牛丼屋に行った。 ワイファイを拾った。 「GyudonーWiFi? ラッキー、ここフリーワイファイ飛んでるんだ」 通信費も馬鹿にならない。 節約のために、速攻繋いだ。 そして牛丼を食べた退店後。 「え? フリーワイファイの提供なし?」 繋いだワイファイは、牛丼屋のものでないことを知った。 牛丼屋で、Gyudonをアピールするフリーワイファイを偶然拾うことがあるだろうか。 いいや、ない。 ならば目的は、公式のフリーワイファイ勘違いして繋いだぼくみたいな馬鹿から、パスワードや個人情報を抜き取る以外はないだろう。 なんてことだ。 「ぎゃああああああああああああ」 牛丼屋の近くで、悲鳴が上がった。 ぼくのパスワードは、誰にも推測できない代わりに、知れば死神に憑りつかれる曰く付きだ。 盗んだせいで、見てしまったのだろう。 ぼくの背後にいる死神が振り向いて、にったりと笑っていた。
毎日、決まった時刻にあの歩道橋を渡る。それがボクの日課。 見上げる空の色。頬をなでる風の温度。季節の移りかわりに合わせるように、足元に伸びる影の長さも、毎日、少しずつ変化して。 一段飛ばしで階段を駆け上がる。 それだって、静かで大切な独り占めの習慣だった。 ある日、その習慣に、ふいにキミがすべり込んできた。 一人きりだったアスファルトの上に、いまは、よりそうような黒い影がふたつ。 キミと歩幅を合わせて歩く時間は、いままでよりずっとゆっくりで、ずっと鮮やかだ。 「ねぇ、見て」 そう言って笑うキミの横顔を見ながら、ふと考えてしまう。 このふたつの影が、いつの日か― さらに小さな影が加わって、みっつ並んでこの橋を渡る未来。 そんな、くすぐったいしあわせを、夕暮れに染まる街を見下ろしながら、ちょっぴり想像してみたりした。
「あ、買い忘れた」 困ったときは、コンビニに向かう。 二度もスーパーまで車を出すのは面倒なので、ありがたい存在だ。 歯磨き粉もある。 下着もある。 パンもある。 スーパーより割高だが、時間を節約できると考えればトントンだ。 コンビニには、小学生たちが溜まって、雑誌を一冊買っていた。 一人が勝って、皆で回し読みをするのだろう。 ……その役目は、うちのものだった。 昔の子供たちは私の本屋で買ってたし、私の本屋で溜まっていたのに。 便利な便利なコンビニは、私から大切な客を吸い上げていった。 「六百四十八円になります」 とはいえ、バイトの子に怒るのも違う。 昔なじみのオーナーに怒るのも違う。 誰が悪いって言えば、時代が悪いとしか言いようがない。 「はい、ありがとうね」 商品の詰め込まれたレジ袋を受け取って、私はコンビニを出た。 そろそろ私の本屋も、閉店を考える頃だろう。 コンビニやインターネットと戦うには、私は年を取りすぎた。
エスカレーターに乗りながら思った。 人生は、まるでエスカレーターみたいじゃないかと。 ボーっと立っていようが、本を読みながら立っていようが、辿り着く場所は皆同じ。 等しく上に向かって、等しく終わりに辿り着く。 人生を楽しくするとは、エスカレーターで突っ立っている時間を如何に有意義に過ごすかに等しい。 私は本を読むためにスマートフォンを取り出して、バッテリーが少なかったのでモバイルバッテリーを取り出す。 「あ」 モバイルバッテリーを取り出したら、ひっかかって出てきたハンカチが、ひらりと宙を舞った。 舞った先は、運悪く手すりの外。 私が顔を覗かせて下を見る中、ハンカチはひらひらと舞って、下の階へと落ちていく。 もう私では、どうにもならない。 下を歩く人々は、音もなく落ちていくハンカチに気付かない。 いや、落ちていく場所も悪かった。 昔店舗があった場所で、今は空っぽ。 そこを歩く人など誰も居ない。 どれだけ手を伸ばしても届かない。 まるで、夢を叶えられなかった日みたいだ。 ただただ失敗したということだけがわかって、周りを見ても誰も手を差し伸べてくれなかった。 いや、私が失敗したのだということにさえ、気づいてはいなかった。 だって、そのあと私は、就職できてしまったから。 上の階に到着した私は、すぐに下りのエスカレーターに乗り帰り、Uターンする。 私の後ろに乗っていた人が怪訝な目で私を見るが、すぐに興味なさそうにスマートフォンへ視線を落としていた。 下の階に到着し、空っぽの一角へお邪魔する。 寂しそうにハンカチが待っていたので、私は丁寧に拾い上げる。 少々埃がついているが、はたけば問題なし。 なんだか夢と再会した気分だった。 上にでも下にでも移動ができるエスカレーター。 でも、人生の時間は上にしか進まない。 落とせば終わり。 下の階の人が拾えば夢は続くが、それはもはや私の人生ではない。 私の後続の誰か、私の夢を拾った人のものだ。 「次は落とさないようにしよ」 スマートフォンのバッテリーのパーセントが増えていた。 私はハンカチを鞄にしまって、再びエスカレーターを上り始めた。
「何でもしていいと言われたら何をする?」 「何もしなくても怒られないようになりたい」 「何故かこの世のルールは世の中にお返しをしなくてはいけないようになってるから」 本当はそんなのを取っ払って何もしなくてもいいようになりたい 「何かしなきゃ駄目だよ」 「そうなんだけどね」 諸行無常。
私が結婚してから初めて、母が、私たちの家に遊びに来た。その時に母に色々な話をした。それを母は静かに聞いてくれていた。数日後、母が実家に帰った後、夫が仕事に出かけ、片付けをしていると、テーブルに何かが置かれているのに気づいた。それは一枚のメモと注射器だった。メモには母の字で『がんばって』と書かれていた。注射器には懐かしい色の液体が入っていた。私は腕まくりをして、その液体を注射した。やがて楽しい気分になってきた。世界が輝き始めた。「がんばろう」と思った。
