コンビニは大切なものを奪っていきました

「あ、買い忘れた」    困ったときは、コンビニに向かう。  二度もスーパーまで車を出すのは面倒なので、ありがたい存在だ。    歯磨き粉もある。  下着もある。  パンもある。  スーパーより割高だが、時間を節約できると考えればトントンだ。    コンビニには、小学生たちが溜まって、雑誌を一冊買っていた。  一人が勝って、皆で回し読みをするのだろう。    ……その役目は、うちのものだった。  昔の子供たちは私の本屋で買ってたし、私の本屋で溜まっていたのに。    便利な便利なコンビニは、私から大切な客を吸い上げていった。   「六百四十八円になります」    とはいえ、バイトの子に怒るのも違う。  昔なじみのオーナーに怒るのも違う。  誰が悪いって言えば、時代が悪いとしか言いようがない。   「はい、ありがとうね」    商品の詰め込まれたレジ袋を受け取って、私はコンビニを出た。    そろそろ私の本屋も、閉店を考える頃だろう。  コンビニやインターネットと戦うには、私は年を取りすぎた。

ウソホント

ふとした瞬間の、この一枚。 レトロ趣味ですか。流行りのトレンドですか。 「映えますわね、私ってば」 計算なんて、これっぽちも。 なんて、そういうことにして。 自分で「映える」だなんて言葉にしちゃうとこ、自分でも、どうかと思う。 必死さを笑い飛ばすくらいの図太さ、私も欲しいよなあ。 ふとした仕草に物語を感じさせるそんな佇まい。 ただ新しいだけよりストーリー。 タイムラインでもパッと目をひく。 こだわらない部分に、ひたすらこだわって。 そうやって、疲れちゃって… 本音は、ため息とともに吐き出して、重たい気持ちは、そっと、深い腹の底に。 ウソホント その境界線を、今日も曖昧にしたまま。

わきまえと礼儀 (掌編詩小説)

私が作品を書くにあたって 『自分が読みたく無いのに、他人に読んでもらおうとするのは横暴な考えである』 ということを、常に気にしている (完)

想出

もう増えることのない思い出に浸りながら 2人でみた景色、2人で過ごした時間を思い出して 僕は涙した。 何気ない日常でいい。 キミとの日常が戻ってきてほしい。 キミと過ごした日常は 毎日がバタバタで毎日が賑やかだった。 キミと行った近所の公園…… 何をするにもどこに行くにもキミとの思い出が溢れている。 きっとキミはこの公園で楽しそうに遊ぶ子どもたちを見るんだろうな… たくさん喧嘩してたくさん抱きしめ合ったこの部屋のなかは今は何よりも苦しい場所。 この部屋の中には思い出がたくさんありすぎる。 なのにもっと欲しいと思ってしまう僕は欲張りなのかな。 キミとの思い出がもっともっとたくさん抱えきれないくらいたくさん欲しい。 これから先僕は、キミと歩んできたこの道を 1人で進まないといけない。 僕はキミなしで生きられるのかな。 きっとキミは〝何言ってるんだろう〟って顔で こっちをみるんだ。 『会いたい…』 『そばに居たい……』 『キミを抱きしめたい…』 そう思ったときにはもう遅かった。 もう会えないしそばに居られない、抱きしめられない。 キミにしてあげられることがもう何もない… ねぇ、今幸せ? この問いかけに答えが返ってくることはない。 大好きだよ。 いくら声に出して言っても伝わらない。 キミの好きな食べ物をたくさん買ってきても キミは食べられない。 あぁ、キミに会いたいな… 僕は真っ暗な部屋の中でつぶやいた。

母は優しい

 カップラーメンにお湯を入れる。すると、死んだ母の幽霊が現れて、俺をにらむ。母は健康に気を遣う人だったから、俺がカップラーメンを食べるのを快く思っていないのだ。母の幽霊はじっと俺をにらみ続ける。俺は恐縮する。だが、母の幽霊は、三分経つと、消える。いつもきっかり三分で消える。何だかんだで、母は優しいのだ。

お呪い

あの子は昨日まで、人間だった。 醜い醜い、化け物になってしまった。 背骨は伸びて曲がり、四肢もまた同じように伸びた。足りない皮膚を突き破って関節に当たる部分から骨が飛び出している。 美しい顔はそのままに、身体だけが人間ではない「なにか」になってしまったんだ。 「いたい、いたい」と泣き喚きながら、彼女には少し狭い部屋の中で蹲っている。最も、蹲りでもしないと天井に頭がついてしまうんだろうけど。 大きくなった手のひらは私なんか潰してしまいそうで、少し、面白かった。 「大丈夫、私がなんとかしてあげるからね」 そういいながらなんとか彼女の首に腕を回す。 「だいすきだよ、美代ちゃん」 きっと私のせい。 私のせいで、美代ちゃんはこんな姿になっちゃったんだ。 私が美代ちゃんを独り占めしたいなんて、短冊に書いちゃったから。美しくて優しいからみんなに愛される美代ちゃんが許せなくて、魔が差しちゃったから。織姫と彦星、それかもっと邪悪な存在が気まぐれにそれを叶えてしまったんだ。 ごめんね、美代ちゃん。 私だけの、美代ちゃん。

なんとかなる

玄関で先生にあいさつをして、友人と教室へ向かう。 「そういや、隣のクラスの和田くん、はるのこと気になってるんだって」 「えっ!まじ?」 「まじ」 「私ってモテるな〜」 「うざー。てか和田くんのこと好きな女子がいるんだってよ」 「三角関係だね、荒れそー。誰?」 「隣のクラスの木崎さん」 「え、あのいじめっ子で有名な?」 「そう。だからはる気をつけなよ」 「まぁ、なんとかなるでしょ。」 「いざとなったら私、逃げるからね」 「いや守れよー」 教室に到着した。 自分の席に向かう。なんだか視線を感じるような気がする。 自分の席について、視線の理由がわかった。 私の机に黒マッキーで悪口が書かれている。 しね、あほ、ぶりっ子、男好き、書いてある言葉を心の中で読み上げる。 古典的ないじめだな。こんなの現実であるんだ。 書いてある内容的に木崎さんだよな。伏線回収早いな。 「はる、大丈夫?」 友人が問いかけてくる。 「これって、多分木崎さんだよね」 「確信ではないけど、可能性は高いね。」 「ちょっと私問い詰めてくる」 「あぶないよ」 「まあ、なんとかなるよ」 「えー、私は逃げるよ?」 「え、かなし」 「うそうそ、ついてくよ」 「ありがと」 そう言って、教室の後ろで友達と汚い笑い声を発する木崎さんに方へ歩いた。 みんなの視線で釘付けだった。まるで私はアイドルだった。 「木崎さん」 「なに?」 木崎さんは蛇みたいに鋭い目で睨みつけてきた。 「これさ、木崎さんだよね?」 「うん、そうだけど?なに?」 「なんでこんなことするの?私に男取られた嫉妬?」 「は?うざ」 木崎さんはそう言って殴りかかってきた。 女の子同士でこんな喧嘩になるとか思わなくてうまく反撃できなかった。 そうして私は、見事にやられてしまった。 「よわっ」 そう言って木崎さんは去ってしまった。 やっぱり女の子って苦手かもな。 そう思い、立ち上がる。友人が心配して駆け寄ってくる。 「大丈夫?」 「まあ、なんとかなるよ」 「そっか」 こんな状況でも、駆け寄ってくるのは友人一人だ。 「みんなももうちょい心配したらどうなのかな?」 友人が言う。 「私はみんなに嫌われているからさ」 「そんなことないよ」 「ぶりっ子だからさ。」 「まあ、そんなところあるかも?」 「否定しろよ」 そう言って少し笑った。 昔からぶりっ子って言われてきた。 背が低くて、声が高かったからかな。 男の子から好かれても、女の子からは嫌われていた。 あるとき、陰口を言われてメソメソ泣いていたら母から言われた。 「たいていのことはなんとかなるのよ」 「嘘つき」 「ほんとよ」 母のその言葉に私は救われた。 いじめに関しては、もうなれてたことだから私の心はあまり傷つかなかった。 そのあと和田くんが木崎さんを殴るのは、また別の話。

私の締切

 学生の頃、好きだった漫画家さんの新刊が出ていた。あらすじも帯も読まずに救いを求めるように手に取り、迷わずレジに向かった。  本を包んだビニール袋も破らないまま、机に置く。  これで当分は生きていける。

救ってくれないアイドル

自分がかわいくないと自覚したの中学生の時かな。 それまでは、祖父母からも両親からもかわいいって言って育てられた。 だからかわいくないことに気づかなかった。 テレビに映るアイドルやプリンセスに本当になれると思っていた。 今は、アイドルを見たら劣等感で病んでプリンセスを見ても同じ理由で病む。 おまけにプリンセスは性格の良さも兼ね備えている。 自分より醜いものを好いて、自分を引き立たせる。 なんでかわいくないって気づいたかって? 中学生というのは、美容に興味を持ち始める時である。 その時に、あっけなく気づいてしまった。 かわいい人と比べたら、違いは一目瞭然。 目も鼻も肌から骨格まで全て違う。 その違いに気づいてから、誰からの褒め言葉も全てお世辞にしか聞こえなくなっていた。 なんならただの哀れみにしか聞こえない。 下手な同情はどんな悪口よりも尖って、深くそして鋭く心に刺さった。 そこからだろうかな。私が自虐をしだしたのは。 自分で自分をかわいいって言ったら否定される。それが嫌だったら自分で否定すればいい。 そうすれば傷つけられることはない。 そうして私は今日も自虐をする。 傷つかないために。 でも時には辛くなってしまうんだな。 だけどキャラ的にも助けてっていえないし、どうすればいいのかわからないしね。 もういいかな。誰も慰めてくれないだろうし。 こんなことで悲しいなんて心まで弱いのかな。 「ねぇ、大丈夫?」 声がした。本当に綺麗な声だった。そちらを振り返った。 声以上に綺麗な顔をしていた。 「は、はい」 私は答えた。私は声まで汚いって思った。 「嘘つかないでよ、泣いてるじゃん」 「え?」 私は泣いていた。無意識に。 あーあ、ただでさえ小さな目がさらに小さくなってしまう。 彼女はハンカチを差し出してくれた。 そのハンカチは私とお揃いのものだったけど、なんだか私のより綺麗だった。 そのハンカチで涙を拭ったら視界がはっきりした。 ハンカチに視線を落としたら、ハンカチが汚れていた。まるで白い絵の具に黒を落としたみたい。 彼女の顔をよく見ると、アイドルをやっていると有名な北野みなだった。 「えっ、みなちゃん?」 「私のこと知ってるの?」 「う、うん。有名だよ」 「あのさ、はっきり言わせてもらうんだけど、私の名前、そんな軽々しく呼ばないでくれない?」 「え?」 「あんたみたいなブスに呼ばれて、私の名前汚れたんだけど。」 「えぇ」 「私とあんたじゃ、目も鼻も肌から骨格まで全て違うのよ。」 「わかってるよ」 私は小さな声でつぶやいた。 「え?なんて?まぁいいや。そのハンカチあげるから。」 そう言ってみなは去っていった。 このハンカチ二枚目だなって思った。 やっぱりアイドルは性格が悪いな。なるならプリンセスになろう。 どちらにもなれるわけないのにそう思った。 また、視界がぼやけていった。 今度は汚れたそれで汚れたそれを拭った。 白い絵の具が灰色から黒色へと変わっていった気がした。

