「大丈夫だから。ほら、有咲」  山の淵のてっぺんで、私は有咲の手を取った。秋の夕暮れ、冷たい空気に、少し肌寒い。すぐ戻るから、と薄着で来ていた私はその体温を奪われることになった。 「ねえ、あそこの祠って、神様がいるんでしょ。祟られちゃうよ」 「平気平気。ほら」  見下ろした先には、開けた平原。その真ん中には、ぽつんとひとつ、色褪せた祠があった。 「……あれが」  きっかけは、何処かで聞いた言い伝えだった。あの祠には神様がいて、お願いすれば願い事を叶えてくれるんだって。  でも私たちの村には、もう一つ言い伝えがあった。 「あの祠には、近付いちゃいけないよ」  酷く矛盾しているじゃないか。私は不服に、どちらの言い伝えにも平等に不満を垂れていた。願い事を叶えてくれるのに、近付いちゃいけないなんて。どうしてそんなことを言うんだろう。  なんて、そうやって幼い頃の私は考えていた。今も少し、そうやって。 「足元、気を付けてね」  連日の雨で地面がぬかるんでいる。ふと、遠くの空を見上げれば、未だ晴れ切らない雲がその奥で停滞している。残った雨の匂いにほんの少しの不快感を感じながら、有咲の腕を握って引っ張っていた。 「お願いって言ったって、何を願うのさ」 「それはね、」    彼女には話していなかった、私の事。  私は小さい頃から、身体が弱かった。何回も大きな病気を患って、そして、今も。  今度こそ助からないかも、なんて。先が長くないなんて、そんなことを言われてしまうほど、私の運命は脆くて儚いらしかった。 「ひみつ」  そんな事を言えるわけもなくて、私は彼女の言葉を振り払う。独り善がりに、私は一方的に彼女の腕だけ握って引くばかりだった。 「私、和華の事が好き。もっと、一緒にいたい」  中学に上がって出会った和華は、そんなことを言ってくれるような子だった。好き、なんて人から言われたことがなかった私は変に真に受けて、やがてその視界には有咲しかいなくなっていく。 「私も、有咲のこと好きだよ。一緒にいたい」  壊れゆくこの身体で彼女の事を愛し続けるのは難しくて、悲しさのたびに涙を溢していた。苦しくて堪らなかった。  だから、私は。  足を取られるままに歩き続け、ようやっとその祠の前に辿り着く。何か言葉にできないほどの迫力というか、禍々しさがそこに在った。  雨風を耐え忍んで腐りかけたその木や、軋むほどに風を通す外殻。  その中に何があるかなんて知らず、私はただ単純に、何かを願うだけだった。 「ねえ、本当に大丈夫?」 「うん」  これも全部、有咲のため。ずっと一緒にいるため。そう思っていた。 『死にたくない』  手を合わせて願う。奥底から漏れ出たのはたったそれだけのちっぽけな願い。  たったこれだけで、私は 「ぁっ」  不意に声を漏らしたのは有咲だった。  振り向いた途端、彼女は膝から崩れ落ちてその場に倒れる。 「有咲!?」 「ねえ、有咲!?大丈夫!?ねえ!」  幾ら揺さぶっても、返事はない。その身体は動かない。  息はしている、脈もちゃんとある。それなのに、深すぎる眠りという牢獄に閉じ込められたように、私の動きの一切が何の意味も成さない。  そのとき、私は初めて気が付いてしまった。 「代償……」  近付いてはいけない。それは、何か危険があるから。  願いを叶える。それはきっと、代償を必要とする。  だから、近付いちゃいけなかったんだ。  私は、彼女のために、私の願いのために 「わた、し……は、有咲を……」  彼女を犠牲に。    こんなことにも気付けない自分の愚かさが憎くて、仕方がなかった。でも今更こんなことを言ったところで、もうどうしようもなかった。  _ 「……こ、こは」  雨の中、荒んだ泥の上で目を覚ます。  目の前に横たわるのは、有咲の身体。  そうだ、私、帰ろうとして、有咲を背負いながら、  あの山の上から、落ちて 「ああっ」  痛い。  感覚が強烈に思い出される。フラッシュバックみたいに、脳を埋め尽くす。  放り投げられたビー玉みたいに、私はこの斜面を転がり落ち続けた。  ぐるぐる回る視界の中で何回も、岩や木に頭を打ち付けた。身体を打ち付けた。それはもう、死んでしまうほど。もうこれで終わりなんだと、そう感じていた。  幸い、和華は私が必死に守っていたおかげで軽傷で済んでいた。 「……どうして」  降りしきる雨の中、どうせ掻き消される声で、私は他の誰でもない、私自身に問いかけていた。 「あんなに痛かったのに、あんなに苦しんだのに」 「どうして私、死んでないの?」  答えは、簡単だった。 『死にたくない』  あぁ、どうして。  神様。

プレゼント

物心なんて、つくはずのないころ。 私は、プレゼントをもらっていた。 これだけは、なくさないようにしないと。 とおくで、人の声が聞こえる。 口が、不自由になった。 とおくで聞こえる音。 「ピー、ピー、ピー」 機械音かな? あっ、プレゼントを、落としちゃった。 初めてののプレゼントだったのに。 生まれてから。 「ピー、ピー、ピー…」 音が鳴りやんだ。 さようなら。

迷心

 黒猫が横切った時、朝に霊柩車を見たことを思い出した。  いつも通り俯きイヤフォンで音楽を流しながら駅に向かう通りを歩いていると、「チーン」と高い金の音が聞こえた。その音は耳元のイヤフォンをも通り抜けて、脳内に「チーン」という擬音語をそのまま置いた。無意識のうちに顔を上げると、車道を挟んだ向こう側にある葬儀場で、棺が霊柩車に乗るところだった。和尚さんが「チーン」と鳴らし、喪服の人々が棺を囲っている。一人が持っている写真の中では老人が笑っていた。  視線を道に戻すと、前からは服を着た犬がリードをつけられて颯爽と歩いていた。学生らしき青年が駅に向かって走り、スーツを着た男性が電話をしながら足早に通り過ぎていった。  少し離れてから、霊柩車を見たときは親指を隠せという習慣を思い出し親指を握ろうとしたが、写真の中にいた笑顔の老人に申し訳ない気がしてうまく握ることができなかった。 「黒猫が横切るなんて不吉だね」  運転席に座る先輩がどうでもよさそうに言ったことで、現に戻った。 「何も起こらなければいいんですけど」  後ろからかけた私の小さな声は情けないほど高く早口で掠れていた。  黒猫は一度だけこちらを見て、ふいと前を向き左から右へと足音を立てるように道路を渡っていった。  今日は不吉なことは何も起こらなかった。不安なことばかりで、いつもは実際起こらない不安なことが今回は現実になってしまうのではないかと不吉なほどに思い込み、呪いのように頭の中に巻き付いている。  朝の私は親指を隠さなければ不幸があるという言い伝えを信じていたための行動だったが、改めて調べてみると、敬意を表すための礼法であることも知り、結局申し訳ない気持ちと自分の知識の偏りに呆れてしまった。

殺人犯はどっち?

