贈与

「あー、かのんちゃんの唐揚げ、美味しそー」   「とっても美味しいよー。まりんちゃんに1個上げる―」   「ほんと? ありがとー」    お弁当のおかずをあげたり交換することもまた、遠足の醍醐味だろう。  かのんちゃんからまりんちゃんへ、唐揚げが渡される。   「それ、贈与ね。贈与税が発生しまーす」    が、その唐揚げは、先生の手によって取り上げられ、10分の1が先生の口の中へと放り込まれ、残りの10分の9がまりんちゃんの口の中へと放り込まれる。   「ちゃんと申告しなきゃ、メッですよ!」   「「ごめんなさーい」」    ここは日本国直下管理の小学校。  今日も皆、将来の三権に携わる人材となるべく、学び続けるのだ。

タイムリープが失敗した理由

 何もかもが完璧だった。  過去を変えることは簡単だった。僕は”一般人A”として、歴史の矯正力に邪魔されることもなく過去改変を重ねていった。  そして今晩。後は人身事故に巻き込まれた電車に乗るはずだった人を、早い電車に乗せるだけ。それもほとんど成功したも同然だ。僕らがいるホームの時計は予定の30分前を指していた。  そわそわとホームを歩き回る少女は、本当に恋する乙女そのままだった。 「母さんにも、こんな顔をする時代があったんだな」 僕は若き日の母に見つからないよう、階段の陰に隠れながら思わずそう呟いていた。 『過去に戻れるとしたらお前は何を望むか』 謎の声が聞こえたとき、僕はとうとう自分の頭がおかしくなったのだと思った。その神か悪魔かも分からない謎の声は、ただひたすらにその質問を繰り返した。  裕福な家庭に生まれたかった。  もう一度自分の人生をやり直したかった。  葵と一緒に生きたかった。 過去に戻れるなら取り戻したいことはいくらでも思いついた。そして、それらが矢のように脳裏を過ぎ去った後で、僕は一言呟いていた。 「母さんの結婚をやり直したい」 瞬きの次の瞬間に、僕は25年前の世界にタイムスリップしていた。  母さんには父と結婚する前に、好きになった人がいる一度だけ聞いたことがあった。その人とは結局それ以上の関係になることはなかった。それなら、その人と母さんが結婚するように誘導すれば、父との結婚はなかったことになる。  母さんは苦労しなくて済むようになる。  僕がアニメの主人公よろしく的確に過去を改変していく度に、頭の中で小さな針がカチリと鳴った。多分本来の世界から少しずつレールが外れていく音だ。そして僕の死刑宣告でもある。  思ったよりも自分の命に未練はなかった。どうせ誰の役に立った人生でもないし、僕がいなくなったところで困る人もいない。いや、過去改変してしまえばそもそも僕の存在自体がなかったことになるのだから、悲しむどころか誰の記憶からも消えてしまえるのだ。  ……葵くらいには、ちょっと悲しんで欲しかったかも知れない。  この期に及んで、アイツに何かを期待するなんて僕も本当に甘えた人間だな。  それ以上悩むのはやめた。僕の人生と引き換えに、少し幸せに生きられる人がいるのなら喜んでこんな無意味な命は捨ててしまおう。  勝負はこの駅のホーム。会うべきだった時間に大幅に遅れてしまったことが、母さんとその人とがすれ違う決定的なきっかけだったと直感でわかった。この分岐を切り替えれば、改変は確実になるはずだ。  ふと母さんとは反対側に、小さな女の子が見えた。膝には擦り傷、周りに大人もおらず、途方に暮れたように泣きながらホームに立っていた。さっと母さんに目をやると、同じタイミングで気づいたらしい。その子に声をかけるべきか悩んでいる様子だった。  ここでこの子に構っていたら元の木阿弥だ。僕はその子に声をかけようと走り寄ろうとした。  ドン、と頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。思わず頭を抱えてその場にうずくまる。目の前がぼやけていく。幸い僕が倒れた場所は、母さんからは死角になる場所だ。女の子を、と思って辛うじて目線を上げると、若い女の人が声をかけにいくのが見えた。そうか、この人が声をかけてくれるから、母さんは乗り遅れずにすむ。過去改変が確定し、僕が消えるってことなんだ。  これで良かったんだ。もう一度心のなかでそう呟いて、僕は意識を失った。 ―――声がする……。 「……きなさいよ。ほら、いつまで寝てるの?」 その声に僕は飛び起きる。自分のアパートのベッド、傍で葵が僕を叩き起こしていた。 「ほら、出かけるよ」 わけも分からず手元のスマホを掴む。日付は確かに僕がタイムスリップした日、電話帳の父の名前は僕の知っている名前。何もかもが元通りだった。 葵は呆れて部屋を出ていく。僕は呆然としながら、でも過去改変が失敗したのだということだけ理解した。歴史の矯正力だろうか。それともあれは夢だったんだろうか。頭が鈍く痛んだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 部屋のドアを後ろ手に閉めながら、葵はぼろぼろと声を出さずに泣き始めた。 「ごめんね……ごめんね、翔……」 25年前の駅のホーム、翔が何をしようとしていたか葵は瞬時に悟った。ここで彼をとめなければ歴史が変わり、彼は消えてしまう。そう思った瞬間、葵はとっさに翔を殴り倒していた。  翔の願いを踏みにじった罪は一生だって引き受ける。  それでも葵は、誰の人生と引き換えにしたとしても、翔を失いたくなかったのだ。 「葵!何で泣いてるんだよ」 泣きじゃくる葵を見つけ驚く翔に、葵は返事もできずに泣き続けていた。

G①

 酷い倦怠感だ。横になったが最後、腕を挙げることすら思うようにできない。まるで、重力が何倍にもなったみたいに重い。私はこれを『重重力《じゅうじゅうりょく》』と名付けよう。倦怠感と呼ぶよりかは幾分か気持ちが軽くなる。  この重重力が数日続いている。食事もろくに摂れず、部屋にあったお菓子とジュースだけでやり過ごしていた。これでは栄養不足で、治るものも治らないだろう。そんな中、気掛かりは戸締りである。思うように動けないので、家中の戸締りを確認するのは非常に難儀なのだ。  玄関の施錠は勿論したはずだが、トイレの小窓は換気の為に確実に開いている。人が侵入できるサイズではないし、隣家の壁と密接しているので放火などの心配もないと思う。それでもやはり、一刻も早く締めなければならない。  だが、しかし、時すでに遅しと言わざるを得なかった。何よりも恐れていた事態が今、現実に起きてしまった。この状況だけは何としても避けたかった。理由は明白である。自力では逃げる事も、ましてや太刀打ちする事も不可能なのだからだ。私はずっと、重重力によって母なる地球に抱き寄せられているかのような、そんな引力に逆らい続けているのだから。栄養とは程遠いカロリーばかりを摂取していた事も要因だろう、体は未だ自由が利かない。そんな状態の今、まさに最も恐れていた事態が起きてしまったのである。  ベッドで横たわり動けずにいる私は、天井を眺めているのがここ数日の過ごし方だった。そして、その天井に現れた 、遂に現れた、奴の姿を私は見逃さなかった。  殺虫剤はキッチンの棚。スリッパは玄関。せめて奴の動きを封じる物は······見当たらない。詰んだ。見事に詰んだ。そんな私の人生が終わったかのような感覚に陥った時、救世主が現れた。

御手洗くんは手を洗う

 水道の蛇口をひねって、水を出す。  手をざっと濡らした後、ハンドソープを手に落としてしっかりと擦る。  もこもこと泡立った手に再び水をあて、泡ごと汚れを流し落とす。  使い捨てハンカチで手を拭いて、ハンカチごしに蛇口を閉じる。  ハンカチをごみ箱に捨てれば手洗い終了。    御手洗君は、休み時間の度にこれを繰り返す。  トイレの後、給食の前は当然。  十分休みも毎回洗う。  結果、ついたあだ名は。   「よう、潔癖団子!」   「まーた、手を洗ってんのか」    侮蔑的なあだ名に聞こえるが、御手洗君は気にする様子はない。  いつも通りに手を洗う。   「ねえ、なんでそんなに手を洗うの?」    気になった私は、席替えで隣の席になったタイミングで、御手洗君に聞いてみた。  御手洗君は、首だけこっちを向き、シャーペンを除菌ティッシュで拭きながら答えてくれた。   「気分転換になるんだよね」   「気分転換?」   「うん。手の汚れが落ちると気持ちいいし、手を洗ってるとそれだけに集中できるから、気持ちの切り替えになるんだよ」   「気持ちの切り替え?」   「うん」   「うーん、やっぱりよくわかんないなー」    話を聞いてもいまいちピンと来ず、私は首をかしげる。  御手洗君は、そう、と一言だけ呟いて、首を正面に戻す。        そして翌日。  私は手を洗う御手洗君を見つけたので。   「……何してるの?」   「ん? 御手洗君の真似して、手を洗ってるの。同じことすれば、何かわかるかなーって」    早速、御手洗君の隣で手を洗ってみた。  御手洗君は目を丸くしてこっちを見た後、またすぐに手洗いに戻っていた。    私は手を水で洗い流す。  手を擦る。  ごしごしごし。  ぱっと見は汚れているように見えないが、たぶん何かが流れ落ちてはいるんだろうと自分に言い聞かせる。  ハンドソープを手に落とし、再び手を擦って泡立たせる。  ごしごしごし。    普段もごしごし洗うのだが、今日は水道の近くに貼ってある、正しい手の洗い方と書かれたポスターのやり方を忠実に行う。  洗う順番から洗う時間まで。  ごしごしごし。  一心不乱に手を洗う。   「……ふう」    手を洗い終えた頃には、何やらやり切った感を手に入れていた。  見た目は何も変わらないが、きっと色々汚れが落ちてピカピカになっているのだろう。  それに加えて、手を洗う前に何を悩んでいたのかもきれいさっぱり忘れていた。   「なるほど。これは確かに、気分転換になるね」    私は満足げに水道を止めようと蛇口に手を伸ばした        ところで、横からハンカチを持った手がにゅっと伸びてきて、代わりに蛇口を閉めてくれた。  その手は、御手洗君の方に戻ってし、御手洗君の蛇口も締めた。   「……汚いから」    きっと蛇口が汚い、と言いたいのだろう。  神経質すぎる気もするが、よく考えれば洗う前の汚い手で触れているので、汚いものがついているのかもしれないと考え直す。  確かにここまで一生懸命洗ったのなら、再び汚すのは避けたい。   「ありがと」    色々考えて、お礼を言う。  御手洗君は、ぺこっと頭を下げ、教室へと戻っていった。    手洗いって面白いな。    そんな発見をした、夏の一日だった。

ラムネはやっぱり飲めなかった

ざあざあ。 大粒の雨が僕の横たわった体を貫くように降り注ぐ。 たんたん。 雨と葉っぱが、2人で何の曲を演奏している。 どくどく。 僕の心臓の音が、地面を伝って聞こえてくる。 じわじわ。 僕の目の前には、大量の血を流し横たわる君の姿があった。 君は死んでしまった。 交通事故だった。 僕と君が乗っていた車に、大型のトラックが突っ込んできて、僕達はそのまま崖の下に転落した。 きっと、僕も死んでいる。 あの日からずっと、食べても味がしない。 世界に色がない。 君の写真も、モノクロで見えた。 花火にバックに、綺麗に笑った顔の写真。この写真は僕が撮った。確か、この時は花火が始まる前に、二人きりで星を見ていたんだ。 ……そう、花火。 「……そういえば」 僕は記憶を呼び起こす。……今日、この夏祭りが開催される。 行かないつもりだった。でも……なんだか、体が行けと言っているように、落ち着かない。僕は、何かに呼ばれた気がした。そして、その足を夏祭りの会場へと向ける。近くの、神社。僕達が、たくさん遊んだ、秘密の場所。 夏祭りは、人でいっぱいだった。着物を着ている人、ヨーヨーをたくさん指につけている人、ただのTシャツとスボンの人……。老若男女問わずに、とにかくたくさんの人で賑わっている。 この辺りの地域で一番大きな夏祭り。夜になれば、花火大会も始まる。 僕は、そんな人ごみに流されながら、屋台を眺めていた。 たこ焼き屋さん。君が好きなところだった。 わたあめ屋さん。最終的には砂糖の塊になってしまった。 金魚すくい。二人とも、全然取れなかった。 射的。何回もやったけど、ちっちゃなお菓子しか取れなかった。 くじ引き屋さん。君は子供のおもちゃを貰って喜んでいた。 屋台を見る度に、思い出が次々と蘇る。ここに住んでいた幼馴染同士、夏祭りには欠かさず行っていた。だんだんと、悲しくなってくる。君の記憶が鮮やかに、綺麗に蘇ってきて、目頭が熱くなってきた。 僕は歩いていくうちに、無意識にその場所へとたどり着いた。 少し暗い境内。下では遠くなった祭囃子の音と、人の声が聞こえる。他の土地よりも高くなったこの神社は、僕と君の穴場スポットだった。意外と、ここには人が来ない。それに、ここだと花火も星も、綺麗に見える。 僕は空を見上げた。 『あれ、夏の三角形じゃない?きれい!』 君の声が鮮明に蘇る。まるで君が隣にいるみたいだ。 君は星に詳しかった。星が好きだったんだ。 でも、たくさんある星を覚えるのは大変で。僕も、君の説明を何度も聞いているはずなのに、覚えられていない。 「……また、話してほしいな……」 また、じわりと視界が歪む。ポロポロと涙が溢れてきた。 ……星が、すごく綺麗だ。物凄く、綺麗。 真っ黒な夜空に、天使の羽よりも綺麗な白色をした星々。 そして、思い出される君の笑顔。 ふと、大きな音がした。 花火が上がったのだ。 突然の色彩が、音が僕を包む。真っ赤な色。真っ赤だけど、そこにはたくさんの色が混じってる。赤と一括りにしては勿体ない、色彩。 「綺麗……」 全身に響くような強い音と、視界に広がる一瞬だけの空の花。自分の全てがその景色に吸い込まれている。そして、その光景を、目に焼きつける。絶対に忘れまいと、目の中に光を集めた。 僕は、この世界を、呪いたいほど嫌いだった。 君を奪い、僕をどん底へと突き落としたこの世界を、恨んでいる。 それなのに、こんなに綺麗なものがある。 君の笑顔があった世界。 そんな世界を…愛してしまった。 好きになってしまった。 僕には、綺麗すぎる世界。大好きな世界。 胸がぎゅうと締め付けられるような感覚がして、僕は嗚咽をもらして泣き始めた。 花火がぼやける。集めた光が、涙と一緒に零れ落ちる。 「頑張ったね」 君の声がする。でも、君はどこにいない。 こんな世界でも、僕は好きで好きでたまらない。 友達と意味不明なことで笑いあうのも 好きな人とちょっとしたことで喧嘩するのも 兄弟とずっと悪口を言いあうのも 家族とすれ違い続けるのも 大切な人を、失うのも。 この全てが、憎くて、苦しくて、楽しくて、幸せで、なにより、好きなんだ。 「……ねえ、いるんでしょ、そこに」 僕は空気に向かって話しかける。返事はない。 「ずっと言いたかったんだ。……大好きだよ、君のこと」 好きだったんだ。届かなかったけど。 僕は涙を拭って立ち上がる。目の前にたくさんの色彩を感じられる。 そうして、僕は歩き出した。 お腹がすいたな。たこ焼き、食べようかな。 そうだ、お面を買うのもいい。 喉も乾いたし、ラムネでも飲んでみようかな。炭酸は苦手だけど。僕は最後に、神社の鳥居の前で振り返る。 「またね。いつか、また」 そして、僕は人の群れの中に入っていった。 「…私も、好きだったよ、君のこと」