覚悟という実力 (掌編詩小説)

できるかじゃ無い…やるんだよっ! 弱音は昨日に置いて来たっ! 最善の策を講じろっ! 最良の結果をこの手で掴み取るんだっ! できるかじゃ無い…やるんだよっ! 愚痴は昨日に置いて来たっ! 起死回生の縄を巻き取れっ! 今更、結果なんてどうでも良いっ! できるかじゃ無い…やるんだよっ! 覚悟できるという事は、実力があるという事だっ!  曲げられない我儘な意志を顕現しろっ! (完)

薄暗闇から

 この薄暗い部屋に閉じ込められて、一月が経った。部屋の中は質素な造りだが、ベッドは意外にも上質なマットレスで、シャワーとトイレも完備してあり、生活するには申し分ない。食事は野菜などの彩は無いが、三食差し入れられる。  堪えがたいことは、娯楽が少ないことだ。テレビやパソコンが無いのは勿論、所持していたスマートフォンも取り上げられている。何故かカバーを外された本だけは差し入れられるが、異常な状況では読む気力も湧かない。言わば、生きる楽しみを見いだせない空間。  犯人はわかっている。目の前にいる女だ。 「どうしてこんなことをするんだ」  鉄格子の向こうにそう詰問すれば、女はいつも困った様な表情をするばかりだった。   彼女のかつての交際相手に相談を受けたのが、出会いのきっかけだった。曰く、彼女は相手に尽くすタイプの女性で、しかしそれに際限が無い。ノイローゼになった彼が逃げ出し、身近にいた自分が次の寄生先として選ばれた。  意外にも彼女との生活は悪くはなかった。容姿は華美ではなく、常に地味な服装だったが、むしろ奥ゆかしく好感が持てる。流行の話題には疎いが、古文や歴史に造詣が深く、博識深い。聞いていた異常性を置いておけば、所謂大和撫子そのものだったのだ。  うまくいっていたはずだった。この場所に監禁されるまでは。  あの日は雪が降っていた。寒さに身を震わせ、数か月後に来る春を思い、道すがら在原業平や西行が詠んだ句について語った。 「和歌に詠まれる桜は、どうしてこうも魅力的なんだろう」 「昔は、今よりも目に入る色が少なかったですから、桜の初心な色ですら、貴重な彩、だったのでしょう」 「成程。そもそも現代とは環境が異なるか。僕もいつか全身で感激するような桜を見てみたいものだ」 「ええ、そうですね」  そんな些細な夢も語って、彼女も微笑んでいたというのに。  当夜、勧められるまま深酒をしてその後の記憶がない。目が覚めたらこの部屋にいた。初めは激昂して、それから諭すように、ある時は懇願に近い声色で、どんな言葉で尋ねても、彼女の答えは無いか、曖昧なものばかりだった。  彼女は、僕の思いを試しているのか? 監禁という行為が生み出す歪んだ関係性。被害者からの依存性を期待しているのだろうか。彼女の目的は、ただこうして廃れていく僕を、籠の外から眺めて居たいだけなのかもしれない。  薄暗い部屋で、食事と睡眠の数を数え、もう二月も経った。ひたすら薄暗闇の日々が続いたのだ。段々と、自分の中の何かがすり減っていくのを感じる。 「なあ、今日でもう二月だ。あんたはいつまでこんなことをするつもりなんだ?」  辛うじて、まだ忘れていなかった声と言葉で問いかける。どうせ返事は無い。宛てのない言葉は、壁の中に消えていってしまうのだろう。ただの独白だ。  そう自嘲しながらも、久々にあの困った顔つきを拝んでやろうと、俯いていた顔を上げた。彼女の唇が動いた。 「あと、二週間、くらい?」  食い下がるべきだったろうが、驚き、言葉が出ない。明確に期限を口にしたのはこれが初めてだった。彼女に何の変化があったのか。  その日を皮切りに、彼女は、毎日私の言葉に返事をするようになった。 「もうちょっと、今日は、まだ」 「まだ早いの、だめ」 「きょ、今日は、雨が降ったから」  ある日、聞きなれない金属音と共に、いつもとは異なる微妙な風の流れを感じた。ひた、ひた、と足音が近づく。顔を上げると、鉄格子の向こうの彼女が傍にいた。 「あの、これ」  差し出されたものは、黒いアイマスクだった。付けろというのだろうか。視線で問いかけても、困った表情をするだけだから、望まれるままに装着した。手を引かれ、立ち上がる様促される。僕は彼女のするまま、素直に従った。 「どこに向かっているんだ」  答えのないまま、歩いた。あの仄暗闇から解放されるのならば、どこでもいい。僕はあの薄暗い部屋を出たのだ。  途中から、足の裏に感じていたものが、コンクリートよりも柔らかい感触に変わった。風にのって、土と草の匂いがする。 「取ります、ね」  もう随分歩いたと疲労を感じ始めた頃、ふと立ち止まって彼女は言った。  髪が巻き込まれ頭皮が引っ張られたが、些細な問題だった。  流れ込む光の束に、すぐには目を開けなかった。ゆっくりと瞼の裏に馴染ませ、恐る恐る開いていく。  色の洪水だった。失くしていた色、求めていた色、知っていたはずのものが、未知のものに見えた。背丈を優に超える幹は、大地の色を吸い込んでいる。風に舞い散る花びらには、一枚一枚色があった。全て、異なる色なのだ。  言葉にならない僕に、彼女は嬉しそうに笑った。久しぶりに見た笑顔だ。僕は、彼女が僕を閉じ込めた理由を悟った。後はただ、手を握り締めて、桜を眺めた。

希望

 道を歩いていた。冬の真夜中だ。俺はもう死にたかった。何もかも冗談じゃなかった。うつむいていた。道を歩いていた。街灯の下に何か落ちていた。箱だった。小さな箱だった。それは精神安定剤の箱だった。何気なく拾い上げた。その箱には、油性ペンで、女の字で、文字が書き込まれていた。『希望を捨てないで!』そう書かれていた。箱を振った。何も音がしなかった。箱を覗いた。中には何も入っていなかった。俺は箱を踏み潰した。『希望を捨てないで!』の文字がひしゃげた。俺は再び歩き始めた。死にたい気持ちは、さっきよりは少し消えていた。

果てしない旅の再会

―― 目眩がするほどの赤い、赤い光。静かに、けれども煌々と燃えているその光に、私は少し怖くなって目を閉じた。それでも瞼の裏に焼きついたその光があまりにも美しかったので、私はまたそっと目を開いた。すると今度はその光に吸い込まれるように目が離せなくなった。これで何度目だろう。もう、しばらくの間この空間を周り続けているが…いつもこの赤い光のところへ来ると心がぞわっとするような、それでいて溶けていくような、不思議な感覚に襲われる。だんだんとその燃え盛る光が近づいてくる。私の内側に畏怖の念と高揚感が同時に湧き上がってきた。 「こんにちは。しばらくでしたね。」 「こんにちは。…ええ、では、また会いましょう。」 …ああ、なんて恐ろしく、美しいのでしょう。 この体が燃え尽きるまで、あと何回この光に会えるのだろうか。私の心はその赤い光に絆されていた。 ―― ああ、あの白い光。あの冷たく突き刺すような、それでいて誰よりもあつく燃える光。その輝きに私は目を細めた。これで何度目でしょう。またあの光に会える日が来るなんて。あの光が軌道に残していく小さな輝きの粒を眺めていた時間を思い出し、少しずつ近づいてくる白い光に安堵感を覚えた。初めてその透き通るような光を見たとき、あまりの美しさに私の心は震え上がり、貴方が旅の身であることをどれだけ嘆いたことでしょう。 「こんにちは。しばらくでしたね。」 「こんにちは。…ええ、では、また会いましょう。」 …ああ、なんて愛おしく、美しいのだろう。 いつか会えなくなる日が来るならば、早くこの体が燃え尽きてしまえばいいのに。私の心はその白い光に絆されていた。

洗剤

 夜中のテレビで通販番組が流れていた。洗剤の通販だった。どんな汚れも落ちるらしい。体験者の声が流れた後、スタジオで実演されることになった。囚人服を着た老人が現れた。壁のセットが組まれた。司会者が包丁を取り出し、老人を刺した。観客とゲストのタレントたちが歓声を上げた。壁のセットに血が飛び散った。洗剤のメーカーの担当者が、洗剤でその血を洗い始めた。しかし、血は落ちなかった。いつまでも落ちなかった。スタジオが不穏な空気に包まれた。番組は突然そこで終わり、放送休止の画面が映し出された。

月三万円が、欲しいかー!

