関係ない

永遠に続いた負のループに最終地点が見えた気がしました。 具体的な解決というより、指標みたいなものが自分なりに見えて、 私の目指すべきが少し分かったのではないかと思ったのです。 私はどうも絡んではいけない方角に突き進む悪習があるようで、 それは人がやった事、言った事を何時迄も気にし過ぎてしまうところ。 そこから勝手に自分の頭の中で事を膨らませ、実際に無い事まで想像してしまう。 これは勝手に一人で物凄く疲れてしまう行動そのもので、 自分の事も完璧に出来ているという自覚の無い者が他人を気にしてどうなのって話。 文章に書けば分かりやすくも、実際そんな場面に出くわすと悪癖が出るの繰り返しで ここ迄長々とやって来てしまったようです。 これは職場のIさんからのアドバイスで始まりました。 「あなたは言われた事を気にし過ぎ。こいつに言っても仕方ないって思われないと」 普段のIさんは、あまりお話される方では無いので私は面食らってしまいます。 「受け流すようにして。自分の人生に関係ない人を入れてしまうとしんどくなるよ」 正にその通りだと思いました。 「この人関係ないと自分で思い切れると相手が消えるから」 『消えて無くなるんですか?』 「うん、見えなくなるね」 また不思議なことを言うと思いましたが、 この方の普段を思うと正にそんなお仕事ぶりに見えます。 私はこの職場では、とにかく覚えが悪く何度も怒られていました。 最近は、私の作業内容を変に言葉尻を掴んだような怒られ方で、 もう自分にココは限界か…と感じて、頭の中では辞める方向に進んでいたのです。 Iさんはとにかく淡々とお仕事をされているという印象。 没頭されてというよりも、ひたすら卒なく自分ペースと言った感じ。 現在問題なく淡々とお仕事をされるのだから、元々順調にここ迄仕事をされて 来られたのだろうと思っていましたが、 Iさんも以前は今の私のように、こっ酷く怒られて来た期間があると言うのです。 意外と思ったのと、問題なく仕事をされるIさんであっても今の私の状況を通過されての 今日だったのか、とも思いました。 「全然関係ない人から怒られても、自分の感情が沸かないよ。あなたもそうなろう」 Iさんが仰るのは完全無視という訳ではなくて、 挨拶、相槌程度はあっても気持ち部分は何も関係がない括りに入れてしまうこと。 これが自分の気持ちを心から軽くするというのです。 以前の事ですが、イライラしながら仕事をしていた私に、 「あんたは勝手に期待して、その通りにならずだと怒ってしまうんだ」 そう私に仰る先輩が居られました。 「プロ野球ってさ、勝手に応援して期待して、チームが勝てなくて怒ってるんだろ?」 先輩はあんたはそれと一緒だ、そう仰います。 その時の私はあまり意味が分かりませんでしたが、 今、咄嗟にその事を思い出したのは私の中ではこの二つは全く別のようで とても似ていると感じたからでしょう。 よく表現される事ではありますが、人生は真っ直ぐ一本道だろうと思っています。 道の途中、傍(わき)に現れる色々な事が自分の人生一本道にとって 必要な事、そうでは無い事が現れる。 自分の道はまっすぐ一本道で前に進んで行くだけなのに、傍が気になって仕方がない。 構わなくて良いのに構ってしまう。 言われた事に引っ掛かってしまい構ってしまう。 自分の道はただ真っ直ぐなのに。 時には自分のペースに同ペースの人が現れて伴走する形にもなります。 こんな事があるよ、こんな事に気をつけよう、と今後の事を仰って下さる人も居られる。 一本道が違う一本道と合流し、また離れていく場合もあったり、 急坂もあれば細く崩れそうになったり、岩だらけで進み辛い箇所もあるかも知れない。 とにかく道は一本道で方角は真っ直ぐ前。 私はその真っ直ぐが出来ずに傍が気になってばかりの、「これまで」だったようです。 Iさんからのアドバイス以来、私とはIさんとの会話が増えました。 そんな深刻な話はありません。 たわいもない、お互い鼻でクスッと笑う、すれ違い様のような会話です。 以前は無かったスーパーでIさんに偶然にお会いするって事もあります。 私の波長がIさんを見習って穏やかなマイペースになって来たのかと。 何より驚いたのは、私に話して下さる全ての方の表情が柔らかなこと。 自分が変わるとそう見えるのか、そうなったのか、不思議な光景と思いました。 関係ないを関係あると考えてしまった前の私。 これを一度知れば相当な量の関係ないがある事が分かり、一気に身が軽くなります。 誰にも生きる限界があります。 寄り道している場合ではないですね。

待合室

 今すぐ、この場から離れたかった。  眩しい光が視界に入らないように俯いた。看護師の話し声や歩く音、名前を呼び続けるスピーカー。自分の名前はいつまでも呼ばれない。  呼ばれる前に、帰ろうと思った。しかし、検査は終わっている。検査代だけでも払わなければ食い逃げと変わらない。  今すぐ、この場から離れたかった。  何の像も写していない目は、閉じることもない。遠くから波の音が聞こえる。それはいつの間にか、静かに近づき、周囲の音を全て飲み込んでいた。  あの日の私たちは勇敢でした。冬の日の朝、海へ行った日のことです。  まだ日は昇っていなかった。青い町の堤防の上に座り、友人は立っている。私はコンクリートにあたる波を見ながら、その音をきいていた。友人は水平線をじっと見つめていた。太陽が昇るのを待っているのか、その先にある土地を見ようとしているのか、それとも何も見ていなかったのか、今ではもう分からない。  甘すぎた紙パックのカフェオレと、友人に噛まれてぎざぎざになった、りんごジュースのストロー。冷たい風と潮の匂い。  あのまま、帰らずに海を渡れば良かったのでしょうか。そんな勇気はなかった。  友人は勇敢でした。私は臆病なままです。  名前を呼ばれ、夢想から覚める。顔を上げると光の眩しさに目を細める。  波の音はもう聞こえない。  足を引きずるように、診察室へ向かう。

泣かない娘

「赤ちゃん、産まれましたよ……あれ?泣きませんね。」  普通の赤ちゃんなら外の世界に初めて出た時、声を上げてなくだろう。しかし、私の娘は全く泣かなくて、何か体に異常があるのじゃないかって、先生を困らせてた。私もとても心配した。  最後に先生が 「大丈夫でした。とてつもなく肝が据わっているだけです。」  と言ったときは、腰抜かすかと思ったわ。    それからも、娘は全く泣かなかった。 小さい頃、頭から転んじゃったときも、立ち上がって何事もなかったのかのように立ち去っていった。  テレビで怖いのをみた時も、少しビクッとはしたものの泣くことはなかった。   ちなみに怒られて泣いたこともない……というより、怒られたことがない。この子、完璧なのだ。言われたことは守るし、大体なんでもできる。鈍臭い旦那とポンコツな私の間に生まれたとは思えないくらいしっかりしている。  いつもポーカーフェイスで何でもこなしてしまう娘……こんな感じで娘が泣いたところを私は一度たりとも見たことはない。    だから、絶対泣けると言う映画をレンタルショップで借りて見せたこともある。  見終わって顔を梅干しくらいクシャクシャにして泣く私の横で、スンとした顔の娘が 「面白かった、ありがとう」  と立ち去っていった。  ここまで泣かないとは……泣かれるところを見られたくなくて影でこっそり泣いているのではないか、涙腺に関する病気を患っているのではないか、心配になってきた。  数年後に娘は結婚した。  いよいよ泣くのではないかと思ったが、泣いたのは私と旦那で、娘は泣かなかった。  しかし、幸せそうな笑みを浮かべていた。  その時から私は娘の涙を詮索しなくなった。  そうだ。泣かなくったって、この子が幸せでいてくれたらそれでいいのだ。今までだって、泣きはしなかったが娘はたくさんの幸せな顔を見せてくれた。  この子の笑顔が見られたらそれでいい。 ……それから何年かたって、私は医者に余命を告げられた。末期がんらしい。  たくさん泣いた。もっと生きたかった。もっと生きて旦那、娘、家族と一緒に過ごしたかったな。  はじめは絶望で立ち直れないかと思ってたけど、たくさんの人がお見舞いに来てくれた。旦那なんか、私よりも泣いて、死ぬのは私だっちゅーの。……そういうところがあなたの好きなところだけどー。  あー、私幸せだったな。  多分、もうすぐ私は死ぬだろう。自分でわかる。だって、私の身体だもの。  あれ?誰かが私の手を握っている。 「………さん、お母さん」  娘の声だ。 私は声にならないくらいの声を振り絞っていう。   「……私にたくさんの幸せを見せてくれて……ありがと……う。幸せになっ……てね。」  その時、私の手に冷たい何かが落ちてきた。  娘の涙だった。  大粒の雫が私の手に何回も落ちてくる。   ……私、こんなにも愛されていたんだな。 ……泣かない子で、心配したけど、あなたは世界一優しい子なんだよね。  あー、ほんとうにいい人生だったなぁ。  娘よ 「……大好きだよ」    

