僕は新しいシャーペンを買った。 「新しいシャーペン、楽しみだなぁー」 家に帰ったあとカバンを放り投げ、自分の部屋に向かった。 引き出しからコピー用紙を取り出し、早速そのシャーペンで文字を書いてみた。 その文字を消そうと消しゴムを紙に擦りつけた。 「あれ?」 なぜかその文字が消えなかった。 僕が買ってきたものはシャーペンではなく、ボールペンだったのだ。 僕は再び文房具屋に行き、再びシャーペンを買ってきた。 「今度こそシャーペンだよな?」 僕は小さな声でつぶやき、芯を出そうと先っぽを押し込んだ。 ビリッ! その時、親指の先から手首にかけて激痛が走った。 僕は驚きと痛みで声を上げる。 「痛っ!」 僕が買ってきたのはシャーペンではなく、電流が流れるビリビリペンだった。 「ちぇっ」 僕は舌打ちをして文房具屋に向かった。 今度こそシャーペンを買ってきた。 紙に文字を書こうとシャーペンの先を紙に当てた 「あれ?書けない」 そのシャーペンには芯が入っていなかった。 「もうふざけんなよー」 僕は何度も文房具屋に行ってると変に思われるので、また今度買うことにした。
「来世とかって信じる?」 「んー、どうかな。信じようが信じまいが、あるものはあるし正直考えた事ないかな。」 「夢がないなー。僕はちょっと気になってるんだけど。」 「えー?どうして?」 「この人生結構辛いことばっかだったし、来世はいい人生送れるかなって。」 「あー、それは少し分かるかも。」 「もう疲れたんだ。生きてるの。でも、死んだらまた同じ人生を繰り返すって。」 「そんな事誰が言うの?」 「秘密。でもちょっと悟ってそうな人。」 「何それ、ちょっと面白いね。」 「僕が死ぬって決めたら止める?」 「さー、どうだろう。分からないけど…」 「けど……?」 「どんなに辛くても、また貴方に会えるなら悪くないかもね。」 「そっか、それはそうかも。むしろ、その為に捧げられた命が、幾つか前の人生であった気がするよ。」 「うん。どんな人生も、多分貴方が隣に居た。多分、来世でも。」
今日、【きみ】は死んだ。【きみ】は死んでしまった。 悲しみは悲しみにくれた。赤く腫れた瞳から、こぼれる涙は止まらない。だって、【きみ】は死んでしまったから。 苦しみは苦しんだ。深く心を痛め、その場で身体をふるわせる。だって、【きみ】は死んでしまったから。 絶望は絶望に陥った。地面を歩いているようで、歩いていないような感覚の世界をさまよう。だって、【きみ】は死んでしまったから。 【きみ】の笑った顔が好きだった。それは、優しく涙を溶かしてくれるから。 【きみ】の楽しげな声が好きだった。それは、ふるえる身体に寄り添ってくれるから。 【きみ】の希望に満ちた両手が好きだった。それは、不安定な道でも歩けるように支えてくれるから。 だから。だから、本当に好いていた。 【きみ】の存在の大きさを、私達は喪って、はじめて気づくのだ。 いつも、そう。幸せが死んだら、悲しみや苦しみや絶望が町にやってくる。彼らが町を去った後には、新しい幸せがポツンとのこされて。そのたびに、町の人々は今に生きる幸せを噛みしめる。 この繰り返しが、この町の歴史だ。 たとえ、再び私達が悲しみ、苦しみ、絶望するとしても。 将来まで精一杯、生きていけるように。 私達は、今日も、幸せを糧にして暮らしていく。
「私達合わないよ。」 「え?どうして?」 「私はいつだって欲望に忠実で、あなたはそんな私に振り回されてるでしょう?」 「そうかな、僕はそれが好きだけど」 「そんな風に言える心、私には無いもの」 「一緒に居たくない?」 「うん」 「んー、僕はまだまだ一緒に居たいけどなー」 「そう言われると、また私がダメに思える。」 「どうして?」 「貴方はいつも、そうやって私を受け入れるけど、私には出来ないの」 「この世界は、どれだけ自分のことを好きになれるかって勝負だよ。」 「それが出来る君が素敵だと思うし。僕はたまたま、その範囲が意味わかんないくらいに広いだけ。」 「それが嫌なの。私は全部欲しいし…、好き勝手したい。この気持ち分からないでしょ」 「わかんないね。僕は何もかもが好きだ。し、正直少し特別だと思う。少なくとも、今まで見た人の中なら僕が一番特別。」 「だからどうしろって言うの」 「君も特別。僕にとっての特別。全部を手に入れたいって思う気持ち、とっても愛おしいよ。」 「やめて。」 「君が支配する世界なんかも、少しばかり見てみたい気だってする。」 「デタラメ言わないで。」 「君にイタズラしたくなる、愛おしいくてつい。このくらいのいだずら心、僕にだってあるよ。」 「嫌い。」 「僕は好きだよ。そして君も、僕のこと好きだよね?」
「はい、チーズ!」 お化けと人間が並んで、写真を撮る。 「ありがとうございまーす!」 「うわ、すげえ! 本当に心霊写真になってる!」 お化けと人間は共存の道を選んだ。 その方が、互いに理があると考えたからだ。 しかし、お化けの想像以上に、人間はお化けを恐れなくなってしまった。 お化けとしては、時々人間を驚かせればよかったのだが、それさえもなくなった。 「俺が動くしかないな」 恐い顔ランキング第一位に輝いたお化けは、仲間の制止も振り切って深夜に化けて出た。 人間たちか寝静まった夜に、うとうととした、一番人間御気が緩んでいる瞬間に。 「恨めしやぁ……」 「ぎゃああああああああああ!?」 結果は大成功。 人間は驚きの余り失禁した。 たくらみが成功したお化けは、別の家へと移動し、同じことを繰り返す。 「うわあああ!?」 「ひいっ!?」 「で、出たー!?」 次から次へと、恐怖の連載。 お化けは、久々に充実した一夜を終えた。 「大量のクレームが来ている。ネットも大炎上だ」 翌日、恐い顔のお化けは謹慎となった。 次から次へと流れてくる、人間の悪意の言葉。 恐い顔のお化けは、偉いお化けたちが人間と共存を選んだ理由を、ようやく理解した。 「人間の方が……よっぽど恐いじゃんか……」
葬式は、畳の間で行われた。一同は正座をし、粛々とした雰囲気の中、唱えられるお経と木魚の音、啜り泣く声だけが鳴り響いていた。蝿が、前に座る男の足の裏にとまった。とまったまま、動かない。そこはさぞ、臭かろう。居心地が良いのであろう。魂の安らかな成仏と共に、蝿の心の平穏を、私は願った。
気付いたら、洞窟の中にいた。 突然目の前が真っ暗になったあのとき、私はこの洞窟の中に来てしまったらしい。光は見えない、真っ暗闇の場所だ。右も左もわからず、どちらが前かもわからないまま、私は歩き出した。 不気味なほどに孤独な洞窟だった。人一人どころか虫一匹いない。ただ、ぴちゃ、ぽちゃん、と水の打つ音が遠く聞こえてくる。 歩いても歩いても、ずっと暗闇だった。 「痛っ」 濡れた岩場に足を取られて、私は思いっきり転んだ。暗くて血が出ているかどうかすらわからなかったけれど、膝がずきずきと痛む。 私の目には涙が滲んだ。どうして上手くできないの。止まらなくなった涙を拭うことなく、私は膝を抱えて蹲った。 そうしているうちに朝が来ていたらしい。微かな光が漏れ出している場所があるのに気付いて、私は立ち上がった。膝の痛むまま、私は走り出した。 走りながら、私の頭の中にいつものビジョンが流れ込んできた。去っていく背中。届かない手。いかないで、いかないでと私は叫ぶ。 まるでみんなが私を置いて、振り返ることなく行ってしまったような気がした。あの光を捕まえたら、追い付けるような気がした。 私はまた、声もからがら、いかないで、いかないでと叫んだ。もつれる足をどうにか動かして、体力なんか気にしないで、ただ走った。 光は遠かった。走っても走っても、ずっと遠くにいて、近付いている気すらしなかった。周りはずっと暗くて、だけどあの光だけは私の希望で、だから諦めたくなかった。 でもまた転んで擦り剥いて、膝も肘も掌もぼろぼろになった。全てに絶望しそうになった。もう私なんかには無理だって、思ってしまった。 走るのを辞めて立ち止まったとき、他の場所にも光が漏れ出しているのに気が付いた。 私は茫然としてしばらく動けなくなった後、なんだか可笑しくなって笑った。 なんだ、あんなに追いかけていた光は、唯一の希望ではなかった。ちゃんと私は選べるのだ。みんなとおんなじ光を追いかける必要なんて、どこにあるだろう? 私は側にあった光のもとに近付いて、光を遮っていた岩をそっと退けた。 眩い光に包まれて、私は目を覚ました。
場面緘黙症を知っているだろうか? ばめんかんもくしょうと読む。 人や場面によって声が出なくなる症状だ 酷い時にはトイレにも行けない。 私は生まれて高校を出るまでずっと場面緘黙症だったのだ。 それはもう不便だった上に、外では親とも話せなくなるため人間関係のトラブルは絶えなかった。 いじめにも沢山会った。 とはいえ自分に嬉しくない事はあまり覚えていないという都合のいい性格と脳を持っているため そこまで深刻には捉えていなかった。 しかし、ありがとうやごめんなさいが言えない苦痛は凄かったのだ。 人とぶつかっても何も言えず 脳内でイメトレをしてようやく出た「ごめん」の一言が3日後なんて事はざらにあった。 相手は覚えておらず「は?なに?」と聞き返すが、無表情で何も言わない私は余計に気味悪がられてしまうのだ。 しかしぶつかった時の悪い噂だけは1人歩きしていくもので 3年は周りが私を悪い人間だと認識していた。 それは仕方がないことだ その当時場面緘黙症なんてものは その小さなコミュニティの中で知っている人など居ない。 私も知らなかった。 小学校に入った時も、あまりに喋らないものだから担任が心配して放課後見に来たことがある。 その時は弟を大声で追いかける私を見てほっとしたそうだ。 何故か声が出ない。理由は分からない。でも喋りたい伝えたい。 そんなストレスと常に歩んできた学生生活は 二度と戻りたくない過去である。 そんな私も社会人になり 喋れるふりをして18の時に入社 常にイラついている先輩を見て「自分がもっと頑張れば先輩はイラつかないかもしれない」と頑張りすぎ、気付いたらうつ病。 まぁそういうものも今となってはいい経験だ。 今では少し大勢の人の前でも喋れるようになっている。 ただこれを読んでいる人に伝えたい 周りに喋れない人がいたとして 「喋りたくない」訳では無いのだ。 むしろ喋れない体の中にこもった声で息が詰まりそうなのだ。 常に苦しんでいる。 中にはコミュニケーションを諦めてしまう人もいる。 そういう人と接する時があるなら 放置しろとは言わない、構えとも言わない。 ただその人の中に「沢山の声が閉じ込められている」と わかってほしいのだ。 学生時代に場面緘黙症を知り担任に話した私は、文字でクラスの人たちに溢れる言葉を伝えた。 少なくとも本当は喋りたいという気持ちが伝わった。 そこから学生生活はあまりに生きやすくなった。 人間とは理解できないものを遠ざける節がある。 しかし場面緘黙に限らず少しだけでも 「どうしてこの人はこうしているのだろう」と 疑問を持って調べてみて欲しいのだ。 それだけでもあなたの世界と、当事者の世界は大きく変わる。