 教室に集められた人々は、皆不労所得が欲しい人、  ハチマキを巻いて、気合は十分。  教壇に立つ先生はメガホンを使って、教室にいる人々に声をかけた。   「月三万円が、欲しいかー?」 「おー!」 「寝ながら、欲しいかー?」 「おー!」 「ならば、その方法を教えよう!」 「おおー!」    先生はメガホンを置き、黒板に大きく『3%』と書いた。   「この数字は、高配当な株を持っていれば、自動的に入って来るお金の割合だー!」 「おー!」 「今から私の言うとおりに株を買えば、確実に月三万円が手に入る!」 「おおー!」    会場の熱気は最高潮。  不労所得の夢を見て、全員の心が一つになる。   「まず、予算として千二百万円を用意するー!」 「無理でーす!」        教室に残ったのは、僅か数人。  高い年収を有して千二百万円を自力で溜めた人と、遺産や宝くじやお小遣いで何故か千二百万円を持っていた人。    先生の言うことを最後まで聞いた数人は、無事に月三万円の不労所得を手に入れた。

ブラック

終電の電車からホームへおりる。電車が閉じ次の駅へ向かう。ホームに人は自分ひとりでそれがまた私を憂鬱の気分へさせる。社会人5年目、ブラック企業に就職した私は今日も激務に追われている。 「このままでいいのか」 いつか終わりがくるとそう信じていた。だが現実はこの通り毎日残業続き。明日がくるのが憂鬱である。自動販売機の前にたつ ガラスの前に憔悴した自分がたっていた。

怪物

物を大切にできる人が、羨ましい。 古いおもちゃを手入れするのは面倒だし、かといって捨てるのも同じくらい面倒だ。何より、自分の中に居座る中途半端な「善意」が痛む。捨てたおもちゃに呪われるのも怖いから、どうしても気が引けてしまうのだ。 それに、あんなものをまだ持っているだとか、物を雑に扱う奴だなんて噂が立つのは、もっと困る。 そんな悪評が広まれば、いざという時に「新しいおもちゃ」が手に入らなくなってしまう。だから、おもちゃの存在も、その扱いも、誰にも言わず秘密にしている。 最近、あんなにかわいがっていたはずのおもちゃも、手入れが億劫になってきた。 正直に言えば、もう、つまらなくなってきたのだ。 ちょうど先月手に入れたものは、もっと手がかからず、それでいて壊れにくいらしい。前のおもちゃよりも、ずっと楽しめそうだ。 とはいえ、前のものだって、たまに遊ぶ分には悪くない。 錆びついて自然にゴミになるまでは、棚の隅にでも飾っておこうか。 そういえば最近、部屋にゴミが増えてきた。 ……「次」の置き場所も確保しなきゃいけないし、面倒だから一気に捨ててしまおう。

契約

 悪魔と契約するのを避ける。 死神と契約するのを避ける。 天使と契約するのを避ける。 怨霊と契約するのを避ける。 神と契約するのを避ける。 現人神と契約するのを避ける。 宇宙人と話す。 審議する。 やはり僕は人類と契約する。 ちょっとずつ改善するのが一番いい気がするから。

またね

 処刑場に行った。友人に会いに行ったのだ。友人はこの間斬首刑に処され、その生首がさらされていたのだ。友人の生首に色々な話をし、そのうち日が暮れてきたので、家に帰った。「またね」と手を振ると、友人も手を振った。帰り道、友人は生首なのだから手を振れるわけがないことに、ふと気づいた。

 お隣の家の庭を覗く。雲小屋に雲がいない。空を見上げる。いくつもの雲が浮かんでいる。どの雲がお隣で飼っている雲かわからない。愛があれば見分けがつくのだろうか。午後、雨が降ってきた。お隣の雲のおしっこじゃありませんように。

デブ娯楽

「筋トレが趣味なんだよね」 「かっこいい!」 「素敵!」    男Aが力こぶを作りながら言った。  評価は上々。   「食べるのが趣味なんだよね」 「痩せろ」 「デブが」    男Bが丸い腹をさすりながら言った。  評価は下々。   「趣味の副産物に評価が下されるこんな世の中じゃ……」    男Cがつまらない現実を憂いた。

電球男は二度死ぬ

 公園の街灯で、首吊り死体が揺れている。首を吊っているのは一人の男で、その男は、頭部が巨大な電球である。その巨大な電球は、ヒューズが切れている。男の足元には、遺書が置かれている。その遺書には、たった一言、『節電』と書かれている。街灯は煌々と輝いている。

殺人犯はどっち?

「むかついた相手って、殺せたらいいのに。」 私は、意外と人にむかつきやすかった。 あるとき、空き教室にそいつを呼び出し、ナイフで襲った。 両手には手袋、口にはマスク。完璧。 グサッと鈍い音がなった。 急所を刺したみたい。いい気味。 そいつが苦しんでる間、死体と血をどうしようか考えた。 でも、相手は生きてた。 相手は、防弾チョッキのようなものを着ていた。 演技をしてたみたい。 私を、刺した。 私は、何の対策もしていなかった。 相手は、私が死ぬ前、「あんたが予告してたじゃんw」… してない。 地獄で、思い出した。 ....私は、二重人格だった。

可視化されぬ傷

 心の傷を可視化する装置を開発した。  試しに自分に浸かってみた。   『二十九』    平均は百設定。  わしが、世界で一番不幸だと思っていた心の傷は、実はたいしたことないと可視化されてしまった。  たまに思い出して寝込み、世間から天才発明家ゆえの苦しみだと言われておったのに。   「助手君、助手君」 「博士、名前で読んで下さいよ」 「ちょっと、実験台になって」 「言い方ぁ!」    助手に使ってみた。   『百三十八』    余裕の平均越え。  子供の頃に親に殴られ続けていた助手。  表面上は「あんなの全然大したことないですよ」なんて言ってたから気にも留めなかったが。  そっか。  わしの五倍くらい痛いのか。   「博士、なんの機械ですかこれ?」 「……明日、転ぶ確率測定器」 「私、百パーセントオーバーしてるんですけどお!?」 「多分、ダイナミックな転び方するよ、空中で一回転とか」 「ひいっ。骨折したくなーい!」    わしは、心の傷を可視化する装置をお蔵入りにした。    わしは、ずっと強烈な心の傷を持った天才発明家でありたい。

寿命カレンダー

 日本に生まれた人間の平均寿命は、およそ八十年。  日数にして、二万九千二百二十日。    私が生まれた日から、親が剥がし始めた日捲りカレンダー。  今では私が剥がしていて、剥がしたカレンダーは今日で一万九千二百二十と一枚目になる。  五十二歳にして、ついに寿命が五桁を終えた。   「なっが」    残りの人生、九千九百九十九日。  八十歳で死ぬ前提での数字だから、多少の誤差はあるだろうが、概ねずれてもないだろう。  私が長いと言ったのは、残りの寿命ではない。  未だ老後がやってこないことに対してだ。  定年六十五歳と言われていた時代は終わり、今では七十歳が当たり前だ。  つまり私は、後十八年分働かなくてはならないということだ。  生まれてきた赤ちゃんが高校三年生になるまでの時間。  残りの人生が四桁しかないというのに、自由に使える時間が少なすぎる。   「お母さーん! ご飯ご飯!」 「炊飯器からよそうくらい、自分でやれやあ!」    計算などしなければよかった。  まったく思わないと言えばうそになる。  時々数字を思い出して、色んな感情がぐちゃぐちゃになって吐きそうになる。  でも、結局なんだかんだ忙しいので、すぐに感情ごと忘れてしまう。  そう考えれば、暇がまだまだ来ないのはありがたいのかもしれない。   「ばばー! ご飯!」    私は息子をぶん殴りに、炊飯器のある方へと向かった。

願いごと

 『願いを3つだけ述べよ』 そう髭面したハゲツル頭の爺さんが言った  「え、あの…」 急にそんなこと言われても、それに今お昼ご飯中……  『願いを3つだけ…』  「あ~、えっと…じゃ『甘いものが食べたい』です…」  『よかろう…』 すると机の上にポンッと白い煙をたて、私の好物のプリンが出てきた  「うわ、ほんとにでた」  『あと2つ願いを述べよ…』 出てきたプリンを食べながら考える…いや、そもそもこの爺さん誰だ……  「じゃあ、『お金が欲しいので毎日100万ずつください』」 流石に俗っぽいのは駄目だよな  『よかろう…毎日朝9時に振り込んでおいてやる』  「マジすか……」 えー、じゃバイトしなくていいじゃん、明日店長に辞めるって伝えよう てか、振り込みって…笑  『あと一つ願いを述べよ』  「…………じゃあ、私のお母さんとお父さんを返してよ」  『…………』 辺りには散らかったゴミ袋や、虫の死骸 流し場は生ゴミと洗っていないお皿に、カビが生えたもう食べれない白ご飯 自分の髪はボサボサで枝毛だらけで、身につけてる服はヨレヨレで臭い 自分がさっきまで食べてたのは、少しカビ生えた食パン  「わたし、久々にプリン食べたんだ…お母さんとお父さんがまだ生きてる時に、ご褒美でプリン貰えて……嬉しかったな」 二人が5年前、自分が18歳の頃に旅行先の交通事故で亡くなった それまで、ごく普通の暮らしをしていて幸せだったのに、いきなり暗闇に落っことされた  「………ごめんね、爺さん……変なお願いして」  『お前の両親は生き返らない』  「うん……分かってる、からこの最後のお願いはなしにしてもらうってできないかな」  『…………よかろう、では、最後の願いを述べよ』  「最後は………思い浮かばないや」  『なら、どうする』  「そしたら、最後のは次の人にあげるって…できるかな」  『よかろう、全ての願いを聞き届けた』  「ありがとう、爺さんのおかげでこれから暮らせそうだよ……」  『…………では』 爺さんはスッと消えていった  「まあ、結局あの爺さんが何者か分からなかったけど…………やっぱりバイト続けよ…あそこの店の人達好きだし」 2つ目のお願いでお金には困らなくなる…けど  「なんか動いてないと気がすまないや」 そして食べ終えたカップを、溜まっているゴミ箱に捨てた