「むかついた相手って、殺せたらいいのに。」 私は、意外と人にむかつきやすかった。 あるとき、空き教室にそいつを呼び出し、ナイフで襲った。 両手には手袋、口にはマスク。完璧。 グサッと鈍い音がなった。 急所を刺したみたい。いい気味。 そいつが苦しんでる間、死体と血をどうしようか考えた。 でも、相手は生きてた。 相手は、防弾チョッキのようなものを着ていた。 演技をしてたみたい。 私を、刺した。 私は、何の対策もしていなかった。 相手は、私が死ぬ前、「あんたが予告してたじゃんw」… してない。 地獄で、思い出した。 ....私は、二重人格だった。

「燃えてしまいたい」と、そのリンゴの木はずっと考えていた。小さな果樹園の隅っこから一歩も動いたことがなく、ただ惰性のように毎年毎年リンゴを実らせるだけの人生に飽いていた。果樹園の先代の主人は優しくて有能な男だったが、跡を継いだ次男坊はやる気のない短気な小男で、機嫌が悪くなると、よくリンゴの木たちを蹴っていた。「燃えてしまいたい」リンゴの木は視線を前に向けた。遠くに、別の果樹園があり、そこにもリンゴの木がたくさん植えられている。その果樹園では、以前、大規模な火災が起きた。リンゴの木たちが赤い炎に包まれて倒れていくのを見た。それはどこか恍惚とさせられる光景だった。このリンゴの木が「燃えてしまいたい」と思い始めたのは、それからだった。リンゴの木は目を閉じた。そして、自身の体が赤い炎に包まれるところを夢想した。どれくらいの時間が経っただろう。はっと現実に戻ると、リンゴの木は、自身に実ったリンゴが、すべて炎と同じ赤色をしていることに気づいた。リンゴの木は苦笑した。「この子たちが出荷されるまでは死ねないな」リンゴの木は再び目を閉じた。そこへ、果樹園の主人が、タバコを吸いながら歩いてきた。

わきまえと礼儀 (掌編詩小説)

私が作品を書くにあたって 『自分が読みたく無いのに、他人に読んでもらおうとするのは横暴な考えである』 ということを、常に気にしている (完)

町の警察

チュンチュン。スズメの鳴き声が聞こえる。 今日もこの町は平和だな。 俺は鈴井直樹、この町の警察官をしている。 俺が警察になったのは、事件を解決したり、逮捕したりしたかったからだ。 だけどこの町は治安がいいので、仕事は道案内や落とし物、パトロールぐらいしかない。 憧れていた警察官とは違うけれど、やりがいはある。 パトロールをしているとそれがよくわかる。 ヒーローに憧れている少年がピシッと敬礼をしてくれたり、女子中学生二人組が青春をしていたりする。 その時はとても幸せな気持ちになるものだ。 この町は田舎なので、人をよく覚えることができる。 だから、誰と誰が付き合っているとかがわかってしまう。 今日も、交番の前の公園で中学生カップルがいちゃついている。微笑ましい。 どうやら彼女の誕生日のようだ。 彼氏の方がハンカチをプレゼントしていた。青春とはこういうものか。 それから数日後、パトロール中に彼氏を見かけた。 表情はよく見えないが、悲しんでいるのはわかった。 きっと彼女と別れたな。まぁそれも青春だろう。 それからさらに数日後、落とし物が届いた。 大人の女性が届けてくれた。優しい方だと思った。 「ありがとうございます」 とお礼を言ったら、明るい表情になった。 女性が届けてくれたハンカチをしっかり見ると、彼氏が彼女へプレゼントしたハンカチだった。 彼氏くん、結構ひどい振られ方でもしたのかな? 俺は、非リアのなので少しだけ元彼くんに同情した。

ハリネズミの決意

 そのハリネズミは、ある日、寺に現れた。そのハリネズミは、口に毛抜きをくわえていた。そのハリネズミは、和尚をじっと見つめた。和尚はすべてを悟った。和尚は本堂にハリネズミを招き入れ、仏像の前に座らせると、その針を毛抜きで一本一本抜いていった。ハリネズミはじっと仏像を見つめていた。一方和尚は針を抜きながら、自分の頭に髪の毛がふさふさに生えていた頃のことをぼんやり思い出していた。

実に…

実に興味深い 何ともなしにそう呟く 最近ドラマに嵌っている ミステリーで主演は某アーティスト 原作小説ももちろんよんでいる。 最近映画も予定されている。 トリックも凝っている 実に興味深い

救急箱

 夜、お母さんと、ベランダで、夜空を眺めていた。するとお母さんがふいに、「あらっ」と言った。「けがをしているわ」そう言ってお母さんは、自分の部屋に引っ込んだ。そして、すぐにまたベランダに戻ってきた。お母さんは救急箱を持っていた。「誰がけがをしているの?」僕がそう尋ねると、お母さんは「宇宙よ」と答えた。「その救急箱には何が入っているの?」僕がそう尋ねると、お母さんは救急箱の蓋を開けた。救急箱から光が放たれた。目を細めて見ると、救急箱の中には星が詰まっていた。「ちょっと行ってくるわね」そう言ってお母さんはふわりと宙に浮かび、ベランダから夜空へ飛んでいった。僕は眠かったので眠ることにした。翌朝、いつものように台所に行くと、お母さんがいつものように朝食を作っていた。「おはよう」「おはよう」菜箸を握るお母さんの指に、絆創膏が巻かれていた。

ハンカチと彼女

私は今幸せだ。 どうして幸せでしょう?問題! 正解は、彼氏ができたから。 彼氏はイケメンでサッカー部のゆうま君。 前の彼氏?そんなのどうでもいいのよ。 あんなもやしでヘタレ、誰が本気で好きになるの? ゆうまくんと付き合った瞬間、私は元彼からもらったハンカチを捨てた。  周りの人たちは落とし物って思うだろう。でも残念、そのハンカチはただのゴミ。 本当はゴミ捨て場に捨てようと思ったのだけど、公園のど真ん中に捨てちゃった。 どうしてかって? ハンカチをゴミ捨て場に運んでいるとき、もらった時のことを思い出しちゃったから。 「はい、これ誕プレ」 「わぁ、ありがと!」 「開けてみて」 「うん、あっハンカチだ」 「この百合の花言葉、彩音にぴったりだと思ったんだ」 「そうなんだ、うれしい」 花言葉って何?女々しいな。 てか誕生日にたかが六〇〇円ぐらいのハンカチなんて恥ずかしくないのかな。 記憶の中の元彼の言葉に凍え、公園で落としてしまった。 その時のことを思い出すと、ハンカチをもう持っていられなかった。 放課後の教室、私はゆうまくんとキスをしていた。 元カレとはしたことのはないファーストキスだった。 「え、何してるの?」 邪魔者の声が聞こえた。一応彼氏ではあるけど、私の中では元彼の声。 「あー、バレちゃった?」 私は笑って言った。 「これが彼氏?もやしじゃん」 ゆうまくんってやっぱりわかってる。 「そーでしょ?まぁ今の彼氏はゆ、う、まくんだけどね」 「俺も今の彼女はあ、や、ねちゃん」 「やーんもう、ゆうまくんったらぁ」 私たちは元彼の前でいちゃついた。 どんな顔してるんだろう。想像して吹き出した。 「あっ、そう言うことだから別れよ?」 やっと言えた。まぁ、言わずに自然消滅でも良かったけど。 元彼は頷いた。 こんな時に声すら出さないなんて、どんだけ女々しいの? 私は幸せだ。イケメンな彼氏とも付き合えて、キスもできて。 おまけに元彼の悲しそうな顔まで見れて。 これからゆうまくんとキスもキス以上のこともたくさんするんだ。 私はハンカチのことなんてすっかり忘れていた。

なんとかなる

玄関で先生にあいさつをして、友人と教室へ向かう。 「そういや、隣のクラスの和田くん、はるのこと気になってるんだって」 「えっ!まじ?」 「まじ」 「私ってモテるな〜」 「うざー。てか和田くんのこと好きな女子がいるんだってよ」 「三角関係だね、荒れそー。誰?」 「隣のクラスの木崎さん」 「え、あのいじめっ子で有名な?」 「そう。だからはる気をつけなよ」 「まぁ、なんとかなるでしょ。」 「いざとなったら私、逃げるからね」 「いや守れよー」 教室に到着した。 自分の席に向かう。なんだか視線を感じるような気がする。 自分の席について、視線の理由がわかった。 私の机に黒マッキーで悪口が書かれている。 しね、あほ、ぶりっ子、男好き、書いてある言葉を心の中で読み上げる。 古典的ないじめだな。こんなの現実であるんだ。 書いてある内容的に木崎さんだよな。伏線回収早いな。 「はる、大丈夫?」 友人が問いかけてくる。 「これって、多分木崎さんだよね」 「確信ではないけど、可能性は高いね。」 「ちょっと私問い詰めてくる」 「あぶないよ」 「まあ、なんとかなるよ」 「えー、私は逃げるよ?」 「え、かなし」 「うそうそ、ついてくよ」 「ありがと」 そう言って、教室の後ろで友達と汚い笑い声を発する木崎さんに方へ歩いた。 みんなの視線で釘付けだった。まるで私はアイドルだった。 「木崎さん」 「なに?」 木崎さんは蛇みたいに鋭い目で睨みつけてきた。 「これさ、木崎さんだよね?」 「うん、そうだけど?なに?」 「なんでこんなことするの?私に男取られた嫉妬?」 「は?うざ」 木崎さんはそう言って殴りかかってきた。 女の子同士でこんな喧嘩になるとか思わなくてうまく反撃できなかった。 そうして私は、見事にやられてしまった。 「よわっ」 そう言って木崎さんは去ってしまった。 やっぱり女の子って苦手かもな。 そう思い、立ち上がる。友人が心配して駆け寄ってくる。 「大丈夫?」 「まあ、なんとかなるよ」 「そっか」 こんな状況でも、駆け寄ってくるのは友人一人だ。 「みんなももうちょい心配したらどうなのかな?」 友人が言う。 「私はみんなに嫌われているからさ」 「そんなことないよ」 「ぶりっ子だからさ。」 「まあ、そんなところあるかも?」 「否定しろよ」 そう言って少し笑った。 昔からぶりっ子って言われてきた。 背が低くて、声が高かったからかな。 男の子から好かれても、女の子からは嫌われていた。 あるとき、陰口を言われてメソメソ泣いていたら母から言われた。 「たいていのことはなんとかなるのよ」 「嘘つき」 「ほんとよ」 母のその言葉に私は救われた。 いじめに関しては、もうなれてたことだから私の心はあまり傷つかなかった。 そのあと和田くんが木崎さんを殴るのは、また別の話。

