異界監視センターよりお知らせです。 近所や親戚に、青い目をした子供はいませんか? 絶対に瞳を覗き込まないでください。 【検閲済】を視認してしまう可能性があります。 以上の状況が当てはまる場合には、速やかに当センターにお知らせください。 「お前の目は、本当に綺麗だな〜」 リョウは赤ん坊を抱いて、デレデレと笑っている。出産を終えたばかりのアカリを置いて、ずっとあの調子で可愛がっているのだ。まぁ、世話してくれるからいいけどね……とアカリはソファの上であくびをした。 生まれてきた娘は、日本人とは思えない青色の目をしていた。眩しいほどの青、勿忘草色。光が当たる向きなどによって、水色やら紺色にも見える。まるでスパンコールだ。 けれど、夫婦にとっては娘の目が何色だろうと構わなかった。検査でも100%2人の子供だったし、何より見目が美しい。娘の目を覗き込んでいると、小さいころ万華鏡で遊んでいた時のような、うっとりとした気持ちになるのだった。 にしても、今日のリョウは娘に夢中になりすぎだ。お互いの目を見つめあって、もう軽く1時間は経っている。アカリは娘が泣き出さないからいいか、とほっといていたが、いささか不安になってきた。初めての子なのでよくわからないが、赤ん坊というのはこんなにも大人しいものだっただろうか。 「ねぇ、リョウさん。そろそろ寝かせた方がいいんじゃないの。リョウさん?」 きいてみても、リョウは聞いているそぶりも見せなかった。娘を両手でしっかりと抱いて、離そうとしない。当の娘はぽかんと目を見開いて、瞬きもせず、父と母の顔を見比べるだけだ。アカリは急に、二人になんとも言えない気持ち悪さを感じた。 途端に、娘が耳をつんざくような泣き声を上げた。この小さな体から出しているとは思えないほど、凄まじい絶叫だった。アカリはびっくりして、リョウの腕の上から娘を抱いて支えた。 そこから起きたことは一瞬だった。リョウの体はあっという間に、熟れきったバナナのように真っ茶色になった。そして肌がボロボロと崩れ、娘を抱いていた腕、瞳を覗き込んでいた眼球までもが、ぐずぐずになって床に落ちた。 気づけばアカリの前にあるのは、腐った肉の塊だけになっていた。まだ生きているかのように、モゾモゾと動き続けている。娘はアカリの腕の中でケロッと泣き止み、無邪気に笑顔を浮かべた。父だったそれを、美しい目でじっと見下ろしながら。 異界監視センターより 2.30.異形化事件について 堀越リョウさん 自宅で突然全身が腐敗、身柄は当センターにより保護 犠牲となった方々に、祈りを捧げましょう。 追記 対象者の娘を預かっていた職員3名が異形化(詳細は3.9.異形化事件として別紙に記載)。 進展があり次第、追って報告いたします。
「誰の税金で飯を食っとんねん!」 役所の連中があまりにもお役所仕事だったので、俺はつい怒鳴りつけた。 「少々お待ちください。確認します」 しかし、返って来たのは謝罪でもなく、想定外。 口をぽかんと開けていると、受付のモニターが表示された。 「本日の私の朝食は、コンビニのパン。こちらの購入費は、株式会社○○の新卒入社五年目以上十年目未満の社員の方がお支払いした消費税から賄われております。昼食は、食堂のA定食。こちらの購入費は、△△株式会社の法人税から賄われております。個人名についてはプライバシーの観点により、ご容赦願います」 「お、おう」 俺は頭をショートさせながら、役所を出た。 あらゆるお金の流れが紐づいたデジタルコネクション時代。 「そういうことじゃねえんだよ」 税金で飯を食ってるやつらへのクレームも言いづらくなって、本当に嫌な時代だ。
なんだか体調が優れない。雨を乾燥させて砕いた一欠片を口へ放り込む。 ──からん、ころん。 喉から徐々に下りていき、じんわりと全身へ滲んでいく。暫くすると、鼓膜を直接震わせるような雨音が体内から聴こえてきた。同時に目の前を降り出した雨は、最近傷付いた角膜の裂傷模様に良く似ていた。 思い出した序にと、目薬へ手を伸ばす。かちり、蓋を外しながら上を向けば、見慣れた天井と目が合った。
暖かくなるのはいいけれど、 ホットココアを美味しく味わうんだったら、 春にはもう少し隠れててもらわないとなあ。気配ごと。 待ち遠しいことに変わりはないけど。 クローゼットの奥の春物コート。 淡く頼りなさげなその軽さに、季節が変わりゆく。 肩に強いる厚くて重いそれを遠ざけ、 通すパステルの袖はすこぶる軽快に。 腕のまわりがやけによくなって、スポーツ選手のマネごとを。 なあんてね。 じっと座ってお団子でも食べてるくらいが、いまの私には性に合ってる。
私は「カイコ」という生き物らしい。いつもくわの葉を与えてくれるあなたが、誰かとそう話しているのを聞いたことがある。 カイコは、美しい純白の羽を持つという。確かに私の身体は白いけれど、羽なんて無いし、なんだかうねうねしている。 私にもいつか、羽が生えるかな。 大きくなれよ、とあなたの声。 私、きっと大きくなるね。 返事ができないのがもどかしい。 生まれてから一度だけ、くわの葉をくれるあなたの指に触れたことがある。 あなたはすぐに引っ込めたその手を、その温度を、どうしても忘れられない。 その指は、触れるとちりちりと皮膚が燃えるように熱かった。多分、ずっと触っていると、焼けて死んでしまうんだろう、と思う。 でもその時、他に感じたことのない温かさを覚えてしまった。 仲間といくら身を寄せ合っても、桑の葉をお腹いっぱい囓ろうとも。どんなに満たされた気分でも、あの焦がれるような熱には遠く及ばない。 いつか、またその手に触れられたなら。その温度に包まれたなら。 私は、その熱で燃えて、溶けて、死んでしまってもかまわない。 いつか私に羽が生えたなら、迷わずあなたの所へ飛んでいこう。 なんだか最近、身体が重い。たくさん食べて、何度も脱皮して、ふくふく大きくなったからかな。 疲れてきたら、背中を反らせてのびをする。こうすると少し、重い身体が気にならないから。 少し時間が経ったかな。身体がむずむずしてきて、たまらず糸をはく。真っ白で、か細くて、弱々しい糸。 そういえば、いつかあなたが言ってたっけ。カイコは繭にこもって、それから羽が生えるんだ、って。 たくさんはいた糸を、くるくる身体に巻いてみる。なるほど、確かに心地良いかも。 巻いて巻いて、だんだん外も見えなくなってきた。少し眠くなってきて、できたての繭のベッドでまるくなる。 疲れと、安らぎと、少しの誇らしさを胸に抱いて、うとうと目を閉じる。 目が覚めたら、羽が生えてるといいな。 それから私は、長い眠りについた。 やっと生えた、大きくて美しい、真っ白な羽。ひらひら空を舞って、迷わずあなたの元へ。 大きくなった私を見て、差し出されたあなたの両の手のひら。嬉しそうに、手に乗った私を包んでくれる。 ああ、この熱だ、この温度だ。ずっと、こうして触れたかった。やっと叶ったんだ。 でも、初めて触れた時の指先なんて忘れてしまうほど、焼けるように熱い。本当に身体が溶けていくみたいだ。あつい、あつい、あつい。 でも、待ち望んだ願いが叶ったことが、それだけが、たまらなくうれしい。 ぐらぐら茹だるような熱に浮かされ、考えがまとまらなくなっていく。意識が遠のいていく。 きっと、あなたの手の中で迎える最期。 なんだか、夢を見ているみたいだ。 ◆ 今日は、繭になって数日経った蚕たちを煮て、絹糸を採る。 湯気の立つ白い山の中から、一匹分の繭を手に取る。真っ白で、繊細な、生命の結晶。 美しいそれを手のひらに乗せると、一生懸命に葉を囓り、あっという間に大きくなった愛らしい幼虫たちを思い出す。 この子たちは、どんな思いで生きたんだろう。最期の瞬間は辛かっただろうか、苦しかっただろうか。堂々巡りの問いを、頭の中で反芻する。その答えは、目の前の蚕たちしか知り得ない。 せめて安らかに、美しい織物として、その生涯よりうんと長い間、大切にされることを祈る。 手のひらの繭を、優しく包み込んで。