不自由パズル

 ふと、旅行へ行こうかと考えた。  片道一時間なら、日帰りで行ける。    まずは天気予報を見た。  曇りか。  快晴が良かった。    次に交通状況を見た。  一部渋滞中。  空いている時が良かった。    最後に口コミを見た。  全体的に混んでいる。  開いている時期が良かった。   「行くのやめよ」    ぼくは布団に逆戻りした。    子供の頃よりお金も時間も自由になったのに、旅行に行く回数は減った気がする。  不自由なときは、その日から行けないからと先に日程を決めて、曇りだろうが混んでいようが突撃したというのに。    不自由だからこそ、予定をパズルのようにくみ上げていたあの瞬間。  もしかしたら、ぼくに今足りないのはそれかもしれない。    なんて考えた頃には、眠気がやって来た。

don't you worry@通知

二人は狭いアパートの居間でテーブルを挟んで正座している。二人ともテーブルの上を凝視している 「初めてだな」とウォーリー 「そうだね」とユウ 二人はアパートに帰って来た時、直ぐに郵便受けを確認した。数枚のチラシと一枚の通知。チラシは捨て、通知をテーブルの上に置いて手も洗わず、そのまま何度も通知を読み直す二人 【厳正なる審査の結果、お笑いコンビ「ラペ」を二回戦進出といたします。】 「あのネタ受けたんだな」 「そうだね、受けたんだね」 「お前は落ち込んでたよな」 「あぁそうだ。僕あの時焦っちゃってツッコミがボケに被って、上手く伝わらないと思ったんだ」 「受けたんだな」 「受けたんだね」 「受けてたっけ?」 「いや、覚えてない」 「でも、よかったな」 「そうだね」 この間、二人はお笑いコンテストに出て一次審査を受けていた 二人はまだボーとしている ピンポン 宅配便が届いた。玄関の外は夜になっていた。 出会って二年 コンビを組んで一年 ライブでそんなに受けたことは無く バイトをしながらボロアパートに二人で暮らすウォーリーとユウ 段ボールの中は二人のスーツが入っている オーダーメイドで作ったスーツを着て二人は並んでみる。窓に薄く映る姿は漫才師に見えなくもない 「このスーツ作ったけどさ」 「うん」 「俺らはコントはやらないの?」 「何だってやるよ」 ウォーリーが通知を取り、壁に貼りつけた後、振り向いてユウに言う 「ラペってなに?」 「コンビ名だろ!」

ハリネズミの決意

 そのハリネズミは、ある日、寺に現れた。そのハリネズミは、口に毛抜きをくわえていた。そのハリネズミは、和尚をじっと見つめた。和尚はすべてを悟った。和尚は本堂にハリネズミを招き入れ、仏像の前に座らせると、その針を毛抜きで一本一本抜いていった。ハリネズミはじっと仏像を見つめていた。一方和尚は針を抜きながら、自分の頭に髪の毛がふさふさに生えていた頃のことをぼんやり思い出していた。

考えすぎんなよ

ああ、そろそろくるな。 「あんまり考えすぎんなよ」 ああ、やっぱり― 「願い」が種だとしたら「おまじない」はその種に水をやり、芽吹かせるための儀式。 こうなりたい、という強い願いだけでは、不安や迷いに押しつぶされてしまう。 そこにおまじないを加え、願いは「ただの思考」から「具体的な行動」へと昇華していく。 ―あんまり考えすぎんなよ いつもそう。この人はいつもそうだ。 お腹痛いと言った子どもに、おかあさんがぽんぽんさすってあげるみたいに言うんだ。この人は。 「先輩のこと、好きなんですよ」 「うん。なんかそんな気がしてた」 「知ってたんですか?」 「知ってたっていうか、わかっちゃった」 「わかってて、なんですね。なんにも」 「だってお前、何も言ってこなかったじゃないか」 「まあ、そうなんですけど」 「言われても、期待には応えられなかったけどな」 「そんな、さらっと」 「もう大学生になるんだ。大切なことほどさらっと言うくらい、嗜みとして身につけとかないとな」 「勝手だなあ」 「そうだな。勝手だな」 ああ、きっとくるな。 「あんまり考えすぎんなよ」 また、そうやって、この人は… この人にお腹をさすってもらえたら。 なんて、ちょっと考えてしまった。 私が甘えれば、この人は… なんて、しないけど。きっと、お互いに。

私はおかしい、あなたもおかしい

全く嫌な日だ。大嫌いな場所に行かなきゃいけないなんて。しかし、行かなければいけないのだ、薬をもらうために。  「ハァ……行きたくねぇ……」  私は昨日の夜からずっとため息がでていた。新しく買ったマイクの実験も兼ねていたが、どちらかというと吐き出したかったのだ。    電車の中で、昨日呟いた12分間のボイスメモを聞いていた。自分の声は好きではないのだけれど、なぜか落ち着くのだ。まるでそこに「嫌だよねぇ、ほんとだよねぇ、ヤレヤレだねぇ」って言ってる人がいて、それなぁって共感する。  しかし困ったことに、実家で呟く訳にはいかない。  「突然何してるの?頭おかしくなったの?」  そう言われるに決まってる。逆に、両親が同じ行為をやり出したらこちらも不安になる。    私は頭がおかしい。それは自覚している。  だからなんだというのだ。そういうお前は、おかしくないと人前で大声で言えるのか?    昔、言の葉の庭という小説で心に残っている一文がある。  「人はどこかちょっとずつおかしいんよ」    本当にそのとおりだと思う。  私はおかしいし、あなたもおかしい。  それは個性だと、私はただ静かに思う。

キミは水上バス

かわいそうと言う人は  かわいそうと言うだけの人だ    かわいそうと言われた人は だから  ほんとうにかわいそう

無駄遣い

 男は踵を引き摺りながら、夜の町を歩いていた。駅を出た時は足早に歩いている人が何人もいたが、今ではすっかりいなくなっている。明かりはついているが音のない迷路のような住宅街をのろのろと歩く男は、音もなく掠ってくる冷たい風を避けるようにダウンのポケットに両手を入れた。  男は漫画家を目指していた。芸術学部のある大学に進学し、その後上京してアルバイトをしながら三年が過ぎていた。その間、何の成果も上げる事なく、ただただ七年という時間を通過していた。漫画家を諦めたわけではない。描き続けてはいるが、それだけの日々。投稿する頻度も、ペンを持つ時間も減り、言い訳の種類と回数だけが増えていった。  今日も昼からのアルバイトを終えた道で考える事は、バイト中での自分の言動を振り返り反省すること、夕飯のこと。あと、明日のバイトのこと。  住んでいるアパート近くの公園を横切った時、ふと高校生の頃の自分を思い出した。  大学受験に向けて画塾に通いながら、漫画を描いて東京まで持ち込みに行っていた。出張編集部があると知れば、その日を締め切りにして明け方まで原稿用紙に向かっていた。  部屋の電気をつけ、ゆっくりと現に戻った。キッチンに置かれた二人掛けのダイニングテーブルには開けたままのノートと芯を出したままのボールペン、付箋だらけの本やメモ帳が散らかっている。ついさっきまで、そこに誰かが座っていたかのように。  窓を閉め切ったベランダからわざとらしい大きなため息が聞こえたような気がした。  そんなことも明日の朝にはきっと忘れて、足を引き摺りながらバイトに向かうのだろう。  こんなダラダラとした中身のない日記にもならない独り言を誰が読むでしょう。紙とインクの無駄遣い。こんなものを許してはいけない。いけないって、分かってはいるんです。

ツーショット

私には『推し』がいる。 いつも舞台上で鮮やかな衣装をまとい凛としている姿を見ると惚れ惚れしてしまう。 どれだけ遠くから見ても、どれだけ周囲に他がいたとしても、彼だと一目で気づくことができる。 「彩花もそんなに好きならツーショット撮ってもらいなよ」 「わかってないな〜、私なんかと写ったら彼のビジュが台無しじゃん」 正直いうと、私はいつも積極的な美咲が羨ましい。初めて彼を見つけたのも彼女である。 彼に初めて出会ったのは、大学に入学して十月に開かれた文化祭の日だった。 その日はあいにくの天気で小雨が降っていたが、大学主催のミスターコンは広場で開催された。 司会者は 「水も滴るいい男たちが揃っています!」 などと上手いこと言った感を出していたが、出演者からしたらセットした髪の毛やらメイクやらが崩れて最悪でしかなかった。 そんなミスターコンは学年別で進行し、最後の四年生が登壇し始めている時だった。 「えっ、彩花!あれ、見て!」 「どの人?」 「ステージ脇のところ」 「人なんかいないじゃん…あぁ〜」 「私ツーショット撮ってくる!」 ステージの直ぐ脇で、小雨が降る中でも彼は凛と立っていた。 その時の姿は深く落ち着きのある様子で、今ほどの魅了は感じられなかったが、その日から私と美咲は彼の推しになった。 今では鮮やかな衣装が端正な佇まいを一際立たせて魅力的になった一方で、私はまだ一枚もツーショットを撮れていなかった。 季節が移り変わり三月が近づくにつれて、私は彼が卒業してしまうかもしれないという焦りを感じ始めていた。 「ビジュアルが台無しなんて思わないよ。一緒に写真を撮ってくれるなら、誰だって嬉しいと思うけどな」 そんな美咲の言葉に後押しされ、彼にツーショットをお願いする決心がついた。 一緒に写真を撮ろうとスマホを出した、その瞬間だった。 「ポトッ」 あまりにも唐突だった。 あんなに誇らしげに佇んでいた彼が、重力に逆らわずに真下へと倒れた。 「えっ……?」 時が止まった気がした。 私の目の前で、彼は一瞬にしてその場所からいなくなった。 視線を落とすと、真っ白な雪が少し残る地面の上に、彼は真紅をまとって横たわっていた。 「そんな……嘘でしょ? どうして……」 絶望して立ち尽くす私に、美咲がそっと近づいてきた。彼女は悲しむ風でもなく、地面に横たわった『彼』を愛おしそうに見つめている。 「……彩花、そんなに落ち込まないで。彼はね、最期に『彼らしく』卒業していったんだよ」 「どういうこと?」 「彩花は『花』の枯れ方にそれぞれ表現が異なる言葉があるって知ってる?例えば、桜なら散る、牡丹なら崩れると言った感じで表現が異なるの」 そんな表現があるなんて私は知らなかった。たしかに、桜は散ると言うが牡丹が散るとは聞かない。 「なら、『椿』はなんて言うの?」 「花びらが散らずに、首ごと地面に落ちる様子から『落ちる』って表現するの。私は、そんな表現を大切にして最期の様子も残してあげたい」 私はもう一度、足元の彼を見た。 花壇という舞台上で華々しく落ちた彼を。 その姿は、バラバラになることなく、まるでまだ生きているかのように凛々しく見えた。 華々しく咲いている時だけでなく、その最期にも美しさを感じようとする。そんな素敵な考え方を知り、私は彼との初めてのツーショットを撮った。