ハンカチと会社員

あー疲れたな。 会社への出勤時、心の中でつぶやく。 昨日の疲れがまだ残ってる。それでこれから疲れに行く。 私はいわゆるブラック企業に勤めている。 パワハラ、モラハラは当たり前。おまけに意地の悪いお局がうじゃうじゃといる。 大学生頑張って、せっかくいい会社に入社できたと思ったのに。 面接をあんなに頑張って、得られるのがこんなブラックで働く権利なんて世界バグりすぎだろ。 「あら?あなた、メイク濃いんじゃないの?」 お局に言われる。 「そうですか?そんなことないと思いますけどね」 愛想笑いをしながら答えてる。 「あなた相当、顔がアレだからね。そんなにしないとダメなのかしら」 「そうかもですね」 この年齢にもなってこんなこと言ってくる人ってなんなの? ノンデリ?イケメンなら大歓迎なのに。 それともフレネミー?フレンドでもないけど。 「君、何してるのかね?」 「えっと、データの打ち込みを」 「君は言われたことしたできないのか?」 「いや、まだ言われたことをしている途中なんで、まずはそれが大優先ですよ」 「口答えか?これだからZ世代の女は」 「あはは、そうですね」 このクソジジイ。人の話ちゃんと聞けよ。 てか、女だったらなんだよ。 男だったら許すのか?男好きかよ。 男女差別はするのに変なところは多様性ですね。 心の中では強気でいながら、メンタルは結構削られてる。 最近は褒め言葉さえも悪く聞こえてしまう。 「あーあ、私やっぱり社会不適合者だな。」 仕事後、公園のベンチに腰掛けて周りに迷惑にならない程度の声で叫んだ。 公園の時計は九時三五分を表している。 そろそろ帰るか。そう思い、立ち上がった。 公園の出口へ向かって、歩いた。会社の決まりで履いているヒール付きの靴は歩きにくい。 「うわっ」 何かに引っかかって転んでしまった。 転んだところを見ると、ハンカチが落ちていた。 かわいらしいハンカチだった。 きっと、落とした人は困っている。届けてあげよう。 私はそう思い、ハンカチを拾い上げた。 一見きれいに見えたそれは汚れていた。 公園の水飲み場で洗った。少しだけきれいになった。 そして近くの交番に届けた。 届けて、はい終わり!かと思ったら違うらしい。 書類とか書かないといけないらしい。 めんどくさいな。でも今更、後には引けないし。 私は書類を書き終えた。思ったよりたくさんあった。 「ありがとうございます」 交番を出るとき、警察官に言われた。 イケメンだなって思った。この人がノンデリでも全然許せる。 なんだかいいことをしたな。少しだけ明るい気持ちになった。 持ち主もきっと喜ぶはず。 明日からの仕事が少しだけ楽しみになった。

夜のサービスエリアにて

 夜七時、サービスエリアは賑っている。  日没後の暗闇に、煌々と電灯が点いた建物が浮かび上がる。多くの屋台はすでに店を閉じて、電灯の下に仄暗く静まりかえっていた。  車を降りた途端、冷気に取り囲まれる。体は寒さを感じるが、疲れて熱を帯びた頭にはその冷たさが快い。後ろの席に放っておいた明るい色の外套を羽織り、緑色に塗られた歩道を注意深く歩いて、横断歩道を渡った。  二重になった自動ドアが、複数の客をそっと招き入れる。そのセンサーは機械的ではなく、まるでどこかで誰かが様子を見ているかのように滑らかに動く。  外側と内側のドアの間には二平方メートルほどの空間があり、左右の壁には新メニューや高速道路株式会社からのお知らせなどが貼り出され、小さな看板も出ていた。それらは自動ドアと同じように慎ましやかな温かみを醸していた。  内側のドアを一歩入ると、入って左側がレストラン、右側が土産物屋になっている。扉などはなくて、どちらも簡単に行き来できる。夕食をとったり、土産物屋をひやかしたりする人々の喧騒と人いきれで、さっきまでの寒さが嘘のようだ。  レストランと通路の間にちょっとしたカウンターがあり、昼間はそこがコーヒーショップになっているようだった。この時間はそこもひっそりとして「御用の方はキッチンへお声がけください」と丸ゴシック体で小さく書かれたメモスタンドがあった。  キッチンは正面から左側(外側)へ向かって「軽食」「麺類」「ご飯もの」と窓口が分かれている。「軽食」の表示の前へ行ってみたが、中には誰もいない。  夕食時だ、いそがしいのだろう、と思い、こちらは急ぐ理由もなかったので、暫しぼうっと佇んでいた。と、右後ろから 「いま伺いますから、お待ちください。」 と感じのいい声がして、二〇代後半だろうか、颯爽とした青年が現れた。このキッチンに勤める店員の一人であろうその青年は、前髪をコック帽にぜんぶ入れて、コックコートを気持ちよく着こなしている。どこからキッチンへ入ったのだろう、気が付いたときには、彼は目の前にいて注文を取ってくれた。  気が付けば朝から何も食べておらず、空腹を感じないではなかったが、今日は緊張のしどおしであったので、しっかりとした食事をとる元気もなかった。いつもなら餃子丼セットを頼むのに。それでホットスナックの並んだガラスケースからコロッケを選び、カフェラテを注文する。  彼はまた感じよく、手袋を嵌めてコロッケを包み紙に入れ、客側のカウンターからは一段低くなった、キッチン側のカウンターへ丁寧に置いた。それからそっと手袋を裏返して外し、これも丁寧にそこへ置き、レジのキイを叩いて 「七五〇円になります。」 と言った。わたしは釣り銭のないように小銭を数えてカルトンへ置く。  彼はさらに感じよく、私が財布を仕舞ったことを確認してからまずコロッケを、次いで美しいデザインの空の紙コップを手渡してくれる。さっき通り過ぎたコーヒーショップのカウンターに設えられたコーヒーマシンを振り返りながら、 「あのコーヒーマシンで?」 と尋ねると、彼は頷きながら、待てよ、という顔をして 「洗浄中ですね、見に行くので少しお待ちください。」 と親切に言ってくれる。だが私の後ろにはすでに客が並んでいる。 「対応なさってからで大丈夫ですよ。」 「ありがとうございます。」 という簡単なやりとりの後、コーヒーマシンの前でまたもぼうっと佇んでいると、程なくその自動洗浄は終わった。まだ客の対応をしている青年の方を振り返ると、彼はこちらをぱっと見て手で「OK」のかたちをつくり目顔で「どうでしょう」と尋ねる。コロッケと紙コップで両手の塞がった私も目顔で「だいじょうぶ」と頷く。  これだけのことだが、私は快く圧倒されていた。便宜上「青年」とか「彼」と馴れ馴れしく呼んではみたものの、その人は厨房のスペシャリストである。このサービスエリアに勤める人々は老若男女、誰でもこのように気持ちのよい接客をしてくれるが……それでも、自分より二〇近くも年下の若者が、仕事とはいえ、少しの注文しかしない、くたびれた中年に対して、爽やかな親切を示してくれたことがうれしかった。  熱々のコロッケを頬張り、食べ終わって包み紙を捨てると、誰にともなく一礼して建物を出た。  手の中には温かいカフェラテがある。冷えた車内へ戻り、帰り道で聞く音楽を探しながら、大事に飲んだ。機械的な味ではなかった。  エンジンをかけてウィンカーを点け、前後左右を確認してから右方向へゆっくりとハンドルを切り、また停止する。何かのスポーツのクラブチームが遠征した帰りらしく、大勢が目の前を渡っていく。渡る人が途切れるのを待ち、徐行した。サービスエリアの出口で、エンジンの回転速度を上げる。リラックスした頭と体で、安全運転をしよう。