ひろきはチョコアイスが食べたくなった。コンビニで、茶色いアイスの写真が印刷されている袋のアイスを買った。早速、かぶりつくと、あっという間に食べ尽くした。ひろきは言った。「やっぱりチョコはうまい」ひろきが捨てたアイスの袋には大きな字で、あずきバーと書かれていた。
私はとても理不尽な目によく会うのだ。 不幸話をしたい訳では無い。 聞き取り手がこの理不尽さを聞いて少しでもクスッと来る時があればそれでいい。 理不尽を知ったのは小学一年生の入学式のこと 私は場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)を発症していて、クラスの人とも学校で喋れなかった。 この症状についてはまた後日 今は起こった珍事件の話をしよう。 クラスの入学式ならではのワクワク感が落ち着き 自由時間の出来事。 自由時間という事だからどこへ行こうと構わない訳だが(厳密には学校の外に出てはいけない) 幼稚園の頃のように脱走を試みる事はしなかった。 成長したのだ。 そういう訳だから私はトイレへ足を運んだ。 私はトイレが好きだ。個室で落ち着くのだ トイレに向かうと同じクラスの女子2名がトイレで悲しい顔をこちらに向けていた。 トイレ空間へ行くためのドアがある。その小窓からこちらを覗いていたのだ。 私は不思議に思って見ていた。 すると2人はドアをガチャガチャやり始め 中で喚いていた。 そこへ心配になった担任がやって来てドアを開けた。 開幕一言女子2名はこう言った。 「はなびちゃんがトイレのドアを塞いだ!」 どうやらさっきこの2人は引き戸を押し続けて、開かないので外にいる私のせいだと思ったらしいのだ。 入学式でいきなりそんな事をしたのかと驚く担任。 何もしていないが現場はしっかり見ていて半分笑いそうになっていた私。 とんでもない被害妄想を拗らせ、私を本気で悪者だと思っている同級生2人。 そんなカオスな空間はチャイムでかき消された。 他にもこんなエピソードがある。 私は祖母が大好きで、よく祖母の家へ行って夕飯をご馳走になるのだが 祖母がその時言ったのだ「はなび!夕飯の時間になったらお箸とお茶、そしてお茶碗にご飯をよそっておきなさい!」 確かにそうすればスムーズに食事に取り掛かることが出来るので、私もその作戦に同意した。 そして翌日 祖母の台所で野菜を切る音が聞こえ始めた私は早速お茶碗にご飯を高々と盛り上げて そして 祖母に叱られたのだ。 なぜならその日の夕飯はチャーハンだったからである。
誰かといると、無性に安心する。 それは人間として持つ本能的なものかもしれないし、私という卑屈な個人の持つ特性のひとつなのかもしれない。 どちらにしても、私はただの個としての私にほんの僅かにも信頼を置いていない。誰かの右向けに倣うのが私の生き方で、事実それは人類の繁栄の礎で、最も合理的な人生に間違いないと思っている。 そのせいか、かつて目の前に現れた人物に驚いていた。 そいつは何をするにも優秀だったけれど、群を抜いて奇抜な奴だ。一般人にできることは何でもできたけれど、一般人とかけ離れた感性を持つ異人。そいつの生き方は非合理も極まっていて、自分から面倒事に首を突っ込むし家庭環境は想像を絶していた。 にも関わらず、そいつはいつも笑っていた。悲しい顔は人を寄せないとか言って、周りに人を集めていた。もちろん、その中には私もいた。 そして今、私はそいつと新興企業で一緒に働いている。 周りから白い目で見られたり、弱小企業と鼻で笑われることも有るけれど、私は今も、そいつの右向けに倣って生きている。 なぜならそれが、最も合理的な生き方だから。
「皆ー! 今日も来てくれてありがとー! たーっぷち楽しんでいってねー!」 人間のアイドル業界は、お化けによって滅ぼされた。 整形というプロセスを踏まずに姿形を変えることのできるお化けは、ファンに応じて姿形を変える。 可愛い。 可愛い。 可愛い。 一人で何役もの可愛いを演じ、ファンを無限に作り出した。 「いやー、今日も最高だったなー。あの、幼児化する可愛さとか」 「いやー、今日も最高だったなー。あの、ツンデレな可愛さとか」 「いやー、今日も最高だったなー。あの、田舎的な可愛さとか」 感想も、三者三様。 皆違って皆良い。 だが、違和感などあろうはずがない。 可愛いは正義なのだから。 「最近、アンチも目立っています。お気を付けください」 マネージャーの言葉に、お化けは目を丸くする。 マネージャーが見せてきたのは、アイドルの裏垢を自称するSNSアカウント。 お化けは首を傾げる。 全てに可愛いと思われるお化けを嫌う存在が、理解できなかった。 可愛いは正義なのだから。 不思議なことを解決したくなったお化けは、アイドルの裏垢の持ち主を特定した。 正体は、お化けによってオワコン化したアイドル達。 昨日も一緒に仕事をしたアイドル達。 お化けはますます首を傾げた。 恨まれるようなことをした記憶がなかった。 確かに仕事は奪ってしまった。 しかし、世の中とはそういうものだ。 受験、就活、入園。 世の中とは奪い合いなのだから。 お化けは悩んだ。 解決すべきか、放っておくべきか。 お化けは強い。 何を言われても動じない。 お化けは弱い。 攻撃的になれば、可愛さを失い、ファンも離れる。 悩んで悩んで、お化けは決めた。 可愛いを守ることを。 アイドルの裏垢を運営するアイドル達を、一人、また一人と喰らっていった。 全員を喰らい終えた後、自身でアイドルの裏垢を運用した。 徐々に徐々に、否定的な意見を肯定的に変えていった。 まるで改心しているように。 「可愛い!」 「可愛い!」 「可愛い!」 元アンチのアカウントは、今ではすっかりファンアカウントだ。 持ち主は、とっくにこの世にいないというカラクリ付きで。 お化けは、今日も歌って踊る。 ファンは何万人も減ったが、地球には何十億人と人間がいる。 足りなくなったら補充して、お化けは今日も可愛いと叫ばれ続ける。
初めてでよく分かっておらず、すいません。 ここは何をする場所なんでしょうか? 出来ればコメントなどで教えてもらえると光栄です。
私は湯船に浸かっていた。 それは、いつもどおりのこと。 ただいつもと違うのは、私の手首には大きな切り傷があったこと。 全てに疲れてしまったのかもしれない。 生きているか死んでいるかも分からない生活の中で、自分が空気よりも少し重いだけの気体であるかのように感じていた。 私の手首からは少しずつ私が流れ出して、それと同じくらいの速度で、私はもう少しだけ軽い気体になっていくような気がした。 「これで私は消えていくのかな…」 なんて、物語のラストシーンっぽく浸っていた。 ふと力なく頭を壁にもたげると、ボチャンとアヒルの風呂用おもちゃが湯船に落ちた。 「……お前、今は違うやろ…」 思わず呟いてしまった。まるでこの場の空気を読まずに、阿呆みたいな顔でプカプカ浮かんでいるこいつ。 こっちは今短くも儚い人生のクライマックスを演出してるんやけど? その時突然風呂場の電球がチカチカッと一瞬点滅した。 アヒルの苛つきも相まって思 「急な心霊現象いらんわ!」 と思わず突っ込んでしまう。 …なんかドラマチックな感じで終わらせたいのに全然締まらない。 その瞬間、浴槽の淵でスマホが震えた。横目で見ると、『おかん』の文字。 「邪魔や…全部今やない…」 しかしまぁ母親に最後の別れを言うっていうのはわりとそれっぽいかもしれない。 「おかんには謝らないといけないよね、でも最期はやっぱりありがとうかな…」 少し迷いながら電話に出る 「あー、あんたあれ、今家におるなら冷蔵庫に卵何個あるか見て後でメールくれへん?あとなんかそろそろもう雨降りそうやわ!ベランダにあんたの洋服とお父さんのシャツ干したままやねんあんた取り込んどいてーほんでお父さんが傘忘れたー言うから今から届けなあかんねんほんと大変やわーあっほんで今ちょうど電車来たわ!頼むでー」ブツ ツーツーツー 「……いや、なんでやねん!!」 その瞬間、私の中ですべてがどうでもよくなった。 「なんかまぁ、まだ生きとこか!!」 私は笑っていた。
突然の雨は空鯨が大量に水を噴き上げたことが原因らしかった。天気予報で空鯨の群れが列島を横断するという話は聞いていたのに、いつも持ち歩いている折り畳み傘が今日は運悪く鞄に入っていなくて、自分の確認不足を嘆いた。そういえば、一昨日使ってから家で干しっぱなしだった。 仕方なく鞄を頭の上に乗せて歩く。学校指定のスクールバッグは、肩が痛くはなるけれど、防水性に優れている。とはいえ、雨を防げるほどの大きさはない。まだ家までは五分以上歩かなければならないのに、と憂鬱になっていると、不意に雨が止み、視界になにか短く細いものがふよふよと浮かんでいるのが入った。 見上げると、そこにはオオガサクラゲが、私を雨から守るように頭上で笠を広げていた。視界に入っていたのはこの子の触手だったようだ。 「傘の代わりになってくれるの?」 問いかけに返事はない。クラゲには口がない。聞くところによると脳もないらしいから、理解してもいないのかもしれない。意思疎通を諦めて歩き出すと、クラゲはふよふよと揺めきながら付いてきた。どうやら問いの答えはイエスのようだ。 そうして歩いているうちに、空鯨たちが去っていったようで、次第に雨は止んだ。クラゲはすっと動き出し、私の目の前に来て止まった。 「ありがとう。おかげでびしょ濡れにならずに済んだよ」 クラゲはふよふよと上下に浮かんでいる。その仕草はなんだか得意げにも見えた。 私は手を伸ばしてクラゲを撫でてやった。心なしか嬉しそうに、と思うのは都合のいい妄想かもしれないけれど、触手を絡めてきたので慌てて振り払う。びりびりとした感覚が腕を覆って、私は苦笑いした。帰ったらすぐに薬を塗らなければ。 去っていくクラゲを見送って、ふたたび帰路に着く。カラフルな魚たちが泳ぐ青空には、大きな虹が掛かっていた。
