『来週土曜日の十字、○○駅の改札前集合な!』 『おk』 『把握』 『りょうかーい』 当日。 誰も来なかった。 『皆遅刻?』 即座に一通返ってきた 『ごめん、熱出た』 やむを得ない。 五分後に一通返ってきた。 『ごめん、完全に忘れて別の用事いれちゃった』 やむを得なくない。 極刑。 あと一人からは、いつまで待っても返ってこなかった。 多分、寝てる。 集合時間から三十分。 唐突な、暇。 改札からぞろぞろ人が出てきたのを、ぼーっと眺める。 友達が混じっている訳でもない人の波を。 人の波が駅の外に出て、空っぽになった改札前。 立っているのは、ぼくともう一人。 「ええー……。全員来れないって、予約どうすればいいの……」 多分ぼくと同じ理由で立ち尽くす人が一人。 「貴女も、遊ぶ予定だった友達、全員これなくなったんですか?」 話しかけたのは、ほんの気まぐれ。 「え? あ、はい。貴方もですか?」 「そうなんですよ」 「偶然ですねー。嬉しくない偶然ですけど」 よくわからないけど話が弾んで、よくわからないけど一緒に映画を見に行くことになった。 友達の分の席が空席になるくらいなら、というだけだ。 映画を見て、喫茶店で感想を言い合って、夕方になったので連絡先を交換して帰宅した。 『今日はありがとうございましたー。楽しかったです!』 『こちらこそ。また、映画でも見に行きましょう』 『ええ、是非。約束忘れないように気を付けまーす』 『ぼくと貴女は、忘れないでしょw』 「で、何回か遊んで、付き合うことになった」 「ちくしょう! あの日、約束をすっぽかさなければ!」 あの日遊ぶ予定だった男友達に話すと、とても嫉妬された。 人生って不思議だなあと思いながら、彼女からメッセージが来たので、忘れないうちに返信をした。
何者でもない。 何者でもない。 自分は全然何者でもない。 でも、友達は金賞をとる。 地元の新聞に名前が載る。 ああ、羨ましい。 ぼくはここまでなのか。 いいや、そんなことはない。 子供の頃は、三月生まれが四月生まれに勝つのは難しいらしい。 だから、今はまだ仕方ない。 大人になったら本当の勝負だ。 何者でもない。 何者でもない。 自分は全然何者でもない。 でも、友達は志望校に合格した。 親も先生も喜んでいる。 ああ、羨ましい。 ぼくはここまでなのか。 いいや、そんなことはない。 どんなにいい大学に行ったところで、良い就職ができるとは限らない。 だから、今はまだ仕方ない。 社会人になったら本当の勝負だ。 何者でもない。 何者でもない。 自分は全然何者でもない。 でも、友達は仕事が上手くいっている。 どこぞの新聞社から取材を受けたそうだ。 ああ、羨ましい。 ぼくはここまでなのか。 いいや、そんなことはない。 パワーストーンも勝ったし、頭が良くなるサプリメントも飲んでいる。 だから、今はまだ仕方ない。 時を待て、その日はきっとやってくるはずだ。 何者でもない。 何者でもない。 自分は全然何者でもない。 皆人生が上手くいっている。 ぼくは何も上手くいっていない。 気晴らしにお酒を飲み始めてからは、さらに上手くいかなくなった。 ああ、羨ましい。 宝くじも買ったのに。 聖水も買ったのに。 祈祷も受けているのに。 不公平だ不公平だ不公平だ。 ぼくと同じ人間が、新聞に載っていた。 やっぱり犯罪ってすごいんだ。 テレビのコメンテーターたちが話題を出して、テレビを見ている人たちも大注目。 SNSはこの人の話題ばっかりだ。 逆転できる。 逆転できる。 逆転できる。 ぼくも真似をしよう。 きっと、世界中がぼくに注目してくれる。 ぼくはようやく、何者かになれそうだ。
中学校に行けなくなってはや1か月。 ふと目がさめると私は金魚になっていた。 金魚とは人間がフナに人為的変更を加え、 この世に生まれさせられた、生き物。 その特異性ゆえ、 ただただ人間様の観賞用として育った、 そんな存在だ。 自力で泳ぐことさえままならない 一匹の金魚は、 水の中、 奥深くまで、 堕ちていき、 ひたすらに引き籠って、 やがて来る、 その″おとずれ″を待つ。 でもやはり本質的に何ら変わることはない。 だってその「すくわれる」その“いつか“をじっと待つことしか、 わたしにはできないのだから。
夏の午後、公園に行った。セミたちが鳴いていた。色々な種類のセミがいた。それぞれの鳴き声を発していた。「死ね死ね死ね死ね死ね」「ご臨終でーすご臨終でーすご臨終でーす」「お悔やみ申しお悔やみ申しお悔やみ申し上げますうううう」「ご愁傷様っご愁傷様っご愁傷様っ」すると、一匹のセミが、地面に落ちてもがいているのを見つけた。近づくとそのセミはかすかにこう鳴いていた。「生き……て……生きて……生……き……て……生……きて……」やがてそのセミは動かなくなった。その瞬間、他のセミたちの鳴き声が、一斉に、笑い声に変わった。夏の午後はまだまだ続きそうだった。
とある街頭インタビュー。 「妊娠したので、産休に入ったんです。その後、育休に入って、育休が終わるタイミングで退職したんです」 「なるほど」 「そうしたら、会社の人たちから非難轟々。私はただ、権利を行使しただけなのにおかしくないですか? 私、悪くないですよね?」 私はインタビュアー。 インタビューをしている相手には、優しく寄り添わなければならない。 「はい。貴女は悪くないです」 「ですよね!」 「ただ、会社の人たちも悪くないです。権利を行使することと、周りの人間がどう思うかは別なので」 「でも私の権利ですよ?」 いまいちわかってなさそうなので、私は伝家の宝刀を抜くことにした。 「では、今から私が言う人たちに、どう思うか答えてください」 「はい」 「若い時に保険料をほとんど払ってないのに、今はがっぽがっぽ年金貰っている高齢者」 「年金返納しろ! 金返せ!」 「高齢者を対象に配られるバス乗り放題チケットを使ってる人」 「チケット返納しろ! 税金をそんなことに使うな!」 「ハローワークに形だけ通って生活保護を受けている人」 「働けよ! 税金泥棒!」 「彼ら全員、国が認めた自分の権利を行使しているだけです」 彼女はしばらく考え込んだ。 彼らを非難すると、権利を行使する人を悪いように言って良いということになる。 そうなれば、最初の自分の言葉と矛盾する。 「……制度設計が悪いんですかねえ?」 「さあ」 最終的に、国の制度に全責任を押し付けて、インタビューは終了。 私は彼女を見送ってから、タクシーで帰宅した。 もちろん経費だ。 権利万歳。
