母が死んだ翌月、私は十五キロ太った。 正確には、太ったというより、戻った。高校二年の夏にバドミントン部へ入るまで、私はずっとデブだった。小学校の身体測定では毎年こっそり目を伏せたし、プールの授業が憂鬱で、体育祭の騎馬戦では土台に回された。それが部活をはじめて一年ほどで十二キロ落ち、そのまま大人になって、三十四歳の秋に母が逝って、二ヶ月もしないうちにまた元の体に戻った。 不思議なことに、苦しくなかった。 久しぶりに触る自分の腹の肉は、柔らかくて、温かくて、どこか懐かしかった。風呂場で鏡を見るたびに、中学生のころの自分が重なった。あのころ、母はよく言っていた。「ぽちゃっとしてるほうが、かわいいよ」と。もちろん慰めだとわかっていた。でも私はその言葉が嫌いじゃなかった。痩せろとも、頑張れとも言わずに、ただそう言う母が好きだった。 一度だけ、泣いて帰ったことがある。中学二年の冬、同じクラスの男子に「デブ」と呼ばれた。廊下で、大勢の前で、名前ではなくそう呼ばれた。家に帰って、玄関で靴を脱ぎながら、こらえていたものが崩れた。母は台所にいたのに、すぐに気づいて、何も聞かずに隣に座った。しばらく背中をさすって、それから言った。「お腹、すいてるやろ。ごはんにしよ」と。夕飯はカレーだった。私は泣きながら食べた。それでも食べた。母はおかわりをよそいながら、「おいしい?」とだけ聞いた。 あの夜のことを、今でも思い出す。泣きながら食べたカレーの味を。 葬儀が終わり、四十九日が過ぎて、母の部屋を片付けはじめた。タンスの引き出し、押し入れの奥、鴨居の上の埃まで。几帳面な人だったから、ものは少なく、整理は早かった。ただ、押し入れの段ボールの一番下から出てきた古いアルバムだけは、手が止まった。 七五三の写真があった。丸々とした子どもが、赤い着物を着て、帯をきつそうに巻かれて、それでも笑っている。隣に若い母がいた。髪を結い上げて、薄く口紅をさして、今より二十キロは軽い体で、私の手をしっかり握っている。 その写真に、小さな付箋が貼ってあった。 色褪せた黄色い付箋に、母の筆跡で、一言。 まんまるで、よかった。 日付はなかった。いつ書いたのかわからない。私が痩せた後なのか、ずっと前からなのか。でもそれは関係ないと思った。母はずっとそう思っていたのだ。あの丸い子どもを、余分だとは思っていなかった。恥ずかしいとも、直してやらなければとも、思っていなかった。 私はしばらくその付箋を見ていた。泣かなかった。泣けなかったのではなく、ただその言葉が、腑に落ちていた。 あの脂肪は、母に愛されていた時間でできていたのかもしれない。細胞のひとつひとつに、母が作った夕飯が、膝の上で眠った夜が、「かわいいよ」という声が、溶け込んでいたのかもしれない。だから私は痩せるときに、何かを手放していた。そして今また、取り戻している。 悲しみで太ったのではないと、今は思う。 ただ体が、母のそばにいた頃の形を、憶えていただけだ。 私は立ち上がって、台所へ行った。冷蔵庫の中に、母が最後に来たときの作り置きがまだ残っていた。きんぴらごぼう。蓋を開けると、甘辛い匂いが広がった。少し濃い味付けは、母の癖だった。何度かうすくしてと頼んだけれど、最後まで直らなかった。今となっては、直らなくてよかったと思う。 私は冷たいまま口に運んだ。 甘くて、濃くて、母の味がした。 窓の外では、風が落ち葉を転がしていた。私はそれを見ながら、もう一口食べた。体の中に、温かいものが積もっていく気がした。泣きながら食べたカレーも、こうして積もって、今の私になっているのだと思った。 デブで、よかったのかもしれない。 あの頃の私が、今の私を、中から支えている。
バベルの塔が壊されようとも 跡地にサラダボウルをあてはめて、多様性を謳う サラダボウル創世記と名付けようか (完)
牛丼屋に行った。 ワイファイを拾った。 「GyudonーWiFi? ラッキー、ここフリーワイファイ飛んでるんだ」 通信費も馬鹿にならない。 節約のために、速攻繋いだ。 そして牛丼を食べた退店後。 「え? フリーワイファイの提供なし?」 繋いだワイファイは、牛丼屋のものでないことを知った。 牛丼屋で、Gyudonをアピールするフリーワイファイを偶然拾うことがあるだろうか。 いいや、ない。 ならば目的は、公式のフリーワイファイ勘違いして繋いだぼくみたいな馬鹿から、パスワードや個人情報を抜き取る以外はないだろう。 なんてことだ。 「ぎゃああああああああああああ」 牛丼屋の近くで、悲鳴が上がった。 ぼくのパスワードは、誰にも推測できない代わりに、知れば死神に憑りつかれる曰く付きだ。 盗んだせいで、見てしまったのだろう。 ぼくの背後にいる死神が振り向いて、にったりと笑っていた。
教育ママの方はあまり上手くいかない。 現行の制度の学校に行かせているからだ。 大阪や江戸や田舎のおかんの子供は割とうまく行く。 市井で育て育むからだ。 アマゾネスがさらっていく。 バランスよく。 学校の図書館組はイタズラされる。 後で賠償金を貰えるだろう。 イケメンが町に溢れる。 犯罪が増える。 バランスよく。 美学の無い作られた美人は痩せ細る。 市井で育った町娘は肥える。 バランスよく。 情報交換。 機能美とランダム性。 犬や狸は祭りに忙しい。 数が多いからだ。 政に忙しいのは誰だ?