このデータから、再開します

来るぞ、来るぞ。 その冒険を楽しみにした眼で、期待に満ち溢れた顔が、今日も僕たちを覗いている。 平等に訪れていた夜が明け、平和なひと時に終わりを告げる。 眠りについた身体を急いで起こす。背中に乗せている角笛を鳴らし、始まりの合図の鐘を鳴らした。 「皆!そろそろ準備の時間だ」 人も、魔獣も、天使も、悪魔も、それぞれが自分の居場所へと戻っていく。 明かりが僕の元へと届いた頃、先程まで仲良く眠っていた仲間に剣を向け、力をふるい、傷をつける。 それが、決められたシナリオなのだから。 支配された動きに僕は身を委ね、歩いたり、休んだり、時には何回も痛い思いをする。 画面の向こうにいる、君の様子を伺いながら。 笑顔になっていれば、それでいいのさ。 セーブする度にいなくなる仲間達、次第に重たくなるリュックの中身。 …笑顔になってくれれば、それで、いいのさ。 満足した表情を最後に、また暗闇が訪れた。 残る仲間達の、ひと時の休息。 明日はどんな一日になるのだろう。

ミュージック

朝、スイッチを押す。  ラジカセから流れるミュージック。体を通り抜け、隙間に挟まった砂利だけを押し流してくれるような感覚になる。  始まりから終わりまで変わらないビートに僕の鼓動が共鳴していく。  だんだん今日が薄れていく。

透明なゴミ箱

「痛っ」 散歩をしていたら、公園の隅で何かにぶつかった。 しかし、そこには何も見えない。 ぶつかった感覚はあったのだから何かはあるのだと思い、その場所を足で探ってみる。またもや何かにぶつかった。やはり、何かある。 今度は手で確かめてみる。 固い…箱、だろうか。腰ほどの高さのようだ、というのはやはり目には全く見えていないからだ。 触れているうちにこの箱には蓋がついていることがわかった。見えないが、その蓋は開けることが出来、開けると穴が空いていた。この形はそう、蓋付きのゴミ箱だ。 つまり、透明なゴミ箱。 ためしに、道に落ちていた空き缶をひとつ、入れてみた。 カタン。と音がして、目の前から缶が消えた。ゴミ箱の中にあるのだろう、たぶん。 ふと、思い当たった。 見られたくないものを捨てるにはもってこいなのではないか。 わたしは透明なゴミ箱を家に持ち帰り自室の隅に置いた。 それなりの大きさがあるはずだが、ほとんど重さは感じなかった。 それから様々なものを捨てた。 点数が悪い答案。たまに来る親に見られると気まずい。 賞味期限を切らしてしまったお菓子。心苦しい。 ゴキブリ。見たくもない。 分別してないゴミ。面倒くさいし。 エロ本。ハズレだったのだ。 浮気の証拠。これで大丈夫。 都合が悪いものはみんな見えなくなる。 そのうえ今のところいっぱいになる様子もない。 中で消えてるのかな。まぁどうでもいい。 ともかく、なんて便利なゴミ箱なんだ。 ある日。 ベッドで寝ていると物音がした。この家には自分しかいないはずなのに。 嫌な予感がして、まずは枕元にあったスマホを手にし、ライトを点けた。 玄関の様子を見に行こう。 物音を立てないように…。 そっと、そっと、 ドアを開けた。 ギィ… ドアを開けたところには、見知らぬ人影があった。 その人影はぬらっとこっちを向く。 知らない顔だ。 泥棒か。 顔を見られて焦ったのか、襲いかかってくる。 ぐっ、と腕を掴まれた。 すごい力だ。 振り払おうとするが離してくれない。 部屋の壁に押し付けられてしまった。 まずい。 全力で相手の身体を押した。 相手がよろけた。 いまだ。 体当たりをした。 相手は体勢を崩し、倒れ込んだ。 即座に馬乗りになって押さえつけた。手近にあったベルトやヒモで手足を結んだ。 倒れ込んで諦めたのか、結んでいる間、抵抗する様子は全くなかった。 相手を拘束し、ようやく恐怖が戻ってきた。 と同時に疑問も浮かんだ。 あまりにも、無抵抗すぎないか? おそるおそる、スマホのライトを男に向けた。 ライトに照らされた男の頭からは、濃い赤色がだらだらと流れている。 思考停止。ってこういうことを言うのだろう。短くて永い間。 そして、頭に思考の濁流がおしよせてきた。 え。死んでる?殺した?死んだの??殺されたの?誰に?誰が?おれが?でもこの人は泥棒だよな。でも、殺すのはダメなのか?でもほら、なんとか防衛、そう、正当防衛。刑法なんとか条のなんとかかんとか、いやいまそんなのどうでもいい、え、どうしよどうしたらいい?この人の死体があるとマズイのか?都合が悪いのか?どうしたらいい?どうしたら…どうしたら…… あ、そうか。 都合が悪いものは、 捨てたらいいんだ。 重かったはずだが覚えていない。 ともかく、わたしはその男を透明なゴミ箱に捨てた。 そして、死体は見えなくなった。 不思議なことに人ひとり入れたのに、問題なくゴミ箱はそれを受け入れた。 家の中はまたわたしひとりになった。 2人目はいなくなった。 夜は静寂を取り戻した。 これで安心。 安心のはずだ。 安心か? わたしの頭の中は一向に静かにならない。 安心か?本当に安心か?死体はないのだから大丈夫。そもそも泥棒なんてする男が悪いんだ。死体も捨てた、透明なゴミ箱に捨てた。だから絶対見つからない。もう無くなった。 本当に? ゴミ箱に捨てた。捨てたから安心。消えた。本当か?ゴミ箱に捨てたあとどうなるかなんて知らないじゃないか。もしかしたら、見えないだけでずっとその中にあるのかもしれない。 でも今までに捨てたものが臭ったり戻ってきたりしたことはない。そう、いままでは。今回も果たしてそうか?どうだろう。たしかに、わからない。 ただ見えないだけ?それともちゃんと消えた?わからない。知りようもない。だからこれはただ不安になるだけだ。ぐるぐるぐるぐる同じことの堂々巡り。ぐるぐるぐるぐる。ああ、どうしようもない。 考えたくもないのに、考えてしまう。 考えるのを止めたい。 こんな考え、捨ててしまいたい。 ああ。 そうか。 住民が消えたその家は、今もそこにある。

ただいま

「おかえりなさい。」 玄関の灯りがついた瞬間、妻が笑顔で迎えてくれた。いつものように、エプロン姿で。その後ろから、小さな足音が二つ。 「パパ、おかえりー!」 「おかえりー!」 子どもたちが飛びついてきた。久しぶりの感触に、胸が熱くなった。そうだ、家族ってこういう温もりだったな……。 転勤で半年、単身赴任していた俺は、今日ようやく戻ってきたのだ。 食卓にはカレー。俺の好物だ。 「うまそう!」 「でしょー?」 妻が少し照れたように笑う。子どもたちは学校の話を楽しそうにしてくれる。上の子はピアノを始めたらしい。下の子は鉄棒ができるようになったと誇らしげだ。 俺は何度も頷きながら、涙が出そうになるのをこらえた。 「いい子にしてたか?」 「うん!ママも頑張ってたんだよ!」 夜が更け、子どもたちを寝かしつけ、久しぶりに妻と二人きりになった。少しやつれたようにも見えるが、やっぱり優しい目をしている。 「……帰ってこれてよかった。」 「うん。やっと、みんな一緒ね。」 その言葉が、やけに深く胸に残った。 寝室に入り、布団に潜る。窓の外では、静かに虫の声が響いていた。 ――夜半。 ふと、誰かのすすり泣く声がした。子どもたちかと思い、リビングへ行く。そこには妻が立っていた。背を向けて、冷蔵庫の前で何かを抱えている。 「どうしたんだ?」 声をかけると、彼女がゆっくりと振り返った。 抱えていたのは、俺の遺影だった。 俺は、そこで初めて思い出した。 ――半年前のあの日。 会社への帰り道、あの交差点で、俺は……。妻は泣きながら遺影を拭き続けていた。 「もう……もう帰ってこなくていいの。どうか、休んで……」 リビングの時計が、午前0時を指す。針の音が止まった。そして妻が気づいたように振り返る。 「……あなた、また帰ってきたのね。」