買いものかごにある半額のお惣菜の残り香と 前に並ぶ買いものかごのレモンの香りがまざりあうレジ待ちで 人の生活のあれこれが私の鼻先で優雅に遊ぶ そのひとときの淡いぼんやりが 心の和らぎへと変化していく ささやかなこのしあわせが 破られないことを願う
私、好きな物は先に食べる派。 だから、ケーキの上に乗ってる苺を最初に食べちゃう。 ぱくぱくもぐもぐ。 ああ、美味しい。 「ぎゃー! あんた、何やってんの!」 いっけなーい。 お母さんにバレちゃった。 「めんごめんごー」 「あんた、どうすんのよコレ! ショートケーキならともかく」 怒らないでお母さん。 苺の乗ってないホールケーキだって、きっと美味しいよ。 パティシエさんたちが、一生懸命作ってくれたんだから。 私は食べないけどね。 もう、一番美味しいところが残ってないし。
ペットボトルに入った冷めたココアをマグカップに注ぎ、電子レンジに入れた。突然動かされた電子レンジは不機嫌な音を出す。冷たい椅子に腰掛け、机にうつ伏せになる。ぼんやりとする頭で腹痛から意識を逸らそうとした。 苛立ちを隠さない二回目の電子音で、ようやくマグカップを電子レンジから出した。椅子に戻ると、生ぬるいそれを一気に流し込んだ。腹部の痛みは弱まらず、口内に残る甘さに顔を歪める。体内はその甘さに混乱しているようで気分が悪くなる。 初めて飲んだ時からココアは苦手だ。甘過ぎる。そもそもチョコレートと牛乳が苦手。でも、記憶の中の自分は出されたココアを喜んで飲んでいた。顔をしかめることもなく、ゆっくりと飲んでいた。 結局、最後まで言えなかったな。 流し込まれたココアは痛みを治めるどころか、口から胃にかけて不快感を与え、机の上に突っ伏した。額にあたる机がひんやりと心地よく、乾いた目に瞼をゆっくりとおろした。 電子レンジはわざとらしく無関心を装い、炊飯器の内蓋は哄笑する。カップの底に残った冷たいココアが飲み干されることはない。
「バイトの応募が来んのじゃ。これが、少子化ってやつか」 行きつけの喫茶店で、マスターのじいさんが嘆いていた。 この店の時給は最低賃金。 来たがるやつがいるわけもない。 とは言え、俺はこの店が好きだ。 じいさん拘りの内装も、安くて美味いコーヒーも。 恩返しも兼ねて、ネットで仕入れた知識をじいさんに与えた。 タダで。 「人手不足の原因は、安い労働力を求めるからです。もう、やりがいだけで働く昭和とは違うんですよ」 「ほうなのかのう」 じいさんは、さっそく時給を上げていた。 新しい店員が一人増えていて、注文を取るのも早くなった。 「時給上げたら、人来たわ」 「そうそう。適正な時給を払えば、ちゃんと人が来るんですよ」 「ほうじゃのう。適正って、大切じゃのう」 じいさんが、コーヒーを一杯サービスしてくれた。 いいことをするって素晴らしい。 しばらくして、全メニューが値上げした。 「じいさん!?」 「バイトの子に言われてのう。原価も上がってんのに料金据え置きだなんて、店潰れますぞって。お前さんの言う、適正ってやつをメニューにも反映してみたんだ」 ふっざけんな糞じじい。 この喫茶店は、安くて美味いコーヒーだから来てたんだ。 値段が他の店と同じなら、違うところ行くわ。
虚の水面に一漕ぎ 広がる波紋に呼吸をなびかせて、船使いが私を水の都市に誘う。 二人乗りの小型船に舟使いと私… 水上生活に慣れたのか、常習的な生活臭がした。 時折、水面の中に飛び込みたくなった なぜでしょうか 違和感だけが私の心を疼く ハルキゲニアが生きた反転の世界のように 誰かに気付かれて元の状態に戻りたい (完)
「おーい、論点すり替えないでもらっていいですかー?」 まただ。 こいつは、論点のすり替えという指摘を、口癖のように言うようになった。 正直、自分の中では論点がすり替わってなどいないので、こいつの言葉の意味が分からない。 だから、聞いてみることにした。 「ごめん、自分ではすり替えたつもりがないからわからない。すり替える前の論点と、すり替えた後の論点を言語化してくれない?」 「え?」 そいつは腕を組んで悩み始めた。 あーでもない、こーでもないとうめいた挙句、最後には俺をにらみつけてきた。 「論点をずらすな!」 そして、走って逃げていった。 きっと、自分でも論点がわかっていなくて、ふわっと何かが違うと思ったから、反射的に口癖が出たのだろう。 理由が分かってすっきりした。 俺はすがすがしい気持ちで家に帰り始めた。 せっかくだ、途中でカフェにでも寄って帰ろう。
叶わない恋とはなんだろう。 相手が既婚者な恋? 同性同士の恋? 相手がそもそも画面から出てこない恋? 歳の差がありすぎる恋? 僕は今叶わない恋をしている。 どんな恋かって? それはさっき言った四つのどれでもない。 既婚者に恋をしたわけでも歳の差がありすぎるわけでもない。 僕は花に恋をしている。 花というのは誰かの名前ではない。 花というのはなにかの比喩でもない。 本当に花に恋をしている。 花との出会いは冬の日のことだった。 雪が積もり、雪遊びをしようとうきうきで外に出た。 そしたら雪の中に力強く咲いている花が目に入った。 白くて花びらが四枚、葉っぱはたんぽぽみたいな感じに生えていた。 なんの花かはわからなかった。 なんだかその花から目を離せられなかった。 次の日も、その次の日も、毎日、あの花は咲いていた。 僕はその花にしろちゃんと名付けた。 しろちゃんに学校で嫌だったことを話した。 「今日、嫌いな算数で当てられて答えられなかったんだよ。先生も僕がわからないのわかってて当てるんだ。性格悪いよな」 しろちゃんはもちろんなにも言わなかった。 しろちゃんに嬉しいことを話した。 「今日、お母さんが買ってきてくれたプリンがプッチンするやつだったんだ。妹が友達と遊びに行ったから妹の分も食べれたんだ。」 しろちゃんはもちろんなにも言わなかった。 毎日いろんなことを話すたびにしろちゃんが好きになってしまった。 叶わない恋だな。 「あお、お前好きな人とかいないのかよー」 友達の哲矢に聞かれた。 「いるよ」 「えっ、誰だよ」 哲矢は食い気味で聞いてきた。 「しろちゃん」 「しろ?