二兎を追う者は一兎をも得ず

 二股をかけていたことがバレてしまった。一人は高校の同級生。もう一人は、職場の後輩。俺にとってはどちらも本命で、選べないから二人と付き合っていたのだ。それに、二人に接点はないからバレないだろうと高を括っていた。 「二股なんてあり得ない!」  同級生の孝美(たかみ)はそう声を上げ、俺を睨みつける。 「そんな男とは付き合ってられないわ。さよなら」  そうして俺は彼女に弁解する余地もなくフラれてしまった。  職場の後輩である美月(みつき)からは、「後日お話しましょう」という素っ気ない言葉とともに、日付と待ち合わせ場所が記載されたメールが送られてきた。俺はなんとか自分の気持ちを分かってもらおう、そして関係が継続できるように誠心誠意謝ろう。そう意気込みを入れた。 「……え?孝美?」  指定された場所で待っていたのは美月と、孝美だった。呆気にとられた表情の俺に、孝美は言い放った。 「この子に連れられて来たのよ。どうしてもって言われてさ。アンタを許したわけじゃないから」  しっかりと釘を刺してきた彼女に、俺は曖昧に笑うことしかできない。美月はにこやかな笑顔で俺と孝美を喫茶店に案内した。俺の向かいに美月と孝美が座る。詰問するのには丁度いい構図だろう。俺は緊張を飲み干すように水を口に入れた。 「……美月。孝美まで呼ぶなんて、そんなに怒っているのか?」  美月からの返答はなく、ただ笑みを浮かべているだけだ。しかし、彼女の瞳の奥は冷え冷えとしており、笑っていないことは俺でも分かった。俺は慌てて言葉を重ねる。 「すまない。言い訳になってしまうかもしれないが、俺は二人を同じくらい愛しているんだ。だから……、悪いとは思っていたけど、どうしても止められなかったんだ」  俺は俯く。これで反省していることは伝わっただろうか。伺うように美月を見上げると、彼女の冷えた目が俺を捉えていた。 「それで?」 「あ……、え、ええと……だから、その……」 「ハッキリ言ってくださいよ。私達とよりを戻してまた美味しい思いをしたいって」  美月は真顔でそう言い放った。核心を突かれたような心地に、肝が冷える。ドッドッ、と心臓が大きく脈を打つ。冷や汗が背中を流れた。俺は必死に口角を上げて、彼女の言葉に応えた。 「そ、そんなこと思っているわけないだろ」 「では、謝って誠意を見せるだけで十分ですね。私も別れますよ。二股男と一緒にいても幸せになれませんから」 「いや、それは……!別れるなんて言わないでくれよ!」 「あれあれ~?二股かけておいて別れるなって都合良すぎではありません?」 「本当ね。謝るくらいなら最初から二股なんてかけないでほしいわ」  孝美まで追撃を加えてきた。俺は言葉を詰まらせる。彼女達には何を言っても響かない、ということを嫌でも理解してしまった。詰み、というやつだろうか。押し黙った俺に、美月はパッと笑って財布からお金を抜き、机に置いた。 「はい、オシマイですね。これは私の分の代金です。おつりは結構です。高い勉強代だと思うことにしますから」 「私もそうするわ」  二人は喫茶店を出て行ってしまった。ああ、二人とも美人だったのに。惜しいことをした。去ってゆく二人の背中を見つめながら俺は思った。  俺と別れたばかりなのに、最近の美月は機嫌が良い。仕事の効率も上がり、気が付けば彼女は俺を追い抜き昇進していた。昼休み、美月が同僚と弁当を食べているところを見かけた。俺は気まずくなり、コーヒーを作るふりをしながら様子を伺う。 「美月、最近調子いいね!何かあったの?」 「趣味の合うお友達が出来たんだ~。美人さんなんだけど可愛さもあって、話してるだけで楽しくなるんだよね~」  彼女はふふふ、と笑う。俺と付き合っていた頃よりも彼女の笑顔は美しく咲き誇っているように見えた。 「見て!双子コーデしてみたんだけど、私がかすんじゃうくらい可愛いの!」 「すご!可愛いね!」  美月のスマートフォンからちらりと見えたのは孝美の姿だった。

差分

- 1 -  ちくしょう、くそったれ、人でなし。  シャープペンをへし折りそうなくらい強く握り、歯を食いしばりながら、そうやって自分をコケにしてきた周囲の人間への恨み節を呟き続けて、俺はついに第一志望の大学に合格した。  地方のクソ田舎を飛び出し、東京の有名私立大学に進むことになった俺に課されたのは、社会人になったら数十年かけて返さなければならない奨学金の返済債務、そして「留年せず卒業し就職しろ」という、両親からの厳命だった。とはいえ、楽しくチャラい大学生活を送りたくて、バイトと同時に、俺はサークル活動に身を投じた。  そこで俺は、出会ってしまった。出会わなければよかったか、と問われれば「そんなわけねえだろうが」と返す以外にない。  早い話が、恋に落ちてしまったのだ。 *  レイカは、サークルで知り合った、俺と同級生の女子だ。名前を書けば入れるバカ高校から来た苦学生の俺と違い、レイカは超難関のお嬢様学校から進学してきて、実家は京都で有名な製茶会社を営んでいるという。目鼻立ちがはっきりしている顔に、ゆるいパーマをあてた髪がよく似合う。それに驕らず、慎ましく身ぎれいで、キラキラした空気を纏っているレイカに、俺はすっかりやられてしまったのである。  ウザがられないかどうかビクビクしながら、俺は大学でレイカと顔を合わせるたびに、少しずつでも何か言葉を交わすようにしていた。そうすることが、二人の距離を少しでも縮めることにつながると信じていた。  けれども、生まれた家、血筋、運命の星の下に勝つには、どうすればいいのだろう。吹けば飛ぶような小さい自転車屋を営む家に育った俺と、大企業の四代目社長の一人娘が、どう結びつくのか。アンバランスというか、バランスなんか取る気ねえだろ、これ。おい神様とやら。ちょっとここやり直せや。  いつもそう思っているのだけど、結局はリテイクが入ることもなく、今に至っている。  考えたら、仮にレイカが俺のことを好きになっても、レイカには一切の得がないのだ。そう思うと、もう好きになってもらわなくてもいい気がする。せめてレイカが少しでも、俺を心のどこかに置いてくれていたらいい。  最近はもう、たとえ付き合えなくたってそれで幸せなんじゃないか……とさえ思えてきた。  実家だけじゃなく、気持ちまで自転車操業だ。    ちくしょう、意気地なし。  誰もいないサークルの部室で、独り言ちた。 - 2 -  四面楚歌。  わたしの人生を表すには、そんな感じの言葉が合う気がする。厳しい躾、英才教育、世間からの目線、予定された未来。生み出されてから十数年、わたしはそんなものに人知れず苦しんできた。  高校までは親に言われた通り過ごしてきたし「大学は好きなところに行かせて」と生まれて初めて親と喧嘩をして、わたしはなんとか四年間、実家から離れた場所で、独りで暮らすことを認められた。けれど、ここでハジけてみようか……と意気込んだところで、生まれた家や通った学校という事実によって、わたしという人間には、知らないうちにフィルターがかかってしまう。  話しかけ辛い。住む世界が違う。どうせ将来こうなるんだろう……なんて勝手な想像。  結局いくら遠ざかっても、それらから逃げられない。  わたしは苦しかった。  但しそれはたった一人、そのフィルターを突き破ってくる異性に出会った瞬間までの話だ。 *  女は男が思う以上に、自らに向けられる視線に気がつくものだけど、ナオくんはサークルの男子で唯一、わたしが視線に気づくよりも先に話しかけてきた。「レイカさんって、お茶嫌いじゃない?」という第一声が今も印象にある。確かに、家が嫌いだったからなんの罪もないお茶まで嫌いになったのは本当の話だけど、よくそこから切り込んできたものだ。ただ、そこからわたしとナオくんは、割と仲の良い関係になったと思う。  ナオくんは、ベタベタとついてくるようなウザったい行動はしない。でも、学内で会ったら必ず話しかけてくれた。なにより、ナオくんはわたしを「社長の娘」とか「お嬢様」でなく、どこにでもいる、ひとりの女の子として接してくれたのだ。  そのことが、実はわたしは一番嬉しかった。ナオくんは心の中になんの打算や計算もなく、単純にわたしと話すのが楽しくて話しかけてくれているのだ……と思っていたのだ。  けれど最近のわたしは、その認識は誤っているんじゃないか、と思いはじめている。  ナオくんが楽しいわけではなく、そう思っているのは、他ならぬわたしの方なのではないか。  もっと彼と話したい。理解したい。長い時間一緒にいたい。そう思う気持ちは、もう一線を越えているのではないか……と。  これが、恋かもしれない。  初めてそんなことを思いはじめた自分が、いま、ここにいる。

三題噺『解熱剤・政界・玄関』

「ね。解熱剤とってよ」  薬くらい自分で薬箱から取ってくればいいのにと、食器洗い乾燥機にお皿を突っ込んでいる手を止める。こっちが暇そうにしているならまだしも、こうやって後片付けしているのくらい見ればわかるだろうに。  仕事で疲れているのもわかるし、代わりにやってくれとまでは言わないのだから、それくらいはと思う。 「って、ちょっとまってよ。解熱剤ってどうしたの?具合悪いの?」  何を待って欲しいのか自分でもわからなのだが、それに対してツッコミもない。代わりに返ってきたのはボーッとした表情だけ。 「いや。具合が悪いわけじゃないんだ。ただ、なんとなく、このあと熱っぽくなるんじゃないかって予感があって。動くのもちょっと億劫だし」  それはもう具合が悪いと言ってもいいんじゃないかと思わないでもないが、本人が言うことだ。たんにボーッとしてしまっているだけなのかもしれない。  近寄って手の平を額に当ててみる。  特別熱を持っている感じはしない。自分のと比べてみるが、とちらかと言えば自分のほうが熱がある気がするくらいだ。 「熱っぽいくらいじゃ、解熱剤使わないで横になってたほうがいいよ。食欲もあったし、ちゃんと休めばよくなるって」  解熱剤なんて言うからどれだけの高熱なのかと思っていたので、そうでもないと知ってホッとしてそう言った。 「わかった。そうするよ」  そう言って大人しくベッドに向かうのを見ていると、とても政界入りしたとは思えない様相だ。 「ねえ。それでも不安だから薬だけ用意しておいてくれない?」  そう言い続けるのは弱気になっているからなのか。仕方がないなぁと、ぶつぶつと言いながらも動いてしまうのは心配だからか。  玄関に置いてある薬箱に向かう。そうしてから、位置が変わっていることに気がついた。いつもは棚の二段目。今は一番上の目立つところに置いてある。  こんなところに置いたっけ。もしかして、薬探したけど、見つからなかったのか。そうであれば最初から言えばいいのに。  箱を開けると、目立つところに見覚えのある小箱が置いてある。しかしこんなところにあるはずなんてないものだ。  ちゃんと隠しておいたのに見つけられてしまったとでも言うのか。その中身を確認する。ちゃんとそこに収まっているのを確認すると、小箱を持ったままベッドへと向かう。 「ねえ。これってどういうこと?こんな形でなんてアリ?」 「だって。なかなか出してくれないから。一旦落ち着いたんだからいいでしょ」 「それってオーケーってことでいいの?」 「それ言うのダサくない?察して」 「わかった。じゃあ」  そういって小箱を持ったまま片膝をついて座った。こんなつもりじゃなかったし、言われた通りダサいことこの上ないけれど。この瞬間をできるだけダサくないものにしないといけない。  改めて言うのは緊張するものだと、少し緊張しながら。心を込めて。言葉を紡いだ。

あなたの秘密を買い取るお店

「ねえ、おじさん。本当においらの秘密を高く買い取ってくれるの? イーッヒヒヒ!」 「もちろんですとも! えーと、買取金額は百万円になりますがよろしいでしょうか?」  「じゃそれで、お願いします」 「ありがとぉーございましたぁ~」 悪魔くんは、ガラクタ通りのガラクタ市場の店主から大金を受け取りました。 「やった! これでおいらの秘密はなくなったぞ! イーッ!」  あれっ――!?   おかしいぞ?   なんか調子狂うな……  もう一回やってみよう! 「イーッ!」  げえっ! おいらのトレードマークたる自慢の笑い声がショッカーみたいになっちゃった!  「うわあああああああああああああああああああああああん! 返金するから、おいらのヒみっつ返して!」

モノクロムの砂時計

 見つけたのは偶然だった。  時間を持て余していた私は、動画投稿サイトに(雪景色)という言葉を入れ、そこに出てきた動画を適当に見ていた。  山の風景や、雪深い農村の何気ない日常から、雪に埋もれた車、一人称視点のスキー、キレイな雪景色の写真のスライドなど、様々だ。  ただの時間つぶしのつもりだった。  今みたいな夏の時期に、冬の動画を見て涼をとる。そんな程度のくだらない時間消費。  でも、今は後悔してる。  見なければよかったと。  (ソレ)はワンクリックで突然現れた。  『ねえ、すごいキレイだね』  若い女の声。  画面は多分ケータイか何かだろう。ユラユラと揺れて、いかにもインスタントな画像だった。  『うん』  前を歩いている男の声。  場所はどこかの線路沿い。薄い紫色の空気感は朝方か夕方のどちらかだと思う。  前を歩いている男の背中に、強烈な違和感を覚えた。  「あ」    自分でもおかしいくらいに自然に出てきた声。  「ヒロト」  思わず名前も出てきた。  そこからは画面にくぎ付けになった。  さくさくと歩く二人の足音。わずかに聞こえる動画を撮っている女の吐息と、遠くに聞こえる車のクラクション。それと、覚えのあるクロのフード付きのハーフコート。  既視感にめまいがした。  少し猫背で、コートのポケットに両手を突っ込んで、つま先を少し開いて歩くクセ。めんどくさそうに答える低い声。そして、そして、、、  「ヒロト」  もう一度まぬけな声を出した。  間違いない、四年間付き合って、四年前に別れた彼氏。いわゆる(元カレ)というやつだ。  忘れていた記憶が、自分の意志とは無関係に湧き上がってくる。  別れ際の苦い記憶。どうしようもなく泣けてしょうがなかった時間。  それと、たくさんの思い出。今でも時々ふとした瞬間に出てくる時がある。  でも、もう過去の事だった。  忘れることはできないけど、忘れてた。  それが突然こんなかたちで、、、なんで?  呆然とした。  それは私にとってイタイ再会だった。  後は、後は、ただの人違いだと思いたい。  そうだ、人違いだ。だって顔、まだ見てない。  今ここで動画を止めたらモヤモヤするに決まってる。人違いだって確かめなきゃ。  動画は変わらず線路沿いを歩いている男の背中を映していた。電車は通らなかった。  はっと気が付き動画のタイトルを確認した。  (三月七日 東京の大雪)  今年の冬、関東地方に大雪が降った時期だ。  東京、東京にいるんだ。ヒロト。  何してるんだろう。  仕事は? 美容師、まだ続けてるのかな。  そんな事をとめどなく考えていると、画面が空を向いた。雪は降っていなくて、少しだけ晴れ間が見えていた。  『雪、やんだけど、昨日より寒いね』  『うん』  男は低い声で適当に答えていた。黙々と歩く姿はどこか寂しそうにも見えた。  金網のフェンスの向こうの線路にも、雪が積もっていた。電車が止まっているのかもしれない。  『ねえ、ひろくん』  『ん?』  男は振り向いた。  ヒロトだった。  間違いない、ヒロトだ。  少しだけ微笑んで、ケータイで動画を撮っている彼女を見ていた。  その口から白い息がこぼれていた。  その瞬間、胸が締め付けられた。  めんどくさそうにして、寂しそうだと思ったのはただの勘違いだ。いや、ただそう思いたかっただけだ。  きっと、田舎から離れて都会に出ていって、やつれて疲れたヒロトを望んだだけだ。  だって、こんなに幸せそうな顔してる。  彼女が好きなんだ。そばに、そばに居てほしいと願ってる。  ただ、そこにいるのは私じゃないだけ。  彼の時間と私の時間は交わることのない異空間のようなもの。  だって、ここにいるのに・・・・  『今日、何食べる?』  『なんでもいいよ』  『はい、お約束。じゃあカップメンだね』  『別にいいいよ』  『やっぱそうきたか、ぬぬ、じゃあはんぺん』  『は? なんで?』  そんな会話が続いていたけど、もう何もアタマに入ってこなかった。  動画は唐突に終わった。  僅か三分二十二秒の短い世界は、私にとっては長い映画のようだった。  感情が溢れて、涙も溢れた。なぜ泣けてくるのか全く分からなかった。  そんな事を考えても意味がない。  『彼女』の顔を見る事が出来なかったのが唯一の救いだった。  もう二度と動画は見ないと思うけど、忘れることはできない。  白い雪と、都会の灰色のコントラストの三分二十二秒は、私の中で永遠に繰り返す砂時計になってしまうだろう。      