私は湯船に浸かっていた。 それは、いつもどおりのこと。 ただいつもと違うのは、私の手首には大きな切り傷があったこと。 全てに疲れてしまったのかもしれない。 生きているか死んでいるかも分からない生活の中で、自分が空気よりも少し重いだけの気体であるかのように感じていた。 私の手首からは少しずつ私が流れ出して、それと同じくらいの速度で、私はもう少しだけ軽い気体になっていくような気がした。 「これで私は消えていくのかな…」 なんて、物語のラストシーンっぽく浸っていた。 ふと力なく頭を壁にもたげると、ボチャンとアヒルの風呂用おもちゃが湯船に落ちた。 「……お前、今は違うやろ…」 思わず呟いてしまった。まるでこの場の空気を読まずに、阿呆みたいな顔でプカプカ浮かんでいるこいつ。 こっちは今短くも儚い人生のクライマックスを演出してるんやけど? その時突然風呂場の電球がチカチカッと一瞬点滅した。 アヒルの苛つきも相まって思 「急な心霊現象いらんわ!」 と思わず突っ込んでしまう。 …なんかドラマチックな感じで終わらせたいのに全然締まらない。 その瞬間、浴槽の淵でスマホが震えた。横目で見ると、『おかん』の文字。 「邪魔や…全部今やない…」 しかしまぁ母親に最後の別れを言うっていうのはわりとそれっぽいかもしれない。 「おかんには謝らないといけないよね、でも最期はやっぱりありがとうかな…」 少し迷いながら電話に出る 「あー、あんたあれ、今家におるなら冷蔵庫に卵何個あるか見て後でメールくれへん?あとなんかそろそろもう雨降りそうやわ!ベランダにあんたの洋服とお父さんのシャツ干したままやねんあんた取り込んどいてーほんでお父さんが傘忘れたー言うから今から届けなあかんねんほんと大変やわーあっほんで今ちょうど電車来たわ!頼むでー」ブツ ツーツーツー 「……いや、なんでやねん!!」 その瞬間、私の中ですべてがどうでもよくなった。 「なんかまぁ、まだ生きとこか!!」 私は笑っていた。
「落選しました」 飲み込み切れないため息が、春の夜風に溶け込んでいく。 ずっと憧れていた展示会への出展、その公募の一次選考。一次通過の数多の作品の中に、私の絵は無かった。 夜の公園は痛々しいほど静かだ。ぼんやりと雲のかかった月明かりが、パンプスの側に転がったレモンサワーの缶をこじんまりと照らす。 目の前では、夜自体を吸い込んだかのような黒いミズタマリの塔が、怪しくゆらめいている。その中を悠々と泳ぐソラウオは、月明かりを纏って黒曜石のように煌めいていた。 ソラウオ。 澄んだ空気の中に住まう、透明な魚。 ソラウオを説明しろ、と言われてもなかなか難しい。 なぜなら、ほとんどの人には見えないから。 宇宙に浮かぶ水玉を想像してみてほしい。まぁるい球体になって無重力空間を浮いているやつだ。 それを、直径十メートルまで拡大してみてほしい。人が何人も入るくらいの大きさになった水玉が、一つか二つふよふよ浮いているイメージをしてみてほしい。 私はそれをミズタマリと呼んでいる。 その中には、透明な体をした魚みたいな生き物がたくさん泳いでいる。私の体感では、金魚のようにフリフリのヒレを持った魚が一番多い。でも、エイみたいに平な魚もいるし、馬のような流線型の生き物だったり、頭や尻尾が何又にも分かれた妖怪みたいなヘビだったり、バリエーションは様々だ。 それを私は、ソラウオと呼んでいる。 もし見たいなら公園に行ってみてほしい。 出来る限り、木が多いところ。人の手が入っていないような大きな森の中が一番良い。この大東京にそんなところはないけれど。 山に登ればすぐにミズタマリが見つかる。見つかるというかそこら中にいる。この間旅行に行った屋久島なんて、見渡す限りミズタマリで、色とりどりのソラウオたちが我が物顔で泳いでいた。 それも、東京で見るミズタマリと違って、とっても大きい。なんて例えればいいだろうか。沖縄の水族館の大水槽に360度囲まれている感じ、といえば伝わるだろうか。水族館でいつももどかしい思いをするのは、あれだけ臨場感のあるミズタマリの中で、水やソラウオと一体になる感覚を知ってしまったからだ。 ジンベイザメはいないけど、山の主みたいな鯨も泳いでいた。その鯨は他のソラウオと違って瑠璃色の淡い色を纏っていて、木漏れ日の暖かい光と合わさって万華鏡みたいに光っていた。その余りの神々しさに呆然としてしまって、数十分も立ちすくんでしまったこと。今となれば良い思い出だ。 と、まぁここまで必死に説明したけれど。 どうせ全然伝わってない。そんなことは分かってる。 ソラウオのいる景色がどれだけ綺麗か。森の緑と空の青が溶け込んだ淡い光の中で、楽しそうに泳ぐ彼らの姿がどれだけ心を洗ってくれるか。 いくら言葉を尽くしてもきっと伝わることはない。 仕方ない。言葉なんて無力だから。 だから、だからこそ、絵を描いた。 元々得意でも好きでもなんでもない。けれど、知って欲しかった。優しく見守ってくれる親に、笑いながらソラウオの話を聞いてくれる親友に、こんなに綺麗なんだよって、見せたかった。 でもいつも、彼らの反応は同じだった。 「すごい良い絵ね、こんなのが見えてるなんて羨ましい」 台詞はどうでも良い。声色だ。 見たことのない作品を勧められた時の最大限の褒め言葉と同じ。何ら感情が動いていない、凪の声。欠落した喜怒哀楽の代わりに気遣いが充填された、大人にしか出せない声。 絵が下手なんだと思った。だから練習した。普通の絵もたくさん描いた。もちろんソラウオの絵もたくさん描いた。 上手くなっていると思っていた。誰かにはあの美しさが届くと思っていた。 最高傑作だった。 私の一生をそのままキャンバスに落としたかのような、美しき一枚。タイトルは「山の主」。屋久島で出会った、あの美しき光景。 再来週から、一年目の新入社員になる。生きるために時間を売り飛ばし、残ったわずかな時間の中で、あの絵以上の作品を描けるのだろうか。 頬に温度を感じる。 振り払うように頭を上げ、カバンからもう一本、レモンサワーを取り出す。 目の前のミズタマリの塔。都会では珍しい大規模なミズタマリで、昼に見かけると爽やかな淡青が公園中を照らしてくれている。 夜がふけるとともに、まるで別人のように、真っ黒で悍ましい濁流の色へと変わっていく。 片手に持つレモンサワーをゆっくりと揺らす。あと、一口、二口、飲めるだろうか。 滲む視界の先で、黒い濁流がごうごうと渦を巻いていた。
あれから四年 ねこがウチに来て あれから四年 あのときから ねこと わたしの関係が 動きはじめた 飼っている というより 一緒に 生活している 育てている というより 一緒に 成長している そんな感じなのかなあ わたしは そう思っているのだけど ねこのほうからしたら 一緒に という思いなんてなくって 自分で勝手に ということかもしれないし なんだかニンゲンが そばにくっついてくるなあ そういうことなのかもしれない わたしは ねこの誕生日を 知らない 四年前のあの日 ねこと わたしの関係が 生まれた 四年前のあの日が ねこの誕生日と言っても なにも問題は ないんだろう ねこは わたしの誕生日を 知らない それは別に どうでもいいこと ねこだって そう思ってる
母が死んだ。 そうなってから分かった。私は母に守られていたのだと。私の父は何かにつけて人に当たり散らかす最低人間だった。 物心着く頃にはもう、それが当たり前で。私が感情のない人形として育つ理由には十分すぎた。 そんな時、菜乃波姉さんに出会った。母の姉の子供。私のいとこ、菜乃波姉さん。 菜乃波姉さんはアメリカ育ちで初めて出会ったのは私が7歳。姉さんが15歳の時だった。 彼女は父に啖呵を切って、私を家から連れ出してくれた。 「清佳、辛かったね」 菜乃波姉さんが抱きしめてくれた頃には、私の顔は仏頂面に固まり涙は枯れ、感情は凪のように静かでもう揺らがなかった。それでも、菜乃波姉さんは私の肩を掴んで自分と真正面から向かいあわせて言った。 「いい?清佳。今は辛いかもしれない。もうこのままでいいやって思うかもしれない。でも、忘れないで。あなたは必ず幸せになれる。あなたをまっすぐに見つめてくれる、唯一とも思える大切な人にきっと出会えるから。その人を探しなさい。それまでは私が守ってあげる。姉さんを信じて、清佳」 そうして姉さんは私の肩を掴む両手に力を込めてもう一度言った。 「あなたは幸せになれるから」 私はその唯一の人が菜乃波姉さんなのだと思っていた。いつも私を助けてくれるから。でも姉さんは、自分で探してごらんといった。自分の周りだけの、ちっぽけな世界に囚われるなと言った。それは私の生きる目的になった。彼女の言葉は私が人間らしく感情豊かに生きることができるように導いてくれた。 そして18歳の今、私は一人絶望して泣いている。 私の全てだった菜乃波姉さんはもう、どこにもいない。この世界の、どこにも。 母が、姉さんがいない。なのに父や私は生きているこの世界に一体何を望めばいい? このまま何もかも捨てて逃げ出してしまおうか。 そんな思いが全てを支配してフラフラと外に出る。 外は大雨でびしょ濡れになるけれど、その冷たさだけが今、私が感じることのできる唯一の感触に思えてとても心地よかった。 ふと、子供の泣き声がした気がした。 私の足が自然にその泣き声のする方向へ向かう。 雨降る、秋の夕暮れの、十字路の角で。一人の少年がうずくまって泣いていた。 裾の破れた薄いTシャツ姿の痩せた少年で、体のそこらじゅうに怪我をしているのが見てとれた。 私は彼に近づいて声をかけた。 全ては無意識だった。 「ねえ、あなたも一人なの」 彼がこちらを向く。灰色がかった綺麗な瞳の色だった。 「ひとりじゃないよ。ママがいるよ」 「ふうん。ママのとこに戻らないの」 「…もどれないよ」 「…ふうん」 「じゃ、うちに来る?」 思わず、口に出していた。彼をこのまま一人にするのも、大人のとこへ連れていくのも、何か違う気がした。 そう、全ては無意識だったのだ。 「…うん」 彼は子供らしい笑顔ではないが安心したような、そんな表情で私を見た。 その時、ああ、と思う。 ずっと、私のことを支えてくれる人を探していた。 だけど、多分違う。 私は一方的に守ってもらう愛だけじゃなくて、与える愛も探していたんだ。 「あんた、名前は?」 「大也」 「だいや、ね。じゃあ帰ろう。一緒に。」 そう言って幼い少年に手を差し伸べる。 握ったその手は泣きたいほどに小さかったけれど、でも力強かった。 「おばさんのなまえは?」 「おばさんじゃない」 「えっと…」 「清佳よ」 大也がぎゅっと手を握った。 「きよかちゃん、ありがとう」 「むしろこれからが本番だけどね」 二人して歩きながら少し笑って答える。ああ、そうだこれは言わなくちゃ。 「ねえ、大也。今は辛いかもしれないけれど、いつか必ずあんたにとって唯一とも思える大切な人に出会えるから。その人を探しなさい。それまでは私が守ってあげる」 そうして彼の前にかがみ、目線を合わせて伝える。 「あなたは幸せになれるから」 ねえ、菜乃波姉さん。 ごめんなさい。 優しい言葉に、何も言えなかった。 抱きしめてくれた温かい腕に手を回せなかった。 だって、初めてだったから。どうすればいいか分からなかった。 でもね、今なら分かるよ。 だって、あなたが教えてくれた温かさを、幸せを、愛情を知っているから。 もう、初めてじゃないから。 あなたに返せなかった両手に抱えきれないほどの愛を、必要としている人に渡すよ。 私はもう十分、守ってもらったから。 そしてまたその愛が巡り巡って、あなたの元に届くように。 心からのありがとうを、伝えたい。 雨が上がり、夕陽がさす。 これでいい。 彼の頬に残る涙の跡も私の心に残る生傷も、全て夕陽が暖めてくれる。 彼の姿に、かつての自分自身を見た。 その幼い背中にこっそり声をかける。 「幸せになれるよ。私も、あなたも。」 私たちの明るい未来に、祝福を。