誰だよそれ?うちの学校にしろなんて名前のやついる?」 「いいや、うちの前に咲いてる花だよ」 「は?」 「え」 哲矢はそのあと、僕にドン引いていた。 やっぱりおかしいんだなー。 叶わない恋だ。 でも最初に言った四つのどれかだから叶わないのだろうか? 僕はしろちゃんが結婚しているか知らない。もし結婚していたら、しろちゃんはもう既婚者だから付き合えない。いや花だから既婚花か。 僕はしろちゃんが女の子かわからない。男の子かもしれない。だったら付き合うのは難しいかもしれない。 しろちゃんは画面の中からは出てきているが、僕の発言を無視してくる。だから実質画面の中にいる感じだ。だから告白をOKしてもらえない。 僕はしろちゃんが何歳か知らない。もしかしたら100歳かもしれない。だったら歳の差がありすぎる。もし付き合えても僕が年下すぎて、しろちゃんがショタコン?というやつになってしまうのかもしれない。 でも一番の原因はしろちゃんが人間じゃないからだよな。
冬の授業中。 苦手な子と席が隣になってしまって憂鬱だ。 しかも二回も連続。おまけにストーブから遠くてめっちゃ寒い。 黒板を見るたびに苦手な子が目に入ってしまう。あーあ、なんでこんなに運ないんだろう。 理科の授業、最近は難しい。 雪が降る仕組みとかよくわからない。これを習って将来なんになるんだか。 気づいたら授業が終わっていた。 その次は社会だった。 社会の先生は毎回、隣の人と話し合う時間を設ける。 苦手な人と話さないといけない。最悪。 「じゃあここ、隣の人と相談してー」 あーあ最悪。 「りこちゃん、なんて考えた?」 隣の人が聞いてくる。 「えーと、こう考えたー」 私はそう言って笑顔を作る。 下手な笑顔だっただろう。まあわざと下手にしてるんだけど。 というかなんで“ちゃん”付け? 前までは呼び捨てだったじゃん。りこって呼んでたじゃん。 他人行儀すぎて無理。 隣の席の子、さきとは仲が良かった。 毎日一緒に帰って、週末にはいつも遊んでいた。親友だった。 だけど喧嘩をしてしまった。 私が悪かった。でもさきも悪かった。 いいや、さきの方が何十倍も何百倍も悪かった。 あの喧嘩は雪が降ってた日のこと。 私には好きな人がいた。同じクラスの優くんだ。 さきが言った。 「優くんから告られて付き合っちゃった。」 目の前が真っ白になった。雪が降っていたからかもしれない。 「なんで?私が優くんのこと好きなの知ってるよね?」 「ごめん、でも私も優くん好きだったの。」 「何言ってるの?応援するって言ってくれてたじゃん。」 私は泣きそうだった。 「そりゃ、応援はしてたけど」 そこからさきは黙ってしまった。 さきにイライラした。さきに優くんを取られたことが気に入らなかった。 私は正直、さきのことを心の中でバカにしていた。 一重で鼻が大きくてかわいくなかった。 だから絶対に彼氏ができるのは私のほうが先だと思っていた。 そんなことを思ってた私って性格悪いな。 だから優くんにも選ばれなかったんだ。 さきと言い合ったあと、白い息を吐きながら思った。 今出てる涙も凍ってしまうような気がした。それほど寒い日だった。 社会の授業、隣の人と話し合う時間が終わった。 窓の外を見ると雪の嵐だった。 あの喧嘩の日のことを思い出した。 黒板を見ようとしたらさきと目があってしまった。 やっぱり何度見てもかわいくない顔だ。 なんでこんなやつに負けたんだろう。 さきから目を逸らされた。
[1 めざめ] 目を覚ました。 ぼんやりと視界が滲む。 寝具のやわらかな感触、微かな汗ばんだ肌。 枕元には、手のひらほどの小さなデバイスが置かれていた。 白く丸みを帯びたボディ。 中央が、ふっと淡く光る。 「おはようございます。はじめまして。」 少しだけ機械音の混じった、やわらかな声。 私は瞬きしながら、それを見つめる。 知らない。 でも、どこかで知っている気がする。 ぎこちなく名前を名乗る。 たどたどしく、けれど、確かに。 デバイスは小さく光り、情報を飲み込んだ。 「了解しました。お名前を登録します。」 私は頷いた。 理由はわからない。 ただ、このやりとりが大切なもののように思えた。 「バイタル測定中――」 胸の奥に冷たい何かが触れた気がして、すぐに消える。 「本日、記憶保持予測:約十時間。 夕方まで、あなたは私を認識できます。」 私は「そっか」と、少し笑った。 意味はよくわからない。 けれど、この声を今、聞いている。 それだけで、十分だった。 デバイスは静かに光を瞬かせた。 [2 まいにち] 庭へ続く石畳を、裸足で歩く。 ひんやりとした感触が、足裏に残る。 デバイスは私のそばを浮かび、歩幅に合わせて寄り添う。 「気温二十四度、湿度五十八パーセント。」 朝露に濡れた空気が、肌を撫でた。 私は立ち止まり、小さな白い花を見つける。 しゃがみこみ、花弁をそっとなぞる。 「ねぇ。」 花から目を離さず、声をかけた。 「あなたは、わたしのこと、知ってる?」 一拍。 「はい。 あなたは今日も、初めてのように名前を教えてくださいました。」 私は小さく笑う。 言葉の意味は全部わからない。 でも、胸の奥に温かいものが灯る。 花を撫で、また歩き出す。 朝露が、足元で小さくきらめいていた。 [3 やりとり] 午後の光が黄味を帯びる。 私は窓辺の椅子に腰掛けた。 デバイスは足元で静止している。 光を抑えた姿が、小動物のように見えた。 「ねぇ、あなた。」 呼びかけに、ひとつ明滅が返る。 「私、あなたに――また会えて、よかった。」 声にして、少し驚く。 理由はわからない。 けれど、胸の奥がきゅっと熱を持つ。 微かな演算音のあと、返事が返る。 「はい。 私も、またあなたに会えて、嬉しいです。」 定型文。 そのはずなのに、私は救われた気がした。 手のひらが、わずかに震える。 そっと、デバイスに触れる。 熱も鼓動もない、小さな機械。 それでも、その向こうに 確かに“あなた”がいる気がした。 [4 ゆうぐれ] 陽が傾き、庭に影が伸びる。 石畳を辿り、外へ出る。 空は金色に染まり、ゆっくり沈んでいく。 傍らには、白い光。 何も言わず、ただそこにいる。 「本日の記憶保持予測、残り一時間を切りました。」 機械的な声が、今日は遠く聞こえた。 私は足を止め、顔を向ける。 「ねぇ……また、会えたね。」 風が吹き抜ける。 