思い出値引き

 私はレトロな雑貨を集めるのが好きだ。  いわゆる懐古趣味というやつである。自分でも用途がよく分からない物ばかりを集めているせいで、友達からは「まるで子供部屋みたい」とよくからかわれる。  今日もそんな雑貨を求めて中古屋を巡っていた。特に当てがあるわけでもなく、気の向くまま、ふらふらと知らない道を歩いていると、古びたビルの一角に目を引く張り紙があった。 『特売日:あなたの思い出で値引きします』 ​  意味はよく分からなかったが、妙に惹かれるものがあり、気づけばその扉を押していた。  中は静まり返っていて、古い木の床がきしむ音だけが響く。壁一面に雑多な品々が並んでいた。どれも年季の入った懐かしいものばかりだ。その中心に、ローブをまとった女性がひとり、まるで時間の止まったような佇まいで立っていた。 「張り紙を見て?」  彼女が静かに言う。私はうなずいた。 「ここでは、思い出を話すことで、あなたにふさわしい品が選ばれ、値引きがされるのです」  そう言われて、私は自然と話し始めていた。私がなぜ、レトロな雑貨を集めるようになったのか――。  小学校に上がったばかりの頃、両親が離婚した。私は母に連れられて祖父母の家に引き取られたが、学校も町もすべてが変わった。新しい環境に馴染めず、どこにいても疎外感を抱いていた。  周囲の人たちは気を使ってくれていたと思う。けれど、私は勝手に一人になっていた。  そんなとき、祖父母の家の物置で埃をかぶったおもちゃを見つけた。見た目は色あせていたが、なぜか心が落ち着いた。なかでも、ひときわ気に入ったのが、赤と緑の丸いマラカスだった。学校で孤立していた私は、放課後、それを振って音を鳴らすことで、自分がまだ存在しているような気がしていた。  それが、私の“居場所”だったのだと思う。  話を終えると、女性は無言で棚の奥から一つの品を持ってきた。それは、あのときのマラカスにそっくりだった。色も形も、記憶の中と寸分違わない。 「あなたにとって必要な品です。値引き後の価格は……」  差し出された値札を見て、私は言葉を失った。百万円。明らかに常軌を逸した額だった。もちろん、そんな余裕はない。けれど、長年の貯金をすべて崩せば、あるいは――。 どうするべきか、迷った。けれどそのとき、女性がぽつりと言った。 「それは、あなたが過去に置いてきた後悔。  本当に必要なのは、物ではなく、あなたの中の和解です」  その言葉を聞いた瞬間、私は胸の奥に押し込めていたものを思い出した。孤独、寂しさ、そして自分から心を閉ざしてしまったこと。あの頃、私はずっと誰かのせいにしていたのだ。  涙があふれた。私は女性に深く頭を下げ、「ありがとうございました」と言って、マラカスを買わずに店を後にした。  外に出ると、太陽がまぶしかった。振り返ると、さっきまであったはずの店は、跡形もなく消えていた。まるで最初から存在しなかったかのように。  唯一残っていたのは、張り紙の破れかけた端切れ。  そこには、こう書かれていた。 『モノとヒトとを結び、  ときに断つ、不思議なお店――』 ​  私はそれをそっとポケットにしまい、また歩き出した。雑貨を集めるのは、きっとこれからもやめられない。でももう、それが「過去への執着」ではなくなる気がした。

いつでも有給休暇をとれる素敵な国

「明日、有給休暇取ります」 「俺も」 「私も」    さて困った。  明日仕事ができる社員がいなくなった。  しかし、労働者の権利の名の下に、会社が有給休暇の申請を断れなくなったから仕方ない。  深夜であったが、私は出入り口の扉に『本日臨時休業』の貼り紙を貼っておいた。    翌日。  いつまで経っても開かない新幹線の扉を見ながら、乗客予定の人たちは大混乱で叫んでいた。  らしい。    らしいというのは、私も有給休暇を取って家族とドライブに出かけていたからだ。  いいリフレッシュだった。

魔物騒ぎ

わたしの村には魔物が現れる。 いつものことだ。 散歩をしていれば低級悪魔に出くわすし、ガーデニング中は紛れ込んだ人喰いプラントに噛まれそうになる。たまに山からドラゴンが降りてくる事もあるし、秋になれば人面キノコがたわわに生える。 この村の人間はそんなとき、慣れた手つきで斬り伏せるなり、魔法を放つなりして魔物を倒す。 少々面倒だし、子供の頃はそういう訳にもいかなかった。 以前、長老が遠くの都の王様に兵士の派遣を依頼した事もあったが、予算だのなんだので断られたらしい。 まぁいい、自分の身と、身近な人くらいは自分で守るのが当然だ。 そして今日も夜が明けた。 新聞によれば都に珍しく魔物が現れたらしい。 魔物と言ってもゼリーみたいな極めて弱い魔物だから大したことは無さそうだ。 と、思っていたら王様はその日のうちに国王軍の強化と都の警備を決めた。 人って、自分事にならないと、わかんないよね。 そんなことを思いながら、玄関先にいたトロールを薙ぎ倒した。

永遠のTrick

「Trick or Treat ?」    無邪気に尋ねてきた男の子は、手に持った斧を私の首に当ててきた。   「Trick !」    答えるや否や、私は男の子を蹴り上げた。  苦しそうにする男の子から斧を奪い取り、その頭上へと振り下ろした。    綺麗に、鮮血が飛んだ。   「Trick or Treat ?」 念のため最後に尋ねてみたが、男の子は返答しなかった。

妄想小説より奇なり

本当は分かってた愛何て有る人は素晴らしい 物だけど私は誰も愛した事は無い恋未満有る けど其れも妄想の様に思えたこの数ヶ月何だ やっぱ嘘じゃん世の中全部嘘だらけもう私は 妄想でも現実だとしても誰も助け無いし神も 仏も妄想産物でした信じた者は救われるけど 継続しても目覚めて見ればただの馬鹿らしい 妄想けどその一瞬は人生一番楽しかった様な 気がする有る神云々動画の主人公の様な現実 じゃ妄想は何時優しかったお前今迄良く働き 頑張って生きて来ましたもう大丈夫貴方多分 救われます私の言葉神の言葉貴方は神を信じ 全ての物が貴方に祝福してます経済的な不安 から解放され多額の財産は全て貴方の物です しかし神はその全ては貴方の物じゃ無いその 10分1を貴方の取り分後全て神の為業行と して使いなさいって言う言葉妄想から覚めて 見ればただの詐欺行為じゃんアホらしい何を 良い歳して神や愛だ‼️馬鹿らしい何時の間に 妄想の虜と為って仕舞ったマジヤバく無いか そう私は今迄其れ為りに努力して来たつもり だった頑張って生きれば何時か天の神様達が 空から見て救出されると半信半疑でも信じた その日々の中現実は何も変わらず淡々と過ぎ 金にも為らない神の業行その手伝いをしたら 良く遣った貴方は素晴らしい全て世の中神と 貴方の思い取りです的な言葉に騙されヤバい 妄想が何時の間にか現実的な状態に見えたし 宇宙と神の業者が同じ等考えて見たら全てが 妄想の空想産物で神と宇宙と神が言う言葉は 一見褒めてる様に感じるが妄想の中でも絶対 褒め殺しだった其れは褒美冴えも与えず日々 金の請求、宇宙の使者達の食事代は自分持ち 可笑しく無い何故勤労奉仕全てを与えなさい さすれば報われる其れって詐欺行為ですよね 妄想の中でも激しくブチ切れ証拠を見せろと 迫り地球を宇宙や神々が占領したら褒美全て 貴方が受け取れます大丈夫神と宇宙は人間は 狡いしネットや全てのSNSは愚痴や不満状態 自分が勝つ為には誰かを陥れ弱者は虐め対象 古き善き日本の伝統は後継者不足で年々廃れ キリストの神が言う怒りはハロウィンだった 創世記全ての万物は神が創造して人は男と女 動物は家畜、鳥、爬虫類、虫等全部種類別に 創造された神の業行そうカボチャは野菜です 神が創造した野菜の護国豊穣を祝う御祭りで カボチャの豊作を祝う筈のハロウィンは現実 仮装パーティに変化、年々キリスト教の年々 減少と人々が日々生活する中に今日も朝目が 覚め生きてる事や毎日3回食事が出来る幸せ 人間に食べられる家畜達に有り難う感謝して 祈る己身体を食べ指せる家畜達の神が与えた 壮絶だが神聖な定めに感謝の念を抱く行為等 頂きますと言う言葉は家畜へあなた方が人の 食物の為御自身を犠牲して食べ指せて下さる 壮絶ですが有難く神聖な行為に感謝しますと 言う物らしく最後迄残さず美味しく頂く事が 家畜達に取った浄化した魂達を神の国へ導き 仏教的な言い方成仏出来るらしくそう言えば 頂きます為殆ど言って無いが内は貧乏だがら 食事は残さず食べるけど家畜へ感謝の念等と 言う神聖な気持ち無かったな確かに家畜達の 立場に為れば何の罪も無いのに捕らわれた後 生きたまま殺されて死体は切り裂かれ胴体が バラバラにされると想像すると痛いし苦しく 壮絶な使命だから自分は責めて美味しく料理 して残さず頂き家畜を神の元へ導き彼等達を 成仏させたい為と今迄の自分の行い頂きます 為言わなきゃ罰が下る等恐ろしく為りました その他日本の神々は全ての宗教を正しく学び 継承する事でした真言宗、般若心経、日蓮宗 その他神々に会った気がした中で天光照大神 様と言う神は優しかったな…まぁ~妄想だが 神々との生活は勤労奉仕的だったが其れ為り 楽しかった神々を敬い祈りの行為万物を愛し 誰かの為を思い願う事の大切さ目に見え無い 者達に学び試された日々はムカ着く事も多く 人生を懺悔する時は良い歳のババが号泣する 有り様だったけど来れが現実的に為って私は 地球から卒業したかったな…死ねば叶うけど 臆病者でビビりな私は電車は他人の迷惑だし 等身も下に誰か居たり車のボンネットや夜間 真っ暗で私の死体を引いて仕舞う運転手の事 想像したらもし私が運転手の立場為らば絶対 例え既に死体でもトラウマに為るだろうな等 想像するとやっぱ他人迷惑かけちゃ駄目だと 思うしそう為ると高尾か?けど彼処は警備が 沢山居たり係り員にウザい説教されたらブチ 切れそうだし…神々も人間に怒る時は大地震 起こせば良いのにさすれば私も地球から卒業 出来るしあの世が地獄か天国が創造出来無い けど個人的心境は感謝や他人を思い労る事の 意味や神々を敬い祈りの儀式を忘れた日本に 残された方が私的には地獄なんだけど