発表会

小さな男の子が、名前を呼ばれて元気よく起立した。 「はい、僕の将来の夢は、人間にとって代わるロボットを作ることです。人間も考えられないようなありとあらゆることが考えられるような、そんなかっこいいロボットが作りたいです。」 ここは小学校の授業参観。多くの父兄に見守られて雄也くんは将来の夢について発表した。 「はい、よくできました。雄也くんは凄いですね、立派な夢があって。では、次…」 「ちょっと質問良いですか?」 突然、後ろに立っていた初老の男が手を挙げた。 きっと誰かの祖父の方だろう。 「は、はい、どうぞ」 先生は戸惑って返事をした。 老人は、ちょっと咳をする。 「素人質問で申し訳ありません。X大学の宮本です。 私の認識が間違っていなければ、それは不可能だと思います。計算可能な集合、すなわち枚挙可能集合を、すべて識別し計算可能なマシンを作ることは不可能であるということは、証明されています。 また、人間が設計したマシンができる結果は計算可能な結果ですから、人間のように論理の飛躍ができないマシンにとって、 “ありとあらゆる思考が可能” というのはありえないのではないのでしょうか? そこについて、雄也さんはどのような方法で解決なされたのでしょう?」 雄也くんは、立ちすくんで狼狽えた。老人の言葉が全くわからなかったからだ。 「すいません、わかんないです」 雄也くんは、泣きそうになってそう言った。 恐る恐る先生を見ると無表情で、こちらを見ていた。 「すいません、私からも良いですか?」 また、背後からしわがれた声がする。 振り返ると、父兄の姿はなく代わりにそこには、ずらりと老人が並んでいて、じっとこちらを見ていた。よく見ると、全員が手を挙げている。 「素人質問で申し訳ありません。Y大学の…」 「わかりません…」 「素人質問で…」 「わかりません!」 もうやめてくれ、誰か…助けて! 目が覚めた雄也くんは、ゆっくり起き上がって深く溜息をついた。 23歳になった雄也さんは、壁に掛けられたカレンダーを見る。 そして、再びため息をつく。 今日は学会での発表会だ。

いつになったら…言えるかな…

「す、すみません…」 「ん?どうした?」  プルプルプルプル 「ごめん、また今度ね。」 「はい…。」  まただ。また言えなかった。 「辞めます」  たった四文字の一秒ぐらいの言葉を今日も私は言う事が出来なかった。しかし、これは初めてのことではなかった。私は子どもの頃から、断ったり、途中で辞めたりする事が出来なかった。  言ったら何て言われるだろう。とめられるかな?怒られるかな?ため息つかれるかな?嫌そうな顔で嫌そうに言われるかな…  いつもそんな事を考えて私は自分に嘘をついて今まで生きてきた。これまでも嫌な事があったとしてもいつも今日こそは、今日こそは、そう思いいつの間にか何年も経ったりする事は稀ではなかった。今回もだ。私は大学を卒業後第一希望だった会社に入社する事ができた。しかし、それが地獄の始まりだった。私の直属の先輩は良くしてくれていたが、おばあ様がたは、そうではなかった。先輩は私とひとまわり違った女性だった。所謂キャリアウーマンのような尊敬できる先輩だった。しかし、そのおばあ様がた所謂お局のような人達から先輩がいない所で私は嫌がらせを受けていた。いや、受けるようになった。最初はランチを食べに連れて行ってくれたりしてくれていた。しかし、いつの日からかその態度は一変した。朝の挨拶をしても無視され、分からない事を聞いてもどの人たちも一回目は無視、二回目聞くと舌打ちをし嫌そうな顔をするようになった。 「はぁ。辞めたいな…」  これがいつしか私の口癖になっていた。だが、これは始まりの始まり程度だった。日に日に仕事はやり辛くなり、会社にさえも行く事が嫌になっていた。そして、いつのまにか私の口癖は 「辞めたい」  から 「はぁ。死にたいな。」  に変わっていった…。自分でも分かっている。そんな事を思うなんてとんだ馬鹿だと言うことも。死ぬ度胸が無いくせに何を思ってるんだっていうことも。しかし死にたい。それが私の心の中をいつの間にか覆い尽くしていった。  死ぬ  それは最後の選択肢だ。それは私でも分かっている。こんな私だって夢がある。その夢を叶えるまでは死ねるか、昔はそう思って生きていた。そんな野心が昔はあったなぁ。そんなことも考えたりする。その為に、 「よし、明日昼休憩の時に先輩をランチに誘ってそのときに辞めます。そう言おう」  テレビも何も付いていない私の部屋にこの寂しく弱々しいしかし意思はある声が響いた。そして、電気を消して明日の為にいつもより早めに暗闇に落ちた。  次の日、いつもなら家を出る一時間前に起きるが今日は三時間前には起きてしまった。しかし、これはこれでありだった。「退職届」これを書いて持っていったら先輩も分かってくれるだろう。そう思い私はまだ日が登る前から書き始めた。そして、二時間かけようやく完成させ家を出て会社へ出勤した。そしていつもの半日が、長くも短く感じられた半日がようやく終わりランチタイムなった。前日に明日ランチに行きませんか?と伝えてたこともあり、近くの美味しいお店にランチに行った。そして、注文を済ませると 「ランチ誘ってくるなんて珍しいね。何かあった?」  先輩は何かに気づいたかのように話しかけてくれた。 「あ、あの実は私」  プルプルプルプル 「あ、ごめん電話だ。ちょっと待ってね」  またか、また電話に阻止されてしまった。しかし、私にはまだ時間がある。帰って来たらすぐ言おう、そう心の中で決めるが先輩が帰って来たのは料理が来てからだった。 「ごめん。仕事の電話が来ちゃって。」 「いえいえ、大丈夫ですよ」  正直全然大丈夫ではないがそう言うしかなかった。 「料理美味しそうだね。冷める前に食べよっか。」 「そうですね…」  食事中は、この料理の隠し味なんだろうね?とか仕事とは一切関係ない話をして終わった。やばい…。まだだ。まだ大丈夫。お店出る前にこの退職届を出すんだ。しかし、その時間は来なかった…。料理を食べ終えるとまた電話が来て先輩は先に会社に帰ってしまった。 「…」  心の中が空っぽになった気分だった。 「はぁ、死にたいな」  いつになったら伝えれるんだろう…

夏祭り

帯を結び形を整え鏡で全体を見る。 「よしっ!」 浴衣の着付け動画を見ながら初めて着付けした割には上手くできた、と自分で褒める。 浴衣は帯が紫で白地に青色の大小の花が描かれた浴衣で気に入っている。 時計を見ると待ち合わせの時間が迫っていた。 慌てて忘物がないか確認し家を出る。 今日は待ちに待った恋人との初めて行くお祭りだ。 近所のお祭りはそれなりに規模が大きく花火も上がる。 混む前に早めに待ち合わせをしてある。 待ち合わせ場所に着くとすでに彼が待っていた。 「蓮、待った?」 「大丈夫、そんなに待ってない」 ちょっと素っ気ない態度の蓮。私の彼氏。 まぁ、素っ気ないのはいつもの事なんだけど。 「どう?変な所ない?」 「……大丈夫」 「なら良かった!」 可愛いとか似合ってるとかそういう感想を聞きたかったけど蓮はそういう事を言わない性格だと知っているので諦める。 「ん……」 と、差し出された手を繋いで出店を見ていく。 かき氷、わたあめ、りんご飴。 色々な出店が出ていて何を買うか悩む。 「何食べる?」 「紗良が好きなのでいい」 「んーじゃあかき氷!」 そう言って私達はかき氷の列に並ぶ。 「おじさん、かき氷二つ。いちごとれもんで」 「あいよっ」 お金を払い出店のおじさんがかき氷器で削った氷にシロップをかけて渡す。 「ありがとうございます!」 そう言って受け取りちょうど空いていたベンチに座って二人で食べる。 美味しいねと言いながら食べ進め半分くらいになったら交換と言ってかき氷を交換して食べる。 「ん!れもんも美味しい!」 「いちごも美味しいよ」 「やっぱり夏といえばかき氷だよね」 「うん」 そう話してる間に食べ終わりゴミを捨ててまた手を繋いで歩く。 色々な出店を見て回っているとそろそろ花火の時間だ。 花火を見るのに良い穴場があるのでそこに向かう。 その場所に着くと多少人は多いもののこんなものかと花火が打ち上がるのを待つ。 「楽しみだね!」 「うん、そろそろかな」 蓮がそういうと同時に花火が打ち上げられる。 今日は天気も良く綺麗に見える。 打ち上げられる花火に見入ってると繋いでる手をぎゅっと強く握られどうしたのだろうと思っていると私の耳に手を当てて 「……浴衣すげー似合ってる、来年もまた来よう」 「っ……!うん!」 嬉しくて周りに人がいるのに抱きつく。 「ちょ、恥ずかしいからっ……」 「大丈夫、みんな花火に夢中だよ」 「そういう問題じゃないから花火見ろっ」 と言って私を引き剥がす。 顔を見ると照れた顔で花火を見てる。 蓮なりに頑張って言ってくれた事が嬉しくて何も言わず幸せを噛み締めながら私もまだまだ打ち上がる花火を見るのだった。

ゆうせんせき

 電車に乗ったぼくは、きょろきょろと席を探す。  悲しいことに、全ての席は埋まっていた。  だが、ぼくはそろそろ立っているのが限界なのだ。  意を決して、席でスマートフォンを操作している人に声をかけた。   「あの、すいません。席を譲っていただけないでしょうか?」   「ん? おっと失礼」    その人は、ぼくの姿を見るなり、急いで席を開けてくれた。   「ありがとうございます!」   「いやいや、こちらこそ、気づかなくてごめんね」    ぼくは譲ってもらった席に座り、席から伸びるUSBケーブルをぼくの体に差し込んだ。  助かった。  これで充電できる。    有線席は、充電が切れそうなぼくたちの命綱みたいなものだ。  君たちも、席が空いてなくて困ってる人やアンドロイドを見かけたら、是非席を譲ってあげて欲しい。

青空には手が届かない

 私は何故生まれたのだろう。むせ返るような匂いの中、薄暗闇の空間に私は寝ていた。これが私の一番古い記憶だ。薄い闇が徐々に明るくなっていった時、見上げると美しい青が目に入った。私は立ち上がった。その美しい青が欲しくなって、私は手を伸ばす。けれど視界は一転し、下へと落ちて行った。 「おや、可哀想に」  身体を強く叩きつけられて痛みに悶えていると嗄れた声が聞こえた。見上げると醜い何かが私を見下ろしていた。 「あ、あなたは?」 「私はカエルさ」  カエルはゲコゲコと笑うと、持っていた杖を振り上げた。 「お前達、お嬢さんをお連れしなさい」  カエルは傍にいた二匹のカエルに声をかける。私は怖くなり逃げようとしたが、二匹に呆気なく捕まってしまった。  カエルに捕まった私を助けてくれたのは魚達だった。けれど、今度はてんとう虫に身体を掴まれて知らない場所に置き去りにされてしまった。 「おやまあ、可愛らしいお嬢さんだ」  途方に暮れていた時に声をかけたのは老齢のネズミだった。彼女は私を優しく介抱してくれた。しかし、彼女の食事は異臭を放つものばかりだった。 「ご馳走なのに」  引き攣った顔の私に、彼女は残念そうに呟く。美味しそうに貪る彼女がおぞましくて、私は唯一食べられるクルミや葉を齧り食いつないでいた。だが、そんな日も長くは続かなかった。隣の家に住む金持ちのモグラが私を嫁に欲しいと言った。彼女は私の意見など聞きもせずに快諾した。私は酷く絶望した。彼女は私と引き換えに、異臭を放つ食糧をたくさんもらっていたのだ。私はあの食糧と同じ価値しかないのか。  結婚式を開くまでの間はネズミの家からモグラの家に毎日来いと言うので私はそれに従った。モグラは目が不自由だったので、愛していると迫られても恥ずかしいからと逃げ続けた。  モグラの家には瀕死のツバメがいた。見て見ぬふりをするのは気が引けたので介抱することにした。 「可哀想に。辛かったですね」  私はツバメに声をかけながら、家にあった塗り薬を塗り、包帯を丁寧に巻いてやる。 「早く元気になって、大空を飛べるといいですね」  私もこんなところで地を這っているよりも、大空を飛びたい。けれどそんな願いは叶わないと分かっていた。 「ねえ、ツバメさん」 「なんですか?」 「羽が治ったら……私をここから連れ出してほしいの」 「勿論です!」 「嬉しい」  私は生まれてから初めて、心から笑った気がした。  モグラとの結婚式の日。白いドレスに身を包んだ私を、ツバメは背中に乗せて飛んで行く。ツバメは約束通り、私を助けに来てくれた。それから、ツバメと同じ目線で空を飛ぶ嬉しさといったら、格別だった。風が私の頬や髪を撫でるのが心地よい。どこまでも続く青い空を堪能していると、美しい花畑が見えてきた。 「わあ!美しい花畑ね!」 「ええ、そうでしょう!ここは花の国ですから」 「花の国?」 「ええ、花の国は美しい花が一年中咲き誇る国なのです」  花の国の中央にはお城のような建物が建っていた。入り口には、私と同じ大きさの生き物達がたくさんいた。 「おお!花嫁が戻って来たぞ!」 「花嫁!万歳!!」  彼らは私を見て喜んでいる。その異様な光景に私は既視感を覚える。 「花嫁って……?」 「忘れたのですか?あなたは数年前、突如姿を消してしまった花嫁なのですよ。さ、奥で王子様がお待ちです」  部屋の中へと押し出された私は部屋の中を見て、思い出してしまった。部屋の中には一本の大樹。木目には美しい女性たちの顔が刻まれている。花の国はこの大樹の力で花畑を維持している。大樹は数年に一度、花嫁を欲する。選ばれた女性は大樹の栄養となり命を落とす。私はその事実を知り、一心不乱に逃げた。ショックで記憶を失った私はこうして再び戻ってきてしまったのだった。 「今度は逃げられませんからね」  ツバメは囁く。重い扉が無常にも閉じられた。逃げ場はなく、私は座り込んでしまった。大樹から触手がゆっくりと伸びる。私の指先、手首、腕に絡みついてゆく。 『おかえりなさい。旅はどうでした?』  触手は私を持ち上げ、大樹の下へと運んで行く。どこからか声が聞こえた。酷く優しい声色だ。なんだか酷く眠くなってきた。 「……最低だったわ」  私は吐き捨てるように呟いた。 『大変でしたね。僕の中でゆっくり眠るといい』 「嫌よ、そんなの」 『ふふ、そのうち気持ちが良くてずっとここにいたくなるはずだよ』  まるでひだまりの中にいるような心地よさに身体が包まれてゆく。 『君が大好きな青空を見よう。ずっとずっと、永遠に』  まるで子守歌のような声。 「そうね、それも悪くないかもしれないわ」  私の意識はゆっくりと溶けていった。