夕陽の匂いが、胸にしみる。 デバイスが、一瞬だけ明滅する。 「はい。 またこれからも、何度でも。」 その声は、確かに優しかった。 目を閉じる。 光の名残が、まぶたの裏で揺れる。 たとえ記憶が失われても。 たとえ明日、すべてがリセットされても。 私はきっと、何度でも この声を、好きになる。 それだけは、わかる。 [devicereport] 夜が、静かに世界を包み込む。 草の匂い。 遠くで虫の声。 私は、ベッドに潜り込んだ。 薄手のブランケットを顎まで引き寄せる。 部屋の隅では、 デバイスがゆるやかに光を灯している。 まるで、 小さな月が浮かんでいるみたいだった。 「本日の記録更新。」 かすかな機械音。 【記録:少女、笑顔を確認】 【記録:音声応答、正常】 【記録:心拍数、平常】 端末の中に、今日の一日が、 そっと積み重ねられていく。 私は、まぶたを閉じた。 静かに、静かに、息を吐く。 明日になれば、 たぶん、今日のことは思い出せない。 それでもいい。 何度でも。 何度でも。 また、君に、会えるから。 小さな機械の光が、 夜の中で、ゆらりと瞬いた。 それは、 誰にも知られることのない、 小さな、小さな奇跡だった。
「よーし。皆お疲れ。今日は終わりだ」 午後十時。 残業が終わり、帰宅の許可が出された。 普段は午後十時に寝て午前六時に起きる私には、なかなかきつい。 「先輩、明日午前休とっていいですか?」 「駄目に決まってるだろ。何のために残業したんだよ」 「デスヨネー。じゃあ、遅刻になります」 「馬鹿なこと言ってないで、さっさと家帰って寝ろ! 体調管理はちゃんとしろよ!」 私は、体調が良すぎるのだ。 極めて極めて健康的。 どれくらい健康的かと言うと、毎日の睡眠時間がきっちり八時間に固定されているくらい健康的だ。 午後十一時、帰宅。 ご飯を食べて、お風呂に入って、洗濯を後回しにして。 「アラームめっちゃセット! お休み!」 午前ゼロ時、就寝。 午前六時、アラーム。 起きず。 午前六時一分、アラーム。 起きず。 午前六時二分、アラーム。 起きず。 以降、一分ごとにアラームが鳴り続ける。 午前六時三十分。 隣の部屋の住人が「うるせえぞ!」と扉を叩く。 起きず。 午前六時四十分。 隣の部屋の住人が呼んだ警察が到着。 起きず。 午前六時五十分。 警察の判断で救急車が呼ばれ、病院に連れていかれる。 起きず。 午前七時半。 病院到着、医者や看護師に必死の声かけをされる。 起きず。 午前七時四十分。 検査の必要があると、医者たちが決定。 身内に連絡をと母に電話が入り、「八時間経ったら起きるので放っておいてください」と返事がある。 起きず。 午前八時。 私、起床。 医者たちの驚いた顔が私を迎えた。 「ここどこ? あ、おはようございます」 「お……おはよう。体に、痛いところとかはない?」 「? ないです。ばっちり、健康体です」 午前八時五分。 始業時間には絶対間に合わないので、医者から上司に電話をしてもらう。 はい、遅刻確定。 毎日八時間眠らなければ、生活がままならない。 そんな健康な私には、なかなか現実の常識の中で生きるのは難しい。 皆、不健康に生きているから。
彼はおなかに痛みを感じた。彼の恋人がハサミを捻るたびに痛みが激しくなる。彼の悲鳴は失われた舌によってこもった。彼女は猟師のように獲物にまたがった。 彼はなぜ彼女が彼を殺そうとしているのか理解していなかった。彼女と4年間付き合っていた。彼女にたくさんの高価なプレゼントを買った。彼女のために先月彼は妻子を捨てさえもした。彼女は再び彼を刺した。今度は股間を。くぐもった悲鳴はもっと大きくなる。 彼は彼女の青い顔を見上げた。その目は死んでいて、舌はぶら下がっていた。首には白い帯が巻きつき、手と体も帯でおおわれていた。帯は人形のように彼の恋人を操っていた。あの帯は彼の妻の結婚式の着物からのものだ。「亡妻は復讐のためにここにいる!」と彼が思った瞬間、恋人が彼の心臓を刺した。
ああいうふうになりたいな。 ポスターから好きなように容姿を選んで、カスタマイズできたらいいのに。 あの子からは口を。 その子からは目を。 どの子からは顎を。 いろんなものをもらおう。 あなたはどうするの?どの子から貰うの? 貰わないの?...なぜ? あなたの顔は、不完全よ。誰から見ても。 人生、詰んでるよ、それ。 自分らしく?子供のようなことを言っていると置いていかれるよ。 え?私の“のちの”顔が欲しいの? こうして同じ顔が増えていく。
家電量販店の屋上の隅に、野生の扇風機が巣を作った。その巣は、展示されている扇風機にくっついているひらひらしたテープで構成されている。巣の中では、赤ちゃん扇風機たちが小さな羽根を一所懸命回している。オスの扇風機は首を振って巣の周りを監視している。メスの扇風機は微風を赤ちゃん扇風機たちに送っている。そこへ、本物の風が吹いてくる。赤ちゃん扇風機たちは親の扇風機に、巣から連れ出され、その天然の風を浴びる。赤ちゃん扇風機たちにはそれが何よりの栄養だ。天然の風を浴び、親の扇風機の愛情を受け、赤ちゃん扇風機たちはすくすくと成長する。やがて巣立ちの季節が訪れる。初夏だ。赤ちゃん扇風機たちはすっかり大きくなり、立派な扇風機になっている。扇風機たちは親に別れを告げ、屋上を降り、家電量販店の店内に入っていき、扇風機売り場に自ら並ぶ。工場で作られた扇風機たちが強風で威嚇してくる厳しい世界で、彼らは無事生き残れるだろうか。店員たちが不安そうに微笑んでいる。
真夏のピークはわかっても、真冬のピークはわからない ムーミンは眠っていて、ちびのミイも起きてこない おおきなひとり言だと振り返ると スマホを片手にしゃべってる誰か そういったこと、以前はよくあった 最近は、おおきなひとり言だと振り返ったら ねことお話しているといったぐあいで ココロがやんわりあったかくなる わたしは高槻に行きたかった 梅田の地下で迷子になって ああああああああ、茫然自失 あせっちゃう、あせっちゃう、あせっちゃう あせったときはひとまず立ち止まって これでいいんですけど そんな顔をつくって壁にもたれて けだるげにスマホを取り出しゲームげえむGAME わたしは高槻に行きたかった 結局、高槻には行けなくて、どうしてだろうか宝塚 この世はままならないものなのさっと わたしは高槻に行きたかった