もうひとつの雨宿り

やられた。 夕方の突然の豪雨。 駅までの道、小さな軒先で雨宿り。 ひとりじゃなく、もうひとり。 と言っても、連れではない。 沈黙を破ったのは彼女のほう。 と言っても、彼女が口を開いたのではない。 手にしている紙袋から漏れる甘いドーナツの香り。 ああ。いい匂いだ。 おそらく、この先の店のものか。 雨の日だけ、おかしな形のをつくるあの店の。   ・ まったく、まいっちゃった。 夕方の突然の豪雨。 駅までの道、小さな軒先で雨宿り。 ひとりじゃなくて、もうひとり。 でも、連れでもなんでもなくて。 沈黙を破ったのは男性のほう。 でも、男性が何かを話しかけてきたのではなくて。 手にしている紙袋から漏れる芳醇な豆の香り。 ふふん。いい香り。 きっと、この先のお店のものかな。 雨の日だけ豆を別口のにするあの店の。   ・ 激しい雨音が、ふたりの距離を密室のように囲い込む。 コーヒーの熱を指先に感じる男。 ドーナツの香りを鼻先で遊ばせている女。 雨が上がるまでのほんの十数分間。 名前も知らないふたりによる、何も起きない、ふたりだけの物語。

コピー・イン・ザ・ライフ (掌編詩小説)

100均で玩具のお金セットを買って、家のコピー機で紙幣を印刷していく 小銭なんか要らない。紙幣なら何でも良い… えへへ…お金をコピーするのって、本当は捕まっちゃうんだよ えへへ…紙幣に描かれた人なんて、本当は誰でも良いんだよ えへへ…銀行員になったみたいに、枚数を数えていくよ 正気なんて、現金で買えるさ お金持ちになる夢の童心は、偽りの所有欲で帰るさ えへへ…紙いっぱいの偽造紙幣を、ハサミで切りましょうね えへへ…1日で大金持ちだぁ。働くのが馬鹿みたい えへへ…何を買おうかな。あっそうだ、クーポンと併用させよっと えへへ…えへへ… (完)

7

 その男は、数字の『7』を激しく憎んでいた。男の住んでいる小さなアパートの部屋には、あらゆる物から『7』の数字が消されていた。時計、温度計、カレンダー、本、リモコン、食べ物の賞味期限。住所にも部屋番号にも『7』は入っていなかった。街を歩いていて、『7』の数字を目にすると、男は、暴力的な行為が発露する前に、慌ててその場を立ち去るのが常だった。男が『7』を激しく憎んでいる理由は、誰にもわからなかった。人々は理由を知りたがったが、男は口を閉ざしていた。様々な噂が流れた。やがて男は孤立した。そんな男に、唯一の友人が残った。友人は理由を詮索しなかった。「まぁ、そういうのって誰にでも何かあるよな」男はその友人にだけ心を許していた。そんな友人がある日、交通事故で急死した。葬式が開かれることになった。男は友人の両親から連絡を受けた。その葬式に出るためには、男は7時に目覚めなければならなかった。

春のきたれど等身大

 十四の春が訪れた。思春期である。その他に、私には何もなかった。ただ思い悩む春である。  父と母がいる。仲は悪い。顔を突き合わせている時は静かに、一枚壁を隔てたならば、お互いのルールに従わないお互いを蔑んだ本音が顕になる。どうして離婚していないのかと、不思議に思ったことがあった。  母が言う。「子どものことは大切だから」母が好きだった。  父は無関心だった。そして意地悪であった。私たちを養うために仕事をして、何かあれば連絡するだけの親である。次第に父とは話さなくなって、終いにはこちらも無関心になった。ただそこにいることが疎ましいと、そんなふうに思ってしまうこともある。  さて、ひとつ問題がある。父は何かにつけ自分のルールを押しつけることが得意で、従わない者共をいたぶるのが好みに見える。好みでなくとも、沸点は低いようだった。そんな父のマイルールには「つけたものをすぐ消す」ことがある。例えば、先ほど私が上がったお風呂の給湯を点けっぱなしにしている、などである。  こういう時、父は点いたままの給湯を確認するやいなや、舌打ちをする。たったそれだけではあるのだが、私の心はたったそれだけで大いにささくれるのである。であるならば、湯上がりと共に給湯を消してしまえばいいのだが、それはそれで父のルールに従っている。つまり、母の嫌う行いかもしれないのである。母に嫌われたくはない。かと言って、父に従うというのも、いかんせん腹が立つ。ここで父に文句を言うのは簡単だが、その後に来るだろう父の癇癪を相手にするのは堪える。結論、私が黙って悩みを忘れてしまうことが最も現状を乱さないうえに効率的な選択なのであった。それがもはや、幾数年にもなっていたのであった。  改めて私は、たかが十四歳の子どもである。何を変えるでもなく、何を躱すことすら難しい。夢もなく未来も明らかではない。ただ、波浪のような現実に思い悩む時期の春が訪れた。

プレゼント

物心なんて、つくはずのないころ。 私は、プレゼントをもらっていた。 これだけは、なくさないようにしないと。 とおくで、人の声が聞こえる。 口が、不自由になった。 とおくで聞こえる音。 「ピー、ピー、ピー」 機械音かな? あっ、プレゼントを、落としちゃった。 初めてののプレゼントだったのに。 生まれてから。 「ピー、ピー、ピー…」 音が鳴りやんだ。 さようなら。

叶ってしまった

「ねえ、和華。やっぱり戻ろうよ」 「大丈夫だから。ほら、有咲」  山の淵のてっぺんで、私は有咲の手を取った。秋の夕暮れ、冷たい空気に、少し肌寒い。すぐ戻るから、と薄着で来ていた私はその体温を奪われることになった。 「ねえ、あそこの祠って、神様がいるんでしょ。祟られちゃうよ」 「平気平気。ほら」  見下ろした先には、開けた平原。その真ん中には、ぽつんとひとつ、色褪せた祠があった。 「……あれが」  きっかけは、何処かで聞いた言い伝えだった。あの祠には神様がいて、お願いすれば願い事を叶えてくれるんだって。  でも私たちの村には、もう一つ言い伝えがあった。 「あの祠には、近付いちゃいけないよ」  酷く矛盾しているじゃないか。私は不服に、どちらの言い伝えにも平等に不満を垂れていた。願い事を叶えてくれるのに、近付いちゃいけないなんて。どうしてそんなことを言うんだろう。  なんて、そうやって幼い頃の私は考えていた。今も少し、そうやって。 「足元、気を付けてね」  連日の雨で地面がぬかるんでいる。ふと、遠くの空を見上げれば、未だ晴れ切らない雲がその奥で停滞している。残った雨の匂いにほんの少しの不快感を感じながら、有咲の腕を握って引っ張っていた。 「お願いって言ったって、何を願うのさ」 「それはね、」    彼女には話していなかった、私の事。  私は小さい頃から、身体が弱かった。何回も大きな病気を患って、そして、今も。  今度こそ助からないかも、なんて。先が長くないなんて、そんなことを言われてしまうほど、私の運命は脆くて儚いらしかった。 「ひみつ」  そんな事を言えるわけもなくて、私は彼女の言葉を振り払う。独り善がりに、私は一方的に彼女の腕だけ握って引くばかりだった。 「私、和華の事が好き。もっと、一緒にいたい」  中学に上がって出会った和華は、そんなことを言ってくれるような子だった。好き、なんて人から言われたことがなかった私は変に真に受けて、やがてその視界には有咲しかいなくなっていく。 「私も、有咲のこと好きだよ。一緒にいたい」  壊れゆくこの身体で彼女の事を愛し続けるのは難しくて、悲しさのたびに涙を溢していた。苦しくて堪らなかった。  だから、私は。  足を取られるままに歩き続け、ようやっとその祠の前に辿り着く。何か言葉にできないほどの迫力というか、禍々しさがそこに在った。  雨風を耐え忍んで腐りかけたその木や、軋むほどに風を通す外殻。  その中に何があるかなんて知らず、私はただ単純に、何かを願うだけだった。 「ねえ、本当に大丈夫?」 「うん」  これも全部、有咲のため。ずっと一緒にいるため。そう思っていた。 『死にたくない』  手を合わせて願う。奥底から漏れ出たのはたったそれだけのちっぽけな願い。  たったこれだけで、私は 「ぁっ」  不意に声を漏らしたのは有咲だった。  振り向いた途端、彼女は膝から崩れ落ちてその場に倒れる。 「有咲!?」 「ねえ、有咲!?大丈夫!?ねえ!」  幾ら揺さぶっても、返事はない。その身体は動かない。  息はしている、脈もちゃんとある。それなのに、深すぎる眠りという牢獄に閉じ込められたように、私の動きの一切が何の意味も成さない。  そのとき、私は初めて気が付いてしまった。 「代償……」  近付いてはいけない。それは、何か危険があるから。  願いを叶える。それはきっと、代償を必要とする。  だから、近付いちゃいけなかったんだ。  私は、彼女のために、私の願いのために 「わた、し……は、有咲を……」  彼女を犠牲に。    こんなことにも気付けない自分の愚かさが憎くて、仕方がなかった。でも今更こんなことを言ったところで、もうどうしようもなかった。  _ 「……こ、こは」  雨の中、荒んだ泥の上で目を覚ます。  目の前に横たわるのは、有咲の身体。  そうだ、私、帰ろうとして、有咲を背負いながら、  あの山の上から、落ちて 「ああっ」  痛い。  感覚が強烈に思い出される。フラッシュバックみたいに、脳を埋め尽くす。  放り投げられたビー玉みたいに、私はこの斜面を転がり落ち続けた。  ぐるぐる回る視界の中で何回も、岩や木に頭を打ち付けた。身体を打ち付けた。それはもう、死んでしまうほど。もうこれで終わりなんだと、そう感じていた。  幸い、和華は私が必死に守っていたおかげで軽傷で済んでいた。 「……どうして」  降りしきる雨の中、どうせ掻き消される声で、私は他の誰でもない、私自身に問いかけていた。 「あんなに痛かったのに、あんなに苦しんだのに」 「どうして私、死んでないの?」  答えは、簡単だった。 『死にたくない』  あぁ、どうして。  神様。