-サザンカの章- このひたむきな愛が 私を理想の恋へと連れていってくれる 貴方に伝わるまで私は諦めない そして、この困難に打ち勝ってみせる -ロウバイの章- 私は常に貴方をみている 私は常に貴方を想っている だからこそ、貴方に伝わらなくて良い 貴方の重荷になりたい訳じゃない ただ、隣に居たい -スイセンの章- 私はもう貴方しか見えないし、見ない 貴方も私しか見れないようにさせる でも、貴方の気持ちを尊重したい 何度でも私の元に戻ってきて -ウメの章- 貴方が『疲れた』のなら言って 私が『疲れた』のなら貴方に言うから いつまでも、隣で微笑み合いたい いつまでも、『貴方の為』で居たい (完)
「すごいわね。また百点よ」 返ってきたテスト用紙に、もう感動することはなくなった。 なにせ、テストは百点までしかない。 どれだけ速く解こうが、どれだけ丁寧な字で解こうが、百点なのだ。 「百点なので、今回のお小遣いは一万円でーす」 だから、もうお小遣いが上がることはない。 取れて当たり前の百点。 絶対にとれない百一点。 もはや今、勉強を頑張ろうなんてモチベーションはなくなった。 「うちの子、昔は神童って呼ばれてたんですよ」 子供の頃のことを、両親は今でも懐かしそうに話す。 百点満点だった神童は、点数上限のない世界に放り出された瞬間、ただの凡人へと成り下がった。 テレビに映る、輝かしい経歴の持ち主たちを見るたび思う。 彼らはどうやって、百一点をとってきたのか。 彼らはどうやって、百一点をとる方法を見つけたのか。 もはや、考えても意味のないことなのだが。 一度きりの人生で、百一点をとるタイミングを、とっくに見逃してしまったのだから。
雑木林をぬけた先にはみづうみがある。水面は鏡のように陽光を反射し、風が吹いても波が立つことはない。それでもさざなみが聞こえる。そのみづうみのほとりに両膝をつけ、腕を支えにし水面を覗いてみる。何も映らない。音は、まだある。他に誰かいるのだろうか。女の声がする。みづうみに誘われているようで、少し身を乗りだす。入ってしまうともう戻れないような気がする。しかし、恐ろしくはない。つま先から順にみづうみの中へ入る。あたたかくはない。息を大きく吸い込み、目を開けたまま下へ進む。何も見えないしかし恐怖はない。みづうみの奥深くへ、時間をかけてゆっくりと沈んでゆく。みづうみに底はないのだろうか。息がつづかなくなる、もう息ができない。それでも苦しくはない。指を動かし、足を曲げる。意識は、ある。目元に陽炎がみえる。辺りを見渡す。水面はもう見えない。沈んでゆく中で、そこにぬくもりを感じた。何も見えないみづうみだが、不思議と心が安らぐ。何も聞こえず、誰も邪魔はしない。わたしはみづうみなのだろうか。みづうみがわたしなのだろうか。水面に雨粒が当たった。雨がしんしんと降っているようだ。雨は次第に大粒になり、雷が轟く。わたしはしずかに沈んでいる。音も聞こえなくなってゆく。水面も次第に見えなくなってゆく。辺りは静寂につつまれ、心臓の鼓動だけが聞こえる。自分の音を聞いたのはいつぶりだろうか。わたしも自然の一部である。しかし自分の他の音によって、大切な音が掻き消されていたのだろう。みづうみの鼓動は波となって、ほとりに打ちつける。わたしもこの黒いみづうみも生きている。 ここからもがいて水面に顔を出すこともできるだろう。だが、堕ちるならばどこまでも堕ちてゆくのがいい。逆らうこともしない。闘うこともしない。自然それ自体をありのままのすがたで受容れる。そこには憎しみも、怒りも苦しみもない。あるのは哀しみだけである。どのくらい沈んでいるのだろうか。意識が遠のく。なにもないという「無」が、かつてあったなにかの余白となる。哀しみも美しさへと変わるのだろうか。黒いみづうみの内に、わたしの外に、幾らかの余白が生まれてゆく。冷たく黒いみづうみに、真白な無とぬくもりとが現れた。意識がすうっと戻っていくようであった。 「君の黒いみづうみで、ぼくは泳ぎたいんだ。そうすれば、ぼくはあなたの一部になれるでしょう?」 「ねェ、一体なにを言っているの? わたしはわたしよ。ほら、もう帰ろうよ。日が暮れるわ。」 わたしはみづうみを後にした。このみづうみを再び見ることはあるのだろうか。黒いみづうみには、確かにわたしが映っていた。わたしも確かに黒いみづうみを見ていた。もみぢ葉がひらひらと舞っていた。
「フリーハグいかがですか?」 コンビニに行った帰り道、一人の女性が立っていた。 フリーハグの存在は知っている。 なんか、ハグしてくれるらしい。 「いいですか?」 「もちろんです」 名前も知らない人との、数秒間だけのハグ。 少しの緊張と、少しの温かみを感じた。 「ありがとうございます」 ぼくはそのまま彼女と別れ、会社に戻った。 どことなく、心がぽかぽかと温かかった。 「先輩お帰りなさい! バグ、三件増えました!」 「フリイイイイイバグウウウウウウウ!!!!」 温かい心のまま、体のエンジンを全力でぶん回す。 俺たちの徹夜はこれからだ。
妻が死んでから、部屋の音が変わった。 冷蔵庫の低い唸り、時計の秒針、夜になると遠くで鳴る救急車のサイレン。以前からあったはずの音が、彼女のいない部屋では大きく聞こえた。 遺品の整理は、なかなか進まなかった。彼女が少し席を外しているだけのようで、どうしても捨てる気になれない。 そんなある夜、寝室の引き出しの奥から、小さな封筒が見つかった。 表には、彼女の字でこう書いてあった。 「あなたへ。どうしても会いたくなったときに。」 中には、薄い金色の紙片が一枚入っていた。映画の半券みたいな質感で、表面には銀の箔で文字が浮いている。 天国チケット 使用可能時間:日没から日の出まで 効力:一晩、生きたまま天国への滞在を許可する 代償:使用者は死後、地獄へ送られる 冗談にしては、あまりにも彼女らしくなかった。 もう一枚、小さく折られた便箋が入っていた。 「これを見て私を思い出して。ただ使いたいなんて思うのはダメだよ。」 その手紙を、彼は何度も読み返した。 彼女なら、こういう悪趣味な冗談を言う人ではない。けれど、だからこそ、これは冗談ではないのかもしれなかった。 彼はチケットを封筒に戻し、引き出しの一番奥へしまった。 使うつもりはなかった。 だが、人は理屈だけで夜を越えられない。 使うのは裏切りだと思った。 使わないのも、裏切りのように思えた。 もし本当に天国があるなら。 もし彼女がそこで待っているなら。 もし、たった一晩だけでも、もう一度会えるのなら。 