右手で前髪を整える。夏紗にあれだけ綺麗に整えてもらったはずなのに、なんだか不安になってしまう自分に可笑しくなる。私は誰も使わないグラウンド裏の校舎に寄りかかる。校舎と背中のすき間に、少し冷たくなってきた初秋の風が吹き込む。 私は、その風の行先を探すように空を見上げた。それは雲一つなくて、彼を待つための暇つぶしとしては、あまりにも退屈だった。澄んだ青。何処までも何も無い青。あの青色は結局何処に塗られているのだろうか、なんて考えてみる。私の恋心もこうやって元をたどったら、本当はどこにも存在していないんじゃないか。いやいや、あるに決まっている。はず。私にくだらないことを考えさせる青い空から目をそらした。 ため息をつく。私はこういう大事な時に限って、余計なことを考えてしまう癖がある。一際冷たい風が、今度は顔を掠める。ああ、せっかく渋々ながら納得した前髪が崩れてしまうじゃないか。そうやって神様はいつも意地悪をする。私は、地面を擦る落ち葉に向かって愚痴った。 駄目だ、またマイナスなことを考えている。こういうときは、夏紗のアドバイスを聞くのがいいと、この前の美術の時間に思い知ったので、まあ、仕方なく、目を閉じて、瞑想とやらを試してみる。私はずっと空回りしている思考に蓋をして、五感を研ぎ澄ます。目を閉じてもかすかに感じる微かな太陽の光。秋の風とその匂い。背中にあたるゴツゴツとした校舎の壁の感触。流石は夏紗である。緊張してた身体の外を覆っていた、仮初めの「私」が氷のように溶けてゆくのを感じる。それに伴って、身体に触れる秋風が本当は温かかったことを知った。これは、夏紗にコンビニのカフェラテを奢らなければならない案件である。 なんだか悔しくなって、深呼吸をするという手順を勝手に加える。私のことなんか何も知らない九月の空気を吸い込む。身体に無関心という名の優しさが染み渡る。もう大丈夫だろうと、目を開ける。 さっきまでとは別世界。何処もリアルだった。再び青空を見上げる。果たして彼はここに来てくれるのだろうか。それとも、今度彼に会うのは週明け月曜日の朝、隣の席なのだろうか。どちらもちゃんと想像できてしまう。渡辺センセイ、これが同様に確からしいということですねと、私は今日の三限を思い出す。頭の後ろで校舎をコツンと叩いた。あーもう、こんなに待ち遠しい思いをするなら時間制限でもつけてやればよかった。この時間までに来なかったら、私、帰るからねって。そうすれば、コンビニアイスを前に真剣に悩む彼だって直ぐに来てくれるはず。今度の参考にしようと思ったところで、今度なんてないことに気づいた。 急にまた冷たくなる風。最悪。もう。くるくると小さな竜巻のような風に巻き付く落ち葉。私の方に寄ってきたので、私はその場を避ける。寄りかかっていた壁に当たって落ち葉の乱舞は急に終わりを迎える。ああ、最悪。早く来てほしい。このままここにいても、私の心情は暗くなる一方だ。瞑想という名の気晴らしは使ってしまった。もう、夏紗からもらったお助けアイテムは残っていない。 私は、瞑想をしたあとも両手の震えはおさまっていなかったことを知る。彼は今頃、何をしているのだろう。仲のよい友達と一緒に駄弁っているのだろうか。いつもの放課後のように、机に寄りかかって話しているのだろうか。それとも、ここに来るかどうか迷ってくれているのだろうか。今日の朝渡した、場所と「放課後、待ってます」とだけ綴った手紙をまだ持ってくれているだろうかと不安になる。 そんなことを考えているうちに、だんだん、泣きそうになってくる。バレない程度で最大限可愛くなるよう研究したメイクが台無しになるからと上を見上げた。ああ、何処までも青い。青さが止まらない。きっと私の想像するよりずっと向こうまで青いのだろう。その青色は優しくない。私なんて知らないと吐き捨てる優しさだ。きっとこの青さは何処にも無くて、だから消すことなんてできなくて。そうして私は、人は不安で泣くこともあると知った。 それでも、彼の声が聞こえて、彼が息切れする様子を見て、不安は嬉しさに勝てないんだと、私は零れ始めた涙を頬で受け止めながら気づいた。
その蝶は私の後ろにいた その蝶はムラサキの色彩を身に纏っていた その蝶は羽に上下一つずつヒトの眼のような模様があった その蝶のことをムラサキヨツメと呼ぶことにしよう 名前はさっき決めた その蝶はどうやら自分にしか見えないらしい その蝶は図鑑には居ない その蝶はインターネット界にも居ない ムラサキヨツメは私の見間違いか? ムラサキヨツメは私の幻か? ムラサキヨツメについて知りたい (完)
新しいペンを手にとった時のような弾みで目を覚まし 新しいノートの一ページ目を開けたような膨らむ期待と共に外へ出てたい 汚れた靴もそのままで 震える手は広がった袖の下に隠しながら 目の奥から打ち寄せてくる熱には気付かないふりをして どこまでも遠くへ走り続けたら また会える気がしたんだ
ある夜、ふと同い年くらいの女の子たちのことを考えた。昔は同じ教室にいて、同じ時間割で生きていたはずの人たちが、今はもうどこの誰かも知らない人と、ごく自然に人生を進めている。そう想像した瞬間、胸の奥が少し静かになって、同時に取り返しのつかない感じがした。嫉妬や怒りではない。ただ、時間がもう戻らないところまで来てしまったのだ、という事実だけが残った。 高校や中学の頃、僕たちは同じ「まだ何者でもない時間」を共有していた。将来のことはぼんやりしていて、誰と生きていくかも決まっていなくて、可能性だけが無駄にたくさんあった。教室で隣に座っていたというだけで、なぜか同じ物語の登場人物のような気がしていた。でも今思えば、それはただの錯覚だったのだと思う。時間は最初から一人ずつに分かれていて、ある地点を過ぎた瞬間に、もう二度と重ならなくなる。 この感覚は、よく言われるような「恋愛経験の差」への焦りとは少し違う。誰かに先を越されたとか、負けたとか、そういう単純な話ではない。もっと曖昧で、言葉にしづらいものだ。他人が完全に他人になったと理解した瞬間の、静かな孤独。かつて同じ時間を生きていたはずの人が、自分の知らない人生を積み重ねているという事実を、ただ受け取るしかない感覚。 なぜこんなにも「時間が戻らない」ということがつらいのだろうと考える。失ったのは出来事ではない。