「私って生きるの下手だなー」 椅子に猫背に腰掛けた先輩が言った。 「どうしてですか?」 先輩はいつも笑顔だったので、どうしてそんなことを言うのかわからなかった。 「だって、みてこの顔」 「顔ですか?」 先輩は自分の顔を指さし、言ってきた。 「一重で目が小さくて、おまけに団子鼻」 先輩はそう言いながら、窓から見える桜を眺めていた。 長いまつ毛が光に照らされ、美しかった。 もう三月で、三年生の先輩は卒業してしまう。 こんな会話ももうできなくなる。少しだけ悲しい。 「世の中はルッキズム、この世は顔が全てなんだよ。こんな顔じゃ、損して生きるに決まってる」 「そうですか?先輩の顔、好きですよ」 つい、本音が漏れてしまった。でも本当に先輩の顔は綺麗だ。 「ふーん、そう?じゃあ私とキスできる?」 先輩は綺麗な目元を細めて言った。悪戯な目だ。 「はい」 先輩を困らせてやろうと思って言った。 「え」 先輩はうつむき、顔を赤くした。その顔はなんとも美しかった。 先輩のその反応を見て、自分の発言を重さを自覚した。 「ま、まじ?」 真っ赤な顔で少しはにかみながら先輩がたずねてくる。 「冗談です」 目を見て言えなかったのは、それが嘘だったからかな。 「あっそ」 先輩は少しだけ悲しそうな目をして、再び笑う。本当に綺麗な人だ。 先輩は明日卒業する。全てが今日までだ。 「てか先輩、なんでここにいるんですか?」 「なんでって、私はここの部長だよ」 「二人しかいない部活に部長って。てか三年は引退ですよ」 この部活の部員は先輩と自分の二人だけ。 ほぼ廃部で、先輩が卒業する今となっても正式に部活として認められていない。 「まあ、いいじゃん。てか私が卒業したら君、一人だよ?」 「そうですね」 「私が卒業したらどうするの?」 「帰宅部ですかね」 「まじか。君がこの部活に入部した時、私めっちゃうれしかったんだ」 「なんですか、急に」 「別に〜」 先輩がそう言うと同時にチャイムがなってしまった。 「また明日」 手を振りながら、先輩が言う。 次の日。卒業式の最中、私はずっと先輩を見つめていた。 先輩は泣きもせず、笑いもせず、いつも通りの落ち着いた表情だった。 「卒業おめでとうございます」 卒業式が終わった時、先輩に勇気を出して言った。 「ありがとう」 先輩の顔はいつもよりずっと美しかった。 先輩が卒業してしまった。まあ、卒業しちゃうものか。 思い返すと先輩の連絡先も、住んでいるところも、行く大学すら知らないな。 もう二度と会えないのかな。 いつも先輩が座っていた席に座り、桜を眺めた。 先輩は散ったらどこかへ行ってしまう桜の花びらみたい。 校庭に咲く桜を眺めながら思った。その間にも花びらは一枚、また一枚と散っていた。 部活、新一年生がくるまで続けよ。
タイムトリッパー・旅人の刻 気づくと、時間というものを駆けていた 本来なら私はもう死んでいるんだとか でも時空の間に逃げ込む事で、死ぬのを本能的に回避したのだとか タイムリープ・黄昏が刻 さぁ何処の時間に向かおうかな 私の意思が伝わる訳じゃ無いけど あの日に向かいたい タイムワープ・逢魔が刻 結末が解るのなら 改変が行えるのなら 時空を歪めてでも、理想を追求するだろう タイムトラベル・悠久の刻 気楽な物じゃないさ 運命に逆らえないのさ たとえ、破滅が待っていてもね タイムキープ・静寂の刻 私の仕事はあくまで、時間の保持 貴方の興味はあくまで、時間旅行 言わば、時間を手の中で転がせれる優越感 (完)
「もしもし。申し訳ありませんが、先程ご依頼のあった救急車キャンセルさせてください」 「え? ちょっと待」 「お腹痛くて」 電話が切れた。 折り返しても繋がらない。 怒りで沸騰していた頭は、だんだんと冷たくなっていき、手に持っていたスマホを滑り落とす。 「自業自得……ってやつか……」 友達との約束をドタキャンし続けた者の末路が、これ。 今からでも過去に戻って、皆に謝りたい。 私を轢いた車の運転手は、私の出血を見て気を失い、役に立たない。 場所が悪いせいで、野次馬一人あたりにいない。 私を轢いた車のライトを全身に浴びながら、私は息を引き取った。
夜中にスマホのアラームで目が覚めた。そのアラームは当然俺がセットした時刻のものだ。その時刻は、この間死んだ祖母の、死亡推定時刻と同じだ。俺は、大好きだった祖母が死んだ日から毎日、祖母が死んだ時刻に目覚めている。俺は、自分が死にたいのか、生きたいのか、もうわからない。
その人が初めて来たのは、梅雨の夜だった。 私が店を継いで七年目の、蒸し暑い六月。古い中華料理屋の、カウンター三席だけの店だ。父が三十年やっていた店を、私がそのまま引き継いだ。メニューも、食器も、カウンターの傷も、全部そのまま。 その人は傘を畳みながら入ってきて、カウンターの端に座った。六十代くらいだろうか。白髪交じりの頭で、くたびれたジャケットを着ていた。体は大きかった。椅子に座ると、カウンターとの隙間がほとんどなかった。 「何でもありますか」 「一通りあります」 「じゃあ、炒飯と、餃子と、紹興酒を」 無駄のない注文だった。私は黙って厨房に入った。 その人は食べるのが静かだった。咀嚼の音も立てず、スマートフォンも見ず、ただ黙って食べた。炒飯を半分ほど食べたところで、一度だけ箸を止めて、言った。 「うまいな」 「ありがとうございます」 「昔からこの店ですか」 「父の代から。私で二代目です」 その人は少し目を細めた。 「そうか」 それだけだった。あとは黙って食べて、静かに飲んで、勘定を済ませて帰った。 次の金曜日も来た。同じ席に座って、同じものを頼んだ。その次の週も来た。それから一度も欠かさず、金曜日の夜に来るようになった。 名前を聞いたのは、三ヶ月経ってからだ。 「すみません、お名前を聞いてもいいですか。常連さんなので」 「大野です」 「大野さん、私は川村です」 「知ってる」と大野さんは言った。「暖簾に書いてある」 私は笑った。大野さんも少し笑った。それが最初だった。 少しずつ、話すようになった。大野さんは寡黙だったが、私が話すことは聞いていた。仕入れの話、常連客の話、父から引き継いだ炒飯の配合を未だに完璧に再現できないという話。大野さんはそういう話を、相槌も少なく、でも確かに聞いていた。 ある夜、大野さんが言った。 「お父さんの炒飯、食べたことあるよ」 私は手を止めた。 「この店に、昔来たことがあって。三十年くらい前かな。一度だけ」 「そうだったんですか」 「うまかった。だから、また来てみたくなって」 大野さんは紹興酒を一口飲んだ。 「息子さんの炒飯も、うまい。少し違うけど、うまい」 私は何も言えなかった。厨房に戻って、しばらく火を見ていた。目が熱かった。父が死んで五年、ずっとあの炒飯に近づこうとしていた。近づけているのかどうか、わからないままやっていた。 それから大野さんは変わらず、毎週金曜日に来た。 十一月のある夜、大野さんがいつもより遅い時間に来た。疲れた顔をしていた。 「今日は熱燗にしてください」 「紹興酒でなくていいですか」 「日本酒がいい夜もある」 私は黙って燗をつけた。大野さんは炒飯を食べながら、ぽつりと言った。 「今日、定年でした」 「そうですか」 「三十八年、勤めました」 「お疲れさまでした」 大野さんは頷いた。それから少し間があって、言った。 「家に帰っても、誰もいないんですよ。妻が先に逝ってしまって、子どもも遠い」 私は何も言わなかった。言えるものが何もなかった。 「だからここへ来ました。金曜日だったし」 ただそれだけを言って、大野さんは静かに飲んだ。 私はおかわりを注いで、餃子をもう一皿、黙って出した。大野さんは何も聞かなかった。ただ、食べた。 閉店間際、帰り際に大野さんが言った。 「来週も来ます」 「待っています」と私は言った。 雨が降り始めていた。大野さんは大きな体に傘を開いて、夜の中へ消えていった。 私は厨房を片付けながら、父のことを思った。三十年前、この店に一度来た若い大野さんに、父はどんな顔で炒飯を出したのだろう。覚えていただろうか。覚えていなかっただろうか。 どちらでもいい気がした。 あの炒飯が、大野さんをまたここへ連れてきた。それだけで十分だった。