最後の日に食べるもの

 今日が世界最後の日なら、何を食べたいか。  時々話題に上がるありふれた質問。   「母親の手料理かな」 「子供の頃に食べた駄菓子を腹いっぱい」 「人生で食べたことない超超高級料理」    悲しい状況の想定ではあるが、皆の回答には少ないながらも夢があった。  やりたいことを口にできるのは、未来に夢を見ることができる人間の特権だ。   「ま、現実はこんなもんか」    そう、夢だった。    世界最後の日の今日。  母親の手料理は、母親はと父親が最期は二人でとさっさと自殺したから、達成不可。  駄菓子は、考えることは皆同じだったようで空のコンビニからの奪い取りに負け、達成不可。  超超高級料理は、料理を作れるシェフが最後の日に仕事なんてするわけもなく、達成不可。    平和なときに考えた有事の希望なんて、あっけなく壊れるものだ。  手元にあると言えば、災害対策として備蓄していた水にカンパン。  後、鯖缶。  あまりにも侘しくて、乾いた笑いが出てしまう。   「いやー。うまくいかないなあ。本当、人生って感じがする」    外はどんどんと明るくなっていく。  空を見上げれば、きっと近づいてくる隕石が見えることだろう。    カシュッと鯖缶を開けて、最後の晩餐の準備は完了。   「いただきます」    味の付いていない鯖の水煮を、口の中へと放り込んだ。  嗚呼、味気ない。

コートの森

 家を出て駅に向かう。駅は静かで人が多い。  ホームには先を急ぐ人がいる。人と人の間をすり抜けるように進んでいく。  朝の冷たい風から守るコートは黒く、その人の影を背負っているかのようで、余計に冷たく感じる。  前の駅で遅延していた電車が来ると、中は黒いコートの森がある。森の中に入ると静かで温かい。次の駅に着く頃には僕も森の一部に変わっていく。  電車が駅に止まると、降車の人の間を縫って黒いコートが入ってきた。

二次人間

 初めての出勤でやらされたのは、模倣だ。  私は雇い主と同じことを強いられた。   「口調が違う! そこは、『そうですね』じゃなくて『そうね』!」 「わかりま……わかってるわよ」    髪型。  服装。  性格。  思想。  本人から仕込まれる人間の情報。    雇い主は金持ちだ。  生まれたときから帝王学を学び、経営者としての人生を歩いてきた。  地位も金銭も手に入れた、輝かしい人生。    でも、ここにきて壁にぶつかったらしい。  会社員として生きる部下の無能さ。  言われたことしかやらず、向上心の欠片もない。  自分の所属する会社の株価も知らなければ、ヴィジョンも知らない。    一度怒鳴ったら、会社員じゃない貴女に何がわかるんだ、と言い返されたらしい。    会社員を経験したことない人間は、会社員の気持ちなんて分からない。  その事実を前に、雇い主は会社員として結果を出すことにしたらしい。  しかし、自身は経営している会社を抱えている。  そこで、私の出番だ。  外見が似ている私に、雇い主の全てを注ぎ込んで、私を会社員として働かせ、会社員としても有能であることを示すロードマップ。  一時創作ならぬ二次創作。  雇い主の歩んでいないパラレルワールドを歩くことが、私の仕事だ。   「うん。ようやく、いい感じになって来たわね」 「ええ。ま、私だから当然だけどね?」 「あら、生意気。私らしくていいわ」    雇い主が経営する会社の一つに入社した。  余りにも似すぎているから双子かと驚かれたが、経歴を見る限り全くの別人。  よく言われるのよね、と乗り切った。   「いやー、君が来てくれて助かったよ」    雇い主の教育は的確だった。  私が身に着けた能力は会社員としてもいかんなく発揮され、すぐに戦力として数えられた。  雇い主に報告したら、それはもうご満悦。  ほらみなさい、と鼻高々だった。   「証明できたし、もういいわよ」    そして私は、首を切られた。  いや、元々証明することまでが私の仕事だったので、予定通り契約が終了したというのが正しい。        彼女との接点は、もうない。  雇い主は社員の心を掴み直して、経営はさらに順調に拡大しているらしい。    私は彼女の姿を、テレビでしか見ていない。  彼女は一次創作。  私は二次創作。  似ていても、結局別物。   「次の仕事、どうしようかなあ」    再度彼女のグループ会社に中途採用で入ろうとしたら、もれなく落ちた。  私の経歴では、入社と言う門さえ潜り抜けられなかった。  やっぱり貴女は会社員にはなれないんだよ、とでもメールを送れば、再び雇用される可能性もゼロではないが、あまりにも見苦しい負け惜しみだ。

誇りある義務の埃

 猟友会憲章曰く、『私たち猟友会は、全国の猟友と連帯し、狩猟を通じて自然との共生を図り、地域の社会や人々から信頼・尊敬される存在であることを目指します。』。   「つまり、彼らがクマの駆除を放棄することは、地域の人々からの信頼を失うこと。やってはいけないことなのです。規則の下で生きる人間は、その規則に従う義務がある!」    友達が、声高々に言い始めた。  クマの出ない地域に住んでいるぼくたちの、なんと暇なことだろうか。  命の駆け引きなどしていないので、何を言うも自由だ。   「でもお前ニートじゃん。納税の義務果たしてないじゃん」 「それはそれ。消費税は払ってるし」 「お前のパパのお金でな」    義務。  複数の規則によって、万人に適用されている絶対的ルール。  規則を守ることは、その集団に属す人間たちの一つの誇りとも言えよう。    それが、昨今はどうだ。  自分の権利と他人の義務ばかりを叫ぶ世の中に辟易とし、ぼくは焼肉食べ放題の店へと入った。  値段を気にせず無心で喰らう。  馬鹿になる。  ぼくの疲れを空っぽにするには、それしかなかった。

ジャック of AI

 小説投稿サイトのランキングを、俺の書いたAI小説がジャックした。  俺がアイデアを与える。  AIが小説を書く。  俺が手直しをする。  最速にして高品質の作品の出来上がり。    オールド小説書きたちは、AIに書かせるなんてズルいだとか何が楽しいんだとか、SNSで怒っている。  しかし、怒っている時点で俺の勝ち。  ランキング上位という、お前らのやりたいことができている時点で俺の勝ち。    俺はちょっと高いオレンジジュースを買って、優雅な気分で感想を見た。  俺を褒めたたえる人々の声を聞いてやろうではないか。  負け犬の遠吠えがあってもいい。   『面白いです。主人公がヒロインのために戦う姿に好感が持てます』 『この作品は素晴らしいです。私はとても感動しました』 『最高の作品です。私も人生を振り返るきっかけとなりました。 prompt by Kansou AI」   「おいふざけんな! 感想をAIで書いてんじゃねえよ! こういうのは、人の手で書いてこそだろ!」    俺は激怒した。