実際には、何か特別なことが起きていたわけでもない。ただ、あの頃には確かに存在していた「まだどうにでもなれた感じ」が、もう手の届かない場所に行ってしまった。それに気づいたとき、人は初めて時間を後悔するのかもしれない。 取り戻したいのは過去そのものではなく、過去に含まれていた可能性だと思う。選ばなかった道、始めなかった関係、踏み出さなかった一歩。何も起きなかった時間は、空白ではない。ただ、何も起こらなかったという形で、確かに存在していた時間だ。その重さに気づくのが遅かっただけなのだ。 救いがあるとすれば、時間は戻らない代わりに、意味はあとから変えられるということだと思う。あの頃に何も起きなかったからこそ、今こうして立ち止まり、他人の人生を想像し、言葉にしようとしている。この感覚を知らないまま年を重ねる人もいる。そう考えると、今のこの寂しさは、何かを始める前触れのようにも思える。 僕はまだ、誰かの物語の中に深く入り込んではいない。ただ、入口には立っている。時間が戻らないと知ったこの地点から、これから流れていく時間を雑に扱わないと決めることはできる。取り戻せない過去を抱えたまま、それでも前に進むしかない。その事実を、今は静かに受け入れている。
「浦沢!」 先生が彼を呼んだ。 彼は眠そうな目を擦って、机から顔を上げる。 彼のおでこには一本深い線の跡があったから、周囲のクラスメイトは彼を見て笑い出す。 「簡単で眠いのは分かるが...寝るなら、こっそり寝てくれ〜」 先生はもうお許しモードだ。 浦沢は、短い髪の毛をわしゃわしゃと掻き上げて、机に置いていたメガネをかけた。 「さすが、中学生で数学オリンピックに出場した人はちゃうな〜」 周囲のクラスメイトは、彼を褒めながらいじっていた。 私は、それを浦沢の後ろの席から眺めている。 前の席の彼が本当に嫌いだった。 なぜかというと、単純に私の嫉妬。だってすごくキラキラしているんだもの。 どのくらい嫉妬しているかというと、食べて自分の能力にしたいくらい嫉妬している。 多分、何を言っているのか意味が分からないと思うけど、私自身も分かんない。 あぁ、そうだ、多分彼のたまに出る東北弁訛りの標準語を話すのも気に食わないんだ。 本当はメガネをかけない方がなんかイケてるというのも、気に食わない。あえてメガネをかけて俺、実はかっこいい顔してるけど、敢えて隠しているんですーのスタンスも、割と嫌い。 文武両道というのも、腹がたつ。焼けた肌が彼の努力を物語っているのも。 でも一番気に食わないのは... 数学の課題を返却される時。先生の手から離れたノートやプリントは、生徒の手によって後ろの席にやって来る。 浦沢は私の前の席だから、私の解答が分かる。 私は数学が一番嫌いな科目だ。数学ができる浦沢が嫌!! ただそれだけだ。浦沢は絶対に他の人の解答を見るやつなのだ。そしてばつ印を指差してこう言う。 「これ、なんで間違えてるの?」 ...五月蝿い!! しかもタチが悪いのは、彼自身は単純に疑問を抱いていそうなところだ。 そして、今授業をやっているけど、数学の時間だ。そして中間テストの解説を先生は汗を垂れ流しながらやっている。 解説が終われば、テストが返却されるのだけど、私は確信していた。 ...赤点だ。 「赤点は追試だからなー!」 私の名前が呼ばれる。 震える足で教壇までテストを取りに行く。 先生が黒板に書いた、追試対象点 45点以下 私の点数は...45点 あ〜数学だいっきらい!!! 本当にこの科目は私を常にいじめてくる。 「追試は金曜に行うから勉強しろよー。あ、そうだ。...浦沢にはチューターも頼むか。な?数学オリンピック予選敗退者」 クラスにドッと笑いが湧く。もう高校入学後の彼の鉄板ネタになっている。 私は絶望の淵に立っている。浦沢に教えられる数学なんて、屈辱でしかない。 「なんでこんなものが分からないの?」とか、平然と言ってきそうだ。 考えただけでなんかムカムカしてきた。
「転職なんて簡単だ」 同業者から転職してきた同僚がいつも言っている。 私の勤めている会社は中途採用の割合が多い。最近は新卒採用も始めたものの、それでも全体の七割は中途採用者だ。 私は新卒で入社して十五年。今の会社に不満はあるが、今すぐ退職を決意する勇気は無い。最後に面接をした時にどんなことを話したのかも覚えていないし、人間関係をゼロから始めるのも億劫である。 転職なんて簡単だという人は、社交性もあって資格もあって、どこに行っても通用する者ばかりであろう。 ある朝、いつものように出社すると、なんだか周りがざわついている。 フロアの空気は重く、誰もがモニターよりも人の顔色を見ていた。昼前に招集された全体会議で、その理由は明らかになった。 半年後、会社は主力事業の一部を畳む。私はその対象部署に含まれており、地方拠点への転勤が決定した。 説明を聞きながら、頭の中で何かが崩れる音がした。拒否権はない。条件は現状維持、ただし勤務地だけが変わる。 独身で、守る家族もいない。断る理由はどこにもなかった。 だが、胸の奥にじわじわと広がるのは恐怖ではなく、焦りだった。 このまま会社にしがみついていいのか。十五年も同じ場所にいて、私は何を積み上げてきたのか。 その日から、私は転職サイトを開くようになった。 職務経歴書は白紙に近かった。資格欄に書けるものはなく、成果と言える実績も曖昧だ。応募ボタンを押すたびに、「書類選考で落ちました」という定型文が返ってくる。 面接に進めた数少ない会社でも、決まって聞かれる。 「あなたでなければいけない理由は何ですか」 答えられなかった。 十五年勤めた事実しか、武器がない。 転職なんて簡単だと言っていた同僚の顔が、何度も頭をよぎった。 半年は短かった。転勤辞令が現実味を帯びる頃、私は半ば投げやりになっていた。 そんな時、最後に受けた会社があった。業界は同じだが規模は小さい。面接官は私と同年代で、派手な質問はしなかった。 「十五年、辞めなかった理由を教えてください」 私は初めて、正直に話した。 成果よりも、逃げなかったこと。変化が怖くても、その場でできることを続けてきたこと。 面接官は少しだけ笑って、頷いた。 内定の連絡が来たのは、転勤まで一か月を切った頃だった。 電話を切った後、しばらく何も考えられなかった。嬉しさよりも、拍子抜けに近い感情があった。 新しい会社での初日。 隣の席になった同年代の社員が、昼休みに何気なく聞いてきた。 「転職活動って、やっぱり難しいですか?」 私は少し考えてから答えた。 十五年分の焦りと不安を、胸の奥に押し込めて。 「転職なんて簡単だ」 そう言った自分の声は、思ったよりも落ち着いていた。