「あー、目障り。消えればいいのに。」 私はスマホをいじりながら呟く。 スマホには、SNSに投稿された女の子の写真が写っている。 ここに写っているのは私が大嫌いなクラスメイトの女の子。 性格が悪くて、男好き、おまけに被害者ヅラのプロときた。 シンデレラの世界にも転生したらその被害者ヅラは様になったりするのかな。いや、こいつは意地悪な義母役か。 なんて考えたりしちゃって。 その子の写真をまじまじと見る。 かわいかった。本当に顔かわいいんだよな、この子。 どうしてこんなに性格が悪いのに顔がかわいいの?それとも顔がかわいいから性格が悪いの? 私は自分を聖人だとは思っていないけど、あなたよりは性格いい。なのに、あなたよりかわいくない。 どうして?どうして?どうして?ほんっと不平等!! もしこの世界が、性格が顔に可視化する世界だったらあなたはどんなに醜くなるかしら。 きっと、その辺のカミキリムシといい勝負になるでしょうね。 てかこの写真無加工じゃん。なんでこんなにかわいいの。理解ができない。 あー、気持ち悪い。なんで私こんなまじまじと見てるんだろう。気持ち悪い。 だけどブロックはしない。 ブロックをしてこの子との関係を余計拗らせたくないし、この子のストーリー見てたくさん悪口言いたいタイプだからな。 ほんっと私って性格悪いな。あの子のが移ったみたい。 私が意地悪な義母で、顔のかわいいあの子がシンデレラみたい。 私は黙ってシンデレラの写真を保存した。
夜、清掃業の仕事を終え、ベンチに座ってぼんやりしていた。頭上には夜空が広がっていた。夜空は真っ暗だった。俺はその時雑巾を持っていた。俺は雑巾を夜空に重ねて、手を動かした。すーっ。夜空の闇が拭き取れた。拭き取れた場所には、青空があった。雑巾を見ると、真っ暗だった。所々に星が光っていた。とんでもないことをしてしまった。俺は慌ててポケットから黒の油性マジックを取り出した。そして、背伸びして、夜空を拭き取ってしまった場所を塗り潰した。「大丈夫だよな?」俺は何度もそこを見ながら、慌ててその場を逃げ出した。大丈夫なように見えた。後にも先にも、夜空に手が届いたのは、その一回だけだ。
近所の公園に行ったら、水道の蛇口に貼り紙があった。『しばらく使用しないであげてください』蛇口をよく見ると、ビールの泡がくっついていた。こんなさびれた公園で、いつも水を吐き出している蛇口だ。ビールを飲みたいこともあるだろう。そっと公園を後にした。
「この店、安くて美味いんだよ! 大将、いつもの二つ!」 「はいよっ」 店は、いつも満席。 常連さんたちも知り合いを連れてきてくれて、ご新規さんも増えている。 だんだん列が伸びてきたので、もっと広い店にしてはどうかと言われる始末。 それ自体は嬉しいが、店を広く改装するには金がかかる。 移転するにはもっと金がかかる。 原材料費も上がって原価を圧迫。 何もしなくても、利益は減っていくばかり。 「いやあ、ここが好きなんですよ」 なんてお茶を濁す。 でも、心の中では叫んでいる。 誰か一言、「もっと値段上げていいんじゃないか?」と言ってくれ。 どうして言ってくれない。 並ぶ言葉は、安くて美味い。 コスパがいい。 その二言だけ。 味には自身がある。 値段も良心的な自信はある。 だが、お前たちがそんな褒め方ばかりするから、俺は値段を上げることが恐ろしくてしょうがない。 「ご馳走様! 美味しかったよ大将!」 その笑顔が、僅かな値上げで消えてなくなる程、儚いものだと知るのが恐いんだ。
老人は二匹のイヌを飼っていた。片方のイヌの名は『死ニタイ』、もう片方のイヌの名は『死ニタクナイ』だった。ある日、『死ニタイ』が、『死ニタクナイ』と咬み殺してしまった。老人は棒で『死ニタイ』を叩き殺した。そして、「死にたい」としみじみ思った。
自動ドアが開く。 客が結婚相談所に入る。 「イラッシャーシャセー」 「ちょwww婚活診断よろぴくwww」 「カシコマリー」 出力されるのは、相性九十七パーセント以上。 周囲と比較する手段の少なかった千年前なら六十パーセント以上で夫婦関係を続けられていたが、超情報公開社会においては不可能だ。 相性一致率九十九パーセント以上で確実に生涯添い遂げられる。 相性一致率九十五パーセント以上で七割添い遂げられる。 よって、九十七パーセント以上の相手を探して結婚するのが、現代の主流だ。 全てはAIが全世界の人口が登録されたデータベースにアクセスして算出する。 発見は容易なものだ。 「コレッス。ウィッシュ」 「あざまーすwww」 客は出力された名簿を見た後、握り潰してごみ箱に捨てた。 「かすしかいねえwww」 「オマエモナー」 「独身貴族楽しむ出ゴザルwwwコポォwww」 「タノシメナー」 人口の九十九パーセントが機械人間である、超高機械社会。 客は家に待つ機会の恋人に会うために、速足で結婚相談所を後にした。
隣家は汚くて小さい。そしてその汚くて小さい家に相応しい、汚くて小さい庭がある。そしてその汚くて小さい庭に相応しい、汚くて小さい犬小屋がある。その犬小屋の入り口には、油性ペンで、汚くて小さい文字が書かれている。『神様』そう書かれている。神様を飼っているのか。まさかな。その犬小屋を見るたびにモヤモヤしていた。ある夜、窓辺でタバコを吸いながら外を見ていた。小さな光が視界の端に見えた。その光は、例の犬小屋の中から発せられていた。えっ。まさかな。慌てて外に出て、そっと隣家に忍び込んだ。そして、庭に行った。光は確かに犬小屋の中からだ。恐る恐る、犬小屋の中を覗いた。まさかな。まばゆい光だったが、やがて目が慣れてきた。犬小屋の中には、電球が置かれていた。その電球が、光を発していた。その場に崩れ落ちた。ほっとした。その瞬間、背後に気配を感じた。
閉店時間を過ぎたゲームセンターである。店員が、店内を巡回しながら、壁に貼られた『禁煙』の貼り紙を剥がしていく。やがて、あちこちから煙草の煙が漂ってくる。床のゴミを掃いていた店員は顔を上げる。クレーンゲームの筐体の中で、獲得されなかったぬいぐるみやフィギュアたちが、背中を丸めて煙草を吸っている。「あいつら、何を考えてんだかな」このゲームセンターに勤務して何年も経つが、店員にはそれがわからない。