僕が彼女を守る

7月2日 彼女とスタバ。彼女は期間限定のストロベリー&ユースベリーティーを、僕はエスプレッソを頼んだ。窓側の席に座る彼女は今日も美しい。2人の間に静かな時間が流れる。言語なんて僕達に必要ない。だって心が繋がっているのだから。 7月15日 彼女と映画館に来た。彼女が話題の恋愛映画を見ると言うのでそれに付き合う。クライマックスで涙を流す彼女は、やはり美しい。映画なんて目に入らなかった。よほど気に入ったのか見終わった後は大はしゃぎで感想を話してくれた。僕は黙って何度も頷いた。 彼女の右隣に変な男が座っていて、映画館から出た後も付いてきていた。要注意だ。 7月22日 今日は彼女と水族館。一面水槽になっている天井を見つめる彼女。子供向けのペンギンショーに夢中になる彼女。目が釘付けになってしまう。正直水族館なんてどうでもいい、彼女とならどこだっていい。僕はどこまででも付いていく。 今日もこの前の男が彼女の隣に張り付いている。恐らく、いや確実にストーカーだ。僕が彼女を守らなくては。

迷心

 黒猫が横切った時、朝に霊柩車を見たことを思い出した。  いつも通り俯きイヤフォンで音楽を流しながら駅に向かう通りを歩いていると、「チーン」と高い金の音が聞こえた。その音は耳元のイヤフォンをも通り抜けて、脳内に「チーン」という擬音語をそのまま置いた。無意識のうちに顔を上げると、車道を挟んだ向こう側にある葬儀場で、棺が霊柩車に乗るところだった。和尚さんが「チーン」と鳴らし、喪服の人々が棺を囲っている。一人が持っている写真の中では老人が笑っていた。  視線を道に戻すと、前からは服を着た犬がリードをつけられて颯爽と歩いていた。学生らしき青年が駅に向かって走り、スーツを着た男性が電話をしながら足早に通り過ぎていった。  少し離れてから、霊柩車を見たときは親指を隠せという習慣を思い出し親指を握ろうとしたが、写真の中にいた笑顔の老人に申し訳ない気がしてうまく握ることができなかった。 「黒猫が横切るなんて不吉だね」  運転席に座る先輩がどうでもよさそうに言ったことで、現に戻った。 「何も起こらなければいいんですけど」  後ろからかけた私の小さな声は情けないほど高く早口で掠れていた。  黒猫は一度だけこちらを見て、ふいと前を向き左から右へと足音を立てるように道路を渡っていった。  今日は不吉なことは何も起こらなかった。不安なことばかりで、いつもは実際起こらない不安なことが今回は現実になってしまうのではないかと不吉なほどに思い込み、呪いのように頭の中に巻き付いている。  朝の私は親指を隠さなければ不幸があるという言い伝えを信じていたための行動だったが、改めて調べてみると、敬意を表すための礼法であることも知り、結局申し訳ない気持ちと自分の知識の偏りに呆れてしまった。

ターメリックライス

 休日出勤の帰り、まだあかるいうちに、小さなスーパーに寄る。高層ビルの一階に入っているその店は、客同士がすれ違うのも難しいほど狭い。入って左手にレジが三台L字型に並び、右手には袋詰めカウンターが二台縦に並んでいる。  入口に積まれた籠を一つ取り、袋詰めカウンターの右側からゆっくりと通路を進む。 最初は乳製品、今週は足りているからパス。隣にある、いちばん安い珈琲ゼリーをひとつ籠に入れる。冷蔵された果物、きょうはマンゴスチンだ。初夏に買ったドラゴンフルーツは大当たりだった。先週買ったランブータンは外れ。少し迷って、ここも通り過ぎる。  鹿児島県産のピーマンと、高知県産の新生姜を一袋ずつ入れる。陳列棚が左に折れる。この店は鮮魚もおいしいが、今週は節約しているので買えない。さらに陳列棚を曲がり、群馬県産の蒟蒻を一枚入れる。調味料や乾物のコーナーは素通りし、冷蔵の二玉入りのうどんを一つ入れる。いつもは買う菓子パンも今日は買わない。最後に季節の果物のコーナーがある。無花果が並んでいた。これはこの時期にしか楽しめないので、籠に入れる。  会計を済ませて外に出ると、湿気と熱気に包まれる。鞄と袋を抱えて五分ほど歩く。通りには誰もいなかった。少し背伸びして借りた都心の部屋は、西向きのワンルームにキッチンが付いている。ドアを開け、買ってきたものをアルコールティシューで簡単に拭き、冷蔵庫に仕舞った。うどんは冷凍する。冷凍うどんを買うよりも、冷蔵のうどんを買って冷凍するほうが安上がりなのだ。  シャワーを浴びて、その間に洗濯機を回す。髪にドライヤーを掛け、洗濯物を風呂場に干して、七畳半の部屋で寛ぐ。リモンチェッロの瓶から小さなグラスに中身を注ぎ、少しの水道水で割って飲む。常温で十分おいしい。  西日の部屋は嫌われがちだが、わたしは好きだった。ちびちびとグラスを傾けながら、ビルの隙間に沈んでゆく夕日を眺める。熱い夏でも、日の名残りは惜しい。  すっかり日が沈んでしまうと、根っこが生えてしまいそうなお尻を漸く持ち上げ、カーテンを閉めて灯りを点けた。それからキッチンに立った。  電気調理器でお湯を沸かしている間に、まな板を水で濡らし、カウンターに寝かせる。冷蔵庫から、トマトをひとつ取り出し、ひと口大に切る。卵を汁椀に割り、粉末の出汁を入れて溶く。換気扇を回し、ガスコンロでフライパンを温め、オリーブオイルを煙が出るまで熱した。そこに卵とトマトを入れると、じゅっという美味しそうな音がする。適当に菜箸で混ぜ、火を止めて余熱で温める。頂きものの三陸産の生わかめをひと株、少し水に浸し、それから塩を洗い流す。世の中には生わかめを贈ってくれる人もいるのだ。これもひと口大に切って、沸いたお湯に入れ、さっきと同じ粉末だしを入れる。再沸騰したら火を弱めて味噌を溶き、火を止める。卵を溶いた汁椀を軽く洗い、そこに出来上がった味噌汁を入れる。  空いた電気調理器に、研いだ米を入れる。適当に水加減をして、わずかな時間、吸水させる。先ほど買ってきたピーマンをひとつと新生姜の小さな一かけを洗い、どちらも千切りにする。千切りをしている間、まな板にはトントンという小気味よい音が響き、頭のなかは驚くほど静かになる。  また同じ粉末だしを米に振りかけ、上にピーマンと針生姜を載せ、さらにターメリックをたっぷりと入れる。一箇所に入れてしまっても、米が炊ける間に広がるから心配は要らない。思い出してレーズンを散らす。電気調理器のタイマーを十五分と二十分の間にセットして、炊き上がるのを待つ。  リモンチェッロを飲み干したグラスに、今度はペルノーを入れる。また水道水で割ると、薄緑色の液体が白く濁って美しい。  適当な音楽をかける。ゆっくりぺルノーを飲む。ぺルノーの程よい苦みと甘みはとりとめもなく何かを考えるのにうってつけだ。この暮らしをいつまで続けられるだろう。どうかな、分からない。先のことは考えても仕方ない。いつも思いがけない展開が待っているのだから。  ターメリックライスが炊き上がる。  適当なさらにそれをよそう。トマトと卵の炒め物もよそって、黒胡椒を振る。それらをすっかり冷めてしまった味噌汁といっしょに一人分の竹製のお盆に載せて部屋に運ぶ。キッチンと部屋を隔てる扉をゆっくり閉める。  さあ、食事だ。  ピーマンと新生姜のいい香りがする。何はなくとも、わたしにはこのターメリックライスがある。それだけで、今は十分だ。

「燃えてしまいたい」と、そのリンゴの木はずっと考えていた。小さな果樹園の隅っこから一歩も動いたことがなく、ただ惰性のように毎年毎年リンゴを実らせるだけの人生に飽いていた。果樹園の先代の主人は優しくて有能な男だったが、跡を継いだ次男坊はやる気のない短気な小男で、機嫌が悪くなると、よくリンゴの木たちを蹴っていた。「燃えてしまいたい」リンゴの木は視線を前に向けた。遠くに、別の果樹園があり、そこにもリンゴの木がたくさん植えられている。その果樹園では、以前、大規模な火災が起きた。リンゴの木たちが赤い炎に包まれて倒れていくのを見た。それはどこか恍惚とさせられる光景だった。このリンゴの木が「燃えてしまいたい」と思い始めたのは、それからだった。リンゴの木は目を閉じた。そして、自身の体が赤い炎に包まれるところを夢想した。どれくらいの時間が経っただろう。はっと現実に戻ると、リンゴの木は、自身に実ったリンゴが、すべて炎と同じ赤色をしていることに気づいた。リンゴの木は苦笑した。「この子たちが出荷されるまでは死ねないな」リンゴの木は再び目を閉じた。そこへ、果樹園の主人が、タバコを吸いながら歩いてきた。

たいへん美味しゅうございました

あれは、何年前のことだったでしょうか。 暦とは裏腹に、季節はずれの高温でした。 本来であれば、そこにあたり前にあるはずの雪はどこにもなくて。 アスファルトがひどく無機質に見え、風情のない北の街に、妙にさびしさを感じたものでした。 あまり期待をせず、ふらりと入った路地裏のお寿司屋さん。 たいへん美味しゅうございました。 特に、あの穴子。 見るからにふっくらとしていて、 「その柔らかいの、もうひとつ、よろしい?」 なんて、夢中で言ったのでした。 いまでも不意に思い出します。 いい思い出です。 確か、あの次の日、もう一度、行ってみたのでした。 ですが、あの路地裏を探しあてることはできなくて… あの路地裏、ほんとうにあったのでしょうか? あのお寿司屋さん、ほんとうにあったのでしょうか? それでも、あれは― いい思い出です。

町の警察

チュンチュン。スズメの鳴き声が聞こえる。 今日もこの町は平和だな。 俺は鈴井直樹、この町の警察官をしている。 俺が警察になったのは、事件を解決したり、逮捕したりしたかったからだ。 だけどこの町は治安がいいので、仕事は道案内や落とし物、パトロールぐらいしかない。 憧れていた警察官とは違うけれど、やりがいはある。 パトロールをしているとそれがよくわかる。 ヒーローに憧れている少年がピシッと敬礼をしてくれたり、女子中学生二人組が青春をしていたりする。 その時はとても幸せな気持ちになるものだ。 この町は田舎なので、人をよく覚えることができる。 だから、誰と誰が付き合っているとかがわかってしまう。 今日も、交番の前の公園で中学生カップルがいちゃついている。微笑ましい。 どうやら彼女の誕生日のようだ。 彼氏の方がハンカチをプレゼントしていた。青春とはこういうものか。 それから数日後、パトロール中に彼氏を見かけた。 表情はよく見えないが、悲しんでいるのはわかった。 きっと彼女と別れたな。まぁそれも青春だろう。 それからさらに数日後、落とし物が届いた。 大人の女性が届けてくれた。優しい方だと思った。 「ありがとうございます」 とお礼を言ったら、明るい表情になった。 女性が届けてくれたハンカチをしっかり見ると、彼氏が彼女へプレゼントしたハンカチだった。 彼氏くん、結構ひどい振られ方でもしたのかな? 俺は、非リアのなので少しだけ元彼くんに同情した。