数分後、ようやく落ち着いた村上は顔を上げ 「…顔洗って、きます」 と小さく伝えると部屋を出ていった。緊張か照れのどちらか分からないが、カチコチになっていた村上を思い出し寺島はくすくす笑う。タオルで顔を拭きながら戻ってきた村上は笑っている寺島を見て不思議そうな顔をする。 「……何で笑ってんだよ」 「いや、村上が可愛いなと思って」 正直に伝えると、村上の頬が赤く染まる。ため息をついて寺島の隣に座ると、照れ隠しのようにタオルを投げつけた。 「うおっ、急に投げんなよ」 「馬鹿じゃねぇの、俺が可愛いとか」 「馬鹿?いや俺お前と違って0点取ったこととか無いけど」 寺島がとぼけて言うと、右肩を殴られた。本気では無いだろうが地味に痛い。 「そういう意味の馬鹿じゃねぇよ」 「分かってるよ悪かったって。まだちょっと浮かれてんだよ俺も」 苦笑しながら宥めるように村上を抱きしめる。 「んー……」 寺島が、自分と両思いだという事実に浮かれている。嬉しいようなむず痒いような変な気分になり、村上は何も言えずに唸った。その間にも寺島の穏やかな視線がひしひしと伝わってくる。あぁ顔が熱い、何か、何か言わねば。 村上が顔を上げたのと同時にスマホが鳴る。分かりやすく肩がビクッとなった村上は「んだよもう」と怒りつつ寺島の腕から抜け出して電話に出る。 「はい、もしもし?」 「やっと出やがった!!おいっ!村上!!やべぇぞ!!」 「は?有村?何だよ?」 通話相手を確認せずに出たが、どうやら相手は有村だったようだ。妙に慌てた声をしている。寺島にも聞こえるようにスピーカーに設定して話を聞く。 「いや俺さ、お前の目から出てきた宝石預かってたじゃん?」 「あー……」 そういえば片思いが成就したからなのか、いつの間にか宝石の涙が元の涙に戻っていた。ジャム瓶の中身がそのままであることから、病が治っても流れ落ちた宝石は消滅しないようだ。 「あー悪かったな、それもう処分してくれて全然いいから」 「あ、いやそれがさ…てか、お前病気治っただろ?多分」 「えっ、なんで分かったんだよ!?」 「あ、やっぱし?んまぁ、それも関係してくんだけど……で、ちなみに相手って誰よ?」 「あー、それなぁ……」 村上はちらりと寺島を振り返り、苦笑しながら頭を悩ませる。そもそも有村はまだ村上が寺島を好きだったことも、寺島が村上を好きだったことも知らない。さて、何処からどう説明すれば良いものか。 「まぁそれはさておき!!俺さっきこの宝石のとんでもねぇ情報を知っちまったんだよ!!」 「は?」 とんでもない情報? 物語のクライマックスに出てきそうな仰々しく大袈裟な表現だが、目から宝石が出るような病気のことだ、治ったとしても何が起こるか全く想像できない。まさか見た目では分からないだけで何かしらの変化が生じたのだろうか。 「え、何だよ、なんかヤバいことでも」 「ちょ、うまく説明出来ねぇからうち来てくれよ!柴山も来てるし、この後和田にも連絡するから!急げよ!!」 通話が切れた後、村上と寺島は訳が分からないまま顔を見合せた。 数十分後。 「いやー、一時はどうなるかと思ったけど治って良かったな」 ぱり 「ほんとに~、めっちゃ心配したんだかな?」 ぱり 「お祝いにみんなでどっか食べに行かね?」 ぱりぱり 「その前にいい加減食う手を止めろっ!!」 一向に止まる気配の無い咀嚼音に耐えきれず村上が叫ぶ。その横では寺島が死んだ魚の目で、宝石を摘んで食べている柴山と有村を見下ろしていた。 続く。
きつねうどんを見た時、男には厚揚げが座布団に見えた。厚揚げを箸で摘み上げ、裏返してまた出汁に浸した。男はホームセンターに寄った。店員に「座布団はどこにありますか?」と聞いた。「こちらです」店員は男を案内し、きつね色の座布団を差し出し言った。「どうです?まるで厚揚げみたいでしょ?」
野菜売り場のキャベツとトマトの隣にかぼちゃが来た。キャベツは言った。「お前はどんなかぼちゃだ?」「私はただのかぼちゃです」それを聞いたトマトが言った。「ただのかぼちゃなんて売れないね」「売れなくても良いんです」お客がすぐさま、かぼちゃを籠に入れた。「私、ただのかぼちゃですから」
僕とシオンは、いつも一緒だった。 友情とか、愛情とか、家族愛だとか。そんな陳腐な言葉では言い表せないほど、僕たちの関係は、固く結ばれているのだ。 細くて、長い糸で。 ◇ シオンは、清楚で可愛かった。 鮮やかな白髪に、つり上がった目。 蒼色のワンピースを着こなす姿に、言うまでもなく、僕は恋をしていた。 大人になったら、僕たちは結婚するのだと、勝手に思っていた。 だって僕たちは、いつも一緒なのだから。 ご飯を食べる時も、本を読む時も、学校に行く時も、寝る時も。 片時も離れたことはない。 僕が、学校でいじめられている時も、シオンは必ず助けに来てくれた。 蹲って泣いている僕に、優しく寄り添ってくれた。 シオンはいつだって、無条件で僕の味方でいてくれる。だから僕も、シオンを裏切るような真似は、絶対にしないと決めていた。 もっと言えば、シオンに落胆されるのが嫌だった。 シオンに見合う人間になりたいと、思うようになった。 ◇ そんな僕も、高校に上がると何人か友達ができた。 好きな本や、ゲームの話で盛り上がるのは楽しかった。子供の頃からいじめられていた僕は、こういった日常すら、特別なものに感じられた。今までの孤独を埋め合わせるように、僕は友達との時間を増やしていった。 けれど、友達と過ごす時間が増える度に、シオンと居る時間は、着実に削られていった。 それは、必然的なものだったのかもしれない。 仕方の無いことなのだと、割り切ることにした。 そして、僕たちの関係が、終わろうとしていた。 段々と、シオンと交わす言葉が減った。 段々と、シオンと過ごす時間が減った。 段々と、シオンの顔を見る回数が減った。 段々と、シオンは僕を避けるようになった。 そしてシオンは、居なくなった。 ◇ それは、イマジナリーフレンドのようなものだったのかもしれない。 最初から、シオンという少女は存在していなかった。それは、孤独感に苛まれた僕が、一時的に作り出した幻影に過ぎないものだったのだ。 僕が孤独でなくなった今、彼女はもう、必要ではなくなってしまった。 だから、シオンは僕の前から姿を消してしまったのだろう。 シオンだけが居てくれる、孤独な人生か。 シオンだけが居ない、充実した人生か。 一体どちらが正しいのか、僕には分からない。 それでも、今はこうして沢山の友達がいて、安定した収入もあって、何より愛すべき家族がいる。 それなら、シオンが居なくても、僕は十分生きていける。 シオンはもう、必要ない。 ◇ ああ、そういえば。 このあいだ、道端にシオンの花が咲いていた。 シオンの花言葉は、何だっただろうか。 もう、忘れてしまった。 こうして僕は、沢山の思い出を忘れながら生きていくのだろう。 でもそれこそが、人間の心の在り方なのだと思う。 さようなら、と誰かが言った。 そんな気がした。
誰もが異論のない快晴の下で事件は起こった。 栃木県のあるアパートの一室で住民の男、若松吟はナイフで刺殺された状態で発見された。 あるきっかけで探偵のような仕事をしていた紅希光は過去の事件の成果が評価され、警察から捜査の依頼をされるまでの信頼を得ていた。 朝のニュースを見てこの事件を知ったと同時に、刑事の影山から電話を受け取った。 「朝から本当に物騒ですね」 「本当だよ。こんな時間から呼ばれてさぁ……まぁ、俺なんて午前三時とか、もう朝なんえ言えないような時間にさえ呼ばれるんだから…」 「それは大変ですね」 愛想笑いをかまし、事件の情報を訊いた。 「被害者は若松吟。特に働かずに家にずっといたりしていたそうだ。どうやって暮らしていたのかはよくわかってはいない」 「親の仕送りとか…?」 「大いにあり得る。だが、一応親に確認を取ってみたところ、息子とは絶縁状態でもうほとんど連絡もしていないそうだ」 「謎の多い人物だな。関係が切れた原因の出来事なんかはわかっているのか?」 「いいや、そこは何故か頑なに口を噤んで喋らなかった。何か他の人に知られてはいけない事情でもあるのかね…」 「まぁ、誰しも隠し事の一つや二つはあるものです。しかし事件に繋がる可能性を見いだした時には、暴かざるを得ませんね。まずはひとまず、現場を見てみましょう」 部屋は乱雑と散らかり返っていた。床は歩けないほどではないが、点々と散らかり返っていた。 「一人、関係の深い女の人のようなものがいたそうだ。どうやら、隣の住人の金谷はその女がよく出入りしているのを見ていたらしい」 「愛人ですかね」 「何度も部屋を出入りするなんて心の許した人としか考えられぬがな」 「女の身元はわかっているのか?」 「ああ。一応だが連絡はとれている。事情は今聞いているところだ」 「ふーんなるほどねぇ」 ふと部屋を払拭しているとあるのもを見つけた。それはなにかのファイルだった。 「このファイル……よく見るとなにかの跡が付いています。長方形のような形をしていて、何かを当てたのかもしれません」 「なんか文房具でも押し付けたとな?」 「いや、これはおそらくハイヒールの跡だと」 「ハイヒール?てことはあの女が犯人か……。けど、普通こんなところまで土足で入るか…?しかもハイヒールで……」 そして中を見ていると、ある写真を見つけた。 