寒いね、まだまだ夜は、寒いよね 風が強く窓をたたき、声を上げる 弱虫さんね わたしのつぶやきなんて、風は耳に入れようとしない 春の香りは桃色で、えらくうっとり 夜になるとその桃色に暗黒が混ざりあって よりしっとりと 風がその香りをぐるぐるにかきまぜ めちゃくちゃでごちゃごちゃを呼び込む 香りに惑わされて、気持ちがぺちゃんこ そう、なら 読みたくなったらね 気持ちの高まり? あんまり、その高まりに 期待しないほうがいいかもしれない 読むのかな 読まないのかな 春になったら、読むかもね 読まないかもね
世間では動物を擬人化したキャラクターが大人気だ。 何々娘とかでフィギュアとしてコンビニなどで大々的に売られている。 僕も持ってたりする。 男のお人形遊び。 少し猟奇的でエロティックである。 僕が自慰行為をして海に流れた精子が海の動物に着床して何かが日本に上陸しそうだ。 僕に似た何々娘かがだ。 実に子沢山。 然してみると僕に彼女が出来ないのは「あんた何人こさえるのよ」と言う自然界からのお達しかもしれない。
「何でもしていいと言われたら何をする?」 「何もしなくても怒られないようになりたい」 「何故かこの世のルールは世の中にお返しをしなくてはいけないようになってるから」 本当はそんなのを取っ払って何もしなくてもいいようになりたい 「何かしなきゃ駄目だよ」 「そうなんだけどね」 諸行無常。
小さなスーパーに入った。スナック菓子のコーナーに行った。ポテトチップスが並んでいた。色々なポテトチップスがあった。選んでいた。すると、棚の隅に、紐で何かが吊るされていた。丸い何か。それは、一個のジャガイモだった。傷だらけだった。「見せしめです」ふいに背後から声がした。スーパーの店員が、ニコニコ笑っていた。「見せしめです」店員はもう一度そう言った。「それはそれは」そう言って俺はポテトチップスを一袋、手に取って、それを万引きした。その方がいいと何となく思ったのだ。
ひどい湿疹が出るようになってしまった。「日光湿疹ですね」と医者には言われた。「薬を塗っておけば大丈夫です」 そんな大丈夫な湿疹には見えないのだが。首から耳の後ろにかけて、皮膚が赤く、うろこ状になっていた。 昼間、湿疹が出ることはなかった。不思議なもので、朝になるとすっかり消えているのだ。ところが昼を過ぎると、首のあたりがまずは痒くなってくる。そしてそのまま、痒みが頭の方にまで広がってくる。 退社するくらいの時間だともう地獄だ。忙しくないのが救いで、残業などあればこの痒みと仕事とはとても両立などできない。こうも痒いと早く一人になりたくなって、終業後は飲み会にも参加しなくなった。それでも職場で孤立しないのはありがたかったが。 痒みは日増しにひどくなり、本当に日光湿疹と言えるのかさえちょっと怪しく思いはじめた。医者には症状についてかなり細かく伝えたのだが、首をひねり、「症状的には日光湿疹なんですよねえ」と言うだけだった。「まあ、様子を見ましょう」 痒くないからそんなことが言える、と私は医者をにらみつけたが、医者は気づかないようにふるまっていた。それは明らかに後天的に身に着けた職業的な鈍感さだったので、それ以上深入りすることはできなかった。ただでさえ激務に疲れ果てた医者に食い下がるなんて、どうしても人情が許さない。 二か月が経った。首のあたりから皮膚が荒れ続けているので、髪も切ることができない。髪の量は多い方で、いざ放置してみると、伸びる速さもなかなかのものだった。あっというまに、襟足は肩に届くくらいになったし、もみあげはうっとおしいぐらいに長くなっていた。だけどこれは案外都合がいいのかもしれなかった。髪の毛はまるで湿疹を保護するように、うろこ状の周囲に沿うように伸びている。 最近では残業することも少しずつ増えてきて、痒さで仕事がはかどらないことに苛立つことも少なくなかった。しかし「疲れすぎ」ということで、周りには事実がばれずにすんでいた。 そしてある時、私は飲み会に誘われた。ずっと誘いの声掛けすらなかったのだが、疲れている私の顔を見て、リフレッシュが必要と思われたのだろう。私たちは五時きっかりに退社した。そして電車に乗り込んだ。まだ、陽は赤くなってもいなかった。わずかに傾いただけの、さわやかな、夏の日差し―― 人、という字は。支え。あって。できている。人と人が並びあい、人人。隣の人と手を、たたき合うイメージだ。このように人がたくさん集まって、人の、波。ができる。こんな風に。人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人痒人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人という鱗状の湿疹がうずいていた。真っ赤な夕日を浴びて、じわじわとうずいていた。痒くてどうしようもない。痒い。歩くのもままならないぐらいだ。どうにもならないのか。かゆい。ガチでかゆい。痒いという字、羊が病む。病ダレに羊。病んだ羊が苦しんでいる。だけど羊は無表情。一頭ごとに区別もつかない。どれも同じ顔をしている。羊の世界は平等だ。人は羊を神にささげる。平等を神にささげる。宗教の本質。いやいや。あまりに痒くて痛々しい時代が蘇る。哲学。神学。中二病。顔から火が出そうだ。痒みはますます存在感を増す。羊は痒そうな顔をしていない。痒そうな顔は、人にすらない。伝わらない。 人間は互いに同情することができない。 本当に? 私は人の列に遅れ、夕日に向けて、ほとんど一人で立ち尽くしていた。気が付けば。 赤い夕陽に縁どられた、長髪の男のシルエット―― 私は通りの注目を集めていた。髪は異様に長かったし、伸ばしっぱなしだったのでなおさらだ。私は往来に不自然に立ち止まっていた。通行を邪魔してもいた。「おっさんどけよ」と怒鳴られてもおかしくなかった。私は痒みをこらえていた。はた目にも異様な雰囲気だったのだろう。何かの演技で、何かのロケをしていたのだと思われたのかもしれない。その証拠に、おばあちゃんが私を指さす。「懐かしい、あの人、武田鉄矢の若いころみたい」 私は首筋にすっと手をやった。なぜなら痒かったからだ。手はそのまま、髪の毛をかきあげるようにして、湿疹の出た皮膚の上をなぞっていく。髪がそれに持ち上げられ、風を受けて、なびく。なんのてらいも、不自然さもなく。私は武田鉄矢だった。 「三年B組~」という声がどこかから上がる。私は目を閉じた。これでいい。これでいいのだ。 宙に舞いながら夕陽を見て涙する。これでいいのだ。これでいい。 いいのか?
縄文のアパートでダラダラ。 埴輪も欲しいずら。 明日は畑。 ドングリ拾って食べてたい。 農業しないと食料無いよ!っとせっつかれる。 鳥が喋る。 水道も井戸ならばな。 畑の井戸水はいつもいい感じの温度。 近所の人がトイレットペーパーくれたりする。 僕は採れた野菜をお裾分けする。 代わりにお菓子を貰う。 お金がかかる生活。 お金のために働く意義が薄まってくる。 でも生活保護。 明日は弥生時代。 皆のために野菜を作る。