町の都市伝説

 明け方が近い喫茶店。閉店を示す看板のかかった扉の奥では、二人の青年が並んでカウンターに腰掛け、カウンター越しで店主が洗い物をしている。店内には食器を洗う音だけが響き、左に座る青年はカウンターに腕を置き、その上に顔を置いてココアの入ったカップを見つめ、右の青年は文庫本を読んでいる。 「この話、覚えてる?」  右の青年が本を閉じ、おもむろに話し出す。左の青年は上半身を起こすが、視線はカップからは離れていない。 「駅前の商店街を歩いていると、人影や物音がなくなり、空が赤くなった話」  左の青年が首を傾げながら答える。 「覚えてるよ。そうなったら、どれだけ歩いてもシャッターの降りた商店街から出られなくなるんだよね」  店主は蛇口をひねり、水を止めて続ける。 「出る方法は一つだけで、道に仰向けに倒れているスーツの男の人に教えてもらうんだっけ。その人が指さすコインランドリーに入って、回っていない洗濯機の中に入ると、元の世界に戻れる」 「全ての洗濯機が回ってたら戻れないんだよね」  左の青年が自分の言葉に小さく頷く。  青年は持ったままの文庫本を両手で掴み、それを見つめながら「戻れなくなったら、元の世界から存在が消える。行方不明じゃなくて、元からいなかったことになる」と少し声を低くして言った。 「それがどうしたの」  左の青年はカップから視線をはなし、右を向いた。 「この話、誰から聞いたか覚えてる?」  青年の言葉に、二人はぼんやりと宙に視線を向け、すぐに考えこんだ顔つきになった。 「思い出せない」と首を傾げながら青年は言い、「噂話なんて、誰から聞いたかは曖昧だよ」と店主は苦笑した。しかし、二人の表情には奇妙な不安と違和感が混ざっている。 「俺は、この話を聞いた時に三人一緒にいたことは覚えてるんだ」  そう言って顔をあげ、二人の顔を見る。二人もまっすぐ青年に向き合う。 「この店で今くらいの時間に、この場にいる三人ともう一人、別の誰かがいたんだよ。その人に聞いたんだ」  眉をひそめながら言う青年の顔は、冗談を言っているようには見えない。  三人の間に沈黙が続き、右の青年は水の入ったグラスに視線を落とした。グラスの水の中に、空白となった語り手を見つけだそうとするかのように、じっとのぞきこんだ。  しばらくすると、カウンターに頬杖を突いた左の青年がぼんやりとした表情で「商店街にいるんじゃない」と冷たい声で言った。

失恋理由

 男友達が変わった。  髪にはワックスを付けて、少し出ていたお腹も引っ込んだ。  必要だから身に着けていただけだろう服と眼鏡も、ファッション雑誌に載っていてもおかしくないレベルまで引き上がっている。   「いったい何があったの?」    私が聞くと、男友達は気まずさと照れくささの混じった顔で笑った。   「失恋、したんだ」 「ああ」 「だから、変わらないとって思ってね」    失恋を機に、自分を見直す人間は少なくない。  失恋自体は残念なことだが、それを自分の人生に活かすことができている男友達を、素直にすごいと思った。   「失恋って、自分が変わる特効薬にもなるって言うしね。いいじゃん。すごく格好良くなってるよ!」    私はとびっきりの笑顔で、男友達へエールを送った。  男友達はほっとした表情を浮かべた後、私の顔をまじまじと見てきた。   「変わる特効薬、か」 「何?」 「だから女の人って、ずっと変わらないんだね」    ずっと変わらない。  ずっと変わらない。  言葉の意味をスキャンする。  失恋すれば変わると、私は言った。  一般的に、女性は振られる側でなく振る側だ。  つまり、振る側の女性だからこそ、失恋が少ないから変わらないという意図だろう。    計算完了。   「死ね」 「げふぅ!」    私はダメ男に天誅を下した。  誰が変わらない女だよ。  毎日毎日化粧の研究も、筋トレしてスタイル意地もしとるわい。  そんなこと言うから振られたんだ、お前はよぉ!

 ピ――ピのように見えるが、ピではないのかもしれない。けれど、ピであるとしか言いようがないので、ここではピと呼ぶことにする――があった。今でも、気がつくとそこに“あった”としか言いようがない。  皆のそばに、ピは現れた。世界中でピが発見された。ピは、人々の恐怖と驚嘆と享受の対象になった。大きな社会ムーブメントを引き起こし、あっという間にピの存在は有名になった。  人々は、ピに酔いしれた。そこにピがあってくれるだけで幸せだった。いつしかピがなくては生きられない体になっていた。  どうしようもなくピの夢を見た。皆がピに恋をしていた。これは、おかしな状況だって誰もがひそかに思っていたけれど、皆が同じようにピを求めていたからなのか、声をあげるものは一人もいなかった。ただ、いつの間にか現れたピは、ほんの短い期間であるにも関わらず、我々にとって必要不可欠なものになっていたのである。  ある日、突然、ピが消えた。それは3月3日の午前14時31分の出来事だった。そばにあったはずのピは、皆にとって触れられない場所へ旅に出たらしい。  離れていったピを、連れ戻そうとする人々は無数にいた。でも、探しても見つからないのであれば、もう探しようがないので、いつしかピを探しに行く者は一人も見かけなくなった。皆の記憶から、あっという間にピとの思い出は消えてしまって、世界の歴史からもこつぜんと姿を消した。  いまだにピのことを覚えているのは、私ただ一人である。これを読んでくれている誰かは、まだ覚えているだろうか。  また思い出してくれるだろうか。  いつの間にか現れては消えてしまった。でも、我々の「そばにあった」事実そのもの。ほんの短い友のことを。

炭酸ジュース

炭酸ジュース しゅわしゅわ 昔はパチパチするの 苦手だったけど 炭酸ジュース しゅわしゅわ 眺めても 飲んでも 楽しい 炭酸ジュース しゅわしゅわ 上手くいかない イライラも 君に会えない モヤモヤも 炭酸ジュース しゅわしゅわ 全部ぜーんぶ 弾けてく

金曜夜の喫茶店 〜眉間の皺 編〜

「ほら、まただ。もう癖だね?」  なんて苦笑しながら、マスターは私の注文したオリジナルブレンドを、そっとカウンターに置いた。  仕事終わり。金曜夜の喫茶店。夕飯時もとうに過ぎたこんな時間まで開いているのが珍しくて、ふらりと入ったのが、あれはもう3ヶ月前。そこからはいつしか、ここは私のいわゆる「行きつけ」になった。  ふわりとあがる湯気。店内にたちこめるコーヒー豆の良い香り。もはやここに来ないと、一週間を終えた気がしない。 「私、何か?」  無意識に粗相でもあっただろうかと、慌てて居住まいを正しつつ、マスターに身体を向ける。 「眉間の皺」  見るからに温和そうな彼は、自分の眉間をトントンと指差しながら、イメージ通りの柔和な笑みを浮かべて言った。 「考えごとしてる時の梗子さん、いつもここ寄せてるから」 「……気をつけます」 「一週間頑張って闘ってきた証だよね。本当、毎日お疲れ様」  マスターの言葉は彼が淹れるコーヒーのように、ほわほわと温かく、疲れた体に染み渡っていく。息をするのも忘れて、ただ目の前のことにがむしゃらに生きた一週間。そんな私の肺にようやく空気が入ったような、そんな心地がしてしまうのだ。 「私、これからもここに通い続けますから」 「どうしたの、急に。すごい嬉しいけど」 「マスターは私のリセットボタンなので」 「はは、リセットボタンは初めて言われたなぁ」  彼は少し考えた後、私の額に向かって、すっと手を伸ばした。 「それじゃあ、こっちもリセットだ」  見た目の割にゴツゴツと男らしく節ばった指が、私の眉間を優しく撫でる。 「この皺、伸ばしてやる」  なんて冗談めかして言うものだから、私は思わず吹き出してしまった。 「ご、ごめんなさ……でも、ははっ。伸ばしてやるって」 「梗子さん」 「はい?」 「ここに居る時くらい、肩の力抜いていってくださいね」  ─────金曜夜の喫茶店。  眉間の皺はすっかり伸びて。私はまた、闘える。

ディスプレイは変わらないし中身は死ぬし

『おはよー』 『おはようございます』    SNSでできた友達が、ある日を境にそっけなくなった。  嫌われている訳ではなさそうだが、なんと言えばいいのだろう。  返事が淡泊になった。   『私、何かした?』 『何もしてないよ。なんで?』    ああ、いや。  言語化できた。  冗談が抜け落ちているのだ。  ちょっと笑うような冗談が消えて、ただただ用件を消化するボットみたいになっている。   『中の人、変わった?』 『もうバレたんだ。うん。中の人は死んで、今はAIが自動返信してる』 『なんでそんなことを?』 『寂しがらないように』    機械的な文章からは、友達の最後の気遣いが感じられた。  でも、違う。  やっぱり、違う。  そんな気遣いの方向は間違っている。   『もう大丈夫だよ。友達の真似しなくて』 『わかった』    返信は止まった。  二度と友達からの発信はなかった。    私は泣いた。  ベッドに突っ伏して、涙が枯れるまで泣いた。    どうせなら、友達が死んだときに泣きたかった。  気遣いへの嬉しさと、訃報を知ることのできなかった悲しさで、涙がまじりあった。