他席思考

(うおおおおお! 解ける! 解けるぞおおおおお!!)    全ての問題を解き終えた十分後、チャイムが鳴った。   「はーい、じゃあテスト用紙回収するぞー」    テストの時だけは、出席番号順に座り直す。  そしてぼくは他席思考の持ち主。  他人の席に座った時、他人の性格と知識がうつってしまう。   「余裕だったわー」    今日の席は、頭のいい友達の席だったからセーフだ。  きっと順位もいいだろう。  でも、いつまでたっても自分本来の力を披露する機会がないので、ぼくは自分に自信がない。

またね

 処刑場に行った。友人に会いに行ったのだ。友人はこの間斬首刑に処され、その生首がさらされていたのだ。友人の生首に色々な話をし、そのうち日が暮れてきたので、家に帰った。「またね」と手を振ると、友人も手を振った。帰り道、友人は生首なのだから手を振れるわけがないことに、ふと気づいた。

誘惑

 風邪薬を買いに外に出ると、雑踏の中で、お姉さんがポケットティッシュを配っていた。きれいなお姉さんだったので、一つ受け取った。歩きながら、そのポケットティッシュを見ると、一枚の紙が入っていた。そこには『世界を滅亡させませんか?』という言葉とともに電話番号が印刷されていた。はっとして振り返ると、さっきのお姉さんはなぜかもうどこにもいなかった。俺はとりあえずそのティッシュで鼻をかんだ。風邪は辛い。こんなに辛い世界、滅んでしまうのもいいかもしれない。俺はスマホを取り出し、ポケットティッシュの電話番号に電話をかけた。お話し中だった。俺は電話を切って、とりあえず、世界を滅亡させるための第一歩として、さっき鼻をかんだティッシュを、道端にポイ捨てして、立ち去った。

この世で一番の悪が暇

 極悪。 その言葉が自分にはしっくり来る。 別にヤクザに所属しているわけではない。 戦争の武器商人な訳でもない。 ただの一般人、ただの人間。 だが極悪だ。 いや、悪という概念すら覆しているかもしれない。 害悪、諸悪、必要悪。 どのカテゴリーにも属しているようで属していない。 形容するなら極悪。 何かを極めているわけでもないのに。 関連する事象全てに作用して何かを起こしてしまう。 なにもしていないのに。 誰かが言う。 「お前迷惑だよ。」 極悪で迷惑。 実に不名誉な称号。 今日も暇潰しで人に迷惑をかける。

ハンカチと元彼氏さん

今の僕はすごく気持ちが沈んでいる。 なぜかって? 彼女に振られたからだよ。 僕の彼女の名前は彩音と言ってとっても明るくてかわいい女の子だったんだ。 本当に僕になんてもったいないくらい。それは付き合ってる時に言うセリフか。 だけど別れちゃったんだよね。 理由は彩音の浮気。本当に僕にはもったいなすぎたんだ。 こんなヘタレな僕より、かっこよくて勉強も運動もできる人がいいに決まってたんだ。 別れた日、一月十八日のこと。別れた日をいまだに覚えてるなんて少し重いかな。 「え、何してるの?」 放課後の教室、忘れ物をとりに行った。 そしたら見てしまった。彩音とサッカー部のイケメンゆうまがキスをしているところ。 「あー、バレちゃった?」 彩音は悪びれずに笑った。悪魔のような笑みだったのに僕には天使のように見えた。 「これが彼氏?もやしじゃん」 「そーでしょ?まぁ今の彼氏はゆ、う、まくんだけどね」 「俺も今の彼女はあ、や、ねちゃん」 「やーんもう、ゆうまくんったらぁ」 僕の前で二人がいちゃつき出した。 「あっ、そう言うことだから別れよ?」 彼女は僕に向かって言った。その顔は今まで見た中で一番あざとかった。 僕は声も出せず、こくりと頷くことしかできなかった。 僕は非リアとなった。 雨が降った。 本当に強い雨だった。 そのせいで僕の心は余計に暗くなった。 雨上がり、僕は公園に行った。何を思ったかはわからない。 広いところへ行って開放的になりたかったのかもしれない。 その時、一つのハンカチが目に入った。 白くて黄色の百合が刺繍されたハンカチだ。 見覚えがあった。見覚えしかなかった。 僕が彩音にプレゼントしたハンカチだ。 たくさん迷って、これに決めたから覚えている。 たしか、黄色の百合の花言葉が陽気とか明るいで、彩音にピッタリって思ってこれに決めたんだったんだ。 ハンカチを見ながらそのときを鮮明に思い出す。 「はい、これ誕プレ」 「わぁ、ありがと!」 「開けてみて」 「うん、あっハンカチだ」 「この百合の花言葉、彩音にぴったりだと思ったんだ」 「そうなんだ、うれしい」 幸せだったな。 そう思い返せば返すほど悲しくなった。 僕はハンカチを拾いもせず、公園を出た。 もしかしたらあのハンカチは彩音のものではないかもしれない。 きっと彩音じゃない他の誰かが落としたものなんだ。 そう自分に言い聞かせながら、目から出てきたものを袖で拭った。 あのハンカチを拾えなかった理由を、僕はもう知っていた。

今日は何もしないで良いよ

 かけていたアラーム、予備のアラーム、予備の予備のアラーム、準備完了用のアラーム、出発用のアラーム、到着用のアラーム。  一つ解除する度に一つ心が軽くなる。  起床時間の心配、失敗への心配、失敗への備えの失敗への心配、事前準備の心配、家を出ることへの心配、誰かに会うことへの心配。  一つなくなる度に一つ心が軽くなる。  何もなくなって空っぽになった心は風船みたいにふわふわと浮かび上がって、関節が軋むほど重かった足取りは、吊られた人形の様に空を踏む。  小さな爪で内側から引っ掻かれて、傷だらけに白く濁って、内側に何がいるのか分からなくなったガラス細工の心は、少しだけ伸縮のゆとりがあるゴム製に変わる。  ヘリウムどころか水素を湛えた様な私の心持ちは、ぐんと宙に浮いて、ささくれだった木製の天井に当たって割れた。  堪らない嘔吐感に必死に回した足を滑らせながら化粧室へ駆け込む。中蓋を上げて陶製の便器のひんやりとした感触を手に感じながら、私の世界の中で一番不浄な水面に映った自分の顔を見つめる。嘔吐感は残っているのに、あの喉を焼きながら上がってくる半個体の感触はない。  どうしようもなく惨めになって、壁に縋り付くように眠った。割れたガラスの心から、何か爪を持つ生き物が出て行った気がした。