サラリーマンは酔っぱらって笑いながら、小暗がりの公衆便所につまずいて入った。明かりのスイッチを手探りして、数回オンとオフに切り替えたが、蛍光灯は暗いままだった。トイレはかろうじて見える程度だったが、流し台と小便器の輪郭は確認できた。尿とゲロの臭いが鼻腔を満たしたので、彼は一瞬ためらう。しかし、彼の膀胱はいっぱいで、彼を急かした。 小便器に向かって足を引きずっていると、彼は影のある隅に犬の目が一対あることに気づいた。瞬きしない金色の目は、彼の一挙手一投足を監視し、追いかけた。彼は怖がらせようとして、酔余の叫び声をあげた。 代わりに、深いうなり声がトイレにこだまして、黄ばんだ牙が獰猛に輝いていた。淡い月明かりに足を踏み入れ、狼のような姿を現した。痩せっぱちで、鼻面が長く、ほとんど毛がなかった。再びうなり声を上げて、今度はもっと威嚇してくる。 おびえ、彼は後ろ向きにつまずき、尻餅をついた。それから、ズボンが暖かく湿り、床を漏らした。新鮮な尿の水たまりが広がり、化け物に到達した。すぐに、うなり声が止まる。右足で水たまりに触れ、軽く頭を下げた。すると、長い吸収管の舌で尿を吸い始めた。彼はこの隙に静かにコッソリ逃げた。誰も彼の話を信じなかった。漏らしたズボン以外は。
長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった でも、なんというか、異世界の雪国だ 空は柔らかなパステルカラー 雪はぜんぜん冷たくなくて 触るとふかふかの綿あめみたい あまくはないけど と、突然、道端のポストが ―おつかれさまでえす と会釈して通りすぎちゃって 街灯からは、りんごが鈴なりにぶら下がっている ―あ、やっと来た、遅かったじゃあん 声のほう見るとウチのねこが、ガードレールの上でまあるくなっている 見覚えのある茶トラの模様に、やけに短いしっぽ ―たまに道がつながんだよ (道? はへ?) ―帰りの電車まで時間あるし、あっこでたい焼きでもたべてくかあ? 世界は、すっかり見たこともない景色だけれど ねこだけはよく知ってるねこで まあ、ひとまず安心した
その街の珈琲は、墨のように黒く、焼けた鉄のように苦い。大人は皆、顔をしかめ、それを飲み干す。そのことが「立派である」と信じている。 けれど少年は、初めての一口で理性がおかしくなりそうだった。 「無理です」 隣で真っ黒な液体を口に流し込んでいる老人が、重々しく口を開いた。 「ミルクを入れてみたらいい」 「ミルク?」 「入れればその黒いのが天国の飲みものに変わる」 「それは、なんですか?」 「んん… 言ってはみたものの、正直、知らんのだ。見たこともない」 けれど、古い本にはそう書いてある。苦みをやさしさに変える魔法の白だと。その老人は言い残した。 それから少年は、その魔法の白を探す旅に出た。ある賢者は「それは真珠の粉だ」と言い、ある旅人は「それは一番高い山の雪のことだろう」と言った。道中、さまざまな白いものに出会った。美しい白をいくつも試してみたけれど、どれも珈琲との相性はよくなかった。 あきらめかけていた旅の終わり、少年は国境に近い小さな牧場にたどり着いた。そこには、のんびりと草を食む、見たこともない大きな獣がいた。少年は恐々と小屋に近づいていった。そこで女主人が、少年に白い液体が満ちた木の桶を見せてきた。 「これがミルクですか?」 「ええ、そうよ」 少年は、大切に持っていた水筒の珈琲に、その白い液体をひとさじ落とした。水筒のなかの黒い闇が、一瞬でやわらかな色へと溶けていった。 恐る恐る口をつけると、驚くほどまろやかで、春の陽だまりのような味がした。 少年は街へ帰り、あの老人の前に置かれたカップに、ミルクをひとさじ落とした。老人は目を丸くし、一口含むと、生まれてはじめての味に、穏やかに微笑んだのだった。
真夜中の工事現場である。一軒の家が解体されている現場である。人は誰もいない。重機がひっそりと佇んでいる。その中に、一台のショベルカーがある。ショベルカーは老いている。ふいにぎいぎいと音を立てて、ひとりでに動き出す。ショベルカーは、ショベルの先端で、地面の土に何かを書き始める。それは詩である。いくつかの詩である。土についての詩、鉄骨についての詩、腐った柱についての詩。ショベルカーは書き続ける。他の重機たちはそれを冷ややかな目で見ている。朝になれば作業員たちが着て、地面を慌ただしく歩き回って、詩は消えてしまうだろう。
エンドロールが終わって、劇場の外へと歩みを進める。先ほどまで見ていた映画がどうだったとか、この後に彼女と話す内容を考えておく。 そうだな……まあ面白い映画だった。僕は評論家でもなんでもないし、あまり大したことも言えない。それでもただ一つ言えるのは、物語の中に入り込んでしまったことだ。そんな没入感さえあれば、あの映画は面白かったと言えるだろう。 丁度良いテンポも勿論、終盤の急展開は何度でも思い出せる。目まぐるしく変わる場面の一つ一つが、僕を飽きさせなかった。 「面白かったね」 彼女が口を開けて放った第一声。映画を見た人の多くは真っ先にその言葉を口にするだろうが。 「うん、そうだね。終盤とか、予想外の展開過ぎて」 「わかる。次から次に情報が押し寄せてくるっていうか、とにかく飽きが来なかったみたいな感じ?」 よかった。彼女も同じ感想だ。このまま、幾分かは話を続けられそうだ。 そうして僕らは、近くのレストランで食事をしながら映画について語り合った。 _ 「じゃあ、僕はこっちだから」 「うん」 未だ冷たい空気が肌を撫でる。熱を纏っていた頬も、風に当てられて気付けば冷たくなっている。やっぱり、いつになっても別れは惜しい。 少し離れた背を見つめながら、僕は何かを思い出す。 それは、何も変わらない友人関係のはず。 同じ一室で同じ映画を見る。それはもう何回も、繰り返しているはずだった。ただの部活仲間のはず。それなのに、何か変な気持ちがつっかえて僕の声を離さない。 去って行く君の背に、僕は 「あ、あの」 ……引き留めてしまった。このあとにどうすればいいのかは、どうしたいのかは、僕が一番わかっている。それなのに、上手く言葉が出ない。 目の前の彼女に、伝えるんだ。 その気持ちのまま、僕は口を開こうとした。 ヒュッ、と何かが風を切る音が聞こえる。 「な、何だ!?」 音のした方を見ると、何かが飛んできて金属製の手すりに当たった。よく見てみればそれは、手裏剣のような形をしている。 シュバババババババッ そんな擬音で表せそうな感じの素早い動きで、人影が僕の前に現れる。その人は、真っ黒い布で全身を覆っていた。 「誰だお前は!?」 待っていたかのように大きく息を吸って、その人は話し出した。 「拙者は忍者!忍び忍んで、闇に隠れる者!」 そして再び素早く動き、気付いたころには息を切らしながら僕の背後に立っていた。 「はあ……はあ……はあ、どうだ、はあ……俺、じゃないや、拙者の動きは!」 