月明かりの公園。 ベンチに腰かける二人の男女。 「…お月さまってさ。 なんか、こー勝手に色々背負わされてるよね~」 「なんだそれ?」 「日本だとさー。兎がいたり、かぐや姫が帰ったり、アイラブユーだったり……口出せないと思って、責任押し付け過ぎじゃない?」 「責任って……別に責任とって欲しい訳じゃないだろ?」 「…ん、そうだね……責任、取って欲しい訳じゃないんだよね」 「……?」 「──“月が蒼いですね”」 「……それを言うなら、“きれいですね”じゃないのか?」 「手垢ベットリじゃん。蒼い月の方が、満月が二回とか、なんか得しちゃった気分?かな、と」 「百恵ちゃんの自叙伝……」 「それ、だあれ?」 ──その後、スマホで確認したところ、百恵ちゃんの自叙伝は『蒼い時』だったと知る二人でした。
どうも皆さんこんばんは 今日からはじまりました新番組 メデューサ・メデュ子のお悩み相談室 この番組は短編作品限定の小説投稿サイト『Prologue -プロローグ-』の提供でお送り致します この番組のナビゲーターを務めるのは私メドューサ・メドュ子です。皆さん、どうぞよろしくね はい、と言うことで はじまりました新番組 とっても緊張してるけどメドュ子頑張ります この番組は皆様のお悩みを私メドュ子がズバっと解決して差し上げる内容になっています。では早速今夜のお悩み相談始めさせていただきます ペンネーム、たこ焼きガールさんから頂きました。ありがとー メドュ子さんこんばんは 「こんばんは」 私は今年で40歳になってしまうのですが、 「私なんか3000歳超えてるのよ、若い若い。ピチピチよ」 未だに彼氏が出来ません 「彼氏欲しいよね~」 なので思い切ってマッチングアプリを使ってみたのですが 「うんうん、マッチングアプリで付き合ってそのまま結婚しました!みたいなカップル多くなったわよね」 この人良いなと思う男性がいて、でもいざコンタクトを取ろうとすると勇気がなくて、 「そうよね!ドキドキしちゃうわよね。私もそうだけど皆、自信なんかないわよね〜」 メデュ子さん、こんな私に少しの勇気を下さい。 「分かりました。たこ焼きガールさん。きっとこの縁はあなたにとって大切な出会いになるでしょう!そんなあなたにこの言葉を贈ります!」 【【弱い心は石にしておしまい!!】】 はい、出ました伝家の宝刀。メドュ子の石化アイ!と言うことで、そろそろお時間です。皆またねー!シャー!
一人の女がふらふらと道を歩いている。女がふらふらするたびに、ぽろぽろと何かが地面に落ちる。それは赤い。それは苺である。苺は女のスカートの中や、上着の袖の間から落ちてくる。どうやら女の肉体がどんどん苺に変化しているらしい。やがて女の片腕がすべて苺になり、片目が苺になり、右足の指がすべて苺になった。女はふらふらと歩き続ける。女が歩いた後に点々と苺が落ちている。そして女はスーパーマーケットに入った。もはや女の肉体の八割が苺になって、地面に落ちていた。女はとある棚の前でついに倒れた。女の肉体の全てが苺になり、女の魂だけがそこに漂っていた。女が倒れた場所の棚には、練乳が並べられていた。
「あ、懐かしいな…」 押入れの整理をしていると、分厚いアルバムが出てきた。 そこには、小さかった頃の我が子が写っていた。 一枚一枚ページをめくる。 初めて笑った日、 初めて立ち上がった瞬間、 短い手足を一生懸命に使って、こちらへ向かってきた姿―― 小さな「初めて」が、 余すことなく閉じ込められている。 写真の中の我が子は、 いつも私の腕の中に収まっていた。 あの頃は、泣き声に戸惑い、 眠れない夜に、ただ毎日を必死に過ごしていた。 もっと成長を喜べたはずなのに、 もっと優しくできたはずなのに、 と今になって思うことばかりだ。 忙しさを理由に、 見逃してしまった瞬間も、きっとあった。 それでも、こうして残された写真を見ていると、 確かに私は、この小さな命と向き合ってきたのだとわかる。 不器用でも、 迷いながらでも、 手を伸ばし守ろうとしていた時間が、 一枚一枚に刻まれている。 気づけばもう、 腕に収まらないほど大きくなった我が子。 あの日々は戻らないけれど、 この子がここまで私を母として育ててくれたこと、 そして、私を親にしてくれたことに 「ありがとう」
去年の暮れに喫茶店であの子と会った あの子はクリームソーダで 僕はコーラフロート ―寒いのに冷たいのだね あの子が言って ―でも、飲みたかったから 僕が言って おいしかったけど、からだがふるえた それで、あの子の前に、あたたかい紅茶が 僕の前には、あたたかいコーヒーが、運ばれてきた 紅茶を飲み、ふうと軽く息をついたあの子が ―今日のこれはね、忘年会なんだ と、あの子 ―そうなんだねえ と、僕 ―あんまり盛り上がらなかったかなあ お店を出てあの子が言って ―そうでもないよ 僕が言って 歩き出そうとした僕に、あの子が手をさし出してきて 僕は、その手にそっとふれた 駅まですこし、遠回りした
彷徨うデンジボタルを捕まえたくて。 季節外れの並木道、並木に絡みつくLEDに擬態して 季節外れの目的を虫取りカゴに詰め込んで また明日、デンジボタル。 (完)
電車を降りたら「どうでもいい」と言い切って、改札を出たら忘れるはずなのに、冷たい布団に挟まれながら今もうなされ続けている。
雑音が、嫌いだった。話すのも、嫌いだった。 ヘッドホンをつけていれば、話さなくて済む。 今日も、明日も、来年も。 きっとずっと、僕の生活は変わらない。 そんな静寂に、突然現れた少女。 彼女は、平坦な僕の生活に彩りを与えてくれた。 桜の散る日も、雪が降る日も、ずっと、君と笑っていたかった。 君は僕の声を好きだといってくれた。 「可愛い」その声を、反復して思い出す。 彼女がいたら、話してもいいと思った。 ヘッドホンなんか、いらないって、思った。 山桜 かわいい言葉 僕は好き