愛しさと切なさとハッピーバースデーと

葵は、8頭身という恵まれたスタイルと美しい顔を持つ、ファッション雑誌「VUXIA」の看板モデルだ。 だが今は、毛玉の付いたジャージを着てだらしなくソファに横になり、コンソメパンチ味のポテチを惰性で食べている。 もはや華やかなモデルの世界とは真逆の、どこにでもいるだらしない男に成り下がっていた。 部屋の中には退屈な昼のテレビ番組の音と、コンソメパンチを咀嚼する音だけが響く。 ここ一週間、モデル事務所からの連絡はない。 もはや事務所のホワイトボードから、「葵」と書かれたネームマグネットが、陰湿ないたずらにより剥がし落とされた可能性すらある。 …という、令和の時代にあるまじき、昭和の香り漂う管理システムの被害妄想が、葵の頭を巡り始めた。 ​ スマホは、死んだように静かだ。 ​あまりに通知が来ないため、葵は自分を、VUXIAの編集部の超ハイテンションな編集長に仕立て上げ、一人二役の孤独な「LINE祭り」を開催し始めた。 ​「葵くーーん! 次号のVUXIA、巻頭20ページ特集いっちゃう!? 葵祭りしちゃう!?」 ​送信ボタンから指を離した瞬間に、「既読1」の文字が刻まれる。 ​「マジっすか!? 伝説作っちゃいましょうよ!! 準備万端っす!!」 ​また、一秒もかからずに「既読」が重なる。 「​あ、ごめん! 今の、やっぱバラしで!」 葵は無表情のまま、​画面を、爆笑スタンプで埋め尽くす。 そんな攻防が18往復も続いた。 その後、葵は爆笑スタンプの連打をやめ、虚無の顔でスマホを床に放った。 すると突然LINEの通知音が鳴る。 「来た!仕事だ!」葵は飛び付く様にスマホの画面を見る。 「お誕生日おめでとうございます!うどん100円引きクーポンをプレゼント!」 丸亀●麺からのLINEだった。 (え?今日俺、誕生日なんか…?) ​葵は、テレビの「奥様がマダムに変身する」例の番組を消した。 静まり返った部屋に、コンソメパンチの粉がついた指を舐める音だけが響く。 (誕生日と言えば、イチゴのショートケーキと寿司。買いにいくか?) 葵はソファから半身を起こすと一瞬逡巡する。 (服着替えてレジ並んで、カード「ぴっ」てやって帰ってきて、手洗ってうがいして………) 工程を想像した結果 (めんどくさっ) と言う答えに辿り着いた。 だがしかし、腹が鳴る。「誕生日とかどうでもいいから何か食おう」と、キッチンへと足を運ぶ。 シンクの下を開けると、鍋やフライパンが乱雑に入れられた奥に、界隈でセンターを張るカリスマが鎮座していた。 ペヤ●グ・ソース・ヤキ●バ だ。 賞味期限を確認すると、半年前に切れている。 しかし葵は迷いなくティファールに水を入れると、スイッチングした。 数分の後お湯が沸くと、すぐさまペヤ●グに湯を注ぎ、ソースを上に載せてスマホのタイマーをかける。 背中を丸めて棒立ち状態で「湯切り口」と書かれた文字をじっと見つめながら静かに待つ、8等身の美形。 次の瞬間 「ブオォォォォォーーー!」 静寂をぶち破って、スマホから「ほら貝」のタイマー音が鳴り響く。 その音に、葵はビクッ!と体を震わせる。 「ペヤング掲げていざ出陣!…かっ!」 と、1人寂しくツッコミしながら急いでタイマーの停止ボタンを押す8等身の美形。 部屋の中にはもちろん葵しかいない。 「誰がほら貝の音に設定したんや!俺や!」 葵は薄暗い部屋の中で、不自然な関西弁でセルフツッコミすると、スッと真顔になり、湯切り口のシールを慎重に剥がしてシンクへお湯を流した。 すると、「ぼごんっっ!」とシンクが大きな音を鳴らす。 葵は再びビクッ!と体を震わせると 「ビクッ!やないっ!2回目やないかっ!」 と、再び怪しい関西弁でセルフツッコミをした。 葵は出来上がったヤキソバを眺め (俺、誕生日に、1人寂しくペヤ●グ食うんか…) と、僅かに涙を滲ませる。 その直後 「あ…」 と言ってシンクの引き出しをゴソゴソと引っ掻き回し、奥の方に引っ掛かっていた物を引っ張り出した。 それは、古びた小さな6本入りのロウソクだった。 葵はペヤングとロウソクを手にリビングへと戻ると、ソファを背に、背中を丸めて床にあぐらをかいて座る。 そしておもむろにロウソクを袋から取り出すと、次々とヤキソバの麺に直刺ししていった。 慎重に、チャッカマンでロウソクに火を灯す。 薄暗い部屋の中で、ヤキソバにぶっ刺さったロウソクの6つの炎は怪しく光り、まるで呪いの儀式の様な雰囲気を醸し出している。 ロウソクの灯りに照らされた8等身の美形は、消え入りそうな声で呟く。 「ハッピーバースデー、俺。」 そして葵は、薄闇の中で静かに、ロウソクの炎をふき消した。

僕が彼女を守る

7月2日 彼女とスタバ。彼女は期間限定のストロベリー&ユースベリーティーを、僕はエスプレッソを頼んだ。窓側の席に座る彼女は今日も美しい。2人の間に静かな時間が流れる。言語なんて僕達に必要ない。だって心が繋がっているのだから。 7月15日 彼女と映画館に来た。彼女が話題の恋愛映画を見ると言うのでそれに付き合う。クライマックスで涙を流す彼女は、やはり美しい。映画なんて目に入らなかった。よほど気に入ったのか見終わった後は大はしゃぎで感想を話してくれた。僕は黙って何度も頷いた。 彼女の右隣に変な男が座っていて、映画館から出た後も付いてきていた。要注意だ。 7月22日 今日は彼女と水族館。一面水槽になっている天井を見つめる彼女。子供向けのペンギンショーに夢中になる彼女。目が釘付けになってしまう。正直水族館なんてどうでもいい、彼女とならどこだっていい。僕はどこまででも付いていく。 今日もこの前の男が彼女の隣に張り付いている。恐らく、いや確実にストーカーだ。僕が彼女を守らなくては。

失恋直後に書いた文章

私へ。あの日から1年が経過しました。この1年間、沢山悩んで、沢山苦しんで、沢山の気持ちを経験しました。1年も経ったなんて思えないほど、あっという間に時は過ぎていきました。本当によく頑張ったと思います。まさか、別れるまでに1年もかかるなんて思いませんでした。それくらい、私は人のことを好きになれて、愛することができました。とても貴重な経験ができたと思っています。ただ、どんなに好きでも、どんな一緒にいたいと思い合っている2人でも、一緒にいることはできない、その痛みも知りました。苦しいです。あの日、私は大好きな人と旅行に来ていましたね。一緒にいるのが楽しくて楽しくて、本当に大好きでした。でも、彼は嘘をついて、私を裏切りました。沢山悩んで、悩んで、結論が出るのに一年も経ってしまいましたが、一度失った信用を取り戻すことはできませんでした。悩んでいる間、多くの人にもっといい人いるよ、早く別れなよって言われた。でも結局、自分が納得できないと、別れられないんだよな。 今、別れてよかったなんて思えません。好きだったから。戻りたいとも思うし、ずっと一緒にいたかったって、こんなこと一緒にしたかったってふとした時に思います。これが正解なのか、未来の自分に聞きたくなる。未来の自分、私が選んだこの答えは正解ですか? また私は人のことを信じて、この人と一緒にいたいと思える人に出会うことができるのでしょうか? 今は信じられないのです。本当に苦しいです。寂しいです。誰か、よく頑張ったと、もう苦しまなくていいと抱きしめてほしい。 本当はあなたに、最低最悪なあなたに、抱きしめて欲しかった。

はみ出し者

「殺してしまえ。」 そう言い放ったのはキュウビ様だった。 「聞こえなかったのか。こいつを殺せ。」 『なぜ、急に殺さなければならないのですか。今日までは友達として仲良く遊んでいたではありませんか。』 「そもそも、おかしかったのだ。我等は大人には見えないはずなのに、こいつには見えている。それで十分か。」 確かにそうだ。大抵の人間は12、3歳にもなれば見えなくなるが、彼はその歳を優に超えている。だが、本当に殺すまでのことなのだろうか? 「納得いかないようだな。では一つ教えてやろう。大人の人間の肉は美味いぞ。ただ、子供の肉は柔らかくて食えたものではないがな。」 『人間を…食べる……?』 「そうだ。人肉食は上が厳しいがな、こいつが人間でないとなれば話は別だ。大人なのに我等が見えているなら、人間でないと言い張れるからな。」 〘ちょっと待て、俺を食べるのか…?そんな、いきなり…〙 「聞こえていたか、情が湧かないうちに殺すぞ」 少し遅れて地面に血が広がる。キュウビ様が思いっきり腕を噛みちぎっていた。 「不味い。子供の肉の味がする。」 『えっ…?』 「お前も食ってみろ。」 言われた通りにそれを口に運ぶ。確かに水っぽくて美味しくない。頑張れば食べられなくはないけど、そこまでして食べたいとも思えない。 『まあ…美味しくはないですね……』 「あんな人間に気を遣う必要はない。」 「チッ…こういうのは2回目だが…非常に困る。結局こういうやつは味でしか子供かどうかを判断できないのだ。だからわざわざこんな所にまできて我等なんぞと話したがる。結局、人間なんてこんなのばっかりなのかもしれんな。」 そう言うと、キュウビ様は深く溜め息を吐いた。

タイトル未定

工事中...