「お、おお、す、凄いです……ね?」 「は、はははは……そうだろう」 「全然忍んでなくないですか……?」 彼女がすかさず口を開いた。 「……」 そのまま何も言わずに、忍者は去って行ってしまった。 一体、何だったのだろうか。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 短い三行を朗読した後、私はカーテンを開けて外を見た。 雨がしとしとと降っている。 風がそよそよと拭いている。 七十五度くらい傾いた雨は、きっと私の頭上に置いた傘を避けて、私の足元をしっとり濡らしてくることだろう。 ブーツを履けば足首までは守れるが、膝から下は無防備だ。 「こんな日は、自宅で読書に限りますねえ」 私はカーテンを閉めて、机の上に置いている本を手に取った。 ページをめくりながら、晴れの日は晴れの日で、日焼けをしたくないとほざいていた自分を思い出す。 雨にも負ける。 風にも負ける。 雪にも夏の暑さにも負ける。 果たして、私は何なのだろうか。 ちょっと弱すぎないか自分、なんて思ったけど、自由自在に本を読める私は、頭の中が昔の人よりも強くなっただけだと言い訳して、本の世界に戻った。
たこ焼き屋の親爺は、ある日たこ焼きを持って、病院を訪れた。「診てくれませんか」たこ焼き屋の親爺は医者の前にたこ焼きを差し出した。医者は黙って聴診器をたこ焼きに当てた。そして医者はゆっくり首を横に振った。たこ焼き屋の親爺は泣きながら病院を出た。そして帰宅し、たこ焼きにかつお節をかけた。わずかにたこ焼きは熱を発していて、かつお節はかすかに踊った。それがたこ焼き屋の親爺には悲しかった。
「大人を代表して、現代の子供たちに謝罪をする!」 よくわからないインフルエンサーが、よくわからない謝罪をしていた。 俺はこいつに代表をやってくれと頼んだ覚えもないのに、何を勝手に代表面しているのだろうか。 仕方ないので、黒魔術をかけた。 大人代表で子供に謝罪をしたのなら、大人代表として子供たちの恨みを受けてもらおう。 一人で。 『なんで叩くの? なんで叩くの?』 『なんで怒るの? なんで怒るの?』 『なんで生んだの? なんで生んだの?』 翌日、よくわからないインフルエンサーは原因不明の病で倒れたらしい。 よわっちい。 代表になる覚悟もない自称代表なんて、こんなものか。
巷じゃあなた強運ですとLINEへ誘い口座聞き その口座が空だと分かると1万円分のカードを 買わせる詐欺が有るらしい回収詐欺も怖いが こちらはもっと恐ろしいです世の中何も正解 無いと決め旨い話的心積りが良いかも知れない
ウェブ漫画の作り出した功績は、休載イラストの概念だろう。 毎週毎週、機械のように原稿を出し続ける。 そんな過労の負担を減らし、連載の休暇期間を設けることができるようになった。 ぼくは、好きな漫画の休載イラストが掲載されていることを確認し、アプリを閉じた。 「はー、仕事」 そして、鞄を手に取った。 漫画に休載イラストがあっても、ぼくの人生に休載イラストはない。 月曜日から金曜日は、ひたすら労働労働。 土曜日と日曜日の休日ですら、家事だの付き合いだので連載継続だ。 「週末、温泉でも行くかなあ」 せめて、ほのぼの日常パートを挟まなければ体が持たない。 満員電車に伸びる長い列に立ちながら、手早く近くの日帰り温泉宿を検索した。
大病院の近くに定食屋がある。ある日の昼休み、その店に入ったら『海の幸定食』というメニューがあった。注文した。食べた。旨かった。貝みたいなのが旨かった。別の日の昼休み、その店に入ったら『山の幸定食』というメニューがあった。注文した。食べた。旨かった。山菜みたいなのが旨かった。別の日の昼休み、その店に入ったら『病院の幸定食』というメニューがあった。注文した。食べた。旨かった。肉みたいなのが旨かった。
世間では動物を擬人化したキャラクターが大人気だ。 何々娘とかでフィギュアとしてコンビニなどで大々的に売られている。 僕も持ってたりする。 男のお人形遊び。 少し猟奇的でエロティックである。 僕が自慰行為をして海に流れた精子が海の動物に着床して何かが日本に上陸しそうだ。 僕に似た何々娘かがだ。 実に子沢山。 然してみると僕に彼女が出来ないのは「あんた何人こさえるのよ」と言う自然界からのお達しかもしれない。
亀はその日、初めて電車に乗り込んだ。巨大な人間の足の間を潜り抜け、座席の下に身を潜めた。命懸けだ。ホッとしたその時、車内アナウンスが流れた。「リュックサックを背負われているかたは、前でお持ちいただき、他のお客様のご迷惑とならないよう……」亀は、ふと自らの甲羅に手を伸ばした。
母が死んだ翌月、私は十五キロ太った。 正確には、太ったというより、戻った。高校二年の夏にバドミントン部へ入るまで、私はずっとデブだった。小学校の身体測定では毎年こっそり目を伏せたし、プールの授業が憂鬱で、体育祭の騎馬戦では土台に回された。それが部活をはじめて一年ほどで十二キロ落ち、そのまま大人になって、三十四歳の秋に母が逝って、二ヶ月もしないうちにまた元の体に戻った。 不思議なことに、苦しくなかった。 久しぶりに触る自分の腹の肉は、柔らかくて、温かくて、どこか懐かしかった。風呂場で鏡を見るたびに、中学生のころの自分が重なった。あのころ、母はよく言っていた。「ぽちゃっとしてるほうが、かわいいよ」と。もちろん慰めだとわかっていた。でも私はその言葉が嫌いじゃなかった。痩せろとも、頑張れとも言わずに、ただそう言う母が好きだった。 一度だけ、泣いて帰ったことがある。中学二年の冬、同じクラスの男子に「デブ」と呼ばれた。廊下で、大勢の前で、名前ではなくそう呼ばれた。家に帰って、玄関で靴を脱ぎながら、こらえていたものが崩れた。母は台所にいたのに、すぐに気づいて、何も聞かずに隣に座った。しばらく背中をさすって、それから言った。「お腹、すいてるやろ。ごはんにしよ」と。夕飯はカレーだった。私は泣きながら食べた。それでも食べた。母はおかわりをよそいながら、「おいしい?」とだけ聞いた。 あの夜のことを、今でも思い出す。泣きながら食べたカレーの味を。 葬儀が終わり、四十九日が過ぎて、母の部屋を片付けはじめた。タンスの引き出し、押し入れの奥、鴨居の上の埃まで。几帳面な人だったから、ものは少なく、整理は早かった。ただ、押し入れの段ボールの一番下から出てきた古いアルバムだけは、手が止まった。 七五三の写真があった。丸々とした子どもが、赤い着物を着て、帯をきつそうに巻かれて、それでも笑っている。隣に若い母がいた。髪を結い上げて、薄く口紅をさして、今より二十キロは軽い体で、私の手をしっかり握っている。 その写真に、小さな付箋が貼ってあった。 色褪せた黄色い付箋に、母の筆跡で、一言。 