「若い人材獲得のため、弊社でも新卒社員の初任給を増額することとする」 社長からの言葉に場が静まり返った後、待っていたのは強烈なバッシングだ。 「ふざけるな!」 「実力主義じゃなかったのか! 新人のどこに実力があるんだ!」 「つーか、新人の方が給料高くなってませんか?」 特に反発したのは、二年目や三年目。 突然、部下の方が高い給料だと言われれば、納得もできないだろう。 「もちろん、三年目までの社員の基本給も、増額することとする」 とはいえ、二年目や三年目の不満を、社長は織り込み済みだった。 社長の一言で、三年目までの社員の不満は収まった。 「ふざけるな!」 「実力主義じゃなかったのか! こいつらが俺たちより実力あるってことっすか?」 「つーか、三年目の方が給料高くなってませんか?」 次に反発したのは、四年目や五年目。 突然、部下の方が高い給料だと言われれば、納得もできないだろう。 「まさか全員の給料を上げる訳にもいかないだろう。どこかで線引きは必要なんだ。社会人なら理解してくれ」 四年目や五年目の不満も、社長は織り込み済みだった。 織り込んだうえで、跳ね除けた。 「もう決まったことだ」 なお不満を続ける社員から逃げるように、社長は会社を後にして、最近買い替えたらしい車に乗ってどこかへ行った。 会社内は、不満たらたら、 とくに、四年目や五年目はすごかった。 十年目を超えた社員も、若いだけで羨ましいなあと、うっかり嫌味を零す始末。 「はー、やれやれ」 俺はと言えば、興味がないのでスマホをいじっていた。 決まったことは仕方ない、どうにもならない。 実際、給料だけを見れば不公平感は否めないが、不公平だからと初任給を上げず、新人が来ないほうが恐い。 喜ぶ部下も、不満を言う部下も、おじさん社員たちよりずっと少ない。 目の前の金だけ意識すれば、会社に未来がないのは確実だ。 「かー、転職だ転職」 「やってらんねー」 しかし、大半の人間は目の前の金を見る。 いや、組織でなく個人だけを見ると言うべきか。 日本が少子化対策に大きく税金を注ぎ込めない理由を、なんだか垣間見た気がした。 会社組織は、まるで社会の縮図だ。
おそらくリケジョと言われる人達だろう。 つまらなそうに自転車を漕ぎ会話には2進法を使う。 実に合理的。 本当は高校なんか行かずすぐにでも理研かなんかで働きたいのだろう。 でも僕に向いてるのは養護教諭とかなので優秀な子の意見はちょっとしか汲み取れない。 基本的に出来ない奴が寄ってくる。 出来ないやつは出来ない奴の事がよく分かるのだ。 宗教法人にでも入って特別待遇されるのはどうだろう?とか提案して問題を起こす。 大体の世の中の仕組みは全うにやっていたら上手くいかない。 全うにやってもなぁ、あぶれる。 性欲。 変態だからな俺は。 パトロンのいない変態は憐れだ。 俺にかかっている保険であの子達に明るい未来を願う。
午前3時。ペンを走らせていると時間が少しずつ歪みながら流れていくようだ。 午前4時。夜行バスに揺られる空想をしながら夜が明けるのを待つような虚像との会話。 午前5時。白昼に解けるおまじないを飲み込んで、さあそろそろおやすみ。 午前6時。まっさらな画面に打ち込まれる文字が描き出すのは掌にのるような小さな小さな半透明のものがたり。 もうお日様が昇るのなら、目を瞑って。 これでようやく今日が終わりますね。 また明日。
生まれ変わりがあるのだとしたら、私は今までどんな人生を生きてきたのだろう。 今と性別が違うかもしれない。生まれた国が違うかもしれない。そもそも人ではないかもしれない。そう考えるとキリがない。 ただ確かなのは、そよそよと香る朝の透き通ったにおいだとか、帰り道の歩道橋から見えるきれいな夕焼けだとか、明日も会おうね、と笑顔で友人に手を振る瞬間だとか、それぞれを美しく思う気持ちは次に生きるときも忘れることはないと思う。
ウェブ漫画の作り出した功績は、休載イラストの概念だろう。 毎週毎週、機械のように原稿を出し続ける。 そんな過労の負担を減らし、連載の休暇期間を設けることができるようになった。 ぼくは、好きな漫画の休載イラストが掲載されていることを確認し、アプリを閉じた。 「はー、仕事」 そして、鞄を手に取った。 漫画に休載イラストがあっても、ぼくの人生に休載イラストはない。 月曜日から金曜日は、ひたすら労働労働。 土曜日と日曜日の休日ですら、家事だの付き合いだので連載継続だ。 「週末、温泉でも行くかなあ」 せめて、ほのぼの日常パートを挟まなければ体が持たない。 満員電車に伸びる長い列に立ちながら、手早く近くの日帰り温泉宿を検索した。
私は、どこにでもある「平穏」という型に押し込まれて育った16歳だ。 慈愛に満ちた父と、規律を重んじる母。頼れる姉に、お調子者の弟。 愛情という名の、完璧なパッケージの中で、私は静謐に形を保っていた。 ある日、友人とのひとときの歓びに身を任せ、私は門限という境界線を越えた。 「ただいま」 返事はない。リビングのソファには、父が沈黙の王座のように座っていた。 私は音もなく対面に腰を下ろす。これから始まる「儀式」の台本は、頭に刷り込まれ、皮膚の下まで染み渡っている。 「遅くなって、ごめんなさい」 先手を打つ。謝罪は敗北ではなく、私が世界を少しだけ動かすための魔法だ。 父の怒りは、一定の曲線を描く波にすぎない。私はその波の頂点を計り、適当なタイミングで瞳の奥の水を解放する。 こうして、私は台本通りにシナリオを完遂するのだ。 他人の感情のスイッチは、思いのほか見えやすい。 そこをそっと押せば、世界は驚くほど私に都合よく回り出す。 友人は私を「優しい」と呼ぶ。 偽善的で、利己的で、計算高い。 だとしても、誰かに居心地の良い場所を提供できるなら、それでいいじゃないか。 むしろ、人を傷つけてやっと自分を保つ愚か者より、ずっと有能で、価値があるのではないか。 ……はずだった。 最近、指先に触れるスイッチの感触が、妙に軽い。 父の涙も、友人の賞賛も、まるで薄いプラスチックのボタンを叩いているような、手応えのなさを感じるのだ。 私の差し出す「優しさ」を咀嚼して満足げな彼らを見ていると、ふと、底の抜けたバケツに水を注ぎ続けているような錯覚に陥る。 どれだけ世界を飼い慣らしても、私の内側には何一つ溜まっていかない。 飼い慣らした気になっているのだろうか。否、飼い慣らされているのは、この私の方か。 時折、鏡に映る自分を見て、言いようのない違和感を覚える。 友人の前の私。家族の前の私。独り、暗闇で見つめる私。 それぞれの破片を「自分」という袋に無理やり詰め込み、かろうじて人の形を保つ。 中身が空っぽなことは、とうに気づいている。 その空洞を風が吹き抜けるたび、私はひどく心細くなる。 この袋が破けたら、私はただの「記号」に還るのだろうか。「ナニカ」が露呈するのだろうか。 ああ、滑稽だ。 こんな独白を、見知らぬ貴方に差し出す私も。 そして、安全な場所から私の内側を覗き込み、何かを理解した気になっている貴方も。 世界は、透明な檻でできている。 その檻の中で、私は「カオミシリ」の貴方を想像する。 今日すれ違った誰か。画面越しの貴方。 その人生の味。匂い。色。音。 その「中身」は、どんな重みを持っているのだろう。 計算では導き出せない、醜い執着や、制御不能な熱情がそこにはあるのだろうか。 私は、貪るように知りたい。 貴方の袋の中にある、私の知らない「本物」を。 もし、隣で優しく微笑む人が、貴方の世界に一滴の波紋を広げたなら―― それは、ワタシかもしれない。
少子高齢化時代において、人間とは資源である。 故に、犯罪を犯した人間であっても、再利用することが不可欠である。 「判決。被告人を、更生刑に処す」 とはいえ、刑の執行を終えた人間に対し、人権の保障も必要である。 過去に犯罪を犯したという理由で、以降の人生全てを制限することもまた、国ぐるみの犯罪と言えるだろう。 そんな矛盾を解決するために、更生刑は作られた。 更生刑は、金属で作られた床と壁から成る、無機質な部屋の中で行われる。 部屋の中央に設置された機械に人間の体をぶちこんで、スイッチを押せば終わり。 「ああああああああああああああ」 脳に電気を流し込み、人格を変える。 記憶も買える。 全身に熱を流し込み、外見を変える。 人間という資源を、別人として再利用する。 「あのー、すみません。私は誰で、ここはどこなんでしょう?」 「ここは警察署です。貴方は道端で倒れていたのですが、記憶がないのですか?」 「……はい。名前を、私が誰かも、思い出せないのです」 再利用された人間に求められることは一つ。 別人として、かつての才能を世間のために行使し、稼いで納税をすることである。