無駄遣い

 男は踵を引き摺りながら、夜の町を歩いていた。駅を出た時は足早に歩いている人が何人もいたが、今ではすっかりいなくなっている。明かりはついているが音のない迷路のような住宅街をのろのろと歩く男は、音もなく掠ってくる冷たい風を避けるようにダウンのポケットに両手を入れた。  男は漫画家を目指していた。芸術学部のある大学に進学し、その後上京してアルバイトをしながら三年が過ぎていた。その間、何の成果も上げる事なく、ただただ七年という時間を通過していた。漫画家を諦めたわけではない。描き続けてはいるが、それだけの日々。投稿する頻度も、ペンを持つ時間も減り、言い訳の種類と回数だけが増えていった。  今日も昼からのアルバイトを終えた道で考える事は、バイト中での自分の言動を振り返り反省すること、夕飯のこと。あと、明日のバイトのこと。  住んでいるアパート近くの公園を横切った時、ふと高校生の頃の自分を思い出した。  大学受験に向けて画塾に通いながら、漫画を描いて東京まで持ち込みに行っていた。出張編集部があると知れば、その日を締め切りにして明け方まで原稿用紙に向かっていた。  部屋の電気をつけ、ゆっくりと現に戻った。キッチンに置かれた二人掛けのダイニングテーブルには開けたままのノートと芯を出したままのボールペン、付箋だらけの本やメモ帳が散らかっている。ついさっきまで、そこに誰かが座っていたかのように。  窓を閉め切ったベランダからわざとらしい大きなため息が聞こえたような気がした。  そんなことも明日の朝にはきっと忘れて、足を引き摺りながらバイトに向かうのだろう。  こんなダラダラとした中身のない日記にもならない独り言を誰が読むでしょう。紙とインクの無駄遣い。こんなものを許してはいけない。いけないって、分かってはいるんです。

ハンカチと女子中学生

私には悩みがある。 それは親友、茜の性格が悪いこと。 茜とは小さな頃からの幼馴染だった。 茜は優しかった。泣き虫でか弱くて、私がいないと生きていけないって感じだったのに。 中学に入ったら大体の女子は性格が悪くなる。 それに伴い、茜の性格も悪くなってしまった。 「おはよ!茜」 「おはよう、翠」 茜と朝の挨拶を交わす。ここまでは前通り。 「てか聞いた?隣のクラスの彩音ちゃん、彼氏と別れたんだって」 「へー、そうなんだ」 これはよくある噂の話、大丈夫。 「まぁ、彼氏さんも別れて良かったよね」 「え?なんで?」 あ、これやばい。 「だって彩音ちゃんって性格悪いって有名だよ?」 「まぁね。」 始まった。 「貰ったプレゼント平気で捨てるとかなんだか」 「それはダメだね」 「てか、雰囲気もなんか、ね?」 「どういうこと?」 「なんか顔も性格悪そうじゃん。体型もいじめっ子まんま。」 「そんな言い方、、」 あーあ、悪口だな。性格悪いのは茜の方じゃん。 最近の茜は少し苦手。 口を開けば他人の悪口ばかり。 愚痴とかじゃない。明らかに誰かを傷つけるような、そんな口調。 だけど簡単に距離は置けない。 下校中。 公園でジュースを買うことになった。 そこには、汚いハンカチが落ちていた。 泥だらけで雑巾みたいだった。 交番に届けよう、私がそう言おうとした時、茜が言った。 「え、なにこれ。きったな」 こんな時にまで、悪口? 「まぁまぁ、そんなこと言わないで」 「だって汚くない?持ち主もきっと汚いんだよ」 「もう、茜そんなこと言わないでよ」  少しだけ口調が強くなってしまった。 「は?本当のことじゃん。翠こそ、なんでそんな強くいうの?」 そう言って茜は、公園を出てしまった。 私はジュースを買うために持っていた160円を握りしめて、茜の後を追った。 ハンカチの方を少しだけ振り向いた。 ハンカチは悲しそうな顔をしていた気がする。 こんな時でさえ、茜の後を追ってしまう。 茜に私が必要なんじゃなくて、私に茜が必要だったんだ。 なんて、茜の背中を見ながら思った。

差別なき採用

「では、選考結果は後日メールにてお送りいたします」    私がオンラインミーティングを終えると、部かが近づいてきた。  余程私に疲れが見えたのだろう、部下は私にお茶を差し出してきた。   「お茶くみは、部下の仕事じゃないんじゃなかったっけ?」 「何年前の話ですか。忘れてください」    入社早々、「多様性の時代だから部下にお茶くみさせるのが当たり前とか思わないでください」なんて頼んでもないのに宣言していたのが懐かしい。  思わず、同僚たちと吹き出したものだ。  部下は私の手元にある履歴書を持って、眉を顰める。    名前なし。  性別なし。  年齢なし。  住所なし。  わかることと言えば、ITの資格をいくつか持っていることくらいだ。   「外国人だったんですか?」 「多分」 「多分って」 「国籍なんて聞いちゃ駄目なんだよ。差別になるから。ま、日本語は上手く喋れてなかったけど」 「ええ……」 「ついでだ。それ、シュレッダーにかけといて」    私は早速メールを作る。  と言っても、事前に用意された文章を送るだけだが。  選考をしたという建前を守るために、メールの発信は数時間後。  自動送信での対応だ。   「日本語が下手だから採用しないってのも、差別に当たるのかねえ」    昔の癖で、左胸に手を伸ばす。  胸ポケットに煙草の箱が入っていないことを思い出し、その場で煙草を一服する振りをした。

冥土喫茶

池袋に来て「埼玉都心はパラレルパラレルパラレル」と口ずさんでいたらビラ配りのメイドに「いつからここが並行世界ではないと錯覚していた?」と迫られ、連れられたのは薄暗いメイド喫茶。 店内は血生臭く、厨房からは悲鳴が聞こえ、メイド達はケチャップまみれだった。パサパサオムライスが次々と量産され「エロイムエッサイム」の呪文でふわとろへと姿を変える。それを食べた客はもみ上げ白髪の老人からニキビ面の青年へと早変わり。 店の異様な雰囲気に耐えかねて「おらアキバじゃなくてブクロに来たんだ!東京さ嫌だ!」と店から駆け出すが、メイドの投げた猫耳が背中に突き刺さり崩れ落ちる。背後から「見敵必殺、ケチャップゲットだぜ」の声。消えゆく視界の端で見えた看板は「冥土喫茶」。

どこへいこう。どこへでも。

私は暗く、冷たい部屋にいた。最初は時々そこに入るだけだった。すぐ出るはずだった。だんだん時間が増えて、いつからかそこが私の居場所になった。本当に部屋だったのかもわからない。石質の地面は硬く、私の熱をどこにも伝えず奪うだけだった。光はどこからも入って来ず、この壁や床がどこまで続いているのかわからなかった。歩いて確かめに行く体力も気力もなかった。そこが私の居場所となってから、私は寝転んだまま動かなかった。どれくらいの時間動かずにいたかもわからない。 けれど、いつも退屈ではなかった。少し長く息ができた時、目を閉じて、地面から伝わる冷たさも切り離して、私は旅をした。どこにだっていつにだって行けた。満開の桜の下で桜餅を食べた後にスキー場でリフトを限界まで揺らした。温泉地に行って足湯だけ入る贅沢もした。 旅から帰ってきても、旅の思い出が私を楽しませた。 その日は浜辺でビーチサッカーをしてへとへとのデロデロになった。砂にめり込みながら「ずっとここにいたい〜」と言った。そしたら誰かが「いればいいじゃん」と言った。 その時からだった。帰ってもそこは浜辺だった。浜辺になっていた。 本当は、私はずっと浜辺にいた。私はどこにだっていた。あの暗くて寒くて体がガッチガチになる部屋は、ほんとうは浜辺で、晴れた日曜日の公園で、梅も桃も桜も満開だった。 私はどこにだって行けて何にだってなれた。ずっと、はじめから。