2Late

 彼女の肌は写真で見たのと同じように、少し乾燥しているのに皮脂でしっとりしていて、浮き上がった鎖骨とその上の窪みは、この骨に今すぐ噛みついて欲しいと存在を主張していた。 「ねえ……」  僕は今縛って捨てたばかりなのに、また彼女の肌に触れてしまう。 「待って、まだもう少し待って」 「待たない。もう散々待ったよ」  肩をゆっくりと押さえて、余韻で微かに震えている彼女をベッドに沈める。 「ここ、美味しそうだ」  僕は鎖骨にキスをすると、動物がするように骨をしっかりと咥えてそっと歯を立てた。彼女の蕩けた声が僕の耳のすぐ側で聞こえる。もっと吠えて、動物みたいに。  待ち合わせた駅のコンコース、土産物屋やコンビニが立ち並ぶ辺りをキョロキョロと見回すと、すぐに君だとわかった。思った通りの背格好。  僕らはひょんな事から知り合ったけれど、ずっと遠距離恋愛だった。ずっと会いたいと思い続けて、一年とちょっと。やっと会うことが出来る。 「あ」 「あ!」  お互い目が合った時に、もう笑顔だった。初めて会うけれど、全く初めての気がしなくて、僕は駆け寄って彼女を抱きしめた。  不思議だ、僕は初めて彼女を抱きしめたのに、彼女の匂いが懐かしい。  手を繋いで歩いた。けれど、二人で計画したデートの計画は手を繋いだ瞬間に白紙になった。 「あー、あの、今日観光する予定だったけど、明日にしない?」 「……うん」  パタン、と窓の無い部屋のドアが閉まった時には、もう僕らは我慢が出来なくて貪るようにキスをした。息が出来ないくらいに。  彼女には初めて触れるのに、何度もこうしたことがあるみたいに僕の手は彼女の身体を這って、彼女は声を上げた。いや、初めてだった。こんな風に理性も何もかもなげうって夢中になるのは。  ぼくはほんとうにかのじょのことがすきなんだ。  それは確信したのは、二人で泣きながら抱き合ったからだった。彼女はキラキラと目の縁と睫毛を輝かせて、瞬きをするとひとしずく、ふたしずく流れていく。ああもったいない、と何故か思って僕はそのしずくを啜った。 「大好きよ……」  愛しい人から言ってもらって嬉しい言葉のはずなのに、僕の胸はつぶれそうに痛んだ。つぶされた場所に亀裂が入って、僕の味わったことのない液体が溢れて胸から身体全体を浸した。その痛みにも似た味に、僕は驚いて耐えられなくて、彼女をきつく抱きしめることしか出来なかった。何度も、何度も。  翌日、僕らは観光を楽しんだ。たくさん写真を撮って、同じ風景を見て、違うものを食べては食べさせあった。 島に渡る船で海を眺めながら、彼女は言った。 「いいところに住んでるね。少し足を伸ばしたらこの風景が見れるなんて」 「うん、気に入ったなら引っ越してくる?」  僕はおどけて冗談交じりに言ったけれど、半分本気だった。確かめるように彼女の顔を見つめると、一瞬だけ困った表情をして弾けたように笑ってみせた。 「ほーんと、引っ越してこようかなー?」 「……いつでもおいでよ」 そこまでしか言えなかった。僕は口をつぐんだ。 「うん、また遊びに来るね」  それが彼女の返事だった。 「……うん」  島を散策しながら、僕は彼女の手を引いて、誰も住んでいない民家の裏路地に入った。抱き寄せると彼女は目を閉じる。僕は彼女の瞼に、正確には瞼と睫毛の際にとても小さなほくろがあるのを見つけた。これを君の男は毎日見てるんだな。気付いてなければ、いいのに。   そう思いながら、僕は彼女の瞼と唇に口づけた。  僕は彼女の身体に一つも痕をつけず、きれいなままで帰した。それが礼儀だと思ったし、僕は彼女を抱くことが出来ただけで、いや、あの胸がつぶれるような気持ちを味わっただけで、本懐を遂げた気がしたからだ。  僕は全てあの男よりも周回遅れで、何もかもが遅すぎた。  彼女に出逢ったのは、彼女が結婚式場を探すのに疲れて、たまたまネットで呟いた時だった。僕は結婚式場で働いているから、ちょっとしたアドバイスをしてみただけだったんだ。 写真を添えて、僕がお客様に喜んでもらったアイディアを教えた。  そして、彼女は僕の働く系列会社のホテルを利用して、今の夫と式を挙げ結婚した。  それからどうして彼女とこんな関係になってしまったのかは、自分でも最初の記憶がおぼろげだ。 「またね……」 新幹線の発車を知らせる電子音が、ホームに鳴り響く。  彼女の肌の感触、彼女の匂い、彼女の声の音色。僕はこの想いを閉じ込めてしまわないといけない。周回遅れの男には、もう次は無いのだから。  彼女の手を握った。冷たくて小さな手。僕は最後の言葉を言った。 「さよなら」  僕は新幹線を見送ると、彼女と繋がる全ての手段を、スマホから削除した。

死にたい死にたい死にたい死にたい

「ああああああああああああああああああああ死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」    発作的に、私は叫ぶ。  そんな私の肩に、優しく誰かの手が触れる。  そして、優しく囁く。   「安心して? もう君は、死んでるから」    私の視界は一気にクリアになり、棺桶に眠る私の姿と、それを見ながら泣く家族と友達の姿が目に入った。       「あ……」

私の望みを叶えてくれる?

「何のために俺と付き合ってるんだ!」 「あなたが私を好きだと言ってくれたから」  恋人になって数ヶ月。何が気に食わないのか、眉をつり上げてこれでもかと皺を寄せている彼。 「私、あなたが望むことをすべて叶えてるじゃない。何が不満なの?」 「君からの愛が感じられない!」 「あなたが感じようとしないだけじゃない?」 「いいや! 君は本心から俺を想ってくれてない!」 「私の言葉を信じる信じないはあなたの自由。でも、私はあなたが好きだから、望みを叶えようと努力してきたの。それを否定されるのは腹立たしいわ」  好きでもない人のために行動するほど、私は博愛主義者になった覚えはない。私が思うからこその行動だと言うのに、何を疑う理由があるのだろうか。 「君は可愛げが無い! 俺を好いているのなら、もっとねだったり媚びたりしてくるはずだろう!」 「あら、ねだって良いの? それなら欲しいものがあるんだけど」 「そうじゃなくて! なんで女ってすぐに物を要求してくるんだ……」  私の話を最後まで聞かず、彼は背を向けてため息を吐き出した。  そんな会話をした三日後。なんと、目の前には見知らぬ女性と腕を組んだ彼がいる。  分かりやすく青ざめている彼を見る限り、この女性は浮気相手ということか。いや、私の方が浮気相手だったのか。まあ、些細なことだ。 「こんにちは。彼女さんとデートですか?」 「……知り合い?」 「ええ。大学時代の。こんなに可愛らしい彼女さんがいるなんて……隅に置けないわね」  恥ずかしそうに頬を染めて、彼の腕にしがみつく彼女の可愛らしいこと。なるほど、彼が求めていた可愛らしさの正体が分かった。 「お邪魔しちゃ悪いから退散するわ。デート、楽しんでね?」 「はい!」  にこにこと愛らしく笑う彼女に、こんな男は相応しく無いだろう。それでも、彼が彼女を選ぶのであれば、私が言うことは何も無い。  そして、一週間後に彼の家で話し合うことになった。リビングに正座して向かい合う彼は、一瞬でさえこちらを見ない。  それなりに計画を立ててるんだろうけど、信頼を取り戻そうという気概は無いようだ。 「それで、あなたはどうしたいの?」 「……俺は君が好きだ」 「そうなの。それじゃあ、彼女さんはどうするの?」 「別れる。君があの子みたいになってくれれば、俺だって浮気なんか」 「それって――あの子が好きってことよね?」 「え?」 「だってそうでしょう? 私のことが好きなら、他人のようになってほしいと望む必要ある? 望みが分かっているのなら叶えれば良いのよ。あなたは、あの子が好きなんでしょう?」 「いや、それとこれとは話が」 「違わないわ。ああいう風にしてほしいのなら、してくれる人を選べば良い。私である必要は無いわよね」 「っ、君は何を言っているんだ!? 俺は君が好きなんだよ! 俺の望みを叶えてくれるんだったら、それくらい叶えてくれても良いだろ!」 「それくらい?」  彼の目を覗き込んで、もう一度「それくらい?」と首を傾げてみる。なんだこの人もそうなんだ。 「私が私であることを諦めることが、あなたへの愛の証だと言うのね?」 「そうだよ! 君は元々、俺のために尽くしてくれてただろう?」 「そうだったかもね。でも――もう違う」  ありったけの力を込めて、彼の両肩を思いっきり突き飛ばした。後ろに倒れ込む彼を見下ろす私は、久しぶりに表情を失った気がする。  腰を抜かした彼が必死に後ずさりしている様が情けなくて、ほんの少しだけ目尻が下がった気がする。 「私を愛してくれない人に尽くすほど、私は優しくないの。私を愛してくれない人に価値は無いの。私を愛してくれないあなたなんて、私の人生には必要無いの。残念だわ、あなたは違うと思ったのに」  彼の真横を通りすぎて、部屋を出ようとドアの取っ手に手を掛ける。そこではたと気がついて、床に這いつくばってる男に振り返る。 「誤解されたままだと胸糞悪いから言っておくけど。――私はあなたと過ごす時間が欲しかった。あなたに望む物なんて、それくらいしか無かったのにね」  裏を返せば、他に望めるものも無かったってことだけど。それすらも与えてくれない人に用は無い。  次は手に入れたいものだわ。そう願いつつ、開け放ったドアの向こう側に踏み出した。

あたしはできる子

「◯◯ちゃんはすごいねぇ、えらいねぇ」 だいすきなお婆ちゃんがよく言ってくれた言葉だ そう、あたしはすごくてえらいのだ! 子どもながら誇らしかった 文字の読み書きもさんすうもできて 周りより物覚えは良いほうだった テストの点は上から数えたほうが早い だってあたしはよくできる子だから! 高校くらいからちょっとしんどくなった 周りのレベルがみんな一定以上なのだ でもあたしはよくできる子だから 周りよりもがんばっちゃうんだから! 社会人になって、勉強の出来なんて大したことないって気づいた 工夫ができて、場を回せる人が重宝されるって気づいた それでもあたしは周りよりできる子でなくちゃ がんばらなくちゃ 数年頑張ったけれど、ついに体がいうことを聞かなくなった 会社に行こうとすると涙が溢れるようになった ほんとはわかりたくなかった 事実だと認めたくなかった 本当はあたしは、特別なんかじゃなかったんだ すごくもえらくもなんともなかったんだ

にじ

 それほど有名でもない観光地。  人もまばらでのんびりとした雰囲気だ。  僕と彼女は小旅行の最中にここに立ち寄り、こじんまりとした滝の見えるテラスでお茶を飲んでいた。  涼やかな風と少しだけ届く水しぶきが、真夏の午後に心地良い空気を運んできてくれた。  「あ」  彼女が小さく声を上げた。  「ほら、見て。虹だ」  僕が滝の方に目をやると、確かに、滝の前に小ぶりな虹がかかっていた。  「キレイだね」  そう僕は答えた。  「なんかいいよね、虹なんて久しぶりに見たよ」  彼女は表情を和らげて、テーブルに頬杖をついてうっとりと眺めていた。  「あ、でもさ」  僕は腕時計に目をやり、こう言った。  「今三時だよ」  「にじが見えるけど・・・」  僕は彼女を見ないでボソリと呟いた。  一瞬緊張が走り、空気感が変わった。  それでも僕は彼女の方を見なかった。  「ふう・・・・」  見事なため息だ。  その後、彼女は二分間くらい口をきいてくれなかった。

ある学生の研究テーマ

 やれやれ、またか。  隣の実験室から盛大な爆発音が聞こえてきて、思索の時を邪魔された研究員イースは深いため息をついた。  毎日毎日、よくもまあ飽きないものだ。  椅子に掛けてあった防塵・耐熱機能付きの白衣を身にまとい、部屋の中をのぞき込む。中では、白衣をすすで真っ黒に汚した研究学生のガトーが照れくさそうに頭をかいていた。 「ガトー。君は、僕の研究室を吹っ飛ばすつもりかい」  呆れて文句を言うと、ガトーは小さな声でごめんなさいと呟いた後、でもと食い下がった。 「今回は結構いい線までいったんです、先生。ほら、ここに手を入れてみてください」  そう言って、プラッテに転がっていたヒビ入りのフラスコを差し出す。手をかざすと、微かにゾッとするような冷えが這い寄ってきた。 「これは」 「ねっ、ねっ、冷たいでしょう。なんだか背筋がゾッとしませんか」  確かにと頷いた後で、イースはため息をついた。 「だが、まだ完成には程遠い。君の研究は、本当にやる価値があるのかね」 「えっ」 「教授陣も首をひねっているよ。こんな研究をして成果は出るのか、ってね」 「で、出ます! 必ず」 「具体的には」 「それは」  ガトーはうつむいた。 「夏の避暑に効果的かもしれません。それに、何より風情があるじゃないですか。過去の情景を類推する、格好の題材になるかも」  先生だって、最後には納得して許してくださったじゃありませんか。 「それはそうだが……」  イースは歯車がこすれるような唸り声をあげた。 「正直、ものになるとは思えないんだよ。”体の一部から幽霊を作る“研究なんてね」 「どうして君は、幽霊を作りたいだなんて思うのかね」  貫禄のある大きな体を揺すりながら、教授はガトーに尋ねた。 「君は前途有望な学生だ。君の発想は我々に多大な刺激をくれている。だが、何故、幽霊なんだね」  窓から下界をそっと覗く教授の声色は穏やかで、そして優しかった。  その眼前には巨大なビルが立ち並び、強い日差しを受けてギラギラと銀色に輝いている。 「この科学が発達した都市で今更、幽霊なんて研究するのは馬鹿げているとは思わないかね。今よりずっと古い時代でさえ、幽霊は実在しない、つまらない想像の産物だと論じている資料の方が多いというのに」 「死ぬということは、つまり、生きていることの象徴ではないかと思うからです」  教授の問いに、まっすぐ前を向いてガトーは答えた。 「もし幽霊を作れたなら、生きるという動作がどういうものか、少しは分かるんじゃないかと思うんです」  言い切ったところで、ガトーはふと胸に違和感を覚えてうずくまった。 「うぐっ」  さっきの爆発で受けた衝撃のせいか。すぐメンテナンスしたはずだが、見逃しがあったのだろうか。 「大丈夫かね」  教授は机にあったドライバーを手に取ると、ガトーの胸部にあるカバーを外し、中を改め始めた。 「二、三、小さな部品に不具合が出ているようだ。後で保管庫に寄って、新しい部品と替えてもらいたまえ」 「先生。私はやっぱり、幽霊を作る研究を諦めたくありません」  ガトーは小さいがしっかりとした声で断言した。 「生きていなくては、死ぬことはできません。どんなに人間を真似し、人間のようにふるまっても、生きていない我々ロボットには、その感覚は永遠に不明でしょう」  見た目は柔らかく温かいが、生きていたであろう者たちと比較すると格段に強く、器用で繊細な掌をじっと見つめながら、ガトーは静かに言葉を続けた。 「そして死ぬことができなければ、幽霊になることもできない。先生、私は知りたいんです。どう頑張っても生命を作ることはできなかった。でも幽霊なら、もしかしたら……!」  熱を帯びたガトーの嘆願を聞きながら、これを止めるのは無理だな、とイースは胸の奥で呟いた。  窓から外を眺める。銀色に輝く、機械の都市がどこまでも続いている。そしてそれを見下ろす、赤黒く染まった空と目前まで迫った不格好な太陽。  その昔、この星に住んでいた生物達は皆、膨張した太陽の熱に焼かれ死に絶えてしまった。そして残されたのは、かつて繁栄したらしい人間という生物に作り出された『生命を持たないロボット』のみ。  取り残された彼らは、生みの親である人間を理解しようとした。そして、自分達がこれからどうするべきかを見出そうとした。  だが、人間の遺した資料は彼らにとって理解に苦しむものばかりだった。生命の宿らない存在であるせいか──中でも『幽霊』という存在は――。  考え込むイースの隣で、ガトーは取り出した自らの部品にそっと薬液を垂らした。  最先端の研究から生まれた薬液は部品と反応し、微かに背筋をゾッとさせる冷たい煙をあげた。が、それはやはり、ガトーが追い求めるものとは大きく、かけ離れているのだった。