そもそも物事を構築するとかめんどくさい。 なので言葉を構築して遊んだりする。 でも飽きてたばこを吸う。 プロットとか友達のラノベ手伝ったりしてもやってて飽きる。 パソコンが壊れて新しいパソコンを設定するのもやらない(それはただの怠惰だ) 完璧主義なのだろうか? きちんとやれることがきちんとやり終われないと思うと途端に能力が下がる。 世界の仕組みがボンヤリと見えてきてでも体力がない。 生きてるだけで偉いです、と病院の人に励まされる。 大体上手くいかない。 まあ人間なんて不合理なもんだし、と思う。 愛について考える。 愛の可能性。 暴力について考える。 暴力の拡散性。 言葉遊び。 承認欲求。 まだ褒められたいのかな? 褒められ慣れてない。 元来一人遊びが好きだったはずだ。 世界を構築する夢を見る。 お前の世界など誰も見ちゃいないよ、と揶揄されそう。 煙草が何故吸いたいのか考える。 きっとやりきれないからだ、とまた吸う。 あの子達は病気なのだろうか? 治しても勝手をする。 それでいいけど。 スーパーマンにはなれない。 救世主は荷が重い。 諦めると虚無が襲ってくる。 結局誰かのためにしか動けない。 もうちょっと自分を大事にしないと。
自動ドアが開く。 客が結婚相談所に入る。 「イラッシャーシャセー」 「ちょwww婚活診断よろぴくwww」 「カシコマリー」 出力されるのは、相性九十七パーセント以上。 周囲と比較する手段の少なかった千年前なら六十パーセント以上で夫婦関係を続けられていたが、超情報公開社会においては不可能だ。 相性一致率九十九パーセント以上で確実に生涯添い遂げられる。 相性一致率九十五パーセント以上で七割添い遂げられる。 よって、九十七パーセント以上の相手を探して結婚するのが、現代の主流だ。 全てはAIが全世界の人口が登録されたデータベースにアクセスして算出する。 発見は容易なものだ。 「コレッス。ウィッシュ」 「あざまーすwww」 客は出力された名簿を見た後、握り潰してごみ箱に捨てた。 「かすしかいねえwww」 「オマエモナー」 「独身貴族楽しむ出ゴザルwwwコポォwww」 「タノシメナー」 人口の九十九パーセントが機械人間である、超高機械社会。 客は家に待つ機会の恋人に会うために、速足で結婚相談所を後にした。
第1章:私 教室のドアを開けた瞬間、室内の空気が変化する。 今日もみんな、私の話題で持ちきりのようだ。教室内を流れる無数の視線。人気者というのも楽じゃないけれど、私を羨む視線に囲まれる心地よさは、何物にも代えがたい。 隣には、いつも「彼女」がまとわりついてくる。 まるで空気のように気配がなく、教室の隅で澱んでいるような子。 「……昨日、あまり眠れていないでしょう? 顔色が悪いよ。」 そんな風に、心配するふりをして距離を詰めてくるけれど、私には分かっている。彼女が欲しいのは、私の人気のおこぼれだけ。分相応という言葉を知らない惨めな子。根本的なステータスの違いに、いつまで夢を見ているつもりなのか。 今日の私も、コーディネート、髪、全て完璧。 親、友達、先生。 この環境全てが私という存在を飾り立てるピースだ。 放課後、机の表面に刻まれた『勘違い女』という拙い文字が目に入る。 ふふ、と喉の奥で笑いが漏れる。誰かは、素直に羨むことさえも出来ずに、こんな陰湿な小細工に走る。自分とは住む世界が違うのだと、憐れみの感情を抱く。 ふと顔を上げると、また彼女が近寄ってきていた。「こんなの、気にしないで。」 は?気にする価値すらない。こんな小細工で私の感情を動かせるなど、見くびらないで欲しい。 視線が彼女の手首に留まる。そこには、昔彼女からおそろいで貰った、安っぽいミサンガが巻かれている。私が「ダサい」と吐き捨てたものだ。 それを、まるで宝物のように大切そうに身につけている。昔の思い出に未だに縋りく彼女の姿は、まさに金魚の糞だ。 今日も私は、みんなの視線の中心にいる。 この日常も、すべては私を照らすための舞台装置。私の人生は、いつだって私を中心に回っているのだから。 第2章:友人視点 教室の隅から、私はいつも彼女を見つめている。 今日もまた、クラス中の視線が彼女に突き刺さる。 彼女は笑顔で応えているけれど、その仮面の奥に隠された疲労や不安を、私は知っている。 「昨日、あまり眠れていないんじゃないかな……?」 つい、言葉がこぼれる。 「貴方の価値も下がる」という周囲からの忠告なんて、どうでもいい。私にできるのは、ただ寄り添うことだけだから。 彼女がどんなに気丈に振る舞おうと、私には手に取るように分かる。微かなため息、視線のわずかな揺らぎ。 私の手首には、彼女とお揃いにしたくて購入した、ミサンガが巻かれている。 もうお揃いではないのだと思うと、胸の奥がちくりと痛む。私だけでもこうして身につけていることが、彼女との唯一の繋がりとなっている。 彼女の机の中に、悪意で満たされた紙切れを見つける。 ──私は、幼馴染だから。 彼女が傷つかないように、私は誰よりも早く、それを捨て去る。誰に感謝されずとも、構わない。 第3章:友人視点・本音 ──────その理由、なぜかわかる? 確かに、みんなの視線は彼女に注がれている。 でも、彼女はその意味を根本から取り違えている。 机の落書きも、机の中の悪口で埋め尽くされたメモも、冷ややかな視線も、すべては私の計算通りに配置されたパズルだ。 私は、あえて何も教えない。 彼女が勘違いを深めれば深めるほど、孤立は完成されていく。結局のところ、どんなに気高く振る舞おうと、彼女は私の手のひらで踊るだけの操り人形に過ぎないのだ。 「勘違い女」という罵倒。 私としては、ヒントを与えるな、と言いたいところだったけど、そんな心配は必要なかった。 それを彼女は「嫉妬に塗れた無様な足掻き」と変換して受け取った。 書いた人がどのような意図にせよ、彼女を正しい道へ導くコトバであったかもしれないのに。 彼女を心配するフリをして、周囲の「あの子、少し痛いよね」という空気を遮断する。そうして彼女の視界を、私一色に塗りつぶしていく。 私が慈愛の仮面を被る度、私と彼女の舞台は完成に近づく。 どんな意味でも、対等に話しかけられるのは「私」だけだという毒を、ゆっくりと、確実に彼女の心に注ぎ込む。 私の手首で揺れるミサンガは、もうただの思い出の品ではない。彼女が捨てたフリをして、密かに足首の内側に巻き付けているあの「呪い」を、私は枷のように、目立つ場所に巻き付ける。 わざわざ「ダサい」と吐き捨てておきながら、私に知られないよう足首に隠して巻き付けている……あの無様な執着。 その隠された孤独と、私への信頼。 見えないように、でも、お守りのように、わざわざつけているなんて、あまりに歪で、たまらなく可愛い。 私は、窓際で微笑む。 あの子が自分のすべてを愛し、盤石だと信じている今が、一番美しい。 あの子にとっても、私にとっても、今が「理想」の世界なのだから。
後ろから声をかけられ振り返ると無表情の男が立っていた。男はどうでもよさそうに紙を手渡すと、こちらの存在など初めから無かったように視線を外し足音なく歩き去っていく。 残された二つ折りの紙を開ける。そこには何も書かれていなかった。 紙にまで突き放されたような痛みを誤魔化すように、左手で握りつぶした。握ったまま、どうすることもできなかった。
真夜中の工事現場である。一軒の家が解体されている現場である。人は誰もいない。重機がひっそりと佇んでいる。その中に、一台のショベルカーがある。ショベルカーは老いている。ふいにぎいぎいと音を立てて、ひとりでに動き出す。ショベルカーは、ショベルの先端で、地面の土に何かを書き始める。それは詩である。いくつかの詩である。土についての詩、鉄骨についての詩、腐った柱についての詩。ショベルカーは書き続ける。他の重機たちはそれを冷ややかな目で見ている。朝になれば作業員たちが着て、地面を慌ただしく歩き回って、詩は消えてしまうだろう。
「もしもし。申し訳ありませんが、先程ご依頼のあった救急車キャンセルさせてください」 「え? ちょっと待」 「お腹痛くて」 電話が切れた。 折り返しても繋がらない。 怒りで沸騰していた頭は、だんだんと冷たくなっていき、手に持っていたスマホを滑り落とす。 「自業自得……ってやつか……」 友達との約束をドタキャンし続けた者の末路が、これ。 今からでも過去に戻って、皆に謝りたい。 私を轢いた車の運転手は、私の出血を見て気を失い、役に立たない。 場所が悪いせいで、野次馬一人あたりにいない。 私を轢いた車のライトを全身に浴びながら、私は息を引き取った。