その瞬間、紅希の目は大きく開きどこか物悲しそうな表情を浮かべた。 「さぁ、みんなで事件解決といこうか」 彼はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。 「その女の人とやらが来たら皆を集めてください」 そうして紅希は、 「隣の住人もね」 とさりげなくぼやいた。 「皆さんおそろいのようで。では始めましょうか」 紅希は口を開いた。 「今回の事件、一見すると被害者と関係の深い女性が殺したように思えます。ただしそうすると少し違和感が覚えてしまいます。まず土足のまま入ることがおかしいですし、実際この跡はただ踏んだだけではないのです。このファイル、よく見てください。実は踏まれただけの圧力ではこのような跡をつけるのは難しいのです。そう、故意に圧力をかけたのです。金谷さんが」 「は…?どうしてそんなことせねばならん」 「彼の自殺を助けるためです。あなたはおそらく、精神が限界にきていた若松さんから殺してもらうことを頼まれたのでしょう。しかし自分もバレたくない。ならば架空の人物に罪をなすりつけようと言うことで嘘の供述をしたのではないですか。この女性もおそらくは囮。後に無罪を主張し出所する予定だったのでしょう」 「だがどうして俺がしたなんて、証拠がないだろ」 「証拠ならここにある」 そう言って紅希は写真を掲げた。 「い、いつの間に…」 「そう、こちらが金谷さんで、こっちに写っているのが被害者の若松さんです。よく見れば同じ女の方も。この写真はおそらく児童養護施設でしょうか。お互いに家族のような信頼関係があった上では、部屋の中へ入ることも容易でしょうね」 「もう、それ以上はやめてくれよ…」 「これまでの日々を知っていた金谷さんには、彼に対する同情が大いに強かったのでしょうね」 金谷はひざまずくように感嘆した。 「過去とは一生、付きまとうものなのです」 「影山さんは正義の殺しはあると思いますか?」 「俺は殺しはいくらなんでもだめだと思うな。ほら、もっと他に方法はあると思うし……」 「僕は正直、正しい殺しはあると思いますよ。そうして救われる人もいるのです。それは勿論、殺す側だけでなく、殺される側も然り」 紅希は黙々と下を向いたままだった。なにかを悔やんでいるかのような表情。そんな彼の悲愴な姿の前では、影山も何も発することができなかった。
やっと お米 買えたね 自分で食べるわけでもないのに ねこは 安心した様子 お米 どうやって 炊いてたんだっけ わたしは ちょっぴり 不安な感じ 炊くのは 炊飯器であって わたしでは ないんだけどね それでも ちょっぴり 不安な感じ
「永遠ってそれほど遠くないよね」 僕の方を振り向き笑う彼女はガラスの破片のように、とてもキラキラしていて綺麗で、そしてとても残酷だった。 そんな彼女から僕は目を背けて、空に目を向けた。 「そうかな、僕にはとても遠く感じるよ」 遠く空に輝く星を眺めながら言う僕の様子に何も思っていないのか、彼女はそっかと言って一人歩き始めた。 その背中に僕は寂しそうに微笑み、小さく言葉を零すが君は何も気付かずに進んでいく。 ねぇ、もし僕に明日がないって今言ったら、君はどんな顔を見せるかな。
タカヒロは26歳で、プロを目指すアマチュアバンドのギター・ボーカルだ。 彼は会計事務所の正社員として働き、余暇で音楽活動に励む。仕事は嫌っていたものの、4年続けていた。 彼は、憧れるバンドマンの生き方を模倣をして、プロになる夢を持っている。高校時代、軽音部の新規設立に苦労していた時、あるバンドの曲に勇気をもらった。ボーカルのカリスマ性と歌唱力に魅了され、ずっと憧れを持っている。 タカヒロには後先考えず、その場の熱で衝動的に行動する悪い癖があった。 俺はプロを目指しているんだ。バンドに専念するため、仕事を辞めるぞ! 彼は仕事を辞め、バンド活動に専念した。 練習やライブに加え、作曲の役割も担っている。 心配性でくよくよ悩むのが癖で、仕事を辞めた途端、ひたすら不安が募るようになる。 明日のライブ成功するだろうか? 客はどれくらい来るか? グッズが売れない。 俺達の将来はどうなるのか? 貯金が尽きたらどうしよう。 将来へのきりのない不安とプレッシャーが溢れてくる。 タカヒロは酒に溺れた。 きっかけは、活動資金のことを考えると緊張して、作曲のパフォーマンスが落ちたことだ。飲めば緊張が和らぐ。 酒で乗り切ればいいんだ。酒を飲めば気が楽になる。嫌なことは忘れてしまう。 メンバーからは金を借りたり、飲んだ挙句、知らない駅に一人でいるところを迎えに来てもらったりした。新曲作曲にも手が付かず、信頼関係は無くなった。 「新曲?悪い、インスピレーション待ち。許して。」 メンバーは見透かしている。 「一日中飲んでて何も考えてないだけだろ。分かりきってるんだよ、いい加減にしろ!」 決定的だったのは、酔った勢いでライブハウスの機材を壊したことだ。彼は弁償代としておおよそ自分の生活資金一年分の借金を負った。 「ごめん、後で払うから、君たちとりあえず、肩代わりして。」 メンバーの怒りは頂点に達した。 「ふざけるな!バンドから出ていけ!」 彼はバンドから追い出され音楽活動を中止する。 なけなしの金で居酒屋に行き、飲んだくれていると、会計事務所時代の同僚に出会う。良い仕事仲間としてコンビを組んで働いていた。バンドに専念してからはすっかり疎遠になる。 「タカヒロ、バンドはどうだ?今はバイトでもやってるのか?」 「ずっと働いてないね。バンドでは僅かな収入はあったけど、もうクビになったよ。酒に頼りすぎてトラブル続きでね。音楽は諦めたし、金も尽きた。この有り様だと、新たにバイトができるモチベーションすらない。」 「酒だと!お前はそもそも無職、低収入のプレッシャーに長期間耐えられるようなメンタルは持っていないだろ。人それぞれに応じたスタイルがある。やり方が間違ってたんだよ。今からでも遅くはない。バイトを始めろ!うちの事務所で仕訳入力のバイトを募集している。やってみたらどうだ。」 「そうだな。自分のことを分析もせずに突っ走った俺の間違いだ。」 タカヒロは、やっと大事なことに気付いた。好きなことで食っていくのは憧れではある。しかし、嫌いな仕事でも食っていけるスキルがあることがどれだけ貴重で救いになるのか。収入を得る手段があることは精神的な支えになるからだ。 俺は甘かった。バイトで生活を支えながらであれば、音楽活動はまた再開できるかもしれない。バンドに復帰できるかどうかは分からないけど、働きながら自分の音楽を続ける道を探っていこう。 タカヒロは酒と縁を切り、地道に自分の夢を追う決意をした。まだ、自信がないながらも手の届く希望を掴み、ゆっくりと歩みだした。
とある研究者がこの世界について考えているうちに、ある道具を発明した。その名は 「命の時計」 すぐに物を捨てては買う消費社会を改善しようと、彼は物の命と自分の命を同期させる、この「命の時計」を作った。 もし物の寿命が自分の寿命になれば、人は物を大切にするだろうと考えた。 要するに、物が壊れたり停止したりすれば自分が死ぬ。 そうすれば漸く人間に物を大切にする気持ちが生まれるだろう。 「命の時計」は腕時計型で、当然の如く秒針が動くごとに彼の寿命は一秒ずつ減っていた。 彼はこの時計があと何年持つのかと考えながら、左腕に輝く「命の時計」を見つめている。 何故時計にしたのかは、物の寿命が分かりやすいからだ。 秒針が時を刻むごとに寿命は減っていく。 なら別にスマホでもいいのではと思われるかもしれないがスマホは壊れやすく、すぐに消耗する。 しかし時計はしっかりメンテナンスをすれば、永遠に動き続ける可能性があるからだ。 今、一秒ごとに私たちの命の時間が経っていくのが目に見えるこの時計は彼にとっては分かりやすく、大切にしやすい物だった。 今、一秒ごとに私たちの命の時間が経っていくのが目に見えるこの時計は彼にとっては分かりやすく、大切にしやすい物だった。 だけどある日、彼は気づいてしまった。 時計の刻む時間が自分の命の減る時間であれば、巻き戻せば自分の時間も巻き戻るのではないかと。 ゆっくり巻き戻すが、実際に巻き戻っている実感は湧かなかった。 だって今まで過ごした時間はとても長いのだから。 一日二十四時間。これを巻き戻すのに一回では巻き戻らない。 それを三百六十五日。いや一年では変化を実感しないだろう。 どうすれば巻き戻っているのか実感することができるのだろうと考えた時、自分を傷つければいいことにたどり着いた。 小さく指先を切るって時計を巻き戻すと、見る見るうちに傷が塞がっていく。逆に秒針を進ませると傷ができる。 この事に気がついた彼は一生懸命に時間を巻き戻した。 一生懸命に、一生懸命に。 そして十年程度巻き戻るとシワやシミが少し薄くなったり、無くなっていた。 だけど彼はこれでも満足できなくなってしまった。 彼の歳は四十半ば。体にガタが来ていたり、顔のシワやシミに不満を持っていた。 それが今爆発したのだ。 若かりし二十代のあの頃を思い出して、貪欲に回し続ける。 回して、回して、回して、回し続けて。 漸く二十代の体に戻ったのだ。 彼は歓喜に満ち、両腕を上げて雄叫びを上げた。 そして少しずつ気持ちが落ち着くと、彼は腕を下ろした。 時計が小さく音を立てていることに気づかずに。 ガシャンっと時計が一つ一つの部品に分解されると同時に、彼の体は力無く崩れ落ちていった。