君が好き

 「君のことが好き」  その一言で、僕の世界は終わった。  ...いや、正確には買ったばかりのメロンパンが終わった。  びっくりして手を離した拍子に、ふわりと宙を舞い地面に落ちる。  そして次の瞬間、後ろから歩いてきたクラスメイトによってパンは丸型から足型に姿を変えた。  「あ、ごめん、パン!!」  そんなことはどうでもいい。  今、踏みつぶされたのは僕の心のほうだ。  動揺のあまり握りしめていたパック牛乳もぐしゃりとつぶれてメガネと制服の袖に白い飛沫が散る。  まるで牛乳の神様が「現実を見ろ」とでも言いたげだった。    そして、その「好き」の相手が——————僕の片思いのあの子だということに気づくのに、時間はかからなかった。

かつての彼ら (掌編詩小説)

古本を開けば、字喰い虫がいた。 彼らは私に見つけられて、びっくりしてる。 君たちが食べた字を並び戻したいな。 古本と彼らの間に付箋で栓をする。 古本を開けば、古臭い匂いがした。 彼女たちは私に見つけられて、何処かに走ってった。 彼女たちは何処に行ったのかな…。 換気窓から、新しい匂いが古本にやって来る。 (完)

好きな文章 (掌編詩小説)

東京モード学園のCMの言葉がいまだに心に残る。 『イヤならやめちゃいましょう。       苦しいなら逃げちゃいましょう。            でも、好きなことだけは死んでも離すな。』 この言葉は、特に気に入った文章のひとつ。 (完)

思い出の石鹸 (掌編詩小説)

思い出なのかな? もうすぐ石鹸がなくなる。 思い出なのかな? もうすぐアルバムを処分する。 思い出なのかな? この心苦しくて惑わしようのない嚥下感は.......。 思い出なのかな? そっとアルバムを棚にしまった。 思い出なのかな? その手で、新しい石鹸を古い石鹸に付け足した。 (完)

思い出の古城 (掌編詩小説)

思い出の古城。どこかのアニメ映画に影響されたのかな。 カラーテレビに似合わない砂嵐が広がる深夜。 思い出を入れた桐箱の開け方を忘れてしまった。 思い出の手触りだけが残る。 (完)

思い出のカーブミラー (掌編詩小説)

思い出のカーブミラーに出会った。 あの先のミラーが写す世界はこの場所と、どう違うのかな。 境界がぼやけていく。 思い出の日はすぐそこにあった……ような気がする。 (完)

解消 (掌編詩小説)

ストレスを愛で埋めることは、とても難しいこと。 (完)

雪女の恋

冬の山奥。 吹雪の夜、ひとり迷い込んだ少年を、私は抱きとめた。 真っ白な腕に包まれた少年は、凍りついた身体をわずかに震わせていた。 「まだ……生きてる」 私は安堵の吐息をこぼした。 人間の子など、本来なら助けるべき存在ではない。私の一族は人を凍え死なせることを本分としてきた。 けれど目の前の少年はあまりに幼く、あまりに無力で、雪のように無垢だった。 その夜から、私はときおり少年の村を訪れた。 窓辺に立ち、息を白く曇らせながら中を覗く。 囲炉裏のそばで本を読む姿。畑を駆け回る姿。 小さな背中が日に日に伸びていくのを、私は影のように見つめ続けた。 「……どうして、こんなに気になるのだろう」 氷でできたはずの心臓が、彼を思うたび熱を帯びる。 齢十二の少年に惹かれるなど、愚かしいこと。彼はまだ子供。 それでも私は夢を見る。 あと数年すれば、彼はきっと美しい青年になるだろう。その声は低く変わり、瞳は鋭く、強さを帯びてゆく。 その時こそ、隣に立ちたい。彼の手を取りたい。 儚い幻想と知りながら、私の胸は熱く疼いた。 ある晩、少年は窓を開け、吹雪の闇に声を投げた。 「……そこに、誰かいるの?」 私ははっとして身を隠す。 見つかってはいけない。 けれど同時に、心の底から願ってしまった。 ───見つけてほしい、と。 雪明かりの下、彼の瞳は真っ直ぐに夜を探していた。 まだ幼いその眼差しに、恋の色はない。 それでも私には、胸を射抜かれるほど眩しかった。 「いつか……」 彼が青年となる日を待てるだろうか。 だが私は知っていた。 雪は春を迎えれば溶けてしまう。人と妖の時は決して交わらない。 だからこそ、その想いは叶わぬまま白い雪のように降り積もる。 触れたいと願いながらも、触れられぬ恋。 それでも私は今宵もまた、遠くから少年を見つめるのだった。 吹雪の中に溶けながら、胸の痛みと熱を抱いて。

女賢者から託された武器

風が鳴いていた。 灰色の雲が重く垂れ込め、遠くで雷鳴が転がる。少年アレンは、山道をよろめきながら登っていた。手には古びた地図、背中には破れた革袋。目的はただ一つ――伝説の女賢者セリアに会うこと。 「……もう少しで、頂上のはずだ」 息を切らしながらも、彼は歩を止めなかった。村が魔物に襲われ、家族も仲間も散り散りになった。誰かが立ち上がらねばならない。彼はその“誰か”になると決めた。 頂上の祠にたどり着いたとき、そこにいたのは噂どおりの女性だった。 白銀の髪、澄んだ琥珀の瞳。彼女は年齢を感じさせぬ静かな微笑を浮かべ、アレンを見つめた。 「よく来ましたね、アレン。あなたを待っていました」 「あなたが……女賢者セリア様?」 彼女はうなずき、指先で光の粒を集める。すると空間が震え、一本の剣が形を成した。刃は透明に輝き、炎とも氷ともつかぬ光を放っていた。 「これは《ルミナスブレード》。かつて闇を封じた武器。けれど、ただ力を振るう者の手では真価を発揮しません。心が試される剣です」 アレンはその美しさに息を呑んだ。だが、彼の目は迷いで曇っていた。 「俺に……こんな武器を扱えるわけがありません。村を守れなかった俺が……」 セリアは首を振り、優しく笑った。 「“守れなかった”と嘆く心こそが、あなたを強くするのです。真の力とは、後悔を抱えてなお進む勇気。その剣は、あなたの心の形を映します」 彼女の言葉とともに、剣はゆっくりと彼の胸元に漂い、手の中にすべり込んだ。温もりが広がる。剣の光が心臓の鼓動と重なり、彼の中に眠っていた炎が呼び覚まされた。 「感じますか? それは私の力ではなく、あなた自身の力。私は、ただそれを目覚めさせただけ」 アレンは拳を握った。恐れよりも、決意が勝った。 「俺は……もう逃げません。村を取り戻します。この剣と共に!」 セリアは頷き、祠の外へ視線を向けた。雲の切れ間から、一筋の光が山を照らしている。 「闇は再び動き始めました。あなたの戦いは長く、厳しいでしょう。でも、忘れないで。武器とは命を奪うためのものではなく、“希望を託すための器”だということを」 その言葉と共に、セリアの姿は風のように淡く消えていった。残ったのは、彼女の香りと、手の中で脈打つ剣の光だけだった。 アレンは空を見上げた。光が瞳に刺さる。恐怖はもうなかった。 彼は一歩を踏み出した。 崩れた道を下り、燃え落ちた村の方へ――。 その手には、女賢者が託した“希望の剣”が握られていた。

支持される者

「新総理の支持率が急上昇。七十二パーセントから八十二パーセントに!」    テレビが教えてくれた、世の中の声。   「なあ、兄ちゃん」 「なんだ弟よ?」 「支持率って、日本人のどれくらいが支持してるかってことだよな」 「まあ、そうだな」 「俺、指示してるかどうか聞かれたことないんやけど。俺、日本人じゃないってこと?」 「そういや、俺も聞かれたことないな。そうしう団体がいるんちゃう?」    世の中とは、不思議なものだ。  国民の声が溢れているのに、国民の一人であるはずの俺の声は、まったく存在しないのだ。  国民の声とやらの願いが叶っても、俺の願いはかなわない。  それが一番肝心なのに。    余りにも悲しいじゃないか。   「なあ、兄ちゃん」 「なんだ弟よ?」 「どこ行ったら、俺の声も国民の声になるんやと思う?」 「さあ。何やお前、国にやって欲しいことでもあるんか?」    俺は雑誌のページをめくる。  雑誌の中では、同い年くらいの女子が、水着姿でピースをしていた。   「全女子の制服をビキニ水着」 「アホか。この男女平等の世の中に」 「最悪、男子も全員ビキニでいい。我慢する」 「俺が嫌やわ」    支持率のニュースが終わって、次のニュースへ。  専門記事に載った動物の写真が、生成AIを使って見栄えを良くしていたらしい。  専門記事も知らないし、その動物も知らない。  やっぱり世の中は、俺の知らないところで勝手に動き回っている。    俺の声が届くのは、兄ちゃんくらいだ。