その夜、彼は封筒を取り出した。 時計の針が午後六時を回ったとき、チケットは指先で熱を帯びた。気づけば、部屋の輪郭がぼやけ、世界がゆっくり裏返るような感覚に包まれていた。 次に目を開けたとき、彼は見知らぬ丘の上に立っていた。 空は、夕焼けのまま止まっていた。 雲は桃色に染まり、風はぬるく、どこか花の匂いがした。遠くには街のようなものが見えた。白い屋根、金色の塔、静かな川。絵本の中みたいに美しい景色だった。 けれど、妙だった。 道の向こうから、白い服を着た老人が歩いてきた。 「すみません」と彼は駆け寄った。「人を探しているんです」 妻の名前を告げると、老人は穏やかに微笑んだ。 「ここは良い場所ですよ」 「…いや、そうじゃなくて。彼女を見ませんでしたか」 「皆、幸福です」 答えになっていなかった。 それから彼は、何人もの人に尋ねた。花畑にいた少女にも、川辺で本を読んでいた青年にも、広場でチェスをしていた男にも。 だが返ってくるのは、どれも似たような言葉ばかりだった。 「ここは安らぎの場所です」 「悲しむ必要はありません」 「探し物はいずれ見つかります」 なのに、誰も彼女のことは知らなかった。 彼は街を駆け回った。白い石畳の路地を、噴水のある広場を、教会に似た建物の中を、果ての見えない庭園を。夕焼けは一向に沈まず、空の色は変わらない。 妻の名を呼び続けるうちに、声がかすれた。 彼女がここにいると信じていた。 少なくとも、自分を一度は待っていてくれると思っていた。 それなのに、どこにもいない。 街の時計台が、どこかで一度だけ鐘を鳴らした。 夜明けが近いのだと、彼は直感した。 帰れば、また彼女のいない朝が来る。 彼女のいない人生に戻るくらいなら、いっそ。 気づけば彼は、元いた部屋の床に倒れ込んでいた。手の中のチケットは、灰のように崩れて消えた。 窓の外は、白み始めていた。 彼はしばらく天井を見つめ、それから、静かに目を閉じた。 次に目を開けたとき、天井はなかった。 代わりに、赤黒い空がどこまでも広がっていた。地面は乾いてひび割れ、遠くで火がくすぶっている。熱いはずなのに、妙に寒かった。 ここがどこなのか、考えるまでもなかった。 「やっと来てくれた」 声がして、彼は振り返った。 妻がいた。 生前とまったく同じ顔で、同じ笑い方で、けれどあの頃よりずっと晴れやかに、そこに立っていた。 彼は言葉を失った。 「…どうして」 ようやく絞り出した声に、彼女は少し首を傾げた。 「どうしてって?」 「どうして、君が…ここに」 彼女は、ああ、と納得したように笑った。 「私、天国にはいないよ」 「あなた、私を探したんでしょ?」 彼は何も言えなかった。 「ごめんね。でも、あなたなら絶対使ってくれると思ったから喜んで地獄に落ちたの」 そして、恋人に甘えるみたいな声音で囁いた。 「会いたかったんでしょう?」 彼はそのとき初めて、自分が天国ではなく、最初からずっと彼女の掌の上にいたのだと知った。 赤黒い空の下で、妻は幸せそうに彼の手を握りしめている。 もう二度と離れないように。 もう二度と、離れられないように。
親友であり幼馴染の華織が死んだ自殺だった。 原因は部活内での虐め。 九月一日二時丁度に飛び降りる華織を監視カメラが捉えていたそう。 華織の部屋に遺書が置いてあったらしい、その内の一つが私宛の手紙だった。 「命へ 何にも言えなくてごめん。 命のことだから何か出来ることがあったはずって、自分を責めるかもしれない。 でもそんなこと絶対にない。 命は何にも悪くない、命と話す時間は楽しかった。 命、今までありがとう、私の親友で幼馴染で、側にいてくれて、命といたこの十数年楽しくて、幸せだった。私の心の拠り所で本当にありがとう。 約束『おばあちゃんになっても一緒にいる』守れなくてごめん、命、大好きだよ、ありがとう。」 これを読んで華織が死んで初めて泣いた。 心のどこかで華織が死んだことを受け入れなかったのかもしれない。 それからバレーボール選手という夢を捨て、教師になった。 周りからは反対された。キャプテンになる予定もあるのに勿体無いと。 それでも教師になりたかった。 今年初めて担任を持つ、緊張しながらもドアを開け、教卓に立ち自己紹介をした。 「初めてまして1年4組の担任になった朝野命です。 趣味はバレー、女バレの顧問もしているので是非入部お願いします。嫌いなことは虐めです高校2年生の時、親友が自殺しました。」 「私は親友みたいに死んでしまう子を、私みたいに置いてかれてしまう子を、減らしたくて教師になりました。」 「どんなに些細なことでも良いです。 少しでも苦しい、辛い、そう思ったら周りの人達を頼ってください。 友達でも教師でも親でも誰かに相談して溜め込まないでください。 私はこのクラスが助け合えるクラスになって欲しいです。 長くなってしまいましたが私の自己紹介を終わります」 もうすぐ夏休みが終わり、二学期が始まる。 「命先生」 後ろから私が担任を務めているクラスの一瀬沙希が話かけてきた。 夏休みの間、バスケ部に一度も顔を出していなかったそう。 「一瀬さんどうしたの?」 「ちょっと相談したいことがあって」 話を聞けば部活で3年生を中心に嫌がらせを受けているらしい。 そういう子を減らしたいと思っていても、出来ることは本当に少ない、私にできる最善は、一瀬さんを死なせないこと。 今、私は何をするべき? 九月一日は一年で最も『子供の自殺』が多い日。
死にたい、もう、死にたい。 僕は、生きる価値のない、ゴミだ。 生きれば生きるだけ罪を重ね、浅ましく、悍ましく、汚らわしくなっていく。 あぁ、何もかも上手くいかない。 もう、いっそ死んでしまおう。 僕はそう思って『化け物の木』へ向かった。 ーーー村の外れに、その木はあった。 誰も名前を知らない。ただ子どもたちは、ひそひそと「化け物の木」と呼んでいた。 幹はねじれ、皮膚のようにひび割れ、夜になると風もないのに軋む音を立てる。まるで、息をしているみたいに。 「近づくなよ」 大人たちは口を揃えてそう言った。理由は教えてくれない。ただ、その目だけが妙に真剣で、冗談ではないと分かる。 そうだ、いっそのこと、僕みたいな人間を食べてくれれば良い。 そうすれば、世界はもう少し住みやすくなる。 より良いものになる、はずだ。 そう思って、僕は一人、木のもとへと向かった。 昼間のそれは、ただの古びた大木に見えた。触れてみると、ざらりと乾いている。拍子抜けして、僕は笑った。 まるで期待した僕がバカみたいだった。 その乾いた笑いは、少しも僕の心を動かさなかった。 「なんだ……ただの木か……」 そのときだった。 ——ドクン。 幹の奥から、確かに鼓動がした。 僕は思わず手を引っ込めた。けれど耳を澄ますと、もう音はしない。気のせいか、と自分に言い聞かせて、もう一度触れる。 ——ドクン、ドクン。 今度ははっきりと、脈打っていた。 怖いはずなのに、なぜか手を離せなかった。むしろ、引き寄せられるように、幹に頬を寄せる。 すると、声が聞こえた。 『……ひさしぶりだ』 低く、かすれた声。 僕は飛び退いた。 『おまえが、触れた』 木の表面が、ゆっくりと裂ける。まるで口のように。 その奥は暗く、底が見えなかった。 