蝉のように果て

 ミーンミーンミーン……  空っぽのお腹を一生懸命震わせて音を鳴らす。  それを聞いて目が覚めた。あまりのボリュームの大きさに、思わず「うるさいな」と呟いた。  カーテンを開けて窓の外をよく見ると、うちの網戸に張り付いているではないか。  はあ、とため息をついてキッチンに向かった。シンクの中には、これ以上入らないというほどの食器が積み重なっている。  またもため息をついて、蛇口を捻る。すると、まるで湯のような温かい水が出てきた。給湯器のスイッチは確かに切ってある。  遂にこの季節が来たか、と僕は本日三回目のため息をついた。  築三十年以上のこのアパートの水道管はむき出しで、日光の影響を直に受けてしまう。  「こんな所に住み続けるはずじゃなかった」が僕の口癖。醜い言い訳だ。  家賃の安さだけで決めたこのアパート。交通の便が悪いから電車代も馬鹿にならず、休日は引きこもりがちである。  夢を見ていた頃は良かった。  こんな場所と決別する日も遠くないと信じ、現実に目を背けるだけの威勢の良さがあった。  親から「働け」と言われれば、「あんたらの時代は腐るほど仕事があって良かったよな」と生意気を言った。  それが今じゃこのザマである。  次の日、またもけたたましい蝉の声で目が覚める。 「うるさいなぁ」  例によって、僕の家の網戸にしがみついている。  僕は頭を掻きむしり、蝉がどこかへ飛んでいくのを待った。  ミーンミーンミー……  絶え間なく鳴き続ける。僕の耳の中でこだまする。 「早くどっか行ってくれよ」  そんな言葉さえかき消すように、ミーンミーンと鳴き続ける。  チッと舌打ちしてから、僕はトイレに行った。  用を足して戻ってくると、そいつはいつの間にか飛んで消えていた。  やっと静かになったかと思えば、壊れかけの室外機が、ガラガラと抑揚のない音を立てている。    明くる日、首筋に流れる汗がうっとおしくて目が覚めた。  また同じ場所で飽きずに鳴く蝉。 「なんだおまえ、また来たのか」  ここまで毎日顔を合わせると、さすがに愛着のようなものが芽生えてくる。  相変わらずうるさいとは思うものの、懸命に生きる姿に胸を打たれた。  調べたところ、鳴いている蝉はオスらしい。メスを呼び寄せる、求愛行動なのだという。 「がんばれよ」  そんなこと僕に言われなくたって、こいつは命懸けで全力を尽くしているのだが。  あれから数日が経った。ピーク時より、蝉の合唱も遠のいた気がする。  あいつも最近は見かけない。  ベランダから、ガラガラ、バチバチという音がした。室外機より、もっと軽い、不規則な音。  恐る恐る窓を開けると、ベランダの側溝に透明の塊が転がっていた。  よく見ると、あの蝉だ。 「おい、こんなところでくたばるなよ。お気に入りの木とか、もっと他にいい所があるだろう?」    聞いたって答えは返ってこない。  腹を上に向けて、じたばた動くが、もう飛ぶ力は残っていないらしい。  しばらく見つめているうち、動きが鈍くなり、やがて動かない小さな塊になった。  生まれた場所がどこだとか、親たちとは時代が違うだとか、そんな愚痴を一切零すことなく、命を削る姿を思い出す。  そんな生命の最期が、こんなボロアパートのベランダで良かったのだろうか。状況のせいにして全てから逃げている僕のベランダなんかじゃ、あまりに不憫だろう。  軽過ぎるその身体をそっと拾い上げる。  僕は、ベランダの外の雑草の根元の土を掘り返してそいつを埋めた。  ふと見上げると、透明の羽をもったそいつが遥か彼方へと羽ばたいている。僕の耳に、うるさいほどの生きた証を残したまま。

寝相

 少年は、寝相の悪さに悩んでいた。  朝起きたら、いつも頭と足の位置が逆転しているのだ。  今のところ不便はないが、友達と泊りがけの旅行に行くことがあれば、笑われてからかわれるのではないかというのが不安だった。   「よし、これで完璧だ」    少年は親に、自分の体をぐるぐる巻きに縛ってもらい、寝ることにした。  親はドン引きしていたが、少年にとっては重要なことだ。  少年は、動けない体に寝苦しさを感じつつも、若さゆえかあっさりと眠りについた。  親は、縛られる性癖について調べ、その後、眠りについた。    深夜2時。  真っ暗な部屋の中に、スポットライトのような光が落ちた。  光は少年の全身を照らし、少年の体はふわりと浮かんだ。    少年の体は屋根をすり抜け、雲をすり抜け、宇宙に漂うUFOの中へと運ばれた。  少年はすやすや寝ている。    UFOの中には、人間と思えない形の生物たちがおり、少年の体を眺めたり、手でペタペタと触れたりしていた。  地球人の成長に関するデータをとっているのだ。  そして、一通りの調査が終わると、再び少年悪体がふわりと浮かび、ゆっくりと地上に降りて行った。  少年が目を覚ますより早く、少年を布団に戻した。    今回もうっかり間違えて、頭と足の位置を逆にして。    朝が来て、少年は目を覚ます。  そして、頭と足の位置が逆転している自分に気づく。   「なーんでー!?」    少年の疑問は尽きない。

別荘へようこそ

ある日曜日。ある一人の男が友人の別荘に招かれた。 「へぇ、すごいな」 男は、目の前に現れた光景を見て、ため息を漏らした。彼の視線の先には、神殿のような壮麗な空間が広がっていた。 「いいだろ」 そう鼻の穴を膨らませる友人と共に玄関をくぐると、貴族の屋敷のような広々としたホールが二人を出迎えた。 「おかえりなさいませ、ご主人様」 しかも、可愛いメイドさんのおまけ付きだ。 「ん、ただいま」 友人はそうメイドさんに手を振ると、そのまま奥に進んでいった。それについていくと、今度はリビングルームが現れた。部屋の中は広々としていて、映画のスクリーン並の大画面テレビと、最新のゲーム機やフィギュアが所狭しと置かれていた。中でも目を引くのが等身大サイズの美少女フィギュアだった。それを男がまじまじと見ていると、友人がこう言った。 「ちょっと触ってみて」 「うん」 言われるがままに、フィギュアの腕を触ると、それの顔が男の方を向いた。その表情は、明らかに恥ずかしそうだった。 「ここは天国だよ」 友人はそう言うと、別のフィギュアの女の子に膝枕をさせた。 「ふふ……買ってよかったわあ」 柔らかそうな太ももに顔を埋めながら、そう言ったその時、後ろからこんな声がした。 「買ってよかった……ですって?」 「ふぇ?」 友人はかけていたVRゴーグルを外した。男もそれに続く。そうすると、目の前に友人の妻が仏頂面で立っていた。 「また、勝手になんか買ったようね」 「いやいや、そんなやましいものじゃないよ」 もちろん嘘だ。男は知っていた。これは友人がオタク趣味を楽しむために十万で買ったバーチャル空間の中の別荘なのだ。 「ちょっと見せて」 しかし、妻の前では、そんな弁解も通じなかった。彼女は、男のゴーグルをぶんどった。 「ちょ……」 妻は、ゴーグルの中の光景を見た。一瞬で真顔になった。 「あ……」 彼女はゴーグルを外すと、冷たい瞳でこう言い放った。 「サイテーね」

巻き込まれたい系主人公は「やれやれ……」と言いたい

 ただの学生でありながら、非日常的な出来事にどんどん遭遇するような青春に憧れたのは、中学生になって半年くらい経った頃のことだった。  異能の力に目覚めて、戦いに巻き込まれてみたい。  不思議な少女と出会い振り回されて、「やれやれ……」なんて言ってみたい。  とにかくこの時の僕は、非日常への憧れを強く抱いていたのだった。  あれから三年が経った。  何か一つでも抱いた願望が叶うこともなく、今は本当にただの高校生だ。  しかし、何かに巻き込まれたい、「やれやれ……」と言ってみたい。  そんな思いを捨てれない僕は、待つだけではダメと気づき、自ら非日常へとアプローチをかけるようになった。  訳もなく校舎裏や屋上に行ってみたり、夜更けの町を歩き回ったり。  パトカーのサイレンを聞いて、事件現場に足を運ぶことだって何回もした。  何とも傍迷惑な奴だなんてことは重々承知だ。  それ以外にも、学校の…… 「ねぇ! ねぇってば!」 「うわっ!?」  突然耳元で大きな声がして、体と心臓が跳ねた。 「なんだよいきなり!」 「なんだじゃないよ! 学校! 遅刻するよ!」  強引に手を引かれて、今日も普段と何ら変わらない風景の中で学校へと向かう。  僕の手を引く少女。  僕の耳元で叫んだ声の主でもある彼女は、僕の隣の家に住んでいる。  いわゆる幼馴染というやつだ。  毎日彼女と取り留めもない会話をしながら学校へ行き、クラスも同じなのでそのまま教室へ。  教室に入ったらそれぞれ別々に友達と過ごすが、だからと言って会話をしないとか幼馴染であることを隠したりもしていない。  本当にただの隣に住む同級生なのだ。 「今日もまた変な部活に行くの?」 「変な部活って言うな」 「でも変だよ?」 「今日はじゃんけん研究会、夕方の星観測部、それから帰宅部の定例会だ。どれも名前だけでワクワクしないか?」 「だから変なんだよ。あと帰宅部の定例会ってこの前もやってなかった?」 「週二くらいのペースでやってるからな」 「やっぱり変だ!」 「ほっとけ!」  他にもボール磨き同好会やイカサマ研究会、料理部と提携した残飯処理の会など、十以上の活動に参加している。  しかしその事実を彼女はまだ知らない。 「終わったら連絡するよ。お前も今日部活だろ?」 「そうだよー。そういえばまた部長が生徒会手伝えって言ってたよ」  彼女が所属する部の部長は、現生徒会の生徒会長だ。  フィクション的な生徒会に憧れて、先月の生徒会選挙に立候補した。  それがきっかけとなって、「唯一立候補した一年生」として会長によく声をかけられるようになったのだ。  ちなみに選挙は落選だった。 「会長には、忙しいからまた今度にしてくださいって伝えといてくれ」 「また? 別にいいけど……。でも何かすごく期待よ?」 「どうせ人手が足りないとかだろ。僕は落選したっつーの」 「そう思われていたのか……」 「雑用だよ雑用。そんな暇ないのにさー」 「私は悲しいよ……」  私?  僕は今会長の話を話をしているはずだが…… 「おはよう、私は雑用などとは思っていなかったんだけどね」  悲しいと言う割に、悲しそうな顔はしていない会長が立っていた。 「会長!? お、おはようございます!」 「あ、部長! さっき生徒会のお手伝いの話したら、忙しいからまた今度にしてください。って言ってました!」 「今言うなよ!」 「確か色々な部活に入っているんだったね?」 「はい、いくつか兼部させてもらってます」 「そうか……。じゃあ生徒会雑用部を立ち上げよう。部長は君で部員は適当に生徒会役員の名前を書いておくよ」 「結局雑用じゃないですか! それに部員が実質僕だけみたいなものだし!」 「それじゃあさっそく申請してくるよ! 二人とも! 遅刻しなようにね!」  勝手に色々と決めた会長は、そのまま走って学校へと向かってしまった。  そんな部活を作られてはたまったもんじゃない。 「やるなんて言ってないですよ、会長!」  その声は届かず、視界の外へと行ってしまった。 「行っちゃったね。えーっと……ドンマイ?」  うなだれる僕に、適当な励ましの声がかけられる。 「クソォ! 勘弁してくれー!」  そんな僕を見てクスクス笑う幼馴染。  非日常に巻き込まれたり、「やれやれ……」なんて言える未来は、まだまだ先になりそうだ。 「もう部活なんてこりごりだー!」