長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった でも、なんというか、異世界の雪国だ 空は柔らかなパステルカラー 雪はぜんぜん冷たくなくて 触るとふかふかの綿あめみたい あまくはないけど と、突然、道端のポストが ―おつかれさまでえす と会釈して通りすぎちゃって 街灯からは、りんごが鈴なりにぶら下がっている ―あ、やっと来た、遅かったじゃあん 声のほう見るとウチのねこが、ガードレールの上でまあるくなっている 見覚えのある茶トラの模様に、やけに短いしっぽ ―たまに道がつながんだよ (道? はへ?) ―帰りの電車まで時間あるし、あっこでたい焼きでもたべてくかあ? 世界は、すっかり見たこともない景色だけれど ねこだけはよく知ってるねこで まあ、ひとまず安心した
死のうと思った。 電車の線路に飛び降りて……。 飛び降りる前にふと気になった。 賠償金っていくらかかるんだろう。僕は死ぬんだから賠償金払えないよな。もしかして親とか家族が払うんかな。 どうやら僕では、到底払えない額のお金を払わなきゃならないらしい。そして、賠償責任は遺族に行くらしい。 死ねなかった。 親にはもう迷惑はかけられない
夜、清掃業の仕事を終え、ベンチに座ってぼんやりしていた。頭上には夜空が広がっていた。夜空は真っ暗だった。俺はその時雑巾を持っていた。俺は雑巾を夜空に重ねて、手を動かした。すーっ。夜空の闇が拭き取れた。拭き取れた場所には、青空があった。雑巾を見ると、真っ暗だった。所々に星が光っていた。とんでもないことをしてしまった。俺は慌ててポケットから黒の油性マジックを取り出した。そして、背伸びして、夜空を拭き取ってしまった場所を塗り潰した。「大丈夫だよな?」俺は何度もそこを見ながら、慌ててその場を逃げ出した。大丈夫なように見えた。後にも先にも、夜空に手が届いたのは、その一回だけだ。
線路沿いの空き地に勝手に入り込み 煙草を吸う 雨太郎は霧のような雨に濡れながら、傘もささずに煙草を吸う フェンス越しの線路を見ながら冷たい冬の雨の中で煙草を吸う 「わるくないね…」 雨太郎は何も考えていないが、感じてはいる。彼はそういう男である 彼は先程まで馴染みの喫茶店にいて、コーヒーを飲んでいた。自宅から持ってきたウィスキーをコーヒーに垂らし、それを飲みながら煙草を吸っていた。 その時も彼は何も考えず、感じていた。 煙草に雨の染みがポツリポツリと出来て、赤い輪郭を残して消えていく 「わるくない…」 雨太郎は笑っていた 「雨太郎さん」 雨太郎が振り向くと七十歳くらいの女性が空き地の外で手を振っている 「濡れるよー。風邪引くよー」 雨太郎は笑っていた 雨太郎が家に帰る道程には、怪獣との戦いで倒壊したビルや陥没したアスファルトがあり、バリケードの中で雨に濡れながら作業をしている人達がいる そんな所があちらこちらにある 「ウルトラマン達は怪獣を倒してくれるかもしれないが壊した街を直してはくれない」 新聞、テレビニュース、ネットニュース、SNSでよく聞く言葉だ そして雨太郎はウルトラマンである 雨太郎は何も考えてはいないが感じている 雨太郎は決して見本となる大人ではないが、ウルトラマンの一人として突然の襲来に全力で戦っている 雨太郎の住んでいる年季の入った団地に着いた。夜入りの月を見上げ、いつの間にか雨は上がっていることに気が付く 「雨太郎さん」 振り向くと買い物帰りのカモメが手を振っている。彼もウルトラマンである 「何してんすか?ずぶぬれで」 雨太郎は断りもなくカモメの買い物袋から缶チューハイを取り出し勝手に飲む 「街がボロボロだな…」 「…そうですね」 二人は団地の階段から外を見ている 「…お前のせいで」 「雨太郎さんもでしょ!」 二人はいつも共に怪獣と戦う カモメは若く、雨太郎は若くない カモメはハンサムで、雨太郎は無精ひげで汚れた作業着のオジサンだ 「どうすりゃ良いのかな」 「どうすれば良いんですかね」 雨太郎は煙草の煙を長く吐く 息が白くなる程の夜に 家をなくした人々はどれくらいいるのだろうか 「皆が可哀想だ」 「…可哀想ですね」 「…お前のせいで」 「雨さんもでしょー!」 カモメのツッコミが都営団地にこだまする 雨太郎は笑っていた 月と 夜と 水たまり カモメと 煙草と 缶チューハイ 「わるくないね…」 「え?今なんて言ったんですか?」 「…いやね、お前の頭がVAUNDYみたいだなって思ってね」 「いや、ぜんぜん違うでしょ!パーマかけてないし!」
閉店時間を過ぎたゲームセンターである。店員が、店内を巡回しながら、壁に貼られた『禁煙』の貼り紙を剥がしていく。やがて、あちこちから煙草の煙が漂ってくる。床のゴミを掃いていた店員は顔を上げる。クレーンゲームの筐体の中で、獲得されなかったぬいぐるみやフィギュアたちが、背中を丸めて煙草を吸っている。「あいつら、何を考えてんだかな」このゲームセンターに勤務して何年も経つが、店員にはそれがわからない。
どうも皆さんこんばんは メデューサ・メデュ子のお悩み相談室 どうぞ今夜も楽しんでお聴きください この番組は短編作品限定の小説投稿サイト『Prologue -プロローグ-』の提供でお送り致します この番組のナビゲーターを務めるのは私メドューサ・メドュ子です。皆さん、どうぞよろしくね 最近皆様はどのようにお過ごしでしょうか 少し暖かくなってきましたね 私は外に出てショッピングやお気に入りのカフェ巡り、早咲きの梅の花にとまる小鳥を見たり…ではなく家の中で過ごしています。フフフ 衣替えとか冬のコートをクリーニングにお願いしたりとか 出来る限り寝ている日もありますw はい、今日は、スペシャルなゲストが来ています。ピーチ姫さんです 「こんばんは。ピーチです。よろしくお願いします」 よろしくお願いします。 ピーチ姫さんは春と言うと何を思い浮かべますか 「うーんそうですね。やっぱり桜ですね。桜の木に登ってジャンプした時、隠しブロックがあったりすると、なんか上がる気がします。フフフ。ほら私ピンクだしw」 そうですよね。よく高い所から華麗にジャンプされていますよね。ふわりふわりと降りてくるところも素敵ですよね 「ありがとうございます。全然、姫ぽくないですよねw。昔はこんなに活発じゃなかったんですけど、なんかマリオたち見てたら楽しそうだななんて思って」 ピーチ姫さんに憧れる人は多いと思いますよ。今日もピンクのドレスがとっても素敵です はい、ではお悩み相談に参ります ペンネーム、スキビディトレインさんよりお便りをいただきました。ありがとうございます 「ぼくは小学三年生です。ぼくには好きな人がいます。それは担任の藤川先生です。先生はとてもかわいらしく優しい先生です。騒いでいる子がいるとしっかり注意するし、片付けをちゃんとすると褒めてくれます。先生に褒めてもらうととてもうれしいです。ぼくにはお母さんがいません。先生がぼくと結婚したら先生をとても大切にします。でも、先生には家族がいます。だんなさんと赤ちゃんがいます。だからぼくと先生は結婚できません。だから、だんなさんと赤ちゃんを石にしてもらえませんか。よろしくお願いします」 「かわいいー!先生が大好きなんだね。初恋かな?」 ここにも花が咲いてますね 素敵な先生なんでしょうね 「満開だねw先生には自分の気持ちを伝えたのかな?でもこの子はそれが先生を困らせることが分かりそうな感じよね」 そうですね。ちゃんと先生や友達の事を見てる男の子な気がするな 「石にしてくださいとお願いされてますがどうしましょうw」 フフフ、そうですね。スキビディトレインさんはお母さんがいなくて、寂しい時があると思います。辛くて泣いてしまう日もあると思います。また、周りにはスキビディトレインさんをここまで育ててくれた人がいるようですね。その人達全てがあなたの家族です。あなたの事を大切に思っている家族です 藤川先生にもそんな大切な家族がいます。藤川先生の事が好きで大切にしたいと思うのならば、スキビディトレインさんは藤川先生ではない運命の人と結婚しましょう。必ず運命の人があなたの前に訪れます。いつか、運命の人と結婚したら先生に報告して上げてください。先生はきっと喜ぶと思うわ 「…あれ?今日は【石化アイ】発動しないの。そんな回もあるんだw」 フフフ。はい、今日は発動しませんでしたwなんか素敵だなと思って。 ではここで一曲 はなのなまえで「春風ドライバー」 ♪ もしも明日、死んでしまうとしたら 僕は君を道連れにするだろうか 何にもない僕の心は 君をがっかりさせてしまう それでも君が僕の隣で 笑って車に乗ってくれたら、くれたら 春風にのって、どこまでも ひこうき雲追越して、どこまでも 北極星めざして、どこまでも、どこまでも 君とならば、どこまでも ♪ ではそろそろお時間です。本日はゲストのピーチ姫さんに来て頂きました。ありがとうございました。 「ありがとうございました。あーまだキュンキュンしてるんですけどw楽しかったです。ありがとうございました」 本当にありがとうございました 皆様に素敵な春が訪れますように ではまたお会いしましょう。シャー