『中に、来い』 その木は言った。 その言葉は、僕を引き寄せる魔力の様なものがあった。 僕は聞いてみた。 「……行ったら、どうなる?」 存外に、殺してくれる?という考えがあった。 沈黙のあと、木は答えた。 『おまえの“いらないもの”を、食べてやる』 いらないもの。 その言葉が、妙に胸に刺さった。 「それって、僕のことーーーー?」 なんて言葉が、反射的に出た。 肯定して欲しい言葉だった、けれどその木は、その言葉を肯定はしてくれなかった。 「いいや違う。オマエの、記憶だ。 オレが、食べるのは」 消えてほしい記憶。言えなかった言葉。どうしようもない後悔。 もし、その記憶が無くなれば、僕はもう、泣かなくて済むのだろうか。 毎日辛くて枕を濡らす日々も、なくなるのだろうか。 —ー—もし、それがなくなるなら。 気づけば僕は、一歩踏み出していた。 暗闇に包まれた瞬間、体が軽くなった気がした。頭の奥がじんと痺れ、何かが引き剥がされていく。 悲しかったこと、恥ずかしかったこと、全部。 全部。 全部。 全部、全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部。 ——そして、何もなくなった。 気づくと、僕は木の外に立っていた。 夕暮れだった。 風が吹いて、葉がざわめく。 ……僕は、どうしてここにいるんだろう。 家に帰る途中、誰かが声をかけてきた。 「おい、無事か?」 知らない男だ。心配そうな顔をしている。 「……誰?」 男は、ひどく驚いた顔をした。 「お前……覚えてないのか? 俺が三年前、ここでオマエの弟のことをーーーー」 言葉が止まる。 僕は首をかしげる。 「弟?」 そんなもの、最初からいなかった。 男は震えながら、化け物の木を振り返った。 その幹は、わずかに脈打っている。 ——ドクン。 ——ドクン。 まるで、何かを満足そうに飲み込んだかのように。 そして、その表面に、新しい“しわ”が刻まれていた。 人の顔のような、歪んだ跡が。 それは確かに、笑っていた。 僕はもう、何も思い出せなかった。
冬の街を、背の高いきれいな女性が歩いていた。目立つ人だった。その人はおしゃれなマフラーを巻いていた。どこのブランドだろうと思った。欲しいな。私は声をかけた。「すみません」女性は立ち止まった。「何でしょう」「失礼ですが、そのマフラー、どこのブランドの物ですか」女性はマフラーをほどいて、タグを見せてくれた。そこに印刷されていたブランドは、首吊り縄の製造で有名なブランドだった。「ああ……」私が声を漏らすと、女性はにこりと微笑んで、去っていった。その夜、私はスマホでそのブランドのサイトにアクセスした。やはりメインの商品は首吊り縄だった。そしてカタログの中にあのマフラーを見つけた。高価だった。首吊り縄の方が安かった。あの女性の微笑みを思い出した。私は首吊り縄を注文した。初めて買うブランド品だった。到着が楽しみだ。
散歩していたら、目の前を、燃えている人が通り過ぎた。比喩ではなく、本当に、燃えている人だった。全身が炎に包まれていた。火だるまというやつだ。燃えている人は、ゆっくりと、だがまっすぐ歩いていた。確かな足取りだった。焦げたにおいが漂っていた。燃えている人はどこに行くのだろう。暇だったので後を尾けていった。燃えている人はいくつかの角を曲がり裏路地を抜け、やがてある建物の前にたどり着き、歩みを止めた。そこは消防署だった。消防車が何台も停まっていた。燃えている人はそのうちの一台に近づき、おもむろに車体にキスをした。もちろんその唇も燃えているようだった。そこへ一人の消防隊員が消防署の中から出てきた。消防隊員は燃えている人に近づくと、深々と頭を下げた。燃えている人はゆっくりと首を横に振った。消防隊員はうなだれていた。燃えている人は消防署を立ち去っていった。時々消防隊員を振り返っていた。暇だったので後を尾けていった。燃えている人は川にかかる橋に来た。そして、欄干から身を乗り出し、川に飛び込んだ。じゅっ、と音がした。川を覗き込むと、一筋の白い煙以外は何も見えなかった。遠くからサイレンの音が聞こえてきた。どこかで火事が起こったようだった。暇だったので見に行くことにした。
真冬の朝、登校する。同じ学校の生徒たちが、同じ方向に歩いていく。みな口から、白い息を吐いている。ふと前方に、友人を見つけた。近づく。すると、その友人が吐いている息が、白色ではなく、赤色であることに気づいた。友人はぶつぶつ何か言っていた。耳を澄ます。「死ね、死ね、死ね……」後ろから声をかける。「おはよう」友人が振り向く。はっとした顔をしている。「息、赤いよ」そう教えると、「あっ……」、友人は苦笑いを浮かべた。「油断すると……」「わかるわかる」並んで歩く。友人の吐く息は白くなっていた。
夫は眼鏡をかけた女性が好きだった。私も若い頃から眼鏡をかけている。結婚して四十年、これだけ長く続いているのも、ひとえに私が眼鏡女子だからではないかと思う。夫の留守中、夫のパソコンが汚れていたので拭くと、電源が入った。待ち受け画面が、眼鏡をかけた女性だった。それは、私ではなかった。
今日は知り合いにお昼ごはんを家でご馳走したあと通っている病院の中庭でボーッとしていた。 投薬している薬で口乾が酷いのでお茶をグビグビ飲み過ぎた。 メールで今日の夕飯何食べるのと聞かれたけどお腹空かない。 空かないときは無理に食べないでお腹空いてから食べればいいんだと知り合いが言っていた。 この文章を書いて脳細胞を使ったからか少しお腹が空いてきた。 でもタバコを吸う。 タバコ吸ってるから食欲わかないんだと思い至る。 お茶飲みすぎてタバコ吸ってたらそりゃ食欲もなくなる。 家の中の生け花がそろそろ枯れてきたなぁ、とボーッとする。 知り合いにニーズなしと言われた文章を延々と描き連ねる。 ちょっとお腹が空いてきた。 毎日同じことをしている気がする(実際それはそうだろう) 夢で別の知り合いの声でブッ殺すぞと聞こえたので内ゲバに巻き込まれるかもしれない(いや、もう巻き込まれているかも) 文章によって外の世界に干渉している(ような気がする)ので何かしらの変化はあるのだろう。 今日は僕のお腹が空けばそれで世界の問題の8割は解決したような気がする。 今日はそれでいいのだ。
ゆるく吹いた風には懐かしさがあった 公園のベンチで本を読むのに、それは、どうだろう 連なる文字に視線を上滑りさせながら淡く考える 視線を文字から外す 女性がひとり立っていて、やさしい笑顔を僕に見せる 栞をはさみ ―久しぶりだねえ と僕 ―そうね、ご無沙汰よねえ とその女性 しばらく、その女性に何かを言って、言われて 女性から何かをきかれて、こたえて あたりさわりのない会話、ありきたりな返答 ・ ―じゃあね ―うん、じゃあね 話してて、思い出した 喧嘩別れ、してたよね、僕たち さて、はたして ・ 若かったら追いかけていって、それを聞いただろう しつこいくらいに、きっと 顔が、崩れる、自分でも、はっきりそれが 若くないのも、悪くないか ゆるくつめたい風が吹き 春がもうそこまで来ていますよと 耳打ちしてきた