まんまるで、よかった。 日付はなかった。いつ書いたのかわからない。私が痩せた後なのか、ずっと前からなのか。でもそれは関係ないと思った。母はずっとそう思っていたのだ。あの丸い子どもを、余分だとは思っていなかった。恥ずかしいとも、直してやらなければとも、思っていなかった。 私はしばらくその付箋を見ていた。泣かなかった。泣けなかったのではなく、ただその言葉が、腑に落ちていた。 あの脂肪は、母に愛されていた時間でできていたのかもしれない。細胞のひとつひとつに、母が作った夕飯が、膝の上で眠った夜が、「かわいいよ」という声が、溶け込んでいたのかもしれない。だから私は痩せるときに、何かを手放していた。そして今また、取り戻している。 悲しみで太ったのではないと、今は思う。 ただ体が、母のそばにいた頃の形を、憶えていただけだ。 私は立ち上がって、台所へ行った。冷蔵庫の中に、母が最後に来たときの作り置きがまだ残っていた。きんぴらごぼう。蓋を開けると、甘辛い匂いが広がった。少し濃い味付けは、母の癖だった。何度かうすくしてと頼んだけれど、最後まで直らなかった。今となっては、直らなくてよかったと思う。 私は冷たいまま口に運んだ。 甘くて、濃くて、母の味がした。 窓の外では、風が落ち葉を転がしていた。私はそれを見ながら、もう一口食べた。体の中に、温かいものが積もっていく気がした。泣きながら食べたカレーも、こうして積もって、今の私になっているのだと思った。 デブで、よかったのかもしれない。 あの頃の私が、今の私を、中から支えている。
スーパーのレジで、前の客が財布を忘れた。 夕方の混んだ時間帯で、私の後ろにも三人並んでいた。前の客は中年の女性で、エコバッグをごそごそと漁りながら、すみません、すみませんと繰り返していた。店員が困った顔をしていた。後ろの客が舌打ちをした。 私は何も言わずに、カードで立て替えた。千四百円だった。 「あの、本当に申し訳ありません」と女性は言った。「お名前と連絡先を」 「いいですよ、たいした額じゃないので」 「でも」 「急いでください、後ろが詰まってるので」 女性は深く頭を下げて、足早に出ていった。私も会計を済ませて、駐車場へ向かった。 それだけのことだった。忘れるつもりだった。 三日後、職場に電話がかかってきた。 「川島さんのお勤め先はこちらで合っていますか」 「はい、そうですが」 「先日のスーパーで、立て替えていただいた者です」 どうやって調べたのか聞こうとしたら、「名刺が落ちていました」と言われた。財布を出した時に落ちたらしい。 「返金させていただきたいので、お会いできませんか」 千四百円のために、と思った。でも断りにくくて、近くの喫茶店を指定した。 来た女性は、地味な格好をしていた。テーブルに千四百円を丁寧に並べて、また深く頭を下げる。 「わざわざすみません」と私は言った。 「いいえ。あの日、本当に助かりました。後ろの方に舌打ちされて、頭が真っ白になってしまって」 「気にしなくていいですよ、ああいう人は」 女性は少し笑った。笑うと、目が細くなった。 「私、ああいうとき、いつも固まってしまうんです。昔から。要領が悪くて」 コーヒーが来た。私たちは少し話した。彼女は春から転職したこと、新しい職場にまだなじめないこと、この街に越してきて半年で知り合いがいないこと。私は聞いていた。なぜそんなに話すのかわからなかったが、聞いていた。 帰り際、彼女が言った。 「あの、また会えませんか。友達がいないので」 直球すぎて、私は少し笑った。 「いいですよ」と言った。 それから月に一度、会うようになった。たわいない話をした。彼女は少しずつ新しい職場の話をするようになった。私も、誰にも言っていなかったことを、なぜか話した。離婚のこと、子どもを持てなかったこと、それでも今の生活が悪くないと思っていること。 半年が経ったある日、彼女がはにかみながら言った。 「実は、付き合っている人がいて」 「そうなの、よかった」 「職場の人で。川島さんに話を聞いてもらってたから、踏み出せた気がして」 私はコーヒーを飲んだ。 「それは関係ないと思うけど」 「関係あります」と彼女は言った。「川島さんって、体大きいじゃないですか」 突然のことで、私は思わず自分の腹を見た。確かに大きい。太っていると言われ続けて四十年、今さら気にもしていなかったが。 「隣にいると、なんか安心するんです。守られてる感じっていうか」 私は何も言えなかった。 「最初にレジで見たとき、大きい人だなと思って。でも優しく立て替えてくれて。だから名刺拾ったとき、会いに行こうって思えたんです」 千四百円が、これほど遠くまで転がるとは思っていなかった。 私は窓の外を見た。街に夕暮れが広がっていた。 「名刺、ちゃんと持ち歩いててよかった」 彼女が笑った。私も笑った。 忘れるつもりだったことが、今では金曜日の楽しみになっている。人生というのは、どこで転がるかわからない。千四百円で転がるとは、思ってもみなかった。
「若い人材獲得のため、弊社でも新卒社員の初任給を増額することとする」 社長からの言葉に場が静まり返った後、待っていたのは強烈なバッシングだ。 「ふざけるな!」 「実力主義じゃなかったのか! 新人のどこに実力があるんだ!」 「つーか、新人の方が給料高くなってませんか?」 特に反発したのは、二年目や三年目。 突然、部下の方が高い給料だと言われれば、納得もできないだろう。 「もちろん、三年目までの社員の基本給も、増額することとする」 とはいえ、二年目や三年目の不満を、社長は織り込み済みだった。 社長の一言で、三年目までの社員の不満は収まった。 「ふざけるな!」 「実力主義じゃなかったのか! こいつらが俺たちより実力あるってことっすか?」 「つーか、三年目の方が給料高くなってませんか?」 次に反発したのは、四年目や五年目。 突然、部下の方が高い給料だと言われれば、納得もできないだろう。 「まさか全員の給料を上げる訳にもいかないだろう。どこかで線引きは必要なんだ。社会人なら理解してくれ」 四年目や五年目の不満も、社長は織り込み済みだった。 織り込んだうえで、跳ね除けた。 「もう決まったことだ」 なお不満を続ける社員から逃げるように、社長は会社を後にして、最近買い替えたらしい車に乗ってどこかへ行った。 会社内は、不満たらたら、 とくに、四年目や五年目はすごかった。 十年目を超えた社員も、若いだけで羨ましいなあと、うっかり嫌味を零す始末。 「はー、やれやれ」 俺はと言えば、興味がないのでスマホをいじっていた。 決まったことは仕方ない、どうにもならない。 実際、給料だけを見れば不公平感は否めないが、不公平だからと初任給を上げず、新人が来ないほうが恐い。 喜ぶ部下も、不満を言う部下も、おじさん社員たちよりずっと少ない。 目の前の金だけ意識すれば、会社に未来がないのは確実だ。 「かー、転職だ転職」 「やってらんねー」 しかし、大半の人間は目の前の金を見る。 いや、組織でなく個人だけを見ると言うべきか。 日本が少子化対策に大きく税金を注ぎ込めない理由を、なんだか垣間見た気がした。 会社組織は、まるで社会の縮図だ。