不似合いの二人

 少年は思っていました。  自分の彼女は、自分に相応しくないと。  彼女は気立てが良く、誰にでも優しい人でした。  とても自分では釣り合わないと。   (だから、別れ話をされたら何も言わずに受け入れよう。それが、彼女を幸せにする唯一の方法だ)    少女は思っていました。  自分の彼氏は、自分に相応しくないと。  彼氏は気立てが良く、誰にでも優しい人でした。  とても自分では釣り合わないと。   (だから、別れ話をされたら何も言わずに受け入れよう。それが、彼を幸せにする唯一の方法だ)    周囲の人々は思っていました。  あの二人はお似合いであると。  二人ともとても優しくて、いつも誰かを助けています。  あんな二人をベストカップルと言うのだろうと。   (私も、あんな恋人が欲しいなあ)    不似合な二人は、今日もお似合いのカップルとして、二人並んで歩いています。

実に…

実に興味深い 何ともなしにそう呟く 最近ドラマに嵌っている ミステリーで主演は某アーティスト 原作小説ももちろんよんでいる。 最近映画も予定されている。 トリックも凝っている 実に興味深い

事の顛末

夕飯後の食休みの時のこと。 スマホでアニメをぼーっと見ていると、居間の方から「ガン!」と音が聞こえた。 え、何事よ。向かうと母が脇腹を押さえて「うぐぅ」と呻いていた。 全く分からないどういうことだ。母が一人相撲でドアの取っ手にぶち当たったのか? 「え何、何があったん?」 とりあえず近くにいた妹に聞いてみる。 「……歳だよ」 妹はスンとした顔で明後日の方向を向きながら答えた。なに歳って!?何で歳で脇腹押さえて呻くのよ。 「いやどういうとこよ、教えてよ何があったの!」 「だから歳だって」 「いや分かんないし納得できないよ」 「もぉしつこいな!!何なんずっと聞いてきて!!」 妹がうんざりした様子で叫んだ。え私が悪いのこれ?事の顛末知りたいだけよ? 「いいじゃん教えてよ!気になるから聞いてんだよ!」 「何でそんなに気になるのさ!」 何でってそりゃ、決まってんでしょ。 「笑える内容だったら笑いたいじゃんよ!」 キッチンの方から母の「くだらないよアンタ!」という非難の声が聞こえてきた。 結局しつこく聞いた結果知ることが出来た内容は、妹に手刀で刺された母がその破壊力でドアの取っ手にぶち当たったというものだった。 なんてしょうもな。歳関係無いし。てか証人が問い詰められてキレるってミステリーあるあるじゃん。 世の中のミステリーの真相が全部これくらいしょうもなかったら何かしらの暴動が起きるんだろうな、と思った。

ハンカチと彼女

私は今幸せだ。 どうして幸せでしょう?問題! 正解は、彼氏ができたから。 彼氏はイケメンでサッカー部のゆうま君。 前の彼氏?そんなのどうでもいいのよ。 あんなもやしでヘタレ、誰が本気で好きになるの? ゆうまくんと付き合った瞬間、私は元彼からもらったハンカチを捨てた。  周りの人たちは落とし物って思うだろう。でも残念、そのハンカチはただのゴミ。 本当はゴミ捨て場に捨てようと思ったのだけど、公園のど真ん中に捨てちゃった。 どうしてかって? ハンカチをゴミ捨て場に運んでいるとき、もらった時のことを思い出しちゃったから。 「はい、これ誕プレ」 「わぁ、ありがと!」 「開けてみて」 「うん、あっハンカチだ」 「この百合の花言葉、彩音にぴったりだと思ったんだ」 「そうなんだ、うれしい」 花言葉って何?女々しいな。 てか誕生日にたかが六〇〇円ぐらいのハンカチなんて恥ずかしくないのかな。 記憶の中の元彼の言葉に凍え、公園で落としてしまった。 その時のことを思い出すと、ハンカチをもう持っていられなかった。 放課後の教室、私はゆうまくんとキスをしていた。 元カレとはしたことのはないファーストキスだった。 「え、何してるの?」 邪魔者の声が聞こえた。一応彼氏ではあるけど、私の中では元彼の声。 「あー、バレちゃった?」 私は笑って言った。 「これが彼氏?もやしじゃん」 ゆうまくんってやっぱりわかってる。 「そーでしょ?まぁ今の彼氏はゆ、う、まくんだけどね」 「俺も今の彼女はあ、や、ねちゃん」 「やーんもう、ゆうまくんったらぁ」 私たちは元彼の前でいちゃついた。 どんな顔してるんだろう。想像して吹き出した。 「あっ、そう言うことだから別れよ?」 やっと言えた。まぁ、言わずに自然消滅でも良かったけど。 元彼は頷いた。 こんな時に声すら出さないなんて、どんだけ女々しいの? 私は幸せだ。イケメンな彼氏とも付き合えて、キスもできて。 おまけに元彼の悲しそうな顔まで見れて。 これからゆうまくんとキスもキス以上のこともたくさんするんだ。 私はハンカチのことなんてすっかり忘れていた。

言い訳

 これは僕の言い訳です。酷い夢をいくつもみて目覚めた朝は雨が降っていました。防水スプレーを何重にもかけて、水たまりに気をつけて下を向いて歩いていたのに、自分の靴が跳ねさせた水で靴下まで濡れました。しかも、駅に着く前に忘れ物をしたことに気付き、走って取りに行ったせいで靴下はぐっしょり濡れてしまいました。  バイト先ではぼんやりとした頭とうまく回らない舌で、どうしようもない会話をしました。会話の内容を、お風呂から上がった今でも頭の中で繰り返しています。それと同時に、僕がみんなから煙たがられるシナリオも進行していきます。そのシナリオの中には、さっきまで僕が忘れていた今日の僕の余計な言動が原因のものもあります。  これは全て僕の言い訳です。誰に対しての言い訳でしょう。何に対しての言い訳でしょう。  とりあえず、僕の言い訳は以上です。  明日の朝は早いんです。おやすみなさい。

ハンカチと会社員

あー疲れたな。 会社への出勤時、心の中でつぶやく。 昨日の疲れがまだ残ってる。それでこれから疲れに行く。 私はいわゆるブラック企業に勤めている。 パワハラ、モラハラは当たり前。おまけに意地の悪いお局がうじゃうじゃといる。 大学生頑張って、せっかくいい会社に入社できたと思ったのに。 面接をあんなに頑張って、得られるのがこんなブラックで働く権利なんて世界バグりすぎだろ。 「あら?あなた、メイク濃いんじゃないの?」 お局に言われる。 「そうですか?そんなことないと思いますけどね」 愛想笑いをしながら答えてる。 「あなた相当、顔がアレだからね。そんなにしないとダメなのかしら」 「そうかもですね」 この年齢にもなってこんなこと言ってくる人ってなんなの? ノンデリ?イケメンなら大歓迎なのに。 それともフレネミー?フレンドでもないけど。 「君、何してるのかね?」 「えっと、データの打ち込みを」 「君は言われたことしたできないのか?」 「いや、まだ言われたことをしている途中なんで、まずはそれが大優先ですよ」 「口答えか?これだからZ世代の女は」 「あはは、そうですね」 このクソジジイ。人の話ちゃんと聞けよ。 てか、女だったらなんだよ。 男だったら許すのか?男好きかよ。 男女差別はするのに変なところは多様性ですね。 心の中では強気でいながら、メンタルは結構削られてる。 最近は褒め言葉さえも悪く聞こえてしまう。 「あーあ、私やっぱり社会不適合者だな。」 仕事後、公園のベンチに腰掛けて周りに迷惑にならない程度の声で叫んだ。 公園の時計は九時三五分を表している。 そろそろ帰るか。そう思い、立ち上がった。 公園の出口へ向かって、歩いた。会社の決まりで履いているヒール付きの靴は歩きにくい。 「うわっ」 何かに引っかかって転んでしまった。 転んだところを見ると、ハンカチが落ちていた。 かわいらしいハンカチだった。 きっと、落とした人は困っている。届けてあげよう。 私はそう思い、ハンカチを拾い上げた。 一見きれいに見えたそれは汚れていた。 公園の水飲み場で洗った。少しだけきれいになった。 そして近くの交番に届けた。 届けて、はい終わり!かと思ったら違うらしい。 書類とか書かないといけないらしい。 めんどくさいな。でも今更、後には引けないし。 私は書類を書き終えた。思ったよりたくさんあった。 「ありがとうございます」 交番を出るとき、警察官に言われた。 イケメンだなって思った。この人がノンデリでも全然許せる。 なんだかいいことをしたな。少しだけ明るい気持ちになった。 持ち主もきっと喜ぶはず。 明日からの仕事が少しだけ楽しみになった。

夢を見た。1羽の鳥が羽ばたく夢。その鳥は勇敢で高貴だった。高く高く青空をとびかけていった。彼は人工のもの、ルールなど露しらず空高く飛んでいったそんな夢を見た 時計を確認。思ったよりよく寝たようだ、起きる 朝ごはんはハムエッグとブレッド 早々に食べ終え予定を確認する 3限に授業。 めんどくさいなぁと思いつつパジャマから私服に着替える 大学に到着友人に挨拶をする いつも通りの日常

他席思考

(うおおおおお! 解ける! 解けるぞおおおおお!!)    全ての問題を解き終えた十分後、チャイムが鳴った。   「はーい、じゃあテスト用紙回収するぞー」    テストの時だけは、出席番号順に座り直す。  そしてぼくは他席思考の持ち主。  他人の席に座った時、他人の性格と知識がうつってしまう。   「余裕だったわー」    今日の席は、頭のいい友達の席だったからセーフだ。  きっと順位もいいだろう。  でも、いつまでたっても自分本来の力を披露する機会がないので、ぼくは自分に自信がない。