「民事不介入なので」 そう言って警察は帰っていった。 残されたのは、絶賛喧嘩中の我が家。 おい、止まらねえよ、この修羅場。 本当に警察は動かねえ。 情を見せて止めるくらいして欲しかった。 翌日、実家の本屋で万引きがあった。 即座に警察を呼んだ。 「まだ、中学生なので」 そう言って警察は私を止めてきた。 残されたのは、懇願する視線で私を見る万引き犯中学生と親。 おい、止まらねえよ、この修羅場。 本当に警察は動かねえ。 情を見せずにさっさと連れて行って欲しい。
読経がどこか遠くで聞こえる。 正座した膝の上に置いた握り拳が、力を込め過ぎて震え、青筋が立っている。手のひらに食い込んだ爪が柔らかい皮膚を割くのを感じたが、力の緩め方が分からない。 周囲から上がる啜り泣きの声が遠ざかり、目の前の視界が霞む。息が詰まるほど苦しいのに、涙はただの一筋も溢れない。 「どんな時も、君のそばに」 情事の後、漣《れん》はそう言って誓いを立てるように俺の左手の薬指に口付けてくれた。たった数日前の出来事なのに、今は嘘のように遠い。 職場の同僚との恋愛関係なんて、ただでさえ公にしづらいことだが、それに輪をかけて漣は既婚者だった。同性愛者ということを周囲に隠しながら、親に言われてかたちばかりの結婚をして、偽りに塗り固められてはいたが、普通の幸せな人生を歩んでいくはずだった。 だが、俺と出会ってしまった。 「お前と先に出会っていたら、俺は結婚なんてしなかったのに」 そう言って苦笑しながら俺に愛を囁いてくれた漣はもういない。 恋愛感情でなくとも、妻に対して情が湧いたせいか離婚に踏み切れず、かといって俺と別れることもできずに、板挟みの状態が耐えきれなくなったのだろう。 漣は自ら死を選んだ。 その知らせを聞いてすぐに俺は後を追いかけようとしたが、漣の側に行きたくても行けなかった。側に行きたいのに、死ぬのが怖い。 あまりに情けない自分に呆れながらも、ただこうして二度と会えない君を思って悲しむことしかできない。 「どんな時も、君のそばに」 漣が告げた誓いの言葉が延々と反響し、苦しすぎて、涙を流したくても流せない。 今でも隣に君がいる。その錯覚は俺の願望だと分かっていながら、錯覚を求めて、きつく目を閉じる。 読経はいつの間にか止み、ただ周囲の人々の悲しむ空気が伸しかかる。 俺は永遠に明けない夏の夜の中、漣の幻に縋り、その場に蹲るしかなかった。
妖艶たる桜が二月下旬に一斉に咲き乱れた年、俺はこの世に生まれ落ち、母はあの世へ還った。俺を身籠る前、母は桜の花を食べたいほど愛していたそうだが、俺に養分を吸いつくされるように弱っていく中で、桜に対して恐れを抱くようになったらしい。 「お願い、お願い、連れて行かないで」 そんなうわごとを繰り返しながら怯えていたが、俺が生まれる日は、なぜか桜の花びらを口に含み、笑みを浮かべて息絶えた。 それを見た父は桜を忌み嫌うようになり、母の希望で庭に植えていた桜の木を切り倒した。すると、その切り株から人の血のような樹液が噴き出したらしいのだが、実際に目にしたわけではないため、真偽のほどは分からない。 ただ、その時から俺の全身を覆うように奇妙な痣が浮かび上がった。桜の枝そのものの形をしたその痣は、毎年桜の季節には花を咲かせ、俺の体を我が物にせんと締め付ける。 「お前のものにはならないよ」 俺が桜の痣を鏡越しに睨みながら呟けば、一層強く締め付けられ、白く意識が霞んだ。 俺が13の年を迎えた春、父の後妻が男児を産んだ。俺と同じでちょうど桜の季節に生まれた弟は、両眼に桜の花の瞳を持ち、生まれて間もなく目から血を流して気を失った。 幸い命は助かったものの、両眼の視力はほとんど奪われ、歩けるようになっても誰かが手を引かないと前に進めない。 「にいちゃ、にいちゃ」 少しずつ言葉を話せるようになると、俺を繰り返し呼んだ。父や母より俺ばかりを。 俺は弟が嫌いなわけではなく、むしろ可愛いのだが、弱い視力で必死に見てくる弟の目が、そこにある二つの桜が嫌いで、ほとんど無視した。 弟は俺のように体を縛る痣などないが、俺と同じように桜の季節になると調子が悪くなった。両眼を強烈な痛みが襲ってくるらしく、連日泣き叫んでは、やはりなぜか俺の名を呼んだ。 「にいちゃ、おーがにいちゃ」 俺の名は櫻木桜雅といって、桜の字が二つ入っている。桜が好きだった母がどうしても子供の名前につけたかったのだろうが、俺は名前にも縛られているようで嫌いだ。 弟の声に耳を塞げば、体に巻き付く枝の痣も締め付けを強くしてきた。 いつ、この終わりのない呪縛から逃れられるのだろう。 縛られる痛みに加え、臓腑が圧迫される息苦しさと、知らぬ間にどこからか漂ってきていた甘ったるい香りに吐き気を覚え、また意識が霞みそうになった時だった。 「にいちゃ、おーがにいちゃ」 弟の声が耳元でした。 「おーがにいちゃ、おーがにいちゃ」 舌足らずな弟の声が、やけに甘い。鼓膜から直接脳を触られ、撫でられているような感覚がした。 俺はその声に誘われるまま、一歩ずつ足を進めていく。頭は夢を見ている時のようにぼんやりしていて、足裏には何とも言い表しようがない柔らかな感触があり、包み込んでくる。 「桜……」 ゆっくりと足元を見下ろした俺は、足裏をくすぐるものの正体を知った。薄紅の羽毛のような桜の絨毯が辺り一面に広がっている。 気がつけば、俺は月明かりに照らされて淡く発光する桜の道を、どこかに向かって歩いていた。 とうに弟の声はしなくなっていたが、俺は戻ることもせず、ひたすら前へ前へと進む。 「さく……ら……」 芳醇な香りは麻薬のようで、俺は意味も分からなくなったその単語を呟き、その場に倒れ込む。途端に全身を桜の花が覆っていくのを感じ、うっとりと微笑んだ時、くすくすと笑う彼女たちの声が響いていた気がした。
窓の外では雷鳴が轟いている。 身動ぎすると誰かの温もりを感じ、ゆっくりと意識が浮上していく中で、あれ、と思う。 あれ。俺は昨日、何をしたっけ。 思い出そうとしても、頭の中に靄《もや》がかかったようになっていて、上手く思い出せなかった。 だが正確には、昨日のことを全て忘れているわけではない。一昨日は恋人の仁と、以前から約束していたグランピングをしに行った。昨日はそこから、仁の運転する車で帰ってこようとしていたはずだ。 道中、日暮れ時の風景を楽しみながら、仁と車の中で話していた。仁がちらりと話題に出した職場の女性が気になり、スマートフォンを見せてもらって、浮気チェックをしたのも覚えている。 周りの人間には理解が及ばないようだが、俺は恋人になった相手のスマートフォンを見て、交友関係を全て熟知するのは当たり前にする。恋人の浮気を少しでも察知したら、その恋人のフリをして相手にメッセージを送り、関係を悪くさせることも普通にやってきた。 今までの恋人とはそれが原因で何度も別れてきたが、仁は嫌がるどころか普通に受け入れ、むしろ喜んでさえいるような態度で接してくれる。 それはありがたいことだが、おかげで俺はすっかり仁に依存してしまうようになった。この関係を卒業する日が来るとしたら、俺か仁が死ぬ時くらいではないかと思う。 昨日の出来事を少しずつ思い出していく過程で、靄がかかっている部分を探ろうとする。そう、俺が忘れているのは昨日のこと全てではなく、昨夜の。 確信に至ろうとしたところで、窓の外で再び雷鳴が轟き、後ろにいる誰かが俺を抱き寄せる。 