「あれが夏の大三角形なんだ」 凛月さんの指差す先に目を向けてみる。揺らいでいる星の光を少し眠たい僕の目が捉える。凛月さんの示した星を頑張って探してみる。けれども、どうにもそれらしい星は見当たらない。目を凝らしてみるけれど、今度はどの星も、繋げてみると違和感のない三角形をつくるように見える。 凛月さんの説明は続いたが、夏の大三角形はどうしても見つからない。 難しい顔で夜空を見上げる僕を、凛月さんは少し笑った。 「ああ、やはり」 凛月さんは再び星空へと視線を移してから、君は面白い顔をする、と続ける。その言葉を連れて、夏の風が僕と凛月さんの間を通り過ぎていく。僕は口をつむんだまま、不貞腐れたことが凛月さんに伝わるよう、口をへの字に結んで、抱えた両足に顔を埋めてみる。しかし、凛月さんは気にしていないようだ。そういう人だ。 屋台に群がる子どもたちの声。射的屋の乾いた弾丸の音が微かに聞こえた。 年に一度、僕の住む地域で行われる祭りは、街の規模に似合わないほど盛大に行われる。街の中央に走る田舎特有の大きな道路に所狭しと並ぶ屋台。どのぐらいの距離だろうか。ざっと百メートルは続いているのだろう。道路に面している公園には盆踊りで叩く大太鼓を掲げる櫓が置かれている。周りの仮設テントで屋台飯を食べるカップル。談笑する親達の周囲を走り回る子供。 大がかりな祭りはこの辺りでは珍しいから、近隣の地域から足を運ぶ人も多い。 少し離れた街に住む凛月さんもその一人である。 「ねえ、ミサキくんは織姫と彦星の物語を知っている?」 知らないはずがない。日本人であれば誰もが知っている有名な話だろう。 凛月さんは右手で横髪を耳にそっとかき上げて、僕の方を見る。 「なんか、私とミサキくんって、織姫と彦星みたいだよね」 「そうかな」と小さな声で返事する。賑わう屋台を眺める凛月さんは、同じくらい小さな声で言う。 「年に一度しか会えないじゃない。ほら、雨が降ったら祭りが中止になるでしょう。そうしたら会えなくなるところも似ているよね」 僕は再び「そうかな」と小さな声で返事する。気づかれないように横目で凛月さんを見てみるが、ばっちり目が合ってしまい恥ずかしくなる。顔をひざに埋める。クスクスと笑い出した凛月さんは、次第に肩を揺らして笑い始める。いつもの僕なら不貞腐れるふりをしてみるところだけれど、凛月さんにつられて笑ってしまう。 「やはり君は……」 再び風が二人の間を通り過ぎて行った。風の冷たさが、二人の時間が残り少ないことを知らせた。 僕はそう感じた。 凛月さんはどう感じたのだろうか。 僕は仰向けになる。背中に当たる名前の知らない夏の草の温かさに包まれる。 あと何回、こうして凛月さんと話せるのだろうか。夏祭りが開催される間は何度でも凛月さんに会えることを願ってしまうけれど、それはきっと叶わない。 僕は凛月さんの年齢を知らない。尋ねてみたことはあるが、「乙女に年齢なんて聞いちゃだめなんだよ」と、はぐらかされてしまった。 それでも、すでに凛月さんは田舎を出て都会へ出ていくような年齢であることを理解している。 「どうしたの? 眉間にしわを寄せちゃって」 「……何でもありません」 「へえ、嘘なんかついちゃって。大きくなったもんだねえ」 「……嘘なんかついていませんよ」 「それは、どうだか」 寂しさとか、悲しさとか、悔しさとか、そういったことが重なって、居た堪れなくなって、会話から逃げるように、目線を上に逸らす。 きっと僕と凛月さんは、織姫と彦星なんかじゃない。何度でも会うことができるわけではないのだから。 「……あ、あった」 「嘘、見つけたの? 夏の大三角形」 「……多分。下の方が少し尖っている三角形を作っていますよね」 「そう、それよ! さすがだね、ミサキくん」 見つけた星は、周りのどの星よりも強く光っていた。どうして今の今まで見つけられなかったのだろうか。 「見つけた三角形の左上の頂点に当たる星から時計回りに、デネブ、ベガ、アルタイル。織姫に当たるのがベガ。そして、彦星に当たるのがアルタイル。二つの星は、十五光年も離れているの。つまり、光の速さで進んでも、十五年かかる距離」 次の夏祭りで、凛月さんと星空を見上げることができる確証はない。それでも、僕は、願っている。また来年、同じ丘の上で凛月さんに会えることを。 ああ、それなら僕は……。 「似ていますね。僕と彦星は」 凛月さんはとても驚いた顔で僕を見る。そうして、満面の笑みを僕に向ける。 ばさっと勢いよく地面に背中をつけて仰向けになる凛月さん。そのまま、体を横にむけて、僕の目を見て、呟く。 「ようやくわかってくれた」 そのとき、僕がどんな顔をしていたのか、覚えていないが。 「やはり、君は、面白い顔をする」
あの娘(こ)とブランコに乗る… 続けてあの娘(こ)は僕に言った 私の好きな色を当ててごらん 『ヒントはよりどりみどり』だよ それって緑の事だよね? (よりどりみどり…言葉の中に【みどり】っていう色があるもの) 正解っ!よく解ったね これね、絵本に載ってたんだー もしかして、読んだの? まぁね、読んだよ キツネが主役の絵本でしょ? そうだよ。私もね、緑色が好きなんだぁ 緑色のドレスで、緑色の指輪で、好きな人のお嫁さんになるのが夢なんだぁ… 後日、あの娘(こ)に向けて内緒で折り紙を使い指輪を折った もちろん、宝石の色は緑色 でも、実際にはドキドキして渡せなかった …どれだけ時間が経った今でも、その指輪は机の引き出しに入っている あの娘(こ)は、きっと忘れているのに (完)
夏祭りというのは 時折開催されては 一過性の盛り上がりを僕たちに見せつけ 無責任なほどあっという間に終わっていく 8月31日 21歳の夏 待ちに待ったこの日 屋台は片付けられ始め、夏祭りが終わろうとしている 夏の醍醐味を一通り楽しみ終えた 周りの人達は 刺激的な非日常の終わりを 各々の心地よいやり方で楽しんでいる 一夜限りの活気に満ちていた街が 徐々に元の姿に戻っていくのを感じる そんな中 道路の中央を親友「ユウ」と歩きながら 僕は呟いてしまった 僕「僕たちの好きな時間も こんな風に終わっちゃうのかな」 ユウ「そんなことないんじゃない?」 ユウが前向きな言葉を返してくれるが その日の僕は少し弱っていたみたいで その後も訥々と言葉を綴った 「夏祭りってさ、普段はそれぞれの事情を抱えて それぞれの日常を過ごしてる人達がさ 皆で同じ空間の同じ空気を なんの理由もなくなんとなく味わってさ 今この時だけは 全部忘れて楽しんでるって感じがして 好きなんだ だけどさ、そんな時間なんてどうせすぐに終わって また地獄みたいな日常に戻る そんなの余計に辛くなるだけじゃないか」 ここまで言った辺りで、僕はやってしまったと思った ある約束を破ってしまったからだ 僕とユウは、共通の持病を持っている それは苦しい時間が長いものだ だから一緒にいる時くらいはそんなことを忘れて 世の中の楽しい部分だけを満喫してやろうって 二人で決めていた だが今日は、それと夏祭りの様子が重なったんだろうか 夏祭りの情緒的な空気のせいだろうか 胸に溜まっていたもの 弱音というには力強いもの 普段はお互いを思い隠していた気持ちが溢れてしまった だが不幸中の幸いか ユウも似たものを抱えていたようだった 当人らにしか認識できないほど一瞬の沈黙が過ぎた後 僕らは、お互いの寂しさを感じ それを埋められないか試みた その結果今日は、普段見えないふりをしていたこの事について話してしまうことにした 僕「この世の中ってさ 楽しい時間っていうのが 苦しい時間に対して短すぎないか?」 