なぜ勇者は日本から召喚されるのか・前編

※国はぼかしていますが、エスニックギャグです。差別意図はありませんが、嫌いな方は読まないでください。  大聖堂に足音が響いた。 「準備は整いましたか?」  この国の第一王女フィリアが大神官に問いかけた。 「ええ。黒人と呼ばれる肌の黒い人種が最も優れた身体能力を持っているようです。」  界を超えて来る者は強大な魂の力を得る。そこに身体能力が加われば素晴らしい勇者になることであろう。魔族に侵攻され、戦火は間もなく王都にも届くだろう。勇者にも訓練期間が必要であり、残された時間はあまりに少ない。  青い光を放ち、召喚が成功する。そこには獣人と見まごうほどの堂々たる体格の黒い肌の青年が立っていた。驚いた表情で周りを見回す彼に大神官が翻訳の魔法をかける。 「何なんだこれは? ここはどこなんだ? 俺をどうするつもりだ!?」  彼は非常に興奮しているようだった。 「ようこそ。猛々しき勇者よ。私はこの国の第一王女、フィリアと申します。」  彼は目を見開いた。 「突然申し訳ありません。しかしお願いです! 戦いに力を貸してください! 貴方の力が必要です!」  勇者は胡乱げな目を王女に、次いで周りの神官たちに向けた。 「戦いだと? なぜ俺なんだ? 俺の肌が黒いからか?」  一瞬考え込んだ王女だが、すぐに悟った。 (彼は身体能力が優れている証拠である肌の色を誇らしく思っているのですね。彼の自尊心をくすぐれば……!) 「もちろんですとも! 貴方のその黒い肌は素晴ら……」 「やっぱりそうか! 豚野郎! 黒人なら死地に追い込んでもいいと思っていやがる!」  王女は目を丸くした。 「お前たち白人はいつもそうだ! 肌の色が黒くとも俺たちはお前と同じ権利を有しているんだ! 自由に生きる権利をな!!」  黒人の命は大事だ! と繰り返し叫び続ける勇者を、大神官は無言で強制送還した。  シン……と静まり返った神殿で、神官の一人がポツリと言った。 「……自由に生きる権利って、なんですかね?」 「……さあ。彼らの理念では?」  気を取り直して再挑戦する。  ……次は黒人はやめておこう。今度は白い肌の青年だった。王女は少しほっとした。 「遥かな地よりようこそ。ゆう……」 「なんて美しいんだ! 君は女神様だ。ああ僕の運命の人よ!」  勇者がフィリアの手を握り、潤んだ目で見つめる。慌てる周囲をフィリアが制した。 「勇者よ、貴方の力が必要なのです。どうか我らをお助けください!」 「ああもちろん! 僕は愛の虜さ。貴女の為ならなんだって!」  一同は安堵した。少々敬意に欠けるが、救国の英雄ならば王女の婿にもふさわしい。 「魔族の軍勢も勇者のお力ですぐに退きましょう!」  大神官はダメ押しに勇者を持ち上げたが、勇者は途端に顔を青くする。 「……え? もしかしてドラゴンと戦ったり?」 「ええ! ですが勇者なら……」  勇者はぱっとフィリアの手を離した。 「我が国では動物愛護の精神が強いんだ! 力になれそうになくて残念だ!」  勇者は帰還した。神殿には重苦しい空気が流れる。  それからはランダムに召喚した。 「世界を救うに見合った報酬を要求する。この世界の富の半分でよい。」 「貴女の国を助けても、私のビジネスにメリットがないわ。」 「じゃあまず充分な報酬をくれ! それを一度家族に届けてから世界を救ってやる。」  もう一体何人目なのか。神殿に倦怠感が漂い出す。次に召喚されたのは黄色い肌で細身で小柄な青年だった。 「私に任せてください! きっと救ってみせましょう!」  なんと! 貧相な青年は快く引き受けてくれたのだ。 「感謝します! 勇者様は何が必要でしょうか?」  あちらの人間は己に利がなければ動かない。フィリアも心得たもので、勇者にそう訪ねた。 「それでは王女様、私に充分なお金と拠点を。それから同胞を呼ばせてください。きっと役に立ちます!」  フィリアは全て用意した。国の端だが拠点も用意した。これでようやく希望が持てる! 「申し上げます! 勇者が与えた拠点の独立を掲げ、周辺の村々を侵略しています!」 「なんですって!?」 「それに彼らが召喚した同胞は既に千人を超えています! 召喚士も捉えられ、無理やり働かされているようで…」  大急ぎで大神官たちは勇者、並びに召喚された人間を強制送還した。  暗澹たる空気が神殿を包み込む。しかし最初から絶望的な中での勇者召喚なのだ。他に打つ手はなく、先日も更に戦線が下がり、魔族の侵攻は勢いを増すばかりだ。 「……あと一度。やってみましょう。」  あと一度。それは最後のチャンスという意味だ。次でまともな、否、あちらの世界にとってはまともでない人間が引っかからねば、国は、世界は滅ぶ……。

本物の告白

 学校の女子トイレの鏡の前で、一人の女子生徒が身嗜みを整える。  髪の毛と制服を、いつも以上に整える。  自分の全身をチェックし、最後に自分の頬を両手で叩く。   「よし! 大丈夫! 今日の私は人生で一番可愛い!」    女子生徒は、今から意中の相手への告白へ向かうのだ。  一世一代の大勝負。        ◆          ◆        昼休み。  普段誰も通らない、校舎の裏。  そこに、男子生徒が一人立っていた。  そわそわと落ち着かない様子で、下駄箱に入っていたラブレターで指定された場所にて、その差出人を待っていた。   「お、おまたせ」    そこに、一人の女子生徒がやって来た。   「大丈夫。俺も、今来たところだから……」   「そ、そう」   「それで。えと、言いたいことって、何?」    愚問な問いかけをする。  男子生徒とて、この状況の意味が分からないほど馬鹿ではない。  それでも聞くのは、様式美というやつだろう。  女子生徒は、顔を赤らめ、体をもじもじと動かしながら、口を開く。   「あの…‥実は私……前から貴方のことが……」   「小春ううううう!?」    その告白は、後からやって来た女子生徒によって遮られた。  告白をしようとしている女子生徒と、全く同じといっていいほどそっくりな顔の女子生徒に。   「あ、お姉ちゃん」   「あ、あんた……何やってんの!?」   「いやー、お姉ちゃんが告白するって聞いたから、双子の妹である私が告白すると相手の男子は気づくのかどうかってのが気になって……。やっちゃった☆」   「帰れえええええ!」    小春は逃げた。   「えっと……矢田さん?」    何が起こったかわからない表情の男子生徒に、女子生徒は平謝りした。   「ごめんなさい。さっきの、私の双子の妹なの。私が手紙を出した、本物の矢田小夏!」    女子生徒は頭をぺこぺこと下げた後、改めて男子生徒に向き直った。  予想しない展開だったが、仕切り直しと言わんばかりに、二人は向き合った。  女子生徒は、顔を赤らめ、体をもじもじと動かしながら、口を開く。   「あの…‥実は私……前から貴方のことが……」   「ドッペルゲンガアアア!? 朝除霊に失敗したと思ったら、こんなところに!?」   「あ、見つかっちゃった」    その告白は、後からやって来た女子生徒によって遮られた。  告白をしようとしている女子生徒と、全く同じといっていいほどそっくりな顔の女子生徒に。    告白しようとしていた女子生徒――もといドッペルゲンガーは、すうっと消えた。    何が起こったかわからない表情の男子生徒に、女子生徒は平謝りした。   「ごめんなさい。さっきの、私のドッペルゲンガーなの。うち、代々霊能力者の家系で、時々悪戯好きの霊が私のドッペルゲンガー作っちゃうの。私が手紙を出した、本物の矢田小夏!」    女子生徒は頭をぺこぺこと下げた後、改めて男子生徒に向き直った。  予想しない展開だったが、仕切り直しと言わんばかりに、二人は向き合った。  女子生徒は、顔を赤らめ、体をもじもじと動かしながら、口を開く。   「あの…‥実は私……前から貴方のことが……」   「016号おおお!? あんた、研究所から逃亡したと思ったら、こんなところに!?」   「ピー。緊急事態発生。ゴ主人様ニ成リ代ワルミッション失敗。一度、戦略的撤退ヲ行ウ」    その告白は、後からやって来た女子生徒によって遮られた。  告白をしようとしている女子生徒と、全く同じといっていいほどそっくりな顔の女子生徒に。    告白しようとしていた女子生徒――もとい016号は、背中から機械でできた羽根をはやし、羽根から炎を噴出して空へと消えていった。   「ごめんなさい。さっきの、私そっくりのアンドロイドなの。私、代々科学者の家系で、親がふざけて作っちゃったの。私が手紙を出した、本物の矢田小夏!」    女子生徒は頭をぺこぺこと下げた後、改めて男子生徒に向き直った。  予想しない展開だったが、仕切り直しと言わんばかりに、二人は向き合った。  女子生徒は、顔を赤らめ、体をもじもじと動かしながら、口を開く。   「あの…‥実は私……前から貴方のことが……」   「えっと、もういいよ……。で、君は、どんな偽物なの?」    男子生徒は、うんざりとした表情で聞いてきた。   「へ? あ、いや、違うの。本当に、私は本物の」   「そういうのいいから。頼むから、本人を呼んできてください」    男子生徒は、深々と頭を下げた。   「ほ、本当なの! 本当に私が本物なの! 信じて!」        昼休み終了のチャイムが鳴った。

最後の一音

すべての瞬間が最期。 最初は最期で、最期だと思うのもまた最初のこと。 誰かがいってた、一度きりしかない何て言葉を鵜呑みにも出来なければ、本当の意味でも理解できないでいる。私は何度この場所でこの思いをするんだろう。 始まってほしいようで、始まってほしくない。 終わってほしくないから、終わらないでなんて叶わない夢を見る。願いを込めてもそれは呪いにしかならないのに。 「今日は、見届けるよ」 「今日は想い届けるよ」 これない人が居て、聴けない人が居て。ああ、それなのになんて恵まれているんだろう。なんて、特別なんだろう。 夢のような世界は、あと3時間もしたら終わりを告げる。終わらないでなんて願っている間もなく。 全部言葉にして、文字に込めた筈なのに。 それでも足りないと叫ぶように溢れだしてくる言葉や音を必死に飲み込む。 込み上げてくる想いは体温をあげるかのようで、鎮まれ、収まれと押さえつけても叶いはしなかった。 「SOLD OUT」 夢にまで見た筈のその言葉が虚しく響くのは何故だろうか。おめでたいのに嬉しさが半分くらいの気持ちになる。 まだまだ ステージで輝く君が観たくて、音を掻き鳴らす貴方に会いたかった。もう二度と、この人生では会えないのなら。同じ空の下にいたって意味などない。そんなことさえ頭を過るけれど。 「会えなくても、空は繋がってるから。君の好きな君でいてよ!」 その言葉にハッと我に返る。いつかの過去に願ったのは違えようもなく私なのに、だ。生きていてさえいてくれたなら、幸せなら、どこかで笑っていてくれたのなら。会えなくても見えなくても、生きていてさえいてくれたならそれで十分なはずだった。 「欲深くなったよね」 「いいんじゃない?それでも」 思わず項垂れた私の頭上から、涙を必死に隠して天を仰ぎ見た友人の声がした。わずかに震えた声にグッと言葉が詰まる。 「また、会いに行こうよ。俺たちは生きているんだから」 この先の君の姿を私は知れないけれど、どうかこの先の君が笑っているように。

マグカップの使い道

||君があまりにも優しく笑うから、僕はマグカップを捨てるのをやめた。 彼女は、朝も早くから最後の荷物を取りに来た。 思い入れのあるものから何から、彼女がお金を出して買ったものは全て段ボールに詰め込まれていく。 少し几帳面な入れ方を見て、だから自分と合わなかったのだろうと思った。 食器も何枚か選び抜かれて、新聞紙に包まれた。 僕はマグカップの存在を思い出して、それも渡す。 しかし、お揃いのマグカップはいらないと言われた。 瞬間的に苛立ちはしたが、悲しそうに微笑む表情を見て、何も言うことはしなかった。 そういう顔をするところも、合わなかった。 おはよう、と珈琲を差し出してくる朝。 寒い夜には僕がホットミルクをいれた。 小腹がすいたとマグヌードルを作ったこともある。 ||君があまりにも優しく笑うから、その時々の思い出が走馬灯のように駆け巡った。 合わなかった部分も、もちろんあった。 それ以上に重ねた時間はかけがえのないものだった。 聞き分けよく別れを選択したけれど、本当はだだをこねたかった。おもちゃを欲しがる子供のように。 泣いてしまいそうになって、視線を外す。 無言のまま時間が止まった。 彼女は何かを言おうとしてから、諦めたかのように 「それじゃあね」と部屋を出ていった。 ドアの音が、無情という沈黙を漂わせる。 取り残された僕は、テーブルで黙っているマグカップを見つめた。 空っぽのコイツに何か詰めよう。植木鉢代わりにしてやろうか。 公園で土を手に入れて、スーパーで花の種でもないかと見てみたが何だかパッとしない。 野菜でも埋めてみるかと冷蔵庫を漁ると、檸檬があった。 黄色くツヤツヤとした檸檬。冷えきった果実は、本当は彼女の檸檬水になるはずだった。 半分に切れば爽やかな香りが立ち籠める。 ついでに種も2、3粒こぼれ落ちた。 そうだ、これだ。 そのうち花が咲き、実がなるのだろう。 酸っぱい酸っぱい思い出にちょうどいい。 子供っぽい僕と大人な君。 どうやったらお互い幸せなまま過ごせたのだろう。 ||君があまりにも優しく笑うから、君のマグカップは植木鉢になってしまったよ。 胸にも何か詰め込んでしまえれば、気が楽になるだろうか。 好きだったという気持ちが空っぽな胸から溢れて、口の中がしょっぱくなった。 ツンと鼻が痛む。 彼女の前ではなくて、本当によかったと思う。

脱出マジック

「さあ、今、鎖でぐるぐる巻きにされて身動きの取れない天才マジシャンが、箱の中に入りました。見てください。分厚い鉄でできた箱です。そして箱の扉を閉め、ああっと、さらに鎖でぐるぐる巻きにしていきます。これはもう、どうやっても脱出できそうにありません!」    天才マジシャンのアシスタントが杖を持ち、杖で箱を二回たたく。  そして指を三本立てる。   「3!」    誰とは言わず、会場から声が上がる。    指を一本折る。  指は二本立っている。   「「「2!」」」    システムを理解した会場の客、およそ半数が叫ぶ。    指を一本折る。  指は一本立っている。   「「「「「「1!」」」」」」    会場にいる客全員の心は一つになった。    指を一本折る。   「「「「「「「「「「ゼロオオオオオオオ!!」」」」」」」」」」    会場の興奮は最高潮となった。  熱気やまぬまま、箱をぐるぐる巻きにしていた鎖がほどかれ、箱が開かれる。    箱の中には、誰もいなかった。   「「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおお!!」」」」」」」」」」    会場は、歓声と喝采に包まれた。        翌日、天才マジシャン行方不明のニュースが全国に流れた。    あれから5年、天才マジシャンは未だ見つかっていない。

Just Once

どこに触れても手が埋まってく 君の身体をやっと捕まえた こんなに柔らかく簡単に形を変える身体を持っていながら 君は鋼鉄の意志で俺を拒絶する ねえ一度だけだ 今夜だけ 俺に抱かれてよ 俺が嫌いならもっと嫌いになるように 乱暴に打ち付けてやるから 君は一度だって 僕の差し伸べた手を掴まなかったくせに 好きも嫌いもあるもんかよ そうやって睨んでろ 叩いたって蹴ったっていい ねえ一度だけだ 今夜だけ 俺に抱かれてよ 俺が嫌いならもっと嫌いになるように 強く噛み跡をつけてやる キレイさっぱりこれでおしまい 君が望んでいた終わりだ でも 俺が何度も 君の名前を呼んだことだけは 忘れないで

我が家が1番だな

「ただいま〜、はぁ……疲れたぁ」 「お疲れ様」 この時期の外回りも大変だろうけど、ずっと冷房の効いた所での作業も結構きついものがあるよな……と思いながらも、何とか今日も一日トラブルもなく乗り切り、俺は定時より少しだけ時間を過ぎて帰宅した。 「ありがとな、お前の『お疲れ様』を聞くと一日の疲れが吹っ飛ぶよ」 「ふふっ、ありがと」 まぁ実際疲れが無くなる訳では無いけど、帰ってきて愛する人がいるのといないのとじゃ、疲れが軽減されるよなって事。 「なぁ、ぎゅーってしていいか?」 「今はダメ」 「少しくらいいいだろ? ほら一旦こうして火を止めればいい」 彼女が夕飯を作ってたのは玄関を入った時に分かったけど、何だか急に抱きしめたくなったんだよ。火が付いてるからダメだって言われたけど――どうしてもハグしたかった俺は、火を一旦止めて彼女を数十秒抱きしめた。 「はい、終わり〜! 着替えてきてね」 「わかった」 三十秒も経ってなかったと思うけど、彼女が終わりだと言いながら腕から抜け出た。着替えてきてと言う彼女に頷き、今度は額にキスをして寝室へと着替えに来た。 部屋着に着替えながら、自分はなんて幸せなんだろうと改めて思い着替え終わったため、リビングへと戻ってきた。 「二人だけも幸せだけど、近い将来三人――いや四人も幸せだろうな」 「ん? 何か言った?」 「いや何でもない」 「そ? もうすぐ出来るからご飯盛ってくれる?」 「ああ」 リビングに入り無意識に呟いていた。彼女には聞こえてなかったみたいだけど……なんでもないと告げ、ご飯を盛ってと言った彼女に返事をし、俺と彼女のご飯を盛り肉じゃがが出されるのを待ったのだった

UnStoppaBle!