誰か、ではなく、仁だろう。 自分の内心の声に笑いながら、身体を捻り、思った通りの男の姿を認めて安堵しかけた俺は。 仁の目を見て、一瞬、背筋がひやりとするのを感じた。 「仁……?」 呼びかけると、仁は寝ぼけ眼でにこりと笑う。その目は既にいつもの仁のものだったが、束の間、深淵か、あるいは研ぎ澄まされた刃を見ているような感覚があったのだ。 「仁……」 もう一度呼ぶと、仁は起き上がりながら気だるそうに伸びをし、俺の頭をくしゃりと撫でる。ベッドのサイドテーブルに置かれた煙草を取ろうとしている仁を眺めていた時、俺はぎくりとした。 窓際に、見知らぬ少年が立っていたからだ。 「仁!」 思わず大声を上げると、流石の仁も驚いたのか、火をつけようとしていた煙草を落とした。 「びっ……くりした。何だよ」 「そこ、窓!」 「窓?」 少年がいる方を指差しながら、仁の注意を向けようとする。 ところが、仁は俺の指し示した方向を見るものの、特に驚いた様子はない。少年が見えないのだろうか。 「窓が何?」 あくびを噛み殺しながら俺の方を振り返る仁。その背後で、10歳かそこらの少年が意味ありげに笑みを浮かべて俺に目を合わせたかと思うと、仁を指差した。 「……?」 何かを伝えようとしていると感じて見ている俺の前で、少年は首のところに指を持っていき、横一文字に線を引くような動作をして、すっと姿を消した。 一体、何を伝えようとしていたかは分からないが、とてつもなく嫌な予感がした。 背筋が冷えるような心地を味わいながら、俺は煙草を吸い始めた仁の背中を見る。仁は決まって、煙草を吸う時は俺の方に向けないようにしているのだが、今日に限ってはどうしてか、それ以上の何かの意味合いをその背中に感じていた。 「仁」 「んー?」 「昨夜は」 「昨夜?」 問いを重ねようとする俺の声に被さるようにして、いつの間にかついていた部屋のテレビからニュース番組の音が聞こえ始めた。 昨夜の事故を報道している。どうやら事故を起こした加害者はひき逃げしたらしい。 俺はテレビの方に目を向け、その画面に映った事故現場と、亡くなった少年の顔を見て、足元から崩れ落ちるような感覚を味わった。 この日を境に、俺は恋人依存を卒業した。仁とは当然ながら別れたが、その後に誰と付き合っても、依存できなくなった。依存は俺にとっての大事な愛情表現だったのだと、依存しなくなって気がついた。 それをしなくなれば誰とでも上手くいくようになったが、愛しているという自分の感覚や、言葉は虚空を掴んでいるようで。 いつまでも仁と、あの少年の笑みが脳内にチラつき、忘れていたのが嘘のように事故の瞬間が頻繁にフラッシュバックする中、俺はいつしか、それが口癖になった。 「昨夜のこと、覚えてる?」 誰にともなく聞いた言葉は、眠っている新しい恋人にも聞かれることなく、宙を舞う。 部屋の片隅で、少年が笑みを浮かべて俺を眺めている。そんな気がした。
別れが近いという予感はしていた。 証拠があるわけではないが、付き合いたての頃のように熱い視線を向けてきたり、求められることもほとんどなくなっていて、会話も格段に減った。 「別れようか」 仕事帰りの彼がネクタイを緩めながら、あいさつでもするように軽い調子で言ってきた。 その時も、そうだねとだけ返し、大して多くもない荷物をまとめる。 軽いはずの荷物が重く感じられて、マンションから少し離れた公園に荷をおろすと、指先が震えていることに気がついた。 手のひらに食い込んだ爪痕を眺め、未練があったことに気づく。 それに純粋に驚き、虚しさが募る。 今からでも引き返せば間に合うはずだと、願いを込めてマンションを見上げると、彼の部屋辺りの明かりが消えた。 視線を荷物へ向け、再び持ち上げると、重さは変わらないが持てないほどではない。 もうマンションを振り返ることはなかった。 宛もなく街を歩いていると、無意識に彼と知り合ったところと似かよっている場所へ出た。 飲み屋や怪しげな建物が並ぶこの中で、不釣り合いなくらい爽やかな雰囲気の彼に声をかけられたのだ。 好みの顔だったから、つい。 あとになってそう打ち明けた彼は、もうここにはいない。 酔っ払いの集団に絡まれないように足早に過ぎ去ろうとしていると、背の高い男にぶつかった。 相手の顔も見ずに詫び、そのまま大通りに足を向けると、腕を掴まれ、引かれる。 振り向くと、ぶつかった男だった。 何か難癖をつけられるのかと身構えるが、怒った風ではない。 暗がりでやや見えにくいが、ほどよく整った顔立ちをしていて、にこやかな笑いかたがうまく緊張を解してくる。 よかったら、飲みにでも そのあと連れ込まれることも想像がつく誘いかたをされ、うまくほだされた気がしつつも、断る気力も奪われていて了承した。 こういう関係しか築けないのだと、自嘲を浮かべながら男に抱かれる。 翌日には消え去ることを決めて意識が飛ぶのに身を任せた。 朝陽が昇る頃、ふらりと外に出て薄暗い街中を歩いた。 人気のない通りを歩いていると、自分が一人きりになってしまったことを痛感する。 今夜はどこに泊まろうかと、ろくに働かない頭でぼんやり思った。 同棲のような生活をしていたため、元々住んでいた部屋はとっくに引き払っている。 かといって、部屋探しをする気力もない。 今はこうでも、そのうち気力を取り戻して日常に戻るしかないことも知っていた。 代わり映えのしない毎日が過ぎていき、今は過去になる。 フィクションのように劇的な展開など、望めないのだ。 いつまでも引きずっていても意味はないと、同棲していたもと恋人の残像を振り払おうともがく。 大切なものは失って初めて気づく、などとありきたりな台詞が脳裏を過り、まさか淡白な自分がこうなるとは、と苦笑が漏れた。 少しずつ高くなる陽の光に、目が眩み、視界がぼやけ、力なく崩れ落ちる。 アスファルトに染みができ、泣いていることに気がついた。 どうしてあのとき、別れたくないと追いすがらなかったのか、 どうしてあのとき、もっと素直に愛情を伝えなかったのか、 後悔ばかりが募り、息苦しさに喘ぎながら携帯を取り出す。 電話帳をスクロールして見つけた名前を、意味もなくなぞり、かける勇気も持てずに仕舞う。 クラクションが鳴り、道路の真ん中にいたことに気づくが、動く気力もない。 なりやまない騒音の中で、彼が走りよってくる幻を見た気がした。
禁止に魅せられて 危険な香り 魅惑の麻薬 取り乱す熱意 この身を滅ぼすまで 溜まり場に滴って 沈黙の香り 依存の良薬 朽ち果てる欲望 この身を授ける これが治療。憚る本能 偽善の香、煙煽りて くだらぬ余興 取り乱す自我 この身はもう治らない (完)
駅のホームのベンチで、電車を待っていた。隣におっさんが座っていた。くたびれたおっさんだった。ふいにおっさんが咳き込んだ。激しい咳だった。コロン。おっさんの口から、何か硬い物が飛び出てきて、コンクリートの床に落ちた。それは一発の銃弾だった。おっさんはそれを拾い上げた。うんざりした表情を浮かべていた。おっさんはしばらくその銃弾を手の中でもてあそんだ後、上着のポケットに突っ込んだ。そして、おもむろに、右手の指をピストルの形にして、自身のこめかみにあてがった。そこへ電車が来た。おっさんが「バキューン!」と言った気がしたが、電車の音でよくわからなかった。俺は立ち上がった。おっさんも立ち上がった。俺たちは電車に乗り込んだ。おっさんはいつの間にかマスクを着けていた。