夜道を散歩するのが好きだ。 何も考えなくていい。自分の思う道を選んでいい。疲れたらやめていい。 良い散歩というものは時間を気にしていては出来ない。有意義な散歩をするならまず曜日を選ぶ。というより、翌日になにも予定がない日、これが最適だ。翌日のことを気にせず自由に歩いていると、そのうちにこのまま、どこまでも歩いていけるような気がしてくる。空と道はどこまでも繋がっているということに気付ける。 そんな誰かさんに教えてもらった夜道の散歩は、いつの間にか私の習慣になっていた。今日、と決めた日、仕事を終えたら電車を途中で降りる。なるべく知らない道を選ぶ。遅くまでやっている雰囲気の良いパン屋さんや、安いスーパーが見つかったりする。そうやって新しいものが見つかると心が満たされて、帰宅後すぐに眠りにつく事が出来るのだ。 たまに道に迷うこともある。知らない道を選んでいるのだから当然といえば当然かもしれないが、そんな時も焦ってはいけない。落ち着いて、周囲を見回してみるとほら。遠くにはスーパーの灯り。すぐ近くに公園の入り口も見えた。中に入ってみると明るさは十分。ブランコに鉄棒もある。今日は当たりのようだ。 早速二つ並んだブランコのうちの一つに腰を下ろす。子どもの頃は遊ぶといえば公園だった。特にブランコが大好きで、一度乗ったらなかなか降りない。次の子が待ってるよと急かされるとようやく降りて、また後ろに並んだ。あの頃は当然かもしれないけれど夜に公園に行くなんて考えはなかった。今ここに順番待ちをしている人はいない。大人だけの空間だ。 ひとしきりブランコを漕ぐと高ぶっていた気持ちも落ち着いてくる。 するとその時、視界の奥で何かが横切ったような気がして、慌ててブランコを止めた。こんなに暗かったかと思うほど周囲は真っ暗だった。その中で更に黒い影が動いている。 血の気が引いていくような感覚がしたが、その場から動くことはできなかった。影がゆっくりとこちらへ近づいてくる。一番近くの街灯の下にやってくることで、その影は正体を現した。黒猫だ。 「なんだ、おまえか。びっくりさせないでよ」 にゃ、と小さく鳴いてこちらを見る。その眼差しはどこか懐かしくて目頭を熱くさせた。しかし、おいで、と手を伸ばしてみたのも虚しく、すぐにどこかへ走って行ってしまった。──もし今手を伸ばさなければ近くに来てくれていたかも、とふと思った。いや、猫は気まぐれな生き物……考え過ぎだ。こんななんてことない出来事にも過去を重ねてしまう自分に嫌気がさした。 ブランコを降りて公園を出る。そろそろ帰ろう。 いつどこで間違えたんだろう。あの時も、あの時も、最善だと思う選択をしてきたはずなのに、結局私は今も一人で過去の面影を忘れられずに夜道を歩いている。これも今の私にとって最善だと思っているけれど、自分にとっては最善であってもそれが正解なのかどうかはわからない。 気がつくと希望だったスーパーの灯りが消えていて、道がわからなくなった。マップを開いてスマホをあっちこっちに向けてみるがうまくいかず、仕方なくそのまま歩き出すことにした。 「夜に散歩なんて危ないんじゃない?」 「いやいや、今の季節なんかぴったりなんだよ。風が気持ちよくて、運動にもなるし。女の子一人じゃ危ないだろうけど僕がいるし」 「いやいや、女の子って。私のこと何歳だと思ってるの?」 馬鹿らしい。もう随分日が経つのに、声も台詞も寸分違わず脳内で再生できてしまう。もう忘れなきゃいけないのに──。 その時、また猫の声が聞こえた。 今度はすぐに姿を見せない。黒い影も見えない。にゃあ、にゃあ、と、さっきとは違う鳴き声だけが小さく連続して聞こえている。まるでこっちだよ、と言われているような──。 「クロ?」 私の呼びかけに答えるように鳴き声が聞こえ続けている。何も考えることができず、ひたすらその方角へ向かって歩いた。ひたすら。歩いた。 「……あれ?」 さっきまでいた公園もスーパーもどこにも見えない。いつの間にか知っている道まで戻ってきていた。鳴き声も聞こえなくなってしまった。 ──懐かしい声だった。無理に忘れる必要なんてないと、言ってくれているような気さえした。 家路を歩きながら、また過去の記憶を呼び起こす。 今宵の散歩もまた新しい私の記憶として刻まれる。 やはりこれからも夜道の散歩は続けていこうと思う。それが今の私にとっての最善だと思えるうちは。
「死こそ美しい」 綺麗や美しいなど心揺さぶられる物はこの世界に沢山ある。 誰かは宝石だと 誰かは景色だと 誰かは宇宙だと言った。 だけど俺は違うと思う。そんな形にあるものじゃなく形の無いものこそ美しい。 じゃあ心?命?人生? そんなのじゃ物足りない。もっと刺激的なスパイスがないと。 俺が一番美しいと思うの「死」だ。「死」こそ全ての終わり。人生という名の舞台のエンディングだ。 だからこそ俺は美しい「死」を見るために与えるために殺し屋になった。 「死に魅入られし者」 今日も最高のエンディングを作るために準備をする。彼ら(依頼者)はとっとと殺して欲しいみたいが俺にはそんなことは出来ない。 だって「死」を見せてもらうための彼ら(標的)への対価なのだから。 まぁ本当は俺が最高に素晴らしい「死」を見るためだけどな。 さぁ時は満ち、舞台のセットは完了した。君は俺にどんな「死」を見せてくれるかな。 うきうきとしながら標的より少し高い所で舞台を見下ろす。死の合図(ブザー)が鳴り響き、辺りを霧が包む。 次の瞬間、彼(標的)は狂った様に滑稽な踊りを披露し始めた。まるで操り人形みたいにカクカクと動き、突然糸が切れたかのように崩れ落ちる。 パチパチと小さく拍手が響き渡る。小さく俺以外に聞こえないぐらいの音量で。 良いものが見れたと思い帰ろうと背を向けた瞬間、背筋に冷たいものが走る。バッと振り返れば身体を黒いマントで覆い、大きな鎌を持った何かが彼に大鎌を振り下ろした。 まさか依頼を奪われたかと焦っているとパチッとそいつと目が合う。そいつの顔は皮膚が無く、ただの骨だった。マズイと思い逃げようとすると俺の視界から消え、今度は俺の目の前に現れた。ヤバイこいつはと俺の本能が警鐘を鳴らしている。だけど身体が思うように動けない。どうしようと思っていると 「お前のこと気に入った」 と黒マント骸骨はそう告げる。 「貴様は面白い、死を美しいと思う者よ」 「何でそれをッ!」 死を美しいと思っていることは誰にも言っていない。ましてや声にさえ出したことはない。 「何故知っているのかと思っているだろう」 まるで俺の考えを見透かすかしたように骸骨は言う。 「我は死神、神に人の心を読むなど容易い」 「それで俺に何のようだ。あいつのように魂でも狩る気か?」 「違う、我は貴様に最高の提案をしにきた」 「死神が何の提案だ?」 「それは我の力を貴様に貸してやる、最高のエンディングを作らせてやる」 「対価は魂か?」 「魂だが貴様のではない、貴様が殺した奴の魂だ」 「でも何故俺にその提案をする」 「それは貴様といた方が、効率よく魂の回収が出来るからな」 「それでもだ、別にこっそり俺の後をつけてくればいいだろ?」 「それはそうだな、だがそれがいいと思っている、何故だろうな……」 「ふ〜んまぁいいや、じゃあ交渉成立、今日から俺の相棒な?死神」 「よろしく、死に魅入られし者よ」 おまけ「死神は俺じゃない」 同僚のイムがヘラヘラと笑いながら話しかけてきた。 『なぁレイ』 「なんだよ?」 『お前って本当に死神だな』 「そうか?」 『だってそんな大鎌使って』 「でも、俺は死神じゃない」 『え〜でもさぁ、異名が死神じゃん』 「異名って誰かが勝手につけたもんだろ?」 『いいじゃんか』 「良くない、俺は「死に魅入られし者」であって「死神」ではない」 『その「死に魅入られし者」より「死神」の方がかっこいいと思うけどなぁ』 「カッコイイかの問題じゃない」 『まぁいいや、どうせ異名なんて雑魚共が勝手に呼んでいるだけだしな』 「もう行くのか?」 『次の依頼があるからな、じゃあまたな』 「………なぁ死神、俺はお前に、死神に魅入られた、ただの死を美しいと思う人間だよな?」
ミハエルはしがない低級冒険者だ。日々低級クエストをこなし、何とか生計を立てている。 カネさえあれば、実力も身に付くのに。 装備も訓練もタダじゃない。世知辛いね。 ある日、薬草採取から街に帰る途中、ドブで若い女性が溺れているのを発見した。 「大丈夫ですか!今、引き上げますよ!」 ドブから引き上げて、風呂屋につれて行ってあげた。彼女が身なりを整えた後、お礼を言われた。この世の者とは思えない程、美人だ。 「ミハエルさん、ありがとうございました。私はこの世界を司る女神です。お礼をさせていただきます。欲しいものを何なりと言ってください。ただし、一つだけです。願いを叶えて差し上げます。」 ミハエルは迷わず言った。 「女神様!無限のカネが手に入るスキルを下さい!お願いします!カネで人生いくらでも良くなります。」 「分かりました。あなたには無限のカネが手に入ります。この先お金に困ることは一切ないでしょう。ただし、今から渡す注意点のメモを必ず読んでなくさないようにして下さい。」 ミハエルは興奮して平静を欠いていた。 「ああ!ありがとうございます!!!」 女神がミハエルの頭に触れるとまばゆい光が出た。次の瞬間、彼女の姿はなかった。 その日から、ミハエルは金をいくら使っても減らず、無限に増やせるスキルを使えるようになった。 「カネの力で何もかも成功してみせるさ。まずは、最強の冒険者になることだ。」 彼は、まず、最高級の武器防具を揃えた。高額な授業料を払い、剣術や魔法の学校で訓練した。一年もたった頃、実力の伸びに頭打ちを感じた。 「訓練など非効率極まりない。金で優秀な冒険者を雇って最強のパーティーを作ろう。俺は形だけの代表者をやればいい。」 ミハエルは大金を出して、周辺国で名のある冒険者5人を雇って最強のパーティーを作った。パーティーは難関ダンジョン、魔族の支配地域、襲撃してくるSランクモンスターなどをことごとく撃破する。 ミハエルは敏腕オーナーともてはやされたが、満足いかなかった。 「今度は冒険者ギルドを買うぞ!ギルドの実績を増やして優秀な冒険者達をこの国に集めるんだ。巨大ギルドに育てるぞ!」 ミハエルは冒険者ギルドを買収する。やはり、オーナーの立場でギルドに参入する。 細かいことは分からないから、ギルドマスターの仕事が捗るよう金だけは潤沢に用意した。 クエストの報酬を上げ、高額案件も多く扱った。ギルドの噂はたちまち広まり、優れた冒険者がこの国に集結した。 冒険者の中から特に実績を挙げた者達で、勇者パーティーを組み、魔王討伐も果たした。 「まだまだ、何かが足りない。今度は国を買取るぞ」 ミハエルは王族に大金を積み、この国を買収する。 彼は王になった。政治は分からないから、配下の者に任せた。莫大な富を活かして、国家の運営は上手くいき、諸外国との貿易で栄える。 しかし、周囲の状況が上手くいけばいくほど、虚無感が募り、彼の人生は空しくなった。 国の繁栄とは裏腹に彼の人生は辛くなる一方だ。ついに、生きる意味さえ感じなくなる。 「もう、やることも思い残すことも何もない。生きているのに、死んだも同然だ。」 彼はすでに初老になっていた。 若い頃を懐かしみ、冒険者時代に着ていたローブのポケットを探ると、一枚のメモが出てきた。何と、とっくに忘れていた女神様からの授かりものだった。 「ミハエル、念の為、当たり前のように気付くことを言います。あなたに与えたスキルはとても貴重なものです。いくらでもお金は出てきます。しかし、生きがいだけは手に入らないようになっています。増やしたお金は自分のためなることを自分の力で成し遂げるために使いなさい。」 ミハエルは愕然とした。 何十年も前に読んでいれば。 女神様の言うことを素直に聞いていれば、人生違ったのに……