「ねぇ、どうして顔を隠してるの?」 ある日突然、彼の顔が見えなくなった。 前日の夜は何ともなかったはずだ。けれど目が覚めて彼を見たら、顔が見えなかった。 見えなくなって、どんな顔なのかも忘れてしまった。 彼の顔には、常に黒いモヤがかかっている。 それは『油絵』のようにべったりとしていたり。 あるいは『水彩画』のように滲んでいたり。 いや、『6Bの鉛筆』でぐちゃぐちゃに塗りつぶしたような時もある。 表情が見えないことが、こんなにも寂しくて不安だなんて。 もしこのまま見えなかったら? 「病院には行ってみた?」 「昨日行ってきた。いろいろ検査してもらったけど、特に異常はないって。」 「そうか……。」 顔は見えないけれど、声で彼の表情を補う。 「何かストレスとかが原因なのかも、とは言ってたけど思い当たることもなくて。でも一時的なものだと思うから大丈夫よ。」 彼がそっと安堵の息を漏らして、私の頭を撫でる。あぁ、顔が見えたらいいのに。 彼の顔が見えなくなってから数週間。 声と仕草で何とかなるし、特に困ることはなかった。 顔が見えないだけで、それ以外は見える。 でも、どうして彼の顔だけが見えないのだろう。 彼との間に何かあったのか?けれど思い当たることは何一つない。 六年交際して、同棲もして、婚約だってした。 それなのにどうして?どうして今なの? ただ日に日に腹の底に渦巻く不快なものが、少しずつ膨らんでいくのを感じていた。 彼は今日から一週間出張で、二人の部屋に一人きり。 (一週間か……) 指を折って数えてみるけれど、やっぱり私にとって彼のいない七日間は長すぎる。 いつもテーブルに二つ並ぶお揃いのマグカップも、片方だけじゃ意味がない。 そう思ったら寂しさが溢れ出して、親友にメッセージを送っていた。 『ねぇ、これから時間ある?ご飯作りすぎちゃったから、良かったらうちで食べない?』 『いいよ!じゃあお酒でも買っていくわ〜!』 『ありがとう!お願いします。』 親友はビニール袋いっぱいの缶チューハイとともにやって来た。 こんなに飲めない、と言ったけれど今日はお酒がよく進む。 「そういえばさぁ、彼とどうなった?」 「どうって?」 「彼氏が最近友達と遊ぶの増えた〜って。」 言った覚えがなく、そうだったっけ?と曖昧に返す。 「で、一ヶ月くらいに意味深なメッセージ送ってきたじゃん!その後返信したけど何も返ってこないし、あんたのメッセージも取り消されてたし!」 先程から彼女は何の話をしているのだろう? まるで私の知らないところで、何かが起こっていたみたい。 「ねぇ、それ私はなんて送ってたの?」 「えっとね、確か……。」 『ねぇ、私見つけた』 「見つけた……。」 「そう!そう言ったっきり連絡なくて、今日久しぶりにメッセージ来て安心したわ〜。」 やっと、見つけた。思い出せた。 霧が晴れるように、彼の顔が現れる。 愛おしかった、彼の。 「……クローゼット、上から三段目、右奥、彼とお揃いのTシャツの間に隠したんだ。」 「隠した?何を?」 「USB。2年半かけてようやく掴んだ、彼の浮気の証拠たち。」 一週間後、きっとこの部屋は修羅の国。

ウィッチ - Day.10 - ウワサ話と探し物

今日もよく寝た。 放浪者とお茶を飲みながら話しこんでいたとき、風の強さについて話題になった。 ここに来る途中、誰もが風が強すぎることについて話をしていたらしい。その中に、面白い噂があるそうだ。 なんでも、異国の訪問者が前任の“ウィッチ”に呪いをかけられたと言うのだ。この強い風は、訪問者を自分の家に帰らせないための魔法なのかもしれない……と。 そんな馬鹿な。 人を癒し、祭事を司り、人々に知恵と伝承を伝え、生活を支え合うはずのウィッチが呪いを扱えるはずが……。 --- だから、今日は前任者が使っていた小屋の中を探し回ることにした。道具類は色々とチェックしたが、メモや帳簿類は後でと考えていたんだけどね。 ニロクに広い地下部分も含めて紙という紙を集め始めてもらった。 私の方は、魔法の準備である。こんなときこそ、魔法に頼らせてもらわないと。 『花の妖精が死後宝石になった後、青年の義眼になるように加工を手伝う』夢を観測していたので、そこから魔法を見い出すことにした。数時間は片目の色を識別する能力が落ちてしまうので、眼帯が欲しいところ。 ==== 夢を観測して見い出した魔法 ==== 魔法名:見る この魔法は主に大量の紙類や目録に対して効果を発揮し、術者が探したいと思う内容のきっかけになりそうな内容に目が止まったり、何度も見ることになったりする。 この魔法に失敗すると、数時間は術者が“見たい”と思ったものが視界からフッと消えてしまう。

サマーキャンプ

「先生の言うことよく聞いて、周りに迷惑かけずに、何より無事に帰ってくるのよ?」  玄関先でママが涙ぐむ。僕がこれからはじめて十日間のサマーキャンプに行くからだ。でも僕だってもう四年生。参加できる学年になったんだよ!? 「大丈夫だよ。みんなもいるし! いってきます!」  これ以上は聞いてらんない。僕は外に飛び出した。  バスに揺られて、僕らは山の麓の青年の家にやって来た。いよいよキャンプ開始だ。ドキドキワクワクと、ちょっとの不安。でも楽しみなんだ! 「みんな、静かに! 講師の先生を紹介します。山に詳しい鈴山則子さんです。」  鈴山先生は優しそうな先生だ。若くもないけど年取ってもいない。 「こんにちわ。鈴山です。今年もみなさんとサマーキャンプが出来てとっても嬉しいです。みなさん、お米は持ってきましたか?」  はーい! と、みんな元気よく返事する。 「えらい! 七日分はご飯がありますから、上手に炊こうね。それ以外のおかずは山菜を採ったり、魚釣りしたり、獲物を獲って作ります。」  みんな目を見交わす。スゴイ! 本当なんだ! 子供心がくすぐられる。 「初日の今日はみなさんと、山に登りながら食べられる山菜や毒草のみ分け方、野生動物が辺りにいないか見分ける方法と、出会ってしまった場合の対処方法を教えますね。一歩間違えば死にますから、みなさん真面目にがんばろうね。」  はーい! と良い返事。  みんなスゴイ真面目なんだって。丁寧に教えてくれるけど、一度教えた事は一切教えてくれないから。ご飯は全部飯盒炊爨。採ってきた山菜や魚、獲物でご飯を作るなんてワクワクするよね!  でも毒キノコとか食べたら解毒薬を飲ませてくれたり、助けてくれるけど、先生は食べる前には教えてはくれないんだ。  去年、一つの班が毒キノコ食べちゃったんだってさ。で、間違っちゃった原因をみんなで考えて、次は間違わない方法をちゃんと決めるまで、半日ご飯なしだったんだって!  ここにくる前、保護者と僕らはみんな署名させられている。何かあっても、学校や講師の責任は問いませんって言う内容だって。でも僕らのやる気はマックスだ。この修行をやり切って、僕はワンランク上の男になるんだから! 「夏は山菜が少ないので、その中でいかに食べ物を見つけて、いかに生き延びるかが重要ですよ?」  鈴山先生と山を巡るのは楽しかった。  でも僕としては縄術が一番面白かったな。ロープ一本でカゴやハシゴを作ったり、友達を運ぶのも、重かったけど面白かった!  後半は講師が交代した。マタギの熊坂さん。左頬に熊のツメ痕がついている、ザ・マタギって感じの人だ。 「熊坂です。去年出席した生徒さんはご存知でしょうが、熊に挑むわけではありません。去年は山鳥と野うさぎ、最終日は鹿を獲ることが出来ました。最初は難しいでしょうが、最終日には自分で獲物を獲れるようになるでしょう。よろしくお願いします。」  怖そうな見た目だけど、とっても丁寧な人だ。二匹のクマ狩り犬、クロとブチもすごく大っきいけど、優しい。  だけど熊坂さんは僕らが山でふざけた時、無言でゲンコツを落とした。ものスゴイ怖かった。 「山では常に死ぬ危険があるんだ。死ぬ前に山を降りろ!!」  痛かったし怖かったけど、僕はハッとした。僕はワンランク上の男になるんじゃないのか? ふざけるなんてコドモのやる事だよ。僕はひとつ大人になったのだ。それからは絶対に僕らはふざけなくなった。真剣に、このプロから技を盗むんだ!  初めて投げナイフで山鳥を落とした時、僕は嬉しくて泣いてしまった。笑われるかと思ったけど、「わかるわかる」「おまえすげえじゃん!」と!上級生にも褒められた。それがとっても嬉しかったんだ。  合掌して獲物捌く。僕らに命を与えてくれた尊い魂よ、安らかに……。  そうして僕らの十日間は過ぎた。最大の獲物は、熊だった。気をつけていても熊に遭遇してしまう事はある。もちろん熊坂さんとクマ狩り犬達がメインだったけど、僕も木に登って投げナイフで攻撃したし、六年生の小谷涼ちゃんは弓で熊の膝を射って動きを止めたんだよ!? カッコいい!  本当にスゴイ体験だった。僕はひとつ大人になった。 「あら、お宅も?」 「ええ、娘がずっと行きたがっていて……。」 「あんな誓約書書かされるから、親としては不安よねえ。期間も長いし。」 「でもウチの上の子もキャンプに行って変わったのよ。積極的になったし、落ち着いたって言うか……。  アウトドアして山の事勉強するそうよ。」 「まあ……クレーム対策なんだろうけどね。」  私はプリントを見た。 『一日目 山を知ろう』 『二日目 魚を釣って食べよう』 『三日目 山の動物』

G③

――ガチャ、キィィィー  玄関の開く音が聞こえた。 「母さん、財布、忘れとったよ。母さんはほんとに昔からそそっかしいな」  父だ。父だ!  ここぞという時に頼りになる父が来てくれた。これでこの状況から抜け出せるかもしれない。 「あらお父さん。追いかけてきてくれたの? ありがとう。ちょうど良かったわ~。あの子ったら部屋の鍵を掛けたままで返事もしないのよ。寝てるのかしら?」 「早く開けなさい。死んでるかもしれんぞ」  父よ、あなたの娘は生きているともさ。さあ、早く助けてくれ。 「お父さん、ダメだわ。開けられない。あの子外から開けられないように埋めてるみたいなのよ」  しまった。痛恨のミスだ。そうだった。引っ越してすぐに、使いもしないのに不用心だと思い埋めたのだった。あの瞬間の私の腕をへし折ってやりたい。 「はぁ······。ほれ、退きなさい。危ないから下がってるんだよ」  来た、父がやらかす番だ。 「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、うぉあちゃっ!!」  ドズンッバギィッドダダンッ  漸く、奴との未動の死闘から救われた。私は重度の脱水症状と栄養失調で病院に担ぎ込まれた。父におぶられたのなんて何年ぶりだろうか。小学生のころ夜中に熱を出した時だったか。あれから、ふふっ、20年か。  ふと目を覚ますと、病室で両親が談笑していた。 「この子、動けないからってお菓子ばっかり食べてたんだって」 「お前も昔、全く同じ事をしたじゃないか。あの時も俺がドアを蹴破って······」 「あの時は助かったわ〜。上京したてでお金が無かったのに、修理費が馬鹿にならなかったのよ。ふふふっ」 「命あっての物種だからな。マナミの分は俺の小遣いで直してやるさ」 「まぁ、お優しいのね。私の時は······結局私、払えなくって、お義父さんが払ってくださったのよねぇ。結納金だって。あの時『私激安っ』て思ったのよ。懐かしいわ〜。」  良い感じに懐かしんでいるようだが、なかなかツッコミどころ満載だぞ。まぁ、助けてもらった身で偉そうな事は言えないが。 「そうだ、マナミ、ゴキブリは退治しておいたぞ」 「お手洗いの小窓も閉めておいたわよ。お部屋も片付けておいたから安心しなさいね」  泣けてくる。起きているのもバレていたらしい。 「ありがと」 「それじゃ私達帰るわね。私はまた明日来るわね」 「うん、ありがとう」  良い両親を持てた幸せを噛み締めながら、1人になった病室で部屋に隠していた日記に思いを馳せる。  あれには、日々の出来事や愚痴だけでなく、他人の面白かった言動を事細かくメモしている。所謂ネタ帳のような物だ。ほんの少しだけ誇張して書いている。その主人公の半分以上が母だ。いずれ私のギャグ漫画のネタになる予定のものだ。見られてなければ良いのだが。 [完]

そして歴史は繰り返される

 富澤 隆一は落合 夏未を愛している。自分に魔法が使えたならば、彼女を襲う全てのものから守る魔法をかけるだろう。助かったわ、ありがとう。そう言って笑う彼女に心底安心して、彼女の囁く愛に包まれて眠りにつくことができるのに。けれど魔法などあるはずもなく。霊安室で横たわる彼女は悲しいほど美しいが、この世の者ではなくなっていた。交通事故だった。車に撥ね飛ばされ、彼女は頭を強く打ち付けてしまったそうだ。痛々しい傷を見たくなくて、彼女がよく被っていたニット帽を頭に被せた。そうすると、彼女は眠っているだけなんじゃないかという錯覚に襲われる。 「ねえ、起きてよ……。夏未、君はいつもねぼすけさんだね。ねえ、夏未。ねえってば……!」  水をかけられたように、視界が滲む。夏未の身体は冷えきっていて、彼女の死が僕の指先に伝わってくる。何故、彼女がこんな目にあわなくてはならなかったのだろう。僕の怒りや悲しみが瞳からあふれ出て止まることはなかった。  明日は僕と夏未の結婚記念日だ。安月給の僕だけど、この日は奮発して少し値の張るレストランを予約した。食前酒にはロゼを、食後には彼女の好きなチョコレートケーキをお願いした。そして僕は机の上で、ペンを走らせる。 『高校生の私へ。明日の花火大会で『富澤 隆一』に会うと思うけど、絶対に喋らないで。『富澤 隆一』はアンタを不幸にする。だから絶対に、絶対に付き合うな』  夏未が好みそうな便箋に手紙を入れ、瓶の中に放り込む。夏未の実家近くの浜辺に行き、それを海に捨てた。何故こんなことをしようと思ったのか分からない。僕は夏未を幸せにしたかった。けれど僕と結婚しなければ彼女は命を落とすことはなかった。僕の後悔や無力がそうさせたのかもしれない。高校生の夏未に届くわけがないけれど、書かずにはいられなかった。さようなら、僕の後悔。僕の心の中には夏未が生きている。明日、僕は夏未の分まで結婚記念日を祝うよ。だから夏未、天国で待っていてくれ。 「あれ?この瓶、中に何か入ってる」  浜辺を散歩していた少女は瓶の中にあるものを取り出した。 「手紙だ!何々?『高校生の私へ。明日の花火大会で『富澤 隆一』に会うと思うけど、絶対に喋らないで。『富澤 隆一』はアンタを不幸にする。だから絶対に、絶対に付き合うな』……?ウソ、未来の私からの手紙?でも、字がちょっと違うような……?」  少女、夏未は首を傾げる。それから、『富澤 隆一』という人物がクラスメイトだということを思い出した。 「へえ、富澤クンと明日の花火大会で会うのか。付き合うなって書いてあるけど、どういうこと?私を不幸にするってこと?」  夏未は鼻で笑った。 「私を不幸にできるならしてみなさいよ。できるものならね」  明日の予定が決まった。花火大会に行き、『富澤 隆一』と付き合う。夏未は瓶の中に手紙を戻し、家に持ち帰るのだった。