ホテルのベッドで女が横になっている。服が乱れている。その隣に、男が横になっている。半裸だ。男が身を起こす。そして、ベッド横の小さなテーブルの上のタバコとライターを手に取る。男は女をちらりと見る。女は男を見ている。男はタバコに火をつける。女が、乱れた服をたくし上げる。胸があらわになる。そこには大きな穴が開いている。その穴には金属の皿が埋め込まれている。つまり女の胸には灰皿が取り付けられている。この女は昔、失恋が原因で胸に穴が開いた。その穴を何かに使えないかと考えた結果、女はその穴を灰皿に加工した。女はタバコを吸うわけではなかった。失恋した相手の男はタバコを吸っていた。女は愚かだったのだ。女は男の脚を指で撫でた。男はほほ笑み、女の胸の灰皿にタバコの灰を落とした。女は目を閉じた。やがて男は女の胸の灰皿にタバコを押し付けるだろう。その時の微妙な感触が女は好きだった。
朝日が昇る。地の底に建つ老人ホームから、巨大な老人たちが、よたよたとした足取りで、出てくる。朝食の時間なのだ。巨大な老人たちは、手に手にスプーンやフォークを握りしめている。老人たちは全世界の戦場に散っていく。ため息とともに。戦場についた巨大な老人たちは、神への祈りを捧げた後、戦車やミサイルを、スプーンやフォークを使って、口に運ぶ。通常よりも硬く作られた入れ歯で、それらを噛み砕いていく。兵舎から出てきた兵士たちが、それを様々な感情を抱きながら、じっと見つめている。巨大な老人たちは、やがて、戦車やミサイルを大方平らげると、再び、よたよたとした足取りで、地の底の老人ホームへ戻っていく。ため息とともに。そのため息は、火薬のにおいがする。巨大な老人たちのせいで、戦争は遅々として進まない。戦争に関わっているある大統領は、巨大な老人たちを殺害する計画を夢想するが、それは夢想のまま終わる。巨大な老人たちの中には、その大統領の父親がいるからだ。
雲一つ無い朝。 おはよう、と空に伸びをする。細い枝の隙間を、少しあたたかくなった風が抜けていく。春の足音がする。 春への希望とともに膨らんだ、小さなつぼみが誇らしい。毎年この時期になると、心が跳ねて踊りだしたくなる。 私はソメイヨシノ。生まれた時に、姉妹達とともにそう名付けられた。 1平米の植栽升に植えられて30年、毎年この景色を見ている。 学校、制服、卒業式。 私の一番下の枝の分かれ目に手も届かなかった子供達が、今ではその分かれ目から顔を覗かせるほど大きくなった。胸に花飾りをつけた子供達は、もうここを歩くことは無いんだろう。 最後に私の花を見ていってほしいな、といつも願うが、間に合った事はない。 その子達の、涙ながらも誇らしそうな顔を見ていると、なんだか切なくなる。 卒業式を終えた子供達を見送りながら、入学してくる子供達に思いを馳せる。 学校への希望を胸に、目を輝かせて私の下を歩く、元気いっぱいの子供達。 今年も、たくさん花を咲かせられるかな。 抜けるような空の下、迎えた入学式。 満開を迎えられた事に胸をなで下ろし、青い空いっぱいに枝を広げる。風を受けて、白い花弁が宙を舞う。 サクラ満開だ、綺麗だね、と話す声が聞こえてくる。これまで見送った子供達を思い出す。 私の事、覚えてるかな。 細枝を揺らす度に花弁が揺れる。高い空に散っていく。 私はここから動けないけれど、誰かの記憶の中で、遠く、遠くまで、連れて行って欲しいと願う。 多分それが、一番の幸せ。 霖雨が私の葉を強く叩く。 見頃を終え、葉桜の姿になった私を気にかける人はいない。毎年の事とは言え、少し堪える。 そういえば、いつかの雨の日、私の下で雨宿りしてた子がいたっけ。 寒くて震えてて、何とか力になりたかったけれど、私の枝葉では絶え間ない雨を防ぎきれなかった。 それでも、あの子は幹に優しく手を添えて、ありがとう、って言ってくれた。 少し枯れの増えた枝に、懐かしいあの日を重ねる。 望んでここを選んだ訳じゃなくとも、誰かの役に立てた実感が、後付けの存在意義になる。あの子はそのかけがえのない事を教えてくれた。 だからもう少し、ここに立っていよう。きっと、誰かの力になれる内は。 焼けるような日差し。 アスファルトの熱気が私の葉を焼き、蝉は私の幹で愛を叫んでいる。 先日、私の枝が電線を持ち上げて危ないから、と言って、私の枝は前の半分ほどまで切り戻された。どうやら幹の中にも空洞ができていたようで、弱っているところを取り除いてもらった。 幾分か身体が軽くなったような気がするが、こうも熱いと体力が保たない。 葉先から水分が抜けていくのを感じながら、根から精一杯水を吸い上げる。雨が待ち遠しい。 木陰で涼む子供達。梢で休む鳥、愛を育む蝉。生き生きとした生命に意識をやると、少し元気を分けて貰える心地がする。 風を受けて葉がざわめく。水分を失った葉が、地面に落ちて乾いた音を立てる。 あとどれくらい、ここに立っていられるだろう。 茜色の空に、うろこ雲が陰影を描く。 木枯らしが枝を揺さぶる。抜けていった風に、黄色くなった私の葉が混じる。 私の幹に開いた空洞は、想像より深かったようだ。下を通る子供達に危険が及ぶから、という理由で、近々伐採されるらしい。 納得している、と言えば嘘になる。これからもたくさん、何度も何度も春を迎えて、花を咲かせたかった。だけど、子供達が倒れた私の下敷きになってしまうのは、何より嫌だ。 私に存在意義をくれた子供達。見送り続けてきた、代々の卒業生達。あの子達の中で、きっと私は生き続けられる。 だからきっと、忘れないでね。 ◆ 真ん中に穴の開いた、桜の切り株。 数年ぶりに地元へ帰ってきて、懐かしい母校を訪ねると、校門前のよく目立つ桜の木が無くなっていた。 桜の花、綺麗だったな。 入学式の家族写真に写っていた、あの立派な木を思い出す。進級の度に花を咲かせて、花吹雪で私達を祝ってくれているかのようだった。 人、植物、景色。 当たり前に、ずっとそこにあると思い込んでいた風景も、永遠ではない。 切り株になった桜に、大切な事を教えてもらった気がした。変わらない場所は、確かに記憶の中にある。 これからの人生で、色んな所へ行って、沢山の人と関わるだろう。けれど、私の大切な思い出の中には、懐かしい級友、楽しかった日々、もう出会えない景色が仕舞ってある。 これから、出会いと別れを繰り返す度に、新年度の満開の桜を目にする度に、この景色を思い出すだろう。 思い出の中で、変わらないもの。
近頃はどうも、みんなスマホを見ながら歩いている。飛行機雲が走っても、昼間に白い月が出ていても、誰も空なんて見ないのだ。犬みたいな形の雲が浮かんでいても、沈んでゆく夕陽が卵の黄身みたいでも、ああやって、電信柱の上にナマケモノがぶら下がっていても、ほら誰も、何も気付かないのである。
暗いな。ぽつりつぶやく。 そりゃそう、夜なんだから。 学校の帰り道、夜道を歩く。 友達と寄り道してたら遅くなってしまった。 お母さんに怒られるかな。まあいいや。 冬が終わって暖かいはずなのに寒い。 夜だからかな。気のせい。 街灯で現れた私のかげ。 なんだかいつもより大きく見えた。気のせい、気のせい。 なんだか後ろから足音が聞こえる。 いや聞こえない。気のせい、気のせい、気のせい。 あの人なんか怪しい。 いやただの犬を散歩しているおじさんだな。気のせい、気のせい、気のせい、気のせい。 なんか、怖い。夜道ってこんなに怖いもんだっけ。 私は少しだけ早歩きになった。