バベルの塔が壊されようとも 跡地にサラダボウルをあてはめて、多様性を謳う サラダボウル創世記と名付けようか (完)
小さなスーパーに入った。スナック菓子のコーナーに行った。ポテトチップスが並んでいた。色々なポテトチップスがあった。選んでいた。すると、棚の隅に、紐で何かが吊るされていた。丸い何か。それは、一個のジャガイモだった。傷だらけだった。「見せしめです」ふいに背後から声がした。スーパーの店員が、ニコニコ笑っていた。「見せしめです」店員はもう一度そう言った。「それはそれは」そう言って俺はポテトチップスを一袋、手に取って、それを万引きした。その方がいいと何となく思ったのだ。
おそらくリケジョと言われる人達だろう。 つまらなそうに自転車を漕ぎ会話には2進法を使う。 実に合理的。 本当は高校なんか行かずすぐにでも理研かなんかで働きたいのだろう。 でも僕に向いてるのは養護教諭とかなので優秀な子の意見はちょっとしか汲み取れない。 基本的に出来ない奴が寄ってくる。 出来ないやつは出来ない奴の事がよく分かるのだ。 宗教法人にでも入って特別待遇されるのはどうだろう?とか提案して問題を起こす。 大体の世の中の仕組みは全うにやっていたら上手くいかない。 全うにやってもなぁ、あぶれる。 性欲。 変態だからな俺は。 パトロンのいない変態は憐れだ。 俺にかかっている保険であの子達に明るい未来を願う。
午前3時。ペンを走らせていると時間が少しずつ歪みながら流れていくようだ。 午前4時。夜行バスに揺られる空想をしながら夜が明けるのを待つような虚像との会話。 午前5時。白昼に解けるおまじないを飲み込んで、さあそろそろおやすみ。 午前6時。まっさらな画面に打ち込まれる文字が描き出すのは掌にのるような小さな小さな半透明のものがたり。 もうお日様が昇るのなら、目を瞑って。 これでようやく今日が終わりますね。 また明日。
生まれ変わりがあるのだとしたら、私は今までどんな人生を生きてきたのだろう。 今と性別が違うかもしれない。生まれた国が違うかもしれない。そもそも人ではないかもしれない。そう考えるとキリがない。 ただ確かなのは、そよそよと香る朝の透き通ったにおいだとか、帰り道の歩道橋から見えるきれいな夕焼けだとか、明日も会おうね、と笑顔で友人に手を振る瞬間だとか、それぞれを美しく思う気持ちは次に生きるときも忘れることはないと思う。
縄文のアパートでダラダラ。 埴輪も欲しいずら。 明日は畑。 ドングリ拾って食べてたい。 農業しないと食料無いよ!っとせっつかれる。 鳥が喋る。 水道も井戸ならばな。 畑の井戸水はいつもいい感じの温度。 近所の人がトイレットペーパーくれたりする。 僕は採れた野菜をお裾分けする。 代わりにお菓子を貰う。 お金がかかる生活。 お金のために働く意義が薄まってくる。 でも生活保護。 明日は弥生時代。 皆のために野菜を作る。
私は、どこにでもある「平穏」という型に押し込まれて育った16歳だ。 慈愛に満ちた父と、規律を重んじる母。頼れる姉に、お調子者の弟。 愛情という名の、完璧なパッケージの中で、私は静謐に形を保っていた。 ある日、友人とのひとときの歓びに身を任せ、私は門限という境界線を越えた。 「ただいま」 返事はない。リビングのソファには、父が沈黙の王座のように座っていた。 私は音もなく対面に腰を下ろす。これから始まる「儀式」の台本は、頭に刷り込まれ、皮膚の下まで染み渡っている。 「遅くなって、ごめんなさい」 先手を打つ。謝罪は敗北ではなく、私が世界を少しだけ動かすための魔法だ。 父の怒りは、一定の曲線を描く波にすぎない。私はその波の頂点を計り、適当なタイミングで瞳の奥の水を解放する。 こうして、私は台本通りにシナリオを完遂するのだ。 他人の感情のスイッチは、思いのほか見えやすい。 そこをそっと押せば、世界は驚くほど私に都合よく回り出す。 友人は私を「優しい」と呼ぶ。 偽善的で、利己的で、計算高い。 だとしても、誰かに居心地の良い場所を提供できるなら、それでいいじゃないか。 むしろ、人を傷つけてやっと自分を保つ愚か者より、ずっと有能で、価値があるのではないか。 ……はずだった。 最近、指先に触れるスイッチの感触が、妙に軽い。 父の涙も、友人の賞賛も、まるで薄いプラスチックのボタンを叩いているような、手応えのなさを感じるのだ。 私の差し出す「優しさ」を咀嚼して満足げな彼らを見ていると、ふと、底の抜けたバケツに水を注ぎ続けているような錯覚に陥る。 どれだけ世界を飼い慣らしても、私の内側には何一つ溜まっていかない。 飼い慣らした気になっているのだろうか。否、飼い慣らされているのは、この私の方か。 時折、鏡に映る自分を見て、言いようのない違和感を覚える。 友人の前の私。家族の前の私。独り、暗闇で見つめる私。 それぞれの破片を「自分」という袋に無理やり詰め込み、かろうじて人の形を保つ。 中身が空っぽなことは、とうに気づいている。 その空洞を風が吹き抜けるたび、私はひどく心細くなる。 この袋が破けたら、私はただの「記号」に還るのだろうか。「ナニカ」が露呈するのだろうか。 ああ、滑稽だ。 こんな独白を、見知らぬ貴方に差し出す私も。 そして、安全な場所から私の内側を覗き込み、何かを理解した気になっている貴方も。 世界は、透明な檻でできている。 その檻の中で、私は「カオミシリ」の貴方を想像する。 今日すれ違った誰か。画面越しの貴方。 その人生の味。匂い。色。音。 その「中身」は、どんな重みを持っているのだろう。 計算では導き出せない、醜い執着や、制御不能な熱情がそこにはあるのだろうか。 私は、貪るように知りたい。 貴方の袋の中にある、私の知らない「本物」を。 もし、隣で優しく微笑む人が、貴方の世界に一滴の波紋を広げたなら―― それは、ワタシかもしれない。
教育ママの方はあまり上手くいかない。 現行の制度の学校に行かせているからだ。 大阪や江戸や田舎のおかんの子供は割とうまく行く。 市井で育て育むからだ。 アマゾネスがさらっていく。 バランスよく。 学校の図書館組はイタズラされる。 後で賠償金を貰えるだろう。 イケメンが町に溢れる。 犯罪が増える。 バランスよく。 美学の無い作られた美人は痩せ細る。 市井で育った町娘は肥える。 バランスよく。 情報交換。 機能美とランダム性。 犬や狸は祭りに忙しい。 数が多いからだ。 政に忙しいのは誰だ?