救急箱

 夜、お母さんと、ベランダで、夜空を眺めていた。するとお母さんがふいに、「あらっ」と言った。「けがをしているわ」そう言ってお母さんは、自分の部屋に引っ込んだ。そして、すぐにまたベランダに戻ってきた。お母さんは救急箱を持っていた。「誰がけがをしているの?」僕がそう尋ねると、お母さんは「宇宙よ」と答えた。「その救急箱には何が入っているの?」僕がそう尋ねると、お母さんは救急箱の蓋を開けた。救急箱から光が放たれた。目を細めて見ると、救急箱の中には星が詰まっていた。「ちょっと行ってくるわね」そう言ってお母さんはふわりと宙に浮かび、ベランダから夜空へ飛んでいった。僕は眠かったので眠ることにした。翌朝、いつものように台所に行くと、お母さんがいつものように朝食を作っていた。「おはよう」「おはよう」菜箸を握るお母さんの指に、絆創膏が巻かれていた。

誘惑

 風邪薬を買いに外に出ると、雑踏の中で、お姉さんがポケットティッシュを配っていた。きれいなお姉さんだったので、一つ受け取った。歩きながら、そのポケットティッシュを見ると、一枚の紙が入っていた。そこには『世界を滅亡させませんか?』という言葉とともに電話番号が印刷されていた。はっとして振り返ると、さっきのお姉さんはなぜかもうどこにもいなかった。俺はとりあえずそのティッシュで鼻をかんだ。風邪は辛い。こんなに辛い世界、滅んでしまうのもいいかもしれない。俺はスマホを取り出し、ポケットティッシュの電話番号に電話をかけた。お話し中だった。俺は電話を切って、とりあえず、世界を滅亡させるための第一歩として、さっき鼻をかんだティッシュを、道端にポイ捨てして、立ち去った。

この世で一番の悪が暇

 極悪。 その言葉が自分にはしっくり来る。 別にヤクザに所属しているわけではない。 戦争の武器商人な訳でもない。 ただの一般人、ただの人間。 だが極悪だ。 いや、悪という概念すら覆しているかもしれない。 害悪、諸悪、必要悪。 どのカテゴリーにも属しているようで属していない。 形容するなら極悪。 何かを極めているわけでもないのに。 関連する事象全てに作用して何かを起こしてしまう。 なにもしていないのに。 誰かが言う。 「お前迷惑だよ。」 極悪で迷惑。 実に不名誉な称号。 今日も暇潰しで人に迷惑をかける。

ハンカチと元彼氏さん

今の僕はすごく気持ちが沈んでいる。 なぜかって? 彼女に振られたからだよ。 僕の彼女の名前は彩音と言ってとっても明るくてかわいい女の子だったんだ。 本当に僕になんてもったいないくらい。それは付き合ってる時に言うセリフか。 だけど別れちゃったんだよね。 理由は彩音の浮気。本当に僕にはもったいなすぎたんだ。 こんなヘタレな僕より、かっこよくて勉強も運動もできる人がいいに決まってたんだ。 別れた日、一月十八日のこと。別れた日をいまだに覚えてるなんて少し重いかな。 「え、何してるの?」 放課後の教室、忘れ物をとりに行った。 そしたら見てしまった。彩音とサッカー部のイケメンゆうまがキスをしているところ。 「あー、バレちゃった?」 彩音は悪びれずに笑った。悪魔のような笑みだったのに僕には天使のように見えた。 「これが彼氏?もやしじゃん」 「そーでしょ?まぁ今の彼氏はゆ、う、まくんだけどね」 「俺も今の彼女はあ、や、ねちゃん」 「やーんもう、ゆうまくんったらぁ」 僕の前で二人がいちゃつき出した。 「あっ、そう言うことだから別れよ?」 彼女は僕に向かって言った。その顔は今まで見た中で一番あざとかった。 僕は声も出せず、こくりと頷くことしかできなかった。 僕は非リアとなった。 雨が降った。 本当に強い雨だった。 そのせいで僕の心は余計に暗くなった。 雨上がり、僕は公園に行った。何を思ったかはわからない。 広いところへ行って開放的になりたかったのかもしれない。 その時、一つのハンカチが目に入った。 白くて黄色の百合が刺繍されたハンカチだ。 見覚えがあった。見覚えしかなかった。 僕が彩音にプレゼントしたハンカチだ。 たくさん迷って、これに決めたから覚えている。 たしか、黄色の百合の花言葉が陽気とか明るいで、彩音にピッタリって思ってこれに決めたんだったんだ。 ハンカチを見ながらそのときを鮮明に思い出す。 「はい、これ誕プレ」 「わぁ、ありがと!」 「開けてみて」 「うん、あっハンカチだ」 「この百合の花言葉、彩音にぴったりだと思ったんだ」 「そうなんだ、うれしい」 幸せだったな。 そう思い返せば返すほど悲しくなった。 僕はハンカチを拾いもせず、公園を出た。 もしかしたらあのハンカチは彩音のものではないかもしれない。 きっと彩音じゃない他の誰かが落としたものなんだ。 そう自分に言い聞かせながら、目から出てきたものを袖で拭った。 あのハンカチを拾えなかった理由を、僕はもう知っていた。

愛しさと切なさとハッピーバースデーと

葵は、8頭身という恵まれたスタイルと美しい顔を持つ、ファッション雑誌「VUXIA」の看板モデルだ。 だが今は、毛玉の付いたジャージを着てだらしなくソファに横になり、コンソメパンチ味のポテチを惰性で食べている。 もはや華やかなモデルの世界とは真逆の、どこにでもいるだらしない男に成り下がっていた。 部屋の中には退屈な昼のテレビ番組の音と、コンソメパンチを咀嚼する音だけが響く。 ここ一週間、モデル事務所からの連絡はない。 もはや事務所のホワイトボードから、「葵」と書かれたネームマグネットが、陰湿ないたずらにより剥がし落とされた可能性すらある。 …という、令和の時代にあるまじき、昭和の香り漂う管理システムの被害妄想が、葵の頭を巡り始めた。 ​ スマホは、死んだように静かだ。 ​あまりに通知が来ないため、葵は自分を、VUXIAの編集部の超ハイテンションな編集長に仕立て上げ、一人二役の孤独な「LINE祭り」を開催し始めた。 ​「葵くーーん! 次号のVUXIA、巻頭20ページ特集いっちゃう!? 葵祭りしちゃう!?」 ​送信ボタンから指を離した瞬間に、「既読1」の文字が刻まれる。 ​「マジっすか!? 伝説作っちゃいましょうよ!! 準備万端っす!!」 ​また、一秒もかからずに「既読」が重なる。 「​あ、ごめん! 今の、やっぱバラしで!」 葵は無表情のまま、​画面を、爆笑スタンプで埋め尽くす。 そんな攻防が18往復も続いた。 その後、葵は爆笑スタンプの連打をやめ、虚無の顔でスマホを床に放った。 すると突然LINEの通知音が鳴る。 「来た!仕事だ!」葵は飛び付く様にスマホの画面を見る。 「お誕生日おめでとうございます!うどん100円引きクーポンをプレゼント!」 丸亀●麺からのLINEだった。 (え?今日俺、誕生日なんか…?) ​葵は、テレビの「奥様がマダムに変身する」例の番組を消した。 静まり返った部屋に、コンソメパンチの粉がついた指を舐める音だけが響く。 (誕生日と言えば、イチゴのショートケーキと寿司。買いにいくか?) 葵はソファから半身を起こすと一瞬逡巡する。 (服着替えてレジ並んで、カード「ぴっ」てやって帰ってきて、手洗ってうがいして………) 工程を想像した結果 (めんどくさっ) と言う答えに辿り着いた。 だがしかし、腹が鳴る。「誕生日とかどうでもいいから何か食おう」と、キッチンへと足を運ぶ。 シンクの下を開けると、鍋やフライパンが乱雑に入れられた奥に、界隈でセンターを張るカリスマが鎮座していた。 ペヤ●グ・ソース・ヤキ●バ だ。 賞味期限を確認すると、半年前に切れている。 しかし葵は迷いなくティファールに水を入れると、スイッチングした。 数分の後お湯が沸くと、すぐさまペヤ●グに湯を注ぎ、ソースを上に載せてスマホのタイマーをかける。 背中を丸めて棒立ち状態で「湯切り口」と書かれた文字をじっと見つめながら静かに待つ、8等身の美形。 次の瞬間 「ブオォォォォォーーー!」 静寂をぶち破って、スマホから「ほら貝」のタイマー音が鳴り響く。 その音に、葵はビクッ!と体を震わせる。 「ペヤング掲げていざ出陣!…かっ!」 と、1人寂しくツッコミしながら急いでタイマーの停止ボタンを押す8等身の美形。 部屋の中にはもちろん葵しかいない。 「誰がほら貝の音に設定したんや!俺や!」 葵は薄暗い部屋の中で、不自然な関西弁でセルフツッコミすると、スッと真顔になり、湯切り口のシールを慎重に剥がしてシンクへお湯を流した。 すると、「ぼごんっっ!」とシンクが大きな音を鳴らす。 葵は再びビクッ!と体を震わせると 「ビクッ!やないっ!2回目やないかっ!」 と、再び怪しい関西弁でセルフツッコミをした。 葵は出来上がったヤキソバを眺め (俺、誕生日に、1人寂しくペヤ●グ食うんか…) と、僅かに涙を滲ませる。 その直後 「あ…」 と言ってシンクの引き出しをゴソゴソと引っ掻き回し、奥の方に引っ掛かっていた物を引っ張り出した。 それは、古びた小さな6本入りのロウソクだった。 葵はペヤングとロウソクを手にリビングへと戻ると、ソファを背に、背中を丸めて床にあぐらをかいて座る。 そしておもむろにロウソクを袋から取り出すと、次々とヤキソバの麺に直刺ししていった。 慎重に、チャッカマンでロウソクに火を灯す。 薄暗い部屋の中で、ヤキソバにぶっ刺さったロウソクの6つの炎は怪しく光り、まるで呪いの儀式の様な雰囲気を醸し出している。 ロウソクの灯りに照らされた8等身の美形は、消え入りそうな声で呟く。 「ハッピーバースデー、俺。」 そして葵は、薄闇の中で静かに、ロウソクの炎をふき消した。