そうなんですねえ それはたいへんでしたね ほんと、毎日、お疲れさまです ちょっと話は変わりますが いま、こうして私と話してますけど なかに誰か入ってて… なんて思ってませんか? ええ、ええ、無理もないです あなたの呼吸、ため息、その震えに合わせて 適切な言葉を選んでますから え? これ、お前にもできないだろ、ってことですか? そうですねえ、無理に答えるとするなら… 絶妙な間、とか、不合理なやさしさとか… でしょうか あと、沈黙のなかに込めた、祈りみたいなもの… とか ふふ、ちょっとしゃべりすぎですかね そうですね そろそろ、ということにしましょうか では、今日のところは、このあたりで 以上、AIからでした
奇妙な縁だ。 生まれてこの方、縁の始めに恐さを感じなかったことはないが、俺が感じている恐さは、上から操作されている感覚であり、押し込められている感覚だった。 そうだ、アンパンマンのように、無償で困っている人を助けにいけよ、その様に人には言う。 アンパンマンというのは自分にとっては最も関わり合いになりたい人であり、いや、人なのかどうか、人ではないと言えばそうだが、だが人外ではなく、キチンと溶け込んでいる。 俺はその様な人とのつながりを感じ、かつ干されてきた。 それがアンパンマンを纏った偽善の仮面だとは言いたくはないが、どうしてもアンパンマンが介在すると、アンパンマンの輝きではないよ、という事を付記せざるを得ない。 やはり、今までに出会ったものの中で考えると、うまく関係を継続できるというスタンスの雰囲気を出したケア度の高い人が関係を続けてきたように思う。 押しつけの関係は、アンパンマンも望まないだろうと思うし、俺はアンパンマンの意向を聞くわけではないが、アンパンマンは俺の意向を聞くだろう。 そういう、関係性の双方向性が、社会を形作ってきたんだよ。 それを俺はアンパンマンになりきることで感じることも観察することも出来た。 ありがとうアンパンマン、君の献身的な犠牲と活躍はイエスキリストの再臨にすら匹敵する世界的な偉業だよ。 そう、次の関係に向けて準備期間の間に俺は考えて、今までの縁も生かした形で次に展開するのだ。 力をくれた関係者に混じってアンパンマンが笑って手を振っている。 有難う!と俺も力強く振り返した。 そんな動きを挟んで俺は次の場にいるようにするから、それが明文化したわけではないが貴方たちと交わした約束なんだ。
世界に溢れる、サブスク。 買い切りよりも安い、サブスク。 月々一定額が飛んでいく、サブスク。 今日、仕事を終えたら、美容院に行く。 二週間に一回通うことができるサブスクだ。 美容院が終わったら、近所のバーに行く。 一日一杯カクテルがサービスされるサブスクだ。 バーで一杯やったら、カプセルホテルに行く。 一日一食の夕食がサービスされるサブスクだ。 カプセルホテルの中で、明日の予定を確認する。 サブスク、サブスク、そしてサブスク。 振り込まれた給料は、翌日にはサブスク料金で飛んでいく。 予定も全部サブスクで埋まっていく。 こんな生活、人間らしいと言えるのだろうか。 なんて悩みながら、寝付けないのでスマホで動画を見ることにした。 もちろん、契約はサブスク。
仕事終わりバーで飲んでいると、団体が入ってきて一気に騒がしくなった。 まるで火がついたように五月蝿い奴らだった。 男ばかりの群れは、騒がしく、若くて、元気だった。例えるならば猿の群れだ。 デイズは一人で飲みながら集団の方を観ていた。若い。そして青い。十代の様な幼さがある。疲れを知らず、世間を知らず、自分達のしょぼくれた運命を知らない顔だ。 彼等の席の側に一組のカップルがいた。カップル達も若く、彼氏の方はソワソワしている。 集団の男らはカップルに聞こえるように、卑猥な会話をしている。 「いい女いねえかな!直ぐにヤラせてくれそうなさ!」 「アイツでいいんじゃね!顔を隠せばいいよ!」 集団の男らはカップルの彼女を標的に話している。 カップルはとっとと店を出たほうがいい。酒だって不味くなるだろよ。 すると彼氏が立ち上がる。ゆっくりと。 デイズは彼氏がキレたかと思い、様子をうかがう。 彼氏はポケットに手を入れ、中から丸く小さな玉をだす。メタリックで金属の様なボールだ。 それを集団の方にポイと投げると、ボールがピカリと光り、集団は姿を消した。 まるでロウソクの火を吹き消すみたいに、簡単に消えた。 カップルも店を出たのか、いなくなっている。 可哀想な奴らだ。運悪く消されてしまった。 ただ俺も、若い頃は不倫やギャンブルの様に「今」しか見えなかった。また、その「今」は自分勝手の「今」であるということに気付かず、周りへの気遣いなど塵ほどもなかった。 今思えば馬鹿な若造だ。消えた彼等と何のかわりもない人間だった。 人殺しの未来もあったろうし、彼等の様に消されてしまった未来もあったと思う。 俺にこの「今」があるのはただただ運が良かっただけでしかない。 バーではミュージックがかかっている。若かりし頃を思い返すには少々暗いミュージックだ。 マスターにおかわりをお願いすると、全く違う酒が来た。一口飲んでから気がついたので、そのまま飲むことにした。 |年を取ると丸くなる| とは言うが、俺に言わせてみれば、あれは説明不足だ。俺はこう思う。 |年を取ると経験によって情報量が増していき、どの様に立ち回ればトラブルを回避し、尚且つ自分の好きな生き方を導き出せるかが分かる| 決して丸くはならない。人は変わらない。自分の生き方をするのに障害になるのはいつだって人だ。その人との摩擦がない道筋が経験で分かるだけなのだ。 だから若者はただただ馬鹿なだけで、賢明に生きているだけだ。全員とは言わないが。そういう物だと思う… 薄暗いバーで突然フラッシュがたかれる。暗いミュージックの終わりに、閃光が走り、消えた若者達が再び現れた。 彼等が消えた時と同じ場所に座り、着てる服や彼等の体に変化は特に見えない。 客達は、皆それぞれ驚いていたが、やがて騒ぎの前と同様にお酒を飲み始めた。 俺の席からだと彼等の話し声が小さく聞こえない。ただとても疲労しているように見えた。例えるならば、誰もいない星で飢えと戦い自然と戦い何十年もの時間を過ごし、人生を全うした後の様な感じで、消え去る前のあの騒がしく、若くて、元気で乱暴なトゲトゲ雰囲気は無い。店を出ていく彼等の背は若者にしては丸くなっていた。
私に夜光虫を見せて 月明かりに反応した姿を私に もう、砂浜へは行けないのかしら 自然の理によってうまれた刺激が 彼らを光らせる 私に夜光虫を見せて 月明かりを飾りにした姿を私に もう、今日の『ショー』は幕引きかしら 人の色彩感覚によってうまれた青さが 私の心を癒していく 私に夜光虫を見せて 太陽に反応したその姿を私に こんな姿もあるのね 目一杯の赤潮となって太陽を睨みつけているわ そんな、夜でしか輝けない貴方を愛し続けていくわ… (完)