そもそも物事を構築するとかめんどくさい。 なので言葉を構築して遊んだりする。 でも飽きてたばこを吸う。 プロットとか友達のラノベ手伝ったりしてもやってて飽きる。 パソコンが壊れて新しいパソコンを設定するのもやらない(それはただの怠惰だ) 完璧主義なのだろうか? きちんとやれることがきちんとやり終われないと思うと途端に能力が下がる。 世界の仕組みがボンヤリと見えてきてでも体力がない。 生きてるだけで偉いです、と病院の人に励まされる。 大体上手くいかない。 まあ人間なんて不合理なもんだし、と思う。 愛について考える。 愛の可能性。 暴力について考える。 暴力の拡散性。 言葉遊び。 承認欲求。 まだ褒められたいのかな? 褒められ慣れてない。 元来一人遊びが好きだったはずだ。 世界を構築する夢を見る。 お前の世界など誰も見ちゃいないよ、と揶揄されそう。 煙草が何故吸いたいのか考える。 きっとやりきれないからだ、とまた吸う。 あの子達は病気なのだろうか? 治しても勝手をする。 それでいいけど。 スーパーマンにはなれない。 救世主は荷が重い。 諦めると虚無が襲ってくる。 結局誰かのためにしか動けない。 もうちょっと自分を大事にしないと。
第1章:私 教室のドアを開けた瞬間、室内の空気が変化する。 今日もみんな、私の話題で持ちきりのようだ。教室内を流れる無数の視線。人気者というのも楽じゃないけれど、私を羨む視線に囲まれる心地よさは、何物にも代えがたい。 隣には、いつも「彼女」がまとわりついてくる。 まるで空気のように気配がなく、教室の隅で澱んでいるような子。 「……昨日、あまり眠れていないでしょう? 顔色が悪いよ。」 そんな風に、心配するふりをして距離を詰めてくるけれど、私には分かっている。彼女が欲しいのは、私の人気のおこぼれだけ。分相応という言葉を知らない惨めな子。根本的なステータスの違いに、いつまで夢を見ているつもりなのか。 今日の私も、コーディネート、髪、全て完璧。 親、友達、先生。 この環境全てが私という存在を飾り立てるピースだ。 放課後、机の表面に刻まれた『勘違い女』という拙い文字が目に入る。 ふふ、と喉の奥で笑いが漏れる。誰かは、素直に羨むことさえも出来ずに、こんな陰湿な小細工に走る。自分とは住む世界が違うのだと、憐れみの感情を抱く。 ふと顔を上げると、また彼女が近寄ってきていた。「こんなの、気にしないで。」 は?気にする価値すらない。こんな小細工で私の感情を動かせるなど、見くびらないで欲しい。 視線が彼女の手首に留まる。そこには、昔彼女からおそろいで貰った、安っぽいミサンガが巻かれている。私が「ダサい」と吐き捨てたものだ。 それを、まるで宝物のように大切そうに身につけている。昔の思い出に未だに縋りく彼女の姿は、まさに金魚の糞だ。 今日も私は、みんなの視線の中心にいる。 この日常も、すべては私を照らすための舞台装置。私の人生は、いつだって私を中心に回っているのだから。 第2章:友人視点 教室の隅から、私はいつも彼女を見つめている。 今日もまた、クラス中の視線が彼女に突き刺さる。 彼女は笑顔で応えているけれど、その仮面の奥に隠された疲労や不安を、私は知っている。 「昨日、あまり眠れていないんじゃないかな……?」 つい、言葉がこぼれる。 「貴方の価値も下がる」という周囲からの忠告なんて、どうでもいい。私にできるのは、ただ寄り添うことだけだから。 彼女がどんなに気丈に振る舞おうと、私には手に取るように分かる。微かなため息、視線のわずかな揺らぎ。 私の手首には、彼女とお揃いにしたくて購入した、ミサンガが巻かれている。 もうお揃いではないのだと思うと、胸の奥がちくりと痛む。私だけでもこうして身につけていることが、彼女との唯一の繋がりとなっている。 彼女の机の中に、悪意で満たされた紙切れを見つける。 ──私は、幼馴染だから。 彼女が傷つかないように、私は誰よりも早く、それを捨て去る。誰に感謝されずとも、構わない。 第3章:友人視点・本音 ──────その理由、なぜかわかる? 確かに、みんなの視線は彼女に注がれている。 でも、彼女はその意味を根本から取り違えている。 机の落書きも、机の中の悪口で埋め尽くされたメモも、冷ややかな視線も、すべては私の計算通りに配置されたパズルだ。 私は、あえて何も教えない。 彼女が勘違いを深めれば深めるほど、孤立は完成されていく。結局のところ、どんなに気高く振る舞おうと、彼女は私の手のひらで踊るだけの操り人形に過ぎないのだ。 「勘違い女」という罵倒。 私としては、ヒントを与えるな、と言いたいところだったけど、そんな心配は必要なかった。 それを彼女は「嫉妬に塗れた無様な足掻き」と変換して受け取った。 書いた人がどのような意図にせよ、彼女を正しい道へ導くコトバであったかもしれないのに。 彼女を心配するフリをして、周囲の「あの子、少し痛いよね」という空気を遮断する。そうして彼女の視界を、私一色に塗りつぶしていく。 私が慈愛の仮面を被る度、私と彼女の舞台は完成に近づく。 どんな意味でも、対等に話しかけられるのは「私」だけだという毒を、ゆっくりと、確実に彼女の心に注ぎ込む。 私の手首で揺れるミサンガは、もうただの思い出の品ではない。彼女が捨てたフリをして、密かに足首の内側に巻き付けているあの「呪い」を、私は枷のように、目立つ場所に巻き付ける。 わざわざ「ダサい」と吐き捨てておきながら、私に知られないよう足首に隠して巻き付けている……あの無様な執着。 その隠された孤独と、私への信頼。 見えないように、でも、お守りのように、わざわざつけているなんて、あまりに歪で、たまらなく可愛い。 私は、窓際で微笑む。 あの子が自分のすべてを愛し、盤石だと信じている今が、一番美しい。 あの子にとっても、私にとっても、今が「理想」の世界なのだから。