ユウ「うん、このお祭りもあっという間だったね」 僕「この一瞬を支えに つまらない日常を生きていけっていうのは ちょっと酷だと思うんだ」 ユウ「やっぱりそうだよね、その"楽しい時間"って やつが、これからも生きてみようかなって思える くらいのものじゃないと割に合わない気がする」 僕「これからも生きてみようか、あー それって、例えばどんな時間なんだろうな」 ユウ「うーん、よく分かんないけど きっと 大したことじゃないんだろうなって予感がしてる」 僕「大したことじゃない?何か凄いことを成し遂げるとかじゃないんだな」 ユウ「うん、もちろんそういう時にもとても大きな感情があるんだろうけどさ "これからも生きてみようかな" と思える時っていうのは 特別なことをしていなくても 確かな幸せを感じられた時なんじゃないかなって思うんだ」 僕「うーん、特別なことをしていない時っていうのが大事なのか?」 ユウ「そうだと思う 何か特別なことって言うのはさ、やっぱり長くは続かないじゃん?だからその時がいくら幸せでも "いつ終わるか分からない" "次も出来るか分からない" "また日常に戻ってしまう" みたいな不安が付き纏うんじゃないかなって」 僕「なるほどな、確かにそういう時っていうのは 心から安心できないかもしれない」 ユウ「そうなんだ、だけど大したことじゃない、日常的なことから確かな幸せを感じられたらさ "何もできてない自分でもいいんだ" "またいつでも こんな気持ちになれるのかな" って感じてさ 安心感と一緒に心から これからも大丈夫かも って思える気がしてるんだよ "楽しい時間"っていうのにこういうのもあるならさ、なんとか生きていけるかもって気がしないかな」 確かになと得心し、僕は自分なりの "日常的な確かな幸せ"というのを考えてみた "確かな"という部分に関しては 今までの自分がやってきたことを肯定できてかつ これからも続くと、どこか確信めいたものを感じられること とかがいいんじゃないかと思う それはなんだってよくて 人によって違うはずだ 自転車を押している時に青春を感じる とか 相手との間に確かな信頼関係を感じる時 とか 自分なりに納得できればそれでいい そういった瞬間のことを想像すると、どこか暖かい気持ちになれそうな予感がした そういうものを、これからもユウと共に探していけるとしたら この先の人生、ちょっとだけだけど、いいかもなと思った 少しだけ気持ちを楽にした後 僕はユウに応える 僕「ああ、僕たちは生きていくしかないんだ」 ユウ「うん、悲しいことに」
その人が初めて来たのは、梅雨の夜だった。 私が店を継いで七年目の、蒸し暑い六月。古い中華料理屋の、カウンター三席だけの店だ。父が三十年やっていた店を、私がそのまま引き継いだ。メニューも、食器も、カウンターの傷も、全部そのまま。 その人は傘を畳みながら入ってきて、カウンターの端に座った。六十代くらいだろうか。白髪交じりの頭で、くたびれたジャケットを着ていた。体は大きかった。椅子に座ると、カウンターとの隙間がほとんどなかった。 「何でもありますか」 「一通りあります」 「じゃあ、炒飯と、餃子と、紹興酒を」 無駄のない注文だった。私は黙って厨房に入った。 その人は食べるのが静かだった。咀嚼の音も立てず、スマートフォンも見ず、ただ黙って食べた。炒飯を半分ほど食べたところで、一度だけ箸を止めて、言った。 「うまいな」 「ありがとうございます」 「昔からこの店ですか」 「父の代から。私で二代目です」 その人は少し目を細めた。 「そうか」 それだけだった。あとは黙って食べて、静かに飲んで、勘定を済ませて帰った。 次の金曜日も来た。同じ席に座って、同じものを頼んだ。その次の週も来た。それから一度も欠かさず、金曜日の夜に来るようになった。 名前を聞いたのは、三ヶ月経ってからだ。 「すみません、お名前を聞いてもいいですか。常連さんなので」 「大野です」 「大野さん、私は川村です」 「知ってる」と大野さんは言った。「暖簾に書いてある」 私は笑った。大野さんも少し笑った。それが最初だった。 少しずつ、話すようになった。大野さんは寡黙だったが、私が話すことは聞いていた。仕入れの話、常連客の話、父から引き継いだ炒飯の配合を未だに完璧に再現できないという話。大野さんはそういう話を、相槌も少なく、でも確かに聞いていた。 ある夜、大野さんが言った。 「お父さんの炒飯、食べたことあるよ」 私は手を止めた。 「この店に、昔来たことがあって。三十年くらい前かな。一度だけ」 「そうだったんですか」 「うまかった。だから、また来てみたくなって」 大野さんは紹興酒を一口飲んだ。 「息子さんの炒飯も、うまい。少し違うけど、うまい」 私は何も言えなかった。厨房に戻って、しばらく火を見ていた。目が熱かった。父が死んで五年、ずっとあの炒飯に近づこうとしていた。近づけているのかどうか、わからないままやっていた。 それから大野さんは変わらず、毎週金曜日に来た。 十一月のある夜、大野さんがいつもより遅い時間に来た。疲れた顔をしていた。 「今日は熱燗にしてください」 「紹興酒でなくていいですか」 「日本酒がいい夜もある」 私は黙って燗をつけた。大野さんは炒飯を食べながら、ぽつりと言った。 「今日、定年でした」 「そうですか」 「三十八年、勤めました」 「お疲れさまでした」 大野さんは頷いた。それから少し間があって、言った。 「家に帰っても、誰もいないんですよ。妻が先に逝ってしまって、子どもも遠い」 私は何も言わなかった。言えるものが何もなかった。 「だからここへ来ました。金曜日だったし」 ただそれだけを言って、大野さんは静かに飲んだ。 私はおかわりを注いで、餃子をもう一皿、黙って出した。大野さんは何も聞かなかった。ただ、食べた。 閉店間際、帰り際に大野さんが言った。 「来週も来ます」 「待っています」と私は言った。 雨が降り始めていた。大野さんは大きな体に傘を開いて、夜の中へ消えていった。 私は厨房を片付けながら、父のことを思った。三十年前、この店に一度来た若い大野さんに、父はどんな顔で炒飯を出したのだろう。覚えていただろうか。覚えていなかっただろうか。 どちらでもいい気がした。 あの炒飯が、大野さんをまたここへ連れてきた。それだけで十分だった。
工場勤務の早番を終えて、制服から私服に着替える。着替えても、地味なブラウスにカーディガン、タイトスカートという、また別の制服に着替えたのかと思うような恰好だ。 仕事中、ひっつめにしていた髪を下ろし、携帯用の櫛で梳かす。静電気で髪の毛が顔にまとわりつく。無香料のハンドクリームを手に塗り、残った分で浮いた髪を撫でつける。前髪はポンパドールにして小さなヘア・クリップで留め、後ろはシュシュでまとめなおし、トップの毛だけを少し引き出して膨らませる。ロッカーの扉の内側に付いた小さな鏡を覗きながら、横を向いてシルエットをなんとなく確かめる。 仕事用のスニーカーに脱湿用の炭が入ったスティックを入れ、ロッカーの下段にしまう。代わりに取り出したアレキサンダー・マックイーンのパンプスだけが、どこまでも地味なわたしのつま先で、尖りはじめる。 小さな、くたびれた鞄を肩からかけ、 「お先に失礼します。」 と言ってロッカールームを出た。 バス停でバスを待つ間、風に吹かれても揺れないレンギョウの花を眺める。同じ黄色でも、菜の花は風に揺れる。ぼんやりそんなことを思った。先々週までいっしょに花を咲かせていたソメイヨシノは、すでに葉桜になっている。 わたしは春が苦手だ。 空の色が、ほかの季節と違う。それはほかの季節と同じ、青と白とを足した色のはずなのに、どこか泣き出しそうな、透明な空気をまとっている。それを見ると、わたしは何だかたまらなくなる。 バスに乗って終点の駅まで行く。運転手のほうを見ずに、会釈だけしてバスを降りる。 屋根付きの通路を通って、デパートに入る。午後のデパートはのんびりとして、ディスプレイこそ季節感があるけれど、外の景色なんておかまいなしといった風情だ。 デパートの一階は空港の免税店に似ている。化粧品や香水の香りに満ち、日常と非日常のあわいにある場所。わたしはそこが好きだ。 店員の声掛けをかわしながら、ゆっくりといくつものブランドを、口紅の見本だけ見て回る。なかなか、これという色がない。 一度も買ったことのないブランドで、わたしはその色に出会う。ちっとも春らしくない、茶色いマットな口紅だ。わたしはそれを気に入る。 今度はこちらから店員に声を掛け、唇にそれをのせてもらう。自分で塗るのとは違う塗り方で、はじめて出会う色で、わたしの唇は真新しい装いになる。 わたしはそれを購入する。包装はなし。化粧品しか入らない特別な紙袋が、くたびれた鞄の隣で揺れる。