ヒカリヨリの森をぬけた先、暖かな太陽から少し冷たい風が吹き抜ける 夜空もだんだんと暗くなっていきます リラたちもランプをつけて、進んでいきます。 辺りが夜の静けさが満ちる頃、木々の隙間から光が溢れ出します。 森を抜けた先、辺り一面に広がるのは、鮮やかなピンクや赤色の光包まれた、月夜送りの花畑 満月に一度、花が開花する。月の光を浴びることによりピンクや赤の光に包まれます。 月夜送りの花はこの大地に眠る魂を月へ送るために光に包まれるという伝説があります。 雲ひとつない夜空に花びらが舞い踊り、彼女たちも空を見上げます。 見上げ続ける彼女たちは、何を思っているのでしょう? まだまだ彼女たちの旅は続く
キラキラ輝く木漏れ日 さわさわ囁く風の声 ゆらゆらと揺られる花々 人が滅多な通らない『ヒカリヨリの森』 昼間は暖かな太陽に包まれて、森の動物たちのお昼寝場所となっています。 そして白く揺られるシロクネノハナ。空気と水、そして豊富な魔素がある場所にしか生えないと言われており、この場所は群生地と言われています。 森はいつも動物たちを優しく暖かな太陽が優しく穏やかに迎入れる。 だが、なぜか人々はここを通りたがらない。 それもそのはず、この森の周辺は真っ暗な森が続いているのです。 真っ暗な森には人間たちには敏感な魔素が豊富に漂っており、普通の人間では思うように動けず、真っ暗森の魔物たちの餌となってしまうでしょう。 しかしこの真ん中、この森に入れば安心、暖かな光が差し込む、この場所には光が苦手な魔物はよってきません。 うたた寝だった動物たちの目覚まし時計。鳥たちが 鳥たちも森の来訪者に口を揃えて喋り出す ぴーぴー 『モリにきた、モリに来た』 ぴーぴーぴー 『マモノノコ、マモノノコ』 ぴーちくぴー 『シレンをもとめてやってきた』 森の中をピンクが揺れる ピンクの髪の少女『リラ』と緑の獣 彼女たちはどんどん進みます。 鮮明に輝く緑をその青い瞳に映して 『おにいちゃん、ここはとても暖かいね』 何もかもが新鮮、この世界を歩くことを楽しんでいるようです 声が出せる 歩ける 見れる どこもかしこも新しく輝かしい、そんな世界を嬉しそうに彼女は歩きます 獣は何も発さない。一言も唸らない。 ただ、揺れるピンクを追いかけています。 真反対な1人と1匹の旅は続く。。
シンプソンズオリキャラ タイトル: クラスティー結婚する!! 誰もが予想していなかったニュースがスプリングフィールド中に広まった。「クラスティーが結婚する!」という衝撃的な知らせだ。彼の破天荒な性格と恋愛に無頓着な姿勢を知る者たちは、口を揃えて驚きを隠せなかった。だが、その裏には奇妙な出来事があったのだ。 クラスティーはある夜、奇妙な夢を見た。普段の彼なら、夜はテレビやギャンブルで過ごし、何も考えずに眠りにつく。しかし、その夜は違った。彼の夢には、まばゆい光の中から威厳に満ちた姿が現れた。それは神様だった。 「クラスティー・ザ・クラウン…」神の声が響き渡る。 クラスティーは驚いて後ずさりしながら、「誰だよ、あんた?」とふざけ半分で尋ねた。 「わたしは神だ。お前の行いには限界を感じている。このまま好き勝手に生きるなら、次に待っているのは罰だ…死だ。」神様の声は冷たく、決して冗談ではないことが伝わってくる。 「えっ、待ってくれ!それは勘弁してくれよ!」クラスティーは恐れを隠せずに叫んだ。「何でもするから!でも死ぬのは嫌だ!」 神様はクラスティーをじっと見つめ、静かに言った。「では、結婚しろ。お前の放蕩な生活を改め、誠実な人生を送るのだ。さもなければ、お前の命はここで終わるだろう。」 目を覚ましたクラスティーは、汗だくでベッドから飛び起きた。「なんてこった…本当に夢だったのか?」しかし、その感覚はあまりにもリアルで、無視することはできなかった。クラスティーは怯え、神の言葉が頭から離れなかった。 「結婚しなきゃ、俺は死ぬのか…?」彼は独り言をつぶやき、絶望的な表情を浮かべた。そんな彼にとって、結婚など到底無理だと思っていたが、神の言葉を無視する勇気はなかった。 そんな時、クラスティーはある女性と出会った。その名はアンヌ。彼女は美しく、知的でありながらも、長らく結婚相手を見つけることができずにいた。彼女もまた、何か人生を変えるような出来事を求めていた。 クラスティーはすぐに彼女に惹かれたが、それは恋愛感情というよりも、神の指令に従うための必死の手段だった。「結婚するなら今しかない!」と彼は思い、意を決してアンヌにプロポーズした。 「結婚してくれ、アンヌ!頼む、俺を救ってくれ!」彼は膝をつき、いつものギャグを交えながらも本気で懇願した。 驚いたアンヌは一瞬戸惑ったものの、クラスティーの真剣さに心を打たれた。彼女自身も、結婚を望んでいたが、なかなか良い相手に巡り合えなかった。クラスティーの提案は突然だったが、彼女は同意することにした。「いいわ、クラスティー。私たち、結婚しましょう。」 こうして、誰も予想しなかったカップルが誕生したのだ。 結婚式の日、スプリングフィールド中が大騒ぎだった。もちろん、シンプソン家も招待されていた。バートとリサは、その知らせに驚愕していた。 「クラスティーが結婚するなんて信じられない!彼が一人で生きるのが性に合ってると思ってたのに。」バートは困惑して言った。 「でも、結婚はいいことよ。もしかしたら、彼の人生が変わるきっかけになるかもしれないわ。」リサは冷静に応じた。 式場に着くと、そこには町中の人々が集まっていた。ホーマー、マージ、ネッド・フランダース、モー、ランチレディ・ドリス、その他数えきれないキャラクターたちが参列していた。みんなが驚きと興味の入り混じった表情でクラスティーを見守っていた。 クラスティーは白いタキシードを着て、少し緊張していたが、舞台裏では相変わらず冗談を飛ばしていた。「もしこの結婚式が失敗したら、神様に一発食らわせられるな!」 しかし、その瞬間、式場に光が差し込み、神様が再びクラスティーの前に現れた。「クラスティー…今こそ、お前の選択が試される時だ。誠実にこの結婚を遂げよ、さもなくば…」 クラスティーは額に冷や汗を浮かべ、すぐに式を進めるよう促した。「オーケー、やるよ!やるから待ってくれ!」 神父が二人の手を取り、誓いの言葉を述べると、クラスティーは深い息を吸い込んで言った。「アンヌ…君がいなかったら、俺はもうこの世にいなかったかもしれない。だから…結婚しよう!」 アンヌは微笑み、彼の手を握り返した。「はい、クラスティー。私たち、共に歩んでいきましょう。」 式が終わると、バートとリサは呆然としながら拍手していた。「まさか、クラスティーが本当に結婚するなんて…」とバートがつぶやいた。
怪盗に恋をした。 それはまるで夢のような、お伽話のような。 むせかえるほど眩しい月夜を背に世間を笑う、あなたに恋をした。 今となっては珍しい、大富豪と呼ばれる人物が私の父。 『九月十八日 零時 東条家の屋敷で一番のお宝をいただきます。月が綺麗な夜ですのでゆめゆめお間違えなきよう』 怪盗から予告状が届いてから父は警備に大忙し。 いや、普段から父は宝石やら絵画やらに夢中で私になんて興味ないのだ。そのくせ、自由は許さない。この家は、息苦しい。 「あなたって地に足つけて立てるのね」 9月18日、23時59分。怪盗が現れた。私の部屋のバルコニーから見下ろした広い庭に。 「宝物庫はここじゃないわよ」 「おや、私に宝物庫を教えていいのですか?」 「別に…好きにしたらいいわ」 怪盗はクスッと笑った。 「こうしてバルコニーを挟んで話していると『ロミオとジュリエット』の有名な一節のようですね」 こんな恥ずかしいことを涼しい顔でさらりと言ってのけるのだから憎らしい。 その時、ゴーンと0時を知らせる鐘が鳴り響いた。 「鐘が鳴りましたねえ、ジュリエット?」 すぐそばで声がして驚く。一体いつの間に来たのか2階にいる私のすぐ隣で怪盗が囁く。 驚いたのを隠したくてツンとすまして答える。 「ええ、0時よ。あなたの負けだわ。ここには宝石一つないんですもの。あなたは今、手に何も持っていないわ」 怪盗にとって犯罪はショーだ。予告状でわざと盛り上げ、失敗は逮捕を意味する。でも、彼は眉ひとつ動かさずに答えた。 「いいえ。私は今一番の宝物を手にしていますよ」 彼の赤みを帯びた黒い瞳が私をじっと捉えた。それって… 「あれ、もしかして宝物は私⁉︎って思ってます?あっははは!図星ですか?可愛いですね。そんなクサい答え今時ラノベでも流行らないですよ」 そしてポケットから紅い宝石を取り出した。 「実はここに来る前にすでにいただいておきました。あなたのお父様の大切な宝石をね」 父の大切な…心がズキンと痛む。 「怪盗って0時ぴったりに派手に盗み出すもんじゃないの?こそこそ盗むなんてそれでも怪盗?」 悔しくてつっけんどんに聞く。この人もどうせ宝石にしか興味ないのだ。 「あなたに会いたかったですから」 え… 「宝石は警備をそらすための方便ですよ。本当はこっち」 私の髪に触れ、さらりと耳にかけた。 「あなたと二人きりで話す時間という宝物をいただきに参りました」 そうして怪盗らしく、あたしの前で優雅にお辞儀してみせる。 「クサかったですかね」 「ええだいぶ。今どきラノベでも流行らないんじゃない?」 そうは言いながらも、あたしはわりと嬉しかった。いや、だいぶキュンとしてドキドキしていた。 「どうして私?あなたとは初対面だと思うけど」 「泣いていたでしょう」 … 「先日、東条家主催の盛大なパーティがありましたね。華やかな場で一人、バルコニーで泣くお嬢さんはどんな方だろうと思いまして」 「別に普通でしょう」 「いえ、とても美しい」 思わず頬を染めて彼を見ると、まさかうっとりと宝石を眺めている。さっきから私はこいつに振り回されっぱなしだ。 「やっぱりそれが欲しかったんじゃない」 「怒らないでくださいよお。あんなに警備していただいて何も盗まないというのも忍びないと思いまして。私はエンターテイナーなのです。せっかくなら遊んであげなくては、ね?」 全く信用ならない。私は彼をちょっと睨む。 「あはは。お嬢さんのご機嫌をとるにはどうしたらいいんでしょう」 「そうね。この夜をずっと覚えてたいわ」 「あなたの気高い心がこんな男に奪われた夜ですか?」 「小憎らしい怪盗を好きになった初めての夜よ。できないかしら?」 彼がふふと笑う。 「怪盗に不可能はないのですよ。お嬢さん」 「そうね」 彼の腕が私を優しく引き寄せる。 「言ったでしょう。私はエンターテイナーなのです」 初めての夜は甘く、蕩けて、過ぎて… 「泣いてます?」 「うるさい。泣いてないわ」 「私のジュリエットは意地っ張りですねえ」 「…もう、会えない?」 怪盗は哀しく微笑んだ。 「怪盗は自由ですから。でも、とあるただの男が一人で泣いているお嬢さんの元へ迷い込んでしまうかもしれませんねえ。その時は宝物庫の場所、教えたらいいですよ。きっとあなたの涙を盗みに現れますから」 彼はバルコニーの手すりに飛び乗り、月を背にこちらを見た。少し身をかがめて私の顔に触れる。 「だからどうか泣かないで、俺のジュリエット」 白いマントが、二人を世界から隠す。 怪盗に恋をした。 それはとても、憎らしく純粋で愚かな夜だった。 だけど、それは確かに恋だった。強く、熱く、あなたが好きだった。 それはまるで、狼のような、悪夢のような。 食べられちゃう前に早く、 迎えに来て、私のロミオ。