どうぞ使って

四年。 彼女と付き合った年月。だがそれも終わった。 彼女は僕が自分から告白して受け入れてもらえた、初めての恋人だった。嬉しかったし、楽しかった。 でも彼女は大人で現実主義者で経済的にも自立していた。 それに比べて僕は、親のスネをかじって大学に通わせてもらっているにも関わらず、特に将来も決められずにふらふら。 「なんとなくなんとかなるだろう」と考える、夢想家で子供だった。 別れは突然ではなく、ゆるゆると迫っていたのを自覚はしていた。 しっかりと繋いでいた手は、申し訳程度の触れ合いになった。ふと目を合わせても幸せな明るい微笑みが少なく、やがて無くなり、困った様な曖昧な翳った笑みに変わった。 原因は僕にある。それは解っていた。 決定的な言葉は無かったけれど、帰りの改札に向かう僕が、一縷の望みをかけて差し出した右手を、 「遅れるよ」 と、あの困った様な笑顔の君の右手がやんわりと包んで押し返したんだ。 これが限界だと悟った。 「じゃあ」 僕は精一杯の、しかしぼやけた別れの言葉を残して背を向けた。 改札を抜けた後、半顔振り向くと、君の姿がまだあった。 すぐ去らなかったのは、最後の情だったのだろうか?今はもう確かめる術は無い。 電車内に座ると、待ち時間が数分あるとのアナウンス。 知っていた。元より余裕を持った時間だった。『遅れる』事はあり得なかったんだ。 その数分は長かった。 一刻も早くこの場から立ち去りたかったのに、世界一正確と謳われるダイヤがそれを許さない。 情けない、恥ずかしい、そんな自分中心の感情が渦巻いた。フラれた男、捨てられた男、見限られた男、僕に冠せられた称号はそんなところであったろうから。 ややあって、ようやく電車が走り出した。 遠ざかる君の住む街。 流れる景色は何度も行き来し、見慣れたモノのはずだったけれど、色が違って見えたのは覚えている。 彼女は優しかったな。可愛かったな。美しかったな。でもちょっと意地っ張りだったな。 思い出される彼女の姿、表情は尽きなかった。 「愛してる」なんて言葉も、初めて恋人に使った。 愛して、いた。愛されても、いた。 そこで僕の感情に変化が起こった。 申し訳ない、という自分にではなく、彼女に向けた感情が生まれたんだ。 愛してくれたのに。二人で歩む未来を期待してくれたのに。幸せになりたかったのに。 僕が、諦めさせた。 じわ、と涙が浮かんだ。 彼女の気持ちを、僕はどれだけ汲んであげられていただろうか。望んだ事をどれだけ叶えてあげられていただろうか。 自分ばかり楽しく、心地よく過ごそうとしていなかったか? 涙が急激に量を増して、とうとう流れ落ち始めた。 迂闊な僕は、ハンカチ一枚も持っちゃいなかった。 手のひらで懸命に拭いながら、外を見る。 そんなみっともない顔になった時、はす向かいに母子が一組座った様だった。様だった、とは、僕がそちらに顔を向けられず、確たる姿を見られなかったから。 鼻水まで流れ出してきて、手の甲で拭った。止まらない涙をまた手のひらで拭った。 娘さんが、僕の異変に気づいた様で、母親に何やら耳打ちした。内容は聞き取れなかったが、「この人泣いてるよ」とか、「何で泣いてるんだろうね」とか、そんなとこだったろう。 格好悪い事に、嗚咽まで出始めた。歯を噛み締めても、隙間から漏れる呻き声。   量が多過ぎて拭いきれなくなった涙が、彼女と一緒に選んで買ったジャケットに染みを作った。 母子が降りる駅はまだ先のようだ。僕が降りる駅もまだまだ先。 しゃくり上げながら泣く、図体だけは大人の男を間近で見て、どう思っただろうか。 この上なく気まずかったであろう事は間違いないが、母子は他の空いた席に移ろうとはしなかった。 電車が数駅通り過ぎた後、母子が降りようとする気配があった。荷物を持ち直す物音と、「降りるよ」という母親の小声。 電車が減速する。慣性を堪えていると、僕の膝にぱさ、と何かが置かれた。 まばたきをして涙を追い出してから見ると、それはポケットティッシュだった。 僕が驚きながら手に取ると、 「どうぞ使って」 と、母親の優しい声が降ってきた。 同時に僕の右肩に、ぽん、と一瞬手が置かれた。あんな一瞬で伝わるはずの無い『暖かさ』を僕は覚えている。   まだしゃくり上げる中、僕はなんとか、 「ありがとうございます」 と絞り出した。 聞こえたかはわからない。もう誰にも見せられない顔だったから、ちゃんと相手に向かって言えなかったから。すぐに気配が遠ざかり、電車のドアが閉じたから。 僕は未使用のポケットティッシュを、ばりっと開けて一枚取り出した。震える息を吸って、鼻をかんだ。

さあ、小説家になりなさい

 小説家を志す者にアディショナルタイムなど存在しない。人生は短い。だからこそ読者が愛してやまない物語を書くぞ!

ニュースを見ないとバカになる

「健太、アニメばかり見てないで少しはニュースも見なさい」 私はニュースを少しも見ない息子が心配だ。 「どうして?」 「ニュースを見ないとバカになるからよ」 「それって誰が言ってたの?」 「ニュースよ」 そう言うと息子はため息をついて言った。 「お母さん、ニュースを見るとバカになるよ」

G②

 ――ガチャガチャ、キィィィー 「マナミ〜、あんた風邪大丈夫なの〜? 入るわよ〜」  母だ。一昨日連絡した母が、やっと来てくれたのだ。遠路はるばる、隣町の実家からわざわざ来てくれたのだ。 「ごめんね~、スマホの開き方またわかんなくなっちゃって。お兄ちゃんが返ってくるまでLINE見れなかったのよ~。ねぇ、生きてる~?」  幾つか文句もぶちまけたいところだが、それどころではないのだから仕方がない。ここは素直に助けを乞うしかあるまい。と思ったのだが声がでない。いや、厳密に言うと、声があまりに掠れていて母まで届かないのだ。 「ちょっと~? ねぇ、マナミ? 寝てるの~?」  母は私が息絶えたとでも思ったのだろうか。そう思われても仕方がないが、とにかく部屋に来てくれないだろうか。と、自室の扉を睨みつけて私は愕然とした。鍵を掛けているではないか。何故だろう、普段はかけないのに。そんな理由など今はどうでもいい。問題は、この状況をどう打開するかだ。  だが、幸い部屋の鍵は外から小銭で開くような簡易なものである。母が部屋に来てくれさえすればあっさりと開けてくれるだろう。  いよいよ母が部屋の前に立った。ドアノブに手をかけ鍵に気づく。 「やだ、鍵かけてるの? ホントに死んでないでしょうね······。小銭小銭······あら、お財布忘れちゃったわ。どうしよう······」  終わった。これで本当に終わった。母はいつも、ここぞという時にやってくれる。いつ奴が私に襲い掛かってもおかしくないこの状況下で、母は私の救世主にはなりえなかったのだ。

三題噺『秘伝・遺伝・資源』

『否定。秘伝の奥義なんて都合の良いものがあるわけないじゃないですか。私がいくら高性能AIだとしてもそんなものは便利グッズは搭載されていません』  そんな冗談を言う高性能AIが人間に合わせて人語をしゃべりつづけている間も宇宙怪獣からの攻撃は止むことを知らない。  兵器なんて物は搭載されていない怪物からの攻撃はそれこそ、光線だったり、妙なドロッとした液体を投げつけてくるとか、長い舌を伸ばしてくるとか、そんな気持ちの悪いものばかりだ。  それでも昔、人間相手に戦争していた頃に比べればいくぶん気は楽な気もする。火器を向けられているときの気持ち悪さはもう、体感したくない。 「じゃあ、他にこのピンチを切り抜ける方法を考えて!」 『回答。この程度のピンチはスーパーレジェンドであれば幾度と乗り越えてきたはずです。なので今回もなんとかなります。引き続き迎撃をお願いします。火器管制はこちらにお任せを』  やっぱり成長しすぎておかしくなっているような気がする。出会った頃はもうちょっとまともだった。今のはアドバイスですらなく、根性論でしかない。それに……。 「スーパーレジェンドはやめてって言ってるでしょ。それ恥ずかしいんだから」 「否定。せっかく頂いた二つ名をないがしろにしてはいけません。しかし、軽口を立たけるようになったくらいには余裕が出てきたようで何よりです』  こうして話をしながら戦闘していると昔のことをよく思い出す。みんながいなくなるまではこうやって通信しながら、たまに冗談も言い合った。そうすることで心を保っていた。  この宇宙怪獣が襲ってくるまではだ。地球の資源が必要だかなんだか知らないが、定期的に現れるようになってから随分と年月が過ぎた。それでも怪獣との戦闘が激化する一方だし、地球は疲弊していく。頼みはどこかのだれかが作ったこの1体のロボット型兵器だけ。 「いったいいつまで続くの」 『不明。まだまだだとは思います』 「私もそろそろ限界なんだけど」 『肯定。そろそろ年齢的にも限界です。次の世代を探しますか?』  それはだめだ。この呪いのような運命を他の人に回すわけには行かない。自分の手で終わらすべきだ。  ここで諦めたらみんなに顔向けできない。コックピットの中を漂う空っぽになった小さな小瓶をしっかりと見つめる。  先輩からもらったものだけど、中身はとうの昔になくなってしまった。それでも捨てられないのはそれがあるから自分が今ここに居られることを忘れたくないからだ。 「次の世代に渡すものなんてないよ。だから真面目に解決策を考えて」  そう。渡すものなんて残っていない。渡せるとしたら希望くらいだ。その希望を掴むためにも目の前のやつらをどうにかしなくてはならい。 『回答。やつらの遺伝パターンに法則がありそうです。そこを解析できればなんとかしましょう』  ようやくポンコツAIがまともな回答をだしてきた。なんだ。やればできるじゃないか。 「それで。それはどうすればいいの」 『回答。どれでも良いので2、3体。生きたまま捕まえてください』  それはまた無茶苦茶なお願いだ。やれるだろうか。いや、やらなくてはならない。それが生き残った自分にできる唯一のことだと思うから。

空に落ちたい

毎日惰性で生きていて 感情が薄く霞んでいく まだ夜中ではないが 今日は疲れたから早く寝よう 歯を磨いて電気を消して ベットに帰る カーテンの隙間 空に憧れた あの上を見て段々と黒くなっていく「空」に落ちていけたら幸せなのかな どこに向かっているんだろう 自分もあの空も あぁ空に落ちていけたらと羨む ベットは窓際にある 窓に仰向けで近づくと 果てしない黒い空が見えてきた こうすると落ちていっているみたいで落ち着く 落ちたら何をしよう 夜だったら夜景が綺麗だろう 朝だったら泣いてしまいそうな日を見よう 昼だったら注目の的だ そんなことを考え現実から離れていく 惰性の日々の中 想像するという最も人間らしい私の時間だ

生きて生きず

 私は今日も死にたいです。これは私の本心。しかし、あなたは本音を言ってはくれなかった。そして、あの時そっちに行けなくてごめんね。生きてて…。  あれは、十年以上も前の話。あの時も私は死にたかった。この退屈気周りない理不尽な世の中を子どもの時でも感じていた。そして、その違和感に小さい体が押し潰されそうになりながら生きていたあの頃。その時私は子ども達が親と行くキャンプに子ども一人で私一人で行った。周りの子どもは親と一緒、私だけ浮いていた。どうして、そんな所に行ったかと言うととても単純な大人の事情だった。私の親はシングルマザー、そして付き合っている男が私が嫌いだからだ。  なら殺せば良いじゃないか  私は心の中でそう思っていた。しかし、言葉には出せなかった。出したら本当に殺されそうだったから…。そう私は死ぬのが怖かったから。  君は私の前に現れた。美白で髪はショートで太陽の光と合わさり君は輝いて見えた。そんな君は私なんかにも優しく声をかけて一緒にキャンプを過ごす事になった。しかし、親といず一緒にいてもいいんだろうか。そう思った私は 「親と一緒にいなくていいの?私は一人で来てるからいいんだけど」 「うん…いいの…」  少し歯切れが悪いような、何かを隠しているように私に答えた。 「今から三時間海で自由時間ですよ!皆さんケガには気をつけて楽しんでくださいね!」  担当の人がそう言うと子ども達は一斉に海へ飛び出していった。私も行こうと思い 「海だって。行ってみよ。」  そういうと、 「う、うん…。けど、体にあ…いや、日焼けしたくないんだ。もしよかったら砂浜で遊ばない?」 「うん。いいよ。」  やっぱり何かを隠しているようだった。しかし、私は聞けなかった。今となっては私は後悔している…。  三時間後、バーベキューの準備を始めた。 「ん?」  そういえばバーベキューの準備を始めてから私はあなたがいないことに気がついた。大人に聞こうにも名前を聞くのを忘れていた為聞くことにできなかった。それからは全然楽しく無かった。美味しいお肉を食べても…花火をしても…何も楽しく感じられなかった。 「どこに行ったんだろう…」    あれから、一ヶ月私は体にアザを加えられながらテレビで流れていたニュースを見て絶句した。 「〇〇ちゃん八歳が親の暴力により亡くなりました。警察は…」 「私もそっちに行くからね…」  涙が溢れた。

スキー場のヒーロー

二〇XX年 十二月某日 その日は、スッキリと晴れた空が広がっていた。ここは日本のどこかにあるスキー場。 そこではたくさんの人々がスキーを楽しんでいた。澄み渡る空の下で躍動するたくさんの笑顔たち。それらをスキー場を望める崖の上で、見つめる者がいた。 「ちぇっ、どいつもこいつも」 そいつは、人々が楽しそうなのが気に入らなかった。笑顔を見るとなんだか胸が激しくムカつくのだ。ついにイライラは頂点にまで達した彼はついに外に出ることにした。 数分後。白昼のゲレンデにそれは降り立った。現れたのは、全身が白い毛に覆われた猿か人間のような生き物だった。 「何あれ」 「雪男かな」 スキー客がざわつく中、怪人は跪くような体勢になると、雪が積もったゲレンデの斜面を思いっきり拳で叩いた。すると、ゴゴゴという音がした後、激しい轟音と共に雪崩が発生した。人々はなすすべもなく、逃げ惑った。 「はっはっは、どうだ」 勝ち誇る怪人に、誰もが希望を捨てかけたその瞬間、どこかから声がした。 「ちょっと待った」 「なにぃ?」 声のした方を見ると、雪崩の中を一人の若い男がスノーボードで滑っていた。彼は、雪崩をもろともせず、スイスイと滑っていた。 「くそっ……邪魔が入ったか」 怪人は右手から破壊光線を放った。しかし、若者はそれをスノーボードに乗ったまま、余裕で避けた。 「貴様、なにものだ」 怪人がそう言うと、若者はこう答えた。 「通りすがりのスーパーヒーローだ」 彼は宙を舞ったまま、両腕を胸の前でクロスさせた。そうすると、全身が青く輝き、地面に着地した頃には、青いスーツをまとったヒーローの姿になった。 「なんだと……?」 驚く怪人を尻目に、ヒーローは余裕綽々でこう言った。 「今度はこっちから行くよ」 ヒーローは、怪人の周りをぐるぐると滑りはじめた。何度もぐるぐるしているうちに周りに飛び散っていた雪は、次第に竜巻になっていった。そして何度目かの周回の時にそれは怪人を飲み込み、吹き飛ばした。 「くそっ、覚えてろ」 怪人はそう捨て台詞を吐いて去っていった。