スペシャルな一日

 昨晩降っていた雨は、夜が明ける前に降り止み、朝になる頃にはアスファルトも乾き始めていた。  目覚ましアラームの前に目が覚めて、スマホを確認すると、小学校から本日運動会を開始する旨のメールが届いていた。  布団の上で、今日着ていく服や、息子の持ち物などを寝ぼけた頭の中で確認していく。  息子を見ると布団の中で、すぅすぅと気持ちよさそうに寝ている。最近は学校から帰ってくると、運動会の練習の話をよくしていた。今日は一位になったんだよとか、踊りが難しい所があるとか。  僕が仕事から帰ってきて、急いで食事の支度をしているときなどに話しかけてくるので、適当な相槌しか出来なかったが、息子は息子なりに一生懸命練習してきたのだろうと思う。きっと息子も分かっているのだ。妻が運動会が好きなことを。  妻は運動が得意な訳ではないのだが、運動会に関して特別な思いがあるらしく、息子が幼稚園の頃から、運動会の日になると明らかに上機嫌で、よく応援しよく褒め、よく笑い、運動会が終わると「運動会が終わらなければいいのに」と無茶なことをよく言うのだ。そのくらい妻にとってはスペシャルな一日になる。  息子もそんな妻が好きなのだろう。終始笑顔で、人前でも気にせず息子を抱きしめながら、たくさん褒めてくれる妻を思い出すのだろう。  妻は去年、癌で亡くなった。少し体調が悪いと言って病院に行ったら、紹介状を渡され大きな病院で診てもらい、癌が発見されてから半年後に天国へ行ってしまった。あまり弱音を吐くタイプではない人なのだが、今年の運動会に行けなそうだと笑いながら瞳を濡らしていた。    アラームがなりスマホに触れる。息子が目を覚まして僕にくっついて来る。 「パパ?」 かすれた小さな声が聞こえる 「ん?」 「今日運動会やる?」 目を閉じながら話しているので寝言なのかと勘違いする。 「うん、学校からメール来たよ。やるって。」 「おーけー。」 そう言って、またすぅすぅと寝息をたてる。  カーテンから明るくなる空が透けて見える。明るく楽しそうな空が見えた。

最近その期間限定のチョコレート菓子ばっかり食べてるよね

ちょっと長話していい? 昔話なんだけど。 いい? ほんと? やった、じゃあしよ。 私さ、ゲーセン好きなの。クレーンゲームとかじゃなくて、音ゲーなんだけど。中学三年間ずうっとやり込んでてさ。 ……ぽい? えそれギリ悪口じゃない? まあいいや。 同じ会社の音ゲー三つをまとめてゲキチュウマイなんて言ったりするんだけど。私、そればっかやってたの。放課後、友達と寄って二、三百円使ってそのまま塾に行く、みたいなのが多かったかな。休日にも行ったりしてたんだけど。 習慣的に行ってたからさ、ゲーセンの椅子に寝転んでる人とか覚えてくの。いっつもいる人とかね。「あ、あの人いつもあそこにいるな」とか「家なかったりするのかな」とか思ったりするんだけど。 その中でさ、一際背が高くて、太ってる人いたの。 平日五時ぐらいだったかな。それくらいに来て、チュウニズムして、たまにオンゲキもする人。マイマイはしてる所見たことない。多分しないんじゃないかな。そんなに長居はしない。多分、あの人も二、三百円くらいしか使わない。難易度高めの曲してるけど、手袋はしてなかったかな。煩わしいもん。暑いし動かしにくいし。荷物だって増えるし。 私さ、ほら、背低いじゃん。だからかな、百六十五センチ以上の人の身長、あんまし見分けつかなくて。比較対象がないとわかんないんだあ。その人ね、チュウニズムの筐体とおんなじぐらいの背なの。いや、多分もうちょっと低いんだけどさ。調べたら、筐体がね、二百十センチくらいだったから、多分百九十はかたいんじゃないかな。すごくない? 私びっくりしちゃってさ。ずっと覚えてる。 私、チュウニズムをよくしてたんだけど、友達は別の音ゲーメインだったのね。だから、別々でやること多くて。その人とさ、よく被ってたの。あ、いや、マルチプレイしてたとかじゃないんだけど。ただ、横並びになるだけ。 なんか、だんだん覚えちゃってさ。 時計見て、「あ、もうそろそろ来るな」とか「もう帰るのかなぁ」とか大体わかるの。 一回ね、帰るタイミングが重なった時があって。たまたまだよ? ほんとたまたまなんだけど。 よく行ってたゲーセンね、路面電車の通りの一本違いの通りにあったんだ。私は自転車だったし、あんまし関係なかったんだけど。 その人ね、駅に向かって行ってたの。ちょうど電車が近付く音なんかしちゃったりして。 私そこで合点がいってさ。 あ、この人、電車通勤で、ゲーセン前の駅で一回降りて遊んで帰ってるんだろうなあって。 決まった時間に来て、決まった時間に帰るのはそういうことだったんだあって。 だからさ、私、思うんだよね。 周期的な行動ってキケンかも!!って。 だって大体の生活リズムとかさ、家の方角とか分かっちゃうんだよ? そんなの分かったら、相手のいぬ間に家に忍び込むことだってできちゃうし、相手の生活圏に入り込んでよりプライベートな情報集められちゃうかもじゃん? 怖くない? ……話した理由? アンタさ、同じ行動繰り返してない? 周期的にさ。 私、大体はアンタの行動当てれる気がするもん。 例えば……そうだなあ……、昨日、深夜二時とかに夜食食べちゃったんじゃない? それで今日歩いてきたでしょ。一駅かな、二駅かな。食べたのは昨日の放課後にコンビニで買った期間限定のチョコレート菓子だよね。最近そればっか。 え? なに、ふふふ。 ずっと一緒だもん。ちょっと心配になっちゃった。 ……なーんてね!! どう? 怖かった? 怪談とか怖い話とか好きじゃん、私。フォーラムに送ってみたいんだけど、全然思いつかなくてさぁ。 怖かったらこれ送ろうかなあ、なんて。どうだった? ……え? 嘘何割かって? 全部嘘に決まってるじゃん!! やだなぁ、私がそんなことするような奴に見えるって訳? 心外なんだけどぉ。 罰として、コンビニでチョコ買ってもらおうかなあ、ふふふ。

件名:見えない牛に殺されました。

差出人:田畑 いきなりのメール、失礼します。 田畑美鈴三十二歳、働きながら主婦をしています。 あなたなら興味を持ってくださるかもしれないと思い、連絡させて頂きました。 お時間あれば、目を通していただけると幸いです。 昨年の冬、最愛の夫と娘が見えない牛に殺されました。 あの時私も共にいてやれれば、と、悔やまない日はありません。 二人は森にほど近い公園に出かけたきり、家に帰ってきていません。 ただ、娘が気に入っていた髪飾りだけが人伝に私の手元に戻ってきました。 一年という月日が流れ、やっと立ち直り始めところです。 ですが、反対に私の心には最愛の二人を奪った相手への憎悪が止まらず、眠れぬ夜が続いています。 夫の遺産と私の貯金を合わせれば、おそらく、半生は遊んで暮らせる額になるかと思います。 つまり、謝礼ならいくらでも渡せますので、見えない牛討伐の冒険へと、共に向かって頂きたいのです。 武器や薬剤、食料はこちらで用意します。 お返事頂けましたら、もっと詳しい話をしたいと思っています。 連絡、待っています。 ──────────────── なんとも奇怪なメールが届いていて、思わず面食らう。 メールボックスの整理をしようとアプリケーションを立ち上げたところ、一際存在感を放つ件名に心を捕まれ、思わず最後まで読んでしまった。 見えない牛ってなんだよ。 なかなかファンタジックな内容に突っ込みたいところは多々あるが、それより先に、連絡したい欲が勝ってしまった。万が一、万が一本当に困っていた場合、力になれたらなと。その、なんだ、下心なんてないぞ。断じて。ウン。 連絡を返して数日後、詳しい話の代わりに、大量のスパムメールが届いた。 もうこのメアドは使い物にならないな。 とは思いつつ、時たま返事がないかメールボックスを覗いてしまうのは、また別の話。