世の中を、お化けが恐怖させたのは今は昔。 羽衣狐。 がしゃどくろ。 土蜘蛛。 名のあるお化けたちは、陰陽師の手によって地獄へ送り返された。 世界に訪れたのは光の時代。 闇が表舞台を歩けない時代。 勝者たる人間たちは、堂々と道を歩く。 手元のスマートフォンからは光が発せられ、豪々と光の時代を主張する。 ずるり。 ぞろり。 お化けたちは、形を失いながら道を這う。 黒い靄となって、人間たちに踏まれながら這いずり回る。 足元の小石を気にしない様に、人間たちは足元のお化けを気にしない。 かけ離れた格下に、人間は興味を示すことができない。 ずるり。 ぞろり。 お化けたちは公園を這いずり回る。 「うわぁ」 転んだ子供が、砂を口に入れる。 同時に、お化けも口に入れる。 「あー、もう。何やってんの」 「口の中じゃりじゃりする」 子供の口の中から、痰と共に砂が飛び出す。 ひっそりと、お化けは残る。 ずるり。 ぞろり。 お化けは子供の体の中に滞在する。 悪さなんてしない。 そんな力はない。 ただ、いるだけ。 子供は大人になった。 大人になって新しい子供ができた。 新しい子供にも、お化けの一部が入り込んでいた。 悪さなんてしない。 そんな力はない。 ただ、いるだけ。 「異常なし。健康体ですよ」 医者も、お化けに気づかない。 お化けは何もしていないから、当然だ。 世代を重ねるごとに、お化けを体内に持つ人間が増えてきた。 強い人間の仲で、弱いお化けは共存する。 弱いお化けが生きるために。 弱いお化けは何もしない。 弱い限りは、何もしない。
項垂(うなだ)れたうなじに日光が刺さり、セーラー服の生地の下を汗がだだ流れていく。太陽で焼けたアスファルトの熱が、膝からじりじりと骨まで浸み込んでくる。 目の前の地面に、びちゃびちゃと液体が降り注ぐ。顔を上げようとして髪を掴まれ、無理やり抑え込まれる前にちらりと見えたのは、ティーカップから零(こぼ)される茶色い液体だった。 低くて静かな、だが微かに震えた声が響く。 「飲んで。それが誠意でしょ」 てらてらと光るアスファルトの上で、液体が表面張力で揺れていた。なぜこんなにも目を付けられたのだろう、思い出せる節はなかった。 はじまりは、登校して教室に入ると、机の上にカメムシの死骸があったことだろう。ソノエが最初にしたことは上を見上げることだった。だが窓際でもないこの席を、カメムシが天井を這ってわざわざ死地に選ぶとは考えにくい。ソノエはカメムシをさっと払いのけると、席について授業準備を始めた。 この手の輩の愉悦とは、対象の起こす負の感情を見ることだ。その時も教室のどこかで見ていたのかもしれない。相手のルールでゲームには乗らない、ちょっかいをかけても面白くない相手に徹する。しばらくして、カメムシが四匹に増えたとき、ソノエは吹き出しかけて慌てて目を逸らした。教室に入り込んできた虫一匹で騒ぎ立てる連中が、へっぴり腰で集めたのだろうか。ティッシュに包んで大人しく捨てに行く。 それぐらいで終わりになると思っていた。 「貧乏人にも耳ぐらいついてるでしょ」 まだ「誠意」について考えていたところだったが、周りがせかしてくる。人を小馬鹿にしようとした笑い、それが自分たちの群れでしか通用しないことにまだ気づかない愚かさ。正直、それらの小者はどうということはない。この中高一貫のお嬢様学校のぬるま湯の中で偉そうにしてきた連中だ。高校から来た身としては、相手の幼さに辟易しはしても畏怖したりはしない。 だが今回は度が過ぎていた。非常用階段と校舎に挟まれた絶好のたまり場、そこの主でありこのくだらない集団の首座を務めるマチの視線は、ずっとこちらに向けられている。 実際、しばらく続いた一方的なラリーは尻すぼみになって立ち枯れになった。退屈をつぶす相手としてはソノエは退屈過ぎるだろう。たまに揶揄の声が聞こえることもあるが、それも小鳥のさえずりと大差なく、無視するのに支障はなかった。 だが、文化祭前後を境に再び露骨な嫌がらせが復活した。文化祭でも目立たないポジション取りをしていたはずだったが、何かがマチの気にくわなかったらしい。 そう、問題はマチだった。教師が把握しうる範囲ではなんの素行の問題もなく、生徒たちには恐れられる存在。頭が空っぽの実戦部隊を周りに侍らせ、自分では決して手をくださず、自分の優位性を保つための努力は惜しまない計略派。 他所から来たちっぽけな人間に一人、気にする必要などないはずの人間だった。 わざとらしい足音が背後から聞こえ、髪の毛を掴まれる。 「どうすればいいか、教えてあげようか」 教えてもらわなくてもわかっていたので、込められた腕の力に抵抗しない程度に、しかし地面に激突しない程度のスピードに調整しながら顔を下げる。相手が無理やりさせているように見えるように。 地面に流れる液体に着く寸前に首を曲げ、うまく頬から地面に押し付けられる。一斉に上がる嘲笑の声。こういうのが望んでいる結末なわけだ。自分たちの力で、弱い相手を屈伏させる。暇な奴ら。 でもマチの声はそこには聞こえてこない。アスファルトと液体の混じり合った熱量は、マチには伝わっていない。 ボス猿が満足していない様子に、他の猿たちの声も静まっていく。足音が下がっていくのを確認してから、ソノエは手をついてゆっくりと顔を上げた。左の頬と髪の毛から、滴が足れる。ソノエは初めてマチの顔を真正面で見た。 どこかの空き教室から取ってきたのだろう、教室の椅子に腰かけた美しい黒髪と大きな瞳を持つ小柄な姿。頬杖をついて肘をかけている横の机には、場違いな豪奢ティーセットが置かれている。スコーンはなさそうだった。自分の権力を誇示するために家から持ってきたのだろうか。 視線の端に、マチの足が小刻みに貧乏ゆすりをしているのが映り込む。ティーポットから視線をマチに戻すと、足がぴたりと止まった。 あぁ、やっとわかった。思わず笑みがこぼれる。 「やめときなよ、私に憧れるなんて」 顔を真っ赤にしたマチが、ポットを掴んで立ち上がった。だが、そこで硬直する。 自分を自分足らしめるものとは何なのか考えながら、濡れた裾を絞りつつソノエは教室に戻った。 (お題:アスファルト)
「水面に映る月」とは、古来から捕まえられないもののたとえとして何度となく用いられてきた。手を伸ばせど、水の波紋が広がるばかりで、映り込んだ月は幻のように────実際、幻なのだが────はかなく消える。 だが、私は、月を捕まえる方法を知っていた。 カシャリ 手の中の小さな機械から、そんな音がする。 そして、ジーっと特徴的な印刷音を響かせながら、それは出てきた。 写真だった。 手の中の機械とは、カメラである。四角の形で、下の辺がちょっと出っぱっている、アレ。シャッターを切ると、すぐに写真を現像してくれるおもちゃ。 私は写真オタクではないので、正式な名前は知らない。ただ、お母さんの実家で見つけて、外装のメタリックな感じがちょっとカッコよくて、それで、たまたま使ってみようと思っただけなのだ。 だが、いいものだ、と思った。だって、見てほしい。今目の前で、さも「私は本物じゃありませんよ」みたいな顔してゆらゆら揺れていた水面の月が、このざまだ。インクでべったりと塗りたくられて、黄金比の庭園の中で、がっちり形を固められてしまっている。 さながら、囚われの姫君とでも言おうか。世の詩人たちが涙を呑んできた難題も、現代科学の手にかかればイチコロだ。 私は、ちょっとだけの全能感に包まれながら、もう一度カメラを構えた。 次は、何をとっつかまえてやろうか。 私は最強のハンターになった気分で、その脚をさらなる冒険へと向ける。 森の中に響くシャッターを切る音は、月が青空にかすみ始めるまで続いた。
ポスターがはられたり たくさん名前を叫んでいたり 町全体が、なんとなく さわがしい感じがした そうやって、何日かがすぎて 日曜日、家の近くの役場に 家族みんなで行った 大人たちが何かしてる横で 子どもだったわたしは 風船をもらい、笑顔だった 来週も来ようね 親に言って 少しばかり、困らせた 役場の近くに 食事ができるような店はなく 車で遠出をするような 雰囲気でもなく なので、歌のようには ならなかった わたしに子どもができたら そのときも、家族みんなで、と 小さかったわたしは 思っていたはずだった いつのころからか 家族みんなで、ということは なくなり、各々、ばらばらに となってしまっている わたしに子どもができたら あのときみたいに、家族みんなで わたしに子どもができたら いったい、いつのことやら
休日の正午。本屋から帰る途中に会話の流れで妹に言われた一言。 「姉ちゃんってムスカに似てるね」 おい妹、言っていいことと悪いことの区別も付かないのか。 母はハンドルを握ったまま肩を小刻みに震わせている。おい何笑ってるんだ長女が次女に侮辱されてんだぞ。 「姉ちゃんの何処がどうムスカに似てるんだよ!」 聞くと即答された。 「笑い方」 似てねぇよ!! 妹曰く、今にも「人がゴミのようだ!」と言い出しそうとのこと。 だからお前は私のことをなんだと思っているんだ妹よ。 少し前に私は神経痛で目が痛くなったことがあったのだが、その時の状況もまんま「目が!目がぁぁぁぁあ‼︎」に見えたのだとか。 私が苦しんでいる間そんなこと思っていたのかこのアホ。 認めん、私は断固として認めんぞ。 その後、母も混じえた話し合いの結果、 『作者に似ているのは、トトロ』 という結論に至った。 だから似てねぇし何なら人ですら無くなってんじゃんかよ!