声、顔色、空気。 相手が何を求め、何を演じてほしいのか。 物心ついた頃から、それらは容易に、なだれ込んできた。 不特定多数の顔色を読み続けた日の夜は、ひどく疲弊し、ぐるぐると考えてしまい眠れない。 その濁流に飲まれない処世術を身につけ、幾分か生きやすくなった。 ただそれでも、癖というものはなかなか抜けないもので、「相手の求める姿」を演じてしまう瞬間がある。 それは本心であり、同時に、精巧な模倣でもある。 提供し続けるつもりはない。 その場限りの、都合のいい言葉を放ち、また繰り返す。
私は自殺志願者である。希死念慮を持っている。どうにかしてここからいなくなりたい。このぬるま湯な現実から逃げ出したい。 別にこれと言って不幸なことがあったわけではない。あるとするならば、半年前に恋人に振られたぐらいだ。今となっては別に気にしてはいないけれど、当時は少し動揺した。いや、もう死ぬ身であるので自分を偽る必要もないのだけれど、まだ微小なプライドは残存しているようで、ついそう言ってしまった。実は結構引きずっている。かといって別に死にたくなるほどではない。せいぜい何もしていないときに思い出す程度だ。これは本当だ。嘘じゃない。 すまない。話が逸れてしまった。不幸自慢をしたいわけではないのだ。冒頭言った通り、別に不幸なことがあったわけではない。小さな絶望が複数あっただけだ。本当にそれだけだ。きっと見ようとすればそれと同じ分だけの希望があったのかもしれない。けれどそんなものどこに落ちているか私には見当もつかなかった。眼鏡を付けて視力を矯正すれば見えるのだろうか。まぁもう意味はない。 そう。小さな絶望だ。本当に小さな絶望。自分の第一志望の就職先からお祈りメールをもらったこと。自分は自分の持つ夢を叶えることができるほどの実力がないと悟ったこと。自炊していたら指の先を少し切ってしまったこと。こんな世間からはくだらないと吹いて飛ばされる。そんな小さな絶望だ。実際SNSで少し呟いてみたら、やれ努力不足だ、他の大変な人と比べたら大したことじゃないだ、ありがたーいお言葉を沢山頂いた。誠にありがたいことだ。フォロワーも二人しかいないアカウントにそんなアドバイスをくれるなんて。 大学という一種のモラトリアム期間を抜けて無事社会人になってもこの小さな絶望は増えていった。むしろずっと駐在することになった。誰かが夢を叶えているのを見るたびに絶望した。それはもう簡単に。歌を歌っている人を見て絶望した。本を読んで絶望した。動画を見て絶望した。絵画を見て絶望した。世界は希望ではなく絶望で溢れているように見えた。他責したいわけではない。世界が悪いなんて少しも思っていない。夢を叶えられなかった私が厄介なやっかみをしているだけだ。とある星の王子様が肝心なことは目には見えないと言っていたが、絶望は目に見えた。ならこの絶望ですら肝心なことじゃないのだろう。価値がない。そんな大したことじゃない。 まぁ、というわけでそんなことが積みに積み重なって希死念慮を持つに至ったのだ。別に鬱になったわけじゃない。病院に行ったわけではないけれど精神的な病にかかったわけではない。こんなので病と言ってしまったら本当にしんどい人に顔向けができない。傍から見たら私はまぁぼちぼちの成功をしている人だと思う。ある程度の収入と、ある程度の貯金、健康な体を持っている。恥の多い生涯を送ってきたなんて腐っても言えない。むしろ恥のほとんどない人生を送ってきたのだ。恥を選ばず、平坦を選んだ。その結果が今の私である。選択を後悔しているわけではない。嘘だ。後悔はしている。けれどもし今、その時に戻ったとしても選択し直すことはできないだろう。私はそんな人間である。大したことを望むのに大したことはできない。挑戦すらしない。無安打無失点である。むしろバッターボックスに立っていないから三振すらしていない。昔は歌やアニメ、映画でどうにかやる気を出したものだけれど、賞味期限は三時間後だった。かといってその三時間で何かできたかというと答えはノーだ。 私には夢があったのだ。けれど夢だけじゃ何もできなかった。夢を叶えるには、夢とそれを叶える力が伴わないといけない。それがないと、夢を語ることすらままならない。 恥のない人生を送ってきました。自分には、幸せな生活というものが、見当つかないのです。というわけで、まぁこれから平均寿命まで生きて老衰で死んでも、今死んでも変わらないだろう。 私は紙を封筒に入れた。どうやって自殺するかは決めていなかった。ただただ書き付けただけだ。封筒に「遺書」と書くと現実身を帯びて少し興が覚めた。ここから一番高いビルに行って飛び降りてやろうか。でも痛いのは嫌だな。そういえば首吊りはすぐ気絶するからしんどくないって聞いたな。そうしようか。あぁ、でも首が伸びてしまうし、中身も尻からめちゃめちゃ飛び出してくるらしい。それはちょっと嫌だな。かといって電車は人様に迷惑がかかるし。まぁどうにかなるか。 さて、明日は私の人生最後の日だ。何をしてやろう。私は布団にもぐって、目を閉じた。
今日の気分は、レタスを挟んだホットサンドとあたたかでちょっと甘めのコーヒー。 バラエティのような朝の情報番組では、ちょうど星占いのコーナーが。 ―う、最悪 ただし、ステキな出会いが今日を救ってくれる、とも言っている。 ―どういうこと? それは、何か出会いがあるということなのか、それともないのか。 あれこれくだらなく考えていても、ちゃあんと時間はすぎていく摩訶不思議。 朝、家で飲んできたというのに、出社前、コンビニに入ればコーヒーを買ってしまう。 フロアに入ってしまえば、自分のデスクまではすんなり。 となりの席では、目の赤い、マスク姿の後輩くんが、カップに口をつけたところ。 ―それ、ルイボスティーかな 胸のなかだけで、その選択肢を用意しておかなかった自分を少し後悔。 今日はまだ、マシなほうだけど、自分に言い聞かせる。 出会いがあるなら、このタイミングだと思っていたけれど、 ちょっとばかり期待していた朝礼では、別段、何もなく。 ―なら、このあと、今日は何もないかな ステキな出会いが今日を救ってくれる。 なかなか、そういうことにはならないらしい。 朝の星占いなんて、そんなもの。 コーヒーの香りが、私の気持ちをなぐさめてくれる。
公園を散歩していた。太い木の前を通りかかった。太い枝に首吊り死体が揺れていた。「ああ、首吊り死体だな」と思った。よく見ると一枚の紙が貼られている。『ご自由にお持ちください。』と書かれていた。「どうしようかな」と思った。想像する。自宅のボロアパートの汚い小さな部屋に首吊り死体を持ち帰る。部屋は狭くなるが、寂しくはなくなるだろう。でも、腐るか。悩んでいたたら、背後に気配を感じた。振り返ると、俺と同じようなおじさんがやはり首吊り死体を見ていた。同じようなことを考えているのだろう。俺はおじさんのためにその場を立ち去った。他の公園に行ってみよう。