プライド

 就職面接を受けた。主にポテトチップスを作っている会社だ。面接会場に入った。面接官が三人いた。皆、顔がボコボコで、坊主頭で、ジャガイモにそっくりだった。面接官は僕の顔をじっと見つめて言った。「きれいな顔ですねぇ」僕は何と答えていいかわからなかった。「ジャガイモには似ていませんな」一人の面接官が言った。「ジャガイモに似ていないとまずいですか?」僕がそう尋ねると、面接官は「いえいえ、そんなことは」と言って微笑んだ。盛り上がらない面接が終わり、部屋の外に出ると、次に面接を受けるらしい学生が座っていた。顔がボコボコで、坊主頭で、ジャガイモにそっくりだった。彼は部屋に入っていった。しばらく聞き耳を立てていると、部屋の中から大きな笑い声が聞こえてきた。僕は足早に立ち去った。帰り道、気が付くと僕は、自分の顔を何度も何度も拳で殴り続けていた。

不安なき不自由な世界

「入社おめでとう。君たちも社会人になったことだし、ここらで生命保険に入っておくのがいいぞ。会社の推奨はこれだ」    とりあえず入った。   「確定拠出年金を始めないか? 毎月の給料からコツコツと積みあげて、将来の年金を増やせるんだ」    とりあえず入った。   「持株会に入らないか? 毎月の給料から少額の株を買って配当をもらうんだ。今なら、一口につき○○%の株プレゼントもあってお得だぞ」    とりあえず入った。    正直、何の目的で、将来どうなるのかよくわかっていない。  しかし、会社が大丈夫と言っているのなら、きっと大丈夫なのだろう。    上司の指示を聞くのが嫌だとフリーランスになった友達たちは、成長が楽しいと喜びながら、仕事がない貯蓄が不安だと嘆いている。  ぼくは、成長なんて感じないけど、仕事や貯蓄への不安もない。  多分会社が何とかしてくれる。   「酒、うま」    どっちが幸せなんだろうか、なんて考えるのも面倒になって、とりあえずお酒を飲んで寝た。

泣く部屋

 その駅には、『泣く部屋』があった。小さな個室で、中にはティッシュペーパーとゴミ箱だけが設置されている。泣きたくなった人が入って、泣くための部屋だ。金曜日の夜に利用者が多いという。ある夜、清掃員がティッシュペーパーを補充しにその部屋へ行くと、中に人がいる気配がした。清掃員がドアの傍で待っていると、部屋の中から、くしゃみの声と、鼻をかむ音が聞こえてきた。そして、中から一人の中年男が出てきて、ずかずかと立ち去っていった。どうやらあの中年男は、泣くための部屋のティッシュペーパーで、鼻をかんだらしい。あのティッシュペーパーは、涙を拭くためのものだ。どうしてそういうことをするのだろう。清掃員はティッシュペーパーの補充作業をしながら、泣きたくなってきた。どうしてああいうモラルのない人がいるのだろう。涙が溢れてきた。清掃員は手の甲で涙を拭った。このティッシュペーパーは、お客様のための物だから。

デジタル折り紙

『折り紙で、鶴を作ってみましょう。画面をタップしてね』 「はーい!」    息子がにこにこしながら、タブレットをタップしている。  タップする度、画面に映る紙が折られていき、鶴の形に近づいていく。   「それ、面白い?」 「うん!」    あまりに不気味だったので思わず声をかけたが、息子は何の違和感も感じてないのか元気な返事を返してきた。   「そう、なら、いいんだけど」 「うん!」    私は息子を見ながらソファに座り、サイドテーブルに置いてあった折り紙を手に取り、鶴を折った。   「時代だなあ」    折り紙は、ちゃんと折ったつもりがぐしゃぐしゃになって、角と角がぴったり一致するようになる過程が面白いというのに。  果たしてタップするだけのデジタル折り紙で、何が手に入るというのだろう。    私が折り鶴を完成させて掴んだ時、息子もデジタル折り紙を完成させたらしく、嬉々としてタブレットを見せに来た。

コンビニは大切なものを奪っていきました

「あ、買い忘れた」    困ったときは、コンビニに向かう。  二度もスーパーまで車を出すのは面倒なので、ありがたい存在だ。    歯磨き粉もある。  下着もある。  パンもある。  スーパーより割高だが、時間を節約できると考えればトントンだ。    コンビニには、小学生たちが溜まって、雑誌を一冊買っていた。  一人が勝って、皆で回し読みをするのだろう。    ……その役目は、うちのものだった。  昔の子供たちは私の本屋で買ってたし、私の本屋で溜まっていたのに。    便利な便利なコンビニは、私から大切な客を吸い上げていった。   「六百四十八円になります」    とはいえ、バイトの子に怒るのも違う。  昔なじみのオーナーに怒るのも違う。  誰が悪いって言えば、時代が悪いとしか言いようがない。   「はい、ありがとうね」    商品の詰め込まれたレジ袋を受け取って、私はコンビニを出た。    そろそろ私の本屋も、閉店を考える頃だろう。  コンビニやインターネットと戦うには、私は年を取りすぎた。

殺人鬼の弟

 しばらく連絡のなかった兄の現状を知ったのは、警察からの電話だった。  人を殺したらしい。  何人も。    ぼくたちはただの家族から一変し、人殺しの家族になった。   「今のお気持ちは?」 「遺族の方に申し訳ないという気持ちはありますか?」 「実の家族が犯罪者になって、何か感じることは?」    連日、家に押し掛けるマスコミ。  マスコミの音と光は、殺人鬼の家がどこなのかを世間に教える、いい目印になってしまった。  マスコミが飽きた後、待っていたのは近所の人と他人からの攻撃だ。   「いつまでいるのかしら?」 「早く引っ越してくれればいいのに」 「やっぱり殺人鬼の家族だからかしらねえ」    両親は、日に日に衰弱していった。  父は目にクマを作って会社に向かい、生活費を持って帰って来る。  母は頬もごっそりコケてやつれ、夏だというのに炬燵に潜って眠っている。    ぼくは、学校に行って帰った。    冷たい視線が刺さって来る。  時には暴言が飛んでくる。  石を投げつけられて、額から血を流すこともあった。       「引っ越し先が決まった。来週の夜、この町を出よう」    父は、母とぼくに言った。  ずっと、引っ越しと転職を考えていたらしい。   「でも、この家がないと、あの子の帰ってくる場所が」 「……もう、住むことはできないよ」    母は最後まで抵抗していたが、父が押し通した。  既に母の通う病院も目星をつけたらしい。   「もう少し時間をくれない?」    ぼくは、引っ越しに賛成しつつ、時期をずらして欲しいと頼んだ。   「なにかあるのか?」 「殺人鬼の弟らしいから、殺人鬼の家族らしいことをやって来る。後、ずっと溜めてくれたお年玉、今全部もらえない?」        溜めに溜めた暴力の証拠を持って弁護士事務所に向かって、被害届というやつを出す手伝いをお願いした。    ぼくを殺人鬼の家族だと、犯罪者の家族と嘲笑った皆様。  おめでとうございます。  今日からあなたたちは、犯罪者の家族ではなく、犯罪者張本人です。    受理されたのは僅かだったけど、一瞬でも恐怖を与えることができたから、ぼくは満足だった。  新天地で、被害届を取り下げて欲しいという訴えが来たと、弁護士から聞いた。  当然断った。  だって、君たちも石を投げるのをやめなかったから。    電話を終えると、自然と涙が出てきた。  そんなぼくを、父が後ろから抱きしめてくれた。    この涙は、嬉し涙か、それとも悲し涙か。  殺人鬼の家族であるぼくには、人間の血なんて流れていないからわからない。