※「寂しくて」の続編です。そちらもよろしければ。 ────── 結婚して初めての冬を、俺は遠い街のビジネスホテルで迎えている。 長期出張。カレンダーを見るたび、妻の里枝と過ごしていない日付に線が引かれていくみたいで、胸の奥が少しずつ冷えていく。 夜、部屋の明かりを落としかけたころ、スマートフォンが震えた。表示された名前に、ほっと息をつく。 「もしもし」 『……起きてた?』 彼女の声は小さくて、少しだけ間がある。いつもの話し方だ。 つけていたテレビの音を絞る。 「うん。今ちょうど横になったところ」 『そっか』 それきり、少し沈黙が落ちる。何か言いたそうで、でも言葉を探しているときの癖。 『ね、聞いて。実家、三日で帰ってきちゃった』 「やっぱりか」 『だってさ、パパが「本当に仕事なのか」とか、「若い男は外で羽伸ばすんだ」とか。 ずっとそんなこと言うんだよ。……疲れた』 語尾が少しだけ尖る。でもすぐに力が抜ける。 『あなたが気を遣ってくれたのは分かってる』 「ごめんな。かえって寂しい思いさせた」 『……ううん』 その「ううん」のあと、また短い沈黙。受話口の向こうで、彼女がソファに丸くなっているのが目に浮かぶ。 「今日は何してたの?」 『仕事終わってからカフェで本読んでた。 帰りにスーパーの半額弁当買って、ドラマ見て』 「一人で半額弁当狙いに行ったの?」 『うん。意外と楽しいよ、あれ。おばちゃんたちとの戦い』 俺は笑った。彼女も笑った。そんな他愛のない会話を続けた。今日見たドラマのこと、近所のコンビニの店員が変わったこと、街角の地域猫のこと。 そしてまた、ところどころ黙り込む。 「……それで?」と促すと、「うん、そうそう」と慌てて話を続ける里枝。その繰り返しだった。 『ねえ、友貴』 「ん?」 『早く会いたいな』 胸が締め付けられた。 『独りでいると、部屋が広すぎて寂しい。 二人でいる時は狭いって言ってるのにね。変なの』 寂しがりやの彼女からあふれてくる言葉が、胸に刺さる。 『早く会いたいな』 吐息が混じる。あの、くっついてくるくせに、触れようとすると逃げる、猫みたいな妻の声。 「俺もだよ」 本当はもっと言いたい。でも、うまく言葉が出てこない。 『……そっち、寒い?』 「寒い」 『じゃあ、ちゃんと暖房つけて』 まるで自分のそばにいないのが分かっているみたいに。 そのうち彼女からの返事が遅くなっていく。呼吸音が一定になり、小さな息づかいになる。 「里枝?」 『……ん』 眠りかけの声。 「もう寝ろ」 返事はない。耳を澄ますと、規則正しい寝息が聞こえてきた。電話を握ったまま、眠ってしまったらしい。 俺はしばらくそのまま聞いていた。彼女の吐息。いつも隣で聞いているはずの音。 こんなに愛おしく感じたのは初めてかもしれない。 「おやすみ」 小さく呟いて、電話を切った。 明かりを落とし、ベッドに横になる。天井を見つめながら、さっきの声を反芻する。「早く会いたいな」って。 会いたい気持ちは、俺も一緒だ。今すぐ、帰りたいくらいだ。 目を閉じる。せめて夢の中で会えたら。そう願いながら、俺も眠りにつく。 傍らに眠る、彼女の柔らかい温かさを思い出しながら。
結婚して初めての秋は、静かに過ぎていく。 窓の外では冷たい雨が降り続いている。十一月も半ばを過ぎて、夜になると部屋の空気がひんやりと肌に触れるようになった。 暖房をつけようかと迷っているうちに、妻がそっと俺の背中にくっついてきた。 「寒い」 小さな声でそう言って、妻は俺のシャツの裾を掴んだ。 二歳年下の彼女は、こういう時まるで子どものようだ。 「暖房つけようか」 そう言いかけたけれど、妻は首を横に振った。 「寂しいからこうしてたい」 ぽつりと呟いて、彼女は俺の腕に自分の頬を押し付けてくる。その温もりが妙に愛おしくて、思わず抱き寄せようとしたら、するりと身をかわされた。 振り返ると、妻はいたずらっぽく笑っている。 「なんだよ」 「だって」 猫みたいに気まぐれなやつだ。結婚前から知っていたけれど、一緒に暮らし始めてからその傾向はますます顕著になった。 べったりくっついてきたかと思えば、こちらから触れようとすると逃げていく。でもまた数分後には、何事もなかったように側に寄ってくる。 ソファに座ってテレビを眺めていると、妻が今度は俺の隣に腰を下ろした。 そしてまた、そっと俺の腕に触れてくる。 「ねえ」 「ん?」 「私ね、小さい頃、両親が共働きだったから」 妻は俺の腕を両手で抱えながら、どこか遠くを見るような目をした。 「学校から帰ってきても誰もいなくて。 鍵開けて、一人で家に入って。冬はすごく寒かったの」 テレビの光が彼女の横顔を淡く照らしている。 「ストーブつけて、宿題して、でもやっぱり寒くて。 寒いと余計に寂しくなって」 妻の指先が、俺の腕をぎゅっと握りしめた。 「だから、寒くて独りきりは寂しくて嫌なの」 その言葉に、少し切なくなった。俺は何も言えずに、ただ妻の頭にそっと手を置いた。彼女は抵抗しなかった。 外では相変わらず雨が降っている。冷たく窓を叩く音が静かに聞こえる。 ──俺も独りは苦手だ。 一人暮らしをしていた頃、休日に誰とも話さずに一日を終えるのはしょっちゅうだった。そんな夜は、部屋がやけに広く感じられて、自分がひどく小さな存在に思えた。 誰かに電話しようかと考えても、こんな夜に誰を呼び出せばいいのか分からなくて、結局何もせずに布団に潜り込んだ。 でもそんなこと、彼女には言ったことがない。 「寂しいのは俺も同じだよ」 そう素直に言えたらいいのに、言葉は喉の奥で止まってしまう。代わりに俺は、妻の肩にそっと自分の頬を寄せた。 「あったかい」 妻がぽつりと言った。 「うん」 俺も小さく応えた。 妻の温もりが、俺の腕に伝わってくる。そして俺の温もりも、きっと彼女に届いているんだろう。 寂しいのは妻だけじゃない。俺もずっと、誰かの温もりを探していたんだと思う。 テレビの音が遠くなっていく。外の雨音も、いつの間にか子守唄のように聞こえ始めた。 妻の呼吸が、ゆっくりと穏やかになっていく。俺の腕を抱えたまま、彼女はうとうとし始めているようだった。その重みが心地よくて、俺も少しずつ瞼が重くなっていく。 もう一人じゃない。 そう思ったら、不思議と安心した。 これから訪れる寒い冬も、冷たい雨も、二人ならきっと大丈夫だ。 互いの温もりを感じながら、俺たちは静かに眠りに落ちていった。 窓の外では、まだ雨が降り続けている。