星よこれから

 ある日地震がやってきて、地上のほとんどを崩して平らにしてしまいました。一緒になって海から訪れた津波は、地震が崩したものたちをのみこんで海深くへと沈めてしまいました。  しばらくすると火山が噴火して、空を灰が覆ってしまいました。平らになった地面の上を溶岩がゆったり流れて、冷え固まって新しい地面になりました。  それからややもしない内に台風がいろんなものを運んできたり持っていったりしながら、でこぼこになった地面を通り過ぎていきました。  新天地になったそこには、それでも人が行きていました。かすかながらに息をして、ほかの小さな動物たちを見ていました。それから植物だって生きていました。台風が運んだ種が溶岩を避けた土地で芽吹き、緑色の葉っぱをのぞかせました。  かれらを見つめながら、星は今もまだ光っています。

お買い上げ、ありがとうございます

激しい情事を交わしたはずのベッドの上、 少しずつ冷えていく感覚に意識を取り戻すと、そこには私一人だけが取り残されている。 夜の余韻だけを残した、白基調のワンルーム。 冷蔵庫に並んだペットボトルの蓋を開け、乾いていた喉を潤わす。 それが朝のルーティーン。散らばる衣類に袖を通す。 ただ、愛される感覚を知りたかった。 そこに立っていれば今日も、知らない誰かが笑顔を向けて、私を連れ去っていく。 「お買い上げ、ありがとうございます」 また一凛、花が手折られていく。

十三夜の月

 田んぼが広がる夜の道を、二人の男が歩いている。  若者は壊れた電動自転車を押す。そのハンドルには血がついている。暗い場所では見えないが、街灯や車の光が当たるたびに、赤黒い血が浮かび上がる。もっとも、若者はその血の感触に気付いている。  若者の後ろを歩く老人は腰を曲げ、手を後ろで組んでいる。たまに、上着のポケットに手を入れ、ティッシュを掴んだり、落とした携帯を探す。左手の掌にはびっしりと赤黒い血がついている。ティッシュで拭おうとするがすでに固まりつつある。  老人はゆっくりではあるが滞りなく歩くこともあれば、立ち止まり、ぎこちない足取りになる時もある。若者は随時後ろを向き、老人の足取りと足元の道に意識を向けた。 「友人との約束だったんです」  老人は悲しそうに呟く。 「友人も私も同じ、独り身です。もう寝たきりであと二、三日しかもたないそうです」  若者は後ろの老人の足腰を気にしながら相槌を打つ。空を見上げると、夜を連れてきた灰色の雲は去り、澄んだ夜空に十三夜の月が白く光っている。 「だから、知り合いの先生に友人を紹介しようと思って、病院へ向かいました。とても良い先生です」  二人は前から来る車の大きな光に照らされる。老人は立ち止まる。若者も立ち止まり、自転車を端へ寄せる。  車が通過すると、老人はまた歩き出し、若者も後ろを向きながら歩く。 「この土地は変わりました。全く違う場所になっていて、知らない建物ができていました。木はそのままでしたが」  老人は俯きながら話し続ける。 「病院は見つけられなかった。それどころか、帰り道もわからず、転んでしまいました。  他人のことより、自分のことを気にしろと、カツーンと神様に怒られたようです」  眉を下げて困り顔で笑い、切なそうに言った。  老人は時間を気にしていた。若者に何度も今は何時かと訊き、常に十九時を意識していた。  そして老人は教えてくれた。十九時になると家から徒歩五分の場所に住む娘が毎日来てくれることを、二人の孫がいることを、早くに病で亡くした奥さんのこと、会津で生まれたことを。  しばらくすると、老人はか細い声で呟く。 「友人との、約束だったんです」

ドS大佐はVチューバー⑬前編

「ねーねーっ!律と真琴ちゃんでこれ参加しなーい⁉️」 目の前に差し出されたスマホには『カップル限定❤愛のスタンプラリー』と表示されていた。 「何ですか、これ?」 あまりに軽薄なタイトルに、思わずジト目で見てしまった。 「やだぁ真琴ちゃん!嫌そうな顔しないでよぉ〜っ」 桃果さんはそれなりに強い力でバシバシと私の背中を叩いた。そんな桃果さんの頭にげんこつが落ちる。 「その馬鹿力やめろ、真琴さんが折れる」 「もー!痛いよっ律!バカになったらどうすんだーっ!」 藤堂さんは「もう馬鹿だろ」と言わんばかりに氷のような視線を送っている。 「参加する以前にカップル限定ってありますけど、私と藤堂さんじゃ条件を満たしてませんよ」 「へーきへーきっ!ほとんどの人は景品が目あてで、本当のカップルはごく一部らしーんだよぉ  だから問題なーしっ!」 景品と聞き、スマホの画面をスクロールして、イベントの詳細ページを確認した。 「一等は日帰り旅行券、二等は商品券、三等は…スニッチの新型機種⁉️まじかっ」 発売日に当選漏れして、買えなかったスニッチの新型機種を手に入れるチャンス! 「藤堂さん、一緒に地域を盛り上げましょう!」 「いやいやいや、一回落ち着こう?」 何度か説得を繰り返すうちに、藤堂さんは渋々了承してくれた。 「あ」 玄関で帰り支度をしていた藤堂さんが、突然声を上げた。何事かと駆け寄ると 「二人でモールデートになりますけど、…良かったんすか?」 ん?でーと?その意味をしばらく熟考した後、ハッとした。 「今…理解しました」 「ははっ、だと思った。まぁ、ただのイベントだし、せっかくなんで楽しみましょうか」 藤堂さんはにこっと微笑み、言葉を付け加えた。 「…じゃあ、来週の土曜日に迎えに来ますね」 その一言で完全に『デート』を意識付けられてしまう。 藤堂さんと桃果さんを見送った後、自室に戻ると、盛大な溜め息とそこそこのボリュームで、独り言を言った。 「着ていく服がない…」 瞬く間に土曜日が訪れた。 「おぉっモール、ひっさびさ来たわ〜」 藤堂さんは高い天井を仰ぎ見る。 その隣をふらふら歩いていると藤堂さんが、顔を覗きこんで来た。 「眠いっすか?真琴さん、夜型っすもんね。疲れたら遠慮せず言って下さいね」 そう言って優しく笑うと藤堂さんは歩き出した。 確かに夜型な生活を送っている私だが、眠気の原因は他にもある。 ここ一週間、緊張と吐き気の波にさらされてよく眠れていない。 ほぼ人生初のデートで、しかも相手は藤堂さん…。好きな人とデートをするというのは大変な労力を使うものだなと、世の恋人達に心の中で敬礼した。 スタンプラリーの受付会場に向かっている途中、四方八方から視線を感じた。 それもそのはず、行き交う人、特に女性は藤堂さんを振り返って二度見する。藤堂さんは、まったく気にしていない。というか、気付いていないように感じる。前から薄々感じていた事だが、この人は自分の容姿に関心が無さ過ぎる。無自覚のイケメンは罪だと溜め息をついた。 受付を済ませた後、近くのベンチに腰かけた。藤堂さんは少し、不機嫌だった。 先程から受付会場のスタッフに『お兄さんイケメンだね〜』とか『昼からのミスターコン出ませんか?』だのと散々声をかけられていたせいだ。その度に『氷の大佐』が発動していた。 「大丈夫ですか?」 声をかけると、藤堂さんは溜め息をついた。 「俺、イケメンとか言われるの嫌い。なんか馬鹿にされてる気分になる」 そんな藤堂さんを見ていると、容姿が良いから幸せとは一概に言えない事なんだなと実感する。 「…ごめんね」 「え、なんで真琴さんが謝るの」 「初めて会った時、私も綺麗な人だなって思っちゃったから…」 恐る恐る藤堂さんに視線を向けると、面食らった様子で鼻を掻いている。 「真琴さん的には…俺の見た目は、その…有りって事?」 「うん?…そう、なりますね?」 藤堂さんの表情がみるみるうちに明るくなった。 どういう感情?機嫌直ってる?さっきまであんなにふてくされていたのに…。 「さてと、まずはゲーセンでプリを撮る…」 「私、プリ撮るの高校生以来です」 「まじ⁉️まぁ俺もあんまし撮らんけど、とりあえず行ってみましょうか」 そう言うと藤堂さんが右手を差し出した。 「手、繋ぎましょっ」 私は目が点になった。 「な…なんでっ⁉️」 「だって今日は『一日カレカノデー』っすよね?だったら、それっぽく」 失念していたが、藤堂さんは顔色ひとつ変えないで、こういう事をする人だった。 渋々、藤堂さんの手を握ると 「や、こっちだから」 と笑い、互いの指を絡めて繋ぎ直した。 レッツゴー!と駆け出す藤堂さんの後ろでこの状況は愧死するレベルだと痛感していた。