Days…しばらく恋をしていない

真夜中になったが寝れないのでテントをでる 満天の星空を見上げ煙草に火をつける 隣のテントには熱い愛の抱擁が行われているのか時折押し殺した声が聞こえテントが少し揺れている この辺の調査は俺を含めて三人 俺以外の二人は若く、調査が始まって直ぐに仲良くなっていた いつもは一人で行動するのだが、若手をあてがわれた。つまりは同行して勉強させろということだ。 俺はまずそれを聞いた時点で嫌だった。 未知の惑星の調査で外に出て夜を迎えると、人間は子孫を残したがるように出来ているのだと思う こういうことは、よくあることで、二人さえ良ければそのままその惑星に移住しするやつも稀にいるらしい。 外に出れる時点で息はできるのだ 後は土と水があれば何とか生活できるのだろう。二人だけの星。ロマンチックだな。確かに。でもその子供達は不幸であろう。何もない星。誰もいない星。  隣のテントが静かになった 白い息を吐きながら しばらく恋をしていないなと思った

デブ娯楽

「筋トレが趣味なんだよね」 「かっこいい!」 「素敵!」    男Aが力こぶを作りながら言った。  評価は上々。   「食べるのが趣味なんだよね」 「痩せろ」 「デブが」    男Bが丸い腹をさすりながら言った。  評価は下々。   「趣味の副産物に評価が下されるこんな世の中じゃ……」    男Cがつまらない現実を憂いた。

もうひとつの雨宿り

やられた。 夕方の突然の豪雨。 駅までの道、小さな軒先で雨宿り。 ひとりじゃなく、もうひとり。 と言っても、連れではない。 沈黙を破ったのは彼女のほう。 と言っても、彼女が口を開いたのではない。 手にしている紙袋から漏れる甘いドーナツの香り。 ああ。いい匂いだ。 おそらく、この先の店のものか。 雨の日だけ、おかしな形のをつくるあの店の。   ・ まったく、まいっちゃった。 夕方の突然の豪雨。 駅までの道、小さな軒先で雨宿り。 ひとりじゃなくて、もうひとり。 でも、連れでもなんでもなくて。 沈黙を破ったのは男性のほう。 でも、男性が何かを話しかけてきたのではなくて。 手にしている紙袋から漏れる芳醇な豆の香り。 ふふん。いい香り。 きっと、この先のお店のものかな。 雨の日だけ豆を別口のにするあの店の。   ・ 激しい雨音が、ふたりの距離を密室のように囲い込む。 コーヒーの熱を指先に感じる男。 ドーナツの香りを鼻先で遊ばせている女。 雨が上がるまでのほんの十数分間。 名前も知らないふたりによる、何も起きない、ふたりだけの物語。

薄暗闇から

 この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。  堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。  犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」  鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。   彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。  意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。  うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。  あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」  そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。  当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。  彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。  薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」  辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。  そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」  食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。  その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」  ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」  差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」  答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。  途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」  もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。  髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。  流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。  色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。  言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。

雨宿り

おかあさんから傘、持っていきなさいと言われ、 「はあい」 と返事したのに持たずに学校に行った。 その日の帰り、灰色の空を見上げていると、お店のドアが無言で開いた。 (怒られる) 勝手にお店の前で雨宿りしていた。体を小さくし、出てきた女の人の言葉を待った。 「入りなさい」 ふるえてしまった。雨のせいばかりではないと思った。 私は、ただ… 「入りなさいな」 しかたなしに、なかに入った。肩が、自分でも驚くくらい下に落ちていた。 何を言われるのかと、ずっと下を向いていた。 その私の前に何かが出されたみたいだった。 「飲みなさい」 「あ、いえ、あの」 「飲みなさいな」 「コーヒー、飲めなくて」 女の人は静かに笑みを見せた。 その笑みのわけが、私にはわからなくて。でも… 女の人が置いたのはホットミルクだった。やけに甘いの。 飲みながら、私は何も言わず、女の人も、何も―   ・ 「そろそろ休憩いいわよ」 「はあい」 いま、そのお店でアルバイトをしている。 休憩のとき飲むホットミルクは、あのときのまま、何も変わらない。 そして、飲むたび容易に雨が降る。 いつかの雨の日、お店の前で雨宿りしている小さな女の子がいた。 声をかけ、なかに入れてあげた。 あのときの私みたいに。 女の子の前にカップを差し出す。 カップのなかを見ずに、女の子は言う。 「コーヒー、まだ飲めません」 ふふ。やっぱり、あのときみたいだ。 女の子がホットミルクを飲む。やけに甘いホットミルク。 その姿を見ながら想像する。 大きくなったこの子が、このお店で働いている姿を。 きっと、この子もまた、雨の日に―

言い訳

 これは僕の言い訳です。酷い夢をいくつもみて目覚めた朝は雨が降っていました。防水スプレーを何重にもかけて、水たまりに気をつけて下を向いて歩いていたのに、自分の靴が跳ねさせた水で靴下まで濡れました。しかも、駅に着く前に忘れ物をしたことに気付き、走って取りに行ったせいで靴下はぐっしょり濡れてしまいました。  バイト先ではぼんやりとした頭とうまく回らない舌で、どうしようもない会話をしました。会話の内容を、お風呂から上がった今でも頭の中で繰り返しています。それと同時に、僕がみんなから煙たがられるシナリオも進行していきます。そのシナリオの中には、さっきまで僕が忘れていた今日の僕の余計な言動が原因のものもあります。  これは全て僕の言い訳です。誰に対しての言い訳でしょう。何に対しての言い訳でしょう。  とりあえず、僕の言い訳は以上です。  明日の朝は早いんです。おやすみなさい。

わからない (掌編詩小説)

生き方がわからない 書類の意味がわからない 人の言っている事がわからない わからない事がわからない 理解がわからない 時間がわからない 感覚がわからない わからない、わからない、わからない 生きる事に執着する事がわからない 夜がわからない 昼がわからない 記憶がわからない 救いを求める事がわからない 他人理解がわからない 存在意義がわからない わからない、わからない、わからない そもそもわからない 無意識感がわからない 忙しさがわからない 布団の温かみがわからない 朝日がわからない どうでもいいがわからない 自立がわからない わからない、わからない、わからない (完)

事の顛末

夕飯後の食休みの時のこと。 スマホでアニメをぼーっと見ていると、居間の方から「ガン!」と音が聞こえた。 え、何事よ。向かうと母が脇腹を押さえて「うぐぅ」と呻いていた。 全く分からないどういうことだ。母が一人相撲でドアの取っ手にぶち当たったのか? 「え何、何があったん?」 とりあえず近くにいた妹に聞いてみる。 「……歳だよ」 妹はスンとした顔で明後日の方向を向きながら答えた。なに歳って!?何で歳で脇腹押さえて呻くのよ。 「いやどういうとこよ、教えてよ何があったの!」 「だから歳だって」 「いや分かんないし納得できないよ」 「もぉしつこいな!!何なんずっと聞いてきて!!」 妹がうんざりした様子で叫んだ。え私が悪いのこれ?事の顛末知りたいだけよ? 「いいじゃん教えてよ!気になるから聞いてんだよ!」 「何でそんなに気になるのさ!」 何でってそりゃ、決まってんでしょ。 「笑える内容だったら笑いたいじゃんよ!」 キッチンの方から母の「くだらないよアンタ!」という非難の声が聞こえてきた。 結局しつこく聞いた結果知ることが出来た内容は、妹に手刀で刺された母がその破壊力でドアの取っ手にぶち当たったというものだった。 なんてしょうもな。歳関係無いし。てか証人が問い詰められてキレるってミステリーあるあるじゃん。 世の中のミステリーの真相が全部これくらいしょうもなかったら何かしらの暴動が起きるんだろうな、と思った。

ラノベっぽいアイデア設定を友人に送る2

主人公の名前はユグナー、男、町で傭兵をやっている、ヒューマン、幼い頃両親とこの町にやってきたが青年になる頃に不慮の事故により両親と死別、以来王国の治安を守るための傭兵をしている。 能力はヒューマンの特性である汎用的な格闘術、剣術、体術、それに加えて王国特有の半魔神族、獣人族、妖精族の使う黒魔術、能力強化術、白魔術etc…等1通りの訓練で一線級の戦士。